アーミッシュ社会と平和

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アーミッシュ社会と平和
丸
山
武
志
はじめに
. アーミッシュ社会
1. アーミッシュとは
2. アーミッシュの宗教観
3. アーミッシュ社会
. アーミッシュを襲った悲劇
1. アーミッシュの で悲劇ははじまった
2. 「子供は喜んで死んでいったのだから, やはり殉教者です」
3. 恩寵:犯罪者を赦す:絶対的な平和と非暴力主義
むすびにかえて
参考文献
は
じ
め
に
わたしたちの社会はこれからどうなっていくのだろうか。 社会の発展速度が
加速化してきている。 効率性を極端に追求する過度な競争社会のなかで, 極限
まで個人の能力を高めるように強いられ, 科学技術の急速な発達のなかで, と
もするとわたしたちはそれらについていくために極度の緊張を強いられ, 追い
かけ廻されるようにもなっている。 アメリカでは精神科医院に通いながら, 自
分の地位の保持のためそれを隠し激務に耐えている者がいる。 我が国では精神
病に罹患し, そのあげく自殺に追いやられるという悲劇が生じている。 その人
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アーミッシュ社会と平和
たちを含めた過労死も多くなり, 大きな社会問題になっている。 自殺者は近年
増加し年間3万人を越え, 交通事故死者数を上回っている。
他方で, 経済効率や企業業績に役立たない人は使い捨てられ, 失業と貧困問
題が再びクローズ・アップされている。 経済活動は人と人とのつながりによっ
て支えられていることを忘れてはならないにもかかわらず, ワーキング・プアー
やネット・カフェ難民や派遣村などに象徴される格差社会や貧困が我が国でも
拡大している。 年9月のサブプライム・ローンの証券化の破綻から生じた,
年に1度の経済危機の襲来により, 派遣切りや雇い止めなどが深刻になり,
正社員のリストラと失業も増加した。 今年年3月の東日本大震災以来, 派
遣切りや首切りや就職内定の取り消しなどもつづいている。 そのような社会状
況のなかで, わたしたちはどう生きていけばよいのか。
アメリカには, 万人以上のアーミッシュと呼ばれる再洗礼派のキリスト教
を信仰する平和集団が, 各地でコミュニティ生活を享受している。 かれらはヨー
ロッパ中世後期の農民生活を守りながら, 公共の電気も電話もテレビも自動車
も使うことなくゆったりとした生活を享受している。 アーミッシュも時代の流
れに抗することができず, そのような旧い伝統と習慣を脱ぎ捨てて生活する者
も少数とはいえ生じているが, 本稿では旧い伝統と習慣を維持しようと努めて
いる, 主流派のオールド・オーダー・アーミッシュについて論述していく。
アーミッシュのコミュニティでは, 二輪馬車 (バギー) で自然を満喫しなが
ら, 金銭をえるために働くのではなく, 自分たちの家族や仲間の生活と幸せの
ために働き, 昔ながらの親密な家族や人間関係を大事にする社会がある。 その
ようなアーミッシュのスロー・ライフとモラルと文化をまず参考に, その後に世
俗社会から引き起こされたアーミッシュ学校への立てこもりと子供たちへの虐殺
の悲劇とかれらの赦しを, 本稿で考えていきたい。 ともすると, 目には目を歯に
は歯を, 暴力には暴力をという風潮に流されがちな今日, かれらの絶対的といっ
てもよい無抵抗主義と平和主義を考えることは意義のあることのように思う。
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. アーミッシュ社会
この節ではまずアーミッシュ社会の基本的な特徴を概略し, 次項でアーミッ
シュ生活の中心であるかれらの宗教について紹介し, その後にかれらの社会と
生活の少し詳しい説明をおこなっていく。
1. アーミッシュとは
アーミッシュとは, 電気も自動車も電話も持つことなく, バギーでの移動と
アメリカ移住前のヨーロッパ中世後期の農民生活を守り続けている, 穏和で質
素な (
―模様のない無地の生地という意味もあわせもっている) 人々で
ある。 このことは, アーミッシュ研究の第一人者のクレイビル によれば, か
れらは文明の拒否ではなく, 新しい技術や文明が親しい家族や人間関係を壊さ
ないか検討しながらゆっくりと, ときにはそのことを確認できないならば保留
したまま, 確認できたときに受入れていることになる1)。
かれらは世紀初頭にはわずか人ほどに過ぎなかったのが, 年には
万人に増大し, 近年では年ごとに倍増している。 それを支えるものが,
近代技術と文明の妥協的な受け入れにあるとはいえ, 中心的には昔ながらの清
貧で子沢山な社会を維持していることにある。 そのこともあり, 年ではア
メリカのペンシルバニア州 (
万人) のランカスター地方 (
万人) やオハ
イオ州 (
万人) のホルムズ地方 (
万人) を中心に, インデイアナ州, ケ
ンタッキー州, カナダ, 南米などにほぼ
万人が居住するまでに発展してき
た2)。
) (
)
(訳, 第6章)
) !
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アーミッシュ社会と平和
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ペンシルバニア・オハイオ州の地図
このような思想原理をかたくなに守りながら世俗化していない共同体集団が,
宗教団体であれ非宗教集団であれ, 多数の人口を維持していることは, 世界的
にみても稀有なことである。 アメリカは宗教や思想信条において自由な土地と
して世紀頃には有名であり, それ以来多数の宗教集団やユートピア共同体主
義者が入植し, その舞台になった。 宗教共同体は, 世紀まで繁栄し人口が増
大してきたが, 世紀末から世紀初頭のアメリカの産業革命と工業化の進展
以来, 徐々に衰退していき, 現在ではほとんど存在しなくなった。 とはいえ,
現在でもアメリカではある日神から啓示を受け, その思想を布教するように命
じられたという集団や, 現行の社会体制からドロップアウトした人々や, 相互
扶助に寄りかかりながら共同体生活をめざす集団が絶えることなく続いている
ことも確かである。 しかしそのような集団は少数の集団であり, いつの間にか
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消えていく存在であった。
2. アーミッシュの宗教観3)
アーミッシュによれば, かれらの1週間のうちの7日間の生活つまりすべて
の生活が, 宗教に根ざしているということになる。 世紀のヨーロッパにおい
て華麗で壮大な教会や階層制を採りはじめたカトリックに対して, 民衆のため
の宗教および 聖書 の文言に立ち返ることを主張した, .ルター, .ツヴィ
ングリやJ.カルヴィンなどを指導者と仰ぐ宗教改革運動が起こり, プロテス
タントが生み出されたことは, 周知のことであろう。 この聖書復帰運動という
ことでは同じ流れながら, モラビヤ (チェコ東部地域) で活躍していたフッタ
派兄弟団やスイスのスイス兄弟団やオランダ・北ドイツのメノナイト宗派は,
成人洗礼を実行し, 子供の誕生と同時に幼児洗礼をほどこすカトリックとプロ
テスタントとは一線を画していた。 かれらは, カトリックとプロテスタントか
ら生誕と成人になった時の2度洗礼をおこなう宗派という意味で, 侮蔑的にア
ナバプテスト (再洗礼派) と呼ばれたが, 再洗礼ではなく成人洗礼のみを実行
するものであった。 しかし, かれらはその蔑称を自らの呼称としてあえて使う
ことにした。
急速に権力と結びつき体制派になったプロテスタントは, カトリックがおこ
なっていたように, このアナバプテストを迫害しはじめ, 火あぶりや生き埋め
や磔などの刑と虐殺, 婦女子や住民全体にまでおよぶ殺戮と暴行などの蛮行を
おこない, その布教を阻止しようとした。 その虐殺の歴史をアーミッシュは,
殉教者の鏡
という頁ほどもある大部な本に纏め, どの家にもこの本を
備え, その歴史を子供たちに伝え, かれらが選ばれた民であるがゆえに受難の
) この項目の叙述については主に, 日本基督教協議会編 ()
関連項目:
()
()
(訳 ()
頁, () 頁, 頁), 参照。
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アーミッシュ社会と平和
歴史を歩んでいる悲話を伝承してきた。
この再洗礼派のなかで最大の勢力であるメノナイトは, 年にメノ・シモ
ンズが指導したときから宗派を形成しはじめた。 その勢力が大きくなるにつれ
て, かれらは, 戒律を守れない者を忌避し (マイドンク) し, 破門すべきであ
るという重大な宗教信条を守らなくなった。 その頃にスイスのアルザス地方で
宗教活動に従事していたメノナイト牧師のヤコブ・アーマンは, この信条つま
り破門を厳密に実行するように迫った。 しかし, メノナイトの大半は穏便な対
応を求めたために, アーマンは自分の信徒を連れて年に分派を形成した。
その集団が後にアーミッシュと称するようになった。 その後アーミッシュは,
ヨーロッパでの苦難の生活を脱し信教の自由を求め, クェーカー教徒ウィリア
ム・ペンの招きに応じ, メノナイトとともに年頃からアメリカ に移住し
ていった。
それゆえにアーミッシュとメノナイトは兄弟宗派であり, 前者が厳格な原理
的対応を求めるのに対して, 後者は世俗化した生活を認めるとはいえ, 宗教信
条においては一致している面が多い。 両者とも, 平和主義, 勤労, 禁欲および
質素でシンプルな生活を実践し, 相互扶助や従順さ, 謙虚などの価値を認める
ことでは同じである。 そのためメノナイトは, ペンシルバニア州ランカスター
地方などのアーミッシュ観光地では, アーミッシュへの理解がかれらの宣伝に
もなるとみなし, アーミッシュの紹介と観光に積極的に貢献している。 かれら
は, 普通のアメリカ人と同じように電気も電話も自動車も利用し, あらゆる科
学技術を積極的に受け入れることにおいてはやぶさかでないし, 服装も質素で
あるとはいえ, 普通のアメリカ人と変わりがない。 それゆえにかれらは, アー
ミッシュの厳格な生活を受け入れられなくなった人々の受け入れを喜んで引き
受けている。 現在ではアナバプテストは, ほとんどがメノナイトで, 年に
万人, 年にアフリカ, 北アメリカ, アジア, 中南米およびヨーロッパ
にわたる約カ国に万人ほど存在する。 日本にもその支部教会がいくつか
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存在する。
アーミッシュは教会の建物, 祭壇, 職業牧師などを持つことなく, 平均家
庭, ∼人を1教区として, 持ち回りで1家屋を代用の教会に選び, 隔週
の日曜日に以前の礼拝のときに長老のなかからくじで選ばれた人を牧師として,
その場で選ばれた2人の説教師と執事1人を従え, 朝3時間ほど礼拝をおこな
う。 アーミッシュは形式的な信仰を拒否し, 偶像崇拝を廃し, 内面から生じる
礼拝を尊重している。 会衆は説教などが始まる準備を待っている間に, 古くか
ら受け継がれている讃美歌集, つまり 「アウスブント」 のなかの聖歌を分間
ほどかけて, オルガンなどの伴奏もなくゆっくりと歌い, 神の言葉を受け入れ
る地ならしをおこなう。 説教師に選ばれた者は, 礼拝の直前に指名され, 牧師
の説教の後,
聖書
や書いたものを見ずに1時間にわたり説教をおこなわな
ければならないために, 大変な重責を担う。 牧師によって導かれた礼拝が終わっ
た後は, 女性たちのまかないと準備によってみんなで会食を楽しむ。 そのほか
に, 年2回おこなわれる聖餐式では, 同性の者に膝を曲げ地面につけるか中腰
のまま洗足をおこない, 最後にお互いの頬にキッスをし, 貧者への多額の寄進
をおこなう。 これは, もっとも従順で謙虚な姿勢であるために, かれらの価値
観をよく表している。
アーミッシュは, キリストが生きたように生き,
聖書
の教えを忠実に守
るために, アメリカ合衆国がそれらに反する法やシステムを採用する場合には,
神の教えを優先させる。 たとえば, アメリカの国旗に忠誠を誓うことや戦争に
行くことなどはかれらの間ではありえないことになる。 そのためかれらの教区
では, 伝統と習慣にもとづき 「オルドヌング」 という戒律 (規則) が口承によっ
て伝えられている。 もしそのオルドヌングを犯す者がいれば, その者はたとえ
夫婦や親子であってもマイドング (忌避) され, 同じ場所で寝食をともにする
ことは禁止され, 破門される。 しかし, その罪を犯した者は, みんなの前で告
解し, 罪を悔い改めれば, 赦されることになる。 たとえば, 結婚前に子供がで
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アーミッシュ社会と平和
きた場合にその2人はマイドングされ, 家族やコミュニティからは絶交される
が, みんなの前で悔い改めれば赦されることになる。
3. アーミッシュ社会4)
温かい人間関係 (家族, 仲間, コミュニティ)
アーミッシュは, 経済的金銭的利益より親密で温かい人間関係 (家族, 仲間,
コミュニティ) を大事にするので, 農場や商店や工場の規模を家族経営ができ
る程度か, 同じ仲間を養う中小規模に制限し, 基本的には金銭の獲得をできる
だけ少なくし, 金銭関係からこじれる人間関係の絆を壊さないようにしている。
仲間が火災や盗難や倒産などで困ったときには, 教区教会で寄付の入れ物が回
されたり, みんなで寄付を割り当てたりし, それでも賄えないときには, 燐の
教区でも同じことがおこなわれ, お互いに助け合う。 テレビがないのは食事の
ときでさえそれを見るようになり, 家族団欒の親密さが奪われるためであり,
電話がないのは会って話をする機会が少なくなり, 親密さがなくなるためでも
ある。 かれらは家族が共に働き, 一緒に食べ生活することを何よりも大事にす
る。 それと同じようにかれらは, 相互扶助の精神を尊重し, 仲間による協同で
の家造りや学校建設と修理, 農作業での助け合い, 地域での協同作業などをお
こない, それらが成就すれば, みんなで子供も交えてフロリックと呼ばれる打
ち上げの食事会をおこない交流を楽しむ。 その時には, アーミッシュでない世
俗的なイングリッシュ (かれらはかれら以外の人をみんなそう呼ぶ。 だから,
日本人もイングリッシュである) が参加することもある。
アーミッシュは, 拝金主義を避けるために金銭への依存を戒め, 基本的には
衣服や食事や住宅や家具, 子供たちの玩具や菓子など, 市販のものを購買しな
いように努めている。 しかも財産をあまり持たないシンプルな生活を旨として
) この節については主に, (), () および堤 (),
参照。
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いるので, 自分たちで作った手作りのもので必要を満たし, それでも賄いきれ
ないもののみ, 市販のものを買うようにしている。 そのためにかれらの家では
自家製のものがずっと多く, 市場や商店やスーパーで購入するものはずっと少
なく, 子供たちにお金を持たせたり, 菓子を買ったりすることはめったにない。
だから, クリスマスや子供のめでたい出来事などの時には特別に市販の菓子を
買ってきたりするので, 子供たちはその珍しい菓子を大事に味わって食べる。
もちろんクリスマスでは祈りをあげるだけで, 目立つことや偶像崇拝を戒めて
いるかれらとしては何の飾りつけもしない。
アーミッシュは, 伝統と慣習を大事にしているので, 新しい技術や文化の採
用は家族と仲間たちの絆を壊さないか検討し, 壊さないことが明らかでないか
ぎり, 導入しないという基本姿勢を保持している。 しかも, 昔ながらのプレイ
ンな白や黒や濃いブルーや紫の決められた服を男女ともに着て, 男性は紳士用
の黒い帽子か麦藁帽, 女性は被り物をかぶり, 肌をできるだけださない, 体の
せんがでないゆったりした服とエプロンを身につけている。 これらの衣服もか
れらは自分たちでつくる。 ボタンは軍隊で使われていたので禁止され, 衣服は
ピンでとめられる。 口ひげは軍人が愛用していたので禁止されるとはいえ, あ
ごひげは結婚した印として既婚者によってはやされるのが慣習である。
家父長主義
家族内では家父長制をとっていて, 父親が最高の管理者で, そのつぎが父親
に従順に従う母親であり, その後は年長の兄弟で, かれらは小さい子供を世話
する。 父親の家族内での地位は
聖書
の 「女のかしらは男である」 (「コリン
ト人への第1の手紙」 章3節) という言葉にもとづいている。 そのため女性
は, 教会の指導者や役員にはなれないし, 学校やあらゆる組織の管理者や委員
にもなれない。 それだけではなく, 女性は公の場所での発言も認められていな
い。 これらの考えは, 男尊女卑を表しているように思われるが, かれらによれ
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アーミッシュ社会と平和
ば, 男女の役割分担であり, 女性には一段と高い従順さが要求され備わってい
るだけだということになる。
このような伝統社会においては, 当然長老つまり年取った人への尊敬が生じ
るのは自然の成り行きである。 というのも, 長老は豊富な経験を有し知識も深
いと考えられるからである。 通常の教区の管理は長老の中からくじで選ばれた
牧師を中心に教会指導者たちでおこない, 大きな問題がおこったときには他地
区の牧師も加わった牧師会議で問題の解決が図られ, 最終的には住民による直
接民主主義により決定される5)。 長老または高齢者は子供が独立するにつれて,
その援助をしたり家財を譲ったりし, 最後の息子が結婚し独立する頃, その子
供に母屋と家督を譲り, 敷地内の片隅に 「おじいさんの家」 を建て隠居する。
隠居しても子供たちはよく面倒を見てくれるし, 老夫婦も家の雑事や孫の世話
などをおこなって子供を助けるので, いわゆる 「老人問題」 はここでは生じる
ことはない。
農夫と農夫の妻になる
額に汗して大地を耕し, 勤勉に働くことこそが人間として生きる道である,
とアーミッシュは, 善良な農民を理想として, 金銭の追及や効率の良い労働節
約的な技術の利用がこの勤勉でつつましい農民の生活を壊していく, と考えて
いる。 かれらは, このことを実行でき, 家族が一緒に働き, 親が子供に働くこ
との大事さを伝えていける農業が最も望ましい仕事であるとみなし, 農夫と農
夫の妻になることを理想的な生活を営むこととみなしている6)。 しかし田舎地
方でも開発が進むにつれて, 地価が高騰し農地を獲得することが困難になり,
多くのアーミッシュは非農業仕事に従事せざるをえなくなった。 そのため, か
) ()
) アーミッシュにとって家族がともに大地を耕しともに暮らすことが, 大事なので
ある。 栗原ほか (), 頁, 参照。
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れらはまず鍛冶屋や農機具を製造する仕事や大工などの農家関連仕事を求め,
そのつぎに家族や仲間でできる中小の商店や工場を経営しはじめ, 親密な家族
や仲間関係の絆を維持しようと努めてきた。 それでも, 仕事のない場合はやむ
なく工場労働者となったり, 女性の場合は家政婦になったりする。 工場では決
められた衣服を着せられ, ヘルメットをかぶることが義務づけられたり, 組合
に入ることを強制されたりするが, アーミッシュにとって, これらのことは慣
習的に禁止されているので, 多くの紛争が生じ問題になる。 家政婦は, 世俗的
なことをコミュニティに持ち込むようになるため, やはり問題であった。
かれらの農業は, アメリカの1家族あたり平均農地エーカーと較べて平
均エーカーで家族経営に適した中規模のものである。 かれらは昔ながらの堆
肥作りを大事にする有機農業を尊重しているので, 化学肥料や農薬などを禁止
していないがあまり利用しないで, 労苦を惜しまない自然環境に適合した農業
を重視し実行している。 そのためアーミッシュは優秀な農民として近在に知ら
れている。 そのことは農業機械の利用についても同じで, 昔のように馬に犂な
どを引かせ耕作をして, 機械利用を極力避けているけれども, 禁止ではなく,
脱穀機などは上の機械部分を馬車にとりつけ利用している。
大切な家族
アーミッシュにとって, 両親と子供がいてこそ家族であり, コミュニティの
構成員であるということになる。 それゆえに, 男女は青年期になると結婚を当
然するべきであるし, 結婚することが強く勧められる。 かれらは謙虚であるこ
とを旨としているので, 人前で愛情を表現することがなく, 付き合いを申し込
む時も友達の仲介者に頼むし, 結婚式直前におこなわれる告知までは秘密裏に
ことが運ばれれば, みんなから称賛されるという習慣がある。 もちろんこれら
はアーミッシュどうしの結婚であって, それ以外の結婚はみんなから忌避され,
破門される。 その場合アーミッシュの両親は, 子供の結婚式には参加しないし
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アーミッシュ社会と平和
祝福をしない。
かれらにあっては, 産児制限や離婚は認められていないがゆえに, 子供を7・
8人ほど生み, 平均
人ほどを育てる。 そのため, かれらは外部に布教をし
ないので, 外部からアーミッシュになる者が少ないとはいえ, 近年人口が増え
てきていることはさきに述べた。 不幸にも子供がいない家庭があるならば, アー
ミッシュ内外から養子を迎え育てる。 子供は神から預けられた大切な贈り物で
あるために大事に, それでいて神の目にかなうように厳しくしつける。 子供は
大きくなるにつれて家事や仕事の一部を振り分けられ, 何よりもアーミッシュ
の一員であり神の僕となるようにしつけられる。
離婚は認められていないために, 夫婦仲が悪くなれば大変である。 どうして
もそりが合わない夫婦は別居して生活するようである。 死別した夫婦の片割れ
には仲間から再婚相手を薦められるし, 結婚できなかった者たちも頻繁に結婚
相手を薦められる。 不幸にも父なし子を産んだ娘には, 相手の男性が捜しださ
れ結婚するように強制され, 父親がわからない場合には仲間の男やもめが結婚
することになる。
アーミッシュどうしの結婚が多いために, 遺伝上障がいをもった子供が生ま
れる確率が高い。 アーミッシュは狭いコミュニティなので, ルーツを探れば,
ほとんどが親戚になり, そのために以前はいとこ結婚が認められていたとはい
え, 最近は障がい者の出産多発のためそれは認められなくなっている。 しかし
はとことの婚姻は今なお珍しくない。 障がい者を産んだ家族は, 何とか治療し
ようとよい医者を探しまわり, それとともに家族でより以上に助け合う。 その
ような家族の努力があり, 年には最初の障がい児学校が開校されている7)。
血の濃い者の結婚を避けようとし, 同じアーミッシュで遠くのコミュニティ
から集団で若者たちをバスに乗せて連れてきて, 交際をはじめる試みもおこな
) アーミッシュの障がい児学校やワン・ルーム・スクールのことについては, フィッ
シャーほか (
), 参照。
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われている。 またアーミッシュのプレインでシンプルなスロー・ライフにあこ
がれる, 世俗世界の人々を迎え, コミュニティ内で孤独から順応できなくなら
ないような工夫もしている。
青年期の強い葛藤
子供と青年はいまだアーミッシュでないので, 望ましくはないが, いたずら
や飲酒などで少し羽目をはずすことがある。 このことを親やコミュニティは許
すことはないが, 大目にみることがある。 しかし, 犯罪や法律違反は世俗社会
よりもずっと少ないことは言うまでもない。 成人になれば洗礼しアーミッシュ
になるために,
洗礼前青年期で大変強い葛藤が生じ, そのため若者は世俗社
会に一旦は逃避するが, ほとんど8・9割の者はアーミッシュ社会に戻ってく
る。 というのも, 8年間の学校教育しか認められていないアーミッシュにあっ
て, 世俗社会ではよい仕事とポストに就けないし, アーミッシュであることで
奇異な目で見られるために居心地が悪く, アーミッシュ社会に戻る者が多い。
しかも, 小さい頃からアーミッシュの選民意識を植えつけられマインド・コン
トロールされている者, または神を崇拝し神の僕になるように育てられた者に
とって, 外部世界は徐々に住みにくくなり, アーミッシュ社会に戻ってくる。
この家出は認められていないのだが, アーミッシュになるための通過儀礼の
様相を呈しているので, 男子については大目に見られるとはいえ, 最近では女
子もこのことを強行するために, 長老たちは余計に苦々しく思っている。 この
ことを題材にした観光用の映画も作成されている。 この葛藤は大変な精神的苦
痛をともなうものになっていて, そのことを通過するがゆえに, 洗礼と結婚後
は厳格で禁欲的なアーミッシュとして過ごす覚悟が形成されることにもなる。
電気, 電話, 自動車などのないアーミッシュ社会
公共的な電気, ガス, 水道の使用は認められていない。 しかし, 購入し私的
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アーミッシュ社会と平和
になったバッテリーやプロパンガスや灯油, ガソリンによる自家発電などの利
用は容認され, ランプによる灯りも認められている。 というのも, 公共的な電
気会社などはいざとなればアメリカ政府に従うので, 戦争などの時にそれらに
反対するアーミッシュに供給しないことになれば, アーミッシュは餓死しなけ
ればならないためである。 しかも他方で, それらは世俗へとつながっているよ
うにみえるので, 禁止している。 しかしそれらの便利さは認めざるをえないし,
仕事にも必要になっているために, 自分たちのものになり気兼ねなく使える水
光熱源は, 必要に応じて容認している。 それゆえに農機具製造の電気工作機や
牛乳蓄蔵用の冷蔵装置など仕事に必要なものや, 家庭内の冷蔵庫や洗濯機や料
理用のコンロなどは, プロパンガス, 自家発電, バッテリーなどの動力源を利
用できるように工夫した製品を広く活用している。 また風車などを使った水の
循環システムやソーラー発電も時に使用している。
電話も同じ理由で, しかも人々のうわさや悪口を話したりするようになるた
めに禁止されている。 しかし電話も仕事の打ち合わせや緊急の時に必要になる
ので, 電話は家屋の外でのみ使うことができるという妥協をしている。 だから,
アーミッシュの生活地域では公衆電話ボックスのようなものが仲間と共同で敷
設され, 利用されている。
自動車について容認すれば, かれらの仲間は相当遠くまで移動し, 仲間の家
を頻繁に訪ねるよりも遠くの友達を訪ねたり, 遊興に利用したりするようにな
り, 世俗的な風潮が蔓延り, 徐々にアーミッシュ社会から遠ざかるようになる
ために, 禁止されている。 それゆえ移動手段はもっぱらバギーである。 しかし,
自動車も仕事上必要になるので, その時には近隣の世俗的で友好的なアーミッ
シュ・タクシーから運転手と自動車を雇い, 農産物などをフィラデルフィアや
ワシントン, 遠くはニューヨークのファーマーズ・マーケットまで運び販売し
ている。 またどうしても自動車を使いたい者たちは, オールド・オーダー・アー
ミッシュから, 自動車の表面模様を消したブラック・カーを所有するアーミッ
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シュとして分離し, かれらのコミュニティをつくったりしている。
スロー・ライフ
アーミッシュはゆったりとした自然と一体になった生活を楽しんでいる。 朝
の日の出とともに子供ともども働きはじめ, 家族一緒に食事をとり, 夜暗くな
れば農作業を終え, 自然のリズムに従いながら生活をし, 自然の1日の移り変
わりを楽しみながら生活している。 四季の移ろいゆく美しい自然の風景を近く
に見ながら, 虫たちの声に耳を傾け, 馬車で風の心地よさを感じ, ときどき飛
び交う鳥たちの歌声に耳を傾け, 道端のきれいに咲いた花々になごみを感じな
がら生活を楽しんでいる。
しかも, かれらは欲望を否定し, 欲しいものを何でも手に入れる生活を放棄
しているために, 貪欲に追及される金銭欲や物質欲もなく, 財産も必要最低限
のものしか持たないシンプルで簡素な生活を実践している。 それゆえに拝金主
義という悪魔に煩わされることもなく, 効率の良い仕事という心理的圧迫に煩
わされることもない。 そのためか, かれらは穏和な人々と呼ばれ, プレインで
シンプルな生活を営むことを信条としている。
アーミッシュは, 農夫と農夫の妻になることを理想としているために, 8年
間以上の学校教育は必要でないと考え, それ以上の教育は, 知的自尊心を誇り
高等教育と職業的地位を遠くまで求めるようになり, 子供たちを家族から引き
離すので, 禁止されるべきであるとした。
聖書
は, そのことを 「知識は人
を誇らせ, 愛は人の徳を高める」 (「コリント人への第1の手紙」 8章1節) と
戒めている。 かれらの教育は, 想像力や創造力や個性の発揮および科学技術力
の向上を求める教育は必要でなく, 農民生活に必要な3 (読み書き算数) を
学び, 従順で神や人々に従う教育をめざしている。
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アーミッシュ社会と平和
しかし, 年頃のかれらが居住していたペンシルバニア州やオハイオ州
の公立学校では義務教育法により9年間の義務教育を実践していたので, か
れらはこのことに強く反対した。 それゆえにかれらは, 子供を学校に行かせ
ない運動を繰り返したために, 罰金を支払わされたり, 逮捕され投獄された
り, 強制排除で暴行を受けたり, 無理やり子供をスクールバスに乗せられたり
した。 このような紛争に嫌気を覚え, 南米やカナダに移住する家族もあらわれ
た。 そのような大きな紛争に直面した学校当局は, 時にはアーミッシュが学校
に行く年齢をごまかし8年間の義務教育で終えるのを黙認したり, かれらが自
分の家でおこなう最終年の職業教育で義務教育を補完するのを, 容認したりと
いう妥協をせざるをえなかった。 しかしアーミッシュに, ついに自前の教育を
ほどこす許可が年に連邦最高裁で認められ, 以前からのアメリカの田舎の
学校にあった小さな1教室から成り立つ がそのまま活用
された。
その学校は, 当初公立学校から古の机や椅子や教科書を提供され, 8年間の
教育しか受けていないにもかかわらず, 教師の検定試験に合格した子弟を教師
にし, 少人数の学校が多いために1人か2人の先生が全学年を一緒の教室で教
え, それゆえに高学年の子供が低学年の子供を教える自習のシステムを採用し
た。 しかも父兄は, 自由に学校に出入りし先生を手助けし, 学校の管理・運営
にも積極的に参加し, 教科書や教材つくりおよび校舎や机・椅子の修理などを
おこない, アーミッシュ地域社会のもとで責任をもって学校教育にかかわって
いった。 その費用は地域全体で学校税として資産に応じて徴収され, 余裕のあ
る学校に通う子供のいる家庭は授業料を払い, 余裕のない家庭は免除された。
もちろん子供のしつけは責任をもって家庭でおこなわれるので, 学校にそれを
押しつけることはない。 アーミッシュをよく知っている教育学者によると, 読
み書き算数を習得するという教育に関して, かれらの教育は高い効果を発揮し
ているということになる。 そのことは, アーミッシュの子供たちが全米学力テ
( )
ストで上位の成績を占めていることにも表れている。
かれらの公用語は, 昔祖先がアメリカに入植した時から使われているペンシ
ルバニア・ダッチ (古語ドイツ語) で, そのため学校にあがる前の幼児は英語
を知らない者が多いのだが, 近年学校では英語授業がおこなわれ, 英語を使う
ことが増えている。 それは仕事や近所付き合いにおいて英語を使うことが多い
ためである。 ペンシルバニア・ダッチは選択語として親たちが学校へ教えに来
ているとはいえ, その英語になじむ教育状況を, 教区のリーダーである旧い考
えの長老たちはよく思っていない。 また, テレビや映画やコンピューターは家
庭で禁止されているために, 教育用であってもそれらは学校で禁止され, おこ
なわれることはない。 さらには, 団体でおこなわれる体育は, 軍隊でおこなわ
れていたために, 平和を愛するアーミッシュでは禁止されている。
写真, 鏡などの目立つことや誇ることは禁止
アーミッシュは謙虚で従順な生活を心がけ, 誇ることや自慢することはよく
ないと考え, しかも偶像崇拝を拒否しているために, 自分自身の写真を自分で
撮ることも, 他人から撮られることも禁止している。 観光客がやってきて, 突
然写真が撮られることがあり, 許可を求めてきたときに拒否しても, 遠ざかる
ふりをして途中で振り向き際に, 写真が撮られたりすることがあり, かれらは
大変迷惑している。 学校に近づき窓から写真を撮り, 子供たちの勉強や注意力
をかき乱し, はては教室の中に入り撮影していく非常識な観光客までいて, 教
師や関係者たちは大変困っている。
かれらの家には鏡がなく, 自分の容姿を誇らない工夫をしている。 そのため
に, 衣服においても誇れる派手な色や模様の服装を禁止し, 一様なプレインな
服装のみを認めていることはさきに述べた。 それゆえに子供たちの遊ぶ人形も
目・鼻・口のない人形で, なんの装飾もない簡素な古着の切れ端によってつく
られているだけである。 そのほかにも自慢できる家具を購入したり, バギーを
( )
アーミッシュ社会と平和
きれいに飾ったりすることも禁止されている8)。
さらには, アメリカの道路交通法では低速車 (バギーなど) に三角形のオレ
ンジ色マークを付けることを義務づけているが, アーミッシュはこれが派手で
目立つために拒否したので, 罰金を支払わされたり投獄されたりする紛争が生
じた。 そのために, やはりこの地で生活することに嫌気を覚え, 南米やカナダ
に移住する者もでてきた。 しかし, 最近ではほとんどの者はこの措置をしぶし
ぶ受け入れている。
社会保険は拒否するが, 税金は支払っている
アーミッシュは, 家族と仲間およびコミュニティがお互いに助け合うことを
信条としているために, 医療保険などの社会保険料の支払いも保険金の受給も
拒否している。 アメリカの医療保険では, 年に国民皆保険をめざす医療保
険改革法が成立したが, それまでは歳以上の高齢者や障がい者などを対象に
したメディケアと呼ばれる医療保険制度と, 公的扶助受給者などの低所得者を
対象にしたメディケイドといわれる医療扶助制度があり, それ以外の者は民間
保険に加入するか, 保険がないかどちらかになっていた。
この医療保険にしても年金や失業保険にしても, かれらはそのようなものを
必要とする事態に陥れば, みんなで助け合うのが当然だと考え, 社会保険料の
支払いと保険金の受給を拒否している。 しかし, 保険当局はその対象に該当す
る者には強制的に保険料を取り立てにきて, 財産の差し押さえを強要する。 そ
の時に人の良いアーミッシュは, 取立人に茶や食事をまかなったり, 一番良い
差し押さえ物件を進んで差しだしたり, 魚釣りを薦め同行したりしたという逸
話が残っている。
) 堤 () によれば, アーミッシュのこれらの行動様式は, かれらにとって非常
に大事な (冷静, 服従, 従順) という思想に支えられていることに
なる (
頁, 参照)。
( )
アメリカの病気の治療費はかなり高額になるために, 保険のないアーミッシュ
には払えない状態が生じ, アーミッシュ居住地域の医療関係者はこの事態を憂
慮し, かれらの医療費を半額にすることなどを提案したが, かれらだけを特別
視することはできないという結果になっている。 そのため, 年に民間保険
会社によって引き受けられた任意の 「アーミッシュの医療保険」 が創設された
が, しかしそれに加入する者もいれば, 加入しない者もいるという具合で, 保
険でまかなえない医療も多いといった状態である。 アーミッシュは, 小さい病
気や事故では我慢し, どうにもならなくなったとき医者に診てもらうために,
手遅れで亡くなったりする者も多い。 高等教育を享受しないかれらは, 自分た
ちの医者をもつことなく外の医者に頼り, 信頼できる医者が少ないために, 評
判の良い医者の話はかれらの間で素早く知られることになる。
社会保険は拒否しているが, 税金をかれらは支払っている。 これはなぜであ
ろうか。 かれらは, 国および政府の果たすべき役割とそれらの経費も認めてい
て, そのなかでかれらの信条に対立することについては拒否するが, 対立しな
いことについてはむやみに反対することもないと考え, 税金を支払っている。
たとえば, かれらが積極的に参加している消防活動や, かれらが時には利用す
る公共交通機関などに対する政府の推進または補助がそれにあたるであろう。
また, かれらは選挙に行くことを禁止されているのではないが, ほとんどの者
は選挙権を行使することはないし, 選挙活動をする者はまずいない。
良心的兵役拒否者であり, 無抵抗主義者である
ここで, アーミッシュを特徴づけるもうひとつの本稿の課題について簡単に
述べて, 次節へのつなぎとしよう。 それは, かれらが宗教観にもとづき絶対的
な平和主義と無抵抗主義を貫いていることである。 かれらは, 戦時中に戦争に
加担しないという強い抵抗を示したことから, 現在では良心的兵役拒否者とし
て認められているのみならず, 軍隊で使われ発展してきた服装様式や習慣を拒
( )
アーミッシュ社会と平和
否するといった徹底した平和主義を守っている。 さらには, かれらに加えられ
てきた暴力に対しても, 暴力で抵抗しないのみならず, それを警察にも裁判所
にも訴えない無抵抗主義をかたくなまでに守りつづけている。 これらのことに
ついては節をかえ論じていきたい9)。
. アーミッシュを襲った悲劇
1. アーミッシュの で悲劇ははじまった
年月2日 (月) ペンシルバニア州ストラスバーグの西ニッケル・マイ
ンズ校のアーミッシュ で悲劇ははじまった。 午前時半
頃, 取り乱した教師エンマが泣き叫びながら近くの農家に駆け込み, 「学校に
銃を持った男がいる」 と告げた。 農夫は, 直ちに電話ボックスから番の警
察に緊急通報をし, 学校で子供たちが人質にとられたことを知らせた。 その知
らせはアーミッシュの口から口に伝えられ, 北米コミュニティのほとんどに素
早く伝わった。 この学校には, 西ニッケル・マインズ, 東ニッケル・マインズ,
東北ジョージ・タウンの3教区の子供たち全員が通っていた。 このあたりは人
口の密集した観光地で, 風光明媚なアーミッシュ・カントリーでもあり, それ
ゆえに農作業も商売もイングッリシュと肩を並べて営まれ, 両者の交流も盛ん
におこなわれている地域でもある。
近在農家から牛乳を集配して回り, 会社に納めることを仕事にしていたトラッ
ク運転手, ..ロバーツ容疑者 (当時歳) が, 「アーミッシュ学校」 で6∼
歳までの
人の生徒のうち, 男子生徒や学校に来ていた大人を解放する一方,
少女ばかり人を人質に立てこもった。 通報から
分ほどで3人の州警察官が
駆けつけ, その後7名の警察官が応援に駆け付け, 周囲を取り囲み, 交渉担当
) これらのことおよび次節については主に, 毎日新聞
(), および堤 (), 頁, を参照されたい。
(), クレイビルほか
( )
者が銃をおろし出てくるように, 説得を繰り返した。 警察が来て, 少女に悪戯
をしようと計画していた容疑者は動揺した。 容疑者は, 少女たちを銃で脅して
黒板の前に並ばせ, 足をあらかじめ準備していた紐で縛った。 かれは, 立てこ
もっていた間, 事件現場から妻に電話し, 「年前に罪を犯した」 と語り, 当
時歳で3・4歳の妹たちに性的ないたずらをおこなったことを打ち明けた。
しかも, かれが残した遺書には 「女の子に再びいたずらすることをずっと夢み
てきた」 と書かれていた。
容疑者が 「俺は神に腹を立てている。 だから, クリスチャンの女の子に罰を
与え, 仕返しするんだ」, 9年前に生まれてすぐに亡くなった 「娘の償いをさ
せてやる」 と叫び, 至近距離から銃を乱射しようとしたとき, 歳の生徒2人
のうちマリアンが年下の子供たちを何とか守ろうとし, 「わたしを最初に撃っ
て」 と叫び銃殺された。 午前時5分, 警察が散弾銃の3発の銃声と拳銃の発
射音を聞いて, あわてて窓を壊して校舎に突入したその時に, 容疑者が自殺し
た。 床にはガラス破片が散乱し, まるで処刑所のように撃たれた子供が並んで
横たわり, 大量の血が流れていた。 5人の少女が瀕死の状態で5人が重傷であっ
た。
警官は子供たちを屋外に運び出し, 止血を試みた。 緊急搬送のヘリコプター
が次々ときて, 時
分には最初の子供を乗せて飛び立っていった。 時
分,
地元のテレビ局がアーミッシュ学校で銃撃があったことを報道した。 それを聞
いたアーミッシュは電話ボックスに走り, その事件をコミュニティ内外につぎ
のように伝えた。 「西ニッケル・マインド校で大変なことが起き, 子供たちが
撃たれた。 近くの男が発狂したんだ。 犠牲者はヘリコプターで病院に運ばれて
いる」 と。 親たちは, 家族や隣人ともども, 子供たちの容態がわからないまま
遠くから不安げに見守ることしかできなかった。 人ほどの家族と友人が近
くのアーミッシュ農場に集まり, 情報を交換し合い, たがいに慰めあった。 子
供たちの生死がわかったのは, それから数時間後で, 3人の子供が学校ですぐ
( )
アーミッシュ社会と平和
に亡くなり, 2人が搬送先の病院で亡くなり, 残り5人の子供も重傷で予断を
許さない状態であったが, 何とか命だけは取りとどめた。 痛々しいことである
が, 2人の子供を亡くした家族もあった。
容疑者は, かれを知る者によれば, ほとんど話をしない引っ込み思案で, 些
細なことで腹を立てると手の施しようがないほど荒れる男であった, といわれ
ている。 しかし, 精神的な問題で通院していた経歴はなく, アーミッシュの農
家から牛乳を集配する仕事をしていたとはいえ, アーミッシュとの宗教的なつ
ながりもなく, 監禁・性的暴行のための犯行や神への怒りのための犯行とみな
せないこともないが, これらは全て憶測であり, ゆえに容疑者が自殺した今と
なっては, 犯行動機は依然として不明のままである。
2. 「子供は喜んで死んでいったのだから, やはり殉教者です」
ある母親が 「子供は喜んで死んでいったのだから, やはり殉教者です」 と告
げた。 事件の衝撃とアーミッシュの遺族が事件直後に容疑者を赦し, その葬儀
に参列したこともあり, 地元のアーミッシュ村には何万通もの手紙と贈り物が
届けられた。 しかも, アメリカ内外から 「少女たちの治療のために」 というこ
とで総額万ドル (約4億円) ほどが届けられた。 その寄付金は重傷を負っ
た子供の治療に使われたが, 病院が医療費を免除してくれたので, アーミッシュ
は逆にその病院に寄付をおこなった。 その寄付金の一部は容疑者一家を支援す
るために未亡人にも手渡された。
アーミッシュは, 容疑者の家族も, 夫または父を失ったうえに収入のすべて
がなくなり, マスコミにもプライバシーを暴かれた犠牲者なのだと気付いた。
それゆえに, 容疑者の家族のもとにアーミッシュが, 次々とやってきては, 赦
しと慰めの言葉をかけ, 見舞いの品を置いて帰っていった。 殺されたアーミッ
シュの家族が容疑者の墓地にやってきて, その妻に悔やみを言い, 赦しを与え
る姿は, 信じられない光景で 「奇跡を見ているのではないか」 と葬儀社の1人
( )
は語っていた。 あるアーミッシュは, 今度の事件が地域全体に降りかかった悲
劇であるために, 「ロバーツ家の人たちも同様に支援しなくては」 と述べてい
た。 その気持ちが通じ, 容疑者家族の親戚の1人は, 「あれは耐え難い出来事
でしたが, 親切なアーミッシュのおかげでどんなに救われたか。 ……赦しても
らえてよかった」 とアーミッシュの恵みに感謝していた。
送られてきた手紙などの大半は, このようなアーミッシュの態度に衝撃を受
け感動した全世界の人々からのもので, 「強い信仰心さえあれば, これほど残
酷な犯罪をも受容できるのか」 という驚きと称賛を伝えていた。 新聞やテレビ
などのマスコミにおいてアーミッシュの赦しへの称賛が頻繁に取りあげられ,
「すべての人が, かれらの信仰と赦しを見習ったならば, この世界はどんなに
よくなることでしょう」 と述べる者もいた。 これらの称賛が取りあげられるに
つれて, アーミッシュは有名になり偶像視されがちであったが, 誇らないこと
を信条にしているかれらにとって, これらのことにとまどいながらも, 謙虚で
あるように戒めていた。
しかし, なかには批判的な意見を述べる者もいた。 悔悛しない罪人をすすん
で赦してしまうことや, 死者に代わって赦しを与えてしまうことなどは, とう
てい認めることができない, 理解できないことである。 「我々のなかに, 子供
が虐殺されたのに誰も怒らないような社会に住みたいと本気で思っている者が,
どれだけいるだろう」 と。 しかも, 「これはガラスを割ったから赦してくださ
いという出来事ではないのだから, その赦しは早過ぎ, 見直すべきである」 と,
赦しを与えた犠牲者の遺族に数々の疑問が投げかけられた。
孫娘2人を殺害されたミラーは 「神がわたしたちのことを赦したように容疑
者の罪を赦したい。 簡単なことではないが, しかし憎めばそこから動けなくな
る。 明日を生きていくためにも, 赦したい」 と述べ, その複雑な感情を表わし
ていた。 当然ながら, 娘または孫娘を殺された悔しさや怒りを抑えきれないが,
赦さなければならないという葛藤をながく持ち続けているアーミッシュもいる。
( )
アーミッシュ社会と平和
3. 恩寵:犯罪者を赦す:絶対的な平和と非暴力主義
「事件後内外から, 学校に鍵をつけるべきであるとか, 電話を置くべきであ
る, などの意見があり, みんなで話し合いましたが, 結局今まで通りになりま
した」, とアーミッシュの広報担当者は述べている。 それは, 「人を疑い, 塀の
中に隠れるのではなく, 隣人を信じて暮らしたいから」 ということになる。 し
かし, 事件の学校は, 子供たちやその家族が事件のことを想いだし, トラウマ
を増長させることになるので, すぐに解体された。
アーミッシュの赦しはこのときに現れたのがはじめてではない。 遠くはヨー
ロッパで迫害され虐殺されていたときにも, キリストが殉教者としてその苦難
を引き受けながら, 自分を十字架に打ち付けた役人に 「父よ, かれらをお赦し
ください。 かれらは自分が何をしているのかよくわかっていないのです」 (「ル
カの福音書」 章節) と言ったのと同じように, キリストが生きた道に従う
かれらにあっては, 「マタイの福音書」 5−7章にある 「山上の説教」 など,
聖書
の多数の個所にある 「赦し」 を実践してきた。
近年では年に子供用のスクーターに乗っていた5歳の息子が自動車に引
かれ亡くなったとき, 警察にすぐに捕まった運転手にたいして, 母親は即座に
赦しをあたえた事例がある。 年地元の酒場で酒を飲んでいた若者が, アー
ミッシュの
歳の少女を強姦し, 警察がその若者を捕らえたときにも, アーミッ
シュの牧師は 「わたしたちはあの若者を赦します……別の生き方をしてほしい
のです」 と述べ, 父親は 「わたしたちの信仰が試されましたが, 少しも揺るぎ
ませんでした。 ……大変でも, これを乗り越えないといけません」 と語った。
クレイビルほかは, アーミッシュの 「赦し」 がキリスト教でいう G
(恩寵, 恩恵, 思いやり) の心情と一致している, と語っている。 かれらは,
「愛」, 「慎ましさ」, 「恵み」, 「従順」 などで 「赦し」 の心情を表し, その赦し
にはとこしえもない G
の心がそこにあり, 赦したことがいかに 「癒し」
をもたらしたかを記憶にとめ, いかにそれが人間としての 「恵み」 をもたらし
( )
ているかを心にとどめ, 精神的な安定をえている。 このことは 「赦しを研究す
る心理学者」 にも認められていて, 「赦し」 により気持ちを転換することで
「癒しと希望によって悲劇を乗り越える」 という人間的な生き方なのである)。
アーミッシュは
聖書
のうちで 「マタイの福音書」 の 「山上の説教」 を重
視し, とりわけ6章・節の 「もし人々があなた方に罪を犯したとき, あな
た方が人々を赦すならば, 神もあなた方を赦すでしょう。 もし赦さないならば,
神もあなた方を赦さないでしょう」 という祈りを常に思い浮かべている)。 こ
の文言を含んだ 「主の祈り」 は, 子どもの時から頻繁に食事の時も眠る時にも
唱えられている。 キリスト教徒全員がこの 「主の祈り」 を頻繁に唱えているの
であろうが, それを実践する者が少ないのに反して, アーミッシュはこのこと
を常に考え, 実行するようにいつも努力しているし, 実際にそうしている。
人間は, 全知全能の神ではなく, 「罪人」 であり ( 聖書 , 「ローマ人への手
紙」, 3章節) 欠点の多い存在であるので, 特に他人の死にかかわる判断や
行動を実行することは, とうてい許されることではない。 たとえそれが殺人者
を裁く場合であるとしても, そうである。 その罪は冤罪であるかもしれないし,
たとえ罪を犯していたとしても, 罪を犯さざるをえなかった社会背景があるか
もしれないので, それらを欠陥のある人間が裁くことができないし, 裁いては
いけない。 罪を憎んでも, 己の仲間でもある人間を憎んではいけないし, 善意
で接しなければならない。 「復讐してはならない。 復讐は神に任せなさい。 ……
むしろ敵が飢えているならば食べさせ, 乾いていれば飲ませなさい。 ……悪に
打ち負かせることなく, 善をもって悪を撃ちまかせなさい」 (「ローマ人への手
紙」 章
節)。 これらのことから考えれば, 赦しは相手が謝罪したから赦
すというのではなく, 謝罪や反省があろうとなかろうと, 赦しが実行される。
戦争においても, それがなるほど正義を守る戦争であったとしても, 戦争相
) クレイビルほか (
), 頁, 参照。
) ()
( )
アーミッシュ社会と平和
手も正義を主張しているので, いかに優れた指導者でも欠陥のある罪人でもあ
る人間としては, どちらの正義が正しいかを判断し, 他人を殺害する戦争行為
を命じても加担してもいけない。 このような思想信条がアーミッシュの 「主の
祈り」 には込められている。 それゆえに人を殺傷することに加担してはいけな
いという理由で, アーミッシュの絶対的な無抵抗主義と平和主義および 「赦し」
があるように思う。 そこでは, さきの
聖書
の言葉のように, 罪への審判は
神のみがくだされるのである。 このような強い思想があればこそ, 戦争と暴力
も避けられる。
むすびにかえて
つぎの言葉は原爆被害者の体験を表現した 「日本原水爆被害者団体協議会」
の 「原爆被害者の基本的要求」 のなかの言葉である。
原爆は, 広島と長崎を一瞬にして死の街に変えました。 赤く焼けただれて
ふくれあがった屍の山。 眼球や内臓のとび出した死体。 黒焦げの満員電車。
倒れた家の下敷きになり, 生きながら焼かれた人々。 髪を逆立て, ずるむけ
の皮膚をぶら下げた幽霊のような行列。 人の世の出来事とは到底いえない無
残な光景でした。
わが子や親を助けることも, 生死をさまよう人に水をやることもできませ
んでした。 人間らしいことをしてやれなかったその口惜しさ, つらさは, 生
涯忘れることができません。
いったんは死の淵から逃れた人も, また, 家族さがしや救援にかけつけた
人たちも, 放射能に侵され, 次々に髪が脱け, 血をはいて, たおれていきま
した。
生き残った人たちも 「原爆」 を背負いつづけています。
( )
「家もなく無一物になり, 何一つ楽しいことはなく, 生けるしかばねです」
「一生病臥の毎日です」 「働こうにも人並みに働けない。 人からはなまけ者と
言われるが, こんな体にしたのは誰なのか」。 結婚・就職などの差別をおそ
れ, 被爆者であることを隠し続けている人たちも少なくありません。 ちょっ
とした体の不調でも, 原爆のせいではないかと思いわずらい, あるいはまた,
いつ, 原爆症が出るか, 子や孫への影響は
と, 胸に爆弾を抱いたような
毎日なのです。
原爆で肉親を奪われた遺族も, 悲しみと恨みの年を生きてきました)。
このような癒されることのない悲惨な責め苦を背負わされ, 戦争により理不
尽な耐えがたい苦痛を被ったがゆえに, 被爆者は核兵器の廃絶と平和を心から
とこしえに願い, 何よりも要求する。 核兵器の恐ろしさは言うまでもないが,
通常兵器による戦争も, 大小があるとはいえ, この言葉にあるような悲惨で残
酷な悲劇をもたらす。 このような悲しみを背負いつづけている被爆者, 理不尽
な暴力によりいたいけない家族を蹂躙されたアーミッシュ, 戦争や暴力を憎む
が, それでもなお人を憎むことなく, 赦すだけではなく, 善意で接するかれら
の態度を, それゆえにわたしは行動の指針としていつまでも尊重しつづけてい
きたい。 そのような人にわたしはなりたいし, 復讐の連鎖を繰り返しては絶対
にいけないのである。
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かな人々―アーミシュ生活の個人的回想―
卷
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大分大学
経済論集
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