2015.12.06 「まことの王のお誕生」 マタイ2

2015/12/06
マタイ2:1-12
中心聖句
〇
「まことの王のお誕生」
「拝みにまいりました。」2節
埼玉と、ある不二家レストランにいたときのことです、店内アナウンスが流れました。
「今日は〇〇ちゃんの誕生日です。おめでとうございます。皆様拍手を!」、すると、
ペコちゃん人形がハッピーバースデーの音楽とともに踊り出しまし、ハッピーバースデー
をお店にいる全員で歌いました。歌が終わるとレストラン中の人達が一人の女の子に向か
って拍手をします。「おめでとう!」女の子は満面の笑みです。そこでインスタントカメ
ラで写真を「チーズ」
粋なおもてなしをしてですね。
来店した日が誕生日だと、こうして誕生日の御祝いをしてくれるのです。
あの誕生日の中心は誰でしょう。あのかわいらしい女の子でした。
ではクリスマスはイエス様の誕生を祝う時です。その中心は誰でしょうか。
そうイエス・キリストです。
まことの王が私たちのためにお生まれになったのです。
さあ、イエス様のお誕生を御祝いしようではありませんか。
〇
イエス様がお生まれになったのは、ユダヤのベツレヘムです。ヘブル語でベツというの
は家、そして
ラーヘム
はパンです。ですから。パンの家という意味です。ベツレヘム
はとても小さな村でした。イエス様はやがて「わたしは
いのちのパンです」と仰います。
何かイエス様の誕生に相応しい町だと思いませんか。
またこのベツレヘムの門のところにはある有名な井戸があります。これは2サムエル2
3:15に書かれているのですが、この地域がまだペリシテに支配されていたとき、イス
ラエルの王であるダビデたちはペリシテと苦戦をしていました。そこで「だれか、ベツレ
ヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ」とつぶやくのです。ツイッターですね。
するとそれを聞いていたダビデの三勇士は敵陣を突破して、その井戸から水を汲み、ダビ
デのところに水を持ってくるのですね。ダビデは感動して、自分では飲まずに、主なる神
様に献げるというところがあります。
イエス様は私たちにとって、いのちの泉となって下さる方です。私たちがイエス様を信
じるときに、心の内から水があふれて来て川のようになるのです。すごいことですね。こ
れはイエス様が私達に与えてくださる聖霊を受けるときに、心の内から水が溢れるように
*1
して流れ出て、やがて川が川々となる ことを現していました。
ベツレヘムは
パン、泉(井戸)を彷彿させる町です。まことのパンであり、私たちに
渇くことのない水を与えてくださる
イエス様の誕生に相応しい町ですね。
ちょっと地図を見てみましょう
*1 ヨハ 4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありませ
ん。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ま
す。」
-1-
母マリヤと、父となるヨセフはイスラエル北のナザレというところから,ある事情でベ
ツレヘムにやってきて、そのままマリヤは出産。ベツレヘムで生活をしていました。もう
イエス様が誕生されてから 1 年以上たちました。一歳ですとハイハイ、つかまり立ちをす
るころでしょう。L ちゃんもつかまり立ちをしていますよね。
マリヤもヨセフも御使いに会い、生まれてくる子どもが聖霊によって身ごもった子で、
-2-
多くの人を罪から救うということを知らされていました。*1*2
しかし、生まれた赤ちゃんは普通の子です。お腹が空いたら泣きます。おむつも必要で
す。授乳をしていると、一生懸命ミクルを飲みます。熱がでたこともあります。ぐずって
泣くこともあります。本当に普通の赤ちゃんです。
あまりにも普通なので、ガブリエルから聞いた、神の子、その名をイエスとつけなさい
ということもすっかり忘れかかっていたころ、そうもう誕生してから1年以上経ったころ
のことです。
天文学をやっている博士達が東方にいました。この東方というのはエルサレムからする
とペルシャ、アラビアの方のようです。この当時の天文学というのは、占星術を専門にや
っている学者たちです。今も占星術をする人がいますが、実際に天体観測はしないでしょ
う。東方の博士達は、夜月星を見るときに、そこに偉大な神様がおられることを感じ、神
様がその星の動きを通してわたしたちに何かを伝えようとしておられることを感じて、熱
心に研究をしている人達のことです。
自然を観察することによって、そこに神様の存在を感じ、そこからメッセージを捕らえ
たいと思う気持ち。それは純粋な気持ちでした。
天文学者、占星術の学者、マジャイと言います。そこからマジックと言う言葉が来てい
ます。マタイの福音書の一章を見ると、そこにずらーっとカタカナで名前がでてきますよ
ね。芥川賞作家の
ピース又吉さんの
火花
の最初に同じように
一ページ全体がカタ
カナの名前がしていたら、芥川賞を受賞することはでなかったでしょう。
なぜ、マタイの福音書一章に
名前がずらっと並んでいるかというと、その読み手が主
にユダヤ人だからです。旧約聖書の預言には救い主はダビデの子孫、ユダ族に生まれると
書かれています。ユダヤ人に福音を伝えるときに、「わたしたちの先祖からずっと待ち望
んでいた救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。この方の系図がほ
らこれです。約束通り、ダビデの子孫、ユダ部族にお生まれになったのです」と言うとき
に、ユダヤ人は、「そうか、預言の通りの方か」と理解できます。ですので、ユダヤ人に
*1
マタイ 1:20
彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているも
のは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の
民をその罪から救ってくださる方です。」
マタイ 1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであ
った。
1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼
ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
*2 ルカ 1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえまし
ょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおお
います。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
-3-
とってはマタイの福音書1章のリストは重要なものなのです。
先程読みましたところも、マタイの福音書です。読み手は?そう主にユダヤ人です。そ
のユダヤ人は
占星術、占いをする人に対して No と言う人達です。あえて神様は天文学
者・占星術をする東方の博士達に救い主の誕生をお知らせになったとうことは、読み手の
ユダヤ人にとってショッキングな出来事です。神様は心の広い方で、ユダヤ人だけではな
く、異邦人、しかも占星術をしている天文学者たちも救おうとしておられるという強烈な
メッセージがあるのです。
何度も申しますが、聖書は、占いを禁じています。占星術も同様です。多くの場合はま
ことの神様以外の神々を礼拝して、その神々からだと思って、メッセージをキャッチ、受
けとってしまうのです。
私は中学生の時の事を思い出します。
朝6:45少し前に
真空管ラジオをつけます。真空管ラジオというのはねこの目のよ
うなのがあって、チャンネルが一番合っているところにくると,そのねこの目のようなの
が一番大きくなります。そこから流れてくるのはNHKのラジオ講座でした。当時東郷勝
明先生が講師でした。毎日一人でラジオが置いてある部屋にいって聞いていました。この
東郷先生は後に早稲田大学の教授となり、クリスチャンになった先生です。
*1
あの真空管ラジオ、いろんな音を拾ってしまいます。聞きたい番組はNHKの第二放送
です。それにあっていないと、同じラジオから全然違う放送が流れてきてしまいます。
東方の博士達は、天体観測を通して神様の願いとぴったりあったメッセージを受けとっ
たのです。このメッセージはまことの神様からのメッセージであると彼らは確信しました。
他の雑音、他のものからのメッセージではありません。まことの神様からのメッセージ
です。
そのメッセージとは
まことの王がお生まれになった。というメッセージです。
メサイヤに
主の主という
王の王
ものがあります。
このまことの王というのは、まことの神が人となってくださったということです。
博士達はいても立ってもいられません、まことの王を礼拝に行きたいと願って準備をし、
行動しました。ラクダに乗っての王様へのプレゼントをもって出発をしました。
彼らは救い主に会えることを楽しみにして、待ち望んでいました。
今私たちは待降節にいます。クリスマスに向かっての歩みですが、まことの王様に会え
るという、わくわくするような思い、どんな犠牲を払ってでも礼拝をしたいという博士達
のような思いをもって、イエス様とお交わりをしたいですね。クリスマスまで、大切に一
日一日を過ごしましょう。それが待降節の過ごし方です。
東方の博士達は、まことの神様からの思いを正確にキャッチしています。
それは驚くべきことです。
まことの神様からの思いは何だったでしょうか。
まことの王が生まれた、あなたがたのための王である、この方を礼拝しなさい。
という思いです。
*1 東後勝明
「ありのままを生きる」 (Forest books)いのちのことば社
-4-
〇
さて、三つのことを話します。
1,約束されていた・・・約束
2,人となって下さったので分かる・・・理解・・同情
3,時代に生きておられる・・存在
1
約束されていた・・・約束
・博士達への導き
・博士達はまだ見ていないけれども、ある輝く星が見えるときに、まことの王が生
まれること、その方はユダヤの王となられる。その方が自分達に救い世界に救いを
もたらされる方である。
必ずその約束が成就したという大いなる光が光り輝くと
いう約束を得ていた。
日々、いつその星が見えるのか、分かりませんから、天気の良い日は毎日夜空を
観測していたのです。
彼らは出発しました。
イエス様は
求めなさい、そうすれば与えられます。
と仰いました。
博士達は、救い主に会いたいと願い、
星に導かれて。そしてエルサレムにまで星が導かれた。
博士達は、神様が私たちを救い主に会えるように導いて下さっているという確信
をもっていました。
先週、あるところに行きました。そして M 兄とお話しをしました。M さんとお会い
するのは 4 年ぶりです。来年富士見台に移られ、そしてこちらで洗礼を希望しておられま
す。楽しみですね。彼のところに教会のホームページに載っている、週報を礼拝のメッセ
ージを印字してお送りしています。彼は何回もその礼拝メッセージを読んでいて下さるよ
うです。「先生、ロウソクの話し、そうだと思います。今いろいろな宗教を信じているの
は、まことの光に会うまでのロウソク。本当の光にあったら、もうロウソクは要らなくな
りますよね。それから、ヘテロジーニアスとホモジーニアス。そうですよね、教会にはい
ろいろな人がいて、いろいろな賜物を持った人がいる。違うけれどもキリストによって日
宇とつとなれる。これが教会ですよね」
そんなことを話してくれて、ああ、良く読んでいて下さったのだと、主に感謝しました。
博士達は占星術をしていましたが、まことの神に会うまでの,ロウソクのようなもので
す。まことの神に会ったときからロウソクは不要になります。今までは星の彼方にいらっ
しゃるような遠いところにおられる神様に願っていましたが、人となってくださったイエ
ス様を通して父なる神様にお祈りすることができ、また祈りを通して、神様の御心をしる
ことができるの
ですから。
神様は博士達に、まことの王、救い主に会えるという確信を与えてくださいました。
2,人となってくださったので分かる・・・理解・・同情
・博士達はずっと、天体観測をして、そこからまことの神様のメッセージを知ろうとして
いました。そのときには、まことの神様はどこか遠くにおられて、近づくことも触れるこ
ともできない方でした。その神様が人となって下さることを知った博士達は、旅を進めて
-5-
いきます。
やがて、ベツレヘムで赤ちゃんイエス様に会います。彼らはひれ伏して,礼拝をしまし
た。イエス様に触れ、だっこさせてもらったかは聖書に書いてありませんが、恐らくマリ
ヤから、赤ちゃんイエス様をだっこさせてもらったのではないでしょうか。この時イエス
様が人見知りして泣かれたかどうか?興味深いですね。
博士たちは、遠いところにおられる
まことの神様ではなく、目に見える人となってく
ださったイエス様を礼拝することができました。そして声を聞き、触れることができまし
た。博士達と同じ人となってくださったのです。
博士達はこの方が将来どのように成長され、どのような最期を遂げられるかも知って
いたようです。
イエス様は
人として生まれてくださったので、私たちの弱さに同情して下さる方で
す。しかも、私たちは人となってくださったイエス様にお祈りし、イエス様から教えてい
ただくことができます。
例えば、空を飛ぶ鷲から、「私と同じように空を飛ぶようになりなさい」と私たちに
言われても最初からできませんでしょう。鳥のような翼をもっていませんから。鷲からし
たら同情の余地がありません。「私はできるのに、なぜあなたにはできないのか?理解で
きない」ということになるでしょう。
イエス様は私たちと同じ人となってくださったので、
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたたも互いに愛しないなさい」
というお薦めを聞いて、そうかイエス様が私を愛してくださったように、まわりの人
愛していけば良いのか、それだったらできそうだ。赦せない人がいたときには 7 を 70 倍
するまで赦しなさいとおっしゃった。我力ではできなくても、イエス様の事を思っている
と何かできるような思いがするでしょう。私たちは、神様の助けを頂いて、まわりの人を
愛することができるようになって行くのです。素晴らしい事ですね。
イエス様は
「求めなさい、そうすれば与えられます。探しなさい、そうすれば見つかります。た
たきなさい。そうすれば、開かれます」と仰いました。
まるで、将来そのお言葉を語られイエス様のことを知っているかのように、占星術の
天文学者たちは、どんな犠牲を払っても、救い主に会って、礼拝したいと思って求めたの
です。
神様は私たちにも、救い主に会いたい、救い主を信じたいという思い、志を与えてく
ださいます。それを大切にしてください。私たちが神様からの思いに応答していくときに、
神様は必ず救い主を信じることができるように助けてくださいます。
出発した彼らは三つの贈り物を携えていました。宝の箱(11)節は複数形です。宝の
箱にそれぞれ、黄金、乳香、没薬がはいっていたのかもしれません。このことからこの博
士達は3人では無いかと思う人もいます。讃美歌にも3人の博士達が御子に会いに来たと
いうものがあります。実際3人であったかはわかりません。博士達ですので二人以上です。
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多く考える人は14人という人もいるですよ。
星に導かれて旅をしてきた博士達は、エルサレムまで来ます。まず、ヘロデ大王のと
ころにいって「ユダヤの王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と単刀直入
に聞きます。ヘロデは御年七〇歳ぐらい、35年も王として君臨していました。彼は自分
の王としての地位を保つために残虐非道なことをするほど、不安を持つ人です。ヘロデは
博士達の言葉を聞いて恐れ惑い、「えらいことになるぞ」と感じたエルサレム中の人も恐
れ惑いました。
ヘロデ王は民の祭司長、学者達を呼んで救い主がどこに生まれるのかを聞きます。
彼らは一致して応えます。
「ユダヤのベツレヘムです」とそれは旧約聖書のミカ書に預
言されているからです。
聖書を通して神様が救い主の生まれる町を語っていてくださるのですが、占星術、天
文学者たちが、「ユダヤの王として生まれた、救い主が生まれた、その方を拝みにきまし
た」といっても、祭司長、学者達は鼻から受け入れていません。ユダヤ人は占星術をする
ものを拒否します。ましては、救い主の誕生を自分達ではなく、占星術の天文学者にお知
らせになるわけがない。そう思うので誰ひとりとして、博士達といっしょにベツレヘムに
は行かなかったのです。
博士達は、救い主がお生まれになるのはベツレヘムと言う事を聞いて、その道を教えて
もらい出発します。
それはベツレヘム。さあ行こう。
すると星が導いた。それは天使
達の光です。
劇場のスポットライトがひとりの人を照らすように、一つの家を照らしたのでしょう。
博士達は、ある家に入っていきます。
中にいたのは
母マリヤです。そこには一歳ぐらいの赤ちゃんがいます。
ゆっくり博士達は、赤ちゃんの所に行き、いきなりひれ伏し礼拝をし、三つの贈り物を
置きました。
その方に相応しい贈り物がある。それを博士達は用意した。
黄金
乳香
没薬
王
祭司
死と復活
博士達の贈り物、その意味を知っていたでしょう。
イエス様が十字架にかかられる前に、マリヤ
*1
がナルドの香油の壺を割って、イエス
様に注いだのが、埋葬の備えだとイエス様は説明されましたのを思い出しませんか。。マ
リヤが何としてもイエス様にナルドの香油を注ぎたいと思ったように、博士達はこの三つ
の贈り物を贈りたいと願っていたのです。
彼らは救い主と出会い喜んだ。神様は約束を守ってくださった。求めた時に与えてく
ださったのです。
3,時代に生きておられる・・存在
永遠の神は時間に束縛されない方です。その方が人間の生きているこの時代に人とな
*1 ヨハネ12:3
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って生まれて下さいました。
これは2000年前の出来事だけではなりません。永遠の
神が人となってくださっただけではなく、今もイエス様はいて下さるのです。
時代の中に生きて下さる。
共にいて下さり、慰め強め、導き、私たちを保ち
解放してくださる方です。
今、クリスマスです。早いところですと 11 月からクリスマスリース、ツリーが飾られ
ています。クリスマス、クリスマスといっても、そこではイエス様の誕生を祝いたいとい
う目的ではなく、沢山の人にクリスマスに乗じて商品を買ってもらいたいという目的があ
ります。12 月 24 日の夜からクリスマス飾り付けは一気にかたづけられます。私たちの教
会も 25 日を越えますと、新年に向けて、惜しまれつつクリスマスのかた付けをします。
今年も宜しくお願いします。
クリスマスの飾り付けが無くなったら、イエス様は飾りの入った箱といっしょに一年ど
こかの倉庫に入れられてしまうのでしょうか。
いいえ,イエス様はいつも生きておられます。
イエス様の誕生は 2000 年前のことですが、
2000 年前にお生まれになった。だけでは
なく、今も生きておられます。
私たちと同じ人となって下さったので、私たちは親しく神様にお話しをすることができ
ます。イエス様は私たちに同情してくださるかたので、私たちが試みにあっているときに
同情してくださり、助けを与えて下さる方です。
〇
まことの王が皆さん救い主として生まれてくださり。今もともにいてくださいます。
博士達のように、この救い主を礼拝しようではありませんか。
またこのアドベント、救い主に会えることを楽しみにし、期待して旅をしたように、
私たちのために生まれ、十字架にかかり、三日目によみがえって下さったイエス様のこ
とを思い、感謝をし、クリスマスの日を待ち望みましょう。
最期に 2 節のお言葉を読みます。「その方の星を見たので、拝みにまいりました」
お祈り:父なる神様、御名を讃美します。神様は博士達に救い主の誕生を知らせて下さ
り、何としてもそのまことの王を礼拝したいという志を与えてくださり、それをかなえて
くださいました。このクリスマス、人々の心に教会でまことの神様を礼拝したいという志
を与えてください。また私たちが、博士達のようなひたむきな思いをもってクリスマスの
主であるイエス様を感謝し、礼拝する心をお与えください。主イエスさまの御名によって
お祈りします。アーメン
-8-