勇士ウ※ルター︵実話︶ 鈴木三重吉 一 これは、こしらへた冒険談では

勇士ウ※ルター︵実話︶
鈴木三重吉
一
これは、こしらへた冒険談では
なく、全くほんたうの事実話です
から、そのつもりでお聞き下さい。
今からちやうど二十年まへのこ
とでした。或ときイギリスのシェ
フィールドといふ町の警察へ、一
人の泥棒未遂の犯人があげられま
した。年のころ三十がッかうの、
黒い大きな眼をした、背のごく低
い男で、夜中に、或家の屋根裏の
部屋へはいりこんだところをつか
おし
まつたのですが、唖を装つてゐる
のか、ほんとに唖なのか、どんな
に、おどかしても、だましても、
てんで口をきゝません。現場をつ
かまへた刑事のいふところでは、
この犯人は猫のやうに、すら/\
と屋根裏までかけ上り、にげるの
にも、大屋根の真上を、平地のや
うに、かけとぶといふ、したゝか
もので、この手ぎはでは、むろん
前科もあるにちがひないのですが、
何しろ耳も聞えず、口もきかない
のですから、署でも手こずりまし
た。
で、ためしに、ほんたうの唖を
つれて来て、手真似で対話をさせ
て見ましたが、犯人には、その手
真似も一さい通じません。かゝり
官はとう/\、その警察署附きの
ロバート・ホームスといふ牧師を
よんで、やさしく、さとして見て
もらふことにしました。
犯人はたゞの人のやうに、きち
んとした身なりをしてをり、相当
に物わかりもよささうな顔つきを
してゐるのですが、ホームスさん
が来て、いろ/\おだやかに話し
たり、さとしたりしても、やはり、
何にも聞えないふりをして取合ひ
ません。
署では困りはてゝ、ともかく、
そのまゝ留置場の一室へおしこん
でおきました。
ところが、看守人たちは、この
唖に午飯をはこんでやるのをわす
れてしまひました。それから、念
入りに午後のお茶も夕飯までも、
すつかりわすれてあてがひません
でした。
すると、夜になつて唖は部屋の
中で、ドタン、バタンとさわぎ出
しました。その物音で看守人たち
はそこに唖の泥棒がおしこめられ
てゐたことに、はじめて気がつき
でもしたやうに、あわてゝバケツ
へ少しばかりの飲水を入れ、錫の
水飲みをそへて持つていきました。
唖は、手をふりあげたり口をあ
けたり、種々さま/″\の手ぶり
手まねをして、そんな水なんぞが
何になる、食べるものをくれろ、
分らないのか、おい食べものだよ、
といふ意味をくりかへし/\して
見せました。しかし、ぼんやりぞ
ろひの看守人たちには唖のするこ
とが、ちつとも通じません。その
うちに、唖は、一人の看守に向つ
て、両手を寝台の方へぐいとつき
つけました。看守は、寝台をわき
へもつていけといふのだらうと合
・
・
・
・
点して、その下にしいてある、ぼ
・
ろけた、じゆうたんを、めくりと
りました。唖はとう/\じれッた
・
さまぎれに前後をわすれて、
・
﹁ちよッ、しやうのないばかだね。
食ふものをもつて来い。かつゑて
しまはァ。﹂と、どなりつけまし
た。
こんなことから、唖は、すつか
りばけの皮をめくられ、警官のと
りしらべにも一々答へをしなけれ
ばならなくなりました。
しらべ上げて見ますと、この犯
人は、ちかくのある町のもので、
ウ※ルター・グリーンウェイとい
ひ、年は二十九、まだひとりもの
で、おやぢの家に寝とまりをし、
或商人の家の手代をつとめてゐる
男だと分りました。おやぢさんは、
薬剤師で、今では薬屋をやめて引
つこんでゐるのだといひます。ウ
※ルターは立派な教育をうけてを
り、外国語も四五ヶ国の言葉が話
・
・
・
せ、禁酒禁煙家で、ばくち一つ打
つたこともないといふ、それだけ
を聞くといかにもまじめな人間の
やうですが、それでゐて、この四
年間に方々で九度も、夜、人のう
ちへしのびこみ、そのたんびにつ
かまつて牢屋へぶちこまれた前科
ものでした。やらせると何でも出
来る器用な男で、製本なぞも上手
にやるし、帳づけも出来、監獄で
は活版工やペンキ工や、高い塔の
屋根をなほす屋根屋もやりました。
・
クリッケットといふ球戯にかけて
・
はオーストラリア人のやうにずば
ぬけた腕をもつてゐます。
ところが、かゝり官がおどろい
たのは、この男が人のうちへ、は
いりこむのは、べつに物がとりた
いからではなくたゞ、わけもなく、
猫見たいにすら/\と、たかい屋
根の上なぞへかけ上ることがすき
で、とりわけ、よそのうちの、屋
根うらの窓を見ると、どんなにが
まんをしようたつて、がまんが出
来ず、つひ雨樋なぞにつかまつて、
かけ上つて、一ばんたかい部屋へ
はいりこむのだといふのです。
﹁まつたく屋根うらの部屋の窓を
見ると、たまらないんです。外を
あるいてゐて、ふと目を上げると、
屋根裏の高窓があいてゐます。ど
この家でも、気をゆるめて、一ば
ん上の窓は、きまつて、開けッぱ
なしにしてゐます。私は、人の家
に、屋根うらの部屋がついてゐる
かぎりは、いつまでたつても、こ
の物ずきはやめられません。下手
につかまつては牢へぶちこまれま
すが、しかし今まで、一度だつて
物一つ盗んだことはありません。
たゞ、高い部屋へはいりこんで見
たくてはいるのです。どうか、今
度は罰として、帆前船へでも乗り
組ませてはいたゞけないでせうか。
帆前船ならたかい帆綱があります
から自由にかけ上れます。でなく
ばいつそ、ベドゥインの村へでも
追ひやつて下さいますと、警察の
お手数もなくなるわけですが。﹂
まじめくさつて、かういふので
すから、かゝり官もあきれました。
ベドゥインと言ふのは、アラビヤ
やシリア地方にある、アラビア人
の遊牧民で、さういふ土人は、羊
を飼つて、草地のあるところを移
りあるいてくらしてゐるのですか
ら、村と言つても、たゞ、見すぼ
らしいテント見たいなものゝほか
には家らしい家もありません。従
つてたかい屋根うらの部屋なぞへ
はいりたくもはいれないですむと
いふ意味です。
かゝり官は、べつにわるい意志
もない、この男を、この上又牢屋
へ入れるのもかはいさうだといふ
のでさつき言つたホームス牧師の
手にわたし、適当に、身のふり方
をつけてやつてくれと命じました。
ホームスさんは、ウ※ルターの
お父さんをよんで相談しました。
お父さんは、もう、こんなあきれ
た奴を引きとるのもこり/\です、
どうにでもお取りはからひ下さる
やうにと、泣いてたのみました。
そこでホームスさんは、いろ/
\に考へたあげくウ※ルターを、
インドのコロンボーへ向けて出帆
する、或船へ世話をして、船員と
して乗りこませました。
その後一年たちましたが、ウ※
ルターからは家へもホームスさん
へも一片のたよりもよこしません。
ホームスさんはとき/″\思ひ出
しては、心配し怪しんでゐました。
するとそれから又一年目にウ※ル
ターの船の船長からウ※ルターは
・
・
逃亡して、行くへ不明だといふ知
・
らせが来ました。あゝ、あのなら
・ ・
・
ずものも、やつぱり救へなかつた
・
かと言つて、ホームスさんはたん
・ ・
そくしました。
二
それから六年たつと例の世界大
戦争がはじまりました。その二年
目の冬に、或日ホームスさんのと
ころへ、アラビアのトルコ領のメ
ソポタミヤから来た一通の手紙が
とゞきました。あけて見ると、古
ぼけた紙をちぎつた二十五枚の紙
片へ鉛筆でかきつけたもので、思
ひがけないウ※ルターからの音信
でした。
﹁敬愛する牧師殿よ、こゝに、顔
形から立居そぶりまで、まるで双
子と言つてもいゝくらゐ、私とそ
つくりそのまゝの、あはれな一人
の遊牧民上りの、つんぼの唖の乞
食がゐます。﹂といふかき出しで
す。
﹁年も私と同年です。開戦当時か
ふいふい
ら、何のあてもなく回々教徒の村々
をさまよひ歩き、トルコ軍の陣営
にも出入りしてゐました。
トルコ兵は、その乞食が、のこ
/\出て来ては、大きな大砲や、
ざん
迷路のやうに、くねりつゞいた塹
がう
壕や、いろ/\の破壊用の機械な
ぞを、子供のやうにびつくりして
見てゐたりするのを面白がり、且
つ半は彼の片輪をあはれがつて、
いつも食べものをもくれてゐまし
た。耳も聞えず口もきけない乞食
ですから彼等は安神して、軍事計
画の相談をしたときの配備の下が
きを、その目の前へ投げすてたり
して平気です。トルコ軍の上官た
ちは、その上に立つてゐるドイツ
の将校の命令書なぞを、その乞食
が坐つてゐるそばで読み上げて会
議をしたりします。
回々教の信仰にあつい彼等トル
コ兵は、神さまにも見すてられた
如き、あはれなこの片輪ものをい
じめれば、じぶんたちも同じく神
の罰をうけなければならないと考
へてゞもゐるやうに、だれ一人彼
に乱暴を加へるものもありません。
かうして彼は残飯なぞをもらつて
食べ/\しながら、トルコ兵の陣
営の間をぶらつきくらしてゐまし
た。
彼は、ときには敵方のイギリス
軍の前線へもぶら/\やつて来る
ことがありました。しかし、食べ
ものをもらつては、かつゑた犬の
やうにがつ/\食べるきりで、口
は一と言も聞きません。そのうち
に、或とき、彼はイギリス軍の前
線をくゞつて総司令部へ行きつき
ました。﹂
手紙はこれでぷつりと終つてゐ
ます。ホームスさんは、このしま
ひのところへ来て、はッと目をか
がやかしました。こゝまでよむと、
そのウ※ルターそつくりの乞食と
いふのは無論ウ※ルター自身のこ
とで、彼は今、さういふ乞食に仮
装して祖国の軍隊のために、軍事
探偵をつとめてゐるのだといふこ
とが焼きつくやうに胸を打つたか
らです。
ホームスさんはよろこび勇んで、
ウ※ルターの両親をさがしに出か
けました。しかし二人とも、もう
死んでしまつてをりませんでした。
ウ※ルターは、一人子でした。そ
の上、ほかにだれ一人、身うちの
ものもゐないことが分りました。
ホームスさんは仕方なく、ウ※
ルターの宿所らしい、メソポタミ
ヤの、変な宛所へ向つて、手紙を
出し、彼の愛国家としての働きを
ほめ、なほこの上の奮闘努力をた
のむといふ意味をかいて、はげま
しました。すると中三月おいてウ
※ルターから第二の通信が来まし
た。その全文はかうです。
﹁トルコ兵は、例の乞食がイギリ
ス軍の前線をくゞつたことを勘づ
いて、ひどくあやしみ出しました。
彼等は乞食が本当につんぼである
かを試すためにその耳のそばで、
つゞけさまに銃弾を発射しました。
乞食はその銃声も聞えないやうに、
ぼんやりと立つてゐました。しか
し彼等はなほ不安がつて、彼を野
砲の砲身のそばに立たせ、二十発
もの実弾を打ちました。そのため
に彼の鼓膜はやぶれ、耳と鼻から、
だら/\と血が流れ出ました。そ
れでも彼は石のやうに、ぎくとも
しずに直立してゐました。
これで、つんぼであることだけ
はトルコ兵にも分りましたが、で
も口は聞けるかも分らないと、な
しやくねつ
ほ疑つて、赤熱した鉄棒でもつて、
彼の肉をこすりました。それから
両手の指の生爪をすつかりはぎと
りました。彼はそのたびに、ポロ
/\と頬へ涙をおとしましたが、
しかし、あッといふ叫びも立て得
ませんでした。
トルコ兵はこの罪もない片輪も
のに、そんな暴虐をしたことを悔
い、神の罰をさけるために、これ
までよりもなほ一倍、彼をあはれ
み可愛がりました。彼は血のかた
まりの腐りついた指をぶら下げて、
相かはらずトルコ兵の陣営の中を、
さまよひ歩きました。
そのうちに彼は再びイギリスの
軍司令部へぶらりと出て来ました。
そのときには彼の左手は、指先の
傷口から毒がはいつて、手くびの
上まで腐りおちてゐました。イギ
リスの軍医は仕方なく、その左の
片腕を切り落しました。
すると、ふしぎにも、それ以来、
乞食は急に口がきけるやうになり
ました。彼は司令官に向つてトル
コ軍の作戦計画を話しました。軍
の配置やすべての砲台の位置をも
くはしく、はつきりと述べました。
彼にも、この報告がイギリス軍
にとつて、どんなに貴重なもので
あるかゞ、分つてゐました。この
ためにイギリス兵のいかに多くが、
むだな死から救はれるか分りませ
ん。しかし、反対に彼の命は最早
だん/\に亡びかけてゐます。彼
は、いたるところで止むなく腐り
水を飲んだのがたゝつて、腕の切
断にひきつゞき、はげしい赤痢に
かゝつてゐます。
軍医たちは一生けんめいに彼の
治療と看護とにつとめてゐました。
しかし彼はアゼン市の近くにある
小さな村の名前を告げ、そこへか
へれば、きつと病気もなほる、そ
こには彼の妻と、三人の、かはいゝ
子供たちがまつてゐるのだと語り
ました。
彼の妻は白人ではありません。
もし彼がその妻をイギリスへつれ
かへつたら、人々は、彼女に向つ
て嘲笑の鼻をそらすでせう。しか
し彼女は百合の花のごとく純潔で
す。その心根は黄金のごとくに光
つてゐます。読むこともかくこと
も出来ない無教育な女ですが、そ
れでも彼女は、彼の三人の子供、
女の子二人に小さな男の子と、そ
の三人の子供とともに、彼に取つ
ては、すべてのものです。彼はそ
の妻と子供たちとに会ひたくて、
一ときも、じつとしてゐることが
出来なくなりました。彼は最早彼
のつくすべき任務をはたしたので
す。ですから彼は、思ひ切つて、
或夜、メソポタミヤのそのイギリ
スの軍営をぬけ出しました。今彼
は半分以上死骸ともいふべき、よ
ろ/\のからだを、虫がはふごと
くに彼の妻子のもとにはこんでゐ
ます。おゝ、神の恵みのありがた
さよ。彼の妻子は間もなく彼を迎
へよろこぶでせう。これこそ、彼
等の熱愛なこの迎へこそ、彼のた
めにすべてを償ふに十分です。牧
師殿。あなたの御幸福をお祈りし
ます。さやうなら。﹂
三
ホームス牧師は、又或日、植物
見本として、ごは/\の草つ葉や、
干からびた木の葉を一とくるめに
巻きこんだ小包を受けとりました。
トルコ領メソポタミヤの消印があ
るので、むろん、すぐに、ウ※ル
ターからだとは感づきましたが、
それにしても、こんな草つ葉なぞ
を何の意味でよこしたのだらうと、
けゞんに思ひながら、注意ぶかく
葉つぱを、ほどきのばして見ます
と、しまひに草の間から、古けた
紙にかいた手紙を小さくちぎつた
のが、かたまつて出て来ました。
﹁ふゝん、かうして検閲官の目を
くらませたのだな。﹂と牧師は胸
ををどらせながら、苦心をして、
そのきれ/″\を、すつかりつな
ぎ合せました。するとけつきよく
三通の完全な手紙が出来上りまし
た。
ウ※ルターは例の片腕を切り落
された貴い愛国の勇士を、やはり、
じぶんだとは言はず、どこまでも、
或知合ひの、遊牧民上りのアラビ
ア人としてかき続けてゐるのでし
た。
﹁親愛なる牧師殿よ。かの片腕の
・
・
アラビア人は赤痢のためにおとろ
・
へつくした、敗残のからだを引き
ずつて、とう/\アデンの町まで
たどり着きました。赤やけた夕日
は丁度あたりの棕梠の林の上に沈
みかゝつてゐました。
彼は最早、これ以上歩くことも
出来ないため、虫のやうに、はひ
ずりながら、そこから少し先の村
にある、彼の家を目ざして、にじ
り動きました。彼は月光のみなぎ
つた砂地を横ぎつて、やつとのお
もひでわが家のそばの林の下まで
来ました。もう一と息でその林を
くゞり出れば、彼のこひしい妻と
三人の子供との手を取ることが出
来るのだと思ふと、半死人のごと
くに、へと/\になつた彼自身の
中に、急にあたらしい命が注ぎ入
れられたやうに元気づきました。
彼は思はず立ち上つて走り出しま
した。しかし林をくゞりぬけると
同時に、彼は、あッと叫んで倒れ
ころがりました。彼の家は、すつ
かり焼け落ちて灰のかたまりだけ
になつてゐるではありませんか。
彼はおどろきのあまり、そのまゝ
気絶してしまひました。
牧師殿よ、しかし神のお恵みの
ありがたさ。彼はやがて、何だか
真つ黒な眠りから目ざめるやうな
気持で、かすかに目を見ひらきま
した。まだ、すべてが、わけの分
らない夢のやうで、はつきりしま
せんでしたが、ともかく彼はだれ
かの膝の上にかき抱かれて両手を
かたく握られてゐました。変だな
と、ぼんやり気づいたとき、彼の
顔の上へ、ぽた/\と熱い涙がし
たゝり落ちました。
﹁おゝ、あなたよ。﹂と喜ぶ、女
のアラビア言葉は、まがひもない、
やさしい彼の妻の声でした。彼女
は彼の耳に口をつけて、さゝやき、
再び彼を、この村での、もとの唖
にさせてしまひました。しばらく
して彼女は彼を背中におぶつて歩
き出しました。それから、途中で
いくどとなく彼を下して休ませ休
ませしながら、つひに、五六マイ
ルはなれた、彼女の父親の家へは
こびこみました。
彼の気分がやつとたしかになつ
・
たとき、妻は彼の家が焼かれたい
・ ・
・
きさつを話しました。数週間前の
或午後、騎馬のトルコ兵の一隊が
北の方から彼の村へやつて来て、
危険だから、すぐに沙漠の中へ立
ちのけとやさしく彼女たちに言ひ
わたし、着のみ着のまゝで追ひ立
てたものださうです。彼女は沙漠
の上に夜が下りかゝるのをまつて、
子供たちをつれて家のやうすを見
にかへると、家はいつの間にかす
つかり焼きはらはれてゐたのだと
いひます。
村の女たちの話では、トルコ兵
は家々の中へはいりこんで、値の
あるかぎりのものをすつかり掠奪
し、小さな畠の作物や、コーヒー
のとりいれをまで、こと/″\く
うばひとつた後、家をやきはらつ
て行つたのださうでした。
彼女は仕方なしに三人の子供を
母親のところにあづけ、焼けのこ
つた或家に、一人で身を寄せて、
あくる日からまいにち、昼も夜も、
つゞけさまに彼女の家の焼けあと
に坐つて彼がかへつて来るのを待
つてゐたのでした。戦争前から、
どこにゐるのか、たゞの一どもた
よりをよこさない彼が、何といふ
わけもなく、きつと今にも、ひよ
つこりと帰つて来るやうな気がし
て、一日に一度、夕方に食事にか
へる以外には、たえず、あの林の
下で待ちくらしてゐたといふので
す。
ふしぎにも彼は全くそのとほり、
かうして彼女の下に、彼の最愛な
三人の子供の下に、かへつて来た
のです。
彼は今、百合の花のごとくに純
情な彼の妻と、小猫のごとくに可
愛らしい子供たちとにまもられて、
無限の幸福の下に、少しづゝ健康
をとりかへしてゐます。しかし、
僅かな体力が再び彼にかへるにつ
れて彼は、又つぎの任務を︱︱イ
ギリスのために尽すべき最後の努
力を考へ夢みてゐます。﹂
第一の手紙はこれで終つてゐま
す。ホームス牧師はいつしか目に
涙をにじませながら、つぎの一通
をとり上げました。
四
ウ※ルターは再びよろ/\歩け
るやうになると、すぐにアデンの
町へ出かけました。そしてトルコ
兵やドイツ人たちの隠謀について、
何をか探り出す機会を得ようと狙
ひながら、或市場の人ごみの中に
立つてゐました。
彼は、又もとの、唖と聾の乞食
に化けてゐるのでした。
ふと見ると、目のまへの町角に、
並はづれて高い商家の建物があり
ます。ウ※ルターは、ふと、数年
前までの彼の、狂人じみた病癖を
おもひ出しました。前にもお話し
したやうに、彼はイギリスにゐた
・
・
時分には、こんなたかい屋根を見
・
ると、どうしてもがまんがしきれ
なくて、いきなり雨樋につたはつ
てかけ上り、窓のあいてゐる屋根
裏の部屋へとびこんだものです。
別に何も物を盗むためではありま
せん。たゞわけもなく高いところ
へよぢ上り、一ばんたかい部屋へ
とびこんで見たいだけの慾気なの
です。そのために彼は泥棒未遂罪
としてつかまつて、九回も牢屋に
たゝきこまれたものでした。
彼は今、目のまへの建物の、た
かい雨樋を目で見計りました。そ
・
してもう今は切り落されてない、
・
左手のつけ根のあたりを、さびし
く見入つてゐました。
すると、ふと、そのたかい屋根
の上から、ミヤオ/\といふ、お
びえたやうな小猫の声が聞えて来
ました。おやと思つて、あとしざ
りをして屋根の上を見ますと、小
さな一ぴきの小猫が、前後も考へ
ないで冒険して、その高屋根の上
までのぼつたものゝ、下りるには、
足がゝりがないために、ミヤオミ
ヤオと人のたすけをもとめてゐる
らしいのです。
ウ※ルターは思はず雨樋の下ま
でかけつけました。それから、ち
よつと立ちどまつて、又、ない左
手の肩先をふりかへりましたが、
つぎの瞬間には、右手一本で雨樋
・
につかまつたと見ると、まるでり
・
すかなぞのやうに、ものゝ四十秒
もたゝないうちに、もう屋根のは
・
・
・
しのところまでかけ上り、小猫を
・
つかまへて上着のふところに入れ
ました。そしてする/\ッと下り
て来て、小猫を地びたにおいてや
りました。
あたりの人はびつくりして、目
を見はつて見てゐました。
その群集の中に、ふと二人のド
イツ人がゐました。二人は、たゞ
・
の小猫一ぴきをたすけるために、
・
こんなあぶないまねをする乞食の
・ ・
ばかさ加減を嘲るやうに、ウ※ル
ターの顔をふりかへりながら向う
へ歩いていきました。
ウ※ルターはドイツ人を見ると、
すかさず、そのあとを、つけてい
きました。二人は、ゆつくり歩き
ながら、しきりに何事をか話しつゞ
けてゐます。やがて、或さびしい
脇道へはいりました。と、向うに
一棟の倉庫が見えます。ウ※ルター
は、あとをつけてるのだと感づか
れないやうに、わざと二人を追ひ
ぬいて、倉庫の前へ来て地びたに
坐りました。そして丁度お午なの
で、マホメット信者のすべてがす
るやうに、その場にひれ伏して神
さまにお祈りを上げてゐました。
ドイツ人二人は、そのそばを通り
かゝりました。一人は、畜生、往
来の邪魔をする、といはないばか
りに、靴の先でウ※ルターの肩先
を蹴りのめして通りました。ウ※
ルターは、それでも顔も上げない
で一生けんめいに祈りつゞけてゐ
ました。
ドイツ人たちは、ふとウ※ルター
から二三歩はなれた片わきに立ち
どまりました。彼等はドイツ語な
ぞを聞きわけるはずもないアラビ
ア人の乞食とおもつてばかにした
のかウ※ルターのゐる前をもかま
はず間諜としてのいろんな秘密の
相談を大びらに話しつゞけました。
じいつと、頭を下げたなり聞いて
ゐますと、二人は、今晩、この倉
から時計をとり出して、すべての
英国船の石炭庫へ入れこむ計画を
してゐるのです。それには、やは
りアラビア人の石炭人夫を使ふ外
はないと、最後に一人が言ひまし
た。ウ※ルターは、その時計とい
ふ言葉を聞いて、ぞくりとしまし
た。時計と言つたつて無論ただの
時計ではありません。爆発薬に、
時計仕かけの発火器をつけたもの
で、船が出帆してから、幾時間目
に海上で爆発させようといふ、そ
の時間を、早くいへば、目ざまし
の針のやうなものに合せておくと
おもひどほりに、ドドンと発火す
る、おそろしい爆破道具なのです。
その晩、ウ※ルターは、あたりが
暗くなるとすぐに、こつそりとそ
の倉庫の雨樋をつたはつて、高窓
から二階へしのびこみました。そ
れから、下へ下りて、荷物のかげ
にかくれてゐました。すると、は
たして、昼間のドイツ人の間諜二
人が、入口をあけてはいつて来ま
した。
﹁では君はこの時計をくばつてし
まつたら、すぐにバグダッドの兵
器庫へ廻つてくれよ。あの中に爆
発薬が一ぱい入つてゐるからな。
軍服はこの錫の鑵の中にあるよ。﹂
﹁はい﹂﹁ほら時計はこれだ。﹂
﹁こいつは夜ふけてから持ち出し
らふそく
ませう。﹂二人は蝋燭の灯の下に
こゞまつて、こんなことを言ひな
がら一つの荷造りをといて、時計
の函をすつかり取り出し、それを
又一つにしばつて、片わきへ、お
いといて出て行きました。バグダッ
ドの兵器庫といふのはチグリス河
の上流のその町の近くにある、ト
ルコ軍の兵器庫なのです。二人が
出て行つたのを見すまして、ウ※
ルターは積荷の後からはひ出しま
した。そして、手さぐりに、時計
の荷物を盗んで引つかゝへ再び高
窓からすべり下りました。ともか
く、これで船は、たすかつたわけ
です。
﹁ようし。おれも、かうからだが
弱りきつてゐてはもういつ死に倒
れるかも分らない。そのまへに、
もう一ど、イギリスのために働い
ておかなくちや。﹂
ウ※ルターはかう思ひながら、
まづ時計をかくす場所を探しにかゝ
りました。
五
ホームス牧師は、なほウ※ルター
の第二の手紙をよみつゞけました。
けつきよく、ウ※ルターは、ひど
い病後の、よろ/\したからだを
もかまはず、アデンの町へよろけ
入つて、ドイツ人の倉庫から例の
時計仕かけの爆発薬をすつかり盗
み出すと一しよに家族たちを都合
のいゝ或場所へつれて来ました。
それから、家内の父親の持つてゐ
るモーターボウトを借り、チグリ
ス河をさかのぼつてバスラといふ
町へつきました。そして、こゝか
ら、さらに三百マイルの間を、右
手しかない、その片手でかぢをと
つて、バグダッドまで乗りこんだ
のです。
ウ※ルターはアデンで、運よく、
爆薬と一しよにドイツの将校の軍
服、軍帽をも盗み出しました。そ
の軍服のポケットの中に、偶然一
まいの見取地図がはいつてゐまし
た。その地図に、ウ※ルターの目
ざすバグダッドの、トルコ軍の火
薬庫の位置が、はつきりと、かき
入れてありました。ですからウ※
ルターには、もう、仕事は、バグ
ダッドへ入りこむだけで十分なわ
けでした。
いよ/\バスラを出発した後も、
幸にモーターの調子も終始狂はず、
七日目の朝のしら/\あけに無事
に、バグダッドの町へつきました。
あたりの家々がまだ寝しづまつ
てゐるので好都合でした。ウ※ル
ターは荷包みの一つから、軍服や、
軍帽を取り出して、すつかりドイ
ツの士官になりすましました。そ
がうぜん
して、傲然と、河岸のアラビア人
の家をたゝきおこし、トルコ軍の
火薬庫へ重要貨物をはこぶについ
て、数人の人夫がいる、すぐにそ
ろへ集めろと命令しました。例の
爆発時計だけでは、あやしまれる
気づかひがあるので、わざと、ほ
かに、弾薬と見せかけて、重みの
ある、大きな荷物をも持つて来た
のでした。
ウ※ルターは、それ等の荷物を、
すつかり人夫たちの背中にせおは
せて、兵器庫へ向つて出かけまし
た。
ウ※ルターは、途中の休息時間
を、たくみに延びちゞめして、わ
ざと、丁度夜になるころに、目的
の火薬庫へつきました。警戒につ
いてゐるトルコ兵たちは、むろん、
ウ※ルターをドイツの士官とおも
ひこんで、丁寧に迎へ入れ、ウ※
ルターの命ずるまゝに、すべての
荷物を、大火薬庫の中へ入れこみ
ました。
ウ※ルターは、それを見とゞけ
ると、すぐに、もとの河岸へ引き
かへし、アラビア人の家で軍服を
ぬぎ、夜の十二時が来るまで、ひ
そんでゐました。火薬庫に入れこ
んだ、いくつもの爆発の時計は、
その時間に、かけておいたのです。
ウ※ルターは十二時少しまへに、
・
モーターボウトに乗りこんで、船
・
首を河下へ向け、かぢをにぎつて、
まちかまへてゐました。時計にた
いしては、すでに、こつそりと、
十分の試験がしてあるのです。
もう五分、三分、二分、ほら一
分と、いふとき、ウ※ルターは急
いで、スタートを切つて走り下り
ました。
と、間もなく、ドドンと大地そ
のものがさけわれるやうな大爆音
と地ひゞきと一しよに、町の上空
へ真つ赤な炎の噴出がひろがりま
した。
ウ※ルターは、無難に家族のと
ころへかへつて来ました。
﹁アラビア人の遊牧民は、これで
つくすべき仕事をしとげました。
しかし、そのために、彼は疲労の
極、再び、もとの重病人にかへり
ました。彼は今はたゞ一念、彼の
間もなく迎へらるべき世界をのみ
考へつゝ横はつてゐます。牧師ど
のよ、かうしてゐる彼の、その単
一なる感情こそ、たとへ方なく、
おごそかな貴いものです。
彼は、生前、いろ/\の誤解を
もうけました。神さまも、かつて
は彼のためには怖れでした。しか
し彼は、今は、何等の、ためらひ
もなく神のみもとに歩み上らうと
してゐます。おゝ、この栄光よ。
彼は最早、神のめぐみの永久なる
ことを信じてうたがはないので
す。﹂
第二の手紙は、これで終つてゐ
ます。ホームス牧師は、息をもつ
かずに、第三の手紙に移りました。
それは、一九一七年八月八日とい
ふ日附になつてゐます。
たび/\言つたとほり、これま
でウ※ルターは、すべて自分とい
ふものを秘めかくし、このはじめ
からのすべてを、彼自身にそつく
りそのまゝの、或遊牧民上りのア
ラビア人の乞食の行動として、報
告してゐるのでした。ところが今
度の三ばん目のこの手紙では、急
に当面の人物が﹁私﹂になつてゐ
るから争へません。
﹁牧師どのよ。私は、最早いよ/
\よわりつくしてしまひました。
しかし、みじんも、怖れや不安は
ありません。すべての人は、死そ
のものに直面するとだれでも、こ
のやうな平穏を見出すのだらうと
ざんがう
信じます。トルコ兵の塹壕内を聾
の唖となつてさまよつてゐた間も、
ドイツの士官となつて火薬庫の戸
外に立つたときも、私は今と同じ
く平静でした。しづかに死に対面
するといふことは、すべての人に
共通の心状とおもはれます。たゞ、
だれも、その間際が来るまでは、
それを実証し得ないまでのことで
す。
たゞ一つ、私の妻と小さな三人
の子どもとが、私と一しよに移り
行くことが出来たなら、私はどん
なに、より幸福でせう。しかしそ
れが叶はないことを私は少しも恨
みとはしません。私は、今、たえ
だえの息の下にこの手紙をかくの
です。昨夜はかきながら昏倒しま
した。おそらく私のこの最後の間
際に、あなたとかうしてお話をす
ることは、実に無上の愉快です。
おゝ、わが故国をして、神のみめ
ぐみによつて、永遠にすべての海
上を支配せしめよ。私はこれ等の
手紙が安全にあなたのお手に入る
方策をとります。植物の標本なら
ば、するどく検査もしないでせう。
あけて今日は八月九日です。妻
の父は、私の三人の子供を、彼自
身のうちへ、つれていきました。
妻はこれから私を、馬の上にかゝ
へのせ、手綱をひいて、医師のと
ころへはこばうとしてゐます。私
は地びたに横はつて、これをかく。
さやうなら、さやうなら、牧師ど
のよ。﹂と、大部分は、ふるへた
字で、かすれ/″\にかきつゞけ
てあります。
六
牧師にとつてはこの手紙が事実
上、とう/\彼の最後のわかれの
言葉になりました。つぎに牧師が
メソポタミヤから受取つたのは、
或英人の病院の医者がよこしたも
ので、はッと思つたとほり、つま
り、ウ※ルターの死去のしらせで
した。
﹁二週間前に、丁度一人のアラビ
ア人の婦人が、その夫だといふ英
人の一患者を、当病院につれて来
ました。病人は、はげしい赤痢に
かゝつたあとで、極度に衰弱して
ゐました。どうしてか、最近左腕
を切断された彼は、なほ、からだ
中、いたるところに火傷をしてゐ
ました。
アラビア婦人は、片ことの英語
で、この夫が、一年ばかりの間、
メソポタミヤに出征中の英国軍の
ために働いてゐたと語り、なほ、
貴牧師からおくられた一通の書簡
を見せました。しかし彼女は、そ
の貴翰を、二人のための、この上
なき貴重な記念としてゐる容子で、
たゞ、ちよつと私どもに見せたき
り、すぐに、しまひこんで、つひ
に二度とは見せませんでした。患
者は、手あての甲斐もなく、八月
二十六日に死亡しました。
あはれなるはアラビア婦人でし
た。彼女は、アラビア人としては
容貌のよい、品位ある女で、夫に
は命をもかけて、尽してゐたらし
く、今度も、七十マイル以上のと
ころから、はる/″\つれて来た
のです。夫の死を見た彼女の悲痛
は、全く言葉につくすことが出来
ません。彼女は、夫の埋葬された
塚の上に、十八時間も伏して泣い
てゐました。そこへ、たま/\彼
女の父なる、回々教の一長老が出
て来ました。この父が数時間かゝ
つて、やうやく彼女を引きおこし
てつれていきました。去るにのぞ
み、彼女は、われ/\の努力、そ
れは、もとより、小さな当り前の
任務であるにかゝはらず、それを、
涙をもつて、ひどく感謝しつゞけ
ました。﹂
この女そのものにも感激したホー
ムス牧師は、すぐにこの医師にた
のんで、その行くへをさぐつても
らひました。しかし、長老はその
後、間もなく全財産を売りはらひ、
ウ※ルターの遺妻と三人の子供と
をつれて、どこへか遠く漂泊し去
つたというのみでそれ以上、何の
手がゝりもありませんでした。
牧師へのウ※ルターの手紙だけ
では、むろん、彼が語つてゐる、
全事実の真偽が、疑へば疑はれな
いこともないわけですが、この医
師の手紙によつて、すべてが十分
符合するところへ、たま/\、な
ほ一通、さきに、牧師がウ※ルター
を乗組員に托した、あの貨物汽船
の船長から次のやうな報告が来ま
した。
﹁かのウ※ルターが、コロンボで
下船して遁走しましたことは、す
でにお話ししましたが、その後、
私は、最近、はからずも、アデン
の、チグリス河の河岸で彼に出会
ひました。彼はアラビヤ人の遊牧
民に仮装してゐましたので、彼の
方からよびかけられなかつたら、
・
私は全然気づかないでしまふとこ
・
ろでした。その異やうななりをし
た彼は、河岸につないだぼろけた
・
モーターボウトの破損箇所へ、い
・ ・
かけをしてゐました。彼は、おゝ
船長と、全で毎日会つてゐる人に
いふやうに、のんきに私をよびか
・
けました。私はあまりの意外に、
びつくりしました。
・
何だつて、そんなざまをしてる
のだ、と聞きますと、だつて遊牧
民になつたんだから仕方がないと
言ひます。どうしたのだ、その左
の手はと私は、これにも、おどろ
いて聞きました。着物の左手が、
空つぽで、ふは/\してゐたから
です。すると、彼はこれはトルコ
人に聞いてくれないと分らない、
少しばかりイギリスのために動き
まはつたもので、と答へます。︱
︱何をしたんだ。︱︱何だつてい
いよ︱︱で、そのボウトで、どこ
かへいくのか。︱︱商ばひで、バ
スラまで︱︱何を売りにいくのだ。
︱︱機械じかけの玩具と、軍服と、
それからまだいろ/\のものを売
・
りつけにいくんだ。︱︱ふうん、
・
それが、バスラではけるかね。︱
︱さああんまり、よろこびもしま
いけれど。︱︱彼はかう言つて、
にた/\笑ひながら、何か悪企で
も抱いてゐるやうなずるい笑ひを
見せて河岸へ上つていきました。
これだけです。彼からは、コロン
ボでの下船以来、それとも最近に
何か音信が来ましたか。﹂
船長はウ※ルターを国家のため
にあれだけのりつぱな手柄をした
勇士とは思はず、たゞ、じぶんの
・
・
・
船からにげ出した、相かはらずの
・ ・
なぐれものゝ一人の後日談として
告げて来たのです。牧師は、いつ
も言つてゐます。
﹁こんなわけで、ウ※ルターは、
今もつて、つひにどこからも一片
の表彰をされたこともなく、この
先も永久に、一人のかくれた偉人
・
・
・
としてをはるわけですが、彼のこ
・
の絶大な勇気と、このりんぜんた
る愛国的奉仕とは、いつ/\まで
も神と人間との前に、無限の霊光
をはなつものでなければなりませ
ん。﹂ホームス牧師は、かう言ひ
つゝ常に熱涙をながして彼のおど
ろくべき事蹟を語るのでした。
底本:﹁日本児童文学大系 第一
〇巻﹂ほるぷ出版
1978︵昭和53︶年1
1月30日初刷発行
底本の親本:﹁鈴木三重吉童話全
集 第八巻﹂文泉堂書店
1975︵昭和50︶年9
月
初出:﹁赤い鳥﹂赤い鳥社
1927︵昭和2︶年11
月∼1928︵昭和3︶年1月
※底本は、物を数える際や地名な
どに用いる﹁ヶ﹂︵区点番号586︶を、大振りにつくっていま
す。
入力:tatsuki
校正:林 幸雄
2007年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネット
の図書館、青空文庫︵http:
//www.aozora.gr.
jp/︶で作られました。入力、
校正、制作にあたったのは、ボラ
ンティアの皆さんです。