大量失業時代の福祉国家

大量失業時代の福祉国家
−福祉国家再構築のための課題−
野
田
昌
吾
はじめに
Ⅰ.新自由主義的改革は必然か?
Ⅱ.今日における「ソーシャル・セキュリティ」のあり方―問題の所在
Ⅲ.「社会的公正」拡大のための社会的連帯
むすび
はじめに
先進各国で「福祉国家の危機」が議論されるようになってすでに久しい。石油危機をその議
論の出発点に採ってみてもすでに四半世紀が経過していることになる。そのことは裏を返せば、
当の福祉国家自体は、それを批判する論者による激しい攻撃にもかかわらず比較的そのままの
かたちで存続している証しであるとも見られなくもない。とは言うものの、福祉国家とは先進
各国の戦後政治においていわば正統性原理の地位を獲得した政治目標であり、社会民主主義者
はもちろん、保守主義者であれ自由主義者であれ、程度の差はあるとはいえ、福祉国家の必要
性を承認し、その意味で福祉国家は、ほぼすべての政治勢力のあいだの「合意」事項であった。
その点からすれば、今日それが再び大きな政治的対立点になっているということは、福祉国家
を一つの政治体制であると考えた場合、ひじょうに大きな変化であることは疑いえないであろ
う。
このような「正統性の危機」としての「福祉国家の危機」はこの間いっそう進行している。
たしかに、イデオロギー的にもっとも激しく福祉国家が攻撃されたのは新保守主義政権の叢生
をみた80年代であり、それと比べると過去十年は「冷静な」改革の時代であったと見られなく
もないが、それは、90年代がすでに新自由主義的改革の洗礼を受けた後であったということ、
またヨーロッパの場合、これらの改革がサッチャー英首相のような「顔の見える」福祉国家攻
撃を通じてではなく、「ヨーロッパに繁栄と福祉をもたらすための」ヨーロッパ経済統合・通
貨統合プロジェクトの一環として行なわれたことによっている。むしろ、この十年の方が福祉
国家的諸政策の見直しが進んだと言っても過言ではない。そもそも90年代は冷戦終結で幕を開
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政策科学 11−3,Mar.2004
けた十年であったが、この冷戦終結は経済競争のグローバル化を加速させ、また、ヨーロッパ
においては経済通貨分野を軸とするEUの統合を一挙に本格化させることにより、とくに西ヨ
ーロッパの各国政府に規制緩和と財政再建への取り組みを大きく迫ったからである。また、こ
うした取り組みと並行して、伝統的な福祉国家はもはや時代遅れであり、社会経済体制の大幅
な改革が不可欠であるとの見方が社会全体に広く行きわたっていったことも大きな変化であ
る。福祉国家をこれまで擁護してきたヨーロッパ各国の社会民主主義政党でさえ、従来の福祉
国家建設の目標をもはやそのままのかたちでは保持しえなくなっているという今日の状況ほ
ど、福祉国家をめぐるこの十年の動きを象徴的に示しているものはない。
こうしたヨーロッパにおける社会民主主義勢力も含めた福祉国家見直しの主張の大きな背景
となっているのは大量失業問題である。社会的弱者の代表を自認する社会民主主義勢力は、社
会問題解決の枠組みとして福祉国家をこれまで積極的に擁護してきたのであったが、構造的な
大量失業問題に苦しみ続ける多くのヨーロッパ諸国と失業を大きく減らすことに成功したアメ
リカという80年代以降の対照的な展開の印象のもと、社会民主主義勢力も、かれらの擁護する
福祉国家自体が今日の最大の社会問題の一つである大量失業の原因となっているという議論を
もはや避けて通ることができなくなってきたのである。社会民主主義勢力をはじめ、ヨーロッ
パは今日、「社会的公正」や「人間の尊厳」の実現といった福祉国家がこれまで追求してきた
政策理念をグローバル化と情報化を特徴とする今日の変化した状況のもとでどうやって実現し
ていけばよいのかという難問の前に立っているのである。
言うまでもなく、このようなヨーロッパ福祉国家が直面している課題、すなわち福祉国家の
どこをどう直せばよいのかという問題はひとりヨーロッパだけの課題ではない。以下では、グ
ローバル化時代の福祉国家改革の方向性についてのひとつの視座を得ることを念頭に置きつ
つ、今日のヨーロッパ福祉国家の再構築にとっての課題について検討していくことにしたい。
Ⅰ.新自由主義的改革は必然か?
福祉国家を大量失業問題の原因として批判する典型的議論は新自由主義者のそれである。な
ぜ従来の福祉国家的なやり方ではだめなのか。新自由主義の論者たちはグローバル化時代への
移行に伴う経済の変容をその理由にあげる。一体化した世界経済においては、情報通信技術や
交通手段、金融工学の発達もあって、行動の迅速性がひじょうに大きな意味をもってくるが、
さまざまな経済社会的規制の束である福祉国家は、今日のグローバル化した経済競争に不可欠
である迅速かつ柔軟な行動を企業がとることを不可能にし、企業から競争力の基盤を奪ってい
る。また、国際的水平的分業の深化をも意味する世界経済の一体化は、人件費が相対的に高い
先進各国においては、専門的技能・知識を必要としない部門の労働力需要の減退を引き起こす
ことになるが、福祉国家的労働市場規制は、今日の失業問題の焦点をなすこの低技能労働者の
需要を増やすのに必要な賃金の引き下げを妨げ、そのことにより大量失業をそのまま放置させ
ているのである。
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大量失業時代の福祉国家(野田)
だとすれば、問題の解決策は明らかである。迅速かつ柔軟な企業行動を可能とする枠組み、
すなわち規制緩和、とりわけ労働市場の柔軟化が何よりも必要だということになる。具体的に
は、企業行動に制約を課す労働組合の交渉力を支える制度体系の解体、またこれによる賃金の
「下方硬直性」の解体が必要だということになる。イギリスのサッチャー政権の労働組合権力
への攻撃はこれをまさに正面から行なったものであった。
こうした新自由主義的改革のモデルはアメリカである。80年代以降とりわけ90年代に入って、
アメリカは長期にわたり相対的に高い経済成長を記録し、またその結果として失業率も大幅に
改善したが、この成功の理由を新自由主義者は労働組合の弱さと経済への国家干渉の小ささに
見た。組合の弱さと規制の欠如によって可能になった低賃金部門の拡大が、大量の低技能労働
者の労働市場への再吸収を可能にしたのだと説明された。失業問題を解決するために、またと
りわけ問題の焦点である低技能労働者の失業問題を解決するためにも、福祉国家的規制は解体
されねばならないのである。
こうした新自由主義的改革ははたして失業問題解決のための唯一の正しい処方箋なのだろう
か。以下に見るように、必ずしもそうだとは言えない。
まず、福祉国家を批判するさいによく取り上げられる賃金の下方硬直性と雇用の改善との関
係についてみると、たしかに、90年代(1989−97年)に賃金の引き下げ(以下の数字は製造業
一時間あたり実質賃金の年平均伸び率)に成功したアメリカ(−0.4%)は失業率を大きく改
善させているし、また、ほとんど賃金の引き上げを見なかったオランダ(0.2%)もまた大幅
に失業率を改善させている。しかし、同様に失業率を顕著に減らした諸国、とくにイギリス、
デンマーク、ノルウェーでは相対的にかなり高い賃金伸び率を記録しているし(それぞれ順に、
1.7%、1.5%、1.4%)、この間大きく失業率を悪化させた日本、スウェーデン、ドイツの賃金
伸び率は逆にこうした国々よりもわずかである(順に1.2%、1.0%、1.2%)1)。また、やや古
いが、80年代のアメリカと独仏両国の賃金の柔軟性と失業問題の関係を検討したある研究によ
ると、この時期独仏両国ともアメリカと比較して大幅な賃金抑制が見られたにもかかわらず、
失業はむしろ独仏両国で悪化している2)。社会保障費をはじめとする狭義の賃金以外のさまざ
まな負担を含む総体としての人件費の伸び率(製造業単位労働コスト:1989−97年の年平均)
を見ても、たしかにアメリカは0.1%人件費を減らしているものの、90年代に大量の失業増を
記録したスウェーデン、フィンランドでは人件費は減少している(それぞれ−0.6%、−0.9%)
し、大きく失業を減らしたイギリス、ノルウェー、デンマークでは人件費がかなり高騰してい
る(順に3.0%、2.1%、1.2%)。なおドイツは0.2%しか人件費は増えていない3)。
もちろん、このように十年単位で見た場合、議論となっている適応の迅速性の問題は視野に
入ってこないし、また、賃金ないし人件費の高騰・低下も雇用問題の改善・悪化の単なる反映
かもしれない。しかし、欧米諸国で90年代雇用の改善をみた国はアメリカを除きすべて賃金を
低下させていないということもまた事実である。すなわち、アメリカのように賃金を下げるこ
とが失業問題の唯一正しい処方箋であるとは少なくともここからは言えない。
とはいえ、以上の数字は製造業部門の数字であり、今日の長期失業者の大部分をしめるのが
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政策科学 11−3,Mar.2004
表 男性所得の不平等の水準と変化5)
1979年
(不平等が大きく拡大)
アメリカ
イタリア
カナダ
イギリス
(不平等がわずかに拡大)
日本
オーストリア
オランダ
スウェーデン
フィンランド
デンマーク
フランス
(不平等が縮小)
ベルギー
ノルウェー
ドイツ
1995年
年平均変化
失業率(’90)
同(’99)
3.18
2.29
3.46(’81)
2.45
4.35
2.64(’93)
3.74(’94)
3.31
0.027
0.025
0.021
0.020
5.6
9.0
8.1
7.1
4.2
11.3
7.6
6.1
2.59
2.61(’80)
2.51(’85)
2.11
2.44(’80)
2.14(’80)
3.39
2.77(’94)
2.77(’94)
2.59(’94)
2.20(’93)
2.53(’94)
2.17(’90)
3.43
0.012
0.009
0.009
0.008
0.006
0.003
0.002
2.1
3.9(’95)
6.2
1.7
3.2
7.7
9.0
4.7
4.0
3.3
7.2
10.2
5.2
11.2
2.29(’85)
2.05(’80)
2.38(’83)
2.25(’94)
1.98(’91)
2.25
-0.004
-0.006
-0.013
6.7
5.3
8.2(’95)
8.8
3.2
8.6
注)所得最下層10分の1と最上位10分の1との所得比。
低技能労働者であることからすると、雇用問題解決のカギを握っているサービス部門4)にむし
ろ目を向けるべきかもしれない。この点、新自由主義的改革論は、アメリカにおける「雇用の
奇跡」がサービス分野の低賃金労働の大きな拡大にもとづいていることに注目し、失業問題の
解決のためには部門間の生産性の違いを反映した賃金の差別化を進める必要があることを強調
しているが、80年代から90年代半ばにかけて所得の不平等が大きく拡大した諸国は実際たしか
に、アメリカ、イギリス、カナダのように失業率を改善することに成功している。しかし、他
方で、英米以上の失業率の改善に成功したオランダやデンマークは所得格差をほとんど拡大さ
せていないし、またノルウェーに至っては逆に不平等を縮小させている。賃金の差別化と失業
率の改善のあいだにはそれほど明白な相関は認められないのである(表参照)。
また、新自由主義者らの想定とは違って、1989年から94年にかけて、低技能労働者(男性)
の雇用率は、ドイツにおいて4.3ポイント伸びたのに対して、イギリスでは10.7ポイント、アメ
リカでは6.5ポイント、それぞれ減らしている。女性のそれも同様で、ドイツでは8.9ポイント
伸びているのに対して、イギリスで3.2ポイント、アメリカで2.7ポイント減らしているのであ
る6)。他方、フルタイム雇用に占める低賃金労働者の割合(1996年)はイギリスおよびアメリ
カで相当に高く、アメリカでは販売小売、事務職部門のほぼ3割、それ以外のサービス部門お
よびブルーカラー層では5割以上が低賃金労働を行なっており、販売部門で2割強、事務職で
1割強、その他サービス部門で4分の1、ブルーカラー層で約15%しか低賃金労働者がいない
ドイツとは鋭い対照を示している7)。また、1986年に平均賃金の65%以下の賃金で働いていた
労働者が1991年にどれぐらいの賃金を得るようになったかという調査によると、ドイツでは4
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大量失業時代の福祉国家(野田)
分の3の労働者が賃金水準を上昇させているのに対して、イギリスでは39.0%、アメリカでは
なんと55.8%がなおも平均賃金の65%以下の水準にとどまっていた8)。規制緩和をすることで
労働市場への再包摂が可能になることにより、低技能労働者の状況はむしろ改善されるのだと
いうアメリカを範とする改革論は事実とかけ離れている。労働市場の模範とされるアメリカお
よびイギリスでは、低技能労働者の雇用は増加しておらず、全体の賃金水準の悪化だけが進行
しているのである。
さらに、アメリカ型の規制緩和には以下のような問題が指摘されている。まず第一が、いわ
ゆるworking poorの問題である。低賃金部門がこの間大きく拡大したアメリカでは働いても貧
困線以下の収入しか得られないいわゆるworking poorと呼ばれる層が増えており、90年代半ば
の数字では、500万人から600万人、全就業者の4%から5%がこれに当たるという見積もりも
出ている9)。イギリスでも1979年に8%だった貧困線以下の人口割合が93・94年には19%にま
で増加している 1 0 )。貧困線以下の人口割合はヨーロッパ諸国ではおおむね15%以下であるが
(ノルウェー6.3%、デンマーク6.4%)、英米両国では2割を越しており1 1 )、貧困を克服すると
いう福祉国家の目的に英米流の改革は逆行している。
第二に、イノベーション能力の減退、生産性の低下の問題がある。上で見たように多くの労
働者が低い賃金しか得ることができないという労働条件のもとでは労働モラルが低下する危険
性は免れえないし、これは生産性にも影響を与えてこよう1 2 )。就業期間が2年未満の就業者の
割合(1995年の数字)も、解雇を容易にする規制緩和を行なったイギリスとアメリカでは、そ
れぞれ30.3%、34.5%と、日本21.6%、フランス23.0%、ドイツ25.5%と比べ相当高くなってい
る13)が、当然、このような英米の状況では労働者の技能習得のための投資は少なくなる。実際、
イギリス企業のこの種の投資は、規制緩和が推進される以前の70年代初めにはドイツ企業と比
べ15%少ないだけであったのが、90年代前半にはその差は30%にも広がり、また、80年代後半
の数字だが、企業の売上げに占める職業訓練への投資の割合もドイツが2%であるのに対し、
イギリスは0.15%しかなかった14)。
最後に、社会の一体性の崩壊とその社会的損失の問題をあげておこう1 5 )。規制緩和による不
平等の拡大と貧困層の増大は社会に重大な帰結をもたらす。90年代半ばの研究によると、アメ
リカでは、職業訓練を受けず、十分な教育も受けていない若者の初任給は20年間で2割から3
割減少している。また、所得が最も低い下から10%の層は、購買力にしてドイツのその層の所
得の44%しか得ていない。こうした状況は若者の犯罪に対する敷居を低めている。ボストンで
のある調査によると、1980年には少年の約31%が働くよりも犯罪の方が多くを稼げるという考
えをもっていたのが、89年にはその数字は63%にまで跳ね上がっている。実際、たとえばカリ
フォルニア州の刑務所収監者数は80年の2万3500人から95年には12万6100人にまで増加し、こ
の結果、80年に州総予算の2%だった同州の刑務所関係予算は95年に9.6%となり、同時期に
12.6%から9.5%へと大きく落ち込んだ高等教育関係予算をついに上回ることになった。また、
アメリカの労働市場政策への支出は国民総生産のわずか0.55%にすぎない一方で、ある試算に
よると、犯罪がもたらす社会的費用は国民総生産の約4%にも達している(1993年。半分は犯
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政策科学 11−3,Mar.2004
罪による被害額、もう半分が司法・警察関係費用)。こうして増加した収監者数を長期失業者数
に加えれば、アメリカの長期失業率は2.8%で、ドイツの2.4%(収監者を含めば2.7%)を上回
るのである(1993年)。
以上の議論からもわかるとおり、新自由主義的改革論は失業問題解決の決め手であると証明
されたものでもなければ、逆に、その議論の少なくとも一部には重大な疑義が提出されている。
加えて、規制緩和がもたらす負の側面をも視野に入れるならば、こうした処方箋をただちに採
用すべき積極的な理由は見出せない。では、問題となっている大量失業問題にいったいどのよ
うに向き合えばよいのか。これを次に考えてみよう。
Ⅱ.今日における「ソーシャル・セキュリティ」のあり方―問題の所在
前章で確認したように、失業問題に対する新自由主義的処方箋は唯一の正しい処方箋である
とは必ずしも言えないうえに、他方で大きな副作用が懸念されるものであって、貧困の防止と
除去、人間の尊厳を可能とする社会といった福祉国家の目標を前提するかぎり、こうした処方
箋を性急に採用することには慎重にならざるをえない。
しかし、言うまでもなく、福祉国家が従来のままでいいというわけではない。「はじめに」
で述べたように、今日の福祉国家の危機は、福祉国家の「正統性の危機」という性格をひじょ
うに強くもっている。福祉国家の目標が「社会的公正」の実現にあるとするならば、国民が福
祉国家の正統性に疑問を抱くようになったということ自体が福祉国家にとっての大問題であ
る。
この「正統性の危機」は、従来の福祉国家が、言ってみれば、高成長と工業社会を前提とし
たソーシャル・セキュリティの制度的体系であったということに起因している。高成長・工業
社会を前提してきた従来の福祉国家は、今日のような失業の爆発的増大と長期化をまったく想
...
...
定しておらず、したがって制度的にも、また哲学的にもこうした事態に対する対処の用意をも
っていないという点に、今日の福祉国家の「正統性の危機」の原因があるのである16)。
福祉国家の目的とは、伝統的に、貧困を除去・防止すること、そして各人に起こりうる万一
の貧困転落リスクに備えるセイフティネットを構築することであったが、高成長のもとでは、
失業に起因する諸々の貧困リスクは極小化され、医療保険制度や職業生活引退後の貧困リスク
に備えた老齢年金制度を整備すれば、福祉国家が実際に対処すべきリスクは例外的な範囲にと
どめることができ、福祉国家は基本的に、その例外的な保険事故に金銭を支給することで問題
に対処すればよかった。このセイフティネットの構築は経済活動を側面から支え、高成長の一
要因ともなり、安全確保のための施策が制度の安全をさらに強化するという好循環が生まれ
た。
今日の福祉国家の問題は、低成長とポスト工業社会への移行によりこの好循環が崩壊した点
にある。低成長およびポスト工業社会への移行により失業は爆発的に増加したばかりでなく、
長期化した。高成長時代には例外的なものにとどまっていたリスクももはや例外的なものでは
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大量失業時代の福祉国家(野田)
なくなり、リスク発生率の増大は当然のことながらセキュリティのコストを増大させ、その負
担をめぐる政治的対立が顕在化した。福祉国家は社会全体の負担を増し、経済低迷そして大量
失業の要因になっているという議論が噴き出してくる。高成長時代とは反対に、安全確保のた
めの施策がかえって制度の安全を揺るがすという悪循環が現出した。ソーシャル・セキュリテ
ィについての従来の考え方は疑問に付された。
大量失業時代の今日、事後的で受身的な従来型の失業への対処の仕方は、以下の二つの点で
社会問題化している。まず第一に、大量に存在するようになった失業者にこれまで同様に金銭
....
的給付を与えていくだけの余力が社会的になくなってきているという問題がある。そのコスト
の負担をめぐって激しい政治的対立がもちあがっていることは、すでに述べたとおりである。
第二は、今日、少なからぬ人間が国家による福祉給付の受動的レシピエントとなってしまって
いるという問題である。この二つの問題が相まって、伝統的な福祉国家の提供してきたソーシ
ャル・セキュリティへの疑問が社会的に醸成されているのである。したがって、福祉国家が提
供するソーシャル・セキュリティが再び社会的に受け入れられるためには、この受身的な給付
的手法に傾斜した伝統的な失業対策に対する疑問に応えられる新しい「公正」にかんする哲学
とそれにもとづく対処方法が見出されなければならない。
この問題を考えるためにも、福祉国家の原点に立ち戻ってみよう。たしかに、失業者に対す
る給付は、労働市場からの転落者の貧困防止のために必要なものであるが、貧困防止それ自体
は決して自己目的ではない。福祉国家は単なる国民の扶養を目的とするものではないし、また
そうであってはならない。貧困防止は、日本国憲法の言葉を借りれば、「健康で文化的な最低
限度の生活」、いわば人間らしい生活を送るうえでの最低限を保障するためのものであり、そ
こで言う人間らしい生活とは個人の自律性と自由とが伴って初めて意味をもってくるものであ
る。すなわち、貧困防止という福祉国家の目的は、「人間の尊厳」を各人に可能にする社会の
実現というより上位の目的を達成するためのものでしかない。失業問題にひきつけて言えば、
A・センなども言うように、給付によっていくら貧困から免れられるとしても、依然として労
働中心社会としての性格を強くもつ現代社会において、労働世界から排除され続けている人間
がはたしてその社会の中で自らの尊厳や自律を保てるであろうか、という問題がここでは問わ
れているのである17)。
こうした観点からすれば、労働市場からの転落者を単に受けとめる(セイフティネット)と
いう視点だけでは不十分であり、とりわけ大量失業時代の今日にあっては、彼らを一旦受けと
めたうえで再び社会へ復帰させる(トランポリン)という視点が必要だということになってく
るだろう。すなわち、「労働社会へ復帰させるための福祉」(welfare to work)という観点であ
る 1 8 )。こうした視点を欠いたソーシャル・セキュリティでは、コスト負担をめぐる対立が先鋭
化している今日、社会的に「公正」(fair)なものであると受け入れられることは困難である。
この労働社会への「再包摂」(ギデンズ)という観点からすれば、必要とされる福祉国家改
革の重点はまず、就労能力のある福祉受給者の労働市場への「包摂」を妨げている制度的諸要
因の除去におかれねばならない。これは従来「福祉のワナ」というかたちで議論されてきた問
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政策科学 11−3,Mar.2004
題にかかわる。すなわち、現行の制度としての福祉国家のあり方そのものが福祉受給の長期化、
あるいは場合によっては半永続化をもたらしているという議論である。ここには二つの問題が
存在している。ひとつは、福祉受給がひとつの「権利」、すなわち保障された請求権となってい
るということにかかわる問題であり、もうひとつは、福祉受給者にとって就労が金銭的に報わ
れない、すなわち働くとかえって損をするという状況の問題である。
第一の問題については、失業に対する社会保障を就業への架橋的役割を果たすものとしては
っきりと位置付け直す必要がある。福祉受給が「権利」であることは決して否定されてはなら
ないが、だからと言っていつまでもそれを受給し続けられるという状態は、コストの点からい
っても、また失業者の自律という観点からいってもまったく望ましくない。就労するまでのつ
なぎ、あるいは就労するための支援というかたちに失業に対するセキュリティは再定義されね
ばならない。こうした方向性は、実際、1990年代に新自由主義的改革諸国に劣らぬ雇用状況の
改善をみたデンマークやオランダにおいても福祉国家改革の重要な柱になっているものであり
19)
、EUレベルで展開されている欧州雇用戦略においても、とくに2000年のリスボン欧州理事
会以降、雇用政策の中心に位置付けられているものである20)。
雇用状況のはかばかしい改善を見ないドイツでも、こうした状況を打開するため、近年、所
得保障以上に就労を重視した政策が展開されるようになってきている。たとえば、「活性化」
(aktivieren)「技能向上」(qualifizieren)「職業訓練」(trainieren)「投資」(investieren)「職業
斡旋」(vermitteln)のそれぞれの頭文字をつないだ名称をもつ2002年1月1日に発効したドイ
ツのJob-Aqtiv-Gesetzは、長期失業者を減らすことを目的とし、職業斡旋の迅速化・強化・改
善を大きな柱としたものであるが、そのなかで、失業保険をはっきりと「労働のための福祉」
として位置付けようとしている。すなわち、失業者は失業登録のさい、職業安定所において相
談員と、その個人に合った就業機会の見出し方について相談を行ない、その合意に基づく結論
を一種の契約書(「労働市場への統合協約」Eingliederungsvereinbarung)のかたちにまとめ、
相談員と失業者は署名を交わす。この契約書は失業保険給付にさいして拘束力をもち、そこに
記されている求職活動努力を行なわなければ、場合によっては失業保険給付は最高3ヶ月停止
される。同様に、2002年の総選挙での政府与党側のアピールの目玉にすべく公表された政府の
労働市場改革のための委員会報告(「ハルツ委員会報告」)およびそれを具体化した法律も、就
労の義務を強調する内容となっている2 1 )。また、この就労の義務を強調する動きは、社会扶助
の分野にもすでに見られ、たとえばフランクフルト市では、「社会扶助より労働」(Arbeit vor
Sozialhilfe)という名称のプログラムが90年代末以降行なわれている。同市では、就労可能な
失業者が新たに社会扶助支給を申請するさい、まず、市営の事業所での就労が支給の条件とさ
れている。こうした条件を付したことにより、社会扶助申請者の数は約半分になり、この事業
所で働き技能を身につけた人の3割近くは、引き続き正規の職に付くことができたという22)。
しかし、この「就労の義務」の強調、「労働のための福祉」というアプローチをとるにあた
って忘れてはならないのは、こうした施策が失業者をほんとうに労働世界へ再包摂するものに
なっているかという視点である。うえで例にあげたフランクフルト市が属するヘッセン州の首
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大量失業時代の福祉国家(野田)
相R・コッホ(CDU)は、「就労の義務」を強調するアメリカ・ウィスコンシン州の手法の導
入を盛んに主張したが、このモデルはコッホの言うほどに目覚しい効果をあげているわけでは
ない。ウィスコンシン・モデルは、フランクフルト同様に、社会扶助の受給の条件に民間職業
紹介会社が斡旋する仕事への就労を義務付けている。たしかに社会扶助受給者は80%も減った
が、貧困問題の解決にそれがつながっているわけではない。質を問うことなく単に多くの仕事
を社会扶助受給者に斡旋すればよい民間の職業紹介会社の提供する仕事では、多くの場合、社
会扶助受給者はまったく不十分な収入しか得られず、適切な技能もそこで得られるわけではな
いので、結局かれらは貧困状況から抜け出すことはできない 2 3 )。「就労の義務」の強調は「社
会的公正」感の回復という観点からのみ要請されるものではなく、「人間の尊厳」を各人に可
能にするためのものでもあるという上述の観点からするならば、「労働のための福祉」アプロ
ーチは決して失業者を単に低賃金労働に駆り立てるための道具になってはならない。重要なの
は、「就業能力」(employability) の向上の視点であり、そういう点からして、「就労の義務」
の強調は、職業訓練、技能習得、職業指導といった就業能力向上のための一連の施策と組み合
わせられねばならない。
福祉受給者の労働社会への「包摂」を妨げるもう一つの要因である就労が報われないという
状況にも何らかの対処が必要である。たとえばドイツの例では、社会扶助基準を超えると一気
に社会扶助が削られ、働くとかえって損をするという状況が存在する(最高で労働による収入
の9割を失うという)。こうした就労へのインセンティヴの欠如に対処するための方策のひと
つに、イギリスの「家族クレジット」やアメリカの「稼得所得課税控除」(EITC)などの「ネ
ガティブな所得税」という制度がある。これは、就労していることを条件とした低所得層向け
の生活支援策で、一定時間以上就労しているものに一定の税額控除を認め、稼得所得がこの控
除額に満たない場合にはその差額を支給するというものである。また、一定の段階までは、就
労時間あるいは稼得所得の増加に応じて税控除額を増やすことで就労のインセンティヴをさら
に強化するなどの工夫もされている2 4 )。税制および社会保障制度を「雇用促進的」なものにす
ることも今日の福祉国家改革の重要な柱である。
Ⅲ.「社会的公正」拡大のための社会的連帯
以上論じてきたように、大量失業時代の福祉国家では、その「正統性の危機」を克服するた
めにも、また、「人間の尊厳」の保障という福祉国家本来の目的からしても、金銭給付による失
業者の扶養よりも働くことへの支援にその活動の中心がおかれなければならず、その意味で、
「労働のための福祉」
「就労の義務」が強調される正当な理由が存在していると言える。しかし、
他方で、いくら「就労の義務」を強調したところで、肝心の職がなければ問題の根本的な解決
にはならないことは言うまでもない。そういう点からすれば、今日の福祉国家にとって最大の
課題は雇用創出ということになるわけだが、ここで再び規制緩和の問題が前面に出てくること
になる。とくにユーロ加盟諸国では、通貨価値の安定のためのいわゆる安定化協定もあって、
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政策科学 11−3,Mar.2004
独自の金融政策の手段を失うとともに財政政策の自由度も乏しくなった結果、供給サイドの規
制緩和が雇用創出策の中心にならざるをえない。
先にも述べたように、今日の長期失業者の大部分をしめるのが低技能労働者であり、また、
ヨーロッパ諸国ではアメリカと比べなおサービス部門で雇用を伸ばす余地が大きいこと25)も考
え合わせれば、サービス部門を中心とする低賃金労働の需要を増加させるための政策が雇用政
策の重要な柱になってくる。とくに、社会保障が税金ではなく労使折半の社会保険で運営され
ているため人件費が高く、その結果、生産性の低いサービス部門の雇用拡大が阻害されている
大陸ヨーロッパ諸国では、社会保険料の制限やその一般財源への置換とともに、人件費を下げ
るための低賃金労働への補助金支出が雇用政策の焦点となってきている。
しかし、この低賃金労働への補助金導入という手法にも問題がないわけではない。ドイツで
もいわゆるマインツ・モデルと呼ばれる低賃金労働者の社会保険料免除の試みが開始されるこ
とになったが、ドイツの労働組合がこの制度に激しく反対したことにも表れているように、こ
の低賃金労働への補助制度の導入は、新しい雇用を必ずしも生み出さず、逆に賃金引下げへの
誘引を経営者に与えることにもつながりかねない。労働組合は、これにより労働市場が分極化
する危険性、また、労使の協約による賃金決定の領域が縮小してしまう危険性をそこに見てい
るのである26)。
もちろん、この労働組合の批判は根拠のないものではない。しかし、問題は単純ではない。
たしかに、このような低賃金労働拡大策は労働市場のあり方に大きな影響を与え、労働組合が
守ってきた労働者権の掘り崩しにもつながりかねない。だが、雇用創出のためのこうした政策
に反対することは、結果としては、労働組合に加入しているすでに職を得ているものの利益を
長期失業者の利益に優先させることを意味してしまう。
そもそも労働者権の保障は、「人間の尊厳」を実現しようとする福祉国家の重要な柱を構成
するものであったが、その福祉国家とはソーシャル・セキュリティの制度的体系、すなわち社
会的連帯をナショナルなレベルで具体的に制度化したものにほかならない。前章で論じたよう
に、低成長とポスト工業社会への移行はソーシャル・セキュリティの組み直しを必要にしたが、
このソーシャル・セキュリティの組み直しは必然的に社会的連帯の組み直しも必要にさせる。
金銭給付による貧困者の生活支援がソーシャル・セキュリティの中心だった時代は、累進課税
によるコストの応能負担が社会的連帯の制度化の形態であったが、労働社会への「包摂」がソ
ーシャル・セキュリティの中心とならなければならない今日にあっては、雇用の創出のための
社会的連帯が新たに要請されてこよう。失業者の「包摂」のための低賃金部門への補助金支出
もこの文脈で考える必要がある。
そのさい忘れてはならないことは、この社会的連帯があくまでも福祉国家の目標である「人
間の尊厳」および「社会的公正」を拡大するためのものであるという点である。すべての働く
能力をもったひとびとの労働世界への「包摂」が「社会的公正」の中心におかれなければならな
い理由は、労働が貧困に対する保障であるからだけではなく、労働は今日においてひとびとが
人間らしく暮らすうえでの一つの前提条件でもあるからである。逆に言えば、労働はその「人
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大量失業時代の福祉国家(野田)
間らしい暮らし」の一部であると同時に、また、それを可能とするようなものでなければなら
ない。今日確立しているさまざまな労働者権は、この労働者の「人間らしい暮らし」の実現のた
めに労働運動が勝ち取ってきた成果であり、したがって、その基本的成果を無に帰すような労
働市場の柔軟化は、いくらそれが雇用をもたらすとしても問題である。雇用創出のために労働
市場の一定の柔軟化が必要だとしても、そのさい、低賃金労働の単なる拡大のためではない、
「社会的公正」の拡大のための労働の柔軟化という視点が決して忘れられてはならないし、雇
用創出のための労働の柔軟化が労働組合の無力化、労働者権の掘り崩しにつながらないように
しなければならない。
その意味で、労働の柔軟化にさいしての労働組合のしっかりした関与が重要になってくる。
労働組合はその権利の一部を雇用創出のために差し出すかわりに、その柔軟化が本当に失業者
の「包摂」のために用いられるかを監視する役割を手にしなければならない。また、労働の柔
軟化を労働者の自己決定の余地の拡大に用いるという視点も必要である。すなわち、労働組合
の側からする「前向きの柔軟化」27)が必要である。
ロゴフスキとシュミットは、ドイツの労働組合が今日その保持を強く擁護している協約自治
の原則も、その成立当時は一つの規制緩和であったことに注意を喚起している2 8 )。協約自治と
いう考えは、労働法学者H・ジンツハイマーが1916年に発表した「法における社会的自己決定」
という論文に由来している。ジンツハイマーはこの論文で、権利を自己管理することにより法
の効果を改善するという道を提起したが、実際、協約自治の制度は、賃金の国家的規制を緩和
することにより、逆に賃金にかんする労働組合の関与を強めるものとして機能した。つまり、
規制の緩和は必ずしも権利の解体・後退を意味しないのであって、自らの関与・調整を通じて権
利をむしろ強化するという攻勢的な規制緩和もありうるのである。
「包摂」のための連帯の問題に戻れば、労働組合は「包摂」にかかわる全体のプロセスを経
営者とともに共同管理する姿勢をもつ必要がある。そこでは「適応能力」(adaptability)と
「仕事の質」(quality in work)の二つの視点 2 9 )、別の言葉を使えば、「フレクシキュリティ」
(flexicurity; flexibility柔軟化プラスsecurity安全)の視点30)が重要となる。すなわち、生産性を
維持・向上させ雇用創出の前提条件を生み出すための労働編成の柔軟化に主体的に関与しつ
つ、これに伴う社会的リスクを最小限に抑え、かつ新たに低賃金労働で職を得たひとびとの将
来展望を切り開くことが労働組合の果たすべき役割だということになる。具体的には、労働時
間規制の緩和については、時短とワークシェアリング、時間口座、ジョブ・ローテーションな
ど、労働者の自己決定の拡大という視点も加えつつかかわっていけるだろうし、「安全」や
「仕事の質」という点では、パート労働の均等待遇といったことのほか、失業者を協約賃金以
下の賃金で雇うことを認める代わりに、労働協約においてそうした被用者への職業訓練を義務
付け、その運用がきちんとなされているかを従業員代表委員会が監視するといったやり方など
も考えられるであろう31)。
失業者の労働世界への「包摂」のための連帯にかんして、もう1点忘れてはならないのは、
これはあくまでも社会的連帯であり、企業も社会的存在であるかぎり、この負担の分かち合い
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政策科学 11−3,Mar.2004
に応分の関与が求められるという点である。労働側に労働の柔軟化や賃金引き上げの抑制が求
められるのなら、企業側も雇用や職業訓練機会の増大のためのいっそうの努力が求められるは
ずである。これは何も労働側にのみ与する議論ではない。なぜなら、こうした「社会的責任」3 2 )
を果たそうとする企業側の行動は生産性向上の基盤である労使協調の枠組みを強化し、また雇
用状況の改善により福祉国家運営のコストを減らすことにもつながるからである。社会保障負
担の減少は投資のための資本を増加させるし、雇用の増大は内需も拡大させる。さらに、こう
した労働組合の協力をも得た柔軟化は、ドイツのように労使協調体制により生産性向上を達成
してきた経営文化のあるところでは、これまでの強みを活かすことにもつながる3 3 )。労使が議
論、協力して、経済のグローバル化に対応した企業組織のあり方を模索し、それを実行に移す
というアメリカ型の企業では不可能なことがそこでは可能である。経済合理性の観点から言っ
ても、この「包摂」のための社会的連帯への企業の参加は必要である34)。
むすび
ここまで論じてきたような方向での福祉国家改革は、行論のなかでも指摘したように、ヨー
ロッパですでに実際に着手されはじめているものであり、オランダやデンマークでの雇用状況
の改善に見るごとく一部ですでに一定の成果を出しているものでもある。EUレベルで策定さ
れている欧州雇用戦略においても、
「新しい完全雇用」
(full employment)のための「就業能力」
向上や「仕事を引き合うようにする」(make work pay)政策、フレクシキュリティの視点、す
なわち「適応能力」と「仕事の質」が重要な柱にすえられている。ここには、ヨーロッパがア
メリカとは異なる社会経済モデルを模索しているさまがよく見て取れるだろう。
もちろん他方で、欧州委員会内でも経済政策委員会では規制緩和・構造改革路線が主流であ
ることにも見られるように3 5 )、こうした「社会的ヨーロッパ」とは異なる動きもないわけでは
なく、その意味で、グローバル化時代におけるヨーロッパ福祉国家の行方はいまだ定かではな
い。とはいえ、ヨーロッパが「社会的公正」や「人間の尊厳」を依然として重要な社会形成の
基本価値として承認するのなら、福祉国家的諸制度を一切合財放棄してしまうわけにはいかな
いであろうし、むしろ今日的条件のもとでの「社会的公正」の再定義のうえに立った福祉国家
の再構築こそが課題になるはずである。
本稿は、福祉国家のヨーロッパ・モデルの可能性を検討するとともに、その改革の方向性に
ついて論じてきた。今日的条件のもとでの「社会的公正」の再定義のうえに立った福祉国家の
再構築という課題はもちろんひとりヨーロッパだけの課題ではない。グローバル化のなか、社
会経済体制の変更を迫られているのは日本も同様である。グローバル化時代においていかに
「社会的公正」を実現するかは、今日のわれわれの課題でもある。
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大量失業時代の福祉国家(野田)
注
1)OECD, Historical Statistics 1960-1997, Paris 1999, p.96.
2)Heiner Flassbeck, Reallöhne und Arbeitslosigkeit, in: WSI-Mitteilungen 4/ 1998, S.226-232.
3)OECD, op.cit., p.97.
4)Vgl. Fritz W. Scharpf, Wege zu mehr Beschäftigung, in: Gewerkschaftliche Monatshefte 4/ 1997, S.203-216;
Wolfgang Streeck/ Rolf G. Heinze, Runderneuerung des deutschen Modells. Aufbruch für mehr Jobs, in:
Hans-Jürgen Arlt/ Sabine Nehls (Hg.), Bündnis für Arbeit. Konstruktion. Kritik. Karriere, Wiesbaden, 1999,
S.147-166; フリッツ・W・シャルプ「オープン・エコノミー下の雇用と福祉国家」『ヨーロッパ社会民主
主義「第3の道」論集(Ⅱ)』生活経済政策研究所、2001年、所収、アントン・ヘレメイク「ニュー・エ
コノミーにおける労働と福祉のための政策選択肢」『ヨーロッパ社会民主主義「第3 の道」論集(Ⅲ)』
生活経済政策研究所、2002年、所収。
5)Gerhard Bosch, Brauchen wir mehr Ungleichheit auf dem Arbeitsmarkt ?, in: WSI-Mitteilungen 1/ 1998,
S.15-25, hier S.16 Tabelle1. なお失業率は、Institut der Deutschen Wirtschaft Köln(Hg.), Deutschland in
Zahlen, Ausgabe 2001, Köln, 2001, S.124 によった。
6)Bosch, a. a. O., S. 17 Tabelle3.
7)Ebd., S. 16 Tabelle2.
8)Ebd., S.18 Tabelle5.
9)Christoph F. Büchtemann, Zwischen ››Beschäftigungswunder‹‹ und ››Working Poor‹‹: Entwicklungen auf
dem amerikanischen Arbeitsmarkt, in: Stefan Empter/ Frank Frick (Hg.), Beschäftigungspolitik als
ordnungspolitische Aufgabe, Gütersloh 1996, S.67-78, S.75f.
10)Carey Oppenheim, Der Anstieg von Armut und Ungleichheit in Großbritannien, in: Zeitschrift für
Sozialreform, Heft4-5, 1998, S.294-307, S.297 Tabelle1.
11)ILO, World Labour Report 2000: Income security and social protection in a changing world, Geneva 2000,
pp.287-290.
12)アメリカの雇用者一人当たりのGDP成長率は、不平等を拡大させていない諸国と比べ決して十分高い
とはいえないし、しばしばそれよりも低い。1989年から97年の平均で、アメリカのそれが1.5%であるの
に対し、ベルギーは1.9%、ノルウェーは2.7%、ドイツは2.2%であった。OECD, op.cit., p.53.
13)Bosch, a.a.O., S.21 Tabelle 6.
14)Uwe Hunger, Der ››rheinische Kapitalismus‹‹ in der Defensive, Baden-Baden 2000, S.146.
15)Bosch, a.a.O., S.23f.
16)もちろん、失業問題に加え、社会の少子高齢化も今日の福祉国家が抱える大きな問題であるが、失
業・雇用問題と福祉国家との関係を論じる本稿では、この問題には立ち入らないこととする。
17)アマルティア・セン『自由と経済開発』(石塚雅彦訳)日本経済新聞、2000年、104頁。
18)こうした観点を前面に押し出しているのが、現在のイギリスの労働党政権(ニュー・レイバー)である。
このアイデアは、ブレア首相のブレインであるA・ギデンズに由来する。A・ギデンズ『第三の道―効率と
公正の新たな同盟』(佐和隆光訳)日本経済新聞社、1999年。
19)ヘメレイク、前掲論文、78−79頁、水島治郎「大陸型福祉国家―オランダにおける福祉国家の発展と変
容―」宮本太郎編著『福祉国家再編の政治』ミネルヴァ書房、2002年、所収、136頁以下、参照。
20)濱口桂一郎「EUの雇用戦略―構造的失業への取り組み、そしてそれを超えて」
『日本労働研究雑誌』
No.516, 2003年7月、参照。
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21)上田真理「活性化する雇用政策―ドイツ連邦議会選挙を契機として」
『労働法律旬報』No.1542、2002
年12月、井口泰「ドイツの労働市場改革の現状と課題―「ハルツ委員会」報告を中心に―」『ヨーロ
ッパ社会民主主義論集(Ⅴ)
』生活経済政策研究所、2003年、所収、参照。
22)Süddeutsche Zeitung, 22. August 2001, S.7.
23)Ebd.
24)内閣府政策統括官(経済財政―景気判断・政策分析担当)「海外諸国における経済活性化税制の事
例について」(政策効果分析レポートNo.12)、2002年、4-24頁(http://www5.cao.go.jp/keizai3/2002/
0809seisakukoka12.pdf)、および、ヘメレイク、前掲論文、91−92頁、Scharpf, a.a.O. 参照。
25)欧州委員会の1999年の報告によると、アメリカではサービス部門の雇用は生産年齢人口の54%に上る
が、ヨーロッパでは40%にも満たない。ヘメレイク、前掲論文、76頁。
26)ドイツ金属労組発行の雑誌『共同決定』の「コンビローン」
(低賃金プラス補助金)問題の特集号は、
この低賃金労働の需要増大策をめぐるドイツの労働組合内外の議論の状況をよく示している。
Mitbestimmung, 3/ 2002.
27)Bosch, a.a.O., S.24f.
28)Ralf Rogowski/ Günther Schmid, Reflexive Deregulierung: Ein Ansatz zur Dynamisierung des
Arbeitsrechts, in: WSI-Mitteilungen 8/ 1997, S.568-582.
29)いずれもEUの欧州雇用戦略の重要な柱となっている。濱口、前掲論文、参照。
30)Vgl. Berndt Keller/ Hartmut Seifert, Flexicurity als Antwort, in: Mitbestimmung, 3/ 2002, S.32-35, ヘメレイ
ク、前掲論文、86−89頁。
31)Wolfgang Streeck, Anmerkungen zum Flächentarif und seine Krise, in: Gewerkschaftliche Monatshefte 2/
1996, S.86-97.
32)EUでは、「企業の社会的責任にかんする欧州の枠組みを促進する」と題された政策文書を2001年7月
に発表し、「企業の社会的責任」にかんする政策論議をすでにスタートさせている。宮前忠夫「E U
「企業の社会的責任」政策論議が新段階へ」『労働法律旬報』No.1554、2003年6月、41−43頁。
33)野田昌吾「統一後十年の「社会的市場経済」―その問題状況―」
『法学雑誌』48巻1号、2001年、
参照。
34)労使協調の経済的合理性という点にかんして付言すれば、ヨーロッパでは90年代に入って労使協調に
よる賃金抑制の傾向が見られるようになってきたが、行き過ぎた賃金抑制も別の問題をはらんでいる。
適度な賃金引上げがないと民間消費は停滞するし、また、イノベーションへの刺激も乏しくなる。労使
の政治的交換の成功例としてよく引き合いに出されるオランダであるが、賃金抑制とワークシェアリン
グにより「雇用の奇跡」が達成された一方で、生産性の停滞が見られている。Vgl. “Haltbarkeitsdatum
abgelaufen”, in: Süddeutsche Zeitung, 3. Januar 2002, S.19.
35)濱口、前掲論文。
*本稿は、平成10∼13年度文部省(文部科学省)科学研究費補助金(基盤研究B「グループウェアを活用
した欧州統合と福祉国家体制の変容に関する共同研究」)の研究成果報告書のために執筆された論文に
修正を加えたものである。
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