W.モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動からみる 文化の保存価値 権 修 珍 Ⅰ.はじめに Ⅲ.W.モリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」の Ⅱ.文化の今日的意義 概要 1.文化とはなにか 1.モリスとその周辺 2.文化の価値について─J.ラスキンの「固有価値」 2.アーツ・アンド・クラフツ運動 を中心に─ 3.海外におけるアーツ・アンド・クラフツ運動の展開 Ⅳ.むすびにかえて Ⅰ.はじめに このように、政策を立てる側や学問の世界において 「文化」に焦点を当て、考えはじめたことが分かる。こ 近年、世界のみならず日本における「文化」に対する のように世界の変化に影響を受けた日本においても多種 視点が著しい変化を遂げている。文化の定義からみる文 多様な変化が起きている。1989 年は文化政策推進会議 化のイメージは、精神的な物、アイデンティティと関連 が設置された年である。その後、文化の時代、文化発信 して考える傾向が強かった反面、文化の価値における潜 社会、文化政策、文化経済学などをキーワードにしなが 在力を評価しようとする動きと、文化を経済的な視点と ら、文化振興マスタープラン2)へと展開してきた。その 政策的な視点などからももっと積極的に生かすべきであ 中でも、特に、2001 年 11 月 30 日には『文化芸術振興基 るものとして取り上げようとしている状況が次のこと 1) より分かる。 本法3)』が定められる(同年 12 月7日公布・施行)こと によって、国レベルでの文化芸術を活発にしていこうと する動きが現われはじめた。その結果、文化に対する国 文化に対する投資や支出は、新たな需要を喚起し雇用 民の意識が高まるようになった。経済的な豊かさより精 を創出するなど経済全体を活性化するものであり、文化 神的な豊かさを求める人々が増加することによって、こ の振興は、それ自体に大きな意義を有するばかりか、よ り高次な経済社会への転換を促し、経済改革に資するも のとなっている。そのため、今後の文化振興においては、 うした傾向は強くなる一方である。そして、最近では、 まちづくり、地場産業の奨励などが盛んになり、伝統的 文化を経済の活性化につなげるという視点もますます重 工芸品産業に関する法律も改正し、熟練技能・人間の知 要となっている。 恵の蓄積であり地方の個性的なものである工芸品を再評 価し、かつ復活させようという動きが起きている。 経済的な価値や潜在力を排除した文化に対する視点か このように、今の時代は「文化」がキーワードとなり、 ら文化が潜在的にもっている可能性を引き出し、それを ほとんどの政策に取り入れるようになったことが分か 積極的に生かすべきであるという視点へと変わっている る。しかしながら、文化をどのように政策に取り入れれ というのが現状である。そして、それを考える領域も文 ば良いのか、またどのような方法で保存し、そして保存 化経済学や文化政策などに益々広まっている。このよう されたものを有効的に活用するにはどうすれば良いの な状況や変化について中谷(2003)は「政府や国際機関 か、などに関する具体的な方法論を提示したものは少ない。 での政策担当者が、文化経済学の領域を認め、その視点 そこで、具体的な方法論として実用性と芸術性が手仕 や方法、課題などに取り組むようになった」とし、さら 事の中に統合されていた中世のギルド的社会の理念を理 に、公共政策の分野でも文化を独自の対象とする領域が 想として興したW.モリス(William Moris 1834-96、以 誕生したことは非常に意義のあることであると評価した。 下モリスと省略する)の「アーツ・アンド・クラフツ運 −105− 政策科学 11 −2,Jan. 2004 記述している。 動(arts and crafts movement)」に照らしながら考察す ④「心理学的な」記述は、文化に関する学習、問題解 ることを試みたい。 決および文化と関連した諸々の行動学的なアプロー イギリスでは、当時社会を根本的に変革した産業革命 チを強調している。 の直後、機械第一主義の思想が主流であった。すなわち、 ⑤「構造的な」定義は、文化の社会的、あるいは組織 労働者は機械の奴隷であり、功利主義がイギリス全土に 的な要素を強調している。 広まっていたのである。こうした状況の中、実施された モリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」は、J.ラ ⑥「遺伝子学的な」記述は、文化の起源のこと。 スキン(John Ruskin 1819-1900、以下ラスキンと省略す 上の分類をみると、人間の活動や生活構造について述 る)の労働や手工芸に対する思想に基づくものであった。 べたり説明したりする際、「文化」という概念や用語を この運動は、単なる手工芸の復興を主張したのではなく、 幅広く使っていること、そして世界中の誰でも文化を享 文化をどのように享受していくべきなのか、また保存さ 受していることが分かる。ここで、本稿において文化の れた文化を次世代にどのように伝えるべきなのか、など 定義を検討する際に指摘しておくべきことは、本稿での について具体的に提示したと考えられる。 文化に対する見解はあくまでも文化に関する多様な見解 そこで、本稿においては、文化の今日的意義を、これ の中の一つを示すことにすぎない、ということである。 まで行われてきた定義を踏まえた上で、ラスキンの「価 では、これから「文化」とは何か、その定義について 値論」より検討する。その後、「工芸品」を文化の一つ 考えてみよう。文化を定義することは実に難しい。特に、 として見なし、モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動 19 世紀より「文化」は市民の精神や知性の発展を描写 は文化の保存にどのような影響を与えたのかを明らかに するようになったため、より広い意味を持つようになっ する。そのため、アーツ・アンド・クラフツ運動が実施 たのである。ロバート・ボロフスキー(Robert された当時の社会・経済システム等の背景はいかなるも Borofsky、1998)は、こうした状況を「風を閉じ込めよ のであったのか、この運動はどのような形をもって実施 うとするのに似ている」と語った4)。レイモンド・ウィ されたのか、最後に、海外の諸国におけるアーツ・アン リアムズ(Raymond Williams, 1976)は、文化は「英語 ド・クラフツ運動の展開及び影響について考察する。 の中で最も複雑な単語のうちの一つである」と述べてい る5)。本稿における文化の定義を説明する前に、これま Ⅱ.文化の今日的意義 で「文化」の定義はどのように行われてきたのかをみて みよう。タイラー(Tylor, 1865)は、文化を「ある社会 1.文化とはなにか の一員として学んだ能力と慣習のすべて」と定義した。 我々は日常生活において、「文化」という言葉を様々 リントン(Linton, 1936)は文化を「社会的な遺伝」と な分野でよく使用している。音楽、芸術、手工芸、衣服、 定義し、一方でクローバーとクルックホルン(1952)は、 しきたり、伝統、文化的遺産、身体的または行動、踊り 「人工的に造られた物が具体化したものであり人間集団 のように人間が行う様々な特徴を表現する場合において の達成を構成し、象徴によって習得、かつ伝わってきた も「文化」という用語を使っている。このように、広い 規範と行動」と定義した。ローハー(Rohner, 1984)は、 範囲にわたる「文化」という用語に関して、クローバー 「特定の人間集団が維持し、世代から世代へと受け継い とクルックホルン(Kroeber & Kluckholn, 1952)、そし できた、社会学習によって学んだ意味をもつ事柄の補足、 て後年、ベーリー、ボーティガ、シーガル、ダーセン 集合体」と定義した。また、『大辞林 第二版』によれ (Berry, Poortinga, Segall, & Dasen, 1992)がその使い方 ば、文化は「①[culture]社会を構成する人々によっ を以下のように6通りに分類した。 て習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総 ①「記述的な」使い方は、文化に関する異なった種類 の活動や行動を強調している。 体。言語・慣習・道徳・宗教、様々の制度などはその具 体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は ②「歴史的な」定義は、ある集団に属している人間に 関する文化的遺産や伝統のこと。 個別の文化を持ち、個別文化はそれぞれ独自の価値を持 っており、その間に高低・優劣の差はないとされる。② ③「標準的な」使い方は、文化に関する規則や規範を 学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から −106− W.モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動からみる文化の保存価値(権) 生み出されたもの。③世の中が開け進み、生活が快適で 6) 促す活動に関係していると考えられる。これらの定義を 便利になること。文明開化。 」とある。東洋では、文 踏まえて、デイヴィッド・スロスビーは文化の性格を以 化を文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋で 下のように示唆した。 は人間の精神生活に関わるものを文化と呼び、技術的発 ①関係する活動は、それらの生産において何らかの創造 展のニュアンスが強いものを文明と呼ぶ傾向がある。こ 性を含んでいる。 のように、現在一般的に言われている「文化」は西洋的 ②象徴的な意味の生産やコミュニケーションに関係する。 な概念が背景となっている。西洋文明における「文化」 ③それらの生産物は、少なくとも潜在的には、ある種の の語源を分析してみると、「土壌の耕作」という意味を 知的財産を盛り込んでいる。 持っていることから人間の自然に対する労働生産がベー スとなっていることが分かる。社会的な存在である人間 三つの性格をすべて、あるいはいずれか有する活動も しくはその生産物を文化であると定義できるだろう。 は自然を対象化して労働生産を行ってきただけではな 以上のように文化の用語における分類・定義・性格を く、日常生活に役立ち、その成果物を人間が享受できる みてきたが、これに適する行動や活動はいかなるもので 形態へと作り変えてきたのである。 あるかは、地域や国籍、人によって異なる場合が多い。 ここで、デイヴィッド・スロスビー(David Throsby, 7) 2001)による「文化」の規定 をみてみよう。デイヴィ それほど文化というのは極めて曖昧な概念であり、普遍 性を持たないのである9)。 ッド・スロスビーの定義を取り上げる理由は、本稿では 手工芸(基本的に手工芸であるが、製作過程において少 次節では、こうした文化はいかなる価値を持っている のかをみることにする。 しの機械が使われていることもある)を文化の一つの形 として見なし、さらに手工芸に対する捉え方は、文化的 2.文化の価値について─J.ラスキンの「固有価値」 を中心に─ な側面と経済的な側面、両方合わせて考えていくべきで 8) 一般的に「価値」10)と言った場合、主に経済学でいう ある、という立場より議論を進めている 。すなわち、 本稿での議論の進め方とデイヴィッド・スロスビーの文 化に対する視点はかなり相通じているといえる。 「交換価値」 、「使用価値」を意味する。これらの価値は、 経済学の論文で多く議論されてきたので、本稿では「文 デイヴィッド・スロスビーによる「文化」の定義は以 下のようである。 化の価値」を 19 世紀後半のイギリスの美術評論家、経 済学者であるラスキンの「固有価値」に着目して論じる 第1に、人類学や社会学の枠組みであり、ある集団に 共有される態度や信念、慣習、価値観、風習などを表す ことにする。彼の言う「固有価値」は経済学で言われて いる価値概念とは異なる。 ものである。集団は、政治や地理、宗教、人種、性別、 ラスキンは、固有価値論を展開した『ムネラ・ブルウ 年齢などで区分することができる。例えば、メキシコ文 ェリス』(1872 年初稿)の中で、価値について次のよう 化、ユダヤ文化、アジア文化、フェミニスト文化、企業 に述べた 11)。 文化、若者文化などに区分できる。集団を他から区分す 『価値』とは生命を保持する物の力、ないし『役立ち』 る特徴は、身振りや象徴、言語、工芸品、口承などによ を意味し、常に二重のものである。すなわち第一義的に って裏付けられる。集団の文化を明確にするための重要 は固有(intrinsic)であり、第二義的には有効(effectual) な機能の一つは、集団のメンバーが他の集団から自らを である。 区別するためのアイデンティティを確立する、あるいは このように、ラスキンの価値論は固有価値と有効価値 確立に貢献することである。ある集団を他の集団から区 とで構成されている。では、ラスキンの価値論を形成す 別しやすくする方法論的なものとしても文化の概念が使 る固有価値と有効価値とは何か、そしてこれらは互いに われていることが分かる。第2に、文化は機能的な方向 どのような関連性を持っているのかを明らかにする必要 づけを持っており、人間生活における知的・道徳的・芸 性がある。まず、ラスキンの「固有価値」からみていこ 術的側面を伴って行われる人々の活動や、その活動が生 う。ラスキンは「固有価値」について次のように定義した。 み出す生産物を表している。この意味の文化は、単なる 技術的・職業的熱練の習得というよりも、啓蒙や教育を −107− 政策科学 11 −2,Jan. 2004 固有価値とは、あるものがもっている、生命を支える は、人間の消化機能、呼吸機能、知覚機能が完全でなけ 絶対的な力(power)である。一定の質と重さをもった ればならない。それゆえに、有効価値の生産はつねに次 一束の小麦は、その中に身体にとって本質的なものを持 の2つの用件を含んでいる。まず、固有価値のあるもの 続的に支えるための計量可能な力を持ち、一立方フィー を生産するということ、次に、それを使用する能力を生 トの清らかな空気は体温を維持するための決まった力を 産するということ。固有価値と享受能力のどちらかが欠 持ち、また美しい花の草群は感性と心を活気づけ励ます ける場合には、有効価値は存在していないこととなる。 確実な力を持つ。そのもの自体の力は、それが使用され つまり富は存在しない。一匹の馬も、私達が乗ることが るかどうかにかかわりなく、その内部に存在しており、 できないのであれば、私達によっては富ではないし、一 その独自な力はその他のいかなるものにも存在しないも 幅の絵も、これを鑑賞することができないのならば、や のである 12)。 はり富ではないし、どんな高貴なものも高貴な人間にと ってのほかは富ではあり得ない。 ラスキンの固有価値には、その物に含まれている本質的 ラスキンはこのように、固有価値と享受能力との関係 な価値の重要性を知るべきであるという意味が含まれて を明確にしている。物の内在的な性質は、人間の心身の いる。すなわち、その物に内在している本質に目を向け、 諸機能が、発達していなければ享受することができない そこにも価値をおくべきであると主張したことにラスキ ため、享受能力をもつ人間の発達が固有価値の生産と併 ンの「固有価値」の意義があるといえよう。池上は、物 行して進まなければ、本来の意味の「豊かさ=生の充実」 の内在的な性質を強調する点においては、基本的にバー はありえないのである 17)。ラスキンはまた、「生を支え ボンの固有価値論と似ている 13)と、またラスキンの固 る絶対的な力」の一つとして、固有価値を持っていても 有価値の定義は芸術的な価値の持つ文化財を指す場合が それを享受する能力が要求されることも一緒に指摘した 14) 多い、と指摘した 。 のである。 次に、「有効価値」についてラスキンは次のように定 15) 義した 。 ラスキンの固有価値論は、固有価値と享受能力、それ ぞれを潜在力として把握することが重要であり、固有価 値が潜在力であることと同様に享受能力も潜在力である 有効価値とは、固有価値が人間の享受能力を通じて顕 と述べた。なぜなら、享受能力は人間の持つ発達可能な 在化した時の価値である。ある物に固有価値があったと 潜在能力の一部であるからである。潜在能力としての享 しても、人間側にその享受能力がなければ、それは有効 価値としては表れない。それは、たとえ一枚の名画があ ったとしても、それを鑑賞能力という享受能力が欠如し ている場合には、何も価値あるものとして現われないの 受能力が高まり、それが財に内在する「固有価値=潜在 力」と出会う時、有効価値が顕在化するのである(二宮、 1996)。 と同じである。したがって、まず固有価値とは一つの潜 人間の知恵の結晶体と言われている文化、この文化を 在的な力であり(固有価値=潜在能力)、次に享受能力 分解してみると、人間の持って生まれた潜在能力から出 とはその潜在的な力を顕在化する時の人間の力であり、 発しており、そこには固有価値が含まれている。この二 そして有効価値とは固有価値を現実に人間が享受する時 の力である。 つの関係が密接であればあるほど、高ければ高いほど有 効価値は上昇するのである。この概念は文化の価値につ いて語る際、重要な概念であると言える。 このように、ラスキンは価値概念、すなわち有効価値 このように、ラスキンはその物が本来本質的に持って と固有価値、それに伴う享受能力に対しては、関数関係 いるものに着目し、その価値を「固有価値」とし、それ (有効価値=固有価値×享受能力)にあると主張し、以 を認めるべきであると主張したのである。 16) 下のようにこれらの関係について明らかにしたのである 。 以上、「文化」という用語の分類・定義・性格を踏ま えた上で、ラスキンの「固有価値」から文化の価値を探 …これらの物の持つこの価値[固有価値]が有効にな ってみた。ここで、本稿での文化の定義を提示する。つ りうるためには、これを享受(acceptant capacity)する まり本稿において、「文化」とは、人間が日常生活を営 者に一定の状態が必要とされる。食物・空気あるいは草 花が人間にとって充分に価値のあるものとなるために む上で、知的(教育もしくは社会的な人間関係などによ る)・道徳的・芸術的要素が含まれている行動や活動、 −108− W.モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動からみる文化の保存価値(権) そしてその活動の成果物であり、そこには使用価値や交 業と農業からの貯蓄の増大、低利子率、投資(例えば、 換価値及びラスキンの価値論(固有価値と有効価値)を 交通機関に対する)の増大。金融機関の整備による貯 内包していると定義する。 蓄運用効率の向上。 次章では、産業革命によって手工芸や職人達が軽視さ 2.農業及び工業の技術上・組織上の変革:新しい動力 れたイギリスにおいて、文化の概念と価値を再認識させ 源。機械の発明・改善。一層進んだ分業のもとで、よ た運動として位置付けられるモリスのアーツ・アンド・ り大規模の生産が可能となった。 クラフツについて概観する。次いで、この運動がイギリ 3.天与の生産要素:工業化に不可欠の石炭、鉄鉱資源 ス社会及び海外に与えた影響を考察する。 の豊富。アメリカ及びアジアのように成長市場の有利 な貿易立地。労働力の高熟練度。労働供給増。素質の Ⅲ.W.モリスの「アーツ・アンド・クラフツ 運動」の概要 よい企業家ならびに発明家の供給量豊富。 4.自由放任:宗教・哲学・科学・法律の長期的変化が 18 世紀に、合理主義・経済的個人主義をもたらした。 1.モリスとその周辺 自由企業の宣伝家と時流に敏感な政治家の多数出現。 1870 年代には、世界に先駆けてイギリスで興った産 アダム・スミスの影響。 業革命は、経済的な側面に大きな変革をもたらしただけ 5.市場の拡大:貿易の増大。人口増加と実質所得の上 ではなく、イギリスの政治・経済、社会全体に大きな影 昇にもとづく国内消費の増大。さらに、海外市場の膨 響を及ぼし、人々の生活様式そのものを根本的に変える 張に成功。工業製品の相対的低価格による需要の増大。 ものとなった。産業革命とは、資本主義の確立時期に起 大企業の設立の増大。 きた、技術的・思想的・社会的などといったあらゆる側 6.その他:大陸の諸戦役がイギリスの発展を促進し、 面においての変革を意味する。なぜ、産業革命が他なら 大陸側を抑止。 ぬイギリスで起きたのか、その原因についてハートウェ これらの諸原因を背景にしてイギリスは「世界の工場」 18) ル(R. M. Hartwell、1965)は次のようにまとめた 。 となり、ヴィクトリア女王のもとで政治的・経済的な側 1.資本蓄積:増大した工業利潤からの再投資、自己金 面において、歴史上空前の繁栄期を迎えることが可能と 融。利潤インフレーションにもとづく投資の増大。商 なった。これらの諸原因の中で、特に、機械の発明とそ 表1 イギリス産業革命期の主な技術革新の担い手達の出身職種 名前(生没年) 主な発明・改良(発明時) 出身職種 ニューコメン(1663 ∼ 1729) 蒸気機関(1712) 鍛冶屋 ケイ(1704 ∼ 64 頃) 飛び梭(1733) 織布工 ダービー親子 (1677 ∼ 1717 ; 1711 ∼ 63) コークス製鉄法(1735 頃) 製鉄工 ハークリーヴズ(1778 没) ジェニー紡績機(1764 年) 紡績機 アークライト(1737 ∼ 92) 水方紡績機(1768) 理髪師 クロンプトン(1753 ∼ 1827) ミュール紡績機 紡績工 ワット(1736 ∼ 1819) 蒸気機関(1775 ∼ 1781) 科学器具製造工 カートライト(1743 ∼ 1823) 力織機(1785) 国教会牧師 モーズリ(1771 ∼ 1831) ねじ切り旋盤(1797) 鍛冶屋 トレヴィシック(1771 ∼ 1833) 蒸気機関車(1804) 機械工・鉱山技師 フルトン(1765 ∼ 1815) 蒸気船(1807) 土木技師 ロバーツ(1789 ∼ 1864) 平削り盤(1817) 機械工 スティーブンソン(1781 ∼ 1848) 蒸気機関車(1825) 炭鉱火夫 出所:吉川安(1989)『科学の社会史―ルネサンスから 20 世紀まで―』、南窓社、p145 より −109− 政策科学 11 −2,Jan. 2004 の使用がイギリスの産業革命の大前提となったと言って した。その中でラスキンは次のように述べている 20)。 も過言ではないほどである。当時、綿工業の発展に機械 最近吾々は、労働分業の大なる文明的発明について多 の発明状況をみると、表1のとおりである。 く研究し、又、多く完成するところがあった。唯、吾々 生産力を飛躍的に増大させ、社会の構造的変革をもた はそれに間違った名を与えたのである。真実に言えば、 らした産業革命は、農業が基盤であったイギリス経済を 分業に恐れたのは労働ではなかった。人間であった─人 工業中心へ変えると共に、工業進展により人口数十万人 間が単なる人間の断片に分割されたのだ─それがため、 を抱える大都市が生じるようになった。イギリスは、市 人間の裡に残された智能の凡ゆる小片は、一本のピン、 場の拡大や需要の増大により、経済的に成功した国にみ 一本の釘を造るに充分でなくなり、ピンの尖端や、釘の えるが、必ずしもすべての面において良かったとは言え 頭を造ることに消耗されてしまうのである。さて、実際、 ない。つまり、産業革命と農業革命によって労働者階級 一日に沢山のピンを製造することは結構であり、又、望 ましいことである。然し、若し吾々が如何なる金剛砂で が形成され、都市部では劣悪な環境と諸条件の下での非 ピンの尖端が磨かれるかを見ることが出来さえせば─即 人間的な機械労働に対する不平・不満が蓄積されはじめ ち、人間の霊魂は砂だ!─霊魂が如何なるものであるか た。これは農民の場合も同様である。その結果、失業と と言うことに対してそれが識別し得られる前に、大袈裟 低賃金に苦しむ労働者達は暴力的な抵抗運動を展開して にするため、魂の砂が用いられているのだ─吾々は分業 いった 。また、産業における変革は、森林伐採などの の中には又、多大な損失があることを思わねばならぬ。 環境破壊や大気汚染、河川の汚染、住宅や環境の整備の 工場の火炉の爆音よりも喧しい叫び声が、すべての現代 19) の工業部市から起こっているのは、全く斯かることのた 遅れによる都市のスラム化を引き起こすことになった。 めである─即ち、吾々は人間を除く以外は、何でも製造 さらには、工場制度の確立に伴う分業システムの導入が すると。吾々は綿を漂白する。砂糖を精造する。陶器を 労働環境・条件を劣悪化し、画一的な規格品の大量生産 製造する。然し、一個の生ける魂を輝かし、力づけ、精 によって職人技として受け継がれてきた手工業によるも 錬し、又は、形成することは、吾々の便益の計算中には のづくりは軽視されるなど、イギリスは産業革命によっ 決して這入らないのである。この叫び声が大衆に促進し て様々な深刻な社会問題を抱えるようになった。こうし つつある凡ての悪は、唯一つの方法だけで当り得るので ある。それは教訓や説教によってではない。何故ならば、 た状況をみて、ルイス・マンフォード(Lewis Mumford) 大衆を教えることは彼等に彼らの惨めさを示すに外なら は 18 世紀後半から 19 世紀末までの時期、すなわち産業 ず、彼等に説教することは、若し吾々が説教する以上に 革命が始まり物質文明がかなりの発展を見せるまでの時 何をもしないならば、大衆を侮辱することである。それ 期を「旧技術期」とし、「旧技術期における人間の利得 は凡ゆる階級の人々に、如何なる種類の労働が人間にと は極めて僅かであり、一般の民衆にとっては、まるで無 っては善良であり、人間を高め、人間を幸福にするかと いに等しく、衣料品の大量生産と食料品の大量な配給と 言うことを正しく理解せしめることによってのみ、解決 し得るのである。即ち、労働者の堕落によってのみ得ら を別にすれば、旧技術期の大きな功績は、最終産物にあ れる便益、斯かる美、斯かる安価を、依然として犠牲に ったのではなく、それを生み出す中間的な機械と施設等 供することによって、解決し得るのだ。そして、それと にあった」と説いた。また、「旧技術期の産業は、ヨー 均しく、健全な、高貴づける労働の生産と成果とに対す ロッパ社会の潰滅から起こって、その崩壊過程を終わり る決然たる欲求によるものだ。 に導いた。そこには生活自体の価値から金銭的価値への 当時のイギリスは、世界のほとんどの資本がイギリス 急激な関心の変換があり、それまで潜在的であって商人 や有閑階級の間だけに限られていた利害関心の体系が、 に集まり、世界一と見えた反面、産業革命の後遺症とし 今や生活のあらゆる分野に広がることになった」と主張 て現われた社会諸問題に対してこのような批判の声も相 した。ここで、注目すべきことは、当時マンフォードの 次いだ。こうした社会状況の中、機械の大量生産が応用 ような考え方を持っている人が多く現われ、イギリスの 芸術の質と職人の地位を堕落させたと考え、実用と美が 産業革命を批判し始めたことである。その一人として取 手仕事の中に統合されていた中世のギルド的社会の理念 り上げられるのがラスキンであり、彼の批評はのちにア を理想とし、中世のように親方の支配する工房を復活し、 ーツ・アンド・クラフツ運動を促す結果となったと言え 中世時代にはあった人間同士や自然との調和を取り戻す る。ラスキンは 1851 年『ヴェニスの石』第1巻を刊行 べきだと考え、この考え方に基づく社会的な運動の必要 −110− W.モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動からみる文化の保存価値(権) 性を感じた人がモリスであり、やがて彼はすでに述べた な影響に基づき興ったものであり、どのように実践され 思想に基づく運動を創始し、行なうに至ったのである。 たのかについてモリスに焦点をあてながら考察する。 これがアーツ・アンド・クラフツ運動の始まりであっ た。モリスは、最初は画家を志望したが、後年には、作 2.アーツ・アンド・クラフツ運動 家、詩人、出版業者、政治思想家、活動家として名高い。 ここで、モリスが一生をかけてなし遂げた活動の内容を 21) 要約すると、次のとおりである 。 モリスがアーツ・アンド・クラフツ運動を起こす際、 二人の著作より多大な影響を受けた。それはトマス・カ ーライル(Thomas Carlyle)とラスキンである。カーラ ①粗末な製品を生み出す商工業主義や機械生産に反対 イルとラスキンはいずれも、若いモリスがオックスフォ し、中世の職人気質を再評価しながら、手わざや生 ード在学中、熱心に読んだ作家であった。アーツ・アン きたテクスチャーの触覚魅力を回復しようとし、思 ド・クラフツ運動は、この二人の著作から、近代の産業 想としての良い趣味の必要を示した。 資本主義の持つ問題点を読み取った結果、行われたもの ②19 世紀末のイギリスに新しいデザインの運動をお であるといえる。 こし、「アーツ・アンド・クラフツ運動」の先駆と なった。 カーライルは、1829 年に書いた『時代を語る』で、 功利主義者を批判した。功利主義とは、経済政策は貧し ③協同作業によって各自が互いに異なる才能を発揮 い者への配慮に縛られるべきでなく、需要と供給の法則 し、最大の制作量と最小の経費をもって優れた製品 のみに左右されるべきだという考え方であり、当時は広 を生み出そうとした。 く行きわたっていた。功利主義の考え方によると、機械 ④新しい使命を担ったデザイナーたちの組織づくりに 努めた。 化によって多くの利潤が上がることが可能であれば、た とえ労働者に不利でも、かまわずに機械を使うべきであ ⑤絵画・壁画装飾・ステンドグラス。金属細工・家 る、という思想である。 具・壁紙・テキスタイルなど、生活美術の諸分野を 扱った。 ラスキンも同じように労働の価値を強調し、特に創造 的な労働の価値を重んじた。1853 年に書かれた『ヴェ ⑥晩年、ケルムスコット・プレスを作り、印刷や造本、 ニスの石』の第2巻で、ラスキンはこう述べている。 活字などの規範的なデザインを確立した。 ⑦少数者のための芸術を否定し、芸術は労働における あたりをみまわして、きみのイギリス風の部屋を良く 人間の歓びの表現であるから、製作者と使用者をも 見たまえ。しばしば自慢の種になったものだ。細工が大 含む大衆の幸福のためにあるべきだという考えを実 変丁寧で力強く、装飾もきわめて洗練されている。さら 践しようとした。 に、間違いのないモールディング、完璧な仕上げ、よく ....... ⑧芸術と倫理と宗教とをひとつつながりのものとみな 枯らした木材と鍛えられた銅の的確な組み合わせに注目 してほしい。それによって何度喜びを感じたことであろ し、秀れたデザインを万人の生活の中に取り入れ芸 うか。そして、これほど些細な仕事まで完璧に仕上げる 術化を実現させることによって、社会を改良しよう とは、イギリスという国はなんと偉大であるかと感心し とした。 たことだろう。悲しいかな!正しく事態を読み取れば、 ⑨ラスキンやマルクスから深い影響を受け、独自の社 これはまさにアフリカやギリシャの奴隷より千倍も惨め で過酷な状態なのである。 会主義を通してユートピア的なヴィジョンの実現を 説いた。 ラスキンは、中世の工芸職人が置かれた労働状態の方 このように、モリスは生活において手仕事の重要さを 強調するために、家具、壁紙、タイル、テキスタイル、 が、産業社会の機械化された苦汗労働よりもはるかに健 カーペットなどを中心に、デザインに装飾的な美を取り 全だったとし、19 世紀の社会が解決策としてとるべき 入れ、生活の芸術化としてアーツ・アンド・クラフツ運 ことは、中世のこうした考え方を規範にすることだ、と 動を推進し、やがてこれは世界に強い影響を与えるよう 主張したのである。さらに彼は、生産は利潤よりも有益 になった。 性を求めるべきであり、機械のような正確さにかえて、 次節では、アーツ・アンド・クラフツ運動はどのよう 不完全な人間の手による仕上げを重要視すべきである −111− 政策科学 11 −2,Jan. 2004 と、強調した。モリスはラスキンを指導者とするラファ 建築、彫刻、絵画などの「純粋芸術」と袂を分かった エル前派の人々との交流を深めながら、ラスキンから決 「装飾芸術」なのである。モリスは「装飾芸術」につい 定的な影響を受けた。特に、ラスキンの著書『ヴェニス て、「多くの人々が、毎日の生活になじみの深いあらゆ の石』の第1章「ゴシックの本質」よりモリスが深い影 る物を、美しいものにしたいと絶えず努力してきた」と 響を受けたことが次の逸話で分かる。晩年、モリスはこ 述べ、具体例として織物、壁紙、住宅建築、大工仕事、 の第1章をケルムスコット・プレス版として出版した 陶器やガラス制作などを挙げている。これらはすべての 際、序文において「ラスキンの最大の教えは芸術は人間 人々に重要であるが、同時に手工芸職人にとっても重要 の労働における喜びの表現である」と述べた。また、オ な分野であると指摘し、これらの「装飾芸術」を重要視 ーカスタス・ウェルビー・ピュージンも近代の産業化さ する根拠について「家、家具、器具、装身具、これらは れた環境に対する嫌悪感をはじめて具体的に批判した人 美の表現を自己目的とする「大芸術」とは異なり、必ず 物であった。彼は、中世の建物に良く似たスタイルを建 日常の何らかの目的のために用いられるものである。し 築に取り入れたのである。18 世紀から 19 世紀初頭にか かし、日々使用されるこれらのものは、ただ「用」のた けて、ゴシック・リヴァイヴァルが流行した中、ピュー めのみに作られるのではない。そこに必ず「美」の表現 ジンは、中世建築の外観と、中世の精神的な高潔さを同 がなければならない…毎日使わなければならないものに 時に追及した人物であった。すなわち、彼はゴシックは 対して人々に使う喜びを感じさせること、これが装飾の 単なる様式の一つではなく、キリスト教徒の信条を建築 偉大な役割である。そして、造る必要の物に対して人々 として表現したものであり、近代に見られる粗野で精神 に使う喜びを感じさせること、これが装飾のもう一つの 的な深みのない功利主義の建物とは画然たる違いがある 効用である」と述べている。 と評価したのである。 このように、生活必需品の中の「用」と「美」、この ラスキンとモリスは、ピュージンと交友をもたなかっ 二つの要素こそ、モリスが装飾芸術に対して求めた重要 た(二人にとってピュージンのカトリック主義と、労働 な要素であったのである。さらにモリスは物の形は「自 者階級の活動に対する反感が障害になった)が、芸術お 然」と調和するが義理において美しいと主張した。彼に よび建築に社会を改良し発展させる力があるとする考え よって「自然」との調和とは、人間が自然を征服するの は、ゴシック・リヴァイヴァルの建築にとって重要な出 ではなく、自然の所産である花や草、鳥や小動物などを 発点となったのである。このような状況の中、アーツ・ 生活の中に様々な模様として移入するということであっ アンド・クラフツ運動は19世紀後半に成長し、発展した。 た(写真1と写真2参照)。 モリスは、1882 年に出版された講演集『HOPES AND 1860 年、モリスはジェイン・バーデンとの結婚にと FEARS FOR ART』の「小芸術」の章の中で、彼は、建 も な い 、 ケ ン ト 州 に 建 て た 「 レ ッ ド ハ ウ ス 」( R e d 築、彫刻、絵画を「大芸術」として、装飾芸術、すなわ house)に住むことになった。「レッドハウス」はフィ ち家具、器具、装身具などを「小芸術」として分類して リップ・ウェップの設計により、内装や家具調度はモリ いる。本来これら二つの芸術は一体化したものであった ス自身やバーン=ジョーンズ、ロセッティなどの仲間達 が、近来の生活形態の複雑化が「大芸術」と「小芸術」 がデザインし、建てた家である。この赤レンガの家、 を乖離させ、その結果、芸術全体の状態が悪化してしま 「レッドハウス」こそ、建築と室内装飾と造園を見事に ったと批判している。「大芸術」と称されるものは人々 一体化させた例として、住居史上最大の傑作の一つであ の生活から遊離し、高級美術品と化した反面、「小芸 ると言われている(写真3参照)。 術=装飾芸術」は、職人の仕事として卑しめられ、鑑賞 「レッドハウス」建設がきっかけとなって、1861 年 すべきものではなく、実用に供するものであるという理 4月、レッド・ライオン・スクエアに「モリス=マーシ 由によって軽視されていった。このように、両芸術の分 ャル=フォークナー商会…絵画・彫刻・家具・金属細工 離は価値の明らかな優劣を生じさせ、そして職業上の上 の美術職人集団 Morris, Marshall, Faulkner & Co., Fine 22) 下関係を生み出したのである 。モリスが「小芸術」で Art Workmen in Painting, Carving, Furniture, and the 問題にしようとするのは、少数の希有な天才がただ美の Metals」の事務所が設立された 23)。この商会の開業にあ ための美を創造すべく創り出した「大芸術」ではない。 って公表した趣意書は、当時の状況とそれに対するかれ −112− W.モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動からみる文化の保存価値(権) 写真3 アーツ・アンド・クラフツの建築の中で、最初 の試みである「レッドハウス」. 写真1 「小鳥」、毛の袋織り(1878 年).モリスがク ルムスコット・ハウスの客間用にデザイン. 出所:小野悦子訳(1992)『ウィリアム・モリス アーツ・ア ンド・クラフツ運動創始者の全記録』、美術出版社、 1992 年、p81 より 出所:野中邦子訳(1989)『アーツ・アンド・クラフツ ─ウ ィリアム・モリス以後の工芸美術─』、美術出版社、 1989 年.pp34-35 より この商会の構成員たちは、共同作業によってこの困難 を取り除こうと欲する。仲間のなかにはそれぞれ異なっ た機能を持つ者がいるので、各種の装飾、つまり壁画装 飾その他どんな装飾でも、いうところの絵画から芸術美 をあらわす微妙な、ごく小さな作品の用件にいたるまで、 理解することができよう。こうした協同によって、本質 的に芸術家の仕事であるところのものの最大量と、それ に従う不断の監督とが、可能な限り最少の費用で確保さ れ、他方、その仕事は必然的に一人の芸術家が通常の仕 方でいきあたりばったり行う場合よりははるかに完全な 手順においてなされるにちがいないことが予想されるの である。 これらの芸術家たちは、多年間、すべての時代、およ び国々の装飾美術の研究に没頭してきたので、人々は真 正でしかも美しい性格の製品を生産することができ、手 写真2 「イーヴンロード」藍色抜染の綿プリントで、 に入れることもできるような場がないことを人一倍痛感 してきた。それで、かれらは以下の品々をかれら自身で、 モリスがデザインし、1883 年に登録. かれらの監督のもとに作るためにみずからここに一会社 出所:前掲書 p86 より を設立したのである。 Ⅰ 住宅や教会、公共建築に用いられる絵画あるいは らの姿勢を簡潔に表していると思われるので、紹介する 24)。 模様、あるいはたんに色彩の配合による壁画装 飾。 わが国における装飾美術の成長は、イギリス建築家達 の努力によって、いまや名声のある美術家もこれに時を 費やすことが望ましくみえるところまで到達した。成功 Ⅱ 建築に用いられる彫刻一般。 Ⅲ ステンド・グラス、とくに壁画装飾との調和を考 慮したもの。 した特別な例をいくつも挙げることは疑いもなく可能だ Ⅳ 宝石をふくむ、あらゆる種類の金属細工。 が、これまでのところ、この種の試みは未熟であり断片 Ⅴ 家具。その美しさがそれ自身のデザインやこれま 的であったことが痛感される。現在にいたるまで、たん ではみすごされてきた素材の適用、また図形や模 に成功した仕事のさまざまな部分を調和するだけの、そ 様の描写の結合にももとづいているもの。この項 うした美術上の監督の必要性が、絵を描く仕事において 目には、あらゆる種類の刺繍、型押しなめし革、 も或る特定の芸術家を選ぶ当然の結果として、どうして およびこのような類の素材による装飾品、その他 も過度に経費がかさむところから、いっそう増してきた。 家庭で使うのに必要な一切のものをもふくむ。 −113− 政策科学 11 −2,Jan. 2004 なお、もう一つだけ述べておく必要がある。つまり、 以上のすべての仕事が実務的な仕方で見積もられ、遂行 されるであろうことである。そして良い装飾は、価格に おけるぜいたくよりもむしろ趣味におけるぜいたくさを 伴いながら、一般に想像されるよりもずっと廉価なもの であることがわかるであろうと信じられるのである。 1861 年4月 11 日 「モリス・マーシャル・フォークナー商会」は、ステ ンドグラスや家具、壁紙、タピストリー、あるいは絵画、 彫刻、宝石・貴金属細工など、生活に関わるあらゆるも のを手がけた。この商会は世界で最初の「総合インテリ 写真4 ア企業」であったといえる。 「リリー」、ウィルトン・カーペット.1875 年 頃モリスがデザインウィルトンによる機械織り. 1875 年、商会は解散し、新たにモリスの単独経営に モリスのデザインの機械製じゅうたんで最も人気 よる「モリス商会」が発足し、1940 年まで営業を続け た。1877 年には、ロンドンのオックスフォード街にシ ョールームを開設するなど事業は順調であった。モリス のあるひとつ. 出所:小野悦子訳(1992)『ウィリアム・モリス アーツ・ア ンド・クラフツ運動創始者の全記録』、美術出版社、p82 より はこの商会を介して、家具、金属細工、ガラス、陶器、 壁紙、織物など、数多くの形の装飾美術に携わった。モ 用いて、熟練した職人が時間をかけて造り上げた最高級 リス商会は、商業主義に支えられた機械制大量生産に対 の手工芸品であったため、その製品は極めて高価なもの するアンチ・テーゼとして設立されたと言える。ここで となり、金持ちしか購入できなかったのである。この問 注目すべきことは、モリスが機械織りカーペットのため 題はモリスを生涯悩ませ続けさせた。その結果、モリス のデザインをいくつも製作したということである。モリ はこの矛盾を解決するため、当時の資本主義社会を革命 スがラスキン同様、商業主義、分業システムによる機械 によって打破し、社会主義社会を確立するしかないと考 製品のもつ粗悪さや醜悪さを批判し、工場労働を非人間 え、40 歳を超えてからは社会主義者となり、政治活動 的なものとして断罪したことは良く知られている。それ にも積極的に参加するようになった 25)。しかし、モリス に反し、写真4のように機械織りカーペットのデザイン は組織内での諸問題などにより、1886 年再び工芸へ戻 を多数制作したということは、彼が終生機械を全面的に り、商会の仕事に復帰し、印刷や造本に取り組み、1890 否定し続けたという従来の説を否定するものであろう。 年に、モリスの自宅に印刷所「クルムスコット・プレス すなわち、モリスが最も恐れていたのは機械の奴隷とな (Kelmscott press)」を設立した 26)。モリスはその間も政 ることであり、機械の主人となって上手に使いこなす必 治活動を続け、最晩年まで活動に参加することを止めな 要性を強く感じていたと思われる。「民衆の芸術」を標 かった。例えば 1896 年1月の SDF の年頭集会で帝国主 榜する以上、コストを押さえる努力は不可避であっただ 義反対演説を行うなど、旺盛な活動ぶりを続けたのである。 ろう。しかし、商会の機械織りの製品をみれば、単にコ モリスが活躍していた当時、イギリスの都市では、織 ストの軽減を目的し、機械を導入したとは考えにくい。 物や染色、陶磁器、家具、貴金属細工など 10 種類以上 モリスはそれらの製品から機械織りでしか出せない良さ の職種の職人の多くが、各種のギルドに属して活動して を感じとったと言えるのではなかろうか。 いた。さらに、ラスキンやモリスの影響のもと、1880 この商会がもたらした芸術的成功や財政的成功はモリ 年から’90 年の 10 年間に、職人技術の向上と装飾芸術の スが満足するほどではなかった。その理由は、「万人の 地位の向上を目的として5つのギルドや団体が誕生す 生活を美化する」という彼の信念が叶えられなかったか る。1882 年に設立した「センチュリー・ギルド」をは らである。商会が生み出した製品の多くは、モリスをは じめ、1884 年には「アートワーカーズ・ギルド」及び じめとする有能なデザイナーのデザインと良質の素材を 「過程芸術産業協会」、1888 年に「手工芸ギルド学校」 −114− W.モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動からみる文化の保存価値(権) と「美術工芸展覧協会」が設立されたのである。これら ある 27)。知識人によって創立された協会は、一般市民を 新設のギルドや団体は、ラスキンやモリスの中世志向の 対象にして機関誌を発行し、これらの機関誌を通じて製 影響を受けたものであり、中世のギルドを意識的に真似 品の広告だけではなく、アーツ・アンド・クラフツ運動 したものであった。 の基本となる思想や哲学、教義などをも説いたのである。 以上、「モリス商会」を中心とした活動とモリスの思 イギリスでは、ラスキン、カーライル、ピュージンが産 想を受け継いだ後続世代による組織的な運動を含めてア 業化以前の理念や中世時代を文章で描き出すことによっ ーツ・アンド・クラフツ運動と呼ぶのである。 て、技術的にはむしろ劣っていた過去の時代の力強い美 しかし、アーツ・アンド・クラフツ運動のすべてが成 意識、倫理観、社会理念をアーツ・アンド・クラフツ運 功したとはいえない。当時は理想に燃えた工芸会社が楽 動に付与した。こうしたイギリスの封建制時代の理想は、 観的な見込みをもって工房を続々と誕生させたが、最終 アメリカでは開拓時代のイメージとなったのである。ア 的には破産してしまう場合が多かったのである。したが メリカの美術と工芸が発展していく背景としては、労働 って、手造りの品物が機械で作ったものよりもずっと高 の尊重、独立と自給自足の精神、そしてヨーロッパの気 価になり、必然的に運動の本来の意図に反する結果とな まぐれな考えと歴史的な伝統から離れ、国民の文化を形 った。すなわち、恵まれない大衆の手に入らなくなった 作りたいという欲求があった。このように、イギリスと のである。 アメリカにおけるアーツ・アンド・クラフツ運動の性格 次節では、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動 が諸国に与えた影響についてみてみる。 には相違点と共通点の両方がある。共通点は、洗練に対 する嫌悪を共有し、独立を求める強い気持ちと、労働の 尊厳を信じる心である。この信条がイギリスとアメリカ 3.海外におけるアーツ・アンド・クラフツ運動の展開 におけるアーツ・アンド・クラフツ運動の形を決定した ギルドや団体、そして「モリス商会」を中心に展開さ といえるだろう。もう一つ、共通原則として指摘すべき れたアーツ・アンド・クラフツ運動は、イギリス全土に ことは、趣味のよい意匠による環境─美しい衣裳を着て、 大きな影響を及ぼしただけではなく、やがてヨーロッパ 見事な建築物に住み、優れた家具やタペストリーや陶器 全土に及んだ。フランスにアールヌーボー、ドイツにユ を用いる─は、製造者と消費者の双方に有益であり、社 ーゲントシュティール運動が生まれ、オーストラリア工 会機構を発展させることになる、という考えである。こ 作連盟(1910) 、スウェーデン工芸協会(1910) 、スイス れは 19 世紀半ばにモリスによって唱えられ、19 世紀と 工作連盟(1913) 、ドイツ工作連盟(1914) 、イギリスの 20 世紀におけるアーツ・アンド・クラフツ運動の共通 デザイン・産業協会(1915)などが設立された。工業デ テーマでもあった。 ザイン運動の原点ともいえるウォルター・グロピウスの しかしこれ以外にも、アメリカのアーツ・アンド・ク 率いるバウハウス運動も、モリスの運動を母体として生 ラフツ運動は多様な価値観をもっており、それはイギリ まれたものである。 スとアメリカといった国の持つ特徴や歴史、当時置かれ ここでは、今でもイギリスで出発したアーツ・アン ていた社会状況の違いから生じたものであると考えられる。 ド・クラフツ運動が根強く残っているアメリカのアー ツ・アンド・クラフツ運動を中心にみていく。アメリカ Ⅳ.むすびにかえて におけるアーツ・アンド・クラフツ運動はボストンおよ びニューヨーク、フィラデルフィアを中心とした東海岸 本稿では、文化の定義をはじめ、文化の使用による分 に始まり、シカゴを本拠とした中西部、そして西部へと 類及び性格についてこれまでどのように行われてきたの 次第にアメリカ全国へと広範に広がっていった。運動の か先行理論をレビューし、文化の定義の基本的な枠組み 中心は、大学教授をはじめとする知識人であり、彼らの にラスキンの「固有価値論」を付け加えることを試みた。 知的交流を通して多くの協会が設立され、雑誌をはじめ したがって、本稿における文化とは、我々の日常生活に とするジャーナルが出版され、さらに広く一般大衆を対 おいて、知的・道徳的・芸術的要素が盛り込まれている 象とした講演会や、工芸の実技演習などの講習会なども 行動及び活動(こうした活動の成果物や生産物を含む) 開催され、さらに教育機関としての役割も果たしたので を指し、そこにはラスキンの固有価値が含まれているも −115− 政策科学 11 −2,Jan. 2004 のである。そして、産業革命によって手工芸や職人達が メリカ、日本などではそれぞれの国や地域の状況にあっ 軽視されたイギリスにおけるモリスのアーツ・アンド・ た形でアーツ・アンド・クラフツ運動が進められた。例 クラフツ運動は、文化の概念と固有価値について広く再 えば、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動では、 認識させた運動として、さらに文化の重要性について再 手仕事に頼った生産がコストを上げた結果、製品が一般 整理する上で大きな役割を果たしたものとして位置付け 大衆の実用にもたらされることが困難となり、結果的に られる。 はモリス商会の製品が裕福な上流階級の人々にしか行き 本稿では、19 世紀後半にイギリスで興ったアーツ・ア 渡らなかったのとは対照的に、アメリカでは常に、より ンド・クラフツ運動の意義は以下のようにまとめられる。 多くの中産階級の人々により安く、より簡潔なデザイン ①人間の労働は工場における機械の一部としてしか捉 で機能性を備えた製品が広く行き渡るような試みがなさ えない非人間的な側面を変革し、働くことそのもの れた。その為にも、彼らが規範としていたラスキンやモ が喜びとなるような労働を実現するための運動でも リスの思想や哲学を受け継ぎながらも、実態に則した運 あった。 動となるように、方針を独自で作り上げ、修正していっ ②芸術性や文化性が豊かであった中世と比べ、産業革 たのである 28)。 命後の機械大量生産システムにより機械本来の機能 このように、本稿では、文化の保存価値の意義をモリ と目的を見失い、本来持っていた芸術性(文化性) スのアーツ・アンド・クラフツ運動より探ってみた。こ や実用性をも喪失してしまった状況の中、大量生産 れらの理論に基づきデジタルアーカイブによる文化財の 制度を批判する傍ら「生活の芸術化」を図ることを 保存と活用のあり方を考えることが次の研究課題である。 試みた。 ③職人の手仕事にとってかわって機械による装飾過剰 で醜悪な製品が市場に氾濫するなかで、機械ではな 注 く、手仕事による素材の持ち味を素直に生かした工 1)文化庁(1998)「文化振興マスタープラン─文化立国の実 現に向けて─」『新しい文化立国の創造をめざして』p452 を 芸、日常雑器の良質なデザイン性、そして自然との 調和の重要性を主張した。これらによって、我々の日 参照されたい。 2)マスタープランの特徴は、「芸術創造活動の活性化」を施 常生活における文化の重要性を訴えた運動であった。 策体系の最初に置き、文化庁を中心とする国の文化行政・文 モリスはラスキン、トマス・カーライル、ピュージン 化政策の第1課題として創造芸術の支援を明確にしたことで などからアーツ・アンド・クラフツ運動の基礎となる思 ある(中谷、2003)。従来は、国の文化行政の予算を見ると、 想に強い影響を受け、アーツ・アンド・クラフツ運動を 文化財関係の比重が中心であった。ちなみに、現在において も 60 %を占めている。芸術文化振興に使われる経費は少な 行った。ピュージンとラスキンも芸術と社会との有機的 く、この分野は地方公共団体に任されていた。すなわち、文 な関係を説き、その正しい認識を 19 世紀社会に提示す 化財関係以外は、国の文化行政において重要、かつ明確な主 るには力があった。しかし、芸術と社会との正しい在り 題として位置づけられなかったと考える。この状況は、明治 方を実現のものとする実践的役割は、モリスに引き継が 維新期の西欧化、敗戦後のアメリカ化に直面しても、友好な れたのである。手工芸を作り続けた協会や職人たちは、 文化政策は提言されてこなかった。 機械を受け入れ、より多くの人に実用性と芸術性を兼ね 3)「文化芸術振興基本法」の目標として挙げているのが、「文 化を大切にする社会の構築について─一人一人が心豊かに生 備えた生活必需品を提供しようと試みた。しかし、モリ きる社会をめざして─」「文化芸術による心豊かな社会の実 スが製作した作品は、結果的に裕福層のみが享受でき、 現」「文化を愛し、文化の香りに満ちた新世紀日本の建設」 「万人の生活に美をもたらす」という本来の目的は達成 などである。実際には創造芸術への支援が置かれるようにな できなかったということが、この運動の限界であったと り、こうした意味においても文化芸術新興基本法の意味は大 きいといえる。 いえる。 しかし、アーツ・アンド・クラフツ運動とその基本的 4)Robert Borofsky,1998 Cultural possibilities, in UNESCO World culture Report の pp 64-75 を参照されたい。 な思想に影響を受け、海外の諸国においても同様の運動 が行われたことにモリスのアーツ・アンド・クラフツ運 5)Williams, Raymond, Keyword: A Vocabulary of Culture 動の意義が認められたと評価できよう。ヨーロッパ、ア −116− and society, London Fontana(1980)『キイワード辞典』岡 W.モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動からみる文化の保存価値(権) 崎康一訳、晶文社。 ことには固有価値は、人間の欲求の充足につながらないとい 6)松村明編(2002)『大辞林 第二版』、三省堂、p2302 にあ うのである。マルクスエンゲルズ編(2000)『資本論』岩波 る「文化」の項目を参照されたい。 文庫、pp67-78 を参照されたい。 7)詳しくはデイヴィッド・スロスビー(2002)『文化経済学 14)池上惇、1993 入門』(中谷武雄・後藤和子監訳、日本経済新聞社)pp.22-25 15)二宮厚美、1996 を参照されたい。 16)池上惇、1993 8)詳しくは権修珍(2003)「沖縄県伝統的工芸品産業の現状 17)「生=ライフ」と芸術文化との関係を、ラスキンは「この に関する考察」、立命館大学政策科学会『政策科学』、11(1) 最後の者にも」において次のように述べている。「生なくし 号 pp73 ∼ 86 を参照されたい。 ては富は存在しない。生というのは、そのなかに愛の力、歓 9)これについてデイヴィッド・スロスビーは次のように説明 喜の力、讃美の力すべてを包括するものである。最も裕福な している。例えば、伝統的な意味での芸術−音楽・文学・ 国というのは最大多数の高潔にして幸福な人間を養う国、最 詩・舞踊・演劇・美術などは「文化」であると言える。また、 も富裕な人というのは自分自身の生の機能を極限まで完成さ この文化の意味では、映画制作や朗読・フェスティバル・報 せ、その人格と所有物の両方によって、他人の生の上にも最 道・出版・テレビ・ラジオ・デザインなども、先述した三つ も広く役立つ影響力を持っている人をいうのである。」五島 の性格から要求される状態を多かれ少なかれ満たすため、 茂編(1995) 『ラスキン・モリス』、飯塚一郎訳、中央公論社、 「文化」に含まれるであろう。しかし、科学的革新のような p144 を参照されたい。 活動は、この定義では捉えられない、なぜなら、それは、創 18)ハートウェルはイギリスの産業革命が労働者の生活水準に 造性を含む著作権や特許権を獲得する生産物であり、意味で 及 ぼ し た 影 響 に 関 す る 論 文 を い く つ か 発 表 し た 。 R. M. のコミュニケーションというよりは日常の実用に向けられる Hartwell (1965) ‘The Cause of the Industrial Revolution: An からである。同様に、道路標識も文字どおりの意味で象徴的 Essay in Methodology’, The Economic History of Review の な意味を伝達するが、文化的生産物を性格づける他の基準に 合致するかもしれない。 pp. 164-182 を参照されたい。 19)1811 年には機械破壊を目的としたラダイト運動が起こる。 10)経済学上の「価値」、「交換価値」、「使用価値」については また、1819 年にはマンチェスターにおける労働者達の集会で 大阪市立大学経済研究所編(2000)『経済学辞典 第3版』 民衆が官僚の発砲で殺された「ピータールーの虐殺」事件があ 岩波書店)を参照されたい。 った。 11)J.ラスキン著(1958) 『ムネラ・プルウェリス』、関書院、 20)J.ラスキン著 賀川豊彦訳(1931)「ヴェニスの石」『世 p39 を参照されたい。 界大思想全集』第 62 巻、春秋社。 12)前掲書 p39 21)岡田隆彦(1978)『アールヌーボーの源流 ウィリアム・ 13)17 世紀の経済学者であるニコラス・バーボンは J.ロック との議論のなかで、固有価値という概念を初めて提起した モリスとその仲間たち』 、岩崎美術社、pp6-8 を参照されたい。 22)純粋芸術である「大芸術」と装飾芸術である「小芸術」と (A Discourse on coining the new money lighter, 1696)。驚 の間にはなんらの差異がなかった中世は終わり、新しい時代、 くことにこの文献を経済学で取り上げたのは K.マルクスで すなわち、幾多の天才を生み、輝かしい栄光のうちに創造の あった。マルクスは商品の使用価値を『資本論』で取り上げ 世界を繰り広げたかに見えるルネサンスをモリスは「哀れで た時、バーボンの固有価値について次のように書いたのであ 悲しい」と語っている。詳しくは「芸術と地上の美」(1881) る。「諸物は、一つの固有価値[intrinsik virtue ─従来の全集 を参照されたい。 訳では「内心の効力」となっている─著者](これはバーボ 23)構成員は、マドックス・ブラウン(画家)、チャールズ・ ンにとって使用価値を意味する独自な表現である)を持って フォークナー(数学者)、アーサー・フーズ(画家)、バー いる。すなわち、諸物はどこにあっても同じ価値をもってい ン=ジョーンズ(画家)、ピーター・マーシャル(牧師)、ウ る。例えば磁石が鉄をひきつけるというようにである」。バ ィリアム・モリス(詩人・画家)、フィリップ・ウェップ ーボンは欲望(desire)が欲求(want)を含み、欲求は精神 (建築家)の8名である。 の食欲であって、大多数の物は心(mind)の欲求を充足す 24)岡田隆彦(1978)『アールヌーボーの源流、ウィリアム・ るからこそ価値(value)をもつ、と解釈したのである。従 モリスとその仲間たち』、岩崎美術社、pp16 ∼ 17 を参照され って、バーボンの固有価値概念は、使用価値を人間の欲求の たい。 対象としてみれば、value であり、対象としての物の側から 25)1883 年に「民主同盟 The Democratic Federation」に参 見れば、物に固有の潜在的な性質をもつもの=固有価値であ 加・活動を開始する。この団体は 1884 年、マルクスの社会 る。そして、人間の欲求と固有価値を結びつけるものは、マ 主義理論を採用することによって「社会民主同盟 T h e ルクスによれば「磁石の発見」である。すなわち、人間が科 Social Democratic Federation(SDF)」と改名されるが、同 学的な知識を持ち、物の利用にあたって、それを活かさない 年末、モリスは数人の同士とともに脱退し、「社会主義者同 −117− 政策科学 11 −2,Jan. 2004 盟 The Socialist League」を結成している。 Ltd.(野口邦子翻訳(1992)『アーツ・アンド・クラフツ 26)モリスは政治活動に最晩年まで参加した。例えば、1896 年 1月の SDF の年頭集会で帝国主義反対演説を行うほど、旺盛 ウィリアム・モリス以後の工芸美術』、美術出版社) Edward.P.Thompson (1955), WILLIAM MORRIS — Romantic to な活動ぶりを続けたのである。 Revolutionary — . Satanford University press. 27)例えば、ジョン・ラスキンの友人であったハーバード大学 F. Allan Hanson (1975) Meaning of Culture Routledge & Kegan の美術史の教授チャールズ・エリオット・ノートンは、1897 Paul, Ltd. 年にボストン・アーツ・アンド・クラフツ協会を設立し、シ 後藤和子(1998)『芸術文化の公共政策』、勁草書房 カゴ大学の教授であるオスカー・ラヴェルトリッグズは、シ 藤田治彦(1996)『ウィリアム・モリス─近代デザインの原点 カゴ・アーツ・アンド・クラフツ協会の設立と『Chapters in ─』、鹿島出版会 the History of the Art and Crafts Movements』を著した。ま 池上惇(1991) 『文化経済学のすすめ』 、丸善ライブラリー、丸善 た、スタンフォード大学の教授であるボルトン・コイト・ブ 池上惇(1993)『生活の芸術化…ラスキン、モリスと現代…』、 ラウンは、ニューヨーク州のウッドストックでアーツ・アン 丸善ライブラリー、丸善 ド・クラフツによるユートピア共同体を設立した。建築家で 池上惇、端信行編(2003)『文化政策学の展開』、晃洋書房。 あるウィル・プライスは、同様にペンシルヴァニア州に John Ruskin 著、賀川豊彦訳(1931)「ヴェニスの石」『世界大 Rose Valley 共同体を創設した。その他にも数多くの協会が設 立され、とくにシカゴ、ボストン、そしてニューヨークを中 思想全集』第 62 巻、春秋社 L. Mumford (1938) The culture of cities, Brace Jovanovich, Inc. 心に、その後、運動は西部、そして南部へも広がっていった のである。 (生田勉、森田茂介訳(1974)『都市の文化』、鹿島出版会) Martin J. Wiener (1981) English culture and the decline of the 28)例えば、家具職人であり、運動家であったガスタヴ・ステ industrial spirit, Cambridge University Press(原剛訳(1984) ィックリーは交通の便からも消費者が遠くから工房に来るこ 『英国産業精神の衰退─文化的接近─』勁草書房) とが難しいということから、最初に機関誌『The Craftsman』 岡田隆彦(1993)『芸術の生活化』、小沢書店。 を発行し、その中で、より多くの消費者に宣伝広告を行った 岡田隆彦(1978)『アールヌーボーの源流、ウィリアム・モリ が、これは単なる宣伝広告のみの目的ではなく、より充実し た質の高い生活を送るべきだという道徳観および倫理観を伴 スとその仲間たち』、岩崎美術社 Steven Adams (1987) Arts and crafts movement Quintet ったものでもあった。彼は、いかにより良い市民となるため Publishing Ltd.(高野瑤子訳(1992)、『ウィリアム・モリス に、いかにより良い環境を作るべきかという生活一般にわた とアーツ・アンド・クラフツ運動』、千毯館) っての提案を行った。 染谷幸太郎(1972)「イギリス産業革命研究における問題点」 『明大商学論叢』明治大学商学研究所 55(1) 杉原四郎(1995) 『近代日本とイギリス思想』 、日本経済評論社 [参考文献] W. Morris (1914) Hopes and fears for art; Lectures on art and 合田裕作(1966)「イギリスの産業革命の原因(二)」『産業経 済研究』久留米大学産業経済研究会、7(4) industry, London, Lomgmans Green 山口正春(1995)「イギリス産業革命と宗教的・社会的背景に Christine Poulson (1989) William Morris Quintet Publishing −118− 関する一考察」 『政経研究』日本大学法学会 31(2)
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