エプソンのデジタルプリント最前線

NO.160
(2015. Oct.)
■創立 65 周年写真展「日本の海岸線をゆく」
■在籍 40 年会員によるメッセージボード
■第 11 回「名取洋之助写真賞」受賞者決まる
Photo Nakanishi Hirohito
日本写真家協会会報 160 号
■Gallery
目次
2015 年 10 月
JPS ギャラリー 増田彰久、
大塚雅貴、
齋藤ジン、
湊 和雄 林 明輝、
大島 洋、
和久六蔵、
佐藤秀明
写真の後ろには様ざまな物語がある 創立 65 周年記念「日本の海岸線をゆくー日本人と海の文化」 写真╳写真 ( 連載8) 戦後 70 年「戦争を記録する写真」 写真展「知っていますか…ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾」終わる 「生きる Post-TSUNAMI」
展のドイツ語圏巡回について 「日本写真保存センター」調査活動報告 (19) ■First Message
■Focus
■Zooming
■Wonder Land
■Report
■Archives
5
熊切圭介 13
島田 聡 14
河野和典 16
松本徳彦 18
清田とき子 22
松本徳彦 24
敗戦そして海外での眼差し ―収集・保存した写真原板から―
■Workshop
■Topics
著作権研究(連載 35)写真家のための「映画の著作権」の考察 賛助会員トピックス ■Education
■Report
■Digital Topics
■Award
平成 26 年度小学生を対象とした
「写真学習プログラム」
報告 平成 27 年度「報道写真論」
講座報告 今さら聞けない“記録メディア”
についてのアレコレ 2015 年第 11 回「名取洋之助写真賞」
受賞者決まる 30
32
34
36
■Congratulation
おめでとうございます 第 41 回
「日本写真家協会賞」
受賞 40
■New Face Gallery
■Copyright
■Exhibition
■Comment
■Books
■Massage
■Annually
■International
■Infotmation
JPS2015 年新入会員展「私の仕事」
41
昨今、著作権事情あれこれ 瀬尾太一 43
2015JPS 展報告・2016JPS 展案内 46
写真解説 49
JPS ブックレビュー 50
Message Board 54
2014 年受賞・出版・写真展
(JPS 会員)
59
日本写真家協会の沿革 ( 英文 ) 66
追悼 = 名誉会員・大竹省二、丹野 章、正会員・菅井日人、
67
塚原 紘、天野 尚、渡辺関靖、山岡正剛/経過報告/編集後記
エプソンのデジタルプリント最前線 76
ニコンイメージングジャパン、サイバーグラフィックス、キヤノンマーケティングジャパ
ン、フレームマン、東京工芸大学、堀内カラー、マンフロット、プロフォト
■Technical
「
北村行夫 26
28
「名取洋之助写真賞」鳥飼祥恵さんの「amputee boy- けんちゃん -」
「名取洋之助写真賞奨励賞」増田貴大さんの「終わりの気配」
株式会社 堀内カラー 取締役社長 堀内洋司さん
日本写真家協会会員の企画展開催が決定 !! 「プライベートラボ」での作品制作が進む
表紙・中西裕人、表4・江口慎一
」
ー
ッ
展 名取洋之助写真賞
メージ
ジ
ー メージ
ー
ー
ジ
Gallery
華僑の故郷・開平楼閣───増田彰久
写真展「世界遺産(華僑の故郷・開平)」
テメットの砂丘群───大塚雅貴
写真集『SAHARA(砂と風の大地)』
写真展「サハラの風(vent du Sahara)」
会津の氏神さま──齋藤ジン
写真展「西方白虎」
ヤンバルクイナのペア───湊 和雄
写真集『山原の自然〜亜熱帯の森』
ドローンで見た雪氷の壺────林 明輝
写真集『空飛ぶ写真機』
写真展「ドローンで見た日本の絶景〜空飛ぶ写真機〜」
そして三閉伊(上)、幸運の町・三閉伊(下)──大島 洋
写真展
群衆────和久六蔵
写真集『Pathography/ 荼毘の夏』
写真展「Pathography」
カズエ婆さん────佐藤秀明
写真集『じいさとばあさと田んぼの神様』
First message
写真の後ろには様ざまな物語がある
会長 熊切 圭介
今年、ジャーナリズムの世界で三つの出来事が
目を迎えた。第1回受賞者の清水哲朗会員を始め
大きな話題になった。一つは世界最大の報道写真
歴代受賞者のその後の活躍は目覚しく、写真の世
コンテストでの、過度の加工と事実の捏造が行わ
界で着実に存在感を増している。名取賞の受賞者
れた問題だ。この件に関しては既に会報に広川隆
は、ジャーナリズムやテレビの世界などでグロー
一会員のレポートで詳細が伝えられている。
バルな活動をしているので注目度が高い。しかし
二つ目は世界的に注目されている難民の問題
応募条件が厳しいためか、今年度は応募者数が 16
だ。昨年からシリアやイラクなどからの難民が急
名と前年を大きく割りこんだのが気がかりだ。応
増している。その難民を乗せた船が転覆して乗っ
募年齢が 35 歳以下、作品内容はドキュメンタリ
ていた難民の子どもが、溺死し海岸に漂着してい
ー、ワンテーマで 30 点という条件は、若い世代の
る写真は、
世界に衝撃を与えた。
三つ目は今年度の
写真家にとってかなり厳しいものかもしれない。
「地方報道部門」
でピュリツァー賞を受賞したアメ
応募条件や賞金の額、受賞者に贈られる写真集の
リカの新聞記者が、受賞した時点で既に職を辞し
部数など総合的に検討する必要があるだろう。
ていたことだ。
新聞記者では生活が賄えない、
とい
協会創立 65 周年を記念して、2016 年の 3 月、東
うのがその理由だ。
米国新聞記者協会によると、
こ
京池袋の東京芸術劇場で「日本の海岸線をゆく─
こ 10 年あまりで 17,000 人以上記者が減少してい
日本人と海の文化」
展を開催する。
会員の作品を中
るようだ。
この事実は、
ジャーナリズムと関係の深
心に、会員外の写真家の作品などを加えて、約 200
い我々写真家にとって他人事とは思えない厳しい
点の作品で構成する、四方を海に囲まれた日本の
現実の姿だ。
海岸線の総延長は、
3,572km に達する。
長大な海岸
協会の創立 65 周年を記念して、在籍 40 年以上
線に囲まれた海洋国家日本の、風土と人、文化、人
の正会員 233 名と賛助会社 56 社を、多年の在籍
間の暮らし、
民俗行事、
変化に富んだ祭事などを通
と協力に感謝して、平成 27 年 5 月の総会の会場
し「日本のいま」を探る。
3.11 の甚大で深刻な災害
で表彰した。
出席者の中には、
「俺そんなに長く協
の様子や、微妙な問題で揺れ動く国境問題などを
会に居るの?」
と驚く人もいたようだ。
当日の出席
含め、新たな視点で多角的に日本を浮き上がらせ
者の最長老は蛭海進会員
(89 才)
だが、年を感じさ
る。
同時に展示作品を収録した写真集を出版する。
せない元気さだった。現在の日本の政治や社会状
写真集の序文は、
海に関する作品や紀行文、
エッセ
況に不安を感じる人、写真展や講演会を積極的に
イなどに健筆をふるっている椎名誠氏にお願いし
行っている人、先輩写真家や同世代の人との交流
た。更に写真展開催中に講演を行っていただく予
を楽しんでいる人、若い写真家の写真表現に戸惑
定だ。
いを感じる人など話の内容も様々で、今更ながら
写真を取り巻く社会環境は厳しく、写真表現の
会員の層の厚さ、広さを感じた。
一方、会員数があ
グローバル化、
ボーダレス化が進む中で、
ますます
まり増加していないことを危惧する声も多く、こ
多様化する写真というメディアとどう対応する
れからの協会運営の難しさを指摘された。
か、写真家協会という組織のこれからの在り方を
協会は各種写真展や講演会、セミナーなど様々
な事業活動を活発に行っているが、若い世代の関
深く考えながら、積極的に時代や社会と向き合っ
ていきたい。
心が高いのが
「名取洋之助写真賞」
で、
今年で 11 回
13
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
focus
日本写真家協会創立 65 周年記念事業
「日本の海岸線をゆくー日本人と海の文化」
島田 聡(常務理事、周年事業実行委員会)
会報 157 号で、その概要をお知らせした日本写真家協会創立 65 周年記念写真展
「日本の海岸線をゆく−日本人
と海の文化」の詳細があらかた決まった。一昨年 11 月に実行委員会が発足してから、本稿執筆時点で約1年半ほど
になるが、月1回のペースで重ねてきた委員会だけでは追いつかず、委員は編集や事務作業、あるいは撮影にと奔走
し、こうして報告できる段階へとこぎつけた。一部既報のものなどもあるが、新しく決まったことなどを中心に、以
下、
写真展の構成、写真集、会期中の講演会やイベントなどについて、
順番に報告したい。
また、
記事の最後に主要なデ
ータもまとめたのでご参照いただきたい。
ま 、写真展の構成と 集内容について報 する。構成
と内容については、9 割以上が まり、写真点数は約 200 点
りとなり、作者は会員を中心に会員外の写真家や写真
家なども含む約 130 名となった。
に、 は 海道から は
の写真家を中心
まで「日本の海岸線をゆく」と
いうタイトルにふさわしい内容となった。
展示構成は、 海道から
各地方、地 を
までの
にまとめたが、写真
展のテーマである 海岸線 を
し
て、東京 から 総 、 平洋を 上し
て東 地方 、
そして 海道を て日本
海
回り、東 、
戸内や
、
地方、
と 下し、
と進 、
四国、
紀 、東海地方の 平洋岸を り、出発
地
るという周回 の構成を予定し
ている。また、会場が ャラリー 1 と 2
とに かれるため、 ャラリー 1 では地
との展示を、 ャラリー 2 では、会
中にまさに 年目の 3 月 11 日を迎え
ることになる東日本大
災と海岸線を
テーマにした展示を行う予定である。
に写真集について報
は平 社に 定した。
で、
する。発行
は 5
変
写真の多い今回の内容
に向く
とした。 ージ数は ールカ
ラー 216
、
は 3,200 (
き)
を
予定している。
また、巻 には椎名誠
(作
家)氏に
をお願いした。
内容とタイ
トルについては写真展と同じである。
デ
イナーは中
氏、現在、デ イ
ンとレイア トが進行中である。
ポスター画像 : 写真撮影/平 寿夫
1
Focus
会 中のイ ントは 3 月 5 日
(土)
には、写真集巻 の
の 筆者でもある、作家の椎名誠氏による講演会を予定
している。会場は ャラリーと同じ ロアのシン
ー
ス ースである。海や海岸線との関係の深い椎名氏だ
に、講演会が
に楽し だ。
講演後には、 イン会を開催
し、写真集を
する予定である。
その か、会 中には出
品者による写真集の イン会や、 ロアレク ャーも予定
している。
写真展の開催までおよそ カ月、こうしてその内容が
まり、大 が まってきたとはいえ、 集の最 的な
めや、
写真集の 作、
広報
、
展示 ランと リントの作成
などなど、まだまだやることは 積している。
気を めるこ
となく、
事業の成 まで 進して行きたい。
この場を りて、会員はじめ賛助会員の 様や関係の
様に感謝 し上 るとともに、 き き一層の 協力をお
願い し上 る 第である。
中村征夫:もぐり船出港
(富津沖漁漁協沖、
千葉)
1986 年
〈日本写真家協会 創立 65 周年記念写真展概要〉
◆写真展内容
タイトル 日本の海岸線をゆく 日本人と海の文化」
会場
会
東京展 東京芸術劇場
(池袋)
2016 年 3 月 1 日
13 日 ャラリー1
回展 関 (京
催
社
術 )
(新聞
)
人日本写真家協会
催 東京 写真 術
後
文化 、
国土交通
協賛 富
ジャ ン キ
協賛 タムロン
社
イルム
コン
コンイメージング
ンマー ティングジャ ン
リン ス シグマ 東京カラー工芸
レームマン
内カラー
ラス
集部 日本写真家協会賛助会員各社 か
内容 2000 年以 に
された作品を中心に、それ以前
の作品も含め、
日本の海岸線を りながら、
その風 と
風土、人の暮らしを通して る日本の国土と文化、社
会を約 200 点の作品で展示構成。
◆写真集
タイトル
日本の海岸線をゆく 日本人と海の文化
椎名誠 平 社
216
予
3,200 (
5
変
ールカラー
き)
◆講演会・イベント
講演会 講
椎名誠
(作家)
3月5日
(土)
14 時から
東京芸術劇場シン
ース ース。
ロアレク ャー、
写真集 イン会など様々な
藤本雅之 : 東海道と富士山 2012 年
イ ントの開催を予定。
1
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
連載8
真
×写
写真
戦後 70 年「戦争を記録する写真」
河野和典 KOUNO Kazunori(フォトエディター)
後 70 年を迎えた 2015 年であるから、
も
めて、あるいは「
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「平
」 の願いを
の中に
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」の
めて「
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とも
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ま
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人の
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)
、
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1
日
前
時 15
り
で
中、
前 11 時過
で
時ころ
するも
、 後
心地より
時ころ
気なく通過してしまう写真を、
出席者
に
る
点から各
の
していることである。写真を
に富む
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本までをも
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の
月
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日 19 30
目と
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人が
の写真の中から、最 に
た 前 11 時過 ころ 心地から約 2.3km の
文化
ると
会となった。
「 の
月 日に
と
目の写真にスポットを当てて
され
の1
している。
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会
人の
.12 の
、あるいはテレビ
2005 年)は当時
。1945 年
下された
だったため会社
ころ
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この 組は、 後 70 年 集として、
上記、
)、
写真部に
に
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でもあります。」とまえがきにあるよう
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よしと 1913
に広
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(2015 年
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集
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って」である。
人(まつし
された写真をあらためて
)
広
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治大
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問い
摘した、
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32 歳で、中国新聞社
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月
ラ
た
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(写真
)、
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人が、多
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の写真をめ
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いうことはどういうことか、その
作家
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発行、
1945 年
筆
)
までを中心に、
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る
に目を
人の出席者、
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集で
ら 1952 年 の
の写真 1 45 ー 1 5 」
2,500
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に、
ともすると
を記録する写真」を
写真の
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えた写真は
の
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できないものだろうか。
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る。今
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時過ぎころ撮影した1枚目の写真
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という──をもとに写
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後から
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リと、あるいは
ィックスで動きの
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11 名の写真は、やはり
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えて、
ていた。とても
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に
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写真
上がりで、
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松重美人が 1945 年8月6日午前 11
時過ぎころ撮影した2枚目の写真
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松重美人が 1945 年8月6日午後5
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を
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写真
が
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を極める。人間とはこ
)
も発行され
報道写真 と
らと、
1930
になっているようだ。報道
々に
後また
に巻き まれ
から
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く様子が名取洋之助を中心にした
、 名文 、
、土門 、
思、
ら
れたデ イナーの によって らかにされている。
「
を記録する写真」
はまだあるのだが、最後に
作品で
真展と講演会
(
「
深かったこと
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月
で
かに
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日と
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と
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の
」
)
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大
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写真集
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、
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国は
く」と「ま
国
人と
月 15 日
(
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.12 の
理が指摘したように、
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今展と同時
2,000
前の大らかさから
を
展である。今
報道写真 伝えたかった日
1960 ( 川 文 )が
地の
度がかなり
真 と
と平
ているようである。展示
本一
に表した歴
理が昨年上 した
、ナ
11 名の写真が展示され
、
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の
成
の状
して
会にも 場した
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ある。
ある
後に 場した各種グラ
したのは
ロシマが
政 、川 四 、
、 子
中
地をはじめ、 こ の死 、
どの
会で
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本(2015 年 月、
平 社、
定
下 後の写真を一
めてであった。
人、岸
キが
多くの
た。
日
した
、写真集、海外向 広報 、ポスター、写真など
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0 年」
、
写真
存センター」、日本カメ
ま
に
写真文
展を
催写真展
月
(1898 1978
が始まる。本展は、名取が創
あゆ を、 前
日本写真家協会「日本写真
(2015 年
ト」
を
(1934 年)からやはり名取が 集長 を め
のドラ
に構成されていた。
「
。
年)が「報道写真」と したところから日本にお る「報
って行くという
ラ
日本」
2016 年1月 31 日、
んだ
「ルポルタージュ
心地方向
マ以上にドラマ
まに
名取洋之助(1910 1962 年)が 1933 年ドイツより
」
は
などは、
ろしさを様
)
人に「おん
えさかる
ではなく
展「
(2015 年 月 18 日
催は
され、少
かるように、
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0年
間、
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に対して、ズバ
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に、
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以上
る
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月 30 日、
3,600
したことを
記しておきたい。
した
人に対して、
「
の報道
(
の)
員で、しかも
で
りに行っ
写真展「知っていますか ・・・ ヒロシ
マ・ナガサキの原子爆弾」被爆から
70 年のパンフレット
「戦後 70 年特別企画展 戦争と平和
伝えたかった日本」のパンフレット
1
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
日本写真保存センター企画
写真展「知っていますか - ヒロシマ・
ナガサキの原子爆弾」終わる
下から 70 年を記念して
ト ロンで 8
月 4 30 日まで催した写真展は、8,000 人を える来場
者を迎えた。
日の
にもかかわら 、テレビや新聞記事を て
会場を れた人た の大多数が、写真とは関わりのない
方々で、家
れ、
に れた
ィス ール、カメ
ラを にした若者た など多 だった。 子
による
土と化した
の 状、 線で
を った
者た
、
を める 子、 撃を受 て 化した若者の
の写真など、これまで り る 会のなかった写真
に、来場者はく
となって
っていた。
会場内は
様な ど
で、キャ シ ンを
写真と
な
がらの
は、日 の写真展とは 当な たりがあっ
た。
災の まじさに
されて立 すく 、目に を浮
か ておられる方もあって、
の さ、
を
で
感じておられている姿に感動した。
まさに写真の真 で
ある
「記録 、 細な 写による 真 」
が表出したドキ
ュメントの さに、
「記録の
」を感じられたようだ。
その は会場に いていたアン ート
(401 人)
に
に
記されている。衝撃もさることながら、展示されている
ような事実を伝える写真が、 とんどメディアで 開さ
れてこなかったこと、 後を
した ィルムの
が
じられたにも関わら 、 当数の
が されていた
こと など、はじめて った事実に驚いたと られ、歴
の記録として今後も り し伝えて しいとの声が多
数あった。
写真展の
は 2013 年 、
氏から
が
フ
1
トサロン
したナ
キの
害を記録した
クロ ィ
ルム 3 本
(78 コマ )
が、写真 存センターに
され、
く 存して しいと された時に始まる。
センター
の目的である歴 的、文化的
を する写真
の収
集
存と 活 を るとの
に って、
は進め
られた。
害はなんといっても ロシマであるところか
ら、広 平 記念
と
人氏の写真
を
存 理している中国新聞社を
、
展の
を
し、 下から 3 カ月以内に
された写真
の 出し
を受 て写真展の開催にこ つ た。
さらに
災
に 行した 池
氏の
は
の 子はる
さんから、
氏の
は長
と広 の
から、
後い
く取 した 日新聞社の
氏の
は同社から
を受 た。
写真展の取 もテ
レビ、新聞各社がこ って記事を
し、動員に協力
いた。驚いたのは米 の新聞
が取
し 世界に向 て報じたことである。
さてこの写真展の最大の協力者は日本カメラ
で、
会場の
、
額 、 録の
、
会場の受 でお世話にな
った。 間中の
日も問い合わせが多くて開 された
こと、 録も
し、
が増し りした 250 部も
に回すなど、
予 を上回る
を迎えることができた。
なお、写真展は 2016 年 2 月 25 日から 4 日間、
で
開催される
( なと らい ャラリー)
で、8 月には
関 でも催す予定。
また 3 月にドイツ
ルンの国 交
流 金展示場で、以後ドイツ国内を 回する予定であ
る。
(記
会長
本
)
ン
ト
Wonder Land
8 月 4 日から始まった「知っていますか―ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾」
展に合わせて、JCII ビル 6 階セミナー
室で、
5 日(水)14 歳で被爆された橋爪文さんをお招きして
「ヒロシマからの出発」
と題する体験談をお聞きした。
8 日(土)には「記録の重み―被爆直後を撮影したフィルムの保存を」東京国立博物館の田良島哲、写真史家の金子
隆一両氏が講演した。それぞれ 100 名前後の聴講者があり、講演後の質問も、被爆時の強い衝撃による被災状況は、
言葉にするのも辛い苦しみや、その後の闘病から立ちあがって体験談を語り続けて核廃絶、
平和の尊さを世界に向け
て発信していること。また、撮影原板の保存の必要性と文化遺産としての価値を専門的立場から語られるなど有意義
なセミナーであった。
「ヒロシマからの出発」
橋爪 文
(詩人)
8月5日
(水)
14:00 ~ 16:00
8月6日午前8時 15 分
は 14 歳の時に、
動員で通っていた
広
金
の
で
しました。 心地からの
は約 1.5 キロ。
に ラスの
が き さり、 の の
が れたら
しく大 の が出て、 がなくなって。
同じ職場の 20 代の
人が、
日 に れていってくれました。
日 はかろうじて
が っているものの、 の をな
していない状 。 が
く
ただれている人、一 の
う に
が
、
をボロ のように き っている
人、
出た目 を
の で えている人、は 出た を
長く らしている人など、人間の姿を った人た であふれ
かえっているのです。 はわ かに目を開 る力が ってい
ましたが、その 状を たとたん、 い を ているのだと
思って
を いました。
でも 覚は っているらしく、
「 らせたらす に死にま
すよ」
という の人の声が聞こえてきた。
その後、 を
に
れていってくれた
さんが、 っと の名前を
てくれました。
そのう
が 来してきたらしく、 は地下に運 れま
した。 くで、
さんた が「 が ったんでし う 」と
り す声が聞こえてきます。 もやっと
に力が って
きて、
「 が ったんでし う」
と とこと きました。
すると
が死ななかったことに感 して、 さんが声をあ て
きました。
その き声が、
今も に っています。
さんは、
「一度家に って を して、必
ってくる
から。
ここを れないで 」と い して、 っていきまし
た。
それから1年後、
で くなったそうです。
し らくするときな い いがして、
「 が点いたから
ろ」という の人の声がしました。 んな地下 から出て
いったようですが、 は動 ません。
地下 に ったのは
1 人。
死 ことは くなく、 かな気
でした。
どのくらいたってからか、うっすら目を開 ると、 の上
の うの出 から が しています。
そこから い が っ
てきて、だんだん が くなってくる。
このまま死 のかと
思っていると、 い の中にすっと人 が り、
「まだ か
っているのか。 ろ 」という
声。 はなんとか立 上
がり、のろのろ きました。すると向こうから が だら
で が長い、この世のものとは思えない ろしい姿の
が
いてきます。
思わ
を覆い、指の 間から ると、向こ
うも のことを
ろしそうに
ている。 いた
ら、それは に
っている
の
姿でした。
日 の に出
ると、さっきまで
そこにあった がすっかり えていました。
そして 方 た
いに
いのです。 はまだ の中にいるのかと思い、
としていました。
すると 後から の子が「 、 歳?」と声
をか てきました。
それが 16 歳の
さんでした。 は
る力があるのに、 のためにその場に ってくれました。
そ
して日
の という から き出している をよ る
ため、 え
の に れていってくれました。
日、なんとか力を り り、
さんが家に向かうのに
ついていき、広 の一
の のところまで一 に行きまし
た。そこに
の家があるのです。 は
を っていま
したが、 を ると な なと を かしました。
なんでも
30 くらい前に が来て、家
員集まった れど だ
つからないと ったそうです。 は に会いたくてたまら
なくなり、
さんとそこで れ、家を目指して き始めま
した。
はまだ えているところもあり、
水 には必
がありました。
でも、人間の感 を っていたのか、
くないのです。 めて人間的な気
になったのは、
んを いているお さんの
を たときでした。 なの
に、いとおしそうに
んを いているのがわかるので
す。
それから に向かい、
を 時間かかって いた
でし うか。その間、生きているものにまったく会いません
でした。そしてう の くの
を がると、向こうから
人の人間がよろよろもたれあってこ らに いてきた。その
中の 1 人が「文子じ ないの 」と
ました。 と と
でした。
焼け跡で肩を寄せ合って
しかったのは、それから後の生活です。
広 はす てが
きつくされ、
も
もありません。水は 水をた
めて、なんとかしの ました。
どれ らいたってからか、
た土に
ッと の が えた時は、 ッとしました 。
は の です。
躍動感がある。
その が
て、10 、15 に
1
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
なるまで
、 し
れまでいったい を
ん。 た は
の家
さは
の上に
た に れて
にしました。
そ
ていたのか、まったく思い出せませ
な
を てて、
の人とう
13 人で、 を せ合うようにして暮らしました。
広
くらい。 ている時くっついていると
が伝わっ
てくるので、あ 、この人はまだ生きていると かる。
そうや
って まし合って生きていきました。
そのう
治 のてっ んに、アメリカによって
(
害
員会)
が作られました。 もジー に乗せら
れ、 れていかれましたが、そこでは検 はする れど治
は一 してくれないのです。しかもアメリカ の 度から、
た を人間 いしていないことがよく かる。 は じ
うに
を感じ、
二度と
に行きませんでした。
戦争だけは絶対にいけない
は 後、
で も生きている人がいないような風
の中で、 たすら人間そのものと向き合ってきました。
な
あんなことが こったのか、考えていたのです。
そして世界
中の人間が
をしないで やかに暮らすにはどうしたら
いいのか、
14 歳のあの日から、 ーっと考え
ました。
した日のことは、
年も思い出すことができません
でした。
あまりにも
だったので、 れたかったのでし
う。 金
のある の方角を向いただ で、
する ど
でした。
どうにか さんの前でお話しできるようになったの
は、
細かいことを少し つ れていったからだと思います。
い 人の の子に まれましたが、40 の 、 から
年の だと われて。 が死んだ後、子どもに か したい
と思い、
を きました。それがきっか で を くよう
になったのです。
でも
を題 にした を くには、それ
から 10 年を要しました。60 の時、
を
するためにエ
ジンバラに行きました。
そして 70 歳を目前にした から、一
人で海外に出か 、 ース ステルに って世界を くこと
を始めました。
おか で世界各国に 人もでき、海外の人に
の話をする 会も生まれました。
がここまで生きてこられたのは、
した時に助 てく
ださった方のおか です。
また極 状 で 13 人で
を
め合いながら、14 歳の は し の中で
「人間ってす らし
い」
と実感しました。
それが、生きる力の
になっていると
思います。
若い方々に伝えたいのは、
「
は 対にい ない」、その
とことです。
どんな理由があっても、
だ は 対にし
てはい ません。
略歴:橋爪 文(はしづめ ぶん)
1931 年、広 生まれ。14 歳の時に
し、
い、急
状で しむ。その後も
んなどにかかった。日本 ンクラ 、日本
。 な
は
集 地に るもの に
の 105 日
ロシマからの出発
0
死の
を
内 や大 が
人クラ に
るもの
ー
記録の重み - 被爆直後を撮影した
フィルムの保存を
8月8日
(土)
14:00 ~ 16:00
「文化財としての写真」
田良島 哲
は東京国立
に
しておりますが、
は写
真と が深い場 です。
当 は 治 年にできましたが、創
立当 から写真を集め、かなり 大なコレクシ ンを って
います。
20 年 ど前、文化
政 の中で写真を文化 として
どう
るか、検討した時 があります。
その後、写真を
文化 として 存しようということが、ある
社会的な
行 となりました。
「文化 」というのはもともと
で、1950 年に文化
ができた時に めて われるようになった
で
す。
文化 の定 としては
「 造 、
、 刻、工芸品、
籍、 籍、 文 、その他の
の文化的
で我が国にと
って歴 上、または芸術上
が高いもの。
なら に考
、その他の 術上
の高い歴
」
が、 とつのカテ
リーとして定められています。ところが写真に関しては、
る き文化的
という えか をしても、最 のう は
なかなか理 されなかったと
されます。
おそらく理由はふたつあり、 とつは写真が 代的な
術の
であり、
術は文化 に さないという り
がかなり長いことあった。
もう とつは、写真は 本的
に
芸術であり、 から き
を多数作ることができ
るため、これが文化 の とつのキーワードである 少 と
いれなかったのです。
代 現代の文化的
について国レ ルで新たな方
を
出したのが、1996 年に文化 が出した
「 代の文化
の 存と活 について」という報
です。
広 の
ド
ームを世界文化
にしようという動きの中で、どの 囲を
文化 と
かが問題になったからです。この報
で新
しい時代の文化的
を 示した中に、写真や
ィル
ム、ポスター、レコードなどの視 覚メディアが含まれてい
たことから、写真を文化 として積極的に
る方向が
出されました。
その後、日本最 の写真である
を
したダ レ タイ の写真を
りに、 治 の写真
を中心とした き
、
、 ラス
といったものが
的に文化 として指定され
てきました。
では、どういうものが指定されたのか。
たとえ
に
生として ラ
ンダに
され
た内 正 が
先で収集した
写 真をまとめた
「 国写真 」
。こ
れには 2300
どの写真が収め
られています。災害の記録も 要で、 治 24 年に きた
地 では、地 後に
されたカメラマンによって
層の写真が
されています。
東京国立
では、 き
存しています。
いている
写真とあわせて
も
の 存が、な 大事なのか。 どもの
略歴:田良島 哲(たらしま さとし)
部
大 文
文部
部
などを
長。
で
ある。死を れた
品に、 治 年に行われた「 生検 関係写真」という一
の写真があります。
これは当時の政 が めて関 、
京 、
、大 、
など現在でいうところの文化 が集中
している地 を
し、文 と同時に当時最新の 術であ
った写真で記録したものです。この時に
された
三 は、 代写真 ではきわめて 要な写真 の 1 人です。
たとえ 京
の
の き
写真を ると、一
、
の
が のように えます。
ところが ラス
を ると、 がす て
りしてある。
つまり実 は、そこ
は ではなかったのです。
このように き
を作るにあた
って、
になんらかの 作がされるというのは、
の時
からすでに行われていたわ です。
だからこそ、
が
要である。
また
的な記録の真正 を示すためにも、写真
というものが文化 、歴 上、あるいは
上、 じ う
に 要な
を っているのです。
京
芸
く、現在もなお
業。文化 文化
て、現在東京国立
部
術工
芸
「原爆写真の思想」
金子 隆一
1995 年、 が東京 写真 術 に在籍している時に、
「
減 」という展 会を開催しました。
その時のコンセ ト
は、1945 年に日本人が った写真と、それ以 に られた写
真を大きく二つにわ ることでした。
1945 年に られた写真は、 後であれ、し らくたって組
織された 術
の一環であれ、あくまで現実をストレート
に つめて記録することが写真を る理由であったと っ
ていいのではないか。それ以 、2015 年の今日に るまで、
実に多くの写真家が広 と長 を
しています。
1952 年 月 8 日の ン ランシスコ講 条約行 前は、
の写真は発表できませんでしたが、
同年 8 月 6 日、ア
グラ が「
害
開」
と
大 集を組 、 ス
トセラーとなります。
そして 1961 年、
在 のアマ ュ
アカメラマン
さんの ピンドン ある
災者
の記録 が出版されます。
名なのは土門 が 1958 年に出版した ロシマ です。
土門 は、
「 などは広 を れていたというよりは、実はは
じめから も っていなかったのだ」と っています。 た
が
の写真を る時、この
は、記 というものを
に らせていく 要なきっか になると思います。
水
日本協 会からの
で、 文の写真集
m
k
m
1961 を出した東
さんは、
「1945 年 8 月の
は、 なる過 の出来事ではな
多くの
た
者が、
が生きて
いる今を、 た
と同じ時間を生
きているのであ
る」と っている。 ドームの の
を
している川
治さんは、あの
の中で
人という人が一 のう
に 発してしまい、まさに の中に い まれていった。
それが時間をか て外に現れたのだというふうに感じたそ
うです。
健治さんの 1970 年の写真集 広 ー
には、 子高生の後ろ姿と
者の ロイド、
などが
なものとして収められています。つまり、どん
どん日 生活から
が えなくなっている中で、われわれ
はどのように
を伝えていくか。 じ うに大きな問題だ
ということを、 さんの写真は えてくれます。
ここで 要なのが、1945 年の写真の
の
です。
今回
ト ロンで展示している写真は、 点を き、 リ
ジナルの
からそのままストレートに
したものです。
だから
が
しているものは、
そのまま出ています。
が
した
に 難して助かった
の写
真は、1995 年の
「
減 」
では、コンピュータのデジタル
理によって
時の状 を
回 した
から 作され
た リントを展示しました。今回は、 リジナルの
から
リントされたものを っています。 そのものが 1945
年にどういう状 であったのか、それも含めて
「記録」
である
と考えるからです。 り部がどんどん くなっていくよう
に、1945 年に
された
もどんどん
されていく。
100 年後にはどうなるのか、 かりません。
デジタル時代の今、 はいくらでもきれいに 元できま
す。
でも、 元する元になっているものがあるは です。
これ
を日本写真 存センターでは
として、
な
を与えています。
さんのこの
は、
1945 年 月にライカの中に って
いて、
が
れた長 にいた ィルムです。 かの
写真家の写真も同じです。
それをどう受
、伝えていく
のか。 た に せられた 要なミッシ ンではないかと
は思います。
(構成
ゆり、
出版広報 員
池
)
略歴:金子 隆一(かねこ りゅういち)
1948 年生まれ。写真
家、写真 家、写真集コレクタ
ー。立正大 文 部 業。元東京 写真 術
芸員。
術大
講 。日本写真 、 に日本の芸術写
真(ピクトリアリスム)を 門とし、国内の様々な写真展
を
している。 な
に 日本写真集 1956 1986 な
どがある。
1
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
「
る
」
展の
いて
ン日本
子
国際交流基金ケルン日本文化会館では、日本写真家協会がフォトキナ 2012 で展示した標記写真展をお預かり
し、その後当館を始めとしてドイツ語圏 6 会場で巡回展示いたしました。会報 No.156 でも報告されていますが、
このたび巡回が一区切りしましたので、現地からご報告したいと思います。
2012 年 4 月はじめに、当時
ら ルンの
理事の 本
トキナで東日本大
氏か
災に関する写真展
ンク
を
たカタログを
がありました。
日本で作成され
し、この写真展はできる り多くの方
に ていただきたいと く感じ、
本
の
場者しか
ー
ングが行われました。文京
めとする日本からの一行の中には大きな
を開催するお話をうかがい、
その後ドイツ内で 回でき
ないだろうかとの
で
た
と し の話が を い、
「 達に こったことを
れないで しい」
との
か が に りました。
エッセン デュース ルク大 東アジア 部では、
トキナ会場では
のある
ることができませんので、ま は
で定
的に日本の展
り、今回も
「生きる」
展の開催
始めました。
月 11 日に
トキナの開催中、 ィーンの写真家アンドレア
ス バリリ氏から、
トキナのない年に ーストリア
写真 ィークで
があり、2013 年 4 月に風
と
一 に
された作品を指さして、人にとって家
の記
の レ
は大
協会の活動が活発な
に日本
があり、また
日
で、 日協会とタールシュトラ
ーセ
術協会の協力により、2013 年 6 月に レでの開
催が
まりました。 レは
名な ンデル
楽祭が中
前に大
水に
になり、
な 害を受 ましたが、
「このような時にこそ 気を
で実
にこ
つ
術大
に
中の
日本人
生による
災をテ
ーマとした
され、す
ました。展示
ールの
の部
の
が
されるなど、大
ならでは
で
人間 災害
アトランティスか
ら今日まで」というタイトルの展 会のもと、
「生きる」
展が本展の一部門として展示されました。この展
は
イデル
ル
ルク大
の
ルン
の い展 会で、
「人
間はいかに災害に立 向かうか」
をテーマに、過 に世
界のさま まな地 でおこった地 、 水、 リ ーン、
の
などの大
災害を、 災に っ
た
か、
の品や
の
や写真な
どの作品も いてと
術作品も展示
らしい日
交流
のイ ントとなりました。
しい日本
カイ
を
する
ースラ テルン
で
は、
2013 年 10 月に文京 と
の
25 周年記念
とあわせて、
席のもとテ
会
ロジ クト、ライ
ダルムシュタット工
大 の 3 者 同による 術的
われて、
術協会も大き
るために「生きる」展を開催する き」との 催者の
は レ
地の地
で「
ス エン
録として写真がいかに大 か話しました。
東
ングが行われました。地理
災の状況について講演し、キャ シ ン
2014 年 9 月からはマン イムのライス エン ル
ルン
ング
され、またバリリ氏は、
ー
めて大
の中に
な写真 ィークの開
行の 会場で開催された本展では ー
写真が
が
会を開催してお
をいただき、2014 年 3
の 術 の高い展 会でした。
展示したいとの
催地グムンデン で開催することが まりました。
に 長さんが
害を受
からの代表者もいて、 しい人を う し
10 月に ルン日本文化会 で開催し、他の会場探しを
で行われる国
長
長の
ドール ツィ ケルン日本文化会館 会場(2012 年 10 月)
ケルン日本文化会館 会場
Report
ケルン日本文化会館 オープニング(2012 年 10 月)
りあ 、 災の状況、
、予 について
ケルン日本文化会館 美術館の長い夜1(2012 年 11 月)
するもの
でした。
「生きる」展は時代
に展示された本展では最
後の部 での展示となり、
の 害の ろしさと、展
示方
として
されていた災害の中においても ら
れる「人間 」
、すなわ 元気を取り そうと
せる 災者の姿が、 る人に い
ー
ングで
ク
術
をされたバーデン
のバ アー大
を
を与えました。
ュルテン
にもじっくり
ル
いただき
ました。
東日本大 災の生々しい記録、それを乗り え
力 く生きる人々の姿は、展
会の
問者に感
を与
え、
本展だ で 27,000 人 くの 場者が れました。
ケルン日本文化会館 美術館の長い夜2(2012 年 11 月)
以上、日本写真家協会の
「生きる」
展は、2012 年 9 月の
トキナの後ドイツ
人以上の方に
ルン日本文化会
た大変
6 会場を
回し、
いただくことができ、
の
34,000
催者である
年の事業の中でも、時
を
の深い事業となりました。
写真の力と記録することの大
さを
めて く感じ
ることのできた
「生きる」
展の開催に関し、
日本写真家協
会のお し出と
様の 協力に感謝
し上
ます。
賞した もが、
「
達に
ケルン日本文化会館 美術館の長い夜3(2012 年 11 月)
ができる
か」考えました。
までは長い道の
りと思います。
災地の
を
念
するとともに、そ
のためにどのよう
な協力ができる
か、考え、行動して
いきたいと思いま
す。
カイザースラウテルン市テオドー
ル・ツィンク博物館 オープニン
グ(2013 年 6 月)
エッセン・デュースブルク大学 会場(2014 年 3 月)
3
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
「日本写真保存センター」調査活動報告(19)
敗戦そして海外での眼差し ―収集・保存した写真原板から―
に
「
「写真
セ
ー」の
の写真
写真を
セ
ー
の写真 「
の
を取るよ
年
に
よ
写真
るの
」
に
のを写
る
る
渡辺義雄(1907 ~ 2000)
写真界の
た
として
の
作の
「
」から「
どと
「
大
をとらえた
8
の会長職を 25 年間も
要な作品の写真
が
ィルムと
かれて
クロ
は 1907 年新
を
)に
三条
当時先
社。 ラス
イムス の
写真
集に
国
テル」な
(4
5、5
7、
後海外
で生まれ、 立三条中
写真
門
業後
(現東京工
の
リエンタル写真工業
品テストで
を
恋人 フィレンチェ 1956 年
生活に目を向
の示
き、
ることを
を受
の
く
て
んでいた
一が
の
的、
トタ
代表
として
加し、カメラ
ーク と題するシ
は
中の
して、
る」
「
ー
感を生
では
「
「
」
楽的、
品」と
者が
の中
、
、
作品とともに
れ
た。 代 化 し
つつある
的な暮らし
も新
イタリア フィレンチェにて
贈は
子
え子さんに
大
大
存センターが
かに表現している。
の一
氏が急
され、
り実現したもので、
など
大な写真
が、
理することになった。
菊池俊吉(1916 ~ 1990)
1916 年
」
からの作
るイタリア人の
りに驚いた様子が感じられ、
な驚きを
なお、
この度の
写真
かった。
的な要職を長ら
した
「イタリアの
することにした。はじめて
カメラの
の代表的な作
からと
、
らくは
)。そんな
」
関係の作品はすでに定
品を
り、
「新
、し
り、
めることになる。
会
が話題とな
職を
50 年 5 月
は 50 年
年)など
した写真
の
事にもつか
カメラ
さが
があるので、56 年に
ッ
写真の
と関係の深かったこ
門
後の
34
カメラでスナ
報
のある
る」
(32
の風俗を
や
り目正しい
本
を
のコントラスト、そ
こともあって
く
ールを
る」
「
と
の東京写真
していた。
( ア
カス」
「ダンス
家の
(33 年)
」
で、
的な構成で表した写真が
また社会的に
ューを
術
の水
われた。
後、
とを
る」
、
「カ
した
ったのが
「
くコンクリート
加(30 年)。
会」に
リーズで「レ
を
る
員会に
国とイタリア、 スク
的な写真表現で話題を
する「新
るよ
」
を
の
ま
め
。 生時代から各種の写真展で第 1 席、
を受賞する。28 年、
の写真部に
「
く
に
「
ィルムなども収集した。
業して上京、25 年、
芸大
の
」
を
るよ
を
会(1956 年コロンボで開
った、アジア
ワなどの 35 ミリ
に
大な
)の数々。それと
されて世界平
催)
に
」、
「
」などの
クロ、カラーの写真
10 の
者 の
」
を収集した。代表
」、
「迎
」、「大
松本 徳彦(副会長)
巻 に生まれた 池は、 リエンタ
Archives
被爆した少女 1945 年
ル写真
『Maybe maybe』より 1971 年
作された
術の を集めて
なグラ
、
の
の
災害 術
行して広 を れ、
者の
など
的
進
向
現場や
がる民
、
をとらえる。
本の新世紀の一
に米国
後の
四
の
目の
わい。
から
の
と
の
は歴
を中
災
部時
真を
が
に生ま
た国
と目にする。
し
記
な
しで
る。
89 年の
リの
水
、
の
間、
合わせた作品
化
がある。
は広
ークの
作
角でスナ
写真のようであった
のなに
えた
1989 は
ない
的
を
間が
リを
的、シリ
き出されてい
する人の目で、
の
の
てきた
を
化したも
」展で
ので、ここに
した、
の
を
立てる。
々の
もが目にし
を
写
間が話題となった。また 87 年の
は東京
アスな
ていますかー
者の
な人
り、
コンポラ写真のようであったりと、
イメージの交
する不思
することなくあるがま
の
者、文
などと多
(71 年)
は、 ュー
といった
子
となり、
から
子など、
して
したもので、その
っ
ナ
リ
二、
人、スポーツ
、
写真集に
,m
ッ
やセー
キの
の
した写真とエッセイを組
ある。
ロシマ
一は、
アドバタイジング社で
リーになって間もなくに出版した
を始めた日
存センタ
ス
子、大
、 楽家、芸
た
国と
で
ーには「
立。
ゆう子、
で
で生まれた
イナーとして活動を始める。70 年
イエローを
さらに世界を
にとらえたドキュメントである。記録に
は的
デ
災した家
が写し出されている。 なりの
ッポンを事実を
まに
た
の乗
に同
(1946 年)や
となった
の
後 組
をする。さらに、
土と化した東京で
に
後、61 年
に よ る
(1949 年)の
れた進
高
術大
している。
の写真集 東京 1945 年
協 会 の
の
。
の
となる写真を数多く
広
1941 年
に 事。
など 時下の日本を
した文化社で、45 年
や、
稲越功一(1941 ~ 2009)
を 業後、
東京 芸社を て、
41 年外 伝
関の東方社に 社。
デ イン、
もデ
現場
イナー
の感覚的な表
えた一
現が
られ
ィル
る。収 集 し た
ム 14 本(433
ィルムは
コマ)を収集
5,363 本 と 多
している。
い。
原爆で焼きついた影 1945 年
『記憶都市』より 1987 年
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
著作権研究(連載 35)
写真家のための 「映画の著作権」 の考察
北村行夫 (弁護士)
デジタルカメラやスマートフォンにある「動画」撮影機能を使うと、簡単に
「動画」
を撮れるようになり、写真家で
あっても「動画」を撮る機会が増えています。
いわゆる「動画」の著作権とはどういうものか? その著作物は著作権法ではどういうものになるのか? 写真の著
作権との違い、写真を「動画」にするとどうなるのか? などについて、当協会の顧問弁護士である北村行夫氏に法律
家の見解と契約での注意すべき点などをお尋ねしました。
:一
1 の
(
による
写真)の撮影
撮影できる
ル
レンズとデジタル
ルカメラは
るだ
に応
、シャッター
れたと
に関する創作方
の
大に写真家が
合いが増えていくと予
写真と
与する度
の
いて
に写真家に
を
作
の
した
定
は、
1
1
た
作
の
は、「
1 な
「
定
の
作
作
を
は、
(第
」
作
作者」
(第
在させ、 作者が生
条)という
はその
条
出し
作者に
みのなかった
の
の
物の
者」
、
とは
者かを考
定
」とは
作
」とは
かを
加
じ
に
であり、
「
作者」
約」とはどういう
的な
う
する視覚的または視
で表現される
めてゆ
、
作
を含
とは動
が
、
である。
その
ームの動く
る視覚的または視
されるた
作
も
覚的
を
を動きと
であり、
の
に
す
で表現
になるとしている。
つが、
いるにす
ーは一
動く
から
、
を
写
作
ではない。写真の
の
える
のよう
して
の
せて
が動くように
ある。 写した写真においても、
ように
を
を生じさせる方
これに対し、スライドシ
ではなく、
の
作
写
した
える
で
が動く
にす
ない
から同様である。
は、人や
うに
の動く状
をそのまま動いているよ
現するための記録した表現
で
ーシ
ンピク
であり、その
ャー、
動く
のもそのためである。この方が
り
とか
写
という
というよ
が取りやすい。
と
っても、
は人や
の
れ目ない動きを
れ
目なく記録したものではない。その記録を構成してい
の動く状
マは
る。
通
である。
それが、人や
を動いているように
に
現
現できる理由は、
が生じるため、一コマ一コ
であっても、前のコマの
のコマとの間が
約かを
に
、
人
人間の
する必要がある。
その間に存在する「
として、
「この
るのは、一コマ一コマの
にする必要がある。
していない。 作
して記録した表現
である。
があるからである。
を定
しているということになる。
すなわ
定によっ
間に
を指
というものに関する一
の
ではないから
う
の
物」
、
「
の
者」、
「
」
、
「
」
そのうえで、
「
6
の
について「
念を
この問題を考えるには、「
ま
作
う必要がある。というのは、
われてしまう
:「
の
定によって
作
を
な
である。
作者」
とは
む。
」
と定めている。
「含む。
」
である。
も当
を
)という
て、生まれた
の
の
があることに注
作
は写真
から、カメラの動
るとき「
する」と思いが
しかし写真家の
作
の
しておく必要がある。
を生じさせる方
によれ
する」というこれまでの
を
には、
この
される。
の
作
作
作
では、
覚的
たアン
える。今後、
そのとき写真家は、ともすれ 「写真の
家に
念があることを前
す
ャンスなどの作品創作力を動
に
の
を
え上
を
の
する
物」
は、
第
の
の世界で
の
条
の
問題も理
ではス
でなく、動
、写真家は、
グル、
し、そもそも
「
すのかという前
作
になった。
その
理
「
の出
術の進化により、最
を
ることも
写真と
(著作権委員会)
、人や
れ目ないかのように
の動きを 1
によって
えるのであ
間に 30 コマに細
され
Workshop
た
として記録すれ
に
らかに動いて
の
作
た
は
の
の
覚を
物の
作
った者が
を
写したとき
す
者」
作
定は、容
とは
を指すのかの
ではなかった。というのは、
の
作者、出演者の演
が
合的な
まえると、
考えることも
ての
術などの
々の
に
して
だが、それではそれらの総合
の現実に
当でないという
、
は、
「
術
的に
の
を
作
は、
当してその
作、
の
的
「
の総合
の
作
としての
を
された
部
には、
「
定である。
が、
作
とは
したがって、どのような
度
写
作
の
要
を
者」
である。
て、 作者を
者」
、
「
ところが
と
わ
作
の
割を
たように、
かという点を
の
作
の場
い
というのは、
の
という
が
作者に
らの発
作
らの
加
が
で
に関しては、
「
約」を
の
作者」
作者が「
される(「
る。
定していない
と
う「
を
作者」とは、
「
つ者」と定
)。そして、ここに
の
作
されている(第
う「発
と
の
作
条1
」とは、一
で
されている
的に
するに
下
本を要し
に
下
本の
作品のようなものもあり
も
来は
であった)
、そもそ
本リスクに着目すると、
される
のところ発注者
になるという不
合も
ともども、
写真家が考えてゆく
:
を撮影する
1 に
意 写真家が
加
定
力を受
の
約にもと
者は
いて
、
作
作者に
要がある。
発意と
的な
作に
の
とは、
キャスティングに
を
つ者の
意
加すると、
る。
したがって、
この点で
ではあるが、
作
の
に
で
の一コマ一コマは、
の一部であるから、
そ
することに
に
意
する必
政的リスクを
うことで
うことに関する
の発
作や、 本家や
出ししても、それが現実の
してどのような表現になるかは、
ここに
に発
を
ではあるまいか。
どんなに発注者が
」)からであ
当であるこ
を一本化して行
には、 額の
はなく、内容的なリスクを
作者から
定
下のリスクはその
の
作者の
そもそも発
んでいると、
の
の
きであること、などと
この点は、
の
が必要になる。
思表示なしに
作
と
な
在しており、
作者」との間で「
に関する
が
として、
させるのが
なくてはならない。
とりわ
る。それ以外は
る実
き問題ではなかろうか。
作者が関与していない場合、
えると、写真家
作
少なくない。
の
できない。
できるのは、
した場合に
作
を
作者と
作
作
で
下
のある
られていたという事実、
額な
とは思えない。
実
まえ
」
の
ただ
る
(ミュージックビデ
者
るの
の
」
、
「
し上
作者が
先を
「
の内容と各
い
作者に
にお
作者に
と、総合芸術としての
が
成した者が「
定しなくてはならない。
4 「
合、
者が当
的な
理由は、
は
作にお
も
を構成して
している場合もあり
で、その場合には
行
をした者に
回収を
作者」である。多くの場合、
時に上記
の通
からは
ない作品もあり、また作品によって
者の
れているが、ドキュメンタリーなどの場合には、
が
作者か
作
を、どのようなアング
とするのかを考えて、現にそのように
成の
な
の各
いて、いかにして
作
させる構成をとっている。
定の立
作
作
間に
ないし運
の
われ、
の
ってしまうのであるから、
外国も、いろいろな定め方で
を
が、どれも
となることが示されている。
ルで、
どの
作
作者を
の
とも
の定めはそうなっている。
きるようにす
され、または
、 本、 楽その他の
き」
となっていて、これらは
の
成した者が
加約
している」
ことである。
の創作者とされる
成」つ
の創作者」であるとした。
なお、上記条文の
の対
的
条)とは、
を
成に創作
与した者とする。」としている。
「
まり、一
、演出、
作に
し、実行した者
作者に対して当
作者が
作
本
そこで
約」
(第
この
ら
とし
が出されてき
つことを発
加することを約
た。
10
加
に
の総合によって構成されているからである。この
ことを
した者ではない。
現に
を
作者が
術や、
力その他の
とリスクを
作者である。
「
の創作を行
「
る創作行
作に要する
されている。
内容的に
が
の
作に関して
なる発注者は、
発
く記録され
作者である。
にお
の
している者」
と
政的
においても、
しかし、
「
われている。このように
の
作品である。
「
要
、その
えると
思と
力に
の
的
と
に
かることを考え、
作者の問題を考えていく必要があろう。
に
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
会
ト
を
ックス
く
る
「
24 70mm 2.8
」
2015 年 10 月発 予定
新たに約 4 (
)の (
れ
正) 構を し、
の
レンズ
を
。極 の
を
した高
大
ズ
ームレンズ
に
的にこだわり、さらに向上した高
い
力と しく でやわらかいボ
を 立。
ロ
ッシ ナルの要 に
応える高い
と
も
えています。
「
200 500mm
5.6
」 発
高い
と
構を
。気 に
が楽し
めるズームレンズ
500 までをカバーし、
ード
時、 レ 正
4.5
(
)の
構を
。動
に
した
ード
も しています。
また、
り 構による高
時の
の安定
で、 や 行 などの 定的な 間の しい
写が です。
「
なるこの
は、定 のある 地と
はそのま
まに最大 度を更に高める事により、更に かな
表現に します。
また、 部の感度をアッ す
る事により、大
しの の作業
の向上を っ
ています。 し、覆い きや き といったテク
カルな リント作業に
を与えない様、 部
の感度は ど変わりありません。 月下 より、 、
大四 、大
のカット を発 しておりますが、10
月よりロール(108.5 m 20 )も加わり、いよいよ
ルラインナッ
成です。
これからも、 ロ
ッシ ナル
ト
グラ ァーの 様の
に応える
品を
して りますので、 き き
の
どよろしくお願い します。
サ
フ ッ
4 005
991
050 55
045 9
す
ン
0570 0
. k
ン
ン
マ サ
ト ン
パン
ナ
000
m
. m
ー ー
の
イバーグラ ィックス 会社は、 ロ ッシ
ナル 高
バライタ
ューシー ル
を発
しまし
た。
これまでの ューシー ル
の後 版と
70
7510 9
24mm 1.8
」発
高
を実現した大
広角
点レンズ
広角 24 、開
1.8。
ナ クリスタルコートや
レンズを しております。
タイ (
り)
レンズは、
カメラによって
に
がある場合が
います。詳細は下記にて
ください。
0
キ
ンマ
ッ
ン
す
パン
い
キ
ン
ン
050 555 90004
ー
の
を
写真
ま
ミ
ャラリー 作品 15 点まで
30,000(
)
ャラリー 作品 30 点まで 150,000(
)
開催 間は1 間。作品は
3。額
レ
ンタル レーム 会場 展示
作業 、そし
て
まで てを含んでおります。
や 約は
いません。先着 にて、大
受 中です。
会員の 様はも ろんのこと、 指 されている
写真
の生 の 様や、写真を始めて間もない方、
展にグルー 展に、
活 下さい。
写真
家の 様が集まる場 、 やかで活気の
る元気が出るスポットとして、 レームマン ン
ロンは 様を心よりお
し上 ておりま
す。
に
よ
5
14
を 10
( い 長 )の を大きく させる
を えた
子を、 およ の ラ
スレンズで
合わせたキ ン 開発の 合レ
ンズ「 レンズ」を め
て し、大 レンズ
に発生しやすい のに
じ ( 収 )を大 に
減し、
の中心
から周 まで れた
写
を実現。キ ン
開発の
レンズ 1 を含む 2
の
レンズおよ
レンズ 1 を してお
り、 り開 時においても
の中心部から周 部
まで高 を実現しています。
加えて、 に広角に
する に対して れた
を つキ ン の
コーティング
「 (
)」を
しており、 レアや ーストを えた高 とレンズ
内部のメカ構造の
しにより、高
動衝撃 を実現しています。
フレ
フレ
マン
マン ン
サロン
い
た
104 00 1
5 1
0
フ
2
57 410
「 015
ッ
ボッ 賞写真展」
10 11 日 日 10
5日 日
「
の
展
40 40」
11
日
1
日
ックス タルボット賞は、写真表現を目指す若
い人々の と新しい写真家 の
門としての
を たすことを目的に、1979 年東京工芸大
大 部(当時)が 立した、在 生およ 業生を対
とした写真賞です。
Topics
本賞の名 は、イ リスの ックス タルボット
術 の協力を て、
ポジ の発 者で 代
写真術の と えられる ィリアム ンリー
ックス タルボットの名を しています。
員
に
、細
、立
、中 隆、 紀
を迎え、 した作品は写大 ャラリーに正 に
収 されます。
写大 ャラリーでは 10 月 25 日(日)まで、2015 年
ックス タルボット賞受賞作品展を開催 して
おります。 員の かな目で
れた新しい写真
表現を
下さい。
その後、11 月 9 日
(月)
からは、現在写真家として活
躍する本 出 の若 作家による作品展を開催 し
ます。こ らにもどう
お立 り下さい。
(10 00 20 00 開
会 中
場
)
7
本
0
0 5
015
47
7 1 1
799
ト ン
0
95 10
0
助会員
アマ ュア写真
家
1
70
子
助会員
015 を
ま
ッ
、
,
、
、
、
を
、
,
の大 動
も う
グルー
の一員でもあります。
ロの方におなじ の ートポールやスー ーク
ラン は、 のマン ロット 品で、シン ルで
的なデ インが
され
コレクシ ンに
収 される ど。40 年以上前にデ インされたもの
ですが、
現在もスタジ の定 で ストセラーです。
とデ インを 視した 品開発は、今も変わ
りありませんが、カメラに合わせ進化も
ていま
す。
お
の三 も新しい デルは、より で
になっていますので、
一度お し下さい。
9 月に ー ンしたア トレットシ ッ には り
出し がたくさん、
ックして下さい。
. . .
m
マンフロット
応募
0 5404
95 1 00
いたします
下に
」
目
71
14 フ
ー
今年で第 7 回を迎える 内カラー トコンテスト
にて作品を募集しています。
「金賞 内カラー賞」
は、
賞金 10
と
ト ャラリー新
と名
での 展開催 を進 、応募 間中は 社 ッ
ト注文と各
注文で四ツ
4 リント割 キ
ャン ーンが開催されており、応募以外でも
いただ ます。
応募要
テーマ
ンジャンルの部
イ ャーの
部
応募
平成 27 年 11 月 30 日(月)当日
1
0 5404
ト
ー
昨年度金賞 内カラー賞
「
105 0011
・
101 005
マン ロットはイタリア人 トジャーナリストの
が
のスタジ
を 作し
たのが始まりで、その後、 で 新的な三 とスタ
ンドが人気となり、現在ではバッグ、 、レ など、
さま まな
アクセ リーを う ランドに成長
しました。
アとミラ の中間、バッ ー デル グラ
ッ 、創業の地に今も本社を いています。
その名の
通り、
グラッ が
品の人 4 人の さ
な でデ イン 開発を行っています。
写
・
1 4
応募作品 イズ 4、四ツ 、ワイド四ツ 、カ
ラー
クロ リント
(
、
インクジ ット)、 写
真の
数応募
員
氏
応募
がアマ ュア写真家になっていますの
で、会員 様方の生 の方々にお めいただ ます
ようお願いいたします。
写真の を る「 」を最高の で トグラ ァ
ーに
することを
とする ロ ト。
ライティ
ングの 力と最新の
を発 するセミナー
品展示 合 ツアーイ ント「
」を開催します。2015 年は、9 月 9 日 30 日に
、10 月 4 日 5 日に
、10 月 21 日 22 日に京
、11 月 4 日 5 日に門 、11 月 20 日 21 日に名
、12 月 3 日 4 日に東京と、
で実 しま
す。 富なライティングアクセ リーの
を実演
する「 ーシックライティングセミナー」、スタジ
運営の
や写真のク リティの を る の
について
する「アドバンスセミナー」、 2 250
を
した「ロ ーシ ン
ワークシ
ッ 」と、 実の内容を各地でお いたします。最
新のライティング
を
感いただ る
品展示に加えて、協賛のカメラ カメラ周
メーカー様による 品展示と セッシ ンも必
です。詳細は
イト
. m
2015 を
の上、 って 加ください。
ロフ ト
マ
ン ・
シ ン
平 真 子
104 004
111
0
0 1 1
0
0 1 4
(各社からお りいただいた
ました。構成 出版広報 員
をそのまま
行 )
し
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
平成 26 年度小学生を対象とした「写真学習プログラム」報告
写真の楽しさ、面白さを伝える
協
士フ
ル
平成 17
(2005)
年より、レンズ付きフィルムカメラによる小学生を対象とした
「写真学習プログラム」
を、富士フイルム
(株)
の協力によって、
毎年小学校 50 クラスで実施している。
デジタルカメラは勿論のこと、携帯電話の普及によって手軽に写真が撮れ、インターネットでの情報提供のツールと
して写真が活用されているのが現状である。
写真の原点ともいえるフィルムによる写真撮影が大幅に減少するなか、あ
えてフィルムを使っての
「写真学習プログラム」
は、単に写ったという喜びだけでなく、児童だからこそ必要とされてい
る
「事物の観察、物事を注意深く見る、疑視することの大切さ」
を写真を通じて会得し体験してもらうことに意義を見い
だしている。
このことは写真という優れた記録媒体を使っての「記録・表現することの意味」を理解し、家庭や社会で広
く写真を活用してもらおうとの願いがある。
「写真学習プログラム」
は、協会の写真教育事業として 10 年間に延べ 526 人の会員による指導で、19,522 人の児童に、
「写真学習プログラム」
の授業を実施して、
「写真への興味を喚起すること」
を体験してもらっている。
また、多くの方々にこの児童たちの作品を見ていただこうと、
「写真学習プログラム」参加児童の作品を特別企画
「 PHOTO IS 小学生の眼」
として、富士フイルム㈱・富士フイルムイメージングシステムズ㈱が主催する
「 PHOTO IS
想いをつなぐ。
30,000 人の写真展」
で展示している。
写真愛好家や一般客からは、展示された小学生の作品を観て、素直
で力強い感性だと驚きの声が寄せられていた。
2014 年 4 月
.
実
名
1
立
2
立金
3
立
年生
4
立
.
5
立
我
1組
6
立
我
2組
7
大
8
9
立
実
名
26
東
立東
広
27
川
立
1組
川
28
川
立
組
川
29
川
立
組
川
東京
30
川
立
組
川
東京
31
川
立
組
川
32
大
立
東京
33
日
立日
第二
1組
東京
東京
34
日
立日
第二
組
東京
組
年生
川
.
広
立大
世
10
立名
組
35
日
立日
第二
11
立名
組
36
多
立東
合
1組
東京
12
立名
組
37
多
立東
合
組
東京
13
立高
14
15
30
2015 年 3 月
居
16
多
17
多
38
立
水
立
居
海道
立
真
立
真
1組
立
39
戸川
立
東京
40
戸川
立
東京
立 地
41
42
総 立
18
取
立日進
1組
取
43
総
立
19
取
立日進
組
取
44
総
立
海道
45
大
立
大
立
組
が
東京
1組
組
組
5 年生
20
立
21
立
い組
46
22
立
ろ組
47
23
立土
24
立中
年生
49
中
立
東京
25
立中
年生
50
中
立
東京
6 年生
立
川
部
やま
立
川
部
48
やま
Education
【平成 26 年度実施校児童の作品から】
市
金
市
市
日
市
日
市
日
学
の
学
の
学
の
学
の
学
の
市
学
の
市
学
の
が
の
の
学
学
市
学
学
市
市
の
大
真
の
学
の
市
学
の
市
学
の
市
学
の
31
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
平成 27 年度
「報道写真論」講座報告
共催 : 専修大学、公益社団法人日本写真家協会
平成 23 年度から始まった専修大学文学部人文・ジャーナリズム学科での「報道写真論」の講義に、27 年度は清
水哲朗、石川文洋の両氏に講師をお願いした。
専修大学のジャーナリズム学科開設趣旨は、学生たちの真実を見抜く目を育て、批評力と行動力を養うことを目
的とし、メディアの第一線で活躍する写真家や実務者に実作と体験談をもとに、いまメディアの現場で、何が起きて
いるかを理解してもらうことを方針としている。この講座には 23 年度は桑原史成氏、24 年度は長倉洋海、英伸三
各氏、25 年度は宮嶋茂樹、樋口健二各氏、26 年度は大石芳野、山本皓一各氏を派遣し講義を行っていただいた。
27
年度の講義内容のレポートを報告する。教室は川崎市多摩区東三田 2-1-1 の専修大学生田キャンパス。
2
講
年4月
日
5 月 26 日(
を始める前は、大
う
門
く
を
ラ
を
いう人は
どで
外な
どに
先輩方だったので
(おか
。
が講
かだっ
で、日
子
を
き受
感はどう
ろジャーナリストとして
活動をしていない後ろめたさと大
い
をしか
めていたのがバリバリのドキュメ
の
え
、時には
来ジャーナリストになりたいと
りる
を
ンタリー
かし社会に対して
構えていた。しかし多いときで 100 名
で
に講
にも
、さ
ラとしたものを
す受講生の中で
た。過
で ジャーナリズム とい
のであれ
てくるかなと
ている理
回)
で
んだ
てしまったこと
由、写真家
から
ァー賞受賞
作「
は事前に
死生
行った。 回は「
ライ
取
を
、後
話と
に
している
上々だった。また、カラーと
ル作品を
クロによる表現や
いなども
。もっと
術を
えて
要
もあった。第 2 回は「取
って
?」。前
取
の
い、取
コツなどを文
ン
化して
の
した当時の
え、後
で
は
な写真、
た場合、キャ
場合、キャ
て
シ
が
地での写真など
の
カラ」。写
ンと写真を同時に
た後に写真を
た
た場合によっ
がどのように変化するのかを実感してもらっ
た。
第 4 回は「写真集から
作家から過
で上
。写真表現の
行動力に
、あれこれ」。国内外の若
の名作まで 30 名
生の
た。
第 5 回は「記録の
の作品を
深さと現場に
要
」。前
は
つき
する写真家の
心はかきたてられっ
ン
て
いる
巻の
作品とスラ
イドムービ
なしだっ
ルを
り
ン
ーを上 。
第 6 回は「 き
にあえて年齢
とに
えられないが
を
で
を考える」
。 や目
する活動、
取
来
した
ビエト
カラ、文
り
取
が取
の
シ
ンを
は
している
せた。第 3 回は「写真の
真の
しいという
、インタビューの
ン事件現場の現況と
を
って
し、 応は
の
と
3
ン
。状況ムービーも上
は
災前から
リーランスで活動する」をテーマに
ワークで 18 年間
の
写
についての
のな
要)に
」
についてと
の不安は
出したシラバス(講
ワ
シと少
されたのだが)
講
たピ
ューリッツ
つかる
の
や
問題、
について
来は変えられる
ロ
生た
ールから
った。
過
した 91 名
行い、
り時間で
の写真を上
展開にどよめきが
される
た。 回講
の
題写真
「日
してそれ
を
こり、
れ講
。
予
出
せ
られ
させた。大
だっ
をもって
応もよく、写真の
に
の
」
を
の写真が他人に
スライド作成に多くの時間を
もらえたので写真家
は変
ィール作りや
的に伝えた。
第 7 回は
「まとめ」
。
講
を少しだ
生た
き
のある
きる
やしたが、
を大きく
会だった。
って
Report
文
して
1980 年、 年
2
年
月2日
大
で
回の講
も若
を
る
月 21 日(
をしました。 生た
ったような気
大
ジア
平洋
て
第 5 回講
ボス
、日本写真家協会に
までの
が
た
写真報道についても
れ
では時間が不
」について現場で
場死
の
に
「 (
の実
)ど
いう気
を講
第1回講
って
(
」
の
ン
月、
トナム
く
えたいと
ン
害
「
。
に
る
後。 ラエボ
マリアの
ラエボ
時下の民
デシ
スタン。
難民キャン
、
地
不発
第 6 回講
の
害
。
と難民キャ
の
、
開された
者、
多国籍
、 トナム
地、 ス
。 生の
レイと
問に
、
様々
レード。今
のあっ
展示されてい
る。
中東で
を
になった
と
、本土
。 トナム、
えて。
報道写真の
ルタイムで状況を伝え歴
」
の現在。 川の写真が
る
にわた
。
の
日、
バルカン
。
ア
、
米
40 周年の様子。
なお生まれる
たコ
)を
の歴
な人々。
本としました。
が出来た
月
、
地
ってもらいたい。
こそ
ビナ。バルカン
者 263 人の事件
となった
した写真を
。ジャーナリストが最前線で長
由に取
今年
を
ルツ
の生活。
な
きながら話すことにしました。
若い人た
ア
。
から日本のア
回の講
問。
現在
。
1994 年
た 1853 年のクリミア
ようと考えていましたが
ので
「
を前に
します。
以前に
りのアンコールワット
のカンボジア。
になりました。 い
会を下さった
深く感謝
回)
、リア
の記録として後世に伝え
本
、
後
健二の取
活動
する、 か。
(写真
大
、
構成
池
)
。
、 トナム
を
トナム政
の作
、 トナム
が
第
回講
。
米
の作
。
の中の民
場の
の少
するようになったか。
。
こったか。
。
との
会。
場のジャーナリスト。
第
回講
。
の歴
と文化。
イ
ン
テ
生存者た
第
回講
アンでの
集
。
、カンボジア内
が
1970 年、カンボジア
ボジア
祭に同行。
。
作
、 トナム人
1979 年、カンボジア大
(し
こったか。
クーデターと内
、米
カン
現場。
現場、 人の
ン
ン。
てつろう)
1975 年
生まれ。日本写真芸術 門
業後、写真
家 内
事
で 3 年間アシスタントを め、23 歳で
リーランスとして 立。ライ ワークとしている ン
ルでは
の視点で
風 からスナッ 、ドキュメ
ントまで 広く
。2005 年「 上少年」で第 1 回名取洋
之助写真賞受賞。2012 年 15 年間の ン ル取 をまと
めた写真集
を現地で上 。本年 12 月には新
写真集
を出版予定。2014 年日本写真協会賞
新人賞受賞。
社
人日本写真家協会会員
.
k k
.
に
洋(いしかわ
んよう)
1938 年
生まれ。東京の定時 高 を 業後に 職
した 日
社をやめて
。65 年から 4 年間、 トナ
ムに 在し 国後、 日新聞出版 のカメラマン。84 年か
ら リーの報道写真家として
やボス アなど世界各
地の
地を
、取 している。写真記録 トナム
場カメラマン 報道カメラマン
が た
など
多数。写真展に
と
と民
(1970 年)
(1984 年)
と平
トナムの 50 年 (2014
年)他。82 年 83 年に日本
写真記者協会賞、05 年には
トナム政 より文化通 事業
賞を受賞する。
33
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
な
に
の
デジタルカメラの撮影に欠かせないのが記録メディア。
しかし、その使い方が正しいのかどうか、自信のない人も
多いに違いない。そこで今回は、フラッシュメモリーメーカーのサンディスクにわかりやすく解説してもらったお話
の中からピックアップして紹介しよう。詳しい内容は、近日中に JPS のホームページで公開の予定。
知っておきたいさま まな
記録メディアを
くつか
は、容 、
これらの表示の
、
などい
られますが、データを き む 度や
す 度は、
き
の意
出
に 要なポイントです。
記録メディアの
度が いと、せっかくのカメラの
ないだ でなく、
ながらの
を活かせ
では、いい 事ができないということにも
されている記録メデ
メ リーカードと
クト ラッシュ)
ですが、
の
カード(コン
や転
メ リーカードの
.
き
.
は、
ア シエーシ ン
)によって定められています。
ア シエーシ ンが める 度は、
最
定された最
度で、
され、カメラによって
. m
.
)
が定めで
カード、後 する
カードの
について定めているのもコン クト ラッシュア
シエーシ ンです。
って開発され、 ンディスクの 録
歴 の長い
カードには、
になっています。
カードのような、容 の
は存在せ 、対応する容 は
によって っ
の
最 のデジタルカメラでは、データの き
ではなく
現する
が うことで、 き
(
なっています。
既存の
を
度の高 化を実
m
)が 流と
カードと 本的な構造は同じで
するために
2、4、6、10 で表示
す きスピードクラスが なり
スピードクラス 1 およ
カメラを う に
は、コン クト ラッシュア
に定めています。
スピードクラスとは、
動 をスムーズに
ます。
ことが、
てきます。
度としてのスピードクラスで、最大 度は各
メーカーが
カードの
います。 な に
度などの
が、
それ れ 定されています。
ただし、
一方、
を ってメディアを
に き出すことにもつながります。
コン クト ラッシュは、1994 年に ンディスクによ
最 のデジタルカメラで多く
(
を
シエーシ ン
(
もはかどりません。
ストレスを え
なりか ません。
ィアと え 、
カメラの
3 は、
対応の
す きスピードクラスです
(表 1)
。
取
ード
ー
さらに、大容 のデータ転 が められるようになっ
てきたことからより高 なデータ転 を
いバスインター
とする新し
ースも 定されています。
(表 2)
(
ード
)
す
マ
10
画
フ
10
4
(
4
0
画
画
画
)
マ
ン
15
1
50
104
フ
画
画
3
フ
ン
5
1 5
4 00
50
50
01
104
00
1 01
Digital Topics
(
)
の
メ
に
取
の
の
ード
ー
る
る
の
の
来のカメラで えるものではありません。
また、
0
1 7
4
7
1
50
5
100
が 来的に動
するカメラメーカーがどのくらいあるかということにかか
ってきます。
今後のカメラメーカーの対応に
1
44 4
7
すが、
データの転 ルールや
より高 のデータ転 が
から
ため、
データの
のタイミングが
記録
され、
になりました。
また、
転 の
い ど、
カメラの 写
れ
きの回数が まっているのです。
2.0 です。 来の
として
カードに
度となっていることから、高
をしています。
て、2
以上の転
(6
造が
と
ただし、
同じですが、 点の構
3 のインター
や
出しの 中で
が
してしまう
があ
コンでデータの
き
を行う場合などは注 しまし う。
さらに、カメラのバッテリーが少なくなった状 での
が向上しています。
カードとはスロットの
です。
ると、
データが れ
ります。
そうなると、データの取り出しもできなくなってし
まいます。
バッテリー 動の
ースを
しているため、
になります。
また、記録メディアの大 は不安定な 流
き
回
として記録メディア
も長くなります。
容 いっ いまで い ら
るだ でなくコントローラーも
カードと
カードにあったピンを
カードの
としての
)
の高い要 にも応えられるも
2.0 では
しています。
数が少なくてすむわ ですから、
ないことも、
記録メディアを長く う
大容 データの転
のとなっています。
カードの 状は
出せなくなることを心 して、あえて容
ル とで ると、大容 の記録メディアの方が き
場したのが、
に しています。
バススピードは最大 600
を実現。 ロによる動
メ リーカード
の少ない記録メディアを っている人を か ますが、セ
0
世代のメ リーカードの
というわ ではあ
では、コントローラーが 定のセルだ を わないように
データが
C
カードといった ラッシュメ
りません。 ラッシュメ リーのセル
( 子)
は、データの
も向上するということです。
化のための
いこなす
リータイ の記録メディアは、一生
で、
表 3 で示すように
バススピードが定 されています。
転 レートが
ィ を
メ リーカード、
ックを行っている
という点でも向上しています。
は高
すること
にしまし う。
1 7
合によるデータ化 の
で 流となっていくかどうかは、
がないため、
は、 流が不安定になることもあります。
こうした状 も
記録メディアにとってはよくありません。
ディアやバッテリーの予 を
に
から記録メ
して
に む
ことが、記録メディアを上 に いこなすことにもなるの
です。
い れにしろ記録メディアは
品であるということ
を前 にして、不 合を感じたらす に い えるといっ
た い方が スト。 ンディスクの記録メディアは
で、
515
る
ー
64
1
に
0
ま
ード
した の 収 と
があれ 交 しても
らうことができるというのもお れなく。
(記 出版広報 員
ッ
に
の
誠)
ま
3
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
2015 年 第 11 回「名取洋之助写真賞」決まる
社
人日本写真家協会が新進写真家の発 と活動を
するために、 としてドキュメンタリー
で活
躍している 35 歳までの写真家を対 とした 2015 年第 11 回「名取洋之助写真賞」の 考
会を、 月 31 日(月)
会
で、
(写真
家)、広 隆一(
トジャーナリスト)
、
(写真家)
の 氏によって行い
ました。
応募者は ロ写真家から大 在 中の 生までの 16 名 16 作品。
13 人
人。
カラー 10 作品、
クロ
作品、 合 作品でした。
考は1組 30 の組写真のため
会場の 約もあり受
に 作品 つ 回に
て行い、
第一
で
作品を
、最 協 の
、下記に 定しました。
○一次審査通過者
増
大 「 わりの気
「風の く場
「 の記 」
健
「
○最終審査通過者
「 m
増
大 「 わりの気
■■
■■
」
」
一
2015」
」
ん
「
k」
「 m
ん
ん 」
「
の記 とゆら 」
正
ん 」
選考風景(平成 27 年8月 31日 JCII 会議室 撮影・小城崇史)
2015 年第 11 回「名取洋之助写真賞」受賞
鳥飼祥恵(とりかい さちえ)1982 年 富山県出身。32 歳。
2010 年
2012 年
内の写真
を 業。
リーランスとして活動開始。 2014 年
「 m
ん
ん
(カラー 30
」
催水
。東京
在
。
)
に いて 上 、下 の
害を った
が レーするアン ティ ッカーの
で出会っ
た少年
んに
された作者は、
害者の子どもにレンズを向 ることに いを きつ
つ、
者に
をとる。 の
を受 、
んの
する ームに を運 。そこでまわり
の大人た の
んを気 うおせっかいで るい姿を た。 の日本には当たり前のようにあ
った かしい人間関係をとらえた作品。
こと
■■
■■
なんです」。 ん
んのお 様に めてお会いした時、こんな
をもらいました。事
の 「 は 運の
で
を った子が 運だと
され、正 戸惑いました。しかし、今はその
が
に理 できます。きっと
今回の受賞も の 運にあやかったのだと思います。 ん
んはも ろん、 家 、そして、ア ボラーダ川
の さんにこの賞を
ます。
「 ん
ん」が「 ん 」そして「
」となる日が今から楽し です。
2015 年第 11 回「名取洋之助写真賞奨励賞」受賞
増田貴大(ますだ たかひろ)1980 年 大阪府生まれ。35 歳。
2000 年(20 歳)より写真を始める。
2003 年
造 芸術大 (現
大 ) 術
洋 コース 業。
2004 年 グルー 展 第 回「
クロ 楽部」
( ス ース 大 )。
2005 年
写真
賞
員
賞受賞( 考 平 収先生)。大
在
「
わりの気
(カラー 30
」
。
)
に いて
新 線(新大
広 )の 内から、 線に暮らす人々を
した作品。カメラによ
って り取った人々の一 から「死の い」を感じた作者。 では える事の出来なかった死の
気 を、写真という 術によって 視化の に
る
に気 き、作者は写真術を た
を く感じたという。
こと
36
の
本当に しいです。今
の に まれて写真を っていました。 内からはイイ歳して やってんだと
はつかれるし、世間からは「この人、 日
の に りついてる」と い目で られるし、
が ク ク か
ったです。でも今回賞に んで いたお で、ようやく の から
されました。
のしている事に
目
を感じなくなりました。これからは気
く
ができます。それが よりも しいです。
Award
2015 年第 11 回「名取洋之助写真賞」総評
田沼武能(写真家・公益社団法人日本写真家協会前会長)
今年の名取洋之助写真賞に応募
された中で一番輝いていたのは鳥
飼祥恵さんの「amputee boy −けん
ちゃん−」であった。けんちゃんは
交通事故で左足を失った。そのハン
ディにもめげず明るく懸命に生き
るけなげな姿が捉えられている。作
者はスポーツ写真の教室に通い学
んだという。サッカースポーツに専念する彼のクラッ
チ
( )を使い全身で躍動する光景を捉えているが、そ
れ以上に彼の心理を、人間けんちゃんの生きる姿に心
が惹かれる。母親や妹たちとの絆、アンプティサッカー
協会のインストラクターの熱心な指導にも感動を呼
ぶ、
心温まるヒューマンなフォトストーリーである。画
面の展開も女性的な繊細さがありながら、力強さも盛
り込まれており、名取洋之助写真賞にふさわしい作品
である。
奨励賞、増田貴大さんの「終わりの気配」は、新幹線の
車窓から見える社会、漠然と見る沿線にもこれだけの
人間ドラマが繰り広げられている。そんな発見を感じ
る作品である。しかし、作者はそこに「終わりの気配」
「死の臭い」を感じるというが、いささかコメントには
難があるように思う。
日本写真家協会は若いフォトジャーナリストの育成
を願い名取洋之助写真賞を創設した。時代を記録し伝
え、残すためには大切な役を担う写真のジャンルであ
る。
若い写真家の登場を切に望みます。
飯沢耕太郎(写真評論家)
初めて賞の選考に参加させてい
ただいて、ドキュメンタリー写真の
現在のあり方について、いろいろ考
えさせられた。東日本大震災を経
て、新たな方法論の模索が始まって
いるが、まだ地に足がついたものに
はなっていない。その過渡期の状況
が、今回の応募作品にもよくあらわ
れていて、迷いや踏み込みの甘さが目立つものが多か
ったのは残念だった。
その中で、審査員全員が高く評価したのが、名取洋之
助写真賞を受賞した鳥飼祥恵さんの「amputee boy −
「名
写真
」
に
けんちゃん−」
である。
障害のあるサッカー少年を丹念
に取材した作品だが、しっかりとコミュニケーション
をとりつつ彼や周囲の人たちにカメラを向けているこ
とがよくわかる。
人間関係が希薄になりつつある今、
一
人の男の子の成長をポジティブな眼差しで見守ってい
る
「ちょっとおせっかいな大人たち」
の姿が、いきいき
と浮かび上がってくる。
別な意味で面白かったのが、名取洋之助写真賞奨励
賞を受賞した増田貴大さんの「終わりの気配」である。
山陽新幹線の車窓から沿線の光景を写しとめたものだ
が、
ロバート・F・ケネディの
「葬送列車」
を見送る人々
を撮影したポール・フスコの名作
「RFK funeral train」
(1968)
を思い出した。
たしかに、
生と死とが交錯する現
代日本の断面図が見えてくる。
広河隆一(フォトジャーナリスト)
今回の応募作品の審査は、私にと
ってかなり苦しい作業だった。半分
見終わった時に、私が賞に推したい
作品は見当たらなかった。だから鳥
飼祥恵さんの作品「amputee boy −
けんちゃん−」を見た時、私は安
した。交通事故で片足を切断した男
の子がサッカーに打ち込む姿と、周
りの人々が彼を支える様子が見事に写し込まれてい
た。
名取洋之助賞に値する作品、
これから応援し続けて
いきたい作家がとうとう見つかったと思った。
「応募し
てくれてありがとう」
というのが正直な気持ちだった。
日本写真家協会の会員は、あらゆるジャンルの写真
分野にかかわる。写真の多様性と可能性は大きな魅力
だ。
増田貴大さんの「終わりの気配」のテクニックには
舌を巻くし、
表現力は非常に優れている。
しかし名取洋
之助賞というからには、フォトジャーナリズムの特集
部門が対象ということになると私は考えている。これ
が名取洋之助賞でなく、芸術を含むすべての部門の写
真を対象とした日本写真家協会賞のようなものなら文
句なしで入選かもしれない。
日本はカメラ大国であるのに、フォトジャーナリス
トの層が非常に薄い。
日本写真家協会には、
若きフォト
ジャーナリストを育てる根本的な取り組みを期待した
い。
いて
社
人日本写真家協会(
)は、社会に
する事業として「
展」や「日本写真家協会賞」の表彰
に 彰を行
っています。2005 年からは「名取洋之助写真賞」を創 しました。
名取氏は、1950 年の協会 立
から写真
展 の助 。更に、写真 作 の 要 を進 されるなど、さま まな
で協力を いています。 後、名取洋之助が関わった日本工 、 ン ュース、
写真文 の創 に関してわが国の
ト
ジャーナリズムの発展に大きく
されたことを 彰し、 として若い
トジャーナリストの 成に 立つことを
、
この写真賞を創 しました。
名
(1 10 ~ 6
) ドイツに
していた名取洋之助は 23 歳の若さで、1930 年代 ーロッ で
していた
ト ルポルタージュをわが国に
し、
らと 33 年「日本工 」を す。その後、土門 、 本四 、
ら
と
を創 し、 ト ジャーナリズムを 立する。 後は 47 年に
ン
ュース を創 。
50 年に
写真文 を創るなど、写真家であると同時にす れた
、 集者でもありました。
3
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
015
11
名
写真
「amputee boy ─けんちゃん─」
015
増
3
11
名
「終わりの気配」
写真
ー 0
ー 0
3
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
Congratulation
—— このたびは受賞おめでとうございます。1959(昭
ラープリント技術を導入することにより写真表現の可能性
ず変化しただけでなく、デジタル化の流れは御社の業務に
の追随を許さないこの技術について、開発の経緯や今後の
を拡大し、写真文化の発展に大きく寄与されています。他
和 34)
年の会社設立以来、写真の表現形態については絶え
展望などを教えてください。
も多大な影響を与えていると思いますが、激動の時代をど
堀内: リント 作は 社 ての事業の となる部 です。
のように生き抜いてこられたのでしょうか。
堀内:
会社との
で 世紀が
ラムダは写真の大 出力 リューシ ンとして高い
で 社を 立してから、 いもの
ました。
いただいております。
レー ー 線で
のカラー化と を一にするよ
の出力 ですが、データ
うに写真のカラー化も進 、 社は ィルム現 やカラー
リントなどの ービスを
おり、
することで、 ロ写真家の
行した
となるのは写真です。
現
在は 来から く現
リントと
第 41 回日本写真家協会賞
株式会社 堀内カラー
いった写真 ービス事業に加え、
出力の安定を実現することができま
した。
の しい中
「写真品 」
にこだ
わる高品 な
、 え 高 化 品
の広 においては高い
を ており、
トアート、 ライダルアルバム 作、
交通広 の
タレント ロマイド 作、デジタルア
います。
これからも品 にこだわった
ーカイ 、ビジュアルコンテンツ
作を
や
思います。
御社から見た
「変化」
は、どの
な
ようなものだったのでしょうか。
を
堀内:世の中 てが ィルムからデジ
アーカイ ( 存)するお 伝いをす
ィルム
タルにシ トしていく中で、 社も新た
していたものが大 スキャナ
な事業の立 上 などによりお 様が
るのですが、以前は 8
で
ていきたいです 。
ての顧客も様々な変化があったことと
などを中心としたデジタ
ルアーカイ 事業は、
などでも多く われて
—— 時代の流れと共に、御社にとっ
作、
ディス レイ 作と 部で 7 つの
事業を展開しております。大
10
ーを って作業するようになりまし
人
( ロ写真家)
だ ではなく 人
(
た。
ビジュアルコンテンツの 作事業
業)のお 様が増えてきました。
しかし
も、3 の作成や
会社の
理といった
として
にあるのはや
はり
「写真」です。
いい写真を していき
に広がってきています。
—— 作品を作者から託される形で
の制作作業(プリント)は、作者の意
図を反映させるまでの打合せなどが
(
堀内 洋司 さん
会社
内カラー
取
たい、そのためのお 伝いをという気
社長)
に変わりはありません。
—— 当会(JPS)はプロ写真家の団体
大変だと想像します。作者と御社の技術者間のコミュニケ
ですが、
当協会に対し、
写真作品の最終媒体となるプリント
したら教えてください。
ますか。
ーションについて、会社として心がけていることがありま
堀内: い リントは、作家の
作スタッ の 同作業という
と リントを 上 る
がないと成立しません。
そのためには 社の営業スタッ と作家のコミュ
ーシ
ンが かせません。 社は ロラボとして、写真展 作の
お 伝いを長く
てきました。
の積
と、多くの
写真展を て各々の目を高めることで、作家とのコミュ
制作を行う立場からの要望およびメッセージをいただけ
堀内:
ある協会賞を
し大変感謝しております。
トアート事業に わる人間にとどまら 、会社として写真
文化に対する
写真の最
を
いただき
となる リントの品 向上に めてきまし
実作業に わるわ ではありませんが、 に最新の リン
―― ありがとうございました。
を つことで、 い
ができる
—— 御社は、ラムダプリントをはじめとする超大型のカ
に 割を
たしてい たらと思います。
このた の受賞を
れからも 進していきたいと思います。
のではと考えております。
に思っています。
たので、これからも協会の 様と写真文化の
ーシ ンに 立てるよう心が ております。
営業スタッ が
ト 術についての
0
はデジタルデータを 力して
(カラーマ ジメントシステム)を
することにより、品
、事業内容も変わりつつあります。
と、 しまして
もやはり
を
タイ
してから今年で 16 年になります。 のデータを数
で 理する
様と に んできましたが、写真のデジタル化が急 に進
する
(取
平成 27 年 9 月 11 日
聞き
理事 加
構成
内カラー本部にて
出版広報
)
員
に、こ
New Face Gallery
JPS 2015 年 新入会員展
『私の仕事』
東京
アイデムフォトギャラリー「シリウス」
2015 年
7 月 16 日(木)∼ 7 月 22 日(水)
大阪
富士フイルムフォトサロン 大阪
2015 年
8 月 14 日(金)∼ 8 月 20 日(木)
すめと
ーマ (
)
青山 裕企
みのお
岩永 豊
い
ー
ミ
の
今井 孝弘
る
上田 進一
物は き、
そして は を
す
岩瀬 修一
あれから
・
太田 真三
1
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
の
~
を きた
東 ~
小倉雄一郎
国 の島に きる
~ シマ マ
~
川口 誠
久保田秀典
水
阪本 康裕
なみだ
れの日
おちあいまちこ
に
金城 泰哲
まれて
北井 孝博
木村 哲夫
で
小西 貴士
ル
の
佐々木 伸
小宮 広嗣
われた時の記
佐瀬 雅行
がいっ
い
佐藤 健治
の
篠原 晃一
の
田井 基文
東京
保
界
竹屋 謙市
高木サダ子
-
け
高砂 淳二
- 発影 -
辻 博希
招
冨田 泰東
子
鈴木あやの
~
二村 海
寺師 太郎
やきそ
根岸 亮輔
3
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
野田 知明
ー
日野 文彦
ってみよう
展示作品各自2点から編集部でセレクトした1点を 50 音順に掲載しました。
(構成:小池良幸)
守本 智樹
JPS2015 新入会員展実行委員会:
青山裕企(委員長)
、木村哲夫(副委員長)
、今井孝弘、岩瀬修一、高砂淳二、
竹屋謙市
ー
16 日
早坂 元興
展
ー
ー
る
会
ー
ー
の 本
る
名 会員
会
展 会
Copyright
子
5
の写真
著作権
権
行
行
ま 、現在、最も大きなテーマとしては「
のデジ
タル化」が
られます。生 一人一人にタ レット
を るとか、 子
による 業が実 的に行われ
るなど、 日のように話題は きません。しかし、この
ような流れの中で、とても大事な要 が れている現
状があります。それは
が進 しても、 はどうす
るのか、という問題です。これまでの の
をただ
子化すれ よいのかというと、それでは 子化された
を本当に活かすこととは思われません。つまり、
ードの進 に対して、
トがあまり進んでいるとは
えない現状があるのです。この 子
を検討する
にあたって、やはり問題とされたのは 作 です。いつ
ものように、 作 があるから
トがた
れる、と
いう
が られました。これは
をして
、
で
できるようにする きではないか、とい
う
です。
ここで考えることは、写真を始めとする 作 の
について、 え社会的に
な目的だからと って、
創作で生 を立てているものがいる以上、
はよく
ないのではないか、ということです。かといって、い
い す てに
を必 とすることが 難な現実もあ
ります。この件についての対応を考えた時に、
の なら 、 とかこの 方が 立できる方 を考え
な れ い ないと思いました。
についての
は行いつつ、す て
化する方向 に
めをか
ていきたいという願いがあります。
著作権
は、以前からの問題なのですが、不平 な 約につ
いてです。これは 子出版 の 定によって、より厳し
さを増してきているのですが、 作
を前 とす
る 約を 要されることが多くなってきているという
問題です。 に、取 などにおいて、その場でデータの
受
しを行い、す てのデータを 出することによ
って、
まったく
者に写真が らない ースなど、深
刻な状況も 受 られます。
写真家は
の 作 を
していることで、生
の職業として成立している
があります。他の
の表現とは なり、写真は時間の 過によって
が
る
いて
日本写真
るわ ではなく、 に上がってゆく場合も多く
られます。
しかし、それも
の時に、す てはく さ
れてしまうとしたら、た ん写真家という職業は成立
しなくなってしまうのではないでし うか。
また、 作
のどのような運動も、 作 を
していな
れ 、
そもそも関係なくなってしまいます。
この問題については、 人で対応しようとすると
事を いか ませんので、 において、
それも
の
事 としてではなく、地道に取り組んでいかな れ
ならない問題だと考えています。
3 点目の話題は、 作 の ではありませんが、ビジ
スのアメリカ化とも える現状についての問題で
す。
これは、 約に
き、す てを
で めていく
ような
が日本にも ってきている、ということ
です。 的には 作
において、
細やかに められ
ている各事 を、アメリカの
ア ース 定のよう
に、
大まかなものに き え、
実 には
に
で
めてゆこう、という風 です。
術の進 が大変
く、
社会環境が 時に代わってゆく現代において、
この
ような方 をす て 定することはできません。
ただ、
の 度や
金の金額、そして よりも
をす
ること
が
していない日本においては、 に
人にとって厳しい環境になってゆくと思われます。こ
の問題は
に関 して、今後、さらに大きな 題と
なってゆくでし う。
このような問題点をまとめていて、ふと気がついた
ことがあります。
それはこれらの問題が、す て
社
会の進展と定着、それに うアメリカ
の を
受 ての問題点とくくることができそうだ、というこ
とです。
同時に、今の日本にとって、それをまったく受
れるだ でよいのか、
については 問があります。
写真家は、写真を通して現実を つめてゆく職業で
す。
日本には
の
、風土、歴 、文化があり、そ
れをまったく 視したところでは、現実的な社会の変
化を成し
られないということを、 た は 感的
に っています。
今、
写真業界が 作 に関して
し
ている問題点にしても、
もう一度 元を つめ して、
日本的な
方 を探らな れ ならない時 に来て
いるのではないでし うか。
に 1 か 0、
か
ではなく、
もっとグラデーシ ンのある
方 です。
これからは受 の取り組 ではなく、積極的に
を
してゆくことで、種々の 作 問題も
の方
向に向かうと思われます。
写真家が一 先に進む き時代が 来したのかもし
れません 。
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
15JPS 展
写真展
業
当
第 40 回 JPS 展は東京展 6 月 11 日∼ 26 日、名古屋展
7 月 15 日∼ 20 日、関西展 8 月 25 日∼ 30 日の会期で予
定通り開催しました。
応募状況は、
一般部門 1,925 名 6,586 枚、
18 歳以下部門
131 名 275 枚、ヤングアイ参加校 17 校、会員作品部門 50
名 150 枚でした。これらの数字は例年より若干減少しま
したが、18 歳以下部門の応募は若干増加という状況で
す。応募作品内容は、多彩なジャンルにわたり、表現の多
様性がうかがえますが、デジタルでの加工修正作品が目
立つようになり、ストレート写真と相まって審査の大変
さを実感しています。特にストレートな風景写真の過剰
な画像修正、加工による作品や安易な作品作りの傾向が
見受けられます。またインクジェットプリンター出力に
よるプリント紙の選び方やプリント設定に多くの課題が
あるように感じます。
上位入賞者は、文部科学大臣賞が和歌山県在住の大
浦美保さん「時を経て」3 枚組、東京都知事賞は大阪府在
住の西川靖弘さん「駆ける少女」単写真、18 歳以下部門
最優秀賞は広島県在住の金本凛太朗さん「humans and」
です。多くのすぐれた入選作品が選ばれ、
総展示枚数 657
枚の写真が JPS 展を盛り上げてくれました。
会員作品部門は「プロの眼」と題して会員 50 名の 3 枚
組写真を額装して展示、入選作品との差別化を図りまし
た。ヤングアイは各校ごとの一枚のパネルに共同作品と
して展示しました。地方展の展示は会場の都合で一部変
更がありましたが、東京展に準じての展示にしました。
東京展の表彰式と講演会は、6 月 13 日に東京都美術
館講堂にて開催しました。今回は会場の客席数が多かっ
たので、同伴された受賞者の関係者、ご家族が会場内で
の高覧となりホッとしています。
表彰式後の講演会「編集長に聞く∼コンテスト応募指
南」は『フォトコン』編集長の藤森邦晃さんと熊切圭介会
長の対談を行いました。JPS 展に応募される方の関心が
東京展展示会場にて(撮影・天神木健一郎)
6
表彰式
(6.13 東京都美術館講堂、
撮影・天神木健一郎)
高かったようで、大勢の方に聴講していただきました。
名古屋展の表彰式(東海地区入選者紹介)と講演会は、
7 月 18 日に愛知芸術文化センター 12 階にて開催しまし
た。表彰式は山口勝廣専務理事の出席で、上位入賞者の
紹介と入賞作品の講評を行いました。星景写真家木村芳
文さんによる講演会、JPS 会員によるイベント
「デジタル
一眼カメラで撮る『家族写真』
」など盛りだくさんとなり
ました。
関西展の表彰式(関西地区入選者紹介)と講演会は、8
月 28 日に京都市国際交流会館で開催しました。表彰式
は熊切会長が出席され、上位入賞者の紹介と入賞作品の
講評を行いました。JPS 会員の中田昭氏による講演会
「
『京都』四季のうつろい」は好評でした。会期初日のイベ
ント「浴衣で写真教室」は台風の接近で参加者が少なか
ったのですが、
(株)ニコン・
(株)ニコンイメージングジ
ャパンより貸し出されたデジタル一眼カメラで浴衣を着
た女性たちが思い思いのポートレートを撮り合い、エプ
ソン販売(株)からお貸りしたインクジェットプリンター
で出力した素敵な写真が出来上がりました。そのプリン
トを会場の一角に展示し、好評でした。
JPS 展は、年間を通じての作業となります。一貫した安
定 的な運 営 が
望ましいので、
前 任 の 作り上
げ た フォー マ
ットを 受 け 継
ぎながら、さら
に 充 実した 運
営 をし て いき
た いと 思 い ま
す。
東京展講演会(撮影・天神木健一郎)
東京展展示会場(撮影・小松好雄)
Exhibition
第 40 回 2015 JPS 展の報告
:2014 年 12 月 15 日(月) 2015 年1月 2 日( )
: 月 日(土)
:
(
員長)、安 、中
、
、
(
トコン
集長)
後 :文化
か
展
:657 ( 募 280 名 490 、会員 50 名 150 、
ングアイ 17
17 点)
場者 :6,291 名
場 ( 展
):一 700 (
割 560 )、 生
400 (
割 320 )、高 生以下
、65 歳
以上 400 (関 展、名
展は 65 歳以上
)
割 は 20 名以上
:2,056 名 6,586
一
門:1,925 名 6,586
18 歳
門:131 名 275
者
: 280 名 490
門:246 名 433 (文部
大 賞 1 名、東京
事賞 1 名、金賞 1 名、 賞 2 名、 賞 3 名、
賞
5 名、
賞 25 名、
208 名)
18 歳
門:34 名 57 (最
賞 1 名、
賞9
名、
24 名)
者氏名:
文
大
時を て
3 組 カラー
東京 知
川
る少
カラー
金 にて
3 組 カラー
本
新たな門出
3 組 カラー
大 清
地 を感じて
カラー
記 の 出
3 組 カラー
にらめっこ
カラー
上
子
m
カラー
(
賞以下 )
18 歳
門 金本
朗
m
3 組 カラー
(20 歳以下部門
賞以下 )
:「 ロの 」 50 名(3 組写真) 150
:6 月 11 日( ) 6 月 26 日(金)9 30
17 30(最
は
の 30 前)
、6 月 15 日(月)
・講演 :6 月 13 日(土)東京
術 ロビー 講
13 00
14 30 表彰 、15 00
16 30 講演
会「 集長に聞く コンテスト応募指
」講
(
トコン
集長)
、
(日本
写真家協会会長) 加者数 約 200 名
ー ィー:6 月 13 日(土)17 00
19 00 東京
術 2 レストラン「
」
フロ
ー: 間中 時
( 場
ー
):
会社、 ナ
ック
会社
場者 :3,067 名
名
後
展
:文化
後
展
:文化
、
員会、名
、名
員会
場:
術
ャラリー
:7 月 15 日( 水 )
7 月 20 日( 月
)10 00
18 00(最
は
の 30 前)
、金 20 00
、
最 日 17 00
・講演 :7 月 18 日(土)
芸術文化センター 12
アートス ース
、13 00
13 50 東海地
者
、14 00
15 30 講演会「新しい
講
文(
写真家)
加者数 約 150 名
:7 月 18 日(土)
芸術文化センター 12 アー
トス ース
、10 00
12 00「 デ ジ タ
ル一 カメラで る 家 写真 」 講
展
名
展 員
加者数 6 組 16 名
場者 :1,490 名
・
一
ーナー: ングアイ
加
17
社
人日本写真家協会会長賞
業大 芸術
部写真
「風
て」
かり、
ングアイ
賞
大 造 芸術 部 作力創造
「
の向こうがわ」
、 本真
:
門
ビジュアルアーツ 写真
、
大 芸術
門
、現代写真
、東京工芸大 芸術 部 写真
、
人 門
東京ビジュアルアーツ 写真
、
人 門
東洋 術
クリエイティ デ イン
、
人
日本写真芸術 門
、日本大 芸術 部
写真
、
人 写真
東京 合写真 門
写真芸
術第二
、
人 門
名
ビジュアルアーツ 写
真
、名
芸術大 メディア造
部
メディア
、
人 日本写真
門
、
人 ビジュア
ルアーツ 門
大 写真
、大 芸術大 写真
、
大 造 芸術 部 作力創造
、
造
大
造 芸術
写真
、
業大 芸術 部 写真
東京展
後 :文化
場:東京
、東京
術
、東京 写真
ャラリー
名古屋展展示会場(撮影・高島誠次)
術
、
、京
、京
員会、京
、京
員会
場:京
術
:8 月 25 日( ) 8 月 30 日(日)
(最
は
の 30 前)
・講演 :8 月 28 日(金)京
国 交流会 イ
ント ール、13 00
14 30 関 地
者
とビジュアル
ーマンス、15 00
16 30 講
演会「 京
四 のうつろい」 講 中
(
会員) 加者数 約 170 名
:8 月 25 日( )「
で写真
」 講
会員 加者数 10 名
協力 エ
ン
会社、
会社 コン、
会社 コンイメージングジャ ン
場者 :1,734 名
40
写真展
今
一
名
015J
:
、
展
:加
展
:
、外
、
、
、
、
展
:
:
:
一、
正 、
正
:
、
二
、増
実
、
、
、
一
、清水
、
:
一、
、 下
、
:
一生、
:三
、中
本
、
関西展イベント「浴衣で写真教室」
(撮影・永野一晃)
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
第 41 回
写真展
1
JPS 展
業
内
会
2016 年の第 41 回
展は、東京 写真 術 の
工
事のため、 き き上 の東京
術 にて開催すること
になります。展示ス ースの 約が厳しい状 ですが、出
来る り やすい展示に めて行きたいと思っています。
の展
に いて
2015、2016 年の 2 年 定で会場となる上 の東京
術 では展示ス ースの 約があり、展示が
というこ
と、また、名
展では、3 年に 1 度のトリエンナーレ開
催と なり、 い会場しか りられない状 です。
年間のテーマを 定して来た「 ロの 」が
する
のを に、2016 年の会員作品部門は
します。
2017 年の東京 写真 術 での開催時には、 めて検
討をする予定です。
門
前回に じます。応募 定は
講演会、セミナー、
内を
。
会を開催予定。
展示作品を写真集として発 、
。
ールマガ
展メールマ ジンを
していますので
ください。下記アドレスから 録できます。
. . .
m
要
のお い
写真
などの講 をされている会員の 様、
生
さん の
に 協力ください。
また、
や ャラリー で
していただ る方は事
までお らせください。
<公募:一般部門、18 歳以下部門 応募規定>
アマ ュア、 ロ
ッシ ナル、年齢、
、
国籍を問いません。ただし、
会員は きます。
門
一 部門 年齢を問いません
18 歳以下部門 1997 年 4 月 1 日以 生まれの方
ーマ
由
サ
4 または つ 8 10
(203
254mm)
。カラー、
クロ
リントの 。デジタル加工
も 。ただしデジタル加工 合成 の に を れること。
作 は、必 応募者のものであること。
出
写真
はありません。組写真 5 まで
を 1 組の
として 組でもかまいません。組写真は、
より に
ように構成して
を
てください。
ただし、
写真と写真は り
ないこと。また
にも らないで
応募してください。
一
門 1 に つ き 2,200 ( 組 写 真 の 場 合 も 1
2,200 )
18 歳
門 1 につき 600 (組写真の場合も 1
600 )
より下記
2016 年 1 月 20 日
(水)までにお り
ください。
通
に応募 数、
人の
、
、氏名、氏
名 リ ナ、 話
を必
記 下さい。
作品の中に受
数 を同 することは厳 とします。
応募作品
者は、
2,000 を加 してお
く
ださい。
(海外からの応募の場合は
できません)
00110 5 651936
名 日本写真家協会
展
または
に ります。
(
は受 いたしません)
015
1 月 15 日
か ら 016
1月 0日 水
まで。
最 日
。
(
員長)
、
正 、
子、
、 々 広人( ア
カメラ
集長)
(
員の 合により変更することがあります)
2016 年 3 月中
、
者
に文 を
。
ーム ー
:
と ールマガ
でも発 します。
( 話でのお えはいたしません)
展
賞
作品は、後日指定する 日までに
にて
に
し、
出していただきます。なお上
賞作品については大
イズになる場合があります。
展
ルの
賞
作品は、当協会 注
の
ル に て 展 示します の で、 一
門は 1 に き
8 400 、18 歳
門は 1 に き 4 00 を指定の
日時までに
していただきます。
がない場合は、 賞
が取り しとなります。
(一
門)
文部
大 賞 1名(賞状、 、賞金 50
、 賞)
東京
事賞(予定)1名(賞状、 、賞金 30
、 賞)
金 賞 1名(賞状、 、賞金 15
、 賞)
賞
名(賞状、 、賞金 10
、 賞)
賞
名(賞状、 、賞金
、 賞)
賞
名(賞状、 、賞金
、 賞)
賞 20 名 度(賞状、 、 賞)
200 名 度(賞状、記念品)
(18 歳
門)
最
賞 1 名(賞状、 、 賞)
賞 10 名 度(賞状、記念品、 賞)
10 名 度(賞状)
展
場・
東京
術
2016 年 6 月 11 日 6 月 26 日(予定)
術
2016 年 7 月(予定)
京
術
2016 年 7 月(予定)
第 41 回 2016
展作品集の 行を予定。
・お問い合わせ
102 0082 東京
代
一
25 地
ビル 303
社
人日本写真家協会
第 41 回 2016
展
.03 3265 7453
.03 3265 7460
Comment
写 真 解 説
の
の
写真
聖堂は正面の扉のみ を差し込んで外から開けられる構
造になっており、両側にある子扉は内部から鉄の心張り棒
で固く閉ざされている。聖堂内部の準備が整うと、係の修道
士は内部から心張り棒をはずす。
子扉が開くのを待つ修道士から、祈りの時を待ち望む
神への憧れの心がみえる。
の
4 写真
これは京都の下鴨神社の糺ノ森で撮影したひとこまで
す。参道に沿って流れるせせらぎの中で出会った、紅葉の落
ち葉のひとひらをモチーフにして撮っています。水と光と
色が奏でる演出効果に注目し、マクロレンズを使用してク
ローズアップの絵作りを試みました。落葉のエッジに焦点
を合わせ、流れのフオルムとを絡めた構成を図っています。
流れの表面に映る艶やかな紅葉の色調に配慮しつつ、その
コクのある彩りと波紋のパターンを画面に織り交ぜなが
ら、瑞々しい秋の季節感やその場の穏やかな空気感の表現
を求めました。
の
19 世紀の中ごろアメリカ西部は大陸横断鉄道の建設に
沸いていた。中国広東省の中南部に位置する開平の農民が
華僑として北米大陸へ大量に流出した。年に一度、稼いだ大
金を持って故郷へ帰ってくると、それ専門の盗賊がいたと
いう。そのため開平の水田地帯に突如、防衛的な性能を備え
た望楼タイプの高層楼閣が 1800 棟も建てられ華僑洋館と
呼ばれた。開平の高層楼閣には世界のどこにもお手本がな
い。その造形は無骨で、素朴で、そして優雅さが混在し、強い
存在感に れている不思議な近代建築の大切さを伝えたい
のである。
メッ
の
ニジェール共和国北部にあるテメットの砂丘は、高さ
200 メートルを超す大きさ。下から見上げれば、呑みこまれ
そうな急斜面が迫り、頂上からは波のようにうねる砂丘が
果てしなく続く絶景が見られる。ここには、風によって運ば
れた砂が、そそり立つ山にせき止められて巨大な砂丘が生
まれる。聞こえるのは、耳元を横切る風の音だけ。夕方のや
さしい風は、繊細で規則的な風紋を描き、頂上付近では渦を
巻いて斜面を滑る。首都ニアメから 4WD 車で約 3 日。尽き
ることのない砂漠への好奇心が撮影を続ける原動力となっ
ている。
会
の
ま
1981 年に発見された新種の鳥ヤンバルクイナ。生息地の
沖縄本島北部の総称「山原(やんばる)」を全国的に広めるき
っかけにもなった。翼が小さく退化し、ほとんど飛ぶことが
できない。代わりに発達した脚で夜間、樹上に登って休むと
いう変わった習性を持つ。毎週のように通う山原の森では、
年間 100 羽近くのヤンバルクイナに遭遇する。だが、このよ
うなペアに出会うのは年に一度あるか否かの確率でしかな
い。約 7m の距離から 500mm の超望遠レンズで狙った。全
長約 30cm。国指定天然記念物。
ド
ー
の
石川県・白山山麓の百四丈滝。標高 1700 メートルに位置
し、滝上部の湧水が一気に 90 メートルの落差で流れ落ちる
ため、冬期でも凍らない。しかし、滝つぼの水しぶきによっ
て周囲は同心円状に凍りつき、春先までに、高さ数十メート
ルにもなる雪氷の壺が形成される。滝の水量が少なかった
り、落差が低ければ、冬期には氷瀑となってしまい、雪氷の
壺は形成されない。
「凍らない滝の流れ」と「飛沫によって凍
りつく雪氷」との絶妙なバランスの上に成り立つ、世界的に
も例がない滝だ。初めてドローンによる空撮を敢行。真上か
らの俯瞰を試みた。
の
洋
「三閉伊」とは岩手県の三陸沿岸を中心とする上閉伊郡、
下閉伊郡、それに九戸郡をくわえた一帯を指している。江戸
末期の弘化と嘉永の時代、この地を中心に三閉伊通り百姓
一揆が起こった。私は 20 代の半ばから 30 代にかけて、一揆
の跡を追ってひたすらに歩いた。2011 年 3 月 11 日の地震
と津波は、この沿岸の町や村をまるごと呑みこんだ。もし私
に問われているものがあるとしたら、更にこれからの 5 年、
そして 10 年を「三閉伊」とどのように関わっていくことが
できるかということなのだと思っている。
ある地方空港開港イベントで、招待された人々に真新し
い滑走路が開放された。メインイベントの人文字写真撮影
時での一枚。集まった人々が割り当てられた場所に立ち、上
空の撮影機に向って手を振る様子は地上からは見ようによ
っては、少し異様な光景でもある。
しかしながら、出来上がりの写真には点としか写り得な
い事を知りつつも家族一緒の日がな楽しい一仕事に、彼等
の様子は仕合わせそのものだ。
ジ
写真展「西方白虎」は、明治元年勃発した戊辰戦争の激戦
地である会津地方の原風景を撮り下ろした作品。
新政府軍と会津軍との戦いにおいて今なおその息吹が感
じられる場所を探し向き合い、さらに会津の風土や、春夏秋
冬を織り交ぜた「会津物語」。
写真は、会津地方に残る田園風景。五穀豊穣を願った稲荷
神社であり氏神様として田園地帯に祀られている。
私が小さい時には、六本杉、二本杉など周りの杉の木の本
数で場所を表していた。杉の木は、豪雪からお稲荷様を守る
雪囲いなのだろう。
新潟県上越市のひなびた山村で面白い婆さんに出会っ
た。山の畑で育てた豆の出来具合いが気に入ったのか、その
豆に微笑みかけている所だった。カメラを向けると突き放
すように言った。
「こんげんな年寄り撮らねえでもっと若い
姉ちゃん撮れて」それからしばらくその婆さんの後をくっ
つくようにして撮らせてもらってたのだが、若い時の苦労
がたたったのか体を壊して昨年の夏に亡くなられた。ひょ
いと耕運機の荷台に飛び乗る姿はとてもフォトジェニック
だった。
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
レ
ー
に
を
に
2 15・4
行
ズ
た
の
します。
行年
、
者
ストア
「
の
」
の
序文
写真
新
平
川
誠
中 新報社
2015 年 4 月
29.7 21 、111
1,800
川氏
よ
々もとお
あつし
出
17.8
氏
新社
2015 年 4 月
24.7 、131
2,500
之
会
本
一
出版社
2015 年 7 月
25.7 18.2 、143
900
本氏
ッ
の
る
の
の
の回
之下
上隆
の
を
一
バジリコ
2015 年 4 月
21 14 、215
1,600
平氏
人
在
0
文
写真
写真
社
2015 年 4 月
21.7 30.5 、370
上氏
写真
る
之下 アーカイ ス
2015 年 4 月
22 22 、101
発行
第1
第
写真
文
の
増
三
2015 年 5 月
18.2 22.7 、95
1,800
氏
30 24
24,000
ジ
彰
2013 年 6 月、2014 年 1 月
25.7 19.7 、270 、262
15,000
増 氏
0年
1
写真
レン
2015 年 1 月
氏
2015 年
、80
氏
の
6 015
洋一
1
18.2
12.7 、64
24.4 26
4,000
2015 年 5 月
、80
氏
Books
の
ド
の
ー
写真
写真
の
を
15
第 5回
2015 年 6 月
メ
「ジ
関
、303
発行
」
ー
展
平 社
2015 年 5 月
30.3
23 、111
3,800
氏
海の
社
28 21
1,800
の
大
と
社
2015 年 5 月
25.7 18.2 、96
2,750
大 氏
の
ま
の
海
誠文 新 社
2015 年 5 月
26.4
18.8 、152
3,000
発行
こ し
21.7 15.5
2,400
の本
の
創元社
2015 年 6 月
21.7
30.3 、231
3,600
発行
健二
2015 年 1 月
、130
中氏
日本写真
21.7 15.3
1,800
2015 年 6 月
、214
氏
の
中達
メンバーズ
関 メンバーズ
2015 年
21 29.7 、110
川
氏
の
中達
ろし
21.2
2,800
る
海
2015 年 5 月
、112
中氏
思社
2015 年 6 月
19.8 22 、132
2,200
発行
の
加
二
成
2015 年 6 月
21.6 15.3 、680
5,000
発行
ジン
14.8
500
ジン
21
2015 年
、28
氏
1
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
の
の
ま
中
高
新 社
2015 年 5 月
18.2 10.3 、176
1,400
高 氏
ポ ラ社
2015 年 6 月
20.8
26.2 、36
1,200
中 氏
の
ジ
まる
高
中
17.3
1,000
新社
2015 年 4 月
11 、182
高 氏
線の
のド
メ
クレ ィス
2015 年 6 月
21 15 、160
1,500
発行
出版
2015 年 8 月
14.8
19.5 、112
1,200
発行
の
ダ
エル
リッシング
26.7 21.8 、143
6,500
氏
誠
大
スト
正
2015 年 7 月
21.5 19
3,600
の
2015 年 7 月
、227
発行
新聞社
2015 年 8 月
29.7 21 、123
3,000
氏
の
部
を
朗
正
イ インターナシ ナル
2015 年 4 月
16 15 、104
1,300
部氏
ま
る
の
新日本出版社
2015 年 8 月
20 22.5 、118
2,400
氏
の
一
日新聞出版
2015 年 7 月
21 14.8 、112
1,500
発行
日本写真
2015 年 7 月
22 21 、108
1,800
氏
よ
一
日本写真
2015 年 7 月
28 21 、96
1,600
氏
ー
ッ
一
日本カメラ社
2015 年 8 月
28 21 、128
1,850
氏
田中達也殿
旅行読売出版社殿
Evi Aryati Arbay 殿
JCII フォトサロン殿
の
誠一
マン
トグラ ィ
2015 年 8 月
20 22 、60
2,000
氏
に
る
の
健一
新 社
2015 年 8 月
18.2
10.5 、191
1,500
発行
星 ・ 月 ・ 夜空の撮影術
監修 ・ 芳賀日向・行ってみたい 撮ってみたい 日本の祭り
DANI
立木義浩・北へ− 1986 −
林謙一・昭和 16 年富士山観測所
松村明作 ・ 「Evidence NAGASAKI」 - ありふれた長崎 爆心 1Km編集 ・ 松本徳彦、 白山眞理・
「知っていますか…ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾」 被爆から 70 年
内田九一・皇城と西国 ・ 九州巡幸
東京都写真美術館殿
WORLD PRESS PHOTO 15
浦田進殿
8 月 6 日の朝
泉美術館殿
監修 ・ 松本徳彦・復興の記憶 ヒロシマを見つめた写真家たち
遠藤広隆殿
南部馬の里
豊里友行殿
辺野古
近藤誠宏殿
加藤麻美、 監修 ・ 近藤誠宏・奥飛騨に響く 種蔵の里
キヤノンマーケティングジャパン㈱キヤノンフォトサークル殿
Canon Photo Annual 2015
クレヴィス殿
編集 ・ 多田亞生、 他・生誕 100 年 写真家 ・ 濱谷浩
日本写真文化協会殿
坂本潤一・貌
第 61 回全国写真展覧会作品集
部
2015 年 5 月
30.3
3,500
部氏
の
会
一
22.7 、96
の
20.7
22.7
2015 年 5 月
、84
氏
の
本
本
写真事
20 23.6 、132
2,500
本氏
の
2015 年 8 月
平 社
2015 年 9 月
26.7 37.2 、127
3,400
発行
全日本写真連盟殿
第 75 回国際写真サロン
いつまでも守り続けたい 日本の自然 2015 年版
勉誠出版殿
決定版 広島原爆写真集、決定版 長崎原爆写真集
二科会写真部殿
第 63 回展二科会写真部作品集
日本カメラ社殿
神保君雄・家の日々
日本写真協会殿
日本写真年鑑 2015、「東京写真月間 2015」 図録
日本肖像写真家協会殿
人像 2014
日本大学芸術学部写真学科殿
LOCUS2015
日本リアリズム写真集団殿
2015 年 「視点」 第 40 回展作品集
写真集で見る JRP50 年 ・ 現研 40 年
ぶどうぱん社殿
並木すみ江・ いたくて、愛されたくて…
平凡社殿
白山眞理、 小原真史・戦争と平和 < 報道写真 > が伝えたかった日本
平凡社百年史 1914-2013[ 本巻 ][ 別巻 ]
光村推古書院殿
日本風景写真協会会員・遺したい日本の風景Ⅹ 自然と営み
名古屋タイムズ ・ アーカイブス委員会・昭和の名古屋 昭和 20 ∼ 40 年代
松田一郎、 松田司郎・イーハトーブ 宮沢賢治の心象を求めて
リコーイメージング㈱ペンタックスリコーファミリークラブ事務局殿
PENTAX RICOH PHOTO ANNUAL 2015-2016
東川町 < 写真の町 > 実行委員会殿・・・写真の町 東川賞 コレクションカタログ
3
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
Message Board
在籍 40 年
会員による
メッセージボード
「創立 65 周年に
」
日本写真
会創立 65 周年
創立 65 周年( 月 12 日)を記念して、
在籍 40 年以上の正会員 233 名と賛助会
員 56 社を多年の在籍と協力に感謝し、
平成 27 年 月 22 日の総会会場に い
て表彰しました。
今回在籍 40 年の会員の さまより
「創
立 65 周年に う」
のメッセージを せて
いただきました。
て行く。この現状を とか 開する必要
がある。
アン ートなど実 して検 し、
会者の減少に
めをか る 力を
する必要があるのではないだろうか?
する
新会長に
している。
さて、 事で
ですが
k わた
しは三 およ
き りたろうの う
ん
m
, )を
上 しました。アマ ンの ーム ージ
でタイトルを 力し検 していただ れ
イトが表示されます。
(大
大
在 )
の ゆ
1 5 年 会
れの
に 会させて いたあの
ときの感動、そして会員としての りを
てきました。創立 65 周年を記
念し、在籍 40 年正会員 233 名の先輩
を代表し
会長より感謝状をお受
いたしましたことは、 にとって更な
る りであります。
現在はライ ワーク「
を る」の
を通し地
化
に向
エ ル ーを感じ伝達する作品を
示し
をいたしています。 は
を
るために生まれてきました。
(東京
在 )
1
年 会
協会に 40 年以上在籍という事で感謝
状をいただき
。
あっという間の 40 数
年は
、生 現 を こうと思っ
ている 生には通過点に過
、まだま
だ あり、実現に向
進して行く覚
でいます。今後も気力
力
に め
ます。
( 海道
在 )
1
1年 会
後 70 年。あの まわしい
の
も生々しい
25 年、本協会が創立
した。
世 が
としたなかで 米、
が
民の暮らしを えていた時代である。
そんな
の しいなか、協会 立に
した先達には
を表したい。しかし、
それにしても会員数が増えない。 ュー
スが く度、 会者の名を目にするのは
心が む。せっかく
を た 間た
が一人、また一人と名 から えて っ
1 6 年 会
は
在籍約 52 年その 50 年を
り って ると、その
は
の本
当に いビルの1 にあった。しかし会
員は事
によく立
って会員同
でよく 事の話をしたり 々会の 伝い
もした。写真家としても
を ってい
た。 も最 の からカメラは
を に
カメラを
カメラとし
て 事していた。会員の も同じであっ
た、 ィルム ルダに ィルムをセット
1 1
を れて
した。
(
川
在 )
1
1
4年 会
が 会して 2 年、1974 年の会員名
には日本工 で いていた土門 、
本四 さんの名があり、正会員として活
躍していた。この名 に
一さんも
正会員として記 されている。 さん
は名取洋之助さんから声をか られて
日本工
「
。おめえ、写真とれんのか
よ」土門さんにこう われたと
して
いる
さんは 8 年にわたり日中
か
ら 平洋
と 場を 5000 キロ
た。 ついた日本 、
に く中
国の人た
カメラを向 多くの記録を
している。 さんが した
には
1年 会
事の関係もあって、写真の本 につ
いて考 する昨今である。デジタル化が
進 、
後の後 理が大 な要件(
ィルム写真も同様だが)となっている。
写
真のジャンルにもよるが、
時の状
からどこまで
に を加えてもよいの
かが問われてくる。
そもそも、写真とは
か。 に を加えないことが真を伝え
ることになるのか。 、 レンズや レ
ーミング 第でも現実とは なったもの
になる。 をつくこともできるのである。
また、
理
トを って
な
を す
の一部を 動させるなど日
事なことだろう。では一 、
の
加工はどこまで されるのだろうか。写
真術は日進月 。写真の世界も同様、進
化は当 の流れであろう。しかし、今写
真は、ある
で
化の方 向ってい
る感もある。
写真の始まりは、 の
を
く受 ていたことを考えると
なものである。
(
在 )
1
思い出されます。 しいときもありまし
たが
の
らしい
をさせてい
ただきました。写真の世界は が深くど
こまでいっても
することはありませ
ん。日々
の
暮れです。だから写
真は楽しいです。
今、 が写真の道に進むきっか を作
ってくれた
最
の 「与
」
で、新しい ランが進行しています。
う
若い写真家の 様の
を ります。
(
与
在 )
年 会
写真の道に進んで 世紀がた まし
た。28 歳で広
作会社スタジ
ッポ
ンを 立し、クリエイティ ディレクタ
ー アートディレクター 写真家と多種
の方 から 事に わってきました。大
代理 とのコン で度々
を収め
スタッ と大いに んだ日々が かしく
「 死を覚 」の文 もある。3 人の大先
輩とともに の名前も っているこの
会員名 は の
である。
(
川 川
在 )
1 6 年 会
47 年 前のことです。
当時 は
メ
ーカーの 伝部に
するカメラマンで
した。前日現 を
したポジを って
取 先カメラ と、ラボの人が来社しま
した。話は現
理の
いからカラー
バランスのおかしな 上がりになってし
まった事でした。 すると
に
は 理な状 でした。 、 り しを
めてスタジ と
する 品の
を
しました。ラボ は
として
のエクタクロームを いてゆきました。
現 ミスによる
は代 え品にてお
こなう。この時代の不合理ともいえるル
ールでした。
そんな事もあって、カメラマ
ン同 の 報交 や
などの必
要 を感じ、
「そうだ日本写真家協会
はいろう」ということになりました。
思え
な動 です。
(
在 )
Message
1
4年 会
時間に われているといつの間にか
齢を
在籍 40 年にもなった。
このよ
うな 会がな れ
ンを つ事もあり
ません。 難く一筆 上します。過 を
り る事なく前向きに 事を考え行
動している。
に通い 40 年 く
になりましたが、 の ットーですが
.1 でなく ンリーワンを目指してい
ます。当協会が 65 年を迎えられたのは
先輩の方々や賛助会に協会の 員の
様々で感謝しております。今後は若い人
達の
を
します。
(東京 大
在 )
1
年 会
にとって
は
の場でした。
会 後に 術
員会に 加し、
会員、 三 家 会員など 先
輩から 指 を受 ました。お 様で
クロ写真の真 を極めたのでは
ないかと思っています。91
展実行
員会で
員長、 92 で
当
員、 93 では 度
員長として
加しました。多くの応募作品に する
ことで 賞 が えられました。日本現
代写真 1945 1995 では、年表 当と
して
に 加し 後写真 を
ま
した。
員の時は 声のライ ラリ
ー を
三会員と 当し、
長
一先生を始め先輩 氏の生き様に す
ることができました。多くのことを
たことに感謝しています。
(
戸 在 )
1
年 会
の写真人生の 要な 割を日本写
真家協会が たしてくれた。もし 会し
ていなかったら今よりも
の人生が
しいものになっていたに いない。会員
は 902 で、会員になってから 43 年
たつ。 会当時は
に居たが、5 名以
下の しい存在であったと記 する。そ
れが今では 50 名を える会員が名
を中心に写真活動をしている。これは政
治だ でなく
も文化も東京に一極
化することに 問を
する と
しては大変
しいことだ。現在は 海
道に んでいるが、地方の人 どさま
まな で地元の作家に
である。それ
は写真界に ったことではない。少しで
も理 して くために、 い心と 気を
って
く 力したい。
( 海道 子
在 )
1 64 年 会
49 年 から「日本現代写真 」展
の
写真集の 集に 加した。
ま
20 年から 45 年までの 25 年間に
写真 門 、各種
、写真集などに発
表された写真 30 数 点の中から
点
を
、
術 を 会場に 内 か
で 1700 点を展示し、52 年、590 の
写真集を平 社から 行した。 作業は
年 に んだが、 本
を ー
に、今年1月に くなった 之下 など
と、名作といわれる作品や各ジャンルの
写真を ながら り合った
の日々
だった。その後の 25 年間の写真を加え
た
目は
成が中心になって
成させたが、 と上記の 人は しくも
に
11 年生まれである。 の世代
の会員にも写真界の記録を す 事を
したい。
(東京
在 )
1 66 年 会
「 の
」
に在籍していることを ースに、
は 2 本立という生き方になってしまっ
た。一つは ロ
ッシ ナルとしての
まれ 事をすること。
もう一つは「
の作品」を創ることである。
写真家という
ものは、多かれ少なかれ同じ のスタイ
ルである。ただ の場合、いささか
ではないかと考えている。
というのも、昨
年の 、
という写真集を は
の
作品として出版したが、40 年間も、時間
がかかってしまった。 だろう。 の
対
の不安定さ、 気の さなど
に ってしまったことを り してい
た 。
気
よく
るし
かな
いこ
とに
気 いたのは 10 年目のころであった。
(東京
在 )
1
0年 会
1
1年 会
協会より表彰状を き正 「
、えっ
そんなに長く
」
と思うと同時に、今
まで健 でいられ大 きな写真を創っ
ていられるのは さまと周りの方々のお
か と、感謝の気
が き出て来る。
え 1970 年、当時の
会員の方々
は が れていた写真家の名前が な
り、その作品は にとって
のよう
なものだった。30 代 40 代 には協会運
営のお 伝いをさせて いた。活気あふ
れる 間達は「協会は をしてくれるか
より協会に をすれ
いか」の活発な
が
交い
の の場でもあっ
た。その の若 の いと 部会員のコ
ミュ
ーシ ンが今の
の
に
がったのではないかと思う。 年後の
創立 70 周年は東京 リンピック開催年
にあたり、 事で
だが在籍 50 年で
を迎える年である。 に れ
の 来を う若い写真家達に「 をして
あ れ
いか」を 問、そして
の
「化 」にならない内に えを出さないと
い ないと思う。 に、 協会が を
ますこのた の表 彰に感謝しつつ
増々の
を心より願う。
(大
池
在 )
1
1年 会
と
に 44 年間も在籍しました。
その前から数えるとカメラマン生活 51
年間。東京 リンピック 子 に れる
と うことで講 社「 ング レディ」の
カメラマンとして われました。最 の
事は 回も り しに行き、芸 人の
方です どとても い方で、 く応じて
下さいました。
ビートルズ、マイ ル ジ
ャク ンと
前の 子の さで って
来ました。今も も「カメラマンはどこに
いるのですか?」
と聞かれています。
(
川
子 在 )
1
5年 会
日本の 洋 を めて各地を いて
40 数年がたった。当時だれも 向きもし
ない 洋 を きだから、
いと
していった。世の中の動きというのは不
思 である。 りはじめて 10 数年がた
った から、その 洋 に多くの人の目
が集まってきた。
の
や本の出
版の話が出てきた。
そして 20 年前、 に
を ろうかと考えていたとき、目に
まったのが 業
だった。これも
世間から れられ、その構
た を
り示す
すら かった。それが 10 数
在籍 40 年 と らされた時、 会当
時の れやかな気 を思い出す。職業と
して写真を って行かな れ ならな
い
が
に
らないように
と会員に加えてもらったことは 要だっ
たし、これからも気 を れ
くだろ
う。平 な写真家として人生が りに
いている現在、業界はすっかり様変わ
りしている。
こんないいカメラ、 ィルム
とよろこんだのは過 のこと。今じ デ
ジタル、データでのやりとり、おじさんは
つらい 。
(東京 新
在 )
「
」
「海のシルクロード」
「大
」
「上海
」
などなど、その時代にしか
ない
な取 の 会に まれた。
「
先生に ていただきたい」という い
思いを に きながらこれまでやってき
た。今の をつくってくれた
の
は、 れられるものではない。
(
在 )
年
」
「大
、いつまでも
の世界に
いたらだめだよ。若いんだから外 出な
く
。そう、
はいいよ。 人がいっ
いいて は
る ど めるし。 る
ものなんかもたくさんあるから」
この
先生の
です に、
年 ど めた
写真部を辞め、 海
から船で
った。1969 年 月
の、
本土
年前のことであった。
その
後、
集の「シルクロード」
「大
1
1年 会
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
Message Board
年前から「 代化
」と
れ注目を
集めてきた。今では 洋 と同じように
り始めた 件が社会的な
をも 、
されるのは しいものである。
(東京
在 )
本
1
4年 会
在籍 40 年の感謝状を き、今 賞状
らしき をもらったことのない には、
の
たいな でうれしく思
いました。
写真の道もかれこれ 51 年、長
くやって来ましたが、 く思ったことは
一度も く、多くの人々に助 られて今
があるかと思っています。写真に関して
は
時代からデジタル時代
で
き まれて来た には大変でしたが、
写真が
から るい で表現出来る
のは朗報でした。今はドキュメンタリー
を れアートの世界 と楽しく
せて
いています。
協会には一つだ 思いがあります、そ
れは会員だ の写真展をやって きた
い、 募
展のそえもの たいな会員
の写真展、あれを るた になさ なく
なります、な
国の会員が作品を出し
合って集まれる写真展が出来ないのか
念でなりません。 年
っている会
が
に思えないような
でなん
とかお願いします。
(京
京
在 )
1 6 年 会
お世話になった写真家集
に い リーとして過 していたが、
1963 年に 報 写真部に 社と同時に
日本写真家協会に 会を され、大感
し大いに
に えた事を思い出しま
す。 ライ ートの海外ロ に いても
会員カードを 示する事でスムーズに
いった事、今思え
協会にはお世話
になっております。インター ット時代
となり 報も
し くはなったが、や
はり会員との
報交 などで若さ
をもらい写真界に居る事を実感しており
ます。
(
さいたま 在 )
1 6 年 会
いま国会
周 が がしい。
60 年や 70 年安 で揺れた時代を思い
出す。写真 生の 題として、また 事
として
さながらにデ
と 動
が
する 事 や
周 に 日
つ たのが かしい。
写真
を 業し さな出版社に
った。そこは 術を なテーマとする月
を発行していたが数年の後
に
い まれた。 に 会させていただ
いたのはそんな だった。 は
さ
れるが、こ らはある
の写真の 事
で大 に っていた。 来いまに る。
6
先日 年表彰を いた。 とんど協会に
することも く
い りだが、こ
れからも が動く りこの 事を
よ
うと思う。
(大
富
在 )
1
1年 会
「
ードの
」
日本写真家協会々員になる事は の
れであった。その理由は、 のテーマ
が日本の 業 害、
災害、 発
問題、さらに開発に なう
の取
に必要不
であったからで、 レス
カードの
は、はかり れない力と
なってくれたのである。
え
事の「四日 」 害の
時には 名の
カメラマンであった は 業 から
にされない様な いを受 たりした。
だが、 会後、日本写真家協会発行の
レスカードを 示すると、
の取 に
も関わら 、 外を いて とんどは
を
されて来た。つまり、協会が写
真界に
る
となっていたからに
他ならない。40 年、カードは
さ
している。感謝という他あるまい
と思う。
(東京 国
在 )
が
1 61 年 会
に 会したのは 1961 年。安
で時代が しく揺れ動いた 後
だった。 年後の 1965 年に、中国で開催
された日中 年大交流の催しに
一、
三の 氏と、写真家協会の代
表として 加した。演劇や 術、 楽の
人達 16 人で日本 年文化代表 を組織
したが、
かな人が多く
い だ
った。
約一 月 にわたる だったが、
動の最中
について
が
したこともあった。当時は日本と中
国は国交回 前だったので、中国社会に
ついての
な
もなく、 るもの聞
くものす てが
的だった。日本に
国して くして文化大
が り、中国
の
な を た思いだった。現代、中
国の写真家や
とあまり交流が い
のが 念だ。
(東京
在 )
1 65 年 会
は日本写真家協会正会員に 会し
て 60 年になりました。
その間、日本写真
家協会会員として じることのないよう
めてきました。
作品を すため
は最高のものを
い、 はレンズを通して が表現した
いものを り
て写真集 写真展を
国内外で発表。 に、この新
の し
く かな風土を長年 り、今では
が
イメージするシーンの 気感、過 てき
た歴
を じ め思うように表現で
きるようになりました。 協会の発展を
念します。
(新
新
在 )
之 1 6 年 会
「
60 年
の
」
いまから、50 年前、安
対のデ が
と化し日本
に
を らせた。
当時 29 才の は写真芸術 を れる
一流でも二流三流にも れ
外地で
「写真は記録だ。
「
」 よりも一 前でシャ
ッターを すんだ。
」を ットーに我流で
歴 の流れを り取ることに 我 中
で りまくった。それを 月 26 日大
で写真展を、大 大 名
の 会に
よって講演を行った。
(大
由
在 )
本
1 6 年 会
「
る メ
の
に
」
高 時代 1952 年に写真の道を す
をし造 写真家 代 三に 事しま
した。その時の のカメラは コン で
した。1961 年 から月
ト ャラリ
ーなどで、海の造 やスポーツの作品の
展を行いました。
この から、写真家
先 生に 事しました。そして、
1963 年にその
で
会員となり
まし た。そ の えを 生 かし た 写 真 集
を 1970 年に
氏の序文で出版しました。
のカメラ人生を り ると、ドキドキす
るようなカメラ 術の劇的な進 と に
んでこられて、 せであったと思いま
す。5 回の リンピックに
写真家と
して 加しましたが、 回新 構のカメ
ラでの取 でした。東京 リンピックで
は、中 の一 レ の ン
ロ カ、
35mm の一 レ では コン が
に 動 りとクイックリターンミラーを
実現していました。
以来、
( 動
出)
、多ポイント ( 動 点)
、 ー
ター ドライ 、 れ 正、
から
、デジタル化、ミラーレスなどなど
術の進 を楽し 活かして 事をし
て来られました。
の、
「動 予
ーカス」の考 (1988 年「写真工業」で
開 )がミ ルタ 7700 、 コン 4、
キ
ン
1に
され、
「
キ
ーによる
ポイントのコントロール」
の発 (
を 開)が コン 5 に
めて
されました。 術の進 に多少
なりとも
できて せでした。
(
川
子 在 )
1
4年 会
スマ で った、新聞や
りの 大
広 が気になる。 ロが
くで
した写真のは だが、一 して、 にで
も れそうな 先や日 の一 である。
最 のスマ には
な
も内 さ
れていて、 が を ってもとにかく写
ってしまう。いまや もが
いてい
る、この多
話の 10 年後の進
化は にも予 は出来ないが、流通する
写真の大 が
ではなく、
に るバー ャルな存在となることは
実だろう。日々更新される 大な
と
して、 人も ロも 一線に んで発
し
る、そんな時代に写真家はどうや
って生き延 てゆくのだろう、と気にな
る。
思え 、 き時代に写真家をやってこ
られたとつく く思うのである。
(東京 新
在 )
1
4年 会
1
年 会
日本写真家協会に 会して 40 年と聞
きました。もう 40 年 、というより まだ
40 年 という思いです。
まだまだ りたいものがあるのです。
(京
京
在 )
写真を職 としている者にとって、賞
とは
の世界と思っている。今回、正
会員としての 年
に協会からの感
謝状を受 るとは、
長生きに感謝
。
32 才で 会。今 74 才。
若き は中 思
考ありあり、 展や
発表も
た。
年 を
る に、
の んでいる地
が大 と思えるようになった。多くの
間とテーマ の大 さ、地元に出版文
化をと問うて来た。
展 20 回開催、
。少しは に
立てたのかなと思っている。
(
在 )
「
海
1 6 年 会
部は かった?」
んな しかったろうに
多 川
の
に集まり、
たり ったりした
もんです。
ームはす 作り、
な
つ ましたが、これはリバーシ ルの
グランドコートを作ったときの記念で
す。
この日集まりはよくなかった れど、
合
を組
んだ
日に
は
下
一
、清水 二
、 一
、
一
と多
イ イ。写真は
62 年 11 月。
(東京 大
在 )
( 不問
)
のメッセージボード
員 1 6 年 会
今、
術 で の
「
の日本」
写真展が開かれている
( 月 25 日
月
日)
。
この写真展こそ 代を
う若い
中 生や高 生に せる きという
催社の 向で
間中になった。こ
の写真展が の日本国内にお る第 142
回目の 展になる。外国を含めれ 「
のアメリカ」
(日本 版「アメリカ大
」)
写真展がアメリカだ で 155 カ で
展示され、その後 米写真家協会最高写
真家賞受賞記念展が 23 カ国で開催され
たから、世界中なら すでに 500 回 く
なる。
国内 142 回のう 118 回が、 の
長が 220m を える大写真展で、も
ろん
である。今どき写真展に 場
を って、大
に来て下さるのである
からありがたいことである。四国四 の
様には
て しいと願っている。
(東京
在 )
005 年 会
今年 月より、
新聞、
版に
妙 点 と題して、
月に一度、
第1日 日
に写真と文で妙
の
が始まった。
作品は平成 10 年 が大部 で 40 年間
か て
した作品が められた事は
大変 しく思っています。
ですが文 力の い は四
の
状 です。 の め り日 くになる
と、若い に文 の組立ての
をして
お
と後 する 日です。
(
富
在 )
001 年 会
6 月 日発 で、創元社から 世界で一
しい海のいきもの
という写真
集を出版しました。地 上のもう とつ
の世界、海。 しい をした や不思
な姿 をした生き など、5 ミリのクラ
から 50 トンのクジラまで、生き の
「いの 」
の
なのです。
写真には、 さな世界しかうつらない
れ
ど 、
広い
海や
にイ
メー
ジが
広がっていくような、大 さですが、そん
なものを目指しました。
(東京 世
在 )
000 年 会
日中国大
が
、 と日本人写
真家
一が 月 日から 18 日まで
中国新
ィグル 治 5000km を
行して道々
した。新
ィグル 治
60 周年という記念す き年に 11
月 東京の中国文化センターにて写真
展「新
」開催予定です。中国最
部、47 民 が暮らしています。総人
2,000 人 どおり、方東東 文化が交
しているため多民 が に暮らし多
元文化が 存する、多様多 な民 風
と かな文化芸術を
する。
(
川 川
在 )
1
6年 会
1
年 会
10 月 30 日より 3 間、新 のエ
ンイメージング ャラリーエ
イトで
展を開きます。内容は
や や海
岸、
などで収集した をテー ルの
上で 構 した
です。
一
なんの関
係 もな い
と
との思
いが な
い出 会 い
は、シュル
レアリス
ム的な
りを きはじめます。
今後 1 年間「インクジ ット写真 リ
ント作品」としてエ
イトより
さ
れます。
(
在 )
を撮り
て
「三 目の 日」
の
、
が日
本 を ります。社会人最 が
の
ラス
しの東京タワーでした。そして
数年後、
写真の 事に。
されて
の写真を る者と
なり、
以来現在も り
ています。
人に せられたのです。それが
てです。以来、
だ
り
て
います。本は、
出しました。
内2 が
写真集です。
もう1 は、
くりの
本です。2013 年出版の本は、 カラーで
さな本で、 くは、
がすき
写真集 といいます。2015 年 月、
り
た写真が められ、
「第 17 回
ポート
ーラム賞」を受賞しま
した。
(東京
東 在 )
1 6 年 会
東京
の 部
の
戸
を
はじめてから 15 年 どになりま
す。ここには多くの
戸が ってい
ます。また歴 に る場 も多くありま
す。 年
開発などでその姿が大きく
変っています。
とても 念です。 がく
れた しい風 をいつまでも したいも
のです。
戸は日本人の心の 風
です。いつもそんなことを思いつつカメ
ラを向 ています。
(東京
在 )
1
年 会
写真 に 社、当時
が で、カ
メラはアン
ー、レンズは コラ ル
シャイト、このレンズは
者で りを
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
Message Board
れて、ピントを取り、シャッターは、
開き、現 は、 イロ
が高く イ
エストを生じさせます。 リント現 は
グリシンを い、
で
は、 り
子を数え、
で き
、覆い を
作し、 数が多いと、たい んな事でし
た。 の 上りは極上の リントです。
カラー リントは、ダイトランス ァ
ーに、
しました。 ィルムから ィル
ム の、転写で、 が われ 、 かな
グラジ ーシ ンを
ます。 の、写真
人生は、デジタルを含め、40 年前の記
と に、
二 の
です。
(
在 )
01 年 会
名
で生まれた「写真の られ方セ
ミナー」、 い
あさくら の本当の
を つ る い講 、そして、どんな
風に られたいのかを き出す講 。写
真家 土
朗は、 せたい
をどの
ように演出したらよいのかを 富な
から
的かつ実 的にお伝えして、
する
.
.
m
k
このセミナーは 月
の 日間の開
催、 員
、
大 況でした
そして、 月 と 月
に 加開
催 す に 席になる どの人気セミナ
ーです。今回、このセミナーは、さらに進
化しました
レ ルまでの
を感じ
てい
ただ
る
「 あ
りす
のシ
ータ
ー
リング」がセミナーとコラボするので
す
し
はこ ら
.
16
.
k.
m .
3
2 2
.
2
16
6
k
m 5 7
600 9 8
7
3m
1
(
清
在 )
1
年 会
「国立
上
場既存
工事」と して新国立
場
に向
て大 の
が
されてしまった。
この「
」というところがミ で、実
のところは 1,500 本以上もの大 が
され、
は 200 本あまりに過
、極
に日 が少ない広場は
な 環境
が心 されてい
る。
さゆえ
アンビルドの
とも
され
る
ディ
ド
によるデ
インの
場
が 額
を
理由に正 に中
になったとの
ュースは記
に新しいところ
。 額な
収
の 合で、最も過 な真 の開催となっ
た二度目の東京 リンピック、
や
た が
でバタバタと れてし
まうような「記 に る」大会になら よ
う願ってやまない。
(東京
川 在 )
1
年 会
本年 10 月 9 日より 15 日
ジ
ト
ロン東京において「
」の写真展
を行います。 治の実業家大
と
家 東
の した
は、
祭の
の姿を し、東 の高
から京 を
す だ に てられ
た高 です。
この
が てられた
は、
が
に 若い 、さしてい
た が風で
コになった。その 様
が れがたいのでその様な姿の
を
てて しい と
した事に始まりま
す。 はこのエピ ードだ で
の
を めました。この
外な を
現実にした二人の世界と、 治の 達の
いが表現できれ と思います。
また、10 月 7 日から 22 日
1 アトリ ムで「す だ
アルバ
ム」
に
の写真を出展します。
(
代 在 )
015 年 会
写真家 高
二と、 人 覚
子
のコラボ写真 集
発 。
写真家 高
二と、
「 と
の
し」 題
いつも 度でも な
どの作 で られる 人 覚
子と
のコラボレーシ ン写真 集
(
)
が、 月 24 日発 されます。
の中のディテールから
の
までの 大な写真と、時間や 間を
えて聞こえてくるような とが 合し
て、不思 な世界 が広がります。どう
お
しなく。 (東京
在 )
立
1
年 会
写真 門
の老 であり、多くの写
真家を輩出している東京ビジュアルア
ーツ( 東京写真 門
、東京写真
門
)
は、創立者安達健之助が 1964 年
東京 リンピックの年を境に広 およ
エディトリアルなど の ーズが高ま
り、写真家の力が必要となるとの理念で
開 し、
昨年創立 50 年を迎えました。
この
で に
した 間
達、 業生の組織である
会も本年創
立 50 年を迎え、
「
会創立 50 年周年
記念写真展」を来る 11 月 26 日( )から
12 月 日
(水)
まで、東京四 のポートレ
ート ャラリー(東京 新
四 17
日本写真会 5 03 3351 3002)で開催
します。 業生写真家
72 名と
を交え、
ある視点の写真展と
しておりますので、
多くの 様に
高 いただきたく
内させて きま
す。
(東京 世
在 )
00 年 会
4 月 8 日、成 第 ターミナルの運
が始まった 日、
の
に向かっ
た。
キャン シュワ
ート前に
は ルーシー
トの テント が
ズラリと
、
ら海を ろ
う、米
地
対などの
や、 リ 地
対 の ボリ
が 心 地よい
の風に揺れ
ていた。
後 70 年、
は 地問題に揺れ
日本政 の米
地 しつ に
えてきた。その中でも日米地 協定の
害は米
地を える
にとって大
問題だ。日本人には人 がないと感じ
る。
そうして東京に って、ふと気になり
始めたのが
地のある 生だ。東京
にある大きな米
地はどうなってい
るのだろう?行って ると驚いた。 130
2 が着
なのか
で
の真上を 度も
回っていた。
、 生の
の1 では
だ の会
話。日本 がたどたどしくて聞き取れな
い。ここ東京にも米 の大きな が を
いていた。
のような 地 対運動の
り上がりは感じないが、日本 土で日
米地 協定は られ、米 は日本の出
国 理外として日本の土地を いてい
る。先 、
米 およ
は
の受
不 いを日米地 協定によって正当
化するという新聞記事を た。また ス
レイの
通 を受 取った 生
長は
に水と ったが、米 による
に も出せない日本政 は、あの
の上 を
で
に
は え に受
れ
るのだ。
(東京 三
在 )
Annually
受賞・出版・写真展 作品による会員の動きを記録する
から年 1 回受賞
すので
もれもあることと思いますが
下さい。
会 員 名
受
江 口 友 一
日本
小 野 吉 彦
第
桑 原 史 成
第 33 回土門
業広
賞
出版
・日
写真展をされた方々の記録を
名
写真家
しております。
時期
賞
回
014
日
6 3
賞
は会員のアン
ートの回
理
11 20
文化賞
(1月∼12月)
工業新聞に 9 17 日
籍
4 16
と
受賞作の
土
水
由
された三
の新聞 30
(写真
事件
をもとに作成しておりま
広
が
は、
世紀にわたり水
に通い
、
「事件」を記録し
クロ作品。ジャーナリスティックで
感を った一 した姿
写真で、日本の写真界に
と
を与えた点が高く
された
齋 藤 康 一
第
回
本四
写真文化賞
5 11
人
写真一
に
り
、そのポートレートは各界の
であると同時に厚
酒 井 広 司
第 30 回写真の
清 水 哲 朗
日 ナシ ナル ジ グラ
2013 ピー ル部門
賞
清 水 哲 朗
東川賞
作家賞
8 9
ィック写真賞
「
」シリーズに
のある「
る
された
)に対して
の
海道を
」としての
した一
名人におよ
が
た
によるドキュメント
。作品の記録
は
される
の作品に対して
2 3
タイトル「
話」に対して
平成 26 年日本写真協会賞新人賞
6 2
1997 年から ン ルに通い、風 とそこに暮らす人の営 を取 し
、写真集と写真
展に 実させた。国境を え、人と人を写真の力で
つ るその活動に対して
白 川 義 員
第 62 回
新聞賞
1 7
多年積
須 田 一 政
平成 26 年日本写真協会賞作家賞
6 2
40 数年にわたり、日本各地を
てきた世界的業
作品を東京
田 沼 武 能
平成 26 年日本写真協会賞
常 盤 と よ 子
第 63 回
野 町 和 嘉
平成 26 年日本写真協会賞国
宮 武 健 仁
日
賞
6 2
現 を いて
センター 立
な
川文化賞
ナシ
ナル ジ
2013 グラン
本 橋 成 一
第 61 回
本 橋 成 一
第
山
縣 出版文化賞
回
荒 川 好 夫
がえる新
子
線
関
51 大事
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一
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日本写真家協会(JPS)入会のご案内
■ 申込時期:2015 年 12 月~ 2016 年1月
■ 入 会 日:2016 年4月
協会は 1950 年の創 以来、写真家の職 と地
立 作 の
、 発活動を行
っています。
わが国の写真表現の歴 を った「写真 100 年展」
「現代写真 展」などを通して、
写真表現の変 を内外に広める活動を行ってきました。最 では
「日本のこども 60 年」
「おんな」「生きる」と写真の社会 に富んだ写真展、写真集を発行しています。さら
に一
募の「
展」と「名取洋之助写真賞」の実 、写真界に
の
を上
られている方々に「日本写真家協会賞」を贈るなどを行い、
「写真 術 の創 活動」
、
写真
の 存収集 データ ース化をする「日本写真 存センターの 立」運動な
ど様々なかた での文化活動に 与しています。
正会員の 会
は、職業写真家として 年以上の活動実 のある方。正会員 名
の
、
が られ、う 1名は本会在籍
年以上の正会員の
理由 を 出
できる方で、 会
と
を えて1月までに 出。 会が内定後、 月の新
会員
会に出席することで正会員となります。
「 会
」は1部 1,000 で
中。問い合せ先 協会事
03 3265 7451
6
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
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Topics
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0
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,
,
m
k
m
,
k
m
.
,
,
,
1
,
,
m
1
5
5 7451
1
10 00
5 74 0
m ,
で
をお
り
し
名
会員
015 年 月2日
95
和 5年
195 年
時
の
と
展の写真
として
「
写真
写真 の
した
000 年
創立会員大竹省二氏の死を悼む
田沼 武能
写真界の
がまた一人 くなった。 念である。
大
二さんは
後中国から 員し、
21 年から
( 合国 総
部)広報部の
となり、アメリカから米 の
問にきた
や
の写真を り、その後の氏の写真
になっ
たように思う。24 年に
、
隆正氏らと「 年写真家
協会」
を 成し、 もこの協会に 加した。そして
25 年、
「写
真家集 」と「 年写真家協会」が発展的
し「日本写真家協
会」が 生し、創立メンバーの一人となっている。
28 年には
、
、
二氏らと二 会写真部を創立するな
ど写真界の 代化に 与した。
を らせたらピカイ の写真家であり、作品は ダーンな
囲気を
、その日本人 なれした写真は
のグラビア
を どる
写真家で た のセンボ のマトであった。
名
015 年8月5日
和 4年
日本
19 1 年ま 写真
真 の 展
9
「
1999 年
男気、勇気、透徹した思想、そして人間愛をもっていた人 ・・・・
小松 健一
さんがこの 、 に ってしまった。まるでいつもの ラッと
に出るように
。
は くなる 日前に、 様から「 が さんを んで しいと って
います」という 話を受 、 子
外にある大
つ た。
集中治
にいた
さんはすこ る元気で、 っていった広 長
の
写真集の り出しをうれしそうに めていた。
そして 月の
ト ャラリーでの リジナル リント展、同時出版す
る写真集
、10 月のアート ス ース
での「世界のバレエ」
リジナル リント展をはじめ、日本写真 作 協会のこと、日本写真家協
会、日本リアリズム写真集 の 創 の のこと、日本写真家
ンの
来のことなど、 時間 り話し
た。 がもう れるからと ろうとする
と、あと1時間だ 話そうとまるで 年のように かった。まさか、これが最
後の れになるとは
できなかった。あと数日で
。これで
までは
Information
ます。
し
ます
の写真 として
していた
「
写真 」
ました
展」
年
してい
009 年
・
として
ました
して
人
ま
写真の なら 、来日する世界的な 楽家の写真を り
、作品集にまとめている。
また、写真に
トストーリーを取
り れるなど新しいジャンルを り開く 出した写真家でもあ
る。
一方、ダンディーな容姿と才 から、 「 の 」や「わるいや
つら」
に
として 場しており、 らも
を 作し、テレビと
コラボレーシ ンした
や
の ード
( しい
の思い出)
写真を 組にとり れ、
の
にも出演するなど、その
多 な才 は他の写真家とは一
うアイデアの
である。
年、大
二氏を中心に「スズメの会」
という写真展が開かれ
ており今年で 16 回を迎えている。今年は新 の富
ト ャ
ラリー新 で 月に行われた。その ー
ング ーティー会場
大 氏も
子で出席され、元気に
をされたが、それから
間もない 月 日、心
で急 された。
よき先輩を
い心が む かりだ。
を ります。合
会員
し
重
写真
」
ました
40 年
た
ました
ます
の
100 年
・
特別
て
1959 年から
し 日本写
行 ると思った。本人もそう思っていた。 の方が先に行って っている
もあるとも真 目に思った。
さんとは 44 年間の き合いになる。 の合理的な思考、先
があ
り理
とした
。 席などにはあまり き合うことがないという 合
だったから、若かった は さんを していた。それがある事件がきっ
か となり、真 が理 できるようになったのだ。ま 、 さんの演 な
理人 ではない、真の 気を た。 がどんなに 大であろうと して
まない 気も た。 来を
する
した思 を った。そして、人間
にあふれるやさしさを ったのである。以来、他人から ると「
は
の 子」と思われるくらい 気 合した。時には り合いをしたこともあ
ったが
。
が一
念に思っていることは、実は
さんから写真について
とつ んでいなかったことだ。人生の としては、 中を つ てきたの
だが。今度、 でお会いした時にはじっくりと写真表現について、 えを
おうと思っている。合
6
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
正会員
正会員
015 年5月 0 日
015 年
70
和5 年
平
し
「
ラ、
されたとの
をいただいた。日人
ュース社、日
ランシスコはいま から 作となってしまった
10 年前、写真家 間と ル を楽しんでいる最中に 内出 で れ
子生活となったが、その間にも 子 人の
集も出版。
と
いがアタタカイと った
実行 員長の
だった。
に いては
員として 1995 年度の
展
さんはアマ
、 にスキーの名 だった。
スキーには 会当 からやはり
るく楽しい人 で 加している子 達に
りはそっ の で
を てくれた。
日人さんの 上は
で
の
」で子ジカが
りたいと、
を
に
の
をおして出か
した
にも
さんだったので、きっと
していたので、これは
だ
写真に対し
っと
たのが最後の
さんらしいエピ
ュア写真家の指
ードです。
心でしたが「厳しい
え方も
コ
コ、
を
しいのではと
外でした。
しかし考えて
と厳しさを
日大社
生するのですが、その
をする先生」
と聞いたことがあります。 厚でいつも
やさない
写真家の 子 人同 で 加。お二人
ると、それ
っていたんだな、と今にして思いま
す。
にも度度 場した名
ったせいもあってかダンディで
「
デビュー を
も たされている。
日人さんはスポーツ
の
となったそうです。
に 会されてからだが、人との き合
通
しました、
つと元気になります」
ともあり、 かったと思っていたので
境内にある
的な協力で 回の 展、写真
がんで
は大方回
すが、 発、 化してしまったようです。 年、
以前には 99 回の外国取 。100 回目は地上を れた取 となってしまわれ
た。 が日人さんと り合ったのは、1978 年 が
状に「昨年は
の一年でした」
と記されていました。
ただ
「
カメラを
。下
ます
をする
さんからいただいた今年の年
社を て リーの
まで 20 の写真集を出版。写真展も 20 回(地方も含めると 27 回)開催している。
なり以後
4年
し
しい
を 業、 日
写真家として 立。1981 年写真集
国の
日
ます
」
月 30 日 、 子 人から 前 時、日人さんが
さんは日本大 芸術 部
月
75
かった。世
会に通い、カ スカ ト、ボーイスカ トに
一 氏。そんな環境で
の
に生まれ
、
の
。少年達の れの的だったと聞いている。
子生活になって約 10 年、 子 人に を されながらも 人の写真展には出来 る
り に行き、最後まで人との を大 にされた人だった。
年後には金
会で
を受 、
も
の予定だったが、その前に の となってしまわれた。日人さん、
をお り します。
ナラ。
正会員
015 年8月
正会員
日
015 年
1
平
1年
和
し
な
講 をする新 デ イン 門
でした。
「え
やっ り
」と
でもあり ッ リの大
かな
が まりました。
す」の
問い合わせ
さんは 16 年間元 ロ
部
イルム発行
の風
さんを たからでした。
「新 にも世界を ィールドに活躍するす
る」 営。講演 セミナー の
が しいということで
時に「水
「
の生
を水 に表現す
すると、
ミット
会の会場に「金
れ世界の注目を集めました。2009 年 月
立 きつりつ 」が展示さ
さんに会長になってもらい 社
セで開催された「視力 6.0 の世界」は会場の広さ 数 大
アマ ンを始め世界各地を
は
から
6
の
メッ
リントで 巻でした。
っていましたが、ふる 巻 をこよなく し、最後
に ってまもなく を きとりました。 がんと い れたのです。
を楽しませる
いること、また、 生が名
気に
はもう聞くことが出来ません。
さんありがとう。合
で
、新 展実行 員と交
写真家協会の会長でもあった
していたと聞いて、 生の
家で ースボールマ ジン社の池
が まり、
が
社長とも しく、本 にもよく
して
の少年ドラ ンズの会員であったことなどを話し、一
のこと、写真のことなど を して く り合ったことが
昨日のことのように思われる。
聞社 の 行ムック の
、新 の
を出され、 行 などの取 や新
の取 などをお願いしたこともあり、
写真家としても出版関係の世界でも、 しいお き合いが いた。いつのことだっ
たか、お会いしたときに
か、 本人は「
世界環境写真家協会を 立しました。世界 37 カ国 113 名の写真家が 録されてお
ります。各地で写真展を開催しており、 展も数多く 2013 年 月新
で
を受 たことが めての出会いであった。話の中で、東京の
に 会以 は、総会や協会行事には必
の 生 の
リントを の上にド ッと いてあり せてくれました。その中から間もなく
2008 年の 海道
新一氏より
ます
展を めて新
開催することになり、東京の実行 員数名が応 に
の社長」とよ れるので写真家の
に 会されました。会社にお
を
ースボールマ ジン社の写真部に
会員 の出版 ーティー
の 表 に「大 カメラで
い写真家がいる」と思いました。会社は水
い
30 年 も前のことである。1986 年、
流した。その 、新 展実行 員長であり、新
の姿を た 民の声でもあります。
との出会いは 2000 年 月の元社員
です。前後して富
で流れた」の
の
思い こせ
でしたが、最 は いたくなるようなスリムになっ
ていきました。このことは
に
し
、死 した。この一報を ったのは 日、 が
から「たった今
年
ます
写真家
さんが 月 日 後 11 時 18
月 14 日
7
「もう、以前のような
や
せておられたので
っと大きな 気をして
を されていたのでし う
していました」
と っていらした。
りはできないでし う」
と かな
いの中にも、政治
会 員の話などを積極的に話される姿には、以前にもまして められた
を感じ取っていた。
ここ くはお会いすることもなく時が過 ていったが、政治方 でも 活躍のこ
とと思っていた。事
にお りください。合
からの、
の 報に 驚、声もありません。
どう 安らか
経過報告(
正会員
015 年
月1日
5
平
11 年
し
ます
さんとの出会いは、 が京 の 芸 に めアシスタントとして いておら
れた で、もう 30 年以上 ることになります。お祭りなどの
現場で、長 の 年
がキビキビと動いていた姿が今もよ がえってきます。 立して リーの写真家と
なってからは、行政や
方 の
で活躍しながら、京 をテーマに
を
て
こられました。
一昨年(2013)気心の れた京 の
間 6 人で「京 四
」のタ
イトルでグルー 写真展を行い、京 から東京 と 回し写真集の出版「
(
)」にもつながってゆきました。 ロ ィール写真を
一氏のスタジ で いに
ンバーだれもが
しましたが、まさかその時の写真が
15 年 ど前、
を発 し
活、写真家生活を 出発し
を受 たあと長い
生活を て
的に
に 事もこなしながら各方 で活躍しておられま
した。昨年、 念なことに が 発し、最
ましのお
になるとはメ
できませんでした。
されたので、写真展グルー
員で
いに行こうと日時まで めていた 先、 しい らせが きました。
「57 歳の若さ、写真家として り したことや 念の思いがあったかもしれません
が、最 は安らかに を きとりました」と 様からお聞きしました。通 の には
の
が
を いで写真家を目指すとのこと、どうか 子さんが写真家とし
て成長されてゆく姿を 国から
月1日
りください。心より
をお り します。9
。合
編集後記
30 年以上にわたり
の世界で 事をして
きましたが、
カットを 定した後の 集作
業にかかわることは一 なく、 集
もわか
らない状 で 当に 。
今回、
会報 160 で実
的に めての 集作業に加わったのですが、エ
キス ート いの出版広報 員のおか で
事、 集作業を えることができました。
(加 )
7 月 23 日
の中をア リカ取 に出発。高
の国ルワンダに 3 間 在。20 年前の民
と大
から立
り、今はツ と ツは
存
生の道を んでいる。 に向かった ー
ナは 道に いが
のためか、 はエアコン
いら で過 せた。
「 はア リカに
」が現
実 を
てきた。
(
)
前 でお らせしたエ
イトでの
展に
は 37 名もの応募をいただきありがとう
い
ました。 らしい作品 かりでしたが、会場の
合もあり、8 名のかたを 考いたしました。現
在エ
イト内の ライ ートラボを
して
作品 作が進められているところです。来年 1
月 29 日から始まる
展に
来場くださ
い。
(関)
.
.
.
1カ年 3回 3,500 (
出版広報
発行
員 加
代
3
.
目11
子どもの成長にあわせて 事場が に いや
られつつある。一部
していた
は 事
部 に合 、リビングにあった大 の写真集も
収することに。もともと い我が はついに
の
場もなくなった。そして新たに子ども
部 ができ、
リビングにはおも
ができた。
家 を つとはこういうことかとし じ 。あ
あ。
(
)
今年の
の名月は、スー ームーンという
こともあって、
k などの
には実に
多くの
が ア ッ さ れ て い た。最 の
k では、過 の同じ日にアッ した
報が時々表示される。昨年の今 は、 トキナ
会場にいたのだそうだ。
(
)
.
社
人日本写真家協会(
)
102 0082 東京
代
一
25 地
ビル303
会社
102 0072 東京
日のようにメーカーからリリースを く。
も ろん、
は
上がり。
割 の様
だ。 しい
、ボリュームたっ り。
35 ミリ
ル イズ レンズが、中 カメラ
であ
るのも しくない。
向上という進化とトレ
ード
に、写真家はこれまで以上に
作り
が大 になりそうな予感 。
(
)
成 不 やその他の理由で
コー はも
ろん、
がトレードされたりするのはスポ
ーツの世界で くあること。しかし
する東
京
の 問題では だそういった
が え
ない。なんかそういう状況
が
「スポーツじ
ないな」と思う今日この 。
(
)
015
)
( 員長)
、関 行 (
(理事)
、
この会報では、賛助会員トピックスを長く
当していますが、2000 年以後のデジタル時代に
なってからのカメラの進 には、驚く かあり
ません。35mm タイ でも
数は 5000
を えましたし、
は 409600 まで行きまし
た。
5 年後の東京 リンピックの は、どんな
で
しているのでし うか。
(
)
創立 65 周年記念事業「日本の海岸線を
ゆく 日本人と海の文化」
の詳細が 定した。
周
りを海に囲まれた日本ならではの歴 と文化、
地理や環境問題にも目を向 た内容となってい
る。実行 員の一員として、
目の前には写真集の
集という大 事が
構えている。 ( 池)
m
18
本
10 月 0日 員長)
、
記事
・発
写真の
、 池
話 03(3265)7451(代表)
ビル
月~4月)
月
日 会
6 00 8 00 一 社
人日本写真文化協会
月
日
日 年
回
写真
写真
展
(大 展)
富
イルム
ト ロン大
場者 3,126 名
月
日 回
会
1 30 4 30 東京 合写真 門
203
加者 81 名
「 につ よう
作 の正しい
」 写真の創作 表現 伝達を
るために
月 日 回
日本写真家協会
会
2 00 3 00
会
18 名、 席 2 名、 事 2 名
第1
平成 27 年度事業
の件 第 2
平成 27 年度
収 予
の件 第 3
平成 27 年度新 会員
の件 第 4
「日本写真家協会 会
」
一部変更 の件、
他
月 日
日 年
回
写真
写真展
(
展)
民 ャラリー
場者 68 名
月
日 回 術
会
1 30 4 30 大 本
日会 2 イ ント ール
加者 70 名
に合わせた リント術 ピクトラン開発者が る
月 日 年
会
会
1 00 4 30
会
新 会員 34 名、 員 13 名、 員 10 名、賛
助会員 22 社 32 名
月
日 日本写真
セン ー
会
1 30 3 30
会
組織会員 11 社 14 名、 6 名
月 日 回
展 文
学大
イン
ュー
1 00 3 00
会
受賞者 大
(おおうら
)
さん
月
日
日 年
回
写真
写真
展
(
展)
コン ラ
ト ャラリー
場者 354 名
月
日 回国際交流セ ナー
6 00 8 00 国
関 日本アセアンセンター ール
加者 40 名
タイ国
報セミナー
今 のメッセージボードでは在籍 40 年以上
の会員 様からのコーナーが
られ、5
ージでの
となりました。
写真表現や
、
写
真家の地 の 動発展時代に関わられてきた先
輩方々の話を
し、 めて現在の
を受
ているありがたさを 感いたしました。
(
)
日本写真家協会会報 第160号(年3回発行)
015
、
転
を
・発 人 じます
、
誠、
行 、
一 、
03(3265)7460
話 03(3265)0611(代表)
6
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
あり得ない !!
MASH
+
MASHmanagement
+
MASH creative
広告系の写真を生業としている弊社からみると、 信じられな
い事が報道写真の世界で起こっているようです。
少し前ですが、 世界報道写真財団が主催する報道写真コン
テストには今年、 前例がないほど多くの 「加工された写真」
が持ち込まれ、 最終選考の一歩手前まで残った写真の 20%
が、 過度の加工を施していたために失格となった。 昨年の 3
倍だった。 との発表がありました。
ご存じのように、 広告系写真は色々と手を入れてあります。
受けて側も、 それを前提条件として広告系の写真を見る土壌
が、 社会にはすでにあるようです。
でも、 新聞の事件写真や報道写真は違うと思っています。
写真が写真としてなりたっている世界だと信じていたのです
が、 それが違うようです。
映画 「フォレスト ・ ガンプ」 以降、 写真の証拠能力は無くな
ったと、 聞いた事があります。
社会の矛盾や問題を告発する報道写真で写真に過剰な加工
があったのでは 「信用」 まるつぶれです。
JPS の皆さん 「守るべき一線」 心のなかにしっかりとお持ちに
なっていると信じています。
株式会社マッシュ
市ヶ谷スタジオ ・ オフィス
東京都新宿区市谷本村町 2-23
京都荘ビル B1
〒162-0845
TEL 03-3269-6368
FAX03-3269-1774
原宿マネージメントオフィス
東京都渋谷区神宮前 6-35-3
コープオリンピア #317
〒150-0001
TEL 03-6418-0886
FAX03-6418-0887
www.mash.vg / [email protected]
日本写真家協会会員の企画展開催が決定 !!
「プライベートラボ」での作品制作が進む
サ ト
日本写真
01 年 1 月
サ ト」
いたします 写真展
ト
企画展
「
た
が「
人の
ト
写真展」
ン
いました
ン
うちの・しお
山
きの
の
で
力に
る。1
ら
を
ン
ー 。
の
から
年から 2
ナ
に。写真
山や
7 年まで
に
写真の
ー
に
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の
内野
しく
ズは
リン
本写真家
です。 の
という
が、
の
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的
で
はア
ン
ナ
ス
ン
で
と一
で1 年
を
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に
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らい
を
のですが、
ているので作
にも
写真
内野
内野
やは
が
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が
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く
い
とが
ると
ですが、
を
て写し
うときが
。
る
の活動が活
や
といった
に
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た
と、実
に目で見た
です。 ういった
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ー
か
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き
ら
に
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た内野
すのは
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の写真
か
までは専
が
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体も
かで
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ま
。
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いかと
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ら
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評
か開
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ち
い
また
しているのですが、
をしても、 ー
てもら
がとう
ー
力はこ
で
できます。
ということで、い
を長くして
ています。
大
は
の
ました。
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ー
ました。
っています。
います。
って
やか
て、作
リント
たい
したいと
を
していて、
と
していたのです
-2
を
はとてもいい
て、
」を
に
の写真
しました。
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て
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の
2 13 年にア
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内野
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います。
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っています。
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2 16 年 1 2
2 1
1 3
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2-1-1
三
1 ・
3-33451
作家 内野
、大
、 宮
、三田
、 本
、 原 、 田 、 田 一
JAPAN PROFESSIONAL PHOTOGRAPHERS SOCIETY 160
Photo
hi hini hi