神の目的に生きる教会 「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」 ヨハネによる福音書 4:24 1)礼拝の始まり 礼拝は人類の歴史とともに始まっています。神によって神の形に創造さ れた人間は、神に向けて造られました。それゆえ、神を賛美、礼拝し、神のみ言葉を聞き、行 うことによって生きる存在であります。しかし、アダムとエバの堕罪によって不従順なものと なり、罪が神と人間を離れさせ、礼拝の交わりを喪失させました。 哀れみ深い神は動物を犠牲にして皮の衣をアダムとエバに着せ、その罪をあがない、裸の 恥を覆うてくださいました。罪の贖いのいけにえによって神を礼拝する道が開かれました。ア ダムとエバは、カインとアベルを生みました。「カインは土の実りを主のもとに捧げものとして 持ってきました。アベルは羊の群れの中から肥えた初子をもってきた。主はアベルとその供 え物に目をとめられたが、カインとその捧げものには、目を止められなかった。」創世記 4:1 ~5 このことは罪の贖いの供え物をささげることなくして、神を礼拝し、祝福を受けることは できないことを教えています。 2)石の祭壇といけにえによる礼拝 信仰の父祖アブラハムやイサク、ヤコブも石の祭壇 に犠牲(いけにえ)をささげて神を礼拝しました。「主はアブラムに現れて、言われた。「あな たの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。」 創世記 12:7 イサクは父アブラハムの神から祝福を受けた時、「そこに祭壇を築き、主の名を呼んで礼拝 した。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは井戸を掘った。」創世記 26:25 3)幕屋の礼拝 モーセの時代、イスラエル民族はエジプトに寄留する奴隷として苦しんでい ました。神はモーセを使わして、子羊の血をもって贖い、罪と死とサタンとこの世の奴隷から 解放して出エジプトさせました。イスラエル民族は 40 年間の砂漠の旅の間、モーセの幕屋 で神を礼拝しました。 4)祭儀礼拝 約束の地、カナン定着後、神殿が建てられ、牛や羊の犠牲の供え物をささげ る”祭儀礼拝”が行われるようになりました。毎日、罪のいけにえがささげられましたが、罪を 取り除くことはできませんでした。「供え物といけにえが捧げられても、礼拝をする者の良心 を完全にすることができないのです。ヘブライ 9:9 5)霊と真理の礼拝 けれどもキリストは恵みの大祭司としておいでになり、「雄山羊と若い 雄牛の血によらないで、ご自身の血によって、ただ一度聖所(天の聖所)に入って、永遠の贖 いを成し遂げられたのです。このキリストの血は、私たちの良心を死んだ業から清めて、生け る神を礼拝するようにします。」へブル 9:11~14 マタイ 28:16~18 で、11 人の使徒と 500 人以上の弟子たちは、動物のいけにえによらな い”霊と真理”の礼拝を主イエス・キリストの御名によって捧げました。 今、十字架、復活のイエスを救い主と信じる者は、主の御名によって、 天と地において”霊と真理”をもって真の神を礼拝する恵みを受けています。 主の御名によって礼拝できる特権を感謝いたします。 アーメン 主任牧師 横田盛永
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