秋田県郡制史論 伊 藤 寛 崇 はじめに を踏まえながらその実態を詳細に論考され た。 秋 田 県 公 文 書 館 に は 760 点 に も 及 ぶ 郡 役 所 本稿では柴田氏のこの大きな研究成果を踏 文書が所蔵されている。これらの史料群は郡 まえ、秋田県公文書館所蔵『事務簿冊』を基 役所の開設から廃止に至るまで郡制の歩みを と し て 48 年 間 に わ た っ て 歩 ん だ 郡 制 の 過 程 、 知る上では欠かすことのできないまさに歴史 さらにこれまでほとんど注目されて来なかっ 遺産であると言える。 た郡会議員選挙の実態について考察を試みる 秋田県における郡役所の文書管理制度の変 ものである。 (1) 遷については柴田知彰氏による先行研究があ なお、本稿作成に当たって閲覧した郡制に り、9つの郡役所において各種文書がいかに 関 す る 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵『 事 務 簿 冊 』は【 表 して作成し保存されてきたのか、時代的背景 1】の通りである。 【表1】秋田県公文書館所蔵郡制関係『事務簿冊』 № 資料番号 簿冊完結年度 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 930103-09602 930103-02326 930103-09671 930103-09752 930103-09753 930103-09754 930103-09755 930103-01225 930103-01840 930103-01218 930103-09671 930103-01639 930103-02343 930103-01421 930103-01217 930103-01524 930103-01426 930103-01552 930103-02333 930103-09530 930103-09954 930103-02333 930103-09413 930103-01856 930103-02341 930103-01557 930103-09415 930103-01428 930103-01572 930103-01658 930103-09426 930103-01258 明治 13年 明治 15年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 24年 明治 25年 明治 26年 明治 26年 明治 26年 明治 26年 明治 26年 明治 26年 明治 27年 明治 27年 明治 27年 明治 27年 明治 28年 明治 28年 明治 28年 明治 28年 明治 30年 明治 30年 資 料 名 旧記 各郡役所経費上申書 郡制書類 府県制郡制施行ニ関スル書類 府県制郡制施行ニ関スル書類 府県制郡制施行ニ関スル書類 府県制郡制施行ニ関スル書類 郡制報告書 事務簿 郡市参事会員会議員名簿 郡制書類 往復書類綴 由利郡役所甲訓令 郡会録事(日誌) 郡会参事会規則 由利郡役所甲訓令 臨時郡会日誌 臨時郡会議事録 郡訓令 第一課郡市町村掛事務簿 第一課会議係事務簿 郡訓令 第一課郡市町村掛事務簿 雄勝郡会議事録 事務簿 事務簿 第一課郡市町村係事務簿 臨時郡会日誌 河辺郡臨時会議事録 参事会議事録綴 第一課郡市町村係事務簿 郡会議事状況綴 部 課 係 名 庶務課記録掛 庶務課庶務掛 内務部第一課郡市町村係 内務部第一課郡市町村係 内務部第一課郡市町村係 内務部第一課郡市町村係 内務部第一課郡市町村係 内務部第一課郡市町村係 雄勝郡役所 内務部第一課郡市町村係 内務部第一課郡市町村係 仙北郡役所 由利郡役所 北秋田郡役所 内務部第一課郡市町村係 由利郡役所 北秋田郡役所 河辺郡役所 由利郡役所 内務部第一課郡市町村係 内務部第一課会議係 由利郡役所 内務部第一課郡市町村係 雄勝郡役所 雄勝郡役所庶務係 雄勝郡役所 内務部第一課郡市町村係 北秋田郡役所 河辺郡役所 仙北郡参事会 内務部第一課郡市町村係 内務部第一課郡市町村係 備 考 各郡役場共 四冊ノ内 四冊ノ内 四冊ノ内 四冊ノ内 共三 甲 乙 丙 丁 郡会議員選挙 仙北郡会 全一冊 会議之部 会議之部 行政之部 二番 郡会 行政之部 一番 -1- 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 930103-01440 930103-09674 930103-01645 930103-01854 930103-01530 930103-01773 930103-01266 930103-01267 930103-01460 930103-01565 930103-11654 930103-01630 930103-01533 930103-09743 930103-01534 930103-08748 930103-01291 930103-01535 930103-09291 930103-01296 930103-01847 930103-01300 930103-01635 930103-01328 930103-01841 930103-01331 930103-01545 930103-01547 930103-01636 930103-01637 930103-01346 930103-01848 930103-01349 930103-01548 930103-01352 930103-01353 930103-01354 930103-01355 930103-01359 930103-01360 930103-01849 930103-01366 930103-01367 930103-01368 930103-01763 930103-01370 930103-01371 930103-01372 930103-01373 930103-01374 930103-01375 930103-01844 930103-01845 930103-01862 930103-01379 930103-01380 930103-01381 930103-09449 930103-01491 930103-01585 930103-01864 930103-01674 930103-01388 930103-01389 930103-01390 930103-01391 930103-01392 930103-01393 930103-01586 930103-01490 930103-08742 明治 30年 明治 30年 明治 31年 明治 32年 明治 32年 明治 32年 明治 32年 明治 32年 明治 32年 明治 32年 明治 32年 明治 33年 明治 35年 明治 36年 明治 36年 明治 36年 明治 37年 明治 37年 明治 38年 明治 39年 明治 40年 明治 40年 明治 41年 明治 44年 明治 44年 明治 44年 明治 44年 明治 44年 大正元年 大正元年 大正4年 大正4年 大正4年 大正4年 大正5年 大正5年 大正5年 大正5年 大正5年 大正5年 大正6年 大正6年 大正6年 大正6年 大正7年 大正7年 大正7年 大正7年 大正7年 大正7年 大正7年 大正8年 大正8年 大正8年 大正8年 大正8年 大正8年 大正8年 大正8年 大正8年 大正 10年 大正 10年 大正 11年 大正 11年 大正 11年 大正 11年 大正 11年 大正 11年 大正 11年 大正 11年 大正 15年 北秋田郡通常郡会議事録 郡制訓令録 通常郡会議事録 郡会議事録 河辺郡諸達 官規 改正郡制施行関係書類 郡市参事会員会議員名簿 北秋田郡臨時郡会議事録 河辺郡臨時郡会会議録 閣省通牒綴 郡訓令乙 河辺郡諸達 改正府県制郡制二関スル事務簿 河辺郡諸達 庶務係事務簿 郡会議員郡参事会員名簿 河辺郡諸達 県参事会裁決書 郡制廃止ニ関スル調 郡会議員選挙書類 郡会議員郡参事会員名簿 郡訓令乙 郡会議員郡参事会員名簿 郡会議員選挙書類 郡会書類 事務簿 河辺郡達 由利郡令 郡訓令乙号綴 郡会書類 郡会議員選挙書類 郡会議員選挙書類 郡達綴 由利郡役所検閲書類 北秋田郡役所検閲書類 河辺郡役所検閲書類 南秋田郡役所検閲書類 鹿角郡役所検閲書類 雄勝郡役所検閲書類 郡会議員補欠選挙事務簿 山本郡役所検閲書類 平鹿郡役所検閲書類 仙北郡役所検閲書類 郡訓令綴 雄勝郡役所検閲書類 河辺郡役所検閲書類 南秋田郡役所検閲書類 北秋田郡役所検閲書類 鹿角郡役所検閲書類 山本郡役所検閲書類 庶務係事務簿 庶務係事務簿 庶務係事務簿 由利郡役所検閲書類 仙北郡役所検閲書類 平鹿郡役所検閲書類 内務部庶務課事務簿 北秋田郡会々議録 郡会会議録 庶務係事務簿 郡会会議録 郡制廃止関係異動報告綴 郡制廃止関係書類 郡制廃止関係書類 郡制廃止関係書類 郡制廃止関係書類 郡制廃止関係書類 臨時郡会会議録 北秋田郡臨時郡会会議録 郡役所廃止関係書類 北秋田郡役所 内務部第一課郡市町村係 由利郡役所 雄勝郡役所 河辺郡役所 雄勝郡役所 内務部第一課郡市町村係 内務部第一課郡市町村係 北秋田郡役所 河辺郡役所 知事官房往復係 由利郡役所 河辺郡役所 内務部第一課会議係 河辺郡役所 河辺郡役所 内務部第一課郡市町村係 河辺郡役所 内務部第一課郡市町村係 第一部地方課行政係 雄勝郡役所 内務部庶務課 由利郡役所 内務部庶務課 雄勝郡役所 内務部庶務課 河辺郡役所 河辺郡役所 由利郡役所 由利郡役所 内務部庶務課 雄勝郡役所 内務部庶務課 河辺郡役所 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 雄勝郡役所 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 雄勝郡役所 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 雄勝郡役所 雄勝郡役所 雄勝郡役所 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 北秋田郡役所 河辺郡役所 雄勝郡役所 由利郡役所 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 内務部庶務課 河辺郡役所 北秋田郡役所 知事官房 郡令其他 学事其他 第一一号 甲 乙 甲 選挙 郡会議員選挙 郡会関係書類 ※秋田県公文書館ホームページ「簿冊名データ(慶応 01年~昭和 52年 )」より作成。 -2- 1 郡の成立 1-2 郡長の規定 郡の筆頭である郡長に関しては「府県官職 1-1 郡の規定 いわゆる3新法の1つ「郡区町村編制法」 制 」( 明 治 11 年 7 月 25 日 太 政 官 布 告 第 32 号 ) の公布によって規定がなされた。 ( 明 治 11 年 7 月 22 日 太 政 官 布 告 第 17 号 ) の 制 定によって、地方行政区画としての郡が規定 された。その一方で、町村は独立自治団体た ることを法定された。 郡長 第一 八等相当 一人 郡長ノ俸給ハ地方税ヨリ支出ス一月 八十円以下各地方ノ便宜ニ従ヒ府知事県 令之ヲ定ム 第一条 地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村ト 第二条 郡町村ノ区域名称ハ総テ旧ニ依ル 第三条 郡ノ区域広潤ニ過キ施政ニ不便ナ ル者ハ一郡ヲ画シテ数郡トナス(東西南 北上中下某郡ト云カ如シ) 毎郡ニ郡長一員ヲ置キ毎区ニ区長 各一員ヲ置ク郡ノ狭小ナルモノハ数郡ニ 一員ヲ置クコトヲ得 第六条 郡長ハ該府県本籍ノ人ヲ以テ之ヲ任 ス ス 第五条 第二 毎町村ニ戸長各一員ヲ置キ数町村 ニ一員ヲ置クコトヲ得 但区内ノ町村ハ区長ヲ以テ戸長ノ事務ヲ 第三 郡長ハ事ヲ府知事県令ニ受ケ法律命 令ヲ郡内ニ施行シ一郡ノ事務ヲ総理ス 第四 郡長ハ法律又ハ命令規則ニ依テ委任 サルヽ条件及府知事県令ヨリ特ニ分任ヲ 受クル条件ニ付便宜処分シテ後ニ府知事 県令ニ報告ス 第五 郡長ノ処分不当ナリトスルトキハ府 知事県令ヨリ取消ヲ命セラルヽコトアル ヘシ 第六 郡長ハ町村戸長ヲ監督ス 兼ヌルコトヲ得 これにより郡長は八等相当とされ、その俸 郡 の 統 廃 合 に つ い て 、 秋 田 県 で は 9 月 20 日 給は地方税より支出されることになった。秋 付で内務省に秋田郡を南北2郡に分割し、鹿 田 県 で は 同 年 12 月 23 日 に 、「 郡 長 書 記 ノ 職 制 角・河辺2郡は廃止して、その区域を秋田南 及郡長掌管ノ条件並ニ戸長職務ノ概目」が布 北2郡に編入する認可を上申した。これに対 達 さ れ 、 同 月 25 日 に 9 郡 長 が 任 命 さ れ た 。 そ する内務省の回答は、秋田郡を南北2郡に分 し て 翌 12 年 1 月 15 日 に 9 郡 役 所 が 開 庁 し た 。 割することは編制法の成文に照し理解できる 初代9郡長は次の通りである。 (3) (4) が、鹿角・河辺2小郡を廃止することは法の 郡 名 郡 長 前 職 認める所でないのみならず、廃郡を先に分割 した郡に附属することは更にその理由を発見 鹿 角 郡 山 田 純 秋田県第一大区区長 北秋田郡 川 崎 胖 秋田県十等属 山 本 郡 山 本 安 分 秋田県六等属 南秋田郡 小助川 光 敦 秋田県第四大区区長 河 辺 郡 齊 藤 重 光 秋田県第二大区区長 みを切り離して三度上申した。これに対して 由 利 郡 御 代 信 成 秋田県第五大区区長 は即時に伊藤博文内務卿からの認可指令が下 仙 北 郡 大 野 光 緝 秋田県七等属 り、ここに、鹿角・北秋田・山本・南秋田・ 平 鹿 郡 鈴 木 惟 孝 秋田県八等属 河辺・由利・仙北・平鹿・雄勝の9郡が成立 雄 勝 郡 北 條 忠 勇 秋田県十等属 するのに苦しむというものであった。 10 月 28 日 付 で 前 上 申 書 の 指 令 に 基 き 再 度 上 申したものの、内務省の許可は下りず、郡役 所開庁の時期を考慮して南北秋田郡の分画の (2) するに至った。 -3- 1-3 郡制度の改革と再編の気運 管内郡域図①(明治 12 ~ 22 年) 郡は成立当初から自由民権運動と相俟って 改革の対象となり、その実態については谷口 (5) 裕信氏によって明らかになっている。 谷口氏は郡政運営上で直面した問題点とし て次の4点を指摘しておられる。 ①郡長の俸給が地方税支弁から国庫支弁へ 移 行 し た こ と ( 明 治 16 年 2 月 21 日 太 政 官 布 告 第 7 号 )。 ②郡長の一部奏任化が図られたこと。 ③郡長職務=郡役所事務が増加したこと。 ④法文上郡に代議機関を欠いたこと。 郡長の一部奏任化については、秋田県では 明 治 18 年 3 月 11 日 に 御 代 信 成 が 奏 任 郡 長 と し て南秋田郡長に任用されている。 さ ら に 、「 地 方 官 官 制 」( 明 治 19 年 7 月 1 2 日 勅 令 第 54 号 ) の 公 布 に 伴 い 、 奏 任 郡 長 の 任 用規定が法文化され、郡長任用制度が導入さ れた。 管 内 郡 域 図 ② ( 明 治 22 ~ 大 正 15 年 ) 第三十七条 毎郡若クハ数郡ニ郡長一人毎 区ニ区長一人及書記若干人ヲ置ク 第三十八条 郡区長ハ奏任四等以下書記ハ 判任三等以下トス 郡長任用制度の実態については、まず「郡 区 長 ニ 係 ル 試 験 ノ 件 」( 明 治 20 年 7 月 23 日 閣 (6) 令 第 20 号 ) に よ り 試 験 の 実 施 が 規 定 さ れ た 。 地方現今ノ情況ニ依リ郡区長ノ試験ハ学術 ニ偏セス実務ヲ旨トシテ専ラ其地ノ状勢民 情及利害ニ通暁スル者ヲ選任スヘキ必要ア ルヲ以テ郡区長ノ試験科目ハ当分ノ内地方 ノ実況ヲ斟酌シテ内務大臣ノ指定スル所ニ 依ル 但郡区長ハ高等試験ヲ経タル者ニ非レハ 他ノ高等官ニ転スルコトヲ得ス さ ら に 、「 郡 区 長 試 験 条 規 」( 明 治 20 年 1 2 (柴田知彰氏「秋田県における郡役所の職務 月 29 日 内 務 省 令 第 5 号 ) に よ っ て 次 の 3 つ の 分 課 に つ い て 」) 試験科目が設定された。 -4- ①就職スヘキ地方ノ風土慣例及物産 秋田県収税属 ②郡区長職務ニ必要ナル法令 任 ③郡区長職務ニ関スル公文ノ立案 内閣総理大臣従二位勲一等伯爵 御代 弦 秋田県北秋田郡長 黑田淸隆宣 (7) 谷口氏の論考によって、郡長試験は3回実 明治廿二年七月廿六日 施されたことが明らかになっているが、秋田 秋田県北秋田郡長 御代 弦 県 に お い て は 第 1 回 郡 長 試 験 ( 明 治 21 年 9 月 叙奏任官六等賜中級俸 25 日 ) で は 受 験 者 7 名 に 対 し 合 格 者 0 名 、 第 内閣総理大臣以下前ニ同シ 2 回 郡 長 試 験 ( 明 治 22 年 4 月 17 日 ) で は 受 験 明治廿二年七月廿六日 者 11 名 に 対 し 合 格 者 1 名 ・ 任 用 1 名 、 第 3 回 此日、県内数郡長ニ更迭アリ。親父ハ非職 郡 長 試 験 ( 明 治 24 年 9 月 1 日 ) は 実 施 さ れ な ト為リ余其後ヲ襲ク。 かったことが確認出来る。 秋田県で第2回 御代弦は郡長試験の受験を一度は固辞した 郡長試験に合格し ものの、靑山貞秋田県知事・小川弘水書記官 たのは、奏任郡長 の強い勧めと、加えて父信成が長らく郡長の として南秋田郡長 任 に あ っ た た め 受 験 を 決 意 し た 。 5 月 21 日 に に任用された御代 官 報 を 通 じ て 合 格 の 告 示 が な さ れ 、 7 月 26 日 (8) 信成の長男弦であ に父の後任として北秋田郡長に任用された。 (9) った。 『 御代 弦 日 誌 』 その後、郡長任用制度は特別任用制度の導 には郡長試験の合 入 ( 明 治 23 年 2 月 4 日 勅 令 第 9 号 ) に よ り 、 格に至るまでの経 わずか3回実施されたのみで廃止に至った。 御代弦(『 御代弦日誌 』) 緯が記されている。 第一条 四月十七日 郡区長ハ五箇年以上官務ニ従事シ 県庁ニ於テ郡長試験ヲ受ク。 判任官五等以上ノ現職ニ在ルモノニ限リ 是ヨリ先キ、書記官小川弘水、靑山知事 当分ノ内試験ヲ要セス郡区長試験委員長 ノ内旨ヲ承ケ、余ニ勧ムルニ郡長試験ヲ ノ詮衡ヲ経テ任用スルコトヲ得 出願スヘキヲ以テス。余考フルニ宿痾稍 第二条 郡区長試験委員長ノ詮衡ヲ経テ郡 ヤ愈ルモ健康未タ旧ニ復セス、到底劇務 区長ニ任用シタル者他ノ道庁府県ノ郡区 ニ従事シ得サルヲ以テ之ヲ辞ス。後再ヒ 長ニ転任スルトキハ更ニ郡区長試験委員 余ニ勧メテ已マス。依テ私カニ再考スル 長ノ詮衡ヲ経ヘシ ニ親父ハ現ニ北秋田郡長ニ奉職セルニモ 第三条 郡区長試験委員長ノ詮衡ヲ経テ任 拘ハラス、余ニ勧誘スルハ多少其故ナキ 用シタル郡区長ハ高等試験ヲ経ルニアラ ニ非ス。加フルニ親父ヲシテ、長ク官務 サレハ他ノ高等官ニ転任スルコトヲ得ス ノ労ニ就カシムルハ安ンセサル所ニ之ア リ。旁試験ヲ諾シタリ。此日受験者十余 この制度の導入により郡区長試験委員長の 名ニシテ午前ハ筆記、午後ハ口述試験ナ 詮衡によって無試験で郡長への任用が可能と リ。 なったが、その一方で第三条の規定の通り高 五月廿三日 本日廿一日官報ニ於テ自分郡 長試験及第ノ広告アリタリ。本県ニテ余 一人ナリ。 七月三十日 等試験を経なければ郡長から他の高等官には 転任できない仕組みが採られた。 郡長奏任化の流れと平行して秋田県会では 県庁ヨリ呼出ニテ出頭シタル 処、左ノ辞令ヲ受ク。 郡長公選論、南秋田郡と河辺郡の合併論が叫 ばれていた。 -5- ま ず 、 明 治 15 年 5 月 28 日 に は 「 郡 ・ 区 長 公 は暫く措き、目今先つ郡長其人は必ず地方 ( 10 ) 選建議草案」が作成された。 人を任用せられんことを閣下の胸臆に銘し、 以て其筋に推薦あらんことを閣下に建議せ 明治十一年三大新法を布かせられ、尋て んと欲す。彼の十九年官制改革前にありて 第三十二号官達ありて、大に地方政務の面 は、専ら地方人を任用するの制なりしが、 目を改め、終に本年第二号・第三号の布告 此官制改革以後は全く地方内外人を問はざ を発せらるゝ所以のものは、実に人民自治 ることゝなれり。去り乍ら、可成的地方人 の精神発達せるに従ひ、地方政務の制度た を任用すべしと云内訓もありと聞く。蓋し るに外ならさるへし。竊に按するに、郡、 其理勢の目から然らざるを得ざる者あるを 区長の資格たる、固より支給する所のもの 信ずるなり。夫れ然り。而るに本県の地た 一に地方税の支弁に成りて、給を国庫に仰 る東北の一隅に僻在して、他府県とは大に くの官吏と同一すへからさるは論を待すし 民情を異にするものあり。言を更へて之を て明なり。然るに未た郡区長を公撰するの 言へば、本県人は管内人を信じて他府県人 権を人民に委せさるものは、何そや。蓋し を信せざるの僻あり、之れ畢竟土地の僻在 民智開進の度を待たせらるゝものなるへし。 によりて他府県人に対し交際の頻繁ならざ 今既に人民自治の精神を奪ひ、政治の思想 る者、之が一大原因と云はざるを得ず。而 に富みたる実に昔日の看を為すへからす。 して郡長の如きは、最も人民に直接の関係 彼の郡・区長公撰の如き決して今日の難し を有する者なれば、寧ろ学才よりも徳望を と せ さ る 所 な り 。否 難 か ら さ る の み な ら す 、 尊はざるへからず。故に郡長たるものは、 民撰の時機既に至れるなり。抑、回顧すれ 必ず左の三項を兼備せるの人に非されば、 は、国会を開くの期も亦僅に八年の近きに 行政上に於て往々不都合を生すること論を あり、着々歩を進めてその目的を達せんと 俟たざるなり。 するに当り、郡・区長を公撰に附するの最 一、人情・風俗を熟知すること。 も急務なるを確信す。仰き願くは、人民開 二、地理・形勢を詳悉すること。 進の度と、輿論の帰する所を採せられ、速 三、信用あること。 に裁制あらん事を切に冀望に堪さるなり。 此三項は地方人にあらざれば、如何なる敏 達の人と雖とも必ずは兼有すること能はざ そ れ か ら 5 年 半 後 の 明 治 20年 12月 25日 に るべし。苟も郡長を任用するに当り、昨日 (11 ) は 、「 郡 長 公 選 」 建 議 が な さ れ た 。 甲県に奉職せるものを今日乙県に推薦し、 今日は乙県に退職せるものを明日丙県に推 郡長公選論は、明治十五・六年頃一時社会 薦するが如きことありては、到底其県の民 に喧く、我県会も当時郡長公選論を主張し 福を増進すること能はず。殊に本県の情態 て直に其筋へ建議を呈したり。然れとも其 により考察を降すときは、郡長を地方人よ 筋に於ては遂に此議を容れずして、依然官 り撰用するときは、官民の信用は大に鞏固 選の法を用るに至る。誰か遺憾を懐かざる を得て、我六拾余萬同胞の幸福を増進する 者あらん。抑郡長は、云ふ迄もなく地方長 こと疑を容れざる処なり。因て議会の決議 官と雖とも公選法を以て之を任用するとき を以て此段建議候也。 は、実際に於て其利益の鴻大なること夙と に社会の信認する処なり。然れとも、今日 郡長公選論は自由民権運動の昂揚と共に全 の場合斯る議論を呈出するも、我政府は容 国的議論として展開され、それに呼応する形 易に之を採用するの見込なければ、此議論 で秋田県でも県会を中心に建議の議論が尽く -6- さ れ た 。 特 徴 的 な の は 、 明 治 20 年 の 建 議 で は み、他に一の障害ある事なし。然るに該郡 公選論を一時棚上げして、郡長の任用に当た 役所のため所費は年に五千余円の多きに至 っては必ず地方人を任用するよう求めている る。之を要すれは、啻に従前一郡の名ある ことである。その理由として「本県人は管内 に抅泥して一役所を設けたるのみと云ふに 人を信じて他府県人を信せざるの僻」あるこ 過きさるなり。願ふに追年地方税負担の費 とを挙げ、①人情・風俗を熟知すること、② 額増加する秋に際し、如此贅費を要するの 地理・形勢を詳悉すること、③信用あること 理由萬々無之義と確信仕候に付、篤と地理 の3項目を兼有する地方人を郡長として任用 ・人情等御照覧の上、速かに合一相成度。 するよう建議している。 右は秋田県令へも詳細建議置候得共、府 また、県会では郡の成立以前から統廃合問 県会規則第七条の明文に基き、一県の利害 題として存在した南秋田郡と河辺郡の合併論 に関する重大の義に付、我秋田県会の決議 も 議 題 に 挙 が っ て い た 。 明 治 15 年 5 月 24 日 に を以て謹て建議候也。 明治十五年六月 は「河辺郡役所を廃して南秋田郡役所を合併 ( 12 ) 秋田県々会議長 するの建議」がなされた。 成田直衞 ( 13 ) 我秋田県の下九郡に分画し、各郡役所を 当時の南秋田郡役所は秋田町に、河辺郡役 置かるゝ爾来已に五年に垂んとす。其既定 所は牛島村に置かれていた。そのため地理的 の地に就き風土民情及施政の便否と、経費 及び財政的見地から2郡の合併を県会議長成 の多少とを熟察するに、河辺郡役所を廃し 田直衞自ら建議しているのが分かる。 て南秋田郡役所に合併するの便益なる、現 こうした郡制度の改革と再編の気運は地方 今必要なりと認定せり。請ふ其事由を左に 制度そのものの改革への端緒となり、明治政 具陳せん。抑該郡地形は、東西七里南北五 府は法の整備に着手することになる。 里 (尤 も 遠 き に 付 き 計 算 す )に し て 弦 月 状 を なし、過半南秋田郡の東西を囲繞するを以 て、之を概するに秋田町はその中腹に突入 せるものゝ如く、別に阻隘の郡界を画する ものなし。而して反別は壱萬弐千九百九拾 壱町余・戸数は五千四百拾弐、営業人は千 六百三十人・戸長役場は五十の最狭小郡に して、其郡役所々在の地即ち郡中の都邑と もなすへき牛島村は戸数三百六拾余・秋田 町とは連檐櫛比只一橋あるのみ。且南秋田 郡役所と該郡役所との距離は僅かに十丁内 河辺郡役所 外にして、恰も一市街に二個の郡役所を置 ( 河辺 郡 役所 編 『河 辺 郡誌 』) くか如し。又該郡物産の重なるものは米穀 ・薪炭にして、多くは是を秋田町に鬻き、 2 「郡制」の成立 其需用は一般之を秋田町に仰く。故に該郡 風俗・人情等の南秋田郡に径庭するものあ 2-1 憲法の公布と地方制度の整備 るを見す。爰を以て施政上より之を論する 明 治 14 年 10 月 12 日 、 明 治 天 皇 は 国 会 開 設 の も、南秋田郡役所と河辺郡役所と合併する 勅諭を下した。これにより国会開設に向けて は、大に繁を去り、簡に就くの便益あるの 法 の 整 備 に 着 手 す る こ と と な り 、 翌 15 年 3 月 -7- 三 郡会 Rudolf von Gneist と Lorenz von Stein か ら 憲 法 指 四 委員 導 を 受 け て 明 治 16 年 8 月 に 帰 国 し 、 伊 藤 は 井 ○第一 に参議伊藤博文は憲法調査のため渡欧した。 ( 14 ) 上 毅 に 憲 法 草 案 の 起 草 を 命 じ 、 翌 17 年 3 月 宮 第一項 第二項 内閣総理大臣に就任した。 井 上 は ド イ ツ 人 Hermann 郡長ハ高等官トシ内務大臣ノ上奏 ニ依リ之ヲ任ス 中に制度取調局を設置した。さらに伊藤は明 治 18 年 12 月 22 日 、 内 閣 制 度 創 設 と と も に 初 代 郡長 郡長ハ郡政ノ首長トス依テ左ノ担 任アリ Roesler と Albert 一 政府ノ機関トシテ官政事務ヲ ( 15 ) Mosse の 助 言 を 経 て 起 草 作 業 を 行 い 、 特 に 郡内ニ施行ス Hermann Roesler が 提 出 し た 「 日 本 帝 国 憲 法 草 二 郡参事会及郡会ノ議長トナリ 案 」 の 大 部 分 を 受 け 入 れ て 明 治 20 年 5 月 に 憲 テハ郡ノ共同事務ヲ統轄ス ○第二 法草案を完成させた。その後、伊藤、井上、伊 東己代治、金子堅太郎らによる検討が重ねら 第一項 郡参事会 郡参事会ハ左ノ人員ヲ以テ之ヲ組 れ 「 夏 島 草 案 」 と し て ま と め 上 げ ら れ 、 翌 21 織ス 年4月に成案が完成した。そのまもなく天皇 一 郡長可否同数ナルトキハ専決 ノ権ヲ有ス の諮問機関として枢密院が設置され、伊藤は 二 初代枢密院議長として憲法草案の審議を行っ 郡会ニ於テ郡民中郡会議員被 た 。枢 密 院 で の 審 議 は 明 治 22 年 1 月 に 結 了 し 、 選挙権アル者ヨリ選挙シタル 2 月 11 日 に「 大 日 本 帝 国 憲 法 」が 発 布 さ れ た 。 者 四 名 若 ク ハ 其 代 理 者 (但 大 郡ハ議決ニ依リ増シテ六名ト 一方、地方制度の法整備も内務大臣山縣有 ス) 朋 を 中 心 に 行 わ れ 、 ま ず 明 治 20 年 1 月 24 日 に ○第三 地方制度調査委員会が設置された。2月1日 に Albert Mosse か ら 「 地 方 官 政 及 共 同 行 政 組 第一項 郡会ハ左ノ人員ヲ以テ之ヲ組織ス 一 織ノ要領」が提出され、これを基として「地 郡会 町村ノ代議人即チ町村ノ人口 (16 ) 方 制 度 編 纂 綱 領 」 が 作 成 さ れ 、 同 月 24 日 に 閣 ニ応シ町村会ニ於テ選挙シタ 議に提出された。この綱領の中で郡に関する ル者又ハ小町村ニ在テハ其連 条項は次の通りである。 合選挙区ノ選挙人ニ於テ選挙 シタル者 第三款 第一項 二 郡市 地租 郡市ノ区域ハ現今ノ侭据置ク事 三 三府ノ区ヲ共同体ト為スコトハ自 第二項 第三項 円以上ヲ納ムル者 大営業人即チ郡内ニテ営ム商 今廃止ス 工業又ハ鉱山業及其業用ノ地 郡市経界ノ変更新郡設置及数郡ノ 所ヨリ直接国税 合併ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム 納ムル者 円以上 人口二万五千以上ノ部落ハ郡ノ区 右第二第三ノ租税額ハ県ノ条例ヲ 域ヲ脱シテ独立スルコトヲ得セシ 以テ 裁ヲ経レハ独立ヲ得セシム 円マテ増加シ又ハ 円マテ減少スルコトヲ得 ム但二万五千以下ノ部落ト雖モ勅 第五項 大地主即チ郡内ノ所有地ヨリ 第二項 前項第二第三ノ人員ハ選挙ヲ受ケ 郡ノ機関ハ左ノ如シ スシテ郡会議員タル可シ若シ其各 一 郡長 員数町村代議人総数ノ六分ノ一ヲ 二 郡参事会 超ユルトキハ各々其仲間中ヨリ代 -8- 町会・村会は等級選挙制(市は三級選挙制、 議人ヲ選挙スヘシ ( 17 ) 第三項 被選挙権ノ要件ハ県会議員ニ同シ 町村は二級選挙制)を採り、有権者は公民権 ( 22 ) を持っている者に限定したこと。 この綱領は「市制・町村制」及び「府県制 ・郡制」の内閣原案となったものであるが、 2-2 「府県制・郡制」の成立過程 (23 ) 府県と町村の間に自治区画として郡・区(後 居 石 氏 の 論 考 に 従 っ て 、「 府 県 制 ・ 郡 制 」 に市となる市街地)を設置することと府県・ の 編 纂 過 程 を 見 て 行 く と 、 明 治 21 年 9 月 26 日 郡に参事会を設置して、行政の施行責任を持 に閣議で承認された「内閣原案」は「市制・ たせることを規定している。特徴として挙げ 町村制」と同一原理で編纂され、府県・郡を ら れ る の は 郡 会 議 員 が 町 村 選 出 、大 地 主 選 出 、 それぞれ同質の自治団体として承認し、府県 大営業人選出の3種から構成されていること ・郡・市町村が相互に連関性を持たせて自治 である。 が機能するよう立案されていたことが分か (24 ) この「地方制度編纂綱領」は3月に内示を る。 行ったものの、地方長官からの反対論が続出 こ の 「 内 閣 原 案 」 は 同 年 10 月 1 日 に 元 老 院 したため、その結果「市制・町村制」と「府 に提出され、8日に第一読会が開かれ、全部 県制・郡制」はそれぞれ独立した編纂過程を 付託調査委員によって修正が行われることに (25 ) ( 18 ) 歩むことになった。 決 ま っ た 。 11 月 16 日 開 会 の 第 二 読 会 に 「 元 老 「市制・町村制法案」は地方制度編纂委員 院全部付託調査委員案」は提出されが、時期 長 よ り 同 年 9 月 20 日 に 閣 議 に 提 出 さ れ 、 11 月 尚 早 説 や 廃 案 説 が 出 て 審 議 は 大 紛 糾 し た 。 20 16 日 に 「 町 村 制 法 案 」、 18 日 に 「 市 制 法 案 」 日午後には山縣内務大臣自ら会議に出席し が元老院に下付された。元老院での審議の結 て 、「 若 シ 此 法 案 ヲ 実 施 セ サ ラ ン カ 啻 ニ 地 方 果 、 翌 21 年 1 月 31 日 に 「 町 村 制 」、 2 月 8 日 自治制度設立ノ精神ヲ失フノミナラス国家ノ に「市制」の修正案が完成した。さらに、枢 基礎ヲ鞏固ニシ他日帝国議会ノ後善良ナル結 密 院 で の 修 正 を 経 て 、2 月 3 日 に「 町 村 制 」、 果ヲ見ンコトヲ期スル政略上ノ目的ヲ達スル 10 日 に 「 市 制 」 が そ れ ぞ れ 閣 議 に 提 出 さ れ 、 ヲ得サルニ至ラン」と述べ、早期実現の必要 「 市 制 ・ 町 村 制 」 は 4 月 17 日 に 法 律 第 1 号 と 性 を 強 調 し た 。 そ の 矢 先 の 12 月 2 日 、 山 縣 は して公布された。 欧州諸国視察のため横浜港を出航し、6日に (26 ) (19 ) 山 中 永 之 佑 氏 の 論 考 に 従 っ て 、「 市 制 ・ 町 黑田淸隆内閣総理大臣より元老院議長宛に 村制」の特色をまとめると次の通りになる。 「府県制・郡制法案」を内閣へ返納する旨の ①「市制・町村制」は「郡区町村編制法」 照会がなされ、8日に元老院は法案を返納し と同様に行政権の強い地方自治制度であった 事実上の廃案となった。 こと。東京市・大阪市・京都市には市長が置 この大紛糾を極めた議論の背景には、 かれず、市制特例として府知事が兼任し、一 Hermann Roesler の 影 響 を 受 け た 井 上 毅 と 山 縣 般市長は市会で選ばれた3名の候補者を内務 を中心とする内務官僚との自治観の相違が挙 大臣が上奏し、天皇がその中から1名を裁可 げ ら れ る 。井 上 毅 は「 府 県 制 ニ 対 ス ル ノ 杞 憂 」 ( 27 ) ( 20 ) (28 ) 及び「府県自治意見」を通して、自治論の中 するという形式を採ったこと。 ②国の官吏とともに地方自治を支える主人 に主権論を読み取り、民主主義原理が自治を 公として、地域の名望家(主に地主、都市部 生み出し、自治が民主主義を発展させると理 (21 ) で は 商 工 業 者 な ど の 有 力 家 )を 重 視 し た こ と 。 解している。一方、山縣を中心とする内務官 市では市長を中心に助役と数名の参事会員が 僚 は「 山 縣 大 臣 府 県 制 郡 制 弁 明 書 」を 通 じ て 、 行政を担当して市会に議案を提出し、市会・ 主権論と自治論は次元の違う問題であるとし (29 ) -9- て捉え、君主主権の下でも自治の発展は可能 本 枠 組 み を 修 正 し 、 井 上 毅 や Hermann Roesler であり、プロイセンの例で見れば自治の発展 の府県制構想に重要な変更を求めるものであ こそ、君主主権をより強固にすると考えてい っ た 。 12 月 28 日 に は 法 制 局 と 内 務 省 の 合 同 協 る。 議 で 修 正 案 が 作 成 さ れ 、 翌 23 年 1 月 17 日 に は (37 ) (38 ) 結局、政府首脳は井上毅の批判を受け入れ 最終案=「法制局内務省合同協議案」が完成 (30 ) た た め に「 内 閣 原 案 」は 廃 案 に 追 い 込 ま れ た 。 山 縣 不 在 の ま ま 、「 府 県 制 ・ 郡 制 」 の 編 纂 は し 、 21 日 に 法 制 局 か ら 内 閣 に 上 申 さ れ た 。 この案は元老院でさらに部分的修正が加え (39 ) 新たな局面へと進むことになった。 ら れ て 3 月 20 日 に 議 定 ・ 上 奏 さ れ 、 次 い で 24 ( 31 ) 12 月 25 日 に 松 方 正 義 内 務 大 臣 は 「 内 務 省 修 日 に は 枢 密 院 に 諮 詢 さ れ 、 5 月 9 日 か ら 12 日 正案」を内閣に提出した。この修正案は山縣 ま で 審 議 さ れ た 。「 枢 密 院 諮 詢 案 」 の 特 徴 と の修正意見に基づき「内閣原案」の不都合な して次の3点を挙げることが出来る。①3大 点を修正するという部分的なものであった。 都市選出府会議員に関する特例を削除し、同 その後、内務省内では末松謙澄を中心に井 一人物が市会議員と府会議員、衆議院議員を 上 馨 と 連 繋 を 図 り な が ら 、 翌 22 年 3 月 に 一 応 兼職出来るという「内閣原案」を否定したこ (40 ) ( 32 ) の 成 案 が 完 成 し た 。5 月 に は「 郡 制 草 案 」 (全 と 。② 府 県 府 県 会 議 員 の 改 選 規 定 が 修 正 さ れ 、 ( 33 ) 6 章 94 条 )=「 明 治 22 年 5 月 案 」が 完 成 し た 。 2年毎の半数改選に改められたこと。③訴願 時を同じくして法制局に調査委員が設置さ 及び行政訴訟が起こされた場合の執行停止処 れ、井上毅と連繋を取りながら編纂作業が進 分に関わるすべての規定を枢密院が削除した ( 34 ) められた。7月に完成した「調査委員案」の こと。 特徴を見てみると、草案の順序が「府県制」 枢密院で修正された「府県制・郡制法案」 「郡制」の順となり、また府県の自治制は否 は 14 日 に 上 奏 さ れ 、 翌 日 閣 議 に 供 さ れ 、 16 日 定 さ れ 、「 明 治 22 年 5 月 案 」 に 残 さ れ て い た に 法 律 第 35 号 と し て 「 府 県 制 」 が 、 法 律 第 36 自 治 の 要 素 を 含 む 規 定 も 排 除 さ れ 、「 杞 憂 」 号として「郡制」が公布された。 以来行って来た井上毅の批判は参事会の議長 「郡制」の制定により、郡の性格は郡会が を府県知事の兼任とすることを除き、ほぼす 郡財政についての議決権を持ち、意見提出権 べ て 実 現 し た 形 と な っ た 。こ の「 調 査 委 員 案 」 ・建議権などが付与されていたものの、全体 は9月には法制局調査委員「郡制修正案」と 的に見て官治制の強いものになった。 し て 上 梓 さ れ た が 、 山 縣 の 帰 国 ( 10 月 2 日 ) 3 まで編纂作業の停止が決定された。 「郡制」の施行 一方、欧米視察中の山縣は芳川顯正宛に2 (35 ) 度にわたって書簡を送り、視察の成果を強調 3-1 「郡制」の施行準備 した。その内容は、①府県会・郡会の議長を 明 治 23 年 7 月 1 日 に 大 臣 訓 令 と し て 「 府 県 府県知事・郡長の兼任とすること、②郡制の 制・郡制施行取扱方」が指示された。その骨 場合は郡長推薦による名誉職参事会員2名を 子の内容は、郡の独立自治を維持するための 増員するが、府県制の場合は名誉職参事会員 資力如何を調査すること、その上で地形民情 の員数を6名から4名に減員するというもの を考慮しつつ郡の分合を考慮すること、郡の であった。 分合をなす時は、知事が行政上の利害得失を (41 ) 山縣の帰国後、内務省内では芳川宛書簡の 考査すること、郡の分合を行なう時、その財 内容を盛り込みながら修正作業が進められ、 産処分は知事がなすこと、郡制施行の上その ( 36 ) 11 月 に は「 府 県 制 草 案 」=「 明 治 22 年 11 月 案 」 状況如何を察し時機をみて府県制を施行する が完成した。その内容は「調査委員案」の基 こと、などであった。 (42 ) - 10 - 秋田県では郡制施行に向けて内務部第一課 関タル町村長及助役ハ概ネ土地ニ名望アル 市町村係に郡制施行取調事務委員会が設置さ 者其任ニ当リ、或ハ事務上ノ経験ニ於テ欠 れ、郡制第9条「大地主トハ郡内ニ於テ町村 クル所ナキニアラズト雖ドモ、漸次其習熟 税ノ賦課ヲ受クル所有地ニシテ地価総計壱万 ヲ期スルヲ得ベク、只寒村僻邑ニ在テハ実 円以上ヲ有スル地主ヲ云フ」に基づく、地価 際ニ其人ヲ得難ク、有給吏ヲ置キタルモノ 1万円以上の土地所有の大地主の調査が行わ アルモ、町村長ニ於テ二十九人、助役ニ於 (43 ) テ十一人ニシテ、之ヲ惣町村数二百三十七 れた。 ニ対比スレバ極メテ少数ナリト云フヲ得ベ 鹿 角 郡 5名 由 利 郡 18名 シ。其議会ノ如キモ、遽カニ権限ノ拡充シ 北秋田郡 17名 仙 北 郡 46名 タルニモ拘ハラズ、違法ノ議決ヲ為シテ執 山 本 郡 9名 平 鹿 郡 39名 行ノ停止又ハ取消ヲ命ゼラレタルモノナ 南秋田郡 26名 雄 勝 郡 11名 ク、選挙其他ニ紛議ヲ生ジ訴願ヲ提起シタ 計 176名 ルモ僅々十数ケ町村ニ過ギズ。之ヲ要スル 河 辺 郡 5名 合 ニ、町村ノ自治ハ未ダ幼穉タルヲ免レズト また、9月には各郡長宛に郡分合と境界変 雖ドモ、能ク其秩序ヲ保持シ、着々進歩セ 更に関する諮問が行われた。問題となったの ントスルノ状況タリ。又其経済ヲ調査スル は、南秋田郡広山田村、太平村、由利郡下浜 ニ、廿二年度市町村費予算ヲ以テ廿一年度 村、大正寺村、仙北郡淀川村、荒川村の上淀 町村費精算ニ対照スルニ、地方税ヨリ支弁 川・境の2部落を河辺郡へ、平鹿郡八沢木村 セシ戸長以下給料旅費ヲ差引キタルモノニ 坂部部落を由利郡上川大内村へそれぞれ編入 比スレバ、会議費・教育費ニ於テ著シク増 するとしたことであり、河辺・仙北・南秋田 加シタルニモ拘ハラズ、其総額ニ於テハ住 の3郡長は賛成の答申を行ったものの、由利 民ノ負担ヲ加重セズシテ、役場経費即チ吏 郡長は再考を禀請した。一方、仙北郡荒川村 員給与及庁費ニ於テハ却テ一千五百六拾五 では2部落分割から村内に対立感情が生ま 円余ヲ減ジタリ。即チ名誉職ヲ以テ町村ヲ (44 ) れ 、村 会 は 分 裂 す る な ど 反 対 運 動 が 勃 発 し た 。 治ムルノ精神ヲ失ハズト云フヲ得ベシ。殊 郡分合に対する県の対応を見て行くと、ま ニ廿三年度予算報告ニ拠ルニ、漸クニ公共 ず 10 月 14 日 に 内 務 大 臣 西 鄕 從 道 宛 に 「 郡 制 施 義務ヲ重ンズルノ風ヲ生ジ、町村長・助役 (45 ) 行之義ニ付具申」を行い、具体的に郡制の施 等其報酬額ヲ減ジ、或ハ之ヲ謝絶スルモノ 行 日 を 明 治 24 年 1 月 1 日 と し 、 同 時 に 「 郡 ノ アルヲ以テ、一方ニ於テハ自然ノ発達ニ従 ( 46 ) 分合及境界変更之義ニ付内申」も行った。 ヒ土木費・警備費等漸ク多キヲ加フルノ傾 キアルニモ拘ハラズ、全体ノ経済ニ於テハ 郡制施行之義ニ付具申 却テ住民ノ負担ヲ軽減セントスルノ情況ア 本年法律第三十六号ヲ以テ郡制ヲ頒布セラ リ。故ニ本県ニ於ケル市町村ノ自治ハ、稍 レ候処、抑モ郡ヲ自治ノ区域トナシ、之ガ 其民度ニ適セルモノナリ。依テ按ズルニ、 機関ヲ組織セラルヽハ実ニ一大新法ニシ 自治ノ制既ニ市町村ニ其効用ヲ見ルヲ得タ テ、其施行ニ際シ最モ慎密ノ調査ヲナシ、 レバ、今之ヲ上級ナル郡ニ施行スルハ、其 以テ其緩急ヲ定メザルベカラズ。茲ニ管内 組織ノ完全ヲ期スル一層容易ナルベク、殊 ノ状況ヲ観察スルニ、本県ニ於テ町村ニ自 ニ之ヲ施行シテ真正ノ郡参事会成立スルニ 治制ヲ施行シタルハ明治二十二年四月一日 アラザレバ、町村ノ自治モ亦完全ナラシム ニシテ、爾来一年有半余ノ星霜ヲ経過シ、 ル能ハザルナリ。而シテ本制施行ニ関シ、 其成績稍見ルベキモノアリ。即チ行政ノ機 管内民意ノ在ル所ヲ察スルニ、挙テ其時期 - 11 - ノ速ナランコトヲ希望シ、本年七月臨時県 本年五月法律第三十六号ヲ以テ郡制ヲ頒布 会開設ニ際シ、議員中十六名連署シ、其施 セラレ、尋デ七月訓第四二三号ヲ以テ取扱 行ノ速ナランコトヲ建議セリ。亦民意ノ幾 方訓令相成候ニ付、謹テ訓諭ノ旨ヲ奉ジ、 部ヲ代表セルモノト認ムルヲ得ベシ。上来 将来郡ノ自治ニ属スル事業ノ増進スベキヲ 具陳スルガ如キ状態ナルヲ以テ、本県郡制 推察シ、管内九郡現在ノ資力ヲ調査シ、新 ノ施行ハ、其準備ノ成ルニ迨デハ速ニ実施 制施行以前ニ於テ分合ヲ要スルモノナキヤ セ ヲ ル ヽ ヲ 以 テ 、県 治 上 ノ 得 策 ト 信 認 致 候 。 否ヤヲ考覈スルニ、其大小強弱一ナラズト 依テハ県制施行ノ時期ヲ参酌シ、来ル二十 雖ドモ、河辺郡ノ如キハ地域太ダ狭小、人 四年一月一日ヨリ本制施行致度候条、幸ニ 口僅ニ三万三千三百二十三人、有租地壱万 管下ノ状況ヲ諒察セラレ、速ニ御指定相成 三千九拾九町余歩ニ過ギズ。且特有ノ生産 度、別紙取調書相添ヘ、同制第八十九条ニ 物ナク、所謂資力貧弱ニシテ独立自治ニ堪 依リ及具申也。 ヘザラントスルノ恐アリ。依テ隣郡ノ地形 明治二十三年十月十四日 秋田県知事鈴木大亮 ニ依リ、行政上ノ便否ヲ考査シ、民情・風 俗ノ異同ヲ観察スルニ、南秋田郡太平村・ 内務大臣伯爵西鄕從道殿 広山田村・由利郡下浜村・大正寺村・仙北 郡制施行順序ニ関スル取調書 郡淀川村及荒川村ノ内上淀川・境ノ五ケ村 明治二十四年一月一日ヨリ郡制施行 二部落ハ、別冊調書ニ掲グルガ如キ事由ニ ヲ指定サセレタルトキハ、左ノ順序ニ依 因リ、之ヲ河辺郡ニ編入シ、以テ其資力ヲ リ之ヲ実施スルモノトス。 充実ナラシメントス。是レ独リ行政上ニ於 一 大地主名簿ハ一月上旬ヲ以テ告示ス。 テ利益アルノミナラズ、各村落ニ於ケルモ 二 郡会議員ノ選挙期日ハ二月上旬ヲ以 亦其便宜ナルベキヲ信ズ。乃テ河辺郡ハ拠 第一 テ告示ス。 テ以テ独立スルコトヲ得ベシ。又鹿角郡ハ 三 郡会議員ノ選挙ハ同月中旬トス。 河辺郡ト同ジク戸口僅少ニシテ資力薄弱ニ 四 二月下旬ヲ以テ郡会ヲ召集シ、参事 似タリト雖ドモ、郡内ニ著名ノ鉱山数多ア 五 第二 会員ヲ選挙セシム。 リ、且牛馬等ノ特産アリテ、実際ニ於テハ 知事ノ特選スベキ参事会員モ同時ニ指 頗ル富饒ナルノミナラズ、地域モ亦広濶ニ 定スルモノトス。 シテ、数年来ノ統計ニ依ルニ、其戸口ハ漸 前項郡会ノ費用ハ、廿三年度地方税 次ニ増加シ将来益発達セントスルノ気運ニ 予備費ヨリ支出シ、追テ返還セシムル 向フ。故ニ現区域ヲ以テ必ズ其独立ヲ保持 モノトス。 シ得ベキモノトス。加之本郡ハ地形ト沿革 山本郡総町村組合会ノ管理ニ属スル ト ニ 因 リ テ 、民 俗 自 ラ 隣 郡 ト 其 趣 ヲ 異 ニ シ 、 山本病院ノ事務ハ、其財産ト共ニ郡制施 他ヨリ編入シ得ベキモノナシ。又平鹿郡八 行ノ日ヲ以テ引継ガシメ、既定予算中変 沢木村ノ内大字坂部ハ、別冊調書ニ掲グル 更ヲ要スルモノハ、新郡会成立ノ後ニ於 ガ如キ事由ニシテ、境界整理ノ必要ニ依リ テ議定セシム。 之ヲ由利郡上川大内村ニ編入セント欲ス。 南秋田郡・河辺郡及秋田市ノ公立ニ 其他南秋田・北秋田・由利・仙北四郡ノ如 係ル病院ハ、法律上郡市ノ組合ヲ認メザ キハ、前陳ノ分割ヲナスモ仍ホ地域広濶ニ ルヲ以テ、仍ホ旧ニ依リ特別ノ協議会ニ 過グルノ感ナキニアラズト雖ドモ、其成立 於テ処理セシム。 ハ歴史上ニ於テ遠ク淵源スル所アリ、其民 第三 情自ラ共同一致ノ実アルヲ以テ、敢テ分割 郡ノ分合及境界変更之義ニ付内申 ノ必要ヲ認メズ。山本・平鹿・雄勝三郡ノ - 12 - 如キハ、共ニ適度ノ資力ニシテ、現区域ヲ 本県九郡ノ如キハ、従来各一郡役所ヲ設置 以テ自治区トナスニ最モ適当ナリトス。右 シ、現在ノ区域ニシテ郡制ヲ施行スルコト ノ調査ヲ終ヘ分合及境界変更ノ全体ニ対シ、 能ハサルノ事実アルニアラズ、而シテ其施 管内各郡長ヲ召集シテ之ヲ諮詢シタルニ、 行期日ノ速ナルヲ要スルハ曩ノ具申書ニ詳 過半数ヲ以テ原按ヲ賛成シ、更ニ分合ニ直 述セルガ如ク、施政上ノ便益ヲ得セシメ、 接関係アル郡長ノ意見及境界変更ニ限リ関 町村自治ノ機関ヲ完全ナラシメ、併セテ県 係村会ノ意見ヲ徴スルニ、其要項別冊調書 民ノ輿望ヲ充タシムルニ於テ必要ナル而已 ニ掲グルガ如ク、一・二意見ヲ異スルモノ ナラズ、延イテ県制施行ノ時期ニ関係ヲ及 ナキニアラズト雖ドモ、深ク管下全体ノ利 ボスベキヲ以テ、若シ其時期ニシテ遷延ス 害ヲ顧ミズシテ専ラ自郡自村ノ便益ノミヲ ルニ於テハ、県治上幾多ノ障害ヲ生ズベク 主張スルニ過ギザルヲ以テ、採ルベキノ理 歟ト深ク懸念ニ堪ヘズ候。依テハ両個ノ処 由ナキモノトス。依テ本案ノ調査ハ、必要 分其関係ヲ分離シ、郡ノ分合処分ハ、果シ ニシテ且ツ適当ナルモノト信認シタリ。就 テ日時ヲ要セラルベクニ付、先ツ施行ノ時 テハ前陳ノ分合及境界変更ハ、速ニ裁可ノ 期ヲ具申ノ通明治二十四年一月一日ト御指 上公布セラレ、併セテ本県ニ於テ郡制施行 定相成候様致度。而シテ分合ニ関シテハ、 ノ日ヨリ其効ヲ有セシメラレンコトヲ請フ。 郡会及郡参事会等ノ意見ヲモ参酌シ、重ネ 爰ニ別冊調書地図及製表等目録之通添付シ、 テ 卑 見 内 申 致 度 存 候 。此 段 更 ニ 及 具 申 候 也 。 明治二十三年十一月十三日 訓第四二三号訓令第一項第五項ニ依リ及内 秋田県知事鈴木大亮 申候也。 内務大臣伯爵西鄕從道殿 明治二十三年十月十四日 秋田県知事鈴木大亮 内務大臣伯爵西鄕從道殿 3-2 「郡制」の選挙規定 郡会議員選挙に関する「郡制」の規定は次 この答申の後も当時の政治情勢が緊迫の極 の通りである。 点にあったことから反対運動は続けられ、県 は 11 月 13 日 に 「 郡 制 施 行 期 日 及 郡 ノ 分 合 ニ 付 第四条 郡会ハ郡内町村ニ於テ選挙シタル (47 ) 再申」で反対請願の事実を内務大臣宛に報告 議員及大地主ニ於テ選挙シタル議員ヲ以 し、郡の分合を凍結して現行のままで郡制施 テ之ヲ組織ス 行を具申するに至った。 第五条 町村ニ於テ選挙スヘテ郡会議員ノ 数ハ毎町村各一名トス 郡制施行期日及郡ノ分合ニ付再申 郡会議員ノ数二十名以上ニ及フトキハ二 郡制施行期日及郡ノ分合境界ノ変更ニ就テ 十名ヲ以テ制限トス此場合ニ於テ議員配 ハ、去月十四日秋親第一一号、同第一三号 当法ハ首トシテ人口ヲ標準トシ郡会ニ於 ヲ以テ及具申置候処爾来熟考スルニ、分合 テ議決シ府県知事ノ認可ヲ受クヘシ ノ処分ハ曽テ総務局長内牒ノ旨モ有之、帝 郡会議員ノ数十名ニ満タサルトキハ郡会 国議会ノ議ニ附セラルベキヲ以テ、或ハ郡 ノ議決ニ依リ府県知事ノ認可ヲ経其数ヲ 施行期日即チ明治二十四年一月以前ニ於テ 増シテ十名ニ至ルコトヲ得其配当法ハ首 裁定セラルゝニ至ラズシテ、為メニ施行期 トシテ人口ヲ標準トシ郡会ニ於テ議決シ 日ノ遷延セラルゝニ至ランコト恐ル。抑モ 府県知事ノ認可ヲ受クヘシ 郡ノ分合ハ、内訓ノ旨ニ従ヒ、将来其資力 本条議員配当法ハ郡内ノ町村数ニ増減ア ヲシテ充実ナラシムルノ希望ニ過ギズシテ、 リタル場合ノ外初回ハ三年間爾後ハ十二 - 13 - 年以上ニ至リ町村ノ人口ニ著シキ増減ア 四 ルニ非サレハ改正セサルモノトス 前項ノ外ノ官吏ニシテ当選ニ応シ又ハ第 議員配当法を改正スルトキハ議員全数ヲ 八条第二項ノ権利ヲ行ハントスルトキハ 改選スヘシ 本属長官ノ許可ヲ受クヘシ 第六条 一町村ニ於テ一名以上ノ議員ヲ選 小学校教員 第十一条 大地主ニシテ選挙権ヲ有スルハ 挙スルハ其町村会之ヲ行ヒ数町村ニ於テ 帝国臣民ニシテ公権ヲ有スル男子ニ限ル 一名若ハ一名以上ノ議員ヲ選挙スルハ其 年齢二十歳未満ノ者及治産ノ禁ヲ受ケタ 各町村会会同シテ之ヲ行フヘシ ル者ハ選挙権ヲ有セサルモノトス 町村組合ニシテ組合会ヲ設ケ其町 大地主ノ選挙権ハ身代限処分中又ハ租税 村一切ノ事務ヲ共同処分スルモノハ第四 滞納処分中又ハ公権ノ剥奪若ハ停止ヲ附 条乃至第六条ノ規定ニ関シテハ之ヲ一町 加スヘキ重軽罪ノ為裁判上ノ訊問若ハ拘 村ト同視シ其組合会ニ於テ議員選挙ヲ行 留中ハ之ヲ停止ス フヘシ 本条ノ規定ハ選挙ニ依ラスシテ郡会議員 第七条 第八条 大地主ハ町村ニ於テ選挙スヘキ議 員定数ノ外其定数ノ三分ノ一ヲ互選スル タル者ニモ適用ス 第十二条 選挙権ヲ有スル大地主ハ代人ヲ モノトス若端数ヲ生スルトキハ之ヲ棄却 以テ選挙ヲ行フコトヲ得 スヘシ 陸海軍ノ現役ニ服スル者ハ代人ヲ以テス 選挙ヲ行フコトヲ得ヘキ大地主ニシテ其 ルニ非サレハ選挙ヲ行フコトヲ得ス 員数町村ニ於テ選挙スヘキ議員定数ノ三 代人ハ帝国臣民ニシテ公権ヲ有シ町村制 分ノ一以下ナルトキハ其大地主ハ選挙ニ ニ定メタル独立ノ男子ニ限ル但一人ニシ 依ラスシテ郡会議員タルモノトス但定期 テ数人ノ代理ヲ為スコトヲ得ス且代人ハ 改選ノ期限内ニ於テハ大地主ノ員数減シ 委任状ヲ以テ代理ノ証トスヘシ テ三分ノ一以下ニ至ルト雖トモ解散ノ為 本条ノ規定ハ第八条第二項ノ権利ヲ行フ 改選スル場合ヲ除クノ外ハ本項ヲ適用ス 場合ニモ適用スルモノトス但其代人ハ郡 ルノ限ニ在ラス 会ニ被選権ヲ有スル者ニシテ郡会議員タ 第九条 大地主トハ郡内ニ於テ町村税ノ賦 課ヲ受クル所有地ニシテ地価総計壱万円 以上ヲ有スル地主ヲ云フ ラサル者ニ限ル 第十三条 郡会議員ハ名誉職トス 町村ニ於テ選挙シタル議員ノ任期ハ六年 郡内町村公民ニシテ町村会ノ選挙 トシ毎三年其半数ヲ改選ス若其員数二分 ニ参与スルコトヲ得ヘキ者及大地主中自 シ難ハトキハ初回ニ於テ多数ノ一半ヲ解 ラ選挙ニ加ハルコトヲ得ヘキ者ハ総テ郡 任セシム初回ニ於テ解任スヘキ者ハ郡会 会ノ被選権ヲ有ス 議長郡会ニ於テ自ラ抽籤シテ之ヲ定ム 住居ヲ移シタル為町村ノ公民権ヲ失ヒタ 大地主ニ於テ選挙シタル議員ノ任期ハ三 ル者其住居同郡内ニ在リ且他ノ要件ヲ失 年トシ毎三年其全数ヲ改選ス ハサルトキハ仍郡会ノ被選権ヲ有ス 解任ノ議員ハ再選セラルヽコトヲ得 第十条 左ニ掲クル者ハ選挙ニ係ルト否トヲ問ハ 第十四条 議員中欠員アルトキハ遅クトモ ス郡会議員タルコトヲ得ス 六箇月以内ニ補欠選挙ヲ行フヘシ 一 所属府(東京府ハ警視庁トモ)県並 補欠議員ハ其前任者ノ残任期間在職スル ニ其郡ノ官吏 モノトス 二 其郡ノ有給吏員 三 神官及諸宗ノ僧侶又ハ教師 第十五条 郡長ハ郡会議員改選前選挙権ア ル大地主ノ名簿ヲ製シ之ニ其資格ヲ記載 - 14 - モ選挙会場ニ入ルコトヲ得ス シ其氏名ヲ告示スヘシ 関係者ニ於テ大地主名簿ノ正否ニ異議ス 四 投票ハ選挙人自ラ選挙会長ノ面前ニ 於テ之ヲ投票函ニ投入ス ルトキハ告示後二十一日以内ニ郡長ニ申 立テ其郡長ノ裁決ニ不服ナル者ハ府県参 五 左ノ投票ハ之ヲ無効トス 事会ニ訴願シ其府県参事会ノ裁決ニ不服 一 記載セル人名ノ読ミ難キモノ ナル者ハ行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得 二 被選人ノ何人タルヲ確認シ難キモ ノ 大地主名簿ニ登録セラレサル者ハ選挙ニ 参与シ及第八条第二項ニ依リ郡会議員タ 三 被選権ナキ人名ヲ記載スルモノ ルコトヲ得ス 四 被選人氏名ノ外他ノ文字ヲ記入ス 大地主名簿ハ次ノ定期改選前ニ行フヘキ ルモノ但爵位職業身分住所又ハ敬 補欠選挙ニモ亦適用スルモノトス但大地 称ハ此限ニ在ラス 主ノ資格ヲ失ヒ又ハ選挙権ノ要件ヲ失ヒ 本項一ヨリ三ニ至ルノ場合ニ於テ票中 タル者ハ之ヲ削除シ其氏名ヲ告示スヘシ 他ニ列記ノ被選人ニ付テハ仍其効アリ 其処分ニ対シ異議アルトキハ本条第二項 トス投票ノ受理并ニ効力ニ関スル事項 ノ例ニ依ル ハ選挙掛仮ニ之ヲ議決ス可否同数ナル 定期改選ノ期限内ニ選挙権ヲ得又ハ選挙 トキハ選挙会長之ヲ決ス ニ依ラスシテ郡会議員タルノ権利ヲ得タ 六 有効投票ノ多数ヲ得タル者ヲ以テ当 ル者ハ解散ノ為改選スル場合ヲ除ク外期 選トス投票ノ数相同キモノハ年長者 限内ニ於テ其名簿ニ登録セサルモノトス ヲ取リ年齢相同キトキハ選挙自ラ抽 第十六条 籤シテ其当籤ヲ定ム 郡会議員ノ選挙ハ郡長ノ告示ニ 依リ行フヘシ其告示ハ遅クトモ選挙ノ日 七 ヲ記録シ選挙ヲ終リタル後之ヲ朗読 ヨリ七日前ニ之ヲ発スヘシ 第十七条 シテ署名スヘシ 選挙ノ順序ハ先ツ町村之ヲ行ヒ 次ニ大地主ヲ行フヘシ 八 投票ハ選挙ノ効力確定スル迄之ヲ保 存スヘシ 町村ニ於テ行フ選挙ハ町村制第四十六条 ノ規定ニ従フヘシ但数町村会会同シテ行 選挙掛ハ選挙録ヲ製シテ選挙ノ顛末 第十九条 選挙ヲ終リ当選人定マリタルト フ選挙ハ郡長又ハ郡長ノ指定スル町村長 キハ町村会ニ於テ行フ選挙ニ在テハ町村 ヲ選挙会長トシテ之ヲ行フヘシ 長数町村会会同シテ行フ選挙及大地主ニ 大地主ニ於テ行フ選挙ハ郡長ヲ選挙会長 於テ行フ選挙ニ在テハ選挙会長直ニ当選 トシテ之ヲ行フヘシ 人ニ通知シ町村長ハ之ヲ郡長ニ報告スヘ 第十八条 大地主ニ於テ選挙ヲ行フトキハ シ 左ノ規定ニ依ルヘシ 当選人当選ノ通知ヲ受ケタルトキハ五日 一 郡長ハ遅クトモ選挙ノ日ヨリ七日前 以内ニ其当選ヲ承諾スルヤ否ヲ郡長ニ届 選挙人ニ招集状ヲ発シ選挙ノ場所日 出ヘシ 時ヲ告知スヘシ 一人ニシテ数箇所ノ選挙ニ当リタルトキ 選挙掛ハ選挙会長ニ於テ選挙人中ヨ ハ同期限内ニ何レノ選挙ニ応スヘキコト リ選任シタル立会人二名若ハ四名及 及選挙ニ依ラスシテ郡会議員タルヘキ大 選挙会長ヲ以テ之ヲ組織ス 地主ニシテ町村ノ選挙ニ当選シタルトキ 選挙会長ハ選挙会ヲ開閉シ其会場ノ ハ其選挙ニ応スルコト又ハ応セサルコト 取締ニ任ス ヲ同期限内ニ郡長ニ届出ヘシ 選挙開会中ハ選挙人ノ外何人タリト 前二項ノ届出ヲ其期限内ニ為サヽルトキ 二 三 - 15 - ハ選挙ヲ辞スル者ト視做スヘシ 雄勝郡会議員配当表 町村ノ選挙ニ応スル大地主ハ第八条第二 町 村 人口 議員数 町 7,035 町 村 人口 議員数 項ノ権利ヲ有スル者ト雖トモ二重ニ其権 湯 沢 小 野 村 堀 村 2 ヲ行フコトヲ得サルモノトス 3,515 1 三 関 村 1,931 横 幡 野 村 1,559 秋ノ宮村 弁 天 村 1,688 2 院 岩 崎 町 1,602 山 田 村 3,581 1 当選人確定シタルトキハ郡長 東 成 瀬 村 3,538 1 三 輪 村 2,620 1 ハ直ニ当選証書ヲ付与シ及管内ニ告示ス 西 成 瀬 村 2,355 1 西馬内音村 2,891 1 第二十条 議員ノ当選ヲ辞シ又ハ承諾ノ届 1,717 2 出ヲ為サヽル者アルトキハ郡長ハ七日以 内ニ更ニ選挙ヲ行ヒ又ハ町村長ニ命シテ 更ニ選挙ヲ行ハシムヘシ 第二十一条 内 4,726 村 駒 形 村 2,702 1 元西馬音内村 1,547 川 連 村 2,597 1 新 1,501 ヘシ 1 第二十二条 選挙人選挙ノ効力ニ関シテ訴 願セントスルトキハ選挙ノ日ヨリ十四日 三 梨 村 2,139 村 治 村 2,302 1 1 以内ニ之ヲ郡長ニ申立ツルコトヲ得 稲 第二十三条 明 成 庭 村 1,739 田 代 村 1,983 道 村 1,417 1 当選人其当選ノ際資格ノ要件 皆 瀬 村 2,686 1 仙 須 川 村 2,274 1 ヲ有セサリシコト発覚スルトキハ其当選 計 61,645 20 ハ無効トス 当選人当選後資格ノ要件ヲ失フトキハ議 治 23 年 11 月 18 日 に 政 府 提 出 法 案 と し て 「 郡 分 員ノ職ヲ失フモノトス 郡会ニ於テ其議員中議員ノ資 合 ニ 関 ス ル 法 案 」 が 衆 議 院 に 提 出 さ れ た 。 12 格ヲ有セサル者アルコトヲ発見スルトキ 月 23 日 に 衆 議 院 本 会 議 で 第 一 読 会 が 開 か れ 、 ハ其議決ヲ以テ之ヲ郡長ニ通知スヘシ 政府委員白根專一による主旨説明が行われ、 第二十四条 第二十五条 郡会議員被選権ノ有無及選挙 特別委員(委員長天野三郎)による審査が始 ノ効力ハ郡参事会之ヲ裁決ス ま っ た 。 翌 24 年 3 月 6 日 に 第 一 読 会 の 続 会 が 郡参事会ノ裁決ニ不服ナル者ハ府県参事 開かれたものの、分合反対派が多数を占めた 会ニ訴願シ其府県参事会ノ裁決ニ不服ナ た め 第 二 読 会 が 開 け ず 法 案 は 否 決 さ れ 、「 郡 ル者ハ行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得 制 」の 早 期 の 施 行 は 不 可 能 と な っ て し ま っ た 。 ( 49 ) し か し な が ら 、 3 月 28 日 に 内 務 大 臣 か ら 秋 ( 50 ) 「郡制」第5条の規定による郡会議員配当 田県知事宛に次の訓令が電報で出された。 法 に つ い て 、 県 か ら は 明 治 24 年 1 月 1 日 施 行 に 備 え て 9 月 17 日 付 で 各 郡 長 宛 に 諮 問 を 行 っ 訓第二五六号 た 。 22 日 か ら 29 日 ま で の 間 に 各 郡 長 か ら 答 申 明治二十四年四月一日ヨリ其県下ニ郡制ヲ がなされたが、河辺郡長からは編入問題の影 施行ス。右管内ヘ告示セラルヘシ。但郡ノ (48 ) 響からか答申がなされなかった。 例 と し て 雄 勝 郡 会 議 員 配 当 表 に よ れ ば 、 17 区数ハ総テ従前ノ通。 明治二十四年三月廿八日 選 挙 区 中 、 合 区 が 7 区 で 、 人 口 3,082 名 に 議 内務大臣 秋田県知事宛 員1名の割当となっている。 (朱 書 ) 3-3 「郡制」の施行 「郡制」第1条「郡ノ廃置分合及郡界ノ変 更ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」の規定により、明 右ハ至急官報ニテ電信ニ依リ訓令セラレタ ルモノナリ。其本庁ニ到達シタルハ仝日午 後四時十五分過トス。 - 16 - 本書原本ハ知事官房ニ保管ス。 雄勝郡会議員配当表(甲号) 町 村 人口 議員数 町 村 人口 議員数 これにより秋田県では4月1日「郡制」施 湯 沢 町 7,147 2 小 野 村 幡 野 村 1,576 横 堀 村 弁 天 村 1,708 4 月 11 日 ま で の 間 に 答 申 が な さ れ た 。 こ の う 岩 崎 町 1,583 院 ち4月1日付雄勝郡長からの答申に対して県 東 成 瀬 村 3,529 1 山 田 村 3,596 1 西 成 瀬 村 2,379 1 三 輪 村 2,651 1 1 行に向けて一気に始動することになった。3 3,613 月 29 日 付 で 郡 会 議 員 配 当 法 に つ い て 再 度 各 郡 長 宛 に 諮 問 を 行 い 、 各 郡 長 か ら は 31 日 か ら 2 秋ノ宮村 1 1,746 2 ( 51 ) 内 4,824 村 は 8 日 に 答 申 内 容 の 訂 正 照 会 を 行 い 、 11 日 に 雄勝郡長から甲号と乙号の2案が再答申され 駒 形 村 2,732 1 西馬内音村 2,977 川 連 村 2,623 1 元西馬音内村 1,563 た 。 県 は 16 日 に 甲 号 適 用 を 決 定 し た が 、 こ の 配 当 表 に よ れ ば 17 選 挙 区 中 、 合 区 が 7 区 で 、 人 口 3 ,123 名 に 議 員 1 名 の 割 当 と な っ て い る 。 1 三 梨 村 2,157 稲 庭 村 1,762 明 村 2,725 1 田 代 村 2,004 仙 道 村 1,452 新 成 1,521 村 1 ( 52 ) 3 月 30 日 に は 「 郡 制 施 行 順 序 」 が 各 役 所 宛 に訓令として出され、さらに同日付で郡制施 皆 瀬 ( 53 ) 治 村 2,308 1 1 行の告示がなされた。 三 関 村 1,966 須 川 村 2,308 1 62,450 20 計 「郡制施行順序」県訓令乙三七号 郡役所 雄勝郡会議員配当表(乙号) 明治二十四年四月一日ヨリ本県ニ郡制施行 町 村 人口 議員数 町 7,147 町 村 人口 議員数 ノ旨告示候ニ付、郡制施行順序左ノ通相定 湯 沢 ム。 小 野 村 堀 村 3 明治廿四年三月三十一日 1 関 村 1,966 横 幡 野 村 1,576 秋ノ宮村 弁 天 村 1,708 2 院 岩 崎 町 1,583 山 田 村 3,596 1 東 成 瀬 村 3,529 1 三 輪 村 2,651 1 西 成 瀬 村 2,379 1 西馬内音村 2,977 1 元西馬音内村 1,563 郡制施行順序 第一 3,613 三 1,746 2 制第五条ノ議員配当法ハ、人口ヲ標 内 4,824 村 準トシ、地形ノ便否ヲ参酌シ、本年四月 十日限リ取調県庁ニ申請スベシ。 第二 制第十五条ノ大地主名簿ハ、本年四 月十日ニ限リ調整シ、同日ヲ以テ其氏名 駒 形 村 2,732 川 連 村 2,623 2 新 三 梨 村 2,157 明 稲 庭 村 1,762 ヲ郡内ニ告示スベシ。 1 第三 大地主名簿ハ、第四項選挙期日マデ 成 1,521 村 ニ資格ヲ有スル者ヲ登録スベキモノトス。 第四 ノ選挙ヲ本年五月二日、大地主ノ選挙ヲ 五月五日ト定ムベシ。 第五 治 村 2,308 1 制第十六条ノ議員選挙期日ハ、町村 大 地 主 ノ 選 挙 期 日 ハ 、本 年 四 月 十 日 、 田 代 村 2,004 仙 道 村 1,452 1 皆 須 瀬 川 村 2,725 村 2,308 1 1 計 62,450 20 町村ノ選挙期日ハ、第一項ノ認可ニ依リ 同月二十日ヲ以テ郡内ニ告示スベシ。 第六 制第十七条二項但書ニ依リ町村長ヲ ヲ指定スベシ。 第七 制第十八条大地主ノ招集状ハ、本年 選挙会長ニ指定セントスルトキハ、第一 四月二十七日ニ発シ、其選挙ハ郡役所内 項議員配当法ノ認可ヲ受クルト同時ニ之 ニ於テ之ヲ行フベシ。 - 17 - 第八 制第二十一条ノ当選人確定ノ告示ヲ 明治二十四年 月 族籍住所身分職業 為シタルトキハ、其住所・氏名ヲ録シ県 氏 庁ニ即報スベシ。 第九 日 何年何月何日生 前項告示ノ翌日ヨリ七日目ニ於テ、 制第三十二条二項但書ニ依リ、臨時郡会 ヲ招集シ、郡参事会員ノ選挙ヲ行ハシム 名印 郡長宛 (別紙調書) 所有地価金取調書 ベシ。 但本項招集ノ告示ハ、第八項告示ノ翌 一金何万円 何 郡 総 額 日ヲ以テ之ヲ発シ、同時ニ之ヲ県庁ニ 金何千円 何 々 村 報告スベシ。 金何千円 何 々 町 第十 大地主名簿及投票函調整費ハ、郡役 翌 31 日 に は 「 郡 分 合 ニ 関 ス ル 法 案 」 の 否 決 所経費ヨリ支弁スベシ。 第十一 二十三年法律第八十五号第六条ノ を受けて、内務大臣西鄕從道は内閣総理大臣 (54 ) 郡費支出ノ概算ハ、本年四月三十日限リ 山縣有朋に「郡制実施ノ件」を報告した。 取調県庁ニ申請スベシ。 第十二 第九項ノ臨時郡会ニ招集シタル職 員ノ旅費及日当ハ、左ノ額ニ依リ前項経 費ヨリ仮リニ支給スベシ。 第十三 県甲第二四号 郡制実施ノ件 客年法律第三十六号郡制発布以降郡制実施 車馬賃一里 金六銭 ノ期日ヲ査定シ、其施行前郡分合ヲ内申ス 日 当 一 日 金五拾銭 ルモノ三府二十九県、旧ニ依ラントスルモ 本年六月上旬ヲ期シ、二十四年度 通常郡会ヲ招集スベシ。 ノ八県合セテ三府三十七県ノ多キニ至ル。 而シテ其申牒書ニ就キ猶ホ知事ノ意見ヲ聴 キ反覆審議ヲ尽シ、分合ヲ要スル三府二十 秋田県告示第四十号 九県ニ係ルモノハ之ヲ法按トナシ、曩ニ閣 明治二十四年四月一日ヨリ本県ニ郡制ヲ施 議ヲ経テ帝国議会ヘ提出セラレタリ。然ル 行セラル ニ該法按ノ否決トナリシヲ以テ右府県ニ於 右内務大臣ノ指揮ニ依リ告示ス テハ、到底現在ノ侭ヲ以テ郡制ハ実施シ難 明治二十四年三月三十日 キニ依リ、他ニ取ルヘキ道之レアルヘシト 秋田県知事鈴木大亮 雖モ、差向キ爾余ノ八県ハ旧ニ依ラシメ支 障ナク、又山形県ノ如キハ東置賜郡ノ内四 秋田県告示第四十一号 ケ村ヲ割キ南置賜郡ヘ編入ノ計画ヲ以テ既 郡制第九条第十一条ニ依リ郡内ニ於テ大地 ニ否決トナリシ分合法按中ニ在レトモ、之 主ノ資格ヲ有スルモノハ本年四月七日ニ限 ヲ再考スルニ該四ケ村ハ今強テ編入ノ行ハ リ左ノ書式ニ依リ所管郡役所ヘ届出ツヘシ サレハトテ、敢テ郡制ノ施キ難キモノニア 明治二十四年三月三十一日 秋田県知事 鈴木大亮 (書式) 資 ラス。故ニ其編入ハ之ヲ他日ニ譲ルモ別ニ 不都合アルヲ見ス。依テ左ノ九県ハ郡制実 施期限ヲ本年四月一日ト定メ指揮及ヒタリ。 格 届 愛知県 長野県 青森県 山形県 郡制第九条第十一条ニ依同郡ニ於テ大地主 秋田県 福井県 徳島県 高知県 ノ資格ヲ有スルニ付別紙調書相添此段御届 大分県 致シ候也 右報告ス。 - 18 - 名 行ったが、郡分合が容易に進まなかった岡山 折目 後、郡分合が整った府県から順次施行されて 氏 秋田県何郡 て 10 県 で 同 時 に 「 郡 制 」 が 施 行 さ れ た 。 そ の 何郡市町村 この報告の通り、4月1日に秋田県を含め 被 選 人 内閣総理大臣伯爵山縣有朋殿 大地主選挙議員投票函 印 内務大臣伯爵西鄕從道□ 投票用紙ノ書式 折目 投票函蓋ノ書式 明治廿四年三月三十一日 県 で は 明 治 33 年 4 月 1 日 に よ う や く 施 行 さ れ るに至った。 4 郡会議員選挙 さ ら に 、 4 月 18 日 に は 「 数 町 村 会 々 同 郡 ( 56 ) 会選挙方」が各郡役所及び町村役場宛に訓令 4-1 郡会議員選挙の事務規定 として出され、数町村会々同して郡会議員選 郡会議員選挙の事務に関する規定を見て行 く と 、ま ず 4 月 10 日 に 県 か ら 各 郡 役 所 宛 に「 郡 挙を行う場合は各町村会議員の3分の2以上 の出席が必要であることが規定された。 (55 ) 制事務取扱方」が訓令として出された。 秋田県訓令第九十九号 秋田県訓令第五十四号 郡役所 郡役所 数町村会々同郡会選挙方左ノ通リ心得 郡制施行ニ付取扱方左ノ通心得ヘシ ヘシ 明治二十四年四月十日 明治二十四年四月十八日 秋田県知事鈴木大亮 第一 制第八条第二項ニ依リ選挙ニ依ラス 町村役場 秋田県知事鈴木大亮 第一 数町村会々同シテ郡会議員ノ選挙ヲ シテ郡会議員タルモノハ当選証書ヲ付与 行フトキ其招集ハ各町村長ニ於テ町村制 スルニ及ハス ノ規定ニ従ヒ之ヲ為スヘキモノトス 第二 制第十六条選挙ノ告示ヲ為ストキハ 第二 数町村会々同シテ郡会議員ヲ選挙ス 議員配当法ニ関スル区域議員ノ数開会ノ ルトキハ毎町村会議員各三分ノ二以上ノ 場所時刻ヲ併セテ告示スヘシ 出席ヲ要ス 第三 制第十七条第三項ニ依リ町村ニ於テ ( 57 ) 選挙ヲ行フトキハ町村吏員選挙会ノ例ニ 秋田県公文書館所蔵『事務簿冊』にはその 依リ選挙録ヲ製シ選挙ノ顛末ヲ記録シ選 他の規定として各町村長宛に訓令として出さ 挙ヲ終リタル後之ヲ朗読シ成規ノ如ク署 れ た「 選 挙 会 長 取 扱 順 序 」が 所 収 さ れ て い る 。 名スヘシ 第四 制第十八条選挙録ハ二十三年甲第三 一 各町村長ハ本県訓令甲第九十九号ノ一 十号訓令衆議院議員選挙明細書ノ記載例 項ニ依リ郡告示甲第十号ノ選挙日時間 ニ準スヘシ 会場ニ議員ヲ招集スヘシ 第五 前同条投票用紙ハ美濃紙四ツ切投票 但本招集ハ四月廿九日以前ニ発スヘ 函ハ適宜ノ寸法ニ製作シ左式ノ如ク記載 スヘシ シ 一 選挙会長ハ書記ヲ定メ選挙録ヲ調製セ シムヘシ - 19 - 一 選挙会長ハ選挙掛二名又ハ四名ヲ選任 但郡長ヘノ報告ハ選挙録写ヲ添フヘ スヘシ シ 選挙録ハ明治廿二年二月廿一日附本県 4-2 訓令郡第四十号書式ニ拠ルヘシ 一 一 郡会議員選挙の実施 選挙会ハ本県訓令甲第九十九号二項ノ 「郡制施行順序」第四の規定の通り、秋田 通リ町村制第四十三条ニ依リ毎町村ノ 県下9郡において、町村会選出議員選挙は5 議員各三分ノ二以上ノ出席ヲ要ス 月2日土曜日、大地主議員互選会は5月5日 選挙ハ郡制第十七条ニ依リ町村制第四 火曜日にそれぞれ実施された。 ( 58 ) 十六条ノ規定ニ依ル 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 事 務 簿 冊 』( 雄 勝 郡 一 投 票 用 紙 様 式 ハ 左 記 ニ 準 ス ヘ シ (略 ) 役 所 文 書 ) に は 「 郡 制 」 第 15 条 規 定 の 大 地 主 一 選挙ヲ終リ当選人定リタルトキハ郡制 互選人名簿が所収されている。 第十九条ノ手続ヲ為スヘシ 雄勝郡大地主互選人名簿 順位 互 選 人 町 1 小 川 長右衞門 湯 村 沢 身分 職業 地 価 総 額 年齢 町 平民 農業 36,850円42銭8厘 57 2 柴 田 與之助 西 馬 音 内 村 平民 農業 35,883円66銭1厘 53 3 柴 田 養 平民 農業 23,298円14銭2厘 49 4 藤 木 安太郎 湯 沢 町 平民 農業 18,799円97銭3厘 40 5 奥 山 六右衞門 湯 沢 町 平民 農業 13,170円75銭5厘 54 6 齋 藤 周 治 院 内 村 平民 農業 13,092円95銭9厘 22 7 山 脇 慶 助 湯 沢 町 平民 農業 12,384円79銭5厘 47 8 飯 塚 忠 助 西 馬 音 内 村 平民 農業 12,131円75銭1厘 51 助 西 馬 音 内 村 9 大日向 作太郎 明 治 村 平民 農業 12,021円91銭9厘 31 10 髙 多兵衞 湯 沢 町 平民 商業 12,014円43銭5厘 18 久 ※ 髙 久 多 兵 衞 は 年 齢 2 0 歳 未 満 の た め 選 挙 権 を 有 さ ず ( 郡 制 第 1 1 条 該 当 )。 雄勝郡では郡制施行取調事務委員会によっ て 明 治 23 年 に 調 査 さ れ た 地 価 1 万 円 以 上 の 土 (定 数 41 名 )の う ち 次 の 17 名 が 郡 会 議 員 兼 任 者 となった。 地 所 有 者 11 名 の う ち 大 地 主 互 選 人 の 該 当 者 が 北 秋 田 郡 … 髙 橋 武三郎 、 岸 9人であったことが分かる。この9名の互選 山 本 郡 … 畠 山 雄 三 、 谷田部 胤 道 人によって5月5日に互選会は実施され、当 南秋田郡…北 島 孫 吉 選者の内訳は全員が平民・農業で平均年齢は 河 辺 郡… 伊 藤 才 治、齋 藤 42.00歳 で あ っ た 【 明 治 24 年 雄 勝 郡 会 議 員 選 由 利 郡 … 小 松 亮太郎 、 猪 股 三保三 、 挙 当 選 者 】。 5 月 16 日 ・ 19 日 ・ 21 日 の『 秋 田 県 報 』に は 、 9郡で当選した町村会選出議員及び大地主互 選 議 員 の 名 簿 が 掲 載 さ れ た 【 明 治 24 年 秋 田 県 郡 会 議 員 選 挙 当 選 者 】。 な お 、 秋 田 県 会 議 員 規矩治 正 佐 藤 三 次 平 鹿 郡… 柿 崎 武 助、鹽 田 團 平、 佐 藤 健 治 雄 勝 郡…石 井 信 、 武 石 忠一郎 、 後 藤 兵太郎 、 茂 木 豐 治 - 20 - 明 治 24 年 雄 勝 郡 会 議 員 選 挙 当 選 者 ◆ 町 村 会 選 出 議 員 選 挙 = 明 治 24 年 (1891) 5 月 2 日 ( 土 ) 選 挙 区 湯 沢 町 湯 沢 町 弁 天 村 幡 野 村 岩 崎 町 東 成 瀬 村 西 成 瀬 村 駒 形 村 川 連 村 三 梨 村 稲 庭 村 皆 瀬 村 三 関 村 須 川 村 小 野 村 横 堀 村 秋 ノ 宮 村 院 内 村 山 田 村 三 輪 村 西 馬 音 内 村 元西馬音内村 新 成 村 明 治 村 田 代 村 仙 道 村 議 員 居住地 身分 職業 生 年 月 日 年齢 石 井 信 湯 芳 賀 織右衞門 湯 沢 沢 町 士 族 無 職 文 久 元 年 (1861)11 月 16 日 29 町 士 族 無 職 弘 化 4 年 (1847) 4 月 26 日 44 中 村 隣 德 弁 天 村 士 族 無 職 安 政 6 年 (1859) 2 月 13 日 32 石 川 爲 治 岩 崎 町 平 民 農 業 嘉 永 4 年 (1851) 1 月 16 日 40 沓 志 茂 髙 澤 賀 木 橋 彌太郎 茂 助 豐 治 利兵衞 駒 形 西 成 瀬 駒 形 川 連 村 村 村 村 平民 士族 平民 平民 農業 無職 農業 農業 文 久 元 年 (1861)12 月 15 日 嘉 永 5 年 (1852) 1 月 20 日 万 延 元 年 (1860) 3 月 29 日 天 保 9 年 (1838) 7 月 19 日 29 39 31 52 東海林 武 治 三 梨 村 平 民 農 業 元 治 元 年 (1864) 2 月 2 日 27 沓 佐 藤 澤 藤 坂 德太郎 駒 永太郎 三 敬 治 須 形 関 川 村 平 民 農 業 嘉 永 2 年 (1849) 1 月 1 日 42 村 平 民 農 業 天 保 14 年 (1843)12 月 25 日 47 村 平 民 農 業 嘉 永 3 年 (1850) 1 月 3 日 41 髙 橋 理 野 村 平 民 農 業 嘉 永 2 年 (1849) 2 月 19 日 42 髙 山 武 藤 飯 橋 崎 石 野 塚 彌一郎 小彌太 忠一郎 貞 助 彌惣治 後 藤 兵太郎 新 成 村 平 民 農 業 万 延 元 年 (1860)12 月 13 日 30 藤 原 正 治 明 治 村 平民 農業 長谷山 莊 助 田 代 村 平 民 農 業 安 政 3 年 (1856)12 月 12 日 34 造 小 院 内 村 院 内 村 山 田 村 三 輪 村 西馬音内村 士族 士族 平民 平民 平民 無職 無職 農業 農業 農業 安 政 元 年 (1854) 3 月 5 日 天 保 13 年 (1842)11 月 30 日 安 政 5 年 (1858)11 月 15 日 安 政 6 年 (1859)12 月 7 日 嘉 永 5 年 (1852) 2 月 24 日 不 37 48 32 31 39 明 ※明治村では当初大日向作太郎が当選したものの、大地主互選議員に選出されたた め、5月9日に再選挙を行い藤原正治が当選した。 三 関 村 須 川 村 選 出 佐 藤 永 太 郎 は 郡 制 違 反 に よ り 5 月 13日 に 当 選 無 効 と な り 、 20日 に再選挙を行い藤坂敬治が当選した。 ◆ 大 地 主 議 員 互 選 会 : 明 治 24 年 (1891) 5 月 5 日 ( 火 ) 議 員 齋 藤 周 治 小 川 長右衞門 藤 木 安太郎 柴 田 與之助 柴 田 養 助 大日向 作太郎 町 村 身 分 職 業 得票 院 内 村 平民 湯 沢 町 平民 湯 沢 町 平民 西 馬 音 内 村 平民 西 馬 音 内 村 平民 明 治 村 平民 農業 農業 農業 農業 農業 農業 9 8 8 8 8 5 生 年 月 日 明 治 元 年 (1868)11 月 27 日 天 保 5 年 (1834) 1 月 29 日 嘉 永 3 年 (1850)10 月 24 日 天 保 9 年 (1838) 4 月 24 日 天 保 12 年 (1841) 6 月 21 日 万 延 元 年 (1860) 1 月 1 日 年齢 22 57 40 53 49 31 ※ 次 点 ( 飯 塚 忠 助 3 票 、 山 脇 慶 助 3 票 、 奥 山 六 右 衞 門 2 票 )。 なお『事務簿冊』には投票用紙9枚が袋綴じの中に所収されていた。 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 事 務 簿 』( 930103-01840 )。 - 21 - 明治24年秋田県郡会議員選挙当選者 議 参 ○=議長代理者、○=参事会員 ◆鹿角郡(定数13人) 町 村 名 議 議 参大 花 輪 町 ○○ 参泉 毛 馬 内 町 ○ 尾 去 沢 村 曙 村 錦 木 村 員 里 澤 越 渡 邊 駒ヶ 嶺 町 村 名 議 員 町 村 名 大地主互選議員 壽 柴 熊之助 大 平 湯 村 村 兒 諏 玉 訪 俊 文 道 宮 藏 小 川 坂 村 村 安 澤 倍 口 参山 正治郎 毛 馬 内 町 ○ 平 村 兒 己代治 柴 輪 町 悅 人 花 吉 忠治郎 政 則 七 滝 村 髙 橋 榮 本 玉 喜 善 七 藏 田 淸兵衞 治 ※湯瀨哲太郎(毛馬内町)が知事より参事会員に選任。 ◆北秋田郡(定数 26人) 町 村 名 鷹 綴 巣 子 議 成 髙 町 村 名 議 員 町 村 名 村 村 早 口 村 下 川 沿 村 岸 小 髙 近 参成 村 ○ 村 三 橋 藤 田 澤 長四郎 岩 松 儀八郎 彦 治 大 大 村 畠 沼 田 佐々 木 村 村 島 司 忠 兵 町 町 大 館 町 釈 迦 内 村 良 藏 東 館 村 羽 澤 誠之進 大 野 参 保 志 久左衞門 米 内 沢 武三郎 十 二 所 町 ○ 口 村 巣 規矩治 沢 千 葉 貞 藏 鷹 子 林 重右衞門 上 小 阿 仁 村 田 中 吉五郎 綴 参 口 山 茂 眞 下 小 阿 仁 村 ○三 浦 義 七 沢 合 村 田 山 小文治 落 庄 司 易五郎 前 大地主互選議員 田 橋 館 館 村 村 員 議麓 扇 田 村 ○ 二 井 田 村 安 達 又七郎 前 田 村 庄 参山 重 和 阿仁銅山村 ○ 長 永 治 阿仁銅山村 瀬 村 藏 荒 司 田 中 庄 藏 藏 兵之助 忠 胤 山 田 理左衞門 勇 吉 港 ※成田儀八郎(鷹巣村)が知事より参事会員に選任。 ◆山本郡(定数26人) 町 村 名 議 員 参 谷田部 能 代 港 町 ○ 能 代 港 町 能 代 港 町 東 雲 村 泉 坂 見 本 上 胤 運 祐 淸 町 村 名 道 吉 吉 治 議 浜 口 村 浅 榊 金 内 岡 村 村 村 山 形 村 佐良土 参小 村 ○ 林 八 藤 森 琴 村 神 参市 村 ○ 澤 川 俊 造 桧 謙一郎 鶴 沢 鹿 目 渡 村 村 若 齋 狭 藤 梅 吉 種 梅 村 常太郎 二 ツ 井 村 塙 鵜 川 川 村 村 島 兒 津 玉 文 髙 治 響 村 致 上 岩 川 村 淸 平 藤 吉 員 佐 田 畠 渡 水 川 田 田 藤 口 山 邊 町 村 名 與七郎 久太郎 淸 純 秀 能 代 港 町 大久保 易太郎 議 嶋 田 治右衞門 能 代 港 町 ○ 金 岡 村 信 太 文 治 荷 上 場 村 武 田 順 助 献 治 種 甚太郎 鹿 總 辨 雄 周 大地主互選議員 梅 渡 村 成 田 吉右衞門 参牧 村 ○ 野 健 藏 一 助 三 治 ※市川謙一郎(藤琴村)が知事より参事会員に選任。 - 22 - ◆南秋田郡(定数 26人) 町 村 名 議 員 町 村 名 議 員 町 村 名 川 尻 村 川 村 永之助 上 井 河 村 伊 藤 豐 治 金 村 奈 良 茂 太 平 村 嵯 峨 重 良 五 十 目 村 米 田 貞 治 土 崎 港 町 村 山 金十郎 参町 下 旭 川 村 ○ 田 長 秀 内 川 村 工 藤 祐 治 面 千 田 平三郎 参 加賀谷 土 崎 港 町 ○ 保 吉 天 王 村 二 田 祐 参北 太 五 十 目 村 ○ 島 孫 吉 加賀谷惣左衞門 船 越 村 太 田 政 光 大 村 松 助 参髙 ○ 橋 專之助 下 新 城 村 木 晨 吉 土 崎 港 町 上 新 城 村 佐 藤 宇 吉 脇 本 村 金 三 浦 確 爾 船 川 議澤 村 ○ 飯 田 川 村 寒井川 治 吉 男 鹿 中 村 目 黑 茂 助 下 井 河 村 藤 田 喜兵衞 北 磯 分 村 古 仲 和 平 面 松 田 與 大 淵 幾 松 足 潟 村 村 市 潟 西 村 足 大地主互選議員 潟 川 村 村 木 金 澤 松右衞門 ※加賀谷保吉(土崎港町)が知事より参事会員に選任。 ◆河辺郡(定数18人) 町 村 名 議 員 町 村 名 議 員 町 村 名 大地主互選議員 牛 島 村 治 豊 島 参岡 村 ○ 部 正 藏 新 屋 村 大 島 長兵衞 新 屋 参 大 嶋 源右衞門 和 村 ○ 田 参 佐々 村 ○ 佐 々木 慶 助 新 屋 村 川 口 長 浜 田 村 岡 村 永太郎 豊 岩 村 田 口 八太郎 村 議橋 ○ 豊 岩 靑 池 信 太 村 齋 藤 四ツ小屋村 豐 孝 貞 船 村 井 正 岩見三内村 森 田 直 江 和 川 井 永 治 上 北 手 村 熊 谷 銀 藏 川 添 参伊 村 ○ 藤 才 治 下 北 手 村 須 田 永 助 中 川 村 角 田 總左衞門 仁 井 田 村 河 村 勘之助 田 吉 本 平左衞門 ※岡部正藏(豊島村)が知事より参事会員に選任。 ◆由利郡(定数26人) 町 村 名 本 荘 議 員 垣 照 町 村 名 議 町 石 甫 西 滝 沢 村 二 鄕 剛吉郎 石 沢 村 須 矢 要次郎 石 沢 村 猪 員 見 町 村 名 大地主互選議員 勝兵衞 本 荘 町 須 藤 善一郎 田 宇兵衞 本 荘 町 長 田 文五郎 股 三保三 下 郷 村 小 松 亮太郎 本 荘 町 参六 ○ 本 荘 町 細 院 内 村 佐々 木 興 治 下川大内村 遠 藤 萬右衞門 塩 越 参渡 村 ○ 邊 文八郎 平 沢 村 遠 田 勇 記 大 正 寺 村 今 藏 平 沢 村 齋 藤 久太郎 塩 越 村 佐々 木 平 治 岩 谷 村 深 井 庄五郎 矢 島 町 大 井 淸 上 郷 村 吉 川 健 藏 亀 田 町 中 田 直 矢 島 参 議佐 町 ○○ 藤 三 次 松 ヶ 崎 村 仁 部 虎之助 直 根 村 眞 坂 傳 次 道 川 村 田 口 忠 次 川 内 村 村 上 隆 次 下 郷 村 小 松 聚 藏 福 造 吉 ※鵜沼國蒙(亀田町)が知事より参事会員に選任。 - 23 - ◆仙北郡(定数26人) 町 村 名 議 員 生 保 内 村 田 代 政太郎 金沢西根村 久 米 良 助 雲 沢 村 菅 原 市之助 南 楢 岡 村 伊 藤 多 吉 参 畠 山 久左衞門 六 郷 村 ○ 六 郷 村 栗 林 泰 助 高 梨 村 須 田 儀三郎 中 川 村 鈴 木 長 藏 大 沢 郷 村 齋 藤 正 幸 金 沢 村 本 間 純 造 町 村 名 議 参榊 大 曲 村 ○ 豊 岡 村 加 刈 和 野 村 若 横 沢 村 倉 花 館 村 齋 内 小 友 村 能 畑 屋 村 髙 四 ツ 屋 村 藤 参西 角 館 町 ○ 淀 川 村 今 員 田 藤 松 田 藤 味 橋 田 宮 淸兵衞 進 信 助 亦五郎 勘 七 孫 六 久太郎 周 助 藤 剛 吉太郎 町 村 名 角 館 刈 和 野 千 屋 大 曲 大 曲 飯 詰 大地主互選議員 参 河原田 町 ○ 次 亮 村 今 野 庄右衞門 村 坂 本 理一郎 村 田 口 榮 吉 議田 村 ○ 口 岩 藏 村 江 畑 宇三郎 ※西宮藤剛(角館町)が知事より参事会員に選任。 ◆平鹿郡(定数26人) 町 村 名 朝 倉 横 手 十 文 字 浅 舞 横 手 里 見 黒 川 増 田 阿 気 植 田 議 員 村 泉 田 喜七郎 町 山 崎 忠 剛 村 佐 藤 健 治 村 湊 谷 傳之助 参石 町 ○ 川 辰之助 村 山 内 榮 司 村 佐 藤 莊右衞門 村 大 瀨 貴 誠 村 髙 橋 虎 治 村 近 雄 平 町 村 名 議 員 横 手 町 渡 邊 幸 七 議 醍 醐 村 ○柿 崎 武 助 角 間 川 村 落 合 正 藏 八 沢 木 村 佐藤重郎右衞門 田 根 森 村 柴 田 德 治 沼 館 村 小 西 久兵衞 旭 村 松 井 賢 治 吉 田 村 中 澤 淸 吉 館 合 村 佐 藤 福 治 大 森 村 吉 田 喜右衞門 町 村 名 角 間 川 横 手 館 合 増 田 横 手 沼 館 大地主互選議員 村 荒 川 勘之助 町 渡 邊 八右衞門 村 土 田 彦 七 村 東海林 重太郎 参藤 町 ○ 澤 嘉兵衞 参 村 ○鹽 田 團 平 ※木村久藏(横手町)が知事より参事会員に選任。 ◆雄勝郡(定数26人) 町 村 名 議 員 湯 沢 町 石 井 信 湯 沢 町 芳 賀 織右衞門 弁 天 村 中 村 隣 德 岩 崎 町 石 川 爲 治 参沓 東 成 瀬 村 ○ 澤 彌太郎 西 成 瀬 村 志 賀 茂 助 駒 形 村 茂 木 豐 治 川 連 村 髙 橋 利兵衞 三 梨 村 東海林 武 治 皆 瀬 村 沓 澤 德太郎 町 村 名 議 小 野 村 髙 橋 参高 院 内 村 ○ 橋 院 内 村 山 崎 議武 山 田 村 ○ 石 三 輪 村 藤 野 西馬音内村 飯 塚 参後 新 成 村 ○ 藤 田 代 村 長谷山 明 治 村 藤 原 須 川 村 藤 坂 員 理 造 彌一郎 小彌太 忠一郎 貞 助 彌惣治 兵太郎 莊 助 正 治 敬 治 町 村 名 大地主互選議員 湯 沢 町 小 川 長右衞門 参藤 湯 沢 町 ○ 木 安太郎 西馬音内村 柴 田 與之助 西馬音内村 柴 田 養 助 院 内 村 齋 藤 周 治 明 治 村 大日向 作太郎 ※藤木安太郎(湯沢町)が知事より参事会員に選任。 『秋田県報』、秋田県公文書館所蔵『郡市参事会員会議員名簿』(930103-01218)。 - 24 - 4-3 選挙効力をめぐる問題 郡会議員選挙之規定ニ反シ、郡長之ヲ認知 「 町 村 制 」 第 46 条 「 町 村 会 ニ 於 テ 町 村 吏 員 スルモ訴願ナキ場合ハ処置ノ道ナキヤ否ヤ ノ選挙ヲ行フトキハ一名毎ニ匿名投票ヲ以テ ノ儀ニ付、本月九日電報及御照会候処、該 之ヲ為シ有効投票ノ過半数ヲ得ル者ヲ当選ト 事実ハ本郡三関村須川村々会々同選挙会ニ ス若シ過半数ヲ得ル者ナキトキハ最多数ヲ得 於テ郡会議員選挙ヲ行フニ際シ、過半数ヲ ル者二名ヲ取リ之ニ就テ更ニ投票セシム若シ 得ルモノナク、最多数ヲ得ルモノ二名同数 最多数ヲ得ル者三名以上同数ナルトキハ議長 之場合、町村制第四十六条ノ規定ニ依リ更 自ラ抽籤シテ其ノ二名ヲ取リ更ニ投票セシム ニ投票セシムルコトナサズシテ、年長ヲ以 此再投票ニ於テモ猶過半数ヲ得ル者ナキトキ テ当撰者トシタル儀ニ候。右ハ郡会議員確 ハ抽籤ヲ以テ当選ヲ定ム」の規定により、有 定ノ場合ニ際シ、直タ差支候条否ヤ電報ヲ 効投票の過半数を得た得票者がいない場合に 以テ該処置方御回報有之度、事実ノ詳細ヲ は上位2名による決選投票の実施が定められ 載シ此段及御照会候也。 明治廿四年五月十二日 ていた。 印 雄勝郡長髙城守久□ 5月2日に実施された三関村須川村会同選 出議員選挙において、選挙掛長澁谷新六(須 郡制施行取調委員長 川 村 長 ) は 佐 藤 永 太 郎 ( 三 関 村 、 47 歳 ) と 藤 秋田県参事官靑木定謙殿 坂 敬 治 ( 須 川 村 、 41 歳 ) の 得 票 数 が 共 に 8 票 追テ本文之場合ニ有之夫レカタメ、一般当 ( 59 ) ずつだったことから法を誤解釈して佐藤永太 撰ノ告示モ見合セ居臨時会ノ如キモ追テ相 郎を年長当選者に決定してしまった。 後レ候次第ニ付、至急電報ニテ貴報ヲ得度 12 日 、 こ の 決 定 を 不 服 と し た 須 川 村 会 議 員 候。 小野久太は雄勝郡長髙城守久宛に訴願を提出 (60 ) した。 『事務簿冊』にはこの照会に対する靑木参 事官からの回答は残されていなかったが、雄 郡会議員選挙方ニ付訴願 勝 郡 長 は 13 日 に 選 挙 無 効 の 裁 決 を 下 し 、 翌 14 明治廿四年五月二日三関村須川村会同シ郡 日に秋田県知事宛に選挙無効の決定を報告した。 会議員選挙致候処、藤坂敬治ト佐藤永太郎 ト八点宛之同数ノ得点ナルニ、選挙掛長澁 雄第一七四一号 谷新六ニヲイテ年齢ノ長幼ヲ調査シ、佐藤 郡下三関村須川村々会々同シテ為シタル郡 永太郎年長ナルヲ以テ当選之旨宣告ニ為シ 会議員選挙効力ニ関シ、須川村会議員小野 タルモ、明治廿三年法律第三十六号郡制第 久太ヨリ訴願書提出ノ所、別紙中写ノ通リ 十七条ニ依ラス甚タ不正不当之選挙ト無考 選挙無効ノ裁決致候条此段報告候也。 候条、郡制第十七条ニ抵触セサル様選挙相 明治廿四年五月十四日 印 雄勝郡長髙城守久□ 成度、此段訴願仕候也。 雄勝郡須川村々会議員 明治二十四年五月十二日 印 小野久太□ 秋田県雄勝郡長髙城守久殿 秋田県知事鈴木大亮殿 裁決書 雄勝郡三関村須川村々会々同 郡会議員選挙会長須川村長 同日、雄勝郡長から秋田県参事官靑木定謙 宛にこの訴願の取扱に関する照会がなされた。 澁谷新六 雄勝郡須川村々会議員 訴願人 雄第一六九九号 小野久太 右訴願人ヨリ提出セル雄勝郡三関村須川村 - 25 - 々会々同シテ行ヒタル郡会議員選挙ハ、法 長者佐藤永太郎ヲ以テ当選人ト決定シ宣告 律ニ反シタル者ニ付更ニ選挙ヲ請求スルノ ヲ為シタルハ全ク法律ヲ混読シタルモノニ 訴願書ニ就キ審査スルニ、 有之、過誤失策今更恐縮候得共、右顛末ノ 本訴願ノ要項ハ明治二十四年五月二日雄 答弁詳細上申仕候也。 雄勝郡須川村長 勝郡三関村須川村会々同郡会議員一名選 挙ニ際シ、藤坂敬治、佐藤永太郎各投票 明治廿四年五月十五日 八票ニシテ、最多数ナルモ過半数ニ至ラ 秋田県雄勝郡長髙城守久殿 印 澁谷新六□ ス、其ノ場合選挙会長ハ郡制第十七条二 項ニ依リ町村制第四十六条ノ規定ニ従ヒ、 三 関 村 須 川 村 会 同 選 出 再 選 挙 は 20 日 に 実 施 該二名ニ就キ更ニ投票セシムヘキニ、年 され、藤坂敬治が当選した。こうした事情か 長ヲ以テ佐藤永太郎当選者ト決シタルハ ら 雄 勝 郡 で は 臨 時 郡 会 の 開 会 が 27 日 と な り 、 不当ノ選挙ニ付、更ニ選挙ヲ請求スルニ 他 郡 よ り 10 日 前 後 遅 れ て し ま っ た 。 ( 62 ) 在リ。右選挙ノ顛末ハ選挙会長澁谷新六 ヨリ提出セル選挙録ニ徴スルニ、訴願ノ 事実ト符合シ法律ニ反スルコト明了ナリ。 4-4 「郡制」の施行状況 「郡制」施行から3カ月を経過しようとし 右理由ニ依リ裁決スル左ノ如シ。 た 6 月 27 日 、 県 か ら 内 務 大 臣 宛 に 「 郡 制 施 行 明治二十四年五月二日雄勝郡三関村須川村 之状況報告」がなされた。 (63 ) 々会々同シテ為シタル郡会議員選挙ハ法律 郡会議員管内総数弐百十三人、内町村選 ニ反スル者ナリ。依テ無効トス。 出 百 六 十 四 人 、大 地 主 互 選 四 十 九 人 ニ シ テ 、 明治廿四年五月十三日 雄勝郡長髙城守久 選挙ニ際シテハ其競争頗ル甚シク、就中北 秋 田 郡 大 地 主 ハ 、選 挙 告 示 後 其 資 格 ヲ 造 リ 、 15 日 に は 須 川 村 長 澁 谷 新 六 か ら 雄 勝 郡 長 宛 以テ加列セント試ミタルモノ十数名ノ多キ に答弁書が提出され、ここで法の誤解釈を認 ニ 達 ス ル ニ 至 レ リ 。然 レ ド モ 当 撰 ノ 結 果 ハ 、 めた。それより先に郡長が県に選挙効力につ 大地主ニ在テハ公共事務ニ経験ナシト雖モ、 いて照会している事実から見ても法規の徹底 概ネ名望アル篤実家ニシテ、町村ノ撰出モ (61 ) が完璧ではなかったことが明らかになる。 亦相当ノ資産ヲ有スル実業家又ハ町村吏員 等ニテ半数以上ヲ占メ、無資力ニシテ政治 答弁書 熱ニ狂奔スルガ如キ輩太ダ少数ナリトス。 本月二日三関村須川村ニ会々同シテ行ヒタ 故ニ直接選挙ニ係ル県会議員等ニ比スレバ、 ル郡会議員選挙ノ効力ニ関スル須川村々会 将来公共ノ利益ヲ啓発スル上ニ於テ却テ優 議員小野久太ヨリ訴願提出ニ付、該顛末詳 レ ル ノ 感 ア リ 。又 選 挙 ノ 当 時 三 ・ 四 ノ 郡 ハ 、 細答弁書可差出旨訴願書為裁決書ヲ添ヘラ 郡会ニハ第二流ノ人ヲ挙ゲ、県会ニハ第一 レ御照会相成、該会顛末ノ理由ハ別段已意 流ノ人ヲ推シ、自ラ分業タラシメントスル ニ出タルモノニ無之候得共、本月八日御衙 ノ傾向アリテ、殊ニ北秋田郡及南秋田郡ノ ヘ出頭選挙録写ヲ添議了ノ結果報告致候通、 一部ハ、有志者ニ於テ内約スル所アリ、其 藤坂敬治ト佐藤永太郎各八票宛ノ得点ナル 方針ヲ以テ周施ヲ為シタルガ如シ。然レド ニ双方トモ過半数ニ至ラス、郡制第十七条 モ已ニ郡会成立ノ今日ニ於テハ、県会議員 二項ニ依リ町村制第四十六条ノ規定ニ従ヒ モ郡会ノ互選ニ出デントスルノ状況アルヲ 該二名ニ就キ投票セシムヘキ処、誤テ右条 以テ、此等ノ地方ハ他日之ガ選挙ニ際シテ 項ニ依ラス郡制第十八条第六ニ照ラシ、年 ハ、一層甚シキ競争ヲ見ルニ至ルベシ。 - 26 - 名誉職参事会総数二十七人、内大地主ヨ 二、仙北二、由利一、平鹿一、ナリトス。 リ出デタルモノ五人、町村選出議員ヨリ出 デタルモノ二十二人トス。概ネ皆相応ノ資 再報告では郡会議員選挙に関する訴願につ 産ヲ有シ、多少ノ名望アル者ニシテ、稍適 いて郡長に提出したものが6件、県知事に提 任ト認ム。而シテ従来政治上ニ運動ヲ為シ 出したものが15件もあったことが記されている。 タル経歴アルモノハ、僅カニ八・九名ニ過 8月1日には「府県制」が施行され、第三 ギズ。 条「府県会議員ノ選挙ハ市ニ在テハ市会及市 参事会会同シ市長ヲ会長トシ郡ニ在テハ郡会 この報告によれば、郡会議員選挙実施に際 及郡参事会会同シ郡長ヲ会長トシ左ノ規定ニ して激しい選挙戦が繰り広げられたこと、大 依リ之ヲ行フヘシ但会長ハ投票ニ加ハラサル 地主議員は概ね名望ある篤実家が当選し、ま モノトス」の規定により、郡会で県会議員を た町村選出議員も大半が実業家又は町村吏員 選出することになった。そのため、郡会の存 (64 ) であったことが分かる。 在価値は高くなり政争の拠点と化したことは (65 ) さらに、8月7日には「郡制施行ノ情況」 言うまでもない。当時河辺郡長の任にあった (66 ) の再報告がなされた。 『御代弦日誌』にその事実を伺い知ることが 出来る。 一 議員選挙ノ景況及結果 管内各郡会議員ノ選挙ハ、其情況前内申 七月三日 郡会閉会ス。 セル如クニシテ、議員ノ当選ヲ希望スルモ 今回開会ノ郡会ニ於テ、府県制ニ依リ新タ ノ頗ブル多ク、其競争モ甚ダシキモノアリ ニ県会議員ノ撰挙ヲ行フニ方リ、茲ニ一場 ト雖ドモ、県会議員ノ選挙ニ比スレバ、之 ノ紛擾ヲ生シ為メニ或ハ議員ノ員数過半数 ヲ希望スル者モ概ネ第二流ノ地位ニアルノ ニ至ラスシテ休会シ、或ハ紛議ノ為メ時日 ミナラズ、又其運動モ直接選挙ノ多数選挙 ヲ徒費シ終ニ結了ヲ延滞スルニ至レリ。其 人ニ対スルガ如キ較著ナル形状ヲ顕サザリ 原因ヲ略言スレハ、郡内和田村ニ佐々木、 シ。而シテ管内競争ノ最ナルモノヲ挙グレ 橋本ノ両家アリテ従来ヨリ二派二分レ軋轢 バ、北秋田、南秋田、山本、仙北ニ町村吏 セシカ、此回県会議員ノ候補者タルモノモ 員ノ如キハ、郡会議員二百十三人ニ対シ六 亦佐々木、橋本ノ両氏ナリ。而シテ之カ撰 十九人、郡参事会員三十六人ニ対シ十四人 挙者タル郡会議員ハ、近来政治上ヨリ起リ ノ多キヲ占ムルコト、第一表ヲ以テ区別ス タル両党派ニ属シ其員数モ亦匹適ス。然ル ルガ如シ。又議員選挙ニ関スル訴願ヲ挙グ ニ、県会議員ノ撰挙同点数ヲ得ルトキハ年 レバ、郡参事会ノ職務ヲ行フ郡長ニ提出セ 長者ヲ取ルノ制ナルヲ以テ、投票ノ場合ハ ルモノ六件ニシテ、此内南秋田郡二件、河 無論橋本氏ニ帰スヘク、是ニ於テヤ互ニ競 辺郡・仙北郡・平鹿郡・雄勝郡各一件トス。 争シ、一方出席スレハ、一方ハ欠席シ故ラ 郡長ノ裁決ニ服セズシテ縣参事会ノ職務ヲ ニ撰挙ヲ行フニ至ラシメス。其間種々ノ醜 行 フ 県 知 事 ニ 提 起 セ ラ ル モ ノ 十 五 件 (前 内 態等言フニ忍ヒサルモノアリシト云フ。結 申 後 一 件 ヲ 増 ス )ノ 内 、 却 下 ノ 裁 決 ヲ 与 ヘ 局投票ヲ為シタルニ橋本氏終ニ一点ノ多ヲ タ ル モ ノ 九 件 、本 裁 決 ヲ 為 シ タ ル モ ノ 六 件 。 占 メ タ リ 。此 件 ニ 付 謂 ハ レ 無 ク 郡 会 遷 延 シ 、 之ヲ種別スレバ議員配当法更正ニ関スルモ 且ツ其為ス所非理ノ甚タシキヲ以テ余モ亦 ノ二、選挙取消不服ノモノ三、選挙効力ニ 大ニ憤激ニ堪ヘス。断然決心スル所アリテ 関スルモノ五、大地主名簿ニ関スル異議五 談判ヲ開キシニ、今朝唯々承諾シ漸ク結了 ナリ。其郡別ハ、北秋田八、山本一、河辺 ヲ告クルヲ得タリ。 - 27 - と決定された。 河辺郡和田村には佐々木、橋本の両家があ って、定数1名の県会議員の座をめぐり争っ 県 治 局 長 通 牒( 廿 八 年 四 月 八 日 県 甲 第 五 号 ) ていたことと、非自由派に佐々木、自由派に 郡制第十三条郡会議員府県制第五条府県会 橋本が属していたことが記されている。県会 議員任期計算件、左ノ通決定相成候条、依 議員選挙の結果は橋本平左衞門が9票、佐々 命此段及通牒候也。 木良助が8票で1票差で橋本が当選した。 追テ本文ニ抵触スル従前ノ指定通牒ハ渾テ 「府県制」施行後の第9回秋田県会議員選 之ヲ取消サレ候条、為念申添候也。 挙 は 8 月 15 日 に 実 施 さ れ 、 定 数 30 名 中 郡 会 議 一郡会議員及府県会議員ノ任期ハ選挙ノ日 員 兼 任 者 は 21 名 で 、 山 本 郡 ・ 河 辺 郡 ・ 由 利 郡 ヨリ起算シ、三年目六年目又ハ四年目ノ ・雄勝郡では全員が兼任議員となった。 其選挙当日ノ前日ヲ以テ満限ニ達スルモ 北秋田郡…山 田 忠 胤 ノトス。 山 本 郡 …畠 山 雄 三、兒 玉 髙 致、 嶋田治右衞門 理由 郡制第十三条ニ町村ニ於テ選挙シタル議員 南 秋 田 郡 … 加賀谷總左衞門 、 千 田 平三郎 、 髙 橋 專之助 ノ任期ハ六年トシ、毎三年其半数ヲ改選ス 云々。又大地主ニ於テ選挙シタル議員ノ任 河 辺 郡 … 橋本平左衞門 期 ハ 三 年 ト シ 、毎 三 年 全 数 ヲ 改 選 ス ト ア リ 。 由 利 郡 … 佐 藤 三 次 、 猪 股 三保三 、 又府県制第五条ニハ府県会議員ハ名誉職ト 須 藤 善一郎 、 遠 田 勇 記 シ其任期ハ四年トシ、前二年其半数ヲ改選 仙 北 郡 … 榊 田 淸兵衞 、 河原田 次 亮 、 ストアリテ、法律ハ二年又ハ三年毎ニ改選 坂 本 理一郎 、 西 宮 藤 剛 ヲ行フヘキコトヲ規定スルカ故ニ、郡会議 平 鹿 郡 … 柿 崎 武 助 、 久米田正之助 員ニ付テハ、郡制第十六条ニ依リ郡長ノ指 雄 勝 郡…石 井 定シタル選挙日、府県会議員ニ付テハ府県 信、茂 木 豐 治、 大日向 作太郎 制第七条ニ依リ、府県知事ノ指定シタル選 挙日ヨリ其任期ヲ計算スルニ非レハ、三年 4-5 議員の任期に関する問題 目四年目又ハ六年目ノ改選期日迄ニ三年目 「 郡 制 」 第 13 条 の 規 定 に よ り 町 村 会 選 出 議 ト又ハ六年ノ任期ヲ満タスコト能ハサルヘ 員の任期は6年で3年毎に半数を改選し、大 シ。必竟スルニ大地主ニ於テ選挙シタル郡 地主議員の任期は3年で全員改選する仕組み 会議員ニ在テハ一改選期、其他ノ議員ニ在 が採られた。 ツテハ二改選期ヲ通算シタルモノヲ以テ議 秋 田 県 で は 第 2 回 郡 会 議 員 選 挙( 半 数 改 選 ) 員ノ一任期トナスハ法ノ精神ナルヘキヲ以 及 び 大 地 主 議 員 互 選 会 は 明 治 26 年 4 月 に 実 施 テ、三年四年又ハ六年ノ任期ハ各選挙ノ日 さ れ た 。 本 来 は 任 期 満 了 ( 明 治 27 年 5 月 ) 前 ヨリ起算シ、三年目四年目又ハ六年目ノ其 に実施すべきところ、通常郡会を3回実施し 選挙当日ノ前日ヲ以テ満任期ニ至ルモノト た こ と か ら 任 期 満 了 を 明 治 26 年 5 月 と 法 を 誤 解釈スルヲ相当ト信ス。 (67 ) 解釈して選挙を実施してしまったのである。 ( 68 ) 内務部第一課郡市町村係『郡制訓令録』に 翌 29 年 1 月 23 日 、 秋 田 県 知 事 か ら 県 治 局 宛 は議員任期に関する県と内務省のやり取りが に郡会議員の任期の取扱方について照会がな 記録されている。 さ れ 、 2 月 27 日 に 県 治 局 か ら の 回 答 が 到 着 し 明 治 28 年 4 月 8 日 、 県 治 局 の 通 牒 に よ っ て た。 議員の任期は選挙日から任期満了の前日まで - 28 - 秋田県知事照会(二十九年一月二十三日秋 前記ノ如ク本県ニ於テハ郡会議員ノ改選期 京第九号) 三種ニ分ルヽトキハ、郡制第三十条ニ依ル 本県郡会議員改選ノ儀ニ付、左記之通及御 議長代理者ハ大地主選出議員ト町村選出議 問合候間第三項以下至急何分ノ御省議御回 員トヲ問ハス各改選後ノ初回ニ於テ互選ス 答相成度、此段及御照会候也。 ヘキモノナルヤ。 第一 秋田県ハ二十四年四月ヨリ郡制ヲ施行シ同 県治局回答(二十九年二月二十七日県甲第 年四月郡会議員ノ選挙ヲ為シタリ。 二〇号) 第二 秋京第九号ヲ以テ郡会議員改選期ノ義ニ付 二十六年四月郡制第十三条ニ依リ抽籤ヲ以 疑義御照会之趣了承、右ハ左記ノ通リ御了 テ町村選出議員ノ半数ヲ選挙セリ。但二十 承相成度、経伺之上此段及回答候也。 四年四月ヨリ通常郡会三回ヲ勤メタルヲ以 一明治二十四年四月選挙ニ係ル町村選出 テ三年ノ任期ヲ終リタルモノトシ改選シタ 議員半数ノ現任議員ハ、満六年間在職 ルモノニシテ、右任期ニ関シテハ当県治局 セシメ明治三十年四月改選ヲ行ヒ可然。 長ノ回答ニ依リタルモノナリ。 一明治二十六年四月改選シタル町村選出 此場合同時ニ大地主選出議員ノ全数改選ヲ 議員大地主議員ハ、凡テ明治二十七年 為シタリ。 四月即正当ノ改選期ニ選挙セラレタル 第三 モノト見做シ、其時ヨリ任期ヲ起算シ 二十四年四月選挙ニ係ル町村選出議員半数 町村選出議員ハ三十三年四月、大地主 ノ現在議員ハ、三十年四月ニ至リ満六年ノ 議員ハ三十年四月改選ヲ行ヒ可然。 任期ヲ了ルヘキヲ以テ改選ヲ為スヘキヤ。 但議員ノ任期ハ満六年タルヘキ旨内務省ノ 県 治 局 の 回 答 は 、 ① 明 治 24 年 4 月 選 挙 に 係 通牒ニ依リ前項ノ解釈ニ改メタリ。 る 町 村 選 出 議 員 ( 任 期 6 年 ) の 改 選 は 明 治 30 第四 年 4 月 と す る こ と 、 ② 明 治 26 年 4 月 改 選 の 町 二十六年四月ノ改選ニ係ル半数ノ現任議員 村選出議員・大地主互選議員については本来 ハ、三十二年四月ニ至リ満六年ノ任期了ル の 改 選 期 で あ る 明 治 27 年 4 月 に 改 選 し た も の ヘキヲ以テ改選ヲ為スヘキヤ。 と 見 な し 、 そ の 改 選 を 町 村 選 出 議 員 は 明 治 33 第五 年 4 月 、 大 地 主 互 選 議 員 は 明 治 30 年 4 月 と す 第二項ニ記シタル二十六年四月改選ヲ為シ るというものであった。 タル大地主選出議員全数ハ二十九年四月ニ この回答を受けて3月9日に内務部長から 至リ満三年トナルヲ以テ、町村選出議員ノ 各郡長宛に通牒が出された。鹿角郡では2月 定期改選ニ拘ハラス其全数ヲ改選スヘキモ 27 日 に 第 3 回 大 地 主 議 員 互 選 会 が 実 施 さ れ 、 ノナルヤ。将又大地主選出議員ハ町村選出 3 月 10 日 に そ の 無 効 を 知 ら せ る 内 務 部 長 通 牒 議員ノ各定期改選期、即チ第三項ノ三十年 が鹿角郡長宛に出された。 四月及第四項ノ三十二年四月ニ於テ全数ヲ 改選スヘキヤ。果シテ然ラハ前段ノ場合ハ 内務部長通牒(二十九年三月五日秋乙第八 大地主選出議員ノ任期満四年トナリ法定ノ 二六号、仙北鹿角ヲ除キ各郡) 任期ヲ延長シ、後段ノ場合ハ満二年トナリ 郡会議員任期計算方之義ハ客年四月十五日 法定ノ任期ヲ短縮セサル可ラサルニ至ルノ 秋乙第一四二六号ヲ以テ及通牒候通ニ付、 不都合ヲ免レサルヘシ。 明治二十四年町村選出郡会議員ハ明治三十 第六 年改選期ニ相当シ、二十六年改選ノ大地主 - 29 - 選出議員ハ明治二十七年選挙シタルモノト 示すものであり、単に法の誤解釈で生じた問 見做シ、来ル明治三十年改選ヲ行可然候命 題だけでは済まされない大きな禍根を残した 此段及通牒候也。 と言える。 内務部長通牒(二十九年三月十日内一第四 5 「改正郡制」の施行 四号、鹿角郡長ヘ) 貴郡大地主選出郡会議員ハ二月二十七日ヲ 5-1 「府県制・郡制」の改正過程 以テ選挙之旨御報告之次第モ有之候処、本 「府県制」及び「郡制」は施行して間もな 県郡会議員改選之儀ニ付テハ、其筋ヘ問合 い時期から改正への議論が起こっていた。こ 之上左記第一項第二項ノ通相定メ候ニ付、 の点については、飯塚一幸氏、谷口裕信氏、 全回改選ノ貴郡大地主選出議員ニ関シテハ、 長井純市氏による先行研究があり、ここでは 左記第三項以下ノ御処分相成可然経伺之上、 その要点を整理して改正の過程を見ていくこ 此段及通牒候也。 とにしたい。 ( 69 ) ( 70 ) (71 ) 一明治二十四年五月選挙ニ係ル町村選出議 初 期 議 会 に お い て は 、「 府 県 制 」 及 び 「 郡 員半数ノ現任議員ハ、満六年間在職セシ 制 」 の 修 正 ・ 改 正 法 案 は 延 べ に し て 40 法 案 が メ明治三十年五月改選ヲ行フヘキモノト 提出された。しかし、藩閥政府と民党の地方 ス。 自治観の相違から意見が対立しその全てが否 二明治二十六年二月改選シタル町村選出議 員大地主議員ハ、凡テ明治二十七年五月 決された。その内容は複選法、大地主制廃止 論及び郡長公選論が主たるものであった。 即正当ノ改選期ニ選挙期ニ選挙セラレタ 第 2 次 伊 藤 博 文 内 閣 の 成 立 後 、 明 治 28 年 11 ルモノト見做シ、其時ヨリ任期ヲ起算シ 月 22 日 に 自 由 党 が 伊 藤 内 閣 と 提 携 を 宣 言 し て 町村選出議員ハ三十三年五月、大地主議 翌 29 年 4 月 14 日 に 板 垣 退 助 が 内 務 大 臣 と し て 員ハ三十年五月改選ヲ行フヘキモノトス。 入 閣 し た 。こ れ に よ り「 府 県 制 」及 び「 郡 制 」 三前項ノ理由ニ依リ貴郡本年告示第四号ニ 改 正 へ 向 け て 一 歩 前 進 し た 。衆 議 院( 自 由 党 ) 依リ二月二十七日選挙ヲ行ヒタル大地主 は藩閥政府に大きく歩み寄る姿勢を見せ、藩 議員ハ、正当ノ改選期ニアラサル無効ノ 閥政府も部分的に受け入れる含みを公にした 選挙ナルヲ以テ、郡制第二十五条ニ依リ ものの、一方の貴族院は衆議院の姿勢に抵抗 其効力ヲ郡参事会ノ裁決ニ付シ、該選挙 勢力と化した。 ヲ無効タラシムヘキモノトス。 自由党の田艇吉・多田作兵衞等が提出した 四前項ニ依リ無効トナリタル場合ハ、従前 「郡制改正法律案」は第8議会・第9議会で ノ大地主議員ハ依然第二項ニ依リ議員資 審議された。その内容は、①複選法の廃止、 格ヲ存続スヘキハ勿論ナリトス。 ②大地主議員制の廃止、③郡会議員の任期を 4年とし2年毎に改選すること、④郡を法人 一 方 、 3 月 6 日 に は 由 利 郡 長 か ら 、 10 日 に と明定したこと、⑤郡長は郡会の選挙による は平鹿郡長から任期に関する照会がなされた こと、などであった。この改正案は衆議院で が、内務部長からは県治局の回答を再伝達す は可決したものの、内務官僚と貴族院の反発 るにすぎなかった。 で実現には至らなかった。 「郡制」施行からすでに5年が経過しよう 第 2 次 松 方 正 義 内 閣 の 成 立 後 、 明 治 30 年 2 としていた矢先に起こったこの問題は、上述 月 24 日 に 進 歩 党 の 工 藤 行 幹 が 提 出 し た 「 郡 制 のように秋田県においては施行当初から法規 改正法律案」は田等が先に提出した内容とほ の徹底化が図られていなかったことを如実に ぼ踏襲したものだった。これに対する政府の - 30 - 対応を見てみると郡長公選案と複選法廃止に 附 託 と な っ た 。 19 日 と 20 日 に 府 県 制 改 正 法 律 は反対し、大地主議員制の廃止には賛成して 案外一件審査特別委員会で審議が行われ、① いる。この改正案も衆議院では可決したもの 府県会議員の議員定数を増員し、②原案にお の、貴族院では否決された。 ける連記無記名投票・代書人不可を連記記名 第 3 次 伊 藤 博 文 内 閣 を 経 て 、 明 治 31 年 6 月 投票・代書人可とすることなどを修正可決し 22 日 に 自 由 党 と 進 歩 党 が 合 併 し て 憲 政 党 が 結 た 。 21 日 の 第 一 読 会 の 続 会 で 多 田 作 兵 衞 特 別 党 さ れ 、 30 日 に 初 の 政 党 内 閣 と し て 第 1 次 大 委員長の委員会報告の後に可決され、貴族院 隈重信内閣、いわゆる隈板内閣が成立した。 へ回付された。 三度内務大臣に就任した板垣退助は地方制度 貴 族 院 で は 24 日 に 第 一 読 会 が 開 か れ 、 即 日 改革に意欲を見せたが、結党からわずか4カ 特 別 委 員 会 付 託 が 決 定 さ れ た 。翌 25 日 と 28 日 、 月余で憲政党自由派は星亨の主導で新たに憲 そして3月2日の3日間にわたって府県制改 政 党 を 結 党 し 、 進 歩 派 は 11 月 3 日 に 憲 政 本 党 正 法 律 案 外 一 件 特 別 委 員 会( 委 員 長 細 川 護 成 ) を結党して2党に分裂し内閣は瓦解した。 での審議が行われ、ここでは衆議院での修正 第2次松方内閣の内務省が作成したとされ がほとんど政府原案に戻された。4日の第一 ( 72 ) (74 ) る「府県制改正ノ件」には旧進歩党の意向を 読会の続会後の第二読会で修正可決され、衆 反映して修正が施されている。 議 院 へ 回 付 さ れ 、 6 日 に 可 決 ・ 成 立 し た 。 15 第2次山縣有朋内閣が成立すると、憲政党 日 に 「 改 正 府 県 制 」( 法 律 第 64 号 )、「 改 正 郡 は星の主導で提携を表明し、不公平な地価の 制 」( 法 律 第 65 号 ) が そ れ ぞ れ 公 布 さ れ た 。 修 正 や 党 員 の 入 閣 を 条 件 に 地 租 増 徴 ( 地 租 2. 「改正郡制」の要点をまとめると次の通り 5 % か ら 3.3 % へ 32 % の 引 上 げ ) を 認 め た 。 こ である。①郡の法人規定、②議員選挙におけ れに対して山縣内閣は文官任用令を改正して る複選法の廃止と直選法の採用、③大地主制 政府からの政党の排除を企てた。 の廃止、④郡会議員定数の増員(政府原案の 翌 32 年 1 月 24 日 に 地 方 制 度 改 正 を め ぐ る 政 最 大 30 名 か ら 40 名 へ )、 ⑤ 議 員 の 4 年 毎 の 全 府と憲政党・国民協会との間で交渉会が開か 数 改 選 ( 政 府 原 案 は 2 年 毎 半 数 改 選 )。 特 に れた。先の「府県制改正ノ件」を踏襲して憲 ②及び③については町村への政党進出と大地 政党の地方改革要求を基本的に受け入れる形 主が必ずしも名望家ではなくなった事への是 で 、 26 日 に は 西 鄕 從 道 内 務 大 臣 か ら 閣 議 請 願 正の意味合いが込められていた。 (73 ) 書「郡制府県制改正ノ件」が提出された。2 月5日付『東京朝日新聞』には「郡制改正原 案要領」と題する記事が掲載された。その内 容は、①郡会における大地主議員の廃止、② 5-2 「改正郡制」の施行 郡会議員選挙に関する「改正郡制」の規定 は次の通りである。 郡会議員を直接選挙制とし複選法の廃止、③ 郡会議員の選挙権を町村会議員の選挙権を有 第四条 し、1年間直接国税3円以上納入する者、④ 挙ス 郡会議員の被選挙権を町村会議員の選挙権を 選挙区ハ町村ノ区域ニ依ル但シ事情ニ依 有し且つ1年間直接国税を5円以上納入する リ郡長ハ郡会ノ議決ヲ経府県知事ノ許可 者 、 ⑤ 郡 会 議 員 定 数 を 15 人 以 上 30 人 以 下 と す ヲ得テ数町村ノ区域ニ依リ選挙区ヲ設ク る、⑥郡参事会の権限を多少拡充する、とい ルコトヲ得 うものであった。 町村組合ニシテ町村ノ事務ノ全部ヲ共同 17 日 、衆 議 院 に「 府 県 制 改 正 法 律 案 」と「 郡 制改正法律案」は提出され、即日特別委員会 郡会議員ハ各選挙区ニ於テ之ヲ選 処理スルモノハ之ヲ一町村ト看做ス 第五条 郡会議員ノ員数十五人以上三十人 - 31 - 以下トス 郡ノ状況ニ依リ内務大臣ノ許可ヲ得テ前 選挙権ヲ有セス 第七条 郡会議員ハ名誉職トス 項ノ員数ヲ四十人マテ増加スルコトヲ得 郡会議員ノ任期ハ四年トス 郡会議員ノ定数及各選挙区ニ於テ選挙ス 議員ノ定数ニ異動ヲ生シタル為又ハ議員 ヘキ郡会議員ノ数ハ郡会ノ議決ヲ経府県 ノ配当ヲ更正シタル為解任ヲ要スル者ハ 知事ノ許可ヲ得テ郡長之ヲ定ム 抽籤ヲ以テ之ヲ定ム 前項議員ノ配当方法ニ関スル必要ナル事 項ハ内務大臣之ヲ定ム 第六条 郡内ノ町村公民ニシテ町村会議員 第八条 郡会議員中欠員アルトキ及郡会議 員ノ定数ニ異動ヲ生シタル為又ハ議員ノ 配当ヲ更正シタル為議員ノ選挙ヲ要スル ノ選挙権ヲ有シ且其ノ郡内ニ於テ一年以 トキハ三箇月以内ニ之ヲ行フヘシ 来直接国税年額三円以上ヲ納ムル者ハ郡 補欠議員ハ其ノ前任者ノ残任期間在任ス 会議員ノ選挙権ヲ有ス 補欠議員ヲ除ク外本条第一項ニ依リ選挙 郡内ノ町村公民ニシテ町村会議員ノ選挙 セラレタル議員ハ次ノ改選期マテ在任ス 権ヲ有シ且其ノ郡内ニ於テ一年以来直接 第九条 郡会議員ノ選挙ハ郡長ノ告示ニ依 国税年額五円以上納ムル者ハ郡会議員被 リ之ヲ行フ其ノ告示ニハ選挙ヲ行フヘキ 選挙権ヲ有ス 選挙区投票ヲ行フヘキ日時及選挙スヘキ 家督相続ニ依リ財産ヲ取得シタル者ハ其 議員ノ員数ヲ記載シ新ニ選挙人名簿ヲ調 ノ財産ニ付被相続人ノ為シタル納税ヲ以 製シテ選挙ヲ行フ場合ニ於テハ少クトモ テ其ノ者ノ納税シタルモノト看做ス 七十日前其ノ他ノ場合ニ於テハ少クトモ 郡会議員ハ住所ヲ移シタル為町村ノ公民 十四日前ニ之ヲ発スヘシ 権ヲ失フコトアルモ其ノ住所同郡内ニ在 第十条 郡会議員ノ選挙ハ町村長之ヲ管理 ルトキハ之カ為其ノ職ヲ失フコトナシ ス但シ数町村ヲ以テ一選挙区ト為シタル 郡会議員ノ選挙権及被選挙権ノ要件中其 場合ニ於テハ郡長ノ指定シタル町村長之 ノ年限ニ関スルモノハ府県郡市町村ノ廃 ヲ管理ス 置分合若ハ境界変更ノ為中断セラルルコ 第十一条 町村長ハ選挙期日前六十日ヲ期 トナシ トシ其ノ日ノ現在ニ依リ選挙人名簿ヲ調 左ニ掲クル者ハ郡会議員ノ被選挙権ヲ有 製スヘシ但シ数町村ノ区域ニ依リ選挙区 セス其ノ之ヲ罷メタル後一箇月ヲ経過セ ヲ設ケタル場合ニ於テハ選挙ヲ管理スル サル者亦同シ 町村長ニ之ヲ送付スヘシ 一 所属府県ノ官吏及有給吏員 選挙人其ノ住所ヲ有スル町村外ニ於テ直 二 其ノ郡ノ官吏及有給吏員 接国税ヲ納ムルトキハ前項ノ期日マテニ 三 検事警察官吏及収税官吏 当該行政庁ノ証明ヲ得テ其ノ住所地ノ町 四 神官僧侶其ノ他諸宗教師 村長ニ届出ツヘシ其ノ期限内ニ届出ヲ為 五 小学校教諭 ササルトキハ其ノ納税ハ選挙人名簿ニ記 前項ノ外ノ官吏ニシテ当選シ之ニ応セン 載セラルヘキ要件ニ算入セス トスルトキハ所属長官ノ許可ヲ受クヘシ 選挙ヲ管理スル町村長ハ選挙前五十日ヲ 選挙事務ニ関係アル吏員ハ其ノ選挙区ニ 期トシ其ノ日ヨリ七日間町村役場又ハ其 於テ被選挙権ヲ有セス其ノ之ヲ罷メタル ノ他ノ場所ニ於テ選挙人名簿ヲ関係者ノ 後一箇月ヲ経過セサル者亦同シ 縦覧ニ供スヘシ若関係者ニ於テ異議アル 郡ノ為メ請負ヲ為ス者又ハ郡ノ為請負ヲ トキ又ハ正当ノ事故ニ依リ前項ノ手続ヲ 為ス法人ノ役員ハ其ノ郡ノ郡会議員ノ被 為スコト能ハスシテ名簿ニ登録セラレサ - 32 - ルトキハ縦覧期限内ニ之ヲ町村長ニ申立 理スル町村長ノ指定シタル場所ニ於テ之 ツルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ町村長ハ ヲ開クヘシ 其ノ申立ヲ受ケタル日ヨリ十日以内ニ之 数町村ヲ以テ一選挙区ト為シタルトキハ ヲ決定スヘシ 選挙ヲ管理スル町村長ハ選挙ノ日ヨリ少 前項町村長ハ決定ニ不服アル者ハ郡参事 クトモ四日前ニ選挙会ノ場所ヲ定メ関係 会ニ訴願シ其ノ裁決ニ不服アル者ハ府県 町村長ニ通知スヘシ 参事会ニ訴願シ其ノ裁決ニ不服アル者ハ 選挙会ノ場所ハ選挙ノ日ヨリ少クトモ三 行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得 日前町村長ニ於テ之ヲ告示スヘシ 前項ノ裁決ニ関シテハ府県知事郡長ヨリ 特別ノ事情アル地ニ於テハ命令ヲ以テ選 モ亦訴願及訴訟ヲ提起スルコトヲ得 挙分会ヲ設ケ其ノ選挙ニ関シ特別ノ規定 町村長ハ第三項異議ノ決定ニ依リ又ハ第 ヲ設クルコトヲ得 四項訴願ノ裁決確定シ若ハ訴訟ノ判決ニ 第十三条 選挙ヲ管理スル町村長ハ臨時ニ 依リ名簿ノ修正ヲ要スルトキハ選挙ノ期 選挙人中ヨリ二名乃至四名ノ選挙立会人 日前七日マテニ修正ヲ加ヘテ確定名簿ト ヲ選任シ其ノ町村長ハ選挙長トナル 為スヘシ 選挙立会人ハ名誉職トス 本条ニ依リ確定シタル名簿ハ郡内ノ各選 第十四条 選挙人ノ外選挙会場ニ入ルコト 挙区ニ渉リ同時ニ調製シタルモノハ確定 ヲ得ス但シ選挙会場ノ事務ニ従事スル者 シタル日ヨリ一年以内ニ於テ行フ選挙ニ 選挙会場ヲ監視スル職権ヲ有スル者ハ此 之ヲ適用ス其ノ郡内一部ノ選挙区限リ調 ノ限ニ在ラス 製シタルモノハ確定シタル日ヨリ一年以 選挙人ハ選挙会場ニ於テ協議又ハ勧誘ヲ 内ニ該選挙区ニ於テノミ行フ選挙ニ之ヲ 為スコトヲ得ス 適用ス但シ名簿確定後訴願ノ裁決若ハ訴 第十五条 選挙ハ投票ニ依リ之ヲ行フ 訟ノ判決ニ依リ名簿ノ修正ヲ要スルトキ 投票ハ一人一票ニ限ル ハ選挙期日前七日マテニ修正スヘシ 選挙人ハ選挙ノ当日自ラ選挙会場ニ到リ 選挙人名簿ヲ修正シタルトキハ直ニ其ノ 選挙人名簿ノ対照ヲ経投票簿ニ捺印シ投 要領ヲ告示スヘシ 票スヘシ 確定名簿ニ登録セラレタル者ハ選挙ニ参 選挙人ハ選挙会場ニ於テ投票用紙ニ自ラ 与スルコトヲ得ス但シ選挙人名簿ニ登録 被選挙人一名ヲ記載シテ投函スヘシ セラルヘキ確定裁決書若ハ判決書ヲ所持 投票用紙ニハ選挙人ノ氏名ヲ記載スルコ シ選挙ノ当日選挙会場ニ到ル者ハ此ノ限 トヲ得ス ニ在ラス 自ラ被選挙人ノ氏名ヲ書スルコト能ハサ 確定名簿ニ登録セラレタル者選挙権ヲ有 ル者ハ投票ヲ為スコトヲ得ス セサルトキハ選挙ニ参与スルコトヲ得ス 投票用紙ハ郡長ノ定ムル所ニ依リ一定ノ 但シ名簿ハ之ヲ修正スル限ニ在ラス 式ヲ用ウヘシ 異議ノ決定若ハ訴願ノ裁決確定シ又ハ訴 第十六条 左ノ投票ハ之ヲ無効トス 訟ノ判決アリタルニ依リ名簿無効ト為リ 一 成規ノ用紙ヲ用ヰサルモノ タルトキハ更ニ名簿ヲ調製スヘシ其ノ名 二 一投票中二人以上ノ被選挙人ヲ記載 シタルモノ 簿調製ノ期日縦覧修正及確定ニ関スル期 限等ハ府県知事ノ許可ヲ得テ郡長之ヲ定 三 ノ ム 第十二条 被選挙人ノ何人タルヲ確認シ難キモ 選挙会ハ町村役場若ハ選挙ヲ管 四 被選挙権ナキ者ノ氏名ヲ記載シタル - 33 - 五 モノ ニ由テ当選セサリシ者ヲ以テ当選トス但 被選挙人ノ氏名ノ外他事ヲ記入シタ シ年少ニ由テ当選セサリシ者二人以上ア ルモノ但シ爵位職業身分住所又ハ敬 ルトキハ年長者ヲ取リ同年月トナルトキ 称ノ類ヲ二級シタルモノハ此ノ限ニ ハ選挙長抽籤シテ其ノ当選者ヲ定ム 在ラス 二人以上投票同数ニシテ抽籤ニ依テ当選 投票ノ拒否並効力ハ選挙立会人 シタル者ノ当選ヲ辞シタルトキハ抽籤ヲ 之ヲ議決ス可否同数ナルトキハ選挙長之 ノ為当選セサリシ者ヲ以テ当選トス但シ ニ決スヘシ 抽籤ノ為当選セサリシ者二人以上アルト 第十七条 第十八条 郡会議員ノ選挙ハ有効投票ノ最 多数ヲ得タル者ヲ以テ当選トス投票ノ数 キハ選挙長抽籤シテ其ノ当選者ヲ定ム 第二十二条 当選者其ノ当選ヲ承諾シタル 相同キトキハ年長者ヲ取リ同年月ナルト トキハ郡長ハ直ニ当選証書ヲ付与シ及其 キハ選挙長抽籤シテ之ヲ定ム ノ住所氏名ヲ告示スヘシ 第十九条 選挙長ハ選挙録ヲ製シテ選挙ノ 第二十三条 選挙人選挙若ハ当選ノ効力ニ 顛末ヲ記載シ選挙ヲ終リタル後之ヲ朗読 関シ異議アルトキハ選挙ノ日ヨリ十四日 シ選挙立会人二名以上ト共ニ之ニ署名シ 以内ニ之ヲ郡長ニ申立ツルコトヲ得 投票選挙人名簿其ノ他関係書類ト共ニ選 前項ノ異議ハ之ヲ郡参事会ノ決定ニ付ス 挙ノ効力確定スルニ至ルマテ之ヲ保存ス ヘシ ヘシ 二十条第一項ノ報告ヲ受ケタル日ヨリ二 第二十条 選挙ヲ終リタルトキハ選挙長ハ 十日以内ニ郡参事会ノ決定ニ付スコトヲ 直ニ当選者ニ当選ノ旨ヲ告知シ同時ニ選 得 挙録ノ写ヲ添ヘ当選者ノ住所氏名ヲ郡長 本条郡参事会ノ決定ニ不服アル者ハ府県 ニ報告スヘシ 参事会ニ訴願シ其ノ裁決ニ不服アル者ハ 当選者当選ノ告知ヲ受ケタルトキハ五日 行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得 以内ニ其ノ当選ヲ承諾スルヤ否ヲ郡長ニ 前項ノ決定及裁決ニ関シテハ府県知事郡 申立ツヘシ 長選挙ヲ管理スル町村長ヨリモ亦訴願及 一人ニシテ数選挙区ノ選挙ニ当リタルト 訴訟ヲ提起スルコトヲ得 キハ最終ニ当選ノ告知ヲ受ケタル日ヨリ 第二十四条 選挙ノ規定ニ違背スルコトア 五日以内ニ何レノ選挙ニ応スヘキカヲ郡 ルトキハ其ノ選挙ヲ無効トス但シ選挙ノ 長ニ申立ツヘシ 結果ニ異動ヲ生スルノ虞ナキモノハ此ノ 定期改選増員選挙補欠選挙等ヲ同時ニ行 限ニ在ラス ヒタル場合ニ於テ一人ニシテ其ノ数選挙 当選者ニシテ被選挙権ヲ有セサルトキハ ニ当リタルトキハ前項ノ例ニ依ル 其ノ当選ヲ無効トス 前三項ノ申立ヲ其ノ期限内ニ為ササルト 第二十五条 選挙若ハ当選無効ト確定シタ キハ当選ヲ辞シタルモノト看做ス ルトキハ更ニ選挙ヲ行フヘシ但シ得票数 第六条第七項ノ官吏ニシテ当選シタル者 ノ査定ニ錯誤アリタル為又ハ選挙ノ際被 ニ関シテハ本条ニ定ムル期限ヲ二十日以 選挙権ヲ有セサル為当選無効ト確定シタ 内トス ルトキハ第十八条及第二十条ノ例ニ依ル 第二十一条 郡会議員ノ当選ヲ辞シタル者 第二十六条 郡会議員ニシテ被選挙権ヲ有 アルトキハ更ニ選挙ヲ行フヘシ セサル者ハ其ノ職ヲ失フ其ノ被選挙権ニ 二人以上投票同数ニシテ年長ニ由テ当選 関スル異議ハ郡参事会之ヲ決定ス シタル者其ノ当選ヲ辞シタルトキハ年少 郡会ニ於テ其ノ議員中被選挙権ヲ有セサ - 34 - ル者アリト認ムルトキハ之ヲ郡長ニ通知 雄勝郡会議員配当表 スヘシ但シ議員ハ自己ノ資格ニ関スル会 町 村 人口 議員数 町 村 人口 議員数 議ニ於テ弁明スルコトヲ得ルモ其ノ議決 湯 沢 町 8,134 1 弁 天 村 1,954 1 幡 野 村 1,760 1 岩 崎 町 1,712 1 1 西 成 瀬 村 2,633 1 ニ加ハルコトヲ得ス 郡長ハ前項ノ通知ヲ受ケタルトキハ之ヲ 郡参事会ノ決定ニ付スヘシ郡長ニ於テ被 東 成 瀬 村 4,326 選挙権ヲ有セサル者アリト認ムルトキ亦 駒 形 村 2,999 1 川 連 村 2,980 1 三 梨 村 2,362 1 稲 庭 村 2,035 1 皆 瀬 村 2,987 1 三 関 村 2,303 1 須 川 村 2,727 1 秋 ノ 宮 村 2,330 1 同シ 本条郡参事会ノ決定ニ不服アル者ハ府県 参事会ニ訴願シ其ノ裁決ニ不服アル者ハ 2,596 小野村 行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得 1 組合 1,969 横堀村 前項ノ決定及裁決ニ関シテハ府県知事郡 院 内 町 8,968 1 山 村 4,126 1 得 三 輪 村 2,797 1 西馬音内町 3,461 1 前項ノ決定及裁決ニ関シテハ府県知事郡 元西馬音内村 1,830 1 新 成 村 1,735 1 村 2,258 1 75,113 24 田 長ヨリモ亦訴願及訴訟ヲ提起スルコトヲ 明 治 村 2,484 1 田 代 仙 道 村 1,647 1 計 長ヨリモ亦訴願及訴訟ヲ提起スルコトヲ 得 郡会議員ハ其ノ被選挙権ヲ有セストスル 決定若ハ裁決確定シ又ハ判決アルマテハ 会議ニ列席シ及発言スルノ権ヲ失ハス 第二十七条 郡会議員選挙事務取扱心得準則 秋田県訓令第七九号 郡役所 本款ニ規定スル異議ノ決定及 訴願ノ裁決ハ其ノ決定書若ハ裁決書ヲ交 郡会議員選挙事務取扱心得左ノ準則ニ依リ 付シタルトキ直ニ之ヲ告示スヘシ 相定ムヘシ 第二十八条 郡会議員ノ選挙ニ付テハ市町 明治卅二年七月廿四日 秋田県知事武田千代三郎 村会議員選挙ニ関スル罰則ヲ準用ス 第一条 7月1日の施行に向けて、まず第5条規定 郡制第十一条一項ノ選挙人名簿ハ 県会議員選挙人名簿ノ様式ニ依リ調製ス の 郡 会 議 員 配 当 法 に つ い て 県 は 6 月 23 日 に 9 ヘシ 郡 長 宛 に 諮 問 を 行 い 、 9 郡 長 か ら は 6 月 27 日 第二条 選挙ヲ管理スル町村長ハ郡制第十 ( 75 ) か ら 7 月 19 日 の 間 に 答 申 が な さ れ た 。 一条十項ノ選挙権ヲ有セサルモノアルト 例 と し て 雄 勝 郡 会 議 員 配 当 表 に よ れ ば 、 24 キハ別ニ簿冊ヲ調製シテ其氏名理由ヲ記 選 挙 区 中 、 組 合 が 1 区 で 、 人 口 3,130 名 に 議 載シ選挙ノ際之ヲ参照スヘシ但数町村ヲ 員1名の割当となっている。なお、小野村横 以テ一選挙区ト爲シタル場合選挙管理者 堀 村 組 合 は 明 治 33 年 7 月 20 日 に 分 離 し た た め ニアラサル町村長ニ於テ本条ノ事実ヲ認 議 員 定 数 は 25 名 と な っ た 。 知シタルトキハ其ノ都度直ニ選挙管理ス 郡会議員選挙の事務規定に関しては、7月 24 日 に 9 郡 長 宛 に 「 郡 会 議 員 選 挙 事 務 取 扱 心 ル町村長ニ告知スヘシ 第三条 郡制第十一条十一項ニ依リ名簿ノ (76 ) 得準則」が訓令として出された。9郡役所で 無効トナリタル場合ハ選挙ヲ管理スル町 はこれを基に「郡会議員選挙事務取扱心得」 村長ハ其理由ヲ具シテ郡長ニ即報スヘシ ( 77 ) を作成して各町村に配布した。 第四条 郡制第十二条ノ選挙会場ハ県会議 員選挙投票所ノ図式ニ準ジ舗設スヘシ - 35 - テ選挙立会人ト共ニ投票函ノ空虚ナルコ トヲ示シ之ヲ卓上ニ置クヘシ 投票記載ノ為メ設ケタル卓上ニハ呼入レ タル各選挙人遅滞ナク記載シ得ヘキ筆硯 墨ヲ備ヘ置クヘシ 第九条 選挙長ハ選挙人到着ノ順序ニ依リ 之ヲ呼出シ投票用紙ヲ交付シ選挙人投票 ノ記載終リタルトキハ郡制第十五条三項 ニ依リ選挙人名簿ニ対照シ投票簿ニ捺印 セシメタル上投票ヲ為サシムヘシ 投票簿ハ県会議員選挙投票簿ノ様式ニ依 ル 第十条 投票用紙交付ヲ受ケタル后毀壊書 損等ノ為再ヒ交付ヲ請求スルモノアルト キハ其ノ毀壊書損ノ用紙ヲ返納セシメ更 ニ交付ノ手続ヲ為スヘシ 第十一条 投票終ルノ時刻ニ到達シタルト キハ選挙長ハ其ノ由ヲ宣告シテ投票函ヲ 閉鎖シ次テ選挙立会人立会ノ上開票スヘ 大正8年雄勝郡三輪村投票場図 キ旨ヲ宣告シ投票函ヲ開キ投票ノ総数ト ( 秋田県公文書館所蔵『 庶務係事務簿 』) 投票人ノ総数トヲ計算シ若シ投票ト投票 人トノ総数ニ差違ヲ生シタルトキハ其ノ 第五条 選挙ヲ管理スル町村長ニ於テ郡制 由ヲ選挙録ニ記載スヘシ 第十三条ノ選挙立会人ヲ選任スルトキハ 前項ノ計算終リタルトキハ選挙長ハ選挙 正当ノ事故ニ依リ其職ヲ辞スルモノアル 立会人ト共ニ開披点検シ自ラ被選挙人ノ モ仍ホ選挙期日前更ニ選任スルコトヲ得 氏名ヲ朗読シ書記ヲシテ其ノ得点ヲ点数 ヘキ余日ヲ存シテ之ヲ通知スヘシ但臨時 簿ニ記入セシムヘシ 已ムヲ得サル事故ニ依リ其ノ職ヲ辞スル 書記ニ於テ被選挙人ノ得点ヲ記入スル毎 モノアルトキハ選挙当日選挙会場ニ参会 ニ他ノ一人ノ書記ヲシテ其ノ点数ヲ呼ハ シタル選挙人中ヨリ選任スヘシ シムヘシ 第六条 選挙ヲ管理スル町村長ハ其役場吏 員ヲシテ選挙会場ノ取締ヲナサシムヘシ 但時宜ニヨリ警察官ニ其取締ヲ請求スル コトヲ得 第七条 選挙長ハ投票ノ順序ヲ定ムルカ為 受付係ヲシテ到着番号札ヲ交付セシメ其 ノ氏名ヲ到着番号帖ニ記入セシムヘシ 点数簿ハ県会議員選挙点数簿様式ニ依ル 第十二条 前条ノ書記ハ選挙長ニ於テ其ノ 町村役場吏員ヨリ之ヲ選任スヘシ 第十三条 郡制第十九条ノ選挙録ハ別紙様 式ニ依リ調製シ若選挙人又ハ被選挙人ノ 請求アルトキハ之ヲ閲覧セシムヘシ 第十四条 選挙会場ノ標札ハ郡会議員何町 到着番号札及到着番号帖ハ選挙ヲ管理ス 村(何町何村組合)選挙会場ト記シ其ノ ル町村長適宜之ヲ定ムヘシ 門戸ニ之ヲ掲クヘシ 第八条 選挙会開始ノ時刻ニ至リタルトキ ハ選挙長ハ参会シタル選挙人ノ面前ニ於 第十五条 町村長ニ於テ選挙事務ニ関係セ シムヘキ吏員ヲ選任シタルトキハ之ヲ郡 - 36 - 長ニ報告スヘシ 制第三十九条但書ニ依リ臨時郡会ヲ招集 選挙ヲ管理スル町村長ハ投票用 シ郡会議長副議長名誉職参事会員補充員 紙受払簿ヲ製シテ其ノ受払ヲ記載シ置キ ノ選挙ヲ行ハシムヘシ招集告示ハ当選告 選挙ノ終リタル后十日以内ニ其ノ精算書 示ノ翌日ヲ以テ之ヲ発シ同時ニ之ヲ知事 ヲ調製シ毀壊損書并ニ残余ノ用紙ヲ添付 ニ報告スヘシ 第十六条 シ郡長ニ送致スヘシ 第九 郡制第八十一条ノ名誉職員ノ費用弁 償額ハ左ノ範囲ニ依リ其支給方法ヲ規定 さ ら に 、 翌 25 日 に は 9 郡 長 宛 に 「 改 正 郡 制 シ速ニ知事ノ許可ヲ受クヘシ (78 ) 名誉職員(選挙立会人ヲ除ク)実費弁償額 施行順序」が内訓として出され、これにより 郡 会 議 員 選 挙 は 10 月 10 日 に 実 施 さ れ る こ と が 汽車賃 汽船賃 馬車賃 決定した。 日 一 哩 一海里 一 四 銭 四 当 宿泊料 里 改正郡制施行順序 銭 十五銭 五拾銭以内 壱円以内 内訓第六号 改正郡制施行順序左ノ通リ相定ム 選挙立会人実費弁償額 右内訓ス 一日参拾銭以内 明治三十二年七月廿五日 秋田県知事武田千代三郎 (各郡長宛) 郡制施行順序 5-3 郡会議員選挙の実施 【表1】から郡会議員選挙に関する『事務 郡制第五条ノ郡会議員ノ定数及各選 簿冊』の保存状況を見てみると、上述のよう 挙区ニ於テ選挙スヘキ数ハ七月廿五日マ に 明 治 24 年 の 第 1 回 に つ い て は 内 務 部 第 一 課 テ之ヲ告示スヘシ 郡 市 町 村 係 『 郡 市 参 事 会 員 会 議 員 名 簿 』、 雄 第一 (79 ) (80 ) 第二 郡会議員選挙事務取扱心得ハ前項ノ 告示ト同時ニ之ヲ配布スヘシ 第三 勝郡役所『事務簿冊』が残されている。 それ以降を見て行くと、内務部第一課郡市 郡制第九条郡会議員ノ選挙ハ十月十 町 村 係( 後 に 内 務 部 庶 務 課 )作 成『 事 務 簿 冊 』 日ト定メ其告示ハ八月一日マテニ之ヲ発 と し て 『 郡 市 参 事 会 員 会 議 員 名 簿 』、『 郡 会 布スヘキモノトス 議 員 郡 参 事 会 員 名 簿 』、『 郡会 議 員 選 挙 書 類 』 (81 ) (82 ) 第四 (83 ) 郡制第十条但書数町村ヲ以テ一選挙 が 現 存 し て お り 、 明 治 32 年 の 第 4 回 か ら 大 正 区ト為シタル場合ニ於テ其ノ選挙管理ノ 4年の第8回までの当選議員の確認が可能で 町村長ヲ指定スルニハ前項ノ告示ヲ発布 あ る 【 明 治 32 年 秋 田 県 郡 会 議 員 当 選 者 】。 ま スルト同時ニ之ヲ為スヘキモノトス た 、 雄 勝 郡 役 所 『 事 務 簿 冊 』 は 明 治 40 年 の 第 (84 ) 第五 郡制第十一条ノ選挙人名簿調製ノ期 6回から大正8年の第9回までの4回分が現 日ハ八月十一日ト定メ其ノ縦覧ハ八月廿 存しており、投開票結果が明らかとなる【雄勝郡 一日ヨリ七日間トシ十月三日ヲ以テ確定 会議員選挙投票結果】【雄勝郡会議員選挙結果】 郡会議員選挙の結果を分析して行くと、 【各 トス 第六 投票用紙ノ様式ハ之ヲ告示スヘシ 府県の郡会議員選挙投票結果】からも分かる 第七 郡制第二十三条ニ依リ当選証書ヲ付 ように、選挙に対する関心の低さが明らかと 与シタルトキハ其ノ住所氏名ヲ知事ニ即 なる。谷口氏はこのことについて次の3点を 報スヘシ 指摘しておられる。 (85 ) 第八 当選告示ノ翌日ヨリ七日目ニ於テ郡 ①複選制と大地主制の廃止により府県会議 - 37 - 員の選挙結果を左右せず、選挙地主がいなく なったこと。 ②単記無記名投票の採用によって、郡会議 員よりも府県会議員に競争が集中したこと。 また、1町村1選挙区がほぼ実現したこと。 ③選挙の順序が府県会議員選挙、郡会議員 選挙の順に変わったこと。 秋 田 県 に お い て は 明 治 32 年 か ら 大 正 8 年 ま で 県 会 議 員 選 挙 が 9 月 25 日 、 郡 会 議 員 選 挙 が 10 月 10 日 に そ れ ぞ れ 実 施 さ れ た が 、 全 国 の 動 向と同じように政党・マスコミの関心は県会 議員選挙の方に集中的に注がれた。 そのことは選挙人の投票行動を左右し、雄 勝郡の事例からも分かるように、各町村によ って投票率に高低の差が見られ、選挙区に対 立候補者がいない場合、事実上の信任投票と なり必然的に低投票率となっていたことが明 らかになる。また、直前に実施された県会議 員 選 挙 よ り も 投 票 率 は 5 % か ら 10 % 程 度 低 く なっている【秋田県会議員選挙雄勝郡投票結 果 】。 『 各 県 統 計 書 』( 国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー )で 投 票 結 果 を 確 認 す る と 、 (秋田県公文書館所蔵『事務簿 』) 近県では秋田県とほぼ同じような結果が見ら れ る 【 秋 田 県 会 議 員 選 挙 ・郡 会 議 員 選 挙 の 郡 別 投 票 結 果 】【 岩 手 県 会 議 員 選 挙 ・ 郡 会 議 員 選 挙 の 郡 別 投 票 結 果 】【 山 形 県 会 議 員 選 挙 ・ 郡 会 議 員 選 挙 の 郡 別 投 票 結 果 】。 但 し 、 宮 城 県のように県会議員選挙より郡会議員選挙の 投票率が上回った事例【宮城県会議員選挙・ 郡 会 議 員 選 挙 の 郡 別 投 票 結 果 】、 埼 玉 県 の よ うに投票率の差が顕著な事例【埼玉県会議員 選 挙 ・ 郡 会 議 員 選 挙 の 郡 別 投 票 結 果 】、 三 重 県や高知県のように郡会議員選挙の方が県会 議員選挙よりも先に実施されたにも関わらず 投票率の差が顕著な事例【三重県会議員選挙 ・ 郡 会 議 員 選 挙 の 郡 別 投 票 結 果 】【 高 知 県 会 議 員 選 挙 ・ 郡 会 議 員 選 挙 の 郡 別 投 票 結 果 】、 福岡県のように県会議員選挙と郡会議員選挙 の投票率がほぼ同じ事例もある【福岡県会議 員 選 挙 ・ 郡 会 議 員 選 挙 の 郡 別 投 票 結 果 】。 また、富山県下新川郡の投票結果からは雄 (秋田県公文書館所蔵『庶務係事務簿 』) 勝郡と同じような結果が見られ、選挙人の投 - 38 - 明治 32年秋田県郡会議員選挙当選者 議 副 参 ○=議長、○=副議長、○=参事会員 ◆鹿角郡(定数 15人) 町 村 名 花 花 町 町 員 町 村 名 議 員 町 村 名 議 員 内 工 田 藤 平三郎 小 坂 村 彦 助 尾 去 沢 村 戸 髙 川 橋 省次郎 宮 正 吾 曙 川 村 阿 部 副 村 ○ 佐々 佐々 木 重 吉 直太郎 参大 毛 馬 内 町 ○ 議 参山 毛 馬 内 町 ○○ 里 本 己代治 尾 去 沢 村 奈 参諏 湯 村 ○ 幸 藏 大 良 訪 庄兵衞 柴 己代治 錦 平 木 村 村 倍 田 賞 口 善太郎 傳三郎 参本 村 ○ 田 重 参千 村 ○ 葉 佐惣治 七 滝 村 安 保 忠太郎 小 輪 輪 議 坂 治 大 湯 ◆北秋田郡(定数30人) 町 村 名 大 館 大 鷹 館 巣 議 町 武 町 畠 参河 村 ○ 員 石 山 田 議長 扇 田 町 ○ 岐 十 二 所 町 谷田部 米 内 沢 村 秋 本 阿 仁 合 村 宮 越 町 村 名 誠一郎 七 小文治 綴 嘉兵衞 早 議 座 村 子 口 村 村 員 大 三 小 川 澤 林 貞 治 山 瀬 村 岩 参岸 佐兵衞 下 川 沿 村 ○ 澤 冨 藏 上 川 沿 村 糸 谷 副 越前谷 惣兵衞 釈 迦 内 村 ○ 参 山 田 理左衞門 阿 仁 合 村 ○ 花岡村 組合 鳥 潟 平 治 矢立村 栄 村 組合 長谷川 千 藏 坊沢村 長 木 大葛村 村 浪 岡 組合 羽 澤 村 渡 一 邊 關 東館村 西 館 二 井 田 村 町 村 名 議 忠 治 真 中 村 富 口 村 中 彦 治 沢 参明 禮之助 七 日 市 村 ○ 庄兵衞 上 大 野 村 工 規範治 下大野村 組合 藤 貞 正 落合村 玉 吉 下小阿仁村 松 参田 巳之松 上 小 阿 仁 村 ○ 前 田 村 庄 誠之進 荒 瀬 村 湊 宇一郎 宗 員 樫 島 石 庄 忠 德 治 藏 松 藤 傳 治 田 八 内 橋 中 司 東十郎 吉五郎 兵 吉 勇 吉 吉 ◆山本郡(定数 23人) 町 村 名 議 員 参 嶋 田 治右衞門 浅 能 代 港 町 ○ 参三 能 代 港 町 ○ 浦 權兵衞 浜 参 桧 山 町 ○ 佐良土 献 治 鵜 鹿 渡 村 鹿 渡 村 榊 村 原 牧 田 田 野 村 武 田 二ツ井村 荷上場村 組合 響 村 佐々 木 粕毛村 町 村 名 議 内 村 口 川 村 村 齋 三 三 員 藤 浦 浦 町 村 名 常太郎 藤 隆 藏 種 駒 藏 常 粲 上岩川村 組合 工 藤 運 治 健 藏 下岩川村 副 参山 岳 村 ○○ 本 庄 司 文之助 森 金 岡 村 櫻 庭 喜三郎 種五郎 鶴形村 富根村 組合 小 林 七右衞門 安太郎 扇淵村 議 琴 議 参市 村 ○○ 梅 磐 村 村 東 雲 村 塙 川 村 沢 目 八森村 村 員 川 謹一郎 武 田 吉右衞門 須 合 泰 藏 見 大 大 鈴 上 和 森 木 淸 乙 政 常 治 吉 吉 吉 田 沼 勇之助 組合 岩館村 - 39 - ◆南秋田郡(定数 30人) 町 村 名 議 員 土 崎 港 町 近江谷 榮 参三 次 下 新 城 村 ○ 井 甚 吉 面 潟 村 土 崎 港 町 野 銀 平 上 新 城 村 藤 源治郎 天 王 五 城 目 町 船 越 口 渡 邊 町 村 名 德太郎 金 足 議 町 村 名 淸 藏 脇 本 村 佐 藤 政 井 順 司 戸 賀 村 佐 藤 和三郎 北 磯 参本 村 ○ 山 謙 三 浦 確 爾 南 磯 村 佐 藤 久之助 新三郎 吉 上 井 河 村 寺内村 組合 川尻村 藤 暦之助 治 広 山 田 村 旭 大川村 須 藤 銀 組合 保 坂 今五郎 富津内村 内川村 外旭川村 飯島村 治 治 藤 久三郎 男 鹿 中 村 三 浦 重 村 三 浦 嘉兵衞 五 里 合 村 薄 田 太三郎 淵 幾 小 玉 忠太郎 潟 大 組合 参大 組合 ○ 石 喜代治 川 村 元 仁右衞門 佐 馬場目村 平 藏 田 岡 伊 七 石 館 組合 原 村 龜 一日市村 藤 戸 貞五郎 下 井 河 村 富 村 龜太郎 払 木 地 四兵衞 浦 村 議菊 飯 田 川 村 ○ 藤 副勝 ○ 澤 豊川村 佐 村 西 組合 員 参木 ○ 村 大久保村 議 参三 ○ 船 川 港 町 太 佐 員 西 村 吉 松 治 馬川村 ◆河辺郡(定数15人) 町 村 名 議 員 町 村 名 議 牛 島 参靑 町 ○ 池 豐 治 豊 新 屋 町 口 長 吉 仁 井 田 村 和 田 川 参池 村 ○ 岩 伊 員 町 村 名 田 友 藤 文五郎 船 議 治 戸 米 川 村 伊 藤 賢 藏 副武 村 ○ 田 慶 吉 圓治郎 岩 見 三 内 村 議岡 ○ 部 正 藏 田 永 助 藤 善 一 岡 村 参 佐々 木 ○ 田 直 江 川 添 村 齋 藤 友 治 下 北 手 村 参須 ○ 井 玄 端 種 平 村 伊 藤 金五郎 上 北 手 村 後 豊 島 村 参森 ○ 浜 田 村 深 健 治 四ツ小屋村 榎 員 ◆由利郡(定数30人) 町 村 名 議 員 小助川 光 包 上 郷 村 篠 原 春 治 東 滝 沢 村 佐々 佐 々木 常 三 笹 子 村 小 番 幸 男 小 工藤善右衞門 組合 相 庭 九太郎 本 荘 町 本 荘 町 渡 参木 ○ 邊 町 村 名 矢 島 町 村 良 讓 院内村 矢 島 議佐 町 ○ 藤 三 次 小出村 象 潟 副渡 町 ○ 邊 文八郎 川内村 議 組合 村 員 上 隆 町 村 名 友 議 村 員 新吉郎 南 内 越 村 髙 野 與次郎 北 内 越 村 伊 藤 久一郎 参大 谷 村 ○ 次 岩 下川大内村 遠 瀧 豐三郎 藤 辰四郎 亀 田 参鈴 町 ○ 木 順 吉 直根村 平 沢 村 遠 田 勇 記 玉 米 参小 村 ○ 松 亮太郎 上 川 大 内 村 佐々 佐 々木 儀三郎 金 浦 村 佐々 木 久 作 下 郷 村 小 松 松三郎 大 正 寺 村 工 藤 重次郎 子 吉 参今 村 ○ 眞佐男 石 沢 村 佐 藤 甚四郎 松 ケ 崎 村 佐 藤 房 吉 西 目 村 組合 木 村 未三郎 道 下 上 浜 村 野 佐々 木 須 藤 勇太郎 西滝沢村 佐 一 鮎川村 川 村 今 野 龜 吉 浜 村 三 浦 久 次 - 40 - ◆仙北郡(定数30人) 町 村 名 大 大 六 六 曲 曲 郷 郷 神宮寺村 北楢岡村 議 員 町 村 名 町 榊 田 淸兵衞 参齋 町 ○ 藤 勘 七 参小 西 理兵衞 町 ○ 町 竹 村 治左衞門 組合 小 西 平 荒 荒 川 川 大沢郷村 南楢岡村 治 内小友村 外小友村 議 村 村 根 淸 信 土川村 佐々 木 平 吉 参 宮 田 治右衞門 角 館 町 ○ 金 沢 町 伊 藤 慶 助 長野村 組合 草 彅 常 吉 清水村 花館村 組合 竹 内 常 助 大川西根村 四ツ屋村 桧木内村 西明寺村 刈和野村 組合 強首村 淀川村 参齋 組合 ○ 藤 正 藤木村 畑屋村 髙梨村 横堀村 組合 栗 組合 後 須 組合 千 組合 幸 神代村 梁 藤 中川村 雲沢村 白岩村 豊川村 松 豊岡村 議 員 組合 畠 山 組合 加 藤 進 鈴 木 長信田村 吉之助 横沢村 組合 倉 田 議坂 千 屋 村 ○ 本 林 泰 助 飯詰村 組合 田 中 藤 三左衞門 金沢西根村 田 市兵衞 ※ 葉 惣一郎 刈和野村 髙 根 峰吉川村 組合 佐 々木 田 市五郎 土川村 川 豐 城 實 業 亦五郎 理一郎 小 組合 生保内村 田沢村 町 村 名 茂 木 德 治 進 藤 繁 吉 伊 藤 恭之助 組合 副 ○小山田治右衞門 伊 参髙 ○ 員 松 市 藤 政 吉 豐 治 淸 信 平 吉 ※峰吉川村が刈和野村より分村(明治33年8月8日告示第 250号)したため選挙区消滅し(同年9月 26日失職 )、新選挙区で同年 12月 14日当選。 ◆平鹿郡(定数25人) 町 村 名 横 手 町 増 田 町 浅 舞 町 沼 館 村 大 森 村 角 間 川 村 十 文 字 村 山 内 村 栄 村 議 員 参片 ○ 野 茂 副千 ○ 田 彦五郎 湊 谷 傳之助 参鹽 ○ 田 團 平 土 田 彦 七 本 鄕 吉右衞門 佐 藤 健 治 参柿 ○ 崎 武 助 齋 藤 三 藏 町 村 名 醍 醐 三 重 植 田 睦 合 吉 田 福 地 里 見 八 沢 木 議 員 参石 村 ○ 川 辰之助 村 守 屋 忠四郎 村 菅 原 萬 助 村 土 屋 宇左衞門 村 髙 橋 宇三郎 村 近 江 福 造 参髙 村 ○ 橋 慶 藏 村 後藤重郎右衞門 町 村 名 館 合 阿 気 田 根 森 旭 境 町 黒 川 川 西 朝 倉 議 員 村 小 柳 正 治 村 小 松 重 隆 村 戸 田 與惣兵衞 村 鈴 木 長 助 議長 村 ○ 沼 光 諒 村 佐 藤 平 藏 村 髙 安 良 吉 村 掛 札 久右衞門 ◆雄勝郡(定数24人→ 25人) 町 村 名 議 員 参藤 湯 沢 町 ○ 木 安太郎 岩 崎 町 利兵衞 菅 稲 庭 村 佐 藤 平右衞門 横堀村 組合 寺 澤 仲 小野村 参兒 院 内 町 ○ 玉 幌 貫 西馬音内町 柴 田 虎之助 川 連 村 髙 橋 利兵衞 弁 天 村 中 村 隣 德 幡 野 村 佐 藤 長 藏 町 村 名 議 員 東 成 瀬 村 平 良 直 松 西 成 瀬 村 藤 原 專 松 参茂 駒 形 村 ○ 木 豐 治 三 梨 村 東海林 武 治 皆 瀬 村 佐 藤 市五郎 三 関 村 佐 藤 永太郎 須 川 村 遠 田 市左衞門 秋 ノ 宮 村 菅 誠 篤 参髙 山 田 村 ○ 山 多美也 三 輪 村 佐々 佐 々木 彦 藏 町 村 名 議 員 元西馬音内村 原 田 議 参後 新 成 村 ○○ 藤 明 治 村 石 垣 副 長谷山 田 代 村 ○ 仙 道 村 藤 原 良 吉 兵太郎 淸太郎 莊 助 五兵衞 ※ 横 小 忠兵衞 仲 堀 野 村 村 金 寺 澤 澤 ※明治 33年7月20日組合分離により、明治34年1月10日当選。 秋田県公文書館所蔵『郡市参事会員会議員名簿』(930103-01267)。 - 41 - 明 治 32 年 雄 勝 郡 会 議 員 選 挙 当 選 者 ◆ 明 治 32 年 (1899)10 月 10 日 ( 火 )《 定 数 24 名 、 平 均 年 齢 45.29 歳 》 選 挙 区 議 員 住 所 身分 職業 生 年 月 日 年齢 湯 沢 町 藤 木 安太郎 湯 沢 町 平 民 商 業 嘉 永 3 年 (1850)10 月 24 日 48 弁 天 村 中 村 隣 德 弁 天 村 士 族 農 業 安 政 6 年 (1859) 2 月 13 日 40 幡 野 村 佐 藤 長 藏 幡 野 村 平 民 農 業 安 政 3 年 (1856) 6 月 15 日 43 岩 崎 町 菅 利兵衞 岩 崎 町 平 民 農 業 嘉 永 元 年 (1848) 9 月 51 東 成 瀬 村 平 良 直 松 東 成 瀬 村 平 民 農 業 天 保 9 年 (1838) 6 月 13 日 61 西 成 瀬 村 藤 原 專 松 西 成 瀬 村 平 民 農 業 弘 化 4 年 (1847) 9 月 15 日 52 駒 形 村 茂 木 豐 治 駒 形 村 平 民 農 業 万 延 元 年 (1860) 3 月 29 日 39 川 連 村 髙 橋 利兵衞 川 連 村 平 民 農 業 天 保 9 年 (1838) 7 月 19 日 61 三 梨 村 東海林 武 治 三 梨 村 平 民 農 業 元 治 元 年 (1864) 2 月 2 日 35 稲 庭 村 佐 藤 平右衞門 稲 庭 村 平 民 農 業 文 久 3 年 (1863) 1 月 22 日 36 皆 瀬 村 佐 藤 市五郎 皆 瀬 村 平 民 農 業 天 保 11 年 (1840) 4 月 三 関 村 佐 藤 永太郎 三 関 村 平 民 農 業 天 保 14 年 (1843)12 月 25 日 55 須 川 村 遠 田 市左衞門 須 川 村 平 民 農 業 天 保 10 年 (1839) 6 月 野 村 平 民 農 業 安 政 3 年 (1856) 3 月 17 日 43 小野村 組合 寺 澤 仲 小 59 60 横堀村 秋 ノ 宮 村 菅 誠 篤 秋 ノ 宮 村 平 民 農 業 安 政 2 年 (1855)12 月 25 日 43 院 内 町 兒 玉 幌 貫 院 内 町 士 族 商 業 安 政 6 年 (1859) 7 月 16 日 40 山 田 村 髙 山 多美也 山 田 村 平 民 農 業 文 久 3 年 (1863) 5 月 19 日 36 三 輪 村 佐々木 彦 輪 村 平 民 農 業 安 政 元 年 (1854)12 月 15 日 44 藏 三 西 馬 音 内 町 柴 田 虎 之 助 西 馬 音 内 村 平 民 農 業 嘉 永 3 年 (1850) 4 月 29 日 49 元西馬音内村 原 田 良 新 成 村 後 藤 兵太郎 新 成 村 平 民 農 業 万 延 元 年 (1860)12 月 13 日 38 明 治 村 石 垣 淸太郎 明 治 村 平 民 農 業 安 政 2 年 (1855) 3 月 5 日 44 田 代 村 長谷山 莊 助 田 代 村 平 民 農 業 安 政 3 年 (1856)12 月 12 日 43 仙 道 村 藤 五兵衞 仙 道 村 平 民 農 業 慶 応 2 年 (1866) 7 月 原 吉 元西馬音内村 平 民 農 業 慶 応 元 年 (1865) 2 月 21 日 34 33 ※ 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 市 参 事 会 員 会 議 員 名 簿 』( 930103-01267 )。 - 42 - 明 治 36 年 雄 勝 郡 会 議 員 選 挙 当 選 者 ◆ 明 治 36 年 (1903)10 月 10 日 ( 土 )《 定 数 26 名 、 平 均 年 齢 47.00 歳 》 選 挙 区 議 員 住 所 身分 職業 生 年 月 日 年齢 湯 沢 町 髙 善四郎 湯 沢 町 平 民 農 業 文 久 2 年 (1862) 2 月 28 日 41 湯 沢 町 奥 山 六右衞門 湯 沢 町 平 民 商 業 元 治 元 年 (1864) 9 月 12 日 39 弁 天 村 中 村 隣 德 弁 天 村 士 族 農 業 安 政 6 年 (1859) 2 月 13 日 44 幡 野 村 佐 藤 長 藏 幡 野 村 平 民 農 業 安 政 3 年 (1856) 6 月 15 日 47 岩 崎 町 髙 橋 七之助 岩 崎 町 平 民 商 業 明 治 5 年 (1872) 9 月 12 日 31 東 成 瀬 村 平 良 直 松 東 成 瀬 村 平 民 農 業 天 保 9 年 (1838) 6 月 13 日 65 西 成 瀬 村 藤 原 專 松 西 成 瀬 村 平 民 農 業 弘 化 4 年 (1847) 9 月 15 日 56 駒 形 村 沓 澤 彌太郎 駒 形 村 平 民 農 業 文 久 元 年 (1861)12 月 15 日 42 川 連 村 阿 部 儀市郎 川 連 村 平 民 農 業 天 保 9 年 (1838) 5 月 8 日 65 三 梨 村 東海林 武 治 三 梨 村 平 民 農 業 元 治 元 年 (1864) 2 月 2 日 39 稲 庭 村 茂 木 豐 治 駒 形 村 平 民 農 業 万 延 元 年 (1860) 3 月 29 日 43 皆 瀬 村 阿 部 茂三郎 皆 瀬 村 平 民 農 業 嘉 永 5 年 (1852)10 月 17 日 50 三 関 村 佐 藤 永太郎 三 関 村 平 民 農 業 天 保 14 年 (1843)12 月 25 日 59 須 川 村 小 島 龜 治 須 川 村 平 民 農 業 安 政 5 年 (1858) 9 月 30 日 45 小 野 村 篠 田 爲 助 小 野 村 士 族 農 業 嘉 永 3 年 (1850) 5 月 14 日 53 横 堀 村 金 澤 忠兵衞 横 堀 村 平 民 農 業 文 久 元 年 (1861)12 月 13 日 41 橋 秋 ノ 宮 村 菅 誠 篤 秋 ノ 宮 村 平 民 農 業 安 政 2 年 (1855)12 月 25 日 47 院 内 町 大 門 周 太 院 内 町 平 民 商 業 安 政 4 年 (1857) 8 月 5 日 46 山 田 村 髙 山 多美也 山 田 村 平 民 農 業 文 久 3 年 (1863) 5 月 19 日 40 三 輪 村 佐々木 茂 輪 村 平 民 農 業 安 政 元 年 (1854)12 月 15 日 48 綱 三 西 馬 音 内 町 柴 田 虎 之 助 西 馬 音 内 村 平 民 農 業 嘉 永 3 年 (1850) 4 月 29 日 53 元西馬音内村 原 田 良 新 成 村 後 藤 兵太郎 新 成 村 平 民 農 業 万 延 元 年 (1860)12 月 13 日 42 明 治 村 武 石 忠一郎 山 田 村 平 民 農 業 安 政 5 年 (1858)11 月 15 日 44 田 代 村 藤 野 貞 助 三 輪 村 平 民 農 業 安 政 6 年 (1859)12 月 7 日 43 仙 道 村 藤 原 宇之吉 仙 道 村 平 民 農 業 天 保 13 年 (1842) 1 月 14 日 61 吉 元西馬音内村 平 民 農 業 慶 応 元 年 (1865) 2 月 21 日 38 ※ 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 会 議 員 郡 参 事 会 員 名 簿 』( 930103-01291 )。 - 43 - 秋田県会議員選挙雄勝郡投票結果 明治 40年(1907) 町 明治 44年(1911) 大正4年(1915) 大正8年(1919) 村 有権者数 投票者数 投票率 有権者数 投票者数 投票率 有権者数 投票者数 投票率 有権者数 投票者数 投票率 湯 沢 町 238 160 67.23 218 157 72.02 239 221 92.47 264 187 70.83 弁 天 村 89 54 60.67 71 51 71.83 76 73 96.05 74 54 72.97 幡 野 村 88 65 73.86 88 66 75.00 86 80 93.02 96 88 91.67 岩 崎 町 75 47 62.67 70 35 50.00 68 64 94.12 64 56 87.50 東 成 瀬 村 154 64 41.56 137 85 62.04 138 108 78.26 138 117 84.78 西 成 瀬 村 134 77 57.46 108 75 69.44 98 80 81.63 96 84 87.50 駒 形 村 185 161 87.03 163 139 85.28 170 157 92.35 160 146 91.25 川 連 村 110 83 75.45 100 74 74.00 87 83 95.40 79 70 88.61 三 梨 村 128 57 44.53 124 77 62.10 127 113 88.98 136 115 84.56 稲 庭 町 93 47 50.54 79 57 72.15 81 74 91.36 88 82 93.18 皆 瀬 村 165 53 32.12 132 45 34.09 132 109 85.58 124 89 71.77 三 関 村 192 87 45.31 159 88 55.35 144 131 90.97 147 118 80.27 須 川 村 149 33 22.15 131 79 60.31 132 119 90.15 129 83 64.34 小 野 村 139 26 18.71 123 45 36.59 116 107 92.24 140 104 74.29 横 堀 町 40 27 67.50 43 25 58.14 43 35 81.40 41 31 75.61 秋 ノ 宮 村 100 34 34.00 74 31 41.89 73 72 98.63 77 60 77.92 院 内 町 138 43 31.16 109 12 11.01 97 77 79.38 100 80 80.00 山 田 村 266 50 18.80 237 163 68.78 246 228 92.68 245 125 51.02 三 輪 村 142 72 50.70 144 128 88.89 159 157 98.74 145 125 86.21 西馬音内村 129 90 69.77 130 93 71.54 141 126 89.36 172 142 82.56 元西馬音内村 97 63 64.95 84 62 73.81 80 72 90.00 83 72 86.75 新 成 村 78 50 64.10 77 57 74.03 78 68 87.18 94 81 86.17 明 治 村 115 88 76.52 111 55 49.55 103 95 92.23 118 99 83.90 田 代 村 170 99 58.24 147 68 46.26 134 106 79.10 136 86 63.24 仙 道 村 116 44 37.93 103 61 59.22 91 83 91.21 78 58 74.36 郡 計 3,330 1,674 50.27 2,962 1,828 61.72 2,939 2,638 89.76 3,024 2,352 77.78 無効 49 2.93 無効 35 1.91 無効 23 0.87 無効 30 1.28 ※秋田県公文書館所蔵『県会議員選挙事務簿』(930103-10079)、『県会議員選挙書類』(930103-02348、 930103-01851)、『庶務係事務簿 』(930103-01852)。 - 44 - 雄勝郡会議員選挙投票結果 明治40年(1907) 町 村 明治44年(1911) 大正4年(1915) 大正8年(1919) 定数 有権者数 投票者数 投票率 有権者数 投票者数 投票率 有権者数 投票者数 投票率 有権者数 投票者数 投票率 湯 沢 町 2 237 44 18.57 229 79 34.50 277 231 83.39 290 192 66.21 弁 天 村 1 85 51 60.00 78 45 57.69 83 41 49.40 77 45 58.44 幡 野 村 1 89 83 93.26 94 83 80.30 93 78 83.87 99 68 68.69 岩 崎 町 1 76 23 30.26 73 22 30.14 69 47 68.12 68 55 80.88 東 成 瀬 村 1 149 42 28.19 144 29 20.14 147 93 63.27 141 95 67.38 西 成 瀬 村 1 124 41 33.06 116 32 27.59 110 60 54.55 107 67 62.62 駒 形 村 1 178 103 57.87 176 101 57.39 172 158 91.86 169 141 83.43 川 連 村 1 108 98 90.74 99 88 88.89 90 85 94.44 83 59 71.08 三 梨 村 1 119 17 14.29 124 64 51.61 138 116 84.06 139 83 59.71 稲 庭 町 1 88 37 42.05 61 53 86.89 83 61 73.49 88 63 71.59 皆 瀬 村 1 138 46 33.33 143 47 32.87 145 114 78.62 144 113 78.47 三 関 村 1 182 154 84.62 167 72 43.11 153 117 76.47 161 82 50.93 須 川 村 1 141 71 50.35 144 112 77.78 139 103 74.10 136 117 86.03 小 野 村 1 126 18 14.29 126 82 65.08 125 95 76.00 148 90 60.81 横 堀 町 1 47 35 74.47 43 25 58.14 45 30 66.67 46 39 84.78 秋 ノ 宮 村 1 95 63 66.32 83 76 91.57 77 73 94.81 89 83 93.26 院 内 町 1 137 79 57.66 113 95 84.07 103 78 75.73 106 69 65.09 山 田 村 1 250 70 28.00 245 214 87.35 255 220 86.27 258 248 96.12 三 輪 村 1 147 73 49.66 134 110 82.09 160 158 98.75 153 91 59.48 西馬音内村 1 137 21 15.33 139 53 38.13 173 66 38.15 172 86 50.00 元西馬音内村 1 87 53 60.92 87 48 55.17 83 64 77.11 83 51 61.45 新 成 村 1 77 47 61.04 80 66 82.50 84 60 71.43 100 88 88.00 明 治 村 1 106 38 35.85 113 48 42.48 110 97 88.18 120 62 51.67 田 代 村 1 162 55 33.95 153 58 37.91 143 62 43.36 145 69 47.59 仙 道 村 1 107 83 77.57 104 57 54.81 91 82 90.11 82 52 63.41 郡 計 26 3,192 1,445 45.27 3,068 1,746 56.91 3,148 2,389 75.89 3,204 2,208 68.91 無効 18 1.25 無効 21 1.20 無効 24 1.00 無効 27 1.22 ※秋田県公文書館所蔵『郡会議員選挙書類』(930103-01847、930103-01841、930103-01848)、『庶務係 事務簿』(930103-01864)。 - 45 - 明 治 40 年 雄 勝 郡 会 議 員 選 挙 投 開 票 結 果 ◆ 明 治 40 年 ( 1 90 7 ) 10 月 1 0 日 ( 木 ): 投 票 率 45 . 27 % 町 湯 村 沢 弁 有 権者 数 町 天 村 237 85 投 票者 数 投票率 開 票 結 44 18.57 ◎ 今 泉 秀 理 23 髙 吉 2 ◎舟 田 準之助 18 奥 山 六右衞門 1 51 60.00 ◎ 中 村 隣 德 49 新 山 忠次郎 1 伊 藤 安 定 1 沼 田 兵 幡 野 村 89 83 93.26 ◎ 小 野 崎 正 治 49 岩 崎 町 76 23 30.26 ◎ 髙 七之助 23 村 149 42 28.19 ◎ 笹 永 輔 33 東 西 駒 川 成 瀬 成 瀬 形 連 直 松 6 若 峯 重 藏 1 34 佐々木文右衞門 1 佐々木 宗兵衞 1 藤 專 松 1 効 1 儀一郎 1 谷 永 民 40 村 178 103 57.87 ◎ 沓 沢 彌太郎 100 茂 木 豐 治 2 98 90.74 ◎ 西 成 喜代松 53 髙 橋 久 三 44 17 14.29 ◎ 東 海 林 武 治 16 麻 生 久右衞門 1 37 42.05 ◎ 佐 藤 平 右 衞 門 32 髙 吉 1 効 3 市之亟 1 効 1 治 1 効 5 村 108 119 稲 庭 町 88 関 良 衞 41 33.06 ◎ 岩 村 三 平 多 124 梨 瀬 橋 久 村 三 皆 果 村 村 138 182 茂 木 豐 治 1 46 33.33 ◎ 髙 橋 仁三郎 42 佐 藤 市五郎 1 河 戸 茂三郎 1 154 84.62 ◎ 加 藤 禎一郎 89 奥 山 善右衞門 59 原 無 阿 部 橋 英 無 後 藤 無 藤 川 時 無 - 46 - 須 川 村 141 71 50.35 ◎ 大 場 市太郎 53 遠 田 市右衞門 2 髙 橋 淸 藏 11 無 効 1 藤 坂 敬 治 4 小 野 村 126 18 14.29 ◎ 髙 橋 周 慥 11 篠 田 爲 助 7 横 堀 町 47 35 74.47 ◎ 押 切 永之助 18 山 本 長 藏 1 金 澤 忠兵衞 15 効 1 誠 篤 38 英 1 才 治 20 効 1 由 利 又右衞門 3 太 1 効 1 秋 ノ 宮 村 95 63 66.32 ◎ 菅 栗 田 無 菅 無 院 内 町 137 79 57.66 ◎ 兒 玉 幌 貫 78 山 田 村 250 70 28.00 ◎ 髙 山 多美也 69 三 輪 村 147 73 49.66 ◎ 藤 野 貞 助 64 松 井 政 治 1 大 野 宗 章 3 大 野 章 助 1 佐々木 茂 綱 2 効 2 西 馬 音 内 町 元西馬音内村 137 87 21 15.33 ◎ 柴 田 虎之助 19 矢 野 誠之助 1 53 60.92 ◎ 原 田 良 吉 50 齋 藤 德 藏 1 新 成 村 77 47 61.04 ◎ 米 山 安太郎 47 明 治 村 106 38 35.85 ◎ 石 垣 淸太郎 36 照 井 久左衞門 1 大 内 周 無 無 飯 塚 忠 助 1 土 田 富 藏 1 効 1 無 鈴 木 德 藏 1 田 代 村 162 55 33.95 ◎ 髙 橋 重 英 54 阿 部 岩 吉 1 仙 道 村 107 83 77.57 ◎ 土 田 甚五郎 33 鈴 木 松之助 1 藤 原 宇之吉 30 効 1 佐 藤 甚四郎 18 郡 計 3,192 無 1,445 45.27 無 効 投 票 数 18 ( 無 効 投 票 率 1.25 ) ※ 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 会 議 員 選 挙 書 類 』( 9 3 0 1 0 3 - 0 1 8 4 7 )。 - 47 - 明 治 40 年 雄 勝 郡 会 議 員 選 挙 当 選 者 ◆ 明 治 40 年 (1907)10 月 10 日 ( 木 ): 投 票 率 45.27 % 《 定 数 26 名 、 平 均 年 齢 44.42 歳 》 選 挙 区 議 員 住 所 身分 職業 生 年 月 日 年齢 湯 沢 町 今 泉 秀 理 湯 沢 町 士 族 農 業 明 治 4 年 (1871) 1 月 20 日 36 湯 沢 町 舟 田 準之助 湯 沢 町 士 族 農 業 明 治 4 年 (1871)12 月 25 日 35 弁 天 村 中 村 隣 德 弁 天 村 士 族 無 職 安 政 6 年 (1859) 2 月 13 日 48 幡 野 村 小野崎 正 治 幡 野 村 平 民 農 業 安 政 4 年 (1857)11 月 23 日 49 岩 崎 町 髙 七之助 岩 崎 町 平 民 商 業 明 治 5 年 (1872) 9 月 12 日 35 橋 東 成 瀬 村 笹 永 輔 西 成 瀬 村 平 民 農 業 明 治 7 年 (1874) 6 月 11 日 33 民 西 成 瀬 村 平 民 農 業 嘉 永 5 年 (1852) 7 月 8 日 55 西 成 瀬 村 岩 谷 永 駒 形 村 沓 澤 彌太郎 駒 形 村 平 民 農 業 文 久 元 年 (1861)12 月 15 日 45 川 連 村 西 成 喜代松 川 連 村 平 民 農 業 慶 応 元 年 (1865) 2 月 9 日 42 三 梨 村 東海林 武 治 三 梨 村 平 民 農 業 元 治 元 年 (1864) 2 月 2 日 43 稲 庭 町 佐 藤 平右衞門 稲 庭 町 平 民 農 業 文 久 3 年 (1863) 1 月 22 日 44 皆 瀬 村 髙 橋 仁三郎 皆 瀬 村 平 民 農 業 慶 応 3 年 (1867) 7 月 25 日 40 三 関 村 加 藤 禎一郎 三 関 村 平 民 農 業 明 治 9 年 (1876)12 月 7 日 30 須 川 村 大 場 市太郎 須 川 村 平 民 農 業 安 政 4 年 (1857) 5 月 17 日 50 小 野 村 髙 橋 周 慥 小 野 村 平 民 農 業 文 久 元 年 (1861)12 月 12 日 45 横 堀 町 押 切 永之助 横 堀 町 平 民 商 業 明 治 4 年 (1871) 9 月 9 日 36 秋 ノ 宮 村 菅 誠 篤 秋 ノ 宮 村 平 民 農 業 安 政 2 年 (1855)12 月 25 日 51 院 内 町 兒 玉 熀 貫 院 内 町 士 族 商 業 安 政 6 年 (1859) 7 月 16 日 48 山 田 村 髙 山 多美也 山 田 村 平 民 農 業 文 久 3 年 (1863) 5 月 19 日 44 三 輪 村 藤 野 貞 輪 村 平 民 農 業 安 政 6 年 (1859)12 月 7 日 47 西 馬 音 内 町 柴 田 虎 之 助 西 馬 音 内 町 平 民 農 業 嘉 永 3 年 (1850) 4 月 29 日 57 元西馬音内村 原 田 良 新 成 村 米 山 安太郎 新 成 村 平 民 農 業 弘 化 3 年 (1846) 8 月 8 日 61 明 治 村 石 垣 淸太郎 明 治 村 平 民 農 業 安 政 2 年 (1855) 3 月 5 日 52 田 代 村 髙 橋 重 英 田 代 村 平 民 医 師 慶 応 3 年 (1867)12 月 12 日 39 仙 道 村 土 田 甚五郎 仙 道 村 平 民 農 業 安 政 6 年 (1859) 4 月 24 日 48 助 三 吉 元西馬音内村 平 民 農 業 慶 応 元 年 (1865) 2 月 21 日 42 ※ 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 会 議 員 郡 参 事 会 員 名 簿 』( 930103-01300 )。 - 48 - 明 治 44 年 雄 勝 郡 会 議 員 選 挙 投 開 票 結 果 ◆ 明 治 44 年 ( 1 91 1 ) 10 月 1 0 日 ( 火 ): 投 票 率 56 . 91 % 町 湯 村 沢 有 権者 数 町 229 投 票者 数 投票率 開 票 結 果 79 34.50 ◎ 今 泉 秀 理 37 山 内 三郎兵衞 2 ◎舟 田 準之助 20 松 鶴之助 1 沼 倉 耕 造 15 効 1 髙 久 多 吉 3 髙 無 弁 天 村 78 45 57.69 ◎ 中 村 隣 德 44 松 田 又兵衞 1 幡 野 村 94 83 88.30 ◎ 佐 藤 長 藏 49 菊 地 佐四郎 34 岩 崎 町 73 22 30.14 石 川 孫左衞門 12 髙 橋 宇 吉 1 8 石 川 爲 吉 1 ◎髙 橋 七之助 ※石川孫左衞門は岩崎町助役在職中のため、 郡制第6条により髙橋七之助が繰上当選 東 成 瀬 村 144 29 20.14 ◎ 佐々 木吉郎右衞門 27 平 良 直 松 2 西 成 瀬 村 116 32 27.59 ◎ 髙 橋 兵 左 衞 門 29 石 川 與 吉 1 効 1 藤 原 專 松 1 無 駒 形 村 176 101 57.39 ◎ 沓 沢 彌太郎 98 茂 木 豐 治 3 川 連 村 99 88 88.89 ◎ 佐 藤 久太郎 44 阿 部 儀一郎 1 髙 橋 久 之 43 64 51.61 ◎ 東 海 林 武 治 49 藤 原 庄左衞門 1 藤 原 不二太郎 12 無 効 2 三 稲 皆 梨 庭 瀬 村 町 村 124 61 143 53 86.89 ◎ 茂 木 豐 治 42 藤 谷 吉 治 1 西 成 喜代松 6 阿 部 貞 治 1 髙 久 忠 治 1 効 2 47 32.87 ◎ 髙 橋 仁三郎 35 次 1 折 宗 長 11 治 無 中 山 庄 - 49 - 三 関 村 167 72 43.11 ◎ 佐 加 藤 藤 彌一郎 禎一郎 70 1 奥 山 善右衞門 1 須 川 村 144 112 77.78 ◎ 藤 大 坂 場 敬 治 市太郎 61 47 無 効 4 小 野 村 126 82 65.08 ◎ 寺 篠 澤 田 仲 吉太郎 59 21 髙 橋 慥 2 横 堀 町 43 25 58.14 ◎ 押 佐 切 藤 永 恭 吉 三 15 5 金 澤 忠兵衞 無 効 4 1 村 83 76 91.57 ◎ 菅 菅 菅 誠 茂 常 篤 助 吉 34 24 15 栗 田 幌 貫 永太郎 50 41 小 髙 秋 院 ノ 宮 内 町 113 95 84.07 ◎ 兒 大 玉 内 周 才 治 効 1 2 伊 松 効 1 3 多美也 90 無 松 無 山 田 村 245 214 87.35 ◎ 菅 貞 助 124 三 輪 村 134 110 82.09 ◎ 藤 野 佐々木 貞 助 平二郎 55 52 無 効 3 西 馬 音 内 町 139 53 38.13 ◎ 柴 柴 田 田 虎之助 養 助 48 4 無 効 1 元西馬音内村 87 48 55.17 ◎ 原 田 良 吉 47 藏 1 新 成 村 80 66 82.50 ◎ 米 安 山 藤 富 教 治 吉 36 29 効 1 明 治 村 113 48 42.48 ◎ 佐 石 伊 藤 垣 藤 吉 助 淸太郎 治 助 36 7 3 柴 藤 田 原 儀 正 七 治 1 1 田 代 村 153 58 37.91 ◎ 髙 橋 重 英 57 阿 部 岩 吉 1 仙 道 村 104 57 54.81 ◎ 土 藤 鈴 田 原 木 甚五郎 宇之吉 松之助 45 8 1 佐 佐 土 藤 藤 田 甚四郎 松 助 新十郎 1 1 1 計 3,068 郡 土 山 田 富 無 1,746 56.91 無 効 投 票 数 21 ( 無 効 投 票 率 1.20 ) ※ 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 会 議 員 選 挙 書 類 』( 9 3 0 1 0 3 - 0 1 8 4 1 )。 - 50 - 明 治 44 年 雄 勝 郡 会 議 員 選 挙 当 選 者 ◆ 明 治 44 年 (1911)10 月 10 日 ( 火 ): 投 票 率 56.91 % 《 定 数 26 名 、 平 均 年 齢 46.85 歳 》 選 挙 区 議 員 住 所 身分 職業 生 年 月 日 年齢 湯 沢 町 今 泉 秀 理 湯 沢 町 士 族 農 業 明 治 4 年 (1871) 1 月 20 日 40 湯 沢 町 舟 田 準之助 湯 沢 町 士 族 農 業 明 治 4 年 (1871)12 月 25 日 39 弁 天 村 中 村 隣 德 弁 天 村 士 族 無 職 安 政 6 年 (1859) 2 月 13 日 52 幡 野 村 佐 藤 長 藏 幡 野 村 平 民 農 業 明 治 13 年 (1880) 9 月 14 日 31 岩 崎 町 髙 橋 七之助 岩 崎 町 平 民 商 業 明 治 5 年 (1872) 9 月 12 日 39 東 成 瀬 村 佐々木吉郎右衞門 東 成 瀬 村 平 民 農 業 安 政 元 年 (1854) 8 月 4 日 57 西 成 瀬 村 髙 橋 兵 右 衞 門 西 成 瀬 村 平 民 農 業 慶 応 3 年 (1867) 2 月 6 日 44 駒 形 村 沓 沢 彌太郎 駒 形 村 平 民 農 業 文 久 元 年 (1861)12 月 15 日 49 川 連 村 佐 藤 久太郎 三 梨 村 平 民 工 業 慶 応 3 年 (1867) 1 月 17 日 44 三 梨 村 東海林 武 治 三 梨 村 平 民 無 職 元 治 元 年 (1864) 2 月 2 日 47 稲 庭 町 茂 木 豐 治 駒 形 村 平 民 農 業 万 延 元 年 (1860) 3 月 29 日 51 皆 瀬 村 髙 橋 仁三郎 皆 瀬 村 平 民 農 業 慶 応 3 年 (1867) 7 月 25 日 44 三 関 村 佐 藤 彌一郎 三 関 村 平 民 農 業 明 治 8 年 (1875) 2 月 10 日 36 須 川 村 藤 坂 敬 治 須 川 村 平 民 農 業 嘉 永 3 年 (1850) 7 月 23 日 61 小 野 村 寺 澤 仲 小 野 村 平 民 農 業 安 政 3 年 (1856) 3 月 17 日 55 横 堀 町 押 切 永 吉 横 堀 町 平 民 商 業 明 治 4 年 (1871) 9 月 9 日 40 誠 篤 秋 ノ 宮 村 平 民 農 業 安 政 2 年 (1855)12 月 25 日 55 熀 貫 院 内 町 士 族 商 業 安 政 6 年 (1859) 7 月 16 日 52 貞 助 山 田 村 平 民 農 業 慶 応 3 年 (1867)11 月 4 日 43 助 三 輪 村 平 民 農 業 安 政 6 年 (1859)12 月 7 日 51 秋 ノ 宮 村 菅 院 内 町 兒 玉 山 田 村 菅 三 輪 村 藤 野 貞 西 馬 音 内 町 柴 田 虎 之 助 西 馬 音 内 町 平 民 農 業 嘉 永 3 年 (1850) 4 月 29 日 61 元西馬音内村 原 田 良 吉 元西馬音内村 平 民 農 業 慶 応 元 年 (1865) 2 月 21 日 46 新 成 村 米 山 富 治 新 成 村 平 民 農 業 明 治 9 年 (1876)10 月 14 日 34 明 治 村 佐 藤 吉 助 明 治 村 平 民 農 業 安 政 6 年 (1859) 4 月 1 日 52 田 代 村 髙 橋 重 英 田 代 村 平 民 医 師 慶 応 3 年 (1867)12 月 12 日 43 仙 道 村 土 田 甚五郎 仙 道 村 平 民 農 業 安 政 6 年 (1859) 4 月 24 日 52 ※ 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 会 議 員 郡 参 事 会 員 名 簿 』( 930103-01328 )。 - 51 - 大正4年雄勝郡会議員選挙投開票結果 ◆ 大 正 4 年 ( 1 91 5 ) 10 月 1 0 日 ( 日 ): 投 票 率 75 . 89 % 町 湯 村 沢 有 権者 数 町 277 投 票者 数 投票率 開 票 結 果 231 83.39 ◎ 今 泉 秀 理 86 吉 田 三 伯 1 ◎髙 久 多 吉 80 藤 木 勇太郎 1 山 脇 惠 助 62 無 効 1 弁 天 村 83 41 49.40 ◎ 桶 渡 淸三郎 40 無 効 1 幡 野 村 93 78 83.87 ◎ 佐 藤 長 藏 73 無 効 2 菊 地 佐四郎 3 47 68.12 ◎ 髙 橋 七之助 47 93 63.27 ◎ 佐 々 木 喜代治 50 松 1 貞 助 28 無 効 2 佐々木吉郎右衞門 12 60 54.55 ◎ 髙 橋 兵 左 衞 門 57 無 効 2 無 効 1 之 1 岩 東 崎 成 瀬 町 69 村 147 菅 西 成 瀬 村 110 川 三 形 連 梨 村 村 村 172 90 138 皆 三 庭 瀬 関 町 村 村 83 145 153 直 1 158 91.86 ◎ 織 田 八 左 衞 門 82 沓 沢 彌太郎 75 85 94.44 ◎ 阿 部 儀一郎 47 髙 橋 勇 36 無 効 1 116 84.06 ◎ 藤 原 不 二 太 郎 68 麻 生 七郎兵衞 1 田 東海林 稲 良 治 見 駒 平 松 髙 橋 久 武 治 45 無 効 2 61 73.49 ◎ 藤 谷 吉 治 55 髙 久 淸左衞門 1 髙 久 忠 治 2 無 効 1 佐 藤 金十郎 2 114 78.62 ◎ 髙 橋 仁三郎 94 市之亟 1 折 原 長 治 18 効 1 117 76.47 ◎ 佐 藤 彌一郎 117 後 藤 無 - 52 - 須 川 小 野 横 秋 村 村 堀 ノ 宮 139 125 103 74.10 ◎ 遠 藤 大 渡 田 坂 場 部 薩 摩 敬 治 市太郎 龜太郎 93 4 2 1 金 佐 95 76.00 ◎ 寺 篠 澤 田 仲 助 93 1 井 爲 岡 藤 稠 庄 也 吉 効 1 1 1 正 雄 1 1 無 田 町 45 30 66.67 ◎ 押 切 永 吉 29 小山田 八太郎 村 77 73 94.81 ◎ 栗 菅 田 才 茂 治 助 25 25 菅 誠 篤 23 鶴 藏 20 ※得票数同数により年長者当選 院 内 町 103 78 75.73 ◎ 鎌 田 東海林 治 松 35 23 山 田 村 255 220 86.27 ◎ 柴 髙 養 助 多美也 109 108 無 効 3 三 輪 村 160 158 98.75 ◎ 佐 々 木 平 二 郎 篠 木 理右衞門 80 75 無 効 3 西 馬 音 内 町 173 66 38.15 ◎ 柴 佐 鹽 田 藤 田 虎之助 正之助 常 吉 62 1 1 阿 柴 部 田 源太郎 長 藏 1 1 元西馬音内村 83 64 77.11 ◎ 原 原 田 田 良 多 吉 七 60 2 石 丹 垣 周 重 吉 雄 1 1 新 成 村 84 60 71.43 ◎ 米 山 山 脇 富 金 治 吉 58 1 安 藤 敬 吉 1 明 治 村 110 97 88.18 ◎ 伊 佐 石 藤 藤 垣 治 助 吉 助 淸太郎 47 44 1 佐々木 佐 藤 吉 治 助 助 効 1 1 3 田 山 武 長 髙 橋 無 田 代 村 143 62 43.36 ◎ 髙 佐 橋 藤 重 英 梅之助 60 1 阿 部 岩 吉 1 仙 道 村 91 82 90.11 ◎ 三 佐 浦 藤 善 龜 62 12 藤 藤 原 原 五兵衞 宇之吉 6 2 計 3,148 郡 治 藏 2,389 75.89 無 効 投 票 数 24 ( 無 効 投 票 率 1.00 ) ※ 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 会 議 員 選 挙 書 類 』( 9 3 0 1 0 3 - 0 1 8 4 8 )。 - 53 - 大正4年雄勝郡会議員選挙当選者 ◆ 大 正 4 年 (1915)10 月 10 日 ( 日 ): 投 票 率 75.89 % 《 定 数 26 名 、 平 均 年 齢 49.12 歳 》 選 挙 区 議 員 住 所 身分 職業 生 年 月 日 年齢 湯 沢 町 今 泉 秀 理 湯 沢 町 士 族 農 業 明 治 4 年 (1871) 1 月 20 日 44 湯 沢 町 髙 久 多 吉 湯 沢 町 平 民 工 業 明 治 5 年 (1872) 1 月 13 日 43 弁 天 村 桶 渡 淸三郎 弁 天 村 平 民 農 業 嘉 永 5 年 (1852) 7 月 25 日 63 幡 野 村 佐 藤 長 藏 幡 野 村 平 民 農 業 明 治 13 年 (1880) 9 月 14 日 35 岩 崎 町 髙 橋 七之助 岩 崎 町 平 民 商 業 明 治 5 年 (1872) 9 月 12 日 43 東 成 瀬 村 佐々木 喜 代 治 東 成 瀬 村 平 民 官 吏 安 政 3 年 (1856) 5 月 16 日 59 西 成 瀬 村 髙 橋 兵 右 衞 門 西 成 瀬 村 平 民 農 業 慶 応 3 年 (1867) 2 月 6 日 48 駒 形 村 織 田 八左衞門 駒 形 村 平 民 農 業 嘉 永 4 年 (1851) 2 月 7 日 64 川 連 村 阿 儀一郎 川 連 村 平 民 農 業 天 保 13 年 (1842) 3 月 8 日 73 三 梨 村 藤 原 不二太郎 三 梨 村 平 民 工 業 文 久 元 年 (1861) 8 月 26 日 54 稲 庭 町 藤 谷 吉 治 稲 庭 町 平 民 農 業 嘉 永 5 年 (1852)10 月 19 日 62 皆 瀬 村 髙 橋 仁三郎 皆 瀬 村 平 民 農 業 慶 応 3 年 (1867) 7 月 25 日 48 三 関 村 佐 藤 彌一郎 三 関 村 平 民 農 業 明 治 8 年 (1875) 2 月 10 日 40 須 川 村 遠 田 薩 摩 須 川 村 平 民 農 業 明 治 5 年 (1872) 8 月 22 日 43 小 野 村 寺 澤 仲 小 野 村 平 民 農 業 安 政 3 年 (1856) 3 月 17 日 59 横 堀 町 押 切 永 吉 横 堀 町 平 民 商 業 明 治 4 年 (1871) 9 月 9 日 44 秋 ノ 宮 村 栗 田 才 治 秋 ノ 宮 村 平 民 農 業 安 政 6 年 (1859) 7 月 23 日 56 院 内 町 鎌 田 武 治 院 内 町 平 民 農 業 明 治 4 年 (1871)11 月 24 日 43 山 田 村 柴 田 養 助 山 田 村 平 民 農 業 慶 応 3 年 (1867) 8 月 25 日 48 三 輪 村 佐々木 平二郎 三 輪 村 平 民 農 業 明 治 13 年 (1880)11 月 27 日 34 部 西 馬 音 内 町 柴 田 虎 之 助 西 馬 音 内 町 平 民 農 業 嘉 永 3 年 (1850) 4 月 29 日 65 元西馬音内村 原 田 良 吉 元西馬音内村 平 民 農 業 慶 応 元 年 (1865) 2 月 21 日 50 新 成 村 米 山 富 治 新 成 村 平 民 農 業 明 治 9 年 (1876)10 月 14 日 38 明 治 村 伊 藤 治 助 明 治 村 平 民 農 業 明 治 3 年 (1870) 7 月 7 日 45 田 代 村 高 橋 重 英 田 代 村 平 民 医 師 慶 応 3 年 (1867)12 月 12 日 47 仙 道 村 三 浦 善 治 仙 道 村 平 民 農 業 明 治 19 年 (1886) 2 月 12 日 29 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 会 議 員 選 挙 書 類 』( 930103-01349 )。 - 54 - 大正8年雄勝郡会議員選挙投開票結果 ◆ 大 正 8 年 ( 1 91 9 ) 10 月 1 0 日 ( 金 ): 投 票 率 68 . 91 % 町 湯 村 沢 有 権者 数 町 290 投 票者 数 投票率 開 票 結 果 192 66.21 ◎ 髙 久 多 吉 91 京 助 2 ◎今 泉 秀 理 85 伊 藤 仁右衞門 1 田 尻 淸 治 10 無 効 1 藤 木 勇太郎 2 野 仁 弁 天 村 77 45 58.44 ◎ 松 田 又兵衞 44 本 多 喜一郎 1 幡 野 村 99 68 68.69 ◎ 菊 地 佐四郎 55 髙 橋 長 吉 2 佐 藤 長 藏 10 鵜 沼 作右衞門 1 55 80.88 ◎ 石 川 喜代松 32 髙 源之助 1 髙 橋 七之助 18 効 3 佐々木 吉之助 1 95 67.38 ◎ 佐 々 木 喜代治 90 藏 1 岩 東 西 駒 川 崎 成 町 瀬 成 瀬 形 連 村 村 村 村 68 141 107 169 83 善 松 1 佐々木吉郎左衞門 1 髙 橋 佐 吉 1 無 効 1 67 62.62 ◎ 佐 藤 常 松 59 松 1 見 田 治右衞門 7 141 83.43 ◎ 阿 部 三 郎 兵 衞 138 佐々木 常 茂 木 巽 1 織 田 丑太郎 2 59 71.08 ◎ 髙 橋 利兵衞 53 阿 部 儀市郎 1 髙 橋 久 茂 1 古 關 岩 治 1 髙 橋 久 二 1 無 効 1 髙 橋 勇 1 無 効 5 139 83 59.71 ◎ 加 藤 八之亟 78 稲 庭 町 88 63 71.59 ◎ 佐 藤 有 秀 43 阿 部 七之助 19 113 78.47 ◎ 佐 藤 文 吉 53 後 藤 市之亟 52 144 前 福 村 村 備 良 梨 瀬 無 平 三 皆 橋 佐 藤 金十郎 1 髙 橋 仁三郎 8 - 55 - 三 関 村 161 82 50.93 ◎ 佐 藤 彌一郎 81 加 藤 禎一郎 須 川 村 136 117 86.03 ◎ 渡 部 龜太郎 60 金 岡 稠 也 57 小 野 村 148 90 60.81 ◎ 大 渡 寺 内 部 澤 永太郎 定 吉 仲 83 3 1 寺 篠 篠 澤 田 田 順 爲 勝 吉 助 也 1 1 1 横 堀 町 46 39 84.78 ◎ 小 山 田 八太郎 21 押 切 永 吉 18 村 89 83 93.26 ◎ 菅 菅 茂 誠 助 篤 34 30 栗 田 才 治 効 18 1 齋 忠 無 治 効 1 2 無 効 4 宗 章 宇一郎 無 効 1 1 1 無 鹿之助 効 1 2 秋 院 ノ 宮 内 町 106 69 65.09 ◎ 鎌 岩 諸 田 間 越 武 治 喜久茂 理 吉 48 16 2 248 96.12 ◎ 髙 山 山 脇 多美也 慶太郎 134 110 無 藤 1 山 田 村 258 三 輪 村 153 91 59.48 ◎ 藤 野 貞 助 大 野 幸 一 佐々木 平二郎 篠 木 理右衞門 78 5 3 2 大 大 野 野 西 馬 音 内 町 172 86 50.00 ◎ 阿 柴 部 田 九兵衞 虎之助 82 1 大 江 83 51 61.45 ◎ 柴 鈴 田 木 養 啓 助 治 42 8 無 効 1 無 効 2 藏 1 元西馬音内村 新 成 村 100 88 88.00 ◎ 米 尾 山 久 富 貞 治 助 44 42 明 治 村 120 62 51.67 ◎ 鈴 木 德 藏 61 田 代 村 145 69 47.59 ◎ 髙 柴 橋 田 重 英 與吉郞 66 1 無 効 2 仙 道 村 82 52 63.41 ◎ 佐 藤 松 助 武 田 善右衞門 49 1 無 効 2 計 3,204 郡 佐 藤 德 2,208 68.91 無 効 投 票 数 27 ( 無 効 投 票 率 1.22 ) ※ 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 庶 務 係 事 務 簿 』( 9 3 0 1 0 3 - 0 1 8 4 5 )。 - 56 - 大正8年雄勝郡会議員選挙当選者 ◆ 大 正 8 年 (1919)10 月 10 日 ( 金 ): 投 票 率 68.91 % 《 定 数 26 名 、 平 均 年 齢 50.58 歳 》 選 挙 区 議 員 住 所 身分 職業 生 年 月 日 年齢 湯 沢 町 髙 久 多 吉 湯 沢 町 平 民 工 業 明 治 5 年 (1872) 1 月 13 日 47 湯 沢 町 今 泉 秀 理 湯 沢 町 士 族 農 業 明 治 4 年 (1871) 1 月 20 日 48 弁 天 村 松 田 又兵衞 弁 天 村 平 民 農 業 文 久 2 年 (1862) 1 月 22 日 57 幡 野 村 菊 地 佐四郎 幡 野 村 平 民 農 業 明 治 15 年 (1882) 8 月 15 日 37 岩 崎 町 石 川 喜久松 岩 崎 町 平 民 商 業 慶 応 2 年 (1866)12 月 16 日 52 東 成 瀬 村 佐々木 喜 代 治 東 成 瀬 村 平 民 農 業 安 政 3 年 (1856) 5 月 16 日 63 西 成 瀬 村 佐 常 藤 松 西 成 瀬 村 平 民 農 業 明 治 9 年 (1876) 9 月 15 日 43 駒 形 村 阿 部 三郎兵衞 駒 形 村 平 民 農 業 明 治 12 年 (1879) 2 月 20 日 40 川 連 村 髙 橋 利兵衞 川 連 村 平 民 工 業 文 久 3 年 (1863)10 月 5 日 56 三 梨 村 加 藤 八之亟 三 梨 村 平 民 金 貸 業 明 治 20 年 (1887) 8 月 20 日 32 稲 庭 町 佐 藤 有 秀 稲 庭 町 平 民 商 業 明 治 15 年 (1882) 8 月 15 日 37 皆 瀬 村 佐 藤 文 吉 皆 瀬 村 平 民 農 業 万 延 元 年 (1860) 2 月 1 日 59 三 関 村 佐 藤 彌一郎 三 関 村 平 民 農 業 明 治 8 年 (1875) 2 月 10 日 44 須 川 村 渡 部 龜太郎 須 川 村 平 民 農 業 文 久 2 年 (1862) 7 月 15 日 57 小 野 村 大 内 永太郎 小 野 村 平 民 農 業 安 政 4 年 (1857) 8 月 5 日 62 横 堀 町 小山田 八太郎 横 堀 町 平 民 商 業 安 政 5 年 (1858) 8 月 6 日 61 秋 ノ 宮 村 菅 成 助 秋 ノ 宮 村 平 民 農 業 慶 応 3 年 (1867)12 月 24 日 51 院 内 町 鎌 田 武 治 院 内 町 平 民 農 業 明 治 4 年 (1871)11 月 24 日 47 山 田 村 髙 山 多美也 山 田 村 平 民 農 業 文 久 3 年 (1863) 5 月 19 日 56 三 輪 村 藤 野 貞 輪 村 平 民 農 業 安 政 6 年 (1859)12 月 7 日 59 西 馬 音 内 町 阿 部 九 兵 衞 西 馬 音 内 町 平 民 商 業 安 政 6 年 (1859) 5 月 25 日 60 元西馬音内村 柴 田 養 助 西 馬 音 内 町 平 民 農 業 文 久 3 年 (1863) 1 月 14 日 56 新 成 村 米 山 富 治 新 成 村 平 民 農 業 明 治 9 年 (1876)10 月 14 日 42 明 治 村 鈴 木 徳 藏 明 治 村 平 民 農 業 明 治 3 年 (1870) 1 月 4 日 49 田 代 村 髙 橋 重 英 田 代 村 平 民 医 師 慶 応 3 年 (1867)12 月 12 日 51 仙 道 村 佐 藤 松 助 仙 道 村 平 民 農 業 明 治 3 年 (1870) 2 月 11 日 49 助 三 ※ 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 庶 務 係 事 務 簿 』( 930103-01845 )。 - 57 - 秋 田 県 会 議 員 選 挙 ・郡 会 議 員 選 挙 の 市 郡 別 投 票 結 果 【県会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)9 月 25日 市 郡 定数 有権者数 投票者数 投票率 大 正 8 年 (1919)9 月 25日 定数 有権者数 投票者数 投票率 秋 田 市 1 856 756 88.32 1 957 762 79.62 鹿 角 郡 2 1,841 1,594 86.58 2 2,192 1,758 80.20 北秋田郡 4 5,344 4,338 81.18 5 5,938 5,040 84.88 山 本 郡 4 4,351 3,950 90.78 4 4,808 3,381 70.32 南秋田郡 5 3,933 3,319 84.39 5 4,318 3,801 88.03 河 辺 郡 2 1,783 1,360 76.28 2 1,866 1,668 89.39 由 利 郡 4 5,501 5,043 91.67 4 5,890 5,065 85.99 仙 北 郡 5 5,785 4,237 73.24 5 6,189 5,226 84.44 平 鹿 郡 4 3,067 2,242 73.10 4 3,280 2,855 87.04 雄 勝 郡 3 2,939 2,638 89.76 3 3,024 2,352 77.78 34 35,400 29,477 83.27 35 38,462 31,908 82.96 合 計 【郡会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)10月 10日 郡 定数 有権者数 投票者数 投票率 大 正 8 年 (1919)10月 10日 定数 有権者数 投票者数 投票率 鹿 角 郡 15 2,004 1,120 55.89 15 2,170 1,318 60.74 北秋田郡 34 5,499 3,344 60.81 34 5,957 4,189 70.32 山 本 郡 29 4,573 3,507 76.69 32 4,823 3,639 75.45 南秋田郡 36 4,144 2,930 70.70 36 4,436 3,605 81.27 河 辺 郡 15 1,846 1,165 63.11 15 1,919 1,468 76.50 由 利 郡 33 5,707 4,371 76.59 33 5,880 5,064 86.12 仙 北 郡 40 6,055 4,242 70.06 40 6,358 4,726 74.33 平 鹿 郡 26 3,217 2,203 68.48 26 3,310 2,224 67.19 雄 勝 郡 26 3,148 2,389 75.89 26 3,204 2,208 68.91 254 36,193 25,271 69.82 257 38,057 28,411 74.65 合 計 ※ 秋 田 県 編 『 秋 田 県 統 計 書 』、 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 会 議 員 選 挙 書 類 』( 9 3 0 1 0 3 - 0 1 8 4 8 )、『 庶 務 係 事 務 簿 』( 9 3 0 1 0 3 - 0 1 8 4 5 )。 - 58 - 岩 手 県 会 議 員 選 挙 ・郡 会 議 員 選 挙 の 市 郡 別 投 票 結 果 【県会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)9 月 24日 市 郡 盛 岡 市 岩 手 郡 紫 波 郡 稗 貫 郡 和 賀 郡 胆 沢 郡 江 刺 郡 西磐井郡 東磐井郡 気 仙 郡 上閉伊郡 下閉伊郡 九 戸 郡 二 戸 郡 合 計 大 正 8 年 (1919)9 月 24日 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 2 3 2 2 2 2 2 2 3 2 2 3 3 2 1,115 4,250 3,074 3,449 4,058 3,444 3,028 2,982 4,806 1,488 2,626 2,264 2,297 2,012 850 2,631 2,843 2,896 3,536 2,596 2,805 2,835 3,994 1,346 2,131 1,974 1,762 1,661 76.23 61.91 92.49 83.97 87.13 75.38 92.64 95.07 83.10 90.46 81.15 87.19 76.71 82.55 2 3 2 2 2 2 2 2 3 2 3 3 3 2 1,144 4,496 3,034 3,364 4,181 3,486 3,086 3,170 4,763 1,546 2,795 2,329 2,298 2,029 688 2,931 2,722 2,426 3,849 3,196 2,399 2,789 4,466 1,488 2,457 1,696 1,885 1,354 60.14 65.19 89.72 72.12 92.06 91.68 77.74 87.98 93.76 96.25 87.91 72.82 82.03 66.73 32 40,893 33,860 82.80 33 41,721 34,346 82.32 【郡会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)9 月 30日 郡 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 岩 手 郡 紫 波 郡 稗 貫 郡 和 賀 郡 胆 沢 郡 江 刺 郡 西磐井郡 東磐井郡 気 仙 郡 上閉伊郡 下閉伊郡 九 戸 郡 二 戸 郡 合 大 正 8 年 (1919)9 月 30日 計 25 16 18 18 15 16 16 25 25 20 29 23 15 4,438 3,178 3,582 4,281 3,632 3,199 3,206 4,986 1,568 2,646 2,370 2,396 2,087 1,873 2,343 2,649 3,216 2,887 2,529 2,557 3,500 1,169 1,502 1,558 1,294 936 42.20 73.73 73.95 75.12 79.49 79.06 79.76 70.20 74.55 56.76 65.74 54.01 44.85 25 16 18 18 15 16 16 25 25 20 29 23 15 4,747 3,205 3,585 4,424 3,755 3,266 3,357 5,041 1,668 2,971 2,493 2,441 2,163 2,765 2,709 2,487 3,359 3,013 2,789 2,896 4,128 1,270 2,161 1,672 1,206 798 58.25 84.52 69.37 75.93 80.24 85.39 86.27 81.89 76.14 72.74 67.07 49.41 36.89 261 41,569 28,013 67.39 261 43,116 31,253 72.49 ※ 岩 手 県 編 『 岩 手 県 統 計 書 』 (国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー )。 - 59 - 宮 城 県 会 議 員 選 挙 ・郡 会 議 員 選 挙 の 市 郡 別 投 票 結 果 【県会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)9 月 25日 市 仙 刈 柴 伊 亘 名 宮 黒 加 志 玉 遠 栗 登 桃 牡 本 郡 台 田 田 具 理 取 城 川 美 田 造 田 原 米 生 鹿 吉 合 大 正 8 年 (1919)9 月 25日 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 市 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 4 2 1 2 1 2 3 1 1 2 1 2 3 3 2 2 2 2,850 1,448 1,297 1,901 1,094 2,738 2,830 1,231 1,220 1,213 828 1,344 3,730 2,930 1,879 1,029 2,237 2,213 1,234 951 1,684 1,047 2,560 2,560 1,158 1,148 992 577 1,257 3,313 2,758 1,747 938 2,023 77.65 85.22 73.32 88.58 95.70 93.50 90.46 94.07 94.10 81.78 69.69 93.53 88.82 94.13 92.97 91.16 90.43 4 2 1 2 1 2 3 1 1 2 1 2 3 3 2 2 2 3,255 1,617 1,534 2,237 1,269 3,068 3,190 1,367 1,403 1,425 991 1,680 4,273 3,278 2,232 1,331 2,535 2,226 1,166 885 1,950 887 2,471 2,666 939 1,234 1,220 852 1,444 3,614 2,502 1,943 1,084 2,096 68.39 72.11 57.69 87.17 69.90 80.54 83.57 68.69 87.95 85.61 85.97 85.95 84.58 76.33 87.05 81.44 82.68 計 34 31,799 28,160 88.56 34 36,685 29,179 79.54 【郡会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)9 月 30日 郡 刈 柴 伊 亘 名 宮 黒 加 志 玉 遠 栗 登 桃 牡 本 合 田 田 具 理 取 城 川 美 田 造 田 原 米 生 鹿 吉 大 正 8 年 (1919)9 月 30日 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 15 15 23 17 22 28 16 16 18 15 21 31 27 30 20 23 1,522 1,464 2,017 1,201 2,885 3,012 1,296 1,307 1,259 936 1,412 4,442 3,166 1,980 1,279 2,365 1,329 1,254 1,831 1,135 2,240 2,504 1,130 1,223 1,032 807 1,240 4,010 2,811 1,647 1,070 1,945 87.32 85.66 90.78 94.50 77.64 83.13 87.19 93.57 81.97 86.22 87.82 90.27 88.79 83.18 83.66 82.24 15 15 23 17 23 30 16 16 22 15 21 31 27 30 20 23 1,625 1,513 2,205 1,255 3,049 3,183 1,339 1,382 1,405 986 1,675 4,139 3,274 2,197 1,311 2,503 1,430 1,147 1,992 1,158 2,559 2,561 1,241 1,331 1,279 840 1,500 3,592 2,888 1,962 1,184 2,173 88.00 75.81 90.34 92.27 83.93 80.46 92.68 96.31 91.03 85.19 89.55 86.78 88.21 89.30 90.31 86.82 計 337 31,553 27,208 86.23 344 33,041 28,837 87.28 ※ 宮 城 県 編 『 宮 城 県 統 計 書 』 (国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー )。 - 60 - 山 形 県 会 議 員 選 挙 ・郡 会 議 員 選 挙 の 市 郡 別 投 票 結 果 【県会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)9 月 25日 市 郡 定数 有権者数 投票者数 投票率 大 正 8 年 (1919)9 月 25日 定数 有権者数 投票者数 投票率 山 形 市 2 1,532 1,350 88.12 2 1,542 1,314 85.21 米 沢 市 1 1,279 1,148 89.76 1 1,248 1,121 89.82 南村山郡 2 3,126 2,056 65.77 2 3,167 3,039 95.96 東村山郡 3 3,722 2,496 67.06 3 3,693 3,145 85.16 西村山郡 3 3,093 2,240 72.42 3 3,409 3,197 93.78 北村山郡 4 3,615 3,040 84.09 4 3,886 3,210 82.60 最 上 郡 3 2,795 2,225 79.61 3 2,876 2,235 77.71 飽 海 郡 1 4,216 3,465 82.19 1 4,062 3,656 90.00 東田川郡 3 4,726 3,526 74.61 3 4,678 4,243 90.70 西田川郡 3 3,154 2,231 70.74 3 3,245 2,522 77.72 西置賜郡 3 3,192 2,860 89.60 3 3,168 2,445 77.18 東置賜郡 3 3,778 3,048 80.68 3 3,611 2,520 67.79 南置賜郡 4 1,557 1,388 89.15 4 1,602 1,081 67.48 35 39,785 31,073 78.10 35 40,188 33,728 83.93 合 計 【郡会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)9 月 30日 郡 定数 有権者数 投票者数 投票率 大 正 8 年 (1919)9 月 30日 定数 有権者数 投票者数 投票率 南村山郡 19 3,303 2,666 80.71 19 3,379 2,821 83.49 東村山郡 30 3,897 2,977 76.39 30 3,897 3,070 78.78 西村山郡 24 3,556 2,372 66.70 24 3,666 2,792 76.16 北村山郡 28 3,821 2,869 75.09 28 4,153 3,214 77.39 最 上 郡 25 3,007 2,466 82.01 25 3,145 2,659 84.55 南置賜郡 15 1,697 1,444 85.09 15 1,708 1,473 86.24 東置賜郡 26 3,956 2,803 70.85 30 3,895 3,165 81.26 西置賜郡 27 3,337 2,689 80.58 27 3,373 2,753 81.62 東田川郡 30 4,947 3,669 74.17 30 4,949 4,177 84.40 西田川郡 26 3,367 2,643 78.50 27 3,475 3,049 87.74 飽 海 郡 29 4,438 3,426 77.20 29 4,298 3,469 80.71 279 39,326 30,024 76.35 284 39,938 32,642 81.73 合 計 ※ 山 形 県 編 『 山 形 県 統 計 書 』 (山 形 県 総 務 部 統 計 企 画 課 デ ジ タ ル ア ー カ イ ブ )。 - 61 - 埼 玉 県 会 議 員 選 挙 ・郡 会 議 員 選 挙 の 市 郡 別 投 票 結 果 【 県 会 議 員 選 挙 】 大 正 4 年 (1915)9 月 22日 郡 北 入 比 秩 児 大 北 南 北 足 立 間 企 父 玉 里 埼 玉 埼 玉 葛 飾 合 定 数 有 権 者 数 投 票 者 数 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 8 7 3 3 2 5 5 4 3 13,460 13,862 5,922 4,267 3,877 8,698 8,960 8,271 4,875 8,015 10,883 4,577 3,494 3,324 6,988 7,856 4,824 3,448 計 40 72,192 53,409 投 票 率 大 正 8 年 (1919)9 月 22日 定 数 有 権 者 数 投 票 者 数 投 票 率 59.55 78.51 77.29 81.88 85.74 80.34 87.68 58.32 70.73 8 7 3 3 3 5 5 4 3 12,639 13,197 5,833 3,892 3,634 8,440 8,457 7,597 4,384 11,255 12,011 5,563 3,640 3,027 7,143 6,344 6,523 3,029 89.05 91.01 95.37 93.53 83.30 84.63 75.01 85.86 69.09 73.98 41 68,073 58,535 85.99 【 郡 会 議 員 選 挙 】 大 正 4 年 (1915)9 月 30日 郡 北 入 比 秩 児 大 北 南 北 足 立 間 企 父 玉 里 埼 玉 埼 玉 葛 飾 合 定 数 有 権 者 数 投 票 者 数 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 30 30 25 24 21 27 28 27 26 12,987 13,509 5,853 4,280 3,705 8,404 8,451 7,661 4,562 5,787 6,359 3,354 2,624 2,518 4,972 5,151 3,852 2,288 計 238 69,412 36,905 投 票 率 大 正 8 年 (1919)9 月 30日 定 数 有 権 者 数 投 票 者 数 投 票 率 44.56 47.07 57.30 61.31 67.96 59.16 60.95 50.28 50.15 40 30 25 24 21 27 29 29 26 13,290 13,832 6,134 4,088 3,831 8,667 8,834 7,889 4,675 6,697 7,115 3,956 2,770 2,205 4,693 4,615 4,406 2,271 50.39 51.44 64.49 67.76 57.57 54.15 52.24 55.85 48.58 53.17 251 71,240 38,728 54.36 ※ 埼 玉 県 編 『 埼 玉 県 統 計 書 』 (国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー )。 高 知 県 会 議 員 選 挙 ・郡 会 議 員 選 挙 の 市 郡 別 投 票 結 果 【 県 会 議 員 選 挙 】 大 正 4 年 (1915)10月 5 日 市 高 安 香 長 土 吾 高 幡 郡 知 芸 美 岡 佐 川 岡 多 合 定 数 有 権 者 数 投 票 者 数 市 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 2 4 3 3 2 3 7 6 1,145 2,981 4,842 3,947 2,479 2,599 6,011 6,115 787 2,266 3,552 3,539 1,822 2,265 4,784 5,119 計 30 30,119 24,134 投 票 率 大 正 8 年 (1919)10月 5 日 定 数 有 権 者 数 投 票 者 数 投 票 率 68.73 76.01 73.36 89.66 73.50 87.15 79.59 83.71 2 4 3 3 3 3 6 6 1,215 3,128 4,784 4,041 2,357 2,566 5,978 6,422 952 2,429 2,436 3,638 2,025 2,314 4,731 4,066 78.35 77.65 50.92 90.03 85.91 90.18 79.14 63.31 80.13 30 30,491 22,591 74.09 【 郡 会 議 員 選 挙 】 大 正 4 年 (1915)9 月 30日 郡 安 香 長 土 吾 高 幡 合 芸 美 岡 佐 川 岡 多 定 数 有 権 者 数 投 票 者 数 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 27 30 24 20 28 30 30 3,133 4,998 4,141 2,608 2,560 6,321 6,476 1,461 1,313 1,817 989 1,242 2,559 3,741 計 189 30,237 13,122 投 票 率 大 正 8 年 (1919)9 月 30日 定 数 有 権 者 数 投 票 者 数 投 票 率 46.63 26.27 43.88 37.92 48.52 40.48 57.77 27 30 24 19 28 30 30 3,135 4,922 4,230 2,495 2,688 6,306 6,491 2,047 1,835 2,197 834 1,219 2,919 3,948 65.30 37.28 51.94 33.43 45.35 45.29 60.82 43.40 188 30,267 14,999 49.56 ※ 高 知 県 編 『 高 知 県 統 計 書 』 (国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー )。 - 62 - 三重県会議員選挙・郡会議員選挙の市郡別投票結果 【県会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)10月 9 日 市 郡 津 市 四日市市 宇治山田市 桑 名 郡 員 弁 郡 三 重 郡 鈴 鹿 郡 河 芸 郡 安 濃 郡 一 志 郡 飯 南 郡 多 気 郡 度 会 郡 阿 山 郡 名 賀 郡 志 摩 郡 北牟婁郡 南牟婁郡 合 計 大 正 8 年 (1919)10月 9 日 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 2 1 1 2 2 3 2 2 1 3 3 2 3 3 2 2 1 2 1,564 823 1,179 3,019 3,633 6,256 4,112 4,548 3,067 6,026 5,280 3,742 6,360 5,267 3,780 3,173 1,107 3,406 1,340 727 1,068 2,804 3,140 3,958 3,565 3,386 2,406 5,468 3,285 3,309 5,394 3,235 3,354 2,732 550 2,922 85.68 88.34 90.59 92.88 86.43 63.27 86.70 74.45 78.45 90.74 62.22 88.43 84.81 61.42 88.73 86.10 49.68 85.79 2 1 1 2 2 3 2 2 1 3 3 2 3 3 2 2 1 2 1,488 783 1,134 3,068 3,580 6,279 4,047 4,497 3,014 6,077 5,335 3,761 6,484 5,396 3,742 3,209 1,144 3,342 1,127 637 1,014 2,379 3,425 5,284 3,746 4,229 2,855 5,839 4,759 3,447 4,174 3,188 3,381 2,396 1,092 3,089 75.74 81.35 89.42 77.54 95.67 84.15 92.56 94.04 94.72 96.08 89.20 91.65 64.37 59.08 90.35 74.67 95.45 92.43 37 66,342 52,643 79.35 37 66,380 56,061 84.45 【郡会議員選挙】 大 正 4 年 (1915)9 月 30日 郡 桑 員 三 鈴 河 安 一 飯 多 度 阿 名 志 北 南 合 名 弁 重 鹿 芸 濃 志 南 気 会 山 賀 摩 牟婁 牟婁 大 正 8 年 (1919)9 月 30日 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 23 21 29 21 22 16 38 25 16 33 23 20 29 16 21 3,212 3,777 6,554 4,314 4,707 3,153 6,339 5,524 3,895 6,662 5,543 3,956 3,381 1,173 3,661 2,182 2,406 3,316 2,744 3,098 2,238 4,065 3,365 2,832 3,799 2,975 3,321 2,199 537 1,914 67.93 63.70 50.60 63.61 65.82 70.98 64.13 60.92 72.71 57.02 53.67 83.95 65.04 45.78 52.28 23 21 29 21 22 16 39 25 16 33 23 20 29 16 23 3,303 3,780 6,679 4,342 4,742 3,182 6,431 5,624 3,960 6,838 5,720 3,962 3,403 1,252 3,540 2,357 2,291 3,954 3,081 3,376 2,401 4,372 3,445 2,510 3,487 3,075 3,384 2,391 917 1,640 71.36 60.61 59.20 70.96 71.19 75.46 67.98 61.26 63.38 50.99 53.76 85.41 70.26 73.24 46.33 計 353 65,851 40,991 62.25 356 66,758 42,681 63.93 ※ 三 重 県 編 『 三 重 県 統 計 書 』 (国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー )。 - 63 - 福岡県会議員選挙の市郡別投票結果 明 治 40年 (1907)9 月 22日 市 福 久 小 門 粕 宗 遠 鞍 嘉 朝 筑 早 糸 浮 三 三 八 山 三 企 田 京 築 郡 岡 留米 倉 司 屋 像 賀 手 穂 倉 紫 良 島 羽 井 潴 女 門 池 救 川 都 上 合 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 市 市 市 市 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 2 1 1 1 2 1 3 2 2 2 2 2 1 2 2 3 3 2 2 1 2 2 2 1,936 1,155 640 747 3,670 3,022 3,601 2,704 3,773 4,841 4,048 1,725 3,844 2,539 4,025 5,514 5,484 3,796 2,875 2,571 2,873 3,445 4,202 1,536 422 318 657 2,684 1,296 3,002 2,014 2,669 2,942 2,615 1,590 2,330 1,614 3,745 4,519 3,895 3,298 2,231 1,231 1,639 2,779 3,420 79.34 36.54 49.69 87.95 73.13 42.89 83.37 74.48 70.74 60.77 64.60 92.17 60.61 60.57 93.04 81.96 71.02 86.88 77.60 47.88 57.05 80.67 81.39 2 1 1 2 2 1 3 2 2 2 2 1 2 2 2 3 3 2 3 2 2 2 2 2,240 1,095 920 1,324 3,806 2,976 4,379 3,129 4,028 4,821 4,190 1,759 3,801 2,674 4,112 5,420 5,614 3,897 3,198 2,781 3,053 3,435 4,240 1,871 902 684 830 2,641 1,777 3,501 2,884 2,592 2,829 2,716 1,644 2,419 2,233 2,763 5,150 4,214 2,800 2,149 1,646 2,067 2,342 3,121 83.53 82.37 74.35 62.69 69.39 59.71 79.95 92.17 64.35 58.68 64.82 93.46 63.64 83.51 67.19 95.02 75.06 71.85 67.20 59.19 67.70 68.18 73.61 計 43 73,030 52,446 71.81 46 76,892 55,775 72.54 大 正 4 年 (1915)9 月 22日 市 福 若 八 久 大 小 門 粕 宗 遠 鞍 嘉 朝 筑 早 糸 浮 三 三 八 山 三 企 田 京 築 合 郡 岡 松 幡 留米 牟田 倉 司 屋 像 賀 手 穂 倉 紫 良 島 羽 井 潴 女 門 池 救 川 都 上 明 治 44年 (1911)9 月 22日 大 正 8 年 (1919)9 月 22日 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 市 市 市 市 市 市 市 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 2 1 1 1 2 2 1 3 3 3 2 2 1 1 1 2 3 3 2 3 2 3 2 2 2,860 763 1,197 886 1,350 3,755 2,976 4,086 3,132 4,004 4,821 4,152 1,854 3,833 2,674 4,220 5,429 5,657 3,912 2,988 2,881 3,214 3,607 4,434 2,487 685 708 826 1,095 3,330 2,789 3,860 3,012 3,576 4,357 3,416 1,359 3,407 2,492 3,746 5,114 5,299 2,979 2,723 2,487 2,986 3,239 3,859 86.96 89.78 59.15 93.23 81.11 88.68 93.72 94.47 96.17 89.31 90.38 82.27 73.30 88.89 93.19 88.77 94.20 93.67 76.15 91.13 86.32 92.91 89.80 87.03 2 1 2 1 2 1 2 2 1 3 3 4 2 2 1 2 1 2 2 3 2 2 2 4 1 2 2,912 894 1,178 1,546 704 917 1,400 3,943 2,912 3,271 2,943 4,047 4,836 4,287 1,802 3,768 2,801 4,302 5,264 5,669 4,012 2,332 2,811 3,015 3,451 4,363 2,564 834 1,108 1,214 595 824 1,149 3,560 2,778 2,733 2,763 3,802 4,508 3,404 1,327 3,518 2,674 3,928 4,643 5,285 3,450 2,117 2,481 2,543 3,015 3,346 88.05 93.29 94.06 78.53 84.52 89.86 82.07 90.29 95.40 83.55 93.88 93.95 93.22 79.40 73.64 93.37 95.47 91.31 88.20 93.23 85.99 90.78 88.26 84.34 87.37 76.69 計 48 78,685 69,831 88.75 52 79,380 70,163 88.39 ※ 大 正 3 年 (1914)4 月 1 日 若 松 市 市 制 施 行 。 大 正 6 年 (1917)3 月 1 日 八 幡 市 ・ 大 牟 田 市 市 制 施 行 。 福 岡 県 編 『 福 岡 県 統 計 書 』 (国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー )。 - 64 - 福岡県郡会議員選挙の郡別投票結果 【郡会議員選挙】 明 治 40年 (1907)9 月 30日 郡 粕 宗 遠 鞍 嘉 朝 筑 早 糸 浮 三 三 八 山 三 企 田 京 築 屋 像 賀 手 穂 倉 紫 良 島 羽 井 潴 女 門 池 救 川 都 上 合 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 24 19 18 24 27 28 27 19 24 23 25 23 30 30 23 23 25 24 26 3,795 3,108 3,916 2,979 3,975 5,011 4,214 1,798 3,987 2,678 4,234 5,760 5,741 4,046 3,091 2,729 3,088 3,529 4,391 2,839 1,325 2,622 2,015 2,923 2,727 3,054 1,350 2,715 1,717 3,013 3,729 3,663 3,070 1,780 2,012 2,122 2,651 3,344 74.81 42.63 66.96 67.64 73.53 54.42 72.47 75.08 68.10 64.12 71.16 64.74 63.80 75.88 57.59 73.73 68.72 75.12 76.16 24 19 17 22 27 28 27 19 24 23 25 23 36 30 23 24 25 24 26 3,849 3,086 4,939 3,376 4,236 5,079 4,436 1,802 3,943 2,845 4,342 5,801 5,881 4,150 3,379 2,966 3,279 3,599 4,454 2,927 2,150 3,825 2,620 3,398 3,389 3,278 1,645 2,989 2,115 3,476 4,426 4,094 3,181 2,274 2,052 2,596 2,810 3,527 76.05 69.67 77.44 77.61 80.22 66.73 73.90 91.29 75.81 74.34 80.06 76.30 69.61 76.65 67.30 69.18 79.17 78.08 79.19 計 462 72,070 48,670 67.53 466 75,442 56,772 72.25 大 正 4 年 (1915)9 月 30日 郡 粕 宗 遠 鞍 嘉 朝 筑 早 糸 浮 三 三 八 山 三 企 田 京 築 合 屋 像 賀 手 穂 倉 紫 良 島 羽 井 潴 女 門 池 救 川 都 上 明 治 44年 (1911)9 月 30日 大 正 8 年 (1919)9 月 30日 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 郡 24 19 15 19 27 28 28 19 24 23 26 23 36 30 24 25 25 25 26 3,902 3,116 4,098 3,111 4,264 5,078 4,353 1,931 4,017 2,783 4,481 5,724 5,989 4,201 3,134 3,054 3,384 3,725 4,592 3,416 2,492 3,387 2,811 3,500 4,392 3,834 1,558 3,395 2,305 3,851 5,038 5,133 3,593 2,628 2,509 2,892 3,190 3,797 87.54 79.97 82.65 90.36 82.08 86.49 88.08 80.68 84.52 82.82 85.94 88.02 85.71 85.53 83.85 82.15 85.46 85.64 82.69 27 19 15 30 27 28 28 19 25 23 26 22 36 30 20 27 30 25 27 4,017 3,166 3,504 3,434 4,374 5,143 4,511 1,923 4,058 3,969 4,592 5,583 6,072 4,195 2,497 3,088 3,643 3,663 4,607 3,421 2,368 2,801 2,990 3,681 4,393 3,793 1,560 3,378 2,523 3,725 4,698 5,437 3,740 2,005 2,668 2,931 3,172 3,708 85.16 74.79 79.94 87.07 84.16 85.42 84.08 81.12 83.24 63.57 81.12 84.15 89.54 89.15 80.30 86.40 80.46 86.60 80.49 計 466 75,137 63,721 84.81 484 75,033 62,992 83.95 ※ 福 岡 県 編 『 福 岡 県 統 計 書 』 (国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー ) 。 - 65 - 富 山 県 会 議 員 選 挙 下 新 川 郡 投 票 結 果 町 魚 生 三 舟 入 泊 下 上 松 上 下 片 加 道 経 天 西 東 石 田 村 大 前 荻 若 浦 下 内 愛 野 新 小 青 飯 上 横 椚 大 山 南 五 宮 境 大 正 4 年 (1915)9 月 25日 有権者数 有権者数 大 正 8 年 (1919)9 月 25日 村 津 地 日 市 見 善 中 島 中 島 倉 野 方 野 方 貝 谷 積 下 田 神 布 施 布 施 田 家 椿 布 施 沢 生 栗 山 立 山 本 中 屋 槢 戸 木 野 原 山 山 家 庄 崎 保 箇 庄 崎 郡 明 治 44年 (1911)9 月 25日 町 町 町 町 町 町 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 計 投票者数 投票率 投票者数 投票率 有権者数 投票者数 投票率 480 112 163 98 109 178 128 155 204 103 96 142 120 132 110 97 168 190 176 100 132 160 112 199 157 121 80 39 59 83 154 110 131 128 139 104 108 183 126 122 94 115 62 354 103 156 89 105 138 119 144 199 96 83 128 111 120 99 92 164 164 158 85 125 159 104 187 141 114 70 32 49 76 140 107 127 122 137 89 100 165 116 111 78 80 53 73.75 91.96 95.71 90.82 96.33 77.53 92.97 92.90 97.55 93.20 86.46 90.14 92.50 90.91 90.00 94.85 97.62 86.32 89.77 85.00 94.70 99.38 92.86 93.97 89.81 94.21 87.50 82.05 83.05 91.57 90.91 97.27 96.95 95.31 98.56 85.58 92.59 90.16 92.06 90.98 82.98 69.57 85.48 324 74 121 91 112 148 122 149 207 95 91 132 128 129 111 104 163 139 159 87 130 175 109 181 144 124 66 31 57 86 169 115 145 139 157 112 115 167 101 103 81 103 41 302 66 115 86 110 130 122 149 198 92 89 126 122 124 104 100 159 134 151 84 129 174 109 177 138 114 65 27 53 82 162 110 143 132 155 103 113 162 97 96 70 82 37 93.21 89.19 95.04 94.51 98.21 87.84 100 100 95.65 96.84 97.80 95.45 95.31 96.12 93.69 96.15 97.55 96.40 94.97 96.55 99.23 99.43 100 97.79 95.83 91.94 98.48 87.10 92.98 95.35 95.86 95.65 98.62 94.96 98.73 91.96 98.26 97.01 96.04 93.20 86.42 79.61 90.24 299 108 122 87 118 151 126 154 192 93 93 142 125 136 105 106 158 162 169 86 141 172 117 185 145 119 73 24 61 94 168 112 145 132 150 111 122 167 122 102 94 116 38 275 98 115 78 115 133 115 148 173 89 83 129 121 131 93 99 148 147 149 84 130 169 105 169 132 104 69 22 57 91 166 110 136 123 141 96 120 164 118 98 85 87 33 91.97 90.74 94.26 89.66 97.46 88.08 91.27 96.10 90.10 95.70 89.25 90.85 96.80 96.32 88.57 93.40 93.67 90.74 88.17 97.67 92.20 98.26 89.74 91.35 91.03 87.39 94.52 91.67 93.44 96.81 98.81 98.21 93.79 93.18 94.00 86.49 98.36 98.20 96.72 96.08 90.43 75.00 86.84 5,779 5,189 無 効 113 89.79 2.18 5,337 5,093 無 効 56 95.43 1.10 5,442 5,048 無 効 41 92.76 0.81 ※ 富 山 県 下 新 川 郡 役 所 編 『 富 山 県 下 新 川 郡 統 計 書 』 (国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー )。 - 66 - 富 山 県下 新川 郡 会議 員選 挙 投票 結果 町 魚 生 三 舟 入 泊 下 上 松 上 下 片 加 道 経 天 田 西 東 石 村 大 前 荻 若 浦 下 内 愛 野 新 小 青 飯 上 横 椚 大 山 南 五 宮 境 村 津 地 日 市 見 善 中 島 中 島 倉 野 方 野 方 貝 谷 積 下 田 神 家 布 施 布 施 田 椿 布 施 沢 生 栗 山 立 山 本 中 屋 槢 戸 木 野 原 山 山 家 庄 崎 保 箇 庄 崎 郡 町 町 町 町 町 町 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 村 計 明 治 44年 (1911)10月 5 日 大 正 4 年 (1915)10月 5 日 大 正 8 年 (1919)10月 5 日 有権者数 有権者数 定数 投票者数 投票率 投票者数 投票率 有権者数 投票者数 投票率 2 1 1 1 1 1 1 1 1 386 107 179 105 111 168 133 162 213 276 75 151 78 96 145 114 146 208 71.50 70.09 84.36 74.29 86.49 86.31 85.71 90.12 97.65 345 88 136 95 114 159 128 160 215 294 74 113 93 109 130 114 154 193 82.22 84.09 83.09 87.89 95.61 81.76 89.06 96.25 89.77 321 107 140 92 123 166 133 162 203 288 96 130 80 120 132 112 150 168 89.72 89.72 92.86 86.96 87.56 79.52 84.21 92.59 82.76 1 208 170 81.73 194 177 91.24 201 182 90.55 1 1 1 1 145 122 135 109 66 80 124 80 45.52 65.57 91.85 73.39 150 132 134 116 112 115 116 96 74.67 87.12 86.57 72.76 151 129 146 108 126 120 131 72 83.44 93.02 89.73 66.67 1 199 153 76.88 203 96 47.29 198 183 92.42 1 1 1 1 1 1 1 1 1 169 184 174 130 168 117 192 159 124 127 147 157 105 164 106 168 102 105 75.15 79.89 90.23 80.77 97.62 90.60 87.50 64.15 84.68 174 154 167 135 177 113 184 153 128 166 133 153 113 166 106 156 141 115 95.40 86.36 91.62 83.70 93.79 93.81 84.78 92.16 89.84 173 175 178 145 173 121 189 151 123 168 115 139 139 166 109 162 122 115 97.11 65.71 78.09 95.86 95.95 90.08 85.71 80.79 93.50 1 157 74 47.13 102 88 86.27 103 75 72.82 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 60 85 150 112 132 133 147 107 108 180 131 115 98 51 77 131 103 122 126 140 90 92 164 104 85 86 85.00 90.59 87.33 91.96 92.42 94.74 95.24 84.11 85.19 91.11 79.39 73.91 87.76 58 92 176 118 150 141 163 116 120 171 105 106 91 55 68 160 108 116 123 156 101 114 165 81 91 78 94.83 73.91 90.91 91.53 77.33 87.23 95.71 87.07 95.00 96.49 77.14 85.85 85.71 66 98 171 120 153 146 157 116 128 173 130 112 96 61 96 145 93 140 125 143 98 120 169 114 93 80 92.42 97.96 84.80 77.50 91.50 85.62 91.08 84.48 93.75 97.69 87.69 83.04 83.33 1 179 88 49.16 155 72 46.45 160 94 58.75 40 5,793 4,676 無 効 152 80.72 3.25 5,618 4,811 無 効 94 85.64 1.95 5,736 4,971 無 効 109 86.66 2.19 ※ 富 山 県 下 新 川 郡 役 所 編 『 富 山 県 下 新 川 郡 統 計 書 』 (国 立 国 会 図 書 館 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー )。 - 67 - 明 治 32年 埼 玉 県 北 足 立 郡 会 議 員 選 挙 投 開 票 結 果 ◆ 明 治 3 2 年 ( 1 8 9 9 ) 9 月 3 0 日 ( 土 ): 投 票 率 7 3 . 0 7 % 町 浦 土 美 村 和 合 木 本 有権者数 投票者数 投票率 開 票 結 町 168 107 63.69 ◎ 池 山 田 田 仲次郎 淸三郎 73 32 村 村 333 312 93.69 ◎ 水 大 野 室 德太郎 和太郎 165 142 六 谷 辻 田 村 村 268 173 64.55 ◎ 星 大 野 熊 千嘉藏 達之助 169 1 戸 笹 田 目 村 村 259 183 70.66 ◎ 小 石 山 田 嘉一郎 豐 松 176 1 町 178 123 69.10 ◎ 荒 石 井 井 源 重 六 藏 119 1 村 村 278 211 75.90 ◎ 平 田 嘉 吉 効 209 2 蕨 芝 青 木 無 靑 果 行 2 無 効 5 無 効 3 無 秀之助 効 1 5 無 効 3 羽 義 長谷川 川 横 根 町 村 244 曽 162 66.39 ◎ 福 岩 幸太郎 武三郎 159 3 南 北 平 平 柳 柳 村 村 244 208 85.25 ◎ 熊 井 次 郎 右 衞 門 倉 田 源十郎 熊 井 治右衞門 108 89 3 熊 井 治郎左門 倉 田 源二郎 無 効 1 1 6 鳩 神 ヶ 谷 町 村 292 235 80.48 ◎ 小 澤 治 郎 兵 衞 有 住 佐兵衞 髙 橋 嘉兵衞 229 1 1 小 根 安 戸 大 行 塚 門 村 村 村 380 338 88.95 ◎ 山 新 早 柳 藏 孝三郎 喜三郎 180 149 1 新 谷 郷 塚 村 村 306 130 42.48 ◎ 飯 田 造酒藏 中 村 七左衞門 121 4 草 新 加 田 町 村 307 188 61.24 ◎ 生 石 島 關 玄 益 新九郎 177 1 片 三 尾 柳 室 村 村 村 392 145 36.99 ◎ 白 齋 篠 武 子 藤 原 置 周 喜 節太 銀 助 作 郎 介 105 33 2 1 村 村 村 村 村 村 村 村 村 439 412 93.85 ◎ 小 吉 小 吉 吉 川 田 山 田 田 幸 茂 勝 茂 茂 内 助 藏 七 吉 効 220 181 1 1 1 8 口 間 木 春 岡 膝 子 大 谷 風 渡 野 猿 ヶ 谷 戸 東 門 前 新 堤 東 宮 下 野 田 原 田 田 井 舩 無 無 治兵衞 効 1 3 無 効 8 無 吉之助 効 1 4 無 効 10 作 藏 効 1 1 2 澤 關 肥留間 守 屋 慶 幸 無 - 68 - 与 木 大 植 332 209 62.95 ◎ 井 原 彌四郎 遊 馬 慶太郎 近 藤 甲子之助 遊 馬 榮 藏 163 32 1 1 村 村 345 水 304 88.12 ◎ 飯 松 喜一郎 平次郎 宮 扇 村 村 421 町 村 久 馬 指 大 大 町 村 野 崎 保 宮 砂 土 甚之丞 彌次郎 林 藏 無 効 1 1 1 9 184 115 無 効 5 379 90.02 ◎ 川 部 平 藏 大久保源右衞門 180 176 無 効 23 341 291 85.34 ◎ 島 阪 村 無 効 10 361 80.58 ◎ 淸 水 三太郎 光太郎 光太郎 無 効 1 1 1 2 忠一郎 効 1 2 淸 助 効 1 1 伊三郎 伊三郎 政之助 宗 作 隆 太 無 効 1 1 1 1 1 11 野 本 辰 泰 造 硯 141 140 武 吉 効 358 3 宮 日 三 原 進 橋 村 村 村 448 小 原 瓦 室 市 葺 村 村 村 293 194 66.21 ◎ 田 菊 中 池 菊三郎 源三郎 193 1 上 大 平 尾 谷 方 町 村 村 410 267 65.12 ◎ 永 小 吉 永 島 川 田 島 光太郎 髙 藏 茂 助 光次郎 253 7 1 1 加 小 上 納 針 平 村 村 村 391 258 65.98 ◎ 加 本 藤 木 孝太郎 政之助 無 効 244 1 13 桶 大 川 石 村 村 354 321 90.68 ◎ 新 藤 慶之助 効 311 10 村 村 402 戸 啓之助 時三郎 293 1 室 丸 光 村 村 村 458 襄 効 351 7 町 村 282 淸 助 久四郎 185 1 村 村 村 459 313 68.19 ◎ 横 田 半十郎 室 田 文右衞門 無 効 305 1 7 村 村 村 439 245 55.81 ◎ 小 見 野 蛭 間 常 吉 重次郎 無 効 238 3 4 川 石 田 馬 中 常 鴻 田 巣 間 箕 小 吹 大 志 内 谷 宮 田 谷 上 和 田 木 間 木 無 無 297 73.88 ◎ 新 吉 井 田 358 78.17 ◎ 藤 井 無 188 66.67 ◎ 岡 長 崎 島 白 新 膝 子 倉 折 村 村 村 349 300 85.96 ◎ 大 畑 三 郎 兵 衞 柳 下 伊平太 無 効 208 84 8 保 片 谷 山 村 村 305 154 50.49 ◎ 平 栗 大 並 吉 保 123 6 5 2 1 1 計 10,217 郡 井 山 塚 木 澤 谷 週 作 音治郎 要太郎 秋平衞 嘉 七 半 六 島 井 武 田 原 井 長 永 水 島 鳥 島 天 沼 無 岡 嶋 無 貫 栗 加 平 原 井 山 藤 井 井 7,466 73.07 無 効 投 票 数 174 ( 無 効 投 票 率 2.33 ) ※ 埼 玉 県 文 書 館 所 蔵 『 郡 制 』( 明 2 1 2 3 - 2 )。 - 69 - 明 治 32年 埼 玉 県 大 里 郡 会 議 員 選 挙 投 開 票 結 果 ◆ 明 治 3 2 年 ( 1 8 9 9 ) 9 月 3 0 日 ( 土 ): 投 票 率 7 4 . 0 8 % 町 熊 久 佐 村 谷 下 谷 田 有権者数 投票者数 投票率 開 票 結 町 417 306 73.38 ◎冨 田 五郎兵衞 ◎松 本 平 藏 ◎小 柴 定 七 松 崎 定 吉 石 川 宗 三 118 93 80 5 1 坂 豐 水 田 田 野 村 村 288 246 85.42 ◎神 鈴 沼 木 貫一郎 東 作 140 98 井 口 ◎塚 ◎長 長 須 本 井 島 藤 福 茂 甚 嘉 齋 吉 助 之 215 187 87 2 柴 忠 定 明 吉 185 37 馬 柴 場 長 齋 島 藤 吉 市 吉 楊 見 田 岡 井 村 村 村 村 577 御 小 正 原 村 村 367 228 62.13 ◎柴 松 田 本 村 村 村 319 187 58.62 ◎新 髙 井 田 健 吉 髙次郎 無 効 150 27 10 大 木 肥 麻 生 幡 塚 果 501 86.83 彌三郎 淸三郎 丑 松 無 効 1 1 1 7 範次郎 効 1 7 忠 明 効 1 9 平 守 助 德 5 1 長五郎 七 郎 無 効 1 1 4 無 田 無 奈 長 秦 良 井 村 村 村 522 396 75.86 ◎内 ◎舩 石 田 田 坂 甚八郎 三千雄 金一郎 199 190 1 三 玉 尻 井 村 村 355 283 84.48 ◎髙 森 橋 田 德三郎 彦三郎 281 1 無 効 1 妻 弥 男 太 沼 559 459 82.11 ◎鈴 靑 原 三 木 木 田 澤 鎌十郎 茂 金 二 幸 238 208 10 1 無 効 2 沼 田 村 村 村 村 明 別 幡 戸 府 羅 村 村 村 536 475 88.62 ◎飯 ◎髙 江 塚 橋 黑 岱 藏 重 五 仙太郎 206 147 122 深 藤 大 谷 沢 寄 町 村 村 737 631 85.62 ◎大 ◎三 ◎金 持 屋 宅 井 田 長 良 元 茂 重 三 治 七 183 165 148 127 大 福 谷 島 幸次郎 健 吉 無 効 1 1 6 中 新 八 瀬 会 基 村 村 村 391 272 69.57 ◎石 ◎橋 川 川 本 田 暢次郎 八郎次 佐次郎 136 133 1 橋 本 近 1 藤 吾 - 70 - 491 198 40.33 啓四郎 61 久 保 廓 郎 2 原 爲三郎 53 小 嵜 冨太郎 2 丸 山 伊勢松 44 柿 澤 源之助 1 篠 崎 京 作 11 篠 崎 喜代作 1 田 村 市太郎 9 野 口 新三郎 1 靑 木 七 郎 6 無 効 4 新 井 節 郎 3 ◎持 田 幸 吉 271 無 効 2 平 2 効 7 岡 部 村 榛 原 村 ◎萩 本 郷 村 639 453 70.89 ◎新 武 川 村 花 園 村 ◎吉 野 虎 吉 179 用 土 村 長 島 代次郎 1 寄 居 町 ◎酒 井 壽 吉 148 桜 沢 村 田 中 新 藏 23 折 原 村 ◎淺 見 周 吉 254 太 平 1 鉢 形 村 ◎石 澤 喜代藏 200 田 中 新左衞門 1 男 衾 村 向 井 廣 吉 79 無 10 本 畠 村 吉 田 定 助 1 郡 計 266 699 7,142 180 546 5,291 67.67 78.11 74.08 田 村 依 無 田 治 効 無 効 投 票 数 67 ( 無 効 投 票 率 1.27 ) ※ 埼 玉 県 文 書 館 所 蔵 『 郡 制 』( 明 2 1 2 3 - 2 )。 (中島清氏「 中島清氏「南関東における 南関東における郡制 における郡制・ 郡制・郡役所に 郡役所に関する研究 する研究― 研究―実証分析および 実証分析および空間理論 および空間理論からの 空間理論からの接近 からの接近― 接近―」、 横浜市立大学研究所編『 横浜市立大学研究所編『経済と 経済と貿易』 貿易』第179号、 号、平成11年(1999) 1999)9月、40頁) - 71 - 明 治 32年 埼 玉 県 南 埼 玉 郡 会 議 員 選 挙 投 開 票 結 果 ◆ 明 治 3 2 年 ( 1 8 9 9 ) 9 月 3 0 日 ( 土 ): 投 票 率 6 6 . 6 1 % 町 岩 村 槻 有権者数 町 川 通 村 豊 春 村 182 293 461 投票者数 117 227 303 投票率 64.29 77.47 65.73 開 票 ◎大河内五郎兵衞 結 114 馬 場 久 悠 2 ◎金 子 吉次郎 142 根 岸 千 仭 73 金 子 吉五郎 1 ◎志 水 唯四郎 164 果 齋 藤 善兵衞 1 金 子 吉太郎 1 効 10 助 1 効 4 無 和 土 村 新 和 村 ◎岡 田 典 輔 133 柏 崎 村 岡 田 平三郎 1 ◎厚 澤 貞 司 139 髙 橋 永 作 1 本 澤 安次郎 117 柳 澤 金次郎 1 中 山 雄 助 5 尼 崎 龍 助 1 ◎山 田 半 六 12 山 口 萬 藏 2 練 木 市左衞門 5 原 敬三郎 1 坂 巻 喜三藏 2 神 田 信一郎 1 野 澤 市十郎 2 淸 水 壽太郎 1 田 村 新 藏 2 ◎關 根 峯三郎 137 効 10 飯 野 喜四郎 122 ◎本 多 長五郎 76 岩之丞 1 ◎齋 藤 德三郎 59 ◎中 村 酉 又右衞門 1 無 効 1 無 効 1 慈 恩 黒 寺 浜 粕 村 壁 町 合 村 綾 瀬 村 日 勝 村 篠 津 村 大 袋 村 武 里 村 ケ 264 76.08 村 河 越 347 谷 町 大 沢 町 潮 止 村 八 幡 村 八 条 村 152 299 387 317 146 427 28 269 136 147 89 222 18.42 89.97 35.14 46.37 60.96 51.99 志 水 唯 無 無 濱 田 吉 141 大垣六郎左衞門 2 中 村 酉 藏 2 ◎井 出 庸 造 71 島 根 莊 三 17 ◎柳 田 慶三郎 124 會 田 惣次郎 1 ◎太 田 瀧右衞門 83 小 倉 卯之助 1 効 12 小 澤 永之助 1 原 無 - 72 - 川 大 蒲 柳 相 村 模 生 223 51.26 157 豐 田 貞 治 1 助 54 山 田 平三郎 1 村 源三郎 1 無 効 8 村 重太郎 1 ◎小 林 信右衞門 189 無 効 7 ◎新 井 保太郎 村 ◎中 村 柳 村 中 中 出 羽 村 荻 島 村 新 方 村 桜 井 村 増 林 村 百 間 村 内 牧 村 須 賀 村 久 喜 町 清 久 江 面 344 197 57.27 造 1 ◎瀧 田 文右衞門 142 關 根 宗 輔 1 ◎上原治郎右衞門 122 長 野 半四郎 1 無 効 10 無 効 8 井 458 491 369 415 80.57 84.52 出 篠 田 嘉兵衞 89 遠 藤 倉之助 4 ◎島 村 繁 171 ◎髙 橋 喜右衞門 138 日下部 98 吉 175 瀨 田 繁太郎 2 村 ◎髙 木 臺 助 131 吉 澤 貞 助 2 村 野 原 新兵衞 4 髙 木 亮 介 1 榎 本 善兵衞 2 無 効 18 ◎渡 邊 嘉藤次 138 無 効 3 本 多 長五郎 1 ◎石 井 角左衞門 211 無 効 2 竹次郎 2 効 12 鷲 宮 村 大 山 村 平 野 村 小 林 村 栢 間 村 菖 蒲 町 三 箇 村 計 315 311 434 432 6,712 142 215 402 371 4,471 69.65 助 貞 村 335 泰 澤 田 481 庸 ◎吉 太 郡 435 45.08 69.13 92.63 85.88 66.61 2 江 原 善兵衞 ◎杉 田 市 藏 214 加 村 竹次郎 174 ◎齋 藤 信之助 127 大 熊 喜 作 1 ◎倉 持 澤一郎 105 大 熊 喜 文 1 新 井 利兵衞 94 齋 藤 信之亟 1 長谷川 禮 助 18 佐 藤 信之助 1 齋 藤 新之助 2 靑 木 龜 吉 1 倉 持 澤太郎 2 倉 持 澤次郎 1 國 島 信之助 1 効 15 荻 野 釣 1 藏 柴 崎 無 無 無 効 投 票 数 121 ( 無 効 投 票 率 2.71 ) ※ 埼 玉 県 文 書 館 所 蔵 『 郡 制 』( 明 2 1 2 3 - 2 )。 - 73 - 票行動はほぼ一致していたと言える【富山県 5-4 選挙報道と郡会の状況 会 議 員 選 挙 下 新 川 郡 投 票 結 果 】【 富 山 県 下 新 川 郡 会 議 員 選 挙 投 票 結 果 】。 郡会議員選挙の報道に関しては、その掲載 ま た 、「 郡 制 」 の 改 正 に よ り 選 挙 の 投 票 制 記事は当選者の氏名のみに集中し、選挙戦を 度がそれまでの複選制から直選制に変わり、 取り扱ったものは皆無に等しい。管見の及ぶ 議員の再選に大きな影響を及ぼした。改正後 範囲内で現存する新聞報道としては次の3例 最 初 の 選 挙 で あ る 明 治 32 年 の 郡 会 議 員 選 挙 で を 挙 げ る こ と が 出 来 る 。 い ず れ も 大 正 4 年 10 の秋田県における再選者数を見てみると、現 月の記事である。 在確認出来る4郡については次の結果となっ ① 『 秋 田 魁 新 報 』 大 正 4 年 10 月 10 日 ている。 北 秋 田 郡 … 定 数 30 名 中 、 再 選 8 名 ○郡議選挙の形勢 ○ ○ ○ ○ ○ 河 辺 郡 … 定 数 15 名 中 、 再 選 6 名 ▼南秋土崎港 にては数日前同町役場に於 由 利 郡 … 定 数 30 名 中 、 再 選 6 名 て、町会議員及び重立有権者会合し候補者 として前議員たりし野口銀平、村山喜一郎 雄 勝 郡 … 定 数 24 名 中 、 再 選 10 名 (86 ) 一方、筆者が『郡誌』及び『郡会史』等か 両氏を推薦し、全町一致其の当選を期せり ら確認した他県の結果を挙げると次の通りで し、一昨日突然相染町部落より越後谷權四 ある。 郎氏名乗りをあけ、同部落青年会を利用し 宮 城 県 登 米 郡 … 定 数 25 名 中 、 再 選 8 名 運動を開始せるも何等町民に信望なければ 宮 城 県 栗 原 郡 … 定 数 29 名 中 、 再 選 8 名 到底当選など覚束なきものなり。▼平鹿横 福 島 県 安 達 郡 … 定 数 30 名 中 、 再 選 7 名 手町 埼 玉 県 北 足 立 郡 … 定 数 30 名 中 、 再 選 2 名 る伊藤慶太郎、山崎慶治両氏は町民及び青 埼 玉 県 大 里 郡 … 定 数 27 名 中 、 再 選 3 名 年有志の後援にて当選疑ひなかるべく、予 埼 玉 県 南 埼 玉 郡 … 定 数 27 名 中 、 再 選 11 名 選会以外の立候補安士一郎氏の立候補意志 千 葉 県 東 葛 飾 郡 … 定 数 30 名 中 、 再 選 6 名 明瞭を欠き後援者の足並揃はず、又富田氏 山 梨 県 東 八 代 郡 … 定 数 27 名 中 、 再 選 4 名 は不幸火災に際して陣容整はざるとにより 岐 阜 県 揖 斐 郡 … 定 数 28 名 中 、 再 選 6 名 両氏の当選或は覚束なかるべしと。▼仙北 兵 庫 県 武 庫 郡 … 定 数 27 名 中 、 再 選 10 名 大曲町 山 口 県 都 濃 郡 … 定 数 23 名 中 、 再 選 6 名 氏を推薦し交渉せるが承諾さるべく無競争 山 口 県 大 津 郡 … 定 数 15 名 中 、 再 選 5 名 に当選すべし。 ○ ○ ○ ○ は既報の如く同町予選会にて推薦せ ○ ○ ○ ○ ○ ○ は佐々木吉郎右衞門、藤井正治両 愛 媛 県 越 智 郡 … 定 数 30 名 中 、 再 選 5 名 さ ら に 、 埼 玉 県 文 書 館 所 蔵 『 郡 制 』( 明 21 ② 『 秋 田 魁 新 報 』 大 正 4 年 10 月 13 日 23-2) を 基 に 作 成 し た 【 明 治 32 年 埼 玉 県 北 足 ○福地村郡議選挙 立 郡 会 議 員 選 挙 結 果 】【 明 治 32 年 埼 玉 県 大 里 改選期に於て佐々木健藏、近江福治両氏競 郡 会 議 員 選 挙 結 果 】【 明 治 32 年 埼 玉 県 南 埼 玉 争の際、近江氏は当時全盛の政友会を笠に 郡会議員選挙結果】からは、北足立郡・大里 着て開票の時故意に佐々木氏の投票数票を 郡では前議員の立候補及び再選者が皆無に等 無効に帰せしめ、行政裁判の結果近江氏の しく、それとは逆に南埼玉郡では大地主議員 敗となり、有名なるサヽキケンゾウ事件と が4人再選されるなど、同じ埼玉県内でも郡 して政界の一話柄を残せる。同村は今回も によって選挙結果に大きな差が生じているの 郡内第一の激戦地を以て目され野心満々た 平鹿郡福地村にては前 (87 ) が確認出来る。 る近江氏は、今回も必ず敵手の現はるゝを 見越し種々悪辣手段を講せしが、常に専横 - 74 - の行為を憎める村民は大に激昂し、一村の も余り競争の猛烈を耳にせさりしが、単り 与論を担へる福岡文学士を候補者に推薦し 西目村は県議撰挙の後を承け渡善北能諸氏 大活動せしが、一方近江氏は死力を尽し役 より齋藤太七氏に多大の応援を与へたが為 場等も総立となりて狂奔し、曩に県議候補 め一時佐々木氏の苦戦に陥りしも、流石は を福岡氏に哀請せし政友会参謀竹東氏又近 鎮台見事に最後の勝利を博したは天晴々々。 江氏に応援して、盛に政友会式を発揮せし △東海林ドクトル県議となりて伊藤ドクト も到底大勢抗し難く正義の軍遂に勝を制し ル新たに郡議となる。今歳の芋川方面は医 て首尾よく福岡氏の当選を見たりといふ。 者の当り年となりと云ふものあり。△今よ ○上北手村郡議選挙 河辺郡上北手村は常 り役員を物色するは少しく早計だらうが、 に挙村一致無競争にて議員選挙しつゝあり ナンでも私情や事情に絡らまれす適材撰出 しが、此度の郡会議員選挙に当り青年会は を期待したいものである。 逸早く本村有力家後藤周藏氏を推し、極力 ◎郡会議員選挙―本荘町に於ける 大多数を以て当選せしむへく務めたるに、 県会議員撰挙の疲れも慰せぬ内に直ちに郡 村会議員諸氏は挑戦的に現村会議員手塚與 議逐鹿戦を開始せられた。然かし撰挙区域 七郎氏を推し、両派奮戦に奮戦を極めたる の小なる丈け激甚の度も薄かりしが、本荘 も青年派参謀鎌田多伊治諸氏の努力其効を 町の如きは前議員小田勘兵衞氏九月二日に 表現して、六十六票に対して三十一票即ち 依頼状を発して立候補を発表し、続いて県 三十五票の差を以て後藤氏当選の栄を得た 議を断念せる中山傳兵衞氏は有権者有志よ るは一に青年各位の努力与つて力ありしと。 り発せられた推薦状を配布され、両氏のみ にては無競争に了る可きも石脇の結束上よ ③ 『 本 荘 時 報 』 大 正 4 年 10 月 13 日 郡議撰挙小観 一寸一言生 り快弁家なる佐藤甚之助氏立候補を声明し、 撰挙界少しく色めきしが推薦状を見た翌日 △今回の郡会議員撰挙の結果に就き特に一 氏の断念を伝へらる(是れ何故か或財閥よ 言すへきに元老の勇退とこれに代る新進人 り非立憲にも圧迫を加へ無理に断念せしむ 物 の 輩 出 で あ る 。△ 即 ち 板 垣 、髙 野 、松 永 、 と 巷 間 の 噂 )。 此 の 形 勢 を 見 て 中 原 の 鹿 を 土田、北能、大瀧、三浦等の大老中老去り 美事射で見せんと立つたるは、出戸町を根 て、佐々木、猪股、長谷部、大澤等の少壮 拠とせる逸見周七氏にて勢急に狩立てける 議員を送れるは寧ろ可賀の現象として吾人 が、愈々当日の十日の朝夜来の雨カラリと の歓迎する処である。△只我本荘町より中 晴れて朝より夫れらしき自転車飛ぶあり。 山傳兵衞氏を出だせるはこの気運に遥行せ 県議の投票は午前八時なりければ是れも仝 るが如きも又議場の一異彩も可着であらう。 刻ならんと出戸町辺及桶屋町辺の有権者三 △中山氏と競争すへき決意を以て花々数名 々五々詰め寄せけるも、定刻の九時ならで 名乗りを揚けし新人材佐藤甚之助氏の候補 はと門前に待ち居ると徒然なりけり。投票 断念に就ては、香ばしからさる風評を耳に 所には立会人瀧澤七郎、小關波治郎、齊藤 せるもマサかに事実に非るべし。吾人は只 雄吉三氏は規定の場所を占め、伊藤助役投 周囲の事情に断念を余儀なくせしめられた 票函を管理し下村助役及渡邊書記前方の卓 る氏に多大の同情を表せんと欲す。△矢島 に着き、小笠原書記外二名は受付にありて 町の先輩土田源次郎氏初めて当撰の栄を荷 名簿を備へ、定刻に至るやイの一番には田 ふ。曰く五十にして郡議員たり幸?将た不 口平太郎氏にて外続々と「印を持つて来ま 幸?と氏従来の不遇は爰に局面転換して其 し た か 」と 注 意 さ れ「 ハ イ 持 つ て 来 ま し た 」 前途大に望を可属であらう。△今回は何処 などと受付に黒山を築き、九時三十分には - 75 - 既に九十二名を算せられき……午後三時ま (89 ) でには投票せるもの三百六十一票(総数四 ①『 山 本 郡 役 所 検 閲 書 類 』 (大正6年1月) 百三十六票)にて閉鎖のベルの音を聞く。 党争若ハ部落感情其他ニ起因シタル郡町 直ちに開票となり佐藤警察署長臨場し、外 村ノ重要事件ノ状況 小貫鳥川越の三巡査取締として臨場し開票 講評 本郡ハ政党勢ノ熾烈ナルコト県内第一ノ の結果無効四票、 一八三点 小田勘兵衞 称アリ郡治ハ政争ノ圏外ニ在リ。唯タ町 一一四点 中山傳兵衞 村自治事務カ政争ノ具ニ供セラレルモノ 次点 五八点 逸見周七 外北原九十郎、佐藤甚之助各一点にて全く 閉鎖せるは午后三時二十五分なりき。 アルハ遺憾ナリ。 郡ノ部 本郡ハ従来政友会ノ根拠地ナリシモ、大 正四年ノ頃形勢一変シテ憲政会派優勢ヲ 『秋田魁新報』は憲政会系の立場で論じて 占メ、勢ニ乗シ事ヲ為サントスルノ情況 おり、実際の選挙の結果は土崎港町では村山 ニ在リシモ、幸ニ事ナキヲ得。郡当局モ 喜一郎と越後谷權四郎が、横手町では伊藤慶 政 争 ノ 圏 外 ニ 在 リ テ 、二 者 ノ 融 和 ニ 努 ム 。 太郎と富田彌四郎、大曲町では佐々木吉郎右 近時政党者中政争ノ弊ヲ自覚スルモノヲ 衞門と富樫貞治がそれぞれ当選した。このた 生シ形勢好望ナリ。是ヲ以テ現下郡治ハ め憲政会系と非憲政会系が1議席ずつ分け合 政争ノ外ニ立チ至処ト謂フヘキナリ。 う形になった。 (参考) さらに、郡会と政党の関係を見て行くと、 ( 1 )現 在 各 種 議 員 所 属 別 明 治 32 年 9 月 25 日 実 施 の 第 14 回 秋 田 県 会 議 員 選 挙 で 当 選 し た 31 名 の 県 会 議 員 の う ち 、 10 月 10 日 実 施 の 第 4 回 郡 会 議 員 選 挙 で 当 選 し た 兼 所属別及数 種 別 任 議 員 数 は 10 名 で 、党 派 別 で は 憲 政 本 党 9 名 、 憲政会 政友会 ( 88 ) 中立1名であった。 山 本 郡 … 齋 藤 常太郎 ( 憲 政 本 党 ) 衆議院 一 | 県 会 三 一 郡 会 一七 一二 山 本 庄 司(憲政本党) 南秋田郡…三 井 甚 吉(中立) 由 利 郡…佐 藤 三 次(憲政本党) 仙 北 郡…進 藤 繁 吉(憲政本党) 伊 藤 恭之助 ( 憲 政 本 党 ) 榊 田 淸兵衞 ( 憲 政 本 党 ) 平 鹿 郡…柿 崎 武 助(憲政本党) ( 2) 尚 各 派 ノ 主 領 ト モ 謂 フ ヘ キ 者 ノ 氏 名 憲政会 雄 勝 郡 …茂 木 豐 治( 憲政本党 ) 市川謙一郎 後 藤 兵太郎 ( 憲 政 本 党 ) 島田豐三郎 秋田県公文書館には【表1】からも明らか なように、大正5年から8年にかけて県が9 佐々木久之助 政友会 郡長に対して郡内の状況報告を求めて提出さ 三浦駒造 せた『郡役所検閲書類』が所蔵されている。 三浦權兵衞 このうち、山本郡・平鹿郡の書類からは当時 (90 ) の郡会の様子を伺い知ることが出来る。 ②『 平 鹿 郡 役 所 検 閲 書 類 』 (大正6年2月) - 76 - 党争若ハ部落感情其ノ他ニ起因シタル郡 党争若ハ部落感情其他ニ起因シタル郡町 町村等ノ重要事件ノ概況 村等ノ事件ノ概要 一、講評 一、講評 本郡ハ政党熱盛ナラサルニアラサルモ、 本郡ハ政争熱勢ナルニアラサルモ、郡町 郡議町村議共ニ比較的政争ノ圏外ニ超出 村共ニ比較的政争圏外ニ超出シ、殆ント シ、其ノ弊ヲ蒙ムル町村一二ニ過キサル 其ノ弊ヲ蒙レル町村ナキハ至幸ナリ。 ハ幸甚ナリ。 二、郡ノ部 二、郡ノ部 本郡ハ憲政会ノ根拠地ニシテ、横手町ヲ 本郡ハ憲政会ノ根拠地ニシテ、横手町ヲ 中心トシテ郡ノ四方ニ其勢力ヲ振ヘリ。 中心トシテ郡ノ四方ニソノ勢威ヲ振ヘリ。 唯東北境角間川阿気方面ニ於テ国民党ノ 唯途東北境角間川阿気等ニ於テ国民党ノ 幾分ト南境増田、十文字、醍醐、境町等 存在スルニ過ギズ。然シナカラ本郡ノ南 ニ政友会ノ存スルヲ観ル。 境増田町ノ従来政友会ニ属シタルモノ、 現在県会議員ノ所属ハ憲政会三国民党一、 今次再ヒ政友会ニ復帰シ延イテ十文字村 郡会議員ハ憲政会二三国民党三(湊谷傳 醍醐村等モ之レニ参加スルニアラズヤト 之助、髙橋謙之助、川津貞吉)ニシテ各 観察セラル。斯クノ如クシテ郡ヲ二分シ 派ノ主領ハ左ノ如シ。 各一方ニ拠リ、ソノ弊積シテ逆ニ地方自 憲政会 土田萬助、川上勝淑 治ニ及スナキヤヲ憂ウ。 国民党 中村千代松、最上直吉、 ( 1 )現 在 各 種 議 員 所 属 別 近伊左衞門 政友会 佐々木謙藏、近江福治、 杉浦千代治 所属別及数 郡会ハ現在ニ於テ憲政会絶対多数ナルヲ 憲政会 国民党 政友会 衆議院 、 一 、 以テ紛争ナシ。 この当時、山本郡及び平鹿郡においては憲 政会が優勢を保っていたことが明らかにな 県 会 三 一 、 る 。 大 正 4 年 9 月 25 日 実 施 の 第 18 回 秋 田 県 会 議 員 選 挙 ( 定 数 34 名 ) で は 、 憲 政 会 の 前 身 で 郡 会 二一 五 、 あ る 立 憲 同 志 会 が 22 議 席 、 立 憲 政 友 会 が 8 議 (92 ) 席を獲得しており、郡会の動向と合わせて見 ( 2 )略 各 派 ノ 主 領 ト モ 謂 ウ ヘ キ モ ノ ノ 氏 ると県会及び郡会議員選挙の選挙人=各政党 名左ノ如シ。 支持者の投票行動は連動していたと考えら 憲政会 土田萬助、川上勝淑 れ、政党化の拡大に伴い地域の政党支持基盤 国民党 中村千代松、最上直吉、 はより強固なものとなって県会及び郡会議員 近伊左衞門、湊谷 選挙の結果を左右して行ったと言うことが可 佐々木謙藏、近江富治 能である。 政友会 現在ニ於テハ郡会ニハ憲政会絶対多数ナ ルヲ以テ紛争生スルコトナク。至極平穏 5-5 選挙の罰則規定 ナリ。 「改正郡制」の施行に伴い、西鄕從道内務 ( 91 ) ③『 平 鹿 郡 役 所 検 閲 書 類 』 ( 大正 8 年 3 月 ) 大 臣 は 選 挙 罰 則 を 定 む る べ く 明 治 32 年 7 月 29 - 77 - (93 ) 其ノ誘導ニ応シタル者 日 に「 緊 急 勅 令 発 布 ノ 件 」を 閣 議 に 提 出 し た 。 前項ノ場合ニ於テ其ノ収受シタル物件ハ 秘甲第二九五号 之ヲ没収シ既ニ費用シタルモノハ其ノ価 次回府県会議員及郡会議員選挙ハ全国一時 ヲ追徴ス ニ之ヲ行フモノニ有之、而シテ其結果ハ各 第二条 左ノ各号ニ該当スル者ハ二月以上 党派勢力ノ消長ニ関スヘキヲ以テ、衆議院 二年以下ノ軽禁錮ニ処シ五円以上百円以 総選挙ニ比シテ却テ一層激烈ナル競争ヲ見 下ノ罰金ヲ附加ス ルニ至ルヘシ。然ルニ選挙ニ関スル現行ノ 一 罰則ハ不備ナルヲ以テ、公共ノ安全ヲ保持 スルタメ緊急勅令ヲ以テ之ヲ補フノ必要ア 選挙ニ関シ選挙人ニ暴行脅迫ヲ加ヘ 若ハ之ヲ拐引シタル者 二 リ。別紙勅令案ヲ具シ閣議ヲ請フ。 選挙人ニ対シ往来ノ便ヲ妨ケタル者 又ハ詐偽ノ手段ヲ以テ選挙権ノ行使 ヲ妨害シ若ハ投票ヲ為サシメタル者 激烈なる選挙戦を取り締まる目的で罰則規 三 選挙ニ関シ選挙人又ハ其ノ関係アル 定 は 作 成 さ れ 、 8 月 15 日 に 枢 密 院 で の 諮 詢 を 社寺学校会社組合市町村等ニ対スル 経 て 、 翌 16 日 に 「 府 県 会 議 員 及 郡 会 議 員 選 挙 用水小作債権其ノ他利害ノ関係ヲ利 ニ 関 ス ル 罰 則 」( 同日 勅 令 第 377 号 ) が 公 布 さ 用シ選挙人ヲ威逼シタル者 第三条 れた。 選挙人議員候補者及選挙運動者ニ シテ選挙ニ関シ銃砲槍戦刀剣竹槍棍棒其 選挙ノ前後ヲ問ハス左ノ各号ニ該 ノ他人ヲ殺傷スルニ足ルヘキ物件ヲ携帯 当スル所アル者ハ一月以上一年以下ノ軽 シタル者ハ十一日以上二年以下ノ軽禁錮 禁錮ニ処シ又ハ十円以上百円以下ノ罰金 又ハ五円以上二百円以下ノ罰金ニ処シ其 ニ処ス ノ物件ヲ没収ス 一 選挙ニ関シ直接又ハ間接ニ金銭物品 警察官吏又ハ憲兵ハ必要ト認ムル場合ニ 手形其ノ他ノ利益若ハ公私ノ職務ヲ 於テ前項ノ物件ヲ領置スルコトヲ得 第一条 選挙人又ハ選挙運動者ニ供与シ又ハ 二 当選ヲ妨クルノ目的ヲ以テ演説又 供与センコトヲ申込ミタル者又ハ供 ハ新聞紙雑誌引札帳札其ノ他何等ノ方法 与若ハ申込ヲ承諾センコトヲ周旋勧 ヲ以テスルニ拘ラス議員候補者ニ関シ虚 誘シタル者並ニ供与ヲ受ケ若ハ申込 偽ノ事項ヲ公ニシタル者ハ十一日以上六 ヲ承諾シタル者 月以下ノ軽禁錮ニ処シ二円以上五十円以 選挙ニ関シ酒食遊覧等其ノ方法及名 下ノ罰金ヲ附加ス但シ新聞紙雑誌ニ在テ 義ノ何タルヲ問ハス人ヲ饗応接待シ ハ仍其ノ署名シタル編輯人ヲ処断ス 又ハ饗応接待ヲ受ケタル者又ハ選挙 第五条 当選人其ノ選挙ニ関スル犯罪ニ因 会場若ハ投票所ニ往復スル為メ舩車 リ処罰セラレタルトキハ其ノ当選ヲ無効 場ノ類ヲ供給シ及其ノ供給ヲ受ケタ トシ且ツ裁判所ノ宣告ヲ以テ刑期後尚二 ル者又ハ旅費若ハ休泊料ノ類ヲ代弁 年以上八年以下選挙人及被選挙人タルコ シ及其ノ代弁ヲ受ケタル者並ニ此等 トヲ禁ス ノ約束ヲ為シ又ハ約束ヲ受ケタル者 三 第四条 選挙ニ関シ選挙人又ハ其ノ関係アル 社寺学校会社組合市町村等ニ対スル 第六条 本令ニ依リ処罰スヘキ犯罪ハ六箇 月ヲ経テ時効ニ罹ル 第七条 府県会議員及郡会議員選挙ニ関ス 用水小作債権寄附等其ノ他利害ノ関 ル現行ノ罰則ハ本令ニ規定スルモノヲ除 係ヲ利用シ選挙人ヲ誘導シタル者及 クノ外其ノ効力ヲ妨ケラルルコトナシ - 78 - 第八条 ニ対シ由利郡参事会ノ与ヘタル決定ヲ不当 本令ハ発布ノ日ヨリ施行ス トシ之カ取消ヲ請求スルモノニシテ、其理 (94 ) 「大日本帝国憲法」第8条の規定により、 由トスル所ハ曩ニ由利郡参事会ニ於テ町村 11 月 24 日 に 政 府 は「 明 治 32 年 勅 令 第 377 号( 承 書記ハ町村長ニ属シ庶務ニ従事スヘキ吏員 諾 ヲ 求 ム ル ノ 件 )」 を 帝 国 議 会 に 提 出 し た 。 ニシテ、町村長ノ指揮ニ依リ何時ニテモ選 12 月 2 日 の 衆 議 院 本 会 議 で 内 務 次 官 小 松 原 英 挙事務ニ関係セサルヘカラサルヲ以テ、其 太郎から提出理由が説明され、即日委員会が ノ職務ノ性質上選挙ノ際他ノ事務ヲ分掌ス 設置された。5日から委員会は4回開かれ、 ルモ選挙事務ニ関係ナキ吏員ト云フヲ得ス 12 日 の 委 員 会 裁 決 で 承 諾 を 与 え る こ と が 可 決 トノ理由ヲ以テ、金子藤平ノ当選ヲ無効ト され、廣住久道委員長は片岡健吉衆議院議長 決定シタルモ、書記ハ町村長助役ノ如ク町 に報告書を提出した。一方で廣住委員外3名 村行政事務全般ニ関係アル者ニ非スシテ、 は不承諾を求める少数者の意見書も提出した。 町村制第七十二条ニ依リ分掌事務ヲ掌ル者 14 日 の 衆 議 院 本 会 議 で 廣 住 委 員 長 よ り 委 員 タルコトハ明瞭ナリ。而シテ訴願人ハ上郷 会での審査の経過及び結果報告が行われ、委 村書記ナルモ明治三十六年八月一日即チ選 員山田武は少数者の意見を演説し、花井卓三 挙事務着手以前ヨリ郡長ノ認可ヲ得、規定 は反対、西原淸東は賛成の演説をそれぞれ行 シアル上郷村役場処務規程ニ依リ選挙事務 った。直ちに無記名投票が行われ、白球(承 ニ関係ナキ税務並ニ戸籍法ニ係ル戸籍事務 諾 ) 125 、 黒 球 ( 不 承 諾 ) 149 の 結 果 よ り 不 承 ヲ分担シ、毫モ選挙事務ニ関係セシ事実ナ (95 ) キハ第一号証第二号証第三号証ニ依リ明カ 諾が決定した。 こ の 結 果 を 受 け て 、 20 日 に 西 鄕 内 務 大 臣 は ナリ。且ツ郡制第六条第八項ノ選挙事務ニ 「明治三十二年勅令第三百七十七号ノ執行ヲ 関係アル吏員トハ郡参事会ノ決定ノ如キ町 (96 ) 将来ニ失ハシムルノ件」を閣議に提出し、3 村長ノ指揮ニ依リ、将来何時ニテモ選挙事 月 6 日 勅 令 第 43 号 で 「 府 県 会 議 員 及 郡 会 議 員 務ニ関係セサルヲ得サルノ位置ニアル者ニ 選挙ニ関スル罰則」は失効した。以後、郡会 シテ、現時ノ規定ニ依リ他ノ事務ヲ分掌シ 議 員 の 選 挙 罰 則 は 「 郡 制 」 第 28 条 の 規 定 通 り 居ル者ヲモ包含スルノ意ニアラスシテ、現 市 町 村 会 議 員 選 挙 罰 則 ( 明 治 23 年 5 月 29 日 法 実選挙事務ニ関係セシカ若クハ法規及処務 ( 97 ) 律 第 39 号 ) を 準 用 す る こ と に な っ た 。 等ニ依リ、現ニ選挙事務ニ関係セサルヲ得 サル位置ニアル者而ミヲ指シタルモノタル 5-6 選挙効力をめぐる問題 ハ、収入役ニ関スル行政裁判所判決例ニ依 「改正郡制」下における選挙効力をめぐる ルモ明カナレハ、町村制第七十二条ニ依リ 問題については次の3事例を挙げることが出 規定セル処務規定ニ定ムル所ノ選挙ニ関係 来る。 ナキ分掌事務ヲ掌リ居ル金子藤平ノ当選ヲ 1つ目は秋田県公文書館所蔵『県参事会裁 無効トスルノ理由ナキヲ以テ由利郡参事会 (98 ) 決書』に見られる訴訟の事例である。 ノ決定ハ不当ナリト云フニ在リ。 依テ郡制第二十二条ニ依リ之ヲ受理シ審査 ヲ遂クル処、 裁決書 秋田県由利郡上郷村長岡五拾九番地 訴願人 金子藤平 本件所争ノ要点ハ町村書記ハ郡制第六条第 八項ニ所謂選挙事務ニ関係アル吏員ナル可 右訴願ノ要旨ハ明治三十六年十月十日由利 否ニ在リ、按スルニ元来町村書記ハ町村長 郡上郷村ニ於テ執行シタル郡会議員選挙当 ニ従属シテ庶務ニ従事スヘキ吏員ニシテ町 選効力ニ関シ、篠原春治ノ申立ニ係ル異議 村長ノ指揮ニ依リ何レノ事務ヲモ取扱フヘ - 79 - キモノナレハ、仮令選挙当時他ノ事務ヲ分 務ニ関係アル吏員ニ該当ス 掌シタリトスルモ村長ノ指揮ヲ受クレハ何 原告ハ上郷村書記ニシテ、役場処務規定及 時ニテモ選挙事務ニ関係セサルヘカラサル 事務分担等ノ規定ニ依リ、税務掛ニ属シ出 ヲ以テ、其職務性質上既ニ選挙事務ニ関係 納及戸籍事務ヲ分担シ、選挙事務ニハ毫モ ナキ吏員ト謂フヲ得ス。 関係ナキ者ナルニ、由利郡参事会及被告ハ 以上ノ理由ニ依リ裁決ヲ為スコト左ノ如シ。 職務ノ性質上選挙ニ関係ナキ吏員ト謂フヲ 由利郡参事会カ篠原春治ノ異議申立ニ対シ 得サルモノナレハ、郡会議員ノ被選挙権ヲ 与ヘタル決定ハ取消スヘキ限ニアラス。 有セスト為スハ失当ナリト謂フト雖モ、町 村長ハ当然選挙事務ヲ処弁スヘキ職務ヲ有 明治三十七年一月十五日 秋田県参事会 スルモノニシテ、町村書記ハ之ニ附属スル 秋田県知事椿蓁一郎 モノナレハ、縦令平常事務ヲ分掌スルモ町 村長ノ指揮ニ従ヒ何時カ選挙事務ニ関係セ 明 治 36 年 10 月 10 日 に 実 施 さ れ た 由 利 郡 会 議 サルヲ得サルヲ以テ、其職務ノ性質上既ニ 員選挙上郷村選挙区で当選した金子藤平は選 制第六条第八項ニ該当シ選挙事務ニ関係ナ 挙当時上郷村書記(戸籍事務分掌)であった キ吏員ト謂フヲ得ス。随テ原告ハ郡会議員 ため、その当選効力について次点となった篠 ノ被選挙権ヲ有セサルモノナルニ由リ、由 原春治が由利郡参事会に対して異議申立を行 利郡参事会ノ決定及明治三十七年一月十五 った。由利郡参事会は「郡制」第6条第8項 日被告ノ為シタル裁決ハ取消スヘキモノニ 「選挙事務ニ関係アル吏員ハ其ノ選挙区ニ於 アラス。 テ被選挙権ヲ有セス其ノ之ヲ罷メタル後一箇 月ヲ経過セサル者亦同シ」の規定により金子 行政裁判所も秋田県参事会の決定を支持し たため金子藤平の「郡会議員当選効力ニ関ス 藤平の当選無効の決定を下した。 この訴願は由利郡参事会の決定を不服とし ル裁決取消請求ノ訴」は退けられ当選無効が た 金 子 藤 平 が 、「 郡 制 」 第 22 条 第 4 項 「 本 条 確定し、これにより次点となった篠原春治の 郡参事会ノ決定ニ不服アル者ハ府県参事会ニ 逆転当選が確定した。 ( 100 ) 訴願シ其ノ裁決ニ不服アル者ハ行政裁判所ニ 出訴スルコトヲ得」の規定により秋田県参事 2 つ 目 は 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵『 河 辺 郡 諸 達 』 に見られる議員失職の事例である。 会に提出したものである。しかし、秋田県参 事会も「仮令選挙当時他ノ事務ヲ分掌シタリ 河辺郡告示第三号 トスルモ村長ノ指揮ヲ受クレハ何時ニテモ選 河辺郡会議員森田直江ノ被選挙権ニ関シ郡 挙事務ニ関係セサルヘカラサルヲ以テ、其職 制第七十二条ニ依リ本県知事ノ指揮ヲ受ケ 務性質上既ニ選挙事務ニ関係ナキ吏員ト謂フ 左ノ通リ処分セリ。 ヲ得ス」という理由から由利郡参事会の決定 明治三十五年一月三十一日 河辺郡長前田復二郎 を支持し選挙無効の決定を下した。 さらに、金子藤平は秋田県参事会の決定を 決定書 河辺郡会議員 不服として行政裁判所に出訴した。 森田直江 ( 99 ) 郡会議員当選効力ニ関スル裁決取消請求ノ訴 右森田直江ハ軽犯罪ノ為メ、公判ニ付セラ 三十七年第一二二号同年七月八日宣告 レタル旨其筋ノ通牒ニ接シタルヲ以テ、町 秋田県金子藤平対県参事会 村制第九条及第十二条ニ依リ村会議員ノ選 ▲町村書記ハ郡制第六条第八項ノ選挙事 挙権ヲ失ヒ、随テ郡制第六条郡会議員ノ被 - 80 - 秋田県河辺郡長小林定修 選挙権ヲ失ヒタルモノト認メ、郡制第二十 六条ニ依リ河辺郡参事会ノ決定ニ付シタル 第参拾九号 決定書 処、同会ハ森田直江カ郡会議員ノ被選挙権 河辺郡会議員 ヲ失ヒタルハ前記其筋ノ通牒ニ依リ明瞭ナ ル事実ナルヲ以テ、郡制第二十六条第三項 靑 池 豐 治 ノ手続ヲ要セス、法律上当然ノ処置トシテ 伊藤金五郎 郡長ハ直ニ法定ノ期間内ニ於テ補欠選挙ヲ 右靑池豐治、伊藤金五郎ニ対シ郡会議員ノ 行フヘキモノト認ムトノ決議ヲ為シ、郡参 被選挙権ヲ有セズト認ムル郡長異議ノ要旨 事会カ当然決定スヘキ件ヲ決定セサルニ依 ハ、郡会議員靑池豐治、伊藤金五郎ハ衆議 リ、郡制第七十二条ニ依リ本県知事ニ具状 院議員選挙法違犯ニテ公判セラレタル旨秋 シ其指揮ヲ受ケ左ノ通之ヲ決定ス。 田地方裁判所長ヨリ通知ノ趣ヲ以テ、明治 森田直江ハ郡会議員ノ資格ヲ失フモノトス。 三十五年八月九日本県内務部長ヨリ移牒有 明治三十五年一月三十一日 河辺郡長前田復二郎 之ニ付、同人ハ町村制第九条及第十二条ニ 依リ町村会議員ノ選挙権ヲ失ヒ、随テ郡制 第六条郡会議員ノ被選挙権ヲ失ヒタルモノ 選挙法違反により公判中の身となった河辺 ナリト云フニアリ。依リテ審査スルニ郡会 郡 会 議 員 森 田 直 江 に 対 し 、「 町 村 制 」 第 9 条 議員靑池豐治、伊藤金五郎ハ衆議院議員選 第2項「町村公民タル者身代限処分中又ハ公 挙法違犯ニ付公判ニ付セラレタルニ依リ、 権剥奪若クハ停止ヲ附加ス可キ重軽罪ノ為メ 同人ハ町村制第九条ニ依リ公民タルノ権ヲ 裁判上ノ訊問若クハ拘留中又ハ租税滞納処分 停止セラレ、及同第十二条ニ依リ町村会議 中 ハ 其 公 民 タ ル ノ 権 ヲ 停 止 ス 」 及 び 第 12 条 第 員ノ選挙権ヲ失ヒ、随テ郡制第六条郡会議 1項「町村公民[第七条]ハ総テ選挙権ヲ有 員ノ被選挙権ヲ失ヒタルモノナリ。 ス但其公民権ヲ停止セラルヽ者[第八条第三 以上ノ理由ニ依リ決定スルコト左ノ如シ。 項、第九条第二項]及陸海軍ノ現役ニ服スル 青池豊治、伊藤金五郎ハ郡会議員ノ職ヲ失 者ハ此限ニ在ラス」の規定により、村会議員 フモノトス。 の選挙権の資格を失い、さらに「郡制」第6 明治三十五年八月二十一日 条規定の郡会議員の被選挙権の資格も失った 河辺郡参事会 河辺郡長小林定修 ものと認定し、河辺郡参事会は法律上当然の (101 ) 処 置 と し て 「 郡 制 」 第 26 条 第 3 項 規 定 の 手 続 (102 ) を 省 略 し て 、 第 72 条 の 規 定 に よ り 県 知 事 の 指 揮を受けて郡会議員失職の決定を下した。 先の議員失職の事例と同様に、衆議院議員 選挙法違犯により公判中の身となった河辺郡 森 田 の 議 員 失 職 を 受 け て 、 明 治 35 年 3 月 4 会 議 員 靑 池 豐 治 と 伊 藤 金 五 郎 に 対 し 、「 町 村 日 河 辺 郡 告 示 第 8 号 に よ り 5 月 20 日 に 補 欠 選 制 」 第 9 条 及 び 第 12 条 に よ り 町 村 会 議 員 の 選 挙が実施され、豊島村選挙区から金良之助が 挙 権 の 資 格 を 、「 郡 制 」 第 6 条 に よ り 郡 会 議 当選した。 員の被選挙権の資格をそれぞれ失ったため、 河辺郡参事会は2人の郡会議員失職の決定を 河辺郡告示第参拾号 下した。 河辺郡会議員靑池豊治、伊藤金五郎ノ被選 2 人 の 議 員 失 職 を 受 け て 、 明 治 35 年 9 月 5 挙権ニ関シ郡制第二十六号ニ依リ郡参事会 日 河 辺 郡 告 示 第 33 号 ・ 第 34 号 に よ り 補 欠 選 挙 ニ於テ左ノ通リ決定ス。 が 11 月 15 日 に 実 施 さ れ 、 牛 島 町 選 挙 区 か ら は 明治三十五年八月二十一日 泉三藏、種平村選挙区からは伊藤金五郎がそ - 81 - 臣の下で旧自由党系内務省官僚によって作成 れぞれ当選した。 (103 ) 3つ目は秋田県公文書館所蔵『郡達綴』に された。 見られる議員失職の事例である。 郡制廃止ニ関スル法案並郡制廃止後郡参 河辺郡告示第七号 事会職務権限及郡行政処理方法ニ関スル ( 105 ) 河辺郡参事会ハ郡会議員伊藤石太郎ニ対ス 法律案 ル被選挙権ニ関シ大正四年二月八日左ノ通 現行郡制ハ全国各府県中未タ施行セサルハ、 リ決定セリ。 東京京都神奈川岡山広島香川ノ二府四県ニ 右郡制第二十七条ニ依リ告示ス。 シテ、其ノ之ヲ施行シタル後僅ニ一二年ニ 大正四年二月十三日 河辺郡長猪俣喜藤 河辺郡仁井田村選出 郡会議員伊藤石太郎 至リタルモノ、大阪長崎新潟新潟千葉栃木 奈良三重滋賀岐阜福島岩手和歌山愛媛佐賀 宮崎鹿児島ノ一府十五県ナリ。今其ノ成績 ニ徴スルニ府県ニ依リテハ郡費ヲ以テ他ノ 右大正三年十二月十六日所有土地競売ノ為 事業ニ補助スルモノ多少観ルヘキモノアリ メ 、直 接 国 税 納 税 額 金 参 円 八 拾 七 銭 ニ 減 シ 、 ト雖、特ニ郡事業トシテ経営セルモノ殆ト 郡制第六条第二項ノ資格ヲ有セサルニ至ル 罕ナリ。甚シキニ至テハ郡ノ予算上掲載ス ヲ以テ郡会議員ノ職ヲ失ヒタルモノト決定 ルモノハ単ニ会議費予備費等ニ過キサルモ ス。 ノアリ。彼ノ郡視学ノ費途ノ如キハ小学校 令ノ規定ニ依リ之ヲ支弁スルモノニシテ、 「郡制」第6条第2項「郡内ノ町村公民ニ 郡ニ於テハ国有ノ事件ニアラス。 シテ町村会議員ノ選挙権ヲ有シ且其ノ郡内ニ 今郡ノ行政区画タル沿革ヲ討メルニ、上古 於テ一年以来直接国税年額五円以上納ムル者 ハ暫ク措キ其ノ真ノ行政区画トナリタルハ、 ハ郡会議員被選挙権ヲ有ス」の規定により、 大宝令ニ於テ初メテ之ヲ見ル。爾来郡ニ郡 当然直接国税年額5円以下の者は被選挙権の 司郡代等ヲ置キ其ノ行政事務ヲ処理セシメ 資格を失う定めになっていた。河辺郡会議員 タリ。明治四年廃藩置県ノ際郡町村ノ区画 伊藤石太郎は土地競売のため直接国税が年額 シテ大小区トナリタリシカ、十一年七月郡 3 円 87 銭 に 減 額 し た た め 、 河 辺 郡 参 事 会 は 郡 区町村編制法ヲ制定シテ旧制ニ復シ地方ヲ 会議員失職の決定を下した。 画シテ府県ノ下郡区町村ト為シ、二十三年 伊藤の議員失職を受けて、大正4年4月1 郡制発布ノ当時ニ至レリ。去レハ郡ハ古来 日 河 辺 郡 告 示 第 11 号 に よ り 補 欠 選 挙 が 6 月 10 一ノ行政区画ニシテ未タ曽テ自治ノ認許シ 日に実施され、仁井田村選挙区から佐々木龜 タルコトアラス。 吉が当選した。 之ヲ既往ニ徴シ之ヲ現在ニ鑑ミルニ、郡ハ 行政区画トシテ之ヲ存スルノ必要アルハ固 6 郡制廃止への動き ヨリ言フヲ俟タスト雖、自治団体トシテ存 置スルハ大ニ考慮ヲ要スルモノアリ。彼ノ 6-1 郡制廃止構想 戦後ノ経営トシテ兵事教育勧業等諸般法令 郡制廃止構想については飯塚一幸氏によっ ノ制定セラルヽヤ、一ニ郡長ヲシテ其ノ事 て、第2次松方正義内閣から第1次大隈重信 務ヲ管掌セシメサルハナキモ、是レ皆国ノ 内閣において具体化して行った過程が明らか 行政事務ニ属シ郡ノ自治ニ属スル事務ニア (104 ) になっている。 最初の「郡制廃止法案」は板垣退助内務大 ラス。殊ニ現行郡制ニ於ケル大地主制ノ如 キハ、之ヲ実験ニ徴スルニ到底我国ニ適切 - 82 - ナル制度ニアラス。況ンヤ現行ノ規程ニ付 の、郡長=郡役所機構については手をつけず テハ実ニ容易ナラサルノ弊害アルハ既ニ一 維持することが前提とされていること、②郡 般ノ認ムル所ナリ。且ツ復選法モ世運ノ進 の事業を受け継ぐべき組織として町村組合を 歩ニ鑑ミ之ヲ直接選挙ニ改正セサルヘカラ 想定していることである。 スルノ時機ニ達セリ。此ノ二点ノ如キハ制 この郡制廃止は第1次大隈内閣の崩壊に伴 度ノ不完全ヨリ来ル結果ナシハ之ヲ改正ス って実現しなかった。さらに、第2次山縣有 レハ可ナルヘシト雖、原来郡ニ自治ヲ認許 朋内閣の成立後、憲政党がそれまでの郡制廃 シ之ヲ法人ト為スノ必要如何ニ至リテハ、 止論・郡長公選論から郡制改正路線へと転じ 前陳ノ如ク郡ハ古来一ノ行政区画トシテ存 たことにより、郡制は改正され、廃止論は一 在セシ沿革ニ徴スルモ、亦現ニ郡事業トシ 旦封印されることになった。 (106 ) テ経営スルモノヽ微々タル点ヨリ観ルモ、 之レヲ自治団体トシテ存在シ複雑ナル制度 6-2 原敬の内務省統制 ヲ設クルノ必要ナシ。依テ此際寧ロ郡ハ純 第1次西園寺公望内閣の成立とともに内務 然タル一ノ行政区画トシ以テ府県ト町村ト 大臣に就任した原敬は内務省改革に着手し、 ノ中間ニ介在セシメ、郡長ヲシテ一意専心 若手官僚の政党編入と地方行政機構の政党 国ノ行政事務ヲ管掌シ併セテ町村監督ノ事 化、すなわち立憲政友会の党勢拡大に辣腕を 務ヲ遂行セシメムコトヲ期ス。依テ茲ニ郡 揮った。 制廃止法律案並郡制廃止ノ結果トシテ必要 原はまず山縣系内務官僚を排除して省内統 ナル法案ヲ併セ第十三回議会ニ提出セラレ 制を確立する一方で、非派閥の帝大官僚を起 ンコトヲ望ム。 用して行った。その中には内務省地方局長に 右閣議ヲ請フ。 就任した前秋田県知事床次竹二郎、内務省神 (107 ) ( 108 ) 内務大臣 社局長兼内務大臣秘書官水野練太郎らが含ま れていた。 郡制廃止ニ関スル法律案 山縣系末端官僚 明治二十三年五月法律第三十六号郡制ハ明 の地方支配を排除 治三十二年三月三十一日限リ之ヲ廃止ス すべく原は「郡制 郡制廃止後郡参事会ノ職務権限並郡行政 廃止法案」を作成 ノ処理方法ニ関スル法律案 し 、 明 治 39 年 3 月 第一条 法律中郡参事会ノ職務権限ニ属ス 3 日 に 第 22 回 帝 国 ル事項ニ関シテハ追テ法律ヲ改正スルマ 議会(衆議院)に テノ間命令ノ定ムル所ニ依ル 提出した。衆議院 第二条 郡費ヲ以テ支弁スル事業並其ノ財 では6日に第一読 産営造物ノ処理方法及之ヲ承継スヘキ町 会が開かれ、即日 村組合ノ組織ニ付必要ナル事項ハ命令ヲ 郡制廃止法案外一 原敬(国立国会図書館 以テ之ヲ定ム 件委員会(委員長 近代日本人の肖像) 附則 第三条 大岡育造)が設置 此ノ法律ハ明治三十二年四月一日 ヨリ施行ス さ れ た 。委 員 会 で は 15 日 に 原 案 通 り に 可 決 し 、 17 日 に 第 一 読 会 の 続 会 が 開 か れ 大 岡 委 員 長 の 委員会報告後に全会一致で可決し貴族院に送 この「郡制廃止法案」の特徴として挙げら れるのは、①郡制の廃止は規定しているもの 付された。 原は貴族院対策として、山縣、清浦奎吾を - 83 - 訪問し、さらには男爵議員を中心とする会派 案ニ就イテ簡単ニ説明ヲ致シテ置キマス、 (109 ) 「 木 曜 会 」 に も 説 明 に 出 向 い た り し た 。 19 日 此案ハ既ニ第二十二議会ニ於キマシテ衆議 に 第 一 読 会 が 開 か れ 、 翌 20 日 か ら は 郡 制 廃 止 院ヲ通過イタシ、貴族院ノ議事中ニ会期尽 法律案外二件特別委員会(委員長侯爵細川護 キマシテ、其侭ニ相成リマシタ案デアリマ 成 ) で の 審 議 が 始 ま っ た が 、 27 日 の 通 常 会 閉 ス、然ルニ其以後政府ニ於キマシテ段々地 会に伴い審議未了のまま廃案となった。 方ノ情況モ調査イタシマスシ、又郡制ヲ廃 シマシタ以後ノ処分ニ就イテモ篤ト勘考ヲ 郡制廃止法律案 致シ、地方ニ命ジテソレソレ調査ヲ致サセ 郡制ハ之ヲ廃止ス マシタ、其結果トシテ矢張リ最初ニ昨年提 出イタシマシタト同様ニ、郡制ヲ存在スル 附則 本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム法律 ノ必要ヲ認メマセヌ、依テ今回再ビ提出イ ノ規定中郡参事会ノ権限ニ属スル事項ニシ タシマシタ次第デアリマス、要スルニ今日 テ特ニ規定ヲ要スルモノ其ノ他郡制ノ廃止 ノ地方制度ハ府県制、郡制、市町村制ノ三 ニ伴ヒ必要ナル事項ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム 階級ニ自治体ハ分レテ居リマスルガ、此中 従来郡及郡組合ニ属スル財産営造物事業及 ニ就キマシテ郡制ヲ廃止イタシテ二階級ノ 権利義務ノ処分ハ関係アル府県参事会ノ意 制度ニ改メタイノデアリマス、又之ヲ従来 見ヲ徴シ内務大臣之ヲ定ム ノ沿革ニ鑑ミマシテモ、郡制ト申スガ如キ モノハ自治制トシテ存在イタシタコトハ無 郡制廃止法案理由書 地方自治体ハ府県ト市町村ノ二階級ニシテ 論 ナ イ ト 記 憶 イ タ シ マ ス 、是 ハ 法 律 ノ 結 果 、 足レリ特ニ其ノ中間ニ郡ノ自治体ヲ存置ス 府県市町村ノ間ニ此制度ヲ布カレタル訳ト ルノ必要ヲ認メス是レ本案ヲ提出スル所以 考ヘマスル、昨年モ既ニ申シマシタ如ク、 ナリ 自治ノ要素ヲ備ヘテ居リマセヌ原因モ即チ 此所ニ存在スルノデアラウト思ヒマス、又 原 は 再 起 を 期 し て 、 翌 40 年 2 月 19 日 に 第 23 此制度ヲ実施イタシマシテ、古キモノハ十 回 帝 国 議 会( 衆 議 院 )に 再 び「 郡 制 廃 止 法 案 」 五六年、新シイモノモ七八年ニナッテ居リ (110 ) を提出し、ここに「官僚対政党戦の偵察戦」 マスルガ、其地方ノ情況ヲ見マスルノニ、 が 開 始 さ れ た 。 衆 議 院 で は 21 日 に 第 一 読 会 が 或ハ何等ノ効用ヲ成サヌ所モアリ、或ハ多 開 か れ 、即 日 郡 制 廃 止 法 律 案 外 三 件 委 員 会( 委 少ノ仕事ハ致シテ居リマスルガ、或ハ寧ロ 員長肥塚龍)が設置された。委員会では3月 町村若クハ府県デ致ス方ガ適当デアラウカ 1日に前年と同じく原案通りに可決し、翌2 ト認メラレルモノモ多イノデアリマス、左 日第一読会の続会が開かれ神前修三委員長代 様ナル情況デアリマスルカラ、此三階級中 理の委員会報告、賛否の討論の後に記名投票 ノ一階級ヲ取リマシテ、二階級ノ地方制度 が 行 わ れ 、白 票( 賛 成 )188 票 対 青 票( 反 対 ) ニ改メマスルコトハ、今日ノ実況ニ照シマ 164 票 の 賛 成 多 数 に よ り 第 二 読 会 の 開 会 が 決 シテモ、又古来ノ沿革ニ照シテモ適当ナル 定され、第三読会を省略して法案は可決し貴 処分デハアルマイカト考ヘマス、殊ニ今日 (111 ) 族院に送付された。貴族院では6日に第一読 ノ情況ハ日露ノ大戦役モ終リマシテ、地方 会が開かれ、原は「郡制廃止法案」の提出理 制度ニ対シテハ最モ注意ヲ致シテ刷新ヲ計 由 を 丁 寧 に 述 べ た (『 貴 族 院 議 事 速 記 録 』 明 ルベキ時機デアラウカト考ヘマス、ソレデ 治 40 年 3 月 6 日 )。 斯様ナル時機デアリマスルカラ、尚更以テ 地方制度ヲ簡易ニ致シテ、従来自治ノ要素 ○ 国 務 大 臣 (原 敬 君 ) 唯今ノ郡制廃止法律 ヲ備ヘテ居ル市町村ハ益々之ヲ発達セシメ - 84 - テ、地方ノ進歩発達ヲ計リタイト云フ訳デ ことを如実に示す結果となったことは明らか アリマス、固ヨリ申スマデモ無ク国家ノ基 であるが、原は日記にこの日の出来事を次の 礎ハ町村ヨリ生ジマスルノデ、之ニ十分ノ ように記している。 (114 ) 力ヲ尽スト云フコトハ適当ナルコトデアラ ウカト信ジマス、旁々コノ郡制廃止案ハ昨 貴族院にて郡制廃止案賛成百八反対百四 年不幸ニシテ通過イタシマセヌデアリマシ 十九にて否決となる、賛成者中に欠席者あ タガ、本年ハ成ルベク此希望ヲ達シタイト り午後退席者あり、又形勢の不可を見て反 考ヘマス、而シテ此廃止案ガ幸ニ協賛ヲ得 対に投票したる者もありて此差を来せり、 マシテ実施ニナリマスル以後ノ処置ニ付イ 否らざれば今少しく其差を減じ十二三名の テハ、既ニ法案中ニモ記載シテ置キマシタ 差なりしならん。山縣系の運動は真に非常 如クニ府県参事会ノ意見等ヲ聞キマシテ、 なるものにて此結果を来せしが、夫れにし 営造物其他ノ処分ヲ致シマスルシ、尚又地 ても彼等の力は驚くべきものにあらず、全 方官ニモ訓令イタシマシテ、各地方毎ニソ く縁故なかりし貴族院が斯くまで動き且つ レソレ処分法ハ一応上申イタサセテ置キマ 政友会の如き大政党の感情を害するは憲政 スガ、是ハ其地方地方ゴトノ考デアリマス の為めに不可なりとの議論生じたる位なれ ルカラ、尚ホ篤ト内務省ニ於テモ調査シ、 ば、山縣の貴族院に於ける勢力も驚くべき 地方官ニモ諮ッテ然ル後ニ処分イタス、処 程のものにはあらざるが如し。 分ノ際ニハ法案ニ示スガ如ク府県参事会ノ 意見モ承ッテ処分シナケレバナラヌト云フ 原は貴族院によって「郡制廃止法案」が否 コトハ当然ナコトデアリマシテ、此辺ニ付 決されたことについて「官僚派としては、寧 イテハ最モ慎重ニ注意ヲ致シテ処分スル積 ろ不名誉の勝利であつて、茲に、官僚派の鼎 リデアリマスガ、要スルニ此制度ハ今日存 の軽重は問はれた」ことを強く実感し、この 在イタスノ必要ヲ認メマセヌ、故ニ廃止案 経験がその後の政治的基盤をより強固なもの ヲ提出イタシタ次第デアリマス、尚ホ詳細 にする原動力となったことは言うまでもな ノコトハ委員会等ニ於テ陳述イタサウト考 い。 ( 115 ) ヘマス、且昨年ニ於テ既ニ大体陳述イタシ 原が最初に「郡制廃止法案」を提出してか タコトモアリマスルカラ、尚ホ進ンデ委シ ら 4 カ 月 後 の 明 治 39 年 7 月 2 日 、 内 務 省 地 方 クハ申シマセヌガ、大体ノ趣意ハ斯ノ如キ 局長床次竹二郎から秋田県知事淸野長太郎宛 次第デアリマスルカラ、篤ト御審査ノ上、 に郡制廃止に関する照会が行われた。 (116 ) (117 ) 原案ノ通リ通過セラレムコトヲ希望イタシ マス 内務省秘甲第八七号 郡制廃止ノ資料ニ供シ度ト存候ニ付、左ノ 即 日 、郡 制 廃 止 法 律 案 外 二 件 特 別 委 員 会( 委 員 長 子 爵 曾 我 祐 準 ) が 設 置 さ れ 、 15 日 ・ 16 日 ・ 18 日 の 3 日 に わ た っ て 審 議 が 行 わ れ た 。 18 件々来ル八月三十一日迄ニ御調越相成度、 此段及照会候也。 明治三十九年七月二日 (112 ) 日 の 委 員 会 採 決 で は 9 対 4 で 可 決 さ れ た 。 21 日に第一読会の続会が開かれ、曾我委員長の 委員会報告、賛否の討論の後に記名投票が行 わ れ 、 白 票 ( 賛 成 ) 108 票 対 青 票 ( 反 対 ) 149 印 内務省地方局長床次竹二郎□ 秋田県知事淸野長太郎殿 一郡ノ重ナル事業並各共本年度予算額(各 郡各事業別) (113 ) 票で否決された。このことは山縣系の占める 一郡制廃止ノ結果前項ノ事業ニ及ホス影響 貴族院が依然として阻止の最大勢力であった 一郡制廃止ノ結果設置ヲ要スト認ムル町村 - 85 - 組合並其町村ノ数(各郡財産営造物事業 挙クレハ、従来郡ニ於テ施設経営シ来リ 権利義務) タル事業ノ一切ヲ挙テ之ヲ町村組合ト為 一郡制廃止ノ結果町村自治ニ及ホス影響 スニ於テハ、郡制廃止ヲ為サルニ同シキ 一郡制廃止ノ結果制度ノ制定更改ヲ要スト ヲ以テ、力メテ町村組合ヲ避クルトキハ 各事業ノ補助ハ勿論教育奨励、准教員準 認ムルモノトアレハ其見込 一其他実験上ニ付郡制存置ヲ要セス又之カ 備場費、留学費及統計費並ニ勧業ニ関ス 廃止ヲ可トスル特殊心付ノ事由アレハ其 ル諸費(植林事業ヲ除ク)ハ之ヲ全廃セ 事由 サルヘカラス。今仮リニ此等ノ事業中其 必要ナル事業ヲ町村各自ニ経営スルモノ 県からは6日付で9郡長宛に照会が行わ アルトスルモ、其資力ノ点ニ於テ遺憾ナ れ 、 24 日 か ら 8 月 9 日 ま で の 間 に 答 申 が な さ キヲ得サルヘシ。又道路改修工事ハ第三 れた。しかしながらその内容は必ずしも郡制 項ニ述フルカ如ク関係町村ノ組合事業ト (118 ) 廃止に前向きなものばかりではなかった。 このため秋田県からの回答は遅々として進 ナスモ、其ノ負担ノ増加ニ伴ヒ、勢ヒ予 定ノ計画ヲ襲踏スルヲ得サルヘシ。要之 (119 ) ま ず 、 10 月 8 日 に 内 務 省 か ら 再 度 の 照 会 が 行 ニ郡制廃止ノ結果ハ前記各事業ニ一頓挫 われた。 ヲ来スモノト云フヘシ。 三、郡制廃止ノ結果設置ヲ要スト認ムル町 秘甲第八七号ノ内 村組合並其ノ数ヲ各財産営造物事業権利 七月二日秘甲第八七号ヲ以及照会候郡制廃 義務別ニ挙クレハ、 止資料ニ関スル件ハ、至急御回答相成度、 ( 1 )事 業 此段及照会候也。 継続事業タル仙北郡ノ植樹事 業ハ、郡財産造成ノ目的ヲ以テ三十二 明治三十九年十月八日 印 内務省地方局長床次竹二郎□ 秋田県知事淸野長太郎殿 年度以来十ケ年ノ継続事業トシテ毎年 植栽シツヽアレハ、之カ伐採ノ時期ニ 至ル迄ハ全部各町村(四十ケ町村)ノ 組合ヲ要ス。又改修道路ハ費用ノ一部 こ う し て 県 か ら の 回 答 は 大 幅 に 遅 れ て 20 日 ハ一般郡費ヲ以テ支弁セルモ、大部分 (120 ) に至りようやく提出された。その内容は内務 ハ関係町村ノ夫役ヲ以テ支弁シ来レル 省が期待したものとは異なり、9郡長からの ヲ以テ、之ガ竣工ヲ告クル迄ハ関係町 回答を踏まえた上で郡制廃止に前向きな態度 村ノ組合ヲ要ス。今之ヲ細別スレハ由 を示していなかった。 利郡ニアリテハ刈和野街道ニ於テ二ケ 村、西沢街道ニ於テ三ケ村、平鹿郡ニ 秋収地第二四五号(明治卅九年十月廿日) 年月日 知事 地方局長宛 本年七月内務省秘甲第八七号ヲ以テ郡制廃 アリテハ沼館街道ニ於テ五ケ村、三重 街道ニ於テ四ケ村、川西街道ニ於テ三 ケ村ノ組合ヲ要ス。 ( 2 )財 産 及 営 造 物 河辺、鹿角西部ノ植 止ニ関スル資料ニ付、御照会相成候条、左 林シタル樹木ハ成木ニ至ルマテ全町村 記ノ通リニ有之候。此段及回答候也。 ノ組合事業ト為ス必要スルモ、郡会議 記 一、郡ノ重ナル事業並各其ノ本年度ノ予算 額 ハ 別 紙 ノ 如 シ (別 紙 略 )。 二、郡制廃止ノ結果各事業ニ及ホス影響ヲ 事堂、図書館、公会堂及公園ニ在リテ ハ、其ノ利益ヲ最モ多ク取得スル町村 即チ其所在地ノ町村ニ譲与シ、有償証 券並ニ現金ハ郡内各町村ニ適当ノ方法 - 86 - ヲ以テ分配スルトキハ町村組合ヲ設ク 田 肇 ) が 設 置 さ れ た 。 2 月 21 日 に 委 員 会 で 原 ルノ必要ナシ。 案 通 り 可 決 さ れ た も の の 、 25 日 の 衆 議 院 本 会 四、郡制廃止ノ結果町村自治ニ及ホス影響 議では第一読会の続会延期に関する記名投票 ハ、郡費ノ負担ハ之ヲ減スルヲ得ルモ、 が 行 わ れ 、 白 票 ( 賛 成 ) 121 対 青 票 ( 反 対 ) 郡事業タリシ事業中町村各自ニ影響セサ 67 で 延 期 が 可 決 さ れ そ の ま ま 議 決 に 至 ら ず に ルヘカラサルモノモ亦タ少カラサルヘキ 廃案となった。 ヲ以テ、町村ニ此ノ負担ハ却テ増加スル 2 例 目 は 大 正 3 年 1 月 に 菊 池 武 德 が 第 31 回 モノアルヘク、之レヲ数町村ノ組合ニ依 帝 国 議 会 ( 衆 議 院 ) に 提 出 し た も の で 、 31 日 ラシメンカ、容易ニ其ノ組合ヲ成立セシ に第一読会が開かれ、即日郡制廃止法律案委 ムルコト能ハサルハ、従来郡ニ於ケル新 員会(委員長菅原傳)が設置された。3月6 事業ノ成立ノ難キ実例ニ徴スルモ明カナ 日 の 委 員 会 で 原 案 通 り 可 決 し 、 10 日 に 第 一 読 リ。要之ニ郡制廃止トナラハ事業ノ種類 会の続会が開かれ菅原委員長の委員会報告、 如何ニ依リテハ町村ニ於テ容易ニ之ヲ企 賛否の討論の後に全会一致で可決し貴族院に 図スルヲ得サルヘシ。 送 付 さ れ た 。 貴 族 院 で は 10 日 に 第 一 読 会 が 開 ( 123 ) 五、郡制廃止ノ結果制度ノ制定ハ多々アル かれ、即日郡制廃止法律案特別委員会(委員 ヘシト雖、当然改廃ヲ要スルモノハ暫ク 長 伯 爵 柳 原 義 光 ) が 設 置 さ れ た 。 19 日 の 委 員 措キ、財産営造物ノ処分ニ関スル規定ハ 会 で は 賛 成 者 少 数 に よ り 否 決 さ れ 、 21 日 の 第 最モ細密ノ規定ヲ要スヘシ。 一読会の続会では柳原委員長から「否決ニ御 六、郡制廃止ヲ可トスル特殊心付ノ点ハ実 験上記載スヘキモノナシ。 賛成ヲ願」うという委員会報告がなされ、第 二読会は開会されずに否決された。 また郡制廃止の請願については2例あり、 この回答の中で特に4番目の内容からは郡 1 例 目 は 明 治 41 年 3 月 に 広 島 県 安 芸 郡 中 山 村 制廃止の結果、各町村からの郡費の賦課は無 濱 本 正 蕃 外 11 名 が 請 願 し た も の で 19 日 に 衆 議 くなるものの、郡事業の種類によっては各町 院 で 可 決 さ れ て い る 。 2 例 目 は 大 正 10 年 7 月 村に影響を及ぼすものも少なくなく、逆に各 に大阪府西成郡北中島村長小岸安昌及び全国 町村に負担が増加すると指摘している。その 町村長会長漆昌巖が請願したもので、4月に 対策として数町村の組合を組織して負担軽減 「郡制廃止ニ関スル法律」が公布されたため を図ろうとしても容易にその成立は達成され 請願の請求が行われなかった。 (124 ) ( 125 ) ず、郡制廃止となれば事業の種類によっては 各町村で実施出来ないものも出て来ると述べ ている。 6-3 新聞の論調 秋田県での郡制廃止に対する新聞の論調を 淸野長太郎秋田県知事からのこの回答は内 見てみると、憲政本党系の立場を取る地元新 務省にとっては当然納得の行くものではなか 聞 『 秋 田 魁 新 報 』 で は 明 治 39 年 3 月 12 日 と 14 っ た 。 そ の 影 響 を 示 す か の よ う に 11 月 26 日 付 日に「郡制及郡役所の廃止」の題下で廃止論 で 前 法 制 局 参 事 官 下 岡 忠 治 が 第 18 代 秋 田 県 知 に賛成の社説を掲載している。 (121 ) 事に就任した。 次に議員立法として提出された「郡制廃止 法 案 」 の 事 例 を 見 て 行 く と 、 1 例 目 は 明 治 37 年 12 月 に 尾 見 濱 五 郎 が 第 21 回 帝 国 議 会 ( 衆 議 ◆ 「 秋 田 魁 新 報 」 明 治 39 年 3 月 12 日 「 郡 制 及 郡 役 所 の 廃 止 ( 上 )」 郡制及郡役所の廃止は、久しく世人の唇 ( 122 ) 院 ) に 提 出 し た も の で 、 25 日 に 第 一 読 会 が 開 頭に上ほりし問題にして、今や之を議会に かれ、即日郡制廃止法律案委員会(委員長元 見るに至りたる所以のもの、機会の遭遇を - 87 - 得しものにして、必ずしも新説卓論にあら るは、殆んと怪訝に堪へざるを得ず。 じ。吾人の之が為め言を費やさんとするも 何となれば、郡制の制定は、前述の如く のも、殆と無用の冗弁たるを免れざるも、 団体の事実に立せしものにあらずして、寧 地方の事情に対照し、聊か其の遂行せざる ろ郡役所なる空式より成りしものなればな べからざる所以を説かんとす。 り。即ち郡役所と郡制とは全く賓位の関係 元来、我国の自治制なるものは、自治団 を有するものなり。既に賓位たる郡制の無 体の必要に迫られたるものに非ずして、寧 用たる以上は、郡役所の主位をも亦必要と ろ政府が几上の空案たるに過きさりき。言 せざるは自明の理と言はざるへからず。只 を換ふれば、事実に立せずして、空式に成 政府当局者として、稍々躊躇する所あるは りしなり。故に所謂る自治体たる、県制又 行政監督上、多少の支障あらんことを恐る は町村制と雖も一種の官臭を帯び、只其の ればなるべし。 義務の重荷あるも、権利の自由なきは、吾 人の言を待たざるなり。 左れど、吾人の観る所を以てすれば、此 の郡役所を存置するが為めに、却て行政機 只、県制又は町村制の廑かに維持し得ら 関の渋滞を来たし、監督上不利なるを敢言 るゝ所以のものは、県又は町村に於ける団 せざるを得ず。何となれば、郡長の委任条 体の事実あるを以てなり。而して、郡の如 件なるものは極めて狭溢にして、郡役所の きは地図の色彩と、行政的空式の外は全く 政務なるものは、全く県庁町村役場間の電 烏 有 に し て 、即 ち 団 体 の 事 実 な き も の な り 。 話交換手たるの観あるに過ぎざればなり。 されば、数年来の経験に徴し、郡制に依り 然かも何等の距離を有せずして交換局を設 て郡民の得たる所一もなきに比し、却て失 く、是却て電話の効力を減少するものにあ ふ所多大なりしは、争ふべからざるの事実 らずして何ぞや。吾人は想ふ、郡役所の廃 なり。 止は、啻に県国庫の負担を減却すること多 試みに一二の例を列挙すれば、郡会ある きのみならず、却て政務簡捷の利を増すこ が為めに、無用の郡事業を起し、有用の郡 と大ならんことを。吾人は更に進んで、町 費を徒費せるは其の一なり。此等の中には 村の現状に鑑み、郡役所廃止が目下の最大 比較的有用の事業絶無なりとは断ぜられざ 急務たる所以に論及せん。 るも、多くは不急の土木を起し、郡民の負 担を重荷せるは、全国各地の通弊たるを免 ◆ 「 秋 田 魁 新 報 」 明 治 39 年 3 月 14 日 れじ。而して之が為め不測の紛擾を惹起し 「 郡 制 及 郡 役 所 の 廃 止 ( 下 )」 却て自治制の活動を阻礙する其の二なり。 郡制及郡役所の廃止に伴ふべき必要は、 自治制の訓練を積まずして、名誉職の争擾 町村の連合にありとす。是れ、行政監督を となり、人心の凶悪を醸もし、自治の基礎 簡捷ならしむる唯一の良策にして、亦町村 を危うからしむるは、現今町村自治の現状 の自治を発展せしむる無二の捷径なればな なりとす。郡制の如きは、更らに此の勢を り。行政監督上に於ける利益は、吾人の詳 助長せしむるの外、何等の功果をも結ばざ 説を要せざる所、請ふ町村自治の発現に対 るものなり。則ち、郡制は百失ありて一利 しては、聊か数言を試む所あらん。 なしと言ふも誣言にあらざるなり。 町村制実施以来、町村自治の現況如何と 聞く処に依れば、郡制廃止に対しては、 問ふものあらば、吾人は直下に其の否境を 政府当局者も亦之に同意なりと。是亦当然 答へざるを得ず。言を換ふれば、毫も自治 の理にして別に怪しむを要せさるも、郡役 の理想に達せず、却て独立の基礎を危ふせ 所廃止に対し、多少躊躇の色なきにあらざ んとしつゝあればなり。則ち何れの町村と - 88 - 雖も、多少の町村債を有せざるはなく、而 る猫額的嶋国には、毫も之を認むること能 して旧債未た償還せられずして、新債続出 はざるを以てなり。否、吾人は府県と雖も せざるなく、焉んぞ自治の理想を実現する 亦此例に傚ひて連合し、政費を減し、自治 ことを得ん。 を発展すべきことを唱道せざるを得ざるなり。 町村債の基因は、必ずしも町村が無用の 吾人の宿論たる町村の連合は、単一に行 事業を企画せしねりにあらずして、寧ろ法 ふべきにあらず。何となれば、県庁か直接 律命令に余儀なくせられたる必至の施設に に行政を監督する上に於て、煩絮を増すべ 過ぎず。而して其の重なるものは、教育費 きを以てなり。又現在の役場員にては到底 及衛生費に在りとす。此等の過半は、町村 之に応すること能はざればなり。故に其の 富豪の寄附に依るものあるも、猶其の負担 前提として、先つ郡制及郡役所を廃止し其 を減ずること能はず、遂に債務を起さゝる の論結として町村を連合せしめ、以て郡役 べからざる困厄に遭遇せしものなり。殊に 所を経由せさるも行政に渋滞を来さしめさ 教育及衛生は、一朝一夕の事故にあらずし る役場員を得、更らに自治の目的に対して て、戸口の繁殖、町村の発達と共に、益々 は、負担を減却し、債務を弁償し、財産を 其の設備を拡充せざるべからざるものに属 設定し、而して始めて町村制の精神を発現 し、吾人は将来に於て、益々債務を増加す し得べきことを確信するものなり。 るも、財産を設定するの時機あらざるを信 ずるものなり。 『秋田魁新報』はその社説で郡制廃止に賛 蓋し、町村自治の基礎は、財産の設定に 成する理由として、①無用の郡事業(土木) 在るや謂ふ迄もなし。故に主務省に於ても を起こし、有用の郡費を徒費していること、 屡々模範町村の治績を示して、之が奨励を ②郡会に不測の紛擾を引き起こし、自治制の 為すつゝあるものゝ如し。左れど、此等の 活動に支障を来していることの2点を主張し 町村は多く特別の天幸あるものにして、一 ている。また、郡制・郡役所廃止後の措置と 般の企及すること能はさるのみならず、一 して町村連合の必要性を強調している。この 般の町村は、前述の如く法律命令に余儀な ことから日露戦争後においては秋田県でも郡 くせられて、債務を重ぬるの已むを得さる 制廃止に対する意識が受容される環境が整い に至れるもの、単に之を羨望するに過きざ つつあったと見ることが出来る。 (126 ) るものなり。 故を以て、町村をして其の負担を減却せ 6-4 「郡制廃止法」の成立 しめ、債務を償還せしめ、財産を設定し、 大 正 7 年 9 月 29 日 、 陸 軍 ・ 海 軍 ・ 外 務 大 臣 自治の理想を実現せんとするには、町村を 以外の閣僚に立憲政友会党員を起用した本格 連合し、其の区域を拡大するの外に良策を 的政党内閣として原敬内閣が成立した。 求むること能はず。されど、実際に於て、 原内閣は産業の振興、交通の整備、教育の 町村を分立せしむるよりも連合せしむるに 改善、国防の充実のいわゆる「四大政綱」を 困難なることは、屡々事実の上に顕はるゝ 内閣の基本政綱に掲げて政友会の党勢拡大を 所なり。則ち利害、風俗、人情の異同を論 狙い、衆議院議員選挙法を改正して(大正8 拠 と し 、之 に 反 対 す る も の 多 き を 以 て な り 。 年 5 月 22 日 法 律 第 60 号 )、 小 選 挙 区 制 度 を 導 されど、此等は眼孔狭溢なる者の苦情にし 入するとともに選挙権の納税資格を直接国税 て、殆と何等の価値なきものなり。露国の 10 円 か ら 3 円 に 引 き 下 げ た 。 翌 9 年 、 憲 政 会 如き、人種言語の異なれるものならば多少 及び立憲国民党から男子普通選挙制度の導入 の理由あるべしと雖も、風俗習慣の同一な を盛り込んだ衆議院選挙法改正案が提出され ( 127 ) - 89 - る と 、 原 は こ れ に 反 対 し て 会 期 中 の 2 月 26 日 大正十年一月六日 に衆議院を解散した。与党政友会にとっては 内務大臣床次竹二郎 有 利 な 選 挙 戦 と な り 、 5 月 10 日 に 実 施 さ れ た 内閣総理大臣原敬殿 第 14 回 衆 議 院 議 員 選 挙 ( 定 数 464 議 席 ) で は (128 ) 単 独 過 半 数 の 278 議 席 を 獲 得 し て 圧 勝 し た 。 「郡制廃止法案」が閣議決定されたのは閣 議 に 提 出 し て か ら 2 カ 月 が 経 過 し た 3 月 11 日 立 憲 政 友 会 278 議 席 59.9 % のことである。この間、原内閣は「郡制廃止 憲 法案」をどのように取り扱おうとしていたの 政 会 109 議 席 23.5 % 立憲国民党 29 議 席 6.3 % で あ ろ う か 。 そ の 鍵 を 握 る の が 11 日 付 閣 議 書 無 48 議 席 10.3 % とは別に残されている8日付閣議書の存在で 所 属 (130 ) ある。この閣議書には各大臣の花押も書かれ 原は衆議院で与党 ておらず、廃案の付箋が貼られている。 政友会の絶対安定多 数を獲得する一方 別紙内務大臣請議郡制廃止ニ関スル法律案 で、政治的支配力を 及衆議院議員選挙区ニ関スル法律案ヲ審査 強化するために官僚 スルニ、郡制廃止ノ理由ハ郡制ヲ必要トス 派の拠点であった貴 ル理由ニ比シ必スシモ有力ナリト認ムル能 族院の分断工作、い ハサルノミナラス、郡制実施以来既ニ三十 ゆわる「両院縦断」 年ノ久シキニ及ヒ且郡ハ行政区画トシテハ を進め最大会派で子 仍之ヲ存置スルノ必要アルニ拘ラス、郡ヲ 爵議員が多数を占め 自治団体トシテ存在セシメサルコトトシ、 る「研究会」を与党 以テ五百三十有余ノ自治議会ヲ廃止スルハ 化させた。 地方自治ノ助長ヲ阻礙スルモノト認ムルヲ 床次竹二郎 (『国史大辞典』) 貴 衆 絶 対 安 定 多 数 の 最 中 、 大 正 10 年 1 月 6 以テ郡制ハ之ヲ廃止セス、単ニ時世ノ進運 日、床次竹二郎内務大臣は「郡制廃止法案」 ニ伴ヒ必要ナル郡会議員ノ選挙権及被選挙 ( 129 ) を閣議に提出した。 権ヲ拡張スル等ノ改正ヲ為スコトトシ、別 案ノ通閣議決定帝国議会ニ提出セラレ可然 内務省九秘第一一号 ト認ム。 郡制廃止ニ関スル法律案及衆議院議員選 挙区ニ関スル法律案ノ件 ここで明らかになるのは「郡制廃止法案」 ( 131 ) 郡制ハ既往ノ実績ニ鑑ミ将来ノ趨勢ニ稽ヘ とは別に法制局において「郡制改正法案」も 之ヲ存置スルノ必要ナク、之ヲ廃止スルニ 作成されていたということである。なぜ2つ 依リ幾多ノ利益アリト認ム。又郡制廃止ノ の法案が同時に作成されたのか。政友会内部 結果ハ郡ハ単純ナル行政区画タルニ止マル の 動 き に つ い て 2 月 15 日 付 『 東 京 朝 日 新 聞 』 ヲ以テ、其ノ区域ノ変更ハ法律ヲ以テスル は次のように伝えている。 ヲ要セサルコトトナルモ、右ハ衆議院議員 ノ選挙区ニ関係ヲ及ホスニ依リ、将来郡ノ 政友会にては十三日予算本会議散会後院内 区域変更ノ為衆議院議員ノ選挙区ニ異動ヲ 幹部室に於て総務会を開き元田、岡崎、村 及ホサシメサルノ必要アリト認ム。依テ別 野、小川、川原、鵜沢、山本、三土、小久 紙法律案ヲ提出ス。 保、広岡各院内外総務及望月幹事長出席、 右閣議ヲ請フ。 先ず郡制廃止問題に就き種々協議する所あ - 90 - り 。原 首 相 は 多 年 の 宿 論 を 実 現 せ ん が 為 め 、 ノ手続ハ訴訟ノ目的タル権利義務ノ帰属 是非共今期議会に其の提案を為さんものと 者又ハ相手方カ之ヲ受継ク迄中断ス 鼻息頗る荒きが如きも、元来政友会の地盤 前二項ノ外郡制廃止ニ付必要ナル事項ハ は郡会を基礎として築き上げられたるもの 勅令ヲ以テ之ヲ定ム なれは、今俄に郡制を廃止せらるゝに於て 附 則 は地盤の根柢に動揺を来し党勢上由々しき 第一条施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム但 大問題なるのみならず、仮に幹部は是等の シ第二条ノ処分及帰属ニ関スル手続終了シ 犠牲を忍びて同意するとしても、党員の多 タル府県ニ付テハ内務大臣ハ其ノ施行ノ期 数は自己の利害関係に重大なる影響を有し 日前別ニ施行ノ期日ヲ定ムルコトヲ得 絶対反対にて結束の至難なるは今より明瞭 なり。而も理論上より見て郡道の始末や其 14 日 に 「 郡 制 廃 止 法 案 」 は 政 府 提 出 法 案 と 他の種々の事業の関係上郡制を存置するの し て 第 44 回 帝 国 議 会 に 提 出 さ れ 、 衆 議 院 で は 便利なる事情こそあれ、今是非共之れを廃 翌 15 日 に 「 府 県 制 中 改 正 法 律 案 」「 北 海 道 地 止せざる可からざる程の必要は毫も認むる 方 費 法 中 改 正 法 律 案 」「 衆 議 院 議 員 選 挙 区 ニ 能わず。唯原首相の面目を立てんが為めに 関スル法律案」の4件合同の第一読会が開か 党の結束を破らんとするが如き問題を此際 れ 床 次 内 務 大 臣 が 提 出 理 由 を 述 べ た (『 衆 議 態々持出すは如何にも心得難き事なれば、 院 議 事 速 記 録 』 大 正 10 年 3 月 16 日 )。 十四日幹部一同原首相と会見し郡制廃止の 提案を断然思い止まらしめんと云うに一致 尚ホ郡制廃止法案ニ就テ大体ノ説明ヲ申上 せり。 ゲマスルガ、郡制廃止ノ事ハ、既ニ数回本 院ニ於テハ可決通過致シテ居ル事柄デゴザ 2月半ばにおいて政友会内部では原内閣の リマスルガ、未ダ今日マデ其目的ヲ達セズ 「郡制廃止法案」提出に反対意見があった。 ニ居ルコトデアリマス、然ルニ更ニ慎重ニ このため与党政友会の党内調整及び閣内不一 攻究致シテ見マシタ結果、今日ニ於テモ尚 (132 ) 致を避ける目的で2法案は同時に作成され、 ホ此郡制ハ之ヲ存置スルノ必要ナク、廃止 2カ月の歳月を費やしながらも原は宿願を達 スルコトヲ以テ適当ナリト考ヘマシタノデ、 成 す べ く 閣 内 統 一 を 目 指 し 、 会 期 末 間 近 の 11 爰ニ重ネテ廃止案ヲ提出致シタ次第デアリ 日の閣議で「郡制廃止法案」が決定されたも マス、郡制ハ施行以来二十有余年ヲ経テ居 のと推察出来る。 リマスルガ、郡自治体ノ施設ヲ致シテ居リ マスル事業ノ実況ヲ調ベマスルニ、其成績 郡制廃止ニ関スル法律 ノ見ルベキモノハ甚ダ少ナイノデアリマス、 第一条 郡制ハ之ヲ廃止ス 誠ニ経費ノ点カラ申シマスルト、大正九年 第二条 郡制廃止ノ為郡又ハ郡組合ニ属ス 度ノ郡費歳出予算総額ハ三千百余万円デア ル営造物及事業ノ処分並権利義務ノ帰属 リマシテ、之ヲ道府県ノ歳出予算中、北海 ニ付必要ナル事項ハ関係府県、郡、郡組 道並ニ沖縄県ヲ除キマシタ府県ノ歳出予算 合、町村、市町村組合及町村組合ノ府県 ヲ申シマスレバ、二億六百余万円ニ相成ッ 会、郡会、郡組合会、町村会、市町村組 テ居ル、其一割五分強デゴザリマス、同ジ 合会及町村組合会ノ意見ヲ徴シ主務大臣 ク市区町村歳出予算五億四千七百余万円ニ 之ヲ定ム ナッテ居リマスルガ、郡ノ歳出予算ハ之ニ 本法ニ依リ郡又ハ郡組合消滅スル場合ニ 対シテ、僅ニ其五分強ニ過ギナイ有様デア 於テハ郡又ハ郡組合ヲ当事者トスル訴訟 リマス、郡ノ事業ガ遠ク府県市町村ノ事業 - 91 - ニ及バザルコトハ、ソレデモ明カデゴザイ ルヲ得ナイノデアラウト考ヘマス、加之我 マス、殊ニ郡費ノ中事務費補助費等ノ類ヲ 国ノ町村ハ其面積頗ル広ク、戸口モ又随分 除イテ、真ニ郡ノ事業費ト見ルベキモノヲ 多イノデアリマス、而モ府県ハ其郡ノ上ニ 挙ゲマスレバ、其額僅ニ千八百余万円デア 在ッテ面積割合ニ狭ク、戸口モ割合ニ少ナ リマシテ、之ヲ一郡ニ平均致シマスレバ約 イノデアリマス、是ニ於テ其中間ニ在ル所 三万五千円ニ過ギマセヌ、今日町村ニ於テ ノ郡ノ自治体ト云フモノハ、実際ニ於テ其 モ其事業費ハ四五万円ニ上ッテ居リマスル 必要ヲ見ザルノデアルト考ヘマス、我国ノ モノモ少クナイノデアリマス、即チ一郡ノ 町村ハ町村制施行ノ際其数七万デゴザイマ 事業ハ一町村ノ事業ニモ及バナイモノガ少 シタ、之ヲ合併シテ一万三千ト致シタノデ クナイノデゴザリマス、加フルニ今日全国 ア リ マ ス ル ニ 依 ッ テ 、一 町 村 ノ 広 袤 、人 口 、 ノ郡ニ於テ経営致シマスル所ノ事業ハ、土 戸数ハ、之ヲ英吉利ナリ独逸等ニ比較致シ 木デモ、教育デモ、勧業、衛生、各種ノ方 マスレバ、彼ノ数町村ニ匹敵致シテ居リマ 面ニ渉ッテ居リマスルガ、之ヲ各郡ニ就テ ス、随テ現ニ彼ノ国々ニ於テ郡ノ経営スル 見マスルニ、事務費補助費ノ外事業費トシ 事業モ、我国デハ、町村ガ多ク之ヲ経営致 テハ経常費支出予算額僅ニ五千円ニモ達セ シテ居ルト謂ウテ宜シカラト思フノデス、 ザルモノ、即チ殆ド事業トシテ見ルベキモ 即チ我国ノ郡ハ彼ノ国々ノ郡ニ比較致シマ ノヽアリマセヌノガ、全国五百三十七郡ノ スルニ、其活動ノ範囲ハ狭小デアリマスル 中百二十七郡モゴザイマス、斯ノ如ク郡ノ ノハ、洵ニ当然ナ事デアルト申シテ宜シカ 事業ハ其量カラ申シテ少イノミナラズ、又 ラウト考ヘル、畢竟シマスルニ郡事業ハ成 此事業ノ内容ニ於テモ、満足スベカラザル 績 ノ 挙 ラ ナ イ ノ ハ 、我 国 自 治 制 度 ノ 沿 革 ト 、 状態ニ在ルモノモ少クナイノデアリマス、 郡ノ地位トガ其原因ヲ成スモノデアルトス 是等ハ地方ノ事情ニ通ズル人々ノ斉シク承 ル以上、今日並ニ将来ニ於テモ、大ニ其発 知シテ居ル所デアリマス、府県又ハ大ナル 達ヲ期待スルコトハ出来ナイト考ヘマスル、 市町村ガ教育、勧業、土木、其他、各般ノ 果シテ左様デゴザイマスレバ、今日五百有 事業ノ並ビ行ッテ其ノ費用各数万回乃至数 余ノ郡ノ自治体ヲ、全国ニ普遍的ニ存置セ 十万円ノ多キニ上ッテ、自治体トシテノ実 シムル必要ハ無イト考ヘマス、之ヲ廃止致 績ヲ挙ゲツヽアルノニ比較致シマスレバ、 シマシテ、其経営ノ事業ヲ府県ニ或ハ町村 郡ノ状態ハ日ヲ同ジウシテ語ルコトノ出来 ニ移シマシテ、各々是等ヲシテ活動セシム ナイ有様デアリマス、斯ノ如ク郡ノ事業ノ ル方ガ、地方行政ノ効果ヲ挙ゲルニ、一層 成績ノ挙ラナイノハ、何ニ依ッテ斯ノ如ク 適切ナル遣リ方デアルト認メルノデアリマ デアルカト申シマスレバ、一ハ郡ノ自治体 ス、即チ資力豊富ナル機関ノ整備シテ居ル ハ、府県及市町村ニ遅レテ発達致シタノデ 所ノ府県、或ハ利害関係ノ一層切実ナル町 ゴザイマス、随テ住民ノ郡ニ対スル自治観 村ヲシテソレゾレ有効ニ経営致サシムル方 念薄ク致シテ、自治体トシテノ基礎ノ鞏固 ガ宜シカラウト考ヘマス、之ヲ要シマスル デナイト云フノガ其一ツデアリマス、又或 ニ無クモガナノ郡ヲ存シテ、地方ノ三級制 ハ郡ハ府県ト町村トノ間ニ介在致ス所ノ中 度ヲ維持致スヨリハ、寧ロ之ヲ廃シテ簡明 間団体デアッテ、而モ府県町村ハ郡ヨリモ ナル制度ニ致スコトガ、大体ニ於テ其宜シ 先キニ発達致シテ、組織モ随テ鞏固デアル キヲ得タルモノト考ヘルノデアリマス、乃 ガ為メニ、地方事業ノ主ナルモノガ、多ク チ由ッテ以ッテ事務ノ簡捷ヲ期シ、町村自 ハ府県市町村ニ於テ経営セラレル結果トシ 治ノ活動ヲ促シ、又町村ノ自治行政ヲ指導 テ、郡ノ経営スベキ事業ガ、自ラ少カラザ スル上ニ於テ、大ニ力ヲ伸ベルコトモ出来 - 92 - 得ルコトデアラウト考ヘルノデアリマス、 スル郡ノ義務ヲ承継シタル公共団体ハ退 右ノ理由ニ依リマシテ今日之ヲ廃止致シマ 隠料又ハ遺族扶助料ノ支給ヲ受クル者死 スルコトハ、最モ適当ナリト信ジマスルコ 亡シ又ハ権利消滅シタル場合ニ於テ其ノ トデアリマス、何卒御協賛ヲ願ヒタイノデ 遺族其ノ他ノ者ニ対シ従前ノ郡ノ規定ニ ゴザイマス、 依リ遺族扶助料ヲ支給スルノ義務ヲ負フ 第三条 退隠料若ハ遺族扶助料ノ支給ニ関 即 日 「 郡 制 廃 止 法 案 」 は 2 月 24 日 に 設 置 さ スル郡ノ義務ヲ承継シ又ハ前条ノ規定ニ れた府県制中改正法律案外八件委員会(委員 依リ遺族扶助料支給ノ義務ヲ負担シタル 長 田 邊 熊 一 ) に 付 託 さ れ 、 19 日 に 原 案 通 り 可 公共団体ハ其ノ退隠料又ハ遺族扶助料及 決した。同日、第一読会の続会が開かれ田邊 其ノ支給方法ヲ変更スルコトヲ得変更ノ 委員長の委員会報告、賛否の討論の後に原案 手続ニ付テハ其ノ公共団体ノ吏員ニ対ス 通り可決し貴族院に送付された。貴族院では ル退隠料又ハ遺族扶助料ノ支給ノ規定ノ 22 日 に 「 府 県 制 中 改 正 法 律 案 」「 北 海 道 地 方 変更ノ例ニ依ル 費 法 中 改 正 法 律 案 」「 衆 議 院 議 員 選 挙 区 ニ 関 第四条 郡ノ有給吏員ニシテ郡制廃止ノ為 ス ル 法 律 案 」の 4 件 合 同 の 第 一 読 会 が 開 か れ 、 失職シタルモノヲ引続キ他ノ公共団体ノ 17 日 に 設 置 さ れ た 市 制 中 改 正 法 律 案 外 二 件 特 有給吏員ニ任用シタルトキハ従前属シタ 別 委 員 会( 委 員 長 公 爵 近 衞 文 麿 )に 附 託 さ れ 、 ル郡ノ退隠料又ハ退職給与金ノ支給ニ関 委 員 会 で は 賛 否 の 意 見 が 出 た が 、 25 日 に 原 案 スル在職期間ハ新ニ属シタル公共団体ノ 通 り に 可 決 し た 。 翌 26 日 の 第 一 読 会 の 続 会 で 退隠料又ハ退職給与金ノ支給ニ関スル在 (133 ) は近衞委員長の委員会報告、賛否の討論の後 職期間ニ通算ス但シ新ニ属シタル公共団 圧倒的多数をもって原案通り可決成立した。 体ニ於テ本令施行ノ際退隠料又ハ退職給 原 内 相 が 企 図 し て 以 来 15 年 の 歳 月 を か け て 、 与金ノ支給ニ関スル規定ノ設ケナキトキ 4 月 11 日 に 「 郡 制 廃 止 ニ 関 ス ル 法 律 」( 大 正 ハ此ノ限ニ在ラス 10 年 法 律 第 36 号 ) が 公 布 さ れ た 。 前項ノ規定ニ依リ退隠料又ハ退職給与金 ノ支給ニ関スル在職期間ヲ通算スル場合 6-5 「郡制」と郡役所の廃止 ニ於テハ第一条ノ規定ハ之ヲ適用セス そ の 後 、 加 藤 友 三 郎 内 閣 の 下 で 、 大 正 11 年 前二項ノ規定ハ郡ノ有給吏員ニシテ郡制 11 月 29 日 に 「 郡 制 廃 止 ニ 関 ス ル 件 」( 大 正 11 廃止ノ為失職シタルモノヲ引続キ他ノ公 年 勅 令 第 502 号 ) が 、 翌 12 年 3 月 14 日 に 「 大 共団体ヨリ俸給ヲ支給スル職員ニ任用シ 正十年法律第三十六号第一条施行期日ノ件」 郡ヨリ俸給支給シタル職員ニシテ郡制廃 ( 大 正 12 年 勅 令 第 44 号 )が そ れ ぞ れ 公 布 さ れ 、 止ノ為解職セラレタルモノヲ引続キ他ノ 郡制は同年4月1日をもって廃止されること 公共団体ノ有給吏員ニ任用シ又ハ郡ヨリ になった。 俸給ヲ支給シタル職員ヲ郡制廃止ノ為他 ノ公共団体ヨリ俸給ヲ支給スル職員ニ任 郡制廃止ニ関スル件 第一条 郡ノ有給吏員ニシテ郡制廃止ノ為 失職シタルモノハ郡ノ隠退料又ハ退職給 与金ノ支給ニ関スル規定ノ適用ニ付テハ 用シタル場合ニ於テ其ノ者ノ退隠料又ハ 退職給与金ノ支給ニ関スル在職期間ニ付 之ヲ準用ス 第五条 大正十年法律第六十三号第二条又 郡制廃止ノ直前ニ於テ廃職又ハ事務ノ都 ハ本令第二条ノ規定ニ依リ公共団体ニ於 合ニ依リ退職シタル者ト看做ス テ承継シ又ハ負担シタル退隠料退職給与 第二条 退隠料又ハ遺族扶助料ノ支給ニ関 金又ハ遺族扶助料ノ給与ニ関スル異議訴 - 93 - 願及訴訟ニ付テハ当該公共団体ノ吏員ニ 対スル退隠料退職給与金又ハ遺族扶助料 ノ給与ニ関スル異議訴願及訴訟ノ例ニ依ル ヲ準用ス 附 則 本令ハ大正十年法律第六十三号第一条施行 郡制第八十一条又ハ第八十二条ノ ノ日ヨリ之ヲ施行ス但シ同法附則但書ノ規 規定ニ依ル給与ニ関スル異議訴願及訴訟 定ニ依リ別ニ同条ノ施行期日ヲ定メタル府 ニ付テハ従前ノ規定ニ依ル但シ其ノ給与 県ニ付テハ其ノ日ヨリ之ヲ施行ス 第六条 ニ関シ異議アル者ハ之ヲ府県知事ニ申立 ツヘク郡制廃止前郡長ニ申立テタル異議 大正十年法律第六十三号第一条施行期日 ハ之ヲ府県知事ニ申立テタル異議ト看護 ノ件 做ス 大正十年法律第六十三号第一条施行ノ期日 前項但書ノ規定ニ依ル給与ニ関スル異議 ハ大正十二年四月一日トス 及其ノ訴訟ニ付テハ府県制第九十五条又 ハ第九十六条ノ規定ニ依ル給与ニ関スル 異議及訴訟ノ例ニ依ル 郡 制 廃 止 直 前 の 大 正 12 年 3 月 12 日 に 開 会 し た 河 辺 郡 臨 時 郡 会 で は 、 翌 13 日 に 郡 長 飯 塚 保 (134 ) 第七条 郡制第八十七条ノ規定ニ依ル過料 五郎が閉会式に当たり次の式辞を述べた。 ニ関シ郡長ノ為シタル処分ニ関スル訴願 及訴訟ニ付テハ従前ノ規定ニ依ル 第八条 此ニ臨時郡会モ無事終了致シマシタ。決議 郡制第九十三条ノ規定ニ依ル使用 ニナツタ事柄ハ決議ノ趣旨ニ従ヒ執行致シ 料手数料ノ徴収又ハ郡費ノ分賦ニ関スル マス。本日ノ臨時郡会ハ最終ノモノテアリ 異議訴願及訴訟ニ付テハ第六条ノ規定ヲ マシテ、多年郡治上ニ貢献セラレタル諸君 準用ス ニ対シテハ深ク感謝スル次第テアリマス。 第九条 郡制第九十四条ノ規定ニ依ル滞納 道路問題ノ如キハ他郡ニ比シ誇ル所テアリ 処分ニ関スル訴願及訴訟ニ付テハ従前ノ マス。各位ハ将来其地方自治ノ為メ一層御 規定ニ依ル但シ町村吏員ノ処分ニ不服ア 尽力ヲ願マス。終リニ臨ミ諸君ノ健康ヲ祈 ル者ハ府県参事会ニ訴願スヘク郡制廃止 ル次第テアリマス。 前郡参事会ニ提起シタル訴願ハ之ヲ府県 参事会ニ提起シタル訴願ト看做ス 3 月 30 日 に は 南 秋 田 郡 外 8 郡 の 権 利 義 務 に (135 ) 第十条 郡出納吏及郡吏員ノ身元保証及賠 関する告示がなされた。 償責任ニ関シテハ従前ノ規定ニ依ル但シ 郡長ノ権限ニ属スル事項ハ府県知事郡参 秋田県告示第百三十号 事会ノ権限ニ属スル事項ハ府県参事会之 南秋田郡外八郡ノ権利義務ハ郡制廃止法ニ ヲ行フ 依リ内務大臣大蔵大臣ハ郡制廃止ノ日ヲ期 前項但書ノ規定ニ依ル府県知事ノ処分ニ トシ左ノ通帰属ヲ定メラレタリ 不服アル郡出納吏ハ其ノ処分ヲ受ケタル 大正十二年三月三十日 日ノ翌日ヨリ起算シ十四日内ニ内務大臣 ニ訴願スルコトヲ得 賠償金ノ滞納処分ニ関スル訴願及訴訟ニ 付テハ前条ノ例ニ依ル 第十一条 郡制廃止ニ伴フ経過事務ハ郡長 之ヲ処理ス 第十二条 前各条ノ規定ハ郡組合ニ関シ之 秋田県知事岸本正雄 一、河辺郡債ノ義務ハ同郡牛嶋町外十四箇 町村ニ別表ノ通帰属セシム 一、郡吏員職員退隠料退職給与金支給ノ義 務ハ秋田県ニ帰属セシム 一、前各号ノ外町村ニ帰属セシムルモノヲ 除ク外ノ権利義務ハ秋田県ニ帰属セシム - 94 - 野、柿崎三県議始め郡内各官公衙長、小 「郡制廃止ニ関スル件」の公布以降、秋田 県と9郡の間では営造物をはじめとする各帰 学校長、産業団体代表、横手町議、同会 社銀行代表等百十名参列 属の問題について綿密なやり取りが行われ、 定刻植場平鹿郡長はじめ所員一同列席、か 最終的に次の6項目が9郡から秋田県に移管 くて式は挙げられ植場郡長は起つて式辞を (136 ) される事になった。①各郡立図書館、②仙北 述べ、 郡 立 大 曲 高 等 女 学 校 ( 後 の 大 曲 高 等 学 校 )、 郡役所廃止は時代の上から喜ぶべきもの ③北秋田郡立大館農事講習所、④各郡設置産 であると雖、吾々にとつては悲哀の感を 業職員全部吸収、⑤各郡に於て施設中の町村 深かくするものあり。思ひを今自治体に 農 業 職 員 設 置 奨 励 事 業 、そ の 他 一 般 農 業 補 助 、 めぐらせば、人民は一層自覚を為し亦諸 ⑥郡道中県道と密接な関係を有し、且つ枢要 君の援助を待たねばならないのである。 地 区 間 の 連 絡 道 路 と し て 稲 庭 岩 ケ 崎 線 外 45 線 此郡衙と別れると思へば惜別の情に堪へ 路。 ず最後の郡長として感無量である。部下 そ の 一 方 で 河 辺 郡 で は 牛 島 町 外 14 町 村 が 11 年 か が り で 大 正 10 年 3 月 31 日 、同 年 12 月 28 日 、 の身上を思ふ時また言ひ得ぬ感に打たれ る。諸氏の御察しを乞ふ。 翌 11 年 7 月 11 日 の 3 回 借 入 分 の 郡 債 償 還 に 追 言悲壮、全堂無量の感に打たれて声一つな われることになった。 く来賓長野県知事、髙瀨監督判事の所感演 郡制廃止後も行政組織として郡役所は残さ 説、郡町村会を代表して桑野角間川町長は れていたが、第1次若槻禮次郎内閣の下で大 「四十八年間の自治、産業に対して指導さ 正 15 年 6 月 30 日 を も っ て 廃 止 さ れ る こ と が 決 れ今日は自治発達し郡役所の要なきまでと (137 ) 定した。郡役所廃止によって廃官となる吏員 なつたからとは言へ、今後の我々の責任は ( 138 ) に つ い て は 、「 改 正 地 方 官 官 制 」( 大 正 15 年 重大である。名宰植場郡長の時廃庁となり 6 月 3 日 勅 令 第 147 号 ) 及 び 「 改 正 地 方 産 業 惜 別 の 念 深 し 。」 と 郡 衙 員 に 対 し 謝 辞 を 述 ( 139 ) 職 員 制 」( 大 正 1 5 年 6 月 28 日 勅 令 第 2 31 号 ) べ同三十分式終了。その場に茶話会は開か の公布によって各府県吏員に転任出来ること れたるが植場郡長から参列者一同に記念の となり、秋田県では9郡役所の廃止に伴い、 菓子を贈り、茲に自治制上の一大変更の終 ① 属 43 名 ( 10 0 円 給 5 名 、 55 円 給 38 名 )、 ② 焉を告げた。 視学4名、③雇4名、④給仕4名、⑤小使2 名 、 ⑥ 農 林 技 手 21 名 ( 畜 産 事 務 4 名 、 水 産 事 30 日 、 長 野 幹 秋 田 県 知 事 は 廃 庁 を 迎 え る に 務 2 名 、 蚕 業 事 務 5 名 、 農 業 事 務 10 名 ) の 計 当たって9郡長宛に次の電報を打電した(河 78 名 が 秋 田 県 吏 員 と し て 任 用 さ れ る こ と が 決 辺 郡 長 へ は 文 書 通 達 )。 ( 141 ) (140 ) まった。 6 月 27 日 、 平 鹿 郡 役 所 で は 他 郡 に 先 立 っ て 廃庁式が執り行われた。 本日限リ郡役所廃止サルルニ方リ、既往多 年間職員各位ノ努力ニ依リ、地方自治ノ発 展産業教育等ノ振興ニ関シ、多大ノ貢献セ ◆ 『 秋 田 魁 新 報 』 大 正 15 年 6 月 29 日 ラレタル功績ヲ思ヒ、各位ニ対シ深甚ノ敬 二十七日午後二時から他郡に先立つて平鹿 意ト感謝ノ意ヲ表ス。 郡役所は悲壮なる廃庁式は挙行された。式 場同所楼上会堂には、 か く し て 明 治 12 年 1 月 15 日 に 9 郡 役 所 が 開 髙瀨監督判事、山下検事、澤横中校長、 庁 し て 以 来 48 年 間 、 地 方 行 政 組 織 と し て 歩 み 猪越税務署長、岸谷警察署長、土田、片 続けた郡の歴史にピリオドを打った。 - 95 - れて来なかった郡会議員選挙の実態も併せて むすび 考察を試みた。郡制史論としてはさらに論を 深めて、秋田県公文書館所蔵の郡会・郡参事 以上から次の6点を大要として述べること が出来る。 会 に 関 す る『 事 務 簿 冊 』を 基 と し て 、 「郡制」 に則って郡会・郡参事会がいかなる機能と役 ①秋田県において郡制の施行は概ね良好に 割を果たしていたのか、その実態を解明する な さ れ た と 見 る こ と が 出 来 る 。し か し な が ら 、 必要がある。このことについては今後の研究 郡会議員の選挙効力及び任期の問題からも明 課題の1つとして少し時間をかけて論考を試 らかなように、県のみならず郡町村に至るま みたいと思っている。 で法規の徹底が完璧に図られていたとは言え ない。 注 ②郡制の改正によって、全国の動向と同じ ( 1) 「 秋 田 県 に お け る 郡 役 所 の 職 務 分 課 の 変 遷 ように秋田県においても郡会の存在価値は県 に つ い て 」( 秋 田 県 公 文 書 館 編 『 研 究 紀 要 』 会よりも低くなり、そのことは選挙の投票結 第 13 号 、 平 成 19 年 (2007) 3 月 、 17 ~ 48 頁 )。 果にも如実に示された。 「 秋 田 県 に お け る 郡 役 所 の文 書管 理 制 度 の 成 ③郡制成立当初から存在した政争の波は、 立 に つ い て ― 「 郡 区 町 村 編制 法」 下 を 中 心 と 直選法の採用によって地方における政党の党 し て ― 」( 秋 田 県 公 文 書 館 編 『 研 究 紀 要 』 第 勢拡大を招き数の論理で郡会を動かし、直前 14 号 、平 成 20 年( 2008 )3 月 、 21 ~ 40 頁 )。「 秋 に実施された県会及び郡会議員選挙の選挙人 田 県 に お け る 郡 役 所 の 文 書管 理制 度 の 展 開 に =各政党支持者の投票行動は連動していたと つ い て ― 「 郡 制 」 下 を 中 心 と し て ― 」( 秋 田 考えられ、政党化の拡大に伴い地域の政党支 県 公 文 書 館 編 『 研 究 紀 要 』 第 15 号 、 平 成 21 持基盤はより強固なものとなって県会及び郡 年 (2009) 3 月 、 21 ~ 40 頁 )。「 秋 田 県 に お け 会議員選挙の結果を左右して行った。 る 郡 役 所 の 文 書 管 理 制 度 の再 検討 ― 「 郡 区 町 ④日露戦争後に起こった郡制廃止論に対し 村 編 制 法 」 下 に つ い て ― 」( 秋 田 県 公 文 書 館 て 、 秋 田 県 で は 明 治 39 年 の 時 点 で 新 聞 の 賛 成 編 『 研 究 紀 要 』 第 16 号 、 平 成 22 年 (2010) 3 論調とは反対に県の対応は内務省提出回答か 月 、 21 ~ 40 頁 )。「 秋 田 県 に お け る 郡 役 所 の らも明らかなように、必ずしも肯定的態度を 文 書 管 理 状 況 に つ い て ― 県庁 内務 部 作 成 の 巡 示していなかった。 察 報 告 書 の 分 析 ― 」( 秋 田 県 公 文 書 館 編 『 研 ⑤貴族院及び衆議院で絶対安定多数を占め た原内閣において「郡制廃止法案」と「郡制 究 紀 要 』 第 17 号 、 平 成 23 年 (2011) 3 月 、 48 ~ 67 頁 )。 改正法案」の2つの閣議書が同時に作成され ( 2) 秋 田 県 編 『 秋 田 県 史 』 第 5 巻 ・ 明 治 編 、 昭 て い た 事 実 か ら 見 て 、「 郡 制 廃 止 法 案 」 の 成 和 52 年 (1977)11 月 ( 復 刻 版 )、 138 ~ 140 頁 。 立は与党政友会の党内調整と閣内統一を目指 ( 3 ) 第 380 番 触 示 ( 吉 岡 重 五 郎 編 『 秋 田 県 触 示 して慎重に万全を期して達成されたものであ 便 覧 』 第 48 号 、 聚 珍 社 刊 、 明 治 12 年 (1879) 1 ったと言える。 月 、 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『秋 田県 布 達 集 』 第 ⑥時代の趨勢に従った形で、府県と町村の 34 巻 所収 )。 中間法人たる郡制は廃止されたが、秋田県に ( 4 )第 386 番 触 示 、 注 ( 3 )史 料 。 おいては県に移管された後に活かされた郡事 ( 5) 「 郡 を め ぐ る 地 方 制 度 改 革 構 想 ― 明 治 十 年 業も少なからず存在した。 代を中心に―」(史學會編『史學雑誌』第 110 本稿においては郡役所の開庁から廃止に至 編 第 6号 、平 成 13 年( 2001 )6 月 、1 ~ 34 頁 )。 るまでの郡制の歩みと、これまで余り注目さ ( 6 ) 後 藤 本 馬 編 『 文 官 試 験 規 則 全 集 』( 時 習 社 - 96 - 刊 、 明 治 21 年 (1888) 8 月、 128 頁 )。 大学 教 授と な る。 ( 7) 「 郡 長 任 用 法 の 形 成 過 程 」 ( 日 本 歴 史 学 会 ( 15 ) Hermann Roesler ( 1834 年 12 月 18 日~ 1894 年 編 『 日 本 歴 史 』 第 639 号 、 平 成 13 年 (2001) 8 12 月 2 日 ) ド イ ツ の 法 学 者・ 政 治 家 、 プ ロ シ 月 、 53 ~ 70 頁 )。 ア 下 院 議 員 ・ ド イ ツ 帝 国 議会 議員 。 明 治 11 年 ( 8 )嘉 永 4 年 (1851)12 月 27 日 、 秋 田 藩 士 御 代 信 (1878) に 外 務 省 公 報 顧 問 と し て 来 日し 、 後 に 成 の 長 男 と し て秋 田 市 手 形 谷 地 町 下 丁 16 番 地 内 閣 顧 問 と な る 。 同 26 年 (1893) 帰 国 。 Albert に 誕 生 し た 。 慶 応 元年 (1865) よ り 秋 田 藩 に 出 Mosse ( 1846 年 10 月 1 日 ~ 1925 年 5 月 31 日 ) 仕 し 、 戊 辰 戦 争を 経 て 明 治 9 年 に 県 吏 員と し ド イ ツ の 法 学 者 、 ベ ル リ ン大 学修 了 後 に ベ ル て 正 式 に 採 用 され 第 一 課 雇 ・ 記 録 係 と なり 、 リ ン 裁 判 所 判 事 。 明 治 19 年 (1886) に内 務 省 法 そ の 後 北 秋 田 郡書 記 ・ 地 方 税 係 長 兼 収 納係 長 律 顧 問 と し て 来 日 し 、 同 23 年 (1889) の 帰 国 後 ・ 徴 収 課 長 等 を歴 任 し た 。 同 22 年 に 行 われ た は ケ ー ニ ヒ ス ベ ル ク 高 等 裁判 所判 事 、 ベ ル リ 第 2 回 郡 長 試 験 に 合 格し て 北 秋 田 郡長 、 同 23 ン大 学 法学 部 教授 な どを 歴 任 した 。 年 に 河 辺 郡 長 、 同 24 年 に 山 本 郡 長 と な っ た 。 ( 16 ) 「 市 制 町 村 制 ヲ 定 ム 」( 国 立 公 文 書 館 所 蔵 同 29 年 1 月 29 日 に 開か れ た 秋 田 市 会 に お い て 『 公 文 類 聚 』 第 12 編 ・ 明 治 21 年 ・ 第1 巻 ( 本 市 長 第 1 候 補 者に 当 選 し て 、 2 月 23 日 に第 3 館 -2A-011-00 ・ 類 00336100)。 代 秋 田 市 長 に 就任 し た 。 し か し 、 同 31 年歩 兵 ( 17 )「 地 方制 度 編纂 綱 領 」第 三 県会 の 規定 。 17 連 隊 の 秋 田 市 移 住 問 題 を め ぐ る 行 政 訴訟 で 秋 田 市 側 が 敗 訴し た 責 任 を 取 り 、 同 32 年2 月 第四 項 被 選 挙権 ノ 要件 ハ 左 ノ如 シ 16 日 に 辞 職 し た 。 同月 27 日 の 市 会 で 市 長 に 再 一 日本 国 民タ ル 事 選 さ れ 、 3 月 29 日 に 就 任 し た 。 2 期 目 は秋 田 二 年齢 三 十歳 市 上 水 道 布 設 事業 に 尽 力 し 、 同 38 年 の 満期 退 三 公権 ヲ 具有 ス ル事 任 か ら 6 年 後 の同 44 年 8 月 に 竣 工 し た 。昭 和 四 独 立 ナ ル 事 ( 独 立 トハ 法律 若 ク ハ 裁 判 7 年 (1932) 2 月 8 日に 急 性 肺 炎 で 死 去 し た 。 官 ノ 言 渡 ニ 依 リ 治 産ノ 権ヲ 禁 セ ラ レ サ 享 年 81 歳 。(『 御代 弦日 誌 』 解説 )。 ルヲ 云 フ) ( 9 )秋 田 市 史 編 さ ん 委 員 会 近 ・ 現 代 部 会 編 『 秋 五 所有 ス ル事 田 市 史 叢 書 』 5 、 平成 13 年 (2001)12 月 、 11 ~ 12 頁。 ( 10 )秋 田 県 編 『 秋 田 県 史 』 資 料 明 治 編 ・ 上 巻 、 一 年 以 上 府 県 内 ニ 居 住 ヲ 構 又ハ 土 地 ヲ 六 年 々 直 接 ノ 国 税 県 税十 円以 上 ヲ 納 ム ル 事 昭 和 55 年( 1980 )1 月( 復 刻版 )、464 ~ 465 頁 。 ( 11 )注 ( 10 )史 料、 492 ~ 493 頁 。 ( 18 )注 ( 16 )史料 。 ( 12 )注 ( 10 )史 料 、 466 ~ 467 頁 。 河 辺 郡 ・ 鹿 角 郡 に つ い て は 郡 の設 置 当 初 か ら 合 併 の 動 きが あ 本 年 二 月 廿 四 日 ヲ 以 テ 提 出セ ル地 方 制 度 一 般 っ た( 同 史料 、 438 ~ 441 頁 )。 綱 領 閣 議 ノ 結 ス ル 所 ニ 依 リ、 府県 郡 市 町 村 制 ( 13 )明 治 22 年 (1889) 4 月 1 日 の 秋 田 市 制 施 行 に 度 ノ 細 目 ヲ 議 了 ス ル ノ 手 続ヲ 定メ 已 ニ 市 制 町 伴 い 、 南 秋 田 郡役 所 は 土 崎 港 町 に 移 転 した 。 村 制 ヲ 議 了 シ タ ル ニ 、 其 条目 ノ夥 多 ナ ル 数 百 ( 14 ) Rudolf von Gneist( 1816 年8 月 13 日 ~ 1895 条 ヲ 重 ネ タ リ 。 是 ヨ リ 府 県郡 制ニ 及 フ ト キ ハ 年 7 月 22 日 ) ド イ ツ の 法 学 者 、 ベ ル リ ン 大 猶 数 ケ 月 ヲ 要 ス ヘ キ ニ 付 、先 ツ市 制 町 村 制 ノ 学 で 学 び 、 正 教授 を 経 て プ ロ イ セ ン 上 級行 政 二 法 案 ヲ 提 出 シ 速 ニ 閣 議 ヲ決 セン ト 欲 ス 。 其 裁 判所 判 事と な る 。 Lorenz von Stein ( 1815 年 余 ハ 議 了 ス ル ニ 随 テ 提 出 スヘ シ。 因 テ 別 冊 相 11 月 18 日 ~ 1890 年 9月 23 日 ) ド イ ツ の 公 法 ・ 添閣 議 ヲ請 フ 。 経 済 ・ 行 政 学 者、 キ ー ル 大 学 で 学 び ウ ィー ン 明 治 廿年 九 月 - 97 - 地方 制 度 編纂 委 員長 伯 爵山 縣 有朋 内 閣総 理 大 臣伯 爵 伊藤 博 文殿 に 郡 の 存 置 問 題 に つ い て は小 規模 の も の に 留 め 地 方 の 混 乱 は 余 り 起 こ らな いで あ ろ う と 予 測 し 、 施 行 時 期 は 内 務 省 こそ 留意 し て い る と ( 19 )『 日 本 地 方 自 治 制 と 国 家 』 弘 文 堂 刊 、 平 成 11 年 (1999) 3 月 、 172 ~ 211 。 ( 20 )明 治 22 年 (1889) 5 月 13 日 に 開 か れ た 秋 田 市 擁護 説 を展 開 した 。 注( 23 )論 文 34 ~ 39 頁 。 ( 27 )注 ( 23 )論文 87 ~ 91 頁 。 ( 28 )注 ( 23 )論文 104 ~ 111 頁 。 会 で は 第 1 候 補者 に 小 泉 吉 太 郎 、 第 2 候補 者 ( 29 )注 ( 23 )論文 91 ~ 104 頁 。 に 御代 弦 、第3 候 補者 に 山本 安 分 が選 出 され 、 ( 30 )居 石 氏 は 論 争 決 着 の 原 因 に つ い て 次 の 3 点 同 月 27 日に 初 代 秋田 市 長に 就 任し た( 37 歳 )。 を 主 張 し て お ら れ る 。 ① 「内 閣原 案 」 を 批 判 ( 21 ) 「 市 制 町 村 制 理 由 」( 内 閣 官 報 局 編 『 法 令 する Hermann Roesler の 意 見 書 が政 府 内で 流 全 書 』 第 28 冊 、 明 治 21 年 、 国 立 国 会 図 書 館 近 布 し て い た こ と 。 ② 立 憲 改進 党 の 影 響 下 で イ 代 デジ タ ルラ イ ブ ラリ ー )。 ギ リ ス 流 の 議 院 内 閣 制 の 実現 を目 指 し 、 そ の ( 22 )「 市 制 」 第 7 条 「 凡 帝 国 臣 民 ニ シ テ 公 権 ヲ た め の 基 礎 と な る 地 方 有 力者 を自 ら の 支 持 者 有 ス ル 独 立 ノ 男子 二 年 以 来 [ 一 ] 市 ノ 住民 ト と し 、 彼 ら を 通 し て 地 方 自治 権拡 大 を 求 め 、 ナ リ [ 二 ] 其 ノ市 ノ 負 担 ヲ 分 任 シ 及 [ 三] 其 そ の 運 動 に 政 府 が 強 い 警 戒感 を懐 い た こ と 。 市 内 ニ 於 テ 地 租ヲ 納 メ 若 ク ハ 直 接 国 税 二円 以 ③ 大 隈 重 信 の 入 閣 に 当 て って 提示 し た 条 件 が 上 ヲ 納 ム ル 者 ハ 其 市 公 民 ト ス 」、 町 村 制 第 7 イ ギ リ ス 流 の 議 院 内 閣 制 の実 現へ と 導 く も の 条 「 凡 帝 国 臣 民ニ シ テ 公 権 ヲ 有 ス ル 独 立ノ 男 で あ り 、 そ う し た 中 で 井 上の 「杞 憂 」 が 内 務 子 二 年 以 来 [ 一] 町 村 ノ 住 民 ト ナ リ [ 二] 其 省 中 枢 に と っ て も 認 め ざ るを 得な い 「 杞 憂 」 ノ 町 村 ノ 負 担 ヲ分 任 シ 及 [ 三 ] 其 町 村 内ニ 於 に な っ た と 思 わ れ 、 政 府 内に 受容 さ れ て 行 っ テ 地 租 ヲ 納 メ 若ク ハ 直 接 国 税 二 円 以 上 ヲ納 ム たこ と 。注 ( 23 )論 文 219 ~ 220 頁 。 ル 者ハ 其 町村 公 民 トス 」 ( 23 )『 府県 制 成立 過 程の 研 究 』、法律 文化 社 刊 、 平 成 22 年 (2010) 2 月。 13 ~ 26 頁 ( 24 )「 郡 制 草 案 」( 市 島 春 城 旧 蔵 『 法 律 草 案 』 二 、 明 治 21 年 9 月 、 早 稲 田 大 学 図 書 館 古典 籍 総 合デ ー タベ ー ス 、ワ 17-02567-2)。 ( 25 )楠 本 正 隆 、 井 田 讓 、 三 浦 安 、 細 川 潤 次 郎 、 加 藤弘 之 、大 鳥 圭 介、 小 畑美 稻 。 ( 26 )蜂 須 賀 茂 韶 は 市 制 ・ 町 村 制 の 施 行 状 況 を 見 て か ら 府 県 制 ・郡 制 を 制 定 す る の を 順 当と し 新 た な 地 方 自 治制 度 の 導 入 、 す な わ ち プロ イ ( 31 )山 縣 の渡 欧 に伴 い 、大 蔵大 臣 と 兼任 した( 明 治 21 年 12 月3 日 ~ 同 22 年 10 月3 日 )。 ( 32 )「 府 県 制 草 案 」( 大 隈 関 係 文 書 、 明 治 22 年 5 月 、 早 稲 田 大 学 図 書 館 古典 籍総 合 デ ー タ ベ ース 、 イ 14- a 2610-2 )。 ( 33 )曾 根 荒助 、 水野 遵 、 山脇 玄 。 ( 34 ) 「 府 県 制 郡 制 ヲ 定 ム 」( 国 立 公 文 書 館 所 蔵 『 公 文 類 聚 』 第 14 編 ・ 明 治 23 年 ・ 第1 巻 、 本 館 -2A-011-00 ・ 類 00447100 )。 ( 35 )5 月 22 日 、 6 月 22 日 書 簡 。 注 ( 23 )論 文 266 ~ 273 頁 。 セ ン 法 制 度 継 受の 時 期 尚 早 説 を 主 張 し た。 ま ( 36 ) 「 郡 制 案 」( 東 京 市 政 調 査 会 市 政 専 門 図 書 た 、 三 浦 安 は 郡及 び 府 県 に つ い て は 現 行制 度 館 所 蔵 『 大 森 文 書 』 28)、「 府 県 制 案 」( 東 京 の ま ま 必 要 に 応じ て 郡 連 合 を 組 織 し て 処理 す 市 政 調 査 会 市 政 専 門 図 書 館所 蔵『 大 森 文 書 』 れ ば よ い と し 、地 方 の 慣 習 を 踏 ま え ず に外 国 29)。 法 を そ の ま ま 継承 す る こ と を 批 判 し 廃 案説 を ( 37 )① 府 県 に 規 則 決 定 権 を 認 め 、 府 県 会 議 員 の 主 張 し た 。 一 方で 、 末 松 謙 澄 は 「 自 治 論」 に 被 選 挙 権 を 原 則 と し て 市 町村 公民 と す る 規 定 つ い て 元 老 院 議官 の 発 言 は 自 由 権 と 自 治権 及 が 復 活 し た こ と 。 ② 3 大 都市 への 特 例 が 復 活 び 国 際 法 上 の 国家 主 権 の 行 使 と 地 方 団 体が 行 し た こ と 。 ③ 府 県 知 事 を 府県 会議 長 と す る 条 う 自 治 権 の 行 使も 混 同 し て い る と し た 。さ ら 項 の 復 活 、 名 誉 職 参 事 会 員の 員数 を 一 律 6 名 - 98 - と 定 め る こ と で名 誉 職 参 事 会 員 の 減 員 を実 質 右 小 松 村 外 三 村 ヲ 山 形 県 羽前 国南 置 賜 郡 ニ 編 的 に は か ろ う と し た こ と 。 注 ( 23 ) 論 文 328 ~ 入ス 329 頁 。 ( 38 )① 3 大 都 市 に 対 す る 特 例 規 定 が 残 さ れ 、 そ の 規 定 が よ り 整備 さ れ て い る こ と 。 ② 府県 会 ( 50 )秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 府 県 制 郡 制 施 行 ニ 関 スル 書 類 』( 930103-09752 )。 議 長 は 議 員 の 互選 に 戻 さ れ 、 名 誉 職 参 事会 員 ( 51 )北 秋 田郡( 4月 9 日 )、山本郡( 4 月 2 日 )、 の 員 数 に つ い ては 一 律 4 名 と し た こ と 。③ 規 南秋 田 郡( 4 月1 日 )、由利 郡 (3 月 31 日 )、 則 制 定 権 が 否 定さ れ 、 府 県 会 議 員 の 被 選挙 権 仙 北 郡 ( 3 月 31 日 )、 平 鹿 郡 ( 3 月 31 日 )、 に は 高 額 の 納 税要 件 が 再 び 課 せ ら れ た こと 。 雄 勝 郡 ( 4 月 1 日 、 16 日 )。 鹿 角 郡 と 河 辺 郡 注 ( 23 )論 文 330 頁。 から は 答申 が なさ れ てい な い 。 ( 39 ) 「 郡 制 案 」( 大 隈 関 係 文 書 、 明 治 23 年 3 ( 52 )注 ( 50 )史料 。 月、早稲田大学図書館古典籍総合データベ ( 53 )『 秋 田県 県 令全 書 』 明治 24 年 。 ー ス、 イ 14- a 2610-1 )。 ( 54 )「 各 府 県 郡 分 合 ニ 関 ス ル 法 案 ハ 衆 議 院 ニ 於 ( 40 )「 郡 制案 」 ( 大隈関 係 文 書 、明 治 23 年 5月 、 テ 否 決 ス 」( 国 立 公 文 書 館 所 蔵 『 公 文 類 聚 』 早 稲 田 大 学 図 書館 古 典 籍 総 合 デ ー タ ベ ース 、 第 15 編 ・明 治 24 年 ・ 第 2 巻 、 本 館 -2A-011-00 イ 14- a 2610-3 )。 ・ 類 00541100)。 ( 41 )秋 田 県 編 『 秋 田 県 史 』 資 料 明 治 編 ・ 下 巻 、 昭 和 55 年 (1980) 1 月 ( 復 刻 版 )、 41 ~ 42 頁 。 ( 55 )秋 田 県 公 文書 館 所 蔵 『 郡 制 書 類 』( 930103- 09671)。 ( 42 )注 ( 2 ) 287 頁 。 ( 56 )注 ( 53 )史料 。 ( 43 )注 ( 41 ) 211 ~ 215 頁 。 ( 57 )注 ( 55 )史料 。 ( 44 )注 ( 2 ) 288 ~ 290 頁。 ( 58 ) 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 事 務 簿 』 ( 930103- ( 45 )注 ( 41 ) 63 ~ 64 頁。 01840)。 ( 46 )注 ( 41 ) 65 ~ 81 頁。 ( 59 )「 町 村制 」 第 46 条 。 ( 47 )注 ( 41 ) 81 ~ 82 頁。 ( 48 )鹿 角郡( 9 月 24 日 )、北秋 田 郡( 9 月 24 日 )、 町村会ニ於テ町村吏員ノ選挙ヲ行フトキハ 山 本郡 ( 9月 22 日 )、 南秋田 郡 (9 月 29 日 )、 一 名 毎 ニ 匿 名 投 票 ヲ 以 テ 之ヲ 為シ 有 効 投 票 ノ 由 利 郡 ( 9 月 22 日 )、 仙 北 郡 ( 9 月 25 日 )、 過 半 数 ヲ 得 ル 者 ヲ 当 選 ト ス若 シ過 半 数 ヲ 得 ル 平 鹿 郡 ( 9 月 21 日 )、 雄 勝 郡 ( 9 月 22 日 )。 者 ナ キ ト キ ハ 最 多 数 ヲ 得 ル者 二名 ヲ 取 リ 之 ニ ( 49 )東 北 地 方 に 関 し て は 次 の 5 郡 が 分 合 の 対 象 就 テ 更 ニ 投 票 セ シ ム 若 シ 最多 数ヲ 得 ル 者 三 名 と され た 。 以 上 同 数 ナ ル ト キ ハ 議 長 自ラ 抽籤 シ テ 其 ノ 二 名 ヲ 取 リ 更 ニ 投 票 セ シ ム 此再 投票 ニ 於 テ モ 猶 宮城 県 陸前 国 柴 田郡 同県 磐 城国 刈 田郡 右 二郡 ヲ 合併 シ 刈 柴郡 ト 称シ 陸 前国 ニ 属ス 宮城 県 磐城 国 伊 具郡 同県 同 郡加 美 郡 右 二郡 ヲ 合併 シ 美 川郡 ト 称ス 宮城 県 陸前 国 志 田郡 定ム 同県 同 郡亘 理 郡 右 二郡 ヲ 合併 シ 逢 隅郡 ト 称ス 宮城 県 陸前 国 黒 川郡 過 半 数 ヲ 得 ル 者 ナ キ ト キ ハ抽 籤ヲ 以 テ 当 選 ヲ 同県 同 郡玉 造 郡 右 二郡 ヲ 合併 シ 大 崎郡 ト 称ス ( 60 )注 ( 58 )史 料 。 ( 61 ) 選 挙 効 力 を め ぐ る 問 題 は 河 辺 郡 下 北 手 村 で も 発 生 し て い る 。 投 票 記載 の字 形 を め ぐ っ て 選 挙 掛 長 で あ る 村 長 嵯 峨多 兵衞 が 有 効 投 票 と 判 断 し た こ と を 不 服 と して 同郡 鈴 木 健 治 か 山 形 県 羽 前 国東 置 賜 郡 ノ 内 小 松 村 中 郡村 犬 ら郡 参 事会 に 対し 訴 願が 提 出 され た 。し か し 、 川村 大 塚村 郡 参 事 会 は 選 挙 掛 長 の 判 断を 支持 し て 有 効 投 - 99 - 票 の決 定 を下 し た 。 ( 秋田県 公 文書 館 所 蔵『 郡 得 サ ル ノ 云 ヒ ニ シ テ 本 票 氏名 ノ如 キ ハ 読 ミ 難 制 報告 書 』、 930103-01225 )。 キ モ ノ ニ 非 サ ル ナ リ 。 何 ント ナレ ハ 当 日 ノ 被 選 人 タ ル モ ノ ハ 一 ハ 須 田 永助 一ハ 鈴 木 健 治 ノ 郡 会 議 員 選 挙投 票 ニ 関 ス ル 訴 願 裁 決 ノ報 告 二 名 ニ 止 マ シ ノ ミ ナ ラ ス 、該 氏名 ノ 文 字 ハ 略 本 郡 下 北 手 村 鈴木 健 治 ヨ リ 郡 会 議 員 選 挙投 票 体 ヲ 以 テ 記 入 セ ル モ ノ ニ シテ 少シ ク 次 田 ニ 類 ニ 関 ス ル 訴 願 ニ対 シ 、 今 般 別 記 ノ 通 リ 裁決 ヲ 似 セ ル 所 ア リ ト 雖 モ 、 字 形並 ニ実 況 ニ 依 テ 考 与 へ候 条 此段 及 報 告候 也 。 フ ル ト キ ハ 須 田 永 助 ト 読 ミ得 ル論 ヲ 待 タ ズ 。 明治 二 十四 年 五 月十 一 日 且 投 票 ノ 効 力 有 無 ニ 対 シ 選挙 掛ノ 意 見 可 否 同 印 河辺 郡 長御 代 弦□ 数 ニ 依 リ 、 選 挙 掛 長 ニ 於 テ須 田永 助 ト ナ シ 有 効投 票 ト決 シ タル モ ノナ リ 。 秋 田県 知 事鈴 木 大 亮殿 右 ノ 理 由 ナ ル ヲ 以 テ 選 挙 掛長 即チ 村 長 嵯 峨 多 裁決 書 河 辺郡 下 北手 村 訴願 者 鈴 木 健治 右 訴 願 ハ 郡 会議 員 選 挙 ノ 儀 ニ 付 、 村 長嵯 峨 兵 衞 カ 須 田 永 助 ト ナ シ 有 効投 票ト 決 シ タ ル ハ 毫モ 違 法ノ 処 置ニ 非 スト ス 。 明 治廿 四 年五 月 九日 秋田 県 河 辺郡 長 御代 弦 多 兵 衞 カ 其 投票 効 力 ノ 有 無 如 何 ニ 関 スル 処 置 ニ 服 ス ル 能ハ ズ ト シ テ 、 郡 参 事 会 ノ職 務 ヲ行 フ 本官 ニ 提 出シ タ ルモ ノ ナリ 。 さ ら に 明 治 26 年 に 行 わ れた 第 2 回 に お い て 訴 願 ノ 要 領 ハ 本年 五 月 二 日 下 北 手 村 ニ 於テ 郡 も同 様 の問 題 は発 生 して い る 。高 橋 一倫 氏( 大 会 議 員 選 挙 ニ 際シ 、 投 票 中 次 田 永 助 ト 記載 シ 仙 市 教 育 委 員 会 ) よ り 史 料紹 介い た だ い た 明 タ ル 投 票 ハ 字 形判 明 ニ シ テ 何 人 モ 之 ヲ 読ミ 得 治 26 年 3 月 5 日 に 行 わ れ た仙 北 郡 長 信 田 村 横 ル ト 雖 、 其 何 レノ 誰 ナ ル ヤ 確 認 ス ル 能 ハサ ル 沢 村 会 会 同 郡 会 議 員 選 挙 録か ら投 票 結 果 に 関 者 ヲ 選 挙 掛 長 即チ 村 長 嵯 峨 多 兵 衞 ハ 須 田永 助 する 記 事を 掲 げる と 次の 通 り であ る 。 ト 読 ミ 下 タ シ 、且 ツ 夫 レ ニ 決 シ タ ル ハ 不当 ノ 処 置 ナ ル 何 ン トナ レ ハ 、 該 選 挙 ノ 順 序 ハ郡 制 撰 挙 会 長 鈴 木 治 三 郎 、 撰 挙掛 鈴木 八 太 郎 、 藤 第 十 七 条 第 二 項ニ 依 リ 町 村 制 第 四 十 六 条ノ 規 澤 理 市 郎 着 席 各 議 員 列 席 之上 投票 ヲ 行 ヒ 、 開 定 ニ 従 フ ヘ ク 、而 シ テ 町 村 制 第 四 十 六 条中 同 函 点 検 セ シ ニ 拾 弐 票 倉 田 亦五 郎、 同 拾 弐 票 髙 制第二十二条第二十三条云々ヲ適用ストアリ、 橋 瑩 奏 結 果 ヲ 得 タ リ 。 依 テ再 投票 ヲ 行 ヒ シ ニ 乃チ二十三条ハ有効無効ノ規定ニシテ第二 拾 弐 票 倉 田 亦 五 郎 、 拾 壱 票髙 橋瑩 奏 、 壱 票 髙 項 ニ 左 ノ 投 票 ハ無 効 ト ス ト ア リ テ 、 該 項ノ 二 橋 奏 之 結 果 ヲ 得 テ 過 半 数 ヲ得 タル モ ノ ナ キ ヲ ニ 於 テ 被 選 挙 人ノ 何 人 タ ル ヲ 確 認 シ 難 キモ ノ 以 テ 、 多 数 者 倉 田 亦 五 郎 、髙 橋瑩 奏 ノ 弐 名 ヲ ト ア ル 其 明 文 ニ仍 テ 、 次 田 永 助 ト 記 載 セル 投 取 リ 抽 籤 セ シ ニ 髙 橋 瑩 奏 当撰 ニ付 キ 当 選 者 ト 票 ノ 如 キ 該 項 ニ的 中 セ ル モ ノ ニ シ テ 、 無効 タ 定ム 。 ル ヘ キ ハ 断 シ テ疑 ハ サ ル 処 ナ リ ト 雖 、 選挙 掛 長 カ 之 ヲ 須 田 永助 ト 読 ミ 有 効 ト ナ シ タ ルハ 違 こ の 選 挙 結 果 に 対 し て 横沢 村会 議 員 鈴 木 辰 法 ノ処 置 ナリ ト 云 フニ ア リ。 之 助 は 郡 参 事 会 に 対 し 選 挙効 力に 関 す る 訴 願 依 テ 窩 案 ス ル ニ訴 願 者 ニ 於 テ ハ 町 村 制 第二 十 を 提 出 し 、 3 月 24 日 に 郡 参事 会 か ら 次 の 決 定 三 条 二 項 ノ 二 ニ依 リ 無 効 ト ス ト 雖 、 本 件ノ 如 が 下 さ れ た ( 秋 田 県 公 文 書館 所蔵 『 参 事 会 議 キ 二 項 ノ 二 ニ 拠ル ヘ キ モ ノ ニ 非 ス シ テ 同条 第 事録 綴 』、 930103-01658 )。 二 項 ノ 一 ニ 依 リ判 定 ス ヘ キ モ ノ ト ス 。 即チ 制 第 二 十 三 条 二 項ノ 一 ニ 記 載 セ ル 人 名 ノ 読ミ 難 一 横 沢 村 々 議 員 鈴 木 辰 之 助ヨ リ郡 会 議 員 選 挙 キ モ ノ ト ア ル ハ、 其 字 形 ノ 何 字 タ ル ヲ 判別 シ 効 力 ニ 関 シ 提 出 セ ル 訴 願ハ 左ノ 裁 決 ヲ 与 フ - 100 - 右ノ 理 由ニ 依 リ裁 決 スル コ ト 左ノ 如 シ。 ルコ ト ニ決 定 ス 。 訴願 者 ノ申 立 相立 タ ズ。 裁決書 仙 北 郡横 沢 村四 十 番地 平 民農 明 治廿 六 年三 月 廿四 日 仙北 郡 参 事会 村会議員 訴 願人 仙北郡長 鈴木 辰 之助 木 村順 藏 右 明 治 廿 六 年 三月 五 日 仙 北 郡 長 信 田 村 横沢 村 々 会 々 同 郡 会 議員 選 挙 ノ 効 力 ニ 関 シ 郡 制第 二 鈴木辰之助は郡参事会に対し、再投票中 十 二 条 ニ 依 リ 提出 シ タ ル 訴 願 ニ 付 逐 審 査処 、 の 一 票 髙 橋 奏 の 効 力 は 決 選投 票指 定 候 補 者 以 訴 願 者 申 立 ノ要 旨 ハ 同 選 挙 会 ニ 於 テ 最初 選 外 の 一 票 で あ る こ と か ら 選挙 の無 効 と 倉 田 亦 挙 ヲ 行 ヒ 、 先ニ 倉 田 亦 五 郎 、 髙 橋 瑩 奏孰 レ 五 郎 を 当 選 者 と す る よ う 訴願 申立 を 行 っ た 。 モ 十 二 点 ニ シテ 過 半 数 ヲ 得 サ ル ヲ 以 テ、 町 し か し な が ら 、 郡 参 事 会 は髙 橋奏 の 一 票 は 髙 村 制 第 四 十 六条 ニ 基 キ 右 両 名 ニ 就 キ 更ニ 選 橋 瑩 奏 の 脱 字 投 票 と 見 做 して 訴願 を 退 け た 。 挙 ヲ 行 ヒ タ ルニ 、 倉 田 亦 五 郎 十 二 点 、髙 橋 郡 参 事 会 の 決 定 を 不 服 とし た鈴 木 辰 之 助 は 瑩 奏 十 一 点 、髙 橋 奏 一 点 ノ 結 果 ヲ 得 タリ 。 さ ら に 県 参 事 会 に 対 し 訴 願を 提出 し 、 4 月 に 茲 ニ 於 テ 会 長ハ 右 三 名 其 各 自 別 個 ノ 有効 得 県 参 事 会 か ら 次 の 決 定 が 下さ れた ( 秋 田 県 公 点 ト シ 、 更 ニ抽 籤 ヲ 以 テ 当 選 者 ヲ 定 ムト 雖 文書 館 所蔵『 県 参 事会 裁 決書 』、930103-09291 )。 ト モ 、 決 選 投票 ノ 内 会 長 指 名 以 外 ナ ル髙 橋 奏 ノ 一 点 ハ 無効 ナ ル ヲ 以 テ 、 之 ヲ 除 キ残 リ 甲 第 十五 号 議案 有 効 投 票 二 十三 票 ニ 対 シ 十 二 票 ヲ 得 タル 倉 仙 北 郡 横 沢 村 村 会 議 員 鈴 木辰 之助 ヨ リ 郡 会 議 田 亦 五 郎 ハ 当選 者 タ ル ヘ キ モ ノ ナ リ 。然 ル 員 選 挙 効 力 ニ 関 ス ル 件 ニ 付、 仙北 郡 参 事 会 ノ ニ 十 一 点 ヲ 得タ ル 髙 橋 瑩 奏 ト 抽 籤 ヲ 為サ シ 裁 決 ニ 服 セ ス 訴 願 ヲ 提 起 シタ ルニ 付 、 左 ノ 裁 メ タ ル ハ 不 当ナ ル ヲ 以 テ 、 倉 田 亦 五 郎ヲ 当 決ヲ 与 ヘン ト ス。 選者 ト 為ス ヘ シ ト云 フ ニア リ 。 裁決書 依 リ テ 同 会 選 挙 録 ニ 対 照 ス ル ニ 要 領 左ノ 如 仙北 郡 横 沢村 村 会議 員 シ。 訴願人 鈴 木 辰之 助 開 函 点 検 セ シニ 拾 弐 票 倉 田 亦 五 郎 、 同拾 弐 右 訴 願 人 カ 仙 北 郡 長 信 田 横沢 村村 会 会 同 郡 会 票 髙 橋 瑩 奏 ノ結 果 ヲ 得 タ リ 。 依 再 投 票行 ヒ 議 員 選 挙 ノ 効 力 ニ 関 ス ル 件ニ 付、 仙 北 郡 参 事 シ ニ 拾 弐 票 倉田 亦 五 郎 、 拾 壱 票 髙 橋 瑩奏 、 会 ノ 裁 決 ニ 服 セ ス 更 ニ 訴 願ヲ 提起 シ タ ル ニ 依 壱 票 髙 橋 奏 ノ結 果 ヲ 得 テ 猶 過 半 数 ヲ 得タ ル リ審 査 スル ニ 、 モ ノ ナ キ ヲ 以テ 、 多 数 者 倉 田 亦 五 郎 、髙 橋 訴 願 人 申 立 ノ 要 点 ハ 選 挙会 ノ現 状 顛 末 ヲ 記 瑩 奏 ノ 弐 名 ヲ取 リ 抽 籤 セ シ ニ 、 髙 橋 瑩奏 当 載 セ ル 選 挙 録 ニ 徴 ス ル モ、 倉田 亦 五 郎 、 髙 選 者 ト 定 ム トア リ 。 而 シ テ 得 点 ノ 計 算上 選 橋 瑩 奏 ノ 二 名 ニ 該 当 ス ル決 選投 票 ハ 二 十 三 挙 録 中 疑 義 アル ヲ 以 テ 、 郡 長 ヨ リ 選 挙会 長 点 ニ シ テ 、 即 チ 十 二 点 ノ過 半数 ヲ 得 タ ル 倉 タ ル 長 信 田 村長 鈴 木 治 三 郎 ニ 推 問 セ シニ 、 田 亦 五 郎 カ 当 選 者 タ ル ヘキ ニ、 選 挙 会 長 鈴 髙 橋 奏 ノ 一 票ハ 髙 橋 瑩 奏 ノ 得 点 ト 見 做シ タ 木 治 三 郎 カ 十 一 点 ヲ 得 タル 髙橋 瑩 奏 ト 直 ニ ル モ 、 投 票 ノ有 形 ヲ 以 テ 記 載 シ タ ル ハ全 ク 抽 籤 ヲ 為 サ シ メ 、 其 結 果髙 橋瑩 奏 ヲ シ テ 当 選 挙 録 調 製 ノ粗 忽 ニ 出 テ タ リ ト 確 答 セリ 。 選 者 ト 為 セ シ ハ 不 当 ニ シテ 取消 ヲ 求 ム ル 主 由之観是ハ法律ニ抵触セル事実アルヲ認メズ。 旨 ト ス 。 然 ル ニ 郡 参 事 会ハ 仙北 郡 長 ニ 於 テ 況 ン ヤ 二 名 ニ 就キ 決 選 投 票 ノ 場 合 ナ レ バ、 髙 選 挙 会 長 タ ル 長 信 田 村 長ニ 選挙 録 ノ 不 備 ヲ 橋 奏 ト 記 載 セ ル一 票 ハ 髙 橋 瑩 奏 ノ 脱 字 セル 投 推 問 シ 、 髙 橋 奏 ナ ル 一 点ヲ 別個 ノ モ ノ ニ 記 票 ト 認 ム ヘ キ ハ相 当 ノ 処 置 ハ 謂 フ ヲ 得 ベシ 。 載 セ ル ハ 全 ク 選 挙 録 調 製ノ 粗忽 ニ 出 テ タ リ - 101 - ト ノ 回 答 ヲ 立証 ト 為 シ 、 法 律 ニ 抵 触 セル 事 ヘ タ ル 裁 決 ヲ 取 消 シ 、 更 ニ倉 田亦 五 郎 ヲ 当 選 実 ナ ク 髙 橋 奏ノ 一 票 ハ 髙 橋 瑩 奏 ノ 脱 字ト 認 者ト 為 スヘ キ モノ ト ス。 ム 云 々 ト 本 訴ノ 争 点 外 ニ 説 明 ヲ 与 ヘ ラレ タ 明治 二 十六 年 四月 リ 。 選 挙 会 ニ於 ケ ル 選 挙 録 ハ 其 会 ニ 生シ タ ル 現 状 顛 末 ヲ登 録 シ 、 選 挙 掛 之 ヲ 保 信ス ル 県 参 事 会 は 選 挙 録 か ら 髙橋 奏の 一 票 を 別 個 モ ノ ニ シ テ 法律 上 最 モ 効 力 ヲ 有 ス ル 公正 録 の 投 票 で あ っ た こ と を 認 定し て高 橋 瑩 奏 の 当 ナ ル ニ モ 抅 ハラ ス 、 後 日 郡 長 カ 一 片 ノ推 問 選 を 無 効 と し 、 有 効 投 票 23 票 の 過 半数 12 票 を ニ 答 ヘ タ ル 調製 ノ 粗 忽 ニ 出 テ タ ル モ ノナ リ 得 た 倉 田 亦 五 郎 の 逆 転 当 選の 決定 を 下 し た 。 ト ノ 事 由 ヲ 立証 ト シ 、 正 当 ナ ル 理 由 ヲ排 斥 こ の 決 定 を 不 服 と し た 長 信田 村会 議 員 髙 橋 東 ス ル ノ 具 ト ナス ア ラ ハ 、 選 挙 録 ハ 其 効力 ヲ は 秋 田 県 知 事 を 被 告 と し て行 政裁 判 所 に 出 訴 失 ス ヘ ク 選 挙掛 ノ 保 信 ハ 徒 労 ニ 属 ス ヘキ ヲ し た 。 県 は 7 月 12 日 に 答 弁書 を 提 出 し て 判 決 奈 何 セ ン 。 豈ニ 斯 ノ 如 キ 裁 決 ハ 自 治 ノ権 義 に 臨 む 構 え で い た が 、 9 月に 至り 原 告 髙 橋 東 ニ 於 テ 髙 橋 瑩奏 カ 当 選 ヲ 取 消 シ 、 倉 田亦 五 よ り 出 訴 の 撤 回 が な さ れ 県参 事会 の 決 定 が 確 郎 ヲ 当 選 者 トセ ラ レ ン コ ト ヲ 求 ム ト 云フ ニ 定し た 。 在リ 。 ( 62 )鹿 角 郡 は 5 月 13 日 、 北 秋 田 郡 は 5 月 19 日 、 依 テ 之 ヲ 審 理 スル ニ 訴 願 人 カ 証 拠 ト シ テ提 供 山 本 郡 は 5 月 20 日 、 南 秋 田 郡 は 5 月 18 日 、 河 ス ル ト コ ロ ノ 郡会 議 員 選 挙 録 ヲ 閲 ス ル ニ、 再 辺 郡 は 5 月 14 日 、 由 利 郡 は 5 月 17 日、 仙 北 郡 投 票 ノ 場 合 ニ 於テ 十 二 票 倉 田 亦 五 郎 、 十一 票 は 5 月 24 日 、 平 鹿 郡 は 5 月 17 日 に それ ぞ れ 臨 髙 橋 瑩 奏 、 一 票髙 橋 奏 ニ 結 果 ヲ 得 テ 過 半数 ヲ 時郡 会 が開 会 した 。 得 タ ル モ ノ ナ キヲ 以 テ 、 多 数 者 倉 田 亦 五郎 、 ( 63 )注 ( 41 ) 84 ~ 86 頁 。 髙 橋 瑩 奏 ノ 二 名ヲ 取 リ 抽 籤 セ シ ニ 、 髙 橋瑩 奏 ( 64 )特 に 由 利 郡 で は 当 選 し た 郡 会 議 員 26 名 の う 当 選 者 ト 定 ム トア リ テ 、 髙 橋 奏 ノ 一 票 ヲ全 ク ち町 村 長7 名 、郵 便局 長2 名 、役 場 書記 1 名 、 別 箇 ノ 投 票 ト シタ ル 事 実 ハ 最 モ 明 カ ナ リ。 然 商業 が 5名 と 名望 家 の当 選 が 顕著 で ある 。 ル ヲ 仙 北 郡 参 事会 ハ 選 挙 録 中 毫 モ 記 載 ナキ ノ ( 65 )注 ( 41 )史料 、 90 ~ 95 頁 。 事 柄 、 則 チ 仙 北郡 長 ヨ リ 選 挙 会 長 タ ル 長信 田 ( 66 )注 ( 9 )史 料 、 18 ~ 19 頁 。 村 長 ニ 推 問 シ タル 回 答 ヲ 採 リ 、 全 ク 選 挙録 調 ( 67 )雄 勝 郡 では 明 治 26 年 4 月 14 日に 町 村 会 選 出 製 ノ 粗 忽 ニ 出 タル モ ノ ト 為 シ 、 髙 橋 奏 ト記 載 議 員 選 挙 ( 半 数 改 選 、 11 名) と 大 地 主 互 選 会 セ ル 一 票 ヲ 以 テ髙 橋 瑩 奏 ノ 脱 字 セ ル 得 票ト 認 が実 施 され 、 12 名 が 再選 され た 。 メ タ リ ト 雖 モ 、選 挙 録 ハ 其 会 ニ 生 シ タ ル顛 末 ヲ 登 録 ス ル モ ノニ シ テ 、 既 ニ 選 挙 人 ノ 面前 ニ ( 68 ) 秋田県公文書館所蔵『郡制訓令録』( 930103- 09674)。 於 テ 之 ヲ 朗 読 シ選 挙 掛 其 保 信 ノ 捺 印 シ 了シ タ ( 69 )「 日 清 戦 後 の 地 方 制 度 改 革 ― 府 県 制 郡 制 改 ル 上 ハ 、 後 日 ニ至 リ 村 長 ニ 推 問 シ タ ル 回答 ヲ 正を め ぐる 政 党と 官 僚― 」 ( 史学 研 究会 編『 史 以 テ 選 挙 録 ノ 事実 ヲ 変 更 ス ル コ ト ヲ 得 ス。 故 林 』 第 79 巻 第 1 号 、 平 成 8 年 (1996) 1 月 ) 1 ニ 再 投 票 ノ 場 合ニ 於 テ ハ 選 挙 会 長 ノ 指 定外 ナ ~ 31 頁。 ル 髙 橋 奏 ノ 一 票ハ 無 効 ト 為 ス ヘ キ モ ノ ナル ヲ ( 70 )「 明 治 中 後 期 に お け る 郡 制 廃 止 論 の 形 成 」 以 テ 、 残 ル 有 効投 票 二 十 三 票 ニ 対 シ 十 二票 ノ ( 史 學 會 編 『 史 學 雑 誌 』 第 113 編 第 1 号 、 平 過 半 数 ヲ 得 タ ル倉 田 亦 五 郎 ヲ 当 選 者 ト 為ス ヘ 成 16 年 (2004) 1 月、 62 ~ 84 頁 )。 キ モ ノ ニ シ テ 、抽 籤 ノ 法 ニ 依 ル ヲ 得 サ ルモ ノ ( 71 )「 明治 32 年府 県制 ・ 郡 制改 正 につ い て 」 (史 ナ リト ス 。 學 會 編 『 史 學 雑 誌 』 第 119 編 第 1 号 、 平 成 22 右 ノ理 由 ナル ニ 依 リ裁 決 スル 左 ノ如 シ 。 年 (2010) 1 月 、 40 ~ 65 頁 )。 明 治 二 十 六 年 三月 二 十 四 日 仙 北 郡 参 事 会カ 与 ( 72 )大 隈 関 係 文 書 、 明 治 31 年 、 早 稲 田 大 学 図 書 - 102 - 館 古 典 籍 総 合 デ ー タ ベ ー ス 、 イ 14- a 2619-1 八 代 郡 制 史 』 (大 正 13 年 (1924) 4 月)、 岐 阜 県 ~ 3。 地方 改 良協 会 揖斐 郡 支会 編『 揖 斐郡 制 誌 』(大 ( 73 ) 「 府 県 制 ・ 郡 制 ヲ 改 正 ス 」( 国 立 公 文 書 館 正 14 年( 1925 )1 月 ) 、兵庫 県 武庫 郡 役所 編『 武 所 蔵『 公文 類 聚 』第 23 編 ・明 治 32 年 ・ 第2 巻 、 庫 郡 会 史 』 (大 正 14 年 (1925) 6 月 )、山 口 県 都 本 館 -2A-011-00 ・類 00835100)。 濃 郡 役 所編 『 都 濃 郡 自 治 史 要 』 (大 正 13 年 (19 ( 74 )第 11 条 、第 15 条 、第 16 条 、第 56 条 、第 93 条 、 24) 2 月 )、 山 口 県 大 津 郡 役 所 編 『 山口 県 大 津 第 102 条 、 第 125 条 が 修 正 可 決 さ れ た (『 貴 族 郡 会 史 』( 大 正 13 年 (1924) 2 月 )、 愛 媛 県 越 院 議事 速 記録 』 明 治 32 年3 月 4日 )。 智 郡 役 所 編 『 愛 媛 県 越 智 郡 郡 制 遺 事 』 (大 正 ( 75 )鹿 角郡( 7 月 1日 )、北秋 田 郡( 7 月1 日 )、 14 年 (1925) 7 月 )。 山 本郡 ( 7月 19 日 )、 南秋田 郡 (7 月 7 日 )、 ( 87 )埼 玉 県 で は 「 大 地 主 は 立 場 上 、 中 立 か 改 進 河 辺 郡 ( 7 月 1 日 )、 由 利 郡 ( 7 月 4 日 )、 党 系 が 多 数 派 と な る の で 、い きお い 町 村 選 出 仙 北 郡 ( 7 月 19 日 )、 平 鹿 郡 ( 7 月 1 日 )、 議 員 の 競 争 は 激 し 」 く な り 、「 大 里 郡 で は 交 雄 勝郡 ( 7月 10 日 )。 誼 会 ( 自 由 派 ) と 同 志 会 (進 歩党 と 吏 党 系 ) ( 76 )秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 改 正 郡 制 施 行 関 係 書 類 』( 930103-01266 )。 の 話 し 合 い が 不 調 に 終 わ っ て 競 争 と な り 」、 「 北 足 立 郡 も 自 由 、 進 歩 派双 方が 集 会 し 、 運 (77)「 明 治 32 年 7 月 25 日 河 辺郡 訓 令甲 第 21 号 」 動 方 針 を き め て 競 争 し た 」こ とが 報 告 さ れ て (秋田県公文書館所蔵『河辺郡諸達』、 930103- い る ( 埼 玉 県 編 『 新 埼 玉 県史 』通 史 編 5 ・ 近 01530 )、「 明 治 32 年 7 月 26 日 由 利 郡 訓 令 第 22 代 1 、 昭 和 63 年 (1988) 3 月 、 581 ~ 582 頁 )。 号」(秋田県公文書館所蔵『郡訓令甲』、930103- ( 88 ) 県 会 議 員 選 挙 当 選 者 の 党 派 別 内 訳 は 、『 秋 01631 )、「 明 治 32 年 7 月 28 日 雄 勝 郡 訓 令 甲 第 田 県 史 』 で は 憲 政 本 党 21 名、 憲 政 党 ・ 中 正 派 ( 秋田 県 公文 書 館 所蔵『 庶 務 係 事務 簿 』 13号 」 6 名 、『 東 京 朝 日 新 聞 』 で は 憲 政 本 党 20 名 、 930103-01845)。 帝 国 党 5 名 、 憲 政 党 3 名 、 中 立 3 名 、『 東 京 (78)注 (76)史料 。 日 日 新 聞 』 で は 憲 政 本 党 15 名 、 帝 国 党 7 名 、 (79) 930103-01218 。 憲 政 党 4 名 、 中 立 5 名 、 憲政 本党 の 調 査 で は (80) 930103-01840 。 憲 政 本 党 22 名 、 帝 国 党 7 名、 憲 政 党 2 名 と し (81) 930103-01267 。 て い る 。 本 稿 で は こ れ ら のデ ータ 及 び 秋 田 県 (82) 930103-01291、 930103-01300、 930103-01328。 公文書館所蔵『県会議員選挙事務簿』( 930103 (83) 930103-01349 。 -10063 ~ 10064 ) か ら 、 憲 政 本 党 21 名 、 帝 国 ( 84 ) 930103-01847、 930103-01841、 930103-01848, 党4 名 、憲 政 党 930103-01845 。 ( 85 )注 ( 70 )論 文 、 70 ~ 73 頁 。 ( 86 )宮 城 県 登 米 郡 役 所 編 『 登 米 郡 誌 』 下 巻 ( 大 正 12 年 (1923) 3 月 )、 栗 原 郡 教 育 会 編 『 栗 原 2 名、 中 立 4名 と した 。 ( 89 ) 930103-01366 。 ( 90 ) 930103-01367 。 横 手 市 編 『 横 手 市 史 』 史 料 編 ・ 近 現 代 Ⅰ 、 平 成 20 年 (2008) 3 月 、 518 ~ 519 頁。 郡 誌 』( 大 正 7 年 (1918) 7 月 )、 福 島 県 安 達 ( 91 ) 930103-01381 。 同 上 519 頁 。 郡 役 所 編 『 安 達 郡 会 史 』 (大 正 15 年 (1926) 6 ( 92 )大 正 8 年 (1919) 9 月 25 日 実 施 の 第 19 回 秋 田 月 )、 北 足 立 郡 役 所 編 『 北 足 立 郡 誌 』 (大 正 県 会 議 員 選 挙 ( 定 数 35 名 )で は 、 立 憲 政 友 会 13 年 (1924) 6 月 )、 埼 玉 県 大 里 郡 編 『 埼 玉 県 17 名 、 憲 政 会 14 名 、 立 憲 国 民 党 1 名、 中 立 3 大 里 郡 制 誌 』 (大 正 12 年 (1923) 7 月 )、 南 埼 玉 名が 当 選し て いる 。 郡 役 所 編 『 南 埼 玉 郡 制 誌 』( 大 正 13 年 (1924) ( 93 )「 府 県 会 議 員 及 郡 会 議 員 ニ 関 ス ル 罰 則 ヲ 定 4 月 )、 東 葛 飾 郡 役 所 編 『 郡 治 要 覧 』( 大 正 ム 」( 国 立 公 文 書 館 所 蔵 『 公 文 類 聚 』 第 23 編 12 年( 1923 )8月 )、山梨 県 東八 代郡 役 所 編『 東 ・ 明 治 23 年 ・ 第 2 巻 、 本 館 -2A-011-00 ・ 類 - 103 - 00835100)。 ( 94 )「 大日 本 帝国 憲 法」 第 8条 。 其 代 弁又 ハ 約束 ヲ 受ケ タ ル 者亦 同 シ 第五条 第 二 条 第 三 条 第 四条 ニ記 載 シ タ ル 所 業 ヲ 為 シ テ 第 二 条 ニ 記 載シ タル 目 的 ヲ 達 シ 天 皇 ハ 公 共 ノ 安全 ヲ 保 持 シ 又 ハ 其 ノ 災 厄ヲ 避 ク ル 為 緊 急 ノ 必要 ニ 由 リ 帝 国 議 会 閉 会 ノ場 合 タル者ハ刑法第二百三十四条ノ例ヲ以テ論ス 第六条 第 二 条 ニ 記 載 シ タル 目的 ヲ 以 テ 選 挙 ニ 於テ 法 律ニ 代 ル ヘキ 勅 令ヲ 発 ス 人 ニ 暴 行 ヲ 加 ヘ タ ル 者 ハ十 五日 以 上 三 月 以 此 ノ 勅 令 ハ 次 ノ会 期 ニ 於 テ 帝 国 議 会 ニ 提出 ス 下 ノ 軽 禁 錮 ニ 処 シ 二 円 以上 二十 円 以 下 ノ 罰 ヘ シ 若 議 会 ニ 於テ 承 諾 セ サ ル ト キ ハ 政 府ハ 将 金 ヲ 附加 ス 来 ニ向 テ 其ノ 効 力 ヲ失 フ コト ヲ 公布 ス ヘシ 第七条 第 二 条 ニ 記 載 シ タル 目的 ヲ 以 テ 選 挙 人 ヲ 脅 逼 シ 拐 引 シ 若 ク ハ其 往来 ノ 便 ヲ 妨 ケ ( 95 )『 衆 議 院 議 事 速 記 録 』 明 治 33 年 2 月 14 日 。 若 ク ハ 詐 偽 ノ 手 段 ヲ 以 テ其 選挙 権 ノ 施 行 ヲ ( 96 )「 府 県 会 議 員 及 郡 会 議 員 ニ 関 ス ル 罰 則 失 効 妨害シタル者ハ第六条暴行ノ例ニ依リ処断ス ノ 件 」( 国 立 公 文 書 館 所 蔵 『 公 文 類 聚 』 第 24 第八条 第 六 条 及 第 七 条 ニ記 載 シ タ ル 所 業 ヲ 編 ・ 明 治 24 年 ・ 第 3巻 、 本 館 -2A-011-00 ・ 類 為 シ テ 第 二 条 ニ 記 載 シ タル 目的 ヲ 達 シ タ ル 00874100)。 者 ハ 二 月 以 上 二 年 以 下 ノ軽 禁錮 ニ 処 シ 五 円 ( 97 )市 町村 会 議員 選 挙罰 則 以 上 五十 円 以下 ノ 罰金 ヲ 附 加ス 第九条 選 挙 人 ヲ 脅 逼 シ 若ク ハ選 挙 会 場 ヲ 騒 凡 テ 選挙 資 格 ニ 必 要 ナ ル 事 項 ヲ詐 称 擾 シ 又 ハ 投 票 函 ヲ 抑 留 毀壊 若ク ハ 劫 奪 ス ル シ テ 選 挙 人 名簿 ニ 記 載 セ ラ レ タ ル 者 ハ二 円 ノ 目 的 ヲ 以 テ 多 衆 ヲ 嘯 聚シ タル 者 ハ 二 月 以 以上 二 十円 以 下 ノ罰 金 ニ処 ス 上 二 年 以 下 ノ 軽 禁 錮 ニ 処シ 五円 以 上 五 十 円 議 員 タ ル コ トヲ 得 サ ル ノ 実 ヲ 告 ケ ス シテ 議 以 下 ノ罰 金 ヲ附 加 ス 員 ト ナ リ タ ル者 ハ 三 円 以 上 三 十 円 以 下ノ 罰 其 情 ヲ 知 リ 嘯 聚 ニ 応 シ タル 者ハ 十 五 日 以 上 金ニ 処 ス 二 月 以 下 ノ 軽 禁 錮 又 ハ 二円 以上 二 十 円 以 下 第一条 第二条 投 票 ヲ得 又 ハ 他 人 ニ 投 票 ヲ 得 セシ メ 若 ク ハ 他 人 ノ為 ニ 投 票 ヲ 為 ス コ ト ヲ 抑止 ス ノ 罰 金ニ 処 ス 第十条 選挙ノ際選挙ニ関スル吏員若クハ ル ノ 目 的 ヲ 以テ 直 接 又 ハ 間 接 ニ 金 銭 物品 手 選 挙 掛 ニ 暴 行 ヲ 加 ヘ 又 ハ暴 行ヲ 以 テ 選 挙 会 形 若 ク ハ 公 私ノ 職 務 ヲ 選 挙 人 ニ 授 与 シ又 ハ 場 ヲ 騒 擾 シ 又 ハ 投 票 函 ヲ抑 留毀 壊 若 ク ハ 劫 授 与 ス ル コ トヲ 約 束 シ タ ル 者 ハ 三 円 以上 三 奪 シ タ ル 者 ハ 三 月 以 上 三年 以下 ノ 禁 固 刑 ニ 十円 以 下ノ 罰 金 ニ処 ス 処 シ 十円 以 上百 円 以下 ノ 罰 金ヲ 附 加ス 其授 与 又ハ 約 束 ヲ受 ケ タル 者 亦同 シ 第三条 第 二 条ニ 記 載 シ タ ル 目 的 ヲ 以 テ選 挙 第十一条 多 衆 ヲ 嘯 聚 シ テ第 十条 ノ 罪 ヲ 犯 シ タ ル 者 ハ 二 年 以 上 五 年 以下 ノ軽 禁 錮 ニ 処 シ 会 場 ノ 近 傍 若ク ハ 選 挙 人 往 来 ノ 途 中 ニ於 テ 二 十 円以 上 二百 円 以下 ノ 罰 金ヲ 附 加ス 選 挙 人 ニ 酒 食ヲ 供 シ 又 ハ 選 挙 会 場 ニ 往復 ス 其 情 ヲ 知 リ 嘯 聚 ニ 応 シ タル 者ハ 十 五 日 以 上 ル 為 車 馬 ノ 類ヲ 給 シ タ ル 者 ハ 第 二 条 物品 授 六 月 以 下 ノ 軽 禁 錮 又 ハ 四円 以上 四 十 円 以 下 与ノ 例 ニ依 リ 処 断ス ノ 罰 金ニ 処 ス 其供 給 ヲ受 ケ タ ル者 亦 同シ 第四条 第 二 条ニ 記 載 シ タ ル 目 的 ヲ 以 テ選 挙 人 ノ 為 ニ 選 挙会 場 ニ 往 復 ス ル 車 馬 賃 又ハ 路 費 若 ク ハ 休 泊料 ノ 類 ヲ 代 弁 シ 又 ハ 代 弁ス ル 第十二条 第 九 条 第 十 条 第十 一条 ノ 場 合 ニ 於 テ 犯 罪 者 戎 器 又 ハ 兇 器 ヲ携 帯シ タ ル ト キ ハ 各 本 刑ニ 一 等ヲ 加 フ 第十三条 選 挙 会 場 所 在 ノ郡 市内 ニ 於 テ 選 挙 コ ト ヲ 約 束 シタ ル 者 ハ 第 二 条 金 銭 授 与ノ 例 ノ 気 勢 ヲ 張 ル 為 多 衆 集 合シ 若ク ハ 隊 伍 ヲ 組 ニ依 リ 処断 ス ミ テ 往 来 シ 又 ハ 篝 火 松 明ヲ 炊キ 若 ク ハ 鐘 鼓 - 104 - 法 螺 喇 叭 ノ 類ヲ 鳴 ラ シ 旗 幟 其 他 ノ 標 章ヲ 用 郡 会 若 ハ 郡 参 事 会 ニ 於 テ 其ノ 議決 ス ヘ キ 事 件 ヰ ル 等 ノ 所 業ヲ 為 シ 警 察 官 ノ 制 止 ヲ 受ル モ ヲ 議 決 セ ス 又 ハ 郡 会 ニ 於 テ其 ノ招 集 前 告 示 セ 仍 其 命 ニ 従 ハサ ル 者 ハ 十 五 日 以 上 二 月以 下 ラ レ タ ル 事 件 ニ 関 シ 議 案 ヲ議 了セ サ ル ト キ ハ ノ 軽 禁 錮 ニ 処シ 三 円 以 上 三 十 円 以 下 ノ罰 金 前項 ノ 例ニ 依 ル ヲ附 加 ス 第十四条 被 選人 タ ル コ ト ヲ 得 ル 者 ヲ 指シ テ ( 103 ) 930103-01548 。 被 選 人 タ ル コト ヲ 得 ス 又 ハ 当 選 ヲ 承 諾ス ル ( 104 )注( 69 )論 文、 25 ~ 28 頁。 ノ 意 ナ シ ト 虚報 ヲ 流 伝 セ シ メ タ ル 者 ハ三 円 ( 105 ) 大 隈 関 係 文 書 、 明 治 31 年 、 早 稲 田 大 学 図 以上 三 十円 以 下 ノ罰 金 ニ処 ス 第十五条 戎 器又 ハ 兇 器 ヲ 携 帯 シ テ 選 挙会 場 ニ 入 リ タ ル 者ハ 三 円 以 上 三 十 円 以 下 ノ罰 金 ニ処 ス 第十六条 書館古典籍総合データベース、イ 14- a 2615-1 ( 106 )注( 69 )論 文。 ( 107 ) 明 治 38 年 12 月 31 日 に 第 16 代 秋 田 県 知 事 に 任 ぜ ら れ た が 赴 任 し な い ま ま 翌 39 年1 月 17 日 第 二条 ニ 記 載 シ タ ル 目 的 ヲ 以テ 張 に 免 官 と な り 、 す ぐ さ ま 原内 相は 内 務 省 地 方 札 ノ 類 ヲ 公 然掲 示 シ タ ル 者 ハ 二 円 以 上二 十 局 長 に 任 命 し た 。 そ の た め辞 令だ け の 「 18 日 円以 下 ノ罰 金 ニ 処ス 間知 事 」と な った 。 他 人ノ 姓 名 ヲ 詐 称 シ テ 投 票 ヲ為 シ ( 108 )水 野 錬 太 郎 は 「 旧 懐 録 」( 尚友 倶 楽 部 ・ 西 又 ハ 選 挙 人 タル コ ト ヲ 得 ス シ テ 投 票 ヲ為 シ 尾林 太 郎編『 水 野錬 太 郎回 想 録 ・関 係文 書 』、 タ ル 者 ハ 三 円以 上 三 十 円 以 下 ノ 罰 金 ニ処 ス 平 成 11 年 (1999) 1 月 、 15 ~ 16 頁 ) の中 で 、 当 第十七条 第十八条 当 選人 第 二 条 乃 至 第 十 六 条 ニ依 リ 時の 状 況を 次 のよ う に記 し て いる 。 刑 ニ 処 セ ラ レタ ル ト キ ハ 其 当 選 ハ 無 効ト ス 本 法ニ 規 定 シ タ ル モ ノ ヽ 外 刑法 ニ 明 治 三 十 九 年 第 一 次 西 園寺 内閣 の 成 立 す る 正 条 ア ル モ ノハ 各 々 其 条 ニ 依 リ 重 キ ニ従 テ や 、 原 敬 氏 は 内 務 大 臣 と なっ た。 そ の 時 、 私 処断 ス は 神 社 局 兼 内 務 大 臣 秘 書 官で あっ た 。 内 閣 成 第十九条 第二十条 本 法ニ 関 ス ル 犯 罪 ハ 六 箇 月 ヲ以 テ 期満 免 除ト ス 立 の 晩 、 私 は 原 氏 に 招 か れて 芝公 園 の 私 邸 で 原 氏 に 面 会 し た 。 従 来 原 氏と は何 等 の 関 係 も 本法 ハ 市 町 村 会 ノ 外 市 制 町村 制 な く 初 対 面 で あ っ た 。 私 は原 氏に 対 し て 秘 書 並 ニ 明 治 二 十二 年 法 律 第 十 一 号 ニ 拠 リテ 開 官 の 兼 任 を 罷 め て 貰 ひ た いと 申出 た 。 原 氏 は 設ス ル 各種 ノ 議 員ノ 議 員選 挙 ニモ 適 用ス 自 分 は 内 務 行 政 の 事 は 全 く素 人で あ る か ら 、 第二十一条 今 暫 く 秘 書 官 と し て 助 け て貰 ひた い と 言 は れ ( 98 ) 930103-09291 。 た 。 そ れ で は 当 分 兼 任 秘 書官 とし て 御 助 け し ( 99 ) 金 田 謙 編 『 行 政 裁 判 所 判 例 全 集 』( 自 治 館 や う と 述 べ 、 原 氏 の 申 出 を承 諾し た 。 原 氏 は 刊 、明 治 41 年 (1908)12 月、 594 ~ 595 頁 )。 極 め て 明 朗 で 、 官 僚 的 で なく 、人 事 は 固 よ り ( 100 ) 930103-01533 。 内 務 行 政 に つ い て 凡 て 私 に相 談し 、 且 よ く 私 ( 101 )「 郡 制」 第 26 条 第2 項 及び 第 3 項。 の 意 見 を 用 ひ て 呉 れ た 。 私は 原氏 の こ の 態 度 ( 102 )「 郡 制」 第 72 条 第1 項 及び 第 2 項。 に 心 服 し 、 誠 意 を 以 て 原 氏を 補佐 し た 。 従 っ て 原 氏 と 私 の 関 係 は 単 に 上官 下官 の 関 係 で な 郡 会 若 ハ 郡 参 事会 招 集 ニ 応 セ ス 又 ハ 成 立セ サ く 、 個 人 と し て も 親 密 に なり 、相 互 に 信 頼 し ル ト キ ハ 郡 長 ハ府 県 知 事 ニ 具 状 シ テ 指 揮ヲ 請 合っ た 。 ヒ 其 ノ 議 決 ス ヘキ 事 件 ヲ 処 分 ス ル コ ト ヲ得 第 四 十 二 条 第 六 十二 条 ノ 場 合 ニ 於 テ 会 議 ヲ開 ク コ ト能 ハ サル ト キ 亦同 シ ( 109 ) 『原敬日記』第2巻続編、明治 39 年3月 14 日 ( 原奎 一 郎編 、、 乾元社 刊 、昭 和 26 年 (1951) - 105 - 1 月、 321 ~ 322 頁 )。 村 組 合 ニ 於 ケ ル 組 合 議 員 ハ、 各町 村 長 ヲ 以 テ ( 110 )「 床 次 竹 二 郎 の 追 想 談 」( 大霞 会 編 『 内 務 之 ニ 充 ツ ル ノ 必 要 ヲ 感 シ タリ 。若 シ 従 来 ノ 如 省 史 』第 1 巻 、昭和 46 年 3 月 、282 ~ 284 頁 )。 ク 一 般 ノ 公 民 ヨ リ 選 挙 ス ルモ ノト セ ハ 、 競 争 ( 111 ) 大 同 倶 楽 部 で の 法 案 賛 否 を め ぐ る 動 揺 の 紛 擾 ヲ 免 レ サ ル ノ ミ ナ ラ ス選 出セ ラ ル ヽ 議 員 結 果 、 原 は 11 、 12 票差 で 勝 て る と 予 想 し て い モ 自 ラ 党 派 ニ 偏 シ 往 々 公 平ヲ 欠キ 、 為 メ ニ 自 る(『 原敬日 記 』第3 巻 、明治 40 年 3 月 2日 、 治 ノ 発 展 ヲ 妨 ク ル ハ 勿 論 ナル ヲ以 テ 代 表 者 タ 原奎一郎 編、乾元社 刊、昭和 26 年 2月、 30 ~ ル町村長ヲ以テ直ニ該議員トナス規定ヲ設ケ、 31 頁 )。 如上ノ弊ヲ防過セサルニ於テハ郡制ヲ廃止 ( 112 )貴 族 院研 究 会で は 3月 8 日 に 42 対 21 で「 郡 ス ル モ 其 功 能 多 カ ラ サ ル ヤニ 考ラ レ 候 。 而 シ 制 廃 止 法 案 」 を否 決 し て い る 。 一 方 、 木曜 会 テ 郡 制 ノ 廃 止 ニ 伴 ヒ 更 ニ 制度 ノ新 設 ヲ 要 ス ル で は 同 月 14 日 に 30 対 12 で 可 決 し て い る (『 原 モノ ナ カル ヘ キ見 込 ニ有 之 候 。」と報告 さ れ 、 敬 日 記 』 第 3 巻 、 明治 40 年 3 月 9 日 ・ 18 日 、 単 に 郡 制 廃 止 を 実 施 し て も町 村組 合 議 員 選 挙 36 ・ 38 頁 )。 な お 委 員 長 曾 我 祐 準 は 賛 成 派 で の 競 争 が 激 化 す る こ と が 明ら かな た め 、 選 挙 あ った 。 制 度 の 改 正 を し な い 限 り 郡制 廃止 に よ る 効 果 ( 113 ) 貴 族 院 各 会 派 の 賛 否 の 内 訳 は 次 の 通 り で は得 ら れな い と言 い 切っ て い る。 あ る ( 山 本 四 郎著 『 評 伝 原 敬 』 下 巻 、 平成 9 ( 119 )注( 117 )史 料 。 年 (1997)11 月 、 174 頁 )。 ( 120 )注( 117 )史 料 。 ( 121 ) 淸 野 長 太 郎 前 知 事 は 南 満 州 鉄 道 株 式 会 社 会 派 賛 否 3 7 14 35 20 64 27 18 11 21 会 派 賛 否 実 業 ク 純無所属 10 19 0 8 計 108 149 の 理 事 と な り 東 京 支 社 長 に転 任と な っ た 。 下 研 究 会 茶 話 会 無所属ク 木 曜 会 土 曜 会 岡 知 事 は 明 治 41 年 10 月 9 日 ま で 1 年 10 カ 月 間 在任 し た。 ( 114 )『 原 敬日 記 』第 3 巻、 40 頁 。 ( 115 )前 田 蓮 山 編 『 床 次 竹 二 郎 伝 』、 床次 竹 二 郎 ( 122 ) 「 郡 制 ハ 之 ヲ 廃 止 ス 」 と い う わ ず か 1 条 の法 律 案で あ った 。 ( 123 )『 衆議 院 議事 速 記録 』大 正 3年 2 月1 日 。 伝 記 刊 行 会 刊 、 昭 和 14 年 (1939) 4 月 、 213 ~ 216 頁 。 ( 116 ) 第 17 代 秋 田 県 知 事 。 明 治 39 年 1 月 17 日 か ら 同年 11 月 26 日ま で 10 カ 月間 在 任 。 ( 117 ) 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 制 廃 止 ニ 関 ス ル 調 』( 930103-01296 )。 ( 118 ) 注 ( 117 ) 史 料 。 仙 北 郡 長 か ら は 「 郡 事 業 ニ 郡 制 廃止 法 律案 郡制 ハ 之ヲ 廃 止ス 附 則 本法 施 行ノ 期 日ハ 勅 令ヲ 以 テ 之ヲ 定 ム 法 律 ノ 規 定 中 郡 参 事 会 ノ 権限 ニ属 ス ル 事 項 ニ シ テ 特 ニ 規 定 ヲ 要 ス ル モ ノ其 他郡 制 ノ 廃 止 ニ シ テ 郡 制 廃 止 ノ結 果 自 然 町 村 ニ 於 テ 経 営ス ベ 伴ヒ 必 要ナ ル 事項 ハ 勅令 ヲ 以 テ之 ヲ 定ム キ モ ノ 多 ク ナ ルガ 為 メ 町 村 ノ 財 務 ニ 多 少ノ 影 従 来 郡 及 郡 組 合 ニ 属 ス ル 財産 、営 造 物 、 事 業 響 ヲ 来 ス ヘ シ 。」 と 由 利 郡 長 か ら は 「 第 一 項 及 権 利 義 務 ノ 処 分 ハ 関 係 アル 府県 参 事 会 ノ 意 ニ 陳 ヘ タ ル 教 育、 勧 業 ニ 関 ス ル 事 業 ノ 存廃 ハ 見ヲ 徴 シ内 務 大臣 之 ヲ定 ム 直 接 町 村 自 治 ニ影 響 ヲ 及 ホ ス ヘ ク 、 其 他ハ 郡 制 廃 止 ニ 伴 ヒ 郡費 ノ 負 担 ヲ 要 セ サ ル 為 メ、 町 ( 124 )『 衆議 院 議事 速 記録 』明 治 41 年 3 月 20 日 。 村 ノ 負 担 ヲ 軽 減シ 其 経 済 ニ 多 少 ノ 余 裕 ヲ生 ス ( 125 ) 「 郡 制 廃 止 ノ 請 願 ノ 件 」( 国 立 公 文 書 館 ヘ シ 。」 と 報 告 さ れ て い る 。 一 方 、 山 本 郡 長 所 蔵 『 公 文 雑 纂 』 大 正 10 年 ・ 第 21 巻 、 本 館 - か ら は 「 郡 制 廃止 ニ 伴 ヒ 町 村 制 其 他 更 改ヲ 要 2A-014-00 ・ 纂 01586100)。 ス ト ハ 勿 論 ナ ルヘ キ モ 、 特 ニ 町 村 制 第 六条 町 ( 126 )注( 70 )論 文、 76 頁 。 - 106 - ( 127 ) 野 党 の 憲 政 党 と 立 憲 国 民 党 か ら も 選 挙 権 於 テ 直 接 国 税 ヲ 納 ム ル 者ハ 郡会 議 員 ノ 選 挙 拡 大 の た め 納 税資 格 を 2 円 と す る 衆 議 院議 員 権 及 被選 挙 権ヲ 有 ス 選 挙 法 改 正 案 が出 さ れ た 。 両 党 と も 小 選挙 区 家 督 相 続 ニ 依 リ 財 産 ヲ 取得 シタ ル 者 ニ 付 テ 制 導入 に は反 対 し た。 ハ 其 ノ 財 産 ニ 付 被 相 続 人ノ 為シ タ ル 納 税 ヲ ( 128 ) 政 友 会 圧 勝 の 勝 因 に つ い て 、 髙 橋 秀 直 氏 は 「 原 内 閣 下 の 議 会 ―第 41 回 帝 国 議 会~ 第 44 以 テ 其ノ 者 ノ為 シ タル 納 税 ト看 做 ス 同 条 第五 項 ノ次 ニ 左 ノ二 項ヲ 加 フ 回 帝 国 議 会 ― ( 内 田 健 三 ・ 金 原 左 門 ・ 古屋 哲 陸 海 軍 人 ニ シ テ 現 役 中 ノ者 及戦 時 又 ハ 事 変 夫 編 『 日 本 議 会 史 論 』 第 2 巻 、 平 成 3 年 (19 ニ 際 シ 召 集 中 ノ 者 ハ 郡 会議 員ノ 選 挙 権 及 被 91) 2 月 、 225 ~ 226 頁 ) に お い て 次 の 4 点 を 選 挙 権ヲ 有 セス 指 摘 し て お ら れる 。 ① 前 議 会 で 決 定 し た小 選 町 村 公 民 権 停 止 中 ノ 者 ハ郡 会議 員 ノ 選 挙 権 挙 区 制 で あ っ たこ と 。 ② 政 友 会 系 の 知 事を 中 及 被 選挙 権 ヲ有 セ ス 心とする地方行政・警察機構を利用したこと。 同 条 中 「 神 官 」 ノ 下 ニ 「 神職 」ヲ 加 ヘ 同 条 第 ③ 鉄 道 敷 設 ・ 治水 な ど 地 方 利 益 実 現 へ の有 権 九項 ヲ 左ノ 如 ク改 ム 者 の 期 待 を 大 きく か き 立 て た こ と 。 ④ 解散 理 郡 ニ 対 シ 請 負 ヲ 為 ス 者 及其 ノ支 配 人 又 ハ 主 由 で あ っ た 普 選問 題 に つ い て 政 友 会 は 、普 選 ト シ テ 同 一 ノ 行 為 ヲ 為 ス法 人ノ 無 限 責 任 社 は 社 会 主 義 ・ 無政 府 主 義 に つ な が る と いう 普 員 役 員 及 支 配 人 ハ 其 ノ 郡ニ 於テ 被 選 挙 権 ヲ 選 = 危 険 思 想 の宣 伝 を 、 郡 長 ・ 警 察 署 長ら 行 有セス 政 機 構 を も 利 用し て 選 挙 民 に 吹 き 込 も うと し 前 項 ノ 役 員 ト ハ 取 締 役 及之 ニ 準 ス ヘ キ 者 並 た こと 。 清 算 人ヲ 謂 フ ( 129 ) 「 郡 制 廃 止 ニ 関 ス ル 法 律 ・ 衆 議 院 議 員 選 第七 条 第二 項 ヲ左 ノ 如ク 改 ム 挙 区 ニ 関 ス ル 法 律 」( 国 立 公 文 書 館 所 蔵 『 公 議 員 ノ 任 期 ハ 四 年 ト シ 総選 挙ノ 日 ヨ リ 之 ヲ 文 類 聚 』 第 45 編 ・ 大 正 10 年 ・ 第 1 の 1 巻 、 本 起算ス 館 -2A-011-00 ・ 類 01370100)。 ( 130 )注 ( 129 )史料 。 ( 131 ) 注 ( 129 ) 史 料 。 郡 会 議 員 選 挙 に 関 す る 改 正 条 文は 次 の通 り で ある 。 第 八 条 第 一 項 ノ 次 ニ 左 ノ 一項 ヲ加 ヘ 同 条 第 三 項ヲ 削 ル 議 員 欠 員 ト 為 リ タ ル ト キ其 ノ議 員 カ 第 十 八 条 第 二 項 ノ 規 定 ノ 適 用 ニ依 リ当 選 者 ト 為 リ タ ル 者 ナ ル 場 合 又 ハ 本 条本 項第 二 十 一 条 第 郡 会 議員 ノ 員 数 ハ 十 五 人 以 上 三十 人 一 項 但 書 若 ハ 第 二 十 五 条第 一項 但 書 ノ 規 定 以 下 ト ス 但 シ特 別 ノ 事 情 ア ル ト キ ハ 四十 人 ニ 依 ル 第 十 八 条 第 二 項 ノ規 定ノ 準 用 ニ 依 リ マテ 増 加ス ル コ トヲ 得 当 選 者 ト 為 リ タ ル 者 ナ ル場 合ニ 於 テ ハ 選 挙 郡 会 議 員 ノ 定数 ハ 郡 会 ノ 議 決 ヲ 経 府 県知 事 長 ハ 直 ニ 第 十 八 条 第 二 項ノ 規定 ノ 適 用 又 ハ ノ許 可 ヲ得 テ 郡 長之 ヲ 定ム 準 用 ヲ 受 ケ タ ル 他 ノ 得 票者 ニ就 キ 当 選 者 ヲ 各 選 挙 区 ニ 於テ 選 挙 ス ヘ キ 郡 会 議 員 ノ数 ハ 定 ム ヘ シ 此 ノ 場 合 ニ 於 テハ 第十 八 条 第 二 項 郡会 ノ 議決 ヲ 経 テ郡 長 之ヲ 定 ム 及 第 二十 条 ノ規 定 ヲ準 用 ス 第五条 議 員 ノ 配 当 ニ 関 シ必 要 ナ ル 事 項 ハ 内 務 大 臣 第 九 条ニ 左 ノ二 項 ヲ 加フ 之ヲ 定 ム 第 十 一 条 第 十 一 項 乃 至 第十 三項 ノ 場 合 ニ 於 議 員 ノ 定 数 ハ総 選 挙 ヲ 行 フ 場 合 ニ 非 サレ ハ ケ ル 選 挙 ノ 告 示 ヲ 発 ス ヘキ 期間 ニ 付 テ ハ 郡 之 ヲ 増 減 セ ス但 特 別 ノ 事 情 ア ル 場 合 ニ於 テ 長 ハ 府 県 知 事 ノ 許 可 ヲ 得テ 前項 ノ 規 定 ニ 依 ハ此 ノ 限ニ 在 ラ ス ラ サ ルコ ト ヲ得 第 六条 第 一項 乃 至 第三 項 ヲ左 ノ 如ク 改 ム 郡 内 ノ 町 村 公民 ニ シ テ 一 年 以 来 其 ノ 郡内 ニ 天 災 事 変 等 ノ 為 投 票 ヲ 行 フ コ ト ヲ得 サ ル ト キ 又 ハ 更 ニ 投 票 ヲ 行 フ ノ必 要ア ル ト キ ハ 郡 - 107 - 長 ハ 当 該 選 挙区 ニ 付 投 票 ヲ 行 フ ヘ キ 日時 ヲ 第 八 条 第 二 十 一 条 又 ハ 第二 十五 条 ノ 選 挙 ヲ 定メ 少 クト モ 七 日前 ニ 之ヲ 告 示ス ヘ シ 同 時 ニ 行 フ 場 合 ニ 於 テ ハ一 ノ選 挙 ヲ 以 テ 合 第 十 一 条 中 「 前 項 ノ 期 日 」 ヲ 「 選 挙 期 日前 五 十五 日 」ニ 改メ「 名 簿 無効 ト 為リ タ ルト キ 」 併 シ テ之 ヲ 行フ 第十 六 条ニ 左 ノ二 号 ヲ加 フ ノ下 ニ「 又ハ 天 災事 変 等ノ 為 必 要ア ル トキ 」 六 被選 挙 人ノ 氏 名ヲ 自 書 セサ ル モノ ヲ加 ヘ 同条 ニ 左 ノ二 項 ヲ加 フ 七 現 ニ 郡 会 議 員 ノ 職 ニ在 ル者 ノ 氏 名 ヲ 記 載シ タ ルモ ノ 選 挙 人 名 簿調 製 後 ニ 於 テ 選 挙 期 日 ヲ変 更 ス ル コ ト アル モ 其 ノ 名 簿 ヲ 用 ヰ 縦 覧修 正 同条 ニ 左ノ 一 項ヲ 加 フ 及 確 定 ニ 関ス ル 期 限 等 ハ 前 選 挙 期 日ニ 依 前 項 第 七 号 ノ 規 定 ハ 総 選挙 ノ場 合 ニ 於 テ 第 リ 之 ヲ算 定 ス 十 二 条 第 五 項 ノ 規 定 ニ 依リ 選挙 期 日 ヲ 定 メ 府 県 郡 市 町 村 ノ 廃 置 分 合 境 界 変 更 ノ場 合 タ ル トキ ハ 之ヲ 適 用セ ス ニ 於 ケ ル 名簿 ニ 関 シ テ ハ 命 令 ヲ 以 テ之 ヲ 第十八条 郡 会 議 員 ノ 選 挙ハ 有 効 投 票 ノ 最 多 数 ヲ 得 タ ル 者 ヲ 以 テ 当 選者 トス 但 シ 其 ノ 選 定ム 第 十二 条ニ 左 ノ 一項 ヲ 加フ 挙 区 ニ 配 当 セ ラ レ タ ル 議員 定数 ヲ 以 テ 選 挙 島 嶼 其 ノ 他 交通 不 便 ノ 地 ニ 於 テ ハ 命 令ヲ 以 人 名 簿 ニ 登 録 セ ラ レ タ ル人 員数 ヲ 除 シ テ 得 テ 選 挙 分 会 ヲ設 ケ 郡 長 ハ 適 宜 ニ 其 ノ 選挙 期 タル数ノ七分ノ一以上ノ得票アルコトヲ要ス 日 ヲ 定 メ 選 挙会 ヲ 期 日 マ テ ニ 其 ノ 投 票函 ヲ 当 選 者 ヲ 定 ム ル ニ 当 リ 得 票 ノ 数 同シ キ ト キ 送 致 セ シ ム ルコ ト ヲ 得 此 ノ 場 合 ニ 於 ケル 選 ハ 年 長 者 ヲ 取 リ 年 齢 同 シト キハ 選 挙 長 抽 籤 挙 ニ 関 シ テ ハ命 令 ヲ 以 テ 特 別 ノ 規 定 ヲ設 ク シ テ 之ヲ 定 ム ルコ ト ヲ得 第十四条 選 挙 人 ニ 非 サ ル 者 ハ 選 挙 会 場ニ 入 第 十 九 条 中 「 選 挙 ノ 効 力 」ヲ 「選 挙 及 当 選 ノ 効力 」 ニ改 ム ル コ ト ヲ 得 ス但 シ 選 挙 会 場 ノ 事 務 ニ 従事 ス 第二 十 条第 四 項ヲ 削 リ同 条 中「 前三 項 」ヲ「 前 ル 者 選 挙 会 場ヲ 監 視 ス ル 職 権 ヲ 有 ス ル者 又 二項 」ニ「 第 六条 第 七項 」ヲ「 第 六条 第 八項 」 ハ警 察 官吏 ハ 此 ノ限 ニ 在ラ ス ニ改 ム 選 挙 会 場 ニ 於テ 演 説 討 論 ヲ 為 シ 又 ハ 喧擾 ニ 第二十一条 当 選 者 当 選 ヲ辞 シタ ル ト キ 数 選 渉 リ 投 票 ニ 関シ 協 議 又 ハ 勧 誘 ヲ 為 シ 其ノ 他 挙 区 ノ 選 挙 ニ 当 リ 前 条 第三 項ノ 規 定 ニ 依 リ 選 挙 会 場 ノ 秩序 ヲ 紊 ル 者 ア ル ト キ ハ 選挙 長 一 ノ 選 挙 区 ノ 選 挙 ニ 応 シタ ル為 他 ノ 選 挙 区 ハ 之 ヲ 制 止 シ命 ニ 従 ハ サ ル ト キ ハ 之 ヲ選 挙 ニ 於 テ 当 選 者 タ ラ サ ル ニ至 リタ ル ト キ 死 亡 会場 外 ニ退 出 セ シム ヘ シ 者 ナ ル ト キ 又 ハ 選 挙 ニ 関ス ル犯 罪 ニ 依 リ 刑 前 項 ノ 規 定 ニ 依 リ退 出 セ シ メ ラ レ タ ル 者 ハ ニ 処 セ ラ レ 其 ノ 当 選 無 効ト 為リ タ ル ト キ ハ 最 後 ニ 至 リ 投票 ヲ 為 ス コ ト ヲ 得 但 シ 選挙 長 更 ニ 選 挙 ヲ 行 フ ヘ シ 但 シ其 ノ当 選 者 第 十 八 選 挙 会 場 ノ 秩序 ヲ 紊 ル ノ 虞 ナ シ ト 認 ムル 場 条 第 二 項 ノ 規 定 ノ 適 用 又ハ 準用 ニ 依 リ 当 選 合ニ 於 テ投 票 ヲ 為サ シ ムル ヲ 妨ケ ス 者 ト 為 リ タ ル モ ノ ナ ル 場合 ニ於 テ ハ 第 八 条 第 十五 条 第三 項 ヲ 左ノ 如 ク改 ム 第 二 項ノ 例 ニ依 ル 選 挙 人 ハ 選 挙ノ 当 日 投 票 時 間 内 ニ 自 ラ選 挙 当 選 者 選 挙 ニ 関 ス ル 犯 罪ニ 依リ 刑 ニ 処 セ ラ 会 場 ニ 到 リ 選挙 人 名 簿 ノ 対 照 ヲ 経 又 ハ確 定 レ 其 ノ 当 選 無 効 ト 為 リ タル 場合 ニ 於 テ 其 ノ 裁 決 書 若 ハ 判決 書 ヲ 提 示 シ テ 投 票 ヲ 為ス ヘ 前 ニ 其 ノ 者 ニ 関 ス ル 補 欠選 挙若 ハ 前 項 ノ 選 シ 挙 ノ 告 示 ヲ 為 シ タ ル 場 合又 ハ更 ニ 選 挙 ヲ 行 投 票 時 間 内 ニ 選 挙会 場 ニ 入 リ タ ル 選 挙 人 ハ フ コ ト ナ ク シ テ 当 選 者 ヲ定 メタ ル 場 合 ニ 於 其ノ 時 間ヲ 過 ク ルモ 投 票ヲ 為 スコ ト ヲ得 テ ハ 前項 ノ 規定 ヲ 適用 セ ス 同 条ニ 左 ノ一 項 ヲ 加フ 第 二 十 三 条 中 「 選 挙 ノ 日 ヨリ 」 ヲ 「 選 挙 ニ 関 - 108 - シ テ ハ 選 挙 ノ日 ヨ リ 当 選 ニ 関 シ テ ハ 前条 告 示ノ 日 ヨリ 」ニ 改 メ「 申立 ノ 有無 ニ 拘ラ ス 」 第二十八条 郡会議員ノ選挙ニ付テハ衆議 院議員選挙ニ関スル罰則ヲ準用ス ノ 下 ニ 「 選 挙ニ 関 シ テ ハ 」 ヲ 「 報 告 ヲ受 ケ タ ル 日 ヨ リ 」ノ 下 ニ 「 当 選 ニ 関 シ テ ハ同 条 ( 132 ) こ の 間 、 野 党 か ら は 立 憲 国 民 党 濱 田 國 松 第 二 項 又 ハ 第三 項 ノ 申 立 ア リ タ ル 日 ヨリ 」 外 1 名 提 出 「 郡 制 中 改 正 法律 案」 及 び 憲 政 会 ヲ加 ヘ 同条 第 三 項ノ 次 ニ左 ノ 一項 ヲ 加フ 箕 浦 勝 人 外 3 名 提 出 「 郡 制中 改正 法 律 案 」 の 前 二 項 ノ 場合 ニ 於 テ ハ 郡 参 事 会 ハ 其ノ 送 2 法 案 が 提 出 さ れ て い る 。共 に第 6 条 第 1 項 付 ヲ 受 ケ タル 日 ヨ リ 十 四 日 以 内 ニ 之ヲ 決 を 「 郡 内 ノ 町 村 公 民 ニ シ テ町 村会 議 員 ノ 選 挙 定 ス ヘシ 権 ヲ 有 ス ル 者 ハ 郡 会 議 員 ノ選 挙権 被 選 挙 権 ヲ 同 条ニ 左 ノ二 項 ヲ 加フ 有 ス 」 に 改 め て お り 、 野 党は 郡制 廃 止 よ り も 第 八 条 第 二 十一 条 又 ハ 第 二 十 五 条 ノ 選挙 ハ 選 挙 権 の 拡 大 を 求 め て い たの であ っ て 、 法 制 之 ニ 関 係 ア ル選 挙 又 ハ 当 選 ニ 関 ス ル 異議 申 局 で は こ れ ら 野 党 の 動 向 も踏 まえ た 上 で 「 郡 立 期 間 異 議 決定 若 ハ 訴 願 裁 決 確 定 セ サル 間 制改 正 法案 」 を作 成 した も の と思 わ れる 。 又 ハ 訴 訟 ノ 繋属 ス ル 間 之 ヲ 行 フ コ ト ヲ得 ス ( 133 ) 近 衞 委 員 長 は 賛 否 意 見 の 要 旨 を 次 の よ う 郡 会 議 員 ハ 選 挙 又ハ 当 選 ニ 関 ス ル 決 定 若 ハ に 報 告 し て い る (『 貴 族 院 議 事 速 記 録 』 大 正 裁 決 確 定 シ 又ハ 判 決 ア ル マ テ ハ 会 議 ニ参 与 10 年 3月 26 日 )。 スル ノ 権ヲ 失 ハ ス 第二十五条 選挙 又 ハ 当 選 無 効 ト 確 定 シタ ル 反 対 論 ノ 主 旨 ト シ テ ハ 第 一ニ 郡制 ノ 存 在 ト 云 ト キ ハ 更 ニ 選挙 ヲ 行 フ ヘ シ 但 シ 更 ニ 選挙 ヲ フ コ ト ハ 已 ニ 過 去 ニ 於 テ モ亦 現在 ニ 於 テ モ 何 行 フ コ ト ナ クシ テ 当 選 者 ト 定 メ 得 ヘ キ場 合 等 ノ 弊 害 ヲ 生 ジ テ 居 ル ト 云フ コト ハ ナ イ 、 現 ニ 於 テ ハ 第 十八 条 第 二 項 及 第 二 十 条 ノ規 定 ニ 郡 ヲ 一 ツ ノ 自 治 体 ト シ テ漸 次ニ 発 達 シ ツ ヽ ヲ準 用 ス ア ル ノ デ ア ル カ ラ シ テ 、 之ヲ 何モ 廃 止 ス ル 必 議 員 ノ 定 数 ニ 足 ル当 選 者 ヲ 得 ル コ ト 能 ハ サ 要 ハ ナ イ デ ハ ナ イ カ ト 云 フ点 デア リ マ ス 、 ソ ル ト キ ハ 其 ノ不 足 ノ 員 数 ニ 付 更 ニ 選 挙ヲ 行 レ カ ラ 第 二 ノ 反 対 論 ノ 御 趣旨 ハ、 郡 制 廃 止 ノ フ ヘ シ 此 ノ 場合 ニ 於 テ ハ 第 十 八 条 第 一項 但 如 キ ハ 、 従 来 郡 ノ 経 営 シ テ居 ッタ 事 業 ガ 町 村 書ノ 規 定ヲ 適 用 セス 組 合 ノ 経 営 ニ 移 ル ト 云 フ ヤウ ナコ ト ニ モ ナ リ 第 二 十 六 条 第 一項 ヲ 左 ノ 如 ク 改 メ 同 条 中「 会 マ ス 、 ソ レ デ モ 事 実 上 ニ 於テ 郡ト 同 ジ 矢 張 中 議 ニ 列 席 シ 及 発言 ス ル ノ 権 」 ヲ 「 会 議 ニ参 与 間 団 体 ガ 出 来 ル コ ト ニ ナ ル、 選挙 関 係 ニ 於 テ ス ルノ 権 」ニ 改 ム モ 又 管 理 ノ 関 係 ニ 於 テ モ 、依 然ト シ テ 煩 雑 ナ 郡 会 議 員 ニ シテ 被 選 挙 権 ヲ 有 セ サ ル 者ハ 其 ル コ ト ヲ 免 レ ヌ ト 云 フ コ トガ 第二 ノ 御 趣 旨 デ ノ 職 ヲ 失 フ 其ノ 被 選 挙 権 ノ 有 無 ニ 関 シテ ハ ア リ マ ス 、 ソ レ カ ラ 第 三 ノ御 趣旨 ト シ テ ハ 今 郡 会 議 員 ヲ 左ノ 各 号 ノ 一 ニ 該 当 ス ル ニ因 リ 日 欧 羅 巴 ニ 於 テ ハ 種 々 複 雑ナ ル自 治 団 体 ガ ア 被 選 挙 権 ヲ 有セ サ ル 場 合 ヲ 除 ク ノ 外 郡参 事 ッ テ 、 而 モ ソ レ ガ 行 政 上 都合 好ク 運 用 セ ラ レ 会其 ノ 異議 ヲ 決 定ス テ 居 ル 、 サ ウ 云 フ 点 モ ア ルカ ラシ テ 、 一 概 ニ 一 禁 治 産 者又 ハ 準 禁 治 産 者 ト 為 リ タル ト 簡 便 ト 云 フ コ ト ヲ 理 由 ト シテ 之ヲ 廃 止 ス ル ニ キ ハ 及 バ ヌ デ ハ ナ イ カ 、 殊 ニ会 期モ 切 迫 シ テ 居 家資分散又ハ破産ノ宣告ヲ受ケ其ノ ル 際 デ ア ル カ ラ 、 之 ヲ 急 イデ 此重 大 ナ ル 法 案 宣告確定シタルトキ ヲ 可 決 ス ル ト 云 フ コ ト ハ 、当 ヲ得 テ 居 ラ ヌ ト 三 禁錮以上ノ刑ノ宣告ヲ受ケタルトキ 云 フ ノ ガ … 此 以 上 ノ 三 ツ ノ点 ガ反 対 論 ノ 御 趣 四 選挙ニ関スル犯罪ニ依リ罰金ノ刑ニ 旨 ノ ヤ ウ デ ア リ マ シ タ 、 之ニ 反シ テ 賛 成 論 ノ 処セラレタルトキ 要 旨 ハ 、 先 ヅ 第 一 ニ 郡 制 廃止 ト云 フ モ ノ ハ 、 二 - 109 - 大 局 カ ラ 見 テ 自治 ノ 発 達 ヲ 促 ス モ ノ デ アル ト 年 六 月 一 日 ヨ リ 同 月 三 十日 迄ノ 間 ニ 行 フ コ 云 フ コ ト デ ア リマ ス 、 ソ レ カ ラ 第 二 ニ ハ我 国 ト ノ 郡 制 ト 云 フ モノ ハ 、 是 ハ 其 ノ 制 定 当 時普 魯 三 、 郡 役 所 廃 止 ノ 為 職 ヲ 離ル ル 者 ニ ハ 大 正 十 西 ノ 制 度 ヲ 模 倣シ タ モ ノ デ ア ッ テ 、 是 ハ我 国 四 年 勅 令 第 百 十 五 号 ニ 依リ 特別 ノ 賜 金 ヲ 支 ノ 実 状 ニ 照 ラ シテ 多 少 無 理 ナ 所 ガ ア ル 、従 ッ 給 ス ル コ ト 地 方 費 支 弁 ニ属 スル 嘱 託 員 雇 員 テ 郡 制 ト 云 フ モノ ニ 対 シ テ ハ 十 分 ナ ル 期待 ヲ 及 傭 人 等 ニ 付 テ モ 之 ニ 準シ 特別 ノ 手 当 ヲ 支 置 ク コ ト ガ 出 来ナ イ 、 云 フ ノ ガ 廃 止 賛 成論 ノ 給 ス ルコ ト 第 二 ノ 要 点 、 第三 ハ 郡 制 ト 云 フ モ ノ ハ 、徒 ニ 四 、 特 別 ノ 賜 金 又 ハ 手 当 ノ支 給方 法 其 ノ 他 整 地 方 制 度 ヲ 複 雑ナ ラ シ ム ル モ ノ デ ア ッ テ、 今 理 実 施 ノ 方 法 ニ 関 シ テ ハ左 記各 号 及 第 五 項 日 マ デ 良 好 ナ ル成 績 ヲ 挙 ゲ テ 居 ラ ヌ ト 云フ 、 ニ 定 ム ル モ ノ ヲ 除 ク ノ 外大 正十 三 年 十 月 二 此 三 点 ニ 要 約 スル コ ト ガ 出 来 ル ト 思 ヒ マス 、 十 八 日閣 甲 第一 九 八号 ニ 依 ルコ ト 尚 ホ 賛 成 ノ 方 カラ 希 望 ト シ マ シ テ ハ 、 此郡 ヲ (イ)行 政 整 理 実 施 要 項 第 二 ノ 第 五 項 ニ 依 ル 廃 シ タ 結 果 ハ 郡ノ 事 業 ノ 帰 属 処 分 ニ 付 マシ テ 賜 金 又 ハ 手 当 ノ 内 国 庫ノ 負担 ニ 属 ス ル モ 色 々 混 雑 ヲ 来 スデ ア ラ ウ カ ラ 、 此 点 ニ 付テ ハ ノ ハ 公 債 端 金 ( 大 正 十五 年度 総 予 算 計 上 当 局 ト シ テ 十 分ニ 注 意 ヲ セ ラ レ タ イ ト 云フ コ ノ モ ノ ) ノ 外 総 テ 大 正十 四年 法 律 第 二 十 ト 、 ソ レ カ ラ 第二 ニ ハ 従 来 ノ 郡 事 業 デ 町村 ノ 四 号 ニ 依 ル 国 債 ヲ 以 テ交 付シ 地 方 経 済 ノ 事 業 ニ 移 ス モ ノガ ア ル 、 是 ハ 多 々 ア ル コト デ 負 担 ニ 属 ス ル モ ノ 総 テ現 金ヲ 以 テ 交 付 ス ア ラウ ガ 、此場 合 ニ政 府 ハ町 村 ノ 自治 ノ 発達 、 ル コト 公 共 心 ノ 養 成 ト云 フ コ ト ニ 付 テ 一 層 努 力ヲ 願 ヒ タイ 、 斯ウ 云 フ ヤウ ナ 希望 モ 出マ シ タ、 (ロ)同 要 項 第 二 ノ 第 七 項 (イ)号 第 九 号 ニ 依 ル 賜 金 又 ハ 手 当 支 出 ノ 標準 ト為 ル ヘ キ 整 理 人 員 ハ 郡 長 及 島 司 ニ 付テ ハ総 数 三 百 三 十 ( 134 ) 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 臨 時 郡 会 会 議 録 』 四 人 ヲ 限 度 ト シ 其 ノ 他地 方費 支 弁 ニ 属 ス ル モ ノ ニ 付 テ ハ 現 在 ノ職 員ハ 之 ヲ 各 府 県 ( 930103-01586)。 ( 135 ) 『 秋 田 県 報 』 号 外 、 大 正 12 年 3 月 30 日 。 ニ 新 ニ 置 ク ヘ キ 職 員 ニ勤 続セ シ ム ル コ ト ( 136 ) 秋 田 県 公 文 書 館 所 蔵 『 郡 役 所 廃 止 関 係 書 ニ 努 メ 各 府 県 毎 ノ 廃 止セ ラル ヘ キ 予 算 金 定 数 ヨ リ 右 勤 続 者 ヲ 除キ タル 人 員 ヲ 限 度 類 』( 930103-08742 )。 ( 137 )「 大 正 15 年 6 月 4 日 内 閣 大 甲 第 66 号 」( 6 月 7日 付 内務 次 官 通牒 、 注( 136 )史 料 )。 ト ス ル コ ト 但 シ 嘱 託 員及 傭人 ニ 付 テ ハ 実 際 整理 人 員ニ 依 ルコ ト (ハ)同 要 項第 二 ノ第 十 項(ハ)号及 (ヘ)号中 「 同 官 庁 管 内 」 ト ア ル ハ 地方 費支 弁 ニ 属 ス ル 大 正十 五年 六 月 七日 内 務次 官 川崎 卓 吉 秋 田 県知 事 殿 通牒 モ ノ ニ 在 リ テ ハ 「 同 一府 県庁 管 内 」 ト ス ル コト 五 、 地 方 費 支 弁 ノ 官 吏 員 ハ待 遇官 吏 ニ シ テ 第 郡 役 所 及 島 庁 廃止 ノ 実 施 期 日 及 之 ニ 伴 フ人 員 三 項 ニ 該 当 ス ル 場 合 ニ 於テ ハ左 記 各 号 ニ 依 ノ 整理 ニ 関ス ル 件 別紙 ノ 通閣 議 決定 相 成候 ル ノ 外 大 正 十 三 年 十 月 二十 八日 閣 甲 第 一 九 ( 別 紙) 閣 議 決 定( 大 正 十 五 年 六 月 四 日 内閣 大 甲 第六 六 号 ) 一 、 郡 役 所 ( 島庁 ヲ 含 ム 以 下 同 シ ) ハ 大正 十 五年 六 月三 十 日 限リ 之 ヲ廃 止 スル コ ト 二 、 郡 役 所 廃 止ニ 伴 フ 人 員 ノ 整 理 ハ 大 正十 五 六 号 ニ依 ル コト (イ)府 県 郡 吏 員 職 員 タ リ シ 勤 続 年 数 及 俸 給 ニ 付 テ ハ 之 ヲ 特 別 ノ 賜金 計算 ノ 基 礎 ト 為 ル ヘ キ 勤 続 年 数 及 俸 給ニ 加算 セ サ ル コ ト 但 シ 其 ノ 在 職 ニ 継 続 スル 前後 ノ 在 職 期 間 ハ 之ヲ 通 算ス ル コト ヲ 得 - 110 - (ロ)同 一 人 ニ シ テ 国 費 及 地 方 費 ヨ リ 俸 給 ヲ ノ 職 員ヲ 置 クコ ト ヲ得 受 ク ル 者 ノ特 別 ノ 賜 金 計 算 ノ 基 礎 ト為 ル 視学 ヘ キ 俸 給 ニ付 テ ハ 国 費 ヨ リ 受 ク ル 俸給 ハ 補 之 ヲ 合算 セ サ ルコ ト 技手 六 、 職 ヲ 離 ル ル 者 ノ 陞 等 昇 格 又 ハ 昇 級 等ニ 関 第三条 専 任 三百 五 十人 以 内 判任 専 任 三 千七 百 人以 内 判任 知 事 、 書 記 官 及 警部 補 ヲ 除 ク ノ 外 第 シ テ ハ 大 正 十三 年 十 月 二 十 三 日 閣 議 第三 五 一 条 ノ 職 員 並 ニ 前 条 職 員ノ 各府 県 内 ノ 定 数 六 号 ニ 依 ル コト ( 大 正 十 三 年 勅 令 第 二百 五 ハ 内 務大 臣 之ヲ 定 ム 十 四 号 ヲ 適 用ス ル コ ト ヲ 得 ル コ ト ) 但シ 同 決 定 附 則 中 「本 決 定 以 後 」 ト ア ル ハ 「大 正 ( 139 )「改 正 地方 産 業 職員 制 」。 十五 年 三月 一 日 以後 」 トス ル コト 七 、 職 ヲ 離 レ タ ル 者 ノ 再 就 職 ニ 関 ス ル 制限 ニ 付 テ ハ 大 正 十三 年 十 一 月 十 四 日 閣 甲 第二 二 五 号 ( 同 決 定中 「 同 一 官 庁 所 管 内 ト アル ハ 第 一 項 中 「 郡 」 ヲ 削 リ 同 項第 一号 第 三 号 ヲ 左 ノ如 ク 改ム 一 農 、 林 、 水 産 又 ハ 畜産 ニ関 ス ル 事 務 又 ハ技 術 ニ従 事 スル 者 地 方 費 支 弁 ニ属 ス ル モ ノ ニ 在 リ テ 「 同一 府 事 務職 員 県 庁 所 管 内 」ト ス ) 及 大 正 十 四 年 四 月一 日 地方 農 林主 事 閣議 第 一四 七 号 ニ依 ル コト 専 任 九 十二 人 以内 奏 任 官待 遇 八 、 前 各 号 ノ 外 総 テ 大 正 十 三 年 度 行 政 整理 ノ 農林主事補 トキ ノ 例ニ 依 ル コト 専任千三百七十六人以内 判 任 官待 遇 ( 138 )「 改 正地 方 官官 制 」。 技 術職 員 地方農林技師 第 一条 専 任九 百五 十 六 人 以 内 奏任 官 待遇 府県 ニ ハ 通シ テ 左ノ 職 員ヲ 置 ク 知事 勅任 書記官 奏任 地方事務官 専任 四 百 十 六 人 奏任 地方警視 専任 百 九 十 八 人 奏任 地方小作官 専任 奏任 地方技師 専任 二 百 七 十 六 人 奏任 視学 専任 七 十 六 人 判任 属 専任二千二百四十八人 判任 警部 専任 千 三 百 四 十 七 人 判任 小作官補 専任三十二人 判任 技手 専任九百八十三人 判任 通訳 専任十四人 判任 警部補 二十四人 農林技手 専任八千百三十七人以内 判任 官 待遇 三 産業 統 計ニ 関 スル 事 務 ニ従 事 スル 者 地方 統 計主 事 専 任 五 十人 以 内 奏任 官 待遇 統計 主 事補 専 任 三 百四 人 以内 判任 官 待遇 第二 項 中「 郡 」ヲ 削 ル ( 140 )秋田 県 編『 秋 田 県史 』史 料 大正 ・ 昭和 編 、 昭和 52 年 (1977) 1月 (復 刻 版 )、 26 頁 。 ( 141 )注( 136 )史 料 。 判任 書 記 官 ハ 東 京府 ニ 在 リ テ ハ 専 任 二 人 、其 ノ 本 稿 は 平 成 23 年 1 月 8 日 に ジ ョ イ ナ ス 秋 田 他 ノ 府 県 ニ 在リ テ ハ 各 千 人 三 人 ヲ 以 テ定 数 ( 秋 田 市 千 秋 明 徳 町 ) で 行 われ た秋 田 近 代 史 研 トス 究 会 冬 季 研 究 会 で 発 表 し た もの を論 文 化 し た も 警 部 補 ノ 定 数 ハ 内 務 大 臣 ノ 認 可 ヲ 受 ケ知 事 の であ る 。 之ヲ 定 ム 第二条 前 条 ノ定 数 外 ニ 於 テ 府 県 ニ 通 シテ 左 - 111 - 大正4 大正 4 年当時 の 河辺郡会議員 ( 河 辺 郡 役 所 編 『 河 辺郡 誌 』、 大 正 6 年 (19 17)3月、昭和 56年 (1981) 9月復刻版) 雄勝郡会議事堂記念館 (平成 23年 (2011) 6月 15 日撮影) - 112 - 《 参 考 》 府 県 別 郡 会 議 員 選 挙 有 権 者 数 明 治 3 2 年 ( 1899 ) 府 明 治 3 6 年 ( 1903 ) 県 定 数 東 京 府 京 都 府 大 阪 府 神 奈 川 県 兵 庫 県 長 崎 県 新 潟 県 埼 玉 県 群 馬 県 千 葉 県 茨 城 県 栃 木 県 奈 良 県 三 重 県 愛 知 県 静 岡 県 山 梨 県 滋 賀 県 岐 阜 県 長 野 県 宮 城 県 福 島 県 岩 手 県 青 森 県 山 形 県 秋 田 県 福 井 県 石 川 県 富 山 県 鳥 取 県 島 根 県 岡 山 県 広 島 県 山 口 県 和 歌 山 県 徳 島 県 香 川 県 愛 媛 県 高 知 県 福 岡 県 大 分 県 佐 賀 県 熊 本 県 宮 崎 県 鹿 児 島 県 173 372 271 211 516 191 380 239 236 318 396 193 204 358 482 328 223 221 379 411 325 392 261 171 269 222 205 237 267 147 277 448 423 247 201 224 173 268 188 459 286 156 294 164 177 選挙権有権者数 22,274 34,357 31,280 31,724 68,925 27,607 61,872 56,235 36,972 61,321 58,263 35,578 22,420 56,075 82,048 52,676 16,670 45,280 44,205 61,779 27,599 57,760 33,562 22,399 34,493 29,595 28,366 22,665 28,961 15,265 30,500 63,111 60,891 40,018 24,491 24,055 17,703 34,590 22,358 56,075 43,266 33,462 50,722 26,630 43,799 被選挙権有権者数 定 数 16,178 24,509 25,337 23,410 53,411 16,948 45,704 44,912 23,817 41,431 42,253 26,581 16,933 44,402 60,429 35,491 11,852 35,629 31,540 43,664 20,767 46,622 22,378 15,260 27,234 21,589 22,004 32,165 23,006 11,281 21,118 46,688 40,436 27,013 14,378 16,301 12,878 22,761 14,526 41,843 28,191 24,462 38,088 18,008 28,554 173 373 271 211 517 188 379 238 235 318 396 193 208 362 485 332 223 221 381 411 323 400 261 172 269 229 205 237 267 147 280 429 416 247 202 224 177 268 188 451 289 155 294 164 177 選挙権有権者数 23,951 37,441 32,498 30,926 72,981 30,889 73,092 62,184 41,343 64,076 62,249 38,680 24,218 58,145 91,048 55,661 19,271 48,080 49,347 71,949 29,153 59,170 33,181 23,248 26,254 31,059 31,058 35,141 32,098 16,843 32,948 62,143 62,392 45,121 25,534 25,471 19,771 38,430 24,071 60,601 45,729 35,026 51,469 28,352 46,763 被選挙権有権者数 16,298 27,932 26,479 23,099 55,097 20,341 55,206 42,862 30,199 48,840 49,337 31,647 18,953 46,998 69,414 38,331 13,601 39,820 36,062 49,041 21,979 47,637 24,435 16,993 29,239 24,092 24,255 27,838 25,543 13,079 24,353 47,879 42,443 31,988 18,568 17,235 14,273 26,010 17,179 46,628 31,846 29,398 33,922 19,069 29,098 - 113 - 明 治 4 0 年 ( 1907 ) 府 明 治 4 4 年 ( 1911 ) 県 定 数 東 京 府 京 都 府 大 阪 府 神 奈 川 県 兵 庫 県 長 崎 県 新 潟 県 埼 玉 県 群 馬 県 千 葉 県 茨 城 県 栃 木 県 奈 良 県 三 重 県 愛 知 県 静 岡 県 山 梨 県 滋 賀 県 岐 阜 県 長 野 県 宮 城 県 福 島 県 岩 手 県 青 森 県 山 形 県 秋 田 県 福 井 県 石 川 県 富 山 県 鳥 取 県 島 根 県 岡 山 県 広 島 県 山 口 県 和 歌 山 県 徳 島 県 香 川 県 愛 媛 県 高 知 県 福 岡 県 大 分 県 佐 賀 県 熊 本 県 宮 崎 県 鹿 児 島 県 174 384 276 212 516 191 375 238 236 318 396 192 209 356 454 335 222 221 382 411 333 398 262 172 272 228 205 237 267 148 280 433 417 247 202 224 177 267 189 461 289 158 295 122 177 選挙権有権者数 22,000 46,107 38,084 37,151 88,058 41,056 86,038 73,531 48,980 75,541 72,487 45,764 28,425 67,605 107,015 73,746 24,861 56,213 61,213 86,666 31,139 62,280 39,118 28,570 40,927 35,203 37,407 42,219 37,807 20,743 40,923 80,136 82,535 55,204 33,518 34,953 25,121 60,910 26,278 72,070 56,409 41,202 63,869 34,868 62,831 被選挙権有権者数 定 数 26,147 38,149 32,297 29,959 70,791 27,519 70,998 58,803 40,333 63,484 58,997 39,232 23,817 57,250 88,813 58,548 18,050 47,448 50,391 69,540 25,975 52,357 31,163 24,034 34,273 28,847 31,287 35,435 32,061 17,481 33,327 66,425 62,342 45,405 25,899 25,660 18,668 39,109 25,000 61,866 42,287 34,643 53,753 29,405 45,798 177 392 283 206 514 200 377 238 241 318 398 203 218 353 444 360 228 222 385 420 338 408 262 172 278 236 205 237 267 148 284 434 418 249 203 226 179 273 189 466 293 145 296 182 177 選挙権有権者数 被選挙権有権者数 34,802 44,969 37,407 36,049 85,869 40,121 84,476 69,202 43,569 75,114 71,285 45,882 28,194 64,961 104,641 73,234 23,464 52,819 59,405 84,377 30,024 63,807 41,135 29,194 38,510 34,377 36,615 41,709 37,337 19,281 38,732 77,299 79,825 54,683 32,761 32,153 23,954 48,703 26,217 75,442 53,842 40,908 61,656 34,049 60,017 28,929 36,717 32,890 29,794 68,610 27,888 65,192 54,374 37,024 60,950 59,789 37,024 22,945 55,154 89,011 56,071 17,452 45,016 47,754 68,551 24,408 53,999 32,398 22,224 32,324 28,961 30,027 34,546 31,049 16,106 31,217 63,443 64,426 43,759 26,791 24,286 18,565 38,159 24,047 63,510 42,782 35,305 50,527 27,051 41,177 ※ 内 務 省 官 房 文 書 課 編 『 大 日 本 帝 国 内 務 省 統 計 報 告 』。 - 114 - 《参考》府県別郡会議員選挙投票結果 大 正 4 年 ( 1915 ) 府 大 正 8 年 ( 1919 ) 県 定数 有権者数 投票者数 投票率 定数 有権者数 投票者数 投票率 東 京 府 京 都 府 大 阪 府 神奈川県 兵 庫 県 長 崎 県 新 潟 県 埼 玉 県 群 馬 県 千 葉 県 茨 城 県 栃 木 県 奈 良 県 三 重 県 愛 知 県 静 岡 県 山 梨 県 滋 賀 県 岐 阜 県 長 野 県 宮 城 県 福 島 県 岩 手 県 青 森 県 山 形 県 秋 田 県 福 井 県 石 川 県 富 山 県 鳥 取 県 島 根 県 岡 山 県 広 島 県 山 口 県 和歌山県 徳 島 県 香 川 県 愛 媛 県 高 知 県 福 岡 県 大 分 県 佐 賀 県 熊 本 県 宮 崎 県 鹿児島県 187 395 294 212 518 200 377 238 248 318 398 208 218 353 449 367 228 222 387 423 337 408 261 172 279 254 207 237 267 148 284 438 423 255 203 226 182 273 189 465 298 146 296 185 178 34,867 45,325 37,129 36,232 85,814 40,175 85,264 69,412 45,771 76,000 73,662 46,580 27,990 65,851 104,390 72,611 23,902 53,686 58,660 85,763 31,553 62,601 41,569 26,993 39,326 36,193 36,568 41,436 36,854 19,264 38,996 75,367 80,195 54,590 32,114 33,146 24,275 47,981 30,237 75,137 53,338 40,071 63,185 33,108 54,456 17,922 31,181 22,941 17,493 55,015 25,454 56,051 36,905 35,321 45,595 48,846 31,126 19,820 40,991 57,217 48,684 19,110 32,114 31,439 67,329 27,208 51,379 28,013 17,870 30,024 25,271 27,659 32,233 30,770 15,154 25,596 43,106 55,652 38,325 15,183 25,991 16,424 29,488 13,122 63,721 44,171 27,023 46,449 19,979 23,323 51.40 68.79 61.79 48.28 64.11 63.36 65.74 53.17 77.17 59.99 66.31 66.82 70.81 62.25 54.81 67.05 79.95 59.82 53.60 78.51 86.23 82.07 67.39 66.20 76.35 69.82 75.64 77.79 83.49 78.66 65.64 57.19 69.40 70.21 47.28 78.41 67.66 61.46 43.40 84.81 82.81 67.44 73.51 60.34 42.83 203 372 309 219 528 200 402 251 250 327 402 213 223 356 444 396 228 224 384 449 344 409 261 173 284 257 207 237 267 162 285 451 429 272 203 226 182 278 188 484 304 145 298 189 178 38,419 45,253 39,372 37,399 85,416 39,517 92,031 71,240 47,138 77,047 74,415 47,845 28,231 66,758 103,299 73,720 24,980 53,918 58,818 86,325 33,041 66,270 43,116 30,788 39,938 38,054 36,344 41,356 37,002 18,882 38,740 79,038 79,241 54,481 32,723 33,583 24,447 43,037 30,267 75,033 53,403 39,959 64,328 33,768 56,280 20,338 33,523 25,307 19,260 55,353 26,617 61,628 38,728 35,795 45,911 49,994 35,895 19,907 42,681 59,100 53,256 20,872 34,086 33,557 68,043 28,837 55,058 31,253 20,791 32,642 28,411 27,880 33,187 30,613 15,172 26,951 50,657 53,975 40,390 15,754 26,624 16,377 24,614 14,999 62,992 45,690 28,245 49,801 19,971 30,511 52.94 74.08 64.28 51.50 64.80 67.36 66.96 54.36 75.94 59.59 67.18 75.02 70.51 63.93 57.21 72.24 83.55 63.22 57.05 78.82 87.28 83.08 72.49 67.53 81.73 74.66 76.71 80.25 82.73 80.35 69.57 64.09 68.11 74.14 48.14 79.28 66.99 57.19 49.56 83.95 85.56 70.68 77.42 59.14 54.21 ※ 『 各 府 県 統 計 書 』、 内 務 省 官 房 文 書 課 編 『 大 日 本 帝 国 内 務 省 統 計 報 告 』。 - 115 - 《参考》歴代郡長一覧 【鹿角郡】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 郡 長 就 山 田 曰 理 泉 田 小田島 戸 村 小田島 城 古 澤 河 野 戸 崎 純 宗 信 政 成 由 義 義 得 由 義 忠 貞 義三郎 隆 性 順 治 任 明 治 11 年 ( 1878 ) 12 月 明 治 15 年 ( 1882 )7 月 明 治 16 年 ( 1883 )6 月 明 治 17 年 ( 1884 )3 月 明 治 19 年 ( 1886 )9 月 明 治 21 年 ( 1888 )6 月 明 治 30 年 ( 1897 )5 月 明 治 33 年 ( 1900 )2 月 明 治 35 年 ( 1902 )7 月 明 治 42 年 ( 1909 )6 月 郡 11 12 13 14 15 16 17 18 19 渡 渡 小 河 植 川 髙 大 小 長 邊 邊 林 野 田 上 垣 山 西 達 夫 民 治 定 修 隆 性 稔 一 彦 治 保 吉 修一郎 爲 助 就 任 明 治 44 年 ( 1911 ) 12 月 大 正 2 年 ( 1913 )4 月 大 正 3 年 ( 1914 )7 月 大 正 4 年 ( 1915 )1 月 大 正 6 年 ( 1917 )3 月 大 正 6 年 ( 1917 )9 月 大 正 9 年 ( 1920 )3 月 大 正 10 年 ( 1921 )4 月 大 正 11 年 ( 1922 )4 月 【北秋田郡】 郡 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 長 川 崎 大 野 曰 理 山 本 曰 理 御 代 御 代 石 井 大 庭 小田野 就 胖 緝 信 分 信 成 弦 藏 規 淸 光 宗 安 宗 信 新 忠 直 任 明 治 11 年 ( 1878 ) 12 月 明 治 14 年 ( 1881 )2 月 明 治 16 年 ( 1883 )6 月 明 治 16 年 ( 1883 ) 11 月 明 治 17 年 ( 1884 ) 10 月 明 治 19 年 ( 1886 )9 月 明 治 22 年 ( 1889 )7 月 明 治 23 年 ( 1890 )5 月 明 治 33 年 ( 1900 )2 月 明 治 33 年 ( 1900 ) 10 月 郡 11 12 13 14 15 16 17 18 19 前 金 戸 小 三 深 奥 福 加 長 田 子 崎 林 神 谷 田 光 藤 復二郎 金 平 順 治 定 修 正 健 泰 藏 茂 造 正 義 貞 治 就 任 明 治 35 年 ( 1902 )7 月 大 正 2 年 ( 1913 )7 月 大 正 3 年 ( 1914 )7 月 大 正 4 年 ( 1915 )1 月 大 正 6 年 ( 1917 )3 月 大 正 8 年 ( 1919 )4 月 大 正 12 年 ( 1923 )7 月 大 正 13 年 ( 1924 )8 月 大 正 15 年 ( 1926 )6 月 【山本郡】 郡 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 山 川 麓 髙 鵜 成 川 御 川 木 遠 長 本 崎 田 沼 田 井 代 井 村 藤 安 長 眞 國 直 忠 忠 順 政 就 分 胖 治 一 蒙 衛 雄 弦 雄 藏 敏 任 明 治 11 年 ( 1878 ) 12 月 明 治 14 年 ( 1881 )2 月 明 治 15 年 ( 1882 )9 月 明 治 16 年 ( 1883 )1 月 明 治 18 年 ( 1885 )6 月 明 治 19 年 ( 1886 )9 月 明 治 23 年 ( 1890 )2 月 明 治 24 年 ( 1891 ) 12 月 明 治 29 年 ( 1896 )2 月 明 治 30 年 ( 1897 )5 月 明 治 30 年 ( 1897 ) 11 月 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 郡 長 畑 小 林 曲 木 伊地知 城 間 戸 崎 山 下 荒 田 丹 髙 垣 奥 田 千代記 定 修 光 弼 靖 臣 恒 久 順 治 雅 讀之助 親 欣 保 吉 茂 造 就 任 明 治 33 年 ( 1900 )2 月 明 治 39 年 ( 1906 ) 11 月 明 治 44 年 ( 1911 ) 12 月 大 正 2 年 ( 1913 )7 月 大 正 3 年 ( 1914 )7 月 大 正 4 年 ( 1915 )1 月 大 正 6 年 ( 1917 )3 月 大 正 6 年 ( 1917 )9 月 大 正 8 年 ( 1919 )4 月 大 正 10 年 ( 1921 )4 月 大 正 13 年 ( 1924 )8 月 - 116 - 【南秋田郡】 郡 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 長 小助川 御 代 原 土 居 黑 川 土 方 木 村 大 庭 石 井 小田野 光 信 弘 通 春 和 順 忠 新 直 就 敦 成 三 豫 造 親 藏 規 藏 淸 任 明 治 11 年 ( 1878 ) 12 月 明 治 16 年 ( 1883 )2 月 明 治 19 年 ( 1886 ) 10 月 明 治 21 年 ( 1888 )6 月 明 治 22 年 ( 1889 )7 月 明 治 26 年 ( 1893 ) 12 月 明 治 29 年 ( 1896 )5 月 明 治 30 年 ( 1897 )5 月 明 治 33 年 ( 1900 )2 月 明 治 35 年 ( 1902 )7 月 郡 11 12 13 14 15 16 17 18 19 三 前 曲 中 安 小 永 丹 湯 長 神 田 木 村 達 林 原 本 正 健 復二郎 光 弼 鶴 將 總 一 男 葎 親 欣 二 郎 就 任 明 治 42 年 ( 1909 )6 月 大 正 2 年 ( 1913 )7 月 大 正 3 年 ( 1914 )7 月 大 正 5 年 ( 1916 ) 12 月 大 正 6 年 ( 1917 )9 月 大 正 7 年 ( 1918 )7 月 大 正 8 年 ( 1919 )7 月 大 正 10 年 ( 1921 )4 月 大 正 12 年 ( 1923 )7 月 【河辺郡】 郡 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 齊 北 御 戸 原 土 戸 川 黑 御 川 前 小 三 長 藤 條 代 村 居 村 井 川 代 井 田 林 神 就 重 忠 信 義 弘 通 義 忠 春 光 勇 成 得 三 豫 得 雄 造 弦 忠 雄 復二郎 定 修 正 健 任 明 治 11 年 ( 1878 ) 12 月 明 治 14 年 ( 1881 )2 月 明 治 16 年 ( 1883 )6 月 明 治 17 年 ( 1884 )5 月 明 治 19 年 ( 1886 ) 10 月 明 治 20 年 ( 1887 ) 12 月 明 治 21 年 ( 1888 )6 月 明 治 22 年 ( 1889 )7 月 明 治 23 年 ( 1890 )2 月 明 治 23 年 ( 1890 )5 月 明 治 24 年 ( 1891 ) 12 月 明 治 29 年 ( 1896 )2 月 明 治 35 年 ( 1902 )7 月 明 治 39 年 ( 1906 ) 11 月 郡 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 井 堀 渡 金 城 猪 安 中 神 井 飯 田 屋 長 手 内 邊 子 間 股 達 村 谷 上 塚 中 代 久馬彦 政之助 民 治 金 平 恒 久 嘉 藤 將 總 鶴 勇 藏 通 義 保五郎 得太郎 三津馬 就 任 明 治 41 年 ( 1908 )1 月 明 治 42 年 ( 1909 )6 月 明 治 44 年 ( 1911 ) 12 月 大 正 2 年 ( 1913 )4 月 大 正 2 年 ( 1913 )7 月 大 正 3 年 ( 1914 )7 月 大 正 4 年 ( 1915 )5 月 大 正 6 年 ( 1917 )9 月 大 正 8 年 ( 1919 )4 月 大 正 8 年 ( 1919 ) 10 月 大 正 11 年 ( 1922 )9 月 大 正 12 年 ( 1923 )7 月 大 正 13 年 ( 1924 ) 10 月 【由利郡】 郡 1 2 3 4 5 6 7 8 9 御 代 蒔 田 山 田 小助川 大 庭 中 田 曲 木 三 神 河 野 長 信 廣 光 忠 直 光 正 隆 就 成 孝 純 敦 規 哉 弼 健 性 任 明 治 11 年 ( 1878 ) 12 月 明 治 14 年 ( 1881 )3 月 明 治 15 年 ( 1882 )5 月 明 治 16 年 ( 1883 )2 月 明 治 26 年 ( 1893 )2 月 明 治 30 年 ( 1897 )5 月 明 治 35 年 ( 1902 )7 月 明 治 41 年 ( 1908 )1 月 明 治 42 年 ( 1909 )6 月 10 11 12 13 14 15 16 17 郡 長 渡 邊 長 島 深 谷 戸 崎 吉 野 井 上 髙 垣 山野邊 達 夫 筆 吉 泰 藏 順 治 金之亟 通 義 保 吉 勝太郎 就 任 大 正 2 年 ( 1913 )4 月 大 正 2 年 ( 1913 )5 月 大 正 4 年 ( 1915 )1 月 大 正 6 年 ( 1917 )3 月 大 正 9 年 ( 1920 )3 月 大 正 11 年 ( 1922 )9 月 大 正 12 年 ( 1923 )7 月 大 正 13 年 ( 1924 ) 10 月 - 117 - 【仙北郡】 郡 1 2 3 4 5 6 7 8 9 大 御 山 川 髙 原 土 木 畑 長 野 代 田 井 城 居 村 光 信 緝 成 純 忠 雄 守 久 弘 三 通 豫 順 藏 千代記 就 任 明 治 11 年 ( 1878 ) 12 月 明 治 14 年 ( 1881 )3 月 明 治 16 年 ( 1883 )2 月 明 治 18 年 ( 1885 )6 月 明 治 19 年 ( 1886 )9 月 明 治 21 年 ( 1888 )6 月 明 治 22 年 ( 1889 )7 月 明 治 23 年 ( 1890 ) 12 月 明 治 29 年 ( 1896 )5 月 郡 10 11 12 13 14 15 16 17 遠 中 曲 小 前 吉 永 中 長 藤 田 木 林 田 田 原 里 政 敏 直 哉 光 弼 定 修 復二郎 穰 葎 喜 一 就 任 明 治 33 年 ( 1900 )2 月 明 治 35 年 ( 1902 )7 月 明 治 41 年 ( 1908 )1 月 明 治 44 年 ( 1911 ) 12 月 大 正 3 年 ( 1914 )7 月 大 正 4 年 ( 1915 )4 月 大 正 10 年 ( 1921 )4 月 大 正 13 年 ( 1924 )8 月 【平鹿郡】 郡 1 2 3 4 5 6 7 8 鈴 深 泉 川 戸 山 桶 佐 長 木 谷 田 井 村 本 口 藤 惟 孝 光 房 政 成 忠 雄 義 得 剛太郎 兵太郎 重 治 就 任 明 治 11 年 ( 1878 ) 12 月 明 治 13 年 ( 1880 )8 月 明 治 17 年 ( 1884 )3 月 明 治 19 年 ( 1886 )9 月 明 治 22 年 ( 1889 )7 月 明 治 34 年 ( 1901 )4 月 明 治 39 年 ( 1906 ) 11 月 明 治 40 年 ( 1907 )4 月 郡 9 10 11 12 13 14 15 鎗 本 三 深 酒 田 植 長 居 田 神 谷 井 中 場 龜太郎 龍 助 正 健 泰 藏 隆 吉 得太郎 鐵 三 就 任 明 治 42 年 ( 1909 )9 月 明 治 44 年 ( 1911 ) 12 月 大 正 2 年 ( 1913 )7 月 大 正 6 年 ( 1917 )3 月 大 正 8 年 ( 1919 )4 月 大 正 10 年 ( 1921 ) 10 月 大 正 12 年 ( 1923 )7 月 【雄勝郡】 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 郡 長 北 條 齊 藤 小田島 髙 城 畑 遠 藤 岡 城 熊 井 田 村 深 谷 井 手 忠 勇 重 光 由 義 守 久 千代記 政 敏 忠 格 忠 貞 武 美 精 一 泰 藏 久馬彦 就 任 明 治 11 年 ( 1878 ) 12 月 明 治 14 年 ( 1881 )2 月 明 治 19 年 ( 1886 )9 月 明 治 21 年 ( 1888 )6 月 明 治 26 年 ( 1893 )2 月 明 治 29 年 ( 1896 )5 月 明 治 30 年 ( 1897 ) 11 月 明 治 33 年 ( 1900 )2 月 明 治 35 年 ( 1902 )7 月 明 治 38 年 ( 1905 )4 月 明 治 40 年 ( 1907 )2 月 明 治 43 年 ( 1910 )5 月 郡 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 金 井 植 宮 增 神 戸 田 寺 中 九 長 子 上 田 澤 田 谷 崎 中 田 里 島 金 平 通 義 稔 一 小五郎 秀 吉 勇 三 順 治 得太郎 慶 吉 喜 一 堅之助 就 任 明 治 44 年 ( 1911 )2 月 大 正 2 年 ( 1913 )4 月 大 正 3 年 ( 1914 )7 月 大 正 6 年 ( 1917 )3 月 大 正 8 年 ( 1919 )4 月 大 正 8 年 ( 1919 ) 10 月 大 正 9 年 ( 1920 )3 月 大 正 9 年 ( 1920 ) 11 月 大 正 10 年 ( 1921 ) 10 月 大 正 12 年 ( 1923 )7 月 大 正 13 年 ( 1924 )8 月 ※ 瀨 谷 純 一 著 『 歴 代 秋 田 県 公 人 録 』、 大 正 4 年 (191 5) 7 月 、 3 8 ~ 47 頁 。 秋 田 県 編 『 秋 田 県 史 』 資 料 明 治 編 ・ 上 巻 、 昭 和 55 年 (1980) 1 月 ( 復 刻 版 )、 449 ~ 453 頁 。 - 118 - 《参考》秋田県郡官吏人員及び年俸 年 度 郡 長 郡 書 記 郡 視 明 治 3 2 年 ( 1899 ) 9 6,200 114 19,373 - 明 治 3 3 年 ( 1900 ) 9 6,200 115 22,313 明 治 3 4 年 ( 1901 ) 9 6,200 101 明 治 3 5 年 ( 1902 ) 9 6,400 明 治 3 6 年 ( 1903 ) 9 明 治 3 7 年 ( 1904 ) 学 合 計 - 123 25,573 - - 124 28,513 18,587 9 3,540 119 28,327 103 21,005 9 3,540 121 30,945 6,600 107 23,422 9 3,540 125 33,562 9 6,600 86 18,187 9 3,540 104 28,327 明 治 3 8 年 ( 1905 ) 9 6,700 100 20,741 9 3,540 118 30,981 明 治 3 9 年 ( 1906 ) 9 7,000 106 22,758 9 3,540 124 33,298 明 治 4 0 年 ( 1907 ) 9 7,000 110 23,609 9 3,600 128 34,209 明 治 4 1 年 ( 1908 ) 9 6,900 110 24,988 9 3,780 128 35,668 明 治 4 2 年 ( 1909 ) 9 6,900 109 24,338 9 3,780 127 35,018 明 治 4 3 年 ( 1910 ) 9 8,400 110 24,706 9 3,780 128 36,886 明 治 4 4 年 ( 1911 ) 9 8,750 109 26,326 9 4,092 127 39,168 大 正 元 年 ( 1912 ) 9 8,750 113 27,495 9 4,080 131 40,325 大 正 2 年 ( 1913 ) 9 8,350 104 27,192 9 4,080 122 39,622 大 正 3 年 ( 1914 ) 9 8,350 106 27,192 9 4,080 124 39,622 大 正 4 年 ( 1915 ) 9 8,650 106 27,773 9 4,020 124 40,443 大 正 5 年 ( 1916 ) 9 8,650 106 27,773 9 4,020 124 40,443 大 正 6 年 ( 1917 ) 9 8,650 108 27,730 9 4,020 126 40,400 大 正 7 年 ( 1918 ) 9 8,600 108 29,243 8 4,140 125 41,983 大 正 8 年 ( 1919 ) 9 11,100 108 31,434 9 4,860 126 47,394 大 正 9 年 ( 1920 ) 9 11,000 111 64,752 9 9,180 129 84,932 大 正 1 0 年 ( 1921 ) 9 17,400 112 69,425 9 10,260 130 97,085 大 正 1 1 年 ( 1922 ) 9 17,800 111 67,776 9 10,260 129 95,836 大 正 1 2 年 ( 1923 ) 9 15,400 98 64,218 9 10,620 116 90,238 大 正 1 3 年 ( 1924 ) 9 14,800 83 53,556 9 10,980 101 79,336 大 正 1 4 年 ( 1925 ) 9 16,600 80 56,653 9 10,440 98 83,693 ※ 秋 田 県 編 『 秋 田 県 統 計 書 』。 - 119 -
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