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追悼
「秋山豊さんを偲ぶ」
1968 年学部卒業
浅賀喜与志
秋山豊さんが今年(2015 年)の 1 月 21 日膵臓がんのため 70 才で永眠されました。秋山さ
んは、1968 年に工学部応用化学科を卒業し、工業材料研究所(現応用セラミックス研究所)
で助手として勤務した後に 1972 年に岩波書店に入社し、2004 年まで勤務しました。岩波書
店では、秋山さんは主に自然科学関連の単行本・講座・事典などの企画・編集・出版の仕事
をしておりましたが、1993 年に刊行が開始された『漱石全集』に携わり、2004 年定年退社
後は、「漱石という生き方」、「漱石の森に遊ぶ」、「石や叫ばん」等の本を執筆しました。
窯業同窓会の会員はもとより、同期の人でもあまり知られてはいないと思いますが、秋山
豊さんは、直筆原稿に基づく画期的な『漱石全集』を編纂した元岩波書店編集者として、漱
石研究者、漱石愛読者、文学関係者には著名な人でありました。
また、朝日新聞の 2014 年 5 月 12 日の朝刊の(ひと欄)
「秋 山 豊 さ ん
漱石の原稿を探
し 続 け る 岩 波 書 店 の 元 編 集 者 」に写真入りで掲載されたので、この記事を読んで初めて
知った人も多いと思われます。(ひと欄の要旨:東京工大助手から岩波書店に転じ、漱石好
きが高じて、頼み込んで 1993 年刊の『漱石全集』の担当になった。漱石の原稿通りの全集
はなかったので、「権威は漱石にあり、編集者にはない。」と考え、「今まで誰も読んでい
ない本当の漱石作品を作りたかった。」『漱石全集』に携わって 25 年になるが、岩波書店
を退職後の今でも直筆原稿を探し続けている。夏目漱石が書いた通りの全集を「完成」させ
るためだ。確認した原稿は小説や評論など1万枚ほどにのぼる。)
著書「漱石という生き方」
(トランスビュー、2006 年 5 月)のあとがきに、秋山さんは自
分が担当した『漱石全集』のことに触れている。「ここにおいて私は、実務の伴わない著名
な作家や学者・評論家を、名目だけの編集者として奉ることはやめたいと思った。新しい『漱
石全集』には編者の名前はでないことになった。」
「全集本文の校正方針として、本文を原稿
に求める」と述べている。これ以降、秋山さんが漱石の直筆原稿を探し続け、本文の校正を
するための大変な労力と努力が始まった。
インターネットで秋山豊&漱石の HP や、図書館での漱石関連の本などには、秋山さんが
編集した漱石全集の意義やその及ぼした影響などについて、たくさんの人が書いています。
「漱石という生き方」、
「漱石の森に遊ぶ」の批評もたくさんあり、評判も良いようです(例
えば評論家の柄谷行人の評:朝日新聞 2006.6.11 掲載など)。また、近年出版された漱石研
究の本、亀井俊介著、英文学者夏目漱石(松柏社、2011 年 6 月)や宮崎かすみ著、百年後
に漱石を読む(トランスビュー、2009 年 8 月)等の後書きにも、秋山豊氏に大変お世話に
なったと書かれているものがありました。秋山さんは先人たちとは違う切り口で画期的で優
れた仕事をしたのだろう。
秋山さんは 1944 年生まれで、1964 年、東京オリンピックの開催された年に東京工業大学
に入学しました。私とは 2 年になって応用化学コースになってからのつきあいです。学籍番
号順で組み合わせの決まる学生実験ではいつも一緒グループでした。実験のデータ処理など
一緒にやり、実験が終わった後、大津賀先生や林先生と一緒に飲んだことなどが懐かしく思
い出されます。学生実験で一緒だった私たちのグループは無機材料を選んだ人が多く、アの
つく姓が 6 人でア行が 10 人もいる。秋山さんと私は石川台の工業材料研究所浜野研に決ま
り、秋山さんは MgO、私は Al2O3 の焼結機構の卒業研究を行った。卒業後秋山さんは助手に私
は修士課程に進学し同じ研究室で計 4 年を過ごした。
その当時の学生には読んだ本の多さを密かに競うようなところがあり、秋山さんはもちろ
ん大の読書家で、読んだ本の多さも圧倒的であったが、それ以上に「本が好き」との感じが
した。そのことは、著書「漱石という生き方」あとがきに、大学 2 年のときになけなしの金
をはたいて買った「岩波書店の「漱石全集」そのものが好きであった。」とも述べている。
朱と白の装丁の「漱石全集」を手にしている秋山さんの嬉しそうな顔が思い出される。漱石
の直筆原稿探しや漱石の蔵書探しなど大変ではあったろうが楽しかったのではなかろうか
とも思う。また、所在が分からなかった漱石の直筆原稿が発見されたときに、鑑定を頼まれ、
それを判断できるまでになったのは、ひとえに直筆原稿を観察し続けた結果であろう。(日
本経済新聞
2012 年 6 月 23 日記事:夏目漱石の直筆原稿
「門」全 751 枚そろう 所在不
明の 4 枚、福島で発見)
1970 年の夏休み、秋山さんは今後の日本の高度経済発展と環境問題を考えるためにどう
しても自分の目での見たいと私をさそって建設中の鹿島工業地帯の現場を見に行った。巨大
な石油タンク群や製鉄所、陸地や海岸を深く削って造成された港や桟橋などを見ながら真夏
の暑い中 1 日中 2 人で歩いたことを思い出す。いわゆる専門家の意見やマスコミの報道、ま
してや権力などに頼らず、自分の目で確かめて行動を決める姿勢は『漱石全集』の編集にも
貫かれていたように感じる。
秋山さんが、自然科学系の講座や辞典の編集に携わっていた頃、お茶の水の付近で飲んで
いたときに、「このような本の編集しているときは、その分野の専門の先生方のお話を聞い
たり、解説を読んだりすることが多く、とくに優れた先生のお話や解説は専門外の私にもそ
の分野の歴史から学問の領域、分かっている範囲、現在特に研究対象になっている事項など
がよく理解でき、本を編集している期間ではその分野の専門家とも議論ができるほどになる。
しかし、本の編集が終わり、次の違った分野の本の編集に入ると、前の分野のことはすっか
り忘れて思い出すのも難しくなる。専門分野のことをずっと考え続けなければ専門家とは言
えないね。」と言ったようなことを思い出す。私たちが学会で専門外の特別講演を聴いたと
き、とくに優れた講演では同じことを感じる。秋山さんは学生の頃からずっと漱石を愛読し、
漱石のことを考え続け、漱石に関係あることに関わり続けていたため、漱石の専門家になり、
そのことは岩波書店の編集者たちにも伝わったので、理系出身者なのに、『漱石全集』の編
集者になれたのだろう。
漱石全集の編集に携わってからは、全力を漱石全集にそそいでおりまして、とても忙しく、
漱石全集の編集に携わっている時期には、私とはほとんど会っておりません。また、私が漱
石を読まないことを秋山さんはよく知っておりましたので、漱石について秋山さんと話した
ことはあまりなかったのですが、話の内容から、秋山さんはとても良い仕事をしているのだ
なと感じました。
秋山さんも私もお酒が好きで、会うときは、「カラスが鳴かない日はあっても、飲まない
日はない。」であり、当時の研究室の秘書の女性に、
「世の中でこんなにお酒を飲む人を初め
て見た。」と言われたこともある。秋山さんと飲んでいると楽しいのである。これは、彼の
友人たちも皆同じことを言う。話題が豊富で、聞き上手、偉ぶらない、謙らないなど、自然
体の人柄のせいであろう。趣味は卓球で書店の卓球部に所属して、地下にある卓球台で練習
していた。私も練習に参加させてもらったこともある。練習後はいつも飲み会となった。神
田から新宿のゴールデン街へ繰り出していつ終わるともわからなかった。岩波退職後、荻窪
にある区の会館で月 1-2 回、彼の奥さんや近所の主婦のグループおよび岩波の人たちやその
知人達と卓球を楽しんでおり、私も妻同伴で参加した。卓球が終わると、荻窪の駅の周りで
の飲み会で楽しい時間を過ごす毎回であった。ここ数年、工材研時代の 2 人の友人、後藤誠
史さんや宇都宮泰造さんも参加するようになって互いに杯を交わし、旧交を温め合っていた
のであるが、秋山さんは昨年の夏頃から病魔に襲われて、とうとう帰らぬ人となってしまっ
た。もう一緒に卓球をし、杯を重ねる楽しい時間が過ごせなくなったことが、とても残念で
悲しい。
秋山さん、『漱石全集』は今後とも読み続けられるでしょう。そちらにある「漱石の森で
遊び」、「漱石という生き方」で、お酒を片手にゆっくりとお過ごし下さい。
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