138 症 例 フランスから帰国後の発熱精査にてブルセラ症と判明した 1 例 太田西ノ内病院内科 池 田 浩 永 峰 恵 介 (平成 27 年 9 月 28 日受付) (平成 28 年 1 月 5 日受理) Key words : Brucellosis, zoonosis 序 職業:教師.ペット飼育歴:なし.野外活動歴:な 文 ブルセラ症は人畜共通感染症であり,1∼3 週間の 潜伏期を経て,午後から夕方にかけての発熱と,その 後朝にかけての解熱を特徴とする間欠熱の症状を呈す し. 主な入院時現症:血圧 115/63mmHg,心拍数 77 回/ 分,SpO2 97%(室内気),体温 36.3℃. る1).不明熱とされることが多く,発熱以外の症状と 入院時身体所見:意識清明.頭頸部:口腔内所見異 しては頭痛や関節痛などの非特異的な症状を呈す 常なし.頸部リンパ節触知せず.側頭動脈圧痛なし. 2) 3) る .一般的には,家畜衛生対策が進んでいない国, 胸部:心音純,肺音清.腹部:平坦,軟で圧痛なし. および食料・社会経済面で家畜への依存が高い地域で 肝叩打痛なし.筋骨格:脊椎圧痛なし.仙腸関節圧痛 の報告が多いとされる.今回われわれは,これらの地 なし.関節の熱感,腫脹および圧痛なし.泌尿生殖器: 域に該当しないフランスからの帰国後に持続する間欠 肋骨脊柱角の叩打痛なし.前立腺圧痛なし.陰部潰瘍 熱の精査の結果ブルセラ症と診断し,治療により軽快 なし.体表:刺し口の所見なし.皮疹なし.神経:脳 した症例を経験したのでここに報告する. 神経所見異常なし.項部硬直なし.Jolt 試験陰性. 症 例 入院時検査所見(Table 1):軽度の肝機能障害と炎 患者:62 歳,男性. 症反応上昇を認めた. 主訴:発熱(間欠熱) . 画像所見:特記すべき胸部 X 線所見なし.頸部∼ 現病歴:入院 20 日前から 5 日間フランスを旅行し 骨盤造影 CT にて異常所見なし.心エコー所見異常な た.フランス滞在中は主にパリで過ごし,動物との接 し.頭部と腹部の造影 MRI にても熱源となりうる所 触はなかったが,ナチュラルチーズと羊肉(ソテー) 見を認めなかった. の摂取歴があった.入院 15 日前に帰国し,朝は平熱 ながらも午後から夕方にかけて悪寒戦慄を伴う 39℃ 入院後経過:入院中も間欠熱の症状を繰り返した (Fig. 1). 代の高熱(時に 40℃ にまで達する)を 9 日前から繰 血液培養(14 日培養)を 3 セット検査に提出した り返すようになった.発熱時には服を何度か着替える が全て陰性であった.この時点で間欠熱を呈する原因 程の発汗があり頭痛を伴うが,解熱すると頭痛も消失 として除外されていない鑑別疾患として,血管内リン した.7 日前に他院より levofloxacin 500mg を処方さ パ腫,成人 Still 病,ブルセラ症,肺外結核,サルコ れるも軽快しなかった.当院当科を受診し,熱源精査 イドーシス,側頭動脈病変を伴わない巨細胞性動脈炎 目的に入院となった.系統的 review にて,咳,咽頭 などが考えられた.結核菌インターフェロン γ 遊離試 痛,腹痛および下痢症状は認めないが,寝汗,全身の 験(T-spot)の結果は陰性であった.熱源精査目的に 関節痛および筋肉痛を認めた. PET-CT を他院で施行するため,第 11 病日に一時退 既往歴:特記なし. 院とした.第 12 病日に PET-CT を施行し,再度精査 生活社会歴:喫煙 30 本/日,20 歳から 5 年間.機 加療目的に第 13 病日に当院当科へ再度入院とした. 会飲酒. 別刷請求先:(〒963―8022)郡山市西ノ内 2―5―20 太田西ノ内病院内科 池田 PET-CT の結果は特記すべき所見を認めなかった.試 験管凝集反応によるブルセラ抗体を測定したところ, 浩 Brucella abortus(B. abortus)の抗体価は 40 倍未満で 感染症学雑誌 第90巻 第2号 フランスから帰国後のブルセラ症の 1 例 139 Table 1 Laboratory data on admission Hemology TP 8.7 mg/dL 7,900 /μL Alb 4.2 mg/dL Neu 72.8 % CRP 3.85 mg/dL Eos Lymph 0.1 % 20.7 % IgG IgA 1,242 mg/dL 187 mg/dL WBC RBC Hb Hct PLT Biochemistry AST ALT 497×104 /μL 15.3 g/dL 43.9 % 20.5×104 /μL 54 IU/L 81 IU/L IgM Ferritin RF ANA 128 mg/dL 2,385 ng/mL (−) (−) MPO-ANCA (−) PR3-ANCA β-D glucan (−) (−) Viral markers HBs Ag (−) IgM-Hbc Ab (−) HCV Ab EBV VCA IgM (FA) (−) (−) EBV VCA IgG (FA) ×320 EBNA Ab ×80 CMV IgM (EIA) CMV IgG (EIA) (−) (+) (12.3) Parvo B19 IgM (−) Influenza antigen A, B Urinalysis LDH 314 U/L Specific gravity T.bil 1.13 mg/dL Protein BUN Cre Na K Cl 12.2 0.72 138 3.6 100 mg/dL mg/dL mEq/L mEq/L mEq/L (−) 1.013 (−) Occult blood Glucose WBC Urine culture (−) (−) (−) (−) Fig. 1 Body temperature あったが,Brucella canis(B.canis)の凝集反応は 160 mg/日の投与へと切り替え退院とした4).外来にて 倍と有意な上昇を認めていた.この結果は,単一血清 DOXY+RFP の経口投与を継続し,計 42 日間の抗菌 での抗体検出における WHO のブルセラ症の診断基 薬治療を行った.抗菌薬投与終了から 2 週間後の採血 1) 準 に加え,わが国の感染症法におけるブルセラ症の にて B.canis の抗体価の陰転化を確認した.現在執筆 届け出基準も満たしているものであった. 時点で抗体陰転化後半年以上が経過するが,特に症状 Doxycycline(DOXY)200mg+gentamicin(GM) 4) 180mg/日 にて抗菌薬治療を開始した.抗菌薬投与に の再燃なく外来通院にて経過観察としている. 考 察 反応して解熱傾向がみられ,本人の自覚症状も軽快し ブルセラ症の原因菌は,ヒトへの病原性が高い順に て炎症反応も改善傾向となった.GM は 10 日間の投 Brucella melitensis (B. melitensis) ,Brucella suis,B. abor- 与で終了し,その後は DOXY+rifampicin(RFP)600 tus,および B. canis があり1),前 3 者は家畜ブルセラ 平成28年 3 月20日 140 池田 菌,B. canis はイヌブルセラ菌と呼ばれる.ブルセラ 5) 浩 他 も,家畜ブルセラ菌感染の多くは B. melitensis による 症の感染症法における届け出基準 は,細菌学的検査 ものであり,B. abortus によるものはほとんど見られ (分離・同定)または血清学的検査(抗体の測定)の ない.なお,近年フランスにおいても家畜内でのブル いずれかの方法による.ただし最低 21 日間以上の長 セラ症の再興とヒトへの感染のリスクの増加が報告さ 期間培養が必要であること,さらに本症例の経過のよ れている9). うに,熱源不明の発熱が持続する過程で既に前医から イヌブルセラ症に関しては,イヌが家畜衛生予防法 抗菌薬が投与されていることが多いことなどから,日 の対象外となっていることもあり,国内のイヌの 2∼ 常臨床においては細菌学的検査による同定が困難な場 5% 程度が抗体陽性であることが報告されている10).本 合が多い.そのため,わが国の届け出例の多くは,血 症例に関しては,抗体結果が判明後に改めて詳細な問 清学的検査である試験管内凝集反応の結果をもとに届 診を行ったが,イヌの飼育歴や接触歴などはなく,日 3) けられたものである .しかしながら,商業ベースで 常生活および職業上においても B. canis に感染する明 施行可能な試験管内凝集反応による抗体測定は,B. らかな機会はなかった.また,B. canis 感染と診断さ abortus と B. canis に対する抗体のみであり, B. meliten- れた症例の半数には明らかな接触歴が認められないた sis 感染においては交差反応としての B. abortus または め4),本症例のように犬との接触歴がない場合におい B. canis に対する抗体上昇を見るのみとなる.抗原が ても国内における感染はありうる.しかしながら B. B. abortus の場合は 40 倍以上,B. canis の場 合 は 160 canis 感染の一般的症状は,家畜ブルセラ菌感染のそ 倍以上の抗体価にて単一血清にて診断可能となる1)5). れと比べ軽微であることが多く11),Fig. 1のような熱 本症例においては血液培養では原因菌が分離されな 型や潜伏期間などを考慮すると,本症例は B. melitensis かったが,B. canis の抗体価が 160 倍と陽性であり,抗 の輸入感染例であった可能性が高いのではないかと考 菌薬投与により陰転化を認めた.試験管内凝集反応に えている. 6) よる抗体価は,Yersinia enterocolitica ,Francisella tular7) わが国では 1999∼2012 年の間に 19 例のブルセラ症 ensis および Vibrio cholera による交差反応による偽陽 が届け出されており4),7 例が家畜ブルセラ菌(5 例が 性が報告されている.本症例においては,下痢症状が B. melitensis,2 例が B. abortus),12 例が B. canis の感 ないことや野外活動歴がないことから,これらの原因 染によるものであった.家畜ブルセラ菌感染例の全例 菌による疾患の臨床経過とは一致しないものと考え が輸入感染例であったのに対して,B. canis の感染例 た.菌が血液培養から分離できなかった理由として, においては,イタリアから帰国後の 1 例を除き国内感 培養期間が 14 日と不十分であったことが考えられ反 染例であった.この 1 例も抗体のみによる診断であり, 省点の 1 つである. 他の菌種の交差反応をみている可能性はある. 本症例は B. canis 抗体が陽性であったが,これは B. B. melitensis に 感 染 し た 場 合 に は B. abortus と B. canis による感染の可能性と,他のブルセラ属菌,す canis の両者に対する抗体価の上昇をみることが多い なわち家畜ブルセラ菌(特に B. melitensis)感染を交 とされるが,B. canis に対する抗体価のみの上昇を認 差反応として観察している可能性のいずれも考えられ める場合もある.2014 年に我が国で B. melitensis の検 る.フランス公衆衛生院(INVS)のホームページに 体を扱った検査技師において,B. abortus 抗体価は 40 掲載されているフランス国内におけるブルセラ症の疫 倍未満であるが B. canis 抗体価が 320 倍にまで上昇 学情報によると,フランスで 2014 年に発生したヒト し,DOXY+RFP の 6 週間投与が行われている12). ブルセラ症全 15 例中,血清型不明であるもの以外は 8) ブルセラ症は稀な疾患であり,持続する発熱の精査 全て B. melitensis 感染によるものであった .また,本 において鑑別疾患として想起されづらい疾患であると 症例が滞在したパリにおいて,15 例中 12 例と特に多 思われる.そのため診断がつかずに経過している例や くの発生例が報告されていた.また,B. canis 感染は 誤った診断に基づいて治療されている例も多いものと フランスにおいてはほとんど発生していない.ブルセ 考えられる.また,フランスや地中海沿岸国など,輸 ラ症の潜伏期間が 1∼3 週間であること1)3)や,患者の 入感染症の感染地として通常疑われない国への渡航後 乳製品(ナチュラルチーズ)の摂取歴から,本症例が においても,ブルセラ症は発症する可能性があるとい フランスでブルセラ症に感染した輸入感染例である可 う認識を深める必要があろう.鑑別疾患として検討さ 能性が高いと考えるが,その場合,INVS の疫学的情 れる場合でも,血液培養の期間が不十分な場合は菌の 報も踏まえると, 原因菌は B. canis ではなく B. meliten- 分離ができないことやヒトブルセラ症の起因菌として sis であったと考える.本症例の B. abortus 抗体は陰性 重要な B. melitensis 感染はわが国の商業ベースの抗体 であったが,世界的な家畜ブルセラ菌の浸淫地域であ 検査では直接測定できないことにも留意して診療にあ 1) 8) る地中海沿岸国 やそこに近接するフランス において たる必要がある. 感染症学雑誌 第90巻 第2号 フランスから帰国後のブルセラ症の 1 例 本論文の要旨は第 64 回日本感染症学会東日本地方 会学術集会(2015 年 10 月 22 日,札幌市)にて発表 した. 利益相反自己申告:申告すべきものなし 文 献 1)World Health Organization : Brucelllosis in hu- mans and animals. WHO/CDC/EPR/2006.7. [Internet] [cited 2006 Jul]. Available from : http://w ww.who.int/csr/resources/publications/Brucello sis.pdf. 2)Centers for Disease Control and Prevention. Brucellosis [Internet] Georgia : U.S. Department of Health & Human Services [updated 2012 Nov 12 ; cited 2015 Nov 8]. Available from : http://w ww.cdc.gov/brucellosis/. 3)今岡浩一:ブルセラ症の最近の話題.モダンメ ディア 2009;55:76―85. 4)病原微生物検出情報(IASR) .国内におけるブ ルセラ症患者. [Internet]東京:国立感染症研 究所 [cited 2012 July 4] .Available from:http:// www.nih.go.jp/niid/images/iasr/33/389/graph/t 3892j.gif.. 5)感染症法に基づく医師及び獣医師の届出につい て.[Internet]東京:厚生労働省[cited 2015 Nov 8].Available from:http://www.mhlw.go.jp/b unya/kenkou/kekkaku-kansenshou11/01-04-28.h tml. 6)Drancourt M, Brounqui P, Raoult D:Alpha 141 clevelandensis antibodies and cross-reactivity with Brucella spp. and Yersinia enterocolitica O : 9. Clin Diagn Lab Immunol 1997;4:748―52. 7)Behan KA, Klein GC:Reduction of Brucella species and Francisella turarensis cross-reacting agglutinins by dithiothreitol. J Clin Microbiol 1982;16:756―7. 8)Epidemiological data on human brucellosis in France. [Internet] Saint-Maurice Cedex : Institute de Veille Sanitaire ; c2011 [cited 2015 Sept 22]. Available from : http://www.invs.sante.fr/D ossiers-thematiques/Maladies-infectieuses/Zoon oses/Brucellose/. 9)Mailles A, Rautureau S, Le Horgne JM, PoignetLeroux B, d Arnoux C, Dennetière G, et al.:Reemergence of brucellosis in cattle in France and risk for human health. Eurosurveillance 2012; 17:pii : 20227. 10)伊佐山康郎:犬のブルセラ症.獣医畜産新報 1994;47:97―101. 11)Greene CE, Carmichael LE:Canine brucellosis. In:Greene CE, editor. Infectious diseases of the dog and cat, 3rd ed. Elsevier, Inc., Canada, 2006;369―81. 12)佐藤昭裕,冬賀秀一,堀田緒留人,須原靖明,尾 関拓磨,丸茂一義:Brucella melitensis による椎 間板炎の一例.病原微生物検出情報 2014;35: 182―3. A Case of Brucellosis with Intermittent Fever in a Patient Returning from France Hiroshi IKEDA & Keisuke NAGAMINE Department of Internal Medicine, Ohta-Nishinouchi Hospital We herein report on a 62-year-old man who presented with symptoms of intermittent fever that persisted after returning from a trip to France. During his trip, he had eaten natural cheese. Although no bacteria could be isolated from blood culture, the serum agglutination test showed a positive antibody titer of 1 : 160 for Brucella canis. The patient responded well to combination antibiotic therapy consisting of gentamicin, rifampicin, and doxycycline, and his symptoms improved. He became antibody-negative after antibiotic therapy. Although the present case may have been a case of B. canis infection, considering the epidemiology of brucellosis in France, serological cross-reactivity with Brucella melitensis infection is also a possibility. Concerns regarding the reemergence of brucellosis have recently been reported in France, and most cases are caused by B. melitensis. Clinicians should be aware of the fact that blood cultures must be incubated for !21 days for isolation of Brucella and that in Japan, antibody measurement of B. melitensis cannot be performed on a commercial basis. 〔J.J.A. Inf. D. 90:138∼141, 2016〕 平成28年 3 月20日
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