エ ッ セ イ コト バ は ファン タ ジ ー とき ありえ とき ありえ 児童文学作家。翻訳家。 『のぞみ とぞぞみちゃん』(理論社)で日本児童文学者協 会新人賞。主な創作に『海の銀河』 、翻訳に『ゆ きのしたのなまえ』(いずれも講談社)ほか。 コトバって、つくづく不思議です。たとえ ば、 家 の ガ ラ ス 窓 い っ ぱ い に 見 え て い る イ チョウの木。 頭にツノをはやさせたのかもしれない。いず れ に せ よ、 心 の な か の 無 形 の も の が、﹁ マ マ のツノ﹂として、鮮やかにたち現 れ︵表れ︶ まさにこれと同じことが、イチョウという コトバを読む︵書く・聞く︶とき、起こるの たというわけです。 目の前の緑は別ものです。なのに、イチョウ 意味としてのイチョウが、さっそうと立ち上 ではないか。その瞬間、コトバに変換された イチョウ。いちょう。銀杏。どう書く︵読 む・聞く︶にせよ、イチョウというコトバと、 というコトバで、あの緑のものが表せて︵現 んな音がしそうです。 なんという遊び心でしょう。目下のお気に 入りのミニ飛行機。かじったら、なるほどそ ﹁ヒコーキだよ。ぽりぽりたべるの!﹂ その後、リンゴは、紅茶、ミルクと、つぎ つぎよび名がかわり、最後は、 ケントくんは、にこっとして、 ﹁ちがうよ、パンだよ!﹂ ﹁これ、お肉よ。﹂ 三才になる孫のケントに、ナオおばさんが、 食卓のリンゴをさしていいました。 がるのではないか。 せて︶しまう! つまり、あの緑のものがもつ意味のすべて が、イチョウというコトバに変換されている ということでしょうが、これは奇跡ともいう べき大飛躍、ほとんど魔法、まさにファンタ ジーだと思うのです。 ファンタジーとは、ギリシャ語のファンタ スマ﹁存在しないものを存在させる意識の働 き﹂からきているそうです。 ﹃ハリポタ﹄から﹃指輪物語﹄ ﹃ナルニア﹄と、 世はファンタジー・ブームですが、語源にて らせば、児童文学ではおなじみのこの手法の 本質がよくわかります。 ︽ ⋮⋮ そ の と き、 ミ コ ち ゃ ん の マ マ の 頭 に、 三才の子どもは、コトバがいかに〝ファン タジーな代物〟か、ちゃんとわかっているの です。そればかりか、その抽象性を手だまに にょっきりツノがはえました。︾ と、お話に書くとき、それはママの心に宿っ とって、もう遊んでいる! き存在ではないでしょうか。 コトバは奇跡です。が、三才にしてそのコ トバを遊ぶヒトの子どもは、さらに驚嘆すべ たイライラやらカーッが、ツノとなって﹁存 在せしめられた﹂のです。 あるいは、ママなんてきらい! オニみた い! というミコちゃんの気持ちが、ママの 1
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