「人道の世紀」における人間と民族の尊厳―ソヴィエト・ユダヤ人の自分史

第 8 回地球社会統合科学セ ミナー(2014 年 10 月 8 日 開催)
市 民の心、 民族の魂 ―ヨーロ ッパ歴史 意識の普 遍性と個 別性
「人道の世紀」における人間と民族の尊厳―ソヴィエト・ユダヤ人の自分史を
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地球社会統合科学府
松井康浩
1.はじめに―話題提供の背景として
(1)エゴ・ドキュメント、パーソナル・ナラティヴ(個人の語り)研究
(2)自伝的回想録=自分史を読む
(3)バイタリスキーという人物の回想録を取り上げる
2.M・D・バイタリスキー(Михаил Давыдович Байтальский 1903-1978)
(1)経歴
・オデッサのチェルノヴォ村のユダヤ人商人の家庭に生まれる
・1917 年 2 月革命後ギムナジウムに入学
・1920 年にオデッサのコムソモール(青年共産主義同盟)員に
・1923 年共産党入党→トロツキー派に与する
・3 度逮捕(1929 年 5 月、36 年 5 月、50 年 4 月)、長く収容所に(1955 年釈放)
※スターリン体制下の抑圧を体験したソヴィエト・ユダヤ人
(2)回想録の執筆
・「歴史の私化(privatization)」(イリーナ・パペルノ)
・『孫達に宛てたノート:スターリンのテロルを生き抜いたトロツキストの回想』
・執筆の動機……歴史の偽造に抗し、真実を知る体験者が語り、分析する必要性
1930 年代を生き延び、今も存命中の者はほとんどいない。だから、 証言を残すのは我々の
主 要 な 任務 と い える 。 真実と し て 知る こ と を、 無 きがご と き 存在 へ と 放り 出 す権利 は 我 々
に は な い。 も ち ろん 我 々もま た 事 件の 参 加 者で あ り、ス タ ー リン や そ の取 り 巻きや 後 継 者
が そ う であ る よ うに 、 孫の裁 き の 前に 立 た され て いる。 ネ オ ・ス タ ー リニ ス トがス タ ー リ
ン を 正 当化 し 続 け、 我 々のよ う な スタ ー リ ンに 抗 う証言 者 を 沈黙 さ せ よう と してい る 。 た
だ 、 だ から と い って 我 々は、 不 法 行為 や テ ロル の メカニ ズ ム につ い て のみ 語 りうる だ ろ う
か 。 そ のメ カ ニ ズム と シンク ロ ナ イズ し た 嘘と 歴 史の偽 造 メ カニ ズ ム の秘 密 を暴露 す る こ
と な し に。 私 が 体験 し 、目に し 、 聞い た こ とだ け を記録 に 残 す役 割 に 自分 を 押しと ど め ら
れ な い 理由 は こ こに あ る。ま た 私 は、 以 上 に関 し て精力 的 に 行っ た 思 索の 一 部も記 さ ざ る
を 得 な い。 ス タ ーリ ニ ズムが か く も巧 み な あり と あらゆ る 偽 造、 歴 史 から 経 済、司 法 、 生
物 学 に まで 広 が りを も つ領域 で の 偽造 を 用 意し た ことに 対 応 して 、 そ れら の 偽造に 正 面 か
ら 立 ち 向か っ て いく 必 要があ る 。 孫た ち の ため に 、この ノ ー トを 書 き とめ 、 保管す る 義 務
があるのだ〔48-49〕。
(3)「市民の自分史」として読む
※帝政ロシア社会で疎外され、差別されてきたユダヤ人が、諸民族の平等と友愛を謳
1
ったソヴィエト体制下にあって「市民」としての自覚=シティズンシップ意識を抱
きつつも、反ユダヤ主義の間歇的な現れを免れなかったソヴィエト社会をどのよう
に生きたのか、また度重なる政治的抑圧を通じて市民権をはく奪したソヴィエト体
制に対してどのような評価を下したのかを明らかにする試み
3.シティズンシップ意識:「人間の尊厳」というキーワード
(1)ロシア革命によるユダヤ人差別制度の撤廃→平等な市民に
二 月 革 命が お こ った の は私が ま だ 一四 歳 の 時だ っ た。突 然 ツ ァー リ が 去り 、 集会が 開 か れ
は じ め 、誰 も が 望む よ うに語 る こ とが で き た。 我 々にと り な によ り も すば ら しいこ と に 思
え た こ とは 、 突 如と し て我々 が 勉 学を 続 け られ る ように な っ たと い う こと だ 。 両親 の 長 年
の 夢 が 実現 し た 。私 は 、その 地 区 唯一 の 政 府ギ ム ナジウ ム に 受け 入 れ られ た のだ〔 413〕。
ツ ァ ー リの 時 代 であ れ ば、ユ ダ ヤ 人は 「 基 準比 率 」にし た が って 教 育 機関 に 受け入 れ ら れ
た 。 ユ ダヤ 人 は 、各 地 の政府 ギ ム ナジ ウ ム 学生 の 一〇% を 超 える こ と はで き なかっ た の だ
〔413-414〕。
(2)スターリニズムへの抵抗
・ロシア革命の理念や初期ソヴィエト(レーニンやトロツキー)への高い評価
・スターリンに対抗する勢力に与する
・収容所で抵抗した人々を描写(1936-37 年のヴォルクタ収容所の事件)
「スターリンによる抑圧の初期には、自分たちは人間であると考える習慣をまだ
失っていなかった人々が抵抗を試みた」〔210〕。
・「人間の尊厳」(human dignity, человеческое достойнство)というキーワードが登場
→市民意識の根底にあるもの
4.通奏低音としてのユダヤ人アイデンティティ:「民族の尊厳」という キーワード
(1)兵士としての体験
1940 年以前には、脳裏に浮かぶことすらなかった一つの考えに私はとりつかれた。その
考 え と は、 ユ ダ ヤ人 に は臆病 者 と して ふ る まう い かなる 権 利 もな い 、 とい う ことだ 。 ま さ
に、ユダヤ人はユダヤ人だからだ。行進から真っ直ぐに戦闘へと引っ張り出されたその夜、
このことを確信した。……私の指揮官は次のように繰り返したものだ。
「お前たちはペリメ
ニ( meat pies)でも売って いれば良いのだ。機関銃を引きずったりせず」。……。ユダヤ人
は 他 の 人 々 以 上 に 戦 闘 に参加 し た 。 彼 ら が 戦 闘 に 加わっ た の は 、 祖 国 ( homeland) の た め
だ け では ない 。 人 間 の尊 厳( human dignity) の た め でも あ った 。そ のこ と をユ ダヤ 人 は い
つでも記憶しておくべきだ〔247〕。
(2)ユダヤ人としての自己意識と人間の尊厳
・人間=文化的バックグラウンドをはぎ取られた無色透明なものではない
・民族的属性との結びつき→ユダヤ人であること( my Jewishness)
私の民族的感情に向けられる侮辱と私個人への侮辱が結びついていること を理解しなが
ら も 、 私は こ の 論点 を より広 い 観 点か ら 考 察し よ うと思 う 。 私は 、 自 分の 民 族的感 情 を 私
の人間としての感情の片面であると考えている〔408〕……
民族的尊厳に対する私の感情は、特に侮辱を受けた時には、人間の尊厳に対する私の感情
2
か ら 切 り離 せ な い。 パ トリオ テ ィ ズム は … …人 間 の尊厳 と い うこ の 感 情か ら 切り離 せ な い
〔413〕。
・「人間の尊厳」と「民族の尊厳」の深い結びつきを繰り返し記述
・民族的尊厳の意識は、より広い文脈としての人間の尊厳につながれている
「パトリオティズムは……人間の尊厳というこの感情から切り離せない」 が、
「人の祖国愛は、なによりも人間なるもの(humanity)に対する愛だ」〔409〕。
→
民族の権利だけでなく、より一般的な人間の権利すなわち普遍的な市
民としての権利に視野を拡大していくバイタリスキー
5.「権威主義社会」批判―ドレフュス事件との比較で
(1)20 世紀=「人道の世紀(humane century)」という歴史意識
(2)ドレフュス事件とスターリンの大テロル
人道の世紀(our humane century)の初頭、一国全体が 、そしてヨーロッパの最良 の人々が、
何年にもわたり心を悩ませ 、一人の人間、ドレフュス に下された不正な判決に対 して憤りを示
した。しかし社会主義の我 が国では、この人道が 重ん じられるべき世紀に、類似 の、同様の偽
りの判決が、かつ死刑にま で至る一層残忍な判決が、 一人でも、百人や千人でも なく、膨大な
人に対して下され、にもかかわらず、そのことは誰の心をもかき乱すことはなかった。
誰一人もである。全ては、 完全に沈黙した社会のもと でなされた。もっとも全て の逮捕は、
隣人、同僚、ごく普通の知 人によって知られていた。 承知していた人の数は、逮 捕された人の
数より何倍も多く、逮捕者 の数は何百万にも及ぶ。承 知していた人たちを不安に させた唯一の
ことは、自身に関する不安 であった。彼等は今夜、私 の所に来る だろうか?…… ゾラがドレフ
ュス事件を問題にしたよう には、誰もあえて逮捕の事 例を話題にしようとはしな かった。……
妻や母親だけが、処刑を待 つ人々に小包を届けた。妻 や母親は、沈黙した社会の 中で最良の部
分であったことがわかる〔47-48〕
(3)ソヴィエト社会=権威主義「社会」
両者はどう 異なるの か。ド レフュス事 件もまた 軍事裁 判で裁かれ たとして も、公 開性の質にお
いて異なる。しかしより正確には、その違いは、社会がどの程度開かれた性格になじんでいるか
どうかというところにある。我々の社会はこの慣習を有していなかった。そし てこの欠如こそが、
スターリンに未曽有の権力を獲得させることを助けたのである。……つまり彼の全能性はスター
リンの欠陥というだけではない。我々は皆、非難されるべきである。権力が全能化するのを防ぐ
あらゆる措置は、長年にわたって発展してきた文化、伝統、人々の心理にかなりの程度依存して
いる。革命は古い国家機構を破壊し得るし、しなければならないが、それは、空白に新しい装置
を築くことはできず、以前からのすべての発展によって準備された歴史的土壌の上に築かれるの
である〔276〕。
ロシアは、モスクワ公国の時から、いつでも権威主義社会であった。それは権威主義国家とい
うだけではない。これは表面的な理解である。それは権威主義社会なのであった 〔29〕。
・権威主義社会=大衆が「自由の行使」を学び、
「人民の権力」=統治を学ぶ機会を奪
われている社会
→
革命前のロシア
・ロシア革命初期=「我が国で最大限の自由と最大限の民主主義を目撃した時代」だ
3
ったが、「自由の伝統を作り出すにはあまりに短かった」。革命をまたいで維持され
た権威主義社会の特質が「スターリン時代の服従」を作り出した〔 29〕
6.異論派ライターとしての活動
(1)執筆テーマ:スターリン時代の抑圧、ソ連ユダヤ人の問題、ソヴィエト社会分析
(2)「より身近にあるいはより遠くへ―ソ連におけるユダヤ人問題に関する手記」
・「人間の尊厳と民族の尊厳」の節が含まれる……両者の結びつきに関する議論
・「ユダヤ人の民族的誇り」の節
各 人 に とり 歴 史 的記 憶 は不可 欠 で ある 。 サ ルか ら 人間が 生 ま れた と い う事 実 を知る だ け で
は 全 き 人間 に な るこ と はでき な い 。 勇 敢 か つ自 由 を愛す る 誰 かが 、 私 と北 京 原人の 間 に 屹
立 し て いな け れ ばな ら ない 。 そ れ によ っ て こそ 、 人間の 自 由 に対 す る 愛と 奴 隷制度 に 対 す
る 憎 し みの 感 情 が私 に 沸き起 こ る ので あ る 。… … これら の 人 々の 自 由 を愛 す る姿勢 が 、 私
の民族的誇りの対象を形作りもするのである(23)。
→スピノザ、マルクス、ハイネ、アインシュタイン、ローザ・ルクセンブ
ルグ、レーニン時代の政治局員(24)。
私た ちは民族 的感情を拒絶するこ とはで きず、したがって、 自身の インターナショナリズ
ムを参照することで、これらの感情を育む民族的誇りを拒絶することもできない。我々は、
「民族的帰属なし」の人間と自分を命名するわけにはいかない のである(25)。
・世界的な民族的覚醒という認識
「ソ連の諸民族もまた民族的自己意識の高揚を体験しているという社会的事実の
意義深さを切り捨てたり、無視したりすることはできない」
7.「人道の世紀」における「市民の心、民族の魂」
【参考文献】
・高尾千津子『ロシアのユダヤ人―苦悩の歴史と現在』東洋書店、 2014 年
・松井康浩『スターリニズムの経験―市民の手紙・日記・回想録から』岩波書店、2014 年
・松井康浩「グラーグ帰還者の自分史―トロツキー派ユダヤ人の自伝的回想録を読む」槇
原茂編『個人の語りがひらく歴史―ナラティヴ/エゴ・ドキュメント/シティズンシ
ップ』ミネルヴァ書房、2014 年
・Mikhail Baitalsky, Notebooks for the Grandchildren: Recollections of a Trotskyist W ho Survived
the Stalin Terror, Translated by Marilyn Vogt-Downey, with a Forward by Roy Medvedev,
New Jersey: Humanities Press, 1995.
・Irina Paperno, Stories of the Soviet Experience: Memories, Diaries, Dreams, Cornell University
Press, 2009
・А. Аронович (М. Байтальский). «Ближнее и дальнее» (заментки о еврейском вопросе в
СССР). Политический дневник. 2. 1965-1970. Амстердам, 1975.
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