「芸能性」における非言語的伝達の様相

「芸能性」における非言語的伝達の様相
―韓国の「農楽」の習得過程を事例として―
田中 理恵子
Tanaka Rieko
<要旨>
Nonverbal Communication with Respect to“Performing Art Value”
-A Case Study in the Mastering of“Nongak”in KoreaThe defining characteristics of performing arts are spontaneity, indefinite
multiplicity, improvisation, and holistic interaction, which occur at street level
and are oriented towards popular and entertainment potential. In this study, I frame
these essential characteristics as “Performing Art Value.” I aim to elucidate the
structure of performing arts through case studies on “Nongak”. In the process
of mastering performing arts, both orality and nonverbal communication are essential
to the transfer of knowledge and information. I consider this process through bodily
sensation. It is possible to say that the extent of “Performing Art Value” is
determined mainly by this form of nonverbal communication. This direct assessment
method is wholly different from the official intangible cultural property policy
of preserving performing art paradigms.
Keyword:芸能性(Performing Art Value)、農楽(Nongak)、口頭性(Orality)、
身体感覚(Bodily Sensation )、無形文化財(Intangible Cultural )
1.はじめに
1.1 研究の目的と対象
本研究は、朝鮮半島に伝わる芸能「農楽(농악)
」を事例として、芸能の構造につ
いて人類学的に検討するものである。農楽をはじめとする大衆芸能の特徴は、①身

東京大学大学院総合文化研究科超域科学専攻(文化人類学)、修士課程1年次
296
体を基盤として伝達される広義の口頭性、それにより②常に異なるパフォーマンス
が行われる可変性の高さであり、③その性格は、大衆的で娯楽的である。こうした
芸能の本質的な特徴を、本稿では「芸能性」と捉え、いわゆる「伝統」芸能といわ
れる農楽を捉えなおしてみたい。その過程を通じて、人類の普遍的な行為である芸
能の仕組みを明らかにすることが、本研究の目的である。本稿はその第一歩として、
まず農楽の演奏技術が、口頭あるいは非言語によって伝達される様相について検討
する。より具体的には、農楽の技芸の習得過程を分析し、習得者が自身の身体感覚
を通して、芸能の技芸を内面化する様相を示すことで、農楽が創られる過程につい
て検討する。
芸能とは何だろうか。身ぶり、演技、音を発するといった人間の様々な行為を介
して、複雑な情報のやり取りが行われ、また、人間の感情に何かしらの影響を与え
うるのが芸能である。しかし、芸能の演奏や継承は、言語を媒介としない身ぶりな
どを含む広義の口頭性(orality)によって伝達されるため、具体的な様相は明らか
にはされていない1。本研究が、伝達の様相から芸能の構造に迫ろうとするのは、そ
のためである。
言語学者ウォルター・J・オングは、
「書く」ことが発明された以降の文化を、
「口
頭性」
(orality=ことばの声としての性格と、ことばのそうした性格を中心に形成さ
れている文化)と「書記性」(literacy=文字をつかいこなせる能力と、そうした能
力を中心に形成されている文化)」2の対置によって捉えた[オング 1991:6]。その
うち声の文化の伝達様式については、口頭伝承の研究として一括りにされてきた。
しかし口頭伝承が示すものは、さらに三つ――①音声言語を介する伝達、②身ぶり
などの身体の動きを介する伝達、③明示的な記号に表されない伝達――に分かれる
と思われ、本研究が特に重点を置く領域は②・③である3。日本の民俗学者岩本通弥
の言葉を借りれば、「生活世界の中に埋め込まれた…知恵や技術」について、「音声
言語化しえない、わざや感覚、思考法や性向、価値観や心意・感情など、身体的知」
及び「それらの知が身体を媒体に、異なる個体間や集団間に伝えられる、伝達の様
態(伝承・伝播)を前提に、それらやその保持・想起の様態」
[岩本 2003:4]に焦
点を当てて、これを検討することとなる。
1
2
3
まだ解明されていない知の領域については、マイケル・ポランニーが「暗黙知(the tacit
knowing)
」として扱っている[polanny1983:x]。しかし、ポランニーとは別のアプローチ
もありえると考えられ、例えば人間の口頭性に焦点を当てた研究もその一例だろう。
同様に、「oral culture」と「writing culture」とも言い換えられる。
この点については、本文(2.2.1 口頭性)のなかで再度触れる。
297
こうした文化の様相を解明する一つの鍵となるのが、音楽であると思われる。音
楽は楽譜という記号を持つものの、同時に記号化を拒む。というのも、音楽は言語
と同様に音の世界に属すが、そこに言語ほどの明示的な意味を示すことはない。全
く記号化されない伝達の様相を立証することは不可能に近いが、記号を持ちつつも
それを拒む音楽の両義的な存在は、分析のきっかけを与えている。記譜法が発達し
た西欧では、平均律音階の確立に並行して五線譜が普及し、印刷技術の開発と相俟
って広く伝播したが、この合理的な五線譜の場合でも、伝承者と習得者との一対一
の稽古により、長い時間を費やしてそれを読み解く方法を学ばなければならない。
また、絶対音程のような均等な音高を持たない音楽においては、五線譜化の試みは
行われつつも、音の高さすらそこに表すことはできない。従って、音楽研究におい
ては、書かれたテキストといった書記性に注目するだけでは不充分である。記号化
を果たしつつも、記号化を否定する両義的志向を持つ音楽の仕組みは、前述した非
記号的な伝達の仕組みを持ち合わせて成立している点に注目すべきだろう。
ここで韓国の芸能に目を向けると、いわゆる劇場などではなく、マダン(마당)
という形式化されない広場で行われてきたという特徴を持つ4。本研究が農楽を対象
とするのは、それが音を介することに重きを置く芸能であり、書記化されにくい大
衆文化のなかで脈々と培われた、口頭性の高い芸能であると予想されるからである。
つまり農楽とは、口頭で継承され、演奏の場や観客と相互に作用して創られ、再
帰的に繰り返されてきた芸能であるように思われる。口伝えで継承される芸能は、
「ある“場”や語り手・聞き手相互の関係に大きく依存して成り立つ」5ため、可変
性の高さが特徴であるといえるが、その一方で、文化財制度といった近代化政策に
よって、その姿が強固に維持されようとする場合がある。本稿では、農楽を現代に
まで継承させたこれらの両側面を念頭に置きながら、考察を進めたい。2章では農
楽を変化させる大きな要因と思われる口頭性について、3章では具体的な継承の場
面について検討し、4 章では芸能の「再生」と「保存」の問題を取り上げてみたい。
4
5
韓国では、1902 年に最初の常設劇場が設置され、皇室劇場でもあった「協律社」が開場し
た[李 1990:216]。また音楽学者植村幸生は、この点を指摘し、芸能の場としてのマダン
(마당)の役割に注目した[植村 1998:39]。
[川田 1987:271-272]
。
298
1.2 研究の方法
芸能の継承過程は、声の文化における口伝えの方法として、音楽についての論及
も含めて、これまで様々な研究が行われてきた。本研究では、無文字社会の知識や
技術についての研究蓄積を踏まえ、西欧における概念を参照する。つまり音楽部分
に関しては、いわゆる西欧芸術音楽との対比を念頭において考察する。現代の文化
が西欧における学問の蓄積の上に成り立っているため、これは当然意義のあること
と思われる。また芸能に関しては民俗学における研究の蓄積も多いが、西欧におけ
る概念との差異を考えることで、非西欧圏の芸能の独自性や理論上の課題が浮かび
上がるだろう。
研究の方法は、文献調査及びフィールドワークに依る。理論面では、まず、オン
グらの口頭性の研究を参照しながら、人類学の無文字社会研究における技術や知識
についての理論を検討する。また、芸能の娯楽性、大衆性といった「芸能性」につ
いては、ドイツの民俗学者へルマン・バウジンガーを参照して検討する。フィール
ドワークでは、芸能が再生される場である民俗行事や継承される稽古場で参与観察
を行い、微視的に記述・分析を行う。韓国での本格的な調査はこれから予定してい
るため、本稿で検討するフィールドワークの内容は、日本での農楽の習得過程、及
び韓国内での予備調査6を基とし、仮説的に論考を進める。
本稿における用語の使用について、二点説明したい。第一に、農楽は、プンムル、
クッ、ノリなど様々な表現が可能であるが、ここではこれらを総称する語として用
いる。また農楽という呼称は日帝時代に作られたと思われるが[鄭 1986:17、野村
1987:44]
、現在広く普及していることからあえて避けることはせず、農民たちの生
活に密着した存在としての芸能を示す語として使用する。第二に、芸能性とは、大
衆文化における芸能自体の性格のことであり、大衆性(popularity)に視点をおい
た概念である。芸能はほかの芸術行為に比べ、大衆的で娯楽的性格7を持つものと考
6
7
予備調査の概要は次の通りである。<日本> 2003-2007 年、在日本韓国 YMCA チャング教室
にて、在日コリアンの芸能者より、プンムル及びサムルノリの指導を受ける。<韓国> 第
1 回:2001 年 7 月、国立国楽院 N 氏の個人教室にて、第 2 回:2002 年 8 月、同じく N 氏の
個人教室にて、第 3 回:2005 年 5 月、ソウル市内のサムルノリ教室、同年 9 月、
(社)サム
ルノリハヌルリム団員 I 氏の個人教室にて、それぞれプンムル、サンモ等の指導を受ける。
本文では個々の事例は詳しく提示しないが、筆者の経験に基づいて考察を進めたい。
農楽は、古代においては儀礼的要素を持っていたが、
「人間のために行う娯楽的で芸術的な
形態だけが、いっそう強く現われるようになった」[鄭 1986:17]と指摘される。
299
えられるが、次章ではまず、こうした芸能性について考察する。
2.「芸能性」―芸能の本質的特徴―
芸能とは、西欧では「performing arts」8あるいは「public entertainments」と
訳されることが多く、芸能・映画・演劇・舞踊・軽音楽などを指して使用される。
西欧の芸能と考えられるものの起源については、古代ギリシャの演劇に遡る説が
ある。一方、芸能という言葉は中国で用いられた言葉であり、古くは学問や技芸な
ど、今日の芸能に含まれないものも示していた。日本においては、村々における神
祭りの場を基盤として芸能は発展した。こうした経緯の違いから、西欧と東アジア
の芸能を考えたとき、思い浮かべる芸能のイメージが異なることが分かる。しかし
芸能を「人間共通の行為」として考えるならば、先述したように、身ぶり、演技、
音を発するといった人間の様々な行為を介して、複雑な情報のやり取りが行われる
場であり、また、人間の感情に何かしらの影響を与えうるものとして、同等に捉え
なおすことができるだろう。こうした意味での芸能に目を向け、本章では芸能の本
質的特徴をなす、芸能性について考察していく。
2.1 口頭性
第一に、多くの芸能は、口伝えによって後世に伝達される。口伝えは、口頭伝承、
口伝ともいわれるが、文字体系のない文化においては、歴史、文芸、法、技術、そ
の他の知識を伝達する手段であった。生活に必要な知識や技術がすべて口頭で伝え
られ記憶されていた文化においては、具体的にどのような情報のやり取りが行われ
るのだろうか。またそうした情報を蓄積する彼らの記憶の方法は、文字を書く文化
からは想像のできない伝達の様相を持っていたと考えるべきだろう。
先に挙げたオングは、古代ギリシャの叙事詩のうち、
『イリアス』や『オデュッセ
イア』の研究に秀でた古典学者ミルマン・パリーとその息子アダムス・パリーの業
績を挙げ、声の文化の特徴について述べる。パリーらによれば、ホメロスの時代に
8
特に民俗芸能を指す場合、
「folkloric performing arts」とされる。この「performing arts」
という用語は、1711 年以降に使用されている。
300
は、
「六脚韻 hexameter」による記憶と表現が、口頭による物語(叙事詩)の口頭性
を支えていたという[オング 1991:49]。この六脚韻のきまり文句(formula)[オ
ング 1991:59]を駆使してくり返すことで、物語の光景のすべてを組み立てていた
のである。このことからオングは、声の文化においては、一字一句暗記するのでは
なく、声のリズム、反復、対句、きまり文句を駆使することで、
「記憶できるような
思考を思考」[オング 1991:78]していたと述べる。
オングがその著書のなかで度々取り上げるエ リック・ハヴロックは、詩人ホメ
ロスによって語られる叙事詩の仕組みを、心理的側面から詳細に検討し、声の文
化における記憶のメカニズムについて、次のように述べる。
すべての語られた言説はあきらかに、咽喉と口腔でおこなわれる物理的運動に
よって生みだされる。…すべての保存される言説もまた同様に、このような方
法で生み出されなければならない。…言説が保存されうるのは、それが想起さ
れ、復誦されるばあいだけである。…想起の容易さを保証するためには、咽喉
と口腔の物理的運動がある特殊な方法で組織されなければならない。この組織
化の本領は、高度に制約された運動パターンをつくりあげることにある。これ
らの運動パターンがやがて自動的な反射運動となる。身体のある部分における
自動的な行為はやがて、身体の他の部分における並行的な行為によって強化さ
れる。[ハヴロック 1997:178]
(下線引用者)
そして「全神経系が記憶という課題に連動している」
[ハヴロック 1997:178]と
いう点を指摘する。つまりハヴロックの指摘する「記憶できるような思考」のメカ
ニズムは、身体を総動員することによって、つまり、身体感覚(bodily sensation)
を基盤として行われていたというものであった。
オング、パリー、ハヴロックらは、
『イリアス』や『オデュッセイア』といった叙
事詩のテキストが、音として話し聞くことを前提としていたことを再発見した。こ
れにより、声の文化における思考のメカニズムの一端が明らかとなったのである。
それは、声のリズム、反復、対句、きまり文句を駆使し、それらの言葉を身体感覚
と連動させることで記憶が可能となる思考方法であった。
こうした特徴を、芸能における口伝えに照らすとどうだろうか。口伝えは、西欧
の五線譜のような厳格な楽譜を介さない分、伝承者と習得者が、身体を向かいあわ
301
せ、技芸に集中することになる。この関係性が保たれることで伝達が行われるため、
そこには楽譜を読み解くという過程が含まれない。これはハヴロックが、口誦のメ
カニズムにおいては「視覚のメッセージを聴覚のメッセージに翻訳する必要はまっ
たくなかった」9[ハヴロック 1997:171-172]と指摘した点と同様である。
とすると、口伝えによる技芸の継承は、記録された(書かれた)媒体を伴わずに
行われており、そこに伝達の比重が置かれていることは明らかだろう。言い換えれ
ば、芸能の継承伝達については、狭義の口伝えではなく、広義の口頭性に注目すべ
きである。
本稿が示唆する広義の口頭性における特質を、ここで整理してみたい(以下、図
1 を参照)。1.1 で述べたように、いわゆる口頭伝承は、①音声言語を介する伝達、
②身ぶりなどの身体の動きを介する伝達、③明示的な記号に表されない伝達に分け
られると思われる。①は発話される言語に代表され、②は身体の動きによって意味
を伝達する身ぶりなどであり、③はしぐさ10や非言語音といった、より明示的ではな
い記号などがあると考える。これらは、非対面者に対して意味が伝達する可能性の
度合が異なり、文字を介する書記性ではその可能性は高いが、口頭性の場合には、
図の①から③へ向かうにつれて、その度合が低くなると予想される。
【図1】広義の口頭性が示す伝達手段
非対面者に意味が伝達する可能性の度合
高
書記性
文字
口頭性
音声言語 ①
身ぶり
②
しぐさ
③
低
9
例えば「読む」という過程では、まず、視覚によって一連の印刷された記号を確認する。
次に眼をつぶっても、同じようにふたたび見ることができるようにするか、あるいは、そ
れをつぶやいたり朗誦したりと、音声に翻訳する[ハヴロック 1997]
。こうした翻訳の過程
が、口頭性には含まれない。
10
文化人類学者野村雅一は、身体の動きがどのように機能するかという次元から、
「身ぶり」
と「しぐさ」を分類する。本稿ではそれに準じ、
「身ぶり」は「主として伝達的、表現的機
能をもつ」動き、
「しぐさ」は「主として技術的機能をもつ」動き[野村 1983:35]として
分け、非対面者に対して、それがどの程度、意味が伝達するかという様相を想定している。
302
この外延には、さらに様々な要素が含まれると予想されるが、ここでは口頭性の
概念を再考する必要性を述べるに留め、次に、芸能のその他の特徴について見てみ
よう。
2.2 「あそび幅」による可変性
芸能の第二の特徴として、可変性の高さが挙げられる。可変性とは、具体的には、
技芸が表現されるときの変容の度合のことである。芸能は、演じられる(perform)
場で表出するものであり、寸分違わず記録されたものが再生されるのではなく、常
に異なるパフォーマンス(performance)が行われるという一回性を特徴としている。
また、先述したような記憶のシステムにおいては、保存(=記憶)の目的は、一字
一句、完全に同じく複写して再生することではない。これらの点から、芸能は常に
変容を繰り返す、可変性の高いパフォーマンスであるといえる11。
この可変性は、民俗文化全体の特徴について述べた、民俗学者へルマン・バウジ
ンガーの指摘とも重なる。バウジンガーは「あそび幅(Verengung des Spielraums)」
という視点から、次のように述べている。
前代の民間伝承においては、型にはまって固定している要素はきわめてわずか
であり、またこれによって爾余の部分ものびのびと改変でき、あそびが保証さ
れていた。…言い換えれば、伝統がひとの生き方を真に決定する力をそなえて
いるとき、伝統は、最先端の事象で自己を豊かにできるだけのあそび幅をもっ
ている。[バウジンガー2001:191-193]
「あそび幅」とは、制約の中で自由にできる度合といったものであり、こうした
特徴をバウジンガーは民俗文化の本質に据える。そのため、例えば「民俗衣装の保
存運動も、民俗衣装をつくるにあたって多少のヴァリエーションを奨励するなど、
(あそび幅を持つという)この事実を正当に評価することに再三つとめてきた」
[バ
ウジンガー2001:196]という点を指摘するのである12。
11
12
例えばそれは、吟遊詩人たちの演奏が、毎回同じように繰り返されることはない、という
ことからも伺える。
バウジンガーは、こうした民俗文化の特徴を、近代化以降の科学技術を迎えたことによっ
て概観できたといえる。芸能を取り巻く近代化以降のシステムの一つに文化財制度の問題
が挙げられるが、このシステムが民俗文化の「あそび幅」を失わせ、記録のために固定化
303
こうしたあそび幅があることによる可変性の高さが、民俗芸能の本質であると捉
えられる。そして、芸能は可変性が高い事象であるということは、情報の伝達が行
われるたびに、その情報の内容は異なるということである。常に同じ方法で同じ芸
が伝えられるのではなく、また、常に同じ芸が「再生」されるのでもない。常に異
なる情報が、複雑な往来を繰り返していると考えられる。
では、なぜ民俗芸能には、あそび幅といった特徴があるのだろうか。それはなぜ
可変性が高いのか。その大きな要因の一つは、書かれた文化が省みることを特徴と
するのに対して、声や技の文化は、省みるというよりも、過ぎ去り、戻らない、一
回性を特徴とするためと考えられる。
2.3 パフォーミングアーツ13と芸能性
芸能の特徴である可変性は、いわゆる「民俗芸能」に限られたものではない。本
稿での、人間の諸行為を介してやり取りが行われるという芸能の定義に従えば、都
市的で現代的なパフォーミングアーツといった対象にも適用される。例えば「スト
リート・ミュージック」といった、世界の各都市の路上でみられる現象を取りあげ
てみよう。
ストリート・ミュージックの特徴は、場による拘束のなかで、路上のミュージシ
ャンによって創られていく音楽であるといえる。拘束性は、具体的には、聴衆の不
特定多数性や、路上で起こる様々なハプニングといった路上ゆえの制約であり、ミ
ュージシャンはこうした環境下で、どのように音楽表現を行うかを模索する。その
ため、路上のパフォーマンスは常に変化を繰り返し、可変性の高いものとなる[拙
稿 2002、2003]
。
ストリート・ミュージックの構造を芸能に援用するならば、芸能とは、場で起こ
るハプニングや不特定多数の聴衆に対して、芸能者たちがどのように反応し、また、
どのような反応が返ってくるかという、相互作用14と模索が複雑に繰り返される事象
13
14
されるといった「道具立ての凍結」
(民俗文化の凍結)
[バウジンガー2001:188]を引き起
こしていると指摘した。
パフォーミングアーツと芸能の類似性は先に述べた通りであるが、これらの相違と類似を
論究した報告は現時点では確認されていない。そのためここでは、ストリート・ミュージッ
クを指す語としてより一般的で適切と思われる、パフォーミングアーツの語を使用する。
オングは「声の文化においては、長くつづく思考は、
[つねに]人とのコミュニケーション
304
であると仮定することができる。パフォーミングアーツと民俗芸能といった事象は、
これまで区別して捉えられがちであった。しかし、どちらもより人間に身近で可変
性の高い文化事象であるといえる。この共通点は、この二つの事象を同じ視座で捉
える理論構築の可能性を示唆している。
3
芸能の習得過程―農楽の技芸を事例として―
3.1 事例の概要
3.1.1 韓国における農楽の歴史的変遷
本研究では韓国における農楽の変遷を、「古代」の起源(宗教性と娯楽性)、農
村社会での拡がりと禁止(大衆芸能)、近代化及び民主化(国楽化)、舞台化から
現在まで(芸能の保存と再生)と捉えている。農楽という語が文献上初めて登場し
たのは、1937 年に朝鮮総督府より発行された『部落祭』15という本である[鄭 1986:
17、村山 1937]。それまでの農楽は主に祝祭儀礼に用いられ、宗教性も強かったと
考えられるが、既に娯楽性が強調されるようになっていた。主な担い手は農民たち
で、農作業を行う「ドゥレ(두레)」共同体の余暇における娯楽として、また、五
穀豊穣を願う祭りで行われることで発展する。
農楽の変遷には、大きく三つの両義性を指摘することができる。第一に、国家に
禁止されながらも、事実上は黙認されたという点である。朝鮮王朝期には農民に広
く受け入れられた農楽は、支配層から幾度か危険視された16が、しかし他方で、ドゥ
レ共同体の統率を図るために、両班たちは事実上、農楽を黙認していた17。第二に、
衰退しながらも、異なる場面で再び用いられた点である。農村社会の解体と共に農
楽は衰退したものの、他方、解放後の学生運動を支える音として再び用いられた。
15
16
17
と結びついている」
[オング 1991:78]と述べるが、ここでいう相互作用とは、この「相
手」が想定された伝達の様相を指す。
そのなかで農楽は、
「部落民中舞楽に長ずる者によって行はれる」[村山 1937:402]と説
明される。
例えば、1605 年に「これ(農楽)を禁断するように」と司憲府が王に奏上したとされる[野
村 1985:124]。
両班は農民たちに「農楽をさせることで、積もった不満を発散させ、反発を前もって防止
した」という[鄭 1986:30]
。
305
第三に、歴史的に長い間、いわば反体制的な芸能あるいは音楽であった農楽は、現
在では「国楽」として正当化された点である。このような両義性を抱える背景には、
禁止されていた音楽を短期間で国楽にまで正当化した、文化政策が大きく影響して
いる。
こうした変遷から考えると、韓国における現在の農楽は、近代韓国政府の政策に
より「近代化」させられたうえ、文化財制度において、いわゆる伝統芸能として位
置づけられた農楽と、大衆芸能として生き続ける農楽が、重層的に混在している状
況といえる。
3.1.2 継承伝達の場の変化
次に、農楽の伝達の場について簡単に触れておきたい。高句麗や百済の時代から
教育機関が存在したと思われる雅楽[張 1981:151]とは異なり、農楽などのより
大衆的な芸能の伝達は、村落社会の中で、村の名人18や放浪芸能者たち19によって行
われていたが、近代化以降の人の移動に伴い、伝達の主な拠点は都市部に集中した。
個人教授に平行して、教育機関の整備が進められ、国立国楽院の設置を初め、各音
楽大学には「国楽科」が設置され、芸能の継承伝達の場が作られた[植村 1998:
130-135]。義務教育の現場では運動会などの各種イベントにおいて農楽が行われる
ため、一般の学校も農楽隊を持ち、民俗芸能のパフォーマンスは、様々な機会を得
ることとなったといえる。こうした国家の積極的な整備体制によって、現在は教育
機関での継承伝達が広く普及している。主な担い手は、そうした教育機関の学生や
学校へ入るための受験生、及び趣味として行う人々だが、後者は、互いに集まって
サークルを作ったりする。近代化以前には農村で地域のために行われていた芸能と
いった文脈から変化し、習得の場が村落から都市部へ移ったことに伴い、芸能者に
交じって演奏することで覚えるような現場での継承から、教育機関での継承伝達へ
と変化した。こうした経緯から、教育機関の存在は、韓国の民俗芸能の継承伝達に
おいて大きな比重を占めているといえる。
18
19
『農楽』には、伝承者から習得者へ受け継がれた系譜が、地方ごとにまとめられている[鄭
1986]。
幼い頃から放浪芸を行っていたという伝承者は、
「俺は誰かの弟子というわけじゃない。た
くさんの大人に混じって打ちながら、コツをみつけてきた…間違えればゲンコツを食らう
までよ。
」と語る[植村 1998:152-153]
。
306
3.2 「まねる」身体-習得過程の分析-
それでは実際の習得過程に注目してみよう。継承伝達の場面においては、どのよ
うな情報が往来しているのだろうか。前章で検討した、声の文化の記憶のシステム
は、身体感覚と連動させることで記憶する思考方法であったことから、ここでは、
習得過程における身体感覚の働きに焦点を当てて考察する。
韓国の芸能に限らず、芸事をする際には、
「まねる」
「盗む」
「からだで覚える」と
いう表現が使用されるが、その方法はといえば、言語によって伝えられるのではな
く、
「つべこべいわずに保存せよ」
[藤田 1995:403]の一言につきる。
筆者が初めてチャング(장구)の稽古を受けた時の状況を説明すると、以下のよ
うであった。
まず、チャンダン(장단:リズムパターン)のキボン(기본:基本)というカラ
ク(가락:リズム)を教えられる。N氏が何度か叩いてみせる。やってみろと言わ
れ、叩いてみる。
「違う」といわれ、N氏が何度か繰り返して叩く。後についてまね
をして叩いてみる。首を横に振られる。クウム(구음:口音)という口伝えで教え
られる。まねをして言ってみる。言えるようになったら、楽器を叩いてみる。また
「違う」といわれる。繰り返し自分で練習するよう指示される。キボンのカラクは
短く、単純で、覚えるだけなら難しくない。しかし何度も繰り返して叩かされる。
リズムは覚えたのに「違う」と言われる。どこが違うのか、どうしたらよいのか。
実際に受けた助言は、
「腕だけじゃ駄目だ」という一言だけである。同じリズムを1
時間、休みなく叩かされた日もある。10日間の稽古で、二つのチャンダンのキボ
ンしか教わらず、質問をしようとしても「그냥 쳐라!(とにかく叩け!)」とだけ
言われた。
こうした内容は、初心者の継承伝達には日常的に見られる場面20である。技芸の習
得の過程で行われる、単純なリズムを繰り返し、まねをし、身体で覚えるという作
業。この「まねる」とは、具体的にはどういうことなのだろうか。それは、技芸の
伝達が文字化されないために、何度も繰り返し「まねる」ことで、伝達されるメッ
20
ここで挙げる内容は、筆者が指導を受けた技芸の分析が中心となる。具体的には、韓国の
芸能の最も基本となる「チャング장구」という打楽器(鼓型太鼓)と、
「サンモ상모」と呼
ばれる技芸の継承伝達についてである。
307
セージを無意識的に蓄積する過程と考えられる。こうした過程について、個人の経
験を意識化し記述することから、検討してみたい。その際、言語だけに頼らず、広
く身体の全体を駆使して模倣する際の諸感覚の働きを目安として21、記述、分析を試
みる。
3.2.1 模倣1(耳による認識)
①リズムを模倣する。リズム、音の高低を記憶する。耳で聴いたリズムを、拍の
刻みを目安として、口音を唱えたり、手だけで叩くなどを繰り返して記憶する。
(いわば「記号」としてのリズムを覚える段階)
②音の質を模倣する。強弱と共に、やわらかく/固く、優しく/激しく、張りの
ある、がさがさ、などの表現が用いられる。これらの「わざ言語」22を参考として
(もしくは自身の中で置きかえて)
、感覚に近い表現で音色(ニュアンス)を記憶す
る。
3.2.2 模倣2(目による認識)
①身体の位置を模倣する。例えば鏡を見た時、自分と師匠が同じ動きをしている
かどうか? 楽器の構え方、チェ(채:バチ)の持ち方、腕を上げる高さ、皮を打
つ位置、腕を止める位置、手首の角度。楽器や身体からの距離を目安として記憶
する。この過程により、継承伝達を受ける際には、師匠の身体の動きをより記憶
しようとする感覚が働くようになる。
②身体の動きを模倣する。完全ではないが、記憶した師匠の身体の動きの像にあ
わせて、自己の身体を修正していく。身体の位置を確認しながら、それらが連動
するように反復練習を行う。その繰り返しを経ることで、芸の一連の動きを、コ
マ送りをみるように「点」で捉えるような感覚が働くようになる。その点をつな
いだ動きが理想のイメージとして記憶される。
3.3.3 模倣3(接触による認識)
手の感触の意識を記憶する。チェを持つ手の皮膚の感触、楽器からの反動がどの
21
22
外界を感知するための感覚機能を手がかりとすることで、継承の様相を意識化することが
促されるように思われる。また便宜上、それぞれの感覚に分けて整理するが、当然ながら
これらの身体感覚は独立したものではなく、連動して行われる。
教育学者生田久美子は、日本舞踊を事例として、技芸の「型」を習得するために使用され
る比喩的言語のことを「わざ言語」とした[生田 1987]
。
308
ように伝わってくるかなどを目安として、身体が楽器に触れる感覚を模倣する。感
触については、参与観察から認識することは難しく、
「わざ言語」でも表現されない。
そのため、師匠の「良し悪し」の指摘や、
「楽器との一体感」といった助言に従って、
自身で模索しながら記憶する。
3.3.4 模倣4(鼻・口による認識)
呼吸を模倣する。呼吸は鼻からするのか、腹からか、胸からか、といった呼吸の
始まる場所、吸うタイミング、呼吸の深さ、長さ、呼吸を吐く程度などを目安とし
て記憶する。身体の微細な動きを観察することで、呼吸はある程度、視覚的に捉え
て習得しうる範囲であるといえる23。(呼吸が合っていなければ、音の質が異なる。)
3.3.5 味覚による認識
直接的な技芸の模倣ではないが、「マシオプタ(味がない)」という表現から、味
覚による認識について触れておきたい。これは、「いい演奏ではない」「面白みがな
い」といった意味合いで使われる表現であるが、模倣すべき本来の芸との「ずれ」
を表している。模範的でないとみなされる要素について、「味覚」(맛:味)による
比喩が用いられる。比喩的に言語化されるものの、その具体的な内容は言語で表さ
れず、より抽象的な内容が示唆される。
3.3 意識されない継承伝達
3.3.1 身体への内面化(Internalization)24-反復から無意識へ-
口頭性の継承伝達では、技芸の情報が文字化(=外在化)されないため、何度も
繰り返し伝達される様相を「まねる」行為によって、無意識的に蓄積(=内面化)
していくと考えられる。このような模倣の過程から、
「反復」する行為とは、師匠か
らの良し悪しの判断といった他者の基準と、言語化されない自身の感覚の模索を基
23
24
音楽学者藤田隆則は、呼吸などの継承伝達については「こころの伝承」として、内面的で
認知されにくい模倣と捉えている[藤田 1995]
。韓国の民俗芸能の場合、呼吸の深浅の幅
が広いことや、打楽器についてはシンプルさといった特徴から、呼吸を視覚的に捉えやす
いと筆者は想定している。
内面化または内在化(Internalization)は、精神分析用語であり、
「外界に存在している事
物をみずからの心的内界に取り込み配置することを総称した用語である。言いかえれば、
近くされた外界対象や外界対象関係がその人の心的構成要素となることである」[松木
2002:375]。
309
準として、
「まねる」イメージを創り上げながら完成に導く作業であるといえる。こ
のイメージが次第に明確になり、イメージトレーニングが出来るようになったとし
ても、身体機能がついていくかどうかという問題が生じる。ここでの反復練習は、
演奏に必要な筋肉を鍛えるといった側面もあるが、
「模倣」の「反復」行為によって、
身体感覚が鋭敏化し、非日常的な実践を行う身体を身につける過程であるといえる。
しかし前述したような、知覚可能な範囲での模倣では十分ではない。例えば「見
た目」としては、師匠とおおよそ同じような気がしても、それでも「違う」と指摘
される、あるいは自身で「何かが違う」と認識することが頻繁に起こる。その理由
は、いわゆる「内面」の模倣といった、意識されにくい継承伝達が行われているか
らであると考えられる。それを意識化することが難しい習得段階においては、師匠
の顔色を窺ったり(良い、悪いともなかなか言われず)、観客の反応などによって、
「良い」と思われる演奏時の感覚を記憶するほかない。そしてその場面を再現でき
るよう、今度は過去の自分の感覚を模倣する。こうした手探りともいえる方法によ
って習得した諸感覚は、常に反復することで身体に内面化(Internalization)され
ていく。身体感覚による内面化は、模範的な身体の動きを再現できるよう知覚・感
覚を基準として記憶し、それを反復することによって、意識を必要としない、無意
識的な身体の動きを創る過程であるといえるだろう。
3.3.2 場(situation)のイメージ
意識されない継承伝達の内容として付け加えるならば、芸能者がかつて演奏して
きた場(situation)のイメージを伴う継承伝達について触れておきたい。場のイ
メージを伴う継承伝達とは、伝承者が演奏(実践)を行ってきた背景が、履修者に
継承伝達されることであり、このイメージは無意識的に共有されていくものと考え
られる。
例えば、二人の芸能者(N氏とL氏)による継承伝達方法を比較してみよう。N
氏の場合、わざ言語を用いず、楽譜や録音による継承伝達を拒み、合奏や公演に積
極的に参加させて習得させようとする。L氏は、言語化して説明することを得意と
し、メモをとったり録音することを拒まず、基本に忠実に個人練習するよう指示す
る。こうした指導実践の違いには、彼らの芸能者としての背景が影響していると思
われる。N氏は現在50代、放浪芸能者集団「男寺党(남사당:ナムサダン)
」の出
身で、幼い頃から各地を巡って演奏を行ってきたという。とにかく演奏を見て、大
人に混ざって、聴衆の前で演奏するという方法で、また、天候や季節の悪条件とい
310
った、演奏ができずに時間のある時などに先輩の芸能者に教わることで、芸を習得
してきた。一方、L氏は現在30代、芸術大学校の出身であり、舞台での活動と受
験生らへの指導を中心として演奏を行っている。自身も受験のために芸能者に弟子
入りし、大学の教室で同級生と共に、舞台演奏用に練習を行ってきた。L氏から受
けた継承伝達の様相は、N氏から伝えられる継承伝達とは異なる。そこには演奏の
場で芸を盗んだり、即興的な展開に神経をめぐらせたり、聴衆の視線を感じながら
芸に反映させるといった場のイメージは伝えられない。言い換えれば、伝承者自身
が演奏(performance)を行ってきた場によって、継承伝達方法が規定されるともい
えるのである25。
場のイメージの違いがもたらす影響は、芸の継承伝達という共通の目的を持つ芸
能者同士だとしても、演奏の変化を生み出している。N氏は一般的に「録音下手」
と言われるような、音の「荒い」芸風であるが、人を惹き付ける派手さがある。L
氏は音や動きを純化させ、より洗練させた芸風となっているが、こうした音響的な
違いも、当然ながら、彼らの有する異なる場のイメージと共に継承伝達される。
芸能の継承伝達における「まねて、反復し、からだで覚える」という一連の行為
は、習得者の感覚が鋭敏化することで記憶され、反復することによって身体に内面
化する。また、場のイメージといった伝達が同時に行われる。このような技芸の伝
達の過程で、伝承者と学習者の間で伝達すべき情報のイメージが作られ、共有され
ていくものと考えられる。この継承伝達のイメージは、芸能のあり方に変容を生じ
させることとなる。
これまで、芸能の習得過程の様相について、身体感覚の働きを基として微視的な
検討を試みた。継承伝達における技芸の情報伝達の様相については、まだ多くの検
討を必要とする。
4.今後の課題と展望
「芸能性」とは、身体を基盤として伝達される広義の口頭性、それにより常に異
なるパフォーマンスが行われる可変性の高さといった、芸能の特徴を捉えたもので
25
伝承者が演奏を行ってきた場の違いは、彼らの師匠の演奏・教育の目的に影響を受ける。
またそれが彼ら自身の演奏・教育の目的および演奏の場に変化を与えながら、継承されて
いくといえる。
311
ある。それは、ハプニング性、不特定多数性、選択性、相互作用性といった広義の
路上の制約に影響されることで生じている。本稿では、この「芸能性」の視点から、
農楽の技芸が伝達される様相について検討してきた。
最後に、現在の芸能が置かれている社会的状況として、芸能を取り巻くグローバ
ル化の様相について触れておきたい。芸能のグローバル化の問題とは、つまり、近
代化以降の国家単位での文化財、あるいはグローバル単位での世界遺産制度が芸能
に及ぼす影響についてである。これらは、これまでにみてきた芸能の可変性を狭め、
固定化する作用を持つ。そこで、そもそも文化財の命題である芸能の「保存」とそ
の「再生」は、結論から言えば矛盾を含む命題であるという点について触れておき
たい。
4.1 芸能の「保存」と「再生」
バウジンガーは著書のなかで、ドイツの青少年運動の例を挙げ、民俗歌謡が保存
される際の問題を扱っている。この青少年運動では、1908 年に完成した歌謡集『ツ
ップフガイゲンハンスル』の普及につとめるが、しかしこの歌謡集は、実際には当
時伝承されていた歌謡ではなく、「古典的」な 15 、6 世紀の民俗歌謡が大部分を占
め、従って「歴史への志向」を美的な理想として作られた産物であった。つまり、
青少年運動によって保存される民俗歌謡は、無意識のうちに受容され、生き続けて
いくような伝達によるものではなく、
「歴史的なものの再生」という観点から「保存」
されるものであった[バウジンガー2001:167-170]
。
このように創られた文化が保存され、再生される場合、どのような問題が起こる
だろうか。バウジンガーは、次に、この歌謡集が古典的な印象をかもし出すよう手
直しされた点を指摘する。また、教育団体による民俗歌謡は、それ「らしく」記録
され、保存される様相を問題視する。そしてこれらの一連の流れを、間断ない「伝
統」のあらわれ、あるいは、
「民俗文化の証」と見るのは誤りであると述べる[バウ
ジンガー2001:161-184]
。
民俗文化の保存は、民俗「らしい」イメージを作りあげ、それを「保存」(記録、
凍結)することになる。しかし本来、民俗文化は可変性が高く、流動的なものであ
る。このように考えると、民俗文化の保存と再生とは、そもそも矛盾を含んだ命題
であるということが、問題の所在として浮かび上がる。さらにこの問題の大きな要
因には、声の文化における「保存」(=記憶)と、文字の文化における「保存」(=
312
記録、凍結)に概念上の差異があることを認識する必要がある。
4.2 農楽研究の可能性と今後の課題
本来、可変性の高い芸能である農楽を取り巻く現状は、重要無形文化財として国
家システムの中で保存される様相26と、他方、在外コリアンコミュニティを中心とし
て、グローバル化した様相27が見受けられる。これらの農楽は、その社会ごとにそれ
ぞれ異なる形で機能し、またその地域の社会的影響を受けているが、その様相は明
らかではない。こうした芸能の現代的な問題を含め、いわゆる「伝統」芸能と捉え
られてきた農楽を再考する必要に迫られていると思われる。
本稿では、芸能の本質的特徴を「芸能性」と捉え、そのうち、芸能を成立させる
要素のひとつである口頭性に注目した。口頭伝承には、身ぶりなどの身体の動きを
介する伝達や、明示的な記号に表されない伝達が含まれると思われ、口頭性を広義
に捉えて考察を進めた。具体的には、技芸の継承のために習得者の身体感覚がどの
ように働き、また自身の情報として内面化していくのかを検討したが、しかしそこ
には、場のイメージを伴う継承といった、意識されにくい様相が見て取れる。従っ
て、まだ明らかにされない伝達の様相が存在すると考えられ、今後さらに深く検討
したいと考える。
芸能の口頭性を検討することは、書かれる文字に慣れた文化と精神を持つ我々自
身に対して、様々な問題を投げかけるように思われる。
26
27
韓国国内においては、農楽は、重要無形文化財(第 11 号)に指定されている。文化財の中
でも、芸能といった特に無形の場合は、その芸術性を明示することができないため、審美
的価値をどのように判断するかという議論がより必要とされる。
在外コリアンの居住先をみてみると、中国 276 万人(39%)
、アメリカ 201 万人(28%)
、
日本 89 万人(12%)
、CIS53 万人(7%)
、カナダ 21 万人(3%)と続く(海外同胞財団発
表(http://www.okf.or.kr/)2008 年 7 月 30 日現在)
。これらの国々では農楽が行われて
いることが確認される。人の移動に伴い、芸能のグローバル化は各地で見られる事象であ
る。
313
<参考文献>
(和文)
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314
田中 理恵子(Tanaka Rieko)
:東京大学大学院総合文化研究科超域科学専攻(文化人類学)、修士課程 1 年次
住所:東京都目黒区駒場 3-8-1 東京大学駒場キャンパス 14 号館 文化人類学研究室
E-mail:[email protected]
論文投稿日:2008 年 10 月 9 日 / 審査開始日:2008 年 10 月 21 日
審査完了日:2008 年 11 月 20 日 / 掲載決定日:2009 年 2 月 28 日
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