Vol 9 東海大学 JAZZ 研究会 OB 会機関誌 2004/11/30発行 OB会

MONK
Vol 9
東海大学 JAZZ 研究会 OB 会機関誌
2004/11/30発行
OB会事務局
東海大JAZZ研OB会では発足以来初めての役員改選が行われます。
改選方法につきましては、自薦・他薦で候補者を公募し、候補者数が規定枠を越えた場合は投票形式をとります。
(規定枠は15名です)
OB会役員の役職、活動内容は下記です。
会長(1名)、
事務局長(1名)、 会計(1−2名)
渉外(3−4名)、 広報(HP/3−4 名、MONK/2−3名)
役員会ならびにOB会イベントが年に10回程度行われます、役員会は東京目黒モーリアートワークススタジオにて
土曜5時から(月日は年頭に決定します)、イベントは会場時間とも未定です。
役員はこの役員会とイベントへ最低でも7割以上出席できる方を希望します。
現在の活動はホームページの管理更新を充実させるために、広報部門を充実させる方向へ進んでおります、また年代
が偏らないように幅広く選出できればと思っております。
役員改選についてのスケジュールです。
2004 年
11 月末: 「MONK Vol-9」で告示し候補者を公募(自薦、他薦)する。
12 月末:
候補者の公募の締め切り。
2005 年
2 月末 :
候補者が規定枠より多い場合は選挙形式として
「MONK Vol-10 」にて選挙投票を公示する。
3−4 月:
ホームページにて選挙結果発表
5月 :
OB総会にて 新規役員を発表し承認を得る。
つきましては、上記事項ご理解の上、自薦他薦を問いませんので
皆様のお考えをOB会事務局までご連絡ください、締め切りは12月31日です。
皆様お忙しいと思いますが、どうぞ宜しくお願いいたします。
1
私のジャズ研ヒストリー
津野
梓/38期・Tb
ははは、山南(同期)が MONK の原稿書いてるわ∼ (笑
たしか半年前そんなことを言っていたはずでしたがなぜか自分が今回書くことに・・・。
・なんでジャズ研にはいったんだっけ?
入学してから 1 ヶ月くらいたったころでしょうか、家でだらだらとゲームをしている自分に向かってジャズ研に入
った阿部君が熱心に「ジャズってすごいんだぜ」みたいなこと語ったことが自分とジャズをつなげる最初の出来事だ
ったと思います。
「マイルスが・・・Tp が・・・ブツブツ・・・。」楽しそうに語る彼をみてそんなにすごいのであれ
ばとジャズ研の部室に足をはこんだのでした。
・ジャズって何するのさ?
入ったまでは良かったのですが、すぐに彼が語っていたような楽しみはすぐに見つけることは自分には無理でした。
吹奏楽で楽器をやっていたことと、Tb にたまたま(?)空きがあったこともありすぐにビッグバンドに乗ることになっ
た自分でしたがやはり所詮はジャズ初心者。スイングって何?という状態でしたので吹き方があわないのなんの・・・
もう四苦八苦の日々。夏の山野練習は暑くきつく、学祭ではコンボバンドに誘われ挑戦するもフレーズは思いつかず、
12 月ライブは卒業する先輩方に囲まれて演奏することになり青ざめていた気が・・・気づけばあっという間に一年が
過ぎていって・・・。
・あ、この人かっこいいわ
ジャズを始めてちまちま 2 年目、ジャズ研に入ったときからずっと感じてたこと、トロンボーンて不便、Sax のよ
うな速いフレーズは出来ず Tp のような目の覚めるハイトーンもない。なにがこの楽器のウリなんだろう?この悩み
に答えてくれたのが誰もが知っている Tb プレーヤー「カーティスフラー」の演奏。ビッグバンドばかり(しかもほぼ
ベイシー)聴いていた自分には少し枯れた音色、フレーズの構成、Sax プレーヤー「ベ
ニーゴルソン」との絡み、なにをとっても新鮮に聴こえました。すっかり彼の演奏
に魅了された自分は彼の CD を買うようになりそこで偉大なるナイアガラ瀑布「ア
ートブレイキー」率いるジャズメッセンジャーズにも出会うことになったのでした
(フラー中心でメッセンジャーズを聴いていたために僕の頭の中ではバンドの代
表作が「モーニン」や「チュニジアの夜」より「モザイク」や「フリーフォーオー
ル」のほうになってます)。3 年生のころ、当時の自分はジャズメッセンジャーズが
とにかく好きで(今もですが)自分もこのブレイキーに統率されたリズムの下、個々
の特徴が最大限に活かされたバンドスタイルを目指す!!と、あれやこれやとメンバーに注文を多くつけていました。
今思えば Dr の若狭君には随分とひどい注文をつけていたと・・・ごめんね若狭、ネバーランドはないんだよ。でも、
好きなプレーヤーが出来たせいか、はたまたジャズをわかってきたのか(ウソ)、このころからよく Box に顔をだして
練習するようになったきがします。やっぱり目標があるってのは大事、やる気につながりますね。たしかこのバンド
で第一回 OB 総会のときに演奏もさせてもらいましたっけ、いい思い出です。
・大学は 5 年制です
4 年生の山野、一番インパクト強かったあの山野・・・えぇ、コンマスの秋元君が大漁旗やってしまいましたね。
最高に面白かったです、会場大うけだったし。ジャズ研生活の中で一番の思い出でしょうか、後にも先にもあれだけ
やるバンドは出てこないとある意味メンバーだったことを誇りに思ってます(笑
好き勝手やってくれた秋元君のおかげでビッグバンドの思い出はたくさん出来ました、学生ヨロシク、脱ベイシーを
図ってミンガス、ジャコ、渋さ知らズ、ものすごくはしゃいでました、楽しかったから♪おもしろくってなんでもや
りました、チューバ借りてきたりユーフォニウム吹いてみたり一生懸命やってました。
最初は時はすぐやめるんじゃないかってみんなに囁かれてたらしいですけど結局 1 年多く居座ってしまいました。
またあのメンバーで演奏したいなぁ・・・なんて考えながらそのときのため衰えぬようにとこっそり練習をする日々
です。
2
OBビッグレポート
能勢
秀昭/24期・Asax
とうとう、このコラム僕の番すか?って、家庭の事情(酔っ払ってブチマケテ失礼いたしました→千鶴さん)で何回か
休んだものの、それ以外はほぼ毎月出席しているOBビック(何でビッグぢゃなくてビックって言うんだろう? それ
ってビッグカメラぢゃなくてビックカメラみたいなもの?)のメンバーでは、倉田さんが書いただろ、田島が書いた
だろ、みきしゃん(さん)が書いただろ、そろそろオレか???なんて指折り数え期待半分、どうしよ半分でしたが、
ついに来ちゃいましたね。僕に書かせたら知りませんよぉ→澤さん!
なんて、言ってばかりいてもしょうがないので、ここからは僕が現役当時ガリ版を刷って作っていた【JUST JAZZ】(っ
てまだあるの?)に投稿していたコラム『コルトレーンよ、ドルフィーにモンクあっか!?』調で行かせていただき
ます!(すでに始まってますけど)
そもそも僕にビックのこと書かせちゃまずい!というのは大の“ビック嫌い”だからなんす。というか、どうしよう
もなく正直言って“ビッグ苦手”なんすわ。
理由
①大学に入ってからラッパを始めたので譜面(特にリズム)が読めない!&ついて行けない!から(悲)。
②そもそも大学から始める音楽においてジャズ≒アドリヴをやりたい!と志したのも分不相応だったのに、加えて決
定的に音感が不足しているから(自分ではちょっとくらいの音程ズレも「味」で許せるが、他人のズレは許せないと
いう自分でも飽きれるほどの身勝手さ故)。
③サッカーでは若者や年配に混じってサイド・バックやボランチといういわば後方支援部隊というか、全体のバラン
スを整える役割を進んで担っているにもかかわらず(まぁ技術不足を運動量で補っているだけですけど)、こと音楽に
おいては協調性を決定的に欠いている。フロント≒ホーンなんて音がデカイか、音色や
フレーズがエロいか、ソロでヒトより目立ったほうが勝ちぢゃん!とか思ってしまう。
これは高校生の時からコルトレーン、ドルフィー、そして何よりもマイルスの「カイン
ド・オブ・ブルー」を聴いて感化され、以来ダメ人間へまっさかさま...というか、
「単
音楽器でジャズなら出来そう・・・So What ?」「自分はミスっても他人のミスは睨み付け
る・・・by Miles」などという、史上最大の勘違いに起因していると思われます。
④そもそもロングトーンとか体育会系の練習が大キライだから(人生辛いことの方が多いので、せめて楽器触るとき
くらい好きなことだけやっていたいという強い甘えですわ)。
…etc.と書き連ねればキリが無いのでこの辺で止めにしておきます…m(= =)m
でも、しかし、そんなダメ人間の不肖、あたくし、24 期、能勢めが、宅嫁の制止も振り切り、ナゼに毎月最終日曜日
に重い楽器を担ぎ、いそいそと会社より遠い高田馬場くんだりまで出かけていくのか? 行ってしまうのか?? 行か
ねばならぬのか???
理由
栄えある OB になっても、大人気ないくらい(失礼!)上手すぎて参ってしまう諸先輩方ばかりですけど(笑)
、現役時
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3
♪♪
代には有り得ないくらい(爆)、皆々様人間的にとてもおおらかで、僕などがついていけなくても仲間に入れていた
だける(と思い、甘えられる)のが、この世知辛い世の中ではタマラナク幸せで、心が温まるから。現役時代にはどう
やっても叶わなかった、山野で数々の賞を獲られている先輩方と共演出来るなんて夢のような話、あーた信じられま
っか?
大学4年から正式にサックスに転向したという僕のような“裏切り者”でも(千代延さんゴメンナサイ)、持ち換えし
ても吹けない楽器持ってきても(それもあたくし)、社会人何年目かにトランペットを買ったという某 24 期の元委員
長でも、譜面が読めても運指がわからないヒトでも(※前回の BIG レポート参照→M シャン、ゴメンナサイ!)、楽器
を持ってこないヒトでも、「いつでもウェルカムだよーっ!」という誰にでも優しい【OB ビック参加キャンペーン】
を年間通して行っているルーズさ、いや器の大きさが嬉しいから。
下手で誰もバンドに誘ってくれないからといって、自分でバンドを組んでスケジュール調整をしたりスタジオを取っ
たりするのもこの歳ではかったるい(でも正二さん、倉田さん、いつもお疲れ様です!皆様のおかげで音が出せるん
です、感謝!!)。
ヒトとアンサンブルを合わせたり、譜面通りに吹くのは苦手だ(おそらく一
生かかってもリード・アルト出来ないっす、ごめんなさい鎌倉さん!)が、そうかといってや
はりヒトと音を出し合うのは他の何にも換え難いくらい楽しいし、その上信じられないくら
い上手い先輩方や現役プロにも教えてもらえる機会が多いから。しかもタダ。
だが、その後でライブ見参というお布施も忘れてはならない(ですよね塩川さん?)。
自分のパートが足りている場合、演奏が出来るならばパートの足りない楽器に移っても良い。そのような可能性が許
されるということは、ここ最近サックスよりもギターに気持ちが乗り移りまくっている能勢にはとても嬉しいことだ
から。澤さんに「今度ストラト持って来いよぉ!」なんて言われると天にも昇る幸福感!!実際には恥ずかしくて持
っていけませんが。
注:そうはいっても、Tb は足りていないのに正二さんがベース専任になってしまってはいけませんので、ベーシスト
の方はじゃんじゃん参加してください。
なんやかんや言っても結局はただの音楽好き。「全ての芸術は音楽に嫉妬する!」と誰かの名言にもあるが、仕事で
もプライベートでも音楽の無い生活なんてあり得な い!
酒飲めないのに毎回打ち上げに行くのも、音楽の話やそ
れにまつわる昔話が出来るのが楽しいから。現役の時のように「一気飲み」や「雑煮」のような“辛い酒”の類はな
いので、下戸でも安心。100%ゲコノセの保証付き(一方で現役時より確実に酒量が増えているヒトもいますが)。
・・・ってなカンジで、結局ビック嫌いどころか仕事の性格上、
【OB ビック参加キャンペーン】の大プロモーション
大会になってしまった感も否めませんが、一切“仕込み”は有りませんので御容赦下さい。
そんなことより、これを見た東海大学ジャズ研究会の OBOG の皆々様方、現役の諸君がいつでも気楽に参加してくれ
ることをマジで望み、その希望を星につないで、24 期の大バカモノのレポートを終わります。
澤さん、ネタ用意しておきますので、今度は「私のジャズ研ヒストリー」書かせてください。調子乗りすぎ?[了]
4
USAジャズレポート (4)
SAXの中村誠一氏がひょっこり休暇をかねてニューヨークにやってきた
伊東 忍/9 期・Gui
SAX の中村誠一氏がひょっこり休暇をかねてニューヨークにやってきた。彼とは日本にいた頃からの知り合いで、70
年代後半、彼もこのニューヨークに長く住んでいたこともあり、一緒に仕事をしたり、二人とも中村照夫&ライジング
サンのメンバーとして雇われたり、数多くの思い出がある。10年ほど前に一度会ったがその時は演奏する機会が無
かったが、今回、昼間僕のアパートで数日 DUO をして楽しんだ。どうせならと DAT で録音していたので、その時は彼
に MD に移して音源を渡しておいた。夜はハーレムのジャムセッションに一緒に飛び入りして、一曲目からアップテン
ポで<マイノリティ>をやらされてまいった。またある夜はイーストビレッジでの僕のギターデュオの仕事に彼も
SIT-IN したりした。仕事と言ってもこの日のギャラは日本円で約3,000円。往復のタクシー代と食事で赤字であ
る。相変わらずこの JAZZ の世界食える物ではない。
ところで、これだけ長くニューヨークに住んでいても今まであの伝説のギター、レスポールが長年、毎週月曜にやっ
ているショウを聴いたことが無かった。SAX の彼が<是非>ということでついに IRIDIUM に出かけた。少し遅れてい
ったため地下に向かう階段を降り始めたとき、すでに2ビートで非常にスウ
ィングしている音楽が聴こえたとき、<これは凄い!>と感じた。レスポー
ル以外に2人のギター、女性ベース、ピアノ。皆それぞれが非常に素晴らしい
レベルで,特にジャンゴスタイルの若いギターの素晴らしい伴奏とそのソロ
の超絶テクニック、女性ベースも途中で見事なベースラインを弾きながら唄
を披露する。もちろん曲目はテンダリー、ハウ
ハイ
ザ
ムーンなどおそ
らくレスポール自身が自分の青春時代に流行っていたであろう時代の曲の
オンパレードである。1曲終わり空かさず次の曲のメロディーがでてくるだ
けで客席からどよめきが起きるほどの素晴らしいアレンジである。今時の時
代、曲を弾き始めただけで客席をどよめかせられるミュージシャンがどれだけいるだろうか?今まで JAZZ の世界と
チョッと違う位置にいる彼の存在を無視していた自分を悔やんだ。考えてみれば12∼3歳でパーティーの仕事でギ
ターを弾き、その音が遠くまで届かないことに業を煮やした彼は、その後ラジオを改造していわゆるエレクトリック
ギターを発明し、そして超絶テクニックと共に当時では珍しい多重録音に挑んだり、音楽家であると共に偉大な発明
家でもあった。少なくともギタリストであれば世界でも彼の名を知らない人はいないであろう。よく考えてみればそ
れほどの偉大な人のショウである。見事な客をあきさせないジョークを交えた構成力に脱帽した。おそらくもう90
歳近いのではないか?と思われるが少しも頭もボケず、めちゃくちゃに数多いスウィッチの付いたレスポールギター
を巧みに切り替えて弾きこなすのである。感動以外の何者でもなかった。中村氏の、<勉強になったな!>の言葉に
ただうなずいて返事をした。そんなこんなで普段のペースがすっかり狂った1週間であったが思い出に残る貴重な1
週間でもあった。
そんな彼から帰国後1週間ほどして連絡があり、あの音源を是非 CD 化したいのだが?
との打診があったのでまず驚
いた。と言うのはただ1曲を除いて後は全て僕のオリジナル曲で行き方終わり方も決めずにただやってしまった、と
いう状態なのである。途中で<サビ行こうか?>とか<コーダ!>なんて叫んでいるのである。しかし何度も聴き返
すとこれが10年ぶりにあっていきなり始めたにもかかわらず、というか録音して CD にするつもりも無く気楽にや
ったのが功を奏してかリラックスしていて聴いていて心地よいのである。早速それ以来 CD 化に向けての編集がはじ
まった。1日平均16時間のデジタル編集である。こうなるとギターに触る暇も、ヤンキーズの試合を見る時間も全
く無い。偶然にも中でも1番良い出来は、まず最初にやった2ビートの<THE
THINGS
I
DIDN’T
DO>で、レス
ポールとメリーフォードの凄く古いレコードで演奏されていたはずである。是非来年の CD 化を楽しみに期待してい
てください。
5
懐かしのジャズ喫茶
(3)
鈴木壽男/8期・鑑賞会
私は、何故だか、昔から東北が好きである。東北と聞くと何となくロマンを感じ、哀愁と抒情に包まれてしまう。太
宰治、宮沢賢治、啄木、寺山修司、棟方志功を生んだ風土である。当時から、何故か私の友人は、東北出身者が多か
った。休みになると(といっても当時は年中休みのようなものだったが)よく東北に旅をした。福島、盛岡、秋田、
弘前、青森、・・・。
特に弘前は好きで何回も旅をした。行く先々で、ジャズ喫茶を探し求め、通った。7
0年であったか、71年であったか定かではないが、コンボを連れて、東北の各地を
回り、土地土地のジャズ喫茶をめぐって、演奏旅行をやろうという計画をたてた。そ
こで、夏休みにその下見と根回しを兼ねて、先ずは鑑賞会で先行の旅をしようという
ことに合いなった。テントをもって泊まる今でいうところのアウトドアである。メン
バーは、摩中田さん、小島君、山崎君、に私の4人であった。確か初日は木村由紀夫
の故郷・いわき市の新舞子キャンプ場、翌日は仙台にいって松島でテントを張り、次
は一関、そして折角だから、十和田湖に行こうということになった。
十和田湖のキャンプ場で泊まった翌日のこと、太陽がカンカン照りで、十和田湖で海水浴ならぬ湖水浴を楽しみ、日
焼けをしようということで日焼けクリームがないものだから、自炊のために用意をしていたサラダオイルを体に塗っ
て焼いていたら、何やら皆んな体がチクチクしてきたではないか。これは何だ!!と体をかいていたら、これまた、
丁度幸いに、スコールのような雨が降ってきた。これは最高!。シャワーと同じではないか。ということで、石けん
を出して体を洗い、ついでにということでシャンプーで頭を洗い出した。とたん。ピタッと、雨が止んだ。全員アワ
だらけである。これはいかん。何とかしなければということで、キャンプ場の水道(といっても、木の管に井戸水が
流れていて、夏とはいえ、痛いほどの冷たい水)にタオルを浸しながらアワを洗い落とし、終わった時には、全員ブ
ルブルふるえて口びるは真っ青、真夏なのに風邪をひきそうなくらい、体が冷え切ってしまった。そこで、青森へ行
って銭湯に入ろうと決まり出発した。出発してまもなくすると、運良く温泉があるではないか。
「地獄に仏」
「渡りに
船」とは、正にこのことである。喜び勇んで、すぐに入ろうと決まったことはもちろんのことである。温泉の名前は
「酸ヶ湯温泉」。山の中の古びた木づくりの一軒宿である。入口で金を払い脱衣所で服を脱いで足早に進むと、別の
所からの通路と途中で一緒になり、浴場に入ると、な、何んと混浴ではないか。勿論のこと、混浴なぞは初体験のこ
とである。時間も夕方、土地の人は子供を連れたりして女性が大部分である。しかも、お湯の表面と板場がほぼツラ
イチ。どこを見てよいのか、目のやりばに困るとは、正にこのことである。そのうちに、だんだんと今度は体が異様
に熱くなり、のぼせてくるではないか。しかし、皆んな出る気配がない。顔は上気し、真っ赤になってくる。ところ
が、本当のことをいえば、実は、出たくても出られなかったのだ。原因は下半身にあった。普段めったに見ることの
ない、女性の裸身を目にしたものだから、当然のごとく、下半身に変化をきたしていたのだ。それが静まるどころか、
ますます勢いづくではないか。ホトホトまいってしまって、湯から出た時には全員グッタリとしてしまっていた。湯
あたりならぬ、目あたりであった。余談ながら、昨年10月に30年ぶり位に十和田湖を観光に訪れた。奥入瀬渓流
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♪♪
の紅葉は見事としかいいようがなかった。夕方、宴会の前に酸ヶ湯温泉に行ってみた。何んと、今でも当時と全く同
じく混浴であった。しかも、女性客も多くいる。しかし、当時とちがっていたのは、湯船の真ん中にロープが一本張
られて分けられていたこと。もっと決定的にちがったのは、私の視力が衰え、前方が霞んでしか見えなかったこと、
と、下半身の勢いの差であった。30年の歳月を否応もなく確認させられた瞬間であった。
話は元に戻って、何となく満足したような、何か物足りないような複雑な気持ちを抱えたまま、「酸ヶ湯温泉」から
青森へ出た。それから弘前、秋田とそれぞれ一泊し、最後は新潟の私の家で最終となった。
そのすぐ後であったか、一年後であったかは定かではないが、ジャズ研コンボみちのく演奏旅行となる。メンバーは、
深見ショーター(ts)、松島リトル(tp)、市川バレル(g)、大越ギャリソン(b)、エルヴィン田端(ds)、木村ブ
レイキー(ds)、のそうそうたるメンバーである。車は文連のワゴン車と深見さんの車の2台であった。最初は、木
村の故郷・いわきのジャズ喫茶「ジブラルタル」。次は仙台の「カウント」。そして翌日は、一関はかの有名な「ベイ
シー」。
「ベイシー」では菅原マスターの好意で店の2階で皆んな寝かせてもらった。演奏が終わ
って、2階で飲んでいた時のこと、階下からヘレン・メリル/クリフォード・ブラウンのレコー
ドがかかった。もちろん「帰ってくれてうれしいわ」ニューヨークのため息である。それを、誰
かが、こともあろうに青江美奈だと言い出し、一瞬皆んなが信用して、階下にいってジャケット
を見てきて、全員納得!ということがあった。それと、「ベイシー」の前にあった、三木のり平
そっくりの、親父さんのやっている「うどん屋」の旨かったことを想い出す。
一関を後にして、次は、三陸の宮古に私の友人・遠藤君(現在は沢田姓)の家があり、彼の好意で地元の自動車学校
の宿舎に泊めてもらった。一関から宮古までの、三陸海岸の素晴らしい眺めに気をとられて、白バイのお世話になっ
たことがあったような気がするし、とにかく、宮古のイカ刺しの旨かったこと、浄土が浜の白砂利の浜辺と海水のき
れいだったことは、今でも鮮明に覚えている。その後は、青森か弘前で演奏したはずであるが、店の名前は覚えてい
ない。確か青森のような気がするし、「DUG」に似たような店であったような気もする。
全く年は取りたくないものである。次は秋田である。秋田は何といっても川端町である。こ
れも店の名前は忘れてしまった。ペットの斉藤君の家が秋田の町中のカドにある八百屋で、
斉藤君の家にお世話になり泊めてもらった。お姉さんが美人であったことだけは覚えている。
秋田の次は最終地の新潟である。新潟は新発田の「バード」で演奏した。
「バード」は「DIG」に似た店である。
「バ
ード」を終わって夜は私の家で泊まった。ワゴン車のボディには「東海大学ジャズ研究会」と大きく書かれてあり、
母親から、頼むからあのジャズ何とやらを取り除いてほしい、と何度もせがまれたことを想い出す。当時の田舎では、
ジャズは不良の音楽であり、耐えられないくらいに恥ずかしいことであったのだと想う。
かくして、ジャズ研コンボみちのく演奏旅行は大成功のうちに終わったのであった。現在、その当時の音源が残って
いれば、とも想ったりするが、いや、もしかしたら、メンバーにとっては残っていないことが、ホッとして、何より
のことであるのかもしれない。
ドルフィーではないが、
「演奏される音楽が空中に消えてしまうと、二度と戻ってはこない」のである。
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OB会事務局
*東海大JAZZ研OB会機関誌「MONK」は年4回(2,5,8,11月)の発行予定です。
この機関誌はメールアドレスのある方にはMM(メールマガジン)として、
NETを利用されていない方には封書にてお送りいたしております。
♪
東海大JAZZ研OB会
地方特別役員・支部長選出について ♪
このたびOB役員会にて、OB会ホームページを利用して地方のOB会員との情報交換を密にするため
に、道府県別地方特別役員・支部長を選出することになりました。
具体的な活動内容は未定ですが、各支部のOB会員の把握、地域のジャズに関するレポート等が中心に
なると思われます。OB会ホームページもリニューアルの方向へ進んでおり、ゆくゆくは日本全国OB
会員からのジャズ情報満載サイトを目指しております。
現在、下記OB会員の地方特別役員支部長への参加ご承諾を得ております、
また候補となる方へメールを差し上げておりますが、まだまだ多くの皆様方のご協力が得られずには実
現できません、是非ご参加くださるようお願いいたします。我ぞと思う方は御気軽にOB会事務局へご
連絡ください、お待ちしております。
以上、どうぞ宜しくお願いいたします。
神奈川県支部
埼玉県支部
秋田県支部
丸山幾生
鈴木正夫
畑山雄晃
5期
8期
20期
新潟県支部
宮城県支部
栃木県支部
鈴木寿男
田裕之
倉田仁
8期
14期
23期
*現役ジャズ研からのお知らせ
:恒例の12月ライブは去年までの江古田バディーではなく、赤坂の B-flat で行うことになりました。
12月27日(月)18:00 OPEN
HP
http://www.bflat.jp/
:来年の春合宿は 2 月 8 日∼2 月 11 日までの四日間で民宿東村 (山梨県南都留郡 富士河口湖町 西湖西 2-1)に
て、三日目の夜にはオールナイトセッションが行われるそうです。
詳しい情報は現役ジャズ研外渉/山田憲司までご連絡ください。
([email protected] )
*新潟中越地震赤十字募金ご協力のお願い
新潟県中越地震災害義援金の受付が行われています、OB会員皆様のご協力をお願いいたします。
【郵便振替口座】
◆名
義
日本赤十字社本社新潟県中越地震災害義援金
◆口座番号
「00130−1−41515」
・郵便局窓口での取扱いに限り振替手数料は免除されます。
・受領証が必要な場合、通信欄に「受領証希望」とご記入ください。
◆募集期間 平成16年11月1日(月)∼平成17年3月31日(木)
この“MONK”掲載の記事、レポート等へのご意見、ご感想、ご質問は、下記OB会事務局、ならびにOB会ホー
ムページの「情報掲示板」にて承っております。
*住所、メールアドレス等を変更された方は忘れずにご連絡願います。
東海大学JAZZ研究会OB会事務局
東京都目黒区目黒3−3−18 モウリアートワークススタジオ内
FAX 03−5704ー0880
OB会ホームページアドレス
http://jazz-ken.hp.infoseek.co.jp/
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