2013.1.6. 主日礼拝説教「言葉の力」 聖書箇所マタイの福音書 8 章 5 節~13 節 [中心聖句] 「さあ、行きなさい。あなたの信(しん)じたとおりになるように。」 (マタイ 8:13) みなさん、明けましておめでとうございます。イエス様が生まれてから 2013 年目の お正月を迎えています。どんなお正月でしたか?嬉しいこと楽しいことはありました か?私は、1つ嬉しいことがありました。それは、紗智子の赤ちゃん光穂ちゃんを見に 行ったことです。光穂ちゃんは、まだ生まれて 2 週間にしかならないので、こんなにち っちゃいのですが、しっかりお母さんのおっぱいを飲んで元気いっぱいすくすく育って いました。この時期の赤ちゃんの成長には目を見張るようなすごいことが起こっている と思います。お腹の中にいるときには、へその緒でお母さんから栄養をもらうだけで、 肺呼吸をすることもおっぱいを飲むこともうんちやおしっこをすることもできなかっ たのにもう何十年も生きているかのように何でも上手にできるのです。しっかり泣いて、 しっかり飲んで、しっかり出して、しっかり寝ています。へその緒もきれいに取れまし た。すごい成長ぶりです。きっと私たちもいらないブレーキがかからなければ、どんど ん成長成熟していけるのだろうと思います。 では、今日の聖書の箇所をご覧下さい。マタイの福音書 8 章です。 8:5 イエスがカペナウムに入られると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、 8:6 言った。「主よ。私のしもべが中風で、家に寝ていて、ひどく苦しんでいます。」 8:7 イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」 8:8 しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする 資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直り ます。 8:9 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいま して、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。 また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」 8:10 イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まこと に、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を 見たことがありません。 8:11 あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、 アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。 8:12 しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするの です。」 8:13 それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じた とおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。 中心聖句は、「さあ、行(い)きなさい。あなたの信(しん)じたとおりになるように。」 (マタイ 8:13)です。 嬉しいですね。イエス様が、あなたの信じた通りになりますよと約束して下さったお話 です。 カペナウムという町に百人隊長がいました。百人隊長というのは、ローマの兵隊 100 人 のリーダーです。あるとき隊長の家来の一人が重い病気になりました。隊長は、苦しん でいるその人を何とかして治してあげたいと思いました。それで、イエス様のところに お願いにいきました。イエス様なら必ず治して下さると信じて一生懸命にお願いしにい きました。するとイエス様が、「行って直してあげよう。」と言ってくれました。とこ ろが、隊長は「いえいえ、イエス様を私の家の中に入っていただくなんて、そんな資格 は私にはありません。どうぞ、お言葉だけで結構ですから、イエス様のお言葉を与えて 下さい。そうすれば、必ず家来は直ります。」と言いました。イエス様は、これを聞い てびっくりして言いました。 「こんなに素晴らしい信仰を見たことがない。行きなさい。 あなたの信じた通りになりますよ。」と。そして、その瞬間に家来の病気は直ったので す。すごいですね。 イエス様は、今も私たちに「さあ、行(い)きなさい。あなたの信(しん)じたとおり になりますよ。」と約束して下さっています。みなさんは、昨年の夏のロンドンオリン ピックで、女子バレーボールチームが何と 28 年ぶりにメダルを取ったのを知っていま すか?みんなは、日本チームは背も一番低いし、オリンピックでメダルを取るなんて絶 対に無理と思っていました。でも、真鍋監督だけは、絶対にメダルが取れると信じてい ました。そして、メダルを取るためにできることは、全てやったのです。まずは、背が 低いというマイナスを逆に背が低いからこそ、ボールを拾うのがうまいはずだ、どんな ボールが来ても拾って拾って拾って、点を取られないようにしようと考えました。バレ ーボールは、ボールが床に落ちない限り、点が入らないから負けません。次にじゃあど うやったら点が取れるかを考えました。それは、ブロックの壁が二人になる前にアタッ クすればいい、すなわち、トスをあげてからアタックするまでの時間を短くしようと決 めたのです。そして、いっぱい練習して1.1秒以内に打ち込めるようになったのです。 また、誰が今日調子がいいのか打ったボールを全て数値化して、その情報をトスをあげ るセッターに流したのです。そして、信じた通り、見事銅メダルを勝ち取りました。 イエス様の言葉は、真鍋監督以上に権威があります。全地宇宙を支配しておられるイエ ス様が大丈夫と言ってくれたら、絶対に大丈夫なのです。それなのに私たちはなぜ百人 隊長のようになれないのでしょうか?なぜ、奇跡を体験できないのでしょうか?3つの 理由があります。1つは、楽をしたいからです。2つめは、愛が足りないからです。3 つめは、傲慢だからです。 できると信じて行動するときには、たくさんのエネルギーが要ります。瞬発力や忍耐力 や持続力も要ります。百人隊長は、忙しいから、とか今は疲れているからとか、さすが のイエス様もこれを直すのは無理だろうから等と言い訳をしませんでした。イエス様を 探し出し、身許に行き、一生懸命に懇願しました。エネルギーを使うことを惜しみませ んでした。私たちは、せっかくイエス様のところに行き、祈っているにもかかわらず、 心のどこかで「そうは言っても無理だよね。」「すぐには出来ないよね。」と諦めて、 できない理由を探し、言い訳ばかりしているのです。そして、諦めてしまって、努力し ようとしません。女子バレーボールの真鍋監督は、言い訳をしませんでした。背が低い という短所をむしろボールを拾いやすいという長所に見立て、あらゆる努力を惜しみま せんでした。今までは、コートを9つに分けて、相手チームがどこにアタックをしてく るかのデータを取っていましたが、どんなボールも拾うために9つに分けた中をさらに 4つずつに分割して(36 分割)より細かなデータを取り、レシーブ力を高めました。 2つめは、この百人隊長には、家来の苦しさを自分のことのように苦しむ愛があったの です。愛は全ての原動力です。この時代なら普通家来というのは、自分の成果を挙げる ためのただの道具にすぎません。その家来が病気になって使い物にならなくなれば、そ の病気の苦しさを思いやるどころか、役たたずめと腹立たしく思うのではないでしょう か。ところが、8 章 5 節 6 節ご覧下さい。「みもとに来て、懇願して、言った。主よ。 私のしもべが、・・・ひどく苦しんでおります。」百人隊長は、しもべの苦しみを我が ことのように感じ、何とかして直して欲しいと懇願する愛の人でした。だから、奇跡を 体験できたのです。私は、ここを読みながら、自分の祈りに力がこもらないのは、愛が ないからだと思わされました。自分勝手な愛は、いくらでも持っているのですが、本当 に相手の痛みや苦しみを自分のことできない薄情さに愕然としました。「お前はそれで もクリスチャンか?」と問われている気がしました。 3 つめの傲慢さ。私たちは、ともすると神様の方を自分に従わせようとしてしまいやす い。自分の罪深さを忘れ、被造物であり、生かされている者であることを忘れ、ついつ い神様にああしろこうしろと指図するような祈りをしてしまいます。しかし、この百人 隊長は、あくまで謙遜でした。人間的に見れば、ユダヤを支配しているローマの将校で あり百人のリーダーですから、威張ってもいいところでしたが、超多忙のイエス様が、 7 節「行って、直してあげよう。」と言ってくれたのに対して、8節「主よ。あなたを 私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そう すれば、私のしもべは直ります。」と答えています。自分の罪深さを自覚し、しかも神 の言葉の権威の前にひれ伏すとき、すべてのことは、その信じた通りになるのだとわか ります。今年1年、このイエス様の言葉をにぎって、奇跡を体験していきましょう。 お祈りします。「イエス様、あなたは世界を創り、この宇宙全体を支配しておられるお 方です。イエス様の言葉には、何よりも権威があります。今日、『行きなさい。あなた の信じたとおりになるように。』と言葉をかけて下さってありがとうございます。イエ ス様が、いつも一緒にいて下さって、どんなことでもできることを信じます。今年も嬉 しい奇跡をいっぱい体験します。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。」
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