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金沢医科大学学報 113号
目 次
新春のごあいさつ
No.
113
January 2003
■新春のごあいさつ
理事長、学長、病院長
■
・金沢医科大学大学院医学研究科改組再編
・ 第13回総合医学研究所秋季セミナー
・ 第14回総合医学研究所春季セミナー(予告)
理事長、学長、病院長
■
金沢医科大学大学院医学研究科改組再編
第 13 回総合医学研究所秋季セミナー
■学事
■学事
平成15年度特別推薦入学試験(AO入試)・推薦
入学試験・編入学試験終わる
第25回・第26回教育懇談会
平成13・14年度講義室整備状況
平成15年度附属看護専門学校推薦入学試験・社
会人特別推薦入学試験終わる
・ 第25回教育懇談会 テーマ:家庭医療学に期待されるもの
■学生のページ
私が医師になりたい理由・医師になった理由
クラブ活動:クラシック音楽サークル
■学術
International Symposium on Alternative &
Complementary Medicine
第4回耳鼻咽喉科ナビゲーション研究会
第23回北陸先天異常研究会
平成14年度実験動物慰霊祭
第39回日本臨床生理学会
第36回日本産業衛生学会
■病院
第8回地域医療懇談会
平成14年度第2回研修医ワークショップ
第1回金沢医科大学電子カルテセミナー
平成14年度災害訓練
■管理・運営
総合医学研究所組織の改組について
平成14年度永年勤続表彰
互助会 第22回文化祭
■随想・報告
20年の勤続に思う
有鉤嚢虫の疫学調査と吉林大学白求恩医学部学生
との交流
■教室紹介
公衆衛生学、血液免疫内科学、小児科学
形成外科学
□金沢医科大学創立30周年記念事業 募金のお願い
□金沢医科大学学術振興基金 募金のお願い
・ 平成15年度特別推薦入学試験(AO入試)・推薦入学試験・編入学
試験終わる
・ 第26回教育懇談会 テーマ:卒然卒後の医学教育
・ 平成13・14年度講義室整備状況
・ 米国バーモント大学 木田正俊助教授 本学表敬訪問
・ 附属看護専門学校入学説明会
・ 平成15年度看護専門学校推薦入学試験・社会人時別推薦入学試験
終わる
・ 第4回看護学生スポーツ交流会
■ 学生のページ
・ シリーズ:私が医師になりたい理由・医師になった理由⑤
・ 附属看護専門学校 松平篤志君 安田記念医療財団より奨学金無償給付
を受ける
・ クラブ活動:クラシック音楽サークル
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金 医 大 学 報
新春のごあいさつ
歴史を振り返り、大学の明日を考える
理事長
皆さん、明けましておめでとうございます。
今年は穏やかに、そして新たな心で新年を迎えられたことと思います。古い日本の村落社会では
家族や親族など血縁者が本家に集まり、共に大晦日を明かし、新年を迎える風習がありました。祖
先の霊をまつり、心新たに一族の団結を誓い合ったと思われますが、この仕来りは新年会の形で今
も受け継がれているように思います。新しき年を迎える気持ちは今も昔も変わりませんが、今年は
大学の30周年という記念の年に当たり、緊張感を持って新しい年を迎えることになりました。大学
としてはこの30周年を「歴史を振り返り、大学の明日を考える」機会にしたいと思っております。
新しい革袋に新しい酒を
昭和47年、学生を含めてそれぞれの人生の夢と希望を託した大学作りが進められ、まさに「新し
い革袋に新しい酒を」の意気込みが感じられましたが、昭和 52 年、他大学が決して経験したこと
も、また、経験することもない、大学の品格を疑わせるような不正入試事件が起こりました。当時、
この事件を曖昧に処理し、根本的な解決を行わなかったために、大学はその後、20年以上も後遺症
に悩まされることになります。
混迷の中から新たな出発
昭和57 年は創立10 周年に当たりますが、まさに「混乱の中からの新たなる出発」という言葉が
最も適切であると思います。この年、遅れていた大学院設置が承認され、これを機会に世代交代が
急速に進み、教育、研究そして診療の主役は50歳前後の教員に移ることになりましたが、この世代
交代は30年の歴史の中でも極めて大きな意味があったと思っております。
教育:教育は教員と学生の信頼を基盤にしておりますが、昭和52年の不詳事のいい加減な処理が
教員と学生の不信感を生み、教育環境は最悪の状態でした。この頃の教務部の主な仕事は年3回、5
月の橘会総会、7 月の父兄会、12 月の6 年生の父兄会で、学生や父兄を対象に大学の教育方針や教
育の現状を説明し、信頼を回復することでした。この説明を3、4年続ける中で、本学独自の教育理
念が形作られました。伝統的な講義による医学知識の伝授を中心とした教育から、人間形成を目標
とし、教員と学生がお互いに顔をみながら共に学習する少人数教育や生活指導を含めた指導教員制
度が導入されました。この経験が現在のチュートリアルやPBLなどを受け入れる下地になったと思
っておりますが、さらに医師としての態度教育を含めて「医学教育は全人教育である」という教育
理念へと進化いたしました。この教育理念は「人間性豊かな良医の育成」という建学の精神そのも
この年頭挨拶は、金沢医科大学イントラネット http://www2.kanazawai-med.ac.jp/ で3月31 日までご覧になれます。
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のであり、結果的には忘れられていた建学の精神がこの時に復活することになりました。
この時期に行われた制度改革の中で、以後の大学の発展に最も大きな役割を果たしたのは入学試
験制度の改革であると思っております。東京・大阪試験場の開設や推薦入試の導入などが、一部の
抵抗勢力によって阻止され続けておりましたが、入学志願者が235 名、203 名に激減したことが追
い風となって、入学試験の抜本的な改革が行われました。その結果、改革4 年後には開学以来初め
て志願者が1000 名を超え、金沢の奇跡と言われることになりました。昭和52 年の事件から20 年を
経て、やっとその影響を払拭できたわけですが、以後、志願者は順調に増加し、平成14年度には志
願者がはじめて2000名を超えるまでになりました。
研究:大学院設置に際して、教員が外部評価を受けましたが、この外部評価の結果、退職あるい
は実質的に降格された教授もおり、大学全体が重苦しい雰囲気になりました。しかし、結果的には
外部評価によって世代交代が促進され、大学改革の原動力になったこと、また、教員の選考基準が
明確になり、教員の質を保持するという大学の最も重要な基盤が整備されることになりました。以
後、大学の最後の良心としてこの基準が守り抜かれております。大学院発足に当たって、学位論文
の質を高いレベルに保持するために、論文作成の指導という意味を含めて日本でははじめて、予備
審査制度を導入したことなども特筆すべきことであると思っております。
研究活性化と効率化のために、人類遺伝学研究所、熱帯医学研究所及び共同研究室を母体として
総合医学研究所が開設されました。また、中国の同済医科大学、中国医科大学及び中日友好病院と
の姉妹提携について、抜本的な見直しが行われました。
診療:私共が学生の頃の大学病院は医師を中心とした医療であったと思いますが、吉田清三先生
はこれを反省され、患者中心の医療を目指した大学病院作りに取り組まれました。吉田先生は大学
付属病院の名前すら嫌われ、最後まで大学付属を冠しない金沢医科大学病院に固執されました。こ
の吉田先生の播かれた種は今は見事に花を咲かせ、患者に優しい病院として高い評価を得ておりま
す。しかし、医学教育の場としての病院の役割、経営上の幾つかの問題があって大学付属病院とし
て性格を明確にすることになり、臨床教授会の廃止、病院長の公選制などが導入されることになり
ました。
大学運営: 20 周年を迎える前に、初めて本学の教授から理事長が選出され、理事構成も学内教
授理事が多数を占めるようになり、借入金の全額返済など大学は急速に安定期に入りました。教育、
研究、診療そして事務組織を含む全学的な将来構想委員会が発足し、現在建設中の病院の増改築、
教授定年の引き下げ、事務機構改革などもすべてこの委員会で検討されました。また、大学支援組
織として橘会に加えて北辰会、北斗会が結成されたのもこの頃です。
大学ルネッサンス
平成4年に20周年を迎えたわけですが、そのメインテーマは現副理事長の山下先生の発案で「大
学ルネッサンス」に決ったと記憶しておりますが、私どもは大学再生の意味を込めたこのルネッサ
ンスという言葉に、非常に勇気づけられました。
平成4年からの10年間には大学の再生を象徴する幾つかの記念すべき出来事がありました。
その第1は平成8年、本学の学生が延べ16000名の医科学生が参加するマンモス大会である西日本
医科学生総合体育大会、及び全日本医科学生体育大会を主管し、大会が成功裡に終了したことなど
もあって「負け犬根性」から決別することが出来ました。学力低下を恐れて、主管校を断り続けた
昔を思い、感無量であったことを思い出します。
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新春のごあいさつ
第2は平成7年にイギリスの医学協会(GMC)の審査で高い評価を受けたことです。GMCの審査
後、サザンプトン大学の教授が講評の中で「もしも私の息子がこの大学に入りたいと希望すれば喜
んで入学を勧める」と表現されたように、本学の教育は非常に高い評価を得ることが出来ました。
このGMC の評価によって医学教育関係者の間で本学の教育が注目されるようになり、このことが
その後の日本医学教育学会の主催や国内医科大学の視察と討論の会の当番校に選ばれる理由になっ
たと思います。GMC の評価が高かったのは本学の教育が未完成であるにしても、他の医科大学と
異なり、全人教育を目指していることを審査された教授が感じたためではないかと思っております。
第3はハワイでの語学研修の導入、マーサ大学との学生交流の提携であると思っております。マー
サ大学はアメリカの医科大学の中でもトップテンに入る医学教育の先進大学で、その教育は医療現
場の体験と自主学習が中心であり、この教育技法は我々の全人教育に充分に活用できると考えまし
た。この考え方は私どもが受けた教育にあると思っておりますが、医学知識が不十分なまま医療現
場に入り、そこで自分の無知を悟ることによって真剣に医学を学ぶ、すなわち医学を学ぶ動機付け
になります。また、病気に苦しむ患者に接することによって医師の態度の重要性に気づくことにな
ります。マーサ大学の教育はイギリス型の全人教育とは異なりますが、全人教育を目指す医学教育
の技法としては極めて優れた技法の一つであると考えております。
医療については特定機能病院の導入が大きな論議を呼ぶことになったのもこの頃です。特定機能
病院では患者の病気の種類が限定され、医学教育上に問題が生じることが指摘されましたが、医療
費の増大が国家的問題となり、最終的には特定機能病院システムを受け入れざるを得ませんでした。
この過程で医学教育における大学病院の役割が自覚されるようになったことは大きな収穫であった
と思っております。
この10年間に入試問題漏洩事件や医療費の不正請求など、本学に関して誤った報道がなされ、昭
和52年の事件なども掘り起こされて非常に悔しい思いをいたしましたが、本学の評価が大きく崩れ
ることはありませんでした。これらの問題は危機管理的な側面がありますが、これらの事件を通し
て、
「組織の危機は指導者の大局観、長期的視野の喪失にある」ことを学びました。
また、30年の歴史の中で特に反省しなければならないのは大学に対する誤った考えで、これにつ
いては平成6年の年頭の挨拶でも触れております。
大学は「学問をする者の自由な団体、自治組織」であって、国家とは無関係、むしろ対立する存
在であり、その意味では「私立」が本来の姿であると思います。日本では国家政策として大学が作
られ、医学部であれば教育、研究そして診療を分担することになり、それが大学の使命と表現され
ております。しかし、私立医科大学は医師の育成のために創立され、医師の育成なくして大学の経
営は出来ません。私立医科大学では教育が最優先であることは事実ですが、それによって研究や診
療の重要性を否定するものではありません。予備校の教育によって国試をクリアし、医師になるこ
とは出来ても良医になることは出来ません。良医の条件には幾つかありますが、例えばその一つは
研究心で、医学教育においては学生の研究心を育む努力が必要で、そのためには教員、大学の研究
に対する態度が重要になります。また、医学教育は全人教育であり教員の資質が重要ですが、その
資質を維持するためにも研究が必要不可欠であり、その意味でも医学教育と研究は不即不離と考え
なければなりません。診療についても同様であると考えております。
また、大学付属病院は臨床教育の場ですが、最近では地域の基幹病院としての役割に対する期待
が大きくなっております。現在の医療制度の中では大学病院は特定機能病院としての役割を分担し
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ており、地域の医療機関との連携がなければ病院が成り立たない仕組みになっております。そのた
めに各大学では地域の医療機関との連携を深め、新たなる系列化が進んでいるとも言われておりま
す。国立大学の独立行政法人化を見ながら、私どもも大学病院の経営形態を含めて、その在り方を
考える必要があります。
大学の明日を考える
温故知新と言われるように、大学の明日を考える上で歩んできた歴史から学ぶことが多いように
思いますが、さらに、現代のような激動の時代においては、医学・医療研究の進歩のみならず社会
の流れなど、大学を取り巻く環境の変化も重要な要素であることは言うまでもありません。
20世紀において医学が急速に進歩し、医療技術の開発が進み、医学教育、研究そして医療の在り
方が急速に変わりつつあります。このような変化に対応して、本学の教育、研究そして診療の見直
しが行われると思います。学長と病院長には大局観を持って本学の教育・研究そして診療の見直し
の基本方針とその将来ビジョンをご呈示いただきたいと思います。この将来ビジョンに従って大学
の改革が進められることになりますが、その基盤作りが私の責任であると思っております。
そのために第1に必要なことは学長及び病院長のリーダーシップの確立であると思っております。
これまでの学長・病院長はコーディネーター的な役割であったと思いますが、私立医科大学におけ
る学長・病院長には強力なリーダーシップが求められており、そのための環境作りはすでに進めて
おります。リーダーは強力な権限と同時に責任を持つことになりますが、さらに、私立医科大学に
おいては経営感覚を持たなければなりません。
第2 に必要なことは情報公開です。大学の基本方針の実現には、すべての教職員の協力を得なけ
ればならず、そのためには情報公開によって共通の認識を持つことが必要です。現在、徹底した情
報公開のシステム作りを進めており、例えば大学の財務状況についても、理事会、常任役員会、部
課長会などでも充分に説明しており、役員あるいは部課長を通じて皆さんにもご理解を頂いている
と思っております。
第3 は基本的に必要な大学の施設整備です。この3 年間で教育、研究の基本的な施設整備、例え
ばPBL や学生の自習室のための小学習室、C41 やこの講堂の改修、クラブハウスの建設、さらにソ
フトの整備、また、病院新棟の建設を含む診療の基盤整備を行って参りました。病院のⅡ期工事も
あり、さらに巨額の資金が必要になるかも知れません。実は30年で病院の増改築をしなければなら
ないことが、大学の財政の大きな負担になっており、その反省もあって、今度の増改築にあたって
は50年の耐久性と免震構造の採用を基本と致しました。さらなる必要な施設については、大学の財
政状況に応じて、年次計画を下に、順次、整備しなければなりません。リーダーには大局的な立場
で、大学の経営状況にも配慮した、施設整備計画案を作っていただき、過剰な設備投資を避ける努
力をしていただかなければなりません。
正直に申し上げて、大学の財政状況は決して明るくはありませんが、最近、若い教職員を中心に、
大学の諸問題に積極的に取り組む姿勢が芽生えており、大学の将来は明るいと思っております。こ
れらの若い教職員を中心に、5 年後、10 年後に照準を合わせた大学の将来構想を考えていただくこ
とを期待しております。
創立30 周年を教職員すべてがそれぞれの立場で、
「歴史を振り返り、大学の明日を考える」機会
にしていただくことを期待して、年頭の挨拶とさせていただきます。
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金 医 大 学 報
新春のごあいさつ
学 長
明けましておめでとうございます。今年の元旦は非常
ては新しい課題が出てくるわけですが、これをクリアし
によいお天気で、ひなたぼっこできるような感じでした
て臨床参加型の CCS に進むことになります。そうする
けれども、2 日から例年のごとく北陸の多少暗い気候と
と、病院はもちろんですが、関連病院の先生方にも非常
なりました。しかし今年はいつもよりお正月休みが長か
にお世話になるということになります。特にCCSの臨床
ったので皆さんゆっくりされて、新しい気持ちで新年を
参加型の実習というのは非常に大事なことで、これは平
迎えられたことと思います。
成16 年度から行われる研修医の必修化に繋がります。こ
今、理事長から縷々開学から30 年の経過をお話して
の研修医の2 年間というのは重要な研修でこの期間を入
いただきましたけれども、今年は30周年という節目の時
れますと合計8 年となりますので、そうした形で一貫教
で、こうした時期を迎えられる私どもはある意味では幸
育を考えたほうが良いと思っております。そういう意味
せなことではないかと思っております。ひと口に30 年と
では臨床参加型のCCSというのは、卒業してライセンス
申しましても、これは今お話がありましたように、先人
を取った後の2 年間の研修に繋がるものといえます。こ
のいろいろなご苦労があってここまで来たわけで、そう
れは学内外の先生方に非常にご苦労願うわけで、実習に
いう意味では先輩諸兄に感謝をしたいと思います。
ついてはスチューデント・ドクターという呼び名でやっ
去年は、日本では二つの大きな明暗がありました。そ
れによって民族意識と言いますか、国家に対する日本国
ており、学生でありながらドクターに近い形で実習する
という、研修医並みの扱いをすることになりますので、
民の気持ちが変わったのではないかと思います。ひとつ
これは強力に病院長と相談して推し進めたいと思ってお
はサッカーのワールドカップ、そしてもうひとつは北朝
ります。
鮮の拉致問題が事実であったということです。この二つ
また、一昨年から始まったPBL については、テュート
が日本国民の愛国心と言いますか、民族の団結を呼んだ
リアルのテューターが増えまして、やがて300 人になり
というように私は理解しており、非常に日本国民にとっ
ますが、その先生方のおかげで、PBL が非常に順調に動
ては重要な年ではなかったかと思います。
いております。本来は、PBLはCCSの臨床実習に結びつ
医学教育改革の推進
くものでありますが、やはり知識の量というか吸収とい
さて、今年は30 周年記念というひとつの大きな事業が
いますか、知識を詰め込むのには多少不足のところがあ
あり、これに向けて鋭意努力する必要がございますが、
りますので、おそらく私は、将来はハイブリッド型、要
教育、研究、診療についても、例年のごとく前向きで邁
するにカルガリー大学とかハーバード大学でやっており
進するというのが基本ですので、大学の本来の使命は果
ますように、PBL のテューターが講義形式も多少入れて
たさなければなりません。
ハイブリッドでやるという形のPBL になりつつある、あ
最初に、医学教育問題ですが、先程お話がありました
るいはすべきであると思っております。今は試行錯誤で
けれども、私の立場上、これは非常に力の入る所でござ
ございますけれども、徐々に教育内容を変えていきたい
います。ご存知のように昨年はコア・カリキュラムを中
と思っております。
心として教育改革が行われ、やがて共用試験、それから
皆さんご存知のように、1995 年にBranda が、
「医学教
OSCE を伴った共用試験ということで、学生諸君にとっ
育というのは日々変わるものである。それはなぜかとい
この年頭挨拶は、金沢医科大学イントラネット http://www2.kanazawai-med.ac.jp/ で3月31 日までご覧になれます。
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うと、社会のニーズが医療の変革をもたらして、医療の
を尽くしていただきたいと思います。医科大学は何人の
変革が医学部の医学教育を変える」ということで、やは
ドクターを世の中に送り出すかが重要でございますの
り医学教育というのは時代の要請と共に、あるいは国民
で、私はいつも言っておりますが、国試合格率100 %に
や社会の要望と共に変わりうるということを述べており
近づけるということを目標にしております。これは夢で
ます。全くそのとおりであり医学教育は日々変遷するも
もありますが、現実味を帯びた夢でございますので、可
のであろうと考えております。事実、最近7、8年の医
能なことであると常々思っております。
学教育は非常に変わってきておりますけれども、これは
研究の活性化に向けて
少なくとも社会のニーズ、国民のニーズそういったもの
研究に関しては、この場をお借りして心より感謝申し
が土台にあることは間違いないことであり、たとえば医
上げたいと思います。すなわち、大学院の改組について
師の人間性の問題、それから倫理の問題、医療過誤の問
は、昨年、文部科学省から認可をいただいたということ
題、いろんなことが起爆剤となって医療を変えて医学教
で、非常に大きな進歩ではないかと思います。皆さんに
育を変えるということになると思うのです。そういった
たいへん労力をおかけしまして、教員の方、事務担当の
意味では、医学教育というのはその時代時代に即応せざ
方全てにお礼を申し上げたいと思います。担当の皆さん
るをえないし、変えるべきであると思います。先程お話
は徹夜続きで大変な仕事でございまして、大学院の改組
がありましたように、我が大学は医学教育では先端を走
という大きな事業をやり遂げていただき本当に喜んでお
っておりますので、皆さんのご協力を得てしっかりとし
ります。今年はその第1 回の新入生を募集することにな
たものにしていきたいと思っております。
りますが、新しい大学院では基礎と臨床が一体となって
それから、医学教育に伴って考える必要があるのは、
入学選抜のことであります。本学はAO システムという
大学院の学生を育てるというシステムでございますの
で、大学の活性化、研究の活性化に結びつくと思ってお
医学部では初めての新しい試験選抜方式を採っておりま
ります。是非たくさんの大学院学生が入学することを希
す。これはもう少し経過をみないとわかりませんが、こ
望しております。
の入学選抜の方法がほんとうに良いのかどうかというこ
もうひとつの課題は、これも研究の大事なことですけ
とで、面接方式あるいは筆記試験を含めて妥当であるか
れども、21 世紀COE プログラムの申請ということです。
どうかを考え直してみたいと思います。たとえば学生の
これは、いろいろとディスカッションもございますし、
適正評価ということですが、将来、医師に適性かどうか
途方もないことであるとお思いかもしれませんが、今、
の評価は、若い学生諸君に面接や筆記試験をしてもなか
勝田副学長が中心になって学内からテーマを集めてかな
なか判断することは難しく、医師の適性評価と学力との
り検討が進んでおります。是非この21 世紀 COE プログ
関係も非常に難しいところがあるということです。しか
ラムに参加したいと思っております。これはまだ公表は
し、何か新しい方法を模索していきたいと考えておりま
できませんが、非常に良い全学的なテーマが1つ集約さ
す。
れました。そのうち皆さんに公表したいと思いますけれ
次に、医学教育に最も大事な関わりを持つ教員の問題
ども、今その詰めを行っているところでございます。
ですけれども、意識と資質に関しては少なくとも10年前
さらにもう一つ、教育の21 世紀 COE プログラムとい
から比べるとはるかに向上していると思うので、私は非
うのがございまして、これはまだはっきりしないところ
常に喜んでおりますし感謝しております。私自身を考え
もありますけれども、先程、理事長がおっしゃいました
てみても、医局の運営には力を注いでいましたが、教育
ように、我が大学は教育では先端を走っていますので、
まではなかなか手が回らないというのが事実でした。し
電子カルテによる教育ということなどを入れて、大きな
かし、それは非常に遅れているといいますかお粗末な時
プロジェクトとして教育のCOE プログラムにも参加した
代であって、やはり医科大学でありますので医学教育を
いと思っています。いずれにしても、研究というのは大
先頭に最も重要視して考えるべきであります。そういう
学の非常に大事な部分でありまして、研究が教育を後押
意味では、まだまだ意識改革は充分ではなく、たとえば
しするという形に是非もって行きたいと思っておりま
教育懇談会などに出席していただける先生が少ないとい
す。
うこともあり、これの義務化も含めましてさらに教員の
また、研究に関してひとつの夢と言いますか、私の将
医学教育に対する考えをきちっとしたものにしたいと思
来に向けての大きなテーマと考えておりますのは、産学
っています。これは教員の評価にも結びつきますので、
共同研究ということでございます。今、新聞紙上で皆さ
医学教育に目覚めるというと失礼でございますが、お力
んよくご存知のように、国立大学をはじめいろいろな大
金 医 大 学 報
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新春のごあいさつ
学で企業と連携して共同研究をし、特許をとって申請す
方のご意見を頂き、年度内に結論を出したいと思ってお
るという形でどんどん進んでおります。大学教授がある
りますので、よろしくご協力いただきたいと思います。
企業の社長や取締役に就任するという話はたくさんあ
最後に、私が尊敬しております昔大乗寺の住職であり
り、米国ではもうずいぶん昔からあることです。こうし
ました横浜の曹洞宗大本山総持寺の管長をされ、今は門
た産学共同を進めるような研究プロジェクトを各医局な
前の総持寺祖院の住職になられました板橋興宗先生とい
り講座でぜひやっていただきたい。あるいはいくつかの
う方ですが、私が拝見している患者さんで、この方の色
共同研究がまとまって企業と連係プレーをするというよ
紙に「今が臨終、今が極楽」という、そういう言葉があ
うなことを進めいただきたい。これに関しては理事長か
ります。これは人間というか生き物は全てそうですけれ
ら財政的支援をするということをお約束いただいており
ども、一歩一歩あるけば臨終に近づく訳で、その時その
ますので、是非ご尽力いただきたいと思います。これが、
時が極楽と思ってまあ明るくやりなさいということでは
研究における大きな夢でございます。教育は国試合格率
ないかと思います。私は「今が臨終、明日は極楽」とい
100 %、それから研究のほうは産学共同の連携研究とい
うことで、現在一歩一歩地道に努力すれば、将来楽しみ
うことを目玉にしたいと思っています。
な時代が来るという考えで、毎日毎日を生きていったら
医療への取り組み
良いのではないかと思っています。暗い気持ちでいては
最後に診療といいますか、医療でございますが、これ
何も生まれてこないわけで、
「明日は極楽」といった気
は担当が内田病院長でございますけども、医学教育に結
持ちでやれば何事も辛抱できると思っております。皆で
びついた点ではIT化ということで電子カルテを教育に応
今年一年をそういった気持ちで過ごせればと思います。
用するというので、医療情報部などに一生懸命やってい
今年は未年であります。羊はなんとなくソフトで柔ら
ただいていますが、これを是非完璧なものとして全講座
かくて暖かい感じがしますので、羊を胸の中に入れて人
で施行して、新しい医学教育の目玉として進めていきた
には笑顔で接する、という気持ちで今年一年を過ごして
いと思っています。
いただきたいと思います。
昨年の4 月、10 月の保険法の改正のダブルパンチで、
医療は経済的に非常に厳しい時代になってきております
けれども、しかし、新しい病院ができて多少スリム化し
効率の良い運営をして、知恵を絞ってやればなんとか切
り抜けることができると私は比較的楽観しております。
包括医療の導入にしましても、うまくいくと黒字になる
可能性が大でありまして、最初から赤字を覚悟してとい
うのでなく、包括医療の導入によってむしろ黒字に転換
する方向へもっていくという考えが大事であります。た
とえ赤字になってもこれを黒字転換のために努力をする
という努力項目、評価項目はいくつか出されております
ので、知恵と活力でやれば切り抜けられると思っており
ます。病院を含めた厳しい財政状況ではございますけれ
ども、今申し上げましたように、知恵と活力で切り抜け
るという気概で一致団結して頑張りたいと思っておりま
す。
将来に向けて
以上、教育・研究・診療に分けて所信を述べました
が、この3 つの大学の使命を円滑に機能的に運用するに
は、従来からの旧態依然とした講座制にメスを入れる必
要があります。すなわち、大学院が改組に踏み出し、効
率的に作動しようとする時期を迎えている今、講座制を
人的および経済的に有効な組織に改革する必要があると
いうことです。現在学長室で検討中ですが、いずれ皆様
以上でございます。ありがとうございました。
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金 医 大 学 報
病院長
皆さま、明けましておめでとうございます。年明け
早々寒波に見舞われておりますが、穏やかに新年を迎え
られたことと思います。
した。しかし、大学としましては、将来、病院収入は右
肩上がりの増加が見込めないということもありまして、
過剰投資はしないということ、使用可能なものは全て使
近年、国は医療費削減を目指して次々と法規の改定を
用して新規購入に関しては最小限に止める、先送りでき
行っておりますが、むしろ医療の質の低下や複雑さが増
るものはできるだけ先送りするように、ということです
しているのかもしれません。昨年は診療報酬のマイナス
ので、そのような観点から充分に検討を重ねて最終調整
改定が行われましたが、皆様のご努力によりまして病院
をしているところで、近日中に結論がでることになって
としては、とくに入院に関しては現在のところ前年度並
おります。この間、新棟はどんどん建築されております
の収入を維持しており、また院外処方箋の全面発行など
ので、それに並行して、運用計画、移転計画も策定して
も順調に実施されていると思います。しかし、外来の患
いくということです。運用計画につきましては、センタ
者数が長期投与の制限緩和で減少しており、各診療科に
ー名をどうするか、診療科名をどうするか、病室番号や
は引き続き新患の増加にご協力をお願いしなければなり
診察室番号をどうするかということで高橋副院長、松本
ません。
副院長を中心としたワーキング委員会で検討中でありま
さて、平成15年度はいくつかやらなければならないこ
す。移転計画につきましても、移転開始日とか、移転部
とが、待ち受けております。とくに重要な項目について
署の優先順位とか、入院患者の移動をいかにスムーズに
お示しいたしまして、年頭の挨拶とさせていただきます。
行うかということで、これらのワーキング委員会で検討
1 番目は9月から行われます新棟への移転です。2 番目が
していくことになります。いままでいろいろな実施委員
診断群別包括医療制度の開始であり、3 番目は新臨床研
会がありましたが、今回は山下副理事長を中心としまし
修制度への準備で8 月までに指定申請や研修プログラム
た新棟移転計画総括委員会が設けられまして、そのサブ
の作成を行うことになります。4 番目が医療の安全管理
グループとしてこれらのワーキング委員会がつくられて
体制の完備、5 番目が新棟移転を契機とした病院情報シ
おり、皆様方の中からも委員として参加していただきま
ステムの再構築で、この5 項目が今年の重要課題という
して検討をしていくということです。
ことで取り組んでいかなければならないと考えておりま
診断群別包括医療制度の開始
して、これらについて簡単に説明したいと思います。
病院新棟への移転
2 番目は、診断群別包括医療制度の開始でありまして、
これは今年の4 月1 日から開始することが決まっており、
まず1 番目の病院新棟への移転です。医療機器、什器
入院患者に対しては、一部分の医療行為を除いて出来高
備品の整備計画が新棟への移転・運用計画や患者移動に
払いがなくなるということでありまして、ある意味では
関係してくると思います。とくにいま問題になっていま
非常に画期的なことではないかと思われます。包括評価
すのが、整備計画です。これは高島委員長を中心とした
というのは、特定機能病院(大学病院、国立癌センタ
病院機器設備整備委員会で、本年度の新棟への移転を含
ー、国立循環器センター)の入院患者に対して、1 人 1
む平成 14 年度から 17 年度の 4 年間に必要な機器として
日あたり医療機関別に主たる診断名に対して治療費の支
各部署から申請していただいたものを検討してまいりま
払いが行われるということであります。このため診断の
この年頭挨拶は、金沢医科大学イントラネット http://www2.kanazawai-med.ac.jp/ で3月31日までご覧になれます。
金 医 大 学 報
10
新春のごあいさつ
分類ということが非常に重要でして、昨年来、特定機能
護老人保健施設、へき地診療所などです。本学病院の場
病院からのデータなどに基づいて分類が行われおり、現
合は、単独型臨床研修病院のタイプで申請する方向で検
在はα版が公表されておりますが、それをさらに精密に
討しております。現在、臨床研修委員会の先生方を中心
したβ版が作成されているということであります。これ
にプログラムを作成中でありますが、研修プログラムは
は約600以上の傷病名に対して、手術・処置、副病名な
到達目標が詳細に規定されておりまして、それに従って
どの分類項目を整備したもので、β版ができますとそれ
作成していくわけですが、臨床研修病院の指定申請を8
を利用して包括点数による請求が行われることになりま
月末までに行い、その後、研修医の全国公募を行って研
す。具体的な算定方式は、基礎償還点数×診断分類別係
修医と研修施設のマッチングを行っていくという予定に
数×医療機関別係数+出来高(手術、指導料など)とな
なります。マッチングの具体的な方法については、現在
ります。基礎償還点数と診断分類別係数は全病院共通で
まだ不明確な点がありますが、大まかにいえば臨床研修
すが、医療機関別係数は病院ごとに異なり、重症患者の
病院があらかじめ研修プログラムを「組み合わせ実施機
受け入れ、紹介患者の受け入れ、平均在院日数の短縮、
関」に登録し、そこで臨床研修希望者の希望順に臨床研
救急患者の受け入れ、医療従事者の指導、新規技術、医
修病院を組み合わせるということです。問題点はという
療安全対策、地域医療連携などが評価のファクターとな
と、アルバイトをさせないということですから、一定の
ります。手術の手技料などは出来高として算定すること
処遇をしなければならないが、その処遇に対する財源は
となり、全てが包括されるのではなく25%ほどが出来高
どうするのか国の方針はまだ決定していません。決まる
制として残ることになるといわれております。包括評価
としても、国の事業は単年度事業ですから平成15 年7月
が行われますと患者登録システム、病名マスター、電子
頃になると思われますが、いまのところ補助金と診療報
レセプトなどの周辺のシステムがこれから重要となって
酬を併せての処遇に対する財源の確保が検討されていま
きますし、適正な診療を行うためにはクリティカル・パ
す。もうひとつの問題は、研修指導医ですが、研修医が
スが重要になってくるということは皆様もご存知のとお
回ってきますと一定時間指導しなくてはならないわけで
りだと思います。このため、現在以上にクリティカル・
すから、研究・臨床などを行っている中でさらに指導の
パスを広めていかなければならなくなると考えておりま
ための時間を確保しなければならないため大変になると
す。
いうことです。いずれにしましても、平成16年4月から
新臨床研修制度の準備
この制度が実施されますが、今年は開始前の準備を行う
3 番目は、新臨床研修制度の準備を行わなくてはなら
ないということであります。平成14 年12 月14 日に医師
法に規定する臨床研修に関する省令(厚生労働省令158
重要な年であります。
安全管理体制の完備
4 番目は、安全管理体制の完備ということであります。
号)が制定され、新臨床研修制度の法制化により臨床研
特定機能病院には本年4 月から専任の安全管理者を配置
修が必修となりました。これはインターン制度を考えま
し、患者の相談窓口を設けることが義務づけられます。
すと、36年ぶりに研修医制度が改正されたということで
安全管理者につきましては、すでに院内に設置したRM
ありまして、その基本的な考え方は、
「アルバイトをせ
(リスク・マネージャー)と同等の知識が要求されてお
ずに、プライマリケアの研修に専念し、医師としての人
り、現在のところ看護師の方に専任していただく方向で
格の涵養に努める」ということです。裏返せば、従来の
すが、適任者を決めなくてはなりません。また、患者相
研修医というのはアルバイトをしながら専門医を目指し
談窓口ですが、患者さんの苦情を受けつけ関連部署に指
て専門技術の研鑚ばかりしていたということにもなるわ
示をするというスクリーニング的な役割をする相談窓口
けですが、国民のニーズに従ってこのような制度を作っ
を作っていかなければならないと考えております。この
たということであります。必ず研修に回らなくてはなら
他、安全対策マニュアルの再点検をしなくてはなりませ
ないところは、内科、外科、救急、小児科、産婦人科、
ん。カルテの開示につきましても患者からの要求が出て
精神科と地域医療関連施設でありまして、研修施設のタ
きており、はっきりした指針を打ち出す時期であり、本
イプは2 通りあります。ひとつの病院でローテーション
学病院にもカルテの開示マニュアルがありますが、運用
する単独型臨床研修病院、それに研修協力施設が加わる
面で未完成の部分がありますので今年度はそれを完成さ
タイプ、もうひとつは管理型臨床研修病院と協力型臨床
せ実施していくということになります。皆さんご存知の
研修病院群に研修協力施設が加わるタイプです。研修協
ように、平成 14 年 10 月に日本医師会は「診療情報の提
力施設というのは、保健所、診療所、社会福祉施設、介
供に関する指針第2 版」を公表しておりますので、これ
金 医 大 学 報
も参考にして安全対策委員会で改訂を進めていくことを
考えております。
病院情報システムの再構築
最後ですが、病院情報システムの再構築ということ
で、新棟にはこれからLANを引いていくわけですけれど
も、高速LAN を引き、病室には無線LAN を予定してい
るということであります。新棟にシステムを移設・新設
する部署は決まっておりまして、受付、会計までの事務
系、看護部、手術部、内視鏡センター、透析センターな
どが対象となりますが、移動後の連携をさらに強めると
いうことが必要ではないかということであります。病院
の情報システムにつきましては、5 年間、支障なく運用
してきたと考えられておりますが、その効果ということ
になると、さまざまな問題があるということです。しか
し、従来使っていた紙カルテの廃止による省力化やカル
テ搬送システムの廃止などで、コストダウンが行われま
した。さらに、情報の共有、インフォームド・コンセン
ト、教育、医療の質の向上にもある程度、役立ってきた
と考えておりますが、総投資額に対する効果はあまり多
くないのではないかという評価が多いわけであります。
それでは、病院情報システムをどうするか、中断して中
途半端にしてしまうのかということになりますが、そう
ではなく今後は、病院情報システムを統合して経営情報
システムを構築していけば、さまざまな効果が得られる
のではないかという考えもありますので、今後は、その
点も考えながら再構築を行っていく必要があると思って
おります。
本日は、以上の5 つの項目についてご説明いたしまし
た。今年1 年いろいろ大変だと思いますが、本年もよろ
しくお願いいたします。
11
12
金 医 大 学 報
「生命医科学専攻」として設置承認される
レベルの高い専門医療人・研究者を育成するために
ヒトの生命を主人公とする医の科学を追究する新専攻「生命医科学」に生まれ変わる
――平成15年度から新専攻で学生募集を開始――
平成13 年7 月5 日開催の第260 回研究科教授会で大学院の改組再編を目指し申請準備を始めることを
決定した。竹越 襄学長は直ちに大学院改組準備委員会を発足させ、約1 年にわたる準備作業を進めて
きた。理事会の承認を得て、昨年6 月に大学院医学研究科「生命医科学専攻」設置に必要な申請書を文
部科学省に提出し審査を受けた。
その結果、平成14 年12 月19 日付で文部科学大臣より「生命医科学専攻」
(博士課程)設置を承認す
る旨の通知を受けた。
新大学院の概要
本学大学院医学研究科は、昭和 57 年に開設され、こ
れまで生理系、病理系、社会医学系、内科系、外科系の
5 専攻で専門分野の教育研究を行い、良医の育成及び優
れた研究者の養成に貢献するとともに、多くの先端的医
学研究成果を挙げてきた。しかし、急速に進展する科学
や社会的要請の変化に対応するためには、医学・医療分
野の学際・複合領域等に幅広く教育研究を展開する必要
があることから、これまでの5専攻を「生命医科学専攻」
の 1 専攻に統合・再編し、その中に 3 専門分野を置き、
各分野に基礎医学と臨床医学を横断的・立体的に配置す
ることにより、21世紀にふさわしい新しい教育研究を展
開することになった。
改組・再編の骨子
(1)従来の学部講座制を基盤とした生理系、病理系、
社会医学系、内科系、外科系の 5 専攻を廃止して、
新しい 1 つの専攻(生命医科学)とし、基礎医学と
臨床医学が融合した 3 つの専門分野(生体機能形態
医学、生体制御医学、健康生態医学)で構成する。
(2)主指導教員と副指導教員からなる複数指導体制を
採用し、基礎医学と臨床医学の共同研究、学際的研
究を推進し、併せて教育の充実を図り、新しい医
学・教育研究体制を創造する。
(3)総合医学研究所を包含する全学的な教育研究体制
を構築し、高度化・多様化する医療ニーズに対応し
得る医学知識・技術を有する高度医療人を育成する。
新大学院は、分科より統合を重視し、講座制の枠組み
を外し、1 大専攻に統合した。その中に3 つの専門分野
と多くの科目を配置することにより、横断的かつ多角的
な教育が展開でき、高度の専門知識を有すると同時に広
い科学知識と柔軟な発想を持つ人材を養成し得るものと
期待している。新医学研究科専攻では、生命医科学をキ
ーワードに教育と研究の一体化を図り、特定専門領域の
知識の深化のみならず、幅広い領域の医学知識を習得さ
せ、21 世紀の国民の生命と健康を守る医療人の育成を目
的としている。
開学30周年を迎えた本学は、学部教育・診療の一層の
充実に加えて、高度専門教育・研究拠点である大学院医
学研究科の改組・再編によって大学機能の強化を図り、
建学の精神に則した人間性豊かな良医を育成し、本学に
求められている社会的使命に応えようとするものである。
(大学院改組準備委員長 勝田省吾記)
13
金 医 大 学 報
大学院医学研究科 組織再編図
【再編前】
専攻
生
理
系
病
理
系
大
学
院
医
学
研
究
科
付
属
施
設
等
科 目 群
解剖学Ⅰ
解剖学Ⅱ
生理学Ⅰ
生理学Ⅱ
生化学
薬理学
病理学Ⅰ
病理学Ⅱ
微生物学
医動物学
社医 衛生学
学 公衆衛生学
会系 法医学
内
科
系
内科学Ⅰ
内科学Ⅱ
内科学Ⅲ
内科学Ⅳ
内科学Ⅴ
老年病学
神経精神医学
小児科学
皮膚科学
放射線医学
臨床病理学
外
科
系
外科学Ⅰ
外科学Ⅱ
脳神経外科学
整形外科学
泌尿器科学
眼科学
耳鼻咽喉科学
産科婦人科学
麻酔学
小児外科学
形成外科学
口腔科学
総
合
医
学
研
究
所
基礎医科学研究部門
難治疾患研究部門
臓器置換研究部門
がん研究部門
人類遺伝学研究部門
熱帯医学研究部門
共同利用部門
診
療
科
救命救急科
呼吸器外科
総合診療科
リハビリテーション科
【再編後】
科 目 群
専攻
●生体機能形態医学分野
分子細胞形態科学
細胞生物学
腫瘍病理学
病理病態学
代替基礎医学
病態診断医学
循環機能病態学
放射線診断治療学
消化器機能治療学
消化器外科治療学
運動機能病態学
機能再建外科学
顎口腔機能病態学
感覚機能病態学
●生体制御医学分野
ゲノム医科学
生体情報薬理学
生理機能制御学
循環制御学
血液免疫制御学
呼吸機能治療学
心血管外科学
脳神経治療学
腎機能治療学
泌尿生殖器治療学
内分泌代謝制御学
侵襲制御学
●健康生態医学分野
生
命
医
科
学
社会環境保健医学
健康増進予防医学
生体感染防御学
ウイルス感染制御学
環境皮膚科学
生殖周産期医学
発生発達医学
生体分子解析学
臓器機能再建学
高齢医学
総合内科学
精神神経科学
法医学
現行と再編後の関係
附属施設等と再編後の医学研究科との関係
「生命医科学専攻(博士課程)」の専門分野、入学定員、
平成 15 年度学生募集については資料 63 頁参照
金 医 大 学 報
第13 回
14
総合医学研究所秋季セミナー
日時:平成14年11月2日(土) 場所:金沢医科大学病院4 階C41 講義室
□特別講演 13:00 ∼14:10
21世紀の医学研究のあり方
馬渕 宏 教授
金沢大学大学院医学研究科・循環医科学専攻血管分子遺伝学
□所内講演 14:15 ∼16:35
先天性代謝異常症の迅速・高精度化学診断と精度管理
久原とみ子 人類遺伝学研究部門教授
8倍体Meth-A 細胞株の16倍体化細胞からの樹立
藤川孝三郎 基礎医科学研究部門教授
フラビウイルスの持続感染と病原性
竹上 勉 熱帯医学研究部門教授
ダイオキシンの人体への影響 ―母乳中ダイオキシン類濃度について―
中川秀昭 総合医学研究所副所長
自己免疫機序による心筋障害
松井 忍 難治疾患研究部門教授
□所員研究成果発表 10:10 ∼11:30 C42 講義室
発表者:栗原孝行、宮越 稔、村上 学、長尾嘉信、太田隆英、井上義人、
尾崎 守、井上雅雄
本学総合医学研究所秋季セミナーは、学内外の研究者を
対象として研究の活性化を目的として毎年開催されており、
これまでは例年up to date なテーマのもと、その分野で最先
端を行く 1 ∼ 2 名の学外講師による「特別講演」をお願い
し、同時に本学でそのテーマに関連した研究を行っている
講師数名による「学内講演」により構成・実施されてきた。
一方、研究所では 2 年前より今西 愿前所長の発案により、
12 月下旬に研究所所員全員参加によるその年の研究成果を
発表する催しが「総医研フォーラム」という形で行われて
きた。今年度は、西川克三所長の提案に基づき、従来の
「秋季セミナー」と「総医研フォーラム」とをドッキングす
る形で「総合医学研究所
秋季セミナー」を実施す
ることとなった。したが
って、平成14年度秋季セ
ミナーは特定のテーマは
設けずに学外講師による
「特別講演」1 題と研究所
教授による「所内講演」
5 題、そして、研究所所
員の研究成果発表 8 題で
構成することになった
(プログラム参照)
。
特別講演: 馬渕 宏教授
今回は特別講演の講師
として、糖尿病・動脈硬化・コレステロール研究者として
世界的に名高い前金沢大学医学部長の馬渕 宏先生(大学院
研究科教授・循環医科学専攻・血管分子遺伝学)をお招き
した。先生には「21 世紀の医学研究のあり方」という演題
で、先生のライフワークである糖尿病・コレステロール研
究を通しての経験をもとに今後の医学研究はどうあるべき
かをお話いただいた。その中で、先生は医学研究における
patient-oriented research、すなわち、患者から臨床上の問題
点を発見し、それを実験室に持ち帰り解決法を探り、その
15
金 医 大 学 報
所内講演:
久原教授
藤川教授
竹上教授
成果を患者にフィードバックするという医学研究の基本的
手法(bedside to bench, bench to bedside)の重要性を強調さ
れた。本学においては大学院改組、研究所の組織再編など
研究面でも大きな変革の時期をむかえており、今後の本学
における研究の方向性を議論する上で大変参考になる有意
義な講演であった。
引き続き行われた所内講演では、久原とみ子教授は先天
性代謝異常症の早期診断にガスクロマトグラフ・質量分析
(GC/MS)法が極めて有用であることをいくつかの事例を基
に述べられた。藤川孝三郎教授はマウスMeth-A 細胞を用い
た実験結果より、高倍体細胞を樹立する時にDNA構造を考
慮しなければならないことを提案した。竹上 勉教授は日本
脳炎ウイルス、デングウイルス、C型肝炎ウイルスそれぞれ
と宿主細胞蛋白との相互作用ならびにそれに基づく病原性
の発現につき報告した。中川秀昭教授は現在進行中のハイ
テク・リサーチ・センター研究課題の一つである母乳中の
ダイオキシン類濃度につき、測定法ならびに従来の報告と
比較検討した結果につき述べられた。松井 忍教授は難治性
心疾患である心筋症の一部が自己免疫疾患であることを臨
所員研究成果発表:
長尾助教授
太田助教授
中川教授
松井教授
床ならびに基礎実験成績をもとに報告すると共に、治療に
関して今後の展望を示した。
午前中に行われた所員研究成果発表においては、演題は
がん、環境ホルモン、遺伝子、移植など多岐のテーマにわ
たり、かつ内容も大変高度であった。所内講演と研究成果
発表は総合医学研究所の研究内容を所内外の方々に知って
いただく数少ない機会のひとつであるが、今回はこの目的
をある程度達成できたのではないかと考えている。
今回の秋季セミナーには所員はもとより基礎・臨床講座
の先生方、大学院生、学外研究者など全体を通して約 150
人という例年にない多数の参加があった。また、各演題に
対して活発な討論が展開され、とくに、特別講演は時間を
超越する活発な質問が出るなど盛会裡に終了することがで
きた。
特別講演を快く引き受けていただいた馬渕宏教授をはじ
め、所内講演・研究成果を発表いただいた先生方ならびに
座長の先生方に感謝申し上げる。最後に、このセミナーの
企画・運営に御協力いただいた総合医学研究所の皆様に深
謝致します。
(総合医学研究所 松井 忍記)
栗原講師
宮越助手
村上助手
井上 (義人) 講師
尾崎助手
井上 (雅雄) 講師
16
金 医 大 学 報
<予 告>
第14回 総合医学研究所春季セミナー
テーマ:
脳卒中・心臓病を防ぐには高血圧・高脂血症の予防が第一である
21世紀における国民健康づくり運動が開始された。
国は「健康日本21」を発表し、2010 年までの生活習
慣改善の目標を立て、循環器疾患、がんなどの罹
患・死亡の減少を図っている。現在、県や市町村の
地域計画が立てられつつあり、地域・職域を含めた
生活習慣病予防の全国的な展開が進んでいる。
脳卒中や、心筋梗塞に代表される虚血性心疾患な
どの循環器疾患は我が国の死亡の30 %を占めており、
その予防対策が重視されている。循環器疾患はその
自然史から遺伝的要因、加齢に加え、生活習慣の乱
れが高血圧、高脂血症、糖尿病などをもたらし、そ
れらが原因となって脳卒中、虚血性心疾患を引き起
こすと考えられており、生活習慣病の代表といえる。
健康日本 21 では、国民が食塩摂取量を1 日 3.5g 減ら
し、カリウムを1 日 1g 増やし、肥満者を男 15 %、女
18 %に抑え、男性多量飲酒者を 3 %以下にし、毎日
30 分の早足歩行を行う者が国民の10 %になり、喫煙
日 時:
者を半減(男 25 %、女 5 %)すると、国民の血圧は
平均4.2mmHg 低下、高脂血症者が半減することが期
待され、ひいては循環器疾患を30 %減らすことがで
きると試算している。
本学総合医学研究所では毎年春に石川県民大学校
教養講座と共催で一般市民を対象とした春季セミナ
ーを実施している。第14 回目に当たる今年度はこの
循環器疾患予防を取り上げ、
「循環器病を予防するた
めには −脳卒中、心臓病を防ぐには高血圧・高脂血
症の予防が第一である−」というタイトルで、高血
圧、高脂血症の最新の概念と治療、生活習慣を中心
とする予防について、学内講師3名、学外講師2名か
らご講演をいただくこととしている。本学関係者に
とっても大変有用な講演になると確信しているので、
是非とも多くの方々に参加していただきたいと願っ
ている。
(総合医学研究所副所長 中川秀昭記)
13:30∼17:00
会 場:
2階大集会室
□講演
1 循環器病の危険因子としての高血圧とその治療
森本 茂人 金沢医科大学老年病学教授
2 循環器病の危険因子としての高脂血症とその治療
松井 忍 金沢医科大学総合医学研究所副所長
3 高血圧・高脂血症の予防(食事・栄養面から)
上島 弘嗣 滋賀医科大学福祉保健医学教授
4 高血圧・高脂血症の予防(運動・休養面から)
三浦 克之 金沢医科大学公衆衛生学助教授
5 循環器病予防のためのタバコ対策
沼田 直子 石川県健康福祉部健康推進課担当課長
/ 中川秀昭 金沢医科大学総合医学研究所副所長
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
17
学 事
平成15 年度
特別推薦入学試験 (AO入試)・推薦入学試験・
編入学試験 終わる
◇特別推薦入学試験(AO入試)
本学の特別推薦入学試験(AO入試)は、医師となる者の
倫理性、人間性が一層強く求められる時代にあって、従来
の学力を中心とした入学試験では評価が困難であった学習
意欲、使命感、人間性の評価に重点をおいて選考すること
を主旨として設けられた入試である。建学の精神に沿った
人間性豊かな活力のある人材を求めるために、平成13 年度
入試から実施されている。
募集人員約10名に対して全国から131 名の出願があった。
第1次選考は書類選考であって、内申書とともに、本人、教
師、家族のそれぞれによって書かれた推薦書について選考
が行われ、10月29日(火)に第1次選考合格者25名が発表
された。
第2 次選考は、11月17 日(日)に本学にて上記25名につ
いて「個人面接」・「小論文」・「集団面接」が行われた。
またこの25 名については、試験委員が全国に出向いて推薦
書を書いてくださった教師とも面接して選考の参考とした。
第2 次選考合格者は10 名で、11 月29 日(金)午後1 時に
本部棟正面玄関ならびに本学HP上に公示された。
◇推薦入学試験
平成15 年度推薦入学試験は、11 月17 日(日)
、本学で行
われた。
本学の推薦入学試験制度は、目的意識を持ち個性豊かで
優秀な人材を見い出し、ゆとりを持って学習を進めてもら
うことを目的として、昭和61 年度入試から実施されている。
今年度は、募集人員約20名に対して全国各地から66名が
出願し、欠席者なしの66 名全員が「基礎学力テスト」・「小
論文」・「面接」の各試験に取り組んだ。
合格者は20 名で、11 月29 日(金)午後1 時に本部棟正面
玄関ならびに本学HP 上に公示された。
◇編入学試験
平成15 年度編入学試験は、11 月24 日(日)
、本学で行わ
れた。
本学の編入学試験制度は、医学以外の分野を修学した者
に医学を学ぶ道を開き、すでに履修している教養科目の重
複履修を省いて効率的に医学の専門教育を実施し、医学の
研究及び医療の実践に貢献する有為な人材を育成すること
を目的として、平成3年度入試から実施されている。
今年度は、募集人員約 5 名に対して66 名が出願し、欠席
者 5 名を除く61 名が「英語」・「小論文」・「面接」の各
試験に取り組んだ。
合格者は5 名で、11 月 29 日(金)午後 1 時に本部棟正面
玄関ならびに本学HP 上に公示された。
なお、平成15年度一般入試は、平成15年1月13日(祝日)
に第1 次試験が行われ、第1 次試験の合格者に対して、1 月
27 日(月)、28 日(火)、29 日(水)のうちいずれか 1 日、
第2 次試験が行われる予定である。
(入学センター 森 茂樹記)
一般入試の日程は次の通り
一般入試は第1次試験で学力試験が行われ、その合格者に第2次試験として面接試験を課して最終判定が行われる。
1. 募集人員: 約 65 名
2. 出願期間: 平成 14 年 12 月 9 日(月) から
平成 15 年 1 月 8 日(水) まで
3. 試験期日
第1次試験: 平成 15 年 1 月 13 日(月)
: 祝日(成人の日)
第2 次試験: 平成 15 年 1 月 27日(月)、
28 日(火)、 29 日(水) のうち
いずれか 1 日
4. 試験科目:
第 1 次試験: 外国語(英語Ⅰ・Ⅱ)
数学、 小論文
選択科目(物理・化学・生物から
2 科目選択)
第 2次試験: 面接
5. 合格者発表日
第 1次試験: 平成 15 年 1 月 21日(火)
第 2 次試験: 平成 15 年 1 月 31日(金)
【学事】
18
金 医 大 学 報
第25 回 教育懇談会
テーマ:
講 師:マイケル D. フェターズ助教授
(ミシガン大学家庭医療学科)
佐野 潔助教授
(ミシガン大学家庭医療学科臨床)
日 時:平成14年11 月5 日(火)
今回の教育懇談会では、米国ミシガン大学よりお招きし
たMichael D. Fetters 助教授ならびに佐野 潔助教授のお二人
に家庭医療学(Family Medicine)の基本的なとらえ方につ
いて講演していただいた。両氏はアメリカにおける家庭医
療の経験が豊富であるばかりでなく、ここ数年名古屋を中
心にして日本各地で医学生、研修医、医学教育者などを対
象に精力的に家庭医療学普及のための研修やセミナーを実
施しておられる。
平成16 年度からの卒後臨床研修の必修化を前にして、最
近特にプライマリケア教育の重要性が現実味を増してきて
いる。そこで家庭医療学の診療や教育方法が注目されてい
るが、その実態についての理解は充分とはいえないようで
ある。今回、家庭医療学の定義、米国において専門科とし
て確立してきた歴史的背景、地域における社会的役割、日
本における問題などをお聞きすることができた。
米国社会のニーズに応えて成長してきた家庭医療学は、
個人と家庭に包括的、継続的な医療を提供する専門科であ
マイケル D. フェターズ ミシガ
ン大学家庭医療学科助教授
佐野 潔ミシガン大学家庭医療
学科臨床助教授
る。家庭医は、年齢、性、臓器を問わず、予防、治療、リ
ハビリを含み、患者の生涯にわたって医療との関わりで常
に患者の側に立つ医師である。他の専門医との大きな違い
は、経済性や地域性への配慮や精神面を含む幅広い人間理
解に基づいた患者・医師関係の重視にある。本学のめざす
良医の姿と重ならないだろうか。いわゆる一般的なプライ
マリケアとは一線を画す専門科家庭医療学であるが、その
研修は多様な問題に対処できる、質の高い医療を提供でき
る医師を訓練することで定評がある。ミシガン大学での家
庭医療学科研修医プログラムや日本における今後の問題な
ど、お二人の豊富な資料とご経験に基づくお話を限られた
紙面でお伝えできないのが残念である。
臓器や技術を専門とする他科の医師とは異なり、家庭医
の専門分野は自分の患者であると述べられたことが印象的
であった。米国社会のニーズに応えて成長してきたFamily
Medicine というシーズ(種)が日本社会あるいは本学のニ
ーズに応じてどう育つか興味深い。
(教務委員会 大瀧祥子記)
人物往来 (1)
□Dr. Michael D. Fetters(MD, MPH, MA)/ 米国ミシガン大学家庭医療学科助教授/ 1989 年オハイ
オ州立大学医学部卒業/ 1992 年ノースカロライナ大学家庭医研修医プログラム修了/ 1994 年同大学公衆
衛生学部疫学修士号取得/ 1998 年ミシガン州立大学保健人文学(生命倫理コース)修士号取得/1997 年よ
り現職/平成 14 年 11 月 5 日本学の第 25 回教育懇談会において「家庭医療学に期待されるもの」と題して
講演/大瀧祥子
□佐野潔先生/米国ミシガン大学家庭医療学科臨床助教授/ 1978 年川崎医科大学卒業/1979 年横須賀米海
軍病院にてインターン修了/ 1979 ∼ 1983 年大阪八尾徳州会病院にて研修及び勤務/ 1985 年ミネソタ大学
家庭医学科にて研修修了/ 1985 ∼ 1998 年ミネソタ州ロックフォード、バッファローなどで家庭医として
開業/ 1999 年より現職/平成 14 年 11 月 5 日本学の第 25 回教育懇談会において「家庭医療学に期待される
もの」と題して講演/大瀧祥子
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
19
第26 回 教育懇談会
テーマ:
講 師:福田康一郎教授
(千葉大学大学院医学研究院院長)
日 時:平成14年11 月19 日(火)
平成14年11月19日(火)
C41 講義室において、千葉
大学大学院医学研究院院長
の福田康一郎教授を迎えて
第 26 回教育懇談会が開催
された。
福田先生は現在共用試験
実施機構副機構長、同医科
問題作成分科会長、厚生労
働省厚生科学審議会専門委
員、全国医学部長病院長会
福田康一郎千葉大学大学院
医学研究院院長
議臨床研修制度検討ワーキ
ンググループ委員を兼任さ
れ激動の卒前医学教育のみならず卒後研修にも精通されて
おられることから「卒前卒後の医学教育」に関しての講演
が、5 学年生、教職員、関連病院の先生方 150 名が参集し
た。
医学情報量が激増し、従来の知識伝授型の講義型式では、
学生は医学知識を習得不可能な状態になっている。教育に
おいては学体系型の従来の講座主体のスタイルを廃止し統
合型の教育法にする必要がある。社会に対して教育内容を
標準化することと質を保証することが必要なこと、さらに
は診療参加型の臨床実習にすることが必要で、これらを実
現するために医学教育を抜本的に改革する必要性が強調さ
れた。このため、モデルコアカリキュラムの導入および共
用試験が実施されることになった。
すでに始まった共用試験の第1回トライアルの結果による
と、学生の成績は正規分布を示しており、まだ平均点は低
いが、平均難易度は適切であった。
次にCBT(コンピューターを用いた客観試験・多肢選択
試験、300 題/6 時間)とOSCE(客観的臨床能力試験)の
第2回トライアルについて説明があった。正式稼動は平成17
年からとなるが第2 トライアルでは正式稼動と同じ内容で実
施される。
卒後臨床研修必修化が平成16 年からスタートするが、こ
れまでの研修制度の問題点やその改善策、厚生労働省の意
向や今後の問題点などが説明された。
講演後、学生からは研修内容や受け入れ施設、研修後の
生活などの諸問題について質疑応答があり、先生からは現
状が必ずしも満足のいく体制ではなく諸問題が山積してい
るがこれらを積極的に解決していく方針が説明された。ま
た、本学の卒後研修委員会委員長の高橋敬治副院長からは
早急に本学の受け入れ態勢を確立する旨の発言があった。
予定時間を大幅に超過したが熱気の中講演会を終了した。
(教務部長 鈴木孝治記)
人物往来 (2)
□福田康一郎先生/千葉大学大学院医学研究院長・医学部長/昭和 41 年 3 月千葉大学医学部卒業/昭和 46
年3月千葉大学大学院医学研究科修了/昭和49年4月千葉大学医学部生理学第2講座講師/昭和50年8月千
葉大学医学部助教授/昭和 50 年 8 月文部省在外研究員(ドイツ、ボッフム・ルール大学生理学研究所、昭
和54年9月まで)/平成4年7月千葉大学医学部教授/平成12年8月千葉大学医学部長/平成13年4月より
現職、平成 13 年 4 月から平成 14 年 5 月まで全国医学部長病院長会議会長/専門は呼吸生理学、自律機能生
理学/平成14年11月19日、第26回教育懇談会において「卒前卒後の医学教育」と題して講演/教務部
【学事】
金 医 大 学 報
平成13 ・14 年度
講義室整備状況
近年の医学教育改革の動向を敏感に反映すべく、本学に
おいてもPBL テュートリアルのためのカリキュラム改革や
新カリキュラムの導入が行われてきた。
カリキュラム改編に併せていくつかの講義室の整備を行
って来たが、教養棟 1、2 階にセミナー室を計 13 室新設し
た。これは、本学新カリキュラムの基本構想である、第1 ∼
4学年にわたるPBLテュートリアルの開講に対したものであ
る。従来の教養棟 2 階・セミナー室(17 室)だけで展開し
ていくには物理的に制限が多く出て、曜日によっては授業
計画が立てられないという状況が予想されたが、この改修
により、2 学年同時開講が可能となり、効率的な授業計画を
立てることができるようになった。
また、教養棟2 階・情報処理室に55 台のデスクトップPC
を新設、これらを統合的に管理するサーバーも 2 基新設し
た。これにより、共用試験 CBT に対応するばかりでなく、
オンライン教材を活用した質の高い教育が可能となった。
さらに、基幹講義室である教養棟1 階B13 講義室には液晶
プロジェクターを常設し、パソコン等から静止画・動画教
材を直接提示しやすい環境を整備した。これらのプロジェ
クターは、この講義室を含む各セミナー室に敷設された
LAN で、情報処理室サーバーと結ばれており、将来的には、
上記セミナー室で行われる活動状況を情報処理室サーバー
に蓄積し、基幹講義室に展開することが可能となる。
教育改革にはいくつか重要なポイントがあるとされる。
一つは教育制度自体の改革であり、もう一つは、それを支
える環境整備であると言われる。今回行われたのは環境整
備の一環であるが、今後医学教育の充実のためには、これ
らの設備機器の運用と、評価及びフィードバックできる体
制の確立が望まれる。
(教学課 武部秀人記)
液晶プロジェクター常設の基幹講義室
PC新設の情報処理室
セミナー室
人物往来 (3)
□林 秀晴先生/浜松医科大学内科学第三講座教授/昭和 51 年名古屋大学医学部卒業/昭和 51 年大垣市
民病院研修医/昭和 55 年浜松医科大学第三内科助手/昭和 59 年文部省長期在外研究員としてカナダ国ダ
ルハウジー大学生理学および生物物理学教室に留学/平成 3 年浜松医科大学光量子医学研究センター助教
授/平成 11 年名古屋大学環境医学研究所教授/平成 12 年より現職/平成 2 年 One of the five finalists in the
Young Investigator ユ s Award for the 11th World Congress of Cardiology /平成 14 年 10 月 25 日大学院セミナーに
おいて「心筋細胞内イオンの可視化 ―興奮-収縮連関とミトコンドリア研究―」と題して講演/薬理学教
室
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金 医 大 学 報
米国バーモント大学
木田 正俊 助教授
木田正俊先生は昭和 49 年から昭和 52 年まで本学に在学
し、その後米国に渡り、サウスカロライナ大学医学部を卒
業後、クリーブランド大学病院でレジデント、現在の職に
就かれている。そのような本学とのご縁と同じ専門領域で
ある病理学の石川義麿教授との親しい間柄から、2 年間にわ
たって9名の本学学生をバーモント大学での夏期医学研修生
として受け入れて下さっている。
平成14 年10月22 日(火)にバーモント大学ならびに医学
研修の紹介と学生交流プログラムの締結のために来学され
た。まず小田島粛夫理事長、竹越 襄学長、山本 達学生交流
室長らと懇談して、今後も両大学間での学生交流を積極的
に進めていくことが確認された。午後5 時からは学生達が主
体となって本部棟 3 階 A31 講義室において懇談会が行われ
た。木田先生によるバーモント大学ならびに医学研修の紹
介に続き、研修に参加した学生達の報告が行われた。
大学が位置するバーリントンは、ボストンから北へ車で
約5 時間のバーモント州にあり、この辺りはニューイングラ
ンドと呼ばれイギリス郊外の風景に似たのどかな田園が広
がっている。学 生 達 が主 として研 修 する Fletcher Allen
Hospital では、症例ごとに病理から臨床へケーススタディを
するといった形の研修が行われる。その他に病理解剖に参
加したり、関連の病院やFamily practiceを行う開業医を訪問
し、実際に患者を診察するなど現地のスチューデントドク
ターなみの実習が用意される。学生にとって決して楽なプ
ログラムではないが、研修した学生達は内容だけではなく
異国の人と直に接する貴重な体験ができたことに感動した
ようである。
この報告会には1 学年から4 学年までの学生約40 名、その
他に学生交流関係の職員も出席したが、木田先生の学生交
流への熱意が強く感じられ多くの学生が大変興味を示して
いた。今後、本研修は夏休み期間中の2 週間で、4 学年生、
5 学年生を対象に人数は5 人までとし、正式に評価も行うこ
とにしたい。また優秀な学生ばかりではなく好奇心の旺盛
な学生を歓迎するとのことであった。
(国際学生交流小委員会委員長 友田幸一記)
木田正俊先生
留学生情報
(2002 年 10 ∼ 12 月)
(学術交流室)
1.留学生の往来
2002 年10 月4 日 中国・中国医科大学附属第一臨床学院放射線科医師の
として放射線医学において研究を開始した。
凱氏が国費外国人留学生(研究留学生)
2.留学生の紹介
カン
カイ
凱さん
1973 年、男性(中国)
中国・中国医科大学附属第一臨床学院放射線科医師/
所属は放射線医学国費外国人留学生(研究留学生)
研究テーマは「定位放射線治療の最適化の基礎的研究」
【学事/学生のページ】
金 医 大 学 報
附属看護専門学校入学説明会
本校では、18 才人口の減少、進学選択肢多様化の時代を
考慮し、入学者の質の確保を目的に、高校訪問、校外学校
説明会への参加、夏期休暇中の数回に及ぶ一日看護学生体
験などを実施し努力を重ねている。その一環として今年で4
回目となる高校生・高校教諭・保護者を対象とした学校説
明会を10月26日(土)の午後、本校を会場に実施した。
県内全高等学校に呼びかけ20 校80 名の参加があった。そ
の内訳は、生徒71名、教諭3 名、保護者6 名であった。当日
の飛び入り参加もあった。
生徒は、本校の体験入学に約 3 割が、本校以外の行事に
は約2割、本校以外の説明会には約4 割が参加していた。ま
平成15 年度 看護専門学校
推薦入学試験・社会人特別推薦入学試験
終わる
◇推薦入学試験
平成15 年度の金沢医科大学附属看護専門学校推薦入学試
験は、12月1日(日)午前9 時から同校で実施された。
募集人員約20名に対して石川県内の各高等学校から来年
3月卒業見込みの高校3年生45名が出願した。
試験当日は、欠席者2名で43名が「小論文」・「面接」の
各試験に取り組んだ。
審査の結果、合格者 15 名が12 月 9 日(月)午後 1 時に看
護専門学校正面玄関に公示された。
22
た約4 割の生徒は県内の病院での看護体験者であった。この
ように、参加者は看護への目的意識が非常に明確であり、
志望校選択についていろいろ吟味していることがわかった。
当日のプログラムは松原純一学校長の挨拶に続き、酒井
桂子教務主任から本校の紹介、看護(職)と授業内容の実
際についての説明が行われ、その後グループに分かれ病院
や図書館、情報処理教室など大学構内の見学をした。見学
後は在学生を交えて質疑応答の時間を持った。
グループ討議では、同席した在校生に活発な質問が向けら
れた。アンケートでは、
「看護専門学校だけでなく大学と同
じ設備を使えるのがとてもよい」
、
「看護師になることは決し
て甘くない。でも看護学生の先輩達と直接話をすることがで
き、今まで以上にがんばろうと思った」等の回答があった。
この学校説明会は昨年に引き続き参加者に非常に好評で
あり成果があったと認識している。
(入学センター 村井幸美記)
なお、平成 15 年度一般入試は、平成 15 年 1 月 24 日(金)
に行われる予定である。
◇社会人特別推薦入学試験
平成 14 年度より高等学校卒業後 3 年以上を経過し、社会
人(就業)の経験がある人を対象とした社会人特別推薦入
学試験を行っており、今年度は12月1日(日)午前9時から
同校で実施した。募集人員は若干名(推薦入学の募集人員
枠)に対して27 名の出願があった。
試験当日は、午前8時に受付を開始し、26名が「小論文」
「面接」の各試験に取り組んだ。選考は志願理由書・高等学
校調査書・小論文・面接を総合的に判定して行われ合格者
5 名が12 月9 日(月)午後1 時 看護専門学校正面玄関に公示
された。
(入学センター 村井幸美記)
県内の私立看護学校が参加するスポーツ交流会が10月30日(水)に
七尾総合体育館で開催された。毎年各学校の1年生が参加している。
金沢医科大学附属看護専門学校は、昨年優勝杯を逃し奪還に燃えて
の参加であった。当然の如く学生、教員とも応援に熱が入る。
「バレー
ボール」では、本校が粘り強いゲーム展開で逆転勝ちを繰り返し、リー
グ戦2位の成績であった。また、紙に指示された骨や筋に素早く包帯を
巻いて負傷者を運ぶという面白い(難しい?)
「担架リレー」や「大縄
跳び」
、
「バトンリレー」
、
「玉入れ」等が続き、楽しい交流会であった。
総合結果は惜しくも準優勝。しかし、秋の一日、スポーツを楽しみ、
他校の看護学生と交流を通し、同じ看護の道を歩む者として競い合い、
励まし合う気持ちになれた。
来年は本校が企画校であり、内灘で開催する予定である。
(附属看護専門学校1 年担任 福塚貴世記)
担架リレー風景
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金 医 大 学 報
シリーズ: 私が 医師になりたい理由・ 医師になった理由 ⑤
いちかわ
いとう ゆ
市川 るり(第3学年)
伊藤由紀乃(第 2 学年)
両親が開業医である家庭で育
った私は、幼少の頃から医師と
いう職業に憧れと尊敬の念を抱
いていて、医師になることが当
たり前のことと思っていた。そ
して中学生の時、兄の夏期短期
留学のホームステイ先であるア
メリカを訪ね、アメリカの文化
に触れたことで、私の将来の夢は“医師になること”か
ら“海外でも活躍できる医師になること”へと大きくふ
くらんだ。私はこの夢を実現するために両親を説得し、
その第一歩として、高校 1 年生の夏にアメリカへ単身で
留学した。
全く英会話のできなかった私には、アメリカでの生活
は辛く苦しいものだった。留学して間もなくの頃、私は
39 度近くの熱を出したことがあった。しかしルームメー
トや寮母にそれを伝える英語力がなかったために、ただ
泣くことしかできなかった。それでも、身振り手振りで
体調不良をなんとか寮母に伝え、病院に連れていっても
らうことになった。病院ではやさしそうな医師による丁
寧な問診と診察を受けることができ、先生は“Flu”
(イ
ンフルエンザのこと)と言い、薬を処方してくれた。病
気への不安はとりあえず取り除かれたものの、日本語を
知らない医師を前にして私は心細く、怖くなっていた。
そして今まで見たこともない色の苦そうな薬を飲むこと
になったが、心細さと恐怖心から私はその薬を飲むこと
ができなかった。たった一人で住んでいる異国の地で、
病気になることへの不安や恐怖は言葉では言い表せない
ほど大きいものであった。
アメリカでの約 6 年間の留学生活は、私の医師になる
という幼少の頃からの夢をただの憧れではなく、私の将
来の職業にするのだという決心へと変えてくれた。そし
てアメリカでの様々な経験を生かし、私は言葉の通じな
い患者さんに対しても、気持ちを理解し、不安や恐怖心
を少しでも少なくするように配慮して、治療が行えるよ
うな医師になろうと決意するようになった。
アメリカから帰国して本学に入学し、私は、疾病を治療
するためだけの医師ではなく、患者さんやその家族の立場
に立って同じ目線で物を見、一緒に疾病と闘っていけるよ
うな医師になりたいと、今改めて思っている。そしていつ
か、医療施設の乏しい国々で、感染症や栄養失調に苦しむ
子ども達を助けてあげられるような活動ができる医師にな
れたらと、現在の私の夢はまた少し大きくなっている。
き
の
私はいわゆる医者一家に育
っていながら、医療に対する
興味を持たず、むしろアナウ
ンサーという職業に憧れ、将
来はアナウンサーになりたい
と思っていました。小学生時
代は、自分の意見を主張する
事を重んじる教育方針のアメ
リカンスクールで教育されたためか、自立心が強く、
芯が強い女性になるように育てられたのを覚えていま
す。その後、津田塾大学に入学し、当然のように英文
学を専攻しました。就職活動の際にはアナウンサーを
目指し努力しましたが、後一歩及ばず、ならば女性が
活躍できる別の職業をと思い、化粧品会社のファンケ
ルへ入社し、秘書、店舗企画部部員として 2 年間勤め
ました。
会社は敏感肌用の化粧品や健康食品としてのサプリ
メントを生産・販売していたため、健康の源である医
学に次第に関心を持つようになりました。更に、店頭
でお客様から悩みを聞くと、過労、睡眠不足、ストレ
ス等の理由からニキビが頻発したり、アトピー性皮膚
炎で苦労しているといった様々な肌のトラブルを抱え
ている方が多く見られました。女性ならば誰しもが美
しくありたいと願うのは当然です。しかしながら現代
ではストレスなく生きて行くのは難しいことであり、
様々なストレスを抱えながらも肌の悩みを解決するこ
とに少しでも手助けできないかと考え、肌の症状を悪
化させないようにするためにはどうしたらよいか、個
人に合ったどのような化粧品を薦めればよいかなど、
様々なアドバイスをしてきました。
しかし、このような自分の役割だけでは、お客様の
肌の症状を根本的に解決する事は決して出来ないとい
うジレンマに陥り、ただ相談に乗るだけではなく、医
学的根拠に基づいた根本的な解決策を提供したい、自
分自身の手で実際に問題を解決したいと思うようにな
ったのです。このような心境の変化に伴い、“医師”と
いう選択肢を改めて認識し、医学部での勉強を目指し
ました。
幸い本学に編入学でき、私の計画は一歩目標に向か
って進み出しました。私にできる事は一体何なのか。
微々たる社会経験ではありましたが、その中で、悩む
人々の気持ちの理解に努める姿勢や、様々に異なる考
え方を受け止め取り入れる謙虚な気持ちなど、医師と
金 医 大 学 報
しての受容性の基礎を学ぶことができたのではないか
と思います。私は患者さんの身体のみならず、精神面
のケアも可能な限りサポートできる医師になりたいと
思っています。夢実現への道のりはこの先まだまだ長
24
いけれども、日々知識を着実に吸収し、プロとしての
腕を磨くと同時に感受性・優しさを疎かにしないよう
な、そんな目標を掲げて前進したいと思います。
(学外編)
「理由」シリーズ第5回の今回は、2人目の学生ゲストをお迎えしました。
鹿児島大学医学部 5 年の後藤道彦さんです。私は彼にまだ会ったことがありません。数ある医学教育関連メーリ
ングリスト中のひとつ、MedEd に発信された彼の文章を読んだのがこの投稿のきっかけです。発信内容は、昨年 1
年間彼が経験した「マイアミ大学医学部での臨床実習体験記」で、非常に興味深い内容でした。最も私の関心を惹
いた点は、米国の医学教育に対する批判的姿勢を示唆する部分で、せっかちな私は早速未知の相手に「米国医学教
育の良い点はいやというほど情報が溢れている。あなたが自分の目で見、肌で感じた“嫌いな”点を先に教えて」
というメールを出しました。その返信も非常にしっかりしていて、考えさせられるものでした。そして返信の返信
で、「学報に投稿してほしい」と頼んだのです。忙しい最中、原稿を書いてくださったことに深く感謝します。他
の学生の体験を知ることは、自分の成長にとって栄養剤の役割をすると思います。とくに将来、専門家として患者
さんの体験を共有するという職業につく皆さん方にとって、それは栄養剤以上のものかもしれません。
(医学教育学 相野田紀子)
ごとう
みちひこ
後藤 道彦(鹿児島大学医学部医学科第 5 学年)
高校 3 年の年末まで、医師
になろうなんて思ったことは
なかった。
果てしない神の謎解きをし
ていく学問としての生物学に
魅せられていた自分にとって、
医学はあまりにも曖昧模糊と
していて、科学としては底の
浅いものと感じていた。常に何故なのかを問いかけ続
け、壮大な謎解きのパズルを組み立てていく創造的な
世界にこそ、自分がこれからの情熱を傾ける価値があ
るような気がしていた。経験則や主観的な意見が幅を
利かす医学の世界は、科学としての論理性や明快さに
欠けていて魅力を感じることが出来なかった。
揺らぐことのないと思っていたこの気持ちに変化が
起こったきっかけは、高校 3 年の 12 月だった。中学時
代から共に学び、共に夢を語り合った友人が癌に倒れ
たという知らせを受けた時、僕は一刻も早く不毛な受
験勉強から抜け出して科学の世界へと漕ぎ出すことば
かり考えていた。
だが、知らせを受けて駆けつけた友の葬儀で自分が
見たものは、生命が抜け出してしまった身体から発せ
られる人間の厳かさだった。触れた瞬間、すべての思
考が止まり、時間すら止まってしまったように感じら
れた。果てしない悲しみの中で、いつの間にか自分に
問いかけていた。何故、自分と同じように夢を持って
いた友が、その夢を語り合うことの出来ないこのよう
な存在になってしまったのだろうか? 友が迎えざる
を得なかった死とは、いったい何なのか? 自分が今
まで魅力を感じていた謎解きの世界だけで、この答え
を組み立てることが出来るのだろうか? 人間という
一つの宇宙は、果たしてパズルを組み立てていけば姿
を現すものなのだろうか? 医学に対する見方が変化
し始めたのは、この時からだった。
曖昧模糊として感じられた医学は、実はこの謎に真
っ向から取り組んでいる唯一の学問だった。自分が医
師になることはやはりすぐには想像できなかったが、
もし医師に向いていないと悟ったとしても、医学研究
者として生きていくのも悪くないと思えるようになっ
ていた。何よりも、友の投げかけてくれた人間そのも
のに対する謎かけに挑んでみようと考えるようになっ
ていた。
突然の進路変更は周囲を驚かせたが、何とか無事に
医学を学ぶ切符を得ることは出来た。医師という職業
が果たして自分に向いているのかどうかには、まだ答
えは出ていない。だが少なくとも、存在そのものをか
けて、自分に人間というものの奥深さを気づかせてく
れた友に恥じない医師を目指してみたいと思う。科学
としての論理性を追求しながら、人間という存在に対
する敬意を持ち続けること、それを心に刻みながら歩
いていきたい。
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
松田 富雄(麻酔学講師)
医師という職業に憧れるき
っかけはどんな時なのでしょ
うか。実在のある医師に接し
た時・・・これがきっかけとな
れば、その医師は医者冥利に
つきます。しかし現実の多く
はメディアを通じてでしょ
う。それもフィクション、ノ
ンフィクション問わず視覚に
訴えるものにインパクトがあります。最近のベストは米
国テレビドラマ「ER」のようです。またNHK の「プロ
ジェクトX」もかなり心を動かすようです。生命を守る
というのは医師だけの職業ではないのですが、無条件に
感動を与える仕事の一つのようです。私の場合? しいて
言えば1960 年代の米国テレビドラマ「ベン・ケーシー」
でしょうか。ただ、主役の脳外科医を「かっこいい」と
は思えども、所詮米国人、当時としては「医師を志すき
っかけ」となるにはまだ遠い国の人であったような気が
します。
附属看護専門学校
多くの本学医学生がそうであるように、私も医師の家
庭に育ちました。どうも医師という職業も世襲的なとこ
ろがあり、開業医であった私の父も例外ではなかったよ
うです。「医者になれ」と強要された記憶はありません
が、患者さんの話を聞かせたり、いつの頃かケーシー型
の白衣を着用するようになったり、また当時飼っていた
愛犬の手術(今思えば卵巣嚢腫でしょうか)を手伝わせ
たり、私の将来の選択肢を狭めようとしていたことは確
かです。ただ犬の手術に関しては、術後回復した愛犬の
姿に、私は医師よりも動物の生命力の素晴しさに感動し
ていました。いずれにせよ、父の思惑と私の若干の反発
を経て本学に入学、卒業しました。医師となっても本学
に籍を置くことを選び、組織化された大学病院での医療
に浸ってきました。見えないレールの上を歩んで来たよ
うな気がします。
父が他界して十数年経ったある日、父の墓前を訪れた
人があったそうです。戦後間もない時代、貧しかった幼
少のその人を父は無償で治療し、そのうえ幾枚かの古着
を差し上げたそうです。私は父が医師となった理由も聞
いたことがありません。医師となって20 年、
「もう少し
患者さんに近づく」姿勢を忘れないこと、そして自分が
「医師である理由づけ」をしながら過ごしてゆくことが、
結果的に「私が医師になった理由」となるのでしょう。
松平 篤志 君
安田記念医療財団より奨学金無償給付を受ける
平成14 年度安田記念医療財団の奨学金
授与者に本学附属看護専門学校 2 年生の
松平篤志君が選ばれ、平成15 年1 月18 日
(土)ホテルグランヴィア大阪において奨
学金40万円が授与された。
この奨学金は医学生、看護学生を対象
としたがん撲滅のための人材育成を目的
としており、全国より多数の応募があっ
たが財団の慎重な審査の結果、10 名の看
護学生が選ばれた。本校では平成12 年度
の酒井美香さんに続き 2 人目の授与者と
なった。
今回の奨学金授与が本校看護学生の刺
激となり、学習に対する意欲の向上と励
みになることを期待している。
(看護専門学校事務課 木村由紀江記)
25
《松平篤志君のよろこびの声》
今回、安田記念医療財団からのこのよう
な栄誉をいただくことができ、私自身大変
驚き、また大変嬉しく思っています。奨学
金応募にあたり、作文を財団へ提出したの
ですが、給付を受けることが決まったこと
を知り、感慨深いものがあります。作文の
内容が評価されたこと、私のがん看護に対
する看護観が評価を受けたこと、そして、早くにがんで母を亡くし
た父の思いが、選考の方々に共感いただいたものと思っています。
この無償給付を受けることで、日ごろ迷惑ばかりかけている家族へ
のわずかながらの恩返しになると思っています。
貴重な時間を割いてご指導をいただいた先生方に大変感謝いたし
ております。厚くお礼申し上げます。まだまだ未熟な私ですが、今
回の選考を励みとして精進を重ねて行きたいと考えています。
金 医 大 学 報
金沢医科大学病院
に出演
クラシック音楽サークル部長
かわだ な つ こ
河田奈都子(第4学年)
病院ロビーで毎月1回、土曜日の午後2時30分から行われ
る“ふれあいタイム”への私たちクラシック音楽サークル
の出演は、昨年9 月28 日と12 月14 日の2 回を数えます。こ
のクラシック音楽サークルは昨年春に結成されて以来、内
灘祭その他で6回の演奏をしてきました。新しいサークルの
割りには、なかなかの実績と自負しています。
私が本学に編入学した当時、音楽系の部活といえば軽音
楽部しかありませんでしたので、自らのウィーン留学経験
を活かしたいと思い、サークル結成を決心しました。クラ
シック音楽を演奏してみたいという学生は少なくないと思
われましたし、なにより病院で演奏活動をすれば患者さん
共々楽しめると思ったのです。想像どおりサークル結成に
対する反響は大きく、現在の部員数は20 名で、文系サーク
ルの中ではまあまあの規模ではないかと思います。もっと
も、全てが順調に進んだわけではありません。第1 回コンサ
ートの日程が決まり、いよいよ本番を迎える頃のことでし
た。演奏のためには、これまでふれあいコンサートで使わ
26
れてきた電子ピアノではなく通常のピアノが必要でした。電
子ピアノと通常のピアノとでは、外観は似ていても、弦を
ハンマーで打つか打たないかという点で機構が異なり、し
たがって音色はまったく異なります。一日一日と迫るコン
サートの期日に焦りながらも、ピアノの件だけは一ピアノ
奏者としてどうしても譲れませんでした。電子ピアノによ
る演奏の準備も一方で進めながらも、あきらめきれずあち
こちと奔走した甲斐があって、何とかアップライト(グラ
ンドピアノではないタイプ)のピアノを個人的に譲り受け
ることができました。こうして病院にピアノが運び込まれ
たのは、コンサートの9日前のことでした。そして、20年来
調律されていなかったピアノの調律が終了したのは、コン
サートの前夜でした。
このクラシック音楽サークルも秋にはコーラス部門がで
き、今春のふれあいタイムでは、社会人オーケストラと合
同での演奏を予定するまでになりました。当サークルを陰
ながら応援して下さっている先生方、ふれあいタイムを主
催なさっている看護部の当波先生、そしてすべての文系サ
ークルが一つの部室を共有するという苦しい環境の下でも
頑張ってくれた全部員に対し、この場をお借りして感謝の
気持ちを捧げたいと思います。今後も、一人でも多くの方
に楽しんでもらえる演奏活動を続けたいと思っています。
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
27
学 術
International Symposium
on Alternative & Complementary
Medicine
−−新国際誌“Frontier in Biomedical Science”を
アジア主導で創刊。金沢医科大学血清学教室に編集
局を設置−−
会長:血清学 山口宣夫教授
日時:平成14年11月8 日(金)∼10 日(日)
会場:金沢市文化ホール
新国際誌編集長のUCLA. クーパーY教授(中央)
International Symposium on Alternative & Complementary
Medicine が11 月 8 日∼ 10 日の3 日間、金沢市文化ホールに
おいて開催されました。この集会は第5 回日本代替医療学会
と同時開催とし、日本の学術集会が世界をリードする様に
意図して準備されました。
代替医療とは西洋医学が不得手とする領域に対してより
よい医療を提供するために、10 年ほど前からアメリカにお
いて注目され始めた医療関連活動のことを指します。代替
医療・医学との呼び名は欧米の医学界が漢方医学や鍼灸治
療などの東洋医学を意識して命名したものです。
我が国においても、欧米の動向と同じく、新聞、雑誌、
テレビ、インターネット等の普及により、代替医療への関
心が急速に広がりを見せ始めています。今日では、日本や
欧米人の2人に1人が各自の判断の下に何らかの補完代替療
法を行っていることが判明しています。なかでも健康補助
食品をはじめ各種の健康増進を齎すとされる食品を摂取し
ている愛好者が多いという特徴が捉えられています。一方、
他の多くの国においてもほぼ同様な状況が覗われ、代替医
療が世界的に新しい医学の潮流となっている事は否定出来
ない事実であります。
また、代替医療に関する医学教育の動向では、現在全米
の医学校 125 校のうち75 校(60%)で学生に対して代替医
療に関する講義を施行しているのが事実です。ドイツでは
医師国家試験科目に「自然療法」を取り入れていますが、
ここでいう自然療法とは植物療法、物理療法、ホメオパシ
ー、鍼灸治療を指しています。これに対して、我が国では
80 の医科大学や医学部の中で、代替医療・相補医療を系統
的に講義として取り入れている機関は皆無の状況であり、
また補完代替医学の一領域である東洋医学を講義として実
施している医学教育機関はわずか10 校に留まっているのが
現状であります。
21世紀に残された難病である、癌、エイズ、アレルギー、
自己免疫病などの多くが、西洋医学の一元的対応では完治
せず、それ故、西洋医学以外の症状緩和医療や自覚的な改
善方法が模索されています。20 世紀において西洋医学の恩
恵を受けた我が国は、そのポテンシャルを維持したまま、古
来より伝承されてきた東洋医学の新たな展開を可能にする
東西補完折衷医療実践の最適地であると言えるのではない
でしょうか。
そもそも、代替医療(Alternative Medicine)または補完医
療(Complementary Medicine)という表現は西洋諸国から
「東洋医学」等を評した言葉であります。代替医療が欧米諸
国を中心に見直されている背景には、現代西洋医学そのも
のの行き詰まり状況への反省が窺えます。治療の限界とい
う現実、これまでの近代西洋科学を基礎とした西洋医学の
構築のあり方への疑問ともいうべき要因が考えられます。
また、現代文明の発展に対する反作用として、自然回帰傾
向が強まっていることもその背景にあると思います。米国
の代替医療は玉石混淆です。なかには理解不能なものも含
まれています。また、生薬などは単一成分に分離精製して
しまうと本来の働きを失うものもありますし、これまでの
薬理学で使われてきた容量依存性に従わないものもありま
す。たとえば、ワクチンの接種量をいたずらに増やしたか
らといって免疫はより強くなるわけではなく、かえって無
反応状態になることはよく知られています。また、漢方薬
には直接作用ではなく、生体内部の調節機構に働きかけて、
それを調節することで二次的に作用を現すものがあり、西
洋医薬に比較して即効性がないと考えられがちです。しか
し、最近明らかにされつつある免疫系・内分泌系・神経系
の相互作用などは、代替医療に大切な理論的根拠を与える
ものと思われます。こうした最新の考え方も取り込みなが
ら、薬効の基準を確立してゆくことが必要なのでしょう。
今回のシンポジウム開催期間中、評価基準の適正化と公
表方式を具体化するための検討が重点的に重ねられました。
具体的には西洋医学的尺度、特に免疫学的要素を中心に共
通の尺度により世界各地の医療を評価することが提案され
ました。
このたび開催された代替医療に関する国際シンポジウム
【学術】
金 医 大 学 報
28
シンポジウム招聘講演者の方々
は世界各国から50 名の代替医療の専門家や外国の関連官庁
(米国 NCCAM)官僚が集まりました。3 日間を通して、世
界各国の現状を報告し合い、よりよい今後のあり方を模索
しながら、熱心な情報交換と議論が戦わされました。そし
て、各国における代替医療の過去、現在そして未来に向け
た話し合いを継続することで、合意しました。そればかり
ではなく、Oxford University Press からInternational Journal
を発刊することで、合意が得られました。国際誌を通して、
世界各国に伝承されている医療を世界各国に向けて発信し、
現在標準となっている西洋医学に比べて、長所は何か、又、
短所となる項目は何かを客観的に評価するのが目的です。
創刊の準備をはじめ発刊後のお世話を私どもDepartment
of Serology Kanazawa Medical University が担当することにな
りました。Journalの名前は“Frontier in Biomedical Science”
(FIBS)が最有力候補としてOxford University Press に提案
されています。皆様には、日本から世界に向けて提案され
ました国際誌の発刊活動に対するご支援とその継続的維持
にご指導とご鞭撻くださるよう宜しくお願い申し上げます。
(血清学 山口宣夫記)
第5回 日本補完代替医療学会を終えて
前記のInternational Symposium on Alternative & Complementary
Medicine に合わせて第 5 回日本補完代替医療学会が平成 14
年 11 月 9 日、10 日の2 日間にかけて、金沢市文化ホールに
おいて開催されました。代替医療は西洋医学が不得手とす
る領域に対してよりよい医療を提供するために、10 年ほど
前からアメリカにおいて注目され始めた医療関連活動のこ
とを指します。代替医療、医学との呼び名は欧米の医学界
が漢方医学や鍼灸治療などの東洋医学を意識して命名した
ものです。そのため、日本の関係者は代替医療との呼び方
に疑問を抱く向きや呼び名を容認できないとする意見も有
ります。このような抵抗感とは裏腹に、我が国では新聞、
雑誌、テレビ、インターネット等の普及もあって、代替医
療への関心が急速に広がりを見せ始めています。今日では、
日本人の2人に1人が各自の判断の下に何らかの補完代替療
法を行っていることが判明しています。なかでも健康補助
食品をはじめ各種の健康増進を齎すとされる食品を摂取し
ている愛好者が多いという特徴が捉えられています。一方、
他の先進国においてもほぼ同様な状況が覗われ、代替医療
が世界的に新しい医学の潮流となっている事は否定出来な
い事実であります。これまで代替医療を希望し実践してい
るのは、教育レベルの低い人々が多いという誤解がありま
したが、実際には、科学的根拠に基づいた判断をする層が
多いということも各国共通しています。つまり、代替医療
を支持する母体は、医学的専門知識を備えた集団と見なす
ことができます。その他、代替医療にはサプリメント、健
康補助食品や、その他マスコミを賑わせている種々雑多な
内容も含まれているので、サービスを受ける消費者にとっ
て、なにが正しい情報なのかを判定する組織的活動が望ま
れるようになりました。某国産の痩身剤によって死亡事故
が発生したのは記憶に新しいところです。
東洋医学とくに漢方医学は、かつて我が国において医学
の本流であった時代がありました。しかし、明治政府が我
が国の医療制度を国策として全面的に西洋医学に切り替え
た事を機に、その後の東洋医学は細々とした命脈を保って
第二次世界大戦の終焉を迎えたという経緯があります。一
方、西洋医学は積極的に導入され、約一世紀を経た今日で
は、我が国の主流を占めています。おかげで我が国の医療
は西洋医学の恩恵を受け入れることができ、この百年の間、
平均寿命の飛躍的延長を見るに至りました。また、我が国
の基礎医学も世界の最先端を行く分野が数多く見受けられ
ます。この様な観点から第 5 回集会では、International
Symposium と呼応して、代替・医療の評価基準設定、評価
機関、評価成績の公表方式が検討されました。我国は東洋
医学的な歴史認識の上に西洋医学の導入を実践してきたわ
けですから、代替医療発展の為の世話役として適格である
との意見が多く寄せられました。
(血清学 清水昌寿記)
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金 医 大 学 報
第4回
耳鼻咽喉科ナビゲーション研究会
会長:耳鼻咽喉科学 友田幸一教授
日時:平成14年11月16 日(土)
会場:石川県教育会館
第4回研究会が平成14 年11 月16 日(土)に石川県教育会
館において開催された。コンピュータを応用した手術支援
装置(ナビゲーションシステム)は、リアルタイムに手術
部位の確認ができ、安全で確実な手術が行えることから今
後医療事故防止や新しい手術革新への応用が期待されてい
る。最近多くの外科系の手術に応用され、耳鼻咽喉科領域
でも私どもの施設を含め20 を超える施設で使用されてきて
いる。
今回は特別にパネルディスカッションとして、
「耳鼻咽喉
科におけるナビゲーション手術のあり方」をテーマに企画
し、これまでの耳科、鼻科、頭頸科におけるナビゲーショ
ン手術を振り返り、その経緯、現状の問題点、適応、将来
などについて4名のパネリストにより医学的な立場から、ま
た機器の開発、将来展望や海外の現状などについて2名のパ
ネリストにより医療機器メーカーの立場から討論を行って
もらった。ナビゲーションシステムは現在鼻科手術で最も
多く使用されているが、各手術に応じたプローブやレジス
総合医学研究所年報
ハンズオン・デモンストレーションの光景
トレーション方法の改良、開発が必要なこと、今まででき
なかった新しい手術アプローチが可能になってきたこと、海
外先進国ではルーチンに使用されてきていることなどが注
目された。また卒後教育の面では早い時期からこのシステ
ムの有用性と問題点を指導し、実践することによってモチ
ベーションが高まり、解剖の理解が早まることが明らかに
された。それから、いつものように医療機器メーカー4社
からは次世代の機器が紹介され、テクノロジーの進歩の早
さと開発への熱意が感じられた。
全体で約100 名の参加者が集まり、会場は朝から熱のこも
った活発な討議が行なわれ盛会であった。第5 回は記念大会
とし平成15 年に金沢で開催されることに決まった。
(耳鼻咽喉科学 友田幸一記)
第13巻 2002
刊行について
本学においては大学院改組の事務的手続きがほぼ終了し、2003 年4 月から新しい制度
での大学院の授業が始まるが、総合医学研究所においても医学研究の動向を見据え、ま
た、更なる活性化をめざして、現在、運営体制および研究組織の改編が進行中である。
これら本学における研究体制の改革に呼応する形で、今年度より年報の内容を大幅に改
編した。総医研紀要刊行編集委員会では、この年報を刊行する目的を、皆様に研究所の
研究内容を十分に知っていただくとともに正しく評価していただくことであると考えた。
したがって、従来、年報の大部分を占めていた総説・原著論文を廃止し、新しく研究所
概要、国際交流、広報活動、所外研究費など研究所に関する情報を出来るだけ多く掲載
した。その結果、今年度の年報は2001 年1 月1 日から2002 年3 月31 日までの研究所の諸
活動を、研究所概要、各研究部門の活動状況、所員個々の研究成果報告、部門別研究業
績、研究活動・その他(国際交流・研究員等受け入れ状況、広報活動、所内活動・セミ
ナー、所外研究費)にわけて掲載する形となった。
この年報は学内外の研究者との交流、共同研究の促進なども目的のひとつであり、学内はもとより、学外の大学、研究機関、病院お
よび図書館に約350 部配付されている。本書が総合医学研究所を含めた新しい共同研究・プロジェクト研究の立ち上げ、ひいては研究
所の研究推進の一助となることを願っている。
(総合医学研究所紀要刊行編集委員会 松井 忍記)
【学術】
金 医 大 学 報
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第23 回
北陸先天異常研究会
会長:産科婦人科学 牧野田 知教授
日時:平成14年11月23 日(土)
会場:病院4階C41講義室
第23 回北陸先天異常研究会学術集会が産科婦人科学教室
牧野田 知教授の会長のもと、平成14 年11 月23 日(土)病
院4 階C41 講義室で開催された。
この研究会は、北陸における先天異常研究のパイオニア
であった方々が原動力となって本学の草創期に立ち上げた
研究会で、参加者も産婦人科医、小児科医、臨床検査技師、
遺伝相談カウンセラーと先天異常疾患に携わる方々の勉強
会となっている。
一般講演では、
「Nuchal translucency を主訴とした羊水染
色体分析の検討」富山県衛生研究所本田幸子先生ほか、7 題
の発表があり、日常臨床にすぐに応用可能な内容から、今
後の研究テーマとして興味ある演題まで活発な意見交換が
行われた。特別講演は、横浜市立大学医学部産科婦人科教
授、平原史樹先生より「環境ホルモンはヒトの先天異常発
生に影響を与えているか?」というテーマであり、環境因
子として内分泌撹乱化学物質(環境ホルモン)と先天異常
との関連性に注目され、生活環境のなかに多く存在する、
平成14 年度
実験動物慰霊祭
平成 14 年 10 月 30 日(水)12 時 30 分より本部棟 1 階学生
ラウンジ横において、平成14 年度実験動物慰霊祭が、竹越
襄学長、山本達・勝田省吾両副学長、西川克三総合医学研
究所長ほか、教職員、学生ら約150 名が出席して行われた。
読経が流れるなか出席者が、医学の発展に寄与した実験動
物の御霊に深い哀悼の意を捧げた。
最後に、松井忍動物実験委員長より、
「実験動物(本学に
おける過去1 年間の実験動物使用数:4,670 匹)の果たした
役割が、人類の福祉に大きく貢献していることを再認識し、
今後も動物福祉を念頭に置き、常に必要最小限を留意しつ
つ、日々研究に邁進し、さらなる医学の発展に努めていき
たい」との挨拶があり、平成14 年度実験動物慰霊祭を閉じ
た。
(総医研共同利用部門 荒井剛志記)
特別講演の平原史樹先生(横浜市立大学産科婦人科教授)
たとえば缶ジュースの内装物質ビスフェノールA(以下BPA)
は、検討したほぼすべての妊娠女性から検出され、胎児に
おいては全例から検出され、少数例ではあるが、先天異常
症例の妊娠初期のBPA 値は一般妊娠女性集団と比較して高
値を示したと報告された。また、BPA は男性生殖器の形成
異常である尿道下裂の発生と密接な関連があることを指摘
された。今後、内分泌撹乱化学物質をはじめ、現代の環境
をとりまく多種多様な因子を総合的、多角的な視点から監
視することが重要であると述べられた。
特別講演は、日常生活と密接に関連した物質が、近未来
に大きな問題を発生する可能性を示唆された講演であり、
一般演題からも日常診療に注意深い観察眼が必要であるこ
とを認識させられた研究会であった。
(産科婦人科学 井浦俊彦記)
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金 医 大 学 報
第39 回
日本臨床生理学会
会長:循環器内科学 竹越 襄教授
日時:平成14年11月28 日(木)・29 日(金)
会場:ホテル日航金沢
特別講演のKukreja教授に感謝状を贈呈
第39回日本臨床生理学会総会が、金沢医科大学循環器内
科学竹越襄教授を会長として、平成 14 年 11 月 28 日(木)、
29日(金)の2 日間、ホテル日航金沢で開催された。
本学会は各専門領域を横断的に包括した形をとって、臨
床医学全領域での臨床生理学的研究を通して、医学と医療
全般の発展に寄与することを目的としている。会員は循環
器、呼吸器の臨床医が中心であるが、消化器、神経内科、
内分泌内科、高齢医学科と幅広い領域にわたり、生理学や
薬理学などの基礎医学も含めて多種多彩な領域の研究者よ
り構成されている。
特別講演は2 題で、1 題はVirginia 州立大学循環器学教授
のRakesh C.Kukreja 先生による心筋虚血耐性の基礎的研究
に関する講演で、演題名は「Molecular Basis of Myocardial
Preconditioning」である。Kukreja 先生は、教室の大久保信
司助教授が留学した際にご指導をいただいた先生で、会長
招宴を含めて、奥様とご一緒に学会行事に参加していただ
いた。もう1題は 国立循環器病センター研究所所長菅弘之
先生による「心機能のパラダイム: Cardiac Mechano-energeticoinformatics」で、菅先生がライフワークとされている
Emax について、先生の研究に対する考え方や取り組み方、
若手研究者に対する期待も含め、講演していただいた。
吉村招請講演は、本学会を生み育ててこられた吉村正治
先生を記念し、それに相応しい方に講演していただくので
あるが、今回は愛知県立尾張病院院長の外山淳治先生に、
「心房細動 最近の話題」という演題で講演していただいた。
その他にシンポジウム4 題、ワークショップ3 題、一般演
題114題(口演58題、ポスター56題)
、ランチョンセミナー
4 題と、2 日間の学会にしては盛りだくさんの内容で、どの
会場も活発に質疑応答され、従来の本学会と比べてはるか
に盛況であった。
学会参加者を招待した会長招宴会では、まず金沢芸奴に
よる素囃子と踊りが披露され、治部煮などの金沢の食事、金
沢の地酒と、金沢の食も含めた文化にふれていただ、参加者
は予定の2時間を経過するのも忘れ、意見交換や歓談をして
おられた。
今回の学会参加者は約 350 名で前回に比べ 100 名ほど多
く、どの会場でも活発に質疑応答され、また市民講座には
特に多くの方々に参加いただき、学会全体が盛況で無事終
了することができた。
(循環器内科学 金光政右記)
会長招宴寸景
本学会関連
公開市民講座
コーディネーター:竹越 襄教授
日時:平成14 年11 月29 日(金)
29日に一般市民を対象とした公開市民講座を行った。テ
ーマは“生活習慣病を克服するためには”で、高血圧、高
脂血症、糖尿病について、金沢大学教授の高田重男先生、
馬渕宏先生、金沢医科大学教授の内田健三先生から、それ
ぞれ日常生活に役立つよう分かりやすく解説していただい
た。そして最後にコーデイネーターである竹越襄学長が司会
者となって、参加者からの質問を中心とした質疑応答や討
論が行われた。当初、参加人数が少ないのではと危惧して
いたが、企画したテーマが興味深かったことと、講演者が非
常に高名であったため、ウイークデイにしては非常に多い
250名の方々に参加していただき、非常に盛況であった。
公開市民講座
【学術/大学院セミナー】
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金 医 大 学 報
第36回日本産業衛生学会
中小企業安全衛生研究会全国集会
会長:衛生学 山田裕一教授
日時:平成14年12月7 日(土)
会場:石川県女性センター
労働者の70 %以上が働く中小企業での、労働者の安全確
保と健康の保持増進は、わが国の産業保健活動の最重要課
題である。第36 回という数字が示すように、日本産業衛生
学会では、長年にわたってこの問題の解明と改善のために
研究や実践活動が行われてきた。しかしながら、中小企業
における安全衛生施策に関わる法制度や職場改善活動促進
のための指針などは、依然として十分に整備されていない
のが現状である。そこで本研究会では、日本における中小
企業での産業保健活動促進のために、法的制度の整備から
実践活動の指針の開発までを含めた「包括的枠組み」につ
いて討議することを主題とした。
当日は、一般講演6題の他に、ミニ講演として、わが国で
の中小企業安全衛生活動の実際的担い手である民間労働衛
生機関の代表として武藤繁貴氏(聖隷健康診断センター)
、
医師会の代表として藤澤貞志氏(富山県医師会)の提言と、
活動促進のための基本概念となる Occupational Safety and
国際シンポジウム
Health Management Sysytem(OHSMS)の中小企業での実践例
について宮崎彰吾氏(NKK 保健センター)の報告がなされ
た。さらに、他の先進国でのこのような枠組みづくりの経
験を参考にすることが特に重要と考えて企画された国際シ
ンポジウムでは、米国のDr. Robert Watson、フランスのDr.
Bertrand Libert、スウェーデンのDr. Minori Nakata による各
国の状況についての講演がなされた。
日頃から、中小企業で働く労働者の安全や健康の保持増
進のための研究や実践活動に従事する約50 名の参加者によ
り、きわめて活発な討議が行われ、盛会のうちに終了した。
この機会に、お世話になった関係各位に心からお礼申し上
げたい。
(衛生学 山田裕一記)
《本学スタッフ製作ビデオ》
出産ガイドビデオ・安心して出産するために
報をビデオにして配布してはという提案があり、2001年9月に妊
婦さんからの、知りたい情報のアンケート調査を実施して、シナ
リオ作成を行い、ビデオ収録・編集と約1 年間をかけて完成する
ことができました。
内容については、
(1)胎児の発育、
(2)出生前診断、
(3)おっ
ぱいの手入れ、
(4)妊娠中毒症、
(5)お産の始まりから誕生ま
で、
(6)分娩時におこりうるトラブル、
(7)産後の身体の変化、
(8)赤ちゃんの病気の以上8項目に緊急時の連絡方法やこんなと
きは病院に来てくださいなど、できるだけ平易な言葉で産科スタ
ッフが説明しています。また、ドクターキャラクターが登場した
り楽しい構成になっており、約 30 分間にまとめてあります。こ
の出産ガイドビデオが、これから妊娠・出産を迎える方々のお役
に立てば幸いとスタッフ一同、心から願っております。
このビデオの配布は、産婦人科外来でおこなっています。妊娠
2002 年11 月に産科スタッフによる手作り出産ガイドビデオが
完成しました。去る1998 年9月には、出産ガイドブックを作成し
て妊婦さんに好評を得たことから、出産に関する必要な知識や情
を考えている方や妊娠に備えている方にも無料で配布いたしてお
りますのでお気軽にお申し出ください。
(産科婦人科学 井浦俊彦記)
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金 医 大 学 報
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大学院セミナー
膵疾患の画像診断
悪性リンパ腫の病理
講 師 跡見 裕先生
(杏林大学医学部第1外科学教授)
日 時 平成14年10月10日(木)17:30∼19:00
場 所 病院 4 階 C41 講義室
担 当 一般外科消化器外科学 高島茂樹教授
講 師 森 茂郎先生
(東京大学医科学研究所教授)
日 時 平成14年10月16日(水)17:30∼18:30
場 所 病院4階C41 講義室
担 当 病理学Ⅰ 田中卓二教授
本セミナーでは「膵疾患の画像
診断」と題して、杏林大学医学部
第1外科の跡見裕教授にご講演を
いただきました。講演では各種膵
疾患における特徴的な画像所見を
多数提示していただき、各画像の
特徴をわかりやすく説明されると
同時に、膵疾患の診断上の問題点
についても触れられました。大学
院生のみならず、また内科、外科
を問わず、消化器疾患を取り扱う臨床医にとって大変興
味深いものでした。跡見教授は現在、日本超音波医学会
理事長の要職についておられますが、講演で提示された
腹部超音波画像の鮮明さ、精緻さに参加者一同、感銘を
受けました。
各種膵疾患の画像診断においては、一つの画像診断法
に拘ることなく、疾患の特徴に適合した診断法を選択し
て総合的に判断すべきことを強調されました。膵癌では
周囲血管系をはじめとした隣接臓器への浸潤の有無につ
いて、ドップラー超音波、3D-CT などを駆使し、立体的
に把握することの重要性を指摘されました。講演ではそ
の集大成として三次元構築を行った動画画像を供覧され、
その説得力のある画像に会場から感嘆の声があがりまし
た。また小型膵癌の画像を提示され、早期膵癌発見のた
めの画像診断法の工夫について述べられました。最近注
目されている膵疾患のなかで、膵管内乳頭腺腫(IPMT)と
粘液産生性膵嚢胞性腫瘍(MCT)についての先生の業績
はすでに定評のあるところですが、講演では多くの経験
例を提示され、その鑑別の要点について詳しく述べられ
ました。さらに嚢胞性膵腫瘍における膵切除の適応、膵
切除線の決定など治療法についても触れられました。慢
性膵炎についてはその亜型である腫瘤形成性膵炎と膵癌
との鑑別の要点を述べられました。急性膵炎については
早期診断法の工夫、ドップラー画像などによる膵血流の
評価、CT による周囲臓器への炎症波及の評価法などを示
されました。
以上のように各種膵疾患の画像診断の特徴について、
多数の精緻な画像を提示されることによってわかりやす
く講演され、参加者は大きな感銘を受けました。
(一般外科消化器外科学 上野桂一記)
〔講師紹介〕
森 茂郎教授は悪性リンパ腫等の
血液疾患を専門とされ、この部門
の研究の先端をリードし、指導的
な役割を長い間務めてこられた。
本年 4 月からは社団法人、日本病
理学会の理事長の要職にも就いて
おられる。今回、悪性リンパ腫の
病理というタイトルでセミナーを
して戴いた。
〔セミナーの内容〕
セミナーではまず、現行の WHO classification による形
態学的診断のみでは悪性リンパ腫の理解は不十分である
とし、悪性リンパ腫を染色体転座、転座以外の遺伝子変
異、ウイルス感染の観点から見直すことが提唱された。
そして、aggressive lymphoma として知られる diffuse large
B cell lymphoma の 1/3 に Bcl-6 の遺伝子転座が、1/4 に治療
抵抗性の P53 遺伝子異常のあることが示され、B lymphocyte marker として知られる L26 の抗体療法薬品としての可
能性が述べられた。PRIMA-1 が P53 蛋白異常を補正するこ
とも示された。更に、慢性骨髄性白血病(CML)の特効
薬により、その 9 割が disease free となること、本年 3 月よ
り分子標的療法の 180 種類以上の薬剤が治験段階に入って
いることも明らかにされた。WHO classification を含め、
悪性リンパ腫の診断には、形態、免疫組織化学に加え、
flow cytometry、染色体、遺伝子再構成、遺伝子異常の検
索によって再検討すべきであるとされた。最後に、
Hodgkin 病の 80%が B cell lymphoma であり、よく指摘され
ている E-B virus 感染率が近年、90%から 60%に減少してい
ることが指摘された。親しみ易く、分かりやすい講義で、
floor との熱心な discussion が続く有意義なセミナーであっ
た。
(病理学Ⅰ 谷野幹夫記)
金 医 大 学 報
34
大学院セミナー
心筋細胞内イオンの可視化
院内感染対策:今、ここが危ない!
―興奮-収縮連関とミトコンドリア研究―
講 師 林 秀晴先生
(浜松医科大学内科学第三講座教授)
日 時 平成 14 年 10 月 25 日(金)17:30 ∼ 19:00
場 所 基礎研究棟セミナー室
担 当 薬理学 西尾眞友教授
講 師 浅利誠志先生(大阪大学医学部附属病
院・感染症対策部副部長)
日 時 平成14年11月13日(水)17:30∼19:00
場 所 病院4 階C41 講義室
担 当 老年病学 松本正幸教授、森本茂人教授
〔セミナーの内容〕
細胞内 Ca2+ は、種々の細胞機能
において必須である。心筋細胞に
おいても収縮や各種の Ca2+ 依存性
蛋白の活性化に関与しているた
め、生理的条件下の細胞内 Ca2+ 濃
度を連続的に測定することが細胞
機能の解明において重要である。
林先生は浜松フォトニクスと共
にカルシウムイオンの視覚化の研
究を始められ、装置を実用レベルに改良して実験技術を
確立された。
セミナーでは先ず、fura-2 など Ca2+ 感受性蛍光色素を用
いた細胞内カルシウム濃度の連続的測定法について概説
され、その問題点についても言及された。さらに細胞内
カルシウム濃度の上昇(Ca2+ transient)と細胞収縮の同時
測定法について概説された。また、時間・空間的分解能
の高い共焦点レーザー顕微鏡を用いて、微細で局所的な
Ca2+ の上昇(Ca2+ スパーク)が近年発見されたこと、この
Ca 2+ スパークはライアノジン受容体からの Ca 2+ 放出信号
で、多数のL型カルシウムチャネルが開くと多くのCa2+ ス
パークが発生し、細胞全体のCa2+ 濃度を上昇させて収縮を
おこすとする興奮-収縮連関についての最近の解釈を示さ
れた。また、心不全患者では長期のカテコラミン作用に
よってライアノジン受容体の異常をきたし、細胞内 Ca2+ 貯
蔵部位内のCa2+ 含量も減少することが収縮不全の原因であ
るとする新しい知見を示された。この機序によれば、心
不全患者においてβ遮断薬が収縮力を増大させることを
説明できる。近年、Ca2+ 恒常性に果たすミトコンドリアの
役割が注目されている。Ischemic preconditioning(IP)の
最終効果器としてミトコンドリア K ATP channel が示唆さ
れ、選択的ミトコンドリア KATP channel 開口薬diazoxideが
IPの効果に類似した心保護作用を示す。林先生は、ラット
心室筋細胞で diazoxide がミトコンドリアからの Ca2+ 流出
過程の 1 つである mPTP (mitochondrial permeability transition pore)を開き、ミトコンドリア内膜電位を変えずに細
胞内カルシウム濃度を上昇させるという興味ある研究報
告をされている。このように、32 名のセミナー参加者に
提供されたホットな話題を通じて、不全心、肥大心、虚
血心筋などの病態、薬物による修飾機構の解明など様々
な分野で、細胞内Ca2+ が重要な標的イオンであることが改
めて印象づけられた。
(薬理学 吉田純子記)
本セミナーでは大阪大学医学部
附属病院・感染症対策部から浅利
誠志先生をお招きして、院内感染
の基礎知識から現場におけるノウハ
ウまで幅広くご講演をいただきまし
た。
〔セミナーの内容〕
薬剤耐性菌が増加し、日常の診
療で耐性菌感染後の対応に苦慮す
ることが多い中、先生は様々な院内感染の実例を挙げられ、
予防が可能であることを力説されました。予防の基本概念
は米国のPublic Health Serviceの提唱する標準予防策および
感染経路別予防策に準じたものですが、先生の手によって
日本の実情に合うよう最適化されていました。
その内容は手洗いの方法から消毒薬の選択、さらには空
調など病院設備にまで及び、私たちの普段の診療の中に取
り入れなければならない改善点を数多くお話しくださいま
した。また耐性菌への対応についても菌別・部位別に有効
な抗生剤の選択と投与法を述べられ、しかもそれらは保険
適応外にも及ぶ実践的なものであり、私たちにとって大変
参考となるものでした。特に本邦での薬剤耐性菌の最前線
として、MRSA のほか PRSP(ペニシリン耐性肺炎球菌)、
VRE(バンコマイシン耐性腸球菌)
、MDRP(多剤耐性緑膿
菌)ESBL s(拡張型βラクタマーゼを有する腸内細菌)、
MDRMT(多剤耐性結核菌)への対応についての実践的な
お話がありました。
最後に、私たちが感染対策に困惑した時の対応として、
米国疾病管理予防センター(CDC)のウェブサイトに多く
の参考になるマニュアルが公開されていることや先生もメ
ンバーである厚生省の感染対策相談をご紹介くださいまし
た。
(注:感染対策相談 03-3442-6079、医師名、院長名、病
院名、電話、ファックスを明記の上ファックスのみの受付。
3 日以内に返答があるとのことです)
先生は講演の機会も多いそうで、お話は楽しく、またス
ライドには具体的な画面が数多く登場し、すべての医療従
事者にわかりやすいものでありました。
(老年病学 中橋 毅記)
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
35
大学院セミナー
日本の心臓移植の現況と将来展望
講 師 北村惣一郎先生
(国立循環器病センター総長)
日 時 平成14 年11 月14 日(木)17:30 ∼19:15
場 所 病院4階C41 講義室
担 当 胸部心臓血管外科学 松原純一教授
平成 9 年 10 月に臓器移植法が制
定されてから今年の10月で丁度5年
が経過した。その間施行された脳死
臓器移植で尊いドナーとなられたの
は 21 名であり、そのうち心臓移植
は 16 例行われた。しかしこれらの
数値は欧米とは勿論、アジアにおい
てすら比較にならぬほど少ない。本
セミナーでは、そういった日本の特
殊事情をもふまえてお話いただいた。
〔セミナーの内容〕
心臓移植の適応となる重症心不全のおもな原因は拡張型
心筋症である。
心臓移植と切っても切れない関係にあるのが人工心臓で
ある。その人工心臓には2 通りの使用方法がある。即ち、移
植手術を待っている間、人工心臓の助けを借りる(bridge
use)場合と、人工心臓の力を借りて自分の心臓機能が回復
するのを待ち、最終的には人工心臓から離脱する、と言う
使用法である。特にドナー不足の甚だしい日本では、この
使い方が極めて大きな意義を持つ。
人工心臓には、主として左心室の補助を目的とする
LVAD(left ventricular assist device)と、両心室を補助する
場合とがある。さらに装着する場所によって、体外式と、
完全に体内(腹腔内)に埋め込んでしまう体内式とがある。
日本では東洋紡などが作製している体外式のものが主とし
て使用されているが、その駆動装置は冷蔵庫ほども大きい。
体外式補助人工心臓と大きな駆動装置をつけられた患者さ
んは病院から一歩も外に出られず、ノイローゼになってし
まう場合も多い。精神的ケアーも極めて重要になっている。
アメリカでは完全埋め込み式で性能の良いものが多く使用
されている。しかし値段は一式5千万円もする。完全埋め込
み型は勿論、体外式でも国立循環器病センターで開発中の
コンパクトなものであれば、患者さんは自由に外出でき、日
常生活のQOLは非常に向上する。
人工心臓の装着時期も日本では心不全の末期で状態の極
めて悪い時が殆どであるが、欧米ではもっと早期の比較的
状態の良い時期に既に植えられている。
心臓移植が成功すればレシピエントの日常QOL は健常人
と同等、あるいはそれ以上に良くなる事は言を待たない。
日本の脳死移植における大きな問題の一つは、15 歳以下の
小児への移植が法的に認められておらず、何千万円もの高
額な金額を一般から募集して海外へ移植を受けに行くのは、
非常におかしいし恥ずべき事である。
脳死移植を勧めるには医者を筆頭に国民の啓蒙が極めて
重要であり、臓器提供意志表示カードの更なる普及が望ま
れる。
(胸部心臓血管外科学 松原純一記)
金 医 大 学 報
36
大学院セミナー
婦人科腫瘍の臨床
パーキンソン病研究の最近の動向
講 師 金澤浩二先生
(琉球大学医学部産科婦人科学教授)
日 時 平成14 年11 月15 日(金)17:30 ∼18:30
場 所 病院4階C41 講義室
担 当 産科婦人科学 牧野田 知教授
講 師 水野美邦先生
(順天堂大学医学部脳神経学)
日 時 平成14年11月29 日(金)17:00 ∼18:30
場 所 病院4 階C41 講義室
担 当 神経内科学 廣瀬源二郎教授
〔講師紹介〕
昭和 42 年に新潟大学医学部を卒
業され、母校の産婦人科に入局。
昭和 51 年講師、昭和 60 年助教授。
平成4年琉球大学医学部産科婦人科
学教授に就任、その後、琉球大学
医学部附属病院長を経て、現在は
琉球大学評議員を兼務。
〔セミナーの内容〕
まず、婦人科腫瘍の全体像につ
いてお話がありました。婦人科悪性腫瘍の年間の死亡数は
10,000 ∼ 11,000 人ぐらいであり、婦人科腫瘍の特徴として
は、性ホルモン標的臓器、多彩な組織像、性感染とのかか
わり、生殖能を考慮した治療などがあげられました。次に
主な婦人科腫瘍として、子宮頚癌、子宮体癌、卵巣癌につ
いて話されました。
子宮頚癌については、ヒトパピローマウイルスと関係が
深く、異形成の80%、頚癌の90%に抗原が陽性となる。扁
平上皮癌ではHPV16 型、腺癌ではHPV18 型の頻度が高い。
HPV 陽性頚癌の予後は陰性のものより良い。好発年齢は40
∼50 歳であるが、若年化の傾向にある。治療は、手術、放
射線、化学療法などがあり、全体の5年生存率は64.9%であ
るが、腺癌は扁平上皮癌より予後は悪い。
子宮体癌は、エストロゲン刺激と関係が深く、肥満、子
宮内膜増殖症、女性ホルモン使用、未妊婦、早い初経遅い
閉経、乳癌治療後タモキシフェン内服、糖尿病などが問題
となっている。好発年齢は50∼60歳であるが、組織分化度
が予後因子として重要。食生活の欧米化などにより、明ら
かに増加傾向にある。治療は、手術、放射線、化学、ホル
モン療法であるが、放射線の感受性は高くない。全体の5年
生存率は71.0%である。
卵巣癌は、組織像が多彩で、表層上皮性・間質性腫瘍、
性索間質性腫瘍、胚細胞腫瘍などに分けられる。排卵回数
が多いとリスクが高くなる。加齢とともに増加するが、症
状が出にくく、初期の段階で診断されることは少ない。治
療として、手術、放射線、化学療法があるが、化学療法の
効きが重要である。全体の5 年生存率は48.0%と低いが、胚
細胞腫瘍の予後は良い。
ご自分の症例の写真やデータも交えて説明され、婦人科
腫瘍の全体像を分かりやすく学べた。
(産科婦人科学 吉田勝彦記)
〔講師紹介〕
昭和 40 年東京大学卒、第三内科
を経て脳研神経内科入局、昭和 44
年より 48 年まで米国ノースウェス
タン大学神経内科レジデント、48
年自治医科大学講師、56 年助教授
を経て、平成元年より現職の順天
堂大学医学部脳神経学講座主任教
授。終始臨床神経学を研鑽され、
最近家族性パーキンソニズムの1 家
系からその原因遺伝子を発見され、遺伝子の合成する蛋白
をパーキンと命名、パーキンソン病の病態生理研究のトッ
プに躍り出て国際的に活躍中。
〔セミナーの内容〕
神経変性疾患の内で、もっとも頻度の高いパーキンソン
病はその病態は全く不明であったが、わが国の家族性パー
キンソニズム家系にみられたパーキン遺伝子異常の解明と
ともに、徐々にパーキンソン病の病態生理が明らかにされ
つつある。先生は 2 週間前に米国マイアミで行われた
Movement Disorder 国際会議にそのシンポジストの1 人とし
て参加され、その時の最も新しい治験をもとに現在家族性
パーキンソニズムおよびそのプロトタイプであるパーキンソ
ン病の病態がどこまで判明したかを分かりやすく講演され
た。ギリシャ・イタリアにみられる家族性パーキンソニズ
ムの原因遺伝子α-synuclein、日本で多くみられる常染色体
劣性遺伝パーキンソニズムの原因遺伝子parkinをはじめ、今
や10 種類の遺伝子異常が報告されそれぞれPark 1∼10と総
称される様になり、その異常蛋白同定の研究は極めて競争
が激しいことを報告され、またご自身ではparkin蛋白の性質
を研究され、細胞内 salvaging system の一員として重要な
ubiquitin ligase であることを解明され、この蛋白(=蛋白分
解酵素)の機能欠落により細胞内の不要蛋白処理が不可能
となり神経細胞変性が起こることを明らかにされた。今後
この系におけるtau 蛋白、parkin蛋白、α-synuclein蛋白の詳
細な検討が非遺伝性のパーキンソン病の病態解明に結びつ
くのではと推論された。講演後も熱心な討議がなされ、神
経科学の大学院講義としてきわめて有益であった。
(神経内科学 廣瀬源二郎記)
第113号/2003.1
37
金 医 大 学 報
病 院
第8回 金沢医科大学病院
第8回地域医療懇
談会が、平成 14 年
11 月 16 日(土)金
沢ニューグランドホ
テルにおいて開催さ
れた。
この懇談会は、本
学病院が地域の開業
医の先生方との連携
を深め、それぞれの
機能に応じて患者さ
んの紹介・逆紹介の
推進を図り、地域と
密着した特定機能病
院として、その使命
と責任を果たしつ
特別講演の川上重彦教授
つ、より一層地域医
療の発展・充実に貢献することを目的として毎年開催され
ている。懇談会には、石川県内及び富山県高岡・砺波医療
圏の医院の院長、本学出身の開業医の先生など42 医療機関
より43 名が出席され、本学からは竹越襄学長・内田健三病
平成14年度 石川県民大学校
今年度の日程終る
健康管理講座の閉講式が、10 月26 日(土)の午後3 時30
分より、石川県立社会教育センターの斉藤真一郎館長、内
灘町教育委員会の松野長義教育長、本学病院からは、内田
健三病院長、疋田勉管理課長の出席のもとに行われた。11
回の開催のうち8回以上出席されて修了証書を受け取られた
方は、受講生の約半数の60 名にも及び、健康管理講座を担
当する施設としては大変うれしく、受講生の方々の熱意に
敬服するばかりである。
健康管理講座は、7月6 日から「健康日本21」をテーマに
して11 回にわたり開講され、10月26日の呼吸器外科の佐久
間勉助教授による「肺癌の話」と題した講演を最後に閉講
した。
今年度は、例年を40 名ほど上回る131 名の申し込みがあ
院長をはじめ、副院長と各科診療科長・医局長が出席し、
医療連携の推進などについて意見交換を行った。
内田病院長の挨拶に引き続き、特別講演として形成外科
学の川上重彦教授が「再生医療の現況と展望」と題して講
演された。続いて竹越学長から「医学教育における最近の
動向」についての報告を兼ねた挨拶がなされた後、懇談会
に入り、はじめに金沢医科大学病院の現況について、
①患者紹介・逆紹介について、②本院の特殊外来について、
③地域医療連携部からの報告、④臨床試験治験センターか
らの報告とそれぞれ紹介及び報告がなされた。
続いて、高橋副院長から、予め各医療機関からお寄せい
ただいた当院に対するご意見、ご要望事項についての回答
が行われた。
懇談会終了後の懇親会では、和やかな雰囲気の中で活発
な意見交換が行われ盛会裡に終了した。
(地域医療連携事務課 中新 茂記)
り、毎回約70 名(前年50 名)の方が受講され、中でも内灘
町在住の女性の受講者が増加した。年齢別では、50 代から
60 代の方の出席が多く、また、ご夫妻での参加が前年を 6
組上回る16 組もあり、お互いの健康管理に役立てられたの
ではないかと思われる。
毎回のアンケートによる皆様のご意見を取り入れながら、
今後とも、このような講座を通して地域に開かれた金沢医
科大学病院として活動していきたい。 (管理課 島 幸枝記)
アンケート集計表 (回答数単位:%)
科目について
理解度
講師について
運営について
良かった
普通
良くなかった
85.9
77.8
83.8
59.9
13.3
21.2
15.8
38.0
0.8
1.0
0.4
2.1
【病院】
金 医 大 学 報
平成14年度第2回研修医ワークショップ
テーマ:
日時:平成14年10月5日(土)
場所:いこいの村能登半島
平成 14 年 10 月 5 日(土)いこいの村能登半島(志賀町)
で臨床研修委員会が主催する本年度の第 2 回研修医ワーク
ショップが開催された。研修医22名・大学院生15 名の合計
37 名が参加し、インフォームド・コンセントを課題として、
グループ討議と全体発表形式で行なわれた。
最初に、松本正幸副院長から「インフォームド・コンセ
ントは、医療従事者がどのようにしたら、互いの信頼のも
とに患者さんが満足のいく、より良い医療を提供できるか
を実践するためのものです。そのためには患者さんが何を
必要としているかその要求を正しく把握し、患者さんとそ
の家族との信頼関係を作ることが大切です。患者さんとの
良い信頼関係を短時間で作るためには、患者さんの気持ち
を理解し、謙虚さと誠意をもって接することが必要です。
コミュニケーションの始まりは挨拶であり、お辞儀、言葉
遣い、明るい態度も必要です。品位ある穏やかな言葉遣い
と態度は、誠意ある心遣いや気配りから自然に出てくるも
のと思います。今回のワークショップで、インフォ−ムド・
コンセントがいかに大切なものかを、今日一日短時間では
グループ討議
38
ありますが、十分に理解し、今後の臨床研修に是非実践し
ていただき、良い医師を目指されるよう、心から願ってい
ます」との挨拶があった。
引き続き上野桂一臨床研修委員からワークショップの進
め方についてオリエンテーションが行なわれた後、グルー
プ討議が開始された。
グループ討議は1 グループ4 名∼ 5 名で8 グループに分か
れ、各グループは割り当てられたインフォームド・コンセ
ントの課題について討議を行い、問題点を整理し、問題解
決の方策を考え、発表するという形で進められ、最後に全
体討議を通じて問題が掘り下げられ理解が深められた。各
グループ発表後、神田享勉臨床研修副委員長から各グルー
プの発表内容についてコメントがなされ、「インフォーム
ド・コンセントは、全てのケースに対して具体的な行動指
針があるものではないので、研修医のみなさんは、インフ
ォームド・コンセントの基本を理解して、自分自身のイン
フォームド・コンセントを確立していってほしい。また、今
回のワークショップの中で得られたことを今後の研修に反
映されることを期待している」と述べられ、この研修医ワ
ークショップを終了した。
(職員課 中谷一也記)
全体発表風景
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
第1回 金沢医科大学
−本音で語る電子カルテ−
日 時:平成14年12月7日(土)
、8 日(日)
主 催:金沢医科大学医学情報学
本学では、1997 年から電子カルテの開発に取り組み、
2000 年には電子カルテによる診療を全診療科で一斉に行う
ことに成功しました。大学病院での電子カルテシステムの
導入・稼動は、現在でも本学が世界で唯一であり、世界に
誇るべきシステムと考えられます。このことは、医療従事
者だけでなく様々な分野の方々が電子カルテシステムの見
学に来られており、1997 年以来その数は500 名以上にも上
ります。そこで、電子カルテシステムをより広く理解して
いただくことを目的に、
「金沢医科大学電子カルテセミナー」
を開催することといたしました。
当日、竹越 襄学長に開会の挨拶をいただき、本学電子カ
ルテシステムの概要を紹介しセミナーを開始しました。本
セミナーでは、模擬患者を用いた電子カルテ操作の実際を
体験していただくことと、とことんディスカッションする
ことを目的に、従来の電子カルテに関する単なる講演のみ
立石圭太先生(立石クリニッ
ク院長)
根井仁一先生(公立南砺中
央病院院長)
39
では得られないプログラムを準備しました。参加者が電子
カルテを実際に操作するセッションでは、一人あたり40 分
以上の体験時間を設けましたが、それでも時間が短いとい
う意見が多く寄せられ関心の強さを改めて知ることができ
ました。端末機の数の関係上約 40 名の方々を2 回に分けて
行いましたが、その指導に医療情報課の職員が奮闘して下
さいました。
体験後の意見交換会では、どのようにすると円滑に電子
カルテを導入できるかという病院経営者の質問や、看護業
務と電子カルテに関する看護師からの質問等さまざまな角
度から活発な討論が行われました。
2 日目には、
『電子カルテ導入に挫折して』と題して立石
クリニック院長立石圭太先生(本学昭和55 年卒)に、
『電子
カルテ導入後2ヶ月の経験』と題して公立南砺中央病院・院
長根井仁一先生(元本学消化器内科講師)に、そして『企
業サイドから見た電子カルテ』と題して国際医療福祉大学
教授阿曽沼元博先生に講演をしていただきました。いずれ
の講演も、電子カルテ導入に関して極めて有用な内容であ
り、参加者から多くの質問がありました。
初日のセミナーの後、ホリデイ・イン金沢で懇親会を行
いましたが、セミナーのテーマである「本音で語る電子カ
ルテ」がそのまま実行され、活発な懇談の輪が各テーブル
で見られました。活発なディスカッションを適度にクール
ダウンしていただいたのが、3 学年学生の小幡 綾(ピアノ)
、
小緑 彩(ピアノ)
、4 学年学生の加賀美星子(バイオリン)
、
河田奈都子(ピアノ)さんとその友人
である竹上由月(バイオリン)さんの
演奏でした。参加者は、初日82 名、2
日目 85 名と、12 月の慌ただしい日で
あるにもかかわらず盛況のうちに行う
ことができました。
最後に、このようなセミナーを開催
することができたことは、本学全職員
の電子カルテに対する理解と努力の賜
物であることと厚く感謝します。
(医学情報学 堤 幹宏記)
阿曽沼元博先生(国際医療
福祉大学教授)
【病院】
金 医 大 学 報
平成 14 年 11 月 12 日
(火)、13 日(水)の 2 日
間にわたり、内灘町消防
署の協力を得て大学と病
院の合同災害訓練が実施
された。
消防法第 8 条では、病
院、デパート等の多数の
人が出入りする施設は特
に厳しい防火管理体制が
義務づけられている。中
八幡勝信内灘町消防署予防課主査
でも病院、老人福祉施設
等は身体的弱者を収容す
る施設として、災害が発生した場合に人命危険度が高いと
の理由から特定防火対象物として指定されており、本学病
院では毎年春に新入職員のオリエンテーションの一環とし
ての防災講習会と秋に実地訓練を実施している。
病院内には常に900名近くの患者さんが入院しており、そ
のうち歩行可能な患者さんは約300名と3 割程度であるとい
うこと、また、日中の外来では約1300 名の患者さんをはじ
め、お見舞いや付き添いの方、出入りの業者など、実に多
くの方が院内にいるということを考えると、改めて災害訓
練の重要性が認識される。また、災害時の人命優先はもと
より、地震・火災による直接的災害の抑制及び二次災害の
防止を訓練の中で確実に行えるようにする必要がある。
本年の災害訓練では、昨年に引き続き病棟部門の防火扉
を全て稼働させ、また、火災発生時の行方不明者の把握に
重点を置きなから訓練を実施した。さらに、本年9 月に作成
した災害対策マニュアルを参考にして「施設被害状況チェ
ックリスト」の内容確認も行った。2日間の訓練内容は以下
のとおり。
防災講習会
40
11 月12 日(火)
① 防災講習会:13:30 /106 名参加
最初に、内灘町消防署の八幡勝信予防課主査から、
「災害
時における心構え」をテーマに、地震発生の際に自分の身を
守る行動、火災発生における初期消火など、日頃の心構えに
ついて講演が行われた。引き続き、施設・設備課から、本院
の防災設備及び機器の取り扱い方法について説明が行われ
た。最後に、看護部から、各病棟に配置されている防災用品
の使用方法の説明、避難誘導の実技指導などが行われた。
② 煙中体験訓練、消火器取扱訓練:15:20 ∼
天候不良により中止となった。
11 月13 日(水)
① 時間内災害訓練(第1 次訓練):14:00 ∼ /631名参加
地震後に火災が発生したとの想定で、本館4 階から上の病
棟の防火扉を閉め、各階ごとに出火場所を定め、身体防御、
通報連絡、初期消火、模擬患者の避難誘導などを実施し、
本館1 階防災センター前に設置された災害対策本部への避難
状況の報告を全館一斉に実施した。
② 時間内災害訓練(第2 次訓練):15:00 ∼ /77 名参加
本館 7 階面会コーナーで火災が発生したとの想定で、病
院、大学の自衛消防隊による消火活動、模擬患者の避難誘
導、内灘町消防署による放水と、各部署が連携しての総合
災害訓練を実施した。
③ 救助袋による降下訓練:15:30 ∼
天候不良により中止となった。
④ 時間外災害訓練:19:00 ∼ /47 名参加
本館9 階面会コーナーで火災が発生したとの想定で、夜間
等職員の手薄な時間帯における災害発生時の通報連絡、非
常呼集、避難誘導、消火訓練を実施した。
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
11月14日(木)
災害訓練反省会:16:00 ∼ /39 名参加
内灘町消防署から根布原外茂次署長を招き、今回の訓練
の反省点と今後の課題について意見交換を行った。災害に
備えた訓練内容の充実、役割分担の再検討、大規模災害発
生時の対応等、活発な討論がなされた。
昨年に引き続き、病棟の防火扉を全て稼働させたが、訓
練はスムーズに行われ、内灘町消防署から好評を得ること
時間内災害訓練
41
ができた。今後は、災害対策マニュアルの改定を行い、多
くの職員が参加する実践的な訓練により、災害対策をさら
に充実させていきたい。
(管理課 米田正明記)
【病院/管理・運営】
金 医 大 学 報
―闘病 10 年の心意気を込めて―
10 年前の撮影旅行中に脳出血で倒れ、本学病院脳神
経外科で手術を受けた中本明さん(73 歳、北國写真連
盟会員)が闘病10 年の節目に、お世話になった関係者
に見てほしいとの感謝の意を込めて「中本明 活き活き
写真展」を本院1階ふれあいコーナー(脳外外来前)で
開催している。
中本さんは緊急手術で一命は取り留めたものの、後
遺症との闘いで写真は無理と言われていた。しかし、担
当医師らと相談しながら、独自の工夫を凝らしリハビ
リに励んだ。中本さんの居間には、手作りのリハビリ用
具が並んでおり、ちょっとしたリハビリセンターのよう
である。写真に必要な指先のリハビリに、豆を摘む練習
を人一倍繰り返し、不自由な右手でもどうにかシャッ
ター操作ができるまでに回復した。ブレをなくすためカ
メラを三脚に固定し、シャッターはレリーズを使い遠隔
操作にした。時には足を使いシャッターを切ることもあ
るという。このような大きなハンディーを背負いつつ、
被写体は固定カメラでも勝負できる『花火』にしぼり、
カメラを回転させたりスライドさせたりして光の軌跡を
描く独特の境地を開いている。今回地元写真クラブの
協力も得て個展開催に至った。写真展は1 月 31 日まで
開催している。 (総合医学研究所事務課 寺井明夫記)
入局勧誘
―はなやかにポスター合戦―
平成 14 年度の医学部卒業生を対象に各医局の入局勧誘が学
内の掲示板ではなやかに行われている。
近年、カラープリンターが一般化しパソコンによるポスター
の編集が容易にできるようになったことによって、掲示板は趣
向を凝らした個性豊かな A4 版のポスターの競演となったもの。
中にはかなりレベルの高い「作品」もあって学生や教職員の美
術鑑賞眼をくすぐっている。
(編集部 丸谷 良記)
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金 医 大 学 報
管理・運営
総合医学研究所
総合医学研究所所長 西 川 克 三
金沢医科大学総合医学研究所は平成元年(1989 年)4 月
に7 部門からなる研究所として発足して以来、13 年余を経
過した。その母体は昭和48年(1973 年)に開設された共同
主な改正点は以下のとおりである。
1. 部門名を次のように、現状に即すよう大幅に改め、再
編成した。
研究室および昭和58年(1983 年)に開設された熱帯医学研
究所と人類遺伝学研究所であり、それらに4つの新部門が加
えられた。総合医学研究所の役割は共同利用機器の管理、
研究の支援、独自の研究および兼務の教員の場合は教育と
診療が加わる。
30 周年を迎えた金沢医科大学の発展の流れの中で、本研
究所を取り巻く環境も大きく変化してきた。第一に、平成
15 年(2003 年)4 月から予定されている大学院の改組に伴
い研究所教員の一部も学位論文の指導を担当することにな
る。第二に、平成9年度、11年度、14年度から、それぞれ5
年計画で文部科学省によって認可されたハイテク・リサー
チ・センターは大きな施設・設備の設置を伴っていて、そ
の大部分を研究所が管理してきた。また、それらのプロジ
ェクト研究には研究所教員も参画してきている。さらに、
遺伝子操作をはじめとする研究方法の進歩や、共同利用機
〈旧部門〉
〈新部門〉
基礎医科学研究部門 →
細胞医学研究部門
難治疾患研究部門
臓器置換研究部門
先進医療研究部門
廃止
→
→
人類遺伝学研究部門 →
生化
臨床
人類遺伝学研究部門
生化
臨床
熱帯医学研究部門
がん研究部門
→
分子腫瘍学研究部門
共同利用部門
RIセンター
→
共同利用部門
動物飼育センター
RIセンター
動物飼育センター
形態機器センター
ハイテク・リサーチ・センター
器の進歩と拡大が著しい。
本研究所設立の目的は金沢医科大学総合医学研究所規程
にうたわれているように「医学・医療の急速な進歩、疾病
構造の変化に対応した総合的な医学の研究を行い、研究成
果を臨床応用する」ということである。このような本来の
目的は現在も変わりなく、それに対応するために、研究所
の運営や組織の抜本的な改革が必要となってきた。本研究
所の運営を支えているのは研究所規程、研究所運営委員会
規程、研究所教授会規程の3つであるが、これらの改正案が
理事長、学長はじめ関係者のご支援の下に理事会などで承
認され、平成 15 年 1 月から施行された。さらに研究所所員
の職務が効果的に発揮できるように人事異動も行った。
2. 人事などの権限を運営委員会から教授会に大幅に移行
させた。運営委員会は主に人事などの監査役を務めるが、
研究所主体の構成に加え、医学部教授も参加する。教授
会の構成員はスリム化し、大学院担当部門長に限ること
とした。
3. 形態機器センターとハイテク・リサーチ・センターを
共同利用部門内に増設または併合した。
以上のような体制で本研究所は平成15 年の新春早々から
気持ちを新たに再出発したので、皆様方のご支援を期待す
る次第である。
【管理・運営】
金 医 大 学 報
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平成 14 年度 石川県私立学校教職員功労者
平成 14 年 11 月 20 日 知事と記念撮影
平成14年度石川県私立学校教職員功労者の知事表彰が11
月 20 日(水)午後 2 時から石川県庁知事室において行われ
た。
平成14年の表彰対象者は82 名であり、そのうち本学職員
は28名であった。
表彰式では、県内私立学校の振興・発展に長年貢献して
きた大学・短大関係者及びその他の計82 名に対して谷本正
憲石川県知事より表彰状と記念品が贈呈され、本学の平井
圭一教授(解剖学Ⅰ)が受賞者を代表して謝辞を述べた。
本学の受賞者は以下のとおり。
(敬称略)
石崎 宏
高橋 信夫
内田 健三
平井 圭一
山田 裕一
木越 俊和
清水 昌寿
池田 龍介
坂本 滋
栂 博久
柿崎 謙一
竹田 浩一
小沼 邦男
及川陽三郎
木村 晴夫
古居 滋
大野木辰也
佐野 泰彦
丸谷 良
森 豊茂
徳田 治樹
北本 正俊
堀 愉
庄田 正子
船本 洋子
道上 紀子
川江美栄子
西田 洋子
(人事厚生課 石田豊司記)
平成 14 年度 医学教育等関係業務功労者
子さんで 11 人目の受
賞となる。
油木さんは昭和 55
年 12 月に病院管理課
の技能補助員として入
職し、現在にいたるま
で、同部署に勤務して
いる。その豊富な経験
を生かした業務の正確
さや後進に対する適確
な指導などにより、臨
床医学教育や診療活
動を支えてきた功績が
認められた。
(職員課 大戸和雄記)
管理課
油 木 幸 子 さんに
平成14年度医学教育等功労者に対する文部科学大臣表彰
が、平成14年11月26日(火)東京都港区のホテルフロラシ
オン青山において行われた。
表彰式では、全国医学部長病院長会議会長の祝辞があり、
文部科学副大臣から表彰状と記念品が授与された。また、
この表彰は教育等関係業務の補助的業務に長年にわたり精
勤するとともに顕著な功労のあった人に対して与えられる
もので、本年は全国で81 名が対象とされ、本学では油木幸
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金 医 大 学 報
平成14 年度
平成14 年度の表彰対象者は45 名である。表彰式では、小
田島粛夫理事長より表彰状と記念品が受賞者を代表して高
橋信夫教授(眼科学)に贈呈された。
引き続き理事長よりお祝いの言葉があり、受賞者を代表
して高橋教授から謝辞が述べられた。
(人事厚生課 石田豊司記)
本学の受賞者は以下のとおり。
(敬称略)
謝辞を述べる高橋信夫教授
平成14年度本学教職員の永年勤続(20 年)表彰式が11 月
18日(月)午後3時30分から本学講堂において行われた。
護身術実技に取り組む参加者
最近の世相を反映して、本学でも事前に痴漢、性犯罪等
の被害防止を図ることを目的に、石川県津幡警察署の全面
的な協力を得て、防犯講習会を開催した。
石崎 宏
山田 裕一
松田 富雄
高平 智史
奈良 友子
斉藤久美子
三島 一紀
奥 朋和
直井千津子
西 裕子
古平 恵子
番匠美津子
高橋 信夫
木越 俊和
北 久直
岡山 均
山田 宣子
得野 容子
任田 和子
岡崎 恵子
米沢 久子
西山 芳江
千田ヨシ子
内田 健三
太田 隆英
和田外美男
越野 清人
長谷川紀子
神戸 晃男
左古ひとみ
村上 美紀
山下ひとみ
森垣こずえ
伊戸川久子
平井 圭一
竹田 浩一
古本 郁美
中川 邦子
武田 久美
中村 正人
坂本 保夫
谷内裕美子
才田 幸子
北山 和子
西村 栄子
この防犯講習会は3 回にわたって行われた。1 回目は、平
成14 年10 月4 日(金)午前11 時から看護専門学校運動会の
プログラムの1 つとして、本学グラウンドで行われ、学生・
教職員180 名が参加した。
2 回目は、平成14 年10 月8 日(火)
、3 回目は平成14 年10
月10 日(木)午後5 時30 分から本学病院で行われ、両日と
も約90 名の女性看護師と医学部女子学生らが参加した。
津幡警察署の講師の方から、少しでも犯罪に巻き込まれ
ないよう、また、犯罪に巻き込まれたとしても最小限の被
害ですむようにすることを目的とする講義と実技が行われ
た。
講義では、①夜遅く帰らない、②1 人で歩かない、③明る
い大通りを歩く、④華美・派手な服装をしないなどの注意
事項が説明された。
実技では、痴漢等に襲われた場合、①大声で助けを求め
ること、②簡単な護身術で相手から逃げる術などを教わっ
た。
参加者は、いざという時の護身術を身につけようと真剣
に取り組んでいた。
(総務課 北 久直記)
【管理・運営】
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金 医 大 学 報
互助会
第22 回
文化祭
恒例の互助会文化祭が、11月1日(金)から8日(金)ま
での8日間にわたって病院本館1階外科系外来ロビーで開催
された。今回は、48 名と2 グループから75 点の作品が出展
され、期間中、職員や患者さんの目を楽しませてくれた。
11 月 6 日(水)には、理事長、学長、病院長の出席のも
と、優秀作品の表彰式が行われ、表彰状と記念品が贈呈さ
れた。
(人事厚生課 石田豊司記)
入賞者の皆さんは次のとおり。
理事長賞
学長賞
病院長賞
優秀賞
特別賞
土田 壮一 (図書館事務課)
稲葉 洋子 (総務課)
中嶋 秀夫 (フォトセンター)
古本 郁美 (学術交流室)
後藤 知子 (管理課)
西村 栄子 (看護部)
木下 恵子 (人事厚生課)
広沢 静香 (中央臨床検査部)
田渕 順子 (看護部)
中谷 渉 (フォトセンター)
岡田ユリ子 (外来患者)
上田 久子 (外来患者)
5 階病棟
(入院患者)
生け花
水墨画
写真
書
手工芸
陶芸
陶芸
生け花
生け花
写真
絵画
手工芸
オブジェ
理事長賞:生け花(土田壮一)
学長賞:水墨画(稲葉洋子)
理事長賞を受ける土田壮一さん
病院長賞:写真(中嶋秀夫)
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互助会バス旅行
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いの料理である。身も心も暖まり大満足の後は場所を代え
て温泉で一休みである。
瀬領温泉「せせらぎの郷」はお風呂だけで無くふれあい
農園や体験工房等が完備され、一昨年完成した館内はとて
もきれいであった。昼時とあってか利用客は少なくゆった
りと休憩できた。
入浴等でリフレッシュした後、最終目的地「いしかわ動
物園」へ向けて出発した。動物園には予定より50 分遅れで
到着。駐車場から正面ゲートまでの長い坂道を歩きながら
老人や障害者には大変だろうなと思った。正面ゲートは思
ったより小さく県立の施設としては貧弱に見えた。園内は
池を中心に丘陵地形をうまく利用した造りになっており、
学習センターやふれあいひろば、また、休憩コーナーがバ
ランスよく配置されてあった。日曜日の夕方と曇天のため
か見学者はほとんど無く約1時間半程でひと回りできた。動
物の種類はそれなりであったが数が少ないのが残念である。
集合時間前には雨模様となり各自、足早にバスに逃げ込
んだ。予定より40 分遅れで動物園を出発。大学には午後 5
時46 分に到着。無事、全行程を終了した。
(人事厚生課 岡山 均記)
10 月 20 日(日)恒例の互助会秋のバス旅行が実施され、
参加者19 名を乗せたバスは午前8 時17 分最初の目的地「御
菓子城加賀藩」へ向けて大学を出発した。
加賀藩には予定より30 分以上も早く到着。ここは2 階フ
ロアー全部が世界最大の日本折紙博物館となっており、館
内に入ると色とりどりの折り紙を使い創意工夫を凝らした
作品が私達を出迎えてくれた。また、折り紙の歴史や体験
コーナーもありなかなかの充実ぶりであった。1 階はお菓子
の製造工場や喫茶コーナーまた、別棟には食祭市場、地ビ
ール園等があり「お菓子やさん」のイメージと掛け離れて
おり驚かされた。
次はお目当ての「マタギ料理」である。30 分ほど山道を
走り「十右衛門」に到着。薄暗い入り口を抜け中庭の見え
る広間に案内された。食事の前に女将さんから料理の説明
を受けた。それによると熊刺しは冬眠中の熊のみを使用し
臭みも無く大トロのようだと言うことであ
る。いよいよ料理の登場である。まず、説
明のあった熊刺しをいただいた。口に入れ
るとまさにトロ! という感じではなく濃厚
なバターのようであった。ただ、臭みは全
く無く美味しかった。私が気に入ったのは
鹿肉である。刺身は馬刺しに良く似ており
癖も無くほど良い油が口の中でお肉と絡ん
で絶妙な味を楽しませてくれた。また、ゆ
ず味噌で焼いた肉は軟らかく味噌の香ばし
さが食欲をそそりご飯がほしくなるほどで
あった。しかし、最もお勧めは鍋である。
熊、鹿、鴨等のお肉に野菜を入れ味噌で煮
込むと野菜の旨みに肉汁がしみ込んだ「マ
タギ鍋」の完成である。そのスープは一口
飲むごとにお腹が「カァー」と熱くなりか
らだ全体が燃えてくるようであった。さら
に、ご飯を入れた雑炊は今まで食べた中で
お目当てのマタギ料理をたのしむ参加者
は最高の味であった。寒い冬には持って来
【管理・運営】
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金 医 大 学 報
病院増改築工事の進捗状況
(第8 回報告 平成14 年11 月30 日現在)
【病院新棟】
〔全工事出来高:2002(平成14)年11 月30 日現在 58.0 %〕
平成14年9月∼10月(建築工事)
10階∼12階躯体工事(鉄骨建方、配筋・型枠、コンク
リート打設)
立上りコンクリート打設、間仕切り、壁・天井内ボード
張り、窓サッシュ取付
耐火被覆吹付、SD扉枠取付、外部PC版取付、ガラ
スはめ込み
ユニットバス・ユニットシャワー搬入取付、
中央手術部3階機械室基礎コンクリート打設
(電気工事)
高層部 最上は12階 2002/11/30現在
立上り壁内配管、バスダクト・ケーブルラック取付、ス
ラブ配管、照明器具取付
感知器取付、情報系配線
(設備工事)
床スリーブ・インサート工事、スラブ配管、
ダクト、保温配管、ユニットバス配管
●天井内梁貫通部等の消防中間検査(地階・1 階 10/11
13:30)
11月(建築工事)
10階∼12階躯体工事(鉄骨建方、配筋・型枠、コンク
リート打設)
立上り壁コンクリート打設、間仕切り、壁・天井内ボ
ード張り、窓サッシュ取付
耐火被覆吹付、SD 扉枠取付、ブラインドボックス取付、
外部PC版取付
低層部 2002/11/30現在
ガラスはめ込み、ユニットバス・ユニットシャワー搬入取付
(電気工事)
立上り壁内配管、バスダクト・ケーブルラック取付、スラブ配管、感知器取付
天井内配線、幹線配線、情報系幹線配線
(設備工事)
床スリーブ・インサート工事、スラブ配管、
ダクト、保温配管、ユニットシャワー配管
医療ガス配管
●天井内梁貫通部等の消防中間検査(2階・4 階 11/27 13:30)
建築資材について(1)
ガラス
病院新棟建設工事は、11月末現在で総合出来高は 58.0 %
で、高層部12 階までの鉄骨建方が終了し、立ち上がり部・
床スラブ(床版)のコンクリート打設も順調に進み、設備工
事も並行して進んでいる。年内には、エレベーター機械室や
高置水槽等が設置される塔屋2 階部分の鉄骨建方も終わり、
内装工事、設備工事が本格化することとなる。
内部工事では下層階から間仕切り工事や内装工事が進ん
でおり、外部工事では外壁工事(タイル工事、石張り工事
等)も並行して進められ、ガラス工事も順調に進んでいる。
一口にガラスといってもその種類は多く、建築用、理化学
用、光学用などその用途により成分が違い、その種類も多
い。建物用ガラスは、硅砂、苛性ソーダ、石灰を主成分と
したソーダガラスである。今回は病院新棟でも多く使われ
る「ガラス」について紹介する。
【建物用ガラスの特性】
・光線を透過する。
・視線を遮らない。
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
・水や空気に対する耐久性はある。化学薬品の種類によっ
ては弱いものもある。
・着色により、多彩な色調を得ることができる(教会のス
テンドグラスなど)
。
・温度、明るさなどの室内環境を調節できる種類もある。
・ピンポイントの衝撃や急激な温度変化を受けると割れや
すい。
【ガラスの種類】
1. 板ガラス(一般的なガラス)
(1)普通板ガラス
① 透明板ガラス
② スリ板ガラス
透明板ガラスの片面にサンドブラスト(sand blast)に
より砂を吹き付けて、表面に細かい傷をつけてツヤ消
しにしたものをいう。
多くは、窓、建具などに使われ、一般に厚さ3 ㎜まで
のものを薄板、5 ㎜以上のものを厚板と呼ぶ。
(2)型板ガラス(かたいたガラス)
普通板ガラスの表面にロールで模様をつけたものを
いう。
模様には、梨地、霞、縞など多くの種類があり、使
用する場所により選択の幅が広い。一般に厚さ2.2 ㎜の
ものを薄型、4㎜を厚型と呼んでいる。
(3)磨き板ガラス
磨き板ガラスは、両面を平滑、丁寧に磨いて仕上げ
たものであり、製造法としては溶かしたスズの上に液
状のガラスを伸ばして作るフロート式と、金剛砂 (注
1)などで磨いて、べんがら (注2)で仕上げる磨き式
があり、身近なものとしてはショーウィンドウなどに使
われている。
(4)網入り板ガラス
網入り板ガラスは、菱型状、格子状など0.4 ㎜以上の
金網をガラスの中に入れたもので、6.8 ㎜と10 ㎜のもの
がある。
破損しても飛び散らない大きな特徴があり安全で、
防火にも役立ち、建築基準法では乙種防火戸(注3)に
認定されている。
2. その他のガラス
ガラスは、加工することで強さを増したり、熱を遮断
したり、安全性を確保するような特性を持たせることが
できる。
(1)合わせガラス
2 枚の板ガラスの間にプラスチックフィルムを挟み込
み、張り合わせたもので、厚さ6.3 ㎜が標準のものであ
る。
破損したときには、飛び散らないことから安全性が
高く自動車等の窓ガラスにも使われ、安全ガラスとも
言われる。
(2)強化ガラス
板ガラスを焼き入れしたもので、一般に強度は3倍か
ら5 倍程度ある。破損したときは角の取れた丸みがかっ
た小片になるため負傷することが少なく、フレームがつ
いていないテンパーライト・ドア、ショーケース、テー
ブルトップなどに使われる。安全ガラスの一種である。
(3)熱線吸収ガラス
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普通板ガラスに、鉄、ニッケル、コバルトなどの過酸
化物を微量混ぜて作るもので、太陽光線のうちでも波
長の長い赤外線(熱線)を透過させない性質がある。
遮光することにより冷房効果を高め、ブルー、グレ
ー、ブロンズの色調により室内を落ち着いた雰囲気にす
る効果がある。
(4)熱線反射ガラス
ガラスの表面に金属酸化物のフィルムをコーティング
したガラスであり、熱線吸収ガラスと同様に冷房効果
を高めるには有効である。
(5)複層ガラス
2 枚のガラスの間に乾燥空気層を設けたもので、断熱
効果が高く、結露しにくい特徴があり、室内のエアー
コンディショニングに有効である。
(6)ガラスブロック
2 ピースの成型ガラスを溶着させたもので、内部は真
空状態に近い0.3 気圧になっている。断熱性、遮音性に
優れており、結露しにくい特徴がある。
光の透過を制御できる種類や曲壁面用などもある。
注1)金剛砂(emery sand)
不純な綱玉やざくろ石の粉末で、研磨剤として使わ
れる。
注2)べんがら(Bengala)
主成分は、酸化第二鉄。赤色顔料、さび止め、塗
料、絵の具、研磨剤などに用いられる。紅柄、紅殻
(べにがら)ともいう。
「べんがら格子」と言う言葉は、
インドのベンガル産の黄土を焼いてつくった赤色の顔
料「べんがら」を塗料として使ったことに由来するよ
うである。
注3)乙種防火戸
スチールサッシ又はアルミサッシに網入りガラスをい
れたもの
骨組を鉄製とし、厚さ0.8mm以上1.5mm未満のもの
鉄骨コンクリート製又は鉄筋コンクリート製で厚さ
35 ㎜未満のもの
骨組を防火塗料を塗布した木材製とし、屋内面に厚
さ12 ㎜以上の木毛セメント版又は9 ㎜以上の石膏ボー
ドを張り、屋外面に亜鉛鉄板を張ったものなど
(施設整備推進室 森 豊茂記)
<病院新棟の特徴紹介シリーズ・バックナンバー>
① 学報 №102「臓器別診療態勢」
(2000-May)
② 学報 №103「臨床教育スペース」
(2000-August)
③ 学報 №104「バリアフリー、アメニティ、プライバシー」(2000November)
④ 学報 №105「腎臓病センター」
(2001-January)
⑤ 学報 №106「免震構造」
(2001-May)
⑥ 学報 №107「エネルギ−サプライ① コジェネ・システム導入の経
緯」
(2001-August)
⑦ 学報 №108「エネルギーサプライ② コジェネ・システム 概要」
(2001-November)
⑧ 学報 №109「エネルギーサプライ③ 省エネルギー・省力化と災
害対応について」
(2002-January)
⑨ 学報 №110「現場で使われているクレーンについて」
(2002-May)
⑩ 学報 №111「コンクリートについて」
(2002-August)
⑪ 学報 №112「建築資材について(1)
」タイル(2002-November)
金 医 大 学 報
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随想・報告
随 想
学出身者の他に、教授、助教授、講師、助手を外部より採
用することができ、診療、教育、研究面で以前に比べて充
実してきました。
現在、当教室は真菌学では日本の他施設に比べ遜色のな
皮膚科学教授
石 崎 宏
編集部より20 年の感想を書くようにとの依頼がありまし
た。あらためてこの間の出来事を思い浮かべようとしまし
たが、20 年は長い様でもあり短い様でもあり、考えが中々
まとまりません。印象深かったことを思いつくままに書く
ことにしました。
昭和57 年、本学の大学院開設にともない皮膚科学担当教
授として金沢大学より着任しました。当時、大学院開設に
は大学当局の並々ならぬ苦労があったことを聞きました。
また研究面の整備の為に、新任の教授には予算面で特別な
配慮をいただき、真菌培養に必要な冷房装置、振盪培養機
などが整備されました。これは大変有難いことでした。
着任時、皮膚科学教室には大学院生はいなかったので、
論文博士の第1号を狙うことにして、本学卒業2期生の小林
助手と実験を開始し、幸いにも論文博士の学位記第1 号を取
得出来ました。仕事の内容は中央検査室から無作為に選ん
だ数百の血清の提供を受け、この血清中の病原真菌
Sporothrix schenckii に対する抗体価を測定する、家兎に細
菌、真菌を注射してS. schenckii 抗体価を測定することでし
た。私は血清を不注意に取り扱った為か、肝炎で約2カ月間
入院するという附録付きでした。小林君はよくがんばって
くれ、その後は本学出身の講師の第1号、助教授の第1号と
1号づくしで昇進し、現在は金沢市寺町で開業しています。
研究面では、今日まで当教室は主に病原真菌を対象とし、
特に分子生物学的研究の業績を発表して来ました。また菌
株の供与、真菌講習会など千葉大学真菌医学研究センター
の宮治教授、西村教授の公私にわたる援助をいただきまし
た。現在も共同研究は行われています。
人事面では本学ではどこの教室も同じとは思いますが、
常に教室員の不足に悩まされて来ました。私の母校からの
応援は無く、低空飛行が当たり前、しばしば墜落しそうな
事態、薄氷を踏む思いの日々もありました。この時に昭和
大学藤ケ丘病院滝内教授より再三にわたり応援をいただき、
危機を脱することが出来ました。本当に有難いことでした。
ここに改めて衷心よりお礼申し上げる次第です。最近は本
いレベルにあると思います。勿論、ここ迄来るには運が大
きく関係した事は間違いありません。振り返ってみると、
「あの時にもしこれが無かったら」と言う幸運の積み重ねと、
これに若さと愚直の一念が加わった結果と言えるでしょう。
さらに、言うまでもなく教室の人達、外部の多くの人達
の直接あるいは間接的な支援をいただきました。そして今
日の教室があるのです。と同時に私の未熟から周囲の人達
に随分と迷惑をかけたと思います。慙愧に堪えません。
診療面では、本学は私学ですから、収益を無視出来ませ
ん。研究より診療により重点を置くのは当然と思います。
私は生来不器用な人間なので、研究、診療、教育を同時に
たくみにこなす芸当は出来ませんでした。そこでスタッフ
が力をつけるとともに徐々に診療面に重点を置く様にしま
した。そしてこの20 年間の診療を通して患者さんから計り
知れない程多くのことを学びました。診療すなわち学習で、
今も週に5 日は診療を通して患者さんに教えられています。
最後に、本学で20 年間を何とか持ち堪えることができて
少しホッとするとともに、これが私の宿命と思っています。
眼科学教授
高橋 信夫
平成 14 年 11 月 18 日、45 名の方々とともに、勤続 20 年の
表彰を受けた。大学当局、病院、教室の皆様に心から感謝
申し上げたい。
昨年から教室の主宰を命じられたため、環境が激変した。
教室運営に忙殺され、また、人に会う機会や会議出席の回
数が大幅に増えた。従って、つい最近、人に言われるまで
20 年勤続のことは念頭になかったといってよい。いや、他
の人のことについては聞き知っていても、自分のことにな
ると等閑視していたという方が正しい。だから、実際この
通知を受け取った時は、本当にもう20 年も経ったのかとい
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
う気持ちと何となく自らを客観視するような不思議な感覚
にとらわれた。そして、いや応なく来し方を振り返らざる
を得ない状態におかれたことに少々途惑っている。
着任早々、昼も夜もなく猛烈に忙しかったことだけが記
憶にある。前任の佐々木教授の仕事が軌道に乗りつつあっ
たこと、また、一段の飛躍を期する気持ちが強かったため
もあろう。小生ばかりではなく、教室員も同様だったらし
く、ある時、医局員の一人から、
「先生が来てから忙しくな
った」と苦情? を言われたこともあった。しかし、小生に
とっても教室員にとっても、この状態は己れを練磨するに
はうってつけの環境だったと今にして理解できるのである。
想えば上昇気流に乗ったごとくの時期といえた。上下一致
して全力疾走していた。
時代が移って世の中が変わり、今や「停滞の時代」とな
ったが、教室のあるべき姿、新しい教育、研究およびます
ます厳しさを増す診療などのことを考え合わせると、
「再生
の時代」と位置づけて、互いに創意工夫を凝らすことが大
切になりつつある。
勤続20年を祝って下さった方々に対し、あらためて感謝
申し上げるとともに、今年新しく当大学に職を得られた人々
が20年後の表彰を受けられるように、小生も今一度踏ん張
って、これからの仕事に対処していきたいと念じている。
51
内容が到達していないことに気がつき、研究の進行の遅
さに焦りを感じているのが現状です。
内分泌内科学教室の過去 20 年間を振り返ってみますと、
先輩の諸先生方をはじめ数多くの医局員や研修医の方々
の顔が頭に浮かんできます。しかし 3 年前のある日、職場
内を見渡してみると自分と同世代のドクターが非常に少
ないことに気がつき寂しさを感じたことがありました。
その時以来、自己の職務を認識してその職務に専念する
ことが孤独感を払拭する最も有効な方法であることを知
りました。さらに、最も重要なことは今後優秀な人材を
育成することであるとの認識を持ちました。
今後はこれまでの経験を活かして、教育、研究および
臨床における新たな目標を持ち続けて迷わずに邁進する
決意でおります。今後とも、ご指導、ご鞭撻のほどよろ
しくお願い申し上げます。
総合医学研究所
がん研究部門助教授
太田 隆英
内分泌内科学教授
木越 俊和
平成 14 年 11 月 18 日、本学に 20 年勤続したことに対して
表彰を受けました。昭和 57 年 4 月に内分泌内科学の助手
として勤務して以来 20 年の歳月が過ぎたことになります。
勤務当初はスタッフ総勢 6 名であり余裕ある勤務体制では
なかったのですが、働く環境が変わったせいか見るもの
すべてが新鮮に感じられたことを記憶しています。金沢
医科大学内分泌内科学に勤務する前までは「高血圧症に
おけるレニン・アンジオテンシン・アルドステロン系の
異常」に関する研究に従事していましたが、勤務以後は
外来の糖尿病患者数が非常に多いことから「糖尿病にお
けるレニン・アンジオテンシン・アルドステロン系の異
常」を主要な研究テーマとするようになりました。この
テーマに関する研究は現在も継続中でありますが、年々
研究に従事する時間が少なくなると共に医学教育に専念
する時間が増加している現状を認識しております。過去
の業績内容をまとめてみますと今後の研究方向がより明
確になってくるものですが、この研究テーマに関しては
自分自身が描いている全体のストーリーのまだ半分にも
この 20 年、医学生物学は驚異的な速さで進歩しました。
まさにその分野で、研究者として仕事を続けることができ
たのは、先輩、同僚、後輩の研究者や、事務職員の方々の
手助けや励ましのおかげであり、心から感謝いたします。こ
のことを忘れることなく真摯な態度で科学に向き合い、た
とえ少しでも医学生物学の発展に寄与できるようこれから
も努力していきたいと思います。
人文科学講師
竹田 浩一
平成 14 年 11 月 18 日、20 年勤続の表彰を受けることがで
きました。色々なことが思い出されます。私の専攻は哲学
並びに倫理学です。本学就職に当たって、まず考えたこと
は、医学生に対する一般教育として、どのような授業内容
が適切かということでした。試行錯誤の後、段々と、医療
に関する倫理を中心とする授業という方向に収斂してまい
りました。ちょうど20 年の表彰を受けた今年にカリキュラ
【随想・報告】
金 医 大 学 報
ムの変更があり、この機会に、医療倫理の他に、医療と直
接には関係のない哲学書講読の授業も始めてみました。な
にやら、新鮮な気分です。平成14 年は、さまざまの意味で、
私の再出発の年となるように思います。今の新鮮な気分を
失わないで、残された期間を励みたいと考えています。
20 年というのは、やはり結構長い期間です。当方も、青
年から、オジサンになり、今では立派なオヤジです。当初
は、学生さんとの年齢差がそれほどなかったので、兄貴風
を吹かしたいような気分が、こちらにあったと思います。そ
れが、段々と埋めがたい世代差を意識するようになり、今
は、青少年を見守るお父さんのような心境に立ち至ってお
ります。私のような少しイラチな人間には、この位の距離
がちょうどいいのではないかと考えています。あせらずに
見守る、そういうことがやっとできるようになってきたの
だと思うのです。
20 年の間には、学生さんの気質や考え方も変化してきま
した。当初は、哲学や文学等に興味を持つ人も結構いまし
たが、段々と少なくなってきて、医学だけを勉強すればい
いという人が多くなったように感じた時期もありました。し
かし、最近では、医療は人間を相手にするのだから、医学
以外に、人間に関する多様な理解も必要だと考える学生が
増えてきたように感じます。これは、あるいは、医療をと
りまく社会状況の変化を反映するものであるかもしれませ
ん。
最後になりますが、私が20 年にわたって勤務を続けてこ
られたことに対して、大学のすべての皆様と学生諸君に感
謝したいと思います。表彰の副賞にいただいた機械で、エ
スプレッソを入れるたびに、有り難いことだと感じている
次第です。
麻酔学講師
松田 富雄
2002 年 11 月 18 日、本学勤続 20 年を表彰して頂き、本誌
への寄稿依頼が参りました。折も折、本誌(25 頁)
「私が医
師になった理由」の寄稿依頼をお受けした直後のことです。
ちなみに「金沢医科大学三十年史」の原稿(一部)も執筆
したばかりです。まるで自身の半生の整理を強要されてい
るような気もします。しかし、漫然と経過してしまった本
学での私の歳月を活字という形で顧みる機会を与えて頂い
たことに、今は感謝しております。
私は1976年に本学に入学し、1982 年に卒業しました。第
5期生です。卒業後は本学病院の研修医となり、麻酔科に入
局いたしました。初代森 秀麿教授、青野 允教授、そして土
52
田英昭教授と三代の教授のもとで関連病院への出向や海外
医療協力の経験もさせて頂き、周術期管理、救急医療、集
中治療そしてペインクリニック医療に携わって参りました。
研究の面では、第 2 生理学講座にて後藤鹿島名誉教授、今
西愿名誉教授のご指導も仰ぎました。また学生教育では指
導教員を始め、諸委員会や強化教育プロジェクトにも参加
させて頂いてきました。多くの方々のご指導や交流ともに
経緯したこの20 年間を、臨床医として、また本学同窓生と
して振り返ってみようと思います。
麻酔科医の立場からこの20 年間の麻酔科医療の変遷を一
言すれば、
「医療機器の自動化と生体モニターの進歩」に尽
きます。入局当時は聴診器を耳に5分毎に左手で手術患者の
血圧を計り、オシロスコープの心電計に目を配り、右手は
たとえ居眠りをしても、常にバッグで用手換気をしていま
した。麻酔器への人工呼吸器の装備、自動血圧計の普及、
心電・呼吸・圧モニターの一体化、そして20 世紀の医療に
大きな貢献をしたパルス・オキシメーターの登場は、より
安全で質の高い麻酔管理を患者さんに提供するとともに、
両手が開放された麻酔科医を安心して居眠りさせてくれる
ようになりました。
手術室での20 年間は、同期の医師や後輩たちが外科医と
して成長して行く姿も見させてくれました。外科医ばかり
でなく、他の診療科でも多くの卒業生が経験を積み、それ
なりの地位となり、チーム医療のネットワーク化もより強
化されてきたように思います。無用な社交辞令もなく電話1
本で「頼む」と言えることは、患者さんに大きなメリット
となっています。同時に、自身の医療の幅を広くする結果
にもなっています。学生教育の面でも同窓生の貢献度は高
いものになってきました。学生を「後輩」という目でみる
ことは時として客観性を欠くことにもなりますが、20 数年
経過して学生諸君とは髪の色こそ違え、共通に潜在する金
沢医科大学カラーによって彼らの目線に近いところで話し
合えることは、学生指導において貴重な要素だと感じてお
ります。
今後、院内、学内にさらに多くの同窓生の「架け橋」が
構築されるのでしょう。私が内灘に来た頃は、金沢市への
幹線として「機具橋」がほぼ唯一の架橋でした。その後
「清湖大橋」が建設され、一昨年は「内灘大橋(サンセット
ブリッジ)
」
、昨年は「内灘湊大橋」が完成しました。こじ
つけですが、高名な心理学者ソンディは「架橋する概念」
として「家族的無意識」という学説を提唱しています。例
えば「ある家庭、 家族の中では無意識のうちに同じような
選択をしてしまう」ということだそうです(精神科の先生、
私の誤解であれば訂正してください)
。そのことの功罪はと
もかく、思えば、臨床、研究、そして医学教育と、幅広い
フィールドで比較的自由な活動と発言をさせて頂いてきた
ような気がします。おそらく「母校」という「家庭」のな
かで、先輩諸氏が築いてきたレールを無意識に歩かせても
らって来たからなのでしょう。開学・開院後の幼少期、卒
業生のみならず、北辰同窓会の方々の自由で情熱的な、い
わば開拓精神のもとでご指導して頂いたことは私の誇りと
第113号/2003.1
なっています。果たして、先人の志を私自身が継承し、実
践して来たかは自問するところであります。今後、時代の
要求によってレールの方向を大きく変える必要もあります。
旧きを捨てることも大切です。またそれは必然でもありま
す。その原動力の1つになることが、先輩諸氏への恩返しか
もしれません。この先、たとえ何処に身を転じようとも、
「ここは我々の大学、病院である」という意識と自負を持ち
ながら、そして時には感傷的になりながらも、金沢医科大
学を見守り続けて行くことが私の責務だと思っております。
最後にこの紙面をお借りして20 年の節目として、故・逸
見稔先生、須藤明先生、柳沢衛先生、堤幹宏先生、須藤眞
平先生、倉田康孝先生、宮前俊一先生に深く感謝の意を表
したいと存じます。
総務課課長
北
53
金 医 大 学 報
久 直
この度、20 年勤続の表彰をいただきありがとうございま
した。
昭和 57 年 4 月、私の本学勤務が始まりましたが、その頃
使っていた事務機を思い出すと現在のものとを比べてみて
隔世の感があり、随分進歩したものだなと思います。
当時、作成する文書や表はほとんど手書きで、重要な文
書などはタイプ打ちをしていたように記憶していますが、現
在ではほとんどパソコンです。パソコンは、修正や印刷が
簡単にできるという優れた機器です。また、文書類の複写
は、一部でコピー機を使用していたかもしれませんが、
「青
焼き」というもので複写していた記憶があります。これは
一度にまとめて何枚も複写することはできないものでした。
事務処理効率は、これらの事務機の進歩により飛躍的に
向上しましたが、勿論これらの事務機の進歩だけでなく、
先輩方から教えられた知識と経験の蓄積は何といっても私
にとって大切なものとなっています。
勤務時間外の活動では、入職した時「サンシャイン」と
いうテニスクラブに入れていただきました。他の部署の方々
と交わる機会がもてたことは私にとって非常に幸せなこと
でした。年齢的にあまり無理ができなくなりましたが、今
でもテニスを細々と続けております。
なにはともあれ、20 年本学に勤めてこられたのは、職場
のみなさんの温かい支えによるものと思っております。今
後も大学のために精一杯がんばりたいと思いますので、よ
ろしくお願いいたします。
学術交流室主任
古本 郁美
本学に就職し、20 周年を迎え、永年勤続の表彰状をいた
だきました。ありがとうございます。
たまたま縁あって、当時の血清学教授西東利男先生の秘
書として、ほんの腰掛けのつもりで就職し、あっという間
の20 年間でした。西東先生が副学長をされていた関係で本
務以外に多種多様な英文の翻訳を依頼されるようになり、
以来20 年間継続して国際交流に何かしら関わってまいりま
した。1982 年、中国から本学第 1 号の受入れとなった形成
外科学研究員王朝剛氏のビザ資料、インドネシア、ヤルシ
医科大学との交流協定等、古いファイルを紐解くとき、ワ
ープロのない時代でしたから、私の悪筆と稚拙な翻訳で消
去したいと思うことがしばしばです。
現在は、学術交流室において国際交流に専念しておりま
す。留学生、研究員等の受入れや生活相談、本学医学部生
の派遣、海外の大学等との渉外が主な業務ですが、紙面で
は書けないような問題が発生したり、感動を覚えることも
あります。上司や関係する先生方、姉妹校の国際交流担当
者からの助言と他部署の連携と協力をいただき、怒り、笑
い、涙しながら、どうにかやってくることが出来ました。海
外からのゲストの受入れや海外出張等、一見華やかに見え
る仕事ですが、実際には体力が必要で、非常に気配りを要
する仕事でもあり、緊張のため前日から眠れないこともし
ばしばです。この仕事を通して、留学生等を含め、海外の
多くの方々と長く友情を温め、良い関係を継続しているこ
とが私の貴重な財産となっています。20 年という長い期間、
一貫して国際交流に携わることが出来、大変幸せに思って
います。許される限りライフワークとして、健康に十分気
をつけて、金沢医科大学の海外交流の発展のため、少しで
もお役に立てればと思います。
地域医療連携事務課
奈良
友子
この度、20 年勤続表彰をいただきありがとうございまし
た。
【随想・報告】
金 医 大 学 報
私は看護部事務、人間ドック担当、そして地域医療連携
事務課の事務員を拝命し、現在に至っている。どの業務に
おいても「大学病院としての顔」であるという気持で、一
つ一つ積み重ねて来られたと思う。そして、何より大学病
院の組織の中、医師、看護師、患者、医事課、診療支援課
の仲間たちとの関係=「人間学」というのでしょうか、人
が好きだからこそ続けて来られたと自負している。
現在、本学病院が「特定機能病院」であるために担って
いる課題はたくさんある。この地域医療連携の仕事もまさ
に特定機能病院としての「病院の顔」であり、
「紹介率の向
上」は、各先生方の協力無しでは進めることができない主
要な責務の一つと考えている。まだまだ発展途上の段階で
あるが、病院長先生はじめ地域医療連携室、堤部長の期待
に添えるよう中新課長を中心にスタッフ一同とともに励ん
でいる。
私ごとになるが、学生時代まで太平洋側の穏やかな気候
のもと富士山を仰ぎながら育ったが、嫁いできて一転日本
海側の気候には今でも閉口している。その分、春、夏、秋
を楽しんでいる。アクティブに過ごせる時は、十分に五感を
養い自然と戯れ、山登りを楽しみ、温泉につかり、地のも
のを食する。家では、まさに猫の額に匹敵する庭で畑作業、
草むしり、芽吹きをみて実のなるものを収穫する喜びを感じ
ている。8年前、腰痛に苦しみ体力の衰えを感じたが、その
後日々のウォーキング、一向にスコアアップしないゴルフを
多少楽しみ、体力づくり、健康にと心がけている。
これからも、
「あんたが居るから行くんや」と医師でもな
い私を頼ってきてくれる患者様、そしてご家族の皆様の心
の支えに少しでも力になれたらと思っている。
リハビリテーション部
副技師長
神戸 晃男
この度、本学から勤続20 年の表彰をいただき誠にありが
とうございました。思えば、20 年前、理学療法学科を卒業
後当院のリハビリテーション(以下リハ)部にご縁があっ
てお世話になり、あっという間に20年の月日が流れました。
社会や医療全般において非常に目まぐるしく変化してきた
今日、現在何とかこうして20 年を迎えることができました
のは、初代リハ部長をはじめ多くの関係者、諸先輩、スタ
ッフの方々のお陰だと感謝致しております。私が 20 年前、
当リハ部に配属されたときは私を含め6 名でしたが、現在20
名を超えるリハ部門となり、理学療法士以外にリハ専門医、
作業療法士、言語療法士が配属となり徐々にではあります
が総合的なリハサービスが展開されるようになってきてい
54
ると実感しております。
大学病院としての使命、リハ部門のあり方、社会構造の
激しい変化に対応しての生涯学習の重要性など、今後ます
ますなるであろう高齢化社会、医療保険制度の変化により
敏速な対応が求められます。
普段、患者さんと長く接するこの職業において多くの出
会いがあり、病気、障害、社会の種々のことを学ばせてい
ただきました。また、自分が一時的に病気や足の障害を経
験しその時の不安や不便さを体験しました。本学病院に20
年勤続させていただき、多くの人からたくさんのことを学
ばせていただいたことに感謝しております。今後は、これ
まで以上に新たなものへの挑戦と後輩育成等に精進してい
きたいと思います。また、厳しい医療事情の中、21 世紀の
本学病院に微力ではありますが少しでも貢献できるよう努
力精進していきたいと思いますので今後ともご指導を賜り
ますよう宜しくお願い致します。
看護部6階 B病棟
主任
直井千津子
この度、20 年勤続の表彰をいただき、月日の流れの早さ
を実感すると共に、これまで仕事を続けてくる事ができた
のは、職場での上司・先輩・同僚や家族の支えがあったか
らと感謝しております。
看護師になった理由を問われた時、何かしらかっこいい
ことをお話したいと思うのですが、専門職であり自立した
生活ができる・人の役に立つ仕事であると言ったあいまい
な動機をお話するのがせいぜいで、このあいまいさがこれ
まで燃え尽きることなく、看護師を続けてこられた要因で
はないかとも感じています。
新人のころは、○○先輩のようなてきぱきしたナースに
なりたいという思いで、一つ一つの技術や知識が自分のも
のになっていく喜びを感じながら頑張っていたように思い
ます。出産を期に外来勤務に異動となり、外来には看護が
ないと感じ(そんな事はなかったのでしょうが若かった?)
再度病棟での勤務を希望しました。私にとっての勤務場所
の異動は新たな学びの機会になったこと、仕事と家庭の両
立がしやすかったという点でとても有意義でした。女性の
ライフサイクルである結婚・出産を通し、家事・育児と仕
事を両立していく事は大変なことです。現上司は「ナース
の代わりはいても、母親の代わりはいない」ということを
よく言ってくれます。大変な時期に協力し合えるのもチー
ムで業務を行なっている我々看護の職場ではないかと思い
ます。
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
この20 年間にはめまぐるしい変化がありました。看護の
技術でも過去の常識が今では非常識になっていることが
多々あります。最近はEBM、EBNが話題となっており、今
後ますます変化に加速度がついてくると思われます。より
よい看護が提供できるよう、情報をキャッチし選択できる
ような目を養っていきたいと思います。
55
看護部11階A病棟
主任
山下ひとみ
看護部 5階A病棟
主任
米沢 久子
このたび、勤続20 年の表彰状をいただきました。私の勤
続20年は、そのまま社会人としての20 年になります。金沢
医科大学病院付属看護学校を卒業した私は、昭和57年に金
沢医科大学病院に就職しました。20 年間のほとんどは、精
神科病棟で勤務したことになります。
最初は、業務内容を覚えることや患者様の特徴を捉える
ことで精一杯で、うまくコミュニケーションをとることば
かりを考え、どうしたら内面を表出してもらえるのか焦り
が先行し、患者様のありのままを受けとめることが出来な
かったことを覚えています。
“話し上手より聞き上手”にな
ることが大切であることを先輩看護師から学び、それから
は肩の荷が下り、焦らず自分らしく接していけるようにな
ったと思っています。
平成8年より臨床指導者になり、たくさんの看護学生さん
と接する機会を得ました。理解しづらい事も多々ありまし
たが、自分の学生の頃はどうだっただろう、あの頃も“今
時の若者は?”と言われていた事や、気持ちの何処かで
“自分には人と違う何かが出来るのではないか”など、熱い
思いを巡らしていた事を思い出し、教育的な関わりをもつ
には?、人を育てるとは? 等、同じ指導者仲間と議論し、
学生と共に育つことの大切さを痛感したことを懐かしく思
い出します。
今年より、主任看護師となりましたが人を育てることに
は変わりがないと思っています。
現在、スタッフの皆様の足手まといにならないように、
また、役割の重さをひしひしと感じながら業務を行ってい
ます。私がここまでこられたのは、たくさんの事を教えて
下さったスタッフの皆様や患者様、支えてくれた家族の協
力のおかげだと思っています。今後も看護を人間の向上と
しての学びの場とし、自己研鑽しながら前向きに努力して
いきたいと思っています。
この度、20 年勤続にて表彰していただき、誠に光栄に思
っています。
20 年前、本学の看護学校を卒業し就職させて頂き、上司
の皆様にご迷惑をおかけしながら仕事をしていたことを思
い出します。今思えば、この 20 年はあっという間に過ぎ、
あまり自己成長がなかったように思います。確かに、周り
のフレッシュな方々を見ると、年月だけが過ぎたことを実
感しています。しかし短く感じてもやはり 20 年の間には、
色々なことがありました。精神的・身体的に辛かったこと、
しかしそれ以上に楽しかったこと、嬉しかったこと、患者
様を通してその辛さは帳消しにされたことが何度もありま
した。また、上司の皆様、スタッフの方々の思いやりのあ
る態度に何度も励まされ、ここまで来たように思います。
今でも以前の病棟に入院された患者様の姿を拝見すると、
とても懐かしく、年月の経過を感じさせられます。
ここ10 年ばかり医療の現場は急速に変化し、より質の高
いものが求められるようになりました。また自分の立場も
逆転し、その変革についていけるよう努力しているつもり
ですが、納得したものになるには、なかなか難しいものだ
と思い知らされている今日この頃です。しかし私は看護師
として、この大学で20 年間勤務出来たことを誇りに思って
います。高度先進医療機器や電子カルテの導入、看護分野
でも教育システムの確立など、常に学ぶ態勢が出来ている
本学で就職させて頂き、誠に良かったと思っています。自
分も、今では後輩を指導する立場となり、その思いを後輩
の方々に伝え、より本学が発展するよう、その変革につい
ていけるような職場環境を築いていきたいと思っています。
今後も大学の発展のために貢献できるよう努力していき
たいと思いますのでよろしくお願い致します。
【随想・報告】
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金 医 大 学 報
報 告
ベチューン
医動物学講師
市川 秀隆
吉林大学自求恩医学部病原生物学教室の面々。前列右:王 主任教授、中列左4人目から 市川、齋藤理事、伊藤常務理事
後列左から 2 人目:季淑紅教授、6人目:季 凡副医学部長、12人目:張永生教授
有鉤嚢虫を求めて
「光陰矢の如し」
、年月の経つのは早いもので、グァテマ
ラ共和国に始まり中国大陸に有鉤嚢虫研究の場を求めて、
はや8年の歳月が過ぎた。研究の進展は残念ながら財源とも
関係し、遅々として進まず、中国での研究調査は、今年で
4回目になる。小生の有鉤嚢虫症研究は、金沢医科大学初代
医動物学多田功先生(前九州大学寄生虫学教授)の推薦に
より、JICAの要請で1993 年8 月より1994 年7 月まで1 年間、
グァテマラ共和国に於ける熱帯病に関するプロジェクトに
参加したことに始まる。グァテマラ共和国では有鉤嚢虫の
血清免疫学的解析という研究課題に沿って活動をさせて頂
いた。その時の報告は既にさせて頂いており(学報82 号40
∼42頁、1995.5)
、そちらをご覧頂きたい。グァテマラ帰国
後、私と入れ違いに出発された北里大学医学部寄生虫学伊
藤洋一教授との情報交換が、先生との最初の出会いである。
その後のJICA本部で、プロジェクト参加者帰国報告会にお
いて初めてお目にかかり、お話しする機会を得た。翌年、
伊藤教授から中国での有鉤嚢虫の調査に同行しないかとの
お誘いを受けたのが、中国に足を踏み入れる始まりであっ
た。1995 年 8 月初めて中国の大地を踏んだ。成田空港より
北京空港に、北京空港より北京駅に、北京駅より長春にと
2 日の行程であった。以来、1997 年、1999 年、そして今回、
2002 年の大学の許可を頂き1 ヶ月間にわたる中国東方地方
※
の有鉤嚢虫症の調査と吉林大学白求恩 医学部の学生との
交流を目的に出向かせて頂いた。
さいさき
今回の調査はバイオメディカルサイエンス研究会より伊
藤洋一常務理事(前北里大学・医学部寄生虫学教授)
、齋藤
理事が出向かれ、小生は本症の免疫学的解析のための血清
収集の担当ということで同行させてもらうことにした。前
回同様、成田空港に集合とのことで、定刻より早く到着し
た小生は、伊藤教授、齋藤理事を待つ。約束の時間に伊藤
教授が来られたが、齋藤理事は連絡もなく現れないため、
搭乗手続きをして出国ロビーで待つことにした。中華航空
※白求恩はベチューンと読む。抗日戦当時の中国の医療に献身
的に貢献したカナダ人医師Norman Bethune (1890∼1939) を讃
えて、長春の医科大学にこの名称が冠せられた。
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
は出発時間が遅れるのが常だが今回も1時間遅れた。このこ
とが幸し、電車事故で遅れた齋藤理事の搭乗を間に合わせ
る結果となった。もし飛行機が遅れなければ計画の一部が
出だしから変更を余儀なくされるところであったが、無事
進展した。成田から北京までの飛行時間は約 3 時間 30 分、
出発が定刻より1時間ほど遅れたが、これはいつもの事であ
り、今回は特に齋藤理事の遅刻のおかげで問題にならなか
ったわけであるから、よしとしなければならない。機内で
スチュアーデスに北京から長春までの便の接続を確認した
が、その返答は要領を得ず、これも毎度のことと諦める。
午後 7 時 30 分北京到着。国際線ターミナルで李凡教授の依
頼により北京で出迎えてくれた人の案内により国内線に向
かう。国内線のロビーに入ってからカウンターに行くが時
間がほとんどない上に案内の表示すらない。職員を捕まえ
て聞くが案の定要領を得ない。そうこうする間に時間が経
ち1時間遅れで搭乗口の変更のアナウンスがあった。北京か
ら長春までの飛行時間は約1時間、1日がかりで夜中の10 時
に到着した。到着時間が遅れたにもかかわらず、長春空港
には吉林大学白求恩医学部の副学部長(副院長)李凡教授、
病原生物部門王 教授等が出迎えてくれた。ここでまたハ
プニングである。日本から吉林大学に留学に来たと言う日
本人留学生に会ったが、外事課のスタッフが迎えに来てい
るはずだと言うのに迎えがないとのこと。李凡教授にその
件を話し、とにかく、一緒に連れて行ってもらうことにし
た。宿舎に着くやいなや、ここまで何も食べていないだろ
うから食べに行こうとのお誘い。先程の学生も一緒に夜中
の食事となる。先生方の元気なことといったら到底太刀打
ちできない。翌日の午前1時をすぎてやっと就寝できた。ま
さに、今回の調査旅行の前途を暗示するかのような1 日であ
った。
〈有鈎嚢虫症〉
有鈎条虫はアジア・ヨーロッパ・中南米に多く見ら
れ、特に中南米および中華人民共和国においては有鈎条
虫症の人の排泄物中に含まれる虫卵を間接・直接的に摂
取した場合に発症する脳嚢虫症の症状が多数報告されて
いる。
有鈎嚢虫症は食生活様式の違いから、従来、日本では
沖縄を除いて見られなかった。しかし、飽食、グルメが
はやって多くの日本人が下手物にまで食領域をのばし、
日本人の海外渡航が 1000 万人を超えるという現在、対岸
の火災視ができなくなっている。無知識のまま海外に渡
り、汚染地域に知らずに入り込み日本とは異なった現地
の衛生環境下で感染する日本人が増加している。
外来食品媒介寄生虫症の一つとして本症があげられる
が、本症は人畜共通感染症の一つでもあり、人の排泄物
中に含まれる虫卵を摂取した場合に短期・長期にわたり
感染者の不特定臓器(特にメキシコでは脳・心臓などの
主要臓器に認められると報告されている)で発症するが、
その症状は一定ではなく、感染した患者の治療も遅れる
事となり感染部位によっては患者への影響も大きく、時
には悪性新生物として診断され、術後、寄生虫症と確定
される場合も少なくない。
57
集中講義
長春到着翌日から伊藤教授の講義が始まった。1 日おきの
講義である。2 週目から週の後半に実習が入るので宜しくと
のこと。小生の調査は予定変更になってしまった。小生の
調査については李淑紅教授がアレンジしてくださるとのこ
とであるが、講義があるので、調整がうまくつかない。伊
藤教授の講義に参加したり実習指導をしたりしているうち
に随分と時間が過ぎてしまった。学生は3 年生を対象に日本
語クラスの講義である。日本語の他に英語と中国語のクラ
スがある。日本語クラスの学生は、1年間日本語を勉強した
だけで日本語で講義を受ける。従って、スピーチは少し遅
めにしないと聞き取れない。しかし、質問は出るし全員勉
強熱心である。授業が終わればやはりどこの学生も同じよ
うに一瞬の開放感を表すが、とにかく中国の学生はよく勉
強する。講義室の隣が我々の宿舎であり、講義室をみてい
ると午後8時過ぎまで講義が行われている。どのような講義
体系なのかよくわからないが、大学院に籍を置く院生と話
す機会があり、そのことを聞いてみると、日中は実験主体
であり、午後5 時頃から8 時くらいまで講義の時間だと聞く。
日本の教育体系とは少々異なるようである。
フィールドにて
小生の研究テーマはどうなってしまうんだろうと思って
いると、やっと有鉤嚢虫感染者のいる地域との連絡が付い
たという報告である。喜び勇んで出かけるが、まあなんと
色々な違いを経験させてもらうことになる。最初我々が訪
問した中国での感染汚
染地区は長春市より北
西に 60Km の農安市で
あったが、今回は、長
春市より南西に約80Km
の公主 市での調査と
なった。案内は李淑紅
教授、通訳は基礎医学
院病体生物学修士課程
の狄茜さん、吉林省疾
病預防控制の鄭先生を
乗せ長春市を出発し南
有鈎嚢虫症患者の頭部CT像
南西に約 80Km の公
豚の心臓に寄生した有鈎嚢虫 【随想・報告】
金 医 大 学 報
虫卵観察実習風景
主 市に向かう。時速百数十キロで爆走すること1 時間で
目的地に到着。ここからがまた大変。吉林省病体制御中心
の公主 市支所を訪ね、その地域に詳しい係官を数人乗せ、
更に病院に向かう。病院で、また1 人先生を乗せ患者さんの
家に赴くのである。これだけでおよそ半日の時間を費やし
た。患者さんを紹介してもらい、感染源として心当たりの
家族の感染者について一通りの質問をして豚小屋、畑など
を調査、現在の症状など処置についての聞き取りをして、
おおよその地域的状況を把握した。また別の日には、農業
大学付属の嚢虫病院に入院患者さんを訪ね10 歳くらいの少
女、青年、老人と聞き取り調査を行うことができた。血清
はこれら入院患者さんより提供されたものを収集すること
ができた。それにしてもシステムの異なる国では普通の何
倍もの時間を要することが再認識されたのである。
高級幹部保養所
今年の日本の気候は異常であったが、中国も同じである。
9 月なのに1995 年の時と異なり夜は随分と寒かった。忙し
い中、李凡副医学部長所属の病原生物学科の教室員の1 泊2
58
フィールド調査のスタッフ。
左から2人目が季淑紅教授、6人目が市川
日のショートトリップに招待された。行く先は吉林市、戦
前日本が松花江を堰き止めて建設した東洋一と呼ばれたダ
ム(松花湖)の湖畔にある高級幹部保養所である。吉林市
は長春市より東方に約 120Km、高速道路でおよそ1 時間の
ところにある。吉林市まで高速道路の両脇はほとんどがコ
ーン畑であったが、吉林市に近づくにつれ水田が増えてき
た。コーン畑の中の民家近くには野菜畑が点在し時折少な
いがコウリャンを栽培しているのがみられた。吉林市は工
業都市であり市街に近づくと化学工業のためか随分空気が
悪い。ただ単に吉林市に出かけたわけではなく、吉林市に
は白求恩医学部分校があり、表敬訪問し見学することが目
的であった。ここを訪問し、その後松花湖に向かった。こ
のダムは今でも満々と水をたたえ、吉林の人々の生活用水
を供給している。保養所は人影はなく閑散とし静寂そのも
のであった。後で伺ったところ、実は、今期は明日から閉
鎖するとのことであり納得した。すなわち我々は店じまい
前日に宿泊したわけである。長春とは異なり河畔であるた
めか空気が冷たく眠れない一夜を過ごした。
吉林大学白求恩医学部。正面にカナダ人医師Norman Bethuneの像
第113号/2003.1
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金 医 大 学 報
旅の終わりにおまけ付き
時の記憶
定刻より30 分遅れで北京空港を発ち1 時間程静かな時を
過ごし、日本領空に入るあたりからやけに機体の揺れを感
じた。シートベルト着用のサインのまま飛行機は飛びつづ
け島根上空、京都上空から名古屋を通過し太平洋に、太平
洋上を北上し房総半島に、成田空港に近づくにつれてます
ます揺れはひどくなる一方であった。ここでゆっくりとル
ープを描くように飛行し、なかなか着陸態勢に入らない。
航空管制塔に着陸を待たされているようだ。暫くして着陸
態勢に入り機首を下げ高度を下げていったが突如機首を上
げた。着陸失敗?? こんな経験は初めてである。何もアナ
ウンスはない。機体は十分に揺れている。シートベルト着
用。そのうち飛行ルートを表示するテレビ画面上の位置が
横浜上空になり、やっとアナウンスが入った。
「本機はただ
今より、給油のため関西空港に向かいます。…」
何という不運か、中国では日本の天気予報は発表されて
いない。一応携帯ラジオを持参したのだが、詳細な天気予
報を聞くのを忘れ、情報不足であった。海外向けの日本語
放送は定時に入っていたが、まさか台風が来ているとは思
いもしなかった。
帰国後の10 月 2 日富山県で開催される会議に出席する事
になっていたが、連絡をして事なきを得た。行きも帰りも
ひと騒動あったが、他の人々に大きな迷惑を掛ける事態に
ならなかったことでよしとしたい。
遠い遠い遙かなる古の時代、我々の祖先が大陸より渡っ
てきたであろうことに思いを馳せ、我等の体内に宿る祖先
の記憶を求め… 、その記憶の起源を辿ろうとするとき… 、
我等の体内に脈々として受け継がれたDNA の記憶が解き放
たれる… 、そのDNA に閉じこめられた記憶は、遙か時を
越え、移りゆく時の流れの中に静かに悠久の記憶を蘇らせ
る… 。
幾千年もの時をさかのぼるは、過去への悠久の懐古か…。
感覚をとぎすまし遙かなる時空を越え、遙かなる古を静
かに思い起こすとき、我が胸は熱く昂ぶり、我らが祖先も
見上げたであろう大陸の満天の星に遠く思いを馳せる。
稿を終わるに当たり今回の吉林大学での長期調査・交流
のご許可を賜りました小田島粛夫理事長、竹越襄学長、そ
して池田照明医動物学助教授並びに関係各位に厚く感謝い
たします。
《本学スタッフ新刊著書》
町並陸生 監修、秦 順一 ほか編集
赤木忠厚 ほか編集
標準病理学
カラーアトラス
第2版
病理組織の見方と鑑別診断
野島孝之 分担執筆
(15 骨・関節、p687-704)
医学書院
B5判、799頁
定価:11,000円+税
2002年3月15日発行
医学部学生、大学院生、病理学初心者、医療関係者を対象と
した病理学総論、各論を含めた日本の代表的な病理学教科書で、
第2版では図譜は全てカラー写真となった。
第4版
野島孝之 分担執筆
(第10章 骨・関節、p405-434)
医歯薬出版
B5判、558頁
定価:13,000円+税
2002年4月25日発行
医学部学生、大学院生、病理学初心者を対象とした病理組織
のカラーアトラスの教科書で、学生実習に必要な重要疾患はすべ
て網羅されている。
(臨床病理学 野島孝之記)
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金 医 大 学 報
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公衆衛生学教室
前列左から 森河裕子講師、中川秀昭教授、西条旨子講師
後列左から 吉田洋子事務員、北岡和代専修生、中西由美子講師、三浦克之助教授、
曽山善之大学院生、栗脇淳一研究員、荒木佳代事務員
公衆衛生学教室は、昭和48 年に加藤孝之初代教授のもと
で開設以来、山本三郎教授、河野俊一教授を経て、平成 7
年より中川秀昭が講座主任を担当され現在に至っています。
現在の常勤スタッフは中川教授以下、助教授1 名、講師3 名
(併任含む)
、大学院生1 名、研究員2 名、教務員1 名、事務
員2名の11名ですが、この他に客員教授1 名、非常勤講師9
名、専修生5名、協力研究員2 名を含めると総勢28 名の大所
帯になってきています。
当教室の研究テーマは大変多岐にわたっていますが、そ
れらは「疫学」という大きな柱に貫かれています。近年強
調されている Evidence Based Medicine (EBM) の“evidence”
とはすなわち「疫学的根拠」を指していますが、教室開設
以来のテーマである疫学にかけては、わが国の本流に位置
するものと自負しています。疫学的手法による個別のテー
マとしては、循環器疾患を中心とした生活習慣病予防に関
する研究、カドミウムやダイオキシンに関する環境保健研
究、労働条件や粉塵暴露に関する産業医学研究、先天異常
の疫学研究、難病の疫学研究などがあります。
特に循環器疾患など生活習慣病予防に関する研究は大き
な位置を占めています。北陸各地の地域及び職域集団にお
いて脳卒中等循環器疾患発症を追跡するコホート研究を20
年以上にわたり継続していますが、現在、全国の代表的コ
ホート研究を統合して日本人を代表するevidence を提出す
るための大規模共同研究にも参加しています。高血圧は主
要テーマのひとつであり、血圧と塩に関する国際共同研究
として有名な INTERSALT にも参加し、現在は血圧と栄養
に関する4 ヶ国国際共同研究INTERMAP に参加して各国の
研究者と研究を進行しています。また、集団レベルでのラ
イフスタイル修正(population strategy)により生活習慣病
危険因子の改善を目指す厚生労働省による大規模介入研究
でも重要な役割を果たしています。
環境保健に関する研究も重要なテーマの一つです。イタ
イイタイ病等カドミウム汚染の疫学研究は代々の教授によ
り継続されています。近年注目されているダイオキシンの
生体影響に関する研究にも総合医学研究所ハイテク・リサー
チ・センターとともにいち早く取り組み、成果を上げつつあ
ります。
産業保健に関する研究においては、職種や交代勤務など
作業条件と循環器疾患についての研究、トンネル労働者の
塵肺に関する疫学研究などを続けています。
健康管理センターでの人間ドック業務には中西講師を中
心として従事しており、生活習慣病予防の研究成果をドッ
ク受診者の健康教育に生かすべく診療に励んでいます。
研究論文は世界の一流誌にも掲載されており、留学先と
しては共同研究をしているロンドン大学、米国ノースウェ
スタン大学などがあります。研究課題は山積みであり、疫
学・予防医学・産業医学を志す若き医師を大学院生として
募集しています。また、EBM の提唱により臨床研究でも疫
学的手法が不可欠であり、疫学の専門家としてお手伝いで
きればと考えていますのでお気軽に教室を訪ねて下さい。
(公衆衛生学 三浦克之記)
第113号/2003.1
金 医 大 学 報
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血液免疫内科学教室
前列左から 初道利香研究補助員、和野雅治助教授、廣瀬優子教授、菅井 進教授、小川法良助教授
後列左から 董 凌莉短期研究員、新田直美技師、吉田健一技師、得野容子事務員、福山智基研修医、結城奈津子研修医、
福島俊洋講師、正木康史講師、河南崇典助手、下山久美子大学院生、李 萍短期研究員
血液免疫内科学教室は1974 年に初代紺田進教授が着任さ
れ、1994 年に第 2 代滝口智夫教授の就任、1998 年に第 3 代
菅井進教授が就任され現在に至っています。現在第一線で
御活躍中の多数の優秀な先生方を輩出してきました。スタ
ッフとしては、廣瀬優子教授(金沢大学卒)
、和野雅治助教
授(京都大学卒)
、小川法良助教授(浜松医大卒)
、正木康
史講師(本学卒)
、川端浩講師(京都大学卒)
、福島俊洋講
師(福井医大卒)
、河南崇典助手(関西大学卒)
、下山久美
子大学院生(本学卒)という充実したメンバーとなってい
ます。
診療において、入院患者さんの多くは白血病、悪性リン
パ腫、骨髄腫などの血液悪性疾患が占めています。これら
疾患の診断・治療法の進歩は著しく、かつては「不治の病」
の代表扱いされたこれらの一部の症例は寛解/治癒が可能
になり、寛解に至らない症例においても病気と共存を図る
治療が可能となっています。従来の化学療法に加え、自家
および同種の造血幹細胞移植、分子標的療法などを駆使し
て成績を向上させています。今後は更に遺伝子治療、細胞
療法、再生医療等様々な新しい治療法にも関わっていく予
定です。
当科ではインフォームド・コンセントを重要視し、悪性
疾患についても患者さん自身に病名告知を行い、医療従事
者/家族が一体となり体と心の両面から患者さんのケアを
行っています。
一方、免疫疾患としては全身性エリテマトーデス、関節
リウマチ、シェーグレン症候群などの膠原病が中心となりま
す。これらの疾患は外来診療が中心ですが、この場合も多
臓器の病変を伴うため患者さんをトータルに診る必要性が
あります。膠原病は「難病」として恐れられており、医学的
のみならず、精神的なサポートが必要です。当科では以前
より「膠原病友の会」
「シェーグレンの会」などの患者会を
作り、社会的な世話も行っています。
当科の主催する研究会はリンパ腫研究会(1 回/年)
、北
陸臨床免疫研究会(2回/年)があり、それぞれ30回を超え
ますが活発に行われています。
研究面でも最近は活動性が高まってきており、シェーグ
レン症候群病変組織におけるサイトカイン/ケモカイン/
細胞内シグナル伝達分子および活性酸素の研究、シェーグ
レン症候群および悪性リンパ腫における免疫グロブリン遺
伝子およびT細胞レセプター遺伝子再構成の研究、イディオ
タイプ・ネットワークの単クローン抗体レベルでの研究、ト
ランスフェリン・レセプターIIの研究、悪性リンパ腫におけ
るEBV関連蛋白および遺伝子発現の研究、EBVに対するヒ
ト型抗体作成の研究、シェーグレン症候群モデルへのアク
アポリン遺伝子導入の研究など多彩な研究がOngoingで続け
られています。
教育ではBSL /CCS ともに主治医に替わりプレゼンテー
ションするトレーニングを行うとともに、ベッドサイドにい
る機会を増やし、やる気のある学生には様々な手技も経験
できるようにしています。
血液免疫内科のメンバーは少数ではありますが、それぞ
れの得意分野で助け合い仲良くやっています。様々な宴会
等コミュニケーションの機会も充実しています。
(血液免疫内科学 正木康史記)
【教室紹介】
金 医 大 学 報
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小児科学教室
前列左から 柿沼宏明助教授、柳瀬卓也講師、高橋弘昭教授
後列左から 中村利美助手、木屋麻希秘書、伊藤順庸大学院生、丘村由美研修医、梶原正伯研修医、
本山敦士大学院生、藤木拓磨研修医
金沢医科大学小児科学教室は 1972 年に吉田清三先生を
初代教授として開講され、二代目四家正一郎教授を経て
現在三代目高橋弘昭教授のもとで 10 年が経過した。
小児科学は胎児期から思春期を扱う学問であるが、児
の病気を考えるときにはその成育、発達暦を常に念頭に
いれ、診断を進めていかなければならない。近年、講座
名から小児科という名前が消えつつある所以である。ま
た、内科学においては臓器別診療といった細分化がなさ
れているが小児科学においては臓器別の専門性も重要視
しているがより全身的な、総合診療科的視野をもって診
断を進めていかなければならない。当教室での限りある
マンパワーの中での臨床、教育、研究の現況並びに将来
の展望を紹介する。
診療面では、このような時間的、空間的視野をもちな
がら、それぞれの専門性を発揮して分担している。すな
わち、内分泌・代謝(高橋教授、伊藤大学院生)、先天性
心疾患・川崎病・不整脈(高助教授、中村常之助手)、代
謝・神経(柿沼助教授)、血液・悪性腫瘍(柳瀬講師)、
喘息・アレルギー(竹之内助手、中村利美助手)、新生
児・未熟児(小林助手、久保医員)である。特に NICU に
おいては少ないスタッフで石川県の未熟児医療の中心を
担っている。他の専門分野においても全国、世界レベル
での専門的知識と技術の習得に努め、患者さんの不利益
にならないよう医療の充実をはかり、後輩たちに継承し
ていきたいと考えている。さらにこれまでも若手医師に
は希望にしたがってそれぞれの専門施設(日赤医療セン
ター、日本大学、東京女子医大心臓血圧研究所、腎セン
ター、神奈川こども病院、福岡こども病院、国立小児病
院、大阪母子医療センターなど)への国内留学を行って
きた。関連病院については宇出津病院、富来病院、穴水
病院、羽咋病院、志雄病院、浅野川病院があり、地域医
療に貢献すべく努力しているが慢性的な小児科医の不足
のため、地域のニーズに充分に添えない状態である。小
児救急の 24 時間体制の整備と相まって地域行政と各施設
間の連携によるネットワーク作りが急務であると考えて
いる。
教育面では卒前教育として本学においてはカリキュラ
ムの移行期ではあるが BSL、CCS を中心として、できる
だけ主治医と行動を共にし、ベッドサイドでの参加型の
学習を中心として指導している。すなわち両親からのア
ナムネーゼの聴取、患児の診察、問題点の抽出、アセス
メント、検査治療計画の作成、毎日の回診時でのプレゼ
ンテーションの実施、さらには一般外来を経験してもら
う目的で関連病院や医局 OB の開業医の先生方にも協力し
ていただき実地医療を体験してもらっている。現在もコ
アカリキュラムに合わせたプログラムの作成を模索中で
ある。卒後教育については内科系レジデントに対しては
スタッフとともに主治医の一員となり、小児のプライマ
リーケア、急性疾患に対する対応の習得を目指している
が平成 16 年度より実施されるであろうスーパーローテ制
を視野に入れたプログラムの作成を考えている。
研究面ではアドリアマイシン心筋症のラットモデルを
作製しその病態解明や治療法の研究や心エコーを用いて
の新生児の心機能解析や川崎病の臨床研究、種々の疾患
での遺伝子診断、遺伝子解析などを行っているが大学病
院としてはまだまだ不十分であり、リサーチマインドを
もった臨床家の育成に努め、能登地区を中心とする石川
県の地域医療や先進医療を担うばかりでなく、小児関連
の種々の情報発信の地であり続けたいと考えている。
(小児科学 高 永煥記)
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形成外科学教室
前列左から 吉田 純助手、平敷貴也講師、川上重彦教授、石倉直敬教授、中村和子事務員
中列左から 原島要人医員、森田礼時助手、氷見祐二医員、小坂田奈美樹研修医、池野由佳研修医、榎本 仁助手、櫻井 愛医員、
池田憲一研修医
後列左から 篠川靖夫助手、佐藤典子研修医、安田順子大学院生、黒澤智子医員、青木良子助手、吉木竜太郎研修医、小林 貴助手
右枠内:(上)島田賢一助手、(下)皐月玲子大学院生
形成外科学教室は、1974 年 9 月の本学病院開設に伴い、
初代塚田貞夫教授のもとに北陸唯一の形成外科として開講
しました。以来、現在までに同門100 余名を抱えるまでに至
っています。1997 年 4 月に川上重彦教授が講座主任を引き
継がれ5 年が経過しましたが、若い医局員の増加もあり一段
とパワーアップしています。現在、医局員は川上、石倉両
教授以下、研修医を含め 34 名(内大学院生 2 名、出向者 12
名)とマイナーな科としては大所帯となっています。また、
北陸では他大学に講座がないために他大学からの入局者が
多いのも当教室の特徴で、現在、富山医薬大出身者 6 名を
筆頭に計 16 名が本学以外の出身者です。当教室出身者は、
関連病院である北陸3県の全ての県立病院をはじめ多くの基
幹病院で活躍しているほか、開業される方も年々増加して
います。また、現在もいくつかの病院から形成外科を新設
したいとの要望があり、派遣の要請について打診を受けて
いる状態で、患者の術後QOL が重視されるようになった現
代医療において、なくてはならない診療部門だといえます。
形成外科で扱う疾患は、ほぼ全身にわたり、先天異常
(唇裂・口蓋裂、頭蓋骨早期癒合症などの頭蓋顎顔面の異
常、多・合指症などの四肢の異常、漏斗胸などの躯幹の異
常)
、外傷(熱傷、顔面骨骨折などの顔面外傷、切断指など
手足の外傷)、瘢痕(熱傷や外傷による瘢痕、術後変形)、
腫瘍(母斑、血管腫、皮膚良性および悪性腫瘍)
、褥瘡など
の潰瘍、顔面神経麻痺などの変形が対象になります。また
美容外科的な再建術も多くなってきています。美容外科治
療も形成外科治療の1分野で、時代のニーズから今後は更に
増加するものと思われます。このように扱う疾患があまり
にも多種多様なため、症例や疾患に偏りがある施設もあり
ますが、当教室は北陸地区の形成外科の要でもあり、上記
の形成外科的疾患全般を扱っているのが大きな特徴です。
基礎的研究は従来から継続している創傷治癒における研究
(組織血管構築の電子顕微鏡的観察やサイトカインの役割
等)が行われ、基礎系講座との共同研究も進行中です。大
学院生も着実な成果を挙げています。また、医局員育成の
ため川上教授と親交のあるDr. KawamotoがClinical Professor
をつとめるUCLAへの留学も随時予定しています。
学生教育は、4 学年の系統講義では、実際の症例や手術治
療写真を数多く取り入れ、学生がより講義に興味を持てる
ように努力しています。5学年のBSL は1週間しかなく形成
外科を肌身で感じるには短すぎますが、術前から術後の患
者の流れを観察・理解することに重点をおき、研修医と同
様に担当症例の術前プレゼンテーションを行ってもらって
います。6学年のCCS は、手術参加はもとより、基本的に研
修医と同じ立場で患者の治療に携わることを原則とし、簡
単な手術基本手技の実践も行っています。
最後に、川上教授のモットーである“よく遊び、よく学
べ”を実践すべく、スキー、テニス、ゴルフ、釣りなどの
リクリエーションや時期を問わない諸々の宴会活動など、
学術以外の活動も盛んで、一年中、行事が目白押しです。
(形成外科学 平敷貴也記)
【募金】
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金 医 大 学 報
金沢医科大学創立30周年記念事業募金のお願い
趣意書
金沢医科大学は、昭和 47 年に日本海側でただ一つの私立医科大学として金沢市に隣接する内灘の地に開学し
ました。「良医を育てる、知識と技術を極める、社会に貢献する」という建学の精神のもと、優れた教員を確
保し、最先端の教育、研究、医療設備を充実させ、次世代の医療の良き担い手の育成に努力してまいり、開学
以来29年を経て約2,400 名の卒業生を世に送り出しました。
本学が、来る平成 14 年には創立 30 周年を迎えるのにあたって、21 世紀の社会が求める医育、医療に応える
ために、教育・研究施設のさらなる整備充実が必要となっており、また年月の経過に伴い、病院の建造物の老
朽化も目立っております。さらに患者さんの療養環境の改善、特定機能病院および教育病院として社会からの
負託に応え得る診療機能と教育機能の改善が、現場からの強い要望として出されるようになりました。
約 10 年にわたる検討を経て、この度、病院新棟の建設と教育施設の整備充実を、創立 30 周年記念事業とし
て計画いたしました。病院新棟については、平成 12 年 12 月に着工し、平成 15 年の完成を予定しております。
これらの計画の実現には多額の資金を必要とします。本学では鋭意、自己資金の確保、経営の合理化などの
努力を行っておりますが、関係各位の格段のご支援を仰がねば、この計画を達成することは困難であります。
つきましては、経済情勢も大変厳しき折から誠に恐縮に存じますが、医学、医療の果たすべき役割、私学教
育の育成という観点から、何卒これらの趣旨をご理解いただき、格別のご協力を賜りたく心からお願い申し上
げます。
募集要項
寄付金の性格により手続上、個人対象の場合と法人対象の場合に区別されております。
1. 金 額
2. 募集期間
3. 申込方法
4. 税制上の特典
特定公益増進法人寄付金(個人対象)
10 億円
受配者指定寄付金(法人対象)
7 億5000万円
平成13 年7 月1 日∼平成15 年6 月30 日
個人用、法人用、それぞれの寄付申込書の所定の欄に必要事項をご記入の上、教育研究事業
推進室へご提出願います。
特定公益増進法人寄付金制度と受配者指定寄付金制度により、税制面での優遇があります。
詳細については、金沢医科大学教育研究事業推進室へお問い合わせください。
TEL 076(286)2211
内線 2720 ∼2724
FAX 076(286)8214
創立 30 周年記念事業募金寄付者ご芳名(敬称略) No.5(H14.10.21 ∼ 12.31
〈個 人〉
高橋 和彦(秋田県)
高林 晴夫(石川県)
原田 英也(石川県)
西村 秀男(石川県)
菊田 律子(石川県)
長野 亨(石川県)
植村 功(東京都)
利波 久雄(石川県)
杉野 恵子(石川県)
源 順一(石川県)
笠間 孝一(石川県)
安田 信行(石川県)
近藤 徹(群馬県)
宮下あき子(石川県)
境田 優子(石川県)
岩崎 優子(石川県)
的場知恵子(石川県)
飯塚 秀明(石川県)
池田 照明(石川県)
津川 博一(石川県)
森野 敬子(石川県)
小平 俊行(石川県)
中野喜代子(石川県)
堀 有行(石川県)
中藤 秀明(石川県)
植田 俊郎(岩手県)
富樫 明子(石川県)
浜本千穂子(石川県)
坂本 保夫(石川県)
上野 桂一(石川県)
佐野 順子(石川県)
長村真喜子(石川県)
上田 忠司(石川県)
受付順)
小田 和人(福岡県)
清水由美子(石川県)
小城由美子(石川県)
河野 美幸(石川県)
宮田 千菊(富山県)
吉村 明人(山口県)
西川由紀子(石川県)
松能 好子(石川県)
木野 秀秋(石川県)
宮下 和江(富山県)
飛田 明(石川県)
第113号/2003.1
小利池澄子(石川県)
佐々木 洋(石川県)
古本 郁美(石川県)
向田 厚子(富山県)
池田 弘子(山形県)
永田 修子(石川県)
大谷 利江(石川県)
正来 宏美(石川県)
永田 行俊(鹿児島県)
西田 清枝(石川県)
中居 文子(石川県)
中川美枝子(石川県)
森田 寿恵(石川県)
土田 英昭(石川県)
越前屋登美恵(石川県)
松崎よし江(石川県)
中條由加里(石川県)
久原とみ子(石川県)
滝本 淳子(石川県)
高瀬 悦子(富山県)
得野 容子(石川県)
横畑 房枝(石川県)
上田真奈美(石川県)
中村 充代(石川県)
南 昌代(石川県)
東 妙美(石川県)
田中 一美(石川県)
中川 和美(石川県)
斎藤 人志(石川県)
浅井美紀子(石川県)
沢 奈保江(石川県)
中西由美子(石川県)
松田 環(石川県)
新沢 泰子(石川県)
四辻 利子(石川県)
昔農 好子(石川県)
加富 喜芳(石川県)
村山 智子(石川県)
百成 富男(石川県)
直井千津子(石川県)
田中 弓子(石川県)
角島 洋子(石川県)
木ノ内ちか子(石川県)
長尾由美子(石川県)
山本 香代(石川県)
宮本加代子(石川県)
金子 政義(石川県)
69
金 医 大 学 報
堀 功(石川県)
吉田 純子(石川県)
荒木きみ枝(石川県)
延谷英三朗(山口県)
横山 卓治(群馬県)
松尾 薫(石川県)
金山登喜夫(石川県)
岡本 一也(石川県)
牧野田 知(石川県)
黒田 尚宏(石川県)
山崎美千代(石川県)
渡
恒(新潟県)
西 真知子(石川県)
林 洋司(石川県)
五十嵐尚子(石川県)
本多 隆文(石川県)
中川 啓子(石川県)
森垣こずえ(石川県)
水越久美子(石川県)
伴 真理子(石川県)
諸江 律子(石川県)
村下 智子(石川県)
沢本あゆみ(石川県)
小池田美詠(石川県)
東間ひとみ(石川県)
南 千景(石川県)
久保 恭介(石川県)
中川 喜雄(石川県)
金丸 幸栄(石川県)
高橋 優(石川県)
小島 正美(石川県)
吉田 洋子(石川県)
今村 吉克(石川県)
武田 久美(石川県)
安高 悟(石川県)
木南利栄子(石川県)
福井加奈子(石川県)
神島 文代(石川県)
百成智津枝(石川県)
辺本智恵美(石川県)
横井 美樹(石川県)
福田 昭宏(石川県)
河原美智代(石川県)
山口 宜伸(埼玉県)
坂下はま子(石川県)
飯田 隆昭(石川県)
西条 旨子(石川県)
中居 邦克(石川県)
浜崎 孝子(石川県)
早瀬 満(石川県)
森本 茂人(石川県)
米沢 昭美(石川県)
中島 素子(石川県)
前野 聡子(石川県)
赤井 卓也(石川県)
高田 昌美(石川県)
宮野 優子(石川県)
北村 純子(石川県)
小幡 明儀(広島県)
野澤 邦彦(北海道)
矢田 厚子(石川県)
松田 清綱(石川県)
伊川 廣道(石川県)
中川 邦子(石川県)
杉本 定子(石川県)
小豆沢定秀(石川県)
岡野 茂(石川県)
音渡 明代(石川県)
石崎 昌夫(富山県)
川辺真由美(富山県)
松平 亜弓(石川県)
小原 佳代(石川県)
船本 洋子(石川県)
久保 由紀(石川県)
稲垣 順子(石川県)
川嶋 政広(石川県)
笹出 敦子(石川県)
中川 裕(石川県)
松柳ひとみ(石川県)
川江美栄子(石川県)
出雲 淳子(石川県)
長谷川泰介(石川県)
井田 英明(福岡県)
東川 久代(石川県)
長谷 香(石川県)
山下 よし(石川県)
藤田美紀子(石川県)
黒田 雅利(石川県)
安達英太郎(石川県)
藤井 正則(富山県)
任田 和子(石川県)
太田 保子(石川県)
森河 裕子(石川県)
岩渕 仁壽(宮城県)
新谷 初枝(石川県)
丸谷 良(石川県)
前 早苗(石川県)
市川 秀隆(石川県)
和田外美男(石川県)
藤田 尚信(大阪府)
池田 行雄(石川県)
太田 昌代(石川県)
越野 清人(石川県)
丸一 洋子(石川県)
野村 敦子(石川県)
高橋 智子(長野県)
山田 宣子(石川県)
吉野多美子(石川県)
平口 真理(石川県)
後藤 知子(石川県)
川岸美紀子(石川県)
中嶋 秀夫(石川県)
釣谷伊希子(石川県)
奈良崎友子(石川県)
上田 正博(石川県)
沢野千賀子(石川県)
古府美知子(石川県)
山本美喜枝(石川県)
三谷 真弓(石川県)
米田和可子(石川県)
木下 恵子(石川県)
宮鍋真由美(石川県)
川本美恵子(石川県)
岩淵 邦芳(石川県)
中島 正(埼玉県)
宮崎ちえみ(石川県)
小坂 健夫(石川県)
寺田 好江(石川県)
原 光弘(広島県)
井駒由利子(石川県)
友田 幸一(石川県)
中村真寿美(石川県)
高田 久(石川県)
青山 繁樹(石川県)
北森久美子(石川県)
大森 政幸(石川県)
宮本 孝子(石川県)
上出比呂美(石川県)
高井 伸治(石川県)
個人寄付金累計 730件 423,189,952円
〈法 人〉
和田精密歯研㈱
三谷産業イー・シー㈱
赤門ウイントン㈱
村中建設㈱
㈲豊年
㈱中島建築事務所
カナカン㈱
㈱サンレー
新井病院(新井三郎)
近藤クリニック(近藤邦夫)
森脇神経内科(森脇 文)
環境開発㈱
笹川医院(笹川眞人)
日栄商事㈱
片岡薬品㈱
石川日野自動車㈱
㈱福井銀行
室谷病院(室谷静雄)
法人寄付金累計 151件 316,120,000円
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金 医 大 学 報
http://www.kanazawa-med.ac.jp/
本学では、多くの分野でインターネットが利用されています。Web や Mail はもとより、文献
検索、地域の医療機関や全国の同窓生との連携、各種事業の公示に利用されているほか、学内
イントラネットも拡充されています。教育・研究・医療の分野で大いに活用されることを期
待します。
(広報委員会)
表紙写真
金沢医科大学報 第 113号
近江町市場、冬の賑わい
中谷 渉
平成 15 年 1 月 15 日発行
発行者 金沢医科大学理事長 小田島 粛 夫
編 集 金沢医科大学概要・学報編集委員会
藩政時代にはじまり 250 年以上もの間、金沢の
食文化を支えてきた市民の台所、近江町市場。190
軒余の店が並び、近年は観光スポットともなった。
初市には、冬の日本海の味覚がところ狭しと並べ
られ、カニやブリを売る威勢のいい掛け声が飛び
交う。
初市やくれなゐ競ふ海老と蟹
鷹羽狩行
(たかは・しゅぎょう、1930 年生。山口誓子門下。1975 年芸術
選奨文部大臣新人賞。1978 年「狩」創刊。NHK 俳句王国主宰
者の1 人)
山下公一 西川克三 廣瀬源二郎
平井圭一 伊川廣道 川上重彦
木越俊和 朝井悦夫 谷口 豊 相野田紀子 太田隆英 國府克己
大石勝昭 坂井輝夫 木村晴夫
小平俊行 林 新弥 中谷 渉 寺井明夫 野沢幸雄 丸谷 良
中嶋秀夫 中川美枝子 金子聖司
奥田桃子 青木孝太 平光志麻
発行所 金沢医科大学出版局
〒 920-0293 石川県河北郡内灘町大学1−1
TEL 0 7 6 (2 8 6 ) 2 2 1 1
印刷 能登印刷株式会社