押井監督は「自分」と「他者」の境界線を映像によって

慶應義塾大学経済学部研究プロジェクト論文(2007 年度)
押井監督は「自分」と「他者」の境界線を映像によって
表現することに成功したのか
経済学部3年
江田泰高
(指導教員:マイケル・エインジ)
2008 年 2 月 28 日
要旨
この論文では、最初の段階で、複数の押井監督作品を分析することで押井監督が最も
表現したかった事柄が反映されている作品を見つけ出し、共通したモチーフの利用など押
井守の監督としてのこだわりや一貫性を分析する。
その上で、
「自分」と「自分」にとっての「他者」の存在を「攻殻機動隊」と「イノセ
ンス」の二つの作品の中で明確にしながら具体的にシーンを挙げ、登場するモチーフにつ
いて分析を行う。そうすることで曖昧になった「自分」
「他者」の境界線がどこにあるのか
を考察していく。
また、主人公の持つ視点と「他者」との関わりの関連性に注目することで主人公が他
の登場人物に対してどのように認識しているかを明らかにし、同時にそれぞれのキャラク
ターが異なった意識によって視点を形成している事実を突き止める。そうすることで、
「自
分」と「他者」の境界線が押井監督作品の中で表現することに成功したのかを検証する。
I. はじめに
A.押井監督の紹介…………………………………………………p2
B.先行研究…………………………………………………p4
C.論文の目的…………………………………………………p10
II.各作品の分類、主人公と登場人物の社会的距離(他者の分類)
A.押井作品の分類と要素分析…………………………………………………p-11
B. 「自分」にとっての「他者」の定義とそれぞれの主人公にとっての他者」
…………………………………………………p 24
C.攻殻機動隊、イノセンスに観る「自分」と「他者」の境界線
…………………………………………………p27
III.「自分」と「他人」の境界線に置ける視点の役割
A.視点の重要性…………………………………………………p31
B.仲間との社会的距離と視点…………………………………………………p34
C.「自分」と「他人」の結節点としての視点(交わり合う視点)
…………………………………………………p37
IV.結論…………………………………………………p39
1/1
I. はじめに
A. 押井監督の紹介:
1. 押井監督の経歴
押井守監督は 1951 年 8 月 8 日に東京都大田区に 3 人兄弟の末っ子として生まれ、
1970
年、東京学芸大学教育学部美術教育学科に入学。「映像芸術研究会」を設立し、実写映画を
撮り始める。1976 年に大学を卒業後は、竜の子プロダクションに入社。アニメーション業
界へ入った。その後、1979 年に竜の子プロダクションを退社し、スタジオぴえろに入社。
1981 年に TV アニメーション「うる星やつら」でチーフディレクターを 3 年にわたりつと
め、高視聴率を獲得。1983 年に初監督アニメーション映画である「うる星やつら
ー・ユー」(1983)が公開され、続く 1984 年に「うる星やつら2
オンリ
ビューティフル・ドリ
ーマー」(1984)を監督し、その直後にスタジオぴえろを退社、フリーになり活動の拠点を現
在の Production I.G.へ移し現在に至る。主なアニメーション監督作品に「天使のたまご」
(1985)「機動警察パトレイバーTHE MOVIE」(1989)「機動警察パトレイバー2 THE
MOVIE」(1993)「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」
(1995)
「INNOCENCE / イノ
センス」(2004)。実写映画に「赤い眼鏡」(1987)「アヴァロン / AVALON」(2001)など
がある。1
2. 押井監督の世界の評価
現在日本のアニメーションは、ジャパニメーションと呼ばれ世界中で放送されていま
す。今までのアニメーションは、子供たちの娯楽の一つとしか思われてこなかったが、現
在では映画と同様に芸術そして日本を代表する産業の一つとして発展してきた。近年のア
ニメーション映画で世間に大きな影響を与えた人物こそ押井守監督である。
押井守監督は、日本ではジブリ作品で有名な宮崎駿監督と比べ知名度が高くないが、
アニメーションと実写映像で世界的に高い評価を得ている。押井監督の代表作と呼ばれる
「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」
(1995)の日本での観客動員数は、わずか 12 万
人。その事からも日本でヒットした作品とは言えなかった。しかし 96 年 8 月、アメリカの
総合エンターテインメント雑誌「ビルボード」2のホームビデオ部門で「GHOST IN THE
SHELL / 攻殻機動隊」(1995)が日本映画初となる売り上げ第 1 位を獲得した。3
日本のアニメーション作品が、アメリカのビルボード紙で 1 位になった事で、押井監
押井守(2004)
「イノセンス創作ノート」徳間書店 343 ページ、アニメージュ編集部(2004)
「イノセンス押井守の世
界 PERSONA 増補改訂版」25 ページ
1
2 米国の週刊音楽業界誌として始まり、CD 売り上げ、ラジオのオンエア回数などを集計したヒットチャートで知られ、
そのチャートは音楽産業に大きな影響を与えている。現在では、総合エンターテインメント雑誌として様々なジャンル
の音楽やビデオ、DVD のチャートを掲載している。日本の作品がビルボード誌に取り上げられるのは異例。
3 アニメージュ編集部(2004)
「イノセンス押井守の世界 PERSONA 増補改訂版」148 ページ
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督の名と日本アニメーションの実力を世界に知らしめた。日本国内においても、1 位受賞の
ニュースは、話題となり日本製アニメーションの海外での人気にマスコミが注目し始めた。
その結果、押井監督は 1996 年に通産省などが主催するマルチメディアグランプリで MMCA
会長賞を受賞した。4
押井監督の作品は、各方面に影響を与えた。世界的なヒットとなったハリウッド映画
「マトリックス」(1999)5は、脚本も手がけた監督のウォシャウスキー兄弟が「攻殻機動隊」
(1995)に影響を強く受け製作したと言う有名なエピソードがある。 6 「アヴァロン /
AVALON」(2001)第 54 回カンヌ国際映画祭の招待作品として上映され、72004 年に公開
された「イノセンス」(2004)は、日本のアニメーションとして始めて第 57 回カンヌ国際
映画祭のコンペティション部門にノミネートされた。8
3. 押井監督の特徴
押井守は、アニメーターとして映像業界に入り演出、作画監督を経て監督となった。
故に、アニメ監督としての性格がとても強い。その為、物や世界を創り出すことに関心が
あり、その作品の中にサイエンス・フィクッション(SF)的な要素を多く含んでいる。具
体的には、「うる星やつら」における宇宙人の女の子、「パトレイバー」シリーズにおける
ロボット、
「攻殻機動隊」
「イノセンス」におけるサイボーグなどがこれに該当する。また、
これらの非人間のキャラクターを登場させることで倫理観や現代の社会問題までも表現し
ている。
アニメーションに実写の撮影に使われるカメラワークと同じような映像を表現してい
る。
「機動警察パトレイバーTHE MOVIE」
(1989)
「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」
(1993)ではテレビの中から、それを覗き込んでいる人を映すシーンや上空から撮影するシー
ンなどがある。この様に、押井監督は、映画と同様にレンズの概念をアニメーションに取
り入れ実写的な動きを加えた。
押井守監督を世界的に有名にした「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(1995)
では、新しい試みとして、DGA(digitally generated animation)と呼ばれるアニメーシ
ョンと CG の融合を行った。それまでは、セル画を組み合わせる事で作成するセルアニメ
が主流とされており、CG はアニメーションに多用されていなかった。しかし、効果的に
CG をアニメーションに組み合わせることによってそれまでアニメーションの弱点とされ
4 1991 年 4 月に設立された財団法人 デジタルコンテンツ協会によって主催し、当時の通商産業省(現:経済産業省)
が共催している大会であり、日本のデジタルコンテンツ産業に大きく貢献する優れた映像作品・製品・サービス・技術・
人物を表彰し、広く告知し、受賞者の活動の更なる発展を目指している。
http://www.dcaj.org/oldgp/96awards/souhyo/fj_so.htm
5 1999 年に公開され世界的に大ヒットしたハリウッドの SF 映画である。キアヌ・リーヴスが主演し、派手なアクショ
ンシーンも話題になった。
6 ウォシャウスキー兄弟とプロデューサーのジョエル・シルバーは、マトリックスの特典映像 ”Making the Matrix” の
中で、製作を開始するにあたって「攻殻機動隊で押井監督がやった事を実写でやってみたい。
」と明言している。
7 カンヌ映画祭公式ホームページ
8 カンヌ映画祭公式ホームページ
http://www.festival-cannes.com/index.php/en/archives/films/year/2001
http://www.festival-cannes.com/index.php/en/archives/films/year/2004
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ていた奥行き表現の限界を CG により改善することに成功した。押井監督は、前面に CG を
出すのではなく、看板などに CG を利用して文字のはめ込みを行うなどして CG を効果的
に利用したのだ。9
押井監督は、文献からの引用を物語の台詞として利用することが多い。「機動警察パト
レイバー THE MOVIE 」( 1989)「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」( 1995)
「INNOCCENCE / イノセンス」(2004)などの作品では、聖書、孔子などの引用が多数確
認できる。
押井監督が他のアニメーション監督と異なるのは、押井監督がアニメーションだけで
なく実写映画の監督を行っている点だ。「赤い眼鏡」(1987)「アヴァロン / AVALON」
(2001)などがある。
「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」
(1995)がアニメーション
の中に現実的なカメラワークを加えて製作したのに対して、「アヴァロン / AVALON」
(2001)では、逆に実写映画の中にアニメーションの要素を組み込む試みをしている。
以上の特徴から押井監督が、アニメーションや実写など映像の形態にこだわらず新し
い表現方法を追及している前衛的な一面と同時に、引用や典型的な SF ジャンルを作品の中
で用いる事で伝統的な一面を合わせ持つ個性的な監督であると言える。
B. 先行研究
押井監督の研究をするにあたり、押井監督と押井作品に対する先行研究を中心にまと
めた。それ以外にも本文で参考とするその他の先行研究についてもまとめた。押井監督が
アニメーター出身の監督である事から学問としてのアニメーション研究に関する先行研究、
押井作品に見られる SF のジャンルに関する先行研究、キャラクターのアイデンティティに
関する研究テーマを考えているため、認知心理学に関する先行研究も取り上げる。
1. ジャンルの定義
日本におけるアニメーション研究は、学問としては外国と比べて体系化されていない
のが現状である。その為、日本のアニメーション研究の多くは評論である。日本のアニメ
ーション研究の第一人者と呼ばれる今村太平氏は、
「漫画映画論」
(1941)の中で、
『動かな
いものを動かし、現実にないものをあらしめ、すべての無機物に生を与える。「創造主の自
由」である。』と定義している。10今回の論文では、アニメーションを扱うに当たって津堅
信之氏のアニメーションの定義を引用したい。
「アニメーション映画とは、絵、人形等を素
材として、その素材を映画撮影用のカメラ等を使用してコマ撮りによって撮影して得られ
た映像を映写することで動かない素材を動いているように見せる映画である。」11
また津堅信之氏は、同著書の中で、『日本アニメーションの特徴は、海外のようにファ
9 攻殻機動隊の特典映像 “GHOST IN THE SHELL DIGITAL WORKS”
10 1911~1986 『漫画映画論』を 30 歳で発表した日本の映画評論家。日本で始めて本格的にアニメーションの研究をし
た人物として有名。
11 津堅信之「アニメーション学入門」
(2005)第 1 章「アニメーションの定義の変遷」の要約
4/4
ンタジーを主体とするのでなく、敵味方の葛藤の心理描写を描くことで、「あこがれ」とは
異なる「感情移入」が出来るキャラクターを登場させる。
』と日本アニメーションと海外の
アニメーションの比較を行っている。
サイエンス・フィクション(SF)映画においては、様々な研究が行われている。SF と
は、人類と科学との戦いを描き、宇宙人やロボットなど人以外の存在を登場させることで
結果として人とは何かを問う作品全般の総称である。多くの場合が、未来、近未来の出来
事を描き理想の未来であるユートピアもしくは、滅び行く世界などを表すデストピアが表
現されている。12
2. 押井監督に関する先行研究
押井守の長編アニメーションにおける自閉的世界からエンターテインメントへ13
横田正夫(日本大学)、小出正志、木船徳光(東京造形大学)
押井守の心理的テーマの作品への反映を研究した論文である。この論文は、押井監督
論という切り口で分析を行っている。押井監督は、彼の映像作品の中で夢のような映像を
たびたび登場させている。夢とは、心理学の世界で無意識的に深層心理を反映するもので
ある為、
「押井監督の心理的テーマが作品に反映されている」という仮説を立て論じている。
また、押井監督の作品の中で登場する少女モチーフのイメージの変化に注目している。
押井監督の映像世界は、3つの時期に分類する事が可能である。第1期は、押井監督
の初監督作品である「うる星やつら
オンリー・ユー」を始め一般のファンが喜びそうな
作品を中心に製作した。しかし、すぐに自分の好みの作品を前面に出すようになる。「うる
星やつら2
ビューティフル・ドリーマー」では、押井監督の好む夢の世界を表現し始め
る。押井監督は、筆者とのインタビューの中で「現実よりも夢の世界が重要である」と語
(1985)、
「トワイライト Q Vol/2 迷宮物件 FILE538」
っている。14つづく「天使のたまご」
(1987)では、押井監督の私生活における結婚、離婚、再婚といった現実の出来事を反映して
いる。15
第 2 期になると青年期の頃から念願であった実写映画の製作を始める。この時期に製
作された実写映画「紅い眼鏡」(1987)と「ケルベロス地獄の番犬」(1991)では、時代に
取り残された革命戦士が学生時代に学生運動に乗り遅れてしまった押井監督の過去の自分
の投影として登場している。
そして第 3 期になると再びアニメーション作品を制作するようになり、以前と比べエ
ンターテインメント性の強い作品を作るようになる。
「機動警察パトレイバー」
(1989)
「機
動警察パトレイバー2」
(1991)
「攻殻機動隊」
(1995)などの作品では、一般の人々が持つ
社会不安を解消する物語になっている。
12 Geoff King and Tanya Krzywinska(2000) : Science Fiction Cinema,pp1-22
13 The Japanese Journal of Animation Studies, 2003, vol. 4,no.1A,19-26
14 2001 年、8 月 28 日に Production I.G.にて筆者と押井守とのインタビューp20
15 筆者が「AERA、2001 年 4 月 30 日号」pp66~71 から引用
5/5
押井ははじめ夢のような自閉世界を描き、ついで青年期の夢の実現を果たすことで中
年危機を乗り越え、世界へエンターテインメントを送り出すようになった。16
身体・フレーム・リアリティ17
斉藤環
押井監督が、
「イノセンス」で用いた人形のモチーフを切り口に押井作品を分析してい
るエッセイである。この中で、筆者は「イノセンス」の公開以前から押井監督は、彼が持
つ身体論についてインタビュー、対談、著書18の中で彼の身体論につぃて語っていた事を指
摘している。その事からも、押井監督が蓄積してきたアニメーションにおける身体表現の
方法論が「イノセンス」に集約されていると明言している。
「人間には身体は無いんだと思う」19と押井監督が著書で指摘した事に対して、著者は
『人間には「全体としての身体」が認識できない』20という意味であると解釈している。人
間は、身体を局部的もしくは、欠如させることによってその輪郭をあらわにするしか、そ
の存在を理解することが出来ないのだ。身体の欠如に関しては「攻殻機動隊」での光学迷
彩による透明化した素子の例を挙げている。また、押井監督が「イノセンス」でセクサロ
イド21であるハダリの身体を球体間接人形として表現した事からもラカンによる「鏡像段階
論」に強く影響されていることが分かる。22
筆者は、身体が現実界と想像界の界面にあると述べたうえで、「身体はない」と言う押
井監督の発言は、彼の身体論が彼のリアリティ論に深く結びついているとの考察をしてい
る。押井監督は、著書の中でレイアウトを近景、中景、遠景の三領域に分けている。近景
はキャラクターの領域であり、ここで目的論的に物語が進行させられる。中景には世界観
が反映され、演出家の目的意識がもっとも支配的な真実の領域である。真実が語られると
き、キャラクターの領域は不在となり台詞はオフでこの領域に重ねなれる。多くの場合、
建築の内部空間がこれに充当されることになる。遠景は監督の秘められた物語が展開され
るがゆえに、最も抽象度の高い無意識の領域であり、「鳥や飛行船が飛んだりする世界」と
いう事になる。さらに押井は、「この三つの領域はアニメの物語構造にも照応している」と
して、「別個の次元を重ね合わせることによって、世界を胚胎する、その形式こそがアニメ
の本質」である23と述べている。
アニメーションにおけるリアリティが、様々なフレームの重ね合わせによって形成さ
16 The Japanese Journal of Animation Studies, 2003, vol. 4,no.1A,p19 より引用
17 「ユリイカ 2004 / 4 月号特集:押井守 映像のイノセンス」
(青土社)pp75~84
18 「イノセンス創作ノート」押井守(2004)養老孟司、四谷シモン、鈴木敏夫との対談も収録されている。
19 「イノセンス創作ノート」押井守(2004)p271
20 「ユリイカ 2004 / 4 月号特集:押井守 映像のイノセンス」
(青土社)pp76
21 性的な欲求を満たす為に作られたロボット
22 Jacques Lacan、1901〰1981 フランスの精神科医、精神分析家。
「鏡像段階論」:幼児は自分の身体をバラバラの身
体部位の寄せ集めとしか捉えられないが、成長して鏡を見ることによって、鏡にうつった像が自分であり、統一体であ
ることに気づくという理論。
23 「イノセンス創作ノート」押井守(2004)pp90-91
6/6
れることから、「視界のフレーム性」についても論じている。視覚メディアの発達と復旧に
よって、「ものごとを直接見ることの優位性」の優位性が失われてしまった現代では、私た
ちは、スクリーンやモニターを介して間接的に物事を見ている。このエッセイの中で基本
的に不完全な視覚はフレームによって媒介されていると説明している。
この「視界のフレーム性」を押井監督の「唯一の真実」が存在しないと指摘と組み合
わせることで押井監督の目指すリアリティについても言及している。
「視界のフレーム性」
を利用することで、複数の真実=リアリティを産出することを可能にしたと言う分析をし
ている。
押井守における「空」をめぐって24
佐藤心
押井監督の作品を「空」のモチーフが持つ機能について分析したエッセイである。
押井監督の作品で繰り返し登場する3つの重要なモチーフである「鳥」「犬」「魚」をそれ
ぞれ「空」「地上」「水」に対応させることで空間的モチーフであることを述べている。さ
らに、キャラクターにポジションに差異をもたらす 3 タイプの属性与えている。主人、組
織、現実、物語に従属する「犬」の属性、前者を強いる生の条件から超越する「鳥」の属
性、そして影や虚像、幽霊として、生の条件を攪乱する「魚」の属性がある。これらのモ
チーフとキャラクターの複合的な組み合わせが、それぞれが内在するイメージを離れ、何
を表現しているか具体例を示しながら論じている。
「鳥」と関連づけられた「空」は、「機動警察パトレイバー」にもっとも鮮明に現れて
いる。物語の冒頭、帆場25が方舟26の頂上から海に投身自殺をするシーンがある。笑みを浮
かべながら身を投げる帆場自身と、反対に彼の手から離れ、黄昏時の空に舞い上がる一羽
のカラス。物語の後半のシーンで、空の鳥かごが以前帆場の住んでいた無人のアパートに
ある事からカラスのイメージは、モチーフとして帆場の分身を意味している。つまり冒頭
の自殺のシーンは、帆場が「空」に向かって飛翔しつつ、
「海=水」へと落下していると解
釈することが出来る。これを押井的な動物モチーフで言い換えると帆場は、「鳥」となって
作品世界の外部へと超越し、同時に「魚」となって作品の内部へとより深い侵入をはたし
た。つまり、帆場は自殺することで物語から離脱したが、彼の残した痕跡とプログラムが
物語の進行に深く関わっている事を暗示している。27押井監督は、この時「魚」のモチーフ
と「鳥」のイメージを複合することに成功したのだ。
魂に対する態度28
24 「ユリイカ 2004 / 4 月号特集:押井守 映像のイノセンス」
(青土社)pp171-177
25 「機動警察パトレイバー」に登場する天才ハッカー。II.A.3 の要約参照
26 「機動警察パトレイバー」に登場するロボット(レイバー)の整備を行う洋上プラットホーム
27 「ユリイカ 2004 / 4 月号特集:押井守 映像のイノセンス」
(青土社)p173
28 「ユリイカ 2004 / 4 月号特集:押井守
映像のイノセンス」(青土社)pp85-91
7/7
茂木健一郎
このエッセイで筆者は、押井監督の作品を通じて魂の存在について考察をしている。
魂とは、「自分」が「自分」として存在するために必要な核のような物である。これは「攻
殻機動隊」「イノセンス」では、ゴーストと呼ばれているものに該当する。押井監督の作品
の中には様々な人形が登場する。筆者は、これらの人形は単なる物であるので魂があるは
ずがない、という一つの答えを導き出している。
しかし、その反面「攻殻機動隊」「イノセンス」に登場する人形達には、見る者に一定
の感銘と圧力を与えている。もし人形に魂が存在するとすれば、それは人間と人形の関係
性から生まれると筆者は分析している。そもそも、人間が他者の心の内容を推定する「心
の理論」と呼ばれる能力は、大体生後4歳くらいから発達し始め、他者に心ありと知る能
力と、自己に心ありと気付く能力(メタ認知29)がほぼ同時に生まれてくる。このメタ認知
によって未分化な混沌から、自己と他者を分離させるのである。
人形の凍り付いた表情は、人間で言えば死体である。この様な人形を目にした時、自
己/他者の心のメタ認知では十分にとらえきれない。人形の持つ凍り付いた表情が放つ異様
なインパクト、動いているはずのものが動いていないことの恐ろしさこそが、人形という
ものに宿る魂の核である30と筆者は分析している。
「攻殻機動隊」に見るアイデンティティ問題31
(パク・ジュンスン)
グローバル化が進んだ情報化時代のアイデンティティと境界の問題を「攻殻機動隊」
を取り上げ分析している論文である。この論文では、大きく分けて三つの面に焦点を絞っ
て論じている。一つめは人間のアイデンティティ、二つめはジェンダー、三つめは種、民
族および国家である。
人間のアイデンティティを考える時、近代科学で人間を人間たらたらしめているのは
ヒト DNA だ。しかし、人形使い32の存在によって疑問を投げかけている。人形使いを生命
体と認めない科学者達に対して「それを言うならあなたがたの DNA も、自己保存のための
プログラムにすぎない」と反論した。また、記憶の外部化が可能となったことで他者によ
って改変することが可能となり記憶を基礎としてアイデンティティを確立するというやり
方が新たな挑戦に直面する結果になった。これは、人類の遺伝子操作が可能となった現代
にとっても遠くない問題なのかもしれない。また、「わたしはあらゆるネットをめぐり、自
分の存在を意識した」と発言している。自意識というのは、デカルトによる人間存在の核
心についての議論に結びつくことからも、この作品がデカルトの肉体と精神の二元論に強
29 認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把
握し認識すること。
30 「ユリイカ 2004 / 4 月号特集:押井守 映像のイノセンス」
(青土社)p89
31 「ユリイカ 2004 / 4 月号特集:押井守 映像のイノセンス」
(青土社)pp186-197
32 「攻殻機動隊」に登場するハッカー、後にコンピューター・プログラムである事が判明する。
8/8
く依存していることが分かる。
サイバー時代における、ジェンダーのアイデンティティはあまり意味のない、単なる
外見の問題だと筆者は考えている。その根拠として、ジェンダーを持たないコンピュータ
ー・プログラムであるはずの人形使いが女性としての身体を持ち、男性の声で男言葉を話
すことからもジェンダーのアイデンティティが意味を持たないことを示している。
物語の冒頭に「企業のネットが星を被い電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えて
なくなるほど情報化されていない近未来」とあるように、近未来でも人種、民族および国
家は、なくなってはいない。特に物語に登場する外国や外人が国際テロリストや軍事政権
であることから問題の根源は外国または、外人にあるとほのめかされている。これは、公
安 9 課が人形使いを始めはアメリカ人ではないかと考えている事からも推測できる。特定
の国家にたいする見方がアニメの中と現実とで平行しているのを見れば、このアニメもま
た政治的、社会的、文化的な境界と偏見から自由でないのがわかる。
3. 認知心理学に関する先行研究
認知心理学の分野も広く研究が行われている。モノを認識する為に必要な「見る」と
言う動作に関して「認知心理学」33から抜粋させていただいた。「私たちが見るのは網膜像
ではなく、外側に広がる世界であり、見ることは、その世界の中に意味のある対象を認識
し、手を伸ばして何かをつかんだり、歩きまわったりするように、常にさまざまな体験を
伴う。」つまり、モノを見ると言う行為には、カメラの様にただ写すだけではなく行動をす
る為に意識が働いている。
山本真理子氏と原奈津子氏は、著書「セレクション社会心理学―6
他者を知る
対
人認知の心理学」山本真理子、原奈津子(2006)の中で、さまざまな他者をその相互作用
のレベルによって分類した。今回は、この他者の分類を論文で利用させて頂く。
4.まとめ
押井監督の作品について論文を書くにあたり、アニメーションや SF に関する基本的な
知識が必要であると考えた為、アニメーションと SF に関するジャンルの先行研究を取り上
げた。また認知心理学に関する先行研究は、この論文の分析に用いる予定などで取り上げ
させて頂いた。
押井監督に関する先行研究は、評論が数多く存在する為それ以外の物を選びました。
今回、押井監督の先行研究として取り上げた論文の多くは、「ユリイカ 2004 / 4 月号特集:
押井守
映像のイノセンス」(青土社)記載されていた物です。ユリイカは、文学や思想を
扱う芸術総合誌であり、多くの知識人がエッセイや論文を寄稿しているため他の押井監督
に関する論文で先行研究として用いられている。
33 道又 爾、大久保 街亜、山川 恵子、北崎 充晃 (2003)「認知心理学」有斐閣 279pp
9/9
C.
論文の目的
1. 仮説
押井守監督の先行研究には大きく分けて、彼の「動物」
「人形」などのモチーフに関
する研究、押井監督の生い立ちや考え方が映像にどう影響を与えたかを調べる監督論に関
する研究、「攻殻機動隊」のテーマにもなっているアイデンティティに関する研究などが先
行研究として挙げられる。この論文では、「押井監督が「自分」と「他者」の境界線を映像
によって表現することに成功したのか」を論じていきたい。
パク・ジュンスン氏の『「攻殻機動隊」に見るアイデンティティ問題』では、「攻殻機
動隊」の世界は技術の進歩によって様々な境界線がなくなり意味のないものになっている
と分析している。パク・ジュンスン氏の分析は、ストーリーの設定に基づいた分析を行っ
ているので、私は「自分」と「自分」にとっての「他者」を明確にしながら具体的にシー
ンを挙げ曖昧になった境界線がどこにあるのかを考察していく
押井守監督が手がけてきた作品は数多いので、押井守監督の公式ホームページ34から押
井守が監督した実写映画/長編アニメの中でも評価の高い作品に限定して取り上げる。
境界線に着目した理由は、押井監督が「アヴァロン / AVALON」
(2001)の特典映像
の中のインタビューの中で、彼が映画を製作する動機が、
「ここでないどこか、今でないい
つか、誰でもないだれか、境界線上の人物を描く」と言っていたからだ。この境界線をキ
ーワードに、押井監督の作品の中にはどのような境界線があるか考えてみた。
空間と空間を隔てる物的境界線、心理描写と現実の世界を比較する心理的境界線、善
悪の判断を決める道徳的境界線、人と人との関係を表す「自分」と「他者」の境界線、生
と死などを扱う倫理的境界線などが押井監督の作品で表現されていた。
この中でも人と人との関係を表す「自分」と「他者」の境界線に関する映像の中で最
も多く描かれており、他の境界線と関連性も強かった為、この境界線を中心に論じること
にする。
境界線を思わせるモチーフは、押井監督の作品には数多く登場する。それはガラスや
テレビなど空間を直接隔てる物の他に、大人と子供の境界にいる少女や人間とロボットの
境界にいるサイボーグなどもモチーフとして多く登場する。これらのモチーフは、押井監
督の作品の中で重要なモチーフとして利用されている。本文の中では、モチーフと「自分」
と「他者」の境界線の関連性と「自分」にとっての「他者」のレベルについて論じていく。
また、人と人との繋がりを考える上でもう一つ重要な要素として「視点」の重要性が
ある。キャラクター視点での物語進行や、キャラクターがカメラを見つめる事で、キャラ
クター同士の関係がどう表現されているか考える。
したがって、この論文の目的は、押井作品の代表作の中から最も押井色の強い作品を
選定し、「自分」と「自分」にとっての「他者」を明確にすることで、映像の中に表現され
ている「自分」と「他者」の境界線を見つけ出す事にある。
34 http://www.oshiimamoru.com/
10/10
II.作品の分類、主人公と登場人物の社会的距離(他者の分類)
A. 押井作品の分類と要素分析
押井監督が製作した作品を分類、整理することで、彼の作品の傾向とよく見られる特
徴を知ることが出来る。さらに彼の代表作の中から押井色の強い作品を選定する事で押井
監督が最も表現したかった事柄が反映されている作品を見つけ出すのが目的である。また、
複数の監督作品を分析することで共通したモチーフの利用など押井守の監督としてのこだ
わりや一貫性を知る事が出来る。
1. 押井監督各作品のあらすじ
「うる星やつら
ビューティフル・ドリーマー」(1984)(以下「うる星やつら2」)
映画のオープニングカットでは、押井監督の作品でよく見られる「空」のシーンから
始まり白い鳥や太陽が映し出され、ゆっくりカメラが地面を見下ろすと戦車がある。望遠
鏡で覗く面堂とサングラス姿のサクラの姿が映し出されている。彼らがいる高校の外は、
砂漠のなかであるにもかかわらず、冷蔵庫、テレビなどの家電あふれかえっている。
あたるとラム達が通う友引高校は、学園祭を明日に控えて大騒動になっていた。夜食
を調達するために、深夜の友引町に出かけたあたると面堂は、異様な雰囲気のチンドン屋
と大きな帽子の少女を目撃した。翌日、生徒たちは再び学園祭の準備をしている。時間が
進まず、毎日が学園祭の前日なのだ。この事態に気づいた温泉先生とサクラは、友引高校
自体に原因ありと生徒たちを追い出し、その解明に乗り出した。しかし、温泉先生もいつ
の間にか消え、サクラは錯乱坊に相談しようとするが、錆ついた鍋を残したまま錯乱坊も
消えていた。あたるたちは久々に帰宅。しかし、無事に帰れたのはラムとあたるだけ、メ
ガネたちはバスに乗っても、電車でも町中をグルグル回るだけで、友引高校の正門前に戻
ってくるのだった。この不可解な街から脱出を試みるため面堂のハリアーに乗って空から
偵察に出かけた一同は、友引町全体が巨大な亀の背に乗って、宙に浮かんでいるのを見た。
あたるたちのサバイバル生活が始まった。生き残っているのはハリアーに乗っていた
ものと諸星家の人だけだった。人々を失った友引町はだんだん廃墟と化してゆく。ラムは
この無期限に続くサバイバル世界に対して上機嫌だったが、この楽しみもつかの間だった。
大きな帽子の少女が現われる度に、竜之介やしのぶが順番に姿を消して行く。サクラと面
堂はあたるを囮に使ってこの事態の張本人を追いつめる。その姿は、人類始まって以来、
夢を作り、人々に邪気を吹き込み続けていた夢邪気と呼ばれる妖怪だった。
あたるたちのいる世界は夢邪鬼の作ったラムの夢の世界だったのだ。あたるは夢邪鬼
の持つ魔法のトランペットを手に入れ、それを吹き鳴らすと夢を喰う伝説の獣・バクが現
われた。バクはあたるのいる夢の世界を食べ始め、次から次へと夢の世界が消えていった。
11/11
あ。
「機動警察パトレイバーTHE MOVIE」(1989)(以下「パトレイバー1」)
冒頭では、物語の核心35にも大きく関わる印象的なシーンで始まる。笑みを浮かべなが
ら身を投げる男(後に天才プログラマーの帆場であると判明)と、彼の手から離れ、黄昏
時の空に舞い上がる一羽のカラスの姿が描き出されている。
舞台は、1999年の東京。工事現場など生活の至るところでレイバーと呼ばれるロボッ
トが活躍していた。警察でも専用のパトレイバーと呼ばれるレイバーが導入されていた。
ちょうどその頃、レイバーの性能を飛躍的に上昇させる新型のHOSと呼ばれる新型OSが発
明され次々とOSの書き換えが行われていた。
ある日、自衛隊に所属するレイバーを始めとするレイバーの謎の暴走事故が多発、こ
の問題に対処すべく、パトレイバー隊が調査に乗り出した。調査の結果、東京を壊滅でき
るだけのコンピューター・ウイルスが仕掛けられた計画的犯罪で、次々に導入されていた
新型のHOSが関係しているとわかった。HOSの開発者である帆場英一は、自分のデータを
消して姿をくらましていた。(冒頭にすでに死亡していた。)現在ほどコンピューターが復
旧していない時代に早くもコンピューター・ウイルスの危険性をこの作品の中で提示して
いる。
東京湾岸では東京の土地問題を一挙に解決しようと今世紀最大の洋上工事計画=バビ
ロン・プロジェクトが推進されていた。ここには全国で稼動中の45%のレイバーが集中し、
その整備は洋上プラットホーム=方舟で行われていた。パトレイバー隊の調査によって、パ
トレイバーはHOSがある条件下で暴走することをつきとめる。
その後、東京に接近していた台風が、方舟にあるレイバーの暴走の引き金になる事を
突き止めたパトレイバー隊は、方舟を解体するために出動する。
「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」(1993) (以下「パトレイバー2」)
1999年、PKF36に参加した陸上自衛隊レイバー小隊が、東南アジア某国において全滅
した。それから数年後の東京。突如戦闘機F-61が横浜ベイブリッジを爆破したが、報道で
はそれが自衛隊機であったと告げられた。民衆は自衛隊への不信感をつのらせていく。
特車二課第二小隊の後藤隊長は、事件の背後に1999年のPKFで行方不明となった柘植
の存在を察知する。柘植は、第一小隊隊長の南雲しのぶの元恋人でもあった。民衆の不信
感はピークに達し、東京はついに警察を主に臨戦態勢を敷いていく。自衛隊の諜報部員・
荒川の情報を基に柘植を追う後藤と南雲は、政治的圧力から逮捕命令が出されるが、すぐ
に逃走する。
この非常事態を脱するべく、今は散り散りになっていた旧特車二課の泉、篠原らメン
35 佐藤心氏の『押井守における「空」をめぐって』での「パトレイバー1」のオープニング分析。
36 PKO に基づき派遣される各国軍部隊(Peace Keeping Force、平和維持軍)
12/12
バーを招集し、パトレイバーを発信させ、柘植の本拠地を突き止める。
柘植の起こした行動は、東京の街を舞台にした戦争勃発のシミュレーションでしかな
かった。1999年に発射許可を得ることが出来ず、仲間を戦争で失った柘植は、戦争はフィ
ルターの向こうではなく、生活のすぐそばにあることを人々に警告するためにこの事件を
起こした。柘植は、最終的には無言で元恋人の南雲の手によって手錠をかけられた。
「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(1995)(以下「攻殻機動隊」)
「2029年企業のネットが星を被い電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくな
るほど情報化されていない近未来。
」物語は、この一文から始まる。舞台は、アジアの一画
にある企業集合体国家。通信ネットワークの飛躍的な進歩と人体のサイボーグ化に伴う電
脳37犯罪の高度化・複雑化にしたがい、政府は、荒巻部長を責任者、サイボーグの草薙素子
少佐を隊長とする非公然で首相直属の特殊部隊・公安9課、通称「攻殻機動隊」を誕生させ
た。草薙たちは公的機関で対処できない犯罪に対し、暗殺などの方法で処理していった。
その9課に、不特定多数の人間の電脳に侵入して自在に操り犯罪を重ねる、正体不明の
国際的ハッカー「人形使い」が現われる。人形使いはまず、外務大臣の通訳の電脳に侵入
してきた。事態を重く見た9課は侵入回線を逆探知し、素子・バトー・トグサらが犯人逮捕
に向かうが、犯人らしいその男も人形使いに操られた抜け殻に過ぎなかった。
この事件をきっかけに電脳化され完全にサイボーグ化された素子は、記憶だけを自己
の拠り所にするしかない自らの存在意義について悩み始める。その頃、素子たちの義体38を
生産するメガテックボディー社から義体が勝手に生産され逃走する事件が発生した。すぐ
さま義体を捕獲した9課の元に公安6課の中村と電脳の権威・ウイリス博士が訪れ、その義
体内部に人形使いが存在することを告げる。
義体に潜む人形使いは9課に対し自分が生命体である事を伝え、政治的亡命を希望する。
しかし、6課の自作自演の襲撃によって義体は持ち去られてしまう。人形使いの正体は、外
務省が対外政策用に作りあげた破壊工作のウィルス・プログラムであり、機密漏洩を恐れ
る外務省は6課を使って制御不能に陥ったプログラムの回収を図ったのだ。素子は持ち去ら
れた義体を追って単身で6課の大型戦車と激しい戦闘を繰り広げ、かろうじて義体を確保し
た。そこで素子は、彼女と融合することで完全な生命体になろうとした人形使いの真の目
的を知る。その瞬間、6課の狙撃により人形使いと素子の義体は破壊された。20時間後、素
子はバトーの部屋で新たな義体を得て目を覚ます。人形使いとの融合を果たした彼女の前
には未知なる情報の海が広がっていた。
「アヴァロン / AVALON」(2001)(以下「アヴァロン」)
37 電子的に強化した脳。他人と情報を直接共有することが出来る。また、必要な情報をネットから検索することが出来
る。記憶のデータ化を可能とすることで電脳ハックなどの犯罪に繋がることがある。
38 サイボーグのボディ
13/13
押井監督が全編をポーランドで撮影した実写映画である。舞台は、荒廃した近未来の
ある国である。この世界の若者たちは、非合法の仮想戦闘ゲーム「アヴァロン」に熱中す
るあまり、殺戮と自らの死を繰り返す興奮から抜け出せずにいた。主人公の女戦死である
アッシュは、以前は「ウィザード」という最強のパーティのメンバーであったが、自らの
失敗でパーティを解散させてしまった過去を持つ。
ある日、彼女はかつての仲間であるスタンナから、リーダーだったマーフィーがアヴ
ァロンの隠しステージである「Special A」で消息を絶ち、現実世界へ帰還出来ず廃人同然
になっていたことを聞かされる。
Special Aとは、通常のステージとは異なり法外な経験値が得られるリセット不能のス
テージである。また、他のステージやアッシュの住む世界は、セピア色もしくは灰色であ
るのに対してSpecial Aは、色鮮やかな世界として描かれている。元の仲間であるマーフィ
ーのことを知り、Special Aを目指す決意をするアッシュ。謎のキャラクター「ビショップ」
の導きの下、少女の姿をした隠れキャラ「ゴースト」を倒した。
Special Aに辿り着くことに成功した彼女は、そこで再会したマーフィーから、ウィザ
ードを解散させたのはアッシュのせいではなく、実は彼がSpecial Aを目指す上で足手まと
いになる他のメンバーを切り捨てる目的だったと聞かされる。真相を知ったアッシュは、
Special Aをコンプリートさせるべくマーフィーを撃つ。アッシュは、消えていくマーフィ
ーの姿を見ながら現実と空想世界の違いあるのかを考える。
「INNOCENCE / イノセンス」(2004) (以下「イノセンス」)
「攻殻機動隊」の続編として公開された。外国では、
「Ghost in the Shell 2」として公
開された。舞台は、
「攻殻機動隊」から3年後の2032年である。主人公の公安9課の刑事バト
ーは、「攻殻機動隊」の素子と同様に体のすべてが造り物のサイボーグである。彼にとって
唯一、残されているのはわずかな脳と、以前のパートナーである素子の記憶だけだった。
ある日、少女型のセクサロイド39・ハダリが暴走を起こし、所有者を惨殺する事件が発
生した。バトーは、新しい相棒のトグサと共にこの事件の捜査に向かう。電脳ネットワー
クを駆使して、バトーの電脳にハッキングを仕掛ける謎のハッカーの妨害に苦しみながら、
バトーは事件の真相に近づいていく。
破壊されて何も語らないアンドロイド、人間の姿をしたロボットの女性、禍々しき祭
礼の中で人間に焼かれる人形たち、自ら死体となって、人間であることを超越したと自惚
れるハッカー・キム。バトーは、捜査の過程で様々な、人形たちと出会い、人形に托され
た人類の想いを繰り返し自問自答することになる。
人間はなぜ、自分の似姿である人形を造ろうとするのか。古来より人は、人の形を模
した人形を造り続けてきた。身体のほとんどが機械化したバトーは、いわば、人間と人形
の狭間を生きる存在として描かれている。そんな彼にとってその謎を解く手がかりは、自
39 愛玩用ロボット。名称:ハダリ
14/14
らが飼っているバセット犬と、素子への一途な想いだけだった。それはバトーが人間とし
て生きてきた証でもある。
バトーとトグサは、ハダリの暴走の原因がハダリの製造するロクス・ソルス社にある
事を突き止める。バトーはトグサのバックアップを受け製造プラント船へと進入した。進
入をしたバトーを排除しようと大勢のハダリが攻撃を仕掛ける中、素子がバトーを援護す
る。
素子が外部とのアクセスを完全に遮断した後、ロクス・ソルス社のハダリは少女のゴ
ーストをダビングしていた事がわかった。この暴走事件は、この事実を伝えるためにロク
ス・ソルス社の技術者が故意に発生させたバグであることも判明した。
2. よく観られる要素
次に、これらの押井作品に繰り返し登場する要素を検証することで押井守の監督とし
てのこだわりや一貫性を明らかにしていく。押井監督が好んで作品に取り入れる要素は大
きく分けて五つある。その中で、押井監督が最も関心があると思われるのが「現実」と「非
現実」を取り上げる点だ。この二つの異なった世界を登場させることで押井監督は、一貫
して現実とは何かを問いかけている。非現実は、夢とも言い換えることもでき、夢に対す
る押井監督の執着については他の論文40で議論されている。現実と異なる世界(仮想現実)
が表現されている作品の例としては、「アヴァロン」に登場するゲームの世界や「攻殻機動
隊」の電脳世界などが挙げられる。
しかし、押井監督の作品に登場する「現実」と「非現実」は作品によって内容が大き
く異なる。そこで登場するのは第二の要素である「抽象性」だ。押井監督は、アニメーシ
ョン特性41を存分に利用することで現実では不可能な事柄を映像化している。これらの抽象
的なシーンは、物語の核心を表す少女や鳥のモチーフとして登場する。
押井監督が背景や視界を重ね合わせた(視界のフレーム性42)様に作品では、「現実・
非現実」と「抽象性」の二つの要素を互いに組み合わせるもしくは、片方をオフの状態に
することで世界観を作り上げている。
映画では、多くの場合キャラクターの内面の変化が描かれている。視聴者は、その変
化をキャラクター同士の会話やアクションによって読み取ることが出来る。つまり主人公
が他のキャラクターと深い繋がりがあると視聴者は、より深く主人公を理解することが出
来る。その反面、キャラクター同士の繋がりが希薄だと主人公の内面は、あまり外に出て
こない。押井監督の作品では「人の繋がり」という要素を効果的に利用している。「アヴァ
ロン」に登場するアッシュは、ゲームの世界では常に一人で人との繋がりを拒絶していた。
40 「押井守の長編アニメーションにおける自閉的世界からエンターテインメントへ」参照4p
41 アニメーションの定義
参照 p3
42 斉藤環氏の「身体・フレーム・リアリティ」参照 p5
15/15
しかし、拒絶し続けることで逆にマーフィーとの繋がりを強調する結果となった。「攻殻機
動隊」では、素子が自分の存在意義を悩みバトーに相談することから他の作品より深い段
階まで分かり合う姿が表現されている。
押井作品の個性的な要素として第四の要素「引用」がある。好んで引用を台詞の中に
登場させる事で、ポストモダンな一面を見せる。この引用も多用している作品もあればま
ったく引用が登場しない作品もある。これらの引用は、様々な文献から取られている。「パ
トレイバー1」では、帆場というキャラクターの名前を旧約聖書に登場する神であるエボ
バになぞらえ、レイバーの整備を行う洋上プラットホームを方舟と呼ぶなど物語の核心部
分で利用している。また、「イノセンス」での引用は多岐にわたり旧約聖書からブッタ、世
阿弥などの引用がみられる。
最後の要素が「ハイテク・高度技術性」だ。押井監督の作品には、ロボット、アンド
ロイド、電脳などの現代の技術では不可能な高度技術を必要とする機械が数多く登場する。
これらのハイテク機械を登場させ現在の常識を超えることで今後、直面する可能性のある
社会問題や倫理問題を身近にとらえることが出来る。
それぞれの要素が色濃く現れている作品とあまり現れていない作品がある。そこで、
それぞれの要素を作品の中で確認することの出来ない「0」から作品の中で頻繁に確認でき
る「10」までの10段階で評価しどう描かれているか考察する。
3. 押井監督各作品の要素分布
「うる星やつら2
ビューティフル・ドリーマー」(1984)図1
16/16
「うる星やつら 2」
(1984)
抽象性
10
ハイテク・高度技
術性
5
人の繋がり
0
現実・非現実
引用
「うる星やつら2」は、あらすじにもあるように舞台が妖怪・無邪鬼がラムの為に
作った夢の世界であった。故に「現実」と夢の世界である「非現実」の二つの世界が描か
れている。映画の後半にあたるが、無邪鬼が作り出した複数の夢の中で迷うことから複数
の「非現実」の世界が描かれていると考えることも出来る。無邪鬼は、彼の作り出した夢
に閉じ込めた諸星あたるに「現実と非現実の違いは何か」と問う。この質問こそが、「攻殻
機動隊」や「イノセンス」のテーマの原点と言える。
この作品では、「非現実」が夢であることから二つ目の要素である「抽象性」が組み合
わされている。あたるが水溜りの中に落ちて行くシーンや町からのヘリでの脱出を試みた
際、彼らが見た巨大な亀の甲羅の上に隔離された友引町の姿は、非常に抽象的な印象があ
るシーンだ。また夢の中にたびたび登場する少女は、最終的にあたるを現実の世界へ連れ
戻すことから「現実」と「非現実」との橋渡し、もしくは境界線としての役割を果たして
いた。
また、この作品の特徴としてラムと他のキャラクターとの関係を表す「人の繋がり」
の要素が最も分かりやすく表現されている。その大きな理由は、物語の大部分がラムの夢
の世界での出来事であるためだ。故に、ラムの普段は表に出さない内面が直接世界観に現
れている。物語の中盤になり、彼らのいる世界がラムの夢であることに皆が気付くと、ラ
ムと他のキャラクターとの人間関係が明確になっている。物語の冒頭では、学校にいる生
徒や先生がラムの世界に登場するが、世界が廃墟となると友人と諸星あたるの両親だけに
なり、ラムと関係の薄いもしくは、存在が望まれない存在は姿を消していった。その事か
らも、ラムの新密度が如実に現れている。
「うる星やつら2」では5つの要素のうち登場しないものが2つある。その1つである
引用は、テレビシリーズの映画化と言うことで入れるのが困難な状況だったのではないか
と推測できる。また、同様の理由でその他の押井作品に見られるハイテク・高度技術性と
いう要素は、あまり表現されていないが、学園コメディーに戦車やヘリコプターを登場さ
17/17
せるなど押井監督らしさを出し始めている。
「機動警察パトレイバーTHE MOVIE」(1989)図2
「機動警察パトレイバーTHE MOVIE」
(1989)
抽象性
10
ハイテク・高度技
術性
5
人の繋がり
0
現実・非現実
引用
「パトレイバー1」は、
「うる星やつら」と異なり夢の世界や仮想現実といった世界は
登場しない。しかし、旧約聖書の出来事とストーリーを重ね合わせることで二つの世界が
存在するような感覚を観客は持つ。
この作品では「現実・非現実」の要素は、オフの状態になっているが「抽象性」の要
素は、存在する。具体的には、鳥のモチーフを用いた二つのシーンがある。物語の冒頭で
夕日の中で不気味に笑いカラスをなでる帆場英一が自殺したシーンや台風が迫る方舟の内
部に帆場がいるとレーダーに反応した場所にたくさんの黒い鳥が現れるシーンなどでは、
抽象的な演出が見られる。
この作品における人の繋がりは、浅い表面的な付き合いがほとんどだ。その原因とし
て挙げられるのが特定の主人公がいない点だ。第二小隊と冒頭に自殺してしまった姿の見
えない帆場が主人公のストーリーである為、キャラクター同士の深い繋がりは描かれてい
ない。
「パトレイバー1」で非常に印象的なのは、引用が多用されている点だ。特に旧約聖
43
書 からの引用が大半を占めている。キャラクターの名前を例にとっても帆場は、旧約聖書
に登場する神であるエボバから取っているし、ヒロインの野明は、ノアの方舟44のノアを連
想させる。キャラクター以外にもレイバーの整備を行う洋上プラットホームを方舟と呼ぶ
など物語の核心部分で利用している。また帆場の部屋にあった書き込み「エホバくだりて、
かの人々の建つる街と塔を見たまえり。いざ我らくだり、かしこにて彼らの言葉を乱し、
43 イスラエル民族の歴史が神による選びと救済の歴史として描かれる
44 旧約聖書の創世記(6 章-9 章)にでてくる、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公
ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟を指す
18/18
互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。ゆえにその名は、バベルと呼ばる」は、旧約聖
書45からの引用である。
引用の他に、町の風景を現代より少し昔の下町にすることでポストモダンな印象を強
くした。しかし、物語の核心部分でレイバーやHOSを前面に出すことによって「うる星や
つら」には、なかったハイテク・高度技術性が登場する。コンピューターが現在ほど普及
していない89年にOSに対するサイバーテロを映像化することで、時代の先を見つめる押井
監督の感覚を知ることが読み取ることが出来る。
「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」(1993)図3
「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」
(1993)
抽象性
6
4
ハイテク・高度技
術性
2
人の繋がり
0
現実・非現実
引用
「パトレイバー2」は、「パトレイバー1」と同様に世界や仮想現実といった世界は登
場しない。さらに抽象的な演出は各所で見られるが「パトレイバー1」と比較するとそれ
ほど多くは登場しない。
ここで、新しく登場するのは「複数の現実」の考え方である。46「パトレイバー2」で
は、様々な立場のキャラクターが登場する。これらのキャラクターは、それぞれの立場で
物事を判断するため異なった現実を持っている。また、「複数の現実」のモチーフとしてテ
レビ画面に映った鳥の映像が登場する。
この作品で鍵となるのは、東京の街を舞台にした戦争勃発のシミュレーションを起こ
した柘植の存在だ。柘植は、1999年に東南アジア某国での戦闘の際に発射許可を得ること
が出来ず、仲間を戦争で失ってしまった。柘植と彼の仲間達が見ていた世界と安全な所で
指示をする上層部の人間が見ている世界の違いを感じた柘植は、戦争はフィルターの向こ
うではなく生活のすぐそばにあることを人々に警告するためにこの事件を起こしたのだ。
つまり、「パトレイバー1」が過去の旧約聖書の出来事と現実を対比させたように、
「パ
45 旧約聖書 創世記 11 章
46 斉藤環氏の「身体・フレーム・リアリティ」参照 p5
19/19
トレイバー2」は複数の現実を対比させる試みをした作品といえる。押井監督の「唯一の
真実」が存在しないと考えもおそらくこの時期に確立されたものだと推測できる。
この作品では様々な人物の現実を描くために、特定の人物を取り下げてはいない。そ
のため、人の繋がりに関しては「パトレイバー1」と同様、特定の主人公がいないので人
の繋がりは浅い表面的な付き合いがほとんどだ。
前作の「パトレイバー1」では、引用を多用していたが「パトレイバー2」では、引
用の利用が少ない。エンディングに柘植が以前しのぶへの手紙の中で語った言葉で「我地
に平和を与えんために来たと思うなかれ。我汝等に告ぐ、然らず、むしろ争いなり。今か
ら後一家に5人あらば3人は2人に、2人は3人に分かれて争わん。父は子に、子は父に、
母は娘に、娘は母に」が印象に残ったが引用元は不明。柘植の存在を印象的にするために
押井監督があえて引用の様にして手紙に組み込んだ可能性もある。
ハイテク・高度技術性は、登場する機器や設定が同じため同様の評価をしている。
「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(1995)図4
「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」
(1995)
抽象性
10
ハイテク・高度技
術性
5
人の繋がり
0
現実・非現実
引用
押井監督が世界的な評価を得た代表作。この作品には、押井監督がそれまでに他の作
品で培った要素の全てがバランス良く組み込まれている。
「攻殻機動隊」で表現されている「現実・非現実」の要素は、
「パトレイバー2」の「複
数の現実」の考え方を発展させたものだ。「パトレイバー2」の「複数の現実」が複数の他
者がそれぞれ持つ現実であるのに対して、「攻殻機動隊」で表現されているのは客観化され
た個人の現実の信憑性である。つまり、個人にとって現実が複数存在する可能性を取り上
げている。
テレビ画面に映し出されている映像が必ずしも真実では無いように、記憶の外部化と
電脳化を技術的に可能とすることによってキャラクターの現実に揺らぎを持たすことに成
功した。すると「現実と非現実の違いは何か」と言う「うる星やつら2」で押井の表現し
20/20
たかったテーマと結びついてくる。
「攻殻機動隊」では、人形使いによって記憶を操作され
た清掃員の男は、自分の妻と娘の存在を信じて疑わなかった。妻と娘がいるのが男にとっ
て現実だったのかもしれないが、実は妻も娘も始めから存在しておらず非現実だった。
記憶の外部化や電脳化が可能となると、現実の信憑性以外に自分が自分である根拠で
ある自身の記憶や意思が自分固有のものであると言えなくなる。故に、「自分」と「他者」
を隔てる境界が曖昧になると言える。特に全身がサイボーグである主人公の素子は、自ら
の存在と個人としてのアイデンティティの葛藤を通じて強く表現されている。
「自分」を定義するには、「他者」の存在が必要不可欠である。そのため、素子を中心
にバトーや公安9課の「人の繋がり」が描かれている。また、人形使いと素子が最終的に融
合した事からも精神的に深い繋がりを素子が欲していた事が分かる。
「パトレイバー1」と比べるとそれほど抽象的な表現は含まれていない。しかし、重
用なシーンの各処で抽象的な演出が見られる。素子がダイビングで浮上する際に水面に鏡
の様に写る素子の姿や素子と人形使いが融合する際に見られた鳥の羽などの表現がある。
物語の核心部分で引用を利用している。
「童の時は語ることも童の如く思うことも童の
如く論ずることも童の如くなりしが人となりては童のことを棄てたり。今、我ら鏡持て見
るごとく見るところおぼろなりされどかのときには顔を対せて相ま見えん」47この引用の後
半部分(今、我ら鏡持て∼)は、素子がダイビングの直後バトーに自分の存在について話
しをした直後、何者かのつぶやく様な声で聞こえてくる。この引用の前半部分は、人形使
いとの融合後にバトーに語った。人を超えた新しい存在になったことを意味している。
ハイテク・高度技術性に関しては、近未来を舞台の設定としている為「パトレイバー
1」、「パトレイバー2」と比べ多くの新技術や機械が登場する。その為、一層SF的な印象
が強い作品である。また、
「現実・非現実」を複数の世界を登場させずに表現する意味でも、
電脳化や記憶の外部化といった技術を導入した意味は大きい。
「アヴァロン / AVALON」(2001)図5
47 新約聖書「コリント人への第一の手紙」の一節(第13章11節)
21/21
「アヴァロン / AVALON」
(2001)
抽象性
10
ハイテク・高度技
術性
5
人の繋がり
0
現実・非現実
引用
「攻殻機動隊」の後に押井監督がポーランドで撮影した実写映画である。この作品
は、押井監督がそれまで表現した「現実・非現実」を実写でも試みた作品だといえる。押
井監督は、著書「すべての映画はアニメになる」の中で、CGや編集によって作り変えられ
た映像はアニメであると言う理論を述べている。押井監督は、「アヴァロン」をこの理論を
元にこの作品を完成させた。これは、津堅信之氏のアニメーションの定理48を実写という素
材を用いて行った事に他ならない。
この作品の中で登場する「現実・非現実」は、
「うる星やつら2」と類似している。
「う
る星やつら2」で現実と複数の夢を登場させたように、「アヴァロン」ではアッシュの住む
世界と幾つもの世界の層のように重なるステージによって構成されるゲームの世界が登場
する。最終的に、ヒロインであるアッシュは、現実ともゲームとも分からない色のある世
界にたどり着く。
しかし「うる星やつら2」と異なり非現実の世界が夢ではないので、比較的現実的な
描写が比較的多い。それでも、「うる星やつら2」と同様に白い服の少女をモチーフとして
利用している点が興味深い。
この作品が、他の押井作品と大きく異なるのはアッシュの人間関係だ。アッシュは、
以前チームで裏切りが会ったことからまるで一匹狼のように他人との接触を嫌い、周りの
人間を遠ざけていた。押井監督は、アッシュが他のキャラクターを拒絶し続けることで逆
にマーフィーとの繋がりを強調するという新しい試みをしている。
引用に関しては、「パトレイバー1」「イノセンス」などと比べれば明に少ないものの、
この作品のタイトルそのものが引用である事から重要な部分で引用を用いていることが分
かる。アヴァロンには、幾つかの伝説や関連する話があるが最も有名なのはアーサー王伝
説に登場する理想郷を意味する。
この作品の中でヴァーチャル・リアリティーの世界を創り出すには、
「攻殻機動隊」と
48 「アニメーション学入門」
(2005)参照 3p
22/22
同様にハイテク・高度技術が必要不可欠である。ハイテク・高度技術抜きでは、この作品
の現実味が薄れてしまうからだ。
「INNOCENCE / イノセンス」(2004)図6
「INNOCENCE / イノセンス」
(2004)
抽象性
10
ハイテク・高度技
術性
5
人の繋がり
0
現実・非現実
引用
「攻殻機動隊」から3年後を描いた「イノセンス」は、前作と非常に似たバランス良い
要素分布をしている。「現実・非現実」の要素は、「攻殻機動隊」で表現されていた個人に
とっての現実の信憑性が、「イノセンス」では、主人公バトーが電脳ハックをされることで
前作以上に疑問視されている。
たびたび電脳ハックをされるバトーによって、観客もバトーと同様どこまでが現実で
どこまでが電脳による幻しかが非常に分かりにくくなっている。その為、前作と比べ抽象
的な表現が増えている印象を受ける。そのため、「攻殻機動隊」を発展させた作品として見
ることも出来る。
主人公のバトーにとって最も大切なのは、素子に対する想いだった。これは、バトー
と仲間との会話から容易に推測することが出来る。また、バトーが犬を飼っていることか
ら、バトーが素子以上に繋がりを求めていることが分かる。
この作品には、様々な出典から引用が見られ旧約聖書からブッタ、世阿弥などの引用
が見られる。特に物語の核心部分で利用された引用が「孤独に歩め…悪をなさず
求める
49
ところは少なく…林の中の象のように」 である。これは、荒巻とバトーがそれぞれ作中に
用いた引用だ。「イノセンス」特典DVDの解説によると、この前に「良き伴侶を得られない
場合は孤独を貫け」という一文があり最高のパートナーである素子を失ったバトーの心境
を表している。
ハイテク・高度技術性に関しては、「攻殻機動隊」「アヴァロン」と同様にヴァーチャ
ル・リアリティーの世界を創り出すには必要不可欠な要素である。また、「攻殻機動隊」と
49 仏陀の引用
23/23
比べ電脳がハッキングされたシーンが多くあるので、より重要度を増している。
これらの作品を分析した結果、押井監督は一貫して「現実・非現実」を様々なアプロ
ーチで映像化していることが分かった。押井監督は、始め抽象的な夢と現実といった二つ
の世界を「うる星やつら2」で描いた。次に「パトレイバー1」で引用によって作られた
過去もしくは神話の世界と現実の二つの世界を重ねることに成功し、「パトレイバー2」で
世界に存在する複数の真実を描いた。
「パトレイバー2」で複数個人による複数の真実を描いたことで、それぞれの真実を決
定する個人のアイデンティティに関する興味が押井監督に生まれ「攻殻機動隊」
「イノセン
ス」における主人公達の存在意義の葛藤や自分が自分であるために必要なアイデンティテ
ィの意識へと変化していく。また興味深いのは「攻殻機動隊」「イノセンス」で登場する非
現実とは、現実の世界に存在する自らの電脳によって作られた幻である点だ。つまり押井
監督は、この二つの作品で現実世界と内面世界の二つの世界を描くことで個人のアイデン
ティティを追及したのだ。
また押井監督は、斉藤環氏の論文50で分析されている視界のフレーム性、レイアウトや
佐藤心氏の論文51で議論されているモチーフの組み合わせと同様に今回、彼の特徴として紹
介した五つの要素を組み合わせることで効果的にこれらの世界を構築し最終的には、個人
の中の世界である内面を描いている。
故に「攻殻機動隊」「イノセンス」は、押井監督がこれまでの作品から発展させていっ
た集大成だと言える。また、この2つの作品は押井作品に見られる5つの要素を満遍なく
取り入れ、それぞれの要素分布グラフである図4と図6を見ても最も面積が大きいのが分
かる。二つの作品の間に撮影された「アヴァロン」は、間違いなく「うる星やつら」と「パ
トレイバー1、2」の発展系であるが実写にアニメーションの技法を取り入れることや、
周りを拒絶する主人公を作り上げるなど実験的な性格が強いため集大成とは言えない。
以上のことから「攻殻機動隊」と「イノセンス」の2作品を中心に自己のアイデンティ
ティを決定するための「自分」と「他者」との境界線について考えることにする。まず、
一般的に「自分」が「他者」と異なるアイデンティティを持つためには、「自分」にとって
どの様な「他者」が存在するか明らかにする必要がある。
B.「自分」にとっての「他者」の定義とそれぞれの主人公にとっての「他者」
1. 他者の種類(他者との相互作用のレベル)
社会の中で人が生活をしていくには、様々な他者と繋がっていく必要がある。普段生
活をしている中で会うほとんどの他者は、まったくの関わりを持たない者も多い。個人と
個人とのあいだにおける新密度の度合いにより、個人と個人との社会的距離が変わってく
50 身体・フレーム・リアリティ参照 p5
51 押井守における「空」をめぐって
24/24
る。個人にとっての他者を明確に定義するために、山本真理子氏と原奈津子氏が著書52で用
いた他者の分類を元に「攻殻機動隊」と「イノセンス」でそれぞれに登場するキャラクタ
ー(主に主人公)が持つ他者との関係がどのように描かれているかを考察していく。他者
との関わりを明確にすることで自分と他者にどのような共通性があるか、もしくは異なる
特質があるかを考えていく。
表1
関係レベル
特徴
レベル0
・ 私たち自身にとっては、「人物」としての意味づけがほとんどない存在の人
たち。
・ 私たちが毎日出会う他者のほとんどが、このレベルの関わりの人々。
レベル1
・ テレビ画面に映る人:人物として認知されているが、相手との何らかのやり
とり(相互作用)が行われない人たち。
・ 友人の友人:そういう人がいることは知っているが(「人物」としての認識
はあるが)、相互作用をする気のしない人たち。
・ ひまつぶしの相手:自分の目標達成できる範囲でしか、相手の印象形成に関
心を身持ちません。
レベル2
・ 相手から一方的にコントロールする、もしくは逆にコントロールされている
立場の人たち
・ 相手との相互作用が一方的な状、勢力者の結果依存状態
レベル3
・ 対等に相手に影響を与え合っている人たち。相互作用が行われる関係。
・ 共同作業、競争状態
・ ある結果を得るために相手を正確に理解する。
「能力の評価」を行う。
レベル4
・ 私を好きだと言ってくれる人
・ 相手への好意あるいは相手からの好意がとても気になるレベルのかかわり
・ 相手からの好意が、相手への認知に影響する
(関係のレベルと特徴を「セレクション社会心理学―6
他者を知る
対人認知の心理学」p9を元にまとめた物。)
2.「攻殻機動隊」草薙素子と登場人物との社会的距離
公安9課に勤務する草薙素子は、体のほとんどを機械化したサイボーグである。その
為に、定期的なメンテナンスが義務付けられており、要人暗殺等の特殊任務の為に待機し
ていなければならない。その為か、草薙素子の私生活は公安9課の活動が基盤となってお
り仕事以外の人間との人間関係は確認することが出来ない。
まず素子とレベル0の関わりがある人物は、作中で登場する通行人や物語と直接関係
52 「セレクション社会心理学―6
他者を知る
対人認知の心理学」山本真理子、原奈津子(2006)の中で、さまざ
まな他者をその相互作用のレベルに応じて0∼4の5つに分類した。
25/25
しない人々を表す。彼らは、存在はしているが素子にとっては、いてもいなくても変わら
ない意味を持たない種の人々のことである。
素子にとってのレベル1関わりを持つ者は多数登場する。直属の上司では無い公安6課
の中村部長や外務大臣などの上層部の人間とは、多少の繋がりはあるものの何のやり取り
もされていない。また、上の表の「ひまつぶしの相手」は、目的を遂行するためのターゲ
ット、事情を聞く清掃員などが該当する。これらのプログラマーや清掃員は、通常なら素
子が関心を持つ対象にはなりえない。しかし、公安9課の仕事によって一時的に関心を持
った事からレベル1だと言える。
素子が組織の中にいる以上、勢力者の結果依存状態であるレベル2は存在する。素子
の場合は、直属の上司である荒巻の決定は絶対である。その為、荒巻と素子の関係はレベ
ル2である。また、同僚の中でも立場の低いトグサに対しては、素子は勢力者となる為レベ
ル2の関係になる。
レベル3は、対等に相手に影響を与え合っている人たちを指す。素子とってレベル3
の関係であると言えるのは職場の仲間達である。任務を遂行するにあたってお互いの能力
を信じている点でバトーとの関係はレベル3であるといえる。同じ同僚であるトグサは、
配属されたばかりと言う事もあってかレベル2の関係が強い。
素子は、好き、嫌い、怒りといった感情を表に見せることが無いヒロインである。そ
の事からも相手が、どの様に考えているか興味を持つ段階にいたっていない。しかし、唯
一、素子が気にし続けた存在が人形使いである。彼の事を知りたいと素子が強く思い電脳
ハックをしたことからも、人形使いと素子はレベル4の関係であると言える。
人形使いと素子の結びつきは、物語の随所で共通点として見ることができる。素子が
自分という存在が周りの反応によって自分らしき人物が存在すると認識しているように、
人形使いも同様に膨大なネットの中で自分の存在を知った。そうした意味で二人には共通
する思想があったと考えられる。また、政府によって利用されている存在としての境遇も
似ている。人形使いと素子に動揺に二人が似ているとお互いに話していることから強い共
感状態であったと言える。
レベル別に素子の他者に対する社会的距離を見てみると自分と近い境遇も他者に対し
てより高いレベルでの関係を気付いている。特に人形使いと言うキャラクターを素子の分
身のような存在として登場させることで多くを語ろうとしない素子の内面を表現すること
に成功している。
3.「イノセンス」バトーと登場人物との社会的距離
草薙素子と同じく公安9課に勤務するバトーが「イノセンス」での主人公となる。バ
トーの人物設定も、前作と同様に身体のほとんどを機械化したサイボーグである。私生活
は、公安9課の活動が基盤となっているが9課の外部に知り合いがいることや飼い犬の世
話をすることから、素子と異なったより人間的な印象を持つことができる。
26/26
バトーとレベル0の関わりがあるのは、作中で登場する通行人や物語と直接関係しな
い人々のため素子の時と条件は変わらない、素子と他のキャラクターとの社会的距離が変
わっているのは、レベル1の関わりからだ。公安9課に所属しているバトーには、主に仕
事で出会う相手がこのレベルの関係に相当する。最初に暴走したハダリや、その暴走を調
査する過程で出会った科学者のハラウェイやハッカーのキムとは、レベル1の関係が成立
する。バトーには、仕事以外の人付き合いもありペットフードを買う店員やトグサの娘と
も面識がある。
素子と同じ理由でバトーも組織に所属している以上、勢力者の結果依存状態であるレ
ベル2は存在する。直属の上司である荒巻との関係がレベル2にあたる。荒巻は、イシカワ
やトグサと共にバトーの信頼できる同僚であるためレベル3の条件を同時に満たす。
「イノセンス」でのトグサは、バトーの新しいパートナーとして行動を共にしている。
トグサとバトーの関係は、幅広くレベル2からレベル3までをカバーしている。トグサは、
バトーと比べ公安9課でのキャリアも短いため同僚の中でも立場の低いトグサは、時とし
てバトーの様子を伺うレベル2の関係になり、時には、お互いの能力を信じる仲間として
レベル3の関係にもなる。
バトーにとって最も気になるレベル4の存在は、3年前に消息を絶った草薙素子だ。前
作の「攻殻機動隊」を前提にすると、バトーと素子の結びつきを物語の随所で発見するこ
とができる。
「攻殻機動隊」で素子が人形使いとの融合を果たす時に彼女の目の前に羽が写
りこんだ。53これは、彼女が融合によって鳥のモチーフを得ることで、超越した存在になっ
たことを示している。54素子=鳥という前提で考えると、羽の入った空の鳥かご55が、素子
を失ったバトーの喪失感を現すモチーフとして認識することができる。また、その他の箇
所でたびたび登場する鳥のモチーフも素子と関連付けることが可能だ。
鳥以外の表現でも、キムの屋敷では「攻殻機動隊」のラストシーンで登場した少女の
姿をした素子の義体がバトーの守護天使として彼の危機を救った。電脳迷路の中でバトー
が素子と再会したことからも二人の深い信頼関係が見て取れる。
C.「攻殻機動隊」・「イノセンス」 に見る「他者」と「自分」の境界線
1.草薙素子とバトーのキャラクター
前記の通り、草薙素子の私生活は公安9課の活動が基盤となっており仕事以外の人間
との人間関係は確認することが出来ない。また、同僚であるバトーがいる前でおもむろに
着替えを始めるシーンなどから素子は、自分が女性であるという意識も欠如している事も
分かる。逆に、バトーは目を背けることで彼女を女性として意識していることがわかる。
体の大部分が機械であり、仕事以外の人間関係が無い素子の存在は、まるで公安9課とい
53 「攻殻機動隊」(01:13:03)
54 佐藤心氏の「押井守における「空」をめぐって」参照 p5
55 「イノセンス」(00:23:54)
27/27
う組織を動かすだけに存在する歯車の様に見える。そんな中で、彼女は自分という存在に
ついて考える。人間としてのアイデンティティや近未来におけるジェンダーの考えについ
ては、パク・ジュンスン氏の論文56にて細かく分析されている。
3年後「イノセンス」の世界では、バトーは素子を失った喪失感を引きずっていた。バ
トーは、ガイノイドであるハダリの調査をするなかで、人間でなくなってしまった過去の
パートナーの姿を人形達に重ねていく。
次に、素子とバトーが自らの人格を考える上で重要となる世界観と語句について確認
する。「攻殻機動隊」の世界では、多くの人間が「電脳」と呼ばれる外部情報にアクセス出
来る脳を持ち、「義体」と呼ばれる機械で体を補強している。本作品に登場するキャラクタ
ーの多くもこの義体化、電脳化を行っている。バトー、草薙素子の二人は体のほとんどを
義体化したサイボーグだ。ここで、問題となるのはアンドロイドとの違いだ。アンドロイ
ドとは、多くの SF 映画で登場する人工知能をもった機械である。物質的な違いは生身の脳
がある無しなのだが、彼らは「ゴースト」の部分の違いと表現している。ゴーストとは、
本作品のタイトル一部でもあるが、
「私は私であり他人ではない、その根源となる意識、精
神、魂、人格」とストーリー中に説明されている。
「電脳」によって情報が共有化できるようになると、個人による考えの違いといった
ものが生じにくい状況になってしまう。人形使いが「人間は記憶によって生きるものだ。
コンピューターの普及が記憶の外部化を可能としたとき、あなた達はその意味をもっと真
剣に考えるべきだった。」57荒巻と中村に言い放ったように、記憶すら外部化が可能になっ
てしまうと「自分」と「他者」を区別する上で重要なプライバシーや個別性(アイデンテ
ィティ)が失われてしまう。この「電脳」の存在も素子が自分の存在に疑問を感じてしま
う要因になっている。
また、素子と考え方や境遇が似ている人形使いを登場させることで、
「自分」と「他者」
の境界線が曖昧だと言うことを強調している、同時にバトーの様に完全に義体化したサイ
ボーグの同僚を素子と異なる考えを持つ「他者」として登場させることで「パトレイバー
2」の様に複数の真実を表現している。
複数に存在する「他者」の真実と素子(「自分」)にとっての真実が明らかに異なる。
押井監督は様々なモチーフを用いることによって複数の真実の存在を示している。次に、
押井監督が「自分」と「他者」を区別するために、どのようにモチーフを利用して映像を
表現したのか考察していく。
2. モチーフと「自分」と「他者」境界線
押井監督に登場するモチーフは、「自分」と「他者」の境界線を考える上で重要な役割
を果たしている。完全に義体化したサイボーグである素子は、自らを生命体だと主張する
56 『
「攻殻機動隊」に見るアイデンティティ問題』参照 pp7-8
57 「攻殻機動隊」人形使いの台詞(00:48:50∼)
28/28
人形使いの存在によって、「自分」が本当に意識を持つ人間であるかを考えるようになる。
この様に人以外の存在を主要なキャラクターとして登場させることは、SF 映画の設定とし
てよくみられる。多くの場合これらの人以外の存在は、悲しみや喜びといった感情を見せ
人間らしさを表現することで「人とは何か」と言う命題を問う。しかし「攻殻機動隊」で
は、通常の SF 映画とは逆に感情をあまり表さない機械のような人間のヒロインを登場させ
ることで、人間を機械に近づけ同じ命題を問うている点で、若干異なる。
スチール①58
「攻殻機動隊」のオープニングが終わると、草薙素子が部屋で目覚めるシーン59がある。
ここで注目しなければならない点は、このシーンが作品中登場する素子唯一のプライベー
トな空間を表している点だ。彼女の部屋は、無機質で装飾品はいっさい見当たらない。ま
た、暗く寂しい雰囲気さえする。素子は、目覚めるとまずブラインドを開いた。彼女の部
屋の窓の外には、高いビルが立ち並んでいる。この事からも、このガラスが、「自分」の空
間と「他者」の空間との境界線である事が分かる。直接的な意味以外にも彼女の考えや内
面が部屋の外にいる「他者」と大きく異なることも表している。
素子が 6 課のヘリの銃撃によって爆破された後、バトーは素子を自分の部屋へ連れて
行く。他人を入れたことの無いというバトーの部屋には大量の本、インテリアらしい球体、
壁にかけられた絵、電気スタンドに椅子などの雑貨が置かれていた。同じ公安 9 課のサイ
ボーグであるのに対照的な部屋が描かれている。「イノセンス」で描かれていたバトーの部
屋も生活観のあるものだった。このことからも「素子」と「他者」の違いが明確に現れて
いる。
スチール②60
58 「攻殻機動隊」
(00:08:00~)素子の部屋の映像
59 「攻殻機動隊」
(00:07:14~)
60 「攻殻機動隊」
(00:26:00)素子とバトーが見つめる、取調べ中の清掃員。
29/29
ガラスは、オープニング以外にも登場する。記憶操作をされた清掃員の男性をトグサ
が取調べを行う際に、バトーと素子は取調室の外でその取調べをガラス越し見ていた。61こ
こでのガラスには、二通りの役割がある。まずは、サイボーグと人間との境界線としての
役割がある。
「自分」である素子とは、同じくサイボーグであるバトーと同じ側にいる。そ
して、ほとんどが生身のトグサと恐らくそうであろう清掃員は彼女にとって「他者」とし
てガラスの反対側にいる。もう一つの役割は、鏡としての役割である。鏡を挟んで反対側
に自分の映像が映し出される事から自己投影から、
「他者」から見た「自分」を表している。
つまり、記憶を操作され偽りの記憶を与えられた哀れな清掃員と同じように素子は周りか
ら思われている。
スチール③62
少女も押井が頻繁に利用するモチーフである。「うる星やつら2」「アヴァロン」など
でも少女は、様々な境界線のモチーフとして登場する。「攻殻機動隊」では、物語の終盤に
バトーのセイフハウスで素子が目を覚ますシーン(スチール③の場面)。このシーンでは、
大破された素子の義体の変わりにバトーが闇ルートから入手した少女の義体で素子は登場
した。少女とは、子供と大人の中間に位置している非常に不安定な存在である。また「自
分」と「他者」を明確に理解し始めるのも、この年代の少年少女であると言える。
この様に押井監督は、「自分」と異なる「他者」についてモチーフを使い様々な角度で
「自分」と「他者」を表現している。これらのモチーフに共通して言えるのは共通するの
は、「自分」と「他者」の違いを「自分」である素子の視界に入るものを中心としている点
だ。そこで、次に視点の役割について考察していく。
III.「自分」と「他者」の境界線における視点の役割
A.視点の重要性
61 「攻殻機動隊」
(00:27:08)
62 「攻殻機動隊」
(01:14:07)
30/30
1. 意志による視点の選択
「攻殻機動隊」において、視点は非常に重要な意味を持つ。モノを見ると言う行為に
は、カメラの様にただ写すだけではなく行動をする為に意識が働いている。その事からも、
モノを自らの意思で選択する点で機械と人間は大きく異なる。視野が「自分」が「自分」
である為に必要なゴースト(意識、魂)と密接に関係している事を示すシーンがある。物
語の終盤に素子が人形使いに電脳ハックを仕掛けるシーン63だ。
このシーンで、素子はまず人形使いの視野に潜入した。先ほども述べた様に視野とは、
機械と人間を隔てる意識の部分である。その為、素子は人形使いのゴーストに侵入するこ
とで「自分」と「他人」を隔てる物が無くなり「自分」と「他者」の境界を超えたと言え
る。現実では、共感によって一時的にシンクロする場合はあっても超えることの出来ない
「自分」の「他者」境界を電脳という設定を導入することで容易に可能としている。
「イノセンス」での視点は「攻殻機動隊」と比べて直接的に表現されている。オープ
ニングで解説されるハダリの製造工程のラストショット64は、眼球のアップで終わる。ハダ
リの眼球の中に少女の姿が写りこんでいることでハダリの中にあるゴーストの存在を示唆
している。このオープニング以外でもハラウェイの研究所65などで、眼球のアップの映像を
意図的に組み込むことによって物語における視点の重要性を強調している。
2. キャラクター視点の映像表現
キャラクターの視線として認識できる映像表現が作品の中で数多く登場する。その一
つは、映像そのものがキャラクターの視点として確認できるシーンと、もう一つは逆にキ
ャラクターがカメラを覗き込むように画面を直視するシーンである。「攻殻機動隊」では、
主人公である草薙素子が画面を直視するシーン少なくとも 32 回、素子の視線として確認で
きるシーンが 21 回も確認することができる。
キャラクターの視点を多用することで、日本アニメーションの特徴66である感情移入が
しやすい状況を作り出す効果がある。また繰り返し同じキャラクターの視点を観客が共有
することで物語の中心人物が誰であるのかを理解すると同時に、そのキャラクターが無意
識に選別している視点を見ることでキャラクターの深層心理を映像の中に見出す効果があ
る。アニメーションの映像は、実写と異なり全てのディテールを意識的に書き加えている。
そのため、キャラクターが無意識に世界から選別している視点も計算されていると考える
事が出来る。
押井監督は、キャラクターの視点が作品の世界観の形成に大きな役割を果たしている
ことを著書の中で語っている。「攻殻機動隊と「イノセンス」での世界観の違いについてこ
のように述べている。「アジアの某都市、という設定は同じですが主人公も変わるというこ
63 「攻殻機動隊」
(01:05:49)
64 「イノセンス」
(00:08:00)
65 「イノセンス」
(00:16:46)
66 津堅信行氏の日本アニメーションの特徴
参照 3p
31/31
とは主人公の抱えている世界観も変わるわけですから、彼の見る世界、都市の景観もまた
必然的に変化していなければなりません。」67
つまり、物語のプロットであるアジアの某都市の中で、主人公が何を感じてどの物事
に注目するかによって、観客が主人公の視点を共有することで見られる世界観は変化して
きます。その為、キャラクター特に主人公の視点が物語全体の世界観をより強く表現する
為に用いられているのがわかります。
「攻殻機動隊」で草薙素子の視点が世界観を表現しているシーンがある。ダイビング
後にバトーと会話をした直後、「今、我ら鏡持て見るごとく見るところおぼろなり」という
謎の声を聞き素子は振り返る場面だ。音楽と共にシーンは変わり素子が街を見回している
シーン68になる。ここで彼女がまず目にするのは、車や船と言った乗り物だ。人によって作
られ、人の為に動き続ける自分に良く似た存在として素子には映ったのかも知れない。そ
れを裏付けるように、その直後に素子と全く同じ顔をした人間(恐らくは、素子と同じメガ
デックボディ社の義体)が2人登場する事で素子本人が規格品によって構成される機械であ
る事を再認識させる。このシーンのラストショットは、雨の降る中で展示ガラスにあるマ
ネキンの姿である。マネキンとは、人の形を模した人形である。最終的には、自分はマネ
キンと同じではないかと素子の不安を表している。
この様な素子の不安以外にも、このシーンでの町並みを見ることで様々な事を読み取
ることが出来る。町並みのいたるところに看板やネオンサインがあり、そのほとんどに文
字がびっしり書き込まれている。そこには、大量の情報があり、複雑に入り組んだ路地は
まるで情報ネットそのものだ。このシーンの直前のバトーとの会話で、「自分が自分である
ためには、驚くほど多くの物が必要なの。他人を隔てる為の顔、そしと意識しない声、目
覚めるときに見つめる手、幼い頃の記憶、未来の予感、それだけじゃないわ。私の電脳が
アクセスできる膨大な情報やネットの広がり。それら全てが私の一部であり、私という意
識そのものを生み出し、そして同時に私をある限界に制約し続ける」69と素子がバトーに向
かって言っていることからも、複雑に入り組んだ路地や看板、ネオンを素子が見る事で彼
女が情報やネット無くして生きられない事を示唆している。
このシーンで印象的に用いられたモチーフが二つ存在する。一つは、飛行機だ。音楽
が変わると同時に大きな飛行機の影が画面上に映し出された。その姿は、あまりに巨大で
街に影を落とし不気味な印象さえ与えた。飛行機は、巨大な技術力によって支配される素
子の恐怖の象徴と言える。飛行機を始めとする輸送手段を始め電脳や義体化が浸透した世
界では、誰もがこれらの技術に依存することでしか生きていけなくなっている。特に素子
は、体のほとんどが義体化されている上に、電脳によって与えられた情報による自分自身
のアイデンティティを保つために現在の状況から抜けですことが出来ずにいる。
67 「イノセンス創作ノート」押井守 p99 より引用
68 「攻殻機動隊」
(00:32:56)
69 「攻殻機動隊」
(00:31:00)
32/32
もう一つの重要なモチーフは、このシーンに二回登場する信号だ。信号とは、人や車
の流れを制御する装置であって、社会におけるルールであり制約を意味する。その事から、
素子の行動や自由を制約する社会の象徴として描かれている。
素子の世界観を表しているこのシーンでは、素子の義体も含め多くの機械的なモチー
フによって構成されている。組織を中心とする機械的な素子の人間関係70を表しているよう
にも思える。また機械的な規格品によって構成される身体を持つ素子は、飛行機によって
表現された技術力によって支配される恐怖の他に、常に繋がっていなければならないと言
う思いを合わせ持っている。必要の無くなった物が、不必要なゴミとして川の中に捨てら
れたことで自分の社会的な役割が失った時に社会から拒絶される恐怖を支配される恐怖と
同時に感じていた。物語の終盤での素子と人形使いの融合は、これらの恐怖と制約からの
解放を意味していた。
一方、「イノセンス」でのバトーは、有能なパートナーである素子を失った喪失感が世
界観に表現されている。
「攻殻機動隊」の時と同様に、音楽が変わりバトーとトグサが街を
歩き回るシーンがある。71ちょうど祭りが行われていたようで大きな象の作り物がまず始め
に登場する。象のモチーフを登場させることで、「孤独に歩め…悪をなさず
求めるところ
は少なく…林の中の象のように」という荒巻とバトーがそれぞれ作中に用いた引用を思い
出す。要素分析でも説明したが、この引用の前には「良き伴侶を得られない場合は孤独を
貫け」という一文がある。この事から、このシーンは素子を失ったバトーの心境を風景と
重ねていることがわかる。
また、このシーンに登場する人間の全てが作り物の仮面をしていることから「人間」
も「人形」も全身が作り物であるバトーにとって変わらないことを表している。バトーに
とって重要なのは、その外見ではなくゴースト(意識)であると考えている。そのため、
死んでしまった被害者や生命反応のない素子そっくりの義体には特別な感情を持たなかっ
た。素子が、人間であってもそれ以外の存在であったとしてもバトーにとっては対して問
題ではないのかもしれない。
さらに注目するべきは、このシーンでは生き物が仮面をかぶった人間以外と鳥しか登
場しない点である。街や祭りの衣装以外にも宗教や思想といったものは、全て人間が作り
出したことを強調しているように見える。
人間以外に登場する大量の鳥達は、街中を飛び回る。人形使いと融合することでネッ
トの一部となった素子が常にバトーと共にあることを表現している。以上のことから「イ
ノセンス」でバトーの見る風景は、草薙素子の不在による喪失感を中心に彼の心情を映像
化しているが分かる。
B.仲間との社会的距離と視点
70 II.B.2「攻殻機動隊」草薙素子と登場人物の社会的距離より
71 「イノセンス」
(00:49:00∼)
33/33
参照 p20
1「攻殻機動隊」草薙素子の視点
「攻殻機動隊」の要素分析でも述べたが「自分」を定義するには、「他者」の存在が必
要不可欠である。そこで、視点と「他者」との関わりを見るために、II.B.2 で分析した素
子と登場人物の社会的距離と視点をそれぞれの関係レベルごとに対応させてみる。
「攻殻機
動隊」における社会的距離は、それぞれのキャラクターの視線に注目する事で理解が出来
るかを検討する。
まず素子とレベル0の関わりのある通行人や物語と直接関係しない人々をみる際には、
彼女の視点は、一定の人を中心に止まることが無い。また長い時間、同じ人間を見続けて
いない事からも彼女がそれらの人物に対して関心を持っていない事が分かる。
素子とレベル1の関わりを持つ人物としては、公安6課の中村部長や外務大臣などの上
層部の人間がいる。作中では、素子は彼らの事を認識はしているが接点を持っていない。
ここのレベルで最も重要となるのは、任務を遂行する上でのターゲットや清掃員の存在で
ある。素子は、彼らと継続的な付き合いを考えている訳ではなく一時的な関心を寄せてい
る相手といえる。その一時的な関心は、視点によって表されている。
まず、物語の冒頭部分72で素子は、海外へ亡命をしようとするプログラマーを阻止する
為に、中の様子を伺っていた。このシーンでは、素子はカメラ目線になり、続けて機械的
な目線でターゲットを素子してんで映している。この機械的な目線は、範囲を縮めプログ
ラマーだけを視覚に捕らえる。もちろん相手には見られていることは気付かれていない、
よって相互間での干渉を与えることが無いこの視点は、レベル1の関係を表していると言
える。
これと同様の例としては、素子が外務大臣の秘書を見つめるシーン73がある。このシー
ンでは、素子が荒巻との会話を終え部屋を出る際に一瞬カメラ目線になり、再び秘書を素
子の視点で見つめている。この間、秘書は昏睡状態に陥っておりプログラマーの時と同様、
素子との相互作用が行われない「他者」に対する視点である。
素子の視点によって一時的に注目している事が分かる人物は、他にも存在する。電脳
ハックを起こした犯人らしき男に対しても関心を寄せている。74また、その直後の清掃員の
取調べ75でも同様に素子は、じっと彼に注目している。
相互作用が行われない「他者」に対する素子の視点は、彼女の内面を描くために意識
的に組み込まれている。ここで素子の関心は、注目している個人ではなく個人の置かれて
いる状況にある。国家秘密を知るが故に自由を手にすることが出来ず亡命を選んだプログ
ラマーの姿は、公安9課を辞められない素子の姿と重ねて考える事が出来る。人形使いに
よって電脳ハックをされた外務大臣の秘書や清掃員の男は、素子と同様に脳を電脳化して
いたことから彼女はプログラマーの時と同様に自分を彼らに重ねて考えていたのかもしれ
72 「攻殻機動隊」
(00:01:00)
73 「攻殻機動隊」
(00:10:59)
74 「攻殻機動隊」
(00:23:21)
75 「攻殻機動隊」
(00:27:10)
34/34
ない。
公安9課の中の人間関係は、レベル2とレベル3の組み合わせによって構成される。
前記の通り、公安9課画が組織である以上、上司と部下による勢力者の結果依存状態が発生
する。また、同時に対等に相手に影響を与え合い任務を遂行する仲間でもある。
素子と同僚の人間関係を見ると、明らかに素子はリーダー的な存在である。その為、
素子はバトーやトグサに対しては勢力者としての役割が強い。特に、9課に入ったばかり
のトグサに対しては、勢力者としての面を強く出している。これは、素子の事を少佐と肩
書きで呼ぶことからも分かる。トグサの運転する車に乗る素子76の視点を観察すると、素子
とトグサの視点が一度として交わらない事が分かる。清掃車の追跡を始める際には、複数
回トグサは素子を向いたが素子は正面を向いたままだった。その事からも、レベル2に関
係では、非勢力者が勢力者に対して目線を向けているのに対して、勢力者は非勢力者に対
して目線を送っていない事が分かる。
素子の直接的な目線の関係以外に、間接的に素子の立場を表したシーンある。荒巻が
政府の高官とエレベーターで会話した後のシーン77では、立ち去ろうとする政府高官は荒巻
に背を向けて喋っているが荒巻は、彼を直視している。この事からも、荒巻が政府高官に
対して非勢力者である事がわかる。この時の荒巻の視点は、荒巻個人と政府高官との社会
的距離を現すと同時に9課と政府高官との関係とも解釈できる。この時の荒巻は、個人と
してではなくも素子を含む9課の代表として政府高官と話をしていたことは、
「9課の荒巻
君が∼」78との政府高官の発言からも分かる。よって荒巻は、9課を代表することで間接的
に素子の立場を表現したのだ。
レベル3の関係を持つ目的を同じくする仲間達は、目的の達成の為に同じ視点を共有
している。先ほどのトグサと素子の追跡を例に取ると二人は、視線は合わせなかったが同
様に清掃車を捕まえるために正面を見ていた。つまり、同じ方向を向いているのだ。この
様に、キャラクターが顔をあわせること無く同じ方向を向いているシーンは各所に登場す
る。素子、バトー、トグサ、荒巻は、公安9課に運び込まれた人形使いをそろって見つめ
ていた。79その後、遅れて来た素子にバトーが状況を説明している時も視点を変えなかった。
この直後のシーン80でも素子、荒巻、バトー、トグサ、技術者の面々は、人形使いの中ある
と言うゴーストについて話し合っている。この時も前のシーンと同様に各キャラクターは
正面を見続けている。同じ方向を見るという行為は、全く同じモノを見る行為とは異なる
が非常に近い感覚を共有する事で、同じ体験を共感する事でキャラクター同時の仲間意識
を強く視聴者に印象付けている。
感情を表に表さないヒロインである草薙素子にとって、お互いの好意が気になる関係
76 「攻殻機動隊」
(00:12:00)
77 「攻殻機動隊」
(00:09:50)
78 「攻殻機動隊」
(00:08:37)
79 「攻殻機動隊」
(00:37:40)
80 「攻殻機動隊」
(00:38:50)
35/35
であるレベル4は明確ではない。しかし、人形使いが登場した直後の彼に対して興味を持
った。これは、人形使いにとっても同様で草薙素子という存在に興味を持っていた為、接
触を試みた。最終的に人形使いとの融合を果たしたことからも、この作品の中で人形使い
と素子が唯一レベル4の関係だと言える。
お互いに好意を持つ対象となる為には、お互いに興味を持つ必要がある。「他者」に対
しての興味とは、先ほどから記述している通り特定の「他者」に対して注目する事から始
まる。素子と人形使いがレベル4に至るまでお互いに注目していた事を示す視点も数多く
存在する。人形使いが車に跳ねられた直後、公安9課で目を覚ますとバトー達が人形使い
を見つめていた。81このシーンには、横線が幾つもあり人形使いが機械であることを表して
いる。しかしその反面、素子が登場すると画像が切り替わり彼女のアップとなる。この事
からも、他の公安9課の人間では無く彼女に特別な興味がある事が分かる。これは、素子
にとっても同様で彼女は到着してからずっと人形使いを見つめている。この後のシーンで
も素子は人形使いを直視し、同様に人形使いは素子を直視するシーンが登場する。これは、
清掃員の男や暗殺のターゲットなど一時的な興味による直視とは異なり長期にわたる興味
である事が視点を通して理解することが出来る。以上の事から二人の視点よって他の「他
者」と比べて親密な関係である事が分かる。
素子の良き理解者であり、良き同僚でもあるバトーであるが彼は素子に対して同僚以
外の特殊な感情を持っていた。それは、バトーが非番時に素子の趣味であるダイビングに
付き合ったことからも断言できる。82このシーンの冒頭では、いきなり着替えを始める素子
から慌てて視線をそらすバトーの仕草を見る限りバトーが素子を異性として意識している
事を読み取れる反面、素子がバトーを仕事のパートナーとしてしか見ていないことが明ら
かである。又、その直後の二人の会話の際もお互いに別の方向を向いているため視点が合
うことがない。以上のことからも二人がレベル4の関係には、当てはまらない。
素子の視点に注目することで、彼女の内面を深く分析することができた。レベル1で
は、素子が抱える不安やコンプレックスの存在を視点で注目しているキャラクターを通じ
て知ることが出来た。レベル2と3では、共通した方向を見ることで共通した目的や仲間
意識を与える効果を見ることができた。レベル4の関係である人形使いと素子は、他のレ
ベルと異なりお互いに視線の注目を繰り返していることから、お互いが特別な存在である
ことが視線からも理解できる。では、次に終盤で融合を果たした二人の視点の特徴につい
て深く考えていく。
2.「イノセンス」バトーの視点
次に、II.B.3で分析したバトーと登場人物の社会的距離と視点をそれぞれの関係レベ
ルごとに対応させてみる。まずバトーがレベル0の関わりのある通行人や物語と直接関係
81 「攻殻機動隊」
(00:36:51)
82 「攻殻機動隊」
(00:28:51)
36/36
しない人々には、まったく注目しない。レベル1の関係の「他者」ついても同様に一時的に
注目をするがすぐ注目の対象を変化させる。
バトーのレベル1の関係を持つ「他者」には、二通りの視線を送っている。過程で出
会った科学者のハラウェイやハッカーのキムとは、主にトグサが会話をしていたからかバ
トーが二人に視線を送ることをしなかった。一方、会話の成立していないハダリ、バラウ
ェイの研究所にあったガイノイド、トグサの娘と彼女の人形には興味を示した。これは、
恐らく彼らを見ることで人形使いと融合した素子のことを考えているのではないかと推測
できる。
暴力団の事務所に乗り込んだことを荒川に注意されているとき、バトーの反応を伺う
ようにトグサがチラチラをバトーに視線を送るのに対して、バトーは正面を向いたまま視
点を合わせようとしなかった。83このようなシーンによってバトーとトグサのレベル2の関
係をみることができる。
「イノセンス」でも素子と時と同様に共通の目的を持つ仲間として車の中や会議など
で同じ方向を見ていることでレベル3の関係を表現していることが確認できた。また「イ
ノセンス」でバトーの新しいパートナーになったトグサは、ロクス・スロイス社のプラン
ト船に進入する際にバトーを誘導するために電脳経由で視点を共有していた為、今までよ
りも深い繋がりを表現している。
バトーにとって最も気になるレベル4の存在の素子の本体は、「イノセンス」の中では
登場しない。しかし、バトーが空を見上げた直後に鳥の目がアップで映し出されるシーン84
や素子の意識が衛星経由でダウンロードされたハダリとプラント船内で視点を交える85こ
とから、二人の深い信頼関係が見て取れる。逆に素子が、去る際に顔を合わせないことか
ら今後別々の道を歩むことを表している。
C.「自分」と「他人」の結節点としての視点(交わり合う視点)
6 課によって拉致された人形使いを奪取した素子は、バトーの助けを借り人形使いに電
脳ハックを仕掛ける。86この時、人形使いと素子は隣同士に並べられ同じように天井を見つ
めている。その後、人形使いの電脳にハッキングを始めるとまずはその視界に侵入した。
また、同時に人形使いは素子の視界に侵入した。つまり、お互いの視点が入れ替わった形
になった。このシーンの直後、素子が人形使いと融合を果たす事からも目が「自分」であ
る素子と「他者」である人形使いの境界線である事が分かる。
目が境界線であるならば視点は、「自分」と「他者」を結ぶ結節点であると定義するこ
とが出来る。
「自分」が注目する様々な社会的距離を持つ「他者」と視点によって繋がって
いるのである。最終的に素子が「自分」と「他者」の壁を越え融合を果たすに至るまで、
83 「イノセンス」
(00:38:54)
84 「イノセンス」
(01:13:00)
85 「イノセンス」
(01:22:58)
86 「攻殻機動隊」
(01:07:34)
37/37
その前段階として二人の視点が交わるシーンが登場する。
公安9課で目を覚ます人形使いと素子はお互いが交互にカメラ目線になり、同時にそ
れは、キャラクターの一人称の視点でもある。87つまり人形使いが素子を見ている映像の時
では素子は、カメラ目線で正面を見つめている。また、逆に素子の目線の時には、人形使
いがカメラ目線になり正面を見つめている。まるで、鏡を見つめているようにお互いの視
点が交わるのだ。人形使いが拉致される直前に素子がスクリーン上に映しだされた人形使
いの映像を見ている。88このシーンでも、素子の背後から彼女の視点を表現していると同時
に正面を向いた人形使いの映像によって視点が交わっている。
最終的に、素子が人形使いに電脳ハックを仕掛けた後のシーンでも視点が入れ替わっ
たにも関わらずお互いが見つめ合っている。89本来、相手の意識にとって重要な部分である
視野に侵入する事で、完全に相手を深い部分まで理解することが出来たはずだ。しかし、
それでもまだお互いを見つめ合うということは、それ以上の関係をお互いに求めている事
を示す。よって、融合をするという結果を二人の視点から読み取る事が出来る。
素子が人形使い以外と視点を交える人物は、一人しかいない清掃員の男に電脳ハック
を指示したサングラスの男だ。清掃車が男に近づいて来ると人形使いと同じ機械的な目線
となり素子を捕捉した。90このシーンでは、男の視点となり素子は、カメラ目線である正面
を見つめている。抵抗する男を素子が倒した直後、男は素子を真っ直ぐ見つめた。91このシ
ーンでは、素子の視点で男を見つめている。男と素子の関係は、レベル1であるが最初に
男が登場した時の視点が機械的であった事から、この時の男は人形使いの電脳ハックによ
って操られていた状態だったと推測できる。つまり、この時の視点の交わりは間接的に人
形使いとの視点の交わりであったと考える事が出来る。
物語の終盤に銃撃によってバラバラにされた素子の頭が映しだされ、初めてバトーと
視点が合う。92この時点で素子は人形使いの身体に進入していたはずだったが、素子の頭部
の視点になると聞こえてきた声は素子本人の声だった。その為、この時すでに融合が完了
していたと考える事ができる。その為、この時にバトーと視点が交わった存在は、素子と
人形使いが融合した新しい生命であると言える。
意思を最も強く反映する視点が交わり逆転することで、素子と人形使いの融合という
現実世界では起こりえない現象を分かりやすく表現している。この結末を暗示するように
素子がダイビングで浮き上がってくるシーン93では、水面に写るもう一人の素子と合体して
いるように見える。
87 「攻殻機動隊」
(00:36:51)
88 「攻殻機動隊」
(00:46:53)
89 「攻殻機動隊」
(01:12:25)
90 「攻殻機動隊」
(00:18:07)
91 「攻殻機動隊」
(00:23:21)
92 「攻殻機動隊」
(01:13:41)
93 「攻殻機動隊」
(00:25:18)
38/38
IV. 結論
押井監督は一貫して「現実・非現実」を様々なアプローチで映像化してきた。そして、
最終的には、
「攻殻機動隊」と「イノセンス」の中で現実世界と内面世界の二つの世界を描
くことに成功した。この二つの世界を描くことで、内面世界を構成する「自分」と現実世
界を構成する「自分」以外の「他者」との境界線を映像によって表現することに成功した。
押井監督は、
「攻殻機動隊」、「イノセンス」の二つの作品において眼球のアップの映像
を意図的に組み込むことによって物語における視点の重要性について視聴者に訴えかけて
いる。また視点というモチーフを利用することで、「自分」の意思による視界の選択を強調
している。これは押井監督が、作中でキャラクター同士の視点を必要以上に交わす事をし
なかった点からも、同じ現場で同じような境遇を持つ仲間でさえ同じ「自分」ではなく、
違う物に注目している「他者」である事を再確認している。
また、電脳ハッキングによって相手の意識に進入する行為を行う最初の段階で相手の
視野に侵入をする。相手の意識をコントロールしているこの状態は、
「自分」と「他者」が
境界線を越えて繋がっている状態と考える事が出来る。この事からも、眼球もしくは視野
が「自分」や「他者」の意識の入り口であり、
「自分」と「他者」の間にある同時に存在す
る空間が境界線である。共有する同じ空間を、異なった視点で見る事によって異なった解
釈を得る。異なった解釈は、複数の真実を生み「他者」とは異なる「自分」の意識となる。
以上の事から押井監督は、作品の中で意識的に視点をコントロールする事によって「自分」
と「他者」の境界線を映像によって表現することに成功した。
今回の論文では、認知学のフレームワークと視点の分析を利用することで押井監督が
「自分」と「他者」の境界線を映像によって表現することに成功したことを証明した。ま
た、その過程で押井監督が現実世界と内面世界を作り上げる上で視点が重要な役割をして
いることがわかった。今後は、この研究を元に押井監督が映画の中に作り上げる世界形成
のシステム分析などの研究が期待できる。
参考文献
アニメージュ編集部(2004)「イノセンス押井守の世界
PERSONA 増補改訂版」152pp
押井守(2004)「すべての映画はアニメになる」徳間書店 390pp
押井守(2004)「イノセンス創作ノート」徳間書店 341pp
今村太平(1941)「漫画映画論」徳間書店 270pp
津堅信之(2005)「アニメーション学入門」平凡社 265pp
津堅信之(2005)「日本アニメーションの力」NTT出版 246pp
大塚英志・サカキバラゴウ(2001)「教養としての<アニメ・漫画>」講談社 265pp
竹内オサム・小山昌宏(2006)「アニメへの変容」現代書館 244pp
道又 爾、大久保 街亜、山川 恵子、北崎 充晃 (2003)「認知心理学」有斐閣 279pp
Geoff King and Tanya Krzywinska (2000) : Science Fiction Cinema
39/39
横田正夫、小出正志、木船徳光「押井守の長編アニメーションにおける自閉的世界からエンターテインメントへ」
斉藤環「身体・フレーム・リアリティ」
佐藤心「押井守における「空」をめぐって」
茂木健一郎「魂に対する態度」
パク・ジュンスン『
「攻殻機動隊」に見るアイデンティティ問題』
山本真理子、原奈津子(2006)「セレクション社会心理学―6
他者を知る
対人認知の心理学」
参考映画
劇場用アニメーション映画『うる星やつら
ビューティフル・ドリーマー』脚本・監督(1984 年公開)
劇場用アニメーション映画『機動警察パトレイバー THE MOVIE』監督(1989 年公開)
劇場用アニメーション映画『機動警察パトレイバー2 THE MOVIE』監督(1993 年公開)
劇場用アニメーション映画『GHOST IN THE SHELL‐攻殻機動隊‐』監督・絵コンテ(1995 年公開)
劇場用実写映画「AVALON」監督・脚本(2001 年公開)
劇場用アニメーション映画『イノセンス』監督・脚本(2004 年公開)
40/40