Photo:平成 22 年度派遣留学生 高田万里江 (オーストラリア国立大学)より 平成23年度 金沢大学派遣留学報告書 C O N T E N T S 平成 22 年度派遣留学生からのレポート 北京語言大学 〈中国〉 バルセロナ自治大学 〈スペイン〉 小林 詩織(人間社会学域国際学類) ………………… 2 西方麻奈美(人間社会学域国際学類) ………………… 21 多幡 明子(人間社会学域経済学類) ………………… 2 山田 哲史(人間社会学域国際学類) ………………… 23 北京師範大学 〈中国〉 リバプール・ジョン・モアズ大学 〈イギリス〉 笠原はるか(人間社会学域国際学類) ………………… 4 桑本 真純(教育学部人間環境課程) ………………… 24 富田 亮太(人間社会学域国際学類) ………………… 4 黒長 大貴(人間社会学域国際学類) ………………… 24 プネー大学 〈インド〉 小林 庸介(教育学部学校教育教員養成課程)………… 26 木下 美奈(経済学部経済学科)……………………… 5 長田 太洋(人間社会学域学校教育学類) …………… 26 鶴田 星子(人間社会学域国際学類) ………………… 6 松見 理香(教育学研究科) ………………………… 27 釜慶大学校 〈韓国〉 松本 晃輔(人間社会環境研究科)…………………… 29 奥野 真弥(人間社会学域国際学類) ………………… 7 シェフィールド大学 〈イギリス〉 台湾師範大学 〈台湾〉 海津 祐太(人間社会学域国際学類) ………………… 30 窪田 紗希(人間社会学域国際学類) ………………… 8 金森 由衣(人間社会学域国際学類) ………………… 31 オーストラリア国立大学 〈オーストラリア〉 ネヴァダ大学リノ校 〈アメリカ〉 高田万里江(理工学域電子情報学類) ………………… 9 山田 由唯(人間社会学域国際学類) ………………… 32 ゲント大学 〈ベルギー〉 ニューヨーク州立大学バッファロー校 〈アメリカ〉 高田 百子(人間社会学域経済学類) ………………… 10 砂坂 敏貴(人間社会学域国際学類) ………………… 33 デュッセルドルフ大学 〈ドイツ〉 増田 玲子(人間社会学域国際学類) ………………… 34 永山 準(人間社会学域人文学類) ………………… 11 ニューヨーク州立大学ニューポルツ校 〈アメリカ〉 レーゲンスブルク大学 〈ドイツ〉 兒玉 浩平(人間社会学域学校教育学類) …………… 35 池田 有希(人間社会環境研究科)…………………… 12 松本ジャスティス聖義(人間社会学域国際学類) …… 36 石川 杏紗(教育学部学校教育教員養成課程)………… 13 タフツ大学 〈アメリカ〉 小坂 藍(人間社会学域国際学類) ………………… 14 北村 希(人間社会学域国際学類) ………………… 38 中山 えり(人間社会学域国際学類) ………………… 16 辻 耕平(人間社会学域国際学類) ………………… 39 ユバスキュラ大学 〈フィンランド〉 山田 由起(人間社会学域国際学類) ………………… 40 國岡 昭吾(工学部機能機械工学科) ………………… 16 ウィリアム・アンド・メアリー大学 〈アメリカ〉 高橋 恵海(人間社会学域学校教育学類) …………… 18 駒崎 正人(人間社会学域国際学類) ………………… 41 ダブリンシティ大学 〈アイルランド〉 永田 禎章(人間社会学域国際学類) ………………… 43 牛津 安未(教育学研究科) ………………………… 19 佐原 康介(人間社会学域国際学類) ………………… 20 Photo:平成 22 年度派遣留学生 小林詩織 (北京語言大学) より 北京語言大学 〈中国〉 小林 詩織(人間社会学域国際学類) メージが中国の一部に対するものだったと気づき,大 きく変わりました。また普段の生活の中では学生と会 うことが多かったですが,旅行先では子どもからお年 寄り,様々な職業の人に出会い話をしました。留学に 「中国ってどんな国だろう?」 私の中国留学が始まっ 行く前も行ってからも,中国における反日感情という たのは,まさにこの気持ちからです。現在目覚ましい ものを意識 していましたが,一人旅をしたときには多 経済発展により世界から注目される中国,農村と都市 くの場面で気にかけて助けてもらい,胸が熱くなった の格差が激しくまだまだ発展途上国の影を残した中 ことは忘れられません。人と人が 1 対 1 になるとこう 国,私たち日本と古くから交流があった国…中国につ いう交流が出来ることに感動しました。 いての情報は日本での生活の中でもたくさんありまし 留学を考えている方に,留学先に行ったら,まずな たが,結局何が本当なのか,どれも実感がなくわかり んでも現地の人のまねをしてみてほしいです。あいさ ませんでした。本物の中国を自分の目で見てみたい, つの仕方,ごはんの食べ方,人との付き合い方などな その中で生活してみたいという思いから,私は中国・ んでもです。すごく基本的なことですが,細かいとこ 北京への留学を決めました。 ろまで真似をしてみることにより,今までなぜそうな 北京に着いた途端,当然のことですが周りの世界が るのかわからなかった相手のことがわかることがあり 一気に変わりました。まず空気が違います。そして空 ます。もちろん留学前にその国での最低限のマナーは 港から大学までのタクシー,授業,買い物など会話が 知っておくべきですが,生活の中で気づいたことを一 すべて中国語です。初めは発音が悪いせいで話しても つ一つ自分の中で 「どうしてこのようにするのか?」 と 全く伝わらず,無視されるばかりでした。昔の国際交 考えることで,納得して自分の中に取り入れていくこ 流のおかげで漢字に頼っての筆談は可能ですが,単語 とができます。私はこれが本当に理解するということ と簡単な会話は正しい発音で覚えていった方がいいで ではないかと感じました。 しょう。といっても,大学の手続きなどはその大学に 「留学」 という経験は誰にでもできることではありま 在学している日本人学生がサポートしてくれるので安 せんが,思い切って挑戦し, 自分ならではの留学生活 心です。 を送ってほしいです。それはすぐでなくても必ず自分 北京 (中国) に留学すると,大学での授業は中国語や の力となるはずです。最後にこの場をお借りして,今 中国文化などが中心になることが多いと思います。し 回私の中国留学を支援していただいたすべての方に感 かし私は 「語学だけを勉強するのではなく,他に知り 謝を申し上げたいと思います。 たいこと・勉強してみたいことを明確に持って,それ らを中国で学ぶために中国語をやる」という姿勢で生 多幡 明子(人間社会学域経済学類) 活する方が良いと思います。ずっと語学ばかりだと結 構大変です。これは私も留学前に先輩から受けたアド 2 留学前 バイスの一つです。 *しておいて良かったこと…中国人留学生との交流 9 月から留学を始めて 11 月くらいになると,耳も 国際交流のイベントに参加ができませんでしたが, 慣れてきて日本語専攻の中国人学生との相互学習を始 縁で出会った数少ない中国人の 2 人の留学生にとても めました。時間を決めてお互いの言語で話をしたり, 助けられました。留学を後押しされ,中国語ももちろ 勉強の質問をし合ったりします。週 1 回のペースでし ん教えてもらいました。とても感謝したのは,北京 たが,これは良い勉強方法でした。彼女も日本語を話 に出発前,北京にいる友達を手配してくれて,当日は してくれるため,授業ほど緊張がなく気軽に質問がで その中国人の方に案内されたことです。学校や寮の き,内容も勉強からよくおしゃべりに脱線して時間を 手続き,交通手段の使い方や買い物など,いろんな 忘れ,閉店間際のカフェから追い出されることがあり ことをサポートしてくれました。当時は中国語がほ ました。毎回とても楽しく過ごすことができ,私が大 とんどできず,英語もたどたどしい私にとても丁寧に 切にしていた時間です。 親切に接してくれました。出会った留学生とその友達 休暇中には中国各地に積極的に足を延ばすようにし にとても影響を受けたとともに,とても感謝していま ました。有名な観光地はもちろん,昨年金沢大学に留 す。中国人の情の厚さや親切さを感じることができ 学していた中国人の友人の故郷も訪ねました。さらに ました。 私の興味として,歴史的に日本と関係が深い土地を訪 *しておけば良かったこと…中国語の勉強法 れ,現地の人に話を聞きたいと思っていたので東北地 語学の上達はあせらなくても大丈夫です。留学中は 方にも行きました。旅行にはたとえ少しお金がかかっ 当たり前に伸びます。行く前に心配する必要はありま たとしても行くべきです。 特に中国は本当に広いため, せん!ただ,壁にぶつかってしまうのは他の外国人留 同じ国内で多くの異なる民族・文化が共存しています。 学生とかなりの差があることです。中国語は日本人に その多様性に触れることで,今までの中国に対するイ とってはとても身近です。漢字は当たり前に問題がな K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y いし,漢字を見て意味を推測することもできます。そ とても貴重な意見をいただけました。日本ではこのよ して日本人はとにかく文法が大好きなので,読み書き うな機会はめったにないと思うので,世代を超えた交 は他の外国人留学生に比べると格段上です。ですが, 流の機会があれば,また視野が広くなると思うのでぜ 筆記試験の結果のままそのクラスに行くと,スピーキ ひ参加してほしいです。日本ではできないこともたく ングでとんでもない差が生まれます。英語も同じです さんあります! が,やはり日本人はスピーキングが苦手です。留学前 ③中国での旅 も後も,とにかく中国語を口に出すことに慣れた方が 勉強ばかりではなく,もちろん楽しいこともたくさ いいと思います。そのためには発音とリスニングも大 んありました。私はもともと旅行が好きなので,広い 事です。日本語にない発音もいっぱいあります。発音 中国国内を何度も旅行に行きました。見どころはたく は中国人の方に聞いてもらうのももちろんいいです さんあるので,まだまだ行き足りてないです。ステキ が,中国語のうまい日本人の人にも自分の発音を聞い な観光地はたくさんありました。外国なのでハプニン てもらってみてください。私は留学して 2 ヵ月たって, グはつきものですが,その分たくましくなったと思い とても中国語のできる先輩に思い切って聞いてもらっ ます。旅行会社は使わないで,自分たちで行くのがベ て,基礎的な発音を含め,初めてそこで自分の間違っ ストです!その方がまんべんなく好きなところに回れ た発音をたくさん知りました。よかったと同時になん ますよ。 で今まで知らなかったのかとちょっとした後悔もあり *しておけばよかったこと ました。スピーキングと発音練習が出発前にしておけ 1 年間は本当にあっという間なので,帰りたくない ばよかったことです。留学中は外国人がすごく喋れて 気持ちでいっぱいでした。出会った人たちとの別れも いるように見えますが,実は文法があっていない場合 名残惜しいし,まだまだ中国語を伸ばしていきたかっ も多いです。日本人も気にしないでたくさんしゃべり たですが,悔いのない 1 年間でした! ましょう !! 留学後 *しておいて良かったこと 最後に 留学準備やそこでの生活に関する相談は,先生方, 先輩方,友達などいろんな人たちのアドバイスを参考 ①授業の選択 にしてください。私でも良ければ相談に乗ります! 先ほどでも述べたように,日本人と外国人の中国語 日本人の学生 は留学にとても消極的です。金沢大学 は,読み書きとスピーキングでかなりの差ができてい では充実した留学制度があるのでぜひ利用して自分の ます。漢字の成り立ちや練習はいりません。けれども ものにしてほしいという思いは強くあります。 スピーキングは苦手です。私は中国語や授業にも慣れ そして,留学前後にして良かったことやしておけば てきた 2 カ月後に,スピーキングを伸ばしたいと思い よかったことをこれまで述べましたが,留学が決まっ 塾に通いました。やはり,クラスでは人数が多いので ての一番は,感謝の気持ちを忘れないことです。この いろんな人の発言を聞ける分,自分の発言機会は少な ような機会を提供してくださった金沢大学,職員の いです。塾でたくさん訓練しました。そして後期は, 方々をはじめ,留学に賛成してくれた両親,家族,ア リーディングの授業をやめて,担任の先生にも手伝っ ドバイスをいただける先生方,応援してくれる友達, てもらい, 普通では取れない翻訳の授業をとりました。 現地で出会うクラスメイト,友達,先生方…出会った 1 年間はあっという間なので,生活や中国語に少しず 人出会った人に感謝の気持ちを忘れないでください。 つ慣れてきたなら,自分にとってどうすれば効率よく 自分の意思があったから留学に行けたのではなく,皆 勉強できるか,柔軟に取り組んでいいと思います。 さんのサポートがあったからこそ留学の機会にたどり ②社会人との交流 着き,無事に帰ってくることができました。この場を 北京では日本人がたくさんいます。特に私の選んだ 借りて, 伝えたいです。本当にありがとうございました。 北京語言大学にもたくさん日本人がいて心強いです。 しかし,日本人のコミュニティに入り浸るとせっかく の留学ももったいないので,その点は気をつけなけれ ばいけません。このように日本人が多いというデメ リットはありますが,その分,日本から来た熱い情熱 を持った社会人の方がたくさんいるというメリットが あります。先ほども述べた塾に通っていたという縁も あって,そこの塾は日本人留学生を主に担当している ので,中国で起業に成功された,または活躍している 日本人の方の講演会に何度か参加することができまし た。そしてお食事会にも参加し,それぞれの方の熱い 情熱や,私たち若い世代に向けて教えたいことなど, 3 北京師範大学 〈中国〉 笠原はるか(人間社会学域国際学類) 〈金銭面〉 留学中の費用の調達方法としてはシティバンクを開 設しておくのが便利だと思います。両替の手間も省け てお金の引き出しが非常に簡単だと思います。周りの 私は 2010 年 9 月から 2011 年 6 月末までの約 9 カ 日本人留学生の多くもシティバンクを利用していまし 月間中国の北京師範大学に留学しました。今回の報告 た。一方私は,現地についてすぐ中国銀行で口座を開 書では留学をともにした富田くんと分担して,私は留 設し,その口座に両親から海外 送金をしてもらってい 学決意から出発前の準備,現地での入学手続きまでの ました。しかし送金された日本円がドルとして口座に 中で,自分が経験して 「これはぜひこれから留学を志 入ってしまうので,そのドルを中国元に両替しなけれ すみなさんに伝えておきたい」という内容を取り上げ ばならず,とても面倒でした。やはりシティバンクを てお話したいと思います。 〈留学先を決めるにあたって〉 使うことをお勧めします。 〈入学手続き〉 第二言語で中国語を履修していたため単純に中国語 現地に到着したらまず留学生登録をしに行かなけれ という言語と中国という国に興味があったことや,ま ばなりません。私は運よく中国語が達者な日本人留学 た中国語ができれば将来の選択肢が広がるのではない 生の方と出会ったので,その方と一緒に行動して,手 かと考え,留学先を中国にしました。また中国語を勉 伝ってもらいながら手続きを終えました。最初は中国 強するならまずは標準語を学びたいと思い,首都北京 語が全然分からなかったので,その方がいなかったら にある北京師範大学を選びました。 いったいどうなっていたのだろうと思います。不安 〈出発前準備〉 だったら初めのうちは,できる人に頼るのもいいと思 出発前の準備にはとてもお金がかかりました。健康 います。本科生 (大学に入学している人) の日本人の方 診断から VISA,保険,航空券の手配まで,大金が動 で留学手続きのボランティアをしている人もいるので, くのを目の当たりにするととても両親に申し訳ない気 分からないことは何でも聞いてみるといいでしょう。 持ちになったことを覚えています。健康診断は VISA 以上私が経験した中でも具体的に知っていた方がい の申請と入学手続きに必要になりますが,費用は 2 万 いことをお話しましたが,少しは参考にしていただけ 円弱で,検査に半日以上かかるので,時間とお金があ たでしょうか。日本では考えられないようなこともた るときに早めに受けることをお勧めします。中国の くさん経験するかと思いますが,それも含めて楽しん VISA は直接大使館に行かなくても,生協で頼めば申 でほしいと思います。みなさんの留学が実りのある素 請してもらえるので,生協で手続きをしてください。 晴らしいものになることを願っています。 航空券ですが,私は先輩や旅行会社の人の勧めで 1 年 間有効のオープンチケットを購入しました。当時は運 よく破格と言われる価格でチケットを購入できました 富田 亮太(人間社会学域国際学類) が,それでもなかなか高かったと思います。のちに, 笠原さんが国内での準備から入学手続きまで書いて 帰国する際に中国で帰りのチケットを購入した方が安 くださるそうなので,私は入学からクラスのレベル, くすむことに気づき,日本では片道分だけ購入すれば 生活面について書きたいと思います。 良かったと後悔しました。何事も安心,安定を求めて 進んでいけばいいというわけでもなく,安く済ませら れるものは安く済ますことも必要なのではないかと感 じました。寮の申し込みに関しては申し込み期間が始 まったらすぐに済ませておくべきです。人気の寮はす ぐ予約がいっぱいになるので,入りたい寮が決まった らインターネットですぐ申し込みをしてください。寮 の住環境などはパンフレットに記載しているのと現状 が異なる部分もあるので,留学していた先輩に聞くの が一番参考になると思います。留学中の生活費はどの くらい必要になるかについては,個人差があると思う 4 【クラス分けと授業のレベル】 ので,いろんな方から話を聞いたほうがいいと思いま 北京師範大学のクラス分けは入学直後のクラス分け す。私の場合は先輩のお話を参考にしたり,ネットで テストと,面接によって決まります。テスト内容はリ 調べたりして平均的な数値を出して目安にしていまし スニングと文法問題ですが,金沢大学の授業の単位を た。1,2 ヵ月も過ごせばだいたい生活スタイルも分 取っている程度では到底太刀打ちできないので,無理 かってくると思うので,最初は多めに費用を用意して する必要もないと思います。テストの結果もクラスわ 後から調節していくのでもいいと思います。 けにはあまり反映されないようなので。むしろ面接で K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y の簡単な会話に対応できるように練習しておくことを ではありませんが問題なく食べられ,種類も豊富で麺 お勧めします。クラスのレベルについてですが, 類ごはん類,餃子,など基本的なものは何でもありま 【100】 → 初心者から参加する基礎クラス す。値段相応といったところでしょうか。むしろ金大 あいさつなどを学習 の種類も少なく値段も高い某食堂に比べたらよっぽど 【101】 → 一年目の前期クラス 日常会話の練習から開始 【102】 → 一年目の後期クラス 基本的な文法,口語の勉強 【201】 → 二年目の前期クラス 交換留学生などが一番多いクラス 【202】 → 二年目の後期クラス 四字熟語など学習し,討論など高度な会話練習 【301】 → 三年目の前期クラス 上級レベルとして本科生との合同授業となります 【302】 → 三年目の後期クラス チャイ語ペラペラレベル ましだとは思います。 学内にはそのほかに日本料理や韓国料理,イタリア 料理のお店があるので食事に不自由しませんでした。 また中国ではデリバリー制度が充実していて,学生食 堂以外のレストラン (日本人のレストランのイメージ とは違う)は電話で注文すれば部屋まで届けてくれま す。韓国料理や日本料理もあり,味も比較的おいしい です。値段も 20 ∼ 30 元 (300 ∼ 450 円) くらいなの で,頻繁に利用していました。 次に勉強の日々から離れて 「息抜きしたいなー。 」っ て時にぜひ行ってもらいたところを紹介します。いく つかあるのですがその中でも “五道口” です。北京師範 テストでレベルが決まるといいましたが,スタート 2 大学からバス一本で行けます。 “B3”という日本の漫 週間はレベル変更可能期間です。学期初めの 2 週間は, 画喫茶 (ここは日本料理もおいしい) や “魚太郎” という 自由にいろんなレベルの授業を聞いて回ることが出来 日本式の居酒屋など日本のものが多くあります。また ます。 自分の割り当てられたレベルが合っていないと, ものすごい数の韓国料理屋があり韓国料理や飲み会と 辛い 1 学期を過ごすことになるので,みんないろんな いうときは大体ここに行きます。マッサージも一時間 レベルの授業を聞いて回ります。私はめんどくさいの 半で 1000 円くらいのマッサージがあるのでお勧めで でしませんでしたが。また,この期間にはテキストに す。みなさんが中国にどのようなイメージを持ってい 何も書き込まないようにしておけば,レベル変更後の るかはわかりませんが,生活で考えると,基本的には 教科書に差額を払って交換してもらえるそうです。 何でもそろう (イトーヨーカドーなどもある) ので日本 レベルを下げたい場合→この 2 週間以内に担任の先 人にとっては意外と住みやすいかもしれません。日本 生 (班主任) と留学生事務室に申し出て,希望のレベル よりも安い物価で割といい生活を送れ,寮には韓国人 に下げてもらいます。 から東南アジア人,欧米人まで多岐にわたる人と触れ レベルを上げたい場合→スタート 1 週間以内に担任 合うことができます。 (ちなみに私のクラスは半分以 の先生 (班主任)に申し出て,跳班考试 (ティアオバン 上が欧米の人でした。 ) 日本人の方も多くいらっしゃる カオシー) を受けて合格する必要があります。 ので,息抜きしたいときには一緒に遊びに行くことも 中国に留学する人が気になると思うのは HSK の受 できます。北京師範大学の授業はしっかりしているの 験目安だと思うので記述しておきます。私の見てきた で,中国語学習には非常にいいと思います。 感じだと 102 ∼ 202 の生徒たちを中心に,新 HSK5 最後に中国への留学を悩んでいる皆さんへ,ぜひと 級取得者が多く,201 以上のレベルで新 HSK6 級を も留学の決断をしていただきたいと思います。ぜひ北 目指して塾に通う生徒さんが多いようでした。ただ日 京師範大学に行って中国の文化を直に見てきてくださ 本人は漢字が読めるので圧倒的に有利であり,リスニ い。今持っている中国に対するイメージと大きく変わ ングを鍛えれば六級の取得も難しくはないように思い ると思います。もちろん日本とは全く異なった文化に ます。私自身は留学の最後の六月に受験し合格するこ 飛び込むわけですから, 違和感を感じたり, カルチャー とができました。師範大学の授業では 102 ∼ 201 の ショックを受けると思います。ですがそれこそが異文 レベルの授業は五級,201 以上の授業は六級対策に 化理解の第一歩ではないのでしょうか。文化理解や言 なると考えられます。基礎が抜けている人は 201 か 語習得において現地に行くほど有益なものはないと思 ら,基礎に自信がない人は 102 から授業を受け始め います。ぜひとも異文化にもまれ, 異言語に圧倒され, るといいかもしれません。ちなみに前期で優秀な成績 よりグローバルな人材となることを目指してほしいと を修めると飛び級ができるので 102 から 202 に行く 思います。 こともできます。 【生活環境・周辺施設】 大学内にはスーパーや食堂,写真やなど必要最低限 のものは何でもあります。食堂は学生カードにお金を チャージしてお金を支払う制度で,一食五元 (75 円) 程度で食べられてしまいます。味は特別おいしいわけ プネー大学 〈インド〉 木下 美奈(経済学部経済学科) プネー大学への留学が決定した当初,プネー大学に 5 関する情報はほとんどありませんでした。私の留学準 おいて生活することは,刺激が多く,飽きることのな 備は,プネー大学やインドを知っている先生や先輩を い毎日を送ることが出来ます。時に納得できないこと 探すところから始まりました。そもそも当たり前の話 や理不尽なこともありますが,それもかけがえのない ですが,先生や先輩の話を聞いてからインド留学を志 経験になります。明確に,インドに留学してやりたい 望することを強くお薦めします。そこで,留学前にし ことがある人や好奇心旺盛な人は,ぜひインドへ行っ ておいてよかったこと,留学中にしてよかったこと, た経験のある方に話を聞いてみてください。 留学前にしておけばよかったことを順に 1 点ずつ書き たいと思います。 一つ目は,留学前にインドの様々な情報を収集した ことです。自分が勉強したいと思っている分野だけで はなく,インドの宗教や文化,政治など幅広い情報を 集めました。プネー大学に留学経験のある先生のお話 を聞いたり,インドに関する書籍や映画を紹介してい ただいたりしました。日本で色々な情報を得てから留 学したので,様々なことに興味・関心を持って生活す ることが出来たと思います。 二つ目は,日本とインドでは生活様式や習慣がずい ぶんと異なり,学校や外国人登録などの事務手続きが かなり煩雑なので,現地の友人の協力が必要であるこ 鶴田 星子(人間社会学域国際学類) とです。また,生活の中で何か困ったことがあれば話 が通じる友人を,先生から紹介していただくことがと 6 私は大学 2 年時にインド・プネー大学に留学しまし ても大切でした。また,インド人だけでなく,長くプ た。インドでの生活は大変で,6 ヶ月いる間, 「イン ネーにいる日本人を紹介してもらったり,知り合った ドに慣れる」ことはありませんでしたが,日々驚きの りすることも大切です。たいていインドに行く日本人 連続で,何をするにしても達成感を味わえる留学でし は同じ悩みや問題を抱えている場合が多いので,良い た。あまり前例がなく情報がなかったので,ここには 相談相手になります。 今後インドに行きたい,行くと決めた人のために手続 三点目は,現地で話される言語についてもっと知っ き中心に書きたいと思います。ちなみに留学中の体験 ておけばよかったことです。私の場合は,英語を習得 談は, 「国際学類渡航ブログ」の “星子 ( Pune, India) ” することが留学を志望した理由の一つでした。 しかし, に載っています。 実際のところプネー大学では英語だけではなく,現地 <住居> 語のマラティー語やヒンディー語も授業の中に出てく 大学に寮はありますが,女子寮に関しては 2010 年 ることがありました。また,日常生活でも英語が通じ 時では入寮停止中でした。理由は工事中だったからで ない人が多く,不自由な思いをしたことがあります。 す。ただし工事は 3 年ほど前から行われているのに終 個人的にも,英語の勉強を極められなかったという後 わる気配がない,という状況でした。なので私の場合 悔が少なからずあります。英語の勉強をすることが一 は友人にアパートを探してもらいました。外国人が自 番の志望理由であるならば,インド留学は避けたほう 分で探すと外国人料金をふっかけられて,日本と同じ が良いと思います。ただ,現地語のマラティー語やヒ くらいの価格でアパートに住むことになります。 ンディー語を留学前に日本で少し勉強をしてから行っ <空港からプネーの目的地へ> たことはとても良かったです。挨拶や文字だけでも 空港から直接大学に行っても何もしてくれないの 知っておくと,現地の人が喜ぶだけでなく,現地でも で,プネーの友人の家なりホテルなりに行く必要があ もっと勉強しようというモチベーションになります。 ります。 英語漬けになることは出来ませんが,日本で英語の勉 どこの空港に降りるか?についてはムンバイの空 強をして損はありません。英語は話せれば話せるほど 港,デリーの空港の 2 種類あります。デリー空港から 便利なのも確かです。最初はインド人特有の発音に は国内線でプネー空港までとび,そこからタクシーで 戸惑いますが,慣れるとかなり聞き取りやすいです。 目的地へ向かいます。街中まではだいたい 700 円か おしゃべり好きな人が多いので,積極的に話しかけて かります。 語学を磨くという手もあり,自分次第という面もあり 私がいつも利用するムンバイ空港からプネーに向か ます。 う方法は,KKtravels の乗り合いタクシーです。 (空 最後に,インドは,日本とも欧米とも異なる特有の 港から目的地まで,走行時間 4 ∼ 5 時間で 1300 円, 文化や生活習慣を持った国です。想像しえないような ネットで日本からも予約可) 出来事がたくさん起こります。そんな環境の中に身を 一番安い方法はムンバイ郊外にある空港に着いてか K A N A Z A W A ら,ムンバイの中心地まで行って電車で向かうという 方法です。ムンバイの一番大きな駅からプネー駅まで U N I V E 釜慶大学校 は特急で 200 円ぐらいです。プネー駅からリキシャ R S I T Y 〈韓国〉 奥野 真弥(人間社会学域国際学類) に乗って町の中心まで行くとだいたい 150 円ぐらい です。 (バスは 20 円ぐらいですが,文字が読めない こんにちは,奥野真弥です。韓国の釜慶大学に 1 年 と乗れません。 ) 間留学していました。これから韓国留学を考えている <大学での手続き> 人,釜慶大学に留学に興味を持っている方に少しでも メインゲートから大学の中に入ると広大な敷地の中 お役にたてるよう,私なりに精一杯書かせていただき にキャンパスが広がっているのでどこに何があるのか ます。 分からないでしょう。増改築を繰り返しているので道 <留学の準備> 案内も間違っていることが多いです。そしてインド人 私の場合は 2 次募集で留学が決まり,出国までの 学生は留学生センターの場所を知らないので,外国人 期間が 2 か月足らずだったため,準備期間があまりな に聞いた方がいいでしょう。ちなみにセンターはメイ い上,釜慶大学へ派遣されるのは私が初めてで,先輩 ンゲートから歩いて 30 分ほどかかる,奥の方にあり に聞くこともできなかったため,準備万全にできたわ ます。 交換留学生の担当者は一人しかいません。それにも けではなかったと思います。最低限しなければならな い準備として, VISA の発行や航空券の予約,また保 関わらずその人はあまり事務室にいないので学期始め 険の加入などがあげられます。時間がなかったことも は彼に会うためにセンターで 3 ∼ 4 時間待つことは あり,航空券と VISA に関しては旅行会社さんに代行 ざらです。担当の人から登録に必要な書類を教えても を依頼しました。申請後,約 2 週間すれば発行され らいましょう。補足ですが,私は,学内にあるマハラ ます。お金は少しかかりますが,大使館までへの交通 シュトラ銀行で登録料に 80 ドル納めなくてはいけな 費などを考えればそこまで大差はないと思います。航 いのを拒み,所属していた経済学部のみで登録しても 空券は,往復分を 1 年のオープンチケットで買いまし らいました。 た。しかし,片道分だけでよかったとのちに後悔しま <携帯電話・ネット回線> した。韓国から日本に帰国する航空券は,韓国で買っ 携帯電話は本体と SIM カードが別になっています。 たほうが安いですし,1 年のオープンチケットは必ず この SIM カードを買う時には,住所登録書や外国人 1 年以内に使わなければならないからです。実際,私 登録書などが必要で,外国人が 1 人で買うのは規制が はもう少し韓国にいたかったのですが,この期限のせ 厳しく大変です。またネットは無線ラン (USB タイプ いで帰国しなければならないことになりました。保険 のもの)があり,これもまた同様の書類が必要で,1 の加入については,釜慶大学の方で留学生用の保険を 人で手に入れるよりは,インド人の助けを借りた方が 安く提供してくれますので,出国前に何か特別に加入 いいでしょう。 はせず,向こうに着いてから加入しました。荷物につ <銀行口座> いてですが,もし足りないものがあれば後で送っても インドで口座を開設するには上記の通り規制が厳し らうことができます。日本と韓国は近いため,それほ くなかなかうまくいかないので,citibank で口座を作 ど高い料金はかかりません。私は出国の際,冬服のみ りました。プネーには大学のすぐ近くにも citibank の を持っていき,6 月頃に母に夏物を送ってもらいまし ATM がたくさんあるので便利です。 た。必ずいるものは,変換器です。変圧器は必要あり <全体的に> ません。 外国人に対する規制が厳しいです。2010 年にプ <留学中> ネーでもカフェ爆破事件もあったので,決して安全と ・住環境 は言えないでしょう。しかし映画館がたくさんあって 学内の寮で生活します。寮と呼ぶにはふさわしくな 3D 映画も安く見られるし,バザールにいけばキレイ いほど,新築でとても綺麗です。また韓国人学生が一 なインドの民族衣装もたくさん買えるし,楽しいこと 緒に住んでおり,韓国人とルームメイトになることが もたくさんあります。またプネーはインドで一番日本 できるため,日常生活の中で自然に韓国語を学ぶこと 語を学んでいる人が多いので,よく日本語で声をかけ ができます。また友達が寮に住んでいたら,夜遅くで られます。観光地ではないので,私たちをだまそうと も気軽に会って話したり,一緒に映画を見たり,宿題 している人ではなく本当に熱心に勉強している学生さ を手伝ってもらえるために自然に仲を深められるし, んたちなので,ぜひぜひ話し相手になっていろいろと 本当に楽しいです。三食の食事付で, コンビニもあり, 助けてもらうといいでしょう。 浄水器もついています。 ・授業 留学生用の韓国語の授業,韓国人学生用の授業,す べての科目から自由に選択できます。韓国語の授業は 7 細かくレベル別に多様な授業が用意されています。前 ジデント・アドバイザーとして生活しています。留学 期は韓国語の授業を中心に,後期から自分の興味に 前と後では, 考え方や行動がやはり変わったのですが, 従って韓国人学生用の授業を中心に履修しました。英 これが 1 番の例だと思います。留学は,少しの思い切 語の授業や日本文学の授業をはじめ,私は新聞放送学 りでできる,自分の成長へのステップだと思います。 科に属していたため, 映画映像学や, マスコミュニケー やらない後悔よりやって後悔。少し勇気をだして,一 ション論などの専門科目にも挑戦しました。金沢大学 歩踏み出してみてください。 では決して学ぶことのできない講義をうけることがで き,非常に有意義でした。また,長期休暇中も希望す れば無料で韓国語の授業が受けられます。朝 9 時頃か ら 3 時までが平日毎日と,少々きついですが,学期中 の授業とは異なり,韓国語能力試験の対策となる,レ 台湾師範大学 〈台湾〉 窪田 紗希(人間社会学域国際学類) ベルの高い授業を受けられ,とてもよかったです。 9 月 1 日から 8 月 31 日までの,きっかり一年間の ・授業外の活動 私の留学の感想を一言で言うと “楽しかった !!!”であ 学校の近くに外国語カフェというものがあり,そこ る。自分で言うのも何だが,私ほど晴れ晴れとした顔 で日本語を教える仕事をしていました。日本に興味を でこの言葉を言える人も珍しいのではないだろうか。 もつ韓国人の方と交流できるだけでなく,韓国人の間 ともあれ,まずは一年間を振り返りつつ,台湾師範 違いやすい点や傾向を知ることができたため非常に有 大学,そして台湾について書いていきたいと思う。 意義でした。 まず,生活面。私は正直一年間全く困る事はなかっ また韓国では大学生のボランティア活動が盛んで, た。食事については,外国人が苦手だと言う臭豆腐で 私もたくさんのボランティア活動に参加することがで すら,美味しい美味しいと食べる始末であり,台湾人 きました。1 番印象に残っているのは釜山国際マジッ にも 「本当に日本人?!」 と呆れられたくらいだ。特殊 クフェスティバルの通訳ボランティアです。日本のマ なもの以外は,少し油っぽいくらいであり日本人の口 ジシャンの方と韓国人の一般客の質疑応答での通訳で に合うものが殆どだと思う。ただ,私は一年間全くお 大きな失敗をし, 通訳の難しさと自分の未熟さを感じ, 腹を壊さなかったという強靭な胃を持っていたのだ 悔しい思いをしたのを覚えています。そのほか,韓国 が,人によってはそとで食べるたびにお腹を壊す,と の小中学生に日本の文化紹介の授業をするボランティ いう人もいたので,胃薬,正露丸などの常備薬を持っ アやお祭りの運営補助,環境保全活動など,さまざま ておく事をお勧めする。ちなみに台湾は外食の国であ な活動に参加しました。どの活動でも貴重な体験がで るため,ほとんどが外食である。夜市,という日本で きるだけでなく,様々な韓国人と関われるため,ボラ 言うお祭りの露店みたいなものが年中夜中までやって ンティア活動への参加はとてもおすすめです。 いるため, 皆そこで買って食べたりお持ち帰りしたり, という感じで,自分で料理する事はあまりない。朝ご 飯ですら,朝ご飯のお店があり,買い食いである。次 に気候については,台湾は暑いというイメージがある かもしれないが,台北は想像以上に寒くなる。夏は ショートパンツにタンクトップ,ビーチサンダルとい う姿を普通にするくらいに暑いのだが,冬は 10 度を 下回ることもたびたびある。またここまで寒くなった のが最近らしく, 暖房器具が普及していない。 したがっ て,外も寒い建物の中も寒い,というわけである。暖 かい服は十分に用意しておくと良いと思う。 次に学習面であるが,1 年間で飛躍的に伸びたとは 8 <留学後> 思う。やはり毎日授業があり,また,外に行けばすべ 留学の 1 年間は,もちろん大変なこともありました て中国語という環境は, 言語を習得する上では最高で, が,貴重な経験とすてきな思い出が得られたすばらし やはり留学してよかったと思う。ただ,台湾では日本 い 1 年間でした。留学が終わったときは,そんなすば 人が思った以上に多く,特に師範大学の國語中心では らしい 1 年を過ごせたことへの感謝でいっぱいでし 三分の一弱が日本人であり,そのことには少し注意が た。日本の家族,友達,先生方にはもちろん,韓国の 必要だろう。ただ,ふつうの大学の交換留学と違い, 友達,先生などすべての人に,ありがとうという思い 日本人は日本人でも,年齢層がばらばらであり,自分 でした。少しでもその恩返しがしたい,私も日本にい より上の世代,特に一度就職してから辞めて台湾に来 る留学生がすばらしい 1 年を過ごせられるようなサ た,という人が多く,そういう面では,就職や人生観 ポートができたらと思い,今は大学の留学生会館でレ など人生の先輩と話す事によって,言語以上のものを K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y 学べる事も多かった。日本人と群れるな, とはいうが, 私は台湾に留学して,台湾師範大学で勉強して,本当 そこまで排日本人生活をすることはないと私は思う。 によかった, ということである。中国語を勉強したい, また授業内容や色々な学内環境はかなり整っていると 留学で色々な経験をしたい,という方は是非台湾へ! 言える。 授業は二時間のものと三時間のものがあるが, 派遣留学生であればどちらでも選べるので,初めのう ちは三時間を選ぶ方が良いと思う。発音,読解,作文 と全てが一緒の先生,同じクラスメイトであり,また, テストなどもほぼ毎日行われるため,しっかり勉強で オーストラリア国立大学 〈オーストラリア〉 高田万里江(理工学域電子情報学類) きる。また,学校とは違うが,私は言語交換を定期的 オーストラリア国立大学は,オーストラリアの東に にしていた。やはり,台湾人と交流する事でスピーキ ある人口 345,000 人のキャンベラという首都に位置 ング能力は伸びるため,宿題を見てもらうのや,先生 しています。キャンベラの気候は日本よりも乾燥して に聞きにくいちょっとした質問をするのに,とてもよ いて雨が少ないですが,夏は比較的涼しく冬は寒いで かった。また仲良くなったら,一緒に遊びに行く事も すが雪は降りません。奈良市との姉妹都市で,湖の近 あり,それもいい思い出である。 くには Nara Park という公園があります。町の中心部 には大型のショッピングセンターがあり,大学はそこ から徒歩 10 分程度のところにあります。街の至ると ころには,カフェや飲食店等が立ち並びます。 私は,留学をすることで自身の視野をさらに広げ, 新たな価値観や考え,分野の学問を学び,今後専門教 科を決め,さらに学び進めていくために留学で学んだ 経験を活かし,将来情報技術の分野で日本と海外をつ なぐ架け橋になりたいと考えたため,海外からの留学 生も多く,世界的に有数の英知が集うオーストラリア 国立大学への留学を決めました。オーストラリア国立 大学への留学には,留学生活に支障が無く,英語の授 もし台湾に留学したいと思う人がいれば,私がお勧 業に付いて行ける程度の英語力が事前に求められてい めしたいのは,旅行とドラゴンボートである。台湾は ることから,留学生用の英語の授業はなく,現地の生 日本の植民地支配を受けていた歴史がある。 そのため, 徒が受講する科目と同じものを受講していました。具 至る所に日本所縁の場所があり,そこをめぐるだけで 体的には,電子情報学類に属していてソフトウェアの もとても面白い。もちろん日本をどちらかというと悪 ことについて興味があったことから,主にソフトウェ い方面から見ているものもあるが,それを知る事も必 アやコンピュータの科目を受講していました。また, 要である。だが,基本的には日本人,というだけで喜 今まで専門的に学んだことのなかった分野の勉強もし んでくれる台湾人が多いというのもまた事実である。 たいと考え,マーケティングやアカウンティング,さ 人との出会いも面白い。他にも,様々な観光地もある らに経済の授業を受講していました。 し,日本人にとって嬉しい温泉も各地にある。水着着 留学生用の英語の特別授業はありませんでしたが, 用の場所が多いが,最近は日本式の場所も増えて来て 大学側の勉学や留学生活に関するサポートはとても充 いる。 台湾の温泉につかってみるのもまた一興である。 実していて,留学生活中は何も問題なく過ごすことが もうひとつドラゴンボートは私の台湾生活を一気に できました。例えば,今まで大学レベルの英語の論文 楽しいものに変えたものである。ドラゴンボートとは を書いたことがない学生に対しては,大学側が特別の 台湾の伝統競技であり,竜を象った舟である。私は日 公開授業を展開し,オーストラリア国立大学での勉学 本人と台湾人のチームに入ったのだが,他にも留学生 に必要な知識やスキルは大学側が提供する形となって のチーム,現地のチームなど様 々である。練習はもち いました。また,そのような情報収集は留学生オリエ ろんきつく,授業中も寝てしまう事が多々あったが, ンテーション時や,ポータルサイトに説明があったの “一生の友達” と言える友達が沢山できたし,一つの目 で分かりやすかったです。また,希望をすればチュー 標を向けて一緒に頑張ることで何か大きなものを得ら ター制度もあり,大学生活で困ったことなどがあれば れた気がする。大会の最終日が自分の誕生日であり, 各割り当てられたチューターに相談することができま 盛大に祝ってもらったのは一生忘れないだろう。台湾 した。チューターとの懇談会や新しい環境に早く慣れ に留学する人にはぜひぜひぜひお勧めしたい。 るよなイベントなどもありました。 長々と書いたが,実際思いついた部分しか書いてい オーストラリア国立大学の授業は講義とチュートリ ないため,書き漏れが多くあるだろう。また聞きたい アルから成り立っていて,1 コマは 1 時間でした。コ 事があれば遠慮なく聞いて欲しい。 一つ言いたいのは, ンピュータ ・ サイエンスの授業はほとんどが 1 教科に 9 つき講義が週に 3 時間,チュートリアルが 2 時間あり, 紹介でキャンベラでのホームステイを体験しました。 授業は合計で週に 5 時間ありました。また,私が他に オーストラリア国立大学に留学することができ,私 受講した科目の授業は,1 教科につき講義が週に 2 時 は将来ソフトウェア,プログラミングを自身のキャリ 間,チュートリアルが 1 時間の合計 3 時間でした。 アとしていきたいとはっきりと目標を持つことができ チュートリアルは,少人数のグループに分かれ,授業 ました。また,リサーチスクールとして有名な大学で で学んだことの練習問題や,コンピュータ ・ サイエン あることから体系的に,主体的に学ぶこと,分からな スの場合には授業内容に基づくプログラミングの練習 ければ自分で調べ,議論することの大切さを知りまし 等が主な内容でした。チューターと呼ばれる,ほとん た。これらのことは,今後私が自分で学ぶ立場に立っ どが Ph.D の大学院生が,問題の模範解答やアドバイ た時のために良い留学経験になったと感じています。 ス,また,プログラミングの指導をして,分からない また,世界でも有数の大学であるオーストラリア国立 ところがあれば質問等をすることができる授業のバッ 大学で世界中からの有志と共に学んだことから,私が クアップ制度がありました。 普段授業内で学んでいることはコンピュータ ・ サイエ 留学生はビザの規定から,1 学期間に 4 つの授業を ンスの一部のことに過ぎず,これをキャリアとして背 取ることを薦められます。 授業数自体は少ないですが, 負うには,これからもしっかりと勉強を続けていかな 一教科が 3 時間から 5 時間の時間数であることに加 ければならないと痛感した留学でした。 え,チュートリアルの準備は慣れるまで 1 教科につき 最後に,この留学生活を実現できたこと,さらに無 週に 2,3 日はかかりました。また,コンピュータ関 事, 留学生活を終えることができ, 私を支えてくださっ 係の課題は 1 つにつき 3 週間程かかるものが多く,毎 た皆様に感謝致します。 日夜まで大学に残って友人と勉強していました。授業 はほとんどが録音されるので,欠席してしまった場合 や聞き取れなかった箇所があった場合,大学のサイト から再度ダウンロードすることができました。留学生 活を通して,全科目に合格することができたのは,こ れらのサポートシステムが充実していたこと,そして 何よりも共に勉強して議論ができる友人がいたことが 挙げられます。 留学生活中は大学の寮に住んでいました。寮はいく つかあるのですが,私の寮は大学から徒歩 20 分ぐら いのところでした。寮は大通りに面していて,キャン ベラは比較的治安がいいと言われていますが,夜にな ると人通りも少なくなり,1 人で外出することは控え ていました。近くのコンビニエンスストアを除きスー パー等も徒歩 20 分弱かかるところに位置していたの ですが,火曜日,木曜日と日曜日には寮からショッピ 10 ゲント大学 〈ベルギー〉 高田 百子(人間社会学域経済学類) ングモールへのバスが無 料であったので助かりまし 現地での生活,衣・食・住に関しては正直なところ た。授業登録期間や週ごとにはテーマパーティやイベ 何とかなると思います。外国人登録業務の遅さなど, ントがありました。また,大学のセキュリティ面も充 時間軸や効率性で見た場合には日本の方が優れている 実していて,大学−寮間の定期バスも夜の 11 時まで 部分が多いのでイライラとする場面もありますが,欧 あったので,大学で夜遅くまで勉強していても安心し 州は基本的に治安の面でも心配することは少なくて済 て帰ることができました。バスに乗り遅れてしまった みます。 他人を不快にさせない最低限のマナーのうち, 場合には,大学内を巡回パトロールしている ANU セ 日本にはない特殊なもの,例えば鼻をすすらないなど キュリティに連絡すると寮までのエスコートサービス は派遣先ごとに調べておいた方が無難だとは思います を受けることができました。全て無料でした。病気や が,気負いする必要はないと思います。 怪我のときは学内に小規模な病院がありました。小規 それでは,留学までに何をしておけばいいのか。そ 模と言っても簡単な手術ぐらいは行えるとの説明があ れは,やはり専門の勉強です。私の場合,経済が専攻 り,また,カウンセリング制度も整っていたので安心 とは言っても,どちらかと言うと思想や歴史を中心に しました。 履修していたので,実際に採用されている企業投資支 学期期間外の冬休みや夏休みはシドニーやブリスベ 援の仕組みや理論など,経営に関する知識は乏しいも ン,メルボルンへの旅行を楽しんだり,次の学期に備え のでした。現地での勉強は言葉が母語でない分,理解 て授業の予習やプログラミングの勉強をしていました。 も難しくなります。そこで,ベースとなる日本で身に また,留学プログラムが終了してからは,大学の教授の つけておいた知識があれば現地での内容 理解をより深 K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y いものにしてくれます。言語やマナーなど何事に関し ら留学前に金沢大学に留学をしていた学生のチュー ても言えることですが,専門の勉強に関しては特に ターをすることで事前にコネクションを作ったことが やっておいて損ということはないと思います。 非常に良かったと思っています。 また,経済という学問に関して述べるならば,欧州 では法律との結びつきが非常に強いです。私は留学ま で全く法律に興味がなく,もちろん履修もしていな デュッセルドルフ大学 かったので知識が全くありませんでした。しかし,現 〈ドイツ〉 永山 準(人間社会学域人文学類) 地で選択した科目が非常に法律の制度と深く結びつい ているもので,専門用語や法律的な考え方の理解など 私は 2010 年 10 月から 2011 年 9 月の間ドイツの を行うときに大変苦労しました。科目名をだけをとる デュッセルドルフで交換留学生として学びました。以 と,一見関連性はないように思えたのですが,歴史を 下にその内容を項目ごとに報告します。 学ぶにしても実践的な知識を学ぶにしても制度上法律 ・寮について と切り離せない部分が存在するので全ての授業にお デュッセルドルフ大学の寮は大学の周りに数か所存 いてどこかしらの部分で法律に触れる機会がありま 在しました。それぞれ多少の違いはありましたが,大 した。 体は月額 280euro ほどで,電気水道使い放題の WG でした。WG とは Wohngemeinschaft(居住共同体) の略で,2 ∼ 3 人の学生が寝室は別でバス・トイレ・ キッチン共同の部屋で生活します。私はチェコ人,ウ クライナ人との 3 人 WG でした。インターネットも使 えましたが,基本料+最初の 1GB が 8.5euro,それ 以降は 1GB につき 1.8euro という少し高めでした。 どの寮も大学までのアクセスはよく,バスまたは路面 電車で 10 分ほどで通うことができます。 ・街について デュッセルドルフは大都市ですのであまり治安がい いとは言えません。私自身,渡独初日に地下鉄で財布 をすられましたし,それ以外にも私の滞在中に,友人 派遣留学をされる皆さんは,大学の代表としてだけ が若者の集団に襲われ,鼻の骨を折るなどの重傷を負 ではなく所属する学類の代表としても派遣されると思 い,財布まで取られました。また,白昼の中央駅前で いますので,自分の専門というのが現地ではどのよう 銃の乱射事件があり,死傷者が出るといった事件も起 に,他の専門科目と強い関連性を持って教えられてい きました。危険な地区にさえ近寄らなければ大丈夫だ るのか,また可能であれば日本は外からどう捉えられ と最初は思っていましたが,中央駅前でもそういう事 ているかなど,派遣先でしか学べない授業を履修され 件が起こったので,どこでも安心はできないのだと思 ることをオススメします。 い直しました。しかし,日本企業の海外拠点というこ 最後に,現地での包括的な生活に関して言えること とで,日本人向けの店が数多く存在し,日本人にとっ ですが,日本語学科がある場合,自分から研究室に出 ては住みやすい街でもありました。 食料品だけでなく, 向くなどして日本に興味を持ってくれている現地の学 日本のカラオケや,美容院,プリクラまでありました。 生と早めに知り合うことをオススメします。特に,留 特に Immermanstrasse という通りにはほとんど日本 学初期は不慣れなことも多く,寂しさや不安に襲われ 人しかいません。 ることもあるかと思います,そんな時に現地の友達や ・授業について 知り合い,特に日本語が通じる,意思疎通が比較的容 残念ながらデュッセルドルフ大学は他の大学と比べ, 易にできる相手の存在というのは精神的にも大きなサ 語学学習の環境が良いとは言えません。他の大学なら ポートになります。更に,その友達を介して,日本に ばたいていある学期が始まる前の準備コースのような は特別な興味を抱いていない,知り合いづらい現地の ものもなく,用意されていた Deutsch als Fremdsprache 学生との つながりが増え,留学生活がより楽しいもの (外国語としてのドイツ語) プログラムでは,学期の初 になります。ゲント大学は日本学科が主体となってい めに行われる Einstufungtest という格付けテストによっ る日本クラブなるものがあり,彼らが主催するイベン て受けられる授業が決められました。留学生向けの授 トに参加することで交友関係も広がり,日本のことを 業は一見沢山あるかのようでしたが,この格付けテス 伝えられる機会があるということにも大きな喜びを感 トによって定められた,自分のレベルに合うものしか じました。私は,教授を介して現地で教鞭をとられて 受けることはできませんでした。ドイツ語総合の授業 いる日本学科の教授を紹介していただいたり,現地か は, かなり細かく分けられており, Grundstufedeutsch(初 11 級ドイツ語)4段階, Mittelstufedeutsch(中級ドイツ語) することができました。今回の留学は私にとってかけ 4段階,Oberstufedeutsch(上級ドイツ語)1段階の計 がえのない素晴らしい経験となりました。 9段階で,このうちの一つの自分のレベルの授業しか 受けることができませんでした。この授業は週に一回 2時間しかありませんでした。ドイツ語総合以外にも, 12 レーゲンスブルク大学 〈ドイツ〉 Sprechetraining(会話練習)や Regionale Landeskunde (地方史) ,Phonetik(発音) などいろいろな授業はあり 池田 有希(人間社会環境研究科) ましたが,どれも格付けテストで中級以上にならなけ 以前から大学院に入学したら留学を絶対にしようと れば受けることはできませんでした。この格付けテス 決めていたため,進学が決定すると同時に,留学の準 トは学期の初めに一回しか行われず,私は最初の格付 備も始まった。派遣先もサマーコースで一ヶ月を過ご けテストで初級と認定されたので,半年の間,私が受 したレーゲンスブルク大学だったことで,ある程度の けた外国人向けの授業は週に1回のドイツ語総合だけ 気楽さもあった。ただ,気楽に考えてばかりいて飛行 でした。後期からは中級になることができたので,週 機のチケットを取る時機を逃しそうになったので, に3コマ授業を受けることができるようになりました。 ちゃんと予定を組んでおくにこしたことはない。保険 ・授業以外の学習について も早いうちからかけておくにこしたことはない。 また, 前期で週に 1 コマ,後期に週 3コマと,ドイツ語コー あちらに持っていく書類はあらかじめ英語で表記して スは悲惨な状況でした。残った時間をどう使えばいい あるものを用意しておくと便利だと思った。 のか分からず,当初は絶望していました。その救いと レーゲンスブルクに到着してからはめまぐるしい なったのが Institut fuer Modernes Japan(現代日本学 日々が続いた。生活のための諸手続きや,身の回りの 科)の存在です。デュッセルドルフ大学には現代日本 ものを買いそろえるのに街中を回った。おかげで,サ 学科という現代の日本社会や文化を学ぶ科があり,日 マーコースの時にはあまり行かなかった所も知ること 本に興味のある学生が多く在籍しています。私はその ができた。学務での手続きの時には,ドイツ語と英語 学生たちとタンデムパートナーとなったり,ドイツ語 を織り交ぜて話してくれた上に,分からなければ何度 で行われるその科の授業に聴講生として参加したりす でも分かるまで説明を繰り返してくれるので,とても ることで,ドイツ語学習につなげていました。タンデ 助かった。 ム (言語交換) はドイツ語学習において何よりも良い方 大学での授業は留学生向けの授業を中心に取った。 法だと思います。 より実用的なドイツ語を学べますし, 思いがけずにレベルの高いコースに編入させられてし これをきっかけに交友関係も広がります。また,その まい,ついて行くのに必死だったが,向上心の高い仲 中で日本についての理解も深まりました。 間に囲まれて前向きに授業に向かうことができた。ま ・交友関係について た,授業の中で垣間見える各国のお国柄がとても自分 私は主として現代日本学科の学生とともに行動して には面白かった。しかし,そのなかで思い知らされた いました。ほかの大学では基本的他の国からの留学生 のが,自分は案外日本のことを知らないということ と行動することが多い中で,ドイツ人学生との交流が だった。ドイツ語で上手く説明できない以前に,日本 多いことはデュッセルドルフ大学の最大の利点だと思 の文化や政治について語れるだけの知識が備わってい います。 ないと痛感させられた。もっと日本について色々とア ・生活費 ピールする方法があったのではないかと今更ながらに 家賃込でだいたい月 600euro でした。しかし,私 思う。 はほとんど外食ばかりしていたので,自炊をしていれ ドイツを知る機会はなにも授業だけではない。自分 ばもっと安くなったと思います。学生証があればノル の場合は, 普段の生活こそが学ぶ場であった。買い物, トラインヴェストファーレン州全域の交通機関が乗り 携帯電話や保険の契約,交通機関でなど,自分のドイ 放題になるので,家賃と食費以外,ほとんどお金はか ツ語の力を必要とされる場面は毎日に点在していた。 かりません。 また,非日常―旅でも私のドイツ語は試されることと デュッセルドルフ大学では留学生向けの授業が少な なった。サマーコースの時もドイツを旅したが,その いので,ドイツ語の習得は個々の自主性に大きく左右 時以上に頻繁にドイツを旅することに対しての躊躇い されると思います。しかし,もちろん授業だけがすべ がなくなった。旅先で,電車の乗り継ぎに困った時も てであるわけはなく,留学の醍醐味は様々な出会いで 道に迷った時も,臆することなく道行く人に尋ねるこ す。そして,デュッセルドルフではその出会いに事欠 とができるようになったし,時には見知らぬ人と言葉 くことはありません。日本に興味がある人や,街にあ をかわすこともあった。そうして,国も母語も違うの ふれる日本人にうんざりしている人,日本のことなん に同じものを見て,同じように考えたり時には意見を て全く知らない人等々,そんな人々との出会いによっ ぶつけ合ったりする機会が増えたことが私にはいい刺 て私は異文化というものを実感し,理解を深め,成長 激になった。 K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y そして,サマーコースの時だけでは体験できないこ で,自 炊をすればかなり食費を押さえられるし (私の と―季節の移り変わりを体験できたこともとても興味 場合は,ほぼ外食は無しで 100 ユーロほど) ,もし外 深いことだった。留学する以前の私のドイツのイメー 食が好きな人であれば,毎回食事代+チップを払うこ ジはわりと光がさんさんと降り注ぐ明るい国だった とになるので高くつく。このあたりは自分の日本での が, 冬を越した今では単純にそう言うことはできない。 生活を参照してほしい。 冬になるとドイツはとても暗くなる。冬はたった 8 時 色々と書き連ねたが,最後に一つ伝えておきたいの 間しか日が昇っておらず,一番早い授業に出るために は,ドイツ人は休みが大好きだということだ。学務課 寮を出ると, まだ日が昇っていないほどだった。しかし, や役所,あるいはスーパーもそうなのだが休む時は容 だからこそクリスマスに向けての街のイルミネーショ 赦なく休む。学務課で長時間待たされたことはざらだ ンは映えたし, 春の訪れはより一層感慨深かった。 また, し,スーパーも日本と同じ感覚でいるとクリスマスや 春には雪解け水による洪水を目にすることができた。 イースター付近,またはバイエルン州だけの休みのせ ただ,全てが順風満帆だったわけではなく,やはり いで閉まっていたこともあった。しかし,その分自分 最初は海外で暮らすことに不安を覚えることもあっ たちの休みも思いっきり楽しめると思う。これを読ま た。私の住んでいた寮には日本人がおらず,ドイツ語 れた方が,ドイツで快適な生活を送れることを願って になれるためになるべく日本語から遠ざかるような生 いる。 活をしていると,ふとした瞬間に日本語が恋しくなる こともあった。そして,そんなおりに寮のキッチンで 食材の盗難に遭った時は本当に辛かった。容赦なくめ 石川 杏紗(教育学部学校教育教員養成課程) ぼしい食材はもっていかれたので,日本と同じ感覚で グローバル化が進み,海外がより身近に感じられる 住んでいたことに気がつかされ, 防犯意識が高まった。 ようになった現在, 「留学」 するということはもはや珍 その他にも,保険料が口座から自動引き落としされな しいことではありません。しかし,卒業や就職活動の かったり,クレジットの限界額を引き上げていなかっ ことを考慮すると,一歩踏みとどまってしまう方も多 たので,生活費が底を尽きかけたりした時は肝を冷や いと思います。そして 「なぜ留学するのか」 という問い した。それも,今となっては懐かしい思い出である。 になかなか答えを見つけられない方も,同じようにた 最後に,留学から戻って聞かれることが多かった生 くさんいらっしゃると思います。留学が良いか悪いか 活費のやりくりに関しての質問についてここで記して は,興味がある分野や財政状況,行き先など人によっ おこうと思う。まず住居に関してだが,私が住んでい てそれぞれ違うので,一概に言うことはできません。 た寮は月々 190 ユーロ程を支払い,入寮の際にもい しかし私が強調したいのは,状況はそれぞれ違ってい くらか保証金として支払った。 (これは後でいくらか ても,留学を 120%充実させる術はあるということ 戻ってきた)レーゲンスブルク大学は寮を多くもって です。そして,留学で得たものは今後,皆さんの人生 いて,寮費も 180 ∼ 240 ユーロと幅があるようだっ にきっとプラスの影響をもたらすでしょう。もし,ど た。光熱費込みでこの値段なので,日本でアパートを んな留学生活を送ればよいか事前にイメージを持つこ 借りるよりははるかに安いと思われる。設備はそれぞ とができれば,留学することの意味は少し明確になる れ違うが,私が住んでいた所はキッチンと洗濯機だけ のではないでしょうか。これはあくまで個人的な経験 共用で,バストイレは個人の部屋にあった。 に基づいたものですが,どうしたら留学が実のあるも 交通に関してだが,バスは学生証があれば市内は無 のになるか,少しお話したいと思います。これが皆さ 料となっている。その他にも,学生証があれば旅行の んの,留学したいという熱意を少しでも後押しするこ 際に博物館や美術館が割引になることもあるので活用 とができれば幸いです。 してほしい。 私は一年間ドイツのバイエルン州,レーゲンスブル 私が悩まされたのは,保険料と携帯の月々の支払 クに留学していました。ドナウ川の畔に位置し赤煉瓦 だった。保険料は案外高く,月々 60 ユーロ程である。 の屋根が連なるその街並みは,街全体が世界遺産なら しかし,私の場合は帰国直前になって虫歯に苦しんで ではのとても美しい風景でした。休みの日にはカフェ 歯医者に駆けこんだので,やはり入っておいてよかっ や公園の芝生は憩う人々であふれ,美しい時間がゆっ たと今となっては思っている。携帯料金は店で月々の たりと流れていました。しかし私が留学先をそこに選 契約のものを勧められて契約した。最初はいちいち料 んだのは街に魅力を感じたからだけではありません。 金をチャージしに行かなくて快適だと思ったが,解約 それは私の専門分野にも関係します。 私は教育学部 (学 の際に煩雑な手続きをしなければならなかったこと 校教育学類)で音楽教育を勉強しており,幼いころか と,帰国してからも請求書が届き,使用していない月 らクラシック音楽に親しんできました。それゆえ,西 の分まで請求されたことを考えると,強くプリペイド 洋音楽の中心地の一つであるドイツは私の幼いころか カード式のものをお勧めする。 らの憧れの的だったのです。また,もう一つ留学先の 食費についてだが,これは本当にピンからキリまで 候補にチェコのカレル大学を考えていましたが,言語 13 の習得のしやすさを考え,ドイツを選びました。さら あったとしても,それは自分を成長させる試練ととら に,レーゲンスブルク大学には,充実した留学生向け え,たくさんの修羅場をくぐってください。しかし, のドイツ語の授業があること,そして音楽教育を勉強 自分で解決できそうも無い場合は,一人で考え込まず できる機関があることが決め手となり,私はこの大学 に周りの信頼できる人に相談しましょう。 を希望しました。 最後に,留学する前も現地に着いてからも,行動力 ここで一つ目のポイントは,下調べをしっかりし, とエネルギーにあふれた毎日を送っていただきたいと 行き先を慎重に決める,ということです。どの国のど 思います。私の友人の何人かは,留学先で休暇中にイ の大学が自分のニーズに一番沿ったものなのか,そし ンターンシップをしたり,大きな旅行を計画したりし て行ってからそこで何ができるか,どんなことがした ていました。そうした机上の学習以外の経験は見聞を いかを考えてみてください。そのために情報収集は欠 広め,自分の将来の選択肢を増やすことにつながると かせません。その大学を一番良く知っている人 (そこ 思います。私は現地で 4 回にわたるピアノコンサート で一年間勉強した先輩,現在金沢大学で学んでいる留 を企画し出演しました。場所の確保や宣伝など練習以 学生の方々など)に積極的にコンタクトを取り,そこ 外の取り組みを通してコンサート運営の難しさを実感 で情報をこまめに集め,広い選択肢から最良と思われ しました。そして国境や老若男女の別を超えて,音楽 るものを選びましょう。 を通し心ふれあう機会を得たことが何よりの喜びでし 次に二つ目のポイントとして,言語の学習について た。皆さんもどうか勇気を出して,いろんな行事に積 述べたいと思います。私はドイツ語をある程度 (日常 極的に参加し,また自分でも企画してみてください。 会話程度)習得してから留学しましたが,全く話せな 日本について知りたい人が意外に多いので,寿司パー い状況と比較すると,かなりの得をしたと思っていま ティや折り紙教室など日本文化の体験を企画してみる す。一番良かったと思うことは,友達がたくさんでき のも良い案の一つだと思います。 たこと…何でも語り合い,深い付き合いができたとい 以上,まだまだ書き足りませんが,私が体験を通し うことです。ヨーロッパは国同士が隣り合っているた 大切だと思ったことをまとめました。知らない土地で め,言語に長けている学生がたくさんいます。ドイツ 一人で生きていくのは簡単なことではありませんが, で知り合った留学生も,ヨーロッパからの学生はほと 苦労した分,得られるものは大きいです。さらに全く んど 7 年から 10 年ドイツ語を学校で勉強してきた人 異なる環境に身を置くことで,自分とは何か,自分が たちでした。 生まれ育った日本はどんな国かを改めて考えることが 会話が聞き取れない,自分も胸の内を話せないという できます。新しいものに出会い,見聞を広げると同時 状況で,周りのデキる留学生やネイティブ同士のおしゃ に自分自身とじっくり向き合い,そしてこれからの生 べりに交じるということはかなりの苦痛です。そして授 き方を考える…長い人生で一年だけでもそういう時間 業も,もし言語ができれば,そこでたくさんのことを知 があってもいいのではないでしょうか。きっと新しい 識として吸収することができます。ですから,少々苦労 世界と自己の発見が待っているはずです。 しても言語には十分に力を入れてください。言語は人と のつながり,そして学ぶことへの可能性を拡大できる最 大のツールです。特に人とのつながりは,留学の充実度 14 小坂 藍(人間社会学域国際学類) を左右する重要なポイントです。一人ひとりとの出会い 私は 2010 年 9 月から 2011 年 9 月まで,ドイツ, を大切にするために,そして自分からも相手に何かを発 レーゲンスブルク大学へ 1 年間の派遣留学をしてきま 信できるように, 言語力を精一杯磨いてください。 「行っ した。この留学の目的はドイツ語力向上,ヨーロッパ てから勉強すればいいだろう」 では遅いのです。 の文化と人々の生活を学び体験すること,そしてドイ 三つ目に,異文化についてお話したいと思います。 ツ国内における犬のしつけやペットの飼われ方を学ぶ どの国に行くことになっても,日本との文化の違いを ことでした。以下,留学をするにあたって必要だと思 感じる場面にたくさん出くわすと思います。それはも う情報と,私の留学生活について書いていきます。 ちろんいいことなのですが,時には 「日本ではありえ まず,留学計画に求められる語学力ですが,それほ ない」と思うようなとても不快なこともあるかもしれ ど高くはありませんでした。基本的な文法が理解でき ません。私自身も留学中,嫌な思い,涙をのむ思いを れば,辞書を使って情報収集や手続きを進めることが することはしょっちゅうありました。 できます。また,留学案内の資料や単位互換などの複 例えば,レストランで店員がとても失礼な態度で接 雑な事項については,英語解説もありました。 してきたり,ストライキで電車が来なかったり,郵便 留学準備は,事務手続きやその流れは金沢大学の派 物に不具合が生じたり……思い起こすときりがないほ 遣留学担当の方を通じて指導していただいた通りに進 どです。しかしそうした経験は,最終的に私を精神的 めるというのがほとんどでしたが,後半の寮について に強くしてくれました。そして問題を解決する力も同 などの書類のやり取りでは派遣先大学の担当者と直接 時に養うことができました。もし腑に落ちないことが メールでコンタクトをとることもありました。情報収 K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y 集は国際課に設置されていた資料,派遣先大学のホー が限られているところもありました。 ムページや送付された資料から情報を収集するほか, 通学についてですが,寮から大学までは 10 分また 留学経験のある先輩や派遣先での友人からお話を伺い は 20 分おきにバスが出ていました。所要時間はバス ました。勉強面ではドイツ語学習の継続と,ネイティ で 10 ∼ 15 分。大学で学期ごとの定期が発行され, ブスピーカーの先生や留学生と話をしたりしました。 市内全域で有効でした。 ビザ取得や学期間の保険加入,銀行口座の開設など 鉄道駅は市街地の入り口にあり,周辺都市への列車 は渡航後に現地で指導を受けて行うことになっていた の便も良かったと思います。 日本に比べて切符が安く, ため,飛行機のチケット購入や荷物の準備,保険への 利用しやすかったです。私はそこで 「バーンカード 加入を進めました。保険については日本の保険会社に 50」 という,年間割引カードのようなものを買い,休 1 年契約で加入しましたが,渡航先では必ず渡航先の 暇の時はいろいろなところへ旅行していました。タク 保険に加入しなければならかったため,日本で加入す シーはほとんど利用しませんでしたが,駅前と主要バ る保険はむこうで加入するまでの 1 か月分でいいと思 ス停,スーパーマーケット前や広場には常時数台停 います。 まっていました。 平日,授業が終わってからは町をぶらぶらしたり, 家で家族や友人に手紙を書いたりしていました。夜 は仲良くなった友人とよく飲みにも行きました。剣道 をしていることもあり,渡航前に調べた街の剣道チー ムも訪れ,彼らの練習にもたまに行かせてもらってい ました。バイエルンの合宿や大会にも参加でき,仲間 も増えました。ドイツにおける犬のしつけやペットの 飼われ方について興味があったので,ミュンヘンの救 助犬訓練施設へも何度か行き,見学させてもらいまし た。そこの訓練所の先生親子とはとても仲良くなり, 個人的な用事でも訪問する事がありました。そのほか はさまざまな国や都市へ旅行しに行ってきました。 大学生活については, 学期前の集中語学コースの後, サッカー観戦もたくさんしました。一番盛り上がった 夏学期・冬学期ともだいたいドイツ語のコースを週に 旅行は,同じ金沢大学からの留学生仲間 3 人と一緒に 3 コマ,ドイツ語会話,ライティング,文法,文化, 行った,女 4 人の年末年始 10 日間のイタリア旅行で 映画の授業をそれぞれ 1 コマとり,そのほかに生物学 した。 の授業や環境保護についての授業,トルコ語の授業な アメリカやイギリスへ行った同じ留学仲間の話を聞 ど,興味のあるものを 1 コマずつとっていました。集 くと,ヨーロッパは住む街も見て回るところが多く, 中語学コースの授業のレベルはクラス分けテストに 楽しめるそうです。ですが,大学の授業に関してはア よって振り分けられました。 メリカの方が授業の種類が多く,大分充実しているよ 住居は,派遣先大学が紹介,契約してくれた学生寮 うでした。課題も多いと聞きました。ただ,ヨーロッ でした。このとき私はどうしても街の中心地近くに住 パの街は本当にきれいです。各都市や国々の交通の便 みたかったので,そのような要望を送り,中心地に寮 もとてもいいです。そして留学生にとってはとても をとってもらうことができました。寮は 2 つのトイレ ゆっくり,のんびりとした時間になると思います。こ 付シャワールーム,キッチン,ダイニングを 5 人で共 の機会にいろいろな国や都市をめぐったり,お店の開 有しました。私の場合,キッチンには冷蔵庫や電子レ いていないヨーロッパの休日を工夫して有意義に過ご ンジ,ダイニングにはテレビもおいてありましたが, したりするのもとてもいい経験になるのではないで そうではない寮もあるようです。家賃はだいたい 2 万 しょうか。ドイツにはドイツ人だけでなくたくさんの 5 千円程度で,それに電気代や水道代も入っていまし 外国人が生活しています。ここにもさまざまな文化が た。インターネットはもちろん使用できますが,大学 混ざり合っています。その中で生活し,彼らと交流す の売店でクーポン券を購入して入金するシステムで, るのも貴重な経験になると思います。 一学期の使用料は約 1,000 円ほどでした。使用する 最後に,留学中は楽しいことも,寂しくなったり将 ときも大学でいろいろな設定をしなければなりません 来について悩んだりすることもたくさんあります。こ でした。 私と同じ時期に留学していた学生は私も含め, れはどの国へ行っても同じです。ですが,なかなか成 接続がうまくいかなかったり大学のシステムが故障し 果が出なくても焦る必要はありません。1 年は長い長 たりして,大学のパソコンは自由に使うことができま い人生からみた場合,なんでもない時間です。しっか したが,到着後 1 週間ほどは寮でのインターネットが りと自分の志と考えをもって,有意義な時間を過ごし 使用できませんでした。寮によって使用できる通信量 てください。みなさん,ぜひ留学してください。 15 中山 えり(人間社会学域国際学類) ポータル上で行い,大学でクーポンを購入し,クーポ ン情報を登録する,というものでした。これらの登録 留学中の 1 年間は,長いようで,振り返ってみると をドイツ人学生のチューターが手伝ってくれたのです あっという間でした。初めのうちは何もかもが初めて が,彼女たち自身が把握できていないことや解決でき で,慣れないことも多々ありましたが,大学の授業, ない問題などがあり,決してスムーズにはいきません ドイツ人学生との Stammtisch(交流の場) ,街のあち でした。インターネット登録のだいたいの流れだけで こちでいろいろな人と出会うことで,ゆっくりとドイ もつかめていれば,やきもきすることなく手続きを進 ツでの生活になじめたように思います。留学生用に開 められたように思います。市内にはインターネットカ 講されているドイツ語の授業は会話・作文・聞き取り フェなどもあったので,それも早くに知っていれば, など,いくつもあり,またレベル別に細かくわかれて とも思いました。 いるので充実していました。言語の授業は,日本の大 チューター制度は金沢大学よりは充実しておらず, 学とは違い先生はとても学生に近い存在で,気さくで 留学生全体に 4 人 (英語は話せます)とかなり少なく, 話しやすく,クラスも和気あいあいとしていて発言し 問題があったときに誰に相談していいか困ったことも やすい雰囲気でした。このような環境でドイツ語を重 ありました。留学生どうしでできるだけたくさんの友 点的に学べたのはもちろん大きな収穫ですが,それ以 達をつくることで,情報の交換などが効率よくできる 上にこの留学は,日本を離れて 1 年間過ごしたことで, のではないかと思います。 改めて日本という国を相対的・客観的にとらえる機会 問題を抱えたまま過ごしていても誰かが解決してく を持てた貴重な機会でした。今まで何気なく日本的な れる,ということはないので,積極的に人に助けを求 もの,と考えてきたことが実はそうではなくインター めることが大切です。ドイツでは英語は公用語ではあ ナショナルなものだったり,他の国がどのように日本 りませんが,かなりの人が英語を使うことができます をとらえているかを実際に自分で感じることができま し,片言のドイツ語でも自分が何をしたいのか,など した。また,色々な国からの学生と出会ったり,実際 を伝えればそれなりの対応をしてくれます。最初は恥 に足を運んでみることで,世界の国々がより身近に感 ずかしいかもしれませんが,思い切って人に聞くこと じられるようになりました。東日本大震災の際には多 が,ドイツでの生活をスムーズなものにしてくれると くの人が私の家族や友人の心配をしてくれました。私 思います。 も同じように,世界のどこかで何かが起こったときに は,その国の友人を思うでしょう。 以下にレーゲンスブルク大学留学を志す方へ,私が ユバスキュラ大学 体験したことを踏まえてアドバイスを記述したいと思 國岡 昭吾(工学部機能機械工学科) います。私が留学を志した時に先生や先輩に教えてい ただいたのは,大学の授業に関してで,大学の授業で 16 〈フィンランド〉 留学期間:平成 22 年 8 月∼平成 23 年 7 月 は語学の授業以外にも,他学部の授業も基本的に履修 フィンランドはヨーロッパの最北,ボスニア海とロ 可能であること,英語で開講される授業もあることな シアの間に位置する北欧の国です。公用語は,フィン どです。どのような授業を取っていたのか,また大学 ランド語とスウェーデン語,人口は 550 万人で日本 で授業のほかにどのような活動ができるのかを先輩に の北海道程,面積は日本から九州を除いた程度ありま 聞いておいたことで, 大学生活がだいたい思い描けま す。フィンランドは森と湖の国と呼ばれるように,国 した。 土の 60% が森であり,大小の湖が 20 万個もある自然 留学が決まった際に把握しておきたかったことは, 豊かな国です。私が勉強していたユバスキュラ市は, 保険に関してです。ドイツでは学生は必ず保険に入ら そんなフィンランドの中央地域に属する人口 8 万人の ないといけないと聞いていたので,渡独前に 1 年間の 町です。人口の約半数が学生であり,学術都市として 海外旅行保険に入っておきました。しかし,実際は私 有名です。 の入った保険ではカバーしきれない部分があり,結局 授業に関して ドイツの保険にも加入しなければなりませんでした。 留学生は,自分の取りたい授業を自由に選択するこ また,事前に入ってきた保険の内容文章が日本語だっ とができます。留学生だからといって,区別されるこ たため,確認に時間がかかりました。どの程度カバー とはなくフィンランド人の学生と一緒に授業を受ける していればいいのか,が事前に把握できていたら,二 ことができるため幅広い選択肢が得られます。 ただし, 重に保険に入ることはなかったと思います。 取りたい授業の開講言語がフィンランド語で行われる また, レーゲンスブルクについてから, インターネッ ことがあります。そんな時,担当の先生と相談してみ トが使えるようになるまで 1 週間ほどかかり,連絡を ると,あっさりと開講言語を英語にしてくれることも 取るのに苦労しました。登録作業自体も複雑で,まず あります。言語を変えるのが難しい場合でも,何かし 学生登録をしてから,インターネット登録を大学の らの対応策を一緒になって考えてくれます。私が物理 K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y の授業を受けた時,開講言語はフィンランド語となっ 言語について ていました。先生に相談してみると,学生が 300 人 フィンランド人は大変英語が上手です。街中で困っ いるので授業言語を変更することは出来ないと言われ たことがあっても,誰かに英語で質問すれば問題あり ました。それでも,英語で学習出来るように対応して ません。したがって,基本的に普段英語を使って生活 頂きました。わざわざ 3 人の留学生の為に演習問題や できます。留学生同士ももちろん英語です。英語を勉 テストを英訳して頂きましたし,質問等にも英語で懇 強する良い環境だと思います。フィンランド語に関し 切丁寧に応対して頂きました。また,私はユバスキュ てですが,英語が使えれば何不自由無く生活出来るの ラ 市 内 の 別 の 学 校 で も 勉 強 さ せ て 頂 き ま し た。 で,フィンランド語を全く勉強しない留学生が大半で University of Applied Science と 言 い, 旧 ポ リ テ ク す。500 万人の人達しか使用しない言語を勉強して ニックの学校です。こちらに興味深いものがありまし も意味が無いと言う人も中にはいます。しかし,私は たので,担当の先生に相談してみました。すると簡単 フィンランド語を学ぶこともフィンランド人を理解す に受け入れて頂けることになりました。金沢大学とは る上で重要だと思います。その国の文化や,人々の様 協定校になっていませんが,一時的に金沢大学からの 子を深く知る為には自分達が一歩中に踏み込む必要が 留学生として迎えてくれたのです。断われるだろうと あります。文化や考え方と密接に関係のある言語を学 思っていましたので,受け入れて頂いて本当に嬉し ぶことは,その一歩を踏み込む為の一つの手段である かったのを覚えています。ここで,私が言いたかった と思います。そして, 何より 1 年間学んでみて楽しかっ のはフィンランドの教育機関の柔軟性です。フィンラ たです。あまりにも英語が通じてしまうので,フィン ンドの教育機関は,学ぶ意欲のある者を拒もうとし ランド語は全然上達しませんでしたが,それでも言語 ません。教育というものに重きを置き,堅苦しい形 を吸収したい ,挑戦したいという意欲が一つずつの会 式張ったことにこだわらず,柔軟でフットワークの 話に結びつき,フィンランド人と仲良くなるきっかけ 軽いフィンランドの教育システムには非常に驚きま となりました。是非留学したらその国の言葉を学んで した。 欲しいと思います。 簡単なことではありませんが, きっ 授業の内容に関してですが,日本が深く狭く学ぶの と何かのプラスになると思います。 に比べ,フィンランドでは広く浅く且つポイントを掴 留学を志す人へ むものだと感じました。例えば,日本の大学でテスト 派遣留学は非常に良い経験と出会いを与えてくれま を受ける場合,テストで使用する数式は基本的に暗記 す。現地の学生と同じように授業を履修し,様々な国 していなければ問題が解けません。数式の導出過程 の人々と供に勉強出来るという経験は宝物となるで を理解していても,テスト中に導出している時間があ しょう。是非多くの方に挑戦して頂きたいです。しか りません。しかし,フィンランドの場合テスト中に, し,大切なのはどれだけ行きたいという強い思いがあ 数式の書かれた紙を配られこれを使って解いて下さ るかです。それなりのリスクもあります。留学に行っ いという形を取ります。しかも,テストの制限時間 て一年遅れれば,社会人としての期間が一年間短くな は無いか,十二分に長いです。式を暗記するのは意味 ります。お金もかかります。留学に一年行くというこ の無いことだと彼らは言います。それよりも,大枠を とは,日本に一年いないということです。日本で出来 理解し,なんのためにそれを学び,何にどうやって使 ることも沢山あります。留学が全てという訳ではあり うのかを考えることを重要視します。このようなテス ません。それでも,行きたいと言う思いがあるならば トですと, 暗記に無意味な時間を使う必要がなく, じっ 是非行くべきだと思います。留学はいつでも出来るこ くりと理解することに集中出来ます。フィンランド人 とかもしれ ません。後で行った方が良いのかも分かり の学生は勉強に対して熱心です。皆勉強をしたくて大 ません。しかし,後でその機会を得られる保証はどこ 学に入学していますので,授業中も真剣です。それか にもありません。留学したい意欲があるならば,出来 ら,学生と先生の距離が近いと感じました。日本の る機会がある時にそのチャンスを掴むべきではないで 大学の先生が研究に特化しているのに対し,フィン しょうか。 ランドの先生は教育者として優れていると思いまし 留学先の国を選ぶのに迷う人も多いと思います。英 た。また,多くの先生が社会経験を持っていて,社会 語を勉強したい場合でも,英語圏だけに焦点を絞る必 現場での自らの経験をふまえた話が学生を引き付けて 要は無いと思います。英語圏以外でも英語は勉強でき いると感じました。先生は, 良く学生と話し合います。 ます。幅広く国と大学を調べて,自分にあった大学選 何か問題が生じても解決策を探すための話し合いを 択をして頂きたいと思います。 常に大切にするのがフィンランドです。質の高い,考 最後に えることを重視する授業。そして話し合いに重きを置 このような機会を与えて下さった金沢大学の留学生 くフィンランドで勉強することは,自分達の教育,勉 担当の先生方,留学生係の方々には心から感謝してお 強に対する考え方を見直す良いきっかけになると思い ります。どうもありがとうございました。 ます。 17 高橋 恵海(人間社会学域学校教育学類) 【留学動機】 フィンランドと聞いても,ムーミンくらいしか思い浮 大学ではほとんどが寮生活なので,いつも衣食住を共 にする友人と夜遅くまで語り合ったり,遊びまわった かばないという人が大半かと思いますが,私は一年間そ り,時には旅に出たりして忘れられない思い出をたく んな日本とちょっとなじみのない国に行ってきました。 さん作ることができましたし,留学でできた友達は今 どうしてフィンランド,というよりも,どうしてユ でもよく話す大切な存在です。 バスキュラ大学にしたのか,その動機で一番に挙げら また,フィンランドではウィンタースポーツが盛ん れるのは,ユバスキュラ大学は自分が興味のあったス で,寮からは歩いて 5 分でスキー場まで行けるし,ス ポーツバイオメカニクス分野で世界的にもとても有名 ケートリンクはどこにでもあったので,スポーツが好 で,またフィンランドでは唯一体育教師になれる大学 きな人にはとてもいい場所だと思います。特にユバス だったので体育・スポーツ分野に非常に優れていたこ キュラにはアイスホッケーの強豪チームがあったの とがあります。また,教師を目指す者として,世界的 で,世界トップレベルの試合をすぐに見に行くことが にも評価されている教育を日本で机上で学ぶのでなく できました。また大学には様々なスポーツのコースが 実際に自分でみてこようと思ったこともあります。た あり,部活動のように真剣なものはあまりありません だ,本当は本物のサンタさんに会いたかったというの が楽しむ程度ならなんでもありました。部活のように も大きい動機の一つでした。 【生活・勉強】 練習が毎日ある様なところは大学にはあまりなく,私 はちゃんと練習したかったので,市のクラブチームで フィンランドではフィンランド語が公用語として使 専門競技のバドミントンをしていました。 われ,他にも学校でスウェーデン語と英語が必修のと ウィンタースポーツが盛んと言うとやっぱり寒い ころがほとんどなので,フィンランドの人はたいてい のかと思いますが,確かに想像 を超える寒さでした。 流暢に英語が話せます。そのため英語を使えればたい しかし,驚くかもし ていどこに行っても大丈夫でしたし,授業も留学生用 れませんが家の外が の授業だったため,英語ができれば生活には困りませ − 2,30℃になって んでした。自分は子どもの頃少しアメリカに住んでい も,家の中は,金沢 たことがあり会話程度は問題ないと思っていました の家の寒さとは比べ が,実際留学してすぐの時は宿題の量や授業の速さに 物にならないほど温 ついていけず,また自分の英語のできなさにすごく落 かいです。もともと ち込んだときもありました。それでも,同じスポーツ 寒いフィンランドは 科の友達とすごすことがとても楽しく,授業がつらい 家の造りだけでなく とはほとんど思いませんでした。授業に関して,私は 道路整備なども整っ 一年休学して行ったので,基本的に自分の好きな授業 ていて, とても寒かっ は取れましたし,先生に頼んで許可がもらえれば,院 たですが,冬でも自 生の実験の授業や,他の学部の授業も取ることができ 転車で学校へ行くこ ました。ただ残念だったのは,休学にして留学すると とができました。 どんなにたくさんの授業をとっても,どんなに成績が 物価に関しては,日本とあまり変わりません。おい 良くても単位交換ができないということです。他国の しいチーズやヨーロッパの食品はとても安くおいし 留学生たちの場合は留学制度がもっと整っていて,そ かったので,食費に関しては日本にいたときと大して こは金沢大学のこれからの目標かもしれません。私の 変わりませんでした。ただ日本へ荷物を送るとなると ように休学して留学する人も多いと思いますが,国際 船便がないためびっくりするほど高くなるので,留学 学類以外の人は単位認定が難しいのが現実だと思いま する人は極力物を持ってこない方が良いと思います。 す。ただ,逆にいうと自分にやる気があればどんなこ ともできました。私は留学中に現地の学校見学と金沢 18 つ友達との授業はとても新鮮で,何より世界中から集 まった仲間と過ごす時間が一番楽しかったです。この 【これから留学を志す人へ】 もし留学をしようか迷っているなら,私は留学する 大学ではできないスポーツの勉強をしようと決めてい ことをお勧めします。人によっては留学の必要もない たので,授業以外にも,特に後期には大学とは関係な ですし,別に留学する事がすごいとは思いません。そ く何校か学校見学や TA,授業をさせていただくこと れにお金や時間もかかります。それでも私が勧めるの ができました。また,授業も日本の講義とは違って寝 は,それに代わる以上のものが得られると思うからで ている人は誰もおらず,みんな熱心に聞き質問やディ す。 ただ, 留学するならそれなりのやる気や目標を持っ スカッションをしていて,とてもいい刺激になりました。 ているべきかもしれません。ただ単にその言葉を学び ここまで聞くと,まじめな話ばかりでしんどいよう たいから,ということだけなら日本にいてもできます に思うかもしれませんが,いろんな国籍や考え方を持 し,留学したとしてもたいして授業も受けず,なんと K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y なく話せるような気になって楽しかった,と言って 根なく自分の好きな授業を受けることができたからで 帰ってくるだけでは少しもったいない気がします。 した。私の専門は保健体育・スポーツサイエンスです また,今まで一緒にいた仲間としばらく離れるのは ので,それらの授業を取りたかったのです。留学生だ さみしいですが,考えてみるとたったの一年ですし, からといって制限されることはほぼないと思いますの 応援してくれた先生方や支えてくれる家族,友達がい で,私 のように,国際文化学?や言語学?などに興味 ることを常に心の隅において,留学をただの “海外で を持たない人でも充実して勉強できるかもしれないで の楽しい生活”から,より中身の詰まったものにして すね。 ほしいと思います。逆に,離れてみると友人からの手 ……というのは実は立前だけの理由なんです……。 紙がきたり Skype をする度に,改めて友達が自分を支 前述したことに嘘はありません。しかしながら,私の え,応援してくれていることに気付きもっと大好きに 留学への挑戦は,漠然と留学したい!と思っていたこ なると思います。 とから始まりました。留学→英語が身につく→世界の また,これから留学をすると決めている人で,特に ベースラインに立つ→かっこいい。といった単純な 国際文化や言語を学びに行く人は,あくまで私の一意 理由からです。なので,この報告書はみなさんのお手 見ですが,できるだけ自分と違う言語圏の人の輪に 本にならないかもしれません。私の考えは 「行きたい 入っていく方が良いと私は思います。最初は言葉の と思ったら行けばよい」 ということです。 「強い目的が 壁もあり,同じ言葉を話す者同士でいたくなるかもし ないと留学しても意味がない」という方も多いかと思 れませんが,日本語や日本文化には帰国後いつでも触 います。確かに,長期の生活で常に自分の目標に向 れることができます。留学してしか出会えない仲間 かって勉強している人の方が格好よく見えますし,モ と様々な経験をするのも良いのではないかな,と思い チベーションも保つことができるかもしれません。し ます。 かし,行きたい!という思いがあれば,そのための準 期間に関しては何を目標とするか,どの程度の言語 備は苦にならないはずですし,それに向かって突き進 習得を目指すかにもよりますが,言語を習得しようと むことができると思います。さらに,今までとは異な 思う場合は,1 年間の留学をお勧めします。半期だと る環境で生活するわけですから,そこでの経験全て ようやく言語に慣れてきたところで帰国するので結局 が学びに繋がります。その一つ一つの経験を大切に 話すことがあまり身についていないからです。 しながら生活することで新しいことに気づき,あら 最後になりましたが,留学に行こうと思う人は,思 ゆる面で多くのことに取り組む意欲につながるはず い切り楽しんできたらいいと思います。自分の目標を です。 しっかり考え,遊ぶ時は遊ぶ,勉強するときはするで, つまり,私が言いたいことは, 「留学」 を堅く考えず めりはりをつけて頑張れば,頑張った分だけ結果がつ 興味があれば日本から飛び出してみましょう!という いてきます。殻に閉じこもらず, 周りの人に流されず, ことです。 自分が周りから受ける影響以上に,他の人に良い影響 さて,既に留学へ向けて何かしら取り組んでいるみ を与えられるような素敵な人に留学を通して近付けれ なさん。気になっているのは, 留学への準備について, ば,と思います。 または生活面について,ですか?現地に行くまでは不 安や気になることが募ると思います。おそらく,細か ダブリンシティ大学〈アイルランド〉 牛津 安未(教育学研究科) 2010 年 9 月から約 9 ヶ月間,ダブリンシティ大学 い準備や生活の様子については他の報告者の方たちが 丁寧に説明してくれていることでしょう。それらを参 考にすれば間違いないではずです。私はあえて記載し ません。おそらくどの国へ行った学生も同じような苦 労や経験をしていると思いますから。 に留学しました。アイルランド!?そう,イギリスの 現地に到着してしまえば後に引けないので,そこで お隣にある小さな島国です。日本人にはあまり馴染み 生きていくしかありま せん。その状況があなたを強く のない国かもしれませんね。私も留学する前までよく してくれるはずです。私も実際そうでした。いつまで 知りませんでした。 自然が豊かなとても美しい国です。 もシャイではいられなかったのです。わからないこと 英語圏ですので,英語を上達させたい人は候補として があれば人に聞く必要がある,ひとりが寂しかったら 考えてみてもよろしいのではないしょうか。ダブリン 友達をつくりたいと思う。それだけのことなのです。 シティ大学の英語の授業はしっかりとした教育をして ただ,それだけの簡単なことが日本を飛び出すと少し いると思います。他国の授業と比較することはできま 難しくなります。しかしながら,その難しさを解決で せんが,この大学の先生方はアイリッシュジョークを きた時,その難しさを難しいと感じなくなった時,そ 織り交ぜながら楽しい (且つわかりやすい!)授業を の感覚が少しの自信になる気がします。あとは,楽し 行っていました。 く充実したものにするのは自分の努力次第ということ 私がこの大学に留学しようと決めたのは,学部の垣 です!何の心配も要りませんよ。 19 あまりにも漠然とした事しか述べていませんので, アイリッシュの人達はテレビの映像からでしかその悲 ここでアイルランドのおすすめポイントをいくつか挙 惨な状況を確認することができませんでした。しかし げておきましょう。 ながら,募金活動では目の前を通る人全員が協力して 1. 壮大な自然。緑がいっぱいのこの国は,人の心も くれて,さらには温かい言葉も掛けてくれました。小 豊かにしてくれている気がします。日本と違い山はほ さな国ですが,温かさであふれる国だと思います。多 とんどないので,違った自然風景を楽しむことができ くの人に感謝です。 ます。勉強に疲れたら街から出て,時間がゆっくり流 少しは意欲が湧いてきましたか?角間の山奥で小さ れる世界で心を癒すことができるでしょう。 く縮まっていては何も楽しいことは広がりません。外 に目を向けて,一つずつがんばっていきましょう! 佐原 康介(人間社会学域国際学類) 【はじめに―アイルランドの紹介―】 エメラルドの島。妖精が住む島。聖人と学者の島。 私が 2011 年の 9 月から 9 ヵ月間留学をしていたア イルランドを表す言葉はたくさんあります。しかし, この国はまだまだ日本人にとって馴染みがない国で す。アイルランドに留学する(あるいは留学した)と 言えば,ほぼ必ず「どうしてアイルランドなのか?」 と聞かれます。ということで,最初はアイルランド 20 2. 意外と International な国。ダブリン市内の中心部 についてよく聞かれることについて書きたいと思い では多くの外国人を見かけます。 ヨーロッパ各地から, ます。 アジアから,中東から来た人たち……様々な文化・考 最初に,アイルランドの公用語は英語です。みなさ えを持った人種が,様々な英語のアクセントで話しま んの中で英語圏に留学をしたいという人も多いと思い すので,これもまた興味深い一面だと思います。 ますが,その選択肢の中にアイルランドが出てくるこ 3 . Japanese Society。ダブリンシティ大学はこのク とはあまりありません。その理由としては,そもそも ラブがあります。週に2回の活動で,会話をしたり, アイルランドで英語が公用語であることを知らない 日本の映画を観たりします。このクラブには日本語を か,アイリッシュアクセントが強いことを心配してと 専攻している学生や日本に興味のある学生の集まりで いう人が多くいます。確かにアイルランドで生活をし す。言葉,音楽,文化などの共通の話題も作りやすく, ていて,独特のアクセントに苦労することも時々あり このクラブを通して友達の輪を広げることができると ます。しかし,アクセントというのはそんなに問題に 思います。 ならないと私自身は考えています。なぜなら,英語圏 4 . ギネスとウィスキー。お酒が好きな方は大歓迎な には世界中の様々な国から英語を学びに人がやってき 国です。有名なアイルランドのビール,ギネス。ウィ て,その多くがそれぞれのアクセントを持っているの スキーもとても有名です。パブに足を運べばお昼から です。私は多くの人と話をしたいという思いから英語 陽気な人たちをたくさん見かけることができます。 「一 を学んでいます。英語圏の人はもちろんのこと,英語 杯飲んで次のパブ!」 飲み歩き (パブ巡り)は最高に が母国語でない人も世界には数多くいます。その中で 楽しいです。もちろんお酒を飲めない人でも大丈夫で 大事なのは,日本人が想像している ‘きれいな英語’ を す。その場の雰囲気を楽しむことができれば誰でも大 話すのではなく,誰とでもコミュニケーションをとれ 歓迎なのです。 る ‘分かりやすい英語’ を話すのが大事であると感じま 5. ヨーロッパ各地へ旅行。アイルランドは EU 加盟 した。 国,そして通貨は EURO。なのでヨーロッパ各地に 次にアイルランドの場所についてですが,この国は 旅行するのはとても簡単でした。航空チケットはとて イギリスの西側にあります。よくアイスランドやフィ も安く手に入り (ベルギーに行ったときは往復 €50 で ンランドとかと間違われてしまいますが……。北の方 した) , 気軽に外国を旅することができます。 “ヨーロッ にある国にしては想像している程寒いことはなく,雪 パ”と一括りしても国々で全く違う雰囲気を味わうこ もそんなにたくさん降ることはありません。EUの一 とができますので,留学中に各地を周ることをおすす 員であり,通貨もユーロです。最近では金融危機が起 めします。 きましたが, 実生活には何ら支障はありません。また , 最後にまじめな話。2011 年 3 月 11 日に東北で起 IRA のテロについて心配する人もいますが,アイルラ こった震災はアイルランドでも Breaking News とし ンド自体はヨーロッパの中でも治安がいい地域である てずっと報道されていました。この出来事は私を含め と思います。 K A N A Z A W A 【大学の環境】 大学自体は国際空港からバスで 10 分ほど,町から U N I V E R S I T Y ンド国内もそうですし,他の国でもいいですが,現地 に行って実際に遺跡や風景を見たり,その国の人と話 バスで 20 分ほどの距離にある,閑静な住宅街の中に をしてみたりすることでとても興味深い体験ができま あります。大学の近くに大型のショッピングセンター す。私自身は留学中に 17 カ国をまわりました。ゼミ などもあるので,生活に不便はしないです。首都のダ でヨーロッパの勉強をしていることもあり,実際に見 ブリンに大学があることもあり,様々な手続きもすぐ て体験することはすごく勉強になったと思います。も にでき,アイルランド国内への移動も国外への移動も し機会があるのなら,色々な国に行ってみることをオ 簡単にできます。大学自体はそんなに大きくないです ススメします。 が, すべての施設が同じ敷地内にあるために便利です。 大学の隣には公園があり,とても雰囲気がいいと思い ます。 【授業など】 【最後に】 留学をした一年間は日本では体験することのできな い貴重な体験でした。外国に住み, 生活をすることで, 留学先の国の良いところ,悪いことが見えます。もち 授業は基本的にはどの学部からも選択できます。日 ろん, 日本についても同じです。様々な価値観に触れ, 本人のアドバイザーもいるので,その先生と相談しな 様々な文化に触れ,様々な人に触れ,たくさんのこと がら授業を決めることができるでしょう。授業形態と を学びました。これらの体験はいつかどこかで生きて しては日本の授業とほとんど同じで,大講義室で行う くると信じています。 ものから少人数で行うものまで様々です。基本的には もし, みなさんの中で留学を迷っている人がいたら, 50分 授 業 が 週2回 あ り ま す。 私 は Introduction to ぜひ一歩踏み出してはいかがでしょうか?そして,留 International Relation や Cross-Cultural Communication 学に行く前に,どうして自分が留学をするのか,留学 などのクラスをとっていました。クラスによっては授業 をして何をしたいのかをじっくり考えてみてくださ 前にテキストを読んでくることが必須なものもあった い。そうすることで, きっと何かをつかめるでしょう。 りします。 【生活全般】 準備など大変なこともあるとは思いますが,がんばっ てください 。 住む場所としては大学内の寮に住むのが一般的だ と思いますが,近くの部屋を借りることもできます。 基本的にはルームシェアになり,キッチンやリビング バルセロナ自治大学 が共同で自分の部屋が一つずつあるのが一般的です。 西方麻奈美(人間社会学域国際学類) 私はアイルランド人とアメリカ人のフラットメイトが いました。違う文化圏の人と共に生活することはたい 〈スペイン〉 【出会い】 へんなこともたくさんありますが,貴重な経験にな 私はスペインのバルセロナ自治大学に約 5 カ月間留 ると思います。食事に関して言えば,外食の物価が 学しました。実は,二次募集していたバルセロナの応 少し高いので自炊することも多いと思います。スー 募締め切り前日に,当初目指していた別の大学を落ち パーでの物価はそんなに高くはないですし,日本食の たため一晩でバルセロナの志望動機と留学計画を考え 食材はアジアンマーケットなどで手に入れることも ました (笑) というのも,どの国に行くかは私にとって できます。また,欧米の人はパーティ好きな人も多 それほど重要ではなく,留学を希望する一番の動機は いので,フラットでよく様々なパーティが行われてい 「言葉も文化も違う土地で,一から人間関係を築いて ます。 生活していくことで自分を試したい,成長させたい」 クラブ活動も様々なものがあるので,自分のやって ということ。二番目は 「日本と違う文化での生活とそ みたいものを自由にやってみるのがいいと思います。 こでのコミュニケーションを通して,今までと違う考 特に Japanese Society というクラブは日本好き,日本 え方をしたり理解できるようになりたい」 ということ。 語を学んでいる人が多く集まるクラブなので,友達を そして三番目に 「英語でのコミュニケーションがあた 作る足掛かりとしてはとても良いと思います。また, りまえになりたい」ということでした。加えて一年次 このクラブ経由で情報が来ることもしばしばありま にスペイン語の授業をとっていた事と,バルセロナが す。例えば,St. Patric's Day というアイルランドで一 芸術文化の洗練された都市,さらに自治州の州都であ 番 の お 祭 り に 仮 装 を し て 参 加 し た り,Experience るという独特な個性に興味が湧き,これは行くしかな Japan という日本文化を紹介するためのイベントで太 いと決心しました。 鼓を演奏したり,ソーラン節を踊ったりなど,大学外 留学を振り返って,私はバルセロナで本当に良かっ で様々な人と関わる機会もあります。 【その他】 たと思います。 自分は来るべくしてバルセロナに来た, 留学生活が始まって一週間目の時点でそう思いまし せっかくヨーロッパに行ったのなら,旅行も一つの た。5 カ月の間に困難や問題もいろいろありましたが, 大きな体験になると私自身は考えています。アイルラ 楽しいことも苦しいことも全てを通して成長できまし 21 た。これからバルセロナの魅力と,直面した問題,そ た。上級は個人のステップ練習はさらっとだけやっ れらをふまえたアドバイスを報告しようと思います。 てほとんどペアで踊る練習をしていましたが,個人 何か少しでも参考になれば幸いです。 的にはもっと一人でステップを極めたかったです。レ クチャーは全てスペイン語,というかカタルーニャ 語でしたが,わからなくても大丈夫です。SAF とい うジムでもダンスやトレーニングのレクチャーが受け られます。こちらは SAF の月額料金を払っていれば それ以上のお金はかかりません。ダンスのジャンルや トレーニングの種類もかなり豊富で,室内プールや 充実したトレーニングマシーンも自由に使えます。 SAF で知り合って仲良くなった人もたくさんいるし, ダンスやトレーニングが好きな人にはかなりお勧めし ます。 バルセロナという街の魅力は,独特なアートにあふ れた美しさと陽気で開放的な雰囲気です。ガウディを 【魅力】 まず,大学の魅力は学生向けの施設や交流イベント 術作品のようで, 世界文化遺産があちこちにあります。 が充実していることだと思います。図書館や食堂が充 見どころがありすぎて紹介しきれないので, 「地球の 実しているだけでなく,キャンパス内に文房具店, 歩き方」というガイドブックを見てください。この本 服屋,美容院,シネマ,眼鏡屋,キャンディーショッ は便利です。休暇中や帰国前にヨーロッパ周辺の旅行 プなどがあります。さらに,キャンパス内の寮 Vila を考えている人は,スペイン編ではなくヨーロッパ編 Universitaria にはプールやビーチバレーコート,ス を買うことをお勧めします。もちろんガイドブックに ポーツジム,スーパーや飲食店があります。Vila に住 載っていない見どころもたくさんあるのでいろいろ探 んでいる学生向けに,ガイド付き日帰り旅行や文化交 険して楽しんでください。地中海気候で雨が少なく, 流イベントなど様々な企画がされ,友達づくりや文化 5 月くらいから海に入れます。陽気でフレンドリーな 学習に最適です。なので,留学中は Vila に住むことを 人が多く,かたことでもスペイン語で話しかけると一 是非お勧めします。のんびりしているとすぐに予約が 生懸命教えてくれます。英語はほとんど通じません。 いっぱいになるので,留学が決まったらすぐに部屋を 私はアメリカやイギリスからの留学生グループや,英 とりましょう。ビザを申請する際にも accommodation 語を話せるヨーロッパやラテンアメリカからの留学生 の住所と許可証が必要になります。 グループと行動していたので,英語はそこで上達でき ついでにビザ申請時の注意点に触れておきます。申 ました。アメリカ,イギリスの子からは間違いを直し 請には無犯罪許可証や戸籍謄本など様々な書類を揃え てもらえたし,自分と同じレベルの英語を話すヨー て東京のスペイン大使館に出向きます。 注意したいのは, ロッパ,ラテンアメリカの子と話すことで間違いを恐 海外旅行保険に加入していることを証明する書類に保 れずに英語を使う習慣が身に付きました。ラテンアメ 険会社のハンコが押してあるかということ。それと,向 リカ人やスペイン人はあまり周りの人や細かい事を気 こうの大学からの受け入れ許可証や accommodation にしません。思いやりがあって親切ですが,基本てき の証明書には直筆のサインがしてあるかということで とうで,私はそれが好きでした。そしてバルセロナの す。私の時は,向こうの大学からの書類が PDF ファ 留学生は国を問わず皆ダンスとパーティーが大好き イルで送られてきたのでそれを印刷して持っていった で,私にぴったりでした。Study hard, party harder. ら申請できませんでした。そのような場合も,大学に 許可証の原本の郵送をお願いして後日スペイン大使館 22 はじめ数多くの芸術家を生んだこの街は,街全体が芸 そんな人たちです。 【問題】 に郵送すれば, 再び東京に出向く必要はありませんが, 一般人はもちろんキャンパス内でも英語が全然通じ かなり時間がかかるし焦りました。大使館は,何度問 なかったこと。これはスペイン語をしっかり勉強した い合わせても電話に出なかったり, 「だいたいこのく みなさんにとっては全く問題ないと思いますが,ほと らい」と言われたビザ発行予定日が出発ギリギリなの んど喋れずに行った私は苦労しました。とはいえ,慣 で急いでほしいと頼んでも 「わかりません」 と言われた れない言語の中で生活して徐々に分かるようになった り,あまり当てにはならないので余裕を持って準備す り,英語表記を見つけると嬉しくなるという日本に来 るべきでした。 た外国人のような感覚を体験するのは新鮮で貴重でし Vila の話に戻ります。Vila の居住者向けに,有料で た。言語が分からない国でも適応して生活できるのだ すがベリーダンス,サルサ,ギターのレッスンもやっ という自信がつきました。これをきっかけに,帰国後 ています。私はサルサの上級クラスをとっていまし はスペイン語検定4級に合格しました。ヨーロッパの K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y 学生は一人3 ∼ 4 ヶ国語喋れるのが普通で,そんな周 ファミリアをはじめとして数多くの観光スポットがあ 囲から刺激を受けながらスペイン語を勉強できました。 る魅力的な観光都市です。大学からもバスか電車で中 スリが多いと評判です。実際,知人がスリに遭った 心部に行き様々な観光地を見ることができます。ただ 話をよく聞きました。なので私は常に鞄の口を手で押 観光地ということもありスリが非常に多いので十分気 さえながら歩いていたし,ポケットに財布や携帯を入 をつけてください。公用語はカタルーニャ語,スペイ れたときはポケットから手を離しませんでした。あと ン語が主です。ここでカタルーニャ語?なにそれと思 夜道を一人で歩くときは周囲を警戒してますよアピー われた方が大半ではないでしょうか。そうです,先ほ ルを一生懸命しました。結果,小柄な日本人女性の私 ど述べたバルセロナの異質な点とは多言語社会である は一度もスリに遭いませんでしたよ。 ということです。つまりバルセロナで一般の人々が話 生活していく中でいろいろな問題が出てくると思い す言葉はカタルーニャ語といってスペイン語とは全く ますが,諦めずに,問題を解決することで自分の成長 異なる言語なのです。スーパーの商品の表示も,街中 のステップにしてください。 にある看板もカタルーニャ語で書かれています。もち ろん駅の中には英語,スペイン語,カタルーニャ語す 【留学後】 それまでは文化にばかり関心があって, 政治や経済, べてで表記されているので交通に は問題はないです。 歴史への関心は薄かったのですが,留学後は国内,国 そして義務教育を受けた人々はすべてスペイン語も話 外のあらゆる分野に関心を持つようになりました。自 すバイリンガルですのでご心配なく。さらにこれらの 分が日本のことを案外知っていなかったことや,今ま 言語には,駅はスペイン語で estación,カタルーニャ で気付かなかった日本の魅力に気付き,それを伝えた 語では estació と,似ている単語もたくさんあるので いと思うよう になりました。英語でのコミュニケー 単語を理解する分には慣れれば大丈夫です。 ションと,問題を解決していく能力に自信を持てるよ 次に大学について書きます。バルセロナ自治大学は うになりました。 中心部から電車で 40 分ほどののどかな場所にありま 留学して,日本に無い魅力に感動したり,新しいこ す。大学は広大な土地に学部ごとの立派な図書館が とを考えたり,日本にない問題を解決していくことで あってさすが国立の大学だなと思いました。大学内に 成長して, 帰国後は日本や世界が少し違って見えます。 銀行や,美容院,スーパー,屋外プール,さらに芝生 今まで当たり前に思っていたり,気にも留めていな のサッカー場まであり, 設備はとても良いと思います。 かった物や事の魅力に気付きます。 キャンパスには International Welcome Point という みなさんがそれぞれ自分らしい留学生活を楽しんで 留学生向けのオフィスがあり,そこの人々は英語も話 くれることを祈っています。 せるので困ったときには手伝ってくれる体制が整って います。ただスペインの大学職員は仕事が雑です。私 山田 哲史(人間社会学域国際学類) も何度も困らされました。スペイン語もままならず, カタルーニャ語などわかるはずのない留学生の私に, 私は 2010 年度金沢大学の交換留学制度を利用し 寮費の督促状を,専門用語を交えカタルーニャ語で て,スペインのバルセロナにあるバルセロナ自治大学 送ってきたり,授業の履修登録の際に私が申請したも に留学しました。ここでは留学準備のこと,バルセロ のと違う授業を勝手に登録したりと日本では考えられ ナについて,スペインでの生活について,大学での勉 ないようなことは多々ありました。彼らはこちらから 強についての 4 点について書きます。 意見を言わなければ気がつかないので,少しずつ自分 まず,留学をすることに決めた理由ですが,私の場 の意見を主張するということができるようになりまし 合は,語学力向上はもちろんのこと,何事にも消極的 た。そのたびに彼らは一言も謝らずに No pasa nada で遠慮がちだった自分自身を変えたい,幅広い視野を (大丈夫) という言葉をかけてきました。何があっても 持ちたいという理由が大きかったです。留学の準備の とりあえず,落ち着け,大丈夫だと言い,修正すれば 過程ではスペインへの派遣第一期生ということ,バル 良いといった具合でした。これはスペインの良いとこ セロナというスペインの中でも異質な地域ということ ろでもあり悪いところでもあると思います。 もあり (どのような点が異質かは後述) ,ビザ申請,学 さて,大学の勉強についてですが,はじめにレベル 生寮の予約,授業選択すべてが留学生センターの方々 分けテストを行い,レベルごとに 4 つのグループに分 との手探り状態で苦労しました。様々な手続きは前例 けられます。私は上から二番目のクラスに配属されま がないこともありなかなかうまくいかず,通常の大学 したが,正直言うと文法事項すらやり終えていなかっ 授業にも出席していたため忙しくなり,ストレスが溜 た私にとって,最初のころはついていくのに必死でし まって,周りの人に迷惑をかけてしまったように思い た。さらにはじめはわからないことを教えてくれるよ ます。これから行かれる皆さんは余裕を持って計画を うな友達もあまりできずに困っていました。大学が企 立て,留学の準備をしていただきたいです。 画する留学生向けのパーティに何度か参加したのです 次にバルセロナについて書きます。有名なサグラダ が,会話は英語が主ですし,夜にバーで騒いで,飲ん 23 でディスコに行って朝まで踊る,といったノリについ で探し,もし契約してもらえない場合は人伝いで探す ていけずあまりなじめなかったからです。そして,は のがよいかと思います。 じめの 1 ヶ月ほどはただ授業に行って与えられた課題 次にビザについてです。半期留学で滞在期間が短い をして寮に帰るという生活をしていました。せっかく 場合はビザなしで留学が可能です。私はこれに当ては 留学という機会を与えられたにも関わらず,受身のま まったのでビザなしで向かいました。イギリスの空港 ま成るようになるといったスタンスで生活している自 に着いてから入国審査があるのでビザがないとかなり 分に気づきました。それではいけないと思い,気づい 不安になるかもしれませんが,なんとかなると思いま たら様々な取り組みをしていました。 す。またビザに関する情報はよく変更があるようなの クラスで積極的に留学生に話しかけたり,日本語の で,細かくチェックすることが必要です。 授業にアシスタントとして参加させていただけるよう 最後に勉強についてです。当たり前のことなのです 頼んで,学生の日本語指導をしたり,インターネット が留学するまでにできるだけ英語を勉強した方がよい で言語交換コミュニティーに登録して相互学習をする です。また,いざ外国人に日本について説明しようと 相手を見つけたり,ルームメートに友達を紹介しても すると,知識が十分でなかったり,単語を知らなかっ らったりと具体的には書ききれないですが,様々なこ たりして,伝えるのが非常に難しいと感じました。つ とをしていたら,自然と友達が増え,大学生活も非常 まり単に英語を学ぶのではなく,日本の文化などにつ に楽しいものになりました。それによって自信もつい いて知識を深めておくことが重要だということです。 てスペイン国内,モロッコ,イギリスへ一人旅に行 き ました。この旅行を通して様々な人々に出会い,トラ 【留学中】 私は友達の友達である現地の学生と Facebook 上で ブルを乗り越え成長することができました。留学され 友達になっていたので,イギリスに到着した次の日に る方にはぜひ旅行をお勧めします。語学に関しても 1 会い,友人を紹介してもらいました。その人のおかげ 年留学していたほかの日本人よりもうまくなったと もあり次々に友達も増えたので,そのようにして知り いってくれる友達も多くとてもうれしくなりました。 合いを作っておくことも一つの手かと思います。 留学を通して,つらいことや大変なこともありまし また Jsoc と呼ばれる,日本に興味のある人や日本 たが,弱い自分を変えるということ,語学を上達させ 人留学生が集まるサークルのようなものがあるので, るという目標は達成できたのではないかと思います。 その活動に参加していれば友達は自然と増えると思い また日本の良さ,周りにいる人々のありがたみという ます。しかし,そこからどのように親しい友人を作る ものも日本から長くはなれてみて再認識しました。今 かが大きな鍵だと思いました。親しい友人ができれば 回の留学では最後は日本に帰りたくないと思えるほど 自然と会話の幅も広がるので,英語を話す貴重な機会 充実した留学生活になり自分なりに満足しています。 にもなるからです。 皆さんも自分なりの留学の目標を決めてそれを達成で きるようにがんばってください。 【最後に】 私が派遣留学に応募しようと考えたのは 2 年次の後 期であり,次に応募できるのは必然的に 3 年次でした。 リバプール・ジョン・モアズ大学 〈イギリス〉 桑本 真純(教育学部人間環境課程) 私はリバプール・ジョン・モアズ大学に前期の間だ そのため就職活動のこともあり,挑戦するか非常に迷 いました。それでも,後悔したくないという気持ちで 臨んだ結果,派遣留学という一つの目標を達成するこ とができました。またこの制度に挑戦したことをきっ かけに将来の目標を持つことができ,更に帰国後それ け留学していました。この大学の前期は短く, 授業は3ヶ を達成することができました。留学を迷っている人が 月程しかありませんでした。また,私が向こうにいられ いるようだったら,絶対に行くことをお薦めします。 たのも4 ヶ月弱という非常に短い期間でしたが,留学 留学経験者だったら誰しもがそう言うのではないで 中や留学後に感じたことをお伝えしたいと思います。 しょうか。それだけの価値があると思います。最後に 【留学前】 なりましたが,お世話になった先生方,職員の方,支 まずは家探しについてです。わたしを入れて日本人 えてくださった家族,友人の方々にこの場を借りてお 3 人を含めた 6 人で,シェアハウスに住んでいたので 礼を申し上げます。有難うございました。 すが,家探しには相当苦労しました。一年間留学をす る場合は,特に問題なくフラットやシェアハウスが見 つかると思うのですが,半期留学となると貸してくれ 24 黒長 大貴(人間社会学域国際学類) るところが全然ないのが現状です。私は運よくリバ 私は 2010 年 9 月より 10 ヶ月間,イギリスのリバ プールから留学に来ていた友人に家主を紹介してもら プールで生活していました。今回の報告書では,留学 えたので何とかなりましたが,これから半期留学を考 をして良かった点,反省点,そして全体を通して感じた えている人はこの点に注意して早めにインターネット ことに焦点を当てて私の留学を紹介したいと思います。 K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y 良かった点 の家 に泊まることで滞在費を削減出来るので,効率的 まず留学をする前に,私は金沢大学からリバプール かつ経済的に旅行をすることが出来ました。 へ留学する日本人学生と,リバプールから金沢大学へ 反省点 来ていた留学生との友好関係を築きました。これは留 留学を通して一番の反省点は,具体的な留学計画を立 学前に情報交換を目的として始めようと思っていまし てないまま現地へ行ってしまい,そのままその時その時 たが,留学する前にほぼ全員が知り合いになれたこと に合わせて行動してしまったことでした。その結果, は,留学最中,特に初期において金大生間の協力関係 描いていた理想とかけ離れた自分の現状と行動に納得 を作ることが出来たと思います。例えばリバプールの学 がいかないことが多々ありました。留学へ行く前には 生と金沢にいる間から友好関係があったことで,生活 目標と目的をいくつか決めておきましたが,それがま 面と学業面での協力をしてもらい非常に助かりまし だまだ曖昧だったことと,具体的な実現方法をあまり た。英語がろくに出来ない留学初期では,周囲と協力 考えていなかったため,実際に留学へ行って困難な場 し合える関係を持っておくことが大切だと感じました。 面に当たった時に自分の意思が揺らぎ,目的を見失っ 次に留学先の大学の授業に関してですが,向こうの たり決断が遅れたりことがありました。ついには自分 大学にはシラバスのような詳しい授業内容が記載され の得たいものが得られなかったこともあります。例え ているものが無かった為,留学前に先輩に授業内容に ば授業選択でも,留学生用だけでなく現地学生用の授 ついていくつか情報を得,留学生にとって英語で授業 業も履修しようと思っていましたが,具体的に授業を を受けることに慣れるための授業や,他の学生と親し 決めておらず,周囲の様子を気にしたり自分の能力に くなれる授業があることを知ることが出来ました。こ 不安を感じたりして前期は留学生にとって比較的容易 ういった授業のおかげでフランスやスペインや中国か な授業を履修し,後期にやっと現地学生との授業に参 らの留学生とも仲良くなることが出来ました。 他にも, 加しました。結果としては,やはり留学生の混じった 自分で授業を調べて敢えて知り合いの全くいない,自 授業とは違い,現地学生が主体の授業では雰囲気も違 分の興味が湧いた授業に飛び込んでみることで,現地 うため,ようやく授業に慣れてきた頃に後期が終了して の学生と交流出来たことも良かったと思います。授業 しまったという思いがあります。しっかり年間を通して 履修は金沢大学と違っていつでも履修の解除が出来る 計画を立てていれば, 前期から現地学生との授業に慣れ, ので,出来るだけ授業に出て興味のある授業を探して 後期には積極的な参加が可能だったように思います。 みるのも有効だと思います。 留学中の友人関係は,主に J-soc というサークルで 広げることが出来ました。他言語を学習していない現 地学生は時に英語の出来ない留学生に対して関心の無 い素振りをされ,疎外感を感じてしまうことがありま すが,J-soc にいる学生は皆日本に関心のある学生な のでとても友好的に話しかけてくれました。日本の他 の大学からも参加するので,精神的にも安心感のある 場所だったと思います。しかし一方で J-soc のコミュ ニティは, 日本語を学習している現地学生も多いため, イギリス人と日本語で会話をしてしまうこともしばし ばありました。そのため日本語での会話を避けるため に授業で仲良くなった他の国からの留学生と交流する 全体を通して感じたこと ことも英語を学習する上では有効な手段でした。そう 留学から帰ってきて,再度振り返ってみるとやはり いった留学生の方が,日本語を学習していないイギリ 多くの経験をすることが出来ました。 異文化に触れる, ス人学生よりも,第二言語を学習しているという共通 主義主張の異なる人と関わる,ということももちろん 点からしっかりと私の話を聞いてくれるため,自分の 大切な経験ですが,それを通して自分がどう受け取っ ペースに合わせて会話をすることが出来ました。 たか,どう感じたか,その後どのような考え方や行動 旅行に関しては,ヨーロッパに留学することの最大 をするようになったかということを考えながら,自分 の利点の一つだと思います。飛行機のチケットが日本 についてじっくり向き合うことが出来たということが に比べかなり安いため,多くの国を訪れることが出来 自分にとって重要だったと思います。交換留学という ました。その際,私にはドイツ,スペイン,アイルラ 特殊な状況が,全てを自分のために投資する時間を与 ンド,フランス,ベルギーに留学仲間や友人がいたた えてくれました。意外にもそういった影響を与えてく め,彼らを訪ねながら観光をしました。観光名所を自 れたのは異国の人だけでなく日本人だったということ ら訪ね歩くよりも,こうした観光の方が現地のことを もあります。様々な文化的や精神的問題にあたり,解 より深く知れる上にスムーズに移動が済みさらに友人 決しようとする中で自分の個性や性格を再認識するこ 25 とが出来,以前よりも自分を理解し自信が持てるよう がかかると,入りたい寮にも入れない,安い飛行機の になったと思います。留学から帰ってきて,日本にい チケットが取れない,最悪の場合大学開始に間に合わ た友人に 「変わってないね」 と言われることがあります ないことも考えられます。 が,それはむしろ自分の良いところではないかと思っ <留学中> ています。 前にも書きましたが,JMU では寮は一般の学生と住 み,授業も正規生と同じ授業に受けることができます。 小林 庸介(教育学部学校教育教員養成課程) 授業に関しては,基本的に留学生専用という授業は なく,正規生の授業に混ざる形になります。中には実 留学期間:2010 年 9 月∼ 2011 年 5 月 質上留学生しかとらない授業があり,その授業を通し 留学目的:英語教員になるための英語力強化と異文化 て他の国から来た留学生とも友だちになれました。取 体験 私が留学した一番の目的は将来英語教員になるため れる授業の数自体はあまり多くなく,多くの人が3 ∼ 5 クラスを取っていました。授業はビジネスと言語,法 の自信を得るためでした。 「自分の英語はネイティブに 学がほとんどですが,興味のある授業を個人的に担当 通じるのか?」 と疑問を持っていては子どもに英語を教 教員に交渉して聴講していた人もいました。 えることはできない。そう思ったからです。その点で 一般的な寮の形態はフラット式といい,五つの個室 いえば私の留学は大成功でした。一年間 Liverpool John と共通のリビングキッチンが合わさって一つのフラッ Moores University(JMU)の留学をやりきったという トを作っています。ルームシェアではないので個人の 自信は確かなものです。留学をしなくても英語力は プライバシーが守られていて,話したくなったらリビ 伸びますが,留学をしなければ得られないものがあ ングにいけばフラットメイトが誰かはいるのでとても ります。 すごしやすい寮でした。あと,部屋に机や暖房など基 <留学前> 本的な家具や家電も大抵そろっています。ただ,当た 留学の目的は人それぞれでそれぞれに合った留学先 り前ですが,良い寮はすぐに埋まってしまうので早め があります。留学前には 「自分は留学をして本当に何 に良い寮を見つけて予約をしなければいけません。私 がしたいのか」を考えました。留学目的によっては派 の住んでいた Europa という寮はとても人気で,大学が 遣留学が向いた人,語学留学の方がいい人があると思 始まる半年前にはもう予約で埋まってしまうほどでし います。選択はいくらでもあります。 た。しかし,いくらインターネット上で満室でも JMU 私の留学目的は, 自分が中学校英語教員になるため, の Accommodation office に交渉したら実はまだ空き 英語力向上と英語文化を体験することでした。JMU があるという不思議なこともありました。 は英国文化を体験するのに適した留学先でした。寮は <終わりに> 一般の学生と同じ寮に住み,正規生と同じ授業が受け 大学 1 年生のころから留学を志し,夢であった留学 ることができ,さらに Japanese Society という日本語 を経験して, 「やっぱり留学して良かった」 と思います。 を勉強している学生が集まるサークルがあり毎週木曜 いくら最近は情報機器が発達して海外が身近になった 日にパーティーを開いたり土曜日はサッカーをしたり と言われても,やはり百聞は一見にしかず。実際に肌 と, イギリス人と交流する場には苦労しませんでした。 で体験して,困難にぶつかり,それを乗り越えること しかし, 学校には留学生向けの英語の授業が全くなく, は留学しなければわからないことだと思います。そし 英語力向上に関してはすべて自分でやらなければいけ てそれは大きな自信になります。 なかったのが実状でした。 「語学留学をした方がもっ もし,少しでも留学をしたいと思っていたら是非 と英語が上手くなったんだろうな」と思ったことは正 チャレンジして欲しいと思います。 直あります。しかし,JMU に留学しても Liverpool に は私立の語学学校が大学から徒歩 3 分の場所にあるの で,そこにダブルスクールするのもありでしょう。ま 26 長田 太洋(人間社会学域学校教育学類) た他の協定校から来ていた日本人で授業が始まる 1 か 留学をするために必要な準備は様々ありますが,と 月前にイギリスへ行き語学学校に通って留学準備をし くに私が大切だと感じたものを以下にいくつか紹介し ている人もいました。そのためには 1 か月早く寮へ入 ていこうと思います。ひとつは留学生との交流につい らなければいけないのですが,寮との交渉次第でなん て,もう一つは留学先への持ち物についてです。 とかなることがあります。 ひとつめは,海外の方との交流です。留学を志す多 さて,派遣留学の学内選考に合格し受け入れ許可が くの人は海外の方との関わりをなにかしらの形で持っ JMU から来たら,すぐに VISA を取りましょう。イ ギリスの VISA はなぜかマニラで手続きをしているた 留学生のいる授業を通して,海外の方と関わることが ていたりします。金沢大学でいえば,国際交流会館や めか取得までに非常に時間がかかります。しかも書類 出来ます。しかし,私は留学するまでは,金沢大学の に不備がある場合はもちろん再提出となり余計に時間 留学生など海外の方と関わる機会はまったくありませ K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y んでした。なんとなく気おくれする部分もあり,交流 もの,あると便利なものなどを聞いて,スーツケ−ス を持とうとしなかったのです。留学をする前から積極 に詰めていくことをお勧めします。 的に留学生との交流をしておいた方がよかったなと 留学は大変な苦労もありますが,それ以上に得るも 思ったのは,留学が決まってからでした。そのように のがあることは確かです。留学を志す後輩たちに,私 思った理由の一つは,言葉です。どこの言語圏に留学 の報告がすこしでも役に立ってくれれば幸いです。 するにしろ,留学をする前からその言語を使う準備は 必要になってきます。その言語を使う能力を留学生と 過ごすことで伸ばせます。最初のうちは当然上手く話 松見 理香(教育学研究科) すことはできません。しかし,それでもいいのです。 私がイギリスへの留学を決心した大きな理由は, 「自 日本に来ている留学生も,日本語を学ぶ必要がありま 分を変えたい」 という思いからでした。私の夢は, ずっ すし,日本語交じりの会話でも何も心配することはあ と昔から変わらず,英語教師になることでした。しか りません。自分は相手から学び,相手も自分から日本 し,英語を話すことに戸惑いや恐れを感じてしまい, 語を学ぶのですから,自分が日本語しかできないとし 英語を聞くときにも 「ちゃんと聞きとらなきゃ」 と極度 ても,お互いにとって不利益のあるもでは決してない に緊張して構えてしまう癖が大学に入ってからもどう のです。しかし,留学先に行ってからはそうも言って しても拭い去れず,そのコンプレックスはどんどん大 いられません。なかには片言の言葉を一生懸命理解し きくなるばかりでした。生徒たちに 「間違いを恐れず ようとしてくれる方もいますが,多 くの人は現地の言 に積極的に英語を話してみよう」と言わねばならない 葉だけを話し,日本語など知らないわけですから,自 立場になるのに,自分がこれではいけないと思い,親 分が必死になってコミュニケーションをとる姿勢が求 に頭を下げて, 留学に行かせてもらうことにしました。 められます。ある程度,日本語交じりの外国語の会話 留学先をイギリスにしたのは, British English を聞き でコミュニケーションをとれるようになっていない 取るのが特に苦手だったのでそれを克服したかったの と,留学先で外国語だけのコミュニケーションをとろ と,イギリスの文化に興味があったからです。 うとするときに大変苦労します。積極的に留学生と関 現地に行く前の準備として大切だと思うのは,やは わって,会話することをおすすめします。 り情報収集だと思います。 私は幸運なことに, リバプー 留学生と関わることで得られるものはまだまだあり ルから金沢大学に来ている交換留学生と仲良くなるこ ます。情報もそのひとつです。例えば留学先のアパー とができ,彼女からいろんな情報をもらいました。ビ トを探す際に,その大学から来た留学生に聞けば安い ザの書類・大学への願書の添削やアパート探しなども ものを見つけることができます。私は留学生に全く手 協力してもらい,本当に助けられました。私がイギリ 伝ってもらわなかったので,部屋を探すのに大変苦労 スに行くのと同時期に,彼女も現地に戻ったので,空 をしましたが,同じ大学に留学する友人は,留学生の 港に迎えに来てもらったり,住む場所が落ち着くまで 助けでスムーズに部屋を見つけていました。他にも留 トラブルの対処のためにしばらく一緒に住んでくれた 学先での授業のことであったり,食べ物のことであっ りと,異国の地に来て不安なときに本当に心強かった たり,さまざまな事をきいておけば,間違いなく留学 のを覚えています。ですから,留学先の留学生と親し の準備に役立ちます。 くなっておくことを心からお勧めします。もし,留学 準備の ときに苦労するもののもう一つは持ち物で 生と親しくなる機会がない場合は, Facebook を通し す。一体なにをもっていけばよいのか,なかなか想像 て,現地に留学している日本人学生やイギリス人学生 がつきません。結果,私の荷物の多くは衣服になって と連絡を取って,情報を集めや人脈を作っておくのも しまいました。それでも,どれほどの量を持っていけ よいと思います。私は留学する直前に Facebook の存 ばよいのかもよく分かっていませんでした。そこで, 在を知ってアカウントを作ったのですが,留学中もみ 一番良い手段はその国へ留学経験のある先輩に話を聞 んな Facebook を中心に連絡を取り合っていたので, くことです。実際私は,服はそれほど持って行かなく 絶対に有効活用すべきだと思います。 てもよかったなと留学してから感じました。 なぜなら, また,留学前にしておくこととして最も大切だと思 現地で非常に安い値段で服が売っていたからです。そ うのは, 明確で具体的な目標を設定することです。私は, のことを留学前に知っていたのなら,それほど多くの 日本を発つ前に,留学中のスケジュールと To do リスト 服を持っていくこともしなかったでしょう。逆に,日 & To want to do リストを作りました。 「現地でやらなけ 本では安く買えるもので,現地では高いものや,日本 ればならないと明らかに分かっていること」 , 「できれ の方が質の良いものなどを聞いて,それを持って行く ば現地で挑戦したい,やってみたいこと」 , 「帰国後の と良いです。個人的には,文房具 (特に消しゴム) は日 ことを考えて逆算すると現地でも準備しておかねばな 本のものが大変使いやすいと思います。やはり,自分 らないこと」 などの項目に分けて,だいたいどの時期ま の使いなれたものは現地で購入するよりも,持って でに何をやるかをなるべく具体的に設定してスケ いった方がよいでしょう。他にも日本でしか買えない ジュールを作り,それを担当教官や両親,友達に配り 27 28 ました。ここで,私が設定したものをいくつか挙げた おける英語教育の現状を比較しながらディスカッショ いと思います。私が,リバプール・ジョン・モアズ大 ンを通して教授法を考えたりしました。また,課題と 学で成し遂げたい一番の目標は, 『TESOL Special して,大学と提携している語学学校を見学して授業分 Project』という year long の授業で研究論文を書きあ 析する,ある特定の環境の子供たちに英語を教える際 げることでした。この大学に留学経験のある学生さん の指導案を作るなど, かなり高度で辛いものでしたが, たちにいろいろ話を聞いていて最も興味を持ち,絶対 将来英語教員を目指す私にとっては本当に有意義な内 に履修したいと思ったのがこの授業でした。英語教育 容で,挑戦して本当によかったと思っています。現地 に関して自分で研究したいテーマを決めて,まずは中 で受講する授業の質やレベルは,留学生活を有意義に 間発表として (もちろん英語で) プレゼンテーションを 過ごすための大きな要因になると思います。 みなさん, し,最後には 8000 字以上のエッセイを書く,という 発つ前に TOEFL などで語学力を磨いていかれると思 もの。私は,金沢大学での修士論文のための研究テー いますが,現地に着いてからも気を抜かず,極力良い マをこの授業でのテーマと関連付けて,研究内容を深 成績を取る気持ちで語学力テストに臨まれた方がよい めたいという思いが強くあったので,日本にいるとき かと思います。 から研究を進めたり,資料を現地にもっていったりな 授業の履修についてですが,一般的に開講されてい どの準備もして臨みました。経験者の方々から耳が痛 ない授業でも,直談判すれば受講させてくれるものも くなるほど,この授業は大変だと聞いていたので, 「ど あるので,どんな授業があるか前もって下調べするこ の時期までにこの授業のための論文を何本読む」か, とと,積極性が必要です。先ほどから何度か述べてい それと並行して, 「修士論文の第何章で述べる分析の る 『TESOL Special Project』も,私が行った年から一 尺度・指標をこの時期までに設定し終える」などのよ 般開講されなくなったようでしたが,先生に直接メー り具体的な目標を設定しました。また,自分の英語力 ルして,何とかOKをもらいました。他にも,語学力 をチェックするために 「TOEIC を受験する」ことも, テストで見合う成績がとれなかった授業でも,先生に 目標のうちの一つでした。実現できたのは,留学生活 直接お願いして強い意志を示せば,履修を承諾してく 後半にロンドンで受けた 1 度だけでしたが,その結果 れることもあるようです。 から留学前から上がっていない能力を意識して残りの 生活面についてですが,私がお勧めしたいのは,現 期間生活することができました。もっと細かいことで 地で日本語コースを取っている 1 年生と個人的に仲良 言えば, 「少なくとも週に 1, 2 回はネイティブと 2 人 くなることです。 Japanese Society というサークルが だけで語る機会を持つ」 , 「現地でも語彙や発音,文法 あって,日本語を学んでいる人や日本に興味のある人 などの個人勉強を地道にやる」 , 「異文化理解のために たちと交流することはできるのですが,すでに日本語 2 か国は海外旅行に行く」などが挙げられます。目標 を学んでいる現地の学生は日本語を話したがります を設定して留学に臨むのとそうでないのとでは,おそ し,パーティーなど大勢で絡むときはネイティブの英 らく現地での過ごし方に雲泥の差が出てくるのではな 語についていけないなど,意外と自分が英語を話す時 いでしょうか。どう過ごしたいか,何を成し遂げて終 間がなかなか確保できません。日本語コースの 1 年生 えたいか,をしっかり考えて明確にしてから留学に臨 と親しくなれば,彼らは 「これから一生懸命日本語を まれることが大事だと思います。 勉強しなければならないけど, まだ日本語が話せない」 現地に着いて,授業を履修する際に知っておくべき という状況なので,会話を通して日本語を教えてあげる だと思ったことは,最初のオリエンテーションで全員 にしても,こちらは英語を中心に使わなければなりませ が受ける語学力テストの重要性です。私は,経験者の んから,かなり Speaking の練習になります。私は,金 方から,この語学力テストの結果で履修できる授業の 沢大学でいうチューターのように,週に数回定期的に会 レベルが決まると聞いていたのですが,それを知らな う日程を決め,そういった1年生との関係をとても有効 い留学生はたくさんいたのではないかなと思います。 に利用させてもらいました。2人で話すと,会話の内容 あまり気にせず受講させてくれる先生もいましたが, も個人的な深い話題になるので話も盛り上がり継続し 『 TESOL Special Project』はこのテストである程度の やすく,英語の勉強にもなります。少々利己主義のよう レベルまで取れないと受けさせてもらえないようでし に思えるかもしれませんが,それくらいがっついて英語 た。また,Master 用に開講されている授業についても, を話す機会を確保しないと,英語なしでも意外とあっと 語学力テストである程度以上取れれば,単位取得なし いう間に留学生活は過ぎていってしまいます。 でなら留学生にも受けさせてくれるということでし また,留学生活の中で 「挑戦する勇気」 を忘れないで た。その中の, 『Methodology and Syllabus Design』 ほしいなと思います。私が挑戦してよかったと思うこ という,英語を母語としない人に英語を教えるための とは,現地のヨガ教室に通ったことです。知り合いの 教授法や授業案の立て方を学ぶ授業に参加させてもら イギリス人が友人の中だけで個人的に開いているレッ いました。私を入れて受講生 4 名の少人数授業で,各 スンに思い切って参加してみたことをきっかけに,そ 受講生の出身国が異なっていたので,それぞれの国に の知り合いが通っている一般のヨガ教室にも一緒に通 K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y うようになり,いつの間にかヨガは私の留学生活を支 れた両親のおかげです。感謝してもしつくせません える存在になっていました。レッスンを通して英語を が…本当にありがとうございました。 学べるだけでなく,大学以外の人たちとコミュニ ティーを作れますし,普段のストレスや運動不足が一 気に解決できました。これは,留学生活通して最後ま 松本 晃輔(人間社会環境研究科) で継続できたことのうちの一つとして,自信にもなっ 私はイギリス,リバプール・ジョン・モアズ大学 (以 ています。紹介してくれた友人に大変感謝ですが,挑 下 LJMU)に 5 か月間留学しました。リバプールの町 戦して本当によかったと思います。もう一つ,挑戦し は,地理的にはイングランドの北西部,マージー川の てよかったと思ったのが, 「東日本大震災のチャリ 河口にあり,この地域を代表する都市のひとつです。 ティー活動」です。 Japanese Society のメンバーを中 フットボールが有名で,Liverpool FC と Everton FC 心に,現地の人たちは日本の危機に予想以上の関心を のイングランド・プレミアリーグを代表するフット 抱いてくれました。みんなで募金のためのポスターを ボールクラブがあります。また,ザ・ビートルズの生 作って町中に張ったり,週末は街に出向いて募金活動 誕の地としても名高い街です。 をしたりしました。一番大きな活動として, 「Karaoke LJMU は小さな大学で,キャンパスはかつて修道院 Night」と称してイベントを開き,入場料を全て赤十字 でした。学生は留学生も多く,また正規生の多くもイ に寄付するというものも企画しました。イベントの中 ギリス以外の出身の方も多く,様々なバックグラウン で行うゲームやビンゴの景品は全てリバプール中の店 ドを持った人が集まる国際的な大学でした。私の取っ から寄付してもらったもので,それもメンバーが街を ていた授業のほとんどで,クラスの中にいる人のほと 回って必死に集めたものでした。イベント中は,みん んどがそれぞれ違う国出身であり,そういった刺激的 な日本のアニメのキャラクターや日本に纏わる衣装を な環境の中で,英語という一つのツールを使い一つの 着て参加者を迎えました。他の国のことなのに,自分 学問を勉強を勉強しているという,大変貴重な体験を たちのことのように一生懸命になってくれる現地の仲 させてもらいました。 間たち,イベントに参加してくれた人たち,お金を寄 LJMU には Student Union と呼ばれる日本でいう生 付してくれるときに温かい言葉をかけてくれる一般の 協のような施設があり,その建物の中には売店とパブ 人たち,この活動を通して,ありとあらゆることが心 が設置され,授業の間の生徒たちの憩いの場として利 に響き,国を越えた人のつながりと愛情を強く感じま 用されていました。 私も授業の間に友人とパブに行き, した。また,こういった活動を通して人々の日本への よくビールを飲みながら歓談しました。 関心やイギリス,他の国の文化に触れることで,自分 授業についてですが,私は一学期に 4 科目,週に 9 の国にことももっと知りたい,知らねばならないと思 時間授業を取りました。授業で感じたのは,セミナー うようにもなりました。 式の授業が多く,生徒が授業に積極的に参加できる環 長くなりましたが,最後に。全く後悔することなし 境であったことです。常に先生は,生徒に対して質問 に留学生活を終えることは,ほとんど不可能だと思い するようにし,またグループ学習を行うことで生徒間 ます。ですが,いかに後悔少なく,より充実したもの で意見を言い合うといった授業スタイルは生徒の積極 にするかは,そ れぞれの 「強い意志」 にかかっていると 性を喚起するもので,日本での授業ではあまり発言を 思います。正直に言うと,私も消極的になったり,自 しない私にとってはいい経験でした。一番印象に残っ 分に甘くなったりすることは多々ありました。予想だ て い る 授 業 は, TESOL プ ロ グ ラ ム の 一 環 で あ る にしないことや誘惑がある中で,いかに自分が設定し LINGUISTICS の授業です。この授業は本来は留学生 た目標とにらめっこして,自分に強くいられるかが, は取ることができないのですが,特別に取らせていた 鍵となってくると思います。自分個人で地道にやる勉 だきました。3 時間連続の授業で,さらに僕を含めて 強とネイティブと話して活用することとのバランス, 4 人しか受講生がいないため,英語がおぼつかない私 授業の課題に傾ける質と海外旅行での新たな刺激を得 にとっては過酷な環境でしたが,先生の援助もあり日 ることにバランス, 「やるべきこととやりたいことの 本で学んだ言語学の知識も生かして授業になんとか付 バランス」を保つのは,いかに自分を強く持ち,自分 いて行ったことはいい経験になりました。 の基準に従って常々の行動を判断できるかだと思いま 生活全般についてですが,私は学生用の寮をすべて す。なんだかすごく偉そうなことを言ってしまって恐 断られたため,友人の紹介で一軒家の一室を借りてい 縮ですが,めったに得られない貴重な留学生活です, ました。住人は学生 5 人と社会人 1 人で,国籍別では これから留学を考えておられるみなさんに,なるべく 日本人 2 人,フェロー人,スペイン人,アイルランド ベストな方法で終えてほしいなと思います。私がこん 人,ポーランド人という大変国際的な状況でした。皆 な貴重な機会を得られたのも,留学をあきらめそうに 違うバックグラウンドを持つこともあってか,なるべ なった際に背中を押してくださった留学生センターの くお互いのことを理解して生活していこうという気持 先生方,担当教員の先生,また,経済的に援助してく ちを持っており,仲良く楽しく暮らすことができまし 29 た。ボヤ騒ぎ,突然の停電,ボイラーの故障,など日々 者はキッカリ定時に仕事を切り上げパブやバーで一日 起こる問題を協力して解決していったことは他の人で の疲れを癒します。学生もオンとオフの切り替えが明 は味わえないことだったと思います。またそれぞれの 確で,遊ぶ時は遊び,勉強する時は勉強する,と行動 友達を呼んで,盛大にパーティーをしたりしました。 にメリハリがあります。 名前もよく分からない人たちと飲んで,歌って,踊っ 私はここシェフィールド大学で約 10 ヶ月の留学生 ていた時が,一番楽しかったことかも知れません。 活を送ることとなります。 治安については,あまり良くなかったかもしれませ まず語りたいのは,私の浅薄な留学志望動機です。 ん。女の子はなるべく家まで送っていくようにしてい 私の夢は僭越ながら英語の教師。海外の文化を五感 ました。最低限の警戒さえしておけば,それほど気に を以て経験し,各地の景勝や遺産を参観することで見 することはないと思います。 識を広め,また副次的に生活や学業を通じて語学力を 留学してよかったことは,やはり,様々な人たちが 向上させるために留学を決心しました。ゆえに 4 年次 一つのところに集まって勉強なり,パーティーなりす には通年で教育実習に参加する必要があったため,ま るという日本ではできない経験ができたということで た留年せずに 4 年間で卒業することを希望したため, す。また,やろうと思えば何でもできるという気持ち 当初は 3 年後期のみのつもりで渡英しました。 を身につけられたことも,留学もメリットの一つだと しかし半年は矢の如く過ぎ去り,私は迷いました。 思います。授業がすべて終わった後に,ヨーロッパを このまま帰国していいのだろうかと。 一人で旅行したのですが,様々なところに行き様々な 私は,半年留学→帰国直後には教育実習参加→教員 人と出 会い,助けられ,なんとか無事に帰ってこれた 採用試験受験→卒業論文執筆→卒業→晴れて教員に, ことは今の自信に繋がっています。 というサクセスストーリーを思い描いていました。 最後に皆さんへのアドバイスですが,留学したら, しかし多くの人と会話を重ねるうちに,語学力以前 興味があることは何でもやって欲しいと思います。実 の,思考力と知識の欠如を改めて思い知らされまし 際にできる環境というのが向こうには揃っています た。いくら単語や文法を網羅しようと,それをツール し,私もやりたいことは大体しました。留学中は,失 として発信・伝達するための素材が無ければ意味が無 敗を恐れずに,ぜひ何でも挑戦してみてください。 いと,在日本時よりもさらに痛烈に感じるようになり ました。 シェフィールド大学 〈イギリス〉 海津 祐太(人間社会学域国際学類) 30 そこで,このまま帰国しても,知識を拡充する時間 も確保できないばかりか,教壇に立つ自信も無いまま 社会の荒波に飛び込むことになってしまうと逡巡した ため,最終的に,多方面に頭を下げ理解と協力を請い, 国際学類の海津と申します。私は約 10 ヶ月間,イ 卒業も教育実習も一年延期する決断を下しました。 ギリスはシェフィールドに在するシェフィールド大学 こうして,もう半年,勉学に邁進し,文化を経験し, に留学しました。本稿では,留学先及び周辺諸国の地 視野を広げる時間を手に入れたわけです。こう言うと 理的・文化的側面,並びに,そこでの私の生活を字数 聞こえがいいですが,要は遊び足りなかったのです。 の許す限り詳述し,留学の魅力を少しでもお伝えでき 以下より,残りの半年をいかに過ごしたかについて ればと思います。 触れたいと思います。 なお,渡航前の準備などにつきましては, 『国際学 留学延長を決心したのが 2 月のこと,それまで住ん 類渡航ブログ』なるサイトで既に詳説したため,ここ でいた寮を追い出され,ホームレスになり友人宅に転 では割愛させていただきました。お手数ですがそちら がり込み新生活がようやくスタートするかと思われた をご参照ください。 矢先の 3 月,日本で東日本大震災が発生しました。た 私の留学先シェフィールドはイングランド北部に位 だパソコンの前でなす術も無く,家族や友人の安否を 置し,四季はあるものの,夏でもやや肌寒く,しかし 確認し,インターネット上で錯綜する情報を収集する 緯度が高いため日照時間は長く 22 時を回ってもまだ だけの現状に嫌気がさしました。 空が明るいこともしばしばあります。冬は当然厳寒な 翌日から,他大学から留学に来ていた日本人留学生 るも降雪量は我が故郷新潟には敵いません。そして驚 とともに募金活動を始め,一日だけで日本円にして くべきは 「霧のロンドン」 の名に恥じない一年を通じた 10 万円も募ることができました。しかし,現地の友 曇りや雨の多さ。ロンドンからはバスで 4 時間も離れ 人から,大学や市の許可を取らなければ縄を掛けられ ているのですが。しかし金沢の気候に順応していれば てしまうとの警告を受け,Save Japan なるボランティ 問題はありません。シェフィールドはもともと工業都 ア団体を組織し,募金活動を中心に日本への支援活動 市ですが,現在ではシェフィールド大学を中心に発展 を行うことになりました。人種を問わず日本の惨状を するような学園都市で,町中に移民や海外からの留学 憂える人々が参加してくれ,シェフィールド大学から 生が溢れています。残業という概念はないのか,労働 の後方支援を受けることもでました。 K A N A Z A W A U N I V E R S しかし惨害の記憶も風化していくもの。イギリスに になれば幸甚に存じます。 おける地震報道が原発問題にシフトしていくにつれ, ご清覧ありがとうございました。 I T Y 人々の関心も薄まり,街頭でギターを弾いたり歌った りするも, 募金活動の成果は下火になっていきました。 金森 由衣(人間社会学域国際学類) そこで,募金を募るだけでは募金者にとっての利益 が無い,との考えから,書道や折り紙,伝統的な遊び 中学生の時からずっと憧れていた留学。私がその長 など,日本の文化を体験するイベントを開催し,参加 年の夢を叶える場所に選んだのが,イングランド北部 費として募金を請うという手法に変え,活動を継続し に位置するシェフィールド大学でした。 ました。 留学を終えて,乗り込んだ 364 日前とは逆方向に 私の留学の後半はボランティア活動一色でした。他 進む空港行きの電車の中。当初は聞き取れなかったの のメンバーは学業がある, しかし私は休学中なので暇。 にいつしか自分も話していた周囲の人が話す訛りのあ そのような強迫観念から,市や大学との交渉,活動の る英語や,車窓から見えるレンガの家,ヨークシャー 企画や管理などは引き受けざるを得ませんでした。し の丘に放たれた羊 かし,組織や活動の運営という労苦も,今となっては たちに感慨深い気 貴重な経験です。 持ちでお別れを告 しかし,私も全ての時間をお国のために捧げたわけ げながら,思いま ではありません。 した。 「シェフィー 最後に,私が訪れた地方や国々の魅力を伝えたいと ルドに留学してよ 思います。 かった」 。 イギリスにおいてだけでも, 風光明媚な湖水地方, ビー ここでは私がそ トルズ誕生の地リヴァプール,中世の雰囲気が漂うコッ う思うために大切 ツウォルズなど, 各地に名所が散在しています。春には, だった目的設定に ノルウェーでオーロラを観測することもできました。空 ついて,またシェ にゆらめく光のカーテンは今も鮮明に心に残っていま フィールド大学の す。モロッコの人々は商売上手で,日本人と判るや否や 特徴についてお話 「ビンボープライス」 と叫んで商品を突きつけてきます。 しようと思います。 他にも,フランスの名だたる美術館,ドイツやチェコ, 1,軸となる目的設定 オーストリアのクリスマスマーケット,ギリシアの青と 経験者が言う,行くと視野が広がり,自分を見つめ 白の世界,イタリアの歴史的遺産など,枚挙に暇があり なおすことが出来,成長が出来るという 「留学」 。誰も ません。言葉や写真では語りつくせない魅力に溢れてい が思う 「行った方がいい」 その留学に具体的な目的をつ るので,ぜひ留学に行かれる方は休暇を利用して,実際 けることはとても大切です。それは自分に合った留学 にその目で確かめていただきたいです。 先を選ぶための,そして決して楽しいことばかりでな 海外への留学生が減少し,学生の内向性が指摘され い留学をやりぬくための軸となるからです。留学を経 る昨今。確かに,わざわざ巨額の資金を投じて海外に 験した今,その軸の持つ力を再認識しています。 出ずとも,日本でできることは多いし,むしろ在日本 私にとって留学は経験です。授業や本から得る知識 の方が効率的かもしれなません。それでも,やはりメ では得られないものを学ぶ。それが留学をする目的で ディアを介した海外に関する知見よりも,実体験に基 した。例えば①将来のため身につけたい学問的知識を づく経験の方が貴重であると私は信じています。現地 講義,ディスカッションを通して学ぶ。②異文化との の人々の話を聴いたり,海外から日本を客観的に再考 接触を通して異文化コミュニケーションを身につけ, したりすることで,今一度日本のポジションや優劣を 広い視野で物事を考えられるようになる。③自分のア 再認識することができます。 イデンティティを外から見つめなおし,自身について 留学に伴う弊害も否めませんが,それでも学生のう の理解も深める。④それらの手段として英語を上達さ ちにしかできない経験として,私は後輩諸氏には強く せる,といった目的です。 留学をオススメしたいです。 しかし,言ってしまえばこの目的は,英語圏で,取 しかし留学に行かれる方にお忘れいただきなくない りたい授業がある大学に留学すれば 「ある程度」 達成さ のは,留学は決して目的ではなく手段に過ぎず,いか れてしまうものなのです。このあいまいな目的だけ にその経験を活かし帰国後の行動につなげることが大 で,一生に一度の自分の夢をある程度の達成に終わら 切だということです。 せたくなかった。もっと具体的な目的を持ちたかった 留学を終えて完全燃焼することなく,ぜひその後も のです。 モチベーションを維持していただきたいです。 そのためにまず,当初選んでいた 3 つの協定校につ 愚稿ではありますが,留学を目指される方々の一助 いて, 大学案内,インターネットから見つけた情報, 31 先輩からのお話を元に徹底的に調べました。そうす 取得したシェフィールド大学の功績にも見られるよ ると,留学すると,ではなく, 「その大学に」 留学する う,他にも充実した学生生活を送る環境が整えられて と何が得られるのかが具体的に分かり,各大学で得 いました。 られるもの違いをはっきりと分類することが出来ま また, シェフィールドに暮らすということについて。 した。 住民の多くが学生というシェフィールドの町は比較的 例えば,私にとって選択の決め手となったシェ 物価が安く,治安がいいところでした。金沢と同じく フィールド大学に留学しないと得られないと思ったも (50p) らいの町の規模,大学までのバスは片道 70 円 の,それは ①研究課題である欧州連合について授業 で数分おきにくるという交通の便の良さに加え,隣接 を受け実際にそこに住むことから得る学び ②副専攻 する国立公園を例とする緑の多いその町での暮らし の日本語教育に活かされる,欧州一の東アジア学部へ は,とても住みやすいものでした。 欧州中から集まる生徒との交流から得る日本,日本語 そしてこれはヨーロッパに共通して言えることです への理解 ③欧州最大の規模を持つ学生組合が提供す が,その国内外の旅行のしやすさはとてもプラスにな る充実した学生生活のためのサポート ④多くの学外 ると思います。留学生活の中で 4 カ月以上あった休暇。 にある活動の場での学び ⑤出身地である広島にゆか 安く,簡単に移動が出来るヨーロッパでは,休暇中に りのあるシェフィールドの町に住むことから得る自身 は各国の友達の家を訪れ文化の違いを家庭で感じた についての学び,でした。 り,多くの歴史的遺産を見たり,ドイツのNGOを訪 これらは自分にとってより意味のある成長を留学で得 問したりと,休暇中にも多くの貴重な経験を通した学 るための,そして困難の多い留学中逃げだしそうになっ びがありました。 た時に自身を鼓舞するための軸となる 「シェフィール このように様々な魅力的な特徴のあるシェフィール ド大学に留学する具体的な目的」となり,わたしの留 ド大学ですが,ここで思い出してもらいたいのは,こ 学生活を実りの多いものにしてくれました。 れらがあくまで私の価値観で見つけた充実した留学を 2,私が見つけたシェフィールド大学にあるチャンス 送るためのチャンスだということです。何をチャンス 次に,みなさんが具体的な目的を設定するときの参 とするかはあなたの留学目的次第,そしてそのチャン 考にしていただけるように,私が実感したシェフィー スを活かし,そこから学びを得るかどうかはあなたの ルド大学へ留学すると得られるチャンスという観点か 留学中の行動次第です。 ら,授業,学生組合,快適で安全な生活,ヨーロッパ 感謝と応援の気持ちを込めて 旅行について書きたいと思います。 最後になりましたが, 「シェフィールド大学に留学 まず始めに,質のいい授業が幅広く選択できるとい してよかった」と思えるようなかけがえのない経験を うことについて。シェフィールド大学に留学するとほ 得られたのは,家族や先生方,先輩や仲間,そして金 とんどの授業を現地の学生と同様に受けることが出来 沢大学とシェフィールド大学の交換留学制度を支えて ます。もちろん,留学条件に必要な大学が定めた くださっている各大学の方々のお陰です。温かくて心 TOEFL iBT 80 点の基準だけでなく,学部によって 強いサポートと励ましを,本当にありがとうございま は課されるそれ以上の基準をクリアするという前提が した。 あってのものです (学期開始前のサマーコースに参加 そしてこれから留学を目指される方へ,今度は私がみ すると不足分の点数を補うチャンスがあります) 。学 なさんのサポーターの一人として,お役に立てれば幸い 部によりますが,基本的には学部,学年をまたいだ受 です。私に出来ることがありましたら,気軽に連絡をし 講が出来ます。その授業の質はとても高く,例えば私 てください。応援しています。 GOOD LUCK!! が受けていた政治学部はオックスフォードに次ぐレベ ルだと言われていました。 について。 次に, 学生組合 (Student Union:ユニオン) ネヴァダ大学リノ校 ユニオンは大学と独立した,学生の要望を大学に伝え 山田 由唯(人間社会学域国際学類) る際の懸け橋となる機関です。シェフィールド大学の ユニオンの働きはヨーロッパでトップの評価をうけた 32 〈アメリカ〉 私は,2010 年 8 月から 2011 年 5 月までアメリカ こともあり,その充実したサポートは有名です。例え ネヴァダ州ネヴァダ大学リノ校に留学しました。ネ ば,留学生のみならず現地の学生も受けることが出来 ヴァダ大学は 2010 年から留学提携校となりました。 るメンター(金沢大学でいうチューター) 制度や,24 金沢大学から初めての派遣留学生として,準備の段階 時間開いている各机にパソコンがついた 7 階建ての図 からたくさんの困難がありましたが,今思えば,苦労 書館があります。また,頻繁にあるイベントや,所属 したことも含め,非常に充実した留学を経験すること の何百ものサークル,ボランティアグループは,活動 が出来ました。 のきっかけや友達を作るきっかけにつながります。こ 留学準備では,先に留学していた先輩がいなかった のユニオンの働きによって,学生の満足度国内 1 位を ため,大学やネヴァダに関する情報が何もありません K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y でした。もちろんネヴァダに知り合いも誰一人として を含め,たくさんの人と出会ううちに,国籍に関係な いませんでした。大学を選ぶときは,今まで誰も行っ く,ここでの出会いをもっと大切にしようと思い始め たことのない大学へ一番に行きたいという期待と好奇 ました。新しい出会いを拒むことは,そこから得られ 心でネヴァダへ行くことを志望したので,実際に,準 るチャンスを逃してしまうということに気がついたか 備を始めてみると,あまりに情報が少なすぎて,一体 らです。実際,現地で出会った日本人の友達とともに 何から始めればいいのかと途方に暮れるばかりでし 様々な経験をすることができました。特に,留学中に た。先方の大学からの受け入れ許可書と一緒に届いた 起きた震災後は,日本人の学生と日本に興味のある現 留学のガイドブックを隅から隅まで読み,やらなけれ 地の学生が一体となって学生団体を立ち上げ,募金活 ばならないことをリストにして,出来ることから順番 動を通して共に活動するという非常に貴重な経験がで にやっていきました。一番大変だったのは,住居探し きました。日本語から離れ英語に没頭するという点で でした。通常留学生は,大学の寮に住むことが出来る は,達成に至りませんでしたが,リノという小さなコ のですが,いろいろ調べてみると,いくつかある寮の ミュニティで国籍に関係なくたくさんの人と出会うこ うちで,キッチンがついているのはたった一つで,そ とができました。 の他の寮に住む学生は,付属する学食で食事しなけれ この経験で私が伝えたいのは,留学は準備の段階か ばならないことがわかりました。寮費も通常のアパー らすでに始まっているということ,そしてたくさんの トの家賃と比べてみると,キッチンもなくルームシェ 人との出会いが留学を豊かにしてくれるということで アになるにもかかわらず,少し高め になっていること す。住居に関し て言えば,そのまま何もせずにキッチ もわかりました。とはいえ,知らない土地で一般の人 ンのない寮に住むことも出来ました。今ある現状に流 と同様に部屋を借りるのは不安だったので,まずは大 されることは,安全で簡単のように見えます,しかし, 学の寮を管理している人にメールを送り,なんとか そのような人は何も得ることは出来ません,辛い経験 キッチンのついた寮に住めないかと交渉しました。何 も,楽しい経験も,です。こうしたい!という思いを 度かメールでやり取りをしましたが,結局その寮は学 貫くこと,そのために行動を起こすこと,この二つは, 生に人気ですぐに埋まってしまっているので無理だと 留学中でもっとも必要となる能力である。と今だから 言われてしまいました。それでもどうしてもキッチン 言えます。自分がここに何をしにきたのか,そのこと のある家に住みたかったので,現地のルームメイト募 を常に心に持っていれば,充実した留学生活を送れる 集の掲示板を片っ端から読み,グーグルアースで場所 と思います。 照らし合わせたりしながら,良さそうな条件の物件の 管理人にメールを送りました。最終的に,そのうちの 一人から返信が届き,その人の家は男の子ばかりが住 ニューヨーク州立大学バッファロー校 んでいるので無理だが,その人の友人で女の子だけを 〈アメリカ〉 砂坂 敏貴(人間社会学域国際学類) 集めてルームシェアをしている人を知っていると言わ れ,無事その人の家に住ませてもらうことが決まりま 2010 年 8 月から 2011 年 5 月まで,アメリカ合衆 した。たくさんの偶然が重なって,知り合えたその人 国のニューヨーク州バッファローにある,ニューヨー こそが私のネヴァダ の初めての知り合いとなり,その ク州立大学バッファロー校に交換留学生として留学し 後リノで, 私にとってのお母さん的存在となりました。 ていました。約 10 ヶ月間の留学生活の間に多くの事 大学に関して,一つ伝えておきたいのが,リノの日 を学びました。留学するというのは大きな決断ですの 本人コミュニティについてです。ネヴァダ大学は,日 で,不安を感じていらっしゃる方も少なからずいると 本の留学斡旋学校と提携しており,毎年 20 人ほどの 思います。ここでは出発までの準備,留学生活の事な 日本人が正規の学生としてネヴァダ大学に留学してい どを簡単ですが紹介しますので,少しでも役に立てれ ます。そのため,キャンパス内には,そこら中に日本 人がおり,中には 4,5 年リノに滞在している学生も ば幸いです。 「準備」 います。同時に, 日本語の授業も多く開講されており, まずは簡単に留学準備についてです。実は,私は今 日本語を学びたい現地の学生と,クラブやイベントを 回の留学で初めて海外に行きました。海外どころか飛 通して関わる機会も多くあります。日本人が多いこと 行機にも乗った事が無かったので必要な準備に対する を,長所として利用するか,短所とするかは,その人 知識は皆無でした。こんな私でもなんとか留学に行け 次第です。いくら日本人が多いといっても,一般学生 たので皆さんも不安を感じる必要は無いと思います。 用授業では,ほとんどが現地の学生であり,自分から 最低限必要な事は TOEFL 受験,パスポート・VISA 積極的になれば,現地の友達はたくさんできます。私 取得,飛行機の予約,留学先での住居の確保です。こ は,留学当初,あまり日本人と関わらないようにして れら諸々の手続きも,向こうの大学の担当の方との連 いました。わざわざアメリカまで来て,日本人と仲良 絡も全て自分でやらなければいけず,かなりの労力を くする必要はないと思ったからです。しかし,日本人 使います。私はこういった手続きを 「まだ時間がある 33 からいいや」と後回しにして,後々かなり苦労したの 辛かったです) 。色々なクラブもあるので,興味のあ で,何事も早めに手をつける事をおすすめします。特 るものはどんどん参加しましょう。 に酷かったのは向こうの大学の方との連絡です。バッ ファロー校は大学の寮があるのでそこの deposit を先 「アドバイス」 「留学」 と一言に言っても,どんな体験をするのかは に払ったのですが,それから一切大学から連絡が来ま 本当に人それぞれです。同じ場所に行っても本当に心 せん。 一度その事を金沢大学の学務に報告し, 私のメー から楽しめる人もいれば,退屈に感じる人もいると思 ルアドレスをバッファローの担当者に再度確認しても います。 なので周りを気にせず, 自分の留学生活を送っ らったのですが,それでもバッファローからの連絡が て欲しいと思います。1 つだけアドバイスをすると, 来ません。結果を言うと,普通は寮の希望などをこち 「行動する」 という事です。留学先の生活では大学が何 らで言えるのですが,私の場合は勝手に寮が決まって かをサポートしてくれるという事は無く,自分で行動 おり,その住所を知ったのは出発の日の朝でした。今 しなければ何も始まりません。私はやろうかどうか迷 でこそこうやって紹介できますが,もしかしたら住む い,やらなくて今でも後悔している事はたくさんあり ところがわからずアメリカに着いていきなりどこにい ますが,やって後悔した事はありません。何か目標を けばいいかわからないという状況になっていたかもし 達成する事が目標ならば,行動しない時点で既に失敗 れないと考えるとぞっとします。手続きをする際,人 なので,やりたいと思ったらやりましょう。私が出来 にもよりますが,私の経験ではほとんどの人はいいか なかった事ですので,皆さんはこれを実践して実りの げんです。重要な事ですので,注意を払い手続きをす ある留学生活を送って欲しいと思います。 すめましょう。 「生活」 University at Buffalo(以下 UB)はノースキャンパ スとサウスキャンパスに分かれており,ほとんどの授 業はノースキャンパスの方であります。ノース・サウ ス間も UB のバスが走っており,20 ∼ 30 分ほどで行 き来出来ます (歩くと遠いので相当大変だと思いま す) 。バッファローの都市自体は治安の良い町ですが, サウスキャンパス方面,ダウンタウン方面に行くにつ れて悪くなります。夜中の一人歩きや人気のない場所 へ行くのは避けるべきです。と言っても私はサウス キャンパスの寮 (先ほども述べたように勝手に決まり) に住んでいましたが,危険な目にあったことはありま せんでした。日本と違い歩いているとお金をくれと言 34 増田 玲子(人間社会学域国際学類) われたりもしますが,上手く受け流しましょう。授業 1,大学の環境と生活 は好きに選択できるので自分の興味のあるものを受講 SUNY(State University of New York) でも最も大 すれば良いと思います。僕の場合は TOEFL のスコア きいバッファロー校は多くの学部があり,キャンパス が足りなかったので ESL の授業や,音楽の授業など は北と南に分かれている。国外からの学生も積極的に を取っていました。学期は秋 (8 ∼ 12 月) ・春 (1 ∼ 5 受け入れており,アメリカ国内だけでなく世界から集 月)の二学期に分かれており,秋学期は自分でもモチ まった学生と学ぶことができる。キャンパスを歩いて ベーションを高く保ち続けられたと思うのですが,春 いると英語以外の言語は当たり前のように聞こえてく 学期になると選択した授業があまり面白くなかった事 る。また国別の Student Association もありアメリカ や,生活に慣れてきた事もあってモチベーションが低 にいながらインターナショナルな環境がある。生活環 下したと感じました。それを回避するためにも,様々 境として寮はキャンパス内に完備されており,スター な種類の授業があるので,本当に興味のあるものを選 バックスなど飲食店も多くある。留学生は基本的には んで欲しいと思います。バッファローはナイアガラの 寮に入ることになり,クラス以外にも寮での友達を作 滝にとても近く,気軽にカナダに行く事が出来ます。 ることができて,日本ではなかなかできない生活体験 トロントには何度も行きました。冬はとても寒さが厳 ができる。ただ生活用品 (布団,冷蔵庫,キッチン用 しく,マイナス 20 度を超えた日も何度もありました。 品などなど)は一切ないので自分で買う必要がありそ バッファロー自体は田舎ですが,休暇中には行こうと れをそろえるまでに苦労が多く不便なことも多い。 思えばどこにでも旅行に行けるので,是非行きたいと 北と南のキャンパス間でのバスは十分あり,週末に ころに行きましょう。私は冬休みの間はアメリカを回 はモールやスーパなどに行くシャトルバスを運営して り,グランドキャニオンや西海岸の方にも行きました いる。また南キャンパスからは公共のバスがあり,そ (西海岸は暖かいのでバッファローに戻ってくるのが こから遠くに行くことも可能である。しかし基本的に K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y アメリカは車社会なので,車がないと行動範囲が限ら スマスを過ごし,その後ドイツに留学している友達に れて不便な面も多い。車を持っている友達がいるだけ 会いにヨーロッパに行ったのでまだましでした。 (で でも行動範囲が一気に広くなりモールに行けたりもで も反対を言えばそんな楽しみ方もあるのです!)なの きる。 で行く前には予想していなかったハプニングや問題は 2,勉強・授業について 山のようにあります。それともう一つお金がかかるの 留学生のオフィスに行くといつでも色々な相談に は教科書です。アメリカの教科書は高いものが多いで 乗ってくれる。また英語を母国語としない学生のため すし,ないと授業についていけません。そこでお勧め の授業が充実しているので,レポートなどのサポート なのは教科書をインターネットで借りることです。 や writing center や chat room がある。また希望する Chegg.com を私は使っていました。アメリカではレ 学生にはチューターをつけることもできる。留学生は ンタルのテキストでもある程度は書き込みもできるの 基本的に Fall Semester で 2 コマの ESL 授業を取る必 でレンタルでもそんなに不便はありません。 要がある。これは英語でのレポートの書き方など基本 色々とありましたが今となってはいい思い出であり 的なことを学べるため, ほかに取る授業にも役に立つ。 いい経験でした。勉強もそうですが,友達と過ごした また International Student と友達になれるいいチャン 日々は本当に特別であり,友達がいなければ私は死ん スでもある。アメリカ国内だけでなく世界からの学生 でいたでしょう。それぐらい日本にいた友達にも,同 が在籍する学校なので先生も留学生には理解があると じ時期に留学していた友達にも,アメリカでできた友 感じる。大学内には無線でのインターネットがどこで 達にも,そして家族にも支えられました。そして日本 も利用可能であり,北キャンパスには 3 つの図書館が を離れて気付いたことや再確認できたことも多くあり ある。また 24 時間利用可能な図書館もありいつでも ました。 勉強できる。 留学を夢に目標にしているひとも多いと思います。 よく言われているのが 「アメリカの大学は入るのは 無理かも知れないと思っている人もいるかもしれませ 簡単だけど,卒業は難しい。 」 そしてアメリカの大学生 ん。行動を起こす勇気を持ってください。私であれば はよく勉強すると多く聞くこともあるようにすごく勉 可能な範囲でお手伝いします。困難なことも多いです 強量がおおい。授業までに読まなければいけない資料 が,留学が決まってからの方が大変です。そして留学 は大量で,英語にハンディがある留学生にはこの予備 先に行ってからがもっともっと大変ですが行く価値は 知識がないと授業についていくことはさらに困難なも 十分にあると思います。なのでぜひあきらめずチャレ のとなってしまう。授業は日本の大学よりもより具体 ンジし続けてください。 的なものがあり,科目も充実している。バッファロー 校は総合大学であり自分の好きな授業をとることがで きる。うまくいかないときは学部の管理をしているオ フィスに相談するとよい。 3,感想などなど 留学は準備も含め想像以上に大変なものです。留学 ニューヨーク州立大学ニューポルツ校 〈アメリカ〉 兒玉 浩平(人間社会学域学校教育学類) 留学前 (志望動機/事前準備) 先が決まってから向こうの大学と連絡を取り,ビザや 私が留学を目指したのは,英語を話せる英語教員に チケットをとるなどやることは多いです。またアメリ なりたいという思いからでした。みなさんは英語を話 カに渡っても大変なことは続きます。生活環境は整っ せない先生の授業を受けたいでしょうか?答えは No てはいないし,勉強は大変,友達もなかなかできない。 ですよね。2013 年 4 月から英語の授業は原則英語で それを超えると嬉しいことも楽しいことも多くありま おこなうという方針が立てられ,いっそう英語を話せ した。ちょっとした友達との出来事や買い物,料理を る教師が求められているというのも私を留学へ後押し 一緒に作るなど。そして渡航前から思っていた 「どう しました。そうすると必然的に英語圏の国に絞って考 して留学をしたいと思ったのか?」と言う目標をつら えていたのですが,日本ではアメリカ英語で教えられ い時には思い出すとまたがんばれるかも知れません。 ているので,それならアメリカだ,とまずは考えまし みんなが一番気になるのはお金のことかもしれませ た。 (今思えばそれは安直な考えで,英語教師になる ん。実際私が思ったよりもお金がかかりました。授業 にはアメリカでなければならないなんてことは決して 料はかかりませんが,なにかとお金を払わなければい ありません)次にアメリカといっても,金沢大学の提 けませんでした。また寮費には食費は含まれていませ 携校にはアメリカ内でもたくさんの大学があって悩ん ん。料理一つするのも冷蔵庫も食器もキッチン用具も だのですが, 最終的にニューポルツ校を志望しました。 自分でそろえなければいけないので大変です。ちなみ 他の大学と比べても,ニューポルツ校には世界各国か に私は友達とお金を出し合ってシェアしていました。 らたくさんの留学生が集まっているというのが魅力的 また寮は長期休みになるとお金を別に払わなければい で,幼少期から世界中の友達をたくさんつくるという けません。私は高校留学時代のホームスティ先でクリ 夢を持っていたので,ニューポルツ校へ留学すれば叶 35 えられると思いました。実際たくさんの留学生と仲良 学習面について くなり,今でも連絡を続けています。それに加えて, 留学生は,いくつかの授業や学部を除くほとんど全 学科の先輩や同期からニューポルツ校の情報をたくさ ての授業を履修することができます。私は,教育学部 ん得ていた事も大きかったです。他の大学に比べ,具 系の授業を受講しようとしたのですが履修することが 体的なイメージを持つことができたので留学前から親 できなかったので,その代わりに英語学やコミュニ 近感はありました。 ケーションの授業を中心に履修しました。小テストや 留学を目指している人たちにとって, TOEFL の点 レポートが毎週出される授業や,プレゼンを発表した 数を伸ばすことは最優先事項でとても大事なことで り,ディスカッション形式で進めたりする授業など す。しかし 「TOEFL の点数が高い大学≠自分に合っ 様々でしたが,基本的にどの授業でも学生の積極性が た大学」ということは理解してほしいです。当たり前 求められます。一般の学生と交じって授業を聞くだけ の事ですが,国によって文化や考え,大学によっては でも大変なのに,意見を出し合うグループワークや 特色や環境面など, それぞれ違う特徴を持っています。 ディスカッションはさらに大変で苦しいこともありま ニューポルツ校はビジネス,芸術,教育に特化してい した。ただ留学生に対して先生方はとても親切で,オ る大学で,そういった面でも教育学類に所属する私に フィスアワーの時に先生に質問や相談をしに行けば必 合った大学でした。これから留学を目指す人には, ず面倒を見てくれます。授業によってはチューターも TOEFL の点数を上げることと並行して,少しでも多 いて,授業の解説や,レポートの添削を手伝ってくれ くの交換留学経験者の話を聞いて情報を集め,自分の ます。授業が大変だと思ったら,積極的にそれらを活 留学する動機に合った大学を見つけてほしいです。留 用すべきだと思います。履修した言語学の授業の教授 学することが目的なのではなく,留学してから何をし にガイダンスで, 「一般の学生でも難しい授業だよ」 と たいのかを常にイメージしながら事前準備をすると, 言われたのですが, 授業の最終日に, 「よく頑張ったね」 自分が留学したい大学も見えてくるし,留学もより実 と言われた 時は本当に嬉しかったです。未知の授業か りあるものになると思います。 つ英語ということで,委縮して自分の履修したい授業 生活・環境面について ではなく楽な方向に逃げてしまいがちですが,がむ ニューポルツ校はニューヨーク州にありますが,マ しゃらにやれば先生方も丁寧に面倒見てくれるので大 ンハッタンからバス (往復 35 ドル) で 1 時間 30 分ほど 丈夫です。 離れた郊外に位置していて,自然に溢れて落ち着いた 終わりに 環境です。日帰りでマンハッタンに足を運ぶのも十分 私はニューポルツ校に留学し,本当に充実した日々 可能で,私も週末によく遊びに行きました。ニューポ を過ごすことができました。勉強も遊びも両立したい ルツは田舎町でしたが,キャンパスを離れてすぐの場 なら,ニューポルツ校を強くおすすめします。ただ 1 所にレストランやお店が数多くあり,生活用品を買い つ言いたいのは,留学が有意義になるもならないも自 揃えるのに全く苦労はありません。バーもたくさんあ 分次第だということです。受け身の姿勢で待っていて り,週末には多くの学生が飲みに出かけます。治安は も何も始まりません。新たなことに踏み出すのは勇気 良く,私が留学中に何か犯罪があったというのは聞か もいるし,特に始めのうちはストレスも感じますが, なかったですが,最低限女性の夜の一人歩きは避けた 積極的にイベントでもクラブ活動でも興味のあること 方がいいと思います。 には参加すると良いと思います。自分の行動範囲も広 私は大学内にある学生寮に住んでいま した。どの がるし,最終的にたくさんの友達との出会いやつなが 寮も 2 人 1 部屋というのは変わりませんが,寮によっ りを持つことができます。私の報告書を読んで少しで ては共同部屋があって,その部屋に二人一部屋のタ もニューポルツ校への関心を持つ方が増えると嬉しい イプの部屋が 4 つあるという形のものもあります。私 ですし,もしニューポルツ校について詳しく知りたい はそのタイプの寮に住んでいて,前期にイギリス人, 方がいればいつでも連絡お待ちしております。 後期にフランス人の留学生とルームシェアをしまし た。幸いなことに,ルームメートとは仲が良く楽し い時間を共有することができましたが,実際にルー 36 松本ジャスティス聖義(人間社会学域国際学類) ムメートとの間でトラブルがあった友達もいます。入 What's up guys? この冊子を手にしている留学を希 寮時に部屋を選ぶことはできませんが,オフィスに相 望するみなさん,こんにちは。私も大学二年生の頃, 談すれば後に寮を変更することも可能なので心配な この冊子を手に留学を考えていましたが,まさか本当 いと思います。プライバシーが欲しいという方は下 に自分が留学できるとは思っていませんでした。先輩 宿することも可能ですが,寮での暮らしは様々な人と 方の十人十色の体験談を眺めながら,もしも留学でき の交流ができ楽しいですし,語学が上達する一番の機 たら,どんな経験ができるのだろう,と胸を踊らせて 会だったと振り返ってみると強く思うのでおすすめし いたのを思い出します。実際に留学先で経験したこと ます。 は,日本における留学生との交流とはまるで別物の, K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y 想像を超えたものでした。できたらいいなぁ,と考え ておくと会話が弾むと思います。他に後悔といえば留 ているそこのあなた !! ぜひ挑戦してみてください。 学中の出費の見積もりが甘かったことぐらいでしょう やった後悔よりやらない後悔とはよく言ったもので か。寮が閉まる冬休みをどう過ごすかは早めに見通し す。この冊子を手にした以上,決断できないまま望ま を立てましょう。私はメキシコに三週間ほど滞在した な い 日 常 に 埋 も れ る わ け に は い か な い で し ょ う。 のですが,リゾート地で羽目を外したことで思った以 ちょっと言い過ぎかもしれませんが,僕がここまで発 上に出費がかさみました。難もあるでしょうが,それ 破をかけるのは, 『早めの決断』と 『モチベーションを も含めて留学なのであとはそれぞれ自分で味わいつつ 高め続けること』が一番大事だと考えるからです。初 乗り越えましょう。 めはぼんやりとしか留学を考えていなかった私です 長くなりましたがここでニューヨーク州立大学ニュー が,たまたま斉木先生の留学準備のクラスを取らせて ポルツ校の紹介に入りたいと思います。資料ではわか 頂いたことで,帰国した先輩の発表を聞いたり,質問 りづらい雰囲気などに触れていきたいと思います。こ をしたりする機会を得て,益々留学したいという思い の大学はニューヨーク州に位置しており,マンハッタ が強くなりました。それからはできるだけこのモチ ンからバスで片道 90 分の距離ですが,シティの摩天 ベーションを維持できるようにと,派遣留学説明会に 楼とはかけ離れた田舎にあります。規模は金沢大学程 参加したり,タフツ大学から先生を招いての集中講義 度ですが,際限なく開発される杜の里とは異なり,昔 に参加したりしました。とにかく目標をはっきりさせ ながらの姿が保たれていて,美しい自然に囲まれたコ て情報収集に励むことです。留学を終えた先輩も今で ミュニティを大事にする風土があります。ですから小 はうじゃうじゃいますし,そこらへんじゅうに転がっ さいながらも雰囲気が良いお店がたくさんあり,散歩 ている機会を貪欲に利用すればいいと思います。もじ に飽きることがありませんでした。しかしニューヨー もじしていると, 『もっと早く TOEFL その他の検定 ク州かつ移民が作った街ということもあり,学生の 受けとけば良かったぁ。 』と後悔することになります。 バックグラウンドは多様で留学生の数もどこより多 続いて派遣留学をこの夏に控えたそこのあなた !! 様々 いのではないかと思います。現に私も世界 20 ヶ国 な書類の提出に追われることになります。締め切りま を超える友人ができましたが,学校の留学生センター でに間に合わそうとか思っていると留学に行けなくな がよくイベントを催してくれたおかげだと思いま りかねません。というのも書類は基本的に個人で処理 す。オフィスの人たちがとても協力的だったのが印 しなければならないうえ,外国語で書かれていて,さ 象に残っています。仲良くなったスペイン人留学生ら らには発行・送付・受け取りにもとても時間がかかり にスペイン語を習ったり,カナダやマイアミに旅行し ます。締め切りではなく,提出受付の初日を意識して たり,フランス人も交えてポーカーに明けくれたり, 行動するようにしましょう。私はわりとギリギリで大 ブラジル・アルゼンチンの学生の企画でサッカーをし 変な思いをしました。また,受け入れが決まると多少 たりするうえで,アメリカにいながら一度に色んな文 気が緩むかもしれませんが, すぐに引き締めて下さい。 化圏の人と触れあえたのが私にとって一番大きかった 出発直前まで学業および語学力を伸ばす努力を怠らな と思います。また,日本人学生も一定数いましたが, いで欲しいと思います。正直なところ,私は気を緩め それぞれ個性的でモチベーションが高く,自分も頑張 過ぎて前期の授 業をほぼうわの空で過ごしたのです らなくてはと思わされることがたくさんありました。 が, 帰国してから取る授業が増える羽目になりました。 11 月にボストンで開かれたキャリアフォーラムに一 また,英文を読むこと,YouTube などで英語の音声・ 緒に参加した際には情報交換を図り,色んなアドバ 番組に慣れておくことができたなぁと後悔しました。 イスを受け,有意義なものにすることができました。 あとはヒットソングも予習しとけばよかったと,クラ 他にもここには挙げられないくらいプログラムに参 ブに行った時に言語だけを学習対象としてきたことを 加したり旅行に行ったりしましたが,向こうの学生 思い知らされました。 余裕があれば芸能・映画もかじっ は勉強に対するモチベーションがとても高く,授業 について行くのが大変でした。私は前期に ESL を 2 つ取ったのですが,習うよりは慣れろといったもの で正直なところ取らなくてよかったと思いました。と いうのも後期の取りたい授業の履修条件となる授業を 取り損ねていたと気づいた時はとても後悔したからで す。通年でせいぜい 10 個前後しか履修できないので, 計画をよく練って,臆さずやりたいことに挑戦してほ しいと思います。デスクトップ完備で 24 時間勉強で きる環境があるので,エナジードリンク片手に頑張 りましょう !! テストが終わればパーティーが待って います。私にとって留学は視野を広げ,日本および自 37 分を見つめ直す素晴らしい機会となりました。苦楽を よいのかという不安もありました。しかし今思えば, 共にした仲間に出会えたことは一生の財産となると思 日々の中で私が日本についてアウトプットした分, います。最後になりますが,留学を支えていただいた もしくはそれ以上に,みんなからも英語やアメリカ文 先生方,留学生センターの方々,友達,家族への感謝 化についてたくさん教えてもらい,本当の意味での の言葉で締めくくりたいと思います。本当にありがと 異文化交流ができたのではないかと思います。何より うございました。 もあんなにも熱心に日本に興味を抱いてくれている学 生がいることを体感し,皆で自分の文化を分かち合え タフツ大学 〈アメリカ〉 北村 希(人間社会学域国際学類) 私は 2010 年 9 月から 2011 年 5 月末まで,アメリ たことがとても嬉しかったです。アメリカの典型的な パーティー後の明け方にお腹がすいたからと皆で納豆 ご飯をかきこんだ時はさすがにふき出しました。 (笑) このように他の誰にもできない貴重な体験をさせても らったことに大変感謝しています。 カのタフツ大学に留学していました。タフツに特徴 的なこととして,日本でタフツ大学と提携のある大 学は未だ金沢大学のみなので,学部での日本人は私た ち金大からの留学生か正規学生ということになりま す。日本人の少ないこの環境はもちろん魅力的です が,それゆえ留学生専用のクラスや言語コースは開 講されておらず,正規学生となんら区別されることな く授業に放り込まれます。そのため私も学習面では大 変苦労し,その分たくさん成長もできたのではない かと思います。私の年は,異例的に金大から 3 人も派 遣留学させていただきました。ということで他の 2 人と内容もかぶりそうなので、今回は私が個人的に 体験したことを中心に,お話しさせていただこうと 38 〔大学院の授業受講〕 思います。 私は春学期に,タフツの学部ではなくフレッチャー 【J ハウス】 スクールという大学院の中の授業を取りました。タフ 3 人それぞれ別々の寮に振り分けられましたが,私 ツの大学院の中でも有名なのが法と外交を専門とする は J ハウス (Japan House)というところに他 9 名の仲 フレッチャースクールで,これまでに多くの外交官を 間と住ませていただきました。J ハウスには日本語を 世界に輩出しています。国際関係を学びたい方に注意 学んでいる学生やいわゆるバイリンガルの日系アメ してもらいたいのは,タフツは国際関係の研究に強い リカ人の子達が住んでおり,皆の私物ですが,炊飯器 と言われていますがそれはこのフレッチャースクール やお箸やお茶碗,日本のテレビゲームまでもが揃って からきているもので,実際学部の中の授業には国際関 いました。皆日本に興味を持っている子ばかりなので 係の授業はあまりないということです。ただ学部生で 始めからたくさん話しかけてくれ,御蔭ですぐに馴 も希望者は院の授業も取れるシステムを取っていま 染むことができました。バスで 10 分ほどの所に日本 す。私も国際関係をタフツで学びたいと思っていたの 食スーパーがあったので,そこでみんなでよく食材を で,学部にあまり授業がないと知った時少しがっかり 買い,作り方や調味料について教えてあげながらさま しました。現地の学生にも厳しい大学院の授業を日本 ざまな日本料理を作りました。また日本のアニメやド からの留学生ごときが取っても意味がないだろうし畏 ラマを暇さえあれば皆で鑑賞したものです。英語の れ多すぎるなと思いつつも,自分の本当に興味のある 字幕付きで日本のアニメやドラマを見るのはとても 授業があったことと,せっかくタフツに来たのだか 新鮮で面白かったです。もちろん日本語や日本につい ら…やらない後悔よりやった後悔!と いう気持ちか ての疑問を常にぶつけられる毎日で,普段当り前のこ ら院の授業受講を決意するに至りました。私の取った とすぎて考えたこともないようなことを聞かれうまく “IR between the US and East Asia” という授業は幸い 答えられなかったり,日本語の文法をうまく英語で説 フレッチャーではあまり厳しくない方の授業だったよ 明できなかったりと (普段の会話はほぼ英語でした) 歯 うで,なんとか課題は全てこなすことができました。 がゆい思いをすることが多々ありました。そのたびに ただ 10 人程のクラスのメンバーは皆外交官や外務 自分の知識不足やつたない英語に対して悔しい思い 省,自衛隊から派遣されてきたような方々ばかりで, をしたものです。このように私の毎日はアメリカにい クラスでは常に圧倒されっぱなしでした。正直授業 ながらも “日本” で溢れていました。当初はせっかくア についてゆくのが精いっぱいで一度も発言はしてい メリカに来たのにこんなに日本や日本語に触れていて ませんしきちんと理解していなかったことばかりでし K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y た。ですが振り返れば授業からもクラスメイトから きることの幅を自ら狭めることのないよう,果敢に挑 も本当に多くのことを学べたと思います。学期末に 戦し続けてください! 日本のアニメと世界との関わりについてガチガチに なってプレゼンをした際,皆さんからよかったよと 辻 耕平(人間社会学域国際学類) いう言葉や質問など多くのフィードバックをいただ けてとても嬉しく,ほっとしたことは今でも鮮明に 覚えています。 〔クラブ活動∼ダンスチーム所属∼〕 2010 年の 9 月から 2011 年の 5 月半ばまで,僕は アメリカのタフツ大学に派遣され,留学生活を送らせ て頂きました。僕が留学を志すようになったきっかけ 課外活動として,私は大学の Sarabande という 20 は具体的には自分でも分かりませんが,昔から英語が 人程のダンスチームに所属していました。ずっとクラ 大好きだったこと,また昔から漠然と,もっと広い世 シックバレエを続けていて,アメリカでもダンスを続 界を見てみたい,もっとたくさんの人たちに会って話 けたいと漠然と思っていたところ,渡米して間もなく をしてみたいという思いがあったからだと思います。 Sarabande に出会い,幸いオーディションにも通して もしかしたらそういった願望は,僕が福井のド田舎の もらいメンバーになることができました。ちなみにア 山の上のごく小さな町で育ったことから生まれたもの メリカのクラブやサークルには入るためにほとんど なのかもしれません。そしてその留学先としてタフツ オーディションが課されており,驚きました。チーム 大学を選んだ理由には,ここが僕の専門である国際学 に入ってみると予想以上に本格的なダンスチームで, の権威であること,またそもそもそこの学生の勉学に 踊りを楽しむ以外にもダンサー仲間としてメンバーか 対する意識が非常に高いことなどが挙げられます。他 ら日々大変よい刺激をうけました。学期末の大きな にも,単にボストンという街が個人的に大好きであっ ショーに向けて毎週計 8 時間程練習し,振付,舞台構 たということもありました。歴史的な街並みは赤レン 成,客引きまで全て自分達でしました。本当に皆何か ガや緑が大変美しく,また,ロブスターやクラムチャ ら何までセンスがよく,いつも感心していたのを覚え ウダーに代表されるボストンの料理も絶品です。他に ています。そういった芸術感覚や美的感覚はいくら国 も,メジャーリーグやバスケット,アイスホッケーな 籍が違っても通ずるものがあるのだなと改めて実感し どスポーツ観戦もとても盛んで,さらには頻繁に開催 ました。ショー直前になるとキャンパス内の劇場に缶 されるクラシックコンサート (学生は格安で見ること 詰状態でしたが,またその忙しさが楽しかったもので ができます) や世界的に有名なボストン美術館 (学生は す。私にとって最後のショーでは,やはりこれが最後 無料です)も大変素晴らしいものです。8 ヶ月半を過 だと思うと涙がこみ上げてきてしまい,ラストの演目 ごした今も,ボストンは僕がアメリカで一番好きな街 の前に舞台袖で一人静かに泣きだしてしまいました。 です。そこでの留学生活の思い出について語りたいと それにメンバーが気付き,しまいには皆泣きだし思 ころですが,それはこのような場では到底語りつくせ いっきりハグをし合いました。メンバー全員で踊るラ ないので,ここでは今から留学に行かれるという皆さ ストの曲目で,皆で鼻水をすすりながら踊ったのは, ん,または留学に少しでも興味がある皆さんに,先に かけがえのない最高の思い出です。私にとってこの 留学を経験させて頂いた人間として伝えられることを Sarabande なしのタフツライフは考えられません。あ 書かせて頂きたいと思います。 の時オーディションにチャレンジして本当によかった 留学というものは人生の中でなかなかできない貴重 です。 〔留学を志している皆さんへ〕 な体験であり,実際留学を終えた今,僕は留学に興味 を持つ全ての人に留学に行って欲しいと素直に思いま 今こうして留学を振り返ってみると,自分は本当に す。ただ,留学で得られるものの大きさは人によって 刺激的な毎日を過ごし, かけがえのない人達に出会い, やはり違うと思います。僕 は,皆さんにその留学を最 素晴らしい経験をしたのだなと実感させられます。し 高のものにして頂き,できるだけ多くのものを得て かし同時に後悔も山ほどあります。私の場合,英語に 帰ってきて頂くために,2 点アドバイスをさせて頂き 自信がないのもありましたが,クラスで自分の意見を ます。 あまり言えなかったこと,日本について聞かれた時に まず 1 点目に,留学に興味を持った際に,留学を通 (天皇についてどう思うか ? など…)全く答えられな して自分は何をしたいのか,何を達成したいのか,と かったことなどがあります。これらは留学前の段階で いうことをできるだけ具体的に考え,明確化してほし の取り組み次第で変わったのではないかと思います。 いと思います。留学は人それぞれで全く異なるもので ですので皆さんには後悔のないよう語学プラス自分自 す。それは,それぞれが留学でやりたいことが違うか 身の準備にもしっかり取り組んでほしいです。今のう らです。 「とにかく英語だけは誰にも負けないくらい ちから,意識して何事にも疑問を抱き自分の意見を 上手く話せるようになりたい」 という人と, 「この大学 しっかり持ってみたり,日本についてもっと学んだり で僕はこの学問について研究して自分の専門性を深め しておいてほしいです。あとは留学が実現したら,で たいんだ」という人の留学は全く異なったものになる 39 と思います。私の場合は,昔から大好きであった英語 の瞬間から留学に向けて全力で勉強し,留学までにほ もペラペラになりたかったですし,国際学の勉強にも ぼその言語を完成させておくくらいの覚悟が必要だと 全力で励みたいと思っていました。さらには,海外に 思います。 その意味では, 行く前からもう留学は始まっ 住むせっかくの機会だから,留学中でしか行けないよ ているのかもしれません。 うなところにたくさん旅行したいとも思っていまし このように自分の経験から 2 点アドバイスをさせて た。僕には留学前このように複数の願望があり,その 頂きましたが,とにかく僕は,単純にできるだけ多く 中に明確な優先順位をつけられないまま留学に行って の人に留学に行って欲しいと思います。英語や学問な しまいました。 その結果, 留学中つらかった時期に, 「友 どの要素を差し引いても,例えば今の生活から離れて 達と遊んでばかりいては専門の勉強が十分にできな 海外に長い間住み,いろんな文化や価値観に触れなが い」 だとか 「毎日リーディングばかりしていても英語な ら,いろんなことについて一人で深く考えることだけ んか話せるようにならない」とかいったように葛藤に でも,それは間違いなく大変貴重な経験です。留学を 苦しみ,毎日どこに力や時間を注いでよいのかとても 終え半年が経った今,僕が思うのは, 「とにかく留学 迷いました。このような迷いは少なからず誰にでもあ に行って本当によかった」ということです。留学中に るかもしれませんが,そこで自分がブレないでがんば できた友達,そこでできた貴重な体験,忘れられない り続けるためにも, 「自分はこのために留学に来たん 旅,英語を通して多くの人と触れあうことのおもしろ だ」という信念を持って留学に挑んで頂けたらと思い さの発見など,その全てが僕にとっての一生の宝物で ます。そして留学を終えた時に,「これだけは誰にも す。今僕は,この経験で培ったものを活かし,これか 負けない」 というものをぜひ持って帰ってきて下さい。 ら自分の未来をどうやって歩んでいこうかと非常にワ 2 点目に,1 点目で挙げた自分の留学での目標を達 クワクしています。だから皆さんも留学に行って,そ 成するために,自分は事前に何を準備していくことが れぞれ最高の,一生モノの体験をしてきて下さい。 できるか,ということを考えて下さい。これは僕自身 最後に,この場を借りて,僕に留学のきっかけを下 が,留学に行く前に十分に準備をしなかったことから さった斉木先生,推薦状を書いて下さった小原先生, 留学を最大限に生かすことができなかったことを後悔 留学生センター,保健管理センターの方々,そして僕 しているからです。派遣留学は一見長そうですが,実 にこのような貴重な体験をさせて下さった全ての方々 際は非常に短く,時間はあっという間に過ぎていきま に感謝申し上げます。 本当にありがとうございました。 す。その 1 年未満という限られた短い時間の中で,自 分が何をしたいのか,何を身につけたいのか,そのた 山田 由起(人間社会学域国際学類) めに自分は事前に何をできるのか,これについて考え ることが絶対的に必要であると僕は思います。僕の場 40 私は 2010 年 9 月∼ 2011 年 5 月のちょうど 9 ヶ月 合は,もちろん留学を勝ち取るために TOEFL の勉強 間アメリカのマサチューセッツ州にあるタフツ大学に はしましたが,いったん留学が決まってしまうとどう 留学していました。大学に入学した当初から絶対に留 しても英語の勉強がおろそかになってしまいました。 学したい,というか漠然と絶対に海外に行くものなん また,専門を日本で十分に勉強できていなかったな, だと考えていました。英語力を伸ばすのはもちろん, ということも留学中に痛感しました。その結果,留学 アメリカという国を知ること,新しい環境に身をおい に行ってからがんばっても自分の英語の上達には時間 て自分を試すこと,変えることができたらと思ってい がかかり,専門の授業は全然分からず本当に苦労しま ました。 した。たしかに帰る頃には英語もある程度はできるよ <勉強面について> うになり,授業も自分の力でなんとか単位をとること 授業はビザ保持のために最低 3 単位必要です。私は ができましたが,その結果は自分が満足のいくもので 英語の授業 (非ネイティブ向け) ,アメリカの人種問題 はありませんでした。1 年生の頃に参加した派遣留学 や貧困問題を扱った社会学の授業,スペイン語,音楽 報告会で,僕は 「留学に行く前に英語でも専門の勉強 などを取っていました。授業は教科書の指定されたと でも自分ができる最大限の準備をしてほしい」という ころをあらかじめ読み,ディスカッションに臨むとい 言葉を先輩から頂きましたが,その時の僕には心のど うのが基本の形で,最終的な評価の方法はほとんど こかに 「まあ留学に行ってから必死にがんばれば英語 ペーパー(レポート)です。この点について実は私は も専門もなんとかなるだろう」という甘えがありまし 反省が多いです。まず,チューター制度を活かしきれ た。今,逆に留学を終えた立場となって,1 年生の頃 なかったこと。留学生にはタフツが一人ずつチュー に僕が先輩から頂いたこの言葉をそのままこれから留 ターをつけてくれます (おそらく大学院生) 。私は彼女 学する方々に送りたいと思います。留学という環境や と性格が合わず,数回会っただけで疎遠になってしま そのイメージにばかり頼っていては,例えばネイティ いました。結局ペーパーの添削は他の知り合いに見て ブのような言語能力を身につけることはなかなかでき もらっていましたが,早くにアドバイザーの先生 (日 ません。もし本当にその言語を習得したければ,今こ 本人)に申し出ていれば他のチューターに替えてもら K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y えたのでそうするべきでした。あともう一つの反省点 になり行けなくなる,なんてことがありました。ただ は, 積極的に教授に話しに行くべきだったということ。 コート類など必要なものはすべてアメリカでそろえる 恥ずかしながら私の提出したペーパーが意味不明で, ことができますので,そこは心配ないと思います。 教授に呼び出されることが多々ありました。その度に <おまけ失敗談> 一対一で面談して話すととても熱心に教えてくれまし 失敗としては,渡米前に日本でウェブ の授業登録を た。普段の授業から質問しに行っていれば,もっと理 済ませて行けなかった事です。他の国からの派遣留学 解が深まっていたのではと思います。 生はできていたのに私たちだけやっておらず,またお <課外活動,その他キャンパスでの生活について> 金の振込み (寮費や保険など) もまだだったせいか,タ 私は日本で吹奏楽をやっていたので,アメリカでも フツ ID カードも使えないという事態になりました。 楽器を活かしたいなと思いトランペットを持参しまし 結局親にすぐ振り込んでもらい数日で事は解決しまし た。吹奏楽のバンドに入り,一ヶ月に一回程度の演奏 たが,面倒な手続きでした。これからタフツに行く方 会に向けて週二回の練習に励みました。メンバーはみ はメールで向こうの学務の方ときちんと連絡を取り, んないい人たちで友達もたくさんできました。また春 日本でやるべき手続きをしていって下さい。 学期のみですがジャズバンドにも参加し,演奏旅行で もう一つは,携帯電話のことです。私たちは 3 人で 一週間ブルガリアに行きました。 ハードな旅でしたが, タフツに留学したのですが,なぜかプリペイド携帯を また違ったタイプの友達が増えとてもいい経験になり 買わずに 3 人でファミリープランに加入してしまいま ました。 した。毎月の料金はそこそこ安かったのですが,2 年 住環境ですが J-house には日本人留学生は一人しか 契約で解約料がかかるなど後々やっかいなことになり 住めないので,私は普通の寮に入りました。とても ました。他の留学生に聞くとやはり皆プリペイドだっ 大きな寮でしかも一人部屋だったので,案外一人暮ら たのでそれをおすすめします。 しと変わらず快適でした。一番の問題点はよく部屋に <最後に> 鍵を閉じ込めてしまうということくらいでしょうか。 以上のように,勉強面ではもちろんそれ以外でも何 オートロックで扉が閉まってしまうので,その度にポ かをするチャンスがたくさんあるのが,アメリカ,ボ リスを呼んだり合鍵を取りに行ったりして大変でし ストン,そしてタフツです。日本の大学では取れない た。トイレ,洗面所,シャワールームは共同,隣の ような授業を取って学べ,またキャンパスのあちこち 部屋には友達がいるということで寮でも友達と交流 で人種や国籍を超えた交流ができます。私はいろんな する機会はたくさんありました。週一でミーティン 活動を通じて,それぞれの場所で貴重な出会いや経験 グ(おしゃべりタイム) もありました。食事ですが,私 を得ることができました。これから留学に行く皆さん の住んでいた寮にはダイニングホールが併設されてい も,ぜひ色々なことにチャレンジして,その土地で “暮 たので食事はほぼそこでとるか,外食,またサンド らす”ということを楽しんで,濃密な一年間を過ごし イッチやブリートなどをテイクアウトしてきていま てください。 した。 <ボストンでの生活について> ボストンは本当にいい町です。歴史的な景観やお しゃれなストリートが大好きで,私はかなりの頻度で 出かけていました。大学からは最寄の駅までシャトル バスが出ており,そこからはバスでも地下鉄でも簡単 ウィリアム・アンド・メアリー大学 〈アメリカ〉 駒崎 正人(人間社会学域国際学類) 「XXX!」 「???...!!!!!」 (そのときはすぐにはその言 にボストンに行けます。 葉の意味がわからなかった。 ) アマゾンのジャングル タフツ学生はボストン美術館に無料で入れます。ま で現地の女の子にプロポーズされたあの日からもう 1 た, ボストン交響楽団の演奏も破格の値段で聴けます。 年が経とうとしています。思えばあれが留学中最も印 私はこの一年で何回も演奏会に行きました。 シャルル・ 象に残った出来事でした。留学しなければ,そしてそ デュトワ氏や,ジョン・ウィリアムズ氏などの演奏が の休暇中の行き先としてペルーを選び,チチカカ湖の 聴けたときは本当に感動しました。他には,アメリカ 近くである事件に遭わなければ自分の人生の中でその ではボランティアが簡単にできます。私も団体に登録 場所に行くことはなかったであろうことを考えると不 して暇な日に行っていました。主にホームレスや低所 思議な心持がします。 得者のためのシェルターで,ランチを配るボランティ 私は 2010 年 8 月から 2011 年 5 月までアメリカの アです。授業とも関連していたので,春学期からは週 ウィリアム&メアリー大学に留学していました。最初 に一度のペースで行っていました。 はこの大学には全く興味がありませんでした。2 年生 ちなみに,ボストンの冬は寒いです。私が行った年 の夏,派遣留学説明会で留学から帰ってきたばかりの は特別雪が多くて何度もスノーストームで授業が休講 先輩の話を聞いたのが意識するようになったきっかけ になったり,楽しみにしていた旅行のフライトが欠航 です。ハーバード大学に次ぐアメリカで 2 番目に古い 41 大学であること,アカデミックレベルも高いこと,小 は住みたいかどうかというメールが日本にいる時に来 規模な大学でありアットホームな雰囲気であること, て抽選か何かを通ったので住むことができました。 何より先輩がウィリアム&メアリー大学の話をすると 時々イベントが開かれ留学後半は寮,クラブ対抗の きに本当に楽しそうだったのがあのときの私を引き付 サッカーの試合に毎週参加していました。 けたのだと思います。 ・治安について 留学の目的 ウィリアム&メアリーがある街はすこぶる安全で 専門の勉強をアメリカのそれに適した大学で深める す。検問がある高級住宅街の中の教授の家を訪問した こと,それが留学の目的でした。国際関係学,特に環 際,この町にそんなものが何であるのかと他のクラス 境問題,途上国の開発問題を中心にアメリカの大学で 仲間と笑い飛ばしたものです。アメリカは危険という やってみたいと思ったのです。まあ根源的には留学し イメージを抱きがちですが安全なところもあるので他 てみたいという欲求があったのですが。留学中に感じ の国に飛びつく前に調べてみてください。 たのは 「楽しい」 だけではないのが留学なので具体的な ・クラブについて 「自分はこれがやりたい,できるようにしたい!」 とい 私は友達の多くを, クラブ活動を通して作りました。 う目標がモチベーションを保つうえで必要だというこ 留学前の皆さんの不安の中に留学先で友達はできるだ とです。 ろうかというものがあると思います。簡単にはできま 準備 せん。しかし,日本のサークル同様,クラブに入るの 留学選考前の準備は成績, TOEFL,留学先大学の は友達を作るための優れた手段だと思います。私はア 選択,情報収集,留学目的の精緻化などがありました。 ウトドアクラブで洞窟探検やカヤック,ロッククライ 1 年時の共通科目の成績が悪かったので 2 年次前期か ミング, ハイキング, キャンプ等やりました。 JCA(日 ら 専 門 科 目 を 熱 心 に 勉 強 し て 成 績 を 上 げ ま し た。 本文化クラブ,J-House というアジトがある) ,ボラ TOEFL に関しては 2 年生になる直前から勉強して 3 ンティアクラブ (募金集め,ホンジュラスへの Service か月で 80 点以上の点数を取りました。留学先大学を Trip 等),他にも色々と参加していました。 どこにするかはコツコツと情報収集していました。そ して,何のために留学したいのか自問自答し人にはっ きりと説明できるようにしたのです。こういった当た り前のことができていれば学内選考, 留学先での選考, ともに恐れるものは何もないと思います。 留学選考後の準備はビザ取得,健康診断,航空券購 入,保険加入,英語学習などがあります。ビザの取得 は少々面倒くさいですが面接の予約等あるのでもう少 し早めにするべきでした。健康診断にいたっては予防 注射が間に合わずアメリカに着いて早々ヘルスセン ターや病院に通う羽目になりました。面倒くさいから と後回しにしていたためです。保険は長期旅行,短期 授業 留学用の保険があるので加入しておいたほうがいいと 専門の授業はせっかくここまで来たのだから挑戦し 思います。何が起きるかわかりません。ペルーのチチ てやろうと自分のレベルより高い授業を積極的に受講 カカ湖付近でバックパックごと盗まれたときにそれを しました。レベルが高いというのは基礎的な 100, 実感しました。英語の勉強はもう言わずもがなですが 200 番台の授業に対して 300 番台,400 番台などの 書きます。TOEFL でも鍛えられますが不十分です。 上級生向けの授業のことです。秋学期には HIST181 必要な点が取れたらもっと多様な英語を聞くなりして African History to 1800,GOVT204 Introduction to I n t e r n a t i o n a l P o l i t i c s , G OV T 3 2 2 G l o b a l Environmental Governance,GOVT329 International Security と 4 つの専門の授業を取っていました。留学 多様な英語が話される留学生活に対応しやすくしてお くべきだったと思います。 留学生活 42 食事については,キャンパスに 3 つのカフェテリア 生は 12 単位以上取らなければならずだいたい 1 科目 があります。ブッフェ(バイキング)形式で個人的に が 3 単位であるため一学期に 4 つ程度取ることになり は味は結構好きでした。カロリーが高いものが多い ます。秋学期を終えて感じたのは挑戦するのはいいが のは否めませんがサラダバー等あるので栄養バラン 無理はしないほうがいいということです。留学生用の スを考えて運動をすればやっていけるはずです。 授業はないに等しく現地の学生と同じ授業を受けなく ・住について てはなりません。しかもウィリアム&メアリーはレベ キャンパス内の寮に住んでいました。Reves Hall と ルが高いだけあって現地の学生が苦しむほど勉強は厳 いう留学生とアメリカ人学生混在の寮です。この寮に しいです。そこで春学期はもう少し考えてきつくない K A N A Z A W A U N I V E R S I T Y スケジュールにしました。春学期に取った科目で特に は国際学類の国際社会コースに所属し,ゼミでは国際 興味深かったのは 4 年生用の環境社会学のセミナーで 関係論を学んでいます。国際の奴は英語ができるのだ す。まわりのレベルが高く最初は全くついていけず挫 ろう,とよく言って頂きます。しかし,果たしてそう 折を味わいました。それから工夫して勉強し最終プレ なのでしょうか。つまり,かつての私の様に英語など ゼンテーションで最高評価を取って周りのゼミ生を 悲惨なやつも国際にはいるのです。では,なぜそんな あっと言わせたのはいい思い出です。 英語に弱く,また入学当初はさして留学なぞに頭が向 他の分野は秋学期に Adventure Games という授業 いていなかった私がアメリカという,競争の激しい国 を受講しました。キャンパスにある大きな湖をワイ へ飛び込んだのでしょうか。 ヤーロープで横断したり,優に 10m 以上ある木に登っ それは一言でいえば,興味本位の,つまり珍しいも てバンジージャンプのようなことをしたり,ロックク の見たさの考えがあったからです。もっと格式ばった ライミング,懸垂下降などなど様々な愉快なことをす 言い方で言うなら,私は自分が学ぼうとしていた国際 る授業です。専門以外の科目を取るのは気分転換にと 関係論や国際政治という学問をもっと突き詰めて学び てもいいと思います。 たいと考えたからです。加えて,現在世界を引っ張っ 休暇 ていこうとする人たちがどの様に学び,また暮らして 厳しい勉強の合間に英気を養うために,また人生経 いるのかが気になり,実際に自分の目で見,体で感じ 験を積むためにも休暇をどのように消費するかという たいと思ったからです。 のは留学の大きなポイントです。現地の友人の家に泊 私がこのような考えに至たるまでには,金沢大学へ めてもらうのもよし,旅行するのもよいでしょう。私 の留学生との交流,英語の授業を担当していただいた の場合は友達の家に泊めてもらうことも何度かありま 諸先生方の薫陶,そして, TOEFL セミナーでの出会 したが大部分を旅に費やしました。Fall Break 10 月, いがありました。私は,2 年生の夏に大学の提供して 4 日ほど (サンフランシスコ,ヨセミテ国立公園) , いた TOEFL セミナーを受講しました。そこで,ゴー Thanksgiving Break 1 月,6 日ほど(ニューヨーク), Winter Break 12 月 ∼ 1 月,1 ヶ 月 ほ ど( ペ ル ー を バックパック旅行) ,Spring Break 3 月,7 日ほど (ホ シャ先生という方の下で TOEFL のノウハウを学びま ンジュラスにてボランティア) という具合です。 ことで,私はそれまで自分がおぼろげながら抱いてい した。しかし,TOEFL それ自体より私のその後に影 響を与えたのは,彼女の人となりでした。彼女と話す アドバイス た途轍もない夢を追ってみようという気になったので なぜ留学したいのかしっかり考える。準備を早め す。彼女の言った, “Catch the Star, Yoshi”という言 にする。留学経験者からなるべく話を聞く。他にも 葉に感化された私は,その後の派遣留学生の募集に応 いろいろありますが字数の都合上このくらいで。 募し,TOEFL に四苦八苦し,何とかアメリカはヴァー 留学を志したみなさんが来年,再来年にでも世界の ジニアにある College of William and Mary に留学す どこかであなたの 「???...!!!!!」となる瞬間を迎えるこ る機会を得ました。 とを願ってやみません。 数ある提携校の中で私が W&M を選んだ理由は, この大学が片田舎にあり,また少人数教育を徹底し, 永田 禎章(人間社会学域国際学類) 加えて各種の調査でも学部教育が優れていると評され ていると知ったからです。 私の持っていた前提として, 派遣留学と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょ 自分は勉強しに行くのだから,なるべく厳しい環境が うか。私はこの制度を知り,また実際に説明会などに いいと思ったのです。結果だけ言いますと,この選択 参加した時,あぁこれは自分にはちょっと無理な制度 は間違っていませんでした。 だな,と思いました。なぜなら,まずその要求するも 私の留学は 2010 年 9 月に始まり,翌年の 2011 年 のが大変です。欧米など英語圏なら基本的に TOEFL- 5 月まで続きました。この 9 か月間には実に様々なこ iBT80 点以上,他の言語を用いる所でもそれなりの とがありました。今も忘れられないのは,日本からワ 点数が要求されます。また,金沢大学という名前を背 シントン経由でヴァージニアのリッチモンド国際空港 負って協定先の大学に行くことは,何やら私には荷が に着いた時,まだ迎えのバスが来ておらず,結局 1 時 重すぎるような気がしました。加えて,せこい考えで 間近くも待ちぼうけになった時のことです。この時に はありますが,それにかかる費用が果たして留学を 一緒に待っていた他の国からの留学生の英語が全く聞 通じて得られるものに見合うのか,という点も疑問で き取れなかったことに第一の衝撃がありました。 また, した。 大学に到着し,翌日以降にオリエンテーションが始ま しかし,こうしてアメリカに行く機会を得,様々な り,一緒の部屋に住むルームメイトとも対面したので 経験や学びを終えた後には,なんてずるい,いや素晴 すが,悉く英語がわかりませんでした。授業が始まっ らしい制度なのだ,と思うばかりです。 てないのにもかかわらず,不安は募るばかりでした。 まず,簡単に私の自己紹介をさせてもらいます。私 実際に授業が始まってみても驚きでした。まず課題 43 の量が半端ではありません。最初の学期,授業は月水 ことが言語能力向上の一番の近道です。簡単ですが, 金にあり,月・水に 3 コマ,金に 2 コマというスケ 以上が,私が皆さんに伝えたいアドバイスであり,報 ジュールでした。それぞれの授業では読書課題が 30 告です。お読みいただきありがとうございます。 頁超ありました。多い時ですと,一回の授業で 100 頁ほどの課題を下さる先生もいらして,とても鍛えら れました。内容自体もとても高度で,自分が専門とし ていた国際政治の 1 ∼ 2 年生向けのクラスなどを取っ て見ても,知らないことは多く圧倒されました。加え て,米国で学ぶ学生は勤勉であり,彼らから多くの刺 激を受けました。また,W&M には留学生向けの英語 の基礎クラスやサマーコースの様なものはなく,9 月 に大学に着くと数日の内に通常の授業が始まります。 留学生課にあたるリーブス・センターの方にも相談な どし,英語力を鍛えようとはしましたが,その成果を 感じたのは秋学期が終わる間際でした。 結局のところ, 秋学期は,アメリカの環境や W&M のスタイルにつ いていくことに始終し,プラスαを成すには至りませ んでした。それでも,多くの友人やルームメイト,教 授や各オフィスの方々に恵まれ,充実した日々を過ご すことが出来ました。 冬休みを終え, 春学期に入った後での一番の衝撃は, 何と言っても 2011 年 3 月 11 日の地震でした。大規 模な被害を受けたのが,私の故郷の県という事もあり 少なからず動揺しました。当初は,家族や友人,知人 が大変な状況にある中で,何も出来ない自分に大変歯 がゆい思いをしました。 そんな中で多くの友人や知人, ウィリアムズバーグ・コミュニティの人たちに声をか けて頂くことで,少しずつ回復し,同時に多くの人が 日本の事を気にかけてくれていると知り,大変心強く もありました。実際,W&M 内では多数のファンドレ イジングが行われ,多くの学生が募金やチャリティー を行っていました。私は微力ながらその活動に関わる ことで,生活のペースを少しずつとり戻し,また勉強 に集中していくことが出来たのだと思います。その様 な忙しく過ごすうちに,ミッドタームが過ぎ,ファイ ナルが過ぎ,日本に帰る日が来ました。 このように,私の留学は駆け足で終わってしまいま した。最後に,これから留学を志す人に向け,短いア ドバイスを述べたいと思います。第一に,英語の勉強 は割り切ってひたすらやって下さい。一にも二にも, スコアがなければ留学には行けません。先輩や先生の アドバイスを聞き,しっかり勉強をしてください。第 二に,実際に留学に行ったら,とにかく色々なことに 顔を突っ込み,経験を積んでみてください。僕は,臆 病だったため,渡米当初は積極的に挑戦していく事が 出来ず,それが最後まで心残りとなりました。これか らの皆さんにはそのような思いはしてほしくはありま せん。第三に,英語や自分が現地で喋る言語にコンプ レックスを抱かないでください。ここまで自分の言語 能力を気にするのは日本人くらいのものです。多少の 間違いは気にせず,とにかく喋り,読 み,書き,聞く 44 ※派遣留学生からのレポートは原文のまま掲載しました。 7OV[VI` ,_JOHUNL:[\KLU[Z 平成23年度 金沢大学派遣留学報告書 平成24年1月 編集・発行 金沢大学研究国際部国際課 〒920-1192 金沢市角間町 TEL 076−264−5237 E-mail [email protected] FAX 076−234−4043
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