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2 新たな国際秩序と日本への影響
教 p.202-205
配当2時間
学 習 の 要 点
ヴェルサイユ条約とアジアの民族運動
中国の主権・領土保全,門戸開放
・海軍軍縮条約:米・英・日・仏・伊
ヴェルサイユ条約,国際連盟創設
日本:南洋諸島委任統治権,山東省の権益
⇒ ワシントン体制:東アジアの国際秩序
中国:五・四運動 朝鮮:三・一独立運動
ワシントン体制と強調外交
→ 幣原外交=協調外交,軍縮
デモクラシーと改造の思潮
1921年〜1922年 ワシントン会議
吉野作造:民本主義
・四か国条約:太平洋の現状維持
美濃部達吉:天皇機関説
・九か国条約:米・英・日・中 など
総力戦→ 大衆の政治参加要求=普選運動
1 ヴェルサイユ条約とアジアの民族運動
パリ講和会議
(1919年)
民族自決:バルカン・東ヨーロッパに多くの独立国家誕生
ヴェルサイユ条約
(1919年)
ドイツ:領土の縮小,軍備の制限,多額の賠償金
日本:赤道以北のドイツ領南洋諸島の委任統治権
山東省のドイツ権益の継承
国際連盟の創設
(1920年)
(反日・反帝国主義)
中国:ドイツ権益の返還要求→ 五・四運動
朝鮮:三・一独立運動→ 武力行使による鎮圧→ 文化政治への方針転換
2 ワシントン体制と協調外交
第一次世界大戦勃発以来 日本の中国権益の拡大→ 日本と列強間の緊張
社会主義国家ソヴィエトの誕生,日米の国際的地位の向上
アジアにおける民族運動の高揚,平和志向の強まり
ワシントン会議
(1921年〜1922年) アメリカの提唱による海軍軍縮会議
目的:東アジアの平和維持のため,日本の勢力拡大を抑える
大国間の勢力均衡による国際秩序の形成を図る
四か国条約
(1921年) 米・英・仏・日
:太平洋諸地域の現状維持
日英同盟破棄へ
九か国条約
(1922年) 米・英・仏・伊・日・中・蘭・ベルギー・ポルトガル
:中国の主権尊重,領土保全,機会均等,中国での日本の特殊権益否認
山東省還付,石井ランシング協定破棄へ
海軍軍縮条約
(1922年) 米・英・日・仏・伊
:主力艦保有量の制限
(米:英:日:仏:伊=5:5:3:1.67:1.67)
,
10年間の主力艦の建造禁止
⇒ ワシントン体制の形成
:アメリカの国際政治上の地位が向上,日本の中国進出を抑制
日本…イギリスやアメリカとの協調外交,中国進出を抑制,軍縮
加藤高明内閣
(1924年〜)
の幣原喜重郎外相:幣原外交,協調外交
3 大正デモクラシーと改造の思潮
第一次護憲運動以降,デモクラシーの思潮が高まる
吉野作造の民本主義
:デモクラシーの訳語として民本主義を利用,普通選挙によって民意を政治に反映
美濃部達吉の天皇機関説
(国家法人説)
:国家の主権は法人としての国家にあり,天皇をその最高機関とする憲法学説
大日本帝国憲法の下での政党内閣制に理論的根拠を与える
第一次世界大戦=総力戦→ 植民地で民族自決要求,本国で大衆の政治参加要求
→ 欧米の普通選挙運動
(普選運動)
の影響が日本にも及ぶ
学 習 の 要 点
護憲三派内閣と普通選挙法
社会運動の展開
労働運動・共産主義・農民運動
日本共産党・日本農民組合
(1922)
→
友愛会
(1912)
,日本労働総同盟
(1921)
1924年 清浦奎吾内閣 vs. 護憲三派
第二次護憲運動:普選断行
1925年 加藤高明
(護憲三派)
内閣
部落解放運動 全国水平社結成
(1922)
普通選挙法:25歳以上の男子に参政権
婦人運動 平塚らいてう,市川房枝ら
治安維持法:共産主義思想を弾圧
青鞜社
(1911)
,新婦人協会
(1920)
〜1932年 憲政の常道
婦人参政権要求運動
(1924〜)
:政党の総裁が組閣する慣例
4 社会運動の展開
ロシア革命の影響,米騒動などの民衆運動の高まり→ 1920年代 社会運動が活発化
労働運動:友愛会
(1912年,労使協調)
が日本労働総同盟
(1921年,階級闘争,労働争議を指導)
に発
展
社会主義運動:日本共産党の結成
(1922年)
農民運動:小作争議
(小作料減免を要求)
の頻発,日本農民組合の結成
(1922年)
部落解放運動:全国水平社の結成
(1922年)
アイヌ解放運動:北海道アイヌ協会設立
(1930年)
婦人運動:青鞜社設立
(1911年,平塚らいてう,女性の解放を訴える)
新婦人協会設立
(1920年,平塚らいてう,市川房枝ら)
…女性の政治参加要求→ 治安警察法第5条の改正に成功
婦人参政権要求運動
(1924年~)
5 護憲三派内閣と普通選挙法
原敬首相暗殺
(1921年)
→ 高橋是清
(立憲政友会総裁)
内閣…政党内閣,閣内不統一で総辞職
→ 加藤友三郎内閣,第2次山本権兵衛内閣,清浦奎吾内閣…非政党内閣
第二次護憲運動
(1924年)
清浦奎吾内閣
(1924年)
の成立
→憲
政会・立憲政友会・革新倶楽部
(=護憲三派)
が,普通選挙断行・貴族院改革を主張し,第二次
護憲運動を展開
→ 選挙で護憲三派が大勝
→ 憲政会の加藤高明が組閣=護憲三派内閣の成立
→ 「憲政の常道」
(1932年の五・一五事件までの8年間,政党の総裁が組閣する慣例)
加藤高明内閣
(1924年〜1926年)
普通選挙法
(1925年)
制定
:選挙資格の財産上の制限を撤廃→ 25歳以上の男子に選挙権
治安維持法
(1925年)
制定
:共産主義思想の取り締まりを強化
田中義一内閣
(1927年〜1929年)
→ 無産政党
(社会運動・労働運動指導者)
から8人当選
最初の普通選挙
(1928年)
→ 治安維持法の改正
(1928年)
:最高刑を死刑に,特別高等警察を全国に配置
共産党員の大量検挙…三・一五事件
(1928年)
,四・一六事件
(1929年)