論 文 都市政策の課題 ―福祉国家から新自由主義そして地球環境政策へ― 宮 本 憲 一 Ⅰ.日本の都市政策の原点―関一と住宅政策― Ⅱ.20世紀の都市政策 1.福祉国家の都市政策 2.ゴットマン対マンフォード―現代都市論をめぐる対立― 3.戦後日本の都市政策 Ⅲ.グローバリゼーションと都市政策 1.都市再生と環境再生 ―産業構造の変化、グローバリゼーションと地球環境問題による都市政策の変化― 2.世界都市ネットワークとSustainable Cities 3.都市政策への提言―シビル・ミニマムを超えて― 先進国の都市はグローバリゼーションにともなう産業構造の変化と環境問題、さらに少子高 齢化などの国内の構造変化によって、重大な転換に直面しつつある。本論では福祉国家の都市 政策以降の変化を概観するが、始めに日本の都市政策の先駆的業績の紹介からはいりたい。 Ⅰ.日本の都市政策の原点―関一と住宅政策― 日本における都市政策論の始まりは、片山潜の『都市社会主義』であろう。片山潜はアメリ カでキリスト教社会主義を学んだ後に、イギリスで都市社会主義の研究を行った。当時イギリ スではウエブ(S.Webb)などにより、自治体社会主義が労働問題や都市問題の解決のために 提唱されていた。これはガスと水道の社会主義などといわれたように、市民の生活に必要なサ ービスが資本の手では安価に公平に供給されないので、都市自治体が供給しようというもので あった。片山は帰国して、あまりにも日本の都市の設備やサービスが劣悪であることを批判し て、自治体が経営の責任をもって市民生活の改善すべきことを提言したのである。これが毎日 −183− 政策科学 15−3,Mar.2008 新聞に連載された時には、『都市経営』という題名であった。それは道路、公園、水道など都 市政策全般の現状と経営のあり方を述べたものであったが、本としてまとめるにあたって、こ の改善が民間資本の手ではなく公共機関の手でなされなければ、労働者の生活の改善にならぬ と考え、『都市社会主義』と変えたのである。片山潜はこの時代には社会改良主義者であった のだが、なぜ、その後共産主義者となったのか、これは日本で改良主義が育たない原因にもつ ながる興味深い問題だが、ここでは触れない。片山潜の著作以後都市化の進行とともに都市問 題への関心が高まり、安部磯雄、賀川豊彦など都市政策の著作や提言がでた。その中でも明確 な理論を持ち、それを自らの市政の中で実現したのは関一である。関一は日本都市政策史上、 理論と実践をかねそなえた最高の市長であった。日本の都市政策の出発点といえる関の政策か ら照射して今日の都市政策を考えたい。関は大阪市を近代化するために多面的な行政をした。 彼は助役時代に出版した『住宅問題と都市計画』の冒頭において「都市計画の目的は我々の住 居する都市を『住み心地よき都市』たらしめんとするに在る」としている。今日の都市政策の 目標であるamenityが示されている。彼は後の「都市計画論」という素晴らしい論文の中で次 のように言っている。 「現在の都市計画の理想は街路本位の美観主義、集権主義のパリ流から住宅本位の実用主義、 分散主義の英国流に移り行ったことである。わが国の未開発地の計画はこの新傾向によりて、 衛星都市、田園郊外の思想をとりいれるべきである。」かれは有名なオスマンのパリ改造は国 威発揚で、労働者の住宅問題を解決していないといっている。そこで住宅中心、衛生・実用主 義のイギリスの都市計画を推しているが、それを模倣してはいない。彼はイギリスの都市計画 が未開発地域に限定されていることを指摘し、都心の既開発地域についてはイギリスに学ぶべ きことはなく、ドイツの都市計画を参考にしている。彼は従来の都市計画は街路などの都市構 築物の整備に走っているが、そうではなく土地利用にあるべきだとしている。そして市民の活 動し住居すべき建築物が主であって、これを連絡する道路は従であるといっている。土地の用 途地域制では、とくに公園や市民農園、運動場のような自由な空地(open space)を重視して いる。関一というと御堂筋のような道路、橋梁、港湾などの産業基盤や生活基盤の社会資本を 計画し建設したことが評価されている。しかし彼はそれにとどまらず、都市社会政策という独 自の理念を掲げていた。それは従来の社会政策が国家によっているのに対して、彼は都市によ る住宅、福祉、環境を重視したのである。 「住み心地よき都市(amenity)」をつくるために住宅中心で緑環境のある衛生的な都市をつ くろうとした。そこでもっとも力を入れたのが、田園郊外に環境のよい労働者住宅をつくるこ とであった。これは福祉国家の都市政策の日本版であった。しかしこれは思うようにいかなか った。その原因は第1に地主と不動産会社の住宅建設・無計画な土地利用にある。第2は都市 計画が中央政府の権限であり、財政が集権的で市の自由になる財源が乏しかったためである。 戦争体制に入ったことが主因であるが、関の理想は完全には実現できなかった。しかし彼が理 想とした「住み心地よい都市」という政策理念は継承すべきであろう。 −184− 都市政策の課題(宮本) Ⅱ.20世紀の都市政策 1.福祉国家の都市政策 産業革命によって成立した近代の大都市は、住宅問題や公害など深刻な都市問題が発生した。 R.Owenの工場村のような初期社会主義の政策の影響をうけながら、ロンドンの都市問題の解 決として民間の会社経営で、1903年、E.Howardの田園都市レッチワースがつくられた。この 都市と農村を計画的に折衷して環境のよい街を新しく作るという政策の影響は世界中に広がっ た。先の関一の田園郊外もその一例である。日本では地価が高いこともあり、田園都市は電鉄 会社の開発政策に矮小化され、中産階級向けの東京郊外の田園調布、大阪郊外の宝塚や北野田 の高級住宅地区になった。戦後イギリス労働党内閣はハワードの田園都市を中央政府による社 会政策として1946年、NEWTOWN法を作り、50年までに11箇所のニュータウン(後にイングラ ンド21、イギリス全体で32箇所)をつくった。ロンドンの近郊の場合にはグリンベルトの外側 に事業所をもった独立の都市として建設した。ニュータウン政策は福祉国家の都市政策として ヨーロッパやカナダなどに広がった。 2.ゴットマン対マンフォード−現代都市論をめぐる対立− この郊外開発はニュータウンのように中央政府の社会政策として計画的に作られるだけでな く、自家用自動車の普及とともに民間資本が広域に都市区域を広げながら進んだ。とくにアメ リカでは大都市の周辺に自生的に衛星都市がつくられた。フランスの地理学者Gottmanは有名 なMegalopolisの中でホワイトカラー革命の進行の中で大都市には管理機能や情報機能が集中す るが、そこに働くホワイトカラーは郊外の環境を好み、自動車交通の発達とともに住宅区域が 点々と広がり、星雲状の都市が出現し、旧来のM e t r o p o l i s が高速道路で串刺し状に連帯し、 Megalopolisが形成されるとした。そして、これによって都市と農村の対立が解消するとした。 これにたいしてアメリカの都市社会学者M u m f o r d はメガロポリス論を反都市論として、 Le.Corbusierの巨大高層都市論とともに激しく攻撃した。彼は都市の本質は人間の多くの活動 を一箇所に集中して、これを象徴的に拡大して、人間の条件と人間の展望とを目に見える形に 出来る力だとしている。つまり都市は限定された空間に機能を集積させ、その集積の利益を市 民が享受するもので、無限に広がれば都市ではない。都市が巨大化して、市民が遠距離から通 勤するようになれば社会運動をする暇も、コミュニテイ活動をすこともなくなり、官僚機構が 都市を支配することとなる。マンフォードは有名な『都市の文化』の中で都市輪廻説を立て、 都市は生物のように生成、発展、死滅、あるいは再生するが、都市の危機は市民が参加の意欲 を失い、テクノクラートに市政が独占されるためだといっている。彼は都市空間が自動車社会 に占有され、都心に高速道路がつくられ、駐車場の街になることに反対して、市民が対話を出 来る人間のコミュニティ、歴史の遺産を保全する街を提唱している。残念なことに日本の計画 家はゴットマンを読んでも、マンフォードの理論がわからないために次に述べるような失敗を したのでないか。 −185− 政策科学 15−3,Mar.2008 3.戦後日本の都市政策 戦後の日本は歴史に残るような急激な都市化をした。先端を走った大阪では世界最大のニ ュータウンを千里地域と泉北地域などに作った。これらはロンドンの場合と違って、大阪市 に通勤する住宅団地であり、近隣住区としての施設はイギリス並みであったが、雇用のため の事業所は計画されなかった。つまり自立した都市ではなく、悪く言えば「飯場」であった。 大都市だけでなく中小都市に至るまで、都市の建設は郊外に集中した。これは都心の地価が 高く、かつ権利関係が複雑なので、安上がりに早く建設できる郊外の山林・農地を転用して 開発し、そして海面の埋め立てによってニュータウンがつくられた。自動車社会の到来と大 規模小売店舗の郊外立地とあいまって、都心が衰退した。都心は事業所空間に専一化され、 高齢な貧困者の不良住宅と零細な商工業者の店舗が残された。これは先のマンフォードの批 判のように、都市の集積の利益を死滅させ、農山村の分散の利益である自然環境を破壊する ものであった。都市開発を功利主義でのみでおこなった政策の失敗は、その先頭を走ってい た神戸市の地震による被害に典型的に現れている。震災による約6000人の死者の大部分は都 心の高齢市民であった。 Ⅲ.グローバリゼーションと都市政策 1.都市再生と環境再生―産業構造の変化、グローバリゼーションと地球環境問題による都市 政策の変化― 1970年代のスタグフレーションは福祉国家の財政を危機におとしいれ、新自由主義による改 革が始まった。それは先進国の重化学工業から付加価値の高い産業、情報・サービス産業への 以降、多国籍企業による世界経済秩序の形成を進めた。それは都市政策にも大きな変化を与え た。1974年イギリス政府はインナーシティ白書を出した。これによれば都心は工業の衰退とと もに失業と貧困の地域となり、人口減少、コミュニティの崩壊で治安が悪く衰退の一途をたど っているとした。そして、これまでのニュータウン政策や公営住宅政策をやめ、都心に国際金 融・情報センターや芸能文化機能を誘致して、都市再生を図るという転換をした。O E C D の Urban Regenerationに関する報告書では、各国の都市再生政策は一様ではないが、都心回帰あ るいはCompact Cityをつくるという点では共通した傾向が見られる。 ソ連型社会主義体制の崩壊による冷戦の終結は、地球環境問題を国際政治の課題とし、1989 年アルシュ・サミットを経て 1992年国連環境開発会議でSustainable Developmentを人類共通 の課題とするにいたった。これは新自由主義や多国籍企業の経済秩序を制御する理念だが、都 市政策はこの理念をも入れざるをえないこととなった。 2.世界都市ネットワークとSustainable Cities グローバリゼーションの進行とともに多国籍企業あるいは超国家企業の中枢管理機能の存在 する大都市を「世界都市」としてその支配による国際的分業のネットワークが形成されつつあ る。ニューヨーク、ロンドン、東京が世界都市の代表であるが、その他の国際都市がその下部 −186− 都市政策の課題(宮本) にあって、分業の一部を受け持つ形のヒエラルヒーが作られている。過去の世界都市が軍事的 覇権国家の都市であったが近年の世界都市はそれとは異なる。国際化の主体が国民国家でなく、 多国籍企業であって、その支配力が軍事的政治的なものでなく、主として経済的なものである。 世界都市は単一でなく多元的であり、多国籍企業の性格やその支配力の盛衰に応じて、その都 市の性格が変わり、地位が交代するように流動的である。日本では1980年代以降東京や大阪だ けでなく、他都市でも世界都市ネットワークに入ることや国際都市化を将来の目標に掲げた。 1985年EUはヨーロッパ地方自治憲章を策定し、基礎自治体に内政の権限を移譲する補完性 の原理を採択した。さらに環境保護運動の圧力によって1996年European Sustainable Citiesとい う提言をした。そこでは以下の4つの課題を都市政策の柱としている。第一は自然資源の持続 可能な管理である。都市内の資源の完全循環、自然エネルギーの普及や廃棄物のリサイクリン グを行う。つまり地域に完全循環社会をつくる。第二は都市経済と社会システムの改革である。 都市当局は企業に対して環境ビジネスを促進し、製品の安全や環境基準の厳格化を求め、環境 産業による雇用の確保を図る。第三は維持可能な交通政策である。自動車交通の抑制、市電等 の大衆交通機関の普及、歩行や自転車の利用促進、職住近接で交通自体を節約する都市。第四 は空間計画である。コンパクトな都市を作り、周辺農村の食材を出来るだけ利用し、都市と農 村の共生を図る。 EUのこの方針が市民教育を伴いながら進められている典型はドイツのフライブルグ市ヴォ バン地区のエコロジカルコミュニティである。沖縄の基地の跡地利用が同じようなエコ・シテ ィをつくりうる条件にありながら、雑然とした従来どうりの都市をつくっていることと比べる と日本の地球環境政策の貧困がわかるであろう。 さらに欧米では大規模な自然と景観再生の事業が進められている。イタリアのポー河流域の 農地を湿地や海へ戻す事業が典型である。日本の都市は東京の再生の異常さを別にすれば、都 心の地価が下落するにつれて都心回帰が見られる。いまがSustainable Cityを考えるチャンスで ある。また公害の被害者団体が裁判の補償金の一部を寄付してつくったあおぞら財団などの環 境再生事業や滋賀県環境生活協同組合の菜の花プロジェクトなどが環境再生の地域起こしとし て注目されている。このような内発的な事業をもっと自治体が都市政策として取り入れるべき であろう。 3.都市政策への提言―シビル・ミニマムを超えて― 戦後の都市政策で最も総合的で現代的な理念はシビル・ミニマム論であった。しかしこれは 1995年の阪神淡路大震災で神戸の都市政策の欠陥でその限界があらわれ、また地球環境問題の 影響を考えると新しい目標が必要であろう。新しい理念は維持可能な都市であろう。これにつ いては別の著作『環境経済学』(新版)にゆずりここでは都市政策の当面の目標を掲げておき たい。安全―都市政策の基本は市民の生命と健康を守ることである。ヨーロッパに比べて日本 は自然災害の多い国である。災害や公害の防止が都市政策の基本である。 空間領域の改革―これまで述べたように都心の再生が当面の課題である。同時に衛星都市を大 都市と連帯してネットワーク型にかえる。指定都市の区は議会と行政機関を持つ自治体にする。 −187− 政策科学 15−3,Mar.2008 環境保全型・多様な産業構造を維持―日本の大都市はNew Yorkとちがい現場的な機能を持 っている。産業の多様性を失うとNew Yorkのように少数の専門官僚、テクノクラートとそれ に奉仕をする多数の低賃金労働者群という対立の構図を持つ社会になる。大都市固有の中小零 細企業と多様な職人的技能を持つ中間層を維持しうる様な産業政策が望ましい。 生活の質(アメニティ)―関一の時代のアメニティは何よりも良質な住宅に住むことであっ たが、現代ではそれに加えて自然や景観の良い環境、教育や文化の享受できる地域に住むこと であろう。このためには規制権限を持つ都市計画が必要である。 分権と住民自治(コミュニティの再生)―魅力ある街というのは市民がその町を愛して積極 的に社会活動をする地域である。安全の問題も阪神淡路大震災の経験で、コミュニティが存在 し、ふだんから住民の連帯のあった地域の被害が小さく、復興も早かった。New Yorkの再生 は国際的金融・情報・芸能・観光サービス産業の発展にあるが、同時にI Love New York運動の 中で、市の憲章を改革して、59のCommunity Boardを作り、住民の行政参加をみとめたことで ある。はじめにのべた関一の市政は優れた行政テクノクラートの活躍であった。しかし、未来 の都市政策は住民の参加が基本である。行政権の分権だけでなく、住民自治をどのようにして 発展させるか、これが、日本と都市政策の基本的課題であろう。 参考文献 J.E.Hanes,The City as Subject ―Seki Hajime and the Reinvention of Modern Osaka,Berkley,2002(宮本憲一監 訳『主体としての都市』2007年、頸草書房) H.Howard,Garden Cities of To-Morrow,London,1898(長素連訳『明日の田園都市』鹿島出版会、1968) J.Gottman,Megalopolis, N.Y 1961 L.Mumford,The Culture of Cities,N.Y.1983(生田 勉『都市の文化』鹿島出版会、1974年) 関一『住宅問題と都市計画』(1923年、弘文堂) 関一『都市政策の理論と実際』(復刻版、1988年、学陽書房) 佐々木雅幸『創造都市への挑戦』(2001年、岩波書店) 加茂利男『世界都市』(2005年、有斐閣) 福川祐一、矢作弘、岡部明子『持続可能な都市』(2005年、岩波書店) 宮本憲一『都市政策の思想と現実』(1999年、有斐閣) 宮本憲一『維持可能な社会に向かって』(2006年、岩波書店) 宮本憲一『環境経済学』(新版2007年、岩波書店) −188−
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