俳句を詠む - World Haiku Association

俳句を詠む
― 俳 句 初 心 者 の 一 外 国 人 の 疑 問 ― ( 感 動 し 俳 句 知 ら ず が 俳 句 詠 む ) C h i a u s h i n N g o ( N g - B a n g ) 呉 昭 新 ( オ ー ボ ー 真 悟 ) 私 は 1930 年 生 ま れ の 台 湾 人 で す 。 15 歳 ま で 日 本 語 教 育 を 受 け
ま し た 。そ の 後 は 日 本 語 を 使 う 環 境 に は 生 活 し て い ま せ ん 。華 語 は 15
歳から習い始めました。以後日常公用語として使っています。母語の
台湾語は家庭内で使ってはおりますが、政治状況の変化により何度か
使用禁止の憂き目にあっていますので、まともに使うことが出来ませ
ん。英語は学校教育で外国語として習いました。で、結果を申します
と、一つとして完璧に駆使できる言葉も持たない、言葉の落ちこぼれ
の 、 台 湾 の 「 無 母 語 人 」 の 世 代 で す 。 さ て 、78 歳 に な っ た あ る 日 の こ と 、た だ 日 本 語 が あ る 程 度 話 せ
るというだけのことで、誘われて当地の日本語俳句会に参加させられ
ま し た 。 暫 く ( 約 一 年 余 り ) す る う ち に 、「 俳 句 」 と は ? と い う 壁 に
突 き 当 た り ま し た 。 と く に 「 季 語 」、「 有 季 」 ‧「 無 季 」、「 客 観 写 生 」
な ど 。 定 型 、 季 語 と 客 観 写 生 は 俳 句 の 主 流 で か つ 本 流 で あ り 、 本 流 以
外は支流にもならない渓流のようです。ところがよく見ると、子規の
「俳句」以後の「現代俳句」の俳人に、有季と客観写生に則しない名
句や秀句が少なからずあります。そして、それらを俳句として許容し
ていくための説明として、相当無理なこじ付けの弁解や説明もあるよ
う で す 。 前 述 の ご と く 私 の 日 本 語 は 生 半 可 で 完 璧 な も の で は あ り ま せ
ん、でも外国人の日本語学者はいざ知らず、ただ日本語が使えるだけ
という外国人に比べればまだ少しはましな方です。その私が俳句につ
い て 壁 に ぶ つ か っ た 以 上 、外 国 人 は 、な お さ ら の 事 で し ょ う 。し か し 、
俳 句 は す で に 全 世 界 で「 Haiku」と し て 知 ら れ て か ら 百 年 を 超 え ま す 。
そ こ に 矛 盾 と い う か 、 理 解 に 苦 し む 事 実 が 出 て 来 る の で す 。「 俳 句 」 ‧
「 Haiku」 の 本 質 は ? そ し て 「 漢 字 文 化 圏 」 に お け る 「 漢 字 俳 句 」 の
位 置 づ け ? 範 囲 ? そ し て 、あ れ こ れ ネ ッ ト を サ ー フ イ ン し て い る 内 に「 世 界 俳 句 」
に出会いました。そこで夏石番矢こと乾昌幸氏のお名前とお仕事を知
り、私がネットを漁ってそそくさと書き上げた大雑把な台湾の俳句事
情に関する拙文の意見を請うたところ、華語に堪能で漢詩人であり、
また、俳人でもある鮟鱇こと石倉秀樹氏を紹介されました。以後一ヶ
月余りの間に各々十何通かの E メールでのやりとりで、日本及び世界
における俳句事情ならびに俳論について、短い時間で多くの知識をご
教示に預かり、先の短い私にとっては、シヨートカットですが、この
上 も な い 幸 運 で し た 。 下 記 に て 私 が 石 倉 氏 か ら 習 い 知 っ た 「 俳 句 」、「 世 界 俳 句 」、「 漢
語 俳 句 」、 並 び に 「 こ れ か ら の 俳 句 」 を 基 に 、 自 分 な り の 幼 稚 な 会 得
を述べさせて頂き、また皆様方のご高見を仰ぎたい次第です。俳句は
三年以上習わないとその入り口さえ知ることをえないと言われます
が、一外国人、そして先の見えている私です、門外漢の幼稚かつ乱言
な る 発 言 を 、 大 目 に 見 て い た だ き た い と 思 い ま す 。 先 ず 、「 詩 」 と は 人 間 が 自 然 や 人 事 な ど か ら 受 け る 感 動 を 、 リ
ズムをもつ言語形式で表現したもの、即ち人間の感動を言葉に表すこ
とと了解します。そして「俳句」はその「詩」のジャンルの一族に含
ま れ る 筈 で 、「 文 芸 」、「 文 学 芸 術 」 の 一 員 で す 。 感 動 と は ? 人 間 と 言 う 動 物 ( 霊 長 類 ) が 特 有 す る 感 情 の 現 れ 、
とは云うものの、犬にある感情以下の情しか持たぬ人間もいます。し
かし犬はその感情を行動には表わせるが、記号では表せられない、そ
れ が 人 間 様 に は 出 来 る 、 そ れ が ロ ラ ン ‧バ ル ト の 言 う 「 表 徴 の 帝 国 」
の俳句なのか?それはともかくとして、俳句を詩ではないと否定する
人 は 、 今 は も う 滅 多 に い な い と 思 い ま す が 、 ひ と む か し 前 ( 1946)、
桑原武夫氏が俳句を「第二芸術」と批評して一騒動を起こしました。
当時の大家たちからは大した反駁がなかったとかあったとかいろい
ろの言い分がありますが、六十余年後の今日に至るまで同じ状態が続
いているようです。桑原氏の第二芸術論の是非は別として、問題は主
宰、師匠の絶対的権威と流派の独裁的言葉のいじくり回しです、それ
が 今 で も 続 い て い る こ と で す 。 で 、「 詩 」 と は 何 だ ろ う ? 人 間 の 言 葉 を 律 動 の あ る 言 い 回 し で
表現すること(声に出し、又は字で書き出して詠むこと)なのではな
いか。そして「感動」は、人間が日常生活で出会う全ての出来事(人
情 道 理 )に 対 す る 反 応 で あ る べ き で 、人 間 の 感 覚( 視 覚 、聴 覚 、触 覚 、
味 覚 )、 人 情 、 人 事 、 倫 理 、 論 理 及 び 哲 学 な ど 全 般 を 含 む べ く 、 ま た
主 観 、 客 観 の ど ち ら を も 含 ん で い る の で は な い で し ょ う か 。 「 俳 句 」 に は も う 一 つ の 条 件 が 附 け ら れ て お り 、 そ れ が 俳 句 を
他の詩と区別します。それは「短小」という条件です。そして一口に
「短小」といっても、どれだけ短小でなければならないかというと、
一寸戸惑いますが、一応どの言葉に於いても、その言葉において最短
であるべき、ということかと思います。無理に云えば「アッ!しまっ
た」という感嘆詞もその一言だけで最短の感動の一章になります。そ
れを各言語の話者たちがそれぞれの歴史の時間のなかで、お互いに決
め、また決めて来ているのです。そして、俳句の源流である日本では
五七五合わせて十七音節が基準になっています。一方、表音系文字の
西洋では三行詩のようです。でも、どの言語でも、いわゆる名詩人‧
俳人が詠めば破調という例外が認められるのが人間様の悲しさ、人情
義 理 、 権 力 権 威 に 逆 ら え な い ユ ニ バ ー サ ル な 人 間 性 な の で す 。 と こ ろ で 、 五 七 五 が い や な ら 、 自 由 律 の 俳 句 を 作 れ ば よ い と お
っしゃる方もいられます。しかし、長さに制限がないと詩と変わりが
ありません、俳句ではなくなります、そこで、秋元不死男氏の、ある
程度定形に縛られると言うことが俳句の俳句たる由縁、という説明も
理解できます。秋元氏は俳句の定形はもともと文語を基にして決めら
れたもので、口語で俳句を詠むには少し窮屈である、と言っておりま
すが
。 「 俳 句 」 は 日 本 に 起 源 し 、 今 や 全 世 界 に 広 が っ て い ま す 。 し か
し 、 日 本 の 伝 統 俳 句 で は ご 承 知 の 通 り 、「 季 語 」 を 用 い る べ き と さ れ
ていますが、日本語以外の言葉では「季語」は受け入れがたい、とい
う こ と に な っ て い る よ う で す 。 日 本 で は 五 七 五 と 季 語 以 外 に 子 規 が 俳 句 と い う 用 語 を 作 っ て
以降、虚子によって客観写生という条件が更につけ加えられました。
そして、これから俳句を始めようとする人たちは、必ずと言っていい
ほ ど こ れ ら 三 つ の お 決 ま り が 先 ず 師 匠 、 主 宰 か ら つ き つ け ら れ ま す 。 私 の よ う な い わ ゆ る 芸 術 の 細 胞 を 持 た な い 生 ま れ つ き の 者 は 、
第一歩から大きな岩にぶつかるのです。芸術の遺伝子はなくても私は
豊かな感情の持ち主で、何事にもよく感動します。その感動は俳句の
感動と違うのでしょうか?定型の五七五は一応問題はありません、季
題は私の住む台湾では季節風土が日本とは少し違いますが、少し勉強
すればまだ何とかなります、しかし三つ目の客観写生はなんともなり
ません。人間の生活のなかで感動することは山ほど有るのですが、何
故人間の全ての感動の一小部分の視覚の感動だけに縛り付けられな
け れ ば 、俳 句 に な ら な い の で し ょ う か ? そ し て そ の 上「 客 観 」だ け に 。
これは、ただ虚子がそれを主張したからだけの理由でしょうか?私と
し て は 、 俳 句 に も っ と 広 い 視 野 を 期 待 す る も の で す 。 山 本 健 吉 氏 は 「 俳 句 と は 何 か ( 角 川 文 庫 )」 の 中 で 、 俳 句 の 本
質とは「挨拶・滑稽・即興」であると書いています。ところが今の俳
句選集には子規、虚子たちも詠んだ滑稽な俳句は稀にしか見られませ
ん、滑稽は川柳の地盤に劃されているようです。人生の全ての感動を
詠む上で、俳句と川柳を区別する必要があるでしょうか、極端なアイ
ロニーや穿ちは別として、俳句に近い川柳、川柳に近い俳句も詠まれ
ている今日、その必要はないと思います。また「即興」で思い出すの
は、俳句の瞬間的感動という本質です、さすれば師匠たちが言葉を、
盆栽をいじくり回すようにいじくっているのは何なのでしょうか。こ
う い う 状 態 が 何 時 ま で も 続 く よ う で は 、 俳 句 の 将 来 が 思 い や ら れ ま す 。 鷹 羽 狩 行 氏 は 日 本 で 作 ら れ る 俳 句 の ほ か に 「 海 外 俳 句 」 ‐ 海 外
旅行や吟行で作られた俳句、
「 在 外 詠 」‐ 外 国 駐 在 中 に 作 っ た 俳 句 、
「海
外ハイク」‐外国人が母国語で作った俳句としています、そして「海
外 ハ イ ク 」 を さ ら に 「 英 俳 」、「 漢 俳 」 に 分 け ら れ て い ま す 。 し か し 、
理 由 は 別 文 で 述 べ さ せ て い た だ き ま す が 、「 漢 俳 」 は 、 俳 句 と は 言 い
かねます。ここでは、百年あまりの時間をかけて「世界の俳句」にな
り つ つ あ り 、 い や な っ て し ま っ た 「 俳 句 」 に つ い て 考 え ま す 。「 世 界
の 俳 句 」 と は 、 何 で あ る の か ? 世 界 の 俳 句 と は 、 上 に 掲 げ ら れ た 条 件 に 当 て は ま る よ う に 、 各
言 葉 に よ っ て 詠 ま れ る 短 い 詩 で す 。 外 国 人 が 日 本 に 源 を 発 す る 俳 句 の 本 質 が 何 で あ る か を 問 お う
とするとき、日本の俳人の答えは「俳句」イーコル「伝統俳句」とい
う 考 え が 主 流 で 、「 季 語 」 が 無 く 「 客 観 写 生 」 で は な い 作 品 は 「 俳 句 」
ではない、と言われてしまいます。しかし、この二つの条件は外国人
にとっては難解で、また俳句の必須の条件とはどうしても思えません。
日本においてもある人たちは「季語」と「客観写生」を「俳句」の必
須 条 項 と は 見 な し て い ま せ ん 。 ま た 、 芭 蕉 こ の 方 、「 俳 句 」 と 命 名 し
た子規、その弟子たち、昭和初期、二次大戦中の新興俳句、戦後の昭
和 後 期 、そ し て 現 在 の 平 成 期 に お い て も 、多 く の 俳 人 た ち が「 非 定 型 」、
「 無 季 」、 ま た 「 客 観 写 生 」 で な く 「 人 情 道 理 」 を 詠 ん だ 名 句 秀 句 を
残しています。いわんや「客観写生」をうちたてた虚子さえも、いわ
ゆる「客観写生」は一般大衆に俳句を広めるための便宜の策で、本意
はそうでないと言われています。それが証拠には「去年今年貫く棒の
如きもの」という論理的名句を「第二芸術論」騒ぎの四年後に残して
います。市井の「伝統俳句」を奉じる師匠、主宰らは果たして真の俳
句を了解しているのでしょうか。それとも、言葉にするのも野暮です
が、一国一城の主の地位を保たんがための私心から「伝統俳句」を奉
じているのでしょうか。私の狭い知識の中でもすでにネットのうえで
中川広氏が異議を持ち出しているのに気づきました。また虚子の「客
観写生」の主張論にしても秋尾敏氏、石倉秀樹氏らが虚子の真意でな
いと述べていられます。そして、坊城俊樹氏も、血縁、家系のゆえか
堂々巡りをしながら客観写生にもどっていますが、途中がどうもすっ
きりしないようです、私の日本語理解力の至らぬ由縁かも分かりませ
ん が 。 こ こ で 俳 句 の 本 質 を 探 る と き 、 石 倉 氏 が 俳 論 を 知 ら な い 私 の た
め に 引 用 し た 一 段 を 下 記 に 記 し て み ま し ょ う 。 > イ ン ド の 俳 人 サ ン ト シ ュ ・ ク マ ー ル は 、『 俳 句 に お い て テ ー マ
と な る 内 容 』 と い う 小 論 の な か で 、 次 の よ う に 書 い て い ま す 。 「 実 際 、 普 遍 的 に 受 け 入 れ ら れ る 俳 句 の 定 義 な ど 、 不 可 能 な の
だ。マックス・ヴェルハルトはいろいろな国の俳人たちに三〇∼四〇
語で俳句定義を募った際、これにつきあたった。マーティン・ルーカ
スは、マックス・ヴェルヘルトにこう書き送った。――俳句は、書か
れる一句ごとにしか定義されない。ある意味、新しい句のひとつひと
つによって再定義される。こう考えてみてほしい。自分で一句作るた
び に 、 俳 句 と い う 型 式 を 実 際 に 定 義 し な お し て い る の だ !『 西 洋 俳 人
の と ら え た 俳 句 の 本 質 』」。 確 か に う ま く 言 っ た も の だ と 思 い ま す が 、 は た し て 俳 句 を 生 み
出した日本の俳人たちは、そのまま受け入れて良いのでしょうか?少
し 寂 し い 思 い が し ま す 。 私 は 俳 句 に 心 惹 か れ る 一 外 国 人 と し て 「 伝 統 俳 句 」 を 固 持 す る
師匠たちが自分たちの私心を固持することなく、もっと広い心で「俳
句 」 を 包 含 し 、「 世 界 俳 句 」 に 進 む の を 期 待 し て い ま す 。 と ど の つ ま
りは五七五、季語、客観写生は俳句の本質ではなく、習慣やある人た
ち に よ っ て 付 け 加 え ら れ た 制 限 で 、 必 須 の 条 件 で は な い と 思 い ま す 。 も と よ り 私 は 、
「 伝 統 俳 句 」を 全 否 定 す る つ も り は あ り ま せ ん 。
歴史的事実としてある期間に「伝統俳句」を遵守した秀句が多く残さ
れている以上、その価値は認められるべきであるが、世界俳句を目指
す 上 で は 必 須 で は な い 、 と 言 う だ け で す 。 日 本 の 俳 句 も 、「 伝 統 俳 句 」
か否かをお互いに議論するばかりではなく、各自が好きな形を択べば
い い の で は な い で し ょ う か 。 「 和 歌 」 や 「 連 歌 」 で な く 「 俳 句 」 が 世 界 に 受 け 入 れ ら れ た の
はそれだけの理由があるはずです。そして私は信じます、師匠たちが
子規以降の多くの名俳人の如く、知らぬうちに少なからずの無季また
は 論 理 的 な 名 句 秀 句 を 詠 ん で い る は ず と 。 俳 句 に は ま た 、 水 墨 画 の 余 白 と 鈴 木 大 拙 の い う 禅 の 思 考 と の 関
係する要素があるようです、正直のところ、この二つが、俳句が世界
に広まった重要な要因ではないのでしょうか?視覚の感動が哲学の
思考へ飛躍するのは確かです、しかし、その他の感覚ではいけないで
しょうか?詠み残し、彼ら自身の経験からくる感動を読む人に味あわ
せる余白を残すことは一石二鳥、いや三鳥、五鳥、百鳥という異なる
感動を引き起こすのです。詠む人の感動と読む人の感動は、必ずしも
同 じ で は あ り ま せ ん 。 そ れ で い い の で は な い で し ょ う か 。 詩 を 読 ん で そ の 意 味 が 理 解 で き な い 詩 に よ く 出 会 い ま す 。 俳 句
でも同じことが言えます。そういう時いつも自分には、詩または俳句
の才がないのだと寂しい思いに陥ります。しかし、自己安慰でこうも
考えます、人にはそれぞれに違った人生経験がある、あるひとが経験
した事を他人も経験するとは限らない、それゆえある人が詠んだ俳句
を他人が理解できるとは限らない、とくに優れた感覚をもつ人、また
特 別 な 経 験 を し た 人 の 感 動 は 、 他 人 は 理 解 で き な い も の な の だ 、 と 。 だ か ら 他 人 の 詩 ま た は 俳 句 を 滅 多 な こ と で 批 評 し て は な ら な
いのです。そして、他人の批評を気にすることもないのです、主宰や
師 匠 の 言 う こ と も 、 そ の 添 削 も 、 基 本 的 な こ と 以 外 は 。 俳 句 を 三 、 四 十 年 も 詠 ん だ 人 が 句 会 で 得 点 が 少 な い と 気 を も ん
でいる事がよくありますが、そういう必要はないと思います。たとえ
ば、テレビの句会では、主宰によって選択のしかたや着眼点が違うと
いうことがあり、ある主宰が秀句と択んだ句を別の主宰は必ずしも秀
句とはしません。正直な主宰ははっきりと言います、○○主宰だと私
が 取 ら な い こ の 句 を 取 る と 。 「 俳 句 的 瞬 間 」、「 瞬 間 の 感 動 」、 そ し て そ れ を 最 短 の 音 で 表 す
の が 俳 句 の 本 質 で あ り 、「 有 季 」 に 固 執 す る よ り 大 事 で す 。「 有 季 」 の
本来の目的は、短い季語でもって何倍かの意味含蓄を持たせることで
あ れ ば 、 季 語 が な く て も 目 的 を 達 す る こ と が で き 、 ま た 、 季 語 に 変
わる何物(キーワード)かがあるならば、季語は不必要だとおもいま
す 。 で も 、 あ っ て も 少 し も 邪 魔 に は な り ま せ ん 。 「 季 語 」 は 本 来 は 連 句 に お け る 発 句 の 挨 拶 の 言 葉 と さ れ て い ま
す。日本人は人に出会ったときや、手紙の初頭には必ずと言っていい
ほど季節の挨拶言葉から始まります。英語ではそうではないようです。
「 How do you do?」 ,「 How are you?」 中 国 で は 「 你 好 ! 」、 で も こ れ は 、 新 時 代 の 造 語 で す 、 台 湾 で
は 「 吃 飽 未 ? 」( お 食 事 は す み ま し た か ? ) が 一 般 的 な 挨 拶 の 言 葉 で
す。日本俳句で季節感を必須とするのは理解できますが、外国人には
少 し 無 理 な よ う で す 。 ま た 石 倉 氏 は 、 世 界 の 俳 句 の 発 展 に 寄 与 し て い る 原 動 力 は 、 芭
蕉、蕪村、一茶らの句の各人の個性で、決して俳句の季語や五七五で
はない、といっていますが、そうであれば、季語や五七五を固持する
必 要 は あ り ま せ ん 。 世 界 の 俳 人 は 互 い に 異 質 の 中 に 何 と か 同 質 を 求 め よ う と し 、 そ
して、ある同質の要素を見出したからこそ、世界を股にかけて俳句に
愛着を見出しているのだと思います。これに対し、日本の俳人は、結
社の中でいつまでも同じことに執着し、言葉をいじくっている感じが
します。何とかその狭いしきたりから抜け出して、新しい未来を求め
られないものでしょうか?伝統は守るべきですが、この情報が溢れ、
情報過剰でもある時代に、情報の荒波をうまく利用し、乗り越えて往
くべき道を探さなければ、いつか取り残され、呑み込まれてしまうの
ではないでしょうか。インターネットをサーフインしているうちに、
三、四十年の歴史を誇る結社がいまだにホームページを持っていない、
と言う事実に出会いました。清国の義和団、日本刀を振り回して機関
銃掃射に突っ込む昔の侍、硫黄島の日本兵を思い浮かべさせられまし
た 。 以 上 俳 句 に つ い て の 現 状 と 疑 問 を 多 く 並 べ ま し た が 、 こ れ 等 の
問題が解決されない限り、日本の俳句は今のままの姿にとどまる事で
し ょ う 、 そ し て 世 界 の 俳 句 も 足 踏 み を す る こ と で し ょ う 。 で も 俳 句 が 世 界 の 異 な る 言 葉 で 詠 ま れ て い る 以 上 、 そ こ に 何 か
同質のものがあるはずです。今で言う俳句の定義にとらわれない、世
界 の 俳 句 の 定 義 を 共 に 見 つ け ま し ょ う 。 俳 句 の 本 質 、 日 本 人 は そ れ を 捜 し 出 し 大 事 に し な く て は な ら な
い と 私 は 思 い ま す 。 「 漢 語 俳 句 」 に つ い て は 討 論 す る 内 容 が 違 い ま す の で 稿 を あ ら た め
て 述 べ さ せ て い た だ き ま す 。 幼 稚 な 俳 句 の 知 識 と 生 半 可 な 日 本 語 で 一 外 国 人 が 、 日 本 い や 世
界 の 俳 句 に 対 す る 期 待 を 述 べ さ せ て い た だ き ま し た 。 ( 2010 年 6 月 16 日 、 脱 稿 ) 【 参 考 : 書 目 、 ホ ー ム ペ ー ジ 、 ブ ロ グ 】 楠 木 し げ お:
《 旅 の 人 ‐ 芭 蕉 も の が た り 》、銀 の 鈴 社 、東 京 、日 本 、
2006. 嶋 田 青 峰 :《 俳 句 の 作 り 方 》、 新 潮 社 、 東 京 、 日 本 、 1941. 鷹 羽 狩 行 :《 も う 一 つ の 俳 句 の 国 際 化 》、( 第 17 回 HIA 総 会 特 別
講 演 よ り )( 2006. 6. 6) http://www.haiku-hia.com/pdf/takaha2006.pdf 秋 元 不 死 男 :《 俳 句 入 門 》、 角 川 学 芸 出 版 、 東 京 、 日 本 、 2006. 佐 籐 和 夫 :《 西 洋 人 と 俳 句 の 理 解 ― ― ア メ リ カ を 中 心 に ― ― 》: 日 本 語 学 : 14: 12-18.1995。 現 代 俳 句 協 会 編 集 委 員 会 :《 日 英 対 訳 21 世 紀 俳 句 の 時 空 》、 永 田
書 房 、 東 京 、 日 本 、 2008。 木 村 聰 雄 :《 20 世 紀 日 本 的 俳 句 ─ ─ 現 代 俳 句 小 史 》。《 21 世 紀 俳 句
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》
http://www.geocities.jp/ginyu_haiku/criticism.htm 八 木 健 :《「 俳 句 の ル ー ツ は 滑 稽 」 ― 「 子 規 、 虚 子 た ち も 詠 ん だ 」》 http://www.kokkeihaikukyoukai.net/img/newspaper01.pdf 中 川 広 :《 中 川 広 の 俳 句 ペ ー ジ 》 http://www1.odn.ne.jp/~cas67510/haiku/index.html 呉 昭 新 :《 台 湾 俳 句 之 旅 》。「 台 湾 文 学 評 論 」、 第 十 巻 第 一 期 、 pp.75~95, Jan. 2010, 台 湾 文 学 資 料 館 、 真 理 大 学 、 台 湾 http://140.119.61.161/blog/forum_detail.php?id=3177 オ ー ボ ー 真 悟 ( 呉 昭 新 ):《 オ ー ボ ー 真 悟 》 http://oobooshingo.blogspot.com/ 黄 靈 芝 :《 臺 灣 季 語 及 臺 灣 語 解 説 》,「 臺 灣 俳 句 集 ( 一 )」, 1998, pp.76∼ 83, 台 北 , 台 灣 。 莫 渝 :《 鐘 聲 和 餘 音 》:〈 愛 與 和 平 的 禮 讚 〉, pp. 3-17, 草 根 出 版 ,
臺 灣 , 1997。 中 山 逍 雀 : 曄 歌 , 世 界 最 短 漢 字 文 化 圏 共 通 漢 詩 : http://www.youka.cc/index.html (2009-09-30 reached) 《 葛 飾 吟 社 》: http://www.kanshi.org/ (2009/10/20) 日 本 漢 俳 學 會 : http://www.kanpai.cc/ (2009/10/20) 中 山 逍 雀 :《 漢 俳 詩 と 俳 句 の 叙 事 法 の 相 違 》: http://www.kanpai.cc/book/book13.htm(2009/10/20) 鈴 木 大 拙 著 , 陶 剛 翻 譯 :《 禪 與 俳 句 》,〈 禪 與 日 本 文 化 〉, pp. 105~134. 1992, 桂 冠 圖 書 , 台 北 , 台 灣 ( 國 立 台 中 圖 書 館 ‐ 電 子 書 服 務 平 台 ) 羅 蘭 ‧巴 特 著;李 幼 蒸 譯:
《 寫 作 的 零 度 》,
〈 寫 作 的 零 度 〉,1991, 桂 冠 , 台 北 , 台 灣 , pp.75~128. ( 國 立 台 中 圖 書 館 ‐ 電 子 書 服 務 平 台 ) 羅 蘭 ‧巴 特 著;李 幼 蒸 譯:
《 符 號 學 原 理 》,
〈 寫 作 的 零 度 〉,1991, 桂 冠 , 台 北 , 台 灣 , pp.129∼ 214。( 國 立 台 中 圖 書 館 ‐ 電 子 書 服 務 平 台 )