第59号 - 平城宮跡サポートネットワーク

平城宮跡でボランティア活動をしている私たちの会報紙です
2016 年 6 月発行
59 号
/Fax 0742-34-7713
NPO法人平城宮跡サポートネットワーク(NPO平城宮跡)
[email protected]
http://www.heijyonet.nara.jp
〒630-8577 奈良市佐紀町 247-1 奈良文化財研究所内
“奈良時代を今に感じる”
役員紹介
5 月 29 日の午後NPO 平城宮跡サポートネットワーク
は?」
「大極殿
任期:平成28 年7 月1 日~29 年6 月30 日
(50 音順、敬称略)
は、平城宮跡資料館講堂で歴史講演会に続き、第 15
【理事】伊澤 貢(環境保全部会長)、上岡國威(環境
回総会を開催。平成 27 年度の事業報告、28 年度事業
保全部会)
、大山達夫(広報部会長)
、渋谷葉子(広報
計画基本方針及び、諸事業の活動。事務所の所在地変
部会)
、白神裕子(文化部会)
、鈴木 浩(副理事長:
更、相談役の新設、ガイド部会の新設など定款の一部
渉外、情報館担当)
、辰巳吉一(副理事長:渉外、文
化部会長)
、玉井 出(ガイド部会)
、玉置 勝(ガイド
改正と新役員の選任。以上の議案説明後、活発な審議
部会長)
、得田達雄(広報部会)
、水野貞雄(事務局長)
、
の結果、全ての議案が承認されました。
宮岡功一(理事長)
宮岡功一 理事長の総会挨拶
【監事】多 昭彦、宮繁壽夫
NPO 平城宮跡サポートネットワークは、本年 11 月に
(相談役)伊部和徳
以上 14 人
設立 15 周年を迎えます。
ここまで実績を積むことがで
新役員のメッセージ
きましたのは、ひとえに皆さま方の絶大なるご指導、
ご支援の賜物と心より感謝申し上げます。
平城宮跡は、見るだけではその魅力は伝わりません。
発会以来、①遺
平城宮跡に立ち、天平人に思いをはせ天平の風を感じ
跡の歴史的・文化
てこそ、その魅力に触れることができるのではないで
的価値の維持②遺
しょうか。ボランティア活動の出発点の平城宮跡の魅
跡を訪れる人々に
力を多くの方に伝えて行きたいと思います。
(新理事 渋谷 葉子)
最適な空間を提供
すること③歴史的
応援席から、突然ピンチヒッターとしてマウンドに
文化遺産の保全に
降り立った心境です。皆さんの真摯な姿を見て責任の
寄与することを基本方針に活動してまいりました。来
重さを感じていますが、皆さまのお力添えをいただき
年秋に開園予定の「国営平城宮跡歴史公園」は、平城
ながら務めさせていただきたいと存じます。よろしく
宮跡の保存と活用を通じて“奈良時代を今に感じる”
お願いいたします。
(新理事 白神 裕子)
空間を創出することを基本理念として国交省国営飛鳥
歴史公園事務所によって工事が進行中で、私たち NPO
待っています“新しい仲間”
平城宮跡の更なる活動が求められています。
あなたの余暇を楽しく過ごす場があります。
15 周年を機に、今までのガイド活動を「ガイド部会」
環境の美化に興味がある人(環境保全部)
、歴史を
として充実させ、従来にも増してガイド活動を展開し
勉強したい人(文化部)
、IT経験を生かしたい人(広
観光の振興に努めてまいります。
報部)
、ガイドしたい人(ガイド部)
、平城宮跡サポー
トネットワークは、
皆さまの知見と行動力を求めます。
最新の情報発信に鋭意努めながら、歴史的・文化遺
新たに 7 人が加入しました!
産「平城宮跡」を後世に守り伝える活動を展開してま
いります。今後とも皆さまの温かいご指導、ご支援を
谷村 透、寺嶋義光、人見源彦、福森和代、森重忠正、
賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
森本久代、森舎悦子 (5 月 31 日現在 敬称略)
(編集部)
1
国営平城宮跡歴史公園の動き
国営平城宮跡歴史公園は、特別史跡であり、世界遺
産「古都奈良の文化財」の構成資産でもあって、我が
国を代表する歴史・文化資産である平城宮跡の一層の
保存・活用を図ることを目的として、平成 20 年度に
策定された基本計画に基づいて整備をすすめています。
その基本理念は「古都奈良の歴史的・文化的景観の
第一次大極殿院建造物復原の為の資材保管庫、加工・原寸場の工事状況
中で、平城宮跡の保存と活用を通じて、
“奈良時代を今
に感じる”空間を創出する。
」というものです。
公園の区域は、奈良県が中心となり国営公園と連携
した整備を行う約10ha の区域を合わせて約 132ha で、
第一次大極殿を含むシンボルゾーン、平城宮跡の玄関
口となる拠点ゾーンのほか、緑地ゾーン、外周ゾーン
の4つのゾーンで構成されています。
当面の整備は、第一次大極殿院の建造物復原、拠点
ゾーンの施設整備、朱雀門から第一次大極殿院に至る
宮の中心軸線の確保を進めることとしています。
このうち、シンボルゾーンでは、平成 26 年度まで
平城宮跡展示館の工事状況
に第一次朝堂院広場、2 ヶ所の休憩所、第一次大極殿
院築地回廊の東面・南面基壇、復原事業情報館などを
初年度の反響―2 万 4 千人余り来館
整備しました。平成 27 年度からは、第一次大極殿院建
造物復原のための工事関連施設である、資材保管庫、
世界遺産・古都奈良の文化財は、奈良公園の鹿と大
加工・原寸場の建築工事をすすめており、本年秋に竣
仏が中心であるかのような誤解を未だに払拭できてい
工の予定です。また、復原事業情報館は、本年 5 月 1
ない。今の平城宮跡が「古都奈良」=平城京の枢要な
日で開館 1 周年を迎え、その間に 2 万 4 千人余りのみ
立場に位置し、就中、大極殿がその中核施設であるこ
なさんに来館いただきました。
とは、多くの人は知っています。しかし、正確に理解
拠点ゾーンでは、平成 27 年度より平城宮跡のガイ
されているとは言い難いのが現状です。
ダンスなどを行う平城宮跡展示館の建築工事をすすめ
現在、整備中の第一次大極殿院が復原すると、往時
ており、平成 29 年度竣工の予定です。また今年度は、
朱雀大路と二条大路の園路広場整備に着手し、平成 29
の平城宮の壮大・壮麗・荘厳さを体感することができ、
年度の開園にむけた整備をすすめていきます。
「古都奈良」の文化的価値を高く広く宣揚できます。
(国土交通省 国営飛鳥歴史公園事務所)
NPO 平城宮跡は昨年 5 月から、この復原事業情報
館において、事業の解説や展示物の説明などのボラン
テイア活動を行っています。開館から1年間で来館者
は約 24,700 人、うち説明対象者は約 9,500 人にも及
んでいます。来館者は私達の説明に熱心に耳を傾け、
復元事業の規模の巨大さと文化財的価値の高さに驚嘆
されて、本事業の早期完成を強く望まれ、励ましの言
葉を沢山頂いています。
私達は観光のためにガイドしている訳でも、ガイド
を楽しむために行っている訳でもありません。
「奈良時
代を今に感じる」空間を創出するという、この崇高な
事業の推進に協働して、その意義の重要性を説き、真
の平城宮跡フアンを多数醸成していきたい、それが平
平城宮跡歴史公園の区域とゾーニング
城宮跡を愛する私達の願いであるからです。
(鈴木浩)
2
歴史
講座
木簡を読み説くシリーズ-1
それは、遣唐使に選ばれた阿倍仲麻呂たちが旅立つ
「木簡の語る平城京」
際に、
朱雀大路でこのような光景があったのでしょう。
舘野 和己 奈良女子大学名誉教授
ただ、中国と違い、春頃雪の様な白い綿毛が舞う柳絮
が日本には伝わらなかったらしいです。
第 29 回歴史講座(NPO 平城
宮跡主催)
が 5 月 29 日宮跡
資料館で開かれ、舘野和己
奈良女子大学名誉教授が木
簡を読み説くシリーズ~
「木簡の語る平城京」と題
して講演。本年 1 月 24 日
に、平城宮跡サポートネットワークが、当日を「木簡
の日」と提唱宣言した。その初陣をかざる歴史講座で
す。ここに、その要旨と思いについて、ガイド部長の
玉置 勝さんに語っていただきました。
才覚あふれる“左大臣”の一面
長屋王は酒屋のオーナーでした。奈良時代前半最大
の事件の悲劇の主人公である長屋王の邸は、現在の大
宮町の当時某百貨店にあり、その邸内の出土木簡の中
には飯や酒の売り上げ銭の付札も出てきました。
(表)十一月四日店物 飯九十九笥 別笥
直九十九文
(裏)酒五斗直五十文 別升一文
右銭一百卌九文
甲子園球場の約 1.5 倍の広い邸内に天皇と同じよう
遷都時、平城宮は未完成だった
第一次大極殿院南門西側の西楼跡より出土の和銅 3
な家政機関を持ち、氷室の氷や牛乳を飲んでいる左大
年 3 月の荷札木簡「伊勢国安農郡阿□里阿斗部身」か
臣が、御田のコメを使い飯を作り、また「御酒醸所」
ら、和銅 3 年(710)には回廊がまだ存在していなか
で酒を醸造して、市以外の所で衛士などに販売してい
ったことがわかります。にもかかわらず、同年 3 月に
る様は「いよっ!大将」と声を掛けたくなります。
(編集部)
平城遷都が行われたことは、
『万葉集』巻 1-78「飛ぶ
次回の第 30 回歴史講座
鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは
日
会
講
演
平成 28 年 9 月 25 日(日)13:30~15:00
平城宮跡資料館講堂(奈良市佐紀町)
寺崎保広 奈良大学文学部教授
木簡を読み説くシリーズ-2
『木簡の語る長屋王』
定 員 200 人 申込先着順(☎/FAX/E メールで)
申込先 NPO 平城宮跡サポートネットワーク宛
参加料 一人 500 円(資料代)
、NPO 会員無料
見えずかもあらむ」という元明天皇の歌が、平城遷都
を控え、飛鳥京を出発し天理あたりで歌われた、
“故郷
を振り返った惜別のくだり”に表れています。
鼠と甕
ねずみとかめ
(表)臭酢鼠入在 (裏)臭臭臭臭臭 平城宮造酒
司跡から出土した木簡の一例です。
習書木簡のように「臭」が繰り返されていますが、
時
場
師
題
1.24 木簡の日提唱そのあと 2016.5.16
表三番目の「鼠」で意味が通じました。都に跋扈して
コースもふくらむ木簡のガイド
いた鼠が酢の中に落ちたのか、鷹の餌として進上され
一行が右京一条二坊の地を出発点としたのは、ご存じ
称徳天皇が 766 年発願の尼寺、西隆寺跡をデパ地下で
の披露が目的でした。奈文研が発掘した回廊・東門・
塔跡は、1 号木簡 SK219 が語る時代に、あまりにも興
味深いシナリオで、スタッフの苦心作。迎えた 24 人の
勉強熱心な方達は、第一次大極殿院西楼付近から出土
の木簡『此所不得小便』の用途について論議し、
「読め
ない人はどうしたんだろう?」
。これには、笑いよりも
真剣にペンが走ります。女性ガイドのスタッフも“大
和野菜”を背負っての大奮闘でした。
た鼠が落ちたのだろうか、木簡の書き手はその悪臭に
よほど我慢ができなかったのでしょう。この木簡を分
類すれば文書木簡のなかの記録、報告などになるので
しょうか。その鼠たちは宮廷にとってどんな存在だっ
たのか興味津々、
もし光明皇后が甕の鼠を見たなら
『あ
ら勿体ない』とその酢の行方はどうなったでしょう。
柳をとりもちて
朱雀大路の街路樹には、柳が植えられていました。
万葉集巻 19-4142 大伴家持の歌に「春の日に 萌
れる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路し思ほゆ」
とありますが、
長安の柳をモデルにしたのでしょうか。
古来中国では、送別の際に柳の枝を取って輪を作り、
旅立つ人の無事帰還を願って送る習慣がありました。
3
奈良文化財研究所
わ
き
や
新天平人
そ う い ち ろ う
脇谷 草一郎さん(40)
埋蔵文化財センター主任研究員
東京国分寺市生れ、一姫二太郎、金のわらじの奥様
と京都で暮らす。中学高校時代はフルートを奏で今は
音なしだが、自転車でのツーリングが趣味とのこと。
京都大学人間・環境学研究科を 2005 年に修了、京
大で学んだことの他、東京の美術大学出の両親の影響
も大きく、2009 年 4 月に奈文研の埋蔵文化財センター
に就いた。
アフガニスタンのバーミヤーンで破壊された仏像
(石窟 30m)の壁画修復は足場も不安定で危険なもの
だったと話す。臨月の奥様を残し、現地での辛酸労苦
は当時から蓄えたヒゲが物語っています。
保存科学が専門で、特に出土資料の材質や構造調査
をはじめ、地球科学を学んだ知識に基づいて装飾古墳
や土遺構といった遺跡の保存に関する研究に従事して
います。例えば、遺構展示館では遺構保護のため覆屋
をしていますが、そのことで館内では水分が蒸発し続
ける傾向となり、遺構に塩分が析出することで遺構の
劣化が進行します。したがって、このような遺構に生
じる劣化現象の解明と予防措置を究めることが必要と
なります。
平城宮跡資料館の暮らしを見る「ウンチ」は子供た
ちも関心を寄せる遺物ですが、これも彼が発掘現場か
ら取り上げ、保存処理をおこなった遺物の1つです。
露出展示遺構や取り上げた遺物の保存にとどまらず、
平城宮跡地下において埋蔵環境下での遺物保存に関す
る研究を発展させたいと熱く語っていただきました。
(編集部)
◇ チョットお耳を拝借 ◇
熊本地震の震源地「益城郡」
今年の 4 月に 2 度も震度 7 の激震に見舞われた熊本
県の上益城郡・下益城郡一帯は古く奈良時代から「益
城(マシキ)郡(コウリ)」として開けた地域でした。
万葉集巻五―八八六~八九一歌には当時筑前国
(現在の福岡県)守であった山上憶良の長い前書きを
4
伴う長歌 1 首と短歌 5 首があります。
大伴君熊凝(クマゴリ)という 18 歳の青年が天平 3 年
(731)6 月に、相撲使(諸国から相撲人を引率して
平城京に上る役人。宮中では七夕に相撲の節会が行
われました)に従って益城郡を出発して平城京に向
かいましたが、安芸国(現在の広島県)で病気に罹り
亡くなりました。その際の両親を思う心情を山上憶
良が代わって詠んだ歌です。同じく八八四・八八五
歌にも熊凝の嘆きの歌(麻田陽春作)があります。
平城宮跡から出土した木簡では、
2 つの木簡に
「益
城郡」の記載があります。1 つは資料館の荷札木簡
のコーナーにある「肥後国益城郡調綿壱伯屯四両養
老七年」と、もう 1 つは現在は展示されていません
が棒軸で「肥後国第三益城軍団養老七年兵士歴名
帳」と記されています。前者は税金の「調」として
真綿約 50 ㌔を 723 年に納めた荷札、後者は肥後の
国にあった益城軍団兵士の 723 年の名簿(巻紙)の芯
に使った棒の切り口に細かいきれいな字で書かれ
ています。
遠く離れた益城郡ですが、奈良時代、平城京と深い
繋がりがありました。
(宮本 靖)
―――・―――――――・―――――――
2016.4.9 平城宮跡クリーン大会
220 人の市民の皆さまが参加した恒例のクリーン大
キャンペーンを開催。
平成 15 年から奈文研と NPO 平城
宮跡が共催する第 14 回の企画です。
お陰さまで年々ゴミの量は減っているが、ポイ捨て
は見逃さない厳しい目を光らせていました。古代の眺
めが老若男女や子供たちを魅了し、暑い陽ざしの下で
汗を流しながら新鮮な語らいも行き交いました。
編集後記
・7 月よりドメインを取得してHPをリニューアル。
URL http://www.heijyonet.nara.jp/
当初から、HPを管理運営された多昭彦監事に紙
面をお借りして、衷心より御礼を申し上げます。
今後は、更に充実したHPを目指すべく努めて参
りますが、後進へのご指導、ご鞭撻をよろしくお
願いいたします。
・このたび、新入の広報部員「渋谷葉子、森重忠正」
を迎え、今号から早速参画しました。皆様のご支
援、ご声援をお願いいたします。
(編集部)