文明間対話に関するイスラームの見解―共存か衝突か アブダッラー

文明間対話に関するイスラームの見解―共存か衝突か
アブダッラー イブン サーレハ オベイド博士
サウジアラビア諮問会議議員
神に讃えあれ、そして預言者とその家族及び側近の人達に祈りと平安を。
文明は個別の努力であるのか、人類共通のものであるのか、また異なる文明間の関係は共
存であるのか衝突なのか。このような設問は西洋のハンチントンやフクヤマのものであるが、
ここで私はイスラームの見解を提示したい。
文明は共通の努力
文明は様々な人達が参画する人類の努力であると歴史家は断言している。文明の違いは
様々な要因と状況から生じると、英国のトインビー(1889-1975)は言う。またフランスの
人類学者レビ・ストラウスも民族の違いで文化の高い低いを論ずるのは無意味で、現在の西
洋の発展が終着点ではないと言う。フランスの思想家ロジェ・ガールーディーは文明間対話
が理解と意識高揚のために必要であるとして、さらに言う。イスラーム文明に対する優越感が
西洋文明から信仰を消失させ、彼ら自身キリスト教、マルクス主義そしてイスラームの間をさ
まよった。そして西洋文明は他の文明に悪影響を与えないためにも修正を必要としており、そ
の文明を強要したために原理主義が生じた、と。西洋は知識を世界に広め同時に他の文明
のあり方を暴露したが、そのような強権的な仕方を改め、特にイスラーム文明と真の対話を
進める必要があると論じている。この点ハンチントンらは中国やインド文明と組んでも、また世
界中をけしかけてもイスラーム文明との対決を呼びかけている。R.ブリトンの言うように、こ
のような捉え方は思想的政治的に世界を支配していたヨーロッパの文明観に基づくもので、
まず自らの文明を唯一個別なものとして把握し、その外にいるものを野蛮人とする。そして
人々を文明と非文明に二分するのである。
かかる個別化の原因は自らの軍事的、政治的そして工業上の力であろうが、文明はそうし
た力には頼っていない。もちろんそれらの力は文明、価値、道徳そして諸原則を擁護はする
が、それらを温存しようとする試みが失敗に終わっている例は歴史上少なくない。ファラオ、バ
ビロン、ローマといった古代の例や、ドイツ、ソ連といった最近の例もある。今日の世界を支配
する勢力が必要としているのは、実存のための哲学と価値そして人類への貢献の探求であり、
従って支配やこれらの力を脅かさないような弱い敵を作ろうとする行為の正当化のための哲
学ではない。
文明と文化は共存か衝突か
文明という用語は特に東洋学で歴史家が用い、文化という用語は現代学でよく用いられて
きている。なかでもアメリカ人が文化という言葉の使用について影響を与えている。しかしそ
れらの言葉の定義は様々である。
おそらく文明間対話への関心の原因は、20世紀の多くの戦争−第一次、第二次大戦、ヴェ
トナム、中東、湾岸、バルカン、アフリカなど−による破壊と、国連も様々な文書を通して努力
してきた世界共通の概念を必要とするという事情から生まれてきたのであろう。特に第二次
大戦後、何百万人の被害と人類の道徳と諸原則の瓦解に直面してそのような必要性を痛感
した。国連はもとより、1949年ユネスコの設立につながり、その当初の報告には「国際理解
は文明間の関係の問題である。そこから互いの理解と尊敬に基づく新たな世界社会が生み
出され、その世界社会では諸文明の共通の諸価値の認知を通じた世界性が達成されている
新しい人間的なあり方を実現する必要がある」とされた。
ユネスコではすでに文化の個別性に反せず、またそれぞれの民族の文明的な責任を確認
しつつ、概念整理として以下のように宣言した。
1.
それぞれの文明には保存と尊敬を伴って、個別に配慮してゆくべき価値がある。
2.
それぞれの民族にはその文明を築く義務と権利がある。
3.
大きな相違点と相互の影響を保ちつつ、それぞれの文明は人類共通の遺産の一部
を構成している。
当然以上の概念作りのためにいろいろの研究が参照されたし、また国際共産主義思想の
ような挑戦に立ち向かうためもあった。そして冷戦を通じて宗教、社会、文学や思想といった
あらゆる力が自由世界とその同盟国から結集されたのは真に幸いであった。さらに冷戦後
支配者は変わったが、支配より不都合なほかのものに取って代わられたわけではなかった
のも幸いであった。この前兆となったのが、フクヤマやハンチントンの論文である。
フクヤマ論文とハンチントン論文
米国と世界に巻き起こした余波を検証するために、ここで両論文を紹介したい。冷戦後、米
国の世論、思想、政治軍事分野の指導者に明らかになったのは、将来を規定する戦略的哲
学に欠けているということであり、世界に向けて将来像を提示することが出来ないということ
であった。そこで米国は仕方なく、ヨーロッパや東洋―インド、中国、フランス、イスラーム、エ
ジプト、ギリシア、ローマなど−とは異なり、文明やイデオロギーの背景抜きで、また人生と存
在についての完結的な見方なしで立ち向かうことになった。もちろん米国はヨーロッパと対抗
もし、またそれを超えても来た上に、軍事的に大きな助けともなってきた。さらに米国は民主
制のための法律的政治的な創意工夫も多々達成してきた。それらは国内的な諸制度整備と
世界的には国連、世界銀行そして軍事的なあるいは経済的な同盟関係の樹立を通して可
能となった。ところがそれらすべては、文明が拠って立ってきた諸原則を代表する宗教的道
徳的社会的な諸価値を確立することによってではなかった。
両論文は明らかに自由、公正、平等に基づく文明の概念を求める知的研究というより
は、冷戦後の米国の見解を広めるためのものである。ソ連との戦いのために総力を挙げた
が、その終了と共にこれらの論文は資本主義の支配継続と米国の支配実現という目的のた
めに、歴史の二局面を取り上げて書かれている。その一つはフクヤマの言う歴史の終焉とい
うことで、この見方は自由主義と資本主義が人類が最終的に到達できるもので、それ以外の
試みは失敗に終わったという前提に立つ。これはプロシア存続のために、これで歴史は終わ
るとしたのと同様である。歴史の終焉を体現するのは、ヘーゲルではプロシアでありフクヤマ
においては米国なのである。
ハンチントンの見解は闘争と革新という歴史の継続という局面に立脚する。敵対するのは
冷戦時には共産主義であり、現在は西洋文明と異なる諸文明ということである。この二分割
のためヨーロッパは米国の側に置き、イスラーム文明を闘争の主要敵とみなすのである。ハ
ンチントンはイスラームが最大の脅威になると言ったNATOの事務総長と変わりないという
ことだが、文明の戦いという表現で、以前どおりに経済、政治、軍事上の戦いであることを隠
蔽し、また新たな戦いのために宗教、文化、社会の諸力を結集したいとの意図であろう。
「我々の戦いの基盤」という米国の知識人の声明もそのような結集を目途にしている。知識
人には分かっていることだが、闘争を生み出すのは相互理解と融和に導く文明、哲学や思
想ではなく、宗教や文明の名を語る軍事的政治的あるいは経済的な利害なのである。
両論文は米国流の実用主義に基づく哲学と戦略を実現しようとする、性急な対応以外何
者でもない。しかしそれは国際的な諸協約、特に政治、思想そして信教上の自由を含む人
権とは合致しないものである。
1993年-97年の間に両論文は、賛否を問わず様々な対談、会議や出版物を通して
流布された。そして資本主義支配という伏線は暴かれないまま、さらにフクヤマは「ガラスの
中の人間」と題して技術の進歩が人間の自然に及ぼす影響を論じた。彼は言う、「人の自然
が変化して人類世界以外のものになっても、そこで支配するのは自由主義と資本主義であ
る」と。しかしもしそうであるならば、歴史終焉以前の諸理論や制度が失敗したのは人の自
然に合致しないからだとするフクヤマの論旨は一貫せず、従って正当化できなくなるのだ。
フクヤマの議論には隠された部分があるように、ハンチントンの場合も同様であった。「文
明の闘争」の中で彼は、「すべての文明の民は他の諸文明が共有する価値、基盤、実践な
どを学び、またそれらを拡張すべきである」と言うが、その目的はあからさまな衝突は避けた
いということある。彼はまた、「違いを認めることは合致への道を開く」とも言っている。同書に
おいて彼はまた、歴史、言語、文化、伝統そして宗教の違いは必ずしも闘争を意味せず、ま
た闘争は必ずしも暴力を意味しない、とも言っている。さらに彼は、文明の違いが今日の戦
いの導火線となっているのは、戦争という段階の世界システムの危機を特筆するからである、
と。かくして彼は闘争の概念を共生可能な種類の相違に変質させ、世界を分割する相違で
はないものにしようとする。そこでは戦いと破壊の道具ではなく、思考、理性、論理を使った
対話と議論を通じて相違点を克服しようとするのである。
言い換えれば、フクヤマは人類の実験は終わり、西洋文明が齎した自然に沿った法則が
勝利したので、これ以上思想的な人間の戦いは不要となる。ハンチントンによれば、宗教ほ
か歴史、言語、伝統など文明の戦いは続くとされる。前者は自然の法則に反するものと戦え
ということになるし、西洋文明が歴史の終焉を示しそれ以降はいかなる国や社会にも個性は
無いということになる。そしてその見方は過去の人類の歴史や数千年間知性が培ってきたも
のを否定し、社会的で選択を知っている複雑な人間に代わって一面的な人間だけが登場し、
将来は一本道ということになるのだ。これはきわめて単純化された見方であり、人は性、金、
そして本能という物質的な要因に規定されているだけで、生存の様々な要因を享受する存
在ではなくなってしまう。それは人間を物質が支配するものとしてだけ見ることであり、精神
的道徳的な諸側面を看過することでもある。これは間違いであり、人間を物質的で動物的な
ものに貶めるし、人からその使命と尊厳を奪うことでもある。汚染と荒廃が人を誤らせること
についてコーランに言う。「人間の手が稼いだことのために、陸に海に荒廃がもう現れている。
これは、かれらの行ったことの一部を味わわせかれらを(悪から)戻らせるためである。」(ビ
ザンチン章41節)
フクヤマの見解は人間の理性や利益を踏み越え、あまりに時期尚早な面があるのかもし
れない。イスラーム世界は西洋から学ぶことが出来ず、世俗主義者も原理主義者も代替案
を提示していないからこそ目立つのであり、米国などが政治地理的な変化に対応し、歴史終
焉後の世界でイスラームのように規範に合わないあり方に対峙すべきだというのである。
共通の敵に対峙すべしとする両論文は、様々な要因を無視している。まずは他の文明の
あり方、国際的諸取り決め、西洋内の闘争、南北間の抗争、さらには冷戦などである。冷戦
こそは政治、経済、人権などの諸側面を含み、各宗教、経済団体、研究所などを巻き込んだ
熱い戦いであった。ソ連の軍事力崩壊後は人類社会に対する脅威は再燃することはないの
か。ユーゴスラビアと欧州の戦いを見れば、冷戦と同様な要因が働いていることがわかる。
そのいずれの戦いにおいてもムスリムは、キリスト教徒と世俗主義者に挟まれた格好になっ
ていた。
確かにインドネシア、バングラデシュ、ナイジェリア、あるいは湾岸、レバノン他で民族的宗
派的政治的な様々な対立を生み出しているイスラーム諸国自身の傲慢を無視することも出
来ない。それらは利害の衝突であり、文明のそれではない。他方で資本の支配に対する怒り
の声も間違いなくある。2001年8月南アフリカのダーバン会議には3000以上の政府団体
と150カ国代表が出席し、悪政、支配と弾圧除去を訴えた。しかし多様な出席者でもあり、
それ以上ではなかった。ただし戦いの主眼点は、他者の破壊を克服するということにある点
は明らかである。
両論文に対する米国内の反応
米国内にも反論があることを少し見てみる。ヒールガー・ラーウッシュ所長(チーラル財団)
はハンチントンに反論して、2002年「文明間の衝突ではなく、文化間の対話を」を著わした。
ハンチントン説はアングロサクソンの政治的なシナリオであり、文明間には共通の基盤が無
く衝突は不可避で、多様性や異なるもの同士の協調よりは単一性を重視する考え方に戻ろ
うとするものである、他方文化間の対話は歴史の常であり人類の歴史に名を残すような諸
文化を再生させようと主張する。プラトン、孔子、ファーラービー、アル・キンディー、イブン・シ
ーナー、N.クーサー、そしてチーラルといった巨星を挙げている。このような反応のほかに
も、「米国から」と題する米国知識人の声明も出され、対話よりは戦いが正当化される場合に
ついて異論が様々にあることを示した。他方では11-13世紀十字軍が成功したとしても、
テロとの戦いにおいてブッシュ大統領がその用語に訴えることはもはや受け入れられないし、
19世紀以来支配を争ってきた西洋世俗社会さえもがかかる用語には反発したのであった。
またイタリア首相のイスラーム攻撃に対してはムスリム官民の激憤が伝えられ彼が謝
罪するに至った。人間社会は今日、結集し対話を行うことを求めており、人間的な関係の実
現という使命こそは、米国のみならずどのような小国であれその各種慈善団体などが貢献
できる分野である。文明は共通の努力によるのである。
イスラームと西洋キリスト教間の対話
西洋におけるイスラーム情報は東洋学者の書き物に頼っており、また宗教関係者はイスラ
ームを否定的にしか見ないキリスト教徒の説に従い、その見解を作ってきた。十字軍が起こ
されたのはそのような背景の中で、1270年ごろにはローマ、パリ、オックスフォードでアラビ
ア語の教授が始まったが、イスラームに中立的なものは無く、この性格は今日も続いている。
ただし20世紀半ばに入ると文明間対話のための理事会が、2860団体を集めたカトリック
教会の会議の結果作られた。その1914年の理事会の会合の中で、ムスリムは以前とは異
なり救済されうる民であり、イーサーを預言者たることを認め、マリアを敬愛し、断食、喜捨な
ども実行しているので、敬意を表し評価すること、さらには過去において生起したことや恨み
などは忘れようと呼びかけた。ところがキリスト教会の観念では、対話は伝道の一部として
のみ取り扱われたのである。
イスラーム文明
B.ルイスらの中立的な人達によると、イスラーム文明は地理的な広がりとともに多様な側
面と他民族を包含することを目指すはじめての文明である。インド、中国、ギリシア、ローマ、
ペルシャなどの文明を吸収したが、その原点はコーランの創造と存在、そして人の共生につ
いてアッラーが部屋章13節に言う「人々よ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを
創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。
アッラーの御許で最も貴いものは、あなた方の中最も主を畏れるものである。」この章のお陰
でムスリムは創造と個人、社会の発達について、また人生の目的について色々議論せずに
すむ。また同時に人類全体へのメッセージであるので、ムスリム限りにとどまるべきものでも
ない。
1.節のはじめは「人々よ」となっているように、あらゆる人々への言葉である。
2.人は動物ではなく、また自らの力で生まれたものでもない。「われはあなたがたを創
り」なのであり、異論や錯誤が生じないように再確認している。
3.男と女は互いに補い合う二つの構成要素であり、どちらに贔屓することもなく、それ
ぞれが持分をまっとうすることが求められている。性、色、血、信条や文化の違いは根本が
一つであることと矛盾せず、神が義務と権利を与えた一つの家族なのである。
4.人が引き続き増え、神はそれに個性を与え大きな人間社会に仕上げるのである。そ
の団結力のため、神は言う「種族と部族に分けた」。
5.この節は互いに知り合うために説かれている。部族としての知己は縁戚関係であり、
利害関係の一致を意味しているし、また部族間の縁故は協力と共存を意味する。文化、環
境などが人に違う影響を与えているとすれば、それは人が分離されているからではなく、そ
れぞれが結集力を発揮しているのであり、それは大きな組織が専門によって分化しているの
と同様である。ただし知り合うことには、協力と相互理解を必要とし、さらには人の幸福と繁
栄を望む気持ちと様々な疑惑、懸念、恐怖といった孤立した社会を襲う心配を断ち切るだけ
の方途を心得ていることも必要となる。
このような相互理解が対話の基であり、それはまた自己認識と自己批判であり、他者
の認識と他者の受容でもある。同時に人の共生について神の命に応じることでもある。
この世の生は神からのものであり、「もしアッラーが御望みなら、彼らを一つのウンマに
なされたであろう」(相談章8節)、「もし主の御心なら、地上の凡ての者は凡て信仰に入った
ことであろう」(ユーヌス章99節)、「またあなたの主の御心ならば、かれは人々を一つのウン
マになされたであろう。だがかれらは反目しあっている。あなたの主が慈悲を垂れられる者
は別である。かれはそうなるように、かれらを創られた。」(フード章118・119節)。左様に区
別は神の慣用であり、知己を得ることは神の知恵なのである。この世での共生の条件は互
いに知り合うということだけではなくて、相互に経験、知識を交換し、共通の利益を分かち与
えることを意味する。ドイツの思想家ユルゲン・ハーバーマースがその著作「新たなことへの
哲学的言辞」で述べた「相互効果」とはこのことで、知的な成長に有効な手立てなのであろう。
このことはコーランの一節でも触れられている通りであるが、利己的でありながら他者をも認
めるという人間社会から、相互効果は生み出されるのである。
6.人のあの世における地位は、どれだけ神を畏れるかということにかかっている。畏れ
る人こそは神の命令を知り、この世の行いも最善であるからだ。この世はあの世の農耕地な
のである。この世では人は試されているのであり、善行と忍耐に耐えるものこそこの世に貢
献し、利己心を克服し、苦労を忍べるのである。他者との相互関係ややり取りが社会の基礎
であり、同時に神との最高レベルでの逢合の基である。それはまた、人の社会を統治し指導
することになる規範であり基準を具現するものである。
知己を得ることについてのコーランの教え
他者に知ってもらうためには自分自らを知る必要があるが、これは有効な対話の必須条件
である。そこで自らを知り、自己紹介をするには、完結した哲学、宗教や理論を体得する必
要がある。
対話の難しさの一つは、自らを十分知らないことや矛盾したままの理解をもっていることで
ある。部分的な理解では足りず、認識、信条などの基礎となり、人の文化的素養を形成する
その人の過去、獲得物あるいは全体像を通して知りうるのである。
ハンチントンの言うように、宗教は文明の最も強い要因であったが、それを傷つけるのは宗
教を理解していないということであろう。理解不十分か無知、あるいは知ってて知らない振り
をするかである。「また人々の中には偏見をもって、アッラーに仕える者がある。かれらは幸
運がくれば、それに満足している。だが試練がかれらに降りかかると、顔を背ける。かれらは
現世と来世とを失うものである。これは明白な損失である。」(巡礼章11節)
急進派の行く末とはそのようなもので、外からの利益に汲々とし認識不足、理解不十分な
ことは目を覆うものがある。同様に連携の輪や内的魅力に欠け、それがまたその人の存在
の欠陥部分を押し広げるのだ。腐敗、邪な考え、幻想といったものがどれだけ宗教を溶解さ
せ、破滅に追い込み、欺瞞、謀反や虚飾などがイスラームを幾世紀の後襲ってきたのだ。も
はや新しい事柄は社会を刺激せず、現代ではムスリム社会を民族主義、社会主義、資本主
義、グローバリズムなどが切り崩している。そして対話の原点、目的、方途は多様化し、自他
を表現するための共通の理解もなくなってしまった。これがイスラームにとっても互いに知り
合う上で、最大の問題とならざるを得なかった。この事情は広く知られる必要があるが、その
原因はあの寛容で完璧、偉大な教えやその信徒のためではないのである。いろいろの主義
などの見解や行動は、損失を回避することを保証する偉大なコーランの章に端を発している
のではない。欺瞞、変則、極論などは真理、知識、忍耐などを否認するもので、さらには崩壊
と不信に火をつけ分裂を準備するものである。そうするとイスラームは文明的な責任を負う
能力が無いごとく言われることとなり、また「能力以上の責めを神は負わせることは無い」と
教えられるのに、不当な責めを背負い込まされてしまってきた。その状況下で、他国のグル
ープや他国の力に直面してきたのである。
闘争と防衛
文明の闘争とは最近の新造語である。しかしムスリムの間ではコーランにある防衛という
言葉に当てて、同義語として理解されてきた。「アッラーが人間を、互いに抑制し合うように仕
向けられなかったならば、大地はきっと腐敗したであろう。」(雌牛章251節)しかしここでの
意味は、ハディースにあるように神は善人からは他人の悪を押しやり、その家族や隣人から
も災害を遠ざけるということである。「礼拝、授乳、放牧がなければあなた方は苦痛に見舞わ
れるであろう。」また神は人をしてその教えに従わしめ、信ずるものは自ら善を実践させるの
である。こういう次第で闘争の勃発を抑えたりそれから防衛するというのとは違うのだ。イス
ラームは天性の宗教で、戦闘の正当性は敵を排斥するということにある。「あなたがたに戦
いを挑むものがあれば、アッラーの道のために戦え。」(雌牛章190節)またさらに、「戦いを
しむける者に対し(戦闘を)許される。それはかれらが悪を行うためである。アッラーは、かれ
ら(信者)を力強く援助なされる。(かれらは)只「わたしたちの主はアッラーです。」と言っただ
けで正当な理由もなく、その家から追われた者たちである。アッラーがもし、或る人々を外の
者により抑制されることがなったならば、修道院もキリスト教会も、ユダヤ教堂も、またアッラ
ーの御名が常に唱念されているマスジドも、きっと打ち壊されたであろう。アッラーは、かれ
に協力する者を助けられる。本当にアッラーは、強大で偉力ならびなき方であられる。」(巡
礼章39・40節)間違ったものの刃は壊されるが、イスラームは分別が基本であるとする。
「宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている」
(雌牛章256節)、「言ってやるがいい。「各自は自分の仕方によって行動する。だがあなた
がたの主は、誰が正しく導かれた者であるかを最もよく知っておられる。」」(夜の旅章84節)
また「あなたがた信仰する者よ、心を込めてイスラームに入れ。」(雌牛章208節)
イスラームは平安、安全、公正の教えで、虚偽を戒め、戦いは挑まないのである。ハンチン
トンらの文明の衝突論議は他者排斥、戦いを目途とする。しかしイスラームでは戦いは手段
であり、一定の条件の下、限定された目的のためのものである。それは宗教、精神、金銭、
子孫、知性などに関する正当な権利を剥奪する強権を追いやるのである。
最後に、神は防衛を「人びとは互いに」として被創造物間のものとして示されたのである。
文明間の衝突は学者や思想家たちの創り上げる建造物であり、その相互作用やぶつかり
合いである。多様化し相違が生じてきて、人類への貢献ともなり、その相互作用などは悪を
除き、善を存続させるものでなければならない。霜は消えうせ、益あるものは残らねばならな
い。おそらく今日の世界は互いに接触し、相互作用を及ぼす必要性に迫られているのでは
ないか。一方には支配と技術進歩の力があり、他方には信仰と精神主義の力がある、言い
換えれば人間的な側面の力と物質的な力が直面しているからである。
以上