筆を握ることに人生を奉げた リ 作家 芹 沢 光 治 良 パ 『 巴 里 に 死 す 』 や『 人 間 の 運 命 』 の 作 家、 せりざわこう じ ろう 芹沢光治良の執筆活動のほとんどが東中野 の自宅で行われていたことをご存知だろう か。今回の特集では芹沢光治良という人物 や、芹沢文学を紹介する。 生い立ち 、文 学への 憧 れ てから2年後の1932(昭和 文壇デビューし お たき 7)年に中野区小滝町(現:東中野)に移り住む。 芹 沢 文 学の躍 進 中学を卒業後、第一高等学校仏法科に入学する とすぐに短編小説3編を書き上げる。文学的信頼 東中野の地で次々に執筆活動が進められた。しか 芹 沢 青 年の 挫 折 を置いていた兄に見てもらうも、「こんなものは )年5月の『山の手大空襲』 し、1945(昭和 で罹災してしまう。この時の様子は著書『人間の り さい 小説ではない」と厳しい言葉を受け、作家の夢を 諦めることになる。このことにより、自身の才能 運命』の中で書き綴っている。戦争により、軽井 つづ への懐疑が芽生え、作家になるための文学部では 沢の別荘に疎開するも、1959(昭和 び元の東中野の土地に戻ってきた。 芹 沢 文 学の円 熟 )年に再 なく、東京帝国大学経済学部に進んだ。 れいめい 芹 沢 文 学の 黎 明 大学卒業後、農商務省(現:農林水産省・経済 産業省)に入省するも、一度は諦めた文学に対す やなぎはら 1896(明治 )年、静岡県駿東群 楊 原村(現: 沼津市)に誕生。祖父母の元で育てられる。中学 スのソルボンヌ大学に留学する。滞在3年間に佐 の歳月にわたって完成させた。テーマは多岐に渡 かった大河小説『人間の運命』全 巻を、6年間 自由・自然主義の作品に触れる。この頃から自身 伯祐三、アンドレ・ジッド、ポール・ヴァレリー り、親子・夫婦関係、友情、貧困、社会情勢、思 の懸賞小説に一等当選を果たす。小説 いており、エッセイの中で綴った『書くことは生 1993(平成5)年、 歳で老衰により長い作 家人生に幕を下ろす。亡くなる直前まで原稿を書 まさむねはくちょう 家、正宗白鳥から絶賛を受け、本格的 に作家としての道へ進む決心を固める。 きること』という言葉そのものの人生だった。 96 えきゆうぞう も物書きに憧れ、文学の道を夢見るようになる。 など多くの文化人と交流を図る。卒業 想問題、戦争などを扱った。第1部を刊行した際 1986(昭和61)年、90歳の芹沢光治良 撮影:芹沢光治良文学愛好会会員 鈴木春雄 提供:サロン・マグノリア 14 る長編、『神シリーズ』を発表した。 90 げいじゅつせんしょうもん ぶ だいじんしょう 間際には肺結核を患い、結核治療に専 には、芸 術 選 奨 文部大臣賞を受賞した。同時期 帰国した2年後、 歳の時に執筆し た処女作『ブルジョア』が雑誌『改造』 す』に色濃く記されている。 念するため、フランスやスイスの高原 戦後、流行作家としての地位を築き、連載を抱 える芹沢氏は、それまで日本であまり馴染みのな 34 に日本ペンクラブの会長に就任することになった。 さ 歳の時にフラン る想いを捨てきれず、3年後の すんとう 20 にある療養所で闘病生活を送る。この しら かば 時代に文芸雑誌『白樺』や仏・露文学を愛読し、 29 体験は後に発表する代表作『巴里に死 29 34 中野区立図書館ホームページへ行く P.1 seebiblia vol.18 「書くことは生きること」 その後も、物を書く意欲が衰えることはなく、 歳から、毎年1冊を書き下ろし、以降8冊に渡 作家 芹沢光治良 芹沢氏のご家族へのインタビュー 芹沢氏が住んでいた東中野の自宅は現在、『サ ロン・マグノリア』という名で、芹沢文学を愛す る人々の憩いのサロンになっている。今回、マグ おかれい こ ノリアを管理されている芹沢氏の四女、岡玲子さ 日の出来事を毎日話していましたが、父は何でも 「うんうん」と頷いてよく聞いてくれました。休 日にはよく美術館や音楽会に連れて行ってくれま し た。 た い て い 父 の 方 か ら 誘 っ て く れ て、 嬉 し かったですね。ただ、決めたことは必ず最後まで やり遂げなくては他に何もさせてくれませんでし た。父は音楽が好きで、私が小学生の頃にピアノ を勧めてきました。私自身は特別習いたかったわ けでもないのですが、その時の父は絶対でしたね。 放課後、帰宅してから友達と遊びたいのに、ピア ノの練習をしないと許してくれなかった。練習し なければ口一つきいてくれない徹底ぶりでしたよ。 将来については具体的にこうなれ、と言われた ことはありません。ただし、娘達に対して「高貴 な精神」が宿ってほしいと願っていました。また、 娘達が生活に困らないくらいの経済的支援をした いと思い、仕事に励んでいたようです。 ◎東中野での思い出 父は近所の商店街を散歩するのが好きでした。 行きつけの床屋には何十年も通っていて、ご主人 と話をするのが好きだったようです。酒屋のご主 人とも話が合い、買うものがなくてもしばしば訪 れていましたね。駅前の本屋にもよく足を運んで 原稿に関する資料を求めにいっていました。魚屋 ひいき の ご 主 人 は 父 と 同 じ 沼 津 出 身 だ っ た の で、 大 変 贔屓にしていましたよ。買い物のほとんどは商店 街で済ますようにしていましたし、小説の中で馴 染みの店が出てくることもありました。 記念文庫には芹沢による直筆の原稿や色紙、生 前に愛用されていた「万年筆」 「懐中時計」 「眼鏡」 など、貴重な品々が展示されている。これらの品々 ◎この記事を読んで、これから初めて芹沢文学に 治良記念文庫が開設 三中学校内に芹沢光 1 9 9 6( 平 成 8)年、 中 野 区 立 第 重書も並ぶ。 また、当時掲載されていた雑誌や本など、今と なってはなかなかお目にかかることのできない貴 芹沢光治良記念文庫 触れる方に対して何かメッセージをお願いします。 された。第三中学校 芹沢光治良文学愛好会は、東中野区民活動 センターで毎月1回読書会を催しており、 なんと39年間も続いています。 会の様子は下記 HP から見ることができま す。 ・『世界に発信する福音としての文学 芹沢光治良』野乃宮紀子/編 2006 所蔵:中央 seebiblia vol.18 P.2 中野区立図書館報『シイビブリア』のページへ行く んに、父である芹沢光治良についてお話を伺う機 会を頂いた。 ◎まず気になったことで、『サロン・マグノリア』 という名称には何か由来があるのでしょうか。 たいざんぼく マグノリアとは仏語で泰山木のことで、大きな 白い花が咲く木です。父はそれが好きで庭先に植 えていました。しかし、当初はなかなか花が咲か ず、心配していたんです。私がフランスにいた頃 にようやくつぼみが咲いたらしく、父から「マグ ノリアが咲いた!」と感激した様子の手紙が届き ました。余程嬉しかったんでしょう。 ◎ご自宅ではどのような父親でしたか。 父は何でも自分一人でこなしてしまう人でした。 また、自分に対して厳しい人でしたね。作家とい う仕事柄、様々な知識を持っていましたから、恐 らく自信があったのでしょう。 私達子供に対しても、非常に厳しい面が見受け られました。ただし、基本的には優しいんですけ どね。私が学校から帰ってくると、父に今日一 そのように地域の方々と親密な付き合いをして、 よ い 関 係 を 築 い て い ま し た。 家 の 近 所 で 火 事 が あった際には、みんな飛んできて「先生大丈夫で は、ご遺族の方々のご協力により提供されたもの ら 芹沢文学は難しい文学ではありませんし、いき や びやかな恋愛小説とはほど遠いものです。癒しの は芹沢氏の自宅(サ である。 文学と仰ってくれる方もいます。文章に父の優し ロ ン・ マ グ ノ リ ア ) 芹沢氏による直筆の色紙 い人柄が滲み出ており、非常に読みやすいものだ から近いこともあ 参考文献 ・『芹沢光治良研究』鈴木吉維/著 2007 所蔵:中央 にじ と思います。 り、 散 歩 コ ー ス に また、朝夕の登下 校の時間帯には芹沢 【芹沢光治良文学愛好会】 この地と一緒に過ごしてきた文学です。そのため、 読み手のあなたに同伴し、あなたの人生に沿って す。 夫妻揃って、自室か 館には貴重な資料が豊富に展示されていま くれると思います。きっと、読んだ方の人生のお 芹沢氏の出身地、静岡県沼津市にある記念 ら三中生達の賑やか 【芹沢光治良記念館】 役にたてるものでしょう。 な声を聴くことを楽 さんは語る。学生達 ・『芹沢光治良戦中戦後日記』 芹沢光治良/著 2015 所蔵:中央 ・『人間の運命8 孤独の道』 芹沢光治良/著 2013 所蔵:中央 の声がいつもより少 ないと、心配になっ てしまい仕方がな かったとも仰ってお り、日常の生活を愛 する芹沢氏の温かな ・ 『芹沢光治良文学館 12 こころの広場』 芹沢光治良/著 1997 所蔵:中央・東中野 右:愛用品の懐中時計 左:右同様の筆、万年筆 なっていたようだ。 この机に向き合い、執筆活動を行っていた 執筆活動は地元の商店街や近所の方々との触れ 合いによって行われてきましたから、言うなれば したか?」 などの温かい声をかけてくださいました。 大好きだったピアノは、 今も書斎に置かれている しみにしていたと岡 年表の下のガラスケースには貴重書が並ぶ 性格がうかがえる。 ・『評伝芹沢光治良』勝呂 奏/著 2008 所蔵:中央・東中野 ・『芹沢光治良の世界』梶川敦子/著 2000 所蔵:中央 中野区立図書館ホームページへ行く P.3 seebiblia vol.18 芹沢光治良のご家族へのインタビュー 芹沢光治良記念文庫
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