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樽 本 照 雄
著
ナイト論集
漢訳アラビアン・
増補版
清末小説研究会
漢訳アラビアン・ナイト論集
増補版
樽 本 照 雄 著
清末小説研究会
漢訳アラビアン・ナイト論集
目
次
増補版
1
漢訳アラビアン・ナイト ………………………………………………… 7
1
中国におけるアラビアン・ナイト 9
2
周桂笙の漢訳――最初の漢訳 17
3
『大陸報』の「一千一夜」 27
4
「航海述奇」は未見 30
5
『繍像小説』の「天方夜譚」 31
6
商務印書館版奚若訳『天方夜譚』の検討――英文原本の探求2 45
7
英文原本の探求3――タウンゼンド版からフォースター版、スコット版へ 98
8
結
2
論――奚若訳の底本はフォースター版である 126
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語 …………………………… 134
1
英文原本の探求1 137
2
英文原本の探求2――その方法 153
3
周作人漢訳の検討 184
4
漢訳底本の確定にむけて 218
5
周作人の改作部分について 219
3
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」の英文原本 …………………… 229
1
いままでの経過 229
2
フォースター版 230
3
異同の検討 234
4
周作人漢訳アリ・ババの原本を求めて …………………………… 249
5
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト ……………………………… 260
1
児童向けということ 260
2
商務印書館の「童話」シリーズ 262
3
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト 263
4
いくつかの疑問 280
6
「天方夜譚」小考 ………………………………………………………… 283
1
林則徐のばあい 284
2
マレー『地理学百科事典』 286
4
3
魏源のばあい 291
4
厳復のばあい 293
7
中国における「アラビアン・ナイト」 …………………………… 302
8
『漢訳アラビアン・ナイト論集』
――清末翻訳小説研究が進まない理由……………………………………… 305
9
中国におけるアラビアン・ナイト …………………………………… 309
1
中国語訳名 309
2
中国語訳の歴史 310
3
商務印書館の「童話」シリーズ 314
4
「童話」の中国語訳アラビアン・ナイト 316
10
附録: 漢訳アラビアン・ナイト目録 ………………………………… 329
あとがき 339
増補版あとがき 342
5
凡
例
1 書名の角書、副題は、本書での初出のみ記し、以下は省略する。
2 旧暦は漢数字で、新暦はアラビア数字でしめす。
例:宣統二年九月十九日(1910.10.21)
ただし、引用文はこの限りではない。
3 記号は以下のとおり。
『 』 雑誌、新聞、単行本(書名)
、全集
「 」 論文、雑誌掲載、あるいは単行本中の個別作品、作品名一般、叢書名
[ ] 原文と翻訳文の区別がつきにくいばあい、使用することがある。また筆者の注
4 漢語文献に使用される記号は、そのままを引用する。ただし、簡化字は使わない。日本語
漢字にかえる。
5
カッコ類は、引用文のなかでも原文のままである。例:「 ○○「○」○」とし 、「○○
『○』○」と書き換えない。
6 私の主な著書についての書誌は以下のとおり。注などにおいては書名だけをかかげ、くり
かえさない。
『清末小説閑談』大阪経済大学研究叢書XI 法律文化社1983.9.20
『清末小説論集』大阪経済大学研究叢書第20冊 法律文化社1992.2.20
『清末小説探索』大阪経済大学研究叢書第34冊 法律文化社1998.9.20
『清末小説叢考』大阪経済大学研究叢書第45冊 汲古書院2003.7
『初期商務印書館研究(増補版)』清末小説研究会2004.5.1
『清末小説研究論』清末小説研究会2005.8.1 清末小説研究資料叢書9
6
漢訳アラビアン・ナイト
『清末小説から』に連載。本稿の成り立ちは、私のほかの論文と少し異なる。翻訳作品
についてのべるばあい、私は、原作と漢訳の両方を、まず、手元におくことからはじめる。
しかし、アラビアン・ナイトについては、それができなかった。なぜならば、漢訳の底本
を特定することから着手しなければならなかったからだ。底本を明記している当時の漢訳
は、それほど多くない。有名な漢訳本でありながら、底本について説明しない。あるいは、
説明していても、実際に英文原作と対照してみると該当しないことが判明したりする。こ
れが、現代中国で翻訳研究が進まない理由のひとつかもしれない、などと考えたものだ。
手間とヒマがかかるのである。というわけで、英文原作を収集する一方で同時進行のかた
ちで執筆をした。書いている途中で、いくつか出版社の異なる版本を入手する。そのたび
に関連部分を書きなおすことになった。最終的に、本稿をまとめる段階でも数箇所にわた
って加筆した。章番号が初出とちがっているのも同じ理由による。詳細は以下の通り。
(1)第65号(2002.4.1)に掲載。
『アラビアン・ナイト』は、漢訳されて『天方夜譚』
あるいは『一千零一夜』という。漢訳の歴史をのべようというのが、この連載の目的だ。
第1回では、中国における漢訳『アラビアン・ナイト』研究を紹介する。現在までの研究
は、漢訳の書名をあげるだけの簡単なものばかりだ。漢訳の具体例までふみこんだ研究が
ないその原因は、英語訳の多様さにある。ガランのフランス語訳からの英語訳は、相当の
数が出版されており、そのどれが漢訳の底本になったのか、中国の研究者は、誰も特定す
ることができない。物語の冒頭部分を示し、いくつかの翻訳を比較対照してその違いをの
べる。最初の漢訳として周桂笙の「一千零一夜」を紹介する。
(2)第66号(2002.7.1)に掲載。周桂笙『新庵諧訳初編』に収録された「一千零一
夜」は、はやい時期の漢訳アラビアン・ナイトである。この原書がタウンゼンド版である
ことを証明する。
(3)第67号(2002.10.1)に掲載。
『大陸報』掲載の「一千一夜」もタウンゼンド版が
7
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
原本であることを証明する。さらに、
『繍像小説』に連載された「天方夜譚」の訳者・奚
若について考証する。それまでの研究では、張奚若が本名であるとか、奚若は筆名である
とか言われてきた。だが、張奚若という人物はたしかに存在するが、その出身地が異なる
ため奚若ではありえない。奚若が本名であって、英語ができるところから商務印書館の英
漢辞書の編集にたずさわり、のちには商務印書館の理事になっていることを明らかにする。
樽本「翻訳家奚若」
『清末翻訳小説論集(増補版)』所収を参照。
(4)第68号(2003.1.1)に掲載。奚若訳の『天方夜譚』は、初出の『繍像小説』には
英文原作について言及がなかった。のちの商務印書館版「説部叢書」には、ラウトレッジ
社のレイン版だという記載がある。だが、これで奚若訳の底本がわかったことにはならな
かった。欧州翻訳本の違いをのべて、漢訳底本探求を継続する。
(5)第69号(2003.4.1)に掲載。奚若約『天方夜譚』がよった英文原作の探求をつづ
ける。その「序」には、ラウトレッジ社だと明記されている。探索すると東北大学の漱石
文庫に1冊が所蔵されていた。複写を取り寄せると、それはサグデン版である。レイン版、
タウンゼンド版、サグデン版の3種類を漢訳と比較対照して底本の特定作業に入る。
「序」にレイン版だと書いているにもかかわらず、実際に原文を見比べると、レイン版で
はありえないことが判明する。どちらかといえば、サグデン版に近い。謎が深まる。
(6)第70号(2003.7.1)掲載。奚若訳『天方夜譚』の英文原作をつづけて探索する。
レイン版、タウンゼンド版、サグデン版を比較対照しながらアラビアン・ナイトの記述に
そって検討すれば、タウンゼンド版に主としてよりつつ、レイン版を参照しているらしい。
(7)第71号(2003.10.1)に掲載。奚若訳『天方夜譚』の英文原作をつづけて探索する。
「記漁父」
「記竇本」を検討する。それまでタウンゼンド版が底本であったように見えた
が、詳細に漢訳と原文を比較対照してみると、どうやら違うように思える。こうして底本
問題の迷路に入りこむことになった。
(8)第73号(2004.4.1)に掲載。
「頭顱語(罰せられた大臣の話)」の漢訳を検討する。
英文原作と照らし合わせると、漢訳はサグデン版にもとづいているようだ。
(9)第74号(2004.7.1)に掲載。
「四色魚」の漢訳を検討する。タウンゼンド版とサグ
デン版を比較対照すると、やはり漢訳の底本はサグデン版のように思われる。
(10)第75号(2004.10.1)に掲載。漢訳の底本を特定するための肝要な部分にさしかか
る。3人の托鉢僧の物語だ。買い集める野菜のなかに「タイラゴン(タラゴンのこと)
」
8
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
が出てくる。ところが、これまで見てきたレイン版、タウンゼンド版、サグデン版などに
はその単語が、出てこない。別の英訳本をさがす必要が発生する。
(11)第77号(2005.4.1)に掲載。タウンゼンド版にもサグデン版にも見えない「タラ
ゴン」を問題にした。だからこれらには異版があるのかとも疑ってみる。ところが、両者
に見えない表現が漢訳にある。では、漢訳の底本はそれらとは関係がないのか。不思議な
ことがあるものだ。
(12)第78号(2005.7.1)に掲載。3人の托鉢僧の物語。井上勤訳を参照する。
(13)第79号(2005.10.1)に掲載。漢訳が拠った英文原作は、タウンゼンド版とサグデ
ン版なのだろうか。
(14)第80号(2006.1.1)に掲載。英文原作の探索を継続する。
(15)第81号(2006.4.1)に掲載。漢訳の底本は、訳文との比較対照により、フォース
ター版である可能性が高くなった。
(16)第82号(2006.7.1)に掲載。フォースター版を含めてこれまでの版本と漢訳本文
を比較検討する。
『清末小説から』第82号は発行が7月1日付だが、実際は、
『漢訳アラビ
アン・ナイト論集』の発行6月1日よりも以前に発行されている。
(17完)
『漢訳アラビアン・ナイト論集』
(2006.6.1)に収録したため『清末小説から』
には未掲載となった。奚若は、漢訳するにさいして、ラウトレッジ社本のフォースター版
を底本とした。さらに、注釈をタウンゼンド版から取り入れている。
1
中国におけるアラビアン・ナイト
日本では 、「アラビアン・ナイト」あるいは「千 (夜) 一夜物語」という。
中国で翻訳される場合も、題名は同じくふたつある。ひとつは「天方夜譚」と
漢訳し、別のひとつは「一千零一夜」となる。
ふたつの書名を持つ理由は、それらが拠った英語原題が、2種類あるからだ。
「天方夜譚」の原題は、“The Arabian Nights' Entertainment” ( “ ' ” お よ び
“Entertainment”をともなわない版本もある) であって 、「天方」は、アラビアを意味
する。また 、「一千零一夜」のほうは、 “The Thousand and One Nights”(又は、
9
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
The Thousand Nights and One Night) である。
実際には、きれいに分けて呼ばれてはいない。混同して使用されているのが実
際のところだ。
ふたつの訳題
ある英訳本を見れば、表紙には、大きく “The Thousand and One Nights” と書
いてある。扉の上部にも “The Thousand and One Nights” と表示しながら、その
下に「普通には「アラビアの夜のもてなし」とよばれる commonly called the
Arabian Nights' Entertainments」と大きく説明する。おまけに Arabian Nights'
Entertainments
の部分は、赤色で印刷されているからよほど目立つ (別版では緑
色)。
欧州では、ガラン Antoine Galland のフランス語訳 ( 1704-17) が、最初の翻訳
にして同時に重要な役割をはたした。アラビアン・ナイトは、ガラン版によって
全ヨーロッパに知られることになったからだ。これが元本になり、各国語に重訳
されて普及していった。英語訳、ドイツ語訳、イタリア語訳、オランダ語訳、デ
ンマーク語訳、ロシア語訳などなどがある。
英訳で知られている版本には、ガラン版を再編したスコット Jonathan Scott の
6巻本 (1811) がある。
一方、原典からの直接訳も出版されはじめる。
レイン Edward William Lane の3巻本 (1839-41)、ペイン John Payne の最初の
完訳 13巻本 (1882-84, 1889)、リチャード・バートン Richard Francis Burton の 10巻
プラス補遺6巻 ( 1885-88) などが、必ず言及される訳本といえる。マルドリュス
Joseph Charles Victor Mardrus のフランス語訳 16巻本 ( 1899-1904) も有名だ。バ
ートン版とともに、日本語訳 *1があるから知っている人も多い。
以上のように、一応、主要な訳本について簡単に説明したとしても、ここに漢
訳本を関連づけようとすると、とたんに視界がぼんやりとしてくる。どういうこ
とかといえば、漢訳がもとづいた原本 (本稿では底本とよぶ) の特定がむつかしい
という意味なのだ。
底本の特定が、なぜむつかしいのか。
10
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ガラン版をもとにして英訳された本が、それも、上にあがっているような有名
ではない本が、多数発行されているからだ。この事実には、それほど触れられる
ことがない。
元本の全部を翻訳したもの、一部分の作品を選択したもの、原文に忠実なもの、
原文から大きく離れて再話したものなど、多種類が存在する。児童向けに改作さ
れた作品を考えると、その多さはとてもではないが数えることが困難となる。
ガラン版以降に出版された英語重訳本で、そのなかのほんの一例をあげてみよ
う。以下は、目録から抜き出したもので、そのすべてを私が見ているわけではな
い。参考までに示すだけだ。
重訳者不記、出版社は、ロンドンのアンドリュー・ ベ ル Andrew Bell, 1713,
1718, 1717-22
重訳者不記、出版社は、ロンドンのオズボーンとロングマン J. Osborne & T.
Longman, 1725, 1721-26
重訳者不記、出版社は、ダブリンのリスク、エイウインとスミス George Risk,
George Ewing, & William Smith, 1728
重訳者不記、出版社は、ダブリンのホワイトストーン W. Whitestone, 1776
重訳者不記、出版社は、ロンドンのハリソン Harrison & co., 1785
重訳者不記、出版社は、ロンドンのピグニット C. D. Piguenit, 1792
重訳者不記、出版社は、モントローズのブキャナン D. Buchanan, 1793
重訳者不記、出版社は、ロンドンのロングマン T. N. Longman, 1798
重訳者不記、出版社は、エディンバラのショウ D. Schaw, 1802
フォースター Rev. Edward Forster
重 訳、出版社は、ロンドンのミラー
William Miller, 1802
ボーモント G. S. Beaumont 重訳、出版社は、ロンドンのマシューズとレイ
Mathews & Leigh, 1811
ジョナサン・スコット Jonathan Scott 重訳、出版社はロンドンのロングマン、
ハーストなど Longman, Hurst, etc., 1811
重訳者不記、出版社は、リバプールのナットール、フィッシャーとディクソン
Nuttall, Fisher & Dixon, 1814
11
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
重訳者不記、出版社は、ロンドンのブッカー J. Booker, etc., 1819
重訳者不記、出版社は、ロンドンのリヴィングトン F. C. & J. Rivington, 1821
重訳者不記、出版社は、ロンドンのダウヴ J. F. Dove, 1826
重訳者不記、出版社は、ロンドンのリンバード J. Limbird, 1832
重訳者不記、出版社は、ハリファックスのミルナー William Milner, 1839
フォースター重訳、出版社は、ロンドンのトマス Joseph Thomas, 1839
重訳者不記、出版社は、ロンドンのロイド E. Lloyd, 1847, 48
フォースター重訳、出版社は、ロンドンのウイロゥビー Willoughby
& Co.,
1852-54
重訳者不記、出版社は、ロンドンのカーショウ G. Kershaw & Son, 1853
重訳者不記、出版社は、ロンドンのラウトレッジ G. Routledge & Co., 1854
重訳者不記、ダルジール Dalziel 兄弟の挿絵本、出版社は、ロンドンのワード、
ロックとタイラー Ward, Lock & Tyler, 1864, 65
重訳者不記、出版社は、ロンドンのラウトレッジ G. Routledge & Sons, 1865
重訳者不記、出版社は、エディンバラのニモ W. P. Nimmo, 1865
タウンゼンド Rev. Geo. Fyler Townsend 改訂、出版社は、ロンドンのウォーン
F. Warne & Co., 1866
重訳者不記、出版社は、ロンドンのグリフィン C. Griffin & Co., 1866
重訳者不記、出版社は、エディンバラのギャルとイングリス Gall & Inglis,
1867
重訳者不記、出版社は、ロンドンのディックス John Dicks, 1868
重訳者不記、出版社は、ロンドンのテッグ William Tegg, 1869
メイソン James Mason 改訂、出版社は、ロンドンのキャッセル、ペッターと
ギャルピン Cassell, Petter & Galpin, 1874, 75
重訳者不記、出版社は、ロンドンのブラックウッド J. Blackwood & Co., 1877
などなど、これでもほんの一部分にすぎない。
ガラン版その他の重訳英語版がいかに多いか、以上を見れば理解できる。
ガラン版にもとづいた英訳本が、さらに別版の元本となることもある。こうし
て異版が出現する。問題は、英訳本の数の多さだ。
12
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
よく似た例に、シャーロック・ホームズ物語をあげてもよい。ホームズ物語の
版本も多数にのぼる。だが、その英文そのものは、ほぼ全部が同じものだと考え
てかまわない。コナン・ドイルの著作なのだ。
漢訳の底本 ――中国での研究
だが、アラビアン・ナイトは、ホームズ物語とはちがう。そもそもの成り立ち
が異なるから、英文原本は同一ではありえない。訳者が同じでなければ、訳文も
当然違ってくる。もとづいた底本が特定できなければ、漢訳の質を検討すること
もできない。漢訳に省略があったとして、これが漢訳者の判断による省略なのか、
それとももとづいた英文原本に省略がはじめからあるものなのか、判断がつかな
い。ゆえに底本の特定が重要だというのだ。
さらに、英文原書の中国への輸入というやっかいな問題が残っている。イギリ
スで多数の関連本が出版されたとして、そのすべてが中国に持ち込まれたと考え
る人はいないだろう。伝えられた出版物によって漢訳がなされた。この筋道を考
えにいれて、探索の路頭に迷うのは、漢訳に手掛かりが示されているのかどうか、
不明であるからだ。
漢訳は、それら多数の重訳本のうちのいずれに基づいているのか。つきとめる
のは、手間のかかる作業だ。労力を要する仕事だと理解するのは容易だろう。い
くら電子網の時代とはいえ、現在のところ、インターネットを利用して解決でき
る種類の問題ではない。
実例を示したほうがわかりやすい。
中国においてアラビアン・ナイトは、どのように翻訳されたか。郅溥浩によっ
て概説が試みられている *2。多数の漢訳を掲げる。だが、これを見ても、漢訳が
拠った底本については、一言も説明しない。
ほかも似たりよったりだ *3。
全8巻の大部な李唯中訳『一千零一夜 』(石家荘・花山文藝出版社1998.6) がある。
ママ
「訳序」には、 1900年の周桂笙『新庵諧訳・上巻』から 1982年の納訓『一千零一
夜』まで漢訳を 14種類列挙する (34頁)。だが、納訓の翻訳がアラビア語からの直
接訳だという以外は、多くが英訳本からの翻訳、あるいはロシア語訳本からの重
13
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
訳であることを述べるだけだ。それ以上、深く説明するわけではない。底本を特
定していない。
概説だから詳しく触れる必要はない、という判断だろうか。どのみち、説明し
ていないことにはかわりがない。
ママ
杜漸「《 天方夜談》的版本与翻訳 」(『書海夜航』北京・生活・読書・新知三聯書店
1980.3) という文章がある。
日本語訳本と英語訳本からの挿絵各1枚をかかげて、題名通り版本と翻訳につ
いて解説したものだ。
ガラン、レイン、バートン、ペイン、マルドリュスの翻訳からアラビア語原典
にまで言及し、当然ながら漢訳にも触れる。後ほど述べることになる周桂笙はも
とより 、『繍像小説』連載作品、さらに奚若訳本など、発表時間順にその翻訳に
ついて説明する。
だが、書名をかかげるだけで、それらの内容がどのようなものか、もとづいた
底本がなにかについては、何もいっていない。専門論文ではないからだろう。
『繍像小説』に連載された漢訳には、訳者名が明記されていなかった。それは
事実だ。だが、のちの奚若訳『天方夜譚』を示しているにもかかわらず、それが
『繍像小説』に掲載されたものと同一訳文であることを言わない。杜漸は、これ
らの漢訳本を比較対照することには興味がなかったようだ。
中国における翻訳についての研究論文目録がある 。「中国当代翻訳論文索引」
(1914-95)『
( 中国翻訳詞典』1207-1278頁) だ。この目録は、翻訳についての論文を中
心に収録している。だからからか 、「天方夜譚」に関する文献は、見つけること
ができなかった。
中国の研究者にとって、漢訳の底本問題は、意識にのぼらないのだろうか。あ
るいは、問題に接近するための研究条件が整っていないのだろうか。確かなとこ
ろは、不明である。専門論文がないところを見れば、よほど、むつかしい問題だ
と考えてよいのかもしれない。
詳細な解説がどこにもない、と負の方面だけを数えあげるのは気が重い。指摘
するたびに私自身の責務が増える気がするからだ。それほど言うなら自分でやっ
てみろ、という声が聞こえる。当然です。
14
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
本稿では、清朝末期に発表された漢訳を中心に見ていく。その際、よった底本
を特定することに注意をはらうことになる。どちらかといえば、この底本、つま
り漢訳がもとづいた英文原作を追求することが本稿の主旨といってもいい。底本
を決定することから研究がはじまるからだ。
物語の異同
さて、中国で漢訳が発表されたのは、清末の 1900年代、あるいは可能性として
1900年のちょっと前だと考えられる。どちらにせよ、日本語翻訳の『(開巻驚奇)
暴夜物語 』(1875) よりもだいぶあとのことだ。
アラビアン・ナイトの漢訳は、不思議なことに、 1903年に集中して刊行されて
いる。意図的なものではないだろう。偶然、そうなった。
漢訳を紹介するまえに、もともとの物語のはじめ部分について、各版本の記述
が必ずしも一致していないことに触れておきたい。
アラビアン・ナイトは、周知のごとくシャーラザッドが語る約 170篇の物語に
よって構成されている。参考までにのべれば、レイン版は、約 130篇を収録する 。
バートン版は、本巻 169篇、補遺巻 93篇の合計 262篇であるという。のちに出てく
るタウンゼンド版は 60篇を、サグデン版は 42篇を収録する。
シャーラザッドが、それらを 1001夜にわたって語りつぐことになったのには、
経緯があった。(固有名詞を含んで、物語冒頭部分の紹介には日本語訳のバートン版を使用す
る。#印は、樽本がほどこした)
昔、インドと中国の島々にササン王朝 #1があり、二人の王子がいた。兄の名は
シャーリヤルといい、弟はシャー・ザマンという。 20年間 #2、それぞれが自らの
領土を統治していたが、兄王は弟王の顔が見たくなり、使者と手紙をやって、会
いに来てくれるようにたのんだ。弟王は、兄王に会いにいくために王宮を出発し
たが、忘れ物 #3をしたことに気がつく。こっそり王宮にひきかえすと、王妃が黒
人の料理人 #4を両腕に抱いて絨毯の寝床に眠っていた。弟王は、怒りのあまり太
刀をぬいて二人を切り捨てると、死体は絨毯の上に残したまま #5旅を続ける。
兄王は弟王に会えておおいに喜んだが、弟王は妻の淫行を胸にひめたまま顔色
がすぐれない。王宮に逗留中も、弟王のぐあいはよくならない。気晴らしに、と
15
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
兄王が計画した狩猟にも参加せず、弟王は王宮に残った。そこで弟王シャー・ザ
マンが目撃したのは、兄王の妻妾 10人が 10人の白人奴隷 #6と、またそれにくわえ
て兄王の妃が黒人奴隷サイード #7と淫欲を満たす姿だ。妻の淫行を経験したのは
自分だけではない、と弟王は気が楽になって食事をとる気になる。元気になった
弟王を見て、兄王シャーリヤルはその理由をたずねたのも無理はない。弟は、す
すんで自分の妻の淫行を、渋りながらついには秘密を守りきれずに話さないつも
りだった兄王の妃の行為を告白する。
狩猟に出かけたとみせかけ、兄王は、自らの目で妻の淫行を確かめると、弟王
とともに不幸な人を探しに旅立つ。旅の途中でふたりが目撃するのが、頭に櫃を
載せた魔神だ。魔神は、櫃から美少女をとりだした。その美少女は、婚礼の夜に
さらわれて魔神のものになっている。だが、美少女が行なったことは、魔神が眠
っているすきに兄弟王を脅かし誘って彼らと交わることだった。交わった記念と
して男の指輪を 570個 #8も所有している。魔神でさえも女性に騙されていること
に気づいた兄弟王は、あきれかえると同時に、自分たちの不幸よりももっと大き
な不幸を魔神がおっていることに納得した。
王宮にもどったシャーリヤル王は、妃を死罪 #9に処する。後宮の妻妾と白人奴
隷 #10をすべて切り捨ててしまった。それ以後、シャーリヤル王は、女性の貞節
を信じず、夜半に処女を奪い、あくる朝には切り殺すことを3年間 #11つづけた 。
都には、ついに若い娘がいなくなる。残ったのが、大臣の娘シャーラザッドと妹
ドゥニャザッドのふたりだ。シャーラザッドが王に嫁ぎ、毎夜、妹を伴って王の
ために物語ることがはじまる。
かいつまんでのべた。以上が、長い物語の冒頭部分である。シャーラザッドが
物語る、という物語全体の枠を提示する箇所なのだ。児童向けの話とは、大いに
異なることに読者は気づかれるだろう。
文中に #印で示した箇所が、マルドリュス版とレイン版ではどのようになっ
ているのか、見てみよう。(マルドリュス版は日本語訳を、レイン版はロンドンのチャット
とウインダス Chatto & Windus, 1912 の3巻本を使用する)
#1 ササン王朝――マルドリュス版も同じ。レイン版では、意図的に削除され
16
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ている。
#2 20年間――マルドリュス版、レイン版も同じ。
#3 忘れ物――マルドリュス版、レイン版も同じ。
#4 黒人の料理人――マルドリュス版は、黒人奴隷。レイン版も、黒人奴隷。
#5 死体は絨毯の上――マルドリュス版、レイン版も同じ。
#6 10人の兄王の妻妾と 10人の白人奴隷――マルドリュス版は、 20人の女奴隷
と 20人の男奴隷。レイン版は、 20人の女性と 20人の黒人奴隷。
#7 黒人奴隷サイード Saeed――マルドリュス版は、黒人奴隷マサウド。レイ
ン版は、黒人奴隷メスード Mes'ood。
#8 指輪 570個――マルドリュス版は 570個。レイン版は、 98個。
#9 死罪――マルドリュス版も、レイン版も、首を刎ねさせる。
#10 妻妾と白人奴隷――マルドリュス版は、女奴隷と男奴隷。レイン版は、女
性と黒人奴隷。
#11 3年間――マルドリュス版、レイン版も同じ。
比較した3者は、大筋でほぼ同じような記述になっているが、こまかな違いが
あることがわかる。
この冒頭部分について、いくつかの箇所を指定したのは、漢訳と比較がしたい
からだ。 11箇所について、版本の違いが漢訳に反映されている可能性がある。漢
訳の底本を探るてがかりになるのではないかと予想する。
比較対照をする前に、触れておかなければならないことがある。中国で最初の
漢訳アラビアン・ナイトは、なにか。
2
周桂笙の漢訳 ――最初の漢訳
漢訳作品を読むことができる (復刻を含む) というのであれば、周桂笙訳「一千
零一夜」がある。 1903年四月に発行された『新庵諧訳初編』上巻に収録されてお
り、時期的に見て早い刊行物だといえる。
紫英 (蒋紫儕)「新盦諧訳」 *4によると、劉志沂が「一千零一夜」の原本を入手
17
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
して周桂笙に翻訳してもらったと書いている 。『采風報』に掲載していて中断し
たとも述べているから、 1903年以前のことだ 。『采風報』の創刊は 1898年だとい
う。だから、 1903年以前といっても、時間的な幅が生じる。新聞、雑誌に連載さ
れたあと単行本になることは、清末時期では珍しくない。周桂笙訳「一千零一
夜」もそういう例のひとつだろう。ただ 、『采風報』に掲載された部分を見るこ
とができないので、 1903年以前のいつかを確認することはむつかしい。一説には、
1900年掲載だという *5。周桂笙の漢訳が、最初の翻訳だと考えてもよさそうだ。
同じく紫英は、連孟青の主宰する『飛報』にも抄訳がひとつふたつ掲載された
と指摘している。こちらは、実物を見る機会がない。
さて、上海周樹奎桂笙 (周桂笙) 戲訳、南海呉沃堯趼人 (呉趼人) 編次『新庵諧
訳初編』上下 2巻 (上海・清華書局 光緒29(1903)孟夏 *6) である。
上巻に収録された「一千零一夜」と「漁者」が、アラビアン・ナイトの冒頭部
分の文言による漢訳となっている。ちなみに該書下巻は、イソップ、グリム童話
などの翻訳を収録する。
単行本にまとめられたのが、前述のとおり 1903年だ *7。
周桂笙訳の底本
周桂笙は、もとづいた英文原本について、何も説明していない。末尾において
「書名はもともと「アラビアの夜の談笑録[阿拉伯夜談笑録 ]」といい 、「一千
零一夜」はその俗称である 」(329頁) とわずかに触れているだけ。これでは、な
んの手掛かりにもならない。
人名の漢訳を示しておく。兄王シャーリヤル (吓利亜)、弟王シャー・ザマン
(吓斉南)、姉シャーラザッド (希臘才)、妹ドゥニャザッド (敵那才)。
上に紹介した 11ヵ所の異同点について、周桂笙の漢訳がどうなっているか見て
みよう。
参考までに、日本で最初の翻訳である永峯秀樹訳『暴夜物語』(奎章閣1875*8)
の該当箇所も示しておく (周桂笙訳/永峯訳の順)。
日本語翻訳も周桂笙訳と同じく、物語冒頭から漁夫の話の黒島王の部分までを
翻訳する。
18
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
しかも、日本語訳の底本はタウンゼンド版であることが判明している。くらべ
てみれば、周桂笙訳が拠った底本を推測する突破口がみつかるかもしれない。
周桂笙訳/永峯訳
#1 ササン王朝 ――賽生国/佐々爾安 (サッツァニアン)
#2 20年間
――十年/十星霜 (ジフネン)
#3 忘れ物
――思返見其妃 (もどって妃に会いたいと思った) /イカデ今一度
后ヲ見、
#4
黒人の料理人――僕(しもべ)/黒臣[永峯本は、この部分はレイン版による]
#5
死体は絨毯の上――投屍宮外巨溝中 (死体を王宮外の大きな溝のなかに投げ捨て
た) /其死体オバ壕裏ニ投ゲ棄テ
#6 10人の兄王の妻妾と 10人の白人――なし/数対ノ男女 [永峯本は、この部分
はレイン版による]
#7 黒人奴隷サイード Saeed――僕人/なし
#8 指輪 570個
――魔神と美少女部分そのものを省略する/同じく省略する
#9 死罪
――置其妃於死地/帝后ト共ニ数十人醜行ノ男女ヲ法場ニ誅戮
シタリ [永峯訳は、この部分はレイン版による]
#10 妻妾と白人奴隷――僕/数十人醜行ノ男女 [永峯訳は、この部分はレイン版
による]
#11 3年間
――なし/なし
周桂笙訳は、レイン版、バートン版、マルドリュス版などと細かな部分で違っ
ている。兄弟王が分かれていた期間が、 20年間から 10年間に短縮している。弟王
が王宮に引き返したのは、忘れ物ではなく、愛する妃に一目会いたくなったから。
切り捨てた妃の死体は、絨毯の上にそのまま置いておかずに、溝に投げ捨てた、
などなどだ。
決定的に異なっているのは、魔神と美少女の挿話を省略している部分である。
英文原作がそうなっているのか、それとも周桂笙が勝手に削除したのか、底本が
わからなければ判断がつかない。
19
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ところが、上の比較表を見ると、日本語訳に近いことがわかる。誤解しないで
ほしい。周桂笙訳が日本語訳を重訳したといっているのではない。周桂笙訳は、
日本語訳とはなんの関係もない。
翻訳の傾向が、周桂笙訳と永峯訳とでは似ている。ということは、日本語訳は、
タウンゼンド版をもとにしているから、周桂笙訳も同じではないか、とその可能
性を考えることができる。
魔神と美少女の物語にしても、その省略は、タウンゼンド版で行なわれている。
すなわちタウンゼンド版には、魔神と美少女の話は採用されていない。そうなる
と、周桂笙訳は、タウンゼンド版にもとづいた可能性が高くなる。
周桂笙訳は、明らかにレイン版、バートン版、マルドリュス版などとは大きく
異なる。これは、確かだ。
周桂笙訳がもとづいたのは、タウンゼンド版ではないかと予測をつける。
タウンゼンド版と周桂笙訳を比較対照してみれば、それが正しいかどうか、す
ぐに判明する。
周桂笙訳とタウンゼンド版
まず、冒頭部分から見てみる。
【タウンゼンド】 IT is written in the chronicles of the Sassanian monarchs, that
there once lived an illustrious prince, beloved by his own subjects for his wisdom
and prudence, and feared by his enemies for his courage, and for the hardy and
well-disciplined army of which he was the leader.
ササン朝の君主の年代記において、かつて輝かしい君主が存在し、その聡
明さと思慮分別により自国民から愛され、その勇気そしてその大胆さとよく
訓練された軍隊の指導者であるがゆえに敵から恐れられていた、と記録され
ている。 p.1
【周桂笙】亜洲西南有賽生国者,其歴代帝皇本紀中載有賢君焉。君聡明叡智,
士庶帰心,威武英明,鄰邦懾服。
アジアの西南にササン朝というものがあり、その歴代皇帝の記録にある賢
20
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
い君主があった。聡明叡知により、国民は心服し、権威武力および賢明さに
より隣国は恐れ服従していた。
周桂笙の漢訳は、文言で簡潔に英文を翻訳しているということができる。
父王が死去し、二人の兄弟は、わかれてそれぞれの国を統治して 10年が経過し
た。兄王は、弟王に会いたいと使者を送る。承諾した弟王は、準備の後に王宮を
後にする。それからが、あの問題の事件なのだ。
弟王は、妃にもういちど会いたいと王宮に引き返した。まっすぐに自分の部屋
に入っていく。
【タウンゼンド】 when, to his extreme grief, he found that she loved another
man, and he a slave, better than himself. The unfortunate monarch, yielding to the
first outburst of his indignation, drew his scimitar, and with one rapid stroke
changed their sleep into death. After that he threw their dead bodies into the foss
or great ditch that surrounded the palace.
これはなんと、妃が別の男を愛しており、その奴隷は、彼自身よりもより
ねんごろにしているのを発見した。不運な君主は、彼の憤怒の最初の爆発を
生じさせ、三日月刀を引き抜くと、一撃のもとに彼らの眠りを死へと変えた。
そののち、彼は、彼らの死体を宮殿のまわりにある堀あるいは大きな溝に投
げ捨てた。 p.2
【周桂笙】則妃方与僕通,状貌甚狎,昵逾夫婦。勃然怒,抜佩剣並誅之,投
屍宮外巨溝中。
妃は僕と通じており、その様子はとてもねんごろで夫婦よりも親しげだ。
にわかに怒りがこみあげてきて、刀を抜くとこれを殺し、死体を宮殿の外の
大きな溝に投げ捨てた。
殺された妃と奴隷の死体は、絨毯の上にそのままにしておいた、という版本が
ほかにあることは述べた。それにくらべれば、溝に投げ捨てるところまで、タウ
ンゼンド版と周桂笙訳は、両者ともにぴたりと一致する。
21
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
もう1例あげよう。弟王が、兄王からさそわれた気晴らしの狩猟に出ることを
断わり、宮殿に居残っていたとき目撃した、あの兄王の妃の淫行場面である。
【タウンゼンド】 The King of Tartary was no sooner alone than he shut himself
up in his apartment, and gave way to a sorrowful recollection on the calamity
which had befallen him. As, however, he sat thus grieving a the open window
looking out upon the beautiful garden of the palace, he suddenly saw the sultana,
the beloved wife of his brother, meet in the garden and hold secret conversation
with another man beside her husband.
ダッタンの王は、ひとり部屋に閉じこもるやいなや、彼にふりかかった不
幸についての悲しい回想にうちのめされた。悲嘆にくれながら座って、開か
れた窓から宮殿の美しい庭園をながめたとき、ふと目にしたものがあった。
兄王に愛されている王妃が、庭で彼女の夫ではない別の男と秘密の会話をし
ている。 p.3
【周桂笙】吓斉南独処一室,悩想益繁,念遭際不幸,幾欲自撾,偶起四顧,
則牖外御園望之歴歴在目,倚窗閑眺,陡見園中有与僕人握手喁喁狎褻不可以
注目者。非他,蓋兄王吓利亜之妃,而己之嫂也。
シャー・ザマンは、ひとり部屋にいると煩悶はますますひどくなり、不幸
に遭遇したことを考え、自分を責めた。立ち上がりまわりをみまわすと、窓
のそとの庭園がはっきりと見える。窓によりかかって眺めていると、ふと、
奴隷と手に手を握り、ひそひそとむつまじくしているのが見えた。ほかでも
ない兄王シャーリヤルの妃であり、自分の嫂である。
漢訳は、ほぼ英文の逐語訳だといってもいい。レイン版、バートン版など、い
ずれもこの場面は、より刺激的に描写されている。
レイン版は、もともと刺激的で猥褻な箇所を削除していることで有名である。
版本の系統は異なるとはいえ、性的表現をさらに強く抑圧したのがタウンゼンド
版なのだ。つまり、タウンゼンド版は、その性的表現について書き換えている。
周桂笙は、底本のままを漢訳した。ついでだからのべると、日本語訳『暴夜物
22
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
語』は、英文原作のままでは弟王と兄王の不幸が不均衡だと考え、この部分はレ
イン版から引用補充して悲劇性を強調した。翻訳の態度からいえば、やはり周桂
笙の原文尊重の方がこのましい。
周桂笙は、タウンゼンド版に忠実だから、このあと、弟王から妃の行状を聞か
され、そのまま弟王の言葉を信じて、妃を処罰する。ほかの版本が、弟王の言葉
を信じきれない兄王が、狩猟に出かけたと見せかけて、宮殿にもどり自らの目で
妃の淫行を確認することになっているのとは、異なる。英訳にも、いろいろある。
さて、タウンゼンド版では、章を分けて「ロバと牛の寓話 The Fable of the
Ass, the Ox, and the Labourer」がつづくことになる。ただし、周桂笙訳は、章分
けを無視した。章を立てず、そのまま漢訳を続ける。だから、タウンゼンド版に
はついている章題が、周桂笙訳には、ない。
娘のシャーラザッド (希臘才) が、王のもとに行くというのを諌めて、大臣が
物語る寓話だ。その意とするところは、相手のためを思って助言する者は、かえ
ってひどい目にあう、である。
シャーラザッドは、父の諌めをいれず、宮殿に赴くと、夜、王に物語りはじめ
る。長い長いアラビアン・ナイトの開幕となる。タウンゼンド版で使用されてい
る物語の題名を示しながら説明したい。
まず 、「商人と魔神の物語 The Story of the Merchant and the Genie」がある。
殺したおぼえもないのに、魔神の子供を殺したと責められる商人の話だ。
物語のなかで、さらに語られる物語がある。
「一番目の老人と牝シカの話 The History of the First Old Man and the Hind」は、
妖術で母子を牛に変身させ、結局、その当人が牝シカに変えられた話。
つぎの「二番目の老人と二匹の黒犬の話 The History of the Second Old Man and
the Two Black Dogs」も変身譚だ。なぜ兄弟が黒犬に変わったのか、そのいきさ
つが語られる。
不思議な話を聞かされた魔神は、それで満足し、商人を許した。
アラビアン・ナイトは、いくつかの物語で構成されているのが基本構造だ。そ
のひとつの物語のなかで、さらに物語が展開していくという多重構造になってい
る。上の商人と魔神の物語にしても、大きく前後に、商人と魔神の話が置かれて
23
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
おり、そのなかに、別の話題である牝シカと黒犬の物語がはめ込まれるというこ
とだ。
周桂笙の漢訳は、以上のようにタウンゼンド版の順番通りに行なわれている。
ただし、章分けをしない。ゆえに章題の漢訳もないことは、すでに述べた。
上に見てきた周桂笙の「一千零一夜」部分は、タウンゼンド版の「序文 introduction」
を含めて4篇によって構成されている。
つぎの「漁者」が、タウンゼンド版の「漁夫の話 The History of the Fisherman」
に相当する。
網にかかった古壷から出てきた魔神に殺されかかった漁夫が、機転をきかせて
もういちど魔神を古壷に閉じ込めるという話だ。よく知られている。
この物語も、上の商人と魔神の物語と同じく、大きな話題のなかに小さな話を
いくつか組み合わせて成立している。
漢訳の的確さを示すために、ここも冒頭をあげよう。
【タウンゼンド】 There was formerly an aged fisherman, so poor that he could
barely obtain food for himself, his wife, and his three children. He went out early
every morning to his employment ; and he had imposed a rule upon himself never
to cast his nets above four times a day.
昔、年おいた漁夫がひとりいました。彼自身と妻、3人の子供をかろうじ
て養うことができるくらいに貧しかったのです。毎日、早朝より生業とする
漁に出ましたが、自ら規則をつくり、1日に4回をこえる網は投げないとき
めていました。 p.19
【周桂笙】某漁者,家赤貧,一妻三子,幾不能贍。漁者凌晨即操網出,而又
自為定例,日凡投網四次,所獲多寡,悉聽於天,不多投也。
ある漁夫は、家は貧しく、妻と3人の子供を扶養するのがむつかしかった
のです。漁夫は、朝早くから網を打ちにでかけましたが、日に4回の網をう
ち、収穫の多寡は、すべて天にまかせて、それ以上投げないと自ら決めてお
りました。
24
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
周桂笙の漢訳が、正確に英文を翻訳しているのを理解することができる。
だが、漢訳には誤りがまったくない、というわけでもない。
【タウンゼンド】 “It is,” replied the genie, “to permit thee to choose the
manner of thy death.……”
魔神が答えて「お前に死に方を選ばせてやろう……」 p.20
【周桂笙】曰: “許爾自擇死所耳。…… ”
「死に場所を自分で選ぶのをお前に許してやろう」といいます。
英文の「死に方」が、なぜ漢訳の「死に場所」になるのか。漢訳の不可解な部
分だ。
さて、周桂笙は、ここでも章分けはしない。
「ギリシア王と医者ドゥバンの話 The History of the Greek King and Douban
the Physician」は、王の命を救った医者が、逆に殺されそうになり、王が復讐さ
れる物語である。
周桂笙訳は、次に物語の省略を実行する。すなわち、
「夫とオウムの話 The History of the Husband and the Parrot」
「罰せられた大臣の話 The History of the Vizier who was punished」
の2篇を漢訳しない。ふたつともに、助言者が逆恨みによって殺される、という
同主旨の物語だから、周桂笙は、省略したのかと考える。
金持ちになる方法を魔神が教えてくれるというので、疑い深い漁夫も、ようや
く魔神を古壷から出してやった。魔神が教えてくれたのは、湖に網を打ち、4色
の魚を宮殿に届けろ、というものだった。これが、
「漁夫の冒険の続き The Further
Adventures of the Fisherman 」の内容だ。きれいな4色の魚を料理しようとする
と不思議な人物が出現してじゃまをする。これを3回くりかえし、それを知った
王が湖にまで出かけることになる。
その土地で遭遇するのが、下半身が大理石に変身している若王である。黒島王
という。
「黒島王の話 The History of the Young King of the Black Isles」は、愛欲におぼ
25
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
れた若王の妻が妖術を使い若王の下半身を石に変身させ、若王の都を滅亡させた
のだ。その原因というのが、妻の淫行である。淫行といっても、タウンゼンド版
は、他の英訳本とは異なり、性的表現が強く押さえてある。だから、以下のよう
になる。
【タウンゼンド】 I perceived that she was walking with a man, with whom she
offered to fly to another land.
妻が男と歩いているのに気がつきました。妻は、別の土地に逃げようとそ
いつに提案しているのです。 p.35
【周桂笙】忽一男子出,与之偕行,且行且語,後許以同飛至他処,以図久遠。
ひとり男がふと出てくると、うちつれて歩いていきました。歩きながら話
をしていて、一緒によそへ逃げて将来を考えようと約束したのです。
ここだけ見れば、なにも相手の男に切りつけて植物人間 (妻の妖術で命は助かっ
た) にしなくても、と思いそうになる。本来は、もっとえげつない表現があり、
かつそれを描写をしているのだが、タウンゼンドが、ドロドロ部分の過激表現を
削って上のように薄めてしまったのだ。
王は、同情して若王の妻の愛人を殺害し、愛人を装って女に妖術をとくように
命令した。若王も都も元通りになった。これをもたらした漁夫を手厚くもてなし、
一家も裕福に暮した。
結局のところ、周桂笙の漢訳は、タウンゼンド版にもとづいていることが明ら
かになった。ただし、全部ではない。序文を除いて全 10篇、序文を含めれば全 11
篇のうち、2篇を削除する。
周桂笙の漢訳は、簡潔な文言によって、ほとんど誤訳もなく上出来の仕上がり
になっている。初期漢訳のなかでも質の高いひとつだということができる。最初
部分の 11篇で、なぜ中断したのかわからないが、それにしても惜しいことであっ
た。
胡従経は、周桂笙の翻訳について、彼の直訳は非常に忠実で、意訳をして任意
に原著を切り刻んでいた当時の訳風とは、まったく違う *9、と高く評価する。原
26
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
文に忠実ではない当時の翻訳とは、何を指しているのか、わからない。また、胡
従経は、もとになった英文の版本を知らないのに「彼の直訳は非常に忠実で」と
いう。別の箇所では、現在の翻訳本と対照して「訳文は原著に忠実だ」と書いて
いる。胡従経は、英訳本は1種類しかないと考えているのだろうか。やや不注意
な書き方だと思う。
3
『大陸報』の「一千一夜」
つぎの「一千一夜」は、佚名訳で『大陸報』第6 -10期 (光緒二十九年四月初十日
1903.5.6-七月初十日9.1) に掲載されたという。
現在、私が目にしているのは、該誌第6期の「《 一千一夜》序 」、および第8
期 (1903.7.4) の「漁翁故事」だけだ *10。復刻されているから読むことができる。
それ以外の作品が何であるのか 、『大陸報』そのものを見ることができないから 、
不詳とせざるをえない。
「《 一千一夜》序」において、物語全体の枠組みを解説するその手際が、よい 。
兄王シャーリヤル (解利亜) は、妃が奴隷と淫行したのでこれを殺した。夜毎 、
美人に伽をさせ、あくる朝に殺害することをくりかえす。シャーラザッド (翕海
拉才徳) が、自ら望んで嫁ぎ、 1001夜にわたって物語る。その間、3児を得て、
ついに死を免れた。こうまとめて、物語の冒頭部分のかわりとした。
もうひとつ興味深いのは、訳本について説明している箇所がある。いま、漢訳
人名のうしろに原語を補い、簡単に紹介しよう。
アラビアン・ナイトがヨーロッパに輸入されたのは、 1704年、フランス人谷蘭
徳 Galland によってフランス語に翻訳されたことにはじまる。その後各国であら
そってそれが翻訳された。 1811年、英国にはじめて流入し、斯谷徳 Scott が英訳
し、のちに福斯多 Edward Forster 版、倫 Lane 版があり、いずれもよい本だ。
今翻訳したのは、党孫 Geo. Fyler Townsend 版である。フォースター版にくらべ
れば簡潔であり、レイン版よりも平易であって、かの地での普及本なのである。
めずらしく底本を明らかにしている。タウンゼンド版だという。周桂笙訳と同
じだ。たしかに、各翻訳について説明した上の部分は、タウンゼンド版の「序文
27
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
PREFACE」にもとづいていると考えられる。
まず 、「漁翁故事」の冒頭から検討する。
【タウンゼンド】 There was formerly an aged fisherman, so poor that he could
barely obtain food for himself, his wife, and his three children. He went out early
every morning to his employment ; and he had imposed a rule upon himself never
to cast his nets above four times a day.
昔、年おいた漁夫がひとりいました。彼自身と妻、3人の子供をかろうじ
て養うことができるくらいに貧しかったのです。毎日、早朝より生業とする
漁に出ましたが、自ら規則をつくり、1日に4回をこえる網は投げないとき
めていました。 p.19
【大陸報】昔有一人,以捕魚為業,妻単子只,年老貧乏,不能自存。性喜早
起,捕魚海濱,立約自限,毎日捕魚不得過四網。
昔、魚捕りを生業とする者がいました。妻一人子一人で、年老いて貧乏、
生きていくのもむつかしい。早く起きて浜辺で魚を捕らえるが、自ら制限を
もうけ、1日に4回を越えてはならないと決めていました。
漢訳では、子供の数が原文と一致しない。細かな違いである。それを除けば、
漢訳は、ほぼ英文原作に忠実な翻訳になっている。
イスラム教による礼拝をいう箇所を見れば、漢訳が、原文にきわめて忠実であ
ることがわかる。
【タウンゼンド】 The day now began to break,1 and having, like a good
Mussulman, finished his prayer, ……
その日が明けようとしていました。よきマホメット教徒として、彼の祈り
を終わると、……
p.19
【大陸報】時東方已白、翁遂祷祝畢 (回教教典載:毎日回教徒当祷祝五次……)
時に東方はすでに明け、漁夫は祈りを終えました (回教の教典につぎのように
載っている。毎日、回教徒は5回祈らなければならない……)
28
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
英文原作には数字「1」を使用して注釈をつけている。すなわち 、「コーラン
では、1日5回の祈りをささげるように命じている……。 The Koran commands
prayers to be repeated five times a day; ……」とある。漢訳では、これを忠実に翻
訳した。日本語翻訳の永峯版が、この部分を無視したことに較べれば、その忠実
さの度合いがわかるだろう。
漁夫の網にかかるのは、ロバの死骸、泥砂のつまったカゴなどでしかなかった。
4度目にしてようやく手ごたえがあると感じたものの、あがってきたのは古瓶で
ある。封印をといてみれば、中から煙がわきだし、それが凝縮して魔神が出現し
た。その魔神のセリフである。
【タウンゼンド】 Humble thyself before me, or I will kill thee.
目の前にかしこまっておれ、殺してくれよう。 p.20
【大陸報】其善視我、否当殺爾。
わしを見よ、さもなくば殺すぞ。
ほとんど逐語訳といっていいほどの文言による漢訳である。
魔神は、漁夫に助けられたにもかかわらず、殺すという。ただ、選択の余地が
ある。
【タウンゼンド】 “It is,” replied the genie, “to permit thee to choose the
manner of thy death.…… ”
魔神が答えて「お前に死に方を選ばせてやろう……」
p.20
【大陸報】魔答曰: “当聴汝自択死所。…… ”
魔神が答えて「お前に死に場所を選ばせてやろう……」
周桂笙訳のところで指摘したように、英文原作の「死に方」と漢訳の「死に場
所」では、意味が異なる。なぜ漢訳は、同じ箇所を間違うのか。誤訳は、漢訳に
は少ないから、そのひとつとなる。
29
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
魔神は、ダビデの息子ソロモンに反抗して古瓶に閉じ込められた。最初の百年
に魔神が考えたのは、助けだしてくれたら金持ちにしてやるということだ。次の
百年に考えたのは、……というように話がすすむ。
タウンゼンド版では、当然のごとく最初の百年を first century と書く。それを
漢訳では 、「第一期」とする。間違いではない。一期が百年という意味だ。当時 、
百年で区切る考え方――「世紀」が中国にはなかったのかと想像する。そういえ
ば、周桂笙訳の同一箇所では 、「当第一世時 (一百年為一世)」とわざわざ説明して
いる。これを見れば、やはり「世紀」という考え方は、当時、なかったらしい。
魔神に殺されるというキワに立った漁夫は、まさに「必要は創造の母である。
Necessity is the mother of invention. 必然者創造之母!」。漢訳が、原文にぴった
りと合致している。
巨大な魔神が小さな古瓶に入っていたとは、とても信じられない。もう一度、
入ってみろ、というのが漁夫の機知である。漁夫の策略にまんまとはまった魔神
であった。
命の恩人を殺そうとするのは、ギリシア王と医者のドゥバン Douban 杜笨の物
語とおなじではないか。聞きたいか、というところで次につづく。
『大陸報』では続いているという。だが、残念ながら原物を見ることができな
い以上、ここで触れるわけにはいかない。
タウンゼンド版を簡潔な文言で逐語訳にしたのが、この『大陸報』の漢訳であ
るということができる。
郅溥浩は、 1903年の出版物として大陸書局が無名氏訳の『一千零一夜』と『天
方夜譚』の二書を出版したと書いている *11。
この二書と上の『大陸報』掲載訳文とどういう関係があるのか不明だ。
上に紹介したものは、いずれも短いものである。全体のうちの、最初のほんの
数篇といったところだ。
4
「航海述奇」は未見
「航海述奇」は、 The Story of Sindbad the Sailor だという。阿英小説目には、
30
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
「航海述奇
銭楷訳
光緒二十九年(一九〇三)文明書局刊 」(176頁) と記録さ
れている。
顧燮光「小説経眼録 」(537頁) は、英穀徳訳、銭鍇重訳とする。アラビア原本
だと書いているが、英訳者の穀徳は、誰のことなのか、これだけでは判断できな
い。
郅溥浩は、書名を「海上述奇」とする (『中国翻訳詞典』832頁)。 1903年出版の銭
楷訳といい、内容が「辛伯達航海旅行故事」なのだから、シンドバッドの七つの
航海「航海述奇」にちがいない。
ところが、日本東京市中原印刷所出版とも書いていて、文明書局ではないのが
不思議。
伊宏は 、「《 一千零一夜》与中国 」(注3参照) において詳しく説明する。原文を
手元においているらしいので引用しよう。
「《 航海述奇 》,無錫銭楷重訳,一九〇三年五月二十日発行。這是我們見到的
第一個《一千零一夜》故事選訳本,它就是《辛伯達航海旅行故事 》。這本書不厚 ,
只有三十六頁,大三十二開,竪排大字体,印刷所是 “日本東京市 ” 中原印刷所,
有可能是通過日文翻訳的,但書上注明是 “阿臘原本 ”」(298頁)
どうやら文明書局の発行であって、日本東京の中原印刷所で印刷したらしい。
だから、日本語からの翻訳と推測するのは無理だろう 。「英国史谷徳訳」であれ
ば、 Jonathan Scott だとわかる。穀徳の前にはもともと「史」があるのを後に落
としたらしい。
原本を見る機会がくるのを楽しみにしている。
さて、アラビアン・ナイトの長い漢訳が登場するのは 、『繍像小説』連載の
「天方夜譚」を待たねばならなかった。
5
『繍像小説』の「天方夜譚」
「天方夜譚」は、最初 、『繍像小説』の第 11-55期 (癸卯九月初一日1903.10.20-刊年不
記[1905.8.1]
) に連載された。
『繍像小説』は、発行年月を記載しなくなってからは、発行が遅れ気味になる。
31
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
『繍像小説』の「天方夜譚」
[ 1905.8.1]は、カッコで示したように、半月刊が守られていたら、という仮定
の年月だ。実は、連載が終了した第 55期の発行年月は、現在の資料から推測すれ
ば、 1906年になってからとなる (【増補版補記】光緒三十二(1906)年閏四月と推測す
る)。約三年間の長期連載だ。
『繍像小説』は、その誌名が示すとおり「挿絵」を売り物にした小説専門雑誌
である。しかし、なぜかしら「天方夜譚」には挿絵がついていない。
顧燮光の「小説経眼録」 *12には、
繍像小説報訳。是書為亜剌伯著名小説,欧美各国均迻訳之。最前十則,
ママ
已見他報。茲択其未印者訳出。篇中所記《三 噶 稜達五幼婦事 》、尤為奇闢。
至記某魔情状,則有類《西遊記》焉。
と説明してある。
32
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
いかにも、全文が顧燮光の筆になるように読める。だが、ちがう。冒頭の一部
は、よそからの引用である。
すなわち 、『繍像小説』で連載をはじめるにあたり、作品についてごくわずか
な説明をつけている。顧燮光は、これを流用しているのだ。
是書為亜剌伯著名小説欧美各国均迻訳之本館特延名手重訳以餉同好最前十
則已見他報茲特擇其未印者先行出版。……
本書は、アラビアの著名な小説で、欧米の各国はみなこれを翻訳している。
本館 (注:商務印書館) は、特に名手を招いてこれを重訳し、同好の諸氏にお
おくりする。最初の 10篇は、すでにほかの刊行物に見えるので、ここではと
くに未刊の作品を選び、まずおひろめする。……
『繍像小説』で以上のように書いているほかの刊行物に見える最初の 10篇とい
うのは、なにか。
10篇という数からいえば、周桂笙訳しかありえない。タウンゼンド版でいえば、
序文を含めると全 11篇だが、しかし、周桂笙訳は、そのうちの2篇を削除してい
て全9篇となる。これを指しているのだと推測される。
ほかの刊行物にわざわざ言及されているところをみても、周桂笙訳「一千零一
夜」は、注目を集めていたことがわかる。
漢訳の本文を検討する前に、訳者と底本について解説しておきたい。
訳者 ―― 奚若のこと
『繍像小説』連載のときは、訳者名も原書名も書かれていなかった。
前言の説明によると、周桂笙とは別の翻訳者を立てて、未訳の作品を『繍像小
説』に連載していく意図だと読める。
別の翻訳者とは、誰か。
『繍像小説』連載が終了したのち、版元の商務印書館は、雑誌には掲載しなか
った冒頭部分を含めてそれを単行本にした 。『(述異小説) 天方夜譚』全4冊 (「説
部叢書」初集第54編) である。この奥付には 、
「繙訳者元和奚若
33
校訂者紹興金石
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
上海商務印書館
丙午 (1906) 年四月/中華民国二 (1913) 年十二再版」と書かれ
ている。
ここではじめて、訳者が奚若であることが明らかにされた。
奚若については、詳細がわからない。巨冊といってもいいあの林煌天主編『中
国翻訳詞典』にも記述はない。
奚若は、本名なのか筆名なのか。それさえ、今では、はっきりしていないこと
になっている。
奚若を筆名だとする説が、3種類ある。これから紹介していこう。
奚若筆名説
ひとつは、伍国慶が、奚若の姓は張だという 。「訳者奚若,即張奚若」と書い
ているのがそれだ *13。
今まで、指摘されたことのない新説だといえる。ただし、張奚若の略歴につい
て紹介しない。
張奚若という名前の人物は、実在する。
陳玉堂編著『中国近現代人物名号大辞典 』(杭州・浙江古籍出版社1993.5) の 466頁
に収録されており、生没年が 1889-1973年だ。陜西朝邑の人。その略歴を見れば 、
辛亥革命に参加し、そののちアメリカに留学、コロンビア大学を卒業している。
その後、北京法政大学、中国大学、清華大学、中央大学、西南聯合大学の教授を
歴任している。新中国成立後は、全国政協委員、中国人民外交学会会長、教育部
長などをつとめた。
張奚若は、橋川時雄『中国文化界人物総鑑』(北京・中華法令編印館1940.10.25初版/
名著普及会復刻1982.3.20) にも収録される (411頁)。ただ、著述に「社約論考」など
とあるだけで 、『天方夜譚』をあげない。これほど著名な翻訳に言及しないのも
不思議な話だ。
奚若が、張奚若ならば 、『繍像小説』に「天方夜譚」を連載しはじめた 1903年
は、数え年で十五歳となる。早熟で翻訳に手を染めた可能性は、なくはない。
ただし、決定的な不都合がある。
前出 、『天方夜譚』全4冊の奥付に見える「繙訳者元和奚若
34
校訂者紹興金
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
石」を見てほしい。
奚若の出身地は、蘇州府元和県なのである。張奚若が、陜西朝邑の人であるこ
とを見れば、明らかに、同一人物ではない。
校訂者が金石というなら、姓名の記載方法からいえば、奚は姓で、若は名とな
ろう。伍国慶の新説は、成立しない。
ふたつめは、北京図書館編『民国時期総書目 (1911-1949)』外国文学 (北京・書目
文献出版社1987.4。番号0313) だ。収録された『天方夜譚』の上海・商務印書館本に
注して「訳者奚若原名伍光建 」(28頁) と書いている。該書自体にそのような記載
があるわけではない。書目編者による注記だろう。だが、この著名な翻訳家伍光
建の出身は、広東新会県であるから、これまた奚若ではありえない。
みっつ目は、前出の陳玉堂編著『中国近現代人物名号大辞典』だ。よりにもよ
って周桂笙の筆名だとする。
「又別署奚若 (訳《福爾摩斯再生案》)」(606頁) と書かれている (同書全編増訂本
2005.1でも訂正されていない。819頁)。
しかし、まず、周桂笙は、上海人だから、奚若の元和とは一致しない。
この誤解が生じたのは、楊世驥「周桂笙 」(『文苑談往』所収) に、そう書かれて
いるからだ (11頁 )。「福爾摩斯再生案」は、奚若と周桂笙の連名で示されている
らしい。それが、そもそもの誤解のもとになったのだと推測する。
日本でもはるか以前に、奚若は、周桂笙ではないか、という説が示されたこと
があった。私は、それを否定している。
ハガキで発行していた『清末小説研究会通信』第 42号「漢訳シャーロック・ホ
ームズ物、呉趼人の『情魔 』」(1985.11.1) に書いている。関係する部分を引用す
る。
中島利郎氏は 、「周桂笙著訳目録初稿 」(『咿唖』第20号1985.3.10) において、
「奚若=周桂笙の筆名の可能性もある」とのべられるが、これは間違いだろ
う。阿英編『晩清戯曲小説目』に見える奚若訳の『福爾摩斯再生案』(シャー
ロック・ホームズの帰還 Return of Sherlock Holmes) 4冊はあとで合本にされたらし
い 。『図書月報』第1冊 (光緒三十二年五月十五日) に掲載された小説林広告に
35
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
よれば 、『福爾摩斯再生後探案』一至五および同名書六至十の2種類が出版
されている。前者は、元和奚若訳・武進蒋維喬潤辞と記され、後者には元和
奚若訳・上海周桂笙訳と書かれる。奚若と周桂笙は、明らかに、別人であ
る *14。
これだけでも、奚若が周桂笙ではない証拠とするには十分だと思う。
それでも疑問を持たれる人には、翻訳の実物をあげれば納得してもらえるだろ
う。
さきに紹介した周桂笙の漢訳「一千零一夜」と「漁者」は、奚若の『天方夜
譚』とは、別物である。
冒頭部分をならべる。
【周桂笙】亜洲西南有賽生国者,其歴代帝皇本紀中載有賢君焉。君聡明叡智,
士庶帰心,威武英明,鄰邦懾服。
【奚若】上古時波斯国跨大陸。據島嶼。東渡恒河。達支那之西部。並印度諸
部隷焉。其幅員至遼闊。撒森尼安歴史。載当時有主波斯者。英武好兵。威棱
讋鄰国。
見ればわかる。両者は、異なる。これほど異なる漢訳を、同一人物が提出する
と考えることは、むつかしい。
奚若は、本名
奚若は、筆名ではなく、奚姓だと考えるのは、前述したように 、『天方夜譚』
の奥付に「繙訳者元和奚若
校訂者紹興金石」とあるからだ。金と奚が対応する。
決定的な資料のひとつは、写真である。
『東方雑誌』第3年第1期 (光緒三十二年一月二十五日1906.2.18) の冒頭に 、「光緒
三十一年十二月十六日/本館創設速成小学師範講習所第一次畢業時撮影」と題す
ママ
る写真が掲げられる。その教員に、厳保誠、長尾稹太郎 (シルクハットをかぶった洋
装)、奚若、蒋維喬、徐念慈、徐傅霖、杜亜泉、蔡元培、徐球の姿が見える *15。
36
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
人物の姿は小さすぎて、顔を判別することはできない。だが、その名前のなら
び方を見れば、奚若だけが筆名であろうはずがない。つまり、奚若は、本名であ
る。
もうひとつ、奚若は、 1909年、商務印書館編訳所に勤務していた。職員名簿に
彼の名前がある *16。
「奚若
伯綬」 *17とする筆名録がある。
奚伯綬ならば 、『張元済日記』 *18に名前があがっている。日記といっても張元
済の業務日誌のようなものだ 。「編訳」の項目に見え、いずれも『英華大辞典』
増補の仕事に関係している。
1912年6月3日に奚伯翁の名前で (2頁)、同じく5日と7日には、奚伯綬とし
ての記録がある (3頁)。
奚伯綬は 、『英華大辞典』を増補する仕事に、毎週5日間、毎日3時間、合計
15時間従事して月に 100元だという。
奚若は、 1906年には、商務印書館速成小学師範講習所の教員だった。 1909年は、
編訳所の職員だ。中華民国になってからも、編訳所の職員だったのだろうか 。
1912年 、『英華大辞典』の増補という仕事に月給を 100元支給するというのは、ど
ういう意味だろう。編訳所職員としての仕事ではなかったのか。職員ならば、給
料のうちに数えるだろう。それとも、通常の編訳の仕事とは別に『英華大辞典』
の増補を考えているのか。詳細は、不明だ。
青年協会書局 (Association Press) で謝洪賚と一緒に働いていた人物として奚伯綬
の名前があがっている。オベリン大学で修士の学位を取っていると説明がある
(何凱立著、陳建明、王再興訳『基督教在華出版事業(1912-1949)』成都・四川大学出版社
2004.8。99頁)。新しい手がかりだ。
英語に堪能だった奚若だから、商務印書館の『英華大辞典』に関係するのも不
自然ではない。
1912年6月8日に開催された商務印書館株主総会において、新しい理事が選出
された。鮑咸昌、印有模、張元済、夏瑞芳、鄭孝胥、王之仁、奚伯綬の7名だ *19。
これをみれば、奚若 (伯綬)は、編訳所の職員から理事に就任している。
1919年5月 15日の『張元済日記 』「財政」には、奚伯綬の普通預金が 824元 9角 1
37
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
分あることを記録する。張元済の忘備録だから、詳細は不明。少なくとも、奚若
は、 1919年当時、商務印書館に勤務していたとわかる (【増補版補記】奚若は1914年
死去。普通預金についてはその記録があることを記載したらしい)。
わずかな資料しか残されていない。つづりあわせると以下のようになろうか。
奚若は 、「天方夜譚」の漢訳を『繍像小説』に掲載する。英語が堪能だったと
ころから、商務印書館の速成小学師範講習所教員に就任した。その関係で編訳所
の職員となり、民国後には理事に昇任する。あるいは、最初から編訳所の職員で
あったかもしれない。ゆえに『繍像小説』に連載した「天方夜譚」には、訳者名
が掲げられなかったものか。
中村忠行は、奚若を紹介して次のように書く。
訳者奚若は、江蘇省元和の人、初め商務印書館編訳部に、後には小説林社
出版部に在つて、翻訳に従事した人と覚しいが、氏姓・閲歴共に詳らかでな
い *20。
郭延礼は、奚若を紹介して次のように書く。中村の文章を参照したらしい。
奚若、字は伯綬、江蘇元和の人。はじめ商務印書館編訳所で仕事をし、の
ちに小説林社にはいった。彼の生涯については、現在、以上が知られるだけ
だ *21。
奚若は、小説林社から翻訳を多く出版しているから、上のような記述になった
のだろう。
その訳書の関係からいうと、 1906年ころまでは圧倒的に小説林社出版のものが
多い。だから、中村忠行、郭延礼が書くのとは反対に、まず、小説林社に在籍(?) の
のち、商務印書館編訳所に入社したものと考えられる。
奚若については、以上のほかは不明のままにしておく。
英文原本の探求1 ―― レイン版
38
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
奚若がもとづいた底本については 、『繍像小説』連載開始時には、言及がなか
った。調べようにも、手掛かりはない。
中村忠行が 、「(訳者奚若は) 英語はかなり出来た様で 、『繍像小説』第十一期
(光緒二十九年九月一日刊) 以下に『天方夜譚 』(Arabian
Nights'
Entertainment.) を
Richard Burton の英訳本によつて訳載してゐるのを始め……」 *22と書いている。
これを読んで、漢訳の底本はバートン版だと私は信じた。それを否定する資料を、
私は持っていなかったのだ。だから 、『新編清末民初小説目録 』(樽目録第2版) に
も、中村の言葉のままに注記している。だが、これは正しくなかった。
『繍像小説』に連載された「天方夜譚」は、のちに商務印書館から単行本とし
て発行された『天方夜譚』とほぼ同一訳本だ。ゆえに「説部叢書」の1冊として
出版された時につけられた「天方夜譚序」が、問題解決の糸口となる。
この「序」においてアラビアン・ナイトの概説とともに各種英訳が紹介されて
いる。もともとの英訳固有名詞は漢語で音訳されているだけで、原文は示されて
いない。わかる範囲で英文を補い、日本語訳をつける。
若夫繙訳各本。自法人葛蘭徳訳為法文。実是編輸入欧州之始。後英人史各
脱魏愛徳取而重訳。踵之者為富斯徳氏。至一千八百三十九年。冷氏則復取阿
剌伯原本訳之。並加詮釈。為諸訳本冠。外尚有湯森氏。鮑爾敦氏。麦克拿登
氏。巴士魯氏。巴拉克氏諸本。然視冷氏皆遜之。今所據者為羅利治刊行本,
原於冷氏。故較他本為独優。
翻訳各種については、フランス人ガラン Antoine Galland がフランス語に
訳したのが、欧州に輸入されたはじめである。その後、スコット Jonathan
Scott、ホワイト White
がそれを重訳した。それにつづいたのがフォースタ
ー Edward Forster 氏である。 1839年になると、レイン Edward William Lane
氏が、ふたたびアラビア原本から翻訳し、注をつけくわえた。これが諸翻訳
の な か で 最 優 秀 の も の だ 。 ほ か に は 、 タ ウ ン ゼ ン ド Rev. Geo. Fyler
Townsend 氏、バートン氏 Burton、マックナーテン Wm. Hay Macnaughten
ママ
ママ
氏、ブレスラウ Breslau 氏、ブーラーク Boulaq 氏らの諸本がある。しかし、
レイン氏には及ばない。いまよったのは、ラウトレッジ Routledge 社の刊行
39
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
した版本で、レイン氏のものにもとづいている。ゆえに、ほかの諸本とくら
べても格段に優れている。
アラビアン・ナイト英訳本についての上の解説は、かなり詳しいということが
できる。
ただし、アラビア語原典とそれの翻訳の区別をつけていないのが不十分だ。た
とえば、ブレスラウ版 (1824-43) は、印刷地の名前から命名されているし、ブー
ラーク版 (1835) は、カイロ郊外のブーラーク地区で印刷したからその名前があ
る。マックナーテン版とは、いわゆるカルカッタ第二版 (1839-42) のことだ。
漢訳の底本について、ここには 、「今所據者為羅利治刊行本,原於冷氏。いま
よったのは、ラウトレッジ Routledge 社の刊行した版本で、レイン氏のものにも
とづいている」と明確に書かれている。
こうはっきりと宣言してあるのだから、誰しもレイン版が底本だと考える。
周作人もこの「序」を読んだはずだ。奚若訳の4冊本について、レイン版だと
のべている。
中文有奚若訳四冊,大抵係依拠雷恩訳文選本,因為是古文,所以没有細
読。*23
中国語には奚若が翻訳した4冊があって、たぶんレイン訳によっている選
集本だろう。古文だったので、詳しくは読まなかった。
アラビアン・ナイトのなかのひとつを漢訳したことのある周作人である。その
彼が、奚若版は、レイン版にもとづいていると考えた。
私が、それに反対する理由はない。ゆえに 、『新編増補清末民初小説目録 』(済
南・斉魯書社2002.4。樽目録第3版) では、旧版のバートンを訂正してレインの名前
に書きなおし、さらにレイン版によって収録作品の題名を注記しておいた。
ただし、一部、レイン版には存在しない作品が漢訳されており、注記しながら
奇妙に感じたのは確かだ。
もうひとつ不思議に思ったことがある。上の、各種版本について説明した箇所
40
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
は (ブレスラウ版とブーラーク版についての説明を除く)、前出タウンゼンド版「序文」
に似た記述が見られることだ。
レイン版原本と漢訳作品の相違から、漢訳は、レイン版から離れる。また、版
本についての説明の類似により、漢訳は、タウンゼンド版に近づく。
ということは、漢訳の底本はタウンゼンド版なのだろうか。
だが、漢訳の「序」には、レイン版にもとづいた、と誰が見ても明らかなかた
ちで書かれているではないか。まさか、レイン版というのが誤りであるとは考え
もしない。底本についての考えは、結果として一転二転するのである。
奚若訳『天方夜譚』の底本をさぐる前に、英訳本の特徴を簡単にのべておく。
欧州翻訳本間の異同
漢訳『天方夜譚』がもとづいた底本を特定するために、欧州で翻訳された訳本
のそれぞれの特色を明らかにしておきたい。
バートン版が出現するまで、翻訳にはふたつの系統があった。
ひとつは、フランス語のガラン版系であり、もうひとつは英語のレイン版系だ。
アラビア語原典からフランス語に翻訳したガラン版の「引き写し」が、英訳の
ジョナサン・スコット版だという (後述)。「以後、不穏当な部分を削った子供向
け英語普及版の種本として広く利用された」*24
スコット版に基づき、これをさらに削除して「無害」にしたのが、タウンゼン
ド版である。タウンゼンド版は、また、韻文や詩句を省略している。
ガラン版系の特色は、有名な「アリ・ババと 40人の盗賊 」「アラジンと魔法の
ランプ」を収録していることだ。当たり前ではないか、と言われるに違いない。
アラビアン・ナイトといえば、アリ・ババであり、アラジンである。しかし、こ
の2作品を含んで、 10篇あるいは 11篇の作品は、アラビア語原典が不明だったと
いう事実がある。
くりかえす。ガランは、出典不明の作品をフランス語訳にさしこんだ。あの有
名なアラジンの魔法のランプもアリ・ババと 40人の盗賊も、ガランの翻訳にのみ
出現するという意味だ。だから、ガランが勝手に創作した物語だと疑われたこと
もある。
41
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
一方、レイン版3巻本は、ブーラーク版に基づいて、カルカッタ第1版とブレ
スラウ版を参照して英訳された 。「レインは自分の訳本が家庭内で読まれるのを
意図していた。そのため、子供や純真な青少年には不適当であると考えた箇所は、
削除するか書き換えている。話が全編にわたって猥褻だと判断した場合には、話
自体を訳出しなかった」*25
それでも、タウンゼンド版にくらべたら、まだよほど生々しい。
それはさておき、アリ・ババあるいはアラジンについては疑惑が持たれていた
から、レインは、アラビア語原典から英訳した際、それらを英訳しなかった。原
典に存在しない物語を翻訳することはできない。
つまり、レイン版系は、アリ・ババまたアラジンを含んで約 10篇の有名作品を
収録していないのが特色だ。
それでは、アリ・ババとアラジンなどが、ガラン版系かレイン版系をみきわめ
る基準になるかといえば、必ずしもそうはならないから、ややこしい。
すでに有名になりすぎたアリ・ババとアラジンだったから、それらを収録しな
い翻訳本は販売に影響をきたしたのだろう。なぜそう推測するかといえば、レイ
ン版3冊本からさらに作品を選択して1冊本としたレイン版選集本があるからだ。
このレイン版選集本には、附録としてわざわざアリ・ババとアラジンの英訳2作
を追加収録している。
さて、前述のように「天方夜譚序」には 、「今所據者為羅利治刊行本,原於冷
氏。[いまよったのは、ラウトレッジ Routledge 社の刊行した版本で、レイン氏
のものにもとづいている] 」(2頁) とある。日本語訳に示したとおり、冷氏とい
うのは、 Edward William Lane である。羅利治刊行本とは、 Routledge という出版
社の刊行物をさす。
ラウトレッジ社出版のレイン訳本が『天方夜譚』の底本第1候補となる。イン
ターネットで調べてみると、該当する書籍が 1865年から 69年にかけて出版されて
いるらしい。
ほかに、ラ ウ ト レ ッ ジ 社 に 注 目 し て み る と 、 タ ウ ン ゼ ン ド 版が、複数ある
(1877[1876],1889[1888],1892,1893)。また、同社のサグデン MRS. SUGDEN 版([1875]) と
いうのも出版されている。
42
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ということは 、「序」に見える「原於冷氏」という語句は、かならずしもレイ
ン版を指しているとは限らないということか (後述)。レイン版そのものではなく、
べつの改編本である可能性もあるのではないか。これは、やっかいなことになっ
てきた。
とりあえずラウトレッジ社のアラビアン・ナイトを調べてみると、東北大学漱
石文庫が浮上してきた。
目録には 、「 Arabian Nights' Entertainment /London: Routledge 1901」と表示する
版本が所蔵されている。
漱石文庫所蔵の『アラビアン・ナイト』 ―― サグデン版 (ラウトレッジ社)
夏目漱石が、当時、購入した洋書は廉価本であったという。
漱石文庫の大部分は、今日でいえば文庫や新書にあたるような廉価本で占
められている。この時代安い洋書といえば、文庫本サイズ「カッセル本」の
名で親しまれたカッセル社ナショナル・ライブラリー、そしてラウトレッジ、
ハイネマン、ニュウンズなど数社から刊行されていた六ペンス叢書あたりが
代表格といえよう。*26
なにはともあれ 、「天方夜譚序」に見えるラウトレッジ社の刊行物だ。漱石文
庫のものが、はたしてレイン版かどうかわからない。いろいろ想像することがで
きるにしても、版本に関しては、見るまでは、なにも書くことができない。
勤務校の図書館を通じて複写を申し込むと、混んでいるから時間がかかるとい
う返答である。読むことができれば、いい。いくらでも待ちましょう。
それでも、8ヵ月が経過してみれば、忘れられたのではないかとさすがに心配
になる。再度、問い合わせて、ようやく届いた複写を点検してみれば、該書は、
上に引用したような廉価本ではない。本文 501頁もある精裝本だ。
「 K. Natsume. March 1898」と署名がある。となると、目録にある 1901年とい
う記述は、間違いだとわかる。購入したのが 1898年3月なのだから 1901年に発行
されるわけがない。
43
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
1898(明治31) 年といえば、漱石は、熊本の第五高等学校で同僚の長尾雨山に
漢詩の添削を求めていたころだ *27。
見れば、書名は、 “THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS” とあり、
ARRANGED FOR THE PERUSAL OF YOUTHFUL READERS BY THE HON. MRS.
SUGDEN
と注記されている (以後、本稿ではサグデン版とよぶ)。レイン版にもとづ
いてサグデン夫人が改編したという可能性はあるにしても、そうならば、そう説
明があってもいい。だが、説明はない。レイン版とは、直接の関係はないとして
おく。
挿絵は、クーパー A. W. COOPER の手による。刊年は印刷されていない。も
のの本によると、 1875年版であるらしい。
後日、もう1冊、ラウトレッジ社発行サグデン版の原本を入手したので、こち
らも紹介しておきたい。
布表紙の地は赤色をしている。両者の表紙デザイン、挿絵は、異なっている。
こちらの扉には挿絵師の名前が書かれていない。刊年は、同じく明示されていな
い。しかし、本文の組版は、両者は完全に一致している。ゆえに、本文は 501頁
だ。
このサグデン版は、当時、日本では容易に入手できたようだ。
漱石が該書を手にした数年後の丸善株式会社発行の洋書目録 (A CATALOGUE
OF BOOKS Ⅳ, 1910.12) にその書名を見ることができる。
該目録には、3種類のサグデン版が掲載されている。それぞれ、 pp.iv+268、
pp.vii+392および判型違いの同一ページ (pp.vii+392) のものがあり、異版だとわか
る。書名は、いずれも “The Arabian Nights' Entertainments” とする。
そのほかレイン版3冊、編訳者不記の6ペンス叢書、ミリオン・ライブラリ、
あるいはラウトレッジ社のポピュラー・ライブラリ本などもみえる。
この青年向きに書きなおされたサグデン版は、最初から大幅な変更を行なって
いる。レイン版でくりひろげられている兄弟王のそれぞれの妻が淫行する部分を
完全に削除するのである。
ラウトレッジ社の発行ではあっても、まず、内容が異なる。あっさりと 、『天
方夜譚』の底本候補から脱落してしまう。……というわけにはいかない。
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
冒頭の書き出し部分だけは、このサグデン版と漢訳の両者は、とても似ている
(のちにのべることになるが、漢訳と一致する箇所が、いくつも出現するのだ)。
「序」には 、「今所據者為羅利治刊行本,原於冷氏。いまよったのは、ラウト
レッジ Routledge 社の刊行した版本で、レイン氏のものにもとづいている」と書
いてあったではないか。にもかかわらず、サグデン版と一致する部分もあるのか。
「序」の説明を見て、奚若はレイン版にもとづいて漢訳したのだと私は考えた。
私にかぎらず、上の文章を読めば、研究者は、そのように理解するだろう。
ところが 、「序」の説明を裏切る事実がいくつも出てくる。
ひとつは、漢訳は、レイン版の本文とは基本的に異なる。
ふたつは、漢訳作品のいくつかは、レイン版には収録されていないものだ (後
述)。
とても奇妙なのである。
レイン版を主な底本にし、部分によって、あるいは作品によっては、他の版本
を参照導入しているのだろうか。だが、この可能性は、とても少ない。漢訳は、
ほとんどレイン版とは別物なのだ。疑問に思う気持ちが自然と大きくなる。
少し先を急ぎすぎたようだ。その前に、まだ、説明しなければならないことが
ある。
6
商務印書館版奚若訳『天方夜譚』の検討 ――英文原本の探求2
『繍像小説』連載の漢訳とのちの単行本の関係について書いておこう。
私は 、「『 繍像小説』に連載された「天方夜譚」は、商務印書館から単行本と
して発行された『天方夜譚』とほぼ同一訳本だ」と書いた。
「ほぼ同一」という意味は、雑誌初出とのちの単行本 (全50篇収録) では、題名
が異なっていたり、語句に異同があることをいう。
さらに 、『繍像小説』連載は、冒頭の 10篇を掲載せず、第 11篇からはじまって
いる事実がある。
どういう順序でどの漢訳を考察の対象とするのか、まず、これが問題だ。
やや変則的ながら、私は、発表の時間的順序を無視したいと考える。つまり、
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
「説部叢書」版『天方夜譚』
「天方夜譚」のもともとの順序通りに、すなわち冒頭の 10篇は単行本の「説部叢
書」版『天方夜譚』に拠り、第 11篇から『繍像小説』の連載に切り換える。その
時には、単行本の漢訳も参照する。
もとの物語の順序通りに見ていかなければ、英文原本の特定がむつかしいと考
えるからだ。底本をさぐりつつ漢訳の質を検討するというのだから、記述が変則
的にならざるをえない。これまで誰も奚若訳『天方夜譚』の底本を特定していな
のだから、しかたがないのだ。
参照する英文原本は、レイン版3冊本、タウンゼンド版、サグデン版の3種類
とする。
縁起 INTRODUCTION 序
冒頭部分を比較対照してみよう。必要だと判断した部分に日本語をつける。
【説部叢書】上古時波斯国跨大陸。據島嶼。東渡恒河。達支那之西部。並印
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
度諸部隷焉。其幅員至遼闊。撒森尼安歴史。載当時有主波斯者。英武好兵。
威棱讋鄰国。
古代、ペルシアは、大陸をまたぎ、島々をおさめ、東はガンジス川からシ
ナの西に達し、インド諸部はつき従っており、その地域ははてしもなかった。
ササン朝の歴史には、当時、勇ましく軍事を好み、威光で隣国をおびえさせ
るペルシアの支配者がいたことを記録している。
【レイン】In the name of God, the Compassionate, the Merciful.(以下、神をたた
える言葉がつづくので省略) /It is related ( but God alone is all-knowing, as well as
all-wise, and almighty, and all-bountiful,) that there was, in ancient times, a King
of the countries of India and China, possessing numerous troops, and guards, and
sevants, and domestic dependents:
レイン版は、神をたたえる文章が、かなり長く続く。漢訳するに際して省略し
たと考えるよりも、よった英文原作にもともとなかったと推測するほうがよかろ
う。そうすると、漢訳の底本がレイン版である可能性は薄れる。ゆえに日本語訳
をつけない。
【タウンゼンド】 IT is written in the chronicles of the Sassanian monarchs, that
there once lived an illustrious prince, beloved by his own subjects for his wisdom
and prudence, and feared by his enemies for his courage, and for the hardy and
well-disciplined army of which he was the leader. p.1
タウンゼンド版も、レイン版と同じ理由で日本語訳を省略する。
【サグデン】 IT is written in the chronicles of the Sassanians− those ancient
monarchs of Persia, who extended their empire over the continent and islands of
India, beyond the Ganges, and almost to China− that there once lived an
illustrious prince of that powerful house, who was as much beloved by his subjects
for his wisdom and prudence, as he was feared by the surrounding states, from
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
the report of his bravery, and the reputation of his hardy and well-disciplined army.
ササン朝の年代記において、その帝国をインドの大陸と島々をまたぎ、ガ
ンジス川を越えて、ほとんど中国にいたるまでおしひろげたペルシアの古代
の君主たちのなかに、かつて強力な一族の輝かしい君主が存在し、その聡明
さと思慮分別によって自国民から愛され、勇敢だという評判と彼の強力で訓
練のいきとどいた軍隊の世評によって隣国から恐れられていた、と記録され
ている。
レイン版、タウンゼンド版、サグデン版の3種類を比較する限り、ガンジス川
の出てくるサグデン版が、漢訳にもっとも近い。だが、冒頭部分だけを見て結論
を急いではならない。
兄王シャーリヤル (史加利安) と弟王シャー・ザマン (史加瑞南) が遭遇した不
幸な物語がはじまる。
前述したいくつかの箇所について、漢訳を中心に英訳3種類との対応をみてみ
よう。(レイン版/タウンゼンド版/サグデン版の順。○:一致、×:不一致、無:該当する
箇所が存在しない)
漢訳
レイン版/タウンゼンド版/サグデン版
#1 撤森尼安 (ササン王朝) ―― ×無/○ Sassanian/○ Sassanians
#2 十年 (10年間) ―― ×twenty years/○ ten years/○ ten years
#3 忽念后不置 (妃をおもう) ―― ×he had left in his palace an article/○ once
more to see his queen/ ×無
#4 奴 (奴隷) ―― ×a male negro slave/○ a slave/ ×無
#5 自牖棄屍溝中 (窓から死体を溝になげすてた) ―― ×slew them both in the bed/
○ he threw their dead bodies into the foss or great ditch/ ×無
#6
俄 婢 十 人 各 弛 服 。 黒 奴 如 婢 数 (下女 10人と同数の黒人奴隷) ―― △ twenty
females and twenty male black slaves/ ×hold secret conversation with another man/
×無
#7 美蘇得 (メスード) ――○ Mes'ood/ ×無/ ×無
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
#8 計九十有八 (指輪98個) ――○ ninety-eight seal-rings/ ×無 (魔神と美少女部分
そのものを省略する) / ×無
#9 縛后―― ×caused his wife to be beheaded/ ×to death his unhappy sultana/ ×
無
#10 手殺諸婢奴 (下女奴隷を殺し) ――△ in like manner the women and black
slaves/△ the unworthy accomplice of her guilt/ ×無
#11 3年間は漢訳にもない――○ three years/ ×無/ ×無
サグデン版は、冒頭部分が似ているだけだ。兄弟王の重要な部分を削除する。
底本検討の対象からはずしたいところだが、後にのべるように、部分的に漢訳が
よっている箇所がある。必要に応じて参照することにする。
上記 11ヵ所について比較をすれば、漢訳は、異なる部分があるにしても、しい
て言うならば、タウンゼンド版に近いような印象が得られる 。「近い」であって 、
完全に一致していない。だから、底本とすることには躊躇する。決定するにはい
たらないから、問題は複雑なのである。
とりあえず、物語の最初部分は、タウンゼンド版に主として拠り、部分的にレ
イン版とサグデン版を参照したのかと推測しておく。
タウンゼンド版が漢訳の底本であろうかと考える理由は、ほかにもある。漢訳
された作品自体から考えてみる。
タウンゼンド版に見え、レイン版には収録されない作品を以下に示す。参考の
ためにサグデン版、ガラン版とバートン版の題名もかかげておく *28。
1.ザイン・アル・アスナム王子と魔神の王の話 (九つめのダイヤのおとめ)
「魔媒記」奚若翻訳、金 石 校 訂 『 天 方 夜 譚』 第 3 冊
(1906)/ 1913.12再版
上 海商 務 印 書 館
丙午 4
説部叢書 1=54。以下、同じ。
「魔媒記」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
上海・商務印書館 1924.8。
以下、同じ。
【タウンゼンド】 The History of Prince Zeyn Alasnam and the Sultan of the Genii.
【サグデン】 THE HISTORY OF PRINCE ZEYN ALASMAN AND OF THE KING
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
OF THE GENII
【ガラン】 Histoire du Prince Zeyn Al-asnam et du Roi des Génies.
【バートン】 The Tale of Zayn Al-Asnam.
2.フダダッドとその兄弟の話
「殺妖記」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第3冊
「殺妖記」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The History of Codadad and his Brothers. The History of the
Princess of Deryabar.
【サグデン】なし
【ガラン】 Histoire de Codadad et de ses fr‘res.( including La Princesse de
Deryabar)
【バートン】 Adventures of Khudadad and his Brothers.
3.ふしぎなランプの話 (アラジン)
「神燈記」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第4冊
「神燈記」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The Story of Aladdin; or, the Wonderful Lamp.
【サグデン】 THE HISTORY OF ALADDIN, OR THE WONDERFUL LAMP
【ガラン】 Histoire de la Lampe merveilleuse.
【バートン】 Aladdin; or, The Wonderful Lamp.
【レイン選集】 The Story of 'Ala-ed-Din and the Wonderful Lamp
−4.教主の夜の冒険
「加利弗挨力斯怯得軼事」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第4冊
「加利弗挨力斯怯得軼事」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The Adventures of the Caliph Haroun Alraschid.
【サグデン】 THE ADVENTURES OF THE CALIPH HAROUN ALRASCHID
【ガラン】
【バートン】以下の456を一括して収録する
4.盲のババ・アブズラーの話
「盲者記」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第4冊
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
「盲者記」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The Story of Baba Abdalla
【サグデン】 THE HISTORY OF BABA ABDALLA, THE BLIND MAN
【ガラン】 Histoire de I'Aveugle Baba Abdalla.
【バートン】 Story of the Blind Man, Baba Abdullah.
5.シディ・ヌウマンの話
「記虐馬事」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第4冊
「記虐馬事」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The Story of Zidi Nouman.
【サグデン】 THE HISTORY OF SIDI NOUMAN
【ガラン】 Histoire de Sidi Nouman.
【バートン】 History of Sidi Nu'uman.
6.縄作りのフワジャー・ハサンの話。または、フワジャー・ハサン・アル・ハ
ッバルの話
「致富術」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第4冊
「致富術」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 History of Cogia Hassan Alhabbal.
【サグデン】 THE HISTORY OF COGIA HASSAN ALHABBAL
【ガラン】 Histoire de Cogia Hassan Alhabal.
【バートン】 History of Khwajah al-Habbal.
7.アリ・ババと、ひとりの女奴隷によって殺された 40人の盗賊の話。
「記瑪奇亜那殺盗事」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第4冊
「記瑪奇亜那殺盗事」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The History of Ali Baba, and of the Forty Robbers killed by One
Slave.
【サグデン】 THE HISTORY OF ALI BABA, AND OF THE FORTY ROBBERS
KILLED BY ONE SLAVE
【ガラン】 Histoire d'Ali Baba, et de Quarante Voleurs exterminés par une Esclave.
【バートン】 Story of Ali Baba and the Forty Thieves.
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【レイン選集】 The Story of 'Ali Baba and the Forty Thieves
8.アリ・フワジャーとバグダッドの商人の話 (子供の裁判)
「橄欖案」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第4冊
「橄欖案」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The Story of Ali Cogia, a Merchant of Bagdad.
【サグデン】 THE HISTORY OF ALI COGIA, A MERCHANT OF BAGDAD
【ガラン】 Histoire d'Ali Cogia, Marchand de Bagdad.
【バートン】 Story of Ali Khwajah and the Merchant of Bagdhdad.
9.アーマッド王子と仙女ペリ・バヌの話 (空とぶ絨毯)
「求珍記」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第4冊
「求珍記」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The Story of Prince Ahmed, and the Fairy Perie Banou.
【サグデン】 THE HISTORY OF PRINCE AHMED AND THE PAIRY PARI-BANOU
【ガラン】 Histoire de Prince Ahmed et de la fée Peri-Banou.
【バートン】 Adventures of Prince Ahmad and the Fairy Peri-Banue.
10.妹をねたんだふたりの姉の話 (しゃべる鳥と歌う木と金の水)
「能言鳥」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第4冊
「能言鳥」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The Story of the Three Sisters.
【サグデン】 THE STORY OF THE TWO SISTERS WHO WERE JEALOUS OF
THEIR YOUNGER SISTER
【ガラン】 Histoire de deux Soeurs jalouses de leur Cadette.
【バートン】 Tale of the Two Sisters who Envied their Cadette.
以上は、レイン版には作品そのものが収録されていないにもかかわらず、奚若
の漢訳があるものだ。
複数の原本を手元において、こちらから数編、あちらから数編を選択して漢訳
するばあいも、ないことはないだろう。可能性としては、考えられる。可能性が
あるとすれば、漢訳の底本を決めるためには、各作品の文章をこまかく比較検討
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
する必要がでてきた。あらためて、やっかいなことになったと思う。
とりあえず得られる結論は、漢訳が主としてもとづいたのは、すくなくともレ
イン版 (選集本も含む) ではないということだ。
「序」では、レイン版にもとづく (原於冷氏) と明らかに説明していた。ゆえ
に、漢訳の底本はレイン版だと私は理解した。だが、事実がそれを否定する。
「序」に、直接関係のないレイン版をなぜ出しているのか、不可解だとしかい
いようがない。
不可解のままにほっておくわけにはいかないから、以下のように考えてみる。
商務版『天方夜譚 』、すなわち奚若版は、漢訳に際してラウトレッジ社本を底
本に使用した。ただし、レイン版そのものではなかった。つまり 、「序」におい
て述べた「レイン版にもとづく (原於冷氏)」という説明は、英文原本についての
根拠のない勝手な推測でしかないのだ。
以上のように考えるよりほかに 、「序」の解釈のしようがないではないか。
今の段階では、漢訳の底本はタウンゼンド版である可能性が高いと予想をつけ
る。
今後、商務版『天方夜譚』は、タウンゼンド版の本文を主として比較対照する
ことにしたい。あわせてサグデン版を見る。必要があれば念のためレイン版も参
照しよう。
前述したように、検討の順序も、英文原本の順番にしたがう。ゆえに、漢訳の
発表時間を無視して、のちに出版された単行本の作品からはじめて、さかのぼっ
て『繍像小説 』『東方雑誌』掲載作品の順になる。
ただし、奚若が漢訳の際によった英語原本が特定できた時点で本稿は終了する。
ご注意いただきたい。
鶏談 The Fable of the Ass, the Ox, and the Labourer ロバと牡牛の寓話
レイン版では 、「序 introduction」のなかに表題なしで組み込んでいる物語だ。
タウンゼンドは、上記のように表題をつけており、表題があるという点では、
漢訳もそれにならう。ただし、原題通りの漢訳にはなっていない。
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【説部叢書】昔有賈者。事畜牧致富。能通獣語。人詰獣何言。則結舌秘不道。
以道則不利。且死。距郭有田廬数所。以豢諸畜。一日偶以牛若驢共一廐 [割
注]。
昔、商人がいて、牧畜に従事して金持ちになった。獣の言葉を理解するこ
とができたが、獣がなにをいっているのか人が問い詰めても、話そうとはし
なかった。しゃべれば不利になるし、死ぬのである。田舎に数箇所の田地と
家屋を所有して、家畜を飼っていた。ある日、偶然、牛とロバを同じ畜舎に
いれた。 7-8頁
【タウンゼンド】 A very rich merchant had several farm-houses in the country,
where he bred every kind of cattle. This merchant understood the language of
beasts. He obtained this privilege on the condition of not imparting what he heard
to any one, under the penalty of death. /He had put by chance[1] an ox and an ass
into the same stall and ……
大金持ちの商人がいて、田舎にいくつかの農家を持ち、多くの種類の牛を
飼っていた。この商人は、獣の言葉を理解した。彼が聞いたことを誰にも話
さない、話せば死の罰を受けるという条件でその特権を得たのである。/彼
は、偶然、牡牛とロバを同じ畜舎に入れて……
pp.5-6
漢訳は、英語原文のほとんどそのままだといってもいいだろう。
興味深いのは、タウンゼンド版の by chance に注釈がつけられていることだ。
しかも、漢訳にも、同じ場所に注釈がほどこされている (注釈の句読点は、初出には
ほどこされていない。重版によっておぎなう)。
【説部叢書】東方風俗,牛驢異待,牛作苦,驢則供王侯官吏駆馳,顧慮甚至。
近埃及副王曾以白驢贈威爾士親王,副王維嘉爾因此驢得優賞。一千 [八百 ]六
十四年秋,伊斯林頓開農学博覧会,此驢与焉。
東方の風俗では、牛とロバでは待遇が異なっていた。牛は苦役に使われ、
ロバは王侯官吏の走りに提供され、とてもよい世話をしてもらっていた。最
近、エジプトの副王が白いロバをウェールズ親王に贈った。副王ヴィカーは、
54
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
このロバによって優秀賞をえて、 1[8]64年の秋、イスリントンで農学博覧会
が開催されたとき、このロバも参加したのである。 6頁
【タウンゼンド】 The ass and the ox in the East were subject to very different
treatment; the one was strong to labour, and was little cared for ― the other was
reserved for princes and judges to ride on, and was tended with the utmost
attention. Even in these days the Pasha of Egypt sent a white ass as a present to
the Prince of Wales. He was named “Vicar,”and received a prize at the Donkey
Show held in the Agricultural Hall, Islington, in the autumn of 1864.
東方において、ロバと牡牛は、とても異なった扱いを受けていた。一方は
労働に強く、片方は少し気を使われて――君主と裁判官が乗るために用意さ
れていて、最高の世話を受けていたのである。最近も、エジプトの高官が皇
太子に白いロバをプレゼントした。それは「ヴィカー (教区牧師)」と名付け
られ、 1864年秋にイスリントンの農業会館で開催されたロバ展覧会で受賞し
た。 p.6
漢訳に示した「一千 [八百 ]六十四年」の「八百」部分は、初出にはない。重版
されたとき訂正された。
漢訳の前半は英文原作のままでよろしい。だが、後半は、なにか誤解をしてい
る。
誤解部分はさておいて、重要なのは、レイン版、サグデン版ともに、上のよう
な内容の注釈はついていないことだ。この事実には注目せざるをえない。タウン
ゼンド版にのみ注釈があって、それが漢訳に反映されている。決定的であるとい
ってもいいのではないか。漢訳は、タウンゼンド版を底本にしていることが明ら
かである。
棗核弾 The Story of the Merchant and the Genie 商人と魔神の物語
「ロバと牡牛の寓話」によって、お節介な助言はなんの役にも立たないことを
教えたつもりの父親だった。
だが、シャーラザッド (希罕拉才得 Schehera-zade) は、聞き入れない。妹ドゥニ
55
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ャザッド (定那才得 Dinar-zade) をともなって兄王のもとに嫁いだ。こうしてアラ
ビアン・ナイトがはじまる。
最初の物語の「商人と魔神の物語」については、以前、簡単に触れた。身にお
ぼえもないのに、魔神の子供を殺したと責められる商人の話だった。
漢訳は、文中にみっつの注釈をほどこす。
摩薩門 Mussulman、懲悪 (英文原作は genie につける注釈。genies, peris, ghouls につい
て)、礼祷後 (信条を Imana[信仰]と Din[実行]のふたつに分けることをいう) の3ヵ
所にある。ただし、2番目の注釈位置は漢訳のばあい適切ではないし、3番目の
解釈を漢訳では分派に誤解している。
大事なことは、ここでもタウンゼンド版にのみ見られる注釈が、漢訳にほどこ
されているという事実だ。漢訳が底本にしたのは、レイン版ではなくタウンゼン
ド版だということがこれでも確認できる。
物語の途中で夜が明ける。兄王は、結末を知りたくてシャーラザッドを殺さず、
翌晩、物語が再開される。この順序をくりかえす。レイン版がそうだ。しかし、
タウンゼンド版は、この決まりきったくりかえしを煩わしいと考えてか、のちに
は省略してしまう。漢訳は、タウンゼンド版を底本にして翻訳しているから、の
ちには、くりかえしは出現しない。
1年の猶予をもらった商人は、帰国して身辺整理をした。魔神との約束を守っ
てもとの場所にもどってくると、牝シカをつれた老人がやってくる。さらに、2
匹の黒犬をともなった老人も登場する。漢訳では、3人目の老人が出てくる。奇
妙である。タウンゼンド版では、ふたりだからだ。記述が一致しない。
こうして、確認したはずの漢訳の底本問題に関して、早くも揺れが生じるので
ある。これでは 、「確認」にはならないではないか。
物語のなかでは、主としてふたつの話が語られる。
鹿妻 The History of the First Old Man and the Hind 一番目の老人と牝シカの話
漢訳の書き出しが、英文原作のタウンゼンド版とは、微妙に異なる。
【説部叢書】叟曰。此鹿為予中表妹。当髫歳。即帰予為室。凡世閲卅寒暑。
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
無所出。予雖不弛愛。不能無念嗣続。
老人は語った。この鹿は私の従妹です。幼い頃、私の家に嫁ぎました。 30
年をすごし、なにごともなかったのです。私は愛してはいましたが、跡継ぎ
がいないのを残念に思わないわけにはいきませんでした。 15頁
【タウンゼンド】 The hind, whom you, Lord Genie, see here, is my wife. I
married her when she was twelve years old, and we lived together thirty years,
without having any children.
魔神さま、ごらんになっておりますこの牝シカは、私の妻でございます。
12歳の時に結婚いたしまして、子どもなしで 30年間をいっしょにすごしてま
いりました。 p.14
英 文 に あ る もの を 漢 訳 す る 際に 省略 す るこ と は、 よ くあ る こと だ 。「 12歳
twelve years old」を「幼い頃
当髫歳」と書き換えるのは、正確ではないが、許
容範囲内だとはいえよう。
逆に、翻訳するとき、原文にないものを特別に漢訳でつけくわえるというのは、
それほど簡単なことではないと考える。
こまかいところだが、タウンゼンド版の wife(妻) を漢訳でわざわざ「中表妹
[従妹]」とする必要があるのだろうか。
ところが、英文では、そうする版が別にあるのである。
【レイン】 THEN said the sheykh, Know, O 'Efreet, that this gazelle is the
daughter of my paternal uncle, and she is of my fresh and my blood. I took her as
my wife when she was young, and lived with her about thirty years; but I was not
blessed with a child by her;
p.42
関連する部分のみを指摘すると、 the daughter of my paternal uncle がその箇所
である 。「父方の伯父の娘」だという。すなわち従妹だ。このちいさな部分につ
いてのみ、漢訳がレイン版を参照して導入するのもおかしなことだ。疑問に感じ
る時は、サグデン版を見る。
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【サグデン】 The hind, whom you see here, is my cousin; nay, more, she is my
wife. When I married her, she was only twelve yars old, and she ought, therefore,
not only to look upon me as her relation and husband, but even as her father.
ごらんになっておりますこの牝シカは、私の従妹、というよりも、私の妻
でございます。彼女がわずか 12歳の時に結婚いたしまして、ですから、私を
親族、夫と見ているばかりか、父親とも思っておりました。 p.11
レイン版のような複雑な表現をしておらず、サグデン版は、そのものずばり
「従妹 cousin」を使用している。ただし、そのあと、漢訳にはない記述がして
あり、そうすると、漢訳の底本となったのは、タウンゼンド版であって、サグデ
ン版を参照したのかと思える。
細かなところといえば、商人と奴隷 (slave。漢訳:婢、妾) のあいだに生まれた
子が「 10歳」のときに、商人は長旅に出たと漢訳はしている。タウンゼンド版に
は 、「 10歳」という表現はない。サグデン版は、漢訳と同じ「 10歳 ten years
old」。レイン版では 、「 15歳 the age of fifteen years」とする。
この旅行中に、嫉妬にかられた妻が、妖術を使って妾と息子を牛に変身させ、
商人である夫には、妾は死亡、息子は行方不明だと告げる。
「8ヵ月 eight months」が経過したが、息子は帰ってこない。これがタウンゼ
ンド版だ。サグデン版は 、「2ヵ月 two months」、レイン版は 、「1年 a year」と
する。しかし、漢訳は、なぜかしら「3ヵ月[三月 ]」(15頁) になっており、し
かも、のちの重版では「1ヵ月[一月 ]」(14頁) に変更している。その理由をし
らない。
ほんの1,2例を示した。英文原作タウンゼンド版と漢訳には、小さな異同が
あることを指摘しておきたい。このいくつかの小さな異同が、まさに、タウンゼ
ンド版底本説を揺るがすのである。
妖術で牛となった妾は、祭の生け贄にされた。息子も犠牲にされかけて、情け
をかけた商人に救われる。事情を知っている人間によって、息子は妖術を解かれ、
結局、商人の妻は牝シカ (レイン版では、カモシカ gazelle) に変えられたという話で
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ある。
あまりに不思議な話に魔神は、うなった。それに免じて約束の殺しを手加減し
てやろうという魔神のセリフに注目する。
【タウンゼンド】 I grant to you a half of the blood of this merchant.
この商人の血を半分お前にやろう。 p.16
その意味は、殺される予定の商人を半分だけ助けてやろう、ということだ。な
ぜ、半分なのか。それは、黒犬2匹をつれたもうひとりの老人の話が控えている
からだ。ふたりあわせて、商人の命が助かる、という伏線でもある。
ところが、サグデン版は 、「この商人の3分の1を許してやろう。 I grant a
third of my pardon to this merchant.」(p.15) とする。同じく、レイン版でも「そい
つ (商人) の血の3分の1をお前にやろう。 I give up to thee a third of my claim to
his blood.」(p.46) となっている。
なぜ、3分の1であるかの理由は、ご賢察のとおり、レイン版では、話をする
老人は、タウンゼンド版のふたりとは異なり3人だからだ。つまり、タウンゼン
ド版は、登場する老人を3人から2人に減らした。それにともなう原文の書き換
えである。前出周桂笙の漢訳は、タウンゼンド版が底本だから、当然、半分と翻
訳している。
ところが、同じタウンゼンド版に拠っているはずの奚若訳は、なんと 、「商人
の罪の3分の1を許してやろう[当為汝宥賈罪三之一可矣]」(17頁) とするのだ。
なぜ、わざわざ原文を無視してしまうのか。部分的に別版を参照したのか。そ
れよりも、タウンゼンド版に異版があるのか。また、タウンゼンド版でもなくサ
グデン版でもない、まったく別の版本が漢訳の底本なのだろうか。タウンゼンド
版だけに見える注釈を漢訳が拾っている事実があるにもかかわらず、底本につい
ての疑惑を消すことができないのだ。
犬兄 The History of the Second Old Man and the Two Black Dogs 二番目の老
人と二匹の黒犬の話
59
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
つぎも変身譚だ。なぜ兄弟が黒犬に変わったのか、そのいきさつが語られる。
兄弟3人には、父の死後、ひとりにつき金貨 1,000枚が残された[ left us one
thousand sequins each]。
英文原作では、ひとりに 1,000セキンずつだが、合計すれば 3,000セキンになる 。
だから、漢訳では、あっさりと「三千西兗[袞]司」にしてしまい、さらに注をほ
どこして「アラブの金貨の名称[亜剌伯金貨名]」と説明する (重版では、(西袞司
Sequins)為亜剌伯金貨名、と誤植を正して表記する)。この注釈は、タウンゼンド版には
存在しない。レイン版の原文では “three thousand pieces of gold” とだけ表現して
おり、これにつけられた注も、セキンには言及しない。奚若独自の注だと考えて
よいだろうか。
誠実な弟が、自堕落な兄ふたりに船から海に放り出され、殺されかかったとこ
ろに、妻である妖精に助けられた。兄ふたりは黒犬に変身させられる。
タウンゼンド版は、ふたつの話で商人は死を免れることになる。
前述したように、漢訳では、3人の老人が登場している。かといって、3人目
の老人が、最初のふたりと同じように自分の話を詳細に、また具体的にのべるか
といえば、それは、ない。単に、魔神を驚かせる話をしました、で終わる。話の
内容が、まったく示されていないである。中途半端であるといわざるをえない。
そうならば、タウンゼンド版のままに、老人はふたりで十分であるはずだ。
奚若は、タウンゼンド版のほかに別の版本も手元にあることを示したかったの
か、と疑ってみたりする。
漢訳には、物語のなかにふたつの話と中途半端な切れ端があるだけだ。レイン
版ではみっつの物語が展開されているのを見れば、漢訳の上の箇所は、タウンゼ
ンド版に主として拠りつつも、レイン版を少し参照していると考える。
記漁父 The History of the Fisherman 漁夫の話
貧しい漁夫が、海底から引き上げた瓶を開けると、なかから出てきた煙が魔神
の姿になった。
魔神が、最初に口にした言葉を下に示す。これが、さらに私に首をひねらせる
ことになるのである。
60
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【説部叢書】所[蘇]羅門 *29,上帝之先知,今後当服従汝,不敢跋扈矣。
ソロモンは、神の預言者である。今後は、あなたに従う、逆らうつもりは
ない。 21頁
魔神の言葉は、昔、ソロモンに反抗して瓶に閉じ込められたことに由来してい
る。2度と逆らいません、瓶に入れないでください、という意味である。
奚若の漢訳は、基本的にタウンゼンド版に拠っていると私は考えている。だか
ら、次にタウンゼンド版の該当箇所を見てみる。
【タウンゼンド】 “It is,” replied the genie, “to permit thee to choose the
manner of thy death.……”
魔神が答えて「お前に死に方を選ばせてやろう……」 p.20
明らかに奚若訳とは、異なっているではないか。タウンゼンド版の該当箇所に
は、漢訳にあるソロモンなど書かれてはいない。どういうことか。
漢訳には存在し、底本のはずのタウンゼンド版にないのだから、別の版本を比
較する必要が出てきた。
【レイン】 There is no deity but God: Suleymán is the Prophet of God. O
Prophet of God, slay me not; for I will never again oppose thee in word, or rebel
against thee in deed!
アラーのほかに神なし。スライマンは神の預言者である。オオ、神の預言
者よ、どうかわしを殺さないでくれ。本当のところ、言葉のうえでわしはあ
なたに反対したり、反抗したりはしません。 p.72
言葉の内容は、レイン版に近い。ただ、レイン版のスライマン Suleymán は、
呼びかたが違うだけでソロモン (Solomon) のことではあるが、それが漢訳の「蘇
羅門」になるかといえば、なりそうでならない。
61
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【サグデン】 “Solomon, Solomon,” cried the Genius,“great prophet, pardon, I
pray, I never more will oppose thy will, but will obey all thy commands.”
「ソロモンよ、ソロモンよ」魔神は叫んだ 。「偉大なる預言者よ、許した
まえ、お願いする。あなたの意志に反抗することはしない。すべての命令に
従います」 p.22
漢訳は、タウンゼンド版ではないし、レイン版とも少し異なる。上に示したサ
グデン版に一番近い。以前にも似た例があった。ここだけを、サグデン版から引
きぬいたことになるのか。
魔神は、なぜ瓶のなかに閉じ込められることになったのか、漁夫にむかって、
話しはじめた。
【タウンゼンド】 Solomon, the son of David, the prophet of God, commanded
me to acknowledge his authority, and submit to his laws. I haughtily refused. In
order, therefore, to punish me, he enclosed me in this copper vase;
アラーの預言者、ダヴィッドの子ソロモンは、わしに彼の権威を認めて彼
の法に従うように命令した。わしは傲慢にもそれを拒否した。そこで、懲ら
しめるためにわしを銅の壷に閉じ込めたのだ。 p.20
【説部叢書】蘇羅門者。乃大衛王子。為上帝先知。神皆稟其令。罔敢踰越。
予与撤加素桀驁。不服法。王震怒。命首相巴拉加耶子阿寒甫。逮予至。命設
誓永服従。予倔強不聽。王迺以銅瓶錮予。……
ソロモンはダヴィッド王の子、アラーの預言者であるため、神はみなその
命令を受け入れ、逸脱することをしない。わしとサカルは、もとから傲慢で、
法に従わなかった。王はひどく怒り、首相バラヒヤの子アサフに命じてわし
を捕らえさせ、永遠に服従すると誓わせようとしたのだ。わしは聞き入れな
かったため、王は銅瓶にわしを閉じ込めたのだ。……
21-22頁
漢訳には、タウンゼンド版に見ることのできないサカル、バラヒヤの子アサフ
62
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
などという固有名詞が出てくる。これほど具体的な名詞は、原文になければ、漢
訳者が勝手に補充できる種類のものではなかろう。タウンゼンド版が底本、とい
う説がここでも揺らぐのだ。
そこでレイン版のページをくってみる。
【レイン】 I rebelled against Suleymán the son of Dáood: I and Sakhr the Jinnee;
and he sent to me his Wezeer, Ásaf the son of Barkhiyà, who came upon me
forcibly, and took me to him in bonds, and placed me before him: and when
Suleymán saw me, he offered up a prayer for protection against me, and exhorted
me to embrace the faith, and to submit to his authority; but I refused; upon which
he called for this bottle, and confined me in it, ……
わしはダウィッドの息子スレイマンに反旗をひるがえしたのだ。わしと魔
神のサフルだがな。するとバルヒヤの息子アサフという大臣を送ってきて、
無理矢理捕らえて彼の目の前につれていった。スレイマンは、わしを見て、
わしに対する防御のために祈りを捧げ、信仰を受け入れ、さらに彼の権威に
服従するようにすすめたのだ。しかし、わしは拒否した。そうしてこの瓶に
わしを閉じ込めた……
p.72
レイン版では、前出のようにソロモンではなくてスレイマンとする違いはある。
だが、奚若訳は、そのほかの固有名詞がレイン版の該当部分によく似ている。
それでは、サグデン版と比較対照してみよう。
【サグデン】 I am one of those spirits who rebelled against the sovereignty of
Heaven. All the other Genii acknowledged the great Solomon, and submitted to
him. Sacar and myself were the only ones who were above humbling ourselves. In
order to revenge himself, this powerful monarch charged Assaf, the son of
Barakhia, his first minister, to come and seize me. This was done: and Assaf took
and brought me, in spite of myself, before the throne of the king, his master. /
Solomon commanded me to quit my mode of life, acknowledge his authority, and
63
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
submit to his laws. I haughtily refused to obey him, and rather exposed myself to
his resentment than take the oath of fidelity and submission which he required of
me. In order, therefore, to punish me, he enclosed me in this copper vase; ……
わしは天の支配に叛旗をひるがえした魔神のひとりだ。ほかの魔神は、み
な偉大なるソロモンを認めて服従していた。サカルとわしだけが高姿勢だっ
たのだ。復讐をするために、この強力な王者は、バラヒヤの息子アサフとい
う大臣に託してわしを捕まえにこさせた。そうしてそうなった。アサフは、
わしを王の前に連れて行った。ソロモンは、わしにそれまでの生きかたをや
めて、彼の権威を認めて法に従うように命令したのだ。わしは、傲慢にも彼
に従うことを拒否した。忠誠を誓う、あるいは彼がわしに要求している服従
を受け入れるよりも、わしは、ますます彼の怒りをあらわにさせたのだ。そ
うして、彼は罰としてわしをこの銅壷に封じ込めた。……
pp.22-23
「ダヴィッドの息子ソロモン」という表現は、ない。だが、そのほかの固有名
詞は、漢訳の表記を見れば、こちらのサグデン版に近いように思える。
もともと、タウンゼンド版が、サフル、バルヒヤの子アサフなどの人名を省略
したのは、それらがなくても物語の進行には支障がないという判断があったから
だろう。私も、そう思う。だが、奚若は、なぜこの部分だけ、ただでさえわかり
にくい人名を、サグデン版も参照しながら補充して漢訳しなくてはならないのか。
わけがわからないから、私は首をひねるのである。
タウンゼンド版に見られない部分も漢訳しているかと思えば、その反対に、英
文原作を無視する箇所もある。
瓶に閉じ込められた最初の 100年間、救い出してくれた者を金持ちにしてやる 、
と魔神は考えていた。次の 100年間は、救い出してくれる者に地球の宝をつかま
せてやろうと考えた。3回目の 100年間には、最も強力な君主にして、毎日みっ
つの願いをかなえてやろうと決めた。だが、 300年が過ぎ去り、誰も現われない 。
怒りのあまり、逆に、救ったものは殺してやる、と魔神の決心は変化するのであ
る。
最初の 100年部分を下に示す。
64
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【タウンゼンド】 During the first century of my captivity, I swore that if any
one delivered me before the first hundred yeas were passed, I would make him
rich.
わしが監禁されて最初の1世紀のあいだ、 100年が過ぎる前に、誰かわし
を自由にしてくれる者がいれば、そいつを金持ちにしてやろうと誓った。
p.20
サグデン版も、ほとんど同様に記述する。レイン版は、 400年が経過したとす
る。
さて、奚若版は、 100年を「世紀 century」とくくることに慣れないのか、原
文で 100年単位で魔神の考えが変わることを、記述のままの 100年ごとには漢訳し
ない。
【説部叢書】凡錮禁者。期多以三百年。予当日誓言。有能出我者。必有以報。
初願報以富。継願報以盡得大地宝蔵。終願使其人作最強之君主為報。
閉じ込められるのは 300年以上のようだった。わしは、当時、誓ったのだ 。
わしを出すことができる者には、必ず報いる。はじめは、富を報いたい。つ
づいては、大地の宝をことごとく得させてやることで報いたい、ついにはそ
の者を最強の君主にすることで報いたい。 22頁
のべている内容は、英文原作も漢訳も、結果的にはそれほど隔たったものでは
ない。だが、漢訳のように、まとめて 300年にしてしまっては、やはり、原文に
忠実な翻訳ということはできないと考える。奚若の翻訳についての考えが、私の
ものとは異なるのだろう。ただし、奚若がよった英文原作が確定できないのだか
ら、このように結論づけてしまうことは、あきらかに危険である。
魔神に殺される運命にあった漁夫だったが、窮地にあって智慧をしぼりだした。
大柄な魔神が小さな瓶に入っていたとは信じられない、ウソでしょう、という例
の頓知である。
65
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
もとどおり瓶に魔神を封じ込めることに成功した漁夫が話して聞かせるのが、
ドゥバン医師の物語である。
記竇本 The History of the Greek King and the Douban the Phystician ギリシア
王と医者ドゥバンの話
漢訳は、冒頭からややこしいことになっている。底本であるはずのタウンゼン
ド版とは、内容が異なるからである。
【説部叢書】乍門者。為国至小。属波斯。民皆希臘産。王病癩。歴謁医。不
能已其疾。
ズゥマンは小さい国で、ペルシアに属し、国民はみなギリシア出身でした。
王は癩を病んでおり医者をめぐりましたが病気を治すことはできなかったの
です。 23頁
漢訳の底本はタウンゼンド版だと考えているから、当然、それを見る。すると、
漢訳本とは違っているのだ。ア然とするし、また、悩みもする。
【タウンゼンド】 There once lived a king, who was sorely afflicted with a
leprosy, and his physicians had unsuccessfully tried every remedy they were
acquainted with, ……
昔、王がいて、癩病にひどく苦しんでいました。彼の医者たちは知ってい
るあらゆる治療法を試しましたが、ことごとく失敗したのです。…… p.22
ここには、ズゥマンもペルシアもギリシアも出てこない。そうであれば、漢訳
は、この部分はタウンゼンド版以外のものに拠ったとしか思えない。
【サグデン】 IN the country of Zouman, in Persia, there lived a king, whose
subjects were originally Greeks. This king was sorely afflicted with a leprosy, and
his physicians had unsuccessfully tried every remedy they were acquainted with,
66
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
……
ズゥマンというペルシアにある国に、王がひとりいました。その国民はも
ともとはギリシア人でありました。その王は癩病にひどく苦しんでおり、彼
の医者たちは知っているあらゆる治療法を試しましたが、ことごとく失敗し
たのです。……
p.25
レイン版とも異なるこのサグデン版にのみ、ズゥマンなどという固有名詞が使
われている。さらに、サグデン版は、医者ドゥバンが精通している各国語につい
て説明して、 Greek、 Latin、 Persian、 Arabic、 Turkish、 Syriac、 Hebrew を挙げる。
漢訳も、順序は違うが、臘丁、希臘、波斯、亜拉伯、土耳其、叙利亜、希伯来と
英文に対応する。だが、レイン版は、 ancient Greek、 Persian、 modern Greek、
Arabic、 Syriac などを示してこれらとは微妙に異なる。タウンゼンド版は、もと
もとそれらの言語に言及しない。
ドゥバンの処方と彼のすすめたポロのような運動によって王の病気は治った。
王は、ドゥバンを手厚く遇するが、それを嫉妬したある大臣は、ドゥバンは、王
を暗殺しにやってきたのだと讒言した。王が物語るのは 、「亭主と鸚鵡の話 The
History of the Husband and the Parrot」だ。
物語のなかに組み込まれたこの話は、英文原作各種では、表題をつけて独立さ
せている。だが、話としては短いためか、漢訳では、表題を省略して医者ドゥバ
ンの話のなかにまぜいれた。
ある男の妻が浮気をしていると本当のことを話した鸚鵡が、ウソを言っている
と誤解したその男に逆に殺される。すなわち、王を助けてくれたドゥバンを暗殺
者だと考えることは、鸚鵡を殺すのと同じこと、つまり無実の罪だ、という意味
である。ドゥバンをかばう王に対して、反論をするのが嫉妬深い大臣だ。彼が反
論するために持ち出してきた話というのが、狩猟をしていて道に迷い、食人鬼に
のためにあやうく命を落としそうになった王子のことだった。物語には物語をぶ
つけて説得しようというのだから、長くなるはずだ。
頭顱語 The History of the Vizier who was punished 罰せられた大臣の話
67
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ある国王の王子は、たいそう狩猟が好きだった。
漢訳は、この「狩猟が好きだった[性好畋]」の箇所に注釈をつけている。伝え
られるところによると、マハムード王は、狩猟をするときには犬を 400匹、うん
ぬん。タウンゼンド版にほどこされた注を漢訳していることがわかる。底本は、
サグデン版からタウンゼンド版にもどっている。
狩猟にでかけた王子は、獲物を追いかけていて大臣とはぐれてしまう。そこで、
落馬して泣いている娘に偶然出会った。漢訳は、その娘が「インドの王女である
[則係印度王女]」(26頁) だとする。だが、タウンゼンド版は、単に「美しい娘 a
beautiful lady」(p.26) と書いているだけだ。どこにもインドなどという言葉はな
い。そういうばあいは、サグデン版を見る 。「インドの王の娘 the daughter of an
(p.31)とあるし、また、レイン版でも「インドのある王の娘 a daughter
Indian king」
of one of the kings of India」(p.81) となっている。漢訳は、タウンゼンド版以外の
ものを参照していることになるか。
ただし、参照したのは、インドの王の娘という箇所だけだと考える。その理由
は、タウンゼンド版では、その娘が食人鬼だと知った王子は、すぐさま馬にのっ
て逃げ帰ることになっていて、漢訳と同じだからだ。だが、サグデン版では、ア
ラーに祈って食人鬼から逃れている。レイン版も、サグデン版と同じく祈りによ
って食人鬼は身を引いている。
保護のために王子のそばについているべき大臣が、王子から離れてしまった。
つまり、職務怠慢を理由に処刑された、というのが、この物語の結末である。
ドゥバンを暗殺者だと告発する大臣は、自分は職務に忠実な者である、と王に
訴えていることになる。
王を暗殺するために来た者が、わざわざ王の病気を治すであろうか、という普
通の知恵もまわらない王であった。王は、大臣の言葉をいれてドゥバンを処刑す
ることにする。
サグデン版は、途中で、物語る漁夫を登場させるが、タウンゼンド版には、そ
の箇所はない。漢訳にも、その箇所はない。
死にのぞんでドゥバンが願ったのは、1冊の奇書を王に献上したいということ
だった。処刑のあとに、その書物を開けば、ドゥバンの首が王の質問に答えると
68
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
いうのだ。
【説部叢書】試繙閲此書。至第六葉之左方第三行。則知吾頭雖断。仍能与陛
下語。
その書をひもとき、第6ページの左第3行を読めば、わたしの切られた首
は陛下と話すことができることがおわかりになるでしょう。 27頁
【タウンゼンド】 if you will take the trouble to open the book at the sixth leaf
and read the third line on the left-hand page, my head, after being cut off, will
answer every question you wish to ask.
その書の第6ページ、左第3行を読めば、切られ た 私 の 首 は 、 陛 下 の 質
問にすべて答えるでありましょう。 pp.27-28
サグデン版も上とほとんど同じ表現になっている。
レイン版は 、「3ページを数えて、左の3行を読む count three leaves, and then
read three lines on the page to the left」(p.85) としており、異なる。
王は指にツバをつけてページをめくった。だが、何も書かれてはいない。ドゥ
バンの首に聞けば、もっとめくれという。結局、王は死んでしまった。ページに
仕込まれた毒にあたったのだ。無実の罪に死んだドゥバンのたくらみである。
こうして、漁夫と魔神の会話にもどっていく。漁夫が魔神をせっかく瓶から助
け出してやったにもかかわらず、恩知らずにも漁夫を殺そうというのは、病気を
治したドゥバンを処刑するのと同じだと言いたいのだ。
そのあとで、タウンゼンド版は、金持ちになりたくないかという魔神の甘言に
漁夫が心を動かすことになる。
だが、漢訳では、底本であるはずのタウンゼンド版にはない魔神の言葉を示す。
【説部叢書】報復非長者所出。君胡為徇澆俗。幸勿如伊瑪之待阿替加也可。
報復は徳のある人のやることではありません。つまらぬことをなさるな。
なにとぞイムマがアテカにしたようなことはなさらないのがよろしい。 29頁
69
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
英文原作においても、イムマとアテカと名前を出しているだけで、その内容が
語られることはない。タウンゼンド版のように、無視してもいいような箇所にも
かかわらず、奚若は、訳出する。
サグデン版は、以下のようになっている。
【サグデン】 remember that revenge is not a part of virtue; on the contrary, it is
praiseworthy to return good for evil. Do not, then, serve me, as Imma formerly
treated Ateca.
復讐は美徳というわけにはいかないことをお忘れなく。反対に、魔神によ
い行ないをすることは称賛にあたいすることですぞ。なにとぞ、以前にイム
マがアテカをあつかったようには、わしにしないでくれ。 p.35
漢訳がサグデン版をほぼ忠実に翻訳していることが理解できる。
上と同じ場所をレイン版で示しておく。
【レイン】―― do not therefore as Umámeh did to 'Atikeh.―― And what, said
the fisherman, was their case? The 'Efreet answered, This is not a time for telling
stories, when I am in this prison; but when thou liberatest me, I will relate to
thee their case. The fisherman said, Thou must be thrown into the sea, and there
shall be no way of escape for thee from it;
ウママーがアティカにしたようには、わたしになさらないでください。い
ったい、どういうことなのかね、と漁夫は言いました。魔神は答えて、今は
お話しする時ではありません、閉じ込められているからです。しかし、自由
にしてくれるなら、そのお話をいたしましょう、といいます。それなら海に
投げ込んでやろう、そこから逃げる方法はないからな、と漁夫はいいました。
p.87
アティカ 'Atikeh が漢訳で阿替加になるのは、理解できる。だが、伊瑪が、レ
イン版のウママー Umámeh にもとづいていると言われても納得しがたい。
70
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
伊瑪という名詞については、レイン版ではなくてサグデン版の Imma
から漢
訳されたと考えるほうが自然だろう。
奚若がサグデン版を参照していると考えるのは、次のような箇所があるからだ。
金持ちにしてやるという魔神の言葉に、漁夫は、結局のところ心動かされた。
魔神にかたく誓わせて、瓶の口を開ける。出てきた魔神は、すぐさま瓶を海の中
に蹴りこむ。ふたたび封じ込められることを防ぐためである。
恐れた漁夫が魔神に向かって言う。
【説部叢書】汝殆欲背盟。抑汝欲我以竇本告希臘王之語語汝耶。
お前は約束に背くというのか。それともドゥバンがギリシア王に言った言
葉をお前に言ってやろうか。 29頁
【サグデン】 do you not intend to keep the oath you have taken? Or must I
address the same words to you which the physician Douban did to the
Greek king− ‘Suffer me to live, and Heaven will prolong your days?’
誓いを守るつもりはないのか?それとも、医者ドゥバンがギリシア王に言
ったのと同じ言葉――私を生きさせろ、そうすれば神はお前に長寿をあたえ
るだろう、をいわなくちゃならんのか。 p.36
上のふたつを対照すれば、奚若がサグデン版を見ているのではないか、と私は
考える。タウンゼンド版では、上のような漁夫と魔神の言葉のやりとりは存在し
ない。魔神は約束を守って、すぐさま、漁夫に網をもってついてくるようにいい
つける。
よっつの丘にかこまれた湖にたどり着く。魔神は、この湖にいる4色の魚を王
様に売れば金持ちになることができる、ただし、1日に1度だけ網を入れるよう
に、と言い残して姿を消してしまった。
四色魚 The Further Adventures of the Fisherman 4色の魚
奚若の漢訳は、この物語をタウンゼンド版に拠っているようにみえる。
なぜなら、漢訳ではここで話の区切りをつけており、上記の表題を掲げている
71
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
が、サグデン版では、表題もなければ、区切りもつけないからである。
たとえば、漁夫が4色の魚を王様に進呈すると、王様は、魚を料理人のところ
に持って行くようにいい、漁夫に金 400を与えたとする箇所を見られたい。
漢訳と一致するのは、タウンゼンド版のみである。
【説部叢書】有異色必有嘉味。以魚付庖人。賚漁父金幣四百。
異なる色をしていてうまいにちがいない。その魚を料理人にわたし、漁夫
には金貨 400を与えよ。 30頁
【レイン】 Give these fish to the slave cook-maid. This maid had been sent as a
present to him by the King of the Greeks, three days before; and he had not yet
tried her skill.
それらの魚を料理奴隷にわたせ。その召使いは贈答品としてギリシア王か
ら3日前におくられてきたものだったが、彼女の腕前をまだ試していなかっ
たのです。 p.88
【タウンゼンド】 Take these fish, and carry them to the cook; I think they must
be equally good as they are beautiful; and give the fisherman four hundred pieces
of gold.
それらの魚を料理人のところへ持っていけ。その美しさと同じくらいうま
そうだ。漁夫には金 400を与えよ。 p.30
【サグデン】 Take these fish and carry them to that excellent cook which the
emperor of the Greeks sent me;
それらの魚を、ギリシア王からおくられてきたあのすばらしい料理人に届
けろ。 p.37
レイン版、サグデン版に見られるギリシア王は、漢訳には出てこない。また、
金 400は、サグデン版では、別の箇所にでてくる。ゆえに、漢訳は、タウンゼン
ド版に拠っていると思う。自然で合理的な判断であるといえよう。これについて
は、またあとで問題にする。
料理人が魚を料理しようとするたびに、不思議な人物が出てきてじゃまをする。
72
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
これをくりかえし、とうとう漁夫に質問すると、聞いたこともない湖が出現して
おり、その探索に王様は出かけることになった。
平原に現われたのが黒色の大理石で造られ、鉄でおおわれた宮殿であった。
中にはいると、豪華な造りの宮殿ではあるが、人がいる様子がない。そこに、
悲しげな声が聞こえてくる。見れば、上半身は人間で、下半身が「黒石」になっ
て動けないでいる若者がいる。
レイン版は、ただの石 stone
とするが、タウンゼンド版とサグデン版は、と
もに black marble として漢訳と一致する。
下半身が黒大理石の若者が、不思議な身の上話をしはじめた。
涙宮記 The History of the Young King of the Black Isles 若王と黒島の話
黒島国の若王は、父王の死後、従妹と結婚して5年間は仲睦まじかった。だが、
なぜだかその頃から妻の態度が冷たくなる。妻は、若王の飲み物に草の汁を入れ
て眠らせたあと外出するのだ。漢訳の「某草汁 」(34頁) は、タウンゼンド版の
「ある草の汁 the juice of a certain herb」(p.35) に対応する。
ある晩、眠りをよそおって、外出した妻のあとをつけていくと、妻は歩きなが
ら男に話しかけている。
【説部叢書】当於朝暾未上。使此殷繁都会。悉化為墟。巍垣巨宮。置諸漠野。
諒君所雅願者。
朝日がのぼるまえに、この繁栄する都会を、ことごとく廃墟にし、大きな
建物を砂漠におきましょう。あなたがお望みならばね。 34頁
漢訳には、男とあるだけで、具体的な説明はない。
【タウンゼンド】 I perceived that she was walking with a man, with whom she
offered to fly to another land.
妻が男と歩いているのに気がつきました。妻は、別の土地に逃げようとそ
いつに提案しているのです。 p.35
73
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
漢訳は、あきらかにタウンゼンド版とは異なる。どうなっているのだ。漢訳の
底本は、タウンゼンド版ではないのか。
レイン版は、もっとグロテスクで、会話をしているどころではない。省略する。
【サグデン】 I will, if you wish it, before the sun rises, change this great city and
this beautiful palace into frightful ruins,
お望みならば、朝日がのぼるまえに、この大都会とこの美しい宮殿をぞっ
とするような廃墟にしてみせましょう。 p.45
漢訳は、完全一致とはいえないがサグデン版に近い。さらに、サグデン版では、
その男は黒いインド人であると描写しており、奚若は、あとの部分では、それも
取り入れている。では、漢訳の底本は、サグデン版なのか。
若王は、妻の愛人の首にすばやく切りつけた。死んだものと思った。しかし、
妻の妖術によって、男は命はとりとめたものの植物人間になる。悲しんだ妻は、
宮殿のなかに建物を造りたいと若王に願いでた。
その建物とは、漢訳で「円頂閣 」(35頁) という。注がついていて 、「土耳其俗 ,
恒於墳上築一円頂閣,以別於尋常屋宇[トルコの風俗では、墓のうえに丸屋根を
築いて普通の建物とは区別する]」と説明する。
丸屋根、すなわち cupola だとするのは、タウンゼンド版しかない。当時の英
漢辞典では、 cupola には「円形頂、円屋頂」の語を当てている。
タウンゼンド版にも注釈があって 、「トルコの墓地では普通 Usual in Turkish
cemeteries.」と記述している。漢訳の注は、英文のままではないが、注のある場
所からして同じであることをいっておく。
参考までに、各版の原語とその英漢辞典の記載を掲げておこう。
レイン版は、 tomb[墳、墳墓]、サグデン版は、 mausoleum[陵]である。
この建物は「涙宮 Palace of Tears」と名付けられた。妻が、そのなかで嘆き悲
しみ、植物人間になった愛人を住まわせる宮殿というわけだ。
結局、妻の妖術で、若王は半身が大理石に変えられた。おまけに、動けない若
74
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
王を妻が毎日鞭打つ。都は湖となり、住民も魚に変身させられた。イスラム教徒
Mussulmans は白色に、ペルシア教徒 Persians (注には、Magicians とある。また、レ
イン版では、マギ教徒 Magians) は赤色に、キリスト教徒 Christians は青色に、ユダ
ヤ教徒 Jews は黄色に分けられた。
以上が、4色魚の謎である。
黒島王、すなわち若王に同情した王様は、愛人を斬り殺し、彼になりすまして
黒島王にかけた妖術を解くように若王の妻に要求する。そうなった。さらに、都、
住民に対しても同様にするよう求めた。そうなった。王様は、黒島王の妻を殺し
た。王様は、黒島王を自分の息子にして、めでたしめでたし。
奚若訳の結末は、こうだ。
【説部叢書】以黒島王獲救。実由於漁父之進魚。廼復召漁父。以金帛厚賚之。
黒島王が救われたのは、実に、漁夫が魚を献上したからでした。そこで、
ふたたび漁夫を呼ぶと、財宝をたっぷり与えたのです。 39頁
上のような漢訳の簡潔さを見れば、レイン版がどれくらいくどくどと説明して
いるのが理解できよう。
【レイン】 So he sent to this fisherman, who had been the cause of the
restoration of the inhabitants of the enchanted city, and brought him; and the King
invested him with a dress of honour, and inquired of him respecting his
circumstances, and whether he had any children. The fisherman informed him that
he had a son and two daughters; and the King, on hearing this, took as his wife
one of the daughters, and the young prince married the other. The King also
conferred upon the son the office of treasurer.(中略) And as to the fisherman,
he became the wealthiest of the people of his age; and his daughters continued to
be the wives of the Kings until they died.
魔法にかけられた都市の住人を甦らせた原因となった、あの漁夫をつれて
きました。王は、漁夫に名誉の服を着せると、なんにんの子供がいるかなど
75
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
と彼の暮らし向きをたずねます。一男二女だとお答えすると、王は、長女を
自分の、次女を若王の妻にしたのです。王は、同じく漁夫の息子を出納官に
もしました 。(中略) 漁夫は、もっとも裕福なものとなり、彼の娘たちは、
死ぬまで王の妻でありました。 pp.102-103
話の運びをゆがめないように、すっきりと記述するためにタウンゼンド版、あ
るいはサグデン版などの後版が出現する理由である。
【タウンゼンド】 The sultan did not forget the fisherman, and made him and his
family happy and comfortable for the rest of their days.
王は、漁夫のことを忘れず、彼と彼の家族を末長く幸福に安楽に過ごさせ
たのでした。 p.40
タウンゼンド版は、あっさりしすぎている。黒島王救助と漁夫の関係すらも省
略してしまった。
【サグデン】 With regard to the fisherman, as he had been the first cause of the
deliverance of the young prince, the sultan overwhelmed him with rewards, and
made him and his family happy and comfortable for the rest of their days.
漁夫が、若王の救出の最初の原因でした。王様は、褒美で彼を感動させ、
彼と家族を一生幸福に快適に過ごさせたのです。 p.52
ここを見れば、漢訳は、サグデン版を参照していることがわかる。
それにしても底本か参照か、判断はますます乱れるのである。
三 噶 稜達五幼婦 (二黒犬) The Three Calenders, Sons of Kings, and of Five
Ladies of Bagdad 三人の托鉢僧、王の息子、およびバグダッドの五人の娘たち
『繍像小説』第 11期 (癸卯九月初一日(1903.10.20)) より連載がはじまっている。
これより、しばらく『繍像小説』掲載の漢訳を検討する。
76
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ここから複雑になる理由のひとつは、漢訳が 、『繍像小説』初出と後の「説部
叢書」単行本所収のものとでは、語句が異なっているばあいがあるからだ。
まず、題名からして違っている。
「 噶 稜達」には 、「トルコ、ペルシアなどに住む托鉢僧。一名ダーヴィシュ
Dervish
といい、貧しさを楽しむことを主旨とする[突厥波斯等處遊僧一名徳惟
虚以甘貧楽道為旨]」と注釈をつける。漢訳には、表題に注がついているから、
タウンゼンド版にも同じ場所に注があるのかと思う。だが、ちがう。さがしてみ
れば、タウンゼンド版の本文 44頁にある注から部分的に引用していることがわか
った。そうでなければ 、「徳惟虚」が Dervish の音訳であることなど、私に指摘
できるわけがない。
「二黒犬」は、単行本の際に改題されたもの。物語に2匹の黒犬がでてくると
ころから題名にしたのだ。
例として冒頭の数行をあげてみよう。
【繍像小説】当加利勿哈龍愛勒司乞特時。柏格特有担夫某。秉性聡慧。善解
人意。
カリフのハルゥン・アル・ラシッドの時代です。バクダッドにある荷担ぎ
がいまして、天性から賢く、人の気持ちがよくわかったのです。 1丁オ
【説部叢書】当加利弗赫侖挨力斯怯得時。報達有業負荷者某甲。雖窶賎。而
性敏。善解人意。
カリフのハルゥン・アル・ラシッドの時代です。バグダッドにある荷担ぎ
がいまして、貧しいとはいえ、性格が機敏で人の気持ちがよくわかったので
す。 39頁
両者は、固有名詞に当てる漢字が異なるくらいで、意味からいえば、非常に近
い。別物というわけではない。
英文原作の探索をかねて英文を比較対照してみる。
【レイン】 THERE was a man of the city of Bagdád, who was unmarried, and he
77
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
was a porter;
バクダッドに男がいて、結婚はしておらず、荷担ぎ人でありました。 p.120
【タウンゼンド】 In the reign of Caliph Haroun al Raschid, there was at Bagdad
a porter, who was a fellow of infinite wit and humour.
ハルゥン・アル・ラシッド教主の支配される時代のことでございます。バ
グダッドに荷担ぎ人がおりまして、無限の才覚をそなえてよい性格でありま
した。 p.40
【サグデン】 DURING the reign of the Caliph Haroun Alraschid there lived at
Bagdad a porter, who, notwithstanding his low and laborious profession, was
nevertheless a man of wit and humour.
ハルゥン・アル・ラシッド教主の支配される時代のことでございます。バ
グダッドに荷担ぎ人がおりまして、低く骨のおれる仕事ではありましたが、
無限の才覚をそなえてよい性格でありました。 p.53
ハルゥン・アル・ラシッドの名前が出ているところは、レイン版と異なる。た
だし 、『繍像小説』版、あるいは「説部叢書」版が、タウンゼンド版かサグデン
版のどちらに拠っているかは、あいまいである。おいおい詰めていくことにしよ
う。
すこし先に読み進んだところで、英文原作3種と漢訳の文章の違いにぶつかっ
てしまった。今まで検討して来たタウンゼンド版、サグデン版、さらにはレイン
版とは決定的に異なる箇所が出現する。絞りこむどころではない。別の版本をさ
がすことになるかもしれない事態が、またも発生する。これが、底本をとりまく
情況を複雑にする原因なのだ。
決定的に違うのは、一見なんでもなさそうな箇所である。
荷担ぎ人は、ある美女にやとわれて買い物の荷物を運ぶことになった。果物、
香辛料、肉、乾物、菓子など、それも大量に買うのを、つぎつぎと籠に入れて運
ぶのが仕事だ。
肉を購入する場面から引用しよう。
78
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【繍像小説】又至一肉肆。購鮮肉二十五磅。復至菜市購白花菜。太勒貢 (菜
名) 胡瓜。芹菜等。浸以醋。
さらに肉屋にいくと新鮮な肉を 25ポンド購入しました。また野菜市場では、
酢につけるためにケイパー、タイラゴン (野菜の名前)、キュウリ、セロリな
どを買いました。 1丁オ
【説部叢書】復至屠肆。購二十五磅肉。而白花菜。太勒貢 (菜名)。瓜芹之類。
所買亦称是。
また肉屋に行って 25ポンドの肉を買いました。さらに、ケイパー、タイラ
ゴン (野菜の名前)、キュウリ、セロリの類を購入して、それをかつぐのです 。
40頁
両者は、同じ漢訳ではあるが、微妙に異なる。ケイパー、タイラゴンはあるの
だが 、「酢につける」が後になると抜け落ちる。
問題は 、「太勒貢」なのである 。「太勒貢」が、はたしてタイラゴンなのかど
うか不確実だ。漢字の音訳から想像できるのは、そのほかにタルラゴンとか、タ
ルゴンあたりか。
タイラゴン、タルラゴン、タルゴンなどなど、これを出してくる英文原本が、
今まで言及してきたもののなかには、ない。
【レイン】 Cut off ten pounds of meat;
肉を 10ポンド切ってください。 p.121
【タウンゼンド】 Passing by a butcher's shop, she ordered five and twenty
pounds of his finest meat to be weighed, which was also put into the porter's
basket. / At another shop she bought capers, small cucumbers, parsley, and other
herbs;
肉屋の前を通ると、彼女は 25ポンドの極上肉を量らせ、それを荷担ぎ人の
カゴに入れるのです。/別の店では、ケイパー、小さなキュウリ、パセリ、
ほかの香草を買いました。 p.41
【サグデン】 Passing by a butcher's shop, she ordered five and twenty pounds of
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
his finest meat to be weighed, which was also put into the porter's basket.
肉屋の前を通ると、彼女は 25ポンドの極上肉を量らせ、それを荷担ぎ人の
カゴに入れるのです。 p.53
レイン版は肉の量が 10ポンドで、漢訳の 25ポンドとは異なる。
サグデン版は、タウンゼンド版の前半だけを流用しているだけだ。野菜の名称
を出さない。
そうなるとタウンゼンド版が、漢文にいちばん近いように見える。だが、肝心
の酢漬けにするタイラゴン (?) が、存在しない。
アンドリュー・ラング Andrew Lang 編集だという新装版も見たが、問題にし
ているタイラゴン (?) は影も形もないのである。
野菜、香草の類は、奚若が勝手に考えて訳文に挿入することは、かなりむつか
しいだろう。だいいち、加筆しなければならない理由がない。原文通りに翻訳す
るのが、いちばん確実だし手間もかからないことは、容易に想像できる。
驚いたことに、タイラゴン (?) を出している訳文が私の手元にある。日本語
訳ではあるが、有力な資料である。
それは、井上勤『アラビヤンナイト物語』 *30なのだ (総ルビは省略する)。
【井上勤】婦人は又肉を鬻ぐ店に立寄り美肉二十五斤を買ひ、之をも同じく
籠に入れ更に他の店に至りてケーパー、タルラゴン、胡瓜、サツサフラフ、
其他酢に漬べき野菜類を買求め、…… 199頁/三版279-280頁
調べてみれば、井上訳でいう「タルラゴン」とは、タラゴン tarragon
のこと
だ。フランス語でエストラゴンという方が料理に詳しい人にとってはなじみがあ
るかもしれない。酢漬けにして食するのが普通だ、とものの本には書いてある。
井上訳本がもとづいた英文原本には、タラゴンと載っていると想像される。そ
のうしろの「サツサフラフ」は、サッサフラス sassafras のことであろう。こち
らは、植物といっても代用茶にする葉で有名らしい。
漢訳は 、「サツサフラス」という原語を「芹菜」に置き換えたのだろうか。そ
80
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
う考えるのは、漢訳が井上訳と同じ原本に拠っていると仮定すればの話であって、
はたして同一の原本なのかどうかはわからない。
井上訳本が拠った英文原本は、それでは、タウンゼンド版とは別物なのか、と
いう疑問が当然のように生じる。
ところが、柳田泉がそれを説明して 、「『 全世界一大奇書』は『アラビヤンナ
イツ 』(やはりタウンセンド版) の翻訳で、量からいって永峯氏のものに数倍し、無
論抄訳であるが、ほぼ首尾ととのっている」 *31と書いている。柳田泉が、井上
訳はタウンゼンド版だ、と断言している点に注目しておきたい。
井上訳本も、同じタウンゼンド版だというのは意外な指摘である。漢訳を検討
してきて、いままでさんざんタウンゼンド版とは異なる箇所を指摘してきた。タ
ラゴンについても、タウンゼンド版には、その単語を見ない。にもかかわらず、
柳田泉は、井上訳本の底本はタウンゼンド版だと断言しているのだ。まさか、こ
れが誤りだとは私は思いもしない *32。だから、柳田泉の証言があるのだから、
タウンゼンド版には語句の違う異版が存在するのだろうか、という疑問を当然の
ように抱いたのだ。
タラゴン問題は、漢訳の底本を特定するうえで、有力な手掛かりを与えてくれ
ているのではなかろうか (後述)。
今、それを解決することができない。別の版本が手元にないからだ。疑問のま
まにして、先に進みたい。
『繍像小説』連載時と、のちの「説部叢書」収録本とのあいだには、語句の違
いがあることについては、すでに触れた。
もう1例をあげておこう。
美女のお供をして買った品物でカゴがいっぱいになっている。
【タウンゼンド】 She then went to a druggist's, where she furnished herself
with all manner of sweet-scented waters, cloves, musk, pepper, ginger, and a
great piece of ambergris, and several other Indian spices;
彼女は、つぎに薬剤師のところに行き、すべての種類の香水、丁子、麝香、
胡椒、生姜およびリュウゼン香の大きなかたまり、そのほかのインドの香料
81
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
を購入したのです。 p.41
【サグデン】(musk のかわりに nutmeg が出現しているほかは、同一文章)
【繍像小説】既而入一薬室。購香水丁香胡椒荳蔲生薑龍涎香及印度香料畢。
ある薬屋へ入ると、香水、丁子、胡椒、ズク、生姜、リュウゼン香および
インド香料を購入したのです。 1丁オ
【説部叢書】既而詣薬室。購椒蔲龍涎之属。
薬屋へ入ると、胡椒、ズク、リュウゼンの類を購入したのです。 40頁
nutmeg はニクヅクだから、漢訳の「椒荳蔲」がそれにあたるとすると、この
部分はサグデン版に拠っているか。
初出の『繍像小説』が、ほぼ英文原作の語句のままに忠実に漢訳していること
がわかる。説部叢書版は、それを簡略化していることも理解いただけるだろう。
荷担ぎ人がたどりついたのは、美女ばかりがいるある邸宅であった。
タウンゼンド版は、邸宅に出迎えた美女については、あっさりと描写するだけ。
【タウンゼンド】 There they stopped and the lady knocked softly. Another lady
soon came to open the gate, and all three, after passing through a handsome
vestibule,……
そこでふたりは足を止めると、その女性はひそかにたたきました。別の女
性が扉を開けまして、3人ともに立派な前庭を通り抜けたあと、……
p.41
あっさりどころか、これでは女性が出てきただけで、彼女たちがどれだけ魅力
的であるかなど、皆目わからない。描写がないのだ。だが、漢訳は違う。
【繍像小説】少婦止歩。軽撾其門。方竚立時。担夫目眩神飛。意謂少婦衣服
麗都。必貴家女。然何以不憚僕僕。得毋為大家侍婢。
若い女性は歩みをとめて、ひっそりと扉をたたきました。たたずんでいる
とき、荷担ぎ人は目がくらみ上の空だったのです。というのは、女性の衣裳
はすばらしく、きっと身分の高い女性にちがいない、だが、なぜ憚らずあく
82
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
せくしているのだろうか、名家の召使いであるはずがない、と考えたからで
す。 1丁ウ
【サグデン】 Here they stopped, and the lady gave a gentle knock at the door.
While they waited for it to be opened, the porter's mind was filled with a thousand
different thoughts. He was surprised that a lady, dressed as this was, should
perform the office of the housekeeper, for he conceived it impossible for her to be
a slave.
そこでふたりは足を止めると、その女性はひそかに扉をノックしました。
扉が開くのを待つあいだ、荷担ぎ人の心は千々に乱れました。出てきた女性
に驚かされたというのは、その服装からすれば、家事を担当しているようで、
彼女が奴隷であるはずがないと想像したからです。 pp.53-54
漢訳の詳しさからして、タウンゼンド版ではなくてサグデン版そのものなので
ある。
では、以後、漢訳は底本をサグデン版に乗り換えているかといえば、そうはい
かないからますます混迷の度合いを深くする。
美女3人の名前を漢訳では、蘇培特 Zobeide、舎非 Safie、愛米 Amina とする。
タウンゼンド版には、そう書いてある。だが、サグデン版では、名前が出てくる
にしても、タウンゼンド版とは別の場所になる。
前述したことだが、漢訳は、タウンゼンド版によりながらも、一方でサグデン
版も参照しながら翻訳を進めたように見える。というよりも、この部分は逆で、
サグデン版を中心に置いたのではないかという気もする。
荷担ぎ人が、美女3姉妹を目の前にして立ち去りがたい気持ちになっているの
を見て、彼女たちの秘密を口外しないならば、そこに居てもよろしいと許可され
た時のことだ。アミナが服を着替えてくる。
【繍像小説】時愛米脱行衣。卸長服。
その時、アミナは、外出着を脱いで、長衣をぬいだのです。 2丁ウ
【説部叢書】時愛米卸行衣。並去長服。
83
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
その時、アミナは、外出着を脱いで、長衣もぬいだのです。 44頁
上の漢訳では、アミナは、服をぬいでばかりいる。奚若の誤解ではなかろうか。
実は、サグデン版では、そうなっていない。
【サグデン】 While she was speaking, the beautiful Aminè took off her walking
dress, and fastening her robe to her girdle,
ゾベイデがはなしているあいだ、美しいアミネは、外出着を脱いで、浴衣
の帯を締めたのです。 p.57
タウンゼンド版では、荷担ぎ人は、よけいなことを口外するな、と扉に書かれ
ている文字を読むことになっている。アミナが外出着を脱ぐなどという描写は、
ない。
荷担ぎ人をまじえて美人3姉妹は、飲めや歌えの宴会をくりひろげることにな
った。別の版では見られる4名の淫らな宴会模様は、タウンゼンド版、サグデン
版ともに削除している。ゆえに、漢訳にも、その描写はない。
そこに宿を求めてたずねてきたのが3人の托鉢僧だった。奇妙なことに、3人
ともに右眼がつぶれている。
3人は、室内の豪華なことに感心しながら入ってきて、荷担ぎ人を見て同類だ
と思ったらしい。
【繍像小説】旋見担夫。注目視之。疑為同類。又異其不薙鬚眉。其一人乃語
担夫曰。汝其亜剌伯教中之叛亡者歟。
ついで荷担ぎ人を見ました。彼のことを目をこらして見て、同類だろうと
思ったのですが、ヒゲ、眉を剃っていないのが異なります。そこでひとりが
荷担ぎ人にいいました 。「あんたはアラビア教の反逆者かね」
3丁ウ
「説部叢書」は 、「担夫」を「甲」と書き換えているだけで、あとは同文。
漢訳に見るような托鉢僧の荷担ぎ人にたいするセリフは、どうしたわけかサグ
84
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
デン版には、ない。タウンゼンド版に同様の記載がある。
【タウンゼンド】 before they sat down, having by chance cast their eyes upon
the porter, whom they saw clad almost like those devotees with whom they have
continual disputes respecting several points of discipline, because they never
shave their beards nore eyebrows; one of them said, “I believe we had got here
one of our revolted Arabian brethren.”
彼らが座るまえに、偶然に荷担ぎ人が目に入りました。いくつかの規則に
ついて彼らがいつも常に論争をしている教徒のように見えたのは、ヒゲと眉
を剃っていなかったからです。ですら彼らのなかのひとりが言いました。
「ここにムカムカするアラビア人の信者仲間がいると思うな」 pp.44-45
漢訳の「亜剌伯教」には 、「アラビア教」と訳語をつけておいたが、理解しに
くい。 Arabian brethren からの漢訳かと思う。
英文原作が托鉢僧仲間での会話であるのにたいして、漢訳では直接、荷担ぎ人
に話しかけるという違いはある。だが、その違いを考慮すれば、内容は、ほぼ同
一だといっていい。
サグデン版かと思えばタウンゼンド版が出てくる、というぐあいに、底本は、
一定しないのである。
あれこれ質問するのではない、と書いてあったのを忘れたのか、と荷担ぎ人に
怒鳴られて、おとなしくあやまる托鉢僧たちであった。
一同酒を飲んでうかれだし、托鉢僧が楽器演奏をすることになる。タウンゼン
ド版では、サフィエが取ってくる楽器の名前までは書いていない (p.45)。だが、
サグデン版は、もう少し詳しい。
【サグデン】 a flute of that country, also another used in Persia, and a tambour
de basque
その地方の笛と、おなじくペルシアで使われているやつ、および太鼓です
p.60
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【繍像小説】舎非奔取本国笛波斯笛各一枝。巴斯款羯鼓一具出。
サフィエは、本国の笛とペルシアの笛各1本とバスクの太鼓を取りにいき
ました。 4丁オ
tambour de basque は、身体につける太鼓かと思うが、漢訳では、バスクの太
鼓と音訳をまじえた。
くりかえし指摘しておきたいが、漢訳がサグデン版とタウンゼンド版のあいだ
をいききしていることがわかるだろう。
皆でうかれ騒いでいる物音が外にもれているらしく、夜の町を巡回していたハ
ルゥン・アル・ラシッドたちの耳に入った。行ってみようということになる。
前に、タウンゼンド版にもサグデン版にもみえない「タラゴン」について言及
した。日本の井上勤訳本に見える。タウンゼンド版には異版があるのか、と私は
疑問をだしてもいる。
ここに至って、おなじ現象が再び漢訳に生じていることをいいたい。タウンゼ
ンド版とサグデン版にないことを漢訳は述べるのである。
【繍像小説】言至是。司乞黒勒石 (即蘇丹妃[)]謂蘇丹曰。陛下欲知此事之究
竟。
ここまで話すと、シャーラザッド (国王の妃) は、国王にいった。陛下は
この物語の最後までお知りになりたいでしょう。 4丁オ
「説部叢書」では 、「司乞黒勒石」を「史希拉才得」と書き換えた以外は、同
文である。
【井上勤】と語り来りてセヘラードは語を改ためスカリヤ王に対ひ、陛下に
は必らず御心の内に何故かゝる……
302頁
タウンゼンド版には、語句の異なる異版が存在するのか。それともタウンゼン
ド版とサグデン版によく似た、別の版本かもしれない。謎は、ますます深まるば
86
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
かりなのだ。資料を収集しながら考えるほかに方法がない。
ハルゥン・アル・ラシッド教主と大臣のジャアファル、および警備のマスルー
ルが、商人の服装をして美女3人の家を訪問した。その言い訳が、べつの商人の
宴会に呼ばれて浮かれていたが、騒ぎすぎて警官に踏み込まれ逮捕者が出ている
のをからくも逃げ出してきた。町に不案内でこの家にたどりついた、という。こ
の描写は、サグデン版にのみ存在する。井上訳本にも同様の記述があることを申
し添えよう。
美女3姉妹、荷担ぎ人、托鉢僧3名、ハルゥン・アル・ラシッド一行3名の合
計 10名で宴会を始めた。飲めや歌えの大騒ぎが一段落したところで、3姉妹は奇
妙なことを行なう。2匹の黒犬を引き出してきて鞭でいじめぬくのである。教主
は、その理由を知りたがった。だが、質問してはならない、という約束がある。
姉妹は、犬をいじめ疲れると、こんどはリュートを取り出して弾き歌いをする。
教主はがまんができず、約束を破って荷担ぎ人に質問をさせた。こうして、全
員が三日月刀を持った7人の奴隷に拘束された。
托鉢僧たちは、3人ともに王子だという。こうして托鉢僧の話がはじまる。
(托鉢僧に先立ち、荷担ぎ人の告白がある。最初の托鉢僧の語りがはじまるまでに、つなぎの
文章83文字があるが、単行本化にさいして削除されている)
噶 稜達紀
其一 (生壙記) The History of the First Calender 最初の托鉢僧の話
シャーラザッドが王に語っている物語――ここでは、美人3姉妹の話だが、そ
のなかでさらに登場人物のひとりが自らの体験を話しはじめる。物語のなかで別
の物語が展開していくというアラビアン・ナイトにある特徴のひとつである。
なぜ右眼を失い、托鉢僧になったのか。その書き出しは、こうだ。
【繍像小説】 噶 稜達曰。請為夫人述余所以眇右目及為 噶 稜達之故。余本一王
子也。
托鉢僧が言いますのには、私が右眼を失い托鉢僧になった理由を夫人にお
話ししましょう。私は、もともとある王子なのです。 8丁オ
【説部叢書】第一 噶 稜達曰。請為夫人。述予眇目之故。予王子也。
87
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
最初の托鉢僧が言いますのには、私が眼を失った理由を夫人にお話ししま
しょう。私は、王子なのです。 55頁
単行本にするにあたって、いくらか簡略化している。さて、英文原作を見てみ
ると、すこし表現の違うものがある。
【タウンゼンド】 Madam, I am the son of a sultan.
夫人よ、私は王の息子です。 p.51
【サグデン】 IN order to inform you, madam, how I lost my right eye, and the
reason that I have been obliged to take the habit of a calender, I must begin by
telling you that I am the son of a king.
夫人よ、なぜ私が右眼を失い、托鉢僧にならざるをえなかったのかの理由
をお話しするためには、まず、私が王の息子であることから始めなければな
りません。 p.69
2種類の英訳を見れば、漢訳の書き出しは、サグデン版によっていることがわ
かる。
タウンゼンド版では、最初の托鉢僧の話は、英文原作でわずかに約2頁しかな
い。漢訳では、約6頁もある。それには理由がある。英文原作には、ある部分を
削除するものと削除しないものがあるからだ。
語り手である王子は、ある期間、たびたび叔父王のもとを訪れていた。ある時、
叔父王の息子、すなわち王子の従弟は、埋葬所を建築したといって、王子の知ら
ない女性とふたりで中に入っていってしまった。不思議な出来事で、本当にあっ
たとも思われない。王子が帰国してみると、なんと彼の父は死亡し、かわりに大
臣が君主となっている。王子が子供のころ、誤って弓矢でその大臣の右眼を傷つ
けていた。その復讐で、王子は右眼をえぐりだされる。そればかりか殺されそう
になるが、歎願して助かり、命からがら叔父王のもとに身を潜めた。叔父王は、
息子が死んだうえに兄王を失い、悲しんだ。それを見て、王子は、息子さんは死
んだとは限らない、と説明しないわけにはいかない。事のてんまつを話す。埋葬
88
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
所に案内して入ってみれば、従弟と女が炭状態で死んでいた。異常に怒る叔父王
の説明によると、従弟は、その姉と近親相姦を行なっていたという。
タウンゼンド版は、近親相姦については、完全に削除する。ゆえに、托鉢僧が
片目を失ったのは、大臣の復讐であったと述べるだけだ。これが、ページ数が少
なくなった理由である。
それでは、サグデン版は、あからさまに描写しているかというと、こちらも、
ごまかす。つまり、従弟が一緒に埋葬所に入っていた女性が誰であるか、説明し
ない。ゆえに、叔父王が、炭化した息子の死体を痛めつけて怒りを露にしている
部分は、削除する。
漢訳は、ここでも井上勤訳と大体が一致する (くりかえし記号は、ひらがなに置き
換える)。
【井上勤】我が子如何なる因果にや幼稚き頃及より妹を深く愛しみ妹も亦た
兄を慕ふて互に親愛の情を蓄はへ成長るに従がひてますます交情の密なるを
我は友愛の情深き末頼母しきものなりと思ひて少しも干渉せず、結句喜こび
居たりしに、豈料らんや此の兄妹は早晩禽獣の行為ありと薄々噂の立たれば
……
344頁
【繍像小説】是児幼年。夙与其姉相愛好。爾時余亦賛勉之。此家庭恒事。無
足怪者。豈知数年以来。二人情日密。致有醜行。……
この子は幼年よりその姉と仲がよく、そのころはわしもそれをほめていた。
家庭では普通のことで、怪しむことではない。ところが、数年来、二人の情
愛は日に濃くなり、ついには恥ずべき行為をもってしまった。……
9丁ウ
井上訳と漢訳とでは、妹と姉の違いがある。だが、原文が sister だとすれば 、
それが姉か妹か判断がつかない。
露骨なバートン版あるいはマルドリュス版には、当然、同様の記述がある。青
少年に悪い箇所は削除したといわれるレイン版でも、削除はしていない。ただし、
「乳姉妹 foster-sister」にして表現をいくぶんか軽減?している違いはある。
まったくの毒抜きにするタウンゼンド版、サグデン版だから、近親相姦などと
89
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
んでもないことになろう。
「説部叢書」版でも、中華民国になって出版された単行本にも、この部分につ
いては、削除はない。当時、周作人がアラビアン・ナイトのなかの1篇を漢訳し
ており、その中で、周作人は、物語のなかの結婚について勝手な変更を実行して
いる。当時の中国で信じられていた教えに背くものだという判断があったらしい。
だが、奚若には、そのような判断はなかったとみえる。ここでは 、『繍像小
説』の漢訳には、近親相姦が削除なく出現していることを指摘するにとどめてお
く。
さて、ここでも、漢訳が拠った英文原作、すなわち底本問題が持ち上がる。漢
訳の底本は、どの版本なのか。タウンゼンド版、サグデン版ではなく、かといっ
てレイン版でもない。レイン版は、上記の引用部分のようではないし、だいたい、
レイン版では、托鉢僧たちは左眼を失っている。漢訳、タウンゼンド版、サグデ
ン版は、みな、右眼なのだ。
王子を追って大臣の軍隊がおしよせてくる。目をくらませるためにヒゲ、眉を
剃り落し、托鉢僧に身をやつして逃げてきた。
以上が、最初の托鉢僧の話だ。近親相姦という衝撃的な話題をあつかっている
ところにこの物語の特徴がある。その衝撃度の強さは、ふたつの英文原本が該当
部分を削除しているところに見ることができよう。
噶 稜達紀
其二 (樵遇) The History of the Second Calender 2番目の托鉢僧の
話
2番目の托鉢僧の話が、これまた長い。シャーラザッドが語る話のなかで、登
場人物の托鉢僧が話す。さらに別の人物が出てきて自分の物語を語るのだから、
長くならざるをえない。
2番目の托鉢僧も、王子であった。幼少のころから賢くしかも勉強好きで有名
になった王子は、噂を聞いたインドの王からぜひとも顔を見たいから、と招待さ
れた。
タウンゼンド版は、あっさりとそのまま王子はインドへと旅立たせている。一
方、サグデン版では、インド王に招待された栄誉だの、幼くして外国へ行くこと
90
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
の利益だのと説明がつづく。
漢訳は、タウンゼンド版ほど簡略化していない。これが、奚若が、サグデン版
にもとづいて翻訳を行なっていると考える理由である。
1ヵ月ばかり旅を続けていたところに山賊 50名 fifty horsemen に襲われた。な
ぜだか『繍像小説』の漢訳は「四十人」とし 、「説部叢書」版は「数十人」に変
更している。
山賊の襲撃をなんとか切り抜けた王子は、ある町にたどりつき仕立屋にかくま
ってもらうことになった。薪拾いを仕事にして1年がすぎたころのことだ。山の
中で鉄の環を見つけた。それは地下宮殿に通じており、豪華な部屋にはひとりの
美人が 25年間も閉じ込められたままだという。美女は、エボニー島 Ebony Isle
安暴南島の国王エピティマラス Epitimarus 愛匹鉄買勒司の娘であった (タウンゼ
ンド版は、Ebony Island というだけで、国王の名前をださない。p.56)。婚礼の直前に魔神に
さらわれ、その時以来この地下宮殿に幽閉されている。 10日ごとに現われる魔神
であるから、その1日を魔神とすごし、残りの9日は木こりと過ごしたいという
美女である。生意気ざかりのことで木こりは、魔神など退治してくれる、と挑発
する。しかし、実際に魔神が出現すると、あまりの怖さに逃げ出したのが木こり、
すなわち王子=2番目の托鉢僧である。
その魔神は自ら称して「エブリスの娘の息子、魔神の王 a son of the daughter
of Eblis, prince of the genii」(p.82) といった。タウンゼンド版は 、「エブリスの孫 、
魔神の王 a grandson of Eblis, prince of genies」(p.57) と書いていて、表現は異な
るが意味は同じようだ。
漢訳は、その部分を「わしはジニー魔王、エブリス (悪鬼の名) の甥である。
余乃琴李魔王曷勃累司 (悪鬼名) 甥也 」(14丁オ) とする 。「甥」がおかしい。また、
「琴李」と音訳したのは “the genii” を固有名詞だと誤解したのではないか。あ
りえない誤解だとは思うのだが。
魔神によって地下宮殿にふたたび連れもどされた木こりの前には、痛めつけら
れた美女がいる。魔神は、木こりのことを知らないならば彼の首を切るように命
令し、美女が断わると、木こりに向かって、美女の首を切るように命じる。木こ
りも魔神の命令を断わる。
91
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
魔神は、剣で美女の片腕を斬り落すと、美女は絶命してしまった[引刀斬公主。
折其一手。血殷然出。傷痕盡裂。一痛而絶] 15オ 。
この部分は、サグデン版には、存在しない。美女の片腕が斬り落とされるとい
う残酷場面は、児童少年には刺激が強すぎるという判断なのであろう。
タウンゼンド版には、似た内容のものがある。片腕を斬り落された美女は、死
んでしまう (p.58)。
それでは、レイン版ではどうなっているかと見れば、こちらは、もっと残酷だ。
美女の片腕どころか、残りの腕、右足、さらに左足を切り離している (p.147)。
なんと恐ろしいことだ。
魔王は木こりを殺さずに、別の動物に変身させるという。これを聞いて、木こ
りが話をはじめる。
説妬 The History of the Envious Man and of Him who was Envied ねたみ深い
男とねたまれた男の話
善良な男と、それをねたむ男が隣り合わせで住んでいた。隣人のねたみに耐え
かねて、善良な男は引っ越してしまう。僧侶の姿をするばかりか、家に多くの僧
侶を住まわせもした。
善良な男は、正式な僧侶になったというわけではない。行ないが僧侶だった。
【繍像小説】乃效 噶 稜達行。好清静。多営小室。与諸 噶 稜達共之。
托鉢僧の行ないをまねました。静謐をこのみ、多くの小部屋をいとなんで、
托鉢僧たちと共にしたのです。 15丁オ
【タウンゼンド】 put on the habit of a dervise, and in a short time he
established a numerous society of dervises.
ダーヴィシュの衣服を身につけまして、短時間のあいだに多数のダーヴィ
シュの社会をつくったのです。 p.58
【サグデン】 put on the habit of a dervise, in order to pass his life more quietly,
and made, also, many cells in his house, where he soon established a small
community of dervises.
92
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
彼の生活をもっと静謐なものとするために、ダーヴィシュの衣服を身につ
けまして、彼の家に多くの小部屋をつくり、そこでダーヴィシュの小さな社
会を形成したのです。 p.84
ダーヴィシュ dervish ということばについての説明は、すでに行なった。英文
原作に見える dervise も同様な意味だと推測する。上の文章を比較対照すれば、
漢訳は、サグデン版によっていることが理解できるだろう。
善人は、その存在を社会に広く知られるようになる。ねたむ男は、妬みゆえに、
わざわざ善人をたずねて行き庭の井戸に彼を突き落としウサを晴らすのである。
井戸の中には、漢訳では「神仙[仙人 ]」、英文原作タウンゼンド版では「妖
精と魔神 peris and genies」、サグデン版でも「妖精と魔神 fairies and genii」が住
んでいた。善人は、命を助けられたばかりか、お姫様が病気で、王様からその治
療を善人が依頼されること、その病気の治療法までを知ることになる。
漢訳によると 、「お姫様は、ディムディムの息子マイムゥンに好かれて
公主
為亭亭 (魔鬼名) 子墨蒙魔鬼所悦 」(15丁ウ) 病気になった (のちの「説部叢書」版72頁
と単行本62頁は、「公主」の「公」を落として印刷している)。タウンゼンド版が 、「彼女
は、魔神に取りつかれた she is possessed by a nenie」(p.60)とだけ表現している
のにくらべれば、サグデン版の「彼女は、ディムディムの息子、恋に落ちた天才
マイムゥンの力に取りつかれた she is possessed by the power of the genius
Maimoun, the son of Dimdim, who he fallen in love with her」(p.85) が、漢訳の底本
になっていることに気づく。
マイムゥンの呪縛からのがれる方法は、特別な黒猫の尻尾にある白い斑点のな
かから7本の毛を抜き、これを燃やすというものだった。
聞いた話の通りに事が進む。王様がお姫様をつれてくる。善人が猫の毛を燃や
すと、とりついていたマイムゥンが逃げ出し、姫が正気をとりもどす。
【繍像小説】乃自掲其面巾。張目四顧。
自分でヴェールを掲げると、目をみひらいて周囲をながめました。 16オ
【タウンゼンド】 she took the veil from her face, and rose up to see where she
93
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
was,
彼女はヴェールを自分の顔から引きはがすと、立ち上がって周囲をみまわ
しました。 p.61
【サグデン】 The first thing she did was to put her hand to the veil which
covered her face, and lift it up to see where she was.
彼女が最初にしたのは、ここがどこなのかを見るために顔をおおっている
ヴェールをあげることでした。 p.86
ヴェールをかなぐり捨てるのと、掲げるのとは、違う。細かいようだが、底本
をさぐるばあいの材料となる。漢訳は掲げ、タウンゼンド版は捨て、サグデン版
が掲げる。ここでも、漢訳はサグデン版によっている。
善人はお姫様と結婚し、王位を継承する。ある日、街中でねたむ男をみかける。
善人がなにをしたかというと、なんと昔なじみだからといって財宝をたっぷり贈
呈したのである。その財宝の一部は、漢訳では「金貨一千枚[金幣千枚]」(16丁
ウ。
「説部叢書」版は「枚」を省略する) となっている。タウンゼンド版では「金百枚
one hundred pieces of gold」(p.62) だが、サグデン版は「金一千枚 a thousand
pieces of gold」(p.87) として漢訳と一致する。
木こり、すなわち2番目の托鉢僧が、以上の物語をはなしたのには意味がある。
ねたむ男を許した善人にならい、魔神が自分を解放することを期待したのだ。ム
ダだった。木こりは、魔神の魔術によって猿に変身させられた。
2番目の托鉢僧が、猿に変身させられてからの物語になる。
もとは人間の猿だから、思考、行動は人間のままで、ただ、言葉をしゃべるこ
とができない。
猿が海辺にたどりつくと船が見える。近くの木の枝を折って浮きがわりにして
船に乗り込む。
当時かの地では、猿は、航海には不吉だと考えられていたらしく、船に乗って
いた商人たちは口々に叫びだした。
【繍像小説】或曰。曷以竿撃殺之。或曰。曷射之。或曰。曷挙而投之海。
94
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
あるものは、棒でなぐり殺さんかといいますし、またあるものは、射って
しまえといい、さらに、海に投げ込め、というものもいます。 17オ
【タウンゼンド】 On this account they said, “Let us throw him into the sea.”
その理由[猿は航海には不吉だ]で 、「海に放り込め」と言いました。 p.63
【サグデン】 “I will kill him,” cried one, “with a blow of this handspike.” “Let
me shoot an arrow through his body,” exclaimed another; “and then let us throw
him into the sea,” said a third.
「この棒の一撃で殺してやる」とひとりが叫びました 。「一矢で射ち殺し
てやる」と別のひとりが大声で叫びました 。「そして海に放り込んでやる」
と三人目がいいました。 p.88
漢訳が「竿」としたのは、サグデン版の handspike をもとにしたのだと理解で
きる。タウンゼンド版には、該当する単語は出てこない。当時の英漢辞典には、
handspike の語釈に「槓竿,木梃」を当てている。
猿は船長の足元にとりすがって憐れみを乞い、命を助けられることになった。
ある港に到着すると、その国の宰相が亡くなっている。その宰相よりも上手な
文字をかく者を宰相の地位に置くという命令が出された。
猿も文字を書こうとしているのを見て、誰しもが、猿が紙を破るか海に捨てる
かするだろうと思った。ところが、猿は、文字を書きはじめたのである。
それを見た船長のことばは、こうだ。
【繍像小説】余生平未見智如此猴者。他日行将豢之如子矣。余昔一子。其才
乃不当是猴之半。
わしは、これほど賢い猿をこれまで見たことがない。後日、息子のように
飼育してやろう。わしには昔息子が一人いたが、その才能はこの猿の半分も
なかったぞ。 17ウ
【タウンゼンド】なし
【サグデン】 I have never seen any ape more clever and ingenious, nor one who
seemed so well to understand everything, I declare that I will acknowledge him as
95
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
my son; I once had one, who did not possess half so much ability as he does.
これほど賢く才能があって、なんでも知っているようにみえる猿をわしは
見たことがない。わしの養子にすることを断言しよう。わしには、昔息子が
いたが、これの能力の半分も持ち合わせなんだぞ。 p.89
こまかな部分で、漢訳とサグデン版が同一であることがわかる。
英文原作が猿を「養子にする I will acknowledge him as my son」としているに
もかかわらず、漢訳では動物を「飼育する[豢 ]」という言葉を使用する。奚若
には、猿を人間の養子にすることに抵抗があったらしい。
ただし、後日「説部叢書」に収録する時、文章を検討したようだ。この部分を
「後日、わしは息子にしてやろう[他日余将以為児]」(76頁) と改訂している。ひ
とこと紹介しておく。
猿が6種類の書き方で王様を褒めたたえる文章を書くと、猿は王宮へ呼ばれる。
さきほどから、漢訳がサグデン版の英文原作と字句が一致していることを指摘
している。
漢訳は、このままサグデン版に拠っているのかと考えれば、これがそうではな
いので私は困惑するのである。
船から王宮へいたる道中の描写である。
【繍像小説】途中男女老幼来観者。駢街填巷。群嘖嘖奇蘇丹之将相猴也。行
之久。始抵蘇丹宮。
道中、老若男女で見物に来るものが、通りにならび横町をうめててしまい
ました。王様の宰相は猿だぞ、と群をなして騒ぎ立てるのです。しばらく行
って、ようやく王宮へたどりつきました。 17ウ
【タウンゼンド】 The procession commenced; the harbour, the streets, the
public places, windows, terraces, palaces, and houses, were filled with an infinite
number of people of all ranks, who flocked from every part of the city to see me;
for the rumour was spread in a moment that the sultan had chosed an ape to be
his grand vizier; and after having served for a spectacle to the people, who could
96
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
not forbear to express their surprise by redoubling their shouts and cries, I
arrived at the sultan's palace.
行進がはじまりました。私を見ようと、町のすみずみから集まってきたす
べての階層の無数の人々によって、港、通り、広場、窓、テラス、大邸宅そ
して家々は埋めつくされたのです。王様が猿を宰相に選んだという噂がまた
たくまに広がって、高まった彼らの叫び声と大声によってみずからの驚きを
表わすことを我慢できない人々のために、見世物にされてから、私は王宮へ
到着したのでした。 pp.64-65
【サグデン】なし
漢訳は、タウンゼンド版の原文を忠実に翻訳はしていない。かいつまんで取り
込んだ。サグデン版のように、猿の行進を描写しなくても、物語に影響があるわ
けではない。省略してもいいような箇所でありながら、わざわざ漢訳をしている
ということは、拠った英文原作に相当する原文があることを意味する。そうなら
ば、ここはタウンゼンド版にもとづいている。
奚若は、タウンゼンド版とサグデン版の両者を手元に置きながら、漢訳をして
いるのだろうか。それにしては、両者に存在しない単語、たとえば「タラゴン」
があった事実を思い出す。
もう1ヵ所、英文原作と相違するところを指摘しておく。
王様の前に連れてこられた猿は、礼儀にかなった挨拶はする、身の上をのべる
文章を書く、酒をのむ、はてはチェスの手合わせを行ない、王様が1勝、猿が2
勝した。王様は、おもしろくない。そこで猿が、詩をつくる。
【繍像小説】余又詠詩以献。詩中有二強有力者。終日角闘。入晩則歓若平生
云云。蓋隠諷之也。
私は、また詩をよんでささげました。その詩には、ふたりの強者がおり、
終日格闘しましたが、夜になると、日常のように仲良くした、などといたし
ました。遠回しにいったのでございます。 18オ
【タウンゼンド】 I made a stanza to pacity him; in which I told him that two
97
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
potent armies had been fighting furiously all day, but that they concluded a peace
towards the eveing, and passed the remaining part of the night very amicably
together upon the field of battle.
私は王様をなぐさめるために詩をつくりました。そのなかで、ふたつの強
力な軍隊が、終日猛烈に戦っておりましたが、夕方に和を結び、その夜は戦
場で仲良くすごしたことをのべたのでした。 pp.65-66
【サグデン】なし
サグデン版に記述のない部分が漢訳になっているのだ。漢訳の底本は、タウン
ゼンド版となろう。
ここまでくれば、いくらニブイ私であろうと、やはりおかしいと気がつく。
漢訳は、多くの箇所で、ある部分はタウンゼンド版により、別の箇所はサグデ
ン版にもとづいている。
この事実は、奚若が、タウンゼンド版とサグデン版をとっかえひっかえ、適当
にまぜあわせて漢訳したことを意味するのだろうか。
そんな手間のかかる翻訳を行なうだろうか、という常識的な疑問が生じる。
底本を決めて、それに主として拠りながら漢訳を進める。どうしても必要なら
ば、別版を参照する。これが、普通の翻訳作業ではなかろうか。底本がなければ、
その翻訳は支離滅裂なものになりかねない。
いくつかの英文原本を検討したことをふまえ、ここであらためて、漢訳がよっ
た英文原作について考えることにする。
7
英文原本の探求3 ――タウンゼンド版からフォースター版、スコット版へ
私は、本稿の途中で「タウンゼンド版には語句の違う異版が存在するのだろう
か」と疑問を提出しておいた。
柳田泉が指摘しているように、井上勤訳がタウンゼンド版にもとづいているの
であれば (事実は、違うのだが)、おなじタウンゼンド版に基づいているはずの奚若
の漢訳が一致しないのはおかしい。
98
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
タウンゼンド版に拠っていると見えながら、漢訳の語句が底本と異なるばあい
があるということは、手元のものと一致していない以上、異版の存在を考える理
由となる。
私の使用しているタウンゼンド版について、すこし説明をしておきたい。
既述のように、手元に1冊あって、これにもとづいて漢訳を検討してきている。
手元の1冊しかないから異版があるのではないかと疑った。
その後、同社発行の2冊を入手した。つまり、現在、私のところにはタウンゼ
ンド版の原本が3冊ある。3冊では十分ではないかもしれないが、1冊だけより
はマシだろう。
書目の上では 、「タウンゼンド Rev. Geo. Fyler Townsend 改訂、出版社は、ロ
ンドンのウォーン F. Warne & Co., 1866」というものを示したことがある。
ホートン Houghton、ダルジール Dalziel
などの手による挿絵を配し、前文が
8頁、本文 632頁であるという。 1866年版 (初版か) は、私は未見である。書目の
簡単な記述だけでは、挿絵が全部で何枚あるのか、それすらもわからない。
タウンゼンド版1
今まで使用してきたタウンゼンド版 (とりあえず同版1と称する) は、刊年不記な
が ら 、 出 版 社 は 、 初 版 と 同 じ ロ ン ド ン と ニ ュ ー ヨ ー ク の ウ ォ ー ン Frederick
Warne & Co. だ。ラウトレッジ社発行のタウンゼンド版は、未見。
出版の順序からいえば、この刊年不記本から説明しはじめるのは、適当ではな
いかもしれない。ただ、今までこの本を漢訳の比較対照に使ってきたので、いき
がかり上、こちらを優先する。
緑色の硬い表紙で、そこには、空飛ぶ馬としがみついている人物の挿絵(後述)
が印刷してある。挿絵の上に “THE ARABIAN NIGHTS”、下に “ILLUSTRATED”
と手書きで文字が金色だ。表紙の大きさは、ほぼ A5判に近い (20.5×13.5cm)。
煙の出ている壷のそばに老人漁夫が立っている彩色挿絵が、扉の前にはさみこ
んである (オフセット印刷)。
扉には、 THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS/ A NEW EDITION,
REVISED, WITH NOTES, BY THE REV. GEO. FYLER TOWNSEND, M. A. /WITH
99
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
タウンゼンド版1
タウンゼンド版3の本文挿絵
タウンゼンド版2
タウンゼンド版3
100
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ILLUSTRATIONS. と表示する。
前言8頁 (実質は3頁)、目次2頁、本文は、活字のみで組まれており 629頁ある。
注の索引も通しページ数だから、索引を含めれば全 632頁ということになる。 60
話を収録する。
挿絵の目次は、ついていない。
挿絵は、前出漁夫を含めて色彩のものが3枚、あとは白黒銅版 (元が銅板で、本
書はオフセット印刷) で、8枚。ともに本文のページに数えない独立した存在とし
て配置してある。また、本文の活字をおしのけるかたちでの挿絵は組み込まれて
いない。なぜ、こういう説明をするかといえば、ページ別だての挿絵のほかに、
本文にも挿絵を組み込んだ別の版本が発行されているからだ (後述のタウンゼンド
版3)。
本文の紙質は、よい方ではない。悪いといってもいい。印刷方法もオフセット
印刷で、本文の端の部分など印刷が不鮮明な箇所があったりする。刊行年が記載
されていないこととあわせ考えると、年月を経た後刷りのように見える。
手元にあるこの1冊だけでは、語句の違う版が存在しているかどうかを確かめ
ることができない。だから、別のタウンゼンド版を見る以外に方法がない、とい
った。
タウンゼンド版2
赤色の硬い表紙で、妖精と不気味な動物があしらわれている。上に “ARABIAN
NIGHTS' ENTERTAINMENTS”、下に “THE ROYAL FAIRY LIBRARY” と書かれ
る。
扉のまえに、アラジンがランプを持っている彩色挿絵が1枚かかげられる。こ
の版本では、彩色挿絵はこの1枚きりだ。
扉の表示、目次、本文は、上のタウンゼンド版1と同一である。 60話を収録す
る。
判型は、タウンゼンド版1よりもひとまわり小さい (19×12cm)。だが、本文の
活字部分についていえば、大きさは、まったく同じである。つまり、全体の判型
が小さくなったというのは、本文の余白部分をすこし裁断した結果だという意味
101
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
だ。
紙質は、タウンゼンド版1よりも、ややよろしい。活版印刷。彩色挿絵につい
ては、上下左右の端を削除する。全体の判型を少し縮小したことが原因だろう。
白黒挿絵は、全部で 10枚ある。こちらは、タウンゼンド版1と同寸だが、ただ
し、枚数が一致しない。2枚多い。
該本の以前の購入者によって献辞が手書きされている。それには 1895年とある
から、それより前の発行年だとわかる。
タウンゼンド版1と2についていうと、挿絵の枚数に違いがあるとはいえ、本
文は、完全に一致している。
本文のページ数を見ると、このタウンゼンド版1、2は、初版と同一物だと推
測される。ただし、挿絵の数が異なっていることは、すでにのべた。
この2種類のタウンゼンド版に、もうひとつの版本をならべてみる。
タウンゼンド版3
扉には、 THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS. /A NEW EDITION,
REVISED, WITH NOTES, BY THE REV. GEO. FYLER TOWNSEND, M. A. /With
Original Illustrations AND SIXTEEN PAGE PLATES PRINTED IN COLOURS.
/LONDON AND NEW YORK: FREDERICK WARNE AND CO. /1887. と示してある。
彩色挿絵が 16枚あることをうたっており具体的だ。
見れば、挿絵は、色彩のもの (ページ別だて) が表示のとおり 16枚あり、白黒は
14枚だ。さらに、この版本のみ本文に挿絵を組み込み、それも多数を収録する。
表紙の地色は、灰色に見える。活版印刷。判型はすこし大きくなる(21×14.5cm)。
紙質は、いい。本文は注の索引を含んで 560頁ある。同じく 60話を収録する。
前文8頁 (実質4頁)、本文目次のほかに彩色挿絵の目次と白黒挿絵の目次をか
かげる。
字句は、3種ともに同一である。
1887年版のタウンゼンド版3は、タウンゼンド版1、2とどのような関係にあ
るのだろうか。
てがかりはふたつある。
102
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ひとつは、書目に見える初版らしい 1866年版とページ数が一致するのがタウン
ゼンド版1、2であること。
もうひとつは、タウンゼンド版3に「もとの挿絵つき With Original Illustrations」
と表示していることだ。
もともとあった挿絵を全部収録しています、とわざわざ書くのは、タウンゼン
ド版3みずからが初版ではないことを認めていることにほかならない。
タウンゼンド版3は、初版にあった挿絵を残さず収め、しかもその上に本文に
も新たに挿絵を多数ほどこしたと考えられる。
3種のタウンゼンド版の関係
タウンゼンド版1の表紙が私の興味を引く。先ほど触れた「空飛ぶ馬としがみ
ついている人物の挿絵」である。この挿絵は、タウンゼンド版3の 143頁に掲げ
られているものを流用しているのだ *33。
そうすると出版の時間的関係は、タウンゼンド版3のあとにタウンゼンド版1
が発行されたことになる。
1は、オフセット印刷なのだから、タウンゼンド版3 (1887年版) をそのまま
複製できるはずだ。3の方が挿絵が多くて楽しい。しかし、そうはしていない。
1の本文は、初版に拠ったと考えられる。
つまり、タウンゼンド版2が初版の重版として存在しており、タウンゼンド版
3が本文に挿絵を増やして新たに組版印刷発行された。そのさい、初版の挿絵は
全部を収録する。タウンゼンド版1は、本文を初版によって複製し、初版の挿絵
のいくつかを選択して収録する。表紙の意匠は、タウンゼンド版3の挿絵より流
用した。
出版の流れをざっと示した。刊行年がないものについては、以上のように推測
した。だが、格別に推測して流れを示すということは、このさい、必要ではない
かもしれない。
問題は、本文なのだ。この3種類を見るかぎり、タウンゼンド版には、語句の
違う異版は基本的にはない、と考えていい。
ちょっと横道にそれる。3種の版本を比較していると、タウンゼンド版3 (1887
103
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
年版) には、乱丁があることがわかった。インターネットで検索し、イギリスの
古書店から購入したのだが、 100年以上も前の本にしては値段がそれほど高くな
い理由なのだろう。ただし、乱丁の注記はなかった。知っていたのか、知らなか
ったのか、それはわからない。
タウンゼンド版についていえば、その異版を考慮に入れる必要がなくなった。
本文が同一であるからだ。
奚若が漢訳した英文原本の候補としては、いままで、レイン版、タウンゼンド
版、サグデン版を検討してきた。
漢訳がいくら「序」において、レイン版にもとづいていると書いていようが、
語句の違いからレイン版は、底本候補からはずれる 。「レイン版にもとづく」と
いうのは、英文原本についての解説者の勝手な思いこみ、推測でしかないことは
明らかだろう。
タウンゼンド版にある文章が、サグデン版にはない。また、その逆の現象があ
る。
漢訳の一部は、タウンゼンド版らしく思える。また、別の箇所はサグデン版に
よったとしか考えられない。つまり、漢訳は、タウンゼンド版とサグデン版の間
を往復しているように見える。
しかし、奚若が、タウンゼンド版とサグデン版の2種類の原本を手元に置いて
双方から抜粋しながら漢訳したとは、思えない。両者に見えない物語、あるいは
単語が漢訳に出現している事実は、どうしても解決できないのだ。
もういちど考えてみる。英文原作のどちらか一方の版本にある文章を、漢訳は
そのまま取り入れている。つまり、漢訳は、両者を統合しているといえよう。
ということは、両方の文章をそなえた1冊の原本が、さかのぼって存在してい
る可能性を示してはいないか。
すなわち、タウンゼンド版とサグデン版は、ある1冊の原本から派生した改編
本ではないか、という推測に思い至るのである。ある1冊の原本ではないならば、
近い原本から派生したものではないか。
物語の大筋は一致していても、改編者の意識が異なるから、それぞれに原本か
ら取りだす箇所が違ってしまう。
104
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
タウンゼンド版とサグデン版から、両者がもとづいたもとの原本1冊にさかの
ぼることが、とりもなおさず漢訳の底本にたどりつくことを意味する。
どうやら、奚若漢訳の英文原本を特定する時がきたらしい。これも数種類の版
本を比較検討してきた結果である。ムダな作業ではなかった。
別の版本の可能性
さきの英文原本の探求2において、レイン版に収録されていない漢訳作品をあ
げておいた。
そのなかのひとつに注目したい。すなわち、サグデン版になく、タウンゼンド
版には収められている漢訳作品である。
その作品とは、
2.フダダッドとその兄弟の話
「殺妖記」奚若翻訳、金石校訂『天方夜譚』第3冊
「殺妖記」奚若訳述、葉紹鈞校註『天方夜譚』下冊
【タウンゼンド】 The History of Codadad and his Brothers. The History of the
Princess of Deryabar.
【サグデン】なし
である。
ここでいうフダダッドは、別の訳本では、コダダードとかコダダッドというの
と同じだ。
レイン版には収録されていないのだから、漢訳の底本は、いうまでもなくレイ
ン版ではない。
サグデン版にも存在しないのだから、漢訳の底本候補からサグデン版がはずれ
る。いくつかの物語のなかで、部分的に一致する語句がいくらあろうともだ。
底本であるかどうかの確認には、タウンゼンド版の原文と漢訳を見比べればよ
い。
昔、ハランという都にすぐれた王様がいたが、子供をさずからなかった。ある
105
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
とき夢のなかで、預言者から、ザクロを食べれば願いがかなえられると聞かされ
た。ザクロの実を 50粒食べると、 49人の妃が男の子を生んだ。ひとり、子を生ま
ないピルーゼ妃は、王から嫌われて追放されてしまう。ところが、彼女は遠く離
れた土地においてあとで男の子を生んだ。その子はコダダッドと名前をつけられ
る。
【説部叢書】徳皮叩国之史官言。昔有君哈倫城者。国既富強。復子恵及下。
民庶和洽。後宮多佳麗。而王心不怡。以未得儲嗣故也。宮中祈祷。亦惟胤続
之求。一夕夢一老人。儀容厳穆。而若先知然。謂王曰。予已悉汝意。後祷時。
必長跽者再。礼畢。即詣其取石榴実任食之。必得子。/覚後。憶所夢。亟如
言祷畢。食石榴実。至五十粒。蓋後宮有姫五十人。故食如其数。亡何。四十
九人皆孕。惟一名比羅時者独否。
ダイアルベキル国の歴史官がいっております。昔、ハランの都に王様がい
ました。国は富強で、その恵は下々までおよび、人々は仲良く暮しておりま
した。後宮には美人が多くいたのです。しかし、王様の心が和まないのは、
皇太子をさずからなかったからでした。宮殿でお祈りし、跡継ぎを求めまし
た。ある夜、夢のなかで一人の老人が、容貌は厳しくかつ穏やかで、よくわ
かっているというように、王様に言ったのです。お前の願いは知っておる。
祈るとき、2度跪きなさい。礼拝を終わると、すぐさまザクロの実を取りに
いき、好きなだけ食べるのだ。必ずや子供をさずかる。/目が覚めたあと、
夢に見たことを思い出し、すぐにその言葉通りに礼拝をしおわると、ザクロ
の実を食べました。 50粒であるのは、後宮に 50人の妃がいましたから、その
数だけ食べたのです。まもなく、 49人が妊娠しましたが、ただ、ピルーゼと
いうものだけがひとり妊娠しません。 125頁
冒頭の「徳皮叩国之史官言」は、のちの葉紹鈞校註本では削除されている。物
語の展開には無関係であると判断されたためかもしれない。
さて、タウンゼンド版ではどのように記述されているであろうか。はたして底
本を確定することができるか。
106
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
タウンゼンド版の該当箇所を開けたとき、私は、息をのんだ。
【タウンゼンド】 In the city of Harran there once reigned a king, who was
blessed with every earthly happiness. He was rich, powerful, virtuous, and most
beloved by his subjects. Now this monarch had fifty sons by his different wives,
the joint-heirs and successors in his kingdom. He loved them all with an equal
affection, and brought them up in his palace with great care; but he took an
exception against one, and entertained such an aversion against him from his birth,
that he sent him, with his mother, to live and be brought up in the court of the
kingdom of Samaria, a distant but friendly sovereign.
ハランという都はある王様に統治されておりました。王様は、地上のすべ
ての幸せに祝福されていたのです。裕福で、強力で、徳が高く、国民からと
ても愛されていました。王様は、彼の異なる妻によって 50人の息子、すなわ
ち王国の後継ぎ、継承者をさずかっていました。王様は、すべての息子を平
等の愛情で愛されており、宮殿で細心の注意をはらって育てていたのです。
ただひとつの例外がありまして、その男の子だけは生まれたときから嫌って
おり、その母親と一緒に、遠く離れているけれども親切な君主のいるサマリ
ア王国に送って、育ててもらうことにしました。 p.319
タウンゼンド版は、漢訳とはまるきり異なる。
ハランはでてくるが、漢訳の「徳皮叩」に相当するダイアルベキルが存在しな
い。
漢訳では、王様には子供ができなかった。ザクロを食べると子供ができると夢
のなかで告げられ、その通りに実行すると 49人の妃に子供ができた。ところが、
タウンゼンド版では、王様は、最初から 50人の子供に恵まれているのである。
この作品については、タウンゼンド版は、あきらかに漢訳の底本ではない。
漢訳では、なぜコダダッドが 49人とは違う扱いをうけるのか、その理由が無理
なく理解できる。ひとりだけ生まれるのが遅かったからだ。
だが、タウンゼンド版では、なぜだか王様に嫌われている、というだけで、納
107
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
得のいく説明になっていない。
ここまでへだたった内容であるからには、漢訳の底本としてタウンゼンド版を
あげることは不可能になる。部分的な違いにしては、最初からあまりにもかけ離
れすぎている。
奚若の漢訳、すなわち「説部叢書」版漢訳は、サグデン版ではなく、また、タ
ウンゼンド版でもない。
タウンゼンド版にしか見られない注釈が、奚若訳に見えた。これこそが、漢訳
の原本である証拠になると判断したこともある。だが、ここにいたってタウンゼ
ンド版を否定しなければならない。
両者をさかのぼれば、2種類の英訳本にたどりつく。
ひとつは、フォースター Edward Forster, M. A. 版だ。漢訳の原本が、サグデ
ン版あるいはタウンゼンド版ではない可能性が出てきたから、私は必要にせまら
れてイギリスの古書店から購入した。
手元にある版本は、皮革装の小型本4冊である。日本でいえば新書版よりも2
回りほど小さい。
書名は “THE ARABIAN NIGHTS.” とだけあって、一般に見られる “ENTERTAINMENT” をともなわない。
本文は、ガラン版にもとづいているという。ロンドンのミラー社 William Miller
の第3版、 1810年発行だ。
以前、あげておいた 1802年版が初版であるらしく、この第3版には初版の広告
と第2版 (1810) の後書きを収録する。 1810年に第2版と第3版が発行されるく
らいだから、よく売れたとわかる。
第1巻には題名を持つ物語が 27話ある。物語の導入部には題名がついていない。
普通 “introduction” などというのだが、それがない。無題名の導入部を数にいれ
れば、 28篇となる。第2巻に 15篇、第3巻に6篇、第4巻に 10篇で、合計 59篇を
収める。
初版5巻本には挿絵がついていた。また後にも挿絵本が出版されている (1839)
が、この第3版には、なぜだか挿絵はついていない。挿絵もなければカットもな
い。文字だけの、まことに地味な刊行物である。
108
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
もうひとつの可能性としてスコット版がある。
手元にあるジョナサン・スコット Dr. Jonathan Scott の英訳本(1811初版未見)は、表題
に THE “ALDINE” EDITION とうたう “THE ARABIAN NIGHTS ENTERTAINMENTS”
(ロンドンのピカリングとチャット PICKERING AND CHATTO, 1890) 4冊本である。こ
ちらは、アメリカの古書店より入手した。精密な挿絵が多数貼りこんであり、美
しい。
第1巻に 29篇、第2巻に 25篇、第3巻に 11篇、第4巻に 21篇の合計 86篇を収録
する。
以前 、「アラビア語原典からフランス語に翻訳したガラン版の「引き写し」が 、
英訳のジョナサン・スコット版だという」と紹介した。ロバート・アーウィンが
そのように書いていた *34。
スコット版は、アラビア語原典からの最初の翻訳だとうたっている。にもかか
わらず、実態はガラン版の「引き写し」が事実らしい。
発行年月の違いを見れば、ガランのフランス語版からフォースターに英訳版が
生まれ、さらにもうひとつスコット版が出てきたという順序になろうか。
とりあえず、コダダッド物語の冒頭を以下に示そう。
【フォースター】 IT is related by the historians of the kingdam of Diarbekir,
that in the city of Harran there formerly reigned a most magnificent and powerful
monarch, whose regard for his subjects was not less than their affection for him.
He was possessed of every virtue, and wanted nothing to make him perfectly
happy but the blessing of an heir. Although he had in his seraglio the most
beautiful women in the world, he still had no children. He was incessantly offering
up his prayers to Heaven; when one night, while he was enjoying the sweets of
sleep, a man of venerable appearance, or rather a prophet, stood before him, and
said: “Your prayers are heard; you will obtain what you so earnestly desire; rise
as soon as you are awake, and instantly begin praying, making two genuflexions;
after which, go into the gardens belonging to your palace, call the gardener, and
desire him to bring you a pomegranate; eat some of the seeds, as many as may be
109
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
agreeable to you, and your wishes will be fulfilled.”/ The king, as soon as he
awoke, recollected his dream, and returned thanks to Heaven. He rose, addressed
himself in prayer, and make the genuflexions required; he then went into his
gardens, took fifty pomegranate seeds, which he counted one by one, and eat
them. He had fifty wives, who occasionally shared his bed, all of whom became
pregnant; but there was one, named Pirouzè, whose pregnancy did not appear.
ダイアルベキル国の歴史家がいっております。ハランの都に、むかしすば
らしく壮大で強大な王様が支配しておりました。王様の臣下に対する心遣い
は、臣下の王様に対する愛情以上のものがありました。王様はすべての美徳
をそなえており、なにも必要ではないほどに完全に幸福でしたが、ただ、後
継ぎがいません。後宮には美人が多くいましたが、王様にはまだ子供がいな
かったのです。絶え間なく天に祈りをささげておりました。ある夜、夢のな
かに尊敬すべき風貌の、どちらかというと預言者が王様の前に立ち、言った
のです 。「お前の祈りは聞き届けられた。お前は、熱心に望んだものを手に
入れるであろう。目覚めたらすぐに祈りに行き、2度跪きなさい。そのあと
宮殿の庭に行き、庭師を呼んでザクロの実を持ってこさせなさい。種を好き
なだけ食べるのだ。必ずやお前の願いはかなうぞ」/目が覚めたあと、王様
は夢に見たことを思い出し、天に感謝しました。礼拝をして要求されたとお
り跪くと、庭に行き、ザクロの実をひとつひとつ数えて 50粒を食べました。
王様は、時折 50人の妃と寝台を共にしていたからです。妻たちは全員に子供
ができました。しかし、ピルーゼというものだけがひとり妊娠しません。 第
3巻pp.244-245
ダイアルベキルにしても、漢訳にでてくる単語は、この英訳原文にすべてそろ
っている。
冒頭部分を見るかぎり、フォースター版が漢訳の底本といってもいい。タウン
ゼンド版とはくらべものにならないくらいだ。
もうひとつスコット版も見ておく。
110
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【スコット】 Those who have written the history of Diarbekir inform us, that
there formerly reigned in the city of Harran a most magnificent and potent sultan,
who loved his subjects, and was equally beloved by them. He was endued with all
virtues, and wanted nothing to complete his happiness but an heir. Though he had
the finest women in the world in his seraglio, yet was he destitute of children. He
continually prayed to heaven for them; and one night in his sleep, a comely person,
or rather a prophet, appeared to him, and said, “Your prayers are heard; you have
obtained what you have desired; rise as soon as you awake, go to your prayers,
and make two genuflexions, then walk into the garden of your palace, call your
gardener, and bid him bring you a pomegranate, eat as many of the seeds as you
please, and your wishes shall be accomplished.” / The sultan calling to mind his
dream when he awoke, returned thanks to heaven, got up, prayed, made two
genuflexions, and then went into his garden, where he took fifty pomegranate
seeds, which he counted, and ate. He had fifty wives who shared his bed; they all
proved with child; but there was one called Pirouzè, who did not appear to be
pregnant.
ダイアルベキルの歴史を記述した者たちは、つぎのように教えています。
昔、ハランの都はとても立派で強力な王様が統治されており、王様は人民を
愛し、また同じく彼らから愛されていました。王様は、すべての美徳を授け
られており、また、なにも必要ではないほどに完全に幸福でしたが、ただ、
後継ぎがいません。後宮にはすばらしい婦人たちがいたにもかかわらず、子
供がいなかったのです。王様は、いつも天に祈りをささげておりました。あ
る夜、夢のなかに顔立ちのよい人物、どちらかといえば預言者があらわれ王
様に言ったのです 。「お前の祈りは聞き届けられた。お前は、望んだものを
手に入れたぞ。目覚めたらすぐに祈りに行き、2度跪きなさい。そのあと宮
殿の庭に行き、庭師を呼んでザクロの実を持ってこさせなさい。好きなだけ
食べるのだ。必ずやお前の願いはかなうぞ」/目が覚めたあと、夢に見たこ
とを思い出し、天に感謝して起きました。礼拝をして2度跪くと庭に行き、
ザクロの実を 50粒数えて食べました。王様は 50人の妃と寝台を共にしていた
111
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
からです。妻たちは全員に子供ができました。しかし、ピルーゼというもの
だけがひとり妊娠しません。 第3巻pp.134-135
こちらにも 、「ダイアルベキル Diarbekir」をはじめとして、漢訳と非常によく
にかよっている。
フォースター版とスコット版は、文章がうりふたつである。
フォースター版がガラン版にもとづいているならば、本文同一のスコット版が
ガラン版の「引き写し」だと称せられるのも理解ができる。
似ている英訳原文であるから、つぎには、フォースター版とスコット版を同時
に検討する必要がでてくる。
フォースター版とスコット版の検討
長い間、レイン版、タウンゼンド版、サグデン版を使用して、漢訳との語句の
異同をさぐってきた。その結果は、それぞれの本文がバラバラであることがわか
っただけだ。ゆえに底本を1本に絞りこむことができなかった。
コダダッド物語の冒頭部分は、漢訳の底本がフォースター版、あるいはスコッ
ト版である可能性を強く指し示している。ここにいたってようやく、底本を決定
する段階にたどりついたように思う。
いままで指摘してきた多くの異同箇所について、フォースター版とスコット版
ではどのようになっているのか、検討してみよう。
◆物語の書き出し部分である。
【説部叢書】上古時波斯国跨大陸。據島嶼。東渡恒河。達支那之西部。並印
度諸部隷焉。其幅員至遼闊。撒森尼安歴史。載当時有主波斯者。英武好兵。
威棱讋鄰国。
古代、ペルシアは、大陸をまたぎ、島々をおさめ、東はガンジス川からシ
ナの西に達し、インド諸部はつき従っており、その地域ははてしもなかった。
ササン朝の歴史には、当時、勇ましく軍事を好み、威光で隣国をおびえさせ
112
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
るペルシアの支配者がいたことを記録している。
【フォースター】 IT is recorded in the chronicles of the Sassanians, those
ancient monarchs of Persia, who extended their empire over the continent and
islands of India, beyond the Ganges, and almost to China; that there was an
illustrious prince of that powerful house, who was as much beloved by his subjects
for his wisdom and prudence, as he was feared by the surrounding sates, from the
report of his bravery, and the reputation of his hardy and well disciplined army.
ササン朝の年代記において、その帝国をインドの大陸と島々をまたぎ、ガ
ンジス川を遠く越えて、ほとんど中国にいたるまでおしひろげたペルシアの
古代の王様たちのなかに、強力な一族の輝かしい王様が存在し、その聡明さ
と思慮深さによって自国民から愛され、彼の勇敢さと彼の強力で訓練のいき
とどいた軍隊によって隣国から恐れられていた、と記録されている。
漢訳は、フォースター版のそのままであるといってもいい。ペルシア、ガンジ
ス、ササン朝と、どれひとつとして取り落している単語はない。
以前示したサグデン版は、このフォースター版を原本にしていると考える。も
との語句を一部分置き換えただけなのだ。似ているはずだ *35。
それでは、スコット版ではどうか。
【スコット】 The chronicles of the Sassanians, ancient kings of Persia, who
extended their empire into the Indies, over all the adjacent islands, and a great
way beyond the Ganges, as far as China, acquaint us, that there was formerly a
king of that potent family, who was regarded as the most excellent prince of his
time. He was as much beloved by his subjects for his wisdom and prudence, as he
was dreaded by his neighbours, on account of his valour, and well-disciplined
troops.
ササン朝の年代記において、その帝国をインドの大陸と隣接した島々をま
たぎ、ガンジス川を遠く越えて、ほとんど中国にいたるまでおしひろげたペ
113
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ルシアの古代の王様たちのなかに、かつて強力な一族の輝かしい王様が存在
し、その時代のもっともすばらしい君主だと尊敬されていた。その聡明さと
思慮深さによって自国民から愛され、彼の勇敢さと彼の強力で訓練のいきと
どいた軍隊によって隣国から恐れられていた。
スコット版にはある “who was regarded as the most excellent prince of his time”
という箇所が、漢訳には見えない。
ごくわずかな違いだけだから、冒頭部分だけでは、フォースター版かスコット
版か漢訳の底本問題には、決着はつかない。
◆兄弟王がそれぞれ妃に裏切られる物語について、漢訳をもとにして英訳3種類
との対応を見たことがある。同じ箇所についてフォースター版とスコット版を加
えて示す。(レイン版/タウンゼンド版/サグデン版/フォースター版/スコット版の順。○
:一致、×:不一致、無:該当する箇所が存在しない。識別のため下線をほどこす)
漢訳
レイン版/タウンゼンド版/サグデン版/フォースター版/スコ
ット版
#1 撤森尼安 (ササン王朝) ―― ×無/○ Sassanian/○ Sassanians/○ Sassanians/
○ Sassanians
#2 十年 (10年間) ―― ×twenty years/○ ten years/○ ten years/○ ten years/
○ ten years
#3 忽念后不置 (妃をおもう) ―― ×he had left in his palace an article/○ once
more to see his queen/ ×無/○ once again to embrace his queen/○ once more
to see the queen
#4 奴 (奴隷) ―― ×a male negro slave/○ a slave/ ×無/○ another man/○ a
man
#5 自牖棄屍溝中 (窓から死体を溝になげすてた) ―― ×slew them both in the bed/
○ he threw their dead bodies into the foss or great dithch/ ×無/○ he threw
them from the window into the foss, that surrounded the palace/○ he threw
them out of a window into the ditch that surrounded the palace
114
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
#6
俄 婢 十 人 各 弛 服 。 黒 奴 如 婢 数 (下女 10人と同数の黒人奴隷) ―― △ twenty
females and twenty male black slaves/ ×hold secret conversation with another
man/ ×無/△ out came twenty females/○ ten of them were black men, and
that each of these took his mistress
#7 美蘇得 (メスード) ――○ Mes'ood/ ×無/ ×無/○ Masoud/○ Masoud
#8 計九十有八 (指輪98個) ――○ ninety-eight seal-rings/ ×無(魔神と美少女部
分そのものを省略する)/×無/○ninety-eight/○fourscore and eighteen(80
と18で98)
#9 縛后―― ×caused his wife to be beheaded/ ×to death his unhappy sultana/ ×
無/○ her to be bound/○ her to be bound
#10 手殺諸婢奴 (下女奴隷を殺し) ――△ in like manner the women and black
slaves/△ the unworthy accomplice of her guilt/ ×無/○ beheaded all the
sultaness's women with his own hand/○ cut off the heads of all the sultaness's
ladies with his own hand
#11 3年間は漢訳にもない――○ three years/ ×無/ ×無/ ×無/ ×無
以上を見るかぎり、漢訳は、例外なくスコット版と一致している。フォースタ
ー版は、 #6のみが微妙にズレているだけだ。
◆タウンゼンド版にのみつけられていると思ったロバに関する注釈は、フォース
ター版、スコット版にも存在するのだろうか。
【説部叢書】東方風俗,牛驢異待,牛作苦,驢則供王侯官吏駆馳,顧慮甚至。
近埃及副王曾以白驢贈威爾士親王,副王維嘉爾因此驢得優賞。一千 [八百 ]六
十四年秋,伊斯林頓開農学博覧会,此驢与焉。
東方の風俗では、牛とロバでは待遇が異なっていた。牛は苦役に使われ、
ロバは王侯官吏の走りに提供され、とてもよい世話をしてもらっていた。最
近、エジプトの副王が白いロバをウェールズ親王に贈った。副王ヴィカーは、
このロバによって優秀賞をえて、 1[8]64年の秋、イスリントンで農学博覧会
が開催されたとき、このロバも参加したのである。 6頁
115
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
不思議なことに、ここに示した注釈は、スコット版にはない。スコット版は、
全冊をつうじて注釈そのものが存在しない。読物として考えられているからだろ
う。
フォースター版には、注釈はつけられてはいるが、その数が少ない。また、タ
ウンゼンド版ほど詳しくないし、だいいち上に示した注釈は、もともと存在しな
い。
フォースター版、スコット版ともに注釈がないとなれば、奚若は、注釈部分に
かぎってタウンゼンド版を参照したということになろう。
漢訳における注釈の存在は、当時の読者にアラビアン・ナイトと理解してもら
う工夫のひとつだ。重視すべきだと考える。
注釈があるということ、それも、別の版本を参照していることになれば、奚若
は、複数の版本を手元において漢訳を進めていた事実を私たちに教えてくれる。
やっつけ仕事とか、豪傑訳とか、読者を無視した翻訳とは無縁の仕事だとわかる。
奚若の誠実な翻訳姿勢を見ることができよう。
◆牝シカに変身している妻が「従妹」であるという箇所だ。
【説部叢書】叟曰。此鹿為予中表妹。当髫歳。即帰予為室。凡世閲卅寒暑。
無所出。予雖不弛愛。不能無念嗣続。
老人は語った。この鹿は私の従妹です。幼い頃、私の家に嫁ぎました。 30
年をすごし、なにごともなかったのです。私は愛してはいましたが、跡継ぎ
がいないのを残念に思わないわけにはいきませんでした。 15頁
漢訳でわざわざ「中表妹[従妹 ]」としているのは、原文がそうなっているか
らだ、と予測した。
フォースター版では「従妹 cousin」だ。スコット版も「従妹 cousin」とする 。
◆父親は、姿の見えない息子を待って何ヵ月が経過したか。
116
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
「8ヵ月 eight months」がタウンゼンド版だった。サグデン版は「2ヵ月 two
months」、レイン版は「1年 a year」とする。
漢訳は、なぜかしら「3ヵ月[三月]」(15頁) になっており、しかも、のちの重
版では「1ヵ月[一月]」(14頁) に変更していることはのべた。
フォースター版、スコット版ともに「8ヵ月 eight months」となっており、漢
訳と異なる。異なる理由は不明とせざるをえない。
◆商人の罪は3分の1なのか、それとも2分の1なのか。
魔神が不思議な話を聞いて「商人の罪の3分の1を許してやろう。当為汝宥賈
罪三之一可矣 」(17頁) という。物語る人物が3名いるから、3分の1というわけ
だ。
フォースター版、スコット版ともに3分の1としており、漢訳と一致する。
タウンゼンド版では、2分の1としていた。つまり2名が登場するだけだから、
それに合わせてある。
漢訳とは異なるから、底本はタウンゼンド版ではないことを確認できる。漢訳
者の勝手な改編ではないという意味でもある。
◆医者ドゥバンの物語だ。
漢訳は、底本であるはず (その当時そう考えていた)のタウンゼンド版とは、冒頭
部分が異なっていることを指摘した。再度、漢訳を示す。
【説部叢書】乍門者。為国至小。属波斯。民皆希臘産。王病癩。歴謁医。不
能已其疾。
ズゥマンは小さい国で、ペルシアに属し、国民はみなギリシア出身だった。
王は癩を病んでおり医者をめぐったが病気を治すことはできなかった。 23頁
タウンゼンド版には、ズゥマンもペルシアもギリシアも出てこない。サグデン
版のみ類似の表現がある。
では、フォースター版ではどうかと見れば、
117
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【フォースター】 IN the country of Zouman, in Persia, there lived a king, whose
subjects were originally Greeks. This king was sorely afflicted with a leprosy, and
his physicians had unsuccessfully tried every remedy they were acquainted with,
……
ズゥマンというペルシアにある国に、王がひとりいた。その国民はもとも
とはギリシア人であった。その王は癩病にひどく苦しんでおり、彼の医者た
ちは知っているあらゆる治療法を試したが、ことごとく失敗したのだった。
……
p.54
とあって、サグデン版と完全に一致している。というよりも、時間的にいえば、
サグデン版が追随したわけだ。
一方のスコット版ではどうか。
【スコット】 THERE was in the country of Yunaun or Greece, a king who was
leprous, and his physicians had in vain endeavoured his cure;……
ユナウンあるいはギリシアに癩病の王様がいた。彼の医者たちは、治療を
しようとむだな努力をしていたのだった。……
p.68
地名の部分を見ると、漢訳は、スコット版を底本としない。やはり、フォース
ター版に拠ったと思える。
さらに、フォースター版は、医者ドゥバンの精通している各国語が、 Greek、
Latin、 Persian、 Arabic、 Turkish、 Syriac、 Hebrew
だという (サグデン版も同一)。
ス コ ッ ト 版 が あ げ る の は 、 Greek、 Persian、 Turkish、 Arabic、 Latin、 Syriac、
Hebrew だから、ここは同一だといっていい。
漢訳も、順序は違うが、臘丁、希臘、波斯、亜拉伯、土耳其、叙利亜、希伯来
と英文に対応させている。
タウンゼンド版がそれらの言語に言及しないのに比較すれば、フォースター版
が漢訳の底本である可能性が高まる。スコット版は、語句の違いがあって、可能
118
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
性はフォースター版にはおよばない。
◆狩猟についての注釈である。
漢訳に見える「狩猟が好きだった
性好畋」の注釈は、前述のとおり、タウン
ゼンド版に拠っている。フォースター版、スコット版は、注釈については関係が
ない。
◆4色の魚を届けてきた漁夫への礼金 400である。タウンゼンド版と一致する。
【説部叢書】有異色必有嘉味。以魚付庖人。賚漁父金幣四百。
異なる色をしていてうまいにちがいない。その魚を料理人にわたし、漁夫
には金貨 400を与えよ。 30頁
【タウンゼンド】 Take these fish, and carry them to the cook; I think they must
be equally good as they are beautiful; and give the fisherman four hundred pieces
of gold.
それらの魚を料理人のところへ持っていけ。その美しさと同じくらいうま
そうだ。漁夫には金 400を与えよ。 p.30
漢訳には、表題として「四色魚」がかかげられていることはすでにのべた。
英文訳本でも同様に表題を別にしているかといえば、別にしているものもあり、
そうでないものもある。
漁師の冒険続き、と表題をつけて区別しているのは、ここにあげたタウンゼン
ド版だ。表題といい、内容といい、漢訳はタウンゼンド版そのものであるという
ことができる。
ところが、一致する部分がこれほどまでにありながら、それに続く箇所は、タ
ウンゼンド版と漢訳は違ってくるのが不思議なのだ。
【タウンゼンド】 The fisherman, who was never before in possession of so large
a sum of money at once, could not conceal his joy, and thought it all a dream, until
119
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
he applied the gold in relieving the wants of his family.
漁夫は、一度にそれほどの大金を持ったことがなかったので、喜びを隠す
ことができませんでした。彼の家族を窮乏から救うために金を使うまでは、
すべてが夢ではないかと思ったのです。 p.30
フォースター版、スコット版、サグデン版など、金 400が出てくる箇所もみな
似たりよったりということができる。例としてフォースター版を引用する。内容
はほとんど同じだから、日本語訳はつけない。
【フォースター】 The fisherman, who was never before in possession of so large
a sum of money at once, could not conceal his joy, and thought it all a dream. He
soon however proved it to be a reality by the good purpose, to which he applied
the gold; in relieving the wants of his family. pp.70-71
ところが、漢訳は、それらの英訳本とは異なる内容を記述している。
【説部叢書】漁父驟得巨金。喜心翻倒。転疑為夢。神怳怳然。趨至家。則妻
孥踦門而望。漁父出金於懐。瞠目而曰。其夢耶。妻不知所謂。即詰金所自来。
漁父具白。且恐為幻境。妻力言非是。搯之痛。方知非夢。乃抱金而笑。置好
衣美食。儼然以素封自居矣。
漁夫は、にわかに大金を手に入れて、喜び転んで、夢ではないかと疑った
のです。ぼうっとしたまま家に急ぎますと、妻と子供が入り口によりかかっ
て帰りを待っています。漁夫は懐から金を取り出し目をみはって、夢じゃろ
か、といいました。妻はわけがわからず、金の出所を問い詰め、漁夫は説明
して幻かと恐れるのです。妻はそうではないと力説し、叩いてその痛さによ
うやく夢ではないとわかり、金を抱いて笑うのでした。よい衣服、うまいも
のを買い、さながら金持ちをきどったのです。 30頁
漢訳は、夢か幻かとほうけている漁夫を妻が叩いて目を覚まさせている。描写
120
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
が具体的であり、だから、英文翻訳と離れるというのだ。ただし、この部分は、
訳者の想像力をもってすれば、補うことが可能な範囲内ではなかろうか。アラブ
特有の事物を示す必要もないからだ。常識的な描写ということができる。
今まで見てきた奚若訳は、英文を離れることはほとんどなかった。フォースタ
ー版には見えない描写だから、ここはやや珍しく、漢訳者が加筆したということ
になろうか。
4色の魚を料理しようとすると、じゃまをする人物が出現する。それを3回く
りかえし、王様もみずからが確認して、そもそも4色魚はどこからとってきたも
のか、という話になる。
よっつの小山に囲まれた湖で、馬に乗れば3時間もかからないところにある、
と漁夫は答える。漢訳は「騎而往。不三小時可達也 」(31頁) と書いている。
フォースター版は “in a pond, which is situated in the midst of four small hills,
beyond the mountain you may see from hence”(p.74) と書いて山の向こうだという 。
つづけて、 “it was not more than three hours journey” というのだから、漢訳と同
じ3時間たらずである。
スコット版も同じく “I fished for them in a lake situated betwixt four hills, beyond
the mountain that we see from hence.”(p.90) とあるうしろに “it was not above three
hours journey” と表現している。
タウンゼンド版も “he caught them in the lake situated in the midst of the four
small hills, not more than three hours' journey from the palace”(p.32) と「3時間」を
示す。サグデン版も「3時間」 (p.40) だと書いているところはかわりがない。
フォースター版と一致しているところが重要だ。
◆妖術を使う妻 (黒島王の下半身を大理石に変えた) と、その愛人の会話だ。
【説部叢書】当於朝暾未上。使此殷繁都会。悉化為墟。巍垣巨宮。置諸漠野。
諒君所雅願者。
朝日がのぼるまえに、この繁栄する都会を、ことごとく廃墟にし、大きな
建物を砂漠におきましょう。あなたがお望みならばね。 34頁
121
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
タウンゼンド版は、妻は愛人に別の土地に逃げようと提案している。漢訳とは
異なる。
フォースター版の該当箇所を示す。
【フォースター】 I will if you wish it, before the sun rises change this great city
and this beautiful palace into frightful ruins, which shall be inhabited only by
wolves, and owls, and ravens. Shall I transport all the stones, with which these
walls are so strongly built, beyond Mount Caucasus, and father than the
boundaries of the habitable world?
あなたがお望みならば、太陽がのぼるまえに、この偉大な都会とこの美し
い宮殿を、狼、フクロウ、カラスだけが住んでいる恐ろしい廃墟に変えてし
まいましょう。壁を強固に築かいているすべての石をコーカサス山の向こう、
住むことのできる境のはるか遠くに運んでしまいましょうか。 p.82
漢訳は、フォースター版 (スコット版も同様) を簡潔に翻訳したといっていい。
◆ダーヴィシュに関する注釈だ。タウンゼンド版には、場所が違うが、注がつい
ていた。
注釈については、前述したように、フォースター版、スコット版ともに該当す
るものが存在しない。
タウンゼンド版を参照したと思われる。
◆タラゴン問題である。タラゴンを出してくるテキストが、ない。タウンゼンド
版でも、サグデン版でもタラゴンへの言及がない。ましてや酢漬けをいう語句は、
もともとないのだ。
ねんのため、漢訳をかかげておく。
【繍像小説】又至一肉肆。購鮮肉二十五磅。復至菜市購白花菜。太勒貢 (菜
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漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
名) 胡瓜。芹菜等。浸以醋。
さらに肉屋にいくと新鮮な肉を 25ポンド購入しました。また野菜市場では、
酢につけるために白花菜、タラゴン (野菜の名前)、キュウリ、セロリなどを
買いました。 1丁オ
【説部叢書】復至屠肆。購二十五磅肉。而白花菜。太勒貢 (菜名)。瓜芹之類。
所買亦称是。
また肉屋に行って 25ポンドの肉を買いました。さらに、白花菜、タラゴン
(野菜の名前)、キュウリ、セロリの類を購入して、それをかつぐのです。40頁
「酢につける」部分を除いて、両者は、同じ漢訳である。
問題のタラゴンをフォースター版で見よう。
【フォースター】 Passing by a butcher's shop, she ordered five and twenty
pounds of his finest meat to be weighted, which was also put into the porter's
basket. /At another shop she bought some capers, tarragon, small cucumbers,
parsley, and other herbs, pickled in vinegar:
肉屋に通りかかると彼女は最高の肉を 25ポンド量るよう命じると、これも
荷担ぎのカゴにいれました。/別の店で彼女は、酢づけの、ケイパー、タラ
ゴン、小さなキュウリ、パセリそのほかのハーブを買いました。 p.96
スコット版では、上の野菜に加えてサッサフラス sassafras を混入させる。
野菜の名前がいろいろと出てきた。こまかな部分が、漢訳の底本をさぐる手掛
かりとなる。だからこそ、私はこだわっている。
以前、タウンゼンド版にはタラゴンは出てこないとのべた。フォースター版を
見れば、これこそが漢訳の底本となっていることがわかる。スコット版には、サ
ッサフラスをともなっているので、こちらではない。
◆シャーラザッドの語り
物語の途中でシャーラザッドが口をはさむ。はさむといっても、物語全体がシ
123
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ャーラザッドの語りなのだから、出てきてもおかしくはないが、物語作者がそう
させているのだ。
【繍像小説】言至是。司乞黒勒石 (即蘇丹妃[)]謂蘇丹曰。陛下欲知此事之究
竟。
ここまで話すと、シャーラザッド (国王の妃) は、国王にいった。陛下は
この物語の最後までお知りになりたいでしょう。 4丁オ
フォースター版の 105-106頁にシャーラザッドの語りがある。
◆タウンゼンド版が完全に無視した近親相姦である。
タウンゼンド版は、青少年を読者対象とすることを理由に近親相姦については、
完全に削除した。サグデン版も同様である。人々に広く知られたアラビアン・ナ
イトに、まさか、なまぐさい物語が含まれていようなど、思いもしない。
【繍像小説】是児幼年。夙与其姉相愛好。爾時余亦賛勉之。此家庭恒事。無
足怪者。豈知数年以来。二人情日密。致有醜行。……
この子は幼年よりその姉と仲がよく、そのころはわしもそれをほめていた。
家庭では普通のことで、怪しむことではない。ところが、数年来、二人の情
愛は日に濃くなり、ついには恥ずべき行為をもってしまった。……
9丁ウ
フォースター版では、この描写は 125頁にある。スコット版は、 152頁だ。
◆ねたみをかいヒドイ目にあわされた善人がいた。善人は、ねたんだ当の男を見
つけてどうしたか。なんと昔なじみだからといって財宝をたっぷり贈呈した、と
いうあの物語だ。
その財宝の一部は、漢訳では「金貨一千枚[金幣千枚]」(16丁ウ。「説部叢書」版
は「枚」を省略する) となっていた。タウンゼンド版では「金百枚 one
pieces of gold」(p.62) だ。
124
hundred
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
フォースター版は、 “a thousand pieces of gold”(p.148) で一致し、スコット版は
“one hundred pieces of gold”(p.179) で不一致だ。
フォースター版こそが、漢訳の底本だといってもいい。
◆猿を養子にしようという船長のセリフがあった。
【繍像小説】余生平未見智如此猴者。他日行将豢之如子矣。余昔一子。其才
乃不当是猴之半。
わしは、これほど賢い猿をこれまで見たことがない。後日、息子のように
飼育してやろう。わしには昔息子が一人いたが、その才能はこの猿の半分も
なかったぞ。 17ウ
タウンゼンド版には、このセリフはない。
【フォースター】 I have never seen any ape more clever and ingenious, nor one,
who seemed so well to understand everything, I declare, that I will acknowledge
him as my son. I once had one, who did not possess half so much ability as he
does.
これほど賢く才能があって、なんでも知っているようにみえる猿をわしは
見たことがない。わしの養子にすることを断言しよう。わしには、昔息子が
いたが、これの能力の半分も持ち合わせなんだぞ。 p.151
サグデン版は、フォースター版の句読点を変更しただけ。字句は、まったく同
一。
スコット版には、船長が自分の息子うんぬんという部分がない (p.183)。
◆王様とチェスの勝負をして猿のつくる詩があった。
猿との勝負に負けた王様は、ご機嫌ななめである。猿は、なんとかなぐさめよ
うとつくった詩だ。
125
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【繍像小説】余又詠詩以献。詩中有二強有力者。終日角闘。入晩則歓若平生
云云。蓋隠諷之也。
私は、また詩をよんでささげました。その詩には、ふたりの強者がおり、
終日格闘しましたが、夜になると、日常のように仲良くした、などといたし
ました。遠回しにいったのでございます。 18オ
勝負は勝負にすぎず、人格的に憎んでいるわけではない、といいたいらしい。
こましゃくれた猿だ。もっとも教養ある王子が猿に変身させられているのだから、
不思議ではない、と読者は知っている。
【フォースター】 I wrote a stanza to amuse him, and presented it to him; in
which I said, that two powerful armed bodies fought the whole day with the
greatest ardor, but that they made peace in the evening, and passed the night
together very tranquilly upon the field of battle.
私は王様を楽しませるために詩をつくり、見せたのです。そのなかで、ふ
たつの強力な軍隊が、終日猛烈な熱情をこめて戦いましたが、夕方には和を
結び、その夜は戦場で平穏にすごしたことをのべたのでした。 pp.153-154
タウンゼンド版も、フォースター版とほぼ同一の語句である。フォースター版
からタウンゼンド版が作られた可能性もなくはない。私が、一時期タウンゼンド
版を漢訳の底本だと考えていたのは、無理のないことだと、今更ながらに弁解し
たくなる。
スコット版にもほぼ同様の内容の記述がある (p.186)。
8
結論 ――奚若訳の底本はフォースター版である
以上の比較対照をつうじて、フォースター版とスコット版は、共通する部分が
多いことが判明した。だが、注意しなければならないのは、完全に一致するわけ
126
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
ラウトレッジ社本
ではないことだ。
両者を比較すれば、という話になる。漢訳と重なる部分がより多いフォースタ
ー版こそが、漢訳の底本である可能性がたかい。
奚若漢訳の底本を特定するため、つぎの版本を参照した。フォースター版、ス
コット版、ダルケン版、ニモ社版、サグデン版、タウンゼンド版、ニュウンズ社
版などである。
それらのなかでは、フォースター版が漢訳にいちばん近い。しかし、漢訳の一
部が、フォースター版とは異なる部分がある。すでにあげた例では、4色の魚の
物語であったりする。
漢訳の一部でも英文原作と一致しないならば、別の版本の存在を考えなくては
ならないだろう。
ここでもういちど 、「説部叢書」版『天方夜譚』の序にたちもどる。底本とし
た英文原作についての証言を、あらためて確認するためだ。
英文との比較をつうじて、序がのべる底本がレイン版であるというのは間違い
127
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
であることはわかっている。もうひとつの記述だ。
すなわち 、「ラウトレッジ Routledge 社の刊行した版本」という箇所にこだわ
るのだ。
新しく入手したアラビアン・ナイトの英文原作がある。
“THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS” WITH ONE HUNDRED AND
FIFTY ORIGINAL ILLUSTRATIONS DRAWN BY THOMAS B. DALZIEL, LONDON
GEORGE ROUTLEDGE AND SONS, 1877
ダルジールの挿絵を特色とする1冊本だ。扉にもどこにも表示はないが、本文
は、フォースター版なのである。
本文と漢訳はほぼ一致する。序でいうラウトレッジ社本であるところも同じだ。
奚若漢訳の底本、すなわち英語原本については、以下のように結論する。
奚若は、漢訳するにさいして、ラウトレッジ社本のフォースター版を底本とし
た。さらに、注釈をタウンゼンド版から取り入れている。
長くのべすぎた。奚若版の出版情況を簡単に説明して本稿の終わりとする。
『繍像小説』の連載と並行して 、『東方雑誌』の連載がはじまっている。
「天方夜譚」(『東方雑誌』第2年第6-12期 光緒三十一年六月二十五日1905.7.25-十二月二
十五日1906.1.19) の統一表題のもとに「苹果醸命記 」
、「荒塔仙術記 」、「墨継城大会
記」の3篇が掲載された。
雑誌連載を終了して単行本になったという事実は、広く読者を獲得していた証
拠ともなる。
未発表の冒頭 10話 、『繍像小説』と『東方雑誌』の連載分の合計 50篇をまとめ
た4冊本が商務印書館より刊行される。光緒三十二 (1906) 年のことだ。ここで
はじめて訳者が奚若であることが明らかになった。すでに本稿のなかで触れてい
るとおりだ。
『中外日報』光緒三十二年五月二十二日 (1906.7.13) の「謝恵新書」には 、『魯
濱孫飄流続記』2冊 、『寒牡丹』2冊とならべて『足本天方夜譚』という書名が
見える。4冊が同時に、 1906年には出版されていることの証拠となろう。
この刊本が、最初から商務印書館発行「説部叢書」の1種類として出版された
128
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
補充読本版『天方夜譚』
表紙のみ「夜談」と表示する
かどうかは、今のところ不明である。
ともかく 、「説部叢書」に収録され 、「述異小説」という角書と第六集第4編
の番号を与えられた。のち 、「説部叢書」が改組されて、初集第 54編と番号が変
更される。
上下2冊本が 、「訳述者
奚若/校註者葉紹鈞」と表紙にかかげられて上海・
商務印書館 (上冊1924.6/1932.6国難後1版、下冊1924.8) より出る。これには 、「新学制
中学国語文科補充読本」と添えられているから多くの生徒に読まれたのではなか
ろうか。
さらに「万有文庫 」(1930.4未見) に収録されている。また、私の所蔵するもの
に「万有文庫第一二集簡編五百種 」(1939.12) がある。上下2冊本で奚若訳、葉紹
鈞校の焼き直しだ。
最近といってもすでにだいぶ前のことになるが、奚若訳であることを明記して、
新しく長沙・岳麓書社より1冊本がでた (1987.1)。
129
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
【附記】本稿は、大阪経済大学2002、2003年度特別研究費による研究成果の一部である。
【注】
1)佐藤正彰「解説」
『千一夜物語』世界文学大系73 筑摩書房1964.1.15。
【増補版補記】杉田
英明氏よりご指摘があった。Marudrus とするのは佐藤の誤記。Mardrus と正す。
2)郅溥浩「
《一千零一夜》在中国」林煌天主編『中国翻訳詞典』武漢・湖北教育出版社1997.11。
832-833頁
3)馬 竪「“天方夜譚”簡介」
『訳文』1956年11月号1956.11.1
伊
宏「《一千零一夜》」『中国大百科全書・外国文学Ⅱ』北京・中国大百科全書出版社
1982.10。1172-1173頁
伊 宏「
《一千零一夜》与中国」
『外国文学研究集刊』第9輯1984.7
李長林「清末中国対《一千零一夜》的訳介」
『阿拉伯世界』1994年第1期1994。未見
郅溥浩『神話与現実――《一千零一夜》論』北京・社会科学文献出版社1997.3
郭延礼『中国近代翻訳文学概論』漢口・湖北教育出版社1998.3。
馬祖毅『中国翻訳史』上巻 漢口・湖北教育出版社1999.9。717-722頁
熱扎克・買提尼牙孜主編『西域翻訳史』烏魯木斉・新疆大学出版社1994.9/1997.4第二次印
刷。233-234頁。
蓋 双「
《天方夜譚》知多少」
『阿拉伯世界』2000年第1、2期2000。未見
王向遠『東方各国文学在中国――訳介与研究史述論』南昌・江西教育出版社 2001.10。
130-138頁
『西域翻訳史』は、
『一千零一夜』の漢訳には触れないが、こういう書物もあるという意
味で示しておく。
4)紫英「新盦諧訳」
「雑録二説小説」シリーズ『月月小説』第5号光緒丁未正月(1907)
5)連燕堂「開闢翻訳新途徑的周桂笙」中国社会科学院文学所編著『中国近代文学百題』北京
・中国国際広播出版社1989.4。384頁
6)海風主編『呉趼人全集』第9巻(哈爾濱・北方文藝出版社1998.2)所収のものに拠る。張純
校点
7)楊世驥『文苑談往』
(上海・中華書局1945.4/1946.8再版。影印本)は、その刊行を「光緒廿
六年」
(12頁)とするが、廿九年の誤植であろう。
『新庵諧訳初編』の出版を1900年とする
のは、前出の李唯中「訳序」『
( 一千零一夜』1。34頁)また郅溥浩『中国翻訳詞典』832頁
がある。
8)国立国会図書館所蔵原本のマイクロフィルムの奥付は、明治8年5月7日官許、山城屋政
130
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
吉。天理図書館所蔵本の奥付は、明治8年6月12日出版。本稿は、
『明治文化全集』第13
巻(日本評論社1928.4.15)所収版による。樽本「
『暴夜物語』の底本――日訳最初のアラビ
アン・ナイト」
『大阪経大論集』第52巻第6号(通巻第166号)2002.3.31。本稿で使用した
タウンゼンド版の出版社は、ロンドンとニューヨークのウォーン Frederick Warne & Co.,
[1866]。刊年不記。
9)胡従経『晩清児童文学鈎沈』上海・少年児童出版社1982.4。151、153頁
10)『中国近代文学大系』第11集第28巻翻訳文学集3(施蟄存主編)上海書店1991.4。355-359頁
11)
『中国翻訳詞典』832頁
12)顧燮光「小説経眼録」
『訳書経眼録』1927初出未見。阿英編『晩清文学叢鈔』小説戯曲研究
巻 北京・中華書局1960.3上海第1次印刷。台湾・文豊出版公司(1989.4)の影印本がある。
539頁
13)伍国慶「
(天方夜譚)前言」
『天方夜譚』長沙・岳麓書社1987.1。宋斐夫標点。3頁
14)樽本『清末小説きまぐれ通信』清末小説研究会1986.8.1。43頁。ちなみに、前出の連燕堂
「開闢翻訳新途徑的周桂笙」には、
「前二冊与奚若合訳」
(385頁)として、奚若と周桂笙
を分けている。当然だ。
『清末小説きまぐれ通信』は、樽本編著『樽本照雄著作目録1』
(清末小説研究会2003.1.1)に収録した。
15)利波雄一「李伯元と商務印書館――『繍像小説』をめぐって」
(早稲田大学中国文学会『中
国文学研究』第10期1984.12。注30)の指摘によって知った。念のため、該誌第4年第1期
(光緒三十三年正月二十五日1907.3.9)にも見える「光緒三十二年十二月本館創設速成小学
師範講習所第二次畢業時撮影」に示された教員は、長尾雨山、章東泉、蒋竹荘、韓静庵、
杜亜泉、徐念慈、呉書箴、孫雨蒼、厳練如である。
16)鄭貞文「我所知道的商務印書館編訳所 」『文史資料選輯』 53輯
1964.3/1981.6第二次印刷
(日本影印)
。143頁。同じく、(
『 1897-1987)商務印書館九十年――我和商務印書館』北京
・商務印書館1987.1。204頁
17)張静廬、林松、李松年「戊戌変法前後報刊作者字号筆名録」
『文史』第4輯1965.6。230頁
18)張人鳳整理『張元済日記』上下 石家荘・河北教育出版社2001.1。北京・商務印書館1981.9
もある。
19)張樹年主編、柳和城、張人鳳、陳夢熊編著『張元済年譜』北京・商務印書館1991.12。105頁
20)中村忠行「清末探偵小説史稿(1)」『清末小説研究』第2号1978.10.31。30頁【増補版補
記】以下を追加する。陳応年「奚若,一位被人們遺忘的翻訳家」
『中華読書報』1999.7.14
電字版。李凱「東呉名人:被遺忘的翻訳家奚若」ウェブサイト「江陰赤岸李氏」2007.2.23
電字版
131
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
21)郭延礼『中国近代翻訳文学概論』漢口・湖北教育出版社1998.3。355-356頁。郭延礼は、の
ちに「奚若,字綬伯,江蘇呉県人,東呉大学畢業後赴美国留学」「
( 近代外国文学訳介中的
民族情結」
『文史哲』2002年第2期(総第269期)2002.3.24。101頁の注1)と書いている。
しかし、その出身と卒業大学について出典を明記していない。
22)中村忠行「清末探偵小説史稿(1)
」30頁
ママ
23)周遐寿(作人)
「二三天方夜談」附録二学堂生活『魯迅小説裏的人物』上海出版公司1954.4。
324頁
24)ロバート・アーウィン著、西尾哲夫訳『必携 アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』平凡
社1998.1.14。35頁
25)アーウィン著、西尾訳『必携 アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』38頁
26)飛ヶ谷美穂子「漱石の愛蔵書」
『図書』2001年10月号2001.10.1。29-30頁
27)荒正人『漱石研究年表』集英社1974.10.20初版未見/1978.8.20四刷。125頁
28)バートン「巻末論文」大場正史訳『バートン版千夜一夜物語』第7巻 河出書房1967.5.25。
347-348頁
29)重版では、初出にはない注釈をつけている。
「蘇羅門(Solomon)
,耶蘇紀元前第十世紀之以
色列王,以多智著称」21頁。本文の内容とは違うのではないか。
30)井上勤訳述、渡辺義方校正『全世界一大奇書』広知舎1883.7.7版権免許。国会図書館所蔵マ
イクロフィルムで見た。のち表題のように改題したという。今、大倉書店1908.2.13改訂、
および岡村書店1910.6.7譲受印刷、19204.5三版による。
31)柳田泉『明治初期翻訳文学の研究』明治文学研究第5巻 春秋社1961.9.15/1966.3.10二刷。
41頁
32)杉田英明「『アラビアン・ナイト』翻訳事始――明治前期日本への移入とその影響――」
(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部『外国語研究紀要』第4号2000.3.31)による
と、英文原本は、エディンバラのニモ Nimmo 社1865版であるという。10頁
33)杉田英明氏より2006年4月6日付でご教示をいただいた。それによると、タウンゼンド版
3の挿絵「空飛ぶ馬」は、フリードリッヒ・グロスの版画で、元来はヴァイル版ドイツ語
訳に掲載されていたという。タウンゼンド版は、通常、ホートンやディーエル(ダルジー
ル)の挿絵であって、これとは系統を異にしているらしい。版本の系統は、きわめて複雑
だと私には思える。別のいいかたをすれば、出版元は、そこにある挿絵を適当に利用した。
34)アーウィン著、西尾訳『必携 アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』35頁
35)ねんのために冒頭部分をかかげておく。
【サグデン】IT is written in the chronicles of the Sassanians−those ancient monarchs of Persia,
132
漢 訳ア ラビ アン ・ナイ ト
who extended their empire over the continent and islands of India, beyond the Ganges, and almost
to China−that there once lived an illustrious prince of that powerful house, who was as much
beloved by his subjects for his wisdom and prudence, as he was feared by the surrounding states,
from the report of his bravery, and the reputation of his hardy and well-disciplined army.
ササン朝の年代記において、その帝国をインドの大陸と島々をまたぎ、ガンジス川を越
えて、ほとんど中国にいたるまでおしひろげたペルシアの古代の君主たちのなかに、かつ
て強力な一族の輝かしい君主が存在し、その聡明さと思慮分別によって自国民から愛され、
勇敢だという評判と彼の強力で訓練のいきとどいた軍隊の世評によって隣国から恐れられ
ていた、と記録されている。
【増補版補記】杉田英明氏よりのご教示。弟王の名前:シャー・ゼナン Schahzenan とするのは
ガラン系統の訳書。シャー・ザマーンとするのはアラビア語原典訳。
133
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
1-2は、
『清末小説』第26号(2003.12.1)に掲載。副題は「英文原作探索篇」
。周作人が
漢訳した「アリ・ババと40人の盗賊」は、その英文原作がロンドン・ニュウンズ社版であ
ることは、よく知られている。周作人が、数度にわたり回想して証言している。しかし、
実際にニュウンズ社版を見れば、周作人の証言が間違っていることがわかる。どうやら勘
違いしたらしい。そこで、漢訳の底本を追求する作業が必要となった。試行錯誤の結果、
フォースター版、スコット版、ダルケン版、ニモ社版、サグデン版、タウンゼンド版、ニ
ュウンズ社版をしぼりだし、それらのなかから、底本をさぐるところまで到達した。ただ
し、決定的な証拠を捜し当てることができない。
3-5は、『清末小説』第27号(2004.12.1)に掲載。副題は「漢訳検討篇」。周作人漢訳
「アリ・ババと40人の盗賊」を英文原作と比較対照しながら、その翻訳の質について検討
する。これは、同時に底本探求のつづきでもある。具体的には、フォースター版、スコッ
ト版、ダルケン版、ニモ社版、サグデン版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版を手元にお
き、それらの本文と漢訳をつきあわせ、底本を特定しようという試みである。こまかく検
討したが、結局のところフォースター系ということが判明しただけで、特定するにはいた
らなかった。ただし、周作人による本文改変について大きな発見をすることができた。改
変箇所は、本人自身が認めていることもあり、比較的容易に判別することができる。そこ
で、周作人によってなされた改変は、作品自体にどのような意味をもっているかを指摘す
る。すなわち、女奴隷とアリ・ババの息子が結婚する原作を、結婚しないことに改変した。
そこには、兄魯迅が「斯巴達之魂」で創造したスパルタの女性英雄セレナの影響が見える。
セレナが自殺するのと同じく、
「アリ・ババ物語」の女奴隷は幸福な結末をむかえてはな
らない。それこそが英雄だと考えた。そこで、行方不明と書き換えた。こうして、周作人
は、
「アラビアン・ナイト」の世界を破壊する結果となったのである。問題の根が深いの
は、自分のしたことを彼は生涯理解しなかったところにある。
134
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
もともとが1本であるからそれら副題は削除する。松枝茂夫の言及を思い出したので注
につけ加えた。
周作人が英語を学習したのは、南京の江南水師学堂に入学してからのことだっ
た。教科書は、インドの学生用に編集した読本を使用したという。当時の学生は、
この教科書によって英語を学ぶことが多かった。
彼が、南京での学生時代にいくつかの外国作品を英語にもとづいて漢訳してい
るのは、周知の事実だ。英語の学習を兼ねていたと思われる。
それらのなかのひとつが、アラビアン・ナイトから選んだ「アリ・ババと 40人
の盗賊」 (以下、「アリ・ババ物語」と称する) だった。
「侠女奴」と題して『女子世界』第8 -12期 (甲辰七月初一日(1904.8.11)-刊年不記)
に連載する。萍雲女士という筆名を使った。のちに同名で単行本となり、小説林
社 (光緒乙巳(1905)初版未見/丙午(1906年)三月再版) より刊行されてもいる *1。
ポー、ドイルの作品にまじって「アリ・ババ物語」があるところに、奇妙な印
象を受ける。
ポー作品の漢訳「玉虫縁」は暗号解読だし、ドイルの「荒磯」は男女の恋愛物
語だ。それに加えて「アリ・ババ物語」だから、作品選択に一貫性がないという
意味だ。
ただ、英語学習が目的であったというのであれば、話はちがう。たまたま入手
した英文原本のなかから作品を適当に選んだということになる。また、女奴隷が
活躍する箇所に注目すれば 、『女子世界』という雑誌に連載された理由も理解で
きないことはない *2。
アラビアン・ナイトのなかの「アリ・ババ物語」で、間違いはないように見え
る。
もとの作品をいうだけならば、それほどの問題は発生しない。
だが、周作人が行なった漢訳を検討するのであれば、手続きが必要となる。ま
ず、英文原本を特定しなければならない。そのとたんに、壁にぶつかる。簡単そ
うに思えて、やってみればそうではない。
135
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
『女子世界』
136
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
初版奥付
『侠女奴』初版
周作人がよった英文原本は、どれなのか。
アラビアン・ナイトの英訳本といっても多種多様なものが発行されている。ひ
とつしかない、というわけではない。物語の大筋は一致していても、英訳者が異
なれば文章もおのずから違ってくる。多数の中から周作人が使用したひとつの英
文原作を探し出すのは、手間とヒマがかかりそうなのだ。
1
英文原本の探求1
周作人は、もとづいた英文アラビアン・ナイトについて証言を残している。し
かも、数回の証言内容には、ほとんどゆれがない。前後矛盾するところがなく、
発言に自信をもっていることがわかる。
ニュウンズ Newnes
社の英文挿絵本だった、と断言している。これほど確実
なことはない。
137
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
再版奥付
『侠女奴』再版
だから、研究者も周作人の言葉のままを引き写してすませている。本人が確信
をこめてそう書いているのだから、疑いようがないと誰でもが考える。周作人の
発言について、今まで疑問を提出した研究者はいない。
張菊香、張鉄栄『周作人年譜 (1885-1967)』 (天津人民出版社2000.4。57頁) は、周作
人の回想録から引用して記述する。周作人が底本にしたと主張するニュウンズ社
の版本を原物で確認しようという発想そのものが、彼らには存在しない *3。確認
の必要を感じさせなかったほど、周作人の記述には迷いがないということだ。
郭延礼『中国近代翻訳文学概論 』(漢口・湖北教育出版社1998.3) は、翻訳文学の本
格的な概論であり研究にさいしての基礎文献だといってもいい。周作人の漢訳
「アリ・ババ物語」の内容にまでふみこんで解説をしているのは、さすがに詳細
な著作だけのことはある。だが、残念ながら、英文原作までは手が回らなかった
ようだ。言及がない。
王友貴『翻訳家周作人 』(成都・四川人民出版社2001.6) には 、「天方夜譚」の名前
138
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
は出てくるが、それだけのこと 。「アリ・ババ物語」の英文原作については興味
がないとわかる。銭理群『周作人伝 』(北京十月文藝出版社1990.9)、劉全福「魯迅
(1881-1936)和 周 作 人 (1885-1967)」 (郭著章等編著『翻訳名家研究』漢口・湖北教育出版社
1999.7) も同様だ。
周作人について書かれた中国の主要な著作は、いずれも漢訳「アリ・ババ物
語」の英文原作には手つかずの状態であるといわざるをえない。
周作人の証言
くりかえしになろうとも、まず、周作人が残した複数の証言から、英文原本に
ついての関係部分をとりだして、再度、確認しておきたい。
○その1
周作人は 、「学校生活的一葉」 (『雨天的書』香港・実用書局1967.11影印。據1933北新書
局本) において、当時の情況を回想して「アリ・ババ物語」に言及する。
ママ
日本から入手した「天方夜談」であること、ロンドンのニュウンズ社 (紐恩士
公司) の3シリング半 (6ペンス) の挿絵本であること、アラジンが魔法のランプ
を持っている図とアリ・ババの女奴隷が短刀をもって踊っている図を覚えている
ことをいう *4。
日本から入手したというのであれば、兄周樹人 (魯迅) が送ってくれた書物だ
ろうと推測できる。
魯迅は、留学先の東京で購入した書籍を南京にいる周作人にあてて郵送した。
あるいは、知人に託して届けた。日本で発行された『新小説 』『浙江潮 』『清議
報』などの雑誌、加えていくつかの単行本である。それらのなかに英語学習書も
まじっていた。ポー、ドイルなどの作品は、いずれも日本人用に出版された英語
学習書、すなわち山縣五十雄訳註『英文学研究』シリーズに収録されている。周
作人は、それにもとづいて漢訳した。
アラビアン・ナイトも同様の入手経路であっただろう。
周作人の書き方からすれば、英文原本は1冊本だった。
ママ
「天方夜談 (譚)」と書いているのは、中国ではアラビアン・ナイトを翻訳して
139
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
一般にこう称しているからだ。商務印書館が刊行した奚若訳『天方夜譚』4冊が、
当時から有名だった。周作人の漢訳に先行して 1903年より『繍像小説』誌上に連
載されているのが知られる。
周作人の証言を続けよう。
○その2
ママ
周遐寿 (作人)「二三天方夜談 」(附録二学堂生活『魯迅小説裏的人物』上海出版公司
1954.4) では、彼がよった英文原本の版本以外について触れている。
学生のころアラビアン・ナイトに出会ってよかったという意味のことをのべる。
所有していた該本は失い、現代叢書本を友人にたのんで上海で購入してもらった
こと、それがバートン Richard F. Burton 版によっていること、落丁があること 、
別に奚若の漢訳4冊があること、それらはレイン Edward William Lane 版によっ
ている選集本だろう、などと書く *5。
奚若漢訳本は、実は、レイン版を底本にしているのではない。だが、該書の
「序」にレイン版だと書いてある。その間違った記述を周作人は信じただけだ。
さて、つぎは周作人最後の証言である。
○その3
周作人『知堂回想録 』(香港・聽涛出版社1970.7) では3ヵ所に言及がある。
偶然に入手した1冊本であること、ロンドン・ニュウンズ社の3シリング6ペ
ンス挿絵本であること、子供用の贈呈本だから装訂が美しいこと、アラジンが魔
法のランプを持っている図とアリ・ババの女奴隷が短刀をもって踊っている図を
覚えていることをいう。以上は 、『雨天的書』での記述をくりかえしたにすぎな
い。
古文で漢訳し、多くの誤訳と省略がある、とふたたびのべる。
さらに詳しくなっている箇所があるのが注目される。つまり、書き換えをふた
つしたという。ひとつは、アリ・ババの死後、兄のカシムがアリ・ババの寡婦を
娶るのは礼教に合わないから削除したこと。もうひとつは、女奴隷について、カ
シムが息子の嫁に迎えるところを「行方不明」に書き換えた *6。
140
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
以前は、日本から入手した、と周作人は書いていた。ところが、ここでは「偶
然」入手したと書き換えている 。「アリ・ババ物語」の細部にわたる周作人の説
明は、とても明晰であるようにみうけられる。にもかかわらず日本を削除する。
日本を無視した理由を知らない。
興味深いのは、周作人が自らの判断によって書き換えた箇所があることだ。大
きな問題だから、あとで論じる。
読者は周作人が行なった上の説明を見て、奇妙に感じられるに違いない。
アリ・ババの死後、と周作人はいっている。だが、死ぬのは兄のカシムの方で
ある。周作人は、あまりにも昔のことだから、記憶違いをしたものか。周作人の
回想に勘違いが混入しているとなると、やっかいなことだ。
さて、英文原作が贈呈用で装訂が美しいことをいう。ニュウンズ社の3シリン
グ6ペンス本であったとくりかえし、ごく普通のレイン版であろうとつけくわえ
る。リチャード・バートンの完全な訳注本など夢想だにしなかったともいう。
周作人は、英文原作についてニュウンズ社のレイン版であると説明しているの
が理解できる。
ところが、レイン版には、もともと「アラジンと魔法のランプ」も「アリ・バ
バ物語」も収録されてはいない。両篇ともに、知らない人はいないくらいの、ア
ラビアン・ナイトを代表するといってもいい有名な物語ではある。しかし、出所
不明だというので、レインは自分の翻訳に採用しなかった。
ゆえに、周作人が底本とした英文原本は、レイン版ではありえない 。「アリ・
ババ物語」を収録するレイン選集版はあるが、その発行は周作人が漢訳をした後
である。
英文原本の版本系統について、周作人の知識はそれほど深いものではなかった
ことがわかる。奚若の漢訳がレイン版によっているのであれば (これが間違いなの
だが)、自分の読んだニュウンズ社版もレインの英訳本ではないか、と単純に推
測したのではなかろうか。
「アラジンと魔法のランプ」ではなく「アリ・ババ物語」のほうを選んで漢訳
マ
マ
した理由ものべている。挿絵のアラジンが「支那人」 (周作人自身がこう書いてい
る) で辮髪をたらしているのがイヤで、それを翻訳する気をうしなったという *7。
141
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ニュウンズ社版
以上を見れば、周作人が漢訳するにさいして底本とした英文原本がはっきりす
る。
箇条書きにしてみよう。([ ]内は樽本の推測。周作人の原文も一部引用する)
1.日本から入手したもの。[兄魯迅が留学先の東京で購入したのを周作人あてに送っ
たのだろう]
2.ロンドン・ニュウンズ社発行の1冊本。価格は3シリング半。(倫敦紐恩士
公司発行三先令半的)
3.挿絵本である。アラジンが魔法のランプを持っている、アリ・ババの女奴
隷が短刀を持って踊る。(挿画本、其中有亜拉廷拿着神灯、和亜利巴巴的女奴拿了短刀跳舞
的図)
4.原書の発行は、周作人が翻訳に着手した 1904年以前になる 。[英国・ロンド
ンから日本・東京へ、さらに中国・南京にもたらされた]
ロンドンのニュウンズ社だと確かに書いてある。
ジョージ・ニュウンズ George Newnes 社といえば、コナン・ドイルのシャー
ロック・ホームズ物語を掲載した『ストランド・マガジン』の発行元として有名
だ。有名出版社の刊行物だからアラビアン・ナイトの原本をつきとめるのは、比
較的簡単ではなかろうか、と私は気軽に考えた。
だが、実際にさがしはじめると、意外に手間取ることになる。
ニュウンズ社版には、一応たどりついた。最初は、ロンドンの英国図書館で閲
覧したのだ *8。
「一応」と書くのは、原本であるはずなのに、周作人の使用した版本だと確認
することができなかったからである。あらたな問題が、発生する。
私が見ているのは、ニュウンズ社が刊行した “The Arabian Nights Entertainment”
1899の挿絵本1冊だ。
英訳者の名前は記されていない。一方で、画家たちの名前は明記されており、
142
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
タウンゼンド版
143
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
144
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
レイン選集版
145
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ュウンズ社版
146
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ニュウンズ社版
147
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ロビンソン W. Heath Robinson、ストラットン Helen Stratton、マコーミック A.
D. McCormick、デイヴィス A. L. Davis、ノーバリ A. E. Norbury だ。訳者名を出
さず画家のみというところからも、挿絵を売り物にした書籍であることがわかる。
全部で 51話を収録する。
A4判のタテを約3 cm縮めた大きさ (27×21cm) で、小型本ということはできな
い。大型といっていい。 472頁もある。上質紙を使用しているからずっしりと重
い。表紙にはなんの装飾もほどこされておらず、周作人が説明しているような子
供への贈呈本には見えない。贈呈本といえば、普通、表紙には赤色、緑色などを
使い、人物、動物、妖精などの絵をあしらっていることが多い。このニュウンズ
社版は、表紙には絵を配置しておらず、かなり地味な装訂であるといえる (異装
本については後述)。
表紙が地味なぶんといおうか、挿絵は豊富だ。挿絵を特徴とするだけあって、
この「アリ・ババ物語」だけでも 17枚もの白黒絵図が飾られている。しかし、普
通の贈呈本に見られるような、彩色挿絵は、ない。
私が手に取っているのは、周作人が何度も断言しているニュウンズ社版そのも
のである。間違いはない。
まず 、「アリ・ババ物語」の部分を開き、1ページずつめくりながら踊る女奴
隷の挿絵をさがす。
だが、なんど見ても、捜しあてることができない。周作人がくりかえし証言し
ている「アリ・ババの女奴隷が短刀を持って踊る」絵が、ない。奇妙なことだと
いわなければならないだろう。
女奴隷の名前は、モルギアナという。彼女が短刀をにぎって舞う場面は、見せ
場にちがいない。画家にとっては、腕の振るい場所ではないのか。
ダルジール (【増補版補記】杉田英明氏からディーエルとご教示いただいた) Dalziel 兄
弟が描くところの2種類のモルギアナは、説明通りの様子を出現させている。ス
コット版では、上半身をあらわにしたモルギアナが、踊りに乗じて盗賊の首領を
刺し殺した直後の場面をかかげている。レイン選集版も盗賊を前にして女奴隷が
踊りのポーズをとっている挿絵をそえる。
だが、ニュウンズ社版では、モルギアナがカメに油を注いでいる図を示して、
148
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ニュウンズ社版 1899
149
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
踊らない。動きが少ないから静的な印象を与える挿絵である。ここで、まず、私
は首をかしげる。
一方の、周作人がいうところの、アラジンが魔法のランプを持っている挿絵は
どうか。すわったアラジンの腰にランプがぶら下がっている絵をかろうじて認め
ることはできる。だが、手にしているわけではない。こちらも周作人の証言とは
異なる。私は、ふたたび首をかしげる。
ニュウンズ社版には、周作人があれほど鮮明に記憶している挿絵と同じものが
存在しない。
気をとりなおして、どういうことかと考える。
挿絵は、いかようにも変更できる。同じニュウンズ社版で、挿絵を差し換えて
刊行するものがあるかもしれない。本文に組み込まれた挿絵は動かないにしても、
差し込みにすればどんな絵でも飾ることができる。
私が英国図書館で見ている版本には、周作人がいうような挿絵がない。だから
といって、漢訳の底本がニュウンズ社版でないとは限らない。挿絵だけなら、私
の見た版本ではない別のニュウンズ社版に周作人が拠っている可能性があること
を否定できないではないか。周作人の証言をあくまでも信頼すれば、そうとしか
考えられない。
調べてみれば、ニュウンズ社の別版は、たしかに存在する。
インターネットの古本目録で、緑色の表紙を持つ版本を、まさに表紙だけだが
見たことがある。漁夫が赤いカメの前にひざまずき、カメから白い煙が出ている。
英国図書館所蔵のニュウンズ社版の表紙には、絵がない。ゆえに、別版ではない
のか。だが、インターネットでは表紙だけがあって、内容を確かめようがない。
念のためと思ってさがした結果、3冊のニュウンズ社版を入手することができ
た。
だが、この3冊を手に取って見ると、装訂が異なっているだけで、本文と挿絵
はまったく同じなのだ。差し込みの絵も、ない。別版ではなく、異装本とでも称
するほうがいい。
1種は、発行年も同一の 1899年発行だ。黄緑色の表紙を持つ大型本である。目
録で注文したから、届いてみて3冊のうちの2冊が同じ版本であることがわかっ
150
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
た。三方金で、豪華版だ。漁夫が土色のカメの前にひざまずいた絵柄は、インタ
ーネットで見たものと異ならない。ただ、電脳では、もうすこし緑色が鮮やかだ
った印象がある。色合いの違いはディスプレイで光を背後から受けているのが原
因かと考えた。
本文、絵柄ともに英国図書館所蔵本と同一ではあるが、装訂が豪華という点が
違う。それだけのこと。
もう1種は、これも本文、挿絵ともに前者2冊と同じだ。表紙の絵柄も寸分も
違わないのだが、地の色が青色で、カメが土色ではなく、深い赤色に近い。
内容が同一で表紙の装訂だけが違うから、異装本である。
以上をまとめてどうなるかといえば、私が確認したかぎり (といってもわずかに
4冊だが)、ニュウンズ社の挿絵本は、本文と挿絵についていうと1種類しか出て
いないという結論が得られる。しかも、それは周作人が説明する英文原本ではな
いのだ。
底本特定のためのより確実な根拠を求めるとなると、英文と漢訳の本文を比較
対照する以外に方法はない。挿絵問題には、すこしの間、触れないでおく。
ニュウンズ社版との比較対照
周作人の漢訳冒頭を先におき、ひきつづいてニュウンズ社版の英文 “The Story of
Ali Baba and the Forty Robbers.”をかかげる。
【周作人】前十世紀之時。波斯某街有兄弟二人。一名慨星 Cassim。一名埃
ママ
梨醅伯 Alibaqa。其父在時。家僅小康。死後平分以給二人。其所得産業各相
等。析居而處。尚可拮据以度日。及後景遇不同。而二人生計上之状態。遂亦
各異。慨星娶一少婦。当未婚之前。為一富賈之継女。承襲其産。有土地上之
不動産甚多。且有倉庫一所。満貯商品。其値不貲。及帰慨。携之与倶。慨星
以妻之花蔭。一洗昔日窮愁之景況。突然一躍。而為富家児。財名甲於一鎭。
10世紀以前のころ、ペルシアのある町にふたりの兄弟がおり、ひとりはカ
シムといい、ひとりはアリ・ババといいました。父親が生きていた時、家の
暮らし向きはまずまずでした。死後、財産はふたりに平等に分けて、それぞ
151
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
れが得たものは同じだったのです。わかれて暮らし、貧乏ながら日を過ごし
ておりましたが、その後のめぐりあわせは同じではありません。ふたりの生
計の状態は、それぞれ違ってしまったのです。カシムは若い婦人を娶ったの
ですが、彼女は結婚するまえはある裕福な商人の義理の娘でしたので、その
財産を受け継いだのです。土地などの不動産はとても多く、しかも倉庫をも
っており、商品で満ちあふれておりました。その値は計算することができな
いほどで、それがカシムのものになりました。それらを手に入れ、カシムは
妻のおかげで昔の窮乏情況からぬけだし、突然、裕福になり、町一番の金持
ちになったのです。 1頁
【ニュウンズ社】 IN a town in Persia, there lived two brothers, one named
Cassim, the other Ali Baba. Their father left them scarcely anything; but Cassim
married a wealthy wife and prospered in life, becoming a famous merchant.
ペルシアのある町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひと
りはアリ・ババといいました。父親は、彼らにほとんどなにも残しませんで
したが、カシムは裕福な妻と結婚し人生に成功して有名な商人になったので
す。 p.203
周作人訳の「 Alibaqa」は、 Ali Baba の誤植であることはすぐにわかる *9。
英文と漢訳の本文をならべると、英文原本を捜し当てたはずの喜びが、一瞬に
して落胆にかわる。周作人が説明する絵図が存在しないことにより生じた疑惑が、
確信になってかたまる。
周作人の漢訳は、英文よりもはるかに詳しい。訳者が、原作に加筆して翻訳す
るということはやってできないことではない。だが、上のように内容を大幅に増
量する必要は、基本的に、ない。こう考えるのが普通だ。単純に、周作人のよっ
た英文原本はニュウンズ社版ではない、との結論になる。
くりかえして揺るがない周作人の証言であった。誰もがそう思った。それにも
かかわらず、挿絵はおろか肝心の本文がニュウンズ社版ではない。原本探索をは
じめからやり直さなくてはならないことを意味する。
152
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
2
英文原本の探求2 ――その方法
底本を特定することが、研究上避けることのできない手順のひとつである理由
は、いうまでもない。よった底本が確定できなければ、周作人の手になる漢訳の
水準を評価することができないからだ。当然すぎて説明するのも恥かしい。
彼が英文原作を漢訳するさい、どのような翻訳姿勢をとったのだろうか。原文
に忠実に翻訳しようとしたのか。どの部分を削除し、どう加筆し、なにを誤訳し
たか。彼自身の証言があるにしても、それを原物で確認をする必要がある。英文
原作を手元におかなければ、検討作業をはじめることができない。
その当たり前のことが、今までできていなかった。ゆえに、周作人の漢訳「ア
リ・ババ物語」を検討する研究者がいなかったと理解できる。
では、周作人漢訳「アリ・ババ物語」の底本をさがすことが、なぜむつかしい
のか。
ひとつは、すでに見てきた。周作人自身がいっているニュウンズ社版そのもの
をさがそうという研究者がいなかった。確認ぬきだから、底本問題が存在するこ
とすら認識できていなかったということだ。
ところが、ニュウンズ社版を捜し当てて、はじめてこれが周作人漢訳の底本で
はないことが判明する。ニュウンズ社版を手に取らなければ、これが該当するも
のではないとわからないのだから面倒なのだ。
いままで誰も疑うことのなかった、いわば定説が、英文原作の原本を前にして、
いとも簡単に崩れさったのである。
こうして底本探求が、ふりだしにもどった。
アラビアン・ナイトが欧州に紹介されたのは、ガラン Antoine Galland のフラ
ンス語訳 (1704-17) が最初だった。このガラン版をもとに、英語に重訳した作品
群が生まれたのも自然の流れだろう。もとの好色部分を削除し書き換えた青少年
版と称する翻訳も、数多く作られた。無署名の英訳書は、それを称して「三文文
士版」とか、文士が多く住んでいた通りにちなんで「グラブ・ストリート版」と
かいうの だ そ うだ 。 ゴ ールドスミス「ウェイクフィー ルド の 牧 師 」(1766) の第
153
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
20章に貧乏著述家が住む Grub-street として登場している。当時から有名な場所
だとわかる。それにしても 、「グラブ・ストリート版」はべつにして 、「三文文
士版」とはいかにも見下した呼称である。
漢訳の底本問題が解決困難に見えるのは、アラビアン・ナイトの英語翻訳本が
多数あるからだ。知っている人は、しっている。まるで密林に迷いこんだように
感じるはずだ。
私は、いやおうなく、手探りで周作人の漢訳のもとになった英訳原本を追求す
ることになった。
多種多彩に刊行された英語翻訳だから、追求するにしてもなんらかの方針をた
てる必要がある。
周作人がよった英文原作を絞りこむために、私は、ふたつの段階をふむことに
した。
ひとつは、諸版のなかから英文翻訳者を特定する。つぎに、その翻訳者のどの
刊本であるかを追求することにする。
諸版の比較対照
周作人が底本とした英訳を特定するために、英文翻訳の情況を考慮にいれて、
翻訳の流れをおおまかに把握することにする。
対象を追求するには、筋道をあらかじめたてる必要がある。以下のような見当
をつけた。
まず、ガラン版をどう考えるか。周作人がよったのは、英語版である。ゆえに、
フランス語のガラン版が、探索の対象から自然にはずれる。
さらに、レイン版とバートン版も追求の対象外となる。
なぜなら、レイン版は、もともと「アリ・ババ物語」を収録していない。
もっとも、元版3冊本から作品を選択し、しかも元来はなかったアラジンとア
リ・ババの2作品を追加収録した選集本1冊が、確かにある。EDWARD WILLIAM
LANE, revised by STANLEY LANE-POOLE “STORIES FROM THE THOUSAND
AND ONE NIGHTS (THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS)” P. F. Collier & Son,
N. Y. 1910 である。 1910年という発行年からして、周作人漢訳の底本対象から脱
154
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
落する。周作人は、 1910年以前に漢訳をしているからだ。たとえ周作人が見るこ
とのできる年代に出版された選集本があるとしても、本文を比較対照すれば、選
集本の英文は記述が簡略化されており、漢訳とは似てもにつかない。
バートン版の「アリ・ババ物語」は、ガラン版にもとづいて重訳している。た
だ、翻訳全体の冊数が多く全 16巻だという。周作人が拠った英文原本は1冊本だ
った。数があわない。ただし、1冊本に編集しなおしたバートン版もあるだろう。
しかし、周作人自身がのちに「バートンの完全な訳注本など夢想だにしなかっ
た」と証言している。漢訳の底本がバートン版であれば、そのような書き方をし
ないだろう。ゆえに、バートン版ではないと判断してもいいのではなかろうか。
こうして、それら以外の英文版本をいくつか手元に集めることになった。
収集した複数の英文原本を披露することは、私が底本探索に失敗ばかりしてい
ることを意味する。アラビアン・ナイトの版本について知識が豊富であれば、一
直線に目的のものに到達するはずだからだ。英文原本を入手する過程は、私が文
字通り試行錯誤をくりかえした証拠でもある。
迷走ぶりを、簡単に紹介しておこう。
本稿であつかう周作人の漢訳「アリ・ババ物語」も研究の視野には、当然、入
ってはいた。しかし、それよりも前に奚若訳の「天方夜譚」が存在していた事実
をいわなくてはならない。
奚若訳の底本は、ラウトリッジ Routledge 社のレイン版だと明記されている。
だから、レイン版が優先したのはあたりまえだった。最初は図書館で閲覧し、後
に日本の書店で原本3冊1組みを入手した。本文を検討してみると、レイン版で
は用をなさないことがわかる。奚若の「序」にレイン版だと書かれているにもか
かわらず、そうではない。奇妙なことだと思う。
日本語翻訳にはタウンゼンド Geo. Fyler Townsend 版が使われた、という文章
を読んだ。しかも、周作人よりも先に発表された別の漢訳にはこのタウンゼンド
版を底本にしたとある。こうして、タウンゼンド版が必要になる。いくつかを集
めた。
その一方で、名前があがっていたラウトリッジ社版をさがすと、中身はサグデ
ン版である。こちらも別版を求める。複数を入手しているのは、版によって本文、
155
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
レイン版
156
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
タウンゼンド版
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周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
タウンゼンド版
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周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
サグデン版
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周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
サグデン版
160
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
フォースター第3版
挿絵が異なっているのではないか、と疑っているからだ。
これらの版本を見ても、結局のところ奚若訳「天方夜譚」の底本問題を解決す
るには至らない。そこで、さらにさかのぼってフォースター版とスコット版を探
161
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
索購入することになった。
多種類が存在する英文原本のなかから、数種類の漢訳底本候補をようやくさが
しあてた。
刊年の古い順に並べなおせば、次のようになる。いずれもがガラン版を元本と
しているという。
まず、フォースター Rev. Edward Forster 版 (1802) がくる。手元にあるのは、
ロンドンのミラー William Miller 社の第3版4冊本、1810年発行だ(書名は、“THE
ARABIAN NIGHTS.”。1802年初版の第5巻については後述)。収録している作品を見ると 、
初版の5冊を第3版では4冊に編成しなおして 59話を収録する。
つづいて、ジョナサン・スコット Jonathan Scott 版4冊本 (1811)、サグデン
Mrs. Sugden 版1冊本 ([1875])、タウンゼンド版1冊本 (1877[1876])、ニュウンズ
社版1冊本 (1899) である (サグデン版、タウンゼンド版は、刊年をしるしていない場合が
あり、目録で補う)。
そのほか、グリフィン Griffin 社版 (1828)、アンドリュー・ラング Andrew Lang
編集の新装版、あるいは重訳者の名前を出さないいくつかの版本もあるが、直接
の関係がないのでここでは触れない。
「アリ・ババ物語」の冒頭部分を、諸版本がどのように記述しているか原文を
かかげよう。念のために題名も示しておく。ニュウンズ社版は、すでに見たので
くりかえさない。
【フォースター】 “[The] History of Ali Baba, and of the Forty Robbers, Killed by
one Slave.”
IN a certain town of Persia, sire, situated on the [very] confines of your majesty's
dominions, there lived two brothers, one of whom was called Cassim, and the
other Ali Baba. Their father, at his death, left them but a [very] moderate fortune,
which they divided equally between them. It might therefore be naturally
conjectured, that their riches would be the same; chance, however, ordered it
otherwise. / Cassim married a woman, who very soon after her nuptials became
heiress to a very well furnished shop, a warehouse filled with good merchandise,
162
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
and some considerable property in land; and he thus found himself on a sudden
quite at his ease, and thus became one of the richest merchants in the [whole]
town.
ペルシアのある町に、陛下、まさに陛下の領土内に位置しておりましたが、
ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひとりはアリ・ババとよばれ
ていました。彼らの父親は、死ぬとき適度な財産を残し、それらをふたりで
平等に分けたのです。したがって当然のことながらふたりの財は同じだろう
と思われました。しかし、偶然、別なふうになったのです。/カシムはある
婦人と結婚しましたが、彼女は結婚式のすぐあとで、商品のつまった商店、
すばらしい在庫品でいっぱいになった倉庫、そしてかなりの土地の所有権の
継承者となりました。そういうわけで、彼は、突然に、まったく心配のない
自分に気づきましたし、町一番の金持ち商人のひとりになったのです。 p.414
[ ]内の単語は、初版に見られるが 1849年の新版では削除されている。
英文原作と漢訳などの本文が異なるばあい、底本探索のてがかりとして (異
同) と注記して数えることにしたい。
「陛下 sire」というのは、語り手シャーラザッドが相手をしているシャーリ
ヤル王を指している。王様にむかって夜毎に物語る、というのがアラビアン・ナ
イトの基本構造だから、それがフォースター版には色濃く残っているわけだ。
漢訳にはある「前十世紀之時」が英文原本には見えない (異同1)。あるいは、
「陛下」とよびかけている箇所が漢訳にはない (異同2)。それ以外は、英文と漢
訳は、ほぼ一致するといっていいだろう。財産を平等に分けられた兄弟だから、
それからも同じ暮らし向きになるだろうと考えられたが、偶然、別々の方向にむ
かった、という箇所は、漢訳にあって、英文ではフォースター版にしか存在しな
い。
スコット版の冒頭部分もかかげる。
【スコット】 “The Story of Ali Baba and the Forty Robbers Destroyed by A
Slave.”
163
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
IN a town in Persia, there lived two brothers, one named Cassim, the other Ali
Baba. Their father left them scarcely any thing; but as he had divided his little
property equally between them, it should seem their fortune ought to have been
equal; but chance determined otherwise. / Cassim married a wife who soon after
became heiress to a large sum, and a warehouse full of rich goods; so that he all
at once became one of the richest and most considerable merchants, and lived at
his ease.
ペルシアの町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひとりは
アリ・ババという名前でした。彼らの父親は、彼らにほとんど何も残しませ
んでしたが、すこしの財産をふたりに平等に分けたのです。/カシムは結婚
しましたが、彼女はそのあとすぐに大金と商品でつまった商店の相続人とな
りました。そういうわけで、彼は、突然に、一番の金持ち、また重要商人の
ひとりになり、安楽に暮したのです。 p.523
ここでは、フォースター版とは異なり、シャーラザッドの姿がすでに消えてし
まっている。フォースター版と比較すれば、全体的に、より簡潔な描写に変化し
ていることがわかる。
サグデン版ではどうか。
【サグデン】 “The History of Ali Baba, and of the Forty Robbers, Killed by one
Slave.”
IN a certain town of Persia, there lived two brothers, one of whom was called
Cassim, and the other Ali Baba. Their father, at his death, left them but a very
moderate fortune, which they divided between them. / Cassim married a woman
who, very soon after her nuptials, became heiress to a well-furnished shop, a
warehouse filled with merchandise, and considerable property in land; he thus
found himself on a sudden quite at his ease, and became one of the richest
merchants in the whole town.
ペルシアのある町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひと
164
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
りはアリ・ババとよばれていました。彼らの父親は、死ぬとき適度な財産を
残し、それらをふたりで分けたのです。/カシムは結婚しましたが、彼女は
結婚式のすぐあとで、商品のつまった商店、在庫品でいっぱいになった倉庫、
そしてかなりの土地の所有権の継承者となりました。そういうわけで、彼は、
突然に、まったく心配のない自分に気づきましたし、町一番の金持ち商人の
ひとりになったのです。 p.404
このサグデン版は、フォースター版によく似ている。土地を相続したことをい
う箇所は、フォースター版から引き継いだものらしい。
だが、こまかい部分が、フォースター版とはおなじではない。
たとえば、フォースター版には存在する「したがって当然のことながらふたり
の財は同じだろうと思われました。しかし、偶然、別なふうになったのです。 It
might therefore be naturally conjectured, that their riches would be the same; chance,
however, ordered it otherwise.」という文章が、このサグデン版には、ない。
ところが、周作人の漢訳には、あるのだ 。「析居而處。尚可拮据以度日。及後
景遇不同。而二人生計上之状態。遂亦各異。わかれて暮らし、貧乏ながら日を過
ごしておりましたが、その後のめぐりあわせは同じではありません」
これを見ただけで、漢訳の底本は、サグデン版ではないことがわかる。
タウンゼンド版はどうなっているか。
【タウンゼンド】 “The History of Ali Baba, and of the Forty Robbers, Killed by
one Slave.”
There once lived in a town of Persia two brothers, one named Cassim, and the
other Ali Baba. Their father divided a small inheritance equally between them.
Cassim married a very rich wife, and became a wealthy merchant.
昔、ペルシアのある町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつの
ひとりはアリ・ババという名前でした。父親は、すこしの財産を彼らに均等
にわけました。カシムはとても金持ちの妻と結婚し、裕福な商人になったの
です。 p.298
165
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
フォースター初版挿絵
166
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
情況説明がはぶかれており、ほとんど物語の骨格だけになっている。時間が経
過するにしたがって、のちの版本では記述が簡略化されたということだ。
簡略化の理由は、簡単である。ガラン版を元本にして英訳が生まれたのであれ
ば、記述を簡単にする方向に進むしかない。その逆に、加筆をくりかえして元本
よりも詳しくなる、ということは普通ありえないからだ。元本を忠実に英訳して、
同程度の密度を保つことができれば、まだいいほうだろう。
以上、各版本の本文冒頭を比較検討した結果からいえば、周作人が底本とした
のは、フォースター版である可能性が高い。
ただし、本文の冒頭部分を見て得られた推測だ。部分にすぎないから、それで
もってフォースター版だと断定するのは早すぎる。
残念なことに、私の見ているフォースター版は、第3版4冊小型本 (日本の新
書版をふたまわり小さくした大きさに近い) であって、しかも、挿絵が1枚もない。初
版5冊本には 24枚の挿絵がつけられているという。
のちに求めて初版5冊本の第5巻 (1802) だけを手に入れた。表紙が取れた破
損本だが、ちょうど「アリ・ババ物語」が収録されている。関係のある挿絵は、
銅版画で1枚だけだ。スマーク R. Smirke による絵柄は、アリ・ババが盗賊の洞
窟から盗みだした金貨を妻の前の床にばらまいている。派手さがなく、地味だと
いってもいい。しかも、女奴隷が短刀を手にして踊る場面は、ない。
冊数からいえば、周作人が拠ったのは1冊本であった。仮にフォースター版だ
としても、私の見ているこの初版第5巻、あるいは第3版4冊本ではない。
考えられるのは、フォースター版には、判型の大きさが異なる1冊本で別の挿
絵を加えた異なる版があることだ。
実際に、それらが存在する。名前だけをあげれば、ロンドンのトマス Joseph
Thomas 社1冊本 (1839) だ。ただし、こちらは初版5冊本とおなじスマークの挿
絵を収録しているというから、別の挿絵ということにはならないか。あるいは、
ウイロゥビー Willoughby & Co. 社1冊本 (1852-54) である。
出版社の名前をあげることはあげたが、それらが手に入るかどうかはわからな
い。日本でいえば、江戸時代の書籍だ。
167
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
こうして、つぎの段階にすすむことになる。すなわち、いくつか刊行されたフ
ォースター版のなかから、周作人の底本を探索することにしたい。
フォースター版の特定
上に示した初版第5巻、第3版4冊小型本以外に、以下のものを入手した。周
作人の漢訳とは直接関係のない英文原作も含まれている。私が試行錯誤をかさね
ている証拠である。
1冊本といっても2種類がある。判型をすこし大きくして全作品を収録するも
の。もうひとつは、判型を小さくして、先行版からいくつかの物語を選びだした
編集本だ。区別するために、後者を選集本とよぶことにする。
出版順にならべると以下のようになる。
①中型挿絵本
1849年
63話収録 (実質59話)
②中型挿絵本
刊年不記 (1850?) 63話収録 (実質59話)
出版地:ロンドン
出版地:ニューヨー
ク
③小型選集挿絵本
2種類
刊年不記 (1910?) 10話収録
出版地:ニューヨ
ーク
①は、細長 (24×15cm) の判型で本文は2段組みとなっている。だから、活字
はかなり小さい。
ロンドンのヘンリー・ウォッシュボーン HENRY WASHBOURNE 社 1849年版
である。
扉に見える表示は、つぎのとおり。
THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS . TRANSLATED BY THE
REVEREND EDWARD FORSTER. New Edition, CAREFULLY REVISED AND
CORRECTED. WITH AN EXPLANATORY AND HISTORICAL INTRODUCTION. BY
G.MOIR BUSSEY./ LONDON: PRINTED FOR HENRY WASHBOURNE, 18, NEW
BRIDGE STREET, BLACKFRIARS. 1849
ブッセイの序は 38頁、本文が 490頁ある。
168
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
フォースター版 1849
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周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
フォースター版 1849
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周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
アラジン【杉田英明氏よりの御教示】ドイツ語版 フリードリッヒ・グロス作
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周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
アリ・ババ【杉田英明氏よりの御教示】ドイツ語版 フリードリッヒ・グロス作
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周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
扉の前に置かれた絵図は、レイン版にかかげられた絵図と見間違うばかりに雰
囲気がよく似ている。レイン版からそのまま流用したのではないかと3冊本でさ
がしたが、該当するものはなかった。別系統のオリジナル挿絵らしい。ペンスト
ン I. J. Penstone およびウェイクフィールド J. Wakefield の署名をかろうじて読
み取ることができるだけだ。画家と銅版画の彫り師の名前だろう。
新版 New Edition という意味は、前に示した原文冒頭を見てもらえばわかるよ
うに、初版とは語句にすこしの異同があり、さらに、スマークの挿絵を一新して
別の画家のものにかえたということだろう。新版には、絵柄からして複数の画家
が関与していることがわかる。
つぎに紹介する予定にしている②と見た目が異なるのは、こちらは革装となっ
ていて、三方がマーブル模様であるところだ。マーブル模様が日にやけているよ
うに見えるのに比較して、皮革が新しく感じられる。装訂だけあとからやり直し
たものではないかと疑う。
扉、目次、ブッセイの序から本文という順序で排列されている。扉を含めて各
ページ全部がケイ線で囲んである。
「 63話収録」としたのは、表題がついているのが 63話という意味だ。そのなか
には「つづき continuation」と題するものが4話含まれているから、それを差し
引けば実質 59話に変わりはない。
「アリ・ババ物語」も、当然、収録されており2種類の挿絵がついている。し
かし、女奴隷が短刀を持って踊る挿絵がない。参考までにつけくわえれば、アラ
ジンが魔法のランプを手に持ち、その眼前に魔神が出現している挿絵はある。
②は、①とまったく同じ判型である。
ただ、表紙が異なる。赤色の硬い表紙にコウモリの羽根をもつ悪魔が2匹、金
箔で押してある。裏表紙は、金箔が黒色インクになる。
扉に見える表示は、出版社の部分を除けば、①と同一だ。出版社の表記は、
NEW YORK: JAMES MILLER, PUBLISHER, 647 BORADWAY. となっている。扉に
は発 行 年 の 記 載 は な い (書店の目録では発行年は1850年)。扉の前にある絵に 1849と
刻みこまれているのが読み取れる。①と同じ絵柄だから、その数字に違いがある
ほうがおかしい。
173
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
本文は、行数字数ともに①とまったく同じだ。しかし、ケイ線が削除されてい
るところだけが異なる。
ブッセイの序は 38頁、本文が 489頁ある。本文についていえば、②のニューヨ
ーク版は①のロンドン版とページ数が一致しない。
①には、最後部分の 489頁から 490頁にかけて、2段組みで全 42行の文章が掲載
されている。だから、本文が 490頁なのだ。だが、②のニューヨーク版の 490頁は、
空白に変化している。
つまり、本文についていうと、②のニューヨーク版は、①にはある囲みケイと
最後の 42行を削除したということだ。
本文に削除があるところから、前に紹介した①ロンドン出版のものが先版で、
②は後版だと私は判断する。
挿絵そのものの絵柄、別ページにして挿入している形態は、①②ともに変わら
ない。
違うのは、その数と配置、および説明文だ。先版だと考える①の挿絵には、下
辺に該当するページ数を明示する。しかし、②では、挿絵の位置を変更して、内
容を文字で説明するのである。
掲載する挿絵の数にも違いがある。①が 41種 24頁 (扉前に配置されている挿絵も数
える) あるのに対して、②では 29種 16頁と少なくなっている。
以上①②のフォースター版について、周作人の漢訳の底本であると考えてもい
いだろうか。
まず、①②ともに女奴隷が踊る挿絵がない。さらに、②はニューヨークの出版
である。ふたつの理由で、②は周作人の漢訳の底本候補からはずれてしまう。
本文は、参考にはなる。しかし、挿絵についていえば、周作人が見たものとは
一致しないといわざるをえない。
③ は 、 2 種 類 と も に 日 本 の 文 庫 本 よ り も ほ ぼ ひ と ま わ り 大 き い ( 16×11cm、
16×11.5cm)。本文は、両者とも全部で 142頁ある。
茶色の硬い表紙、一方は青色の硬い表紙という違いはあるが、書名は同じく
“SELECT TALES FROM THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS”という。
訳者名は、 THE REV. EDWARD FORSTER と表示がある。
174
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
出版社についていえば、1冊は、ニューヨークのリーヴィットとアレン
LEAVITT & ALLEN 社、別の1冊は、同じくリーヴィット GEO. A. LEAVITT,
PUBLISHER 社である。双方ともに刊年を記していない。書店の目録には 1910年
と記載されている。
本文は、元本から冒頭の 10話、黒島王までを選びだして収録する。
挿絵については、 ILLUSTRATED WITH NUMEROUS ENGRAVINGS、すなわち、
版画がたくさん、とうたい文句にしている。両者ともに同一版本だから、挿絵も
同じだ。ただし、茶色表紙本には、貼り込んだ挿絵がある。青色表紙本には、そ
れらがはがしてあって存在しない、という違いがあるにすぎない。日本の古書で
も、貼り込みの挿絵は抜き取られて、売られることがよくある。自然にはがれて
なくなる、というものではなかろう。
絵図は、各種版本から適当に抜き出してきているらしく、統一感はない。
ニューヨークでの出版というところで、すでに、漢訳の底本ではないように思
われる。周作人は、ロンドンのニュウンズ社を強調しているからだ。もっとも、
そのニュウンズ社版が違うことが判明しているのだが。
決定的なのは、この選集小型本は 、「アリ・ババ物語」を収録していないこと
だ。どのみち、周作人が見た版本では、ない。
周作人漢訳の底本は、本文はフォースター版だという推測が重みをましている。
しかし、彼の証言している挿絵をもつ版本を見いだすことができない。まだ、断
定をするのは早計だ。
フォースター「系」の版本
周作人の挿絵についての記憶証言があくまでも正しい、という前提であるなら
ば、もうひとつの選択肢を考えてもいいかもしれない。
すなわち、周作人漢訳の底本が、フォースター版そのものではないかもしれな
いということだ。
周作人の漢訳は、本文はフォースター版によっているのは、明らかだろう。断
言は、まだしないが、ほとんどそうだという気持ちになっている。いくつかの版
本を比較対照しての考えだ。しかし、私が悩むのは、周作人がいっているような
175
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
挿絵がフォースター版にはないという点なのだ。
ならば、フォースター版にもとづいて書かれた別版ではないかと考えてみる。
ガラン版から多種類の英訳本が生まれている。枝葉から、さらに枝葉が生じて
も不思議ではない。いわゆる「三文文士版」のことを念頭においている。無署名
版だと私は理解する。ガラン版と同じく、フォースター版をもとにして重訳、改
訳された別版、つまりフォースター「系」の版本が出てきても驚くにはあたらな
い。事実、そういう版本が存在する。無署名ではないが、すでに紹介してきたサ
グデン版など、フォースター版に似ている。
サグデン版がフォースター系だとしても、これが周作人の漢訳の底本になって
いるわけではない。
ここにつけくわえたい2種類の版本がある。
ひとつは、ニモ William P. Nimmo 社 (1865初版未見。1870) から発行された挿絵
本1冊である。
杉田英明氏は、このニモ社版が井上勤訳「全世界一大奇書」の底本であろうと
指摘されている *10。
その根拠は、本文の一致が主たるものであり、挿絵の一部も共通しているから
である。
そもそも、柳田泉によってその底本はタウンゼンド版であるといわれてきた。
杉田氏によって柳田の間違いが訂正されたことになる。
「井上訳五三〇頁に「亜婆西 (ルビ:アバツス) 家第七の王波剌温亜良志土 (ハ
ラヲンアラシド)」とあるが、実際にはハールーンは第五代カリフであり、この誤
記は ガ ラン 仏 訳に も スコ ッ ト版 にも ない、この 英訳書 ( p.78) 独自 の特徴で あ
る」*11
原文を示せば次のようになる 。「私は、アッバス家の第7代カリフ、ハルゥン
・アルラシッドである。 I am Haroun Alraschid, the seventh caliph of the house of
Abbas」 (異同3。フォースター版①のp.59。ニモ社版p.78。サグデン版p.119)
ニモ社版にあるこの誤記こそ、さかのぼればフォースター版に見られることを
指摘しておきたい。
ニモ社版には、訳者名は掲載されていない。ガラン版、スコット版に見えない
176
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ニモ社版
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周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ニモ社版
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周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
上の誤記を共有している。発行年の違いを見れば、後発のニモ社版は、いわばフ
ォースター系の英訳本といってもいいだろう。前述のようにサグデン版もこの系
列につらなる1種だ。
④ニモ社版
1870年
出版地:エディンバラ
細長 (24×15cm) の判型で緑色の装訂だ。児童むけの贈答用としては、すこし
地味な印象を受ける。
本文は2段組みとなっているところは、フォースターそのままだ。
扉には、以下のように表示してある。
THE Arabian Nights' Entertainments. TRANSLATED FROM THE ARABIC. A NEW
AND COMPLETE EDITION. With UPWARDS OF A HUNDRED ILLUSTRATIONS
ON WOOD DRAWN BY S. J. GROVES. /EDINBURGH: WILLIAM P. NIMMO. 1870
本文全 540ページをケイ線で囲んでいる。第 236夜まで数えて物語名は柱に示す。
それ以後は、夜を数えず、物語題名を文中と柱にかかげる。
挿絵は、2種類ある。本文に組み込んだ比較的小さいものが多数と、ページと
は無関係に差し込まれた大きいもの3枚 (扉前を含む) だ。
周作人の記憶に焼きついているあの挿絵はどうか。アラジンの魔法のランプは、
ない。女奴隷が短刀で盗賊の頭を刺し殺している瞬間を描いている。踊っている
わけではないが、関連しているといえば、そうだ。
挿 絵 に つ い てい え ば 、 周 作 人 の 証言 と は こ と なる 。 とり あ えず 、 ニモ 社 版
“THE STORY OF ALI BABA AND THE FORTY ROBBERS DESTROYED BY A
SLAVE.” も周作人漢訳の底本候補としておこう。
⑤ダルケン版
刊年不記 (目録によると[1864,1865])
59話収録
出版地:ロンドン
大型 (27×19cm) でマーブル模様の装訂だ。背には革を使い重厚な感じがする 。
扉には、以下のように表示してある。
DALZIELS' ILLUSTRATED ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS. The Text
Revised and Emendated throughout by H. W. DULCKEN, Ph.D. WITH UPWARDS OF
TWO HUNDRED ILLUSTRATIONS BY EMINENT ARTISTS. ENGRAVED BY THE
179
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ダルケン版
180
扉
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ダルケン版 アラジン
181
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ダルケン版 アリ・ババ
182
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
BROTHERS DALZIEL./ LONDON: WARD, LOCK, AND TYLER, 158 FLEET
STREET, AND 107 DORSET STREET, SALISBURY SQUARE.
序、目次、挿絵目次とつづき、本文は 822ページもある。挿絵は別ページには
せず、本文に組み込んである。1段組の本文を花ケイ線で囲む。本文に引用符を
使うのは、シャーラザッドが物語っていることを示すためである。ほかの版本に
は見られない表記方法だといっていい。
この挿絵本の特徴は、扉でうたっているようにダルジール兄弟の挿絵なのだ。
銅版画は、人物を主体として光と影を大胆に配置する。一度見れば脳裏の深い場
所に残像となって定着するだろう。
本文は、フォースター版に酷似している。ゆえに、フォースター系とする。こ
ちらには、周作人の証言にぴったりの挿絵がある。辮髪をたらしたアラジンが手
にランプを持って穴から出かかっている。アフリカの魔術師がそれに左手を伸ば
している。右手に短剣をつまみ、踊る女奴隷モルギアナがいる。頭髪は舞い上が
り、スカートははね、裸足の両足は宙に舞う。躍動感にあふれた挿絵は、読者に
強い印象をあたえたに違いない。それでは、このダルケン版 “THE HISTORY
OF ALI BABA, AND OF THE FORTY ROBBERS WHO WERE KILLED BY ONE
SLAVE.” が周作人漢訳の底本なのか。有力な候補としておこう。
今まで、周作人の証言を尊重し、それに合致するような版本をさがしてきてい
る。
それでは、周作人が挿絵について勘違いをしていたとするならばどうなるか。
その可能性を考えるのもムダではなかろう。
周作人の証言のなかのニュウンズ社そのものが、間違っていた。彼の証言を全
面的に信用することができないということもできる。事実がそれを証明している。
周作人の挿絵についての証言も、ニュウンズ社と同じく彼の勘違いではないの
か。アリ・ババの女奴隷が短刀を握って踊る挿絵は、別の版本のものだった。た
とえば、ダルジールの挿絵の印象が周作人の記憶に紛れ込んでしまい、どこから
出てきたのかはっきりしないニュウンズ社と結びついて周作人の証言になった、
という意味だ。
周作人の勘違いならば、はなしは簡単だ。
183
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
結局のところ、本文のみを比較対照することが、底本問題を解決する道につう
じる。
周作人の漢訳「アリ・ババ物語」の底本候補としては、フォースター版、ある
いはフォースター系の版本が有力である。今の段階では、それ以上、確実なこと
をいうことができない。フォースター版そのものであると断言するには、証拠が
そろわない。
多種類が底本候補として存在している。そのなかのフォースター版およびその
ほかをとりあえず、漢訳検討の底本として使用することにしたい。英文と漢訳を
比較対照することによって、より具体的な材料がでてくるだろう。それから最終
的な判断を下すことにしても遅くはない。
3
周作人漢訳の検討
周作人は 、『女子世界』に漢訳を連載するとき、冒頭に物語全体の主題を説明
する文章をかかげた。当然ながら、英文原作には存在しないものだ。
有曼綺那 Morgiana 者。波斯之一女奴也。機警有急智。其主人偶入盗穴為
所殺。盗復跡至其家。曼綺那以計悉殲之。其英勇之気。頗与中国紅線女侠類。
沈沈奴隷海。乃有此奇物。亟従欧文移訳之。以告世之奴骨天成者。
モルギアナという者は、ペルシアの女奴隷である。機敏で聡明だった。そ
の主人は、盗賊の洞窟に入りこみ殺されてしまう。盗賊は跡を追ってその家
にきたが、モルギアナは計略で皆殺しにした。その勇敢な精神は、中国唐代
の女侠紅線に似ている。暗い奴隷の世界に、このような奇特な人物がいる。
英文よりあわただしく翻訳し、世の根っからの奴隷根性の者にのべる。 43頁
/単行本1頁
周作人が冒頭に書き加えた小文である 。「序」ということにする。
該文があることによって、訳者の周作人は、女奴隷モルギアナに焦点をあわせ
て「アリ・ババ物語」全体の方向付けを行なったことがわかる。まず、このこと
184
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
を念頭においておきたい。
周作人の漢訳「アリ・ババ物語」を検討するにあたって、英文原作は、フォー
スター版を主として使用する。そのほかには、以下の版本も必要に応じて参照し
よう。
スコット版 (1811)、 †ダルケン版 (1864, 1865) ダルジール兄弟挿絵本、 †ニモ社
版 (1865)、 †サグデン版 ([1875])、タウンゼンド版 (1877[1876])、ニュウンズ社版
(1899) である。
以上のうち、フォースター版をもとにして作成された版本をフォースター系
(参考のため † 印をつけておく) と私は称する。
あらためて書いておくが、周作人が漢訳するさいによった英文版本、すなわち
底本は、まだ、どの版本かを確定することができていない。フォースター系であ
ろう、というところまではわかった。だが、上に示したもののなかには入ってい
ない。それから先には進んでいない。上記の版本を使うのは応急措置だ。本文を
比較対照して検討すれば、のちに述べるように異同が複数でてくる。それが、今
後の底本確定の手掛かりとなるだろう。
いくつかの段落にわけて説明する。原文、あるいは漢訳に章題がつけられてい
るわけではない。私がつけた、あくまでも便宜的なものである。
人物設定 ―― カシムとアリ・ババ
周作人の漢訳冒頭にある「 10世紀以前のころ[前十世紀之時 ]」は、英文原作
のフォースター版にないことは、すでに触れた。また、語り手シャーラザッドが
「陛下 sire」と呼びかける箇所が、漢訳では省略されていることにも言及して
いる (異同4)。
これは、いくつかある英文と漢訳の文章異同のひとつだ。周作人独自の判断で、
つけくわえたり削除したりした可能性も考えられる。と同時に、漢訳の底本が、
フォースター版ではないことを示唆しているかもしれない。
それ以外は、カシムが金持ちの女性と結婚し、町1番の金持ちのひとりとなる
こと、アリ・ババが貧乏な女性を娶って貧乏暮らしをすることなどは、フォース
ター版に忠実な漢訳となっている。だから、フォースター系の版本ではないかと
185
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
推測している。
たとえば、ダルケン版では、フォースター版の例の「陛下 sire」が「おお、
偉大なる王様 O great monarch」にかわっただけで、あとは同文である。それほ
どの一致を見せている。
また、念のためにニモ社版の冒頭もかかげておきたい。
【ニモ社】 “THE STORY OF ALI BABA AND THE FORTY ROBBERS
DESTROYED BY A SLAVE.”
IN a town in Persia, there lived two brothers, one named Cassim, the other Ali
Baba. Their father left them no geat property; but as he had divided it equally
between them, it should seem their fortune would have been equal; but chance
directed otherwise./ Cassim married a wife, who soon after their marriage,
became heiress to a plentiful estate, and a good shop and warehouse full of rich
merchandise; so that he all at once become one of the richest and most
considerable merchants, and lived at his ease. p.464
フォースター版には存在したシャーラザッドの語り部分をはぶいただけで、あ
とはよくにている。ニモ社版をフォースター系という理由のひとつである。
森の洞窟
貧しいアリ・ババは、いつも通り森へでかけ、3匹のロバに薪を満載して帰ろ
うとしたときだった。盗賊の集団が近づいてきた。アリ・ババは、木の上に逃れ
て彼らの行動の一部始終を目撃することになる。
【フォースター】 when he perceived a thick column of dust rising in the air,
which appeared to come from the right of the spot where he was, and to be
advancing towards him.
もうもうたる土煙が空中に昇るのに気がついたのですが、それは右の方か
ら彼のいるところに近づいてくるらしいのです。 p.414
186
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
【周作人】忽挙首見前山塵埃障天。如半天濃密乱雲。蓬蓬然直薄霄漢。細察
其起處。自右方向之地而前進。
ふと頭をあげて前方の山を見ますと、土煙が空をさえぎって、まるで空の
半分に濃い乱雲がまきあがり大空にせまるかのようです。その場所をよく見
れば、右の方向から近づいてくるのです。 2頁
「右のほうから」と方角を明記しているところに着目する (異同5)。なぜなら、
すべての英文原作が右方向を示しているとは限らないからだ。ダルケン版とサグ
デン版には、ある。だが、ニモ社版には、ない。フォースター系といっても、す
べてが一致しているわけではなさそうだ。また、スコット版、タウンゼンド版、
ニュウンズ社版も「右」方向までは書き込んではいない。だから、各種版本の比
較対照が必要なのだ。
英文原作によって、書かれていたりいなかったりする語句がある。小さな部分
だが、漢訳の底本を決定するばあいの手掛かりになる。そればかりか、その細か
い箇所を周作人は無視をしないで、丹念に拾って漢訳をしていることがわかる。
おおざっぱに翻訳したのか、それとも原文に忠実に漢訳をしたのか、それを判断
するためには、このような小さな部分が意味をもってくる。
木の上に身を隠したアリ・ババが数えると、盗賊たちは 40人であった (異同6)。
物語の題名である「アリ・ババと 40人の盗賊」だから、なんでもないような箇
所だ。
だが、原文を比較してみれば、版本によって表現に微妙な違いがあることがわ
かる。
タウンゼンド版は「その群は 40人で The troop, who were to the number of
forty」 (p.298) と記述する。ニュウンズ社版も「その群は 40人の男から成っており
The troop consisted of forty men」 (p.203) というように、語り手が 40人という数
を説明する。
だが、フォースター版は、アリ・ババ自身が人数をかぞえる 。「アリ・ババは
彼らが 40人だと数えて Ali Baba counted forty of them」 (p.414) という文章は、の
ちのスコット版、ダルケン版、ニモ社版、サグデン版ともに一字もたがえず同じ
187
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
だ。
周作人の漢訳が「数えて 40人である[数之得四十人 ]」 (3頁) となっているのを
見れば、フォースター版にもとづいているように見える。というよりも、漢訳の
底本は、フォースター版に似ているのか。
盗賊たちが馬からおりて、やったことは、まず、馬勒をはずし、大麦のはいっ
た袋を馬の頭に掛けることだ。つまり、餌を与えている。それから雑嚢を運ぶ。
アリ・ババは、その重そうな様子を見て、雑嚢には金銀がつまっていると推測す
る。
「大麦のつまった袋 」(異同7) と「雑嚢 」(異同8) を諸版がどう表現している
か、かかげてみよう。
周作人訳
袋。其中似満実以粟類
旅行之革鞄
†フォースター版
a bag, filled with barley
travelling bags
a bag of corn
saddle wallet
†ダルケン版
a bag filled with barley
travelling bags
†ニモ社版
a bag of corn
portmanteau
†サグデン版
a bag filled with barley
travelling bags
タウンゼンド版
a bag of corn
saddle-bag
ニュウンズ社版
and fed them
saddle-bags
スコット版
corn にも穀物という意味はある。だが、周作人は、大麦 barley を「粟類」と
漢訳した。しかも、穀物の袋だけではなくて「……のつまった[満実以…… ]」
という表現である。フォースター版とダルケン版およびサグデン版そのままだ。
「旅行之革鞄」も、フォースター版、ダルケン版とサグデン版の原文から来た
と見える。ただし、サグデン版は、周作人の漢訳の底本ではないことについて、
すでにのべている。ここでは、諸版の表現がすこしずつ異なっていることを見て
もらうだけで十分だろう。
アリ・ババの目前で、盗賊の頭が「開け、ゴマ OPEN, SESAME」という呪文
をとなえると、洞窟の扉があくという場面である。
188
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
漢訳では「西剡姆 (意訳為胡麻) 啓戸」 (3-4頁) と書き表わしている 。「セサミ、
扉よ開け」という意味であることは説明するまでもない 。「ゴマ」を翻訳せず注
をほどこしたのは、呪文だからという判断が周作人にはあったのかと考える。呪
文ならば、意味不明のほうがそれにふさわしい。
ニモ社版には、ゴマに注がついていて穀物の1種だという ( “Sesame” is a sort of
corn. p.465)。タウンゼンド版も同じように注がある(“Sesame” is a small grain. p.298)。
穀物であるという認識が、のちに兄カシムが呪文を間違える伏線となる。
洞窟のなかに金銀財宝
盗賊たちが去ったあと、アリ・ババは、呪文の効果を確かめたいという好奇心
にかられた。耳にしたとおりに呪文をとなえると、洞窟の扉が開いた。
想像していたほど暗くはない。岩をくりぬいた円天井の頂から光が入っている
からだ。中は、人の背丈よりも高い。アリ・ババは、そこに盗賊たちが幾世紀に
もわたって貯蔵し続けてきた金銀財宝の山を目にする。
周作人の漢訳には、奇妙な文章がでてくる。英文原作には見られない語句なの
だ。
【周作人】満貯一種小金銭名西坤者。
セキンという小金貨がたっぷり貯蔵されています。 5頁
とりあえずセキンと訳しておいた「西坤」とはなにか (異同9)。フォースター
版を含めて、手元の英文原作には、どこにもそのような単語は存在しない。
しいていえば、フランス語訳には、ディナール金貨として出現しているのに関
係があるのかと思ったりもする *12。
しかし、ディナール dinar を漢訳して「西坤」にはならない。原文は、別の物
語にでてきたセキン sequin かと考える。周作人が、英文にない単語を、しかも
日常で使用するような言葉ではないものを、わざわざ使うだろうか。疑問である。
もうひとつ疑問がある。
189
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
【周作人】以一丸泥封穴口。閉開自守。不求取於人。如是亦足以供給四十人
一生之用而有餘。
泥で洞窟の扉をふさぎ、開閉はみずからが管理し、他人に盗まれないよう
にしました。こうして 40人が一生使ってもあまるほどになったのです。 5頁
洞窟の金銀財宝について説明する (異同10)。だが、英文原作には、この文章は、
ない。
財宝の山を見たアリ・ババは、躊躇しなかった。金貨だけを3頭のロバに積め
るだけ盗みだす。
この部分は、フォースター版と漢訳のあいだには、齟齬が生じている。
【フォースター】 Ali Baba did not hesitate long as to the plan he should pursue.
He went into the cave, and as soon as he was there, the door shut; but as he
knew the secret by which to open it, this gave him no sort of uneasiness.
アリ・ババは、彼がやるべきことを実行するのに長くはためらいませんで
した。洞窟に入ったとたんに扉は閉まったのですが、それを開ける秘密を知
っていましたから、不安は感じませんでした。 p.415
【周作人】埃梨入此富麗之窟室。恍遊天上。傍徨良久。莫知所為。
アリ・ババは、この立派な洞窟の部屋に入りますと、天上にまうようにぼ
んやりとしてしまいました。長いあいだぐずぐずして、何をしていいのかわ
かりません。 p.5
英文原作にいるすばしこいアリ・ババは、漢訳では、ぼんやり者になってしま
った (異同11)。盗賊の財宝を盗むほどのしたたかなアリ・ババである。それが、
漢訳のぼんやり者では、読者にあたえる印象が違ってくるだろう。ただし、これ
を周作人の翻訳間違いだと考えるのは早計である。
ここは、普通、誤訳するようなところではない。なにしろ正反対の描写なのだ。
ゆえに、漢訳の底本がフォースター版そのものではないことを示しているのでは
ないかと考える。
190
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
一般の記述と違う翻訳を例にあげておこう。前嶋信次の日本語には、次のよう
に訳出されている 。「アリ・ババはこれらの財宝や珍貨の夥しさに茫然としてし
まい、意識ももうろうとなり、心頭は混迷してしまいました。そうしてしばらく
の間は驚きあきれ、我を忘れて立ちすくんでおりました」 *13。
前嶋訳のこの「アリ・ババ物語」 *14に、周作人漢訳と同じような記述を見る
ことができる。同様の英文原作が存在しているのではないか、と考える理由とな
るのだ。
周知のように「アリ・ババ物語」はガラン版にのみ収録されている。ガランの
創作だと疑われてことがあった。しかし、 1908年になってマクドナルド Duncan
B.Macdonald がオックスフォード大学ボドレアン図書館のなかから原本を発見し
た。 1910年に原文を雑誌に発表した、と前嶋は説明している。
1908年でも 1910年でもかまわないが、アラビア語原本が発見されたのは、周作
人漢訳のあとである。ということは 、「アリ・ババ物語」は、やはりガラン版を
もとにして派生してきた英訳本だということになろう。
ついでだから、ボドレアン図書館でみつかったあのアラビア語原本について後
日談を書いておく。なんのことはない、フランス語のガラン版にもとづいてアラ
ビア語に再度訳しなおしたものというのだ *15。
もとが同じガラン版ならば、なぜ記述の異なる英訳本ができるのか不思議だが、
そこが重訳者の腕のふるいどころ (あるいは、振るいまちがい?) で、だからこそ
「三文文士版」というのだろう。
扉を閉じる呪文は、すでに出ているから、漢訳では省略したのかとも思う。あ
るいは、底本にはなかったか。
周作人の翻訳は、基本的にはほとんど原文のとおりなのだが、より簡潔に描写
している場合もある。金貨をロバに積みこんで、薪で隠したあとのことだ。
【フォースター】 When he had finished all this, he went up to the door, and had
no sooner pronounced the words, “Shut, Sesame,” than it closed; for although it
shut of itself every time he went in, it remained open on coming out, but by
command.
191
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
これらのすべてをし終わったとき、彼は扉の前に行って 、「閉じよ、セサ
ミ」と口にするやいなや、それは閉まりました。彼が入るたびにひとりでに
閉まるのですが、出ると開いたままですから、命令しなければ閉じないので
す。 p.415
【周作人】諸事已畢。乃復呼如前。門即閉。
すべてが終わり、また以前のように呪文をとなえると、扉は閉じました。 5頁
漢訳がこのように説明を省略するのは、間違いではない。しかし、あまりにも
簡潔にすぎるのではないか (異同12)。
洞窟の扉がどのように開閉するのか、その仕組みを説明しているのには、意味
がある。のちにアリ・ババの兄カシムが洞窟に入り、出るのに失敗するときの伏
線になっているのだ。
アリ・ババは、注意深く家に帰ると、ソファに座っていた妻の前に (before his
wife, who was sitting upon a sofa. 置於其妻之前。其妻方倚睡椅而坐) 金貨のはいった袋をお
いた。
アリ・ババの妻が金貨を数える
驚きいぶかる妻に、アリ・ババは、ことの一部始終を説明して、口止めをする。
興奮した妻が金貨を1枚1枚数えはじめたので、アリ・ババは思わず口をはさむ。
【フォースター】 you are very foolish, wife; you would never have done
counting. I will immediately dig a pit to bury it in; we have no time to lose.
バカだな。数え切れるもんか。すぐに穴を掘ってそこに埋めるから。ぐず
ぐずしちゃいられんぞ。 p.415
【周作人】汝何愚也。真可謂貪児暴富者矣。予将掘地為坎而埋之。則永遠可
不失。数之何為。
バカだな。まるでにわか成金じゃないか。穴を掘って埋めれば、なくなり
っこないんだから。数えてどうするんだよ。 7頁
192
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
「真可謂貪児暴富者矣。まるでにわか成金じゃないか」という箇所は、周作人
が加筆したものだろう。また 、「則永遠可不失。なくなりっこないんだから」は 、
英文の「 we have no time to lose. ぐずぐずしちゃいられんぞ」を誤解したのだと
思う (異同13)。誤解するような英文ではないのだが。それとも、ここも底本が違
うということになるのか。
アリ・ババの妻は、近くに住んでいる兄嫁から秤をかりてくる。全部の金貨を
はかったところで返却したのだが、兄嫁が秤に塗りつけていた油に金貨がひとつ
くっついていることには気がつかない。いつも貧乏をしているアリ・ババが、何
を量ろうとしているのか怪しんだ兄嫁の仕業なのであった。
カシムがアリ・ババを問い詰める
というわけで、カシムは、アリ・ババが秤ではかるほどの大量の金貨をもって
いる、と妻に聞かされる。その証拠が、秤の底に1枚だけひっついていた金貨だ。
漢訳と英訳原本の不一致が見られる。
【周作人】慨星視之。則乃古昔之金幣。上鐫古代帝王之名号。殆西坤之類。
カシムが見ると、昔の金貨で、表面には古代の帝王の名前が彫ってありま
す。おそらくセキンの類でありましょう。 8頁
【フォースター】 a coin so ancient, that the name of the prince, which was
engraved on it, was unknown to her.
金貨はたいそう昔のものでしたから、その表面に彫ってある王様の名前は、
彼女にはわかりませんでした。 p.416
漢訳では、コインに彫られた古代の王様の名前を見ているのはカシムだ(異同14)。
しかし、フォースター版では、妻になっている。ダルケン版も同じだ。興味深い。
各版本を見れば、バラバラである。たとえば、サグデン版には金貨というだけ
で、それ以上の説明をしない。
カシムか、それとも妻か。どちらだとはっきりと書かず、その両者 they とす
るのは、スコット版、ニモ社版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版である。
193
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
周作人の漢訳は、カシムを前面に押し出している。今、私の手元にある英文原
作のどれにも、そうするものは見あたらない。注目にあたいする。このような不
一致こそが、底本をさがすばあいのヒントをあたえてくれると考えるからだ。
漢訳には周作人訳と同じ記述するものがあることを知れば、別の版本の存在を
示しているように思う。
周作人も言及した奚若訳だ。奚若訳の「天方夜譚」が『繍像小説』に連載され
はじめたのは、周作人の漢訳よりも以前だ。だが 、「アリ・ババ物語」について
は、説部叢書に収録されてからだから、周作人訳よりも時間的には遅い *16。
【説部叢書】克雪聞言。並見金銭非近今物。
カシムはそれを聞いて金貨を見ると、最近のものではありません。 73頁
金貨に刻まれた模様までは言ってはいない。しかし、カシムが主体であるとこ
ろは、一般の書き方と異なる。
また、現代中国で刊行された翻訳書にも1種類ではあるが、同様の例をみるこ
とができる。 1835年のブーラーク版によって全文を訳出したと言明する李唯中訳
『一千零一夜』全8冊 (石家庄・花山文藝出版社1998.6) だ。
【李唯中】卡西姆拿過那枚金幣,翻過来調過去看了又看,発現那是一枚古金
幣,認不出是哪朝哪年鋳造的。
カシムはその金貨を手に取るとくりかえし見まして、それが古い金貨であ
ることはわかったのですが、どの王朝のいつの時代に鋳造されたものなのか、
見わけることはできませんでした。 第8巻403頁
周作人の漢訳とすべてが一致するわけではない。しかし、ほかの英訳に比較す
れば、こちらの方にかなり近い。
前出の前嶋訳もこれによく似た表現になっている 。「カーシムは妻の言うとこ
ろを聞き、枡の底に粘りついていたディーナール金貨を目のあたりに見るに及ん
で、……」 *17。
194
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
金貨の種類については、洞窟の場面でディナール金貨とするフランス語の版本
があることはすでにのべた。
そのフランス語版は、ここでも同じく「女は夫の鼻の下に、例のディナール金
貨を突きつけて、どなり立てました」 *18とディナール金貨をもちだしている。
ディナールとセキンでは、呼称がちがう。しかし、金貨の名称を出しているのが
類似する。
周作人がいくら学生だからといっても、カシムと妻を取り違えることはないだ
ろう。さらに、原文にはないセキンをわざわざ漢訳に補うとも考えられない*19
(異同15)。となれば、周作人が漢訳のさいに底本としたのは、フォースター版そ
のものではないという推測が有力になる。
弟の幸運をよろこぶどころか、羨みと妬ましさだけを感じた兄のカシムは、弟
を問い詰める。アリ・ババは、金貨を入手したいきさつをすべて白状してしまっ
た。教えなければ警察に訴えてやるとまでカシムはいうのだ。
【周作人】汝拒絶予之命令。則予将告発於警察署。
おれの命令を断わるんだったら、警察署に訴えてやるぞ。 9頁
【フォースター】 I will go and inform the officer of the police of it.
警察の役人にそのことを訴えてやるぞ。 p.416
問題は「警察の役人 the officer of the police」だ (異同16)。周作人が「警察署」
と漢訳したのはかまわない。サグデン版にも、おなじ語句が使われている。しか
し、スコット版、ダルケン版、ニモ社版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版には、
いずれも該当する語句がない。
欲にかられたカシムが、ひとりで洞窟に向かったのはいうまでもない。
カシムが洞窟のなかで
次の日の朝早く、カシムは 10頭のラバをつれて、アリ・ババの教えた通りの道
をたどり洞窟についた。呪文をとなえて入ると、できるかぎりの財宝をラバに積
みこむ。さて、洞窟をでるときになって、カシムは呪文を忘れてしまう 。「開け 、
195
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
大麦 Open, barley」と言って、扉はびくともしない。色々な穀物の名前をとなえ
るが、すべてに失敗する。とはいいながら、具体的に穀物の名称をあげているわ
けではない。各種英本版本ともに、それは共通している。周作人の漢訳は、それ
らともすこし異なる。
【周作人】不曰『西剡姆』而誤呼曰『伯累 (意即大麦) 啓戸 』。彼蓋錯記一種
之穀名。以大麦為胡麻也。呼之良久。而門堅閉如故。
「セサミ」とはいわず 、「開け、バーリ (大麦の意味)」と誤って言ってし
まいました。彼は、穀物の名前だと誤って覚えていて、大麦を胡麻だと考え
たのです。長い間となえましたが、扉はもとのまま堅く閉じたままです。
10-11頁
フォースター版の「「 ゴマ」と発音するところを「開け、大麦」と言ってしま
いました。instead of pronouncing “Sesame,” he said, “Open, barley.”*」(p.416) と比
較すれば、周作人訳の後半が理由の説明になっていることがわかる(異同17)。
フォースター版だけだが、*印をつけていて次のように説明している。すなわ
ち「ゴマは穀物であり、主として牛の飼料に使われる。しかし、時には人間のも
のでもある 。(中略) このことは、カシムがなぜそれを大麦と混同したのかの原因
を説明するであろう」 (p.416)。
この欄外にほどこされた原文の注を周作人は漢訳に取り込んだ、という経緯で
あったならば興味深い。だが、漢訳の底本は、フォースター版そのものではなさ
そうだ。ゆえに、残念ながらこの魅力的な説明を採用することができない。
ゴマという単語を思いだせないまま、カシムは洞窟のなかに閉じ込められてし
まった。
カシムの死
そこに盗賊たちが洞窟にやってくる。カシムはやぶれかぶれで、扉が開いたの
に乗じて外にとびだす。先頭にいた首領にぶつかり地面に倒したが、ほかの盗賊
の刀で切り刻まれた。
196
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
盗賊たちは、カシムがどうして洞窟に入ることができたのか理解できない。ア
リ・ババの存在など想像外のことだった。とにかくカシムの死体を4つにわけて、
扉の内側に片方ずつつりさげた。脅しのためである。
死体の悪臭がなくなるまで (until the stench from the corpse should be subsided. 俟此死
体之悪臭発盡)、盗賊たちは洞窟にはもどらないことにした。
死体の悪臭が子供には刺激が強すぎると配慮したのか、ダルケン版および、サ
グデン版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版は、いずれもこの部分を削除してい
る (異同18)。
カシムの妻
その夜、帰ってこない夫カシムを心配して、みずからの貪欲を後悔する妻だっ
た。眠れぬ夜をすごした彼女は、アリ・ババに捜索を依頼する。アリ・ババは、
ロバ3頭をつれてただちに森に向かった。
洞窟のなかに入ったアリ・ババが見つけたのは、口にするのも恐ろしい。4つ
に切りわけられた兄の死体が吊り下げられているのだ。死体をふたつの包みにし
てロバに積みこむ。
諸版では、この描写に異同が生じている。死体の状態を詳しく書くのはうす気
味悪い (異同19)。
【周作人】慨星之尸。赫然陳於戸左。不覚戦慄却歩。膚粟股慄。然終以同気
之感。自思当盡此最後之義務。於是不復躊躇。於穴中取二匣。以装此支解之
砕肢体。如二小包状。令一驢負之。遮以柴薪。
カシムの死体が、おどろいたことに扉の左にならべてあります。恐ろしさ
のあまりおもわずあとずさりして、鳥肌がたち足がふるえました。しかし、
しまいには兄弟だという感情から、最後の義務をつくさなければならないと
考えたのです。そこで躊躇することなく、洞窟のなかからふたつの箱をとっ
てバラバラになった死体をつめ、ふたつの包みのようにして1頭のロバに背
負わせ、柴で隠したのです。 14頁
197
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
四つ裂きにされた兄カシムの死体は、さきの周作人訳では、扉の両側に置かれ
ていた (将慨星之尸。分為四片。投於穴内近門之處。分置両旁。13頁)。ところが、ここ
では「扉の左」に変更してある。なぜなのかわからない。
また、洞窟のなかからふたつの箱を取りだして、とあるが、これもほかの原文
とは違う。ご注目いただきたい。
【フォースター】 He was struck with horror, when he distinguished the body of
his brother cut into four quarters; yet he did not hesitate on the course he was to
pursue in rendering the last act of duty to his brother's remains, notwithstanding
the small share of fraternal affection he had received from him during his life. He
found materials in the cave to wrap up the body, and making two packets of the
four quarters, he placed them on one of his asses, covering them with sticks, to
conceal them.
四つ裂きにされた兄の死体だとわかったとき、彼は恐怖におそわれました。
ですが、彼の兄の遺体について最後のつとめをはたさなければならないとこ
ろから少しも躊躇はしませんでした。兄が生きているあいだ、彼から兄弟の
愛情はほんのすこししか受けはしなかったにもかかわらずです。死体を包む
ものを洞窟のなかでさがし、よっつの塊をふたつの包みにして、ロバの1頭
において、隠すために柴でおおいました。 p.417
フォースター版は、周作人漢訳とかなりにかよっているということができる。
ただ、少しの異同がある。死体を包むもの、というのが英文原作であって、周
作人漢訳のようにふたつの箱ではないところがひっかかる。しかも、手元のその
他の英文にも、箱だとしているものは、ない。漢訳だけに見える箱であることを
いっておきたい。
【スコット】 he was struck with horror at the dismal sight of his brother's
quarters. He was not long in determining how he should pay the last dues to his
brother, but without adverting to the little fraternal affection he had shown for him,
198
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
went into the cave, to find something to enshroud his remains, and having loaded
one of his asses with them, covered them over with wood.
彼の兄の四つ裂きという陰気な光景に、彼は恐怖におそわれました。兄が
弟に示した兄弟愛はすこしもなかったとはいえ、彼は兄にむけての最後のつ
とめをしようと決心するのに時間はかかりませんでした。遺体を包むための
なにかをさがしに洞窟へはいり、ロバの1頭にのせると木材でそれを覆いま
した。 pp.535-536
死体を包むのはいい。だが、ふたつの包みにわけたとまでは書いていない。四
つ裂きの死体だけでも気味が悪いのに、ふたつの包みまでいえば、具体的である
ぶん、かえって不気味さを増すという判断だろうか。省略化のひとつだというこ
とはできよう。
【ダルケン】 He was struck with horror when he discovered the body of his
brother cut into four quarters: yet, notwithstanding the small share of fraternal
affection he had received from Cassim during his life, he did not hesitate on the
course he was to pursue in rendering the last act of duty to his brother's remains.
He found materials in the cave wherein to wrap
up the body, and making two
packets of the four quarters, he placed them on one of his asses, covering them
with sticks, to conceal them.
四つ裂きにされた兄の死体だとわかったとき、かれは恐怖におそわれまし
た。ですが、兄が生きているあいだ、彼から兄弟の愛情はほんのすこししか
受けはしなかったにもかかわらず、彼の兄の遺体について最後のつとめをは
たさなければならないところから少しも躊躇はしませんでした。死体を包む
ものを洞窟のなかでさがし、よっつの塊をふたつの包みにして、ロバの1頭
において、隠すために柴でおおいました。 p.696
フォースター版の一部を前後入れ替えただけで、ほとんど全文が一致している。
同文だといってもいいだろう。
199
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
【ニモ】 he was much more startled at the dismal sight of his brother's quarters.
He was not long in determining how he should pay the last dues to his brother,
and, without remembering the little brotherly friendship he had for him, went into
the cave, to find something to wrap them in, and loaded one of his asses with
them, and covered them over with wood.
兄の四つ裂きという陰気な光景にとてもびっくりしました。兄からのすこ
しの兄弟愛すらも記憶がなかったとはいえ、彼は兄にむけての最後のつとめ
をしようと決心するのに時間はかかりませんでした。遺体を包むためのなに
かをさがしに洞窟へはいり、ロバの1頭にのせると木材でそれを覆いました。
p.468
ニモ社版は、文章がスコット版にそっくりだ。
【サグデン】 He was struck with horror when he distinguished the body of his
brother cut into four quarters. He found materials in the cave to wrap up the
body; and making two packets of the four quarters, he placed them on one of his
asses, covering them with sticks, to conceal them.
兄の身体がよっつに切りわけられているのに気がついたとき、彼は恐怖に
おそわれました。死体を包むために洞窟のなかで何かをさがして、四つ裂き
をふたつの包みにまとめて、ロバの1頭におき、それを隠すために棒切れで
おおいました。 p.411
より簡単になった。兄弟愛うんぬんを削除する。
【タウンゼンド】 he was struck with horror at the dismal sight of his brother's
body. He was not long in determining how he should pay the last dues to his
brother; but without adverting to the little fraternal affection he had shown for
him, went into the cave, to find something to enshroud his remains; and having
200
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
loaded one of his asses with them, covered them over with wood.
兄の身体の陰気な光景に、彼は恐怖におそわれました。兄が弟に示した兄
弟愛はすこしもなかったとはいえ、彼は兄にむけての最後のつとめをしよう
と決心するのに時間はかかりませんでした。遺体を包むなにかをさがすため
に洞窟へはいり、ロバの1頭にのせると木材でそれを覆いました。 p.303
スコット版、ニモ社版と同様ということができる。
【ニュウンズ】 he was struck with horror at the dismal sight of his brother's
quarters. He loaded one of his asses with them, and covered them over with wood.
兄の四つ裂きという陰気な光景に、彼は恐怖におそわれました。それをロ
バの1頭につむと、木材でそれを覆いました。 p.207
骨組みだけ残して、詳しい描写はほとんど削除してしまっている。周作人が、
あれほどくりかえして証言していたこれがニュウンズ社版の本文である。周作人
の漢訳とは、まるで違う。
残る2頭のロバに金を積みこんで、これも柴で隠して、日が暮れてようやく家
にもどった。金を積みこむのを忘れないアリ・ババも欲深かった。だが、兄より
も慎重なところがふたりの運命を分けたということだ。
女奴隷モルギアナ
金を積んだロバ2頭は自分の家に置き、カシムの死体をのせたロバを兄嫁の家
に引いて行く。
モルギアナ Morgiana 曼綺那が登場する。兄カシムの家にいる女奴隷だ。
本稿ではモルギアナと呼んでおく。周作人も冒頭の小序において英文綴りを示
しており、底本が Morgiana であることがわかる。
モルギアナ Morgiana を漢訳すれば、周作人が表現するように「曼綺那」とな
るのか。私は、疑問に感じる。
現代では「馬爾基娜」と綴ったりする。李唯中は 、「麦爾加娜」と表記してい
201
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
るが、こちらはアラビア語なのだろう。マルジャーナ Marjánah らしい。
佐藤正彰の注によると、フランス語のマルドリュス版では、 Morgane という。
「ガランでは、 Mon[r]giane。バートンではカシムの女奴隷であり、 Morgiana と
あ」 *20る。つまり、マルドリュス版では、アリ・ババの女奴隷だということに
なっている。兄か弟か、その所属がちがうのだ。
周作人の「曼綺那」が、マンジャーナの漢訳であれば、ぴったりとくる。ガラ
ン版の読み方と、偶然、一致したのだろうか。
モルギアナについての説明文を各版本ごとに列挙するのも煩雑だ。周作人の漢
訳と一番近いものだけをかかげておく。
【周作人】其為人機警有智。富於進取力。能従事於至困難之冒険事業。而終
達其目的。以此故。其品性非常人所可及。平日亦素為埃黎所器重。
その人となりは機敏で聡明、進取の気概に富んでいました。困難な冒険的
仕事に従事することができ、しかもしまいにはその目的に達するのです。そ
れゆえに、その品性は普通の人の及ぶところではありませんでした。平素か
らアリ・ババが重宝がったものです。 15頁
【フォースター】 crafty, cunning, and fruitful in inventions to forward the
success of the most difficult enterprise, in which character Ali Baba knew her well.
器用で抜け目がなく、もっとも困難な仕事を成功に導くのに豊富な工夫をす
るという彼女の性格をアリ・ババはよく知っていたのでした。 p.417
ダルケン版とニモ社版がフォースター版に近い。それ以外の英文版本は、これ
よりもより簡単な説明でしかない。
ただ、フォースター版が漢訳に一番近いといっても、記述にすこし不足する部
分がある。モルギアナの性格について、いま一歩踏み込んで詳細に説明する英文
原作があるのかもしれない (異同20)。
アリ・ババは、カシムの妻に事の顛末を告げることになる。話す前にふたつの
条件がある。説明の途中で口をはさまないこと。もうひとつは、聞いたことはす
べて秘密にするという条件だ。
202
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
フォースター版で「最初に、私の話の最初から最後までじゃまをしないで聞く
約束をしなければなりません。 you will first promise to listen to me from the
beginning to the end of my story without interruption.」(p.418) とある。周作人の漢
訳は、「私が話をするのを、中断させてはなりません[勿中断予之談話]」(p.16) と
なっていて一致する。
ところが、英文原本にはつづきがある 。「現状では、私よりもあなたにとって
は、厳重に秘密にすることが重要なのです。あなたの平和と安全のために、絶対
的に必要なのですよ。 It is of no less importance to you than to me, under the
present circumstances, to preserve the greatest secresy; it is absolutely necessary, for
your repose and security.」(p.419)
これを周作人の漢訳は、無視する (異同21)。英文の各種版本には、この部分の
記載がないものもあるから、いちがいにはいうことができないかもしれない。し
かし、漢訳の底本がフォースター系であれば、すくなくともスコット版、ダルケ
ン版とニモ社版には、同様の文章がある。
アリ・ババは、事のはじまりから兄の死体にたどりついたところまで話した。
つづく部分は、フォースター版、スコット版、ダルケン版、ニモ社版、サグデ
ン版がほぼ一致する。
そのなかでとりわけ漢訳 (16頁) に近いのは、フォースター版 (p.418) なのであ
る。
【フォースター】 “Sister,” added he, “here is a new cause of affliction for you,
the more distressing, as it was unexpected;
「姉さん 」、彼はつづけていいました 。「あなたにとっては、苦悩の新し
い理由ですね。想像もしなかったことですからもっと悲惨かもしれません」
【周作人】復言曰。予思此悲惨事。実出於不意。然已過去。如已逝之水。不
復可挽。而禍患之来。方将未已。
つづけていいました。この悲惨な事件は、実のところ想像もしなかったと
ころに出てきました。しかし、すでにすんだことです。流れて行った水のよ
うに、ふたたびもどすことはできません。しかも禍はまさにこれからなので
203
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
す。
漢訳の後半「然已過去……」以下は、周作人による加筆となろう。流水のたと
えを出してくるところは、水の豊富な土地に育った周作人だからこそ表現できる
箇所だ、ということがいえる。
サグデン版では、上にひきつづいてアリ・ババが兄嫁に結婚を申し込む記述に
なる。周作人は、英文の順序を入れ替えて、うしろにあるモルギアナに処理をま
かせる部分を、前にひっぱりだす。
【周作人】予等瘞此尸体。當加謹慎。一如死於天然之病者。勿与人以疑竇。
予思此事惟曼綺那能任之。予亦就力之所及以相助。
この死体を埋葬するのには、慎重でなければなりません。自然の病気で死
んだようにして、人に疑惑をあたえてはならないのです。私は、これはモル
ギアナだけがうまくやってくれると思いますよ。力のおよぶかぎり助けます
から。
【フォースター】 we must contrive to bury my brother, as if he had died a
natural death; and this is a trust, which I think, you may safely repose in
Morgiana, and I will, on my part, contribute all in my power to assist her.”
私の兄は自然死したように埋葬するよう工夫しなければなりません。モル
ギアナを信用するのがよさそうだと私は思いますよ。力のおよぶかぎり彼女
を助けますから」
問題は、つぎの場面だ。アリ・ババは、寡婦となった兄嫁を自分の妻にすると
申し出る。周作人は、礼教にあわないという根拠で原文を削除した、と明確に証
言している (異同22)。
英文から示そう。
【フォースター】 although the evil is without remedy, if, nevertheless, anything
can afford you consolation, I offer to join the small property God has granted me,
204
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
to yours by marrying you; I can assure you, my wife will not be jealous, and you
will live comfortably together. If this proposal meets your approbation,……
救済なしの不運とはいっても、慰めることができるとすれば、あなたと結
婚することによって、神が私に与えてくれた少しの財産をあなたのものに合
わせるよう申しこむことにしましょう。私の妻は、嫉妬などしませんから、
あなたが一緒に快適にすごすであろうと請け負いますよ。もしもこの申し出
があなたの賛成を得ることができましたら、……
p.418
英文の最後部分の「もしもこの申し出があなたの賛成を得ることができました
ら、……」以下は、上の「私の兄は自然死したように……」に続いている。
周作人の証言では、アリ・ババと兄嫁の結婚は削除したことになっていた。は
たして、どうか。
【周作人】既復建議同居之利便。而陳分立之不可。因同居則非但患難可以相
顧。且亦可以慰離索之感。
そこで同居することの便利を申しでて、分立のよろしくないことをのべま
した。同居すれば憂いと苦しみをわかつことができるばかりか、寂しく暮
す感情を慰めることができます。 16頁
周作人がおこなった証言を考慮しながら目にしている漢訳を見れば、私にいわ
せれば、なにやら肩すかしをくらわされたように感じる。
英文と漢訳が異なる箇所といえば、英文が「あなたと結婚することによって
by marrying you」とあるのを漢訳はそこだけを書き換えている。そのほかの部分
は、表現を改めているのだから、周作人のいうような削除ではない。しかも、肝
心の部分の小さいことに、私はかえって驚く。周作人の証言では、関連する全部
を削除したように読めた。
ここでは、結婚を「同居」に書き換えている事実のみを指摘しておく。アリ・
ババと兄嫁の結婚については、後にもう1ヵ所出現する。その意味については、
本稿の末尾でまとめて論じる。
205
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ババ・ムスタファとカシムの葬儀 ―― モルギアナの知恵1
兄カシムの死体は、よつ裂きにされている。それを自然死に装わなくてはなら
ない。賢いモルギアナが考えたというのが、これまた奇想天外なやりかたであっ
た。モルギアナの聡明さが、今後、幾度も紹介されることになる 。「モルギアナ
の知恵」として番号をつけておく。
その知恵1は、2段階に分かれる。
まず、急病で死亡したと見せかける。そのためには、薬屋で薬を買い、店主に
カシムが重病だと印象づける。
翌朝も同じ薬屋に行き、涙ながらに危篤の病人用の薬を求める。
【周作人】来求買一種『安笙思』此剤之性。係専用之於危険極端。已将絶望
之病夫。
ある「エッセンス」を買い求めました。これは危篤でもう絶望の病人にも
っぱらほどこすものなのです。 17頁
【フォースター】 enquired for an essence, which it was customary only to
administer, when the patient was reduced to the last extremity, and when no
hopes were entertained of life,
エッセンスを求めました。それは、患者が危篤のとき、生存の希望がもは
やなくなったときにのみ、普通、与えるものでした。 p.418
周作人の漢訳がすぐれていると考えるのは、 “essence” に「安笙思」という音
訳にもとづいた訳語をあたえているところだ。これをむりやり翻訳して「質、
精」としたところで、原文の意味は伝わらない 。「エッセンス」と日本語になお
すのと同じで、かえって何かありがたい効能のある薬の1種だと読者には理解で
きる。それに加えて、周作人は、文中に「おそらく朝鮮人参、茯苓の類(殆参苓*21
之類)」と注をつける工夫をした。これで十分だ。
第2段階は、靴職人ババ・ムスタファを連れてくる。
周作人漢訳では「靴直しをなりわいとする[補靴為業]」 (17頁) とする。フォー
206
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
スター版では、 “cobler” と書かれている。初版からのちの新版も同じだ。ところ
が、これが誤植なのである。 “cobbler”
が正しい。ほかの英文原作は、いずれも
正しく綴っている。
フォースター版がムスタファの性格を規定して陽気である、とする部分 ( Baba
Mustapha, known to all the world by this name, was naturally of a gay turn, and had always
something laughable to say;) を周作人訳では省略している (異同23)。
目隠しをしたムスタファをカシムの家に連れて来て、死体を縫いあわさせた。
目隠しは用心のためだ。仕事がすめばほうびとして、さらに金1枚 ( another piece
of gold. 一金[金銭一枚]
) をあたえた。
準備を整えて順序通りに葬式を取り行なう。モスクから僧侶がくる。
漢訳では 、「モスクの祭司と僧侶
墨思克之祭司及僧侶」 (19頁) となっている
が、英文原作の各版のなかに、すこし異なるものがある (異同24)。一覧しよう。
周作人
祭司
†フォースター Imaun
僧侶
墨思克
ministers mosque
スコット
imaun
ministers
mosque
†ダルケン
Iman
ministers
mosque
†ニモ社
iman
ministers
mosque
†サグデン
iman
ministers
mosque
ministers
mosque
×
×
タウンゼンド imaun
ニュウンズ社
×
†印をつけたのは、前述のとおりフォースター系であるという意味だ。もとの
フォースター版とほぼ一致する。【増補版補記】この部分は、初出で私の誤解があった。
前後を訂正する。
漢訳との関係でいえば、上にあげたフォースター系の版本を底本だと考えても
よい、という推測がでてくる。
アリ・ババと兄嫁の結婚問題がふたたび出てくる。
カシムの死の真相について知るものは、アリ・ババ夫婦、寡婦となった兄嫁、
207
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
モルギアナしかいない。葬式の3、4日後、家具などと一緒に洞窟で得た金をあ
わせてカシムの家に運びこんだ。そうして兄嫁との結婚を宣言する。
【フォースター】 Ali Baba, removed the few goods he was possessed of,
together with the money he had taken from the robber's store, which he only
conveyed by night, into the house of the widow of Cassim, in order to establish
himself there, which proclaimed his recent marriage with his sister-in-law: and as
such marriages are by no means extraordinary, in our religion, no one showed any
marks of surprise on the occasion.
アリ・ババは、自分が所有していたいくつかの荷物を、盗賊の貯蔵所から
持ち出した金と一緒に、こちらは夜中にかぎって、カシムの未亡人の家に運
びました。そこに彼自身が住むためです。そこで義理の姉との結婚を宣言し
たのですが、そのような結婚は、すこしも異常なものではなく、私たちの宗
教ではこのようなばあいは誰も驚きなどしないのです。 p.419
見られてもいい荷物は昼間に、隠しておきたい金は夜間に運んだ。
前半はまだしも、アリ・ババと兄嫁との結婚については、上の説明は、奇妙で
ある。英文原作そのものの不可解な部分だといってもいい。
「私たちの宗教では in our religion」とわざわざいうのは、なぜか。語り手で
あるシャーラザッドの言葉とも思えない。自分とは異なる宗教をもつ他人に対す
る解説になっているからだ。シャーラザッドが王様に説明する事柄ではないこと
は、すこし注意して読めば誰でも理解する。英文翻訳者が、独自の判断で当時の
読者にむかって加筆した説明文であることがわかる。欧米の読者にとっては、兄
嫁を妻にすることは、やはり、特別に説明を必要とすることであったと想像でき
る。
【周作人】埃黎乃於夜中暗運其家之動産。至慨星之家。如金帛類之得之盗穴
者。不数日。已畢。遂宣告同居。棄其昔日之破屋。而遷居於美宅。牛馬満野。
金玉盈籝。埃黎此後遂享受此順遂生涯矣。
208
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
アリ・ババは夜中に家の荷物をカシムの家に運びました。金と絹の類で盗
賊の洞窟から得たものは、数日ならず、すべて終わりました。そこで同居を
宣言し、昔のぼろ家は捨てて、美しい邸宅に引っ越したのです。牛馬は野に
満ち、金玉はあふれ、アリ・ババはその後、この順調な生涯を享受したので
した。 20頁
漢訳では、引っ越しは夜中に行なわれたことになっている。誤解ではなかろう
か。
さらに、原文の結婚を「同居」に書き換えた。この例は、すでに出てきた。そ
れのくりかえし、あるいはつじつま合わせにすぎない。周作人は、意図的にそう
改変したのである。結婚ではなく「同居」だから、宗教の違いによるうんぬん、
の説明は必要ではなくなる。ゆえに、削除したとわかる。
さらに、周作人の筆によって文章を追加する 。「順調な生涯を享受したのでし
た」とは、まるで、これで物語が終わるかのような書き方ではないか。ここは、
余計だった。
漢訳は、英文原作にあるもうひとつ重要な部分を削除している。アリ・ババに
は息子がいるという箇所だ。カシムの店があるのだから、これをまかせるのに息
子が登場するというわけ。アリ・ババの息子ではなく、カシムの息子だとする版
本もあるらしい。しかし、手元にある英文諸版は、すべてアリ・ババの息子にな
っている。
なぜ、息子がカシムの店を継いだ部分を削除したのか、周作人はその理由を説
明していない。回想録では、こまかいところは忘れたのかもしれない。
アリ・ババがなしたその行為は、兄の財産を横領することになる、という当時
の礼教の考えでもあったものか。周作人には、倫理上、そのような行為が許せな
かった。そう考えれば、納得しないわけではない。アリ・ババと兄嫁の結婚を同
居と書き換えたくらいだから、都合の悪い部分は別の形に書き換える手もあった
はずだ。兄の息子だとすれば (そうする版本もある)、亡き父親の店を継承するのは
なんの問題もない。だが、なぜか、周作人は書き換えることはせず、あっさり削
除してしまった。
209
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
それでは、物語の最後までアリ・ババの息子は出てこないのかといえば、そう
ではない。必要な箇所には出現している (後述)。なんのために、ここで削除した
のか、わからなくなる。
盗賊のたくらみ1 (白印) ―― モルギアナの知恵2
盗賊たちが洞窟にもどってくると、あったはずの死体がない。財宝も大幅に減
っている。侵入者がいるに違いない。追求することにした。
まず、町に行って殺された人間がいないかを探る。その居場所をつきとめなけ
ればならない。盗賊の財宝全体の運命に関わることだから慎重に行動することが
要求される。
ひとりの志願者が町に探りを入れに行った。
朝早くだから道行く人はいない。ババ・ムスタファの店が開いているのを見つ
けた。細かいところが漢訳と英文原作が違う (異同25)。
【周作人】忽見左側有一小店。戸已大啓。
ふと見れば左側に小さな店があり、扉はすでに開いています。 22頁
【フォースター】 He went towards the square, where he saw only one shop
open,
広場にむかって行くと、ひとつの店が開いているのをみつけました。 p.419
英文には 、「左側」という単語はない。スコット版、ダルケン版、ニモ社版、
サグデン版、タウンゼンド、ニュウンズ社版などにも、見えない。
なぜ周作人の漢訳にだけ「左側」があるのか。わざわざつけくわえる必要があ
るとも思えない。ならば、どこかに存在している底本にそう書いてあると考えざ
るをえないではないか。
盗賊は、ババ・ムスタファが死体を縫いあわせたと口をすべらしたのを聞いて、
金貨を握らせる。握らせるといえば、普通、手に、だろう。だが、漢訳では異な
る (異同26)。
210
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
【周作人】急以一金置几上。
急いで金1枚を机のうえに置きました。 23頁
手と机では、あきらかに違う。念のために英文を示す。
【フォースター】 He drew out a piece of gold, and putting it into Baba
Mustapha's hand,……
金1個を取りだすと、ババ・ムスタファの手に握らせて……
p.420
ニュウンズ社版は 、「彼は金1個をやりました。 He gave him a piece of gold」
(p.209) と手を出さない。というように、英文原作にはどこにも「机」はないので
ある。
まことに細かい箇所だ。物語の筋とは、なんの関係もない。しかし、翻訳する
さいに間違うような場所ではないことが理解できるだろう。そういう箇所を違う
漢訳にしているということは、別の底本がある可能性を示しているように思うの
である。
目隠しされていたので死体を縫った家に連れては行けない、と答える。盗賊は、
同じように目隠しすればできるだろう、とさらに金を握らせる。ここの漢訳は、
「そこでさらに金1枚をその手のなかに置きました[乃復以一枚金銭置其掌中]」
(23頁) であって、英文原作の「もう1枚の金を彼の手のなかに置きました。 he
put another piece of money into his hand.」 (p.420) と重なる。
盗賊はババ・ムスタファの手引きで、ある家の前に到着した。昔のカシムの家、
今はアリ・ババの家である。そこで盗賊は扉にチョーク chalk 堊筆でしるしをつ
けた。
家にもどってきたモルギアナは、扉につけられたチョークに気づく。いぶかっ
た彼女は、近所の家にも同じようにしるしをつけておいた。これがモルギアナの
知恵の2である。知恵というより機知といったほうがいいかもしれない。
首領を先頭にして盗賊たちは目印の家にやってきたが、別の家にもしるしがつ
いている。盗賊のたくらみは失敗した。読者にはおなじみの話であろう。
211
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
盗賊のたくらみ2 (赤印) ―― モルギアナの知恵3
失敗した原因となった盗賊は、全体の幸福のために死刑に処せられる。盗賊は、
39人になった。
周作人は、ここに英文原作にない語句を挿入する。
すなわち、盗賊たちの行なう死刑について 、「無頼漢の挙動は、野蛮の習俗を
脱していないとはいえ[斯蓋雖暴客之挙動未脱野蛮之習俗]」 (27頁) 集団の安全の
ためにやむをえない、という箇所だ。盗賊についての説明としては、なにやら奇
妙な弁護に思える。
もうひとりの盗賊が、もっとうまくやりますといってでてきた。皆の賛同をえ
てやったというのが、白いチョークにかえて赤色で小さくしるしをつけることだ
った。同じようにモルギアナに気づかれ、同じように失敗する。同じように処刑
され、盗賊は、全部で 38人になる。
民話のおもしろさのいくらかは、こういうくりかえし場面にある。
盗賊のたくらみ3 (油商人) ―― モルギアナの知恵4
いよいよ盗賊たちが沸騰する油で殺される場面だ 。「アリ・ババ物語」で語ら
れる山場のなかのひとつである。誰でもが知っている。
頭の弱い手下にまかせることができないから、しまいには、首領がでてくる。
自分でアリ・ババの居場所を確認し、数回、前を通り過ぎた。しるしをつけない
で、その家を覚えこんだのだ。
首領が考えだしたのが、油袋に手下を隠してアリ・ババを襲うという策略だっ
た。 19頭のラバを買い、革製の大きな油袋 large leathern jars 38個に 37名の手下
を潜ませる。周作人は 、「皮製極大之油甕」と漢訳している。英語の表現そのま
まだ。残る油袋1個には、本物の油を満たしておく。首領がラバを引くから、油
袋にひそんだ手下の数が一致する。
子供のころの私の記憶では、油をいれる容器は土製の大きな壷だった *22。英
文では、革製のカメだと明記してある (日本語ではカメと革製が一致しない気がするの
で、油袋と訳しておく)。しかし、添えられた幾種類かの挿絵を見ると、土器にしか
212
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
見えない。
油商人に扮装した盗賊の首領は、アリ・ババの家に到着し歓待される。ラバの
世話をするように命じられる男奴隷が登場し、周作人は 、「名前はアブダラとい
います[名藹代拉者]」 (31頁) と翻訳する。しかし、英文原作には、そのような記
述はない。単に「アリ・ババは奴隷を呼んで Ali Baba called a slave he had」
(p.422) としか書かれていない。これは、英文のあとのほうに出てくる「アブダラ
(奴隷の名前です) Abdalla, (this was the name of his slave)」 (p.422) をひっぱりだして
前に移動したにすぎない *23。あとで説明するなら、最初に登場したときに言っ
てしまおうと判断したのだろう。周作人が、こまかく工夫をしていることがわか
る。
記述の順序が異なるものがある。アリ・ババが油商人を歓待したあとのことだ。
フォースター版では、アリ・ババは、油商人と席をたち、アリ・ババは明日の
準備をモルギアナに命じる。それにつづいて油商人 (首領) が、庭に置いてある
油袋のなかの手下に、合図をしたら袋を切り裂いて出てくるよう指示をだしてい
る。
モルギアナの場面があって、それから首領の手下への指示、という順序だ。ス
コット版、ダルケン版、ニモ社版、タウンゼンド版も同様である。サグデン版に
は、モルギアナの場面が省略してある。また、ニュウンズ社版も、もともと簡略
化しているから首領の手下への指示部分だけで、モルギアナの場面はない。
問題なのは、周作人が、上のふたつの場面を入れ替えていることだ (異同27)。
入れ替えなければ話の流れが理解しにくい、とでも周作人は考えたのか。それほ
ど複雑な箇所ではないから、私は、納得がいかない。納得がいかないばあいは、
底本が手元のものではない可能性を考えておくほうがいいだろう。
主人であるアリ・ババのいいつけで、モルギアナがスープを煮ているとランプ
の油がきれた。アブダラが、油商人のものをもらえばいいと教える (サグデン版に
は、アブダラによる示唆がない)。
油袋に近づくと「時間ですかい。 Is it time? 此其時乎」という声がする。たく
らみに気づいたモルギアナは、沸騰した油をそそいて盗賊全員を殺してしまった。
要約すれば、こうなる。周知の箇所だから簡単にすませたい。
213
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
周作人の漢訳は、フォースター版とほぼ一致している。ただし、小さな部分で
違うからやっかいなのだ。
たとえば、モルギアナが油袋のなかの盗賊に答えて「まだだ」をくりかえし、
最後の油の入った袋に到達する、という箇所だ (異同28)。
【フォースター】 making the same answer to the same question, till she came
to the last, which was full of oil.
油でいっぱいになった最後の袋にくるまで、同じ質問に同じ回答をしたの
です。 p.423
【周作人】曼均以此語答之。至終過三十七甕。而至末貯油之一甕。
モルギアナはすべて同じ言葉でそれに答えると、 37のカメを過ぎて、最後
の油のカメにたどりつきました。 34頁
漢訳は、英文原作をほとんど忠実になぞっている。だたし、油袋が 37と書いて
いる原作は、ない。ここは、周作人の工夫なのか、それとも別の英文版本にそう
あるのか、判断がつかない。
盗賊の人数を出すのは、もう1ヵ所、その直後にある。主人アリ・ババは油商
人を泊めたつもりで盗賊を引き入れた、とモルギアナにはわかってしまった。
【周作人】埃黎偶留油商一宿。不意隠蔵三十七甕之盗。
アリ・ババは油商人を、偶然、泊まらせたのに、 37のカメに盗賊が隠れて
いようとは。 34頁
【フォースター】 her master, who supposed he was giving a night's lodging to
an oil merchant only, had afforded shelter to thirty-eight robbers,
彼女の主人は、油商人に一晩の宿を与えたつもりが、 38人の盗賊に避難所
を提供してしまいました。 p.423
英文原作の 38という人数を、漢訳だからといって 37に間違うわけがない (異同
29)。ここも、ほかの異同箇所と同じように、 37とする別の英文版本が存在する
214
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
と考えたほうがよさそうだ。
手下の 37人を全員殺された首領は、ひとりで命からがら逃げ帰っていった。
盗賊のたくらみ4 (首領の死)―― モルギアナの知恵5
あくる朝、目覚めたアリ・ババは、モルギアナより事の次第をすべて聞かされ
た。英文原作では、昨夜おこったことの一部始終をふたたび繰り返す。さらに、
2、3日前の白印、赤印についてもくりかえす。それらの繰り返しはムダだ、と
周作人は考えたか、この部分を削除している (37頁)。
盗賊のうち 37人は、死んだ。ふたりはすでにいない。残るはひとりだけだ。ア
リ・ババは、命の恩人である奴隷モルギアナを自由の身にする。盗賊の死体は庭
に埋め、ラバは市場で売却した。
首領がアリ・ババに復讐するのもなりゆきだろう。町に様子をさぐりに行く。
多くの死者がでたのだから、それ相応の話題になっていると考えたからだ。
首領は、町のなかに宿 a khan をとった。周作人は 、「旅館」と翻訳している 。
当時の小さな英漢辞典には、収録されていなさそうな単語だが、周作人はよく漢
訳している。彼が使っていた辞書は、日本語の英和辞典だったというから、それ
に拠ったのかもしれない。日本語はできなくても、漢字をひろえば意味は理解で
きる。
首領は、商人になりすましアリ・ババに近づこうとする。アリ・ババの息子が
橋渡しだ。
すなわち、兄カシムの店をアリ・ババの息子が相続したことにつながる。
ただし、本稿の モルギアナの知恵1部分で、漢訳では、アリ・ババの息子が削
除されていることを述べた。ところが、今になって息子が出現する。それも英文
原作そのままなのである。
【フォースター】 The shop that was exactly opposite to his, was that which had
belonged to Cassim, and was now occupied by the son of Ali Baba.
彼 (首領) の真向かいにある店は、カシムのものでしたが、いまではアリ
・ババの息子の占有になっていました。 p.425
215
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
【周作人】其店之主人。即埃黎之子。襲慨星之遺産者。
その店の主人は、アリ・ババの息子でカシムの遺産を引き継いでいました。
40頁
くりかえすが、なんのために以前は削除したのかわからない。底本がそうなっ
ていたというのだろうか。
首領は、名前をコギア・フゥサイン Cogia Houssain と変えていた。漢訳は、
ママ
「苛琪亜 G ogia」とする。英文は誤植だ。ただし、初出の『女子世界』では正
しく綴っている。
スコット版は、ホージャ・フゥサイン Khaujeh Houssain( p.562) として他の英
文版本と異なる。
首領は、アリ・ババの息子に連れられて家での食事に招待されることになった。
その時、彼は、奇妙な申し出をするのだ。料理には塩を使わないでくれ、という。
【フォースター】 I never eat of any dish, that has salt in it;
塩の入ったどんな料理も食べないのです。 p.426
【周作人】予有癖。生平雅不願食塩味之食品。
私には癖がありまして、平生、塩味の食品はまったく食べないのです。42頁
イスラム教では、塩を食べるということは友好関係を結ぶという意味である、
とフォースター版には、塩に関する注釈がついている。周作人が、もしこのフォ
ースター版によっているのであれば、なんらかの注釈を漢訳にほどこしていても
いいはずだ。それが、ない。漢訳の底本がフォースター版そのものではない、と
いう傍証となろうか。
商人に扮装しているのが盗賊の首領であることを見破ったモルギアナは、計略
を思いつく。あの有名な、踊りにまぎれて短刀で首領を刺し殺す場面をむかえる。
食後の酒が出される。フォースター版などは 、「ブドウ酒 wine」とする (スコ
ット版、ニモ社版、ニュウンズ社版は、酒についていわない)。ところが、漢訳は「ビー
ル
啤酒」とするのはなぜか (異同30)。
216
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
仮面をつけたモルギアナは、短刀を手にして踊り終わると、投げ銭を求めるし
ぐさで首領に近づき、胸を刺しつらぬいた。盗賊の首領は、こうして死んだ。
驚くアリ・ババ親子に、モルギアナは説明をする。塩を食べないという奇妙な
申しでを聞いて怪しく感じた、首領のたくらみがあることを疑った、と (p.427)。周
作人は、それらを逐語訳するのではなく、まとめて「その挙動が多くは疑わしか
ったのです[其挙動多可疑]」 (46頁) とだけに簡略化した。
結末 ―― 原文から逸脱した漢訳
アリ・ババは、何度もモルギアナに命を助けられた。その恩義にむくうために、
アリ・ババは、息子の嫁になるように彼女に申し入れる。
【フォースター】 I present you to my son, as his wife.
妻として私の息子にお前を贈ることにする。 p.427
【周作人】将以汝為吾子婦。
お前を私の息子の妻とする。 46頁
ふたつの文章を並べたのは、ここは漢訳が英文に忠実であることを示すためで
ある。
しかし、そのあとが大いに異なる。
英文原作では、アリ・ババが息子にむかって、命の恩人であるモルギアナを妻
にすることに不満があるわけではあるまい、と説得する言葉がつづく。また、息
子としても彼女が嫌いではないから、すでに結婚する気になっている。
以上、英文で約 21行が、つぎのような漢訳に変身するのである。
【周作人】曼夷然曰。除患。吾分也。吾不敢邀非分之福。且予自行心之所安。
富家婦何足算。吾勿願也。卒不許。
モルギアナは、平然と、災いを除くのが私の役目です、というのでした。
分不相応の福を求めるつもりはありません。また、私は心のやすまることを
行ないますから、裕福な家の嫁になることなど思いもしません。私は、願っ
217
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
たりしません。とうとうそうなることを許しはしませんでした。 46頁
漢訳は、原作を大きくはずれている。まるで反対なのだ。幸福な結婚話をモル
ギアナに拒絶させているのである。聡明で機敏な奴隷が、なんの目的があって結
婚話を断わるのか。中国人読者も狐につままれた思いをしたのではないか。周作
人のこの改変については、あとで問題にする。
モルギアナが結婚を断わるから、周作人の漢訳では、盛大な結婚場面 (英文で
10行) を削除しなければならなくなる。
アリ・ババは、ほとぼりが冷めてから馬にのってふたたび洞窟をおとずれた。
盗賊の全員が死亡したことを確かめて、後には息子にも洞窟の秘密を教え、裕福
にくらしました。おしまい。
これが原作なのだが、周作人は、息子に秘密を教えたところまでは翻訳してい
ない。
最後に、周作人は、英文原作にない1文をつけくわえた。
【周作人】曼綺那其後不知所終。
モルギアナはその後どうなったのかわかりません。 47頁
奴隷の身分から解放されたモルギアナは、どこに行ったというのだろう。
周作人は、独自に考えて、民話の終わりかたではない方法を採用したというこ
とになろう。
4
漢訳底本の確定にむけて
周作人の改変を問題にするまえに、底本探索について今後の方針を述べておこ
う。
本稿を書く目的のひとつは、周作人が漢訳するさいに使用した英文原作の版本
を明らかにすることだった。
私の力の及ぶ限りで各種版本を収集し、フォースター版、フォースター系およ
218
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
びその他のいくつかの版本を見てきた。その結果は、周作人の漢訳底本は、フォ
ースター版にきわめて近い、というものだ。ゆえに、私の見るところ、底本は、
フォースター版そのものではないにしろ、フォースター系のなかの1種類である。
漢訳をいくつかの版本と比較対照した結果、複数の異同点がえられた。それら
を列挙しておいた。今後は、この異同点を手掛かりにすることができる。しかも、
上にあげた版本を除外してかまわない。捜索範囲をいくらかせばめることが可能
だ。
いま少しの版本を収集することができれば、底本問題は解決できると確信して
いる。
5
周作人の改作部分について
底本が確定できていない、という制限が、現在のところある。
しかし、底本に近い版本には到達している。また、以上、漢訳と複数の英文原
作の文章をこまかく見てきたように、語句の異同とはいえ大部分が小さい範囲内
のものにすぎない。
周作人の翻訳態度は、基本的に英文原作に忠実であろうとしている。これは、
たしかだろう。
ただし、注目すべきいくつかの箇所が、周作人独自の判断によって書き換えら
れているのも事実だ。周作人自身が、書き換えたことを認めている *24。
周作人によって行なわれた比較的大きい削除、あるいは小さいけれども重要な
書き換えである。それらは、物語の主題と密接な関係をもつ部分だということが
できる。
漢訳底本は確認できていないことをくりかえすが、しかし、現在手元にある版
本でも、その書き換え部分は、十分にみわけがつく。制限があることを承知で、
周作人によって行なわれた、女性についてのふたつの書き換え問題を考える。
アリ・ババと兄嫁の結婚問題
英文原作では、アリ・ババは、寡婦となった兄嫁と結婚することになっている。
219
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
周作人は、結婚を「同居」に書き換えた。その理由は、当時の中国の礼教にあ
わないからという判断だった。
英文の結婚は、漢訳の「同居」とそれほど違うものなのか、といえば角がたつ。
重要なのは兄嫁のほうなのだ。礼教は、兄嫁との結婚は許さないが、同居は大目
にみるのであろう。だからこそ周作人は、そのように変更した。
当時の中国でそれほどやっかいな礼教であるならば、漢訳ではいっそのことこ
の部分を削除するのも選択肢のひとつではなかったか。
英文原作でも、タウンゼンド版およびニュウンズ社版は、アリ・ババが、寡婦
となった兄嫁を妻にする部分を削除している。
別の方面からいえば、この部分にこそ周作人の翻訳姿勢を見ることもできる。
すなわち、原文に忠実であろうとする翻訳姿勢が周作人にはあったことが理解
できるのだ。原文に忠実であろうとするあまり、関連部分を削除することができ
なかった。少しの書き換えをすることによって、礼教と折り合いをつけ、なんと
か困難を切り抜けようとしたとわかる。
つまり、結婚を「同居」に書き換えたということは、当時、周作人は、礼教に
反対していたのではなく、礼教の影響を強く受けていた証拠ともなる *25。
だが、ここには矛盾があることに周作人は気がついていない。
もともとは外国の作品である。そこに述べられている文化が、中国の当時の倫
理にあわないからといって変更を加えることは、翻訳というものの本質を周作人
が理解していなかった証拠ともなろう。改変ではなく、注をほどこすことによっ
て文化の違いを説明する方法を考えつかなかったものだろうか。以前、ゴマを説
明するところで、注を利用していた。周作人は、知らないわけがない。だが、兄
嫁との結婚については、注を使うことは考えつかなかった。事実が明らかにして
いる。だからこそ、根が深いということも可能だ。
モルギアナ問題
冒頭にかかげた「序」において、周作人の「アリ・ババ物語」に対する読みが
明らかにされていると書いた。女奴隷、すなわちモルギアナの知恵と勇気を讃え
ている。漢訳の最後部分に出現したモルギアナに関する部分を周作人が書き換え
220
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
たのも、その主張に沿ったものだと考えるべきだろう。
書き換えのひとつは、モルギアナは、アリ・ババの息子との結婚を拒否する。
周作人は、その理由をモルギアナに言わせて「分不相応の福を求めるつもりは
ありません」とした。なんとも卑屈な言辞である。奴隷の身分から解放されても、
精神は奴隷のままである、といっているのとかわりはない。
周作人は 、「序」においてわざわざのべたように、モルギアナを称賛して、か
えす刀で根っからの奴隷根性者を批判するつもりだった。
だが、物語の結末にいたって、モルギアナは結局のところ根っからの奴隷根性
者と同じ類の奴隷でしかないということになった。しかも、モルギアナ自身が思
想的に目覚めていないことになるのだから、この改変は逆効果だった。それどこ
ろか、最悪の結果につらなる改変であるというべきだ。
奴隷出身の女性の英雄は、幸福な結婚をしてはならないのか。周作人の書き換
えには、大いに疑問を感じる。
書き換えのふたつは、モルギアナの末路が不明だとする点だ。
アリ・ババの息子との結婚を拒否したそのあげく、その後がどうなったのか不
明だとして物語が終わる。
息子が女奴隷と結婚することに抵抗を周作人は感じたのかと推測する。そうな
らば、ここでも当時の礼教の影響を強く受けていた証拠となる。つまり、周作人
自身が女奴隷に対して差別の感情を抱いていることを意味する。
さすらい者であるならば、義侠の精神を発して貧乏人、正直者を助けたあとど
こかへ去っていく、ということもあろう。しかし、モルギアナは住み込みの奴隷
である。周作人は、彼女に金銭も与えず (その記述がない)、追い出してどうした
かったのか。
「侠女奴」と題して女奴隷が主人公だと認識している。また、冒頭の「序」に
おいてもモルギアナが機敏聡明だともちあげて賞賛している。しかし、周作人の
改変によって、女奴隷の末路は、その働きに応じた名誉あるものではなくなった。
英文原作は、奴隷であっても自らの才覚によって幸福を得られるという大団円
を迎えるのだ。原作のままに漢訳すれば、自然とモルギアナの英雄的行動がその
まま表現され、読者もそれを理解することになる。手を加える必要などはじめか
221
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
らなかったのだ。
これほどまでにモルギアナを侮辱する書き換えはないのではなかろうか。
アラビアン・ナイトの世界をぶちこわす改変であるといわなければならない。
私が最悪という理由である。
賛美するつもりで行なった改変が、その逆の効果しかもたらさなかったのは、
周作人にとっては皮肉であった。また、長年を経たあとにもそれに気づかなかっ
たらしく思える。周作人が複数回にわたって述べた回想録を読んで、そう感じる。
どこにも反省らしき言葉がない。
幸福な結末を設定した英文原作を裏切ってまで、独自に書き換えなければなら
なかった理由はなにか。
周作人が漢訳「アリ・ババ物語」の改変部分で見せた女性差別の考えは、どこ
から出たものか、まことに不思議なのである。
周作人をとりかこむ当時の環境を考えれば、私はひとつの前例があることに思
い至る。
周作人の兄周樹人 (魯迅) が、留学先の日本で創造した英雄的女性像である。
その女性の名前は、セレナという。魯迅が「斯巴達之魂」のなかで創造した女
性だ。
魯迅の「斯巴達之魂」は、日本で発行されていた『浙江潮』第5期 (癸卯五月
二十日 1903.6.15) および第9期 (癸卯九月二十日 1903.11.8) の小説欄に合計2回掲載
された。
戦場から逃げもどった夫を自殺をもって諌めたのがセレナである。賞賛すべき
スパルタの魂、尚武精神をもつ女性というわけだ。
セレナは魯迅が創作した人物だ、となぜわかるのかといえば、スパルタの歴史
を知っている人ならば作りえない、矛盾だらけの、スパルタにはそもそも存在し
えない種類の女性であるからだ。
魯迅が頭のなかで勝手に考えたスパルタ人であって、彼の書いているセレナは、
本質は中国人なのである *26。古代ギリシア世界に中国人を登場させるという奇
妙きわまりない作品が魯迅の「斯巴達之魂」だ。
「斯巴達之魂」の公表は、周作人が「侠女奴」を漢訳する前である。周作人は、
222
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
兄の作品を読んでいたはずだ。英雄セレナを見て、周作人が影響を受けたとして
も不思議ではない。
アラビアン・ナイトのなかから「アリ・ババ物語」を選択したのも、主要人物
のひとりが女奴隷であることが理由のひとつになったと考える。セレナにならっ
て、この女奴隷をより英雄的な人物にすることを思いつくのも自然であろう。題
名を「侠女奴」と変更して、ますますそれらしくなる。
魯迅のセレナが自殺するという悲劇の色調を帯びているから、モルギアナにも
同じような運命に泣いてもらおう。アリ・ババの息子との結婚を断わり、行方知
れずに書き換えたというわけだ。あくまでも周作人が考える英雄的女奴隷の行動
なのである。
魯迅は、存在しえないセレナを創造することによって古代ギリシアの世界を破
壊した。
それとおなじく、周作人は、モルギアナを賞賛するつもりで文章を改変し、実
のところモルギアナにひどい仕打ちを加えることによってアラビアン・ナイトの
世界を破滅に導いた。
周兄弟がふたりともに、生涯にわたり自分のやったことを意識しなかったとこ
ろに、問題の深刻さがある。
【附記】本稿は、大阪経済大学2002、2003年度特別研究費による研究成果の一部である。
【注】
1)萍雲女士(周作人)述文「侠女奴」の『女子世界』連載情況は、以下の通り。
○『女子世界』連載
第8期
甲辰七月朔日 (1904.8.11)
1-10頁
第9期
甲辰八月朔日 (1904.9.10)
11-20頁
第 11期
刊年不記
21-28頁
第 12期
刊年不記
29-42頁
郭延礼『中国近代翻訳文学概論』漢口・湖北教育出版社 1998.3。 455頁 。「……未刊
完, 1905年由小説林社出版……」とする 。『女子世界』の第 11、 12期の発行年月日が
記載されていないから、その連載完結が単行本の前なのかどうかは、確定すること
223
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
ができない。
○単行本
萍雲(周作人)訳述、初我(丁祖蔭)潤辞『侠女奴』小説林総発行所
光緒乙巳
(1905)初版未見/丙午 (1906)年三月再版。 47頁( 48頁は空白 )。私の見ているのは初版
ではない。ゆえに初版の発行月を確認することができない。郭著章等著『翻訳名家
研究 』(武漢・湖北教育出版社 1999.7。 18頁)は、単行本の発行を 1905年6月(6月
はたぶん旧暦)とする。
○関連文献
会稽碧羅女士「題侠女奴原本 」『女子世界』第 12期(刊年不記 )。原文は、馬祖毅
『中国翻訳史』上巻
(漢口・湖北教育出版社 1999.9。 720-722頁)および張菊香、
張鉄栄『周作人年譜 (1885-1967)』 (天津人民出版社 2000.4。 57-58頁)にも収録してあ
る。
参考:松岡俊裕「周作人詩話四」信州大学人文学部『人文科学論集』文化コミュ
ニケーション学科編第 31号 1997.3.25
2)女奴隷を「烈女」ととらえる矢野龍溪「 (波斯新説)烈女之名誉」の紹介がある。杉
田英明「『 アラビアン・ナイト』翻訳事始――明治前期日本への移入とその影響―
―」(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部『外国語研究紀要』第4号2000.3.31)
3 )「荒磯」について、同じく張菊香、張鉄栄『周作人年譜 (1885-1967)』 は、ドイルの
『ホームズ全集』のなかの1篇だと書いている( 63頁 )。誤り 。「荒磯」は、ホーム
ズとは何の関係もない。
4)我在印度読本以外所看見的新書、第一種是從日本得来的一本天方夜談。這是倫敦紐
恩士公司発行三先令半的挿画本、其中有亜拉廷拿着神灯、和亜利巴巴的女奴拿了短
刀跳舞的図、我還約略記得。当時這一本書不但在我是一種驚異、便是丟掉了字典在
船上供職的老同学見了也以為得未曾有、借去伝観、後来不知落在什麼人手裏、没有
法追尋、想来即使不失落也當看破了。但是在這本書消滅之前、我便利用了牠、做了
我的「初出手 」。天方夜談裏的亜利巴巴与四十個強盗是世界上有名的故事、我看了覚
得很有趣味、陸続把牠訳了出来、――当然是用古文而且帯著許多誤訳与刪節。当時
我一個同班的朋友陳君定閲蘇州出版的女子世界、我就把訳文寄到那里去、題上一個
「萍雲」的女子名字、不久居然登出、而且後来又印成単行本、書名是侠女奴。 48-49
頁
5)天方夜談是我在学堂裏看到的唯一的新書,如読本所説我想我該喜歓它的。……天方
夜談的時間却是很長,正如普通常説的、従八歳至八十歳的老小孩子大概都不会忘記
224
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
它,只要読過它的幾篇。在本国這類的東西並不是没有,如西遊記、封神伝,民間伝
説……但是比起天方夜談来総還有点不如。……天方夜談原是這一類質料,但従市場
上経過了来,由多年説話人的安排与聴衆的取捨,使它更是豊富純熟,要拿以前茶館
裏的聊斎演義相比,多少近似,不過它並無蒲留仙那様的原本,所以可以説是真正的
民間文学了。我認識了這一本書,覚得在学堂裏混過的幾年也還不算白費,雖然那時
的書早已遺失了,前幾年託友人在上海買了一冊現代叢書本,根拠白敦訳文最為可靠 ,
可惜中間一畳十六頁錯訂缺少。中文有奚若訳四冊,大抵係依拠雷恩訳文選本,因為
是古文,所以没有細読。 323-324頁
6)四一「老師 (一 )」
……我是偶然得到了一冊英文本的「天方夜譚 」,引起了対於外国文的興趣,做了我的
無言的老師,仮如没有它,大概是出了学堂,我也把那些洋文書一股脳児的丟掉了罷 。
有些在兵船上的老前輩,照例是没有書了,看見了我的這本「天方夜譚 」,也都愛好起
来,雖然這一冊書被展転借看而終於遺失了,但這也是還是愉快的事情,因為它能 夠
教給我們好些人読書的趣味。
我的這一冊「天方夜談」乃是倫敦紐恩士公司発行的三先令六便士的挿画本、原
本是贈送小孩的書,所以装訂是華麗,其中有阿拉廷拿着神燈,和阿利巴巴的女奴揮
着短刀跳舞的図,我都還約略記得。其中的故事都非常怪異可喜,正如普通常説的,
從八歳至八十歳的老小孩子,大概都不會忘記,只要読過它的幾篇。中間篇幅頂長的
有水手辛八自講的故事,其大蛇呑人,纏身樹上,把人骨頭絞砕和那海辺的怪老人,
騎在頸頂上,両手 揢 着 諂 子,説得很是怕人,中国最早有了訳本,記得叫作「航海述
奇」的便是。我看了不禁覚得「技癢 」,便拿了「阿利巴巴和四十個強盗」来做試験,
這是世界上有名的故事,我看了覚得很有趣味,陸続把它訳了出来。雖説是訳,当然
是古文,而且帯着許多誤訳与刪節。第一是阿利巴巴死後,他的兄弟凱辛娶了他的寡
婦,這本是古代伝下来的閃姆族的習慣,却認為不合礼教,所以把它刪除了。其次是
那個女奴,本来凱辛将她作為児媳,訳文裏却故意的改変得行踪奇異,説是「不知所
終 」。当時我的一個同班朋友陳作恭君,定閲蘇州出版的「女子世界 」,我就将訳文寄
到那裏去,題上一個「萍雲」的女子名字,不久居然分期登出,而且後来又印成単行
本,書名是「侠女奴 」。訳本雖然不成東西,但這乃是我最初的翻訳的嘗試,時為乙巳
(一九〇五)年的初頭,是很有意義的事,而這却是由於「天方夜譚」所引起,換句
話説,也就是我在学堂裏学了英文的成績,這就很値得紀念的了。 106-107頁
7)五一「我的新書 (一 )」
我們的英語読本「英文初階」的第一課第一句説:「 這裏是我的一本新書,我想我
225
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
将 喜 歓 它 。」 我 的 第 一 本 新 書 , 使 我 喜 歓 看 的 , 在 上辺 已 経 説 過 , 乃 是英 国紐 恩 斯
( Newnes)公司的送礼用本「天方夜談 」,装訂的頗精美,価値却只是三先令六便士 。
我有了這部書,有事情做了,就安定了下来,有如阿利巴巴聽来的「胡麻開門」的一
句咒語,得以進入四十個強盗的宝庫,不再見異思遷了。……
……我弄雑学雖然有種種方面的師傅,但這「天方夜談」総要算是第一個了。我
得到它之後,似乎満足一部份的欲望了;対於学堂功課的麻胡,学業的無成就,似乎
也没有煩悩,一心只想把那夜談裏有趣的幾篇故事翻訳了出来。那時我所得到的恐怕
只是極普通的雷恩的訳本罷了,但也儘 夠 使得我們響往,哪裏夢想到理査白敦勳爵的
完全訳註本呢?就是現在我們也只得暫且以美国的現代叢書裏的選本為満足,世間尚
有不少篤信天主教的白敦夫人,白敦本就不見得会流行吧。這阿利巴巴与四十個強盗
是誰也知道的有名的故事,但是有名的不只是阿利巴巴;此外還有那水夫辛八和得着
神灯的阿拉廷,可是辛八的旅行述異既有訳本,阿拉廷的故事也着実奇怪可喜,我願
意訳它出来,却被一幅画弄壊了。這画裏阿拉廷拿着神灯,神気活現,但是不幸在他
的脳突瓜児上 扡 着一根小辮子,故事裏説他是支那人,那麼豈能没有辮子呢,況且有
了它也很好玩,小時候看那変把戯的人,在開始以前説白道:「 在家靠父母。出家靠朋
友 。」説話未了,只把頭一揺,那条辮髪便像活的蛇一様,已蟠在額上,辮梢頭恰好塞
在圏内。這怎能怪得画家,要利用作材料了,但是在当時看了,也怪不得我得発生反
感,不願意来翻訳它了。還有一層,阿利巴巴故事的主人公是個女奴,所以訳了送登
「女子世界 」,後来由「小説林」単行出版,巻頭有説明道;
「有曼綺那者波斯之一女奴也、機警有急智,其主人偶入盗穴為所殺,盗復跡至
其家,曼綺那以計悉殲之。其英勇之気頗与中国紅線女侠類,沈沈奴隷海,乃有此奇
物,亟従欧文移訳之,以告世之奴骨天成者 。」倘若是訳出阿拉廷的故事為「神燈記 」,
当然就不能出這様的風頭了。 135-138頁
五二「我的新書 (二 )」
ママ
「 侠 女 奴」 単 行 本 是 在 光 緒 己 [乙 ]巳 , 我 所有 的 一 冊 破 書 , 已 是 丙 午 ( 一 九 〇
六)年三月再板 。「玉虫縁」刊在於「侠女奴」之後,初板的年月是乙巳年五月,這是
書本的紀録。再査日記,可惜這不完全了,甲辰年只有十二月一個月,乙巳年至三月
為止,但在這寥寥一百二十天的記載裏辺,却還有点可以査考,今抄録於後 。(後略)
138頁
8)樽本照雄「周作人漢訳アリ・ババの原本を求めて 」『清末小説研究論』所収
9 )『女子世界』第8期 43頁では「 Ali Baqa」と表記する。
10)杉田英明「『 アラビアン・ナイト』翻訳事始 」。 10頁
226
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
11)杉田英明「『 アラビアン・ナイト』翻訳事始 」。 48頁注 30
12)佐藤正彰訳『千一夜物語』Ⅳ「世界古典文学全集」第34巻 筑摩書房1970.3.30/1983.12.20
第2刷。 136頁
13)前嶋信次訳「アリ・ババと四十人の盗賊の物語 」『アラビアン・ナイト別巻』平凡社
1985.3.8/1994.4.20第3刷。 204頁
14)原本について保坂修司の言及がある 。「これには依拠したテキストが記されていない
が、 おそら く前 者(樽 本注:アラ ジン)はゾータンベール、後者(注:アリ・バ
バ)はマクドナルドではないかと思われる 」(「 千夜一夜物語翻訳事始――前嶋信次
訳『アラビアン・ナイト』の歴史的意義について―― 」『日本中東学会年報』第1号
1986.3.31。 375頁)
15) ロ バ ー ト ・ ア ー ウィ ン 著、 西 尾哲 夫 訳 『必 携
ア ラ ビア ン ・ナ イ ト
物 語 の迷 宮
へ』平凡社 1998.1.14。 83-84頁
16)奚若翻訳、金石校訂「記瑪奇亜那殺盗事 」(『( 述異小説)天方夜譚』第4冊
務印書館
丙午 4(1906)/1913.12再版
上海商
説部叢書 1=54)
17)前嶋信次訳「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」 209頁
18)佐藤正彰訳『千一夜物語』Ⅳ。 140頁
19)ただし、イスラム史の知識をもつ英訳者ならば、セキンを古代の金貨とすることは
ありえないという(杉田英明氏のご教示による )。この部分は、周作人の判断による
書き加えの可能性もある。
20)佐藤正彰訳『千一夜物語』Ⅳ。 145頁注2 。【増補版補記】杉田英明氏からのご指摘
によると、 Mongiane は佐藤による誤植。
21)単行本では 、「芩」に誤る。 17頁
22)マルドリュス訳では土器になっている 。「内側に釉薬をかけた素焼きの大甕で、首が
広く腹のふくらんだやつ」佐藤正彰訳『千一夜物語』Ⅳ。 150頁
23)スコット版は、 Abdoollah とする( 552頁)
24)松枝茂夫は「周作人――伝記的素描――」において次のように書いている 。「……最
後にモルギアナがアリババの息子の嫁になることを辞退し、その後終る所を知らず
と、剣侠伝式に改めてあるなどは、或は丁初我の「潤辞」かもしれぬ 」(『 松枝茂夫
文集』第2巻研文出版 1999.4.20。 15頁 )。だが、周作人自身の証言と矛盾する。注6
を見られたい。
25)郭延礼の指摘がある。郭延礼『中国近代翻訳文学概論』漢口・湖北教育出版社 1998.3。
「《 侠女奴》的翻訳較之原作《阿里巴巴和四十大盗》略有出入。第一 ,《天方夜譚》
227
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
中的這個故事,阿里巴巴的哥哥卡西姆( Cassim)死後,阿里巴巴娶了寡嫂,這本是
当地回教的習俗 。《侠女奴》故意用 “同居 ”(原兄弟二人不在一處住)来掩飾 “弟取
寡嫂 ” 這一情節。周氏訳文於此描述得比較含糊,文云: “……(略)…… ”此可見周作
人思 想中所 受封 建礼教 的影響。第 二,突出了曼綺那的形象並把故事命名為《侠女
奴 》,既符合原作的本意,也強化了故事的反抗意識」 455頁
26)魯迅の創作したセレナは中国人だったからこそ同級生たちに歓迎された。松陵女子
潘子璜「中国女剣侠紅線聶隠娘伝 」『
( 女子世界』第 4、 5、 7期 1904)の結論部分につ
ぎのような興味深い記述がある。目を閉じて会いたいと思う若くて剣を身につけた
女性といえば、私の前に立つのはスパルタの女子の魂(斯巴達女子之魂)ではない
のか。ああ、もしも九天の上、九地の下で紅(線)聶(隠娘)らに会わせたならば 、
必ずや意気投合するだろう。ここでいう「斯巴達女子之魂」は、魯迅のセレナにほ
かならない。しかも、周作人は「侠女奴」の序において紅線の名前をだしている。
紅線を共通項にして、魯迅の創作したセレナと周作人が改変したモルギアナが文字
通り結びつくのだ。
228
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」の英文原本
『清末小説』第30号(2007.12.1)に掲載。周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」の英文原本
がフォースター版ラウトレッジ社本の1種類であることをつきとめた。疑問として残して
あった底本との異動部分を検証する。
周作人の「侠女奴」は、アラビアン・ナイト所収の「アリ・ババと 40人の盗
賊」 (以下、「アリ・ババ物語」と称する) を漢訳したものだ。私は、彼が翻訳に使用
した英文原本がどこの出版社のものなのかを追求した。
実際にやってみると、この追跡作業は考えていたよりも複雑であることがわか
る。
1
いままでの経過
複雑である理由のひとつは、周作人自身の記憶違いによる。
底本はニュウンズ社版だ、と彼は数回にわたって書いていた。記述はブレない。
確信をもって断言している。だが、該社版の実物を手にとれば、そうではないこ
とが判明した。周作人の記憶に強く残っているはずのアラジンが魔法のランプを
持っている図、およびアリ・ババの女奴隷が短刀を手に踊っている図がない。そ
もそも、漢訳と英文が一致しないから、原本探索は一挙に振り出しにもどる。も
どった結果は、手がかりなしの状態である。
いくつかの版本を追求してたどりついたのが、エドワード・フォースター Edward
229
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
Forster の翻案本であった *1。ほかの版本に比較して漢訳との字句が酷似してい
る。
そこまでたどりついた。だが、最終的な特定はできなかった。なぜなら、フォ
ースター版といっても、いくつもの種類が刊行されているからにほかならない。
判型も大小あり、1冊本だったり分冊だったりする。複数の版本を入手して驚い
たのは、挿絵にまつわる。1枚も収録しないものがある。また、掲げていたとし
てそれぞれの挿絵が違うのである。ある版は、それ以前に刊行されていた系統の
異なる別の版本から勝手に挿絵を取り込んでいるのだ。
周作人の記憶によると、1冊本だった。これは、信じてもよさそうだ。知人に
貸し出して、そのままもどってこなかったという。複数本よりも1冊本であった
と考えた方が納得しやすい。
それよりも、周作人が魅了された女奴隷の踊りを描いた図があるのか、ないの
か。当時は、該当の挿絵を収録する版本を入手することはできなかった。ゆえに、
未決定のままで中断せざるをえない。英文原本と漢訳の本文を比較対照しながら、
「異同」を指摘しつつ問題を先送りした理由である。底本を特定できなかったの
だから、しかたのない処置だった。
本稿においては、この底本問題に決着をつける。
2
フォースター版
周作人の「侠女奴」が『女子世界』に発表されたのは 1904年だ。それ以前に刊
行されたフォースター諸版のうち私が入手したものを以下に示す。前稿と重複す
る部分があるが了解されたい。
① 1802年初版第5巻中型挿絵本1冊
出版: WILLIAM MILLER、ロンドン
/挿絵: Robert Smirke
② 1810年第3版小型本4冊
出版: WILLIAM MILLER、ロンドン/挿絵:
なし
③ 1849年中型挿絵本1冊
出版: HENRY WASHBOURNE、ロンドン/挿絵
230
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
:ヴァイル版ドイツ語訳本より転載
④ 1849年中型挿絵本1冊
出版: JAMES MILLER、ニューヨーク/挿絵:ヴ
ァイル版ドイツ語訳本より転載
⑤ 1877年中型挿絵本1冊
出版: GEORGE ROUTLEDGE AND SONS、ロン
ドン/挿絵: Thomas B. Dalziel
⑥ 1878年小型挿絵本1冊
出版: G. W. CARLETON & CO.、ニューヨーク
/挿絵: Demoraine
ここに示した中型、小型の区別は厳格ではない。私が見て大型本とはいえない、
というくらいのことだ。③と④は、出版社が異なるだけで同一版である。以下、
③だけを出して④ははぶく。
ラウトレッジ社本
以上の6種類のなかで、周作人が記憶する挿絵および1冊本であったことに該
当するのは、ひとつしかない。⑤のラウトレッジ社本である。
表題は 、「アリ・ババとひとりの奴隷に殺された 40人の盗賊 THE HISTORY
OF ALI BABA, AND THE FORTY ROBBERS KILLED BY ONE SLAVE.」という。
231
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
その挿絵を見てみよう。
挿絵の掲載ページとつけられた説明の原文を示す。番号は便宜的にふった。
1. 670頁
ALI BABA AND HIS ASSES.
2. 676頁
LEADING THE COBBLER.
3. 679頁
CHALKING THE DOOR.
4. 683頁
THE OIL MERCHANT.
5. 687頁
THE CAPTAIN.
6. 690頁
MORGIANA.
6番目の挿絵がアリ・ババの女奴隷モルギアナである。
目を隠す仮面をつけた彼女が、右手に短刀を持ちそれを客に向けてさし込んで
いる。長髪は空に舞い、肩にかけたスカーフのような衣裳もはねる。なにしろ両
足は地面からはなれているから跳躍の一瞬を描いたものだ。後方にはタンバリン
アラジン
モルギアナ
232
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
を叩く人物が身体を傾げ、鼓らしきものを演奏する男が座ってかたわらにいる。
打楽器のみの演奏らしい。モルギアナの右足につけられた鈴は、伴奏のリズムに
合わせて鳴っているはずだ。今にもシャンシャンという音が耳に聞こえてきそう
な気がする。躍動感あふれる挿絵であるということができる。
周作人が脳裏に強く刻んだモルギアナの踊りは、この挿絵をさしているに違い
ない。
もうひとつ、作人が漢訳しようとして取りやめる原因となった挿絵を見ておこ
う。
それは、アラジンの魔法のランプだ。ランプを持っている挿絵がある。周作人
は、アラジンが辮髪をたらしているのを見て翻訳する気を失った。 567頁にかか
げられた図が、これだ。
屋敷の中庭を描いている。なんとなく中国風に見える。しかし、そうだとも断
定はできない。西洋人が考える中国風だろう。アラジンの服装もそれらしい。辮
髪が清朝時代の中国人であることを示している。だが、アラジンの顔つきは、西
洋人にしか見えない。それも周作人が嫌った理由ではなかろうか。
以上の絵図2枚は、周作人の記述するとおりのものだと私は判断する。
周作人の記憶にある原本の値段について触れておく。
彼は、ニュウンズ社の3シリング半 (6ペンス) だと書いていた。だが、ニュ
ウンズ社版は違うことは、上述したとおりだ。では、本の値段はどうか。私の所
蔵するラウトレッジ社版には、定価の記載がない。どう考えるか。
シリングだからイギリス本である。ラウトレッジ社版であることと矛盾しない。
しかし、なぜ周作人はこの本の値段だけ記録しているのだろうか。その方が奇妙
だ。なにしろ、アラビアン・ナイトを含めた書籍は、東京に滞在していた兄周樹
人 (魯迅) から送られてきたものだ。自分で書籍代金を支払ったものではないだ
ろう。それなのに、なぜ、3シリング半だと記憶しているのか。別の本と混同し
ているのではないかと思う。
結論は 、「侠女奴」の底本はフォースター版の⑤ラウトレッジ社本である。
まえに提出しておいた各種版本と漢訳文の「異同」について、それぞれ検討す
ることにしたい。本稿ではフォースター版ラウトレッジ社本 (以下、底本と略す。
233
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
数字は該当頁) との比較が中心となる。
3
異同の検討
○異同1:時代設定
周作人は、物語の冒頭において時間を「 10世紀以前のころ[前十世紀之時 ]」
と設定した。これは、底本には存在しない。周作人の工夫だと考えてよいだろう。
○異同2:陛下
「陛下 sire」とよびかける (p.668)
底本にあって、漢訳にはない。周作人は、無視した。
○異同3:第7代
「私は、アッバス家の第7代カリフ、ハルゥン・アルラシッドである。 I am
[now] Haroun Alraschid, the seventh caliph of the [ glorious] house of Abbas,」
フォースター 1849年版③ (p.59) に見える。[ ]の中は、底本 (p.97) で移動さ
れた、あるいは付け加えられた。フォースター系版本としてつながりがあること
を示したかっただけだ。アリ・ババ物語ではないから周作人の漢訳とは直接の関
係はない。
○異同4:よびかけ
語り手シャーラザッドが「陛下 」(p.668) と呼びかける箇所が、漢訳では省略
されている。異同2と同じである。
○異同5:「 右のほうから」
盗賊たちがあらわれる方角だ。こう明記しているところに着目した。こまかい
箇所が底本探求に役立つと考えるからだ。
フォースター版各種の該当部分を示す。
234
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
①from the right of the spot (p.141)
②from the right of the spot (p.229)
③from the right of the spot (p.414)
④は③と同一版本だから省略する。以下同じ
⑤from the right of the spot (p.669)
⑥from the right of the spot (p.297)
全部が一致するから示すまでもなかった。
○異同6:盗賊を数える
アリ・ババが数えると、盗賊たちは 40人である (p.669)
漢訳は底本通りだ。
○異同7:盗賊の持ち物
「大麦のつまった袋」
○異同8:「 雑嚢」
周作人訳
袋。其中似満実以粟類
旅行之革鞄
底本
a bag filled with barley
travelling-bags(p.669)
漢訳は底本通り。
○異同9:「 西坤」を加筆
【周作人】満貯一種小金銭名西坤者。
セキンという小金貨がたっぷり貯蔵されています。 5頁
セキンと訳しておいた「西坤」は、底本にはない。周作人が加筆したことにな
る。
○異同 10:財宝について加筆
【周作人】以一丸泥封穴口。閉開自守。不求取於人。如是亦足以供給四十人
235
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
一生之用而有餘。
泥で洞窟の扉をふさぎ、開閉はみずからが管理し、他人に盗まれないよう
にしました。こうして 40人が一生使ってもあまるほどになったのです。 5頁
底本には、この文章はないから周作人の加筆だと判断する。
○異同 11:ぼんやりアリ・ババ
Ali Baba did not hesitate long as to the plan he should pursue. He went into the
cave, and as soon as he was there, the door shut; but as he knew the secret by
which to open it, this gave him no sort of uneasiness.
アリ・ババは、彼がやるべきことを実行するのに長くはためらいませんで
した。洞窟に入ったとたんに扉は閉まったのですが、それを開ける秘密を知
っていましたから、不安は感じませんでした。 p.670
【周作人】埃梨入此富麗之窟室。恍遊天上。傍徨良久。莫知所為。
アリ・ババは、この立派な洞窟の部屋に入りますと、天上にまうようにぼ
んやりとしてしまいました。長いあいだぐずぐずして、何をしていいのかわ
かりません。 5頁
英文原作のすばしこいアリ・ババは、漢訳では、ぼんやり者に変身した。周作
人による改変である。
○異同 12:扉の描写を簡略化
When he had finished all this, he went up to the door, and had no sooner
pronounced the words, “Shut, Sesamè,” than it closed; for although it shut of itself
every time he went in, it remained open on coming out only by command.
これらのすべてをし終わったとき、彼は扉の前に行って 、「閉じよ、セサ
ミ」と口にするやいなや、それは閉まりました。彼が入るたびにひとりでに
閉まるのですが、出ると開いたままですから、命令しなければ閉じないので
す。p.670
236
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
【周作人】諸事已畢。乃復呼如前。門即閉。
すべてが終わり、また以前のように呪文をとなえると、扉は閉じました。
5頁
下線をほどこした2ヵ所について、各版でわずかな違いがある。
① Sesame
but
② Sesamè
only
③ Sesame
but
⑤ Sesamè
only
⑥ Sesame
and closed then only
英文原本は、出版に際して、微妙に手を加えることがあるようだ。漢訳は、簡
潔にすぎる。
○異同 13:カシム、妻を叱る
you are very foolish, wife; you would never have done counting. I will
immediately dig a pit to bury it in; we have no time to lose.
バカだな。数え切れるもんか。すぐに穴を掘ってそこに埋めるから。ぐず
ぐずしちゃいられんぞ。 p.671
【周作人】汝何愚也。真可謂貪児暴富者矣。予将掘地為坎而埋之。則永遠可
不失。数之何為。
バカだな。まるでにわか成金じゃないか。穴を掘って埋めれば、なくなり
っこないんだから。数えてどうするんだよ。 7頁
「真可謂貪児暴富者矣[まるでにわか成金じゃないか]」という箇所は、周作人
が加筆した。また 、「則永遠可不失[なくなりっこないんだから]」は、英文の
「 we have no time to lose. ぐずぐずしちゃいられんぞ」を誤解したと考えてよい 。
237
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
○異同 14:金貨を見る
a coin so ancient, that the name of the prince, which was engraved on it, was
unknown to her.
金貨はたいそう昔のものでしたから、その表面に彫ってある王様の名前は、
彼女にはわかりませんでした。 pp.671-672
【周作人】慨星視之。則乃古昔之金幣。上鐫古代帝王之名号。殆西坤之類。
カシムが見ると、昔の金貨で、表面には古代の帝王の名前が彫ってありま
す。おそらくセキンの類でありましょう。 8頁
コインに彫られた古代の王様の名前を見ているのは妻だ。しかし、漢訳では、
なぜだかカシムに変更する。その必要はないように思う。だが、周作人はそう書
きかえた。
○異同 15:セキンの加筆
上記に金貨を指してセキンという。ここも周作人の加筆だ。
○異同 16:警察署
I will go and inform the officer of the police of it.
警察の役人にそのことを訴えてやるぞ。 p.672
【周作人】汝拒絶予之命令。則予将告発於警察署。
おれの命令を断わるんだったら、警察署に訴えてやるぞ。 9頁
周作人が「警察署」と漢訳した「警察の役人 the officer of the police」だ。
スコット版、ダルケン版、ニモ社版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版には、
いずれも該当する語句がなかった。しかし、フォースター各版は、いずれも同じ
文章が存在している。だから、漢訳は底本どおりになる。
○異同 17:セサミについての注
instead of pronouncing “Sesamè,” he said, “Open, Barley.”
238
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
「ゴマ」と発音するところを「開け、大麦」と言ってしまいました。 p.672
【周作人】不曰『西剡姆』而誤呼曰『伯累 (意即大麦) 啓戸 』。彼蓋錯記一種
之穀名。以大麦為胡麻也。呼之良久。而門堅閉如故 。「セサミ」とはいわず 、
「開け、バーリ (大麦の意味)」と誤って言ってしまいました。彼は、穀物の
名前だと誤って覚えていて、大麦を胡麻だと考えたのです。長い間となえま
したが、扉はもとのまま堅く閉じたままです。 10-11頁
問題は、ここに注がついている版本とないものがあることだ。注とは、すなわ
ち「ゴマは穀物であり、主として牛の飼料に使われる。しかし、時には人間のも
のでもある 。(中略) このことは、カシムがなぜそれを大麦と混同したのかの原因
を説明するであろう」 (③p.416) である。
あらためてフォースター版各種を見た。
①注ナシ
②注ナシ
③ p.416注あり
⑤注ナシ
⑥ p.303注あり
底本には、注がついていない。ゆえに、欄外にほどこされた原文の注を周作人
が漢訳に取り込むことはできない。この部分は、底本原文と漢訳が内容的に離れ
ていると思ったから、注の存在が気になった。だが、底本のつづく文章が漢訳に
該当すると考えれば、問題はない。
He was struck with astonishment on perceiving that the door, instead of flying
open, remained closed: he named various other kinds of grain; all but the right
were called upon, and the door did not move.
彼は、扉がぱっと開くのではなく、閉じたままであるのがわかって驚きに
打たれました。穀物の名前をほかにいくつもとなえたのですが、全部といっ
239
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
ても正しいもの以外ですから、扉は動きませんでした。 p.672
【周作人】彼蓋錯記一種之穀名。以大麦為胡麻也。呼之良久。而門堅閉如故。
彼は、穀物の名前だと誤って覚えていて、大麦を胡麻だと考えたのです。
長い間となえましたが、扉はもとのまま堅く閉じたままです。 10-11頁
○異同 18:死体の悪臭
もどってきた盗賊たちは、財宝を盗もうとしたカシムを殺害した。死体の悪臭
がなくなるまで (until the stench from the corpse should be subsided. 俟此死体之悪臭発盡)、
盗賊たちは洞窟にはもどらないことにしたのだ。
死体から出てくる悪臭だから、子供には刺激が強すぎる。ダルケン版および、
サグデン版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版は、いずれもこの部分を削除して
いた。漢訳は底本通りだ。
○異同 19:カシムの死体について
He was struck with horror, when he distinguished the body of his brother cut
into four quarters; yet he did not hesitate on the course he was to pursue in
rendering the last act of duty to his brother's remains, notwithstanding the small
share of fraternal affection he had received from him during his life. He found
materials in the cave to wrap up the body, and making two packets of the four
quarters, he placed them on one of his asses, covering them with sticks, to
conceal them.
四つ裂きにされた兄の死体だとわかったとき、彼は恐怖におそわれました。
ですが、彼の兄の遺体について最後のつとめをはたさなければならないとこ
ろから少しも躊躇はしませんでした。兄が生きているあいだ、彼から兄弟の
愛情はほんのすこししか受けはしなかったにもかかわらずです。死体を包む
ものを洞窟のなかでさがし、よっつの塊をふたつの包みにして、ロバの1頭
において、隠すために柴でおおいました。 p.674
【周作人】慨星之尸。赫然陳於戸左。不覚戦慄却歩。膚粟股慄。然終以同気
之感。自思当盡此最後之義務。於是不復躊躇。於穴中取二匣。以装此支解之
240
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
砕肢体。如二小包状。令一驢負之。遮以柴薪。
カシムの死体が、おどろいたことに扉の左にならべてあります。恐ろしさ
のあまりおもわずあとずさりして、鳥肌がたち足がふるえました。しかし、
しまいには兄弟だという感情から、最後の義務をつくさなければならないと
考えたのです。そこで躊躇することなく、洞窟のなかからふたつの箱をとっ
てバラバラになった死体をつめ、ふたつの包みのようにして1頭のロバに背
負わせ、柴で隠したのです。 14頁
兄の死体は、扉の両側に置かれていた (将慨星之尸。分為四片。投於穴内近門之處。
分置両旁。13頁)。それを「扉の左」に変更した。また 、
「ふたつの箱をとって」と
したのは周作人によるちょっとした書きかえになる。それ以外は、底本とほぼ一
致しているといってもいいだろう。
○異同 20:モルギアナ登場
This Morgiana was a female slave, crafty, cunning, and fruitful in inventions to
forward the success of the most difficult enterprise, in which character Ali Baba
knew her well.
このモルギアナは女奴隷でしたが、器用で抜け目がなく、もっとも困難な
仕事を成功に導くのに豊富な工夫をするという彼女の性格をアリ・ババはよ
く知っていたのでした。 p.674
【周作人】応門者為一女奴。名曼綺那。其為人機警有智。富於進取力。能従
事於至困難之冒険事業。而終達其目的。以此故。其品性非常人所可及。平日
亦素為埃黎所器重。
出てきたのは女奴隷でモルギアナという名前です。その人となりは機敏で
聡明、進取の気概に富んでいました。困難な冒険的仕事に従事することがで
き、しかもしまいにはその目的に達するのです。それゆえに、その品性は普
通の人の及ぶところではありませんでした。平素からアリ・ババが重宝がっ
たものです。 15頁
241
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
漢訳を底本と比較してみると、あわない箇所がある 。「進取の気概に富んで
[富於進取力 ]」という部分が余分だ。底本にはそれに該当する語句が、ない。
周作人にしてみれば、モルギアナの性格を描写して前の「機警有智」で終るのは
ことばの調子が悪いと感じたのではなかろうか。ゆえに、つけ加えた。
○異同 21:アリ・ババが兄嫁に話す
兄カシムの死後にどう対処すべきか。
フォースター版で「最初に、私の話の最初から最後までじゃまをしないで聞く
約束をしなければなりません。 you will first promise to listen to me from the
beginning to the end of my story without interruption.」(pp.674-675)とある。漢訳は 、
「私が話をするのを、中断させてはなりません[勿中断予之談話]」(p.16) となっ
ていて基本的に一致する。
英文原本にはつづきがある 。「現状では、私よりもあなたにとっては、厳重に
秘密にすることが重要なのです。あなたの平和と安全のために、絶対的に必要な
のですよ。 It is of no less importance to you than to me, under the present
マ マ
circumstances, to preserve the greatest secresy; it is absolutely necessary, for your
repose and security.」(p.675)
これを周作人の漢訳は、無視する。
「 ×」で示した単語は secrecy の誤植である。各種で確認しておく。
① secrecy
② secrecy
③ secrecy
⑤ secresy
×
⑥ secresy
×
底本が後の版本に影響を及ぼしている。
つぎの箇所が問題になる。
寡婦となった兄嫁に、自分の妻にする、とアリ・ババは申し出る。周作人は、
242
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
礼教にあわないという理由で原文を削除した、と言い切っているあの箇所だ。
○異同 22:アリ・ババと兄嫁の結婚
Although the evil is without remedy, if, nevertheless, anything can afford you
consolation, I offer to join the small property God has granted me to yours by
marrying you. I can assure you my wife will not be jealous, and you will live
comfortably together. If this proposal meets your approbation,……
救済なしの不運とはいっても、慰めることができるとすれば、あなたと結
婚することによって、神が私に与えてくれた少しの財産をあなたのものに合
わせるよう申しこむことにしましょう。私の妻は、嫉妬などしませんから、
あなたが一緒に快適にすごすであろうと請け負いますよ。もしもこの申し出
があなたの賛成を得ることができましたら、……
p.675
アリ・ババと兄嫁の結婚はあってはならない。周作人は、そう考えていたのだ。
ここを彼はどのように改変したか。
【周作人】既復建議同居之利便。而陳分立之不可。因同居則非但患難可以相
顧。且亦可以慰離索之感。
そこで同居することの便利を申しでて、分立のよろしくないことをのべま
した。同居すれば憂いと苦しみをわかつことができるばかりか、寂しく暮す
感情を慰めることができます。 16頁
周作人自身の回想によれば、削除したはずだ。だが、結婚を「同居」に書きか
えているだけではないか。結婚と同居は当然にふたつのことである、ということ
になる。周作人の削除したということばからくる印象とは違う。私には軽い改変
のように思える。
カシムの死亡をなんとかつくろう必要がある。賢いモルギアナは、靴職人のバ
バ・ムスタファを連れてくる。この「靴職人 cobbler」を誤植 ( ×で示す) する版
本があった。ここでも確認しておく。
243
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
① cobler
×
② cobler
×
③ cobler
×
⑤ cobbler
⑥ cobbler
初版から続いた誤りは、底本から訂正されている。
○異同 23:ムスタファの性格を削除
フォースター版がムスタファの性格を規定して陽気である、とする部分 ( Baba
Mustapha, known to all the world by this name, was naturally of a gay turn, and had always
something laughable to say;) を周作人訳では省略している。
○異同 24:モスクの祭司など
漢訳では 、「モスクの祭司と僧侶[墨思克之祭司及僧侶]」 (19頁) となっている 。
しかし、英文原作の各版のなかに、すこし異なるものがある、として一覧した。
そこに示したフォースター版初版がほかと違うと書いたが、私の勘違いであった
(本書では訂正している)。あらためて、フォースター版各種の一覧をあげる。
周作人
祭司
僧侶
墨思克
① p.162
Iman
ministers mosque
② p.244
Iman
ministers mosque
③ p.419
Imaun
ministers mosque
⑤ p.677
Imam
ministers mosque
⑥ p.677
Imaum
ministers mosque
周作人は、 Imam をよく祭司と漢訳したとここは感心する。
244
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
○異同 25:ババ・ムスタファの店
He went towards the square, where he saw only one shop open,
広場にむかって行くと、ひとつの店が開いているのをみつけました。 p.678
【周作人】忽見左側有一小店。戸已大啓。
ふと見れば左側に小さな店があり、扉はすでに開いています。 22頁
盗賊のひとりが情報を集めるため町に行った。朝早くだから道行く人はいない。
ババ・ムスタファの店が開いているのを見つけた。底本には 、「左側」という単
語はない。わざわざつけくわえる必要があるとも思えない。だが、周作人は漢訳
で「左側」を書き加えた。
○異同 26:金貨を握らせる
He drew out a piece of gold, and putting it into Baba Mustapha's hand,……
金1個を取りだすと、ババ・ムスタファの手に握らせて……
p.678
【周作人】急以一金置几上。
急いで金1枚を机のうえに置きました。 23頁
盗賊は、死体を縫いあわせたと聞いて、ババ・ムスタファに金貨を握らせた。
情報に対する礼である。底本では、手に握らせる。だが、周作人は、机に置いた
とする。わざわざ書きかえるのだから何か意味があるだろう。当時の中国では、
そのような習慣でもあったのかと思いもする。だが、必要のない書きかえだと思
う。
○異同 27:順序を入れ換える
アリ・ババが油商人 (盗賊の首領がなりすました) を歓待したあとのことだ。底本
では、つぎのような順序になっている。
アリ・ババは、油商人と席をたち、明日の準備をモルギアナに命じる。首領は、
庭に置いてある油袋のなかの手下に、合図をしたら袋を切り裂いて出てくるよう
指示をだす。
245
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
モルギアナの場面があって、それから首領の手下への指示、という順序だ。
だが、周作人は、上のふたつの場面を入れ替える。複雑な箇所ではないと思う。
私は、納得がいかない。
○異同 28:カメの数が 37
モルギアナは、油袋のなかに盗賊が隠れていることを発見した。首領の合図か
と聞くのに答えて「まだだ」をくりかえし、最後の油の入った袋に到達する、と
いう箇所だ。
making the same answer to the same question, till she came to the last, this
was full of oil.
油でいっぱいになった最後の袋にくるまで、同じ質問に同じ回答をしたの
です。 p.684
【周作人】曼均以此語答之。至終過三十七甕。而至末貯油之一甕。
モルギアナはすべて同じ言葉でそれに答えると、 37のカメを過ぎて、最後
の油のカメにたどりつきました。 34頁
漢訳に見えるカメの数「 37」は、底本には、ない。それ以外は、英文原作をほ
とんど忠実になぞっている。だから、ここは、周作人の工夫になる。
○異同 29:盗賊の人数
盗賊の人数について、底本ではその直後にでてくる。主人アリ・ババは油商人
を泊めたつもりで盗賊を引き入れた、とモルギアナにはわかってしまった。
her master, who supposed he was giving a night's lodging to an oil merchant
only, had afforded shelter to thirty-eight robbers,
彼女の主人は、油商人に一晩の宿を与えたつもりが、 38人の盗賊に避難所
を提供してしまいました。 p.684
【周作人】埃黎偶留油商一宿。不意隠蔵三十七甕之盗。
246
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
アリ・ババは油商人を、偶然、泊まらせたのに、 37のカメに盗賊が隠れて
いようとは。 34頁
底本の「 38」という人数を、周作人は漢訳時に書きかえて「 37」とした。数を
取り違えることは、普通ありえない。だから、別の英文原本があるのではないか、
と私は疑った。
該当個所を見れば、以下のようになっている。
① p.179 thirty-eight
② p.257 thirty-eight
③ p.423 thirty-eight
⑤ p.684 thirty-eight
⑥ p.318 thirty-eight
底本とすべてが一致する。
では、もとが 38人であり、周作人の 37人が間違いかといえば、そうとは限らな
い。
これは、簡単な引き算である。盗賊のうち2人は情報収集に失敗して処刑され
ている。ゆえに、 40人から2人を減じて残りは 38人だ。これには、当然首領が含
まれる。一方の周作人訳では、油袋に隠れている盗賊が 37人である。これに首領
を加えれば底本の 38人と同じになる。
このように説明しなければならなくなる。カメの数を「 37」とわざわざ漢訳に
入れた。それに一致させたのであろう。よけいな改変であった。
異同番号を振らなかった「塩」の注について触れておく。
イスラム教では塩を食べるというのは友好関係を結ぶという意味だ、という注
釈である。塩を食べないのは、だから敵対を示唆する。客が塩を食べないという
ところから、モルギアナは客が盗賊の首領であることを見破った。
フォースター版各種を見る。
247
周 作人 漢訳 アリ・ ババ 「侠 女奴 」の 英文原 本
①注ナシ
②注ナシ
③ p.426注あり
⑤注ナシ
⑥ p.326注あり
「セサミ」についての注の有無とまったく同じになっている。周作人訳の底本
には、注がないのだから漢訳に反映されていないのも当然ということになる。
○異同 30:ブドウ酒とビール
モルギアナは、食後の酒を出した。底本は 、「ブドウ酒 wine」(p.689) とする 。
ところが、漢訳は「ビール[啤酒]」(44頁) に書きかえた。理由は不明だ。
以上、底本となったフォースター版英文原作と周作人の漢訳を比較検討した。
字句の異なるフォースター版が別にあるのではないか。これが、以前に私がい
だいた疑いだった。
複数のフォースター版を比較対照しての結論は、文章は、基本的に同一である。
ごくわずかな字句の違いはあっても、問題になるほどのものではない。私はこう
判断する。
周作人の漢訳についていえば、ほぼ底本に忠実な翻訳だと考えてよい。ただし、
モルギアナの最後については、周作人は勝手に、しかも大幅に書きかえた。その
結果、アリ・ババの世界を破壊した。しかも、周作人自身は、そのことにまった
く気づいていない。この結論について、私の考えに変わりはない。
【附記】杉田英明氏よりご教示いただきました。感謝します。
【注】
1)樽本「周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語」
『漢訳アラビアン・ナイト論集』所収。本書
所収
248
周作人漢訳アリ・ババの原本を求めて
『中国近現代文化研究』第5号(2002.12.25)に掲載。周作人『侠女奴』の原作は、
『アラ
ビアン・ナイト』のなかの「アリ・ババと40人の盗賊」である。周作人は、当時を回想し
た文章のなかで、原本がニュウンズ(GEORGE
NEWNES)社版であることをくりかえし
記述している。多くの研究者も、彼の記述のままを受け入れる。しかし、原物で確認され
たことはない。私は、ロンドンにおもむき英国図書館に所蔵される該社の『アラビアン・
ナイト』を閲覧した。周作人の漢訳と英文原作を比較対照したところ、彼が拠った原文は
ニュウンズ社版ではないことを発見したのである。タウンゼンド版、レイン選集版などを
見たが、これらでもない。かろうじてサグデン版が、漢訳に一番近いこともわかった。し
かし、完全に一致するわけではない。周作人漢訳の原本さがしは、振り出しにもどったこ
とをいう。
『清末小説研究論』(清末小説研究会2005.8.1 清末小説研究資料叢書9)に収録
した。本書に移動するほうが妥当だと考えた。探査の結果、最終的にはフォースター版
ラウトレッジ社本であることが判明した。
シャーロック・ホームズゆかりの場所といえば、ロンドンには多数ある。
ホームズは、架空の人物ではあるが、実際の場所がからんでもいて、今でも人
気が衰えないらしい。
パブ<シャーロック・ホームズ>も、愛好者にとっては人気の観光地だ。旅行
案内書にも記載がある。
私は、それほど熱心なホームズの愛読者ではない。だが、ドイル作品の漢訳を
調べている関係で *1、トラファルガー広場に来てしまえば、つい足がその方面に
249
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
パブ<シャーロック・ホームズ>
向いてしまう。
それは、ビルの谷間の古い建物のなかに、周囲とは違うたたずまいを見せてい
る。
ホームズの肖像が看板になっており、目印となる。この店の外装は、一階部分
のみ黒く塗られ、<シャーロック・ホームズ>と英語で書かれた大きな金文字が
目立つ。入り口そばに置かれた数脚のテーブルのひとつに、客がひとり、飲み物
を置いて新聞を読んでいる。窓のスリガラスにもホームズと著者のドイルが姿を
きざまれているのが私の目を引く。小さな立て看板には、白身魚の揚げ物とポテ
トチップスの名前が白墨で大きく書かれており、いうまでもなくロンドンのパブ
では定番なのだ。
2ヵ所に入り口がある。扉が二重構造になっているところから、この地の冬の
寒さが予想できる。
たしかにパブである。カウンターに生ビールの注ぎ取っ手を並べて、よそと変
わらない。聞けば2階がレストランになっており、そちらにホームズの書斎があ
る。食事をしないなら外から見ろ、という女店員の言葉にしたがい、ガラス窓か
らのぞくと、隅のほうに机と本棚をごちゃごちゃとならべて、ホームズの人形も
座らされていた。
250
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
生ビールを飲みながら、店内の壁に飾られたホームズ関連の品物、過去の映画
のポスターだったり、ファンからの手紙だったりするのをながめる。2台のテレ
ビでは、白黒映像でホームズ物語らしいものを放映しているが、音は絞ってある。
ふむふむ、と意味不明の言葉が口からもれでてくるほどに、雰囲気のある店なの
だ。
ビーフ・カレーが用意してあることに気づき、カウンターで注文した。ここは、
その都度の現金払い方式を採用している。英国はまだ欧州統一貨幣であるユーロ
を導入していない。代金を 50ポンド紙幣で支払い、中年の女性店員からおつりを
もらう。
1皿にカレーとサフラン・ライスが同居して (別々の食器を使わない)、確かに日
本で食べる味がする。なるほど、インドから英国経由で日本にもたらされたもの
だ、と納得するのだった。カレーに牛肉を入れたのは、英国人に違いない。イン
ド人の発想の外にあるはずだ。
アメリカ人らしいグループが、入ってくる。人の切れ目がないから、座席は、
ほぼ、いっぱいになった。皆、申し合わせたように例の白身魚のフライ (ポテト
チップスつき) を注文している。客ふたりで、同じものを注文するかなぁ、と不思
議に感じたりもする。雰囲気と食事に満足してパブをあとにした。
道端の小さな雑貨店で飲料を買い、さきほどパブでもらった釣り銭から 20ポン
ドを出すと、店主が、ダメといって受け取らない。偽札か。腑に落ちない。同時
に手渡された別の 20ポンド紙幣と見比べても、ほとんど違いがない。地下鉄の自
動販売機ならどうかと試すと、機械も受け取りを拒否して吐き出す。スーパーで
差し出せば、これは古い札だから、使えないという。あれまあ、なんなのであろ
うか。
パブ<シャーロック・ホームズ>の女性従業員は、私を東洋人の観光客だと見
て、使えない札を釣り銭にまぜこんだ。なんと心寂しい英国の中年女性なのだろ
う。私の楽しかった気分は、ロンドンの空模様と同じく曇ったのである。
なぜ私がロンドンにいるかといえば、今回は、ホームズがらみではなく 、『ア
ラビアン・ナイト』のためである。
私が英国図書館を再訪した目的は、ニュウンズ社 (GEORGE NEWNES) 発行の
251
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
『アラビアン・ナイト』を原本で確認するためだ。
『アラビアン・ナイト』など、どこでも入手できるではないか、とお考えだろ
う。どこにいても見ることはできるが、ある特定の版本は、そうはいかない。
インターネットの時代で、外国の古書店から比較的簡単に古書を購入できるこ
とは事実だ。だが、インターネットを検索しても出てこない版本は、それが所蔵
されている場所に自分から足を運ばなければならない。ニュウンズ社発行の『ア
ラビアン・ナイト』が、それに該当する。
なぜニュウンズ社版でなければならないのか。周作人が、それに拠ってある作
品を漢訳したと書いているからだ。
『アラビアン・ナイト』は、ガランがフランス語に翻訳したのが最初だ。この
フランス語翻訳を英語に重訳したものが全世界に普及した。それ以後、多数の人
が勝手に重訳、節訳、改訳を行ない、物語の好色部分を削除したものも、青少年
のため、という名目で出てくる。多種多様の版本が存在する理由である。のちに
はアラビア語から直接翻訳した別の翻訳が刊行されもした。だからこそ、それぞ
れの翻訳は、文章がバラバラなのだ *2。
ゆえに、漢訳がどの版本に拠っているのか、その原本を特定しないことには、
研究にならない。
周 作 人が 漢 訳し て 題名 を 『侠 女奴 』 とい う 。「ア リ・ババと四 十人 の盗賊
THE STORY OF ALI BABA AND THE FORTY ROBBERS」である。萍雲女士の名
前を使い、はじめ『女子世界』に連載された。 1904年のことだ。のちに同名の単
行本になる。萍雲 (周作人) 訳述、初我 (丁祖蔭) 潤辞、小説林総発行所 (光緒乙巳
[1905]初版未見/丙午[1906]年三月再版) というのがそれだ。
周作人にとって英語版『アラビアン・ナイト 』、すなわち中国語でいえば『天
方夜譚』は、特別な意味があった。彼自身の証言によれば、該書に出会いそれを
翻訳することにより、いわば精神的な安定を得ることができ、それ以来、移り気
でなくなったという。
そのゆえか、周作人は、 1930年代からくりかえし当時の模様を回想文に書き残
している。
該当版本を説明して、日本から得た『天方夜譚』で、ロンドンのニュウンズ社
252
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
発行、3シリング半 (6ペンス) の挿絵本であること、アラジンが魔法のランプ
を持っている図、およびアリ・ババの女奴隷が短刀を握って踊る挿絵があること
を記憶している *3。
1950年代には、上記のような細部は省略し、上海で別版の現代叢書本を購入し
たこと、それがバートンの訳本に拠っていること、落丁があること、奚若の4冊
本が出ていることをつけくわえる *4。
1970年の周作人『知堂回想録 』(香港・聽涛出版社1970.7) では、3ヵ所にわたっ
て回想する。
ニュウンズ社本、3シリング半、アラジンの魔法のランプとアリ・ババの女奴
隷が踊る絵図についてくりかえして説明している。ここで以前と異なっているの
は、偶然入手したと書いて、日本から、という部分が消えてしまったことだ。
周作人は、出版社の名前、本の定価、図柄までもおぼえている。断言して記述
が揺らいでいない。
周作人本人の記憶が正確らしく見えるから、多くの研究者は手続き抜きにして、
つまり原物で確認することなく、その言葉を信用する。張菊香、張鉄栄編著『周
作人年譜 』(天津人民出版社2000.4。57頁) にも、そのまま記述してある。
ここまで明らかであれば、ニュウンズ社版を探すのは、それほどむつかしくな
い、と私は感じたほどだ。
インターネットで検索すれば、ラング版、タウンゼンド版など新旧とりまぜて
出てくる。そのなかのいくつかは購入した。近くは同志社大学図書館、天理図書
館でも閲覧できるものは、見た。東京の神田でレイン版3冊本を入手したし、サ
グデン版は、東北大学の漱石文庫所蔵本から複写を取らせてもらった。
とりあえず、努力するだけは、した。しかし、私のできる範囲はタカがしれて
いる。日本でニュウンズ社版『アラビアン・ナイト』を見ることは、とうとうで
きない。日本に存在しない、という意味ではない。しかし、自分で見ることがで
きないのだから、私にとっては存在しないことと同じだといってもいい。
というわけで英国図書館で閲覧したというわけだ *5。
大判である。背表紙は皮装で、西洋古書特有の装訂をしている。児童へのプレ
ゼント用には見えない。ほぼ A4判の大きさで、 472頁ある。上質紙を使用してず
253
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
っしりと重い。たくさんの挿絵が飾られ
ており、そこに注目すれば、たしかに挿
絵本だ。
1899年発行だから、周作人が南京で入
手することに矛盾は生じない。もっとも
周作人は、いつ入手したのかその年月を
明らかにしていない。だが、 1905年1月
に翻訳が終わりかけているから、それか
ら推測すれば該書入手の時期は前年の
1904年あたりになろう。
原書を手にすることができた。ロンド
ンにまで来たカイがあったというものだ。
私は、大いに満足である。
だが、扉から順にページをめくってい
THE ARABIAN NIGHTS ENTERTAINMENTS,
GEORGE NEWNS LD, 1899
って、挿絵の豊富さを楽しんでいた私は、
疑惑を強く感じることになる。
なぜかといえば、周作人に強く印象づけたアリ・ババの女奴隷が踊る挿絵がな
いのである。魔法のランプは出てくるが、アラジンの腰にくくりつけられており、
彼が手にしている絵柄ではない。
見てみれば、定価3シリング6ペンスなどという表示が、どこにもない。
英国図書館の電脳で検索する。ニュウンズ社版の『アラビアン・ナイト』は、
この1冊しか所蔵されていない。ただし、英国図書館にないことが、別版の存在
を否定することにはならない。
挿絵についていえば、ニュウンズ社の別版があれば (実際にあるらしいが)、周作
人のいうようなものがついている可能性も残されている、とはいえよう。
だが、問題は、本文なのである。
ここは漢訳と原文を対照したほうが、理解がはやい。書き出し部分をならべる
(周作人の前文は省略する)。
254
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
【周作人】前十世紀之時。波斯某街有兄弟二人。一名慨星 Cassim。一名埃
ママ
梨醅伯 Alibaqa。其父在時。家僅小康。死後平分以給二人。其所得産業各相
等。析居而處。尚可拮据以度日。及後景遇不同。而二人生計上之状態。遂亦
各異。慨星娶一少婦。当未婚之前。為一富賈之継女。承襲其産。有土地上之
不動産甚多。且有倉庫一所。満貯商品。其値不貲。及帰慨。携之与倶。慨星
以妻之花蔭。一洗昔日窮愁之景況。突然一躍。而為富家児。財名甲於一鎭。
十世紀以前のころ、ペルシアのある町にふたりの兄弟がおり、ひとりはカ
シムといい、ひとりはアリ・ババといいました。父親が生きていた時、家の
暮らし向きはまずまずでした。死後、財産はふたりに平等に分けて、それぞ
れが得たものは同じだったのです。わかれて暮らし、貧乏ながら日を過ごし
ておりましたが、その後のめぐりあわせは同じではありません。ふたりの生
計の状態は、それぞれ違ってしまったのです。カシムは若い婦人を娶ったの
ですが、彼女は結婚するまえはある裕福な商人の義理の娘でしたので、その
財産を受け継いだのです。土地などの不動産はとても多く、しかも倉庫をも
っており、商品で満ちあふれておりました。その値は計算することができな
いほどで、それがカシムのものになりました。それらを手に入れ、カシムは
妻のおかげで昔の窮乏情況からぬけだし、突然、裕福になり、町一番の金持
ちになったのです。
【ニュウンズ社】 IN a town in Persia, there lived two brothers, one named
Cassim, the other Ali Baba. Their father left them scarcely anything; but Cassim
married a wealthy wife and prospered in life, becoming a famous merchant.
ペルシアのある町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひと
りはアリ・ババといいました。父親は、彼らにほとんどなにも残しませんで
したが、カシムは裕福な妻と結婚し人生に成功して有名な商人になったので
す。
周作人訳の「 Alibaqa」は、 Ali Baba の誤植だ。漢訳で「継女」とあるのを日本
語で「義理の娘」と訳しておいた 。「継父 」「継母」という単語があって、それ
ぞれ義理の関係を表わすことばだから、それから類推した。ただし、財産継続人
255
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
という意味も別にあるだろうとは思う。そちらの方が適当だというのであれば、
そのように訳してもいい。
英文原作に比較すると周作人の漢訳の方が、かなり詳しい描写になっている。
原文に加筆して分量を増すということも考えられないではない。だが、当時、周
作人が漢訳したドイルの「アーカンジェルからの男 (荒磯)」(1905)、ポー『黄金
虫 (玉虫縁)』(同年) の2翻訳を見るかぎり、彼の翻訳方法は、原文にほぼ忠実に、
というのが基本にあった *6。加筆をするにしても、上のような極端な例はない。
英文からこれほど離れた漢訳だから、ニュウンズ社版は、周作人が拠った版本
ではありえないと判断してもいい。
周作人の回想録には、このニュウンズ社版について「おそらくごく普通のレイ
ンの訳本だったのだろう」 *7と書いている。バートン版があることには、当時、
まったく気がついていなかった、ともいう。
周作人のこの記述は、正確ではない。もとのレイン版には、周知のとおり、
「アラジンと魔法のランプ」も「アリ・ババと四十人の盗賊」も収録されてはい
ない。ただし、のちの選集1冊本には、この2作品を追加しているから、ねんの
ためその冒頭部分を比較対照してみると、カシム Kasim とアリ・ババ ‘Ali Baba
の表記からして周作人の漢訳とは異なる。ほぼ、ニュウンズ版と同じ簡潔さであ
って、周作人の翻訳ほど詳細な記述があるわけではない。
いちいち原文はかかげないが、タウンゼンド版も周作人の漢訳の原本ではない。
ところが、サグデン版は、以上の英文原作とは異なる。
【サグデン】 IN a certain town of Persia, there lived two brothers, one of whom
was called Cassim, and the other Ali Baba. Their father, at his death, left them but
a very moderate fortune, which they divided between them. /Cassim married a
woman who, very soon after her nuptials, became heiress to a well-furnished shop,
a warehouse filled with merchandise, and considerable property in land; he thus
found himself on a sudden quite at his ease, and became one of the richest
merchants in the whole town.
ペルシアのある町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひと
256
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
りはアリ・ババとよばれていました。彼らの父親は、死ぬとき適度な財産を
残し、それらをふたりで分けたのです。/カシムは結婚しましたが、彼女は
結婚式のすぐあとで、商品のつまった商店、在庫品でいっぱいになった倉庫、
そしてかなりの土地の所有権の継承者となりました。そういうわけで、彼は、
突然に、まったく心配のない自分に気づきましたし、町一番の金持ち商人の
ひとりになったのです。
細かな部分をいえば、周作人の漢訳とは、完全には重ならない。だが、ニュウ
ンズ社版、レイン選集版、タウンゼンド版などと比較すれば、格段に、このサグ
デン版の方が漢訳に近い。近いことは近い。だが、完全には一致しないために、
このサグデン版を漢訳の原本だと特定することはできない。
周作人の『アラビアン・ナイト』英文原本にかんする説明は、彼の勘違いであ
ったようだ。
『アラビアン・ナイト』に対して、周作人は特別の感情をいだいていたという。
その彼にして記憶違いがあるのか、と不思議にも思う。だが、ニュウンズ社本の
本文そのものが、周作人の記述を否定するのである。
周作人の漢訳は、どの英文原作に拠ったかという問題は、以上のようなわけで、
振り出しにもどってしまった。
いく種類もの英文原作をならべているのは、周作人漢訳の原本を特定するため
だ。いうまでもないことながら、原本が特定できなければ、周作人の漢訳がどの
程度の水準かを判定することができない。
少なくとも、周作人が回想文でくりかえしのべているニュウンズ社版は、彼の
漢訳の原本ではないことがほぼ確認できた、ということはできよう。
検討すべき版本は、まだいくつかが残っている。のちのお楽しみということに
なった。
ロンドンにまで足を運んで、その結果か、と思われるか。
資料の発見など、あったとしてもごくまれなこと。無収穫が普通であり日常な
のだ。近所の公立図書館であろうと、収穫がないときは、ない。今回は、その場
所がたまたまロンドンであったというだけのことにすぎない。ニュウンズ社版で
257
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
はないことがほぼ確認できた。それだけでも、無収穫どころか、成功だといって
もいい。
とはいいながら、大成功というわけではない。気分が高揚するはずもない。加
えて、使えない 20ポンド紙幣を押しつけた心寂しい中年女性店員のことを思うと
気分はさらに落ち込む。しかし、大きな責任は、英国政府の貨幣政策のまずさに
ある。なぜ使えない紙幣を流通させているのか。ポンドですら不手際をあらわに
しており、ユーロを導入したときは、見ものである、などと八つ当たり気味にな
る。
例の 20ポンドは、結局、市内の両替所で、手数料を引かれて通用するものに交
換した。手間のかかることである。
ロンドンは、このたびも不愉快な町であった。
【注】
1)樽本「中国におけるコナン・ドイル」1『清末小説』第24号2001.12.1。連載中
2)興味のある方は、
『清末小説から』に連載中の樽本「漢訳アラビアン・ナイト」をご覧くだ
さい。本書収録。
3)周作人「学校生活的一葉」『雨天的書』香港・実用書局1967.11影印。據1933北新書局本。
48-49頁
4)周遐寿(作人)
「二三天方夜談」附録二学堂生活『魯迅小説裏的人物』上海出版公司1954.4。
323-324頁
5)英国図書館での書籍請求の手順については、以下をご覧ください。
樽本「清末翻訳小説研究周辺――英国図書館における文献検索の実例」
6)それぞれの各論は次のとおり。
樽本「漢訳ドイル「荒磯」物語――山縣五十雄、周作人、劉延陵らの訳業」『大阪経大論
集』第52巻第2号(通巻第262号)2001.7.15
樽本「ポー最初の漢訳小説――周作人訳『玉虫縁』について」
『大阪経大論集』第52巻第5
号(通巻第265号)2002.1.15
7)周作人『知堂回想録』香港・聽涛出版社1970.7。137頁
258
周作 人漢 訳ア リ・ ババ の原本 を求 めて
【2005注】
ニュウンズ社発行の『アラビアン・ナイト』は、英国図書館で確認したことは上に書いたと
おり。のちに、インターネットの古書店から原本を、それも3冊購入することになった。同じ
ニュウンズ社版とはいっても、内容印刷製本の異なる別版があるのではないか、と考えたから
だ。手元に届いたのを見れば、3冊ともに同一版であった。
259
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
『清末小説から』第72号(2004.1.1)に掲載。原題「
「童話」の漢訳「アラビアン・ナイ
ト」
」
。児童文学としての「アラビアン・ナイト」が中国に最初に紹介されたのは、商務印
書館が刊行する「童話」シリーズに収録された。1914年から1918年にかけて、4作品が刊
行された。そのうち見たものはアリ・ババ、アラジン、もの言う鳥だ。既訳を要約したら
しい。ただし、アリ・ババでは、盗賊の首領を殺さない。話し合いによって財宝を譲り渡
すように説得する。書き換えることによって児童用の読み物となるように配慮したらしい。
しかし、物語そのものが盗賊の盗品を盗むアリ・ババであり、不思議なランプにより裕福
になるアリババだ。妹いじめの物語だったりして、とても児童用に適した物語とは思えな
い。それを無理矢理に収録するところに、当時の意識のズレを見ることができる(あるい
は、現在も勘違いがつづいているのかもしれない)
。商務印書館発行のこの「童話」シリ
ーズは、日本の本屋で以前に発掘したものだ。揃いではない。
中国において、児童向けの漢訳アラビアン・ナイトが、最初に出現したのはい
つのことか。
この問題は、簡単なようで、そうではない。
まず、なにをもって児童向けと考えるかが問題になるからだ。
1
児童向けということ
作者が最初から児童向けだと意識して書いた作品であるならば、理解しやすい。
それが漢訳されると、児童書の中国登場ということになる。
260
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
一般論として、児童を意識しないで書かれた作品が、いつのまにか児童文学に
認定されてしまう、ということもある。そのばあいは、受け取る側の主観によっ
て左右される。
だが、アラビアン・ナイトについていえば、最初から児童向けを意識していた
とは思われない。
英語に翻訳されたアラビアン・ナイトにしても、時間を経て、青少年向けに書
き換えられるものがでてくる。刺激的な部分を削除している版本が出版される理
由だ。中国人翻訳者が、それと気づかず大人用として漢訳したときはどうなるか。
どこでどう区別するのか。簡単に判断できるとは思わない。
ここでは、読者に児童を想定して原作を改変した作品ということで、とりあえ
ず話を進めよう。もうすこし具体的にいえば、原作の大筋を保ちながらも、時に
は大幅に書き換え、分量は短めに編集しなおした挿絵つきのものとする。あくま
でも児童を読者対象とかんがえている点が重要だ。
中国におけるアラビアン・ナイト翻訳の歴史は、 1900年前後からはじまった。
日本と比較すれば、時期的にみてその遅いことに、やや意外な気がしないわけ
ではない。日本永峯秀樹訳『 (開巻驚奇) 暴夜物語』 (1875) よりも、約 25年もおく
れる。
中国で、初期にアラビアン・ナイトの漢訳をてがけた周桂笙も、あるいは『大
陸報』に掲載された漢訳にしても、また、奚若訳の『繍像小説』連載も、いずれ
も当時の児童を直接の読者とは考えていなかった。
そう考える大きな理由は、漢訳が英文原作に忠実であろうとしているからだ。
書き換え、省略などがない。児童向け読み物という印象を受けない。
掲載誌そのものも、一般の知識人むけに編集刊行されている。児童を特に意識
して編集している種類のものではない。さらには、文言で翻訳している点も理由
のひとつとなる。
『繍像小説』掲載の「天方夜譚」は、その「挿絵[繍像 ]」を売り物にした雑
誌名からして、挿絵があっても、いい。しかし、なぜだか、それがない。のちに
「説部叢書」に収録された単行本を見ても、明らかに児童向けではないのだ。あ
くまでも外国文学翻訳シリーズのひとつとして扱われている。
261
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
そういう流れのなかにあって、児童用として編訳していることがはっきりして
いる刊行物がある。
なにしろ「童話」と銘打っているシリーズものなのだ。児童を対象として編集
されていることが、それだけで了解できる *1。
2
商務印書館の「童話」シリーズ
商務印書館が刊行した「童話」シリーズは、第1集から第3集まである。
第1集は、孫毓修が主編して、私の知るかぎり第 89編までが出ている (一部を
茅盾ほかが担当)。その刊行期間は、 1908年から 1921年までとなる。
第2集は、同じく孫毓修の編集で第8編を刊行した。その刊行時間は、第1集
と重複しており 1910年から 1918年までだ。かかった時間のわりには、刊行種類が
8編と少ない。辛亥革命をはさんでいるからだろう。
第3集は、鄭振鐸編で第4編までが、 1924年に出版されているらしい。第2集
から時間の隔たりがある。しかも第2集をわずかに8編しか出していないのに第
3集をはじめる理由がわからない。中途半端といえば、第1集も 89編で中断して
いるのも、そうだ。
とにかく、全体は、単純に合計して全 101編となる *2。
それらの題材は、中国の古典、あるいはギリシア神話、グリム、アンデルセン
などの西洋の童話、物語から得ている。白話で翻訳しているのも特徴のひとつだ。
七、八歳から十一歳くらいまでの児童を対象としていたという *3から、今でい
う小学生に相当する。
児童にとってわかりやすい語句を使用しようとすれば、必然的に白話になる。
啓蒙が重要な要素のひとつだから、挿絵を理解の補助として重視するのは当然だ。
ただし、適切な挿絵になっているかどうかは、それぞれの作品を個別に検討する
必要がある。
私が見ているのは、第1、2集のなかの少数にすぎない。
中国の規格でいう 32開本に近い大きさ (19cm×13cm) の活版洋装本で、本文は
24ページ前後の薄い冊子だ (第2集では42-46ページに増える)。本文 20字 ×9行だか
262
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
ら第1集は1冊につき約 4,300字となる。挿絵を掲載しているから、その分だけ
文字数はさらに減少する。
彩色リトグラフの表紙をあとから糊づけし、本文に凸版で挿絵を組み込む。細
い糸でかがった簡単な製本だ。活字は比較的大きく、ゆったりと組んである。挿
絵も適当に配置されており、なによりも表紙が色彩豊かでいくらか救われはする。
しかし、紙質はよくなく、全体の印象は、あくまでも小冊子でしかない。
奥付に、5分という定価が明示されている。
商務印書館が 1903年から発行をはじめた小説専門雑誌『繍像小説』は、1冊2
角であった。活版線装本で、創刊号は石印の挿絵を含めて 39葉だから、洋装本に
なおせば倍の 78ページとなる 。「童話」の 24ページは、それの約3分の1に相当
する。値段も3分の1として計算すれば約 6.7分だ。これと比較すれば 、「童話」
シリーズの1冊5分は、かなり低めに設定していることになろう。
さて、この「童話」シリーズにアラビアン・ナイトから選択翻訳した作品が4
種類 *4収録されている。
3
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
以下に、漢訳名と原作名をかかげる (漢訳名の後ろにつけている英文は、奥付にかか
げられているままを示す。*印の1種類は、未見)。
童話
第1集第 25編
『 怪石洞 』 (Forty Robbers Killed by One Slave)
高真長編訳
孫毓修校訂、上海商務印書館 1914.8/ 1922.9八版
全 23頁
“THE ARABIAN NIGHTS.” Ali Baba, and the Forty Robbers killed by One Slave.
童話
第1集第 45編
『 能言鳥 』 (The Three Sisters)
孫毓修編訳、上海商務印書館 1915.12/ 1922.9五版
全 19頁
“THE ARABIAN NIGHTS.” The Two Sisters who were Jealous of their Younger
Sister.
263
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
童話
第1集第 46編
*『 橄欖案 』
(孫毓修編纂)、上海商務印書館 1916?1917?
“THE ARABIAN NIGHTS.” Ali Cogia, a Merchant of Bagdad.
童話
第1集第 60、 61編
『 如意燈 』上下 (The Wonderful Lamp)
孫毓修編訳、上海商務印書館 1918.1/ 1922.9五版
上冊全 23頁、下冊全 23頁
“THE ARABIAN NIGHTS.” Aladdin, or the Wonderful Lamp.
中国では、児童むけにアラビアン・ナイトをどのように紹介したのだろうか。
この「童話」シリーズは、それを知るための材料となる。
「童話」シリーズとして字数が限られているから、原文の省略を余儀なくされ
る。どこをどのように書き換えるのか。それこそが編訳者の腕の見せ所である。
未見の1種類を除いた3種類について以下に紹介しよう。
264
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
○第1集第 25編「怪石洞」
漢訳題名が意味するのは 、「不思議な洞穴」だ。しかし、物語はおなじみの
「アリ・ババと 40人の盗賊」である。
アリ・ババが不思議な洞窟に遭遇するのが物語の発端だから、それを翻訳題名
にしても、おかしくはない。
この「童話」シリーズの題名は、ほぼ3字から4字におさまるように統一して
いる。それに従ったのだろう。
「童話」シリーズは、孫毓修が、当時発行されていた英語の児童用書籍にもと
づいて編纂したということになっている。
ただし 、「アリ・ババと 40人の盗賊」については、2種類の漢訳が先行してい
るのを見逃すわけにはいかない。
すなわち、萍雲 (周作人) 訳述、初我潤辞『侠女奴』(上海・小説林総発行所 丙午
(1906)年三月再版) および奚若翻訳、金石校訂「記瑪奇亜那殺盗事」(
『
(述異小説)天
方夜譚』第4冊 上海商務印書館 丙午4(1906)/1913.12再版 説部叢書1=54) だ。
265
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
固有名詞の翻訳を見れば、先行の翻訳を参照しているかどうかを知る判断材料
になる。
3種類の版本について、比較一覧したものを下に示す。
「侠女奴」
「説部叢書」
「怪石洞」
Cassim
慨星
克雪
克雪
Ali Baba
埃梨醅伯
愛里巴柏
愛里
Sesame
西剡姆
茜莎米
茜莎米
Morgiana
曼綺那
瑪奇亜那
馬奇
Baba Mustapha
麦斯塔夫
黙世徳法
徳法
アリ・ババの息子 ×
×
亜拉
×
×
怜悧
chalk
堊筆
白粉
白鉛粉
Cogia Houssain
苛琪亜
古奇海生
奇生
盗賊の手下
一目瞭然だろう。周作人の漢訳は、商務印書館の「説部叢書」および「怪石
洞」の両者からかけはなれている 。「侠女奴」は、自然に本稿の考察の対象から
はずれる。
商務印書館の2種類は、固有名詞の漢訳についていえば、同一だといっていい。
「怪石洞」は、アリ・ババについては「説部叢書」の愛里巴柏を冒頭2字だけ
使用する。同じ2字でも、モルギアナ瑪奇亜那は、あたまの1字を同音の別漢字
におきかえただけ。ムスタファ黙世徳法は、うしろの2字のみを使う。おもしろ
いのは、コギア・フゥサインだ。盗賊の首領がアリ・ババの息子にちかづく時に
使った変名である 。「説部叢書」で原語に忠実な古奇海生を、2字だけ選んで奇
生と省略した。いかにも中国人らしいやりかただ。
アリ・ババの息子は、本来は名前なしで登場している。それに「亜拉」と命名
したのは、編訳者高真長の判断だろう。盗賊の手下にありもしない「怜悧」を名
前としたのも 、「怜悧」な手下という意味をもたせたかった、と考える。
固有名詞の漢訳から 、「怪石洞」は 、「説部叢書」本をもとにして改編された
のだろうという推測が成り立つ。
266
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
物語は、ほぼ「説部叢書」のままをなぞりながら、こまかな描写を省略してい
く。筋だけを追うのであれば、さしつかえはなさそうだ。6枚の挿絵も、1枚を
除いて (後述) 原文をそのまま反映しているといえる。
しかし、表紙が奇妙だ。カゴのようなものが積み上げられた倉庫がある。その
ドアをあけ、西洋の服装をした女性が、手にポット様の容器を持って入ろうとし
ている *5。外にはロバが群れている。これは、なにか。洞穴ではない。かりに洞
穴のつもりだとしても、洞穴に女性が入っていく場面など、物語のどこにも存在
しない。
あとでのべる「能言鳥」と「如意燈」の表紙が、物語の内容をほぼそのまま描
いているのに比較すれば、この「怪石洞」の異なる様子がきわだつのである。
それより、もっと奇妙な部分が本文にある。書き換えなのだ。
アリ・ババ物語の名場面といえば、モルギアナが短刀を握って踊る場面もその
ひとつだろう。
物語の最終部分にでてくる、いわば最高潮だ。
客人をもてなすためにモルギアナが踊る。モルギアナは、舞いながら客人を刺
し殺す。なんということをしたのだ、と驚くアリ・ババ親子に、その客が盗賊の
首領であることを説明する。モルギアナよ、よくやってくれた、という話の運び
になる。
音楽と踊りを背景にアリ・ババ一族の命運がかかっている瞬間だ。しかも、ア
リ・ババ本人は、その重要さに気づいていない。モルギアナだけが、事実を知っ
て危機を自分の才覚で乗り切ろうとしている。危機感が伝わってくる。読者が、
はらはらドキドキしながら読む、あるいは耳をそばだてる場面にちがいない。
ところが、編者高真長は、それをどう改変したか。
奇妙のひとことにつきる。
「怪石洞」は、この踊りの場面を削除した。
削除してどうしたか。踊りも舞わず、殺しもせず、盗賊との話しあいになるの
だ。話しあいだから、それに添えられた挿絵は、テーブルクロスの掛かった机に
アリ・ババ、モルギアナ、息子らに対面して首領が椅子にすわった図になってい
る。例のモルギアナが踊る場面は、ない。
267
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
コギア・フゥサインと名乗ってはいるが、それが盗賊の首領であると見破った
モルギアナだった。
彼女は、事実をアリ・ババに告げる。対処のしかたを聞かれたモルギアナは、
ひとつの提案をする。
「恨みは解かなければなりません。いだいてはならないのです。私たちは、結
局のところ彼から利益を得ているのですから、私の考えでは、彼と交渉するのが
いいでしょう。こうおっしゃるのです。あなたのあの財物は、どのみち道にはず
れるものです。今、私の手を借りてこの土地で有益な事をなさるのがよろしいで
しょう。今から足を洗って真人間になるのです。そうすれば双方ともにつごうが
いいでしょう、と」
驚いたことに、盗賊を相手に説教をしようというのである。
これが、モルギアナがアリ・ババに勧めたことだった。
そうすると、どうなったか。
盗賊の首領は、アリ・ババの言葉にしたがい心をいれかえ、洞穴の財宝をすべ
てアリ・ババにわたした。それで多くの工場を建築し、多くの学校を開設して無
数の貧乏人に教育をほどこし、ペルシア国内で恩恵を受けなかったところはなか
った。
これでふたたび驚くことになる。
盗賊の首領は殺されず、改心して好い人間になった。これでは、まるでアラビ
アン・ナイトらしくない。工場、学校が、突然、出現するのも、物語の本来の時
代を無視している。
奥付には、首領も殺されて「 40人がひとりの奴隷に殺された」という英文表題
になっているではないか。明示した題名を裏切る漢訳内容に変化してしまった。
もともとの物語では、盗賊の首領は殺される。用心深いアリ・ババは、その後、
長い間洞穴を訪れることもなく、ほとぼりが冷めたころにようやく財物を取りに
でかけた。息子にだけ洞穴を開け閉めする呪文を教え、一族だけが繁栄した。そ
れが 、「怪石洞」では、書き換えられて本来の「邪悪」な物語の姿がなくなって
しまったのである。
「邪悪」というのは現代の私の感覚でのべただけだ。盗賊の盗品を盗むのは、
268
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
正義である、という論理が通用する社会であれば 、「邪悪」ではなく、正義のア
リ・ババだ。
しかし、編者の高真長は、そうは考えなかったからこそ、書き換えたのではな
いのか。
つまり、盗賊の盗品であっても、それを盗むのは悪である、という点にこだわ
った。
盗賊の首領が助言によって改心することが、中国の児童の啓蒙と教育を考えた
うえでの処置だというのであれば、そもそもアラビアン・ナイトを題材に選ぶこ
と自体が不適当だった。
○第1集第 45編「能言鳥」
漢訳題名の「ものいう鳥」は、原題の一部を示しているだけだ。本来は 、「も
のいう鳥と歌う木と金色の水」という。あるいは 、「妹に嫉妬したふたりの姉」
などと称される。
王様と結婚した妹に嫉妬したふたりの姉が、妹をいじめるのが物語の前半をし
める。妹が生んだ3人の子供は、姉たちによってすぐさま川に流されてしまう。
姉たちがかわりに王様に示したのは、犬、猫、蛇 (英文原作では材木) だった。
役人に拾われて育ったのが、ふたりの王子と王女ひとりである。3人ともに、
自分が王様の子供であることを知らない。苦難のすえに入手した「ものいう鳥と
歌う木と金色の水」によって、姉たちのたくらみが暴かれ、子供たちは王様のも
とでしあわせに暮らした。これが物語の後半になる。
自分がどこから来たのか、出生の秘密を発見する話に宝探しが組み合わさって
いる。
表題にも使われている「ものいう鳥」は、文字通り人間のことばをしゃべる鳥
だ 。「歌う木」は音楽を奏でる 。「金色の水」は水源もないのに噴水をあげつづ
ける。鳥は知恵を、木は快楽を、水は永遠の生命をそれぞれが象徴している、な
どと解説することも可能になる。それよりも、命がけで入手した、ただ珍しい品
物というだけの理解でもかまわない。
漢訳には、人名がでてこない。原作にある前半の宝探し部分が削除される。す
269
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
なわち 、「ものいう鳥 (能言鳥) と歌う木 (自鳴樹) と金色の水 (金色水)」を手に入
れるためにふたりの王子は失敗して石に変身させられ、王女がようやく成功する
という重要箇所だ。漢訳では、小冊子にまとめるためのしかたのない処理だった
のだろう。冒険部分をもりこめば、2分冊にせざるをえない。
冒険をしないから、ものいう鳥は、はじめから王子たちの家にいることになっ
ている。
表紙に描かれた、右の木の枝にくくりつけられたカゴの鳥がそれだ。ここは王
子王女の家の中だ。左右の王子と手前の王女に、王冠をかぶったヒゲの男性が本
当の父親ということになる。それを知らない子供たちが、王様を自宅に招待し、
机の上に真珠をつめた胡瓜料理を出しているところまで物語に忠実だ。ただし、
窓とカーテン、あるいは板敷きの床の描き方、人物の服装、調度品などアラブ風
ではないところに、やや違和感を感じる。昼間であるのにローソクをともしてい
るのが奇妙だ。
ものいう鳥の存在があまりに唐突だから、編訳者が注釈を文中につけ加える。
「もともとアラブの国には、鳥語に通じている人が多い。我が国には公冶長ひ
とりしかいないのとはくらべものになりません。難しい事があればなんでも鳥に
解決してもらうのです」
孫毓修の苦しい説明である。鳥語に通じている人が多い、ということであれば、
王子たちの家にいる鳥は、特別の鳥でなくてもかまわない。この物語が不思議な
のは、人の言葉を話す鳥だからだ。それゆえ表題になっている。鳥が事の真相を
知っていて、人間に説明するから物語が成立している。それを、人間の方に鳥語
を理解するものが多い、ということになれば、物知りの鳥でなくてもよくなる。
編訳者の説明は、命をかけて捕獲しにいったほどの「ものいう鳥」でなくてもい
いことに、結果として、してしまった。これでは、物語全体の構成がガタガタに
なってしまう。だいいち、人間のほうが鳥語を理解してしまっては、表題の「も
のいう鳥」にならないではないか。孫毓修は、勘違いしたのではなかろうか。に
もかかわらず、5版を重ねている。誰も気づかなかったらしい。
歌う木と金色の水が省略されたのも、紙幅の関係であろう。
物語のいくつかを省略するにしても、つじつまのあわせかたが厳密には行なわ
270
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
れていないといわざるをえない。改変によって物語としての統一がなくなってし
まった。
奚若は同題名で、内容の省略なしで漢訳している 。「童話」本が奚若訳を底本
としていてもおかしくはない。
○第1集第 60、 61編「如意燈」上下
「如意」とは、願いどおりになる、思いのままになる、という意味だ。願いを
かなえてくれるランプという漢訳を孫毓修は採用した。奚若が漢訳して「神燈記
(不思議なランプ)」と、にているようで少し異なる。
物語の冒頭部分を、英文原作 、「説部叢書 」、「如意燈」で比較対照してみよう。
どれくらい変化するものかみものである。
英文原作は、フォースター Edward Forster, M. A. 版 “THE ARABIAN NIGHTS.”(ロ
ンドンのミラー社 William Miller 第3版、1810年発行。皮革装小型本4冊) を使用する。
【フォースター】 IN the capital of one of the richest and most extensive
kingdoms of China*6, the name of which does not at this moment occur, there
lived a tailor, whose name was Mustafa, and who had no other distinction than
that of his trade. This tailor was very poor, as the profits of his trade barely
produced enough for himself, his wife, and one son, with whom God had blessed
him, to subsist upon.
中国の、もっとも豊かで広大な王国の都、今、その名前が浮かんできませ
んが、その都にムスタファという仕立屋が住んでいました。その仕事よりほ
かになんの特徴もありません。貧しく、その収入では彼自身と妻、および神
のご加護によるひとり息子を養うのがやっとでした。
アラジンと不思議なランプといえば、アラビアン・ナイトを代表する作品のひ
とつである。小さいときから聞かされてきた物語だ。
ガランのフランス語訳にのみ見えていて、ほかの版本には収録されていないと
いう。ガラン訳をもとにして英訳が世界中に流布していったことになる。
271
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
あれほどアラビアを代表するように思われているその舞台は、実は中国なので
ある。これは、意外でもありまた奇異に感じるところだろう。
多くの版本が、辮髪をたらした中国人たちを描いた挿絵をかかげている。
周作人が南京で学生生活を送っていた時、アラビアン・ナイトの漢訳をおもい
たった。アラジンにするかアリ・ババかと迷ったが、最終的にアリ・ババを選ん
だのには理由があった。挿絵の辮髪を嫌って不思議なランプを漢訳の対象からは
ずしたのである。ゆえに、漢訳「侠女奴」がある。
ただし 、「如意燈」の表紙を見てわかるように、アラジンは、トルコ風の帽子
をかぶった西洋の少年である。アラジンを、トルコ風に描く挿絵は、英訳版本に
もある。
Mustafa's son, whose name was Aladdin, had been brought up in a very
negligent manner, and had been left so much to himself, that he had contracted
the most vicious habits of idleness and mischief, and had no reverence for the
commands of his father or mother. Before he had passed the yeas of childhood,
his parents could no longer keep him in the house. He generally went out early in
the morning, and spent the whole day in playing in the public streets with other
boys, about the same age, who were as idle as himself.
ムスタファの息子はアラジンといいました。怠慢に満ちて育ち、怠惰とわ
るさというもっとも不道徳な習慣に染まってしまい、父母のいいつけを尊敬
もしません。子供時代に、両親は彼を家にいさせることができず、朝はやく
から一日中、通りで同じように怠惰な同い年の仲間といっしょに遊んですご
したのでした。
英文原作を長く引用するつもりは、私には少しもない。しかし、漢訳を区切り
のいいところまで示すためには、英文が長くなってしまうのだ。やむをえない。
それにしてもアラジンの生い立ちが怠惰にまみれていたというのは、児童の教
育用材料としては、具合が悪いのではあるまいか。まっとうな職業にもつかず、
努力奮闘することもしない。偶然入手した不思議なランプによって生涯を幸福に
272
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
暮らしたというのでは、あまり生産的ではないようにも思うが、いかがか。
先をいそぎすぎたようだ。アラジンのろくでもない生い立ちを説明して、もう
すこし、英文原作がつづく。
Arrived at an age when he was old enough to learn a trade, his father, who was
unable to have him taught any other than that he himself followed, took him to his
shop, and began to show him how he should use his needle. But neither kindness
nor the fear of punishment was able to restrain his volatile and restless
disposition; nor could his fater, by any method, make him satisfied with what he
was about. No sooner was Mustafa's back turned, than Aladdin was off, and
returned no more during the whole day. His father continually chastised him, yet
still Aladdin remained incorrigible; and Mustafa, to his great sorrow, was obliged
to abandon him to his idle, vagabond kind of life. This conduct of his son gave him
great pain, and the vexation of not being able to induce him to pursue a proper
and reputable course of life, brought on so obstinate and fatal a disease, that at the
end of a few months it put an end to his existence.
仕事をおぼえるのに十分な年齢になると、自分がやってきたこと以外に教
えることのできない父親は、息子を自分の店につれていき針の使い方を見せ
はじめたのでした。ですが、息子の移り気と落ち着きのなさという性質を抑
え込むのには、優しさも、脅しもなんの役にもたたなかったのです。どのよ
うな方法をもってしても、父親の満足いくようにすることはできません。ム
スタファが背中をむけるやいなや、アラジンは逃げだしてしまい、一日中も
どってきません。父は、彼をたえず叱りつけましたが、アラジンはあいかわ
らず手に負えないままでした。ムスタファは、大きな悲しみを抱いて、息子
の怠惰、いわば人生の無頼漢でいるのをあきらめるほかなかったのです。息
子の品行は、人生のきちんとして立派な道を求めることができないのですか
ら、父に大きな苦痛と悩みとをもたらし、治癒不能で致命的な病気を生じさ
せて、数ヵ月で死んでしまいました。
273
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
アラジンの品行の悪さが、ことこまかに描写される。それが父親を死においや
ったというのだ。物語として、中国の児童には提供することがためらわれてもい
い種類のものではないのか。
ここまでの内容を、漢訳では、どのように述べているだろうか。
言ってしまえば、まことに簡潔に圧縮している。ご覧いただきたい。
「説部叢書」と「如意燈」の順に冒頭部分を示す。
【説部叢書】支那都極東。最富饒。有縫人黙世徳法者。家於都。素貧窶。所
入不能周妻子。子曰愛拉亭。愚頑不受教。日遊衢市。与群児戯。稍長。黙世
徳法携之入肆。習其業。而性惰且拗。不任労。恒曠日以嬉。雖厳督之。不顧
也。黙世徳法忿而成疾。旋卒。
シナの都は、東のかなたにありとても豊かでありました。そこにムスタフ
ァという仕立屋がおり、都に住んではいましたがその収入で妻子を養うこと
ができないほどに貧乏でした。息子はアラジンといいます。愚昧で頑固、人
のいうことなど聞こうとはしません。街をうろつき、仲間と遊んでおりまし
た。成長してのち、ムスタファは店で仕事を習わせたのですが、性格が怠惰
で傲慢でしたから、苦労にはたえきれず、いつもさぼっていたのです。いく
ら厳しく監督しても、気にかけようとはしません。ムスタファは怒りのあま
り病気になり、まもなく死んでしまいました。
アラジンの怠惰な性格もよくわかるように漢訳していることが理解できる。英
文原作に見えるあれだけの長さの描写を、ここまで圧縮することができるのは、
編訳者にその力量があるという証拠となる。
「東のかなた (極東)」は、奚若がつけくわえたのだろう。
これが孫毓修の手にかかると、さらに一段と簡略化される。
【如意燈】古時。中国極西。有一大城。城中有一裁縫。靠著手藝。養活妻子。
子名亜拉亭。裁縫年老。指望児子成立。有了幇手。自己省得操心。那知亜拉
亭性好遊蕩。不務正業。裁縫又気又急。湊著時症。就送了命。
274
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
昔、中国の西のかなたに大きな都がありました。都にひとりの仕立屋がお
り、その腕前によって妻子をやしなっていたのです。その子はアラジンとい
いました。仕立屋は年をとっておりましたから、息子が独り立ちし、片腕に
なって心配しなくてよくなるようにと望んでおりました。ところが、アラジ
ンは遊び好きで、正業にはげむつもりはありませんでしたから、仕立屋は腹
を立てるし気はせくしで、おまけに流行病にかかって、とうとう命を失った
のです。
ムスタファという名前がここでは出てこない (すこし後の部分に、「黙大発」となっ
ている。
「説部叢書」の黙世徳法とは違う漢訳のしかただ *7)。
ここでは中国の「西のかなた (極西)」に方角を変える。中国であれば、西のか
なたの方が物語の舞台としてはより適切だと考えたのか。
ただし、物語の場所が中国であると冒頭に説明していながら、それに添えられ
た挿絵のすべては、中国ではない。前述の表紙に見えるのはトルコ風のアラジン
である。また、そのほかの登場人物は、アラビア風の服装をしていたり、西洋風
の町並みが描かれていたり、中国を感じさせる事物は皆無である。編訳者は、話
の舞台が中国ではないかのように思っているらしい。矛盾である。
それにしても、英文原作が長々と説明した部分が、上のような簡潔な漢訳にな
る。その省略化の腕前は、なかなかのものだと重ねていう。
アラジンは、遊んでいるときに、アフリカの魔法使いに目をつけられる。自分
の欲望を実現するためにアラジンが利用できると判断したのだ。
「如意燈」では、アフリカの魔法使いというのを、孫毓修自身が文中に出てき
て説明する。
「みなさん (看官)、その人ははたしてアラジンの叔父さんだと思いますか。私
が本当のことを言いますと、その人はアフリカからやってきた魔法使いなのです。
ムスタファには、どうしてこのような弟がいましょうか。今、彼が親族だといつ
わっており、アラジンによいことがありそうですが、みなさん、あわてなさるな。
のちのお楽しみ」
編者が作中にしゃしゃり出てきて解説をするのは、まるで旧小説のようだ。新
275
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
しいかたちの「童話」シリーズだと思うのだが、孫毓修の意識は、かなり古い。
叔父だとだましてアラジンを連れだした魔法使いは、歩き疲れるほどの遠くの
場所で、火をたいて呪文をとなえる。大地がわれて洞穴の扉が姿を現わす。アラ
ジンが開ける。奥まで続いているようだ。ランプに灯がともっているから、それ
を消し、油を抜いて持ってこい。これがアラジンに魔法使いが命じたことだった。
ランプを手に入れたアラジンは、帰る途中で石でできた果物の美しさに見せら
れていくつもとった。
漢訳では、木から果物をもぎ取る様子を描いた挿絵をかかげている。しかし、
洞窟のなかであるのに、普通の庭園のように描いている。編者と絵師の連絡がう
まくいっていないことを暴露しているとしかいいようがない。
魔法使いが待っている。まずランプをわたせ、いや、自分が出るのが先だ、と
言い争いになる。
ここでもまた孫毓修が出てきてランプの説明をはじめるのである。
「みなさん、このランプは普通のものではないことを知らなくてはなりません。
願いをかなえてくれるランプ「如意燈」というのです。この世でもっとも不思議
な品物で、それを手に入れた人は、お宝のたまる鉢「聚宝盆 」、金のなる木「揺
銭樹」よりももっと役に立つのです。……」
中国人の児童には 、「聚宝盆 」「揺銭樹」を例にだしたほうが理解しやすいと
いう判断だったのだろう。
ランプを手渡そうとしないアラジンに腹を立てた魔法使いは、呪文をとなえて
洞穴の扉を閉めてしまった。
アラジンは、地下に閉じこめられる。
「さてこれが「如意燈」の始まりの歴史であります。彼はどのようにアラジン
を救出するのでしょうか。どのように彼の不思議な力を発揮するでありましょう
か。まことに1冊では書き切れません。なにとぞ「如意燈」下冊をご覧くださ
い」
上冊をこう締めくくれば、まことに旧小説のままなのである。
下冊の冒頭に、またしても孫毓修が出てきて説明を始める。
これが、長い。
276
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
母親、アラジン(中央)
ランプの奴隷(右)
アラジンがランプを手渡さないものだから、魔法使いは怒ってアラジンを地中
にとじこめた。なぜ、魔法使い自身がランプを取りにいかなかったのかと質問さ
れるかもしれない、とはじめる。
「編集者としての私は、もともとが魔法使いではありませんから、みなさん方
の質問に答えることはできません。しかし、本書に書いてあることによりますと、
魔法には多くのタブーがあり、ニセ叔父が不思議なランプを取り出すには、自分
で手を出してはよくないことがあるにちがいないのです。……」
魔法使いは、アラジンからランプを手に入れたあとは、アラジンを地中に埋め
るつもりだった、という推測までの述べている。
描写を省略したから、編集者による説明をつけくわえることが必要だという考
えなのだ。親切といえば親切だといえよう。だが、重ねられた描写をたどること
により、説明されていない部分を読者が推理する楽しみがある。それこそが読書
の喜びではないのか。孫毓修は、その快楽を読者から奪っている、ということも
277
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
可能だ。
地中に閉じこめられたアラジンは、洞穴に入る前に魔法使いからもらった指輪
の力で、無事、自宅にもどることができた。
ランプを売って食料を買うことにし、母親はよごれをきれいに落とそうとこす
る。出てきたのがランプの奴隷である。
孫毓修がよった原本には、ランプの奴隷を描いた挿絵はついていなかったのだ
ろうか。普通に見られる挿絵ではないからだ。つまり、一見していかにも魔物で
ある、という感じがしない。
ここにかかげられた挿絵には、ランプの奴隷はそこらにいる一般の成人男性に
しか見えない。羽根飾りのようなものがついた帽子をかぶっている。ヒゲをはや
し、長上着を身にまとって、裸足だ。漢訳では、醜悪な顔つきをして雷のような
声の「怪人」としか説明していない。この説明では、人間の姿をした怪人を描い
たとしてもしかたがないともいえる。
母親は倒れて右手をあげて驚きの表情を浮かべている。アラジンも腰をぬかし、
かたわらにはランプがころがる。窓の外には植木が見え、この空間だけがアラビ
ア風ではない。舞台が中国なのだから、外の風景は中国だ、といったところで、
それは説得力をもたない。登場人物のすべてが西洋人である矛盾を説明できはし
ない。
食事を取り出させるためにだけランプの奴隷を使っていたアラジンだった。
ある日、アラジンは、街でみかけた王女を好きになる。母親に宮殿にいって求
婚してくるようにたのむ。その時に持たせたのが、あの洞穴からとってきた宝石
の果物である。
王様は、すでに王女を大臣の息子と結婚させる約束をしていたにもかかわらず、
宝石に目がくらんだ。3ヵ月待つように命じる。
その3ヵ月の間に、実際は王女と大臣の息子は結婚式をあげている。しかし、
アラジンに命じられたランプの奴隷は、結婚式の夜、王女たちふたりを運び出し
てじゃまをするのだ。それをくりかえし、すっかり恐怖にかられたふたりは結婚
を中止するのだが、孫毓修の漢訳ではこの部分すべてを削除してしまう。そのま
ま3ヵ月後にふたたび母親が宮殿を訪問する場面につづく。
278
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
王様が母親に要求したというのが、 40の大きな金の盆に宝石を山盛りにし、 40
名の黒人奴隷と 40名の白人奴隷をきれいに着飾らせろというものだった。
「如意燈」下冊の表紙絵が、この風景を描いている。黒人奴隷たちが頭に盆を
のせ、行進している。盆には宝石が満載されているのがわかる。原文では金の盆
だが、表紙では赤色で塗られている。先頭の盆には赤い珊瑚が描かれているから
宝石だと見当がつく。ただ、画面の左は水色に塗られているから、川辺か海辺な
のだろう。なぜ、水辺の風景でなければならないのか、理解に苦しむ。
王様の要求を実現したから、アラジンは王女との結婚を許された。ふたりで住
む豪華な宮殿をただちに新築する。ランプの奴隷に命じて造らせたのはいうまで
もない。
うわさが例のニセ叔父の耳にとどいた。不思議なランプをどうにかして奪おう
と考えをめぐらせる。
アラジンが宮殿を留守にしている間に、ニセ叔父は、古いランプをタダで新し
いものに交換すると呼ばわり、アラジンの宮殿から不思議なランプを入手するこ
とに成功した。
アラジンの新宮殿は、王女ごと影も形もなくなる。消失してしまった。アフリ
カに移されたのである。
アラジンは、王様に 40日の猶予をもらい王女をさがすことにした。
さがし疲れて川に身を投げて死のうとしたとき、指輪に気がついた。当然のよ
うに指輪の奴隷に宮殿と王女を取り戻すように命じる。しかし、これほどの大仕
事は、不思議なランプでなくてはできない、せいぜいが王女のところに連れてい
くくらいだ、というのでそうなる。
アラジンが購入した薬を酒に混ぜ込み、ニセ叔父に飲ませる。意識を失ったす
きに懐にいれて持ち歩いていた不思議なランプを取り戻す。ランプの奴隷を呼び
だし、宮殿をもとの場所に移すように命じた。
孫毓修の漢訳は、まるで断ち切ったようにここで終わる。
本来はあるはずの、王様と王女の感激の再会、一部始終の説明、王女たちが無
事帰還したことにたいする国中のお祝いも、すべて省略される。
私が子供のころに聞いた「アラジンと不思議なランプ」は、ここで物語が終了
279
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
する。
めでたしめでたしで終わってどこが不足か、と言われるかもしれない。だが、
それ以後も話が続いている。思いもしないことだ。
ニセ叔父、すなわちアフリカの魔法使いには弟がいて、兄よりも極悪であった
というのだ。アラジンは、兄の仇を討とうという弟のたくらみをうち砕き、逆に
殺して難を逃れる。これがフォースター版である。
奚若訳「神燈記」は、アフリカの魔法使いの弟についても省略することなく、
そのまま漢訳していることを指摘しておきたい。
「童話」シリーズに収録されたアラビアン・ナイトは、普通によく知られた物
語であるといえる。
4
いくつかの疑問
ただし、それらの内容を個々に吟味すれば、腑に落ちない箇所もある。
アリ・ババが洞穴の秘密を知ったのは、偶然であった。女奴隷のモルギアナの
機転により、盗賊たちを滅ぼして財宝を自分のものにする。盗賊だから殺しても
いい、という社会の掟だろうか。たとえ原作がそうだとしても、それを中国にそ
のまま移植できるだろうか。まっとうな人間のすることではない。
漢訳者が、それに薄々気づいて、最後部分を話し合いで解決するように改変し
た。したけれども、不正義という印象をぬぐうことができない。
アラジンは、子供とはいえ怠け者でどうしようもない遊び人だ。彼が不思議な
ランプを手に入れたのも偶然である。偶然こそが重要だ。努力することなしに、
富と権力を自分のものにする。金持ちになるのが偶然ならば、日頃の地道な精進
などは、ばからしくてしていられないということにならないか。
もうひとつの物語は、嫉妬にかられた姉たちの理不尽な妹いじめである。しか
も、子供たちは、その出身によって最終的に幸福を獲得することになる。
外国の民話として成人が楽しむ分には、なにも差し支えはない。
しかし、児童向けの読み物としては、いかがなものか。
啓蒙だというならば、この社会が、基本的に不合理で不公平であることを教え
280
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
ることが目的である、とでも主張するつもりだろうか。
だから、書き換えていますというか。書き換えが必要なものは、いくら有名で
あろうとも最初から児童用の書籍に収録すべき性質のものではないだろう。
ただし、未見の「橄欖案」は、以上の3作とは違う。裁判もの、それも賢い児
童が関係している。それほど広く知られてはいないかもしれない。だが、これこ
そ児童が読み、聞くにふさわしい。
「童話」シリーズが、児童の啓蒙を目的にして刊行されているとすれば、アラ
ビアン・ナイトならばすべてが児童用として無条件に与えることができると考え
てはならない。
【注】
1)この「童話」シリーズについては、茅盾とのからみで、以前、紹介したことがある。樽本
「茅盾の『童話』
」
『中国文芸研究会会報』第27号1981.4.1
2)孫建江『二十世紀中国児童文学導論』
(南京・江蘇少年児童出版社1995.2)の「第三編児童
文学思潮/第一章世紀初存照:翻訳与改編」に「童話」シリーズについて言及がある。そ
れには、全102種と見える(156頁)
。私のいう101編と、数字が一致しない。
「童話」第3集第2編には、2種類が掲げられている。沈徳鴻(茅盾)訳「十二個月」
(初出未見。鄭振鐸編『鳥獣賽球』上海商務印書館1923.1)および鄭振鐸編『鳥獣賽球』
(上海商務印書館1923.1。未見)だ。
「十二個月」が『鳥獣賽球』に収録されているらしい。
種類のうえでは別物であるから、第3集は5種類となり孫建江のいう102種と数のうえで
は一致することになる。
(2003.10.12追記。鄭振鐸編『鳥獣賽球』を確認した。
「十二個月」
は収録されているが、該書そのものは「童話」シリーズとは関係がない。ゆえに「十二個
月」も「童話」第3集とも関係がないことになる。結局、孫建江のいう数字とは一致しな
い)
3)孫建江『二十世紀中国児童文学導論』157頁
4)孫建江は、沈徳鴻(雁冰)
、孫毓修編訳『金亀 The Tortoise who Talked』
(上海商務印書館
1919.12/1921.9再版 童話1=88)もアラビアン・ナイトものだと書いている(157頁)
。ただ
し、その原作が不明だ。胡従経は、
『晩清児童文学鈎沈』
(上海・少年児童出版社1982.4)
において「
《金亀》系《天方夜譚》中之一則」(232頁)と説明した。孫建江は、ここらあた
りを参照したのかもしれない。蒋風、韓進著『中国児童文学史』(合肥・安徽教育出版社
1998.10)も「童話」に言及する(112-116頁)。
281
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
5)欧米の風俗を反映した挿絵をもつ日本語訳のアラビアン・ナイトについては、杉田英明
「
『アラビアン・ナイト』翻訳事始――明治前期日本への移入とその影響――」
(東京大学
大学院総合文化研究科・教養学部『外国語研究紀要』第4号(1999)2000.3.31)を参照され
たい。
6)ラウトレッジ社1877年版は、the name of which does not at this moment occur を削除する。の
ちの別版では、China が Cathay に置き換えられているものもある。
7)アリ・ババで登場するムスタファは、Mustapha だ。アラジンのムスタファは、Mustafa で
綴りが異なる。ただし同じ発音だから、
「説部叢書」では両者ともに同じ「黙世徳法」を
当てて統一したようだ。
282
「天方夜譚」小考
『清末小説から』第 76号( 2005.1.1)に掲載。英語の題名である “THE
NIGHTS”
ARABIAN
を漢訳して、なぜ「天方夜譚」となるのか。林則徐「四洲志」から魏源「海国
図志」をへて厳復までの文献に「アラビアン・ナイト」の言及をさぐりながら、
「天方夜
譚」が出現するまでを考察する。その過程で、ヒュー・マレー『地理学百科事典』を翻訳
したはずの林則徐「四洲志」が、原文を恣意的に選択して「アラビアン・ナイト」を紹介
していることをはじめて指摘する。小説名を追求していって、まさか、林則徐、魏源にい
たるとは思いもしなかった。しかも、問題が完全には解決していないというのがいささか
不満である。調査を継続する。
はじめてのウイーンなのに、通りのあちこちになつかしい空気を感じる。ホテ
ルを出た左手すぐのシュテファン寺院を目前にすると、嗅覚が刺激されてそう思
う。子供のころの風景がよみがえってきそうな感覚だ。あるはずのない不思議さ
を味わいながらペスト記念柱をあとにしてしばらく歩いてから気がついた。観光
用馬車が落としていった馬糞のニオイが原因だった。興ざめの気持ちで書店に入
る。当地でのアラビアン・ナイトにはどのようなものがあるのか知りたいという
単純な理由からだ。女性店員にたずねると、そんなものは聞いたことがない、と
けんもほろろのお言葉である。子供でも知っているあのアラビアン・ナイトなの
だが。わけのわからぬ対応をされて、なにかおかしいと頭をよぎる。好色本だと
思われたのではないか。私は意外に思う。
漢語に翻訳されたアラビアン・ナイトを調べていて、中国では好色本の扱いは
283
「天方夜譚」小考
されていないとわかっている。その種類の発想からは、もともと無縁の存在なの
である。
それにしても、 “The Arabian Nights' Entertainments” あるいは “The Arabian
Nights” を漢訳して、なぜ「天方夜譚」なのか。
「一千 (零 )一夜」というのならわかる。 “The Thousand and One Nights”、また
は “The Thousand Nights and One Night” を直訳すれば、そうなる。
清末の辞書を見れば Arab
は「亜喇伯人,無家者,亜喇伯馬」である。 “The
Arabian Nights” はそのまま「亜喇伯夜譚」ではないか。
周桂笙が「一千零一夜」と翻訳して次のように説明している。すなわち、書名
はもともと「阿拉伯夜談笑録」であって「一千零一夜」はその俗称である、と *1。
「阿拉伯夜談笑録」は、 “The Arabian Nights' Entertainment” を漢訳してまことに
自然な題名だということができる。
中国で広く知られているのは、奚若訳の『天方夜譚』 (商務印書館 丙午(1906)年四
月/1913.12再版。説部叢書初集第54編) だ。その「序」には 、
「天方夜譚、または一千
一夜という。アラビアの著名な小説である。天方夜譚。亦曰一千一夜。為阿剌伯
著名説部」と解説する。アラビアを阿剌伯と音訳するならば、これを利用して
「阿剌伯夜譚」となってもいい。
あるいは 、「天方」がアラビアの古称だというなら、別の古称「大食」を使っ
て「大食夜譚 」「大食国夜譚」ではいけなかったのか。
アラビアン・ナイトの漢訳が発行される以前、中国の文献は、該作品をどのよ
うに紹介しているのだろうか。今では定着している「天方夜譚」という作品名が
出現するまでの状況をさぐる。
1
林則徐のばあい
中国の著作のなかでアラビアン・ナイトに言及するものに、林則徐の「四洲
志」 *2がある。
「四洲志」といっても文芸評論の著作ではない。地理書だ。世界諸国の実情を
紹介した外国事情案内書である。なぜ、このような地理書にアラビアン・ナイト
284
「天方夜譚」小考
が出てくるかといえば、理由は簡単だ。外国事情の紹介なのだから、文芸方面を
紹介して、そういう作品があるというだけのこと。
とにかく、アラビアン・ナイトの題名だけでも出ていますという程度の記述を
含めて、中国では 、「四洲志」が一番古いらしい *3。
近有小説謂之《一千零一夜 》,詞雖粗俚,亦不能謂之無詩才。
近頃 、「一千零一夜」という小説がある。言葉は粗雑ではあるが、詩の才
能がないということはできない。 21頁
作品名だけで内容の紹介は、ない。だが、たしかにアラビアン・ナイトである。
いうまでもないが、その頃、漢訳はまだなされていない。
欽差大臣に登用された林則徐は、 1839年、アヘン禁止のために広州に到着した。
これが、発端である。彼は、諸外国の実情を知る必要を感じた。外国の事情を知
らなければ、交渉もなにもありはしない。最新の情報を求めた。人員を組織して
新聞、書籍を翻訳させ、外国にくわしい人々から事情聴取をすることにする。そ
の翻訳成果のひとつが 、「四洲志」なのだ 。「……イギリス人慕瑞著の『世界地
理大全』を幕僚に翻訳させ、みずから脚色、編集して『四洲志』が成った」 *4。
ここで幕僚といっているのは、翻訳の仕事に従事した亜孟、袁徳輝、亜林、梁
進徳らを指すのであろう *5。
アジア、アフリカ、ヨーロッパ、および南北アメリカはひとつに数えて4大陸、
すなわち「四大洲」の主要国家を 紹介するとこ ろからその題名になっている。
1841年には、全部の原稿が完成していた。アラビアン・ナイトに関する箇所は、
「阿丹国」に見える。
もとづいた原本は、ヒュー・マレー Hugh Murray
『 地理学百科事典 AN
ENCYCLOPAEDIA OF GEOGRAPHY』 (London, 1834) だ*6。
ただし 、「四洲志」は、原本『地理学百科事典』を直訳したものではないとい
う。随所に林則徐の見解をまじえているのだそうだ。
さきに示したとおり、アラビアン・ナイトを紹介して「言葉は粗雑ではあるが、
詩の才能がないということはできない」という表現があった。言葉は少ないがア
285
「天方夜譚」小考
ラビアン・ナイトについての評価になっている。書き方からして、いかにも、林
則徐の見解のように見える。林則徐が原作についての知識を持っており、彼独自
の評価を下した、と思えなくもない。
事実、アラビアン・ナイトについてのこの記述は林則徐の見解だ、と考える人
がいる 。「四洲志」にアラビアン・ナイトがでてくると指摘した孟昭毅その人で
ある。
孟昭毅は、ガランのフランス語訳、アラビア語原本のカルカッタ版、プーラー
ク版、プルクシュタールのドイツ語訳、バートンの英訳などを列挙し 、「林則徐
のいう「近頃 、「一千零一夜」という小説がある」とはどの版本を指しているの
かわからない」という *7。
これでは、林則徐がフランス語ばかりか各国語に通じていたことになる。あり
えない。
にもかかわらず 、「言葉は粗雑ではあるが、詩の才能がないということはでき
ない」は、林則徐の考えだと断定して孟昭毅は疑わない。当時の知識人が外国の
文献を読むと思うことこそが現実離れしている。それよりも、彼は 、「四洲志」
に英語の元本があったことを知らないらしい。
林則徐の考えかどうかを確かめるためには、このばあい、その拠った原本を見
るのが普通の手順である。
2
マレー『地理学百科事典』
ヒュー・マレーの『地理学百科事典』 *8初版は、2冊本、通しノンブルで 1,567
頁もある。ついでにいうと、 1838年版は、活字をわずかに大きくして、判型も拡
大し、第1冊 597頁、第2冊 592頁、第3冊 624頁 (索引を含む) の合計 1,813頁にの
ぼる大冊だ 。「四洲志」は、原文に大幅な削除と圧縮をくわえて要約しているこ
とがわかる。
百科事典のアラビアに関する記述は、パートⅢ、ブックⅡ、アジアの第3章に
見える (pp.916-927)。
先に示したアラビアン・ナイトが出てくる箇所は、以下のとおりだ(下線は樽本)。
286
「天方夜譚」小考
マレー『地理学百科事典』
3899. The Arabic, akin to the Hebrew and the Persian, ranks among the classic
languages of the East. The distinguished works, however, which have raised it to
this eminence, were produced out of the limits of Arabia, in the splendid
courts founded by the Mahometan conquerors. Yet the spirit which breathes in
them is still to a great extent Arabian. The perpetual movements among this
multitude of little tribes, their wanderings, their feuds, their wars, the comparative
estimation of the female sex, have generated a spirit of romance and adventure
affording scope for the imagination. The tale, in listening to which the Asiatic, as
he reclines at ease in the coffee-house, finds his most refined and animating
amusement, seems to be the form of composition carried by their writers to the
greatest perfection. The stories, indeed, so celebrated under the name of the
287
「天方夜譚」小考
288
「天方夜譚」小考
Thousand and one nights, were produced at Bagdad, under the brilliant reign of
Haroun Alraschid. That work has, however, a basis of Arabian ideas mingled with
those inspired by a splendid and mercantile capital. The romance of Antar ,
lately introduced to the English public, was produced within Arabia itself; and,
though of ruder construction, and less suited to the general taste of mankind, is
by no means destitute of poetical merit. The Arabians have still poets, who
celebrate the exploits of their sheiks; but none of these can dispute the palm with
the ancient bards of the nation. ……
アラビア語は、ヘブライ語、ペルシア語と同種であり、東方の伝統言語に
分類される。しかし、この言語を高みに押し上げた顕著な作品は、アラビア
の境界外、すなわちマホメット教の征服者によって建設された華麗な王宮に
おいて作成された。もっとも、それらのなかに息づいている精神は、大部分
のアラビア人のなかに、まだ存在している。小部族のこの人々に共通する絶
え間のない活動、すなわち彼らの放浪、抗争、戦争、また女性についての比
較推定は、空想の領域を押し広げながら恋愛と冒険の精神を生み出した。喫
茶店でくつろいで横になったアラビア人が、もっとも洗練され生き生きとし
た楽しみだと考えて聞き入っている物語は、それらの作者たちによって偉大
な完成に到達した組み合わせ形式のように思われる。もちろん 、「千一夜物
語」の名前で有名な物語は、バグダッドで、ハルゥン・アル・ラシッドの素
晴らしい統治時期に制作された。しかしながらその作品は、輝かしくしかも
商業的な資本によって発生したものとない交ぜになったアラビア人の発想の
原理を維持している 。「アンタル物語」の恋愛は、近頃、イギリスの人々に
紹介されたが、アラビアの内部で制作された。構成がやや粗雑であり、人々
の一般的好みにはいささか適さないとはいえ、詩的長所がとぼしいというわ
けでは決してない。アラビア人にも彼らの族長の功績を公表した詩人はいる。
しかし、古代の詩人たちよりも勝るものはひとりもいない。……
p.294
引用部分についていうと、初版と 1838年版とでは、ほとんど同文である。ただ、
3ヵ所が異なっている。冒頭の The Arabic とつづく languages を初版では斜体
289
「天方夜譚」小考
に 組 ん で お り 、 1838年 版 で は 、 普 通 の 書 体 に も ど す 。 ま た 、 初 版 の Haroun
ママ
Alraschid を 1838年版では Haroun al Raschad に書き換えている。
文中にでてくる「アンタル物語」は、ものの本によるとアラビアの民間文学の
ひとつで語り物だという。
引用を見ればわかる。百科事典には、もともとアラビアン・ナイトについての
説明があった 。「四洲志」にある関連の文章は、林則徐の見解を挿入したもので
はない。
では、漢訳の質は、どうだろうか。
「四洲志」の当該部分を下に示す。英文にほどこした下線部分は、漢訳にしめ
した下線とほぼ共通している。要約の程度がどれくらいのものか、一目瞭然であ
ろう。わずか 102文字の漢字に圧縮されている。
阿丹音語与由斯及巴社等相似,其書籍近多散軼。因先日奪得外地建造部
落時,尽将著名書籍先運往貯;及至地失,而書亦遂淪。本国人復又著輯,論
族類,論仇敵,論攻撃,論遊覧,論女人,以至小説等書。近有小説謂之《一
千零一夜 》,詞雖粗俚,亦不能謂之無詩才
アラビア語は、ユダヤ語とペルシア語などに似ている。その書籍は、多く
が散逸してしまった。昔、外地を獲得して部落を建設したとき、著名な書籍
をことごとく運搬して貯蔵した。土地を失うと、それによって書籍も消滅し
た。本国人はふたたび、部族、仇敵、攻撃、遊覧、女人について論じ、小説
などの書を編集著作した。近頃 、「一千零一夜」という小説がある。言葉は
粗雑ではあるが、詩の才能がないということはできない
「四洲志」の翻訳は 、『地理学百科事典』を下敷きにしてはいるが、元本の記
述は原形をほとんどとどめていない。似たような表現がいくつかあるから、かろ
うじて原文の箇所をつきとめることができたくらいだ。
書籍の散逸についての記述は、原文を誤解している。
漢訳で、これはひどいと思うのが、まさにアラビアン・ナイトについての箇所
であるのには驚く。
290
「天方夜譚」小考
英文原作では、アラビアン・ナイトと「アンタル物語」のふたつを例にあげて
いるのがわかるだろう。ところが 、「四洲志」は、アラビアン・ナイトからは書
名だけを抜き出し 、「アンタル物語」からその評価部分だけを取り出して、両者
をむりやり結合させてしまった。アラビアン・ナイトを紹介して、別の作品の評
価をかぶせているのである。不適切な翻訳であることは、いうまでもない。
原文を適当に要約したのは「四洲志」の漢訳担当者なのか、それとも責任者の
林則徐が編集段階で削除したのかはわからない。
どちらにしても、林則徐とその漢訳者たちは、アラビアン・ナイトを読んでい
たわけではなさそうだ。もし、英訳本でも手元にあれば、上に見るような乱暴な
漢訳はしないだろう。だが、当時の中国の知識人には、小説、それも外国の作品
を読む習慣は、基本的になかった (習慣が変化するには、もうすこし時間を必要とす
る)。だいいち、林則徐は外国語ができなかった。だからこそ、外国事情を知る
ために英文資料を漢訳させる必要があったのだ。
結論としていうことができるのは、こうだ。
「四洲志」に見えるアラビアン・ナイトに関する記事は、そのよった『地理百
科事典』の原文を、ねじ曲げて漢訳したものだ。林則徐をはじめとして、作品の
内容を知る人はいなかった。ただし 、「一千零一夜」という書名が出てくる例と
して、最初の文献だということはできる。
「四洲志」の原稿は 1841年には完成していた。だが、中国において広く知られ
るようになるのには、魏源の著作を媒介とする必要があった。
3
魏源のばあい
林則徐は、広東に着任するとアヘン販売、吸飲を厳重に取り締まった。さらに、
外国商人所有のアヘンを没収し、アヘン商人を国外に追放する。イギリス政府は
これに抗議し、 1840年、アヘン戦争がはじまる。林則徐は、戦争を惹起した責任
を問われ、欽差大臣を免職されたうえ、 1841年、イリ追放の処分をうけた。
林則徐は、イリへ行く途上、友人魏源に会い「四洲志」の原稿およびその他の
資料を彼に渡して編集整理を依嘱した。それらの資料を基礎に編纂したのが『海
291
「天方夜譚」小考
国図志』 *9である。
以上のいきさつのとおり、 1841年の「四洲志」は、原稿のままであって単独で
刊行されたことはない。未刊の「四洲志」が著名になったのは、魏源が編集して
のちに刊行する『海国図志』に収録されたからである。
魏源は、該書の序の冒頭において、林則徐「四洲志」をおもな材料のひとつに
したことを明らかにしているのだ。具体的には 、「四洲志」の原稿を『海国図
志』のしかるべき個所に分けて配置した。その箇所には 、「欧羅巴人原撰/侯官
林則徐訳/邵陽魏源重輯」と記されている。このヨーロッパ人というのは、ヒュ
ー・マレーを指すのだろう。林則徐訳とあるが、彼自身が翻訳をしたわけではな
い。翻訳集団の代表者として名前があがっている。
『海国図志』は、 1844年に初版 50巻本が発行された。魏源は、さらに増補しつ
づけて 1847年に 60巻本を、 1852年に 100巻本を編纂刊行した。そこまで巻数が増
加したのは、彼が不断に材料を追加していった結果であるのはいうまでもない。
ただし、中国の古い記録を選択収録して紙幅が増えただけで、世界情勢を知るう
えでは役に立たなかったという批判がある。
それはそれとして 、「四洲志」は 、『海国図志』の普及によって広く知られる
ようになった。
幕末日本において 、『海国図志』は、一時期、海外事情の知識を得る書物のひ
とつとして珍重されたこと、部分復刻して大いに読まれたことは周知のことだ *10。
アラビアン・ナイトが出てくる「阿丹国」は 、『海国図志』巻二十四「西南
洋」の冒頭にある。
ここに引用された「阿丹国」は、いま手元にある『四洲志』とほぼ同文である。
ごくわずかに字句の異同があるのは 、「四洲志」を収録した「小方壷斎輿地叢
鈔」による省略とか誤記によるものなのだろう 。「四洲志」のもとの姿は、原稿
を取り込んだ『海国図志』に見ることができると考えるよりほかない。
魏源が『海国図志』で補った資料は「阿丹国」についていうと 、『万国地理全
図集 』、『地球図説 』、『地理備考 』、『外国志略』などだ。さらに 、「西印度西阿丹
国沿革」を別に章立てしていて、各種資料のなかには「天方」という名称が頻繁
にでてくる。そればかりか、巻二十五では 、「各国回教総考 」、「天方教考上 」、
292
「天方夜譚」小考
「天方教考下」を編集しており、その増補の様子もうかがうことができる。
「四洲志」でアラビアン・ナイトを紹介した箇所は 、『海国図志』にも、同じ
字句でたしかに存在する (773頁)。
『海国図志』の発行年、すなわち 1844年から 1847年、 1852年にわたって、初版
より増補のたびに同一の文面が登場した。文章を修正したあとがない。訂正しよ
うにも、魏源は、アラビアン・ナイトについて、なんの知識も持たなかったとい
うのが事実であろう。
こうして 、『海国図志』の普及にともなって、漢訳名の「一千零一夜」だけが 、
中国の知識人に知られていった。作品内容の紹介もない。ましてや、漢訳がされ
ることもなかった。ここからは、漢訳題名の「天方夜譚」が出てくる余地がない。
書名の「一千零一夜」のみが知られていたという状態は、魏源の『海国図志』
初版が出た 1844年から厳復の訳書『穆勒名学』が出現する 1903年まで、約 60年間
にわたってつづいた。
4
厳復のばあい
厳復がアラビアン・ナイトに言及するのは、ジョン・スチュアート・ミル
JOHN STUART MILL の『論理学体系』 (“A SYSTEM OF LOGIC, RATIOCINATIVE AND
INDUCTIVE”1843*11) の漢訳においてである。書 名 を 翻 訳 し て 『 穆 勒 名学』 *12と
いう。
「穆勒」はミルの音訳だ 。「名学」は、 logic を意訳したもの。日本語になおせ
ば、『ミル論理学』となる。
『名学』だけでも書名として十分成り立つ。著者名の穆勒を織り込んだのはな
ぜか。おなじ論理学の著作で、日本語から重訳した『名学』 (東京日新叢編社1902.5。
未見) があるらしい *13。これと区別するためかもしれない。
英文原作 (巻名に日本語訳をつけておく) と厳復の漢訳部分を対照すると以下のよ
うになる。
英文原作
/厳復漢訳
293
「天方夜譚」小考
INTRODUCTION.(序) §1-7
/部首
第 1-7節
BOOK Ⅰ . OF NAMES AND PROPOSITIONS.(名称論と命題論) 1-8
/部甲
篇1-8(←第1部第2章第5節)
BOOK Ⅱ . OF REASONING.(推理論) 1-7
BOOK Ⅲ . OF INDUCTION.(帰納法) 1-25
/部乙
/部丙
篇 1-7
篇 1-13
BOOK Ⅳ . OF OPERATIONS SUBSIDIARY TO INDUCTION.(帰納を補助する操
作) 1-8
BOOK Ⅴ . ON FALLACIES.(虚偽論) 1-7
BOOK Ⅵ . ON THE LOGIC OF THE MORAL SCIENCES.(人倫科学の論理学)
1-12
厳復が漢訳したのは、原本の約半分である。
アラビアン・ナイトが厳復の翻訳に見えるといっても、事情は、すこし複雑で
ある。なぜなら、その出版時期と中国におけるアラビアン・ナイト漢訳の公表が
微妙に重なるからだ。厳復は、中国で公表された漢訳アラビアン・ナイトを目に
しているかどうか。翻訳の過程を、こまかく追跡する必要がでてくる。
上の対照表で「←」に示しておいた第1部第2章第5節に問題のアラビアン・
ナイトが登場する。これを念頭において、厳復の翻訳過程を見てみよう *14。
厳復がミルの『論理学体系』を翻訳してほしいと依頼を受けたのは、 1900年秋
のことだった。依頼者は、金粟斎訳書局の蒯光典である (孫151頁)。
1901年9月 18日 (八月六日) 付張元済あての手紙で 、「名学」部甲を翻訳しおえ
たと報告している (孫166頁。『厳復集』第3冊544頁)。
1902年3月 (二月 )、「穆勒名学」前半部を翻訳しおわる (孫176頁)。
1903年2月
『穆勒名学』部甲が南京の金粟斎より木刻で出版された (孫196頁。
皮236頁では2月、皮341頁では1月とする)。
1901年には、問題の「名学」部甲を翻訳しおわっていることに注目しておきた
い。
さて、ミルの『論理学体系』第1巻第2章第5節である。問題の箇所は、以下
のように書かれている。
294
「天方夜譚」小考
If, like the robber in the Arabian Nights, we make a mark with chalk upon a
house to enable us to know it again, the mark has a purpose, but it has not
properly any meaning. The chalk does not declare anything about the house; it
does not mean, This is such a person's house, or This is a house which contains
booty.
アラビアン・ナイトの盗賊のように、あとで識別できるようにチョークで
家にシルシをつけるとすれば、そのシルシは意図をもってはいるけれど、か
ならずしも適切な意味をもっているわけではない。チョークは、その家につ
いてなにも言明してはいない。これはそのような人間の家である、あるいは、
盗品を収めている家であるとは意味していない。 p.22
「アリ・ババと 40人の盗賊」を例にしているとわかる。広く知られた物語だ。
一般にはそれ以上の説明は、必要ではない。 1840年代のイギリスには、アラビア
ン・ナイトの英訳本が多く出版されていたからだ。
この原文を、厳復は、以下のように翻訳した。
《天方夜譚》者,大食志怪之書也 。[厳復注] 言盗以蜃灰識別居人屋廬。其
所為亦儘識別而已,非蜃灰能言 “是中有可欲者 ”
抑 “此為某富人居 ”,為群
盗利市也。
アラビアン・ナイトは、アラビアの怪異を記した書物である 。[厳復注] 盗
賊がチョークで家を見分けることをのべる。その行為は見分けるだけのこと
で、チョークが「この中に欲しいものがある」あるいは「ここが某金持ちの
家である」といっているわけではなく、盗賊の利益のためだ。 31-32頁
「《 天方夜譚》者,大食志怪之書也」というのは、それだけで厳復の説明をふ
くんでいる。そこを除けば、ほぼ英文に忠実な漢訳になっているということがで
きる。
注目してほしいのは、漢語訳のなかで私が [厳復注] と示した箇所だ。ここに
295
「天方夜譚」小考
は、厳復の手になる注釈がほどこされている。英文には、当然ながら存在してい
ない。
イギリスの読者は、説明ぬきで「アリ・ババと 40人の盗賊」だと理解する。し
かし、中国人読者にとってアラビアン・ナイトそのものが未知の作品だ、という
判断が厳復にはある。だからこその注釈なのだ。
冒頭をもういちどくりかえし、それにつづく [厳復注] の部分を掲げる。
《天方夜譚》者,大食志怪之書也 。(《 天方夜譚》不知何人所著。其書言
安息某国王,以其寵妃与奴私,殺之後,更娶他妃,御一夕,天明輒殺無赦。
以是国中美人幾尽。後其宰相女自言願為王妃,父母涕泣閉距 [拒 ]之,不可,
則為具盛飾進御。夜中鶏既鳴,白王言 [嘗 ]為女弟道一古事未尽,願得畢其説
就死。王許之。為迎其女弟宮中,聴姉復理前語。乃其説既吊詭新奇可喜矣,
且抽繹益長,猝不可罄,則請王賜一夕之命,以褒 [賡 ]続前語。入后転勝,王
甚楽之。如是者至一千有一夜,得不死。其書為各国伝訳,名《一千一夜 》。
《天方夜譚》誠古今絶作也,且其書多議四城 [西域 ]回部制度、風俗、教理、
民情之事,故為通人所重也 。)
アラビアン・ナイトは、アラビアの怪異を記した書物である 。(アラビア
ン・ナイトは誰が書いたのかわからない。西域のある国王は、寵愛する妃が
奴隷と通じたためこれを殺したのち、別の妃をめとって1夜はべらせ、夜が
明ければそのつど殺害してゆるさなかった。そのため国中の美女はほとんど
いなくなった。のち、その大臣の娘が王妃になりたいと自ら願いでたため、
父母は泣いて止めたがだめだった。盛大に飾りたててはべる。夜中に鶏が鳴
くと、妹に昔話を語っていてまだ終わっていない、話し終わって死にたいと
王様に告げた。王様がそれを許したので、妹を宮中に迎え、姉が言葉をつい
で話すのを聞くと、その内容は不思議で新奇でおもしろい。ますます長く、
終わりそうもない。そこで王様に命乞いをして語りを続けることにした。ま
すますおもしろく、王様はおおいに楽しんだ。このようにして一千一夜が過
ぎ、死なずにすんだ。その書は各国に翻訳され「一千一夜」という。アラビ
アン・ナイトは、まことに古今の傑作である。その書はよっつの都市のイス
296
「天方夜譚」小考
ラムの制度、風俗、教理、民情を多く記載しているため、通人の重視するも
のとなっている) 31-32頁(孟昭毅は「四城」に注をつけて「アレクサンダ、バグダッ
ド、カイロ、ダマスカス(指亜歴山大城、巴格達、開羅、大馬士革)」という。153頁) *15
「その書は各国に翻訳され「一千一夜」という。アラビアン・ナイトは……」
と文章が区切られているからそのままにした。ただし、蒋瑞藻が収録した文章は、
これとは区切り方が異なっている 。「その書は各国に翻訳され「一千一夜」ある
いは「天方夜譚」という」となる。こちらのようにも理解できる。同じく蒋瑞藻
は 、「四城」ではなく「西域」としているから、その表記だとよっつの都市より
も地域が拡大することになる。
この注釈において厳復が要約してのべているのは、アラビアン・ナイトの物語
の発端から全体の構造についてだ。
厳復がアラビアン・ナイトについて知っていたことは、上の記述から理解でき
る。ただ、アラビアン・ナイトそのものを読んでいたのか、それとも、別の資料
から仕入れた知識なのかは、判別がつかない。
彼が「《 天方夜譚》者,大食志怪之書也」と書いているところを重視したい。
書名であるアラビアン・ナイトを漢訳して「天方夜譚」という漢字を当ててい
る。別に「一千一夜」という書名があるという認識も、厳復にはある。それを、
題名には、あえて「天方夜譚」の方を採用した。
厳復の『穆勒名学』部甲が出版されたのが、 1903年2月であったことを思い出
してほしい。原稿は、 1901年には完成していた。
当時、アラビアン・ナイトの漢訳がどれくらい出ていたかというと、不思議な
ことに、 1903年に集中している。
英穀徳訳、銭楷重訳『航海述奇 』(文明書局 光緒二十九(1903)年。未見) は、単行
本としては早いもののひとつだ。ただし 、「天方夜譚」という名称を使っている
かどうかは、わからない。
周桂笙訳の「一千零一夜」は、物語のはじまりから「漁者」に続いている。は
じめ新聞に連載され、のちに上海周樹奎桂笙戯訳、南開呉沃堯趼人氏編次『新菴
諧訳初編 』(上海・清華書局 光緒二十九(1903)年孟夏(四月)) に収録された。
297
「天方夜譚」小考
初出の新聞連載は 1903年以前のはずだ。だから、漢訳としては、厳復の『穆勒
名学』に先行する。だが、書名は「一千零一夜」なのだ。しかも、彼は注して
「書名はもともと「阿拉伯夜談笑録」であって「一千零一夜」はその俗称であ
る」と書いていた 。「天方夜譚」のかけらも、ここにはない。
おなじく 、「一千一夜」と題するものが 、『大陸報』第 6-10期 (光緒二十九年四月
初十日(1903.5.6)−七月初十日(1903.9.1)) に連載された。
ここまでは 、「一千零一夜」のみが使われている。
「天方夜譚」が登場するのは、雑誌の連載である。
奚若翻訳、金石校訂「三 噶 稜達五幼婦」すなわち、バグダッドの軽子と3人の
女
The History of three Calenders, Sons of Kings, and of five Ladies of Bagdad が 、
『繍像小説』第 11期 (癸卯九月初一日(1903.10.20)) より 、「天方夜譚」という統一題
名のもとに漢訳の連載がはじまった。
『繍像小説』第 11期には、 1903年 10月 20日の発行日が印刷されている。厳復
『穆勒名学』部甲の出版が 1903年2月であるのよりも遅いのだ。
こう見ていくと 、「天方夜譚」という書名は、これら翻訳のどれよりもはやく 、
厳復の訳書に出現していることがわかる。
以上の資料によれば 、「天方夜譚」を最初に使用したのは、厳復であるといっ
ていい。では、彼は「天方夜譚」をどこから持ってきたのか。残念ながら、これ
を証明する文献は、今のところ発見されてはいない。
【注】
1)
『呉趼人全集』第9巻。哈爾濱・北方文藝出版社1998.2。329頁
2)林則徐著、張曼評注『四洲志』(北京・華夏出版社2002.10)を使用する。本書は、
「小方壷
斎輿地叢鈔」再補編に収録されたものを底本にしている。ただし、
「小方壷斎輿地叢鈔」
が「四洲志」を採取した経過については、説明がない。
3)孟昭毅「世界瑰宝《天方夜譚》
」
『絲路駅花――阿拉伯波斯作家与中国文化』銀川・寧夏人
民出版社2002.8。153頁
4)張曼「
《四洲志》評介」
。前出『四洲志』
。1頁
5)鄒振環「12通過《海国図志》影響国人的《四洲志》
」
『影響中国近代社会的一百種訳作』北
京・中国対外翻訳出版公司1996.1。40頁。張曼「
《四洲志》評介」
。前出『四洲志』
。5頁
298
「天方夜譚」小考
6)本稿を準備しているとき、
「四洲志」の原本について別の書籍を示す文章を、偶然、読んだ。
八木正自「幕末日本人の海外知識/『海国図志』と横井小楠を中心に①」(『日本古書通
信』第69巻第7号(通巻900号)2004.7.15。26頁)である。次のように書いてある。「……
『四洲志』は、米国公理会最初の中国派遣伝道師ブリッジメン(E. C. Bridgman 裨治文)
の著した『聯邦志略』が原本。ブリッジメンは、 1830年に広東に着任し、月刊 “The
Chinese Repository” (1832-)を刊行、新訳聖書の漢訳完成にも参画し、大きな業績を残した
宣教師でした」
。英文綴りを見ればブリッジマンだとわかる。日本で翻刻した版本に箕作
阮甫が「ブリヂメン」と読みをつけているのをそのまま使用したらしい。
(以下の記述は、
いくつかの著作を参考にした。文献名は、この注の最後に掲げる)
ブリッジマン(Elijah Coleman Bridgman, 1801-1861)は、中国の知識人むけにアメリカ合
衆国の政治、経済、文化を紹介する著作を書いた。それが『美理哥合省国志略』である。
高理文 Coleman 名を使用。英語書名は、“A Brief Geographical History of the United States of
America”、一説に “Brief account of the United States of America” あるいは “A History of the
United States” と一定しない。漢語が原文だからだろう。シンガポールの堅夏書院より1838
年に刊行された。ハーバード燕京図書館所蔵の初版本は125頁27巻だという。初版本は、
のちの『海国図志』
『瀛環志略』などに参照されてもいる。ブリッジマンの該書は、修訂
版を刊行するとき改題した。
(美)裨治文著『大美聯邦志略』(墨海書館1861)である。初
版以外のものについては諸説がある。王立新は、1844年香港第2版で『亜美利格合省国志
略』と改題し、1861年上海第3版で『聯邦志略』に改めたとする(296-297頁)。鄒振環は、
1844年香港版は『亜墨理格合省志略』といい、初版と同版の1846年広州版『亜美理駕合衆
国志略』などを掲げる(81頁)。
日本で翻刻された『聯邦志略』は、
『大美聯邦志略』を原本とする。ただし、箕作阮甫
の手によってキリスト教関係部分のすべてが丁寧に削除されていることが明らかにされて
いる(杉井六郎「
『大美聯邦志略』の翻刻」京都女子大学史学会『史窓』第47号1990.3.26)。
李暁傑は「高理文《美理哥合省国志略》探究」(『或問』第27号2004.3.30)の注18において、
この箕作本と『大美聯邦志略』は、内容が完全に一致していると書く(此日本版内容与
1861年上海墨海書館的内容完全相同)33頁。李暁傑は、原本どうしを照合したはずなのに、
箕作本がキリスト教関係部分を削除している事実には気づかなかったらしい。
以上の出版状況をみれば、林則徐が「四洲志」を編纂するにあたって、アメリカ部分に
ついて初版の『美理哥合省国志略』を参照した可能性はある。しかし、
「四洲志」の原本
だとするのは、当たらない。また、のちの改訂版である『(大美)聯邦志略』の書名をあげ
るのは、発行年との関係で、適当ではないように思う。私がいまさらのように書かなくて
299
「天方夜譚」小考
【同志社大学所蔵】
【原本未見】
も、すでに、つぎのような指摘がある。
「鮎沢信太郎氏や尾佐竹猛氏が林則徐の翻訳した
四州志の原本は即ち E. C. Bridgman の著書であつたとしているのは明らかに誤りである」
(北山康夫「海国図志とその時代」
『大阪学藝大学紀要』A.
人文科学 第3号1955.3.20。97
頁)
増田渉「日中文化関係史の一面 5『海国図志』
『聖武記』など」
『西学東漸と中国事情―
―「雑書」札記――』岩波書店1979.2.22。31-38頁
増田渉『雑書雑談』汲古書院1983.3.10
顧長声『伝教士与近代中国』上海人民出版社1981.4
顧長声『従馬礼遜到司徒雷登――来華新教伝教士評伝』上海人民出版社1985.8。20-49頁
熊月之『西学東漸与晩清社会』上海人民出版社1994.8
吉田寅『中国プロテスタント伝道史研究』汲古書院1997.1.20
王立新『美国伝教士与晩清中国現代化――近代基督新教伝教士在華社会文化和教育活動研
究』天津人民出版社1997.3
吉海直人「『 聯邦志略』について」同志社女子大学『総合文化研究所紀要』第 15巻
1998.3.31
馬祖毅「第5章第1節 組織翻訳的第一人――林則徐」
『中国翻訳史』上巻 漢口・湖北
300
「天方夜譚」小考
教育出版社1999.9
鄒振環『晩清西方地理学在中国――以1815至1911年西方地理学訳著的伝播与影響為中心』
上海古籍出版社2000.4。79-85頁
7)孟昭毅「世界瑰宝《天方夜譚》
」120頁
8)2種類を使用する。“AN ENCYCLOPAEDIA OF GEOGRAPHY” LONDON: LONGMAN, REES,
ORME, BROWN, GREEN, & LONGMAN, 1834の2冊本。“THE ENCYCLOPAEDIA OF
GEOGRAPHY” PHILADELPHIA; CARRY, LEA, AND BLANCHARD. 1838の3冊本
9)魏源『海国図志』3冊(長沙・岳麓書社1998.11)を使用する。本書は、1852年の100巻本を
底本にしている。
10)
『海国図志』について本稿で参照したのは、以下の文献である。
百瀬弘「海国図志小考」
『典籍論集:岩井博士古稀記念』岩井博士古稀記念事業会1963.6.30
佐々木正哉「
「海国図志」余談」
『近代中国』第17巻 1985.7.31
高虹『放眼世界:魏源与《海国図志》
』瀋陽・遼海出版社1997.8
李巨瀾「魏源与《海国図志》
」
『海国図志』鄭州・中州古籍出版社1999.1
岩田高明「
『海国図志』の西洋教育情報」
『安田女子大学大学院文学研究科紀要』第8集
2003.3.31
11)LONDON. GEORGE ROUTLEDGE AND SONS, LIMITED. 1892、NEW YORK, TORONTO.
LONGMANS, GREEN AND CO., 1925、および LONDON, LONGMANS, GREEN, AND CO.,
1886 影印本を使用する。
12)
(英)約翰・穆勒著、厳復訳『穆勒名学』(北京・商務印書館1981.10 厳復名著叢刊)を使
用する。
13)鄒振環「55《穆勒名学》与清末西方邏輯学翻訳熱潮」
『影響中国近代社会的一百種訳作』北
京・中国対外翻訳出版公司1996.1。201頁
14)参照した文献は次のとおり。それぞれ(孫*頁)
(皮*頁)と略記する。
王栻主編『厳復集』全5冊 北京・中華書局1986.1
孫応祥『厳復年譜』福州・福建人民出版社2003.8
皮后鋒『厳復大伝』福州・福建人民出版社2003.10
15)ほかに、蒋瑞藻「天方夜譚」(『小説枝談』上海・古典文学出版社1958.6。196-197頁)にも
引用されている。字句の異なる箇所は[ ]で表記する。
301
中国における「アラビアン・ナイト」
国立民族学博物館編『アラビアンナイト博物館』
(東方出版2004.9.8)に掲載。掲載時は
「中国におけるアラビアンナイト」に変更された。今、元にもどす。
「アラビアン・ナイ
ト」が中国語に翻訳された歴史を簡単に述べる。
『アラビアンナイト博物館』は、2006年
に韓国で翻訳出版された。
東西文化が交流する新疆地区で、 18世紀には「アラビアン・ナイト」のウイグ
ル語訳がでていたという。それにくらべれば、中国語訳の出現はずっとあとにな
る。
中国において「アラビアン・ナイト」が翻訳されるのは、 1900年前後からのこ
とだ。日本の永峯秀樹訳『 (開巻驚奇) 暴夜物語』 (1875) から約 25年も遅れる。最
初の中国語訳は、周桂笙訳「一千零一夜」だ。もともと『采風報』に掲載された。
『新庵諧訳初編』上巻 (1903) に収録されたのを見れば、物語のはじめから「黒
島王の話」までの部分訳にすぎない。簡潔な文言を使用し、原文に忠実な翻訳で
ある。もとづいた原本については「書名はもともと「アラビアの夜の談笑録 (阿
拉伯夜談笑録)」といい 、
「一千零一夜」はその俗称である」としか書いていない。
調べてみれば、英訳タウンゼンド版が底本だとわかる。
1900年代の清朝末期から中華民国にかけて、中国で出版された「アラビアン・
ナイト」の翻訳は、ほとんどが英訳本にもとづいている。同じタウンゼンド版に
よっているのが佚名訳「一千一夜」で 、『大陸報』 (1903) に載った。これも文言
による部分訳である。単行本では、シンドバードの7つの航海部分だけが『航海
302
中国 にお ける 「ア ラビ アン・ ナイ ト 」
2004年版
2006年韓国版
述奇』 (文明書局1903。未見) として出版されているという。
周作人が学生のときに翻訳した「侠女奴」は「アリ・ババと 40人の盗賊」だ。
『女子世界』 (1904) に連載し、のちに同名の単行本となる (小説林社1905)。萍雲女
士という筆名を使った。底本はロンドン・ニュウンズ社発行の1冊本だと彼は回
想しているが、記憶違いだ。女奴隷モルギアナについて恣意的な書き換えを行な
った箇所がある。
ある程度まとまった中国語訳といえば 、『繍像小説』連載の「天方夜譚」にな
る。天方はアラビアの古称だ 。『繍像小説』 (1903-06) は、上海の商務印書館が発
行する中国で最初の近代的小説雑誌である。梁啓超が亡命先の日本で創刊した雑
誌『新小説』 (1902-06) に影響されて出現した。線装本である。本文は活版で石版
印刷の挿絵 (=繍像) をかかげて特色とする 。「天方夜譚」は 、『繍像小説』第 11
期 (1903) から第 55期まで、約三年間にわたって連載された。ただし、物語の途
中からはじまる。周桂笙の先行翻訳と重複するのを避けたためだ。不思議なのは、
303
中国 にお ける 「ア ラビ アン・ ナイ ト 」
『繍像小説』が挿絵を売り物にしているにもかかわらず 、「天方夜譚」について
は挿絵がない。
1906年、雑誌連載時には省略した物語のはじめの 10話を加え 、『東方雑誌』に
も掲載した分をあわせて単行本が4冊で刊行された。それでも全 50話にすぎない。
単行本で訳者が奚若であることを明らかにした。説明して「ラウトレッジ社の刊
行した版本で、レイン氏のものにもとづいている」と書いているが正確ではない。
英文と比較対照すれば、ラウトレッジ社のフォースター版を底本とし、注釈をタ
ウンゼンド版から取り入れていることがわかった。
奚若の翻訳は、外国文学の翻訳シリーズ「説部叢書」に収録され 、「述異小
説」という角書と第六集第 4編の番号を与えられた。のち、初集第 54編と番号が
変更される。上下2冊本が「訳述者
奚若/校註者
葉紹鈞」と表紙にかかげら
れて上海・商務印書館 (1924) より出版されている。その「新学制中学国語文科
補充読本」という表記を見れば、多くの生徒に読まれたとわかる 。「万有文庫」
(1930未見)、また「万有文庫第一二集簡編五百種」 (1939) は、上下2冊本で奚若訳、
葉紹鈞校の焼き直しだ。児童を特に意識したものに、 1910年代の「童話」シリー
ズがある。アラジン、アリ・ババなど4種類が、本文を簡略化して入っている。
アラビア語からの直接訳は、納訓の商務印書館5冊本 (1940-41未見)、人民文学
出版社3冊本 (1957未見)、同6冊本 ( 1982)のほかに郅溥浩、李唯中らのものがあ
る。
304
『漢訳アラビアン・ナイト論集』
――清末翻訳小説研究が進まない理由
『としょかん』第74号(大阪経済大学図書館2006.10.1)に掲載。樽本『漢訳アラビアン
・ナイト論集』を自分で解説する。
『漢訳ホームズ論集』を自著解説した(
『清末翻訳小説
論集(増補版)』所収)のと同趣旨。
アラジンの不思議なランプ、アリ・ババと 40人の盗賊、知ってる、それが何
か?といわれるに決まっている。
だが、それらのアラビア語原作が存在しない、と聞けばどうか。そうそう、フ
ランス語に翻訳したガランの訳本にのみ収録してあるのだ、と説明する人がいれ
ば、その人は一般よりも多くの知識を持っているということができる。
幼児向けの絵本から、漫画、映画、アニメまで全世界に広まっているアラビア
ン・ナイトである。しかし、少年少女を読者に想定する刊行物には、本来の刺激
的な部分を大幅に削除するなど改変改作している版本がある。逆にいえば、原作
の刺激的な部分を強調した出版物も存在する、という簡単な理屈だ。ただし、後
者については公に語られることがあまりない。
さぐっていけば複雑な翻訳の歴史が横たわっている。その複雑さゆえに未知の
まま残された分野として中国で翻訳されたアラビアン・ナイトの研究がある。
中国では、多数の中国文学研究者が活動しているのはいうまでもない。自国の
研究分野だから当然だ。その規模は、研究者の数からいっても日本では考えられ
ないくらいに大きい。ゆえに、中国の学界において、いまだに未開拓の研究分野
があると指摘しても、納得しがたいのではないか。
305
『 漢訳 アラ ビア ン・ ナイト 論集 』
私が興味をもっている清末小説、そのなかでも特に翻訳小説研究は、その数少
ない分野のひとつである。こう紹介するのは、いつも心が痛む。
理由のひとつは、簡単だ。すでに言いくたびれた。清末小説の原本がそれほど
保存されていない。時期的に見れば、日本の明治後期にあたる。中国の歴史は古
すぎて、ついこの前の時代に発行された膨大な数の書籍は、図書館には収容しき
れなかったらしい。原本なくして研究ナシ。当たり前すぎて書く気にもなれない。
資料不足、あるいは不備という一般的な理由のほかに、清末翻訳小説研究には、
もうひとつの不振理由がある。
外国語原書を入手するのが困難である。こちらについては、私は理解しないわ
けではない。特定の作家、古典の著名な外国作家であれば公的機関に所蔵されて
いる可能性がある。だが、改編改訳された英訳アラビアン・ナイトは、必然的に
多数の版本が複雑に入り交じって存在している。これをまとめて収録する公的機
関は、英国図書館、日本の国立民族学博物館などいくつかの例外をのぞいて、あ
まりないのではないか。これも資料不足、あるいは不備の部類に入れることがで
きる。
私のいうもうひとつの不振理由とはそうではなく、研究者自身の問題なのだ。
清末小説は、中国人であれば自国の文学に違いない。その人たちにとっては、
翻訳文学は、外国のものだという意識をぬぐいさることができない。中国文学を
研究しているわけで、外国文学が清末に翻訳されたのであれば、その研究は外国
文学の専門家がやるべきだ。そう考えているらしい。研究任務を勝手に分担する
のである。ここには外国語問題も横たわっている。はっきりいえば、外国語を理
解しない人は研究しようにも手の出しようもない。だから、自国の文学ではない、
と強調したいのだろう。では、外国語ができる専門家は、アラビアン・ナイトを
研究するかといえば、それはする。だが、それ自体が外国文学研究であって、中
国における翻訳史まではなかなか手がまわらない。
というわけで、資料の面からいっても研究者の意識からいっても、翻訳小説研
究は、今まで顧みられることの少ない、まさに研究の空白地帯として存在してい
る。空白は、空白ゆえに注目されることもない。
批判をしてそれですむ問題ではなかろう。理想を語れば問題が解決するわけで
306
『 漢訳 アラ ビア ン・ ナイト 論集 』
もない。それヤレ、と旗を振ることが研究
ではないのだ。旗振りしかしない人の顔を
思い浮かべながら、重要なのは、自らが実
践することだとつぶやく。
どれくらい空白であるかを例によって示
そう。
魯迅の弟周作人は、と書くと作人に失礼
だ。彼の兄が周樹人、すなわち筆名魯迅で
ある。周作人は学生時代、英語の勉強をか
ねて「アリ・ババと 40人の盗賊」を漢訳し
た。原本は、日本に留学中の魯迅が弟のた
めに送ってきた書籍の中に入っていた。該
書は英語で、ニュウンズ社の挿絵本であっ
た、と彼はくりかえし証言している。ゆえ
2006
に、周作人研究の専門家は、そのままを引
用する (1例は、張菊香、張鉄栄『周作人年譜
(1885-1967)』天津人民出版社2000.4。57頁)。
ところが、私がロンドンの英国図書館に足をはこんでニュウンズ社本を見れば、
作人が書くものとはまったくの別物であった。つまり、中国の専門家は、原物で
確認する手間を惜しんだ。あるいは、確認するという発想がない。さらにいえば、
発想があるにしても実行する状況になかった。ただし、もしそうであるならば、
普通は「未確認」と注記するだろう。やはり、発想そのものがないと考える。
周作人の漢訳アリ・ババに言及するたびに、年譜のこの誤った記述を引用され
る編者には気の毒なことだ。しかし、事実なのだからしかたがない。
以上のような作業――漢訳のもとになった原書を探索することから、私の翻訳
小説研究は始まる。当たり前のことをやっているだけだ。その結果が『漢訳アラ
ビアン・ナイト論集 』(清末小説研究会2006) になった。英文原作を探求しながら、
翻訳の質を検討する詳細な論文集である。
内容が推測できるように目次を掲げる。
307
『 漢訳 アラ ビア ン・ ナイト 論集 』
【目次】
漢訳アラビアン・ナイト
中国におけるアラビアン・ナイト/周桂笙の漢訳/『大陸報』の「一千一
夜」/「航海述奇」は未見/『繍像小説』の「天方夜譚」/商務印書館版奚
若訳『天方夜譚』の検討/英文原本の探求3/結論
周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語
英文原本の探求1/英文原本の探求2/周作人漢訳の検討/漢訳底本の確定
にむけて/周作人の改作部分について
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
児童向けということ/商務印書館の「童話」シリーズ/「童話」の漢訳アラ
ビアン・ナイト/いくつかの疑問
「天方夜譚」小考
林則徐のばあい/マレー『地理学百科事典』/魏源のばあい/厳復のばあい
(附録)漢訳アラビアン・ナイト目録
308
中国におけるアラビアン・ナイト
『図説児童文学翻訳大事典』第4巻翻訳児童文学研究(大空社、ナダ出版センター
2007.6.27)に掲載。今、表題を改める。中国におけるアラビアン・ナイト受容を児童文学
の側面から述べる。本書所収の「
「童話」の漢訳アラビアン・ナイト」と一部重複する。
1
中国語訳名
英語での呼称に「アラビアン・ナイト」と「千夜一夜物語」があるように、中
国語訳でも「天方夜譚 」(天方はアラビアの古称) と「一千零一夜」の二種類がある。
時間的にいうと「一千零一夜」の使用例が早い。ただし、はじめは書名が伝えら
れるだけだった。
清朝時代の一八三九年、アヘン禁止のために皇帝から特別に任命された林則徐
は、広州に到着した。彼は、諸外国の実情を知る必要から情報を収集しそれを翻
訳する。その成果のひとつが「四洲志」だ。もとづいた原本はヒュー・マレー著
『地理学百科事典 』(一八三四) である。
原本があるとはいえ、そのままを翻訳したわけではない。記事内容を圧縮して、
「一千零一夜」という小説がある、とだけ述べる。林の原稿は、一八四一年には
完成していたが公開されなかった。
林則徐の原稿を受け継いだのが、友人の魏源だ。彼はそれを整理して『海国図
志』に収録した。これにより「四洲志」の内容が伝わることになる。一八四四年
に初版五〇巻本が発行され、以後、一〇〇巻本まで増補された。該書は幕末日本
において、海外事情を知るための書籍として珍重されたのは周知のことだろう。
309
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
『海国図志』の普及にしたがって書名の「一千零一夜」だけは知られるように
なった。書名だけならば、清朝末期の著名な翻訳家厳復の手によるジョン・スチ
ュアート・ミル『論理学体系 』(中国語訳『穆勒名学』一九〇三) の例もある。原著
にアラビアン・ナイトが出現しており、厳復は 、「天方夜譚」という名称をあた
えた。
「天方夜譚」と「一千零一夜」の二種類があるということは、英訳原本をそれ
ぞれ反映しているということだ。
以上は、書名だけの伝播である。内容の翻訳は別人の手によって実現した。
2
中国語訳の歴史
中国においてアラビアン・ナイトが翻訳されるのは、一九〇〇年前後からのこ
とになる。日本の永峯秀樹訳『(開巻驚奇) 暴夜物語 』(一八七五) から約二五年も
遅れる。
最初の中国語訳は、周桂笙訳「一千零一夜」だ。新聞『采風報』に掲載された。
今この新聞を見ることはできない。その掲載が一九〇〇年前後だと予想されるだ
けだ。のちの『新庵諧訳初編』上巻 (一九〇三) に収録されたのを見れば、物語
のはじめから「黒島王の話」までの部分訳にすぎない。簡潔な文言を使用し、原
文に忠実な翻訳である。もとづいた原本については「書名はもともと「アラビア
の夜の談笑録 (阿拉伯夜談笑録)」といい 、「一千零一夜」はその俗称である」とし
か書いていない。調べてみれば、英訳タウンゼンド版が底本だとわかる。
一九〇〇年代の清朝末期から中華民国にかけて、中国で出版されたアラビアン
・ナイトの翻訳は、ほとんどが英訳本にもとづいている。
同じタウンゼンド版によっているのが佚名訳「一千一夜」であり『大陸報』
(一九〇三)に載った。これも文言による部分訳である。訳本についての説明が
あって珍しい。ガランのフランス語訳、スコットの英訳、フォースター訳、レイ
ン訳などに言及している。中国語訳の底本については、多く作られた英訳のうち
のどれか、という問題がついてまわる。訳者が某版だと書いていても原本を見れ
ば違っていることがある。また、最初から底本とした英文原本を明記しないばあ
310
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
いが多いからである。
単行本では、シンドバードの七つの航海部分だけが『航海述奇』(文明書局一九
〇三。未見) として出版されているという。日本東京で印刷されているから日本
語からの重訳ではないかと推測するむきもある。また、スコット訳に拠っている
と解説にあるともいう。原本を見る機会がないからいずれについても判断するこ
とができない。
周作人が学生のときに翻訳した「侠女奴」は「アリ・ババと四〇人の盗賊」だ。
萍雲女士という筆名を使い、雑誌『女子世界 』(一九〇四) に連載した。これはの
ちに同名の単行本となる (小説林社一九〇五)。周作人が、当時翻訳したのは、ポ
ー、ドイルなどの作品だった。これにアラビアン・ナイトのなかの一篇が加わる。
翻訳傾向が一定しないのは、彼が学生であり、翻訳は英語の学習を目的としてい
たためだと考えられる。
東京に留学中の兄周樹人 (筆名のひとつが魯迅) から送られてきた英語学習参考
書にまじってアラビアン・ナイトがあった。それは、ニュウンズ社発行の一冊本
だった、と彼は数回にわたって回想している。アラジンかアリ・ババか、どちら
を翻訳しようかと迷った。アリ・ババを選択したのは、挿絵のアラジンが辮髪の
中国人で嫌だったからだ、と彼は書いている。辮髪は、満洲族の風習だ。漢族の
周作人にとっては異民族支配の象徴だからである。
だが、英文原作の底本については、周作人の記憶違いがあった。女奴隷モルギ
アナがナイフを手にして踊る場面が該書には、ない。強い印象を受けたとくり返
してのべているその挿絵が、ニュウンズ社版には存在しないのだ。なによりも、
中国語訳文とはかけ離れた英文である。調査の結果、底本となったのは、エドワ
ード・フォースターが書き直したラウトレッジ社版であることが判明した。挿絵
はディーエル。
そのころ、兄魯迅はスパルタの女性についての文章を東京で書いている。中国
人留学生たちが東京で発行する中国語雑誌『浙江潮』に発表した。該文において
スパルタの歴史をのべながら、魯迅はある英雄的女性を創作した。彼女は、戦場
を逃れて帰宅した夫を叱咤するため自殺をする。あっぱれな女性である、と称賛
するために魯迅はスパルタの伝統習慣を無視した。ありえない女性、つまり外見
311
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
はスパルタの女性だが中身は中国人を創作したのは、そうすることにより当時の
中国人を励ましたかったらしい。魯迅のねらい通り、留学生仲間から高い評価を
得たのは事実だった。周作人は、兄の影響を受けてそのやり方をまねた。英文原
作では幸せになるモルギアナについて、盗賊の首領を殺し主人を危機から助けた
のちに行方しれずになるという恣意的な書き換えを行なったのである。英雄は、
悲劇的な最後をむかえるべきだという意識が学生時代の周作人にはあったようだ。
アラビアン・ナイトの中国語訳で、ある程度まとまったものといえば 、『繍像
小説』連載の「天方夜譚」をあげなければならない。
『繍像小説 』(一九〇三−〇六) は、上海の商務印書館が発行する中国で最初の
近代的小説専門雑誌だ。梁啓超が亡命先の日本で創刊した雑誌『新小説』(一九〇
二−〇六) に影響されて出現した。半月刊で七二期という長寿を保つ。雑誌に連
載したのち、評判をよんだ作品は単行本にして刊行する。現在では普通に見られ
るこのやり方は、中国では空前のことだった。上海で近代的印刷技術が普及しは
じめていたことが背景にある。新聞雑誌という新しい媒体の出現なのだ。
雑誌の体裁は線装本である。連載が終了した小説は、雑誌をバラして容易に再
度合訂することができるように考えられた。実際、表紙だけをつけかえた単行本
も出版されている。本文は活版で石版印刷の挿絵 (=繍像) をかかげて特色とす
る。小説家で著名な李伯元を特別に招いて編集をまかせた。
「天方夜譚」は 、『繍像小説』第一一期 (一九〇三) から第五五期まで、約三年
間にわたって連載された。物語の途中からはじまるのは、周桂笙の先行翻訳と重
複するのを避けたためだ。不思議なのは 、『繍像小説』は挿絵を売り物にしてい
るにもかかわらず 、「天方夜譚」については挿絵がついていない。このことが底
本確定に手間取る原因のひとつにもなる。
一九〇六年、雑誌連載時には省略した物語のはじめの一〇話を加え、別の雑誌
『東方雑誌』にも掲載した分をあわせて単行本が四冊で刊行された。それでも全
五〇話にすぎない。
雑誌連載時には無署名であったが、単行本で訳者が奚若であることを明らかに
した。奚若は筆名であると信じている中国人研究者は、今でも存在する。張奚若、
伍光建、周桂笙らの名前をあげて、奚若の本名だと主張している。だが、どれも
312
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
正解ではない。奚若 (伯綬) が、本名だ。英語が堪能だった。商務印書館が主宰
する速成小学師範講習所の教員に就任し、同社編訳所の職員からのちには理事に
昇任する人物だ。
該書「序」に説明して「ラウトレッジ社の刊行した版本で、レイン氏のものに
もとづいている」と書いている。だが、英文と中国語訳を実際に比較対照してみ
れば間違いであることがわかる。レイン、タウンゼンド、サグデン、フォースタ
ー、スコットの各版を見た結果、ラウトレッジ社のフォースター版を底本とし、
注釈をタウンゼンド版から取り入れていることがわかった。
奚若の翻訳は、商務印書館が発行する外国文学の翻訳シリーズ「説部叢書」に
収録されている 。「述異小説」という角書と第六集第四編の番号を与えられた
(のち、初集第五四編と変更)。
「説部叢書」は、同社が刊行していた外国小説の翻訳を集めたものの総称だ。
一九〇三年ころから刊行が始まり、一集一〇種で数え、十集で全一〇〇種になる。
一九一二年、叢書全体が改編された。商務印書館が外国資本である日本の金港堂
との合弁を解消するのを契機に、初集と改称する。改称後に二、三集各一〇〇種
を出し、最終的に第四集第二二種を刊行した。一九二四年まで継続されたからそ
の規模の大きさと息の長さがわかる。のちに作家となる人々も、多くは「説部叢
書」によって海外の文学にはじめて触れたという。
「説部叢書」のなかから特に林紓の翻訳を選び 、「林訳小説叢書」と銘打って
二集合計一〇〇種を出版してもいる。清末から民国初期にかけて外国文学の翻訳
シリーズとして欠くことのできない存在として学界では位置づけられている。た
だし、林紓が実現した大量の翻訳は、その影響の大きさに反比例して評価は低い。
林紓自身は外国語を理解せず、口述翻訳者と共同で文言訳したことが理由のひと
つとなる。なによりも、シェイクスピアの戯曲を小説体に変更して翻訳したこと
が大きな欠陥だと林の生存中から批判の的になったのだ。林紓はそれに反論しな
かった。ゆえに定説として認定されつづけてきた。だが、それは誤りである。林
紓が翻訳にあたって底本としたのは、はじめからシェイクスピアの戯曲を小説体
に翻案した英文原作だった。だから、もともとが小説体なのである。彼の独断で
変更したわけではない。林紓は冤罪であったのだ。
313
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
奚若訳『天方夜譚』は、以後、長く読み継がれた。判型をかえて重版をくりか
えしている。
『天方夜譚』上下二冊本が「訳述者
奚若/校註者
葉紹鈞」と表紙にかかげ
られて上海・商務印書館 (一九二四) より出版された。その「新学制中学国語文
科補充読本」という表記を見れば、多くの生徒に読まれたとわかる 。「万有文
庫 」(一九三〇未見)、また「万有文庫第一二集簡編五百種 」(一九三九) は上下二冊
本で、奚若訳、葉紹鈞校の焼き直しだ。一九三〇年代、四〇年代にこれとは異な
る多くの口語訳が出版されているという。
以上の中国語訳は、いずれも当時の児童を直接の読者とは考えていなかった。
まず、英文原作に忠実であろうとしている。また、書き換え、省略などがない。
だから、児童向け読み物という印象を受けない。掲載誌そのものも一般の知識人
むけに編集刊行されている。児童を特に意識して編集している種類のものではな
い。さらには、文言で翻訳している点も理由のひとつとなる。
そういう流れのなかにあって、児童用として編訳していることがはっきりして
いる刊行物がある。読者に児童を想定して原作を改変した作品、すなわち、原作
の大筋を保ちながらも、時には大幅に書き換え、分量は短めに編集しなおした挿
絵つきのものだ。すなわち 、「童話」シリーズである。これにアラジン、アリ・
ババなど四種類が、本文を簡略化して収録されている。
3
商務印書館の「童話」シリーズ
商務印書館が刊行した「童話」シリーズは、主として孫毓修が編集し第一集か
ら第三集まである。
孫毓修は、商務印書館の編集者だ。出版社の編集者は、中国では大学教授なみ
の地位がある。彼は、目録学の専門家として、古典の復刻に使用する版本の選定
に力を発揮した。
彼が中国児童文学史上、先駆者のひとりとして認められているのは、雑誌『少
年雑誌』を創刊し「童話」シリーズを主宰したからだ。
「童話」第一集は、孫が主編して、私の知るかぎり第八九編までが出ている
314
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
(一部を茅盾ほかが担当)。その刊行期間は、一九〇八年から一九二一年までとなる。
第二集は、同じく孫毓修の編集で第八編を刊行した。その刊行時間は、第一集
と重複しており一九一〇年から一九一八年までだ。かかった時間のわりには、刊
行種類が八篇と少ない。辛亥革命をはさんでいるからだろう。
第三集は、鄭振鐸編で第四編までが、一九二四年に出版されているらしい。第
二集から時間の隔たりがある。しかも第二集をわずかに八篇しか出していないの
に第三集をはじめる理由がわからない。中途半端といえば、第一集も第八九編で
中断しているのも、そうだ。
とにかく、全体は、単純に合計して全一〇一篇 (一説に一〇二篇) となる。
それらの題材は、中国の古典、あるいはギリシア神話、グリム、アンデルセン
などの西洋の童話、物語から得ている。文言ではなく白話で翻訳しているのも特
徴のひとつだ。
読者を年齢によりふたつに分けていた。ひとつは、七、八歳までの児童を対象
とし、五千字前後の字数におさえる。もうひとつは、十、十一歳くらいの児童に
提供する一万字前後の字数のものだ。
児童にとってわかりやすい語句を使用しようとすれば、必然的に白話になる。
孫毓修が編集した原稿を、編訳所所長の高夢旦が家に持ち帰り、自分の子供に読
み聞かせて意見を聞いて参考にしたという。また、啓蒙が重要な要素のひとつだ
から、挿絵を理解の補助として重視するのは当然だ。ただし、適切な挿絵になっ
ているかどうかは、それぞれの作品を個別に検討する必要がある。
私が見ているのは、第一、二集のなかの少数にすぎない。
中国の規格でいう三二開本に近い大きさ (一九×一三センチ) の活版洋装本で、
本文は二四ページ前後の薄い冊子だ (第二集では四二−四六ページに増える)。本文二
〇字 ×九行だから第一集は一冊につき約四三〇〇字となる。挿絵を掲載している
から、その分だけ文字数はさらに減少する。
彩色リトグラフの表紙をあとから糊づけし、本文に凸版で挿絵を組み込む。細
い糸でかがった簡単な製本だ。活字は比較的大きく、ゆったりと組んである。挿
絵も適当に配置されており、なによりも表紙が色彩豊かでいくらか救われはする。
しかし、紙質はよくなく、全体の印象は、あくまでも小冊子でしかない。
315
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
奥付に、五分という定価が明示されている。商務印書館が一九〇三年から発行
をはじめた小説専門雑誌『繍像小説』は、一冊二角であった。活版線装本で、創
刊号は石印の挿絵を含めて三九葉だから、洋装本になおせば倍の七八ページとな
る 。「童話」の二四ページは、それの約三分の一に相当する。値段も三分の一と
して計算すれば約六・七分だ。これと比較すれば 、「童話」シリーズの一冊五分
は、かなり低めに設定していることになろう。
さて、この「童話」シリーズにアラビアン・ナイトから選択翻訳した作品四種
類が収録されている。
4
「童話」の中国語訳アラビアン・ナイト
以下に、中国語訳名と原作名をかかげる (中国語訳名の後ろにつけている英文は、奥
付にかかげられているままを示す。*印の一種類は、未見)。
童話
第一集第二五編
『怪石洞』 (Forty Robbers Killed by One Slave)
高真長編訳
第八版
孫毓修校訂、上海商務印書館一九一四・八/一九二二・九。
全二三ページ
“THE ARABIAN NIGHTS.” Ali Baba, and the Forty Robbers killed by One
Slave.
童話
第一集第四五編
『能言鳥』 (The Three Sisters)
孫毓修編訳、上海商務印書館一九一五・一二/一九二二・九。第五版
全
一九ページ
“THE ARABIAN NIGHTS.” The Two Sisters who were Jealous of their
Younger Sister.
童話
第一集第四六編
*『橄欖案』
(孫毓修編纂)、上海商務印書館一九一六?一九一七?
316
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
“THE ARABIAN NIGHTS.” Ali Cogia, a Merchant of Bagdad.
童話
第一集第六〇、六一編
『如意燈』上下 (The Wonderful Lamp)
孫毓修編訳、上海商務印書館一九一八・一/一九二二・九。第五版
上下
冊とも全二三ページ
“THE ARABIAN NIGHTS.” Aladdin, or the Wonderful Lamp.
中国では、児童むけにアラビアン・ナイトをどのように紹介したのだろうか。
この「童話」シリーズは、それを知るための材料となる。
「童話」シリーズとして字数が限られているから、原文の省略を余儀なくされ
る。どこをどのように書き換えるのか。それこそが編訳者の腕の見せ所である。
未見の一種類を除いた三種類について以下に紹介しよう。
○第一集第二五編「怪石洞」
中国語訳題名が意味するのは 、「不思議な洞穴」だ。しかし、物語はおなじみ
の「アリ・ババと四〇人の盗賊」である。アリ・ババが不思議な洞窟に遭遇する
のが物語の発端だから、それを翻訳題名にしても、おかしくはない。この「童
話」シリーズの題名は、ほぼ三字から四字におさまるように統一している。それ
に従ったのだろう。
「童話」シリーズは、孫毓修が、当時、発行されていた英語の児童用書籍にも
とづいて編纂したということになっている。
ただし 、「アリ・ババと四〇人の盗賊」については、二種類の中国語訳が先行
しているのを見逃すわけにはいかない。
すなわち、前出の萍雲 (周作人) 訳述、初我潤辞『侠女奴』(上海・小説林総発行
所 丙午(一九〇六)年三月再版) および奚若翻訳、金石校訂「記瑪奇亜那殺盗事」
(
『
(述異小説)天方夜譚』第四冊上海商務印書館 丙午四(一九〇六)/一九一三・一二再版
説部叢書初=五四) だ。
固有名詞の翻訳を見れば、先行の翻訳を参照しているかどうかを知る判断材料
になる。
三種類の版本について、比較一覧したものを次に示す。
317
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
「侠女奴」
「説部叢書」
「怪石洞」
Cassim
慨星
克雪
克雪
Ali Baba
埃梨 醅 伯
愛里巴柏
愛里
Sesame
西剡姆
茜莎米
茜莎米
Morgiana
曼綺那
瑪奇亜那
馬奇
Baba Mustapha
麦斯塔夫
黙世徳法
徳法
アリ・ババの息子
×
×
亜拉
盗賊の手下
×
×
怜悧
chalk
Cogia Houssain
堊筆
苛琪亜
白粉
白鉛粉
古奇海生
奇生
一目瞭然だろう。周作人の中国語訳は、商務印書館の「説部叢書」および「怪
石洞」の両者からかけはなれている 。「侠女奴」は、自然に本稿の考察の対象か
らはずれる。
商務印書館の二種類は、固有名詞の中国語訳についていえば、同一だといって
いい。
「怪石洞」は、アリ・ババについては「説部叢書」の愛里巴柏を冒頭二字だけ
使用する。同じ二字でも、モルギアナ瑪奇亜那は、あたまの一字を同音の別漢字
におきかえただけ。ムスタファ黙世徳法は、うしろの二字のみを使う。おもしろ
いのは、コギア・フゥサインだ。盗賊の首領がアリ・ババの息子にちかづく時に
使った変名である 。「説部叢書」で原語に忠実な古奇海生を、二字だけ選んで奇
生と省略した。いかにも中国らしいやりかただ。
アリ・ババの息子は、本来は名前なしで登場している。それに「亜拉」と命名
したのは、編訳者高真長の判断だろう。盗賊の手下にありもしない「怜悧」を名
前としたのも 、「怜悧」な手下という意味をもたせたかった、と考える。
固有名詞の中国語訳から 、「怪石洞」は 、「説部叢書」本をもとにして改編さ
れたのだろうという推測が成り立つ。
物語は、ほぼ「説部叢書」のままをなぞりながら、こまかな描写を省略してい
318
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
く。筋だけを追うのであれば、さしつかえはなさそうだ。六枚の挿絵も、一枚を
除いて原文をそのまま反映しているといえる。
しかし、表紙が奇妙だ。カゴのようなものが積み上げられた倉庫がある。その
ドアをあけ、西洋の服装をした女性が、手にポット様の容器を持って入ろうとし
ている。外にはロバが群れている。これは、なにか。洞穴ではない。かりに洞穴
のつもりだとしても、洞穴に女性が入っていく場面など、物語のどこにも存在し
ない。
あとでのべる「能言鳥」と「如意燈」の表紙が、物語の内容をほぼそのまま描
いているのに比較すれば、この「怪石洞」の異なる様子がきわだつのである。
それより、もっと奇妙な部分が本文にある。書き換えなのだ。
アリ・ババ物語の名場面といえば、モルギアナが短刀を握って踊る場面もその
ひとつだろう。物語の最終部分にでてくる、いわば最高潮だ。
客人をもてなすためにモルギアナが踊る。モルギアナは、舞いながら客人を刺
し殺す。なんということをしたのだ、と驚くアリ・ババ親子に、その客が盗賊の
首領であることを説明する。モルギアナよ、よくやってくれた、という話の運び
になる。
音楽と踊りを背景にアリ・ババ一族の命運がかかっている瞬間だ。しかも、ア
リ・ババ本人は、その重要さに気づいていない。モルギアナだけが、事実を知っ
て危機を自分の才覚で乗り切ろうとしている。危機感が伝わってくる。読者が、
はらはらドキドキしながら読む、あるいは耳をそばだてる場面にちがいない。
ところが、編者高真長は、それをどう改変したか。奇妙のひとことにつきる。
「怪石洞」は、この踊りの場面を削除した。削除してどうしたか。踊りも舞わず、
殺しもせず、盗賊との話し合いになるのだ。話し合いだから、それに添えられた
挿絵は、テーブルクロスの掛かった机にアリ・ババ、モルギアナ、息子らに対面
して首領が椅子にすわった図になっている。例のモルギアナが踊る場面は、ない。
コギア・フゥサインと名乗ってはいるが、それが盗賊の首領であると見破った
モルギアナだった。彼女は、事実をアリ・ババに告げる。対処のしかたを聞かれ
たモルギアナは、ひとつの提案をする。
「恨みは解かなければなりません。いだいてはならないのです。私たちは、結
319
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
局のところ彼から利益を得ているのですから、私の考えでは、彼と交渉するのが
いいでしょう。こうおっしゃるのです。あなたのあの財物は、どのみち道にはず
れるものです。今、私の手を借りてこの土地で有益な事をなさるのがよろしいで
しょう。今から足を洗って真人間になるのです。そうすれば双方ともにつごうが
いいでしょう、と」
驚いたことに、盗賊を相手に説教をしようというのである。これが、モルギア
ナがアリ・ババに勧めたことだった。そうすると、どうなったか。盗賊の首領は、
アリ・ババの言葉にしたがい心をいれかえ、洞穴の財宝をすべてアリ・ババにわ
たした。それで多くの工場を建築し、多くの学校を開設して無数の貧乏人に教育
をほどこし、ペルシア国内で恩恵を受けなかったところはなかった。
これでふたたび驚くことになる。
盗賊の首領は殺されず、改心して好い人間になった。これでは、まるでアラビ
アン・ナイトらしくない。工場、学校が、突然、出現するのも、物語の本来の時
代を無視している。奥付には、首領も殺されて「四〇人がひとりの奴隷に殺され
た」という英文表題になっているではないか。明示した題名を裏切る中国語訳内
容に変化してしまった。
もともとの物語では、盗賊の首領は殺される。用心深いアリ・ババは、その後、
長い間洞穴を訪れることもなく、ほとぼりが冷めたころにようやく財物を取りに
でかけた。息子にだけ洞穴を開け閉めする呪文を教え、一族だけが繁栄した。そ
れが 、「怪石洞」では、書き換えられて本来の「邪悪」な物語の姿がなくなって
しまったのである 。「邪悪」というのは現代の私の感覚でのべただけだ。盗賊の
盗品を盗むのは、正義である、という論理が通用する社会であれば 、「邪悪」で
はなく、正義のアリ・ババだ。
しかし、編者の高真長は、そうは考えなかったからこそ、書き換えたのではな
いのか。つまり、盗賊の盗品であっても、それを盗むのは悪である、という点に
こだわった。
盗賊の首領が助言によって改心することが、中国の児童の啓蒙と教育を考えた
うえでの処置だというのであれば、そもそもアラビアン・ナイトを題材に選ぶこ
と自体が不適当だった。
320
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
○第一集第四五編「能言鳥」
中国語訳題名の「ものいう鳥」は、原題の一部を示しているだけだ。本来は、
「ものいう鳥と歌う木と金色の水」という。あるいは 、「妹に嫉妬したふたりの
姉」などと称される。
王様と結婚した妹に嫉妬したふたりの姉が、妹をいじめるのが物語の前半をし
める。妹が生んだ三人の子供は、姉たちによってすぐさま川に流されてしまう。
姉たちがかわりに王様に示したのは、犬、猫、蛇 (英文原作では材木) だった。役
人に拾われて育ったのが、ふたりの王子と王女ひとりである。三人ともに、自分
が王様の子供であることを知らない。苦難のすえに入手した「ものいう鳥と歌う
木と金色の水」によって、姉たちのたくらみが暴かれ、子供たちは王様のもとで
しあわせに暮らした。これが物語の後半になる。
自分がどこから来たのか、出生の秘密を発見する話に宝探しが組み合わさって
いる。
表題にも使われている「ものいう鳥」は、文字通り人間のことばをしゃべる鳥
だ 。「歌う木」は音楽を奏でる 。「金色の水」は水源もないのに噴水をあげつづ
ける。鳥は知恵を、木は快楽を、水は永遠の生命をそれぞれが象徴している、な
どと解説することも可能になる。それよりも、命がけで入手した、ただ珍しい品
物というだけの理解でもかまわない。
中国語訳には、人名がでてこない。原作にある前半の宝探し部分が削除される。
すなわち 、「ものいう鳥 (能言鳥) と歌う木 (自鳴樹) と金色の水 (金色水)」を手に
入れるためにふたりの王子は失敗して石に変身させられ、王女がようやく成功す
るという重要箇所だ。中国語訳では、小冊子にまとめるためのしかたのない処理
だったのだろう。冒険部分をもりこめば、二分冊にせざるをえない。
冒険をしないから、ものいう鳥は、はじめから王子たちの家にいることになっ
ている。表紙に描かれた、右の木の枝にくくりつけられたカゴの鳥がそれだ。こ
こは王子王女の家の中だ。左右の王子と手前の王女に、王冠をかぶったヒゲの男
性が本当の父親ということになる。それを知らない子供たちが、王様を自宅に招
待し、机の上に真珠をつめた胡瓜料理を出しているところまで物語に忠実だ。た
だし、窓とカーテン、あるいは板敷きの床の描き方、人物の服装、調度品などア
321
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
ラブ風ではないところに、やや違和感をおぼえる。昼間であるのにローソクをと
もしているのが奇妙だ。
ものいう鳥の存在があまりに唐突だから、編訳者が注釈を文中につけ加える。
「もともとアラブの国には、鳥語に通じている人が多い。我が国には公冶長ひ
とりしかいないのとはくらべものになりません。難しい事があればなんでも鳥に
解決してもらうのです」
孫毓修の苦しい説明である。鳥語に通じている人が多い、ということであれば、
王子たちの家にいる鳥は、特別の鳥でなくてもかまわない。この物語が不思議な
のは、人の言葉を話す鳥だからだ。それゆえ表題になっている。鳥が事の真相を
知っていて人間に説明するから物語が成立している。それを、人間の方に鳥語を
理解するものが多い、ということになれば、物知りの鳥でなくてもよくなる。編
訳者の説明は、命をかけて捕獲しにいったほどの「ものいう鳥」でなくてもいい
ことにしてしまった。これでは、物語全体の構成がガタガタになってしまう。だ
いいち、人間のほうが鳥語を理解すれば、表題の「ものいう鳥」にならないでは
ないか。孫毓修は、勘違いしたのではなかろうか。にもかかわらず、五版を重ね
ている。誰も気づかなかったらしい。
歌う木と金色の水が省略されたのも、紙幅の関係であろう。物語のいくつかを
省略するにしても、つじつまのあわせかたが厳密には行なわれていないといわざ
るをえない。改変によって物語としての統一がなくなってしまった。
奚若は同題名で、内容の省略なしで中国語訳している 。「童話」本が奚若訳を
底本としていてもおかしくはない。
○第一集第六〇、六一編「如意燈」上下
「如意」とは、願いどおりになる、思いのままになる、という意味だ。願いを
かなえてくれるランプという中国語訳を孫毓修は採用した。奚若が中国語訳して
「神燈記 (不思議なランプ)」と、にているようで少し異なる。
アラジンと不思議なランプといえば、アラビアン・ナイトを代表する作品のひ
とつである。小さいときから聞かされてきた物語だ。だが、ガランのフランス語
訳にのみ見えていて、ほかの版本には収録されていないという。ガラン訳をもと
にして英訳が世界中に流布していったことになる。
322
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
アラビアを代表するように思われているその舞台は、実は中国なのである。こ
れは、意外でもありまた奇異に感じるところだろう。
多くの版本が、辮髪をたらした中国人たちを描いた挿絵をかかげている。ただ
し 、「如意燈」の表紙を見れば、アラジンは、トルコ風の帽子をかぶった西洋の
少年である。アラジンを、トルコ風に描く挿絵は、英訳版本にもある。
アラジンの生い立ちが怠惰にまみれていた、と物語ははじまる、児童の教育用
材料としては、具合が悪いのではあるまいか。まっとうな職業にもつかず、努力
奮闘することもしない。偶然入手した不思議なランプによって生涯を幸福に暮ら
したというのでは、あまり生産的ではないようにも思う。
アラジンの品行の悪さが、ことこまかに描写される。それが父親を死においや
ったというのだ。物語として、中国の児童には提供することがためらわれてもい
い種類のものではないのか。
ここまでの内容を、中国語訳では、どのように述べているだろうか。
言ってしまえば、まことに簡潔に圧縮している。アラジンの怠惰な性格もよく
わかるように中国語訳している。編訳者にその力量があるという証拠となる。
これが孫毓修の手にかかると、さらに一段と簡略化される。
ただし、物語の場所が中国であると冒頭に説明していながら、それに添えられ
た挿絵のすべては、中国ではない。表紙に見えるのはトルコ風のアラジンである。
また、そのほかの登場人物は、アラビア風の服装をしていたり、西洋風の町並み
が描かれていたり、中国を感じさせる事物は皆無である。編訳者は、話の舞台が
中国ではないかのように思っているらしい。矛盾である。
アラジンは、遊んでいるときに、アフリカの魔法使いに目をつけられる。自分
の欲望を実現するためにアラジンが利用できると判断したのだ。
「如意燈」では、アフリカの魔法使いというのを、孫毓修自身が文中に出てき
て説明する。
「みなさん (看官)、その人ははたしてアラジンの叔父さんだと思いますか。私
が本当のことを言いますと、その人はアフリカからやってきた魔法使いなのです。
ムスタファには、どうしてこのような弟がいましょうか。今、彼が親族だといつ
わっており、アラジンによいことがありそうですが、みなさん、あわてなさるな。
323
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
のちのお楽しみ」
編者が作中にしゃしゃり出てきて解説をするのは、まるで旧小説のようだ。新
しいかたちの「童話」シリーズだと思うのだが、孫毓修の意識は、かなり古い。
叔父だとだましてアラジンを連れだした魔法使いは、歩き疲れるほどの遠くの
場所で、火をたいて呪文をとなえる。大地がわれて洞穴の扉が姿を現わす。アラ
ジンが開ける。奥まで続いているようだ。ランプに灯がともっているから、それ
を消し、油を抜いて持ってこい。これがアラジンに魔法使いが命じたことだった。
ランプを手に入れたアラジンは、帰る途中、石でできた果物の美しさに見せられ
ていくつもとった。
中国語訳では、木から果物をもぎ取る様子を描いた挿絵をかかげている。しか
し、洞窟のなかであるのに、普通の庭園のように描いている。編者と絵師の連絡
がうまくいっていないことを暴露しているとしかいいようがない。
魔法使いが待っている。まずランプをわたせ、いや、自分が出るのが先だ、と
言い争いになる。ここでもまた孫毓修が出てきてランプの説明をはじめるのであ
る。
「みなさん、このランプは普通のものではないことを知らなくてはなりません。
願いをかなえてくれるランプ「如意燈」というのです。この世でもっとも不思議
な品物で、それを手に入れた人は、お宝のたまる鉢「聚宝盆 」、金のなる木「揺
銭樹」よりももっと役に立つのです。……」
中国の児童には 、「聚宝盆 」「揺銭樹」を例にだしたほうが理解しやすいとい
う判断だったのだろう。ランプを手渡そうとしないアラジンに腹を立てた魔法使
いは、呪文をとなえて洞穴の扉を閉めてしまった。アラジンは、地下に閉じこめ
られる。
「さてこれが「如意燈」の始まりの歴史であります。彼はどのようにアラジン
を救出するのでしょうか。どのように彼の不思議な力を発揮するでありましょう
か。まことに一冊では書き切れません。なにとぞ「如意燈」下冊をご覧くださ
い」
上冊をこう締めくくれば、まことに旧小説のままなのである。
下冊の冒頭に、またしても孫毓修が出てきて説明を始める。これが、長い。ア
324
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
ラジンがランプを手渡さないものだから、魔法使いは怒ってアラジンを地中にと
じこめた。なぜ、魔法使い自身がランプを取りにいかなかったのかと質問される
かもしれない、とはじめる。
「編集者としての私は、もともとが魔法使いではありませんから、みなさん方
の質問に答えることはできません。しかし、本書に書いてあることによりますと、
魔法には多くのタブーがあり、ニセ叔父が不思議なランプを取り出すには、自分
で手を出してはよくないことがあるにちがいないのです。……」
魔法使いは、アラジンからランプを手に入れたあとは、アラジンを地中に埋め
るつもりだった、という推測までも述べている。描写を省略したから、編集者に
よる説明をつけくわえることが必要だという考えなのだ。親切といえば親切だと
いえよう。だが、重ねられた描写をたどることにより、説明されていない部分を
読者が推理する楽しみがある。それこそが読書の喜びではないのか。孫毓修は、
その快楽を読者から奪っている、ということも可能だ。
地中に閉じこめられたアラジンは、洞穴に入る前に魔法使いからもらった指輪
の力で、無事、自宅にもどることができた。ランプを売って食料を買うことにし、
母親はよごれをきれいに落とそうとこする。出てきたのがランプの奴隷である。
孫毓修がよった原本には、ランプの奴隷を描いた挿絵はついていなかったのだ
ろうか。普通に見られる挿絵ではないからだ。つまり、一見していかにも魔物で
ある、という感じがしない。挿絵には、ランプの奴隷はそこらにいる一般の成人
男性にしか見えない。羽根飾りのようなものがついた帽子をかぶっている。ヒゲ
をはやし、長上着を身にまとって、裸足だ。中国語訳では、醜悪な顔つきをして
雷のような声の「怪人」としか説明していない。この説明では、人間の姿をした
怪人を描いたとしてもしかたがないともいえる。母親は倒れて右手をあげて驚き
の表情を浮かべている。アラジンも腰をぬかし、かたわらにはランプがころがる。
窓の外には植木が見え、この空間だけがアラビア風ではない。舞台が中国なのだ
から、外の風景は中国だ、といったところで、それは説得力をもたない。登場人
物のすべてが西洋人である矛盾を説明できはしない。
食事を取り出させるためにだけランプの奴隷を使っていたアラジンだった。あ
る日、アラジンは、街でみかけた王女を好きになる。母親に宮殿にいって求婚し
325
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
てくるようにたのむ。その時に持たせたのが、あの洞穴からとってきた宝石の果
物である。王様は、すでに王女を大臣の息子と結婚させる約束をしていたにもか
かわらず、宝石に目がくらんだ。三ヵ月待つように命じる。
その三ヵ月の間に、実際は王女と大臣の息子は結婚式をあげている。しかし、
アラジンに命じられたランプの奴隷は、結婚式の夜、王女たちふたりを運び出し
てじゃまをするのだ。それをくりかえし、すっかり恐怖にかられたふたりは結婚
を中止するのだが、孫毓修の中国語訳ではこの部分すべてを削除してしまう。そ
のまま三ヵ月後にふたたび母親が宮殿を訪問する場面につづく。
王様が母親に要求したというのが、四〇の大きな金の盆に宝石を山盛りにし、
四〇名の黒人奴隷と四〇名の白人奴隷をきれいに着飾らせろというものだった。
「如意燈」下冊の表紙絵が、この風景を描いている。黒人奴隷たちが頭に盆を
のせ、行進している。盆には宝石が満載されているのがわかる。原文では金の盆
だが、表紙では赤色で塗られている。先頭の盆には赤い珊瑚が描かれているから
宝石だと見当がつく。ただ、画面の左は水色に塗られているから、川辺か海辺な
のだろう。なぜ、水辺の風景でなければならないのか、理解に苦しむ。
王様の要求を実現したから、アラジンは王女との結婚を許された。ふたりで住
む豪華な宮殿をただちに新築する。ランプの奴隷に命じて造らせたのはいうまで
もない。うわさが例のニセ叔父の耳にとどいた。不思議なランプをどうにかして
奪おうと考えをめぐらせる。アラジンが宮殿を留守にしている間に、ニセ叔父は、
古いランプをタダで新しいものに交換すると呼ばわり、アラジンの宮殿から不思
議なランプを入手することに成功した。アラジンの新宮殿は、王女ごと影も形も
なくなる。消失してしまった。アフリカに移されたのである。アラジンは、王様
に四〇日の猶予をもらい王女をさがすことにした。さがし疲れて川に身を投げて
死のうとしたとき、指輪に気がついた。当然のように指輪の奴隷に宮殿と王女を
取り戻すように命じる。しかし、これほどの大仕事は、不思議なランプでなくて
はできない、せいぜいが王女のところに連れていくくらいだ、というのでそうな
る。
アラジンが購入した薬を酒に混ぜ込み、ニセ叔父に飲ませる。意識を失ったす
きに懐にいれて持ち歩いていた不思議なランプを取り戻す。ランプの奴隷を呼び
326
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
だし、宮殿をもとの場所に移すように命じた。
孫毓修の中国語訳は、まるで断ち切ったようにここで終わる。
本来はあるはずの、王様と王女の感激の再会、一部始終の説明、王女たちが無
事帰還したことにたいする国中のお祝いも、すべて省略される。
私が子供のころに聞いた「アラジンと不思議なランプ」は、ここで物語が終了
する。めでたしめでたしで終わってどこが不足か、と言われるかもしれない。だ
が、それ以後も話が続いている。思いもしないことだ。ニセ叔父、すなわちアフ
リカの魔法使いには弟がいて、兄よりも極悪であったというのだ。アラジンは、
兄の仇を討とうという弟のたくらみをうち砕き、逆に殺して難を逃れる。これが
フォースター版である。奚若訳「神燈記」は、アフリカの魔法使いの弟について
も省略することなく、そのまま中国語訳していることを指摘しておきたい。
「童話」シリーズに収録されたアラビアン・ナイトは、普通によく知られた物
語であるといえる。ただし、それらの内容を個々に吟味すれば、腑に落ちない箇
所もある。
アリ・ババが洞穴の秘密を知ったのは、偶然であった。女奴隷のモルギアナの
機転により、盗賊たちを滅ぼして財宝を自分のものにする。盗賊だから殺しても
いい、という社会の掟だろうか。たとえ原作がそうだとしても、それを中国にそ
のまま移植できるだろうか。まっとうな人間のすることではない。
中国語訳者が、それに薄々気づいて、最後部分を話し合いで解決するように改
変した。したけれども、不正義という印象をぬぐうことができない。
アラジンは、子供とはいえ怠け者でどうしようもない遊び人だ。彼が不思議な
ランプを手に入れたのも偶然である。偶然こそが重要だ。努力することなしに、
富と権力を自分のものにする。金持ちになるのが偶然ならば、日頃の地道な精進
などは、ばからしくてしていられないということにならないか。
もうひとつの物語は、嫉妬にかられた姉たちの理不尽な妹いじめである。しか
も、子供たちは、その出身によって最終的に幸福を獲得することになる。
外国の民話として成人が楽しむ分には、なにも差し支えはない。しかし、児童
向けの読み物としては、いかがなものか。
啓蒙だというならば、この社会が、基本的に不合理で不公平であることを教え
327
中 国に おけ るア ラビ アン・ ナイ ト
ることが目的である、とでも主張するつもりだろうか。だから、書き換えていま
すというか。書き換えが必要なものは、いくら有名であろうとも最初から児童用
の書籍に収録すべき性質のものではないだろう。だが、未見の「橄欖案」は、以
上の三作とは違う。裁判もの、それも賢い児童が関係している。それほど広く知
られてはいないかもしれない。だが、これこそ児童が読み、聞くにふさわしい。
「童話」シリーズが、児童の啓蒙を目的にして刊行されているとすれば、アラ
ビアン・ナイトならばすべてが児童用として無条件に与えることができると考え
てはならない。
アラビア語からの直接訳は、納訓 (回族) の商務印書館五冊本 (一九四〇−四一未
見)、人民文学出版社三冊本 (一九五七未見)、同六冊本 (一九八二) のほかに以下の
ものがある。郅溥浩 (漓江出版社一九九八、北京燕山出版社二〇〇〇、訳林出版社二〇〇
一)、李唯中 (中国文聯出版公司二〇〇二、海天出版社二〇〇三、天津古籍出版社二〇〇四)
など。
なお、日本での研究に樽本『漢訳アラビアン・ナイト論集』(清末小説研究会二〇
〇六) がある。
328
【附
録】
漢訳アラビアン・ナイト目録
アラビアン・ナイトが中国でどのように翻訳されたのか、それを知る手掛かりになるよう
に作成した。
発行年順に配列する。重版は○bcdなどをふって一箇所にまとめた。各種書目を参照した。
2006年までに発行された書籍を掲げた。『新編増補清末民初小説目録』(済南・斉魯書社20
02)は、1919年あたりまでしか収録していない。それ以後の翻訳を掲載するようにつとめた。
ただし、見ることのできないものが多く、本稿は完全ではない。特に最近出版されたものは、
全部をみているわけではないので、ご注意いただきたい。【増補版補記】2006年までのデー
タである。増補はしていない。
【記号】
* :未見を示す。
[ ]で示した資料名は、上記小説目録で使用している。
[民博]は、本稿でのみ使っている。国立民族学博物館所蔵であることを示す。
01●*『航海述奇』
英穀徳訳
銭楷重訳
文明書局
光緒29(1903)
The Story of Sindbad the Sailor 阿臘伯原本。
“ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENT”
胡従経によると出版年不詳[阿英176][大典61](馬祖毅719頁)銭鍇重訳,即「辛伯達航
海」。顧燮光「小説経眼録」(537頁)は銭鍇重訳とする。郅溥浩は『海上述奇』日本東
ママ
京市中原印刷所出版と書いている(『中国翻訳詞典』832頁)[編年113]は《航海奇迹》,
署“(英)谷徳訳,銭楷重訳”とする。
02●*一千零一夜
上海周樹奎桂笙(周桂笙)戲訳
庵諧訳初編』上巻
上海・清華書局
南海呉沃堯趼人(呉趼人)編次
『新
光緒29(1903)孟夏(四月)
REV.GEO.FYLER TOWNSEND,M.A.“THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENT”
[現代893][大典61][編年98]
b○一千零一夜
周桂笙訳
呉趼人編次
海風主編『呉趼人全集』第9巻
哈爾濱・北方文
藝出版社1998.2
REV.GEO.FYLER TOWNSEND,M.A.“THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENT”
張純校点。據上海清華書局本点校収入。
329
漢訳アラビアン・ナイト目録
03●*漁者
上海周樹奎桂笙(周桂笙)戲訳
初編』上巻
上海・清華書局
南海呉沃堯趼人(呉趼人)編次
『新庵諧訳
光緒29(1903)孟夏(四月)
REV.GEO.FYLER TOWNSEND,M.A.“THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENT”
The History of the Fisherman[現代893][大典61][編年98]
b○漁者
周桂笙訳
呉趼人編次
海風主編『呉趼人全集』第9巻
哈爾濱・北方文藝出版
社1998.2
REV.GEO.FYLER TOWNSEND,M.A.“THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENT”
The History of the Fisherman
04●*一千一夜
佚名訳
張純校点。據上海清華書局本点校収入。
『大陸報』6-10期
光緒29.4.10-7.10(1903.5.6-9.1)
“THE THOUSAND AND ONE NIGHTS(THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENT)
”
第6期1903「《 一千一夜》序」、第8期1903.7.4「漁翁故事」[阿英109][大典60]は「一
千零一夜」とする。[史索二116][編年97][編年106]
05●*漁翁故事
『大陸報』第8期
光緒二十九年閏五月初十日(1903.7.4)
REV.GEO.FYLER TOWNSEND,M.A.“THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS”
The History of the Fisherman 漁 師と魔神の物語
b○漁翁故事
阿拉伯民間故事
佚名訳
『中国近代文学大系』11集28巻翻訳文学集三
上海書店1991.4
党孫(REV.GEO.FYLER TOWNSEND,M.A.)氏本“ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENT”
The History of the Fisherman。 選自《大陸報》第8期,1903年7月4日版。【附録】
《一千一夜》序。選自《大陸報》第6期,1903年版。
06●天方夜譚
(奚若翻訳、金石校訂)
→天方夜譚
『繍像小説』11-55期
癸卯9.1-刊年不記[乙巳7.
1](1903.10.20-[1905.8.1])
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”
三噶稜達五幼婦 The History of three Calenders, Sons of Kings, and of five
Ladies of Bagdad、
噶稜達紀其一 The History of the first Calender, the Son of a King、
噶稜達紀其二 The History of the second Calender, the Son of a King、
説妬 The History of the Envious Man, and of him who was envied、
噶稜達紀其三 The History of the third Calender, the Son of a King、
蘇培特記 The History of Zobeide、
愛米記 The History of Amine、
槖駝 The History of the Little Hunchbak、
情恨 The Story told by the Christian Merchant、
膳夫言 The Story told by the Purveyor of the Sultan of Casgar、
猶太医師言 The Story told by the Jewish Physician、
縫工言 The Story told by the Tailor、
330
漢訳アラビアン・ナイト目録
薙匠言 The History of the Barber、
薙匠述弟事一 The History of the Barber's first Brother、
薙匠述弟事二 The History of the Barber's second Brother、
薙匠述弟事三 The History of the Barber's third Brother、
薙匠述弟事四 The History of the Barber's fourth Brother、
薙匠述弟事五 The History of the Barber's fifth Brother、
薙匠述弟事六 The History of the Barber's sixth Brother、
龍穴合窆記 The History of Aboulhassan Ali Ebn Becar, and of Schemselnihar,
the Favourite of the Caliph Haroun Alraschid、
波斯女 The History of Noureddin and the Beatiful Persian、
海陸締婚記 The History of Beder, Prince of persia, and of Giauhare, Princess
of the Kingdom of Samandal、
[阿英115][大典61][史索一253]顧燮光「小説経眼録」[編年108][編年142]
07●天方夜譚
(奚若翻訳、金石校訂) 『東方雑誌』2年6-12期 光緒31.6.25-12.25(1905.
7.25-1906.1.19)
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”
蘋果醸命記 The Three Apples /The History of the Lady, who was murdered,
and of the Young Man, her Husband、
荒塔仙術記 The History of Amours of Camaralzaman, Prince of the Isle of the
Children of Khaledan, and of Badoura, Princess of China、
墨継城大会記 The History of Prince Amgiad, and of Prince Assad
ママ
[大典87][大典89]は荒塔仙木記とする。[大典93][大典100][史索二122]
08●*『天方夜譚』
4冊
奚若訳
商務印書館
光緒32(1906)
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”[阿英115][蒲梢277][編
年108]
b○*『天方夜譚(述異小説 )』
4冊
奚若訳
(金石校訂)
上海商務印書館1906 ?
説
部叢書六=4
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”校者「天方夜譚序」。
第1冊:縁起、鶏談、棗核弾、鹿妻、犬兄、記漁夫、記竇本、頭顱語、四色魚、涙宮記、
二黒犬、生壙記、樵遇、説妬、金門馬、麦及教人化石、蛇仙杯水記、談瀛記、蘋果醸命
記。
第2冊:槖駝、断臂記、截指記、訟環記、折足記、薙匠言、薙匠述弟事一−六、龍穴合
窆記、荒塔仙術記、墨継城大会記。
第3冊:波斯女、海陸締婚記、報徳記、魔媒記、殺妖記、非夢記。
第4冊:神燈記、加利弗挨力斯怯得軼事、盲者記、記虐馬事、致富術、記瑪奇亜那殺盗
事、橄欖案、異馬記、求珍記、能言鳥。
以上の目録は推定『東方雑誌』8:1広告
c○『天方夜譚(述異小説 )』
4冊
奚若訳
331
金石校訂
上海商務印書館
丙午4(1906)
漢訳アラビアン・ナイト目録
/1913.12再版
説部叢書1=54
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”校者「天方夜譚序」。
第1冊:
縁起 表題なし、
鶏談 The Fable of the Ass, the Ox, and the Labourer、
棗核弾 The Story of the Merchant and the Genius、
鹿妻 The History of the First Old Man and the Hind、
犬兄 The History of the Second Old Man and the two Black Dogs、
記漁父 The History of the Fisherman、
記竇本 The History of the Greek King, and Douban, the Phystician、
頭顱語 The History of the Vizier, who was punished、
四色魚 TOWNSEND版(The Further Adventures of the Fisherman)、
涙宮記 The History of the young King of the Black Isles、
二黒犬 The History of three Calenders, Sons of Kings, and of five Ladies of
Bagdad、
生壙記 The History of the first Calender, the Son of a King、
樵遇 The History of the second Calender, the Son of a King、
説妬 The History of the Envious Man, and of him who was envied、
金門馬 The History of the third Calender, the Son of a King、
麦及教人化石 The History of Zobeide、
蛇仙杯水記 The History of Amine、
談瀛記 The History of Sindbad, the Sailor /The first Voyage of Sindbad, the
Sailor /The second Voyage of Sindbad, the Sailor /The third Voyage of Sindbad,
the Sailor /The fourth Voyage of Sindbad, the Sailor /The fifth Voyage of
Sindbad, the Sailor /The sixth Voyage of Sindbad, the Sailor /The seventh and
last Voyage of Sindbad, the Sailor、
蘋果醸命記 The Three Apples /The History of the Lady, who was murdered,
and of the Young Man, her Husband、
第2冊:
槖駝 The History of the Little Hunchbak、
断臂記 The Story told by the Christian Merchant、
截指記 The Story told by the Purveyor of the Sultan of Casgar、
訟環記 The Story told by the Jewish Physician、
折足記 The Story told by the Tailor、
薙匠言 The History of the Barber、
薙匠述弟事一 The History of the Barber's first Brother、
薙匠述弟事二 The History of the Barber's second Brother、
薙匠述弟事三 The History of the Barber's third Brother、
332
漢訳アラビアン・ナイト目録
薙匠述弟事四 The History of the Barber's fourth Brother、
薙匠述弟事五 The History of the Barber's fifth Brother、
薙匠述弟事六 The History of the Barber's sixth Brother、
龍穴合窆記 The History of Aboulhassan Ali Ebn Becar, and of Schemselnihar,
the Favourite of the Caliph Haroun Alraschid、
荒塔仙術記 The History of Amours of Camaralzaman, Prince of the Isle of the
Children of Khaledan, and of Badoura, Princess of China、
墨継城大会記 The History of Prince Amgiad, and of Prince Assad、
第3冊:
波斯女 The History of Noureddin and the Beatiful Persia、
海陸締婚記 The History of Beder, Prince of persia, and of Giauhare, Princess
of the Kingdom of Samandal、
報徳記 The History of Ganem, Son of Aibou, the Slave of Love、
魔媒記 The History of Prince Zeyn Alasnam, and of the King of the Genii、
殺妖記 The History of Codadad and his Brothers, and of the Princess of
Deryabar、
非夢記 The Story of the Sleeper Awakened B8 /眠っている者と目覚めている者、
第4冊:
神燈記 The History of Aladdin, or the Wonderful Lamp、
加利弗挨力斯怯得軼事 The Adventures of the Caliph Haroun Alraschid、
盲者記 The History of Baba Abdalla, the Blind Man、
記虐馬事 The History of Sidi Nouman、
致富術 The History of Cogia Hassan Alhabbal、
記瑪奇亜那殺盗事 The History of Ali Baba, and of the Fory Robbers, killed by
one Slave、
橄欖案 The History of Ali Cogia, a Merchant of Bagdad、
異馬記 The History of the Enchanted Horse、
求珍記 The History of Prince Ahmed and the Fairy Pari-Banou、
能言鳥 The History of the Two Sisters, who were jealous of their Younger Sister
[HOOVER][商目93][編年157]
d○*『天方夜譚(述異小説)』
4再版
4冊
奚若訳
(金石校訂)
上海商務印書館1906/1914.
説部叢書1=54
[叢書782][民外0313]は訳者奚若原名伍光建とするが、誤り。別人[現代900][INDIANA]丙
午4(1906)/1914.4再版[中村C][商目93]
e○『天方夜譚』
上下冊
奚若訳
葉紹鈞校注
上海・商務印書館
1924.6-8/1932.6-9
国難後1版/1935.5国難後三版
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”
上冊:葉紹鈞「序」、校者「訳序」。上冊:縁起、鶏談、棗核弾、鹿妻、犬兄、記漁夫、
333
漢訳アラビアン・ナイト目録
記竇本、頭顱語、四色魚、涙宮記、二黒犬、生壙記、樵遇、説妬、金門馬、麦及教人化
石、蛇仙杯水記、談瀛記、蘋果醸命記、槖駝、断臂記、截指記、訟環記、折足記、薙匠
言、薙匠述弟事一−六、龍穴合窆記、荒塔仙術記、墨継城大会記。
下冊:波斯女、海陸締婚記、報徳記、魔媒記、殺妖記、非夢記、神燈記、加利弗挨力斯
怯得軼事、盲者記、記虐馬事、致富術、記瑪奇亜那殺盗事、橄欖案、異馬記、求珍記、
能言鳥
[民外0314]新学制中学国語文科補充読本
f○*『天方夜譚』
4冊
奚若訳
上海商務印書館1930.4
万有文庫1
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”[民外0315]
g○『天方夜譚』
2冊
奚若訳
葉紹鈞校注
上海・商務印書館1930.4/1939.12
万有文
庫第一二集簡編五百種
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”[民外0315]
h○『天方夜譚』
1冊
奚若訳
長沙・岳麓書社1987.1
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”宋斐夫標点。伍国慶は
「前言」で奚若の姓が張であることをいう。間違いだろう。縁起、鶏談、棗核弾、鹿妻、
犬兄、記漁夫、記竇本、頭顱語、四色魚、涙宮記、二黒犬、生壙記、樵遇、説妬、金門
馬、麦及教人化石、蛇仙杯水記、談瀛記、蘋果醸命記、槖駝、断臂記、截指記、訟環記、
折足記、薙匠言、薙匠述弟事一−六、龍穴合窆記、荒塔仙術記、墨継城大会記、波斯女、
海陸締婚記、報徳記、魔媒記、殺妖記、非夢記、神燈記、加利弗挨力斯怯得軼事、盲者
記、記虐馬事、致富術、記瑪奇亜那殺盗事、橄欖案、異馬記、求珍記、能言鳥
i○龍穴合窆記
学集三
阿拉伯民間故事
佚名(奚若)訳
『中国近代文学大系』11集28巻翻訳文
上海書店1991.4
EDWARD
FORSTER, M. A. 系 “ THE
ARABIAN NIGHTS. ” The
History
of
Aboulhassan Ali Ebn Becar, and of Schemselnihar, the Favourite of the Caliph
Haroun
Alraschid(参考:日訳バートン版2)アリ・ビン・バッカルとシャムス・ア
ル・ナハルの物語。選自《繍像小説》第44-49期、1905年版。
j○談瀛記
阿拉伯民間故事
奚若訳
『中国近代文学大系』11集28巻翻訳文学集三
上海
書店1991.4
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”The Story of Sindbad
the Sailor(日訳バートン版4)船乗りシンドバッドと軽子のシンドバッド/The First
Voyage of Sindbad the Sailor船 乗りシンドバッドの最初の航海/The Second Voyage
of Sindbad the Sailor船乗りシンドバッドの第二の航海/The Third Voyage of
Sindbad
the Sailor船 乗りシンドバッドの第三の航海 /The
Fourth Voyage
of
Sindbad the Sailor船乗りシンドバッドの第四の航海/The Fifth Voyage of Sindbad
the Sailor船乗りシンドバッドの第五の航海/The Sixth Voyage of Sindbad the
Sailor船乗りシンドバッドの第六の航海/The Seventh Voyage of Sindbad the Sailor
船乗りシンドバッドの第七の航海。選自《天方夜譚》,商務印書館1906年版。
334
漢訳アラビアン・ナイト目録
09●侠女奴
『女子世界』8-12期
萍雲女士(周作人)述文
甲辰7.1(1904.8.11)-刊年
不記
EDWARD FORSTER, M.A.系“THE ARABIAN NIGHTS.”より“THE HISTORY
OF ALI BABA, AND OF THE FORTY ROBBERS, KILLED BY ONE SLAVE.”を
翻訳。周作人自身はGOEORGE
NEWNES社版と書いているが、正しくない[大典78]
[史索二121][編年124][編年133]
b○*『侠女奴』
萍雲(周作人)訳
初我(丁祖蔭)潤
小説林社
光緒乙巳(1905)
[阿英133]『翻訳名家研究』18頁は1905年6月とする。
c○*『侠女奴』
萍雲女士(周作人)訳
女子世界社1905
[現代898][編年150]
d○*『侠女奴』
萍雲(周作人)訳述
初我(丁祖蔭)潤辞
上海・小説林総発行所
光
緒丙午3(1906)再版
[大典78]は上海小説林社1906.3とする。『小説林』第9期「小説林書目」は丙午三月(19
06)とする。[中村C][編年148]1905[編年156]再版
e○『侠女奴』
版
萍雲(周作人)訳述
(初我(丁祖蔭)潤)
上海・小説林社1906.3再
小説林(叢書)
[叢書134]
f○侠女奴
阿拉伯民間故事
訳文学集三
萍雲女士(周作人)述文
『中国近代文学大系』11集28巻翻
上海書店1991.4
選自《女子世界》8-12期,1904年版。
10●*『阿里巴巴遇盗記』
上海・美華書局1910
‘THE STORY OF ALI BABA AND THE FORTY THIEVES’“THE ARABIAN
NIGHTS' ENTERTAINMENTS” [現代911][編年278]
11●怪石洞
(FORTY ROBBERS KILLED BY ONE SLAVE)、高真長編訳
上海商務印書館1914.8/1922.9八版
孫毓修校訂、
童話1=25
Ali Baba, and the Forty Robbers killed by One Slave.
12●能言鳥
版
(THE THREE SISTERS)、孫毓修編訳、上海商務印書館1915.12/1922.9五
童話1=45
The Two Sisters who were Jealous of their Younger Sister.
13●*橄欖案、(孫毓修編纂)、上海商務印書館1916?1917?
童話1=46
Ali Cogia, a Merchant of Bagdad.
14●*『阿里排排逢盗記』
著訳者不詳
土山湾印書館1917.2
‘THE STORY OF ALI BABA AND THE FORTY THIEVES’“THE ARABIAN
NIGHTS' ENTERTAINMENTS” [現代675]用上海方言行文
15●如意燈
(THE WONDERFUL LAMP)
1922.9五版
上下、孫毓修編訳、上海商務印書館1918.1/
童話1=60,61
Aladdin, or the Wonderful Lamp.
16●*『秘密洞』
黄弁群、呉太玄編訳
上海・中華書局1925.3/1931.7九版
335
漢訳アラビアン・ナイト目録
本書系據《天方夜譚》中的《阿里巴巴和四十大盗》編写。
17●*『天方夜譚』
屺瞻生、天笑生訳
(語体)
上海・中華書局1928.6/1931.9七版/1
936.7十一版
據A.L.Lane的英訳本訳出。
18●*『一千○一夜』
上海・亜東図書館1930.4/1931.7三版
汪原放訳
據A.L.Lane的英訳本訳出。
19●*『天方夜譚』
上海・三明図書公司1931
華英対照
20●*『天方千夜奇談』
陳逸飛、酈昭蕙訳
北平・敬文書社1931.1
據英訳本転訳。
21●*『天方夜譚』
22●*『能言鳥』
彭兆良訳
陳旭輪訳
23●*『天方夜譚』
上海・世界書局1933
上海・世界書局1935
啓明書店1936.5/1937.1三版
方正訳
本書従《天方夜譚》最流行的英文本里選訳其中最有趣的故事13篇。
24●*『桑鼎拝徳航海遇険記』(埃及)高米爾編著、馬興周訳
上海・世界書局1936.12
阿拉伯故事叢書
25●*『阿里倫丁』
(埃及)高米爾編著、馬興周訳
上海・世界書局1937.2
又名《神灯記》。
26●*『哈漪雅格贊』
(埃及)高米爾編著、馬興周訳
上海・世界書局1937.2
阿拉伯故事叢書
27●*『天方夜譚』
5冊
納訓訳
28●*『天方夜譚』
林俊千訳
長沙・商務印書館1940.2-1941.11
上海・春明書店1947.2再版
世界文学名著。據英訳本転訳。
29●*『天方夜譚』
上海・永祥印書館1948.4/1948.8三版
范泉縮写
據R.F.Burton的英訳本編訳。
30●*『脚夫艶行記』天方夜譚之一
季諾訳
上海・新潮出版社1948.11
本書據巴登(R.F.Burton)的英訳本訳出、原名《巴格達徳的脚夫和三個女人的故事》。
31●*『神灯』天方夜譚之二
季諾訳
上海・新潮出版社1948.11
據A.L.Lane的英訳本訳出。
32●*『天方夜譚』
肖波倫訳
通俗文藝出版社1956.3
本書包括20個故事。據《一千零一夜》的英文節本選訳。
33●『(英漢対照)天方夜譚』
這故事怎様発生的HOW
啓明書局編輯部訳述
THE
台湾・啓明書局1956.11台二版
STORIES CAME
TOBE
TOLD、 漁翁和妖魔THE
FISHERMAN AND THE GENIE、 魔馬的故事THE STORY OF THE ENCHANTED
HORSE、王子阿米徳故事THE STORY OF PRICE AHMED、 致富奇談THE HISTORY
OF COGIA HASSAN ALHABBAL、 阿萍廷的故事THE STORY OF ALADDIN、橄欖案
THE STORY OF ALI COGIA, A MERCHANT OF BAGDAD、 智婢殺盗的故事ALI
BABA AND THE FORTY THIEVES、 阿保哈生的故事THE STORY OF ABOU
336
漢訳アラビアン・ナイト目録
HASSAN、三姉妹的故事THE STORY OF THE THREE SISTERS、 航海家孫柏達的故
事 THE
STORY
OF
SINDBAD
THE
SAILOR、 理 髪 匠 第 六 兄 弟 的 故 事 THE
BARMECIDE FEAST、王子陳亜拉生与魔王的故事THE HISTORY OF PRINCE ZEYN
ALASNAM AND THE SULTAN OF THE GENII[ 民博]
34●*『一千零一夜』
3冊
人民文学出版社1957.12/1977.12印4次
納訓訳
據火魯特卡托里克書店1927年版,艾博・安突涅校勘編輯的阿拉伯文五巻本原編選訳。
35●*『辛伯達航海歴険記』
納訓訳
人民文学出版社1959.5
文学小叢書
本書選自《一千零一夜》中訳本第二巻。
36●*『一千零一夜』
3冊
納訓訳
重慶人民出版社祖型出版1962.11
據火魯特卡托里克書店1927年版,艾博・安突涅校勘編輯的阿拉伯文五巻本原編選訳。
37●*『一千零一夜』
3冊
納訓訳
天津人民出版社祖型出版1978.4
據火魯特卡托里克書店1927年版,艾博・安突涅校勘編輯的阿拉伯文五巻本原編選訳。
38●*『一千零一夜』
3冊
納訓訳
上海文藝出版社祖型出版1978.10
據火魯特卡托里克書店1927年版,艾博・安突涅校勘編輯的阿拉伯文五巻本原編選訳。
39●*『天方夜譚』続篇
丁岐江
雲南人民出版社1981
據俄訳本訳出。
40●『一千零一夜』
6冊
納訓訳
北京・人民文学出版社1982.7/1998.2北京第2次印刷
根拠開羅前進学術出版社1907年仿布拉格本印行的版本,並参照貝魯特天主教出版社1928
年版本訳出。
41●*『天方夜譚』少年版
王瑞琴訳
42●*『一千零一夜』少年版
王瑞琴訳
43●『《一千零一夜》故事選』
刷
中国少年児童出版社1985
海南出版社1992
納訓訳
北京・人民文学出版社1994.5/1995.5北京第2次印
世界文学名著文庫
李玉侠「前言」。根拠納訓先生翻訳的全訳本編選的。
44●『天方夜譚』
1冊
郅溥浩主編
桂林・漓江出版社1998.1/1999.9第4次印刷
本書直接従阿拉伯文訳出。
45●『一千零一夜』
劉建剛編
46●『一千零一夜』
8冊
北京・宗教文化出版社1998.4/1999.10第5次印刷
李唯中訳
石家荘・花山文藝出版社1998.6
根1835年埃及開羅布拉克本全文訳出
47●『一千零一夜』
1冊
郅溥浩等訳
北京燕山出版社2000.1/2001.1第2版
本書除《阿里巴巴、女奴和四十大盗》、《阿拉丁和神灯》訳自英文外,其余均由阿拉伯文
直接訳出。
48●『阿拉丁和神灯――神魔故事選』
1冊
郅溥浩主編、劉光敏等訳
北京・社会科学文献出版社2000.5
49●『一千零一夜』
李向東、王金芳主編
黒龍江・延辺教育出版社2000.7
文庫・図文本
[民博]
50●『一千零一夜』
3冊
鄭岳涛、次冰訳
北京・中国婦女出版社2001.1
337
少児注音経典
漢訳アラビアン・ナイト目録
51●『天方夜譚』
柯特・維京(Kate Douglas Wiggin)等編、呉憶帆訳
1冊
台北・志
文出版社2001.4
52●『天方夜譚(又名《一千零一夜》)』 1冊
53●『一千零一夜補遺故事』
陸孝修訳
郅溥浩等訳 南京・訳林出版社2001.5
北京・大衆文藝出版社2001.9
天方伝奇系列
[民博]
54●『一千零一夜故事』
林輝、阿布拉江責任編輯
喀什維吾爾文出版社2001.10
金色経
典叢書
[民博]
55●『天方夜譚』
王瑞琴訳
世界児童文学叢書
北京・人民文学出版社2002.1
新世紀精華版
王瑞琴「前言」。根拠開羅知識出版社1942年版本訳
出。
56●『一千零一夜』上下
暁申編、納訓、解伝広訳
北京・中国少年児童出版社2002.1
中
外伝世児童故事
[民博]
57●『一千零一夜』
崔琰編訳
西安出版社2002.1第2版
世界児童文学経典全訳
[民博]
58●『一千零一夜全集』6冊
馮化平編訳、向朝暉挿図
天津人民美術出版社2002.1
[民博]
59●『一千零一夜』
賀霊責任編輯
烏魯木斉・新疆人民出版社2002.3
児童経典故事園
[民博]
60●『一千零一夜――分夜足訳本』6冊
李唯中訳
北京・中国文聯出版公司2002.8第1版第
2次印刷
1835年開羅印行的由“官方訂正本布拉克本”,忠実地全文訳出。附録:《一千零一夜》集
外集、中外名家論《一千零一夜》
61●『一千零一夜』挿図本
3冊
李唯中訳
深圳・海天出版社2003.2
李唯中「訳序」
62●『天方夜譚』
楊政和改写
北京出版社2003.5第2版
世界少年文学精選
楊政和「序」。1996年中文簡体字版由台湾東方出版社股份公司授与北京出版社出版発行。
63●『一千零一夜全集』
1冊全本
宮方訳
北京・中国和平出版社2003.10
世界児童経典
図文珍蔵本
64●『一千零一夜:青少年挿図精選本』
李唯中訳
天津古籍出版社2004.8
都是本人的“善本全訳”里選出的
65●『一千零一夜』
馮化平主編
天津人民美術出版社2005.1
338
学生課外閲読経典
あ と が き
アラビアン・ナイトの漢訳は、中国でははるか昔からあるような印象をもたれ
ているかもしれない。だが、漢訳が発表されたのは、ついこの前の 1900年前後で
ある。ついこの前といいながら 、「前後」としか書くことができないほど資料は
散逸している。これが清末小説研究を説明するばあいの決まり文句である。そう
としか言いようがないのだから、しかたがない。永峯秀樹による日本語翻訳の出
版が 1875年だ。これと較べても、かなり遅い。
これだけのことを書くのにも、私にとっては時間がかかった。なぜなら、漢訳
アラビアン・ナイト研究に着手するのには、準備が必要だったからだ。研究の条
件が整わなかったといってもいい。
清末翻訳小説のひとつとしてアラビアン・ナイトが存在していることは、意識
はしていた 。『清末民初小説目録』の編纂作業を続けていれば、いやおうなしに
漢訳文献が目に入ってくる。しかし、論文執筆と直接結びつくわけではない。や
るべき作業はいくつもあり、膨大な数があるアラビアン・ナイトにはなかなか手
が出せなかったというのが本当のところだ。
私が最初に書いた関係論文は 、『
「 暴夜物語』の底本――日訳最初のアラビアン
・ナイト 」(『大阪経大論集』第52巻第6号(通巻第266号)2002.3.31) という。日本で最
初に翻訳されたアラビアン・ナイト、すなわち、前出永峯秀樹訳『 (開巻驚奇) 暴
夜物語』 (奎章閣1875) についてのものだ。
諸文献を読むと、永峯の拠った英文原書は、タウンゼンド版であるというのが
その頃の定説であった。私の目に入った範囲内で、ということは当然広いもので
はないが、それまで異論が提出されたことはないと了解した。だが、実際にタウ
339
あとがき
ンゼンド版と永峯訳本を突き合わせて検討すると、底本として使用したのは該版
のみではないことがわかる。挿し絵もひとつの手がかりになった。永峯は、大筋
をタウンゼンド版に拠りながら、部分的にレイン版3冊本を挿入して翻訳してい
る事実をつきとめた。また、一部でいわれているように、永峯訳本は、原文を抄
訳したわけでもない。タウンゼンド版を忠実に翻訳している。抄訳したように見
えたのは、タウンゼンド版そのものに省略があるからだ。これが論文の主旨であ
る。
論文執筆は、漢訳アラビアン・ナイトに着手する準備段階でのことだった。日
本語翻訳の問題である。私の研究範囲とは違うとは思いながらも、当時、私が得
た見解をほかで見ることはできなかった。だから、敢えて発表した。
私の書いた論文に対しては、反応というものが、基本的に、ない。例外はある
にしても、清末小説研究というのは、そういう分野であると考えてもらってよろ
しい。いつものことでなれている。
ところが、この時は違った。しばらくして、杉田英明氏より「『 アラビアン・
ナイト』翻訳事始――明治前期日本への移入とその影響――」(東京大学大学院総合
文化研究科・教養学部『外国語研究紀要』第4号2000.3.31) の抜き刷りをいただいた。私
が書いたものよりも詳細に論じられている。ということで、上記論文は、本書に
収録しなかった。
漢訳アラビアン・ナイト研究で私がめざしたもののひとつは、中国人が使用し
た底本の英文原書をつきとめることだ。
過去をふりかえれば、漢訳原書と英文原書のふたつともに研究の障碍だった。
読むことができなければ、研究の進展を望んでもありえない。その種の分野に興
味を示す研究者が出てくるわけもない。ゆえに、底本探求を実行した中国人研究
者はいない。断言してもよい。だが、最近は、以前とは情況が違ってきている。
中国の図書館でも漢訳原書を見ることができるばあいがある。また、インターネ
ットの普及で、英文原書を入手することが比較的容易になった。私が漢訳アラビ
アン・ナイト研究に踏み切った理由でもある。
漢訳の歴史をたどっていくと商務印書館版奚若訳『天方夜譚』にぶつかる。該
本を検討するにあたって、英文原本の探求を主題にした。各種版本を比較検討す
340
あとがき
れば、それが英訳原書を紹介することにつながる。
その結果はどうなったか。本書所収の論文を見てもらうしかない。案の定、英
文底本の特定には困難を感じている。解決というのには、まだほど遠い。
清末翻訳小説を研究するときの方針をくりかえす 。「結論を急がない 」。漢訳
アラビアン・ナイトにおいても同様である。
やり残している課題はいくつもある。研究は、今後とも継続される。
各論の発表後、渡辺浩司氏より誤植の指摘をいただきました。感謝します。
杉田英明氏より資料をいただき多くの教えをうけました。感謝します。
2006.4.20
樽本照雄
341
あとがき
増補版
あ と が き
前著は、清末小説研究会より刊行した (2006.6.1)。その内容を説明して次の通
り。漢訳されたアラビアン・ナイトについて論じる。漢訳の歴史、底本とした英
文原書、周作人が漢訳で書き換えたこと、童話への転換、漢訳名「天方夜譚」の
由来など。英文原書にまでさかのぼって追求したのは、世界ではじめてだ。珍し
い専門研究書であるといっても過言ではない。
私は、今でもそう考えている。類似の専門書は、中国でも刊行されていない。
漢訳の底本を特定するために、数多くの英訳アラビアン・ナイトを集めた。レ
イン、タウンゼンド、サグデン、スコットの各版あるいはフォースター版だ。そ
れぞれが別の出版社から刊行されているばあいもある。その組み合わせは数に際
限がない。入手したそれらを手元に置いて漢訳本文と英訳を対照検討するという
作業のくり返しだ。試行錯誤したその成果が本書である。
漢訳の底本を探索してページ数が多くなるのも必然であろう。見てもらえれば、
どれくらいの手間ヒマをかけたかご理解いだけると思う。類似の先行研究が皆無
だから、手探り状態で進むしかない。今にして思えばたいへんだったが、当時の
私には最先端を行っているという思いがあった。心理的には楽しく感じていたと
いうことができる。ただし、2度目はお断わりする。とはいいながら、最近、林
訳イソップ寓話の底本探索に時間を取られたのも事実だ。イソップもアラビアン
・ナイトと同じくらいの複雑さだった。
中国を含めた研究界の進捗状況を把握することに努力した。だが、底本探索を
実行した研究者は、誰もいかなかった。底本はレイン版、ニュウンズ社本だとす
る漢訳者の解説を疑うことなく、つまり研究者は自分で検証せずに引用してすま
342
あとがき
せている。それが間違いであることに気づいていない。従来から存在する概説を
くり返しているだけ。あくまでも漢訳の底本探究に関連して述べている。誤解の
ないように願いたい。
その中でも「周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語」は、手間がかかった。な
にしろ周作人の回想が間違っていたのだ。これに気づくまで相当の時間を費やし
た。2本の論文を書き底本確定の一歩手前まで至った。論文3本目の「周作人漢
訳アリ・ババ「侠女奴」の英文原本」を書き、底本を突きとめたと報告した。こ
れで問題解決だ。それができたのは杉田英明氏の助言があったからだ。ありがた
いことだと今でも感謝している。
そういうわけで、底本を特定した解決篇を収録する本著『漢訳アラビアン・ナ
イト論集 (増補版)』が閲覧するには便利だ。
周作人漢訳「侠女奴」だからそれつながりで拙論に言及する研究書も出た。劉
岸偉『周作人伝――ある知日派文人の精神史』 (2011) だ。しかし、解決篇を私が
書いていることを知らない。中途半端な引用をしており落胆した。そのことは、
拙論「周作人漢訳ヨーカイ・モール」 (『清末翻訳小説論集(増補版)』所収。ウェブ公
開) で言及しておいた。
『清末小説』はそのころ紙媒体で刊行していた。ウェブ上でも読めるようにな
っている。日本の研究界では、外に向かって発信することを重視する傾向にある。
大学の紀要論集に論文を発表するだけでは、内向きの発信になるらしい。しかし、
ウェブ上で世界に向けて公開していても日本在住の劉岸偉のように知らない人は
しらない。
それよりも、ウェブがどこでも通じており誰でもが自由に利用できると考えて
いる人ばかりのようだ。中国大陸では特定のサイトには接続できないように制限
が加えられているという。言語の壁が存在する以前に、情報統制の壁がそそり立
っている。私が中国の研究者に著作をウェブ上で公開したと通知する。その返事
は「繋がらない」というものだった。つけ加えて、海外のただの研究情報ではな
いか、それを遮断してどうするのか、とその人は立腹していた。
『新編増補清末民初小説目録 』(2002。樽目録第3版のこと) は中国の斉魯書社が
刊行した。あれから樽目録X (2015) まで改編するたびにウェブ上で公開してい
343
あとがき
る。だが、中国人研究者の大多数は、参考文献としてあげるのは紙媒体である昔
の樽目録第3版でしかない。どうやら目録の最新版がウェブ上から自由に複写が
できることを理解していない、あるいは物理的に実行できないらしい。私が外に
向かって発信していても、利用する研究者がいなければそれまでだ。私にはどう
することもできない。
ウェブうんぬんというよりも、日本語で書かれた紙媒体の刊行物も読まない中
国人研究者は従来通りの謬論をくり返すのが普通だ。私がいくら最新の研究成果
を公表したところで、それが実状だ。私がそのつど名指しして指摘していること
も知らないだろう。それはそれで平穏な日々を送ることができるというものだ。
樽本照雄2007
宋声泉2016
本増補版を整理しているところに宋声泉「《 侠女奴》与周作人新体白話経験的
生成」(『中国現代文学研究叢刊』2016年第5期(総第202期)2016.5.15) が出た。
344
あとがき
表題のとおり周作人「侠女奴」のよった英語底本を特定したのちに作人の翻訳
方法を検討する内容だ。
最初に従来の研究を総括して次のようにいう。
「ごく少ない学者が『侠女奴』について緻密な研究を行なっているほかは ① 、
主要には訳本の「小序」と周作人の後の記述に依拠した成果があるだけで、訳本
自体に対する探究は不足しており……」(121頁)
ここにつけられた注1は「① [日 ]樽本照雄「周作人漢訳アリ・ババ『侠女奴』
物語 」、『清末小説』第 26、 27号, 2003年、 2004年」 (133頁) である。樽本「周作
人漢訳アリ・ババ「侠女奴」の英文原本」 (『清末小説』第30号 2007.12.1) が、あげ
られていない。奇妙だな、と思った。
版本特定の部分において、周作人が自らのべるニュウンズ社発行の挿絵本では
ないことを宋声泉は指摘する。そこまでは、いい。私の論文でそう書いている。
次に、宋声泉は、 1904年以前の英文『アラビアン・ナイト』を 100部近く閲覧
した結果、ラウトリッジ社本が周作人の回想と最も合致することを発見したとい
う。 1863、 1875、 1882、 1885、 1889、 1890、 1895年の諸版のうち後ろの4本が
周作人の回想に一致する挿絵を掲載する(上記写真を参照)。これはなにかな。
なんの説明もなくいきなりラウトリッジ社本なのだ。触れるべきレイン、タウ
ンゼンド、サグデン、スコットの各版あるいはフォースター版については何も言
わない。それでは英文アラビアン・ナイトの版本について説明したことにはなら
ない。
周作人が底本にしたのは、フォースター版ラウトレッジ社本であることを私は
ようやく突きとめた。それが前出「周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」の英文原
本」なのだ。2007 年のことだった。
宋声泉からメールをもらったのは 2015年8月 18日である。周作人について研究
している。樽本「周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」の英文原本」は読むことがで
きた。だがそれ以外の論文4本 (アリ・ババ「侠女奴」2本、ポー「玉虫縁」、ドイル
「荒磯」
) が入手できない、電子版で送ってもらえないか。
電脳の時代だといってもできないことが中国にはある。可能なかぎり要望にそ
うように努力するのが私のやり方だ。
345
あとがき
そういう経緯があった。だから、宋声泉論文に肝心の、しかも彼がすでに読ん
でいる樽本「周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」の英文原本」に言及していないこ
とに違和感を抱いたのだ。論文の核心部分について先行文献を無視するのは、よ
くない。
そういう状況である。
本増補版を公表することによって、私が書いた漢訳アラビアン・ナイト論文は
ほぼ全部をまとめたことになる。
本増補版の変更点を説明する。
必要と思われる修正を行なった。論文をいくつか追加し、順序を入れ替えた。
それぞれの文章の冒頭に要約を追加した。索引は作成しなかった。誤植もできる
だけ訂正した。杉田英明氏のご指摘に感謝します。
2016.7.1
樽本照雄
346
著者略歴
樽本照雄 ( TARUMOTO Teruo)
1948年
1972年
現 在
広島市生まれ
大阪外国語大学大学院修士課程修了
大阪経済大学教授 博士 (言語文化学 )
研究誌『清末小説から』を公開中
編著書 『清末民初小説目録X』ウェブ公開 2015
『上海のシャーロック・ホームズ
ホームズ万国博覧会 中国篇』
国書刊行会2016.1.20
『初期商務印書館研究(増補版)』ウェブ公開 2016
『商務印書館研究論集(増補版)』ウェブ公開 2016
『清末民初小説目録X2』ウェブ公開 2016
『林紓冤罪事件簿(統合増補版)』ウェブ公開 2017
『清末翻訳小説論集(増補版)』ウェブ公開 2017
かんやく
ろんしゅう
ぞうほばん
漢訳アラビアン・ナイト論 集
増補版
発
行★ 2017年1月 15日
著 者 兼
★樽本照雄
発 行 人
発 行 所★清末小説研究会 〒 520-0806
滋賀県大津市打出浜8番 4-202
樽本照雄方
http://www.shinmatsu.main.jp/
Printed in Japan
非 賣 品