ISSN 1881−1981 教養・文化論集 第6巻 講 第1号 (通巻第10号) 演 エッセイを書いてみよう① ……………………………………………………内 館 牧 子 エッセイを書いてみよう② …………………………………………………内 館 牧 子 どうなる日本の政治 ……………………………………………………………橋 本 五 郎 民主党への期待は不安から怒りに! ―鳩山不況・小沢スキャンダル・民主党の統治能力― …………………………福 岡 政 行 岡 政 行 参院選の予測 (民主党大苦戦!) ―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― ……………………………………………福 論 文 茨城県潮来市に残された二次林の現状と保全上の課題 ……………村 中 孝 司 除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの 構築に関する研究 (その2) …………………………………………………高 橋 和 幸 研究ノート メンタルトレーニングの効果に関する実証的研究 ―高校野球チームへの心理的サポートを実践して― ……………………………伊 藤 護 朗 蘇我氏の出自 (講義 「上代日本政治史」 についての学生との対話) ……………阿曽村 邦 昭 音楽と舞踊にみられるトランスカルチュレーション ―キューバ、 グアンタナモ州における事例― ……………………………………二 田 綾 2011年2月 ノースアジア大学総合研究センター教養・文化研究所 子 目 次 講 演 エッセイを書いてみよう① ………………………………………………………………… 内 館 牧 子 (1) エッセイを書いてみよう② ………………………………………………………………… 内 館 牧 子 (21) どうなる日本の政治 …………………………………………………………………………… 橋 本 五 郎 (45) 民主党への期待は不安から怒りに! ―鳩山不況・小沢スキャンダル・民主党の統治能力― ………………………………………… 福 岡 政 行 (67) 岡 政 行 (83) 参院選の予測 (民主党大苦戦!) ―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― …………………………………………………………… 福 論 文 茨城県潮来市に残された二次林の現状と保全上の課題 …………………………… 村 中 孝 司 (99) 除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの 構築に関する研究 (その2) ………………………………………………………………… 高 橋 和 幸 (115) 研究ノート メンタルトレーニングの効果に関する実証的研究 ―高校野球チームへの心理的サポートを実践して― …………………………………………… 伊 藤 護 朗 (131) 蘇我氏の出自 (講義 「上代日本政治史」 についての学生との対話) ………… 阿曽村 邦 昭 (139) 音楽と舞踊にみられるトランスカルチュレーション ―キューバ、 グアンタナモ州における事例― …………………………………………………… 二 田 綾 子 (153) 講 演 ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① 講 司 師 会 脚本家・ノースアジア大学教育諮問会議委員 本学総合研究センター客員教授 内 館 牧 子 ノースアジア大学教養・文化研究所長 本学教養部准教授 橋 元 志 保 日 時 平成22年4月17日 午後1時〜2時30分 会 場 ノースアジア大学 40周年記念館 ―1― 271番教場 橋 元 本日は、 ノースアジア大学総合研究センター主催の公開講座、 シティカレッジにお越しいた だきまして、 誠にありがとうございます。 秋田の誇る名脚本家、 本学客員教授の内館牧子先生 をお迎えしての今年度最初のご講演会となります。 本日、 司会を務めさせていただきます、 本学総合研究センター参与、 教養部准教授の橋元と 申します。 どうぞよろしくお願いいたします。 さて、 内館牧子先生のご講演会は一年半振りとなります。 昨年、 大変なご病気をなされた先 生がこのようにお元気になられ、 秋田までお越し下さいました。 そのことを皆様と共に心から 喜びたいと思います。 内館先生、 ご快癒、 本当におめでとうございます。 内館先生は、 見事に脚本のお仕事に復帰され、 大変お忙しい中、 今年度3回目の開催となり ますノースアジア大学文学賞の選考委員もお引き受けくださいました。 それに伴いまして、 本 日のご講演会も 「エッセイを書いてみよう」 というテーマでお話しくださいます。 NHK の大 河ドラマ 毛利元就 、 朝の連続テレビ小説 ひらり 、 そして、 新春特別ドラマ 白虎隊 。 数々の名作を世に送られた内館牧子先生が、 文章を書くためのエッセンスを大変分かりやすく お話しくださいます。 書くことの楽しみ、 自分自身を表現することの喜びを、 きっと知っていただけると思います。 どうぞ皆様、 最後までご静聴ください。 それでは、 内館牧子先生、 どうぞよろしくお願いいたします。 内 館 内館でございます。 今、 ご紹介にありました通り、 盛岡で、 一昨年の年末に急性の心臓病に なりました。 本当に急だったんですね、 それも出先の盛岡で倒れまして、 そのまま救急車で岩 手医大に運ばれました。 そこで緊急手術をうけたんです。 私も初めて分かったんですけど、 動 脈というのはこういうふうに声帯の方にかかっているらしいんです。 それで、 その心臓から出 てくる動脈をいじるために、 どうしても声帯にも触れざるを得ない。 それで、 声帯がどうして も麻痺するんですね。 今は、 まだちょっとガラガラなんですけれども、 最初はもう高見山みたいな声で、 しばらく たったら森進一ぐらいになってきて、 今は久本雅美かな、 という感じなんですけれども、 大分 戻ってきました。 最初は、 マスコミに発表したよりもずっと重くて、 死ぬや生きるやという感じだったんです。 臨死体験じゃないですけれども、 幻みたいなものをいっぱい見まして、 目が覚めて意識が戻っ てから自分でも怖いなと思ったんですけれども、 夢で見たことを全部メモしているんですね、 いつか使ってやろうと。 それで、 ものを書くというのは本当にこういう事で、 ドクターも驚い ていたんですけれども、 すぐ近くにメモ用紙が無いわけです。 それで、 メモ用紙があるところ まで手を伸ばすというぐらいの気力とか筋力もまだなかったんですね。 それでどうしたかとい うと、 ベッドの中に、 枕元のところにティッシュボックスがあったんですね。 ティッシュボッ クスに全部メモしました。 そして、 元気になってからそのメモを全部きれいな紙に直しまして、 未だにネタとして持っています。 ですから、 皆様にも色々エッセイで書きたい事を、 テーマだ け書いていただきました。 何でもエッセイになります。 あらゆる事がなります。 ですから、 ノー スアジア大学の文学賞の中に、 エッセイのコンテストがありますので、 ぜひそこに皆様に応募 していただくところまで、 2回の講義でやろうと考えておりますので、 どうぞ分からない事が あったら何でもお聞きいただいて、 是非学んでいただけるとうれしいな、 と思います。 ―2― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① それで、 お手元にレジュメが配られていると思うんですけれども、 まだちょっと久本雅美風 の声で聞きとりにくいかもしれませんが、 エッセイを書く上での注意も書いてあります。 今ま で文章を書いたことがある人は 「こういう注意事項なんてもう分かっているよ」 という話だと 思うんですけれども、 一応今回は、 文章を全く書いた事が無い、 でも書きたい、 でもどうやっ て書いていいか分からないという人達を、 第1回目は特にそこをターゲットにしようと思って いますので、 最も基本的なところから始めます。 まず最初は原稿用紙の使い方からご説明します。 高校生なんかはみんな分かっていることで しょうけれども、 一応聞いてください。 これは、 手書きじゃなくてパソコンで打つ場合でも一 緒です。 それで、 実は私は、 未だに 「内館牧子」 と書いた原稿用紙を印刷してもらって、 6Bの鉛筆 で書いています。 これが不思議なことに、 入院中に筋力が落ちてベッドの上でドタアッとなっ ている状態の時にですね、 なぜか私は右手から回復したんですね。 それで、 ドクターが驚いて 「こんなに早く右手が回復する人はいない、 何かやってますか」 と言われて、 考えてみたら、 私、 鉛筆で原稿書いているって思い出して、 鉛筆で原稿を書いているせいでしょうかと言った ら、 「ああ、 それですね」 って。 それで、 やっぱりちょっと体にストレスがある事をやると、 そこがとても良いそうです。 ですから、 本当はパソコンで打つよりも原稿を書くという作業の 方が、 前頭前野には何か良いらしいですね。 それから、 これは東北大学の川島隆太先生が仰っていたけれど、 お料理もとてもいいそうで す。 だけれども、 お料理も皮を剥く時にピーラーで剥くのではなくて、 包丁で剥いた方がちょっ とストレスがある。 そのちょっとのストレスが良いんだっていうことは聞いてたんですが、 現 実に右手から回復したときにはかなり驚きました。 それで、 今ご説明する原稿用紙の書き方は、 全部一緒です。 パソコンで打つ場合もです。 原 稿用紙というのは大体2種類あります。 書き方は一緒なんですが2種類あってですね、 マス目 の横に細い罫があるもの、 これをルビといいます。 私はルビの無い原稿用紙を使っているんで すけれども、 ルビがある原稿用紙の方が コクヨ なんかで1番良く売っているパターンです ね。 このルビというのは何かといいますと、 振り仮名という意味です。 ですから例えば、 「私 は秋田で生まれ、 ニューヨークで育ちました。」 という文章を書きます。 この時に、 ここに 「秋田」 と、 もし読めない人がいる場合が困るので 「あきた」 とルビを振る。 その為の小さな 枠なんですね。 これは私の場合は使っていませんけれども、 これは無視しても全く構わないん です。 書き方としては全部一緒です。 まず、 書き始めは1文字空けます。 そしてこのてっぺんから 「私」 と書かないで、 1字空け て 「私は秋田で生まれ、」 これ ( 、 ) ですね。 ( 、 ) を1文字分です。 よく ( 、 ) や ( 。 ) やカ ギカッコを余白に書いてしまう人がいますが、 ( 、 ) は1文字です。 ( 。 ) も1文字とります。 必ず1文字とります。 そして、 例えば 「しかし、 育ったと言えないくらいニューヨークではひきこもりでした。」 これは、 ここはなんで1字空けているのかというと、 ここは段落を変えるところです。 段落を 変えるところは必ず1文字空けて、 違うお話ですよということをわかるようにします。 ですか ら、 行変えしたら、 頭を1文字空けます。 「しかし、 育った」 この 「育った」 の小さな 「っ」 も全部1文字です。 これはパソコンで打つ場合でも、 文字で書く場合でも一緒です。 そして、 「母は良く言うのです。 お前は困った 」。 「母は」 これは、 またここで1行変わっ ―3― ているんですね。 どういうふうにして段落を変えるかというのは、 これは個人的なことで自由 です。 人によっては、 全部これはニューヨークの話なんだからということで段落を変えない人 もいます。 同じニューヨークの話なんだからいいじゃないかと思う人は、 ここは変えなくても 前のお話に続けて書いても全く構わないわけですね。 それで、 「母は良く言うのです」 のかぎ括弧もこれは1文字です。 「お前は困ったもんだった よ」 と、 例えば書く場合、 このかぎ括弧も1文字です。 かぎ括弧を閉じる場合も1文字です。 すごく簡単なことなんです。 とにかく、 文字も記号も全て、 1文字、 1マスとると覚えておけ ばもう全部 OK です。 それから、 段落を変えるときは自分の自由に変えて良い。 変えたくな いな、 と思う人がいたら、 これは変えなくてもいい。 ですから、 段落を変えるところも全部自 由です。 その代わり、 段落を変えた場合は必ず1文字頭を空ける。 それから、 これもまた自由 なんですけれども、 私の場合は、 台詞、 例えばお母さんが 「お前は本当に困った子だったよ」 という場合は、 行を変えて、 かぎ括弧をして 「困った子だったよ」 というふうに書くんですが、 人によってはここに変えずに、 母は良く言うのです、 「お前は困った子だったよ」 と。 こういう形で書く人もいます。 ですから、 原稿用紙の使い方というのは、 実はルールがあるにはあるんですけれども、 とて も簡単なルールで、 句点 ( 。 ) 読点 ( 、 ) かぎ括弧 「 」 は、 全て1文字とる。 それから段落 を変えたときには頭を1文字あける。 段落の変え方というのは、 これも簡単で、 それぞれの人 が、 この話は前の話とは違う話だな、 と思うところは変えればいいです。 それで、 手元にですね、 出羽国子、 出羽の国という名前にしておいたんですけれど、 「孫に 思う」 というレジュメに例文が入っております。 これは、 私が書いた例文なんですけれども、 これには1つも段落がありません。 「階段を踏み外して怪我をしたおっちょこちょいの私は (笑)、 通院が大変なのですが、 なん と5歳の愛する孫のあっくんが」 ずーっと続いているわけですね。 それで 「ああ、 こんなに大 人になったのか」 とうんと続いて 「(泣)」 まできます。 4行目ですね。 これは本来 「ちょうど 夏祭りで、 すごい混雑の町でした。」 ここは、 あっくんの話とは別なんで、 普通は行変えなん です。 それで、 「夏祭りで胸が一杯になって、 いつまでも忘れないでねと祈りました」 と。 そ して 「昨日ユニセフから届いた寄付のチラシに」 という、 ここでまた段落変えなんですね。 こ れは、 夏祭りやあっくんの話とは関係ありません。 ユニセフの話です。 ですから、 本来はここ で段落を変える。 「何とかならないものでしょうか (怒)」 で、 また次も変わるんですね。 「あっ くんは、 私が言うのもおこがましいのですが、」 ここも普通は段落を変えます。 それで、 これ はご自分で書いている時に、 ここは話が違うから変えた方がいいな、 と思えばそこで変えてく れて構いません。 過剰に変えるのと過剰に変えないのは読み辛い、 ということがあります。 で すから、 そこを注意して変えていただけば良い、 ということですね。 それから読点 ( 、 ) 句点 ( 。 ) かぎ括弧 「 」 ダブルかぎ括弧 、 っていうのがあります。 見たことがあると思うんですけれども、 これは、 どういうふうに使うかと言いますと、 一般的 には、 固有名詞にはダブルかぎ括弧を使うことが多いです。 例えば―― いたが ―― と書くときに、 週刊朝日 週刊朝日 で言って はダブルかぎですね、 固有名詞です。 それからもう1 つ、 皆様が、 多分迷われると思うんですけれども、 例えば誰かの台詞を書きます。 例えば 「よ ―4― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① し分かった、 パパもそうしろよと言ってたし、」 という文章を書くとします。 そうするとね 「よし分かった」 というのは、 例えば、 子どもなら子どもの台詞なんですね。 だけど、 「パパも そうしろよ と言ってた」、 そうしろよ というのはパパの台詞なんですね。 それで、 この かぎ括弧の中にもう1つかぎ括弧というのは基本的に使えないんです。 だから、 かぎ括弧のな かで誰かの台詞を書くときはここはダブルにします。 そうすると、 このダブルかぎはパパの台 詞だな、 っていうことが良く分かるんですね。 ですから、 これも覚えておくのは簡単な事で、 かぎ括弧の中にかぎ括弧は使えない、 ということです。 だからその時には、 ダブルにする、 と いうことですね。 大きな原稿用紙の書き方のルールというのはそんなところですね。 それで、 あとは原稿用紙 はこれはパソコンで打ってもらう時でも一緒です。 それから原稿用紙で、 鉛筆やボールペンで 書く場合でも一緒です。 まったくルールはおんなじです。 それからエッセイなんかを書く場合、 例えば原稿用紙で400字以内で、 という指定があったとします。 これは、 高校生の皆さんなん かは小論文を書くときもそうだと思うんですけど、 小論文で400字以内って書かれたときに、 以内だから100字でも良いんですね、 本当は。 ですけれども、 就職試験なんかでもそうですが、 400字以内という時に、 100字っていうのはまずいですね。 また、 それで半分しか書かない。 200字書いたというのも、 やっぱり就職試験なんかの時にはマイナスになりがちでしょうね。 もちろん、 内容がすごければ50字でもいいんですが。 ですから、 エッセイコンテストで400字 詰5枚以内と決められていれば、 普通は1行でも1字でも出たらこれはバツです。 必ず規定内 でまとめなければいけない。 ( 。 ) も ( 、 ) も全部入れてです。 その代わり、 以内だからといっ て大きく減っているようなものは駄目。 だから400字以内と言った場合は、 見当としては、 私 はやっぱり380字だと思いますね。 例えば、 私が 週刊朝日 とか 秋田魁新報 に連載をしていますけれども、 あれは最後の 1行までピタっと書いているんですね。 最後の1行が空いているなんてことは絶対にないんで すね。 これは、 すごくみっともないことなんですね。 だから、 秋田魁新報 に1週おきに日 曜日に1面にでていますけども、 あれを見ていただければ分かる通り、 1番最後の行まで書い てます。 だから基本的には、 とにかくぎりぎりまで、 書いた方がいいというふうに覚えておい ていただく方がいいと思います。 その代わり、 オーバーしては駄目です。 これは特に高校生の 皆さん、 小論文を、 例えば大学を受けるときに論文があったり、 就職試験であったりしますけ れども、 オーバーは駄目です。 コンテストの場合、 オーバーしたものは最初からもう読まない んですね。 審査員の中にはオーバーを許す人もいます。 ただ私はそれはルール違反ですから、 ということで落とします。 それともう1つ、 段落の事はちょっと難しいかもわかりませんが、 書き続けているうちにだんだん分かってきます。 例えば、 夫婦が別れようかという話になった。 ずーっと別れようかの話を書いていて、 奥さ んが、 例えば小さい時のことを思い出したっていうのは夫婦の別れ話とは直接は関係ないわけ ですね。 「ああ、 私はすごく大事に育てられたのに、 こんな目に遭うとはなあ」 って本人が思っ たとしても、 小さい時のことっていうのは、 夫婦の直接のその時点での会話ではありませんか ら、 普通は段落を変えます。 だから、 Aという話が来て、 次にBという話になったときには、 段落を変える。 そこからCになったらまた段落を変える。 というふうに覚えておいていただけ ればいいと思います。 ちょっと違う話がきたときは変える、 ということですね。 それから、 「ですます調」、 「である調」。 この 「体言止め」 は後で話しますが、 「ですます調」 ―5― と 「である調」、 これはですね、 もうほとんどの方は分かっているとは思いますけれども時々 ごっちゃになる人がいるんですね。 例えば、 「今日は朝からとてもいいお天気だったので、 洗 濯をしました。 すると向こうから見知らぬ人が来た。 そして、 私に聞いたのです。 「駅にはど う行けばいいですか」 私は答えた。 ここから駅まで歩いたら1時間かかりますよ、 と答えたの でした」 というふうになると、 今は、 「ですます調」 と 「である調」 がごっちゃになっていま す。 意識してそうやることもあるんですけれども、 基本的にはまず、 「ですます調」 なら最後 まで 「ですます調」 で、 「である調」 なら最後まで 「である調」 で書きます。 「ですます調」 というのは、 例文の 「孫に思う」 に書いていますが、 「階段を踏み外して」 う んぬんとありますね、 「思わずあっくんを抱きしめてしまいました」 これは、 ですます調です。 「胸が一杯になりました」 「役に立つと信じています」 これは全部 「ですます調」 です。 だから、 「ですます調」 の場合は、 こういうふうに今のように書くわけですね。 これが例えば、 「こんな に大人になったのかと、 目頭が熱くなり、 思わずあっくんを抱きしめた」 となると、 これは 「である調」 なんです。 何々である、 というのと一緒ですから。 「抱きしめてしまいました」 は 「ですます調」、 「抱きしめてしまった」 は 「である調」。 ですからこれは、 どちらか1つに統一 すると覚えておいた方がいいと思います。 ただ、 ずーっと 「ですます調」 できているのに、 あ る効果を考えて突然、 パンと 「である調」 でスポンと一行入れるということは歯切れが良くな るので、 計算してそれをやるケースはあります。 だけど、 それはちょっと1つ上のテクニック なので、 まずは 「である調」 なら 「である調」 で、 「ですます調」 なら 「ですます調」 でとい うふうに覚えておいた方がいいと思います。 それで、 「ですます調」 でも 「である調」 でも両方に使えるのが、 この 「体言止め」 という 言葉なんですね。 例えばですね、 同じ出羽国子の 「五歳の気負い」 という例文があるのですが、 こっちは 「である調」 なんですね。 「孫に思う」 の方は同じ内容なんですが、 こっちは 「です ます調」 なんです。 この両方に使える 「体言止め」 というのは、 体言ですから 「名詞」 で止め るんです。 例えばですね、 「五歳の気負い」 の方を見てください。 上から2行目、 「家の中では良いとし て、 困るのは通院だ。」 これをですね、 「困るのは通院。」 ここで止めちゃうんです。 そうする と、 「困るのは通院だ。」 とやるよりかも 「困るのは通院。」 でやったほうが強くなる場合があ るんです。 ですから、 わざとそこを体言、 つまり名詞で止めてしまうんです。 それで例えば、 何行か下にあります、 段落が変わって 「8月の午後は猛烈な暑さで、 路面には逃げ水が揺れて いる」 ここを体言で止めると 「8月の午後は猛烈な暑さ。 路面には逃げ水。」 こういう止め方 というのもあるんです。 これはずっとは使えませんが、 何回か効果があるところにそっと使う ことは出来ます。 体言止めは 「である調」 でも 「ですます調」 でも使えるんですね。 だから、 「孫に思う」 これは、 私は自分で書いていて気持ち悪かったほどひどい例文ですけ ど、 本当に。 例えば、 「孫に思う」 の方も体言止め出来るんですよ。 1行目の 「階段を踏み外 して怪我をした、 おっちょこちょいの私。 通院は大変。 するとなんと、 5歳の愛する孫のあっ くんは 付いていく と言ってくれたのです。」 こういうふうにあいだあいだに入れるわけで すね。 「ああ、 こんなに大人になったのかと、 目頭が熱くなり、 思わずあっくんを抱擁。」 こう いう書き方で体言で止めて、 効果をもたらすということはあります。 ただ、 この体言止めが続 いたりするとこれはこれでちょっといやらしいので、 1番効果があるな、 と自分でここやりた いな、 というところは止める、 という程度がいいと思います。 ―6― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① 原稿用紙の使い方、 それから 「ですます調」 「である調」 「体言止め」、 ここまではいわばルー ルですから、 とても簡単なことなんです。 問題はこの後なんです。 皆さんに、 ノースアジア大 学の文学賞に応募していただきたい、 ということを考えましても、 次からにちょっと時間をか けます。 「テーマの絞り方」、 これが実は一番難しいんです。 それで、 文章というのは、 基本的にこう やっちゃいけない、 ああやっちゃいけない、 ということはありません。 それで、 文体は作家に よって、 書く人によってバラバラですから、 例えば野坂昭如さんの本を読むと、 長い文章でな かなか ( 、 ) も ( 。 ) もないんですね。 その一方で、 志賀直哉はぴしゃっぴしゃっぴしゃっと 短い。 これはどれが良いとかどれが悪いとかは全く無くて、 基本的にルールは無いです。 そう いった意味でも、 自由に書いていただいて良いんですけれども、 ただ書く上で最低限のルール を分かっている方が良いということで、 今、 原稿用紙の使い方や段落のこと、 基本的なことを 説明しているわけです。 特に就職試験だの大学入試だの、 それから今回みたいなコンテストだ のと言う時は、 すごい膨大な数が応募されるわけですから、 まず最低限のルールをしっかり覚 えておいていただく方が得策です。 後はそこで自分流に如何ようにも崩して書いていくという ことは、 もう全く自由です。 ですから、 書くうえでは何の心配もなく、 思ったように書けばい いんです。 そこでまず大切なものが 「テーマの絞り方」 なんですね。 何を書くか、 ということです。 そ れで、 今日お出でになった皆さんに、 全員の方がお書きくださったわけではありませんけれど も、 どんなエッセイが書きたいのか自分の中でテーマがあったら、 テーマだけ書いてください、 ということをお願いして、 それも拝見いたしましたけれども、 まず、 絞り方です。 ということ なんですね。 それで私は、 出席の高校生には孫の話というのはなんですが、 一応これは、 ルールと言うか、 「テーマの絞り方」 ということで聞いておいていただきたいのですが、 まず 「孫に思う」 を読 んでください。 「孫に思う」 出羽 国子 階段を踏み外してけがをしたオッチョコチョイの私は (笑) 通院が大変なのですが、 何 と5歳の愛する孫のアッ君がついて行くと言ってくれたのです。 ああ、 こんなに大人になっ たのかと目頭が熱くなり、 思わずアッ君を抱きしめてしまいました (泣)。 ちょうど夏祭 りで、 すごい混雑の町でした。 アッ君は 「バーバ、 僕が手をつないでいるから心配ないよ」 と言ってくれました。 アッ君は、 5歳の立派なお兄ちゃんなのだと胸がいっぱいになりま した。 心の中で 「いつまでもそのやさしい心を忘れないでね」 と祈りました。 昨日ユニセ フから届いた寄付のチラシに、 アフリカの子供が写っていましたが、 ああいう国の子ども は気の毒だと思いました。 何とかならないものでしょうか (怒)。 アッ君は、 私が言うの もおこがましいのですが (笑) しっかりした子なのでいつか人の役に立つと信じています。 ババ馬鹿ですね (苦笑)。 こんなに可愛い孫がいてくれて、 感謝の気持ちでいっぱいです。 アッ君、 君はこれからもバーバのアイドルだよ。 ずっとバーバをよろしくね。 気持ち悪くて吐きそうですよね。 私もね、 例としてこれを書いていてすごい気持ち悪くなっ ―7― たんです。 だけれども、 このぐらい気持ち悪いのを書くと、 よくわかりますよね。 これはまず、 何を書くかという意味で 「テーマの絞り方」 ですね。 孫を書きたいといって、 孫に絞ったとい うところはいいんです。 これは、 高校生の人たちに孫は関係ないと思っているかも知れません が、 下手をすると、 自分の彼女とか自分の彼氏とかの事を書くときに、 このぐらい気持ち悪く 書いちゃうんです。 「彼女は可愛くて、 僕にこういうことを言ってくれて、 僕はやだよ、 困る よって言ったんだけれど、 彼女はいいって言った」 だとか 「だから、 俺もまあ、 いいかなと思っ た」 とか、 こんなことは、 庭に穴を掘って言ってろという感じですよね。 この 「孫に思う」 は、 駄目です、 もっとも悪い例を満載しました。 何が満載かというと、 順 番に言いますが、 まず絶対に忘れて欲しくないのは、 日記なら良いんです、 これは。 誰も読み ませんから。 自分の日記で書いていく分には 「アッ君は世界一。 隣のよしおくんは何であんな にブスなの。 頭も悪そうだし、 うちのアッ君とは全然違うわ」 と、 いくらでも書いて良いです。 だけれども、 エッセイと言うのはですね、 基本的に他人に読んでもらうものです。 これは小論 文でもそうですし、 レポートでもそうですが、 他人に読んでもらうものということを、 まず考 えなければいけない。 それで、 日記をたくさん書いている人も、 いい機会ですから他人に読ん でもらうエッセイというものの稽古をしておいた方がいいと思います。 というのは、 セーブし ますから。 自分を律します。 「孫に思う」 の例文が気持ち悪いのは、 単なる垂れ流しだからで す。 こういう垂れ流しをしては絶対にいけない、 孫のことを書く場合でも。 誰も読みたくない ですよ。 自分の日記で書いていく分には、 「アッ君は世界一、 隣りのよしおくんは何であんな にブスなの。 頭も悪そうだし、 うちのアッ君とはぜんぜん違うわ。」 と、 幾らでも書いていい んです。 だけれども、 エッセイと言うのはですね、 基本的に他人に読んでもらうものです。 こ れは小論文でもそうですし、 レポートでもそうですが、 他人に読んでもらうもの、 ということ をまず考えなければいけない。 それで、 日記をたくさん書いている人も、 いい機会ですから他 人に読んでもらうエッセイというものの稽古を、 練習をしておいた方がいいと思います。 それというのも、 セーブすることを覚えます。 自分を、 律するようになる。 これはですね、 「孫に思う」 この気持ち悪いのはですね、 これは単なる垂れ流しです。 こういう垂れ流しをし ては絶対にいけない。 孫のことを書くのでも、 彼女の話を聞くのでも、 どこを切り口にするか、 ということです。 他にいけないのは (笑) とか (怒) とか (苦笑) とかありますね。 これは昨今みんな使うん です。 私は死んでも使いません、 これ。 なぜかというと逃げなんです、 1つの。 日記なら良い んです。 それから、 人にプライベートでお手紙を出す時。 それから、 メールをやる時というの は (怒) でも (笑) でも良いですけれども、 一応他人に読んでもらう、 エッセイという格のあ るものを書くときには、 (笑)、 (苦笑)、 (怒) というのは実に逃げなんです。 逃げ、 というの は書き手の逃げなんです。 どういうところで (笑) と書くかというと、 ちょっとストレートに 言うのはおこがましいところ。 というのは、 大体みんな、 文章を読んでいると (笑) が入って いるんですね。 それで (笑) が入って逃げちゃうんです。 例えば、 「こんなにきれいな私でも (笑)」 と、 本当はきれいって思っているくせにというのが (笑) でちょっと逃げられる。 それ から、 「何とかならないものでしょうか」 アフリカの子供ですね。 あまりに気の毒だと、 「何と かならないものでしょうか (怒)」 と書いているわけです。 これは 「何とかならないものでしょ うか」 と書けば、 お前じゃあ自分で何かしろよ、 と言われる、 つっこみが入るのがわかるんで す。 そういうことを防いで、 (怒) と書いているわけですね。 それから、 「ババ馬鹿ですね (苦 ―8― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① 笑)」、 いやですねぇ。 本当にいるんですよ、 笑いますけども。 恐らく、 笑っていたみなさんは、 ご近所にそういう人がいるんだと思う。 それで、 (苦笑) と書くことで、 「ババ馬鹿ですね」 っ て書くだけだって恥ずかしいのに、 (苦笑) と書くことでちょっと婉曲に逃げているんですね。 これは、 きちんとした文章を書く上では絶対にやっては駄目です。 むろん、 友達に手紙を書く ときは良いでしょう。 例えばですけども、 「私も3kg 太りました。 せっかく色白美人の私が台無しです (笑)」 と 書く人がいますよね。 私はそういうのは嫌だけど、 だけれども、 これがプライベートの手紙だっ たらしょうがないです。 ただ、 ノースアジア大学の学生なり、 それから高校生の方はレポート なり小論文なりを書くときに、 この (笑) だの (苦笑) だのと書いたら、 それだけで足元を見 られます。 ですから、 こういう事はやらない、 ということが1つ。 それからもう1つは、 さっ き言ったみたいに、 段落ですね、 段落を変えなければいけない。 それから例えば、 「階段を踏 み外して怪我をした、 おっちょこちょいの私は (笑)」 この人はですね、 「おっちょこちょいの 私は」 という事を、 ちょっとアピールしたい、 だからおっちょこちょいというのがとても良い 事、 というか、 何だかちょっと可愛いと思っているふしがあるんですね。 そういうことを勘違 いしている女の人は特に多いですけれど。 だから、 おっちょこちょいの私とか、 欲張りな私 (笑) とか、 本当は恥ずかしいことなのに (笑) で逃げちゃっているわけですよね。 これを、 私っておっちょこちょいだから、 という可愛さを自分で言っているからここで (笑) で逃げて いるわけですよね。 こういったものはみっともないです。 少なくとも、 ノースアジア大学の文 学賞では私は全部落とします。 もうはっきりと言っておきます。 全部落とします。 例えば、 今 回、 一緒に選考委員をなさる石川先生とか、 ああいった方の文章をお読みになったときに、 (笑) なんて絶対にありません。 これは、 書くことを生業にしている人たちがエッセイや小説 に (笑) とか (怒) とか (苦笑) なんて書きません。 ですから、 書くことを生業にしていない 人でも、 やっぱりそこは学ぶべきことだと思います。 それから、 この場合、 行替えが全く無い ところも問題ですね。 もう1つは、 とにかく、 アッ君が可愛くて、 可愛くて、 垂れ流している文章なんですね。 言っ てしまえば、 アッ君レベルの子というのは世の中にいっぱいいるんです。 それで、 ジージとバー バだけが可愛いと思っているんです。 そこのところは、 良く覚えていないと、 こういうふうに 垂れ流してしまうんですね。 それで、 アッ君レベルの子というのは本当に、 たくさんいるわけ で、 ましてよその人が見たときに、 「このアッ君、 世界一」 とか思っていないわけですよ、 普 通は。 それで、 お隣のよしおくんのジージとバーバは 「うちのよしおは世界一」 と思っている わけですよ。 「アッ君くんて、 ブスで馬鹿だよな」 とか思っているかも分からない。 だから、 こういうふうに垂れ流さないことです。 新聞とか雑誌とかで、 孫のコーナーって良くあります よね。 あれを見ていると本当に勉強になります。 なぜかというと、 「アッ君くん、 きみはこれ からも、 バーバのアイドルだよ」 みたいな文章がものすごく多いですね。 それから、 「いつま でも、 その優しい心を忘れないでね。 いつまでも元気でいてね。 いつまでも仲良くね。」 これ はもう、 判で押したようにあります。 判で押したようなことは書かないことです。 もう本当に、 孫が、 本人が可愛いのは充分分かるんですから、 その可愛い孫を垂れ流さないで、 可愛いとい うふうに書くということを考えるしかないんですね。 これは、 彼女であっても彼氏であっても、 そういう愛する者を書くときというのはそうです。 「俺の彼女は、 俺は世界一だと思っている けれど、 隣のやつが見たら凡庸な、 どこにでもいるような女かもしれないな」 って思っている ―9― くらいでちょうどいいんです。 それでないと、 どんどん垂れ流しますから。 垂れ流し文章、 本 当に来るんですよね。 本当に。 このアッ君だって中学生くらいになったら 「うるせえババア」 くらい言いますよ。 ずっとよ ろしくなんか見てくれません。 だから、 そこを書くのなら良いんですよ。 「私は、 いつもいつ もアッ君くんが可愛いから、 バーバをよろしくね、 バーバをよろしくねって言っているんだけ れども、 6つになっただけでちょっと4つのときとは、 バーバに対する態度が違う。 これは、 高校生になったらひどいことになるかもしれない」 という、 そっち方向で切り口を持っていく ということもあるでしょうね。 だから、 とにかく、 可愛い、 可愛い、 と垂れ流さない、 という ことですね。 それから、 夫婦のもの、 家族のものをテーマに書いたエッセイでも結構見ます。 あの、 「う ちの夫は世界一」 というのは良いんです。 「うちの夫は世界一で、 どんなに優しいか。 私が病 気の時に手をさすってくれた」 とか 「腕をさすってくれた」 とかから始まって、 「ああ、 本当 にこの人と一緒にいる幸せを感じた」 とか 「あなた、 これからもよろしくね」 とかね。 それを 垂れ流さずに、 どういうふうに切るかということを考えてみて欲しい。 それで、 今このアッ君の話をもう1回、 今度はちょっと別の切り口で考えようと、 同じ内容 を別の形で書いてみたんです。 これは、 タイトルは 「孫に思う」 というタイトルを、 今度はこっ ちは 「五歳の気負い」 というタイトルに変えております。 「五歳の気負い」 の方をちょっと見 てください。 「五歳の気負い」 出羽 国子 先週、 階段をふみ外し、 腰をしたたかに打った。 全治2週間の診断である。 家の中では いいとして、 困るのは通院だ。 やはり、 町なかを歩くのは怖いし、 緊張する。 あげく今日に限って、 家族がみんな出払い、 ついて行ってくれる人がいない。 すると五 歳になる孫が、 「僕が行ってあげるよ」 と言う。 かえって足手まといだと思ったが、 孫と 二人で 「お出かけ」 も悪くないなというのも本心だった。 八月の午後は猛烈な暑さで、 路面には逃げ水が揺れている。 そのうえ、 今日は八幡様の 夏祭り。 (これは体言止めですね) 祭り囃子が響き渡る中、 大変な人出だ。 片田舎の小さ な町にこんなに人がいたっけと思う。 みんな、 故郷の祭りに合わせて帰って来たのだろう。 孫は汗にぬれた手で、 私の手を力いっぱい握っている。 「僕が手をつないでいるから大 丈夫だよ!」 と30センチも下から見上げて大人ぶるが、 目は人出と熱気と轟きわたる太鼓 の音におびえている。 この目はどこかで見たことがあると思った。 そうか、 つい先日、 ユニセフから送られて きたチラシに出ていたアフリカの少女の目だ。 飢餓に苦しむ村で、 ちょうど孫ほどの年齢 の少女が、 乳児の弟を抱いてじっとカメラの方を見ていた。 「私はお姉ちゃんなんだから」 という気負いと、 少女には重すぎる役目へのおびえが出ていた目だった。 平和な国を、 こうして五歳の少年に守られて歩く幸せを感じながら、 ユニセフに寄付を しようと初めて思った。 ― 10 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① これは同じ内容なのにだいぶ違うでしょう。 これは、 孫が可愛いというところはきちんと 「五歳の気負い」 の方も出ているんです。 例えば、 「孫と二人でお出かけも悪くないな、 という のも本心だった」 これは、 孫が可愛いという事が、 この1行でもう十分分かります。 それから、 「私の手を力いっぱい握っている」 と、 これでも分かります。 描写としては、 30センチも下か ら見上げて 「バーバだいじょうぶだよ」 ということを言っているということも分かる。 そして 最後に 「5歳の少年に守られて歩く幸せを感じながら、 ユニセフに寄付をしようと初めて思っ た」 というところで、 孫に対する思いというのは十分に出ているわけです。 ですから、 「バー バをこれからもよろしくね」 と書かなくても分かるんですね。 テーマの絞り方というのはそういうことなんですね。 それで例えばさっき言ったみたいに 「俺の彼女」 というタイトルで書いたりして、 「俺の彼女はすごいきれいでスタイルも良くて、 そのうえ心も優しい。 こういう事があって、 ああいう事があって、 やっぱ俺には、 こいつしか いねーなと思った」 と書いたとします。 これはもう孫の垂れ流しと同じなんですね。 そのとき に、 そのすばらしい彼女を書くときにどういう切り口にしたらいいだろうか、 ということがエッ セイの勝負どころなんですよ。 そう考えると、 例えば高校生が電車に乗った、 そうしたら 「すっ げえブスの女が俺の前に座ってた。 高校生だった。 制服が違うから彼女とは違う学校だろうけ ど、 すごいブスだなあと、 俺は見ていた。 結構太っていて、 それで一生懸命太っているから汗っ かきで、 汗を拭いて、 肌もきたない。 いや、 俺の彼女と違うな、 と安心で思った」 とします。 そのときに 「もしもこの女の子が俺の彼女だったら、 俺は友達に見せられるだろうか」 そっち の切り口で書くことができるんですね。 そうするとストレートに、 俺の彼女は秋田美人で肌が 綺麗でどうたらこうたら、 と書かなくたって、 「もしこの子が俺の彼女だったら、 俺は友達に 紹介出来るだろうか。 口のうるさい山田だとか、 面食いの吉田だとか、 あいつらにこれ見せて、 心はすっげえ優しいんだよ、 と言ったところで、 やっぱり男って心より先に見た目見るよな」 と。 そういうところから入っていく、 という手はあるんですね。 そうすると、 結局ブスな女の子、 ということをテーマにしながら、 実は自分のとってもきれいな彼女の事をちゃんと書いている ことになる。 そして、 例えば最後に、 「電車から降りるときに見たら、 その女の子がすごくよ たよたしているおじいさんが乗ってきたときに、 向こうまで走っていってつれてきて、 自分の 席に座らせようとした。 ところが、 そのデブな女の子が座っていた椅子は全然見知らぬおばさ んが、 先に座っていたと。 そういったときにその太った女の子が すいません、 ここはこのお じいさんに譲るんで、 おばさん立って下さい と言った。 それで、 そのおじいさんを座らせた。 やるじゃん、 と思った。 それで、 俺の彼女はああいうことは出来るだろうか。 あそこまでは出 来ないかもしれない。 そう考えたときに、 いや、 きれいなのと心の優しいのとどっちがいいん だろうかと思った」 という話にはなると思うんですね。 だから、 思っていることをストレートにダラダラ、 ダラダラ一気にやらない、 ということが あります。 そしてですね、 ちょっとその今の例なんですが、 私が、 面白い参考になるような話 があって、 うまいなと思ったんですけれども、 まず1つはですね、 秋田魁新報 に2月に出 ていた読者のエッセイなんです。 70歳の斎藤信夫さんという方が書いたんですが、 タイトルは 「孫と地獄絵」、 地獄の絵ですね、 「孫と地獄絵」 というタイトルなんです。 小さい頃、 涅槃絵を見に行くのが楽しみだった。 広い廊下や寺中を走り回り、 出店でお ― 11 ― もちゃやお菓子を買ってもらえた。 本堂にはそのときだけ、 2畳もある大きな地獄絵と極 楽絵が掲げられた。 六分の恐怖と四分の怖いもの見たさ、 しばらく息を止め夢中で見入っ た。 現世で悪いことをしたことにより、 死後に受ける苦しみの世界、 様々な地獄の責め苦 を凄まじい絵にしたもので、 死者が赤鬼によって衣服を剥ぎ取られ閻魔大王の前で裁かれ る地獄の光景。 罪は大きな鏡に映し出され、 逃れるすべは無い。 罪の重さによって、 舌を 抜かれる者、 逆さに吊るされてのこぎりで体を切り裂かれる者、 串刺しにされて焼かれる 者、 釜茹でにされる者、 血の池に入れられる者。 目を覆いたくなる光景だ。 寺の帰り、 母 から 「嘘をつけば青鬼に舌を抜かれるぞ」 と言われ、 日中見た地獄絵が目に焼き付いて眠 れなかったことが、 老齢になった今でも忘れられない。 悪い事をすれば地獄に落ちるぞ、 と子どもの恐怖心を利用した道徳教育をしたのだろうか。 子どものころ、 怖いものは巡査と学校の先生、 そして地獄絵だった。 衣食住が満たされ 親も子も怖いもの知らずの現代にこそ地獄絵の怖さを教えるべきと思うが。 「孫と地獄絵」 と言いながら、 ここまで全然孫の話が出てきてませんね。 この後に続く最後 の5行にあるんです。 「小学校1年生の孫が我が家を訪れ、 物心ついた頃から地獄絵を模写し ている。 それが心に残り、 普通の人間に育つのかな、 と思っている」 と結んでいます。 これ、 なかなかですよね。 というのは、 前半は確かに地獄絵の描写なんで、 ちょっと読んで いて長いかな、 難しいかなと思うところはあるんですが、 結局このお祖父ちゃんが言いたいこ とというのは、 小学校1年生の男の子が地獄絵に興味をもって模写している。 それを見たとき に、 「この子は、 大丈夫かな、 まともに育つかな」 と心配しているということを、 ラストの5 行で言っているんですね。 「孫と地獄絵」 というタイトルはもう少し考えてもいいかもしれま せんけれども、 非常に抑えた書き方だな、 と思います。 それともう1つ、 孫の話なんですが、 これは 朝日新聞 4月13日の読者投稿で 「医者への 扉、 開いた孫」 というタイトルです。 69歳の女の人です。 先日、 高校を卒業した孫が、 この春念願の国立大医学部に進学する。 幼少期から人間の 体に興味を示し、 分厚い人体図鑑を片時も手放さなかった。 そんな彼の夢は 「大きくなっ たらお医者さんになりたい」。 それが、 小児科医を目指す、 という具体的な目標に変わっ たのは、 小6の夏の事だ。 炎天下、 数日前まで一緒に汗を流して練習にはげんだ野球チームの仲間が、 急逝した。 12歳の誕生日だったという。 報せをうけて駆けつけた孫は、 眠っているかに見える友人に 「起きろ、 起きろ」 と頬を撫でた。 氷のような冷たさが手に伝わってきた。 彼は、 命がこ んなにも儚く消えてしまう現実に衝撃を受けて号泣した。 しかも、 初期に誤診があったと 聞いた。 以来、 彼は、 短い人生の幕を閉じた友への鎮魂を込め、 医療に関わりたいと勉学に励ん だ。 目的意識は強固な精神力を養うらしい。 中高の6年間は皆勤を貫き、 ついに将来への 扉を開けた。 医療の仕事、 特に小児科医は激務と聞くが、 豪放磊落で己に厳しい彼であれ ばこそ、 めげずに突き進んで欲しい。 哲学書を親しみ、 他者に力を尽くすのを信条とする 孫に祖母からエールを送りたい。 尊厳を胸に、 自らの選んだ道に邁進を。 ― 12 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① これがぎりぎりかもしれませんね。 決して垂れ流してはおりません、 かなり抑えていますか ら。 ただ、 孫のことや妻、 子のノロケみたいなものを書くときは、 ここまでが許される範囲か なと思いますね。 ちょっと自分を律するということが大事だと思います。 ここに、 皆さんからいただいたエッセイのテーマがあります。 これは次回にもやりますから、 書いていない方はぜひ出していただきたいのですけれども、 エッセイのテーマをいっぱいいた だきました。 「趣味」 とか 「銀婚式」、 「若者と私」、 「これから」、 「第2の人生」、 「花いかだ」、 「父の思い出」、 「ふるさと」、 「私の生き方」、 「秋田に来て」 といっぱいあるんですけれども、 決して大きいテーマにする必要は無いんです。 小さいテーマでも全く構わないんです。 例えばですね、 私は、 昨日東京から秋田に来たんですね。 その新幹線にですね、 仙台から男 の人と女の人が乗ったんですね。 私のすぐ脇の席です。 女の人の方は80代後半、 男の人も80代 後半、 90に近いかな、 という感じの2人なんですね。 その2人が並んで座ったんです。 多分ど うって事ない日常的な風景なんです。 でも、 日常的じゃなかったんですよ。 なぜかというとで すね、 めちゃくちゃ仲が良いんですよね。 夫婦ってベタベタと仲良くないでしょう。 私の周り の老夫婦は誰もベタベタしてないんです。 介護とか色々な問題があるし、 別れられないから一 緒にいるかな、 みたいなのもいますが、 あの仲の良さはですね、 ちょっと夫婦じゃないなと私 は思ったんですね。 それで、 何気なく、 ちらっちらっと見たんですね。 そうすると、 おばあちゃまの方が窓際に 座って、 ご主人というか、 つれあいの方が通路側に座って、 彼女を守るようにしているんです ね。 それで、 喋りながら手を繋ぎかねない、 という感じなんですね。 角度によっては繋いでい るように見えるんです。 絶対夫婦じゃないと、 私は思って見ていたんですが、 ご主人らしき彼 がお手洗いに立った時、 そのおばあちゃまの方がですね 「あら、 だいじょうぶ?」 という顔を して、 自分だってなんだかやっと座っているって感じなんですが、 「だいじょうぶ?」 という 感じでずっと、 トイレに行く男の人を目で追っているんですね。 それで、 ほんの2、 3分、 ト イレに行って戻ってくると男の方も 「待たせたね、 帰ったよ」 という感じなんですよ。 これは絶対に夫婦じゃないと。 私はそのときに、 ああ、 これは 「90歳の不倫」 というテーマ でエッセイが一本書けるな、 と思ったんです。 それで、 今日一緒に来ているんですが、 私の秘 書に、 ねえ、 こういう人がいたんだけど、 と言ったら、 ちょうど後ろを歩いていたんですね。 それで、 彼女がちらっと見て 「うん、 あれは80代後半か90代ですね」 と言うわけです。 でも、 あれってさ仲が良すぎるのよ、 と言ったら 「仲が良すぎるのは夫婦じゃありません」 と彼女も 言うわけです。 「じゃあ、 あれ不倫かな」 と聞いたら、 彼女はずばり 「いや、 再婚です」。 なる ほど、 再婚という手があったか。 そうすると 「90歳の再婚」 ということで1本書けるな、 と思っ ちゃうわけです。 なんで現実の夫婦はあんまり仲良くないのに、 再婚して最近一緒になったり、 不倫だとべたべたするんだろうか。 夫婦だってもっとべたべたしたっていいのに、 という話で 1本書けるんですね。 だから、 ちっとも遠大な話とか、 書くことがないということは有り得ないわけです。 そのい い例がありまして、 皆さんにいいエッセイを読んでいただくと、 どんなものを書いたら良いか ということがとても良く分かると思うんです。 ちょっと読みにくいので現代語訳を文庫で探し て読んでいただきたいのですけれど、 やっぱり私は、 何を書くかということ、 切り口という意 味でも、 枕草子 の右にでるものは無いと思うんですが、 枕草子 は、 原文で読むと大変で す。 「春は、 曙」 くらいは読めても、 そこから後ね、 「やうやう白くなりゆく」 とずっと読んで ― 13 ― くると結構大変なんで、 現代語訳が出ていますから、 ちょっと現代語訳を読めるところだけで 構いませんから、 文庫本を1冊買って読むというだけでもいいと思います。 そうしますと、 何を書いたらいいのか、 ということが良く分かります。 「あ、 こんなことで もエッセイになるんだ」 とか、 「こういう事なら私も書けるから書いて、 ノースアジア大学に 応募してみよう」、 と思えるようなテーマが 枕草子 にはいっぱいあるんです。 例えば、 「何 が好きで何が嫌いか」 というテーマもあります。 そういうテーマでもいっぱい書いている。 清 少納言はとてもはっきりとした女で 「ほととぎすは好き、 でもうぐいすは嫌い」。 何でかとい うと、 うぐいすというのは 「春告鳥」 というんですけど。 うぐいすは春告鳥と言われて、 うぐ いすが鳴くと春が来た、 と喜ばれる。 ところが清少納言はこう書くんですよ。 「春を過ぎても、 だらだら何時までも鳴いているから嫌い」。 これを千年前の女が書いたなんてすごいな、 と思 うんですね。 それからエッセイと言うのは、 とにかく自分の思ったこと、 今言ったみたいに、 「うぐいすは嫌い。 ほととぎすは好き。 一声鳴いて、 ぱっといなくなるから」 そういったこと をぴしゃっと書いていいです。 だから、 誰にも遠慮はいりませんから、 自分の好きなもの嫌い なもの、 というのを書けばいい。 それから清少納言は、 もう一つ、 これが、 千年前の女の言う事だろうかと、 びっくりするほ ど今に通じるんですけれども、 一条帝の中宮定子に、 清少納言は仕えたんですが、 「えせざい はひ」 という言葉を使って書いているんです。 つまり 「偽幸」 ですね。 にせものの幸せ、 とい うことです。 それで、 「女の人が、 将来のことも考えないで目の前の幸せに浸りきっていると いうのは実につまらないことだ」 と。 それで、 「えせざいはひに気が付かない女というのは駄 目だ」 とハッキリと書いていますね。 だから、 あっくんのバーバなんて、 「えせざいはひ」 の 部分もあるかもしれない。 だって高校生になったら、 くそババアと言われるのが分からないで、 目の前で可愛い、 可愛い、 と垂れ流している。 それで、 こういう 「えせざいはひ」 ではなくて、 これが真の、 例えば、 あっくんとほんの短い1年間なり2年間なり、 可愛い時期を過ごすとい うだけで、 これは誰がなんと言おうと 「えせざいはひ」 ではなくて真の幸せなんだと、 おばあ ちゃんは思った。 そこをしっかり書けばいいんです。 それはちゃんとエッセイになります。 「えせざいはひ」 ではないと、 周りがなんと言おうと私は、 この子がわずか2年分くらいの可 愛い時期をべったり一緒にいることが本当の幸せなんだ、 ということをきっちり書けば、 これ は何の、 誰にも文句を言われる筋合いのものではない。 枕草子 は、 3つの段に分かれています。 これは多分参考になると思うんですが、 1つは、 「ものづくし」 の段なんですね。 例えば、 虫とか、 森とか、 山とか、 自然について書いている。 それから、 可愛らしいもの、 間が悪いもの、 憎らしいもの、 そういった 「もの」 への考え方と いうのを書いてる段が1つあります。 それからもう1つは、 随想的な段、 これは例えば、 自分 が実際に見たり、 経験したり、 体験したということについて書いているわけですね。 だから、 「春は、 曙。 空が少しずつ白くなっていって、 山の端が段々段々白くなっていく。 春はあけぼ のの時刻が一番良いわね。 山ぎわの空が明るくなって紫色の雲が細くたなびいていくのを見る のは、 なんともいえず良いものだわ」 というのは、 これは彼女の感覚です。 「夏は、 夜。 蛍が 飛んでいるのはとても良い」 ということを言っている。 だから、 自分の感覚で思ったことを書 くというのも、 ありですね。 ちょっと面白い話が清少納言の中にあるんですけれど、 これはあっくんの話とはまったく正 反対の話なんです。 清少納言は夫と別れて息子を残して宮中に入りました。 ― 14 ― 枕草子 の中に、 ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① 清少納言は蓑虫について書いているところがあるんです。 蓑虫についてどういうふうに書いて いるかというと、 蓑虫は鬼が産んだと言われている、 鬼の子供なんですね。 それで、 その子も 親に似て、 つまり鬼に似てとても怖いと思われて粗末な葉っぱを着せられて木にぶら下げられ ている。 それで、 「秋には迎えにくるからね」 と言って鬼は逃げちゃった、 親は逃げちゃった。 蓑虫の子は1人で木に吊るされたまんま待っているんですね。 現実には親も全然迎えに来る気 なんか無いわけです。 それでも蓑虫の子は木にぶら下がりながら粗末な葉っぱを着せられて、 風の音を聞いている。 その音で秋が来たな、 蓑虫の子は感じて、 「ちちよ、 ちちよ」 と鳴くん です。 こういう伝説を聞くと、 みのむしの子は哀れだなと思う、 と清少納言は書いているんで すね。 実際にはみのむしは鳴きませんから、 「ちちよ、 ちちよ」 と鳴くというのは、 お乳の 「ちち」 だろうと。 乳を求めて 「ちちよ、 ちちよ」 と、 「まだ来ないのかな」 といって鳴いてい るというふうにも、 清少納言は計算づくで、 そう書いたんじゃないか、 というふうにも言われ ていますけれども、 これを読むと清少納言も、 やっぱり残してきた幼い子供をすごく考えてい るな、 というのを読者が感じるわけですね。 そうすると、 「残してきた子どもよ、 ママはここ で頑張っているのよ、 あなたも自立してね。 いつかきっと帰るからね、 あなたが1番可愛いの よ、 愛しているのよ」 と書かなくても、 蓑虫の話によって、 十分に分かる。 切り口というのは、 結局こういう事をいうんだと思います。 ですから皆さんの周りにも、 おそらくいろんな伝説と か、 それからちょっと誰かに聞いた一言、 というのがあると思います。 それで十分に、 一本エッ セイが書けると言う事ですね。 それから、 清少納言を読んでいてお分かりになると思うのは、 みんなと全然違うことを言う んですね。 みんなの、 多くの人達が考えるであろうということとは、 全然別の事を言うんです。 これは、 彼女はそういうふうに感じて書いているわけですからいいんです。 ですから皆さんも、 他の人と全然違う感じ方をしたときに恥ずかしいと思わないで、 それを文章にしたら、 とても 面白いと思います。 これは小論文なんかでもそうですね。 例えば、 今誰もが言う事、 例えば、 「テレビ番組で同じような顔の芸人さんが出ているバラエティー番組に飽きた」 これは誰もが 言うことです。 だから、 これを書いても点数にはならないわけですよ。 だったら今、 そういう テレビ番組を、 自分ならどういうふうに考えるか、 という別の角度から考えないといけない。 それと同じで、 清少納言がとても面白いことを言うんですね。 例えば、 台風について書いた 文章があります。 「台風の翌日はなかなかムードがあるわよね」 って書いているんですね。 「台 風の翌日はなかなかムードがある、 どうしてかというと塀とか垣根なんかが倒れちゃって、 草 木もみんな風であっち向いたりこっち向いたりして痛々しい感じっていいわよね」 と書いてい るんです。 それで、 「大きな木とかも倒れちゃって、 萩とかおみなえしの上に被さって、 そう いうのってなかなか風情があるわよね」 と書いているんです。 これをですね、 普通台風となると、 怖いものだとか、 それから、 台風一過、 翌日かあっと晴 れたときに、 本当にこの災害をどうしてくれようか、 ということはもちろんあるんですけれど も、 そうではなくて、 台風一過に風情を見ちゃうというのはすごいなと思います。 言われてみ ると、 確かに台風の翌日というのは、 風情は無いことは無いな、 と思います。 それから例えば、 私はここの段がものすごく好きなんですけれども、 清少納言がこう書いているんですね。 「か らすが夜中に寝ぼけて、 木から落ちそうになって、 あわてて、 かあ、 なんて鳴くのはすごくい いわ」 と。 何でかっていうと、 「昼間の憎たらしい姿と違って、 愛嬌があるもの」 と書いてい るんですね。 ― 15 ― だから、 例えばですけれども、 夫や妻のことを書く、 それから彼女や彼氏のことを書くとき は、 素晴らしい、 素晴らしいとストレートに書かないで、 「本当に頭にくる女房なんだけれど も、 なんだかせんべい食べながら、 寝転がっている姿を見ると」 普通はそこで大体そういうの は女の人の一番悪い例として、 せんべい食べながらテレビを見ている女房というのは、 一番悪 い姿として書かれがちなんですけれど、 「そういうのを見ていると何だか安心して、 よく俺と 50年一緒にいるよな、 と思ったらちょっと愛しくなった」 と書くことはできるんです。 だから、 そういう形でですね、 ちょっと清少納言から学ぶということがあるかも分かりませ んね。 また例えば、 清少納言は 「夜に鳴くものというのは全部素敵。 面白いわ。 だけど、 赤ん 坊の夜泣きだけはいやよね」 と書いていますね。 そういうストレートな自分の感情を書くとい うのはすごくいいと思います。 それからもうひとつ大切なのは、 細かく見ることなんですね、 エッセイのネタをさがすには。 例えば、 私は今何本か連載を持っているんですけれども、 何本も全部同じことを書けませんか ら、 全部違うことを書きます。 その為にはやっぱり、 細かく観察するというのじゃなくて、 キャッ チする。 観察してじろじろ見るというのはいやですよね。 ちょっとこの夫婦仲が良すぎるわ、 夫婦じゃないかも、 と思うので1本書けちゃったりということが、 やっぱり細かく見ている、 ということが1つあります。 子供のことを書くのでも、 孫のことでも細かく見てみる。 これは清少納言が書いているんで すが、 「小さな子供が、 おとなの方に向かって、 はいはいしてくる」。 これだけだったらよくあ るシーンですが、 清少納言が書いているのは 「はいはいしてくる途中に、 床の上とかにちっちゃ なほこりとかごみとかを見つけて、 小さい手でつまんで、 それで、 大人に見せにくる。 これは 本当に可愛いもんだわね」 と書いているんですね。 確かにこれは可愛いですね。 だから、 こう いう細かいところ、 というのを見るということはネタになります。 それから、 こんなことまでエッセイに書けるのかと思うのが、 清少納言の 「間が悪いもの」 というテーマですね。 本当に私たちもみんなそうだと思います。 「他の人が呼ばれたのに、 自 分かと思って顔を出したとき。 これは本当に間が悪い。 まして、 何かくれるときだったりする と最悪だ」 と書いているんですね。 これは私は、 本当に今でもあると思うし、 エッセイのネタ になる話なんですね。 例えば、 「どなたかが呼ばれて行ったら、 隣の奥さんを呼んでいたのに 自分が顔を出しちゃった。 何か美味しいものをおすそ分けの時だった。 慌てて私に半分くれた」 とかね。 それから、 もう1つ言っているのは、 「ちょっと、 他人の悪口を言っちゃった。 子ど もはそれを覚えていて、 その人の前で言ったとき」。 これもよくある話です。 からどんどん書 けると思います。 それから、 「うんざりするもの、 昼に吠える犬」 なんて書いているんですね。 それから、 「人に馬鹿にされる者、 人が良すぎるとばれた人」。 だから、 こういうふうに千年も 前の人が考えていた、 見ていたということは、 私たちにとっても、 ものすごく大きな勉強にな ると思います。 ただ、 原文で読むのは読みにくいし、 ぱらぱらと見て、 これなら読めるかなと いうものがあったら、 ちょっと読んでいただきたいなと思います。 次回ももう少し清少納言のことをやろうとは思いますけれども、 今日はみなさんから頂いた テーマの中でいくつか出来ることだけ考えていこうと思っていますけれども、 やっぱり1番皆 様から集まったもので多かったのは、 「孫のこと」 なんですね。 孫のことを書きたい、 だから、 孫のことというのは、 今申し上げたみたいにちょっと自分をセーブして書いてみたら、 テーマ としては非常に面白いと思います。 ただ、 1番難しいテーマかもわかりません。 ― 16 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① それから同じ孫でも、 「孫は自閉症」 というテーマで書きたいという方がいらっしゃいまし た。 それで、 これはどういうふうに書くのかな、 と分からないんですけども、 例えば4月2日 というのは世界自閉症啓発デーなんですね。 それで、 オノ・ヨーコが啓発大使になっています。 それから、 1988年に レインマン という映画があって、 ダスティン・ホフマンが自閉症の青 年を演じています。 こういったバックを少し分かったり、 見たりしていくと、 書くものに幅と 深みが出てくると思います。 「自閉症の孫と一緒にいつまでも強く生きていこう」 というだけ だと、 あんまり上手くはないかもしれないです。 だけども、 ダスティン・ホフマンがどんなふ うに演じたのか、 それで自分の孫も青年になった時に、 ああいうふうになれるだろうか、 そう いったことをきちんと考えてみる。 それから、 オノ・ヨーコの子供は自閉症ではないわけです けれども、 彼女は世界自閉症啓発デーの啓発大使になっている。 オノ・ヨーコはジョン・レノ ンの妻ですよね。 オノ・ヨーコと自閉症のそこの部分というのをちょっと調べてみたりすると、 とても広がりが出て面白いかもしれません。 だから、 通り一遍なことじゃなくて、 裏がある、 ある程度でもあるとずいぶん幅が出てきます。 それから、 いくつか 「秋田に来て」 というのもありました。 これはおそらく、 どこか他の地 域で生まれて育った方が、 結婚か夫の転勤か何かで秋田に来たんだろうと思います。 それで 「秋田に来て」 というときに、 例えば想像できるのは、 「食べ物もおいしいし、 空気もきれいだ し、 とてもいい」 というような話も、 「お祭りもいいし、 人もいいし」 というような話はある 程度想像はできるんですけれども、 それを書くのはいいんですが、 ちょっときっかけがやっぱ り欲しいんですよね。 それで私は、 今回東京から秋田に来るとき、 盛岡から秋田に入ってきま すよね。 それで、 秋田に盛岡から入ってくるときに、 ああっ、 と思ったことが1つあったんで すけれども、 ばっけが咲いているわけですね、 一面に。 ちょっととうが立ちはじめていました けれども。 わーっと、 ばっけが物凄くきれいな緑色で咲いている。 そうしたら、 その沿線は、 ずっと鯉のぼりが泳いでいるんですよ。 鯉のぼりとばっけが一緒にある秋田というのは、 これ はすごいなと思いました。 それで、 私は林真理子さんと親しいんですけれども、 林さんは山梨 県の出身なんですね。 彼女はいつでも 「桃と杏と桜とれんぎょうがいっぺんに咲く」 と言って 山梨の話を、 ふるさとの話をするんですけれども、 そうしたときに、 鯉のぼりとばっけが一緒 にくる、 これは秋田すごいよ、 と思いました。 だから、 何かそういうきっかけが1つあると、 秋田に来ているということが、 通り一遍にならずにすむだろう、 と思いました。 それから、 「歴史と伝統の地、 地元金沢」 というのがあったんですね。 これは多分、 金沢の ご出身の方が今秋田に住んでいる、 でも自分の地元は金沢である。 それで、 地元金沢の、 歴史 と伝統の地である金沢を書きたい、 ということだと思います。 これもとても面白いテーマです ね。 ただ、 このときにやっぱり注意しなければいけないのは、 例えば、 「やっぱり秋田は嫌い」 ということは全然書いても構わないんですが、 嫌いということを書く場合でもで、 例えば、 「やっぱり秋田は嫌で、 金沢は良いなあ。 どうしても私の心の中には金沢があるんですよ」 と いうのは、 これは何の問題も無いです。 いくらでも書いていいです。 ただ、 どう書くかという ことは、 これはものすごく難しいです。 これもストレートに書きすぎるとあまり面白くないと いうか、 単に金沢を勝ち誇っちゃってという話になってしまうと損だと思います。 例えば、 大伴家持という歌人がいますけれども、 彼は京都から能登に赴任したんですね。 そ れで、 能登に赴任したときに家持はどんな歌を詠んだのかといったら、 おそらく彼の気持ちの 中では本当に京都への思いがあったと思います。 「京都こそが素晴らしいんだ」 と。 京の都と ― 17 ― いうのはすごかったのに、 なぜだか能登の山奥に赴任させられちゃった。 そのときに、 家持が 色々な歌を詠んだんですが、 私はその中で、 やっぱりすごいな、 と思ったのは 「雪」 を詠んで いるんですね。 京都に降る雪と、 能登に降る雪は違うと。 能登は当然、 今よりももっと降った でしょうから、 どか雪だったと思うんですけども、 京都の雪と能登の雪を比べて詠んでいます、 歌を。 それを読むと、 決してどちらが良いとか悪いとかは言ってないんだけれども、 望郷の念 があるんだな、 ということがすごくよく分かる。 今、 私が言っているのはとても高度なテクニッ クなんですけれども、 どこかでこれを覚えておくと書くときに垂れ流しにならないだろう、 と いう気がします。 また、 私が武蔵野美術大学の学生だった時、 ある同級生の女の子が学校に来なくなっちゃっ たんですね。 もう何十年も前のことですけれども。 それで、 ちょっと気になって彼女と親しい 人に、 女の子に聞いたんですね。 あの人どうして、 学校来なくなっちゃったね、 と言うと、 「うん、 富士山が見たいっていって帰っちゃった」 と言うんですね。 静岡の子だったんです。 それで、 大学で東京に出てきたはいいけれども、 東京から、 自分の狭いアパートからはもちろ ん富士山なんて見えない。 今までは、 自分の部屋の窓を開けると、 うわーっと目の前に富士山 がある。 それで、 富士が見たくて富士が見たくてもうどうにもならなくて、 今で言うところの うつ病みたいな状態になっちゃって、 それで帰った。 そういったときに、 彼女は別に、 東京の 悪口を言ったわけでもないんですけれども、 ああ、 本当に静岡が良かったんだろうな、 富士が 見える街が良かったんだろうなというのが分かってくるわけです。 ですから、 そういう目線み たいなものというものがあると、 書くときに自分も書きやすいですし、 広がります。 もう一つこれはテレビのドラマを書いているときに、 脚本家は、 基本的には家で原稿を書い ているんですけれども、 やっぱり時にはスタジオや現場に顔を出します。 それで、 俳優さんと 話をしたり、 いろんなことをするんですけれども、 ある時に、 2000年のことですね。 私の青 空 という下北半島の、 大間のまぐろの話を書いたときだったんですけれども、 それのスペシャ ルも書くので、 私は弘前に取材に行って帰ってきたところだったんです。 それで、 現場のスタジオに行きましたら、 本当にとうもろこしみたいな真っ金々の頭をして、 コードを巻いたり、 照明の加減を見たりしている若い男の子がいたんですね。 その子が、 私の ところに来て 「内館さん、 弘前に行ったんだって」 って初めて喋ったんです。 そして、 「ああ、 うん、 行ってきた、 帰ってきたところ」 と言ったら、 その子が私に次に言った台詞というのが 「お岩木、 見えた?」 って。 岩木山に 「お」 を付けた。 「お岩木、 見えた?」。 もうね、 とうも ろこしの頭した、 ヤンキーみたいな子ですよ。 それが、 「お岩木、 見えた?」 と、 恥ずかしげ に聞くんですよ。 ああ、 すごいな、 と思って、 「見えたよ、 お岩木、 すごいきれいだった、 本 当にきれいだった」 って答えました。 それだけなんですよ。 「どうも」 と言って、 また自分の 持ち場に帰っていって、 自分の仕事をし始めたんですけれども、 この言葉というのが、 見た目 はあんな青年で、 本当にお岩木のこともふるさとのこともほとんど考えていないみたいな、 東 京生活を楽しみまくっているようなヤンキーっぽい男の子なのに、 結局自分のふるさとのこと を思って、 やっぱり彼にとっては、 小さいときから見ている岩木山というのは神の山なんだろ うなと思わされました。 だから、 「お」 がつくんですね、 「お岩木、 見えた?」 となる。 そして、 それ以上何も聞かないで行ったということが、 いいなあと思って、 私はこれで1本書いてしま いました。 そういったことで、 本当にちっちゃなことが、 全部エッセイのネタになります。 ですから、 ― 18 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう① 孫のこともこんなふうにストレートに書かなくたって、 もっともっと書きようというのはある し、 彼女のこと、 彼氏のことだって書きようというのはいろいろあるんですね。 ぜひ、 その辺 りというのを良く、 まだまだ締め切りまではたっぷり時間がありますから、 考えて欲しいと思っ ています。 それで、 次回ももう少しくだいて、 いろんな見方、 物の見方というか、 エッセイの書き方と いうことをお話しようと思いますけれども、 まだ6月1日まで少し間がありますから、 もし何 か聞きたいことがありましたら、 橋元先生の方にも言っていただきたいし、 今は一人か二人く らいだったら質疑応答に入りたいと思います。 橋 元 内館先生、 本当に素晴らしいご講演を誠にありがとうございました。 続いて質疑応答に入り たいと思いますが、 少しだけ先生にお礼を申し上げさせてください。 今、 会場には、 市民の皆 様と、 それから本学の附属高校である明桜高校の生徒達の、 併せて約300人の受講者がいらっ しゃいます。 それで、 見渡していただければ分かるかと思いますが、 1人も寝ている方はいらっ しゃいません。 先生のお顔をみて、 大変熱心に聞いてくださっています。 本学の小泉理事長は先生のご講演を聞く度に感動されて、 「先生のような教員を目指すんだ よ」 と、 いつも本学の教員たちにお話しされています。 大変面白い、 楽しいご講演であるのと 同時に、 枕草子 の 「えせざいはひ」 のことなど、 私のような文学の研究者にとっても勉強 になるようなことを、 本当に分かりやすく教えてくださいます。 素晴らしい先生です。 ぜひ、 末永く本学の客員教授として、 お越しいただければと思います。 本当にありがとうございます。 内 館 時間がちょっとオーバーしてしまったようで、 今回はエッセイの書き方なので、 また次回も 枕草子 のことを、 ちょっとお話しようと思いますけれども、 私は、 橋元先生みたいな日本 文学のプロの前で日本文学を喋るのはすごく嫌なんですけれども、 そこはずうずうしくやらな いと。 今、 ちょうど私は でと全然違った角度で 源氏物語 源氏物語 をちょっと変わった角度から書いております。 これは、 今ま を読み解くことはできないだろうか、 というようにやって いるんですけれども、 そこにもやっぱりエッセイのネタになりそうなものがあります。 本当に 紫式部って意地の悪い女で、 よくぞこれだけ考えたなというくらい、 見事な小説ですね、 あれ は。 それで、 その辺りのことも例に挙げながら、 こんな話が書けるんじゃないか、 あんな話が 書けるんじゃないか、 ということをお話ししたいな、 と思います。 ぜひ次回も続けていらして下さい。 ありがとうございました。 橋 元 次回のご講演は6月1日になります。 「エッセイを書いてみよう」 の第2弾となりますので、 ぜひご参加いただければと思います。 それでは、 これを持ちまして本日のご講演会を終了させ ていただきます。 ご清聴、 誠にありがとうございました。 ― 19 ― 講 演 ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② 講 司 師 会 脚本家・ノースアジア大学教育諮問会議委員 本学総合研究センター客員教授 内 館 牧 子 ノースアジア大学教養・文化研究所長 本学教養部准教授 橋 元 志 保 日 時 平成22年6月1日 午後1時〜2時40分 会 場 ノースアジア大学 40周年記念館 ― 21 ― 271番教場 橋 元 本日は、 ノースアジア大学総合研究センター主催の公開講座、 シティカレッジにお越しいた だきまして、 誠にありがとうございます。 秋田県の著名な脚本家であり、 本学総合研究センター 客員教授の内館 牧子先生をお迎えしての、 今年度2回目のご講演会を開催させていただきま す。 本日、 司会を務めさせていただきます、 ノースアジア大学教養部准教授、 総合研究センター 参与の橋元でございます。 どうぞよろしくお願いいたします。 さて、 「エッセイを書いてみよう」 第1回目のご講演では、 原稿用紙の使い方、 文章表現上 のルールに始まり、 テーマの絞り方、 また、 優れたエッセイの先駆けである 枕草子 の 「え せざいはひ」、 つまらない幸福のことなどを大変分かり易くご講義いただきました。 枕草子 や 源氏物語 は日本が世界に誇る古典文学ですが、 その優れた内容と共に、 日 本語表現の豊かさや、 言葉の可能性、 文学の可能性を今も私達に伝えてくれています。 恐らく 100年後にはこの会場の中の誰もが存在していないでしょう。 しかし、 内館先生のご講演を聞 き、 心の中に文学の芽を宿した方の言葉や文章はきっと残っているに違いありません。 そして、 100年先200年先も、 内館先生の書かれた、 数々の素晴らしいドラマや著作は、 未来の日本人や 他の国々の人々を楽しませているに違いありません。 どうぞ皆様、 大変ご多忙中、 この秋田まで駆けつけてくださいました、 内館牧子先生のご講 演を、 最後までご静聴下さい。 それでは、 内館牧子先生どうぞよろしくお願いいたします。 内 館 内館牧子でございます。 前回よりも少し声が戻ってきたかなと思っていますが、 おかげさま で、 とにかく秋田まで定期的に来られる程元気になりました。 ところで、 皆さん、 今日の私の洋服、 素敵でしょ?お友達が、 みんな、 「銀座で買ったの?」 「六本木で買ったの?」 とか、 「パリでしょ?ローマでしょ?イタリアでしょ?」 と言う人が多 いんですが、 実はこれ、 秋田なんです。 私は秋田で、 結構お洋服を買うことが多いんですね。 これも、 秋田のキャッスルホテルに泊まっていたものですから、 前回来た時に、 秋田キャッス ルホテル内の 「べにや」 というお店で買いました。 「べにや」 のすぐ近くのお隣の所には、 315円のアクセサリーとか1,050円のマフラーとか525 円のTシャツとか売っている安いお店があるんですが、 そこも必ず覗きます。 それで、 525円 のTシャツを1枚試しに買って家で着ていたら、 お友達が 「すっごい素敵!」 と言うんです。 「これ525円で、 秋田で買ったのよ」 と言ったら、 凄く怒って、 「何でもっとみんなの分も買っ て来ないの!」 と言われたんですが、 昨日はキャッスルホテルに荷物を置いて、 その後、 広小 路を秋田駅の方へ向かって、 ちょっと歩いて行った所に古着と新しい物を半々に置いている 「着物創庫」 という着物屋さんがありまして、 私は着物が大好きなんで入ってみました。 そうしたら、 すごくオーナーの女性店主が気さくな面白い人で、 彼女と話しながら、 いろん な物を試着したり、 帯結びのことを習ったりしている内に、 すっごく気に入った帯があって、 それも買っちゃいました。 秋田は本当にセンスのいい物の宝庫なので、 皆さん、 わざわざ東京だのローマだのに行くこ とはありません。 是非、 地元を元気にして欲しいと改めて思って、 今日はわざわざこれを着て 来ました。 前回の 「エッセイを書いてみよう①」 をお聞きにならなかった方もいらっしゃると思います ― 22 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② ので、 簡単に前回の復習から入ります。 前回は、 今、 橋元先生の方からもご案内があったよう に、 原稿用紙の使い方からやりました。 今日、 [資料1] (P.25参照) というのが配られている と思いますが、 原稿用紙の使い方として、 文章は私がわざとテーマに沿ってひどいものを書い てきたんですけれども、 原稿用紙の使い方は、 今お渡しした [資料1] が正しいんです。 一応 参考にして、 お手元に置いて下さい。 まず、 タイトルが入ります。 そして、 1年A組 出羽国夫と名前。 このタイトルと名前の書 き方、 それから、 名前の次、 本文にいく前に1行空けるかどうかとか、 この辺は自由です。 と にかく、 普通はタイトルを400字の中に入れて書きます。 1行目、 頭1字空けます。 これは必ず、 段落を変える毎に1文字空けます。 僕は高校に入り 点 ( 、 ) や丸 ( 。 ) や鉤括弧 「 」 は全部1文字とります。 僕は高校に入り点 ( 、 ) すぐに野球部に入部したのだが、 点 ( 、 ) まわりはみんな小さい時 からの経験者。 丸 ( 。 ) 点も丸も1文字とります。 ですから、 経験者の 「者」 の脇の所に ( 。 ) を打ったり、 それか ら、 高校に入りの 「り」 の横に ( 、 ) を打ったりということはしません。 とにかく、 文字や記 号を書く場合は全部1文字とります。 これは原稿用紙を使わずに、 パソコンで入力する場合も、 全部1文字として計算されます。 リトルリーグ出身者や野球で推薦入学した人たちもいる ( 。 ) 僕は場違いなところにいるみ じめさを感じていた ( 。 ) 段落変わります。 ここで段落が変わって別のことを書くわけですね。 ですから、 しかし、 で 1行段落を変えます。 そうすると、 また、 頭は1文字空けます。 しかし ( 、 ) 僕が何よりもみじめだったのは、 ―― 「だった」 という小さい (っ) とか、 小 さい (ゅ) とか、 例えばチューインガムなんかの (ュ) とか、 そういう文字も全部1文字分と ります。 みじめだったのは、 と言うときに、 「だ」 と同じマスの中に (っ) は入れません。 ひ とつのことに飛び抜けた能力を持つ人間と ( 、 ) ――ここに今、 小さく点を打っていますが、 これ、 なぜ頭にこないのかというのがあるんですが、 頭に ( 、 ) や ( 。 ) を付けるって、 わり とやらないんですね。 やっている人もいます。 ですから、 2つ方法はあるんですが、 多くの場 合は一番下に ( 、 ) がついた時は、 「ぶらさがり」 みたいな言い方をしますが、 枠に ( 、 ) を 打ったり、 ( 。 ) を付けたりというケースがあります。 ――能力を持つ人間と ( 、 ) 全部が平均点の自分との差だ ( 。 ) 僕は15歳の今日まで ( 、 ) 何でも平均して普通にできる自分をよしとしていたが ( 、 ) 誰にも負けない何かひとつを持っ ているということは ( 、 ) 何とすごいことだろう ( 。 ) 初めて 「一芸に秀でる」 人間の迫力を 思い知らされた ( 。 ) ―― 「 」 も1文字です。 それで、 応募作なんかの場合は 「ルビ」 を振る必要、 「ルビ」 とは 「振り仮名」 のことです が、 振り仮名を振る必要はありませんが、 どこかに、 例えば誰かに渡す、 応募ではないような 時には、 読みにくい漢字には 「ルビ」 を 「振り仮名」 を振るというケースがあります。 そのた めに、 脇に細く長いスペースが空いているわけです。 ここは、 振り仮名を振る、 「ルビ」 とい う言い方をしますが、 振り仮名を振る場所なんです。 ですから、 「一芸に秀でる」 秀でるとい う漢字が読みにくいかなと思ったら、 「秀」 という隣の空いているところに、 ひらがな或いは カタカナで (ひい) と振り仮名を振ります。 「一芸に秀でる」 人間の迫力を思い知らされた ( 。 ) 行が変わります。 ここで、 また違う話になるわけですね。 行が変わる、 頭を1字あけます。 ― 23 ― 段落が変わるたびに頭は1字空けます。 ――僕はへこんでしまい ( 、 ) 練習をさぼっては近く のパン屋に入りびたり ( 、 ) パンやアイスを食べてばかりいた ( 。 ) また、 段落が変わります。 ――この店のメロンパンは安くておいしい ( 。 ) 友達は絶対にあ んパンの方がうまいと言うのでそれならアンケートを取ろうということになった ( 。 ) ここでまた段落が変わります。 この段落の変え方というのは、 自分のセンスです。 どこで変 えなければいけないというルールはありません。 ただ、 自分でこれはもう話が変わるな、 変わ ることを書くなって思った時には変えるわけですね。 ですから、 人によっては 「パン屋に入り びたり、 パンやアイスを食べてばかりいた」 の時に行を変えないで、 この店のメロンパンは安 くておいしい。 と続ける人もいます。 これはパン屋の話でひとくくりできるんで、 続けていい だろうということです。 これも、 問題ありません。 ――この店のメロンパンは安くておいしい。 友達は絶対にあんパンの方がうまいと言うのでそれならアンケートを取ろうということになっ た。 ――ここまでを一段落にしても大丈夫です。 そして、 また段落が変わる。 クラスのみんなの回答を見て、 ここで時間が飛んでいるわけで すね。 クラスのみんなにアンケートを回して、 回答をもらって、 それを集計してという流れが この間にはあるわけですから、 この時間は飛んでいるわけです。 当然行は変わります。 クラスのみんなの回答を見て、 驚いた。 何と、 1位は納豆パンだったのだ。 僕は納豆はごはんに合うものだと思う。 納豆の栄養は完璧だと聞いたことがある。 だか らこそ、 パンなどない昔から日本人は食べてきたのだ。 そして、 そういう食品は日本人の 体に合うのだと思う。 僕は和食のすばらしさを考え直すべきだと思う。 「僕は和食のすばらしさを考え直すべきだと思う」 というのは、 彼に取ってみればテーマな わけでしょうから、 当然行は変わります。 強く訴えたいところというのは、 比較的テクニック として行を改行します。 原稿用紙の使い方は、 第3回ノースアジア大学文学賞に応募する時は、 この資料1を参考に していただけば大丈夫です。 分からなくなったらこれに返ってみて下さい。 例えば、 「あっ!」 エクスクラメーションマーク、 ビックリマークですね、 「あっ!」 という時、 これも1文字と ります。 ビックリマークが2つつく場合もありますね。 (板書きしながら) こういうふうに、 2つつく場合でも2つを並べてちゃんと1文字分をとります。 それから、 数字ですけれども、 「一芸に秀でる」 なんかの 「一」 は当然1文字をとります。 1910年とかの数字は (板書きしな がら) 全部これ1文字です。 1文字とります。 とにかく字を書いたら1文字と覚えておけば大 丈夫です。 場合によっては、 人によってはですが 「22歳」 (板書きしながら) こういうふうに 「22」 を横にして1文字にするというケースもありますが、 「22」 位だったらまだしもですが、 「2200年」 (板書きしながら) と書く時に横に4つはやっぱりちょっとつらいですね。 基本的に は何か文字や記号を書くときには、 必ず1マスとるという風に覚えておけば大丈夫です。 それ から 「1900」 (板書きしながら) の場合でも人によっては 「千九百十年」 と書く人もいると思 います。 これはどちらでも構いません。 そのかわり、 1マスとるということで構いません。 それで、 前回は原稿用紙の使い方をまずお話しまして、 その後で 枕草子 の話をしたわけ ですけれども、 それは今日の講演の中で少し、 前回とダブらせながらお話していこうと思って ― 24 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② います。 それで、 まず前回の所からですが、 テーマの絞り方、 何を書くかということですね。 何を書 くかというのは本当に大変なことなんですが、 まずテーマの絞り方を今日は最初にやっていき ます。 今、 お渡しした資料1、 これは原稿用紙の使い方としては正しいのですが、 ひどい文章とし て書いてみた例です。 「野球部員の迫力と僕」 というタイトルです。 資料1 「野球部員の迫力と僕」 1年A組 出羽 国夫 僕は高校に入り、 すぐに野球部に入部したのだが、 まわりはみんな小さい時からの経験 者。 リトルリーグ出身者や野球で推薦入学した人たちもいる。 僕は場違いなところにいる みじめさを感じていた。 しかし、 僕が何よりもみじめだったのは、 ひとつのことに飛び抜けた能力を持つ人間と 全部が平均点の自分との差だ。 僕は15歳の今日まで、 何でも平均して普通にできる自分を よしとしていたが、 誰にも負けない何かひとつを持っているということは、 何とすごいこ とだろう。 初めて 「一芸に秀でる」 人間の迫力を思い知らされた。 僕はへこんでしまい、 練習をさぼっては近くのパン屋に入りびたり、 パンやアイスを食 べてばかりいた。 この店のメロンパンは安くておいしい。 友達は絶対にあんパンの方がうまいと言うので それならアンケートを取ろうということになった。 クラスのみんなの回答を見て、 驚いた。 何と、 1位は納豆パンだったのだ。 僕は納豆はごはんに合うものだと思う。 納豆の栄養は完璧だと聞いたことがある。 だか らこそ、 パンなどない昔から日本人は食べてきたのだ。 そして、 そういう食品は日本人の 体に合うのだと思う。 僕は和食のすばらしさを考え直すべきだと思う。 了 それで、 頭 「僕は高校に入り」 から、 「パン屋に入りびたり、 パンやアイスを食べてばかり いた」 までの18行分はひとつのお話です。 つまり、 自分のようなある意味すべてオール3、 平 均点のそれはそれでよかったと思っていた自分が、 いざ野球部に入ってみたら、 ものすごい野 球のできる奴らに会った。 彼らはオール3ではなくて、 中には成績が1とか2というものもあ るかもしれないけれども、 もう寄せ付けない位、 凄い野球の力を持っていた。 何か突出した才 能を持っている人達の前に出た時に、 オール3の自分というのがすごくみじめに見えて、 へこ んでしまった。 それで野球がすっかりいやになっちゃって、 パンとかアイスを食べてばっかり いた。 というこれが頭の18行イントロで入っています。 これはものすごく面白いテーマなんで す。 ところが、 ここから話がずれて来るんです。 「この店のメロンパンは安くておいしい」 と。 皆さん笑いましたが、 これを書く人がいるんですよ。 「でも、 安くておいしいメロンパンの話 をしながらテーマの話をするんならいいんですが、 友達は絶対にあんパンの方がうまいと言う。 じゃあクラスの奴らにみんなに聞いてみよう。 アンケートをとってみよう。 「クラスのみんな の回答を見て、 驚いた。 何と1位は納豆パンだったのだ」 ここまでが2つめの話なんです。 ― 25 ― いつの間にか、 みじめなオール3の自分が、 成績が1と5で強烈なベクトルを作っている男 達と会った時に、 そのショックというのが、 いつの間にかあんパンからメロンパンから納豆パ ンの話になっちゃうんです。 そうして、 これがBブロックですね。 さらにCになると、 「僕は納豆はごはんに合うものだと思う」 ここで、 また全然違う話にな るんです。 ところが書いている本人は、 全然変だとは思っていないんですよ。 どうしてかと言 うと繋がっているからですね。 自分がパン屋に入るようになってしまった。 パン屋に入ったら、 メロンパンが安くておいしいのに、 友達はあんパンだと言った。 でも、 アンケートを取ってみ たら納豆パンだった。 でも、 その納豆ってご飯に合うものだろうおまえら、 という風に全部彼 の中では繋がっているんです。 それで、 最後に結論として、 「僕は和食のすばらしさを考え直すべきだと思う」 となってい る。 そうすると、 「野球部員の迫力と僕」 というテーマは一体、 何処に行ったのでしょう。 こ れ、 ものすごく多いんです。 この移り変わりを知らずに、 無意識に、 何の疑問もなくやってい るというケースが多いんです。 まして、 第3回ノースアジア大学文学賞のエッセイを応募しよ うという時に、 何十枚も書くわけではありません。 その中でどうするかと言うときに、 まず、 テーマを絞らなきゃいけないんです。 3つも4つもというテーマはとても入りませんし、 まず、 明確に絞ります。 この場合だとタイトルにちゃんとつけているわけですね。 「野球部員の迫力 と僕」 というタイトルをつけているんですから、 この出羽国夫さんは野球部員に比べて、 自分 が情けなかったり、 みじめだったり、 俺は今まで何をやってきたんだろうと思ったり、 そうい うことを書きたかったはずなんです。 だから、 この頭の18行から続けてこのテーマに添ったも のを書かなきゃいけないんですね。 納豆パンに寄っていっちゃだめなんです。 ところが、 これは前回私が選考委員をやった第1回ノースアジア大学文学賞の時もそうでし たし、 ラジオ深夜便 という NHK の深夜の番組の中でも選考委員をやっているんですけれ ども、 話がいつのまにか変わっているというのが実に多いんです。 それも、 突然は変わらず。 いつの間にか変わるわけですね。 例えば、 「野球部員の迫力と僕」 って18行書いてみて、 パン屋さんの話を書いていた。 でも、 突然、 そういえば僕は、 すごくサッカーが好きなんだという風には変わらないんです。 もうちょっ と、 前と微妙に続けながら変わっているから、 自分では変わっていないと思っているんです。 こういう変わり方をしたものというのは、 まず予選を通りません。 ですから、 きっちり絞るこ とです。 このテーマの絞り方というのはいくつも方法はあるんですけれども、 まずタイトルで す。 これは、 僕が書きたいことは何かと考えた時に、 「野球部員の迫力と僕」 というタイトル、 これ1行に絞ってるわけですね。 ということは、 まず、 自分でタイトルを考えてみるんです。 今回、 何か書いてみたいテーマがありますかということで、 皆さんから前もって書いて頂い たものがありますけれども、 「趣味」 というのがとても多かった。 「趣味」 というタイトルは非 常に広範囲です。 いったい 「趣味」 の何が書きたいのかということを考えてみて、 1行に絞れ るかどうか。 これはすごく大事です。 だから1行で言えるように、 まず考えてみて下さい。 そうすると、 前回もお話をしたと思いますが、 例えば大河ドラマを書く時に、 原稿用紙で大 体直しも入れて約1万枚位です。 1万枚書こうが、 2万枚書こうが何が書きたいかということ は1行にまとまるんですね。 私は 毛利元就 を書いたんですけれども、 毛利元就 を書くときに、 1万枚の原稿を書 かなきゃいけないというのはわかっていたし、 何百人という俳優さんが出演するんですけれど ― 26 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② も、 それは1行で言えることなんです。 それは何かと言うと、 元就というのは広島県のすごく 小さな武将の次男坊だったんです。 全然権力もありませんし、 部下もいません。 いつ潰されて もいいようなちっちゃな家の次男坊。 お父さんは上の顔色ばかり見て、 すごく神経をすり減ら して、 お酒に逃げたんですね。 当時のお酒は今みたいに良くありませんから、 お酒で体を壊し ちゃった。 長男がいたんですが、 長男も同じ道を辿って、 お父さんも、 お兄ちゃんも早く亡く なっています。 死因は酒害です。 アルコール中毒なのかアルコールによる病気なのかでしょう ね。 そんな家の次男坊に生まれた元就が、 最終的には58歳で完全と立ち上がったんですね。 人生 50年の時代の58歳で立ち上がって、 ゼロからスタートしたんです。 それで、 75歳で亡くなった んですが、 亡くなるまでの間に、 お父さんも、 お兄ちゃんも酒害で死んじゃったような小さな 家の次男坊が、 中国地方11ヶ国を全部制覇して亡くなったという話なんです。 これがテーマなんですね。 これを1行で言うと、 「中小企業のような家の次男坊が遅咲きで 咲いて、 中国11ヶ国を制覇した話」 です。 1万枚書いても、 それが幹なんです。 必ずこれがド ンとあるんですね。 これがドンとあれば、 メロンパンの話、 あんパンの話にいっても、 ちゃん とここに戻ってくるわけです。 その、 1行で言えるかどうかということを、 まず皆さんよく考 えて欲しいと思います。 それで、 この例に出した資料1の少年出羽国夫君は、 「野球部員の迫力と僕」 というところ までちゃんと書いてる。 テーマも絞ったし、 頭18行は実によかった。 ところが、 そこからメロ ンパンにいっちゃったわけです。 だから、 まず皆さんはタイトルをよく考えてみて下さい。 1 行で言えたらしめたもんです。 そうすると、 そこから変な方へ行きませんから。 例えば、 「趣味」 というタイトルだったら、 今60歳を過ぎてからピアノを始めた女性がいる とします。 そして、 お隣の奥さんも60歳を過ぎてから一緒にピアノを始めようということになっ た。 そうしたら、 お隣の奥さんの方がなんだか自分よりもうまく弾ける。 上達が早い。 非常に 悔しい。 でも、 自分は上達よりもとにかく楽しくピアノを弾けるっていうことが大事なんだと 思ったら、 すごく気が楽になった。 趣味というのは、 プロでお金を稼ぐんじゃないんだから、 楽しいということが1番でしょっていう絞り方をしたとします。 そうしたら、 ここで恐らくタ イトルが決まってきます。 時々、 気取った人が 「無題」 なんてつけます。 タイトルがないって いう題で書いてくるんですが、 私は 「無題」 と見ただけで予選を落としますね。 こんな話あり ませんよ。 「無題」 なんて言うの、 何気取ってんだって。 だから、 「無題」 になりようがないん ですよ。 それで、 今の話でいくと陥りやすい間違いは、 例えば 「趣味とは楽しむこと」 というタイト ルをつけた。 これはとてもいいタイトルです。 1行目、 私はピアノを始めた。 65歳である。 きっ かけはお隣の奥さんと、 ぐだぐだとお茶を飲みながら喋っていたときだ。 「ここで、 お茶ばっ かり飲んで何か食べてばかりいても太るばかりだから、 ピアノでも始めないって?」 突然隣の 奥さんが言った。 「よし」 と思った。 幸い家には、 娘が使って全然蓋を開けてなくて、 物置に なってるピアノがある。 そうだ、 あのピアノを活かせばいいんだ。 ということで始めた。 とこ ろが、 全く上達しない。 という流れでいけばいいんです。 ところが、 恐らく多くの人は隣の奥 さんのほうが上達が早いということに関する自分の悔しさとか、 もやもやに話が行きがちなん です。 なぜか隣の奥さんが早い。 あの人はすっごいぶきっちょなはずなのに、 全く頭にくる。 何て ― 27 ― いう事を書くわけです。 でも、 私は自分を励まして一生懸命頑張った。 ふと見たら、 私はバイ エルの下巻なのに隣の奥さんはソナチネをやっていた。 という風にだんだんくるわけですね。 そうすると、 またそこから話がはずれまして、 そういえば昔あの奥さんは、 私の事をこうやっ て中傷したことがあった。 私はあの時は黙っていたけれども、 あの人はああいう人なんだ。 絶 対にピアノの先生に何かを渡すなりしていたはずだ。 私と一緒に始めて、 私がバイエルの真ん 中辺なのに、 ソナチネにいくわけがない。 こういう友達というのは、 私はいらないと思う。 女の友情なんてこんなものかって、 そっちに話が走っていくんですね。 これはだめです。 タイトルと大きく離れているんですね。 どうしても隣の奥さんのことを書 きたいんならば、 「女の友情」 というタイトルで絞ってみればいいんです。 それで、 私は隣の 奥さんに言われて、 一緒にピアノを始めた。 隣の奥さんの方が上達が早い。 これ2行で済むん です。 でも、 これには絶対に裏があるんだ。 3行で済むんです。 なぜならば、 かつて私はこう いう事をやられている。 あの女はこういうことをやる女なのだ。 で、 こういう友達が果たして 必要なのか。 私はいらないと思うって、 そっちに書いていけば1本にまとまる訳です。 それを、 ピアノのことから何からみんな書きたくなって、 ずれてくるんですね。 ですから、 まずはタイ トルをきちっと決めて、 先程の元就の例じゃありませんが、 そこから大きくはずれないように します。 そうすると、 めちゃくちゃになりません。 それで、 このテーマの絞り方なんですけれども、 その前に何を書くかということが当然ある わけですね。 皆さんが提出したテーマの中にも、 「趣味」 とか 「健康」 とか 「銀婚式」、 「若者 と私」、 「第二の人生」 いろいろ出ています。 これは、 タイトルというよりは、 何を書きたいか というテーマだけでいただいたんで、 大雑把なものなんですけれども、 まずは何でもどんなこ とでも、 エッセイになります。 つまり、 それを見た時に自分がどう感じたのかということを書 けばいいわけですから、 何でもエッセイになるんです。 第1回目の講義終了後、 「すごくびっくりしました」 と言われたんですね。 何かと思ったら、 「私はエッセイというのは、 身辺雑記、 自分の身の回りに起きた事しか書いちゃいけないんだ と思っていました。 でも、 内館さんの話を聞けば、 空が青くって、 その下に、 青い空のところ に例えば菜の花とばっけが一緒に咲いていた。 それも、 エッセイになるんですね」 と言われて、 「そうなんですよ、 だから、 菜の花とばっけが咲いて、 その上に鯉のぼりが泳いでいる秋田と いう土地、 故郷をあなたはどう思うか、 ということでいいわけですから、 だから、 それはいく らでもなるんです」 と言ったんです。 そしたら、 別の人が、 「私は今まで、 娘を嫁に出してどうだったとか、 夫と喧嘩してどうだっ たとか、 そういう事を書かなきゃエッセイにならないと思っていたんですが、 私は夜汽車に乗 るたんびに、 考える事があります」 とおっしゃるんですね。 夜汽車というあたりが、 かなりの 年配の方ですよね。 だけど、 夜汽車に乗る時に、 いつも考える事があるって、 私はすごくおも しろいなって思って聞いていたんですが、 「真っ暗な所を列車が通って行くと、 向こうに山や 田んぼが暗くて見えないのが、 真っ暗に広がっていて、 ぽつーん、 ぽつーんと民家の灯が見え る。 こういう所に暮らしている人達というのは、 どういう思いで暮らしているんだろうかと思 うことがあるんです。 私は、 街の真ん中に暮らしていますけれども、 ああいう所で暮らしてい る人達というのは、 どういう事を考えたり、 どういう不便があったり、 どうやって生きている のかなーと思う事がある」 と言うんですね。 私は、 すごくいい視点だと思って 「すごく面白い視点ですね」 と申し上げたんですけれども、 ― 28 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② そういう事だってエッセイになるわけですね。 それは、 街場に住んでいるという方が偉い事で も何でもなくて、 もしかしたら、 自分がああいう所に住んだらどうだろうかという事も考える わけです。 だから、 いくらでもその辺の事を書くということができます。 自分の身辺に起こっ た事件とか、 そういったことばかりではなくて、 要は、 何か事象があった時に、 それに対して 自分がどう思ったか、 どういう態度をとったか、 それは何故か、 という人の動きや、 それに対 する自分の思いというものを書けばいいんです。 以前にもお話したかもしれませんが、 すっごくつまんないエッセイがありました。 それは、 植物園に行って、 入り口を入ったら藤の花がありました。 もうちょっと行ったらチューリップ、 もうちょっと行ったら桜、 もうちょっと行ったら何の花、 かんの花とずーっと出口まで花の名 前が羅列してあって、 とっても綺麗でしたで終わり。 これを、 いいエッセイと言えるかといっ たら、 言えないでしょうね。 羅列したもので、 文学にまで昇華している有名なのは、 東京オリンピックの時にマラソンで 銅メダルをとって、 その後自殺した自衛隊の円谷幸吉っていう人が書いた遺書です。 それを、 川端康成が絶賛したんですね。 私が入社試験を受けた時にこれが出題されたんですが、 何回読 んでもぞくぞくするような、 すっごい文章なんです。 遺書なんですね、 明日死のうかっていう 時に書いているんです。 ちょっと順番は覚えていませんが、 いろんな人にご馳走になった物を羅列しているんです。 「お母さん、 何とか餅、 おいしゅうございました。 お父さん、 お酒、 おいしゅうございました。 ヒロコ姉ちゃん、 蕨おいしゅうございました」 ずーっと、 「おいしゅうございました。 おいしゅ うございました。」 と、 羅列してあって、 1番最後の行に、 「幸吉はもう走れません」 という1 行を遣して、 亡くなった。 自殺した。 ここまで来ると、 これはもう間違いなく文学です。 ただ、 「入り口に椿がありました。 桜がありました。 チューリップがありました。 とっても綺麗でし た」 というのが、 エッセイになるのかといったら、 エッセイの選考委員達の趣味もあるでしょ うが、 まず難しいでしょう。 だから、 その花を見た時に、 こんなにいっぺんにいろんな花がぶわーっと咲いている所を見 てどう思うのか、 それから、 これを綺麗な女の人達と重ねるということができないのか、 そう いう切り方を考えていくわけですね。 それで、 一言で言えるかということです。 それと、 何でもエッセイになると言いますと、 私は新幹線が好きで飛行機は使わないんです が、 今回、 東京から秋田に新幹線で来た時に、 大曲から進行方向が逆になりますよね、 方向が 逆になって秋田まで来るんですが、 椅子をちゃんとひっくり返して来ましたら、 私凄い物を見 たんですね。 恐らく土地の人は珍しくも何ともないと思うんですが、 野生の藤の花です。 秋田 の藤の花と言うのはすっごいですね。 昨日も千秋公園に連れて行って頂いて、 藤の花を見たんですけれども、 大曲の駅を出て、 秋 田に向かって 「間もなく秋田です」 と言うアナウンスがあるまで、 この間ずーっと窓の外に、 他の木に絡みついている紫色の花房があった。 山の中にそれを見た時に、 「わあすごい、 とて も綺麗でした」 と言うのは、 そこから先が進まないんですね。 だから、 ものを書こうとした時は、 なぜそれをすごいと思ったかなんです。 それで、 ずーっ と見ていたんですけれども、 藤は蔓生ですから、 松や杉に蔓生の花ががっちり絡まっているん ですね。 松や杉の方がよたよたしている所に藤がもの凄い勢いで絡んで、 紫色の花を見せてい るわけなんです。 例えば、 それが1つの切り札になるんです。 つまり、 何かに取り憑いて、 寄 ― 29 ― 生して、 自分が大らかに花を咲かせる。 これは書きようによっては書けますね。 実は、 小野小町にそういう歌があるんです。 何しろ、 秋田は小野小町の、 産まれ在所ですか ら、 ご存じの方もいると思うんですけれども、 小野小町は非常にはっきりした部分を持ってい た女だったわけです。 当時、 藤原家というのは、 もの凄い勢いで、 朝廷や帝より藤原の方が強 いと言われていた。 その時、 小野小町は藤原家に向かって歌を詠むんですね。 その歌は、 「藤の花っていうのは 松に絡みついて、 そして、 いつの間にか松そのものを滅ぼしちゃう」 という歌なんです。 藤の 花というのは藤原家を指していて、 松の方は朝廷です。 松に、 つまり朝廷に絡みついて、 藤原 家は外戚の力を得ました。 娘とか姪とか、 そういった者をどんどん天皇と関係させて、 子供を 産ませてということで、 外戚勢力が強くなっていったんですけれども、 松という朝廷に結局絡 みついて、 いつの間にか強くなっちゃう、 「藤の花は、 あーこわい、 こわい」 という歌を小野 小町が詠んでいるわけです。 だから、 そういった事で考えれば、 例えば、 さっきの隣のピアノの奥さんの話にしても、 「藤の花を見た。 何かぞっとした。 なぜならば隣の奥さんを思い出したんだ」 と書くことはで きるわけです。 「あの奥さんというのは藤の花みたいな奴で、 結局強いものにぜーんぶこうやっ て絡みついていて、 自分が大きくなっていく人なんだわ」 これだけでもいいんですが、 「だけ ど、 考えてみれば、 一生懸命生きるということは、 強い者に絡みつくというのもありかもかも しれないです。 絡みつけない私の方が、 もしかしたら情けないのかもしれない。 そう思うと、 藤の花が必死に絡んでいる窓からの景色を見ても、 思いが変わって見えた」 という風に書けば、 これもまた全然違う、 かなり面白いエッセイになるわけです。 それから、 私が藤の花を見ながら考えたのは、 小野小町の話でもなくて、 とにかく山の中な わけですよね。 誰も人が通らない、 列車しか通らない山の中で藤が絡んでいた。 これは恐らく、 今私は列車の中から見ているけれども、 列車なんかが全然通らないあの山のもっと奥にも、 こ ういう藤の花がいっぱい絡んでいるに違いないなと、 ふと思った。 その時に、 ぽっと頭に浮かんだ歌があったんです。 これは、 どなたが書いたのかちょっと覚 えていないんですけれども、 「龍田芳野も見る人なけりや花も紅葉も谷の塵」 という怖い歌で す。 「龍田と芳野」、 つまり紅葉の名所と花の名所ですね、 龍田芳野も見る人がいなければ、 例 えば山の中とか、 どっか奥の方で見る人がいなければ、 「花も紅葉も谷の塵」 つまり花だって、 紅葉だって、 咲いて散っちゃうだけの、 まあゴミみたいなもんよ。 という歌があった。 この歌を何かで読んだ時に強烈だなと私は思ったんですが、 昨日、 突然それを列車の窓を見 ながら思い出して、 今この藤は列車から客が見ているけれども、 あの一つ向こうの奥の山奥に こういう藤もいっぱいあるだろう。 それって、 誰も見ていないに違いない。 ということは、 ど んなに綺麗でも、 どんなに絡みついて雄々しく育っていようとも、 これはやっぱり谷の塵かと 思ったわけです。 だから、 そう考えると、 そういう観点で人は認めてくれなければ、 人に見て もらえなければ、 いくら頑張ったって意味がないんだっていうこともエッセイには書けるわけ です。 それは、 綺麗事で言えば人が見ていなくたって、 努力をして頑張るという事が大事なんだと いくらでも言えますけれども、 人が見ていなかったらしょうがないでしょう。 という切り口で 書くこともできる。 そうすると藤の花をただ見ただけじゃなくて、 そっちから書くというケー スも出てくるわけです。 ― 30 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② ひねるということではなく、 ただ 「まあ、 綺麗」 と言うだけだったら、 わざわざ書いても何 も訴えない。 そうではなくて、 それを見た時にどう感じたのか、 何が書きたかったのか、 「み んなが綺麗事を言うけれども、 俺は人が見てくれない所で努力したって、 意味ないと思うんだ よな」 という事を一生懸命書けば、 それはすごくいいエッセイになります。 そう考えている人 の事を、 国賊だとか誰も言いません。 だから、 正直に書いて欲しいと思います。 いつだったか、 ある著名な作家が本にサインしているのをちょうど見た時に、 「あーすごい なー」 と思ったんですが、 「咲いてこそ花」 と書いたんですね。 花は綺麗、 綺麗というけれど も、 咲かなければ意味がない。 「咲いてこそ花」 と書いた時に、 やっぱりうなりましたね。 「咲 いてこそ花」 と綺麗事だけの人はなかなか書けないと思うんです。 だから、 花が開かなかった ら、 努力だけしていたって意味がないんだよと言う事も含めて、 そういった角度で書くことも できる。 それを書いたからと言って、 決して変な人だとか、 そういった風にはなりませんから、 是非思った通りの事、 それから、 日頃思っている事を書いて欲しい。 大体、 新聞というのはネ タの宝庫ですから、 新聞を丁寧に読んでいるととっても面白い事がいっぱい出てきます。 ついでですから、 秋田新幹線こまちでの話をもう1つします。 盛岡で八戸に行く 「はやて」 と、 秋田に行く 「こまち」 と二手に分かれますよね。 私は秋田新幹線こまちの CD 側の席に乗っ ていたんです。 それで、 秋田新幹線こまちが秋田の方向に向かって行くと、 AB 側の方の席か らは岩手山が大きく見えてすっごいんですね。 これは、 盛岡で見るよりも、 秋田新幹線こまち のこの路線で、 それは、 それは岩手山が素晴らしく大きく見えるんです。 まして、 昨日はくっきり晴れていましたから、 私は CD 側の席でしたけれども、 向こうを見 れば岩手山が窓越しに見えるわけで、 もうそろそろ見えるかなと思って楽しみにしていたんで す。 ところが、 そこの席に座っていた女の人2人連れが、 しゃーっとブラインドを閉めちゃっ たんです。 私ね、 がっくりきちゃって、 だからといって 「すみません。 ちょっと岩手山が見た いんです」 とは言えないでしょ。 私の席は CD 席側だし、 岩手山は AB 席側に見えるわけで、 AB 席側の女性2人が閉めちゃった訳だし。 まあいいや、 帰りに見ればいいわと思って我慢し たんですが、 その時に、 こんなに景色が良くて、 空が真っ青で東京辺りなんかでは見る事が出 来ない様な、 空と緑なんですね。 そこに、 岩手山が見えるという事は、 これはすっごい景色な んですが、 この景色を目の当たりにして、 平気でしゃーっとブラインドを降ろしちゃう女って、 これはいったいどういう女なんだろうと思って、 隣を何気なく見ていたんですね。 そうしたら、 1人は70代後半だと思います。 1人は50代後半かな、 それで、 最初は私、 母と娘かなと思って いたんですね。 ところが、 言葉が飛び飛びに聞こえて来るんですが、 丁寧語なんで、 あっ、 こ れは実の母と娘ではないなと。 お姑さんと嫁かしらとか思いながら見ていたんですけれども、 ブラインドを開ける気配はいっこうに無いんです。 それで、 2人の話の内容は分からないんですが、 ずーっと深刻に喋っているんですね。 深刻 でとてもじゃないけど、 岩手山どころじゃないんだなと思っていたら、 嫁が、 嫁かどうか分か んないんですけれども、 嫁が前の方に置いてあった荷物を持って、 姑の横に持ってきたんです ね。 その荷物というのは、 こんな大きなブルーの紐の取っ手のついた発泡スチロールの箱なん ですよ。 あらこの人、 魚屋さんかしらって思って見ていたんですが、 2人でそれを開けて、 何 かひそひそ、 ひそひそ話をしているんですね。 発泡スチロールの中に何が入っているかは、 私 見えないんです。 まさか、 ちょっと見るわけにもいかないし、 それで、 とにかく発泡スチロー ルの物を、 何か多分生物でしょうね、 中を見ながら2人で話している。 ― 31 ― そうしたら、 お嫁さんは秋田の1つ手前の駅で降りました。 だから、 これは嫁じゃないなと 思ったんです。 それで、 70代後半の人が1人だけ残ったんですが、 そのお嫁さんのような人の 夫が迎えに来ていまして、 夫が大きな発泡スチロールの箱を背負って、 窓越しに2人で顔を出 して、 その70代に 「ばいばい」 とやっているんですね。 ところが、 夫の見た目が本当に素敵じゃ ないんですよ。 それで、 あらー、 ここまで素敵じゃない人もいないよなー、 いったいこれはど ういう人達なんだろうと思いながら、 最後まで分からなかったんですけれども、 ただ、 藤の花 と発泡スチロールのおかげで、 全然退屈はしなかったんです。 ただ、 こういった事も書けるわ けです。 要は、 東京から行った人間だったら誰だって、 山とか、 すごい空とか緑を見たいのに、 閉め ちゃったって。 ここで、 「閉めちゃう女について」 は、 エッセイになります。 どんどんそうい う事を見ながら、 テーマにしていただきたいという風に思います。 先程、 新聞はネタの宝庫だっていうことを申し上げましたけれども、 昨日の夜、 報 秋田魁新 を読んでいたら、 「マルバマンネングサ」 という小さな囲みがあったんですね。 カタカナ で (板書きしながら) 「マルバマンネングサ」 という黄色い小さな花が咲いてる写真が出てい て、 ちっちゃな記事でした。 ところが、 それを読んでみたら、 むしっても、 むしっても、 むしっ ても出て来るんですって。 そのくらい生命力が強い花と言うか、 きっと一種の雑草なんでしょ うね。 むしっても、 むしっても出て来る。 葉っぱが丸葉なんです。 こんなちっちゃな、 まある い葉っぱで万年草ですから、 むしっても、 むしっても出て来るというのにぴったりの名前だな と思っていたんですが、 その記事に書いてあったのが 枕草子 ではこの花のことを 「いつま で草」 と呼んだ。 やー、 これ凄い。 やっぱり清少納言、 ただ者ではないと思ったんですが (板 書きしながら) 「いつまで草」 すごーいネーミングですよね。 むしっても、 むしっても、 むしっ ても出て来る草を 「マルバマンネングサ」 と言うか、 「いつまで草」 と言うか、 この差ですよ ね。 私は 「いつまで草」 と呼んだ時に、 これすごいなと思ったんですけれども、 この 「いつま で草」 という名前を知ったというだけで、 またこれで1本書けちゃいますよね。 だから、 是非、 いろんな角度で考えて書いて欲しいと思います。 今日、 高校生の方もたくさんお見えですけれども、 例えば高校生の場合、 私は東京都の教育 委員でもあるんですが、 進学という事に関して非常に大きなテーマになります。 これは、 エッ セイのテーマという事ではなくて、 人生の大きなテーマになるわけですね。 ですから、 高校の 進学率だとか、 どこの大学に受かるかという事も、 とても大きな問題になるわけです。 であれ ばこそ、 週刊誌なんかが、 どこの大学に何人受かったとかいう事を特集するわけですね。 だけど、 それに対して当然アンチテーゼを唱える人達もいます。 高校はもっと大らかにいろ んな勉強をすべき所で、 1つの事を一生懸命、 進学、 進学、 東大、 東大という風にやるべきと ころではない。 ということを言う人達もたくさんいます。 それも当然、 1つの考え方です。 その時によく言われるのは、 例えば甲子園を目指す。 甲子園を目指してどろんこになって練 習をして、 本当にすべてをなげうって甲子園を目指すっていうことは、 少年のロマンである。 ということを言う人はたくさんいる。 でも、 すべてをなげうって東大を目指すということは、 唾棄すべきことである。 青春は進学だけではないという事を考える人もいる。 何か1つのこと を目指す時に、 それは甲子園なら良くて、 東大ならなぜいけないんだっていうことがエッセイ になるわけですね。 それは逆もありです。 「僕は甲子園を目指すことだけが青春だと思う」 と いう事だったら、 それだけで書けばいいんです。 だから、 ふらふらしないで自分の思いをきっ ― 32 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② ちりと書くことです。 次に、 言葉の選び方というのがあります。 テーマは、 今言ったみたいにいろんな角度から見 ることです。 それから、 私は 秋田魁新報 に2週間に1回連載していますけれども、 あれは 書く度に賛否両論がどかーっと来ます。 もう本当にどかどか来ます。 特にひどかったというか、 どかどか来たのは、 この間読めない名前のことを書いたんです。 読めない名前、 「華子様」 の 華という字に海って書いて、 「華海」 という名があった。 これは私が実際知っているわけじゃ なくて、 呉智英さんという作家の書いた物を引用したんですが、 (板書きをしながら) 「華海」 こういう名前の女の子がいたと、 これは、 何と読むのかというと 「かのん」 と読むんだと。 海 は 「の」 と読めないだろうと呉さんが言ったら、 「海苔」 の 「の」 です。 と答えたと言うんで す。 こんなに読めない名前が増えてどうするんだと言うことを、 呉さんは書いていたんですが、 私も読めない名前の増加については、 前からちょっと危惧していたところがあったんで、 2回 に分けて書いたんですが、 「親がつけた名前に関してつべこべ言うな」 というような意見もど かっと来ます。 それから、 「おっしゃる通りです」 と言う意見も、 どかっと来ます。 その時に、 ものを書くというのは、 結局エッセイの場合は特に多くの人々に読んでもらうと いう事が大前提としてありますから、 何か言われることにめげて、 小綺麗な事をまとめている 位だったら、 もう書かない方がいいんです。 日記を書いて下さい。 だから、 たとえ何か言われ ようと、 「僕は東大を目指すことと、 甲子園を目指すことは、 どっちも、 優劣つけがたいロマ ンだと思います」 という風に書ける気合いがあるかどうかでしょう。 それが自分の意見なので すから、 ちっとも構わない訳です。 そうやってテーマを決めていきますが、 次に問題なのは言葉の選び方なんですね。 何を書く かが決まった。 どう書くかも大体決まった。 よし、 じゃあ次に何を書くか、 言葉の選び方、 こ れが実に面倒といえば、 面倒なんですが、 資料の2、 こちらは新聞に読者が投稿したエッセイ です。 資料2―1 「桜舞う東京」 小西 玲子 (53) 男鹿市船川港 もうこんなに早起きしなくてもよかったんだ。 寝起きの頭でぼんやり考えた。 高校生の子どもたちを学校に送り出すため、 この辺りの母さんたちは皆5時前に起床し、 1時間に1本しかない電車に間に合わせるのに大忙しだ。 みそ汁の具はダイコンと油揚げ、 弁当は昨夜の残りの肉ジャガと卵焼き、 朝食にはキャ ベツをいためて―などと段取りを考えながら台所へ急ぎ、 テレビをつけて天気予報を見る。 その合間に子どもを起こす。 これがなかなか手ごわい。 平日はともかく、 模擬テストなどで土日も登校すれば、 親も子も結構きつい。 そんな分 刻みの朝の生活は、 娘の卒業とともにこの春、 プツンと終わってしまった。 あれほどゆっくり寝ていたいと思ったのに、 いざ寝られると思えば、 さほどうれしくな いのはなぜだろう。 掃除や洗濯を教えた記憶はないし、 買い物での野菜の見分け方や食材の保存方法、 ご飯 の炊き方、 煮物の味付け…。 教えるべきことはまだたくさんあったのに。 大学の入学式で上京した今月初め、 東京の桜は満開だった。 雑然とした街並みの中、 桜 と大学の講堂、 それに娘の姿が重なった光景が美しすぎて涙がこぼれそうになった。 ― 33 ― ひと風吹くたびに散る花びらは、 目の前を歩く細いスーツ姿の娘の肩に降りかかった。 気まぐれに舞う花びらを振り払いもせず、 古めかしい講堂に吸い込まれていった娘は、 すっ くと背筋を伸ばし、 前だけを見ていた。 秋田魁新報 資料2―2 2010年4月20日 (火) 掲載 「10年日記 妻の大切な1日」 城川 哲也 (54) 大学教員 愛知県大府市 前夫との間に息子がいること、 その息子とは3歳の時に別れたきりであることは結婚前 に妻から聞かされていた。 2年前の春に乳がんの再発がわかった時も、 妻はすでに成人しているはずの彼に会いた いとは言わなかった。 妻の気持ちを測りかねているうちに時機を逸し、 その年の秋に妻は 逝ってしまった。 彼に連絡することが私の役目であると気付いて、 気が重くなった。 相続業務をする銀行 を通じて彼の住所を知り、 私なりの思いを込めた手紙をようやく投函した時には、 妻の死 からすでに半年が過ぎようとしていた。 そして彼と連絡がつき、 会うことになった。 別れた母親に悪い感情を持ってはいまいか―。 私の前に立った青年に妻の面影を発見し、 穏やかな表情を目にした時、 心配は消えた。 妻が生前使っていた部屋に案内した。 妻が書 いていた10年日記に話が及んだ時、 「5月21日のページを見せていただけませんか」 と彼 は言った。 彼の誕生日だと気付き、 そのページを開いて渡した。 彼の目がうれしそうに輝いた。 そ こには、 心ならずも別れた息子の成長に思いを巡らす母親の気持ちが毎年つづられていた。 妻の気持ちを推し量れなかった自分を恥じた。 死を覚悟していた妻に、 もう少し何かし てやれたのではないかと今も時々思う。 朝日新聞 資料2―3 2010年4月10日 (土) 掲載 「駅中で見たホームレスの人」 掘田 昭子 (16) 高校生 東京都狛江市 私が毎日使っている沿線の電車で3カ月前くらいから度々、 ホームレスのおじさんが乗っ ているのを見かける。 寒さをしのぐために切符を買って1日の大半を電車の中で過ごしているのだろう。 新聞 紙と粘着テープで作った大きな靴を履き、 中身はよくわからないが、 いくつかの袋を持っ て乗車する。 正直言うと、 ものすごくにおう。 先日の夜10時ごろ、 予備校の帰りにホームでそのおじいさんを見かけた。 駅員さんと何 か話しており、 気になった私は思わず近寄って話の内容を聞いた。 どうやら他の乗客から においのことで苦情があり、 切符の区間外まで電車に乗っていることを駅員さんが注意し ているようだった。 懸命に指摘する駅員さんと、 とぼけるおじいさんをしばらく見ているうちに、 私は泣き そうになった。 理由は生意気にもおじいさんに同情したのと、 何も力になれないちっぽけな自分の存在 を実感したからだ。 その時、 私は千円くらいなら持っていたが、 それを渡す勇気もなかっ ― 34 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② た。 その後おじいさんは何人かの駅員さんに連れられて改札へと向かって行った。 今ごろどこでどう過ごしているのだろう。 おじいさんの毎日の楽しみは何だろうか。 朝日新聞 2010年4月11日 (日) 掲載 これは、 3つともすごくうまいエッセイです。 例えば言葉の選び方について、 「桜舞う東京」 の中の1番下の段ですね。 後ろから2段目 「古めかしい講堂に吸い込まれていった娘は、 すっ くと背筋を伸ばし、 前だけを見ていた」 これは、 とてもいい終わり方です。 例えば背筋を伸ば す場合、 「すっく」 というのがある。 人によっては 「すくっ」 と言う小さい 「っ」 が 「く」 の 後にくるのもある。 それから、 「きりっと」 というのもある。 「きっと」 「ぴしっと」 「ぴしゃっ と」 といっぱいあるわけです。 これによって、 大分印象が違ってくる。 「すっくと背筋を伸ば した娘」 「きっと背筋を伸ばした娘」 「ぴしっと背筋を伸ばした娘」 これによって、 大分変わっ てきます。 こういったことも、 すごく簡単にぱっと書かないで、 できるだけ、 どういう言葉が 一番ぴったりくるだろうか、 と考えて欲しいというのがあります。 それから、 もう1つの例は2番ですね。 「10年日記 妻の大切な1日」 これも大変にうまい。 構成もうまいし、 とってもいいエッセイです。 考えてみるとしたら、 1番下の段です。 下の段 の前から4、 5行目のところに 「そのページを開いて渡した。 彼の目がうれしそうに輝いた」 とあります。 「目が輝く」 という言葉です。 「目が輝く」 というのはわりとよく言うんですけれ ども、 「目が輝く」 本当にきらっ、 きらっ、 きらってなったんだろうと思うんですが、 これを 例えば別の言葉で言い表せなかということも考えてみるといいと思います。 ですから、 例えば 「目が輝いた」 とか 「包み込むような笑顔」 とか、 それから 「地球にやさ しい」 「自然にやさしい」 という言葉もあります。 何かある度に 「〜にやさしい」 つまり、 常 套句を多用すると、 1つ、 2つ位だったらいいんですけれども、 ちょっと文章の力が落ちる場 合があります。 また、 老人力 という本が出て依頼、 何でも今 「力」 をつけるでしょう。 「鈍感力」 とか 「指導力」 とか、 「指導力」 というのは、 以前から使われていましたけれども、 最近 「授業力」 なんていうのも教育委員会で使うんですよね。 私は、 「授業力」 という言葉は少なくとも教育 委員会が使うものではないと言ったんですけれども、 だめでしたね。 今も平気で 「〜力」 とい うのをつけます。 これも多用すると安っぽくなっちゃうんです。 例えば 「夢」 という言葉もですね、 すごく使い方が安っぽくなるんです。 うまく使えばいい んですけれども、 「夢を忘れずに生きていきたいと思う」 と最後に書いた時に、 「あら、 そう」 っ て感じでしょ。 「じゃあ、 忘れないで」 というしかない。 「夢を忘れず」 という言葉は 「夢」 と 「忘れない」 というのがセットなんですね。 「包み込む笑顔」、 包み込むような笑顔って、 現実にはどんな笑顔なのか、 私あんまり見たこ とないんですけれども、 きっと何かそう感じることがあるんでしょうね。 だから、 「包み込む ような笑顔だったなー」 と本当に思った時、 また 「目を輝かせた」 という時に、 常套句をでき るだけ避けて、 別の言い方で表現できないかなと、 いう風に考えてみて欲しい。 例えば 「隣のおじさんがどうこうしてて、 実にあれこそが鈍感力だ」 と、 これ1行で済まし ちゃうけれども、 「鈍感力」 なんて言う言葉で簡単に処理しないで、 よーく言葉を吟味して欲 しいという事です。 ― 35 ― 例えば、 私が今回秋田に来る時に見た風景は、 田植えの終わった田んぼと真っ青な空、 もう 新緑が終わって、 青葉の時期で、 それはもう本当にすばらしく美しかったんですけれども、 書 く時に、 「絵のような美しい風景」 と書いちゃだめです。 「絵のような風景」 と言われちゃうと、 これどうにもならないんです。 「絵のような」 というのは 「あまりにも美しすぎて、 まるで絵 に描いたような」 ということなんですが、 「絵のような美しさ」 という言葉を使わないで表現 できないか、 ということを考えて欲しい。 それから、 「ガラス細工のような神経」 とか、 「あの人は、 彼女はガラス細工のような心を持っ ている女よ」 と、 ガラス細工なんて、 今丈夫なのもありますしね、 これを簡単に 「ガラス細工」 と書かないで、 じゃあ非常に繊細な過敏な神経をどう表現するかということです。 私は、 今かなり難しいことを言っているんですけれども、 表現する言葉が思い当たらなかっ たら、 彼女におけるガラス細工のようなエピソードを書けばいいんです。 それから、 あともう1つ良く使うのは、 「絆」 ですね。 「夫婦の絆」 「家族の絆」 「親子の絆」、 これはとっても大切な言葉ではあるんですけれども、 「夫婦の絆」 と言われただけで、 「私の周 囲を見ても、 誰も絆のある夫婦いないわよ」 と言いたくなってくるケースもある。 だから、 簡 単に 「絆」 なんて言わないで、 「絆」 という言葉を使うんだったら、 この夫婦の絆を表現でき るようなエピソードなり、 言葉なりがないのかということをよく練ってみて下さい。 絶対使っ ちゃいけないという事ではないんです。 ただ、 色々考えた結果、 そこに行き着くかどうかとい うのはとても大きいことですね。 それから、 よく女の人たちが使う言葉なんですけれども、 「いつまでもときめいていたい」。 これも恥ずかしいところがある。 あと若い女の子が好きなのは 「きらきら」、 「いつまでもきら きらしていたい」。 いいんですけれども、 ただ、 「ときめいていたい」 とか 「きらきらしていた い」 というのは、 あんまり訳わけがわかんないんです。 それで、 エッセイを応募した時に、 ボランティアの話をずーっと書いてきたとします。 「私 はボランティアで、 こうこうこんな事を一生懸命やってきた。 こんないいことがあった。 私は これからもボランティアを通して、 いつまでもときめいていたいと思います」 と書いたとする と、 このラストの2行で全部ぶち壊す場合がある。 これはどうしても 「ときめく」 という言葉を使いたいんであれば、 構成を考えて、 「例えば、 ボランティアでこういうことがあった。 みんなに感謝された。 ああよかったと思った。 私はボ ライティアをやることで、 いつまでもときめいていたいと思います」 と書くのではなくて、 こ のラストの2行を頭に持ってくる。 「今日、 つくづく人間はいつまでもときめいていないとい けなと思わされる事件があった」 と頭で書いておいて、 そして次から事件の内容を、 エピソー ドの内容を引っ張ってくると、 まだ少しはいいんですね。 だから、 そういう常套句、 常套文句 を使ってはいけないというのではないんですが、 よーく言葉を吟味して、 どんな言葉が一番い いのかということを考えて欲しいと思います。 あと、 「ぬくもり」 という言葉も人気がありますね。 「ふれあい」 という言葉も好きですね。 公立体育館みたいな所でも、 「ふれあいセンター」 とかつけますが、 「ふれあい」 とか 「ぬくも り」 とか 「絆」 というのは、 その言葉自体がとってもいい言葉なのに、 あまりにも安易に使わ れすぎて、 力を持たなくなっているんですね。 だから、 それでも使うというのであれば、 本当 に力をこめて、 しっかり使って欲しいということです。 最終的にそこに行ったとしてもいいか ら、 できるだけ常套句、 常套文句というのは使わないように考えてみて欲しいと思います。 ― 36 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② そして、 これが1番難しいことなんですが、 構成です。 これはコンクールの選考をやってい ると、 第1回目のノースアジア大学文学賞の時もそうだったんですが、 こんなにいい話をこん なに面白く書いているのに、 あまりにも構成がまずい。 構成が良ければ本当にいい話になった のになあ、 というのがたくさんあったんですね。 構成でかなり左右されます。 大きく左右され ます。 ですから、 構成というものをきっちり立てて欲しいと思っています。 これは全然面倒な 事ではないんです。 要は、 何を訴えたいか、 それを訴えるためにはどういう順序で書いていけば一番いいかとい うこと。 どういう順序でこのお話を書いていけば最もうまく伝わるか。 それだけなんですね。 それを考えないで、 時間通りずーっと書くとうまくいかなくなったり、 話があっちに飛んだり、 こっちに飛んだりして、 せっかくの面白い話がうまくいかなくなったりしている場合がありま す。 それで、 資料の2の高校生が書いた文章ですけれども、 「駅中で見たホームレスの人」 この タイトルがいいかどうかっていうのは、 意見が割れるところでしょうね。 ただこれ、 恐らく 「ホームレス」 と断言すると、 何となく失礼な気がしたんだろうと思うんです。 「ホームレスの 人」 とすることで、 多少緩やかにしたかなと推測できます。 私が毎日使っている沿線の電車で3カ月前くらいから度々、 ホームレスのおじいさんが 乗っているのを見かける。 寒さをしのぐために切符を買って1日の大半を電車の中で過ごしているのだろう。 新聞 紙と粘着テープで作った大きな靴を履き、 中身はよくわからないが、 いくつかの袋を持っ て乗車する。 正直言うと、 ものすごくにおう。 先日の夜10時ごろ、 予備校の帰りにホームでそのおじいさんを見かけた。 駅員さんと何 か話しており、 気になった私は思わず近寄って話の内容を聞いた。 どうやら他の乗客から においのことで苦情があり、 切符の区間外まで電車に乗っていることを駅員さんが注意し ているようだった。 懸命に指摘する駅員さんと、 とぼけるおじいさんをしばらく見ているうちに、 私は泣き そうになった。 理由は生意気にもおじいさんに同情したのと、 何も力になれないちっぽけな自分の存在 を実感したからだ。 その時、 私は千円くらいなら持っていたが、 それを渡す勇気もなかっ た。 その後おじいさんは何人かの駅員さんに連れられて改札へと向かって行った。 今ごろどこでどう過ごしているのだろう。 おじいさんの毎日の楽しみは何だろうか。 この文章は、 16歳の高校生が書いたのかと思うと恐ろしいものがありますよね。 本当にうま いと思います。 まずうまいのは、 きっちり構成が立っているんですね。 構成というのは、 起承 転結とよく言いますが、 それで言いますと、 「起」 でまず立ち上がりがあります。 そして、 そ の立ち上がりを受けて 「承」、 「転」 で違う話になる。 「結」 で結論です。 (板書きをしながら) 非常に短いエッセイだから起承転結という構成がなくてもいいという事ではないんですね。 高 校生のこれは起承転結がすごく上手くいっています。 「毎日使っているところにホームレスのおじいさんがいる。」 これが 「起」。 それで、 「このお ― 37 ― じいさんがいつも、 いつも電車に乗ってきてとってもにおう」 ここまでが 「承」 ですね。 そし て、 「転」 でちょっと話が違ってくるんですね。 そうすると、 どういう風に違ってくるのかと いうと、 「駅員さんに連れて行かれる。 どうも乗客から苦情がきた。 そして、 おじいさんは連 れられて行った」 そして 「結」 で 「自分は何にもできなかった。 あのおじいさんはどう過ごし ているんだろうか。 楽しみは何だろうか」 ということを書いている。 これは、 みごとに 「起」 「承」 「転」 「結」 が上手くいっています。 それで、 この16歳の少女 に参るのは、 ラストの1行なんですね。 「おじいさんの毎日の楽しみは何だろうか」 なかなか これは書けないですね。 この1行で、 この少女がどんな少女か、 それから、 どういう思いでこ の事件を見ていたのかというのが、 全部分かる。 この1行があると、 「千円位なら、 私持って いるんだけど」 というのも嘘に聞こえない。 これは、 見事な締め方だと思います。 だから、 こ ういう 「起」 「承」 「転」 「結」 というものをしっかりと考えて欲しいと思います。 この間、 「起」 というのは (板書きをしながら) しゃがむことだと言っている人がいた。 しゃ がんで立って、 跳ねて、 終わるが起承転結だと。 うまい言い方ですね。 だから、 しゃがんで、 ぱーんと立ち上がって、 跳ねて、 終わる。 この起承転結をよーく考えて欲しいと思います。 このホームレスの話にしても、 「最初にホームレスのおじいさんが乗っているのを見かける」 というところから入らなくてもいいわけですよね。 やり方としては、 「ある日、 駅に行ったら ホームレスの回りに、 駅員さんが4、 5人取り囲んで騒いでた」 というところで 「起」 でもい いわけです。 それで、 「あのおじいさんは、 毎朝見かけるおじいさんだ。 気になったので側に寄ってみた」 という風な入り方でいってもいいんです。 どれが、 一番皆さんが言いたいことを的確に伝える 効果が見出せるかということですね。 それを考えて欲しいということです。 このホームレスの 文章でいきますと、 例えばちっぽけな自分の存在を実感した。 「ちっぽけな自分」 という言葉。 「ちっぽけ」 というのは、 比較的私達の日常生活では出てこないんですね。 何か、 自分を卑下 するとか、 自分の悲劇な事が判った時に、 わりと 「ちっぽけ」 という言葉は使う。 という事は、 これも常套句です。 ですから、 「ちっぽけな自分」 という以外に、 何か言いあらわせる言葉は ないかと考えてみると、 文章がまた広がります。 例えばこの場合、 「何も力になれない、 ちっぽけな自分の存在を実感したからだ」 という事 が書いてある。 これを書かずに、 理由は 「生意気にも泣きそうになった」 わけですよね。 「理 由は生意気にもおじいさんに同情したのと、 何にも力になれない自分を実感したからだ」 と書 いている。 この 「ちっぽけ」 という一言がその思いを表現しきれているか、 いないか。 ここも 考え所です。 そして、 資料2の①です。 「桜舞う東京」、 これも大変にうまい文章です。 というのは、 娘さ んが東京の大学に行って、 そしてそれまでずーとお弁当を作っていた自分が、 作らなくてもよ くなった。 そのことを書いているんですが、 この構成の最初は寝起きの頭です。 もしかしたら 布団の中かもしれない。 「もうこんなに早起きしなくてもよかったんだ。 寝起きの頭でぼんや り考えた」 という所から入っています。 そして、 過去に、 回想に入るわけですね。 高校生の子ども達にお弁当を毎日、 毎日作ってい た自分の事を考える。 これは結構大変なことだった。 ゆっくり、 いつか寝たいなーと思いなが らも、 お母さんの役目を果たしてきていた。 それが、 多分末っ子のお嬢さんでしょうね。 「娘 の卒業とともにこの春、 プツンと終わってしまった」 ということで、 後でこういうことを、 寝 ― 38 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② 起きの所から入って、 その事情を後で説明している。 この場合も 「プツンと終わってしまった」 この、 「プツン」 という言葉がいいのか悪いのかということもありますが、 あれほどゆっくり 寝たいと思っていたのに、 いざこうなると何だかなという話、 ここもまた寝床に戻っているわ けですね、 現在があって、 回想があって、 再び現在になる。 そして、 もっとずーっと飛んで、 今度は最後の方で、 起承転結の 「結」 の部分で大学の入学 式の話になっている。 「大学の入学式で上京した今月初め、 東京の桜は満開だった」 お弁当の 話と、 桜の話は全然繋がっていない話なんですけれども、 この人にとっては満開の桜の中、 古 めかしい講堂に入っていった娘を誇らしくも思っているし、 自分がここまでお弁当を作って、 育てたという意識もあるので、 とても、 ここの 「桜」 のところに彼女の思いがこもっているわ けです。 「大学の入学式で上京した今月初め、 東京の桜は満開だった。 雑然とした街並みの中、 桜と 大学の講堂、 それに娘の姿が重なった光景が美しすぎて涙がこぼれそうになった。 ひと風吹くたびに散る花びらは、 目の前を歩く細いスーツ姿の娘の肩に降りかかった。 気ま ぐれに舞う花びらを振り払いもせず、 古めかしい講堂に吸い込まれていった娘は、 すっくと背 筋を伸ばし、 前だけを見ていた」 これが、 起承転結の 「結」 ですね。 恐らく彼女が一番言いたかった事はここなんですね。 こ の、 自慢の娘の部分の話をお弁当から入っているということです。 だから、 お弁当の話だった ら、 「桜舞う東京」 というタイトルにはならないでしょうね。 やっぱり、 娘のことを書きたかっ た。 だけど、 家の孫はかわいい、 かわいいと垂れ流すのと同じように、 娘のことを垂れ流すの ではない構成を取っています。 当然ながら、 4段目が一番気合いが入っていますね。 それから、 ここの中に 「娘の姿が重なっ た光景が美しすぎて涙がこぼれそうになった」 さあ、 ここで、 この 「涙がこぼれそうになった」 という1行がいるのか、 いらないのかというのは好みの問題ですが、 考え処ですね。 これは、 資料2③の 「私は泣きそうになった」 というのとはちょっとニュアンスが違うんで すね。 「私は泣きそうになった」 というのは、 その後に理由が書いてあります。 これは 「涙が こぼれそうになった」 というのがあった方が①番の場合効果があるのか、 むしろ、 ない方が効 果があるのか、 或いは、 一番ここが大事な所だから、 書きたいんだと言う人もいるでしょうし、 書かない方が余韻があると言う人もいるでしょう。 これも個人のセンスです。 例えば、 「桜と大学の講堂、 それに娘の姿が重なった光景は美しすぎた」 と書いた方がいい と思う人もいるでしょうし、 それから 「美しすぎて、 涙がこぼれそうになった」 と書きたいん だと言う人も、 この方がいいって言う人もいるでしょうから、 これは、 どちらとも言えません が、 皆さんだったら書く場合に、 本当にこの1行が必要なのかということをよーく考えて構成 を立てて欲しいと思います。 もう1つ、 80歳の女の人の投稿されたすごく上手いのがあったんです。 これは、 息子さんが 浪人中にテレビを見ていたら 「柿の葉で作った天ぷらというのはすごく美味しいらしいとやっ ていた。 自慢料理だって言っている人がいたよ」 とお母さんに話した。 「お母さんの自慢料理っ てなあに?」 と聞いたら、 お母さんには全然自慢料理がなかったんですって。 それで、 とっさ に言葉が見つからなくてショックだった。 それからしばらくして、 息子が22歳の若さで亡くなってしまった。 今考えると、 何か美味し いものをもっと食べさせてあげればよかったなあ、 という風にお母さんは1人で悲しんできた。 ― 39 ― そしたら、 去年散歩の途中で柿の葉っぱを見つけた。 「柿の天ぷらは美味しいんだって?」 と息子がずーっと昔に言っていたのを思い出して、 その柿の葉をいただいてお家で天ぷらを作っ てみた。 そしたら、 すっごく美味しかった。 そして、 息子にお母さんは語りかけた。 「お兄ちゃ んが言うとった5月の柿の葉の天ぷらを作ってみたよ。 30年も経ってからだけど、 今年も若葉 の季節が巡って来ました」。 すっごく上手いんですね。 ところが、 ラストに2行半まだくっついているんですね。 「薄緑色の柿の葉を見るたびに、 また作ってみようと思っています」 と入っている。 さあ、 このラスト2行半がいるかどうかですね。 これは書いても勿論いいんです。 無くても いいんです。 無い場合の方が余韻がある場合もあるし、 書いたほうがいい場合もある。 ただ、 これは一概には言えませんが、 往々にして最後に余分な2、 3行をつけたが為に余韻を失って いる文章というのは素人の場合は多いです。 例えば、 「僕は野球部でこうやって頑張って、 ついに、 やっとレギュラーのポジションを手 にした。 それは残念ながら、 実はレギュラーだった奴が怪我したお陰なんだと、 だけれども僕 はやっぱり自分の努力で手にしたって思いたいし、 監督も解ってくれたんだと思う」 というこ とでスパンと終わればいいのが、 最後に 「さあ、 今年もやるぞ」 とか入っちゃうんですよ。 こ れは多分本人の意識としては 「さあ今年もやるぞ」 というのを一番書きたいのかも知れないで す。 けれども、 文章としては 「さあ今年もやるぞ」 とラストにもってくると、 ちょっと余韻が 失われるというケースがあります。 ですから、 今本当にいいものだけをテーマに出してお話を しましたけれども、 急いで、 申し上げた部分も、 ぜひ皆さんに考えていただきたいと思います。 それで、 皆さんからエッセイのテーマをたくさんいただいております。 例えば 「地域ボラン ティアについて」 書きたい方がいらっしゃるんですけれども、 今申し上げたとおりボランティ アの話をずーっと書いて、 そして、 最後に 「これからも力の続く限り、 続けていきたいと思う」 みたいな、 このラスト1行は本当に必要かどうか、 よくその辺もお考え頂きたいと思います。 皆さんからいただいた中で、 「山と川」 「理想の上司」 「女子力」 これ、 今流行っていますね。 「女子力」 これはタイトルになります。 「女子」 という言葉がいつまで続くかわかりませんが、 どこに行っても女の子が優秀だという話はよく聞きます。 「女子力」 それから 「オーラ」 「輝き」 について書きたいという方々もいました。 「オーラ」 「輝き」 というのは大変に面白いし、 深い テーマですけれども、 構成をしっかり考えてみて下さい。 それから 「健康」 について書きたいという人がいるんですね、 「健康」 というのは、 どうい う切り口で書いていくかが勝負どころだと思います。 その時に 「病気をしてみてよく分かった。 健康はありがたい」 という話だと、 あんまり面白くないですよね。 わざわざ読むほどのもので もないです。 それで、 じゃあ健康がありがたいという時に、 どうやったら健康のありがたさを 表現できるのかということです。 何とかそこのところを具体的なエピソード何かを交えて、 健 康のことを書いて下さればいいと思うんです。 私は、 病気をした後にすごくいろんな所から健康のありがたさとか、 病気をしてどんな風に 変わったのかということを喋って欲しいとか、 書いて欲しいとか、 テレビに出て欲しいとか随 分言われたんです。 全部断ったんですが、 それはマスコミが望んでいることが分かったんです。 何を望んでいるかというと、 「私みたいに、 好き勝手に生きてきた人間が大病をしたことで、 例えば生きていることのありがたさとか、 周囲の人達への感謝とか、 今までやってきた私の人 生は間違っていて、 やっぱり、 もっと平凡に子供を産んだりした幸せっていうのがあったのに」 ― 40 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② とか、 何かそういうことも含めて、 けなげな内館牧子をどうも欲しがっていたようで、 私は冗 談じゃないって思ったわけですね。 1つには病気をした後で目が覚めたという人があまりにも多すぎることです。 確かに病気を したことで学んだということも無いわけではないんですけれども、 それをおおっぴらに言うの は、 何だか私には合わないなーという気がしたんですね。 それで、 ある時にやっぱりそれを言われて、 「内館さん、 何か1つ位学んだ事あるでしょう? 心臓の病気をして」 と言われて、 「あります。 あります」 と言ったら、 「何ですか?」 と言うか ら、 向こうはそれこそ感謝とかね、 反省とか、 そういうことを求めていたんですけれども、 「私が学んだのは、 心臓のしくみと働きです」 と言ったら、 もう二度と来なくなりました。 で すから、 これも 「健康」 というテーマで書く時によーく考えて欲しいと思います。 それから 「原風景」 というのがあるんですね。 「原風景」 ってどういうことかな。 多分自分 が忘れられない何か風景というのがあるのか、 自分が今生きている時に常に思い出す風景って、 それから自分の生き方を左右した風景があるのか、 それもできるだけ、 羅列というか、 言葉で ぱらぱら書くのではなくて、 訴えて欲しいというのがあるんです。 というのは、 以前に ラジオ深夜便 という NHK の深夜番組の中でエッセイを募集した時 に80代の方でしたけれども、 「原風景」 に近い内容のエッセイを書いてきた。 これは、 すごい 見事なもんだったんですね。 何かというと、 その80代の人は小さい時にお母さんを亡くして、 お父さんが後妻をもらったわけです。 で、 その2度目のお母さんがとってもやさしくしてくれ た。 彼の 「原風景」 はお米がなくて、 あんまり貧しくてたくさんお米がない時に、 そのお母さ んが学校なんかへ行く時に、 いつでもちっちゃな 「塩むすび」 を作って、 彼に持たせてくれた んだそうです。 それで、 彼が開けて食べる時に見ると、 「塩むすび」 に、 おかあさんの指の跡がついている んですって。 「塩むすびに母ちゃんの指の跡がついていた」 あれが、 「原風景」 だとは書いてな いんですが、 彼の生き方の中で、 この指の跡がついた塩むすびというのが、 どれほど大きかっ たのかというのがわかるんですね。 これは賞をとりました。 やなせ たかしさん、 ねじめ 正一 さんも私もみんなそれを推薦したんですけれども、 こんな切り口はとてもいいなと思います。 それは 「山」 とか 「川」 とか 「星」 とか 「木」 とかそういったものでも全然構わないんです。 何でもいいから、 できるだけ具体的に考えて書いて欲しいと思います。 それから、 「第二の人生」 というものを書きたい方もいらっしゃいます。 「第二の人生」 もと ても面白いテーマです。 ただ、 第二の人生が、 これからは今までできなかった事をやって、 さ あ頑張ってみようと言うんだと、 あんまり面白くないですね。 やっぱり、 どう頑張りたいのか、 何をやりたいのか、 或いは第二の人生というものが突然ぶら下がってきた時に、 40代の頃の忙 しい自分はどうだったのか。 「さあ、 これから毎日日曜日の俺は、 第二の人生をどう設計して いけばいいのか」 という、 いろんなその思いの中から一番書きたいことを書いてもらいたいと 思います。 「山と川」 というのもあるんですが、 先程、 秋田に来る時の岩手山の話をしましたし、 岩手 山とか鳥海山とか寒風山とか雄物川とか秋田や岩手の父や母の故郷の山や川っていうのは、 私 にとってもすごく大きいものなんですけれども、 「山や川」 というものを書く時に、 さあどう 書くかっていう事ですね。 「僕は鳥海山が大好きです」 というのは構わないんです。 それから、 どう書くかという事だと思います。 ― 41 ― 以前に伊奈かっぺいさんが、 何かに書いていらしたエッセイがあったんですが、 あの方は青 森出身ですよね。 それで、 青森の同郷の人間の事を書いている。 確か同級生みたいでしたけれ ども、 その彼が東京でいろんな大変な目にあった。 でも、 彼は 「俺は負けない」 と言ったんだ そうです。 「俺は負けない」 というところまでは誰でも書けるんです。 その後で伊奈さんがす ごく衝撃を覚えたって書いていたのは、 その 「俺は負けない」 とどん底にある青森出身の男が 「俺は岩木山をしょってるから」 と言った。 「俺は御岩木をしょってるから」 と言ったんだそう です。 私はそれを読んだ時に、 ああやっぱり山を見ながら、 山と一緒に、 川と一緒に生きてき た人というのはこういうのがあるんだなーと思ったんですね。 やっぱり 「御岩木」 ですからね、 「岩木山」 じゃなくて 「神の山」 ですね。 「御」 がつくんです。 「俺は御岩木をしょってるから、 だから負けない」 と言ったというのは、 強烈でしたね。 だから、 そういう何か、 指の跡のつい たおにぎりにしても、 何かワンエピソードあればかなり変わります。 エッセイは。 ぜひ、 それ を考えて頂きたいと思います。 私も、 第3回ノースアジア大学文学賞では冷静に且つ、 厳密に審査をいたしますので、 締め 切りを楽しみにしております。 また、 ぜひ雑誌もテレビも10月には多分放送になるスペシャル がありますので見て下さい。 この後も、 秋田には参りますし、 お買い物にも来ますから、 是非街で見かけたら声をかけて 下さい。 どうもありがとうございました。 橋 元 内館牧子先生、 大変楽しい、 素晴らしいご講演をありがとうございました。 質疑応答に入らせていただいてよろしいでしょうか。 内館先生にご質問のある方、 挙手をお 願い致します。 ぜひ、 この機会ですので、 何かご質問がありましたら、 手を挙げていただけませんでしょう か。 内 館 今、 お話した内容があまり難しすぎて、 書くのがいやになったとか思わないで下さいね。 今、 高級な事を話していたんです。 高級な事を覚えておくと、 書く時にすごく楽ですから。 質問者1 先程、 先生が例えば 「ちっぽけ」 という言葉が必要なのかどうかとか、 柿の葉っぱの話で 「これからも作ってみようと思った」 という文章が、 ちょっといらなかったとおっしゃってい たのが、 ちょっと難しいなと思って、 どうしたらそういうのを判断できるようになるんでしょ うか。 内 館 例えば、 さっき私が例に出した中で 「涙がこぼれそうになった」 というのが、 無い方が返っ て余韻があったのにというのを聞くと、 確かになくても十分いけるなと思うでしょう。 今の質 問はそういうのを、 どうやってこれは必要なものか、 いらないものかを判断すべきか、 という ことなんですけれども。 これは判断のルールって無いんですね。 もしかして、 今私がここで講義をしていますけれども、 もし、 別の作家が来て、 エッセイス トが来て講義をした時には、 「それこそ大事なのよ、 人間の叫びなのよ」 と言う人もいるかも しれないのね。 これは個々人のダンディズムみたいなものなんです。 語りすぎない。 饒舌にな りすぎないということが、 私は、 かえって訴えるんじゃないかなという感覚なんです。 だから、 ― 42 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 エッセイを書いてみよう② 「語り過ぎないとわからないのよ」 と言う人も、 中にはいるんです。 だから、 「私はものを書い ていきたい。 これからも、 1日1つずつ頑張るわ、 皆さん見ていて下さい」 ということを、 ハッ キリと書くというのもあると思うんですけども、 それを語るとかえって、 というのが私にはあ るんですね。 それで、 皆さんに1つだけ方法として、 敢えていう場合、 1つだけ方法があるとしたらね、 例えば400字詰めで3枚書くというエッセイがあったとします。 その時に400字詰めで4枚から 5枚おもいっきり書いてみるんです。 はっきり、 ちゃんと構成を立てて、 5枚書いてみる。 そ れを一晩おいて、 翌日頭からもう1回読んでみる。 これを出す時に3枚にしなくちゃいけない ということは、 2枚分削らなければいけないんですね。 その2枚を、 さあ、 削るのに40行削る んですから、 大変ですよ。 だけど、 それはどうしても削らなきゃいけないんです。 3枚という 規定があれば、 3枚以上のものは規定違反ですから、 もう最初っから落ちちゃうのね。 2枚を どう削るかという時に、 何回も、 何回も読むとね、 いらないものが見えてくる。 それで削って いくと、 そうか、 「ここで私は泣きそうになった」 とか 「涙がこぼれそうになった」 っていら ないなと分かってくる。 そしたら、 そこを削ってみる。 いるとわかったなら、 他を削る。 そう やって、 削って、 削って、 削っていくと最後に出てきたもの3枚が非常に凝縮されたものにな るから、 そういう意味では、 余分なものというのは削られていくんだと思います。 それを1回 やってみるという手はあると思いますね。 私は 週刊朝日 も 秋田魁新報 への原稿も、 最 初に書くと大体2枚位はオーバーしているんですね。 それを出す時には、 やっぱり削っていま す。 そうすると余分なものがどんどん削れていく。 そのやり方というのは1つあるだろうと思 います。 それから、 もう1つは 「ダンディズム」 と言ったんだけれども、 女の人の場合は 「エレガン ス」 と言うのかな、 ここまで書いてしまうと、 かえって田舎臭くならないか、 ここまで書いて しまうと、 かえってやぼったくならないか、 無い方がずっと潔くて、 無い方が読む側がわかっ てくれるんじゃないだろうかと考えるという事もあると思う。 文章というのは、 よく言うのは文章って文章を読むんじゃなくて、 行間を読むと言うんです ね。 だから、 行と行の間を読むわけです。 例えば資料2①に 「娘の姿が重なった光景が美しす ぎて涙がこぼれそうになった」 と書いていますが、 「娘の姿が重なった光景は美しすぎた」 で 終わった時に、 行間に書いていないけれども、 「涙がこぼれそうになった」 というのを読者の 側が思い描くという方法があるわけです。 すごくこれ、 やっかいだけど、 選考委員によっては、 「ここは号泣したでも、 涙がこぼれたでも、 しゃがみ込んで泣いたでもいいじゃないか。 これ こそが人間なんだ!」 と本当に言う選考委員もいます。 ですから、 各コンクールでは選考委員 のメンツを見て考えるという人もいますよ。 質問者1 ありがとうございます。 橋 もうお一方、 ご質問のある方、 いらっしゃいませんか。 元 質問者2 今日のお話に直接関係なくて申し訳ございませんが、 先生は長らく相撲協議会の審議委員を なさっていらして、 ニュースで見るたびに、 非常に胸がすかっとする発言をなされておったん ですが、 この度任期切れでお辞めになったようですが、 再度要請があれば、 また審議委員にお ― 43 ― なりになるお考えはございますでしょうか。 内 館 なかなか、 皆さんが聞きにくいことを聞いて下さって。 私が病気をした時に、 私を任命した 時津風理事長から電話があって、 「あなたが心臓の病気をしたのは、 僕が横綱審議委員に任命 をしたせいではないか」 と言われるぐらいだったんですが、 かなり、 あれは大変な仕事です。 それで、 横綱審議委員が再び、 再任命されるということは今までにもケースはないので、 そう いうことはあり得ないんですが、 ただ、 何らかの形でせっかく、 これだけ相撲が好きで、 これ だけ調べたんで、 何かの形で関わっていきたいという思いは、 勿論あります。 ただ、 何処に行っても 「朝青龍の件、 大変でしたね。 ご苦労さん」 と言われて、 私が笑うと 「あれ、 内館さんでも笑うんですね」 と言うんですね。 よっぽど恐い顔がテレビで全国に流れ ちゃったようなんですけれども、 今も相撲界はいろいろ大変ですけれども、 博打の問題から、 賭博の問題から、 木瀬部屋が取り潰されたりと、 大変なことは大変なんですが、 相撲そのもの は大変に面白いものですし、 なんといってもあの伝統文化というのは絶やしてはいけないし、 こういう場合、 いろいろなしがらみがある男の人よりも、 女の人の方が、 わりとはっきりもの が言い易いんで、 もし、 また何らかの形で 「やって下さい」 と言われる任務があれば、 やるか もしれませんが。 ただ、 横審の任期中、 仕事をほとんど10年間やっていないんですよね。 だから、 今は取り敢 えず仕事をしながら、 相撲は観るという方向で行きますけれども、 これからも、 相撲に関して は関わっていこうと思いますし、 また、 ノースアジア大学でも、 以前にやったことがあったん ですが、 「相撲史」 というのが大変に面白いんです。 ですから、 1回またこってり 「相撲史」 の講義をしたいなと思っていますから、 その時はまたいらして下さい。 ありがとうございました。 (拍手) 橋 元 内館牧子先生、 本当に楽しい、 活気のあるご講演を誠にありがとうございました。 ご講演の中でも何度もご紹介いただきましたが、 今年度もノースアジア大学文学賞を開催い たします。 ぜひ、 多くの皆様にご応募いただければと思います。 私も大変勉強になりましたが、 本日、 内館先生がお話しくださった、 書くための大事なポイントを、 ぜひご自分の作品に活か していただければと思います。 それでは、 本日はご清聴、 誠にありがとうございました。 ― 44 ― 講 演 ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 講 司 師 会 読売新聞特別編集委員・ ノースアジア大学教育諮問会議委員・客員教授 橋 本 五 郎 ノースアジア大学教養・文化研究所長 本学教養部准教授 橋 元 志 保 日 時 平成22年7月3日 午後1時〜2時30分 会 場 ノースアジア大学 40周年記念館 ― 45 ― 271教場 橋 元 本日は、 ノースアジア大学総合研究センター主催の公開講座、 シティカレッジにお越しいた だきまして、 誠にありがとうございます。 読売新聞特別編集委員、 ノースアジア大学教育諮問 会議委員、 本学客員教授の橋本五郎先生をお招きしてのご講演会を開催させていただきます。 本日司会を務めさせていただきます、 ノースアジア大学教養部准教授、 総合研究センター参 与の、 私も橋元と申します。 どうぞよろしくお願いいたします。 橋本五郎先生は、 大変お忙しい中、 このご講演会のために東京から秋田まで駆けつけてくだ さいました。 橋本先生は日本中の誰もがその温かい笑顔を知っている、 大変有名なジャーナリ ストでいらっしゃいますが、 秋田県のご出身でいらっしゃいます。 秋田県立秋田高等学校をご 卒業後、 慶應義塾大学法学部に進学されました。 優秀な成績でご卒業され、 読売新聞社に入社 されました。 そして、 論説委員に政治部長、 編集局次長を歴任され現職に至ります。 NTV 系 の ズームインSUPER は歴史にあり 等での優れた政局解説で有名ですが、 ご著書も多く、 最近も 範 という大変素晴らしいご著書を出版されたばかりです。 先の見えない政治の混迷が続く中、 最新の情報を踏まえながら、 日本の政治はどうあるべき なのか、 政治家にとって最も必要なものは何なのかを、 優れた歴史観を元にお話くださいます。 歴史を学ぶということは、 過去に起こった無限の事実の中から、 意味のある事実を選び取る という行為に他なりません。 悠久の流れを持つ過去の人々の営みの中から、 現代の我々が失っ てしまった道徳や規範を学ぶということは、 大変素晴らしい、 意義深いことであると思います。 どうぞ皆様、 最後までご静聴くださいますよう、 よろしくお願いいたします。 それでは、 橋本五郎先生、 どうぞよろしくお願いいたします。 橋 本 橋本です、 よろしくお願いいたします。 こういう紹介をされたのは、 私も結婚式以来ですね。 優秀な成績でというのは、 今までありませんでしたね。 ああ、 来て良かったなと思います。 こ れで仕事のうちの半分は終わったという感じです。 さあ、 橋元先生の紹介の様に上手くできる かどうか分かりませんけれども、 私なりに考えている日本の政治について、 これからお話をし たいと思います。 まもなく参議院選挙です。 私はいつも国政選挙の時には、 日曜日が投票日ですから、 前日の 土曜日に有権者のみなさまへと、 一体今度の選挙は何を基準にして投票すればいいんだろうと、 私なりに考えていることを読売新聞の一面で書くことにしているんです。 いつも書いているこ とはどういうことか。 福沢諭吉の言葉を何回かにわたって書いています。 福沢諭吉はこう言っ ているんですね。 「政治というのは悪さ加減の選択である」 まあ、 何という事を言うのかと思 うんですけれども、 実はこれはなかなか深い意味があるんです。 政治においてはベストの選択 は無い。 ベストということは、 誰でもみんなが最善だと思うようなことは無いと。 ベターだっ て無い。 ベターというのはより多くの人が 「そうだ」 というものだって無いんだと。 あるのは 「悪さ加減の選択」 だと、 こういうことなんですね。 これを沖縄の普天間の問題に当てはめてみたら良く分かるんです。 普天間の基地というのは ちょうど町のど真ん中にあるんですね、 もう家すれすれに戦闘機が離発着している。 そうした なかで、 今から14年前の1996年に、 時の総理大臣橋本龍太郎は、 時のアメリカ大統領クリント ンとの間で、 普天間は非常に危険だからこれはもう基地を無くそうと、 日本に返そうという合 意をするんですね。 ところがその普天間基地のやっている事、 その機能はどこかがやらなけれ ばいけない。 さあ、 どこにするか。 そこで10年の歳月がかかったわけです。 そして今から4年 ― 46 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 前に名護市の辺野古というところの沖合に、 V字滑走路を造ることを日米の間で合意しました。 滑走路は普通は平行していなければいけない。 ところが、 平行するとどうなるかというと、 陸 地に1本が近づいてしまう。 それをできるだけ騒音、 それから事故があったときに被害が少な くするようにというので海の方に出てたんですね。 それでV字になるわけです。 それを、 ようやく日米の間で合意したのが4年前ですが、 政府の間では合意しても沖縄の人 は認めない。 海を埋め立てる場合に誰が許可をする権限があるかといえば、 それは知事なんで す。 沖縄の知事が 「うん」 と言わない限り埋め立てはできないんです。 埋め立てができなけれ ばV字滑走路もできない。 V字滑走路ができなければ、 これは辺野古に基地を造ることもでき ない、 ということでずっときたわけです。 そうしたなかで、 福沢諭吉の言う 「政治とは悪さ加 減の選択である」 ベストの選択は無い、 ということを当てはめてみるとよく分かるんですね。 ベストということは、 名護の市民も、 沖縄の県民も、 そしてアメリカ政府も、 そしてもちろ ん民主党与党も、 それから一緒に連立を組んでいる連立与党の社民党も国民新党も、 みんなが これは最善である、 ということはありえないんですよ。 なぜありえないか、 みんな基地が来る のは嫌だからです。 本音は別かもしれないが、 建前としては、 嫌だからそれは駄目なんです。 それではベターはあるか。 多くの人が良いというのはあるか。 ベターも無いんですね。 名護の 人、 沖縄の人はそれは絶対反対しますよ。 じゃあ、 海外にやるとして、 アメリカは駄目ですね。 これは非常に難しい所ですけれども、 沖縄の負担を少なくするために、 また沖縄に基地を持っ てくるのか。 これを言われるともう何とも言えないです。 何とも言えないんだけれども、 ここ は少し冷静に考えれば、 もし普天間が今までやってきたこと、 普天間の基地がやってきたこと が必要だという前提に立てば、 それはどこにあるべきかといえば、 北海道にあったって意味が 無い。 秋田に来ても意味はないんです。 沖縄だからこそ意味がある。 なぜ意味があるかといえ ば、 それは台湾、 中国、 朝鮮半島を睨んでいるから意味があるんです。 そうなると、 ここで最初からみんなが賛成するベストなものがあると考える方が、 そもそも 間違っているという話です。 ベターも無い。 多くの人がいいというものも無い。 「悪さ加減の 選択」、 要するに、 どっちが我慢できるかという話ですよ。 ぎりぎりそういうところだ、 とい うことなんですよ。 だから、 鳩山さんという人が福沢諭吉を知っているならば、 それは最初から海外、 県外なん ていうことはありえなかった、 という話です。 それは、 まず海外はアメリカが認めない。 それ から、 じゃあ県外は認められるか、 徳之島が問題になりましたね。 長崎の佐世保がありました ね。 大村もありましたね。 佐賀もありましたね。 いろいろ名前を挙げました。 しかし、 ことご とく反対という話になっちゃうんですよ。 これから何十年もかかるんです。 基地が必要だとい う観点に立てば、 それはぎりぎり、 ぎりぎり、 どれだけ我慢してもらうか、 という話になって しまうということです。 さあ、 そうやって考えると、 ここは、 先ほど橋元先生から 「歴史に学ぶ」 ということを言わ れました。 まさにそうなんですね。 政治とは何か、 ということを考えたとき、 福沢のこの言葉 は非常に重いということです。 それから、 ビスマルクというドイツの 「鉄血宰相」 がいましたね。 19世紀、 1800年代後半の ドイツの優れた指導者でした。 なかなか厳しい人だった。 この人は 「政治とは可能性の技術」 なんだと言っている、 技術は芸術ともいう。 それはどういうことか。 それは、 それぞれ理想は 持ちながら、 こうありたいと思いながらも、 しかし、 ぎりぎり何が実現可能であるかというこ ― 47 ― とを徹底的に追求するのが政治である、 ということです。 それを沖縄に当てはめると、 いった い何が実現可能か。 これは共産党、 社民党はある意味では一貫しているんですよ。 日本から基 地を無くす、 アメリカとの日米安全保障条約に基づく軍事同盟、 これも無くす。 それはそれで 一貫しているんです。 だから基地も要らない。 しかし、 そうではなくて基地が必要だという観 点に、 あるいは日米同盟が大事だ、 という前提に立ったときに何が実現可能かという可能性を 追求するのが政治である、 ということを考えたときに、 自ずとそこには、 もうぎりぎり針の穴 しかないような選択肢しかありえないということなんです。 それが最初から分かっていたのか、 私は非常に疑問に思います。 その鳩山さんから、 それで、 今度は一転して菅さんになった。 これは支持率がV字回復とい いますが、 鳩山内閣で19パーセントぐらいまで落ちた内閣支持率が、 50パーセントから60パー セントまでに回復した。 何で回復したかといえば、 別に菅さんが何かをやった、 というよりも 前を否定したからなんですね。 否定したのは2つあって、 1つは政治とカネについて、 あれは いけないんですよ、 小沢さんはしばらく静かにしてください、 こういう具合に脱小沢をしまし た。 鳩山内閣の支持率が非常に下がったのは、 小沢さんのお金の問題が非常に大きかったです ね。 後半は何かといえば政治のやり方、 普天間を初めとした政治のやり方の問題ですが、 まず、 政治とカネについて小沢さんの息のかかった人を極力排除しました。 それから鳩山さんの政治 について、 これは例えばアメリカとの関係についてもそうですけど、 否定します。 脱小沢であ り、 反鳩山とは言わないけれども、 半分鳩山、 まあみんなどこもそうなんです。 こういうこと を言うと語弊がありますけれども、 会社の社長もそうだし、 大学の学長もそうで、 前の人との 関係で論じられるんですね。 そうすると前の人が悪ければ、 これは非常に得するという場合が あるでしょう。 そんなことで、 理事長の前でそういうことを言っては問題ですが、 これは一般 論ですから。 ところが、 今回は非常に問題があるんですよ。 総理大臣になって 「私はこれから、 どういう 政治をします」 という所信表明演説をやるんですね。 それで、 この後にこういう 「あなたの政 治はここが問題だ」 という代表質問というものがあるんですね。 ところが、 所信表明は一方的 に喋る、 代表質問は一方的に聞く。 議論しないんですね、 行ったり来たりをやらないです。 そ れをやるのが予算委員会ですが、 それをやらなかった。 なぜやらなかったといえば、 それは政 治とカネの問題が出たり、 じゃあ普天間をどうするんだと言われたりしちゃうからだったんで すね。 言ってみれば、 店は開いた、 ショーウィンドウには色々ある。 ところが、 店の奥までは 見せない、 というのは後ろに品数が無いから後ろに、 というところが多分にあったわけです。 そういうやり方にもちょっと問題があるんだけれども、 さあ、 これから今度の参議院選挙で どうなるか。 今まで言われているところは、 これは参議院はこうなんですね、 参議院には全部 で242人いるんですね。 ところがその内の半分がこれは改選されるわけなんです。 6年の任期 がありますが、 6年を3年ごとに変えていくんですね。 1度にすっかり変わるのではなくて3 年ごとに、 ですから今回立候補する現職の人は6年前に当選した人で、 3年前の人はさらに3 年後に選挙が来ます。 こういうことなんですね。 それで、 121人改選されるんですけれども、 国会というところは半分以上いないと法案が通りませんからね、 242人の半分以上ということ は、 122人がいなければ法案が通らないという話です。 それで、 じゃあ今改選しない、 民主党 の選挙をしなくてもいい人、 その人が62人なんですね。 そうすると、 あと60議席取れば、 民主 党は単独で122人になります。 ― 48 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 じゃあ、 6年前はどうだったか、 6年前は54人だったんですね。 それで今、 菅さんはプラス アルファ、 6年前に取った数よりもちょいと増えればいいな、 と。 というのも難しいんですね、 いくら取れればいいのかというときに。 あんまり高い、 例えば60議席取りたいな、 というと60 議席取れなかったときに責任でやめろと言われるから、 できるだけ下におきたいですよ、 これ は。 しかし、 6年前に取ったときよりも少なくするわけにはいかないということで、 54議席プ ラスアルファと言っているわけです。 それで、 さっき消しましたけれども、 鳩山さんのときにどうだったかといえば、 これは世論 調査というのを良くやるんですね。 それで、 今いったん選挙をやればどのぐらい取れるかとい うことを調査をいっぱいやっているんです。 これまた、 私はこの前、 銚子かどこかへ行って講 演したら質問がでましたね 「その世論調査というのは、 それは本当なんですかね」 これを言わ れると困っちゃうんですね、 説明のしようが無い。 宮沢喜一という人が総理大臣の時、 私に真顔で聞くんですね 「橋本さん、 その世論調査とい うのは何ですか。 それは何人に聞いているんですか」 こうくるんですよ。 「少ないのは500人か らなんですよ。 今選挙のときは、 選挙区でいっぱいやりますから、 これは1万人から2万人ぐ らいやるんですよ」 「どうして500人で1億2千万人の気持ちが分かるんですか」 とくる。 これ はまた、 説明に困るんですね。 「いやいや、 無作為抽出と言いまして、 いろいろな職業の人、 いろいろな年代の人、 そういうところから、 まあ昔は、 電話帳から引き出して聞くんです、 何 十年もやっている間に、 段々段々、 正確度が増していって、 そしてそれだけじゃなくて、 答え る方も昔は正直に答えない人が結構多かった。 今だとテレビでマイクを突きつけると、 みんな はっきりとものを言うでしょう。 あんまり遠慮しなくなった。 ちゃんと嘘を言わなくなって本 当の気持を言うようになった。 それで、 大体傾向は分かるんです」 と言っても大体納得しませ んね。 まあ、 しかしここは、 今日来ているみなさんはきっと納得するだろうと思っています。 それで、 世論調査をしょっちゅうやっているわけですよ。 そうするとさっきの20パーセント を切ったぐらいの時は、 参院選での民主党の獲得議席は30ぐらいだと言われています。 それが このV字回復で今は50の前半ぐらいです。 さあ、 50の前半ぐらいだとどうなるという話です。 民主党はとてもじゃないけれども単独では過半数はだめですね。 どこかと連立しなければだめ ですね。 今は、 一応連立すると言っているのは国民新党なんですね。 では国民新党とあわせて どうなるのかという話です。 そうすると、 少なくとも単独で56議席、 これは国民新党3議席と それから民主党に近い人、 無所属という人がいるんですね、 これで4議席ですから、 そうする と残りの民主党が56議席を取れば、 与党で過半数になって法案が通ると。 ところが今の状況はどうもそうじゃない、 もう1つ要素が加わりました。 というのは、 消費 税の問題です。 これでなかなか増えないという感じになっています。 ということで、 今は50議 席の前半だと言われている。 そうするとどうなるかという話ですが、 過半数無いから法案が通 らないから、 民主党と国民新党だけではだめです。 では、 他のところはどこがいるか。 この前に日本記者クラブというところで各党の党首が集まって討論会を行ないました。 私は その時に大体、 代表質問をするんですが、 この前も各党にあなたは民主党と組むのかと聞きま したが、 みんな否定しました。 自民党には最後に聞こうとしたら 「私になぜ聞いてくれないの か」 と谷垣さんが言いましたけれども 「大連立はありえない」 と言いました。 大連立というの は第1党と第2党、 1番多いところと2番目に多いところが連立するということです。 それか ら、 有力だと言われていた、 みんなの党もだめと言いました。 選挙前にね、 戦っているんだか ― 49 ― ら終わったからハイ手を結ぼうというのは難しいんです。 こういうのはしかし、 実際にその状況になると分からないんですね。 大体、 言っていること とやっていることが相当違いがありますからね。 ただ当然ながら、 国民新党だけではなくて、 数が小さいから、 もうちょっと大きいところと一緒になったほうがいいということになります。 私が1番分からないのは公明党だと思います。 数として多いですから。 それからもう1つ理由 があります。 公明党は民主党と政策的に近いんですよ。 例えば、 子ども手当の問題にしても、 政策的にはむしろ1番近いと言っていいでしょう。 今はみんな戦っている同士だから言えない んですが、 あんまり細かいところがいっぱいあったら大変です。 これは細川内閣の時には8つ の政党が一緒になったんですよ。 大変でしたね、 朝ご飯を何にすればいいかと言っても、 鮭が 良いというのもいれば朝からカレーライスだという人もいます。 そうすると、 どうやってやる のかという話です。 みんな作るわけにはいきませんから。 だからこれは、 この前衆議院で民主 党は308議席取ってたんですよ。 社民党と国民新党を合わせても10議席ですよ。 それに自由に 振り回されていたから、 気分的には、 もう2度と嫌だという感じにもなるわけです。 ですから、 そうなるとこれはもう何があってもおかしくないという状況です。 そうしたなかで、 いったい これから何が問題になるかということですよ。 私は、 鳩山政権の行方を決めるもの、 それは何かというと、 3つあるとずっと言ってきた。 それは1つはまず、 鳩山問題です。 鳩山問題はどういう問題かというと、 これは2つあってお 金の問題とそれから政治のやり方の問題です。 鳩山さんのお金の問題は、 一応裁判上は決着が 付いた話です。 どういう問題だったかと言うと、 政治献金を、 5万円を超えるお金をいただい た時には必ず、 誰からいくらいただいたかということを届けなければいけない。 これが政治資 金規正法なんですね。 その5万円を超えるお金をいただいた人は107人いたが、 その内の94人 が嘘だったという話ですよ。 ある意味では恐るべき話ですよ。 しかし、 日本人は非常におおら かですね、 総理大臣を辞めろという声はほとんど無かった。 それはなぜなんだろう。 説明でき ることはただ1つしかない。 いまいましい、 お母さんに毎月1500万円ももらって、 1度で良い からそういう身分になってみたいものだと、 そうは思うけれども、 しかしなんだかんだ言ったっ て他から盗んできた金ではない。 それは、 鳩山家の金です。 お母さんの安子さんはブリヂスト ンというところの娘さんだから、 これの株の配当がおそらく1億円くらいあるでしょう。 そう いうことはいまいましいけれども、 しかし自分のところの金なんだからということで許してき たところはあったんでしょう。 しかし、 日本の最高指導者の足元でそういう問題があるという ことはね、 これは示しのつかない話です。 さあ、 それは一応一件落着したけれど、 しかし政治のやり方については、 これはさっきの普 天間の問題にしても、 本当は去年はある意味では100年に1度ぐらいの機会だった。 それはど ういうことかというと、 日米の4年前に合意した案は賛成できない。 しかしもうちょっと沖に 出してくれたら、 滑走路を沖に出してくれたら賛成するよ、 と言ったのが前の名護の市長です。 それから、 それで良いよ、 と言ったのが沖縄の知事です。 それでかまわないよ、 と言ったのが アメリカ政府です。 これはもう、 100年に1度あるか無いかです。 しかし、 あのときに社民党 は反対しました。 それは反対しますね、 あそこにまた基地を造るのかと。 それから鳩山さん自 身が1度は納得したと言うんだけれども、 よくよく考えてみると、 ずっと衆議院の去年の選挙 のときに海外、 県外と言ってきた。 自分は約束したじゃあないかと、 こういう話です。 そこで 先延ばしにしました。 先延ばしにすると、 当然ながら海外、 県外にやってくれるだろう、 とい ― 50 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 う期待が高まります。 しかし結局、 最後にどこに行ったかといえば辺野古に戻ってしまいまし た。 単なる戻っただけではない、 これはもう絶対に無理ですよ。 あのままじゃあ、 沖縄の知事 だってうんと言えない。 うんと言えなければ、 埋め立て許可の判子を押せませんから、 埋め立 てできないという話です。 私は新しい内閣が出来たときに読売新聞でいつも 「拝啓、 鳩山 由紀夫様」 この前は 「拝啓、 菅 直人様」 というように総理大臣あての手紙で、 何に気をつけなければいけないか、 どこに 問題があるか、 何をすべきなのかということをいつも書いているんです。 鳩山さんの時には 「宰相の言葉は重い」 です。 「総理、 普天間問題での日米の合意というのは大事ですね」 と聞か れる。 そうすると、 「日米の合意は大事ですよ」 と言う。 そうすると、 翌日、 「日米の合意案を 容認」、 認めたと見出しに出る。 そうすると、 「俺は認めた覚えは無い」 とくる。 そういう繰り 返しですよ。 去年の11月オバマ大統領が来て、 「普天間を迅速にやってほしい」 と言いました。 迅速にやる、 ということはどういうことか。 新たなところを探そうとすると迅速に出来ないわ けです。 そうでしょう、 1からやらなきゃいけないわけですから、 もう何十年も掛かってしま うわけです。 迅速にやる、 ということは今までの案を元にしてやる、 ということです。 だから みんな翌日、 日米合意案を元にして、 と書くわけです。 そうすると、 それを見て 「俺は認めた 覚えはない」 と来るわけです。 ところが、 オバマはすっかり安心して、 次の訪問国マレーシア のクアラルンプールに行ったわけです。 そうしたら、 「俺はそんなことを約束した覚えは無い」 とくるものだから、 頭にきてしまったわけです。 それで、 ずーっと首脳会談が出来なかったわ けです。 それでこの前、 核についてのサミットをワシントンでやった時に、 インドも中国もオ バマと首脳会談をやるんだけれども、 鳩山さんだけが出来なかった。 そこで頼み込んで、 晩ご 飯の時に隣に座らせてもらった。 そして、 オバマは 「10分間だけ、 みなさん食事をしてくれ」 と言って、 そこで話をした、 とこういうことですよ。 こういうのを秋田弁で 「ごさらし」 って いうんです。 それで、 菅 直人に代わってから日米関係について必死になってやろうとしているけれども、 首脳間で信頼関係が無い、 というのは非常に困ることなんです。 目に見えないことがいっぱい あるわけです。 例えばトヨタの問題は、 アクセル、 ブレーキだけの問題じゃあないわけです。 何でアメリカであんなに燃え上がったのか。 アメリカでは連日1面トップ、 連日テレビの1番 最初にやるわけです。 それの背景には何があったのか。 それは GM という大きい自動車会社 が潰れるわけです。 その時に、 自動車は、 アメリカそのものでしょう。 その時日本のトヨタが 業績を伸ばしている。 面白くないですね。 こういうものが背景にあるのです。 そうするとそれ は、 政治が前面に立つと逆効果になるけれど、 しかし裏からやっておかないと駄目なんですよ。 それをやった形跡はほとんどありませんからね。 といいますか、 できなかったということです よ。 実は、 今まで日米の首脳で非常に緊密な首脳が2組いました。 それは中曽根康弘総理大臣と レーガン大統領、 ロン・ヤス関係と言いました。 それと、 小泉総理大臣・ブッシュ大統領。 実 は2つは全然違っていて、 中曽根康弘総理大臣のロン・ヤス関係は、 これは中曽根康弘という 人が一生懸命努力して築いた関係です。 ブッシュ・小泉の関係は、 あまり努力しないでただ性 格が一致しているというだけであれだけの関係になったという違いがあります。 中曽根さんが11月27日に内閣を作るわけです。 そしてそれから半年後に、 アメリカのウィリ アムズバーグというところでサミットが行われました。 その時に、 実はレーガンとフランスの ― 51 ― ジスカールデスタン、 ドイツのコールが激しく対立しました。 アメリカでサミットをやりなが らなかなか話がまとまりませんでした。 なぜまとまらないか、 それは SS-20中距離ミサイルで すね。 あの時ソ連は、 みんなヨーロッパの国境、 それからウラルという山脈のところに中距離 ミサイルを配置して、 いつでも打てるようにしているわけです。 それをどうするかという話な んです。 レーガンはソ連は悪の帝国だと言って、 徹底的に叩き潰すと言っていました。 ところ が、 フランスとドイツは、 国境を接しているからそんな徹底的に戦うわけにはいかないわけで す。 すぐやられるのは自分たちですから。 ということで、 対立してしまったわけです。 それで 話がまとまらない。 その時に、 わずか半年の中曽根が間に入って話をまとめたわけです。 それ でレーガンは喜びましてね。 それで、 あの時の首脳の写真でこの前もテレビで放送していた両首脳の写真は、 極めて珍し い歴史的な写真なんです。 というのは、 レーガンの隣に中曽根が立っているのです。 こういう ことはありえないのです。 ちゃんと立つ順番というのは決まっているんです。 それはまず、 議 長国がその国で開催した場合に、 例えば日本で開催した場合には日本の総理大臣が真ん中にな るんです。 それから真ん中から順に元首が並ぶ。 今、 元首は誰かと言えばアメリカの大統領、 フランスの大統領、 ロシアの大統領です。 日本の首相は元首ではないんです、 天皇陛下が元首 です。 イギリスはエリザベス女王が元首です。 イタリアは大統領がいます。 ドイツも大統領が いますから首相は元首ではない。 そうすると元首がまず真ん中に来て、 長くやっている順で真 ん中に来るわけです。 そして、 総理大臣もまた長くやっている順に真ん中から順に立つわけで す。 日本はいつも1〜2年で、 しかも元首ではないのでいつも端の方です。 これはしょうがな いことなんです。 ところが、 あのとき何故わずか半年の中曽根が真ん中に立っていたか。 レー ガンは 「ヤス、 よくやってくれた」 と感謝しながら、 ずっと2人で歩いてくるわけです。 そし て、 歩いてきて写真を撮る時に真ん中から動かない人がよくいるでしょう、 あれと似ていると ころがあって、 中曽根さんは真ん中から動かなかった。 中曽根さんは 「俺は税金で来ているん だから、 絶対ここから離れまいと思った」 と後で言っていました。 それで、 写真を取っている 人も 「プライムミニスター中曽根、 こっちに行ってくれ」 と言うわけにはいかないでしょう。 それで珍しい写真になっているわけです。 一生懸命築き上げて、 日の出山荘という別荘にレー ガンが来たりもした、 そういう関係です。 ブッシュ・小泉は、 これは性格が一致しています。 どういう性格か。 この世の中には人種は 2つ、 自分の意見に賛成する人は良い人、 反対する奴は全部悪い奴です。 これを何と言うのか というと、 「白黒二元論」 「善悪二元論」 「敵味方二元論」 これは一致していましたね。 私は何度も批判しました。 今ここに24色のクレヨンがある。 白と黒の間にはピンクもあり、 肌色もあり、 黄緑、 緑もある。 それが人間でしょうと、 それが人間の社会でしょうと。 それが 白と黒しかないなんて、 とんでもない話です。 そう言ったんですけれども、 まあこの2人は気 が合っていましたね。 それで、 アメリカの政府の人に聞くと、 日本に要求することはいっぱい あるわけですよ。 上にあげるわけです、 ところがブッシュで全部駄目になりました。 なぜかと いうと、 「小泉が困るから」 だそうです。 これですから。 もっと言ってくれた方が良かったの かも知れないのですが。 しかし、 首脳の信頼関係というのはそれだけ大切なんですよ。 それが鳩山とオバマの間には ほとんど無かった。 無いどころかマイナスの関係でした。 これを今、 菅 直人が一生懸命何と か 「日米同盟は大事だ」 とか、 1番最初に電話したりして、 色々とやりました。 ― 52 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 それから、 脱小沢の話です。 これもまた2つあって、 政治と政治のやり方の問題なんです。 これはみんな意見が分かれるんですね。 小沢さんについて、 検察は2回に渡って起訴しない、 ということにしたんですね。 ただ、 不起訴ということは、 これは裁判に訴えて有罪にできるだ けの根拠が無い、 ということなんです。 疑いが無いかといえば、 疑いはあるんですね。 例えば、 なぜそんなに土地が必要だったのか。 沖縄の辺野古のところまで土地を持っているのはどうい うことか。 それから、 4億円で買ったといわれる土地、 ではその4億円はどこからのものなの か。 最初は銀行から借りて払ったかのようにしていた。 しかし、 実際には先に払っていた。 先 に払っていたお金というのは、 ではどこからのものなのか。 それは、 最初は政治献金だと言っ ていました。 次は親の遺産だと言っていました。 親の遺産だと言っても、 国会議員になるとき に 「親の遺産は全然無い」 と新聞で言っていました。 次に今度は、 湯島というところから深沢 というところに移るときに2億円が浮いたと、 そして家族の金をプラスしたと言っていました。 しかし、 それにしても払っているのにわざわざ借りて、 借りれば利息が年4百数十万円も付き ます、 それが秘書の一存でできることなのか。 それから、 4億円もっていたというけれども、 もっていなくて銀行に預ければ利息は取れただろうと。 いろんな疑問があります。 その疑問に 答えていないということがあります。 それは政治的には非常に大きいことですよ。 この問題に は、 依然としてこれからも説明してもらわなければいけないということです。 「ノブレス・オブリージ」 という言葉があります。 「高貴な」 という意味で 「ノーブル」 とい います。 「オブリージ」 というのは 「義務」 ということなんですね。 これは、 「身分の高い人に は、 重い義務がある」 ということなんですね。 私は最近、 「藤原書店」 というところから 範は歴史にあり という本を出しました。 私は ちょうど9年半前にガンになりまして、 胃を全部切る手術をしました。 5年後に生きている可 能性が5割から7割、 つまり死ぬ可能性が3割から5割と主治医の先生に言われました。 初め て死に直面していろいろ悩みました。 遺書も5通書きました。 家内と娘2人、 1番上の兄、 そ れから日本テレビの、 そのときは番組を2つやっておりましたので、 そのチーフプロデューサー という人にです。 それから、 家内には知らせていない預金通帳が一冊ありました、 あとで暗証 番号が分からなくておろせないと困ると思って、 遺書に暗証番号を書きました。 無事に生還し て、 ひょっとしたら開けられているんじゃないかなと思いましたが、 開けられた形跡はありま せんでした。 すぐ鍵を掛けてしまってあります。 そしてもうテレビは辞めようと思いました。 しかし10ヵ月後に ズームインSUPER という番組になるというので、 週1回ということ で、 出ることにしました。 その時から読売新聞の編集委員として、 編集委員というのは自分の名前を入れた記事を書く んですね。 それでコラムを書きまして、 以来、 それを纏めたものが 範は歴史にあり という 本です。 我々が模範にすべきは歴史のなかにあるのではないか、 それで実は今の政治は、 誰と 誰がどうしているかということよりも、 もっと少し長い意味で歴史の中でどういう具合に位置 づけられるのだろうか、 ということを念頭に入れてコラムを書いてきたつもりです。 その中で 一貫して私が言っているのはこの 「ノブレス・オブリージ」 なんです。 「身分の高い人には、 だれよりも重い義務がある」 ということです。 イギリスのパブリックスクール、 高校ですね。 この高校は選ばれたエリートの人だけが行くエリートの高校なんです。 その高校の中に、 イー トンという高校があります。 そのイートン校に行きますと、 「ノブレス・オブリージ」 とアル ファベットで書いてあってその下に無数の人の名前が刻まれています。 それはどういう人か、 ― 53 ― それはイートン校を卒業して、 戦争で亡くなった人たちの名前です。 なぜそれだけ多くの名前 が刻まれているか。 それはイートン校の卒業生は選ばれた人間である、 選ばれた人間は国家が もっとも困難な時、 それは戦争の時です、 その時には誰よりも早く戦争の最前線に行って戦う。 そう彼らは思っていたから、 誰よりも早く戦場に駆けつけた。 だから多く亡くなっている。 国 家の運命の前には自分たちの命は鴻の羽毛のように軽い、 鳥の羽よりも軽い。 そう彼らは思っ ていたから、 これだけ多くの人が亡くなっている。 これが 「ノブレス・オブリージ」 なんです。 今、 日本の政治の中にそれが感じられるのか。 私がこの本の中で一貫して求めてきたことは そういう事です。 それは総理大臣と、 そして、 今の政治の中でもっとも影響力があると思われ る小沢さんに、 誰よりも重い義務があるんですよ。 誰よりも説明をしなければ駄目なんですよ。 私はそう思います。 私はそれを果たしていないと思います。 こうやってみると民主党の政権の ことばかり言っているようですが、 自民党も果たしているかというと、 それはまた後でふれる かと思いますけれども、 こちらも問題があるんですね。 さあ、 そういう具合に、 小沢さんのお金の問題、 それから政治のやり方の問題、 脱小沢とい うのも政治のやり方の問題でもあるんです。 何をやったかというと、 「政策調査会」 というと ころを復活させるんですね。 これは、 小沢さんがやろうとしたのは、 政策、 物事を決めるとき は内閣に一元化しましょう。 それで党の人も内閣に行きましょうということです。 ところが、 内閣に行かない人だってずいぶんいるんですね。 そういう人は自分の考えを発表する場が無い、 自分の意見を言う場が無くなってしまう。 ということで不満が出た。 そこで 「政策調査会」 を 廃止しないで元に戻そうと、 そこでまた議論してもらおうとこういう事になったんですね。 あ あ、 これで前よりも民主的になったな、 と言われてまた評価されているところもあるんですよ。 ただ、 ここは非常に難しいところなんですよ。 小沢さんが代表になる前までは、 民主党はバラ バラな政党だとよく言われたんですよ。 いろいろ議論する、 みんな意見が違う。 なぜ違うか。 民主党には、 1番左は社会党の出身の人、 1番右は自民党より右の人がいるわけです。 そうす ると、 みんな議論すればするほどバラバラだ、 と書かれるわけです。 ところが小沢さんになっ てから、 バラバラだと書かれなくなった。 なぜ書かれなくなったか。 議論させないからです。 ここが問題です。 1枚岩であるかのようではあるんだけれども、 いざというときに、 しかも政 権をとったときに困るんですね。 この前も沖縄のことで閣僚がみんなバラバラのことを言っている。 それから、 例えば北朝鮮 に対してどう対応するか。 日頃議論していないとだめなんですね。 それで、 マスコミはよく議 論しろ議論しろと馬鹿の1つ覚えに言うんだけど、 議論することの大切さというのがあるんで す。 というのは、 議論すればどこまでみんないっしょかなという、 これを共通認識といいます ね。 ああ、 ここまではいいね、 ここから先は違うね、 という話になるわけですよ。 ところが、 共通認識が無いと最初からやらなきゃいけないわけです。 そうすると、 日頃からどれだけ議論 しているかという、 こういう政治のやり方の問題が1つある。 それから、 もう1つは、 ここはこの前の日本記者クラブでも質問しましたけれども、 菅 直 人という人は、 東工大で永井陽之助という人の弟子というか、 永井陽之助さんに習った。 永井 陽之助という人 「政治においてもっとも危険なものは何なのか。 それは全能の幻想とユートピ ア思想だ」 ということをよく言っていました。 「全能の幻想」 とは 「全能」 とは何でもできる と思うこと、 それと 「ユートピア」、 全てばら色であるかのように思って人にそれを押し付け ることなんですね。 これも、 家庭生活を考えたら良く分かるでしょう。 亭主が 「全能の幻想」 ― 54 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 を持つことはありえませんね。 「全能」 じゃなく 「全敗の現実」 みたいなものです。 「ユートピ ア」 この人と結婚したら大変幸せになって、 いつまでもばら色の人生を送ると思ってしまうこ とですが、 あまりそういうことを言っちゃ駄目ですが、 すぐ厳しい現実にさらされる、 という 話です。 そういう1つ1つの困難を克服しながら、 やがて最後にこれはお互いを看取る時に、 ああ、 幸せな人生だったんだなと思うのが理想の人生であって、 全能の幻想とユートピア思想 は、 人に迷惑をかけることである、 と永井陽之助という人は言っています。 これは民主党の場 合でも、 どうしても政権交代で新しい、 いろんな事をやろうと思っている。 ただ、 なかなか現 実にはそうはいかない。 だから、 冷めた認識が必要です。 イギリスの首相をやったチャーチルが 「民主主義というのは、 これまで歴史上存在したあら ゆる政治形態を除けば、 最悪の政治形態である」 皮肉屋ですから、 除かなければ最悪ではない、 と言っているわけです。 だから、 今は民主主義と言えば誰もが 「そうだ」 と言うんだけれども、 では民主主義とは何だと言われればなかなかわからないし、 限界があるということです。 政治 の世界ではむしろそういう具合に、 醒めているぐらいの気持ちの方がいいんだよ、 こう言って いるんですけれど、 これもあまり何でもできると思うと、 これは例えばマニフェストの問題で すね。 これはその後でお話するんだけれども、 自分たちが約束したことは全部やる、 それはそ れで約束したことはやらなければいけないんですが、 しかしそれが全部できると幻想を抱いて もだめだ、 という話です。 小沢さんの政治のやり方の問題は、 一元化する、 1本にみんなここにまとめれば何かができ るという、 幻想があると思います。 1番そうなのは、 「陳情の一元化」 です。 陳情は全部民主 党の幹事長室に持って来い、 そこで認めるかどうかを決めるという話です。 しかし、 そんなこ とができるわけがありません、 何万件という陳情を、 例えば秋田市の穂積市長が、 佐竹知事が 国に対して陳情がある、 そういうのがみんなあっちこっちから来たら溢れかえりますよ、 これ は。 全国の川の水を1本のところに集めるようなものだ。 それはできません。 できなければど うするか。 各都道府県でこれを受け付けるという話になるわけです。 そこから、 国に上げるも の、 そうじゃないものを分ける。 そうすると秋田みたいな辺ぴなところは認められませんよ、 上がらなくなってしまいますから、 という1つの問題があります。 これはそうではなく、 意見 がいろいろなルートを通してくるというのが、 私は民主主義だと思う。 それを1本にすればい いというものじゃないと、 私はそう思います。 それについてもいろいろな意見があるでしょう が、 民主主義とは非常に難しいもので、 いろんな人の意見を聞きながら、 なかなかスパッと割 り切れないところに民主主義の大事なところもあると思いますね。 さあ、 そういう政治のやり方をがらっと変える、 というのが菅さんというわけです。 けれど、 がらっと変えてちゃんとできるのかという問題があるんですね。 これもよく見なければいけな いです。 それから、 もう1つ大きい3つ目の問題はマニフェストの問題です。 マニフェストと は 「政権公約」 という、 自分たちが政権を取ったらこうやりますよと言う約束です。 昔もこれ は選挙で公約はしました。 しかし、 昔の公約はこうやくでも、 サロンパスでした。 この駄ジャ レを、 今日は分かる人が多くて助かるんですよ。 これは、 膏薬、 サロンパスとは分からない人 が多いんです。 昔の膏薬はすぐ剥がされてしまうんです。 ところが、 それであってはいけない、 この約束したことを実現するにはどういう手順でやるか、 それにどのぐらいお金がかかるか、 ということをきちんと耳をそろえて持ってこい、 というのが政権公約です。 それで、 みんなす るわけです。 この場合大事なことは何なのかと言うと、 1つはまず約束したことは守らなけれ ― 55 ― ばいけない。 しかし、 守るにあたっては、 よほど慎重じゃないといけないということです。 と 言うのは、 みんなこの世に存在するのには意味があるんですよ。 よく無駄だ、 無駄だと言いま すけれども、 100%無駄だなんてことはあり得ないのであって、 比較するとどうなのか、 とい う問題です。 私は、 前原誠司という国土交通大臣に言ったことがありました。 彼は就任してすぐ 「八ッ場 ダムの建設を中止する」 と言いました。 どこで言ったか、 廊下で立って言ったんです。 それで私は、 あなたのやり方は間違っている、 と言いました。 廊下で立って言う話かと、 最 初にやるべき事は何なのか。 それは60年近くにわたって、 この八ッ場ダムで苦労した人、 翻弄 された人、 なぜなら村がすっぽり中に入ってしまうんですから、 ダムの下になってしまうわけ ですから、 そうすると親子でも親父は賛成する、 息子は反対すると、 対立するわけです。 そし て60年近く掛かってようやく7割方できるところまで来たんです。 まず最初にやるべきことは その人たちの意見を聞くこと、 声を聞くこと、 そうしなければいけないです。 それに対して彼 が何と言ったかというと 「そうおっしゃいますけれども、 最初にばちんとやらないと変わらな いです」 と。 それは、 一理ある、 一理あるけれども、 それでは人の心は打たない。 しばらく、 地元の人との話し合いが出来なかった。 ようやく数ヶ月経った後にやった。 その時彼は、 その 態度を心から謝った。 若いからそれがまだできた。 まだ48歳ですから。 そしてようやく話し合 いができることになった。 私はそうだと思います。 それは、 自分のやることが正しいと思って いても、 よく気をつけながらやらないといけません。 マックス・ウェーバーというドイツの学 者が言っています 「政治というのは情熱と判断力を駆使しながら、 心の中にある燃えるような 情熱とそれから冷静な判断力を縦横に使いながら、 硬い板にじわじわと穴をくり貫くような作 業である」 と。 慎重に、 辛抱強く、 我慢強くやらなければいけないよ、 と言っています。 私は まさにそうだと思います。 事業仕分け、 非常に評判がいいですね、 ここ10年で、 これほど評判がいいものはありません でしたね。 そのおかげで大臣になった人もいます。 けれども、 私はいくつもの疑問を持ってい る。 最大の疑問は 「何が無駄か」 ということです。 はやぶさは予算がズタズタに削られたんで すよ。 次のはやぶさを2014年に打ち上げられなければ、 1番地球に近いところにやるわけだか ら、 そうするとそれを逃してしまうとさらに10年後になってしまう。 それで、 17億円という予 算を要求した。 事業仕分けで3000万円になりました。 これはほとんど出来ないということです よ。 ところが、 はやぶさがカプセルを持って帰ってきたから、 急に態度を変えて、 新総理大臣 も 「これでまた予算を復活させる」 なんて言っています。 しかし考えてみれば、 あれに何の意 味があるのかなと思う人もいるわけです。 ただ、 恐るべきことですよ、 地球からはるか3億キ ロも離れた所で、 7週間も音信不通になったところをたぐり寄せてやるわけです。 エンジンが 3つ壊れるわけです。 3つが動かなくなってしまい、 人間で言えば心肺停止でしょう、 それを いいところだけを持ってきて、 つないで息を吹き返させるわけですよ。 恐るべきことじゃない ですか。 では、 それに何の意味があるのか、 暮らしが楽になるかと言われれば、 そういうこと は1つも無いです。 ですけど、 そういうものじゃないですか。 私が1番頭に来ているのは、 例えば、 スーパーコンピューターの話があったけれど、 それ以 外にもいろいろあったんです。 「金を出したらノーベル賞が取れるか」 というのがありました ね。 お金をくれたらノーベル賞が取れる、 という人はこの世の中に存在しませんよ。 湯川秀樹 さんは、 日本で最初にノーベル賞をもらった人です。 この人は、 中間子という、 中間の子ども ― 56 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 と書いて中間子というものを発見するんですよ。 実験ではないんですよ、 頭の中で考える、 そ ういう人がいるんですね。 どんどんと、 ずっと自分の頭の中で考えていくわけです。 それに入っ てしまったら、 奥さんのスミさんは邪魔が出来ない。 子どもも泣かしては駄目なんですね、 思 考が途絶えてしまうから。 それで、 外に連れて行ったりするんですね。 そういうことをして、 ずっと考えに入っていって中間子を発見するんです。 それが実験によって証明されるのはずっ と後なんです。 十何年も後なんです。 そういうものなんです。 そしてそれにノーベル賞が授与 されるわけです。 選手の強化費、 選手を強化する費用です。 これを増やしたら金メダルを取れるか、 という話 がありました。 しかし、 キム・ヨナだって言えませんよ。 一生懸命努力し努力し、 みんなで協 力し合いながら、 その最後のところに金メダルが見えてくるんです。 私はそうだと思います。 そういうことを言うのは傲慢だと思います。 私は三種町というところの出身なんです。 琴丘町に生まれまして、 そこと山本町と八竜町の 3つが一緒になりました。 それで、 ここで去年、 1つの大きな問題がありました。 と言います のは、 私の所は人口2万人、 全部で6900戸、 空き家が300戸、 それから共同アンテナを立てな いとテレビを見られない、 という家が600戸もあります、 17の共同組合を作っているというん です。 それで、 今度地上デジタル放送になりますが、 私も良く分からないんですけれども、 聞くと ころによると今の地上波というのは障害物があってもちょっと避けたりするらしいんですね。 ところが地上デジタル放送になると、 障害物があると駄目なんだそうです。 地上デジタル放送 とは、 要するにしわまでちゃんと映る、 というやつなんでしょう、 簡単に言えば。 だから、 ちょっ と障害物があると駄目なんで、 アンテナを取替えなきゃいけない。 ところが、 取り替えるには お金がかかるわけです。 そこに住んでいるのはお年寄りばかりで、 1人暮らしが多いといいま す。 そうするとテレビも買い換えなきゃいけないでしょう。 お金が無いから新しいアンテナな んて立てられないです。 それで、 どうするかという話になりました。 いや、 アンテナじゃなくて、 秋田市までケーブルテレビというのが来ているんじゃないか、 あれを引いたらどうかと言う話になったんですね。 そうするとまだ安くできる、 ということら しいです。 それで、 ようやく去年の夏に何回も説明会を開いてもらい、 それでいこうという話 になりました。 それでケーブルを引いて地上デジタル放送をみるための補助金をもらう、 とい うことになったわけです。 そして申請して認められるということになりました。 ところが、 政 権交代で、 8月30日に衆議院総選挙があって、 10月21日に県を通じて総務省から、 あれは駄目 になった、 無くなった、 と言ってきたというのです。 なぜかというと子供手当て、 農家の所得 保障、 それから高速道路の無料化には3兆円が必要です。 3兆円をみんなそれぞれの役所から 出せ、 ということになった。 総務省は、 もう秋田のどこの馬の骨かも分からないようなところ はどうでもいいわけで、 すぱっと削られてしまいます。 困りましたね、 テレビが見られなくな るわけです。 私のところのお年寄りは1人暮らしが多く、 朝のあいさつをする人がいない。 どうやって朝 のあいさつをするか。 朝の6時30分に ズームインSUPER を見れば、 私が羽鳥アナウン サーや西尾アナウンサーと一緒に 「おはようございます」 と言います。 そこで、 私の方を見て 「おはようございます」 と言って朝が始まる、 というのです。 テレビが映らないと、 それが出 来なくなるわけです。 これは大変なことです。 ― 57 ― 私が事業仕分けで1番頭にきたのは、 説明にいく役所の人です。 みんな局長クラス、 上の人 間は数字を頭で分かっているが、 心が無い。 私は何人もの人に言いました、 何で席を蹴って帰っ てこなかったと。 私だったら席を蹴って帰ってきます。 あなたね、 削る削ると簡単におっしゃ るけれど、 しかしそのことによって希望を失う人がいるということ、 希望を失うお年寄りがい るということを、 あなたは分かっていて言っているのか。 最初から削られることは分かってい るんだから、 私だったらそう言いますね、 そして席を蹴って帰ってきます。 これが見ていて1 番嘆かわしいです。 しかも役所なんて人の金でやっているわけでしょう、 だったら心を入れ替 えろと言いたいね。 そういうことで、 事業仕分けだってけっこう問題があるんですよ。 無駄だ、 無駄だ、 といいますが。 例えば、 本四架橋という本州と四国に橋を3つ作りました。 「3大バ カ予算」 の1つ、 無駄の最たるものだと言われましたね。 真ん中に1本でいいのに、 みんな自 分の選挙区のところに橋を作りたいから、 3つ造ってしまったわけです。 ところが、 技術屋に 言わせると全然そうじゃない。 というのはあそこは鳴門のうず潮のところにも造らなければい けないわけです。 うず潮のところに橋を架けるというのは大変らしいです。 そうすると、 あの おかげで日本の土木技術は飛躍的に発展したというのです。 それと、 東京ミッドタウンという ところの、 昔の防衛庁の跡地のミッドタウンというところに、 三宅一生の美術館があるんです。 あれは安藤忠雄が設計をしたんですけれど、 安藤忠雄に言わせると、 鉄板1枚で屋根を作るの は、 日本でしか作れないそうです。 これはなぜできるかというと、 日本は工程の管理がしっか りしているからです。 新幹線も1分も遅れないでしょう。 メキシコなんかではそうはいかない です。 時間管理がきちんとしていないといけないです。 竹中工務店というところがやったらし いですが。 「それは出来ません、 先生」 と言うので、 でも 「やってみろ」 と安藤さんが言い、 それでできたんですね。 あそこに世界一長いというガラス1枚で出来た喫茶店もあります。 そ れをやったから何だという話でもあるんですが、 挑戦していくということが大事なんです。 そうすると、 世の中に絶対的な無駄はあるのか。 私は、 無いと思います。 私がもっとも恐れ るのは、 無駄は国だけじゃない、 我が家にも無駄があると家族会議を開くことです。 そうする と、 1番の無駄は親父の存在じゃないか、 酔った姿しか見たことが無い。 こういうことになり かねないです。 けれども、 存在しているものには意味があるんです。 そういうことで、 ここは 約束したことは守らなければならない、 やらなければいけないです。 しかし、 やるにあたって は慎重にやるということが、 やはり大事だ、 ということです。 それから、 約束をしても出来な いと分かったときには潔く早くあきらめること、 謝ることです。 普天間の海外、 県外もそうで す。 これは何で言ったかと言えば、 これは沖縄の人が求めている、 ということはあります。 し かし、 それ以上に、 野党だから言ったんです。 野党だから、 別に自分たちがやる必要は無かっ たから、 政府に反対するのが野党なんだから、 それがまさかこんなに早く政権を取るとは思っ ていなかった、 自分たちがやらないといけない、 というわけではなかったですから。 しかし、 そのときにはやっぱり違っていたなと、 野党だから全部分かっているわけでもないです。 それ から色んな事を知るにつれてやはり難しいことがわかる、 ですから、 民主党がマニフェストを 見直すのは、 私は当然だと思う。 そしてそのときには、 やはりよく説明すること。 そして、 頭 を丸めるところは頭を丸めなければいけません。 子ども手当てを今度、 2万6千円を丸々やら ない、 1万3千円だけにしますと言っていますが、 子供手当てを2万6千円満額を出せば、 5 兆4千億円ですよ。 5兆4千億円と言っても分からないけれども、 日本の防衛、 日本を守るた めに使っている全部のお金は、 全部で4兆8千億円です。 日本の国を守るために使っているお ― 58 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 金よりも子ども手当ての方が多いわけです。 これはどう考えたって変です。 それは別に今に分 かった話じゃない。 前からです。 日本のいいことわざがあります。 「過ちをあらたむるにはば かるなかれ」 これはね、 私も家で家内に 「あなたはマニフェスト違反だ」 と言われたことがあ ります。 それは31年前に結婚するときに酒を1滴も飲まないと言ったらしいんですね。 今は毎 日飲んでいる。 おかしいじゃないかとこういうんですね。 私はこれに対して、 こう説明してい るんですね。 「人間と言うのは1日として同じではない。 日々進化、 進歩している。 あの時は確かにそう いったかもしれない。 しかし、 その後仕事をしている、 付き合いもある、 そうするとお酒を飲 むこともある。 飲めば案外おいしい。 それだけじゃない、 私はふるさと秋田を愛することにお いて、 誰にも負けないと思っている。 そのふるさと秋田には、 いろんな酒がある。 固有名詞を 言っては何ですけれども 高清水 とか 爛漫 とか 新政 とか、 いっぱいある。 しかし残 念なことに、 新潟は自分の県で作っている酒を他の県の人間に飲ませている。 だから商売が成 り立つ。 ところが、 秋田は自分たちで作って、 自分たちで飲んでいる割合が多い、 らしいんで すね、 どうも。 それで商売が成り立つか。 私は、 東京にいてふるさとに何も貢献できない、 た だ1つ貢献できることは秋田の酒を一生懸命飲むこと、 少しでも売り上げを伸ばそうとするこ と、 そのどこが悪いか」 全然説得力が無いですかね。 こういう風に、 マニフェストとは柔軟に考えなければいけない。 それは、 そもそもどういう 立場で言ったのか、 そしてその後何が分かったのか、 それから状況に変化があったのか、 いろ んなことを加味しながらその時十分に説明をしなければいけないということなんですね。 さあ、 そうやってみると、 これから民主党がやるべき事を私が今、 鳩山内閣の問題点になったことを そのまんま引き継ぐということでした。 さあ、 そうしたなかで、 何が大切か、 ということなんですね。 それで、 まず経済全体を良く しないといけませんね。 どこも、 みんな大変です。 民主党の政策というのは、 個人にお金をあ げることによって良くしよう。 例えば、 子ども手当であれば、 子どもを多く生むだろう、 農家 に所得保障をやれば、 農家が一息つくだろう。 それを、 全く否定し去ることはできないです。 しかし、 それだけでいいんだろうか。 経済全体をどうすべきか、 今ようやく成長戦略というも のをやろうとしていますね。 ここはやっぱりきちんとやらないといけない。 もう1つは、 やっ ぱり地方をどうするかですよ。 どこもみんな大変です。 それは、 公共事業はよろしくないとい うが、 みんなそれでやってきたわけですから。 それで、 自分たちで考えろと。 一体、 それぞれ の政党に地方全体をどうするかということの大きなもの、 グランドデザインがあるのか、 私に は全く見えませんね。 なぜ見えないか、 それは本当に大変だとは思っていないからですよ。 私 から言わせてもらえば、 考えていないからですよ。 それが今こそ必要だ、 ということですよ。 それから、 そうするにあたって何が大切なんだろうか。 それは、 私は、 ずっと日本の政治に 欠けているものは心だ、 と言ってきています。 1人1人がどんな思いで暮らしているのか、 と 本当に考えながら政治をやっているんだろうか、 私は非常に疑問があります。 わたしはいつも その時に自分のおふくろの話をすることにしています。 私は、 五郎です、 男で5番目、 姉が1人おりまして、 10歳離れた兄との間に6人兄弟です。 私が大学に入ったのは昭和41年です。 その翌年、 昭和42年3月に親父が57歳で亡くなりました。 小学校の校長の現役で亡くなりました。 でも、 昔の学校の先生の給料はすごく安かったです。 私は給料袋を見て驚きましたよ。 私は読売新聞に入って、 手当も入れてですが、 2年目で親父 ― 59 ― の給料を超えましたよ。 それだけ安かったんです。 実は、 親父が亡くなったのは昭和42年、 そ れから5年後の昭和47年に田中角栄さんが総理大臣になったんです。 田中角栄さんは 「人材確 保法案」 という法案を出しました。 これは先生の給料を上げる法案なんです。 その時、 田中角 栄さんがこう言ったんですね 「先生に金の心配をさせちゃ駄目だ」 これは涙が出るほど嬉しい 言葉です。 しかし、 それはずっと後の話です。 おやじは昭和42年3月に亡くなりました。 以来、 おふくろはずっと1人暮らしです。 私たち兄弟6人を国立大に2人、 私立大学に4人、 東京と 京都に入れてくれました。 一体どうやってやりくりしたのか, 全く分かりませんね。 おふくろは学校の先生でした。 結婚してからしばらくして辞めました。 それでも子どもを大 学にやらなければいけない、 学校にやらなければいけない、 ということでいろんな職業をやり ました。 近所の女の子たちに裁縫も教えてきました。 家でかいこを飼っている時もありました。 おそらく、 まゆの値段が高かったんでしょうね。 それから、 畑で採れた野菜を五城目の朝市に 売りに行きましたが、 全然、 恥ずかしいから全く売れない、 隣のおばさんがみんな売ってくれ た、 という話をしてくれました。 1番長く勤めたのが生命保険の外交員でした。 生命保険の外 交員をやっていますと、 夕方勤めから帰ってきた人をその家で待って勧誘するんです。 そうす ると、 朝ごはんを作り、 昼ごはんをおばあさんのために作り、 そして晩ごはんの支度までしな がら出かけていく。 そして、 慌てて帰ってきて、 ごはんを食べて、 お茶碗を洗って、 そしてま た夜に出かけていく。 夜出かけると言っても、 交通機関なんて全くありません。 歩いて隣の町 まで行くんです。 私たちも夜遅く村のはずれで、 おふくろの帰ってくるのを今か今かと待つこ ともありました。 私はおふくろが布団で寝ている姿を見たことがありません。 私たちの誰より も遅く寝て、 誰よりも早く起きていました。 夜中にミシンの音で目が覚めることもありました。 毎朝7つの弁当を作っていました。 それがよく8つになったり、 9つになったりしました。 7 つというのは、 6人の子どもと父親です。 8つ、 9つというのは、 私のところの奥羽本線の最 終の汽車が9時30分なんです。 そうすると、 必ずその列車に乗り過ごした学生がいるんです。 そうすると、 うちの兄弟が家に連れてきちゃうんです。 晩ごはんを食べさせて、 翌日朝ごはん を食べさせて弁当を持たせてやる。 そうすると、 弁当が8つになったり、 9つになったりして いました。 お弁当を作るときでも、 親父は5時30分に家を出るんです。 6時が最初の列車で、 それに乗らないと学校に間に合わない、 それで5時30分に7つの弁当が出来ているんです。 今 のように電気釜なんてありません。 最初から釜に火をおこして炊くんです。 いったい何時に起 きていたんだろう、 私には分かりません。 姉が言うんですけれども、 入学式の時のワンピースが無い。 どうしたかというと、 自分が嫁 に来たときの着物の上に着るコートをほどいて、 畳に敷いて、 そして姉を大の字にさせて 「そ のままでじっとしていろ」 と寸法も測らないでじょきじょき鋏で切って、 そして朝までかかっ て縫い上げた。 「今やれと言ってもできやしない。 もうあの時は勢いだった」 そう言っていた そうです。 親父の給料日には私たちはいつも足を洗って、 仏様の前に正座をさせられました。 親父の給料袋を仏様に上げるんです。 みんな一斉にありがとうございました、 と仏様に言わさ れました。 なんで親父に言わないのか、 仏さんに言うのか、 そう思いました。 でもきっと先祖 に報告するということなんだろうなと思って納得しました。 その時おふくろは自分の給料袋も 一緒に仏様にあげていました。 ある日を境に、 おふくろの給料の方が多くなっていきます。 保 険の勧誘する金額が増えると、 給料が増えるんです。 そしておふくろは、 あとでそれも見せて くれるんですけれども、 仏様にあげる前にそっと私たちにも分からないようにお札を引いて、 ― 60 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 いつも親父の金額よりも少ない額にしていました。 この家の中で1番えらいのは父さんなんだ、 だから給料だって母さんよりも多いんだよ、 そう教えようとしたんだろうなと今になってそう 思います。 そのおふくろが、 亡くなって10月で16年になります。 脳梗塞で倒れたと聞いて駆けつけまし た。 私の町のすぐ隣の八郎潟町の湖東病院というところに運ばれていきました。 意識不明の状 態でした。 呼べども呼べども答えることはできません。 そのとき、 私たち兄弟で大変な議論に なりました。 私たちの子ども、 孫をおばあさんに会わせるかどうかで議論になりました。 姉と 3人の兄は会わせるべきはないという意見でした。 「母さんはいつも言っていた。 自分の最後 の醜い姿は、 たとえ孫であっても見せてはならない。 きれいなままで死んでいったと言う思い 出だけを残したい そういっていたんだから会わせるべきじゃない」 という意見でした。 私は 反対しました、 会わせるべきだ。 母さんはそう言ったかもしれない。 しかし、 人が死んでいく というのは、 どういう具合に死んでいくのか、 ありのままの姿を見せればいい。 会いに来る人 はみんな、 最後のお別れにくるんだからみんなに会ってもらえばいい。 決めるのは1番上の兄 です。 1番上の兄はしばらく考えて 「よし、 みんなに会ってもらおう」 と、 みんなに会っても らいました。 私は今でもそれは正しかったと思っています。 その会いに来た人のなかに町の救急隊の人がいました。 その人は病室に来るなり、 私たちに 謝るんです 「誠に申し訳ありませんでした。 お母さんには、 何度も何度もお願いされていたこ とがあったんです。 それがその通りに出来なかったんです」 そう謝るんです。 一体おふくろは 何を頼んでいたんですかと聞きました。 こう頼んでいたそうです。 「自分はきっと1人で倒れ ているところを発見されると思う。 そして救急車のお世話になると思う。 そのときどうかお願 いだから、 あなたは救急隊にいるんだから近くの病院に運ばないように手配してほしい。 秋田 市の病院に運んでほしい」 秋田市までまだ高速道路ができていなかった。 車で1時間かかる、 2、 3時間に1本しか電車は無いんです。 バスも通っていないんです。 「自分が近くの病院に 運ばれちゃうと、 1番上の兄が県庁に勤めているから、 その兄が県庁を休んだり、 早引きした りしないといけない。 それはどんなことがあっても避けたい。 だから県庁のすぐそばの病院に 運んでほしい」 そうお願いされていたと言うんです。 「でも、 発見した時は倒れてから相当時 間が経っていたと思われるので、 近くの病院で応急措置をせざるを得なくなったんです、 誠に 申し訳ありません」 そう謝るんです。 私たち兄弟はむしろ 「最後まで手を尽くしていただいて、 ありがとうございました」 とお礼を言いました。 おふくろの倒れていた部屋を見ますと、 ふすまはいたるところが破けていました。 私は助け を呼ぼうとした爪あとだと思います。 そのふすまを開けると、 そこには洗面用具一式、 洗面器 に入れて風呂敷で包んでおいてありました。 いつ入院しても良いように、 毎日準備をしていた んでしょう。 私たちがお盆と正月に帰るといつも言っていました。 平日には絶対に死ねない、 土日じゃなきゃ死ねない、 そう言っていました。 なぜそんな不吉なことを言うのと聞くと、 「平日に死んじゃうと、 初七日、 三十五日、 四十九日と必ずその曜日が回ってくるぞ、 東京か ら来ると会社を休む日数が多くなるぞ。 だからどんなことがあっても平日には死ねない」 そう 言っていました。 もういいよ、 いいよと言うと、 「自分が心から信じて神様にお祈りしている と、 神様は必ず聞いてくれるよ」 そう言っていました。 おふくろが倒れているところを発見さ れたのは火曜日の夕方です、 実際になくなったのは日曜の夕方の4時過ぎでした。 私はよくやっ たと思いました。 亡くなって病院から家につれてきて、 一緒に布団に入りながら 「母さん、 よ ― 61 ― くやったね。 最後の最後までちゃんと自分の言うことを実行したじゃない」 そう言いました。 遺書が残されていました。 「母、 万一の日のために子どもたちへ。 いついかなるときに死の うとも、 私には悔いも無ければ未練も全く無い。 みんなに大事にされ、 幸せすぎてもったいな いような一生だった」 そう書いてありました。 私たちには悔いが残っています。 そばにいれば、 死ぬことは無かった。 今でも悔いが残っています。 でもおふくろは、 最後の最後まで子どもた ちに悔いを残すようなことはすまい、 そう思っていたんでしょう。 私はその一念を神様はちゃ んと聞いてくれて、 日曜日に死なせてくれた。 そう思っているんです。 私は何度秋田に帰って 一緒に住もうと思ったかわからない。 それはできない、 わが町には勤め口が無い、 家族を養え ない。 私は今でも、 東京に出稼ぎに行っていると思っています。 いつか帰りたいと思っていま す。 全国いたるところに1人暮らしのお年寄りがいると思う。 何も子どもと仲たがいしているわ けじゃないんです。 子どもたちの幸せを願い、 立身出世を願いながら、 1人暮らしにじっと耐 えているんです。 私は、 それに勝る痛みがあるんだろうか、 そしてそれと同時に、 そういう人 たちに対する思いやりのある政治がこれまで行われてきたんだろうか、 私は断じて行われてい ないと思う。 おふくろが亡くなって1年後に、 みなさんに香典返しをしました。 おふくろの追悼録を作り ました。 お袋が生前書いたもの、 みなさんからいただいた手紙、 孫にあてた手紙。 孫にあてた 手紙といっても、 宅急便でものを送るときに便箋がもったいないといって新聞の折り込み広告 の裏の白いところに書いた手紙です。 そういうもので1冊の本を作りました。 かわらなでし こ という1番好きだった花の名前をつけました。 その本を作っているときに、 おふくろの書 いた原稿の写しが出てきました。 それは、 秋田県で最も福祉の施設が整っていると言われてい る市で、 1人暮らしの年寄りが亡くなってから何日もたってから発見されて、 それをニュース で聞いて、 怒りをこめて 秋田魁新報 に投書した原稿の写しです。 福祉とは何か、 建物を作るのが福祉なのか。 そうじゃないでしょう。 1人暮らしの年寄 りに一声かけようとするその気持ち、 それが福祉じゃないのか。 雪が降る、 雪がしんしんと積もっていく。 夜が更けると1人暮らしの年寄りは何を思う か。 もう寂しくなって死にたいと思う、 雪の中に入れば楽に死ねるなと思う。 自分も何度 そう思ったか分からない。 1度足を踏み出して外へ出ようとした。 そうしたら電話がかかっ てきた。 1人暮らしの年寄りから 「もう死にたい」 という電話がかかってきた。 その時はっ と思った 「何を馬鹿なことを言ってる、 死んで何になる」 そう叱りながら、 自分も死の誘 惑から免れることが出来た。 吹雪の夜、 誰から電話がかかってくるか、 駐在所のおまわりさんから 「吹雪いているけ ど、 元気にしてる」 その電話がどんなにうれしいか分からない。 郵便屋さんの 「息子さん から、 現金封筒が来たよ」 その声にどんなに勇気付けられるか分からない。 福祉は建物じゃない、 福祉は心だ。 私は、 実感をもってそう思います。 その心が足りないと思います。 なぜ足りないか。 それは 総理大臣を見たらよく分かるんですよ。 小泉純一郎、 安倍晋三、 福田康夫、 鳩山由紀夫、 みん な共通していることがあるんです。 それは、 地方に選挙区は持っています。 しかし、 この人た ― 62 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 ちは、 みんな東京のど真ん中で生まれて、 東京のど真ん中で育っているんですよ。 だから、 田 舎で1人で暮らしている年寄りの孤独の深さがどれほど深いものであるか分からないんですよ。 私は、 歴代総理大臣に言っている、 回らなきゃ駄目ですよ、 と。 安倍晋三はやりました。 やっ たけれども、 これは正月に話をしたら、 2月から始めた、 最初やったところは花火で有名な大 曲です。 おお、 やったな、 と思った。 聞いて驚きましたね、 15分ずつ4箇所を駆け足で回って いるんです。 これは 「日程をこなす」 というやつです。 一体あなたは何をやっているんですか、 と。 私だったら腰を曲げて1人で田んぼを守っているおばあさんの愚痴を2時間聞きますけれ ども、 それでも分からないんですよ。 ここなんですね、 分からないんですね。 私の小学校、 鯉川小学校というところなんですけれども、 19人しかいなくて去年の3月31日 で125年の歴史の幕を閉じました。 閉校式に行きました、 そうしましたら歴代の校長先生がみ んな来ていました。 そして、 口々に 「お母さんには毎日のようにお花をいただいていた」 と言 われました。 私はいたたまれない気持ちになりました。 庭で花が咲く、 畑で花が咲く。 しかし、 それをあげる子どもは近くにはいない。 せめてもということで、 小学校に届け、 保育所に届け、 施設に届けていたんでしょう。 一体どんな気持ちだったんだろう。 そう思いました。 思い出し ます、 お盆と正月しか帰れない。 今か今かと待っている。 そうすると、 玄関に持って行かせる ものをもう置いてあるんですね。 米です、 味噌です、 どういうわけかじゃがいもも置いてある んですね、 持って行かせようと思ってです。 そして、 必ず聞くんです 「いつまで休みだ」。 そ して必ず 「1日前に帰れ」 と言うんです。 1日前に帰ってゆっくり体を休めて会社に行けと言 うんです。 ぎりぎりまでいてほしい気持ちはあるでしょう、 自分を殺して言っていたんでしょ う。 子供が帰ってくるのはわずか数日です。 後は1人暮らしです。 その人たちを悲しませるよ うな政治は良くないです。 私はそう思います。 私は、 範は歴史にあり という本のあとがきに、 自分のおふくろに言われたことを書きま した。 社会人になるときに3つのことを言われました。 1つ目は 「何事にも手を抜いてはなら ない、 常に全力であたれ」 そう言われました。 今こうしてみなさんにお話している時もおふく ろの声が聞こえてくるようです。 「お前は今ここで全力で話しているのか」 と聞こえてくるよ うです。 2つ目は 「傲慢になってはいけない」 仕事に慣れてくると生意気になる。 常に謙虚で あれと、 そう言われました。 それでなくとも私たちの職業は傲慢な職業です。 自分のことを棚 に上げて、 さっきから小沢がどうだと、 鳩山がどうだと、 菅がどうだとか言っているんですね。 しかしこれは、 ある意味宿命のようなものです。 ただ、 その時に私はおふくろの言葉を思い出 しながら、 自分はこうでなければいけないと思っていることがあります。 それは、 人を批判す るときには、 自分が批判される立場に立って、 なるほどその通りだなと思うような批判をしな ければいけない。 批判される当の人が1番そうだなと思うような批判じゃなければいけない。 そうありたいと、 そう思っています。 3つ目は 「どんな人でも嫌いになることはない。 嫌だな、 と思ったらその人の中に自分よりも優れているものがあるかどうかを見よ」 と言われました。 そうすると大概、 自分よりも優れているものがあるんです。 そうするともう嫌いじゃなくなる よ、そう言われました。 私は1日として忘れたことはありません。 あの世に行ったときに 「母 さんに言われてきたことはちゃんと守ってきたよ」 そう胸を張って言いたいものだと、 そう思っ ています。 「お天道様に見られている」 という言葉があります。 どこで、 何をしても自分が見られてい るということです。 私にとっておふくろはお天道様です。 どこにいても何をしても見られてい ― 63 ― ると思っています。 恥ずかしいことは絶対に出来ない、 そう思っています。 政治家にとって、 それは何だろうか。 それは 「ノブレス・オブリージ」 である。 そして自分 は、 私のためではない、 私を捨てて公のために尽くしているんだ、 そのことだと思います。 そ れが今見えないから、 政治に対して信頼が揺らいでいるんです。 沖縄の問題だってそうです。 これは賛成されるということはありえないんです。 その時最後 は何か、 反対だけれども、 体を張ってまだ反対しないよというところしかないんです。 それは 最後は心なんです。 私はそれしかないと思います。 かつてそれをやった人間がいました。 橋本 龍太郎という男です。 きざな男だったが、 沖縄には命をかけた。 忘れもしない。 普天間基地を 返還した、 しかし普天間基地を返還したとしてもその機能はやっぱり沖縄にやるしかない。 そ の説明に沖縄に行くんです。 その前に彼は20回近く知事と会っている。 それから彼の周りの人 間は入れ代わり立ち代わり地元の人と話をしていた。 今度のケースと全く違う。 そして彼は沖 縄に行って、 町長、 村長に来てもらった。 夜の8時、 忘れもしない、 我々は1時間で終わるだ ろうと思った。 ところが2時間30分かかった。 2時間30分かかって10時30分になって町長、 村 長がその会場から出てきた、 目を真っ赤にしてです。 それは総理大臣がどんな思いで返還しよ うとしていたか、 どんな思いでまた新たな負担を背負ってもらわなければいけないかというこ とを彼は訴えた。 それを聞いて町長、 村長も泣かずにはいられなかったということですよ。 そ れしかないんですよ。 私はそう思います。 だから、 私はこの前の日本記者クラブの党首の討論会の時も、 菅さんに聞きました 「消費税 の問題を持ち出すのはこれは必要なことです。 しかしあなたは、 それで倒れてもいいという、 その覚悟を持ってやっているのか」 全然その覚悟のほどが見えませんでしたね。 これなんです よ。 私は精神論を言っているんじゃないんです。 そうじゃないんです、 人を動かすのはそこし かないんです。 政策にはいろいろな賛否両論があるんですよ。 小泉純一郎の時もそうでした。 我々も郵政民営化に相当な疑問を持っていました。 私は半分は反対でした。 けれども、 あそこ まで言われれば、 「殺されたっていい」 と言われたら、 それはどうぞというしかないです。 私 はそうだと思う。 私は、 今その覚悟が問われていると思います。 ここはまた非常に難しいところですが、 また政権が変わってどうするのかという話がある。 参議院選挙に民主党が少なくなればこれはまた苦労しますよ。 それで、 さっぱり法案が通らな いという話になりかねないです。 しかし、 そのままですんなり通るというのもいかがか、 とい うこれもまた微妙なところで、 おそらく日本の国民は相当微妙な判断をするんでしょうね。 大 体ですね、 こういうときにはこれしかないという判断をするんですよ。 1人1人は違うとして も全体としては、 絶妙な判断をするというのが成熟した民主主義国なんです。 ただ、 私が今日1番にみなさんに訴えたかったことは、 やっぱり本当に心のある政治が行わ れているか、 というところが問われるんですよ。 そういう政治家を私たちは育てなければいけ ない、 そういう人にこそやってもらわなければ困る、 というところに帰着するんです。 ということで、 今日のタイトルは 「どうなる日本の政治」 でしたけれども、 1時間30分以上 聞いてもどうなるかさっぱり分からなかった日本、 ということで終わることになってしまいま した。 ありがとうございました。 橋 元 橋本五郎先生、 誠にありがとうございました。 素晴らしいご講演でした。 本学総合研究セン ター主催のシティカレッジは今年度で6年目を迎えております。 小泉理事長が初代のセンター ― 64 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 どうなる日本の政治 長でいらっしゃいました。 最初は、 本当に小数の参加者から始めました。 今、 この会場には、 先ほど先生にも申し上げましたが、 400名近い方がいらっしゃっています。 本学の学生もおり ます。 そして、 学生のお母様も、 お友達と一緒に来てくださっております。 それから、 70代、 80代の方まで来てくださっていると思います。 これだけ多くの年代の方々が、 多分1つの心に なっていると思います。 私も心から感動いたしました。 本当に今日はお忙しい中をお越しくだ さいまして、 誠にありがとうございました。 本日、 学園内では高杉祭が開催されております。 模擬店やイベントなどにぜひお立ち寄りく ださい。 それから、 いろいろな講座等の案内が受付にございますので、 よろしければぜひご覧 ください。 本日は御清聴、 誠にありがとうございました。 どうぞお気をつけてお帰りください。 ― 65 ― 講 演 ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 民主党への期待は不安から怒りに! −鳩山不況・小沢スキャンダル・ 民主党の統治能力− 講 司 師 会 白鴎大学法学部教授・立命館大学客員教授 ノースアジア大学総合研究センター客員教授 福 岡 政 行 ノースアジア大学総合研究センター長 本学経済学部教授 白 川 欽 哉 日 時 平成22年5月7日 午後1時〜2時30分 会 場 ノースアジア大学40周年記念館 ― 67 ― 271教場 白 川 本日は悪天候にかかわらず、 ノースアジア大学総合研究センター主催のシティカレッジ《公 開講座》にお越しいただき、 誠にありがとうございます。 本日、 司会と務めさせていただきま す、 ノースアジア大学総合研究センター長の白川欽哉でございます。 どうぞよろしくお願いい たします。 本日は、 福岡政行先生の今年第1回目の講演会でございます。 去年の12月18日以来、 約5ヶ 月ぶりの講演会で、 春の到来と同様に心から待ち遠しく思っておりました。 皆様もご存じの通 り、 福岡先生は、 白鴎大学法学部教授で立命館大学客員教授、 また、 ノースアジア大学総合研 究センターの客員教授として、 日本や世界の政治、 外交につきまして、 毎回、 明快かつ軽快な テンポでお話ししてくださっております。 本日のテーマは、 「民主党への期待は不安から怒りに!―鳩山不況・小沢スキャンダル・民 主党の統治能力―」 でございます。 昨年の政権交代から一転して、 今は民主党に逆風が吹いて おります。 この夏の参議院議員選挙の行方について、 会場の皆様の関心は高まっていることで しょう。 日本を代表する政治学者の福岡先生より、 最新の情報を私たちにご紹介いただけるは ずでございます。 どうぞ最後までご静聴いただきたいと存じます。 それでは、 福岡先生どうぞよろしくお願いいたします。 福 岡 外は悪天候にかかわらず、 本日はお越しくださり、 誠にありがとうございます。 今年の9月 で65歳になりますが、 先日、 あるゼミナール生が私に杖をプレゼントしてくれました。 今、 皆 様が少し笑ってくれましたので、 話の内容を容易にご想像出来たと思います。 「転ばぬ先の杖」 ということで、 「福岡先生、 用意していれば転ばないし、 失敗しないので、 この杖をお守りに して、 これからも頑張ってください」 ということでした。 貰って嬉しい出来事だと思うのです が、 何だか少し照れてしまいました。 今日は所用のため、 講演会が終わった後、 この会場をすぐに出発しなければいけません。 こ れから80分間、 午後2時20分まで一気にお話しさせていただきます。 その後、 10分間を質疑応 答の時間にさせていただきます。 ぜひ、 皆様にはご質問をして欲しいと思っております。 どう ぞよろしくお願いいたします。 第2回目の講演は、 来月の6月25日にこの教室で行いますが、 その頃はおそらく、 参議院議 員選挙の公示の直後くらいだと思います。 また、 今後1ヶ月半くらいで、 政治の状況は大きく 変わるはずです。 私が決める事ではないのですが、 きっと総理大臣、 6月末までに鳩山由紀夫 さんから菅 直人さん代わると思います。 そのように、 小沢一郎さんも決めていると思います。 しかし、 小沢さんの進退はわかりません。 彼は、 金丸 信さんがいた頃のような存在に、 どこ か似ているように感じるからです。 鳩山さんは総理大臣を辞めざるを得ない。 1週間か10日間くらいで、 内閣支持率は20%を割 り、 そして、 すぐに10数%まで落ちると思います。 彼の言っていること聞いていること、 何を 言っているのか本当にわかりません。 その言葉に責任感もありません。 だから、 彼を見ている だけでも、 何か軽いように感じる訳です。 去年、 私は民主党代表選挙のコーディネーターを務 めましたので、 私にも責任があるように感じております。 彼には早く辞めてもらわないと、 日 本という国が本当に壊れてしまいます。 この会場にお越しくださった皆様も、 同じように考え ているのではないでしょうか。 ある朝刊に、 最近の秋田県の人口は、 10ヶ月で何と1万人が減ったという記事を読みました。 ― 68 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 民主党への期待は不安から怒りに! −鳩山不況・小沢スキャンダル・民主党の統治能力− それを調査、 研究している専門家が言っていましたが、 このまま進むと、 20年後の秋田県の人 口は、 今の109万人から55万人の半分になる可能性があると指摘しておりました。 若い世代の 皆さんには、 大変な事態です。 解決策が見出せるよう、 今後も皆さんと一緒に考えていきたい と思っております。 また、 ギリシャの財政危機も本当に深刻な問題です。 世界的な問題で、 今 後、 協調介入が行われるかどうか判断出来ませんが、 今日の株価は、 何と600円近く下がって いました。 1点目。 鳩山由紀夫さんは恵まれた環境に育ったが故、 普通の人たちとは違い、 不幸せな人 生を歩んでいるように思います。 彼のお小遣いは毎月1,500万円です。 それは異常な金額で、 1日50万円にもなります。 秋田県内において月々の給料を50万円貰える人は、 県庁、 市役所、 TDK の幹部くらいです。 県内の企業では、 そのような給料を貰っている人はおりません。 今日の夕方、 米軍普天間飛行場の移設問題を巡り、 鳩山首相は、 鹿児島県の徳之島の伊仙、 天城、 徳之島の3町長たちと会談いたします。 先程入った情報によると、 3町長たちは、 移設 に反対する島民の署名を持って、 首相に会うそうです。 2万6千人分の署名が集まったようで すが、 島の人口は2万6千人弱なので、 その署名は島の人口とほほ同じです。 だから、 島の子 供たちも署名しているのではないかと思います。 アメリカ、 沖縄、 徳之島、 そして社民党の主 張することをすべて聞いた上で、 今月末までに決着するという約束については、 現実問題とし て非常に難しいことだと思います。 だから、 彼はどこか能天気な面を持っているのかもしれま せん。 今月15日に、 再び沖縄を訪問する予定ですが、 そこに行って、 果たしてどうなるのでしょ うか。 本当に何とも言えないものがあります。 鳩山さんと小沢さんは非公式を含めまして、 この1ヶ月間、 2人で数回会っています。 2人 の間の4文字熟語は 「一蓮托生」 です。 結果はどうなろうと、 運命を共にして最後まで一緒に やって行こうと話をしている訳です。 2日前にも、 総理官邸脇の全日空ホテルで、 密かに会っ たと言われています。 偶然、 私もそのホテルの中華料理店にいたのですが、 フロアーには、 耳 にイヤホンを付けている警察関係者と思われる人が大勢いました。 おそらく、 私がいた店の近 くの日本料理屋で、 2人で会っていたと思います。 今、 ほとんどの政治家は、 ホテルにある荷 物用エレベーターでよく移動します。 地下駐車場に着いたら、 荷物用エレベーターを利用して、 最上階まで簡単に移動出来るからです。 鳩山首相は、 選挙の時の最低県外移設という普天間問題の責任を取らず、 5月も上手くやり 続けて参議院議員選挙に臨み、 官房長官と複数の官僚を入れ替えて乗り切るというストーリー を、 小沢さんと話し合っていたのではないかと言われています。 しかし私は、 鳩山さんは総理 大臣を辞めざるを得ない状況に、 今、 追い詰められていると思います。 すべてにおいて、 楽観 的な人だからです。 その後、 菅 直人さんが100%首相になります。 正月、 都内にある小沢さんの私邸で、 恒例の新年会が開かれました。 その時、 乾杯の挨拶を した3人の内の1人が菅さんでした。 100人以上が入れる大きい広間には、 入れ替わり、 立ち 替わり、 いろんな人たちが参加しておりました。 要はそこで、 小沢派か反小沢派かがわかる訳 です。 5月末までには、 必ず支持率は10%台に下がると思います。 皆さんも昨日のニュースを見て 知っていると思いますが、 民主党の1年生議員の横粂勝仁は、 2トップへの辞職、 辞任要求を 視野に、 賛同者を募っていく考えを明らかにしました。 彼は、 昨年の神奈川11区の衆議院議員 選挙で小泉進次郎に敗れましたが、 比例南関東で復活当選しました、 今28歳の若者です。 その ― 69 ― ような若い人たちが、 今一斉に、 鳩山と小沢の辞任を求めようとしているのです。 この1ヶ月間、 私は民主党関係者が主催する講演に3回行きました。 労働組合、 連合、 自治 労の方々が大勢参加されている会場で、 2人の辞任の話をすると大きな拍手になるのです。 こ こまできましたら、 民主党内部でも、 2トップは辞任した方が良いと考えている人は多いので すが、 小沢グループの動きによって、 そう簡単にはいかなくなっているようです。 鳩山政権の 現状につきましては、 後ほど詳しくお話ししたいと思っております。 2点目は、 小沢一郎さんの資金管理団体 「陸山会」 の土地購入をめぐる政治資金規正法違反 事件についてです。 先月、 起訴相当とした検察審査会の判断が、 今、 大きな話題になっていま す。 一部の報道機関は、 11人全員からいろいろと話を聞いたようです。 通常、 11人中8人以上 であれば合意が成立するのですが、 今回は11人全員が満場一致で、 小沢を不起訴処分にしたこ とは間違っていて、 起訴相当であり、 また、 起訴すべきであるという判断でした。 私の弁護士 は、 日本テレビの 「真相報道バンキシャ!」 に出ている元東京地検特捜部長の河上和雄先生で す。 先日、 河上先生と話をした時、 嫌疑不十分というのは、 疑いは十分にあるが、 裁判での証 拠があまり十分でないという意味もある。 疑いはあるんだが、 しっかりした証拠がないと、 だ めなんだということを話してくれました。 司法の世界には、 疑わしきは罰せずという原則があ り、 推定無罪という有名な言葉があります。 そういう理由もあったのかもしれません。 小泉、 竹中構造改革で、 我が国の検察組織、 裁判制度について、 一般人がまったく関わって いない閉ざされた環境になるという声が上がりました。 その後、 様々な議論を経て、 去年の5 月21日から裁判員制度が始まりました。 アメリカの陪審員制度をすべて真似した訳ではありま せんが、 我が国は検察審査会制度を設けました。 国民の中から抽選で選ばれた11人の検察審査 委員が、 検察官の不起訴処分の当否を審査するものです。 検察官の職務の上に一般人の良識を 反映させ、 その適正な運営を図ろうとするものですが、 今回、 証拠等を見ながら審査した結果、 11人中11人全員が起訴相当であり、 また起訴すべきであると検察審査会が判断されました。 嫌疑不十分で不起訴となった場合は、 もう一度、 検察審査会で判断されます。 今度は数人が 入れ替わりますが、 そこで審査されるのです。 今回、 11人中11人、 満場一致という結論でした ので、 7月末あたりには、 たいへん厳しい結論になる可能性も考えられます。 そのようなこと が影響するかどうかわかりませんが、 予定通りの日程であれば、 参議院議員選挙の投票日は、 7月11日に落ち着くはずです。 しかし、 小沢スキャンダルは、 夏頃までは宙ぶらりんの形で継 続していくと思います。 ノースアジア大学の公開講座《シティカレッジ》は、 皆様のご支援のおかげで、 今年で6年 目を迎え、 私も5年前から講義をしております。 すでに、 その中でお話ししたと思いますが、 ホリエモンの堀江貴文と、 村上ファンドの村上世彰を逮捕した人物は、 当時の東京地検特捜部 長の大鶴基成です。 少し特徴のある名前ですが、 鹿児島県のラ・サール高校から東京大学法学 部を卒業しました。 彼は3月1日付で東京地検次席検事になりました。 前任者が同期生だった ようで、 過去そのような人事はあまり聞いたことはありませんが、 日本のエースと言われた大 鶴基成は、 東京地検特捜部長の上の階級に昇進しました。 組織上ナンバー2の席で、 東京地検 検事長の次の役職に就いた訳です。 その頃から、 桜田門にある法務省の5階周辺では、 国税関 係者と協力関係を築いている動きが見受けられるようになりました。 小沢さんの問題は、 政治資金規正法ではかなり難しいです。 彼の資金管理団体 「陸山会」 の 元事務担当者で、 衆議院議員の石川知裕がすべての責任を背負いました。 1月中旬、 読売新聞 ― 70 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 民主党への期待は不安から怒りに! −鳩山不況・小沢スキャンダル・民主党の統治能力− に、 石川議員が小沢さんに政治資金のことを報告しているという内容の記事が出ていました。 間違いなく黒に近かったのですが、 その直後、 周辺にいた関係者が関わったかどうかはわかり ませんが、 半落ちだった石川議員は完全黙秘に入り、 「すべて自分1人でやりました」 と言っ たようです。 これにより嫌疑不十分となった訳で、 政治資金4億円というお金について、 3人 の秘書が逮捕されたのです。 その前後、 私は小沢という名前は出しませんでしたが、 「1人の人間のために政治があるの ではない。 1人の人間のために国家が動くのではない」 ということを、 テレビに出た時に厳し く言いました。 私を民主党の応援団と思っていた方がいたようですが、 1月のある段階になる と、 インターネット上で、 そうではないと言う人が多くなりました。 ここでは言いにくいので すが、 それ以降、 少し圧力がかかるようになりましたが、 ある程度、 このような状況になると 予想はしておりました。 後でお話しいたしますが、 小沢チルドレンとガールズの問題も大体は 把握しておりますので、 本当にこんなことが続いたら、 これからの日本は、 大変なことになる という思いが強くなりました。 総理大臣よりも、 ある党の幹事長が偉かったらナチス等と同じ です。 そのようなことになって欲しくないので、 テレビでは厳しい発言をした訳です。 小沢問題に関連することですが、 去年の3月3日、 2,980万円の政治資金規正法違反で大久 保という元公設第1秘書が逮捕されました。 その後、 5月のゴールデンウィーク前だったと思 いますが、 鳩山さんと飯を食べた時 「福岡先生でしたら、 どのように考えていきますか」 と聞 かれましたので、 私は彼に 「今は政権交代、 千載一遇のチャンスの時ですから、 これからは若 い皆さんにいろいろとやってもらっては、 いかがでしょうか」 という話をしました。 彼も 「そ うですね」 とうなずいておりました。 ゴールデンウィークに入り、 藤井裕久元財務大臣が京セ ラの稲盛名誉会長を東京に呼び出しました。 その時、 小沢一郎に一歩退いてもらい、 代表には 鳩山になってもらいたいこと、 8月の総選挙が終わった後は、 幹事長に小沢一郎が戻ればいい という話し合いが、 もたれたようです。 最終的には、 軽井沢あたりで決められました。 去年5月、 小沢前代表の辞任に伴う代表選挙が行われた日の前日に、 松下政経塾の教え子た ちが、 赤坂にある私の事務所を訪ねて来ました。 そして、 翌日に行われる、 民主党両院議員総 会のコーディネーターをお願いされました。 その時、 私は 「一部の政党を応援している者では ない」 と伝えて断りました。 もちろん、 様々な党に友人がおりますし、 頑張って働いている人 を、 純粋に応援したい気持ちがあったらからです。 しかし、 最後には説得させられ、 しようが ないと思い、 引き受けた訳です。 心の中には、 鳩山由紀夫と岡田克也たちと長い付き合いもあ り、 2人が先頭になって、 新しい民主党を作っていけばいいと、 ただそれだけを想って、 1年 前に司会を引き受けました。 私が言いたいのは、 2,980万円の問題で代表を辞めた政治家が、 4億円という政治資金規正法違反事件で3人の秘書が逮捕されても、 まだ党の幹事長をやり続 けていることが、 おかしいということです。 犯罪には、 刑罰の計重の程度をきめる量刑という言葉があります。 その言葉を考えてみてく ださい。 2,980万円の問題で代表を辞めた人間が、 4億円という事件で自分の秘書が3人逮捕 されたのに、 何も責任を取らないということについて、 皆さんはどう思いますか。 逮捕された 者には、 現職の国会議員もいるのです。 しかし、 党の幹事長を辞めないのは、 私は不自然だと 思います。 あと、 少しだけ補足させていただきます。 先程の大鶴基成のことについてです。 1年前、 知 人から聞いたのですが、 「福岡先生、 実は、 大鶴基成と東京大学法学部で同じクラスでした。 ― 71 ― 卒業式後の懇親会で、 彼は、 将来君たちと敵味方に分かれる時がくるから、 今日から友達付き 合いはしない。 本日限りで友情を断ち切る」 と話していたことを、 私に教えてくれました。 そ の知人も霞ヶ関で働いていますが、 司法試験を一桁番で受かった大鶴基成は、 中学校の時の論 文に、 将来額に汗する人々のために、 社会正義を守る仕事に就きたいと書いていたようです。 並々ならぬ努力もあったと思いますが、 5年前の2005年春に、 東京地検特捜部長に就任し、 社 会正義のために働いてきた人物でもあります。 小沢チルドレンの問題は、 何とも言いようがありません。 先日、 民主党を辞めたいと言って いるある政治家が訪ねてきました。 「今、 小沢さんにくっついていると政党助成金が支給され ますが、 福岡先生、 果たしてこのままでいいのでしょうか」 と相談されました。 詳しいことは この場でお話し出来ませんが、 一言で政党助成金と言いましても、 税金319億円が使われてい るのです。 国民1人当たり250円を私たちは払っているのです。 だから河上和雄先生は、 政治 資金規正法違反は形式犯と言っているんです。 小沢側のある弁護士は、 まったく違うことを言っ ているようですが、 結局は、 私たちの大切な税金が使われているのです。 1月上旬、 藤井裕久は、 突然、 財務大臣を辞任しましたが、 その理由を皆さんはご存じでしょ うか。 77歳で検査入院したら、 病気が見つかったということですが、 それはまったくの嘘であ ると私は思っております。 なぜかといいますと、 1週間前、 あるフランス料理屋で出された料 理を勢いよく食べていたシーンをみておりますので、 信じておりません。 また、 お酒のワンカッ プを持って東海道線に乗り、 藤沢に着くまでの45分間を楽しく堪能していたこともあったそう です。 昨年の夏、 あるシンポジウムで彼と一緒になりましたが、 会合終了後、 彼はビールで割っ たウイスキーを3、 4杯くらい飲んでから、 温泉街へ消えました。 その時、 私にお酒を勧めて きましたが、 お酒を飲めない私は近くのビジネスホテルに泊まりました。 そういう出来事もあ りましたので、 全てを考えますと、 東京大学野球部でキャッチャーを守った人が、 突然の検査 入院で病気が見つかるとは思いません。 だから、 病気とは限らないという訳です。 私だったら、 そのようなことを理由にして、 決して辞めません。 自由党が民主党に合流する時に、 自由党の金庫の中に10数億円のお金がありました。 わずか 10日間足らずで、 自由党幹事長の藤井裕久の名義で、 現金が全額引き出されていました。 そし て改革フォーム21という小沢一郎の政治資金団体に入金されていました。 毎年1月、 2月は納 税申告のピークの月ですが。 財務大臣だった彼は、 自民党の質問に耐えられないので、 1月上 旬、 病気を理由に大臣を辞めたということです。 あるいは、 誰かが降ろしたかもしれません。 しかし、 東京地検周辺で詳しく調べたところ、 数字は嘘をつかなかったのです。 この会場に、 公認会計士や税理士の方がおられれば、 すぐにおわかりになるはずです。 金丸 信の時は、 金 の延べ棒や不動産等いろんなものが出てきましたが、 それを明らかにしていくのが、 政治家の 責務と考えております。 20年前、 ニュースステーションという番組に出たときです。 久米 宏さんと私は、 少しでも 政治を改革したい、 良くしたいという想いから、 政治浄化税という名目で、 1人あたり500円 を払ってくださいという運動を起こしました。 当時、 1杯のラーメン代に相当するお金であっ たと記憶しています。 その後、 今の小選挙区比例代表並立制が導入されるように、 一生懸命、 取り組んできた訳です。 当時、 一部の組織と政党から激しくやられましたが、 しかし、 筑紫哲 也先輩と共に政治改革問題をやり続けました。 今から20年前の出来事で、 約3年もかかりまし たが、 やっと今の制度の基礎が出来上がった訳です。 細川政権の時にある程度を構築させまし ― 72 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 民主党への期待は不安から怒りに! −鳩山不況・小沢スキャンダル・民主党の統治能力− た。 また、 お金が無くても政治家になれるように取り組んできました。 政党助成法もその1つ ですが、 議席と票数に応じて、 衆議院、 参議院の国政の結果に基づいて分配されることを決め たのです。 もちろん、 そのお金は税金ですので、 政党が解散したら国庫に納付しなければいけ ません。 国に戻さなければいけないのですが、 この有り様です。 数ヶ月間、 私はそれを厳しく 追及してきました。 1人の政治家の進退問題よりも、 きちんとけじめを付けることが、 国民の ための政治であると考えております。 鳩山由紀夫の言葉はいつも二転三転しているので、 それ はまったくだめだと私は指摘しているのです。 民主党、 自民党には私の教え子と、 これまでいろいろとアドバイスをしてきた者がたくさん 所属しております。 私はそういった関係者に対して 「政権交代は目的ではない。 あくまでも手 段である」 と強く話してきたつもりです。 政権交代後は、 何をやっていくのかが一番大切なの です。 当時マニフェストに書いたことは、 100%出来なくてもいいから、 一生懸命、 国民のた めに取り組んでほしいと、 私は言ってきました。 また、 出来ることと出来ないことは、 前もっ てはっきりと国民に伝えてほしいと教えてきたつもりです。 地域主権という言葉は、 本当に良 い言葉です。 地方自治の原点になる言葉ですが、 今の沖縄のことを考えたら、 答えはもうはっ きりとしていると思います。 しかし、 今の民主党のチルドレンたちは、 いったい何をしているのでしょうか。 ある新聞記 者は 「何であんたは小沢さんと言うの。 小沢先生と言いなさい」 とガールズに注意されたそう です。 この間、 学生たちに焼き肉をたくさん食べてもらいたくて、 10数人を連れて行った時の ことです。 突然、 店の中に某新聞記者が入って来て、 「福岡先生、 奥の部屋に民主党のホープ がいるので、 少し会ってほしいのですが」 と言われました。 私の横で、 学生たちが喜んでたべ ているのに、 何で今、 1年生議員に会わないといけないのかと思いながら、 店の奥の個室の戸 を開けましたら、 某ガールが座って居ました。 胸元が少し開いている服装で、 本当に議員らし くないので、 3分も話はしませんでした。 「最近、 福岡先生は民主党に厳しいですね」 と話掛 けてきましたので、 私は 「権力者たちは批判されて当然なんだ」 ときっちり答えてやりました。 今年の7月頃には、 新しい議員会館が建ちますが、 部屋にショートカットの小沢ガールズが いると思うと、 皆さんはどう感じますか。 それを仕切っているのが、 私の後輩でしたので、 今 度会ったら殴ってやろうと思っております。 小沢チルドレンの会では、 出席者全員が名札を付 けているようです。 150人もいるので、 本人は1人1人の名前は覚えていないと思いますが、 名札を付けるというのはいかがでしょうか。 そこでは、 挨拶と礼儀作法を1から学らしいです。 市長経験者の教え子もいれば、 事業仕分けのプロの後輩もいるのですが、 そういうのは理由に ならないらしいです。 1年生議員であれば、 最初から全員が参加しないといけないという決ま り事らしく、 見ていて本当に恥ずかしい限りです。 今もまだ、 天下り官僚は大勢います。 霞ヶ関も黙認しているようですが、 私たちは力を合わ せて、 それを阻止しようと政治改革を進めてまいりました。 この前、 渡辺喜美は 「先生、 行革 担当大臣になってから、 2回も胃痙攣になりました」 と言っていました。 どちらかというと、 無神経な人間だと思っていた男でも、 責任が重い立場になると、 昔からすべて一緒で、 官僚の 都合の良いようにやられてしまうのです。 霞ヶ関の事業仕分けは、 今後も継続していくべきで すが、 だけど今度は、 労働組合、 日教組、 自治労、 連合等に目を向けていくべきです。 関係者 のほとんどは黙秘しているようですが、 800万人という組織の代表から、 4人くらいが大臣に なっているのです。 そこには、 自動車、 鉄鋼、 電気等の企業との密接な関係が見受けられます。 ― 73 ― スポットライト・シンドロームという言葉がありますが、 民主党の議員たちのネクタイは、 とても派手です。 総理は黄色で、 ある1年生議員はピンク色です。 この前、 私の事務所に、 派 手なネクタイをしてきた議員が訪ねて来ましたが、 何て声を掛けていいのかわかりませんでし た。 また、 秋田県以外の支援者たちが 「テレビに映っていた時にしていたピンク色のネクタイ は、 本当に格好良かったですよ」 と褒めまくっているのです。 だから、 ますます派手なネクタ イになるようです。 大臣の行動というのは、 良くても悪くても、 すべてがニュースになります。 また、 みんな好き勝手なことを言うので、 沖縄の普天間飛行場の移設問題も決まらない状況な のです。 総理大臣、 外務大臣、 防衛大臣、 国土交通大臣等は、 もうバラバラです。 意思疎通が 出来ていないのが現状です。 山岡健次と輿石東は、 どちらが一番の腰巾着かということを、 民主党内で争っています。 そ んなのはどうでもいいことで、 自慢するようなことではないのですが、 2人で話し合っている のです。 それはもう、 普天間の問題をまったく無視している行動です。 沖縄で生活している皆 さんを、 もっと大切に考えてほしい。 先日、 沖縄の議員たちは、 普天間と宜野湾のホームページを見てほしいと訴えおりました。 教え子の1人は、 沖縄の琉球新報の政治部長になりましたが、 この前、 その教え子とゼミナー ル生と一緒に、 普天間基地の中を歩きました。 240メートルくらい離れたところに、 世界一危 ないと言われている普天間小学校があるのです。 それを見た鳩山由紀夫も、 同じように感じた からこそ、 最低県外への移設と決めていた訳ですが、 それが、 このような状況になってしまい ました。 本当に残念ですが、 普天間問題は雲の上の話になってしまいました。 ほとんどの議員 たちは現場を知らないから、 このようになってしまうのです。 松下幸之助は、 私財100億円近くを投じて、 1979年に財団法人松下政経塾を設立しました。 その時の言葉の1つは、 「現地現場」 主義です。 何があろうと、 現地に行って、 自分の目で物 事を見ろということです。 弁護士の中坊公平先生が様々な形をバックアップしてきましたが、 中坊先生と筑紫哲也先輩のシンポジウムでの 「現場に神宿る」 という言葉について、 深く考え させられました。 また、 中坊先生は、 住宅金融債権管理機構や大気汚染の問題におきましても、 一生懸命、 取り組んできた人です。 大気汚染で危険な淀川の川沿いを、 歩き続けた時もありま した。 森永ヒ素ミルク中毒の時は弁護団の団長として、 再び薬害を起こしてはいけないと思い、 被害に遭われたお母さんたちを支えながら、 また、 そのご遺族を支えながら、 森永と闘ってき ました。 そのような行動を、 私たちは肌で感じながら学んできました。 だからこそ、 松下幸之 助は私財を投じたのです。 群馬県の八ッ場ダムの現場をみないで、 「ダム計画は中止」 と言ってしまう国土交通大臣は いかがでしょうか。 彼は、 松下政経塾の中では、 秘蔵っ子みたいな存在でしたが、 今は本当に 残念な気持ちでいっぱいです。 私も随分と彼にアドバイスをしてきましたが、 最近は言ってい ることとやっていることが、 まったく違うのです。 高速道路料金の無料化についても、 同じこ とが言えます。 関東のある地域は高くなるようことや、 普通車だったら2千円を新料金とする 制度を導入するようなこと等、 訳のわからないことを言っているのです。 それについては、 小 沢一郎の言っていることが正しいです。 しかし、 現時点で八ッ場ダムの工事は、 このまま続け るらしいです。 もう、 すべての方向が変わっています。 現実的に無理なことについては、 正直に 「出来ません」 と言って謝ってほしい。 子育て支援 事業に対しても同じです。 中学校を卒業するまでお金を支給することになっておりますが、 ― 74 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 民主党への期待は不安から怒りに! −鳩山不況・小沢スキャンダル・民主党の統治能力− 1,700万人に対して月2万6千円を支給するのであれば、 5兆2千億円が必要になります。 そ のような莫大なお金は、 今の財政を考えましたら、 いったいどこにあるのでしょうか。 お金の ばらまきを計画しているだけのようにも思います。 これから生まれてくる子供たちに、 巨額な 借金を背負わせているだけのようにも感じます。 また悲しいことに、 ごく一部ですが、 子供を 不幸にしている親もいるので、 子育て支援という現金のばらまきについては、 凄く考えてしま うことが多いんです。 それだったら、 子供たちの医療のすべて無料にすることや、 子育て中の お母さんたちの支援を更に強化することも、 計画出来たはずです。 今、 政府が真剣に取り組んでいることは何であるのかが、 まったくわかりません。 ほとんど が嘘のようです。 この間、 志のある大蔵官僚、 通産官僚と飯を食べました。 「福岡先生、 来年 は予算が組めないと思います。 このままだと、 日本は本当に壊れてしまいます。 とにかく、 民 主党だけの政権は危ない」 と話していました。 民主党の中で決定権を持っているのは、 小沢一 郎です。 鳩山由紀夫や閣僚が判断出来ない状態がこのまま続くと、 本当に日本はおかしくなり ます。 今の戸別所得補償制度はお米に限定されています。 しかし、 鳩山は天候不順が続いてしまっ たら、 すぐに野菜農家にも補償しましょうと、 その場の思いつきで喋ってしまうのです。 この まま150人の小沢チルドレンと、 進んでも良いのでしょうか。 今、 1年生議員が横を向きはじ めました。 1つでも問題を起こしたら、 けじめを付けることが、 政治倫理の原点であると私は 思っております。 今までは私たちは、 自民党の汚れた政治を黙認してきました。 ここで一気に 流れを変えていきたいと、 強く思っております。 最近、 某週刊誌と某新聞の論調も変です。 あるテレビ局のコメンテーターもおかしいです。 一昨日、 全日空ホテルで、 テレビ朝日系列のコメンテーターをしている同級生と偶然会いまし た。 また過激な夕刊紙で有名な日刊ゲンダイの社長も同級生ですが、 彼らと話した時、 築地の 方が何か変だという話になりました。 産経新聞、 読売新聞が民主党政権を叩くのは何となくわ かりますが、 普天間問題を含めて、 本当に今の政権は狂っているように感じます。 民主党政権での決定権は、 誰が握っているのかが問題なのです。 平成元年、 小沢一郎は自由 民主党の大幹事長でした。 昨日、 彼は少しだけコメントをだしていたようですが、 今は相当追 い詰められているようです。 この間、 森善朗元総理と飯を食べた時ですが、 森元総理が 「あの 当時と比べるとだいぶ変わった。 今、 小沢は大幹事長ですべてを牛耳っている。 平成元年の時 は野中さんや金丸さんもいたので、 小沢さんは好き勝手なことが出来なかった」 と話していま した。 立命館大学で客員教授を務められていた野中さんは、 田中角栄から人情を受け継いだの は、 小沢一郎だということを話していました。 しかし、 辞めないという彼の態度は、 非常に大 きな問題です。 今、 民主党で100人くらいは 「鳩山さん、 小沢さん、 辞めてください」 という 声を上げようとしています。 しかし、 そこで勇気を持って言えるのかが問題なのです。 言って しまえば、 政党助成金は一切無くなります。 党に付いていれば、 選挙資金として政党助成金が 入る訳です。 そのようなことを相談してくる若手もいるのですが、 その都度、 私は 「民主党を 辞めろ」 と言っています。 衆議院での民主党の議席は308です。 圧倒的過半数を占めています が、 この夏の参議院議員選挙の結果を見ないと、 民主党の議席については何とも言えません。 3点目、 経済問題についてです。 ギリシャの問題は、 今後も注意する必要があります。 借金 の総額は、 ギリシャよりも日本のほうが多いですが、 1年間の赤字は日本よりギリシャ、 アメ リカの方が多いです。 日本の場合は、 国と地方の借金残高は900兆円近くになってしまいまし ― 75 ― た。 このまま増え続けると、 本当に危険です。 また残念なことですが、 年々、 税収は尽く減っ ています。 国税収入は37兆円弱です。 特に法人税が著しく落ちているのは、 ご承知の通りです。 このままでしたら、 来年度の予算は組めないところまできているのです。 少し話が逸れてしまいましたが、 今日一番、 お伝えしたかったのは、 2012年問題です。 冒頭 に関係することですが、 昭和22年、 23年、 24年に生まれた人は、 非常に元気が良く、 この会場 にも多数おられると思います。 団塊の世代と呼ばれている昭和22年生まれの方は、 今275万人 います。 2年後の2012年には、 その全員が高齢者になるのです。 最近生まれてくる子供は105 万人です。 今日の朝刊に記事が載っていましたが、 47都道府県で、 子供の数が1番少ない県は、 秋田県です。 逆に多いのは徳之島で、 出生率が何と2.4です。 それだったら人口が増えていき ますが、 あと3年経てば、 約660万人が高齢者の仲間入りをするのです。 生まれてくる子供は 年間105万人ですから、 3年だと315万人になります。 この差を知って、 とても驚くと思います が、 これは事実です。 このような国に活力があるとは思いません。 急に人口が減り、 高齢者が 増える年は、 2012年です。 だから、 内需拡大に取り組もうとしても、 なかなか上手くいかない のです。 ニトリの社長は、 今の日本経済に8掛けした数字が、 最近の景気の状況ではないでしょうか と、 必ず言います。 もう、 GDP が500兆円というのは、 無理な話です。 昨日の夕方、 秋田に着 きましたが、 あらためて、 秋田は静かな街だと感じました。 街にはにぎわいも無く、 これから どうなっていくのだろうかと、 心配しております。 パナソニック等の一部上場企業は、 今も景気が良くないと言います。 ところが、 アメリカで のトヨタ自動車の売り上げは、 前年対比24%も増えました。 銀行は利益が増えたと新聞に出て いますが、 不良債権の処理と、 徹底した貸し渋りを行った結果だと思います。 要は、 危ない中 小企業には、 お金を貸さないということです。 しかしながら、 経済の底を少し脱したようにも 感じますが、 裕福な方とそうでない方との差が、 はっきりとわかるようになりました。 残念で すが、 日本でも二極化がみられるようになりました。 公務員、 大企業だけが景気が良いのです。 このような時代に、 年金生活者、 中小企業に勤めている方々、 商店街の皆さんは、 どのように 暮らしていけばいいのでしょうか。 今、 赤坂も同じです。 最近混んでいる店は、 安い立ち飲み 屋です。 入口にビニールみたいなものが垂れ下がっているのですが、 1人1,000円弱払えば、 飲み食い出来るのです。 そういった店しか、 混んでいません。 昔とまったく違います。 銀座の お店には、 まったく客はいません。 2012年問題は、 本当に大変なことです。 毎年200万人が高齢者となり、 更にその全員が年金 生活に入るのです。 そうなれば、 若い人たちの労働意欲は、 無くなるのではないでしょうか。 気の利いた人は小さな畑を耕しながら、 目標を持って生活していくと思いますが、 そうでもな い若者、 連日パチンコ屋に行き、 家では毎日つまらないテレビを見てしまうのです。 これから も、 景気は良くなりません。 今後もデパート、 コンビニの売り上げは下がります。 先日、 都内 のデパートに腕時計を直しに行きましたら、 店長をしている後輩が近寄ってきて 「先輩、 本当 に厳しいので、 どうか店の売り上げに協力してください」 と言われました。 仕方がないと思い ながら、 店にあったブレザーを買いました。 5月の連休明けの平日のデパートは、 店にいるお 客さんより店員さんの方が多かったです。 秋田駅前のイトーヨーカドーがこの秋に撤退するようですが、 地元の人にとりましては、 本 当に深刻です。 郊外のデパートに買い物に行く人は、 これからも増えていくと思いますが、 車 ― 76 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 民主党への期待は不安から怒りに! −鳩山不況・小沢スキャンダル・民主党の統治能力− を持っていない方々には、 最悪な出来事です。 時代と共にライフスタイルは変わっていきます が、 やはり、 秋田市の中心市街地が寂れてしまうことは、 本当に悲しいことです。 もう1点、 なぜ金 正日がこの時期に北京を訪問したか、 皆さんはおわかりでしょうか。 中 国では上海万博が行われているから、 みんなの視線が万博に向いているからとも言われており ます。 天津、 大連等の経済特区を視察する目的もありますが、 去年の秋から、 凶作で農産物が ほとんど収穫出来ない状況が続いているから、 食糧が尽きるこの時期に、 経済援助のお願いを するために、 訪中したと報道されています。 韓国の哨戒艦沈没問題について、 昨日の夜、 4ヵ国の合同調査団が、 残骸部分から魚雷等に 使われる火薬成分が検出されたという報告を発表しました。 その結果を聞いて、 間違いなく、 爆破されたということがわかります。 あのような頑丈な船が、 爆破されて2つなるなんて、 相 当強力な魚雷等によるものと断定出来ます。 金 正日が訪中を終える時に、 爆破事件が起こり ました。 彼が乗った列車は、 救急体制もしっかり整っています。 体調は回復したと報道されて いますが、 今回は息子も同乗し、 後継者としての挨拶回りも兼ねていたのではないかという報 道も中にはありました。 6ヵ国協議に関連する大切な問題でもありますので、 今後の報道に注 意を払っていきたいと思います。 私は平壌に2回行ったことがあります。 大学の政治学の先生は平壌に入れませんので、 20年 以上取り組んでいる、 ボランティア団体の事務局長として訪れました。 現地のおじいちゃんに、 田んぼの真ん中まで連れていかれて、 流暢な日本語で 「先生、 南の国は豊になったと聞こえて きます。 どこの家にもテレビと車があるようですが、 本当ですが」 と聞いてきましたので、 「はい、 そうですよ。 韓国の人々の暮らしは豊です」 と答えました。 そうしましたら、 「そうで すか。 私の親戚は南に多くいるのですが、 朝鮮半島で一番辛い言葉は、 南北離散家族です」 と 話していました。 近くに公安がいない時に、 現地のおじいちゃんと会話した内容です。 現実は 厳しいものがありました。 私は、 人を差別する人間は大嫌いです。 今日、 ここでは詳しく話は しませんが、 悲しい出来事をご紹介させていただきました。 4点目は、 サードフラッグについてです。 今、 みんなの党の勢いはもの凄いです。 世論調査 では、 みんなの党の支持率は8%から9%の間です。 一時40%あった民主党の支持率は、 20% 台まで下がりました。 自民党は18%くらいです。 ところが、 2、 3%だったみんなの党の支持 率は、 この1ヶ月くらいで何と8%まで上がりました。 その内訳は男性が10%、 女性が6%で 平均すると8%ですので、 男性の10人の1人は 「民主党、 自民党はもうどうしようもないので、 とりあえず、 みんなの党を支持しよう」 という結果です。 昨年の夏は 「自民党はもうだめで、 政権交代しかないので、 民主党を支持しよう」 という掛け声がありました。 最近、 商工会、 法人会主催の講演会も多いのですが、 会合が終わった後のお酒の付き合いは、 得意ではありませんが、 話だけはよく聞くことにしております。 地方の中小企業の経営者3人 に1人は、 「福岡先生、 自民党はもうだめです、 民主党にも呆れかえっているので、 しばらく は、 みんなの党を支持していこうと考えています」 という声を、 たくさん聞きました。 しかし 最後には、 全員が 「みんなの党もバラバラですよね」 と話してくるのです。 去年、 私はテレビにあまり出ないようにしました。 鳩山兄弟と昔から付き合いがあり、 鳩山 邦夫とは勉強会の同門でした。 後輩の渡辺喜美は、 自民党を辞める時に、 私の研究室を訪ねて きました。 自民党では、 一切改革が出来ないこと等を相談されましたので、 いろいろとアドバ イスをしてやりました。 そして、 江田健司と共にみんなの党を作り、 ここまで頑張ってやって ― 77 ― きました。 見ていますと、 みんなの党は筋を通しながら、 誠意をもって取り組んできたと感じ ております。 だから今、 みんなの党に入りたいという人は大勢いると聞いております。 今後、 党の人数は増えると思いますが、 比例全国区には、 皆さんが驚く人物が出馬するかもしれませ ん。 ここではコメントを控えさせていただきます。 渡辺喜美は足が短いので、 福山雅治のよう な日本を代表する坂本龍馬にはなれないと思いますが、 それに近い働きをするはずです。 だか らサードフラッグは成功すると思います。 ただし、 これだけ人気が出てくると、 渡辺喜美も外 の意見を聞かなくなってしまうような、 そんな気がします。 来週、 勉強会があるので彼と会い ますが、 今までの政治家と同じようにならないでほしいと願っています。 3月のある日、 平沼赳夫さんに呼ばれました。 その時、 与謝野馨と組むという話をされまし た。 一緒にいたのが、 鳩山邦夫、 藤井孝男、 園田博之です。 鳩山邦夫が余計な発言をしたこと もありまして、 なかなか進まなかった経緯があるのですが、 平沼さんは一度彼を注意しました。 なぜかといいますと、 彼は、 頭の良い与謝野と人気のある舛添を組ませたい、 自分は平成の龍 馬になりたいと言ったからです。 それを知った瞬間、 私はテーブルを叩いて怒鳴りました。 「お前なんかが、 坂本龍馬になれる訳がない。 龍馬はメタボではない。 しばらく黙っていろ」 と言ってやりました。 彼の頭の中には、 舛添要一と平沼グループが接点を持って、 今の政局に 挑んでいきたいと思っていたようですが、 今後、 どうなるかはわかりません。 昔から兄弟の仲 は悪い方ではないのですが、 なぜか、 2人ともライバル心が強すぎるのです。 それが良い面と 悪い面の両方に出てしまうのです。 これ以上はコメント出来ませんので、 ご理解いただきたい と思います。 石原慎太郎が絡んでいるのですが、 築地市場の移転関連費に関する予算が付いた4月頃から、 彼は比較的静かになりました。 移転調査費の予算が計上されたので、 とりあえず、 1年間はい ろいろと活動出来るからです。 ただし、 東京都議会は民主党が過半数を占めています。 だから 石原慎太郎が思うようなことは出来ません。 あのような性格ですので、 もしかしたら、 来月上 旬までに、 石原慎太郎は東京都知事を辞めるかもしれません。 そして、 たちあがれ日本から出 馬する可能性は、 現時点で50%くらいだと思います。 かつて、 選挙では300万票余りを取りま したが、 今でしたら100万票くらいしか取れないと思います。 舛添要一は、 9年前の選挙で150 万票を取り、 3年前は50万票でした。 今、 人気があると言いましても、 あの姿を見ると本当に 情けなくなります。 竹中平蔵が6年前に出た時は70数万票を取っていました。 大仁田篤が出た 時は30数万票でした。 ヤンキー義家は20万票です。 だから石原慎太郎が全国区に出ると、 参議 院議員選挙の様相は少し変わってくると思います。 東京選挙区は5人区です。 石原慎太郎が今、 一番可愛がっている息子の宏高には、 バッチが ありません。 当選させるには、 与謝野馨に付いている10万票と兄の伸晃の15万票、 それに石原 慎太郎の票を足せば、 いけそうな気がいたします。 当選ラインは60万票ですから、 意外に届く 可能性があります。 石原慎太郎は全国区の比例から、 息子は東京選挙区からというシナリオも 考えられますが、 あとは一部報道の通りです。 たちあがれ日本の支持率は2、 3%しかありません。 みんなの党は8、 9%です。 舛添の新 党改革という声には、 自民党で気の利いた人間は、 結局、 誰もついていきませんでした。 河野 太郎、 舛添要一は、 皆さんも報道等でしっているかもしれませんが、 彼らには人望がありませ ん。 スタンドプレーヤーで汗を流さないタイプであり、 自分自身のためにしか働かないからで す。 またいつも、 日の当たる場所に出たいと願っている人物のように思います。 政治家でなく ― 78 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 民主党への期待は不安から怒りに! −鳩山不況・小沢スキャンダル・民主党の統治能力− ても、 人間は汗を流しながら働くのが、 本来の姿です。 しかし、 理由はわかりませんが、 人気 だけはあるのです。 党から除名にされる前に、 あっという間に改革新党の代表になりました。 幹事長の荒井広幸は、 彼の教え子という話も聞こえてきます。 その幹事長は舛添要一に、 自民 党を出て私たちと組んだら人気が落ちますよと、 何度も言ったらしいです。 結局、 舛添は改革 新党を選択しました。 そういうことがあってもまだ、 次期総理大臣を選ぶ人気投票では、 一番 の人気で15%も取っているのです。 7月11日の参議院議員選挙に合わせて、 東京都知事選挙が行われるような気配もあるようで すが、 実際のところはまだわかりません。 今は、 石原伸晃が出るように思いませんが、 作家で 東京都副知事の猪瀬直樹が出る可能性もあります。 また、 意味はまったく無いのですが、 日本 創新党には、 ひろしという名前の人が3人いますが、 まったくパワーになっておりません。 今 の政局は極めて流動的で、 たえず変わっていきますので、 今後も注意していきたいと思ってお ります。 みんなの党、 たちあがれ日本、 改革新党、 日本創新党等、 今いろいろとありますが、 それよ りも気になっているのは、 橋下徹が代表を務めている大阪維新の会です。 二都物語という言葉 を使い、 大阪府を大阪都にしようという動きをしているようですが、 疑問と問題はたくさんあ ります。 大阪市の人口は260万人で、 市の職員は4万7千人です。 横浜市は人口360万人で、 市 の職員は2万9千人なのです。 これはどういうことでしょうか。 横浜市は大阪市に比べて人口 が100万人多いにも関わらず、 大阪市より職員の数が2万人も少ないのです。 大阪市職員の平 均給与は、 なんと800万円以上です。 そして、 私たちの大切な税金が投入されて造られた、 50 階建てのビルがあるのですが、 ビル内は空き室だらけです。 そのようなことが行われているに も関わらず、 橋下徹のどこが良いのか、 私にはわかりません。 名古屋市長の河村と来週会います。 彼の方言は凄くて、 半分は何を言っているのかわかりま せん。 本当に聞き取れない時があります。 また、 誠に申し訳ないですが、 秋田の皆さんの喋っ ている言葉も、 聞き取れなくて半分はわかりません。 いつも誰かに通訳してほしいと思う場面 が、 数多くあります。 方言というのは、 本当に難しいです。 話が少し逸れてしまいましたが、 「今、 日本の政治家の半分でいい。 年俸も半分にしても問題はない」 と言いましたら、 名古屋 市の議員たちは信じられないことに、 「800万円で私たちは生活出来ません」 と言っていたよう です。 皆さんも驚きますよね。 800万円という金額は、 私たちにとっては、 たいへんな金額で す。 来週、 名古屋市の市民の皆さんのために、 彼にいろいろとアドバイスをしてこようと思っ ている次第です。 このような地方の動きは、 統一地方選挙の結果に、 大きく反映されると思います。 橋下、 河 村についても、 その時、 結果が出されます。 おそらく、 名古屋市はリコールになり、 議会は解 散して選挙になるはずです。 市長派の議員を増やすことが出来るのかが、 争点になりますが、 過半数を取れば、 間違いなく議員半分、 給与半分にしてくれるはずです。 また、 菅原文太さん も応援しています。 今度、 筑紫哲也先輩の偲ぶ会に、 菅原文太さんと一緒に行きますので、 い ろいろと話をしてこようと思っています。 今後、 第3の勢力のサードフラッグがどうなっていくのかが、 一番気になるところだと思い ます。 1つにまとまれば、 大きな勢力になります。 47都道府県の内29は1人区ですが、 この夏 の秋田の参議院議員選挙については、 コメントしようがありません。 みんなの党、 たちあがれ 日本がまとまって、 29選挙区で打倒民主党、 ストップ小沢という声を上げたら、 長崎県知事選 ― 79 ― 挙のように、 民主党系の候補は大差で敗退すると思います。 それを谷垣禎一等の執行部はわかっ ていない状況です。 だから、 いろんな人が外にこぼれていくのです。 今の自民党は、 小泉進次 郎1人に頼っています。 彼の日程は本当に過密です。 また絵にはなるのですが、 未だ20代の若 者です。 そこに頼っている自民党はもうだめです。 そして国民の皆さんも、 民主党にはがっか りしているので、 サードフラッグの動き次第では、 政局が大きく変わります。 この夏の7月11日の参議院議員選挙の前に、 第2回目の講義を6月25日に、 ノースアジア大 学のこの教室で行います。 おそらく、 民主党は過半数に達しないように思います。 沖縄の普天 間問題で、 社民党の福島瑞穂さんは特命担当大臣を辞めるはずです。 地域主権、 憲法第9条等 いろんなことを考えているようですが、 やはり現場を知っている社民党でしたら、 普天間問題 で決別しなければいけなくなります。 今後、 連立政権を離脱するはずです。 今は国民新党が付 いているので、 まだ大丈夫ですが、 夏の参議院議員選挙で40議席くらいしか取れない事態にな ると、 公明党の態度が気になります。 そのような政党 sunflower party 、 ひまわりのような 政党と呼んでいます。 いつも太陽を見ている党ですので、 まさにその通りだと思います。 民主 党と連立を組む用意はあると思いますが、 一方でしたたかな面を持っています。 夏の選挙で、 民主党は40議席しか取れないようでしたら、 惨敗です。 その時は、 衆参ネジレ から政界再編になります。 5月中に、 小沢辞任論が噴出するはずです。 また、 同じ5月に鳩山 由紀夫が辞めたら、 次は菅 直人です。 7月11日の参議院議員選挙で負けたら、 菅 直人も辞 めざるを得ないでしょう。 最終的に鳩山と小沢は辞め、 菅が総理になれば、 小沢色が強い細野豪志が党の幹事長になる かもしれません。 一部の報道の通り、 細野豪志は、 長妻昭、 馬淵澄夫よりも優秀で凄い能力が あると、 私も今までそのように思っていました。 しかし、 それは外れのようです。 余りにも、 小沢色が強いので、 民主党は変わりようがないと思います。 6月上旬までに、 岡田克也、 仙石 由人等が菅内閣の顔触れになり、 民主党はガラッと体制を変えて、 参議院議員選挙に臨むはず です。 でも、 民主党はもう流れを変えることは出来ないと思います。 鳩山、 小沢問題が大きく 影響するはずです。 日本の政治は、 6月はぐちゃぐちゃになりながら、 参議院議員選挙に突入 すると思います。 あとは、 良い候補者をどれだけ立てられるのかいうことです。 私が20代の頃 は、 国民のためだけに働こうとうする清い志を持った政治家が、 私のまわりにはたくさんいま した。 そういった人が選挙に臨めばいいのですが、 現実はそうではありません。 今はタレント 議員が多すぎます。 また、 最近の学生を見ていると、 本当にこれでいいのかと思ってしまいます。 自民党の若手 も同じで、 何をやっているのでしょうか。 ただテレビに出て、 あれやこれやと喋りまくってい ます。 そういう時間があるんだったら、 弱者のために働いてほしいです。 現場を見てほしいで す。 テレビ局のプロデューサーやキャスターにこびている姿を見ていると、 本当に情けなくなっ てしまいます。 日本の政治は、 どうにもならないような気がいたしますが、 7月11日の参議院 議員選挙の分析は、 来週あたりからホームページで配信する予定です。 最後になりますが、 秋田県の人口減少は異常なスピードで、 今後も減り続けます。 10ヶ月間 で1万人が減少し、 翌年には9ヶ月間で1万人が減少します。 今後もどんどんと、 減少してい くペースが早まっていくと、 1年で2万人が減少し、 10年でおそらく25万人が減り、 2030年頃 には、 県の人口は60万人を割るかもしれません。 政治も深刻な状況ですが、 秋田も危機的な状 況にあります。 ― 80 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 民主党への期待は不安から怒りに! −鳩山不況・小沢スキャンダル・民主党の統治能力− 自衛隊を含めた国家公務員は60万人です。 県庁、 市役所等の地方公務員は290万人です。 合 わせますと350万人になります。 退職金は、 退職時の給与50万円に59ヶ月を掛けるので、 約 3,000万円になります。 秋田市役所はもう少し高い金額を貰って退職するかもしれません。 地 方の小さな市でも、 2,500万円を貰って退職します。 詳細のデータは 代の公務員のあり方 公務員ムダ論−不況時 (角川書店) に書きましたが、 今すぐ方向を変えないと、 本当に大変な ことになります。 前回の講義で、 元航空幕僚長の田母神何某の退職金をお話したと思いますが、 彼の退職金は、 月120万円の給与に60ヶ月を掛けた金額でしたので、 だいたい7,200万円です。 退職金が7,200 万円なんて聞いたことはありません。 本当に、 ごますり官僚の人事がそこにあるのです。 退職金、 年金、 引当金等を含めた国家公務員と地方公務員350万人の総人件費は、 35兆円で す。 現在、 我が国の国税収入は、 残念ながら37兆円です。 地方税収入は33兆円です。 よって、 総収入70兆円の内、 35兆円は公務員の人件費になっている訳です。 今 サードフラッグ につ いて、 書いてみようと思っておりますが、 政界再編、 救国大連合という言葉をこの夏の選挙で 聞くことが出来るのかは、 まだわかりません。 民主党、 自民党、 サードフラッグがまとまって、 日本経済を再生してほしい。 もうすぐ、 消費税率は10%になる予定です。 政府は是非、 私たちの生活を考慮した複数税率 制度を導入してほしいものです。 基礎食料品、 医療、 介護福祉、 教育に関する消費税率はゼロ にしていただきたい。 高級ブランド等は10%、 他は5%等と、 国民生活を考えた税率にするべ きです。 ヨーロッパのように複数税率にしない限り、 日本経済は立ち直れないと思います。 高級官僚は、 70歳から年金を受け取っているようです。 そうすることで、 通常の1.5倍の年 金を貰えるようになっているからです。 高級官僚は、 みんなそうやっています。 毎月、 数10万 円という年金を受け取っている高級官僚を、 みなさんはどう思いますか。 私は年金を受け取ら ないと決め、 辞退させていただいておりますが、 本来は年金を一律にして、 15万円等とするべ きなのです。 国民年金だったら、 夫婦で18万円とかにするように、 政府は取り組むべきなので すが、 現実はそうではありません。 結論、 政府は高級官僚に本当にあまいです。 これから質疑応答にしたいと思いますので、 どうぞよろしくお願いいたします。 ここまで一 気にお話しさせていただきました。 ご清聴、 誠にありがとうございました。 (拍手) 白 川 福岡先生、 たいへんありがとうございました。 残り時間が僅かになりましたが、 ここでご質 問をお受けいたしたいと思います。 どうぞ、 ご遠慮なく挙手をお願いいたします。 ご発言のほ ど、 よろしくお願いいたします。 質問者 はい、 ノースアジア大学経済学部3年の菅 裕介と申します。 本日は、 誠にありがとうござ いました。 質問ですが、 鳩山首相は国家公務員を半分にするようなことを、 ご自身の政策の中 に入れていたと思うのですが、 私たち、 学生にとりましては、 就職先が減っていくということ にも繋がります。 民間企業に就職しようと思いましても、 全国各地の学生が、 企業の採用試験 に集中して、 就職率の低下を招くことになると思います。 今の不況も影響して、 状況は更に悪 化するのでないかと感じております。 就職難の時代に、 私たちはどのように取り組んでいけば よいでしょうか、 ご教示くださるようお願いいたします。 ― 81 ― 福 岡 去年の民主党のマニフェストは、 国家公務員の給与を2割削減すると書いておりました。 自 動的に、 地方公務員も2割削減しなければいけません。 国家公務員の採用人数を47%減らすこ とに関してですが、 国土交通省等から出向している職員については、 出向先で対応すればいい だろうという、 考え方に基づいたものでもあります。 採用数を減らすことは、 基本的には良い ことだと思います。 公務員志望の学生には、 やむを得ない事態だと思います。 今後、 優秀な学生たちが全国の民間企業にどんどん採用されれば、 日本の未来が明るい方向 に向かうはずです。 昨年の秋、 大学3年生に対して 「一部上場企業はもう難しいので、 これか らは資格を取って頑張ってほしい。 税理士等のいろんな試験を受けろ」 という指導をしました。 もちろん、 大学の公務員講座は、 連日、 立ち見が出るほどの盛況ぶりです。 4年前と大違いで す。 当時は、 公務員に将来は無いという理由で、 東京大学法学部から農林水産省に1人も行き ませんでした。 ところが、 リーマン・ブラザーズが倒れ、 世界的な金融危機を招いた2008年以 降から、 東京大学法学部からの国家公務員試験の受験者がどんどんと増えました。 志を持って就職活動をすれば、 必ず良い結果が得られます。 単に、 公務員試験に受かりたい と思って受験してはいけない。 憲法第15条に 「公務員は国民全体の奉仕者である」 と書かれて います。 国民のために、 地域住民のために働こうとする気持ちを持たないと、 だめです。 公務 員になって、 楽に給料を貰いたいと考えているのであれば、 試験を受けないでいただきたい。 公務員を採用するのは、 知事でも市長でもないのです。 国民の大切な税金で、 採用しているの です。 これが私の大学での教えで、 ゼミナールでは先輩に後輩に教えております。 ここにいる 学生は、 もっと頑張って狭き門をくぐり抜けてください。 そして、 やる気のない霞ヶ関、 県庁、 市役所の職員を、 罵倒するような人間になっていただきたいと思っております。 単に言葉だけ を言うのではなく、 弱い立場の人たちの目線になり、 物事を決めていってもらいたい。 あっという間に、 時間になってしまいました。 次回の講義は6月25日です。 どうぞよろしく お願いいたします。 本日はありがとうございました。 (拍手) 白 川 福岡政行先生、 本日は素晴らしいご講演、 誠にありがとうございました。 これを持ちまして、 ノースアジア大学総合研究センター主催のシティカレッジを終わります。 皆様におかれまして もご静聴いただきまして、 大変ありがとうございました。 ― 82 ― 講 演 ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会 参院選の予測 (民主党大苦戦!) ―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― 講 司 師 会 白鴎大学法学部教授・立命館大学客員教授 ノースアジア大学総合研究センター客員教授 福 岡 政 行 ノースアジア大学総合研究センター長 本学経済学部教授 白 川 欽 哉 日 時 平成22年6月25日 午後1時〜2時30分 会 場 ノースアジア大学 40周年記念館 271番教場 ― 83 ― 白 川 本日は、 ノースアジア大学総合研究センター主催のシティカレッジ《公開講座》にお越しい ただき、 誠にありがとうございます。 司会を務めさせていただきます、 ノースアジア大学総合 研究センター長の白川欽哉でございます。 どうぞよろしくお願いいたします。 本日は、 400人を超える市民の皆様がお越しくださっております。 今、 その熱気を肌で感じ ている次第で、 福岡政行先生の人気の高さをあらためて実感しております。 ご承知の通り、 福岡先生は白鴎大学法学部教授、 立命館大学客員教授でいらっしゃいます。 そして、 ノースアジア大学総合研究センターの客員教授として、 政治・経済の諸問題について、 徹底した現場主義の立場からご講演いただいております。 私たちの社会に対する見方や、 考え 方に大きな刺激を与えてくださっております。 前回5月7日には、 「民主党への期待は不安から怒りに!−鳩山不況・小沢スキャンダル・ 民主党の統治能力−」 というテーマでご講演くださいました。 昨年、 国民の大きな期待を背負っ て誕生したはずの鳩山政権が、 統治能力を低下していった姿とその背景をお話しいただきまし た。 また、 福岡先生の最近のご著書である 公務員ムダ論−不況時代の公務員のあり方 (角 川書店) に関連させて、 行政の再生改革へのご提言もいただきました。 本日のご講演のテーマは、 「参院選の予測 (民主党大苦戦!) ―衆参ネジレで政界再編・大 連合へ―」 でございます。 社民党の政権離脱、 鳩山首相の辞任、 菅首相の誕生、 消費税率10% 論の登場等について、 福岡先生はすでに前回のご講演の時点で言及されておられました。 それ は今、 まさに現実となっております。 今回は、 民主党と現内閣が、 約2週間後に迫った参議院 議員選挙において、 どのような国民の審判を受けることになるのかが、 非常に気になるところ です。 本日のご講演におきまして、 サードフラッグの予測と分析を拝聴させていただけること を、 心から楽しみにしておりました。 そして、 日本の政治や経済の今後の大局的な動きにつき まして、 先生のお考えをお聞かせいただけることも、 興味が尽きないところでございます。 それでは福岡先生、 本日はどうぞよろしくお願いいたします。 福 岡 90分間、 一気にお話しさせていただきます。 また、 最後の10分間は質疑応答の時間にさせて いただきますので、 どうぞよろしくお願いいたします。 結婚相手は高身長、 高学歴、 高収入のすべてが揃っている男性を理想としていましたので、 昔は 「三高」 と呼ばれていました。 今の女性は低リスク、 低依存、 低姿勢の3つの条件が揃っ ている男性を理想としているそうで、 見た目は草食系で、 おとなしい男性が好まれています (「三低」 という文字を板書する)。 現代の女性は男性よりも稼ぐので、 相手の給料は高くなくても良いということらしいです。 低リスクとは、 東京三菱 UFJ や三菱商事で働いていなくてもいいので、 クビにならない程度 の公務員、 会社員が良いという意味です。 これが今の20代の女性の婚活条件です。 3つの最低 条件が揃った 「三低」 が、 理想の結婚相手ということです。 この講演の後、 隣の教室で自主ゼミナールを行いますので、 時間のある方は、 ぜひ参加して ください。 教育問題について、 社会人の皆さんと議論をしようと思っております。 しかし、 今 これから、 日本の将来について、 暗い話をしなければいけません。 今後、 秋田県には農業革命 という言葉がとても重要になるはずです。 そのようなことを考えながら、 本文に入りたいと思 います。 先程、 ノースアジア大学総合研究センター長の白川先生がご紹介してくださいました が、 前回の講義から1ヵ月半が経ちましたので、 時系列で話をしていきたいと思います。 そし ― 84 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会参院選の予測 (民主党大苦戦!)―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― て、 参議院議員選挙の分析をしていきますので、 どうぞよろしくお願いいたします。 5月4日、 鳩山総理が米軍普天間飛行場の移設問題を巡り、 伊仙、 天城、 徳之島の3町長た ちと会談するために、 沖縄を訪れたところまで話したと思います。 当日、 私は東京ドーム球場 におりました。 ヤクルト対巨人戦が開始される前、 中畑 清と一緒にヤクルトの練習を見てい ましたが、 その時、 彼は読売新聞社の関係者に呼ばれました。 1時間ほど経って、 彼は私がい るところに戻ってきました。 相談があるので聞いてくださいと話してきましたので、 赤坂にあ る私の事務所に移動しました。 そうしましたら 「もう、 断ることが出来ないかもしれません。 明日、 長嶋さんに会って相談してきます」 と、 中畑は言っていました。 実はその日、 私はヤクルトの社長と会うために東京ドーム球場にいました。 高田監督が辞め ることを知っていましたので、 次は中畑を監督にしてもらいたいと面談を申し込んだのですが、 結局、 次の週に変更になりました。 私は、 最初から政治に出ることを反対しておりましたが、 最終的に、 与謝野馨先生に言われたそうです。 中曽根康弘、 石原慎太郎、 渡辺恒雄読売新聞社 社長経由で、 おそらく、 そのような人間関係により外堀が埋められてしまったので、 最後に彼 は選択したと思います。 このことについては、 後ほど詳しく触れたいと思います。 問題は5月4日前後から始まっておりました。 私の友人の外務省 OB で元沖縄問題特別補佐 官や外務省の官僚たちは、 沖縄の海兵隊は抑止力で、 はじめから沖縄から外すことは出来ない ことを言っておりました。 また、 当時から徳之島案が出ていたことも話しておりました。 冗談にならない話が女性週刊誌に出ていましたので、 ご紹介いたします。 インド人の占い師 から、 沖縄から約200キロメートル離れた島に移設することが一番良いと聞いた鳩山 幸夫人 は、 移設先を徳之島に決めたそうです。 そこには様々な要因もあったかもしれませんが、 その 内の1つが占いでした。 これは本当に冗談にならない話です。 有名な占い師らしいですが、 私 たちには一切関係ありません。 不安に思って、 総理官邸の記者数人に事実関係を確認したとこ ろ、 何かある度に風水、 水晶玉でそのほとんどを判断していたとのことでした。 日本の普天間 基地をはじめとする防衛問題等の方向性が、 占いによって少しでも決まってしまうことは、 本 当に異常です。 5月中旬、 総理官邸周辺から 「鳩山さんは目が潤んでいるし、 夜になると疲れをどっと感じ るようで、 もうやる気を失っています。 先生、 このままだと終わってしまうかもしれません」 という連絡が入りました。 一応、 本人に伝えなくてもいいことを断った上で、 今、 鳩山が総理 大臣を辞めることが、 日本の国益になると思っていることを話しました。 また、 彼と会いたい 気持ちは、 まったく無いことも伝えました。 その担当者には、 鳩山が終わったら、 飯でも食い に行こうと激励してやりました。 もちろん、 今日まで本当に忙しいので、 その約束を果たして おりませんが、 そのような出来事が、 5月にありました。 その頃、 官邸周辺からは、 「一蓮托生」 という4文字熟語が出てきましたので、 これは、 も しかしたらと感じました。 5月末か6月上旬に鳩山は辞めざるを得なくなることと、 小沢は辞 めることが出来ないことを前回話したと思いますが、 辞めたら金丸 信さんのように、 小沢は 所得税法違反で厳しい立場に追い詰められる可能性があります。 5月23日の日曜日に、 鳩山は沖縄を再度訪問しました。 この時のニュースの映像を見ていた 方は知っていると思いますが、 鳩山は63年間の人生で初めて、 人前で罵倒されました。 県庁、 市役所に入って行く時に 「嘘つき、 帰れ、 裏切り者」 等という言葉が飛び交ったのです。 また、 ドアと窓が完全に閉まっている車内であっても、 彼の耳には完全に届いていました。 母方の祖 ― 85 ― 父はブリジストンの創業者で、 毎月のお小遣いは1,500万円だった彼の人生において、 番頭さ んや秘書さんたちが、 すべての問題を処理してきました。 そのような恵まれた家庭で育ったの で、 今まで泥水を飲んだことはありません。 しかし、 私たちは違います。 泥水であろうと、 何 であろうと、 ただがむしゃらに生きてきました。 挫折しながら、 汗をかきながら、 真面目に働 いて努力をしてきたと思います。 彼にはそういった経験がまったくありません。 沖縄からの帰りの飛行機の中で、 鳩山は辞める覚悟を決めたのかもしれないと、 ある人物が 教えてくれました。 もちろん、 仲井眞弘多沖縄県知事との会談では、 自分の言葉を守ることが 出来なかった訳です。 日米共同宣言の内容をそのまま話したので、 普天間基地の移設問題につ いては、 結局、 辺野古岬に戻ることになりました。 その会談が終わって、 鳩山は握手をしよう と手を差し出したのですが、 仲井眞さんは手を出しませんでした。 総理大臣で御曹司の彼にとっ て、 握手を拒否されたことが、 本当に骨身に応えたかもしれません。 少し似ている出来事があったので、 ご紹介いたしますが、 以前、 プロ野球にリーグ制問題が 持ち上がった時です。 壇上でサインをしている古田敦也に、 ロッテのオーナーが近寄って握手 を求めた時、 古田はちょっと困った表情をして、 深々と一礼をしてその場から立ち去りました。 その後、 立命館大学の講義で古田と一緒になりまして、 当時の話を聞きましたら、 彼の気持ち にわだかまりがあったので、 申し訳ないと言って頭を下げて、 あらためてまた食事でもしましょ う、 とロッテのオーナーに言ったそうです。 何だか、 その時の雰囲気に少し似ているように感 じました。 4年前の11月に沖縄県知事選挙があり、 仲井眞さんは自民党推薦で出馬しました。 自民党案 の辺野古移設という言葉を掲げて当選した人なのですが、 彼も沖縄の中で考えた場合、 辺野古 しかないだろうという気持ちだったと思います。 もちろん、 ほとんどの県民は県内に基地があ ること自体、 非常に嫌なことなのですが、 だいたい5割の県民は辺野古でしょうがないという 気持ちを持っていたはずです。 それを、 政府は8ヵ月間も振り回し、 徳之島に移設しようか、 グアム等の海外へ移設しようかと訳のわからないことを言い続けているのです。 また、 日本人 が多数玉砕した島の名前も上がりましたが、 結局、 海兵隊の抑止力云々と言っているのです。 防衛省審議官幹部と石破 茂が話していた文章の中に、 沖縄の米軍海兵隊の役割について、 記されております。 仮に戦争が起きた時は、 米兵とその関係者の家族、 病院関係者の救出活動 が第1と書かれております。 アメリカ側の条文は米軍属の救出が優先されているのです。 要は、 日本と一緒に戦う気は無いということです。 日本を守ることは5番目で、 インターネットを検 索してもそういった内容はすぐに出てきますが、 防衛省の官僚がそのように話しているのです。 そうなると、 海兵隊は抑止力と言えるのでしょうか。 日本は65年前の沖縄、 硫黄島等の戦争で 何を学んだのでしょうか、 私には理解出来ません。 大統領直属部隊の海兵隊は、 水陸両用の戦 闘車両を数多く所有しておりますが、 今の時代、 海兵隊同士の戦争や上陸戦争は起こらないは ずです。 海兵隊には25,000人が所属しております。 沖縄には12,000人いて、 残りはハワイ、 アメリカ 本土にいるのです。 沖縄にいる12,000人の内、 3,000人くらいはアフガニスタンの警備活動を している組織に入っていて、 アメリカ本土からの海兵隊員と共同して任務にあたっています。 そのことを考えたら、 基地は日本にあるよりもグアム島にあったほうがいいし、 費用も浮くの ではないかと誰でも思うはずです。 だから、 勉強不足の上、 アメリカに言われたので、 1ヵ月 くらいで話を変えて抑止力と言った総理大臣は、 もう哀れとしか言いようがありません。 その ― 86 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会参院選の予測 (民主党大苦戦!)―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― ような経緯もあり、 5月23日の帰りの飛行機の中で、 鳩山は辞める決意をした訳です。 自分の みっともなさに漸く気が付いたのです。 5月31日月曜日、 午後6時から30分間、 鳩山さんは、 小沢さんと山梨県の日教組の委員長だっ た民主党参議院議員会長の輿石 東、 平野官房長官を呼びました。 ちょうど、 支持率が20%に 下がった時だったと思います。 そして、 青森、 岩手、 秋田、 山形から九州、 沖縄までの全国29 の1人区の分析が始まりました。 民主党が絶対に勝てるところは、 岩手県、 奈良県、 滋賀県、 そして、 江田五月が出る岡山県、 岡田克也のお膝元の三重県等が上がりましたが、 リストには 5つ、 6つくらいしかないのです。 20近くは民主党がやや有利ということで、 このままだと、 民主党は30議席半ばで大惨敗になり、 政界再編、 衆参ネジレになることが予想されました。 私 はこのような状態になることを、 はじめから予想していたので 「辞めてください」 という言葉 を伝えた訳です。 月曜日の最後の打ち合わせは通常30分で終わるので、 後の予定は詰まっていないことぐらい は、 誰でもわかっているのですが、 この時、 鳩山由紀夫は 「辞める覚悟はあります。 今日、 こ の後の日程は詰まっているので、 すぐに官邸に帰らなければいけない」 と言っていました。 5 月23日で覚悟は決めていましたが、 続けて 「明日6時から、 また、 このメンバーで話し合いま しょう」 と彼は言いました。 翌日の6月1日、 同じメンバーが集まり30分ほど話し合ったので す。 今度は自分自身から切り出しました。 「新しい民主党のクリーンな旅立ちのために、 私は 総理大臣を辞めます。 小沢さんも一緒に辞めて、 新しい民主党にバトンタッチをしたいと思い ますが、 小沢さんはいかがでしょうか」 ということを話しました。 この時、 小沢一郎はただ頷 いただけだったと聞いています。 後になって 「わかった」 と言ったらしいのですが、 この時は、 ただ頷いただけでした。 もちろん、 この30分間の会話には、 輿石 東が間に入り、 出直しを含 めて、 何らかの判断をしなければならないという結論に至った訳です。 その時のニュースを見ていた方もいるかもしれませんが、 最初に出てきたのは小沢一郎です。 記者団が囲んでも、 彼は憮然とした面持ちで一切応えず出ていきました。 その後、 輿石 東が 黙りながら、 反対側の階段を下りていきました。 2、 3分後、 鳩山由紀夫が最後に出てきまし た。 そこには、 すでに2、 30人の記者団が集まっていて、 代表として1人だけが質問出来るよう になっている訳ですが、 すぐに 「総理を続投するのですか」 と予想通りの質問をしていました。 それを受けて、 鳩山由紀夫は左手をグーにしました。 他の記者たちも 「続投ですか」 という声 を掛けるのですが、 「まだ内容については、 定かではありません」 と答えていたのです。 その日の夜11時頃、 総理官邸にいたかどうかわかりませんが、 小沢さんが鳩山由紀夫の携帯 電話に連絡を入れ 「今日の話はわかった。 俺も辞める」 と言ったそうです。 11時30分過ぎ、 鳩 山由紀夫は 「良いこともやったんだけど、 長い間、 本当に迷惑を掛けた」 と、 何となく辞める ような話を側近の中山にしました。 その時、 彼の心はようやく整理されたのだと思います。 その翌日、 朝10時から民主党の両院議員集会を開きました。 約420人がいる前で20分間、 話 したと思いますが、 鳩山は国民の皆様が聞く耳を持たなかったと言っていたらしいです。 私は、 馬鹿やろうと叫びたい気持ちになりました。 ご理解をいただけなかったと言えばいいのに、 だ から、 東京大学を出ていても、 この程度のコミュニケーション能力しか持っていないのです。 小沢幹事長も辞めると言ってくれたので、 内閣総理大臣を辞めますと言えたのです。 もちろん、 民主党の再出発を願ってのことです。 それが、 6月2日の午前10時からの20分間の出来事でし ― 87 ― た。 壇上から降りてきた鳩山と、 小沢が握手をして抱き合っているシーンを見た時、 政治家と して、 本能的に自分の時代が終わったということを、 小沢さん自身が感じていたような気がい たします。 傍証は6月3日にありましたが、 その翌日に民主党代表戦が行われ、 松下政経塾出身の樽床 伸二が出て菅 直人に敗れてしまいました。 彼は本当に苦労人で、 面倒見のいい男です。 落選 も経験しておりますが、 今回は関西グループの2、 30人に支持されて、 立ち上がろうとしまし た。 しかし、 その代表戦の前日にいろいろと動きがありました。 赤坂にある私の事務所から200メートル離れたところに、 チェリス赤坂という小沢さんの高 級事務所があります。 また、 150メートル離れた逆方向に小さなマンションがあり、 事務的に 登記はされているようですが、 そのマンションの中に隠れ小沢事務所があります。 私は10数年、 赤坂に住んでいますので、 小沢系の代議士が近くを歩いている姿を見ると、 すぐに番記者の教 え子たちに 「あの辺は注意したほうがいいよ」 と教えてやっています。 6月3日昼過ぎ、 隠れ小沢事務所に海江田万里が呼ばれました。 総裁選、 代表戦に出ろと1 時間くらい説得されたようですが、 駄目でした。 その後、 田中真紀子が呼ばれ、 彼女は勝てる のと聞いていたようでしたが、 結局、 私はやらないと答えたそうです。 2時間くらい話をして いたようですが、 結局、 あなたがやりなさいよと言い返された小沢さんは 「勘弁してくれ」 と 答えていたとのことです。 午後6時30分過ぎ、 教え子の番記者から 「原口総務大臣が入りまし た。 1時間半は出てきません」 と連絡が入りました。 「お前ならいい勝負になるから、 頼むか ら出てくれ」 と小沢さんはお願いしていたようですが、 原口も出ないことになり、 最終的に、 菅 直人と樽床伸二の一騎打ちになったのです。 6月3日、 小沢さんは10時間に渡り最後の戦 いを挑もうとしました。 中国の胡錦涛に会いに行った小沢グループは、 160人くらいだったと思いますが、 今はどう なったのでしょうか。 赤坂にある私の事務所に、 この半年間、 民主党の新人議員5、 6人が党 を辞めたいと相談に来ております。 しかし、 小沢チルドレン・ガールズに対して、 政党助成金 90数億円を使い、 選挙対策費として500万円くらいをやるからついて来い等と言っているので す。 逆らっている人間にはまったくやりません。 だから、 内部からはこのままだと嫌でやって られないと、 口を揃えて言っているのです。 新人議員が辞めたいと相談に来る時は、 私はすぐ にでも、 みんなでまとまって辞めろとアドバイスしています。 5人以上だったら、 政党助成金 を受けられるからです。 結局、 民主党には裏切られて、 また、 みんな勇気が無いので辞められ ずにいるのが現状なのです。 この夏の選挙後に新党を立ち上げるのは、 小沢さんの常套手段ですが、 私は多くても20人か ら30人くらいしか集まらないと思います。 今の若者は結構薄情です。 議員を4年もやれば預貯 金も貯まります。 だから、 あと3年3ヵ月、 じっと我慢している政治家は多いはずです。 関係 者を秘書にして2,000万円も貯めて、 議員宿舎は赤坂の一等地で3DK で93,000円という破格の 金額で借りている。 私のところは2DK で、 その倍以上で借りています。 日常的にこのような ことが行われていますが、 小沢さんについては、 もう終わったという感じがしております。 こ れが今の流れですが、 問題は菅 直人です。 経済、 財政に関することをよく把握していない人 物なので、 頭の中は 「空き缶内閣」 だとも言われています。 詳しくは後ほどご説明いたします。 さらば財務省! を書いた元東洋大学の高橋洋一という人物についてです。 彼は休みだっ たある水曜日、 午後2時から豊島園のサウナにいたそうです。 客は3、 4人くらいで、 サウナ ― 88 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会参院選の予測 (民主党大苦戦!)―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― に入りマッサージを受けた後、 貴重品を保管していたセーフティボックスを開けたところ、 見 慣れない高級時計が入っていました。 一般的に年配になるほど、 覚えやすい暗証番号に設定し、 更衣室の場所も使いやすい外側のところを利用するようになるのですが、 彼も同じように行動 をしました。 そして、 1時間34分後、 ロッカーにあったその高級時計を腕にして出てきた彼は、 入口で警察官に職務質問されました。 「その時計はあなたのものですか」 と聞かれ、 「えーと、 いえ、 違います」 と答えたので、 警察署に連れて行かれました。 大蔵省を辞めた後、 東洋大学教授をしていた高橋洋一は、 その窃盗事件が原因で大学を辞め ました。 浪人後、 今年の4月から、 加藤 寛先生が学長をしている嘉悦大学の教授になり、 先々 週、 某場所で一緒になりました。 その時の高橋洋一は 「菅さんは1月7日に財務大臣になった 後、 大蔵省、 国税庁の関係者を呼んで、 政党助成金を含めて小沢さんの資産形成をいろいろと 聞いたのかもしれません。 だから、 菅内閣は脱小沢と考えているので、 小沢さんが一番嫌いな 弁護士を官房長官にした」 ということを話していました。 だから、 今の民主党幹事長は司法試験に受かっていて、 小沢一郎に盾を突いて反抗して無役 だった枝野幸男になったのです。 今は、 そのようにシフトしました。 政治資金規正法はザル法 ですが、 小沢問題はとても難しい状態にあると思います。 後で検察審査会のことを触れますが、 所得税法違反の脱税というのは、 99%何らかの処分が出されると思います。 しかし、 鳩山由紀 夫は逮捕されませんでした。 だから、 何となく周りの気配が気になります。 その理由は後でお 伝えすることにいたします。 前回は話していないことですが、 1月下旬の予算委員会を見ていた時のことです。 子育て支 援の2兆7千億円という大規模な事業の乗数効果、 消費性向について、 経済的にどのくらい波 及するのかという点を協議した時があったのですが、 その委員会で、 菅 直人はまったく意味 を理解出来なかったので、 4回も速記が止まりました。 後ろで待機している大蔵官僚と何とか 局長は、 誰も彼の側に行って助言しようとしないのです。 なぜかと言いますと、 昨年10月、 菅 直人は官僚たちを馬鹿だと言ってしまったからです。 だから、 官僚たちは全員、 東京大学 出身の俺たちが何で東京工業大学出身者の面倒を見なくてはいけないのかと思っているのです。 1人だけ財務大臣政務官に大蔵官僚がいます。 大串博志という若者なのですが、 霞ヶ関で課 長補佐を5、 6年間経験した人でないと、 霞ヶ関の仕組みはわからないと思います。 34、 5歳 くらいの政治家も元気があっていいと思いますが、 やはり、 基本をマスターしていないと駄目 です。 30秒くらいの説明で、 累進効果と消費性向に関係するマクロ経済の基礎を理解すること は不可能です。 だから、 速記が4回も止まっているところを、 テレビ中継されているのです。 2月5、 6日にカナダ北部のイカルウイットで開催された先進7カ国財務相・中央銀行総裁 会議、 通称 G7サミットについて、 高橋洋一は指摘しております。 その時の映像を見ていま したら、 出席者の中で耳にイヤホンを付けていたのは、 菅 直人だけだったそうです。 アメリ カ、 カナダ、 イギリスの大臣はもちろん英語で話します。 ドイツ、 フランス、 イタリアの大臣 は留学経験が豊富な人たちですから、 当然、 英語を話せます。 だから、 イヤホンは不要なので す。 経済問題に関する英語は、 意外に簡単な単語を使うのですが、 彼の場合は最初から立場が 違いました。 同時通訳というのは、 3、 4秒遅れで訳されますので、 とても集団ディスカッショ ンには入れない状況なのです。 その時の大蔵官僚の対処方法は 「I have a question」 と書い たメモを渡し、 次のところでこれを言ってくださいと伝えるのです。 すると、 菅さんは 「I have a question」 と言いながら手を挙げると、 議長国のカナダの官僚は、 やっと日本を指名 ― 89 ― するのです。 このようなことから、 菅さんは大蔵財務官僚の手のひらの上に、 完全に落ちたの です。 2月下旬、 財務省の幹部連中は 「最近、 菅さんは理解力が早いね」 と言っていました。 決し て褒め言葉ではありません。 この言葉を聞いた時、 すでに官僚の言いなりになっているのが、 理解出来ました。 すべて官僚たちの言う通りにやっているということです。 そんな中で、 消費 税10%に取り組んで、 財政再建を進めて行こうと言っているのです。 大蔵官僚が財政再建等と そのような言葉を言っていること自体、 もう消費税の増税を考えていると、 高橋洋一の大蔵官 僚の後輩は言っています。 10日程前になるのですが、 ある記者たちと話していた時です。 大蔵財務官僚たちが 「菅は、 もしかしたら小泉よりも楽かもしれない」 と言っていたことを教えてくれました。 この言葉を 聞いて、 自民党が消費税10%と言ったから、 同じように話しているんだなと確信しました。 国 民の皆さんも何だか詐欺にあったようで、 また、 お化けに出会ったように面を食らっていると 思います。 これが一連の経過です。 ところが、 愚かな有権者は脱小沢と喜んでしまい、 核心を 見逃しているのです。 内閣支持率は、 また10ポイント下がりました。 状況は良いとは言えませ んが、 7月11日まであと2週間あります。 少なからず動きがあると思います。 マスコミの扱い を見てもわかる通り、 選挙では、 民主党政権に対する何らかの審判が下るだろうと予測してい ます。 5月末の日米共同宣言の直後、 菅原文太先輩から電話をいただきました。 「福岡、 こんなに なってまで沖縄県民を愚弄する鳩山のやり方は許せない。 私に出来ることがあれば何か手伝い たい」 という内容でした。 また 「高倉 健さんにも話をするから、 お前は河上和雄先生、 吉永 小百合さんに連絡してほしい」 と言われました。 事務局は、 もちろん福岡研究室と決めていま した。 日本の国土の0.6%しかない沖縄に、 島の75%が米軍基地であることを、 私たちは戦後 65年間に渡り許し続けてきたのです。 沖縄復帰の昭和47年以降、 もう38年が経ってしまいまし たが、 日本人全員が何かを考えるきっかけにしようということになったのです。 その話の中で、 沖縄に詳しい人から、 地元の話を聞こうということになりました。 すぐに名前が出てきた人物 は、 沖縄少女暴行事件をスクープした琉球新報の政治部長です。 彼は私の教え子で、 今もゼミ ナール生たちと共に、 いろいろと取り組んでおります。 沖縄の現状を一番把握している人物で もありますので、 私たちが知らないことをたくさん話してくれると期待しています。 そして、 福島瑞穂、 石破 茂も呼んで、 そのような勉強会をしようと声が上がったのです。 夏の選挙後 の9月以降に、 国会議事堂に隣接する国会前庭内に建つ憲政記念館で行うことになると思いま すが、 その時は、 仁義ある戦いをしたい、 そういった気持ちを持って皆さんが参加されること を聞いております。 前回の講義におきまして、 高齢化が加速しはじめる2012年問題について、 少しだけ触れたと 思います。 私は今年の9月で65歳なります。 また、 今年中に可愛い孫が生まれますので、 何と なくニコニコしています。 だから、 何を言われようと今は怒りません。 30歳で駒澤大学の専任 講師になり、 以来35年間、 教鞭を執ってきましたので、 私学共済年金に加入しています。 だか ら、 これからは年金生活に入って、 ゆっくり過ごすことも出来るのですが、 しかし私は、 そう いった気持ちを一切持っていません。 昭和22年生まれは何と275万人です。 昭和23年、 24年に生まれた方々も同じくらいいます。 当時、 シベリヤ、 南方等から日本に戻ってくる人々が大勢いましたので、 その影響もあり子供 ― 90 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会参院選の予測 (民主党大苦戦!)―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― が多く生まれた世代になった訳です。 昭和19年、 20年、 21年生まれは、 それぞれ120万人弱で す。 戦後の栄養不足のため、 だいたい2割がすでに亡くなっております。 しかし、 団塊世代と 言われる昭和22年生まれの275万人中、 亡くなった方は1割以下です。 そして、 2012年には、 昭和22年生まれの方々が65歳になります。 そして、 団塊世代が次々と65歳になっていくのです。 2012年以降の3年間で、 おおよそ660万人が高齢者の仲間入りをします。 ほぼ全員が年金生活 に入ります。 元公務員は月28、 29万円を貰い、 厚生年金は一生懸命、 40年間働いたとしても、 だいたい21、 22万円くらいです。 国民年金は、 残念ですが6万円弱しか貰えません。 65歳まで 現役で働いている人は、 全体の1割しかいないと思います。 皆さん、 近い将来をよく考えてみてください。 2012年以降、 660万人が年金生活に入るのに、 生まれてくる子供は年間108万人で、 3年間に324万人しかおりません。 そのような国に活力な んか生まれる訳がありません。 今後、 増え続けるのは老人ホームだけです。 みんな元気なので 葬儀屋さんも不要です。 だから、 内需の拡大なんか考えられない訳です。 ノースアジア大学で 講義をするようになりまして、 数年が経ちましたが、 日本一過疎化が進む秋田県を何とかした いと思いながら、 今日もこの会場に来ております。 今は TDK も営業利益が伸びません。 青森、 新潟に移動するのに4時間もかかる秋田だからこそ、 皆さんと盛り上げたいと思っています。 この2012年問題は、 本当に恐ろしいものがあります。 国内の工場が次々と閉鎖されて、 中国やインド等に日本企業が進出しましたが、 1、 2ヵ月 前、 天津でトヨタ、 ホンダ工場のストライキが起こりました。 中国人労働者の過重労働が原因 で数名が自殺され、 そのニュースが国内に流れた途端、 ストライキに繋がったということです。 日本に比べれば給料は安いほうですが、 中国の日本工場で働くと高い給料を貰えるので、 現地 の人たちはそれはもう喜んで仕事をします。 ごく少数の人々は本当に辛い仕事をしていると思 いますが、 あまり言いたくはありませんが、 これは何か作られていると感じました。 だから、 気の利いた日本企業はすでに中国から出ていっているのです。 今週発売された週間エコノミストの中にあったのですが、 インドに駐在している日本人が2 人以上集まると、 インド人の悪口を言い合うそうです。 なぜかと言いますと、 現地では時間通 りに荷物が届かない。 いろいろと仕事の依頼をしたのに、 間違いなく時間通り物事が進まない からです。 良い話ではありませんが、 インドに行くと、 本当にこの効率の悪さがよくわかりま す。 しかし、 中国の人口は13億8万人、 インドは11億4千万人です。 2つの国を合わせますと 25億人にもなります。 世界の人口68億人の内、 約4割が中国人とインド人ですので、 ここ数年 はいいと思うのですが、 将来はとてもたいへんな事態になると思います。 また、 身分、 階級を 重んじるインドのカースト制度は、 日本人には絶対に理解出来ません。 なぜかと言いますと、 事故現場に救急車が到着して治療にあたっていても、 高い階級の人が近くでケガをしただけで、 救急車はその場からいなくなってしまうのです。 良いことと悪いことを別にして、 国々にはそ れぞれの歴史、 伝統がありますので、 私たちから見る目線とまったく違うことがわかると思い ます。 日本は外需の依存も難しいし、 内需の拡大も出来ない状態にあります。 人口が減り続け、 急 速に高齢化が進む2012年以降の日本は、 どのようになるのか想像も出来ません。 あと5年、 2015年までが日本の勝負の時だと思います。 そのことを頭の隅に置いていただいて、 この夏の 参議院議員選挙について、 触れたいと思います。 昨日、 小沢一郎さんは、 過半数の60議席を民主党は目標としていることを言っていました。 ― 91 ― また、 とても大きいニュースになりましたが、 突然、 菅 直人が言い出した消費税率10%につ いて、 極めて不満であるということも話しておりました。 3年前の参院選、 昨年の夏の総選挙 でも、 消費税率10%という言葉を彼は一言も言っておりません。 当然、 マニフェストにも載っ ていませんので、 そのように言ったのだと思います。 小沢問題についてですが、 4月末、 検察審査会があのような判断をしました。 石川知裕被告 から政治資金規正法の報告書は出していましたと、 私は報告を受けていたのですが、 5月末に なり、 小沢は東京地検特捜部から3時間半の事情聴取を受けました。 石川被告から報告を受け ていましたかと質問されると、 細かいことはすべて秘書に任せておりますので、 という感じで 答えていたようです。 それから3回、 合わせて14時間は、 ほとんど同じ会話が繰り返されてい ました。 もちろん、 東京地検は推定無罪、 疑わしきは罰せずです。 しかし、 検察審査会11人中 11人全員が、 再び起訴相当と判断しました。 今、 11人中5人の任期が切れましたので、 メンバー が代わりました。 その5人に対して、 東京地検経験者の弁護士が、 アドバイザーになって専門 用語の説明をしているのですが、 最後には 「これはやはり起訴しないといけないよね」 という 会話になるそうです。 3億数千万円について、 最初は政治資金であると話していました。 しかしその後は、 父親の 遺産と言ってみたり、 最後になると、 銀行からの4億円の定期で、 3億数千万円の預金を担保 にして、 土地の売買にあてたという言い訳は、 明らかに作為があると思います。 市民感覚から は想像も出来ませんし、 本当におかしいです。 だから、 市民目線の検察審査会は起訴相当と結 果を出したのです。 通常11分の8くらいで決まるのですが、 満場一致の判断でした。 今後も11 人中6人の判断はもう変わらないと思います。 また、 新しいメンバーも同じ答えになるのでは ないでしょうか。 5人中2人が同じように判断すると、 もうそこで8人になり決まります。 今、 小沢さんは幹事長を辞めましたから、 間違いなく、 11分の10あるいは11分の11で、 7月下旬あ たりに結果が出ると思います。 だから、 投票は7月11日になるのです。 秋以降、 国民代表の弁 護士さんと小沢弁護士が、 裁判で争うことになるのですが、 半年以上かかりながら、 裁判所の 判断は、 おそらく嫌疑不十分で不起訴という結果になるのではないでしょうか。 今月発売の文藝春秋の後ろのほうに載っていましたが、 東京地検特捜部長の大鶴基成は、 国 税庁関係者を東京地検に呼んで、 徹底的に所得税法違反の疑いでいろいろと調べていることを、 あるルポライターが書いていました。 今までの60数億円という政党助成金がどのように使われ たのかを含めて、 桜田門周辺では、 数字は嘘をつかないという話になっているそうです。 それ が、 お盆明けの8月末ぐらいには何かわかるのではないかという記事でしたので、 ぜひとも、 皆さんにも隅々まで読んでいただきたいと思います。 民主党の夏の総選挙の応援で、 近々、 松下政経塾出身の国土交通大臣、 総務大臣が秋田県に 来るような広告を某地元新聞で見ましたが、 群馬県の八ッ場ダムの工事は継続する方向です。 普天間問題と同じで、 何とも言いようがありません。 完成までもう少しのところでいろいろと ありましたが、 道路は完成させる方法しかないと思います。 完成間近のダム工事たっだのにも 関わらず、 昨年の夏、 工事現場も見ないで何で工事を中止すると言ってしまったのでしょうか。 普天間については、 最低県外移設を表明し、 沖縄県民を何であそこまで困らせるのでしょうか、 私には理解出来ません。 大臣17人中4人は松下政経塾 OB なのですが、 松下幸之助は、 私財 100億円近くを投じて、 私たちに言った言葉の1つは 「現地現場」 主義です。 前回の講義の中 でも話しましたが、 現場を見てから国民、 住民の目線に立って、 政策を考えられる政治家になっ ― 92 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会参院選の予測 (民主党大苦戦!)―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― てくださいと、 車椅子に座っている松下幸之助は、 私たちに言われました。 しかし、 今のやり 方を見ていると、 その言葉通りに取り組んでいるのか疑問を持ちます。 ある新聞記者は、 民主 党政権をリトルリーグ政権と言っています。 その言葉を聞いたリトルリーグの監督をしている 私の後輩は 「先生、 リトルリーグをなめちゃいけませんよ。 あんな政治は草野球以下です」 と 言っていました。 最近、 スポットライト・シンドロームの民主党議員が目立っています。 ピンク色のネクタイ をしている大臣の行動はすべてニュースになるので、 更に目立ちたいと思っているのです。 そ れでまた、 派手な洋服を着てみたりしてしまうのです。 行政刷新の某大臣も同じで、 全身ホワ イトの洋服にしてみたり、 会議では指を指してみたり、 もの凄いパフォーマンスをしています。 ある程度、 いい意味でのいい加減さというのは必要だと思うのですが、 今回の刷新会議では、 小惑星探査機 「はやぶさ」 も仕分け対象になりました。 そのようなことを含めて、 この夏、 今 の政権に審判が下ります。 自民党はもう駄目です。 朝、 秋田空港から秋田市内のホテルまで移動した時、 自民党の谷垣 ポスターを1枚も見ませんでした。 もうお金がないからポスターを作らないのかはわかりませ んが、 たちあがれ日本は、 石原慎太郎の恐そうな顔が写っているポスターが貼られていました。 あとは菅さんのポスターが数枚ある程度でした。 見ていると全国同じような状況だと感じてい ます。 谷垣は頑張っているようですが、 彼は動乱期のリーダーではないような気がいたします。 どちらかというと、 何も考えなくても進んでいくような組織が似合っていて、 何とかの3代目 のリーダーという言葉が当てはまるように感じます。 大島何某は私より若くて、 昔、 一緒に勉 強してきた仲間だったのに、 今では偉そうにしています。 人って偉くなれば、 何であんなに顎 が上がってしまうのでしょうか、 私には本当に理解出来ません。 大学に入学した時、 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 という言葉を先輩に教わりました。 だ から、 いつも普通にしていることが私の原点です。 昨年は民主党代表選挙の司会を務め、 今年 は民主党の悪口ばかりを言っていると、 皆さんから言われていますが、 私は常に在野の精神を 持って取り組んでまいりました。 反権力という気持ちを持って、 常に権力と距離を置くという のが、 私たちの立場ではないかと日頃から思っている次第です。 サードフラッグについてです。 5月中旬、 みんなの党の勉強会の講師を引き受けましたが、 初めて優しく対応してもらいましたので、 驚きました。 少ない政党助成金を利用して、 いろい ろと考えて取り組んでいることだろうと想像はしていましたが、 今、 本当に勢いがある党です。 毎日新聞の比例代表選の事前調査では、 みんなの党が15%、 民主党は19%、 自民党は20%でし た。 だから、 みんなの党は1,000万票を取れるのではないかと思っているはずです。 民主党の 顔が鳩山と小沢であったならば、 もしかしたら第1党になれるかもしれないと、 私も少しだけ 思いました。 秋田でもいろいろな動きがあったという報告を受けていますが、 政党が違うとこ ろからある父親が出ることになったそうですが、 これ以上はコメントしません。 いろんな選挙 区でいろんな人を立てようと準備しようとした矢先、 菅政権になってしまいましたので、 その 計画は尽く潰されてしまいました。 しかし、 みんなの党は比例で700万票を取り、 公明党と第 3位争いをするのではないでしょうか。 消去法で考えてみますと、 もう少し民主党にやらせて みたいと思う有権者は、 もしかしたら意外に多いかもしれません。 先日、 やしきたかじんさんの番組に出た時、 民主党をもう少し見てみたいが、 国民共通の本 音は、 とてもがっかりしたという気持ちではないでしょうかと、 スタジオの隅で出演者の皆さ ― 93 ― んと話をしました。 少しお灸を据えたいという気持ちは国民全員が持っているはずですが、 今 回の選挙は参議院です。 衆議院では308議席を確保しており、 このまま3年3ヶ月は選挙があ りません。 自民党、 民主党の両方が駄目なので、 現時点で投票先を決めている有権者は半分も いないと思います。 今、 自民党で応援依頼が一番多いのは小泉進次郎です。 石破 茂は論理もしっかりしていて、 決して悪い人ではないのですが、 残念ながら目つき、 外見が悪いです。 だから、 今の自民党に は役者がいないのです。 安倍内閣で内閣官房長官を務めた塩崎恭久というのがいましたが、 彼 も根性がないので、 正面に出ない人でした。 東京大学、 日本銀行、 ハーバード大学大学院出身 で、 舛添要一を担いで、 何かを企んでやろうとした政治家です。 悲しくなるのですが、 最近、 そんな政治家が多くなりました。 自民党の河野太郎でさえ、 表面上はいいですが、 代表戦の総 数を見てもわかるように、 本当に綺麗事しか言いません。 石破 茂が辛うじて残るくらいで、 40代、 50代の中堅で魅力溢れる政治家がまったくいないのです。 あとは1、 2年生議員だけだ から、 自民党は駄目なのです。 結局、 選択肢がなくなり、 みんなの党の票が伸びて、 公明党の 750万票を抜くかもしれません。 たちあがれ日本について、 先日、 30数社から取材を受けました。 「先生は中畑さんとお友達 だと聞きまして、 連絡しました」 という話が多かったのですが、 私は 「馬鹿やろう。 俺が単位 をやったから卒業出来たんだ。 そんなことも把握しないで電話なんかよこすな」 と言って切っ てやりました。 平沼赳夫先生と付き合いがあって、 駒澤大学時代の教え子が選挙に出ることに なったら、 当然ですが、 私が出るように仕向けたと世間では思っていたようです。 中曽根康弘 の秘書をした与謝野馨は、 石原慎太郎、 渡辺恒雄のラインにありますので、 この2週間、 黙っ て見ておりましたら、 何でこんなに中畑を取りにくるんだろうと、 私も不思議に思っていまし た。 やはり、 渡辺恒雄は、 福田康夫時代に小沢とやった時のことを思い出しているのかもしれ ません。 今だから言えますが、 石原慎太郎は都知事を辞めて、 この夏の総選挙の比例から出ようと考 えていたようです。 慎太郎には4人の息子がいるのですが、 一番可愛いがっている息子は三男 坊の宏高です。 長男は若いときから議員として働いていて、 次男は売れない役者、 気象予報士 として、 いつも家を留守にしていました。 また、 四男は画家のため、 まったく家にいませんで した。 慶應大学出身でみずほ銀行に勤めいた宏高は普通のサラリーマンで、 父親と一緒に暮ら していたので、 可愛がられました。 しかし、 今の彼の胸にはバッチがありません。 もう78、 9 歳の慎太郎は、 もう知事選には出ないと思いますが、 可愛い息子を何とかしたいと常に考えて いたはずです。 東京オリンピックの誘致なんて、 絶対に最初から成功しないと誰もが思っていたはずですが、 東京都は最終的に何と5億円というビデオ制作費用を電通に支払ったのです。 10分間の PR ビ デオが5億円です。 どう考えてもおかしいことで、 そんなのは犯罪行為としか言いようがあり ません。 ビートたけしさんに言わせれば、 5億円で2時間の本当に立派な映画が出来るそうで すが、 私たちの税金の使い道について、 彼は真剣に考えていなかった証拠が伺えます。 また、 自分が全国区に出て、 息子を東京選挙区に出す筋書きだったのですが、 鳩山、 小沢が辞めてし まったのでやらなかったらしいです。 知り合いの大会社の社長は 「慎太郎はいつも勝ち戦しか しないからな」 と言っていましたが、 確かに言われてみればその通りです。 参議院の比例で勝 つとしたら300万票が勝敗ラインですが、 彼だったらまだ100万票は取れると思いますが、 息子 ― 94 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会参院選の予測 (民主党大苦戦!)―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― の応援団もやっているので、 それ以上は無理だと判断したのではないでしょうか。 舛添要一がはちまきをしても、 新党改革はもう駄目なような気がしています。 自民党から仲 間を1人も連れて来られなかったというところに、 彼の不人気さが伺えます。 ただ彼は、 この 夏の選挙で獲得議席数が足りなくなった場合、 民主党と組む可能性を考えているはずです。 日 本創新党の状況もたいへん厳しいと思います。 横浜市長を辞めた中田 宏も厳しい立場にある と思います。 多くの借金を作りながら横浜博を開催したので、 誰も応援はしないと思います。 これは博報堂がやったのですが、 外から見えるようなイベントや箱物を作ったので、 1,500円 の入場料を払う人なんか絶対にいませんでした。 外から見ていて、 私も本当に馬鹿なことをし たなと思っていました。 しかし、 そこには私たちの大切な税金が使われていて、 業者の請負金 額は数10億、 数100億円規模かもしれませんが詳しくはわかりません。 もう私たちには考えら れない莫大な金額が支払われたことは確かです。 このように、 私たちが一生懸命働いて納めた 市民税、 所得税は無駄に使われているのが現状です。 比例代表の改選議席数は48です。 もちろん、 比例には無所属がいません。 今回の有権者は1 億450万人くらいで、 投票率は57%プラスマイナス2だと思いますので、 有効投票数はだいた い5,900万票くらいになるのではないでしょうか。 だから、 皆さんは115万から120万票で1議 席だと考えてください。 公明党は750万票プラスマイナス2、 30万票で、 7議席はいくのでは ないでしょうか。 共産党は400万票で3議席だと思います。 社民党は共産党に並ぶかと思った のですが、 予想として多くても300万票で2議席です。 たちあがれ日本、 国民新党は100万から 150万票で1議席を取れるか、 取れないかくらいです。 みんなの党は、 700万票弱で7議席か8 議席だと思います。 これを引き算していくと、 残るのが民主党と自民党でだいたい3,100万票 です。 今のところ、 自民党は1,400万票、 民主党が1,700万票くらいだと思いますので、 自民党 は13議席前後で、 民主党はだいたい16議席だと思います。 合わせると48前後の数字が見えてき ます。 問題は29ある1人区で、 各政党の勝ち負けが決まる訳です。 おそらく、 7月11日午後8時、 勝者なき選挙という言葉が全国放送されて、 民主党も自民党も勝てず、 サードフラッグ、 共産 党、 社民党、 みんなの党も伸びない、 すべてがそのような結果になるだろうと予想しています。 秋田の1人区については詳しく話しませんが、 青森はやや自民党が有利で、 民主党の女性候補 は地元のテレビ局に数年間いた人で、 土地に縁も無くなく輸入候補として小沢学校から出てき ました。 小沢ガールズ、 チルドレンへの批判を考えると、 今のところ自民党が有利です。 今週の火曜日、 山形県天童市に行って来ましたが、 こちらも70歳の現職の自民党がやや有利 です。 岩手県は圧倒的に民主党が勝つはずです。 群馬県は自民党現職の中曽根弘文が有利です。 北陸を見てみますと、 富山県、 石川県、 福井県は自民党が勝ち上がっていくはずです。 近畿の 滋賀県と奈良県、 中部の三重県は、 人口が急増地区で岡田の影響もありますので、 民主党が強 いです。 和歌山県は野田聖子の元夫の鶴保庸介が勝つはずです。 岡山県は民主党現職の江田五 月が強いです。 山口県は自民党現職の安倍晋三の兄弟である岸 信夫が圧倒的に有利で、 映画 俳優の原田大二郎は負けると思います。 島根県は自民党新人の青木が少し有利ですが、 最後ま でわかりません。 鳥取県は石破 茂が圧倒的に強いところですので、 自民党新人の浜田和幸と いうエコノミストが有利だと思います。 彼は国際政治学者として、 時々テレビに出ていて何回 か一緒になりましたが、 民主党から出た元知事の孫娘で医者の坂野という人よりは、 浜田のほ うがやや有利だと思います。 四国はやや民主党が強いので、 愛媛県以外は民主党と無所属が有 ― 95 ― 利だと思います。 九州は福岡県以外1人区です。 熊本県、 長崎県、 宮崎県、 鹿児島県では民主 党の対応に疑問を持っている方々が大勢います。 大分県だけは民主党が強いです。 沖縄県では、 自民党現職の女性議員と、 無所属で社民党系の方が互角の戦いをしていますが、 結論は定かで はありません。 香川県では女性の副市長が出ますが、 最終的に民主党は13くらいになり、 自民 党の方がやや有利になるのではないかと予想します。 3人区は5地域です。 民主党が5〜6議席、 自民党は5議席、 公明党は2議席、 みんなの党 については、 もしかしたら愛知県や神奈川県で議席を取るかもしれません。 5人区は東京だけ で、 民主党の蓮舫さん、 公明党の1人は受かると思いますが、 共産党はわかりません。 結果的 に民主党は50議席には届かないと思います。 選挙は2週間先ですが、 今まで消費税問題が話題になって勝った政権は、 1つもありません。 大平正芳という人物は、 最後倒れてしまいました。 今から12年前、 消費税が5%になった時も 同じで、 橋本龍太郎は負けて辞めました。 今回、 自民党も同じ案らしいですが、 唐突に消費税 10%と出てきました。 日本の将来を心配している多くの国民は、 消費税の引き上げには理解は あるのですが、 当然ですが、 公共事業のばらまきをした自民党には誰も付いて行こうとはしま せん。 強い経済、 強い財政、 強い社会保障を目指し過ぎた小泉、 竹中の考え方が間違っていたので、 今、 介護の現場にいる大勢の人たちはとても苦しんでいるのです。 仮に3兆円を増税して、 若 者の雇用、 社会保障、 介護、 福祉に当てても何も変わらないと思います。 介護の現場にいる20 代、 30代の働き盛りの方々が数年で何割が残るか、 皆さん、 ご存じでしょうか。 それだけ介護 の現場は厳しいのです。 実際、 介助が上手な男性職員は1割しかいないのが現状です。 しかし、 政府は何も現場を見ないで、 ただ増税すれば簡単に、 そういった問題は解決するよ うなことを言っているのです。 先日、 報道ステーションに出ていた大阪大学の小野教授のコメ ントを聞いた時、 私はぞっとしました。 本当にハゲタカファンドの連中と同じ考えなのです。 増税分を若者の雇用に使ったら、 その若者たちはお金を貰い、 そして消費は拡大するから、 日 本の経済は強くなるようなことを言っているのです。 私は馬鹿だと思いました。 一度は彼の論 文を読んだほうがいいと思うのですが、 東京工業大学出身なので菅 直人の後輩にあたります。 だから、 菅 直人は彼の言葉を真に受けて、 強い経済、 強い財政、 強い社会保障と言っている のです。 残念ながら、 弱肉強食のように感じてしまい、 本当に嫌な気持ちになりました。 背景 にはそういったものが沢山ありますが、 今の日本経済は失速しはじめていると感じております。 安倍晋三が負けた時の3年前の授業でも、 同じようなことを言ったと思います。 総選挙が数 日後にあったのですが、 駅前で経済成長戦略、 雇用政策といった街頭演説になっても、 周りい た市民は 「何きれい事を言っているんだ」 と呟いて、 3分も聞かないで立ち去っておりました。 それを見た後の土曜日の夕方、 麻生太郎と鳩山由紀夫に、 自民党は37議席前後になることを伝 えたところ、 麻生、 鳩山はとても驚いていました。 こんなにも自民党が負けるなんて、 誰も予 想していなかったからです。 結局、 今はその時と同じような流れになっています。 だから、 今 回の選挙では、 民主党は40議席後半に届かないはずです。 現在の民主党の非改選は62議席ですが、 今回の選挙で仮に50議席を獲得しても110数議席で す。 過半数は121議席ですので、 10以上は足りません。 国民新党の3人を足しても、 足りない ので、 残る道は1つしかありません。 19〜20議席の公明党に目が向けられるはずです。 みんな の党は10議席に達しないかもしれませんので、 おそらく彼らは次の総選挙で勝つことを目標に ― 96 ― ノースアジア大学 総合研究センター主催 講演会参院選の予測 (民主党大苦戦!)―衆参ネジレで政界再編・大連合へ― しています。 他は1〜2議席という感じなので、 衆参ネジレで公明党と組むか、 あるいは、 大 臣の椅子を狙っている自民党の一部の軽いグループが民主党と組むか、 どちらかになるはずで す。 そのようなシナリオは、 菅 直人、 小沢一郎の頭の中にもあるはずですが、 50人、 60人の小 沢グループは今のまま継続しているとは限りません。 もしかしたら、 小沢さんは終わる可能性 も考えられるのです。 9月に代表選があります。 割りと人望がない菅 直人、 社会党だった仙 谷由人、 計算高い枝野幸男等いろいろあると予想出来ますが、 全員が非公式に軽い感じで言っ ているのは、 次は岡田という言葉です。 菅 直人は惨敗の責任を取り、 7月中旬に辞めるかもしれません。 そうなった場合、 反小沢 グループとして、 岡田を中心とした組織がまとまるかもしれません。 前原はまだ無いと思いま す。 自民党、 国民新党、 新党改革、 無所属等を含めても5〜6人は足りないので、 1本釣りを 始めるはずです。 この時、 救国大連合を自民党がやるか、 やらないかで民主党の方向性が決ま ります。 しかし、 今は骨のある政治家はほとんどいませんが、 今はそのような選択肢しかあり ません。 民主党の中からは17人の大臣は出せない。 せいぜい5〜6人が精一杯なはずです。 30 代で松下政経塾を出たり、 政治家2世で出てみたり、 小沢チルドレン・ガールズに入っても、 もう何をしていいのか、 まったくわからない状態に陥っているのです。 それを見てきた霞ヶ関 の官僚たちは、 国家のために働くつもりで国家公務員になり、 霞ヶ関の勉強をしてきたので、 私たちをもっと使ってほしいと言っているのです。 口蹄疫問題が最初に出たのは3月末らしいですが、 4月中旬にはいろいろと把握していたよ うです。 韓国、 台湾、 上海、 香港でも問題になりましたが、 そういった国々も、 国内で牛と豚 を数100頭殺しただけ、 真摯に対応していなかったので、 今はたいへんなことになっています。 農林水産省や自民党の農水属は、 俺たちにもう少し力があれば感染拡大を防ぐことが出来たこ と、 もっと自分たちに相談してほしかったことを呟いておりましたが、 日本の国も、 本当にた いへんな事態になってしまいました。 私は共産党を除いて、 挙国一致、 救国大連合を作り、 岡田克也を総理大臣にして、 谷垣禎一 を副総理・外務大臣、 与謝野馨を大蔵大臣、 渡辺喜美を行革担当大臣、 江田憲司を沖縄担当特 命大臣、 長妻 昭を年金特命大臣にして、 そうやってみんなの力を借りて、 今の状況を乗り切 らないといけないと考えております。 要はみんなで力を合わせて、 進めていかなければいけな いのです。 この間、 長妻 昭とあるパーティーで会いました。 彼が側に近寄ってきましたので、 私は挨 拶だけをして出ようと思いましたが、 珍しく握手をしてきました。 私は、 あまり男とは握手を したくはないのですが、 どうしてもという感じで手を伸ばしてきましたので、 仕方なく握手を しました。 その時、 彼の手が湿っていましたので、 何だか悲しくなりましたが 「これからも頑 張れよ」 と声を掛けました。 目は少し虚ろで、 本当に疲れている表情でした。 我が国には一刻の猶予もありません。 今すぐに公務員の給与と人件費を2割削減してほしい。 退職金、 年金、 引当金等の国家公務員、 地方公務員350万人の人件費は35兆円です。 国税収入 は37兆円、 地方税収入は33兆円です。 70兆円の収入の内、 35兆円は公務員の人件費だからこそ、 仮に2割にしたら7兆円が削減されるのです。 消費税を上げる前に取り組むべきことは、 たく さんあるはずです。 総選挙の前だから言いにくいのですが、 参議院議員なんて実際は100人く らいでいいのです。 自分たち以外の国会議員はいらない、 というような強い気持ちを持って政 ― 97 ― 治家には取り組んでもらいたい。 第3セクターへの天下り問題も同じで、 見ている限り秋田県においても本当にたくさんいま す。 県庁、 市役所を辞めた人間があっちこっちに渡っているのです。 すべての経費は皆さんの 税金が使われているのです。 毎月11万8千円の父親の遺族年金を、 母親は30年間いただいてま いりましたので、 次の授業では、 年金の話を詳しくしようと思っています。 予定時間を超えて しまいましたが、 これから質問をお受けしたいと思いますので、 どうぞよろしくお願いいたし ます。 ご清聴、 誠にありがとうございました。 (拍手) 質問者 はい、 小笠原と申します。 この夏の総選挙に関しての質問です。 2人区のところと、 山梨選 挙区について、 今どのような状況になっているのかを教えていただきたいと思います。 福岡先 生、 どうぞよろしくお願いいたします。 福 岡 2人区は北海道、 静岡県、 京都等で12ほどあります。 ほとんどは自民党、 民主党、 1対1の 関係になっています。 過去を振り返って見ますと、 小沢さんが2人出して仕掛けたところでは、 共倒れになったケースがありましたので、 今は1人に絞っています。 当然、 自民、 民主が有利 だから、 12対12という構図になります。 ご質問の山梨県についてですが、 昨日、 輿石 東を応援するために小沢さんが駆け付けまし た。 輿石は、 山梨県のドンで日教組の元委員長だった槙枝元文の腰巾着でしたが、 彼は本当に 味のある顔をしております。 それに対立して出たのが、 自民党の松下政経塾出身の32歳になる 女性教員です。 もう、 ほとんど並んでいると思います。 最後は、 民主党の応援で左右されると 思います。 山梨県の人口は87万人くらいにも関わらず、 教員は9千人もいる県です。 以前、 山梨県のテ レビ番組に講師として出た時、 他の県に比べて明らかに教員の数が多いことについて触れまし たら、 抗議が殺到してしまい、 その番組は4回で打ち切りになってしまいました。 私はそうい うのは本当に嫌いです。 最終的に投票率が上がれば、 女性候補が勝つかもしれませんが、 なか なかそうはいかないように感じます。 ご指摘の通り、 山梨県は象徴的な選挙区であることは間 違いございません。 選挙速報で流れる内容にもよりますが、 やはり私は自民党が勝つような気がしています。 来 週、 山梨県に取材しに行ってみようと思っております。 時間になりましたので、 皆さん、 次回 の授業でまたお会いしましょう。 白 川 福岡先生、 本日は誠にありがとうございました。 今の政局につきまして、 様々な角度から詳 しくご説明してくださいました。 福岡先生に対しまして、 感謝の意を込めて、 もう一度、 盛大 な拍手をお送りしたいと思います。 ご来場の皆様におかれましては、 最後までご清聴ください まして、 誠にありがとうございました。 これをもちまして、 ノースアジア大学総合研究センター 主催のシティカレッジ《公開講座》を終わります。 ― 98 ― 論 文 茨城県潮来市に残された二次林の現状と保全上の課題 村 中 孝 司 はじめに 雑木林は1960年頃までは燃料や肥料などの物資を調達するための農用林として利用されてきた。 そこ では、 コナラ Quercus serrata Thunb. ex. Muuray やクヌギ Q. acutissima Carrutherus などの成 長にあわせて10〜15年に1回程度の周期で伐採されるとともに、 1〜数年に1回程度の周期で下草刈り と落ち葉掻きが農作業の一環として行われてきた (豊原1988)。 このような人為的な植生管理は、 二次 林としての持続的利用性を可能にするばかりではなく、 雑木林の内部に多種多様な林床植物の生育をも たらしてきた (亀山1996)。 雑木林の林床は管理が施されていない森林と比べると明るい。 関東地方の 雑木林には、 コナラ、 クヌギ、 クリ Castanea crenata Sieb. et Zucc.、 アカマツ Pinus densiflora Sieb. et Zucc.などの林冠を構成する主要な樹木のほか、 ガマズミ Viburnum dilatatum Thunb. ex Murray、 ヤマツツジ Rhododendron obtusum (Lindl.) Planch. var. kaempferi (Planch.) Wils.、 コウヤボウキ Pertya scandens (Thunb.) Sch. Bip.などの林床植物が数多く含まれる (中西ほか1983; 宮脇1986)。 しかし、 農業の近代化以降、 肥料が化学肥料に置き換えられ、 薪炭の需要が減少するにし たがって、 雑木林の利用価値が低下し、 伝統的な植生管理は施されなくなった (豊原1988)。 それによっ て、 関東地方の多くの雑木林ではアズマネザサ Pleioblastus chino (Franch. et Savat.) Makino が 繁茂して林床の光環境は著しく悪化し、 林床植物の出現種数が著しく減少している (辻・星野1992;藤 村1994;Kobayashi et al. 1998, 1999;東・小林2003)。 一方、 社寺林は雑木林のような利用形態ではなかったものの、 長期間にわたって維持・管理されてき た二次林である (真鍋ほか2007)。 神社や寺院が所有し、 宗教的な意味合いを有する独特な社寺林では、 シイ・カシなどの照葉樹林が形成されていることも少なくなく、 既存の森林として代表的なものである。 また、 社寺林は土地開発の中で残されてきた文化的にも生態学的にも重要な植生の依存として認識する ことができる上に、 日本列島への稲作農耕の渡来と拡大をきっかけに平野部の植生が改変された現在に おいては、 その当時の原型に近い様態を残すものとして、 平野部の森林植生を解明する重要な手がかり として見ることもできる (中西ほか1983;宮脇1986;橋本ほか2006;前迫2006)。 関東地方の社寺林で は、 スダジイ Castanopsis sieboldii (Makino) Hatusima ex Yamazaki et Masiba、 シラカシ Quercus myrsinaefolia Bl.などの林冠を構成する樹種のほか、 アオキ Aucuba japonica Thunb.、 ヒ イラギ Osmanthus heterophyllus (G. Don) P. S. Green、 ネズミモチ Ligustrum japonicum Thunb.、 マンリョウ Ardisia crenata Sims、 ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus (L. fil.) Ker-Gawl.、 ヤブラ ン Liriope platyphylla Wang et Tang、 テイカカズラ Trachelospermum asiaticum (Siebold et Zucc.) Nakai、 イノデ Polystichum polyblepharum (Roem. ex Kunze) Presl などが低木層から草 本層に見られる (宮脇1986)。 社寺林や雑木林など、 このような低地の二次林の多くは、 住宅地や道路の建設、 農地などへの転用に ― 99 ― よって分断・孤立化が進行している (藤田・熊谷2006;橋本ほか2006;今西ほか2007)。 このような分 断・孤立化は種多様性の低下などを引き起こし、 植生や生態系管理において重要な課題の1つとなって いる (e.g. Murcia 1995 ; Woodroffe and Ginsberg 1998 ; Laurance 2003)。 日本の孤立林では、 し ばしば園芸植物や外来生物の侵入と定着などにより、 本来の植生とは異なる群落構造が見られることが 明らかにされている (坂本ほか1985, 1989, 1993;Manabe et al. 2003;田端ほか2004)。 しかし、 現 在でもなお、 都市・住宅地域の緑地として重要な役割を果たしており、 現在のおかれている状況を把握 して問題を明らかにするとともに、 二次林の価値を再認識して、 このような二次林を持続的に利用して いくことが必要である。 本研究では、 茨城県潮来市に残された二次林を対象とし、 各々の植生を植物社 会学的方法によって把握した。 それによって、 1950〜80年代の植生 (宮脇1986) と比較し、 現在おかれ ているこれらの二次林の問題点、 管理放棄などの管理形態の変化による影響を明らかにするとともに、 これらの二次林に必要な管理を探ることを目的とした。 調 査 地 茨城県潮来市は、 北緯35°56′、 東経140°33′ に位置し、 面積は71.4、 人口約3万人の市である。 2001 年4月に、 行方郡潮来町・牛堀町が合併し、 市制が施行された。 潮来市は、 霞ヶ浦、 北浦、 常陸利根川 などの水域に接しており、 市域の一部は水郷筑波国定公園の一角になっている。 市域にはなだらかな起 伏があり、 谷津の上流部まで水田耕作が行われるなど稲作が盛んであるが、 現在では放棄水田も多く見 られるようになっている。 また、 微高地は畑や住宅地となっているほか、 雑木林などの二次林として残 存している場所も数多く含む。 調査は主に旧潮来町域を対象とした。 方 法 地形図、 土地利用図および地域住民を対象とした聞き取りによって得られた情報に基づき、 合計110 カ所の調査区を設定した。 各々の調査区 (75〜2500㎡) の中を踏査することにより、 出現する全ての維 管束植物の種名と被度 (階級) を記録する方法で実施した。 被度は Braun-Blanquet の植物社会学的 手法 (Braun-Blanquet 1928) により、 6段階で記載した。 ただし、 森林の階層構造は考慮しなかっ た。 なお、 同定不可能な実生は除外した。 出現した植物を、 佐竹ほか (1981, 1982a,b, 1989a,b)、 中西ほか (1983)、 矢野ほか (1983)、 岩槻 (1992)、 大井・北川 (1992)、 中池 (1993)、 長田 (1993)、 鈴木 (1996)、 清水 (2003) を参照し、 生活 形、 生活史、 地上部の越冬様式 (常緑もしくは落葉、 一・越年生) 等に基づいて、 竹笹、 常緑高木、 常 緑低木、 常緑つる性 (草本・木本を含む多年生植物)、 常緑多年草、 落葉高木、 落葉低木、 落葉つる性 (草本・木本を含む多年生植物)、 落葉多年草、 一・越年草 (一年生のつる植物を含む) のいずれかの生 育形 (10種類) に区分した。 また、 長田 (1976)、 清水ほか (2001)、 村中 (2002、 2008、 2010a、 b)、 農山漁村文化協会 (2002)、 清水 (2003) および現地調査に基づき、 国外外来植物及び逸出・野生化に よる国内外来植物 (他の地域の系統、 園芸・緑化植物の逸出等と推定されるものを含む) を決定した。 各々の調査区の植生を優占種 (被度3以上) の頻度に基づいて表操作を行い、 植生を識別した。 全て の調査区または各々の植生において、 調査区数に対する種の出現した調査区数の割合を出現頻度 (%) とした。 また、 出現した全ての種の出現頻度の合計に対する種の出現頻度の比に100を乗じたものを種 の相対優占度とした。 さらに、 種のグループ (生活史グループ、 国外外来植物、 国内外来植物) の重要 ― 100 ― 茨城県潮来市に残された二次林の現状と保全上の課題 度を、 各々の種のグループを構成する種の相対優占度の合計によって求めた。 各々の植生を特徴付ける種を抽出するため、 各々の種の出現頻度の植生間における違いを二元表分析 によって検定した。 結 果 種組成と植生 合計82科222種の維管束植物が確認された。 最も種数が多かったのはキク科の27種であった。 次いで イネ科の17種、 バラ科の10種、 マメ科の9種、 ヒメシダ科、 ブナ科、 ユリ科の7種であった。 出現した維管束植物のうち、 出現頻度が11%以上の種のリストおよびそれらの出現頻度を表1に示し た。 出現頻度は、 アズマネザサが最も高く、 96.4% (106調査区) に達していた。 次いで、 ジャノヒゲ、 タブノキ Machilus thunbergii Sieb. et Zucc.、 ヘクソカズラ Paederia scandens (Lour.) Merr.、 キヅタ Hedera rhombea (Miq.) Bean、 ミツバアケビ Akebia trifoliata (Thunb.) Koidz.、 スダジ イ、 ヒサカキ Eurya japonica Thunb.、 アオキ、 フジ Wisteria floribunda (Willd.) DC.、 ヤブコウ ジ Ardisia japonica (Thunb.) Bl.の順であった。 林冠を構成するスダジイ、 タブノキ、 コナラ、 クリ、 スギ Cryptomeria japonica (L. fil.) D. Don、 ヒノキ Chamaecyparis obtusa (Sieb. et Zucc.) Endl.、 モウソウチク Phyllostachys heterocycla (Carr.) Mitf.、 アズマネザサなどの被度に基づいて、 スダジイ・タブノキ林、 コナラ・クリ林、 スギ・ ヒノキ植林地、 ササ・タケ林、 ハンノキ・エノキ林の5つの植生が識別された。 スダジイ・タブノキ林 (スダジイ・タブノキが優占する常緑広葉樹林) スダジイ、 タブノキなど、 常緑広葉樹が林冠を占める常緑広葉樹林である。 これには、 41調査区が該 当し、 合計198種が出現した。 いずれか1つ以上の調査区で被度が3以上を示した種は、 スダジイ、 タ ブノキのほか、 アズマネザサ、 テイカカズラ、 キヅタ、 ヒサカキ、 アオキ、 シュロ Trachycarpus fortunei H.Wendl.、 ケヤキ Zelkova serrata (Thunb.) Makino、 ムクノキ Aphananthe aspera (Thunb.) Planch.、 ジャノヒゲ、 スギなどであった。 41調査区のうち、 29調査区以上 (出現頻度が70 %以上) に出現したのは、 アズマネザサ、 ジャノヒゲがともに40調査区 (出現頻度97.6%) と多く、 次 いで、 スダジイ、 タブノキ、 ヒサカキ、 キヅタ (34調査区)、 テイカカヅラ、 アオキ (32調査区)、 ミツ バアケビ (31調査区)、 マンリョウ、 ヘクソカズラ (30調査区) であった (表2)。 なお、 アズマネザサ の被度階級が3以上だった調査区は19カ所 (46.3%) に達していた。 スダジイ・タブノキ林は、 スダジイ、 タブノキ、 コナラの3種の林冠構成種の被度階級に基づいて、 スダジイ及びタブノキの被度階級がともに3以上のスダジイ・タブノキ群落 (8調査区;133種)、 スダ ジイのみが被度階級3以上のスダジイ群落 (21調査区;157種)、 タブノキのみが被度階級3以上のタブ ノキ群落 (9調査区;127種)、 タブノキに加えてコナラの被度階級が3以上のタブノキ・コナラ群落 (3調査区;93種) の4つに識別された。 コナラ・クリ林 (コナラ・クリが優占する落葉広葉樹林) コナラ、 クリなど、 雑木林を代表する落葉広葉樹が優占する落葉広葉樹林である。 これには12調査区 が該当し、 178種が出現した。 いずれか1つ以上の調査区での被度が3以上を示した種は、 コナラ、 ア ズマネザサ、 クリ、 ヒサカキ、 スギ、 テイカカズラなどであった。 12調査区のうち、 9調査区以上 (出 ― 101 ― 表1. 出現した維管束植物と出現調査区数および出現頻度 (110) 106 90 81 78 76 75 74 66 65 65 64 61 58 58 55 55 53 51 50 49 49 48 46 46 45 45 45 45 44 44 43 41 41 39 38 37 37 36 35 35 33 32 31 31 30 29 29 29 29 28 28 27 27 25 Pleioblastus chino Ophiopogon japonicus Machilus thunbergii Paederia scandens Hedera rhombea Akebia trifoliata Castanopsis sieboldii Eurya japonica Trachelospermum asiaticum Aucuba japonica Wisteria floribunda Ardisia japonica Cryptomeria japonica Fatsia japonica Aphananthe aspera Ardisia crenata Quercus serrata Oplismenus undulatifolius f. undulatifolius Parthenocissus tricuspidata Lonicera japonica Liriope platyphylla Callicarpa japonica Ligustrum japonicum Trichosanthes cucumeroides Viburnum dilatatum Celtis sinensis var. japonica Trachycarpus fortunei Dioscorea tokoro Smilax china Morus australis Viola grypoceras Dryopteris bissetiana Broussonetia kazinoki Dioscorea japonica Achyranthes bidentata Akebia quinata Rosa multiflora Ampelopsis brevipedunculata var. heterophylla Albizia julibrissin Antenoron filiforme Houttuynia cordata Commelina communis Rhododendron obtusum var. kaempferi Solidago altissima Rubus palmatus var. coptophyllus Calamagrostis arundinacea var. brachytricha Ligustrum obtusifolium Chamaecyparis obtusa Celastrus orbiculatus Dumasia truncata Rubia argyi Pourthiaea villosa Quercus myrsinaefolia Rhus sylvestris ― 102 ― (%) (96.4) (81.8) (73.6) (70.9) (69.1) (68.2) (67.3) (60.0) (59.1) (59.1) (58.2) (55.5) (52.7) (52.7) (50.0) (50.0) (48.2) (46.4) (45.5) (44.5) (44.5) (43.6) (41.8) (41.8) (40.9) (40.9) (40.9) (40.9) (40.0) (40.0) (39.1) (37.3) (37.3) (35.5) (34.5) (33.6) (33.6) (32.7) (31.8) (31.8) (30.0) (29.1) (28.2) (28.2) (27.3) (26.4) (26.4) (26.4) (26.4) (25.5) (25.5) (24.5) (24.5) (22.7) 茨城県潮来市に残された二次林の現状と保全上の課題 表1. (つづき) (110) (%) 25 24 24 23 23 22 22 22 21 21 21 21 20 20 20 20 20 20 20 20 20 19 19 18 18 17 17 17 17 16 16 16 15 15 15 15 15 14 14 14 14 14 13 13 13 13 13 13 13 Mallotus japonicus Disporum smilacinum Dryopteris erythrosora Podocarpus macrophyllus Rhus trichocarpa Rhus javanica var. roxburghii Artemisia princeps Callicarpa mollis Euonymus sieboldianus Camellia japonica Cayratia japonica Osmunda japonica Zelkova serrata Cocculus orbiculatus Miscanthus sinensis Athyrium niponicum Cerasus jamasakura Elaeagnus glabra Justicia procumbens Euscaphis japonica Asplenium incisum Pueraria lobata Persicaria longiseta Carex lenta Disporum sessile Castanea crenata Clerodendrum trichotomum Achyranthes bidentata var. tomentosa Neolitsea sericea Deparia japonica Cinnamomum sieboldii Zanthoxylum piperitum Symplocos chinensis var. leucocarpa Oxalis corniculata Fatoua villosa Camellia sinensis Sambucus racemosa subsp. sieboldiana Phyllostachys heterocycla Amphicarpaea bractaeta subsp. edgeworthii var. japonica Cephalotaxus harringtonia Aralia elata Seemann Aster scaber Aster ovatus var. ovatus Aster ageratoides var. ageratoides Rubus parvifolius Lespedeza bicolor Ilex crenata Rhus ambigua Pittosporum tobira ― 103 ― (22.7) (21.8) (21.8) (20.9) (20.9) (20.0) (20.0) (20.0) (19.1) (19.1) (19.1) (19.1) (18.2) (18.2) (18.2) (18.2) (18.2) (18.2) (18.2) (18.2) (18.2) (17.3) (17.3) (16.4) (16.4) (15.5) (15.5) (15.5) (15.5) (14.5) (14.5) (14.5) (13.6) (13.6) (13.6) (13.6) (13.6) (12.7) (12.7) (12.7) (12.7) (12.7) (11.8) (11.8) (11.8) (11.8) (11.8) (11.8) (11.8) 表2. 植生・群落ごとの出現頻度 p 41 12 20 21 97.6 97.6 82.9 73.2 82.9 75.6 82.9 82.9 78.0 78.0 65.9 61.0 56.1 65.9 63.4 73.2 43.9 43.9 39.0 51.2 51.2 41.5 65.9 39.0 46.3 41.5 56.1 48.8 46.3 41.5 36.6 43.9 41.5 34.1 41.5 34.1 31.7 31.7 24.4 36.6 29.3 17.1 36.6 17.1 24.4 26.8 26.8 34.1 34.1 29.3 19.5 19.5 26.8 31.7 100.0 83.3 83.3 91.7 83.3 75.0 83.3 66.7 50.0 50.0 83.3 75.0 41.7 50.0 25.0 25.0 100.0 33.3 66.7 50.0 58.3 58.3 33.3 33.3 91.7 25.0 16.7 16.7 75.0 33.3 66.7 41.7 33.3 58.3 16.7 33.3 50.0 33.3 66.7 8.3 0.0 8.3 66.7 41.7 41.7 66.7 66.7 16.7 41.7 25.0 41.7 75.0 16.7 41.7 100.0 90.0 75.0 75.0 70.0 70.0 70.0 40.0 65.0 60.0 40.0 65.0 95.0 55.0 70.0 30.0 45.0 70.0 70.0 20.0 45.0 50.0 25.0 35.0 10.0 50.0 40.0 35.0 25.0 35.0 45.0 35.0 35.0 35.0 40.0 50.0 30.0 30.0 15.0 50.0 45.0 45.0 5.0 10.0 15.0 5.0 5.0 45.0 15.0 25.0 20.0 0.0 35.0 5.0 90.5 71.4 66.7 71.4 52.4 76.2 61.9 42.9 47.6 42.9 76.2 52.4 38.1 28.6 33.3 42.9 57.1 38.1 28.6 71.4 38.1 57.1 28.6 52.4 47.6 38.1 33.3 57.1 42.9 42.9 42.9 38.1 38.1 28.6 14.3 28.6 38.1 38.1 57.1 33.3 28.6 47.6 28.6 52.4 47.6 33.3 38.1 4.8 19.0 23.8 42.9 42.9 23.8 19.0 8 * *** * ** * ** **** * ** * *** * ** ** ** **** * ― 104 ― 21 9 3 7 14 87.5 100.0 100.0 100.0 71.4 100.0 100.0 100.0 88.9 100.0 85.7 64.3 100.0 66.7 100.0 100.0 100.0 50.0 75.0 81.0 55.6 66.7 57.1 78.6 62.5 90.5 88.9 66.7 57.1 50.0 75.0 81.0 55.6 100.0 57.1 85.7 100.0 100.0 44.4 33.3 57.1 64.3 75.0 95.2 55.6 100.0 28.6 50.0 87.5 85.7 66.7 33.3 85.7 28.6 100.0 66.7 100.0 33.3 100.0 14.3 62.5 71.4 55.6 66.7 71.4 78.6 50.0 76.2 33.3 66.7 42.9 57.1 62.5 81.0 11.1 0.0 71.4 21.4 37.5 76.2 66.7 66.7 42.9 21.4 75.0 61.9 55.6 66.7 57.1 21.4 100.0 76.2 33.3 100.0 42.9 42.9 25.0 42.9 44.4 100.0 14.3 78.6 62.5 38.1 33.3 66.7 57.1 28.6 25.0 52.4 33.3 0.0 14.3 35.7 62.5 42.9 66.7 33.3 42.9 85.7 50.0 57.1 33.3 66.7 42.9 35.7 50.0 38.1 33.3 66.7 57.1 57.1 50.0 71.4 66.7 66.7 28.6 28.6 62.5 28.6 44.4 33.3 85.7 35.7 50.0 52.4 22.2 66.7 28.6 57.1 62.5 33.3 44.4 33.3 42.9 35.7 62.5 47.6 77.8 33.3 57.1 21.4 62.5 47.6 33.3 66.7 85.7 42.9 37.5 61.9 22.2 33.3 14.3 57.1 37.5 38.1 55.6 33.3 42.9 42.9 50.0 38.1 22.2 33.3 28.6 50.0 87.5 28.6 44.4 33.3 71.4 21.4 75.0 28.6 33.3 66.7 42.9 35.7 37.5 33.3 22.2 66.7 14.3 35.7 25.0 47.6 44.4 33.3 28.6 7.1 25.0 23.8 55.6 66.7 57.1 14.3 25.0 19.0 55.6 66.7 14.3 50.0 37.5 28.6 44.4 0.0 42.9 35.7 37.5 19.0 11.1 66.7 42.9 64.3 50.0 38.1 33.3 0.0 71.4 14.3 50.0 19.0 44.4 0.0 42.9 21.4 37.5 14.3 11.1 0.0 57.1 42.9 50.0 28.6 22.2 100.0 0.0 42.9 25.0 19.0 11.1 0.0 28.6 64.3 50.0 19.0 22.2 0.0 42.9 50.0 12.5 14.3 55.6 66.7 28.6 35.7 25.0 23.8 11.1 100.0 28.6 42.9 25.0 42.9 33.3 0.0 14.3 0.0 62.5 38.1 0.0 33.3 14.3 21.4 25.0 38.1 22.2 0.0 28.6 21.4 37.5 9.5 22.2 33.3 42.9 42.9 12.5 14.3 33.3 33.3 28.6 50.0 12.5 42.9 0.0 33.3 42.9 14.3 25.0 38.1 11.1 66.7 14.3 21.4 茨城県潮来市に残された二次林の現状と保全上の課題 表2. (つづき) p 41 12 20 21 19.5 22.0 34.1 34.1 29.3 7.3 4.9 36.6 14.6 22.0 12.2 22.0 22.0 19.5 4.9 17.1 14.6 29.3 9.8 17.1 26.8 7.3 4.9 24.4 12.2 7.3 19.5 7.3 24.4 14.6 24.4 14.6 9.8 4.9 12.2 14.6 12.2 7.3 9.8 12.2 12.2 4.9 12.2 12.2 7.3 7.3 4.9 12.2 19.5 25.0 66.7 33.3 16.7 25.0 33.3 33.3 8.3 50.0 25.0 8.3 16.7 0.0 25.0 33.3 8.3 25.0 16.7 16.7 41.7 25.0 8.3 16.7 8.3 16.7 25.0 8.3 0.0 8.3 0.0 0.0 8.3 41.7 8.3 0.0 8.3 8.3 16.7 0.0 16.7 25.0 41.7 8.3 41.7 25.0 25.0 33.3 41.7 8.3 25.0 25.0 5.0 10.0 20.0 0.0 10.0 15.0 10.0 25.0 40.0 10.0 30.0 0.0 10.0 35.0 10.0 0.0 20.0 15.0 15.0 25.0 20.0 15.0 30.0 15.0 25.0 35.0 15.0 10.0 5.0 20.0 10.0 20.0 25.0 20.0 25.0 5.0 10.0 15.0 10.0 15.0 10.0 5.0 0.0 5.0 5.0 15.0 0.0 33.3 4.8 19.0 4.8 4.8 52.4 38.1 4.8 23.8 9.5 14.3 28.6 4.8 38.1 42.9 14.3 28.6 23.8 28.6 23.8 14.3 38.1 28.6 9.5 14.3 28.6 9.5 14.3 14.3 9.5 9.5 14.3 19.0 14.3 19.0 4.8 9.5 38.1 19.0 14.3 19.0 19.0 14.3 9.5 28.6 23.8 19.0 0.0 14.3 *** *** * * * 8 21 9 37.5 0.0 62.5 25.0 12.5 0.0 12.5 37.5 25.0 50.0 25.0 12.5 25.0 12.5 0.0 12.5 25.0 12.5 25.0 12.5 25.0 12.5 0.0 37.5 0.0 12.5 0.0 12.5 37.5 12.5 25.0 0.0 37.5 0.0 12.5 12.5 0.0 25.0 50.0 25.0 12.5 12.5 0.0 37.5 12.5 0.0 0.0 12.5 12.5 9.5 28.6 28.6 38.1 42.9 9.5 0.0 47.6 9.5 9.5 9.5 28.6 23.8 14.3 4.8 19.0 14.3 42.9 9.5 23.8 23.8 9.5 9.5 23.8 19.0 4.8 23.8 4.8 23.8 9.5 23.8 28.6 0.0 4.8 19.0 9.5 9.5 0.0 0.0 14.3 9.5 4.8 19.0 0.0 0.0 9.5 4.8 19.0 4.8 33.3 22.2 22.2 33.3 11.1 0.0 11.1 11.1 22.2 33.3 11.1 22.2 22.2 33.3 0.0 22.2 0.0 11.1 0.0 11.1 22.2 0.0 0.0 11.1 11.1 0.0 33.3 11.1 22.2 33.3 22.2 0.0 0.0 11.1 0.0 33.3 33.3 11.1 0.0 0.0 11.1 0.0 11.1 11.1 0.0 0.0 11.1 0.0 55.6 3 7 14 0.0 28.6 33.3 0.0 33.3 42.9 33.3 0.0 33.3 0.0 33.3 14.3 0.0 0.0 33.3 14.3 0.0 28.6 0.0 28.6 0.0 28.6 0.0 28.6 0.0 0.0 33.3 0.0 33.3 0.0 0.0 42.9 33.3 42.9 33.3 42.9 0.0 14.3 0.0 14.3 66.7 14.3 0.0 28.6 0.0 57.1 33.3 0.0 0.0 14.3 33.3 14.3 0.0 0.0 0.0 14.3 0.0 28.6 0.0 14.3 33.3 14.3 0.0 14.3 33.3 0.0 0.0 14.3 0.0 42.9 0.0 0.0 0.0 14.3 0.0 100.0 0.0 28.6 0.0 28.6 33.3 14.3 0.0 0.0 0.0 0.0 33.3 0.0 66.7 14.3 33.3 0.0 0.0 14.3 0.0 0.0 33.3 14.3 35.7 7.1 7.1 7.1 7.1 71.4 57.1 0.0 21.4 0.0 7.1 28.6 7.1 57.1 64.3 0.0 21.4 14.3 35.7 28.6 14.3 42.9 14.3 14.3 14.3 35.7 14.3 14.3 7.1 7.1 7.1 14.3 28.6 14.3 7.1 7.1 7.1 7.1 14.3 7.1 21.4 28.6 21.4 14.3 35.7 35.7 21.4 0.0 14.3 p は各々の植生における主要な植物の出現した調査区数に基づく二元表分析による検定結果を示す。 * ; p<0.05, ** ; p<0.01, *** ; p<0.001, **** ; p<0.0001, 空欄 ; p>0.05。 ― 105 ― 現頻度が70%以上) に出現したのは、 アズマネザサ、 コナラ (12調査区)、 ヘクソカズラ、 ガマズミ、 (11調査区)、 ジャノヒゲ、 スダジイ、 タブノキ、 キヅタ、 フジ、 (10調査区)、 ミツバアケビ、 ヤブコウ ジ、 サルトリイバラ Smilax china L.、 カマツカ Pourthiaea villosa (Thunb.) Decne. var. villosa (9調査区) であった (表2)。 12調査区のうち、 クリの被度階級が3以上だったのは1カ所のみであっ た。 なお、 他の11カ所は全てクリをほとんど欠く落葉広葉樹林であったが、 全ての調査区でアズマネザ サの被度階級が3以上であった。 スギ・ヒノキ植林地 (スギ・ヒノキが優占する植林地) スギ・ヒノキなどの有用針葉樹を人為的に植栽して成立した植林地である。 これには20調査区が該当 し、 157種が出現した。 いずれか1つ以上の調査区での被度が3以上を示した種は、 スギ、 ヒノキのほ か、 アズマネザサ、 ケヤキ、 ヒサカキ、 ケチヂミザサ Oplismenus undulatifolius (Arduino) Roemer et Schultes f. undulatifolius、 クズ Pueraria lobata (Willd.) Ohwi であった。 20調査区のうち、 14 調査区以上 (出現頻度70%以上) に出現したのは、 アズマネザサ (20調査区)、 スギ (19調査区)、 ジャ ノヒゲ (18調査区)、 タブノキ、 ヘクソカズラ (15調査区)、 スダジイ、 キヅタ、 ミツバアケビ、 ムクノ キ、 ナツヅタ Parthenocissus tricuspidata (Sieb. et Zucc.) Planch.、 ヤブコウジ、 ケチヂミザサ (14 調査区) であった (表2)。 20調査区のうち18調査区でスギの被度階級が3以上であり、 残りの2調査 区を含む合計4調査区でヒノキの被度階級が3以上であった。 ササ・タケ林 (アズマネザサ・モウソウチクが優占する竹笹林) アズマネザサやモウソウチクなどの竹笹類が優占する立地である。 高木層から亜高木層はモウソウチ クやアズマネザサであるが、 広葉樹や針葉樹をほとんど欠いていた。 これには21調査区が該当し、 198 種が出現した。 この植生はモウソウチクが優占するか否かで2つの植物群落に識別された。 1つは、 モ ウソウチクが優占種となっているモウソウチク群落である。 ここにはこのうち7調査区が該当し、 123 種が出現した。 いずれか1つ以上の調査区での被度が3以上を示した種は、 タブノキ、 スダジイ、 アオ キ、 ヤマイタチシダ Dryopteris bissetiana (Bak.) C. Chr.、 イヌワラビ Athyrium niponicum (Mett.) Hance、 ヒガンバナ Lycoris radiata Herb.などであった。 7調査区のうち、 2調査区でアズ マネザサの被度が3以上であった。 もう1つはアズマネザサが優占種となっているアズマネザサ群落で ある。 ここには14調査区が該当し、 182種が出現した。 このうち、 いずれか1つ以上の調査区での被度 が3以上を示した種は、 アズマネザサのほか、 クヌギ、 ススキ Miscanthus sinensis Anderss.、 ネズ ミモチがそれぞれ1カ所のみであった。 ハンノキ・エノキ林 (ハンノキ・エノキが優占する落葉広葉樹林) ハンノキ Alnus japonica (Thunberg) Steud.やエノキ Celtis sinensis Persoon var. japonica (Planch.) Nakai などの河畔林を構成する落葉広葉樹が優占する植生である。 3調査区が該当し、 54 種が出現した。 このうち、 2調査区ではハンノキの被度が3以上であり、 1調査区ではエノキの被度が 3以上であった。 3調査区のうち、 1調査区でアズマネザサの被度が3に達していた。 その他の植生 その他の植生 (13調査区) には優占種となる樹種を欠き、 セイタカアワダチソウ Solidago altissima L.、 テイカカズラ、 ノコンギク Aster ovatus (Franch. et Savat.) Mot. Ito et Soejima var. ― 106 ― 茨城県潮来市に残された二次林の現状と保全上の課題 ovatus、 キバナアキギリ Salvia nipponica Miq.、 オカウコギ Acanthopanax japonicus Franch. et Savat.、 スギナ Equisetum arvense L.など、 林床や林縁に生育するような低木や草本が最も高い被度 を示す調査区が含まれていた。 生育形による区分と植生間における重要度の違い 全調査区および、 各々の植生 (ハンノキ・エノキ林を除く)・植物群落における生育形に該当する種 の種数及びそれらの重要度を示したのが表3である。 10種類の生育形のうち、 最も種数が多かったのは 落葉多年草であり、 ミズヒキ、 チゴユリ、 ノガリヤス、 ススキなど76種であった。 次いで、 一・越年草 がケチヂミザサなどの32種、 落葉低木がムラサキシキブ Callicarpa japonica Thunb.、 ガマズミ、 ヤ マグワ Morus australis Poiret、 ヒメコウゾ Broussonetia kazinoki Sieb.、 ヤマツツジ、 カマツカ、 ゴンズイ Euscaphis japonica (Thunb.) Kanitz などの31種、 落葉つる性がフジ、 ミツバアケビなど の25種であった。 竹笹に含まれていたのは、 アズマネザサ、 モウソウチクの2種のみであった。 なお、 表3. 各々の生育形および国外外来植物・国内外来植物の種数とそれぞれの重要度 2 12 16 6 2 20 31 25 76 32 10 9 2 11 16 6 2 19 28 24 66 2 11 15 5 2 16 28 24 56 24 8 9 19 10 2 7 15 5 2 17 24 20 7 45 20 6 2 12 14 5 2 18 28 8 23 67 27 10 8 2 10 12 5 2 13 1 11 13 6 2 19 22 19 36 12 4 6 24 18 45 18 6 2 7 15 6 2 7 12 20 18 35 10 4 1 6 12 4 2 7 10 17 13 22 6 0 4 2 6 11 4 2 12 16 18 40 12 3 6 2 11 13 5 2 18 26 23 57 25 10 7 2.79 8.00 11.80 5.12 3.23 9.93 13.40 16.36 20.50 8.86 2.65 6.44 2.64 9.53 14.88 6.40 3.75 9.96 13.47 16.17 17.04 6.15 1.54 7.93 2.36 6.91 9.44 4.72 2.87 9.44 18.72 15.85 23.78 5.90 3.37 3.37 3.02 9.91 11.21 5.32 3.88 10.34 9.91 17.39 17.96 11.06 1.29 8.48 2.98 5.74 8.61 3.97 2.54 10.15 15.01 17.77 24.28 8.94 4.30 4.30 2.56 9.40 13.39 4.84 3.42 9.40 14.53 16.81 18.80 6.84 1.71 8.26 2.56 11.21 14.62 7.67 4.02 10.48 12.18 15.83 15.35 6.09 1.71 8.40 3.12 6.87 17.50 5.94 3.44 8.75 13.13 16.88 18.44 5.94 1.56 7.81 2.24 5.97 14.18 3.73 3.73 11.19 19.40 14.93 19.40 5.22 0.00 4.48 4.30 7.89 10.39 5.02 3.23 8.24 10.39 16.49 23.66 10.39 3.94 7.89 2.39 4.78 7.81 3.51 2.23 11.00 17.07 18.34 24.56 8.29 4.47 2.71 国内外来植物は、 国内の他の地域の系統に由来するもの、 園芸植物などの逸出を含む。 ― 107 ― 一・越年草の中には、 オニタビラコ Youngia japonica (L.) DC.、 イヌタデ Persicaria longiseta (De Bruyn) Kitag.、 ツユクサ Commelina communis L.、 クワクサ Fatoua villosa (Thunb.) Nakai、 ササガヤ Microstegium japonicum (Miq.) Koidz.、 ヒメアシボソ M. vimineum (Trin.) A.Camus f. willdenowianum (Nees) Osada、 ヌカキビ Panicum bisulcatum Thunb.、 コブナグサ Arthraxon hispidus (Thunb.) Makino などの水田や畑、 路傍の雑草が数多く含まれていた。 全調査区に対する生育形の重要度は、 落葉多年草が最も高く20.50であった。 次いで、 落葉つる性、 落葉低木、 常緑低木が順に高かった。 種数が2番目に多かった一・越年草の重要度は8.86であった。 植生間で生育形ごとの種数を比較したところ、 際だった違いは確認されなかったが、 全体としての種 数が他の植生よりも少ないスギ・ヒノキ植林地 (157種) では、 常緑高木、 落葉低木、 落葉つる性、 落 葉多年草の種数が比較的少ない傾向を示した。 生育形ごとの重要度を比較したところ、 スダジイ・タブ ノキ林およびスギ・ヒノキ植林地では、 常緑高木、 常緑低木、 常緑つる性が比較的高い値を示した。 ま た、 スギ・ヒノキ植林地では、 加えて一・越年草の重要度が他の植生よりも高い値を示した。 一方、 コ ナラ・クリ林では、 落葉低木、 落葉多年草の重要度が比較的高く、 スダジイ・タブノキ林やスギ・ヒノ キ植林地とは異なる傾向が認められた。 ササ・タケ林においても、 コナラ・クリ林と近い傾向を示して いたが、 アズマネザサ群落での落葉低木の重要度はモウソウチク群落における値よりも高く、 群落間で 異なる傾向が確認された。 また、 落葉低木の重要度は、 タブノキ・コナラ群落においても高い傾向が認 められた。 外来植物の定着と植生間における重要度の違い 確 認 さ れ た 国 外 外 来 植 物 は 、 セ イ タ カ ア ワ ダ チ ソ ウ 、 モ ウ ソ ウ チ ク 、 ハ ル ジ オ ン Erigeron philadelphicus L.、 ヒメジョオン Stenactis annuus (L.) Cass.、 アメリカイヌホオズキ Solanum ptycanthum Dunal ex DC.、 ヒメムカシヨモギ Erigeron canadensis L.、 オオアレチノギク E. sumatrensis Retz.、 セイヨウタンポポ Taraxacum officinale Weber、 コセンダングサ Bidens pilosa L.、 ベニバナボロギク Crassocephalum crepidioides (Benth.) S.Moore の10種 (全ての種の4.5%) であった。 在来植物のうち、 植栽されたものやそれに由来すると考えられる国内外来植物および、 それ を含むと推定される植物は、 スギ、 ヒノキ、 シュロ、 クロマツ Pinus thunbergii Parlatore、 アオキ、 マ ン リ ョ ウ 、 ヒ ガ ン バ ナ 、 ム ベ Stauntonia hexaphylla (Thunb.) Decne. 、 ナ ン テ ン Nandina domestica Thunb.の9種 (全ての種の4.1%) であった。 全調査区および、 各々の植生 (ハンノキ・エノキ林を除く) ・植物群落における国外外来植物及び国 内外来植物 (他の地域由来の系統を含む) の種の種数及びそれらの重要度を表3に示した。 4つの植生 における国外外来植物の重要度は1.29〜4.30の範囲にあり、 ササ・タケ林で最も高い値を示した。 モウ ソウチク群落、 アズマネザサ群落の間にも明瞭な差は認められなかった。 また、 スダジイ・タブノキ林 の中の4つの植物群落では0〜1.71の範囲にあり、 タブノキ・コナラ群落を示した3カ所の調査区では、 国外外来植物は確認されなかった。 一方、 国内外来植物はスギ・ヒノキ植林地およびスダジイ・タブノ キ林で高い傾向があり、 国外外来植物の重要度の違いとは異なる傾向があった。 また、 モウソウチク群 落においては、 この2つの植生における重要度に近い値を示したが、 アズマネザサ群落においては、 コ ナラ・クリ林およびタブノキ・コナラ群落と同様に低く、 最も小さい値を示した。 ― 108 ― 茨城県潮来市に残された二次林の現状と保全上の課題 植生・植物群落を特徴付ける植物の被度と類似性 全調査区に対する出現頻度が11%以上の種に対して、 各々の植生を特徴付ける種として植物の出現頻 度および二元表分析による検定結果を表2に示した。 なお、 ハンノキ・エノキ林に含まれていた調査区 は3カ所と少なく、 統計解析を実施するためのデータが不足していたため、 統計処理からは除外した。 また、 いずれの植生にも該当しなかった13調査区についても同様に統計処理から除外した。 4つの植生を特徴付けていた種は、 コナラ、 スギ、 ヒノキのいずれかの植生の林冠構成種のほか、 フ ジ、 ムクノキ、 ナツヅタ、 スイカズラ Lonicera japonica Thunb.、 ガマズミ、 マユミ Euonymus sieboldianus Bl.、 セイタカアワダチソウなど22種であった (p<0.05)。 一方、 アズマネザサ、 タブノ キ、 スダジイ、 エノキのいずれかの植生の優占種や、 ジャノヒゲ、 ヘクソカズラ、 キヅタ、 ミツバアケ ビ、 ヒサカキ、 テイカカズラ、 アオキ、 ヤブコウジ、 ヤツデ Fatsia japonica (Thunb.) Decne. et Planch.、 マンリョウなどは、 植生間における出現した調査区数の間に有意差はなかった (p>0.05)。 植生を特徴付けた22種は、 分布の偏りによっておよそ7つのタイプに区分された。 コナラ・クリ林を 特徴付ける種はこのうち最も多く、 ガマズミ、 カマツカ、 チゴユリ Disporum smilacinum A. Gray、 ヤ マ ツ ツ ジ 、 ノ ガ リ ヤ ス Calamagrostis arundinacea (L.) Roth. var. brachytricha (Steud.) Hack.、 イボタノキ Ligustrum obtusifolium Sieb. et Zucc.、 コナラ、 サルトリイバラ、 ヤマハゼ Rhus sylvestris Sieb. et Zucc.、 マユミの10種であった。 また、 ナツヅタはスギ・ヒノキ植林地とと もに出現頻度が高く、 ネムノキ Albizia julibrissin Durazz.、 セイタカアワダチソウはササ・タケ林 とともに出現頻度に高い傾向が認められた。 なお、 セイタカアワダチソウの出現頻度は、 スダジイ・タ ブノキ林およびスギ・ヒノキ植林地でそれぞれ10.0%、 17.1%と低かった。 一方、 他の植生を特徴付け る種は比較的少なく、 スギ・ヒノキ植林地を特徴付けていたのは、 上記の種およびスギ、 ヒノキの優占 種のケヤキ、 ドクダミ Houttuynia cordata Thunb.のみであった。 なお、 ケヤキおよびドクダミは、 コナラ・クリ林では全く出現しなかった。 また、 ササ・タケ林を特徴付けたのは、 上記の種のほか、 ヌ ルデ Rhus javanica L. var. roxburghii (DC.) Rehd. et Wils.、 スイカズラ、 アオツヅラフジ Cocculus orbiculatus (L.) DC.の3種であった。 さらに、 スダジイ・タブノキ林のみを特徴付けた種 は存在しなかった。 スダジイ・タブノキ林の中の4つの植物群落間の出現頻度を比較したところ、 フジ、 ムクノキ、 ジャ ノヒゲなどは、 いずれの植物群落においても明瞭な差は認められなかったが、 ノガリヤス、 カマツカ、 アケビ Akebia quinata (Thunb.) Decaisne、 トベラ Pittosporum tobira (Thunb. ex Murray) Aiton などがタブノキ群落及びタブノキ・コナラ群落において高い傾向が認められた (表2)。 一方、 サルトリイバラ、 ナツヅタ、 シラカシ、 ヤマウルシ Rhus trichocarpa Miq.などは、 スダジイ群落に おいて高い出現頻度を示す傾向が認められた。 ヤマイタチシダ、 モミジイチゴ Rubus palmatus Thunb. var. coptophyllus A. Gray、 ツルウメモドキ Celastrus orbiculatus Thunb.、 ベニシダ Dryopteris erythrosora (Eaton) O. Ktze.などは、 スダジイ・タブノキ群落において、 他の植物群落 よりも高い出現頻度を示した。 ササ・タケ林の中の2つの植物群落間の出現頻度を比較したところ、 フジ、 ノガリヤス、 マユミなど は明瞭な差が認められなかった。 一方、 モウソウチク群落で出現頻度が高い傾向が認められたのは、 ム クノキ、 スギ、 ヒノキ、 ドクダミ、 テイカカズラ、 アオキ、 カラスウリ Trichosanthes cucumeroides (Ser.) Maxim.、 オニドコロ Dioscorea tokoro Makino、 ミズヒキ Antenoron filiforme (Thumb.) Roberty et Vautier、 ヤマイタチシダなどであった。 また、 アズマネザサ群落で高かった種には、 ガ マズミ、 チゴユリ、 ヤマツツジ、 コナラ、 サルトリイバラ、 ナツヅタ、 セイタカアワダチソウ、 ケヤキ、 ― 109 ― コナラ・クリ林 アズマネザサ群落 タブノキ・コナラ群落 スギ・ヒノキ植林地 スダジイ群落 タブノキ群落 スダジイ・タブノキ群落 モウソウチク群落 図1. 植生・植物群落の Word 法による類似性 ヌルデ、 スイカズラ、 アオツヅラフジの11種が含まれ、 植生を特徴付ける種が多く含まれていた。 チゴ ユリ、 ヤマツツジ、 ケヤキ、 アオツヅラフジに加え、 ススキ、 ヨモギ Artemisia princeps Pampan、 サワフタギ Symplocos chinensis (Lour.) Druce var. leucocarpa (Nakai) Ohwi f. pilosa (Nakai) Ohwi はモウソウチク群落には全く出現しなかった。 スダジイ・タブノキ群落、 スダジイ群落、 タブノキ群落、 スダジイ・コナラ群落 (スダジイ・タブノ キ林)、 コナラ・クリ林、 スギ・ヒノキ植林地、 モウソウチク群落、 アズマネザサ群落に対して、 植物 種の出現頻度に基づいてクラスター分析 (Word 法) を行った結果を示したのが図1である。 植生内の 群落の間の類似度は高いとは限らず、 モウソウチク群落とアズマネザサ群落の間には明らかな違いが認 められた。 アズマネザサ群落はむしろコナラ・クリ林と類似度が高かった。 また、 タブノキ・コナラ群 落は、 他のスダジイ・タブノキ林の群落とは類似度が低かった。 考 察 当該地域の森林植生については、 宮脇 (1986) によって整理されてきた。 この地域の自然植生はヤブ コ ウ ジ ― ス ダ ジ イ 群 集 Ardisio-Castanopsietum sieboldii Suz.-Tok. 、 イ ノ デ ― タ ブ ノ キ 群 集 Polysticho-Perseetum thunbergii Suz.Tok.、 シラカシ群集 Queretum myrsinaefoliae Miyawaki が見出され、 これらを知る手がかりとして古い社寺林や洪積台地の縁の崖斜面に帯状に残存する植生で あるとしている。 ただし、 ほとんどの地域が人間の手の入った二次林であり、 ヤブコウジ―スダジイ群 集典型亜群集 Ardisio-Castanopsietum sieboldii, Typische Subassoziation、 クヌギ―コナラ群集 Quercetum acutissimo-serratae Miyawaki 、 ス ギ ・ ヒ ノ キ 植 林 Cryptomeria japonica-und Chamaecyparis obtusa-Forsten、 モウソウチク林 Phyllostachys heterocycla f. pubescens-Bestand などが含まれる (宮脇1986)。 本研究から、 大きく分けてスダジイ・タブノキ林、 コナラ・クリ林、 ス ギ・ヒノキ植林地、 ササ・タケ林、 ハンノキ・エノキ林の5つの森林植生を見出すことができた。 また、 スダジイ・タブノキ林は優占種の有無によって4つの群落、 ササ・タケ林は優占種の種によってモウソ ウチク群落、 アズマネザサ群落の2つに区分された。 スダジイ・タブノキ林は、 宮脇 (1986) のヤブコウジ―スダジイ群集典型亜群集に近い群落構造を示 していた。 また、 コナラ・クリ林はクヌギ―コナラ群集に近く、 モウソウチク群落、 スギ・ヒノキ植林 地についてもほぼ同様の結果を示していた。 宮脇 (1986) の調査から20年以上経過した現在においても、 ― 110 ― 茨城県潮来市に残された二次林の現状と保全上の課題 それぞれの植生に対して、 その面積は変化しているものと考えられるが、 現在でもなお、 これらの植生 が多少なりとも残存していることが明らかにされた。 しかし、 すべての植生において、 アズマネザサの 被度の際だった増加が認められた。 さらに、 スダジイ・タブノキ林、 コナラ・クリ林、 スギ・ヒノキ植 林地、 ササ・タケ林の全ての植生においてアズマネザサが最も高い出現頻度を示していた。 また、 アズ マネザサの被度が3以上の調査区が54調査区 (49.1%)、 出現頻度は96.4%に達し、 当該地域の森林植 生を構成する植物の中で最も出現頻度が高かった。 宮脇 (1986) では、 このようなアズマネザサの高い 被度に関する調査結果は示されておらず、 本研究の結果は、 この地域の二次林において、 アズマネザサ の占有面積が全般的に増加したことを示している。 平地の雑木林におけるアズマネザサの分布拡大は、 雑木林の利用価値の低下に起因する管理放棄によ るものであることが明らかにされており、 本調査地においても同様の傾向が見出された。 アズマネザサ の増加によって林床付近の光環境が悪化し、 雑木林の構成種の実生更新や林床の多様な植物の生育が妨 げられていることは既に指摘されている (亀山1996)。 アズマネザサが優占するアズマネザサ群落と、 雑木林を代表するコナラ・クリ林の出現種数を比較したところ、 明瞭な差は認められなかった。 それに は2つの理由が考えられる。 まず1つ目の理由は、 アズマネザサ群落はすでに高木層としてコナラやクリなどを欠いているが、 林 床には雑木林に生育する植物が未だ残され、 コナラ、 クリ、 クヌギなどの雑木林の林冠を構成する種を 除いた種の出現頻度は似た傾向にあることである。 この2つの植生・群落での生育形の重要度の傾向も 類似している。 特に、 落葉低木や落葉性の多年生草本の重要度が高い。 実際に、 ムラサキシキブ、 ガマ ズミ、 ヤマツツジ、 カマツカなど、 雑木林を特徴づける低木種が両方の植生・群落に共通して高い出現 頻度で分布しており、 アズマネザサが繁茂してコナラなどが失われつつある林分においても、 その構成 要素が残されていることを示唆している。 また、 スダジイ・タブノキ林のうち、 タブノキ・コナラ群落 も、 特に生育形の重要度において似た傾向を示している。 また、 本調査地においては、 雑木林だけでな く、 スダジイやタブノキが優占する常緑広葉樹林においてもアズマネザサの被度が高い傾向が認められ た。 雑木林における問題と同様、 植生の管理手法の変化がもたらしたと推定されるが、 それが在来植物 や生態系に及ぼす影響を含めて十分には示されておらず、 今後の研究によって明らかにされるであろう。 もう1つの理由は、 調査区が含まれる森林の面積と分断・孤立化に関する問題である。 コナラ・クリ林 とアズマネザサ群落に該当した調査区の数にはほとんど違いはない。 しかし、 この2つの森林はいずれ も分断・孤立化が進行した孤立林であるため、 森林外部からの影響は無視できない。 この地域では、 住 宅地・畑地・水田などと森林が入り組んで存在しているため、 外部から植物が侵入する機会は多いと推 定される。 著しく分断・孤立化が進行した森林では、 森林の幅が10m 程度しかないような調査区があ り、 これらの森林ではむしろ、 全体が外部の影響を強く受けるような状況になっている可能性がある。 本研究から、 合計32種の一・越年草が確認された。 この中には、 森林の林床に生育する植物も含まれて いるが、 オニタビラコ、 ヒメアシボソ、 ヌカキビなどの農地・路傍雑草も混入していた。 このうち、 25 種がアズマネザサ群落、 19種がコナラ・クリ林で確認された。 なお、 その他の生育形の植物の中にも農 地性の雑草は含まれており、 実際に、 ヨモギの出現頻度は、 アズマネザサ群落では57%に達している。 これらの植物の侵入によって、 林縁部では一時的に種数そのものは増加し、 それが両者の植生・群落の 種数に影響を及ぼした可能性がある。 市街地や住宅地に存在する孤立林では、 数多くの侵入植物の生育が先行研究から報告されている (村 上・森本2000;矢野・桑原2001;服部2005;岩崎・石井2005, 2007)。 この中には、 ハリエンジュ Robinia pseudoacacia L.、 ニワウルシ Ailanthus altissima Swingle などの国外外来植物のほか、 シュ ― 111 ― ロ、 アオキなど、 園芸由来などによる他の地域の系統の逸出も確認されている。 なお、 その地域に本来 生育していた在来系統と、 園芸由来の系統・国内の他の地域からの移入による系統の外部形態の観察に よる識別が容易でない場合もある。 例えば、 アオキでは、 導入されたハプロタイプと自生ハプロタイプ の交雑により、 自生集団の遺伝的組成が目に見えないかたちで変化する可能性が示唆されている (矢野・ 後藤2009)。 本調査地においても、 ヨモギやツユクサなど、 農地や路傍雑草の侵入が確認された。 また、 国外外来植物の種数は10種と少なかったが、 セイタカアワダチソウ、 ヒメジョオンなどの国外外来植物 の侵入も確認された。 国内の他の地域の系統を含むと推定される国内外来植物はスダジイ・タブノキ林、 スギ・ヒノキ植林地、 モウソウチク群落で重要度が高く、 広い範囲に分布を拡大していることが示され た。 それは、 このような森林の林床などにシュロ、 アオキ、 マンリョウなどが確認されたことに起因す るものである。 アオキにはその地域の在来系統が混在している可能性があるが、 現在確認されているア オキの多くに園芸由来の系統が混入していることが示されており (矢野・後藤2009)、 多くの植生や群 落で高い出現頻度を示し、 他の地域の系統の分布が拡大している可能性はある。 また、 シュロはこの地 域に本来は生育しない国内外来植物であるが、 スダジイ・タブノキ林、 スギ・ヒノキ植林地、 モウソウ チク群落において定着、 分布を拡大している。 これらの植物は、 庭木や街路樹など、 緑化を目的として 住宅地などで普通に使用されており (日本植木協会1994;農山漁村文化協会2002)、 鳥などによって種 子が運搬され、 種子供給源の豊かさによる侵入機会の増大と、 二次林の分断・孤立化による侵入可能域 の増大が相まって、 これらの植物の定着を加速しているものと推測される。 なお、 シュロの侵入は林床 の光環境を悪化させ、 在来植物の生育に悪影響を及ぼすことが示されており (岩崎・石井2005, 2007)、 この地域におけるシュロの分布拡大は、 アズマネザサの分布拡大とともに二次林の生態系に悪影響をも たらす可能性がある。 関東平野低地に残された二次林の多くは、 その利用価値が低下し、 アズマネザサが繁茂して植生が変 質しつつある。 アズマネザサが優占した群落では、 徐々に明るい二次林を構成する植物種が衰退しつつ あり、 この地域においてもこの傾向は進行するものと推測される。 また、 特にスダジイ、 タブノキが優 占する常緑広葉樹林では、 シュロなどの侵略性の大きい侵入植物の定着も問題である。 一方、 現在でも なお、 明るい二次林を構成する植物の供給源は、 部分的には残されているといえる。 二次林の保全と持 続的利用を可能にするため、 わずかに残された供給源を活用しつつ適切な管理を実施して、 二次林の再 生が早急に必要である。 引用文献 東季実子・小林達明 (2003) アズマネザサ (Pleioblastus chino Makino) の生育に及ぼす植生・土壌・地形の影響. 日本緑化工 学会誌29:131-134 Braun-Blanquet J (1928) Pflanzensoziologie ; Grundzuge der vegetationskunde. 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地域別の増加割合を示すデータを入手することができた。 また、 追跡課題の第4に掲げた学校生徒の除雪ボランティア活動の増加とそれがもたらした影響に関連 するデータについても入手できた。 なお、 聞き取り調査では住民活動組織としての自主性を徐々に発揮 してもらうための関わりにも話題が及び、 年々自主性を発揮する領域が広がりつつあるというデータも 入手できた。 そして、 活動4年目を迎え安定的な運営に至り更に高みを目指すために克服しなければな らない課題も発生していることについても調査から把握できた。 そのため、 本稿 (その2) は、 これら の調査結果を先行して報告することを目的に執筆し、 ボランティア活動者の声や受け手の声等から活動 効果を探る部分については次稿の課題とした。 Ⅰ. 活動4年目の登録者と活動件数について Ⅰ―1. 平成21年度 (冬期) の個人登録、 団体登録者数、 全体および地区別について 調査の結果、 平成21年度も雪まる隊の登録者の増加傾向は続いていた。 個人登録と団体登録の数は下 ― 115 ― 表のとおりで、 年々登録者が増加していることがわかった。 表1 年 度 雪まる隊 登録者の年次推移 団体登録 (人数) 個人登録 (人数) 合 計 (人数) 平 成 18 年 27 ( 649) 57 706 平 成 19 年 29 ( 700) 125 825 平 成 20 年 39 (1,014) 63 1,077 平 成 21 年 42 (1,214) 68 1,282 大仙市社協調べ 8市町村合併で誕生した大仙市は市域が広いため、 特に山間地では積雪も多く、 積雪量に地域差が生 ずる。 とはいえ前稿でも指摘したとおり、 積雪が多い地域で除雪ボランティア登録者が多いとは一概に 言えないことがわかった。 そうした条件も踏まえて地域別の登録者に注目し、 前年度の比較によってそ の伸びを見ることにした。 まず、 登録者が多い地域と比較的少ない地域の差はなかなか解消し切れてい ないことがわかった。 つぎに、 ボランティア登録者を見れば、 雪まる隊の認知度の広がりについて一つ の目安にもなるので、 このことに注目した。 結果は下表のとおりで、 大曲地域で登録者の増加が顕著で あった。 表2 大 平成20年 神 岡 西仙北 中 仙 協 和 南 外 仙 北 太 田 その他 小 計 個 人 3 13 11 10 18 2 2 4 0 63 団 体 111 23 158 235 40 28 241 117 61 1,014 114 36 169 245 58 30 243 121 61 1,077 計 平成21年 曲 地域別ボランティア登録者数 (前年度との比較) 個 人 4 12 14 10 20 2 3 3 0 68 団 体 329 22 138 235 25 29 267 110 59 1,214 333 34 152 245 45 31 270 113 59 1,282 計 単位:人、 大仙市社協調べ Ⅰ―2. とくに大曲地域で登録者の増加が見られた理由について 大曲地域で登録者が増えた理由について詳しく見ていくことにした。 その手がかりとして注目したの が、 市社協が表にまとめた 「地域別の登録団体と人数データ」 (表3)である。 まず、 前年に続いて平成21年度に継続を希望しない団体が発生していないことに注目し、 それがこの 活動の屋台骨になっていることが確認できた。 その上で、 表の中で (新規) と表示してあるところに着 目すると、 新たに登録した団体が複数あり、 やはり前年度と比較して伸びのあった大曲地域では、 学校 ボランティアの登録が増えていることがわかった。 その理由を尋ねたところ、 「大曲農業高校は県社協単独事業のボランティア指定校 (指定期間3年目 の最終年に当たっている) にあるため、 部活動単位で積極的に登録し頑張ってくれた」 とのことだった。 このようにいろいろな部活動に声掛けをしてくれる窓口役の先生がいる影響が普及の鍵を握るケースが あることも確認できた。 なお、 件数的には少ないものの大曲工業高校の生徒は 「除雪ボランティアをやっ ― 116 ― 除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの構築に関する研究 (その2) てみたい」 と自ら来所して登録してくれたケースもみられるとのことだった。 社協支所のほうで担当地域内の学校への呼びかけを行っているところであるが、 学校ボランティアの 登録数には地域差が見られるとのことだった。 今後どのように学校ボランティアを推進していくかにつ いては、 複雑な事情が絡むこともあるため、 引き続きⅠ―4で詳述することにした。 表3 地域名 大 神 曲 岡 西仙北 団 体 登録した団体 (1,214人の地域別) 名 人数 地域名 団 金谷町町内会除雪ボランティア 5 西仙北 蛭川自治会除雪ボランティア 11 ジ 角間川地区民生児童委員協議会 9 中 秋 田 県 立 大 曲 養 護 学 校 39 秋 田 修 英 高 校 福 祉 活 動 部 大 曲 工 業 高 校 野 球 部 (新規) 大 曲 中 学 校 J R C 16 大 曲 中 学 校 野 球 部 55 大 曲 農 業 高 校 柔 道 部 (新規) 13 大 曲 農 業 高 校 陸 上 部 (新規) 体 名 人数 西 仙 北 東 中 学 校 野 球 部 (新規) 店 8 校 200 会 社 3 組 合 15 隊 9 大 仙 市 役 所 協 和 総 合 支 所 25 チ 外 10 大 仙 市 役 所 南 外 総 合 支 所 19 22 仙北地域民生児童委員協議会 20 大 曲 農 業 高 校 野 菜 部 (新規) 11 有 設 10 大 曲 農 業 高 校 卓 球 部 (新規) 19 馬 4 大 曲 農 業 高 校 野 球 部 (新規) 30 社 4 大曲農業高校バスケットボール部 (新規) 12 大 仙 市 役 所 仙 北 総 合 支 所 30 障害者福祉サービス事業所まつくら 16 仙 上 町 ・ 岳 見 青 壮 年 部 10 東 本 部 12 西仙北シルバー人材センター 25 昭 会 39 上 郷 和 青 町 年 新 志 和 ャ ス コ 仙 中 物 産 中 仙 23 中 仙 建 設 48 清 会 19 愛 宕 町 除 雪 ボ ラ ン テ ィ ア 6 大仙市役所西仙北総合支所 24 中 仙 協 和 南 外 仙 太 北 田 その他 有 高 水 っ 会 限 倉 北 会 工 中 株 式 技 能 守 ム 社 仙 学 子 ー 限 中 25 り 南 仙 北 社 業 式 会 45 太田秋田ライオンズクラブ 26 太 合 19 太田地区民生児童委員協議会 20 大仙市社会福祉協議会職員 59 田 建 青 築 計 J 会 199 泉 校 竹 C 今 学 株 建 技 R 年 能 組 1,214 単位:人、 大仙市社協発行資料より Ⅰ―3. 平成21年度 (冬期) の活動件数 (全体及び地区別の出動件数) 紹介する順番が逆になっているようだが、 ここで、 平成21年度 (冬期) の活動件数について注目して いくことにする。 まず、 除雪ボランティアが必要であると登録した世帯は以下のとおりであった。 表4より、 対象世帯を種別でみると、 一人暮らし高齢者世帯や高齢者世帯の数が減っていることがわ かった。 その理由について尋ねると 「調査精度が上がったため」 ということだった。 というのも、 これ までにも親戚や近所の方など除雪をやってくれる人がいるのにも関わらず 「一人暮らしだから大変だろ う」 と民生委員の方で声をかけて、 積極的に登録してもらっていた経緯があるとのことだった。 しかし、 登録してみたものの、 実際にボランティアを使わない世帯の方が多いという実態にあった。 そのため、 実際に登録している件数とボランティアを要請し出動に至った件数との間に、 これまでは乖離が生じて いた。 平成21年度の対象世帯数の減少については、 誰にも頼むことができない本当に必要な人を選定し ― 117 ― て登録するような形になっていく過程の現れではないかとの担当者の分析であった。 つまり、 対象者が 減ったことを安易にマイナスでとらえてはいけないことが今回の調査により明らかになった。 表4 ボランティア派遣の対象世帯 (対象世帯種類別で、 年次推移) 一人暮らし 高齢者 高齢者 世 帯 平成18年 215 50 0 14 0 7 286 平成19年 308 111 21 22 5 13 480 平成20年 289 111 13 17 4 10 444 平成21年 203 50 3 13 0 3 272 年 度 要介護 高齢者世帯 障害児(者) 世 帯 母子・父子 世 帯 その他 合 計 単位:世帯、 大仙市社協調べ つぎに、 平成21年度の活動件数が実際にどのくらいあったか、 平成18年度以降の年次推移と照らし合 わせながら見ていくことにした。 表5 年 度 活動件数の年次推移 除雪・声かけ 安全パトロール 平 成 18 年 無し (少雪のため) 無し (少雪のため) 平 成 19 年 46 33 平 成 20 年 7 28 平 成 21 年 65 125 単位:件、 大仙市社協調べ 平成21年度は除雪作業・声かけ、 安全パトロール (ボランティアや社協職員による対象世帯の状況確 認活動のこと) 件数ともに前年比を上回った。 そしていずれも過去の実績と比較して最も多くなり、 安 全パトロールについては大きく伸びていた。 その要因は、 出動式後すぐにあたる12月15日に降った雪が 寝雪になるというような厳しい冬になったと共に、 翌月の1月は降雪量が非常に多かったため除雪活動 が増えた影響によるものであった。 なお、 平成21年度に前年比より除雪活動の活動が増えた地区や、 とくに安全パトロールが増えた地域と いった特徴を見てみたいので、 それらについての手がかりが得られるのではないか、 と表6にまとめてみた。 表からわかるように、 大曲域での除雪活動が20件と伸びがみられた。 また、 安全パトロールを30件前 後といったように多く実施したところでは神岡地域、 協和地域、 仙北地域、 太田地域となり、 地域によ る活動量の特性が現れていた。 前述の通り、 前年に比べて、 たとえば大曲地区では学校ボランティアの登録者が増えた影響が見られ た。 そこで、 学校ボランティア活動の占める割合について注目し、 調べてみた (表7参照)。 このように平成21年度の活動では、 徐々にではあるが学校ボランティア活動の占める割合の上昇が見 られた。 なお、 一見すると 「学校ボランティアの活動が見られない地域もある」 ように捉えられるのだ が、 実際には雪まる隊に登録しないで (これまでの学校と地域との繋がりの関係で) 除雪ボランティア の実践している例もあるものと推測され、 雪まる隊の登録や活動件数だけで地域のボランティア実態を 評価するのは拙速であるとのことだった。 その点も含めて、 学校ボランティアの推進の方向性について ― 118 ― 除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの構築に関する研究 (その2) 次で詳しく見ていくことにした。 表6 地域と対象世帯種別、 除雪・声かけ件数及び安全パトロール件数について 地域名 一人暮らし 高齢者 高齢者 世 帯 要介護 高齢者 障害児 (者) 母子・父子 世 帯 大 曲 12件( 0件) 5件( 0件) 0件( 0件) 2件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 20件( 0件) 神 岡 10件(30件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 10件(30件) 西仙北 7件( 0件) 2件( 0件) 2件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 11件( 0件) 中 仙 2件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 2件( 0件) 協 和 0件(29件) 0件( 0件) 0件( 1件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件(30件) 南 外 3件( 0件) 1件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 1件( 0件) 5件( 0件) 仙 北 13件(32件) 1件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 14件(32件) 太 田 2件(32件) 0件( 1件) 0件( 0件) 0件( 0件) 0件( 0件) 1件( 0件) 3件(33件) その他 計( )は 安全パトロール 65件(125件) 単位:件、 大仙市社協調べ 表7 除雪・声かけ、 安全パトロール出動件数に占める 「学校ボランティアの占める」 割合 年度 除雪・声かけ65件に対する 「学校ポランティア」 の占 める割合 安全パトロール125件に対する 「学 校ボランティア」 の占める割合 平成21年 15件が学校ボランティアで行われた。 その内訳は、 大 曲工業高校6件、 秋田修英高等学校の4件、 大曲中学 校の5件。 特に活動件数が多かったのが、 大曲地区の 大曲工業高校6件となった。 0件だった。 大仙市社協調べ Ⅰ―4. 学校ボランティアの推進について 平成21年度も社協支所単位で職員が学校を回って除雪ボランティア (雪まる隊) の紹介をしたり、 登 録の呼びかけをしたりした。 また、 社協広報では高校生が活動している場面の写真を掲載したり、 市の 福祉大会の意見発表において除雪ボランティア経験を高校生に話してもらい市民に訴えかけてもらった りするといった広報も積極的に行った。 特に、 高校生の活躍の様子が掲載された広報を家族の方が見て 喜んでもらえる、 市民目線で身近な人の経験談を聞くことで共感を呼ぶといった相乗効果があったと手 ごたえを感じているとのことであった。 学校ボランティアが多く団体登録されている地域もあればそうでない地域もあり、 できれば全体的な 底上げはしたいと考えている。 とはいえ、 通常の高校ボランティアの活動の一環で雪寄せを手伝ったと いうケースもあるように、 雪まる隊として活動することだけに限定することは避けたい方針である。 除雪 ボランティアにもいろいろな機会があって良いので、 学校と地域のこれまでの関係性を大切にしていって もらいたい。 もしこうした中で雪まる隊に興味があるなら登録してもらうのは歓迎したいとのことだった。 活動形態はともあれ、 要援護者世帯の生活支援を通して福祉の必要性や福祉職に就職したいという意 識の形成のような福祉教育効果に繋がっていって欲しいという方針で関わっているところである、 との ― 119 ― ことだった。 Ⅱ. 経年変化によって成長していると見られる面 Ⅱ―1. 募集広報の効果が更に増し、 住民の認知度も徐々に上昇していることについて 様々な手段を使った広報よる宣伝効果で雪まる隊の知名度は確実に上昇していると手ごたえを感じて いた。 前述のとおり、 高校生が活動している写真を広報に載せる等して親しみやすさを演出したり、 民 生児童委員協議会定例会、 福祉員研修会、 地域福祉座談会で社協の事業紹介をするのだが、 その際に使 うパワーポイントスライド資料に必ず雪まる隊の紹介を入れるようにしていたりすることも広報手段の 一つになっているとのことだった。 また、 市内各地から幅広い年齢層が集まる市の福祉大会で高校生の意見発表の時間を作り、 何人かの 発表のうち1人については雪まる隊の経験談を話してもらうことにしていた。 こうした機会を通じた宣 伝効果にも手ごたえを感じていた。 同じ市民目線での感想には、 来場者の共感も得られやすく説得力が あるからということだった。 その他にも、 平成21年度には市が開催する地域福祉シンポジウムで、 雪ま る隊の会長をシンポジストの1人とし意見発表をしてもらったり、 社協トータルケア研修会での発表を してもらったりした。 このように、 様々な住民層から雪まる隊に興味を持ってもらえるように様々な工 夫をしていることが調査から明らかになった。 Ⅱ―2. 特に活発な活動をしてくれたという報告が入っているところについて 前述の通り、 大曲地域は学校ボランティアの協力体制が一気に進んだため除雪活動件数が伸びた。 な お、 学校ボランティアの活躍が見られた理由についてはⅠ―2、 3、 4で述べたとおりである。 また、 もともと町内会や自治会ぐるみで除雪ボランティア活動を続けてきた経緯がある地域はその力 を継続して発揮しており、 雪まる隊の会長が活躍する太田町東今泉地区はその代表例である。 西仙北地 域の愛宕町内会も住民同士の見守り活動の小地域ネットワーク活動が盛んであり、 その活動の延長線上 で除雪ボランティアにも取り組んでいることから、 活動が盛んな特徴がある。 なお、 こうした活発なと ころの成功事例をどのように普及していくかについては課題も多いとのことだった。 Ⅱ―3. 大きなクレームやトラブルが発生していないという成果 屋根の雪下ろし作業等の危険を伴うものは請け負わないことやヘルメットの着用など、 事故が発生し ないように、 出動式も含め何度も機会あるごとに話して確認しているし、 社協支所地域ごとにリーダー 会議をして打ち合わせするときも 「無理をしないこと」 を申し合わせしている。 また、 除雪活動の現場 には社協職員が同行するし、 同行できないときには雪まる隊の役員が同行して安全確認を徹底している。 さらに、 作業前に現地を下見してどこをどのように雪寄せするか、 といった計画を立て、 そのとおりに 作業するということで安全確保している。 こうした三重のチェック体制を採ることより、 事故防止につ ながっており、 大きなトラブルやクレームが寄せられることがない理由になっていることがわかった。 Ⅱ―4. 平成21年度 (冬) の活動から取り入れた方式や改善につながったことについて 第1点目は、 大曲地域で学校ボランティアが増えたことにより、 平日対応ができるようになったこと の影響が挙げられる。 社会人ボランティアだと、 依頼を受けてから活動するまでに時間がかかっていた ので、 問題解消に繋がったという成果が確認できた。 具体的には 「除雪してもらいたいと要望があって ― 120 ― 除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの構築に関する研究 (その2) も地域の社会人でやる場合は、 次の土日まで待ってください」 という返事をしがちだったのに対して、 高校生の場合は部活の一環としてやるので、 放課後に訪問したり、 冬休み中の部活動の最中であれば直 ぐにでも現場に急行し対応できたりしたからである。 依頼するほうはすぐにでも来てもらいたいわけで、 即応すると安心感が違うように感じるとのことだった。 また、 大曲地域以外の特徴に目を向けると、 前 年に比べて平成21年は安全パトロール活動件数が多くなった。 各支所が、 要援護世帯に、 雪降ったとき にまわって声掛けを積極的に行った影響が大きいからであった。 第2点目は、 民生委員の協力が更に強くなっていることである。 福祉実態調査は年2回おこなってい て、 秋の調査は特に除雪ボランティアの必要な世帯を調べる目的がある。 同調査による除雪ボランティ ア対象者の把握の調査精度の高まりはもちろん、 民生委員がその活動現場に同行する機会もあり、 同行 経験により、 雪まる隊活動の必要性を再認識したり、 自分が調査し報告したお陰で、 対象者が 「除雪し てもらい助かっている」 と実感が湧いたりして、 協力心が高まるのではないかとのことだった。 なお、 雪まる隊と社協と民生委員の関係については、 課題も全くないわけではないので、 後でその点について も詳しく述べることにした。 第3点目は、 雪まる隊役員の人たちの自立心が高まったことである。 Ⅱ―6で詳しく紹介するのだが、 司会進行や会場の設営、 活動報告、 年間計画立案まで自分たちでやれるようになり、 設立当初は社協主 導で全てやってしまった感があったが、 自主グループとして自立に向けての流れを少しずつ加速させて きたとのことだった。 Ⅱ―5. 民生児童員との協力体制づくり、 共通活動日制などの取り組みの変化 表4の通り除雪ボランティアの必要な世帯 (登録世帯) は平成20年度444世帯から平成21年度は272世 帯となり、 要援護世帯を調べた結果について民生委員が社協に報告してきた件数が減少に転じた。 その 理由を尋ねると、 「自分の子どもや親戚、 あるいは近隣住民が気を利かせて訪問しやってくれていると ころに、 あるいはお金を払って業者に除雪を依頼して自立している世帯なのに、 ボランティアを勧めて いるところがあったことから、 必要以上に登録されていたものと考えられる」 とのことだった。 必要と する世帯の減少は、 本当にボランティアにしか頼るところのない人だけに絞り込みができてきた現れで もあり、 それを踏まえると、 民生委員による福祉実態調査の精度が向上した成果であるとも指摘された。 もう一つ加えなればならないことは、 Ⅱ―4でも指摘したとおり、 民生委員の協力心の強まりである。 単に対象世帯選定のための調査に協力するだけでなく、 対象世帯の除雪作業現場に現場同行してくれる 民生委員も徐々に増えつつあるといったことが挙げられるとのことだった。 なお、 対象世帯の選定が正確さを増すようになったことが、 市民の助け合い活動であるこのボランティ アの活動を持続可能にしていくための工夫につながることにもなると考えられる。 つまり、 「無理なく 市民協力でやれる範囲でやる」 という雰囲気が作られると、 それにより息切れしない活動の実現 (理想) に向けて近づくからである。 その意味でも、 民生委員の協力の高まりがもたらした効果と捉えることが できた。 共通活動日については、 平成20年度は実施したのだが、 平成21年度は市全体の活動としては行わなかっ た。 この共通活動日とは、 積雪がなく除雪の必要性がなくても冬期間のある日に一斉に対象世帯に声か けの活動を行う住民福祉活動である。 平成21年度は、 市全体で統一して実施日を決めるのではなく、 そ れぞれの (社協支所ごとの) 地域の実情に実施を任せた影響があるためとのことだった。 繰り返しにな るが、 「共通活動日は除雪が無くても全市的に見守りパトロールを展開することで活動に携わる方々も おのずと多くなり、 啓発・普及効果が生まれやすいことは認識しているので、 平成22年度 (冬期) の活 ― 121 ― 動では復活できないか検討しているところである」 とのことだった。 Ⅱ―6. 雪まる隊の役員の意識、 自主団体としての自立運営に向けての変化について 11月には役員会の開催をして総会に備えており、 総会と出動式が一堂に会する行事になり、 その後は 地域ごとの除雪ボランティア活動となる。 前稿でも指摘した通り、 設立最初は総会開催準備や事務作業のほぼ全てを、 社協が行っていたのだが、 徐々に役員自らの力でやれるところが見られてきているとのことだった。 しかしそれでも、 集計や登録 等の事務作業の多くは社協のボランティアセンターでやっている実態が浮き彫りになり、 「自分たちの 手でやる」 という意識が3年目から4年目にかけて少しずつ高まっているとはいえ、 自主運営までの道 のりは遠いことが調査からわかった。 具体的にどのように面で自主性の高まりが見られるか聞き取りし た結果を表8にまとめ、 特に、 変化が見られたところには下線を引いて強調した。 表8 年 度 自主団体としての役員の自主性発揮の経過 平成18年度 平成19年度 平成20年度 平成21年度 総会開催通知作成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 総会の資料作成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 総会議事録作成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 事 業 計 画 作 成 社協本所で行うが、 役員の意見を反映 社協本所で行うが、 役員の意見を反映 成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 資材調達・保管 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 資 材 貸 出 調 整 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 対 象 世 帯 登 録 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う ボランティア登録 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 登録者募集広報 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 民生委員との連絡 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 幹 事 と の 連 絡 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 班 長 と の 連 絡 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う ボランティア保険加入手続 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 社協広報記事作成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社 協 HP 記 事 作 成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 出動式への市長の招待連絡 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 出動式の会場準備 社協本所で行う 社協本所で行う 役員が行う 役員が行う 出動式の資料作成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 出 動 式 の 司 会 社協本所で行う 社協本所で行う 役員が行う 役員が行う 出動式の開催記録作成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 対象者からの電話受付対応 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 役員会開催通知作成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 役員会開催資料作成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 役員会議事録作成 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 内 予 容 算 書 作 ― 122 ― 役員主導で、 社協職員 役員主導で、 社協職員 と協議しながら作成 と協議しながら作成 除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの構築に関する研究 (その2) 反省会開催通知 反省会開催資料 反省会の開催記録 市の助成金申請 市助成への報告書作成 市報や新聞掲載のための記者への連絡 登録団体との連絡調整 学校訪問と連絡調整 無し 無し 無し 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 無し 無し 無し 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 無し 無し 無し 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 無し 無し 無し 社協本所で行う 社協本所で行う 社協本所で行う 社協支所で行う 社協支所で行う 福祉大会などで雪まる隊の 紹介時間を作る連絡調整 無し 無し 無し 社協本所で行う 社協職員への聞き取りより作成 表からわかるとおり、 自主性を発揮するようになった部分はまだまだ限定的で、 住民自主組織として 自立までにはしばらく時間を要することが確認できた。 担当者によると、 これまでの活動レベルを落とさないようにしながら、 役員の方々が主体に自主的に 活動できるような雰囲気作り、 そしてできる範囲を広めてもらえるように関わっているとのことであっ た。 具体的には 「雪まる隊の役員と社協職員が一緒に相談しながら進める形」 を大切にして、 役員の方々 もこれにより前向きに活動しているように見受けられるとのことだった。 ただし、 全体で開催するのは総会と出動式くらいで、 除雪ボランティア活動する現場は、 それぞれの 地元なので、 出動式後はそれぞれの社協支所の地域単位で打ち合わせ会をして本番に備えてもらってい た。 雪の降り方も地域性があるのでとにかく支所単位の地域特性に沿う形でやってもらえるように社協 としては見守りしていた。 なお、 雪まる隊の会長をはじめ役員の任期は2年であり、 4年目となる平成22年度は改選期にあたり、 一つの節目になるとのことだった。 Ⅱ―7. 行政との協働関係の安定期に入っていること 毎年11月頃の市報に雪まる隊の情報を載せてもらっており、 社協の広報もそうだが、 市報に掲載する ことにより、 より多くの市民の目にと留まることが期待できるとのことだった。 たとえばその成果の一 つに 「ボランティアを私も受けることができるか?」 と問い合わせが市の広報を見たと言う理由で社協 に電話がかかってくることもあるからである。 シーズンに入れば当然、 市役所とのやりとりは行うよう にしている。 また、 出動式に市長を来賓に招いて挨拶をしてもらい、 参加者のモチベーション維持につ なげていることも協働関係の現れなのだが、 もう一方で、 助成金が年々減額していくといった市の財政 改革の流れが雪まる隊活動にも及ぶようになっていた。 とはいえ、 前向きに捉えれば、 社協が支援する住民自主組織であることから、 社協事業の一環として 整理する動機づけ、 そして、 雪まる隊が自主組織として自主的な運営に向かっていけるようにこれを機 会に役員や登録者の間で財源確保の課題も含めて話し合って方向性を見出して欲しい、 と支援姿勢を変 化させているとも見て取れた。 なお、 この課題についてはⅢ―1で再び注目することにした。 ― 123 ― Ⅲ. 課 題 安定的な運営に至ったからこそ見えてきた新たな課題もある。 更なる高みを目指す上で乗り越えなけ ればならない課題が見えてきたからである。 調査から明らかになった課題を以下に紹介したい。 Ⅲ―1. 雪まる隊活動の自立過程での財源問題 社協ボランティアセンターに交付されていた市からの助成金が徐々に縮減され、 平成22年度 (冬期) からはゼロになることが決まっている。 これ以降は社協自主財源でボランティア保険に加入しないとい けなくなり、 自主財源として共同募金配分金を活用する方針であるが、 節約の対策も考えている。 たと えば、 通年加入でなく活動するときだけに対応する加入形態を採れば割安なものになるからである。 「いずれ、 登録者が増えたり、 高齢化と共に対象世帯の増加により活動自体が増えたりすれば、 ボラン ティア活動者の応能負担を求める方向に転じざるを得ないかもしれない」 とのことだった。 また、 「現 地までの移動のために自家用車を使ったときのガソリン代も活動者に負担してもらっている現状にあり、 それに上乗せして活動者からボランティア保険加入料のような負担増加が起こらないようなシステム作 りを模索していく必要がある」 とのことだった。 Ⅲ―2. 各支所に寄せられた活動者からの要望より見えた課題 一つの除雪現場に必要な人数が決まっているため、 登録者全員に出動の依頼をすることはない。 やり たいという希望があれば登録者として制限を加えることなく受け入れているのだが、 出番がこない人も 発生する。 たとえば、 ある中学校で40人の登録者があるにもかかわらず、 今回は5人でいいと言うと、 活動できる人が限られてしまい、 「出番はまだか」 という不満をもってしまう生徒も発生してしまう。 そこにはもどかしさを感じることもあるとのことだった。 もう一方では、 積雪の多いときには一日でも早く除雪に来てもらいたい (出来れば今日にでも来てと いう) 気持ちになる。 しかし、 社会人ボランティアでは即応が難しい。 本当は 「降ったとき直ぐに行け る人が現地に行って作業するのが一番だ」 というくらいの意識を、 登録者同士の間で合意形成ができる のが理想ではないかとのことだった。 なお、 即応できるのは高校生の除雪ボランティアであることは指 摘していた通りだが、 このように、 ボランティアの受け手側のニーズとボランティアしたいという側の ニーズをマッチさせることの難しさが未だ課題として残っているようだった。 Ⅲ―3. 活動評価の課題、 そして今後の雪まる隊に対する社協としての援助方針作成の難しさ 何をもって盛んになったとか、 自主グループとして成長したかという測定を行う指標があればそれに より評価できるが、 その実現は難しい。 年々ボランティアをしたいという登録者が増えていることは市 民の関心度の高まりを示す手がかりとなるが、 繰り返しになるが、 活動件数の増加を単純に評価しては ならないからである。 たとえば、 本当は誰かが手伝ってくれる存在があるのに、 ボランティアが入るこ とでせっかくの近隣相互扶助といったインフォーマルケアの信頼関係にひびを入れることは避けたいた めである。 したがって、 こうしたデリケートさをもつことも踏まえて雪まる隊の活動評価をしていかな いといけないし、 これまで4年間の活動評価と次年度への課題設定、 社協としての援助方針作成につい ては調査の行われた時点でも模索中とのことだった。 ― 124 ― 除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの構築に関する研究 (その2) Ⅲ―4. 参加者アンケートや受け手の対象者からの感想等をまとめていないため、 活動の評価が難しい こと 除雪ボランティア参加者から 「活動してみての感想」 など意見収集やアンケート調査は行っていない ので、 実際に参加した人たちの気付きや学びの実態 (福祉教育効果)、 福祉に関心を強くもつようにな り積雪期に限らず普段から一人暮らし世帯等の見守りに協力するようになったとかいう行動変容の実態 把握に至っていなかった。 社協広報に掲載するために学校教員に依頼して生徒の代表者に除雪ボランティ アの感想を書いてもらい、 取り寄せることはあるが、 あくまで一部の意見に留まっていた。 それに、 ア ンケートを取るにしても1回の除雪作業で実際に活動している人数が少ないということもあり、 その都 度取って蓄積していく作業は手間もかかるため実現に至っていなかった。 活動期が終了した春にでも一 斉にアンケートを取る形にしたとしても、 活動時の記憶が鮮明に残っているわけではなく正確さに欠け てしまう恐れがあるためである。 さらに、 社会人のボランティアについては作業後にアンケートの協力 を求めても作業の疲れもあるのでしっかり考えて書いてもらえるかが心配でもある。 そういったことか ら、 なかなか参加者の声を拾うのは難しいようだった。 仮に、 学校ボランティアの参加者だけにアンケー トを取ったとしても、 結果的にあまり多い人数にはならないので、 信頼性が乏しい。 むしろ活動現場に 丹念に同行して高校の生徒等に直接聞いたほうが良いと考えられるとのことだった。 受け手の声の集約も同様であり、 こうした活動評価の作業に社協としても回り切れないでいるので、 何らかの検証作業をしていきたいと考えているようだった。 Ⅲ―5. 他地域からのボランティア希望者の受け入れや、 市内の地域間交流や情報交換までは至ってい ない 市外の人から 「除雪ボランティアに行きたい」 とリクエストがきても、 その時期に雪が降って除雪を 体験できるか確約できないので、 受け入れがなかなか困難なのが実情である。 平成21年度も、 県社協か ら 「都会から来る人で除雪ボランティアとして受け入れしてもらえないか」 と依頼の電話はあったが、 上述の理由を返答したところ、 希望した方の来訪には結び付かなかった。 雪まる隊の活動は地元の人た ちの支え合いで十分に対応可能であるので、 大雪になり市民での解決が困難な時以外は、 地域外の方の 助力の必要性は特に感じられないのではないかと見受けられた。 地域外との交流をこのテーマ (除雪ボランティア) でやっていくところまで、 成熟していくまでには まだ時間を要することも付け加えられるとのことで、 広く間口を開けて登録者の確保や地域外協力者の 声にも対応するが、 実際に除雪を依頼するのは、 降ったとき直ぐに駆け付けられる地域の人たちであっ たり、 地元の学校の生徒であったりするのが実情であることはしばらく変わらないように見受けられた。 Ⅲ―6. ボランティア活動者の悩み 平成21年度の除雪ボランティア対象者の272人に対しては、 配食サービスや、 ふれあい安心電話によ り社協の8支所から安否確認の電話連絡で実態把握していたり、 定期に訪問活動をしていたりする。 そ のような中、 真面目な人ほど悩みを抱えるという課題が発生している。 というのも、 実際に除雪作業に 行ってみて、 「本当は息子などが比較的近くに住んでいるのにと思いながら、 依頼されたからにはやる しかない」 と葛藤を覚えながら除雪ボランティアをする人もいるからである。 「あそこに行く必要があ るのか?」 といった自己矛盾に陥ってしまう生真面目な民生委員や地域の役員もおり、 そうした方々に 対する社協職員の声かけや関わりも必要となっているとのことであった。 とにかく除雪ボランティアを設立し実践することに主眼を置いていた時期から、 活動が安定してきた ― 125 ― のを期に、 こうした課題にも目が向けられる余裕が出てきたからこそ気にかかるのだとも指摘できた。 今後の民生委員による除雪ボランティアを必要とする世帯調査の精度が更に向上することにより本当に 必要とされる方に限ったボランティア派遣が可能となることや、 受け手のモラル形成などの工夫により 徐々にこうした課題は克服されていくものと見受けられた。 Ⅲ―7. 盛んな地域とそうでない地域の差がまだあり、 雪まる隊活動についての正確な情報の浸透を図っ て行く課題が残っていること 前述の通り、 活動の盛んな地域として、 雪まる隊の会長の出身地の太田町東今泉地区と西仙北地域愛 宕町内会が挙げられる一方で、 まだまだこの活動が浸透し切れていない地域もあることがわかった。 そ れは学校ボランティアの登録状態でも指摘したとおり、 地域別の登録数を見れば、 元々やっている学校 は毎年継続しているし、 大曲地域も伸びたという成果がみられる半面、 それ以外の地域ではどうしても 伸び悩みがあることも同様であった。 今後は、 「福祉教育 (とくに小さな頃からの福祉の心の教育) と 連携し、 除雪ボランティアにも目を向けてむらえるようできるだけ活動の浸透を図って行きたい」 との ことだった。 Ⅲ―8. 民生委員の改選期による影響 繰り返しになるが、 平成21年度は除雪ボランティアが必要という対象が272人いたにも関わらず除雪 出動が61件に留まったことからも、 自分で除雪できる人、 またはボランティアに頼まなくても頼める人 が傍にいて自立できているのに対象者に含めてしまっているケースもあったとみていた。 一方で、 民生 委員の実態調査に漏れてしまい大変苦労をしている世帯がまだあるのではないかとも推測されるとのこ とだった。 たとえば、 民生委員からの調査結果に無かった世帯であるのに、 本人が広報などで雪まる隊 を知り、 直接社協に電話してくるケースが見られたからである。 このような場合、 「要援護世帯名簿に 加えていいか」 とその地区を担当する民生委員に社協が電話して確認を取ってから名簿に掲載し、 その 後の支援についても依頼することにしている。 この連絡によって、 「当該世帯はそんなに除雪に苦労し ていたか」 と驚かれる民生委員がいたりするが、 調査漏れがあったことを指摘したことで関係がぎくしゃ くすることは全くなかったとのことだった。 前述通り、 除雪ボランティアを必要とする世帯を調査する精度がこの域に達するまで民生委員の方々 も力を注いでもらったし、 それにより市内全域をカバーし情報を蓄積できるまでになった成果は大きい と評価していた。 福祉実態調査がきっかけになり、 要援護者世帯の掘り起こしにつながったり、 そして 調査結果を報告することで当該世帯に除雪ボランティアが駆け付けるという体験 (現場で民生委員も役 割を果たしたという充実感得る) をすることで、 より協力心が高まったりする効果も確認しているよう だった。 しかし、 そうしたノウハウを持った民生委員が改選期を迎えてしまって交代することも予想さ れ、 新たに民生委員になる方がそのノウハウを身につけてもらうまでまた時間がかかりかねないという 面を気にされていることもわかった。 ま と め 除雪ボランティアの住民組織を作り活動を行うことを最優先に取り組んだ1、 2年目に比べて、 3、 4年目には登録者が1000人を超え裾野が着実に広がって、 まさに 「離陸に成功した」 感がある。 また、 市内においても積雪量の違いがあることから、 地域毎に幹事や班長を決めて 「対象世帯の敷地の積雪量 ― 126 ― 除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの構築に関する研究 (その2) を調べて作業工程を現地で計画し実行に移す」 というシステムが定着し機動力も増した。 こうして活動 者の間で共通認識を形成して取り組めるようになった段階だからこそ、 更なる高みを目指すために乗り 越えなければならない課題にも目を向けられるようになってきたものと考えられる。 それでは、 今回の 調査で明らかになったそれらのことについて整理しながら、 若干考察してみたい。 まずは、 成長や成果についてである。 第1に、 表2、 表3に示した通り平成20年度から登録者が1000 人を超えており、 平成21年度の団体登録者数にしても前年度の登録継続がなされた上で、 高校生ボラン ティアの新規加入がみられ増加傾向が続いていた。 このことは成長と指摘できる。 第2に、 表4の通りボランティアに来てもらいたいという世帯登録数の年次推移をみると、 平成19、 20年度は400世帯を超えていたのに対して、 平成21年度は272世帯まで減少し、 一見するとニーズの縮小 と捉えられがちな点に注目したい。 実は、 このことは決してマイナス材料ではなくプラスに捉えるべき だということがわかったからである。 なぜならば、 Ⅰ―3で指摘した通り本当にボランティアにしか頼 るところがないという人に絞り込んで、 登録してもらったという 「福祉実態調査」 の精度が上がった証 しでもあり、 それによる対象者の絞り込みは、 地域住民による助け合いで無理なく行う (息切れしない 活動という) 理想に近づく大きな一歩となったとも考えられる。 ただし、 民生委員の改選期が迫る中、 こうしたノウハウが新任者に引き継がれるか心配な面も残るため、 このことへの対策が今後求められる ことも付け加えないとならない。 第3に、 表5に示した通り平成21年度は出動式直後に大量の積雪があってニーズがあったことから、 安全パトロールの件数が4年間の活動の中でも125件に上り最高記録に達していた。 この活動件数の伸 びも成果と言える。 設立初年度のように暖冬で全く活躍の機会が無かったときに比べて、 安全パトロー ル活動に実際に携わった人数も多くなり活躍の機会が用意された年であったと評価できる側面も持つ。 なお、 今後は共通活動日 (市域一斉のパトロールをする日) の復活も検討し、 仮に積雪のない冬期間で あったとしても要援護世帯の見守り活動を除雪ボランティア活動の一環として取り組む積極性が求めら れる。 後述するが、 除雪ボランティア登録者が多くなり、 依頼を受けて活動する人と依頼が来ないため 活動できない人もおり、 除雪に限定せず、 冬期の見守り活動に参加してもらうことで登録者の活躍の場 を提供し、 活動機会の均等化を図ることも検討していく余地があるはずだからである。 第4に、 表7に示した通り平成21年度の除雪出動件数65件に対して15件が学校ボランティアで占めら れるようになり、 福祉教育の実践現場としての活用が進んだ点も成果と指摘できる。 特に高校の多い大 曲地域でこの伸びが見られ、 どうしても休日の活動になりがちな社会人ボランティアに比べて、 部活動 の一環で除雪に訪問し即応できたという成果も見られた。 この例のように、 活動しながら毎年少しずつ 改善策を考え実行している雪まる隊の進化もうかがえる。 第5に、 住民自主組織としての成長面を探るため、 雪まる隊の役員の活躍場面が年を追う毎にどのよ うな変化を見せたかを調べた結果を掲載した表8に注目したい。 調査結果によれば、 事業計画作成、 出 動式会場準備、 出動式の司会という場面での自主性の発揮ということが把握でき、 一定の成果が確認さ れた。 しかし、 その他の大半の作業は社協職員に任せている実態が明らかになったことから、 自立運営 に向けて道のりがまだ長いことを実感することになった。 今後は、 役員を中心に住民自主組織として、 主体性を発揮する領域を少しずつ拡大していくことが求められることは言うまでもない。 つぎに、 活動4年目を終えた段階で新たな課題も発生していたことについてである。 繰り返しの指摘 になるが、 第1に、 担い手であるボランティア登録者に比べて必要とする受け手の世帯が減少したこと に伴い、 実際に活動に従事できる人が限られ、 活動の機会がなかった人からの不満が聞かれたことであ る。 このことについては上述の通り活躍の機会の提供を工夫することが求められる。 第2に、 福祉実態 ― 127 ― 調査を担当する民生委員の改選期により新たな民生委員に交代する地域もあり、 除雪ボランティアを本 当に必要とする世帯把握のノウハウの引き継ぎがうまくいくのか気掛かりも残るため、 対策が求められ ることである。 第3に、 この後、 除雪ボランティア雪まる隊の役員、 幹事、 各地域のリーダーの人たち も高齢化して行くため、 次の時代のリーダーを育てる必要があることである。 表8の会全体の組織運営 面において住民代表である役員と社協職員との共同作業をさらに増やして行き、 任せられる領域を少し ずつ広げ、 その割合を増加させる関わりが求められるはずである。 第4に、 市からの助成金の縮減により、 社協自主財源で雪まる隊の活動者のボランティア保険加入料 を賄わなければならない新たな課題も発生していた点である。 むしろこの課題を会員が共有し、 特に役 員がこの課題解決に向けて協議し、 共同解決の経験を機に主体性を高めるきっかけに繋げることができ ないか模索する価値があるように思える。 こうしたピンチをチャンスに変えていく発想の切り替えも求 められるものと考えられる。 第5に、 地域特性を踏まえた活動といえ、 徐々にではあるが、 活発な活動をしているところとそうで ないところの差が開きつつあることが指摘される。 年度を追って地域毎の登録者数を見てもこの状態が なかなか解消されていないからである。 今回の調査からその要因として考えられたのは大きく2つであ る。 1つは社協支所毎の職員の熱心な声かけや住民の口コミを生かせる地域ほど登録者が増えている印 象を持ってしまうことである。 また、 民生委員の資質の影響も少なくないと思われる。 聞き取り調査時 に 「未だに除雪ボランティアが屋根の雪下ろしをしてくれると勘違いしている人もいる」 ということを 聞いたためである。 広報紙の活用もさることながら、 社協支所職員と民生委員の口コミにより 「雪まる 隊の除雪活動は市民が誰でも参加でき無理なくできる活動」 という正しい情報が地域に浸透するように なれば、 気軽に参加・登録してもらえる雰囲気が一層醸成させていくものと考えられる。 なお、 登録・ 活動者の口コミで輪を広げる努力も怠らないということは指摘するまでもない。 第6に、 活動効果を検証し、 いろいろな場に公表していくことも4年間経過した活動に求められる課 題といえる。 活動者アンケートを取っていなかったり、 受け手の感想の声を集めていなかったりしたた め、 やはりこの活動によって得られる効果が予想で留まっている感が否めないからである。 なお、 効果 を調べるために着手するとしたら、 学校ボランティアへのアンケート並びに、 安否確認の電話連絡をし ている要援護世帯に、 除雪ボランティアが訪問した当日あるは近日の間隔で意見を聞き取って記録して おくことが望ましいと言える。 簡単な質問票を作って聞き取って記録しておき、 その蓄積をデータ化し ていく努力を始める時期に来ていると言える。 少ない意見であっても毎年それらを取って積み重ねてい くことで、 成果と見られるものが抽出される可能性が高いからである。 そしてそれを市民に紹介できれ ば、 雪国ならではの活動手法として、 住民福祉活動に対する意識の高揚、 啓発普及策として効果を発揮 できるのではないだろうか。 もちろん、 受け手、 担い手ともに活動効果を感じるものであり、 多面的な 効果をあげていることが明らかにされれば、 除雪ボランティア活動を通じたコミュニティ再構築化につ ながるものと考えられる。 引き続き筆者は除雪ボランティアの受け手、 担い手の双方からアンケートや聞き取り等を行って活動 成果を明らかに出来るよう試み、 大仙市での検証が難しい場合には調査結果を有する社協を探し、 除雪 ボランティア活動によるコミュニティ再構築化について追及していきたいと考えている。 注 1) 前稿, 高橋和幸 「除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの構築に関する研究 (その1)」 ノースアジア大学総合 研究センター教養文化論集 第5巻2号 2010年3月発行 pp111-124 ― 128 ― 除雪ボランティアを通じた互助・共助コミュニティの構築に関する研究 (その2) 謝辞 聞き取りと資料収集調査に協力頂いた社会福祉法人大仙市社会福祉協議会に対し、 ここに記して感謝申し上げたい。 参考文献 小田正 「除雪ボランティア スコップ の活動について (特集:市民と行政の協働による雪対策と地域づくり)」 雑誌 「ゆき」 第68巻 雪センター発行 2007年7月 pp24-27 笈川卓也 「秋田県の除雪ボランティア活動の状況とこれから (特集:市民と行政の協働による雪対策と地域づくり)」 雑誌 「ゆ き」 第68巻 雪センター発行 2007年7月 pp28-33 日置真世著 日置真世のおいしい地域づくりのためのレシピ50 全国コミュニティライフサポートセンター 2009年 塚本一郎・山岸秀雄 ソーシャルエンタープライズ−社会貢献をビジネスにする 丸善 2008年 沼野夏生著 雪国学 現代書店 2006年 小澤亘編著 ボランティアの文化社会学 世界思想社 2001年 ― 129 ― 研究ノート メンタルトレーニングの効果に関する実証的研究 ―高校野球チームへの心理的サポートを実践して― 伊 藤 護 朗 Ⅰ はじめに メンタルトレーニング (以下、 MT とする) とは、 自己に備わっている技術や体力をどんな状況の中 でも最大限に発揮できるよう、 集中力の向上、 不安の除去、 意識の高揚、 あがりの防止、 自我の強化、 忍耐力の養成などについて、 意図的かつ組織的に訓練することである。 けれども、 スポーツ選手の精神力は、 過酷な練習や試合を通して自然に養われるものであり、 精神力 強化を目的とした特別な訓練は必要ないという考えが依然として根強く残っており、 MT が継続的に実 施されているケースは極めて少ないといえよう。1)2) そんな中、 200X年7月、 A 県 B 高校の野球部指導者より部員に MT の指導をして欲しいと依頼され た。 依頼の目的は、 プレーに打ち込む 「集中力」 や 「忍耐力」 を高めることであった。 さっそく練習場を訪ねチームの状況を確認したところ、 全体的に活気があり、 想像していた以上に 「集中力」 も 「やる気」 もあるように見受けられた。 この印象を率直に依頼者 (指導者) に伝えると、 「いつもこのような状態ではない。 前述の2点が改善されれば、 チームの戦力は大幅に向上すると思う のだが…」 と返答された。 部員数が多くうまくサポートできるかどうか気掛かりな面もあったが、 依頼者の部活指導に対する熱 意に感銘し、 及ばずながら一緒に MT に取り組むことを了承した。 MT は、 筆者が研究の一環で制作 (監修・指導) した表1・表2の CD 使用を中心とした方法で行った。 以下に、 この実施の内容や結果について述べてみたい。 なお、 チーム名や個人名、 実施期日などにつ いては、 守秘義務に配慮し秘匿にした。 Ⅱ 方 法 1. 対象者 高校硬式野球部に所属する男子53名 (1年生8名、 2年生24名、 3年生21名) 2. 期 間 200X年7月より200X年+1年12月までの1年6か月間 MT を実施。 終了後の200X年+2年1月15 日〜2月5日に前記部員53名に対し、 MT の効果に関するアンケートを行い、 全員より回答用紙を回収 した。 調査対象者の MT 実施期間は、 1年生9か月、 2年生1年6か月、 3年生1年1か月である。 ― 131 ― 3. 調査内容 MT 実施効果の有無に関するアンケートを集計し、 「あった」・「どちらともいえない」・「なかっ た」 の3項目の割合算出と比較を行う。 MT 実施効果の具体的内容に関するアンケートを集計し、 下記①〜⑫の各項目 (複数回答) 割合 の算出と比較分析を行う。 ① 「忍耐力」 (我慢強くなった) ② 「自己コントロール」 (気持ちの切り替えがうまくいくようになった) ③ 「目標の確立」 (やるべきことを明確に意識できるようになった) ④ 「自己肯定感」 (物事を肯定的<プラス>に考えるようになった) ⑤ 「積極性」 (積極的にプレーするようになった) ⑥ 「向上心」 (上手になろう、 強くなろう、 という意識が高まった) ⑦ 「リラックス」 (リラックスできるようになった) ⑧ 「集中力」 (集中力が高まった) ⑨ 「快眠」 (よく眠れるようになった) ⑩ 「闘争心」 (闘争心が高まった) ⑪ 「協調性」 (チームメイトと協力し合う気持ちが強くなった) ⑫ その他 (記述) *各項目比較の信頼限界値 (上限―下限) は 「母百分率の信頼限界 (99%)」 の計算法によって求める。 また、 差の検定は標準誤差による計算法を用い、 Z.05=1.96、 Z.01=2.58、 Z.001=3.29を有意差の基 準とする。 *図1・図2に示した数字はパーセント (%) である。 4. MT の実践内容 毎日の練習に MT の時間を多くとることができないチーム事情を考慮し、 なるべく簡便に、 そして 部員達だけでも主体的に取り組めるように下記 (3種類) の方法で実施した。 (筆者がサポートにあたっ たのは、 個別的カウンセリングも含めて月に3〜4回) 毎日行う MT <練習開始直前に実施> … 各項目1分で合計5分間 ・腹式呼吸をする。 ・「今日は特に何を心がけて練習するか」 を心の中で繰り返す。 ・「自分の得意なプレー」 についてイメージする。 ・「自分に勇気を与える言葉」 を心の中で繰り返す。 ・緊迫した場面で冷静に堂々とプレーする姿をイメージする。 <練習終了直後に実施> … 各項目1分で合計3分間 ・「今日のうまくできたプレー」 をイメージする。 ・「自分にとって理想の選手」 をイメージしその姿を追う。 ・「明日は特にどんなことを心がけて練習するか」 を心の中で繰り返す。 ― 132 ― メンタルトレーニングの効果に関する実証的研究 時折行う MT 表1の CD を使用 この CD は MT の内容 (ストレスの解消や自己をコントロールする力などを培う) を潜在意識 に刻印させ、 自動的に反応できるように繰り返し聴かせるもの。 雨天などで MT に時間を多くと れる日に実施。 表1 <CD>BGM 活用の実践メンタルトレーニング3) 〜スポーツ選手のストレス解消と意識の高揚〜 (21分35秒) 項 目 実施のポイントと効能 ①開始 ・癒しの BGM (音楽専門家のプロデュース) で始まる (仰向けに寝て 楽な姿勢で実施) ②態勢づくり ・メンタルトレーニング効果・BGM 効果についての簡単な説明 (スト レス解消や集中力・モチベーションの向上など) ③ストレッチ体操4) ・リラックス・疲労回復・柔軟性などの効果 (仰向けに寝たままで実施) 5)6) ④腹式呼吸 ・空気の最大摂取量が通常の5倍以上→セロトニン (脳神経伝達物質) 分泌が活発化→集中力や脳の活動が高まり、 心も安定化、 冷静化する ⑤目標の確立7) ・目的や目標を持って行動→脳が刺激される (目的と目標の区別を明確 に行動すると活力が湧く) ⑥ピークパフォーマンス (peak performance) ・最高のゲーム (プレー) をしたときの理想的な精神状態を思い浮かべ る (やる気や忍耐力が高まる) →肯定的自己概念の形成 ⑦ビジュアライゼーション (visualization) ・視覚化→予想されるさまざまな場面を視覚的に想像 (イメージの中で の技術練習:メンタルプラクティス:mental practice) ⑧理想の選手 (モデル) を想起8) ・モデルのプレーの姿や動作などをできるだけ細かくイメージ (それが 頭の中に正確に形成されると感化され同化する) ⑨練習や試合の課題の確認 ・やるべきことや課題を明確にする (3つ以内) (練習や試合へのモチ ベーションが高まる) ⑩自己肯定感の持続 (自信の保持) ・肯定的イメージを持つ→脳波がアルファー波になる (心や筋肉の緊張 がほぐれ、 力が発揮されやすくなる) ⑪メンタルリハーサル (mental rehearsal) ・頭の中での予行練習→試合直前にこれから自分の行動を順次思い浮か べる (心の準備を整え精神を集中させる) ⑫序盤の心がけ ・試合序盤での心がけるべきことを3つ以内で考える (例. 大きな動作、 大きな声出しなど) ⑬中盤の心がけ ・試合中盤での自分の心がけるべきことを3つ以内で考える (例. 気を 引き締める、 粘り抜くなど) ⑭終盤の心がけ ・試合終盤での自分が心がけるべきことを3つ以内で考える (例. 単調 にならない、 焦らない、 ゆっくりマイペースで) ⑮集中力・忍耐力の保持 ・試合は我慢くらべ・根くらべであることを銘記 (しなやかに、 したた かに、 そして、 辛抱強く戦い抜く) ⑯腹式呼吸 ・効能 (上記④参照) ⑰終了 ・終わりの言葉 ― 133 ― 試合当日に行う MT 表2の CD を使用 この CD は試合に挑むにあたって、 特に心がけるべきことや士気を鼓舞するための語句を繰り返 し聴かせるもの。 BGM には軽快なプレーができるようにテンポのある音曲を挿入。9) 表2 <CD>BGM 活用の試合のためのメンタルトレーニング10) 〜意識の肯定化・明確化を図りやる気を喚起〜 (11分40秒) 項 目 実施のポイントと効能 ①開始 ・意欲の高まるリズミカルな BGM (音楽の専門家がプロデュース) で 始まる ②態勢づくり ・メンタルトレーニングや BGM 効果についての簡単な説明 ③腹式呼吸 ・タイミング (間合い) のとり方がよくなる (その他の効果については 表1に記入) ④肯定的思考11) ・素直な気持ちや自分を信じる気持ちを持つ (それがスムーズなプレー を生む→ 「指導者や家族などの言葉に素直に耳を傾ける」 「天候がど うあれ、 試合場の雰囲気がどうあれ、 すべての状況が自分に有利と考 える」 など) ⑤セルフトーク12)13) (self-talk) ・自己内対話→試合のときどきに自分を励まし、 勇気づける言葉を自ら に語りかけ堂々とプレー→言葉には力がある (言霊) (自己を鼓舞・ 発奮させる) ⑥ルーティン (routine) ・儀式→ゲンをかついだり、 プレーするときの癖はその人の自然の動作 → 「いつも通りのしぐさ、 いつも通りの話し方、 いつも通りのペース でプレーする」 (平常心を保つ) ⑦動作法 (1)14) ・からだ全体を使って大きな動作でプレー (緊張による心とからだの萎 縮・硬直を防止する) ⑧気持ちのコントロール (1)15) ・「プレーの動作は心の姿」 →気負わず、 柔らかく、 リズミカルにプレー することを強く意識 (試合で苛立ちや焦りは禁物→運気のもとは根気 である) ⑨注意集中16) ・結果を気にせず、 どのようにしていいプレーをするかに集中 (覚悟や 確信を持つと大きな力が湧く) ⑩ビジュアライゼーション ・視覚化→得意とする技 (わざ) やプレーを強く鮮明にイメージ (自己 肯定感やモチベーションが高まる) ⑪ピークパフォーマンス ・これまでの最高のプレーやゲームをしたときの理想的な精神状態を想 起 (意欲や忍耐力が高まる) ⑫目標設定 ・試合で心がけること、 やるべきことを強く意識 (3つ以内) (集中力 やモチベーションが高まる) ⑬動作法 (2) ・大きな声を発し、 はつらつとプレー (明るく元気に振る舞わないと積 極的プレーも肯定的思考も生まれない) ⑭気持ちのコントロール (2) ・ピンチのあとにはチャンスが到来→逆もまたそうである (いつまでも 落ち込んだり、 はしゃいだりしない→終始自分のプレーに徹する) ⑮腹式呼吸 ・効能 (上記③参照) ⑯終了 ・終わりの言葉 ― 134 ― メンタルトレーニングの効果に関する実証的研究 Ⅲ 結果と考察 1. MT 実施の効果の有無 前述の MT の内容 (①毎日行う MT、 ②時折行う MT、 ③試合当日に行う MT) を継続実施して、 効果があったか否かについて回答してもらった。 「あった」 83.0% (100.0―64.2) が最高率で、 次いで 「どちらともいえない」 11.3% (30.1―0.0)、 「なかった」 5.7% (24.5―0.0) の順となっている。 この3項目の割合について比較を試みたところ、 「あった」 と 「なかった」 との間に0.1%水準で有意差が認められた。 また、 図1に示したように 「あった」 の割合と、 「どちらともいえない」 と 「なかった」 の割合合計 値17.0% (35.8―0.0) を比較しても有意差 (0.1%水準) が認められ、 実施した MT が効果的であった と見なすことができた。 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 ※※※ あ っ た い え な い ど ち ら と も な か っ た ※※※P<0.001 図1 MT 効果有無の比較 2. MT 実施効果の具体的内容 実施した MT について、 効果が 「あった」 と回答した部員に対し、 具体的にそのことをどのような 点に感じたかを尋ねてみた (複数回答)。 その内容 (各項目) の割合を高率順に列記すると、 ① 「集中 力」 (集中力が高まった) 56.6% (76.0―37.2)、 ② 「忍耐力」 (我慢強くなった) 54.7% (74.1―35.3)、 ③ 「自己肯定感」 (物事を肯定的に考えるようになった) 52.8% (72.2−33.4)、 ④ 「目標の確立」 (やる べきことを明確に意識するようになった) 50.9% (70.3−31.5)、 ⑤ 「自己コントロール」 (気持ちの切 り替えがうまくいくようになった)・「リラックス」 (リラックスできるようになった) 45.3% (64.7−2 5.9)、 ⑦ 「協調性」 (チームメイトと協力し合う気持ちが強くなった) 37.7% (56.7―17.9)、 ⑧ 「快眠」 (よく眠れるようになった) 35.8% (55.2―16.4)、 ⑨ 「向上心」 (上手になろう、 強くなろう、 という意 識が高まった) 32.1% (51.5―12.7)、 ⑩ 「闘争心」 (闘争心が高まった) 26.4% (45.8―7.0) ⑪ 「積極 性」 (積極的にプレーするようになった) 18.9% (38.3―0.0) ⑫ 「その他」 (くよくよしなくなった、 ス トレスが少なくなった、 素直になった、 など) 7.5% (26.9―0.0) である。 ― 135 ― 図2は以上の各項目の割合をあらわしたものである。 最高率を示した 「集中力」 の割合を基軸とし、 その他の各項目割合と比較検定を試みた結果、 「積極性」 とは0.01%水準で、 「闘争心」 とは0.1%水準 で、 「向上心」・「快眠」 とは0.5%水準で、 それぞれ有意な差が認められ、 それ以外の項目には有意差が なかった。 このことから有意差が認められなかった 「忍耐力」 「自己肯定感」 「目標の確立」 「平常心」 「自己コン トロール」 「協調性」 に関しては、 最高率の 「集中力」 と同様に部員の多くが効果を感じたと読み取る ことができよう。 60 NS NS 50 NS NS NS NS 40 ※ ※ 30 ※※ ※※※ 20 10 0 集 中 力 忍 耐 力 自 己 肯 定 感 目 標 の 確 立 平 常 心 自 己 コ ン ト ロ ー ル NS:有意差なし 図2 協 調 性 ※P<0.05 快 眠 向 上 心 ※※P<0.01 闘 争 心 積 極 性 そ の 他 ※※※P<0.001 効果の具体的項目についての比較 3. まとめ ―MT 実施にともなう結果・課題等― 実力があるにも拘わらず、 力を出し切れずに低迷していたチームであったが、 指導者と部員のたゆま ない努力の甲斐あって、 MT 実施期間中 (1年6か月)、 県大会優勝2回、 準優勝1回、 ベスト4入り 1回という成績をあげ、 県内では常にトップレベルの戦力を維持した。 技術練習や体力トレーニングは、 その成果を 「これくらい上達した」、 「こんなにパワーがついた」 と いうように、 形 (体) や数値で表すことができる。 それに対し MT では、 成果を正確に形や数値で表 すことは困難であり、 今回実施した MT についても、 前述の競技成績にプラス影響を及ぼしたかどう かを断言することはできない。 けれども、 MT 依頼の主目的であった 「集中力」 と 「忍耐力」 (向上) の2項目についても前述のように高率を示したので、 ある程度は効果があったものと推測している。 ま た、 長期間部員と交流する中で、 大半の部員が常に深刻な悩みや不安を抱え悶々としでいる姿を目の当 たりにして、 改めて MT、 取り分け 「スポーツカウンセリング」 がスポーツ活動に不可欠であることを 認識させられた。 「病は気から」 という言葉があるように、 心と体は密接に連動している。 「調子が上がらない」 「ライ ― 136 ― メンタルトレーニングの効果に関する実証的研究 バルのことが気になる」 「試合で失敗したらどうしよう」 等々の悩みや不安を蓄積させていたのでは、 いいプレーは期待できない。 技術や体力をより高めようと努力すればするほど、 課題克服の苦しみから、 逆にストレスが大きくなる場合が多いのである。 「勝ちたい」 や 「上手くなりたい」 のみに心を奪われ るのではなく、いい精神状態いい体調を維持してこそ集中力もやる気も忍耐力も向上すること を、 今後のサポート活動において特に強調していかなければならないと考えている。 また、 今回の MT では、 レギュラー部員の方が、 そうでない部員より MT に真剣に取り組む傾向が みられた。 レギュラーでない部員の動機づけを高めるためには、 MT の一つ一つの意義や根拠について、 もっと認識を深めさせなければならないと反省している。 MT も、 技術練習や体力トレーニングと同じように位置づけられ、 意図的、 組織的、 継続的に実施さ れるならば、 必ずや大きな成果があがるものと確信している。 スポーツに取り組む多くの方々が、 MT により一層関心を持って実践されることを願ってやまない。 文 献 1) 伊藤護朗 身体活動と心理 (2001, 大阪教育図書) 118頁。 2) 伊藤護朗 「イメージによるスポーツメンタルトレーニングの意義と実践に関する研究」・秋田論叢第20号 (2004, 秋田経済法 科大学法学部) 1―2頁。 3) 伊藤護朗 BGM 活用の実践メンタルトレーニング CD (2004, 秋田ビージーエム株式会社)。 4) 阿野鉱二 巨人軍のストレッチ (1983, ベースボール・マガジン社) 3頁。 5) 原 久子 瞑想呼吸法 (1993, 日本実業出版社) 46―47頁。 6) 高畑好秀 メンタル強化バイブル (2000, 池田書店) 204頁。 7) 日本スポーツ心理学会編 スポーツメンタルトレーニング教本 (2005, 大修館書店) 92―95頁。 8) 前掲書(1), 120―122頁。 9) 伊藤護朗 「スポーツトレーニングにおける BGM の心理的効果に関する研究」・秋田論叢第9号 (1993, 秋田経済法科大学法 学部) 70―71頁。 10) 伊藤護朗 BGM 活用の試合のためのメンタルトレーニング CD (2007, 秋田ビージーエム株式会社) 11) 千葉康則 自己暗示術 (1982, 光文社) 11頁。 12) Ken Ravizza & Tom Hanson HEADS-UP BASEBALL p172. Masters Press 1995. 13) K・ポーター, J・フォスター (阿部美恵子他訳) メンタルトレーニング (1988, 不昧堂出版) 137―142頁。 14) 前掲書(7), 252頁。 15) Ken Ravizza & Tom Hanson, op cit, pp.172―175. 16) 前掲書(7), 105頁。 <付記> 本稿は、 筆者がスポーツ心理学会のスポーツメンタルトレーニング指導士会へ提出した実践レポート 「高校野球チームへのメ ンタルトレーニング」 ( スポーツメンタルトレーニング指導士活用ガイドブック に掲載:2010・8・10:ベースボール・マガジ ン社) の一部を骨子とし、 補足敷衍したものである。 ― 137 ― 研究ノート 蘇我氏の出自 (講義 「上代日本政治史」 についての学生との対話) 阿曽村 (学生A) 邦 昭 この前の講義で見せていただいた NHK の 「日本と朝鮮半島」 特集 No.3 (仏教伝来) で、 そ が くだら 韓国の東国大学の某教授が 「蘇我氏は百済系だと思います」 と言っていましたが、 何を根拠 にこういう主張をしたのでしたっけ? (先 生) ああ、 イ・キドン名誉教授の発言ですね。 「根拠」 として挙げていたのは、 少し発言を補っ て申しますと、 次の二点ですね。 つまり、 から こ (1) こ ま 蘇我氏の先祖に韓子とか高麗など朝鮮半島とゆかりのある名前を名乗っている者が から こ いる。 韓子は、 (韓) 朝鮮半島の女性を母とし日本人の男性を父とした人を意味する。 ま (2) ち 韓子の父は満智と言う名前であるが、 これは朝鮮高麗朝の下で1145年になってから もく 編纂された官撰の歴史書 まん ち 三国史記 の中の 「百済本紀」 に出てくる百済の重臣 「木 満致」 のことであろう。 (学生B) なるほどねえ。 わたしは、 高校の先生から推古天皇は百済系の女性天皇だと教わったけれ すい こ ど、 推古天皇と蘇我氏は関係があるのかしら? きんめい (先 生) おおおみ いな め 関係はおおありですよ。 推古天皇のお父さんは欽明天皇、 お母さんは、 大臣蘇我稲目の娘 きた し ひめ 堅塩媛です。 だから、 蘇我氏が百済系ならば、 蘇我一族につながる推古天皇も百済の血が うま こ 入っているということになるのです。 推古天皇は、 五十年以上も大臣の座にあった蘇我馬子 の姪にあたりますが、 年は二つしか違いません。 なかのおおえの (学生B) なかとみのかまたり いる か 蘇我氏の代表に大王家にとって代わろうとして中大兄皇子と中臣鎌足に殺された入鹿がい ましたね。 大王家にとって代わろうというからにはすごく強大な豪族だったんでしょうね。 おおきみ (先 生) きさき その通り。 欽明天皇にはじまって何人もの大王の妃を輩出しているし、 蘇我稲目、 馬子、 えみ し 蝦夷、 入鹿と四代にわたって今でいえば総理大臣格の 「大臣」 の職を務めていたのだから、 大変な勢力だったに違いない。 (学生A) そうすると、 蘇我氏が繁栄していた6世紀から7世紀半ばにかけて大王家には百済系の血 が濃厚に入り、 今日の天皇家につながっているということになりますね。 面白いですね。 (先 生) どうも君は先を急ぎすぎるよ。 学問というのは、 全てを疑うところから始まるんだとこの 間も言ったばかりじゃないか。 蝦夷・入鹿父子が大王家にとって代わろうとしたということ ― 139 ― は確かに 日本書紀 に書いてあるけれども、 これは彼らが滅んだあとで編纂された歴史書 だからどこまで本当かは疑う余地がある。 蘇我氏が百済系かどうかということも疑って見な ければならんね。 まあ、 Don t jump up to the conclusion ! (学生A) 先生、 その英語どういう意味ですか? (学生B) 先生は、 「よく考えもせずに結論を出すな」 って (学生A) それでは、 蘇我氏百済系説についての先生のお考えを聞かせてください。 (先 これにはいろいろの経緯があるので、 まずそこからお話ししましょう。 生) おっしゃたのよ。 戦後、 蘇我氏百済系説を最初にいい出したのは、 実は、 小説家の松本清張です。 それに賛 成したのが早稲田大学の日本古代史の専門家 水野祐。 次いで、 上代における日本と朝鮮の もくらいまち(まんち) 関係を力説する奈良女子大学の門脇禎二教授が 「蘇我氏の出自について―百済の木満致と そ がの ま ち 蘇我満智―」 ( 日本の中の朝鮮文化 12号、 朝鮮文化社、 京都、 1971年、 所収) という論 考の中で 「論証」 を試みました。 もっとも、 これは 「論説」 にすぎないという批判も多々あ ります。 こういう中で、 山上憶良帰化人説を唱える万葉学者 中西進がその小説 天智伝 (現在 は中公文庫) で、 早速、 蘇我氏百済系説を応用して、 こう書いています。 くだ ら と らい 「一体に、 蘇我氏とは複雑な性格をもった氏族である。 (中略) しかし実は百済系の渡来氏 ま ち 族である。 初代、 満智がかの地の重臣の地位を捨ててわが国に永住し、 先進文化を背景とし て次第に勢力を強めていった。」 古代史をネタに多くの小説をものしている 黒岩重吾も門脇説とは異なる観点からではあ りますが、 蘇我氏百済系説です。 自称 古代史研究家」 の在日朝鮮人 (在日韓国人にあらず) 小説家金達寿もこの説にとび つきました。 彼の主張は、 要するに、 上代の日本を取り仕切っていたのは朝鮮半島の人々で あったということで、 この考えに有利なものは無批判的になんでも取り入れて援用するのが 特徴です(例:金達寿 昭、 金達寿編 廷 日本古代史と朝鮮 、 講談社学術文庫、 1985年;司馬遼太郎、 上田正 日本の渡来文化 、 中公文庫、 1982年)。 彼に言わせると、 「... のあった飛鳥の地には、 いわゆる かります。」 「そのいわゆる 帰化人 帰化人 大和朝 のほかには誰もいなかったということが分 が渡来するまでは 大和朝廷 なるものはなかったと いうよりほかない。」 のであって、 蘇我氏は勿論朝鮮から来た、 古代の日本国家を形成した のは朝鮮から来た人々である、 という主張になります。 こうして見ますと、 学者よりも小説家とかいわゆる 「文化人」 の間で受け入れられ、 彼ら を通じて一般に広まったといえましょう。 先ほどのイ・キドン教授の説もこの線上にあり、 何ら目新しい説ではありません。 (学生A) それで、 その根拠は正しいのかどうか、 ズバリ言ってください。 先生はどうも回りくどく ― 140 ― 蘇我氏の出自 (講義 [上代日本政治史] についての学生との対話) て... (先 生) 君はせっかちだなあ。 こういう問題はいろいろなところに気を配りながら論証を進めてい かなければならないのだから、 君のように結論だけを急ぐという訳にはいかんのですよ。 君 が今熱中しているらしい恋愛でも余りせっかちに進めるとろくなことはありませんよ。 (学生A) 恋愛は僕個人の問題です。 根拠はどうなんですか?黒岩重吾の異説というのも知っておき たいなあ。 (先 生) それでは黒岩重吾から始めるとするか。 彼には 落日の王子 蘇我入鹿 上下二巻 (文春 文庫) と言う小説があるんだが、 そのはじめの方にこう書いてある。 こう ろ こん き 蘇我氏にも百済王族の血が流れていた。 河内に渡来した百済蓋鹵王の弟昆伎王の子供たち かつらぎ もら は雄略に寵愛され、 葛城本宗家が滅びると同時に葛城氏の本貫地を貰い、 蘇我と名乗ったの は五世紀の末であった。 この短い文章の中には歴史学の観点からすれば問題となる点がいろいろとあるんだ。 致命的なのは、 蘇我氏を昆伎王の子孫と断定しているところでしょうね。 日本書紀 かのとうし の巻第14雄略天皇の段 (雄略5年7月条) には確かに 百済新撰 を引用し て 「辛丑年―461年に該当―蓋鹵王が弟の昆伎王を遣わし、 大倭に参向させ、 天王にお仕え よし させた。 そして兄王の好みを修めた。」 とあります。 ところが、 三国史記 の 「百済本紀」 第4文周王の段に477年4月 「王弟の昆伎を拝して 内臣佐平にしたが、 同年7月に亡くなった」 との記事があるので、 彼は日本に定住すること なく帰国したと考えられます。 しかし、 ま た 日本書紀 雄略23年4月条で、 「天皇は昆伎王の5 人の子の中で二番目の末多王が、 若いのに聡明なのを見て、 詔して内裏へ呼ばれた。」 とあ とうせい りますから、 雄略天皇が兵士500人を添えて帰国させ、 東城王となったこの末多王以外の4 人と子供たちの中の何人かは大和の地にとどまった可能性はあるでしょう。 しかし、 それ以 上に蘇我氏と昆伎王の子孫を結びつける証拠はないのです。 ですから、 黒岩説は奔放な想像 つぶらのおおおみ の域を出ないのです。 それに雄略天皇が武力を行使して滅亡させた葛城円大臣の領地を昆伎 あがた 王の子供たちに分け与えたとすれば、 馬子が推古天皇に 「葛城県は元、 私の本貫であります。 その県にちなんで蘇我葛城氏の名もありますので、 どうか永久にその県を賜って、 私が封ぜ られた県といたしとうございます」 と願い出て、 断られたという 日本書紀 推古32年10月 1日条記事と矛盾いたします。 (学生A) 松本清張といえば社会派の推理小説家でしょう。 歴史もやっていたんですか? (先 清張さんは日本史に大きな関心があり、 生) 邪馬台国 、 空白の世紀 、 カミと青銅の迷路 等の著作もあります。 面白おかしく書いてあるし、 江上波夫教授の 「騎馬民族説」、 つまり、 み ま な 日本国家というのは、 四世紀前半に南朝鮮の任那から北方騎馬民族の扶余族が北九州に上陸 す じん し、 建国したのがはじまりで、 この時の騎馬民族の指導者が崇神天皇だというのです。 これ ― 141 ― が第一段階。 この後、 四世紀後半か五世紀はじめに北部九州から畿内に進撃し、 ここに本拠 おうじん じん む を定めたのが応神天皇で、 これの過程が神武東征伝説にに反映されているのだと主張いたし ます。 清張説は 空白の世紀 (講談社、 19861年) にかなり詳しく述べれていますが、 基本的に この江上説の影響下にありながら、 考古学的な批判に耐えられないなどの江上説の弱点を考 慮して、 江上説を変形したものです。 要点を言えば次のようになります。 (1) 紀元前後、 弥生時代中期に南朝鮮から渡ってきた人々が畿内から伊勢湾岸にまで広 がり、 土着民と混合、 混血していった。 九州北部でも同じような状況であった。 (2) 四世紀後半に朝鮮南部の弁辰にいた扶余族は北九州には既に南朝鮮から移住した強 力な先住勢力が存在したので、 ここを避け、 先に畿内に入っていた南朝鮮からの移住 民と相呼応して、 瀬戸内海を渡って畿内を征服した。 「三世紀後半から四世紀なかば にかけて近畿以西の列島は、 本来の原住民 (縄文時代の人々)を制圧した外来韓人系 によってほとんど占有されていたと思う。」 かつらぎ (3) へ ぐり こ せ き そ が みま な 葛城・平群・巨勢・紀・蘇我氏などは五世紀ごろに扶余勢力とともに任那地方から 渡来したその地の 「倭」 人 (混血により韓人化) の族長たちの後裔。 渡来理由は、 六 世紀なかばの任那日本府滅亡。 (4) 蘇我氏の先祖は、 まず満智・韓子・高麗の異国風な名があり、 その後で稲目以下の 和風の名前に代わっている。 異国風な名は祖先が任那の族長であった頃を反映し、 和 風の名は畿内に移住して新興豪族となった頃からのものであろう。 (学生B) これってただ蘇我氏の祖先だけの問題じゃなくて、 日本という国はどのようにしてできた のかという大問題に関係しているのね。 難しいわ。 それで先生はこの松本清張説をどうお考 えですか? (先 生) まあ、 清張説の下敷きになっている江上さんの 「日本人騎馬民族起源説」 自体に対して日 本の学会は今日においても否定的ですね。 特に、 考古学者佐原真三の 騎馬民族は来なかった (NHK ブックス、 1993年) は決定 的ですね。 騎馬民族の子孫だったら日本人の農業は何故食用家畜のない農業なのかという問 題ですよ。 騎馬民族なら必ず行っている去勢の習慣もなかった。 だから、 宦官の制度も日本 では入ってこなかったのでしょう。 私が疑問を持つのは、 朝鮮半島から侵入した騎馬民族が支配者になったのなら何故われわ れは日本語を話しているのか、 古くからある万葉集の和歌や 古事記 日本書紀 に採録さ れている万葉集成立以前の歌も日本語でうたわれており、 朝鮮の言葉ではないのはどうしてな のかという疑問がありますね。 朝鮮南部から海を渡って日本列島に侵入して支配者になった のなら、 そういう話が伝説の形で現れそうなものですし、 蘇我氏や他の豪族の系譜に少しは残 こう ひ りそうなものですがね。 朝鮮側の文献、 口碑にも一向にそれらしきものが見当たりません。 それに、 清張説自体に矛盾がある。 葛城以下の畿内の豪族が大和盆地に定住した時期につ いて、 空白の世紀 では 「五世紀ごろ、 扶余勢力とともに」 としながら、 天皇と豪族 (講談社、 1968年) では、 「三世紀の終わりごろには南朝鮮からきた葛城・平群・和耳・巨勢 ― 142 ― 蘇我氏の出自 (講義 [上代日本政治史] についての学生との対話) の祖が盆地の場所割を完成していて、 その後の四世紀なかばから後期にかけて弁韓から扶余 族系の大王・物部・大伴の祖がはいって盆地の東側に割り込む。 これは前に述べた。 それよ りおくれて河内の石川沿岸にきていた蘇我氏が、 後から後からとくる南朝鮮の移住民団を収 容して実力をつけ、 飛鳥地方に入ったものと思われる。」 (同書84ページ) となっていて、 明 らかに矛盾があります。 騎馬民族軍事集団である扶余勢力と任那で韓人化したと清張さんが 主張する 「倭」 人集団との関係も全く論じられていません。 小説家らしい想像力を発揮した としか言いようもありませんね。 しかし、 歴史の専門家の本よりも面白いから売れるわけで、 社会的な影響力は極めて大きいと言えましょう。 韓国の言語学者の中には清張さんの著書を 言語学に関する自著の参考文献に掲げている人までいるんですからね (例:姜吉云 倭の正 体 (三五館、 2010年)。 (学生A) なるほど。 先生の本が売れないのは証拠探しに精力をつかうので、 あまり想像力が働いて いないからですかね。 (先 生) むむ。 そういう嫌いがないこともないね。 (学生B) では門脇説についてはどうなんですか? (先 いよいよ核心部に迫ってきましたね。 それでは、 蘇我氏なるものが記録の上ではじめて出 生) てきた状況をお話しましょう。 蘇我氏は 古事記 たけし たけの 孝元天皇段に孝元天皇の孫建 ( 日本書紀 うちのすくね では 「武」) 内宿禰の子は 男七人、 女二人計九人あったとされ、 男の子の名前と彼らがどの氏族の祖先となったが記載 されています。 もっとも、 孝元天皇なる天皇はいわゆる欠史八代の一人として実在しなかっ たのではないかと疑われており、 神功皇后の三韓征伐とこれを助けた大忠臣建 (武) 内宿禰 もおそらくは七世紀はじめに日本の諸豪族の願望をもとに推古天皇と蘇我馬子をモデルに創 作された人物で、 建内宿禰は 「古代貴族の諸氏の集合祖として創出された伝説的人物」 (門 脇禎二 とも、 葛城と古代国家 古事記 (講談社学術文庫2000年138ページ) であるといえましょう。 もっ が成立した当時は藤原不比等の勢力が強くなっていたので、 藤原家初代の 鎌足をたたえるために鎌足と済明天皇をモデルにしたという言う考え方だって成り立たない わけでもないでしょうがね。 古事記 の成立に至る時代の持統天皇と元明天皇はいずれも 天智天皇の娘ですから、 済明天皇の孫娘にあたり、 祖母を讃えることには異議がなかったで しょう。 まあ、 確証がないから何とも言えませんが... (学生A) 孝元天皇も建内宿禰も架空の人物なんですか。 それじゃあ 古事記 なんかの記事を読ん でも蘇我氏の出自を探す役には立ちませんね。 (先 生) そうとは限らんよ。 何も記録がないとか資料もないよりは、 仮に架空のものであったとし てもそこに何らかの手掛かりが見つかるかも知れないからね。 まず 古事記 宿禰の男の子たちの名前と各々がどんな氏族の祖先とされているか系図を られている順番に書いてみよう。 ― 143 ― に従って建内 古事記 に述べ 系図1 建内宿禰とその男の子たち はたのやしろのすくね 波多八代宿禰 (波多臣、 林臣、 波美臣、 星川臣、 淡海臣、 長谷部臣の祖) こせのおからのすくね こ せ さざきべ 許勢小柄宿禰 (巨勢臣、 雀部臣、 軽部臣の祖) そがのいしかわのすくね たかむく お はり だ 蘇賀石川宿禰 (蘇我臣、 川邊臣、 田中臣、 高向臣、 小冶田臣、 桜井臣、 岸田臣等の祖) へぐりのつくのすくね 建内宿禰 うまのみくい 平群都久宿禰 (平群臣、 佐和良臣、 馬御職連等の祖) きのつののすくね 木角宿禰 (木臣、 都奴臣、 坂本臣の祖) かつらぎのながえのそつびこ あ き な 葛城長江曾都毘古 (玉手臣、 的臣、 生江臣、 阿藝那臣等の祖) わくごのすくね 若子宿禰 (江野財臣の祖) 大和盆地の有力氏族のかなりの部分をを建内宿禰の子供としてまとめ上げたことになるね。 この中で古来随一の名門は葛城氏で、 大和盆地で強大な勢力を誇り、 蘇我氏が稲目の代に台 頭する前には大王家に数多くのキサキを入れていた氏族なんだが、 この系譜が成立したころ のは全く没落していたので、 葛城氏の子孫には葛城氏がなくなっている訳だ。 それにしても、 臣下である建内宿禰の系譜が孝元天皇の 「帝紀」 に詳述されているのは全く異例なことで、 ここに挙げられている諸氏が大和盆地で有力であったことを反映しているのでしょうね。 蘇我氏に関して、 まず問題となるのは、 いったい誰が、 どういう目的で 「蘇賀石川宿禰」 なる人物を蘇我氏の開祖として 古事記 に書いてもらうように系譜を (おそらく) 朝廷に 提出したのかということだ。 それは、 「蘇我」 と 「石川」 の双方に関係のある人たちであろ うと考えるのが一番自然だね。 い っ し (学生B) あれっ、 蘇我氏て645年の 「大化の改新」 (乙巳の変) で滅んだんでしょう。 その後でもまだ蘇我氏は残って、 朝廷に仕えていたんですか? お ま さ (先 生) 乙巳の変で確かに蘇我本宗家は滅亡しました。 けれども、 蝦夷の兄弟でである雄当の子で、 そがのくらのやまだまろ 入鹿の従兄にあたる蘇我倉山田麻呂の系統は一級豪族としてとどまり、 この後3人もの大臣 を出しているのです。 この人物は乙巳の変の後で 「蘇我山田石川麻呂 と名乗ったようです。 これは、 むすめ おちのいらつめ 日本書 紀 天智7年2月23日の条に 「蘇我山田石川麻呂大臣の女を遠智女という」 云々とあるとこ ろから推測されるのです。 恐らく、 今度は吾輩が新しい蘇我本宗家の主であるという意味を 込めて、 本拠である河内国石川の 「石川」 を加えたのでしょう。 この系統の蘇我石川氏は、 672年の壬申の乱に際に、 一族の指導者が敗北した近江朝廷の 大友皇子側についたため、 完全に没落いたします。 残った人々は氏の名称を 「石川」 に変え、 再起を期します。 712年に完成した 古事記 に記載してもらうべく蘇我氏の開祖として 「蘇我石川宿禰」 なる人物を作り上げたのはこのような石川氏の人々であったと考えて間違 いではないでしょう。 (学生A) でも、 蝦夷や入鹿が作り上げた可能性は全くないでしょうか? (先 今見た系図で蘇我石川宿禰というのは他の氏族と葛城系として一括され、 同列に並んでい 生) ― 144 ― 蘇我氏の出自 (講義 [上代日本政治史] についての学生との対話) る上に、 順番が第三番目に来ていますね。 蘇我石川氏は大臣を出していた時ですら他の氏族 を圧倒するような強大な存在ではなかったし、 その子孫の石川氏の意識にもそのような歴史 的事実が反映されているのでしょう。 「蝦夷や入鹿が全盛を極めていた頃に系譜が創り上げたのなら、 葛城系の有力豪族の祖先 たちを兄弟関係で同列におく系譜は作られなかったろう。 かれらなら蘇我氏を葛城一族の嫡 系にもってきたはずだ。」 という武光誠教授の指摘 (武光誠 蘇我氏の古代史 平凡社新書、 2008年、 21ページ) には妥当性があるのではないでしょうか。 蘇我氏の系譜は、 蝦夷の父である馬子の時代にはもう存在していたと思われます。 何故な ら、 日本書記 推古20年2月庚午条に推古天皇が自分の母である堅塩媛を父欽明大王の墓 ことば に改葬する儀式を行ったという記事があります。 この中で、 いろいろな人が死者を悼む詞で しのびごと さかいべのおみまりせ ある誄 を述べたのですが、 「四番目に馬子大臣が、 多数の支族らを率い、 境部臣摩理勢 に うじかばね しのびごと 氏姓のもとについて誄を述べさせた。」 とあるからです。 堅塩媛が蘇我氏の出であるから、 こういうことになったのでしょうが、 どういう内容であったか、 今となっては知る由もあり ません。 もう一つ、 基本的なことを言っておかなくてはなりませんね。 聖徳太子は蘇我馬子と相談 して大王家と国の歴史、 豪族等の氏族の歴史を編纂しようとされたのですが、 草稿の段階の すめらみことのふみ くにつふみ まま蘇我氏の館に保管されていたのです。 ところが馬子が死ぬ前に全ての天皇記、 国記、 たからもの ふねのふびとのえさか 珍宝を焼いた。 その時、 船史恵尺―帰化人系の文筆、 記録を専門職とし、 蘇我氏と密接な関 係を有する氏族に属する人物―が素早く焼かれる国記を取り出して中大兄に奉った ( 日本 書紀 皇極4年6月13日条)。 だから、 残ったのは神代から推古朝に至るまでの国の歴史草 もとつふみ 稿と朝廷を構成している豪族やこれに準ずる地方豪族等の 「本記」、 つまりこれら豪族の家 譜の一部が残ったのでしょう。 しかし、 こういった資料も多くは壬申の乱の過程で失われた と考えられます。 ですから、 蘇我氏の家譜も壬申の乱以後、 天武天皇の御代に石川氏によっ て作成されたと推定されるのです。 (学生B) そろそろ本題の門脇説に入ってくださいませんか?私バイトの時間がせまっているんです けど。 (先 生) それじゃあ先を急ぐことにしましょう。 まず、 蘇我氏の系譜を見てみましょう。 しょうじろく くぎょうぶにん きしかちょう 系図2は、 加藤健吉氏が記紀・ 姓氏録 公卿補任 紀氏家牒 蘇我石川両氏系図 な どの資料を参照し、 さらに大王家との関係を踏まえて作成したものです。 こうしてみると、 蘇我石川宿禰から満智、 韓子、 高麗の四代は親子関係が記載されている だけで、 日本書紀 や 古事記 にも活動がろくに伝えられていない人々です。 稲目以降 の系譜は各世代ごとに存在が確認でき、 系譜も詳細です。 つまり、 現実味があるということ です。 逆に言うと、 蘇我氏の本当の初代は稲目かなということになるのです。 怪しい四代に ついての加藤健吉氏の主張を若干補足しつつ要約するとすると次のようになります。 蘇我石川宿禰 書紀 応仁3年に他の武内宿禰の男子とともに百済に派遣されたと いうのが唯一の記事。 武内宿禰の系譜創作後に 満智 (1) 記 には出てこない。 ― 145 ― 紀 編者が造作。 系図2 尾 張 目 子 媛 宣 化 天 皇 息 長 真 手 王 石 姫 満 智 ) 物 入 部 鹿 大 臣 ( 連 子 日身 向刺 倉倉 山麻 田呂 石 川 麻 呂 ) 赤 兄 ( 刀 自 古 郎 女 ) 法 提 郎 媛 宮 安 媼 麻 麻 子 呂 呂 ( 常 陸 娘 天中 智大 天 皇兄 遠 赤秦 法 興 智 猪 師 志 姪 娘 娘 ) ) 天 ) 徳 ( 間 人 皇 女 蝦 夷 ? 山 背 大 兄 王 古 人 大 兄 皇 子 ) 皇 河 雄倉 善 上 当麻 徳 呂 娘 ( ) ) 孝 聖 徳戸 太皇 子子 ( ( 舒田 明村 天皇 皇子 毛 津 稲 目 用 明 天 皇 豊田 浦目 皇皇 子子 宝皇 皇極 女天 阿 椰 崇 峻 天 皇 ( 女 茅 渟 王 高馬 麗背 ) ) 石 寸 名 韓 子 ( 竹 田 皇 子 馬 子 境 部 臣 摩 理 勢 岸 田 臣 推 古 天 皇 穴 穂 部 間 人 皇 女 小 祚 臣 ( ( 田糠 村手 皇姫 女皇 小 姉 君 敏 達 天 皇 押 坂 彦 人 大 兄 皇 子 大 俣 王 堅 塩 媛 欽 明 天 皇 ) 広 姫 名 子 夫 人 漢 王 安 閑 天 皇 蘇 我 石 川 宿 手 白 香 皇 女 ( 伊 勢 大 鹿 首 小 熊 継 体 天 皇 蘇我氏略系図 皇 子 乳 娘 皇 建 持 大 皇 野統 田 子 皇天 皇 女皇 女 御 名 部 皇 女 ) ) 阿元 陪明 皇天 女皇 ( ( 山 辺 皇 女 ( 太 娘 ) 天大 武海 天人 皇皇 田 形 皇 女 子 出所:加藤健吉 紀 皇 女 穂 積 皇 子 大和の豪族と渡来人 、 吉川弘文館、 2007年、 159ページ ― 146 ― 蘇我氏の出自 (講義 [上代日本政治史] についての学生との対話) 紀 履仲2年10月条に平群、 葛城、 物部の豪族当主とともに 国政に当たったとの記事あり。 後世の造作? (5世紀半ばに蘇我 氏の勢力がそこまで大きかったとは考え難いから。 また、 平群、 葛城のように大王家と結んで連合政権を形成していた豪族の当主 が国政に関与したとの伝承があり、 そこに蘇我氏を突っ込むため に、 かっては蘇我氏と並んで有力な大王家旗下の有力豪族であっ た物部氏を持ってきたとも考えられよう)。 (2) 古語拾遺 にも雄略朝に三蔵 (斎蔵、 内蔵、 大蔵) を管掌し いみくら た―財政担当―という伝承の記載あり。 しかし、 斎蔵は存在しな い。 残りの二つの蔵の設立は、 6世紀末から7世紀半ばごろ。 雄 略朝は5世紀後半であるから時代が合わない。 古語拾遺 い ん べ (平安初期。 平城天皇のご下問に応えて提出) の著 い ん べ 者たる斎部 (もとは忌部) 広成が実在しない斎蔵を神武天皇時代 に既にあったとし、 その管理者に斎部氏が任ぜられたと主張して 家格を高めようと試みた。 その際に、 既に 書記 等に収録されていた 「満智」 の名前を 蘇我氏の財政担当者としての伝統に絡めて利用した。 韓子 書紀 きのおいわ 雄略9年3月条に新羅に派遣されたが、 内紛のため紀大磐に 射殺された人物として登場。 しかし、 当時の用法では 「韓子」 は日本人を父とし、 朝鮮半島の女 性を母とする混血児の名称である ( 書紀 おおやまと となりぐに め と か ら こ 継体24年9月条分注に 「大日本の人、 蕃の女を娶りて生めるを、 韓子とす」 とある)。 個人の 実名としてふさわしくない。 高麗 書紀 にも 古事記 にもまったく登場しない。 実在性が疑わしい。 「コマ」 は当時 「狛」 か 「駒」 と表記。 「高麗」 は国名。 個人名として は不自然 (高麗が実在の人物であると仮定すれば、 生まれたのは5世 紀後半であろうが、 当時の雄略朝は高句麗を敵視。 個人名につけるは ずがない、 という武光誠教授の見解―同教授前掲書28ページ―もある)。 こうしますと、 稲目以前の蘇我氏当主はいずれも実在性が疑わしいということになり、 そ の中の一人である満智が百済の有力官人であったとする説も疑わしいものになります。 なお、 稲目は 記 紀 双方に出てくるだけではなく他の重要史料にも伊奈米、 伊那米などとい う名前ででてきます ( 上宮聖徳法王帝説 、 元興寺釈迦造像記 、 天寿国緞帳 )。 存在し た証拠がそろっているという訳です。 もくまんち (学生A) ま ち なるほど。 でも先生、 木満致と満智と発音が似ていますよね。 これって偶然なんでしょう か? (先 生) いいポイントをついてきましたね。 これこそが蘇我氏百済系説を唱える門脇教授の説の核 心部なんです。 ― 147 ― 書紀 応神25年で百済記を引いて述べられている木満致は、 百済の将軍を父とし、 新羅 もくらこんし 人を母とする人物ですが、 「父木羅斤資の功を以て任那を専らにした。 百済に来て日本と行 き来した。 職制を賜り、 わが国の政をとった。 権勢盛んであったが天皇はそのよからぬこと を聞いて呼ばれたのである。」 との記述があります。 諸本に 「大倭木満致」 とあるところか ら、 木満致の父である木羅斤資を日本人であるとする見方もありますが、 「大倭」 は 「日本 の威」 を借りて百済に威を振った」 という意味と解するのが学会の大勢です。 と き く に し ん よからぬこととは、 「25年百済の直支王が薨じた。 その子の久爾辛が王となった。 王は年 が若かったので、 木満致が国政を執った。 王の母と通じて無礼が多かった。」 ということだっ たのです。 応神天皇の頃ですからおおよそ四世紀後半ということになりますね。 但し、 三国史記 百済本紀によれば、 直支王の死は420年で、 久爾辛王の死は427年です。 他方、 同じく 三国史記 百済本紀の蓋鹵王段に475年に王は高句麗の謀略に引っ掛かり、 ぶんしゅう 高句麗軍によって王城が包囲された。 王は子の文周に 「私は愚かで不明であったために姦人 の言葉を信用し、 この状態になってしまった。 百姓は衰残し軍は弱まっているから、 たとえ 危険が迫っても誰が私のために力戦することを承知しようか。 私は当然社稷のために死ぬが、 お前がここで一緒に死ぬのは無意味である。 お前は (難を) 避けて国統を継ぐようにせよ」 もくらいまち(まんち) そみけっしゅ と言った。 そこで文周は木満致・祖弥桀取 (原注:木と祖弥はともに複姓である。 隋書 には、 木は二つの姓であるといっている。 いずれが正しいのかわからない) とともに南へ 行ったのです。 ここで、 皇子文周と 「南へ行った」 木満致を先の木満致とが同一人物であると比定し、 「南」 へ行った」 (南行焉) とは 「日本へ行った」 のことだとして、 この人物をさらに蘇我満 智に比定するのが蘇我氏百済系説の骨子です。 ひのくま やまとのあや 満智は百済の名門の出であったから大和の檜前地方にいた東漢氏の指導者として迎えられ たという訳です。 なお、 書紀 雄略20年条には 「20年冬、 高麗王が大軍をもって攻め、 百済を滅ぼした。」 とあって、 その分注に 「百済記に云わく」 として、 475年に高句麗の大軍が百済の王城を七 日七晩攻め、 王城は陥落して 「国王および大后 (筆者注:王妃のこと) ・王子等、 皆敵の手 し に没ぬという。」 との記述があり、 日本と百済の記録は一致しています。 まず間違いのない 史実でしょう。 (学生B) すごく面白いですね。 それで先生のお考えはどうなんですか? (先 学会の大勢は、 第一に、 百済の第一次滅亡と応神朝の木満致召喚記事との間には少なくと 生) も60年ほどの差がある。 第二に、 木満致は王子とともに 「南」 に行ったたとしか記述がな いのに、 これを 「日本に行ったた」 と解しなければならない必然性に欠ける。 第三に、 満智・ 満致は百済でありふれた名前である、 というもので、 蘇我氏百済系説を採る学者は少ないよ うです。 三国史記 百済本紀の文周王段には、 父蓋鹵王の言に従って 「南へ行った」 文周が新羅 に救援を求め、 援兵一万を得て帰って来たが、 父王は既に殺されていたので、 即位した云々 の記述があります。 重臣として文周を補佐していた木満致は文周と一緒に都に戻ったと考 ― 148 ― 蘇我氏の出自 (講義 [上代日本政治史] についての学生との対話) えるのが自然だと私は考えますね。 カバネ ウ ジ この他に指摘したいのは、 姓の問題です。 姓というのは、 大王家が氏族の出自や血統に基 づき、 その氏族との間の政治的な的な関係を示すために与えた称号です。 きみ おみ みやつこ おびと むらじ あたい いな ぎ あ び こ ふひと 天武朝以前は、 君、 臣、 造、 首、 連、 直、 稲置、 阿比古、 史などいろいろな姓がありまし た。 一番重要なのは臣と連です。 この中で、 「臣」 はかっては大王家と連合し、 同盟者としての地位にあった主に畿内の氏 族に与えられた称号で、 蘇我氏の姓はこの 「臣」 なのです。 他方、 「臣」 の姓が帰化系氏族 に与えられた例は少なくとも聖武天皇以前には、 ほとんどないのではないでしょうか。 例え ば、 蘇我氏の私兵的な役割を演じていた有力帰化系氏族の東漢氏の姓は 「直」 にとどまって くにのみやつこ おります。 「直」 というのは、 乙巳の変以前の国造、 つまり地方豪族に通例与えられていた 姓です。 東漢氏と並んで有力な帰化系氏族の秦氏の姓は、 「造」 でした。 この姓は、 「朝廷に仕える しな べ 人」 の意味で、 大王家に隷属する特定の専門職集団たる品部の統率に当たる役目を帯びた氏 族に授けられたのです。 こうして見ますと、 帰化系氏族の中で極めて有力であったこれら二氏族ですら、 その姓の ランクは必ずしも高くはない。 つまり、 重要性を有する 「臣」 にも 「連」 にもなっていない おおおみ おおむらじ ということに気がつくでしょう。 大臣も大連も臣と連の代表です。 こういう姓を持てないこ とは、 また、 彼らの政治権力中枢からの距離を示すものでもありましょう。 逆に、 蘇我氏がランクの高い、 「臣」 姓であるということはこの氏族がヤマト生え抜きで、 帰化系ではないことを示唆すると言えるのではないでしょうか。 さらに、 日本書記 によれば、 応神天皇や雄略天皇の時代には百済から王族や貴族の女 ホ ル ヘ ニ サ コ ム 性が後宮に入ったとの記述があります。 他方、 三国史記 新羅本紀第16 「訖解尼師今」 に 倭国王が使臣を遣わして王子の婚姻を求めたので新羅側では臣下の娘を送った (312年)、 倭 国がまた婚姻を請うたが女性が既に嫁に行ってしまったことを理由に辞退した (344年) と いう記事があります。 もっとも、 この時代の新羅の歴史はあてになりませんが、 何らかの歴 史上の記憶があって、 このような記録が残ったのかも知れませんね。 いずれにせよ、 六〜七 世紀以降桓武天皇に至るまで、 帰化系が后妃になることはまずなかったと言っていいでしょ う。 これには朝廷に勢力を有する豪族、 貴族の意図が反映されていたのではないでしょうか。 そうだとすると、 この点からしても、 多くの后妃を輩出した蘇我氏が帰化系である可能性は、 少ないと言わざるを得ないのです (拙稿 「桓武天皇と帰化系官人」、 麗澤大学紀要 第74巻、 2007年7月参照)。 こういう訳で、 門脇説は旗色が悪いのです。 門脇教授自身後年になって 「わたしの右の諸 説など、 まだ古代史学会で市民権を獲得したものだとは思ってはいない。 (中略) 初めから 両者 (筆者注:木満致と蘇我満智)が同一人であることを示す、 いわば決め手になる資料を 欠いているのだから、 (後略)」 と言っているのです(門脇禎二 葛城と古代国家 、 講談社学 術文庫、 2002年、 132ページ)。 「南」 を日本と解する理由についても 「わたしは、 ヤマトに渡来したものと解している。」 (同書140ページ) と述べるのみで、 説得力皆無です。 結局、 発音が似ている以外の論拠はないと言うことになりますね。 ただ、 門脇教授以前に も東大で法制史を講じていた中田薫教授がその ― 149 ― 古代日韓交渉史断片考 (創文社、 1956年) の中で木満致と木満致は発音上同一であり、 木羅と木も同一発音、 従って、 二者同一人 物であると断じているが、 蘇我満智との比定するところまでは行っていないのです。 (学生A) でも石川氏の人々がなんで架空の祖先に朝鮮半島にゆかりのあるな目をつけたのかなあ。 やはり、 先祖は百済から来たという意識があったからこうしたとは考えられないでしょうか? (先 生) それも一理のある考え方だね。 でもどうかな。 いかに半島ゆかりの名前と言っても、 仮に 蘇我満智が百済の重臣木満致だったとすれば、 その孫がどうして百済を滅ぼした憎っくき 敵国の国名である高麗を名乗るのかねえ。 そんなはずはないでしょう (遠山美都男 蘇我氏 四代の冤罪を晴らす 、 学研新書、 2008年、 42ページ)。 それにですよ、 韓子と言うのは当時日本人の男性と朝鮮半島の女性との間に生まれた混血 児を意味していましたから、 本当に混血児であればともかく、 個人の名前に韓子を名乗ると は考えにくいですね。 蘇我韓子が混血児であったとしますと、 その父親は純粋の日本人男性 でなければならないはずですが、 間接的に蘇我満智に比定されている木満致は自分の父親が 百済の将軍で、 母親は新羅人ですから、 そもそも日本人ではないのです。 一歩譲って、 諸本 に 「大倭木満致」 とあるところから木満致の父親を日本人だと仮定しても、 木満致自身が 「韓子」 になってしまいます。 ですから、 ここにも無理があるといえましょう。 まあ、 石川氏の人々が朝鮮半島に縁のある名前をつけようとしたのは、 蘇我氏が朝廷の財 政を管掌し、 職務がら朝鮮半島から移民してきた人々の帰化人集団の中でいろいろ優れた技 能を持っている人々を事務遂行のため必要としたいたので、 そこから帰化人集団と密接な関 係を形成したからでしょう。 出自とは必ずしも関係がないでしょう。 (学生B) 蘇我満智が仮に百済からの亡命者であったとすると、 当時の状況では簡単に移民集団の指 導者になれたんでしょうか? (先 生) なかなかいい質問だねえ。 私もその問題はとくと考えてみたんだよ。 木満致と満智を同 一人物だと仮定してみましょう。 420年に亡くなった百済の直支王の息子久爾辛王の後見をする傍ら王后と通じていたのを 20歳としましょう。 そうすると百済第一次滅亡に際してのヤマトへの亡命は475年になるか ら、 当時75歳だったということになる。 この年齢で亡命先の日本でいかに前々からいろいろ 関係があった百済系の帰化人集団に迎えられたとしても一気にその指導者にのし上がり、 お まけに家庭も作り、 新たな蘇我氏と言う氏族の族長になるのは至難の業と言うしかないね。 お客さんとして大事に扱ってもらうので精一杯じゃないのかなあ。 私もいい加減の齢だから、 身にしみて実感するよ。 それに門脇説では東漢氏を当然のごとく百済系としていますが、 こ あや れもはっきりしないんですね。 東漢氏は漢氏から分れたのですが、 彼らは自らの祖先は後漢 の皇帝だと称していました。 これは系図を飾るためで、 実際には朝鮮半島から来たのでしょ か や あ ら あ や う。 氏名が朝鮮半島南端にあった加耶諸国の中の安羅 (安邪とも記す) と一致し、 また、 西 漢氏の中に河内直のように安羅出身者が実在することから、 漢氏は百済系ではなく、 むしろ 百済の圧迫に苦しんだ安羅系と考えられるのです。 ヤマトに来てから百済系の人々をどんど ん組み入れていったので、 百済色があとになって出ることになったのでしょう。 ― 150 ― 蘇我氏の出自 (講義 [上代日本政治史] についての学生との対話) 蘇我氏百済系説には、 どうしても無理があるね。 「語呂合わせ」 的発想が歴史を歪めよう としている一つの例と言えるのではないでしょうか。 (学生B) 蘇我氏は沢山のお妃を大王家に入れながら、 壬申の乱以後はすっかり衰えて、 皇室には蘇 我氏の血脈というものは絶えてしまうですか? (先 生) いやいや、 平家は滅んでも女性を通ずる血脈はいろんなところで生きていた。 それと同じ で、 皇室にも女性を通ずる血脈は聖武天皇の御代になるまでは続いていたんですよ。 うのささらのひめみこ 天武天皇の妃の鵜野讃良皇女は天武天皇が亡くなった後、 持統天皇として即位しますが、 おちのいらつめ 持統天皇のお母さんは遠智娘といって、 中大兄皇子 (後の天智天皇) と一緒に蘇我本家を滅 亡させたが、 後で邪魔にされて殺される羽目になる蘇我倉山田麻呂の娘なのです。 つまり、 持統天皇の母親は蘇我系ということになります。 めいのいらつめ 遠智娘の妹の姪娘 も天智天皇の妃となり、 二人の皇女を生みますが、 そのうちの一人 あへのひめみこ 阿閉皇女 は天武と持統の息子である皇太子草壁皇子の妃になります。 彼女の生んだのが かるのみこ 軽皇子、 すなわち後の文武天皇です。 文武天皇が亡くなった後、 彼女が即位しては元明天皇 ひたかのひめみこ となります。 彼女が引退した後で、 代わって、 草壁―阿閉の間に生まれた氷高皇女が即位し て元正天皇となります。 ですから、 蘇我氏の血脈は連綿として壬申の乱以後の皇室に受け継 がれてきたと言えましょう。 しかし、 藤原氏出身の母親を持つ聖武天皇に至って聖武が藤原 不比等の娘光明子を皇后とし、 ここでついに皇室における蘇我系の血脈は絶えることになっ たのです。 こういう一連の流れを捉えて、 宮中に入った蘇我氏系女性の視点からの歴史小説が永井路 子さんの 美貌の女帝 (文春文庫) です。 私の講義なんかよりもずっと面白いから読んで ごらんなさい。 なんでも興味を持てるところから手をつけたらいいんじゃないかね。 (学生B) 「美貌の女帝」 って誰のことですか? (先 氷高皇女。 後の元正天皇のことだよ。 生) (学生A) どうして美人だったということが分るんですか? (先 それはね、 生) 日本書紀 の後にできた 続日本紀 という官撰の歴史書の元明天皇霊亀元 年9月2日条に、 天皇が位を娘の氷高内親王に譲る詔の中で、 「一品の氷高内親王は... 物 静かで美しい。」 と書いてあるからさ。 (学生A) なるほど。 天皇になるのでも、 美人は得するんですね。 先生、 有難うございました。 バイ トに遅れそう。 急がなくちゃあ。 Bちゃん今度またデートしようね。 (学生B) 先生、 とてもためになったわ。 一つの結論を出すにはいろいろな面からよく検討してから ということですよね。 Don t jump up to the conclusion. とてもいい言葉だわ。 A君、 デートを steady にし ― 151 ― ようと言うこの前のお話ね、 私もう少しよく考えてみるわ。 じゃあね。 バイバイ。 (学生A) チェ!つまんねえの。 先生が変な英語を教えるからこうなるんですよ。 (先 冷静に冷静に。 根本的な原因は何なのか、 じっくりと多面的に分析することだね。 それで 生) はまたね。 参考文献 (上記以外) 加藤健吉 門脇禎二 志田淳一 田中史生 平野邦雄 溝口睦子 蘇我氏と大和王権 (吉川弘文館, 1983年) 蘇我蝦夷・入鹿 (吉川弘文館, 1977年) 古代氏族の性格と伝承 (雄山閣出版, 1971年) 倭国と渡来人 交錯する 「内」 と 「外」 (吉川弘文館, 2005年) 帰化人と古代国家 (吉川弘文館, 2007年) 日本古代氏族系譜の成立 (学校法人学習院, 1972年) ― 152 ― 研究ノート 音楽と舞踊にみられるトランスカルチュレーション ―キューバ、 グアンタナモ州における事例― 二 田 綾 子 Ⅰ. はじめに キューバ文化において何よりも顕著な特徴は、 様々な文化が複雑に混交してゆく過程の中で形成され 発展を遂げているということである。 キューバは1492年にコロンブスの一行による第一次航海で発見さ れ、 1511年にスペイン総督ディエゴ・ベラスケス Diego Vela zquez によって征服されて以来、 植民地 ■ 支配が開始した。 それまでキューバに暮らしていた、 シボネイ siboney やタイノ tai no などといった先 住民は、 征服者による虐待・虐殺、 また疫病のためにほぼ絶滅してしまった。 その後、 先住民に代わる 大きな労働力となったのが、 主に西〜中央アフリカから連れて来られた諸民族であった。 16世紀に開始 した黒人奴隷貿易は、 その後19世紀末に至るまでカリブ海諸国における貿易の主力となり、 カリブ海世 界の様相を形成する最も重要な出来事となった。 キューバでは、 スペインとアフリカを二本の主軸としながら、 カリブ海諸国やスペイン以外のヨーロッ パなどからもたらされた多様な文化要素が加わり、 非常に複雑な文化が融合・変容しながら独自の 「キュー バ文化」 が形成された。 混血化が進むにつれ人々は、 白人か黒人か、 ムラート mulato と呼ばれる混血 の人々であるか、 または中国系か、 といった身体的特徴以前に、 自分は 「キューバ人」 であると自覚す るようになった。 つまり、 そこにはアフリカにもヨーロッパにも存在しない独自のアイデンティティ、 ■ すなわち 「クバニーア cubani a=キューバ性」 という概念が芽生え始めたのである。 混血化が進行する中、 民衆の間では実に多くの混血文化が生まれたが、 その中でも19世紀末に誕生し、 社会階級、 人種、 世代などの境界を越えて国民音楽としての地位を築いたソン son という大衆音楽は、 クバニーアを最も顕著に反映している象徴的存在であり、 現在もキューバ音楽の中核となり続けている。 ソンが発生した正確な年代や最初の楽曲など詳細な記録は残っていないが、 キューバ東部に位置するオ リエンテ地方が発祥地であるというのが多くの研究者による見解である。 オリエンテ地方はハバナと比較すると黒人人口の比率が高い。 さらにハイチを主とするカリブ海諸国 から流入した人々が多いため、 ハバナや他の地域とは異なる様相で混血化が進行した。 その上、 オリエ ンテ地方の山岳地方、 例えばバラコア Baracoa やグアンタナモ Guanta namo の奥地などでは絶滅した とされているはずの先住民の面影を持った人々が未だ存在する。 しかしながら彼らはすでに混血してお り、 現在までに伝わる音楽への影響は確認されていない。 だが、 今日のキューバ文化研究を方向づけた 民族学者フェルナンド・オルティス Fernando Ortiz Ferna ndez (1881-1969) をはじめ、 近年ではラ モン・ゴメス Ramo n Go mez Blanco などのように先住民とキューバ文化の関連性について指摘する 音楽学者もいることから、 先住民文化の影響に関しては今後さらなる研究が必要とされる1)。 本稿では、 オリエンテ地方最大の都市サンティアゴ・デ・クーバ Santiago de Cuba のすぐ東に位 ― 153 ― 置するグアンタナモ州で広く大衆に親しまれているチャングイ changu iという舞踊音楽を中心に取り ■ 上げ、 その周辺における歴史的背景とともに考察する。 キューバ音楽に関する研究はキューバ国内外で 盛んに行われているものの、 残念なことにオリエンテ地方に焦点を当てて行われた研究はあまり多く ない2) 。 しかしグアンタナモの音楽がキューバ全土に与えた影響は多大であり、 この地域に存在する 音楽の発生と発展過程を研究することは大変意義深い。 本稿では、 ラピドゥスやアレン、 ゴメスなどの 研究を元にしてグアンタナモにおける混血の歴史と舞踊音楽を検証したい。 それにより、 キューバ文化 の 根 底 を 形 成 す る ト ラ ン ス カ ル チ ュ レ ー シ ョ ン transculturation ( ト ラ ン ス ク ル ト ゥ ラ シ オ ン transculturacio n)3) の一端が明らかになるだろう。 Ⅱ. オリエンテ地方およびグアンタナモにおける混血文化の形成と歴史的背景 キューバ最東端の州であるグアンタナモは、 国交の断絶している米国の海軍基地が置かれていること で世界的に有名なため、 怖い地域という印象を持たれることが多いが、 実際に現地を訪れるとそのよう な不安を微塵も感じさせないほど長閑な雰囲気で、 人々も非常に素朴で人情味があふれる。 現在、 州は グアンタナモ市を筆頭に、 1512年にキューバで最初に設立された町である最東端のバラコアなど十の市 町村で形成される。 キューバで最初に黒人奴隷が輸入されたのは1522年であるが、 最初の受け入れ港となったのはサンティ アゴ・デ・クーバであった。 この地は天然の良港を備えておりハバナと並ぶ自由貿易港であったため、 大量の黒人奴隷が連れて来られた地域である。 元々黒人人口が高比率だったのに加えてオリエンテ地方 の人種構成が大きく変化した要因として、 1791年に勃発したハイチ革命の影響によるところが大きい。 1804年にハイチで世界初の黒人による共和国が誕生すると、 白人の強い権力による植民地制度が崩壊し たため多くの支配者たちは奴隷を連れオリエンテ地方に逃げ延びた。 フアン・ペレス・デ・ラ・リバ Juan Pe rez de la Riva によると、 1795年から1805年の間にイスパニョーラ島から30,000人以上がオリ エンテ地方に移住したが、 そのうちの約20,000人は白人ではなかった4)。 革命前夜のハイチでは、 フランス人入植者たちによる華やかな文化が大きく開花していた。 建設され た劇場ではフランスの演劇が上演され、 サロンではメヌエットやワルツ、 コントルダンス、 クアドリー ユなどといったヨーロッパの音楽が盛んに演奏されていた。 一方、 黒人奴隷たちは厳しい労働による精 神的苦悩から逃れる手段として、 彼らの祖国であるアフリカの音楽・舞踊を伝承していた。 この時期は砂糖輸出量の増加のみならず、 「新しい輸出物」 であるコーヒーや綿花の栽培が発展する。 これは、 ハイチの産業の衰えによってフランス人およびハイチ人の移住者が増えたためである5)。 砂糖 産業の拡大により土地が高騰していた西部地方に対しオリエンテ地方の土地は非常に安価だったため、 フランスの入植者が農地を買い占めて大規模なコーヒー栽培を行い、 生産量が飛躍的に増加した。 黒人 たちのコンディションは、 インヘニオ ingenio と呼ばれる製糖工場での労働に比べるとコーヒー農場の 方が好都合で、 雇用主が奴隷をコーヒー農場からインヘニオに送るということは最悪の仕打ちとされて いた。 なぜならコーヒー農場では彼らの習慣やフィエスタ fiesta (パーティ) を守り続けることが可能 だったからであり、 彼らの音楽、 習慣、 言語などは存続された6)からである。 また、 現在でもハイチ民 衆に根強く伝承されている民間信仰であるヴードゥーも継承された。 1886年にキューバで奴隷制が完全に廃止されると、 社会的にいくつかの変化が生じた。 第一には、 か つての奴隷に代わる新たな労働力として、 ハイチのみならずジャマイカやプエルト・リコなどからも多 くの黒人が流入したことであり、 彼らの多くはオリエンテ地方に集中した。 第二には、 奴隷という身分 ― 154 ― 音楽と舞踊にみられるトランスカルチュレーション から脱却した黒人やムラートたちが、 白人と変わらない身分を得ようという望みを持ったことにより大 勢が都市部に流入し、 様々な職業に従事するようになったことである。 そのため、 農村部で継承されて いた音楽・文化が都市に流入する結果となり、 さらに白人と関わる機会が増えたことによって人種の混 血化がますます促進された。 Ⅲ. チャングイとそれに関連する大衆音楽様式 グアンタナモには二つの代表的な大衆舞踊音楽が存在するが、 それらは現在、 国内外でその特異性と 価値が認められてきており、 音楽のみならず、 キューバやカリブ海地域における文化研究において非常 に重要性が高い。 それらはチャングイとトゥンバ・フランセーサ tumba francesa という名を持つ舞踊 音楽であり、 両者ともグアンタナモ文化の根底を形成している。 なおトゥンバ・フランセーサは2003年 にユネスコにより 「人類の口承及び無形遺産の傑作」 として宣言されたことからも、 近年特に注目され ており、 最近は海外メディアの取材や観光客の増加など、 グアンタナモを活気づける要因の一つとして も民衆の大きな希望となっている。 チャングイ チャングイという名称の語源に関しオルティスは、 コンゴで用いられる動詞 sanga に由来すると記 述している。 sanga とは、 踊る、 または楽しく跳躍する、 勝利するなどという意味を持つ。 キューバ では元来 「下流層の大衆が寄り集まった舞踊」 を意味し、 西部地方で行われるフィエスタ、 グァテーケ guateque の類義語だとする7)ように、 チャングイは大衆の間で行われるフィエスタの中で生まれ、 発 展を遂げた。 参加者たちは鶏肉、 豚肉、 ラム酒などを持ち寄り集まり、 音楽家は家から家へと移動しな がら演奏した。 これは農村地方だけに見られる習慣ではなく、 街中でも行われていた8)。 チャングイの楽器編成は基本的にトレス tres、 ボンゴ bongo 、 グァヨ guayo、 マリンブラ mari mbula、 ■ マラカス maracas9)であり、 グァヨやマラカスの奏者がスペイン語による歌も兼ね、 男女ペアによる舞 踊が伴う。 多くのチャングイ演奏家はハイチの祖先を持つ。 例えば1945年にグアンタナモ市で結成されたグルー ■ ポ・チャングイ・デ・グアンタナモ Grupo Changu ide Guanta namo の1983年当時のメンバーは、 ラ テンブレー Latamblet やプランチェー Plancheなどという10)フランス語あるいはフランス語を元にハ イチで作られたクレオール語の名字が多い。 ただ、 多くの奴隷たちは支配者たちの名字を付けられるこ とを強要されていたため、 ハイチ系の血を継承していなくてもこのような名字が付けられたという可能 性もある。 さらに、 ウィルソン Wilson やブラウン Brown といった英語系の名字を持つ者も多く、 彼 らはジャマイカなどイギリス系カリブ海からの移民の末裔である。 重要なチャングイ奏者のほとんどは 黒人かムラートであり、 白人の音楽家は非常に稀である。 チャングイが形成された明確な時期は明らかではない。 だがオロスコによると、 推移の段階の音楽における歌や舞踊の存在は、 1860年頃から (もしかするともう少し前から) であり、 ソンやチャングイの演奏家に影響を及ぼしてきたと思われる。 ソンやチャングイといっ たこれらの表現方法は、 1870年代以降に形成されたという位置付けが適切であろう。 キューバ 国家の歴史的過程の平行線をたどるだけではなく、 その地域における職業の雇用制度や、 都市 への流出 (1871年〜1899年) などの経済的理由においてもその時期が対応する。 この時期はプ ― 155 ― ランテーションによる奴隷の強制的な労働産業が終焉を迎えた頃であり、 地方や都市における 下層階級の人々が自由になり、 同時に、 チャングイを演奏する人々にとっても自由な時間を持 つことができるようになった時期であった11)。 すなわち、 1886年に奴隷制が廃止されたことに起因するのはもちろん、 加えてスペインからの独立の 気運が高まってきたことにより芽生え始めた国民性が現れてきた時期にチャングイが発生したと考えら れる。 チャングイが発生した地域に関し、 グアンタナモ州の山地、 エル・サルバドル El Salvador が有力 だという先行研究12)でも立証されているように、 都市ではなく農村地域であると考えられる。 この地域 ではハイチ革命後の19世紀初期、 コーヒーの他、 砂糖きび、 綿、 藍、 タバコの栽培が大規模に行われた ことで、 ハイチやジャマイカなどからの人々をも含む大勢の労働力が必要とされ、 経済・政治が目覚ま しい発展を遂げた。 そのため異民族の影響を多いに受けた音楽・舞踊の発展が促進され、 チャングイの 先行様式であるレヒーナ regina や、 チャングイ、 トゥンバ・フランセーサ、 アフロ・ハイチ文化を継 承するカーニバルの音楽様式であるモントンポロ montompolo などが定着した13)。 エル・サルバドルで最も繁栄した地区ティグアボス Tiguabos を中心とした社会・経済・文化の発展 は、 同時に多様な文化を生み出す結果となった。 つまり独立戦争やヨーロッパの覇権争い、 他民族の流 入、 交通網の発達などに起因して複雑なトランスカルチュレーションが生じ、 後に国民音楽となるソン の発生の大きな原因となったチャングイを生み出した。 筆者が2004年にエル・サルバドルを訪ね、 歌手であり長年チャングイのグループを率いていたリーダー、 エリオ・エレディア Elio Heredia (当時69歳) へのインタビューを行ったところ、 クレオール語によ る楽曲を熟知していた。 チャングイ、 ソン、 ボレロなどといったキューバの音楽以外に、 自らの作詞・ 作曲によるメレンゲ・アイティアーノ merengue haitiano というハイチ起源の音楽様式による楽曲を クレオール語で歌ったのである。 以前彼が暮らしていたサン・ホセ San Joseという地域のほとんどの 人々がハイチ出身かその両親を持つと語っていた。 以上のことから考察すると、 チャングイの発生および発展過程においてハイチ移民が与えた影響の大 きさは計り知れない。 トゥンバ・フランセーサ 「フランスの太鼓」 を意味するトゥンバ・フランセーサは、 ハイチから移り住んだ黒人たちによって もたらされた。 この音楽が非常に興味深い点は、 黒人あるいはムラートにより実践されているのにも関 わらず、 白人文化の模倣が随所に取り入れられていることである。 打楽器と歌唱のアンサンブルによっ て演奏される音楽は非常にアフリカ的であり、 ダオメーやコンゴなどの儀礼音楽に類似している一方、 踊り手たちの衣装は植民地当時のフランスを模倣したサロン風の長いドレスとタキシードであり、 男女 それぞれが一列ずつ並び向かい合い、 姿勢を正して優雅に踊る様子は紛れもなくフランス宮廷舞踊を真 似たものである。 フランス人が奴隷のコロニーやコーヒー農場を開拓した周囲には大邸宅があり、 栄華 を誇示していた。 これらの邸宅ではフランス社会の習慣やエチケット、 音楽、 舞踊などを保持してい た14)。 白人が催すフィエスタを見ていた奴隷たちがそれらを模倣して覚え、 しかし音楽的には自らのルー ツに根差したスタイルを継承し、 全く異なる文化が見事に融合した新しい様式が誕生したのである。 筆者が1998年にグアンタナモ市にあるトゥンバ・フランセーサの団体、 ポンパドゥールサンタ・ カタリーナ・デ・リッチ PompadourSanta Catalina de Ricci において最高の地位を持つ 「女王 ― 156 ― 音楽と舞踊にみられるトランスカルチュレーション reina」 にインタビューをしたところ、 黒人であるにも関わらず、 自身のことをフランス人であると語 り、 生活習慣全てにおいてフランス文化を継承していると自負していた。 歌唱はクレオール語で行われ るのだが、 女王は 「私たちはフランス語を話します」 と語っていたのが印象的であった。 このように彼 らがフランス文化の継承者という自尊心を固守しているからこそ、 トゥンバ・フランセーサは現在まで 衰退することなく次世代へと継承されているのであろう。 音楽・舞踊の関連性および相互影響 2004年にグルーポ・チャングイ・デ・グアンタナモに行ったインタビューの中で、 エル・サルバドル やヤテーラス Yateras などといった多くの地域では、 同じ場所でトゥンバ・フランセーサとチャング イが演奏されており、 チャングイ奏者たちがトゥンバ・フランセーサを演奏し、 踊ることは日常茶飯事 だったと語っている。 そのため両者における音楽的な類似点を多数見受けられる。 そしてこれらの音楽がキューバの他地域の音楽に与えた影響は大きい。 顕著な例としては、 トゥンバ・ フランセーサの第三部で演奏されるフレンテ frenteの中で男性が一人で即興の舞踊を繰り広げるが、 その動きはキューバ全土で広く知られるルンバ rumba における非常に速いテンポで演奏されるコルン ビア columbia での男性の即興舞踊に酷似している。 またトゥンバ・フランセーサで使用される、 カタ cataという空洞の丸太の側面を二本の撥で叩く体鳴楽器が刻むリズム型は、 キューバ音楽において基 本となるシンキージョ cinquillo との関連性が伺える。 一方チャングイにおいては、 楽器編成や音楽構 成、 舞踊など多くの点においてソンと類似しているため、 多大な影響を与えたと思われる。 ただしチャ ングイがソンに比べてシンコペーションが強調されている点、 ボンゴがマルティージョ martillo と呼 ばれるリズム型をキープするソンに対してチャングイでのボンゴは全て即興演奏である点、 ソンやその 後のキューバ音楽の鍵となるクラーベ clave というリズム型の不在、 トレスの奏法の違いなど多くの相 違点も見受けられる。 以上のような類似性や相違性は、 異なる文化との接触によりトランスカルチュレー ションが進行してゆく過程の中で徐々に変容を遂げ、 各音楽様式の要素として定着したものと考えられ る。 Ⅳ. おわりに 異文化の接触によって多様な音楽が形成され、 現在も変化の過程にあるキューバ音楽を知るのに、 様々 な人種間の交流の歴史を紐解くことは不可避である。 ハバナや西部地方と異なり独特の雰囲気を持つオ リエンテ地方は、 ハイチとドミニカ共和国が二分するイスパニョーラ島やジャマイカ島などとの距離的・ 歴史的な関係や、 高比率の黒人人口などの点において文化的に非常に興味深い。 中でもわずか50万人余 りの人口しか持たないグアンタナモ州は、 その地域に深く根差した大衆舞踊音楽が国内のみならず世界 中から高い評価を得ているということ、 そして現在ハバナや海外で活躍するグアンタナモ出身の音楽家・ 舞踏家が多数存在することなどから、 この地域の文化が持つ特殊性について無視することはできない。 グアンタナモの音楽を考察することは、 ソンをはじめとした他の音楽様式、 そしてキューバ文化全体 におけるトランスカルチュレーションの過程を知る手掛かりとして重要な意義を持つであろう。 それに 加えて19世紀から20世紀にかけてこの地域で生じたトランスカルチュレーションは、 グローバリゼーショ ンが進行してゆく現在の複雑な音楽環境においても根源的なモデルの一つとなりうるであろう。 ― 157 ― 注 1) オルティスは, キューバの文化がスペイン, タイノ, アフリカという三つの異なった源流を持つ習慣からなる複合文化であ る, と信じる多くのスペイン系西インド諸島人の代弁者である (アーヴィング・ラウス タイノ人 杉野目康子訳, 法政大 学出版局, 2004年, 263頁)。 また, ゴメスはソンが形成される過程において, インド・ヒスパノ・アフロ・フレンチ indohispanoafrofrance s, すなわちタイノ, スペイン, アフリカ, フランスなどの文化の特徴が集合して起こった (Ramo n Go mez ■ ■ Blanco and Mari a Josefa Sa nchez Heredia, Cronologi a tipolo gica del son en el alto oriente : Influencias para su ■ ■ ■ ■ ) Marti desarrollo en otras zonas del pai s,(Guanta namo : Centro provincial de la mu sica Luis (Lili nez Gri nan, biblioteca pu blica provincial JosePolicarpo Pineda, 1999, p.4) と説く。 2) グアンタナモやオリエンテ地方を専門領域とする音楽学者として, グアンタナモにおける音楽学研究の先駆者ラファエル・ インシアルテ Rafael Inciarte Brioso (1909-1991), ソンを中心としたオリエンテ地方における音楽の重要性を強調するダニ les (1944-), トゥンバ・フランセーサ研究で名高いオラボ・アレン Olavo Ale n ロ・オロスコ Danilo Orozco Gonza ■ Rodri guez (1947-), チャングイを演奏するグループを率い, 音楽家と同時に音楽学者でもあるラモン・ゴメス Ramo n Go mez Blanco, チャングイの詳細な音楽分析を行い, チャングイをソンの先行様式と説くベンジャミン・ラピドゥス Benjamin Lapidus (1972-) などが挙げられる。 3) それまでアメリカ合衆国人類学において主流であった 「文化変容=アカルチュレーション」 という言葉では語り尽くせない, 複雑な文化間の相互関係の過程において異文化を受容し適用させ, 自らの文化形態を変容させてゆくという概念で, キュー バ文化を最も適切に表現した用語であると, 1940年にオルティスが提唱した。 ■ Stirring the Ajiaco : Changu i , Son and the Haitian Connection,in Cuban Counterpoints : The 4) Benjamin Lapidus, Legacy of Fernando Ortiz, edited by Mauricio A. Font and Alfonso W. Quiroz, (Maryland: Lexington, 2004), p.238. ■ 5) Olavo Ale n Rodri guez, La mu sica de las sociedades de tumba francesa en Cuba. (La Habana: Ediciones casa de las Ame ricas, 1986), p.11. 6) Ibid., p.15. ■ . (Maryland: Scarecrow Press, 2008), p.xvi. 7) Benjamin Lapidus, Origins of Cuban Music and Dance Changu i 8) Ibid., p.xvi. 9) トレスはスペインから伝来したギターを元にキューバで改良された, 複弦三コースの撥弦楽器。 ボンゴは大小二個の太鼓が 木片で固定され, それらが一組として演奏される, 筒型, 片面の膜鳴楽器。 グァヨは元来野菜のおろし金から作られた金属 製の体鳴楽器。 マリンブラはコンゴ, ザイール, アンゴラ周辺のバントゥー bantu系民族が用いていたサンザ sanza, また はムビラ mbira と呼ばれる親指ピアノが起源の体鳴楽器であり, 共鳴用に穴の開いた木箱に大きさの異なる鉄片の端を固定 し, それらをはじいて低音を出す。 演奏者は鉄片を自由に押さえられるように楽器の上に座る。 マラカスは柄の付いた中が 空洞の球の中に小さな玉を入れ, 振って音を出す体鳴楽器で, 音程の異なる二個で一組とする。 10) グルーポ・チャングイ・デ・グアンターナモ , ボンバ・レコード:BOM904(CD), 1983年, 1990年録音, 1993年発売, 解 説参照。 ■ Cinco preguntas sobre el changu i-Notas al lapiz- , 1992. 11) Augusto Lemus, ■ 12) Ramo n Go mez Blanco and Mari a Josefa Sa nchez Heredia, Huellas en el transfondo del mutismo musical en el municipio del Salvador,(Guanta namo: Centro de informacio n y documentacio n de la musica Rafael Inciarte Brioso, biblioteca provincial Policarpo Pineda, 2004.) 13) Ibid., p.3. ■ 14) Olavo Ale n Rodri guez, La mu sica de las sociedades de tumba francesa en Cuba. (La Habana : Ediciones casa de las Ame ricas, 1986), p.16. ― 158 ― 教養・文化研究所所員名簿 教養部 橋 元 志 保 (所 長) 鎌 田 幸 男 (運営委員) 伊 藤 護 朗 遠 藤 純 男 花 田 富二夫 村 中 孝 渡 邉 佐 藤 伸 夫 時 津 裕 子 幸 治 (運営委員) 阿曽村 邦 昭 向谷地 博 信 井 上 伸 良 (編集委員) 佐 藤 寛 稔 司 (運営委員) 俊 (編集委員) 経済学部 小山内 法学部 2011年 (平成23年) 2月28日現在 執 筆 者 紹 介 講 演 内 館 牧 子 ノースアジア大学総合研究センター客員教授 橋 本 五 郎 ノースアジア大学総合研究センター客員教授 福 岡 政 行 ノースアジア大学総合研究センター客員教授 論 文 村 中 孝 司 ノースアジア大学 教養部講師 高 橋 和 幸 秋田看護福祉大学 福祉学科准教授 研究ノート 伊 藤 護 朗 ノースアジア大学 教養部教授 阿曽村 邦 昭 ノースアジア大学 法学部特任教授 二 綾 子 ノースアジア大学 総合研究センター研究員 田 (掲載順) 教養・文化論集 第6巻 第1号 (通巻第10号) 2011年 (平成23年) 2月28日印刷・発行 編集・発行 ノースアジア大学総合研究センター 教養・文化研究所 編集協力 長谷川麗子 大島 剛 杉本大温 秋田市下北手桜守沢 46 1 電 話 018 836 6592 FAX 018 836 6530 URL http://www.nau.ac.jp/˜center/ 印 刷 秋田活版印刷株式会社 秋田市寺内字三千刈110 1 電 話 018 888 3500㈹ ISSN 1881−1981 THE BULLETIN OF CULTURAL SCIENCES Vol.6, No.1 (10) February, 2011 CONTENTS Lectures Let s try writing an essay! ① …………………………………UCHIDATE Makiko Let s try writing an essay! ② ………………………………UCHIDATE Makiko What will become of Japanese politics? ……………………HASHIMOTO Goro Hopes for DPJ changed to fears and anger. Hatoyama depression, Ozawa scandal, the faculty of governmetnt by DPJ. ……………………………………FUKUOKA Masayuki The forecast for the election of the House of Councilors election (DPJ s uphill battle) The twist of House of Representatives and of Councilors toward reorganization and a big coalition ……………FUKUOKA Masayuki Articles SatoyamaWoodlands in Itako City, Central Japan : Status and Conservation Issues ……………………………MURANAKA Takashi Investigation concerning the Construction of Cooperative, Interdependent Communities through Volunteer Activities of Snow Removal (Part 2) ……………………………TAKAHASHI Kazuyuki Notes The Effect of Mental Training on the High School Baseball Team ………………………………………………ITO Goro The Origin of the Soga Clan : A Dialogue with Students …………………………………ASOMURA Kuniaki Transculturation in Music and Dance : A Case Study of Guant namo Province, Cuba ………………………………………FUTADA Ayako The Institute of Cultural Sciences North Asia University, Akita, Japan
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