視聴覚教育 ラジオとテレビの起源 1.ラジオの起源と放送の始まり (1) ラジオ放送の始まり ラジオ放送は有線の電気通信から発展し、1920年代には新しいマスメディア産業に ●アメリカの( ●( ) ) 電信の発明(1844年) 電話の発明(1876年) ●イギリスの物理学者マクスウェル(1870年代) ●ドイツの物理学者ヘルツ(1888年) ●イタリアの( ) 電磁波の放射の理論 電磁波の証明 (1894年) モールス信号を約2km先までおくり、無線通信の基本技術を発明 イタリアの郵便通信省は実用的でないとしてとりあげなかった。 マルコーニは投資家の援助をうけて97年に会社を設立(イギリス) 無線電信の限界度を拡大する実験を、海上の船と実施 1906年のクリスマスイブに、電信信号にまじって人間の声をきいた世界中の通信手 は仰天した。 ●初のラジオ放送のアイデア(1916年) アメリカ、マルコーニ社のデービッド・サーノフ→上役は懐疑的で棚上げに ●世界最初の正式なラジオ放送 ウェスティングハウス・エレクトリックの副社長ハリー・デービスは、次の大統領 選挙の結果発表の時までに、強力な送信機をつくるよう技術者フランク・コンラッ ドに依頼 。( )年11月2日、ペンシルベニア州ピッツバーグのKDKA局 は、ハーディングが大統領に当選したことを放送した。 ●アメリカの発明家リー・デ・フォレスト 真空管の発明(1906年) ラジオの技術的基礎となる。 ●ニューヨークのWEAF(現WNBC)による最初の商業ラジオ広告放送(1922年) 26年には約500万世帯がラジオをもつにいたった。 ●ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA) アメリカ電信電話会社とむす んで、最初の商業ラジオ・ネットワークを設立 ●混信をなくすため1927年のラジオ法で連邦ラジオ委員会(FRC)がつくられ、周波数 を管理 ●1934年の通信法 FRCにかわって連邦通信委員会(FCC)が設立され、電話、電信、無 線通信まで監督することに。 ●ヨーロッパ諸国 (2) 20年代前半にラジオ放送がはじまる。 日本におけるラジオ放送 ●日本 1922年(大正11)に逓信省通信局が無線通信法にもとづいて、ラジオを「放送 用私設電話」と規定 ●( )年3月に社団法人東京放送局を認可、ラジオ放送がはじまる。 ●26年8月、東京、大阪、名古屋の3放送局が合併し、社団法人日本放送協会(NHK)が 設立される ●戦後、50年に無線通信法が廃止され、民間のラジオ放送局ができる。 2.テレビの発明と放送の始まり (1) テレビの発明からテレビ放送の開始へ ●1875年 アメリカのケアリーが光電現象を応用して光を電気に変える素子すなわ ち光電素子と伝記を光に変える素子すなわち電光素子を画面内に多数配置し、1対 1で並列に接続してテレビ効果を得る提案を行う。 ●1884年 ドイツの発明家( )が回転する円盤をつかって有線で画像を 電送する技術を開発 ●1925年 イギリスのJ.L.ベアードが機械的走査方式を完了し、テレビの公式実験 を行う。テレバイザーと命名する 。(図1) ●1927年、P.T.ファーンスワースが精巧な光電管を開発し、以来、電子的に体系づけ られたテレビ放送の基本原理が利用できるようになった。 ●日本でも1927年 、( )がニプコー円板と光電管をつかって、ブ ラウン管をもちいたテレビを成功させた 。(図2) ●1928年に最初のテレビドラマ「女王の使者」がニューヨークの実験用設備で放送さ れた。 ●30年代、RCAの社長サーノフ 物理 学者ウラジーミル・ツウォリキンに テレビカメラ改良の研究をつづけさ せ、RCAはエンパイアステート・ビ ルから実験放送をおこなった。 ●1833年、ツウォリキンが光電変換機 能と電子的な走査機能を兼ね備えた 真空管(撮像管)アイコノスコープ の開発に成功する。テレビ技術の大 幅な向上が可能になった。日本でも35年に高柳が 開発に成功する。 (左の図は日本で1935年に開発された家庭用テ レビ受信機) ●( )年の世界博覧会にテレビは劇的な デビューをはたす。最初のテレビ受像機の画像は 白黒で、画面も13cmと小さく、数百ドルもした。1 940年代初めはテレビの夜明けの時代だったが、す でに第2次世界大戦がはじまっており、産業界の関 心は戦争にむいていた。 ●戦後、アメリカのテレビ放送は急速にのびた。そ のためVHF帯(超短波、チャンネル2∼13)でのテレ ビ放送用周波数が少なくなり 、1952年にはUHF帯(極 超短波、チャンネル14∼83)をテレビ送信に開放し た 。55年にはアメリカ全世帯の67%がテレビをもち、 60年には87%までになった。 (左の写真は50年代アメリカの家庭用 テレビ) (2) 日本におけるテレビ放送 ●日本のテレビ放送は第2次世界大戦後 に開始。1950年従来の無線通信法が廃 止され、電波3法(電波法、放送法、電 波管理委員会設置法)が制定された。 ●電波管理委員会(2年2カ月で消滅)が新 たにテレビ局に免許をあたえ、53年2 月NHK東京テレビ局、同年8月日本テレビ放送網が開局し、本格的テレビ放送がスタ ートした。NHK開局時の受像機台数は866台、当時の受像機は23万∼29万円(大卒初 任給が約1万円)であった。しかし人々の関心は大きく、街頭テレビに大群衆がおし よせた。 ●( )年の皇太子ご成婚は、テレビの普及に拍車をかけ、59年末のNHK 受信契約数は346万にふえ、民間テレビ局も38局となった。 ●( )年にカラー放送がはじまり、61∼62年に全日放送体制が各局にで きあがり、テレビ普及台数は62年には1000万台をこえ、普及率は48.5%となった。6 8年には大量のUHF局(43局)に免許がおり、69年末のテレビ普及率は90%をこえた。
© Copyright 2024 Paperzz