都市の位相(1) −福祉改革を中心に− 水 口 憲 人 はじめに ― 都市の「遍在」と都市計画 Ⅰ ルソー、ジンメルと都市 1)都市の「主題」化 2)ルソーと都市 ①パリ・ジュネーヴ・演劇 ②起源・自然 (小結)今後の作業と「都市の政治学」(以上、本号) 3)ジンメルと都市 Ⅱ 緑、コミュニティ、トポス Ⅲ 都市政治と都市計画 おわりに はじめに ― 都市の「遍在」と都市計画 今日、都市や都市化を抜きにして人間の営みを語ることはできない。都市は遍くあり、H・ アーレント風にいえば「人間の条件」となっている1)(アーレント、1994)。それだけに、この 遍在性に無媒介に寄りかかるとき、都市はかえって見えにくくなる。都市の遍在が不在と表裏 し、都市的なるものの氾濫の中で都市が消失しうる2)。 氾濫と消失の一例になるある評論家の次の言辞は、議論が通俗的であるだけに、都市と都市 論をめぐる今日的様相の一端を際立たせる。ナチは田舎者でユダヤ人は都会人である。数百万 のユダヤ人が殺害された異常な事態は「反都市対都市」で説明できる。わが国の大学紛争は田 舎者たる全共闘の都市化に対する反発が生んだ。毛沢東と 小兵の対立もイデオロギーの対 立ではなく田舎と都市の対立である。そして毛沢東は、孔子に中国型の都市イデオロギーを嗅 ぎ取ったがゆえに儒教批判を行った。この評論家は、われわれに「都市主義」の「限界」を理 解させるべくこのような主張を行うが、彼にとって都市や都市化はほとんどのことが説明でき る魔法の杖であり、それだけ都市は拡散し消失してしまっている(養老、2002)。この例に見 −213− 政策科学 11−3,Mar.2004 るように、しばしば都市は、諸現象の説明因として過大な役割を割り振られ、すべてのことを 説明できる原因は、結局、何も説明できないことを確認するための用語の一つになってしま う。 J・ジェイコブスは、都市に関する言説の氾濫に対して、これまでの大半の都市論は都市を 十分究明もせず、尊敬もせず、犠牲にしてきただけだと述べる。また彼女は『アメリカ大都市 の死と生』を書いた意図を、都市は、複雑さと多様さを内包する「有機体」であるにしても、 「理解可能」であることを明らかにすることであったと述べる(Jacobs,1961)。理解可能とは、 有機体を神秘主義的な全体に仕立て上げることではないし、都市にすべての責任を負わせるこ とでもない。そして彼女の、尊敬・犠牲というレトリックはH・ルフェーブルのいう「都市へ の権利」に通じる。彼は、人間が豊かに生き、その可能性を追求する条件としての都市自身の 可能性はまだ汲み尽くされているわけではなく「都市への権利」は絶えず主張されるべき課題 として残っているとする。「都市への権利」は農村賛美に対する機械的反発に発した心情では ない。それは、都市とは何かを改めて問い、それを具体的に究明していく過程で確かなものに なる(Lefebvre,1996)。彼にとっての都市も「人間の条件」の一つであり、都市を究明するこ とは人間が「生きる」現在と未来の基礎的条件を探ることである。氾濫が消失を生みかねない 都市という対象について語るためには、彼女と彼の立脚点は改めて参照されてよい。本稿も、 「人間の条件」としての都市を理解可能なものとして探ってみようとする一つの試みである。 本稿の意図を示すために、都市の氾濫と消失の例をもう一つあげよう。 都市とは、・・・共同社会の権力と文化の最大の集中点である。それはそれぞれの生活が 多様に発散する光線が、社会的な有効性と重要性の双方の利点を保持しつつ、焦点を結ぶ場 所なのである。都市は統合された社会関係の形式と象徴でもあり、寺院、市場、司法機関、 学間と教育のアカデミーの置かれる場である。ここ都市では文明の財産が幾重にも拡大され 蓄積される。ここでは人間の経験が生きた表象、象徴、行動の型、秩序の体系に転換される。 都市は、文明の諸課題が焦点を結び、また、儀礼的な事柄が、しばしば、十分に分化し自覚 に基礎づけられた社会の動的なドラマになってしまう場である。 都市は大地の産物である。都市は、農民の大地支配の巧みな工夫を反映している。だが技 術的に見て都市は、農民が家畜を安全に囲い、田畑を潤す水を管理し、収穫した穀物の貯蔵 庫や穀倉の技術を提供することによって、農民の技能がさらに生産的な活用の土壌になるよ う押し進めたのである。・・・ 都市は時間の産物である。・・・ 都市は人間の必要から生じ、必要の表現の様式と方法を幾重にも拡大する。・・・ 都市は洞窟や鯖の流群や蟻塚と同様、自然の中の一つの事実である。・・・(Mumford, 1966:3-5.) これはL・マンフォードの『都市の文化』の冒頭部分である。見られるように彼は、比喩や例 −214− 都市の位相(1)(水口) 示を散りばめ、権力、場所、形式、象徴、行動の型、秩序、体系、技術、時間、自然等の概念 を使用することによって、都市が「人間の条件」としてほとんど「すべて」であるかのごとき 主張を行う。本書の初版は1938年である。「体制」を横断する都市を人間の営みの基本軸とし て捉えかえしてみようとした彼の意欲が、資本主義・社会主義・ファシズムという「体制」を めぐる対抗軸が鮮明になった1930年代だからこそ、かえって増幅されたことが、このような 「すべて」を網羅した都市論を生んだのかもしれない。だが使用されている諸概念はランダム かつ無媒介に並置されるに止まり、並置のゆえに彼が捉えようとする都市は焦点を結ぶことな く拡散する。そしてこの拡散は、論理の不備や矛盾―例えば彼は、都市発展の特定のパター ンはないとしつつも、他方では都市の歴史の「輪廻」に似たものを提示する。さらにこの「輪 廻」も宿命ではなく人間の行動や選択で変えられるという、彼に接しようとする者を困惑させ る主張を行う―とない交ぜになることによって、肝心の都市を一層見えにくくしている。個 別の事象の優れた観察や分析と、都市に向き合うための多くの示唆を含みつつも彼の都市論は、 「人間の条件」としての都市の遍在性を無前提に受け入れているためにかえって都市を拡散さ せ消失させているのである。たしかに彼のいうように「都市のあらゆる発現形態にただ一つの 定義をあてはめることはできない」 (Mumford,1961:11)のかもしれないが、だからといって、 諸側面や諸要素がランダムに並置されてもいいというわけではない。彼が核のところで都市と 見なしているものをあえて探せば、文化や価値が多元的に共存・競合することによって創造的 な何かが生み出される、自由に結合した自由な市民によって構成された共同体という、それ自 身は陳腐なものに行き着いてしまう3)。 だが彼は、本書がそれまでの都市論では不十分であった「都市の本質、機能、諸目的、歴史 的役割、あるいは未来への潜在的可能性への十分な洞察」を提供するものであるという自負を 隠さない(Mumford,1966:ix)。さらに彼は、彼の洞察によって明らかになったとする都市の 「秩序ある発展」のための手段たる「計画」について情熱的に語る。「計画は、場所、仕事、人 間に関する既知の事実に基づいた、時間的・空間的な人間活動の調整である。それは全体環境 の中の様々な要素が共同体へのサービスを増進する目的のためにそれらの修正と再配置を伴 う。さらに計画は、共同体の諸活動を護り、共同体のすべての必要な機能が、時宜にかない秩 序だった様式で遂行されることを援助するために、適切な構造の建造物―住居、工場、市場、 水利施設、ダム、橋、村落、都市―を要求する」と(Mumford,1966:.371-4)。 ちなみにルフェーブルは、都市が「問題」として登場する4つのレベルを識別する (Lefebvre,1996:97)。第1は「哲学」のレベルである。そこでは都市の全体性や特殊性、コス モスとしての都市、「都市人」(homo urbanicus)等の究明が話題や主題になる。第2は、都市 に関する個別諸科学が捉える「問題」である。諸科学はそれぞれの専門的観点から都市の諸部 分に焦点を当て「問題」を切り取り整理し個別の知見を蓄積していく。第3は、この部分的知 見の技術的応用によって対処しようとする「問題」であり、特定の条件下にある都市の、戦略 的、政治的決定を促す「問題」である。そして第4は、彼が「都市計画イデオロギー」と名づ けるものに現れる「問題」のレベルである。それは第2の部分的知見を解釈し、第3の応用を −215− 政策科学 11−3,Mar.2004 正当化し、その関連を一つの全体性へとまとめあげようとすることによって第1のレベルも包 み込もうとする。彼は端的に都市計画に体現されるこの第4のレベルが、全体性なるものの 「貧弱な」正当化しかなしえていないという意味で「イデオロギー」と名づけるのである。そ れはいわば「外挿法」的に持ち込まれた不確かな全体性を、個別の決定の根拠にすることによ ってその決定に正統性を与えようとする思考法であり「問題」の処理の仕方である。 「都市の本質、機能、諸目的、歴史的役割、あるいは未来への潜在的可能性」に関心を注ぐ マンフォードは、第1のレベルで都市に接している。また「場所、仕事、人間に関する既知の 事実」という第2のレベルにも眼を向ける。さらに第2のレベルの応用としての「適切な構造 の建造物」の建設という第3のレベルの個別の決定の重要性を説く。そして注目してよいのは、 通常は技術的・政治的制約の克服の行動として理解される第3のレベルが、都市という共同体 の全体性を体現するとみなされる計画という営みとして捉えられていることである。個別の建 造物の建設は、都市の「本質」や「未来への潜在的可能性」が計画という装置を介して「外挿 法」的に注入されることによりその正統性を獲得することになる。これはルフェーブルのいう 都市計画イデオロギーの思考法に他ならないし、事実、彼はこの思考法の例示の一人としてマ ンフォードをあげているのである。 「都市主義」の「限界」を説く評論家は、都市を「すべて」の説明要因にすることによって 都市を消失させる。マンフォードは都市を「すべて」として氾濫させることによって肝心の都 市を見えにくくする。そして彼は計画を、「すべて」である都市が現実の都市に具体的に働き かけていく装置にし、個別の計画が作る部分の都市を「すべて」に結びつける。 都市の未来に、ある「望ましい」状態を想定し、設計し、実現しようとする計画は、「望ま しい」とされる価値を、計画自体の価値とは別のところから「外挿法」的に導入し、計画を根 拠づけなければならない。都市が「すべて」であればあるほど、導入する価値は相互の関連を 欠きやすくなる代償を払うにしてもそれだけ在庫は豊富になる。都市と都市計画のこのような 関連を体現している『都市の文化』を取りあげたのは、本稿が、このような意味での都市計画 に注目し、都市を捉えてみようとするからである。 この種の都市計画はしばしば「胡散臭い」営みと見なされる。ルフェーブルが、都市の「全 体性」を作り上げることや、作り上げられた「全体性」の不確かさや「貧弱さ」に「胡散臭さ」 を嗅ぎ取ったことは今触れたとおりである。ジェイコブスは、複雑な「過程」であり「有機体」 である都市を、例えば住宅と職の二つの変数の単純な直接的関係に還元して捉えてしまう思考 を都市計画に見いだし、それを「もっとも生き生きしたものを無視する訓練」と揶揄する (Jacobs,1961:435)。あるいはD・ハーヴェイは、都市計画は「計画のイデオロギーの計画」 という構図の中の営みであるという。すなわち、都市における特定の利害状況―彼の場合は 「階級」の諸関係がこの状況を生む―の調整と整序を企図する都市計画は、整序しようとす る利害にかえって絡め取られるがゆえにそのことを十分なしえない「イデオロギー」に過ぎず、 このような「イデオロギー」の正統性を調達するために「計画のイデオロギーの計画」を行う という課題を背負わされるとする(Harvey,1985)。また筆者自身も、ハーヴェイと似た論脈で、 −216− 都市の位相(1)(水口) 都市の多元主義的政治を与件として受け入れざるをえない都市計画家が「望ましい」状態を造 りだそうとする際の不安定な自画像を観察したことがある(水口、1994)。 だが「胡散臭さ」を漂わせているにしても、都市計画は都市の空間を造形し、現実の都市に 働きかける。造形された空間は「意味」を孕む。空間は、人々のそれぞれの関心や利害に沿っ て、また場、場所、景観、風景、地域、トポス等の用語によって差異化され、「意味」が付与 されていく。そして都市計画自身も、自らの実践に空間に即した「意味」を持たせようとして いく。都市計画は、都市の人々が空間に投影する「意味」と交錯することによって成立する営 みである。翻っていえば、都市計画は、空間をめぐって交錯する「意味」の有りようを通して 都市を読み解いていく戦略的地点に位置する。 都市計画と空間のこのような関係に照らせば、マンフォードの都市計画は、都市の「全体性」 から導出される「意味」を特定の空間に具現化する実践的戦略であった。本稿はこのようなロ ジックを解きほぐすことによって都市を見ようとする。 本稿は、都市とコミュニティ、都市と環境(緑)等のテーマを扱う。それは都市計画家がこ れらを重要な問題だと見なし、特定の空間配置を通して問題解決の最適解を与えようとするか らである。だが、なぜ、どのようにこれらが重要な問題とされるのか、なぜそれが最適解とさ れるのかを問うことが、本稿の関心となる。環境(緑)に即して例をあげよう。緑を都市にと っての重要な問題にするためには「ぼくは、ものを学びたくてたまらぬ男なのだ。ところが、 土地や樹木は、ぼくに何も教えてくれようとはしないが、町の人たちは何かを教えてくれる、 というわけなのだ」(プラトン、1974:140)と言うソクラテスにどこかで対応を迫られる。都 市計画的思考の中にこの対応を探り出すことによって、緑という角度から都市を読み解く手が かりをえることができる。そして、このような問題設定や解決の模索が、空間を差異化する実 践的志向に他ならないとすれば、その差異化の態様を通して都市を見ることも本稿の関心とな る。 また本稿は「アーバン・ガバナンス」を検討する予備作業たる性格を持つ。都市は、空間が 造りだされ、維持され、変形されていく、複数の主体間の調整のパターンたるガバナンスのプ ロセスとして捉えることができる(曽我、1998-2000)。そして都市計画家ないしその機能的等 価物は、このプロセスの不可欠の主体であり、空間管理の専門家たる彼ら/彼女らによって、 都市がどのように捉えられるのか、そして捉えられた都市の中で、コミュニティや緑がどのよ うに扱われるのかは、ガバナンスの条件を形成する。ルフェーブルに沿っていえば、ガバナン スとは、第3のレベルたる、特定の条件下にある都市の、戦略的、政治的決定に関わる複数の 主体間の調整のパターンということになるが、このレベルを他のレベルと関連づける都市計画 的思考は、たとえその関連づけが「貧弱」であるにしても、都市を読み解き、ガバナンスを空 間管理の角度から見ようとする場合の手がかりを与えてくれる。本稿の基底にあるのはこのよ うな主体としての都市計画家への注目である。 予備作業を、J・ルソーの捉えた都市を探ることから始めよう。 −217− 政策科学 11−3,Mar.2004 Ⅰ ルソー、ジンメルと都市 1)都市の「主題」化 都市とは何かという問いへの答えは、人々が通常、都市だと見なしているものの中から共通 の要素を抽出し、記述し、整序することによってえられるかもしれない。そして、密集的な定 住、市場、工業や商業という非農業的な営利活動の比重の高さ等をこれらの要素として想定す ることができる。だがM ・ウェーバーはいう。「単にそれだけなら・・・われわれは工業聚 落・商人聚落とか「市場地」とかの語を使い「都市」という言葉を使わないであろう」(ウェ ーバー、1964:21)。彼の都市論は、諸要素が特定の集合に組み合わされた特定の場所が「都 市」にされていく人間の社会関係への問いによって成立している。彼の都市論から学んでよい のは、都市とは何かという問いが、人間の社会関係への関心に媒介されて、都市はなぜ都市で あるのかという問いに包摂されるとき、都市論は、記述しえる諸現象をこの関係の中に捉えか えし、それだけ都市を読み解く視野を拡大していくということである(田中、1986; 若林、 2000)。 社会関係の中に現象を捉えかえすとは、都市を、特定の分析的・実践的関心に沿って「主題」 としていくことである。J・ヘインズは、関一にとっての「主題としての都市」がどのように 形成され、どのような内実を持っていたかを解き明かす(Hanes,2002)。国民経済の発展は工 業化を促し、工業化は都市化を不可避にする。日本の近代化を国民経済の「正常な」発展とい う指向線で設定しようとした関は、近代化と工業化と都市化の関係をある種の必然として受け 入れる。だが彼は、工業化を軸にした都市化が、都市の労働者の深刻な生活困難という社会問 題を発生させていることに眼を向ける。関はこのことを見ない都市論とは対峙しつつ、都市を、 単なる労働問題ではなく、そこに住み働く労働者の問題として、また、この問題を解決するた めの社会改良の単位として「主題」化していったのである。 ちなみにヘインズは、関が、多忙な中、驚くほど多く内外の都市論を参照していることを紹 介し、同時代人、柳田国男の都市論へもコメントを残していることを伝える。関は柳田の都市 論を、日本の都市の農村的性格を説き、都市=農村を日本の独自性だとする議論だと見なす。 そして日本例外主義的議論を展開する前に、西欧の都市発展の歴史を調べてみることを皮肉っ ぽく提案している(Hanes,2002:189)。だが「都市対農村」と「都鄙問題」を区別し、「都は 都、都市は都市であって・・・農村は何れの点から見ても決して鄙ではない」(柳田、1969: 243)という柳田にとっては、西欧を参照しつつ、工業化・近代化・都市化のありようを考え ることは関心の埒外であった。都市は都かという問いを立て、都市・農村とは異なる都・鄙と いう次元で、人間の社会関係を追跡してみることが、都市が「主題」にされていく彼の文脈だ ったのである。 またヘインズは、関が、留学中に講義を聴く機会があったG・ジンメルの都市論にも違和感 を抱いていたことを指摘する(Hanes,2002:44)。後にも検討するようにジンメルは、人間を 孤独にする大都市化状況の裏側に、自由の新たな可能性を見ようとした。しかし、国民経済の −218− 都市の位相(1)(水口) 発展と日本の近代化を課題として背負い、都市の労働者の生活困難に眼を向ける関の都市にと って、ジンメルの都市はよそよそしい都市として斥けられざるをえなかったのである。 関や柳田やジンメルは、各々が関心を抱く社会の関係の有りようの中に都市に現れる諸現象 を捉えかえし、都市を「主題」にした。それぞれの「主題」の位相は異なる。だが関の都市は、 彼自身がそうしようと試みたように、柳田やジンメルたちとの対比の中でより明瞭になる。別 言すれば、関の「主題」は彼らの「主題」との布置連関の中に置くことによってより具体的な 像を結ぶ。そしてわれわれは、関の都市をこのように捉えることによって、われわれ自身が都 市を読み解いていく手がかりをえることができる。ヘインズの関研究は、それぞれの「主題」 を、他の「主題」との布置のつながりの中に置くことによって、都市にアプローチしうるとい う方法上の含意を含んでいたのである4)。 以下では、ルソーの都市を調べ、われわれ自身の布置の見取り図を作る出発点としよう。 2) ルソーと都市 ルソーはパリという大都会に「ひそかな嫌悪」を抱き続け、「そこから離れて暮らすことの できる手段をあれやこれやと探」そうとした(ルソー、1967:198)。他方彼は、ジュネーヴと いう小都市の市民たる誇りを隠さなかった。『社会契約論』は「ジュネーヴ市民」ルソーの著 作だったし『人間不平等起源』(以下『起源論』)はジュネーヴ共和国に捧げられている。また 彼は、田園やアルプスの自然を「風景」として情熱的に描いたが、それは「うそを巧みに弁護 し」「自分の情欲と偏見とを狡猾な詭弁で色どり」「当世ふうの格言にしたがって誤った考え方 に流行の一種の表現法を与える」パリの社交界の対極に位置した(ルソー、1967:136)。そし て都市に象徴される文明と自然との関係に省察を加えていったのである。都市はルソーの思想 の前景や背景で、ポジとネガの諸像を結ぶ「主題」であった。像を取り出し、像と像のつなが りに検討を加えることによって、われわれが都市にアプローチするための、立脚点や含意を引 き出してみること―ルソーは、このような試みに誘う好個の思想家の一人である。 ①パリ・ジュネーヴ・演劇 先に見た評論家の言葉を借りれば、ルソーは「「都市主義」の限界」に眼を向けようとした といえるかもしれない。だがルソーを反都市主義者にすることは、一見すると奇妙に見える。 彼は都市国家の伝統に注目することによって「主権者」としての「市民」を措定しようとした からである。彼はいう。都市国家(シテ)の「真の意味は、近代人のあいだでは、ほとんど全 く見失われてしまっている。近代人の大部分は、都会を都市国家(=シテ)と、また都会の住 民を市民と取りちがえている。彼らは、家屋が都会をつくるが、市民がシテをつくることを知 らない」(ルソー、1954:31)。彼は「都会」と「シテ」を識別し、この識別を介してシテとし ての都市に肯定的評価を与えたのである。それはアリストテレスやマキャヴェリを継承し、そ してマルクスやウェーバーにもつながっていく都市の捉え方である(加茂、1988)。「人間は自 然によって国家的動物である」というアリストテレスの「国家」は古代ギリシャでは都市国家 −219− 政策科学 11−3,Mar.2004 (=ポリス)であったし、その主人公は「市民」であった。「善」の基盤であり「善」が実現さ れる条件であるポリスを維持し発展させる営みたる「政治」に献身することが「市民」の「市 民」たる所以であった(アリストテレス、2001)。「政体には、君主政、貴族政、民衆政と呼ば れる三通りの種類があって、都市を建設しようとする人は、自分の目的にいちばんかなうよう に思われるものを、これらのなかから選ぶべきだ」と述べるマキャヴェリにとって、都市は 人々の作為によって建設されるものであった。彼の『ディスコルシ』は、都市を単位にした新 しい政治秩序の可能性を探った書であり、彼は、人間が自由を求める術としての「政治」も都 市を基盤にして展開すると考えたのである(マキャヴェリ、1999)。また「都市の成立と同時 に、行政、警察、租税などの、つまり自治共同体制度の必然性が、それによってまた政治一般 の必然性が生じる」とするマルクス(とエンゲルス)も(マルクス=エンゲルス、1966:107)、 都市を「政治」とのつながりで捉える。そして「市民」が担う自治の単位としての都市「ゲマ インデ」、誓約共同体的兄弟盟約、門閥支配、名望家的寡頭制がつくる都市等、都市の多彩な 姿を捉えるウェーバーの都市論も、自治や「政治」をめぐる担い手への関心で支えられている (ウェーバー、1964)。シテとしての都市に注目し、そこに「市民」という主体が担う政治秩序 の新しい可能性を見ようとした『社会契約論』は、ヨーロッパが都市を「主題」化してきたこ のような流れを代表する著作の一つであり、その限りではルソーは、都市の意義をポジティブ に取り出した思想家の一人であった。 だが彼は、「都会」は「市民」の形成を疎外し、そこでは「市民」は生まれないと考える。 シテたる都市国家は「都会」の下では成立しないのである。 彼の見た代表的「都会」は「ひそかな嫌悪」を抱き続けたアンシャン・レジーム末期のパリ であり、理想とした「都市国家」は、彼がその市民たることを誇りにしたジュネーヴであった。 彼の演劇論はこの二つの対比を際立たせている。 彼の『演劇について』はその副題「ダランベールへの手紙」が示すように、ジュネーヴが 常設の劇場を持つことを提案したダランベールへの反論という体裁を取る。演劇を、「情念」 を掻きたて「理性」には「なんの効果ももたらさない」多くの「弊害」や「悪習」をもたらす 娯楽とみなす本書は、反演劇の書である(ルソー、1979:49)。と同時に、反「大都会」の書 でもある。ルソーはこの娯楽が、「ぜいたく、派手な身なり、遊蕩への好み」「美化せざるをえ ない不徳」等々の都会の生活と結びついたものであるとみなし(ルソー、1979:112)、さらに は次のような論理で「大都会」と演劇のつながりに眼を向けていく。 人々は娯楽に興じることによって仕事を中断する。そうだとすれば、演劇それ自体の「弊害」 を括弧にくくったとしても、「中断される仕事の性質がその娯楽がよいか悪いかを判断させる ことになります。その娯楽がそれ自体が仕事になるくらいに、そしてその娯楽への好みが仕事 への好みにとって代わるくらいに、刺激の強いものである場合にはとくにそうです。道理から いえば、有害なことをしている人々の娯楽は奨励してやる、有益なことをしている人々はその 娯楽から遠ざける、というふうにすべきです」 (ルソー、1979:113)。 「有害なことをしている」 パリに代表される「大都会」では、演劇という娯楽に費やす時間が、「有害なこと」に費やさ −220− 都市の位相(1)(水口) れる時間の一時的な代替になりえるにしても、「有益なこと」に時間を費やしているジュネー ヴには、演劇は悪影響しかもたらさないのである。「有害なことをしている」「大都会」の叙述 を引用しておこう。引用が浮き彫りにするのは、ジュネーヴが、「大都会」の「サルみたいな 人間よりずっと分別のある人々」で構成された、労働や節制や素朴さを愛し、果たさなければ ならない義務を果たす自由な市民の共和国であるという主張でもある。 大都会には、悪いことを企らむ、なにもしない人間、宗教心もなげれば、しっかりした拠 りどころももたない人間がいっぱいいて、かれらの想像は、ひまと無為によって、快楽への 好みと痛切な必要とによって、そこなわれ、奇怪なことばかり考えつき、悪いことばかり教 えています。大都会では、素行とか名誉とかいうものにはなんの意味もありません。人はみ な、自分の行動を容易に公衆の目にふれないようにすることができ、もっぱら評判によって 知られ、富によって評価されることになるからです。警察がいくら許される娯楽の数をふや し、それらを楽しいものにしようと気をくばっても、個人がさらに有害なものを求めようと する気持ちをなくさせることはなかなかできないでしょう。そういう連中がなにかするのを 妨げることは悪いことをするのを妨げることになりますし、[観劇によって]一日に二時間 を不徳の営みから奪い去ることは犯される罪悪の十二分の一をへらすことになるでしょう (ルソー、1979:114)。 R・セネットはルソーを表して「都市の没落と小さな町の復活を通して新しい秩序が生まれ ると彼は信じたのであった」という(セネット、1991:159)。「都市」を「都会」としてのパ リに、「小さな町」を「シテ」としてのジュネーヴに読み替えれば、彼は『社会契約論』と 『演劇について』をつなぐルソーの都市論の特徴を巧みに突いている。そして都市と演劇との 関係の変化を、「公共性」の有りようを読み解く重要な材料にするセネットに触発されていえ ば、パリとジュネーヴをつなぐ演劇なるものの含意をもう少し膨らませることもできる。 演劇は、その一部の出自が農村であったとしても、都市を基盤にし、都市で展開する5)。そ れは都市が育む行動や嗜好や思考の有りようと結びついた娯楽・芸術であり、都市的生活様式 を象徴する。ルソーがダランベールへの反論を、「都会」と「シテ」という対位法の中に置き えたのも、都市と演劇のこのようなつながりによる。彼は「都会」はそれに対応した生活様式 を生まざるをえないし、その生活様式は「市民」の共和国たる「シテ」の基盤になりえないと 考えたのである。暇、怠惰、無為、快楽への好みの中で自分を失う「都会」の人々は、偽りの 自分を演じる俳優であり、「都会」はこのような人々が評判や富を求めて演技する劇場である。 ルソーにとっての演劇とは、「シテ」を蝕む都市的生活様式であった。 ちなみに「シテ」は、ラテン語の「キビタス」に由来し、英語の「シティ」に相当する。そ れは、都市を自治や政治や社会的権力の単位として捉えようとする言葉である。そして「シテ ィ」の角度から都市を捉えようとしたアリストテレス以来の、西欧の都市論の流れは先に見た とおりである。これに対する「都会」はいわば「アーバン」である。「ウルブス」に由来する −221− 政策科学 11−3,Mar.2004 アーバンは、シティと対比すれば、社会経済的な都市を指す用語として使用可能である。また 都市的生活様式を、それに関心を注いだL・ワースの用語法を使って「アーバニズム」と称す ることも許されよう(Wirth,1938)。これらの言葉を使えば、ルソーは、シティの意義を再生 しようとしたがために、アーバンとそれが生むアーバニズムに「「都市主義」の限界」を見よ うとしたのである6)。 ともあれ彼は、都市をアーバンとアーバニズムとシティの関連の中で捉えようとした。これ はわれわれが学んでよい都市へのアプローチである。だがこのアプローチで現代の都市に接す るためには、彼の立てた問いやその解答を今日的な文脈に置き直さなければならない。 ルソーのシティとは、人間が自ら自由になりうる政治秩序の有りようであった。彼は、アー バニズムはこのようなシティを作りうるかと問い、端的に「否」と答えた。アーバンが社会を 被い、都市が遍在するに伴ってアーバニズムがますます「人間の条件」になりつつある今日、 この問いと答えはそれだけ重みを増し、都市論をめぐる現代の位相を写し出す。都市の遍在と いう「人間の条件」を受け入れざるをえない現代では、先に評論家の通俗的議論に一例を見た ように、人間が直面する困難や災いの原因を都市に求める反都市主義をかえって増幅させる。 それはアーバニズムが、自由という良きものを蝕むというルソーの論理の変奏と拡大である。 と同時に、都市化を、人間が自らの自由を制約していく過程とするルソーの答えを疑い、アー バンやアーバニズムのレベルで、自由の条件を探り、その延長線上にシティの可能性も展望し ようとする都市論の系譜も生み出す。ジェイコブスのいう都市への「尊敬」やルフェーブルの いう「都市への権利」はこのような系譜が生んだ言葉であり、マンフォードの都市への情熱も、 同じ系譜に属する。われわれは後に、ジンメルの都市論の中にこの系譜をもう一度確かめるこ とになる。 都市における公共性の見つめ方は、この系譜のジェイコブスとルソーの相違を知る一例とな る。ルソーはいう。「国家がよく組織されるほど、市民の心の中では、公共の仕事が私的な仕 事よりも重んぜられる。私的な仕事ははるかに少なくなるとさえいえる・・・うまく運営され ている都市国家では、各人は集会にかけつけるが、悪い政府の下では、集会に出かけるために 一足でも動かすことを誰も好まない。なぜなら、そこで行われることに、誰も関心をもたない し、そこでは一般意志が支配しないことが、予見されるし、また最後に、家の仕事に忙殺され るからである」(ルソー、1954:132-3)。彼はジュネーヴに、公共的なものが私的なものに優 位するシティの可能性を託し、パリには、私的利害の追求を自己目的化するアーバニズムとそ れを生むアーバンを見たといえる。だがジェイコブスの都市では、アーバニズムが公共性の基 礎となる。私的な価値関心が多様な差異を生み出し、その多様さが触れあい交流する場が彼女 が捉える都市であり、この多様さは、同質的価値で構成される郊外や準郊外には見られない都 市の「正常な」姿を現しているとする。そしてこのような差異や交流が、そこから「公共的な 生活」や「公共空間」が生まれ成長してくる都市のかけがえのない財産となる (Jacobs,1961:chap.3)。 ルソーは、「国家が多くの都市を含む場合にはどうするか?その時には、主権を分割すべき −222− 都市の位相(1)(水口) か?それとも、主権をたった一つの都市に集中して、他のすべてをそれに従属さすべきか」と いう問いを立て、「多くの都市を一つの都市国家に結合することは、つねに悪である」がゆえ に「どちらもいけない」と答える。「政治体の本質」は、服従と自由の合致であり、「国家を適 当な限界にまで縮小すること」がそのことを可能にするからである。そしてこの縮小がうまく いかない場合にも「首府を認めないこと」「すなわち、政府を、各都市に、かわるがわるにお き、国家の会議を順番にそこで開く」という「なお一つの手段」があるとする(ルソー、 1954:129-30)。このような制度構想にも、アーバニズムを生む首都パリへの嫌悪とシティた るジュネーヴへの愛着が隠されている。だが彼の思想を導きの一つとしたフランス革命は、国 民国家を生み出し、パリをその首都とした。国家は単一の主権を持ち、都市はその「国家が多 くの都市を含む」という現実の中で改めて位置づけ直され、さらにその枠に沿って都市間のハ イラーキーを生んでいく。それは、アリストテレスやマキャヴェリが前提とし、ルソーがその 意義を再生しようとした自律した政治の単位としての「シティ」の存立条件に大きな変更を加 える。ルソーが望んだ「単一にして不可分の共和国」が国民国家規模に拡大して実現された現 代では、都市は、「全体」たる国民国家の「部分」の位相に置かれ、その自治も、地方自治と いう制度や中央地方関係を介して追求せざるをえなくなるのである(水口、2000)。 R・ダールの興味深い示唆に沿えば、ルソーは規模の問題を通して都市を捉えようとしたの かもしれない。「劇場は、あの巨大な都市では一つの点のようなものにすぎないが、わたした ちの町では、すべてを呑み込んでしまう大きなものになる」というルソーの主張には(ルソー、 1979:182)、人口規模2万4千のジュネーヴと60万を超えるパリでは、違った生活様式や習俗が 生まれるという思考が潜んでいる。また上で見た、シティとしての国家を「適当な限界にまで 縮小」することが、服従と自由の一致を可能にするという主張もシティが成立する規模に関心 を寄せている。ダールは、代表や代議制の意義を検討し、「単一の小都市を越えた共同社会で は、公共業務のきわめて限られた小部分にしか、すべての人が自分で参加することはできない。 したがって完全な統治の理想的な型は代議制でなければならない」(Mill,1886:28)と述べる J・S・ミルを、民主主義の理想の単位を都市国家から国民国家に変えた理論家とみなし、翻っ て、ミルに先行するモンテスキューやルソーを、都市国家の自足性を暗黙の前提として民主主 義を考えた思想家とみなす。そして都市国家や国民国家と民主主義の関連を「規模と民主主義」 というより大きな展望の中で捉え直そうとする(Dahl,1973)。事実ルソーは、代表を「人間が 堕落し、人間という名前が恥辱のうちにあった、かの不正でバカげた政治に、由来している」 とし(ルソー、1954:133)、ミルと対極の位置を占める。ミルは、国民国家の部分地域とされ た都市の、「地方」自治としての自治のあり方を見る視点を提供するが、ルソーからは、それ 自体で自足した小規模単位の「地域」自治のロマンしか見えてこない。だが現代の人々は、ア ーバンが大都市へと規模を拡大するにつれ、大都市の中のコミュニティを求めようとする。あ るいは、大都市内部の地域自治を模索する。いわば何倍にも拡大したパリの中にジュネーヴを 取り込もうとする。ダールのいう、大小様々な規模の単位が複雑な入れ子構造をなす民主主義 の現代的条件は、この大都市化とは無縁ではないし、アーバン自身が入れ子構造をなしアーバ −223− 政策科学 11−3,Mar.2004 ニズムを多層にする。このような現代は、ルソーの規模への関心に改めて注目してよい基盤を 作りだしたといえる。 ②起源・自然 ジェイコブスの、都市の起源に関する議論は、ルソーの『起源論』からも都市にまつわる問 題を取り出してみるよう誘う(Jacobs,1970:chap.1)。 彼女は、農業生産の発展や成熟の帰結として都市が生まれたとする、半ば常識化している説 を疑いそれに挑戦する。狩猟・採取経済の中で生じた交換・取引関係が、この関係の結節点と しての都市を生み、都市経済を発展させる。栽培や牧畜はこの都市経済の一部であり、その技 術やシステムが特定の地域に移植・移転されることにより、農業という経済に特化した地域が 誕生したとするのが彼女の主張の基本であり、彼女はこの主張を「最初に都市ありき」(Cities First)と端的に表現する。 「新黒曜石市」(New Obsidian)は、彼女の仮説を理論的推測で裏付けるために設定された 架空の都市である。 ある火山地域の近くに黒曜石が自然に産出される(もちろん黒曜石でなく、銅やその他の物 質でもよい)。黒曜石は狩猟に役立つことが認識されるにつれ、この財や産出地域の獲得をめ ぐって部族や共同体間の争いが起こるが、争いの中から次第に、交換や取引の関係が生じてく る。黒曜石は原初的な市場取引の財となる。また各部族が、黒曜石と交換する財A 、B 、C 、 D・・相互の取引を可能にするサブ市場も生まれてくる。そしてこのような取引を定常的に行 う場所の発生とともに、新黒曜石市の基礎が形成されていく。加えてこのような場所や取引の 成立は、加工業を誕生させる。黒曜石にはより精巧なものにする工夫がほどこされ、例えば毛 皮という取引財は、より洗練されたものに加工されていく。新黒曜石市は、分業関係を発展さ せ、次第に人口も増加していくが、このような趨勢に沿って、食糧管理の技術も、試行錯誤を 重ねながら蓄積されていく。食糧危機の経験を経ながら、屠殺・貯蔵のノウハウが改善され食 用動物という交換財が管理されていく。そしてこのような改善の延長線上に、動物の飼育や家 畜化という技術も生み出されていく。同様に、自然から採取された穀物等の交換財でも、貯蔵 や品種の選別の技術が蓄積され、やがては、栽培という方法が誕生することになる。いうなれ ば、栽培や牧畜といういわゆる農業は、都市経済の一部として形成され発展してきたのである。 彼女はいう。「都市では、農業はより総合的な経済関係の一部であったが」、当時のいわゆる農 村世界では、「時たま、狩猟のための小さくて簡素な定住があったとしても、狩猟と採取の世 界だったのである」(Jacobs,1970:36)。そして農業技術の専門的自律化やそれを支える他の 経済部門の発展、栽培や牧畜のための土地の狭隘化、食料増産を要請する都市の人口増等の条 件が、とりあえずは新黒曜石市の近郊に、農業に特化した定住地域を生み出す。農業=農村は このようなプロセスを介した都市の創造物であったのである。 新黒曜石市を紹介したのは、新石器時代への考古学的興味からではないことは断るまでもな い。「最初に都市ありき」という「起源」説は、「最初に農業ありき」という「起源」説が見落 −224− 都市の位相(1)(水口) としているかもしれない都市の可能性や意義を探ろうとする意図を内包している。事実、新黒 曜石市は、交換や交易、あるいはこれらを可能にする貨幣、さらには、諸共同体のネットワー クを形成することによって成立する都市という共同体の、人間の生存や生活にとっての原初的 な意味を問いかける。これらは農業という生産活動の余剰が都市を生んだとする「最初に農業 ありき」の観点からは、貶価ないし二次的な位置しか与えられなかった関係や営みである。新 黒曜石市が示唆するのは、都市を捉え意義づける方法としての「起源」である。 そしてルソーは「起源」を自らの自覚的方法にする。彼はこの方法によって彼の都市をどう 意義づけたのか。ジェイコブスのユニークな議論は、このような角度からルソーの都市を検討 してみることを促すのである。 ルソーのいう「起源」も考古学的事実への興味を表したものではない。それは、「人間をす でに出来上がった姿で見ることしか教えてくれない学問上の書物はすべてすてておいて、人間 の魂のもっとも単純なはたらきについて省察してみる」(ルソー、1972:30)という思考の方 法であり態度である。彼はいう。「社会に生きる人は、常に自分の外にあり、他人の意見のな かでしか生きられない。そしていわばただ他人の判断だけから、彼は自分の存在の感情を引き 出しているのである」(ルソー、1972:129)。『起源論』が検討を加えた「自然状態」とは、こ のような「意見」や「感情」を対象化する論理上の媒介装置としての「起源」であった。 ちなみに、社会はある観念「X 」を生み出す。そして「X 」が所与として受け入れられ、 人々が「X」を通してものを見ようとするとき、「X」の成立過程で、切り落とされ隠蔽された ものが見えなくなってしまう。児童文学の成立は、児童文学の描く子供を通して子供を捉え、 「最近の子供は子供らしくない」という転倒した言説を生む。このような転倒を生む「児童」 という観念や児童文学の「起源」を問うことは、子供を改めて捉え直す方法になる(柄谷、 1988)。「起源」とは、「X」の所与性を疑い、切り落とされ隠蔽されたものに眼を向けようと する態度であり、ニーチェの「系譜」やフーコーの「言説」につながる思考の方法である。ル ソーのホッブス批判は、この方法の適用の一例である。ホッブスは人間が自己保存のため、 「万人が万人に闘争する」「自然状態」を想定し、そのような状態の規制者や調整者としての 「国家」を導出した。ルソーはこのホッブスについて次のようにいう。 ホッブスのように、人聞は善性についてなんの観念ももたないから本来は邪悪であるとか、 美徳を知らないから悪に陥りやすいとか、同胞への奉仕を義務とは思わないから常にそれを 拒否するとか、あるいはまた、人間は自分の必要とするものに対する権利が自分にあると認 めるのは正しいとしても、その権利のゆえに、愚かにも自分を全宇宙の唯一の所有者だと想 像しているとか、というようなことを結論しないようにしよう。・・・[ホッブスは]自分 の定めた原理について推理するときに、自然状態とはわれわれの自己保存のための配慮が他 人の保存にとってもっとも害の少い状態なのだから、この状態は従ってもっとも平和に適し、 人類にもっともふさわしいものであった、と言うべきであったのだ。ところが彼は、未開人 の自己保存のための配慮のなかに、社会の産物であり、法律を作る必要を生みだした多くの −225− 政策科学 11−3,Mar.2004 感情を満足させたいという欲求を、故なくして入れた結果、まさに反対のことを言っている (ルソー、1972:69-70)。 ホッブスの「自然状態」は本来の自然状態ではない。「それは自然状態について推理するのに、 社会のなかでえられた観念をそこへ持ち」こんだ所産である(ルソー、1972:59)。彼は「法 律を作る必要を生みだした」「社会」を「故なくして」与件とし、その社会をそのまま自然状 態と見なし、自然状態の転倒した像を作り上げたのである。つまりホッブスは「未開人につい て語りながら、社会人を描いていたのである」(ルソー、1972:38)。この転倒は、人間が「同 胞の苦しむのを見ることを嫌う生得の感情」(=憐憫)(ルソー、1972:71)を持つことを見え なくし、したがって、「自然状態とはわれわれの自己保存のための配慮が他人の保存にとって もっとも害の少い」「平和」な状態であったことを覆い隠す。これがルソーの主張である。彼 は転倒の「起源」を問うことにより転倒を生み出す社会を見据えようとする。 このような「起源」という方法に照らして、彼は都市をどう捉えたのであろうか。『起源論』 には都市への言及はない。だがジェイコブスとの関連でいえば、農業についての興味深い検討 があり、その検討の延長線上に『演劇について』につながる都市を推測することは可能であ る。 ルソーは、冶金と農業が、その発明によって「大きな革命」を生みだした二つの技術であっ たという(ルソー、1972:96)。「革命」とは、平等が消え失せ、私有が導入され、他人のため の労働が必要となり、収穫とともに奴隷制と貧困が芽ばえ成長する社会の到来である。そして 「その実行が確立されるよりもはるか以前に、その原理は知られていた」(ルソー、1972:98) 農業を農業たらしめたのはこのような社会であった。狩りや魚釣りや食料を提供する樹木から 脱却し、土地を耕す労働を要求する農業は、その耕した土地の産物に対する権利を与え、した がって地所に対する権利を、少なくとも収穫期まで与える。こうしたことの継続は、占有を造 りだし、占有は「たやすく私有に転化する」(ルソー、1972:99)。そしてひとたび私有が認め られると「最初の正義の規則」が生じる。「というのは、各人にその所有物を返すためには、 各人がなにかを所有できなくてはならないからである。その上、人々が未来にその視線をむけ はじめ、みんなが失うおそれのある財産をいくらかもっているのに気づくと、自分が他人に対 して行うかもしれない不正の仕返しを自分のために心配しないような者は一人も」いなくなる からである(ルソー、1972:99)。また「冶金」もこのような農業の中に取り込まれていく。 人々の才能が平等であり、鉄の使用と食料の消費が常に正確な釣合いを保っている状態では私 有の権利は発生しない。しかしながら私有と結びついた農業は、「もっとも強い者はより多く の仕事をし、もっとも器用な者は、自分の仕事をより巧みに利用し、もっとも利口な者は労働 を省く手段を発見する」ことを促し(ルソー、1972:100)、これらの耕作者にさらに多くの鉄 を必要とさせたのである。かつ、この必要が「小麦」を必要とする鍛冶屋の生業を支える。 「ある土地に囲いをして「これはおれのものだ」と宣言することを思いつき、それをそのま ま信ずるほどおめでたい人々を見つけた最初の者が、政治社会〔国家〕の真の創立者であった」 −226− 都市の位相(1)(水口) (ルソー、1972:85)という『起源論』の有名な言葉の背後には、彼の、農業に対するこのよ うな捉え方があった。また農業は、やがては、私有間の争いのゆえに改めて「正義の規則」が 作られなければならなくなった「万人が万人に対して闘争する」状態を生み、さらには、この 状態を「自然状態」に転倒してしまう「社会」を生む「起源」でもあった。 『起源論』の都市は、このような「社会」の一部、あるいは「社会」そのものと見なしてよ いように思われる。少なくともこの書には、農業・私有・不平等・自然状態の転倒・社会の形 成という系列の論理と対抗する別の論理を、都市と関連づけて展開した部分は見あたらない。 『起源論』のこのような農業論に照らせば、『社会契約論』や『演劇について』の都市も、「最 初に農業ありき」をベースにした都市であったのである。 「最初に農業ありき」の都市論は、労働や生産を機軸にして社会を捉える観点と結びついて いる。いわば農本主義的・生産力主義的都市論を生みだし、それはしばしば、アーバンが固有 の要素とする、交換や交易、消費、あるいはこれらを可能にする貨幣を貶価し二次的な位置に 押しやる態度と結びつく。「富を表す記号」(ルソー、1972:102)とされるルソーの貨幣は私 有や不平等を押し進める手段ではあっても、人間が交易を通して新たな可能性を拡大していく 手段ではなかったし、暇、怠惰、無為、快楽への好みの中で自分を失う諸費都市パリのアーバ ニズムは、彼が次のように愛着を込めて描く、ジュネーヴとの対比で貶価されたのである。ジ ュネーヴは「勤勉な労働と、倹約と、節制」の、また「よけいなもの」を取り入れず「働くこ とによってのみ生活を維持している」豊かな町であり・・ ジュネーヴにやってくるあらゆる外国人の目にまずふれることになるのは、そこに見られ る旺盛な活力と活動のあらわれだという気がします。すべての者がなにか仕事をしています、 すべての者が動きまわっています、すべての者が作業に、業務にはげんでいます。あんな小 さな町でそんな光景を見せているところはほかに世界のどこにもないと恩います。サン・ジ ェルヴェ地区を訪ねてごらんなさい。ヨーロッパの時計製造業のすべてがそこに集められて いるような気がします。モラールと下町通りを歩いてごらんなさい。大口の取引きをする店、 荷包みの山、雑然と投げ出されている樽、藍や薬品の匂いが、ここは海辺の港かと思わせま す。レ・パキでは、オ・ヴィーヴでは、インド更紗とプリント生地の工場の騒音と外観が、 自分はチューリッヒにいるのかと思わせます。町は、そこで行なわれている作業によって、 いわば何倍にも見えるのです。そうした最初の印象から、町の人口を十万と推定していた人 たちにわたしは会ったこともあります。腕と、時間の利用と、用心と、きびしい節約、それ がジュネーヴ人の財産です(ルソー、1979:171-2)。 この種の都市論はもちろんルソーに限られるわけではないし、むしろ都市論の大半は、どこ かで労働や生産に優位の価値を付与し、労働や生産が作り出す余剰の消費地として都市に副次 的な位置を与えるという構成の上に成立している。彼は、この種の農本主義的都市論が覆い隠 したものを「起源」という観点から捉えかえす方法を提示した。だが彼自身の都市論は、農本 −227− 政策科学 11−3,Mar.2004 主義的都市論の原型の一つを形成したのである。彼のこのような都市論は、結果としてジェイ コブスの「最初に都市ありき」という議論の意義を際立たせるし、われわれが都市に接するに 際して、交易や交換や消費や貨幣が「人間の条件」としてポジティブな意味を持ちうるかどう かを検討することを促すのである7)。 「自然」と「起源」の関係はどうであろうか。ルソーは短絡的に「自然に帰れ」と主張した わけではない。自然や自然状態は、実体概念というよりは、彼が生きた社会を批判的に読み解 くための操作的な概念装置であった。『起源論』の見開きには「自然というものを、堕落した 人々の中にではなく自然に従って行動する人々の中に、研究しなければならない」というアリ ストテレスの言葉が掲げられている。ルソーはホッブスのような「堕落した人々」の自然では なく、「人間は自然によって国家的動物である」と見なすアリストテレスに依拠しようとした。 アリストテレスの「自然」(=ピュセイ)は多義的であるにしても、それは、そうならざるを えない事柄の本性という意味を含む。人間は、自らの本性に従うという意味での「自然によっ て」、「善」を求め「善」が実現される政治秩序であるポリス造りだすのである。ルソーは、こ のような人間の本性たる自然が、歪められ疎外されたものとして当時の社会を捉えようとした のである。そして『社会契約論』に見たように、彼は都市国家をこのように捉えるアリストテ レス以後の流れの中で、シティとしての「共和国」を構想したのである。シティは人間の本性 に沿った自然であった。 だが自然がアーバニズムと対比されるとき、それは実体的意味を孕み出す。彼が描く田園や アルプスは、アーバニズムがそれを疎外する美しい自然の風景として実体化される。 彼は「都会の人々は田園を愛するすべを知りません。田園で暮らすすべさえ知りません。田 園にいてもそこで何が行われているかをほとんど知らないのです。・・・パリの住人が自分で は田園に行く気でいても、実は田園に行くのではなく、パリを伴っていくのです。歌うたいた ちや、才人たちや、食客が取り巻きになってお供をするのです」(ルソー、1967:231)という アーバニズムへの批判の中で田園の美しさと輝きを取り出そうとする。またジュネーヴも、こ のような田園を材料にして、パリのアーバニズムと対比され賛美される。パリでは田園を求め るためには遠出をする煩わしさを伴う。またその田園も「空気は汚物でけがされていて」、眺 めもそう心をひくわけではない。このようなパリでは「人々は劇場に行って閉じこもるほうが いい」と思わざるをえないが、「郊外の美しい風景」があるジュネーヴでは、人々は田園を好 むという「健全な趣味」を持ち続けている。劇場と演劇はジュネーヴ人からこの「健全な趣味」 を奪うという意味でも不用なのである(ルソー、1979:175-6)。 ところで「風景画はなぜ生まれたか」は興味深い問いである。風景画は、それ自体としては 見事に描かれているとしても、宗教画や歴史画の背景にしか過ぎなかった自然を、自律した単 位として捉えるところに成立する(潮江、1989)。この問いは、所与の自然が改めて風景とし て主題化される、人間の側の価値関心の変化や、その変化を生んだ社会へと眼を向けさせる。 いわば、自然が風景とされる「起源」を問おうとする。そしてルソーのホッブス批判の論理が 示したように、「起源」への問いは、自然が風景として所与のものとされ、人々が風景として −228− 都市の位相(1)(水口) 自然を見ようとするとき、この見方が切り落とし、覆い隠すものは何かという問いに広がって いく(柄谷、1988)。 ルソーは、パリに象徴されるアーバニズムの醜悪さや不健康さと対置して、あるがままの自 然に、美しいもの、健康なものという価値を与えた。比喩としていえば、彼にとっての風景画 の成立「起源」は、人々のアーバニズムに対する嫌悪であった。だが彼は、自らのこのような 都市・自然観自身の「起源」を問おうとしたわけではなかった。言い換えれば、このような見 方が所与として成立し受け入れられるとき、都市や自然に関して覆い隠されるかもしれないも のに眼をむけようとしたわけではない。「起源」という方法に照らせば、彼の都市・自然観は、 彼が批判したホッブスの「自然状態」に似た論理的位置を占める。 ニーチェはいう。「あたかも「自然」が、自由、善意、無垢、公平、公正、牧歌ででもある かのようなルソー的自然概念は」、「あの道徳的・キリスト教的「人間性」を自然のうちから読 みとるという一種の試みである」(ニーチェ、1993:331)。宗教、道徳、哲学の「起源」に眼 を向けるニーチェは、ルソーの自然の「起源」も読みとったのである。ルソーの自然観は、彼 の人間観の反転に他ならず、彼はこの人間観の「起源」を問うことなく、アーバニズムを色づ けし、否定的に描いたのである。 もう一度ジェイコブスを取りあげ、ルソーの自然観と対比してみよう。ジェイコブスはこの ような都市・自然観に手厳しい。彼女は、都市の対立物として自然が捉えられるとき、自然は、 草木や新鮮な空気やその他の些末なものに矮小化され、「ペット」化され感傷化されていると いう。そしてこのような自然観がかえって自然の破壊をもたらしているという。「都市を愛す る生き物」である人間に、「野生」の自然を対置し神聖化するのは、都市への侮蔑であり、自 然の感傷化である。さらに彼女は、このような陳腐で偏狭な自然観は、一方では芝生の手入れ や日光浴に興じ、他方では都市をブルドーザーで荒廃させ「便利に」することを要求する郊外 の住人の「分裂症」に似つかわしいと揶揄する。彼女の都市は、大草原のプレーリー犬の小屋 や牡蠣の寝床と同様に、人間にとっての自然である(Jacobs,1961:443-6)。 都市自身を自然とする彼女の捉え方は、「人間は自然によって国家的動物である」としたア リストテレスを想起させるし、ルソーのシティとしての「共和国」を連想させる。だが彼女の 都市は、差異や多様な価値が触れあい何かを生み出すアーバニズムであった。都市は、「野生」 としての自然ではなく、多様な人間が行き交う「歩道」を持たない郊外という同質的な社会が 生む生活様式と対比される自然なのである。 もちろん彼女は、都市には緑が必要ないといおうとしているのではない。また都市と自然の 関係をこのような一般的主張を越えて具体的に展開しているわけでもない。そして、都市と自 然を等置してしまう思考から、さらにいえば、このような自然観を拡大し、経済現象も自然だ とする主張から、ある種の安直さや問題点を嗅ぎ取ることもできる(Jacobs,2000)。にもかか わらず彼女の議論は、都市対自然という対置法が、人間にとって避けられないアーバニズムと いう生活様式の可能性や意義を覆い隠しかねないという問題点を突いている。また郊外への揶 揄は、この対置法が社会アクターの利害に関連づけられることを示唆する。それは、社会的諸 −229− 政策科学 11−3,Mar.2004 関係の中で、このような自然・都市観の「起源」を問おうとする視点を内包している。 現代のわれわれは、都市化が緑や環境の破壊という事実をもたらすとき、しばしば都市を 「悪」とし自然を「善」とする思考に陥る。あるいは、作為や人工の所産である都市が、何か の災いの原因と見なされるとき、作為に対する自然の所与性に改めて価値付与を行う。ルソー はこのようなわれわれに味方する。だがこのような自然観が、作為も自然であるとするジェイ コブス流の自然観と交錯して成立しているところに、現代の都市と都市論の様相を見ておいて よい。 ロンドンの裏通りで遊ぶ子供たちは、きれいな空気がないのをものともせず、スコットラ ンドの野原にでもいるように歌い、遊ぶ。そのように、穏やかな精神的環境に恵まれなくて も、もともとそれを知らない子供たちは気がつかない。若い人たちの、環境に染まり適応す る能力は見事なほどである。たとえ不幸でも、とても不幸でも、その原因を追究するどころ かその原因を自分たちの罪深さのせいにするのには驚かされる(Butler,1903; マメット、 1994:3から引用)。 この情景には子供たちの眼差しとS・バトラーの眼差しが交錯している。バトラーは自然とい う大切なものと子供たちを隔てる都市に人間の「不幸」を見る。そしてその「不幸」の犠牲者 たる子供たちに同情の眼差しを注ぐ。だが都市の裏通りは、子供たちにとってはとりあえずは 所与であり自然である。彼らはそこで生活を楽しみ、生きる可能性を追求する。そのような子 供たちにとっては「スコットランドの野原」は、バトラーとは違った像を結ぶかもしれないの である。われわれの関心は、このような眼差しが交錯する舞台としての都市であり、その交錯 がどのよう都市を造っていくかである。 (小結)今後の作業と「都市の政治学」 所定の枚数も過ぎた。今後の作業の見通しと、その見通しに関連して「都市の政治学」につ いて少し触れ、本稿をとりあえず閉じることにしたい。 本稿は引き続き、ジンメルによる都市の「主題」化の態様を検討する。ルソーの都市は18世 紀の都市であったが、ジンメルは、大都市化という20世紀の現実を踏まえて都市と向き合おう とする。その現実を背景にして、彼がルソーの出した問題をどのように扱ったかが関心となる。 そして彼らを含めた代表的な都市論の相互の位置関係にも目を向けておきたい。次いで、自然、 コミュニティ、空間やトポスという論点を通して都市にアプローチする。最後に、アーバン・ ガバナンスの文脈の中の都市計画を見通してみる。 このように本稿は、空間管理という角度からアーバン・ガバナンスを捉えるために、空間管 理の専門家たる都市計画家というアクターに注目する。そしてこのアクターが、現実に都市を 作っていく思考様式を観察するために、都市計画が具体的に扱う、自然、コミュニティや空間 を素材とし、また、この素材の含意を知るために都市をめぐる位相にも検討を加えておこうと −230− 都市の位相(1)(水口) する。いわばアクターの「イデオロギー」に注目するが、いわゆる「イデオロギー批判」を行 おうとしているわけではない。どのような「イデオロギー」が、アーバン・ガバナンスの過程 に組み込まれ、現実の都市が作られていくのかが、本稿の基底にある関心である。やや迂回し た戦略ではあるとはいえ、ガバナンスとアクターの関係に関心を注ぐということは、本稿が都 市の政治学を意図しているということでもある。 このことをあえて強調するのは2つの理由による。 最初は、本稿が、尊敬する優れた政治学者山口定先生の、立命館大学退任記念号に寄せられ るという事情である。筆者の政治学に対する興味や感性は、先生の業績や示唆を通して育まれ た部分が多い。本稿は先生の学恩に対するささやかな応答の試みである。 もう一つは、近年の、「都市の政治学」のある種の流れに抱く、距離感のゆえである。この 政治学は、山口先生がその充実に貢献され、筆者もそれを踏まえようとしているディシプリン としての政治学とは少し異なる。 J ・ガーバーは、一部の政治学者が、ポスト・モダンの動向と重なり合った「X の政治学」 の隆盛に苛立ちを隠さない事情を伝える。ジェンダーや性が「X」の代表であり、この政治学 は、抑圧関係一般を政治にしてしまい、それはかえって政治や、政治との関連での「X」を見 えにくくしているというのが苛立ちの原因だとする(Garber,2000)。都市もこのような「X」 の一つになりつつある。 多木浩二の『都市の政治学』は、都市に関する優れた著作である。だが本書の次のメッセー ジは、政治学という既存のディシプリンに何らかのこだわりを持つ者にとっては、ある種の違 和感を抱かせるだろう。 過剰な力というのは、実は得体がしれないということと同義なのである。そのつもりにな って現在の都市を歩いてみると、確定した意味を結びえない得体のしれない力を感じ取る。 そうした力に通過されている人間の集合は、はたしていかなるものだろうか。われわれは、 まったくあたらしい視野において人間学を問い直す必要を感じているのである。こうして力 の仕組みや人間の位相をあらためて問いかけることを、ここでは「政治学」と呼んだのであ る(多木、1994:194-5)。 多木を含む「都市の政治学」は、フーコーや、W・ベンヤミンやI・カルヴィーノたちから 示唆をえ、ベースにしているように思える。 『性の歴史』の「権力」は、 「無数の力関係であり、 それらが行使される領域に内在的」である作用の総体であり、「特定の社会において、錯綜し た戦略的状況に与えられる名称なのである」(フーコー、1986:119-21)。フーコーのこのよう な権力観は、無数の力関係が織りなす作用の網目に眼を向けさせ魅力的であるが、それだけに、 彼はこのような権力をそのまま政治に等置したのだろうかという素朴な疑問が筆者を捉える。 フーコー流にいえば、むしろ、社会に遍在する力関係が、そのまま政治にされてしまうところ に、政治という言説の一つの有りようを見ることもできる。「遊歩者」の観点から様々な表象 −231− 政策科学 11−3,Mar.2004 (=シグナル)を読み解こうとしたベンヤミンの都市も魅力的である。だが筆者は、彼のパリ には、サン・シモン主義への関心が見え隠れしていることにも注目したい。サン・シモン主義 とは、都市を「合理的」に造形し管理しようとする思考や実践である。それは本稿のいう都市 計画の源流の一つが持つ政治的含意への関心を表している(ベンヤミン、1994)。さらに、カ ルヴィーノの『見えない都市』は、見えなくなった都市を、記号として捉え直すことによって 見えるようにした優れた文学作品であるが(カルヴィーノ、1997)、文学作品を、都市を記号 とする方法の一助とし、記号とそれが孕む意味の差異の態様に政治を遍在させようとするポス ト・モダン的な「Xの政治学」には、都市や政治がはたしてうまく捉えられるのかという疑問 が湧く。この点、R・バルトの立場は明瞭である。彼にとっての都市は記号ではない。都市は 記号論を展開し応用する対象であり舞台である。したがって彼は、現実に都市を作っていく都 市計画家たちが、記号論的に都市を解釈し、造形していくことに期待を寄せる(バルト、1988)。 バルトの意図を越えて彼の論理を敷衍すれば、記号はそれ自身が政治なのではなく、彼が期待 する担い手の利害や行動を介して政治になるというのが本稿の視点である。いずれにせよこの ような政治学は『博覧会の政治学』の著者が、自らの「政治学」という用語の使用に関して誠 実に指摘するように、「社会学」や「修辞学」や「解釈学」へと言い換え可能な政治学であり、 必ずしも政治学といわなくてもよい政治学である(吉見、1992)。 政治学とは何かという問題はそれ自身やっかいであるにしても、筆者は、政治学は、「Xの 政治学」がほとんど等閑視する、政府という公共部門への関心を中心軸の一つにして成立して いるディシプリンだと考える。そしてディシプリンのこのような有りようが、政治現象の優れ た分析の蓄積を生んできたと考える。畏友、加茂利男の『都市の政治学』は、このような政治 学の業績である(加茂、1988)。本稿は彼に連なる立場から、「Xの政治学」としての「都市の 政治学」を参照する。 注 1)『人間の条件』は、都市にはほとんど言及していないが、都市国家における公と私の関係を検討する 文脈で、「都市にとって重要なのは、隠されたまま公的な重要性をもたないこの領域の内部ではなく、 その外面の現れである」という興味深い指摘がある(アーレント、1994:92)。この指摘は、後に扱う コミュニティをめぐる問題への示唆になる。 2)「遍在と不在」、「氾濫と消失」は、それぞれ、都市と都市論の現状を整理した若林幹夫(若林、1996) と、吉見俊哉(吉見、1996)の表現の援用である。 3)マンフォードは、ユートピアの系譜を探っている。「科学的知識も見られなければ、芸樹的気品も感 じ」られないある種のユートピアを裏返したもの、つまり、自由な好奇心や「芸術のための芸術」が正 当な評価を受けることによって、科学や芸術が占めるべき位置を占める社会―これが彼のユートピア であろう。彼の都市論には、このような社会観が投影していると思える。ちなみに本書は、「もし、わ れわれのユートピアが、われわれの環境のいろいろな現実から発するものであるならば、この現実に基 礎を置くことは容易なことであろう」に続けて「ある共通の計画がなければ、再建のための小さな煉瓦 はすべて煉瓦置き場にほうり出しておいた方がましであろう。なんとなれば、人々の心が不一致である −232− 都市の位相(1)(水口) なら、彼が何を建設しようと、結局すぐに崩壊してしまう前兆となるからである。われわれの最後の言 葉は完成への忠告である。完全なものが現れれば不完全なものは去り行くのだ」という文章で結ばれて いる。ここにも論理の混乱と計画への想いがある。彼の前半の文章に反して、「現実から発する」から こそ「現実に基礎を置くこと」は必ずしも容易ではない。この感覚が優れたユートピアを生んで来たし、 だからこそこのユートピアは「現実」を照らし出す鏡となりえた。また、人々の心を一致させる優れた 共通の計画が、「現実」に基礎を置くことと同義とされ、それがユートピアの現実化につながるとする 後半の文章は、前半とは断絶があるし、ルフェーブルがいう計画イデオロギー以上のものを表現してい ない。なお、翻訳の副題「理想の都市を求めて」はミスリーディングである。マンフォードは都市につ いて正面から語っているわけではない。むしろ彼が、それぞれのユートピア思想の中の都市の位置を系 譜学的に検討していたとしたら本書はもっと魅力的であったであろう。(マンフォード、2000) 4)「かつて人々はウェーバーには体系がないと言って非難したが、もしウェーバーにおいては布置が体 系に代わるものだとすれば、彼の思考が実証主義か観念論かという二者択一を越えた第三の思考である ことが、そこに事実として示されている」(アドルノ、1996:203-4)。分析者の主体的価値関心から「切 り取られた」都市が、その分析者の「主題としての都市」だとすれば、布置とは「主題」のつなげられ 方としても理解することができる。布置を解析することは、体系化への志向とは異なる一つの方法にな りうる。 5)布野修司は、都市と演劇のつながりを見た上で、都市計画の「幻想」性に注目するユニークな都市計 画家である。本稿の文脈でいえば、ルソーの演劇観を逆転し、その延長線上に、マンフォード流の都市 計画の「幻想」性を捉えようとしている(布野、1998)。 6)ルソーの都市論のこのような理解は、宮本憲一の都市の定義がヒントになっている(宮本、1980)。 彼は、時代や体制によってその現れ方は異なるにせよ、①集中と集積、②社会的分業、③市場、④交通、 ⑤都市的生活様式、⑥社会的権力の6つを都市を都市たらしめる「要素」ないし「素材」とする。①∼ ④はいわば社会経済的な都市であり、「アーバン」である。⑥は「シティ」である。そして両者の間に ⑤の「アーバニズム」を設定していることがこの定義の魅力である。なお、都市経済の分析のために提 案されたこともあってこの定義は、⑤を、商品消費や社会的共同消費手段に依存した生活等としている が、本稿では「アーバニズム」をより広義に使用する。 7)岩井克人と網野善彦の「「百姓」の経済学」と題された興味深い対談がある(岩井、1997)。共同体内 部ではなく、共同体と共同体の「あいだ」をその活動の場とする商業資本主義は、人類の歴史とともに 古くからあるとする岩井克人は、スミスやマルクスの労働価値説が、労働=生産を中心に資本主義を捉 え理論化したために、差異を媒介する交易や貨幣の意味と役割を見えにくくしたとする。これはジェイ コブスの「起源」に響き合う主張である。また百姓は必ずしも農民ではなかったとする網野史学は、こ れまでの農本主義的・生産力主義的歴史解釈に疑義を呈し、交易や金融や都市の意義を改めて取り出そ うとする。これらの学問的動向に照らせば、「最初に都市ありき」というジェイコブスの仮説は、検討 に値するメッセージ性を有しているといえよう。 参照文献 アドルノ、T.(1996)(木田元他訳)『否定弁証法』作品社 アリストテレス(2001)(牛田徳子訳)『政治学』京都大学学術出版会 アーレント、H.(1994)(志水速雄訳)『人間の条件』筑摩書房 岩井克人(1997)『資本主義を語る』筑摩書房 −233− 政策科学 11−3,Mar.2004 ウェーバー、M.(1964)(世良晃志郎訳)『都市の類型学』創文社 加茂利男(1988)『都市の政治学』自治体研究社 柄谷行人(1988)『日本近代文学の起源』講談社 カルヴィーノ、I.(1997)(米川良夫訳)『見えない都市』河出書房新社 潮江宏三(1989)「風景画」(神林恒道・潮江宏三・島本浣『芸術学ハンドブック』)勁草書房 セネット、R.(1991)(北山克彦・高階悟訳)『公共性の喪失』晶文社 曽我謙悟(1998-2000)「アーバン・ガバナンスの比較分析(1)-(6)」(『国家学会雑誌』111巻7-8号―113 巻3-4号) 多木浩二(1994)『都市の政治学』岩波書店 田中豊治(1986)『ウェーバー都市論の射程』岩波書店 ニーチェ、F.(1993)(原佑訳)『権力への意志(上)(ニーチェ全集12)』筑摩書房 バルト、R.(1988)(花輪光訳)『記号学の冒険』みすず書房 ベンヤミン、W.(1994)(今村仁司他訳)『パサージュ論・都市の遊歩者』岩波書店 フーコー、M.(1986)(渡辺守章訳)『性の歴史Ⅰ』新潮出版 布野修司(1998)『都市と劇場』彰国社 プラトン(1974)(鈴木照雄・藤沢令夫訳)『プラトン全集・5』岩波書店 マキャヴェリ、N.(1999)(永井三明訳)『ディスコルシ』筑摩書房 マメット、D.(1994)(酒井洋子訳)『オレアナ』劇書房 マルクス、K.、エンゲルス、F.(1966)(花崎平訳)『ドイツ・イデオロギー』合同出版 マンフォード、L.(2000)(関裕三郎訳)『ユートピアの系譜』新泉社 水口憲人(1994)「計画の分析」(『龍谷法学』27巻2号) 水口憲人(2000)「地方自治と民主主義」(『政策科学』7巻3号) 宮本憲一(1980)『都市経済論』筑摩書房 柳田国男(1969)『定本・柳田國男著作集16』筑摩書房 養老孟司(2002)『「都市主義」の限界』中央公論新社 吉見俊哉(1996)「都市と都市化の社会学」(井上俊・上野千鶴子・大澤真幸・見田宗介・吉見俊哉編『都 市と都市化の社会学(岩波講座・現代社会学18)』)岩波書店 吉見俊哉(1992)『博覧会の政治学』中央公論新社 ルソー、J.(1954)(桑原武夫・前川貞次郎訳)『社会契約論』岩波書店 ルソー、J.(1967)(平岡昇編)『ルソー・自然と社会』白水社 ルソー、J.(1972)(本田喜代治・平岡昇訳)『人間不平等起源論』岩波書店 ルソー、J.(1979)(今野一雄訳)『演劇について』岩波書店 若林幹夫(1996)「社会学的対象としての都市」(井上俊・上野千鶴子・大澤真幸・見田宗介・吉見俊哉編 『都市と都市化の社会学(岩波講座・現代社会学18)』)岩波書店 若林幹夫(2000)『都市の比較社会学』岩波書店 Butler,S.(1947)The Way of All Fresh.Penguin Books. 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