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国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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日本の戦略文化と戦争
西 川 吉 光
*
軍隊と日本社会
本紀要前号で指摘したように、昭和前半期の日本軍が採った人命軽視の攻撃偏重主義や必死必殺
の体当たり攻撃は、現代日本人の価値観とは大きくかけ離れたものである。ではこうした軍の方針
は、国民の声や感情を無視して強制威圧の下に遂行されたのかといえば、必ずしもそうとは言い切
れない。
戦前の日本社会では、時に軍部以上に好戦的で強硬排外的な世論が力を得たことも多く、特攻に
対しても、散り行く青年を悼みながらも、戦局の悪化に鑑みこれをやむなしと受容する雰囲気が当
時は支配的であった。闘いの流儀や戦の仕方、軍隊、戦争に対する意識は、その国の文化や社会構
造、国民性等の投影である。それゆえ特攻を語るに於いても、国家システムや軍隊の特性に留まら
ず、その背後に控える日本の文化や民族性、社会構造に目を向ける必要がある。
1 軍隊国家の社会構造
・近代化の工場
維新政府による国民皆兵と富国強兵政策の採用は、日本社会に占める軍隊のウエートを非常に大
きいものとした。入営する青年は軍事技術だけでなく、文章の読み書きや人前での発言、規律、近
代的な時間秩序、集団動作、衛生観念等々社会人として必要な常識を軍隊で教え込まれた。明治期
の軍隊は日本近代化の工場であるとともに、国民の学校でもあったのだ。大正期には軍縮・反軍の
ムードや大正デモクラシーによる人権・民主意識の高まりを受け、社会における軍隊の位置づけも
揺らいだが、それでも未だ経済後進国の日本では、職業提供の場や社会的地位を上昇させる契機と
して軍隊の価値は依然高かった。本来厳しい階級社会でありながら、庶民の中には平等社会として
の軍隊を評価する風もあった。貴族制社会を基盤とした西洋諸国の軍隊とは異なり、日本軍には身
分・出自による差別が少なかったことによる。試験に合格すれば誰でも兵学校への入学が許され、
大将や元帥をめざすことができた。
荒木貞夫陸相は「皇軍の階級は、社会上の階級とは全く別で、いわゆる 地方 ではどんなに高
い階級の者でも、軍隊に入ったら軍隊の階級序列に従わねばならない、それが日本軍隊の大きな特
*
東洋大学国際地域学部;Faculty of Regional Development Studies, Toyo University
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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徴でもあり、強みでもある」
(
『皇国の軍人精神』)と述べている。大金持ちの息子も貧乏百姓の三
男も、あるいは帝大卒だろうが小学校しか出ていなかろうが、徴兵検査で入隊すれば皆同じ兵営に
暮らし、同じ階級、同じ扱いを受けた。
「将校は貴族、水兵は貧民」の英国海軍に範をとった海軍の場合も、陸軍程の平等性はなかった
が、差別待遇は専ら軍隊内部の階級によるもので、将官と兵の出身階層に大差が無い点は英国海軍
と決定的に異なっていた。日本の軍隊では、大学出だろうが小学校しか出ておらなかろうが徴兵で
入隊すれば皆同じ兵卒であって、一般社会の学歴は物を言わず、個人の才覚や要領で兵舎生活の力
関係は決まった。高等小学校卒の松本清張は大学出のインテリとは違い、「ここ(軍隊)にくれば、
社会的な地位も、貧富も、年齢の差も全く帳消しである。みんなが同じレベル」に置かれ、こうし
た新兵の平等が奇妙な生甲斐を与えてくれたと、軍隊生活を肯定的に述懐している。学歴がなく、
勤務先の朝日新聞社で差別されてきた彼にとって、己の実力で生きていける兵隊生活の平等性は魅
力的に映ったのだ 。
1)
・高い軍隊への親和性
しかも兵役や軍事教練、あるいは在郷軍人会(明治 43 年設立)等の組織を通して、軍隊は市民
生活や地域社会と密接な繋がりを保っており、国民は同じ権力組織である警察よりも軍隊に親近感
を抱いていた。日露戦争後の焼打ち事件や米騒動も、民衆暴動の鉾先は常に警察であって軍隊には
向けられていない。軍隊の方が天皇に近い位置を占めること、学校や職場としての魅力や疑似平
等性が歓迎されたことによるものだが、他方国民的な基盤を持たない警察には、官僚的色彩が濃
く、国民を監視・取締り、時に暴力さえ振う組織との否定的な認識が強かった。ゴーストッブ事件
(1935 年)が示すように、民衆を押えつける警察権力への対抗勢力として軍隊を肯定評価する傾向
が庶民にはあったのだ。
戦争への坂道を転がり落ちた昭和の前半を、今日では 暗黒の時代 と認識するのが一般だが、
軍部の独裁や政治支配、物資の欠乏等から国民が軍部に反感を抱いたと考えるのも早計だ。満洲
事変がもたらした景気拡大を国民は歓迎した。軍隊は経済恐慌を吹き飛ばす救世主として評価され
た。その後、大陸での戦争の長期化は軍部に対する不満や鬱屈感を国民の中に生み出したが、これ
も真珠湾攻撃の成功や南方攻略が一挙に吹き飛ばした。宣伝や学校教育の影響が大きいことは言う
までもないが、軍隊は対外発展の原動力であり、軍隊が強ければ日本は豊かになるという発想が明
治以来の民族体験の中で国民に染みついていた。軍部の横暴や、威張る軍人への反発は無論あった
が、強い軍隊に協力すれば自分たちの生活も向上するという期待感も高かった。それに何よりも、
徴兵検査を受け「甲種合格」となり、軍隊の飯を食って来なければ一人前の男と認められなかった
のが昭和期日本社会の一般認識であった。
こうした当時の日本人の軍隊に対する絶大な信頼感が、軍部に協力し、無理と知りつつも軍の指
示に従う途を選ばせた。それは逆らうことの出来ない命令や義務というだけでなく、国民的な善行
と受けとめられた。軍隊への信頼感があってこそ、将兵も一般国民も挺身的な行動を厭わなかった
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のである。戦後、敗戦に至る全ての悪役は軍部・軍隊であり、国民はその被害者とされ、それを当
然の前提とした歴史教育の徹底によって、今の日本人には既に理解困難となっているが、実態はそ
う単純なものではない。一部知識人や思想家の著したものだけで、当時の平均的日本人の軍隊・軍
部に対する認識を見誤ってはいけない。兵士が世間を 娑婆 と呼び習わしたように、軍隊は一般
社会と隔離されてはいたが、兵営における行動規範は社会や風土の反映であり、逆に日本社会もそ
の中心に位置した軍隊から色濃い影響を受けた。軍産国家日本では軍隊が全ての基軸となり、軍隊
と社会は同心円的に回転をしていたのである。
2 民族精神:大和魂の誕生
・開化運動から国権論へ
維新後、新政府は版籍奉還、廃藩置県、学制や地租改正等矢継ぎ早に改革を断行し政治的統一の
基礎を固めるとともに、産業技術や社会制度等西洋文明を積極的に摂取、近代化の推進によって富
国強兵の国造りをめざした。これに伴い文明開化と呼ばれる新しい思潮が生まれ、儒教・神道が排
斥され、民主・自由・個人主義の近代西洋思想が唱導された。その中心が、福沢諭吉、森有礼、加
藤弘之、西周ら洋学者で組織された明六社だった。その一方、士族の新政府への不満は征韓論や自
由民権運動を生み出した。しかし政府の弾圧と上からの国会開設で、明治も半ばを過ぎると民権運
動は下火に向かい、一方で、開花運動(欧化主義)への反発も強まった。急速な開花と西洋思想の
蔓延が国家の独立保全や民族の個性を失わしめているとの疑念や、幕末には外部脅威であった西洋
文明が開花運動で内在化し、君民間の主権抗争や労資対立等内部から国の存立を脅かす因子となり
つつあることへの危惧が高まったためである。
西洋本位の近代化にひた走るか、伝統本位への復権をめざすかの路線対立は、日本を洋の東西い
ずれの一員と位置づけるのか、自己認識に関わる問いかけでもあったが、折からの朝鮮問題が契機
となり、民権論者の中には国権の拡張を唱える者が現れた。天皇の権威を利用しての 上からの国
民統合 ではなく、国民のナショナリティに対する自覚に基づいた内面的変革を伴う 下からの国
民統合 を進め、国家的利害と国民的利害を合致させてこそ国際圧力に抗し得る真の国力が備わる
と説く国権論は、条約改正を巡っても欧化論と鋭く対立した。さらに日清戦争の勃発とその勝利
が、現実の政治や思想界に大きな影響を与えた。それまで政府と対立していた民党は開戦と同時に
政府攻撃を止め、臨時議会は 1 億 5 千万円に上る軍事予算案を全会一致で承認し、わずか 4 日で閉
会する。
福沢諭吉は自ら主宰する『時事新報』の社説で日清戦争を「文野の衝突」と捉え、日本を「文明
人道の保護者」と位置づけた。また報国会を結成して拠金活動の先頭に立つが、その趣意書には
「帝国臣民たるもの、豈其勇武以て軍務に当り、勤倹以て軍資を継ぎ、我大日本国の権利を保全せ
ざる可けんや」とあった。徳富蘇峰は『大日本膨脹論』を刊行し、日清戦争の「最大の戦利品」は「大
日本国民の自信力」だと述べ、膨脹的日本こそ日本の国民的性格であると断言し、自由貿易論に立
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脚する平和主義から帝国主義の支持へと立場を一変させた。高山樗牛も日本主義を唱えて我が国の
大陸進出を肯定、日本の中国分割に批判的だった陸羯南もロシアの満洲占領を機に対露強硬論に転
じていく。蘇峰の主張に見られる如く、日清戦争を通じ「日本及び日本人」としての意識が大衆に
普及浸透していった。近代に入り初めて体験した対外戦争が、日本人に国民的自覚を呼び覚ました
のである。日露戦争の英雄が東郷や乃木大将、広瀬、橘中佐等高級士官で占められたが、日清戦争
で讃えられたのが三浦虎次郎や木口小平といった一兵卒であったことは、戦勝の武勲が職業軍人の
専有物ではなく国民全てが等しく頒ち持つとの自負心の高まりを示している。
・古代回帰と儒教倫理の復古:
「天皇教」の導入
それと同時に、大日本帝国憲法の発布(1889 年)によって天皇の権威が高まった。富国強兵を
推し進めるには集権的国家体制の確立が不可欠であり、それを支える政治的バックボーン、つまり
国家統治の正当性原理として天皇制が強調されたのである。また西洋諸国ではキリスト教が国民精
神の機軸役を果たしており、我が国でも国民統一の思想倫理が必要とされたが、日本にはキリスト
教の如き創唱宗教は無い。そこでその代用品としても天皇制が利用された。明治政府は国家統治の
原理に留まらず、個人倫理の確立にも天皇制を利用したのである。
政治(世俗)と内面(精神)の双方が天皇制の下で収斂統一されたことで公と個は渾然一体化し、
両者の分離は困難となる。こうした思惟の体系は家父長制国家においてしか成り立たない。それゆ
え天皇は臣民の父にあたり、臣民は天皇陛下の赤子とされたのである。忠と孝の間には矛盾、対立
が生じるが、すべてを親子関係という単一の論理で説き包み糊塗曖昧化された。家父長国家の頂点
に立つ天皇は政治的な権威・正当性を持つだけでなく、国民一人一人の内面を支配する精神的権威
でもあるから、西欧流の立憲君主と同一であってはならず、その存在は絶対でなければならなかっ
た。
以後、尊皇と忠君愛国、それに家父長国家の論理が政体や民族(国民)の精神、道徳、国家観念
の軸となり、官製のアイデンティティともなっていく。しかし一方で立憲主義を取り入れながら、
同時に民族精神の急速な統合一体化を実現すべく、儒教の忠孝倫理や後期水戸学以来の国体論を政
治の基礎に据え、古代君主政を理想像に掲げるとともに個人の内面領域をも国家が支配するという
矛盾、跛行的な近代化は、その後の我が国の進路に大きな影を落とすことになった。
・コンプレックスとしての精神優越意識
ところで明治期の論客識者の多くは、開花主義者も国権論者も、さらには内村鑑三のようなキリ
スト教徒も自らの内面規律に士道の精神を据えていた。集権化を急ぐ明治政府は天皇親政の古代主
義と忠孝の儒学論理を取り入れたが、軍人は無論のこと、知識人や政府指導者の精髄にも、江戸期
における武士階級の倫理である士道の思想が脈々と受け継がれていたのである。西洋文明の成果は
模倣、導入するものの、人間精神では東洋、特に日本のそれが西洋を圧するという和魂漢才や和魂
洋才、
「東洋道徳、西洋芸術(技術)」(佐久間象山)の意識も彼等には等しく共有されていた。
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いくら西洋の知識を理解習得しても、西洋人そのものにはなれぬ冷厳たる現実に直面し、あるい
は自由と平等を説く一方で、西洋諸国が西洋以外の地で見せる侵略主義と白人優越主義を目のあた
りにするなか、精神力の卓越性に軸を置いた民族意識が強まっていく。この日本的精神に対する自
負の意識は、後進国としての民族コンプレックス克服の代償的思准であったが、中華帝国に対する
勝利がもたらした民族主義の高揚を機に一層の先鋭化を見た。そして新渡部稲造が火をつけた日露
戦争前後の武士道ブームを受けて「武士道」の名を以て自賛されようになる。
しかしこの明治武士道は、藩主ではなく天皇への忠節を説き、また江戸期の士道とは異なり松宮
観山、熊沢蕃山等の反儒武国論、水戸学に範を求めるもので、特に山本常朝の『葉隠』を取り入れ、
忠義のために 死を恐れぬ精神 として喧伝された。徳川泰平の代に死を強調する葉隠の論理が生
まれたのは、自堕落を防ぎ 生の充実 を狙うことに真意があったが、これを文字通り 死を受容
する 論理として取り込んだのである。もっとも、武士という階級は維新で否定されており、特定
の階級にのみ機能する倫理規範を国民全体の精神となすことにも抵抗があった。国民皆兵の下、兵
士の大半は農村や商家の出である。彼らにいまさら新政府が倒した 武士 の名を冠した倫理を直
裁に説くわけにもいかない。そこで武士道に変えて広く用いられ、定着していった呼称が大和魂で
あった 。
2)
・驕慢さとアジア蔑視意識:不敗神話の背後にあるもの
大和魂の概念は、平安期に用いられた本来の用法(世故に通じ世馴れている才腕)と大きく相違
し、
「大和心」とも異なるものであった。また武士道よりも遥かに暖味かつ多義的であったが、逆
にその汎用柔軟な概念規定故に、農民や商人等一般社会人に広く受け容れられたといえる。それ
を兵士・軍人に宿る精神と狭く解する向きもあったが、中勘助の『銀の匙』の中に 「(日清)戦争
が始まって以来仲間の話は朝から晩まで大和魂とちゃんちゃん坊主でもちきっている」とあるよう
に、日清日露戦争を機に、日本人全体の精神的至高性(精華)を示す言葉として普及し、やがては
日本民族の精神的アイデンティティの地位を得るのである 。
3)
大和魂は日本民族の自信と矜持の表明であったが、劣等意識に根ざす意識でもあったため、そ
の後の日本の進路に大きな問題を与えた。日露戦争後の 1908 年、夏目漱石は『三四郎』を発表す
る。この作品の中で主人公の小川三四郎が見知らぬ髭の男に「これからは日本もだんだん発展する
でしょう」と語りかけると、この髭の男が「滅びるね」と吐き捨てるように答える場面がある。髭
の男は漱石の分身にほかならず、彼の口を借りて漱石は、日露戦後の日本に台頭し始めた「一等国
意識」に警鐘を鳴らしたのである。それは日本一等国の発想の中に、いまやわが国は英米と同等の
国になったという達成感と、中国や朝鮮は日本よりも劣等だという二つの意識が込められていたか
らである。前者は西洋に対する劣等感の表明でもあり、そのコンプレックスがアジア蔑視意識を生
む。列強へのキャッチアップに成功したとの認識は、今後それら大国とは対等の関係を持つべしと
の発想に通じ、他方、アジア蔑視は日本がこの地域の覇者たるべしの認識を定着させる。この 驕
り が日本の進路に及ぼす悪影響を、漱石は危惧したのである。
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漱石が『三四郎』を発表したのと同じ頃、在米の政治学者朝河貫一は『日本の禍機』を書き終え
た。朝河は、日露戦争とは極東に向けられたロシアの侵略的な野心に日本が自らの生存を賭して立
ち上がった正義・防衛の戦いであることを米国人に説いて回り、この戦争への支持を訴えた人物で
ある。その彼の手になる同書は、日本人に向けた警告の書であった。日露戦争で勝利した後の日本
人に、民族としての自身や誇りに留まらず騎慢、増長の意識が生まれた。それまで国際社会の優等
生であった日本がこの戦争の後、大きく変貌し始めたことに危機感を抱いた朝河は、その愚を説く
ためにこの書を書き上げたのであった。
漱石や朝河が危惧したとおり、この騎慢さやアジア(特に中国)蔑視の優越意識は、一方でそれ
までの欧米との協調をかなぐり捨て、他方で劣等アジアへの野心と膨脹を拡大させ、わが国を破局
へと導くことになる。昭和に入っての国際社会における日本の孤立は、実に日露戦争後の民族的な
増長自惚れの意識に端を発していたのである。また漱石や朝河が危険視した一等国意識は、日本不
敗の意識と神話を生み出した。世界の大国である中国とロシアを相次いで破った日本は世界最強国
家の一つであり、もはやアジアで我と肩を並べる国などない。それを可能にしたのが武士道精神に
基づく大和魂だとの発想が日本社会に拡大、浸透するなか、軍部は一層の攻撃至上主義と精神力の
強調に走った。日本不敗の意識や神話は軍内部の戦術、用兵面での自賛に留まらず、広範な大衆的
基盤を獲得し、無敵不敗の神国思想となって国を覆い尽くす。こうして一部の指導者や軍部だけで
なく、国民全体が譲歩や屈伏、戦争での敗北を受け容れられない体質になっていくのである。
・民族精神の自壊
大正∼昭和に入り日本の国際的地位が高まり、同時に我国への諸外国からの圧力も増すにつれ
て、西洋に対する精神的優越の意識(精神文明は物質文明に勝るという思考)、即ち「和魂洋才」と、
戦勝で掴んだ「民族としての自負」を基盤に、国力貧弱の中で対外膨脹を支える不敗神話と攻勢主
義のエトスとして強調された大和魂は、広く外界に目を向けぬ視野狭窄症とファナティックな精神
主義を誘発させる温床ともなった。新政府の誕生で尊皇は実現したが、攘夷運動は挫折に終わっ
た。その屈折した情念や屈辱感、エネルギーが復仇の機を窺いつつ地下に籠り、昭和期に欧米との
対立が再び先鋭化する中で、民族的ナルシシズムあるいはウルトラナショナリズムの源泉となり、
大和魂の一部を形作る強烈な排外意識となって顕現したともいえる。
日本人が真珠湾攻撃を忠臣蔵に例えたり、対米戦争を民族の敵討ちと称したのはその故であっ
た。特攻を勝敗を度外視した民族精神の発露と捉え、「彼ら(特攻隊員)の死は祖国の防衛のため
というよりもむしろ、西洋という癪にさわってしようがなかった奴に対して日本人の意地を見せ
た、
・・・自分たちは兵器や物量で負けても精神力では西洋に負けない。その証拠」が体当たり攻
撃だという意識が働いたのも、同じ理由に拠るものである 。だが、太平洋戦争の敗北と戦後にお
4)
ける民族的過去の全否定の結果、近代日本における民族精神構築の大業は挫折に帰した。以後、日
本人の精神や倫理の基底に穴があいたままの状況が、現在に至るまで続いている。
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3 皇民教育
・学校・軍事教育の連携一体化
家父長国家の頂点に立つ天皇は、政治的な権威・正当性を持つだけでなく、国民一人一人の内面
を支配する精神的権威ともなったが、官製の天皇教を国民に受容させるには徹底した教育が必要と
なる。そこで明治政府は教育勅語を発布し、国民教育の場を通して⑴政治システムとしての天皇制
と⑵儒教的な忠孝の論理を用いての皇室崇拝と服従の精神、さらに⑶天皇中心の家族主義的国家観
の浸透を図っていく。
そして日露戦後は精神主義の教育が軍隊で重視される一方、義務教育の場でも初等教育の段階か
ら教育勅語を用いて臣民たる自覚を促すとともに、自己犠牲による忠君愛国・義勇奉公の意識が徹
底的に教え込まれた。軍への信頼や畏敬の念、それに滅私殉国の精神を植えつける学校は、良き兵
士になるための教育の場でもあった。知育に限らず、学校での体操は明治期から兵式が取り入れら
れ、大正に入ると中等学校以上の男子校に現役将校が配属され、軍事教練も開始された(1925 年 :
陸軍現役将校配属令)。学校教育は軍事教育の前段階と位置づけられ、両教育は連動一致すべしと
の認識が確立していくのである 。
5)
・軍神教育:溢れる滅私殉国の思想
学校での軍事志向教育の教材に用いられたのが、「軍神」伝であった。日露戦争の前年、国定教
科書制度(小学校教科書の国定化)が発足し、「修身」、「歴史」、「国語」、それに「唱歌」を用い
た忠君愛国・義勇奉公の教育が本格化する。修身の教科書には、喇叭手木口小平や水兵三浦虎次郎
の逸話が掲載された。日清戦争成歓の戦いに於いて突撃喇叭を吹きながら息絶えた「キグチコヘイ
ハテキノタマニアタリマシタガ、シンデモラッパヲクチカラハナシマセンデシタ」と小学1年生の
修身教科書で取り上げられた。連合艦隊旗艦松島に乗り組んだ三浦虎次郎は、黄海海戦で瀕死の重
症を負いながらも戦況を気に病み、通りかかった副長に敵の巨艦定遠が沈んだかどうか様子を尋ね
た。副長向山少佐が涙をこらえつつ「まだ沈んではいぬが、定遠はもはや戦闘力を失った」と教え
ると、それを聞きながら三浦はニッコリ微笑んで絶命する。国を想う彼の振る舞いは、
「勇敢なる
水兵」として歌い継がれていく。
日露戦争では、広瀬中佐や橘中佐が軍神として登場する。軍神という呼び方は、日露戦争開戦当
初、旅順口で戦死した広瀬中佐に用いられたのが嚆矢とされる。旅順を基地とするロシア艦隊を旅
順港内に封じ込めるため、広瀬武夫少佐は数人の部下と老朽船に乗って所定の位置でこれを沈め、
ボートで出しようとする。その時、杉野孫七一等兵曹の姿が見えない。広瀬は他の水兵たちをボー
トに移らせて、自ら沈みゆく船内を捜し回った(唱歌では 「 船内くまなくたずぬる三度 」)が遂に
発見できず、諦めてボートに移ろうとした時、露軍の砲弾が広瀬を直撃、ただ一片の肉片だけを残
して姿を消したという。
海軍が作り出した軍神広瀬に対抗し、陸軍が生み出したのが橘周太少佐であった。静岡歩兵第
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三四連隊の大隊長として橘は首山堡の戦闘に参加、傷を負いながらも最後まで指揮をとり、自軍を
勝利に導き戦死を遂げた人物である。昭和に入ると、日中戦争では肉弾(爆弾)三勇士の犠牲的行
為に国民は涙した。太平洋戦争が始まると、ハワイ奇襲の特別攻撃隊や加藤隼戦闘隊を率いビルマ
で戦死した加藤武夫、アッツ島玉砕の山崎部隊長等も軍神に列せられた。軍神とは別に、名も無き
兵士や庶民を主人公とする「軍国美談」も戦前の教科書に頻繁に登場した。日清戦争での出征母子
の哀話「水兵の母」
、日露戦争を素材とした「一太郎やあい」等がそれである。
・戦功に優位する滅私の論理
一連の軍神や軍国美談の特徴は、勇敢に戦い立派な戦果、武勲を立てた人物を日本人の亀鑑とし
て推奨するというよりも、国のため部下のため自らの身命を賭すことに些かの躊躇も見せず、積極
的な行動をとるなかで散華した人物を讃えた点にある。勝ち負けや戦果の多寡ではなく、
「勝敗に
拘泥せず、大命の下に潔く死ぬこと」に日本人の理想的な生き様を求める教育方針である。
死して残す戦功よりも死ぬ姿そのものに価値を見出す姿勢は後述する日本の文化や民族性にも関
わりがあったが、天皇絶対主義の確立という政治的要請の下、散り際の潔さを国民倫理の域にま
で高めた教育や桜の花を軍国日本のシンボルとなすイメージ操作の力が働いていた事実は見落せな
い 。求められた資質は、天皇への忠義、そのために死を恐れぬ強固な意志、そして自己犠牲を受
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け容れる覚悟の重視であり、楠木正成が戦前、格別重要な人物として取り上げられたのもそのため
だ。正成は宰相坊門清忠の言葉を後醍醐天皇の言葉と受け取り、天皇のため、勝つこと叶わずと知
りながらも足利尊氏を迎え撃ち、寡を以て衆に当たり湊川で討死した武将である。
戦時下最大の動員対象とされ最も多くの犠牲者を出したのは、敗戦当時 10 代後半∼20 代前半の
層だが、この 戦中派 世代の幼少期には既に満洲事変が勃発、彼等は徹底した言論統制や皇国教
育の下で学童生活を送った。己の栄達利益やさらには勝敗をも度外視して戦い死んでこそ天皇への
忠義・忠誠度が高いと教えられ、またそのように信じた青少年にとって、特攻に殉じるとは自身が
楠木正成に成りきることであった。海軍の沖縄特攻は菊水作戦と名付けられたが、菊水は楠木家の
紋所だ。出撃時や部隊の旗印に菊水の紋所、楠公精神を掲げる者も多かった。特攻で死ぬことは、
学校教育やメディア情報に基づけば、日本人として最高理想の生き方に殉じることに他ならなかっ
たのだ。自由主義的な思想に触れる機会も与えられず、ただ滅私愛国の教えを純粋に受けとめた少
年である程その思いは強く、齢を重ねても幼少期に植えつけられた価値観の払拭否定は難しかった
のである。
4 メディアと戦争
・自主規制から積極迎合へ
ベネディクト・アンダーソンは、大量移民とメディアがナショナリズムを生み出したことを指摘
したが(
『想像の共同体』
)、 メディアの中でも特に大きな役割を果たしたのが新聞である 。明治
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西川:日本の戦略文化と戦争
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以降近代化を急いだわが国も、事情は同じだった。没落士族の後裔が営む新聞は、自由民権運動と
も連動し反権力的な色彩が強かったが、日清・日露の戦争を通じてナショナリズムの形成に深く関
与し、それと並行して自らも発展拡大を遂げていく 。大正デモクラシーの時代、新聞の紙面にも
8)
軍縮の推進等平和的な論壇が目立ち、その傾向は昭和の恐慌期に入っても暫く続くが、軍部の政治
支配が強まるや論調は一変する。新聞は、国家のために自らの生命を差し出すべきことを日本人の
美徳であり義務でもあると説き、勇戦敢闘、華々しく散っていったと兵士の活躍を誇張的に伝え
た。あるいは国民的英雄として次々と軍神を作り出し、彼等に続けと多くの将兵に死を強いた。昭
和十年代の日本では、軍部の暴走をメディが抑えるどころか、逆にメディア各社が競い合うように
軍部迎合の報道に走り、排外的ナショナリズム(ジンゴイズム)を煽り、戦争の拡大と国家の自滅
を招いた。
それまでリベラルな立場から軍部批判の論陣を張ることも希でなかった新聞・雑誌の多くは満洲
事変を機に軍部寄りに姿勢を転じ、2.26 事件以降は政府・軍部に対する批判は完全に紙面から消え
去るが、メディアが軍部に迎合するようになった理由は何か。まず国家権力による言論機関への弾
圧や圧力、報道規制の強化が挙げられる。政府による言論統制の根拠は治安維持法や新聞紙法、出
版法だったが、日中戦争が始まると政府は軍機保護法によって規制を強化し、さらに国家総動員
法によってメディアは国家の事実上の下部組織に組み込まれていった。政府や軍部の意向に盾突け
ば、諸法を根拠に即座に記事の差止や発売頒布の禁止処分を受け 、批判的な記事を掲載すれば忽
9)
ち紙やインクの配給を減らされる恐れもあった。用紙不足を名目に政府が業界の整理統合をちらつ
かせることは、新聞社への強力な脅しとなった。
戦局の緊迫化伴い、記者への懲罰招集を恐れてメディアの側が自主規制に踏み切るケースも増え
るが、軍部の仕掛ける不買運動も怖かった。在郷軍人会をバックに持つ軍部は、新聞にとって最大
の顧客であったからだ。報道機関の一元的統制を急ぐ政府は、新聞社の幹部を統制機関に登用する
等アメとムチを巧みに使い分け、メディアの籠絡にも怠りがなかった 。そうした動きとは別に、
10)
日中戦争の拡大に伴い、国民の多くが戦況や兵士の安否情報を欲するようになった事情もある。読
者の期待に応えるべく新聞各社は戦場に多数の特派員を送り込むが、前線の取材には軍の協力が不
可欠であり、さすれば軍部に都合の悪い記事は書き難くなる。
政府・軍部の威圧や読者ニーズへの対応は、戦後、メディアが自らの戦争協力を自己弁護する際
の口実となったが、紙面が軍部迎合・戦争賛美の記事で埋め尽くされた理由はそれだけではなかっ
た。昭和前期、新聞各社は激しい部数の拡大競争を繰り広げていた。他社との熾烈な競争に勝つた
め、新聞各社は客観的な戦争報道や冷静な認識の保持を国民に訴えるよりも、戦況報道に少しでも
多くの紙数を割き、あるいは好戦的な時流に迎合して、胸のすく皇軍の活躍や兵士の武勇伝を頻繁
に登場させるようになる。荒木貞夫のような皇軍精神の宣伝役とも積極的に連携し、日本は「正義
聖戦の戦い」を続けており、
「日本軍は不敗、日本兵は無敵」であり、中国兵を「悪逆非道」と罵っ
た。肉弾3勇士や空閉少佐の軍国美談を作り出し、国民に滅私殉国を強要したのも新聞なら、ナチ
スドイツとの提携や三国同盟への支持、さらには反米英のムードを誘導し、太平洋戦争では米英
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
10
を「鬼畜」と罵り軍部を凌ぐ強硬論を吐いたのも、そして戦争末期に特攻を絶賛したのも全て新聞
である。変質の実態は、弾圧や読者の求めに押されてのやむなき消極的な迎合加担に留まらず、自
ら積極的に軍に擦り寄り、あるいは国民が歓迎する記事を作為提供する能動的な戦争協力でもあっ
た 。軍の意向を先取りし各社挙って迎合報道を重ねる過程で、メディアは無謀な戦争の共同推進
11)
者となっていった。
朝日新聞社主筆であった緒方竹虎は、戦後次のように書いた。
「筆者は今日でも、日本の大新聞が、満洲事変直後からでも、筆を揃えて軍の無軌道を警め、そ
の横暴と戦っていたら、太平洋戦争はあるいは防ぎ得たのではないかと考える。それができなかっ
たについては、自分をこそ鞭つべく、もとより人を責むべきではないが、当時の新聞界に実在した
短見な事情が、機宜に『筆を揃える』ことをさせず、いたずらに軍ファッショに言論統制を思わ
しめる誘導と問隙を与え、次々に先手を打たれたことも、今日訴えどころのない筆者の憾みであ
る。
」
12)
軍部に追随した新聞報道が好戦主義的世論の形成を促し、沸いた世論がより強硬な論調を新聞に
求め、それに縛られて新聞が一層過激排外的な記事を送り出すことで、軍部のさらなる横暴独走を
助長する悪循環の構図が生まれた。権力・国民双方に対するメディアの積極的迎合が、真実の報道
を為し得ぬ状況に自らを追い込み、戦争終結機運の醸成を不可能ならしめたのである。
・殉国美談で埋め尽くされた大衆芸能
盛んに殉国美談を営業に取り入れたのは新聞・雑誌だけではなかった。戦意高揚の情報操作は映
画や演劇、音曲などの大衆芸能も同様だった。当時最高の大衆娯楽であった映画の場合、官民合同
の映画支援管理組織である大日本映画協会が発足(1935 年)、1939 年には映画法も公布され統制
の強化が進んだ。ナチスドイツの映画統制法を真似た映画法は、映画業界への飴と鞭で国策への協
力を要請・強制することに狙いがあった 。映画と併映された「同盟ニュース」や「日本ニュース」
13)
等のニュース映画も戦意を鼓舞し銃後の心構えや国民精神を教え諭す教材として活用された。
しかしこうした宣布統制の枠を越えて、大衆は戦記・皇軍を題材とした興行を大いに歓迎した。
肉弾三勇士や空閑少佐の武勇伝が伝わると映画会社は競って映画化し、観客もそうした映画に殺
到した。
「どの映画館も肉弾三勇士や空閑少佐を上映しなければ、客が寄りつかない程の吸引力が
あった」 。浪曲や浪花節が最も盛んに取り上げたのも、忠君愛国や仁義忠孝をテーマとした作品
14)
だった。新聞が建て前を伝える 表のメディア とすれば、生活の息抜き、人間らしさを回復する
本音のメディア が大衆芸能・大衆娯楽だが、この分野にも滅私殉国が深く入り込んでいたのだ。
教育と各メディアの相乗効果で、公の規範たる戦陣訓が示達される以前に、既に大衆の中には捕虜
への恥辱感や国のため命惜しまぬ攻撃精神が定着していたといえる。
やがて日中戦争の長期化や生活物資の欠乏から日本社会には重苦しい圧迫感が広まったが、その
反動・捌け口はエログロ・ナンセンスに向かうばかりではなかった。映画演劇等から提供される
好戦滅私のメッセージが触媒となり、抑圧や鬱積感を打破し撥ね除けんとする攻勢膨脹的のエネル
西川:日本の戦略文化と戦争
11
ギーや殉国精神の高揚が社会に溢れた。さらに対米開戦後は「ハワイ・マレー沖海戦」や「決戦の
大空へ」
、
「加藤隼戦闘隊」等戦意高揚と航空戦力の重要性を強調した国策映画が相次いで封切ら
れ、凛々しい飛行機乗りへの憧れを煽った。かくて好戦滅私のメディアで育った多くの若者は、国
のため命を投げ出さんと予科練や少年飛行兵をめざし、さらに特攻を志願し、あるいは特攻命令を
粛々と受け入れていった。彼等が自らの行動準則を思索する際、学校での教育と並んでメディアか
ら与えられた情報や価値観に強く規定されたことは想像に難くない 。そして彼等を送り出した一
15)
般の社会や大衆も、殉国を強いる特攻作戦を臣民の使命と受けとめたのである。
5 日本文化と特攻
・廉恥・自死・淡白さの文化
体当たりや特攻を考察するには、軍隊が社会に占める大きさや、教育、メディアの影響だけでな
く、日本の文化や国民性にも触れねばならない。よく言われるように、日本の文化は体面を重んじ
る 恥の文化 であり、生きて恥しめを受けない「廉恥の心」と自分の手で自分の命を絶つ勇気を
認める「自死の美学」がそこにはある。武士道であれ士道であれ、さらには大和魂論にせよ、全て
はこの「恥」と「自死」の上に存在しているのだ。
「葉隠」に「兎角武士は、しほたれ草臥れたるは疵なり。勇み進みて、物に勝ち浮ぶ心にてなけ
れば、用に立たざるなり。人をも引立っる事これあるなり。」(聞書第一)とあるが、武士道の道
徳が外面を重んじたことは、戦闘者、戦士の道徳として当然のことである。なぜなら戦士にとって
は、常に敵が予想されているからである。戦士は敵の目から恥ずかしく思われないか、敵の目から
卑しく思われないかという点に自分の体面とモラルの全てを賭けるほかはない。自己の良心は敵の
中にこそある。自分の内面に引き籠った道徳でなくて、外面へ預けた道徳であることに武士道の特
色を求めている。何よりもまず外見的に、武士はしおたれてはならず、くたびれてはならない。武
士道とは、しおたれ、くたびれたものを表へ出さぬように自制する心の政治学であり、健康である
ことよりも健康に見えることを重要と考え、勇敢であることよりも勇敢に見えることを大切に考え
る、このような道徳観は、男性特有の虚栄心に生理的基礎を置いている点で最も男性的な道徳観だ
と三島由紀夫は指摘したが 、福沢諭吉が説いた「やせ我慢の心得」に通じるものである。
16)
こうした体面重視の精神構造は、武士階級だけのものではない。同質性の高い日本社会における
集団監視主義は、名を重視する儒学の影響も受け国民的な精神特性となっていった。そして、何か
の事情で自らの名を恥ずかしめる事態に至ったならば、その生命を自ら断つことで恥の償いとする
作法が確立していく。自死を以て責任をとる手法は肯定的に評価され、徳川時代には切腹が、武士
社会最高の責任のとり方となる。ルース・ベネデイクトは『菊と刀』の中で、他人を殺害する事件
よりも自身を殺す事件を話題に乗せることを好むのが日本人の特徴と論じたが、立派に腹を切っ
て死ぬことは、それまでの一切の不名誉を償って余りある行為と理解された。死者に鞭打たない風
土、人間も死ねば皆神様となる風土もこの意識と関わっている。
12
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
この「恥」と「自死」に拘る風土の中で忠節、忠義を尊ぶ倫理観が育まれ、死して主君に尽くす
ことが武士道の華とされ、主君や藩のため自ら生命を捧げた赤穂浪士や白虎隊が国民称賛の的とな
る。それは死によって即物的な効果を勝ち取ったことへの称賛ではなく、忠義の対象である 公の
ため に死ぬ行為そのものに意義を見出したのである。その代償として、たとえ身は死しても名は
末代まで残ると讃えられたのである。「自死」の美学は、艦長が艦と運命を共にし、戦闘に破れた
指揮官が自決する慣例となって日本軍の流儀に生き着いた。
さらに、日本人の淡白な気質や情緒性の高さも、その用兵・戦法に影響を及ぼした。四季の変化
や台風といった自然環境が執拗を忌む日本的な気質を生み出したと説いたのは和辻哲郎だが、日本
人の感情の高揚は執拗に持続する強さではなく、野分のように吹き去る猛烈さにその特徴があり、
「反抗や戦闘は猛烈なほど嘆美されるが、しかしそれは同時に執拗であってはならない。きれいに
あきらめるということは、猛烈な反抗・戦闘を一層嘆美すべきものたらしめる」 。徹底した攻撃
17)
重視の一方で、日本軍はゲリラやレジスタンスといった粘着的な闘いを不得手とした。劣勢となる
やすぐにバンザイ突撃に走り、少しでも長く持ちこたえて敵の進撃を食い止める持久戦を好まな
かった。地味で長丁場となる守りの戦いは苦手なのだ。国力の弱さもあるが、日本人の粘りの無さ
や淡白な気質、気短な国民性も短期戦重視の用兵思想に繋がったといえる。「はかなさ」や「滅び
易さ」は日本人の美意識や美学を構成する重要な要素になっており 、それが「死に場所、死に際」
18)
に拘り、自決・玉砕の途を選ばしめたのだ。散華の美学を優先する日本人は、攻めるに長じて守る
に弱い民族性の持ち主である。そして体面重視の禁欲主義や自死の称賛、滅びの美学からは、日本
文化に潜むサディステックな一面を窺い知ることができる。
このような体質は、感覚的情緒的な国民性とも関係している。日本語の「潔く」に該たる適訳が
英語に見当たらぬように、敵対する相手に「腹(手の内)」 を割って見せる日本流の潔さや、
「漢
の文は詭譎あり、倭の教えは神鋭を説く」「孫子十三編は懼字を免れず」等と孫子の兵法に「まこ
と」が無いと批判し、誠こそが兵術の根本であり、正々堂々誠を以て戦うべきと論じた開戦経の思
考は、国際社会には理解されにくいものである。また、相撲における金星や 判官贔屓 に示され
る如く、力の弱い者が圧倒的優位な相手に立ち向かっていくことに日本人は強い美意識を抱く。軍
事合理性に照らせば無謀無意味な戦いも、情緒が支配する社会では逆に、勝てぬと知りながら敢え
て強大な相手に挑む志こそが忠義であり英雄的な行為として絶賛される。
情念や思いを果たすための自棄的行為に、日本人は酔いしれるのだ。己を殺し集団との調和を図
る日本的集団主義が生み出した「恥と自死の文化」や「淡白な国民性」、さらに儒教を基盤とした
明治以来の「忠君滅私殉国の倫理」が、体当たりという自己犠牲の作戦を生み出し、かつそれを評
価する社会的素地を作り出した。但し組織的な特攻には、命令による強制も多数含まれていた。そ
れは自己犠牲を賛美する環境を悪用した殺人行為である 。本来恥を知り責を負うて自死すべきで
19)
あったのは、無謀な戦争に国家国民を引きずり込んだうえに、不利な戦局を打開もできぬまま惰性
のように戦いを続け、徒に若い将兵を死地に追いやった軍幹部であって、特攻隊員ではなかった。
西川:日本の戦略文化と戦争
13
・繰り返され得る特攻
西洋の社会では、公に対する自己犠牲の崇高さはキリスト教の倫理が支えている。これに対し日
本の場合は、宗教ではなく国民の生活意識や倫理、そして文化と密接に結びついている。
主君、国家への自己犠牲を評価する意識の根底に国民性や風土、文化が潜んでいるからこそ、忠
義殉国を説く教育も可能となり、またそれが社会規範ともなり得るのであって、その逆ではない。
国民の潜在意識に馴染まぬ規範は、いくら教育や宣伝を労しても定着しないものである。言い換え
れば、教育の内容やカリキュラムが変わり、戦前の如き軍国殉国の教育が施されずとも、民族と
しての思惟や情念、社会意識、それに文化の基底が不変である限り、時代は移り変わろうとも、新
たな環境の下で再び特攻のような体当たり攻撃が生起反復する可能性は高いと考えるべきだろう。
心優し科学の子 と唄われ、戦後民主主義時代の象徴ともなった鉄腕アトムも、最終回では太陽
めがけて体当たりの自爆攻撃を行った。宇宙戦艦ヤマトでも同様の結末が描かれ、若い世代の感動
と涙を誘った。
国家や社会の危急存亡を救わんとする自己犠牲的行為の湧発は、一つの民族文化とさえ言い得る
ものである。だが、他者志向の集団調和主義や 廉恥・自死・情念 の文化につけ込み、自発を装
い他死を迫るが如き行為は断じて繰り返させてはならない。そのためにも、過去の極く一時期にお
ける例外教条的な事象として特攻を片付てはいけないのである。
●注釈
1)
「新聞社では絶対に私の存在は認められないが、ここではとにかく個の働きが成績に出るのである。
・・兵
営生活は人間抹殺であり、無の価値化だという人が多い。だが、私のような場合、逆な実感を持ったのだ。
」
松本清張『半生の記』
(新潮社、1970 年)82 ページ。貧しい孤児でも一人前に扱ってくれ、しかも文字まで
教われる軍隊での生活を評価した小説に、棟田博『拝啓天皇陛下様』(光人社、1996 年)がある。
2)広瀬武夫や桜井忠温等日清・日露戦争に従軍した軍人の文書からは、彼らの精神的寄所がなお武士道にあっ
たことが窺える。だが「小節の信義」を立て「私情の信義を」守ることなきようにと軍人直諭が警鐘を発し
ている如く、天皇への大義を強調し旧藩主や俗人的支配者への忠節とならぬようにとの意図も、武士道の呼
称が避けられた一因と考えられる。
3)1882 年に外山正一が「新体詞抄」に発表した「抜刀隊の詩」に、早くも「大和魂あるものの死すべき時は
今なるぞ」の一節があり、86 年には山田美妙が「新体詞選」に「戦景大和魂」を発表している。
4)
「日本が中国から撤兵しなければアメリカは日本に石油を売らないだなんて、なんて意地悪なんだろう」
、
「ルーズベルト大統領はまるで吉良上野介みたいな奴だ、という感じ方があったと思います。・・日米交渉が
行き詰まって、日本政府はアメリカとの開戦に踏み切らざるを得なかった、というところからストーリーを
語るのは・・・アメリカの意地悪に耐えに耐えて止むを得ず日本は開戦に追い込まれた、という気分に基づ
くもので、正に忠臣蔵」であり、「その憎っくいアメリカに一太刀浴びせた真珠湾攻撃は、浅野が吉良に斬り
つけた 松の廊下 」であった。佐藤忠男『草の根の軍国主義』(平凡社、2007 年)227∼8、235 ページ。真珠
湾奇襲作戦を立案した源田実は、真珠湾攻撃を「討ち入り」と呼んでいる。源田実『パールハーバー』
(幻冬
社、2001 年)223 ページ。清沢冽(さんずい)は、日記に「大東亜戦争は浪花節文化の仇討ち思想である。
・
・
・
何故に高い理想のために戦うことが出来ないのか」(昭和 18 年 2 月 22 日)、また、仇討ち思想に立つがゆえに
戦争に対する態度も日清・日露戦争より反動的で、「俘虜取扱いに関しても、日露戦争を先例とせざる理由な
のである」
(昭和 19 年 3 月 13 日)と記している。清沢冽『暗黒日記1』
(評論社、1970 年)49 ページ、同『暗
14
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
黒日記』
(岩波書店、1990 年)152 ページ。
5)帝国在郷軍人会『国民教育者必携 帝国陸軍』の「第三章 軍人精神と国民教育」では、「軍隊教育ハ国民
教育ナリト謂ヒシ所以ニシテ、軍人精神ハ、恰モ国民精神ガ軍隊ノ上ニ現ハレタル反映ナリト謂フベシ」と
する。大江志乃夫『国民教育と軍隊』(新日本出版社、1974 年)311 ページ。
6)小川和佑『桜と日本文化』
(アーツアンドクラフツ、2007 年)273∼9 ページ、牧野和春『新桜の精神史』
(中
央公論新社、2002 年)205∼7 ページ。
7)ナショナリズムの形成に新聞が果たした役割を強調するものに、マーシャル・マクルーハン『グーテンベ
ルグの銀河系』森常治訳(みすず書房、1986 年)、ガブリエル・タルド『新版世論と群衆』稲葉三千男訳(未
来社、1989 年)。
8)台湾出兵から西南戦争、さらに日清・日露の戦争報道を通じて新聞が対外強硬世論の形成に関わるとともに、
自らの事業を拡大させた経緯は、鈴木健二『ナショナリズムとメディア』
(岩波書店、1997 年)11∼130 ページ。
9)満洲事変前後から、安寧秩序紊乱を理由とした新聞・出版の発売禁止件数は急増し、1932 年には 4945 件(新
聞紙法 2081 件、出版法 2864 件)とピークに達したが、以降当局の取締り強化とマスメディアの自粛で、34
年 1300 件、35 年には 1074 件と減少していった。前坂俊之『太平洋戦争と新聞』
(講談社、2007 年)34 ページ。
寺内内閣を批判する『大阪朝日新聞』を政府が発禁処分にした白虹事件(1918 年)が、国家権力による新聞
封じ込めの第一歩といわれる。戦中の言論弾圧としては『改造』『中央公論』が内閣情報局から自発的廃業の
形で解散を命じられ、拷問による取り調べで 4 人が獄死した横浜事件(1942∼45 年)が有名である。
10)政府は 1930 年代半ばから新聞操縦や世論操作を一元的に行う国家情報宣伝機関の創設に動き、各省庁の連
絡調整機関だった情報委員会を内閣情報部に改組(37 年 9 月)、40 年には内閣情報局に格上げし、報道宣伝
の一元的統制を行った。44 年には朝日新聞副社長の緒方竹虎が情報局総裁に就任している。また政府は日本
放送協会や同盟通信社等国策メディアを発足させたほか、雑誌、書籍は日本出版文化協会に一元化させた。
11)軍部や政府の発禁処分を避けるため、新聞各社は社内に記事査閲の部局を設け、自らの手で記事原稿の検
閲と削除を行うようになった。1943 年秋、朝日新聞社専務原田譲二は、社内会議で記者たちに「情報局の検
閲に頼ることなく、査閲に委すことなく、自分自身が完全なる検閲官でなければならぬと思ふのであります」
と訓示している。朝日新聞「新聞と戦争」取材班『新聞と戦争』(朝日新聞社、2008 年)479 ページ。
12)緒方竹虎『一軍人の生涯:提督米内光政』(光和堂、1983 年)。
13)岩本憲児編『日本映画とナショナリズム 1931-1945』(森話社、2004 年)20 ページ。映画法の骨子は①映画
製作と配給の認可制②製作従事者の登録制③脚本の事前検閲④外国映画上映の制限⑤映画事業への国家によ
る強力な命令権⑥文化・時事・啓発宣伝映画の強制上映等であった。統制強化を狙う映画法制定に映画関係
者の反対意見はなく、むしろ積極的に受け容れたという。NHK取材班編『日本の選択 4:プロパガンダ映画
のたどった道』
(角川書店、1995 年)174 ページ 。
14)清水晶『戦争と映画』
(社会思想社、1994 年)24 ページ。
15)東大経済学部から 43 年 12 月に学徒招集され、谷田部航空隊に配属、45 年 4 月、喜界ケ島海上で特攻戦死
した佐々木八郎は、43 年 2 月、前進座で『忠臣蔵」を観劇し、何もかも捨てて、ただ一筋主君の敵を討つ目
的に全てを捧げた四十七士に感動の涙を流している。大貫恵美子『学徒兵の精神誌』(岩波書店、2006 年)97
∼8 ページ。
16)三島由紀夫『葉隠入門』
(新潮社、1973 年)52∼3 ページ。
17)和辻哲郎『風土』
(岩波書店、1963 年)136∼7 ページ。
18)
「世界中の文学に共通のテーマである人間存在の「さだめなさ」が、美を生みだすに必要な条件であることは、
日本以外の文学では、滅多に認められたことがない。日本人は、それを知っていただげではなく、そのはか
なさが最もはっきり現われている様々な美への愛を表現して来たのである。
・・・・武士の理想は、老兵となっ
て、ゆっくり消えて行くのではなく、その体力と美との最高潮点において、劇的な死に方をすることだった
のだ。
」ドナルド・キーン『日本人の美意識』金関寿夫訳(中央公論新社、1999 年)35∼6 ページ。
19)日本社会では、失敗の償い、あるいは自分が属す集団のため他の方法では望みがないと感じられた難局を
西川:日本の戦略文化と戦争
15
解決するために自死(自決)を選ぶ伝統があり、国家あるいは全うな抗戦能力を失い組織のレゾンデートル
も面子も失われつつあった軍を救うための集団自決として特攻を捉える立場もある。加藤周一他『日本人の
死生観(下)
』
(岩波書店、1977 年)225∼8 ページ 。 だが特攻の大半は命令による死の強制にほかならない。
軍の体面を保つ、あるいは戦勝を得られなかった償いとして自決すべき立場にある幹部が、自らの死を青年
に押し付けた行為というべきである。
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
松 浦 茂 樹
*
はじめに
中国の経済社会は、臨海部を中心に驚くべきスピードでもって高度経済成長を続けている。1960
年代の日本の高度経済成長に優るほどであるが、そのネックとして水資源問題が重要な課題となっ
ている。黄河では、水の流れが海にまで達せず途中でなくなる断流がしばしば生じ、大きな社会問
題となっている。また 2008 年に開催された北京オリンピックでは、水の供給が大きな課題であっ
た。あたかも 1964 年の東京オリンピックを前にして、東京サバクと大騒ぎになった日本を想い起
こさせる。今日、北京の大通りと路地には、至る所「節約用水」との看板がみられる。
一方、中国では世紀のプロジェクト「南水北調」(長江流域の水を華北平原に導く事業)が進め
られ、天津には 2008 年、北京には 2010 年への導水が計画されていた。この導水時期を早めて北京
オリンピックに間に合わせるのではないかと予想していたが、どうやらそこまでには至らなかっ
た。
本論文では、先ず首都・北京の水問題とそれへの対応、および遼寧省の水資源計画をみる。その
後、2002 年 10 月 1 日から施行された『中華人民共和国水法』、続いて 06 年 4 月 15 日から施行さ
れた『取水許可及び水資源費徴収管理条例』の翻訳全文を掲載し、水資源政策の特徴を考察する。
1、北京の水問題
1.1 水資源からみた北京の自然状況
華北平原の北端に位置する北京市は、流域面積 26 万 km の海河流域にあり、その面積は 16,800
2
km とほぼ日本の利根川流域と同じである。北京市は、東北・北・西方を山地に取り囲まれ、市
2
域の 62% が山地に属する。山地の平均高度は 500 m前後だが、中には 1,000 mを超える峰もある。
市域の西部には西山、北部には軍都山、東北部には燕山の諸山地があり、その尾根筋に万里の長城
が連なっている。東南部と南部は平野となり、市域の 38% を占める。また西北方に向かって、山
地の中に小さな平野が入江のように入り込んでいる。
北京中心地の西を永定河(流域面積 47,000km )、東を潮白河(流域面積 19,500km )が流れてい
2
2
るが、北京中心部は永定河扇状地の扇端部分に発達する。中心部の地形は西北が高く東南が低い。
*
東洋大学国際地域学部;Faculty of Regional Development Studies, Toyo University
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
18
また北京中心地の西郊外にはたくさんの泉が湧き出していたが、今日でも、北京は地下水が豊富で
ある。
気候についてみると、半湿潤大陸性モンスーン地帯に属し、高温多雨の夏と寒冷乾燥の冬が長
く、春と秋とは比較的短い。年平均気温は、摂氏 10 度∼12 度である。最も暑い 7 月の平均気温は
25 度∼26 度だが、最高気温は 40 度を超すこともある。1 月の気温はマイナス 7 度∼プラス 4 度で、
マイナス 20 度に下がる日もまれではないが、雪は少ない。年降水量は平均 559mm で、華北平原
の中では雨の多い地域である。
1999 年∼2006 年にかけて、北京と周辺部は持続的に 8 年間、干ばつが発生していた。特に、
1999 年は過去 50 年間の最小となる 350mm の年間降雨量しかなかった。一方、2008 年は 10 年来
の降雨量の多い一年で 638mm の降雨があり、北京の 30 年平均の降水量と比べて 9% 多かった。
1.2 北京の水資源計画と水供給
北京市は、中国で人口の最も密集した地区の一つである。2007 年末、戸籍人口だけで約 1,197
万人と 1949 年人口 203 万人の 6 倍近くに達しているが、さらに出稼ぎの人々も加えると総人口は
1,600 万人を超える。北京市の人口拡大により、元々ゆとりがなかった水資源は、日に日に逼迫の
度を強めていった。降雨量に基づく一人当たりの年間水資源賦存量は、全国平均レベルの 8 分の 1、
世界平均レベルの 30 分の 1 に過ぎない。人口増加により 1949 年の 1,871m から 2007 年の 243m
3
3
に急速に下がり、非常に深刻な状況となっている 。北京の人口が急激に増加することにより、水
1)
資源問題は北京の発展を規制する重要な要因の一つとなっている。
北京市の水路状況をみると、全市内に 52 本の水路があり、全長は 520km である。主に永定河の
水を引く永定河引水渠と、密雲ダムから水を引く京密引水渠の二つの大きな導水ルートがあり、ま
た清河、坝河、通恵河、涼水河の四大排水路がある。さらに頤和園昆明湖 、玉淵潭、什刹三海
2)
(西海、後海と前海)
、北海、中海、南海と、雨水を蓄える八つの湖がある。
少しデータ的に古いが、北京市の年間可能給水量をみたのが表 1 である 。地下水が豊富にある
3)
ことが分かる。
表 1 北京市供給水量(単位:億立方米)
保証率(%)
種 類
50
75
95
地表水
20.51
13.33
6.59
地下水
26.33
26.33
26.33
総 量
46.84
39.66
32.92
データは 1960∼
1989 年の平均
なお保証率とは、ある一定の水資源量に対して最低限保証できる年の割合である。保証率 75%
とは、平均 4 年間のうち 3 年間は保証できる水資源量である。この 75%保証率で年間 39.66 億 m
3
が供給可能であり、うち 66%が地下水である。因みに、日本は基本的に 10 年に 1 回の渇水を対
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
19
象に水資源計画を行っているので、確率的に 11 年に 1 回、水不足が生じるとして、その保証率は
91%ということになる。
近年、北京が年間に必要とする水の量は 40 億∼45 億 m となっている。そのうち、都市と郊外
3
の生活用水は 5 億∼7 億 m 、工業用水は 12 億∼14 億 m を使い、農業用水は 22 億∼26 億 m である。
3
3
3
現在、保証率 50%の平水の年で、供給水量と需要水量の平衡が取れている 。大規模な水源施設と
4)
しては、潮白河に密雲ダム(貯水量 43.8 億 m )、永定河に官庁ダム(貯水量 41.6 億 m )がある(図 1)
。
3
3
その他、北京昌平県に十三陵ダムが建設され、それ以外に 80 以上のダムが築かれている。農業用
水は、主に灌漑用として 82 の貯水池があり、さらに 4 万以上ある井戸から地下水を利用している。
「21 世紀初期首都水資源持続可能利用計画報告」の予測によると、2010 年の水需要量は 53.95 億 m
3
に達する可能性がある。一方、将来において平均的に年間利用可能水資源量は 41.33 億 m で、給
3
、雨
水可能量に比べると 12.62 億 m 不足するとしている。この対処として、水の節約(4.14 億 m )
3
3
水の利用(2.57 億 m )
、汚水の再利用(10 億 m )、新たな水源確保(1 億 m )などが考えられている。
3
3
3
さて北京にとって密雲ダムと官庁ダムが重要な水源である。密雲ダムは、今日では北京市のみを
図 1 北京市水利概況図
5)
20
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
対象に給水を行っている。だがその上流域で 200 あまりのダムが建設されたため、貯水量が大幅に
減っている。最近の干ばつでは 140 万 m まで減少したことがある。21 世紀に入ると、官庁ダムの
3
水質が急激に悪化したため、密雲ダムは北京市専用の飲料水源として確定され、他の用途への使用
が禁止された。現在、北京市の毎年の生活用水の需要量は約 12 億 m であるが、北京市の人々の飲
3
料水は 5 杯のうち 3 杯が密雲ダムからの水と言われている。
一方、官庁ダムは、かつて北京の重要な地表水源であって、毎年 10 億 m の水を北京に供給して
3
いた。だが、上流の汚染がひどいため、1998 年から北京の飲料水に利用することができなくなっ
た。その後、水質の回復を必死になって努めている。現在、官庁ダムの水質はⅢ類の基準を実現
し、国家の飲用水源の基準に合っているが、今後もⅢ類で安定させることに努めている。現在、北
京の飲用水として官庁ダムの水は応急的な水源であり、主に工業用水源として利用されている。
ここで中国の水質基準をみると、表 2 のようになっている。
表 2 水質の分類
中国の地表水の環境水質の標準
Ⅰ類
主に水源の水、国家自然保護区に適用する。
Ⅱ類
主に生活飲用水と地表水源の一級保護区に適用する。稀少な水生生物生息地、魚介類の場等にも適用
する。
Ⅲ類
主に生活飲用水と地表水源の二級保護区に適用する。魚介類の冬用場、水産養殖区などの漁業の水域
と水泳区にも適用する。
Ⅳ類
主に普通の工業用水と人体の直接に接触しない娯楽の水に適用する。
Ⅴ類
主に農業用水と普通の景観に適用する。
地下水は元来、豊富であったが、1970 年以降の大量の採取により、今日、地下水位は毎年約 1m
ずつ下がっている(図 2)
。市街区域を中心に既に 1,000km の範囲で漏斗状の谷が形成され、その
2
真ん中の深さは 40m に達している。一部の地域では、既に地盤沈下が生じている。このため地下
水の採取もかなり厳しい状況となっている。
1.3 北京オリンピックの緊急対応
数年来、北京は 新しい北京、新しいオリンピック の戦略構想に基づき、 科学技術のオリン
ピック、人と文化のオリンピック、緑色のオリンピック との三大理念を全面的に進めていった。
水利用については、生態系保護を実施しながら河を治理し、人と水との調和を図り利水するという
計画に従って合理的に水施設を配置し、効果的に有限な水資源を利用する方針で進められた。首都
の生活用水を確保し、また都市の良好な水辺環境を維持するため河湖の状況を大きく変えることが
求められたのである。真っ黒で臭い多くの河川を清浄にし、特色を持つ生態水環境を整備すること
により、北京の良好な都市環境の基礎を確立しなければならなかった。
首都でのオリンピック時の給水の安全を確保するため、2001 年から「首都の水資源計画」が実
施された。この計画の主要な目標は、種々な方法により「南水北調」プロジェクトの完成前に、首
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
21
図 2 北京市平原地区の地下水位の動向
6)
都の水資源について自らの供給と需要のバランスを必ずとることである。その一つの方法は、北京
上流地区での土砂流失の防止、節水の実施である。例えば、官庁ダム上流の河北省と山西省に水害
と風害の防御事業を実施し、耕地の農業用水の節水のため灌漑の改善を実施した。また、上流地区
で汚染が深刻な企業について、閉鎖・操業停止・合併・生産転換するなどの汚染対策を実施した。
その一環として山西・河北省は、既に 5 回にわたり北京に送水した。2001 年∼2007 年に送水し
た量は約 25 億 m である。これにより 8 年にわたる干ばつに対処し、流域の経済社会の持続可能な
3
発展を強く促進したといわれる。
さらにオリンピックの開催時のみではなく、北京の長期水不足問題の解決のため「南水北調」プ
ロジェクト事業のルートを利用し、2008 年 9 月 18 日に山西省の冊田ダムで水門を開け、北京に送
水した。ここから官庁ダムまで全長 185km あるが、放水期間およそ 4∼6 日で約 1,000 万 m を放
3
水した。河北省の壺流河ダムでも水門を開け、北京に送水した。官庁ダムまで全長 80km あるが、
500 万 m を放水した。放水期間は 10 日であった。また密雲ダム上流にある河北省の雲州ダムでも
3
水門を開け、全長 75km ある白河堡ダムまで約 1500 万 m を放水した。放水期間はおよそ 28∼40
3
日であった。
白河堡ダムは、延慶県白河堡村の白河本流に 1982 年 4 月∼83 年 6 月の工事で築造された。ダム
総貯水量は 9,060 万 m で、北京市のダムの中で第 5 位の貯水量である。このダムは、海抜が高い
3
ため官庁と密雲の二つのダムに連絡することができ、首都の水資源を合理的にコントロールする重
要な水利センターである。白河と妫水河の水路を通って官庁ダムに送水し、京西の電力・鋼鉄など
の工業用水を供給した。また延慶県の耕地を灌漑することができるとともに、毎年十三陵ダムに
4,000 万 m を送水している。
3
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
22
ここ数年、華北地域は水が不足し河北省も水の使用は非常に緊迫している。しかし、北京に良質
の飲用水を送水するため、河北省は大量の農業灌漑用水を犠牲にしてオリンピック開催前に北京に
3 億 m の水は送り込んだ。崗南、黄壁荘、王快と西大洋の四つのダムから北京に水を提供したが、
3
これらのダムの水質は良好で、Ⅱ類とⅢ類と判断され、すべて飲用水の基準に達して北京の用水確
保に大きく貢献した。
他にも多くのダムから北京へ連続的に給水している。北京は中国の首都であり、北京の用水を確
保することは政策的に最重要と位置付けられている。このため、北京周辺地域の用水が犠牲にさ
れ、あるいは周辺の多くの人々の貢献によって、今回の北京オリンピックは順調に行うことができ
たのである。
1.4 水不足に対する対応
北京の水不足問題を解決するため重要なのは、水源開発、水の流失抑制・汚水の減少、節水の三
つである。最初の開発による水供給量の増大は、既に開始した「南水北調」プロジェクトによる。
二番目は、水源を保護し汚染物質排出による水質環境の悪化を減少させ、汚水の浄化によって水の
リサイクルを行い使用できる水量を増加させることである。三つ目は、節水の措置と設備を利用
し、水使用量を節約して水の需要量を抑えることである。
数年来、北京は各種の方式を通じて需要量を抑えている。それらは、①産業構造の調整による節
水の増大、②何度にもわたる水道料金の値上げ、③農業、工業と都市の節水の推進、④水を大量に
使用する企業の調整、である。この四つの対策に力を入れている。
地表水については、密雲と官庁の両ダム以外に、白河堡、遥橋谷、半城子、北台上、大水峪、斋
堂の六つの小型ダムが北京市の給水システムに組み入れられ、都市給水量を 15% ほど増加させた。
地下水については、懐柔、平谷、張坊、馬池の口などで取水施設を設置し、一日給水量として 100
万 m まで取水可能となった。これらにより、都市が必要とする緊急的な給水を確保するだけでは
3
なく、水の再生システムも開発して突発的な水危機が発生した場合にも対処することが可能となっ
た。
再生水は、現在、既に北京にとって 2 番目の大きな水源となっている。工業製造、農業灌漑、都
市緑化、河湖環境などの領域で広範に応用され、同時に市街区には 500ヶ所の雨水利用の施設が造
られた。近郊地区では、水たまり・溝渠・くぼ地を利用して雨水を貯め、都市地域では雨水と洪水
の貯水池を造った。これにより、雨水と洪水を 4,000 万 m まで貯水可能となった。これらを使っ
3
て灌漑にも利用でき、地下水補給にも役立っている。
再生水利用を拡大し、水を循環させて水質を改善する。再生水は河と湖の重要な水源となり、近
年、毎年 1 億 m を使って河と湖に補給している。また市内への浄化用水の補給は、過去の長時間
3
かけての小流量の補給から、集中的に大流量の補給へと変わった。これにより、漏水と蒸発を減ら
し、流域の清潔に良い効果を果たすことができたという。さらに降雨の後、河の水門の開閉を調節
し、雨水が都市の景観用水として上手に使われている。
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
23
北京の深刻な水不足問題の根本的な解決には、「南水北調」という大規模インフラプロジェクト
の完成が必要とされる。北京の発展は水資源と深くつながっているため、「南水北調」の完成が期
待されている。このプロジェクトは、漢江上流の丹江口ダムから北京市内の玉淵漂に至るまでの全
長 1,241km にわたって導水するという壮大な計画で、1991 年から国家計画に組み込まれた。
先述したように 2008 年 9 月 18 日、河北省の四つのダムから北京への送水が開始され、9 月 28
日に朝陽区にある団結湖に着いた。送水するのは 2009 年 3 月の中下旬までで 6ヶ月続き、4 ダムか
らの総送水量は 3 億 m となる。これにより「南水北調」の一部のルートを通じての北京への送水
3
に成功したのである。ほとんど同時に、「南水北調」の中ルートの取水口工事である南陽地区の工
事が全面的に開始された。この中ルート工事が完成したら、用水路は丹江口ダムから北に行き、北
京・天津・河北省と河南省に給水することができる。世界で最大の自然流下による導水工事の建設
は、これから新段階に入るといってよい。
なお、天津への導水であるが、2008 年 11 月に市内への幹線水路が着工され、11 年に竣功する予
定である。
2、遼寧省の水資源計画
7)
2.1 概況(図 3)
遼寧省の総面積は 145,900km 、朝鮮民主々義人民共和国とは鴨緑江で接する。地形は、概ね山地
2
6、平地 3、水地 1 である。また、年平均降雨量は 450mm∼1150mm、主要な河川は遼河、渾河、大
遼河、鴨緑江である。社会状況についてみると、全省人口 4,171 万、うち都市人口 54%、農村人口
は 46%である。2000 年の省内国民総生産は 4,132 億元で、第一次産業 12.6%、第二次産業 48.0%、
第三次産業 39.4%であり、第二次産業のウェイトが大きい。
水資源賦存量についてみると、地表水(河川水)の状況は以下のようになる。
地表水資源
(河川水)
億m
3
平均
50%保証
75%保証
1980 年(渇水)
1985(豊水)
324.71
299.83 210.02
161.11
535.22
地下水資源は、総保有量 111.17 億 m 、うち開発可能量は 60.20 億 m である(水量平均衡法
3
3
8)
に
よる)
。
これにより利用可能な年間水資源総量は地表水 324.71 億 m 、地下水 111.17 億 m 、合わせて
3
3
335.88 億 m と考えられているが、このうち、河川の基流、地表水の漏水、野良灌漑水
3
9)
等 72.99
億 m を差し引いて 262.82 億 m が全省の利用可能な水資源総量と想定されている。ただし河川水
3
3
利用は平均流量が計画の対象とされていて安全率は低く、さらに過剰な地下水利用と評価される。
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
24
図 3 遼寧省河川流域概況図
2.2 現在の水需給(1999 年ないし 2000 年のデータによる)
現在の年間総使用水量 144.79 億 m 、うち農業用水 64%、工業用水 21%、生活用水 15%である。
3
一方、供給は地表水 76.1 億 m 、地下水 68.69 億 m である。また現在の水利施設は以下のようになっ
3
3
ている。
貯水容量 1 億 m 以上の大型ダム 25 施設
3
貯水容量 1000 万 m ∼1 億 m の中型ダム 56 施設
3
3
貯水容量 100 万 m ∼1000 万 m の小型ダム 823 施設
3
3
合わせて 904 施設、総貯水容量 140.5 億 m であるが、このうち利水容量は 57 億 m である。
3
3
水資源の問題点として、以下のように評価されている。
・中南部地区は、都市が密集し工業が発達して水利用が集中しており、水不足問題は深刻である。
全国においても渇水地区の一つとなっている。
・農業都市の間で用水の争奪現象が生じている。元来、農業用に建造されたダムが、一部分或いは
大部分の貯水について都市の工業用水・生活用水の供給に回さざるを得ない状況となっている。
例えば省都である瀋陽では、無順大
房ダムからの一日当たりの導水量は 40 万 m で、年間 1.46
3
億 m を利用している。
3
・水質汚染は深刻で、水資源問題に更なる追い討ちをかけている。全省での近年の汚水排出量は延
べ年間 2 億 m で、その半分以上は未処理のままである
3
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
25
・地下水の過剰採取により、瀋陽市・大連市・鞍山市などで地下水の動態バランスが破壊されて
いる。因みに、瀋陽市には 270km の地下水域があるが、その面積は現在 250 km にまで減少し、
2
2
70% の地下水域が採取過剰状態にある。地下水は日に 20 万 m 超過採取されており、地下水の
3
一部は既に枯渇状態で地下水位は毎年 1 m の速度で下降している。
・農・工業において現在、多大な水利用の浪費があり、農・工業用水の節水潜在力は巨大である。
水路の漏水・崩壊等により、灌漑用水路の有効利用率はわずか 40∼50% である。工業用水の再
利用率は 60∼70% であり、大量の冷却・洗浄用水は未だ再利用されていない。
・工業分布の観点から考えると、今後、消費水量の多い工業は遼寧省中部に配置すべきではない。
また農業灌漑用水について、節約用水を通して灌漑面積の拡大が適合とするところを中心に整備
し、用水量の多い稲田を発展させるべきではない。
2.3 2020 年の水需給計画
表 3 2020 年遼寧省水資源需給バランス表(単位:億 m )
3
年度
項目
都市生活用水量
1999 年
22
工業用水量
30.31
農牧業用水量
92.47
農村住民用水量
合計
144.78
2020 年
増加用水量
33.4
11.4
49.0
18.7
110
2020 年
供給能力
不足量
17.53
2.38
2.38
194.78
50.01
176.78
18
2020 年の水需要について、総生産高・人口の伸び率、生活水準、節水率の向上等に基づき算出
されている。先ず、省内国民総生産高は、1999 年を基準として農業年増加率 4%、工業年増加率
7%、第三次産業年増加率 11%との想定の下、2020 年の予測は 22,055.59 億元と算出される。その
内訳は第一次産業が 6%、第二次産業 37%、第三次産業が 57%である。
工業用水の予測は、一万元当たりの水消費量に基づいて算出される。情報産業の発展等の産業調
整を行い再利用率を高め、製品単位あたりの水消費量を押さえることによって、一万元あたりの工
業水基準量を 60m する(1999 年の全国平均 103m 、遼寧省は 152m )。これにより、2020 年の工
3
3
3
業水消費量は 49 億 m と予測され、1999 年と比較して 18.7 億 m の増加である。
3
3
都市生活用水の基準使用水量は、国民の生活レベルの上昇にしたがって増加するが、中国では、
2020 年の都市生活用水基準量は 150L/人・日、地方(都市)の生活用水基準量は 80L/人・日が適当
とされている。2020 年の遼寧省の総人口は 4,348 万人に達し、そのうち都市人口は 30%の 1,304 万
人、地方(都市)人口は 40%の 1,739 万人である。都市生活用水基準量を 150L/人・日、地方(都
市)生活用水基準値は 80L/人・日とすると、年間あたりの都市生活用水量は 19.5 億 m 、地方(都市)
3
生活用水量は 13.9 億 m で合計水使用量は 33.4 億 m となる。1999 年の生活用水使用量は 22 億 m
3
3
3
であり、11.4 億 m の増加となる。
3
農業用水については、耕地面積、そこでの水利用(水田は 2000 年 66 万 ha であったのが 80 万
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
26
ha、野菜畑、麦畑はそれぞれ 12 万 ha、16 万 ha と増減なし)を考慮して 110 億 m と予測する。
3
1999 年と比較して 20 億 m の増加となる。一方、2020 年の農村人口予測 1,304 万人、水消費基準
3
量は 50L/人・日とすると、農村居住民の生活用水量は 2.38 億 m になる。
3
このように、2020 年における農業用水・都市生活用水・工業用水およびその他の用水の総計は
195 億 m となり、2000 年と比較して 50 億 m の増加となる。さらに環境用水を増加させなければ
3
3
ならない。
一方、2020 年において、現在、工事中と新たに着工する事業も併せた供給可能水量 176.78 億 m
3
のうち、32 億 m は 21 の大中型ダムによる開発である(表 4)。需要供給バランスをみると、18 億
3
m の水が不足している。これをどうするのかが課題であるが、主に 3 つの案が検討されている(図
3
4)
。
① 北水南調プロジェクト
松花江は、毎年約 400 億 m の水量が未使用のまま黒龍江に流れ込んでいる。この水を有効に
3
活用するもので、その計画は、ハルビン以北のラン江(尼弥基ダム)、第二の支流松花江(ハ達
山ダム)に大型ダムを建設して洪水を制御するとともに利水開発し、遼寧省に導水する。さらに
500 キロの用水路プロジェクトと、この1部を利用する北水南調水上運輸事業舟運プロジェクト
がある。舟運延長は 874.15km、そのうち用水路を利用するのは 388km で、増加供給可能な水量
は年間 192.7 億 m である。これにより灌漑面積 116 万 ha の増加、松花江から遼河に至る水上輸
3
送システムの拡大、また運河通過地区の生態環境の改善が可能とされる。
② 東水西調プロジェクト
東水西調プロジェクトとは、遼寧省の比較的豊かな水資源を有する東部の鴨緑江流域から遼河
流域に向けての導水事業を示す。この計画の基本案は、鴨緑江支流の雲河とそれぞれ独自に海に
流入する河川をつなぐことである。6 つのダム(山頭ポウ、陳家ポウ、小城場、清河口、韓家大
溝、紅土嶺)の建設後、海城河と太子河に至る 105.65km の導水トンネルを開削し、これにより
年間 9.2 億 m の調節水量を得ることができる。
3
③ 節水対応(年間 20 億 m の水源の確保が可能とされている)
3
ⅰ)農業用水
用水路の漏水防止処理によって、現在 40∼50% である灌漑地区の水利用率を徐々に 60∼70% に
高める。節水灌漑新技術を推し広める。積極的に水消費量の少ない耕作技術を取り入れる。
ⅱ)工業用水
経済措置の採用、技術改造、科学的管理を統合して企業用水節約を促進し、製品一つ当たりの消
費単位水量の低下とともに再利用水率の向上を計る。水不足地区には消費水量の大きな工業企業
の進出を制限し、全省の工業用水の総再利用率を現在の 60% から 75% 以上にまで引き上げる。
2020 年において、工業企業の製品一万元あたりの用水使用量を 60m 以下に低下させる。汚水の
3
再利用を確立させる。沿海地区は、海水を利用した用水洗浄により水資源の節約を計る。
ⅲ)都市生活用水
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
27
表4 遼寧省 2000 年までに建設済み、2020 年までに建設予定の大・中型水源工程表
建設時期
工事名称
所在河川
2000 年前
富爾江引水
富爾江
ダム総容量
3
(億 m )
開発水量
3
(億 m )
投資額
(億元)
0.84
1.06
2000 年前
観音閣ダム
太子河
21.68
9.47
14.00
2000 年前
東風ダム
複州河
1.34
0.65
1.01
2000 年前
白石ダム
大凌河
13.67
5.37
7.00
2000 年前
石仏寺ダム
遼河主流
18.46
3.56
11.12
2000 年前
小計
55.15
19.89
34.19
2000∼2020
関門ダム
東州河
0.29
0.24
0.98
2000∼2020
紅光ダム
太子河支流
0.85
0.27
1.32
2000∼2020
釣魚台ダム
太子河支流
1.20
0.56
2.52
2000∼2020
連山関ダム
太子河細川
1.14
0.55
2.60
2000∼2020
英那河ダム
英那河
1.20
1.20
1.20
2000∼2020
楊杖子ダム
老虎山河
0.99
0.52
1.14
2000∼2020
錦凌ダム
小凌河
1.25
1.54
3.60
2000∼2020
青山ダム
六股河
6.25
1.20
3.00
2000∼2020
上屯ダム
碧流河
0.79
0.59
1.80
2000∼2020
猿山ダム
犬河
1.60
0.31
2.40
2000∼2020
閻三鼻子ダム
大凌河
0.79
0.28
0.52
2000∼2020
生金ダム
大凌河支流
1.47
0.47
1.82
2000∼2020
小計
29.09
7.78
22.90
2000∼2020
神樹ダム
寇河
7.58
2.14
9.00
2000∼2020
韓家杖子ダム
綫陽河
1.17
0.23
1.36
2000∼2020
上窩卜ダム
大凌河
7.03
1.05
6.00
2000∼2020
顔家ダム
柳河
5.83
0.91
3.65
21.61
4.33
20.01
9.20
46.00
32.00
77.1
2000∼2020
小計
東水西調工程
2000∼2020
大洋河
雲愛河
(ダム 6 基及び 110km
のトンネルを含む)
∼2020
合計
(東水西調の 9.2
3
億 m を含まず)
105.85
出典〈遼寧省二〇〇〇年城市建設統年報〉
〈濾陽政府予測〉
3
これらの大中型ダム以外に小型ダムとして開発水量 13.53 億 m 、投資額 66.01
億元の計画がある。
家庭用の節水器具の推進に力を入れ、併せて条件の合う居住区、宿泊施設および公共建築物内に
おいて最新水道システムを敷設させる。
ⅳ)宣伝教育の推進
全人民の節水意識、節水用水の自覚性を高める。
28
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
図 4 遼寧省 水資源計画概況図
3、中華人民共和国水法
3.1 概況
この法律は 2002 年 8 月 29 日、中華人民共和国第九回人民代表大会常務委員会第二十九次会議で
成立し、国家主席第 74 号令として公布された後、02 年 10 月 1 日から施行された。それは、次の 8
章 82 条より構成されている
第一章 総則 第一条∼第一三条(13 条)
第二章 水資源計画 第十四条∼第十九条(6 条)
第三章 水資源開発・利用 第二十条∼第二十九条(10 条)
第四章 水資源、流域と水利施設の保護 第三十条∼第四十三(14 条)
第五章 水資源配分と節約利用 第四十四条∼第五十五条(12 条)
第六章 水紛争処理と本法律の執行及び監督検査 第五十六条∼第六十三条(8 条)
第七章 法律責任 第六十四条∼第七十七条(14 条)
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
29
第八章 附則 第七十八条∼第八十二条(5 条)
この法律は、1988 年1月 21 日に第 6 回人民代表大会常務委員会第二十四次会議で成立し 88 年 7
月 1 日から施行された『中華人民共和国水法』を改訂したものである。旧法は、以下の 7 章のもと
に 53 条からなっている 。
10)
第一章 総則 9 条
第二章 開発・利用 14 条
第三章 水、流域と水利施設の保護 6 条
第四章 用水管理 8 条
第五章 洪水防禦 6 条
第六章 法律責任 7 条
第七章 附則 3 条
この旧法は、中華人民共和国建国後、初めての水資源に関する法律である。第 5 章に 6 条からな
る「洪水防御」に関する規定が定められているが、新「水法」ではこの章はなくなっている。それは、
洪水防御に関連して『中華人民共和国洪水防御法』 が 1998 年 1 月 1 日から施行されたからであり、
11)
新『水法』は、利水つまり水資源に特化されたのである。
旧法は、洪水防御に関するこの 6 条を除くと 47 条からなり、新法は条の数からして 35 条ほど増
加している。これだけでも 1988 年以降の 14 年間に水資源問題が複雑化し、より一層、高度な計画・
管理が求められ、さらに水問題の深刻さが増大していることが分かる。
3.2 中華人民共和国水法(全訳)
第一章 総則
第一条 水資源の合理的な開発、利用、節約と保護、水害の防御を推進し、水資源の持続的な利用
発展、国民経済及び社会発展の要請に応じるため、本法律を制定する。
第二条 本法律の適用範囲は、中華人民共和国領域内での水資源の開発、利用、節約、保護、水資
源の管理及び水害防御である。本法律で称する水資源とは、地表水と地下水である。
第三条 水資源の所有権は国に属す。水資源の所有権限は、国務院が国家を代表して行使する。農
村集団経済組織が所有する溜池と農村集団経済組織が建造し管理している水庫(ダム湖)の水は、
当該農村集団経済組織が使用する。
第四条 水資源の開発、利用、節約、保護と水害防御は、全面的に計画し、全体的に考慮し、根本
的に対応し、総合的に利用し、効率を追求し、生活、生産、経営そして生態環境用水との関係を調
和させなくてはならない。
第五条 県級以上の地方政府は、水利施設の建設促進を図り当該地区の国民経済と社会発展計画の
中にそれを取り込まなくてはならない。
第六条 国は、組織と個人が合法的に水資源を開発・利用することを奨励し、その合法的な権利を
保護する。水資源の開発・利用する組織と個人は、水資源を保護する義務をもつ。
30
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
第七条 国は、水資源に対して法律に従い取水許可制度と有料使用制度を実施する。ただし、農村
集団経済組織とその属する構成員が建設管理する溜池やダムの使用については除外する。国務院水
行政主管部門は、その責任の下に全国取水許可制度と水資源有料使用制度を組織的に実行する。
第八条 国は、水利用の節約を励行し、水利用節約に関する措置を強力に推進し、節水に関する新
技術や新事業を推進し、節水型工業・農業とサービス発展させ、節水型社会を樹立する。
各級地方政府は、水利用節約の管理を強め、節水の技術開発推進制度を樹立し、節水型産業を育
成し発展させる措置をとらなくてはならない。
組織と個人は、水利用節約の義務をもつ。
第九条 国は、水資源を保護し、植生を保護し、草・樹を植え水源を涵養し、水土の流失と水質汚
染を防御し、生態環境を改善する有効な措置をとらなくてはならない。
第十条 国は、水資源の開発、利用、節約、保護、管理と水害防御に関する先進科学技術の開発研
究並びに普及と応用を大いに奨励し支持する。
第十一条 水資源の開発、利用、節約、保護、管理と水害防御などに著しい実績のある組織と個人
に対し地方政府は表彰する。
第十二条 国は水資源に対し、流域管理と行政区域管理とが協調実施できる管理体制を実行する。
国務院水行政管理主管部門が、全国水資源の統一管理と監督の責任を持つ。国務院水行政管理主管
部門によって国家指定の重要河川・湖沼に設立された流域管理機構(以下、流域管理機構)が、そ
れぞれの管轄範囲内で法律・行政規定と、国務院水行政管理主管部門から与えられた水資源の管理
と監督の職務権限を実行する。
県級以上の地方行政水管理主管部門は、与えられた権限に従い当行政区域内の水資源の統一管理
と監督の職務権限を実行する。
第十三条 国務院関連部門はそれぞれの職務に従い、水資源の開発、利用、節約と保護に関する業
務を執行する。県級以上の地方政府関連部門は、当行政区域内の水資源開発、利用、節約と保護に
関する業務を執行する。
第二章 水資源計画
第十四条 国家策定の全国水資源戦略計画
水資源の開発、利用、節約そして保護と水害防御は、流域、区域によって統一的に計画される。
計画は、流域計画と区域計画の二つに分けられる。流域計画は、流域総合計画と流域専門計画より
なる。区域計画は、区域総合計画と区域専門計画よりなる。
総合計画とは、経済社会発展からの要請と水資源の開発・利用の現状、水資源の開発、利用、節
約そして保護と水害防御についての全体的計画である。専門計画とは洪水防止、旱魃防止、灌漑、
航運、水供給、水力発電、筏流し、漁業、水資源保護、水土保持、砂塵防止、水利用節約などにつ
いての計画である。
第十五条 流域範囲内の区域計画は流域計画に従い、専門計画は総合計画に従わなければならな
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
31
い。流域総合計画、区域総合計画並びに土地利用関係と密接な関係をもつ専門計画は、国民経済と
社会発展計画及び土地利用総合計画、都市総合計画、環境保護計画と調和し、各地区と各分野から
の要請を考慮しなければならない。
第十六条 計画を制定するにあたっては、必ず水資源総合科学調査と分析評価を行わなければなら
ない。水資源総合科学調査と分析評価は、県級以上の地方政府水行政主管部門と同級関係部門で行
う。県級以上の地方政府部門は、水文と水資源情報システムの構築を強化しなくてはならない。県
級以上の地方政府水行政主管部門流域管理機関は、水資源についての長期的な観測を強化しなけれ
ばならない。基本水文資料は、国の関連規定に従い公開しなければならない。
第十七条 国が指定した重要河川・湖沼の流域総合計画は、国務院水行政主管部門と国務院関係部
門そして関係省・自治区・直轄市地方政府で作成し、国務院で認可する。二つ以上の省、自治区、
直轄市にまたがる河川・湖の流域総合計画と区域総合計画は、関係流域管理機構とその河川・湖が
所在する省・自治区・直轄市地方政府水行政主管部門と関係部門で作成し、それぞれの省・自治区・
直轄市地方政府で審査し意見を求め、国務院水行政主管部門に認可を要請する。国務院水行政主管
部門は、国務院関係部門の意見を求め、国務院或いはその権限を与えられた国務院指定部門が認可
する。
上記以外のその他の河川・湖の流域総合計画と区域総合計画は、県級以上の地方政府水行政主管
部門と同級関係部門と関係地方政府で作成し、同級地方政府或いはその権限を与えられた指定部門
が認可する。また上級水行政主管部門に届け出る。
専門計画は、県級以上地方政府の関係部門で作成し、同級関係部門の意見を求め、同級地方政府
が認可する。専門計画の中で、洪水防御計画、水土保持計画の作成・認可は、洪水防御法と水土保
持法の関係規定に従い策定されなければならない。
第十八条 計画は、認可されたならば厳格に実行されなければならない。決定された計画を改訂す
るときは制定手続きと同様に行い、元の決定部門で認可される。
第十九条 水利施設の建設は、流域総合計画に従わなければならない。国家指定の重要河川・湖沼
及び二つ以上の省、自治区、直轄市をまたがる河川・湖での施設建設は、その工事の実施可能性の
研究報告を承認する前に、流域管理機構は、当該水施設建設が流域総合計画に適合しているか否か
を審査し、意見を述べる。その他の河川・湖での施設建設は、その工事の実施可能性の研究報告を
承認する前に、県級以上地方政府水行政主管部門が、管理権限に従い、その施設建設が流域総合計
画に適合するか否かを審査し意見を述べる。水利施設建設が洪水防御に関わる場合、洪水防御法の
関係規定に従い実行されなければならない。他の地区と分野に関する場合、建設責任者は、関係地
区と部門の意見を求めなければならない。
第三章 水資源開発・利用
第二十条 水資源の開発並びに利用は、水利用による利益と水害防御を同時に重視し、上流・下流、
左岸・右岸と関係地区間の利益を考慮し、水資源の総合的な効果を十分に発揮させ、洪水防御の全
32
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
体計画に従わなければならない。
第二十一条 水資源の開発・利用は、都市と農村住民の生活用水の需要を最初に満たし、農業、工
業、生態環境用水及び運航などの需要を考慮せねばならない。
旱魃・半旱魃地区での水資源の開発・利用は、生態環境用水の需要を十分、考慮しなくてはなら
ない。
第二十二条 流域間の水調達にあたっては、全体計画の策定並びに科学研究を行わなければならな
い。また相互流域の用水需要を統一的に考慮し、生態環境の破壊を防止せねばならない。
第二十三条 各級地方政府は、当該地域の水資源の現況に基づいて地表水と地下水を統一的に開発
し、並びに開発と節水とを結び合わせ、節水と汚水処理再利用の優先的原則に従い、合理的に水資
源の開発・総合利用を図らなければならない。
国民経済と社会発展計画及び都市全体計画の策定、都市重要建設の計画は、当該地区水資源の状
況と洪水防御の要請に適合しなくてはならない。並びに科学研究を実行しなくてはならない。水資
源不足地区では、都市規模の制限と用水量の多い工業、農業、サービス業施設の建設を制限せねば
ならない。
第二十四条 国は、水資源の貧困な地区での雨水利用と塩分濃度の小さい水の収集、開発、利用そ
して海水利用、淡水化を推進しなくてはならない。
第二十五条 各級地方政府は灌漑、水害防御、水土保持についての管理を強化し、農業生産の発展
を促進しなければならない。塩害と冠水が発生しやすい地区では、地下水位を制御し、低下を防ぐ
措置をとらなくてはならない。
農村集団経済組織或いはその構成員は法律に従い、集団経済組織が所有する或いは請負を行った
土地で水資源施設を建設する場合、建設者がその管理と利益を所有する原則に従い、水資源施設と
貯水を管理し合理的に利用しなければならない。農村集団経済組織がダムを建設する場合、県級以
上の地方政府水行政主管部門により認可されなくてはならない。
第二十六条 国は、水エネルギー資源の開発利用を推進する。水エネルギーの豊富な河川では、計
画的に多目的な段階的開発を行わなければならない。
水力発電ダムの建設は生態環境を保護し、洪水防御、水供給、灌漑、航運、筏流し、漁業などの
需要を考慮しなくてはならない。
第二十七条 国は、航運資源の開発利用を推進する。水生生物の回遊通路、航路あるいは筏流しが
行われる河川で、永久的な川一面の堰を建設する場合、建設者は魚、舟、筏を通す施設を同時に建
設しなくてはならない。或いは国務院から権限を与えられた指定部門によって認可される補償措置
をとらなければならない。また施設は貯水期間内における水生生物保護、航運と筏流しに適切な配
慮をしなくてはならない。その費用は、建設者が負担する。
航運のない河川或いは人工水路で、堰の建設後に航運可能な場合、建設者は船の通過施設を建設
しなくてはならない。或いはその施設の建設場所をあらかじめ確保しなくてはならない。
第二十八条 すべての組織と個人が導水、堰止(貯水)、排水をする場合、公共利益と他人の合法
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
33
的利益を損なってはならない。
第二十九条 国は、水利施設建設による住民の移住に対して、「開発性移民」の方針に従い実行し、
移住前期の補償と後期の補助を結び合わせるという原則に従い、移民の生産と生活を適切に配慮
し、移民の合法的利益を保護しなくてはならない。
移民の移住は、水利施設建設と同時に行わなければならない。建設者は、移住地区の受け入れら
れる環境容量と可能な持続的発展の原則に従い移民移住計画を策定しなくてはならない。法律によ
る認可後、関係地方政府によって計画は実施される。移住に必要とされる費用は、施設建設の投資
計画にいれなければならない。
第四章 水資源、流域と水利施設の保護
第三十条 県級以上の地方政府水行政主管部門、流域管理機構及びその他の関係部門が水資源開
発・利用計画を策定するとき、また水資源を調整するときにおいては、河川の合理流量と湖・水庫
および地下水の合理的水位を維持しなくてはならない。また水の自然浄化機能を維持しなくてはな
らない。
第三十一条 水資源の開発、利用、節約、保護と水害防御などの水に関する活動を行う場合、既に
認可された計画に従わなければならない。計画に違反し、河川と湖の流域の利用可能性を低下さ
せ、地下水を採取しすぎて地盤沈下、水汚染を起こした場合、その回復責任を果たさなければなら
ない。
鉱物採掘或いは地下施設を建設するにあたり、排水によって地下水位を降下させ水源の枯渇或い
は地面の陥没が生じた場合、採掘者或いは建設者は救済措置をとらなければならない。他人の生活
と生産に損失を与えた場合、法律に基づき補償しなくてはならない。
第三十二条 国務院水行政主管部門と国務院環境保護行政主管部門及び関係部門と関係省・自治区・
直轄市地方政府は、流域総合計画、水資源保護計画と経済社会発展の要請に基づいて国指定の重要
河川・湖沼の水利用計画を作成し、国務院が認可する。
二つ以上の省、自治区、直轄市にまたがる河川・湖の水利用計画は、関係流域管理機構と当該河
川・湖が所在する省・自治区・直轄市地方政府の水行政主管部門と環境保護行政主管部門および関
係部門が策定し、関係省・自治区・直轄市地方政府が審査し、意見を述べた後、国務院水行政主管
部門と国務院環境保護行政主管部門によって審査され、国務院或いは国務院から権限を委任された
指定部門が認可する。
上記以外の河川・湖の水利用計画は、県以上の地方政府水行政主管部門と同級地方政府環境保護
行政主管部門及び関係部門が作成し、同級地方政府或いはその地方政府から権限を委任された指定
部門が認可し、上級水行政主管部門と環境保護行政主管部門に届け出る。
県級以上の地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構は、水利用区域の水質に対する要求と水
の自然浄化能力に従って当該水域の汚染源許容能力を算出し、環境保護行政主管部門に当該水域の
汚染排出総量についての意見を提出する。
34
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
県級以上の地方政府水行政主管部門と流域管理機構は、水利用区域の水質状況を観測し、重点汚
染物排出量が制限値を超した場合、或いは水利用区域の水質が水利用の水質に対する要求に達しな
い場合、即時に関係地方政府に報告し、改善措置をとらなくてはならない。また環境保護行政主管
部門に通報しなくてはならない。
第三十三条 国は、飲用水水源保護区制度を策定する。省・自治区・直轄市地方政府は飲用水水源
保護区を規定し、水源枯渇と水汚染の防止措置を取り、都市と農村住民の飲用水の安全を保障しな
ければならない。
第三十四条 飲用水水源保護区内における汚水排出口の設置を禁ずる。河川・湖沼で新たに排水口
の建設・改造あるいは拡大建設は、管轄権のある水行政主管部門或いは流域管理機構の同意を得て、
環境保護行政主管部門が責任を持って当該建設工事の環境影響報告書について審査し認可する。
第三十五条 工事建設のために農業灌漑水源や灌漑排水施設を占用したり、或いは元来の灌漑用
水・水供給水源に不利な影響を及ぼす場合、当該建設者が修復措置を取らなければならない。損失
をもたらした場合、法律に基づき補償しなければならない。
第三十六条 地下水採取過剰地域では、県級以上の地方政府が適切な措置を取り、地下水採取を厳
格に制御しなければならない。地下水採取特別過剰地域では、省・自治区・直轄市地方政府の認可
により、地下水採取禁止区域或いは地下水採取制限区域を決定できる。沿海地域での地下水採取は
科学的な論証を行い、地面沈下と海水侵入を防ぐ措置を取らなければならない。
第三十七条 河川、湖、ダム、運河、水路において洪水疎通に影響する物体の放置や洪水疎通に影
響する樹木と高い作物を植えることを禁ずる。
河川管理区域内で洪水疎通を妨害する建築物・構築物の建設を禁ずる。河水の安定的な流れに影
響する活動、河岸と堤防の安全に危害をもたらし河道洪水疎通を妨害する活動を禁ずる。
第三十八条 河川管理区域内で橋梁と港の建設、または河道をせき止めたり、河を横断したり、河
道に隣接する建築物・構築物を建設する場合、または河川を横断するパイプ・ケーブルを設置する
場合は、国家規定の洪水防御基準と他関係技術基準に従わなくてはならない。施設建設計画は、洪
水防御法の関係規定に従い、関係水行政主管部門が審査し同意しなくてはならない。
前記の建設のために、元来の水利施設を増築、改造、撤去或いは壊す必要がある場合、建設者が
その増築・改造の費用と損失補償を負担しなければならない。ただし、元来の水利施設が違法施設
の場合は除外される。
第三十九条 国は、河川での砂採取許可制度を実行する。河川での砂採取許可制度実施方法は国務
院が決定する。
河川管理区域内での砂採取活動が河道の安定に影響を与え、或いは堤防の安全に危害をもたらす
場合、県級以上の地方政府水行政主管部門が採取禁止区域と採取禁止期間を決定し公表しなければ
ならない。
第四十条 湖を埋立て造成することを禁ずる。すでに埋立てた区域は、国家規定の洪水防御基準に
従い原状に戻さなければならない。
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
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河道の埋立を禁ずる。必要の場合、科学的な論証の上、省・自治区・直轄市地方政府水行政主管
部門あるいは国務院水行政主管部門の同意を得た後、同級地方政府が認可しなくてはならない。
第四十一条 組織と個人は、施設を保護する義務がある。堤防、河岸、洪水防御施設、水文観測、
水文地質観測等の施設を占用、破壊してはならない。
第四十二条 県級以上の地方政府は、当該行政区域内の水利施設、特にダムと堤防の安全を確保す
る措置を取らなくてはならない。また、危険が予測されるところでは期限内にその状況を解除しな
くてはならない。水行政主管部門は、水利施設についての安全監督を強化しなくてはならない。
第四十三条 国は水利施設を保護する。国に属する水利施設は、国務院の規定に従い施設管理と保
護区域を決定しなくてはならない。
国務院水行政主管部門或いは流域管理機構が管理する水利施設は、主管部門或いは流域管理機
構、関係省・自治区・直轄市地方政府が、施設管理と保護区域を決定しなくてはならない。
前記以外の水利施設は、省・自治区・直轄市地方政府の規定により、施設保護範囲と保護責任を
決定しなくてはならない。
水利施設保護区域以内で水利施設の運営に影響する活動、水利施設の安全に危害を及ぼす可能性
のある爆破、井戸掘り、採石、土取りの行為を禁ずる。
第五章 水資源配分と節約利用
第四十四条 国務院発展計画主管部門と国務院水行政主管部門が、全国水資源についての広域的な
調達に責任をもつ。全国または二つ以上の省、自治区、直轄市をまたがる水資源中長期供給需要
計画は国務院水行政主管部門と関係部門で作成し、国務院発展計画主管部門が審査認可し、実行す
る。地方の水資源中長期供給需要計画は、県級以上地方政府水行政主管部門と同級関係部門が上位
水資源中長期供給需要計画と当該地区の実情によって作成し、同級地方政府発展計画主管部門が審
査認可し、実行する。
水資源中長期供給需要計画は、水資源需給の現状、国民経済と社会発展計画、流域計画、区域計
画に基づき、水資源の供給と需要の均衡、地域間の均衡、生態保護、節約重視、合理的開発の原則
に従って策定しなくてはならない。
第四十五条 流量調節と水量分配ついて、流域計画と水資源中長期供給需要計画に基づき流域ごと
に水量配分計画を策定する。
二つ以上の省、自治区、直轄市をまたがる地域の水量配分計画と旱魃緊急時の水量調整準備計画
は、流域管理機構と関係省、自治区、直轄市が作成し、国務院あるいは国務院から権限を与えられ
た指定部門が認可し、実行する。その他の行政区域間での水資源配分計画と旱魃緊急時の水量調整
準備計画は、関係行政区域共通の上級地方政府水行政主管部門と地方政府が策定し、同級地方政府
が認可し、実行する。
水量配分計画と旱魃緊急時の水量調整準備計画は、認可の後、関係地方政府が必ずこれを実行し
なくてはならない。
36
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
隣接する行政区域の境界にある河川で水資源開発と利用施設を建設する場合、当該流域の既に許
可された水量配分計画に従い、関係県級以上の地方政府が共通の上級地方政府に報告し、上級地方
政府水行政主管部門あるいは関係流域管理機構が認可する。
第四十六条 県級以上の地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構は、水量配分計画と翌年度予
測水量によって年度水量配分計画と調整計画を策定し、水量の全体的な調整を実施し、関係地方政
府はそれに必ず従わなくてはならない。
国家指定の重要河川・湖沼の年度水量配分計画は、国民経済と社会発展年度計画に組み入れなく
てはならない。
第四十七条 国は水利用に関して、総量管理と定量管理との結合した制度を実施する。
省・自治区・直轄市地方政府関係分野主管部門は当該行政区域内の業務用水定量を作成し、同級
水行政管理部門と品質監督監査行政主管部門が審査同意した後、省・自治区・直轄市地方政府が公
表し、国務院水行政主管部門と国務院品質監督監査行政主管部門に届け出る。
県級以上地方政府発展計画主管部門と同級水行政主管部門が業務用水定量、経済技術条件と水量
配分計画によって定められた当該行政区使用可能水量に基づき、年度用水計画を策定し、当該行政
区域内の年度用水総量について管理する。
第四十八条 直接的に河川・湖沼あるいは地下から水資源を採取する組織と個人は、国家取水許可
制度と水資源有償使用制度の規定に従い、水行政主管部門或いは流域管理機構に取水許可を申請
し、水資源費用を納めた後、取水権限を取得することができる。ただし、家庭生活用水と少数家畜
飲用水の少量取水は除外される。
取水許可制度と水資源費の徴収と管理の実施についての具体的方法は国務院が決定する。
第四十九条 水資源利用は、計量制でもって認可された用水計画に従わなくてはならない。
水資源利用費用は、定量内計量計算と定量超過累進計算制で実施する。
第五十条 各級地方政府は、節水灌漑方式と節水技術の普及を推進し、農業用貯水施設・送水施設
に漏水防止の措置を取り、農業用水利用の効率を向上させなくてはならない。
第五十一条 工業用水は、先進的技術、先進的生産工程と設備を使用し、用水循環利用回数を増や
し、水の利用効率を高めなくてはならない。
国は、技術の遅れた水使用量の大きい工程・設備と製品を廃棄するが、具体的なリストは国務院
経済総合主管部門と国務院水行政主管部門及び関係部門が策定し公表する。生産者、販売者あるい
は使用者は、規定時間内にリストにある工程・設備と製品の生産、販売と使用を停止しなくてはな
らない。
第五十二条 都市地方政府は、地方の実情に従って節水型生活用水器具の普及を推進し、都市水供
給施設の漏水を減少させ、生活用水の利用効率を高めなくてはならない。また、都市汚水の集中処
理を強化し、再生水利用を推進し、汚水再生利用率を高めなくてはならない。
第五十三条 新規建設・増設・改造事業においては節水対策計画を策定し、節水施設を建設しなく
てはならない。節水施設は、主施設と同時設計、同時進行、同時使用を実行しなくてはならない。
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
37
水供給企業と水自給組織は、給水施設の維持管理を強化し、漏水を減少させなくてはならない。
第五十四条 各級地方政府は、住民の飲用水の条件を改善する措置を積極的に取らなくてはならな
い。
第五十五条 水資源施設から供給される用水の使用には、国家規定により供給者に費用を支払わな
くてはならない。水供給価格は、コスト、合理的収益、高品質高価格、公平負担の原則に基づき策
定しなくてはならない。実施計画は、省級以上の地方政府価格主管部門と同級水行政主管部門或い
はその他の水供給行政主管部門が職務権限により策定する。
第六章 水紛争処理と本法律の執行及び監督検査
第五十六条 異なる行政区域間の水事紛争は、協力かつ調和的に解決されなくてはならない。協力
かつ調和的な解決が不可能の場合、上級地方政府が裁定し、関係部門はそれに従わなくてはならな
い。水事紛争が解決される前にあって、双方が協力かつ調和的な同意がない或いは上級地方政府の
認可がない場合、行政区域境界線両側の一定の区域以内に排水、せき止め、取水、貯水の施設を建
設してはならない。また、水利用の原状を変えてはならない。
第五十七条 組織間、個人間、組織と個人間の水事紛争は、協力かつ調和的に解決しなくてはなら
ない。協力かつ調和的な解決が不可能な場合、県級以上の地方政府或いは権限を与えられた指定部
門に協調的な裁定を申請することができる。或いは裁判所に民事訴訟を起こすことができる。県級
以上の地方政府が解決不能の場合、当事者は裁判所に民事訴訟を起こすことができる。
水事紛争が解決されるまで、当事者は一方的に原状を改変してはならない。
第五十八条 県級以上地方政府或いは権限を与えられた指定部門は、随時に水事紛争を処理する臨
時措置を取る権限をもつ。関係者と当事者はそれに従わなくてはならない。
第五十九条 県級以上の地方政府水行政主管部門と流域管理機構は、本法規への違反行為に対する
監督検査を強化し、法律に従い処置しなくてはならない。
水行政監督監査職員は忠実かつ公平に職務を果たし、法律を執行しなくてはならない。
第六十条 県級以上の地方政府水行政主管部門と流域管理機構及び水行政監督監査職員は、本法律
に従い、監督監査を執行する際、下記の措置を取る権限を持つ: ① 検査相手側に、関係規定、許可証、資料などを提出するよう要請すること。
② 検査相手側に、本法律の執行に関する問題について説明を求めること。
③ 検査相手側の生産現場に入って調査すること。
④ 検査相手側に、違法行為を中止し法律義務を履行するように命じること。
第六十一条 関係組織或いは個人は、水行政監督監査職員の監督検査活動に協力しなくてはならな
い。水行政監督監査職員が法律に従い職務を果すことを、拒否または阻止してはならない。
第六十二条 水行政監督検査職員は、監督検査職務を履行するとき関係証明書類について、検査さ
れる組織或いは個人に提示しなくてはならない。
第六十三条 県級以上地方政府或いは上級水行政主管部門は、同級或いは下級水行政主管部門が行
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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う監督検査の職務執行中に、法律違反或いはは職務過失の行為を発見した場合、直ちに期限内に訂
正させなくてはならない。
第七章 法律責任
第六十四条 水行政主管部門或いはその他の関係部門及び水施設管理組織とその職員は、職務を利
用して他人の財産を取得したり、職務責任に反して法律的に適合しない組織や個人に許可証を発行
しかつ審査に対し同意意見を述べたり、水量配分計画に反して水量を配分したり、国の関係規定に
反して不的確な水利用費を徴収したり、監督職務を履行しない或いは違法行為を摘発しないことに
よって重大な結果を招いて犯罪行為になる場合、責任を持つ主管職員とその他直接責任を持つ職員
は、刑事法の関係規定により刑事責任が追及される。刑事処罰にならない場合、法律によって行政
処分を与える。
第六十五条 河川管理範囲内で洪水流出を妨げる建築物・構築物を建設したり、或いは河道の安定
に影響し、堤防の安全に危害を及ぼし、その他河道の洪水流出を妨害する活動は、県級以上地方
政府水行政主管部門或いは流域管理機構が職務権限に従い、違法行為の停止を命じ、期間内に違法
建築物・構築物を撤去し原状に回復させなくてはならない。期間内に撤去しない、原状に回復しな
い場合、強制撤去を行う。その必要費用は、違法組織或いは個人が負担する。さらに、一万元以上
十万元以下の罰金に処する。
水行政主管部門或いは流域管理機構の同意なく、水利施設を建設或いは橋梁の建設、港とその他
の河道を横断しせき止め、河道に隣接する建築物・構築物の建設、河川を横断するパイプ・ケーブ
ルなどの設置に対し、洪水防御法に規定がない場合、県級地方政府水行政主管部門或いは流域管理
機構は職務権限に従い、違法行為の停止を命じ、期間内に関係手続きを完了するよう命じる。期間
内に完成しない、或いは認可が降りない場合、期間内に違法建築物・構築物の撤去を命じる。期限
内に撤去しない場合、強制撤去し、必要費用は違法組織或いは個人が負担する。さらに、一万元以
上十万元以下の罰金に処す。
水行政主管部門或いは流域管理機構の同意がありながら、規定どおり工事を行わない場合、県級
以上地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構は、職務権限に従い期間内に修正を命じる。さら
に、状況の軽重によって一万元以上十万元以下の罰金に処す。
第六十六条 下記行為に対し、しかも洪水防御法で規定がない場合、県級以上地方政府水行政主管
部門或いは流域管理機構は職務権限に従い、違法行為の停止を命じ、期間内での障害物の撤去、或
いは救済措置を命じる。さらに、一万元以上五万元以下の罰金に処す。
① 河川、湖沼、水庫、運河、水路内で、洪水流出を妨げる物体の放置と洪水流出を妨げる樹木
および背の高い作物を植えること。
② 湖沼の埋立てあるいは無許可で河道を占用すること。
第六十七条 飲用水水源保護区域内で汚水排出口を設置した場合、県級以上地方政府が期間内に撤
去と原状回復を命じる。期間内に撤去と原状回復をしない場合、強制撤去により原状回復し、さら
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
39
に五万元以上十万元以下の罰金に処す。
水行政主管部門或いは流域管理機構の同意なしで河川・湖沼で汚水排出口を新設・改造或いは拡
大した場合、県級以上地方政府水行政主管部門あるいは流域管理機構が職務権限に従い、違法行為
の停止、原状回復を命じる。さらに、五万元以上十万元以下の罰金に処す。
第六十八条 国が禁止と公表した水使用量の多い工程・設備と製品を生産、販売或いは使用した場
合、県級以上地方政府経済総合主管部門が生産、販売、使用の停止を命じる。さらに、二万元以上
十万元以下の罰金に処す。
第六十九条 下記行為については、県級以上地方政府水行政主管部門あるいは流域管理機構は職務
権限に従い、違法行為の停止を命じ、期間内に補償措置を取るよう命じる。さらに、二万元以上
十万元以下の罰金に処す。状況が重大な場合、取水許可を取り消す。
① 許可なしでの取水行為
② 認可に基づく許可規定条件に違反しての取水行為
第七十条 水利用費を滞納したり支払い拒否の場合、県級地方政府行政主管部門或いは流域管理機
構は職務権限に従い、期間内に支払うよう命じる。期間内未納の場合、滞納日から一日当り千分の
二の滞納金を加算し、さらに未納金額の一倍以上五倍以下の罰金に処す。
第七十一条 建設事業において節水施設が完成しない、或いは国の規定に適合しないにかかわらず
許可なく使用した場合、県級地方政府行政主管部門或いは流域管理機構は職務権限に従い、使用停
止を命じ、期間内に改正するよう命じる。さらに、五万元以上十万元以下の罰金に処す。
第七十二条 下記行為において犯罪行為になる場合、刑事法関係規定により刑事責任を追及する。
刑事処罰にならない場合、しかも洪水防御法に規定がない場合、県級地方政府行政主管部門或い
は流域管理機構は職務権限に従い、違法行為の停止を命じ、救済措置を取るよう命じる。さらに、
一万元以上五万元以下の罰金に処す。治安管理処罰条例に違反した場合、公安機関が法律に従い治
安処罰を与える。他人に損失をもたらした場合、法律に従い弁償しなくてはならない。
① 水利施設と堤防・河岸関係施設を占拠、破壊し、洪水防御施設、水文観測設備、水文地質観
測施設を破壊すること。
② 水利施設保護区域内で水利施設の運営に影響を与え、水利施設の安全に危害を及ぼす爆破、
井戸掘り、採石、土取りの行為。
第七十三条 洪水防御物資、洪水防御と農業水利、並びに水文観測と測量及びその他の水利施設設
備と機材を強奪または窃盗し、国の救済物資、移住措置とその補償及びその他の水利建設費と物資
を占用して犯罪行為になる場合、刑事法関係規定に従い刑事責任を追及する。
第七十四条 水事紛争の発生及び解決過程の中で紛争を煽り、集団喧嘩、公私の財産強奪、身柄拘
束などの行為があり犯罪になる場合、刑事法関係規定に従い刑事責任を追及する。刑事責任になら
ない場合、公安機関で治安管理処罰を与える。
第七十五条 異なる行政区域間の水事紛争に関し、下記行為がある場合、責任を持つ主管職員とそ
の他直接責任を持つ職員に対し、行政処分を与える。
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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① 水量配分計画と水量調達準備計画を実施しないこと。
② 水量全体調達計画に従わないこと。
③ 上級地方政府の決定に従わないこと。
④ 水事紛争が解決されるまで、合意または許可なしに一方的に本法規定に違反し水の原状を改
変すること。
第七十六条 導水、せき止め、排水時に公共利益或いは他人の合法の利益を損害した場合、民事責
任を負わなくてはならない。
第七十七条 本法規第三十九条の砂採取許可制度に関する規定に違反した場合の行政処罰は国務院
で決定する。
第八章 附則
第七十八条 中華人民共和国が締結或いは参加している国際或いは国境河川・湖沼の関係国際条約
と中華人民共和国法律とが相違のある場合、国際条約を適用とする。ただし、中華人民共和国保留
声明の条項は除外する。
第七十九条 本法規で称する水利施設とは河川・湖沼と地下水源の開発、利用、制御、調達及び水
資源保護に関する各種施設である。
第八十条 海水の開発、利用、保護と管理は、関係法律の規定に従って執行する。
第八十一条 洪水防御活動は「洪水防御法」の規定に従って執行する。
水汚染防止と救済措置は「水汚染防止法」に従う。
第八十二条 本法規は 2002 年 10 月 1 から施行する。
3.3 考察
改訂されたこの新水法についての十分な評価は今後の課題とするが、翻訳を進めていく中で以下
のような点に特に関心を持った。
・水資源として地表水と地下水を対象としている。
・水資源の所有者は国家であり、国務院が国家を代表して行使する。
・生態環境との調和がうたわれている。
・水資源の開発・利用について組織、個人に奨励している。
・国は取水許可制度と有料使用制度でもって管理する。
・節水型社会を目指している。
・流域ごとに流域総合計画と流域専門計画をつくる。総合計画とは、経済社会発展からの要請、
水資源の開発、利用、節約、保護、水害防御についての全体計画であり、専門計画とは洪水防
止、旱魃防止、灌漑、航運(舟運)、水供給、水力発電、筏流し、漁業、水資源保護、水土保
持、砂塵防止、水利用節約などについての計画である。
・計画の制定には、水資源に対する総合科学調査と分析評価の下に行われる。また他の計画(国
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
41
民経済と社会発展計画、土地利用総合計画、都市総合計画、環境保護計画)との調和を図る。
・基本水文資料は公開することになっている。
・重要河川・湖沼の流域総合計画は国務院が認可する。それ以外の河川・湖沼は地方政府が認可
する。
・水資源の開発・利用は「洪水防御の全体計画に従わねばならない」として、洪水防御との調和
を図っている。
・水資源の開発・利用は、まず生活用水の需要を満たすこととしている。その後、農業、工業、
生態環境用水、航運(舟運)の需要を考慮するとなっている。特に干魃地域では、生態環境用
水との調和がうたわれている。
・流域間の導水について規定されている。
・節水と汚水処理再利用が優先されている。
・水資源不足地域では、都市規模の制限と用水消費型の工業、農業、サービス業の発展を制限す
るとしている。
・水力開発、航運(舟運)の推進がうたわれている。
・水利施設建設による水没者に対して、「移民移住計画の策定」が定められている。
・水域の汚染源許容能力を算出することになっている。
・水源枯渇と水汚染防止のための「飲用水水源保護区制度」がある。
・地下水採取禁止区域あるいは地下水採取制限区域を決定できる。
・砂採取許可制度がある。
・水資源中長期需給計画を策定するが、この計画に基づき、流域ごとに水量配分計画を策定する。
また旱魃緊急時の水量調整準備計画を策定する。この水量配分計画と旱魃緊急時の水量調整準
備計画は認可の後、関係地方政府は必ず実行しなくてはならないと規定されている。
・水量配分計画と翌年度予測水量によって年度水量配分計画と調整計画を策定し、水量の全体的
な調整を実施することとなっている。関係地方政府はそれに必ず従わなくてはならないと規定
されている。
・工業用水は、再生水利用が推進され、技術の遅れた水使用量の大きい工程・設備の廃棄が定め
られている。
・水供給価格は、コスト、合理的収益、高品質高価格、公平負担の原則に基づいて定めることと
なっている。
・水利紛争について、協力かつ調和的に解決されなくてはならないとされている。また解決され
なかった時の規定が定められている。
42
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
4、中華人民共和国『取水許可及び水資源費徴収管理条例』
4.1 概要
中華人民共和国では、2002 年 10 月 1 日から『中華人民共和国水法』(以下略称『水法』
)が施行
されたが、この法律に基づく条例として『取水許可及び水資源費徴収管理条例』が 06 年 4 月 15 日
から施行された。同時に 1993 年に発布されていた『取水許可制度実施法』が廃止された。本章では、
新条例『取水許可及び水資源費徴収管理条例』
(以下略称『条例』)を翻訳し、紹介するものである。
『条例』は、
『水法』第四十八条に規定された「取水許可制度と水資源費の徴収と管理の実施につ
いての具体的方法は国務院が規定する」に基づいて制定された。その名の通り、河川・湖沼そして
地下水の取水についての申請・許可の手順を詳細に定めたものである。また水資源の使用、それに
対する費用の徴収についての基本的な考え方を詳しく述べたものである。
『条例』は、次の 7 章 58 条よりなる。
第一章 総則 第一条∼第九条(9 条)
第二章 取水の申請及び受理 第十条∼第十三条(13 条)
第三章 取水許可の審査と決定 第十四条∼第二十七条(14 条)
第四章 水資源費の徴収と使用管理 第二十八条∼第三十七条(10 条)
第五章 監督管理 第三十八条∼第四十六条(9 条)
第六章 法律責任 第四十七条∼第五十七条(11 条)
第七章 附則 第五十八条(1 条)
4.2 取水許可及び水資源費徴収管理条例(全訳)
第一章 総則
第一条 水資源管理と保護、水資源の節約と合理的な開発・利用を促進するため、『中華人民共和
国水法』に基づいて本条例を制定する。
第二条 本条例において取水とは、取水工事或いは施設を利用して直接的に河川・湖沼或いは地下
から水資源を取ることを意味する。
水資源を使用する組織及び個人において、本条例第四条で定められた状況を除き、すべて取水の
許可を申請し、そして水資源費用を納めなければならない。
本条例において取水工事或いは施設とは、水門、堰、水路、人工河道、サイフォン、揚水ポン
プ、井戸及び水力発電所などを指している。
第三条 県級以上の地方政府水行政主管部門は、それぞれの管理権限に従って取水許可制度の作
成・実施と監督管理の責任を負う。
国務院水行政主管部門は、国家指定の重要河川・湖沼に流域管理機構(以下、流域管理機構と略
称する)を設立し、流域管理機構は本条例の規定と国務院水行政主管部門によって与えられた権限
に基づき、それぞれの管轄範囲内で取水許可制度の作成・実施と監督管理の責任を負う。
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
43
県級以上の地方政府では、水行政主管部門、財政部門、価格主管部門が本条例の規定と管理権限
に基づき、水資源費用の徴収、管理と監督の責任を負う。
第四条 以下の状況においては、取水許可を申請する必要がない。
(一) 農村集団経済組織及びその成員による本集団経済組織の溜池・水庫の水の利用
(二) 日常生活及び少数の放牧及び少数の飼育のための少量の取水
(三) 立て坑、工事の実施安全、生産の安全を保障するため臨時的に必要となる水の取(排)水
(四) 公共の安全或いは公共利益に対する危害の除去のための緊急取水
(五) 農業の旱魃と生態及び環境の維持と保護のための臨時的な取水
前款第(二)項に規定した少量取水量は、省・自治区・直轄市地方政府によって定められる。第
(三)項、第(四)項の規定した取水は、県級以上地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構の
記録に掲載されなければならない。第(五)項に規定した取水は、県級以上地方政府水行政主管部
門或いは流域管理機構の同意を得なければならない。
第五条 取水許可は、最初に都市の生活用水を満たさなければならない。同時に農業、工業、生態
環境用水及び水上輸送などの需要を考慮しなければならない。省・自治区・直轄市地方政府は、本
条例で定める職責権限によって、同一の流域或いは区域内で実際の状況に応じて前款各項取水につ
いて具体的な順序を定める。
第六条 取水許可の実施は、水資源総合計画、流域総合計画、水資源中長期需給計画と各区域の水
利用特性に合わなければならない。『中華人民共和国水法』の規定に基づき、許可定量範囲内での
使用と水量配分計画を守らなければならない。未だ水量配分計画を制定していない区域では、地方
政府の間で締結された合意を守らなければならない。
第七条 取水許可の実施は、地表水と地下水を総合的に考慮し水源開発と用水節約を相互に結びつ
け、用水節水の優先を原則とし、使用総量とその管理を互いに結び合わせ実施する。流域内で許可
された総取水量は、本流域水資源の利用可能量を上回ってはならない。行政区域内において許可さ
れた取水総量は、流域管理機構或いはその上級水行政主管部門が通達した本行政区域の供給可能な
取水総量を超えてはならない。
;その中で許可された地下水の使用総量は、本行政区域地下水採掘
可能な水量を超えてはならない。同時に、地下水の開発・利用・計画の要求に合わなければならな
い。地下水開発・利用・計画を作成する場合、国土資源主管部門の意見を求めなければならない。
第八条 取水許可と水資源費徴収管理制度の実施は、公開、公平、公正、効率と国民の利便を図る
原則に従わなければならない。
第九条 いかなる組織と個人すべてにおいて、水資源を節約し保護する義務がある。
水資源の節約と保護に対して貢献のある組織と個人には、県級以上の地方政府から表彰と奨励を
与える。
第二章 取水の申請及び受理
第十条 取水を申請する組織或いは個人(以下申請人と省略する)は、審査と許可の権限を持つ機
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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関に申請しなければならない。多種な水源利用を申請し、かつ各種水源の取水許可審査機関が同じ
ではない場合、その中で最高級の審査機関に申請しなければならない。
取水許可権限が流域管理機構に属する場合、取水口の所在地の省・自治区・直轄市地方政府水行
政主管部門に申請しなければならない。省・自治区・直轄市地方政府水行政主管部門は、申請を受
け取る日から 20 労働日以内に意見を提出し、かつすべての申請資料を含めて流域管理機構に提出
しなければならない;流域管理機構は受け取った後、本条例第十三条の規定に従って処理しなけれ
ばならない。
第十一条 取水の申請として以下の書類を提出しなければならない;
(一) 申請書
(二) 第三者の利害関係に関連する説明書
(三) 記録に掲載されている項目に属する場合、関係記録資料
(四) 国務院水行政主管部門に規定されたその他の資料
開発事業において取水が必要な場合、申請人は事業水資源論証の資格のある部門が作成した開発
事業水資源論証報告書を提出しなければならない。論証報告書には、取水源、用水合理性及び生態
と環境に対する影響などの内容が含まれなければならない。
第十二条 申請書は以下の事項を含まれなければならない。
(一) 申請人名前、住所
(二) 申請理由
(三) 取水の開始時期及び期間
(四) 取水の目的、取水量、年間各月における用水量など
(五) 水源及び取水地点
(六) 取水方式、計量方式及び節水措置
(七) 排水地点と排水中に含まれる主な汚染物質及び汚水処理措置
(八) 国務院水行政主管部門が規定したその他の事項
第十三条 県級以上地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構は、取水申請を受け取った日から
5 労働日以内に申請資料について審査し、また以下の各異なる状況に基づきそれぞれ処理しなけれ
ばならない。
(一) 申請資料が完備しかつ法律に定めた形式と一致する場合、本機関の受理範囲内に属したも
のは受理を行う。
(二) 提出した資料が不完備或いは申請書の内容に不明な点がある場合、申請人に通知し補正さ
せる。
(三) 本機関の受理範囲外のものは、申請人に告知し、受理権限がある機関に申請を提出させ
る。
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
45
第三章 取水許可の審査と決定
第十四条 取水許可は等級に分けて審査する。
以下の取水許可は、流域管理機構によって審査許可される。
(一) 長江、黄河、淮河、海河、滦河、珠江、松花江、遼河、金沙江、漢江の主流と、太湖及び
他の省、自治区、直轄市にまたがる河川・湖沼について、指定された区間での一定量以上
の取水
(二) 国際河川における指定された区域、及び国境河川における一定量以上の取水
(三) 省と省の間の河川と湖沼の一定量以上の取水
(四) 省、自治区、直轄市区域にまたがる取水
(五) 国務院或いは国務院投資主管部門が審査し許可した大型開発事業の取水
(六) 流域管理機構が直接管理している河川区間、湖沼内の取水
前款に述べた指定河川区間、一定限度量及び流域管理機構の直接管理する河川区間、湖沼は、国
務院水行政主管部門によって定める。
その他の取水は、県級以上地方政府水行政主管部門が省・自治区・直轄市地方政府の定めた審査
権限によって審査し許可する。
第十五条 許可した水量配分計画、或いは締結された協議に基づき、流域及び行政区域の取水許可
総量は管理される。
まだ水量配分計画を制定していない、或いは協議を締結していない省、自治区、直轄市にまたが
る河川・湖沼は、関係する省、自治区、直轄市の取水許可総量の管理指標について、流域管理機構
が水資源条件、水資源総合計画、流域総合計画と水資源長期供給計画に基づき、自治区、直轄市の
取水現状及び需給状況を考慮し、関係ある省・自治区・直轄市地方政府水行政主管部門と協議し、
国務院水行政主管部門に申請し許可を得る;特別開発区域をもつ市、県(市)行政区域の取水許可
総量管理指標については、省・自治区・直轄市地方政府水行政主管部門が本省、自治区、直轄市の
取水許可総量管理指標に基づき、各地域の取水現状及び需給を考慮して定め、さらに流域管理機構
に報告し記載する。
第十六条 取水量の審査及び許可は、主に業界用水限定量に基づき用水量を査定する。
省・自治区・直轄市地方政府の水行政主管部門と水質監督検証管理部門は、本行政区域業界用水
限定量の策定に責任を持ち、かつ実施を指導する。
本行政区域業界用水限定量がまだ策定されていない場合、国務院の関係する業界主管部門が策定
した業界用水限度量を参照し実施する。
第十七条 審査機関は取水申請を受理した後、取水申請資料について全面的に審査し、かつ取水が
水資源の節約保護と社会の経済的な発展に与える影響などを総合的に考慮し、申請を許可するか否
かを決めなければならない。
第十八条 審査機関は、取水が社会公共利益に影響すると判断した場合、社会に公表し、聴聞を行
われなければならない。
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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取水が、申請人と第三者との間で重大な利害関係を有する場合、審査機関は許可するか否かを判
断する前に、申請人、利害関係者に通知しなければならない。申請人、利害関係者が聴聞を要求す
る場合、審査機関は聴聞を行わなければならない。
取水申請によって論争或いは訴訟が生じる場合、審査機関は手続き審査の中止を書面で申請人に
通知し、論争或いは訴訟が終了した後、手続き審査を再度行う。
第十九条 審査機関は、取水申請を受理してから 45 労働日以内に許可か否かを決定しなければな
らない。許可を決定する場合、同時に取水申請許可文書を発行しなければならない。
都市計画における地下水の取水申請に対し、審査機関は都市建設主管部門の意見を求めなければ
ならない。都市建設主管部門は、意見資料を受け取った5労働日以内に意見を作成し取水審査機関
に提出しなければならない。
本条第一款に規定した審査期間は、聴聞と関係する部門の意見を求めるための必要な時間は含ま
れていない。
第二十条 以下の事情が一つでもある場合、審査機関は許可を与えないし、不許可を決定すると
き、書面でもって申請人に不許可理由と根拠を通知しなければならない;
(一) 地下水採取禁止区域での地下水の取水
(二) 取水許可総量が取水許可管理総量に達した地区において、取水量を増加しようとする場合
(三) 水利用が、水域における水の各種機能に重大な損害を与える可能性がある場合
(四) 取水、排水の配置が合理的でない場合
(五) 都市公共給水管網が需要を満たしているにも関わらず、開発事業において自ら用意した取
水施設で地下水を取水する場合
(六) 第三者或いは社会公共利益に重大な損害を与える可能性のある場合
(七) 記録に記載する項目に関わらず、記載を申し込んでいない場合
(八) 法律、行政法規に規定したその他事情
許可取水量は、取水工事或いは施設設計での取水量を超えてはならない。
第二十一条 取水申請が審査部門の許可を経てから、申請人は取水事業或いは施設建設を行うこと
ができる。国の審査、許可が必要な開発事業において、取水申請許可文書を未だ得ていない場合、
事業主管部門は当開発事業を許可してはならない。
第二十二条 取水申請が許可された 3 年以内に取水事業また施設事業が始まっていない、或いは国
の審査、許可が必要な工事が未だ国の審査許可を得ていない開発事業においては、申請許可文書は
自動的に失効する。
開発事業中に取水事項に大きな変更がある場合、開発部門は改めて開発事業水資源を検討し、取
水を申請しなければならない。
第二十三条 取水事業或いは施設が竣功した後、申請人は国務院水行政主管部門の規定に従って、
取水事業或いは施設運営試行状況など関係する資料を取水機関に報告し、検査の上合格した場合、
審査機関によって取水許可証を与えられる。
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
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既存の取水事業或いは取水施設を利用する場合、審査機関の審査を経て合格した上で取水許可証
が与えられる。
審査機関は、直ちに取水許可証の発行状況を取水口所在地にある県級地方政府水行政主管部門に
通知し、また定期的に取水許可証の発行状況を公表しなければならない。
第二十四条 取水許可証は以下の内容が含まれなければならない。
(一) 取水組織或いは個人の名称(姓名)
(二) 取水期限
(三) 取水量及び取水用途
(四) 水源類型
(五) 取水・排水地点及び排水方式、排水量
前款第三項に規定した取水量は、河川、湖沼、地下水の多年にわたる平均水量状況に基づき許可
された取水組織或いは個人の最大取水量である。
取水許可証は、国務院水行政主管部門によって統一的に作成し、審査機関は発行した取水許可証
の生産実費だけ受け取る。
第二十五条 取水許可証の有効期限は一般的に 5 年、最長 10 年を越えてはならない。有効期限を
満了し、延長の必要がある場合、取水組織或いは個人は有効期限満了の 45 日前に原審査機関に申
請を行い、原審査機関は有効期限の満了の前に延長させるかどうかを決めなければならない。
第二十六条 取水組織或いは個人が取水許可証に記載している事項を変更したい場合、本条例の規
定に従って原審査機関に申請し、原審査機関の許可を得た上で、変更手続きをとる。
第二十七条 法律に従って取水権を獲得した組織或いは個人が、生産物、産業構造、技術改革、節
水などの調整措置をとって水資源を節約した場合、取水許可の有効期間と取水限度量内において審
査機関の許可を得、法律に従って節約された水資源を有償で譲り、そして原審査機関で取水権の変
更手続きを行う。具体的な方法は国務院水行政主管部門によって定める。
第四章 水資源費の徴収と使用管理
第二十八条 取水組織或いは個人は、水資源費を納めなければならない。
取水組織或いは個人は、許可された年度取水計画に従って取水しなければならない。計画或いは
一定量を超えて取水する場合、計画或いは一定量を超える水量に対して累進的に水資源費を徴収す
る。
水資源費の徴収標準は、省・自治区・直轄市地方政府価格主管部門が同級の財政部門、水行政主
管部門と共同で制定する。そして、同級地方政府に報告し、許可を受け、さらに国務院価格主管部
門、財政部門及び水行政主管部門に報告し、記録に掲載する。そのうち、流域管理機構によって許
可された中央直属及び省、自治区、直轄市にまたがる水利事業の水資源徴収基準については、国務
院価格主管部門が国務院財政部門、水行政主管部門と共同で制定する。
第二十九条 水資源徴収基準は以下の原則を守らなければならない。
48
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
(一) 水資源の合理的な開発、利用、節約と保護を促進する。
(二) 当地の水資源条件と経済社会発展に適応する。
(三) 地表水と地下水の合理的な開発利用を考慮し、多量な地下水の取水を防止する。
(四) 異なる産業と業界を十分考慮する。
第三十条 各級地方政府は、農業用の水利用効率を引き上げ、節水型農業を発展させる措置をとら
なければならない。
農業生産用水の水資源費徴収基準は、当地の水資源条件、農村経済発展状況と農業用水の節約を
促進させるため必要な条件に基づき定める。農業生産用水取水の水資源費徴収基準は、その他の水
資源費徴収基準より低くしなければならない。食糧作物の水資源費徴収基準は、経済作物の水資源
費徴収標準より低くしなければならない。農業生産の水資源費徴収の実施方法と範囲は、省・自治
区・直轄市地方政府によって規定する。
第三十一条 水資源費は、取水審査・許可機関が責任を持って徴収する。そのうち流域管理機構が
許可した水資源費は、取水口の所在地である省・自治区・直轄市地方政府水行政主管部門が代って
徴収する。
第三十二条 水資源費として納める費用は、取水口の所在地にある水資源費徴収基準と実際の取水
量によって確定する。
水力発電用水と火力発電流下式冷却用水は、取水口の所在地にある水資源費徴収基準と実際の発
電量によって金額を納める。
第三十三条 取水審査機関は、水資源費として納める金額を確定した後、取水組織或いは個人に水
資源費を納めるよう通知書を送らなければならない。取水組織或いは個人は、通知書が届いてから
7日以内に納入手続きをしなければならない。
直接的に河川・湖沼或いは地下から水資源を利用して農業生産を行う場合、省、自治区、直轄市
に規定された農業生産用水限度量を超えた水資源の利用に対しては、取水組織或いは個人が取水口
の所在地にある水資源費徴収基準と実際取水量に基づいて水資源費を納める。農業生産用水の限度
量を超えない取水は、水資源費を払わない。給水事業の水を使用する場合、用水組織或いは個人が
実際の用水量に基づいて給水事業機関に費用を納め、給水事業機関によって統一的に水資源費を納
める。水資源費は給水コストとして算定する。
公共利益の需要に応えるため、国が許可した行政区域をまたがる水量配分計画に基づき実施した
緊急調整は、導水された区域の取水組織或いは個人が所在地の水資源費徴収基準と実際取水量に
よって水資源費を納める。
第三十四条 取水組織或いは個人が特別な理由によって期限内に水資源費を払えない場合、水資源
費の納入通知書を受け取った日から 7 日以内に、通知書を発行する水行政主管部門に徴収猶予を申
請する;通知書を発行する水行政主管部門は、徴収猶予申請を受け取った日から 5 労働日以内に書
面に基づき決定を下し、申請人に通知する。期限が満了となりながら決定を下していない場合、許
可と見なす。水資源費の徴収猶予は、最長 90 日を超えてはならない。
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
49
第三十五条 徴収した水資源費は、国務院財政部門の規定に従って中央と地方国庫それぞれに納め
る。水利事業基金を積み立てるため、水資源費からの引き出し、分納について他の規定がある場
合、国務院はその規定に従う。
第三十六条 徴収した水資源費は、全額財政予算に納めなければならない。財政部門によって許可
された部門財政予算は統一的に分配する。主に水資源の節約、保護と管理に用いる、または水資源
の合理的な開発に用いる。
第三十七条 いかなる組織或いは個人において、水資源費の横領、流用をしてはならない。監査機
関は、水資源費の使用と管理に対して監査を強化しなければならない。
第五章 監督管理
第三十八条 県級以上地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構は、本条例の規定に従って取水
許可制度の実施に対する監督管理を強化しなければならない。
県級以上地方政府水行政主管部門、財政部門と価格主管部門は水資源費の徴収、使用状況に対し
て監督管理を強化しなければならない。
第三十九条 年度取水総量は、年度水量配分計画と年度取水計画に基づいて管理され、許可された
水量配分計画或いは締結した協議に従い、実際の使用状況、業種用水限度量、次年度の水量予測を
考慮して定める。
国が指定した重要な河川・湖沼流域の年度水量分配計画と年度取水計画は、流域管理機構と関係
する省・自治区・直轄市地方政府水行政主管部門とが共同で定める。
県級以上各地方行政区域の年度水量配分計画と年度取水計画は、県級以上地方政府水行政主管部
門が一級上の機関である地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構が通達した年度水量配分計画
と年度取水計画に従って定める。
第四十条 取水審査機関は、本地区の次年度の取水計画について、取水組織或いは個人が提出した
次年度の取水計画意見に従い、統一的、総合的均衡、余裕の保留という原則に従って、取水組織或
いは個人に次年度の取水計画を通達する。
取水組織或いは個人が特別な原因によって年度取水計画の調整が必要となる場合、原審査機関の
許可を得なければならない。
第四十一条 以下の状況が一つでもある場合、審査機関は取水組織或いは個人の年度取水量に対し
て規制を行う。
(一) 自然原因により、水資源が本地区の通常供給量を満たさない場合
(二) 水利用により、取水、排水がその区域の生態と環境に厳重な影響を与えた場合
(三) 地下水の採掘が過剰、或いは地下水の採掘によって地盤沈下などの自然災害を引き起こし
た場合
(四)取水量を制限しなければならないその他の特殊な状況が発生した場合
深刻な旱魃が発生した場合、審査機関は取水組織或いは個人の取水量に対して緊急的な制限を与
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
50
えることができる。
第四十二条 取水組織或いは個人は、毎年 12 月 31 日以前に審査機関に本年度の取水状況と次年度
の取水計画を報告しなければならない。
審査機関は、年度ごとに採集地下水の状況報告の写しを同級国土資源主管部門に送らなければな
らない。都市計画区の地下水使用状況報告の写しを同級の都市建設主管部門に送らなければならな
い。
審査機関は、本条例第四十一条第一款の規定に従って取水組織或いは個人の年度取水量に制限を
与える必要がある場合、その措置をとる前に早急に書面で取水組織或いは個人に通知しなければな
らない。
第四十三条 取水組織或いは個人は、国家技術基準に従って計量器機を取り付け、計量施設が支障
なく運行することを保証し、かつ規定に従って取水統計報告表に記入しれなければならない。
第四十四条 2 年連続して取水を停止する場合、原審査機関により取水許可証を廃棄する。不可効
力或いは重大な技術改造等の原因により取水を停止して 2 年を満たした場合、原審査機関の許可を
得た後、取水許可証を保留することができる。
第四十五条 県級以上地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構は、監督検査を行うとき、以下
の措置を取る権利がある。
(一) 調査対象の組織或いは個人に関係する文書、証明書、資料を提出させる。
(二) 調査対象の組織或いは個人に、本条例の関係する問題に対して説明させる。
(三) 調査対象の組織或いは個人の生産現場に入って調査する。
(四) 調査対象の組織或いは個人に対し本条例に違反する行為を停止させ、法律に定められた義
務を履行させる。
監督検査員は監督検査を行うとき、合法的かつ有効的な法律執行のための証明書を提示しなけれ
ばならない。関係する組織或いは個人は、協力しなければならない。かつ監督検査員が職責を履行
することを拒否或いは阻止してはならない。
第四十六条 県級以上地方政府水行政主管部門は、国務院水行政主管部門の規定に従い、直ちに一
級上の水行政主管部門或いは所在流域の流域管理機構に本行政区域前年度取水許可証の発行状況を
送らなければならない。
流域管理機構は、国務院水行政主管部門の規定に従って直ちに国務院水行政主管部門に前年度取
水許可証の発行状況を送り、同時にその写しを取水口所在地にある省・自治区・直轄市地方政府水
行政主管部門に送らなければならない。
一級上の水行政主管部門或いは流域管理機構は、権利以上の取水許可を行っていた場合、取水許
可証による許可総取水量が水量配分計画或いは協議に規定された取水量を超過する場合、年度実取
水総量が通達した年度水量配分計画と年度取水計画を超過するのを見つけた場合、直ちに関係する
水行政主管部門或いは流域管理機構に修正させなければならない。
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
51
第六章 法律責任
第四十七条 県級以上地方政府水行政主管部門、流域管理機構或いは、その他関係する部門及び工
作員による以下の行為の一つでもある場合、その上級行政機関或いは監督機関はこれを修正させ
る。事情の経緯が重大である場合、直接責任を持つ主管理員とその他直接責任を持つ工作員に行政
処分を与える。犯罪となる場合、法律に従って刑事責任を追及する。
(一) 法律の条件に従う取水申請に対して、受理しない或いは法律に決められた期限内に許可し
ない場合
(二) 法律条件に合わない申請人に対し、取水を許可し或いは取水許可書を発行する場合
(三) 審査・許可権限に違反し、取水申請許可文書或いは取水許可証を発行する場合
(四) 取水申請文書を得ていない開発事業に対して、勝手に審査・許可した場合
(五) 水資源費の徴収が規定に従わない、或いは徴収猶予条件に適合しないにも関わらず、水資
源費の徴収猶予を許可した場合
(六) 水資源費の横領、流用する場合
(七) 監督責任を実行しない、違反行為を発見したにも関わらず処置しない場合
(八) その他職権の濫用、職責を軽んずる、情実にとらわれて不正行為をする場合
前款第六項に規定した水資源費の横領、流用は法律に従って徴収する。
第四十八条 許可を得ず無断の取水、或いは許可された取水許可規定条件に適合せず取水する場
合、
『中華人民共和国水法』第六十九条の規定に従って処罰する。他人に妨害或いは損失を与えた
場合、妨害を除去し、損失を弁償させなければならない。
第四十九条 取水申請許可文書を得ないにもかかわらず、無断に取水事業或いは施設を建設する場
合、違法行為を停止するよう命令し期限を与えて関係する手続きを行わせる。期限を超えて手続き
を行わない、或いは手続きが許可されない場合、期限を与えて取水事業或いは施設を取り壊させ、
或いは封鎖させる。期限を越えて取水事業或いは施設を取り壊さない場合、或いは封鎖しない場合
は、県級以上地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構によって取り壊す、或いは封鎖する。そ
の必要な費用は違反行為人が負担し、5 万元以下の罰金に処す。
第五十条 申請人が関係する状況を隠蔽する、或いは偽りの資料を提供し取水申請許可文書或いは
取水許可証を騙し取る場合、取水申請許可文書或いは取水許可証は無効となる。そして申請人に警
告し、期限を定めて納付すべき水資源費を納めさせ、2 万元以上 10 万元以下の罰金に処す。犯罪
になる場合、法律に従って責任を追及する。
第五十一条 審査機関による決定された取水量制限の執行を拒否する場合、或いは許可を得ないに
も関わらず無断で水利権を譲った場合、違法行為を停止するよう命令し、期限を定めて修復させ、
2 万元以上 10 万元以下の罰金を与える。期限を超えて修復を拒否する、或いは状況が重大である
場合、取水許可証を取上げる。
第五十二条 以下の行為の一つでもある場合、期限を定めて修復させ、5000 元以上 2 万元以下の
罰金に処す。状況が重大な場合は取水許可証を取り上げる。
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
52
(一) 年度の取水状況について規定に従わない報告をした場合
(二) 監督検査を拒否する、或いは偽って騙す場合
(三) 排水水質が規定要求に達してない場合
第五十三条 計量器機を取り付けていない場合、期限を定めて取り付けさせ、一日最大取水能力に
よって計算した取水量と水資源費徴収基準に従って水資源費を徴収する。また、5000 元以上 2 万
元以下の罰金を与える。かつ状況が重大な場合は取水許可証を取り上げる。
計量施設が不合格或いは稼動が正常ではない場合、期限を定めて取り替えさせ或いは修繕させ
る。期限を越えて取替えない、或いは修繕しない場合、一日最大取水能力によって計算した取水量
と水資源費徴収基準に従って水資源費を徴収する。かつ、1万元以下の罰金を与え、状況が重大な
場合は取水許可証を取り上げる。
第五十四条 取水組織或いは個人が水資源費の納付を拒否する、或いは納付日を引き延ばす、また
は期限になっても納付しない場合、『中華人民共和国水法』第七十条規定に従って処罰する。
第五十五条 水資源費、取水許可証費の徴収規定に違反する場合、価格主管部門により法律に従っ
て処罰を与える。
第五十六条 取水申請許可文書と取水許可証の偽造、書き直し、濫用する場合、違法行為を停止す
るよう命令し、法律違反して得た所得と不法財産を没収し、2 万元以上 10 万元以下の罰金に処す。
犯罪になる場合、法律に従って刑事責任を追及する。
第五十七条 本条例に規定した行政処罰は、県級以上地方政府水行政主管部門或いは流域管理機構
が規定の権限に従って決定する。
第七章 附則
第五十八条 本条例は 2006 年 4 月 15 日から施行する。同時に 1993 年 8 月 1 日国務院発布の『取
水許可制度実施法』を廃止する。
4.3 考察
新たに制定された『取水許可及び水資源費徴収管理条例』について翻訳し紹介したが、この中で
特に注目すべきことは、
『条例』第二十七条に規定されている水資源の有償制度である。
この制度では、取水権を得た組織或いは個人が技術改革ないし節水などの措置により水資源に余
裕を得た場合、行政審査機関の許可を得て、その水資源を有償で譲渡できると定められた。さらに
本条例の解説によると 、その譲渡価格は「譲渡双方の自らの意志に基づき取引した価格」とされ
12)
ており、行政機関によって定められた水資源費ではない。つまり譲渡間の間で取水権の売買を行う
のであり、将来的に「水マーケット(市場)」の誕生が考えられる。
その他注目すべきことは以下のことである。
・ 審査・許可機関(行政)による河川の利用可能水資源量は、河川の平均流量に基づいて行われ
ることとなっていて(第二十四条)、10 年に 1 回の渇水量を基本とする日本と異なっている。当
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
53
然、平均流量より下回る年度はしばしば生じるが、その時は取水を許可した機関によって緊急的
な取水制限が行われることとなっている(第四十一条)。水不足に対する調整について、日本と
比べ行政の権限が極めて大きいことが分かる。
・ 『水法』では、第二十一条で「水資源の開発・利用は、都市と農村住民の生活用水の需要を最
初に満たし」となっているが、『条例』では第五条で「最初に都市の生活用水を満たさなければ
ならない」と、都市の生活用水の確保が第一に置かれている。その背景として、『水法』が制定
された 2002 年より一層、都市における水需給の逼迫が想定される。
・ 一方、農業(生産)用水について『条例』第三十条で、他の水資源費より低くすることが規定
されている。特に食糧作物の水資源費は、経済作物より低くすることが定められている。また第
三十三条で、農業(生産)用水限度量を超えない取水は水資源費を払わないとなっていて、価格
においては農業は優遇されている。
・ 取水を申請する場合、
「排水地点と排水中に含まれる主な汚染物質及び汚水処理措置」も申請
書に記載しなくてはならないとあり(第十二条)、取水と排水とを一体的に管理しょうとしてい
る。
・ 大規模な開発事業が盛んに行われている今日の状況を踏まえ、事前に取水を申請し許可を得て
おくよう詳細な規定が定められている
おわりに
中国の水資源政策についてはかなり以前から興味をもち、少しずつ資料を集めていた。しかし中
国語の資料については、自ら正確に翻訳するのは不可能であり、どうしたらよいのか思案してい
た。ところが筆者のゼミに多くの中国人留学生の参加を得、彼らの協力によって『水法』
、
『条例』
の翻訳を進めていった。さらに『台湾水利法
』についても翻訳を行った。特に、唐頌軍君、秦聡
13)
さんには多大な協力を得た。
また 10 年近く、北京の水問題を追いかけていたが、北京出身の留学生・趙揚さんが卒論で取り
扱ってくれ、さらに新たな知見も得た。
これらの研究成果は、以下の論文として発表していたが、さらに再度、本テーマの下に整理し一
つの論文としてまとめたものである。
○ 松浦茂樹・唐頌軍:
「中華人民共和国水法」(『水利科学 No.278』、財団法人水利科学研究所、2004 年)
○ 松浦茂樹:
「北京の水危機・遼寧省水資源計画と中国水法」(『中国水利史研究第 36 号』、中国水利史研究会、
2007 年)
○ 松浦茂樹:
「中華人民共和国『取水許可及び水資源費徴収管理条例』」((『水利科学 No.303』財団法人水利科
学研究所、2008 年)
○ 松浦茂樹・趙揚:
「中国・北京の水問題」((『水利科学 No.309』、社団法人日本治山治水協会、2009 年)
54
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
注釈
1)国際基準では、一人当たり水資源量が 1700m より少ない場合は非常に不足と判断される。
3
2)頤和園にある昆明湖は、大湖、西湖、後湖の 3 つに分かれる。その面積は 3000 ムー(1.99km )である。な
2
お昆明湖には、2004 年から京密引水渠の水が導入されている。
3)姜文来『水資源価値論』中国科学出版社 1998 年、p.235
4)審査・許可機関(行政)による河川の利用可能水資源量は、河川、湖沼、地下水の多年にわたる平均流量
に基づいて行われることとなっていて(「取水許可及び水資源費用の徴収管理条例」第二十四条)
、10 年に 1
回の渇水量を基本とする日本と異なっている。当然、平均流量より下回る年度はしばしば生じるが、その時
は取水を許可した機関によって緊急的な取水制限が行われることとなっている(「取水許可及び水資源費用の
徴収管理条例」第四十一条)
。水不足に対する調整について、日本と比べ行政の権限が極めて大きいことが分
かる。
5)出典 劉延愷「北京城と水の淵源」(パワーポイント)を元に作成
6)出典:http://dili.cpedu.net/tuku/kongbaitu/C1/caitu/
beijingshipingyuanqudixiashuimaishenguochengxian.jpg
7)詳細については岳・竹内・松浦「中国遼寧省の水資源の現状と将来計画」、『にほんのかわ 108 号』2005 年、
を参照のこと。主要参考文献は以下のとおりである。
中遼寧省計画委員会 1992 年版 「 遼寧国土計画総合巻、専題巻 」
遼寧省建設庁 2000 年 「 遼寧省二〇〇〇年城市建設統年報 」
遼寧省副省長趙新良 2000 年 「 関于遼寧省人口、資源与環境情報的通報 」
政協遼寧省委員会人口資源環境委員会 2000 年 「 政協遼寧省委員会八届九次常委会文件 」
遼寧省水利庁 2000 年 「 遼寧省水資源問題報告提綱 」
8)水量平均衡法によるとされているが、詳細はわからず。
9)しっかりした水利施設がなく、無秩序に行われている農業用の水利用と思われる。
10)旧法については、
『水利科学 NO.181』(財団法人水利科学研究所、1988 年)に佐藤俊郎「中国『水法』の公
布について」
、および『水利科学 No.187』(1989 年)に孫峰根・榧根勇「中華人民共和国水法について」が報
告されている。
11)この法律については、松浦「中国の『洪水防御法』」(『国際地域学研究第 6 号』東洋大学国際地域学部 2003 年)を参照のこと。
12)参照文献、松浦「中華人民共和国『取水許可及び水資源費徴収管理条例』」((『水利科学 No.303』財団法人
水利科学研究所、2008 年)
13)松浦「台湾水利法」
(
『水利科学 No.292』財団法人水利科学研究所、2006 年)
主要参考文献
・劉延愷「北京城と水の淵源」
『中国水利史研究』第 36 号、中国水利史研究会、2007 年
・李代鑫 『中国水利現代化論』2007 年
・
『中国水資源公報』中華人民共和国水利部、2006 年
・廖永松『中国的灌漑用水』2006 年
・
『中国可持続発展水資源戦略研究報告集第一巻』中国水利水電出版社、2001 年
杜衛平・李紅剛 北京水務(2006 年第 3 期)
・http://scholar.ilib.cn/Abstract.aspx?A=bjsl200603002(2008 年 07 月 29 日)
全球最大中文百科全書(2008 年 9 月 14 日)
・http://baike.baidu.com/view/294728.htm(2008 年 10 月 16 日)
・http://sohu.easytour.com.cn/travel/Scene-209.aspx(2008 年 10 月 18 日)
松浦:中国の水資源政策と『水法』『取水条例』
・大百科・天文地理(2000 年)
・http://www.cycnet.com/encyclopedia/astro/tourism/beijing/991117069.htm(2008 年 11 月 20 日)
・人民日報(2008 年 11 月 21 日)
・http://www.ce.cn/xwzx/gnsz/szyw/200811/21/t20081121_17453689.shtml(2008 年 12 月 05 日)
55
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
56
The Water Resources Policy and the Water Law, the Water Intake Regulations
in the People s Republic of China
Sigeki MATUURA
China is undergoing a rapid economic growth at an amazing pace, particularly
in the coastal areas, but problems associated with water resources have turned out
be a major bottleneck. In the 2008 Beijing Olympic Games, too, water supply was
a major challenge. At present, Save Water signs can be seen everywhere along the
thoroughfares and alleys in Beijing, capital of China.
This paper first looks at the water problems facing Beijing and the measures
being taken to address those problems and then at the water resources plan of Liaoning
Province. After that, this paper presents the translations of the Water Law, which
came into effect on October 1, 2002, and the Regulations of Water Intake Permission
and Collection Management of Water Resources Costs, which came into effect on
April 15, 2006, and discusses the characteristics of the water resources policy in the
People s Republic of China.
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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高度経済成長時代の河川政策
松 浦 茂 樹
*
1、はじめに
2009 年 8 月 30 日の衆議院総選挙に大勝利した民主党は、その政権公約(マニフェスト)に利根
川水系八ツ場ダム(群馬県)
、球磨川水系川辺川ダム(熊本県)などの建設中止を掲げ、その実施
に移そうとしている。現在、これまで推進してきた勢力とどのように調整が図られていくか、重要
な課題となっている。
それに先立ち、1990 年代には長良川河口堰反対運動が社会から注目を浴び、2000 年には吉野川
第十堰改築事業に対して徳島市で住民投票が行われ改築反対が多数となった。さらに近頃では、淀
川水系で進められてきた大戸川ダム(滋賀県)が流域内府県知事から建設反対の表明がなされた。
国が推進してきた河川事業が、地域社会から反発され、受け入れられなくなってきているのであ
る。
ここで注目すべきことは、これらの計画は高度経済成長時代に、あるいは高度経済成長に備えて
計画された事業であることで、これらの事業が従来型公共事業として厳しい批判にさらされている
のである。その理由として、社会経済の基調が根本的に変化しながらも高度経済成長時代の枠組み
に縛られて社会基盤の整備が行われていることを否定できないだろう。では、高度経済成長の枠組
みとは一体具体的に何なのだろうか。またそれは、継承すべきものは全く存在せず、すべて完全に
否定されるものと評価してよいだろうか。であったら、なぜそのような施策が展開されたのだろう
か。このことを明確にして、今後の社会基盤政策の展望が図られると考えている。
以上のことを念頭において昭和 40 年代(1965∼1974)の河川事業について、建設省「国土建設
の現況」
、いわゆる建設白書を主要な資料として計画面を中心に論じていく。昭和 40 年代の河川行
政の大きな流れは、表 1 に示す。その前に昭和 40 年代およびその前後の社会状況を簡単にみよう。
昭和 30 年代中頃から本格的に始まった高度経済成長は、昭和 40 年(1965)不況で一時、足踏み
したが短期間に立ち直り、太平洋ベルト地帯の臨海部における重化学工業を中心に進展していっ
た。この高度経済成長が一つの大きな壁にぶつかったのが、昭和 48 年(1973)の石油ショックで
あった。これ以降、社会経済は安定成長時代に入り、人々の求める価値も心の潤い、精神的な豊か
さへと移行していったといわれる。
果たして 1990 年前後のバブル経済に踊った後の今日からみて、人々の価値がどこまで変わった
*
東洋大学国際地域学部;Faculty of Regional Development Studies, Toyo University
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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表 1 40 年代の河川行政
河川行政
河川周辺の社会状況
第二次治水五ヶ年計画(S40)
公害対策基本法(S42)
第三次治水五ヶ年計画(S43)
新全国総合開発計画(S44)
水質汚濁防止法(S45)
広域利水調査第一次報告(S46)
環境庁設置(S46)
第四次治水五ヶ年計画(S47)
日本列島改造論出版(S47. 6)
琵琶湖総合開発特別措置法(S47)
田中角栄内閣成立(S47. 7)
流況調整河川制度の創設(S47)
広域利水調査第二次報告(S47)
石油ショック(S48)
水源地域特別措置法(S48)
国土庁設置(S49)
国土利用計画法(S49)
田中角栄退陣(S49. 12)
のか大いなる疑問がある。ただ石油ショックを境に、社会経済の基調が変化したことは否定できな
いだろう。経済は、鉄鋼・石油化学・造船等の重化学工業から自動車・工作機械・エレクトニクス
等の技術集約型の機械・電気産業へと重心を移していった。
「国土づくり」においても、その基調に大きな変化が現れた。昭和 44 年(1969)に策定された新
全国総合開発計画は「豊かな環境の創造」を旗印に、新幹線・高速自動車道等のネットワークの整
備、これを基礎条件として大規模プロジェクトを実施しようというものであった。「国土づくり」
の構想・計画面において、新全総ほど気宇壮大なものはないだろう。開発可能性を全国土に拡大・
均衡しようとしたのであり、明治期につくられたインフラに代わり、21 世紀に向かっての新たな
インフラの整備が議論されていた。その社会背景には経済の高度成長がある。ちなみに経済規模
は、昭和 40 年からの 10 年程で、国民総生産(実質)でみると約 2 倍となった。
一方、昭和 52 年(1977)に策定された三全総では、「国土の資源を人間と自然との調和をとりつ
つ利用し、健康で文化的な居住の安全性を確保しその総合的環境の形成を目指す」と、人間居住の
総合的環境の整備が基本目標とされた。市民一人一人が日常的に接し、人々の真の豊かさ、潤いが
実感できる空間が期待されたのである。
2、昭和 40 年当時の河川行政の課題
昭和 30 年代後半は、例年のように襲われていた戦後の大水害が終了し、日本経済が本格的な高
度経済成長時代に突入した時代である。臨海部を中心に重化学を基軸とした工業開発が進展し、昭
松浦:高度経済成長時代の河川政策
59
和 35 年(1960)には所得倍増計画が策定されて太平洋ベルト地帯に人口は集中し始めていた。こ
の地域では著しい都市化が生じ、過密が大きな課題となった。
この時までの治水の整備についてみると、昭和 28 年(1953)の西日本を中心にした大水害は国
民に多大な損害と不安を与えた。政府は内閣に「治山治水協議会」を設置して抜本的な治水計画の
検討に入り、
「治山治水基本対策要綱」を策定した。この後も毎年のように大水害が引き続いた。
このため遂に昭和 33 年、2 年後の 35 年から治水事業五ヵ年計画の実現を図るという閣議了解がな
された。その予算規模についての関係各省間で議論が行われている最中の 34 年、伊勢湾台風が中
部日本を襲い、5 千人余の死者を出す未曾有の大水害が発生したのである。
これを契機に議論は急速に進み、「治水事業十箇年計画」の投資規模が定められ、この計画を法
律に基づく公式の計画とするため、昭和 35 年には「治山治水緊急措置法」が成立した。また別途
「治水特別会計法」が定められ、治水事業の経理が特別会計に整理されることになったのである。
「治山治水緊急措置法」の成立は、計画的な治水事業の進展についての重要なエポックであったが、
さらに 36 年、災害対策基本法が制定されて総合的な防災体制の確立が図られた。
一方、全国総合開発計画は昭和 37 年に閣議決定となり、新産業都市・工業整備特別地域による
拠点開発方式によって開発が促進された。そのボトルネックとして港湾・道路の交通基盤とともに、
都市用水の確保が重要な政策課題となった。このため社会経済の本格的な高度成長を前に、長期
的・広域的な水資源開発計画の樹立と、それに基づく先行的な水資源の確保を目的として、36 年
に水資源開発促進法・水資源開発公団法が制定されたのである。
この当時、都市用水の需要に供給が追いつかず、各地で水不足に見舞われたり、あるいは地下水
過剰汲み上げによる地盤沈下が進行した。東京では、昭和 30 年代、慢性的な水不足となり、地盤
沈下が急速に進んだが、特に東京オリンピック直前の 39 年夏、節減目標 50%の第 4 次給水制限と
なって、東京サバクと呼ばれるほど社会に深刻な影響を与えた。
ところで多目的ダムは、複数の利用者によって共同で建設され、完成後は共同で維持管理され
る。しかし、建設主体、建設・管理費用分担、管理規定等について、旧河川法では十分対処するこ
とができなかった。この課題の解決のため、昭和 32 年に特定多目的ダム法が制定され、多目的ダ
ムを河川法にもとづく河川工事であり、河川付属物であるとの法制上の根拠を与えた。しかし明治
29(1896)年の旧河川法との関係では特例扱いとなっており、この根本的解決には河川法の改正を
待たなければならなかったのである。
河川法は、昭和 39 年に全面改正となった。68 年経っての全面改正であったが、この間には社会
経済、また河川の状況も大きく変わり、治水・利水の両面から全面的に見直されたのである。改正
の主要な課題は、
「河川管理の明確化」、「水系一貫の治水計画」、「水系一貫の水利行政」
、
「ダムの
建設・管理」であった。
一方、河川の汚濁についても戦後復興とともに進行し、昭和 33 年度から隅田川の浚渫事業、翌
年度から淀川汚濁対策事業が着手された。都市河川の汚濁の防止について、公共下水道、都市下水
路網の大幅な整備と工場排水の除害施設の設置とともに、河底汚濁物の浚渫、浄化水による掃流等
60
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
の対策が始められつつあった。
3、治水五ヶ年計画にみる河川計画の進展
3.1 昭和 40 年策定の第二次治水五ヶ年計画
戦後治水行政担当者が強く要望していた長期投資計画(長期計画)は、治水治山緊急法に基づき
「治水事業十箇年計画」として昭和 35 年(1960)に策定された。この 10ヶ年の治水投資規模は 9,200
億円で、これを前期 5ヶ年(4,000 億円)、後期 5ヶ年(5,200 億円)と 2 期に分けて行う計画であっ
た。さらにこの「計画に基づく工事に関する経理を明確にするため」、治水特別会計が緊急措置法
と同時に設置されたのである。この特別会計の目的は「10ヶ年計画の事業のうち、直轄事業の経理
を行うことを本旨とし、合わせてその他の直轄事業、および治水事業に関する補助金の経理を行う
こと」である。
昭和 40 年 8 月、この治水事業十箇年計画が改訂され、新たな治水事業 5ヶ年計画が閣議決定さ
れた。これにより、治水事業十箇年計画規模を大きく上回る新たな事業計画が定められたのであ
る。昭和 35 年以降の急激な経済の高度成長に基づく国家予算の著しい拡大により、前期 5ヶ年で
は、既に計画額の 18%を上回る 4,317 億円の投資が行われていた。治水事業十箇年計画が、国の公
共投資額の増大等の社会変化に対して実情に合わなくなったのである。
この当時の治水の状況について、昭和 40 年建設白書は次のように認識している。
治水事業の性格については、国民の生存と産業経済の基盤を確保し、単に水害を軽減・防止する
だけでなく、流域の土地利用の高度化と開発に資するもっとも基幹的な公共事業と規定する。これ
までの治水事業の成果については、昭和 21 年∼38 年水害による人的・物的被害の推移と国民所得
の平均値に対する被害額の平均値を示して、「近年減少の一途をたどっている」と評価する。しか
しアメリカとの比較でみると、まだまだ非常に劣り、さらに一層の治水施設の必要性を論じている
(表 2)
。
治水施設資産ついては、治水施設資産額と国民総生産の比較を行い、高度成長に起因した被災可
能資産の急テンポな膨張に対して治水施設資産額の伸びが劣っていると、とらえる。なお、このと
きの氾濫の可能性のある想定氾濫区域内には全人口の 40%にあたる約 4000 万人が集中し、そこで
の生産所得は約 9,100 億円で全国の約 44%にあたっていると評価する。
国による可能投資額の大きな状況の変化の下に新たな治水事業 5ヶ年計画は定められたが、この
計画はそれまでの治水事業十箇年計画とは異なる考えの下で作成された。その目標は「わが国の社
会経済の進展に即応して国土の保全と開発を図り、国民生活の安定と向上及び産業基盤の強化に資
するため、全国的にも均衡のとれた治水施設の整備強化を図る」ことである。その基本立場は次の
ようである。
「全国的長期的な視野から、将来における治水対策上必要な施設を河川の重要度に応じて均衡の
とれた安全度(重要水系としては基本高水の年超過確率を原則として 1/50 以上、その他の水系に
松浦:高度経済成長時代の河川政策
61
表 2 水害被害額の国民所得に対する比率の比較 (単位:%)
期 間
日 本
アメリカ
昭 22∼31
4.68
0.120
23∼32
3.78
0.117
24∼33
3.27
0.111
25∼34
3.21
0.108
26∼35
2.67
0.100
27∼36
2.40
0.072
28∼37
2.14
0.064
29∼38
1.89
−
出典)
「昭和 40 年度版 国土建設の現況」建設省
ついては原則として既往第 2 位の出水程度以上をそれぞれ計画の規模とする)を確保し・・・・」
これでみるように、河川計画の基本高水はこれまでのように既往の出水ではなく、確率計算で求
めた流量を対象とした。その大きさは重要水系については 1/50、その他の水系については既往第二
位の出水程度としたのである。また第二次五ヶ年計画の実施目標は次のようであった。
「根幹となる事業について、昭和 40 年以降、重要水系については、おおむね 12 年間で、その他
の水系についてはおおむね 15 年間でそれぞれ完了することを目途とし、特に緊急を要する事業を
第一期の 5ヶ年計画に実施するもの。」
また、特に緊急を要する事業として、次のことを掲げている。
(イ) 重要水系の河川改修、多目的ダムの建設および砂防
(ロ) 農業構造改善事業、新産業都市その他の地域総合開発事業等に関連して必要となった各種治
水事業
(ハ) 用水需要がひっ迫している重要地域における水資源の開発(多目的ダム、河口堰の建設およ
び湖沼の開発)
(ニ) 近年多発する局地的集中豪雨に対処するための中小の河川改修、砂防ダムの建設および地す
べり対策
(ホ) 急速に発展する市街地および砂防
(へ) 重要臨海地域における河川の高潮対策
(ト) 流域の発展に伴う内水被害の増大に対処するための低地地域における排水ポンプ、樋門など
の整備その他の内水排除対策
なお 40 年建設白書は、早くも新しい長期構想の作成にとりかかっていることを論じている。そ
の目標は、国民総生産に対する被害額をアメリカ並みにすることである。全国的に均衡のとれた治
水施設の整備強化を図るよう投資することにより、当時の計画の全事業完了時において、国民総生
産に対する年被害額の平均比率を、ほぼ米国のそれに接近させることが可能であると推定した。
62
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
3.2 昭和 43 年策定の第三次治水事業五ヶ年計画
第二次五ヶ年計画の見直し、新長期構想の策定について、昭和 41 年(1966)の建設白書は次の
ように述べている。
「最近の社会経済の発展に伴う流域の開発の飛躍的な進展、国民資産の増大、さらには産業構造
の高度化等の経済条件の変化は、河川行政上新たな問題を発生しつつある。すなわち、治水面にお
いては流域の開発が、最近における水害の実態にみられるように、その被害をいっそう激化させて
いる事情にかんがみ、臨海地域の海岸保全等とともに治水事業をいっそう拡大強化する必要が増大
している。また、利水の面については、鉱工業の飛躍的な発展、農業構造改善等の産業構造の高度
化、生活水準の向上は、先に述べたように鉱工業用水、都市用水など各種用水の需要をいちじる
しく増大し、用水の需要事情を極めてひっ迫した事態においている。さらに砂利対策、河床低下対
策、汚濁対策、河川敷地の公共利用の増進等、国民経済上また国民生活上緊要な問題が多々存在す
る。
」
高度経済成長の進展による流域の著しい変貌、それによる水害の激化、また工業用水・生活用水
の急激な需要の増大を訴えるのである。ここに、ダイナミックに進行する高度成長による社会変化
への対応が求められていたことがわかる。その背後には、国家予算の急激な伸びがある。水需給に
ついては、昭和 41 年度から新たに広域利水調査をスタートさせ、需給面からの計画的な対応の検
討が始まった。
具体的な実行計画である五ヶ年計画について、同白書は次のように述べている。
「現行五ヶ年計画の大幅な繰りあげ試行が必要であるし、さらに、その基本である治水長期計画
を、新しい局面にたった長期的な社会経済の展望およびこれにもとづく地域政策等と即応しうるよ
うにこれを再検討し、すくなくとも 20 年後においては、国民総生産に対する水害による年被害額
の平均比率を、ほぼ欧米諸国のそれに接近させる程度に治水施設の整備ができるようにこれを改訂
することが必要であろう。
第 2 に、水資源の利用開発については、水の包蔵量、地域開発事業に伴う長期的な水需要の見通
しなどについて質的にも量的にも細かい調査、分析を行ない、それに応ずる水利体系の在り方等も
検討し、広域的な利水に関する計画の基本を確立し、これにもとづき有効な開発利用を進め、既得
水利を安定し、維持用水および社会経済情勢に応ずる必要水量を確保する考えである。」
このように、治水については、年被害額の国民総生産に対する平均比率を欧米諸国に匹敵する施
設の整備を目的とする。また水資源の利用開発については、広域的な利水計画を確立し、それに基
づいて開発利用していくことが主張されたのである。
またこの昭和 41 年建設白書では治水の成果について、35 年以降最近の五ヶ年計画の平均被害額
は 1,400 億円を大きく下まわっている、このことは、年々の気象条件に左右されながらも、治水施
設の整備拡充の成果が大きいことを示すものと述べる。さらに治水施設整備の現況については、図
1 による国民総生産に対する治水粗資産額の割合で検討し、それの年々の減少を指摘し治水施設の
整備拡充を主張した。
松浦:高度経済成長時代の河川政策
63
続く昭和 42 年の建設白書でも「昭和 43 年度を初年度とする新治水事業 5ヶ年計画を策定し、抜
本的に事業の推進をはかる考えである」と、新治水事業 5ヶ年計画の策定を論じる。その計画内容
については次のように述べている。
「生活水準の向上と産業の高度化に即応して、治山、治水を総合した観点から、重要水系を中心
として調和のとれた施設拡充を推進するとともに、土地利用の規制、誘導策とあわせて、国土の利
用開発に先行して計画的に行うよう努力する。とくに、都市化の進展など流域の開発が進んでいる
地域における中小河川の整備と内水排除、都市地域における水質汚濁防止事業を推進する。また、
治水施設の整備に際しては、河川を利用しやすい状態にたもつため、河床と流況の安定をはかるな
ど、利水の観点にも十分配慮する。」
ここで注目すべきことは、治水施設について「国土の利用開発に先行して行うよう努力する」と、
開発に先行して整備するものと位置づけていることである。また「利水の観点にも十分配慮する」
と主張されている。
昭和 43 年 3 月 22 日の閣議了解をもって治水事業五ヶ年計画は、43 年度を初年度とする第三次
五ヶ年計画に拡大改訂された(閣議決定は昭和 44.3.25)。その投資規模は前計画の 85% 増の 2 兆
500 憶である。昭和 43 年建設白書では、改訂の理由について次のように述べる。
「昭和 30 年代から 40 年代へかけての高度の経済成長により、人口が都市に集中し、農村部人口
が減少する等、わが国経済社会は大幅にその構造を変えつつあるが、これにともない、つぎに述べ
るとおり河川流域の社会環境も大幅に変化してきているので、国土を水害から守るとともに水資源
利用の増進をはかる治水事業もこれら河川流域の社会的条件の変化に即応し、施策の強化を講じな
ければならない状況にある。
」
先述したように、この改訂は高度成長による過疎過密の著しい進行による河川流域の変化に治
水・利水面から対応しようとしたのである。都市化の進行について、同白書は次のように述べる。
「氾濫区域では人口・資産の集中があり、全国想定氾濫面積(305 万 ha で全国土の 9.9% 全国適
住地面積の 37.2%)に全人口の 51.2%にあたる 5,040 万人が、国富の約半分にあたる約 47 兆 9 千億
図 1 国民総生産と治水粗資産との関係
注)治水粗資産は経済審議会社会資本分科会資
料による治水施設ストック(35 年価格)国
民総生産は新推計(35 年価格)
出典)「昭和 41 年国土建設の現況」建設省
64
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
円の資産が集まった。このため 35 年と比較し氾濫区域の重要性が増したが、今後もこの傾向は続
くだろう。これに対し治水施設の整備は、国富に対する治水資産に対する割合でみるように、最近
は低下する傾向にある。このため『治水施設の安全度をより向上されるよう整備の促進をはかる』
ことが重要である。
」
第三次治水五ヶ年計画の具体的な長期構想としては次のように述べる。
「治水事業の全体構想としては将来におけるわが国の経済および国民生活の水準を前提として、
これにふさわしい国土の姿をえがき、国土保全施設、水資源開発施設の調和のとれた整備が行われ
ることを目標とし、
1、流域の人口、資産等の増大に対応して治水の安全度の向上を図る。特に、都市およびその周辺
地域の河川については、積極的な治水対策を行なう。
2、将来における流域の開発に伴う洪水流出量および流出土砂量の増大、異常集中豪雨等による局
地的な災害等についても十分配慮する。
3、増大する水需要に対処するため、洪水調節とあわせて水資源開発のための多目的ダムを計画す
る。
」
その重点施策として次の 6 つが挙げられる。
①国土保全上、国民経済上重要な水系の河川改修、ダム建設、砂防事業の計画的推進
②中小河川とくに都市河川の整備
③局地的集中豪雨に効果ある治水ダムの建設
④土石流対策の促進
⑤多目的ダム、河口堰、湖沼開発施設等の建設による広域的水資源開発
⑥重要地域の高潮対策、河川汚濁対策の強化
水資源開発をその重点目標としているのが第三次五ヶ年計画の特徴であるが、大規模湖沼開発で
ある琵琶湖及び霞ヶ浦の水資源開発に向けて実施調査に入ったのが、昭和 43 年度である。
治水の計画規模(安全度)についてみると、重要水系で基本高水の年超過確率を 1/100∼1/200 に、
その他の水系については 1/50 以上と、これまでの計画規模よりかなり大きいものが計画の対象に
置かれた。
ところで、新全国総合開発計画が閣議決定されたのは、昭和 44 年 5 月 30 日である。これに約 2ヶ
月先立ち、第三次治水事業五ヶ年計画は策定されたのである。新全総の作業と一体で進められたの
であろう。
大規模開発を目指した新全総では、河川事業についても大規模施設による整備を推進した。たと
えば治水についてみるならば、利根川、淀川等の大河川について水系一貫の考え方のもと、計画規
模を拡大し、ダム等の建設による安全度の向上を図った。また都市部の河川については、著しい都
市化の進展に対し新川開削、大型ポンプ場等による治水施設の先行的整備を図った。
水資源については、増大する水需要に対して広域的・計画的な水資源開発による安定した水供給
の確保を目的とした。具体的には、首都圏では利根川水系における大容量貯水池群、河口堰、霞ヶ
松浦:高度経済成長時代の河川政策
65
浦等の開発、近畿圏では琵琶湖開発を軸として圏域内河川の高度利用を図った。さらに両圏域に隣
接する信濃川、富士川、新宮川、紀ノ川等の河川で水資源開発を検討するよう求めた。大規模施設
による広域的水資源開発を志向したのである。
3.3 昭和 47 年策定の第四次治水事業五ヶ年計画
昭和 45 年(1970)のいわゆる公害国会で公害対策基本法が改正され、水質汚濁防止法が成立した。
だが公害が広範囲に生じ社会的に大きな問題になりながらも、経済の高度成長は持続した。これに
合わせ西側世界で昭和 43 年に第 2 位となった国民所得(GNP)もさらに伸び、国家予算も増大した。
このため、さらに規模の大きい河川計画が検討されていった。45 年建設白書では、治水事業につ
いて治水投資・災害復旧費の推移および治水粗資産(50 年分の治水事業費)の国民所得に対する
比率を次のように主張した。
「治水投資が今なお経済活動の増大に追いついていないこと等による水害被害額の増大、治水粗
資産の国民所得に対する比率の低下をみるとき、さらに強力に治水対策を講ずる必要があるものと
思われる。
」
また 45 年白書では、水資源の安定的な供給のために広域的な水管理体制の強化が主張された。
水需給圏の拡大による広域的な水管理、さらにダム群、河口堰、湖沼等の水資源開発施設の有機的
な連けいが求められたのである。なお前年の 44 年白書では、地域外も含めた多目的導水路の建設
による広域的な水供給システムの確立を求める広域的利水対策の推進が主張されていた。
さらに 45 年白書では、河川を環境の保全の場としてとりあげ、河川に対する国民の要望は洪水
防御、水資源開発のみにとどまらず、河川本来の自然的な空間そのものを都市における人間の憩い
の場として保持する必要性が高まっていると述べた。つまり河川を自然的な空間として積極的にと
りあげることを主張したのである。
さて昭和 47 年 6 月 30 日の閣議決定により、前計画に対し投資規模約 97%増の 4 兆 500 億円か
らなる第四次治水五ヶ計画が策定された。その背景について 47 年白書では次のように述べている。
「河川流域における産業経済の発展、生活水準の向上はめざましく、とくに都市およびその周辺
地域における人口、資産の集中、大都市における中枢管理機能の集積等、河川を取り巻く環境は著
しく変化してきており、これらに対応した社会資本整備が相対的に立ち遅れているため、都市河川
災害の激増、集中豪雨等による中小河川の氾濫、土石流等の被害のひん発を招くほか、かりに大河
川が破堤した場合には、きわめて大規模かつ破局的な災害となるおそれが生じてきたのである。ま
た一方、水不足は一段と深刻化することが予想され、水質の汚濁等河川環境の劣悪化も急激に進行
しているところである。
」
高度経済成長により一層、進行している都市化、その地域の治水・利水さらに水質汚濁を中心と
した環境面からの整備を目的としていることがわかる。重点事項としては、次のことをあげてい
る。
①重要河川の安全度向上
66
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
②中小河川の整備
③都市河川対策の強化
④水資源の開発と高度利用
⑤土石流対策等砂防事業の強化
⑥河川環境の改善
このときの治水計画の考え方を長期構想でみると、「国土の保全、開発利用の促進、生活環境の
向上」に資するための計画であり、治水整備水準の基礎である基本高水の年超過確率は、
「流域の
災害に対する安全度を高めるために」次のように定められた。
直轄河川の年超過確率 1/100∼1/200、中小河川 1/50、都市河川 1/50∼1/100、内水対策について
は 1/50、洪水防御ダムについては直轄河川 1/100∼1/200、補助河川 1/50∼1/100。またこの長期計
画での計画以外に、当面の目標が定められている。たとえば都市河川は、おおむね 10 年以内に時
間雨量 50 ㎜を防禦することである。この長期構想の整備水準は、昭和 51 年に策定された新河川砂
防技術(案)に引き継がれていく。
ところで治水安全度を上げる必要性について、昭和 46 年白書では次のように主張した。
「わが国の社会経済が高密度に発展してきた結果、とくに利根川、淀川等の重要河川の下流部に
おいては、人口・資産の増大が顕著であり、これに対応して、これらの河川の安全度を大幅に高め
る必要がある。
」
「今後治水投資を行なわないとすれば、水害は想定氾濫区域の人口・資産の増加率(GNP の増加
率とほぼ同じと推定される)と見合って増大するものと思われるのであって、この水害被害傾向を
くい止め減少せしめるには、今後さらに治水施設の安全度を向上させる等各般の治水対策の強化を
必要とする。
」
第四次治水五ヶ年計画は、新全国総合開発計画と一体となって作成された第三次五ヶ年計画をさ
らに綿密に、かつ規模を大きくした計画と評価することができる。あたかも新全総と、それをブ
ラッシュアップした田中角栄の「日本列島改造論」との関係を思わせる。「日本列島改造論」が出
版されたのは、昭和 47 年 6 月であり、田中角栄内閣が誕生したのは、同年 7 月である。
さて具体的に年超過確率 1/200 の計画は、昭和 46 年に改訂された淀川から始まる。淀川では、
基準地点枚方でそれまで 28 年の既往出水を対象に、その実績に基づいて基本高水流量 8,650m /s
3
であったものが、この改訂により 1 万 7,000m /s となった。このうち 5,000m /s を琵琶湖・ダム群
3
3
で調節することとなったのである。この淀川改訂計画は、琵琶湖総合開発特別措置法に基づいて
47 年に着手された大規模プロジェクト琵琶湖総合開発計画を治水面から支えるものであった。
なお第四次治水計画が策定された昭和 47 年の建設白書では、注目すべきことがある。これまで
の白書で、治水の重要性を示すものとして常に述べられていた終戦直後の昭和 20 年代から 34 年ま
で続いた大水害が、全くふれられていないことである。これまでは、昭和 20 年代から 34 年まで続
いた大水害を常に表面に強く出し、戦後の治水投資によっても戦前の水準にまで戻っていないこと
を述べ、治水投資の必要性を主張した。だが 47 年以降は、戦後の大災害を根拠においた主張は見
松浦:高度経済成長時代の河川政策
67
られなくなった。河川行政担当者にとって、大水害の後遺症は終わり、はっきりと新しいステージ
に立ったということであろう。
このことにも象徴されるように、昭和 47 年の新長期構想の策定は、治水事業におけるエポック
を示すものと言ってよかろう。
4、昭和 40 年代の水資源開発
4.1 昭和 40 年代の水資源行政の概要
水資源開発を担当する建設省河川局から長期的な水需給の動向が公表されたのは、昭和 46 年
(1971)4 月の「広域利水調査第一次報告書」が初めてである。続いて 47 年 12 月「広域利水第二
次調査報告書」が発表された。広域利水調査は昭和 41 年度からスタートとしたのであるが、全国
を対象としたその成果がこれらの報告書として明らかにされたのである。
もちろん水需要については、国民所得倍増計画で昭和 45 年時点の都市用水を対象に推計されて
いるように、これまでも行われていた。また東京都・大阪市などの大都市では、上水道の需給見通
しが行われていた。これを国の立場から、供給面でも広域的な導水を含めて、具体的な施設の積み
重ねにより検討を進めていったのである。その成果は、何回か中間報告として出されていた。建設
白書では、43 年版で「昭和 60 年度の水需要量の見とおし」を述べている。また、44 年版では「昭
和 60 年の水需要の想定と水需給の見とおし」、さらに水資源開発について「広域利水対策の推進」
を述べている。なお 60 年を目標年次としているのは、新全総と軸を同じくするものである。
水資源行政にとってエポックとなる年は、昭和 47 年である。同年の 6 月に第四次治水事業五ヶ
年計画が閣議決定されたが、第 68 国会では次々と水資源開発法制が整備された。先ず河川法が一
部改正され、流況調整河川制度が策定された。この制度は、二つ以上の河川を接続して流量を調整
することによって内水の排除・水質の浄化とともに、水の供給を行うものである。新たに流水の占
用を得るものは、受益の限度において特別水利使用者負担金を支払うこととなる。
また特定多目的ダム法が一部改正され、多目的ダム建設の早期着手のため借入金導入の途が開か
れた。都市用水者が容量配分・費用負担を最終的に確定する以前に、治水特会の借入金によって事
業着手を図るものである。水資源施設の建設は長期の施工期間を要するので、水需要の発生に先行
して事業に着手する必要があると、建設省が強く要求していたものである。
そして琵琶湖総合開発のための琵琶湖総合開発特別措置法が策定された。この法律は、琵琶湖お
よびその周辺の地域開発と水資源開発を一体的に進めることを目的としたものである。琵琶湖の自
然環境の保全と汚濁した水質の回復を図りながら、下流部の京阪神地域の水供給と地域整備による
琵琶湖周辺の住民の福祉を向上させようとした。
さらにこの法律が強い刺激となり、昭和 48 年に水源地域対策特別措置法の成立をみた。この法
律は、ダムまたは湖沼水位調節施設の築造地点周辺の地域社会の影響を緩和すること、あわせて湖
沼の水質保全を目的とする。このための水資源地域の整備計画を策定し、関係住民の生活の安全と
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
68
福祉の向上を図るものである。
続いて昭和 46 年、47 年に公表された広域利水調査報告に基づいて、当時の水資源計画を論じて
いこう。
4.2 広域利水調査第一次報告(昭和 46 年 4 月公表)
水需要について、昭和 60 年(1985)を目標年次に人口と製造業出荷額を指標として地域ごとに
推定した。その方法は、昭和 40 年時点における経済の予測値を根拠として、60 年の全人口を 1 億
1,600 万人、製造業出荷額を 130 兆円として各地域に配分した。60 年の需要量を生活用水、工業用
水、農業用水ごと、またその合計を 40 年の実績とともに表したのが表 3 である。これには、河川
依存量(供給量)またそれぞれの伸び率も示してある。
これによると、全需要量としては昭和 40 年に対し 1.7 倍、河川依存量は 1.9 倍と非常に大きな伸
びを示している。農業用水が 2 割増となっている中で、生活用水と工業用水をあわせた都市用水の
伸びが大きい。なかでも工業用水は需要量で 3.1 倍、河川依存量で 4.8 倍と極めて大きな伸びとなっ
ている。用水を大量に利用する臨海地域での鉄鋼・化学工業を中心にした工業開発を想定している
ためである。なお新規需要量に比べて河川依存量の伸びが大きいのは、地盤沈下対策として地下水
利用から河川利用への転換を図っているためである。
河川依存量として、昭和 40 年において工業用水の占める割合は 14.2%であったものが、昭和 60
年には 33.9%と想定している。この結果、新規開発量のうち 55.2%が工業用水開発となっている。
まさに用水型産業を中心とした臨海工業地帯での重化学工業に対応した利水計画であったのであ
る。なお報告書は、この推算は昭和 40 年代初めの経済社会情勢に基づく推定であり、新全総によ
る大規模プロジェクトの具体化や、大都市圏を中心とする都市化の一層の進展に伴う経済社会の変
化を想定に入れていないとし、今後の検討が必要だとしている。
この水需要量に対して供給面ではどうであったか。河川水の供給計画を現実の河川流況に基づい
て具体的に示せるのは、河川管理者である建設省である。建設省は、マクロ的検討、あわせて上流
表 3 広域利水第一報告にみる全国水需要量
(単位:億㎥/年)
生活用水
工業用水
農業用水
合 計
昭和 40 年水需要量
68.3(1.0)
126.9(1.0)
500.0(1.0)
95.2(1.0)
(うち河川依存量)
53.5(1.0)
71.1(1.0)
375.0(1.0)
499.6(1.0)
昭和 60 年水需要量
201.1(2.9)
393.7(3.1)
583.8(1.2)
1,178.6(1.7)
(うち河川依存量)
181.3(3.4)
325.5(4.8)
454.5(1.2)
960.8(1.9)
新規需要量
132.8(1.9)
266.8(2.1)
83.8(0.2)
483.4(0.7)
(うち河川需要量)
127.8(1.9)
254.4(3.6)
79.0(0.2)
461.2(0.9)
注)河川依存量とは、水需要量のうち河川から取水しているものである。需要量との差は、生活用水では井戸水等の地下水に依
存しているもの、工業用水では地下水以外として回収水、海水に依存しているもの、農業用水は反復利用等によっている。
( )
は、昭和 40 年をそれぞれ 1.0 とした時の数値である。
松浦:高度経済成長時代の河川政策
69
山地でのダム等の水資源開発施設について 36 地域、228 水系を対象に、ダム適地調査を実施して
積み上げ検討を行った。
マクロ的検討をみると、日本のダム建設可能地点の上流の集水面積は、全国土の 40%程度であ
り、全流出量年間 5,200 億 m のうち約 40%が利用可能の上限であるとした。しかしダム高は地形・
3
地質に制約されるため、このうち 60∼70%が利用可能とし全流出量の 25∼30%、1,300∼1,400 億
m を利用可能の上限としたのである。
3
ダム等の積み上げ検討をみると、182 水系 760 地点で水資源開発が可能であるとした。だが開発
単価という経済性も考慮に入れ、760 地点のダム等の開発施設による利水容量約 180 億 m でもっ
3
て、年間約 680 億 m が新たに開発可能とした。つまり昭和 40 年時点での利用量約 500 億 m を加
3
3
えて、約 1,200 億 m を利用可能としたのである。そしてその費用は、洪水調節に要する費用も含
3
めて約 10 兆円(昭和 43 年価格表示)程度とした。
しかし、これらの検討は、上流山地部でのダム等の建設による水資源開発である。中・河川部で
の開発、それは河口湖、河道貯留、遊水池の多目的利用、多目的導水路網の建設であるが、それら
は別途、検討中としている。
さて本報告は、昭和 60 年を目途とした水需給計画である。需要想定によると新たに約 460 億 m
3
の河川からの取水が必要とされているが、仮に 760 地点のダム等の開発施設による供給を行った
としても、全国 8 地域で水不足が生じると予測した。なかでも京浜京葉地域は、利根川で新たに
28ヶ所のダム等を建設しても年間 31 億 m 、京阪神地域では 淀川で 23ヶ所建設しても年間 19 億
3
m の水不足が生じるとした。この不足する地域では、域内の河川を極力開発した上で、他地域か
3
らの分水の必要性を主張した。
この結果、昭和 60 年時点で分水可能であるとしたら、京浜京葉地域を除いて一応、水需給のバ
ランスは取れるとし、この需要をまかなうため必要なダム等は約 480ヶ所、総事業費は約 7 兆円と
結論付けた。なお分水しても水不足となる京浜京葉地域では、農業用水の合理化、下水処理水の再
利用、回収率の向上など水の高度利用について積極的な施策を講ずる必要があるとしている。
本報告書の最後に、水資源に関する問題点として以下の 5 つを挙げている。
⑴ ダム等水資源施設の施行制度のあり方
⑵ 補償、地域開発問題等地元要求の受け止め方
⑶ 水の高度開発
1)
中、下流部において水利用を図るため、河口湖等の建設や遊水池の多目的利用
2)
流況の相違なる複数の水系間を連結する多目的導水路網の建設
3)
発電施設の再開発
4)
高度の水管理を行うための広域水管理体制の確立
⑷ 社会変化に対応した水利用のあり方
農業用水の合理化、下水処理水の再利用等
⑸ 原水単価公平のあり方
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
70
なお、海水の淡水化の技術開発によるコストダウンについても積極的に促進されることが望
ましい。
4.3 広域利水調査第二次報告(昭和 47 年 12 月公表)
先述したように、この報告書が公表される前の第 68 国会で水資源開発法制度の大きな進展をみ
た。利水調査第一次報告の問題点との関連で整理すると、特定多目的ダム法の一部改正によって、
国が都市用水負担分について財投資金を導入するという先行投資することにより、多目的ダム建
設の早期着手の途が開かれた。
「⑴ ダム等水源施設の施行制度のあり方」での課題が、大きく進
展したのである。これについて第二次報告では、「この制度はダム事業執行上画期的な制度であり、
ダム事業を強力に推進することになるとともに、水需給のひっぱくする地域への水の供給を効果的
に行なうことが可能となったものである」と評している。
「⑵ 補償、地域開発問題等地元要出の受け取め方」については、琵琶湖総合開発特別措置法の
制定がある。この法律にもとづき琵琶湖周辺の治水事業、また水資源開発施設、下水道、上水道、
工業用水道、土地改良、治山造林、都市公園、港湾、水産等の広範囲にわたる事業が実施されるこ
ととなった。この事業の実施のための財源措置として、国の負担率の引き上げと下流の負担制度が
設けられた。なおもう一つの制度である水資源地域対策特別法は、第二次報告が公表された段階で
は国会に上程され審議中であった。
「⑶ 水の高度開発」に関しては、河川法の一部改正により、複数の水系間を連絡する多目的導
水路の建設を行う流況調整河川事業による特別水利使用者負担制度が創設された。また渡良瀬遊水
地では、池内を掘削して不特定用水の補給を行う事業が着手された。
さて第二次報告では、昭和 60 年時点での全国水需要量を表 4 のように示した。第一次報告と比
較すると、総需要量では 99%、河川依存量では 101%となっておりほぼ同じであるが、工業用水が
若干減って生活用水が増大している。河川依存量で比較してみると、第一次報告では工業用水が全
河川依存量のうち 33.8%、生活用水が 18.9%だったのが、第二次報告では工業用水 33.1%、生活用
水 19.7%となっている。
水需要について第二次報告で指標としたのは、昭和 47 年 12 月に公表された建設省による新国土
表 4 広域利水第二次報告(昭和 47 年)にみる全国需要量
生活用水
工業用水
農業用水
合 計
昭和 45 年の水需要量
95.7(1.0)
174.6(1.0)
523.6(11.0)
793.9(1.0)
(うち河川依存量)
63.9(1.0)
98.3(1.0)
403.0(1.0)
565.2(1.0)
昭和 60 年の水需要量
206.6(2.2)
370.8(2.1)
585.5(1.1)
1,162.9(1.5)
(うち河川依存量)
190.7(3.0)
320.5(3.3)
455.6(1.1)
966.8(1.7)
新規需要量
110.9(1.2)
196.2(1.1)
61.9(0.1)
369.0(0.5)
(うち河川依存量)
126.8(2.0)
222.2(2.3)
52.6(0.1)
401.6(0.7)
注)( )は、昭和 45 年をそれぞれ 1.0 とした時の数値である。
松浦:高度経済成長時代の河川政策
71
建設長期構想(試案)による人口数と工業出荷額である。これによると、日本の 60 年の総人口は
1 億 2,100 万人に達すると推定され、各ブロック別の振り分けは地方圏からの人口流出をくい止め、
大都市地域から地方への人口分散を助長することによって現状が維持されるものとした。
工業出荷額は、知識集約型工業等の高度加工部門主導型に転換しつつ約 241 兆円(昭和 45 年価
格)と、現在の約 3.5 倍に増大すると推定した。第一次報告に比べてかなり大きくなっている。工
業出荷額のブロック配分は、大都市地域への集中抑制を強化して広域的に工業を再配置することに
より、太平洋ベルト地帯とその他の地域の均衡化を図るものと想定した。
結果として、生活用水は人口、水道普及率、1 人あたりの給水量の伸びによって増大した。1 人
あたりの給水量を 1 人 1 日平均給水量でみると、全国平均で昭和 45 年実績約 310 ℓあったものが、
目標年次昭和 60 年では約 500 ℓと 60% 増としている。工業用水については、工業出荷額の原単位
(m / 日 / 億円)により推定したが、全国平均で昭和 45 年実績約 69m / 日 / 億円 であったものが、
3
3
回収率向上によって 25%減少するとして約 42m / 日 / 億円と想定した。
3
これらの想定により、昭和 60 年での水需要量は合計年間 1,163 億 m となり、昭和 45 年の実績
3
年間 794 億 m に対して 369 億 m 増加すると推定された。
3
3
一方、供給面であるが、第一次報告では山地での上流ダム等を主体にして検討された。第二次報
告ではこれに加え、河口堰、湖沼開発等の中下流部での開発さらに流況調整河川による広域的水利
用の検討が行われた。調査の対象とした水系は約 330 水系である。
この結果、経済性を勘案して(その限界は第一次と同じ)昭和 45 年以降、約 1,100ヶ所の施設
による利水容量約 200 億 m を利用して、新たに年間約 800 億 m が開発可能とした。45 年時点で
3
3
は年間約 565 億 m を供給としているので、あわせて年間約 1,350 億 m が供給可能とした。これは
3
3
第 1 次報告 1,200 億 m と比べて 150 億 m の増大である。この開発可能量約年間 800 億 m のうち、
3
3
3
年間約 460 億 m を、昭和 45 年から 60 年までの約 580ヶ所の多目的ダム、河口堰、湖沼開発、流
3
況調整河川等の完成による利水容量約 100 億 m によって確保するとした。これらの施設の建設費
3
用は、洪水調節分もあわせて約 8 兆円(昭和 47 年価格表示)とした。
次に各地域の水需要バランスについてみると、全国 48 地域のうち 8 地域が逼迫すると評価され
た。その不足量は、合計年間約 42 億 m で、このうち南関東地域約 20 億 m 、京阪神地域年間約
3
3
12 億 m 、北部九州地域約 5 億 m であった。
3
3
これら水需給逼迫地域では、水の有効利用、水資源の広域的運用、人口・産業の分散による水不
足の解消が必要と指摘された。水の有効利用では、工業用水の回収率の一層の向上、冷却用水等へ
の下水処理水の再利用、水洗用水等の雑用水の処理水による再利用である。
5、まとめ
昭和 48 年(1973)の石油ショックに至るまで、ひた走りに走っていた高度経済成長時代の河川
事業について計画面を中心にみてきた。経済規模の拡大に伴い増大する国家財政に合わせ、治水・
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
72
利水両面ともその規模を拡大してきた。もちろんその背景には経済の高度成長に伴う社会の大きな
変化があり、全国的に著しい都市化が進展していった。
治水についてみるならば、計画の対象とする洪水規模(計画対象流量)は大きくなり、大河川で
は遂には 200 年確率洪水(200 年に 1 回、その洪水以上の洪水が発生する可能性がある)
、あるい
は 150 年確率洪水を対象とすることとなった。昭和 30 年代までは基本的に既往最大洪水、といっ
ても近代の技術でもって観測された最大の流量であるが、これを対象としていた。しかし、超過確
率主義へと転換したのである。
この流量規模は既往実績よりかなり大きいのが普通であった。たとえば昭和 46 年に 200 年確率
洪水として基準地点枚方で 1 万 7,000m /s に改訂された淀川では、それまで 28 年既往出水をもと
3
に 8,650m /s であった。約 1.96 倍に引き上げられたのであり、これを琵琶湖・ダム群によって調整
3
し、掘削によって河道を整備し、安全に流下させようとするものであった。つまり計画対象流量を
机上による年超過確率で求め、これを河道負担とダム等による貯水池に振り分けて河川区域内で処
理しようというものである。その振り分けの状況は河川ごとに異なるが、河道で負担出来ないもの
はすべてダム等による貯水池で調節することとなる。そして具体的にダム等をどこに設置するのか
は、将来の課題として残される。それまでの実際に生じた洪水を丹念に検討しこれを基に定めてい
く既往最大主義とは、思想的に大きく異なるものであった。
水資源計画についてみると、目標年次昭和 60 年の需要量は著しく増大している。特に都市用水、
中でも工業用水の伸びは大きい。その背景には用水を多量に必要とする重化学工業の臨海部での整
備・計画があった。重化学工業立地のためには、工業用水の確保は絶対的な必要条件であった。そ
して増大する都市用水の確保のため、ダム・河口堰・湖沼開発等の施設の建設が必要とされた。広
域利水調査第二次報告では、昭和 45 年から 60 年の間に約 580ヶ所の施設による利水容量約 100 億
m の確保が主張されたのである。
3
治水・利水のこれらの計画は、昭和 44 年に策定された新全国総合開発計画、47 年に出版され日
本の社会に大きなインパクトを与えた田中角栄の日本列島改造論に呼応するものだった。治水・利
水両面にわたり、計画規模は拡げるだけ拡げられたと評価してよいだろう。
なお水資源開発行政についていえば、河川法の中に流況調整河川制度が盛り込まれ、水源地域対
策である水源特別措置法が策定された。制度的に大きな進展をみ、制度面ではほぼ整ったと考えて
よい。
一方、環境問題についてみるならば、典型的な公害の一つとして水質問題があり、昭和 45 年の
公害国会で水質汚濁防止法が成立した。河川管理においても水質汚濁は少しずつ重要となりつつ
あった。47 年に成立した琵琶湖総合開発特別措置法では「水質の回復を図りつつ」水質源開発を
進めることが、次のように第一条の目的のところに謳われた。
「琵琶湖の自然環境の保全と汚濁した水質の回復を図りつつ、その水資源の利用と関係住民の福
祉とをあわせ増進するため、琵琶湖総合開発計画を策定し、その実施を推進する等特別の措置を講
ずることにより、近畿圏の健全な発展に寄与すること」
松浦:高度経済成長時代の河川政策
73
当初の政府案では、水質についてはふれられていず「自然環境の保全を図りつつ」となっていた
のが、衆議院の審議の中で修正されたのである。琵琶湖の水資源開発にとって水質の保全がその前
提となったのである。
水質問題について、五ヶ年計画でみても緊急あるいは重点頂目の中に、第三次では「⑥重要地域
の高潮対策、河川汚濁対策」
、第四次では「⑥河川環境の改善」として、最後ながら取り上げられ
た。
6、今後の課題
昭和 50 年からでも 35 年が経った現在、社会経済状況も大きく変わった。この変化に河川管理は
どのように対応していったのだろうか。社会状況が変わったにも関わらず、昭和 40 年代の考え方
そのままで突き進んでいったら、社会から大きな反発を受けるのは当然だろう。
水需要量について、昭和 47 年(1972)策定の広域利水第二次報告における昭和 60 年(1985)水
需要予測と、2005 年の実水需要量(取水量ベース)とを比較したのが表 5 である。実際の水需要
の伸びが予測に比べ、著しく低かったのである。中でも工業用水の需要は小さかった。水需要量は
人口集中などもちろん地域差があり一概には言えないが、高度成長時代の水需要量予測は完全に破
たんしたと評価してよいだろう。
治水についてみると、吉野川は 150 年超過確率、淀川・利根川は 200 年超過確率洪水を対象とし
て治水事業は進められている。これらの対象洪水は、少なくとも明治以降の既往最大洪水に比べ
かなり大きい。今日、人々の平均寿命が延びたといっても約 80 年である。この人生期間と 150 年、
200 年超過確率が人々の感覚とどのように結びつくのか、実感としてなかなか理解し難いというの
が実情だろう。このこともあり、地域から治水計画への疑問が提示されている。治水計画の本質が
問われているのである。
さて昭和 50 年以降の河川政策について制度面でみるならば、治水については 52 年からは河川流
域の保水・遊水機能、土地利用、建築方式などを考慮して流域全体で水害を対処しようとする総合
治水対策が推進されることとなった。さらに昭和 60 年代に入ると、超過洪水対策もあわさり、流
域全体で治水に対処しようとの方向に動いていった。
また社会の高度化・成熟化とともに、環境面では水質汚濁対策のみならず、身近な空間環境整備
表 5 2005 年の水需要量と広域利水第二次報告との比較(単位・億 m )
3
生活用水
工業用水
農業用水
合計
2005 年の水需要量(a)
159
126
549
834
広域第二次報告にみる
1985 年の想定水需要量(b)
206.6
370.8
585.5
1,162.9
77%
34%
94%
72%
(a)/(b)× 100
注)2005 年の水需要量は取水量ベースである。
74
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
が重視されるようになった。昭和 50 年代後半から河川環境整備の積極的な推進が行われ、昭和 56
年に河川審議会から「河川環境管理の在り方について」の答申が出された。これにより、水と緑に
恵まれた河川環境の良好かつ適切な管理を図ることが強く打ち出されたのである。そして戦後の河
川環境整備のメルクマークと評価される広島・原爆ドーム周辺での太田川基町護岸整備が行われた。
また 1990 年からは、生物の良好な生育環境に配慮し、あわせて美しい自然景観を保全あるいは創
出しようとする「多目的型川づくり」が始まった。これが 1997 年の河川法の改正へとつながった
のである。この改正により、環境は治水・利水と並んで河川管理の目的となった。つまりある場面
では、治水・利水よりも環境を優先してもよくなったのである。
今日、国土づくりの旗印として、「国土の均衡ある発展」ではなく「地域の個性ある発展」が次
第に勢いを増している。
「国土の均衡ある発展」とは、国民所得の増大と地域間格差の是正を求め
たものだが、
「地域の個性ある発展」とは成熟化社会を背景に、経済的豊かさから文化や自然と親
しむなど、生活の豊かさを基準とした国土づくりがベースにあると言ってよい。地域には与件とし
ての自然条件があり、それをベースにして発展してきた独自の歴史をもっている。それを、たとえ
ば地域の「文化的景観」と再認識しながら、地域独自のうるおいのある国土づくりが前面に出てく
る状況となっている。
つまり人々は身近に豊かな日常空間を求めているのであるが、その整備にあたり河川・湖などの
水辺空間は貴重な空間である。人々を魅きつける水辺空間の整備が重要な課題となっている。さら
に自然との共生が重要なキーワードとなっている。
だが、環境面から整備するにあたり治水と軋轢が生じる場合がしばしばみられる。特に高度経済
成長時代に策定された治水計画との間でみかける。ここで近代治水計画を簡単に振り返ってみよ
う。
本格的な近代改修は河川法が成立した明治 29 年(1896)から始まったが、厳しい財源の中、計
画対象流量は事業開始の直前に生じた大洪水を対象としたものだった。築堤により工事は進めら
れ、今日、我々が目にする河道・堤防等の河川の骨格はこの時、造られたのである。しかし当然、
当初の計画対象流量より大きな洪水は発生する。その度にこの洪水を対象に新たな計画を立て治水
事業は進められたが、その考え方は既往最大実績主義と称するものだった。その計画の中にダムに
よる洪水調節が登場し、他の利水目的も合わせた多目的ダムとして建設が進められた。その利水と
は、昭和 20 年代は発電・農業用水が中心であり戦後復興に大きな役割を果たした。その後、高度
経済成長が始まると上水・工業用水の都市用水の確保が目的となった。同時に治水計画の考え方は、
超過確率主義へと転換していったのである。
近年、建設の途上で関係府県知事により反対表明がなされた川辺川ダム・大戸川ダムも当初は多
目的ダムとして計画された。だが、社会経済の大きな転換の中で利水は必要ないとして治水だけが
その目的となった。このことは、大きなダムとしては初めてのことで、治水事業は新しいステージ
にたったと考えてよい。そしてこの治水ダムが知事たちによって異議が唱えられたのである。
ところで、治水とは水害防御を目的とするものだが、発生するすべての洪水を施設で処理するこ
松浦:高度経済成長時代の河川政策
75
とはできない。合わせて行われるのが、地域住民が自らの地域を守ろうとする水防活動である。治
水施設の能力以上の洪水が発生したとき、堤防決壊が生じるかどうかはこの水防活動が大きな役割
をもつ。つまり主に河川管理者によって行われる堤防・ダムなどの施設による治水と、地域住民
によって行われる水防が一体となって水害防御が行われるのである。この原則のもと、原点に立ち
返って治水計画を見直していく必要があると考えている。150 年とか 200 年超過確率に基づく治水
計画の方針は、治水の歴史からみてそう遠くない近年になって採られた方針であること、その背景
に高度経済成長があったことを忘れてはならない。
最後に、本論文は『水利科学 No.267』(水利科学研究所、2002 年)に掲載した「昭和 40 年代
の河川計画」をベースに、近年の河川をめぐる動向を加味して再整理したものである。民主党を中
心とした新政権になって、河川の計画をめぐり活発な議論が展開されている。それは、高度経済成
長時代に策定された計画の全面的見直しといってよいだろう。そのためには、高度経済成長時代に
いかなる考えの下に策定されていったのか、その経緯を知ることは重要と考え、本紀要に掲載した
次第である。
76
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
The River Policy for the Age of Rapid Economic Growth in Japan
Shigeki MATUURA
This paper discusses mainly the planning of river policy in the Showa 40s
(1965~74)in Japan, paying attention to State of National Land Construction , or the
so-called White Paper on Construction, published by the Ministry of Construction.
The Showa 40s was a period of rapid economic growth in Japan. During the
period, the country was industrialized and urbanized rapidly, particularly in the Pacific
Belt Zone. In keeping pace with these changes, the transportation networks including
Shinkansen and expressways were constructed as part of the country s infrastructure
with the aim of implementing large-scale development projects under the New
Comprehensive National Development Plan executed in 1969.
Also in the area of river policy, large-scale plans for river projects were drawn
up in both flood control and water utilization. Flood control projects were designed
to cope with 150- and 200-year floods, and water utilization projects were designed
assuming the use of large quantities of water mainly for industrial purposes. And the
large dams were planned to achieve these two goals
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
77
統計的推計による空間パターン分析
―千葉県市川市を事例として―
張 長 平
*
1.はじめに
地理情報システム(GIS)による空間分析においては、建物、道路、河川、行政区域などの空間
実体をその形状と地図の縮尺によって点、線、面という三つの基本フィーチャ(feature、地物)に
分類・抽象・表現する。点、線、面フィーチャは、地物の空間位置のみを表わすものと、地物の空
間位置と共に建物の構造、道路の交通量、行政区域の人口密度などの属性を表わすものもある。一
般に、点、線、面フィーチャとリンクする属性を空間属性(spatial attribute)という。
近年、コンピュータハードウェアのパワーアップとソフトウェアの精緻化は、GIS の開発に大き
な影響を与え、GIS による空間データの処理能力を飛躍的に向上させた。GIS を用いた空間データ
分析に関しては、Goodchild ら(1989)は、いまの空間分析はよい分析ソフトウェアと空間データ
があれば、よい分析の結果が得られることになるものの、日進月歩で発展する GIS の空間データ
処理機能とユーザのそれらの機能への理解との間のギャップが依然として大きく無視できない状態
にあると指摘した。したがって、よい分析結果を得るために、まずユーザが空間データの性質、分
析の方法、結果の評価についてもっと深く理解することが必要になると考えられる。本研究ではま
ず、空間パターン分析とその統計的推計プロセスを紹介し、面フィーチャの空間パターン分析によ
く利用されている空間的自己相関測度とその統計的特徴を検討する。次に、千葉県市川市の人口密
度を対象に空間パターン分析を試みる。
2.空間パターン分析と統計的推計
2.
1 空間パターン分析
人間はものの規模、形状、配置、色のようなビジュアル構成によってパターンを見分けている。
例えば、キルトは同じサイズの四角形と三角形のピースをさまざまな方向を変えて組み合わせて、
一つのビジュアルパターンを作り上げたものである。さらに、ピースをばらばらのサイズと不規則
の形に変えれば、そのパターンがもっと複雑に見える。いろいろなサイズ、形状、方向、色のピー
スをさまざまな組み合わせによっていろいろなパターンのキルトが作られる。キルトのパターンを
地理的事象の空間パターンにみなせば、キルトを構成する各々のピースを面フィーチャ(あるいは
*
東洋大学国際地域学部;Faculty of Regional Development Studies, Toyo University
78
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
小区域)に、ピースのサイズ、形状、方向、色を面フィーチャ(あるいは小区域)の空間属性にみ
なすことができると考えられる。
空間パターン(spatial pattern)は、地理的事象の空間配置や空間的相互関係、相互作用によっ
て事象の分布から現れ、事象の空間変動プロセスの中で実現した一つの結果(realization)である
(Chou, 1995)
。したがって、空間パターンをはっきり認識できれば、このパターンを形成する空間
プロセスとメカニズムの解明にも役に立つ。例えば、中国の北部地域における農業空間パターンの
研究を通して、この地域の土地浸食を食い止めるために、地表景観の多様化と植生被覆の増加が必
要であるという結論が導き出された(Fu and Chen, 2000)。Ripple ら(1991)は、地区の規模、形
状、位置などの空間属性を用いて、米国オレゴン州のカスカヅ西部の森林地帯の空間パターン分析
を行った。この調査分析はこの地域の野生動物の生息環境評価にも重要な役割を果たした。
空間パターン分析とは、点・線・面で表わす地理的事象の空間配置(arrangement)、空間分布
(distribution)
、空間構造(structure)を数値的指標で表示し、空間属性をもとにそれらの指標値を
計算することによって、空間パターンを明らかにすることである。空間パターン分析には、地理的
事象の分布、事象の幾何的特性、空間的自己相関を分析するさまざまな方法がある。GIS を用いた
空間データ分析に際しては、まず、GIS の空間データ可視化や空間解析などの機能を駆使して空間
分布の特徴を探索し、空間パターンに関する有効な仮説を確立する。次に、この仮説をもとに統計
仮説検定を行う。つまり、空間データに関する統計仮説を設け、統計量の計算によってその統計仮
説を採用するか、棄却するかを判定する。一般に、GIS を用いた空間データの探索的分析をイン―
フォーマル法、統計仮説検定をフォーマル法と呼ぶ(Fotheringham et al、2000)。
点パターン分析には、区画法(quadrat method)や最近隣距離法(nearest neighbor method)とい
う統計仮説検定がある。それらの方法は、点フィーチャあるいはポリゴンの代表点に適用され、点
フィーチャの分布を凝集型の分布か、ランダム型の分布か、均等型の分布かのいずれかに分類する
ことである。多くの地理学者や生物学者は、最近隣距離法を用いて地形パターンや動植物の分布パ
ターンなどを分析し、区画法を用いて公共施設の交通機関への近接性や動植物の分布パターンなど
を測定する(奥野、1977;長谷川・種村、1986;張、2009)。
面パターン分析には、空間的自己相関(spatial autocorrelation)という統計仮説検定がよく利用さ
れる。空間的自己相関測度が大きい正の値のときは空間分布が凝集型に近く、空間的自己相関測度
が 0 と顕著な差がなければ、空間分布がランダム型であることを意味する。空間的自己相関測度が
大きい負の値のときは空間分布が均等型に近いことを意味する。
2.
2 統計的推計フレームワーク
上述したように、空間パターンは、地理的事象の空間的変化と立地に決められ、地理的事象の変
化プロセスで実現した結果であり、われわれが普段、このプロセスで実現した結果(空間データ)
とデータ収集のシステムしか観測できない。近年、GIS のユーザは GIS のマーピングや空間データ
可視化機能のみならず、空間パターンとその有意性を検定できる機能も求めている。しかし、これ
張:統計的推計による空間パターン分析 ―千葉県市川市を事例として―
79
らの要望に答えられないおもな原因は二つある。その一つはアクセスが便利で使いやすい空間統計
分析ソフトウェアの開発が遅れており、また一つはユーザの空間パターン分析に関する知識の欠乏
である(Getis, 2000)
。
z si)は、位
空間確率過程(spatial stochastic process)の観点からみれば、地理事象の観測データ (
置 s(
が実現した一つの結果であり、その位置 si は点、線、面(ポ
における確率変数 Z(si)
i i = 1,…,N)
リゴン)で表現している。空間パターン分析は、観測データを基にこの地理事象の全体分布を推測
することであり、統計的推計(statistical inferential)の四つのレーベルで行われる(図 1)
。レーベ
ル1では、空間パターンに関する先見かつ正式な仮説があるか否かを考察する。レーベル2では、
空間パターンの等質性(homogeneity)によって、グローバルな分析法かローカルな分析法を選ぶ。
レーベル3では、統計モデルのパラメーターを推定し、空間属性の値を予測・シミュレーション
する。レーベル4では、いろいろな分析法を比較し、その不確定性を評価する(Csillag and Boots,
2005)
。以下に、各レーベルについて具体的に説明する。
レーベル1:観測データの実現プロセスに関する仮説
適切な空間パターン分析法を選ぶために、まず、観測データを生成するプロセスへの正確な理
解が不可欠であろう。このプロセスに関する仮説が完全に形成できない場合は、GIS の空間データ
可視化機能やローカルな統計などのような探索的空間データ分析(exploratory spatial data analysis,
図 1 空間パターン分析の統計的推計フレームワーク
(出所:Csillag & Boots, 2005)
80
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
ESDA)を用いて仮説の確立を試みる。勿論、ESDA の結果は観測データの分布パターンが完全な
ランダム型であることを検証できれば、続けて分析する必要はなくなる。
レーベル2:等質的パターンか異質的パターンかの検証
観測データのパターンは一つの空間プロセスによって実現された場合は、その期待値 m(si)= m
(si, sj)
= cov| si − sj | が等質的(homogeneous)であり、グローバルな分析法を適用して空
と分散 cov
間パターン分析を行う。観測データのパターンは複数の空間プロセスによって実現された場合は、
空間パターンの異質性(heterogeneity)を探索し、ローカルな分析法を適用して空間パターンを分
析する。例えば、空間パターン分析法にはグローバルとローカルな空間的自己相関検定がある。グ
ローバルな空間的自己相関検定は、Moran の測度 I や Geary の測度 c とその有意性検定により、地
理的事象の属性と位置との関係を検定することである。グローバルな空間的自己相関検定は、地理
的事象の空間的自己相関を地域全体で測定するには有効であるが、地域内部における個々の局地的
なクラスターを発見し異質的な(heterogeneous)地域パターンを探索するには不向きであろう。こ
れを克服するために、Getis & Ord(1992)がローカルな空間的自己相関測度 G(
を提案された。
i d)
レーベル3:統計モデルのパラメーター推定、データ予測、パターンシミュレーションの選択
図 1 に示されるように、問題によってどの統計方法を選ぶかをこのレーベルで検討する。統計モ
デルのパラメーターを求める場合は最尤法(maximum likelihood)や最小 2 乗法などの推定法を用
いてパラメーターを推定する。それに対して空間パターンの個別値を求める場合はクリギングの最
適補間法などがよく利用され、空間パターン全体を求める場合はシミュレーションが最も有効であ
る。
レーベル4:不確定性評価と比較
多くの研究事例によれば、統計学における不確定性(uncertainty)評価はきわめて重要であり、
同様に、不確定性を評価する場合は、以上の各レーベルとくにレーベル 3 の統計分析法の選定も重
要である。不確定性の評価については、空間分布に正の空間的自己相関が存在する場合は、位置が
特定されたところの予測値の信頼性が位置が特定されなかったところより高いと認める。信頼区間
の設定に分析的な定則がなければ、シミュレーションで決める。両地点の予測値の差異があるか否
かを検証する際にも、シミュレーションがきわめて有効である。
3.空間的自己相関と面フィーチャの空間パターン分析
空間的自己相関についてこれまで多くの統計測度が開発された。その中で多用されるのは Moran
の測度 I である。
張:統計的推計による空間パターン分析 ―千葉県市川市を事例として―
81
3.
1 Moran の測度
Moran の測度 I は次のように定義される。
n
n
−
−
(xj−x)
Σw(
ij xi−x)
n Σ
i=1 j=1
i ≠ j
I=― ――――――――――
n
−
W
Σ(xi−x)
(1) i=1
、xi
ここで、n は小区域数、wij は小区域 i と小区域 j との間の近隣関係を示す重み係数(weight)
は区域の主題的属性、W =ΣiΣj wij は小区域間の重み係数の合計値である。重み係数 wij は以下の
ように定義される。すなわち、小区域 i と小区域 j が接するとき 1、そうでないとき 0 の値があて
がわれる 2 進的な重み係数(binary weight)である。
1 区域 i と区域 j が接するとき
wij=
0 そうでないとき
(2) その他に、小区域間の距離、共通の境界線の長さ、小区域の規模などをパラメーターとする単変
量関数、あるいはそれらの小区域要素の組み合わせをパラメーターとする多変量関数で定義する
(張・村山、2003)
。大きい正の値のときは、隣接する小区域の属性が類似していることを表明し、
同じ属性をもつ小区域が地域の一部分にかたまる凝集型の面フィーチャ分布を検出することができ
る。逆に、大きい負の値のときは、隣接する小区域の属性が大きく違うことを意味し、同じ属性を
もつ小区域が互いにある程度の間隔を保ちながら分布する均等型の面フィーチャ分布を検出するこ
とができる。完全ランダム型の面フィーチャ分布は、属性をもつ小区域が互いに他の小区域と無関
係に、そして地域のどの場所にも同じ確率で置かれたときに実現される面フィーチャ分布である。
そのとき、その空間的自己相関係数の値は 0 に近い。
空間的自己相関の存在の有無は、「空間データの分布が小区域間の近接性と無相関である」
、換言
すれば、
「この分布には空間的自己相関がみられない」ことを帰無仮説 Ho として、次の式3で定義
される Moran の測度 I の標準化正規変量 Z を検定統計量として判断する 。
1)
I−E
(I)
z=――――
Var(I)
(3) 3.
2 面フィーチャの空間パターン分析
(1)単位区域の影響
図 2 には一つの面フィーチャ分布に対する三つの区画が示されている。まず、区画 A は地域が
四つの正方形の単位区域(メッシュ)に区分され、陰影方格区域の属性値を 1、空白方格区域の属
性値を 0 にし、陰影方格が西北と東南の単位区域に現れている。その Moran の測度 I を計算する
と−1.0 になり、空間パターンは完全な均等型分布である。次に、区画 A の単位区域を増やし、地
域を 16 メッシュに区分して新しい区画 B を生成する。区画 B の Moran の測度 I は区画 A の−1.0
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
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から正の 0.33 に増大し、空間パターンは均等型から凝集型に変えられた。さらに、単位区域を 64
メッシュまでに増やすと区画 C になり、区画 C の Moran の測度 I は区画 B の 0.33 からされに 0.71
までに増大した 。一般に、同一地域が区分された単位区域の数をマップ解像度(map resolution)
2)
と呼ぶ。このようなマップ解像度の増加につれて Moran の測度 I が一貫して増大する傾向は、この
測度が一致性を有し、面フィーチャの空間パターン検定に適用できることを表明している。
図 2 面フィーチャの区画例
マップ解像度の空間的自己相関への影響は、正方形の単位区域(メッシュ)に限らず、不整形な
単位区域、例えば行政区域や調査区域にも現わされる。Chou(1991)はカリフォルニアにおける
森林火災の研究において、植生や土壌分布の自然単位区域を用いてマップ解像度の影響を考察した
結果、マップ解像度と Moran の測度との関係は図 3 のように示され、数式で表示すると次のよう
になる。
I =β0 +β1 Log2RL
(4) ただし、I は Moran の測度、RL はマップ解像度、β0 とβ1 はパラメーター、Log2 はベース2の対
数である。
図 3 マップ解像度と Moran の測度 I との関係
出所:Chou(1995)
張:統計的推計による空間パターン分析 ―千葉県市川市を事例として―
83
(2)空間コレログラム
上述したように、空間的自己相関検定法は面フィーチャの空間パターン分析に有効な測度を提供
し、同時にマップ解像度と Moran の測度との関係も明らかにされた。式2に定義された 2 進的な
重み係数とその Moran の測度は直接隣接する単位区域間の空間相関を測れるが、離れて直接隣接
しない単位区域間の空間相関を測る場合は 2 階以上の区域間の近隣関係( k 階近隣関係)の定義が
必要になる(Chou, 1995)
。
図 4 は、単位区域の属性を陰影と空白で表し、それぞれ 32 陰影メッシュと 32 空白メッシュか
らなる、凝集度の違う三つの面フィーチャパターンを表す。パターン A は、いずれの陰影(空白)
メッシュの周りに空白(陰影)メッシュが囲まれる完全な均等型分布である。パターン B では、
直接隣接する四つの陰影メッシュと四つの空白メッシュからクラスターが構成される。パターン C
は、16 陰影メッシュと 16 空白メッシュがくっついた高度な凝集型分布である。それ故に、この三
つの空間パターンでは、陰影メッシュの数と空白メッシュの数が等しいため、Moran の測度の値は
完全にそれらのメッシュ(単位区域)の配置によって決められると考えられる。
図 4 凝集度の違う空間パターン
空間コレログラム(spatial correlograms)は、各階の近隣関係(空間ラグ)による Moran の測度
の変化を表すヒストグラムであり、単位区域の配置が Moran の測度に及ぼす影響を検証すること
ができる。一般に、1 階近隣関係は二つの単位区域が一本の共通の境界線を挟んで隣接し、式2の
ように直接隣接関係で定義される。2 階近隣関係は二つの単位区域が共通の境界線の代わりに一つ
の共通の区域を挟んで隣接し、非直接隣接関係で定義される。同様に、二つの単位区域が 2 個、3
個、…、k − 1 個の区域を挟んで隣接し、単位区域間の 3 階、4 階… k 階近隣関係を定義すること
ができる。
図 5 は上記の空間パターン A∼C(図 4)の空間コレログラムである。パターン A では、1 階近
隣関係の場合は、陰影メッシュが空白メッシュと隣り合うため、Moran の測度 I は−1.0 である。2
階近隣関係の場合は、すべての陰影メッシュが陰影メッシュにしか、空白メッシュが空白メッシュ
にしか届かないため、Moran の測度 I は 1.0 になる。3階近隣関係の場合は、すべての陰影メッシュ
が空白メッシュにしか、空白メッシュは陰影メッシュにしか届かないため、Moran の測度 I は−1.0
に戻る。4 階近隣関係の Moran の測度 I はふたたび 1.0 になる。このように繰り返して最大 13 階近
84
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
図 5 空間コレログラム
張:統計的推計による空間パターン分析 ―千葉県市川市を事例として―
85
隣関係まで Moran の測度 I が計算され、図 5 のパターン A のような空間コレログラムが作られる。
この図には、短い波長 2(= 2 )と大きい振幅(−1.0∼1.0)の特徴が現れている。
1
同様に、パターン B とパターン C に対して 1 階から 13 階までの近隣関係の Moran の測度を計算
し、空間コレログラムを作成する。図 5 に示されるように、パターン B は、同じ属性(陰影ある
いは空白)をもつ四つのメッシュからクラスターが構成されるため、パターン A の空間コレログ
ラムと比べると、波長は 2 から 4(= 2 )に伸びたが、振幅はパターン A より小さくなった。パ
2
ターン C は高度な凝集型分布であり、3 階近隣関係までは、多くのメッシュが同じ属性のメッシュ
と隣接するが、4 階近隣関係の場合は、同じ属性のメッシュどうし間と異なる属性のメッシュどう
し間の隣接がほぼ半々である。4 階近隣関係を超えると、同じ属性のメッシュどうしよりは、異な
る属性のメッシュと隣接することが多くなる。図 5 に見られるように、最初に近隣階数の増加につ
れ Moran の測度が下がり、5 階近隣関係を超えると、Moran の測度が増大に転じる。
以上の分析は、Moran の測度を面フィーチャの空間パターン分析に適用する際に、マップ解像度
の影響を考慮する必要があり、空間コレログラムの波長と振幅が空間パターンの特徴をなすことを
判明した。
4.人口密度分布の空間パターン分析
4.
1 空間パターンの探索的考察
本研究の事例地域市川市は千葉県の中で最も東京の都心部に近いところに位置するため、東京居
住者の外延的な拡散に強く影響され、通勤・通学者の来往による東京に隣接する近郊住宅地域と
して発展してきた。2008 年現在、市川市は面積 57.43km 、人口 472,597 人をもつ千葉県の中規模
2
の都市であり、232 町丁に区画されている。本研究は、人口密度を地理的属性変量として Moran の
測度を適用し、市川市の人口密度分布の空間パターンを分析する。人口密度分布の作成にあたっ
ては、町丁別人口密度データを GIS のデータ管理サブシステムに呼び込み、GIS の地図作成と属性
データ表示機能を用いて人口密度分布のコロプレス図(図 6)を作成し、その空間パターンを探索
的に考察する。
市川市の人口密度分布図を見てみると、全体的に南から北に向かって 3 つの人口密度高い地域と
3 つの人口密度低い地域から構成される。つまり、人口密度分布は、中央部において総武線と京成
線沿線に高人口密度の区域が帯状に並んでおり、そこから南と北に向かって人口密度が徐々に逓減
していく。しかし、南方の地下鉄東西線の行徳駅前周辺地区と北方の南大野地区に至ると、人口密
度がさらに高くなる。これは、3 つの高人口密度地域を核的地域としてそこから人口密度が周辺に
対して徐々に逓減していくように「等質地域」が存在することを意味している。それによって市川
市の人口密度分布には正の空間的自己相関が存在する可能性が高いと推測される。
86
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
図 6 人口密度分布
4.
2 空間パターン分析
(1)空間的自己相関検定
市川市の人口密度分布の特徴は上記のコロプレスマップで視覚的に表示されたが、この空間パ
ターンをより厳密に検証するために、重み係数と人口密度分布データをもとに統計的推計を行う必
要があると考えられる。ここでは、小区域(町丁)間の近隣関係を示す 2 進的重み係数 wij と町丁
別人口密度を入力データとして、独自に開発されたプログラムによる空間的自己相関検定を行い、
その結果は表 1 に示される。Moran の測度 I は 0.5053、正規性の仮定のもとで標準化正規変量 z は
11.9330、ランダム性の仮定のもとで標準化正規変量 z は 11.9291 である(表 1)。両側の正規検定
を行うと、ともに
Z0.01 = 2.58 < | z | = 11.9330 と 11.9291
となるため、帰無仮説は拒否され、市川市の人口密度の分布には 0.01 の有意水準で空間的に強い
自己相関が存在し、この分布が凝集型に近いことを表明する。
表1 空間的自己相関の検定結果
Moran's I = 0.5053
期待値 E
(I)= -0.0043
*** 正規性の仮定下では:
分散 Var(I)= 0.0018
z-value = 11.9330
*** ランダム性の仮定下では:
分散 Var(I)= 0.0018
z-value = 11.9291
張:統計的推計による空間パターン分析 ―千葉県市川市を事例として―
87
以上の空間的自己相関検定結果は、前節で人口密度分布の考察により、「市川市の人口密度分布
には正の空間的自己相関が存在する可能性が高い」という仮説の有意性が統計的に証明された。
(2)空間コレログラム
最後に、直接隣接でない単位区域間の空間相関と空間パターンを考察してみよう。そのため、直
接隣接でない区域間の近隣関係を示す重み係数 wij は以下のように定義する。すなわち、区域 i の
代表点を中心に与えられた距離 dk と dk+1 を半径とする同心円からなるリング(以下、区域 i の k 領
域と呼ぶ)を描いた場合、区域 j の代表点が区域 i の k 領域内に位置するとき 1、そうでないとき 0
の値があてがわれる k 領域重み係数である。
1 区域 j の代表点が区域 i の k 領域に位置するとき
=
w(
ij k)
0 そうでないとき
(5) I k)とその検定法が適用される。ここで
空間コレログラムを作成するに際して、Moran の測度 (
は、町丁ポリゴンの代表点座標を入力データとし、半径 dk を 500 から 3000 メートルまで 500 メー
I k)とそ
トルずつに変化させ、各町丁に対して k 領域の重み係数 w(
ij k)を計算し、Moran の測度 (
の検定を行う。その結果は表 2 に示される。
表 2 Moran の測度 I(dk)
領域(k) 半径範囲(m)
I(k)
z
1
0 − 500
0.4972
8.6256
2
500 − 1000
0.3427
10.2928
3
1000 − 1500
0.1550
5.9152
4
1500 − 2000
0.0946
4.1987
5
2000 − 2500
− 0.0550
− 2.3071
6
2500 − 3000
− 0.1321
− 5.8138
表 2 に示されるように、Moran の測度の標準化正規変数 z の絶対値が領域 5(2000 − 2500m)を
除けばすべて 2.58 を上回るため、市川市の住宅密度の分布には、各領域の近隣関係に対して空間
的自己相関が存在していると結論される。各領域の空間コレログラム(図 7)を見てみると、最初
I k)(0.4972)は 2 進的重み係数のそれ(0.5053)と同
の領域 1(0 − 500m)では、Moran の測度 (
じ高い正の値であり、つまり、同じ人口密度をもつ町丁が互いに隣接しており、人口密度分布は
凝集型である。その次に、領域の半径は 500m から 2000m まで増大につれて、各領域に対応する
I k)は 0.3427(領域 2)から 0.0946(領域 4)に減少し、人口密度分布の凝集度が次
Moran の測度 (
第に低下することが分かる。さらに、領域の半径が 2000m を超すと、Moran の測度は正の値から
負の値に転落し、つまり、異なる人口密度をもつ町丁が互いに非直接隣接することにより、人口密
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
88
度分布が均等型になることが認められる。要するに、市川市の人口密度の空間構造は総武線と京成
線沿線の町丁を中心に 3 つの人口密度高い地域と 3 つの人口密度低い地域からなり、それぞれ地域
の半径は平均約 2km であると考えられる。
図 7 各領域の空間コレログラム
5.おわりに
近年、GIS を用いた空間パターン分析は都市や地域分析によく利用されている。空間パターンは
地理的事象の空間的変化と立地に決められ、地理的事象の変化プロセスで実現した結果である。空
間パターン分析はこのプロセスで実現した結果、すなわち空間データを基に統計的推計のルールに
則って地理事象の全体分布を推測することである。本研究は、空間的自己相関検定を面フィーチャ
の空間パターン分析に適用する際に、そのマップ解像度の影響や区域間の k 階近隣関係を検証した
上で、Moran の測度とその検定法を用いて市川市の人口密度の空間パターン分析を試みた。その結
果、市川市の人口密度分布には、高い自己相関関係があり、人口密度高い地域と人口密度低い地域
がはっきり区分されたことが統計的に明らかにされた。
注
(I)と Var(I)は、区域の主題的属性 {xi} の正規性とランダム性の仮定のもとで求められる。まず、
1)式中の E
{xi}が一つあるいは数個の正規分布の母集団から抽出された n 個の独立的な結果であるという正規性の仮定
Var(I)が次のように求められる。
に基づいて I の期待値 E(I)と分散
N
N
−1
E(I)
=――――
N
(n − 1)
(n S1−nS2+3W )
2
E(I)
=――――――――−
Var(I)
N
N
2
W2
(n −1)
2
2
張:統計的推計による空間パターン分析 ―千葉県市川市を事例として―
89
ただし、W =ΣiΣj wij
S1 =ΣiΣ
(W
j
ij + Wji)/ 2
2
(
S2 =Σ
i ΣjWij +ΣjWji)
2
である。
それに対して、
{xi}の母集団が未知である場合、{xi}を n 個の区域に反復的にランダムに並べて n! 個の xi
の順列を生成し、それを{xi}の母集団としたとき、{xi}がそこから抽出された一つの順列であるというラン
ダム性の仮定に基づくと、I の期待値と分散は次のようになる。
−1
=――――
E(I)
R
(n − 1)
1
2
2
Var(I)
=―――――――――――
{n[n −3n+3)S1−nS2+3W ]
R
W2
(n−1)
(n−2)
(n−3)
S1−2nS2+6W ]}
− b[
−E(I)
R
2(n −n)
2
2
2
ここでの b2 は xi の尖度であり、
(x
[
/ Σ
(x
]
b2=nΣ
i
i − x)
i
i−x)
− 4
− 2
2
で与えられる(Cliff and Ord, 1981; 張、2009)。
2)このような単位区域の数やサイズ、設定の仕方によって空間分析の結果が異なることは、可変単位地区問
題(modifiable areal unit problem MAUP)と知られている。
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国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
90
Spatial Pattern Analysis Based on Statistical Inference Rule
Changping ZHANG
Spatial patterns are defined by the variability and arrangement of characteristics
of phenomena in a geographic space. They are the realizations of processes that
operate over the geographic space. The spatial pattern we observed(the data)will be
z si), where is a realization of the stochastic variable Z(si), where si
referred to as (
denotes the ith location(i = 1, 2, ..., N).
There are four levels in spatial pattern analysis based on statistical inference
rule. The first level considers whether or not the analyst has prior, formal expectations
and assumptions concerning the spatial pattern. The second level determines to select
global or local methods of spatial analysis according to the homogeneity in the spatial
pattern. The third level is concerned with choices of estimation of model parameters,
prediction of individual values and simulation of entire patterns. The fourth level
addresses the assessment of uncertainty about the result of analysis.
Spatial autocorrelation indicates the extent to which the occurrence of one
feature is influenced by the distribution of similar feature in the adjacent area. As
such, statistics of spatial autocorrelation provide a useful measure of spatial pattern.
The analysis of spatial pattern for area feature, using Moran s I coefficient, must take
into consideration relationship between map resolution and spatial autocorrelation.
The structure of a spatial pattern can be revealed by the correlograms constructed on
higher-order proximity.
In this study, an experimental work is performed for analysis of spatial pattern
of population density in Ichikawa City, Chiba Prefecture. Some aspects of spatial
autocorrelation and clustered distribution are observed on a choropleth map of
population density. Moren s I coefficient with binary weighting matrix is used
statistically to test the spatial autocorrelation in the distribution and characterize the
spatial pattern by correlogram s wavelength and amplitude within a specific range of
spatial orders.
Key words: spatial pattern, statistical inference, autocorrelation, Moran s I
coefficient, proximity, correlograms
NEJIMA:Diversity of Islamic NGOs: A Preliminary Report
91
特集:イスラーム的NGOの多様性
子 島 進
1.国際ワークショップ『イスラーム的NGOの多様性』の概要
本ワークショップは、NIHU イスラーム地域研究と東洋大学国際地域学部の共催事業として、
2009 年 10 月 10、11 日の 2 日間、東京文京区にある東洋大学白山第 2 キャンパスにおいて実施さ
れた。
大学共同利用機関法人である人間文化研究機構(NIHU)は、国内の 5 つの拠点と共同で、
「イス
ラーム地域研究」
(2006−10 年)を進めている。この大型プロジェクトには、現代イスラームに対
する実証的な知の体系を構築し、その理解をさらに深めることが期待されている。早稲田拠点研究
グループ 2「アジア・ムスリムのネットワーク」に所属する子島は、イスラーム圏において、信仰
に根ざしたNGO活動が活性化しつつあるとの現状認識からこの国際ワークショップを企画した。
また、このワークショップは国際地域学部の白山第 2 キャンパスへの移転を記念するものでもあっ
た。
発表タイトルの下記の通りである。
子島進「イントロダクション:イスラーム的NGOの多様性」
オマル・ファルーク「カンボジアにおける国際イスラームNGOの活動」
青木武信「インドネシアにおけるイスラーム的NGOの環境問題への取り組み」
阿久津正幸「イスラーム高等教育の歴史社会学:ニザーミーヤ学院における宗教的知識と倫理」
エグバート・ハームセン「地域の伝統と西洋の狭間におけるムスリムNGO、イスラーム、そして
ジェンダー:ヨルダンの事例から」
細谷幸子「イランのキャフリーザク・センターにおける介護ボランティア活動」
イフサーン・ユルマズ「トルコにおける市民社会とイスラーム的NGO:ギュレン運動の事例から」
澤江史子「トルコのイスラーム女性によるアドボカシー:CCWPの事例から」
2.成果と今後の課題
2 日間の議論を通じて、イスラーム的NGOの多様性とその社会的重要性を確認したのみなら
ず、活動を促進する基本的なイスラームの概念や制度についても検討することができた。ワーク
ショップの内容は 1 冊にまとめ、New Horizons in Islamic Studies(Routledge 社)の一冊として刊行
する予定である。
92
Journal of Regional Development Studies(2010)
Diversity of Islamic NGOs: A Preliminary Report
NEJIMA Susumu
1
Abstract
Faith-based NGOs among the Muslims are expanding their fields of activities,
and anthropologists, sociologists, and political scientists have recently started research
on these NGOs. This is a preliminary report of the international workshop in which
various aspects of the Islamic NGOs were discussed.
1 Purpose of the Workshop
A workshop entitled Diversity of Islamic NGOs was held on 10 and 11 October
2009, in the second campus of Toyo University. It was a joint program of Faculty of
Regional Development Studies, Toyo University and NIHU Islamic Area Studies.
The purpose of the workshop was to understand Islamic NGOs in their diversity.
Muslims all over the world run hundreds of thousands of NGOs (a NGO can loosely
be defined as non-governmental, non-profit making, voluntary, and philanthropic
organization. see Shigetomi 2002:6, 7). Our focus is on faith-based NGOs among
Muslims. Their missions and activities are based on Islamic concepts, discourses, and
institutions. For example, a major British Muslim relief agency Islamic Relief quotes
the following verse from the Quran in their website, to demonstrate their identity and
mission of alleviating the poverty and suffering of the world s poorest people.
"Whoever saved a life, it would be as if he saved the life of all mankind" [5:32]
Islamic NGOs are active in the various fields such as social welfare, education,
health services, and disaster relief. They are also engaged with contemporary issues
of gender, environmental protection, and inter-religious/civilizational dialogue.
Anthropologists, sociologists, and political scientists have recently started paying
attention to the faith-based NGOs in the Muslim world. Benthall and Bellion-Jourdan
1
Regional Development Studies, Toyo University, Japan
NEJIMA:Diversity of Islamic NGOs: A Preliminary Report
93
(2003), Clark (2004), and Harmsen (2008) provide in-depth analysis of the subject.
Nejima (2002a) offers the case study of Aga Khan Development Network and the
Ismaili community in the northern Pakistan. Historically, Muslims have made efforts
to institutionalize zakat, sadaqa and waqf for establishing and maintaining numerous
orphanages, schools, and hospitals. Therefore, recent historical studies of the Islamic
charity are the source of insight as well (Sabra 2000, Singer 2008).
2 AKDN and Hamdard
In this part, I would like to explain how I started to conceptualize the Islamic
NGOs through my own field research.
2-1 Aga Khan Development Network
It was the activities of Aga Khan Development Network (AKDN) in the Northern
Areas of Pakistan that impressed me in 1993-1995. As one of the villagers half
jokingly said, they had the second government which was more efficient than the
first one (the Government of Pakistan). AKDN NGOs were supporting village life
in almost all the fields. Aga Khan Rural Support Programme, established in 1982,
encourages the villagers to organize their own VOs (Village Organisations for men,
and WO or Women Organisations for women) for helping themselves in such activities
as irrigation, road construction, agriculture, livestock, forestry, and food supply. Aga
Khan Education Services is in charge of education, and managing Schools. Aga Khan
Health Services maintains clinics and organizes women volunteers for safe childbirth.
Aga Khan Building and Planning Services is in charge of construction of clinics and
schools. Under the instruction from AKBPS, villagers voluntarily offer their own
resources and labor.
AKDN looked quite efficient and devoting. The impression did not change until
the end of my stay. Though original research purpose was to study about the agropastoral way of life in the high mountains of Karakorum-Hinduksh, I could not
ignore the presence of AKDN and voluntarism they extract from the villagers. AKDN
became absolutely essential for the villagers life by the early 1990s. It was also
impressive how Islam works in development. Although AKDN is non-denominational
development agency, Aga Khan is none other than the 49th Imam of the Ismailis. He
is the founder and chairman of the NGOs vigorously working in the northern Pakistan.
Most villagers are Ismailis or spiritual children of Aga Khan IV, and participate to
94
Journal of Regional Development Studies(2010)
the development programs authorized by the Imam.
Thus, the title of Imam ( imamat ), the highest institution of the Shia Islam,
was the key to understand what I had seen in the northern Pakistan. This is my first
encounter with an Islamic NGO.
2-2. Hamdard Foundation
After completing the dissertation about the Ismaili community and AKDN in
1999 (Nejima 2002a), I came to think of the possiblity of the Islamic NGOs in the
context of Pakistan. It was again AKDN that provided valuable material (AKDN
2000). Entitled Philanthropy in Pakistan: A Report of The Initiative on Indigenous
Philanthropy , the report explains Quranic contexts of charitable giving, profiles of
indigenous NGOs, and individual and corporate giving. In particular, profiles of NGOs
such as Anjuman-i-Himayat-i Islam, Edhi Welfare Trust, and Hamdard Foundation
gave me a broader perspective. These NGOs use zakat and/or waqf for the welfare
activities. Though zakat is one of the five pillars of Islam, and is often juxtaposed to
prayer (salat) in Quran, it has not been given due description (Singer 2008: 24).
Waqf or charitable endowment is another important means of Islamic giving. The
earliest recorded waqf in the subcontinent dated from the twelfth century. One of the
Ghurid sultans set aside the revenue of a single village to support a mosque in Multan
(Kozlowski 1985:22). Kozlowski continues that almost every ruler had a favorite
shrine and these received support in the form of waqfs. The Mughal emperor Akbar
established generous endowments for Shaikh Salim s shrine (Kozlowski 1985:23). A
few waqifs offered civic patronage of the sort familiar to India s British rulers. They
spent money on building an iron bridge, constructing a dispensary, and providing
electrical and water systems (Kozlowski 1985:68).
Hamdard Foundation has applied a traditional waqf to modern socio-economic
conditions. Hakim Abdul Majeed opened a small drugstore named Hamdard
Dawakhana in Delhi in 1906. His title hakim means that his occupation is to
compound traditional prescription according to the Islamic medicine. While the
contemporary hakims were content with their family business and held the traditional
knowledge exclusively, Hakim Abdul Majeed dreamed of promotion of the Islamic
medicine into modern industry. When he passed away in 1922, his two sons were left
to succeed the father s ideal. In India, Hakim Abdul Hameed enlarged his father s
business. In Pakistan, younger brother Hakim Muhammad Saeed cultivated the new
market. Hamdard India and Pakistan have grown as leading Islamic pharmaceutical
NEJIMA:Diversity of Islamic NGOs: A Preliminary Report
95
companies in the both countries.
Since 2000 I have visited Hamdard four times (twice in Karachi and twice in
Dehli). What makes them quite unique is that the companies are designated as waqf,
and net profit is used for social welfare. In 1948, Hamdard Dawakhana (India) was
converted into a waqf . In 1953, Hakim Muhammad Saeed followed his brother s
decision. In Pakistan, he has vigorously established medical and socio-cultural
institutions from the income of waqf; in 1958, Al-Majeed College of Eastern Medicine
was established. In 1964 Hamdard Foundation was established. Hakim Muhammad
Saeed also started academic journals called Quarterly Hamdard Medicus and Hamdard
Islamicus in 1977 and 78 respectively. Construction of Maidnat al-Hikmah, which
includes Hamdard University, started in 1983 (Nejima 2005).
I have obtained first-hand data of the two NGOs. Each one of them has
established a private university in Karachi, as the spearhead for reconstruction of the
Islamic civilization. For the Ismailis, Aga Khan University is the contemporary Al
Azhar, which was founded by the Fatimid dynasty as the center of Islamic learning.
The library of the Hamdard University is named Bait al-Hikmah after the famous
library and translation institute in the Abbassid dynasty.
I also came to know that these NGOs were not isolated phenomenon. In fact,
Dr. Nakamura Mitsuo, who had done fieldwork of Muhammadiyah as early as in the
1970 s, demonstrates how deeply the social activities based on Islam are taken root
into the Muslim life.
When I started participatory observation of the local people s ordinary life, I found
that many people were engaged with the social service which is in their own word
amal or good deed. Based on the firm religious belief that good deeds in this life
(dunya) guarantee the salvation in the next world ( akhira), they sincerely discipline
themselves, save money, and pay obligatory zakat . Furthermore, they pay voluntary
sadaqa, donate waqf and engaged with social service (Nakamura 2004:11).
Founded in 1912, Muhammadiyah is the second largest Islamic organization
in Indonesia. Putting emphasis on education, Muhammadiyah has more than 5000
schools in the country today. The Islamic Voluntary Sector in Southeast Asia (Ariff
1991) and Islam and Civil Society in Southeast Asia (Nakamura et. al 2001) offer
more general picture of the issue from the region. More recently, Clark (2004)
provides information on Islamic Social Institutions from the Middle East. While
96
Journal of Regional Development Studies(2010)
examining on the selected institutions such as Islamic medical clinics in Egypt,
the Islamic Center Charity Society in Jordan, and the Islah Charitable Society in
Yemen, she points out that these are just some of many non governmental or private
institutions aimed at addressing the socioeconomic needs of its society within, at least
theoretically, a stated Islamic framework (Clark 2004:2). The number of Islamic
voluntary associations is 2,457 out of a total of 12,832 voluntary associations in Egypt
(Clark 2004:12). Another study arguably gives even higher proportion. In the 1960s,
Islamic NGOs accounted for 17.3 percent of the total NGOs, and by the end of the
1980s, they accounted for 34 percent in Egypt (Shukr 2005:154).
3 Presentations of the Workshop
The five pillars of Islam or essential duty for believers include zakat(almsgiving)
to the poor. Islamic history also demonstrates the importance of charitable endowment
of waqf, which maintained social welfare such as educational and medical services.
Islam is known to put emphasis on the equity and social justice in the believers
community or ummah . With the emphasis on the voluntarism and philanthropy,
we can say that the Islamic ideals and institutions can be quite relevant to, and
overlapping with the ideals of the contemporary NGOs working in the field of the
social development.
Diversity of Islamic NGOs was planned to reflect and elaborate the current
interest in the Islamic NGOs in the academia. Participants submitted data and
interpretations based on his/her own field research. Since Islam is the second
biggest religion in the world in terms of population, attention was paid for covering
geographical varieties. Presentation titles and participants are as follows.
Introduction: Diversity of Islamic NGOs Nejima Susumu
International Islamic NGOs in Cambodia: An Overview Omar Farouk Bajunid
Islamic NGOs on Environmental Problems in Indonesia Aoki Takenobu
Historical Sociology of Islamic Higher Education: Religious Knowledge ( Ilm) and
Ethics (qurba) in Nizamiya Akutsu Masayuki
Islam, the West, Local Traditions and Gender Egbert Harmsen
Caregiving Volunteer Activities in Kahrizak Center in Iran Hosoya Sachiko
Civil Society, Islamic NGOs in Turkey and their both Nation-wide and Global
Initiatives: The Case of the Gülen Movement Ihsan Yilmaz
NEJIMA:Diversity of Islamic NGOs: A Preliminary Report
97
Islamic Women s Advocacy in Turkey: The Case of the Capital City Women s
Platform Sawae Fumiko
Nejima presented the first paper in order to clarify a comparative point of view
for Islamic NGOs. We will discuss the problems of definition and terms later. As
a case study, Nejima introduced AKDN in Pakistan, and Hamdard Foundations in
Pakistan and India, as mentioned above.
Cambodia, a country with approximately 700,000 Muslims, is the research field
of Omar Farouk. With Muslim minority communities spreading all over the kingdom,
several International Islamic NGOs such as International Islamic Relief Organization
(IIRO) and Muslim Aid are working there. A brief sketch of local NGOs run by
Muslims was also given.
Aoki dealt with Muslim efforts for environmental issues in Indonesia. He
demonstrated that Muhammadiyah and Nahdlatul Ulama (NU), two largest Islamic
NGOs in the country are providing reinterpretations of Islamic ideas in order to tackle
environmental problems. In the grass-roots level, eco-pesantrens play vital roles for
the problems. They are Islamic boarding schools which offer Quranic interpretations
from ecological point of view.
As a historian, Akutsu demonstrated how ilm (knowledge) was maintained by
waqf, and commitment to ilm was interpreted as qurba (pious deed) in Islamic history.
To understand the continuity and contemporary reinterpretation of Islamic ideals,
study of Islamic charity in the past offers valuable insight.
Harmsen has just published his Ph.D thesis, a voluminous anthropological
study on Muslim NGOs in Jordan. In this workshop, he discussed on the discourse
and practices of Al Afaf Society. This NGO belongs to the mainstream of Jordanian
Islamist movement, and is specialized in marriage and gender issues (This is the
second paper collected in this special issue).
Kahrizak Center in Tehran is Iran s biggest private institution devoting for care
of the disabled and elderly. Hosoya shed light on women volunteers working there as
bathing assistants. Through interpretation of the narratives of the women volunteers,
Hosoya discussed the Islamic aspects of voluntary activities.
Yilmaz introduced the Gülen Movement. Fethullah Gülen is a Turkish
Muslim scholar and he has influenced many business people to establish charitable
organizations, hospitals, and schools. Originating in Turkey, the movement has now
spread in over 110 different countries. Interfaith and intercultural dialogue is an
98
Journal of Regional Development Studies(2010)
important part of the Gülen Movement (This is the third paper collected in this special
issue).
The Final presentation was also from Turkey. Sawae discussed on Islamic
women s advocacy in the country. The case was taken from the Capital City Women s
Platform (CCWP) in Ankara. Sawae argues that the CCWP s Islamic advocacy is not
to produce an alternative to the Western modern. Rather its main target is the religious
conservatives and their understanding of Islam.
4 Concluding Remarks
Through the two-day discussions, participants could grasp the diversity of
Islamic NGOs. We have further discussed the fundamental concepts promoting such
philanthropic endeavors among the Muslims. Inspired by Quran and hadith, discourses
are usually created around basic concepts of qurba for thwab (pious deed for reward
from God), and fi sabil li-llah (to be on the path of Allah, for the sake of God).
Igarashi (2008) categorized the motivations of waqfs arranged by Amir Qijmas
(d892/1487), Governor of Damascus in the Mamluk period. Through the survey of
archives preserved in Cairo, Igarashi listed 58 waqfs related to Qijimas. It seems that
motivations of the Governor were various; maintenance of his property for his own
family, preparation for further religious merit after his death, and promotion of public
interest in his territory of governorship. These charitable endowments were, however,
based on one common ideal of qurba for thwab.
Today, Islamic philanthropy often takes the shape of NGO. Meanwhile, the basic
ideals remain the same and are reinterpreted according to the given contexts. Efforts
to qurba are practiced as zakat , sadaqa , and waqf . Hamdard Foundations in India
and Pakistan build schools and hospitals out of waqf income. Women volunteers in
Kahrizak Center regard that bathing assistance is also deed of zakat.
What are the cases in the relatively new fields such as environment and gender?
Aoki says NU and Muhammadiyah are both eagerly working to face environmental
challenges through dakwah (efforts to improve thought and behavior in accordance
with ideal Islamic standards). He also pays attention to the grassroots activities. In
some cases, villagers use waqf lands for afforestation, and women s study group of
Quran tackle household waste management. Sawae reports that the women s advocacy
group seeking for Islamically just gender came to appreciate their activity in terms
of sevap (deriving from thwab mentioned above). In Turkey, it is widely accepted that
NEJIMA:Diversity of Islamic NGOs: A Preliminary Report
99
sevap can be earned from any acts intended for the sake of Allah.
Through these case studies, we can understand that Muslims are expanding their
field of activities while reflecting upon Quran and Islamic ideals. These interactions
between religious concepts and NGO activities shall be researched more intensively
and carefully. It is also important to study the interactions in the local context. A verse
of Quran or hadith can be found as relevant to a certain circumstance and reinterpreted
for reflection of the activities. Meanwhile, Muslims dealing with the same issue in a
different context may find other verses for the source of inspiration.
Finally, I would like to mention the problem of terminology. Some participants
expressed concern about Islamic , which evokes the images of terrorism and
oppression of democracy. Indeed, Islamic voluntary activities are often restricted and
oppressed with the pretexts of anti-terrorism and protection of democracy. They prefer
Muslim NGO to Islamic NGO . This may cause another problem, since NGOs
run by Muslims are not necessarily motivated by faith. In any case, our subject of
research is faith-based NGOs among Muslims. We need more cases and discussions
for comprehensive definition of terminology and theoretical framework.
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Journal of Regional Development Studies(2010)
101
MUSLIM NGOs, ISLAM AND GENDER
BETWEEN LOCAL TRADITIONS AND THE WEST:
THE CASE OF JORDAN
Egbert Harmsen
1
Abstract
The issue of gender is of a contentious nature among Jordanian Muslim NGOs.
It evokes their criticism of certain western influences as well as of certain local
traditions in the name of Islam. Al Afaf Society is the Jordanian Muslim NGO that is
most specialized in marriage and gender issues. Its discourse and its practices in this
regard are ambiguous and display conservative as well as anti-traditionalist features.
Other Muslim NGOs, in particular certain women s associations, are more outspokenly
in favor of women s rights in the wider society and in the public realm.
1. Introduction
This presentation is largely based upon research I carried out for my PhD-thesis
on Muslim NGOs in Jordan. I defended this thesis on 13 June 2007 in Utrecht in
the Netherlands. The guiding theme of my dissertation, that was published at the
beginning of 2008, was the question whether Muslim voluntary welfare associations
in Jordan try to foster the empowerment and self-reliance of their target groups, such
as the poor, the orphans, divorced mothers, children of risk and the handicapped, or
rather patronize them and reinforce their state of dependency, and how this relates
to their position within Jordanian civil society. I was asked by the organizers of this
workshop to focus my presentation at one of the associations that distinguishes itself
by its focus on marriage- and family-issues. This association attracts a relatively
great amount of media-attention in Jordan by the mass-weddings it organizes for
young Jordanian couples. This brought me to the idea to focus this paper on the
way Jordanian Muslim NGOs deal with gender issues, and how their discourses and
1
Researcher affiliated to the Department of Arabic and Islam of the Radboud University of Nijmegen, the Netherlands.
102
Journal of Regional Development Studies(2010)
practices in this regard are affected by Islamic ideologies, local traditions as well as
western influences.
The American anthropologist Yvonne Yazbeck Haddad has distinguished two
different Islamic approaches toward gender issues that have been prominent in the
Muslim world during the last three decades or so: on the one hand the conservative
approaches of various traditionalist `ulama seeing the role of the woman as limited
to the family sphere and as subjugated to her husband, and on the other hand more
progressive Islamist approaches that tend to see the woman as an autonomous and
equal being with a rightful space for herself and an independent role to play in private
as well as in public spaces. The conservative view seems to affect Islamists when they
perceive socio-cultural threats toward Muslim society emanating from the west.
According to Haddad, for the Islamists, women are maintainers of tradition
and are relegated to the task of being the last bastion against foreign penetration .
She continues: Given the perception of the collapse of western society, it is clear
that traditional family values in the Arab world will be propagated strongly (by the
Islamists) for fear of loss of social cohesion (Haddad in Haddad and Esposito 1998,
pp. 12 – 21). On the other hand, I would say that Islamist discourse becomes more
progressive in tone when it criticizes the unislamic character of indigenous habits
and customs that are oppressive toward women and deny them their opportunities in
society.
For this reason, I have chosen the concepts of the West and of local traditions
to assess the religious discourses and the social practices of Jordanian Muslim NGOs
toward gender issues. I will start to describe the discourses and practices of Al-Afaf
Welfare Society. Afterward, I will compare the approach of this Society with that
of some other Jordanian Muslim NGOs. At the end, I will make some concluding
remarks concerning the role gender is playing in the Islamic discourses and the social
practices of Jordanian Muslim NGOs, and the impact of western influences and local
traditions in this regard.
2. The Mass Weddings held by Al-Afaf Society
On 25 July 2003, I attended the collective wedding party of that year organized
by Al-Afaf Society in Amman. Fifty-two couples celebrated their marriage in a mass
party attended by thousands of visitors. The party took place in and around the Islamic
Dar ul-Arqam school in an affluent Amman neighborhood. The street leading to the
Harmsen:MUSLIM NGOs, ISLAM AND GENDER BETWEEN LOCAL TRADITIONS AND THE WEST:
THE CASE OF JORDAN 103
school building was packed with cars, buses and invited families. Banners welcomed
the visitors. Upon entering the school area, men and women visitors were separated
from one another, as men and women celebrate in separate parts of the complex.
There was excitement in the air. Men in green uniforms from the Jerusalem Scouting
Association walked around to maintain order. An Al Afaf Association spokesman
welcomed the visitors, thanked Allah for enabling all those present to attend the party,
declared it a joyful occasion and presented the program. Qur anic verses regarding
marriage and family life were recited. Next, the spokesman rose to the platform again,
and spoke of the values of marriage, sharing, solidarity and love. He expressed the
wish that the fatherland … be a land of love and welfare for everyone . Several
Islamist male singing groups performed throughout the feast. They sang of Allah the
Almighty and the merits of marriage, and of bride and bridegroom. Mostly no musical
instruments were used, except for occasional drums. Nonetheless, the performances
were rhythmic in character. Many men in the audience started to clap, and some
danced. Finally, the fifty-two bridegrooms were led to the schoolyard by a group of
men in white kefiya s and traditional robes. Once in the schoolyard, white foam was
poured over the bridegrooms and a circle was created within which they danced.
Towards the end of the party, dabkeh-dancers bared their fists and sang of liberating
Palestine from the Zionist enemy .
Al Afaf is one of the many associations in Jordan founded and run by people
belonging to the mainstream Jordanian Islamist movement, which is dominated by
the Muslim Brotherhood. The association s founders were alarmed by the lack of
access to marriage for many young Jordanians due to the high financial and material
demands of the wedding parties, along with the costs and demands involved in
starting a family. In their view, these high demands and the inability of young people
to meet them result into prolonged bachelor- and spinsterhood and could easily lead
to the spread of sexual immorality as well as to the disintegration of Muslim society.
Out of an anti-materialist and anti-consumerist conviction, they condemn the habits of
young Jordanians to wait until they have obtained a well-paying job, a spacious home
and a beautiful car before they decide to marry. In the words of its director: material
expectations should be lowered, and a higher priority should be put to the importance,
the warmth and the love of marriage . Islamic ideals of solidarity or takaful between
the rich and poor are part of their motivation as well. In the words of its president,
Abdul Latif Arabiyat, who is also a prominent Islamist politician in Jordan: we see
104
Journal of Regional Development Studies(2010)
two extremes in our society now. On the one hand, there are many people in Jordan
who are so poor that they do not have the means to have a simple wedding party,
and on the other hand, there are rich people who spend tens of thousands of dinars
on wedding parties, and celebrate them with a lot of glamour and with the aim to
show off . According to him, it would be better if the rich spent part of their money
on helping the poor to marry. The collective weddings, to which wealthy donors
and companies contribute financially as well as in-kind, are an expression of this
conviction. They are meant to create an atmosphere of shared joy and togetherness,
regardless of the social ranking of the participants, and to symbolize a better Islamic
society , characterized by a spirit of modesty, cooperation and compassion; a society
in which rich people spent part of their wealth on the welfare of the less privileged,
rather than on their own social prestige (Harmsen in ISIM-newsletter no. 13, 30).
In this vein, Al Afaf-society s mass-weddings constitute a living criticism of
certain aspects of Jordanian and Arab traditional culture. This is illustrated by the
views of a married couple I interviewed that had participated in one of the Society s
collective weddings. Their motivation for participation seems not to have been
informed by financial want. In particular the family of the wife was well-to-do and
could have financed a regular wedding party without any problem. The couple stated
their motive in terms of their aversion against the extravagant and luxurious nature
of customary weddings , with their display of expensive jewelry and clothing. Older
sisters of the wife had wed in such a style. The couple was of the opinion that such
customary weddings are about profane and idle things, like outer appearance and
the display of wealth and prestige, rather than about the true values of marriage, like
mutual love, harmony and cooperation. In the words of the husband: we do not care
about this world (dunyah). We want to live for God (fi sabil li-llah), whereby this
world stands for materialism and worldly prestige and living fi sabil li-llah stands,
amongst other things, for mutual affection, attention and care. The couple decided to
register with the Society for the mass wedding, even before they notified their own
families.
3. Prolonged Bachelor- and Spinsterhood
Apart from the organization of mass weddings, the activities of Al Afaf
Association consist of the provision of bridal gifts and contributions and of interest-
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THE CASE OF JORDAN 105
free loans to the newlyweds. Moreover, the association organizes lectures and
workshops related to marriage and family issues and publishes books on these
topics. One of those topics is the harmful psychological, medical and socioeconomic
consequences of prolonged bachelor- and spinsterhood, such as the spread of
sexual immorality, loneliness, lack of self-confidence and the adverse economic
consequences of this perceived moral and social malaise. On the one hand, the
blame for the phenomenon of prolonged bachelor- and spinsterhood is attributed to
the West. Western capitalist and individualist culture is accused of encouraging this
phenomenon. Therefore, the Society s president Arabiyyat laments the absence in
Jordanian society of authentic values which govern individual and collective social
conduct and customs … in a framework of projects for Westernization which are
backed by wealth, experience and deadly means. This absence, he stresses, leads
to social illnesses and an epidemic of customs, ways of behaving and values that
threaten our edifice from its foundations (Wiktorowicz and Taji Farouki, 692). On
the other hand, certain local traditional habits responsible for prolonged bachelorand spinsterhood, that can obviously not be attributed to Western influences, are
mentioned as well. Examples are the habit of marrying only with spouses from one s
own environment, such as the extended family or village, or the tendency among
males to choose females who are younger than them and less in education and socioeconomic status, and for the opposite tendency among females. Such customs limit
the range of possible marriage partners (Badran and Sarhan 2001, 117 – 120).
In this regard, it is interesting to note that of the two families of the couple that
participated in one of Al-Afaf Society s mass weddings I just mentioned, that of the
bride was clearly the better of. Moreover, her own economic position as a university
teacher was better than that of her husband, who was a high school teacher. They did
not belong to the same extended family and they were even ethnically different: the
husband was Palestinian in origin, and the wife Transjordanian. This illustrates that
the social base of Al Afaf Society is largely of an urbanized, upwardly mobile and
well-educated middle class background. These people do not want to turn the clock
back to pre-modern times. They try to locate (social, economic, psychological and
cultural) stability in a modern society in accordance with their reading of the Islamic
revelation. On the one hand, speakers at Al-Afaf Society s workshops and seminars
express the need to fight or even punish, in accordance with the shariah , phenomena
often attributed to the influence of western-dominated globalizing culture, like nonmarital sex, homosexuality, unnecessary mixture between the sexes as well as
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Journal of Regional Development Studies(2010)
films, TV-shows and pictures enticing their viewers to sexual immorality. On the
other hand, they are of the opinion that marriage should be based upon the free will
of both partners. They do not view traditional Arab customs of enforced pre-arranged
marriages (in which the two partners may not even know one another beforehand)
favorably either (Badran and Sarhan 2001, 71 – 85).
4. Sexual Honor and Honor Crimes
A similar pattern of criticism of western influences and simultaneously of
certain aspects of traditional Arab culture in the name of Islam can be found in Al
Afaf Society s position toward sexual honor and honor crimes. The legal expert
Lama Abu-Odeh has described the traditional Arab conception of sexual honor as the
need for men to maintain the chastity and virginity of their female family members
by monitoring their behavior and their movements in outer space, so as to prevent
them from any activity that may put their chastity and virginity at risk. In traditional
Arab communities, a man s masculine status and reputation depends on his ability to
control the female members of his family and to preserve their chastity and virginity.
If a woman compromises or destroys this reputation by any kind of behavior that is
interpreted in the community as immoral or as suspect in this regard, the only way
for the man to restore his masculine reputation might be to kill her (Abu Odeh in Mai
Yamani 1996, 151 – 153). On the position of Islamists in this regard, she observes:
the fundamentalist agenda itself is not devoid of its own ambiguities. An important
question for the Arab world today is: what is the meaning of gender when the
traditional, nationalist and fundamentalist texts intersect? (Abu Odeh in Mai Yamami,
180).
In many ways, Islamism looks like a religious version of an anti-western (Arab)
nationalism. That is to say, Islamists try to construct an Islamized , and therefore
authentic version of modern Arab life that must be defended against the assault of
westernization and global consumer culture. In regard with criticism of honor crimes
at home as well as abroad, Al Afaf Society s reaction consists on the one hand of
downplaying the phenomenon and accusing the West of using the honor crime issue
in an aggressive campaign against Islam and Arab society. On the other hand, its
representatives portray the struggle undertaken by local liberal and feminist circles for
women s rights and against honor crimes as a cover for promoting sexual immorality,
an aim they attribute to imperialist powers and the Zionists
(Taleb 2001, 98 – 99).
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THE CASE OF JORDAN 107
That does not mean, however, that Al Afaf Society is entirely in favor of traditional
cultural notions of sexual honor. What the Society s representatives condemn as
well in their publications, lectures and workshops is the traditional notion in which
the mere suspicion of dishonorable sexual activity by a woman may prove sufficient
reason for male relatives to kill her in order to save their masculine reputation. Honor
killings based upon unproven allegations and rumors are disapproved of (Badran and
Sarhan eds., Qaddiyah Al-Sharf, 2003, 89 – 90 and 104 – 106). Islam forbids resorting
to self-justice and gossiping. Instead, the shariah should be applied, including moral
education and practicing gender segregation where needed, as well as the hudud
punishments (lashing and stoning) for persons convicted in court of engaging in illicit
sex. Al Afaf Society s stress on the cultivation of a moral conscience strong enough
to prevent believers from engaging into illicit sexual practices implies in my view a
move away from the traditional culture of shame toward a more modern culture of
individual responsibility and guilt.
In theory, the representatives of the Society endorse the Islamic principle of
equality in punishment for equal crimes , regardless of gender. At the same time,
however, it hardly tackles the aspect of gender discrimination, or the fact that it
is always women who are the victim of honor killings and that men usually get
away with perceived violations of sexual honor. Moreover, it continues to stick to –
traditional but religiously justified- patriarchal notions of the rationally superior
male as the guardian of family honor (Taleb, 85 – 86). This is reflected in what the
Society s director told me, that he saw the monitoring of a girl s movement outdoors
by her family as something positive, since the purpose was to protect her, and not to
oppress her . Indeed, traditional, nationalist and fundamentalist texts intersect in Al
Afaf Society s discourse.
5. The Marital Relationship
The ambiguity of Al Afaf Society s Islamic discourse on gender is also apparent
in regard with its view on the marital relationship itself. To illustrate this, I would
like to quote the answer of a voluntary woman worker of Al Afaf Society to my
question of how the principle of obedience of the wife toward her husband relates
to the principle of an equal relationship between both. She said: Obedience in the
shariah does not mean that the husband can simply give orders to his wife, lock her
up and prevent her from going out of the house and so on. No, the wife has her own
108
Journal of Regional Development Studies(2010)
life, is free to do what she wants and to have contacts and activities outside of the
home. I studied Shariah science at the Jordan University, so I know what I am talking
about. The duty of obedience relates to very fundamental issues that are basic to the
well being of the family as a whole. Issues in which the woman cannot act against her
husband s will. For example, once I raised with my husband the question of working
outside of the house. He said: if you are going to work outdoors fulltime, what about
the household tasks and the care of the children? . I had to consent to his objection,
but decided to work as a volunteer for Al-Afaf Society. My husband understands very
well that I need to do something outside of the home. He even supports me, and tells
me: don t sit all the time at home, you will get sick of boredom… my parents grew up
with much more traditional ideas. My mother always had to follow my father s orders;
there was not much room for her own desires and demands. Really, I wouldn t be able
to live like that!
This example shows that in the Islamized educated middle class atmosphere to
which this woman belongs, women do not simply follow their husbands slavishly.
Rather, there is room for mutual consultation, reasoning and the exchange of ideas
in arriving at decisions and for negotiated compromise between husband and wife,
even though it is still the husband who has the last say, at least in theory. His educated
wife certainly has means at her disposal to influence and persuade him in his decision
making, though. The Society s criticism of traditional conceptions of gender roles is
also reflected in views that the husband must assist his wife in her household tasks
in order to relieve her of part of her burden. The worker I just quoted referred in this
regard to a hadith stating that the Prophet Mohammed too was involved in cleaning
his own house.
This doesn t alter the fact that Al Afaf Society s discourse on the marital
relationship still starts from a complementary role division between husband and wife
as the basis of a harmonious and happy family life. A discourse in which the husband
performs the role of income provider who has the right to exercise control and
guidance over his family, and the woman the role of obedient mother and housewife.
Underlying this discourse is a view on family and community that emphasizes the duty
and responsibility of each person to satisfy, in accordance, the rights of others; the
husband has the duty to satisfy his wife s and children s rights to material wellbeing,
educational opportunities and daily attention; the wife has the duty to satisfy his
husband s right to well-cooked food, a pleasant home environment, moral support and
obedience. Such views are expressed in the public events and the publications of the
Harmsen:MUSLIM NGOs, ISLAM AND GENDER BETWEEN LOCAL TRADITIONS AND THE WEST:
THE CASE OF JORDAN 109
Society.
In one of these publications, Western society is accused of degrading the woman
by pressuring her to work in jobs in which she has to show her physical beauty. This
causes her to lose her humanity for the sake of financial gain, according to the author.
Paid work, the author stresses, should be regarded as a means to her own well being
and, especially, that of her family, and not as an end in itself. The best situation for
a woman, he stresses, is that she can make herself free to take care of her home and
her family (Muhammad Abu Hisan 1993, 115 – 116). In this regard, the Society s
president Arabiyat considers the introduction of certain western values as part of a
grand plan to invade the Arab and Muslim worlds and to reinforce Western-Zionist
hegemony over them (Badran and Sarhan eds., Al-Sakinah wa al-Muwaddah wa alRahmah baina al-Zawjain 2001, 11 – 12). And, like American anthropologist Haddad
observes on Islamist discourse, the Muslim woman must be educated to serve as a
bulkwark against these threats.
On the other hand, more egalitarian values regarding the marital relationship are
expressed as well in public events organized by Al Afaf Society. A great emphasis is
put on mutual care, consideration and democratic consultation between husband and
wife. When asked to mention valuable lessons from the workshop on marital life they
had to attend as participants in Al-Afaf Society s mass wedding, the husband of the
couple referred to above answered: I learned that abusing and (harshly) beating your
wife is prohibited by Islam. In popular culture, it is acceptable, but Islam teaches you
to treat your wife with kindness, respect and dignity. You may not treat her like an
animal . His own mother, he told me, had been abused by his father in the past, and
had suffered medical repercussions from this treatment.
Similar criticisms of traditional Arab culture can be detected in de Society s
position on the privacy of the nuclear family. Women workers of the Society I
spoke to regard interference by the husband s relatives in the life of the couple, and
in particular their tendency to dominate and control the wife and demand from all
kinds of services in the sphere of household tasks, as a traditional habit that hinders
a modern Islamic family life. They insist on the wife s need to have her privacy and
her own space in her own house. In addition to this, the practice of marriage partners
to discuss their mutual problems with their own families instead of with each other
is criticized. This, one woman worker said, only worsens their problems because
their families will interfere, which create a very complicated and escalating situation.
Both partners must learn to solve their problems amongst themselves and should
110
Journal of Regional Development Studies(2010)
listen to each other, without the interference of others . Again, we speak here about
people from an urban, educated and middle class environment that is increasingly
emancipating itself from old tribal and rural patterns but looks at the same time for
a renewed sense of social cohesion and stability in modern society on the basis of
religion.
And again, this search can also give rise to more conservative positions. The
Society s insistence on the status of the father and husband as disciplining head of
the family, for instance, makes it an opponent of a relatively new Jordanian law that
allows the wife to divorce her husband without his permission. According to the
Society s director, women are in general more emotional, impulsive and capricious
in the decisions they make. Therefore, putting the final say in divorce matters in her
hands alone would not be responsible .
6. Other associations
It could be stated that when the emphasis is put on the oppressive and unislamic
character of indigenous habits and customs, Islamist discourse becomes significantly
more progressive in tone. Instead of focusing on the defense of traditional values and
relationships in the face of perceived external threats, the emphasis is put on what
needs to be changed internally in order to improve one s own society. In Al Afaf
Society, I found women workers more outspoken and explicit then male workers in
their condemnation of customs and traditions that were seen as detrimental to the
woman s status. Other Muslim NGOs, and especially the women s associations among
them, are more outspoken on this line and explicitly advocate the rights of women in
the wider society, including the public domain. Their argument center s on women s
need to use their skills and education to contribute to Jordanian and Muslim society at
large, and not just her own home and family.
One example is the Al Aqsa Association led by Nawal al-Fauri. She is an Islamist
activist for women s and children s rights who left the Muslim Brotherhood during
the 1990 s out of frustration with the conservative and patriarchal attitudes among
the organization s leadership. With the support of several Western embassies, her
association has implemented micro-credit projects enabling needy women to set
up agricultural and stockbreeding farms. Moreover, it carries out awareness raising
activities for underprivileged women on social, cultural and political issues, including
gender. In the name of Islam, Al-Fauri stresses that women have a right to participate
Harmsen:MUSLIM NGOs, ISLAM AND GENDER BETWEEN LOCAL TRADITIONS AND THE WEST:
THE CASE OF JORDAN 111
in economic, social and political life that is equal to that of men, and that a husband
has to assist his wife in household tasks and the upbringing of children. Women, she
states, should follow the will of God as it is revealed in the Islamic sources, and not
arbitrary and self-interested traditional habits invented by men.
Another example is an Islamic women s association in a poor suburb in the
industrial city of Zarqa working for the empowerment of school-dropout girls and
their mothers from broken and socially weak families. Some of these mothers are
even working as prostitutes in order to survive. Methods used by this association are
literacy courses, a creative handicraft project, confidential discussions of personal and
social affairs and recreational outings. It is led by a woman who is also working as a
religious teacher and social worker in a mosque. She wears orthodox Islamic dress,
including a niqab or full face veil. She was, at the same time, trained by a British
development organization supporting projects for children at risk . In the name
of the Islamic concept of karama or dignity, this association endeavors to enhance
the self-esteem of the girls and their mothers, and to counter traditional habits that
discriminate against females regarding their social and educational opportunities.
The Danish researcher Marie-Juul Petersen, who is currently working on her
PhD-thesis, has visited this association at the time when I was about to finish my own
dissertation. The association s head told her that people often asked her why she did
not just focus her efforts on getting the girls married, but no, she said I want these
women to be able to take care of themselves . One of the beneficiaries told Petersen
that the association made her aware of her rights and capabilities, and helped her
to stand up for herself. Petersen also mentions projects for empowering women in
a center for orphans and poor belonging to the largest Muslim NGO in Jordan, the
Muslim Brotherhood-affiliated Islamic Center Charity Society. One of these projects
is called The Woman Can . It teaches women that they can express themselves and
can do what the man can do. One of the center s women teachers told Petersen:
A
woman should choose a career, she should not be dependant, she can earn money for
the family . Petersen states that while traditional conceptions of gender roles among
many Muslim voluntary welfare associations still limit endeavors of empowerment of
women seriously, even the most conservative among them encourage girls to pursue
their education and criticize views denying women their educational rights (Petersen
2007, 39 – 41).
112
Journal of Regional Development Studies(2010)
7. Conclusion
This paper demonstrates that the question whether Muslim NGOs in Jordan
advocate a conservative view that limits women to the sphere of home and family and
keeps them in a subservient position or, on the contrary, work on their empowerment,
independence and participation in the wider society cannot be answered unequivocally
. The Islamic discourse of an association like Al-Afaf Society still starts from the
traditional patriarchal family structure, which ties the woman first and foremost
to her home as mother and housewife. Underlying this structure is the assumption
that males are superior to females in terms of rational decision making abilities and
rights to control the family s affairs in the name of guarding the family s integrity,
unity, honor and wellbeing. The view expressed by especially the male leadership
of Al-Afaf Society emphasizing external threats to the Muslim family, such as those
emanating from western-dominated globalization and imperialism, seem to serve as
a justification of such a conservative gender-agenda. An agenda that justifies gender
inequality in terms of natural differences between the sexes and of the need of
the weaker sex to be protected by the stronger. We have seen that this defense of
patriarchy comes strongly to the fore when legal-social issues, such as honor crimes
and divorce, are discussed.
There seems to be a trend among the Jordanian Muslim associations, however,
in the direction of a more progressive view on gender relations. In Al-Afaf Society,
this trend can be detected in a redefinition of patriarchy in terms of the democratic
or consultative leadership that the husband should exercise. Within the framework of
moral sanction and acceptability that religious discourse provides, women involved
in Al Afaf Society and likeminded Islamist organizations try to get across their own
needs and desires, such as those for the respect and attention from their husbands,
for the opportunity to work outdoors, in a paid or in an unpaid fashion, and for the
husband s assistance in household duties and the upbringing of children. Religious
discourse seems to serve as a framework for the negotiation and balancing of, on
the one hand, traditional and patriarchal values and, on the other, the influences of
modernization and globalization. Modern education and an enhanced participation of
women in the labor market and public life have induced several Muslim associations
to criticize certain traditional forms of patriarchy and to advocate greater equality into
the marital relationship. In particular, certain Muslim women s associations now insist
that the role of the woman is wider then only the family sphere. They try to enhance
Harmsen:MUSLIM NGOs, ISLAM AND GENDER BETWEEN LOCAL TRADITIONS AND THE WEST:
THE CASE OF JORDAN 113
women s rights in the wider society and the public domain.
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Journal of Regional Development Studies(2010)
115
Civil Society and Islamic NGOs in Secular Turkey
and Their Nationwide and Global Initiatives:
The Case of the Gülen Movement
Ihsan Yilmaz
*
Abstract
The Gülen movement engages in interfaith and intercultural activities and works
towards a peaceful coexistence and alliance of civilisations. The Gülen movement
successfully turned its spiritual, religious, intellectual and human resources into
effective social capital and utilized this social capital in promoting interfaith dialogue
and in establishing educational institutions attracting students of diverse ethnic,
religious and socio-economic backgrounds.
1 Introduction
This study endeavours to show that while the faith-based Gülen movement
is directly engaged with interfaith and intercultural activities and works towards
a peaceful coexistence and alliance of civilisations, at the same time, it is
simultaneously engaged in concrete educational projects that indirectly foster an
understanding of intercultural dialogue; that help peace-building in global conflict
zones and that transform its social capital into sustainable development.
To achieve this aim, after briefly looking at Islam in Turkey, civil society and
Islamic NGOs, we will look at the man and his ideas who initiated the movement
associated with his name and then we will focus on his (and the movement s) discourse
and initiatives on dialogue, tolerance, acceptance and alliance of civilizations. In the
second part of the paper, we will briefly elaborate on how his message of dialogue,
acceptance, and alliance of civilizations and so on is applied in sensitive fields such
as multi-ethnic societies and global conflict zones.
*
Faculty of Administrative Sciences, Fatih University, Turkey
116
Journal of Regional Development Studies(2010)
2 Islam in Secular Turkey, Civil Society and Islamic NGOs
Turkish Republic had not allowed pluralism and democracy to operate until 1950.
During these four decades a positivist and staunchly secularist elite ruled the country.
Islamic identity and discourse were to a great extent de-legitimized and marginalized
by the Republican Kemalist elite. The role of Islam in the public sphere has been
radically marginalized and the state attempted to confiscate and monopolize even
this marginal role, leaving no official room for private interpretations of Islam. Even
though the Turkish Republic has followed assertive secularist policies, Islam is still
deeply rooted in the minds and hearts of the people. The state, through its secularist
policies and programs of westernization, endeavored to eradicate the value system of
the Muslim people in the country without providing, at the same time, a satisfactory
and all-encompassing ideological framework which could have mass appeal and
was capable of replacing Islam. The positivist Kemalist ideology could not fill the
gap which Islam was supposed to have forcefully vacated. Religious leaders, their
successors and the religious functionaries, have regained their influence in public
life and have continued to attract masses into their religious atmosphere. Local Islam
survived despite all attempts of the state. Islam in its all sorts of manifestations is
pervasive in a modern sense in Turkish society. After all Sufi brotherhoods and lodges
were closed down by the Turkish Republic; they did not challenge the state, as a result
of the Sunni understanding of preferring a bad state to anarchy, chaos and revolution.
Nevertheless, they continued their existence unofficially without making much noise
and without claiming any public or official role. In return, the officials turned a
blind eye to their existence. As a recent study on Turkey reconfirmed (t)he vibrancy
of Islam is remarkable in almost all areas of Turkish life. This Islam is neither a
replacement for, nor an alternative to, the modern world: it is an integral part of life
(Shankland 1999: 15, see for detailed data Shankland 1999: 54-61, see also Yilmaz
2005: ch. 4).
Turkey can no longer be explained by centre and periphery paradigm. There are
now centers and peripheries in Turkey. In today s Turkey, centres and peripheries –just
as identities- are intermingled and the boundaries between them have become blurred.
Periphery is no longer composed of low or folk culture. It is no longer composed of
villager, religious, uneducated and oppositional masses. We can argue the same for the
centre from the opposite angle. Islam is an obvious reality of some of these centres
and peripheries. In today s urban spheres in Turkey Islam is represented not only
Yilmaz:Civil Society and Islamic NGOs in Secular Turkey and Their Nationwide and Global Initiatives:
The Case of the Gülen Movement 117
at an individual level but there are countless institutions, official of unofficial. Sufi
brotherhoods, Islamic communities and faith-based movements appeal also to whitecollar workers and upper-middle class sections of the society. These communities,
movements and businessmen who are associated with them operate several companies,
dormitories, schools, Islamic charities, hospitals, journals, dailies, radio and TV
stations and so on. They also run several other types of NGOs and civil society
institutions. Their activities range from poverty eradication to human rights advocacy
to interfaith & intercultural dialogue. Faith-based Gülen movement is only one of
these many Islamic entities but it is probably the biggest one in terms of number
of people who are associated with it; variety of the areas it is interested in; number
of countries it operates and the interest it attracts from the media and academia –
local, national, international. Thus, in this study we will only focus on the Gülen
movement s civil society and NGO activities both in Turkey and the globe. We will
specifically focus on the movement s interfaith & intercultural and intercivilizational
dialogue activities and initiatives.
3 Gülen and the Movement Associated with His Name
Fethullah Gülen is a Turkish Muslim scholar, thinker, author, opinion leader, and
preacher emeritus. He has inspired many people in Turkey to establish educational
institutions that combine modern sciences with ethics and spirituality. His efforts have
resulted in the emergence of the Gülen movement. Gülen is now one of the latest and
most popular modern Muslims that Republican Turkey has produced (Kadioglu 1998:
18). The actual number of people inspired by Gülen s works and sympathizers is not
exactly known. But it is agreed that it is the largest civil movement in the country. In
newspapers, he is at times referred to as the unofficial civil religious leader of Turkey
(Ozgurel 2001).
Gülen s teaching offers a contribution that is devout, and looks for the renewal
of Muslims through deeper engagement with the sources of Islam. At the same time,
this Islamic depth calls for deployment of an appropriate ijtihad that is directed
towards Islamically faithful engagement with the realities of the current historical
and geographical and socio-political contexts. All of this, together, is then directed
towards tajdid or renewal of Islam and of Muslims that can actively develop and
enrich both the bonding and bridging social capital that religions can offer to the
wider civil society (Weller 2007: 283).
118
Journal of Regional Development Studies(2010)
Gülen has influenced those who share his thoughts and aspirations, numbering
a few million, to establish over 1000 educational institutions such as primary and
secondary schools, colleges and universities that endeavor to combine modern
sciences with ethics and spirituality, in over 110 different countries; from Kazakhstan
to Tanzania, from United Kingdom to Australia. In addition to his contribution
to the betterment activities of education in Turkey and the World at large, he is
also renowned for his endeavors for the establishment of mutual understanding &
acceptance and tolerance in the society. His social reform efforts, begun during the
1960s, have made him one of Turkey s most well-known and respected public figures.
His dedication to solving social problems and satisfying spiritual needs have gained
him a sizeable audience and readership throughout the world. Fethullah Gülen does
not have an official status and his authority is based solely on his religious and
scholarly credentials. Gülen s interfaith approach has three religious bases: a history
of revelation and prophecy, the commonalities among faiths, and the Qur an s explicit
sanction of interfaith dialogue (Kayaoglu 2007: 523).
In the first phase of his life Gülen gathered his students into a quasireligious
community which aimed to form them into a generation of pious and educated
Muslims. Gülen saw these communities as a way of building a new generation of
morally superior persons (Penaskovıc 20007: 411). His movement has worked towards
inculcating individuals with this desire and practice, and the effects can be seen
through the numerous charitable works the people associated with the movement have
developed. As such, the movement has an important effect in building civil societies as
the bases of civilization, through individual empowerment and societal empowerment
(Krause 2007: 171). Empowerment is achieved one, when the individual develops
and advances his/her own skills, education and consciousness and two, when other
individuals benefit from that person s charity, education, or guidance (Krause 2007:
171). Gülen s teaching also offers both a critique of the political instrumentalisation of
Islam while at the same time providing a basis for active Muslim engagement with the
wider society in ways that are based on an Islamic robustness and an Islamic civility
(Weller 2007: 269).
Gülen has lead the establishment of many charitable organisations, hospitals,
schools, universities, media outlets, journals, poverty eradication foundations, and
interfaith & intercultural dialogue institutions. Volunteerism is a cornerstone to the
success of the movement s institutions, as well as the support of small businessmen,
the social elite and community leaders, and powerful industrialists. With donations
Yilmaz:Civil Society and Islamic NGOs in Secular Turkey and Their Nationwide and Global Initiatives:
The Case of the Gülen Movement 119
from these sources, trusts and foundations have been espacially to establish schools
and to provide scholarships to help students (Krause 2007: 166). The Gülen movement
shares much in common with many Western, Christian, philanthropic initiatives
in education and public discourse of the past three centuries, particularly in North
America and it cannot be easily understood in the limited context of the Muslim world
(Barton 2007: 650). The movement exemplifies an institution and mode of action
that is indispensable to decision makers and policy makers struggling with the strains
of ideological cleavages and growing fear and threats of terrorist and racist action. A
look at four major components of civility – tolerance, cooperation, reciprocity, trust
- illustrate how the teachings and philosophy of the Gülen movement is a vehicle
for the development and securing of civil societies (Krause 2007: 171). Analysing
empowering effects that result from the Gülen movement s efforts, captures a deeper
understanding of how their mode of action enables greater well-being, health and
the ability of individuals to be in better positions to take greater control over their
choices. Empowerment is achieved through its educational and charitable efforts. The
movement is dedicated to education in a broad sense (Krause 2007: 169).
The Gülen movement is based on an Islamic philosophy that embraces a common
good, and emphasises the universality of values, spirituality and principles of justice
– in short, the welfare of society and all individuals within that society. Gülen s work
and movement has become an active force within civil societies, as can be seen in
the numerous activities pursued, and its growing presence in an increasing number
of countries outside its origins, Turkey (Krause 2007: 165). The movement has
become a transnational actor on a major scale, through both its educational and its
interfaith programmes. Its non-state nature is clear and its global reach substantial
(Park 2007: 59). Tracing the range of activities of the movement is difficult, given its
devolved nature and its sometimes coy approach to self-publicity, but the movement
has sponsored or contributed to, and sometimes dominates, a confusing diversity of
often overlapping interfaith organizations (Park 2007: 57). As emphasised by John
O. Voll, in the clashing visions of globalizations, Fethullah Gülen is a force in the
development of the Islamic discourse of globalized multicultural pluralism. As the
impact of the educational activities of those influenced by him attests, his vision
bridges modern and postmodern, global and local, and has a significant influence in
the contemporary debates that shape the visions of the future of Muslims and nonMuslims alike (Voll 2003: 247). The movement has also already emerged as an
element in Turkey s soft power, whether the state appreciates it or not (Park 2007:
120
Journal of Regional Development Studies(2010)
54).
4 Gülen on Tolerance, Acceptance and Dialogue between Civilizations
Gülen sees diversity and pluralism as a natural fact. He wants those differences
to be admitted and to be explicitly professed. Accepting everyone in their otherness,
which is broader and deeper than tolerance, is his normal practice (see in detail,
Unal and Williams 2000: 256-258). Even a relatively cursory reading of some
representative works of Gülen yield elements for a paradigmatic perspective that is
indicative of new possibilities for Muslim interpretation of, and sensibilities toward,
interfaith relations and dialogue (Pratt 2007: 405). Gülen s message of tolerance and
dialogue originally started as a response to certain specific tensions within Turkish
society. The notions that he developed of both tolerance and dialogue fit well within
the traditions of ancient Greek thought as well as more recent developments in the
application of speech act theory and the conception of communicative rationality.
By linking these notions as he does, Gülen supplies a unity of the two notions that
has application on a global level (De Bolt 2005: 12). Gülen has linked tolerance and
dialogue in a new way that provides an important message within a global context that
offers an alternative to conflict (De Bolt 2005: 1). For Gülen, tolerance is achieved
through a form of education that does not deny the place of religion, nor denies the
place of what is known as secular learning. This is merely a constructed dichotomy
that bears little relevance in the true attainment of building a holistic self and society
(Krause 2007: 172).
Gülen proclaims the Muslim priority for peaceful and harmonious relations with
the wider world, including with religious neighbours (Pratt 2007: 391). He believes
that dialogue is a must today, and that the first step in establishing it is recognising
but transcending the past, disregarding polemical arguments, and giving precedence
to common points, which far outnumber polemical ones. In his opinion, a believer
does not hesitate to communicate with any kind of thought and system; while one
foot should remain at the centre the other could be with other seventy-two nations
(Rumi s famous metaphor); Islam does not reject interaction with diverse cultures and
change as long as what is to be appropriated does not contradict with the main pillars
of Islam. He unequivocally puts that the method used by those who act with enmity
and hatred, who view everyone else with wrath, and who blacken others as infidels is
non-Islamic, for Islam is a religion of love and tolerance (Unal and Williams 2000:
Yilmaz:Civil Society and Islamic NGOs in Secular Turkey and Their Nationwide and Global Initiatives:
The Case of the Gülen Movement 121
197).
Gülen does not take refuge in any invocations of an idealised past as a solution
to the weakness of Islam in the present. Rather, he seeks to provide a clear analysis
of the kind of global and historical context that has led some Muslims into seeing the
world in terms of an epic, militarised global struggle of almost Manichean dualism
between dar-al Islam and dar-al harb (Weller 2007: 276). He is more concerned with
dar al-hizmet (see in detail Yilmaz 2003). This reflects a movement away from an
instrumentalisation of religion in politics to a public life of service based on religious
motivations, contributing to civil society as one contribution alongside others (Weller
2007: 282).
He speaks to the importance of knowledge and education, which if done
properly can avert any clash of civilizations. Mr. Gülen equates knowledge and
power. Everything in the future will be in the orbit of knowledge (Penaskovıc 2007:
411). His positive response to the clash of civilizations thesis consists of three parts
encapsulated in the words, tolerance, interfaith dialogue, and compassionate love
(Penaskovıc 2007: 413).
Whilst Huntington thinks in terms of polarities, Gülen espouses a more holistic
view of global politics. Gülen sees Islam and the West working together in a
harmonious fashion. In this connection the operative term for Gülen is dialogue. Gülen
also takes a transcendent point of view, that is, he looks at global politics through
the lens of his Islamic faith (Penaskovıc 2007: 415). Gülen is aware of the fact that
the tendency toward factionalism exists within human nature. A meaningful and
nonetheless necessary goal, he says, should be to make this tendency non-threatening
and even beneficial (Vainovski-Mihai 2007: 419). He also entirely understands the
growing interdependencies of today. He invites to a emotional coexistence through
dialogue across differences and on the basis of joint ethical criteria (VainovskiMihai 2007: 426). Gülen s philosophy of peace and his efforts are not considered
isolated instances in Islam; in fact, the entire heritage of Islam is considered to be the
foundation of Gülen s understanding of peace (Saritoprak 2007: 636).
5 Utilizing Social Capital in Empowering Civil Society and Peace-Building
5-1 Faith-based Initiatives on Dialogue between Civilizations and Peace-building
Gülen visited and received leading figures, not only from among the Turkish
population, but from all over the world. Pope John Paul II at the Vatican, the late
122
Journal of Regional Development Studies(2010)
John O Connor, Archbishop of New York, Leon Levy, former president of The AntiDefamation League are among many leading representatives of world religions with
whom Gülen has met to discuss dialogue and take initiatives in this respect. In Turkey,
the Vatican s Ambassador to Turkey, the Patriarch of the Turkish Orthodox Church, the
Patriarch of the Turkish Armenian community, the Chief Rabbi of the Turkish Jewish
community and many other leading figures in Turkey have frequently met with him,
portraying an example of how sincere dialogue can be established between people of
faith (Gülen 2004: xiii).
Gülen pioneered in the establishment of the Journalists and Writers Foundation
in 1994, well before mushrooming of dialogue activities in the post-9/11 world, the
activities of which to promote dialogue and tolerance among all strata of the society
receive warm welcome from almost all walks of life. The Foundation also works as
a think-tank in related issues. The Journalists and Writers Foundation s activities to
promote dialogue and tolerance among all strata of the society have been warmly
welcomed by people from almost all walks of life. Journalists and Writers Foundation
sponsors the Abant Platform, the Intercultural Dialogue Platform, the Dialogue
Eurasia Platform and Medialog Platform. The movement tries to bring all scholars and
intellectuals regardless of their ethnic, ideological, religious and cultural backgrounds
(The Abant Platform). This platform is the first of its kind in Turkish history where
intellectuals could agree to disagree on sensitive issues such as laicism, secularism,
peaceful co-existence, and faith & reason relations. In its various meetings,
conferences, panels, and publications, the Abant Platform seeks to propagate tolerance
and modernity and the contribution Gülen s ideas might make to them, and brings
together intellectuals, writers, activists and others to discuss a wide range of current
issues. For example, early in 2007 it organized a panel in Turkey aimed at encouraging
dialogue between the Sunni majority and the Alevi minority. The Platform s initial
meetings were held at Abant in Turkey, but the first of its annual meetings to take
place abroad was held in Washington DC in 2004, followed by Brussels and Paris. In
February 2007 that it held its first international meeting in the Islamic world, in Egypt
(Park 2007: 57). Abant Platform is an example of a religiously inspired social capital
formation in a society with ideological, ethnic and religious fault lines (Ugur 2007:
155).
Gülen s dialogue and peaceful coexistence discourse has also led to the
establishment of new institutions all over the world, like the Dialogue Society
established in 1999 in London or the Rumi Forum, the Rumi-inspired foundation
Yilmaz:Civil Society and Islamic NGOs in Secular Turkey and Their Nationwide and Global Initiatives:
The Case of the Gülen Movement 123
established in 2000 in Washington DC. Such enterprises underscore the ambition to
consolidate and make manifest the trend toward a general but a renewed Rumi form
of humanism (Ozdalga 2003: 70-71). There are now hundreds of dialogue associations
and charities all over the world founded by the movement s Muslim and non-Muslim
volunteers motivated by Gülen s teachings. Through these charities, these volunteers
initiate and engage in interfaith and intercultural dialog with people of different faiths,
backgrounds, and cultures.
5-2 Peaceful Co-Existence in Multi-Ethnic Societies and Global Conflict Zones
The Gülen movement has been able to convert its social network and spiritual
capital into creative, especially educational, projects (Kucukcan 2007: 187). The
movement provides intermediary networks that contribute to the integration of
individual citizens to state (Ozdalga 2005: 433).
The movement s schools in areas where ethnic and religious conflicts are
escalating, such as Albania, Kosovo, Macedonia, the Philippines, Banda Aceh,
Northern Iraq, Darfur and South-eastern Turkey have played remarkable peacemaking
roles in decreasing levels of conflict in these areas (Saritoprak 2005: 423, see also
Kalyoncu 2007). Case studies of Gülen-inspired organisations in Singapore, Indonesia
and Cambodia show how they have applied his ideas to enable inter-religious dialogue
and offer an effective alternative to legalistic teaching of Islam. The case studies
allow for comparison of the movement s approach to a Muslim-majority and Muslimminority context (Osman 2007: 334; Bruckmayr 2007: 347).
1
The movement has succeeded in forging policies and programmes that bring
different ethno-religious communities together as a necessary first step towards
civil society: common problems facing the different ethno-religious communities
are identified, then solid services to address those problems are provided, requiring
collaborative effort by the different ethno-religious communities. In this way the social
potential of those communities is mobilised and channelled to achieve shared goals
which enrich the society as a whole (Kalyoncu 2007: 597). Moreover, movement has
1
The only Cambodian non-religious and non-discriminatory educational facility operated from a Muslim country is Phnom Penh s
Zaman International School. It was founded in 1997 and is associated with the Fethullah Gülen movement. Classes are taught in both
Khmer and English. Its kindergarten, primary and high schools are attended by Khmers, resident foreigners and a few Chams. For them,
apart from the high standard provided by the school, its explicit agenda of instruction on an inter-racial and inter-religious basis, coupled
with its prestige as an institution operated from Muslim lands, serves to make the school a valuable alternative to both secular private
schools and Islamic schools, Bruckmayr 2007: 347.
124
Journal of Regional Development Studies(2010)
not only mobilized Turks, but also Turkish citizens of Kurdish, Arab, and Assyrian
Christian descent in the city to cooperate on challenging their common problems such
as the ensuing insecurity, infrastructural and socio-economic deprivations resulting
from the clashes the Turkish security forces and the terrorist organizations such as
the Marxist PKK and the pro-violence radical Islamist Hizbollah, that also deepened
the ethnic and to lesser extent religious fault-lines (Kalyoncu 2007: 599). In this
socio-political and economic context, the movement has encouraged people from
different ethnic and religious backgrounds to establish educational, cultural and civic
institutions that have changed the attitudes and practices of the ethno-religious groups
in Mardin (Kalyoncu 2007: 599). The educational institutions run by Turkish citizens
of Turkish, Arabic and Kurdish descent together have minimized, if not eradicate, the
perception of Turk-Kurd enmity through which PKK has garnered popular support
(Kalyoncu 2007: 602-603). In short, the movement s utilization of social capital in
establishing educational, cultural and civic institutions has paved the way for a more
cohesive, participative and thus sustainable civil society.
2
The movement does not only give priority to poorer countries such as Kyrgyzstan
(Keles 2007) but also to areas where ethnic and religious conflicts are escalating, such
as Albania, Kosovo, Macedonia, the Philippines, Banda Aceh, Northern Iraq and these
schools are believed to have played remarkable roles in decreasing levels of conflict
in these areas (Saritoprak 2005: 423). In Skopje, Macedonia when civil war was
2
For the purposes of this study, we only focused on two interrelated activity areas of the movement: dialogue and educatioal activities.
But in other areas mentioned previously the movment is also very active and has started making a global impact. For instance in the area
of poverty eradication, the movement s recently etsablished organization -Kimse Yok Mu?- has been very active and influential. In the
words of Thomas Michel, the movement s Kimse Yok Mu is a new but quickly-growing organization that has its origins in 2002 in a
television program with the same name on Samanyolu TV... During the month of Ramadan in 2007, Kimse Yok Mu fed over 1,800,000
people both in iftars and with food packages. In 2006, Ramadan tents were constructed not only in seven cities in Turkey but also in the
Philippines, Indonesia, Pakistan, Lebanon and Ethiopia; by 2007, the number of fast-breaking tents reached 22 cities in Turkey and in
another ten countries (Mongolia, Pakistan, Sri Lanka, Indonesia, Lebanon, Sudan, Afghanistan, Kenya, Ethiopia and the Philippines.)
After the underwater earthquake and resulting tsunami in the Indian Ocean that on 26 December 2006 devastated parts of Indonesia,
Sri Lanka, India, and Thailand, and produced a death toll of over 128,000 people in Indonesia alone, Kimse Yok Mu was one of a host
of international agencies that provided emergency relief and engaged in the effort at reconstruction of the region... In 2007, Kimse Yok
Mu began its aid programs in Africa. Beginning with Ethiopia and Kenya, the association now assists people in Niger, Uganda, Central
Africa, Cameroon, Senegal, Guinea, Congo, Burkina Faso, Chad, Togo, Ghana, Liberia, Madagascar, Benin, Mauritania and, since
March 2006, a special campaign for Darfur in the Sudan. In Asia, the association has projects, in addition to those mentioned above, in
Bangladesh and the Philippines. In Bangladesh, the association dispatched rescue and relief teams after the 2007 hurricane. The most
recent campaigns have been responses to the recent tragedies in Myanmar and China. Already in May, 2008, the first team of volunteers
and aid supplies from Kimse Yok Mu arrived in Myanmar and were given permission to distribute emergency assistance – vegetables,
rice, drinking water, and disinfectant materials - to victims of the cyclone. It was teachers in the schools run by members of the Gülen
community already in Myanmar who were able to coordinate the humanitarian relief efforts, Michel 2008, see also Koc 2008.
Yilmaz:Civil Society and Islamic NGOs in Secular Turkey and Their Nationwide and Global Initiatives:
The Case of the Gülen Movement 125
going on in the region, members of different ethnicities were sending their children
to the movement s school in the region and while their parents were fighting, the
children were living peacefully under the roof of the same school (Saritoprak 2007:
637). Afghanistan is another example of community which is highly diversified with
various ethnic groups such as Pashtun, Tajik, Hazara, Uzbek, Aimak, Baluchi, Kyrgyz,
Turkmen, Nuristani and Pamiri among other small ethnic groups and in this country
there are several Gülen schools including the ones solely for girls (Saritoprak 2007:
603-604). Another country where Gülen schools operate is Philippines which is an
example of a community stigmatized with an enduring Muslim-Christian fighting (see
in detail Michel 2003: 69-84). Minority Moro Muslims in Philippines are populated
in the autonomous region of Mindanao in Southern Philippines. After the end of the
colonialism, the conflict in Philippines has transformed into an enduring one between
the Muslim minority and the Christian majority. Thomas Michel states that the Gülen
schools in Philippines are peace islands in the sea of conflict as the schools bring
together both Christian and Muslims students together under the same roof. Gülen
movement does not take part in the conflict. Instead, they prefer to identify common
grounds where they get together and cooperate to tackle their common problems
(Kalyoncu 2007: 605). In the African context, field research about Kenya s Güleninspired schools suggests that the schools have been functioning not only as a secular
alternative to religious, Christian missionary schools and Islamic schools, but also as
barriers to potential ethno-religious conflict between Kenya s local Christian tribes
and its politically empowering Muslim minority (Kalyoncu 2008: 350). There are
two Gülen-inspired charity organizations operating in Kenya: the Omeriye Foundation
and the Respect Foundation. The Omeriye Foundation provides services in the fields
of education, relief and healthcare and the Respect Foundation focuses its efforts
on interfaith dialogue aiming to bring together deeply fractured faith communities
in Kenya to cooperate in community projects (Kalyoncu 2008: 359). Similarly, the
Gülen-inspired civil society initiatives in Uganda seem to have introduced the local
Ugandans with a pragmatist approach to development by seeking to instil in them the
notion of relying on their own resources instead of international aid (Kalyoncu 2008:
350).
Northern Iraq is a unique case with highly fractured community along the ethnoreligious differences. The community composed of Kurds, Sunni Arabs, Turcoman,
Shiites, and Assyrian Christians experiences conflicts along the line of these ethnoreligious differences. The fact that neither of these ethno-religious groups inherently
126
Journal of Regional Development Studies(2010)
possesses democratic political culture further minimizes the prospect of easy
development of civil society in Northern Iraq (Akyol 2008: 28). In such a context, the
role of non-governmental organizations in preventing ethnic conflict and supporting
the peace building process has been vital (Akyol 2008: 28). The movement s
schools in the Kurdistan region of Iraq have played in building trusting cross-ethnic
relationships (Akyol 2008: 28). There are currently 10 Turkish schools -ranging from
nursery level to university- in Iraq. Eight of these schools are in the Suleymaniye
(3), Arbil (5) and Kirkuk (2). Unlike the standard Kurdish schools in Gülen schools
all students have to study four languages, Turkish, Arabic, Kurdish and English, in
the first year, thus improving the opportunities for effective dialogue. This policy
clearly demonstrates how Gülen s inclusiveness and how his movement works within
fragmented societies by valuing each group and by constructing the desired society
model in their schools (Akyol 2008: 47). The schools have prepared and set up
the preconditions for understanding each others needs and that in so doing they are
able to build confidence between antagonistic parties. In that sense they can serve
as mediators between the nationstate Turkey and the semi-autonomous Iraqi Kurdish
federal region. They are well placed to open channels of communication and to
specify the needs of the Kurdish community in Iraq (Akyol 2008: 28). The schools in
the region are spreading the concept of tolerance, dialogue, democracy, and pluralism
that are essential for a cohesive and sustainable society. They are also promoting
non-violent conflict resolutions by showing how to approach to social problems
through collective cooperation (Akyol 2008: 51). It is plausible that in the long run
perceptions and attitudes of people in the region will change in the Gülenian line of
thought that advocates peace and non-violence as important elements of democratic
political order (Kucukcan 2007: 196). Thus, educational activities of the Gülen
movement in the region will open up a political and social space for an alternative
approach to the prevention of ethnic conflict. More importantly they present an
alternative way of thinking about ethnic conflict resolutions based on an increasing
level of social, cultural and trade contacts between conflicting parties (Akyol 2008:
51).
6 Concluding Remarks
The Turkey-originated faith-based Gülen movement, with its several Islamic
faith-based NGO initiatives, successfully turned its spiritual, relgious, intellectual
Yilmaz:Civil Society and Islamic NGOs in Secular Turkey and Their Nationwide and Global Initiatives:
The Case of the Gülen Movement 127
and human resources into effective social capital and utilized this social capital in
promoting interfaith & intercivilizational dialogue and in establishing educational
institutions from primary school to university levels attracting students of diverse
ethnic, religious and socio-economic backgrounds.
The Gülen movement has been successful in employing its social capital
to empower the civil society and to expand the democratic space available for
the periphery (Ugur 2007: 155). A critical contribution of the movement is the
empowerment of the civil society vis-à-vis the state (Ugur 2007: 155). Thus, in the
Turkish context, a more informed, educated and cohesive public have already started
to emerge, which in turn developed a self-esteem for challenging the state in matters
of democracy, freedoms and the rule of law. The open dialogue and reconciliation
that takes place in Abant demystifies social problems that were seen as intractable.
This in turn depoliticizes social problems. And paradoxically, depoliticisation opens
more space for the political society against the resentment of the state bureaucracy to
reform (Ugur 2007: 162).
Peace-building studies have elaborated on certain elements that are essential for
building and maintaining peace. Two of these elements are education and knowledge.
Gülen movement s greatest efforts and contributions are related to these two fields
(Saritoprak 2007: 636). The movement draws on Islamic teachings that are mostly
no different from most other religious teachings, thus enabling the movement to
build bridges between faiths and the pursuance of common interests for the good
of mankind and society. In this way the movement is positioned to root itself in a
variety of contexts making it an outward-looking form of organisation, as opposed
to an inward-looking form of organisation which comprises the dominant mode of
religious-based and interest-based organisation (Krause 2007: 266).
In its sponsorship and support for interfaith and intercivilisational dialogue, the
Gülen movement seeks both to counter the impact of the more violent fundamentalist
strains in modern Islam and to undermine wherever it can Huntington s Clash of
Civilizations thesis (Park 2007: 56).
Its activities will impact on the Clash of Civilizations and the evolution
and image of Islam in the modern world. It stands to play a substantial role in the
evolution of the Turkic world, in terms of its cultural unity, its modernity, and the
role Islam assumes in the region. It has become part of Turkey s face abroad and an
expression of Turkey s soft power in particular. In this respect, it could offer to much
of the Islamic world a more digestible and accessible model for development and
128
Journal of Regional Development Studies(2010)
democratization than that usually associated with Turkey s ardently secular Republic
(Park 2007: 59).
The movement might also help generate emulative reactions more widely
throughout the Islamic world. The Gülen movement, with its heady and promising
combination of faith, identity, material progress, democratization and dialogue, might
offer a model more attractive to and more worthy of emulation by Muslim states and
societies struggling to orientate themselves towards a more dynamic and open future
(Park 2007: 54).
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Journal of Regional Development Studies(2010)
131
Relationships between phases of business cycles in
two large open economies
Ken-ichi ISHIYAMA
*
1. Introduction
We have observed large increases in trade and capital flows for several decades.
Does it mean the emergence of a world business cycle or the increase in possibility
of global recession? This problem is closely related whether the government in each
country should take a coordinated policy to control domestic business cycles or not.
The purpose of this paper is to obtain some implications concerning the problem
through analyzing phenomena represented by a nonlinear macroeconomic model.
Some interesting macroeconomic models described by nonlinear equations
were proposed about five decades ago (e.g., Kaldor 1940). Since the nonlinearity in
time series of main economic indices proposed by many empirical researches (e.g.,
Brock and Sayers 1988), nonlinear models have been attracting much attention.
Generalizations of those models have been studied energetically. Asada et al. (2003,
Ch.10) have exemplified that interaction between two large open economies can
generate persistent business fluctuations by a high-dimensional nonlinear model. The
model is complete in the sense that all markets in the Keynesian macroeconomics are
taken into consideration. In this paper, through understanding the dynamics of the model
deeply, we try to see what large increases in trade and openness would give rise to.
This paper is organized as follows. In the next section, we review the KWG
model proposed in Asada et al. (2003, Ch.10). In Section 3 we consider a unique
equilibrium of the model. Typical behavior of the model is discussed in Section 4. The
continuous dynamical system is numerically integrated for two parameter settings.
One is a case of no interaction between countries and the other corresponds to a
case of international trade and capital flows. In Section 5, unstable periodic orbits
are detected in order to understand a chaotic solution as typical behavior under the
interactions between countries. Final section concludes our results.
*
The Faculty of Regional Development Studies, Toyo University, 374-0913 Gunma, Japan
132
Journal of Regional Development Studies(2010)
2. The model
In this section we review a variant of the two-country KWG model given
in Asada et al. (2003, Ch.10). Let us begin with the definitions of important
macroeconomic magnitudes. The symbol ω denotes the real wage, which is measured
by the unit of domestic output. The real wage is defined as follows:
w
ω=―,
p
(1) where w and p are the money wage and the price level, respectively. The actual rate of
profit ρ is defined by
Y−δK−ωLd
ρ=――――――,
K
(2) d
where Y denotes the real output, K the capital stock, L the employed labor force, and
δ the capital depreciation rate. Here, we employ the following abbreviations:
Y
Ld
l =―.
y=―,
K
K
d
Equation (2) can be rewritten as
ρ=y−δ−ωl .
(3) d
We assume δ is constant. In addition, assuming a Leontief-type production function,
y and l d are also constant. Economic agents in the two-country KWG model are
workers, asset holders, firms, and governments. We consider how excess demand in
the goods market is determined through reviewing assumptions with respect to their
expenditure.
Households consist of workers and asset holders. Workers spend all their money
to consume domestic goods solely. A part of the expenditure of asset holders is
directed to imports. The amount is
D
(1−sc)Yc ,
)
(1−γ(η)
c
(4) where variable η means the real exchange rate , γ(η)
is a negative function of η ,
c
1
sc is the average saving rate of asset holders, and YcD denotes their disposable income.
We express the disposable income per unit of capital as
1
The rate means the amount of foreign goods enable to exchange for a unit of goods made in home country.
133
ISHIYAMA:Relationships between phases of business cycles in two large open economies
ρ−tc,
(5) where t cK means the difference between all taxes they pay and all their interest
income. For simplicity, t c is assumed to be fixed. This simplification removes the
effect of the accumulation of domestic and foreign bonds from the model. Thus, for
domestic goods,
(1−sc)
(ρ−tc)
c1=ωl +γ(η)
c
(6) d
expresses the households demand per unit of capital.
2
On the other hand, firms
determine their investment level according to the following equation:
i
(r−π)
)K+nK,
I=(ρ−
(7) where variables r and π are the nominal interest rate and the expected inflation rate,
respectively; i is a parameter of this function. Note that capital accumulation (and the
growth rate of GDP) in the model is represented by
I
˘
i
(ρ−
(r−π)
)
+n.
K =―=
K
(8) A hat over a variable denotes the change rate of the variable. The government
expenditure is proportional to the capital stock, that is,
G=gK.
(9) We have already assumed trade between two countries. An asterisk indicates a foreign
country variable. Initial levels of labor supply in both countries being equivalent, the
export per unit of capital from home country can be expressed by
l
η
*
*
*
*
(1−γ(η)
(1−sc )
)
(ρ −tc ),
c1*=――
c
l*
(10) where l means the labor supply capital ratio in home country. From Equations (6), (7),
(9) and (10), excess demand on the goods market in home country is expressed as
p
i
(r−π))
+n+δ+g−y.
X =c1+c*1 +(ρ−
(11) Similarly that in foreign country is
p*
X =c*2 +c2+i*(ρ*−(r*−π*))+n*+δ*+g*−y*,
2
The tax rate on wage income is assumed to be zero.
(12) 134
Journal of Regional Development Studies(2010)
*
*
*
where c2 K means foreign households demand level for foreign goods, and c1K is
the amount of imports from foreign country to home country.
Next, let us consider the labor market. Excess demand on the labor market in
home country is indicated by
ld
V,
X w=―−
l
―
(13) ―
where V is NAIRU-type normal utilization rate concept of labor. Each growth rate of p
p
w
and w is assumed to be influenced by both X and X . Wage deflation is excluded from
3
the model. Hence ŵ and p̂ are determined by the following simultaneous equations:
w
[βw X +kw p̂w+
ŵ=max
(1−kw)
π,0]
p̂=β X +k ŵ+(1−k )π.
p p
p
p
(14) From the definition,
ω̂=ŵ−p̂.
(15) Labor force is assumed to grow at a constant rate n. Hence,
i
(r−π)
).
l̂=n−K̂=−(ρ−
(16) Expectation formation for the domestic price is expressed as
(p̂o−π)),
π̇=βπ(απ(p̂−π)+(1−απ)
(17) where π is the expected inflation, and p̂o indicates the long-run inflation rate.
Now, we consider the money market. We assume asset market clearing. The stock
demand for real money balances is assumed to depend on output, capital
4
and the
nominal interest as follows:
Md
――=
p h1Y+h2 K(ro−r),
(18) where ro is the long-run nominal interest rate, and parameters h 1 and h 2 are positive
constants. The only rule of monetary policy by the central bank is to keep the
domestic money supply M growing a constant rate μ. The nominal interest rate is
determined so that the following equation holds.
3
Such a wage rigidity contributes to bound fluctuations of state variables in an economically meaningful region (Chiarella et al.
2003).
4
For simplicity, we think K real wealth.
135
ISHIYAMA:Relationships between phases of business cycles in two large open economies
M
h1Y+h2 K
(ro−r)
.
―=
p
(19) That is,
h y−m
1
ro=r+――――,
h
(20) 2
where variable m denotes real money balances per unit of capital, therefore, the
change rate of m is
i
(r−π)
)−n.
m̂=μ−p̂−(ρ−
(21) Finally, we consider the dynamics of foreign exchange market. By using the
nominal exchange rate e, the definition of η is rewritten as
p
η=――.
ep*
(22) It follows
η̂=p̂−ê−p*.
(23) The way and the extent of international capital flows per unit of capital depend on the
interest differential under imperfect capital mobility. The nominal exchange rate is
assumed to be adjusted according to the capital flows and net exports as follows:
*
(r +ε−r)
−nx)
+êo,
ê=β(
e β
(24) where nx denotes net export (per unit of capital) of home country, êo is the growth rate
of the nominal exchange at a long-run equilibrium , and ε is the expected rate of
5
exchange depreciation. The expectation formation for the nominal exchange rate has
analogous to the case of inflation. That is,
ε)
+
(1−αε)
(
(êo−ε)
).
ε̇=β(
εα
ε ê−
(25) The dynamics of foreign county is modeled analogously. Hence, if the
*
*
*
*
magnitudes of ω, l, m, π, η, ε, ω , l , m , π are known, their growth rates can
be determined by the right hand sides in the following equations.
ω̂=ŵ−p̂,
(26) i
(r−π)
),
l̂=−(ρ−
(27) 5
The prices and the nominal exchange rate grow at the equilibrium depending on increases in money supply in both countries.
136
Journal of Regional Development Studies(2010)
i
(r−π)
)
−n,
m̂=μ−p̂−(ρ−
(28) π)
+
(1−απ)
(
(p̂o−π)
),
π̇=β(
πα
π p̂−
(29) η̂=p̂−ê−p̂*,
(30) ε)
+
(1−αε)
(
(êo−ε)
),
ε̇=β(
εα
ε ê−
(31) ω̂*=ŵ*−p̂*,
(32) l̂ *=−i*(ρ*−(r*−π*)),
(33) m̂ =μ −p̂ −i(ρ −(r −π ))−n ,
(34) *
*
(p̂o −π )
).
π̇*=βπ*(απ*(p̂*−π*)+(1−απ*)
(35) *
*
*
*
*
*
*
*
This is the 10 dimensional differential equation system to be analyzed in this paper.
3. The equilibrium and its stability
An economy modeled by Equations (26) through (35) moves in response to gaps
between actual and expected values if it has not reached the long-run equilibrium yet.
In this section we focus on the steady state. The equilibrium value of each variable is
expressed using subscript o. For simplicity, we assume n=n .
*
From Equation (13), the equilibrium level of l is determined as
d
lo=l / V.
―
(36) Substituting r = ro into Equation (20), we obtain
mo=h1 y.
(37) From l̂ = 0,
ro=ρo−πo.
(38) From l̂=0, m̂=0 and p̂=πo,
πo=μ−n.
(39) Net export nx is zero in the steady state, therefore, we can derive the equilibrium
values of ρ and ω from
ρo=y−δ−ωo l
d
X p=ω l d+(1−s )
(ρ−t )+n+δ+g−y=0.
o
o
They are solved as
c
o
c
(40) ISHIYAMA:Relationships between phases of business cycles in two large open economies
n+g−tc
ωo=(y−δ−ρo)/l ,ρo=tc+――――.
s
d
137
(41) c
The real exchange rate when net export is zero is determined by
*
*
*
*
l(1−
γc )
(1−sc )
(ρo −tc )
o
(1−
γc)
(1− c)
(ρo− c)
o
ηo=――――――――――――.
l*
s
t
(42) From πo =μ− n, πo =μ − n , n = n and ε̇= 0,
*
*
*
*
εo=μ−μ*
(43) It is obvious from the above equations that the steady state is independent of any
adjustment speed included in the model. Moreover it has been also obvious from
the analytical examination in Asada et al. (2003, Ch.10) that the equilibrium can be
locally unstable if the adjustment speeds are sufficient large.
4. Typical dynamics of the model
In this section we discuss the dynamical property of the model for two different
settings of parameters. The common characteristics of the settings are that monetary
policy rules are different between two countries, and that adjustment speeds are high
enough to generate persistent growth cycles in both countries. The difference between
the settings is whether linkages between countries exist or not.
4.1 Case 1: no linkage
In this subsection we rule out any linkage between countries. The dynamics of
home country is modeled by Equations (26) through (29), and that of foreign country
is by Equations (32) to (35). Parameters are set as follows:
sc = s*c = 0.8, δ=δ*= 0.1, tc = t*c = 0.35, g = g *= 0.35, n = n *= 0.02, h1 = h*1 = 0.1,
h2 = h*2 = 0.2, y = y *= 1, l d = l d*= 0.5, kw = kw*= 0.5, kp = k*p = 0.5, i = i *= 0.5,
―
―
V = V *= 0.8, αε= 0.5, απ=απ*= 0.5, μ= 0.025, μ*= 0.022;
βw =βw = 2.0, βp =βp = 3.0, βk =βk = 1.0, βπ= 3.9, βπ = 3.8.
*
*
*
*
The functions γ(η)
and γ(η)
are γ(η)
=γ(η)
= 1.
c
c
c
c
*
*
For this setting, the steady state of each country is locally unstable, and limit
cycles appear.
6
6
The limit cycles are graphically illustrated in Figure 1. An economy
The system is numerically integrated by using fourth order Runge-Kutta method.
138
Journal of Regional Development Studies(2010)
of home country starting from almost every meaningful point is attracted to the
cycle depicted in Figure 1 (top), and moves on it counter-clockwise. Figure 2 shows
7
the time series of growth rates of the nominal wage, the price and output on the
limit cycles. It should be noted that the difference of policy rules gives rise to a tiny
variation of the periods of limit cycles though both of them are about 9.1.
Figure 1: Limit cycles of home country (top) and foreign country (bottom)
Figure 2: Time series of growth rates in home (top) and foreign (bottom) countries
7
Strictly speaking, Figure 2 (right) shows the time development of deviation of the actual growth rate of output from the natural
growth rate of each country.
ISHIYAMA:Relationships between phases of business cycles in two large open economies
139
4.2 Case 2: linkages through trade and capital flows
Other thins being equal, the functions γ(η)
and γ c(η)are changed as
c
*
follows:
=−max
[−max
[0.5+0.2
(ηo−η)
,0],−1],
γ(η)
c
(44) =−max
[−max
[0.5−0.2
(ηo−η)
,0],−1].
γ*(η)
c
(45) The piecewise linearity in the above equations confines the propensity to import to an
appropriate range. Adjustment parameters concerning trade and capital flows are set
as
β= 1, βe = 2, βε= 9.5.
It should be noted that the adjustment speed of expectation with respect to the nominal
exchange rate is much higher than any other speed.
Now we analyze the result of our coupling. Such a generalization of the model
often causes the emergence of chaos. There have been many works considering
connections of oscillators in the literature of nonlinear macroeconomic dynamics since
8
Lorenz (1987) presented a pioneering work . However, as far as the author knows,
there are few models in which exchange rate dynamics is appropriately involved in
this context. In regard to this point, the model presented by Asada et al. (2003, Ch.10)
is worth analyzing in detail.
Figure 3 shows the chaotic attractor generated by the 10 dimensional dynamical
system. The maximum Lyapunov exponent of the attractor is about 0.13. This value
means the system exhibits behavior that depends sensitively on the initial conditions.
Unlike in Case 1, long-term prediction is impossible in this case. On the other hand,
kinks of Phillips curves and the functions of real exchange rate seem to contribute to
the viability of economically meaningful fluctuations, and the oscillation in a bounded
region generates recurrent time series. Both recurrence and sensitivity on the initial
values are characteristics of chaos.
5. Unstable periodic orbits embedded in the attractor
It is known that there are an infinite number of unstable periodic orbits embedded
in a chaotic attractor. When similar patterns are observed subsequently in a long
time development in a chaotic attractor, it can be considered that the trajectory is
8
Lorenz (1987) implied that interaction among three countries can generate chaotic business cycles.
140
Journal of Regional Development Studies(2010)
Figure 3: Chaotic attractor projected onto various planes
141
ISHIYAMA:Relationships between phases of business cycles in two large open economies
going along an unstable periodic orbit embedded in the attractor. Let us confirm this
conjecture.
Figure 4 (top) shows time series abstracted from the chaotic development in
Figure 3. Three patterns of similarity are depicted in the figure. In the chaotic attractor
we find an unstable periodic orbit which can be seen as the original of those patterns.
Figure 4 (bottom) exhibits how an economy starting from a point of the attractor
moves along an unstable periodic orbit. This figure implies that chaotic economic
dynamics can be characterized by the variety of unstable periodic orbits embedded in
the attractor.
9
Some typical unstable periodic orbits we find are illustrated in Figure 5. Time
developments of growth rates of GDP in two countries on these orbits are shown in
Figure 6. It is not easy to compare the relationships between the growth rates in home
and foreign countries among those periodic solutions. Then, we consider an index to
represent the intensity of the relationship between the countries on a trajectory.
*
*
We focus on the combination of signs of Ŷ −n and Ŷ −n , namely, phases of
business cycles in home and foreign countries. The home country is considered to
be in a good phase if the sign is not negative, otherwise in a bad phase. Hence the
relationships between the countries can be described by the relationship between
*
*
*
the signs of those values. Let x=Ŷ−n and x =Ŷ −n be observed at a time point
*
chosen randomly. Note that x and x are random variables. If there is no dynamic
*
relation between the countries as in Case 1, then x and x should be independent of
each other. If there are some relationships between the countries, Pr(x
0)can be different from Pr(x
*
0, x
0︱x
*
0). The stronger the relation between the countries
is, the more the difference between these probabilities may increase. Three differences
concerning Pr(x
0), Pr(x
*
0), and Pr(x <0), respectively can be calculated other
*
than that one. We consider the maximum absolute values of these differences as an
index of intensity of relationships between phases of the countries and we denote it by ζ.
Table 1 shows the values calculated on unstable periodic orbits and the chaotic
orbit. We can see that intensities of relationship between the countries are different
among those orbits. That of UPO08 is the highest and that of UPO22 is the lowest
10
and the intensity on the chaotic orbit is between them. It implies that the intensity
9
Ishiyama and Saiki (2005) discussed in detail the relationships between the variety of typical behavior observed in the chaotic
time developments and that of unstable periodic orbits embedded in the chaotic attractor.
10
The unstable periodic orbits are named based on their periods.
142
Journal of Regional Development Studies(2010)
of relationship between countries can change through long time developments, and
that it depends on which type of unstable periodic orbits is embedded near the current
position.
Figure 4: Chaotic time series along an unstable periodic orbit
ISHIYAMA:Relationships between phases of business cycles in two large open economies
Figure 5: Unstable periodic orbits embedded in the chaotic attractor
Figure 6: Time series of growth rates of GDP on unstable periodic orbits
143
144
Journal of Regional Development Studies(2010)
Table 1: Intensity of relationships between phases in home and foreign countries
Period
*
*
*
P
n *) P
(Ŷ > n, Ŷ > n ) P
(Ŷ > n, Ŷ
(Ŷ
Chaos
n, Ŷ *> n *) P
(Ŷ
n, Ŷ * n *)
ζ
0.203
0.350
0.350
0.097
0.23
UPO08
8.33
0.080
0.431
0.446
0.043
0.40
UPO21
21.52
0.187
0.378
0.381
0.064
0.30
UPO22
22.65
0.251
0.338
0.307
0.103
0.19
UPO27
27.15
0.175
0.354
0.389
0.082
0.28
0.291
0.249
0.248
0.212
0.00
LC
6. Conclusion
How will business cycles in each country change when the intensity of linkage
between two countries becomes higher? There are two answers opposite to each other.
The purpose of this paper is to obtain some implications concerning the problem
through analyzing phenomena represented by a nonlinear macroeconomic model.
Various macroeconomic models show persistent fluctuations if adjustment speeds
of markets are sufficient large. We are interested in the influence of international
interaction on such fluctuations. The model we focus on shows a limit cycle as typical
behavior of the economy in the case of a closed economy. We exemplify the model
can represent chaotic growth cycles when international linkage through trade and
capital flows are allowed under the condition that the adjustment speed of expectation
with respect to the nominal exchange rate is much higher than other speeds. In order
to capture relationships between growth cycles of interacting two countries from
complicated time series of real output in the countries, we define an index which can
indicate the strength of the relationships. The value of the index calculated along the
chaotic solution shows that growth cycles of two countries depend on each other to
some extent. The values of the index are also calculated along the unstable periodic
solutions numerically detected in the attractor. We confirm some are greater than the
value of the chaotic solution, and others are smaller than it. It implies that there exist
a period in which growth cycles of the two countries are strongly related and a period
in which two economies behave independently in the chaotic trajectory. We conclude
the difficulty of the question mentioned above may come from this phenomenon. If it
is true, we have to be more careful to conclude the discussion about the problem.
ISHIYAMA:Relationships between phases of business cycles in two large open economies
145
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国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
147
新自由主義批判の基礎視座について
仲 島 陽 一
*
一 本稿の課題と方法
2008 年は新自由主義の「終わりの始まり」の年として記憶されることになるかもしれない。そ
の直接で最大の契機としては、
「リーマン・ショック」が挙げられよう。しかし 07 年からの「サブ
プライム・ショック」にその始まりをみることも可能であろう。日本に焦点をあてれば、さらにそ
の前の 06 年には、
「構造改革」路線が「格差社会」を生んだという批判が表面化し、退場したばか
りの小泉政権の政策を継承するのか見直すのかが問われるようになり、ここに転換点をみることも
できる。小泉時代にこの政策の旗振り役を勤めた一人の中谷巌氏が「懺悔」本を出すなど、いずれ
にせよこの数年は新自由主義批判の声は大きい。しかし他方で現在の恐慌は新自由主義の必然的帰
結ではないとし、新自由主義を擁護する、またはさらなる推進を求める声もある。すなわち金融を
中心とする現代の経済危機は経験的事実であるが、それが「新自由主義」というものの産物と言え
るかどうかには理論的検討が必要である。また「新自由主義」はその場の経済政策に過ぎないもの
でなく厚みを持った思想的・理論的な体系であるから、一時の「成功・失敗」で簡単に評価されるも
のでない。仮にその大枠を変えずに経済危機が克服されても「だからそれはよい」と言えるかどう
かも別問題である。またもしそれが「悪い」ものであるなら、なぜそれがいままで採用されたかを
考えなければならない。これは批判者の側により大きな「説明責任」が課される問題である。
私自身は、新自由主義は「悪い」とするのが直感的な立場である。ではそれはなぜ「悪い」と言
えるのかを、
「よい」とする立場をできるだけ理論的に批判しながら示すことが求められる。無論
理論的誠実さからは、これは直感を不動の前提としてではなく、それ自体覆され得る吟味として行
われるのでなければならない。また新自由主義はここ数年の経済状況から結果論的に単純に評価さ
れ得ないだけでなく、それ自体の内的構造や論点をほぐしていかなければならない。この二重の意
味において、私は「批判的」観点をとるものの、批判そのものというより、どこに問題点があるか、
またどのように批判し得るかの指摘にとどまるところもあろう。そこで本稿は新自由主義の十全な
批判というより、私にとっての(うまくいけば同様な関心を持つ読者にとってもまた)問題の整理
をめざすものである。
*
東洋大学国際地域学部;Faculty of Regional Development Studies, Toyo University
148
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
二 新自由主義の基本的性格と構成要素
いきなり新自由主義の定義または本質規定を与えることは難しい。そこでまずはその基本的な特
徴を挙げてみたい。
まずそれは「市場主義」ないし「市場原理主義」と言われる。支持者の標語としては、
「民間(私
企業)でできることはできるだけ民間に任せる(べき)」という。これを裏からいえば「小さな政
府(がよい)
」である。
「小さな政府」とは政府の機能をできるだけ少なくすることであるから、そ
れは公企業を私有化(支持者側の用語では「民営化」)することや、政府による規制を撤廃または
緩和することを意味する。以上が新自由主義のいわば主な「要求」である。
逆に新自由主義が反対するものは何か。「大きな政府」ということになるが、それは政府が市場
に介入することを意味する。これにはいろいろな場合が考えられるが、五つの観点に分析可能であ
ろう。①「福祉国家」論。国家の目的を治安や防衛だけでなく、国民の福祉にもおき、そのため
に政府が積極的な福祉政策を行うことを要求する。福祉を上位の価値として、市場機構を否定しな
いがそのために制約されてよいとする。②ケインズ政策。景気対策のために政府が市場に介入する
ことを要求する。これも市場機構を否定しないが、「市場まかせほどよい」でなく、政府の介入な
しでは市場機構自体が崩壊するとみなす。③社会主義。市場原理を原理的に否定するもの。④「混
合経済」論。市場機構に基づく資本主義に原理的な欠陥があることを認めつつ、原理的な社会主義
もよしとせず、両者の要素を「適度に」取り入れることで最適の制度ができるとする説。
(①や②
と重なる場合もある)⑤ファシズム。ふつう市場機構を正面から否定はしないが、より上位の価値
(国家、人種、民族など)を持ってそれによって制約されて(統制経済面が強くなっても)よいと
する。
次に新自由主義を構成する要素を整理してみたい。Ⅰ思想としては、①経済学、②経済政策、③
社会思想、④人間観、とでもなろうか。それぞれにおいて問われることは次のようになろう。①で
はまず、経済現象の説明として客観的妥当性があるのか、である。また従来の経済学、あるいは対
抗するケインズ経済学やマルクス経済学を反駁し得ているのか、少なくともよりすぐれた理論であ
り得るのか、も問われよう。②ではその政策が誰にどのような経済的利益(損害)をもたらすのか
ということである。③はそれがどのような経済観・政治観と結びついているのか、④はそれがどの
ような人間観(価値観・倫理思想)と結びついているのか、である。さらに①―④の諸要素がどの
ように結びついているのか、どれが本源的でどれが派生的なのか、といった問題もある。これは新
自由主義思想の構造の問題といえよう。
新自由主義は(
「民主主義」や「修正資本主義」同様)思想であるとともに現実(の一部)でもある。
そこでⅡ思想としては、新自由主義的な①経済(社会)状況、と②人間類型、としてそれぞれ考察
できよう。
以上の論理としては、ここでⅠとⅡの関係をたてることができようが、それはむしろ新自由主義
の歴史の問題として考えるほうが適切であろう。
仲島:新自由主義批判の基礎視座について
149
三 新自由主義の略史
「新自由主義」の始まりは、ハイエクの『隷従への道』発行(1944 年)とモンペルラン協会の創
設(1947 年)に求められよう。前者は新自由主義の綱領的文書とみなせるし、後者によって学派
または思想集団としての新自由主義がはじまったとみなせるからである。なおこの協会の創設大会
の出席者にはハイエク、フリードマン、ポパー等 36 人、以後ほぼ隔年で大会が開催されている。
それから六十年以上がたっており、新自由主義も歴史を持ち、いくつかの段階を経ているといえよ
う。
第一はむろん出現期である。その契機は何か。先に新自由主義が「敵」とするものを挙げたが、
その出現ないし台頭への反動ないし危機感であろう。まずはロシア革命(1917)以来「社会主義」
が思想や運動としてだけでなく現実の社会体制としても現れ出してきた。第二にファシズムもイタ
リア(1922)やドイツ(1933)で政権を獲得した。第三にアメリカでは世界恐慌(1929)後の「ニュー
ディール政策」により「大きな政府」への転換があった。第四にイギリスでも労働党の政権入り等
を通じて「自由放任」から社会民主主義的「福祉国家論」への動きが始まった。これらすべてに新
自由主義は反対であり、したがってそれを批判する必要を感じていた。ところで上の四つは相互に
複雑な影響や対抗の関係を持っており、それをどうとらえるかは論者で意見が分かれる。
『隷従へ
の道』はこのとらえ方に関するハイエクの考えを述べることが、大きな目的となっている。そこで
検討すべき課題は、新自由主義の本来の狙いあるいは主張の妥当性ということになろう。ただしこ
のように登場した新自由主義は、60 年代まで少数派であった。思想界でも、経済学でも、経済政
策の現場でも、大きな影響は持たなかった。
1970 年代は新自由主義の第二段階と言えるかもしれない。それを示すものは、まず学界での復
権ないし台頭である。1974 年にはハイエクが、1976 年にはフリードマンがノーベル経済学賞を受
賞した。私はこの二人が新自由主義の代表者と言ってよいのではないかと思う。以後「シカゴ学
派」とも呼ばれるその潮流の学者たちの受賞が続く。ただし、経済学賞は他の部門と違い 1968 年
に銀行の拠出金で始まり存在やあり方に異論もあること、また受賞者は以後推薦者に加わるので弟
子筋が受賞しやすくなることを考慮する必要がある。つまりノーベル経済学賞受賞は、純粋に学
問的な評価とは言い難い面もあるが、経済学界における潮目の変化を示すものであるとは言えよ
う。ではこの変化の契機は何なのか。そこで逆に問えばそれまで脚光を浴びていたのは何かと言え
ばケインズ経済学であろう。それゆえ変化の契機を一言で言えば、ケインズ政策の危機であるとい
うことになろう。こうしてここで検討すべき課題は、ではケインズ政策の危機の原因は何か、それ
はケインズ理論そのものの間違いまたは限界によるものなのか、ということであろう。次に新自
由主義がケインズ政策にかわる有効性を持つのか、ということであろう。後の問題に関しては、理
論内部でだけ検討をする意味はいまではあまりない。なぜなら主要国のいくつかが実際にこれを
行ったことにより、それをふまえて検討すべきだからである。すなわち 1980 年代は、新自由主義
の政策的勝利の時期と言えよう。イギリスのサッチャー政権(1979-91)、アメリカのレーガン政権
150
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
(1980-88)
、日本の中曽根政権(1982-87)がその代表である。前にみた新自由主義の構成要素のう
ち第一段階では、社会思想が最も中心になっており、最も本質的な敵と意識されていたのは「社会
主義」と「ソ連」であるように思われる。しかし第二段階では、「西側先進国」の「社会民主主義」
や「リベラル派」が、むしろそれ自体として槍玉に挙げられ、構成要素としては経済政策と経済学
が主戦場になったようである。
1990 年代以降が、第三段階と言えよう。これは新自由主義自体の質的変化というより、状況変
化によるその拡大ないし世界化の時期である。状況変化の一つは、1989 年以降の東欧旧体制の崩
壊そして 1991 年のソ連崩壊である。これによりこれらの地域が市場経済圏に入った(92 年に中国
も「社会主義市場経済」の方針を出した)。またそれは市場経済の勝利または成功という意見が広
く流布された。第二の状況変化は、インターネットの普及を中心とするいわゆるIT革命である。
そこで検討することも二つに分けられる。第一が、旧「東側」諸国の体制転換は市場主義の「正し
さ」ないし「よさ」を実証したものと言えるかどうかという点である。第二が、90 年代以降の技
術変化がどのような意味で新自由主義に棹差したのか、したがってそれは今後も進む力と言えるの
かどうかという点である。
四 成立の要因
新自由主義の思想的出発点として、ハイエクの『隷従への道』がある。これは 1944 年、すなわ
ち第二次世界大戦中にイギリスで出されたものである。新自由主義の敵として私は五つを挙げてお
いた。すなわち①「福祉国家」論②ケインズ政策③社会主義④「混合経済」論⑤ファシズム、であ
るが、この書でもそうなっている。そこでは⑤が悪であることはほとんど自明視されている。こ
れは今日の私達にとっても不自然なことではないし、当時のイギリスがファシズム諸国と軍事的に
戦っていたことからも、自然ではある。問題は残りである。③に関して言うと、社会主義を称し
ていたソ連とは同盟関係にあった。しかしそれは軍事的な必要からやむをえない一時的連携であっ
て、政治経済的にはソ連の体制は敵とみなすべきだ、という主張は不可能ではない。事実ハイエク
はそうみなす立場であり、
(いまは国家関係としては敵対しているが)むしろ思想制度としては社
会主義とファシズムとは同じ穴の狢だとみなすのである。この問題に関しては、以下の二点の指摘
だけにして本稿では深入りしないことにしたい。a:両者を左右の「全体主義」として同一性ない
し共通性を重く見る主張は、
「自由主義」的立場にときおりみられるものであり、ハイエクないし
「新自由主義」に固有なものではない。そしてそれに対する批判意見も勿論ある。b:マルクス等
が構想した「社会主義(ないし共産主義)」と、実際のソ連等の現実とは、いわんやスターリン体
制下のそれとはかなり違いがあり、そこをよく区別しないままあれこれ述べることには大きな危う
さがある。本稿でより問題にしたいのはしたがって①②④についてであり、これはイギリスの社会
民主主義的路線としてひとまとまりとしてもよいと考える。ファシズムの「悪」については自明で
あり、ソ連の「悪」については賛否は分かれようが当時のイギリスで理解不能な主張ではなかった
仲島:新自由主義批判の基礎視座について
151
ろうが、①②④への批判は、すぐに理解されるものでなかったろうと思われる。ハイエクがそれら
をなぜ「悪」とみなすかを一言で言うと、それらが結局は社会主義やファシズムに導くからであり、
つまり「隷従への道」だから、ということになる。これがおそらくこの本の独自性をなす主張であ
り、著者自身重視した論点である。はたしてこの主張は正しいのか、が問われるべき問題である。
当時のマルクス主義者が言ったように、イギリス労働党(および同種)の社会民主主義はその後
の実践からみても社会主義ではなかった。「社会主義」を別様に定義すればその言い方は単純すぎ
ると言われるかもしれないが、少なくともそれが、マルクスの想定した階級も搾取もない社会をつ
くらなかったことは確かであるし、それへの「漸次的な移行」であるといまも本気でとっている者
が多いとも思われない。だがここでは社民主義と社会主義の区別の問題、そして両者の評価の問題
には立ち入らない。問題にしたいのは、社民主義への当初の存在意義あるいは支持理由として、ハ
イエクの意見とは逆に、それが社会主義への防波堤として役立つ、というものがあったことであ
る。すなわち政府による不況対策なり福祉政策なりがなければ、労働者階級は社会主義を支持す
るだろうというものである。実際に、ロシア革命後に資本主義諸国が労働法制や社会政策を強めた
のは、そうした意図があった。このことにハイエク的な立場からはどう答え得るのか。論理的には
三つが可能である。A:社会主義は「隷従」体制で、経済的貧窮などより悪いものであると労働者
階級にも説得することで革命を防止できる(恐慌も甘受させられる)とする。B:労働者への説得
は無理だが革命運動などは力で抑え込めるとする。C:政府の市場介入がなくても恐慌を起こさず
福祉国家でなくても貧窮者が革命を志向しないような体制が可能であるとする。――この三つのう
ち、新自由主義に最も好意的な想定はCであろう。Cの場合、この「体制が可能である」と表現し
たが、この「体制を作れる」とは表現できない。なぜならハイエクは「自生的秩序」に価値を置き、
社会体制の制度設計ということはそれ自体悪とみなすからである。したがってCの主張も積極的で
なく消極的でしかあり得まい。つまり自由放任の市場経済(古典的資本主義)が必然的に恐慌を導
く(というマルクスとケインズに共通する)主張は正しくない、ということになるが、これをハイ
エクは示している(あるいは示せる)のであろうか。マルクス派の主張(社会主義による恐慌の克
服)はここでも触れないことにする。ケインズ理論の実践的確証として挙げられるのは、アメリカ
政府がニューディール政策によって世界恐慌を克服したということである。この論理への反対を探
すと、恐慌克服自体は否定できないもののその原因はニューディール(ケインズ政策)ではなくて
第二次世界大戦に求めるべきだとするものがある。この少数意見は、仮に正しいとしても、ケイン
ズ派への否定的要因にはなっても新自由主義への肯定的要因になるであろうか。つまり恐慌が戦争
によってしか克服できないのなら、やはり古典的資本主義は否定されるべきだとならないであろう
か。
五 台頭の要因
1940 年代に現れた新自由主義は、60 年代までは有力ではなかった。70 年代におけるその台頭の
152
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
要因として私は前にケインズ政策の危機を示唆した。ここで言いたいのは、ケインズ経済学の純理
論的な面の信認低下というより、その政策的有効性への懐疑や批判の高まりということである。そ
れは何を意味するか。第一に、70 年代の不況である。確かに恐慌と言われる状況ではないが、経
済成長率は低下した。第二に、インフレーションである。公共投資に積極的なケインズ政策はイン
フレ促進傾向があり、しかも 70 年代はそれが不況と重なるスタグフレーション状況になった。こ
れに対して非ないし反ケインズ的政策を求める力が強まり、政治的にはそれが 80 年代における、
サッチャー、レーガン、中曽根の政権における新自由主義の採用をもたらしたと考えられる。
だがここで問われなければならないのは、70 年代のこうした状況がケインズ政策に帰せられる
べきかということである。第一に、この時期にこれらの諸国は低成長であったが、全体としてマイ
ナスではない(日本では 74 年のみわずかにマイナス)ということである。高度成長しなければよ
くない、あるいは成長率が高いほどよい、という価値観は自明のものではない。言い換えればケイ
ンズ派は雇用確保に、新自由主義は経済成長にと、重視する目標に違いがあるということである。
第二にこれらの諸国の成長率低下の要因である。イギリスは第二次大戦の被害のほかに、植民地
を失い「大英帝国」からふつうの先進国へと地位を下げており、経済力の低下(「英国病」
)を労働
党政権の福祉国家政策や労組のせいにするのは疑問である。アメリカは大戦後は経済的には最強で
あったということは、二十年以上たてば他の諸国の復興によって相対的に地位低下することは不可
避であり、また 60 年代後半からは自らヴェトナム戦争にはまり込んで経済的にも傷を負った。最
後に 70 年代は石油危機があり(第一次 73 年、第二次 79 年)、日本やアメリカには打撃であった。
70 年代低成長の主要因をケインズ政策に求めるのはあまり説得力がない。
ということは、80 年代の新自由主義の政治的勝利は、理論的というよりイデオロギー的だとい
うことになる。つまり客観的真理というより役立つ思想だったからということだが、万民に役立つ
ものだったわけではない。上にみた性格から新自由主義は、失業防止よりもインフレ対策に、福祉
よりも高度成長に関心を持つ企業家に役立つものであった。それゆえ彼等を中心とする支配層が
政策転換によって導入したわけで、政策主体の社会層が革命的変化を起こして導入されたのではな
い。しかしつまりそれは労働者、特に貧困層には不利な政策であり、また新政策に不満または不安
な人々は支配層にもいるから、それらの反対にうちかてたのはなぜか、という形で問題点は残る。
ただし「70 年代におけるケインズ政策の行き詰まり」という言説に客観的根拠がまったくなかっ
たとまでは言えまい。第一に、いわゆる乗数効果の低減は客観的事実である。ここで問題なのは公
共投資の原理的是非というより具体的有効性である。たとえば東海道新幹線は大いに効果的であっ
たが北陸新幹線の有効性は疑わしい。これは公共投資一般の問題というより、両者の歴史的・経済
地理的状況の違いによる。ニューディールに代表されるようなインフラ整備は、(ゼネコン中心の
汚職構造を生みやすいほかに)今日では経済効果を薄めていると考えられる。ただしこの批判点は
「原理的是非」ではないだけに、公共投資のあり方を転換する、というかたちでケインズ派はかわ
すことができる。
(ただし実際面はもとより、理論的にもこの点での「修正ケインズ理論」の展開
が順調とはみえない。
)
仲島:新自由主義批判の基礎視座について
153
第二により多くの説得力を持つのは、新自由主義の官僚主義批判である。景気対策も福祉政
策も、
「大きな政府」になるが、その弊害の問題がある。ヴェーバーも指摘するように、近代
社会が官僚制(bureaucracy)組織を採用するのは必然性があり進歩でもあり、これと官僚主義
(bureaucratism)とは理論的には区別する必要がある。しかし実際にはどこでも後者なき前者は成
り立ち難かった。社会生活のすべてが経済効率で評価できないのは確かだが、「大きな政府」が無
駄と言うべき非効率を多く含んでいたことも事実であった。大きくなった「公務員」(および特殊
法人等それに近い人々)が、特権階層化しがちであったことも事実であった。社会主義は、
(究極
の形として「国家の死滅」を掲げたはずということまで持ち出さないとしても)官僚主義批判をマ
ルクスもレーニンもしたはずだが、現実の旧東側体制も、少なくとも結果的にはかなり同様の(少
なからずもっとひどい)官僚主義になっていた。これに対し新自由主義は、効率的な「小さな政府」
を掲げる。これを、福祉国家の再分配政策で高い税を払う富裕層、規制の緩和や撤廃で「ビジネス
・チャンス」の拡大を望む企業家らが歓迎することは当然である。しかし一般国民の中からも、
「不
当に恵まれた公務員」が「既得権に胡坐をかいて」非効率な無駄遣いをしたり、「特権官僚」や天
下りが甘い汁を吸い続けるために談合体制が経済活力を奪っている、という印象、むしろ不満を持
ちやすくなったのである。つまりここで問題なのは、理論的にも実践的にも、社会主義も社会民主
主義も、官僚制が官僚主義に転化しないための条件についての取り組みが不十分であったというこ
とである。新自由主義の「成功」はここをついたことによる面が大きいのではなかろうか。
六 制覇の要因と検討課題
1990 年代以降の第三段階の契機の一つは、旧東側体制の崩壊であり、もう一つはインターネッ
トの普及を中心とするいわゆるIT革命であった。そこで検討課題は、第一に旧「東側」諸国の体
制転換は市場主義の「正しさ」ないし「よさ」を実証したものと言えるかどうか、第二が、90 年
代以降の技術変化がどのような意味で新自由主義に棹差したのか、であった。
第一点は、直接には明らかに「否」である。格差社会が「蟹工船」リバイバルをよび、サブプラ
イムやリーマンの「自壊」をみた今日からすると、「歴史の終わり」の論者こそ既に終わっている
状況である。しかし市場(原理)「主義」でこそないが市場そのものの位置づけという面では、旧
東側の瓦解についてはさらに究明されるべきである。これは経済内部においても、また広く市場原
理と結びつく自由論や(哲学的)価値論の問題としてもそうである。
第二点として私が考えているのは、たとえば日本的経営の問題である。終身雇用、年功序列、企
業別労組、系列取引などは、新自由主義からは除去すべき悪とされた。これらはもともとアメリカ
的経営あるいは教科書的な「市場経済」からは障害であったが、ITなどの新分野特にベンチャー
企業などにとっては不都合である。
80 年代までの日本的経営を新自由主義者は「社会主義」と呼んでけなすことがあった。これは
彼等が社会主義も修正資本主義もファシズムも封建制も一緒くたにする粗雑な図式によるが、旧日
154
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
本と旧ソ連とに共通する弊害もまったくなかったわけではない。しかしその「弊害」は市場原理主
義の悪を阻止、緩和、あるいは代償する要因とも結びついていた。それゆえ旧日本や旧ソ連にどん
な悪弊があったとしても、90 年代以降の新自由主義の導入はそのどちらの場合も(そして中南米
等の場合も)失敗せざるを得なかった。
ところで英米モデルの新自由主義の世界化は、(旧東側、日本、中南米等)それぞれの国での行
き詰まりを土壌としつつも、インターネット等技術上の進歩も要因としていた。また新自由主義そ
のものも金融の規制緩和等これを進める要因ともなり、相互作用で進んだ。
ここで検討すべき課題がまたみえてくる。グローバリゼーションの評価である。新自由主義を批
判する立場からすると、一つには、「自由貿易がよい」を原理とすることに反対し、鎖国ないし原
理的保護貿易でないにしても、国益のために外国からの参入を制限したり、場合によってはより厳
しくしたり禁止したりする選択肢があり得る。もう一つは、人・物・資本・情報等の国をこえた量的
な増大には抵抗しないが、国際的次元での民主的規制を増やすという選択肢である。おそらくこの
二つの選択肢同士は、二者択一でなく、新自由主義的グローバリゼーションへの対抗原理として組
み合わせ方を考慮すべきなのであろう。
ところで規制や計画を嫌悪する新自由主義の動機として、一方では競争や弱肉強食のほうが経済
効率がいいという物質主義があるが、他方では自由の確保という人間精神にかかわる問題がある。
前者は人間疎外として批判しやすいが、後者に対して自由とは必然の洞察であると切って捨てるな
らば粗雑な、おそらく誤りでもある反論であろう。官僚制と官僚主義の問題は、社会的自由の観点
からもさらに研究される必要があろう。
七 まとめと他の課題
新自由主義に対して、私は直感的には否定的であると述べた。少なくとも今までの考察を通じて
も、純理論的にも価値観としても、反対方向に向かせる要素はみいださない。では、どうすべき
か。
新自由主義は「行きすぎ」であり、「バランス感覚」が大事だと言われることがある。結果論的
にはまったくの間違いとも言えないが、やはり通俗的すぎる批評であろう。結果論的にでなく原理
論的に考えると、新自由主義は悪であるとまず断定したい。
新自由主義者であり続けている者は「改革」を止めるなとか後戻りさせるなとか言うが、では反
対者としては、単に「改革」以前に戻ることを主張すべきなのか。単なる後戻りでもおそらく、多
くの人々特に庶民には、マイナスよりプラスが多いと考える。後戻りは「不可能だ」という反論も
予想されるが、大部分は「不可能」なのでなく彼等が望まぬだけであると思われる。
それにしても逆行は新自由主義より「まし」ということであって、たとえばケインズ派の主張が
理論的に最も正しいとか価値的に最も望ましいとかいうものではない。マルクス派の問題も含め
て、新自由主義に手傷を負ったのは弱点があったからであり、そのまま戻るだけでは同じ敗北を繰
仲島:新自由主義批判の基礎視座について
155
り返しかねない。ではどうすべきか。一つは攻勢的な戦略で主として価値観にかかわり、もう一つ
は修正的な戦略で主として経済・政治制度にかかわる。前者は、経済成長と競争を価値とする新自
由主義に対して、別の価値観を積極的にうちだすことである。それは、市場原理を止揚する「共同
体」をめざす社会主義や、福祉や連帯を重視する社民主義だけでなく、和と義理人情を保つべき価
値とする保守派にも通じるはずである。確かにそれには彼等自身からの反対も予想される。いわく
封建的なものを温存し、ナショナリズムや全体主義に導く道であると。あるいは禁欲や清貧の説教
に過ぎぬ観念論で、技術進歩や個人の自立に背く反動姿勢だと。また活力なき負け犬の遠吠えに過
ぎぬと。だがそうではない。日本で言えば戦後三十年の七十年代半ばでは、国民の大多数が衣食住
の基本は得られるようになった。そこまでは経済重視の進歩信仰と個人的自由重視の民主化とは、
かなりもっともな選択であった。つまりこの時点で考え直し、人間の幸福や公正な社会についての
次の展望を持つべきであった。しかし新自由主義はそこには無反省で、品格なきバブルへと、人格
の尊厳なき格差化へと、勤労倫理なきカジノ資本主義へと、その場で勝てばよいというルールなき
ジャングル社会へと「進歩」させただけであった。後者の修正的な戦略として、新自由主義を「前
方に」乗り越えるための課題設定をすれば、次のような定式が考えられよう。民主的に規制され
た、官僚主義的にならない、そして最大多数の個人の(新自由主義者がそれと同一視する私企業
の、ではない)自由と両立し拡大する、経済制度の構想。一方では概念的すなわち抽象性を持った
理論が、他方では個々の具体的論点に即しての検討も必要であろう。後者はたとえば、税制のあり
方のような中心的論点もあるが、小学校の選択制の是非のような、直接には別問題ともとらえられ
るが深いところでつながっているようなものもある。
関連するが本稿で触れなかった論点もいろいろあろうが、そのうち私が関心を持つものいくつか
だけを挙げて終わることにしたい。①政治的な新保守主義(ネオコン)との関連。②文化的なポス
トモダニズムとの関連。③リバータリアニズムとの関係。④近年のスポーツにおける競争イデオロ
ギーの問題。
(付記)①専門的な細部にはなるべく深入りしなかったので、典拠は特に注記しないことにした。
②特定の人物や論点(特に経済政策)を扱った書物はいろいろ出ているが、新自由主義全体に関す
る書物はあまり見受けない。本稿は短い中に何とか「全体の絵」を描いてみようとした拙い試みで
ある。③新自由主義の側の文献として特に参考にしたものを挙げれば、ハイエクの『隷従への道』
や『市場・知識・自由』
(田中真晴・田中秀夫編訳による論集、ミネルヴァ書房)、フリードマンの『選
択の自由』
『資本主義と自由』などである。
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
156
A Critical View of Neo-liberalism
NAKAJIMA ,Yoici
We have just experienced the great blow to neo-liberalism as a policy. It is time
to rethink it in terms of its theoretical and historical meaning.
As named <market fundamentalism>, neo-liberalism aims at <cheap government>
and deregulation at any cost.
Neo-liberalism started in the 1940 s by F.Hayek who tried to brand fascism,
socialism, social-democracy and revised capitalism by Keynesian policy, all as <The
Road to Serfdom>. It succeeded in getting power first in the economics in the 70 s,
then in the political principle in the 80 s (UK,US, Japan). The victory owes not to
the recognition of scientific validity but to the result of ideological and political
success; it took advantage of Keynesian weakness in the social stagnancy during
the 70 s, and of the antipathy to the bureaucratism of large government. Triumphant
over the breakdown of Soviet and East-European old style politics, pushed on by the
informational and financial new technology, neo-liberalism declared <the end of the
History>, only to bring the end of itself, with a mass of working poor and unemployed
people beside few moral-hazard CEOs and hedge funds.
In place of neo-liberalism, we need the economy with appropriate regulation but
without bureaucratism, and the philosophy with respect to individual freedom but not
too inclined to material development or so-called success.
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
157
国際協力でのプロジェクト・マネジメント
−プロセスとは−
渡 辺 淳 一
1
1.はじめに
1994 年、JICA(国際協力機構)が正式に導入した PCM(プロジェクト・サイクル・マネジメン
ト)
・PDM(プロジェクト・デザイン・マトリックス)は国際協力でのプロジェクト・マネジメン
トの主軸となり、JICA プロジェクトを共有的かつ効率的にマネジメントが行えるようになった。
しかしながら、10 年以上にわたっての現場での活用の結果、この方法によるプロジェクト・マネ
ジメントの「弱み」というのも分かってきた。この一つが、プロジェクトを共有的に運営・監理す
るには非常に有効であるが、現場での実施プロセスの把握が十分にできないということである。特
に JICA の援助方針の一つであるキャパシティ・ディベロップメント(CD)における「内発発展性」
と「包括性」を具現化するには、PCM・PDM での実施プロセスの把握が求められている。
PCM・PDM の 10 年以上にわたる JICA での制度的定着と知的蓄積を活かしながら、実施プロセ
スでの PCM・PDM の課題を浮きあがらせ、特に制度・組織づくりをどのように行うかの考察を社
会理論などの視点から行う。
2.プロジェクト・マネジメントでの PCM・PDM の役割
プロジェクトとは、対象の人々のニーズなどに基づいてプロジェクトの目標や活動計画(スケ
ジュールと活動内容)を策定し、その計画に従い実施し、その実施過程をモニタリングし、必要に
応じて計画の調整を行い、期限内でのプロジェクト目標の達成を目指すことである。この一連のサ
イクルからプロジェクトは次の 3 つの段階で構成されている(JICA、2007)。
2
1) プロジェクト計画:プロジェクトの目標や活動計画を策定する計画段階
2) プロジェクト実施:実施、モニタリング・評価、計画の見直しを行う実施段階
3) プロジェクト評価:そして、実施当事者以外の外部者による実地中の中間で行う中間評価や
終了時に行う終了時評価、プロジェクト終了から 3 ∼ 5 年後に行う事後評価などの評価段階
1
東洋大学国際地域学部非常勤講師
2
この報告書の内容は、「事業マネジメントのあり方」研究会の見解であり、JICA の統一的な公式見解でないとの但し
書きがあることに、他の JICA 報告書と同様に留意。
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
158
プロジェクト計画において、対象プロジェクト関係者であるステークホルダー(利害関係者)か
らのニーズを把握しつつ、対象地域の現状と課題をセクター別に把握し、プロジェクト目標や活動
などの計画を策定する。そして、合意された計画に予算的裏付けが行われ、ヒト、モノ、カネなど
の資源を動員して、プロジェクトの目標達成を目指して、プロジェクト実施体制がプロジェクトを
運営する。プロジェクト実施中は、外部環境の変化を含めた実施過程のモニタリングをプロジェク
ト実施体 が行う。このモニタリングは制度的に行われるというよりは、プロジェクトを円滑に行
3
うには不可欠なプロジェクト運営の一環であり、日々の活動の見直しはプロジェクト実施中に常に
行われている。そして、JICA 主体による内部的プロジェクト評価が中間および終了時に行われる。
プロジェクト評価は、プロジェクト実施体以外の関係者や外部者による内部的な制度的評価 で
4
ある。前述のように、JICA プロジェクトにおいては、中間評価や終了時評価 が行われる。評価は
5
OECD(経済協力開発機構)の DAC(開発援助委員会)が策定した次の 5 つの評価項目により行
われる(JICA、2005)
。
1) 妥当性(プロジェクト実施の正当性や必要性を問う):対象地域・社会ニーズに合致してい
るか、相手国や日本の政策に合致しているか
2) 有効性(プロジェクトの効果を問う):プロジェクト目標は達成されているか、有効性を阻
害・貢献する要因は何か
3) 効率性(プロジェクトの効率性を問う):プロジェクト目標やアウトプットの達成度はコス
ト(投入)に見合っていたか、効率性を阻害・貢献する要因は何か
4) インパクト(プロジェクトの長期的、波及的効果を問う):上位目標は達成されたか、達成
を阻害・貢献する要因は何か
5) 自立発展性(プロジェクト終了後の持続性を問う):政策、経済・財政、組織・制度、技術、
社会・文化、環境などの面から、プロジェクト目標や上位目標の持続性を問う、持続的効果
の発現要因・阻害は何か
プロジェクト計画と評価は JICA が主体的に行い、ここでのプロジェクト・マネジメントは JICA
内部で一体的に行われる。一方、プロジェクト実施においては、JICA がコンサルタンツ会社など
に委託した場合、この実施過程を監理するという監理型実施マネジメントに加えて、どのように実
施していくかの運営的実施マネジメントが必要となる。これらのプロジェクト計画、実施(監理)
、
評価を系統的に繋げていく手段(ツール)として、JICA が 1994 年に正式に導入した PCM・PDM
3
JICA プロジェクトでの実施体は長期専門家による技術プロジェクトなどが行われる直営方式とコンサルタンツ会社
などに委託する委託方式の2タイプがある。これらのタイプによって、プロジェクト監理方法は異なり、後者の委託
方式ではプロジェクト運営に関する JICA の関与は薄くなる。
4
JICA のプロジェクト評価において、広義のカウンターパート関係者と JICA との合同評価が通常行われる。これらの
内部的評価を、さらに外部有識者などが評価(二次評価)する。
5
プロジェクト内容を詰めていく相手国との協議は「事前評価」として区分けされているが、この段階でプロジェクト
目標などを策定するので、ここでは「プロジェクト計画」とした。
渡辺:国際協力でのプロジェクト・マネジメント −プロセスとは−
159
がある。PCM・PDM 手法は次の特徴をもっている(JICA、2007)。
1) プロジェクトの形成、実施、モニタリング・評価のサイクルの一貫性
2) 問題点の原因・結果の関係、問題と解決策の論理関係
3) 多くのステークホルダーの参加による計画策定
4) 用語の明確化や計画プロセスの視覚化などによるステークホルダー間の相互理解促進
多くのステークホルダーが参画する PCM は、対象地域(村落)やコミュニティが抱えているさ
まざまな問題のうち、主要な問題は何かを参加者全員で設定し、その問題の発生原因を皆で考え、
その解決方法を決めて行く参加型プロジェクト計画である。この考えは「因果関係」と「論理性」
で裏付けられ、幅広い意見を聞いてプロジェクトに反映させていく公開性 が確保できる。しかし、
6
当初の問題設定のみから課題や解決策を策定していく PCM だけでは、地域あるいはコミュニティ
が抱える広範囲な問題解決には限界があると言わざるを得ない。その対応策として、農業や教育、
保健衛生などのセクターでの計画策定に加えて、JICA(2007)は KJ 法や SWOT 分析などの補完
的活用、また PO(活動計画表)策定を推奨している。
PCM で策定されたプロジェクト目標や解決方法に基づき、相手国政府やカウンターパートとの
協議を通じて、PDM が策定される(図 1 参照)。この策定にあたり、相手国政府関係者のオーナー
シップの醸成が必要である。それがプロジェクト実施におけるカウンターパートの参画に繋がり、
プロジェクト終了後の自立発展性にも貢献していくことになる。立ち上がりのボタンの掛け違いを
慎重に避ける必要があり、JICA(2007)は次のことを留意点として挙げている。
1) 継続的に、粘り強い対話とコミュニケーションを行う
2) 公式、非公式の打合せや共同作業を通じ、信頼関係を醸成する
3) 相互の方針や手続き、情報を共有し、相互理解を図る
4) カウンターパートのオーナーシップを尊重する
これらの留意点はプロジェクト計画の策定のみならずプロジェクト実施過程においても適用でき
る考えである。ここで大事なことは、「対話」が何よりも重要であるが、共同の作業や対立点の調
整を行っていくプロセスを通じて相互理解が深まり、このような対立と交流を通じてのみオーナー
シップが醸成されるということである。
PDM の特徴として、因果関係と数値的な指標の選定、外部環境が挙げられる。ヒトや予算など
の投入(インプット)により活動・産出(アウトプット)があり、その結果、成果が生まれる。い
くつかの成果により「プロジェクト目標」が達成される。達成されたプロジェクト目標は「上位目
標の達成」に貢献していくという因果関係がある。同時に PDM のそれぞれの項目に数値的指標(定
6
住民集会において、限られた住民のみが発言をする場合があるので、幅広い意見を集めるファシリテーターの役割が
重要である。しかし、参加者選定での制約があるので、集会などを広く公開するという方法も必要である。
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
160
量的指標)が設定される。例えば、農産物の単収が 5 トン /ha に到達することをプロジェクト目標
とする。
「前提条件」は、プロジェクト開始前に行うべき条件である。プロジェクトチームなどが
直接コントロールできない「外部条件」としては、プロジェクトの成果などに大きな影響を与える
相手国政府の政策や優先度、予算措置、天候などが挙げられる。
図 1 PDM の構成
PDM の活用において、プロジェクト目標達成後、上位目標の達成や自立発展性への寄与が弱い
ことや、外部条件の変化に応じて計画変更するなどの柔軟性に欠けるのではないかという指摘がな
された(JICA、2007)
。さらに、現状把握による問題解決に向けた計画策定方法は将来ビジョンの
策定が難しく、また、PDM だけではプロジェクトの実施管理が困難であるとの指摘が次のように
なされた(JICA、2007)
。
1) 当初の PDM は予測に基づいているので、プロジェクト実施途中での PDM 内容変更などの
柔軟性が必要
2) PDM は成果主義による目標管理型のツールなので、エンパワーメントなどのように事前に
目標などを設定できないプロセス重視には効果が限界的
3) PDM は議論の結果をまとめたものであり、それに至るまでの背景や意味の把握が十分にで
きないので、プロジェクト・ドキュメントの記録が必要
4) PDM には、PO などのスケジュール管理やコスト管理、要員管理、リスク管理などの詳細文
書が必要
PDM は計画概要であり、プロジェクトの道標を表したものである。従って、前述のような欠点
渡辺:国際協力でのプロジェクト・マネジメント −プロセスとは−
161
が生じるが、プロジェクトの進捗や達成状況を共有化するツールとして非常に優れている。また、
PCM/PDM は JICA プロジェクトにおいて普遍的ツールとして長く定着している。このような知的
蓄積と制度的定着を最大限に活かしつつ、このツールをベースとして、「弱み」を補う方法を考え
るのが有意義であり現実的である。次の節にて、この方法をキャパシティ・ディベロップメント
(CD)の視点から見直し、考察を深めたい。
3.CD での実施プロセスの重要性
PCM・PDM の因果関係や論理性を裏付けているのは、「合理性」である。計画論において、投入
と産出の間は合理性(最小の投入で最大の産出が行われる)に基づいているので、この間はブラッ
クボックスとしてそのプロセスは問われることがなかった(渡辺、2000)。しかし、異なった地域
や国において、同様の投入を行っても同じ産出が得られるとは限らない。この経験から、その間の
プロセスに影響を与える固有なものの解明が必要とされた。
国際協力分野においては、この考えが、住民参加型アプローチおよび社会やコミュニティが固有
に維持・変容させているソーシャルキャピタル(社会関係資本)への議論を深めた(佐藤、2001、
2005、JICA、2002)
。同様に、計画論において、「日常世界」での社会関係を重視した制度的アプ
ローチと協働的合意を重んじる対話(コミュニケーション)アプローチをそれぞれ導いた(Healey、
1997)
。
JICA(2007)は、JICA の(技術協力事業 )プロジェクト・マネジメントの特徴として、次の 2
7
つを挙げている。
1) カウンターパート、住民などの受益者、援助機関や NGO などのパートナー、コンサルタン
トなどのさまざまなステークホルダーとの調整が難しい
2) 制度構築や組織強化、人材育成などの成果の把握が難しい
JICA は、ステークホルダーとの調整と技術協力の目標である人材育成や制度・組織づくりを
JICA プロジェクト・マネジメントの大きな課題としている。その対応として、例えば、中間評価
や終了時評価において、JICA は PDM を評価の軸としつつ、実施プロセスを把握し、先に挙げた 5
つの評価項目において「有効性」や「効率性」、「インパクト」の阻害・貢献要因を把握している。
そして「自立発展性」において、制度・組織面からの評価を行っている。しかし、プロジェクトで
の制度・組織づくりにおいて、PCM/PDM の活用での補完的な改善の余地はまだあると考える。
JICA の援助方針の一つである CD の視点から、ここでは制度・組織づくりについて議論を深め
たい。UNDP(国連開発計画、2002)によれば、CD の理論的柱は、1)ドナーが途上国の既存のキャ
7
JICA の事業は専門家派遣や技術プロジェクト、調査研究などの「技術協力」と無償と有償の「資金協力」で構成さ
れている。
162
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
パシティを勘案することなく先進国の知識やシステムをそのまま導入しようとする、2)ドナーが
開発プロセスを主導しようとする、という 2 つの誤りに対する反省から生まれた(UNDP、2002)
。
加えて、UNDP(2002)は、途上国の問題解決には、個人の能力向上だけではなく組織全体やそれ
を取り巻く制度や社会などの重層的レベルでの制度・組織づくりが必要である、と指摘している。
前述の 2 つの誤りから、キャパシティは社会に「組み込まれているもの」という考えを導き、CD
の 2 つの理論的柱の一つである「内発性」が形成された。他方、後者からの指摘から、個人、制度・
組織、社会という重層的相互関係の重要性がもう 1 つの理論的柱である「包括性」の理論を導いた
(渡辺、2008)
。
JICA(2006)では、CD は「内発性」と「包括性」に 2 つの理論で構成され、CD を「途上国の
課題対処能力が、個人、組織、社会などの複数のレベルの総体として向上していくプロセス」
、と
定義している。
「内発性」に関して、内発的発展論を展開した鶴見(1989)は、バーナード(1973)のコミュニ
ティの議論において用いた、
「限定された地域(locale)
」でのアクター間の「社会的相互作用」に
よって形成される共通の価値や意義などの「共通の紐帯」をその概念として活用した。つまり、あ
る限定された地域やコミュニティでは、アクター間で形成される価値、意義、社会的慣習などを重
視し、この考えに沿うならば、CD を具現化するには、アクター間で形成される「意味」の把握が
不可欠である。
「包括性」を具現化するには、制度・組織づくりが求められる。プロジェクトが見出した仕組み
としての制度を幅広い関係者がどのように捉えるか、つまり、アクター間の社会的相互作用や状況
によりその「意味」が認知的に形成されることが持続性と実効性に繋がる。例えば、スピード違反
という仕組みとしての交通規則という制度を導入しても、その導入の過程でのカウンターパートと
の社会的相互作用や規則を取り締まる道具などの状況により、その実効性は大きく異なる。
ある限定された地域やコミュニティでの水平的な「意味」と、制度・組織や社会という垂直的な
「意味」は、それぞれにアクター間の「社会的相互作用」で形成される。従って、プロジェクト・
マネジメントにおいて、投入と産出(成果)の間でのプロセスの把握が CD において不可欠である。
投入と産出自体は、定量的に把握ができるが、この間のプロジェクト実施プロセスは、アクター間
で形成される価値や意義、社会的習慣などの「意味」の把握が必要となり、定性的な把握が求めら
れる(表 1 参照)
。
一般的に定量的調査において、人口や経済指標、農産物などの統計データの相関関係などのマク
ロ的な分析を行う。この「調査方法論」としては物理や化学などの自然科学において発展してきた
方法論に沿った「実証主義」が挙げられる。この考えは、16 世紀の「ベーコン主義」の事実性の
重視にまで遡ることができ、そして、デュルケムは、オーギュスト・コント以来の実証主義を社会
科学方法論として確立した。よって、実証主義が社会科学の科学としての位置づけを高め、社会科
学において定量的調査が大きなうねりを形成した。その代表的研究として、年齢や男女、郡などの
渡辺:国際協力でのプロジェクト・マネジメント −プロセスとは−
163
表 1 定量的調査と定性的調査の比較
定量的調査 / 数値
定性的調査 / 質的データ
対象
一般(非限定)
限定された空間・時・地域(locale)
理論的背景
普遍的一般理論 / 因果関係
固有な理論 / 文脈での形成された「意味」
方法論
実証主義 / 客観的 / 仮説による演繹法
解釈学や現象社会学(「意味」学派)/ 主観を
重視 / 仮説発見などの帰納法
特徴
説明(データ収集・分析での客観性、調査結
果の一般理論化→モデル化可能)
マクロ的調査
理解(データ記録による信憑性の確保、調査
結果の固有理論(仮説かも)→一般理論化可
能)
ミクロ的調査:特定の地域や人を絞り込み継
続的な調査
調査手法
定量的統計データの活用、統一フォーマット
でのアンケート調査(数値)など
フィールドワーク(エスノグラフィー)など
の参与観察・インタビュー、エスノメソドロ
ジーなど
出典:渡辺(2008)より作成
自殺に関する実証的調査研究を行ったデュルケムの「自殺論」(1985)が挙げられる。このように
実証主義は、仮説を経験的データにより検証し普遍的な理論の構築を目指している。そして、実証
主義はパーソンズにように合理性やシステム的調和に基づいた因果関係による一般的な理論やモデ
ル化にと発展していった。
定量的調査において、対象である社会的事象は「客体」として、何も考えず何も言わないもので
ある。つまり、デュルケム(1978:71)の有名な言葉である「社会的諸事実を物のように考察しな
ければならない」のように、観察対象は「主体」(観察者)から離れた外在的かつ客観的な存在で
ある。
定量的調査では、このように「物」としての統計データや統一フォーマットでのアンケート調査
によりデータ収集・分析が行われる。誰が行っても同じ分析結果が得られるという「客観性」が確
保できる。この客観性が、定量的調査の大きな特徴であり、まさに科学性を得ている。
他方、定性的調査の方法論は、私どもアクター(行為者)が「日常生活」において形成する社会
的事象への解釈による「意味」を重んじた「主意主義」の解釈学、そして、「日常生活」における
社会的相互作用による「意味」形成を重視した現象社会学などで構成されている。
定性的調査の方法論は、アクターが意味を形成している、シュッツがいうところの「生活世界」
での意味づけを理解することを重視する。なぜなら、アクターは意味に基づいて活動をしているの
で、彼らの「生活世界」を把握することが「理解」である(宝月、1989)。つまり、対象コミュニティ
などの限定された空間や時間での「意味」を把握するということは、まさに外部者にとってまず行
うべきこと、つまり、
「理解」をすべきことである。
定性的調査では、異なった文化などでの調査研究を行うエスノグラフィー(民族誌)において、
参与観察やインタビューをまとめたフィールドノートをデータとして取り扱い、比較・分類などを
行い、帰納的に仮説を設定している。このように体系的な研究方法でのデータ収集・分析を行い、
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
164
理論を社会的事実(データ)と論理を照らして検証するという「経験的科学」において、定性的調
査も科学である(ギデンズ、1993)。
観察対象地域のコミュニティは、自ら考え主観的に判断をし、アクター間の相互作用的な主観的
な解釈を行っており、観察対象は内在的かつ主観的な存在である。この主観的存在を内在的な参与
観察などでデータ収集・分析するのが、「主体」の観察者である。対象コミュニティなどが行う解
釈を観察者の主観的な解釈で行うという「解釈の二重性」が定性的調査の難しさと科学性への疑義
を生んでいる。
プロジェクト・マネジメントの視点から、これらの議論をさらに深めたい。前述のようにプロ
ジェクト実施は、監理型と運営型に区別される。運営型実施マネジメントにおいて、投入と産出
(成果)の間の実施プロセスがまさに行われている。プロジェクトの実施主体メンバーは、具体的
な活動、例えば研修や作業、支援などの実施プロセスを通じて、住民や農民や中央政府や地方政府
のカウンターパート、そして、他の関係者(他のドナー機関、大学等)との社会的相互作用を行い、
プロジェクトに関する活動や成果、目標などの「意味」を形成している。この形成された「意味」
がプロジェクト終了後の自立発展性、特に制度・組織づくりに大きく関わってくることは自明であ
る。
よって、PCM・PDM との関係において、PDM の成果やプロジェクト目標などの数値的指標を把
握しつつ、PDM の投入と産出(成果)間の実施プロセスの把握をより行うことが CD を具現化す
る上でも不可欠である。この実施プロセスにおいて、プロジェクト実施体が現場においてさまざま
な現状や文脈での「意味」を「理解」していることの重要性を認識し、それを支援していく姿勢が
より求められる。
4.実施プロセスの把握方法について
これまでの議論から、PDM での投入と産出の間の実施プロセスの把握が、CD においても必要
であることが明示された。その具体的な実施プロセスを把握するために、JICA(2007)は、実施
プロセスの主な視点として次のことを挙げている。
1) プロジェクト計画の妥当性と変更への対応状況はどうか
2) スケジュール、リスク管理はどうだったか
3) ステークホルダーとの関係やプロジェクトチーム内の関係はどうか
4) チームメンバーはプロジェクト目標などからそれぞれの役割を自覚し、関係者に必要とする
情報を伝えていたか
5) 在外事務所及び本部の指導、支援は適切かつ迅速であったか
6) マネジメントに関して、正負の要因は何であるか
これらの視点は、まさにプロジェクト運営に関するマネジメントに関して、適正かつ建設的であ
渡辺:国際協力でのプロジェクト・マネジメント −プロセスとは−
165
る 。一方、プロジェクト実施体が、住民やカウンターパートなどとどのように(how)プロジェ
8
クトを実施したかをより掘り下げることにより、CD の「内発性」と「包括性」、特に制度・組織
づくりに焦点を当てたプロセス把握がより可能となる。
制度・組織づくりにおいて、組織図に基づいてそれぞれの部署の役割や人員、予算などから機能
的に分析する方法「機能主義パラダイム」がある一方、「日常世界」での「意味」はアクター間の
社会的相互作用により形成されるという解釈的に分析する考え「解釈パラダイム」がある(バーレ
ル、モーガン、1979: 訳 1986)。
9
組織の役割などを基本的情報として整理しつつ、解釈学や現象社会学の影響を受けた「解釈パラ
ダイム」の視点からの制度・組織づくりのプロセスを把握することが CD の具現化につながると考
える。バーレルとモーガン(1986)は、「解釈パラダイム」での組織分析として、エスノメソドロ
ジーと現象学的シンボリック相互作用主義 を挙げている。
10
ガーフィンケルが創設したエスノメソドロジー(日常生活の方法論)は、「ただ単に社会成員の
慣習や行為の仕方を客観的に分類したり、記述したりするわけではない。また、人間の普遍的方法
を探ったりするわけではない。エスノメソドロジーは、社会成員がどのようにして様々な方法を用
いながらこの世界を理解し記述しているか、その方法論(ethno- methodology)を理解し記述しよ
うとするのである」
、と定義されている(山崎、2004:32-33)。エスノメソドロジーの代表的調査手
法は、ガーフィンケルの考えに基づいてサックスが発展させてきた「会話分析」である。
他方、現象学的シンボリック相互作用主義は、エスノメグラフィー(民族誌)でのフィールド
ワークにおいて、現象社会学として調査研究が行っている。グレイザーとストラウス(訳 1996)
が創始したグランデッド・セオリー・アプローチ(GTA)では、フィールドワークでの参与観察や
インタビューなどを記述したフィールドノートなどの経験的データをカテゴリー化し、仮説の生成
を主な目的としている。
限られたマンパワーと予算、時間という制約において、これらの定性的調査手法がプロジェクト
の実施プロセスの探求にそのまま活用できるかは、実践を通じて検証していくことになる。可能な
1 つの方法としては、住民やカウンターパート、プロジェクトチーム、ドナー関係者などが参加し
たプロジェクト委員会やワークショップでのアクター間の関係性や「意味」を、前述の会話分析や
参与観察などで時系列的に解明することである。この時系列の解明により、プロジェクトの成果な
どの「意味」や変容が判明できると考える。
8
これらの視点は、プロジェクト運営をどのように監理、あるいは支援するかというあるべきマネジメントを示してい
る。これらに加えて、プロジェクト実施プロセス把握も必要である。
9
本書において、加えて、社会改革を目指したマルクスの影響を受けた「ラディカル機能主義」と、社会改革を目指し
たフランスの実存主義の影響を受けた「ラディカル人間主義」も 2 つのパラダイムとして議論されている。
10
シンボリック相互作用主義には、過程的な見方よりも構造的な見方から現象を探求しようとする行動論的シンボリッ
ク相互作用主義もある(バーレル、モーガン、訳 1986)。
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
166
図 2 クラゲ方式
出典:筆者作成
プロジェクト実施プロセスの把握に適用できるもう 1 つの定性的調査方法(質的アプローチ)は、
インタビューによる定点継続調査 である。これは、対象コミュニティや組織のメンバーを数人 選
11
12
んで、インタビューの数を重ねることにより信頼関係を構築しつつ継続的なインタビュー を行う。
13
この方法により、プロジェクトの成果などの影響や意識の変化などが把握でき、そして多くの「学
び」が可能となる。また、全体像を統計データ や PCM からの情報データにより対象地域やコミュ
14
ニティの全体像を把握しつつ、一部深く掘り下げていくという補完的なクラゲ方式(図 2 参照)を
行うことにより、より重層的な調査が行える。
定性的調査(質的アプローチ)では、「生活世界」の複雑性や多様性を尊重し、調査対象との柔
軟な対話を通じて、その特性への理解を深めるようにする。その為、質問の柔軟度を高めた半構造
インタビューや参与参加観察、日記や手帳、自伝などのドキュメントの活用などが質的調査の一般
的な方法・手法である。よって、プロジェクト実施プロセス把握でのこれらの調査手法としての可
能性の検証も求められる。
(合)環境と開発研究所 島津英世が JICA 開発調査において、限られた時間やマンパワーの中、積極的に定点継続イ
11
ンタビューを行っている。FASID の「質的アプローチとその実践的方法」の研修(2008、2009)において、島津の
計画策定の実践方法から多くの教示を受けて、このクラゲ方式として整理をした。
12
選定にあたり、家の外観(屋根材)から判断して、幅広い層を対象とすることが肝要である。
13
情報を収集するヒアリングではなくて、理解し学ぶためのインタビューである。
14
途上国の場合、特にアフリカ諸国では地方レベルの定量的データはほとんど入手できないので、関係者からの聴取か
らのデータ収集になる。PCM のように公開の場での情報データは比較的信憑性は高いと思われる。
渡辺:国際協力でのプロジェクト・マネジメント −プロセスとは−
167
5.さいごに
国際協力分野において、多くのドナーがローカル NGO などに委託してプロジェクトを実施し、
政策面のみに直接関与する傾向が、特にアフリカ諸国では見られる。一方、JICA は、専門家やコ
ンサルタントがプロジェクトを直接実施し、現場で学んだノウハウや仕組み、教訓を他の地域や国
に波及させよとしている。この方針に基づいた多くのプロジェクトは、相手国のカウンターパート
機関や住民組織などの CD に地道ながら大きな貢献をしていると考える。これをさらに助長するに
は、PDM の成果や目標などの数値でのプロジェクト・マネジメントに加えて、具体的なプロジェ
クト形成(理解としての SEE)や実施プロセス(理解としての「意味」形成)の重要性を認識し、
制度的対応(仕組み)を定め、支援していくことが求められる。
JICA の制度的対応として、前述したように、PCM・PDM での蓄積された知的財産を活かしなが
ら、投入と産出(成果)間の実施プロセスの把握の方法を前述の方法・手法も含めて検証していく
ことが必要である。この検証にあたり、現場での限られたマンパワーと時間との調整が必要であ
る。アカデミックとしての厳密性よりもプロジェクトでの限られた資源下での実践性や現場での必
要性を当然優先すべきである。
クラゲ方式などの議論をしたが、ここで肝要なことは、どの方式を活用するかではなく、人々や
社会を直視し、
「理解」するには何が必要かをまず考えることである。そして、プロジェクトでの
限られたマンパワーや時間の中、既存の方式などを含めたさまざまな試行錯誤の結果、その地域や
コミュニティでの適切な方法や手法が生み出されて、定着していくと考える。
JICA の現場での「強み」を活かすためにも、これまでのマクロでの数値的な相関関係や定量的
分析に加えて、ミクロでの実施プロセスから得られた定量的分析や定性的な知見や教訓、仕組みな
どを対外的にさらに発信していくことが求められる。これらの発信が現場に根ざして支援をしてい
る JICA の強みでもあり責務でもあると考える。それぞれの分野で形成されている(学問的)理論
を踏まえての議論でないと、国際的にはなかなか受入れてもらえないという現実がある。従って、
既存との理論を踏まえた上で、現場から構築された理論や教訓などの発信が求められる。それに向
けて、2008 年に設立され、さまざまな調査研究を行っている「JICA 研究所」には、今後のさらな
る発信を期待したい。
【引用文献】
グレイザー、ストラウス 後藤隆他訳(1996)『データ対話型理論の発見』新曜社
佐藤寛編著(2001)
『援助と社会関係資本』日本貿易振興会 アジア経済研究所
佐藤寛編著(2005)
『援助とエンパワーメント』日本貿易振興会 アジア経済研究所
JICA 国際協力総合研修所(2002)
『ソーシャル・キャピタルと国際協力』JICA
JICA 企画・調整部事業評価グループ(2005)『プロジェクト評価の実践的手法』国際協力出版
JICA 国際協力総合研修所(2006)
『キャパシティ・ディベロップメント(CD)』JICA
JICA 国際協力総合研修所(2007)
『事業マネジメントハンドブック』JICA
鶴見和子(1989)
「2 章 内発的発展論の系譜」鶴見和子他編『内発的発展論』東京大学出版会
168
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
デュルケム 宮島喬訳(1978)
『社会学的方法の規準』岩波書店
デュルケム 宮島喬訳(1985)
『自殺論』中公文庫
バーレル、モーガン(1979)鎌田伸一他訳(1986)『組織理論のパラダイム』千倉書房
FASID(1997)
『開発援助のためのプロジェクト・サイクル・マネジメント』FASID
宝月誠(1989)
「社会調査のねらい」宝月誠、中道實、田中滋、中野正大『社会調査』1 章 p.1-9 有斐閣
山崎敬一(2004)
『社会理論としてのエスノメソドロジー』ハーベスト社
渡辺淳一(2000)
「Rural Planning Theory in Western Societies」
『農村計画学会誌』Vol.19.No2 pp.131-138
渡辺淳一(2008)
『効果的なキャパシティ・ディベロップメント(CD)の実現を目指して』1 章 3 章 IDCJ 援助グルー
プ
Bernard J.(1973)The Sociology of Community Foresman and Company
Healey P.(1997)Collaborative Planning PALGRAVE
UNDP(2002)Capacity for Development: New Solutions to Old Problems Earthscan Publications
渡辺:国際協力でのプロジェクト・マネジメント −プロセスとは−
169
Project Management in the field of International Cooperation − What is Process −
Junichi WATANABE
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
171
カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦
−水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
吉 永 健 治
*
1.CWP Update 2009 策定の背景と目的
カリフォルニア州は世界的有数の農業地域であると同時に、San Francisco 市などの大都市を有
し、将来の土地利用や気候変動の変化が水資源および水需給に顕著に影響する地域として注目さ
れる。カリフォルニア州の水供給システムは 60 年を越す年月をかけて鋭意人工的に構築されたも
ので、ダム、水路、ポンプ場、導水菅などによる複雑な水供給ネットワークシステムを形成してい
る。このシステムによりカリフォルニア州の農業、企業、公共水サービス、生物多様性やエコシス
テムは大きな便益を享受している。しかし、一方では、増加する人口と減少する水供給、複数年に
わたる旱魃、水源の雪塊氷河の貯留の減少と洪水の頻度の増加、施設の老朽化、気候変動などの不
確実性とリスクに対する脆弱性、システムを稼動するためのエネルギー消費、地表水の水質悪化と
地下水の減少、Sacramento-San Joaquin River Delta(以下、デルタと表示)のエコシステムの劣化や
魚種の減少など多様で困難な問題を抱えている。今日、カリフォルニア州は歴史上最も厳しい水危
機の一局面に遭遇しているといても過言でない。こうした状況に対して議会のポンプ取水に関する
決定や魚類の保護のための新たな規制によってデルタへの水配分は 30%削減された。また、カリ
フォルニア州水資源局(Department of Water Resources: 以下、DWR と表示)は州知事の支持を得て
2020 年までに都市用水使用量を一人当たり 20% 削減するとしている。
カリフォルニア州の水需給と水供給を取り巻く状況は大きく変化してきており、DWR を中心
に策定作業が進められている水計画、すなわち 2009 年カリフォルニア州水計画更新(California
Water Plan Update 2009: 以下、CWP Update 2009 と表示)における新たな水戦略はカリフォルニア
州の水需給政策と水供給システムの運営のあり方を大きく左右することになる。カリフォルニア州
水計画(California Water Plan: 以下、CWP と表示)は 1957 年以降、水計画担当者にとって水資源に
関する必要な情報を提供してきた。CWP は5年ごとに更新(Update)され、現在最終段階の作業
が進められている CWP Update 2009 は 9 回目の更新になる。表‐1 に、過去の CWP 更新における
主要な内容が示されている。
CWP Update 2009 は、以前の CWP 2005 の枠組みと資源管理戦略に関する 2 つのイニシアティブ、
すなわち①地域総合水管理(Integrate Regional Water Management: 以下、IRWM と表示)により地域
*
東洋大学国際地域学部国際地域学科:The Faculty of Regional Development, Toyo University
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
172
表‐1 CWP(California Water Plan)の経年的更新内容
CWP 更新経緯
年次
更新の基本的構想
テーマ
1966
CWP の実施
Bulletin 160-66 において California Water Code で設定された CWP の一部実施に
関する提案。水政策として、洪水制御、洪水原の管理、電力需要、水関連レ
クレーション、水資源開発と魚類と野生生物との関連や水質に関心。
1970
CWP: 1970 年におけ
る展望
1990∼2020 年における人口見通しを下方修正。灌漑可能面積の減少。建設中
あるいは承認されたプロジェクトで 1990 年に必要な水量の確保が可能。国家
および州レベルでの環境への認識の高まり。
1974
CWP: 1974 年におけ
る展望
Auburn, New Melones および Warm Springs 貯水池、加えて、周辺の水路が 1980
年までに開通することで水供給は良好な状況。河川の野生生物や景観を規定
した新たな議会決議。更新内容として水質管理、人口増加と農業用水の供給
量の推定。主要な政策として、水不足、水取引、農業用水の排水、水利用の
効率化・経済性などについて指摘。
1983
CWP: 2010 年に向け
た水利用予測と利用
可能な水供給
技術的な面を強調。農業用水モデルの構築。特に、水、エネルギー・コスト
の増加による経済的影響。都市・農業用水の保全方法と影響と追加的な水需
要に対する水開発。Hydrologic Balance Network in California 1980 による州規模
の水供給フロー・ダイヤグラムの策定。
1987
カリフォルニア州の
水 : 将来を見つめて
Bulletin 160-87 は California における水問題に焦点。水管理、特に水質、デル
タ、水政策に関する議論。4 年に 3 年の割合でカリフォルニア州水資源は将来
の水需要を充足。
1994
CWP 更新 :
広報 160-93
人口増加、土地利用、環境への水配分などが水資源に与える影響。更新され
た点は、①環境への配分と都市・農業用水、②水需要に見合った水需要管理、
③平年と旱魃における水バランス、利害関係者が参加した初めての更新作業。
1998
CWP 更新 :
広報 160-98
水供給の信頼性改善のための水管理オプションの評価。地域レベルの水管理
オプションを州レベルのオプションに統合し、州レベルでの評価システムの
確立。
2005
CWP 更新 2005:
行動のための枠組み
人々がどのように水資源管理を捉えているかという観点から枠組みの設定。
総合的で統合的な方法での水管理アプローチ。これは DWR と農業、都市お
よび環境関係者による協調的なプロセスの結果。初めて不確実な将来の水需
給に対する持続可能な水利用への挑戦と行動を含む戦略計画を策定。
(注)CWP: California Water Plan, DWR: Department of Water Resources
出典:DWR
(2009)
, CWP Update 2009, Vol.1,Chapter 1: Introduction, pp.1-14~15 を基に著者作成
が自らのニーズに適切な水計画戦略を実践し水自給を達成することを可能にすること、②カリフォ
ルニア州全体の水管理システムの改善は、州管轄水プロジェクト(State Water Project: 以下 SWP と
表示)のように大規模な水利施設に対する更新と州の経済にとって不可欠な水管理プログラムを提
供すること、をベースとしている。また、自然環境に対する水管理の影響を最小限に抑え、必要な
水供給を継続するために 3 つの基本的な行動、すなわち①既存の水供給システムから効用を最大化
するための効率的な水利用、②公共の健康と環境を保護し、水供給の確保と水質の保全、③水管理
の責任の一部として環境スチュワードシップ(Environmental Stewardship)の拡大、によって支援
される。
CWP Update 2009 は、これまでの CWP と異なり、DWR による計画から州の水計画として見直
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
173
されることになり、州の水資源を管轄する 21 の州政府機関の代表からなる CWP 諮問委員会に
よる最初の報告書であり、州の水関連機関の報告書(Companion Planning Documents)を統合し
たものである。さらに、計画準備において参加範囲を地域代表まで広げて先住民族を含む 45 名
からなる諮問委員会と連邦機関との調整を得るなど広範な参画のもとで策定作業が実施された。
CWP Update 2009 は、表‐2 に示すように、①ビジョンとミッション(Vision and Mission)
、②目
標(Goals)
、③指導原則(Guiding Principle)
、④目的と行動(Objectives and Actions)および⑤勧告
(Recommendations)
、の5つの要素からなる。CWP Update 2009 は Vision 2050 として、2050 年に向
けて現世代と次世代の全ての「有益な水利用(Beneficial Uses)」に対して信頼できる安全で清潔な
水供給を行うために水資源と水供給システムを管理する戦略的な道筋を設定する。具体的には、①
公共の健康、安全およびコミュニティにおける全て人々の生活の質を向上、②経済成長、企業の
活力および農業の生産性の改善、③カリフォルニア州のユニークな生物多様性、生態系の価値およ
び文化的遺産の保護と修復、を戦略とする。また、CWP Update 2009 には、新たな目標として、①
気候変動による不確実性やリスクを減少し、水管理と洪水管理およびそれらに依存するエコシステ
ムの持続可能性を高めるための適応戦略の開発や多様な行動に対する投資の必要性、②総合水管理
(Integrated Water Management: 以下、IWM と表示)の一環として、総合洪水管理(Integrated Flood
Management: 以下、IFM と表示)は洪水防御の拡充、緊急応答の改善、洪水原におけるエコシステ
ム機能の向上および総合洪水管理システムの構築を目指すこと、③水需給と水供給に関する決定に
よる便益と影響および州政府の資源へのアクセスは先住民族を含む全てのコミュニティに対して平
等であること、などが導入されていることが注目される。
CWP Update 2009 は、①戦略プラン(The Strategic Plan)、②資源管理戦略(Resource Management
表‐2 CWP Update 2009 戦略プランの要素
要素
各要素の戦略
ビジョン
(Vision)
ビジョンは計画期間中におけるカリフォルニア州の水資源、管理、サービスおよび洪
水計画に関する望ましい将来像について言及。
ミッション
(Mission)
ミッションは CWP の唯一の目的とその必要な理由について言及。そのために何をす
べきか、またどういう理由で誰のためか、について明確化。
目標
(Goals)
目標は計画期間中の水計画に関する望ましい結果について言及。それは州全体のビ
ジョンを基礎としている。目標の達成には州、連邦、先住民族および地方政府や関係
機関の調整が必要。
指導原理
(Guiding Principles)
指導原則はビジョン、ミッション、目標をいかに達成するかを示す主要な価値や哲学
について言及。言い換えれば、指導原則は、いかに決定を行い、必要な活動を進める
か、を明示。
目的
(Objectives)
目的として何を設定すべきか、また目標を達成するために、なぜそうした目標が必要
かについて言及。
関連する行動
(Related Actions)
関連する行動は、いかに目的の達成に向けて行動すべきか、について言及。それは計
測可能で時間制約的な条件での行動の必要性と高度な結果を重視。DWR の権限が及
ばないいくつかの行動は州政府あるいは水コミュニティによって実施。
出典:DWR
(2009)
, CWP Update 2009, Vol.1, Chapter 7: Implementation Plan, pp.7-1 を基に著者作成
174
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
Strategies)
、 ③ 地 域 報 告(Regional Reports)、 ④ 指 導 ガ イ ド(Reference Guide)、 ⑤ 技 術 ガ イ ド
(Technical Guide)の 5 巻からなる膨大な分析と内容で構成されている。内容的には設定シナリオ
によるシミュレーションの結果など一部が未完成であるが、現在公共レビュー・ドラフト版(Public
Review Draft)が公共の意見を聴取するために公開されており、最終的な公表は 2010 年初頭の予定
である。本稿は、著者が 2009 年 8 月に DWR における聞き取りにおいて入手した上記のドラフト
のうち戦略プラン(第 7 章からなる)に関して、新たな要素と関心の高い事項について取りまとめ
たものである。
本稿は以下のような各章から構成される。第 2 章では、水管理行動に関する責務として、CWP
2005 における経験と課題、気候変動と不確実な水供給、IWM、IRWM および IFM、気候変動に対
する緩和戦略と適応戦略など CWP Update 2009 の骨子を成す主要な要素について述べ、第 3 章では、
カリフォルニア州の水資源に関して、資源の多様性、水供給、水利用および水質問題などについて
言及する。第 4 章の水供給システムとエコシステムに関しては、複雑な水供給システムと老朽化お
よび変化し劣化するエコシステムの現状について論ずる。第 5 章では、将来の不確実性とリスクお
よび持続可能性に関して水供給システムに内在する不確実性とリスクに関する CWP Update 2009 に
おける対応策とアプローチについて記述する。第 6 章では、水需要や水供給に関する正確な分析の
ためのデータと分析の統合、技術に対する支援と投資、IRWM による挑戦などに関して言及する。
最後に、第 7 章では結論として、CWP Update 2009 の実施計画について紹介する。
2.水管理行動に対する責務
2-1 CWP 2005 から学ぶ CWP Update 2009
水管理における行動と責務とは、カリフォルニア州の各市、農業や企業、野生生物が必要な時と
場所において 2050 年までに安全で清潔な水の確保のための水計画とその戦略プランの各要素に関
するロードマップを明らかにすることにある。これには CWP Update 2009 のビジョン、ミッショ
ン、目標を達成するための阻害要因の除去と好機を確実にするための主要な勧告を含む。カリフォ
ルニア州は現在および将来世代の全ての「有益な水利用」に対して信頼できる水供給を行うために
水資源を管理する戦略的な経路(Strategic Paths)に従わなければならない。旱魃と洪水はカリフォ
ルニア州固有の自然的サイクルであるが、その集中度や影響度は悪化する傾向にあり、将来の不確
実性に対する挑戦が求められる。こうした挑戦のためには、ビジョンと目標、短期および長期的な
行動の実施計画、障害の除去のための勧告からなる戦略的な CWP Update 2009 が必要とされてい
る。
CWP Update 2009 における戦略プランは、CWP 2005 で学んだプロセス、すなわち、役割の拡大、
他の州の参加や地域計画への努力、コミュニティの関心および技術的な諮問グループの意見などを
踏まえて展開されている。CWP Update 2009 は、カリフォルニア州が 2050 年までに全ての「有益
な水利用」に対して持続可能な水利用や信頼できる水供給を確保するための州政府や水組合(以下、
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
175
水コミュニティと表示)の役割を規定する。これは今日直面する問題と将来直面であろう重要な課
題について言及し、州政府の緊急な挑戦と行動を規定するものである。また、CWP Update 2009 は
州政府レベル、州内の水コミュニティおよび全ての水利用者に対する短期および長期的な目標と関
連する行動からなる実施計画に関する情報を提供する。
CWP Update 2009 における戦略は持続可能なシステムを達成するための水資源管理に有効な行
動、具体的には資源管理戦略(後述)、計画策定のアプローチ、分析手段などについての概要を示
している。これらの戦略と手段は、地方および州規模の水管理と洪水管理を支援する州政府の役割
と責任に特別な注意を支払い、カリフォルニア州の水コミュニティの最近の経験から学んだ以下の
基本的な教訓を基に取るべき行動を規定している。
① 持続可能な開発と水利用および環境スチュワードシップは、経済力を強化し、公共の健康と環
境を保護し、生活の質を高めることによって可能である。持続可能な水管理は政策決定における
社会、経済および環境的な価値に依存し、それは水および水関連資源を現在の世代のニーズに見合
い、また環境を保護し将来世代のニーズを満たすような方法で開発すること必要とする。IFM およ
び IRWM を含む IWM は多様な便益をもたらす行動によってカリフォルニア州の水供給の将来を計
画する基礎となる。水供給および洪水システムに対する不確実性を減少させリスクを評価すること
は水利用、システムおよび資源を維持するための開発計画にとって不可欠な分析である。
② 水管理および洪水管理への挑戦は地域ベースで実施されなければならない。カリフォルニア州
の地域の水理、人口、地形、社会・経済およびその他の違いよって長期的な観点から各地域のニー
ズに見合った複合的な水管理戦略が求められる。
③ 州における節水、リサイクルおよびシステムの効率化は地域や個々の水利用者にとって基本的
な戦略である。効率的な水利用による効果は将来の水供給や水質に大きな影響を与える。
④ 地表水とその他の水資源の利用を調整することにより長期間の地下水流域の貯水能力の利点を
生かし、将来の旱魃や気候変動に対応できるように水供給の信頼性を改善する必要がある。これに
はリサイクルされた都市用水のみでなく地表流出水や洪水、都市流出水やストームによる貯水、水
取引、脱塩水なども含まれる。
⑤ 水は希少な資源であり水質を保全し効率の高い水利用を行う必要がある。
⑥ 地下水や地表水の貯水能力の改善が求められる。貯水能力は水管理担当者の多目的なニーズに
応え、乾燥した年に有効な貯水機能としての役割を果たすことが求められる。
⑦ デルタの維持管理はエコシステムの保護と信頼できる水供給システムの確立によってデルタが
ユニークで価値を有する地区であることを認識する必要がある。
⑧ 州政府は、連邦、先住民族、地域および地方政府の水管理活動を調整する役割を担い、水管理
行動に対する継続的な投資を確保すべきである。
⑨ 科学と技術の導入は流域、水源や地下水源への気候変動や他の圧力による脅威に対して新たな
視点を与える。新たな技術と知識を活用して環境保全活動を行い、環境を保護し修復するような方
法で水管理を行わなければならない。
176
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
2-2 気候変動と不確実な水供給
カリフォルニア州ではすでに水理(氷河、河川流量)、ストームの集中、温度、風、海面水位な
どへの気候変動による影響が観察されている。これらの変化に対する計画や適応策、特に公共の安
全に対する影響や長期的な水供給の信頼性は水管理と洪水管理の担当者にとって最も挑戦的なタス
クである。200 年以上にわたって、カリフォルニア州政府による水管理と洪水管理システムは州の
経済の活性化、水供給、衛生、電力、レクレーション、および洪水防御に貢献してきた。しかし、
こうしたシステムの基礎となっている気候パターンは今日のそれとは異なったものであり、しかも
加速的に変化している。この変化は結果として不確実性をもたらし、水供給や水質、エコシステム
および洪水防御を危険に直面させることになる。
カリフォルニア州の水管理および洪水管理担当者は広範な不確実性に対応しなければならない。
不確実性は既存のシステム自体および将来起こりうる全ての変化に内在している。例えば、水管理
担当者はカリフォルニア州の河川における流量が今年と比較して次の年は異なることは確実である
ことについて理解できても、これらの変化の時期や規模については不確実である。水配分に影響を
与える科学的物質の流出などの脅威も不確実である。危機に瀕している生物種の保護も現況とは異
なる水供給システムの変更を求められるかも知れない。今日エコシステムがいかに機能しているか
についても多くの不確実性が存在する。例えば、デルタにおける海洋性の魚類の減少の理由、堤防
の基礎の状態や地下水の復元の程度についても正確に知ることができない。
変化は長期間に緩やかにあるいは短期間に、また急激に起こる。緩やかな変化は、地域の人口、
栽培作物の変化、降雨のパターンや海面水位の上昇などである。急激な変化としては地震、洪水、
旱魃、施設の機能不全、科学物質の流出、あるいは意図的な破壊行動などが含まれる。こうした不
確実性に対する政策と基準は技術的に可能な水利用と行動で水供給を確保できるものでなければな
らない。CWP Update 2009 においては、水資源管理に対する明確なコミットメントによるイニシア
ティブ、すなわち①政府の計画と管理に関する調整、②資源計画と管理の統合、③気候変動への
適応、④不確実性、リスクおよび持続可能な管理、など基本的な行動によって構築される。これ
らのコミットメントは 2050 年まで、さらにそれ以降の将来世代に対してカリフォルニア州の持続
可能な水利用と信頼できる水供給の方法に関する管理と計画にとって不可欠である。また、CWP
Update 2009 は関連する州プラン(Companion State Plans)を包括するものでなければならない。
CWP Update 2009 は他の州のプログラムと横断的な調整を図り策定される。
2-3 総合水管理、地域総合水管理および総合洪水管理
カリフォルニア州の多様で厳しい水管理の現状に対する新たな挑戦として多角的なアプローチ
を必要とする。IWM(総合水管理)は、アンブレラ・アプローチとして IRWM(地域総合水管理)
と IFM(総合洪水管理)における原則と行動を規定している。それは、あらゆる局面およびレベ
ルにおける水管理、すなわち地域および州全体における多目的利用および便益のために将来のリス
クと不確実性を考慮した資源管理戦略によって水供給システムと水利用の維持のための水管理を実
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
177
図 -1 IWM の概念図
出典:DWR
(2009)
, California Water Plan Highlight, pp.10 を基に著者作成
施する。そのために IWM は総合的な計画と管理の原則を適用する。IWM は、①広範で多様な便
益を提供すること、②現在および将来の水需要に見合うこと、③水資源や水供給の質を改善するこ
と、④旱魃や洪水など厳しい水理上の出来事に対して弾力的に対応できること、⑤自然資源を維持
しエコシステム機能を向上し修復すること、などを追求する。図 -1 に、こうした IWM の概念を示
す。
一方、IRWM は多様な水戦略のポートフォリオに依存する。土地計画担当機関との早期の調整
は水供給担当者や土地利用計画担当者が将来の成長を予想し計画立案するのに有効であり、地域の
成長に伴う追加的な水需要が水供給能力を超過しないかどうか見極めることができる。地域におけ
る利害関係者とのパートナーシップの形成は水およびその他の資源の管理や基金(Fund)に対する
最適で効率的な運営を可能にし、広く公共の支援を得ることができる。例えば、地方政府、先住民
族、地域の水関連組織などとパートナーシップを形成することで水供給者は単独機関では不可能な
プロジェクトを実施し便益を提供することができる。具体的に、パートナーシップは地方政府や関
係機関に対し、①近隣の水供給者と緊急時における良好な関係を形成することにより水供給の信頼
性の構築、②地下水利用および複合的水管理(Conjunctive Management)による運用上の弾力性の
確保、③流域管理による水質の確保、④水管理および資源管理に関わる他機関との協力によるコ
スト削減、⑤野生生物の生息地の保全の促進および⑤地域資源管理の目標の達成、などを可能とす
る。
さらに、IFM は、洪水管理に対する単一的なアプローチに依存することなく、総合的な洪水管理
を構築するためのさまざまな技術、すなわち構造的(または伝統的)な洪水防止プロジェクト、非
構造的(制度的)な手段(例えば、土地利用の実践)や自然の流域機能の活用などによって達成さ
れる。CWP Update 2009 では、各流域の特徴に依存しつつ、農用地の管理、複合的水管理、水路改
修、エコシステムの修復、森林管理、土地利用計画と管理、水供給システムの操作、都市流出水の
管理および流域管理を含む洪水管理戦略を取り入れている。
178
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
2-4 気候変動に対する緩和戦略と適応戦略
カリフォルニア州の水資源はすでにさまざまなストレスを受けており、気候変動による追加的な
ストレスは信頼できる安全で清潔な水供給の競争を激化させることになる。GHG 排出の削減やク
リーン・エネルギーの利用拡大などの緩和戦略行動を促進する一方で、州の水コミュニティは予期
される変化に対する適応戦略行動に集中的な努力が求められている。IPCC の第 4 次報告書(2007)
は、適応戦略は過去の排出によってすでに避けられない温暖化による影響に対応するために必要で
あると指摘する。気候変動に関する理解が深まるにつれて、州の水コミュニティの挑戦は、水利用
の弾力性の改善、リスクの削減およびエコシステムが依存している水管理および洪水管理の持続可
能性の向上に関する戦略を開発し実践することにある。水管理は気候変動が現実的なものとなった
とき、以下のような緩和戦略と適応戦略に関する二重の役割を果たさなければならない。
① 緩和戦略(Mitigation Strategy)は、水関連エネルギー利用に伴う GHG 排出の削減を意味する。
水公益事業は消費者に良質の水供給を行うためにエネルギーを消費し、廃水処理公益事業は安全な
集水、処理および公共の健康や環境を守るための廃水処理にエネルギーを必要とする。GHG 排出
の削減は水管理担当者の重要な責務であり、水とエネルギー利用の効率化はあらゆる機会を捉えて
追求されなければならない。しかし、同時にカリフォルニア州は、GHG 排出の最も少ないエネル
ギーである水力発電によりカリフォルニア州のエネルギーシステムおよび気候変動の緩和に対して
大きな便益をもたらしている。
② 適応戦略(Adaptation Strategy)は、変化する気候に伴って社会や文化が適応し変化していくこ
とを意味する。適切な水計画の目的や行動の明確化はカリフォルニア州の水供給システムが気候変
動に適応するための事前準備として有効である。
CWP Update 2009 は、2 つのイニシアティブ、すなわち IRWM の拡充と州全体の水管理および洪
水管理システムの改善が、2050 年に向けて信頼性の高い安全な水供給を確約するのに重要である
という認識に立脚している。CWP Update 2009 では効率性を高めるために、①システムに内在する
不確実性の認識と削減、②システムの管理とリスクを低下させる管理運営の評価、③資源および水
管理と洪水管理システムの持続可能性に対する支援とアプローチの適用、という 3 つの鍵となる計
画作成アプローチを導入する。
カリフォルニア州の水供給システムは大規模で複雑であり、州、連邦、先住民族、地域、地方の
機関など全てのレベルにおける政策決定において協力と協調が必要とされる。CWP Update 2009 は
管理行動が同一資源をめぐって競合するとき、これらの関連機関はシステムを理解し管理する共通
の分析のためのアプローチが求められる。今日の不確実性と将来起こるかもしれない不確実性を考
慮して、これらの関連機関はリスクと利得のバランスがとれた健全な投資を行う必要がある。
2-5 複数の将来シナリオ
CWP 2005 以前の CWP は将来に関して唯一の仮定に基づいて策定された。CWP Update 2009 に
おける複数の将来シナリオの適用は、政策決定者、水管理担当者および計画担当者に対して、可能
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
179
表‐3 3 つの将来ベースライン・シナリオ
将来シナリオ
シナリオの仮定と内容
1. Current Trend
シナリオ
現在の傾向が将来とも継続すると仮定。2050 年には人口 60 百万人。十分な住宅供給が
Sacramento Valley 内で可能。ある地域では都市開発や自然資源の回復が拡大、灌漑農地
が減少。州政府に対する洪水被害や水質問題、絶滅品種の保護などをめぐる定期的な訴
訟の増加。総合的な計画策定に関する規制の欠如、地方の計画および管理担当者にとっ
て不確実性が存在。
2. Blueprint Growth
シナリオ
民間、公的機関および政府機関が一体となって現在より資源集約的でない効率的な計画
策定と開発の実施。人口増加は 45 百万人程度に抑制。コンパクトな都市開発は通勤を
緩和。カリフォルニア州は水およびエネルギーの節約に対応。農業用地の都市開発への
転換は緩和し環境の回復と洪水防御が進む。議会の決議によって水質改善、魚類および
野生動物の保護に対するプログラムおよび洪水からコミュニティを保全する対策。
3. Expansive Growth
シナリオ
将来の状況は現在より資源集約的。2050 年には人口が 70 百万人。人々は人口密度の低
い地区での住宅を選好し農村地域へと都市が拡大。水およびエネルギー節約プログラム
が提案されるがその速度は緩やか。灌漑農地は減少し都市開発および自然回復が進展。
水質や絶滅種の保護に対する訴訟の増加と整合性のない規制の整備統合。
出典:DWR
(2009)
, CWP Update 2009, Vol.1,Chapter 2: Imperative to Act, pp.2-13~14 を基に著者作成
な状況や不確実性のもとで異なる管理行動がどのように反応するかについての情報を提供してい
る。異なる将来のシナリオを考慮することで、CWP Update 2009 は異なる資源管理戦略(以下、反
応パッケージ(Response Package)と表示)を組み合わせで水管理および洪水管理についてさらに
広範な評価を実施することができる。
CWP Update 2009 は、水管理決定に関する将来の状況を理解するために、表‐3 に示す 3 つのベー
スラインとなる将来シナリオが用いられている。この将来シナリオは現在の計画以上に管理に対す
る追加的な政策的介入がない場合に起こりうる変化を示している。各将来シナリオは水需要と水供
給に対して異なる影響を与える。各将来シナリオは人口や灌漑農地など異なる 80 の要素によりど
のような将来が描かれるかという仮定を含んでいる。これらの要素は水コミュニティにとってほと
んどコントロールできるものでない。
3.カリフォルニア州の水資源
3-1 水資源と資源の多様性
カリフォルニア州は、文化、エコシステム、地理および水資源において変化に富む地域である。
この 変化に富む と言う表現は水資源を表現するためには最も正確な言葉である。降雨はカリフォ
ルニア州の主要な水供給源であり、地域によって、季節によって、および年によって異なる。こう
した変化を考慮すれば、カリフォルニア州の大規模(州 / 連邦)および小規模(地方 / 地域)のプ
ロジェクトやプログラムが適切な地区に適切なタイミングで実施され水利用と洪水の排水を可能と
してきた。このシステムは農業や都市の水管理の目的に見合ったものであった。
最近の旱魃(2007、2008 年)において、地表水と地下水による水配分が可能であったが、貯留
180
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
水量は非常に低い状況にあり、エコシステムへの水供給と利用可能な農業用水は都市用水に比較し
て大幅に減少した。また、多くの水利用者にとって旱魃時における地下水への依存は高いコスト
がかかる。カリフォルニア州のエコシステムは北部の山脈の流域から沿岸および内陸の砂漠まで及
び、人口増加や経済成長を支える自然のインフラとも言える。多様な土地利用形態はアメリカ杉
(Giant Redwoods)のような珍しい種を保護し、鳥類、哺乳類、爬虫類の多くの種の生息地を提供
する。カリフォルニア州の環境支援は 5,000 の原種の花の種(1/3 以上が州固有)と約 1,000 の外来
生物種を対象としている。
1800 年以降、カリフォルニア州のエコシステムは水生や沿岸の生息地の破壊や純粋な水に生息
する生物多様性の減少を経験してきている。1800 年代における水利開発や金採掘、ダム建設、汚
染と洪水コントロール、都市化、外来生物種の導入などは州の流域、湖沼およびエコシステムの健
全性の減少に影響を与えてきた。多くの河川や流水は通常の水量を維持できず生物の原種や生息地
の破壊、商業漁業の進展および水質の低下によってエコシステム機能が失われている。デルタはカ
リフォルニア州の中心部に存在し、エコシステム、水供給など現在のカリフォルニア州にとって不
可欠な地区である。しかし今日、デルタは危機的な状況にある。エコシステムは劣化し、魚類の数
は減少し、デルタからの水供給は信頼性に欠け、水質の低下は飲用水としての基準に適合するため
に処理コストがかかり、堤防の決壊の可能性に対する脅威は農業、都市および環境利用を危険に曝
している。
一方、デルタにおける土地利用は異なるモデル、すなわち都市集中型、移行型、混在型の開発が
出現しつつある。最近の州の政策や投資はこのモデルに沿って地方の土地利用の開発決定を行う
傾向にある。このモデルは州全体のプロジェクトで実施されており、土地利用、流域管理および洪
水原の維持などの要素が重要な役割を担う。LUSCAT(Land Use Subcommittee of the Climate Action
Team, 2008)による報告によれば、農業は肥沃な土壌、穏やかな気候、そして利用可能な水量のあ
る土地で生産活動をおこなうべきと指摘している。生産性の高い主要な農地が都市開発に転用され
れば、農業は他の地域に移動せざるをえず水資源や他の資源に影響を与える。逆に、コンパクトで
複合的な土地利用による都市開発は土地利用形態に起因する水需要を削減できる。また、エコシス
テムを農村および都市開発に統合することにより水資源の競合を避けることができる。
3-2 水の現況:水供給、水利用および水質
カリフォルニア州の水調査によれば既存の危機を分類することができる。例えば、デルタは州の
水供給システムや他の重要な施設に対してハブ(Hub)的な機能を果たす一方で、水供給の信頼と
質を脅かす重大なエコシステムの問題や地震のリスクに直面している。また、多くの地下水脈が過
剰な取水と汚染の被害を受けている。南カリフォルニア州の重要な水資源であるコロラド河は歴史
的に旱魃に見舞われ、7 つの州に水配分するための水利に疑問が出されるようになった。カリフォ
ルニア州全体において堤防の耐用年数が進み、洪水原に居住し、仕事に従事する人々に洪水のリス
クが高まっている。将来の気候変動の影響は不確実であるが、すでにその影響が顕著になってきて
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
181
いる。
シエラ・ネバタ山脈の春の平均的な雪塊氷原は前世紀に 10%も減少し、1.5 百万 acre feet(以下
a.f. と表示)の雪塊氷原が消失した。同じ時期にカリフォルニア州の沿岸の海面レベルが 7 インチ
上昇した。気候の乱れにより洪水パターンにおいてピークフローが上昇してきた。他の極端な例
として、南カリフォルニア州の各市は過去 10 年間に 2 回も最も少ない年間降雨量を経験した。わ
ずか 2 年間に Los Angeles 市では乾燥と降雨が多い年を経験してきた。州の最大の地表水の 貯水
池 はシエラ・ネバタ山脈の雪塊氷原である。気候変動は雪塊氷原の減少を伴ってカリフォルニア
州の水管理システムに大きな影響を与える。氷原の融雪は年平均で 15 百万 a.f. の水量を生み出し、
毎年 4 月から 7 月にかけてゆっくりと流出する。州の水利施設は春先の流出量を捉え、それを乾燥
する夏期や秋期に分水する。DWR は、歴史的なデータや水理モデルを基に 2050 年までにシエラ・
ネバタ山脈の雪塊氷原が過去の平均に比して少なくとも 25%減少すると予測している。また、雪
塊氷原は気候変動による温暖なストームの影響で少ない積雪のために減少するとしている。この雪
塊氷原の損失は水供給にかつてない脅威をもたらすことになる。
過去 50 年以上、カリフォルニア州は拡大する水貯留ネットワークや水輸送施設、地下水開発、
最近では水効率の改善によって水需要を満たすことができた。21 世紀における挑戦の一つは気候
変動に対して水供給システムを適応させることである。気温の上昇、変化する降雨や流出パター
ン、海面水位の上昇などに対して、水供給、洪水および他の自然管理による効果的な管理能力を
適用できるようにしなければならない。また、水供給および水質に対する挑戦は地方および地域
スケールで追及されるべきである。ある地域では節水および水効率の改善が図られたにもかかわら
ず、人口増加とともに水消費量も増加していく。州の多くの水コミュニティはその供給の限界に
達しつつある。各コミュニティの気候の変化、旱魃、汚染の影響度合を推定するには環境に関する
データが収集され、それに基づいた一貫性のある総合的な方法で分析が行われるべきである。
外部の要素も利用可能な地表水に影響を与える。デルタから SWP や中央峡谷平原プロジェクト
(Central Valley Project: 以下、CVP と表示)への分水は、連邦議会による魚類の種の保護のための議
決やその他の要因によって大きく制限されている。これにより SWP の 2009 年における当初水配
分は 15%にとどまる結果となり、歴史的にも 2 番目に低いものとなっている。CVP に対する 2008
年の水配分量は 5.7 百万 a.f. と見積もられている。これは、過去 CVP が約 7 百万 a.f. を農業、都市
用水および環境に供給してきたのに比して約 20% 近くの減少となる。旱魃の期間、カリフォルニ
ア州は歴史的に地下水に依存してきた。しかし、多くの地下水源が汚染され、将来地下水を水バン
ク(Water Bank)として利用するためにはその復元が求められる。さらに、地下水源は気候変動に
対して無関係であるわけではない。事実、地下水の復元のパターンは歴史的に見て大きく変化して
いる。旱魃は気候変動によって拡大解釈されているかもしれないが、過剰な地下水の取水を避ける
ためにはさらなる地下水流域の管理が必要であり、地下水の貯留能力を高め既存の過剰取水を削減
するための好機を利用しなければならない。しかし、地下水の資源管理は地表水の管理に比べて、
実際に観察できないことから一層複雑である。
182
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
カリフォルニア州は 2007 年、2008 年、そして 2009 年においても旱魃の影響を受けている。増
加する人口、ポンプ取水の削減に関する議会の議決、あるいはデルタの魚類の種を保護するための
規制などで水供給が減少している。カリフォルニア州は世界で最も生産性の高い農業地域の一つで
ある。ほとんどの生産は灌漑なしでは成り立たない。平均年において、州の農業は地表水と地下水
からのポンプ取水による 43 百万 a.f. のうち、34 百万 a.f. の水量で 9.6 百万エーカーの農地を灌漑
している。農業用水の削減は複数の理由により困難である。まず、州の農業用水利用は、大規模な
地域スケールを考慮すれば、一般的に効率的である。複数の地域における個々の農場の効率性は低
いかもしれないが、一つの農場で利用される水はしばしば近隣の農場で再利用される。次に、多く
の作物にとって、生産量は作物水需要量に直接的に関連する。使用可能な水量の減少は直接的に生
産量の変化に影響する。水管理戦略上重要なことは生産量を減少させることなく水効率性を向上さ
せることにある。2008 年に、州知事は州全体の旱魃を宣言し、州の関連機関に都市用水の一人当
たりの節水を 2020 年までに州規模で 20%削減するよう指令を出した。節水は州の水供給を確保す
る重要な手段の一つであり、デルタのエコシステムを保護し改善するための方法でもある。
4.水供給システムとエコシステム
4-1 複雑な水供給システムと老朽化
カリフォルニア州は、信頼できる純粋な水供給、洪水による生命や財産の保護、旱魃への対応、
環境的価値の維持などを提供するために州全域に構築された水供給システムに依存している。これ
らの水管理システムは構造物とその運営政策と規則からなる。施設には 1,200 を超える州、連邦お
よび地方の貯水池、導水管、水路、処理プラントおよび堤防などの構造物を含む。水供給システム
は相互に連結され、一つのシステムの運用は他のシステムの円滑な運営に依存しており、いかなる
システムの失敗に対しても脆弱である。水供給システムの再構築は構造的な要素の追加あるいは除
去を必要とし、水管理および洪水管理システムを統合するための重要なプロセスである。水供給シ
ステムは物理的な要素(水源、貯水池、河川、ポンププラント、水路など)および制度的な要素(運
営規則、土地利用方法、環境規制など)の両方を包含する。システムの再構築は他の構造物や制度
的な要素の運用を最適化するための好機を提供する。システムの運営における鍵は、個々のシステ
ム要素を統合し連携することにより、一つのシステムの要素の変化が他のシステムの要素にどのよ
うな影響を与え、その変化に伴うバランスをどう維持するか、という点にある。
既存の水供給システムの水利施設は老朽化とともに維持管理やリハビリのためのコストが必要と
なっている。加えて、多くの挑戦すべき課題、例えば、増加する人口に見合った需要や変化する
水利用パターン、地震や洪水などのような破滅的な自然の出来事、気候変動に伴う変化への適応な
ど、新たな挑戦を求められている。既存の水供給システムが、上記の課題による物理的および運営
上の変化に対して施設能力、規制および新たな環境要素の変化に追従できなくなれば水供給に重大
な支障が生じる。
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
183
老朽化した水利施設は公共の安全、水供給の信頼性および水質の低下などのリスクを包含してい
る。すでに、SWP の施設は 30 年以上、連邦政府の CVP の施設は 50 年以上を経過している。地方
の施設には 100 年近いものもある。現在の水供給システムの施設の劣化、機能低下、同様に地方の
水供給システムの老朽化は、過去何年間も維持、改修およびリハビリに対する投資を怠ってきた結
果である。カリフォルニア州の公共政策研究所は州の水供給および汚水処理システムの施設の維持
管理費を約 400 億ドルと必要と見積もっている。気候変動の影響に関する予測は決して完全ではな
いが、それに対する施設の弾力性、特に水管理システムの運営に関する基本的な戦略の確立が求め
られる。既存水利施設の改善は単独機関のみでは達成できず、多くの関係する機関の協力が必要で
ある。
4-2 変化し劣化するエコシステム
デルタにおけるエコシステムの変化の兆候は顕著である。デルタのエコシステムはさまざまな問
題に直面しており、特に、外来生物種の進入、ポンプ施設の劣化および都市・農業用水の汚染は
水質を低下させ、魚種の消滅などの脅威となっている。デルタを取り囲む都市開発は野生生物の生
息地を減少させ、エコシステムの将来における修復の好機を失い、デルタの水輸送システムの機能
低下を招いている。デルタの堤防システムは水生および沿岸植物にとって重要な土地と水のダイナ
ミックな接点を遮断してきた。デルタは水供給、エコシステムおよび現在のカリフォルニア州に不
可欠な地区である。デルタのエコシステムの改善は水供給システムの改善が前提条件となる。とり
わけ、気候変動はデルタの問題に対する挑戦をさらに困難にしている。水需要と利用可能な水量と
の季節的なミスマッチが拡大し、エコシステムの管理条件は一層不確実になってきている。
信頼できる水供給と弾力的な洪水防御は、水資源管理のための主要な目標であり、基本的な行動
である持続可能な環境スチュワードシップが必要とされる。適応能力と持続可能なシステムの構築
には生物多様性やエコシステムのプロセスを維持し改善するための水管理および洪水管理プロジェ
クトが要求される。また、水管理や洪水管理システムはエコシステム機能を保全し向上するために
持続可能で経済的でなければならない。エコシステム機能の保全のためのシステムの計画や設計は
厳しい自然の変化に対して弾力的でなければならない。さらに、既存の環境に対する気候変動以外
の圧力を減少することによって、エコシステムは新たな圧力や気候変動による不確実性に適応でき
る。適応能力とはシステム、組織および個人が、①実際あるいは可能性のある変化や出来事に対し
て調整すること、②重要な機能や関係を支援する既存あるいは新たな機会を利用すること、③結果
に対して被害を緩和し、システムの失敗から回復することができるシステムの能力を意味する。ま
た、弾力性とは変化後の状態から回復し適応する資源あるいは自然の能力を意味する。
IFW は洪水管理に対する総合的なアプローチであり、総合的な水管理のコンテクストにおいて
流域規模での土地および水資源を考慮するもので、洪水原の便益を最大にし、洪水による人命の損
失や財産の被害を最小限に抑え、定期的な洪水によるエコシステムによる便益を認識するものであ
る。このアプローチは、①広域な水資源管理と土地利用計画における洪水管理に関する行動のリン
184
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
ケージ、②地理的および水機関の横断的な調整、③水供給システムの将来における好機と可能な影
響評価の必要性、④洪水原の多角的な利用の好機、⑤環境スチュワードシップと持続可能性の重要
性とカリフォルニア州のエコシステムの多様性に対する洪水の基本的な役割、について理解を深め
るものである。
デルタのエコシステム機能は失われつつある。地震による堤防決壊の危険に加えて、年間の水需
要の増加や気候変動による影響はデルタが依存するする水供給とその信頼性を低下させている。こ
うしたデルタを取り巻く変化は経済、食糧安全保障、生活の質に影響を与えることになり、州政
府はデルタの多様な利用を保全・保護するための行動を起こしている。2006 年に州知事によるデ
ルタ・ビジョン委員会、ブルーリボン・タスクフォースによってデルタ・ビジョンの検討に着手
し、2007 年 11 月には Our Vision for California Delta を公開し、2008 年には Delta Vision Strategic
Plan を提唱している。これらにより水供給の信頼性の低下に歯止めをかけ、デルタのエコシステ
ムの喪失を防止するための確固たる行動をとることが要請されている。
5.将来の不確実性とリスクおよび持続可能性
5-1 水供給システムに内在する不確実性とリスク
CWP 2005 は2つのイニシアティブにより水供給に対する信頼性の改善のための枠組みを提供し
た。1 つ目は、水資源および水質、地方への水取引による水供給、流域保護、汚染処理とリサイク
ルおよび地方のエコシステムの保全などの関連する資源の管理を多面的に統合することによって地
方の水利用を改善しようとする IRWM に重点をおいている。2 つ目は州全体の水供給システムを
維持・改善することが強調されている。これらの 2 つのイニシアティブは、2050 年にむけて信頼
できる安全な水供給を確保するという CWP Update 2009 における戦略プランの基礎になっている。
CWP 2005 に比較して CWP Update 2009 は将来が不確実で変化が起こり続けるという認識に立ち、
州および地域全体の水供給システムの計画アプローチに 3 つの主要な要素を取り入れて上記の 2 つ
のイニシアティブの効果を高めることを意図している。その要素は、①システムに内在する不確実
性を認識し減少させること、②システムの管理を阻害するリスクの定義と評価、受け入れられるレ
ベルにリスクを減少させる管理と実践の選択、および③資源や水管理および洪水システムの持続可
能性を支援するアプローチ、に重点をおいている。
過去の洪水計画アプローチは被害の減少および公共の安全に焦点が当てられてきた。このアプ
ローチは洪水流量をダム、堤防システム、バイパスおよび水路の拡大などの構造物によって制御す
るものである。それは大きな洪水保護の便益をもたらした一方で、構造物建設プロジェクトは大規
模なピーク流量、環境資源とのコンフリクトおよび洪水リスクの増加など予期しない結果をもたら
すことになった。こうした経験から、洪水計画担当者は洪水原、水供給および多様な便益をもたら
す環境機能について理解を深めて総合的な洪水システムを構築する必要性に迫られることになっ
た。加えて、地震、大洪水や旱魃によるリスクは一般的に理解されているが、水供給システムに内
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
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在する不確実性や直面するリスクについての十分な認識がなかったため、システムの管理は今日の
基準に照らして見ると比較的単純かつ確実でリスクの少ないものと思われてきた。しかし、こうし
た伝統的な計画アプローチは将来における持続可能な水資源管理には適用できないことが明確に
なっている。
5-2 CWP Update 2009:不確実性、リスクおよび持続可能性
カリフォルニア州の水供給システムの管理は大規模かつ複雑なため、州、連邦および地方レベル
の政策決定者による協力と協調が要求される。CWP Update 2009 では、特に同一資源の利用が管理
行動において競合する場合にシステムを理解し管理するために、これらの 3 政府機関が共通の分析
アプローチを共有する必要性を強調している。また、今日の不確実性と将来起こりうる不確実性を
考慮して、リスクと便益のバランスが取れた投資が求められる。また、CWP Update 2009 は IRWM
による便益を重視し、全体の IWM に組み入れられている。IRWM と CWP Update 2009 は、理解、
評価、地方および州全体の水管理の改善のためのデータの基準化、代替的な管理戦略、プロジェク
トの評価および選択に対する共通の方法を促進することを目的としている。
CWP Update 2009 は、データの基準化および州全体の水管理システムについての理解、評価お
よび改善のために共通したアプローチの適用を促進している。DWR は水計画情報交換(Water
Planning Information Exchange: 以下 Water PIE と表示)を開発し、データの共有および既存のデータ
ベースやウエブサイトのネットワーク化を進めている。また、GIS ソフトウエアを利用して分析能
力の改善、州全体の土地利用、水利用および将来の資源管理の行動戦略の調査を実施している。こ
れらのアプローチは将来の計画に以下のような不確実性、リスクおよび持続可能性に関する考え方
を導入する。
① 不確実性: 水担当者は将来の水計画策定において不確実性に直面している。例えば将来、ど
のように水重要が変化するか、どのようにエコシステムの健全性が人間の水資源利用に反応する
か、どのような災害が水供給システムを混乱させるか、気候変動が利用可能な水量、水利用、水質
およびエコシステムにどのような影響を与えるか、など考慮すべき不確実性の問題が多い。その目
標は、現在の不確実性を認識し、将来の不確実性を予期し、可能な限り不確実性を減少することで
ある。そのためにはデータの収集と管理および分析ツールを改善し、水資源担当者が水供給システ
ムにおけるリスクを理解するための支援が必要である。DWR は、将来の気候変動による水資源へ
の不確実な影響を減少させるために気候変動に関する情報を水供給システムの計画と運営のプロセ
スに組み入れることとしている。
② リスク: 望ましくない出来事が起こりうるある一定の確率があり、仮にそれが起これば結果
を伴う。例えば、洪水による堤防の決壊は、それに伴う人的および経済的な影響度を推定する必要
がある。同様に、厳しい旱魃は平均で 30 年間に一回程度の割合で生じるかもしれないが、結果と
して何十億ドルもの被害をもたらす。
③ 持続可能性: 過去数十年以上にわたって、現在の水管理方法や将来の変化を考えたとき、持
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国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
続的なエコシステム、水利用、土地利用およびその他の資源利用はどうあるべきか、ということに
関して疑問が投げかけられ、政策決定者、水管理担当者、計画担当者は資源の長期的な持続可能な
管理の必要性を認識してきた。これは、気候変動、人口増加、エコシステム機能の低下などに直面
して真実味をおびてきており環境面に対する緩和戦略が求められている。水供給システムにおける
不確実性とリスクを考慮すれば、水管理戦略は持続可能な水供給、洪水管理およびエコシステムを
提供することが求められる。変化は絶えず起こり、将来、別の不確実性やリスクが起こるうること
を認識して、水管理戦略はダイナミック、適応可能かつ持続可能でなければならない。
カリフォルニア州の水供給システムには広い意味で、以下のような 2 つのタイプの不確実性が存
在する。1 つ目の不確実性は地震や洪水のように自然に内在する生起がランダムに生じる。このタ
イプの不確実性は偶然に依存する不確実性で、データの収集や分析で減少できるものではないが、
不確実性を明確にするためには有効である。2 つ目の不確実性は知識あるいは科学的な理解の欠如
に関わっている。このタイプの不確実性は認識(知識ベース)の不確実性として知られている。原
則的に、認識の不確実性は追加的なデータや情報の収集により知識を改善することで削減できる。
不確実性の理解とともに将来の水供給システムが直面するリスクについても正当に評価されなけ
ればならない。ほとんどのリスクは洪水、地震、旱魃などのような偶然の出来事に起因するが、予
期した以上の水需要の増加、塩水の浸入あるいはエコシステムの劣化などによるリスクも起こりう
る。全ての計画策定において不確実性やリスクを分析することは不可能であるが、可能な限り、直
接列挙法、感度分析、ゲーム理論、時系列分析などの手法を用いてシナリオ分析と組み合わせ分析
を行うことが必要である。DWR および関連機関は将来の計画にリスク評価を実施し始めており、
CWP Update 2009 では資源管理担当者に IRWM に関する計画にリスク評価を導入するよう求めてい
る。リスク評価の実施により持続可能な将来の計画策定において便益とリスクとのバランスを保つ
ための基礎的な情報を提供することができる。リスク評価の計画策定の事例として、① Delta Risk
Management Strategy、 ② California Statewide Levee Database、 ③ DWR Economic Analysis for Flood
Risk Management、 ④ Least-Cost Planning Simulation Model、 ⑤ Presenting Uncertainty about Climate
Change to Water-Resource Managers、などがある。
カリフォルニア州の水資源は有限であり、過去 150 の歴史において、今日より一層注意深い持続
可能性に配慮した管理が求められている。持続可能な水供給システムとは将来世代がニーズを満た
す能力を妨げることなく、現在のニーズを満たすことを意味する。CWP Update 2009 において、資
源の持続可能性の概念を水計画策定に導入することは将来の水計画の更新において開発されるべき
継続的なプロセスおよびアプローチを包含することを意味する。このプロセスは起こりうる望まし
い結果を規定することより持続可能な計画を策定するための原則である。2002 年以降、持続可能
な水資源円卓会議(Sustainable Water Resources Roundtable: SWRR)は州、連邦、企業、非営利団体
および研究機関を支援し、水資源に関する理解を促進し、持続可能性を向上するためのツールの開
発を進めてきた。SWRR は水資源の持続可能性についての議論は、人口、土地利用、気候変動お
よびエネルギー利用のような主要な要素に関する理解が前提となるとして、表‐4 に示す水資源管
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
187
表‐4 SWRR の原則と指標
原則
SWRR 指標
1. 水利用
①再生水資源、②環境に対する水供給、③水利用の持続可能性
2. 水質
④人間が利用可能な水質、⑤環境における水質、⑥水質の持続可能性
3. 人間の利用と健康
⑦取水と水利用、⑧環境における人間の水利用、⑨水依存資源の開発と利用
⑩人間の健康
4. 健全な環境
⑪生態系の状態のインベントリー ⑫生物資源の量と質
5. インフラと制度
⑬インフラの能力と信頼性 ⑭制度の効率性
出典:DWR
(2009)
, CWP Update 2009, Vol.1,Chapter 5: Managing an Uncertain Future, pp.5-27~28 を基に著者作成
理のための 5 つの持続可能性に関する原則と 14 の指標を定義している。
6.データと分析の統合
6-1 技術に対する支援と投資
分析能力の向上に対する投資は水管理担当者が直面する挑戦に対してはるかに遅れている。デル
タ管理の改善、将来の気候変動、拡大する旱魃および洪水による影響に対する準備に向けた技術的
能力の開発のための新たな投資が必要である。正確な技術情報の提供は政策決定に不可欠であり、
技術的専門家と政策決定者は対話を通じて技術的能力の開発を促進しなければならない。技術的能
力の開発には以下の 2 つの役割が求められる。
① 不確実性を考慮した政策決定に対する技術的支援: 政策決定者は、水供給システムに関する
基礎的な科学的理解や水管理の代替策について政治的あるいは社会的に重要な不確実性が存在する
ときでさえ、水管理に影響する問題に関する行動をとらなければならない。例えば今日、科学者は
長期の気候変動がカリフォルニア州の水管理および洪水管理にどのような影響を与えるかについて
正確に予測できない。しかし、分析的アプローチは、不確実性の存在と政治的かつ社会的な不合意
を乗り越えるために、どのような協調的な政策決定が求められているか、について効果的に明示す
るのに有効である。後述するビジョン共有計画(Shared Vision Planning: 以下 SVP と表示)はコン
センサス・ベースの解決を求める決定支援ツールとして技術的情報に基づく協調的なアプローチで
ある。
② IFM を含む IRWM に対する技術的支援: IRWM はカリフォルニア州における水計画の基本
であり、多角的な目的を持つアプローチで各地域における広範な便益を提供するための反応パッ
ケージを組み合わせて適用される。これには、効率的な水利用、リサイクル、脱塩類化および貯水
および水質、洪水原、流出と流域およびエコシステムの回復と保全に関する改善についての戦略を
含む。水コミュニティはこれらの反応パッケージを用いて、地域の水ポートフォリオの計画、投資
および多様化を促進することで地域が水自給を達成し、他の地域とのコンフリクトを最小限にとど
めることができる。
188
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
6-2 IRWM による挑戦
IRWM は概念的な意味では共通した認識が確立されているが、定量的な分析の観点では必ずしも
統合されているとは言えない。カリフォルニア州は、水質などの環境、社会的な平等および地表水
と地下水の相互関係に関する総合的で有益な情報を得るために水管理に関する情報および分析ツー
ルが必要である。現在、異なる地方機関の情報を比較することは困難で、特に地方の水管理問題、
さらに州全体とのリンケージを理解することは一層困難な状況にある。
IRWM は地域に広範な便益をもたらす反応パッケージを適用する多目的なアプローチである。多
目的な計画のための技術的分析は反応パッケージを実施するとき、経済的費用を最小化し、逆に経
済的便益を最大化することを追求する。この分析は水管理システムに関する詳細でダイナミック
な分析を必要とする。しかし、水管理担当者には、地下水の取水、地表水と地下水のダイナミック
な関係、エコシステムによる便益とストレスの危害者および十分な水質に関する詳細な情報と分析
ツールが欠如している。さらに、これらの要素を経済学的な価値評価で表すことは困難である。経
済的および非経済的な便益や影響およびプロジェクト・ライフサイクル分析を含めた新たな分析
ツールが開発されるべきである。以下の 3 つの事例は、IRWM が厳密で透明性の高い技術的分析に
よる水管理情報を必要とすることを示している。
① IFM(総合洪水管理)
: IFM は、水位が高いときの管理や未開発の洪水原の能力向上および
洪水の影響を減少させるためのオープンスペースの確保および環境スチュワードシップを向上させ
る一方で、生命や財産に対するリスクを最小限にする多目的な戦略を統合する。洪水管理戦略分析
は、日あるいは時間スケールで利用可能な水管理情報や分析ツールを必要とする。また、堤防建設
の詳細、水路の能力、水路内の植生と構造への影響、既存および将来の土地利用に関する正確な情
報を必要とする。
② エコシステムの修復: エコシステムの修復には河川の流れの変化、魚類や野生生物の生息地
の回復、汚染廃水の河川、湖沼や貯水池への流入、鮭や虹鱒のような産卵する遡河性の魚類に対す
る障害の除去、なども含まれる。エコシステムの修復は回復した自然の景観や持続可能で現在およ
び次世代におけるエコシステムの利用と便益のために生物多様性の質を改善する。研究者は、提案
されたプロジェクトの影響やいかに魚種が流水や水温など異なる環境条件に反応するか、に関して
科学的に不確実性が存在するためにしばしば修復プロジェクトの環境便益を定量的に推定しようと
する。さらに、一般的にエコシステムとその健全性に関する限定的な経年的データのみを使用して
いる点が指摘される。
③ 気候変動に対する適応: 気候変動の影響によりカリフォルニア州の水理条件は過去の世紀に
観察されたパターンから変化してきている。カリフォルニア州における異なる地域がどのような気
候変動の影響を受けるかについて多くの不確実性が存在する。予測によれば、変化の範囲やタイミ
ングは不確実性であるにせよ、気温は上昇し、シエラ・ネバタ山脈の雪塊氷河が減少し、早期の雪
解け、そして海面水位の上昇が指摘されている。これらの変化は、水供給、洪水管理およびエコシ
ステムの健全性に大きな影響を与える。
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
189
研究者や技術者は、気候変動に適応するために、いかにカリフォルニア州の水供給システムや自
然界のシステムが維持・管理されるべきか、について効率的に検証するための水管理情報や分析
ツールの開発が求められる。例えば、水管理担当者は直面する挑戦に戦略的に対応するために、①
長期的な修復のモニタリングと資源管理活動の強化、②学際的で総合的な科学的支援、③多様な気
候モニタリングとモデル構築の促進、④観測可能で分析可能な方法の開発、⑤サブ・システムを含
む総合的なモデルの開発と維持、などの基礎的な科学的分析ツールが必要である。
6-3 SVP によるアプローチ
DWR は CWP Update 2009 策定において SVP によるアプローチを適用する。SVP は技術的な分析
に利害関係者が広く参加すべき必要性を強調する。SVP は計画策定および評価のための機能的な
ツールとして開発された政策決定支援モデルに適用される。この SVP モデルは透明性が高く、使
用が簡単で水理シミュレーションを経済、環境および水供給システムに関連する他の計画と統合す
るように設計される。SVP による便益として、システムに関する理解とビジョンの共有、技術的
かつ政策的に可能な代替策の提示および決定の実施に対する反対の緩和などがあげられる。
DWR は、州規模の分析ネットワーク(State Wide Analysis Network: 以下 SWAN と表示)と共同
して SVP アプローチによる利害関係者と政策決定者とのかかわりを拡充することで、流域規模の
モデル構築から技術分析のインフラ(方法とツール)確立に向けた広範な概念へと拡大できると考
えている。現在のデータおよび分析ツールは政策決定者、水管理担当者および資源計画担当者から
の重要な質問に応えるには不十分である。DWR は SWAN との共同作業により SVP を CWP Update
2009 策定に適用し、水管理情報および分析に関して長期的ビジョンを支援するため、表‐5 に示す
5 つの技術的な行動を明らかにしている。
6-4 Water Update 2009 に適用された分析技術
CWP Update 2005 は州全体および地域の水状況を評価するための分析アプローチとしていくつか
表 5 DWR による水管理情報・分析を支援する行動
技術的な行動
行動の概略
① 水管理情報の改善
洪水や旱魃管理に対する水管理情報に対する戦略を提供する。
② 水管理情報の統合
3 つの活動、すなわち①都市水管理計画、② IRWM 計画および③水管理情報に
関する地域的統合、からなる。
③ 水管理システムに関する
共通の概略図の開発
水質、エコシステム機能、洪水管理、気候変動および IRWM に関する情報や
他のモデルとの統合を図解により共通の水管理として策定する。
④ 水管理システムに関する
共通概念の理解の促進
水管理システムに関する異なる情報のリンケージと水管理システムに関するモ
デルの開発を行う。
⑤ モデル構築の原案と基準
の確立
開発された異なるモデルをリンクし効率的に利用するためのモデルの定式化と
基準化を行う。
出典:DWR
(2009)
, CWP Update 2009, Vol.1,Chpater 6: Integrated Data and Analysis, pp.6-7~14 を基に著者作成
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
190
の新たな概念を導入しており、これらは更新プロセスにおいて長期的な方向付けを定義するのに有
効である。DWR は水計画諮問委員会と協調して、CWP Update 2009 における分析の中核的となる
3 つの定量的な考え方、すなわち①水ポートフォリオ、②将来シナリオ、③応答パッケージについ
ての概要を示している。CWP 2005 では資源やスケジュール上の制約のために、これらの 3 つの定
量的な考え方の全てを実施することができなかった。しかし、DWR はこれらを継続的に発展させ
ることで総合的な分析方法へと進化させた。表‐6 に示すように、CWP Update 2009 は CWP 2005
をベースとして、水ポートフォリオ策定に時間をかけ、将来シナリオを精査し、そして水管理応答
パッケージに関する分析方法を構築している。
上述した技術的な行動に関する 5 つの提案は CWP Update 2009 において使用されるシナリオ分
析に適用されている。その目標は、IRWM と水計画を統合して地域および州全体の水管理に関す
る決定と指導に関する一貫した情報を提供することにある。DWR は SWAN からのインプットをも
とに、将来シナリオを定量化し、代替的な水管理応答を支援するツールとして水評価・計画システ
ム(Water Evaluation and Planning System: 以下 WEAP と表示)を CWP Update 2009 における分析ツー
ルとして適用した。その背景として DWR は、① CWP Update 2005 で使用された分析ツールを含め
て、CWP Update 2009 に対する将来シナリオを定量化するいくつかの可能なアプローチについて評
価し、②米国環境保護庁によって支援されている Stockholm Environmental Institute(SEI)とともに
Sacramento Valley における気候変動の影響可能性を調べるために WEAP を適用する研究プロジェ
クトに参画し、その結果を受けて WEAP の適用を決定している。
WEAP は、水計画担当者および諮問委員会によって開発された定性的なシナリオを定量化し、
気候変動を含む多くの重要な不確実性に直面したときの地域水管理応答パッケージを系統だって評
価するのに有効である。WEAP は、DWR が CWP Update 2009 において追求する目標、①総合的な
シナリオ分析のモデルの枠組みを開発する、②モデルの枠組みをカリフォルニア州における気候変
動、土地利用および人口変化などを含めて、水計画が直面する一連の不確実性の評価に適用する、
③評価プロセスとしての厳密性とリスクを含めて適切な計測に対する分析の結果を評価する、④最
も確実な地域水管理応答パッケージを開発する、ことに対応する分析ツールである。
表‐6 CWP Update 2009 における定量的な考え方
定量的な考え方
アプローチに関する概略
① 水ポートフォリオ
1998∼2005 年における年間および地域間の水需給バランスを記述する。
② 将来シナリオ
カリフォルニア州における将来の水供給および水利用に関する代替可能な状況に
ついて記述。シナリオは人口増加、土地利用および気候変動のような水担当者が
管理しがたい主要な要素に対する異なる仮定によって区分される。
③ 応答パッケージ
管理目標に関して水管理システムの結果を改善するために設計された資源管理戦
略。評価基準を用いて各将来シナリオのもとでの代替的な応答パッケージに対す
る期待されるシステムの結果の分析を行う。
出典:DWR
(2009)
, CWP Update 2009, Vol.1, Chapter 6: Integrated Data and Analysis, pp.6-14, を基に著者作成
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
191
7.結論:CWP Update 2009 の実施計画
CWP Update 2009 はカリフォルニア州が直面する最も逼迫した水管理問題とその挑戦を具体化し
た戦略的な指針である。第1章で述べたように、戦略的プランとして、①ビジョン、②ミッショ
ン、③目標、④指導原理、⑤目的および⑥関連する行動、を含んでいる。さらに、CWP Update
2009 は、これらの行動を達成するための制約や阻害要因の削減あるいは好機の活用などに必要な
変革に対する9つの勧告を提案している。これらの勧告はカリフォルニア州における決定機関、す
なわち州政府、実施および制度設定機関、DWR や州の関係機関に指示される。
戦略プランにおける目標と関連する行動は、DWR の気候変動白書および関連する州の計画から
採用されている。Annex‐1に示すように、CWP Update 2009 において対象となっている 13 の目的
(Objectives)は水計画の目標(Goals)を達成するのに有効である。これらの 13 の目的に対応し
て 100 を超える関連する行動(Related Actions)を提案し、将来の気候変動やその他の出来事によ
る不確実性とリスクに対して多様性と弾力性をもって対応できる体制を整えている。CWP Update
2009 は 2050 年に向けた計画として、以下のような期待すべき結果を達成するために州、連邦およ
び地方政府は協調して行動を起こすことを要請される。
① 州政府は、流域、水コミュニティおよび農業資源を保護し、かつ向上するための全ての「有益
な水利用」に対して十分で、信頼でき、安全で、アクセス可能な、しかも持続可能で良好な水質の
水供給を行う。
② 州政府は、リーダーシップと監督および公的資金の提供を通じて IRWM による水計画と管理
を支援する。
③ 州の水資源計画、持続可能な水利用のための水管理および地域における水自給の拡大のため
に、州、連邦および地方政府の密接な連携と地域および地域間のパートナーシップの形成とその役
割を認識する。
④ 水資源および土地利用担当者は、水供給の信頼性、効率的な水利用、水質の保全、洪水防止の
改善、環境スチュワードシップの促進に関する総合的な行動のための協調的な決定と実施を行い、
気候変動の影響や破局的な出来事を考慮して環境面の合法性を確立する。
⑤ 州政府は、気候変動によるリスクとその影響を削減し、水管理と洪水管理およびそれらに依存
するエコシステムの持続可能性を高めるために適応戦略の開発や多様な行動に対して投資を行う。
⑥ IWM の一環として、IFM は洪水防御の増加、準備と緊急応答の改善、洪水原におけるエコシ
ステム機能の向上および総合的な洪水管理システムの構築を進める。
⑦ 全ての水コミュニティにとって、水資源や水配分に関する決定による便益と結果および州政府
の資源へのアクセスに対する平等と公平性を確立する。
CWP Update 2009 は、州、連邦、先住民族、地域および地方政府と関連機関に対して水戦略計画
とその実施に関して、①水資源と水供給システムを保全、管理、開発および維持するため戦略的目
標、対象および短期的・長期的な行動に関する勧告を行うこと、②水資源と水供給システム、環境、
192
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
財産、健康、州の人々の厚生・福祉を脅かす洪水、旱魃、破局的な出来事に対する応答計画を準備
すること、③現在および将来の水状況を評価し、新たな好機に挑戦することを確認することが不可
欠である。
最後に、CWP Update 2009 はカリフォルニア州における次の 5ヵ年およびそれ以降における水管
理と水供給システムの運営に関する基本的な水管理戦略を策定するもので、直面する気候変動の影
響やシステム自体に内在する不確実性とリスクの問題に挑戦するなど新たな戦略が導入されてい
る。しかし、一方では水供給システムの複雑さ、施設の老朽化、不確実性やリスクに対する脆弱さ
などシステムの失敗(System Failure)の危険性も高い。そうして、カリフォルニア州における将来
の水供給システム運用の成否は農産物を輸入する日本への影響も大きい。今後、CWP Update 2009
の最終的な完成に向けて、一般市民への公開による意見や疑問がどのように反映されるか引き続き
注目する必要がある。
謝辞
本稿は、平成 21 年度科学研究費補助金研究「気候変動等による水資源制約が穀物輸出国の生産
と日本の食糧安全保障に及ぼす影響分析」(課題番号:21405029)に関連して、著者が 2009 年 8 月
に実施したカリフォルニア州水資源局(DWR)において研究課題に関して聞き取りと議論を行っ
た際に入手した下記の引用文献1(Vol.1)と2を基に California Water Plan Update 2009 策定におい
て新たに組み入れられる要素や関心のある事項について今後の研究資料として取りまとめたもので
ある。最後に、著者の現地調査に協力を頂いたカリフォルニア州水資源局の関係者に感謝の意を表
したい。
引用文献
1. DWR(2009)
, California Water Plan Update 2009, Public Review Draft,Vol.1
2. DWR(2009)
, California Water Plan Highlights, Public Review Draft
3. DWR(2009)
, California Water Plan Update 2009, Delegation from Toyo University, Aug. 25 2009(聞き取り調査に
おける DWR によるプレゼンテーションの資料)
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
193
Annex-1
CWP 戦略プランにおける 13 の目標と関連する行動
目標
戦略プラン
関連する行動
1
カリフォルニア州の水資源計画、持続可能な流域
および洪水管理、地域の水自給の拡大にとって
重要なパートナーシップの形成を構築するための
IRWM の促進・改善・拡充
気候変動、旱魃、洪水に対応できる財政および技
術的な支援による IRWM の計画と実践。2つの関
連する行動
2
将来の水需要や気候変動に適応するために水の節
約、リサイクル、再利用による水利用効率の向上
各関連機関が協力し 2020 年までに州全体で一人当
たり 20%の水利用の削減による水自給の拡大。7
つの関連する行動
3
将来の旱魃や気候変動に備えるために複数の水資
源の共同水管理の拡大(例えば、地表水と地下水
の複合的利用)
2011 年までに IRWM により地域の地下水貯水量、
地表水の貯水バンクおよびその他の水供給資源を
明確化。6 つの関連する行動
4
人間および環境の健康と「有益な水利用」に対す
る水供給の安全を確保するために地表水および地
下水の質の保全
既存および将来の「有益な水利用」の持続的な
水供給の確保を図るために 2015 年までに年当り
1,725 千 a.f. 増加させ、魚類と野生生物のための十
分な「有益な水利用」を確保。6 つの関連する行
動
5
流域、洪水原、河川内の流れを改善して環境を保
全し、また水および洪水管理システムを維持する
ために環境に関する責任の実践、促進、改善、拡
充
信頼できる水供給と洪水防御は水資源管理のため
の主要な目標で基本的な行動として環境管理と持
続可能性が必要。6 つの関連する行動
6
緊急対応策、洪水防御、持続可能な洪水と水管理
システム、および洪水原のエコシステム機能の向
上を含む多面的な便益を供給するための IFM の促
進と実践
IFM は洪水管理関する総合的なアプローチで IWM
のコンテクストの中で、流域規模で土地・水資源
を捉え、洪水の便益を最大にし、生命、財産、エ
コシステムなどに対する被害を最少化。5 つの関
連する行動
7
デルタのエコシステムと信頼できる水供給の目標
およびデルタをユニークで価値ある場所として認
識することで、カリフォルニアデルタの持続的な
管理の促進と実施
デルタのエコシステムは減少傾向。気候変動など
の影響はデルタに依存する水供給、経済、食糧安
全保障、人々の日常の生活に影響。①デルタのエ
コシステム保全、②州政府の水供給の信頼性確
保、③ダルタの価値の維持、④デルタのガバナン
スの強化と資金供与、に関する 35 の関連する行動
8
洪水、旱魃および大災害に対して、その被害を減
少させるための住民やコミュニティの決定を支援
するための防止、応答および回復計画の準備
全てのコミュニティにおいて、2009 年に完成す
る洪水安全戦略計画を含めた洪水に対する事前準
備、応答および回復計画を策定。4 つの関連行動
9
GHG 排出を緩和するために水管理および汚水処理
システムにおける消費エネルギーの削減
水使用関連のエネルギー消費量削減のため、信頼
できる水供給に伴うエネルギー需要量の削減、水
配分・処理に伴う非再生電力の削減、およびこれ
らの活動を実施するための安定的な資金の供給。
6 つの関連する行動
国際地域学研究 第 13 号 2010 年 3 月
194
10
IRWM および洪水管理と水資源管理システムを支
援するモニタリング、データ管理および不確実性
を考慮した政策決定の分析の改善および拡大
IRWM の計画および管理、IFM、デルタ管理の改
善および気候変動による影響削減を促進するた
めの技術的能力に対する投資。①水管理情報の改
善、②水管理情報の統合、に関する 10 の関連する
行動
11
水関連プログラムおよび水管理システムの実施を
支援する新たな水関連技術に関する研究の明確化
と資金供与
新たな水関連技術の開発と商業化およびカリフォ
ルニア州の水関連システムに関する科学的な理解
を支援する研究開発と優先度の付与。3 つの関連
する行動
12
持続可能な水および天然資源を維持するための水
関連プログラムおよびプロジェクトに対する先住
民族との協議、協調および資金供与
民族対話委員会(TCC)は民族対話プランを CWP
Update 2009 のために策定。このプランは定義、目
標、指導原則、実行計画などを含む。民族水問題
は、水法律、計画、管理、水利権、人間の生命と
健康、漁業管理、水配分などに関連。10 の関連行
動
13
公平で平等な便益の配分の達成のため州のプロセ
スおよびプログラムにおける条件不利地域の参加
の増加、州政府のプログラムや政策による影響の
緩和、これらのプログラムや政策が最も不利な条
件にあるコミュニティの公共の健康に貢献
CWP Update 2009 策定にける条件不利なコミュニ
ティや弱者および地方政府の水計画への参画およ
び州の資金への平等なアクセスの確保。州政策に
おける全ての民族に対する公平性、文化、収入の
確保および健康や環境への悪影響の削減。5つの
関連する行動
13 の戦略プラン
105 の関連する行動
出典:DWR
(2009)
, CWP Update 2009, Vol.1, Chapter 7: Implementation Plan, pp.7-3~29 を基に著者作成
吉永:カリフォルニア州水計画更新 2009 における展望と挑戦 −水供給システムは将来の不確実性とリスクに対応できるか−
195
California Water Plan Update 2009: Future Perspective and New Challenges
− Could the water supply system encounter with future risks and uncertainty? −
Kenji YOSHINAGA
California is well-known not only as agricultural state with abundant ecological
biodiversity but as a location of big cities such as San Francisco which draws
particular attention to impacts on water resources and water supply system caused
by modality of land uses as well as climate change in the future. The water supply
system in California is complex composing of the network of water transfer from
water source of snow pack in the north to dry area in the south. The system has been
built in a long history consisting of dam, reservoir, canal, pump station and aquaduct,
including groundwater treatment. This could benefit for beneficial uses of human
activities and ecosystem with safe and reliable water supply.
The California Water Plan has been revised in every five years since 1957 to
update to align the water supply system and management in changed social, economic
and environmental situations. California has suffered from severe droughts in past
three successive years since 2007, impacts by which caused serious shortage of water
allocation for human and ecosystems. In ever changing context around water resources
and supply, the Department of Water Resources(DWR)has been updating the CWP
Update 2009 and currently publicized the public review draft for public comments and
public awareness purposes for a completion of final version in the early 2010.
The CWP Update 2009 is consisted of five elements such as Vision and
Mission, Goals, Guiding Principle, Objectives and Actions, and Recommendations
toward 2050 with scenario analysis with particular consideration on the climate
change and ecosystem restoration. To this end, it has underlined the Integrated
Water Management(IWM)initiative together with umbrella strategies of Integrated
Regional Water Management(IRWM)and Integrated Food Management(IFM).
The CWP Update 2009 incorporates new but significant elements such as risk and
uncertainty management by climate change, response packages for such risk and
uncertainty, water supply for ecosystem in the Sacramento and San Joaquin River
Delta Management including endangered fishes, and fair water access for human and
their activities including tribal participation.
This paper summarizes the California Water Plan Update 2009 and its Highlights
by DWR by focusing on new elements and challenges for better water system
management for further research purposes.
Keywords: CWP Update 2009, DWR, IWM, IRWM, IFM, Ecosystem, Risk and
Uncertainty, Climate Change
東洋大学国際地域学部紀要編集委員会
委 員
坂 元 浩 一
松 浦 茂 樹
藤 田 晴 啓
国際地域学研究 第13号
平成22年3月31日発行
編集・発行
東洋大学国際地域学部
〒 112-0001
東京都文京区白山 1-36-5
Tel(03)5844-2102
印 刷 株
式 会 社 美 巧 社
〒 112-0002
東京都文京区小石川 2-2-14