貴重な資源・リンの循環から見えてくるもの リンの循環から見えてくるもの

どよう便り 77 号(2004 年 6 月)
めぐる水
・不思議な土を知る講座 第4回
「 土の社会編
」 めぐる水・
不思議な土を知る講座 第4回
第4回「
土の社会編」
貴重な資源
・リンの循環から見えてくるもの
貴重な資源・
プロジェクトリーダー 森 元之 ■テーマは循環
このたびの「めぐる水・不思議な
土を知る連続講座」4回を通しての
キーワードを私たちスタッフは「循
環」にしました。水の場合はある程
度の社会生活を送ってきた人なら
ば、雨や雪が地上に降り、それが土
に染み込んで長い時間をかけて再び
泉となって地上に現れ、それが川と
なり海に行き、そして水蒸気となっ
て雲に変わり、再び雨などの形で
降ってくる、という大きな循環の流
れを経験知的に知っていることで
しょう。
しかし「土の循環」といわれると
それがすぐにイメージできるでしょ
うか?2億数千万年前に地球上には
「パンゲア」と呼ばれるたった一つ
の超大陸があり、それが分裂して現
在のいくつかの大陸分布になりまし
た。そしてそれらの原因として、地
球の表面はプレートと呼ばれる薄い
板のような状態がいくつも合わさっ
て球面を多い、そのプレートも地球
内部からどんどん生み出され拡張し
てゆこうとする部分と、再びプレー
トの下にあるマントルの中に入り込
んでいく部分があるということを、
多少地学や地球の歴史に興味のある
方であれば、イメージするかもしれ
ません。しかしそうした地殻や大地
の循環は、時間的空間的にとても大
きなスケールなので知識としては
知っていてもなかなか実感ができま
せん。
今回の講座を構成するに当たっ
て、では土を構成する成分の中で、
私たちが日常的なスケールの中で実
感できるもので、土の循環を知るこ
とができるものはないか、といろい
ろ探す中で見つけたのが「リン」と
いう物質でした。
■リンの科学的特性
リン(P)は元素記号でいうと15
番目の元素です。周期律表の位置で
言うと第3周期の第Ⅴ族です。 窒素
元素と同じ族に属し、反応性に富む
固体の非金属元素です。元素のうち
生物活動に必須な材料となる物質の
ことは「親生物元素」と呼ばれてい
ますがリンもその一つです。海水中
の元素としては多いほうから数えて
19 番目で、人体中では 6 番目に多い
元素です。体重 70kg の人では 700
∼ 780g 含まれています。1669 年に
ドイツの錬金術師ブラントが尿から
始めて分離しました。
常温・常圧下ではほとんど気体化
合物の形をとらず、相対密度(比重)
は 2.70 で重いという性質が物質循
環としてみたときにとても意味を
持ってきます。
リンは天然では単体の形では存在
しません。リン酸カルシウム、リン
酸水素カルシウムなどのように他の
物質と化合した形で存在していま
す。また人工的加工物としては化学
肥料、マッチ、有機リン化合物(パ
ラチオン、サリン)無機リン化合
物、ヒドロキシアパタイト、セラ
ミックや人工骨、ガラス材料など肥
料から工業、医療の分野まで幅広い
分野に使われています。最近歯の再
石灰化という機能を強調した歯磨き
粉やチューイングガムが販売されて
いますが、そこに含まれているヒド
ロキシアパタイトもリン酸、カルシ
ウム、水酸基の三種類のイオンから
作られた結晶です。
■リンの生体内における役割
DNA(デオキシリボ核酸)は、
私たち人間も含め生物にとって根幹
になるものです。なぜなら体の構築
や生命活動に必要なタンパク質を作
るための設計図に相当するからで
す。DNAの構造は二重らせん構造
といわれていますが、その基本単位
はヌクレオチドと呼ばれています。
このヌクレオチドは糖とリンと塩基
(4種類)からできていて、それが
3
規則正しくつながっていくことで二
重らせん構造ができています。
また外部から取り入れた栄養を、
体内で使えるエネルギーに変換して
保存したり、必要な時に使えるよう
にするためにはATP(アデノシン
三リン酸)が必要です。このATP
は生体の「エネルギー通貨」とも呼
ばれていますが、この名前にもリン
酸という言葉があるとおり、リンが
含まれています。さらに歯や骨にも
先に例を挙げたヒドロキシアパタイ
トの形でリンが含まれています。つ
まりリンがなくては生命がなりたた
ないのです。
■リンの大循環の不思議
基本的にリンは比重が重いので、
重力にしたがって地球上に分布して
います。つまり低いところにたまり
やすいということで、土中であれば
地下深くに、海であっても深海の方
にたまりやすくなります。ですか
ら、自然に任せていれば、リンは山
から川などを経て海の底深くに行く
ということで一方的な動きしかあり
ません。
しかし長い地質学的な時間で見れ
ばリンは大きな循環構造の中に入っ
ています(参考資料①。)海底の土
中にあるリンが、海洋の中の湧昇流
(深層の水が表層域へ動く垂直方向
の流れ)に乗って表層域に移動した
り、また海底火山の爆発によって突
発的に海中、表層域に運ばれるので
す。その表層域ではプランクトンが
繁殖し、それを小魚が食べます。そ
の小魚を鳥類が食べます。この過程
で生物濃縮され、鳥の糞には高い濃
度リンが含まれることになります。
離島のサンゴ礁に海鳥の死骸や糞、
魚や卵の殻などが数千年から数万年
という長期間にわたって堆積して化
石化したものを「グアノ」と呼びま
すが、そのグアノを形成するために
はウミウなどの海鳥が、魚を食べて
どよう便り 77 号(2004 年 6 月)
糞をするという重要な役割を担って
いたのです。グアノはリンの含有率
が高く、人工的に合成されるように
なるまでは主要なリン資源でした。
ですから鳥類が海から陸にきて糞
をしたり、同じ陸地でも、平野部か
ら山間地や森林の間を移動し糞をす
るということは、低い方へ低い方へ
と一方的になりがちなリンの動きに
対して、重力に逆らって空を経てリ
ンをより高い場所へ運び上げるとい
う循環のルートを形成しているので
す。
魚類もリンの循環にとって重要な
役割を果たしています。人間を含め
た動物に食べられることによって、
リンを地上に運びます。鮭などのよ
うに一生の間に河川と海の両方で活
動する魚は、海洋で蓄えたリンを産
卵のために川を遡上することで内陸
深くまで運び上げ、熊をはじめとす
る大小の動物によって食べられ、糞
や死体となって土にもどります。つ
まりそうした魚類も鳥類と同様、重
力に逆らってリンをより高い場所へ
運び上げるという循環のルートを形
成しているのです。
また人類も漁業によって年間約 1
億トンもの水生生物を海水・陸水か
ら地上に水揚げし食料や肥料として
利用しています。これも重力に逆
らった動きです。
■過剰ゆえの問題
このように生物にとって非常に重
要なリンですが過剰と不足の両面か
ら問題になっています。一つは過剰
ゆえの問題です。リンは自然界にお
いては基本的には不足しがちな物質
ですから生物はそれを取り込むこと
に敏感です。とくに水生生物の繁殖
を左右する重要な元素です。
1970 年代∼ 80 年代にかけて琵琶
湖や霞ヶ浦などで藻類・植物プラン
クトンが大発生し水質の悪化がおこ
りました。その原因は当時の合成洗
剤に含まれていた縮合リン酸塩洗浄
助剤(代表はトリポリリン酸ナトリ
ウム)でした。その後メーカーによ
る無リン洗剤の開発が行われ水質の
改善が行われました。
一方なかなか改善しないのが産業
由来のリンです。現在の農業では、
窒素、リン酸、カリウムが化学肥料
として農地に施肥されていますが、
リン酸は与えたうちの 10%しか吸収
されないそうです。そのため収量を
上げようとすると過剰な投与が増え
ます。しかしこれは土中の「リン酸
貯金」が増えることにはなります
が、他の成分と結合するため、植物
がすぐに使える状態にはなりませ
ん。そのため農業関係者の間では肥
料を与える方法・量・時期・他の肥
料とのバランスなどがいろいろ研究
されています。
また畜産動物(牛・豚・鶏)の排
泄物にはリンや窒素をはじめと
して有機物も多く含まれ、本来は肥
料としても有効なものです。しかし
現状ではそれが廃棄物とし処理され
ていたり、畜舎からの排水を通して
河川や湖沼などに入り込み、それが
水質悪化の元になっています。その
ため、回収技術や飼料の改良研究が
されています。
■不足ゆえの問題
一方で不足ゆえの問題があり、今
後その問題が社会的にも重要になっ
てくるでしょう。基本的には人間が
利用できる地球上の資源としての量
は限られています。自然循環に従っ
て鉱石が作られ人間が利用可能にな
る時間と、人類による消費速度の時
間スケールが異なるので循環ができ
ていないことが不足の大きな理由で
す。
先ほども挙げた農業用の三大肥料
(窒素・リン酸・カリウム)の中で
は、リンが一番不足しています。水
系では不足すると貧栄養化がおこ
り、生態系全体にに影響を与えま
す。
採掘可能なリン資源は 2 0 ギガト
ンで、可採年数は数十年∼ 150 年
(∼ 550)年と言われていて、資源と
しての有限性が切実な問題になって
きます。それはつまり石油や水と同
じように今後希少資源をめぐっての
国際紛争が起こることも考えられる
ということです。実際歴史的に見て
も、南米ペルー沖のロボス島やカリ
ブ海の鳥島、そして太平洋のガラパ
ゴス諸島を舞台にアメリカと利害の
対立する国々の間で紛争が続きまし
た。太平洋戦争時にはアンガウル島
を巡って日米が攻防しましたがそこ
4
にもリン資源の争奪問題があったの
です。
また太平洋のナウル共和国は 22?
の国土面積のうち、8 割がリン鉱石
の鉱床でできており、戦後は良質か
つ低コストで採取できました。それ
を輸出して国庫が潤っていたので、
税金のない国として有名でしたが、
すでに枯渇しました。このほかにも
いくつかの島ですでに枯渇していま
す。
リンを含んだ鉱床は島だけでなく
大陸の内部にあるのですが、石油や
宝石と同じように世界的に見てある
場所が偏っています。そして化学肥
料を必要とする日本は自国では産出
しないため輸入に頼っています。ま
た工業的にもセラミックや医療分野
の新素材として注目されていて、今
後もさまざま分野で必要とされるで
しょう。つまりリンやその化合物は
国家戦略上も重要な物質でもあるわ
けです。特に農業分野での肥料とし
ての役割は大きく、現在 40%の食料
自給率が問題になり自給率の向上や
食糧安全保障の課題も検討されてい
ますが、それらのことを考えるなら
ば当然リンを筆頭にした肥料の安全
保障も考えていかなくてはならない
でしょう。
■私たちにできること
このように生物にとってもまた社
会的にも重要なリンについて私たち
には何ができるのでしょうか? 大
きなレベルでは森林の保護、植樹・
造林などをして鳥類を大切にするこ
と、魚の遡上ができるようにダムや
砂防ダムの問題に関心を持つこと、
野生生態系の保護や回復がリンの循
環の和を断ち切らないためにも重要
な行為であることを認識しながら、
そうした活動を支援することが大切
でしょう。
身近なレベルでは肉よりも魚や水産
物をたくさん食べることが重要かも
しれません。体内にとりこむことで
海から地上へのリン循環
に私たちも参加していることは、食
卓と物質循環、悠久の地球の時間と
の関係を身近に感じさせてくれるで
しょうから。
どよう便り 77 号(2004 年 6 月)
■最後に雑感とまとめ
リンのことなどこれまで深く考え
たことはありませんでしたが、今回
調べてみていろいろ面白いテーマで
あることがわかりました。今回詳し
くは触れられませんでしたが、1848
年にアメリカのカリフォルニアで金
が発見されゴールドラッシュがあっ
たということは世界史的な事件とし
て広く知られています。しかしその
ゴールドラッシュについづいて「グ
アノラッシュ」という事件があった
ことはあまり知られていないように
思います。このグアノクラッシュを
通して「グアノ島法」という法律が
作られ、それがその後アメリカが海
外領土拡張政策に向かってゆくきっ
かけとなったという面から見ても歴
史的に非常に重要な事件にもかかわ
らず、ゴールドラッシュほどには広
く知られていないように思います。
また石油はかつてのオイルショッ
クや「永遠の 3 0 年」という言葉で
表現されるように30年後には石油
が枯渇するという宣伝がここ数十年
行われてきました。しかし枯渇や代
替案がないという点に関して言えば
リン資源の枯渇問題も非常に重要な
はずなのに、私たちは深く認識して
いません。そうした社会的に重要な
テーマであることに気づきました。
リンを調べていると「生体内のエ
ネルギー通貨」、農業面での「リン
酸貯金」、ナウル共和国の「税金の
ない国」などお金に関した比ゆ表現
や経済的なエピソードにいくつも出
会いました。そうした面でへ純粋な
科学的なテーマというよりは社会
的・経済的な側面を備えたテーマで
ありとても面白かったです。
最初は漠然と土に関して深く知り
たいと思って企画した連続講座でし
たが、リンという一つの素材を調べ
ることで、当初予想もしなかった広
く深く重要なテーマにたどり着くこ
とができました。それが「めぐる
水・不思議な水を知る講座」のプロ
ジェクトリーダーとしての最大の収
穫だと感じています。
<参考文献>
「リン−謎の元素は機能の宝庫−」井上勝也
「地中生命の驚異−秘められた自然誌−」デ
ヴィッド・W・ウォルフ著 長野敬 赤松
眞紀 訳 青土社 2003 年
「水辺の鳥 フィールドセレクション8」北
隆館 1992 年
「肥料になった鉱物の物語−グアノ、チリ硝
石、カリ鉱石、リン鉱石の光と影−」高橋
英一 研成社 2004 年
『第2章 持続的食糧生産と肥料』越野正義
「環境保全と新しい施肥技術」安田環 越
野正義共編 養賢堂 2001 年
『第9章 窒素およびりんの除去技術と事
例』 「水質浄化マニュアルー技術と実例−」
本橋敬之助 海文堂出版 2001 年
『5 . 土壌の生物学』木村眞人 「最新土壌
学」久馬一剛編 朝倉書店 1997 年
『10. 家畜と環境問題』板橋久雄 「最新畜
産学」水間 豊ほか編 朝倉書店 1998 年
『9物質大循環と土壌生物−土壌微生物の役
監修 金澤孝文著 研成社 1997 年
「海の働きと海洋汚染」 原島 省 功刀正
割』小柳津広志 「農学教養ライブラリー 土壌圏の科学」東京大学農学部編 朝倉書
行共著 裳華房 1997 年
店 1997 年
「元素111の新知識」桜井弘 講談社ブ
『7. 生物学的脱窒素・脱リン技術』花木啓
ルーバックス 1997 年
「石鹸安全信仰の幻」 大矢勝 文春新書 祐「「最新の化学工学」環境化学工学ー大
気・水環境を中心に次世代環境対策を考え
平成 14 年
るー」社団法人化学工業会関東支部編 社
「ビジュアルディクショナリー 化学の世
界」 ジャック・シャロ ナー著 岸村小太郎
団法人化学工業会発行 1996 年
『第1章 水循環から見た飲み水の安全性』
翻訳 同朋社 1998 年
「物質循環のエコロジー」室田武 晃洋書房
「水をめぐる人と自然」嘉田由紀子編 有斐
閣 2003 年
2001 年
「図解 土壌の基礎知識」前田正男 松尾嘉
インターネット資料
「モンゴル草原のエネルギーと水」熊谷道夫
郎 共著 農文協 1974 年
「土と水と植物の環境」駒村正治 中村好男
(滋賀県琵琶湖研究所)http://
www.lbri.go.jp/kumagai/mongolj.htm
枡田信彌 共著 理工図書 2000 年
「化学用語小事典」ジョン・ディン・ティス
=編 山崎昶=訳 講談社ブルーバックス
http://sekaitabi.hp.infoseek.co.jp/
gallery/gallery_os/nauru.html#0
昭和 58 年
参考資料①ーリンの大循環の不思議
人間の農業活動
漁業活動
陸域生物
遺骸
採取・肥料生産
グアノなど
魚類(サケなど)
無機質土壌
河川
栄養塩
風化・流出
湧昇流 無機化
海洋深層流
堆積
腐食
外洋表層
浅海生物
生物生産
無機化・採掘
分解
生物生産
海水交換
浅海
浅海堆積物
鳥類(ウミウなど)
外洋生物
沈み込み
深海
陸
沈降
海
海底火山
「海の働きと海洋汚染」 裳華房 p56の『リンの循環』の図を元に加筆
埋没
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