「おぢば帰りの行為と意味」(上)

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「おぢば帰りの行為と意味」
(上)
―天理教の聖地「ぢば」―
森
進
〔要 旨〕 人間は,どこで,いつ,どうして,だれによって,どのように,生まれて
きたのであろうか。人間の元はじまりは,どこにあるのであろうか。天理教では,その
元を「ぢば」と名付け,その「ぢば」に「帰る」ことを「おぢば帰り」という信仰上の
実践行為として教えている。本稿は,その「おぢば帰りの行為と意味」をテーマとする。
今回は,
「おぢば帰り」の目標地点である,天理教の聖地「ぢば」の意味について,
論考する。
「ぢば」は,どこで,いつ,だれによって,どのように,定められたのか。
なぜ「ぢば」に「行く」ではなく,
「帰る」という表現が使われるのか。そして,なぜ
「ぢば」に帰るのか。さらに,なぜ「ぢば」は定められなければならなかったのか。そ
れも,世界中でなぜ1箇所だけなのか。
このような様々な疑問点について,天理教の3原典である,
『おふでさき』
,
『みかぐ
らうた』
,
『おさしづ』と『稿本天理教教祖伝逸話篇』を主な論拠として,天理教学の立
場から考察を試みる。
〔キーワード〕 「ぢば」
,
「かんろだい」
,
「ぢば定め」
,
「親―子」
,
「つとめ―たすけ一
条の道」
〔序〕
天理教の信仰者にとって,欠かすことのできない行為とは,何であろうか。それをしなけれ
ば,天理教を信仰しているとはいえない行為とは,何であろうか。いわゆる,天理教を天理教
たるものとしている宗教的行為である。
1つは,「かんろだいのつとめ」に参画する行為であり,もう1つは,
「おぢば帰り」をする
行為であろう。他にも様々な行為が考えられるが,少なくともこの2つは,信仰上の重要な実
(1)
践行為として位置付けられている。人間創造の理を手振りとかぐら面で表現する「かんろだい
のつとめ」は,「おぢば帰り」の目標地点である「ぢば」に据えられている「かんろだい」を
中心にしてのみつとめられる。その観点からは,「かんろだいのつとめ」と「おぢば帰り」の
2つの行為は,「ぢば」を中心にして,互いに密接な関連性をもっているといえる。
それでは,「おぢば帰り」が天理教独自の宗教的行為とされる要素とは何であろうか。1点
は,「おぢば帰り」の目標地点であり,天理教の聖地といわれる「ぢば」が「人間宿し込みの
元の地点」であると教えられていることである。もう1点は,人間を創造した「元の神」であ
り,創造時から現在も人間が生きるために必要な守護を絶え間なく与えている「実の神」が
「ぢば」に鎮まると教えられていることである。すなわち,人間宿し込みの元の地点,「ぢ
ば」に「帰り」
,そこに鎮まると教えられている「元の神・実の神」に会う,という行為がそ
の独自性を構築しているといえる。
70
天理大学学報 第6
0巻第2号
加えて,それらの事実が,「月日のやしろ」といわれる,天理教の教祖,
「おやさま」自身に
よって,直接,教示された点,それらについて書かれた原本が「原典」
(『おふでさき』
)とし
て現存している点は,天理教の特徴といえる(筆者註・本稿,第!章 "「人間元はじまりの
地点」参照)
。
「おぢば帰り」を論じる場合,「ぢば」の意味とともに,「ぢば」が「人間宿し込みの元の地
点」である証拠として,その地点の上に据えられている「かんろだい」の存在を抜きにしては
考えられない。「ぢば」は,人間にはみえない。それ故,おやさまによって,「ぢば」の地点が
(2)
特定され,「ぢば」の意味が教えられ,「ぢば」に天理王命の神名が授けられ,その地点に,
「かんろだい」という人間にみえる台が据えられた。それによって,「ぢば」の地点が人間に
明らかにされ,「つとめ」の中心が定まり,礼拝の目標となり,
「おぢば帰り」の目標地となり,
天理教信者にとっては,かけがえのない心の拠り所となった。
「かんろだいのぢば」には,元の神・実の神である天理王命が鎮まる,と教えられている。
(3)
また,『おふでさき』によれば,「かんろだい」は,「をや」と教えられている。だからこそ,
天理教信者は,世界中どこにいても,「かんろだいのぢば」を目標として,精神的にも物理的
にも,その方角に向かって,天理王命・おやさまを拝することに意味を見出す。そして,
「か
んろだいのぢば」のある親里を目指して,「おぢば帰り」という行為をする。
「おぢば帰り」という行為は,「身体をぢばに運ぶ」という物理的な行為だけではなく,
「心
をぢばに運ぶ」という精神的な行為も意味する。その根拠は,原典『おさしづ』の言葉に見出
すことができる。その言葉には,「おぢば帰り」の物理的行為の奥に存在する精神的な意味の
重要性が示唆されている。もし「おぢば帰り」が物理的行為のみを意味するとすれば,様々な
理由でそれがしたくてもできない人々にとっては,その行為は深刻な課題になるおそれがある。
『おさしづ』の言葉は,「元の神(親)
」にとってはすべての人間は子供である故,世界中の人
間にとって,「おぢば帰り」は重要な行為である,という概念を含んでいる。しかし,現実に
は,世界の人々が物理的に「ぢば」に帰るという行為は,必ずしも容易なことではない。そこ
で,『おさしづ』の言葉に根拠を求めて,
「物理的おぢば帰り」と「精神的おぢば帰り」につい
ても論考する。
世界各地で,仏教,キリスト教,イスラム教など様々な宗教において,伝統的宗教儀礼行為
である種々多様な意味,形態をもつ「巡礼」が行われている。日本においては,
「四国8
8箇所
お遍路巡り」や「西国3
3箇所観音巡り」が伝統的な巡礼として一般に知られている。ところが,
天理教の「おぢば帰り」は,辞書,辞典,事典類で「巡礼」という項目には含まれていない。
そこで,「おぢば帰り」がなぜ「巡礼」という範疇に入らないのかについても論考する。
研究方法としては,宗教的,社会的,地理的,経済的,歴史的,心理的,文化的視点など
様々な側面から,また,起源,意味,動機,形態,年齢,性別,職業,立場,服装,交通手段,
宿泊場所,時期,回数,費用,道順,出発および到達地点など多くの要素を考慮して,論考す
(4)
ることが考えられるが,本稿では,特に,宗教的視点,言語的視点,信仰的視点から,「ぢば
とその周辺の意味」と「おぢば帰りの行為と意味」に論点を絞って,考察する。考察資料とし
ては,『おふでさき』
,『みかぐらうた』
,『おさしづ』の3原典と『稿本天理教教祖伝逸話篇』
をその主な論拠とした。なお,本稿〔註〕のはじめに,筆者が本稿を書くに至った経緯を記し
ておく。
本稿は,「おぢば帰りの行為と意味」をテーマとするが,今回の論考では,
「おぢば帰り」の
目標地点である,天理教の聖地「ぢば」の表記と意味,「ぢば定め」とその意味について,考
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
71
察を試みる。次回(中)の論考では,「ぢば」
,「やしき(屋敷)
」
,「親里」の呼称と意味,なら
びに,「おぢば帰り」
,「おやしき(屋敷)帰り」
,「親里帰り,おやざとまいり(親ザト参リ)
」
の呼称と意味について,そして,最終回(下)では,「おぢば帰りの行為と意味」について,
論考を試みる予定である。
!.「ぢば」の表記
天理教の聖地「ぢば」の表記,また,字義的,場所的意味について考察する前に,まず,聖
地の一般的な意味と天理教の聖地「ぢば」の特徴について述べる。
『宗教学辞典』によれば,「聖地」の意味は,次のとおり定義されている。
[意義]字義どおり,本来は宗教的あるいは特殊な伝承と結びついて,
(1)禁忌(タ
ブー)とされた自然の場所,
(2)その場所に何らかの人為的工作を施してタブーとし
た区域を意味したが,やがて(3)神聖な区域内に加わった神祠,その他の営造物を指
すようになってきている。このほか,
(4)神,聖者,王,英雄などとゆかりのある土
(5)
地,霊地,聖域,聖所など,聖地と同義語に用いられていることもある。
さらに,同辞典は,〔自然的聖地〕
,〔人工的聖所〕
,〔聖者にゆかりのある聖地〕と項目を分
(6)
類,具体例を挙げて,「聖地」の定義に詳しい説明を与えている。
また,『日本国語大辞典』によれば,「聖地」は,次のように定義されている。
[名]宗教的伝承と結びついて聖化されている土地。神聖視された自然の場所,人為的
工作を施して聖化された区域,神殿や寺院などがおかれた聖なる場所,神,聖者,王,
英雄にゆかりのある聖域などがある。自然的聖地としては富士山,インドのガンジス川,
シナイ半島のホレブ山(シナイ山)など,人為的聖地としては,エルサレム,メッカ,
(7)
バチカン,バラナシ(ベナレス)などが著名。
丸川仁夫は,論文「聖地について」において,“種々なる聖地”
,“キリスト教の聖地ヴァチ
カン”
,“イスラムの聖地メッカ”について論述した後,“天理教の聖地ぢば”について,その
特質を記している。(筆者註・本稿の引用文におけるゴシック体は,筆者・森による。なお,
引用の原文にある天理教用語とされる傍点は,あまりにもその数が多いため,本稿においては,
省略する。
)
このような,神鎮まり,教祖存命の場所,人間宿しこみの場,そして教祖によって教
えられたその原初の不思議な創世譚の実証を示す神聖儀礼の行われる場所として,ぢば
は,天理教徒にとり,かけがえ無き神聖無比の地であり,この中心の場を取り囲む神殿・
礼拝場・神苑の領域が,大体,聖地と考えられている。
天理教のこの「ぢば」聖地は,従前から知られた地方の民俗信仰などと何の関係もな
く,また政治的・文化的背景などに何ら負うこともない,全く独自に,教祖によって顕
示されたことにより人々に明らかにされた聖地であり,且つこの地は,一般天理教の信
徒はもとよりのこと,その他異教の人々にも,国の内外,人種のいかんを問わず,広く
解放されており,年中,昼夜,役儀の人々によって守られてはいるが,何人も自由に,
このぢばに建つ神殿の周辺,礼拝場に入り拝することは認められている。
かような諸点は,先に述べたキリスト教やイスラム教の聖地に比し,いろいろな点で,
(8)
かなり異なる特色をもつ聖地といってよいであろう。
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天理大学学報 第6
0巻第2号
引用した辞典,論文によれば,「ぢば」は,様々な点において,他の宗教における聖地の概
念とは異なることが理解できる。
それでは,「ぢば」の表記について,考察する。まず,
『おふでさき』では,第1号4の歌だ
(9)
けに,「しバ」が使われており,他の6箇所では,すべて「ぢば」と表記されている。次に,
(1
0)
『みかぐらうた』には,3箇所あるが,すべて「ぢば」と表記されている。さらに,『おさし
づ』においても,すべて「ぢば」と表記されている。ところが,天理教の重要な文献,
「こふ
き話」には,「じば」
,「ジバ」
,「地場」
,「ちば」
,「ちは」
,「しは」
,「ちだ」
,「じは」
,「しば」
(1
1)
と様々な表記例が存在する。したがって,天理教における「ぢば」の表記は,「しバ」と「ぢ
ば」を含めて,1
1種類にもおよぶ。
おやさま自身の筆によって直接書かれた『おふでさき』
,『みかぐらうた』において,「ぢ
ば」という言葉の表記が存在していたにもかかわらず,その後の文献に既述のような様々な表
記が使われている。その理由として,それらの表記例のすべてが「こふき話」にみられること
から,その本の持つ特質から起因していると考えられる。
(1
2)
そこで,「こふき話」について,本稿でも度々引用する重要な文献なので,少し触れておく。
まず,その時代的な位置付けは,『みかぐらうた』が慶応2年から明治8年(明治1
5年一部変
更)
,『おふでさき』が明治2年から明治1
5年,そして,『おさしづ』が明治2
0年から明治4
0年
の間に筆録されているのにたいして,「こふき話」は,明治1
4年に書き残された本も存在する
が,明治1
5年の本は存在せず,概ね『みかぐらうた』
,『おふでさき』と『おさしづ』の中間に
書き残された文献である。その内容,形態については,教えを伝播する目的でそれを取次ぐ立
場にある人たちがおやさまから直接きいた話を後で書き残したものである。ところが,おやさ
(1
3)
まは,その出来上がったものについては,満足されなかった,という史実が残されている。
「こふき話」の執筆者にとって,おやさまによって直接発せられる言葉を聴いていた,その
とき,その場の状況は,計り知れない緊張感,緊迫感があったことは,容易に想像できる。し
かも,そのような状況下で聴いたおやさまの言葉を,その場ではなく,後になって書きとめた
ことから,その正確性においては,考慮の余地がある。また,かれらがおやさまの声をはっき
りと聴き取れなかった場合もあるだろうし,それをおやさまにきき返し,確認をした,という
ことは考えにくい。加えて,おやさまから話を聴いた取次者,執筆者が複数であることも,
様々な表記例が存在する要因と考えられる。さらに,明治1
0年代という時代性も含めて,複数
の執筆者の背景要素によっては,和歌体,散文体,カタカナ混じりの文章,と筆記の表現方法
も異なり,表記に十分な注意が払われたのかどうか,また,その必要性の認識についても考慮
の余地が残されている。
したがって,『おふでさき』
,『みかぐらうた』
,『おさしづ』が原典と定められているのにた
いして,様々な「こふき話」は,原典とは異なった意味を持つ文献とされている。しかし,中
山善衞三代真柱が,「こふき」を,『おふでさき』を含めて,たすけ一条に関する内容のすべて
(1
4)
を意味する,と定義しているように,その呼称と関連した「こふき話」が重要な文献であるこ
とには間違いない。ただ「こふき」と「こふき話」の表現の意味,解釈については注意を要す
る。
そのような理由から,「こふき話」における表記については,
「ぢば」だけでなく,「やしき」
,
「親里」についても,同様なことがいえる。「やしき」については,「やしき」
,「屋鋪」
,「屋し
(1
5)
,「親さと」
,「親ザト」
,
き」
,「屋敷」という表記例があり,「親里」については,「をやざと」
(1
6)
「おやざと」という表記例がある。したがって,本稿では,過去の重要な文献に,「ぢば」の
73
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
表記について,様々な文字の存在があった,という事例を提示するにとどめておく。
次に,「ぢば」とともに使われている,
「おぢば」の呼称と表記について考察する。天理教信
者の間で一般的に使われている「おぢば」という表現は,おやさまによって使われた「ぢば」
に「お」という敬意語が付された丁寧な言葉である。人間が神にたいする敬意を表する「おぢ
ば」という言葉には,天理教信者の温かい感情が込められている。そのことは,
「おぢば」と
ともに使われ,人類の故郷と称される「親里」という表現についても,同様のことがいえる。
『おさしづ』には,「ぢば」という言葉が2
0
8件存在する。その中には,「お」を冠した「お
ぢば」という表現は,ほとんどが「割書」にみられ,3
9件,4
0箇所存在する。ただ,1件だけ
『おさしづ』第七巻補遺の「割書」には,「ぢばに帰り泊り朝出立の時腰痛み身の障り伺」
〔明
(1
7)
治2
0年1
2月2日〕
,とある。一方,本文においても,「おぢば」5件,6箇所存在しているが,
それは,おやさまが人間の立場からの言葉として使っている,と考えられる。したがって,
『おさしづ』では,そのほとんどは,おやさまが神の立場からの言葉として,
「ぢば」という
表現が一貫して使われている。
また,平仮名の「おぢば」とともに,「こふき話」にある漢字表記の「地場」を含めて,他
(1
8)
の文献では,「御地場」
,「お地場」という表記例もみられる。
ところで,英訳では,筆者の私見であるが,「おぢば」は“Jiba”,「ぢば」は“the Jiba”と区
別している。英語では,通常,場所を示す固有名詞の場合には,その前に“the”は付かない。
しかし,表現が場所を示す「おぢば」であっても,内容的に「ぢばの理」を強調する場合には,
筆者は,“the Jiba”と表記する。換言すれば,“the”を付ける場合は,「ぢば」のもつ内容を示
すのにたいして,“the”を付けない場合は,「ぢば」を含んだ広がりをもつ場所を強調し,日本
語では,「おぢば」と表現するのにあたる。
「ぢば」
,「おぢば」とともに,天理教の聖地としての呼称であった,「やしき」にも「おや
しき」という「お」を冠した表現が天理教信者の間では一般的に使われていた時代がある。
『おさしづ』には,「やしき,おやしき,屋敷,庄屋敷」合計1
7
8件の内,「おやしき」の表現
(1
9)
があるのは,本文には存在せず,「割書」に9件,1
0箇所において存在するのみである。他の
1
6
9件,3
0
5箇所は,すべて,おやさまが神の立場から述べたものである。一方,「屋敷」が
「割書」に1件,1箇所,「本文」に2件,2箇所,「庄屋敷」が「本文」に2件,3箇所,そ
して,「やしき」は「割書」に1
1件,1
3箇所,「本文」に1
7
8件,3
0
5箇所存在する。ここで注目
すべき点は,「やしき」が,本文とともに,人間の側からの伺い文言である「割書」の中
(2
0)
に,1
1件,1
3箇所存在している事実である。この事実から,『おさしづ』においては,「ぢば」
と「おぢば」とは異なり,「やしき」と「おやしき」の場合は,両語の間に明確な区別はなさ
れていなかったのではないか,とも推察できる。
次に,「ぢば」の字義的意味と場所的意味について,考察する。
『日本国語大辞典』によれば,表記は,現在天理教で使われている「ぢば」ではなく,
「じ
ば」とあり,5種類の定義が与えられているが,ここでは,関連のある次の2種類を挙げる。
1.【地場】!その地方や地域。一定の土地の範囲。区域。
(中略)"取引市場で,取
引所やその近辺の土地また,取引所の職員や投機をする仲買人など取引所に関係す
る人々や,その周辺で営業する中小証券会社やその常連客をいう。
2.【磁場】磁石や電流のまわりに生じる磁気力の作用する場所。単位磁極(1ウェー
バー)に対して働く力で磁場の強さと方向を表わす。
(中略)また,比喩的に,あ
(2
1)
るものごとの影響力などが強く及ぶ場をいう。
74
天理大学学報 第6
0巻第2号
上田嘉成は,主に『おふでさき』を基にして,「ぢば」を言語学的,宗教学的,信仰的立場
(2
2)
から綿密に分析している。「ぢば」という字は,国語としては,場所,土地と定義されている,
としている。また,言語学的に,「ぢ」と「ば」を個々に具体的な根拠を挙げて説明した後,
「ぢば」とは,「故郷」
,「神様をお祀りする場所」である,と日本語としての定義付けをして
(2
3)
いる。他にも,永尾!徳が上田と同様な定義を「ぢば」に与えている。なお,「ぢば」の定義
については,「ぢば定め」に関連して,5回にわたって,『みちのとも』に特集「ぢば定め百
(2
4)
年」という題目で,6名による議論の内容が掲載されている。
中山正善二代真柱は,「ぢば」を次のように説明している。
元来,ぢばなる語は,通常,地場の文字を當てている。これは場所,地所,地點等と
同じ意味で,決して當初から天理教獨自の教語ではなく,寧ろ一般語である。おふでさ
きでも,
“元なるぢば”
,
“かんろふだいのぢば”
,
“そのぢば”等と一般語である“ぢ
ば”に,特別の意義を説明する言葉が冠されてあり,みかぐらうたでも,同様,
“やま
とのぢば”
,
“かみのやかたのぢば”等と説明が加えられてある。つまり,おふでさき,
みかぐらうたでは,教祖は“ぢば”の単語単獨には,特別な意味を含めて用いられたの
(2
5)
ではなく,寧ろ一般語として用いられているのである。
また,「ぢば」の言葉の使い方については,次のような説明を与えている。
次にぢばという言葉についてでありますが,教祖のお使いになっておりますぢばとい
う言葉は,決して特殊な意味があるわけではなく,場所という意味であります。このご
ろ,それを一つの意味に限定していくのは,教理をはっきりさせたいという,われわれ
の意図のもとに,ぢばというものはかんろだいの据わるべきぢば,いわゆる本まん中の
位置を示す場所だ,これを神のやかたとして現在お鎮まりいただいておるのだ,それを
いろいろな言葉を抜きにして,ぢばという言葉一つで味わせていただくように,教理的
に使っておりますので,そんな解釈の上からいたしますと,ぢばとか,ところとかやし
きとか言うのに,広がりが前後してまいります。その説明と今後の説明においての言葉
の使い方をご注意しておきたいと思います。
(中略)ぢばと言いました時に,
「神のやか
たのぢば定め」とおっしゃっているがごとく,神のやかた,すなわち宿し込みの本まん
中の地点,かんろだいの据わる地点,それをわれわれは単にぢばと呼びました時には意
(2
6)
図しておるということを,はっきりお考えいただきたいと存じます。
すなわち,天理教の「ぢば」とは,その表記は異なるが,元々,日本語の普通名詞「じば」
として存在する。それは,「場所」を意味する語であり,天理教の固有名詞的な特殊表現では
ない。ところが,時間的経過,教学的発展とともに,「ぢば」は,教語的視点から,「宿し込み
の本まん中の地点」と意味が明示され,場所的視点からは,その証拠として据えられている
(2
7)
「かんろだい」のある特定の地点,と定義されるようになった。その意味では,天理教におけ
る聖地の場所的定義は,厳密には,極めて限定された一地点である,といえる。一方,「おぢ
ば」という言葉には,「人間宿し込みの元なる地点」の証拠として「かんろだい」の据えられ
ている特定された地点の「ぢば」と比して,広がりをもった場所,地域を示す意味合いが強い。
また,単に日本語の「場所」を示す「じば」と区別するために,「元のぢば」
,「もとなるぢ
(2
8)
ば」
,と「元」あるいは「元」と深く関連した修飾語を付して使われている場合が多い。それ
は,『おふでさき』からは,「にんけんをはじめだしたるやしき」
,「このよふをはぢめだしたる
やしき」
,そして,『おさしづ』からは,「元々人間始めたこのやしき」
,「元人間始めたやしき」
,
75
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
「人間始めた元のやしき」という表現があるように,「ぢば」とともに,天理教における重要
(2
9)
な用語である,日本語の普通名詞「やしき」についても,同様のことがいえる。ここに『おふ
でさき』
,『おさしづ』から引用した「やしき」の表現は,「ぢば」と同じ意味で使われている
が,この点は後論の対象とする。
中山正善二代真柱は,「ぢば」と,「やしき」
,「親里」
,「おぢば」との相違について論述して
いるが,「ぢば」は,あくまでも「かんろだいの据えられている地点」という意味に場所を限
定しており,「ぢば」の地点を含むが,「やしき」
,「親里」
,「おぢば」のような広がりのある意
(3
0)
味はもたない,と場所的に区別して定義している。ところが,同じ著書『續ひとことはなし
その二』において,次のような記述が存在する。それによれば,「ぢば」と「おやさと(親
里)
」が並列的,同格的に表現されており,それは,「ぢば」を「親里」と区別している定義と
は異なる。(本稿〔註3
0〕参照)
(前略)ぢば,親里に到達して,
(後略)
(3
1)
(前略)宿し込みの“おやさと,ぢば”
(後略)
そこで,次のような問題が出てくる。天理教における聖地の場所的定義は,
「ぢば」という
言葉で表現されている,「かんろだい」の据えられている「人間宿し込みの元なる地点」とい
う限定された一地点なのか。あるいは,「やしき(屋敷)
」
,「おやさと(親里)
」
,「おぢば」と
いう言葉で表現されている,広がりをもった場所,地域を意味するのか。
このことも含めて,「ぢば」
,「やしき」
,「親里」
,3種類の用語について,字義的,場所的に
明確な区別が可能なのか,またその区別に必要性,意義があるのかどうかについては,考慮の
余地がある。この点については,『天理大学学報』第2
2
2輯,「おぢば帰りの行為と意味」
(中)
において,詳論する予定である。
!.「ぢば」の意味
"「人間元はじまりの地点」
天理教には,『おふでさき』
,『みかぐらうた』
,『おさしづ』の3種類の原典がある。特に,
『おふでさき』は,おやさまによって,口述ではなく,直筆で書かれた本である。しかも,そ
の原本が現存する原典である点は,宗教学的にも天理教の特質であるといえる。
おやさまの立場は,「月日のやしろ」であり,その心は,月日,天理王命(親神)の心であ
る。すなわち,おやさまの言葉は,親神の言葉そのものである,と教えられている。
『稿本天理教教祖伝』
(以下『教祖伝』と記す)には,次のような記述がある。
教祖の心は月日の心,月日の心とは親神の心である。教祖の心こそ,無い人間無い世
(3
2)
界を創められた元の神・実の神,親神天理王命の心である。
その,おやさまが「ぢば」の地点を特定,その意味を教示している点に意義があるといえる。
このところやまとのしバのかみがたと ゆうていれども元ハしろまい
1:4
このところ元なるぢばの事ならば はぢまりだしをしらん事なし
7:4
この月日もとなるぢばや元なるの いんねんあるでちうよぢさいを
8:4
7
かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを
9:1
9
そのとこでせかいぢううのにんけんわ みなそのぢばではじめかけたで
1
7:7
そのぢばハせかい一れつとこまても これハにほんのこきよなるぞや
1
7:8
76
天理大学学報 第6
0巻第2号
いまゝでハこのよはしめたにんけんの もとなるぢばわたれもしらんで
1
7:3
4
引用の歌にあるように,「ぢば」
(「しバ」
)の意味は,「元」
,「はぢまりだし」
,「元なるのい
んねん」
,「かんろたいすへるところ」
,「せかいぢううのにんけん……はじめかけた」
,「にほん
のこきよ」
,「このよはしめたにんけんのもと」
,と表現されている。
『みかぐらうた』には,「ぢば」は,3箇所存在しているが,関連の歌を含めると,次の8
箇所で使われている。その内,直接的に「元」を教えているのは,「もと」
,「よろづいさいの
もと」
,「このよのもと」の3箇所である。
このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ
よろづよ八首―4
このもとをくはしくきいたことならバ いかなものでもこいしなる
よろづよ八首―5
きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを よろづよ八首―6
かみがでゝなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり
よろづよ八首―7
ふしぎなたすけハこのところ おびやはうそのゆるしだす
!―2
なんでもなんぎハさゝぬぞへ たすけいちじよのこのところ
!―7
こゝはこのよのもとのぢば めづらしところがあらはれた
!―9
ひのもとしよやしきの かみのやかたのぢばさだめ
"―1
『おさしづ』では,「割書」を含めて,「ぢば」が使われているのは,全部で2
0
8件存在する。
その件数は,『おさしづ』全体の約1パーセントにあたる。そのすべてを列挙することはでき
ないが,その中でも「ぢば」を「元」と定義付けている表現が多数ある。その内,次の1
5件を
代表的な例証として挙げる。
1.「世界は廣い。廣い世界の元なれば,廣いだけの事を為さねばならん。さあ!"種
苗,苗代は,元のぢば。
」
〔明治2
0年3月1
1日(陰暦2月1
7日)午後7時〕
2.「一つ所,ぢば一時一つ所,始め出しの所,心だけ一つ始め。
」
〔明治2
1年5月2
3日
(陰暦4月1
3日)
〕
3.「元始めた何の神!"勤めて始め来た。
(中略)変わる出ける残る理と,かんろう
だい一つ,何にも分からんでない。
(中略)先ず!"このぢば・かんろうだい一つ,
何でも彼でも運ばにゃならん。
(中略)発端の道。
」
〔明治2
1年7月3日(陰暦5月
2
4日)
〕
4.「皆,満足さして,元のぢばや親里やと言うて,満足して帰るのやで。
」
〔明治2
1年
7月7日〕
5.「元のぢばや親里や,日々送る元のぢばや親里や。
」
〔明治2
1年1
1月1
4日(陰暦1
0月
1
1日)午前3時〕
6.「ぢば一つ,一名一人理運び来たる,日々月々年々一つ心の理が分からん。
(中
(中略)国々所々
略)たゞ一つ息,たゞ一つの息,
(中略)ぢば一つの理という。
枝々,元ある元,一つ息,この元一つ,一つ世界という。
」
〔明治2
2年2月8日(陰
暦正月9日)午後1
0時3
0分〕
7.「ぢば一つ始め出しという。それから道から所々から運ぶ処から,一つ理が治まる。
(中略)道具の理皆許す中一つ元一つ人間始め出したる,これだけぢば一つに限
る。
」
〔明治2
2年3月3
1日(陰暦3月朔日)午前9時3
0分〕
8.「一つ始まる,一つ始め,一時一つぢば一つの理,それより世界どういう理も始め
掛ける。
(中略)何かの処,元ぢば一つ。
」
〔明治2
3年5月2
3日〕
77
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
9.「何も紋型も無い処から伝わって来た道,刻限の話嘘があるか。よう聞き取れ。神
やしきぢばという理取り損いしてはどうもならん。
」
〔明治2
4年1
1月1
5日 夜1時〕
1
0.「元々のぢば,元のをやが踏ん張って居るから,だん!"理が聞こえる。元を出し
て触れ廻る。
(後略)
」
〔明治2
8年1月1
4日〕
1
1.「元という,ぢばというは,世界もう一つと無いもの。
」
〔明治2
8年1
0月1
1日〕
1
2.「ぢば証拠人間始めた一つの事情,かんろうだい一つの証拠雛形。
」
〔明治3
0年7月
1
4日〕
1
3.「この元ぢばという,世界世界所々始め,何も一度で始めたんでない。一人から一
つ!"始め。
(中略)最初初め何処から始まったか。元紋型無き時から付けた理,
重い理と言うか軽い理と言うか。
(後略)
」
〔明治3
1年3月2
8日〕
1
4.「大和の国に珍しぢばや,鏡やしきや,元人間始めたやしきや。
」
〔明治3
1年5月9
日 夜〕
(後略)
」
〔明治3
1年9月3
0日
1
5.「元が無いから。このやしき元なるぢばと言うたる。
午前2時〕
「ぢば」は,「始め出しの所」
,「元一つ人間始め出したる」
,「世界始め掛ける」
,「元紋型無
き時から付けた理」
,「元人間始めたやしき」などと言及されている。
3原典すべての引用にあるように,「ぢば」は,直接「元」あるいは「元」に深く関連した
表現によって定義されている。場所の意味を教示していることに加えて,「元始めた何の神」
,
「元のをや」という表現にあるように,人間をはじめた「元のをや」について触れていること
は,「おぢば帰り」を考察する場合,見逃すことのできない重要な点である。そのことから,
「おぢば帰り」という行為が,「人間はじまりの元の場所」に帰るとともに,人間をはじめた
「元の親(神)
」に直に会うことを目的としていることが理解できる。すなわち,「おぢば帰
り」とは,「親のいる許(元)
,故郷に帰る,親里に帰る」という意味である。
「ぢば」が「元」と教えられているごとく,何事においても,「元」が一番肝心であり,
「元」を忘れてはならないことが,3原典すべてにおいて強調されている。おやさまがこの世
に現れた目的,理由は,まさに「元」を人間に知らすためであるといえる。すなわち,人間元
はじまりの場所「ぢば」
,人間をはじめた「元の親(神)
」を知らせるために,おやさまは,月
日のやしろとして,人間世界に現れた。その事実は,『おふでさき』に明示されている。
いまゝても神のせかいであるけれど なかだちするハ今がはじめや
1:7
0
月日にわせかいぢううをみハたせど もとはじまりをしりたものなし
1
3:3
0
このもとをどふぞせかいへをしへたさ そこで月日があらわれてゞた
1
3:3
1
そして,親神による人間世界創造の目的である「神人和楽の陽気ぐらし」世界を実現するた
めには,人間が「元」を知ることの自主性,必要性,重要性が『おふでさき』の第1号にある
(3
3)
最初の8首ならびに『みかぐらうた』の「よろづよ八首」にほとんど同じ語句で記されている。
9
1
8)がおやさまの話として聞いたとされ
天理教山名大教会初代会長,諸井國三郎(1
8
4
0―1
る,「元」の重要性を説いた,次のような記述が残されている。今日とは様々な点で異なった
環境における明治時代の話ではあるが,現在の社会風潮,現象をそのままに映し出しており,
元を知ることがその対処方法として教えられている内容である。
(前略)
「今,世界の人間が,元をしらんから,互に他人と云つてねたみ合ひ,うらみ
合ひ,我さへよくばで,皆勝手!"の心つかひ,甚だしきものは,敵同士になつて嫉み
78
天理大学学報 第6
0巻第2号
合つてゐるのも,元を聞かしたことがないから,仕方がない。なれど,この儘にゐては,
親が子を殺し,子が親を殺し,いぢらしくて見てゐられぬ。それで,どうしても元をき
かせなければならん」
といふことをお話しになり,それから,泥海中のお話をお説きになり,終ひに,
「此い云ふ譯故何んな者でも仲善くせんければならんで」
(3
4)
と云つてお聞かせになつた。
中山善衞三代真柱は,「ぢばの理とひながたの道」と題し,
「ぢば」とおやさまの関係を明ら
かにして,「ぢば」の重要性を強調している。
「ぢば」は,まさに天理教信仰の元,真髄といえ
る。
親神様の御守護,教祖5
0年のひながたと御存命の御理,そしてぢばの理,これこそ私達
の生命の源であり,信仰の根本なのであります。
(中略)ぢばを離れて私達の信仰はな
(3
5)
く,ぢばを離れて私達の生命はないと思うのであります。
3原典を主な論拠にして,「ぢば」の意味を考察してきたが,「ぢば」が「元(もと)
」
,「は
ぢまりだし」
,「人間をはじめた場所」という人間の起源との関連で使われている事実が判明し
た。
ま た,「ぢ ば」
(「や し き」
,「親 里」
)は,「人 間 は じ ま り の 元」で あ り,そ こ に「元 の 親
(神)
」がいる故,そこは,「行く所」ではなく,「帰る所」である,という理由も明らかにな
った。
そのことを如実に述べている文章を引用する。
あの教祖のおいでになる親里,おやしきなるなればこそ,これは帰るところや,行くと
ころではない。行くところならば行かんでもよい。が,このおやしきは帰るところや。
帰るところならば,どうでもこうでも帰らずにはおられないところなるなればこそ,足
腰の立たない者であっても,人間の肩にすがってでも帰ってこなければならぬところだ
し,また頭の上がらない重病人でも,担架に載ってでも,車に乗ってでも帰ってこなけ
ればならんところや,とお聞かせくださるのである。ここにたすかる道があるのであり
(3
6)
ます。
(後略)
!「人間元はじまりの地点」を基に教示されている「ぢば」の意味
次に,「原典」と『稿本天理教教祖伝逸話篇』
(以下『逸話篇』と記す)には,「元」を基に
教示されている「ぢば」が多数存在しており,その引用例をとおして,「ぢば」のもつ意味に
ついて考察を進める。
『おふでさき』には,「ぢば」は,「元」以外の意味では使われていない。一方,人間をはじ
めた目的がおやさまによって明確に教示された歌がある。天理教の聖地「ぢば」が「にんげん
をはじめた場所」という意味だけでなく,そこで人間をはじめた目的が「よふきゆさん」(「陽
気遊山」
)と表現されている。今日では,それは,「陽気ぐらし」と表現されている。
月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから
1
4:2
5
『みかぐらうた』には,「ぢば」は,前項でも引用したように,3箇所あるが,関連の歌を
(3
7)
」
,
含めると,8箇所で使われている。その内,「元」以外では,「かみがた(かみのやかた)
「恋しくなる所」
,「神が現れている所」
,「世界中全ての人が勇む所」
,「不思議なたすけをする
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
79
所」
,「おびやはふその許しを出す所」
,「難儀のささぬ所」
,「たすけ一条の所」
,「珍しい所」
,
と9種類の「ぢば」のもつ意味が存在する。
そして,『おさしづ』には,「元」を基に教示されている「ぢば」の意味が,関連する表現も
含めて,次の7
0種類の多数にわたって存在する。それらの「おさしづ」の出所については,す
(3
8)
べて本稿〔註〕に載せておく。これらの表現,内容を一つひとつ調べると,本稿のテーマであ
る「おぢば帰りの行為と意味」の論考に深く関連する要素を含んでいることが理解できる。
!「運ぶ所」
1「運ぶ所」
;2「運び来たる所」
;3「運ばにゃならん所」
;4「理を運んだる(理を
運ぶ)所」
;5「神一条の一つの理を運ぶ所」
;6「理運び来たる所」
;7「鏡やしきぢ
ばへ運べる所」
;8「世界運ぶ所」
;9「心置き無く運ぶ所」
;1
0「心運ぶ所」
;1
1「尽し
た運んだ所」
"「寄る所」
1「寄る所」
;2「寄り来る道」
;3「御引き寄せの所」
;4「寄せたる所」
;5「寄って
来る所」
;6「寄り来る理」
;7「寄り来る所,世界兄弟」
;8「世界寄り来る地所地
面」
;9「心を寄せる所」
;1
0「寄り集まる所」
;1
1「多くから寄り集まる所」
;1
2「あち
らからも寄り来る,こちらからも寄り来る所」
;1
3「世界から鏡やしきと言うて,遠く
から成程と寄って来る所」
#「治める(治まる)所」
1「理を治める所」
;2「世界治まる所」
;3「治める所」
;4「治まる所」
;5「治め来
たる所」
;6「神一条の理治める所」
;7「二つの理を一つの心に治める所」
;8「成ら
ん理を治め,治まられん理を治まる所」
;9「理が治まる所」
;1
0「心治める所」
;1
1
「旬が来たなら,どうでも治まる所」
;1
2「心勇んで治める所」
;1
3「どんな事でも治ま
る所」
;1
4「一つから治めた!"。二つはならん!"所」
$「定める所」
1「心定める所」
;2「定める所」
;3「実を定める所」
%「救ける所」
1「救ける所」
;2「第一のたすけ」
&「尽す所」
1「尽したる所」
;2「尽す所」
;3「尽した運んだ所」
'「その他」
1「理を諭して置く所」
;2「をびやたすけをする所」
,
「をびや許しを出す所」
;3「遠
い所より種を蒔きに来る所」
;4「世界より来る所」
;5「それそれ所へ伝え話ある
所」
;6「身を慕う所」
;7「身上から付き来る道」
;8「理与える所」
;9「根に踏ん張
る所(踏ん張る処の根)
」
;1
0「理を聞く所」
;1
1「何処までも駈け廻りたる所」
;1
2「理
を始める所」
;1
3「かんろうだい一つの理」
;1
4「満足さす所」
,
「満足して帰る所」
;1
5
「談示して満足さす所」
;1
6「生涯末代を出す所」
;1
7「理を聞かす所」
;1
8「尋ねる
所」
;1
9「生涯末代の理渡す所」
;2
0「案じる事は要らん所」
,
「案じの理は要らん所」
,
「案じる事要らん所」
;2
1「楽しむ所」
;2
2「理を下ろしたる所」
;2
3「世界の道を計り
たる所」
;2
4「真実日々一つ思う所」
;2
5「理を諭して置く所」
;2
6「人衆一つの理」
;2
7
;2
9「人間心は要らん所」
;3
0「神が出て来たる所」
;3
1
「面はぢば限り」
;2
8「内諭し」
「人間心言うやない,聞くやない所」
;3
2「身の思やんは要らん所」
;3
3「心たんのうす
80
天理大学学報 第6
0巻第2号
る所」
;3
4「やしき」
;3
5「見通した神の道」
;3
6「やしきの道」
;3
7「神の道」
;3
8「理
が治まる,固まる所」
;3
9「集まる所」
,
「集まりたる所」
;4
0「元という理十分磨いた上
磨きする所」
;4
1「理を伝えて聞く所」
;4
2「心という理が無けにゃなろうまい所」
;4
3
「世界諭す心」
;4
4「切り無し普請」
;4
5「立ち帰る所」
;4
6「多くの中より入り込む場
所」
;4
7「利巧発明で付いて来たのやあろうまい所」
;4
8「多くの子供戻る所」
;4
9「親
里」
;5
0「内に無き世界に無き所」
;5
1「親切やい」
;5
2「人間の心では分からん。分か
5「修理肥を出す元」
;5
6「元々心一
り掛けたら分かる所」
;5
3「鏡やしき」
;5
4「鏡」
;5
つ」
;5
7「このやしき人間心で通る事出来ん所」
;5
8「道,世界理,理」
;5
9「一つの
理」
;6
0「元一つの理」
;6
1「連れ帰る所」
;6
2「優しい言葉掛ける所」
;6
3「引き出す
所」
;6
4「聞いてやらにゃならん所」
加えて,『逸話篇』には,次の1
4種類の意味が存在する。
1「引き寄せられる所」
〔1
0 えらい遠廻わりをして〕
;2「どのような病人のご守護も
お願いし,救けていただく所」
〔1
3 種を蒔くのやで〕
;3「教祖がおられ,いつも子供
の帰るのをお待ちくださる所」
〔2
4 よう帰って来たなあ〕
;4「をびや許しを頂く所」
〔3
4 月日許した,6
6 安産,1
0
0 人を救けるのやで,1
5
1 をびや許し〕
;5「救け
ていただいて,お礼詣りをする所」
〔3
6 定めた心〕
;6「御供を渡す所」
〔6
0 金米糖
の御供〕
;7「たすけ一条の道を進む心を定める所」
〔7
1 あの雨の中を〕
;8「親神の
自由自在の御働きと,子供をおいたわり下さる親心を感じる所」
〔9
7 煙草畑〕
;9「教
祖にお目にかかるのを何よりの楽しみにする所」
〔9
9 大阪で婚礼が〕
;1
0「人を救ける
心を定める所」
〔1
0
0 人を救けるのやで〕
;1
1「泣く所ではなく,喜ぶ所」
〔1
0
5 ここ
は喜ぶ所〕
;1
2「心が勇む所」
〔1
2
9 花疥癬のおたすけ〕
;1
3「心を寄せる所」
〔1
8
7 ぢ
ば一つに〕
;1
4「来る者に来るなとはいわない所,また来ない者に,無理に来いともい
わない所」
〔1
9
0 この道は〕
「原典」
,『逸話篇』からの引用例を一つひとつ調べてみると,「ぢば」には,信者が「ぢ
ば」に帰る目的,動機,理由について,「人間はじまりの元」を基にした,興味深い,重要な
内容をもつ意味が数多く含まれている。それらの性質には,「ぢば」が人間元はじまりの場所
である点が根本にあるとともに,引用しているすべての現象は,「ぢば」に鎮まると教えられ
ている「元の親」が,子供である人間をたすけたい一条の親心から発露して,最終的には,人
間世界創造の目的である「神人和楽の陽気ぐらし」世界の実現を目的としていることが理解で
きる。「ぢば」とは,そのような性質をもっており,「ぢばに帰る」という行為には,「元の
親」のその思いを実現する意味が含まれていることが判明した。
!神殿の構造,形状からみた「ぢば」の教学的意味
次に,「ぢば」の特性について,昭和5
9年に増改築された現在の神殿の構造,形状から,次
の4点を挙げる。その特性からは,天理教の神観を象徴的に表現していることが理解できる。
1点目は,神殿の中央に位置する「ぢば」には,「をや」と教えられている「かんろだい」
を中心にして,東西南北の四方から,兄弟姉妹と教えられている人間が互いに拝み合っている
姿をみることができる。その場景は,子供である人間が,「かんろだいのぢば」に鎮まってい
る「元の親(神)
」を中心にして,「互い立て合い,たすけあう」姿を表現している。また,社
会生活において大切なことは,人間がそれを実践することにより,「月日(親神)
」は,その心
を受け取り,どのようなたすけも請け合う,と教えられている点である。
81
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
このさきハせかいぢううハ一れつに よろづたがいにたすけするなら
1
2:9
3
月日にもその心をばうけとりて どんなたすけもするとをもゑよ
1
2:9
4
また,「元の親」を中心にして,「互い立て合い,たすけあう」姿は,神と人間の「神人和
楽」の世界を象徴的に表現しているといえる。それは,世界中どこにいても,「かんろだいの
ぢば」に向かって,天理王命・おやさまを礼拝している信者の姿にも表現されている。
2点目は,「ぢば」のある神殿には,壁や仕切りがないことである。約3
0年間,英語で神殿
内において教義の説明をしてきた経験をもつ筆者が,複数のキリスト教関係者から,
「この礼
拝場には,壁や仕切りがありませんが,神殿としては,極めて珍しい形状ですね」
,といわれ
たことがある。それは,「ぢば」が「四方正面鏡やしき」といわれるゆえんであり,神殿の形
状としては,天理教の特徴といえる。また,そこでは自分の心がそのまま映し出されることが
示唆されている。他の2原典にはその表現はないが,『おさしづ』には,「四方正面」
,「鏡やし
き」
,「四方正面鏡やしき」という表現が,それぞれ1
5箇所,9
4箇所,4箇所存在している。
(3
9)
3点目は,親神からの「ぢきもつ」を天から直接受けるために,「かんろだい」のある真上
の屋根が一間四方の正方形の形状で開放されていることである。まさに,天と地,神世界と人
間世界が「かんろだい」をとおして,つながっているといえる。
このよふのぢいと天とハぢつのをや それよりでけたにんけんである
1
0:5
4
「さあ!"始まり!",かんろだい一條の始まり。
(中略)一間四方はかんろだいの地
上を屋根抜き雨打たしの事,
(後略)
」
〔明治2
1年7月2
4日(陰暦6月1
6日)
〕
そして,4点目は,民族,人種,国籍,宗教,立場,性別,年齢など人間のもついかなる違
いも問わず,子供である世界中の人間がだれでもいつでも帰って,親と直接対面できるように,
「かんろだいのぢば」のある神殿は,2
4時間,3
6
5日,常に開放されていることである。それ
は,親は子供が帰ってくるのをいつも待ちかねていることの物理的証左であろう。宗教組織に
おいて,一番重要な神殿がこのような状態で開放されているのは,珍しいといえる。
!「ぢば」の立体的意味
「ぢば」は,「かんろだい」が据えられている地点と述べたが,それは平面的な意味におい
てである。「ぢば」の地点は,この地球上で,東経1
3
5度5
0分4
0秒,北緯3
4度3
5分4
8秒に位置し
ている。そこで,「ぢば」と「神のからだ」
,「このよ」
,「せかい」
,「人間」
,「神のはたらき」
との教学的関係をとおして,その立体的意味について論考を試みる。
たとえば,「かんろだい」によって表示されている平面的な「ぢば」の位置と,その地点か
ら真下に垂直に抜けた地軸の表層地点とは,どのような関係,意味をもつのであろうか。また,
その地軸自体の意味はどうなのか。さらに,地軸の中心点から対角線を引けば,地球上にある
(4
0)
すべての表層地点は,「ぢば」とつながりをもつと考えられる。一方,地下とは逆に,「ぢば」
の真上にあたる空間部分は,教学的見地から,どのような意味をもつのであろうか。これらは,
複雑な問題を含んでいる。
(4
1)
『おふでさき』には,「せかい」
,「せかいぢう」
(表記は,他に9種類ある)という表現が
(4
2)
1
5
0箇所あまり存在し,『みかぐらうた』には,1
3箇所,さらに,『おさしづ』には,「世界」
(4
3)
,『おさしづ』の場合は,人間の社会的生活を扱
は,2
1
5
0箇所ほど存在する。『みかぐらうた』
っている問題がほとんどであるが,『おふでさき』の場合は,その意味を「地球」あるいは
82
天理大学学報 第6
0巻第2号
(4
4)
「宇宙」のどちらに解釈するかは,この課題を考察する上で大きな問題となる。
また,それに関連する用語として,『おふでさき』には,「このよ」
,「このよふ」
,あるいは,
(4
5)
(4
6)
「此よ」という表現は,1
0
0箇所近く使われており,『みかぐらうた』には,3箇所,さらに,
(4
7)
『おさしづ』には,「この世」が1
5箇所,「このよ」
,「このよう」が1箇所ずつ存在する。その
意味も,『おふでさき』の場合は,「此の世」
,「子の世」
,「地球」
,あるいは,「宇宙」と解釈す
ることが可能である。
『おさしづ』の場合もそうであるが,『みかぐらうた』は,その性格上,そこに使われてい
る,「このよ」
,「せかい」については,すべて地球を意味する。たとえば,次の歌にあるよう
に,「ここ(こゝ)
」
,「このよ」は,人間が生活する場であり,宇宙全体ではなく,地球を意味
すると解釈するのが妥当であろう。それは,「ここはこのよのごくらくや」とあるように,「神
人和楽の陽気ぐらし世界」はこの世で実現されるもの,と教えられている故である。
こゝはこのよのごくらくや わしもはや!"まゐりたい
!―9
こゝはこのよのもとのぢば めづらしところがあらはれた
"―9
なんでもでんぢがほしいから あたへハなにほどいるとても
#―7
やしきハかみのでんぢやで まいたるたねハみなはへる
#―8
こゝハこのよのでんぢなら わしもしつかりたねをまこ
#―9
さらに,『おふでさき』には,「このよ,あるいは,せかいちうは,神(をや)のからだ」
,
と教えられている(3:4
0,
1
3
5;1
5:3
7)が,そのことと,天理王命は「ぢば」に鎮まってい
る,との関係はどうなのか。また,その場合,「神のからだ」は,宇宙,地球のいずれを意味
するのか。宇宙に存在する個々の多数の惑星は,人間の能力では説明できないほど,それぞれ
が複雑に補い合いながら,存在している,といわれている。地球も,他の惑星から力を借りて,
その存在が可能になっている。したがって,宇宙の全ての惑星は,個々の存在,惑星間の連携,
バランスも含めて,神の守護,働きなしには,あるべき姿では存在し得ない。
その意味では,「神のからだ」は,基本的には,宇宙全体を意味すると解釈するべきであろ
う。ただし,『おふでさき』における,「せかい」
,「このよ」は,個々に使われている文脈によ
って,地球あるいは宇宙を意味するのか,その解釈が異なっている。(本稿〔註4
4〕参照)
このように,様々な要素を考慮に入れて,「ぢば」を立体的視点から考察すると,種々多様
な疑問点が考えられる。これらの疑問点について,引用として挙げるおやさまの言葉をとおし
て,答えのヒントを見出していきたい。そのためには,その言葉を実質的,象徴的,信仰的視
点から考察する必要がある。
まず,人間の身体構造を地球の構造に譬えて教えられている逸話を挙げる。
(前略)ある人が「私どもの住んでいるこの世界というものは,ずいぶん広いと思われ
ますが,一体どのくらい広いものでございましょうか。
」と尋ねたところ,教祖は両手
を広げて,こういうふうに答えたといわれております。
「この世界は広いで。ちょうど,
人間が両手両足を広げたぐらいの広さがあるのやで。
」と。
(中略)教祖は「そこをよく
思案してごらん。
」と,次のような話をして聞かせたと伝えられています。
「この世界の真ん中には熱気がある。われわれ人間の体のなかにもぬくみがあるやろ。
同じことや。世界の支えとなっている岩石は,人間では骨やで。これも同じ理や。世界
で岩石をおおっている土は,人間では,骨をおおっている肉と同じや。世界の表面に生
えている草木は,人間の体で言えば毛のようなもの。世界で通うている水脈は,人間で
83
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
言えば血管がちょうどそれに当たる。人間も息をして生きているが,世界の潮の満干は
(4
8)
月日の呼吸やで。
」と。
おやさまは,「神のからだ」
(地球)と「人間のからだ」
(一人の人間の身体)を対比させて,
世界中の人間一人ひとりが理解しやすいように,神の実体としての地球の働きを一人の人間を
構成している身体の部分に喩えて表現している。それによって,人間が神との一体感を保ち,
「生きている」
,「生かされている」という実感と「神のはたらき」を同時に体感できるように
説明している。
次の3首には,「このよふわ神のからだ」
,「にんけんハ神のかしもの」という表現をとおし
て,それぞれの間に「神のはたらき」が介在していることが説明されている。天理教の教えの
要である,「この世界は,神のからだ」であり,
「人間は,神の借り物」であることが示されて
いる。その意味では,人間は,神の働きによって,神の身体,懐に住まいをしている,と考え
られる。
たん!"となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
3:4
0,
1
3
5
にんけんハみな!"神のかしものや 神のぢうよふこれをしらんか
3:1
2
6
はたらきもとんな事やらしろまいな せかいちうハをやのからだや
1
5:3
7
(4
9)
また,「じうよぢざい」という言葉は,神の働きを「自由自在」
,「縦横自在」
,「縦横無尽」
というように立体的に表現している。引用の歌は,「ぢうよふ」とあり,「自由自在」ではない
(5
0)
が,「註釋」によれば,その内容は,
「親神の自由自在の守護」という説明が与えられている。
神とは,人間にはみえない存在である。だからこそ,具体的に,「この世は神の身体」と
「人間の身体」という対比的な表現によって,人間が神を体感できるように教えられている。
換言すれば,おやさまは,人間が,神の守護,働きを理解して,納得することによって,神の
存在を信じられるように,人間を導いている。
おやさまは,それらの理解は,究極的には,人間の「心」の問題であり,次の引用の言葉に
あるように,人間は,神の存在,働きを心の面から理解するように教えている。
「おさしづ」には,次のような言葉がある。
「
(前略)多くの中不思議やなあ,不思議やなあと言うは,何処から見ても不思議が神
である。これだけ一寸言うて置こう。
」
〔明治3
7年4月3日〕
諸井政一は,おやさまの話として,次のような言葉を記している。
或時,辻先生など,教祖様の御前に伺ひて「天理王命の姿は有るや,と尋ねられますが,
如何答へてよろしうございますか」と御伺ひ申上げしに,
「在るといえばある,ないといへばない。ねがふこゝろの誠から,見えるりやくが神の
姿やで」
(5
1)
と御聞かせ被下,げにもと,人々感じ入りて,よろこび合へりと。
さらに,おやさまは,明治2
0年に現身を隠した後も,明治4
0年まで2
0年間,本席・飯降伊蔵
をとおして,啓示された『おさしづ』には,存命を示す言葉がある。人間の側からは,おやさ
まの言葉を理解,納得した上で確信することが肝心であり,そのためには,おやさまが「月日
のやしろ」であることとともに,おやさまの現身はみえないが,今も,また,将来も存命であ
ることを信じ切ることがすべての事象を理解する前提になる,と考えられる。
84
天理大学学報 第6
0巻第2号
1.「さあ!"これまで住んで居る。何処へも行てはせんで,何処へも行てはせんで。
日日の道を見て思やんしてくれねばならん。
」
〔明治2
3年3月1
7日〕
2.「さあ!"尋ね運ぶ一つの理という。幾重の心がある。何もこれ古き処,古きもの
を脱ぎ捨てたるだけのものや。どうしてくれ,こうしてくれる事も要らん。存命中
の心は何処へも移らんさかい,存命中で治まりて居るわい。
」
〔明治2
4年2月2
2日〕
そのことと同様に,「ぢば」の理解も,究極的には,人間の心の問題であり,教学的考察と
併せて,信仰的側面からの考察が必要である。
諸井慶一郎は,「ぢば」と「かんろだい」を心の芯と関連させて,次のように記している。
この真の柱を芯のところに,芯の柱として入れるのが,ぢばにかんろだいを建てると
いうことの理でありまして,それはどういう意味かと申せば,ぢばは此の世の中心,せ
かい一れつの人間の心の故郷,心の中心であります。そうである以上,それは,すべて
の人々が,我が心の芯に真の柱を入れることであります。
(中略)
世界の身の内の中心はおぢばであります。我が身の内も芯は心の真心であります。そ
こで我が身にとってこれを申せば,我が心の真に元の神・実の神様を柱と戴く。
(後
(5
2)
略)
「ぢばは此の世の中心,せかい一れつの人間の心の故郷,心の中心」とし,また「世界の身
の内の中心をぢば」と定義付け,「すべての人々が,我が心の芯に真の柱を入れること」
,そし
て,「我が心の真に元の神・実の神様を柱と戴く」
,と結論付けている。
「ぢば」と「神のからだ」
,「このよ」
,「せかい」
,「人間」
,「神のはたらき」を立体的視点か
ら考察してきた。その結果,すべての要素がそれぞれに深い関わりをもっており,その元,芯,
中心が「ぢば」といえる。
世界の構造と人間の身体,神の存在とその働きの関係を立体的にみると,「ぢば」の意味は,
さらに広がりと深みをもつ。また,本稿のテーマである「おぢば帰りの行為と意味」も,「ぢ
ば」の意味をこのように平面的視点と立体的視点の両面から理解すると,物理的にも精神的に
も,より広がりと深みをもつと考えられる。これについては,
『天理大学学報』第2
2
3輯,「お
ぢば帰りの行為と意味」
(下)において,詳論する予定である。
ところで,「ぢば」が定められた地点に,後天的に日本という国が形成された,とされるが,
それでは,「ぢば」に,なぜ,他の国ではなく,日本という国が形成されたのか,という疑問
がわく。この疑問にたいする答えは,個人的な信仰的視点からは可能かもしれないが,教学的
視点からは困難ではないだろうか。この点に関連して,松本滋は,「
『にほん』の理について」
という小論の中で,「にほん」を親神の「長子」の立場と位置付けて,独自の教義的展開をし
(5
3)
ている。
なお,本項の考察については,多くの点で研究の余地が残されており,今後の問題提起とす
る。また,「ぢば」と「神のからだ」も含めて,本項で考察した重要な内容が,
『みちのとも』
(5
4)
の特集「ぢば定め百年」に,詳しく掲載されている。
!.「ぢば定め」とその意味
「ぢば」は,どこで,いつ,だれによって,どのように,定められたのかについては,『教
祖伝』によれば,次のように描写されている。その前日には,おやさまは,「明日は二十六日
(5
5)
,との言葉を身近な信者に与えて,その準備
やから,屋敷の内を綺麗に掃除して置くように」
85
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
を促していた。
教祖は,先ず自ら庭の中を歩まれ,足がぴたりと地面にひっついて前へも横へも動か
なく成った地點に標を付けられた。然る後,こかん,仲田,松尾,辻ます,櫟枝村の與
助等の人々を,次々と,目隠しをして歩かされた處,皆,同じ處へ吸い寄せられるよう
に立ち止った。辻ますは,初めの時は立ち止らなかったが,子供のとめぎくを背負うて
歩くと,皆と同じ所で足が地面に吸い付いて動かなくなった。こうして,明治八年六月
二十九日,陰暦の五月二十六日に,かんろだいのぢばが,始めて明らかに示された。時
(5
6)
刻は晝頃であった。
『おふでさき』には,明治8年5月に執筆された第8号,同年6月に執筆の第9号,1
0号,
明治1
5年に執筆された第1
7号に,それぞれ,「ぢば定め」について,触れられている。
このよふのほん元なるとゆうのハな このところよりほかにあるまい
8:2
5
そふぢしたところをあるきたちとまり そのところよりかんろふだいを
8:8
3
かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを
9:1
9
このやしきかんろふだいをすへるのハ にんけんはじめかけたしよこふ
1
0:7
9
そのとこでせかいぢううのにんけんわ みなそのぢばではじめかけたで
1
7:7
『みかぐらうた』には,「ぢばさだめ」という表現が1
1下り目1の歌に出ている。「1
2下り」
の歌は,慶応3年の正月から8月までに作られたものであり,実際の「ぢば定め」がなされた
年より遡ること8年前に,それは予言されていたことになる。
ひのもとしよやしきの かみのやかたのぢばさだめ
!―1
「おさしづ」には,「ぢば定め」について,次のような言葉がある。
「さあ!"尋ねる事情!",まあ前々よりも話伝えたる。広いと言う,狭いと言う。あ
ちらも一寸,こちらも一寸,ぢばを定め掛けたる処,どうも思うは理。思わにゃならん。
(後略)
」
〔明治2
6年6月1
3日〕
「ぢば」は,現象的には人為的に定められたようにみえるが,原典によれば,人間の心をも
たない,月日のやしろである,おやさま自身によって,定められたことが判明した。
では,「ぢば」は,なぜ定められなければならなかったのであろうか。次の3点がその理由
として挙げられる。
1点目は,「ぢば」は,人間元はじまりの地点であり,そこに人間創造の元の神・実の神が
鎮まっていることを明示するためであった。しかし,人間には「ぢば」の地点は分からない。
そこで,おやさまによって,「ぢば」が定められた。その後,その証拠として,人間に分かる
ように,「かんろだい」がその地点に据えられ,そこを信仰の目標,中心とすることが教えら
れた。
次の「おさしづ」によれば,「ぢば」の地点は,「1つ所」であること,世界の「芯」は,
「元」であり,それが「ぢば」である,と教えられている。また,「ぢば」と同様に,「かんろ
だい」も,
「芯」であり,世界中どこにもなく,どこに移すこともできない,と教えられている。
1.「一つ所,ぢば一時一つ所,始め出しの所,心だけ一つ始め。
」
〔明治2
1年5月2
3日
(陰暦4月1
3日)
〕
86
天理大学学報 第6
0巻第2号
2.「ぢばに一つの理があればこそ,世界は治まる。ぢばがありて,世界治まる。
」
〔明
治2
1年7月2日〕
3.「ぢば一つ,一名一人理運び来たる,日々月々年々一つ心の理が分からん。
(中
略)ぢば一つの理という。
(中略)国々所々枝々,元ある元,一つ息,この元一つ,
一つ世界という。
」
〔明治2
2年2月8日(陰暦正月9日)午後1
0時3
0分〕
4.「ぢば一つ始め出しという。それから道から所々から運ぶ処から,一つ理が治まる。
(中略)道具の理皆許す中一つ元一つ人間始め出したる,これだけぢば一つに限
る。
」
〔明治2
2年3月3
1日(陰暦3月朔日)午前9時3
0分〕
5.「さあ!"理を知らそ。かんろうだいというは,何処にも無い,一つのもの。所地
所何処へも動かす事は出来ないで。
」
〔明治2
4年2月2
0日〕
6.「一つの芯が元である。芯が狂うから,間違う。間違うから治まらん。二度三度運
ぶ理を聞き分け。元という,ぢばというは,世界もう一つと無いもの,思えば思う
程深き理。
」
〔明治2
8年1
0月1
1日〕
7.「ぢば証拠人間始めた一つの事情,かんろうだい一つの証拠雛形を拵え。
」
〔明治3
0
年7月1
4日〕
8.「かんろだいというは,調子の違わんようにして置け。あれが台で,あれから始ま
0年6月4日(陰暦4月2
4日)
〕
ったものや。
」
〔明治4
「ぢば」が1地点であることについては,引用した「おさしづ」とともに,次の『おふでさ
き』の歌からもその根拠を見出すことができる。
このよふのほん元なるとゆうのハな このところよりほかにあるまい
8:2
5
実は,筆者がカリフォルニア大学サンタバーバラ校宗教学部大学院在籍中(1
9
8
3―1
9
8
6)に,
アラン・グラパード宗教学教授と会話中に,そのことが話題になった。その内容を〔註〕に記
(5
7)
しておく。
次に,「ぢば」が定められなければならなかった,2点目の理由を挙げる。
「おぢば帰り」と
ともに,天理教を天理教たるものとしている宗教的儀式「かんろだいのつとめ」をするための
中心となるべき地点が必要であった。そのためには,その「つとめ」と密接な関係をもつ,人
間元はじまりの場所「ぢば」が特定されなければならなかった。それは,「かんろだいのつと
め」が人間創造の理を表現する儀式であるからである。と同時に,「つとめ」の目的が,「たす
け」であり,その「たすけ」の行為者である元の神・実の神が「ぢば」に鎮まる,と教えられ
ているからである。
「かんろだいのつとめ」をするために,その芯となるべき「かんろだい」が必要である意義
が次の「おさしづ」に簡潔に教えられている。
「かんろだいは芯,大き広くは要らん。つとめさえ出来りゃそれでよい。
〔明治4
0年6
月4日(陰暦4月2
4日)
〕
「ぢば」が定められ,その地点に「かんろだい」が据えられた後に何をするべきかといえば,
引用した「おさしづ」にもあるが,『おふでさき』に,「つとめ」と明示されている。
したるならそれよりつとめてをそろい はやくかゝれよ心いさむで
8:8
4
こればかりどこたづねてもないほどに これにいほんのしんのはしらや
8:8
5
これさいかたしかさだめてをいたなら とんな事でもあふなきハない
9:2
0
87
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
このだいがでけたちしだいつとめする どんな事でもかなハんでなし
9:5
2
このだいもいつどふせへとゆハんでな でけたちたならつとめするぞや
9:5
3
つとめてもほかの事とわをもうなよ たすけたいのが一ちよばかりで
1
6:6
5
それらの前の歌には,つとめ場所は,人間をはじめだしたる所,そして,そこには,人間を
はじめだしたる親が存命でいる,と記されている。
このところつとめばしよハにんけんを はじめだしたるところなるそや
8:3
6
にんけんをはじめたしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや
8:3
7
そして,なぜ人間をたすけるのかといえば,親神にとっては,人間は「せかいぢうゝハみな
わが子」である故である。さらに,親神による人間世界創造の目的である「神人和楽の陽気ぐ
らし」をするために,「つとめ」による「たすけ」には,
「つとめするならせかいをさまる」と
教えられているように,世界平和も含まれている。
このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを
4:9
3
しんちつの心したいにとのよふな つとめするのもみなたすけやで
8:3
月日にハせかいぢうゝハみなわが子 たすけたいとの心ばかりで
8:4
このよふのにんけんハみな神のこや 神のゆう事しかときゝわけ
3:9
7
はや!"と心そろをてしいかりと つとめするならせかいをさまる
1
4:9
2
また,『教典』には,次のような記述がある。
実に,天理王命,教祖,ぢばは,その理一つであつて,陽気ぐらしへのたすけ一条の道
(5
8)
は,この理をうけて,初めて成就される。
「天理王命,おやさま,ぢばは,その理は一つ」とは,「天理王命」は,人間はじまりだし
の元の親(神)であること,「おやさま」は,月日のやしろとして,天理王命の思召を人間に
初めて伝えたこと,そして,「ぢば」は,人間元はじまりの地点であることを意味している。
「その理は一つ」とは,「元」においてつながっており,天理王命の思召とは,
「たすけ一条の
心」であり,「神人和楽の陽気ぐらし世界」である。その実現の手段として教えられたのが,
「つとめ」である。
すなわち,「つとめ」は,人間創造の理を表現する儀式とともに,よろづたすけの道,たす
け一条の道である。それは,「ぢば」と直結しており,どうしても「ぢば」は定められなけれ
ばならなかった。そして,その地点を示すのが「かんろだい」である。つまり,
「天理王命・
教祖・ぢば」は,すべて「かんろだい」をとおして,「元」という原点につながっており,
「つ
とめ」と結びついているといえる。したがって,「つとめ」をする場所は,「かんろだいのぢ
ば」以外では許されていない。
その「つとめ」には,「かんろだいのつとめ」
(場所)
,「かぐらづとめ」
(道具)
,「たすけづ
とめ」
(目的)
,「よふきづとめ」
(態度)と,4種類の名称がある。おやさまによって直接教え
られた手振りをとおして,男5人,女5人の「つとめ人衆」が人間創造の理を手振りによって
表現する。天理教においては,一番重要な儀式が,男性と女性,同数で行われる。それによっ
て,人間の在り方の元が示されているといえる。また,その「つとめ」では,「つとめ人衆」
が創造に関係する役割によって異なる1
0種類の「かぐら面」を付けるが,創造の理を表す面は,
(5
9)
元はじまりの場所である「ぢば」でしか使用することが許されていない。
88
天理大学学報 第6
0巻第2号
したがって,「ぢば定め」は,「元」と「たすけ一条」との関連において,「かんろだいのつ
(6
0)
とめ」の行為にとって,必要不可欠であった。
最後に,3点目の「ぢば定め」の理由であるが,「おぢば帰り」との関連では,自明の理で
ある。もし「ぢば」が定められなかったならば,すなわち,子供である人間が帰る対象である
目標地点が不明では,「人間はじまりの元の場所」に帰り,人間をはじめた「元の親」に会う
ことができない。そうなると,「ぢば」に帰ることができないことになる。したがって,
「おぢ
ば帰り」の行為をするためには,「ぢば定め」は,どうしても必要であった。
〔註〕
徳島県に所在する天理教明慈分教会の初代会長森ハツ(筆者の祖母)は,明治2
9年入信,同3
1年明
慈集談所設立,同3
4年おさづけの理拝戴,同3
7年天理教教師検定試験合格,同3
8年教導職試補拝命,
同4
4年明慈宣教所(現在の天理教明慈分教会)設立,昭和1
7年2月2
7日に9
7才で出直すまで会長の立
場にいた(
「天理教明慈分教会史」
,森 昭治編纂,昭和5
4年,天理教明慈分教会所蔵)
。明治時代後期
から昭和1
7年の出直(死亡)まで毎年3回はおぢば帰りをしていた。
現在では,鳴門大橋,明石海峡大橋ができ,道路も整備され,車を利用すれば,徳島と天理を片道
2時間半前後で往来することが可能になった。しかしながら,森ハツがおぢば帰りをしていた当時の
交通事情は,現在とは比較できないほど不便な状況であった。徳島から大阪を真夜中に出航の2
0
0トン
足らずの貨物を運ぶような粗末な船,バス,電車を乗り継ぎ,また異なった交通手段の間はかなりの
距離を歩き,一日をかけてのおぢば帰りであった,という。
そのような状況下,9
7才で出直すまで,目はほとんど見えず,耳も十分に聞こえず,自分ひとりで
は歩けない身体であるにもかかわらず,森ハツは,結核を患っていた父に背負ってもらい,身体の弱
かった母に身のまわりの世話をしてもらいながら,おぢば帰りを人生で一番の楽しみにしていた,と
いう話を両親から何度も聞かされていて,そのことが常に筆者の心にあった。9
7才の老齢まで,交通
も不便で,しかも身体も不自由な中,森ハツをそこまで帰りたい思いにさせた,惹きつけさせた「ぢ
ば」
,
「おぢば帰り」とは,どのような意味をもつのだろうか。
また,筆者自身の「おぢば帰り」に関しては,今から6
0年ほど前に,両親は,生まれてから小学校
に入学するまでの筆者を連れて,どんな悪天候であっても,当時は船長の判断で船が出航する限りは,
毎月2
0日,大阪にある上級教会,天理教靭分教会の祭典後,2
6日の教会本部の祭典に参拝するため
に,1
9日の夜,徳島から出発していた。両親のおぢば帰りは,初代会長のおぢばへの想いと行動をそ
のまま引き継いでいた(森 重雄「話のたね いつでも初代と一緒」
『みちのとも』昭和4
7年7月号
1頁;森 昭治「父の開眼のもと」
『陽気』8,No.
5
3
2 平成5年8月 養徳社,1
1―
天理教道友社,4
1
4頁)
。
その後,筆者は,小学校6年間,昭和2
9年に教会本部主催で発足した現在の「こどもおぢばがえ
り」
(当初は,
「おぢばがえりこどもひのきしん」あるいは「全国よい子のひのきしん団参」という呼
称,3
1年に改称)
(第4節「おぢばがえりこどもひのきしん」から「こどもおぢばがえり」へ『天理教
4
0頁)に,父が徳島教区の
少年会史』昭和5
4年 天理教少年会史編纂小委員会 天理教少年会,2
1
7―2
輸送部長(昭和3
1年∼5
5年)をつとめていた関係もあり,徳島教区から毎夏参加していた。
加えて,筆者は,アメリカに4年半ほど滞在した経験(1
9
7
3∼7
5;1
9
8
3∼8
5)をもち,多くのアメ
リカ人の天理教の教会長,布教所長,信者との交流を通じて,アメリカからアメリカ人の視点でおぢ
ばを想い,考える機会を得た。彼らと接していて,彼らの心の中でおぢばの存在がどれほど大きい意
味をもっているのか,おぢばに帰ることをどれほど真剣に考え,おぢば帰りという行為が彼らの信仰
においてどれほど重要な位置を占めているのかについて,その滞在中に痛感させられたことを今も鮮
89
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
明に思い出す。彼らの「ぢば」
,
「おぢば帰り」にたいする篤い信仰心はどこからくるのであろうか。
さらに,筆者は,天理で生活するようになってから4
0年を越えるが,毎月おぢば帰りをしているか
なりの人数の教会長に,
「おぢば帰り」の調査の目的でアンケートを取ったり,また,口頭で,
「どう
して毎月おぢば帰りをされるのですか」
,とその理由をたずねたことがある。多くの教会長は,
「当た
り前のことです」
,という返答だった。その「当たり前」という返答が筆者は気になっていた。
そのような興味,関心,疑問の根拠を調べてみたいという思いが本稿を書くきっかけになった。
〈筆者註1・本稿の引用文におけるゴシック体は,筆者・森による。なお,引用の原文にある天理教
用語とされる傍点は,あまりにもその数が多いため,本稿においては,省略する。
〉
〈筆者註2・
『おさしづ』の年代は,すべて明治時代であるので,本稿においては,
「明治」の表記を
省略する。
〉
2
8頁,1
9
3―1
9
7頁参照。
(1) 『真柱訓話集』第4
5巻 天理教教会本部,1
9
8
5年度,1
2
6―1
(2) 『天理教教典』天理教教会本部編纂 天理教道友社,2
0
0
0年,4
3頁。
ぢばは,天理王命の神名を授けられたところ,その理を以て,教祖は,存命のまま,永久
にここに留り,一れつを守護されている。
0
1)
どのよふなたすけするのもしんちつの をやがいるからみなひきうける(七―1
〈参考資料1〉
『稿本天理教教祖伝』 天理教教会本部,天理教道友社,2
0
0
0年,2
3
0頁。
更に,深い親心から,月日のやしろにそなわる天理王命の神名を,末代かわらぬ元なるぢ
ばに授け,いつ!"迄も動ぎ無い信仰のめどを,明らかに教え示された。
〈参考資料2〉中山正善 『こふきの研究』 天理教道友社,1
9
5
7年初版,1
9
8
1年9版,1
2
6頁。
(前略)このやしきに天輪王の命となをさつけ,また屋敷わ人間やとしこみもとのちはの
ことゆゑに,地めなにさつけたもふなり。
〔十六年本(桝井本・五)
〕
(3) このたいをどふゆう事にをもうかな これにいほんのをやであるぞや
1
0:2
2
(4) Susumu Mori, “The Three Pilgrimages,” Tenri Journal of Religion, No.20, Nov., 1986,
pp.79−165 参照。
(5) 小口偉一,堀一郎編 『宗教学辞典』 東京大学出版会,1
9
7
5年,4
8
3頁。
(6) 〔自然的聖地〕聖地は特定の空間を聖なる空間として認識することに始まる。この認識が可
能となる対象は,まず天然の山,森,林,岩石,川流,川の辺,著しく目立つ樹木のある所で
あったりする。これらの自然空間全体がマナ視されたり,あるいは神霊の座,住所,拠る所と
する宗教的感覚が働くとき。あるいは特別な伝承がこれらに結びつけられるときに聖地となる。
(抜粋)
(戸田良雄担当,
『宗教学辞典』
,4
8
3―4頁)
〔人工的聖所〕自然的聖地とは別に,聖地の恒久化をはかるため,また,必要に応じて随時
現出するため,人為的に聖なる空間を創出することがある。その場合,聖域を成立せしめる必
要条件の一つは,何がしかのものをもって「聖域として区切る」ことである。また,何がしか
のものをもって「聖域の標」とすることである。社殿を意味する英語の temple は,語源的に
「区切る」
(mark out)を意味するギリシャ語の temnein から派生した言葉である。ポーラン
ド語でも,自然的タブーの聖地をウーロチスコ(Uroczysko)と呼ぶのに対し,人為的に区切
ら れ た 場 所 は シ オ ン テ イ ニ ア(Swiatynia)と 呼 び 分 け ら れ て い る。
(戸 田 良 雄 担 当,同
書,4
8
4頁)
〔聖者にゆかりのある聖地〕キリスト教徒にとって,巡礼の三大聖地は,エルサレム,バチ
カン,そしてスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラ(コンポステラの聖ヤコブ)である。
三番目のコンポステラは,聖ヤコブが埋葬されたか,かれの遺物が移されたかした伝説があっ
て,その上,近くの海岸で「ほたて貝の貝殻」が多くとれるところから,フランス人は今でも,
それを「聖ヤコブの貝」と呼んでいる。この貝が死後の再生を保証するという前キリスト教期
90
天理大学学報 第6
0巻第2号
の民間信仰がここにとり入れられており,かえってそれが巡礼者をひきつける魅力の因となっ
ている。パレスチナは全土が聖地であるが,なお些細にみてみると,ユダヤ教,キリスト教,
イスラム教をはじめ,ドウルーズ教(レバノン山脈のドウルーズ地方にみられる戦闘的な狂信
教団)
,バハーイー教,サマリア教徒が,それぞれの宗教施設(会堂,教会,修道院,モスク)
のあるところの他に,ゆかりの洞穴,墓地などを聖所としており,それらが広く分布している
ことがわかる。
(戸田義雄担当,同書,4
8
4頁)
(7) 『日本国語大辞典』第2版第7巻 小学館,2
0
0
1年,1
2
2
4頁。
(8) 丸川仁夫「聖地について」
,
『あらきとうりょう』1
3
9号(特集 おぢばがえり)
,天理教青年
会本部,1
9
8
5年,7
3頁。
1
3頁)
,
「本部と聖地」
,
『新宗教事
〈参考資料〉
「天理教の聖地ぢば」の項(森 進担当,4
1
0―4
2
5頁
典』
(井上順考,孝本貢,対馬路人,中牧弘充,西山茂編者)弘文堂,1
9
9
0年,3
8
7―4
参照。
(9) このところやまとのしバのかみがたと ゆうていれども元ハしろまい
1:4
このところ元なるぢばの事ならば はぢまりだしをしらん事なし
7:4
この月日もとなるぢばや元なるの いんねんあるでちうよぢさいを
8:4
7
かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを
9:1
9
そのとこでせかいぢううのにんけんわ みなそのぢばではじめかけたで
1
7:7
そのぢばハせかい一れつとこまても これハにほんのこきよなるぞや
1
7:8
いまゝでハこのよはしめたにんけんの もとなるぢばわたれもしらんで
1
7:3
4
(1
0) このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ
よろづよ八首―4
こゝはこのよのもとのぢば めづらしところがあらはれた
!―9
ひのもとしよやしきの かみのやかたのぢばさだめ
"―1
0
7頁参照。
(1
1) 中山正善『こふきの研究』天理教道友社,1
9
5
7年初版,1
9
8
1年9版,6
3―2
#〔和歌體十四年本(山澤本・三七)
〕においては,
「じば」という表記が用いられている。
5
7,
このやしきにんげんはじめもとのじば こゝハこのよのをやざとなるぞ(6
3頁)
6
3,
このじばで三日三よさにやどしこみ 三年三月とヾまりありて(6
4頁)
6
8,
これゆへに七十五日をびやちう うみをろしたるじばハみや!"(6
4頁)
$〔説話體十四年本(手元本・一)
〕においても,
〔和歌體十四年本(山澤本・三七)
〕と同様
に,
「じば」の文字が当てられている。
(前略)このやしきよりむまれだした,ここヽハこのよのにんげんの親さとなるゆへ,こ
のじばのしよこふのかんろふだい,
(後略)
(8
4頁)
%〔説話體十四年本(喜多本・四二)
〕には,
「ジバ」というカタカナと「地場」という漢字
が当てられている。
(前略)元ナルジバ(中略)元ノ地場(中略)元初リノ地場ナリ(後略)
。
(9
7頁)
&〔十六年本(桝井本・五)
〕には,
「じば」
,
「ちは」
,
「しは」
,
「ち だ」
,
「じ は」
,
「ち ば」
,
「しば」の7種類の表記が使われている。
(前略)この屋しきのかんろたいのじばを神たいのちゆをとして,
(後略)
。
(1
1
4頁)
このやしきに天輪王の命となをさつけ,また屋敷わ人間やとしこみもとのちはのことゆゑ
2
6頁)
に,地めなにさつけたもふなり。(1
(前略)このしはか神かたとゆうのわこのところなり。
(1
3
5頁)
(前略)このちだわいまのみやちのじはとなりてあるところなり。
(1
3
6頁)
(前略)このちばわいまのはかしよふなりてあるところなり。
(1
3
6頁)
3
7頁)
(前略)このしばわいまのはらてらのまいりしよふなり。
(1
3
6―1
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
91
また,かんろだいをたてヽおくわ,人間やとしこみたるじはのよふこに,もとの拾はしら
の神のゆうわれかたちをもつたておくなり。
(1
4
0頁)
(1
2) 前掲書,
『こふきの研究』参照。
(1
3) 前掲書,
『こふきの研究』
,1
0頁参照。
1
2頁。
(1
4) 『真柱訓話集』第4
7巻 天理教教会本部,1
9
8
8年,7
1
0―7
それなら,どんな内容の話をこふきと称えるのか。と申しますと,私の思案は,私たち
のためになる話,私たちの救けて頂ける話,親神様,教祖,ぢば,かんろだいの話,もち
ろん元初まりの話,元初められた親神様の思召と御守護の話,教祖のお話のすべて,たす
け一条の道の話,陽気ぐらしの話,等々がその内容であって,教祖のひながたの道すがら
の本真実が,言うならこふきのすべてであるような気がするのであります。
(中略)
私が先程から申しておりますように,かんろだいのつとめを完成するたすけ一条の道の
話は,みんなこふきなのであります。ゆえに,おふでさき全文をこふきと悟らせていただ
けるのではないかと私は思う。
(
「立教1
5
0年教義講習会第3次におけるお話」より)
(1
5) 「やしき」
!〔和歌體十四年本(山澤本・三七)
〕においては,すべて「やしき」という表記が用いられ
2頁)
ている。
(5
9―7
1
6,2
6,3
0,4
7,5
7,5
8,1
0
5,1
0
6,1
0
8,1
4
4
"〔説話體十四年本(手元本・一)
〕においても,
〔和歌體十四年本(山澤本・三七)
〕と同様
5頁)
に,
「やしき」の文字が当てられている。
(8
0,
8
4―8
# 〔説 話 體 十 四 年 本(喜 多 本・四 二)
〕に は,
「屋 鋪」と い う 漢 字 が 当 て ら れ て い る。
(9
7,
1
0
0頁)
$ 〔十六年本(桝井本・五)
〕には,
「屋しき」
(1
1
4,
1
2
8頁)
,
「やしき」
(1
2
6,
1
2
7,
1
3
2,
1
3
4
頁)
,
「屋敷」
(1
2
6頁)が使われている。
(1
6) 「親里」
!〔和歌體十四年本(山澤本・三七)
〕においては,
「をやざと」という表記が5
7の歌に一箇
所用いられているだけである。
(6
3頁)
"〔説話體十四年本(手元本・一)
〕には,
「親さと」の文字が当てられている。
(8
4頁)
#〔説話體十四年本(喜多本・四二)
〕には,
「親ザト」
,と漢字とカタカナが当てられている。
(1
0
0頁)
4頁)が使われている。
$〔十六年本(桝井本・五)
〕には,
「おやざと」
(1
2
7,
1
3
(1
7) 1.「日々におぢば!"と言うて,皆々ぢばの所と世界は皆急く。栄える!"。
」
〔2
1年1
0月
1
0日〕
2.「年限々々と言うて,日々おぢば!"と言うは,世界諭す心からおぢばと言うて出て来
る。
」
〔2
5年1月1
2日正午〕
3.「この所おぢば始め,席の処多分ある。女のお方に,一寸席して貰た!"。これまでこ
ういう事とは,よう知らなんだ。心さえ定めて尽したら,結構やなあと,あら積み重ね
たこうのうという。この道よう!"見え掛けたという!"。
」
〔3
1年3月2
8日〕
4.「おぢばという,本部員という,これ中に話聞かにゃならん。この道遠い所へ行けば大
層である。大層なれど,大層の中から出て来る。世界の大層を持って出て来るを,聞い
てやらにゃならん。聞いてやれば,皆々分かる。遠い所へ行く。
」
〔3
5年8月1
0日〕
5.「おぢばやというは,よう思やんしてみよ。それ!"の処には何よの事も治まりたる。
さああちらからも寄り来る,こちらからも寄り来る。皆寄り合うて居る中,初めという
ものは,一寸には行くものやない。
」
〔3
5年9月6日〕
92
天理大学学報 第6
0巻第2号
(1
8) 『増野鼓雪全集』8巻 増野石次郎発行者,増野鼓雪全集刊行會,1
9
2
9年,4
6頁。
(前略)其の世界一列の兄弟は,一つ種一つ腹であるばかりでなく,同じ屋敷でやどしこ
まれたので御座ります。其の宿し込まれた屋敷はお地場でありますから,地場のある所を
昔から,生屋敷と名づけられてあるので,神様は地場は人間の,生れ故郷であると仰せに
なつたのであります。
屋敷と云うのは,御地場の事であって,神様が人間をお造り下された時から,人間に取
っては深き因縁のある土地である。其の因縁ある土地に,此度神様が又現れて,
(後略)
〈参考資料〉明治2
4年(1
8
9
1)から天理教教会本部の定期刊行書で現在も毎月継続して発行
されている,
『みちのとも』には,明治時代に,
「御地場」の表記が多くみられる。たとえ
ば,
「御地場」
(
『道乃友』第2
2
9号,明治4
4年〔1
9
1
1〕1月,4
8頁)
,また,
「
(前略)昨年來
御地場へ建てられた信徒詰所である。
(後略)
」
(
『道乃友』第2
3
1号,明治4
4年〔1
9
1
1〕4
月,3
5頁。
)
〕
;3〔2
2年8月1
8
(1
9) 1〔2
1年4月9日(陰 暦2月2
8日)
〕
;2〔2
2年2月8日(陰 暦 正 月9日)
日 頃〕
;4〔2
3年1月1
1日〕
;5〔2
4年6月2
3日〕;6〔2
6年5月1
1日
夜2時1
0分〕;7〔2
8
年7月1
4日〕
;8〔2
8年8月9日(陰暦6月1
9日)夜〕
;9〔2
9年4月9日〕
(2
0) 1〔2
0年1月1
3日(陰 暦1
2月2
0日)
〕2箇 所;2〔2
3年9月1日〕
;3〔2
5年1
0月1
7日〕
;4〔2
8
2年7月2
4日〕
;8〔3
6年1
2月
年2月2
6日〕2箇 所;5〔2
9年2月1
8日〕
;6〔3
2年6月2
7日〕
;7〔3
2
4日〕
;9〔4
0年4月3日(陰 暦2月2
1日)午 前2時 過〕
;1
0〔4
0年5月8日(陰 暦3月2
6日)
午前2時〕
;1
1〔4
0年5月8日(陰暦3月2
6日)夜1
2時過ぎ〕
(2
1) 前掲書,
『日本国語大辞典』第6巻,9
4
4頁。
1
5頁参照。
(2
2) 上田嘉成『おかぐらのうた』天理教道友社,1
9
9
4年,1
0
6―1
(2
3) 永尾"徳『みかぐらうたの心』天理教道友社,2
0
0
8年,5
3頁。
「ぢば」という言葉は,辞典では,
「ぢ」とは故郷,郷土を表し,
「ば」とはお祭りをする
場を表します。本来,ぢばとは,普通名詞です。
0月号,天理教道友社。
(2
4) 天理教道友社編 「ぢば定め百年」
,
『みちのとも』1
9
7
5年6月―1
(2
5) 中山正善『續ひとことはなし その二』改訂七版 天理教道友社,1
9
8
1年,1
7
6頁。
4
2頁。
(2
6) 中山正善『第十六回教義講習会第一次講習録抜粋』天理教道友社,1
9
9
9年,2
4
1―2
(2
7) かんろたいすへるところをしいかりと ぢばのところを心づもりを
9:1
9
そのとこでせかいぢううのにんけんわ みなそのぢばではじめかけたで
1
7:7
にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや
1
7:9
(2
8) このところ元なるぢばの事ならば はぢまりだしをしらん事なし
7:4
この月日もとなるぢばや元なるの いんねんあるでちうよぢさいを
8:4
7
いまゝでハこのよはしめたにんけんの もとなるぢばわたれもしらんで
1
7:3
4
こゝはこのよのもとのぢば めづらしところがあらはれた
!―9
「此世界始まりのぢば」
〔2
0年1月1
3日(陰暦1
2月2
0日)
〕
「元のぢばなる事」
〔2
0年2月2
5日(陰暦2月3日)午後7時〕
「元々のぢば,元のをや」
〔2
8年1月1
4日〕
「元なるぢば」
〔3
1年9月3
0日午前2時〕
(2
9) にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくたりたで
4:5
5
このよふをはぢめだしたるやしきなり にんけんはじめもとのをやなり
6:5
5
「元のやしき」
〔2
1年8月4日 夜〕
「元々人間始めたこのやしき」
〔2
5年7月4日 夜1
2時〕
「元やしき」
〔2
6年1
2月3日(陰暦1
0月2
6日)午後1
0時〕
93
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
「元人間始めたやしき」
〔3
1年5月9日 夜〕
「人間始めた元のやしき」
〔3
2年2月2日 夜〕
「元々始めたやしき」
〔3
2年8月2
1日〕
0
7頁。
(3
0) 前掲書,
『續ひとことはなし その二』
,1
5
9―2
その〔字義一〕として,
「天理王命の鎮ります地点を云う。奈良縣山邊郡丹波市町大字三島
二百七拾一番地なる,おやしき中の一地点で,かんろだいにより標示される地点である」
,
とし,
〔字義二〕として,
〔明治二十四年五月八日 夜〕
,
〔明治二十四年五月十三日〕
,
〔明
治三十年二月一日〕などの「おさしづ」を引用し,
「おさしづの中には字義一より廣めて,
元なるぢばのある屋敷を指して,ぢばと稱している例がある。又,ぢばの理を,屋敷の意
味に含めて,用いられている例もある。
」そして,
「但し,この場合は,
“ぢばの存する屋
敷”の意味で,教理上にては,ぢばと屋敷とは,廣がりにおいて,違うものである。尚,
信者の側にあっては,此両者を一ツに見ている場合も,相當にあるが,教理上,かんろだ
いによりて表示されている“ぢば”は,
“中山氏という屋敷”中の一地点なので,屋敷との
混同は許されない」
,と「やしき(屋敷)
」と「ぢば」の相違について明確な区別をしてい
る。さらに,
〔字義四〕には,
「親里」と「ぢば」の相違についても言及している。
「字義二
より更に擴がって,屋敷を囲む一帯の地域をぢばと云う。即ち,おぢばと通稱される地域
で,大字三島,大字丹波市,大字川原城から,二階堂村,朝和村等に拡大されて建設され
てある,親里一帯を指す。此,字義四は,地域から指して,漸次擴るも,意義から云って,
元なるぢばのあるおやしきに関連して,建設される親里都市を意味するもので,教理上,
ぢばの理とは,此拡大された地域全體を指すものではない」
,として,
「親里」という表現
も「ぢば」とは異なる,と定義付け,
「親里」と「おぢば」を同意味としている。
1) 前掲書,
『續ひとことはなし その二』
,1
8
6頁。
(3
(3
2) 前掲書,
『稿本天理教教祖伝』
,1
6
4頁。
(3
3) ここでは,
『おふでさき』の1号8首を載せておく。
よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから
1:1
そのはづやといてきかした事ハない なにもしらんがむりでないそや
1:2
このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする
1:3
このところやまとのしバのかみがたと ゆうていれども元ハしろまい
1:4
このもとをくハしくきいた事ならバ いかなものでもみなこいしなる
1:5
きゝたくバたつねくるならゆてきかそ よろづいさいのもとのいんねん
1:6
かみがでてなにかいさいをとくならバ せかい一れつ心いさむる
1:7
いちれつにはやくたすけをいそぐから せかいの心いさめかゝりて
1:8
(3
4) 『山名大教會初代會長夫婦自傳』述者 諸井國三郎,諸井園子 1
9
1
6年,9
4頁。
(3
5) 中山善衞「ぢばの理とひながたの道」
,
『あらきとうりょう 4
0号』天理教青年会本部,1
9
6
0
2頁。
年7月,1
1―1
にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくたりたで
四号5
5
このよふをはぢめだしたるやしきなり にんけんはじめもとのをやなり
六号5
5
月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから
六号5
6
このよふのほん元なるとゆうのハな このところよりほかにあるまい
八号2
5
このはなしどふゆう事にをもうかな どふゆはなしもみなしたいから
八号2
6
この月日もとなるぢばや元なるの いんねんあるでちうよぢさいを
八号4
7
おふでさきにお誌し頂きますように,このぢば,即ち「ひのもとしよやしきのつとめばし
よ」こそは,世界に二つとない世の元であり,正に「めづらしところがあらわれた」のであり
94
天理大学学報 第6
0巻第2号
ます。しかも,このぢばにこそ,教祖の御道すがら,御親心がこめられているのであって,こ
のぢばこそ,教祖御存命の理を以て,日々お見守り下さつておるのであります。このぢばの理,
教祖の御徳を戴いてこそ,私達は日々健やかにお連れ通り頂き,お育て戴いておるのでありま
す。親神様の御守護,教祖五十年のひながたと御存命の御理,そしてぢばの理,これこそ私達
の生命の源であり,信仰の根本なのであります。
「根にはなれなんだらどのやうな細い処からでも,どのやうにさかえるともわからん。
」
〔明治3
2・1
0・1
6〕
お聞かせ頂きますように,ぢばを離れて私達の信仰はなく,ぢばを離れて私達の生命はない
と思うのであります。かかる生命の根につながり,元に伏せ込むこと,これが私達の唯一の生
き方であり,ぢばの御用を担わせて頂き,ぢばにお見せ頂く,御用向きに,精一杯の努力をこ
めさせて頂ける,これこそが私達にとつて無上の喜びなのであります。
(第3
6回青年会総会にお
ける告辞)
1頁。
(3
6) 桝井孝四郎『みかぐらうた語り艸』天理教道友社,2
0
0
2年,6
0―6
5,
6,
7
;!―2,
7,
9
;"―1
(3
7) よろづよ八首―4,
(3
8) !「運ぶ所」
1.「運ぶ所」
:〔2
0年2月1
9日(陰暦正月2
7日)
〕
;〔2
2年3月3
1日(陰暦3月朔日)午前9時
3
0分〕
;〔2
3年1
0月3日〕
;〔3
3年1
2月4日(陰暦1
0月1
3日)
〕
2.「運び来たる所」
:〔2
2年2月8日(陰暦正月9日)午後1
0時3
0分〕
3.「運ばにゃならん所」
:〔2
1年7月3日(陰暦5月2
4日)
〕
4.「理を運んだる(理を運ぶ)所」
:〔2
2年1月7日午前1
1時〕
5.「神一条の一つの理を運ぶ所」
:〔2
2年1月7日午前1
1時〕
6.「理運び来たる所」
:〔2
2年2月8日(陰暦正月9日)午後1
0時3
0分〕
4年5月1
3日〕
7.「鏡やしきぢばへ運べる所」
:〔2
8.「世界運ぶ所」
:〔2
4年6月1
1日〕
9.「心置き無く運ぶ所」
:〔2
4年1
1月2
3日(陰暦1
0月2
2日)
〕
1
0.「心運ぶ所」
:〔2
5年1
2月1
8日〕
1
1.「尽した運んだ所」
:〔3
3年1
2月4日(陰暦1
0月1
3日)
〕
"「寄る所」
1.「寄る所」
:〔2
0年9月3
0日(陰暦8月1
4日)
〕
2.「寄り来る道」
:〔2
2年3月2
1日(陰暦2月2
0日)午後1
1時〕
;〔3
5年9月6日〕
1年8月1
0日(陰暦7月
3.「御引き寄せの所」
:「
(但しこれはおぢばへ御引き寄せの事)
」
〔2
3日)午前5時〕
4.「寄せたる所」
:〔2
2年1月7日午前1
1時〕
;〔3
2年1
2月1
3日〕
5.「寄って来る(寄り来る)所」
:〔2
2年3月2
1日(陰暦2月2
0日)午後1
1時〕
;〔2
4年5月
1
3日〕
;〔2
5年1
2月4日 午後8時〕
;〔3
5年9月6日〕
;〔4
0年4月7日(陰暦2月2
5日)
午前2時半〕
6.「寄り来る理」
:〔2
4年5月1
3日〕
7.「寄り来る所,世界兄弟」
:〔2
4年5月1
3日〕
8.「世界寄り来る地所地面」
:〔2
5年1
2月4日 午後8時〕
2年1月1
5日〕
;〔3
2年5月1
0日〕
;〔3
2年1
2月1
3
9.「心 を 寄 せ る 所」
:〔3
0年1月2
5日〕
;〔3
日〕
1
0.「寄り集まる所」
:〔3
1年2月1
5日〕
1
1.「多くから寄り集まる所」
:〔3
1年2月1
5日〕
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
95
1
2.「あちらからも寄り来る,こちらからも寄り来る所」
:〔3
5年9月6日〕
1
3.「世界から鏡やしきと言うて,遠くから成程と寄って来る所」
:〔4
0年4月7日(陰暦2月
2
5日)午前2時半〕
!「治める所」;「治まる所」
1.「理を治める所」
:〔2
1年7月2日(陰暦5月2
3日)午前6時〕
2.「世界治まる所」
:〔2
1年7月2日(陰暦5月2
3日)午前6時〕
;〔3
2年1
2月6日〕
3.「治める所」
:〔2
1年7月2日(陰 暦5月2
3日)午 前6時〕
;〔2
1年7月3日(陰 暦5月2
4
日)
〕
;〔2
2年1月2
9日〕
;〔2
3年5月2
3日〕;〔2
3年1
0月3日〕;〔2
4年4月2
7日〕;〔3
2年
1
2月6日〕
4.「治まる所」
:〔2
1年7月2日(陰暦5月2
3日)午前6時〕
;〔2
2年2月8日(陰暦正月9
;〔2
2年3月2
1日(陰 暦2月2
0日)午 後1
1時〕
;〔2
2年3月3
1日(陰 暦
日)午 後1
0時3
0分〕
3月朔日)午前9時3
0分〕
;〔2
4年6月1
1日〕
;〔3
2年1
2月6日〕
;〔3
5年9月6日〕
5.「治め来たる所」
:〔2
2年2月8日(陰暦正月9日)午後1
0時3
0分〕
6.「神一条の理治める所」
:〔2
1年7月3日(陰暦5月2
4日)
〕
7.「二つの理を一つの心に治める所」
:〔2
2年1月2
9日〕
8.「成らん理を治め,治まられん理を治まる所」
:〔2
2年2月8日(陰暦正月9日)午後1
0時
3
0分〕
9.「理が治まる所」
:〔2
2年3月3
1日(陰暦3月朔日)午前9時3
0分〕
3日〕
;〔2
5年1
0月1
4日夜〕
1
0.「心治める所」
:〔2
3年5月2
1
1.「旬が来たなら,どうでも治まる所」
:〔2
4年1月2
1日朝〕
1
2.「心勇んで治める所」
:〔2
4年1
1月1日(陰暦9月3
0日)
〕
1
3.「どんな事でも治まる所」
:〔2
6年5月2日〕
1
4.「一つから治めた!"。二つはならん!"所」
:〔3
1年6月1
7日〕
"「定める所」
1.「心定める所」
:〔2
1年7月2日(陰暦5月2
3日)午前6時〕
2.「定める所」
:〔2
1年9月2
5日〕
3.「実を定める所」
:〔2
1年9月2
5日〕
#「救ける所」
3日(陰暦1
0月2
2日)
〕
1.「救ける所」
:〔2
1年9月2
5日〕
;〔2
4年1
1月2
2.「第一のたすけ」
:〔2
4年1
1月2
3日(陰暦1
0月2
2日)
〕
$「尽す所」
1.「尽したる所」
:〔2
2年2月8日(陰暦正月9日)午後1
0時3
0分〕
2.「尽す所」
:〔2
2年1月2
9日〕
;〔2
2年2月8日(陰暦正月9日)午後1
0時3
0分〕
;〔2
3年1
0
月3日〕
;〔3
3年1
2月4日(陰暦1
0月1
3日)
〕
3.「尽した運んだ所」
:〔3
3年1
2月4日(陰暦1
0月1
3日)
〕
%「その他」
1日(陰暦3月朔日)午前9時3
0分〕
1.「理を諭して置く所」
:〔2
2年3月3
2.「をびやたすけをする所」;「をびや許しを出す所」
:〔2
0年2月2
5日(陰暦2月3日)午
後7時〕
3.「遠い所より種を蒔きに来る所」
:〔2
0年3月1
1日(陰暦2月1
7日)午後7時〕
4.「世界より来る所」
:〔2
0年7月1
7日(陰暦5月2
7日)
〕
5.「それそれ所へ伝え話ある所」
:〔2
0年7月1
7日(陰暦5月2
7日)
〕
6.「身を慕う所」
:〔2
0年陰暦7月〕
96
天理大学学報 第6
0巻第2号
7.「身上から付き来る道」
:〔2
2年3月2
1日(陰暦2月2
0日)午後1
1時〕
8.「理与える所」
:〔3
2年1
2月6日〕
9.「根に踏ん張る所(踏ん張る処の根)
」
:〔2
2年3月2
1日(陰暦2月2
0日)午後1
1時〕
1
0.「理を聞く所」
:〔2
2年3月2
1日(陰暦2月2
0日)午後1
1時〕
1
1.「何処までも駈け廻りたる所」
〔2
2年3月2
1日(陰暦2月2
0日)午後1
1時〕
1
2.「理を始める所」
:〔2
1年7月3日(陰暦5月2
4日)
〕
1
3.「かんろうだい一つの理」
:〔2
1年7月3日(陰暦5月2
4日)
〕
1
4.「満足さす所」;「満足して帰る所」
:〔2
1年7月7日〕
5.「談示して満足さす所」
:〔2
1年7月7日〕
1
1
6.「生涯末代を出す所」
:〔2
1年8月9日朝〕
1
7.「理を聞かす所」
:〔2
1年9月2
5日〕
1
8.「尋ねる所」
:〔2
1年9月2
5日〕
1
9.「生涯末代の理渡す所」
:〔2
2年1月2
9日〕
2
0.「案じる事は要らん所」;「案じの理は要らん所」;「案じる事要らん所」
:〔2
3年1
0月3
日〕
;〔3
5年8月1
0日〕
2
1.「楽しむ所」
:〔2
2年3月2
1日(陰暦2月2
0日)午後1
1時〕
;〔3
1年7月2
5日〕
2
2.「理を下ろしたる所」
:〔2
2年3月3
1日(陰暦三月朔日)午前9時3
0分〕
2
3.「世界の道を計りたる所」
:〔2
2年3月3
1日(陰暦3月朔日)午前9時3
0分〕
2
4.「真実日々一つ思う所」
:〔2
2年3月3
1日(陰暦3月朔日)午前9時3
0分〕
2
5.「理を諭して置く所」
:〔2
2年3月3
1日(陰暦3月朔日)午前9時3
0分〕
2
6.「人衆一つの理」
:〔2
2年4月2
4日(陰暦3月2
5日)
〕
2
7.「面はぢば限り」
:〔2
2年4月2
4日(陰暦3月2
5日)
〕
2
8.「内諭し」
:〔2
2年1
1月1
1日(陰暦1
0月1
9日)
〕
6日)
〕
2
9.「人間心は要らん所」
:〔2
2年1
2月8日(陰暦1
1月1
3
0.「神が出て来たる所」
:〔2
3年4月1
3日(陰暦2月2
4日)午前6時5
0分〕
3
1.「人間心言うやない,聞くやない所」
:〔2
5年1
0月1
4日夜〕
3
2.「身の思やんは要らん所」
:〔2
3年9月2
0日〕
3
3.「心たんのうする所」
:〔2
3年9月2
0日〕
3
4.「やしき」
:〔2
4年5月8日夜〕
;〔2
4年5月1
3日〕
;〔2
6年5月1
2日夜〕
;〔3
0年2月1日〕
;
0年4月7
〔3
1年9月3
0日 午 前2時〕
;〔4
0年4月7日(陰 暦2月2
5日)午 前2時 半〕
;〔4
日(陰暦2月2
5日)午前2時半〕
3
5.「見通した神の道」
:〔2
4年5月8日夜〕
3
6.「やしきの道」
:〔2
4年5月8日夜〕
3
7.「神の道」
:〔2
4年5月8日夜〕
;〔2
4年5月1
0日〕
3
8.「理が治まる,固まる所」
:〔2
4年6月1
1日〕
3
9.「集まる所」;「集まりたる(集まる)所」
:〔2
4年6月1
1日〕
;〔2
4年6月1
1日〕
4
0.「元という理十分磨いた上磨きする所」
:〔2
4年6月1
5日〕
4
1.「理を伝えて聞く所」
:〔2
4年7月2
4日 午後二時〕
4
2.「心という理が無けにゃなろうまい所」
:〔2
4年1
1月1日(陰暦9月3
0日)
〕
3.「世界諭す心」
:〔2
5年1月1
2日正午〕
4
4
4.「切り無し普請」
:〔2
5年3月3日〕
4
5.「立ち帰る所」
:〔2
5年8月3
1日午後9時3
0分〕
4
6.「多くの中より入り込む所」
:〔2
6年2月4日 夜〕
97
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
4
7.「利巧発明で付いて来たのやあろうまい所」
:〔2
6年5月1
2日 夜〕
4
8.「多くの子供戻る所」
:〔2
8年3月1
0日〕
4
9.「親里」
:〔2
8年3月1
0日〕
5
0.「内に無き世界に無き所」
:〔2
8年3月1
4日〕
5
1.「親切やい」
:〔2
8年5月2
2日朝〕
5
2.「人間の心では分からん。分かり掛けたら分かる所」
:〔2
8年1
0月1
1日〕
5
3.「鏡やしき」
:〔3
0年2月1日〕
;〔4
0年4月7日(陰暦2月2
5日)午前2時半〕
5
4.「鏡」
:〔3
0年2月1日〕
5
5.「修理肥を出す元」
:〔3
1年7月2
5日〕
1年9月1
6日〕
5
6.「元々心一つ」
:〔3
5
7.「このやしき人間心で通る事出来ん所」
:〔3
1年9月3
0日午前2時〕
5
8.「道,世界理,理」
:〔3
2年2月2
4日〕
5
9.「一つの理」
:〔3
2年5月1
4日〕
6
0.「元一つの理」
:〔3
2年6月3日〕
6
1.「連れ帰る所」
:〔3
2年6月2
7日;上田ナライトの事情願(おぢばへ連れ帰る事)
〕
;〔3
2年
5月1
4日〕
;〔3
3年5月1
7日〕
;〔2
3年4月2
0日(陰暦3月2日)午前4時〕
;〔3
2年2月2
日夜〕
6
2.「優しい言葉掛ける所」
:〔3
4年6月1
4日〕
3年1
2月4日(陰暦1
0月1
3日)
〕
6
3.「引き出す所」
:〔3
6
4.「聞いてやらにゃならん所」
:〔3
5年8月1
0日〕
0
0
1年,2
2
4頁。
(3
9) 『おふでさき付 註釋』天理教教会本部編纂兼発行,2
このよふのにんけんはじめをやなるに 天のあたゑハあるときけども
8:7
8
このはなしなにの事やら一寸しれん 月日ぢきもつやろとゆうのや
8:7
9
このはなしどふゆう事であろをなら かんろふたいにひらばちをのせ
8:8
0
「ぢきもつは,食物のことでこの世の親に,親神様がお与えになる寿命薬である。それを
かんろだいに平鉢をのせて受けよ,とお教え下されている。このぢきもつは,後は親の心
次第に与える事をお許しになった。
」
(4
0) Susumu Mori, “WHY DO WE HAVE TO RETURN TO JIBA?” Oyasato Bulletin (Feb.
1989, No. 13) 天理教海外部。
6
8頁参照。
(4
1) 『おふでさき索引』天理教教義及史料集成部編纂,天理教道友社,1
9
7
5年,1
6
6―1
7,
8
;!―3
;#―1
;$―3
;%―3
;&―1,
3
;'―1,
3
;(―
(4
2) 『みかぐらうた』
:よろづよ八首―1,
3
;)―3
(4
3) 『おさしづ索引 普及版 二 さ∼の』天理教教義及史料集成部編纂兼発行,1
9
9
7年,2
2
0
8頁。
版,1
1
9
3頁―1
(4
4) OFUDESAKI, The Tip of the Writing Brush (English, Japanese, and Romanization),
(天理教教会本部翻訳兼発行,1
9
9
8年)
,によれば,
「せかい」
,
「このよ」の英訳として,文脈
によって,“world”と“universe”の両語が使い分けられている。3:4
0,
1
3
5;6:9,
5
0,
1
0
2,
1
2
0;
1
5:3
7の7首(実 際 は,第3号 の4
0と1
3
5は,全 く 同 じ 歌 な の で,6種 類 の 歌)に お い て,
“universe”が使われ,その他は,“world”である。
5
1頁参照。
(4
5) 前掲書,
『おふでさき索引』
,1
5
0―1
;#―9
;%―9
(4
6) 『みかぐらうた』
:"―9
(4
7) 前掲書,
『おさしづ索引 普及版 二 さ∼の』
,7
9
3頁。
9頁。
(4
8) 松本滋『人間の元なるもの 天理教の信仰と思想 I』天理教道友社,1
9
8
3年,2
8―2
98
天理大学学報 第6
0巻第2号
(4
9) 前掲書,
『おふでさき索引』
,1
7
8頁参照。その他に次のような表記がある。
「ぢうよじさい」
,
「ぢうよじざい」
,
「ぢうよしだい」
,
「ぢうよぢさ」
,
「ぢうよぢさい」
,
「ぢうよぢざい」
,
「ぢう
よちざい」
。
0
0
1年,7
0頁。
(5
0) 『おふでさき付 註釋』天理教教会本部編纂兼発行,2
人間の身体は人間が自分でこしらえたものではなく,この世創めた親神がこしらえて,人
間に貸しているのである。人間が生きて行けるのも,皆親神の自由自在の守護によるので
ある。
(5
1) 諸井政一「神様の有無に就て」
,
『正文遺韻』天理教道友社,1
9
7
5年,1
3
8頁。
(5
2) 諸井慶一郎「かんろだい一条の道」
,
『あらきとうりょう1
5
5号』天理教青年会本部,1
9
8
9年,
6頁。
3
5―3
7
3頁。
(5
3) 松本滋『陽気ぐらしへの道』天理教道友社,1
9
8
3年,1
6
4―1
0月号,特に7月号,天理教道友社。
(5
4) 「ぢば定め百年」
,
『みちのとも』1
9
7
5年6月―1
(5
5) 前掲書,
『稿本天理教教祖伝』
,1
2
8頁。
2
9頁。
(5
6) 前掲書,
『稿本天理教教祖伝』
,1
2
8―1
(5
7) 「ぢば」がこの地球上で1個所であることについて,筆者は,アラン・グラパード教授から
次のような話を聞かされた。
「ぢばは,なぜ1箇所でなければならないのですか。もしぢばが世
界中に他に何箇所かあれば,天理教はそれこそ名実ともに世界宗教として存在するでしょう」
,
と。そのとき筆者は次のように答えた。
「それは極めて人間的な発想です。布教については,教
会,伝道庁,出張所,連絡所などがその任を果たす役割を担っています。しかし,ぢばが世界
に何箇所もあるということは,元の親が世界中に何人もいる,あるいは人間発祥の元の地が世
界中に何箇所もあるということです。もしそうなれば,人間は自分の信仰,心の中心,焦点を
どこに合わせばよいのか分からなくなります。人間発祥の元の地がぢばであり,人間をはじめ
た元の親が常にそこにいるということは,子供にとっては,心強いことです。したがって,信
仰の中心,元は1点,1箇所でなければならないのです。その地点は,かんろだいによって顕
示されています。その地点が天理王命の礼拝の目標,中心となっています。その1点を中心に
して,世界中の子供が互いに立て合い,たすけあっていくところに意味があります。また,人
間発祥の地を目指して,元の親に会うためにそこに帰る意味があります」
,と。
(5
8) 前掲書,
『天理教教典』
,4
3頁。
(5
9) 遠州山名郡分教会所に於て,御神楽面を開筵式に付御許し伺
「
(前略)つとめ一条の理,多くの中,幾重心得もだん!"始め,鳴物一切道具許そう。第
一人間一つ始め,人衆一つの理,だん!"話一つ!",一時尋ねるまでの理であろう。面
はぢば限り。このお話して置こう。
」
〔明治2
2年4月2
4日(陰暦3月2
5日)
〕
〈参考資料〉前掲書,
『山名大教會初代會長夫婦自傳』
,4
5頁。
「面一條は地場一つに限る」
2頁参照。
(6
0) 前掲書,
『天理教教典』
,1
5―2
参考文献
0
0
1年
1.『おふでさき付 註釋』天理教教会本部編纂兼発行,2
2.『おふでさき索引』天理教教義及史料集成部編纂,天理教道友社,1
9
7
5年,7版
3.上田嘉成『みかぐらうた略注』
,天理教道友社,2
0
0
4年
4.『おさしづ縮刷版 巻一∼巻七』天理教教会本部編纂兼発行,2
0
0
6年,3版
『おさしづ索引 普及版 一 あ∼こ』天理教教義及史料集成部編纂兼発行,1
9
9
3年,2版
『おさしづ索引 普及版 二 さ∼の』天理教教義及史料集成部編纂兼発行,1
9
9
7年,2版
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
99
『おさしづ索引 普及版 三 は∼を』天理教教義及史料集成部編纂兼発行,1
9
8
8年
5.『稿本天理教教祖逸話篇』天理教教会本部編纂,天理教道友社,1
9
8
9年
6.『改訂天理教事典』
,天理大学附属おやさと研究所 代表者 橋本武人,天理教道友社,1
9
9
7年
7.『新宗教事典』
(井上順考,孝本貢,対馬路人,中牧弘充,西山茂編)弘文堂,1
9
9
0年
8.『宗教学辞典』
(小口偉一,堀一郎編)東京大学出版会,1
9
7
5年
9.『日本国語大辞典』第2版 第3巻 小学館,2
0
0
1年
1
0.『ウェブスター英英和辞典』ジョン・D・ベイツ編 日本ブリタニカ株式会社,1
9
7
8年
1
1.MORI, Susumu, “Why Do We Have To Return to Jiba,” The Oyasato Bulletin (Feb.,1989,
No.13),天理教海外部
1
2.星野英紀『巡礼 聖と俗の現象学』講談社,1
9
8
1年
1
3.同著『四国遍路の宗教学的研究―その構造と近現代の展開』法蔵館,2
0
0
1年
1
4.小出正吾『聖地巡礼』審美社,1
9
7
0年
1
5.武田 明『巡礼と遍路』三省堂,1
9
7
9年
1
6.佐々木宏幹,富田 登,山折哲雄編「特集・聖地」
『現代宗教―3』春秋社,1
9
8
0年
1
7.前田 卓『巡礼の社会学 西国巡礼 四国遍路』関西大学経済・政治研究所 ミネルヴァ書
房,1
9
7
2年
1
8.STATLER, Oliver, JAPANESE PILGRIMAGE , CHARLES E.TUTTLE CO., INC. 1984
1
9.紀野一義『風と光のインド』佼成出版社,1
9
7
9年
2
0.中国新聞社編『死装束の旅 四国八十八カ所』中国新聞社,1
9
7
7年
2
1.NHK取材班/鎌田茂雄『仏教聖地・五台山』日本放送出版協会,1
9
8
6年
2
2.宮崎忍勝 解説校注『澄禅 四国遍路日記』大東出版社,1
9
7
7年
2
3.同著『神話と遍路』東洋文化出版,1
9
8
0年
2
4.中山正善『こふきの研究』天理教道友社,1
9
5
7年初版,1
9
8
1年9版
2
5.同著「こどもおぢば帰り―意識と心構え」
,
『みちのとも』1
9
5
6年3月号 天理教道友社
2
6.同著『第十六回教義講習会第一次講習録抜粋』天理教道友社,1
9
9
7年
2
7.同著「ぢば定め」
,
「ぢばの標識」
,
『續ひとことはなし その二』天理教道友社,1
9
8
1改訂7版
0号』天理教青年会本部,1
9
6
0年
2
8.中山善衞「ぢばの理とひながたの道」
,
『あらきとうりょう 4
2
9.上田嘉成「ぢばの理」
,
『天理青年教程』第3号 天理教青年会本部,1
9
5
1年
3
0.同著「みかぐらうた註釋稿案」
,
『復元』第6號 天理教教義及史料集成部,1
9
4
7年
3
1.同著『おかぐらのうた』天理教道友社,1
9
9
4年
3
2.同著『天理教教典講習録』天理教道友社,1
9
8
0年
3
3.『山名大教会改訂初代會長夫妻自傳』編集兼発行者 天理教山名大教会右代表諸井慶徳山名大
教会,1
9
5
8年4月1日印刷 同年4月1
2日発行
0
9頁)
,
『正文遺韻』編集兼発行
3
4.諸井政一「お屋敷の理」
(1
8
3頁)
,
「かんろふだいの理」
(2
0
6―2
者諸井慶五郎 天理教山名大教会,1
9
3
7年
3
5.諸井慶一郎「かんろだい一条の道」
,
『あらきとうりょう1
5
5号』天理教青年会本部,1
9
8
9年4月
2頁,
『天理青年教程第2
2号―青年布教操典』
(1
9
7
4年)
「教祖四十
3
6.山澤為造「ぢばの真義」
,1
9―5
年祭講習録」
,第1回1
9
2
2年,
「地場の真義∼四十年祭其活動」1
9
2
2年3月講習会,講義口述
天理教青年会本部
3
7.平野知一「ぢばの理」
,
『天理教教学研究』1
4号 天理教道友社,1
9
6
4年
3
8.同著『天理教教典研究』天理教道友社,1
9
7
8年
3
9.同著『みかぐらうた叙説』天理教道友社,1
9
8
5年
4
0.天理教青年会本部編『あらきとうりょう』1
5
0号「特集 青年会創立7
0周年―歴史と展望―」
,
100
天理大学学報 第6
0巻第2号
「心をぢばへ,教えを世界に」天理教青年会本部,1
9
8
8年
4
1.金山忠裕「ぢばにつながる信仰」
,
『あらきとうりょう』第1
8
9号 天理教青年会本部,1
9
9
7年
4
2.『道乃友』第1
9
5号 天理教道友社,1
9
0
8年3月
4
3.ミヒャエル・フス『天理時報』2
0
0
7年1
1月2
6日号 天理教道友社
4
4.柏木庫治『柏木庫治選集(三)声は肥』天理教道友社,1
9
7
8年
4
5.金 振祚「おぢばに寄せる」
,
『あらきとうりょう4
4号』天理教青年会本部,1
9
6
1年
4
6.吉岡清人「心に生きるぢばの理」
,
『あらきとうりょう6
3号』天理教青年会本部,1
9
6
6年4月
4
7.松山和子「そばにおってはわからない」
,
『陽気』第2
5巻 第5号(通巻2
8
9号)養徳社,1
9
7
3年
9
9
2年
4
8.!橋兵輔『中川與志』!橋定嗣発行者,1
4
9.島坂欣一『ふるさと夜話続編 おぢば日記』株式会社英林社,1
9
8
1年
2月号 天理教道友社
5
0.早坂正章/澤井義則「教祖今なお」
,
『みちのとも』1
9
9
5年1月号―1
5
1.笹田勝之「回帰の原風景―おぢば帰りの意義」
,
『G−TEN』7 天理教表統領室教養問題事務
局,1
9
8
6年
5
2.同著「おぢばへ帰る」ゆえんについて―「おやしきの理」試論序説,
『あらきとうりょう1
8
0
号』天理教青年会本部,1
9
9
5年7月
5
3.MORI, Susumu, “Three Pilgrimages,” Tenri Journal of Religion, Nov., 1986, Vol.20,
Oyasato Research Institute, Tenri University
5
4.田邊教郎「ぢばの理概説」
,
『天理青年教程第3
0号(上)
』天理教青年会本部,1
9
8
7年
5
5.天理教青年会本部編「ぢばの理」概説,
『あらきとうりょう1
0
1号』天理教青年会本部,1
9
7
5年
1
0月
5
6.中島秀夫「ぢば定めの意義」
,
『あらきとうりょう1
0
1号』天理教青年会本部,1
9
7
5年1
0月
0月
5
7.上原義彦「おぢば今昔」
,
『あらきとうりょう1
0
1号』天理教青年会本部,1
9
7
5年1
5
8.紺谷久則,秋岡正史「ぢばこそおたすけの原点」
,
『あらきとうりょう1
0
1号』天理教青年会本
部,1
9
7
5年1
0月
5
9.矢持辰三「ぢばの理」
,
『あらきとうりょう1
2
6号』
「特集 ぢばの理」天理教青年会本部,1
9
8
2
年1月
6
0.同著「かぐらづとめへの参画」
,
『あらきとうりょう1
3
9号』天理教青年会本部,
1
9
8
5年4月
6
1.池田土郎「回帰,再生,出発―おぢばがえりの現像学」
,
『あらきとうりょう1
3
9号』天理教青年
会本部,1
9
8
5年4月
6
2.高野友治「おぢばがえり今昔」
,
『あらきとうりょう1
3
9号』天理教青年会本部,
1
9
8
5年4月
6
3.今村英太郎『おぢば今昔ばなし』天理教道友社,1
9
9
4年
6
4.木下民善『大和の「天理」
:そのぢば聖地では何か』善本社,1
9
8
8年
『あらきとうりょう1
6
5号』天
6
5.村上道昭「天理王命,教祖,ぢばは,その理は一つ」について,
理教青年会本部,1
9
9
1年1
0月
6
6.KANEKO, Keisuke “On the Returning Home to ‘Jiba’−An Aspect of the Pilgrimage
through Shrines and Temples in Yamato during the Meiji Era,” Tenri Journal of Religion,
May, 1967, Vol. 8, pp.14―29, Oyasato Research Institute, Tenri University
6
7.金子圭助「明治百年のおぢば帰参者たち 上・下」
,
『天理文芸』1
7,
1
8 天理文芸同好会編集,
天理教道友社,1
9
6
8年5月,1
0月
6
8.東井三代次『あの日,あの時 おぢばと私』
(上巻,下巻)養徳社,1
9
7
7年,1
9
8
0年
6
9.松村吉太郎『道の八十年』養徳社,1
9
7
4年
7
0.天理大学宗教文化研究所編「親里」
,
『信仰例話集 真実の道』天理教道友社,1
9
5
3年
7
1.『陽気』1
6
0号,1
9
6
2年8月,
「特集 私を変えたおぢば帰り」
,養徳社
「おぢば帰りの行為と意味」
(上)―天理教の聖地「ぢば」
101
7
2.『陽気』2
5
7号,1
9
7
0年9月,
「特集 ぢばへつなぐ」
,養徳社
7
3.『陽気』2
8
6号,1
9
7
3年2月,
「特集 親里へのふせこみ(信者の立場から)
」
,養徳社
7
4.『陽気』2
8
9号,1
9
7
3年5月,
「特集 私を変えたおぢば帰り」
,養徳社
7
5.天理教道友社編「十,親里おぢば」
,
『御存命の頃』天理教道友社,2
0
0
1年
7
6.天理教少年会本部編『こどもおぢばがえり5
0年の歩み』天理教少年会本部,2
0
0
3年
7
7.天理教敷島大教会史料集成部編『増野道興伝』天理教敷島大教会史料集成部,山田忠一,2
0
0
3
年
7
8.増野鼓雪『増野鼓雪全集2』増野石次郎発行者 増野鼓雪全集刊行會,1
9
2
9年
7
9.同著「地場の眞義」
,
『増野鼓雪全集8』1
9
2
9年
9年
8
0.同著「地場を辞する人々へ」
,
『増野鼓雪全集1
6』1
92
8
1.同著「一つの心」
,
『増野鼓雪全集2
0』1
9
2
9年
4
9頁(註・
『増野鼓雪全集』復刻限定版として同じ書
8
2.同著「甘露臺」
,
『増野鼓雪全集2
1』1
4
0―1
籍が河内書房より1
9
9
9年に発行)
8
3.天理教道友社編 金子圭助監修『天理教の百年』
(ビジュアル年表 明治2
1年―平成3年)天理
教道友社,1
9
9
1年
8
4.天理教道友社編『ひながた紀行―天理教教祖伝細見』天理教道友社,1
9
9
3年
8
5.天理教道友社編『ドキュメント かんろだい物語』天理教道友社,2
0
0
5年
8
6.平木一雄『おやさと・いまむかし 7
5年の思い出』平木一雄,1
9
9
7年
8
7.『天理時報』2
0
0
7年1
1月2
6日号,天理教道友社
8
8.高井猶久編「入信の頃―十二歳からおぢば帰り」
,先人の遺した教話(四)
『教祖より聞きし話・
高井猶吉』天理教道友社,1
9
8
4年
8
9.天理大学宗教文化研究所編「親里」
,
『真実の道―天理教信仰例話集―』天理教道友社,1
9
5
3年
9
0.天理教少年会史編纂小委員会編『天理教少年会史』天理教少年会史編纂小委員会 天理教少年
会,1
9
7
9年
9
1.『真柱訓話集』第1
5巻,第4
5巻 天理教會本部,1
9
8
5年度
9
2.中山新治郎『御神楽歌釈義』天理教會本部,1
9
0
0年
9
3.武谷兼信『御かぐら歌解義』天理時報社,1
9
4
6年
9
4.桝井孝四郎『みかぐらうた語り艸』
(註・元々昭和3
0年に桝井香志朗という名前で発行)天理教
道友社,2
0
0
2年
9
5.同著「おやしき建物變遷について 自元治元年 至明治二一年」
,
『復元』第拾臺號,天理教教
義及史料集成部,1
9
4
8年2月
9
6.同著「お屋敷建物變遷圖について(自元冶元年至明治2
1年)
」
『復元』第拾壱號天理教教義及史
料集成部,1
9
4
8年2月
9
7.深谷忠政『みかぐらうた講義』天理教道友社,1
9
5
6年初版,1
9
8
0年改訂
9
8.安藤正吉『みかぐら歌講話』天理教本愛大教会,1
9
6
7年
9
9.小野清一『みかぐらうた入門』天理教道友社,1
9
7
5年
1
0
0.山本正義『みかぐらうたを讃う』天理教道友社,1
9
8
8年
1
0
1.永尾!徳『みかぐらうたの心』天理教道友社,2
0
0
8年
0
0
2年
1
0
2.『みかぐらうた 岡本清三郎・講義覚』城法大教会史料室,2
1
0
3.小笠原育子「ぢばの理についての一考察」
,
『求道』1
9号 天理教校,1
9
6
2年
1
0
4.天理教道友社編『ひながたを温ねる』天理教道友社,1
9
8
5年
1
0
5.天理教青年会 本 部 編『心 を ぢ ば へ 教 え を 世 界 へ』天 理 青 年 教 程 第3
0号 天 理 教 青 年 会 本
部,1
9
8
7年
102
天理大学学報 第6
0巻第2号
1
0
6.天理教道友社編「ぢば定め百年」
,
『みちのとも』1
9
7
5年6月―1
0月号,天理教道友社
1
0
7.梶本楢治郎「教祖様の思ひ出」
,
『復元』創刊号 天理教教義及史料集成部,1
9
4
6年4月
1
0
8.天理大学付属天理図書館編『天理教史参考図録』天理大学出版部,1
9
9
2年
1
0
9.天理教道友社編『教祖年祭 躍動この1
0
0年』
(心のまほろば 心の本 天理 第7号 写集)
天理教道友社,1
9
8
4年
1
1
0.高野友治編『改訂6版 天理教史参考年表』天理教道友社,1
9
9
7年
1
1
1.天理教道友社編「総特集 おつとめ その意義と歴史」
,
『みちのとも』1
9
8
4年1
1月号,天理教
道友社
1
1
2.植田英蔵「ぢばの理」
,
『みちのとも』1
9
5
0年8月―9月号,天理教道友社
1
1
3.植田英蔵編『おぢば変遷史図』天理教教義及史料集成部 天理教道友社,1
9
5
1年
1
1
4.『山名大教會初代會長夫婦自傳』述者 諸井國三郎,諸井園子,1
9
1
6年