全学学類・専門学群代表者会議 30周年記念誌

全学学類・専門学群代表者会議
30周年記念誌
筑波大学
全学学類・専門学群代表者会議
全学学類・専門学群代表者会議
30周年記念誌
目次
挨拶・祝辞
4
全代会とは
11
全代会の歴史
全学学類・専門学群代表者会議のあゆみ
運営専門委員会
21
学内行事専門委員会
教育課程専門委員会
29
36
広報委員会
厚生委員会
50
56
全代会と情報技術
77
事件簿
学園祭闘争
83
90
大学新聞事件
24
特別企画I 大森哲朗氏インタビュー
95
特別企画Ⅱ 歴代議長による座談会
103
資料
歴代議長団・委員長団名簿
123
特別委員会一覧
議案一覧
副学長等と全代会構成員との懇談会議案一覧
Campus特集一覧
索引
124
126
148
156
163
30周年記念誌発行にあたって
全学学類・専門学群代表者会議
30代議長
市橋創
「全代会のこれまでとこれからを考える仕事がしたい」
。これ
終えた現在でもこの考えに変わりはない。なにも全代会が率先
は、私の議長就任時の発言である。折しも全代会が発足から
して何かをする必要はない。しかし、学生が何かをしたい、何
30 周年を迎え、記念事業を行うにはまたとない絶好の機会で
かを変えたいと望んだときには、全代会は最大限の努力でもっ
あった。
てこれらの要望に応えるべきである。大学が面白くなる、つま
そもそも、全代会とは何か。大学が発行している学生便覧に
り活性化するためには学生・教員・職員の三者の結束が鍵とな
は「全代会は、全学にわたる学生生活及び教育に関する事項等
る。この三者の橋渡しこそが我々全代会の任務であり、その任
について討議し、意見等をまとめる」。(平成 18 年度学生便覧
務だけでも十分に存在意義となり得る。
p161)と記載されている。このことから、全代会は全学生を
本記念誌がこれからの筑波大学を少しでも「面白くする」た
代表する公的な組織であることがわかる。
めの一助となることを心から願うばかりである。
実はこの「全学生を代表する公的な組織」は全国でも大変珍
しい。多くの大学の学生組織は大学の公認ではなく、また構成
記念誌の編集には 10 人の編集委員が関わってきたが、それ
員は一部の学生に限られている場合がほとんどである。これに
でも一年と半年という膨大な時間が費やされた。それほどまで
対し、筑波大学は建学当初から学生を大学の構成員と捉え、学
に、全代会が歩んできた 30 年間は濃密な時間であったと言え
内の環境改善のために学生の意見を積極的に取り入れてきた。
る。授業と睡眠時間を惜しまず編集にあたった編集委員の努力
つまり、学生を対立的な存在とする従来までの考えを捨て、大
に敬意を表したい。
学と学生の共存を目指したのである。全代会とはこのような筑
波大学の理念を体現した組織と言える。
この記念誌の発行にあたり過去の全代会関係者ならびに学生
全代会が全学生の代表組織として発足から現在までに何を話
担当教員室(旧学生担当教官室)の方々には多大なる協力をし
し合い、何を形にしてきたのか。またそこにはどのような人々
て頂いた。また、岩崎学長、守屋学生担当教員室長をはじめ、
が関わってきたのか。それらを明文化し後世に残すことは、学
学園祭実行委員会、スポーツ・デー学生委員会、および三系の
生の視点から筑波大学の 30 年間を振り返った資料として、全
代表者の方々には、
忙しい時間の合間を縫って寄稿して頂いた。
代会だけでなく筑波大学に関わる人々にとって貴重なものとな
この場を借りて厚くお礼を申し上げたい。
るはずである。とりわけ全代会においては、本記念誌の編集に
あたって過去の資料を読み返し整理したことが、学群・学類改
最後になるが、今後も全代会は学生の代表として活発に活動
組を目前に控えたこの時期に「学生の代表とは何か」「学生の
していく所存である。本記念誌をお読みいただく皆さんには全
意見とは何か」を再考する良い機会となった。
代会への理解と協力を示していただくとともに、全代会の活動
全代会の役割を問われたとき、それは「筑波大学を面白くす
に大いに期待していただきたい。
ること」である、と議長だった当時は答えていた。議長の任を
全代会30周年記念誌
全学学類・専門学群代表者会議30周年に寄せて
学長 岩崎洋一
筑波大学が、前身校である東京教育大学の移転を契機に、従
活動は、このような側面からも非常に有意義なものであり、そ
来の制度にとらわれない新しい構想に基づく大学として開学し
の活動を通じて経験したことは、必ずや皆さん一人ひとりの貴
てから 33 年が経過しました。全学学類・専門学群代表者会議
重な財産となることでしょう。
もまた、新たな理念に基づく学生組織としてほぼ同じ歳月を歩
全代会は、発足から 30 年を経て大きく成長し、組織として
み、2005 年に 30 周年を迎えました。この間、全代会は学生の
も成熟してきたものと思いますが、それでもなお、実際の運営
代表として、教職員とともに筑波大学の成長を支えてきました。
にあたっては困難も生じるでしょうし、改善すべき点も少なか
この新しい学生組織を築き上げてきた卒業生と、その伝統を引
らずあるものと思います。現役の学生諸君が先輩の努力や苦労
き継いで全代会の現在を担っている学生の皆さん、学生担当教
を知り、その情熱や未来への思いを引き継いで、改善すべきと
員をはじめとする関係教職員の皆さんに、あらためて敬意を表
ころは改善し、後輩に託していくことによって、全代会は今後
したいと思います。
ますます発展していくでしょう。そういった意味でも、30 年
筑波大学は、世界でも有数の知の集積地である筑波研究学園
間の活動を総括し、今後の全代会のあり方を考えることは、た
都市の中核を担っており、体育・芸術・図書館情報などを含む
いへん意義深いことです。この 30 周年記念の活動を通じて、
幅広い学問分野や、通常の学部とは異なる学群・学類による柔
全代会そして筑波大学の将来について大いに語り合ってくださ
軟な教育システムなど、他に類を見ない多くの特色を備えてい
い。
ます。
皆さんもご存じのとおり、筑波大学は、大学改革に対する社
学生組織もその特色の一つです。筑波大学では、開学当初か
会の大きな期待を背負って創設され、今日まで全国の大学に先
ら、学生も教職員とともに大学を構成する重要な成員であるこ
駆けて数々の先導的な試みを実施してきました。現在、いわゆ
とを明確にしてきました。教育や学生生活に関する事項につい
る大学全入時代を目前にして、大学を取り巻く環境はますます
て学生が討議し、その意見が適正に反映されることは大学が発
競争的になるとともに、大学に対する社会的要請もいっそう多
展していく上で大切なことですし、学生の新しい感覚や健全な
様化・高度化してきています。全国の国立大学は 2004 年 4 月
エネルギーが教職員を刺激することは大いに意義のあることで
1 日をもって国立大学法人に移行し、これまで以上に自主的か
す。
つ柔軟な運営体制のもとで、それぞれの特色を活かして様々な
このような考え方に基づき、筑波大学では、学生により自主
改革に取り組んでいます。私立大学や公立大学の改革もさらに
的に運営される学生組織として、クラス会議、クラス代表者会
加速するでしょう。
議、全代会を置き、クラス会議とクラス担任教員、クラス代表
このような厳しい環境にあっても、筑波大学がひときわ魅力
者会議と学群長・学類長、全代会と学長・副学長・学生担当教
的な大学であり続けられるよう、また、学生の皆さん一人ひと
員というように、各レベルにおいて学生と教職員が意見交換を
りがより充実した大学生活を送れるよう、教職員が一丸とな
行うことのできる仕組みを整えています。このようなシステム
り、今まで以上に学生の視点に立って教育の内容・方法や学生
のもと、最近では、学群改組に伴う教育や学生支援上の諸課題、
生活支援の改善に取り組んでいかなければならないと考えてい
授業評価の充実、セーフティプロジェクト、新学内交通システ
ます。そのためには、全代会を中心とした学生の皆さんと教職
ム、新たな宿舎共用サービスなど、様々な課題について教職員
員との建設的な対話が欠かせません。筑波大学をさらに素晴ら
と連携して積極的な取り組みがなされてきたものと考えていま
しい大学に発展させていくために、皆さんもぜひ改革の一翼を
す。
担ってください。
大学においては、カリキュラム上の学習だけではなく、カリ
本学の特色である学群・学類制度は、本年 4 月には、自由度
キュラム外の活動も重要な意味を持っています。学園祭やサー
の大きい教育システムの良さを活かしつつ、社会や受験生にも
クル活動などを通じて、専門を異にする友人たちと触れ合い、
よりわかり易い編成となって新たなスタートを切ります。全代
共通の目的をもって意見を交わし、ときには人間関係の難しさ
会も 30 周年の節目を経て、新しい学群・学類のもとでますま
も痛感しながら、創意工夫を凝らして自主的にそれらを作り上
す成長していくことを期待して、寄せる言葉としたいと思いま
げていくという経験は、人間的な成長を遂げていく上で大いに
す。
意義のあることです。クラス会議から全代会に至る学生組織の
全代会30周年記念誌
全代会30周年に寄せて
学生担当教員室
室長 守屋正彦
わたしは、この 2 年のあいだ、学生担当教員室長として全代
学生が生き生きとし、その延長に社会での自己実現を果たして
会の諸君とおつきあいをしてきました。皆さんが、学生の、学
いくことこそ、大きな大学の財産になると考えるようになりま
生による、学生のための学び舎としての環境を、一生懸命に考
した。学ぶものが誇りに思える大学であるならば、卒業生も誇
え、作り上げていこうとしている真摯な姿勢にとても感動して
り高く人生を闊歩できるでしょう。
います。教職員とあい語り、生き生きとした大学環境を作り上
そのためには誰もが学ぶ学び舎に不協和音があってはならな
げる、そのような学生組織が筑波大学にあることをわたしは誇
いと思います。かつてわたしは学生のブログで、筑波大学の評
らしいことと思っています。
判を垣間見たことがありましたが、学習環境やロケーション、
他大学の学生との休みの違いなど、どれをとってもネガティブ
法人化
な物言いに接し、それを欠点としてあげつらうのか、長所とす
大学を取り巻く環境は時節によって変化し、最近では《陸の
るのかは、
学生の
「こころざし」
によって違うものと考えました。
孤島》と言われたかつての筑波大学とは違ってきました。それ
やはり、それを長所とするような意識の高揚や、受益者である
だけ都会型の大学になり、無自覚のうちに守られてきた安全も
学生が教職員と一体となって話し合い、ともに大学を作る意識
次第に学生自身が「気をつけなければならない」時代に突入し
が必要と考えています。受益者の心を大学の教職員が充分に
たと考えています。ただ、そのような環境作りは全国からこの
知って、その上で共によき環境つくりをしていく。そのあり方
学び舎に来た、若い、将来ある人たちを健全に育成するため、
の中心に全代会の諸君が位置しているといってよいでしょう。
法人化以後ではかなり環境改善に腐心する流れを作り出しまし
おそらくこれからは海外の先進的な大学に倣い、わが国の大
た。
学でも学内の諸会議への学生の参加を促し、皆さんをを交えた
筑波大学が法人化して 3 年になりますが、教職員を取り巻く
話し合いの場を設定し、学び舎としての環境つくりが推進する
環境もかなり変化いたしました。そんななかで大学は新たな教
ものと考えています。全国で学びたい大学を挙げた折、屈指の
育環境を作り上げ、外部に何が行われているのかがわかるよう
大学となるのは、そのような意向の反映と考えています。
な学類再編に着手し、また学生宿舎も整備をはじめたのでした。
旧の国立大学から、新しい国立大学法人へと移行する、大きな
新学群時代の全代会と教員組織
転換期は教職員も傍観者でいられない状況です。教職員の多く
このような趨勢、また、教育環境が変わる中で、学生支援体
が教育や研究における環境の変化に順応していく時間が必要で
制も変わろうとしています。来年度からは学生生活支援室と学
すし、全代会の諸君も、転換期の変化の中で、学び舎としての
生担当教員室を統合し、更なる学生支援体制の充実を進めた
環境のあり方を注視し、改善のための意見を言い、学生の意向
いと考えています。今筑波大学は大まかに言うならば学生が
反映の代表者として一生懸命活動し、今に至っています。
10,000 人、大学院生 5,700 人の大所帯、大学院大学時代を迎え
ました。それは学生諸君ばかりでなくて、院生諸君への学び舎
意向の反映
としての環境つくりが必要となることになります。ハードだけ
学類や専門学群に所属し、学生生活のさまざまを話し合うク
でないソフトなケアも「学びたい大学」
「学んでよかった大学」
、
ラス会議や、さらに学類、学群全体で話し合い、不具合は要望
として必要なことでしょう。
し、改善し、解決していく流れの頂点に、全代会は位置してい
組織の統合は直接学生の声を充分に聞きながら、学生支援の
ます。一方で各学群・学類にはクラス、学生を担当する教職員
ための企画立案を工夫し、皆さんの学び舎の窓口として機能で
と学生が、学び舎としての環境を円滑にするための話し合いを
きればと考えています。そのためにはこれから多くことを全代
もつクラス連絡会が組織されています。そして、全学的には学
会の諸君と話し合い、君たちが、そしてこれから入学し次世代
生と大学を結ぶ役割は教員では学生担当教員室が行い、職員は
を担う後進の学生が、また巣立った同窓が、素晴らしい環境、
学生生活課が皆さんの意向を反映できるように《つなぐ》役割
思い出のよき学び舎となるようにしていきたいと思います。
をしています。
私は最近になって「学生の声が大学を作る」、それがとても
全代会 30 周年、おめでとう。そして、これから、ともにが
必要なことであると痛感しています。クラスの現場も全代会も、
んばろう。諸君、よろしくお願いします。
全代会30周年記念誌
祝辞
2005年学園祭実行委員会
委員長 津本直己
この度は、全代会が晴れて 30 周年をお迎えとのこと、心からお祝
ともと全代会は、学生の意見を集約し、それを基に大学をはじめとす
い申し上げます。またこの記念すべき全代会 30 周年に学実委の委員
る各組織にアクションを求める機能を持っています。またそれが全代
長を務めた縁で、ご祝辞を述べさせていただけるということ、大変光
会の最も重要な存在意義であるとも私は認識しています。そして実際
栄に存じます。
のところ、全代会より学生の意見集約に長けた組織は存在しません。
さてこの場をお借りして、より良い学園祭を運営することを目指す
こうした全代会と比較して、
あくまで実行することが本業である点、
立場から、私が今後の全代会に何を望むかを述べさせていただきたい
またその性質のため学生の要求を必ずしも汲み取りきれない点では、
と思います。
大学と学実委は共通しているのではないかと思います。
しかしながら、
結論から申し上げますと、私が今後の全代会に望むことは、学園祭
全代会の持つ意見集約の機能は大学の教育面や厚生面には積極的に用
に対する学生の意見を集約し、それを基に学実委にいくつかの要求を
いられていますが、学園祭に対しては現在のところ用いられていませ
していただけるようになることに尽きるかと思います。
ん。
なぜ意見の集約が必要かに関しては、議論の余地はないかと思われ
全代会は実行計画書の審議によって学園祭開催の可否を決める権限
ます。私ども学実委がどれ程寸暇を惜しんで業務を行ったとしても、
をもっています。つまり、全代会は学生に学園祭の品質を保証する最
その業務が生み出した成果がそもそも望まれていないものならば、そ
終的な責任者であると捉えることができます。そのため、私は大学へ
れに費やした資源は全くの無駄となってしまいます。このような状況
のアプローチ以上に、学園祭に対して主体的に取り組んでいただきた
では、私たちは学生をはじめとする資金提供者への責任を果たしたこ
いと考えているのです。
とにはなりません。私たちの業務は、その全てが学生の要求を幹とし
最後になりますが、いつの日か、全代会と学実委が 2 人 3 脚で、学
て落とし込まれたものである必要があり、そのためには、学生の要求
生にとって真に価値のある学園祭を造りあげることを切望するととも
を正確に把握することが必要不可欠なのです。
に、
何よりこれからの全代会のますますのご発展を祈念いたしまして、
次に、なぜ全代会にそれを求めるのかをお話したいと思います。も
私からの祝辞とさせていただきたいと思います。
全代会とスポーツ・デー
2005年スポーツ・デー学生委員会
委員長 石川忠
全代会 30 周年おめでとうございます。近年の全代会の活動
ているように思います。2005 年度にスポーツ・デーに関する
の活性化は頼もしく、下部機関の構成員として、学内行事専門
諸規則の改正によって両組織の関係が整理されるとともに、新
委員会をはじめ各クラス代表者の皆様のサポートと本会議の滞
歓を合同で企画するなどの交流も活発になっています。全代会
りなき運営によって、無事スポーツ・デーを運営できたことを
の構成員の方々が業務を正確に処理することに長けているのに
感謝いたします。
対し、
学生委員会はイベント組織だけあって瞬発力があるので、
スポーツ・デーは、大学・全代会・体育会が協力して運営す
いいコンビネーションが発揮されるのではないでしょうか。
る学校行事として発展し、その中で発足したのがスポーツ・デー
学生委員会が全代会の下部機関であるのは、スポーツ・デー
学生委員会です。ここ数年の間は、学群新入生の各クラスから
がもともとクラスや学類などの単位で参加を受け付けていたた
選出された委員で組織され、有志の 2、3 年生が残留して役員
めです。休日開催に移行してからのスポーツ・デーは大学生活
となる体制をとっており、体育会スポーツ・デー局とともにス
のレクリエーションとしての性格を強めていますが、学生委員
ポーツ・デー運営の中心を担っています。新委員の選出におい
会ではその意義を見直し、学類・専門学群・研究科対抗戦のよ
て学内行事専門委員会に積極的にご協力いただいているおかげ
うな「大学行事らしい」企画の導入を模索しています。それに
で、学生委員会の構成員数は年々伸びており、毎回新しい企画
よって大学やクラス制度、そして全代会を盛り上げる役割を担
を実施するなど運営に余裕も生まれるようになりました。全代
うとともに、より多くの学生にスポーツを楽しむ機会を提供す
会の発展は、スポーツ・デーにとってその運営を磐石にするも
ることができればと思っています。
のであり、今後ますます活動の質と量を高めていかれることを
全代会の活動は学生の正課活動と課外活動をともに活性化さ
期待します。
せ、本学の誇る知財、人材、教育のそれぞれの力を磨いていく
全代会、学生委員会の両組織の成熟により、その距離は縮まっ
ことでしょう。今後もますますのご発展を祈念いたします。
全代会30周年記念誌
周年を迎えた全代会への祝辞
30
全学学類・専門学群代表者会議が創立 30 周年を迎えられましたこと、心よりお慶び申し上げます。全代会が
学生意見の集約並びに大学運営への貢献に果たしている役割を、同じ学生組織として常に目標としております。
本会と貴会のつながりは 32 年前の 1974 年まで遡ります。当時サークル代表者によって結成された「学園祭を
創ろう会」の主催する「学園祭に関する討論会」に全クラス代表が参加、この場で学園祭開催を決議し、「クラ
ス代表者会議」が持たれたことが全代会の前身のようです。一時は「クラス・サークル代表者会議」が結成され
たり、学園祭に関連し 1979 ~ 81 年にかけて本会と貴会で討議を重ね協力関係を築いたこともあるようです。現
在でも本会が三系で共催する課外活動団体会議に、貴会がオブザーバーとして参加するなどその協力関係は脈々
文化系サークル連合会
と受け継がれています。
第30期運営委員長
染谷 悟
現在全代会には、私たち 3 系には無い大学とのつながり、計画を実行に移す行動力があると思います。そして
2 年生以上が、大学生活の主なフィールドとするサークル活動をたばねる本会は、学生意見の集約に力を発揮で
きると思います。これらを相互協力してもっともっと学生にとってよりよい大学を実現していければと思います。
くしくも今年は創立 30 周年、新しい試みをするには絶好の時機です。まずは学園祭。2007 年は本会の企画出展
者と学実委による話し合いの機会を 2、5、9 月くらいに出来ればよいなと思います。
30 周年はスタートラインです。これから一緒に、更にオモシロイ大学を実現していきましょう。
全学学類専門学群代表者会議 周年に寄せて
この度は、全学学類・専門学群代表者会議創立 30 周年、誠におめでとうございます。今年度、体育会も 30 周
年を迎えたわけですが、そのような喜ばしい年を貴組織と共に過ごすことができ、とても光栄に感じております。
さて、私は、貴組織の方々の「パワー」にいつも驚かされており、感心させられております。そのパワーとは、
自分たちの手で、筑波大生の大学生活をよりよいものに変えていこうという精神のもと、様々な問題に常日頃か
ら取り組む力です。貴組織は、ある意味欲深い組織であると私は感じております。決して現状に甘んずることな
く、もっとよくしていきたいというひとりひとりの思いが、組織を活性化させて、そのようなパワーを感じさせ
体育会
第30代執行委員長
真野 義規
30
る熱を発しているのではないかと私は考えます。
近いところで申しますと、宿舎や学群棟におけるアスベスト問題や宿舎における静脈認証システムの問題に、
精力的に取り組んでいる貴組織の印象が強く残っております。立案した意見をしっかり大学にぶつけて、納得い
くまで議論しあうというその姿勢は、まさに、全学生が見習わなければならない部分ではないでしょうか。
今後、貴団体は、さらに組織として充実していくことでしょう。また、体育会としましても、これまで通り、
貴組織としっかり連携していくことができたらと思っております。
これからの、貴組織のますますのご発展とご活躍を、心よりご期待申し上げます。
全代会創立 周年に寄せて
創立 30 周年記念、おめでとうございます。この度は全代会が、私たち芸術系サークル連合会を含める三系と
ともに 30 周年を迎えることとなり、誠に嬉しく思っています。
先日私たちが先立って記念誌を刊行しましたが、設立からの 30 周年という過去を振り返り、様々な変遷やた
くさんの先輩方の活躍を経てきた歴史の長さとその偉大さに深く感銘を受けました。その中で貴会や他系との関
30
わりもとても深く、互いに刺激、協力しあい切磋琢磨してきたことを知りました。そこから現在を見つめ直し、
たくさんの方に本会を知ってもらうこともでき、また未来の貴会や三系の、もとい筑波大の後輩達にとって大変
芸術系サークル連合会 意義のあるものを残せたと思っています。今回 30 周年という節目にこのように記念誌という形で歴史を刻むこ
第30期運営委員長
とになり、とても有意義なものとなることと思います。
中村 天大
貴会とは課外活動団体会議でお互いの情報をシェアしているという関係が主ではありますが、昨今では安全対
策推進委員会などで協力しあい、その流れで主に三系の企画ではありますが、新入生歓迎祭においても様々な面
でお世話になっているなと感じております。それに加えて全代会研修会に我々をご招待頂き、貴会の構成員の質
の高さに驚くばかりではありますが、リーダー研修会にもご参加いただいているという関係もあり、本当によい
シナジー効果が形成できていると思います。
設立当時から互いに支えあってきた貴会と本会ですが、創立 30 周年を迎えこれから先もさらに発展し続けて
いく組織であることを願ってやみません。簡単な挨拶ではありましたが、最後に全代会の益々のご活躍を祈念し
て本会を代表してのご挨拶とさせて頂きます。30 周年おめでとうございます!
全代会30周年記念誌
全代会とは
全代会とは
筑波大学には学類 ・ 専門学群ごとにクラスを編成し、 各クラスに担任教員を置くクラス制度が導入されている。
クラスごとに数人の学生がクラス代表として選出され、 学類 ・ 専門学群のクラス代表者会議が設置されている。 こ
の各クラス代表者会議から選ばれた 3 人の代表 (座長団) を軸 に構成されるのが全学学類 ・ 専門学群代表者会
*1
議 (全代会) である。 国立大学では数少ない大学の公的な学生代表機関
*2
つの専門学群から選ばれた 67 人の座長団
であり、 07 年現在、 23 の学類と 2
を中心に活動を行っている。
全代会の目的・活動
Introduction
集められた意見は分野ごとにそれぞれの委員会に振り
分けられ検討される。該当する委員会がない場合は、議
全代会の目的は学生の代表という立場から筑波大学を
長団が取り扱ったり特別委員会を立ち上げて対応したり
よりよいものにしていくことだ。この目的を実現するた
することになる。
めに、全代会では宿舎浴場や食堂、バスなどの福利厚
各委員会はそれぞれのキャパシティに応じ、どの課題
生、学生宿舎や学内の道路・外灯などの施設、総合科目
に取り組むかを決める。さらに詳しい調査や考察を重ね
や外国語などの全学的な教育、学園祭などの行事といっ
改善案を作成する。改善案は会議にかけられてすべての
たトピックについて取り組んでいる。
全代会構成員から是非を問われる。ここで認められた改
善案は、大学の担当部署に要望として伝えられる。新歓
基本的な活動の流れ
ネットや駐輪マナーアップキャンペーンのように全代会
が直接改善案を実行することもあれば、会議を通さずに
全代会の活動は学生の意見を集めることから始まる。
大学の担当部署との協議だけで解決される問題もある。
アンケートや座長団を通して学生が大学生活や大学教育
改善案を出せば活動が終わり、というわけではない。
に感じている不満や要望を調査する。
そこから担当部署と全代会の間で協議が重ねられ、すり
座長団の選出のしかた
各クラスから選出
ク
ラ
ス
代
表
各学類・専門学群
クラス代表者会議
(クラ代会)
3人ずつ選出
座
長
団
全代会
*1 大学の公的な学生代表機関……上越教育大学などに近い形の組織がある。
*2 67人の座長団……3×25=75人だが、2007年は人間学群と看護学類・医療化学類で特例措置がとられるため、合計67人となる。これは学群・学類
改組にあわせた特例で、合計人数については今後も見直しを行っていく予定。
全代会30周年記念誌
11
議案の流れ
議案提出者
提出先
委員会
副学長
座長団など
担当部署など
議案が可決されれば
意見聴取会
・議案の審議・意見交換
合わせを行いならがら問題は解決されていく。
本会議
・議案の議決
議長2名、合わせて3名を議長団として選出する。議長団
は全代会が全学学類・専門学群代表者会議として発足し
全代会の会議
た76年度当初から選出されており(75年度、全学学類等
代表者会議は議長を選出せず活動していた)、人文学類
全代会全体の意思決定は、月に2度行われる座長団全員
座長・芝原康が初代議長を務めた。
が集まっての会議によって行われる。会議には意見聴取会
議長団は会議の進行を行うほか、全代会の代表として
と本会議の2種類がある(p27参照)。意見聴取会は委員会
会議でまとめた要望を教職員に伝えたり、教職員からの
などから出された議案について、議決をとらずに座長団同
提案を関係する委員会に伝える役割も担う。また、全体
士での意見交換を行う。ここでの意見をもとに議案は修正
の統括者として、各委員会の活動に協力・助言したり、
され、1~2週間後の本会議では修正された議案についての
副学長等との懇談会 などの行事についてのとりまとめ
採決が行われる。議案は構成員の過半数(07年現在、過半
を行ったりもする。
数は34人)の承認によって可決され、学生の総意として扱
委員会全体の調整・監督や会議運営などが主な役割で
われることになる。なお、過半数の構成員が否認した場
あり、日常業務が比較的少ないことから、議長団業務
合、議案は否決され、以後、同一内容の議案を会議に提出
以外にも特別委員会などの仕事を持つ場合が多い(05
することができなくなる。承認も否認も過半数に満たない
年には市橋創議長(06年度人間学類卒)が全代会30周年
場合は保留となり、大学に提出することは出来ないが、同
記念特別委員長 を、06年には小林敬介議長(工学シス
じ議案を再度審議することができる。可決された議案は翌
テム学類4年)が情報特別委員長を兼任している。ただ
日、議長団の手で学生担当教員に手渡され、そこから各提
し、全代会のリーダーという立場から、厚生会理事会
出先へと送られることになる。
(p16、p61参照)や各種のワーキンググループ など
また、本会議と意見聴取会は各クラス代表者会議の代
各委員会と教職員らとの対話の場に議長団も同席する場
表が一同に会する数少ない機会でもあり、クラス代表者
合が多く、そのほかにも様々な雑用が議長団に回ってく
会議の活動の報告や情報交換なども行われる。クラス代
るため、年度当初のまだ仕事が少ない時期に特別委員会
表者会議から議案が提出されることもある。
などを立ち上げた結果、年度半ばには目の回るような忙
*3
*4
*5
しさになることが少なくない。
議長団
全代会はその年度の第1回目の本会議で、議長1名、副
*3 副学長等との懇談会……通称、副学懇。規則で定められた全代会と教職員の意見交換の場。
*4 全代会30周年特別委員会……全代会の30周年を記念して、記念行事の実施と記念冊子の作成のために設立された特別委員会。学園祭への出店、
講演・パネルディスカッションなどの記念行事を行った。冊子は年度内に完成しなかった。
*5 ワーキンググループ……あるトピックについて、関係する教職員や学生らが集まって話し合う場のこと。近年では宿舎改修・料金改定ワーキン
ググループや自転車交通環境ワーキンググループなどがある。ワーキンググループの名を関さない会議でも同様の活動を行うことは多く、学内での
定義は曖昧。
12
全代会30周年記念誌
発足時
議長団
細則プロジェクトチーム
学園祭プロジェクトチーム
広報プロジェクトチーム
1977年以降
議長団
1998年以降
議長団
運営専門委員会
教育課程専門委員会
課外活動専門専門委員会
(1997年に学内行事専門委員会と合併)
全代会下部組織
広報委員会
学園祭実行委員会
スポーツ・デー学生委員会
(1980年に発足)
2007年
総務委員会
学内行事委員会
学内行事専門委員会
教育課程専門委員会
学内行事専門委員会
厚生専門専門委員会
書記など
全代会の
組織体制の変遷
運営専門委員会
議長団
教育環境委員会
生活環境委員会
調査委員会
全代会下部組織
広報委員会
広報委員会
学園祭実行委員会
情報特別委員会
スポーツ・デー学生委員会
厚生委員会
クラス組織特別委員会
全代会下部組織
学園祭実行委員会
スポーツ・デー学生委員会
委員会の変遷
を座長団以外の学生も参加できる委員会にする、といっ
た改革が行われた。また、臨時で対応すべき問題や既存
構成員を課題ごとに振り分ける委員会制が始まったの
の委員会の枠にはまらない活動については、「特別委員
は76年度半ばのことだった。当初は運営、学内行事、課
会」などと呼ばれる臨時の委員会を立ち上げるなど、活
外活動、教育課程、厚生の5つの専門委員会(座長団の
動の実態に合わせて委員会の数は増減してきた。
みが参加できる委員会)と、委員長を除いて座長団以外
06年には学群・学類改組に関する特別委員会が、学類
の学生によって構成される広報委員会の、合計6つの委
数の増加に伴う座長団増員への対応について検討し、全
員会が存在した。その後、90年代後半に課外活動専門委
代会に関する規則の改正を行った。この際、定足数を構
員会を学内行事専門委員会に合併する、厚生専門委員会
成員の3分の2から過半数に変える、特別委員会制度を規
全代会30周年記念誌
13
則中で明記する、といった改革とあわせて、委員会制度
<全代会室の清掃>
も見直されることになった。2007年度から全代会は総務
現在、全代会には1C204教室が活動場所として貸与さ
委員会、学内行事委員会、教育環境委員会、生活環境委
れている(通称「全代会室」)が、広報委員会の編集作
員会、調査委員会、広報委員会の6つの常任委員会とク
業時などにはプリントアウトした紙類が机中に溢れるこ
ラス組織特別委員会、情報特別委員会の2つの特別委員
とになる。そうした際の片付け作業は散らかした当人ら
会の合計8つの委員会で活動していく。すべての委員会
ではなく、総務委員会が行う場合が多い(議長団が行う
に座長団以外の学生も参加でき、2つの特別委員会につ
こともある)。また、定期的に箒で床をはくなど、一般
いては今後の活動を見て常任委員会にするか否かを判断
的な意味での清掃作業も総務委員会の役割であり、夏と
する予定だ。
春の長期休暇時には総務委員長の指導の下、全代会室の
大掃除が行われることになっている。
そのほかにも全代会室における庶務の大半は総務委員
現在の委員会
会に委ねられる。
また、過去には全代会の制度改革について運営専門委
・総務委員会
員会が中心に活動したこともあり、総務委員会でも今後
は会議自体の運営方法の見直しなど、制度改革について
07年度、運営専門委員会の業務を引き継いで発足し
も取り組むことが予定されている。
た。会議の準備や物品管理など、全代会を円滑に運営す
るための庶務全般が主な仕事だ。
<会議に関する庶務>
・学内行事委員会
初期全代会の最大の懸案事項だった学園祭問題
意見聴取会や本会議の開催を構成員に知らせ、出欠を
(p29、p83参照)について扱うために設立され、学園
確認する。また、会議で使用する資料の印刷・配布や、議
祭実行委員会を監督することが主な仕事だった。その
場として使う教室の確保、議事録の作成など、議事進行以
後、90年代末に課外活動専門委員会を吸収し、スポー
外の会議運営は全て総務委員会の仕事となっている。
ツ・デー学生委員会との協力や課外活動団体会議への出
席など、他の学生組織との連絡係としての役割も学内行
<物品、予算管理>
事委員会が担うことになった。
コピー用紙やボールペンなどの消耗品や、カメラや
PCなどの備品の購入計画を立て、大学に申請する。大
<学園祭実行委員会>
学の会計の中に全代会に関する予算が組まれており、申
全代会の下部機関 である学園祭実行委員会の監査・
請した物品はこの中から購入される全代会が直接金銭に
監督を行う。具体的には、学園祭実行委員会の会議にオ
触れることはない。購入した物品についてはリストを作
ブザーバーとして参加するほか、学園祭実行計画書や総
成し、全代会室の備品管理も行っている。
括報告書など、全代会で承認しなければならない書類を
*6
会議に提案する。また、会計監査を行い、紫峰会への援
<機関誌発行>
助金申請を代行してもいる。近年では学園祭のあり方に
意見聴取会や本会議の際に、座長団及び各クラス代表
ついて全代会員と学園祭実行委員会とで話し合う機会を
者会議に配布される全代会運営機関誌を発行している。内
設定するなど、よりよい学園祭の実現のために委員会と
容は、各委員会やクラス代表者会議の報告のほか、構成員
して何ができるかを模索している。 同士の話のタネになる娯楽性の高い記事も掲載している。
*6 全代会の下部機関……「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等について」の中で全代会が下部機関を置くことができることが定めら
れており、現在、学園祭実行委員会、スポーツ・デー学生委員会が存在する。
14
全代会30周年記念誌
・教育環境委員会
<スポーツ・デー学生委員会>
学園祭実行委員会と同じく全代会の下部機関であるス
ポーツ・デー学生委員会。学内行事委員会はスポーツ・
教育課程専門委員会は、開学当時の安定していなかっ
デー学生委員会の会議に出席するほか、当日運営に協力
たカリキュラムを扱うため設立された。その後、実際は
している。学園祭実行委員会に比べて全代会とのつなが
カリキュラムに限らずテープライブラリの開放時間延長
りの薄さが指摘されるスポーツ・デー学生委員会だが、
や学生による授業評価など、大学教育に関わる課題全般
06年には学内行事専門委員会、スポーツ・デー学生委員
について活動してきた。07年度から名称が変わったのは
*7
会と体育会 とで今後の協力体制について話し合われる
そのためだ。
など、連携の強化が図られている。
<カリキュラム>
<課外活動団体会議>
全学の一年生を主な対象として開講される総合科目に
*8
*9
文化系サークル連合会 、芸術系サークル連合会 、
ついて活動している。総合科目の制度自体の改革(90年
体育会(いわゆる「三系」)の代表によって行われる課
代半ばまでは「指定科目制度」という制度があり、その
外活動団体会議に出席している。全代会の活動を報告す
改変を目指し活動していた)について取り組んだほか、
るほか、全代会から三系への提案事項を伝えたり、逆に
近年では総合科目の履修申請方法の改善について取り組
三系から提案されたことを全代会に持ち帰ったりするこ
んだ(04年。総合科目についてはp36 教育課程専門委員
ともある。三系と全代会が協力して合格発表時などの警
会参照)
備を行う安全対策推進委員会のように、三系との協力か
ら新たな活動が生まれることも多く、重要な活動のひと
<外国語>
つである。
英語や第二外国語など、全学対象の語学科目につい
て取り組んできた。外国人教師の不当解雇問題など、授
<紫峰会(学生広報会議、学生財務会議)>
業やそれを支える体制について活動したほか、英語検定
学生後援会である紫峰会で行われる会議に出席するの
(いわゆる筑波英検)の成績・サンプル問題開示を求め
も学内行事委員会の仕事だ。学生の父母らに配られる紫
る活動などを行った。
峰会報の編集作業を行う学生広報会議に、広報委員とと
もに出席している。学内行事委員会は全代会のページを
<FD>
担当し、記事のとりまとめなどを行っている。紫峰会か
共通科目における、学生による授業評価アンケートと
らの援助金について話し合われる学生財務会議では、学
それをもとにしたFD(Faculty Development. 教育力向
園祭実行委員会や宿舎祭、クラス代表者会議からの援助
上)について、教職員と協力してアンケート項目を改善
金申請などを学内行事委員会が代行している。
したり、回答率アップを目的にビラを配布したりしてき
た。また、学園祭でFDフォーラムというイベントを開
そのほか、各学類・専門学群の新歓委員長を集めて情
催することもあった。
報交換などを行う新歓ネット、合格発表時や宿舎入居時
に不法な勧誘行為を取り締まる安全対策推進委員会とい
<その他>
った活動を学内行事専門委員会が担当したことがあっ
その他にもテープライブラリの開放時間延長や教職
た。現在では関係する他の委員会と協力するための新歓
科目の資料改善、小学校教員免許取得課程設立の模索な
活動の準備が始まる時期に特別委員会を立ち上げ、対応
ど、カリキュラムに留まらず教育環境全般の改善のため
している。
に活動を行っている。
教育環境・生活環境に関する活動は全代会の肝であ
*7 体育会……筑波大学公認の体育系課外活動団体から構成される学生組織。
*8 文化系サークル連合会……筑波大学公認の文化系課外活動団体から構成される学生組織。
*9 芸術系サークル連合会……筑波大学公認の芸術系課外活動団体から構成される学生組織。
全代会30周年記念誌
15
り、「学生の代表という立場から筑波大学をよりよいも
<施設・交通班>
のにしていく」という全代会の目的を直接的に実現する
図書館や学術情報センターなどの施設や、外灯などの
委員会である。しかし、教育環境委員会は生活環境委員
設備に関する課題、駐車場やペデストリアン・デッキ、
会に比べ目に見える成果が少ないと言われている。これ
ループなどの学内の道路、駐輪場や学内バスなどの学内
は生活環境に比べ教育に関する問題は学類・専門学群レ
交通に関する問題などを引き受けるのが施設・交通班で
ベルで扱うべき場合が多いこと、教育に関する問題は要
ある。近年では駐輪禁止地区に置かれている自転車にス
望してもすぐには実現しない場合が多いことなどが理由
テッカーを貼って駐輪場に移動する「マナーアップキャ
だ。今後は新入生の履修サポートや受験生向け掲示板の
ンペーン」を実施したり、学内の危険箇所について実際
設置など、新たな課題に取り組みながら活動スタイルを
に見て回って調査したりしている。
見直していく。
<その他の活動>
・生活環境委員会(旧・厚生委員会)
各班に属する活動のほかにも、学内の安全について教
職員と学生で検討するセーフティ・プロジェクトへの参加
厚生委員会(97年までは専門委員会)は宿舎や浴場、
など、学内の治安維持に関する活動にも参加している。
売店などの生活環境に関する学生の要望を実現するため
に設立された。学園祭問題解決後の全代会の中で最も精
生活環境委員会は全代会の中でもっとも成果が見えや
力的に活動している委員会であり、取り組むべき課題の
すい委員会である。学生生活課や施設部などの事務職員
多さから現在では委員会内をいくつかの班に分けて活動
との交流の機会も多く、教職員と共にワーキンググルー
している。また、2007年度からは委員会をよりわかりや
プを構成して活動に当たったり、教職員側から活動を持
すい名称にするため、生活環境委員会と改称した。
ちかけられることも少なくない。今後はサークルなど他
組織との連携を強化していく予定だ。
<厚生会班>
食堂や売店、宿舎浴場などの学内業者に関する問題に
・調査委員会
ついて活動する。学内で営業する業者は全て厚生会から
の委託をうけて営業している。厚生会は教職員と学生に
調査委員会は全代会の問題発見能力を補うために、2007
よって構成され、意思決定は理事会で行う。学生も理事
年度から新たに設立された委員会だ。他の委員会から独立
として出席しており、厚生会班はこの学生理事の選出も
した調査機関として、学内に潜むあらゆる問題の発見とそ
行う。
の調査を行う。これまでの委員会は課題の発見と実現の両
方を担っていたため、一学期のうちは問題発見のためのア
<宿舎班>
ンケートを実施するだけにとどまって活動の開始が遅くな
国内最大規模の学生宿舎を擁する筑波大学。宿舎に関
ったり、実現のための活動をしている際には問題発見がお
する問題はそこで生活する学生にとって最大の問題のひ
ろそかになったりすることが多々あった。調査活動に専念
とつであり、全代会でも宿舎を巡る問題には特に重点を
する委員会を設立することで、こうした問題を解決するこ
置いて取り組んできた。宿舎班では学生宿舎全般につい
とが狙いだ。また、アンケート作成や調査のスキルを向上
て扱い、施設の改修や住人同士のコミュニケーションの
させる効果も期待されている。
促進、環境サークルエコレンジャー
*10
と協力しての宿
調査委員会はアンケートや聞き取り調査のほか、統計デ
舎リサイクル市実施を目指し活動している。一の矢宿舎
ータの収集・分析、実地調査、実験など、様々な手法を駆
のマスターキー紛失事件や入棟管理システムの問題とい
使して調査にあたる。結果は報告書にまとめ公開するほ
った突発的な事態にも対応する。
か、他の各委員会などの活動にいかすために提供する。
*10 環境サークルエコレンジャー……「環境問題に対して何らかのアクションを起こしたいと考えている学生が集まり、メンバーが発案したアイ
デアを元に活動している団体」(webサイト:http://www.stb.tsukuba-ac.jp/ecoranger/より抜粋)。文化系サークル連合会所属。
16
全代会30周年記念誌
・広報委員会
立し、委員は特別委員会専属の委員として活動すること
広報委員会は全代会の活動を学生に広報するために発
になる。
足した。現在は広報誌『Campus』を発行するCampus
編集部と、ポスターやwebページ製作などを行う広報制
・情報特別委員会
作部に分かれて活動している。
情報特別委員会はコンピュータなどの専門的な知識を
*13
<Campus編集部>
持った座長団と有志学生から構成され、TWINS
全代会の活動を広報するとともに、学生に有益と思
学ウェブサイトの改善、端末室などの情報処理環境の充
われる学内の情報について取り上げる全代会の広報誌
実について活動するほか、自ら学生に有益なソフトウェ
『Campus』を編集・発行する。本会議や教職員との対
ア開発なども行う。
話など、全代会の活動に同行して取材を行うだけでな
学内の情報化が進むにつれて、全代会も情報処理関連
く、編集員自ら企画を考え、独自に取材を行って記事を
の活動に取り組むことが増えてきたが、従来の委員会で
作成している。Campusの取材がきっかけで新たな課題
は専門的な知識のある学生を参加させる枠組みが不十分
に取り組むことも多く、広報だけでなく情報収集の役割
であることから、06年度に設立された。07年度からはク
も果たしている。
ラス組織特別委員会同様に専属の委員を集めて活動する
や大
予定だ。
<広報制作部>
本会議の開催を伝えるポスターの制作や、全代会・広
報委員会のwebページ制作を担当する。また、全学授業
評価
*11
や省エネキャンペーン
*12
など、他の委員会から
依頼を受けて広報物を制作することもある。
広報委員会はCampusや本会議ポスターなどの定期刊
行物があることから、全代会の中でももっとも活動サイ
クルや運営体制が整備された委員会であり、2000年代以
降安定して活動している。作業のために全代会室にいる
時間も多いことから、全代会の雰囲気作りの役割も担っ
ている。
・クラス組織特別委員会
クラス代表者会議と全代会との連携を図る活動はこれ
まで運営専門委員会が担っていたが、2007年度から新た
に総務委員会とは別にクラス組織特別委員会を設立して
活動にあたることになった。各学類・専門学群のクラス
代表者会議を見学し、報告書にまとめたり、会議のたび
にクラス代表者会議の報告をまとめた機関誌をクラス代
表者会議に配布して、クラス代表者会議間の情報共有を
実現していく予定だ。2007年度は特別委員会として設立
されるが、従来の特別委員会と異なり、年度当初から設
*11 授業評価……学生による授業評価。専門科目については各学類・専門学群がそれぞれ独自に行ったり行わなかったりしている。共通科目に関
してはTWINS上で回答できるようになっているが回答率が著しく低かった(10%程度)ため、回答を呼びかけるポスターの制作が学務部から依頼さ
れ、広報委員会で作成した。
*12 省エネキャンペーン……エレベータの使用を控えることや使用していない端末の電源を切るなど、身近な省エネを呼びかけるポスターの制作
が施設部から依頼され、広報委員会で作成した。
*13 TWINS……学務・成績管理システム。学生が履修申請や成績確認を行ったり、教員が採点を行ったりすることができる。学内の端末からなら
ばどこからでもログイン可能(学外からもログインできるが煩雑な作業が必要)
全代会30周年記念誌
17
全代会および各委員会の歴史
全学学類・専門学群代表者会議のあゆみ
運営専門委員会
学内行事専門委員会
教育課程専門委員会
広報委員会
厚生委員会
全代会と情報技術
全学学類・専門学群代表者会議のあゆみ
UNIVERSITY OF TSUKUBA STUDENT REPRESENTATIVE CONFERENCE
1975.2
1975.5
1975.7
1976.4
1977.4
宿舎問題は紆余曲折の後に、一期生の希望者は 4 年次まで入居
企画調査室、
「クラス制度に関する申合せ」、「筑波
大学における学生の組織及びクラス連絡会等に関
する要項」を掲示
新学生組織に関する説明会 開催
初の座長団選出(全学学類等代表者会議 発足)
全学学類・専門学群代表者会議 発足
6委員会発足
可、という形で決着を見た。宿舎問題が片付き当面の課題がなく
なったクラス代表者会議の活動は、テスト期間とも重なり急速に
勢いを失った。全学生の 2/3 の投票により宿舎問題の後も会議を
存続することを決定し、そのための規約制定を進めたものの、出
席率の低下から作業は進まなかった。そんな中、大学側から思わ
1.発足直前・直後
ぬ提案が出される。
「クラス制度に関する申合せ」
、
「筑波大学に
おける学生の組織及びクラス連絡会等に関する要項」
(あわせて
*1
開学当初から筑波大にはクラス制度
*2
が存在し、クラス代表
も選出されていたが、クラス代表間のつながりはなかった。クラ
ス代表が集まる組織を築こうという動きは、学園祭の実施を求め
る学生たちの中からまず巻き起こった。
*3
「旧要項」と通称)の 2 つの規則案が、企画調査室
から学生に
提示されたのである。
これらの規則案はおおむね現在と同じ形でクラス代表者会議・
クラス連絡会・全代会などの組織について定めてあり、自主的な
筑波大に一期生が入学したばかりの 1974 年、学園祭開催を目指す
学生組織の設立を目指してきた学生にとって「青天の霹靂」とも
学生の有志団体「学園祭をつくろう会」の呼びかけで、全てのクラ
呼べるようなものであった。この案について大学は学生に意見を
スのクラス代表と、サークルの責任者らが集まり「学園祭に関する
求めたが、テスト期間~春休みという時期の悪さもあって学生の
討論会」が開催された。この討論会の中で「クラス代表者会議」を
反応は鈍かった。結局、規則は学生の意見が反映されないまま大
発足させることが決まったが、ここでいう「クラス代表者会議」と
学によって正式に制定され、翌年からこの案に基づいて新たな学
は現在のような学類・専門学群ごとのクラス代表の集まりではなく、
生組織が運営されることとなった。
全学の(当時は第一学群と体育・芸術医学専門学群しか出来上がっ
ていない)クラス代表が一堂に会する会議であった。
75 年 5 月、二期生も含めた学生を対象に新学生組織に関する説
*4
明会が開催され、7 月にはクラス代表・座長団
が選出された。こ
大学側も「学園祭に関する討論の場として」クラス代表者会議
れにより全学学類・専門学群代表者会議の前身、全学学類等代表
の存在を認めた。しかしクラス代表者会議は学園祭のために「ク
者会議が発足した。手続きの不備などから選出が遅延し完全な形
ラス・サークル代表者会議」を新たに発足することを決議した後、
では発足できなかったものの、旧要項の修正を大学と協議し決定
学園祭に限らない学生の意思疎通の場としてクラス代表者会議を
するなど組織固めが進められ、全国的にも画期的な大学運営への
存続させることを決め、当時大きな波紋を呼んでいた宿舎問題に
学生参加制度が動き始めた。
ついて扱っていくことになる。
76 年、旧要項の修正により全学学類等代表者会議は全学学類・
*1 クラス制度……学類・専門学群ごとに 20 ~ 40 人の学生を単位としてクラスを編成し、各クラスに1~2人のクラス担任教員を置く筑波大学の制度。また、
このクラスを選出母体として構成する学生組織の制度を指すこともある。
*2 クラス代表……各クラスから1~2名選ばれ、クラスの学生を代表して学類・専門学群ごとに構成されるクラス代表者会議で意見を述べる役割。
*3 企画調査室……大学運営の改善に関する調査・企画と、大学の広報活動についての企画を行うために設置された部署。法人化の際に改組され、現在同
名の組織は存在しない。
*4 座長団……全代会の構成員。各学類・専門学群のクラス代表者会議から座長1名、副座長2名の計3名が選出され、学類・専門学群の学生を代表して
全代会で意見を述べる。また、各委員会に所属してそれぞれの役割を行う者でもある。
全代会30周年記念誌
21
専門学群代表者会議として新たに発足、初代議長として人文 3 年
聞などのメディアでも頻繁にとりあげられた。大学の管理体制に
の芝原康を選出した(一般に「全代会発足の年」といえばこの
反する学生のパワーがさまざまな形で発露されていた時代でもあ
1976 年を指す)
。当初は委員会という制度がまだなく、細則プロ
り、その発露の場としての役割も果たしていた。
ジェクトチームなど 3 つのプロジェクトチームを組んで、委員会
闘争終了とともに学生の勢いも収束し、全代会のあり方も変容
制度をはじめとする全代会の組織確立に努めた。その結果、翌年
していった。この後、再び全代会の活動が活発化してくる現在に
より運営専門委員会、学内行事専門委員会、教育課程専門委員会、
至るまで、当時ほどの注目を全代会は集められていない。
課外活動専門委員会(後に廃止)
、厚生専門委員会(後に厚生委
員会)
、広報委員会の 6 委員会が発足、ほぼ現在の形に近い「全
3.学園祭以外の活動へ-進む組織再編と学生の無関心
代会」の活動が始まった。
学園祭を巡る混乱が一段落した 1986 年以降、全代会は学園祭
2.学園祭問題に追われる全代会
以外の問題に本格的に取り組み始める(もちろんこの後もしばら
く学園祭に関する問題は生じたが、全代会で扱うべき問題の一つ、
学園祭実施を求める学生の声が発足の原点であったこともあ
*9
という位置づけに落ち着きだしていた)
。厚生会理事会
* 10
への学
り、発足当初から学園祭運営が安定するまで(77 ~ 85 年)の間、
生参加や学内の駐車場問題
など厚生委員会関係の活動が活発
全代会は学園祭の対応に追われた。特に学園祭を巡る学生と教職
化するほか、教育課程専門委員会の活動も徐々に目立ち始める。
員、あるいは学生同士の対立が激化した 1978 ~ 84 年は全代会も
しかし学園祭闘争なき後の全代会に外部の関心は低かった。新
対立の渦中に巻き込まれ、運営専門委員罷免、議長選の混乱など
たな活動で即座に成果を出せるわけもなく、わずかに厚生会や駐
多くの事件が起こった(
「学園祭闘争」の詳細は全代会事件簿を
車場問題が大学新聞で取り上げられた程度であった。目安箱
参照)
。
の設置、壁新聞「CampusEX」
* 11
* 12
*5
この間、厚生会への学生参加、筑波山夜間ハイク 、スポーツ・
*6
*7
デー学生委員会 、大学指定ジャージ問題
など学園祭以外の
問題も扱ってはいたが、学園祭に関する話し合いに押されて存在
の発行、大学新聞への記事掲
載要求など、全代会も様々な手で学生への周知をはかったものの、
効果は芳しいものではなかった。結果的にモチベーションを失う
構成員が多数発生し、流会が頻発する年が続いた。
* 13
感は薄かった。
周囲の関心が薄れる中、全代会は内部組織の改革で流会
結局、80 年、84 年の 2 度に渡る学園祭中止を経て、85 年に闘
など
の問題に対応しようとする。特に議長の役職放棄で大混乱に陥っ
争が一応の終結を見るまで、全代会は「学園祭のために存在する
た 1989 年以降、
その反動であるかのように組織整備に動き始める。
機関」という位置づけから脱却することができなかった。運営自
引継ぎのために毎年必ず総括報告書を残す習慣が始まり、
「学生
*8
体も毎年学園祭終了後は定足数
に満たない会議が続くなどの
問題を抱えていた。
* 14
組織再編長期プラン」 (通称「長期プラン」
)の審議が行われた。
1995 年には厚生専門委員会への一般学生の参入、活動が低迷して
しかし一方で、発足直後のこの時期が、全代会が最も学生の注
いた課外活動専門委員会と学内行事専門委員会との統合などの審
目を浴びた時期でもあった。全代会での決定が直接学園祭の運営
議も始められた。実現に至らない改革案も多かったが、いくつか
に(時には実施できるか否かにまで)関わることもあり、大学新
の案が後に議案として決議され、実現していくことになる。
*5 筑波山夜間ハイク……76 年度から全代会主催で行われていたイベント。筑波山までハイキングし、朝方帰ってくるものである。
*6 スポーツ・デー学生委員会……p29 全代会と各委員会の歴史「学内行事専門委員会」参照。
*7 指定ジャージ問題………当時存在した筑波大指定のジャージについて、購入の自由化を求めて全代会が活動した。詳細は教育史参照。
* 8 定足数……会議が成立するのに必要な出席者の数。この当時、全代会の定足数は3分の2と規則で定められていた(2007 年度から過半数に改正)
。定足
数に満たない場合、会議が成立せず、正式な議決を下すことが出来なくなる。
* 9 厚生会理事会……p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
* 10 駐車場問題……p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
* 11 目安箱……1990 年代に一時期設置されたが、効果があったのは導入当初のみであった。2006 年まで第二学群掲示板に設置されていたが、現在は全て撤
去されている。
* 12 CampusEX……広報委員会発行の壁新聞。詳細は広報史参照。
* 13 流会……会議の出席者数が定足数に満たず、会議が成立しないこと。
* 14 学生組織再編長期プラン……p24 全代会と各委員会の歴史「運営専門委員会」参照。
22
全代会30周年記念誌
4.改革の実現と活動の活発化
全代会はこれまで組織改革と、流会(構成員のモチベーション
低下)との闘いを繰り返してきた。発足から 30 年経った今、2 年
96 年、
「厚生専門委員会の廃止と厚生委員会発足」
、
「学内行事
専門委員会と課外活動専門委員会の合併」
、
「クラス代表者会議へ
の議長設置」といった重要議案が次々に決議された。その後の数
* 24
連続で本会議を全会成立させるなど組織としても成熟し
、大
学運営に参加する機会も増えてきている。
* 25
当面の課題は、07 年度より行われる学群・学類改組
だ。06
年間でこれらが実現に移され、厚生委員会が厚生会理事会に参加
年現在は学群・学類改組特別委が編成され、9 学群 23 学類制に
する、座長団が全代会の活動に専念できる、不要な委員会が統合
合わせた組織作りが急ピッチで進められている。座長団の人数増
されるなど、全代会はある程度の組織改革を達成した。
加への対応と併せて、現在の委員会体制も改革する。これまで全
00 年には意見集約を主に行う「意見聴取会」と議決を主に行
代会は(その時々に起こった大きな問題への対応を除き)宿舎浴
う「本会議」とを区別する制度が導入され、携帯電話の普及によ
場や駐輪問題、外国語教育や授業評価など、毎年似たような問題
る連絡網の確立とあいまって(それまで会議の開催連絡・出欠
に取り組んできた。だがこれら以外にも学内の課題は多く、現在
確認は口コミや宿舎放送、固定電話、葉書などで行われていた)
、
の全代会は学生のニーズに十分沿っているとは言えない。そこで
流会を著しく減少させることとなった(02 年 4 月~ 07 年 3 月の
改革後は学内の問題発見を専門とする調査委員会を新たに置くほ
間で流会は 03 年度末と 06 年 10 月の 2 回のみ)
。03 年度には特別
か、委員会の役割と名称を見直すこととなった(改組後の委員会
* 15
委員会制度
が確立し、突発的な問題にも柔軟に対応できる体
については p15 参照)
。
「学生の大学運営への参加」を保ちつつ、学生に親しまれる組
制が生まれた。
委員会組織の再編、クラス代表者会議の活性化、本会議の出席
織を目指して。全代会は未だ過渡期の中にある。
率の向上は、全代会を活性化した。21 世紀に入り、駐車場のゲ
* 16
ート化問題
* 17
を皮切りに、学園祭分担金一括徴収制の採用
* 18
図書館情報大学・医療短期大学部統合
* 19
設に関する活動
* 22
舎サービス
* 20
、学内バス
、授業評価・FD
に関する問題、外灯増
* 21
、静脈認証システム
* 23
、
、新規宿
に関する活動など、全代会の
活動は過去に例を見ないほど活発化している。学内メディアから
の注目も再び高まり始め、静脈認証システムや新規宿舎サービス
問題などは大学新聞をはじめ多くの学内メディアに取り上げられ
た。
5.末尾に
06 年、全代会はこれまでの歴史の中でも特に恵まれた環境の
中にある。
* 15 特別委員会制度……臨時で取り組む必要のある問題や既存の委員会の所管に属さない問題について扱うために設立される委員会。構成員の過半数の承
認によって設立が認められる。それまでにも小委員会、プロジェクトチームなどの名称で同様の組織が作られることは多々あったが、この年以降は設立のため
の手続きが明確化され、2004 年度には内規として正式に定められた。2006 年度の規則改正時には規則中で特別委員会制度について定め、特別委員会も他の委
員会同様に大学の規則に明記された委員会となった。
* 16 駐車場のゲート化問題……p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
* 17 学園祭分担金一括徴収制……p29 全代会と各委員会の歴史「学内行事専門委員会」参照。
* 18 図書館情報大学・医療短期大学部統合に関する問題……02 年度に筑波大学と統合し、2003 年度からそれぞれ図書館情報専門学群、看護・医療科学類と
して新たに筑波大学として学生を受け入れることになった両大(学部)について、クラ代会のサポートなど学生組織運営、移動時間など合併による学生への影
響について全代会として特別委員会を立ち上げ活動した。特別委員会一覧も参照。
* 19 外灯増設に関する活動……p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
* 20 学内バス……p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
* 21 静脈認証システム……p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
* 22 新規宿舎サービス……p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
* 23 授業評価・FD……p35 全代会と各委員会の歴史「教育課程専門委員会」参照。
* 24 2年連続で本会議を全会成立させる……06 年 10 月に2年半ぶりに本会議が流会したが、それ以降、現在までの会議はすべて成立している。
* 25 学群・学類改組……07 年度より、それまでの 7 学群 15 学類制に代わり、9学群 23 学類制が導入される。04 年に学群改組の実施が発表されてから全代
会では一貫してこの問題に取り組んできた。05・06 年には特別委員会を設置し、改組後のカリキュラムと学生組織について活動した。(改組自体の説明につい
ては筑波大学ホームページなどを参照)
全代会30周年記念誌
23
運営専門委員会
運営専門委員会は 77 年、 全学生組織の円滑な運営を支えるために規則の見直しや組織体制のてこ入れをする委員会として発
足した。 その後、 議場設置 ・ 資料作成などの諸事務を兼任し、 07 年現在は総務委員会とクラス組織特別委員会の 2 つに分か
れて活動している。 ここでは運営専門委員会の主な活動とその歴史を振り返る。
STEERRING COMMITTEE
1977
1980
1986
1989
1992
1993
運営専門委員会発足
現行細則・申し合わせ「改正試案」作成
学生組織に対する意見交換会(全 2 回)
ことになる。資料の印刷、配布、保管や出席確認などの全代会開
学生組織のために要綱細則改正案準備委員会を発足
全代会に関する事由討論会
ったかは諸説がありはっきりしないが、「運営」という名前から
催に関する諸事務だ。なぜ運営委がこうした事務を行うようにな
「全代会の運営」に関する活動もすべきと考えられたか、要項修
クラ代会運営マニュアル作成
クラ代会復活懇談会
組織改編長期プランの検討
「災害時の休講に関する明確な規定」の調査 各学類・専門学群の選出管理責任者の確認(新歓)
全代会プレ説明会マニュアル作成
副座長、副議長の選出方法を改正
意見聴取会の定例化
1998
1999
2000
2001
正の参考に各委員会が提出する議案をチェックしていたところ、
運営委が資料を集めてチェックし、構成員に配布する委員会だと
勘違いされたのだと思われる。
当時は連絡手段の不備などから会議を開けない状態が続き、現
在ほど印刷環境も整っていなかったので、事務的な役割は運営委
クラ代会活性化のため、計画書、報告書など作成
新歓の取りまとめ、役員選出を行う
機関誌発行開始
2004
2005
にとって大きな負担となった。これが後に述べる運営委の混乱と
ともに、予定されていた要項修正が見送られる一因となる。
クラ代会見学開始
運営専門委員会発足と役割の変化
学園祭闘争と運営委
77年、運営専門委員会(運営委)は学生組織の動きを常時観察
78年、運営委は発足2年目にして最大の危機を迎える。年度半
し、問題があればいち早く対処・改善するための機関として作ら
ばの9月に委員が全員罷免されてしまったのだ。
れた。
事件は学園祭闘争 の最中に起こった。きっかけは不許可企画
発足の背景は当時の学生組織が未完成だったことだ。当時、学
問題 に対する大学の決定について話し合う全学クラス討議だ。
*3
*1
*4
園祭実行委員会(学実委)やクラス代表者会議(クラ代会) な
多数の座長団がクラス討議開催に異議を唱えたにも関わらず、議
どの学生組織はいずれもできて間もなく、活動に障害が予想され
長の熊谷秀武(79年度社会学類卒)は強引に実施を決定した。
た。特に学園祭については学生と教員を二分する議論があり、検
当時の運営委はこのやり方に反発し、クラス討議で使用される
討が必要だった。
資料(広報委が制作し、保管を運営委が任されていた)を配布す
また、大学が全代会やクラ代会などの学生組織についての大枠
る9月20日の会議に提出しないことで討議の開催を阻止しようと
を定めた「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等に関
した。この作戦は見事に当たり、資料の配布が行えなかったため
*2
する要項」 (75年3月20日制定。通称「要項」)については、
にクラス討議は中止されてしまう。これに腹を立てた熊谷は当時
数年後に内容を精査し修正することが決まっており、設立当時は
の運営委5人を全員罷免することで応酬した。議長は各委員会委
この要項修正も運営委の役割として考えられていた。
員の任免権を持つことが規則で定められているが、実際に議長が
しかし活動を始めて間もなく、運営委はもう一つの役割を担う
罷免を行ったのは記録上この1回のみである。さらにこの件で運
*1 クラス代表者会議(クラ代会)……各学類・専門学群のクラスから選出される代表で構成される会議。さらにクラ代会から座長1人、副座長2人が座長団
として選出され、全代会の構成員となる。
*2 「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等に関する要項」……75年3月20日制定。通称「要項」。クラス会議、クラス代表者会議、全代会などの
暮らす制度に基づく学生組織の大枠を定めたほか、クラス連絡会や副学長との懇談会など、学生と教職員間の会議についても定めた規則。06年から「筑波大学
の学生の組織等について」と名称を変更。
*3 学園祭闘争……学園祭をめぐって学生と大学の間で起きた一連の事件。詳細はp83 事件簿参照。
*4 不許可企画問題……当時は政治的な内容を含むと思われる企画について、大学から実施許可が出されないことがあり、これらの企画を巡って一部の学生
と教職員間での対立があった。
*5 学園祭分担金……学園祭を行うために全学生から集める徴収金。現在は1年600円として、4年分(医学類は6年分)を4月に一律徴収する。
*6 本部企画……学園祭実行委員自らが立案・実施する学園祭企画のこと。
24
全代会30周年記念誌
営委のあり方に危機感を覚えた熊谷は10月18日の会議で運営専門
づいて、特定の政治的活動のための(学内での)集会は許可しな
委員会とは別に事務仕事を担当する執行委員会を設立することま
い」と決定したことに対し、9月24日の全代会で「学生規則第17
で提案した。これは否決されて事なきを得たが、発足当初からこ
条は『学内において特定の政党、又は宗教団体に係る活動を目的
のような混乱に巻き込まれたことで運営委はしばらくの間、機能
とする集会を開催することはできない』もので、政治活動すべて
不全を起こしてしまった。その結果、要項修正など発足当初に予
を禁止したものではない」として運営委が抗議文を提出、承認さ
定されていた活動は行われないまま放置された。
れた。また、82年には「広報委員会についての細則」を改正し、
広報委員の人数を1つの学類・専門学群から1名を、1名以上に変
学生組織に関する活動
更する案が承認された。さらに92年には学生組織における決選投
票の方法の改正や、学内の文書掲示期間の延長について活動する
発足2年目でさっそくつまずいた運営委だったが、その後は再
など、80~90年代は学内諸規則に関して積極的に取り組んだ(詳
び活動を盛り返した。特に80年代から90年代にかけては、全代
しくはp126 議案一覧参照)。
会・学実委・クラ代会の運営方法や規則について検討を行い、
一方で、規則改正以外の方法で学生組織の活動を円滑化するこ
「学生組織の円滑な運営を支える」という設立当初の目的に沿っ
とも試みられた。86年には運営委主導で「学生組織に関する意見
て活動した。
交換」が行われた。第1回(86年12月17日開催)ではクラ代会や全
学園祭が中止された80年には、学園祭に関する規則や申合せを
代会の活動に学生が無関心である問題の解決案などが、第2回(87
改正する案を運営委から提出した。これは学園祭の中止を受け
年1月14日開催)では学園祭実行委員会への負担軽減案が運営委か
て、学園祭に関する規則の問題点を洗い出し、それを修正しよ
ら提案され、座長団同士で活発な議論が行われた。
うとしたもの。具体的には「学園祭開催日程を固定し、日程の
86年の意見交換は全代会の会議のなかで行われたが、92年には
*5
決定権を学生が持つこととする」、「学園祭分担金 の金額を固
会議とは別に「全代会に対する自由討論会」を運営委が開催し、
定し、4年分を入学時に一括納入することとする」、「本部企画
座長団以外の学生も交えたパネルディスカッション形式で、全代
*6
を廃止するとともに学園祭実行計画書 ・総括報告書 も廃止
会の諸問題について話し合った。こうした学生組織全体のあり方
し、学実委は事務報告などを全代会に提出するのみとする」とい
について考える活動は、後の「学生組織改編の長期プラン」(長
ったことを提案した。改正案は12月10日の会議にかけられたがこ
期プラン)登場につながっていった。
*7
*8
*9
の日は流会 し、81年1月14日の会議で再び審議にかけられた。
しかし、今度は意見がまとまらずに採決は持ち越され、その後も
長期プラン以降
審議は重ねられたが意見をまとめることができず、その年は規則
修正に至らなかった(詳しくはp29 全代会と各委員会の歴史「学
「長期プラン」は、93年度に運営委が発案した。低迷した学生
内行事専門委員会」参照)。
組織を根本的に見直し、数年をかけて大幅な改編を行うための壮
*10
翌81年には、5月の評議会
で大学が「学生規則第17条等に基
大な学生組織再編計画だ。
この年、運営委は学類レベルから学生組織を活性化するべく活
動を始めていた。運営方針が定まらないクラ代会に向けて運営マ
ニュアルを作成したり、教員を交えてクラ代会復活ケアなどを行
ったりした。しかし、活動の停滞は思っていた以上に深刻であ
り、改善するにはより根本的な制度の改編が必要と思われた。そ
の後は「全代会構成員選出時期の変更」や「意向反映経路の改善
について」という提案をして全代会の円滑化、大学運営への学生
の意向反映の実現を図ったが、その会議が流会したため議決され
*11
ず、上手くはいかなかった。逆に副学長等との懇談会
で、学生
の意識が低すぎると指摘され、各学類長からは学生組織の存在意
運営専門委員会は全代会室の管理もする(写真は 06 年度)
義を疑問視する声すら上がった。
*7 学園祭実行計画書……学園祭実行委員会がその年の学園祭の計画について記したもので、規則により毎年全代会で審議した上で副学長(学生生活)に提
出されることになっている。夏休み前(5~6月)に大まかな計画書を可決した上で、夏休み明けに詳細部分についての審議が行われることが多い。
*8 総括報告書……学園祭実行委員会がその年の学園祭の総括・反省を記したもので、規則により毎年全代会で審議した上で副学長(学生生活)に提出され
ることになっている。近年は12月以降に提出されることが多い。稀に決算報告と総括報告が分けて提出されることもある。
*9 流会……会議の開催予定時刻を30分上回っても出席者が定足数に満たない場合、議長は会議を流会させることができる。会議が流会した場合、正式な議
決をとることはできなくなるが、意見聴取などは行うことができる(「懇談会」と呼ばれる)。
*10 評議会……学長・副学長らによる会議。現在は経営評議会と教育・研究評議会の2つの評議会が存在する。
*11 副学長らとの懇談会……「筑波大学の学生組織等について」の中で、全代会と学生生活担当の副学長が意見交換の機会を持つことが定められており、年
によって差はあるがだいたい年1回程度、懇談会という形で意見交換を行っている。
*12 厚生補導審議会……当時筑波大学にあった3つの審議会の一つ。主に学生生活に係る事項について扱っていた。現在は存在しない。
全代会30周年記念誌
25
学生組織全体の改編が必要であると感じた運営委は、翌94年1
ことになったのだろう。
月に「長期プラン」と称して長期に渡る方針を打ち立てた。学生
95年度の運営委は指摘された点の対策を考えることに終始し
の大学運営への直接参加を目的として掲げ、さらに段階ごとの目
た。まずは各学類・専門学群の専攻やコースを調査し、クラスに
標として
準ずる団体の詳細な資料を作り始めた。ところが調査を始めてま
A.学類ごとに柔軟に対応できる制度の確立
もなく、各学類・専門学群は専攻やゼミ以外にもコース・研究室
B.全代会内部が柔軟に対応できる環境の整備
で細分化されていて、横の繋がりも皆無であることが分かった。
C.学生と教職員が同じ場で話し合う機会の確保
年度内に有効な資料を作るのは不可能と判断し、クラス組織の改
を定めた。残りの期間では、学生組織の改正モデルを提案し、そ
正については保留とした。厳密な選挙の手続きについても同様で
れに対する意見を集約することに努めた。
あった。公正で実現可能な方式が考え出せないため、現行の選挙
94年度、学生組織の検討は5月の段階から始められた。構成員
管理委員会を復帰することを目標とした。さらに、厚補審への自
の選出と学生の意向反映経路を中心に審議は進み、全体の会議に
由な出席もあきらめた。これについては毎回出席して発言権を得
も6月から断続的に提出された。度重なる審議を経て、12月には
るメリットよりも、毎回会議に出るための時間的・労力的な負担
一連の改正案としてまとまった。しかし、相次ぐ流会で先送りに
の方が大きいと考えたようだ。ただし、現行の手続きを継続しつ
され、決議が行われたのは95年2月1日だった。
つ厚補審に加えて教育審議会へも出席を要請することを決めた。
改正の要点は以下の4つにまとめられる。
95年度の「長期プラン」では他にもクラ代会開催届け
①専攻やゼミ単位での代表選出を行えるようにするなど、クラ
止、細かな表現の訂正を審議して改正案の中に盛り込んだ。
ス制度を改正して学生組織に上級生が参加する機会を増やす。
一応の形を得た「長期プラン」だったが、なぜかこの成果も現
②座長団選出の時期を秋頃に改正し、大学に慣れた構成員で
在には残されていない。95年10月25日、まとめられた改正案が全
全代会を組織する。
代会に議案として提出された。この会は定足数
③「準構成員」などとして例年通り4月の段階でも全代会に
ため、決議は次回に持ち越される。しかし、11月1日の会議で運
新入生を招き入れることで、全代会に慣れてもらう。
営委から提出されたのは前年度の議案を撤回する議案だけであっ
の廃
*16
*12
④厚生補導審議会
*15
(厚補審)に全代会が参加し、学生の意
に満たなかった
た。それ以降の会議にも提出されることはなく、そのままうやむ
向をより直 接的に大学運営に反映させる。
やのうちに95年度が終わる。その理由も経緯も定かではなく、96
実際の議案ではこれに加えて、
年度には「長期プラン」そのものが引き継がれなかった。
⑤学内行事専門委員会と活動の低迷した課外活動専門委員会
こうして完全に立ち消えたかに思われた「長期プラン」だが、
の統合
そこで提案された内容のうち一部は後に形を変えて実現された。
*13
⑥有名無実化した選挙管理委員会
の削除
⑤学内行事専門委員会と課外活動専門委員会の統合…96年5月
⑦クラ代会議長の制定
に細則改正案が可決され、翌年から課外活動専門委員会は学内行
に相当する規則の改正も行われた。審議では選出時期の改正のみ
事専門委員会に吸収された。
が保留否決となったが、他の改正案は正式に承認を得た。
⑦クラ代会議長の制定…これも96年5月に細則改正案が可決さ
大きな成果を挙げたかに見えた94年度だが、実際には一切の成
れ、いくつかのクラ代会で実際に議長が置かれた。05年には全代
果が残らなかった。詳細は定かではないが、どうやら厚生補導審
会から議長のいない各クラ代会に議長を設置するよう求めたこと
*14
議会に提出される前に学生担当教官室
(学担室)で止められた
から、ほとんどのクラ代会に議長が置かれるようになった。
ようだ。資料から読み取れる範囲では、少なくとも次の3点につ
⑥選挙管理委員会の削除…95年以後も公正な選挙の実施と選挙
いて何らかの言及があったと考えられる。
管理委員会の実現性をめぐって議論が交わされ、04年・06年と規
①専攻やゼミにクラス相当の団体を置く手法が不明瞭である。
則の改正を全代会で審議。06年11月に選挙管理委員会を削除する
②厚補審への自由な出席を求めるならば、常時出席する責任
改正案が可決され、07年3月から規則に反映された。
を負うべきだ。
こうして一部が実現された「長期プラン」だが、本来の目的で
③選挙管理委員会を廃止するのであれば選挙の手続きをより
ある①~④の各項目については10年以上が経過した07年現在も実
厳密に設定するべきだ。
現されていない。06年には構成員の選挙時期の変更が再び審議に
おそらく、この点を解消するまで提出された議案は保留という
あがったが、「現在のままで問題ない」「クラス代表の選出時期
*13 選挙管理委員会……クラ代などを選挙するにあたってその選挙の正当性を確保するため、クラ代や全代会とは独立に設けられる予定だった委員会。モチ
ベーションの維持が難しく、細則が成立して間もなく事実上存在しない委員会となった。
*14 学生担当教官室……現在の学生担当教員室(04年度以降、国立大学法人化に伴い「学生担当教員室」と改称)。全代会など学生組織に関して扱う教職員の
組織であり、議案等も全てここを経由して大学に提出されている。
*15 クラ代会開催届け……「筑波大学の学生組織等について」の中で、クラ代会を開催するときには各学類・専門学群長に届け出なければならないことが定
められている。実際には頻繁に開催されるクラス代表者会議のたびに学類長等に届け出ることは不可能であり、この規則が実効性を失っていることは以前から
指摘されていた。現在も規則中のこの部分は改正されておらず、今後の懸念事項のひとつである。
*16 定足数……会議が成立するために必要な出席数。06年までは全構成員の3分の2。07年から規則改正により、構成員の過半数。
26
全代会30周年記念誌
はずらせないし、座長団の選出が秋頃になるとクラ代会の活動が
間の迷走を経て運営委は再び元の流れに戻ることができた。
低迷していた場合に座長団を選出できないかもしれない」との意
全会議成立への道
見が挙がったために規則の改正には至らなかった。
*17
「長期プラン」は30周年記念誌の活動や学群・学類改組
など
を受けて再び注目を集め始めている。今後、その内容を改めて審
全代会に関する諸事務についても30年間で大きな変動があっ
議する機会が訪れるかもしれない。その際には同じような議論を
た。中でも定足数を集めて会議を成立させることは運営委にとっ
繰り返さないよう、「長期プラン」の審議経過をよく見返してか
て非常に重大なトピックだった。
ら審議に臨む必要があるだろう。
全代会発足当初は学生宿舎に固定電話すらない時代。当然、出
席を呼びかける手段も限られ、毎週会議を開催することで次の会
クラス代表者会議との連携
議を通知するしかない状態だった。
こうした状況は宿舎の全部屋に電話が設置された80年代後半~
「長期プラン」が立ち消えになって以降、運営委が全代会・ク
90年以降になっても大して変わらず、91年度の活動報告には『…
ラ代会の問題に制度面から取り組むことはしばらくなかった。そ
全代会構成員に本会議の開催を連絡するために、ポスター・張り
れに代わってクラ代会と全代会の連携を強化する活動に重点が置
紙・電話での連絡を行っている。…』との記述がある。活動日を
かれるようになる。
知らせるため、構成員向けのポスターまで作らなければならなか
98年には運営委主導で全学学生名簿の制作が試みられた。これ
ったようだ。また、94年度議長の橋本泰敏(96年度自然学類卒)
は学生分担金の徴収円滑化や、機能停止した座長団・クラ代会の
も「呼びまわりのために直接宿舎を回って歩いていた」と06年12
活性化のために全学の学生を網羅した名簿を作ろうとしたもの。
月の議長座談会
完全に全学生を収録することはできなかったが、及第点レベルの
は芳しくなく、学園祭実行計画書の承認後は会議がほとんど成立
ものはつくることができたと総括に書かれている。始めた時期が
しない年も珍しくなかった。89年には「全代会 流会つづく」と
遅かったために実際の目的は果たせなかったが、その後運営委が
大学新聞に大きく報道されることまであった。
各学類・専門学群のクラ代会に目を向ける契機となった。
しかし、こうした状況は携帯電話やIT環境の普及と、全代会
99年には学担室からの依頼で学生組織に関するアンケートをク
の制度改革によって改善されていく。
ラ代会で実施。00年には同様のアンケートを運営委主体で実施す
98年には運営委により全代会のニュースグループが作られ、00
るなど、クラス代表の意識調査も行うようになった。01年にはク
年にはメーリングリストも利用され始めた。この頃から徐々に出
ラ代会活性化プロジェクト、クラ代会資料収集などそれまで以上
欠確認もメールによって行われるようになり、作業が容易になる
に具体的な取り組みも始まり、いよいよ運営委は全代会とクラ代
とともに会議の開催連絡が確実に行き渡るようになり、電話しか
会の連携に本腰を入れて取り組み始めるかに思われた。
なかった時代に比べ出席率も向上し始めた。
しかし02年、運営委は突如再び制度面に目を向け、「長期プラ
また、00年にはそれまで月に何度も行われていた「全代会」と
ン」を掘り起こしてきて全代会の任期改編などに取り組もうとし
いう定例会議を、「意見聴取会」と「本会議」の2つに分け、月
た。その結果、クラ代会に関する活動はストップし、それまでの
に1回開催する制度が運営委の提案で取り入れられた。これは審
流れが断ち切られた。さらに03年には委員長が任期半ばで全代会
議と議決の場を別にして、議案を周知する時間を設けるとともに
から失踪。急きょ1年生が委員長を務めることになり、事務作業
1回の会議時間を短縮することを目的とした制度だった。当初の
以外はほとんどなにもできない状況に陥った。このような混乱の
予定にはなかった思わぬ効果も発揮することとなる。意見聴取会
結果、04年には「運営委は事務仕事のみを行う委員会」という、
は審議のみを行う場であり、採決を行わないため、定足数が揃っ
発足当初の意図とはかけ離れた認識が全代会内で生まれ、04年の
ていなくても開催に支障をきたさなかった。以降、定足数を満た
運営委は庶務に没頭することになった。その結果、クラ代会に関
す必要がある会議は月に1回と減少し、メールを用いた出席の呼
する活動は議長団が受け持つことになった。
びかけによって流会は著しく減少した。02年、04年、05年とすべ
しかし、05年には議長団がクラ代会に関する活動への協力を運
ての本会議が成立。03年、06年も流会は1回のみで、77年から90
営委に要請し、協力してクラ代会の視察などを行うようになる。
年代半ばまでと比べると驚異的な数字である。情報ツールの発展
06年にはクラ代会に関する活動が再び運営委の役割になり、3年
と会議の制度改革により、全会議成立が実現するようになった。
*18
で話している。そうまでしても会議の成立状況
*17 学群・学類改組……07年度より、それまでの7学群15学類制に代わり、9学群23学類制が導入される。04年に学群改組の実施が発表されてから全代会では
一貫してこの問題に取り組んできた。05・06年には特別委員会を設置し、改組後のカリキュラムと学生組織について活動した。(改組自体の説明については筑
波大学ホームページなどを参照)
*18 議長座談会……全代会記念誌のコンテンツとして掲載するために、06年12月18日に主要な歴代議長を集めて開催された座談会。詳細はp103 歴代議長に
よる議長座談会参照。
全代会30周年記念誌
27
これからの運営委
運営委が支えてきた内と外の大きな柱。今後は総務委員会とク
ラス組織特別委員会がそれぞれを支えながら、更なる飛躍を目指
04年度から運営委は新たに、活動報告や全代会に関係する読み
して活動していく。
物を載せた内部向け機関誌を作り始めた。各委員会の活動を委員
以外にも報告し、議長団のスポーツ・デー参加など全代会に親し
みを持てる話題を掲載することで、構成員同士の意識格差を埋め
ようという試みだ。当初は年に2回発行と低迷したが、05年度に
は本会議ごとに発行されるようになり、06年度には意見聴取会・
本会議の両会議で発行された。内容や形態を改良しつつ、現在は
情報の共有・蓄積でも大きな役割を果たしている。
また、06年度にはクラ代会との連携を強化するために活動を進
めた。クラ代会の見学、意識調査と見学報告書の作成や、各クラ
代会議長からのクラ代会報告の回収なども運営委が積極的に行っ
た。
07年度から全代会は大学の学群・学類改組にあわせて組織体制
を大幅に改編する予定だ。これに伴い運営委も長年抱えてきた2
つの役割を分離する。全代会の庶務や制度改革などを「総務委員
会」が、クラ代会との連携を「クラス組織特別委員会」が担うこ
とになった。それぞれが別の委員会として独立し、1つの活動に
専念することで更なる改善を目指す。総務委員会は機関誌発行や
会議の改革を中心に全代会の庶務を、クラス組織特別委員会はク
ラ代会との連携を一層強化する。
目安箱
28
古くは江戸幕府に始まり、多くの自治体・生徒会などが
た。また、
この年には目安箱に入っていた意見をもとに「災
利用者の意見を集めるために活用してきた「目安箱」
。全
害時の休講措置について」
の議案が運営委から提案される。
代会でもご多聞にもれず、同様のものを設置していたこと
これは「他大学では災害時の休講措置について明文化され
がある。
ている。筑波大でもつくってほしい」といった意見を受け
目安箱が初めて設置されたのは 93 年のこと。学生の考
て運営委が行った活動で、98・99 年と副学長との懇談会
える筑波大の問題点や改善してほしい点を直接聞くため
でも話題にあげられた。結局、制度化は実現しなかったも
に、学内各所の掲示板側に目安箱が設置された。目安箱の
のの、災害時の対応について教員間でコンセンサスをとる
管理・運営は運営委が担い、回収した要望はトピックごと
ことで合意が得られ、目安箱がきっかけとなった初の活動
に各委員会に振り分けられた。この目安箱はその後も「い
としてはまずまずの成果が得られた。
かずち BOX」、「意見箱」などと名前を変え、箱本体を作
しかしこれが最初で最後の目安箱をきっかけとした活動
り直したり新設したりしながら、99 年まで運用が続けら
となる。以降、99 年に『Campus』で広報されたのを最後
れた。
に運営委が目安箱に触れることはなくなる。その後ほとん
設置当初は多くの投書が目安箱に寄せられ、投書内容や
どの目安箱は姿をいつの間にか消していき、一部が全代会
それに対する回答が『Campus』などで発表された。しか
向けの学内郵便ポストとして再利用されたものの、それも
し投書のほとんどは駐車場の問題や学内へのファースト
07 年に第二学群 B 棟 2 階掲示板前の最後の目安箱が撤去
フード店設置の要望など、目安箱設置前から全代会でもト
された。最後の目安箱には使用済みのテレフォンカードが
ピックとしてあがっていた意見ばかりで、目安箱で集めら
数枚入っていたのみだった。
れた意見が実際の活動に活かされることはなかった。96
現在、目安箱の役割は全代会ウェブサイトに設置された
年頃には投書も少なくなり、ほとんどゴミ箱と化していた。
メールフォームによって果たされている。目安箱のような
98 年にはこのような状況を打開するため、目安箱の活
末路を辿らないよう、適切な管理運営と利用されるための
性化を目指して広報を積極的に行うなどの対策が試みられ
工夫を凝らしていくことが今後の課題だ。
全代会30周年記念誌
学内行事専門委員会
77 年の設立以来、 学園祭実行委員会をサポートしてきた学内行事専門委員会 (内行委)。 97 年にはスポーツ ・ デー学生委
員会や三系に協力していた課外活動専門委員会 (課活委) を吸収し、 今では全代会と他の学生組織をつなぐパイプとして重要な
役割を果たしている。 ここでは内行と課活の活動を振り返る。
LIAISON COMMITTEE
1975
第一回学園祭開催
不安定だった学園祭が継続開催できるようになったのは全代会
1977
内行発足
第一回スポーツ・デーが開催される。
スポーツ・デー学生委員会が発足される。
と学園祭実行委員会の長年にわたる活動の結果だ。なかでも鍵
1989
昭和天皇崩御
書 の二分割化、政治色や宗教色の濃い企画への対応の3つの
1992
学園祭実行計画書を分割して提出する。
新歓ネット始まる。
取り組みを見ていく。
1993
政治的・宗教的企画開催許可のガイドラインを設ける。
1999
SD でアフターマス実施
2001
学分金を 4 年分(医学は 6 年分)を一括収集する。
2004
CG の合格発表時などの警備が始まる。
2006
新歓・安全推進特別委員会
*1
となった学園祭学生分担金 (学分金)の一括収集、実行計画
*2
集まりが悪かった学分金
筑波大学では、学生が一体となって学園祭を作りあげるとい
う理念の元、学生全員から学園祭学生分担金を集めることが細
則に定められている。しかしかつて学園祭分担金の収集率は非
常に悪かった。89年の実委の予算案では、全学生の35%からし
学園祭、毎年開催への道
か集められないと見積もられていたほどだ。
収集率が悪かった原因は、大学が実行計画書に許可を出さな
発足当初に掲げられた内行の活動目的は学内行事の計画・立
ければ収集を始められなかったことと(許可が出るのは概ね9
案・監督をすること。開学したばかりであまりイベントのない
月下旬だった)、一度に学生から集金する機会が設けにくかっ
筑波大学に新たなイベントを設けることを目指していた。しか
たことの2点。これに頭を悩ませた全代会では80年ごろから4年
し実際には、75年に始まったばかりの学園祭を毎年開くことに
分(医学専門学群では6年分)を一括して集めることを幾度か
苦心していたようだ。近年、学園祭は大きなトラブルもなく毎
議論された。しかし議論の紛糾や流会によってなかなか改正案
年開催されているが、過去に2度開催が中止されているほか、
が承認ことはなかった。結局、分担金がはじめて一括収集され
教職員と学生が対立し逮捕者が出るなど問題が絶えなかった。
たのは01年。最初に発案されてから実に20年近く経ってのこと
*1 学園祭学生分担金……学園祭を行うために全学生から集める徴収金。現在は1年600円として、4年分(医学類は6年分)を4月に一律徴収する。
*2 実行計画書……学園祭実行委員会がその年の学園祭の計画について記したもので、規則により毎年全代会で審議した上で副学長(学生生活)に提出されること
になっている。夏休み前(5~6月)に大まかな計画書を可決した上で、夏休み明けに詳細部分についての審議が行われることが多い。
*3 三系……文化系サークル連合会、体育会、芸術系サークル連合会の総称。
*4 オールナイト上映会……学園祭闘争時代、問題とされていた企画のひとつ。深夜まで映画を上映する企画だった。
*5 三里塚闘争勝利集会……成田闘争とも呼称される新東京国際空港建設反対運動及びこれに関する事柄をさす。新東京国際空港建設に反対する地域住民の運動に当時の
学生も多数参加していた。
*6 細川護熙講演会……のちの第79代内閣総理大臣による講演会。
*7 厚生補導審議会……当時筑波大学にあった3つの審議会の一つ。主に学生生活に係る事項について扱う。
*8 学実委総会……学園祭実行委員会総会の略称。構成員の3分の1以上が出席して行われ学園祭に関する議案の審議を行う。全代会の本会議のようなもの。
全代会30周年記念誌
29
だった。現在では一括収集を求める議案を毎年提出することが
で問題になるのは主に企画の実施時間と政治的・宗教的な企画
慣例化し、学園祭分担金はほぼすべての学生から収集されてい
の2つだ。実施時間については80年代にオールナイト上映会
る。
などの企画が大学から許可されず、抗争の原因となっている。
*4
政治・宗教に関する企画への制限も82年に「三里塚闘争勝利集
実行計画書、二分割提出に
*5
会」 などが不許可とされるなど、対立の一因となってきた。
この問題を解決するため93年、全代会としての政治的・宗教
学園祭分担金について議論が交わされた際、実行計画書を一
的企画開催許可のガイドラインを設けようという動きが起こっ
学期のうちに提出すれば、もっと早く学園祭分担金が集められ
た。直接の原因になったのは92年、社会学類企画Aが企画した
るのではないか、という意見が出ていた。分担金の早期収集は
「細川護煕講演会」 に厚生補導審議会 から待ったがかかっ
もちろんのこと、実行計画書を早期提出することには他にもメ
たことだ。特定の政治団体や宗教団体に関する集会を開くこと
リットがあった。
を禁じた学生細則第17条(当時)への抵触がその理由とされ
筑波大学は83年度末に学園祭開催のための二条件を定めた。
た。企画を実施するために実委と全代会は当年度限りの政治的
その内容は「必要手続きの履行」と「学内諸規則等の遵守」。
企画に関する暫定ガイドライン制作を決め、10月7日の全代会
「必要手続き」とは学生からの実行計画書の提出とそれに対し
に「今年度学園祭における政治的な企画の扱いに関する決議」
て大学が学園祭開催の許可をすることだ。実は、この開催の許
が提出された。この議案では政治的企画の開催条件として、講
可が下りるまで事前活動は禁止されている。これで困ったこと
演・討議などに参加する学外者は企画団体が招待した者に限る
になるのが、コンサートなどの事前の宣伝が重要になってくる
こと、学類または専門学群教員会議で企画が承認されているこ
企画だ。実際90年にはアイドル歌手の森高千里のコンサートを
となどが上げられた。議案は承認され、これを受けて厚生補導
企画した団体などが、開催許可前に広報活動を求めたことがあ
審議会は持ち回り形式で講演会の開催が認め、講演会は無事開
った。その際は、「来年以降の前例としない」ことを条件に活
催される運びとなった。
動が認められたのだが、91年にも同様の事態が起こり、企画側
しかし、暫定ガイドラインは当年度限りのもので、次年度に
が許可なく広報活動を行い問題となった。これらの問題の解決
は政治的企画に加えて宗教的企画についてもガイドラインを作
策として、実行計画書を分けて提出することに再び注目が集ま
成することが10月7日の全代会では確認されていた。93年6月10
った。
日の全代会では、永続的に使用できるガイドライン作成を目的
二分割化が始めて図られたのは92年のことだった。この年、
とした「学生規則に触れるおそれのある政治的・宗教的企画の
*3
もりひろ
*6
*7
三系 から事前にコンサートを開催したいという声が上がって
扱いに関する決議」を審議した。議案内容は暫定ガイドライン
おり、これに対応するため6月17日の全代会で一次実行計画書
に宗教的企画を付け加えたものであったが、「企画の承認にあ
(当時は仮実行計画書と呼ばれていた)が審議にかけられた。
たっては一定の基準を設け、これに違反した場合、学園祭実行
結果、一次実行計画書は可決され、大学からも事前活動の許可
委員会は、企画差止め等の制裁を加えることができる」、「ど
と、学園祭分担金収集許可が得られた。
のようなものが政治的・宗教的企画であるかの最終判断は全代
翌93年も一次実行計画書を6月に、二次実行計画書を9月に審
会が行い、その責任を負う」、という全代会に大きな権限が与
議し、それ以降も実行計画書を2回に分けて審議することが慣
えられるものであった。議案は仮承認された。
例化した。06年からは、6月に実行計画書、9月に追加提出分を
果たして全代会が政治的・宗教的企画であるかの最終判断を
審議するという形になった。
下しているかはさておき、このガイドラインは修正されながら
現在も利用されており、92年以降政治的・宗教的企画に関する
政治的・宗教的企画への対応
大きな問題は起きていない。
学園祭開催の二条件の一つ「学内規則等の遵守」だが、これ
*9 体育会……筑波大学公認の体育系課外活動団体から構成される学生組織。筑波大学において体育を普及し向上させること、体育会に所属する団体の活動を援助
し円滑にすること、会員相互の親睦と理解を深めることを目的とする。
*10 体育センター……筑波学生の体育に関する教育課程及び体育事業の実施,ならびに体育施設を広く社会に開放し,体育・スポーツ活動の普及振興に寄与するこ
とを目的とし,筑波大学設置と同時に発足した。現在、本学学生・教職員、地域住民、全国現職教員等幅広い層を対象に体育・スポーツ事業や施設開放を行ってる。
*11 下部組織……正式には下部機関。「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等について」の中で全代会が下部機関を置くことができることが定められて
おり、現在、学園祭実行委員会、スポーツ・デー学生委員会が存在する。広報委員会、厚生委員会(現・生活環境委員会)もの2006年までは下部機関だったが、2007
年度から規則の改正により下部機関ではなくなった。
30
全代会30周年記念誌
現在の内行と学園祭
天で中止になって以降、夜間ハイクは企画されていない。
現在、内行が学園祭について行っている活動は、週に一度の
スポーツ・デー学生委員会、発足
*8
学実委総会 への出席と月に一度の会計監査などだ。このほか
前述のように全代会全体では、毎年学園祭の実行計画書のチェ
77年、スポーツ・デー(SD)は体育専門学群の教員が中心
ックを行っている。過激な企画の減少から、大学に実行計画書
となって始まった。第1回、第2回は教員によって運営された
を提出するまでの段階で開催自体が危ぶまれるようなことはな
が、第3回は学生も運営に参加した。80年に開かれた第4回から
くなった。学園祭は筑波大学の年中行事に組み込まれており、
はがSDに全面協力することになり、全代会からも課活委員2人
毎年約3万人が訪れる大規模なものとなっている。
の参加が決まっていたが、結局ほとんどの業務を体育会 が行
一方で、「大学の学園祭にしては出店ばかりで学術性に欠け
っている。
る」といった批判の声も上がっている。実委は近年、学園祭の
同年12月には全代会でスポーツ・デー学生委員会(SD委)
学術性向上に力を注いでいるが、まだまだ十分とは言えないの
発足が決議され、81年の第5回からはSD委が中心となってSD
が現状だ。06年、内行委は学実委の委員長団らと話し合う機会
を運営した。発足当初、学類・専門学群ごとにスポーツ・デー
を数回設けて、学園祭の学術性を高めるため協力する姿勢を示
委員会を立ち上げ予選を開き、決勝は各スポーツ・デー委員会
した。
の代表からなるSD委が学類・専門学群対抗の競技を運営する
「安定した開催」から「楽しいだけじゃなく、知的な学園
という構想だった。しかし、スポーツ・デーが休日開催になっ
祭」へ。内行委と学実委は新たな学園祭像を模索し始めてい
たことなどから、学類対抗色は薄れ、学類・専門学群スポー
る。
ツ・デー委員会は活動しなくなり、規則上だけの存在となって
*9
いた。05年、全代会が可決したスポーツ・デー学生委員会につ
夜間ハイク
いての細則改正の要望によって、現在は規則からも消えてい
る。
筑波大学では76年~87年にかけて、全代会が主催となって夜
間ハイクという行事が企画されてきた。これは、150人から300
SD委の管轄
人程度で行われるイベントで、夕方から夜にかけて、筑波山ま
*10
でハイキングし、明け方に帰ってくるというものだった。
発足から現在にいたるまでSD委は体育センター
長を実行
初年度である76年には10月1日から11日間にわたって行われ
委員長とするスポーツ・デー実行委員会と全代会の下部組織
た学園祭の初日の企画として開催された。77年度には学園祭と
だ。規則上、全代会はスポーツ・デー学生委員会を監督するこ
は関係なく、開学記念(例年10月1日は筑波大学の開学記念日
とになっているが、実は発足当初から暗黙の了解として体育会が
で休講日となる)のイベントとして実施された。
中心となって統括することになっていた。このような不可思議
78年度からは全代会の内部に夜間ハイク実行委員会が発足さ
な状態になった理由は、80年の第4回SDで全代会がほとんど運
れ(79、82、83年度は不明)、企画・運営を行っていた。夜間
営に触れなかったためで、全代会の頼りなさにあきれた体育会
ハイク実行委員会は主に課活委員で構成されており、学実委と
がやむを得ずSDを統括することになった。83年には「SD委は
同様、全代会に実行計画書や決算報告書などを提出していた。
全代会の下部組織なのになぜ体育会が仕切っているのか」とい
夜間ハイクは雨天で中止になることや、暴走族出没のため警
う旨の批判的な声明が全代会から出ているが、これは当時いき
察から注意を受け中止となることもあり、実際に夜間ハイクが
さつが引き継がれていなかったために起きた厚顔無恥な事件だ
実施できたのは76、77、84年度の3回だけだった。84年度は新
ったと言える。
歓行事として実施され、154人が参加している。
この不自然な状態は改善されないままSDは開催され続けて
84年度以降も新歓行事として企画されていたが、87年度に雨
きたが、04年以降活発になった全代会に関係する規則を現状に
*11
*12 新歓祭推進委員会……新入生歓迎祭推進委員会の略称。新入生歓迎祭(入学式直後に行われるサークルによる勧誘イベント)の円滑な運営の為、文化系サーク
ル連合会、体育会、芸術系サークル連合会から構成される委員会。
全代会30周年記念誌
31
当組織に対する知識のない新入生はモチベーションが上がりづ
らく、委員会を去る者も多い。やるべきことに対する人材の不
足は深刻で、今後はいかにして委員を確保し活動していくかが
課題だ。
合格発表の警備の様子(06 年度)
たものの、横断した組織が立ち上がった。その名は安全対策推
進委員会、通称キャンパス・ガード(CG)。
CGの初仕事は04年3月の前期入試の合格発表だった。事前に
警備マニュアルが作成され、三系・全代会有志が悪質な勧誘団
体を取り締まった。その後、後期入試合格発表、入学手続き、
宿舎入居などで警備を行い、例年に比べて悪質な勧誘の被害を
減少させるなどの成果を上げた。以降は、次代に引き継がれ現
在に至るまで三系と内行が中心になって活動を進めている。全
代会としては珍しく、活動と成果ありきで位置づけなどが後か
ら決まった活動だった。見切り発車だった部分も多く、組織体
制がはっきりとしないまましばらく活動を続けていた。 05年度からは主幹が全代会になり内行が担当したものの主幹
としての業務が十分に果たせなかったため、06年度は前述の新
歓・安全対策特別委員会が立ち上がりキャンパスガードに取り
組んでいる。
人材不足から脱却へ
設立からしばらくの間は学園祭にかかりっきりだった内行。
学園祭が安定して開かれるようになると「内行は仕事がないぎ
ょう」と揶揄されることもあった。ところが今では学園祭のほ
かにスポーツ・デー、三系、新歓、キャンパスガードと多様な
方面に活動の幅が広がっており、取り組むべきことは全代会の
なかでも1、2を争う委員会になった。
だが委員会の内情を除いてみると、担当する組織のミーティ
ングへの参加が委員の主な仕事になってしまっている。特に担
全代会30周年記念誌
33
合格発表の警備の様子(06 年度)
たものの、横断した組織が立ち上がった。その名は安全対策推
進委員会、通称キャンパス・ガード(CG)。
CGの初仕事は04年3月の前期入試の合格発表だった。事前に
警備マニュアルが作成され、三系・全代会有志が悪質な勧誘団
体を取り締まった。その後、後期入試合格発表、入学手続き、
宿舎入居などで警備を行い、例年に比べて悪質な勧誘の被害を
減少させるなどの成果を上げた。以降は、次代に引き継がれ現
在に至るまで三系と内行が中心になって活動を進めている。全
代会としては珍しく、活動と成果ありきで位置づけなどが後か
ら決まった活動だった。見切り発車だった部分も多く、組織体
制がはっきりとしないまましばらく活動を続けていた。 05年度からは主幹が全代会になり内行が担当したものの主幹
としての業務が十分に果たせなかったため、06年度は前述の新
歓・安全対策特別委員会が立ち上がりキャンパスガードに取り
組んでいる。
人材不足から脱却へ
設立からしばらくの間は学園祭にかかりっきりだった内行。
学園祭が安定して開かれるようになると「内行は仕事がないぎ
ょう」と揶揄されることもあった。ところが今では学園祭のほ
かにスポーツ・デー、三系、新歓、キャンパスガードと多様な
方面に活動の幅が広がっており、取り組むべきことは全代会の
なかでも1、2を争う委員会になった。
だが委員会の内情を除いてみると、担当する組織のミーティ
ングへの参加が委員の主な仕事になってしまっている。特に担
当組織に対する知識のない新入生はモチベーションが上がりづ
全代会30周年記念誌
33
いわゆる天皇問題について
学園祭闘争(p83事件簿参照)終結以後、安定して開
えられた。こうした社会情勢の中、「万一の場合学園祭
かれるようになった雙峰祭だが、88年に一度だけ学園祭
を中止するか実施するか」ということをはっきり述べる
闘争と無関係に開催が危ぶまれた年があった。
ことすら避ける雰囲気が教職員のみならず全代会・学実
きっかけは昭和天皇の体調が著しく悪化したこと。
委の中にすら形作られていた。
1988年9月19日に昭和天皇が吐血してからは、プロ野球
一方で学生の不安は高まり、9月29日に行われた企画
優勝チームがビールかけを、有名芸能人が結婚披露宴を
団体責任者総会(企団総。企画責任者による集会)では
自粛し、一般市民の間にも行事を自粛するムードが広が
学実委に対して万一の場合に関する質問が続出した。こ
っていった。
れを受け学実委は10月3日、「1.学実委は今後いかなる
この諸行事自粛の動きは茨城県内にも広がり、多くの
場合も学園祭実施に向け努力する。-中略- 4.学園祭に
行事が「諸般の事情により」などと理由を曖昧にしたま
おける実行計画の変更は学生と大学の協議・連絡の場を
ま延期された。こうした社会的状況を受け、筑波大でも
もって決定する。」とする方針を打ち出し、企団総は
なんらかの対応、特に万一天皇が崩御した場合どうする
これを支持。10月5日には全代会(懇談会)でもこの学
かを考える必要に迫られた。
実委の方針を支持する仮決議がなされ(賛成18、保留
9月27日、学生担当教官室から「大学としては(天皇
4)、またこの方針を補強する形で「学園祭連絡協議会
問題について)意見はない。判断は学生にゆだねる」
について」の議案を全会一致で仮可決した。これは方針
との通達が学実委と全代会に対して口頭でなされた。こ
の「4.学園祭における実行計画の変更は学生と大学の協
れを受け9月28日の全代会(懇談会)で審議が行われ、
議・連絡の場をもって決定する」という項目を具体的
「万一の場合は予想不能であり、現段階では検討するこ
にしたもので、「情勢の急変(天皇崩御)があった場合
とはできないが、現状のつづくかぎり予定通り実施す
は」学園祭闘争時代に大学と学生の協議のために設けら
る」ことで意見が一致した。同日には学実委の総会も開
れた学園祭連絡協議会を復活し、教職員と全代会・学実
かれ、「いままでとおなじように準備・運営し、学園祭
委で話し合って対応を決めるように定めたものだった。
をおこなう」という決議がなされた。しかし、いずれも
この議案が仮可決されたことで、万一の場合に大学と
天皇崩御の場合の対応については触れていなかった。翌
学生が話し合う体制づくりは整った。学生の間でも天皇
29日に行われた学園祭委員会(教職員による委員会)で
問題について態度を明らかにしすぎることを避ける風潮
は学園祭を推進していく方向が満場一致で決まったが、
があったのか、企画責任者や他の学生らもそれ以上に突
これも天皇崩御の可能性については触れていない。
っ込んだ内容(天皇が崩御した場合の中止・強行など)
とりあえず天皇の体調不良を理由とした学園祭自粛の
まで明示することを求めることはなかった。「万一の場
可能性がなくなった一方で、天皇崩御時の対応について
合はどうなるのか」という不安を残したまま88年度雙峰
全代会・学実委・教職員とも触れなかったことから、そ
祭は始まった。
の後の学生の関心は「万一の場合」の対応に集中した。
結果的には天皇が学園祭期間前、あるいは期間中に崩
天皇崩御時の対応が明確にされなかったのは、日本
御することはなく、全代会と教職員が「万一の場合の対
人にとって非常にデリケートな問題を含んでいたため
応」に迫られることはなかった。
だ(当時、天皇問題について報じたCampus中ですら
昭和天皇が崩御したのは翌89年1月7日。1月8日にはテ
「万一の場合」「いわゆる天皇問題」などとして「天皇
レビCMも含め日本中が喪に包まれた。
崩御」という言葉を使うことすら避けていた)。当時の
今後、再び「いわゆる天皇問題」が全代会で扱われる
政府は天皇崩御時の対応を明確にすることを避けていた
日が来るかはわからない。しかし万一の場合には、88年
ため、万一の場合に学園祭を自粛するよう求める「外的
度全代会同様、教職員・全代会・学実委らが対応につい
強制」はほとんど存在しなかった。しかし、万一の場合
て話し合う場を設けることが必要だと思われる。
に学園祭を自粛しなかった場合、社会的な非難を浴びた
り、特に右翼団体などから攻撃を受けたりすることも考
34
全代会30周年記念誌
教育課程専門委員会
カリキュラムから英語検定、 新歓時の履修サポートの推進など、 大学全体の教育に関係する課題を幅広く扱う教育課程専門
委員会 (教育委)。 大学の大きな役割のひとつである 「教育」 に焦点を当てる教育委は、 全代会の目玉だとも言える。 しかし意
外にもこれまで上げてきた成果はそれほど多くない。 時の流れとともに移り行く 「教育」 を取り巻く課題を、 時代ごとに懸命に解
決しようとした教育委の活動を追った。
EDUCATIONAL COMMITTEE
1977
1984
教育課程専門委員会発足
「下手に動けない」――苦悩した設立1年目
「筑波ジャージ」購入の自由化要請
1986
総合科目の検討
1987
総合科目についてのアンケート結果をもとに意見書提出
1989
新総合科目スタート
だが、77年の発足時はその名の通りカリキュラムに重点を絞っ
1990
共通科目で初の授業評価アンケート実施
て活動を始めた。筑波大学は「建学の理念」の中で、専門領域
1991
大学設置基準の大綱化
に閉じこもりがちで世間と遊離してしまっている従来の大学を
1992
週休 2 日制と 6 時限制の導入
1993
授業評価と 6 限についてのアンケート実施
反省し、変動する社会に対応できる多様性と柔軟性を持った新
1994
レオナプロジェクト
1995
「教育審議会・全代会代表との懇談会」開催
現在は教育に関係する問題を全般的に取り扱っている教育委
しい教育・研究の機能及び運営の組織を開発することを宣言し
*1
ており、開学当時は全国的に珍しかったクラス制度 を導入す
1996
レオナプロジェクト
るなど意欲的な教育体制とカリキュラムを作った。しかし、新
1997
授業アンケートを巡り教育委内部対立
しい試みだっただけに問題も多く、混乱や不都合が生じた。そ
1998
Isis 計画
こで教育委は、特に学生の負担になっていた①クラスセミナー
外国語教官人気アンケート
1999
総合科目人気アンケート
②総合科目③専攻と関連A・Bの区別④情報処理・教育・語学
2001
社会学類授業情報オンライン化
科目の学期集中⑤体育の五つの改善に取り組むことを、77年7
2002
TWINS 運用開始
月発行の代表者会議広報第7号で明らかにした。
「学生と教官との教育についての全学的な交流の場の
2003
実施についての要望書」提出
TWINS を使った全学授業評価アンケート始まる
2004
2005
ところが教育委の活動は早速暗礁に乗り上げる。同年10月の
代表者会議広報には「教育課程に関して下手に動いては大変
副学懇で TWINS について言及
だ」という苦悩のコメントが掲載された。このコメントが掲載
総合科目の履修申請期間変更の要請
された記事の趣旨は、考えなしに多数意見に乗ってカリキュラ
筑波英検の結果の開示を要請
ムに手を加えると現状に満足している人に不利益が及んでしま
FD フォーラム
うので、少数者の意見を無視した議案を提出することはできな
小学校教員免許に関する活動
2006
履修サポート開始
いというものだった。それ以降この年の教育委は少数意見を尊
2007
履修要覧の教職に関わる部分の改善の要望
重しながら慎重に活動を進める方針をとった。12月の代表者会
教育課程専門委員会から教育環境委員会へ
議広報では前掲の①③や学期集中と通年の問題について各クラ
ス代表者会議やクラス連絡会で討議するよう求めたほか、翌78
*1 クラス制度……学類・専門学群ごとに20~40人の学生を単位としてクラスを編成し、各クラスに1~2人のクラス担任教員を置く筑波大学の制度。また、このクラ
スを選出母体として構成する学生組織の制度を指すこともある。
*2 副学懇……「筑波大学の学生組織等について」2005年度以前は「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等に関する要項」という規則の中で、全代会と学
生生活担当の副学長が意見交換の機会を持つことが定められており、年によって差はあるがだいたい年1回程度、懇談会という形で意見交換を行っている。通常は全
代会側が事前から準備してきた議題について意見交換を行うに留まることが多く、差し迫った問題についての交渉の場として開かれることは少ない1984年は異例。
*3 体育センター……筑波学生の体育に関する教育課程及び体育事業の実施,ならびに体育施設を広く社会に開放し,体育・スポーツ活動の普及振興に寄与すること
を目的とし,筑波大学設置と同時に発足した。現在、本学学生・教職員、地域住民、全国現職教員等幅広い層を対象に体育・スポーツ事業や施設開放を行ってる。
全代会30周年記念誌
35
*2
年の副学懇 ではクラスセミナーや新入生オリエンテーション
波ジャージの件ともあわせ、来年度以降のこの委員会の活動範
について教職員と意見を交わした。だが結局大きな成果は残せ
囲を考える参考となるようなマニュアルを作りたい」と述べて
ないままに任期を終えることになる。
いる。マニュアルが実際に制作されたかどうかは定かではない
その後82年までは一連の学園祭騒動に全代会が掛かりきりに
が、翌84年度の5月31日に発行された代表者会議広報 第39号
なってしまったため、教育委に目立った動きはなかった。
で教育委の橋本暁輝委員長(86年度社会学類卒)は「カリキュ
*4
ラム問題を中心として“教育”に関すること」を扱うと述べて
カリキュラムだけでなく教育全般に目を向ける
おり、筑波ジャージ問題の解決を機に教育委の活動範囲がカリ
キュラムから教育に関すること全般に広がったのは間違いな
教育委が初めて目に見える成果を出したのは、83年度の末の
い。
ことだった。
83年度教育委は設立当初の構想通りカリキュラム問題につい
外国人教員問題に翻弄された85年度
て取り組んでいた。年度当初に「学生一人一人が主体的にカリ
キュラム編成にかかわっていけるようにする」ことを年間目標
カリキュラムだけでなく大学教育全般に関する問題を解決す
に掲げ、カリキュラム編成に学生の意向が反映されるよう活動
る、と意気込んで臨んだ84年度だったがそ、この年2度目の学
を開始した。手始めにカリキュラムの編成過程を調べたうえ
園祭中止が起こるなど再び学園祭問題が紛糾し、その試みはう
で、学生のカリキュラムに対する不満をまとめて大学側に要望
まくいかなかった。
する予定だったが、意見集約がうまくいかず頓挫。84年の春、
年度が替わった85年6月には学園祭の中止状態も解除され、
各学類にカリキュラム編成過程を紹介するパンフレットを配布
前年の学園祭中止問題は一応の解決を見る。あらためて筑波大
するにとどまった。
学の教育全般に目を向けて活動を始めようとした矢先、またも
この年の教育委が成果を挙げたのはカリキュラムではなく、
や教育委に大問題が降りかかる。後に訴訟にまで発展する外国
当時学生が問題視していた筑波ジャージの問題だ。当時、上下
人教師不当解雇問題の勃発し、その対応に追われることにな
緑色の大学指定の体操着として入学時に販売されており、新入
る。
生のほとんどが購入していた。しかしこのジャージのデザイン
時をやや遡り85年3月、姜東鎮教師、マルガレーテ・サワダ
は学生たちに受け入れられていなかったうえ、実際にはほとん
教師、張良澤教師、ティール・ニコラウス教師の4人の外国人
どの体育の授業で筑波ジャージの着用は義務化されていなかっ
教師に突然解雇が言い渡された。外国人教師とは外国籍を持つ
た。事実上購入するか否かは個人に任されていたにも関わらず
大学教官で、他の教官とは違い雇用契約が一年単位で行われ
入学生の多くが筑波ジャージを買っていたのは、入学前に送付
る。このため外国人教師は雇用契約の更新を約束する「外国人
される書類のなかにまるで購入することが義務であるかのよう
教師雇用契約に関する覚書」(覚書)に毎年署名することにな
な記載があったためだった。
っていたが、83年の秋の覚書には「84年4月1日から85年3月31
これを解決するため教育委は84年2月8日、新入生に購入義務
日まで雇用契約を延長する」という内容のほか「85年4月以降
があるという誤解を与えないよう書類を改めることを体育セン
の雇用契約は締結しないものとする」という旨が記されてい
*3
カントンチン
ター 長に求めた。これを受け84年度から筑波ジャージは大学
た。4人の外国人教師は不信感を抱いたものの、「85年からは
指定の体操着ではなくなり、筑波大学オリジナル商品として販
定員化される(助教授、教授になる)」との説明を受け覚書に
売されるようになった。その結果売り上げは激減し、いつしか
サインした。当然彼らは85年4月以降も引き続き筑波大学に勤
筑波ジャージはなくなった。
めるつもりでいたが一転、解職を申し渡された。
教育委がなぜ突然筑波ジャージ問題に取り組んだのかは不明
この異常な状況は中井準之助委員長(副学長)を中心とした
だが、カリキュラム専門の委員会というイメージが定着してい
副学長らから構成される人事委員会 で、4年以上勤続した外
た当時においてそれはイレギュラーな事態だった。しかし、教
国人教師は一律解雇することが定められたことに端を発する。
育委設立以来はじめて目に見える成果が挙がったことは大きく
83年の覚書はこれを基にしたものであったが、当時の佐藤正副
注目された。代表者会議広報第37号に掲載された教育委総括
学長(教育)は姜らに定員化を約束した。ところが途中で副学
のなかで寺川潔委員長(86年度比較文化学類学類卒)は「筑
長が替わったことから方針が一変し、4年以上勤めた外国人教
*5
*4 代表者会議広報……現在の『Campus』の前身。全代会の活動の広報を目的に、広報委員会が発行するB5版の小冊子。1975年創刊。
*5 人事委員会……大学教員の人事制度や大学教員の任用について扱う組織。現在の人事企画委員会にあたる。
*6 外国語センター……全学生を対象に実用能力を重視した外国語教育を実施するとともに、外国語教育に関する調査、研究を行うために昭和49(1974)年4月に設置
さた組織。日本の国立大学で同名のセンターを設置したのは筑波大学が初。全学共通英語の4.5単位分の授業を担当するほか、第二外国語や上級英語などの授業も担当
する。筑波大学英語検定試験などの共通外国語に関する試験の主催者でもある。
*7 オーガナイザー……各総合科目の主たる担当教員。基本的にオムニバス形式で行われる総合科目の中で、各講義の担当教員の中心となって、授業全体の一貫性や
成績評価の整合性を保つ役割を担う。
36
全代会30周年記念誌
総合科目、最初の見直し
師は解雇されることになってしまったのである。
*6
結局、ニコラウス氏、張氏の両名は外国語センター 所属で
一年契約の非常勤講師になり、語学中心に授業を行うことにな
外国人教師問題では結果を出せなかった教育委だが87年度に
った。サワダ氏も同様の申し出を受けたものの、将来の保障が
再び活発化する。扱ったトピックは教育委設立当初から問題視
ないとして拒否。姜氏に至っては国を相手取った地位確認の本
されていた総合科目。取り組むことになったのは、86年に大学
訴訟(水戸地方裁判所)と地位保全の仮処分(水戸地方裁判所
が総合科目の見直しを始めたのがきっかけだった。
土浦支部)を申し立てることになる。
86年7月、阿南学長が総合科目の見直しを提案した。これを
4人の外国人教師の解職の影響は学生にも及んだ。あまりに
受けた教育審議会は11月に「総合科目に関する検討委員会」
突然の解職だったため、彼らが担当するはずだった授業に穴が
(検討委員会)を立ち上げ、改善案の検討を始める。
できる、卒業論文の指導教官の変更をせまられるといった事態
現在の総合科目は、いわゆる教養的科目のA(6単位)とフ
が生じてしまったのだ。この問題を重く見た比較文化学類クラ
レッシュマンセミナーのB(1単位)の二つだが開学当時はA
ス代表者会議は、事態の説明を副学長(教育)と比較文化学類
(6単位)B(6単位)C(1単位)の三つに分かれていた。Cは
長に要請し、全代会と教育委にも問題解決のため協力を求め
フレッシュマンセミナーで、Aは学群ごとに開設される教養的
た。全代会は6月13日に「外国人教師処遇に関する要請書」を
科目、Bは学類ごとに開設される教養的科目だ。86年に見直し
人事委員会と副学長(教育)に提出し、事態の説明やそれを学
が始まったのはAとB。設置当初はオーガナイザー を中心に
生に知らせる場を設けることなどを求めた。これに対して人事
講義担当者がお互いの講義内容を確認したり、オーガナイザー
委員会と副学長(教育)は、①カリキュラムに関する問題とし
が毎回授業に出席して講義全体の流れを調整したりと熱心な授
て捉えるなら各学類・専門学群レベルの問題②人事に関する問
業作りが行われていた。なかには講義全体をまとめた本を刊行
題として捉えるなら一切答えられない、として回答を避けた。
したオーガナイザーもいたという。ところが、総合科目開設か
全代会は抗議声明を出すが結局何の解決も見えないまま年度が
ら10年近く経った86年当時、科目数が60、関わる教員数も500
替わり、学生への影響もほとんど85年度に限定されていたこと
人に及ぶ筑波大学の一大事業となっていたにも関わらず、授業
から以降この問題には触れなくなった。
はマンネリ化し学生の関心も薄くなっていた。そこで検討委員
しかし、外国人教師解雇問題が筑波大学や社会に及ぼした影
会はこの状況を改善するため、新たな総合科目の姿を模索し始
響は大きかった。朝日新聞など国内のメディアで報道されたほ
めた。
か、世界的な科学雑誌である『Nature』にまで取り上げられ
全代会が87年2月から始まった総合科目の検討と接点を持っ
るなど、筑波大学に対するバッドイメージが世界中に広まって
たのは86年度末に開かれた副学懇だった。原田健一教育委委員
しまった。86年度にそれまで6年間学長を勤めた福田信之氏に
長(88年度社会学類卒)が、総合科目の再検討について「大学
かわり学長になった阿南功一氏はこの状況を憂慮し、姜の訴訟
が問題としているポイント」と「学生の意向はどのように反映
問題の解決に乗り出した。人文学類から人事委員会に姜を非常
されるのか」の2点を質問した。藤田副学長(教育)は授業の
勤講師として雇用するよう要望を出してもらう、知人を通じて
マンネリ化と受講する学生数の差を問題点として上げ、学生の
姜の説得にあたるなど、様々なかたちでアプローチし86年10月
意向反映の方法は今後検討すると答えている。
6日には和解にこぎつける。姜氏は本訴訟と仮処分の申し立て
副学長の回答を受けた86年度教育委は総合科目について取り
を取り下げる。86年度中は非常勤講師として「日本語文献学」
組むことを決め、これを引き継いだ87年度教育委が本格的に活
を担当することになったうえ筑波大学客員教授の称号を与えら
動を始める。検討委員会が8月に答申を出すことをすでに決め
れ、翌87年度からは再び外国人教師として雇用されることも約
ていたため、それに間に合わせるため5月には早速全学の2年生
束された。ところがそれから一ヵ月後の11月15日、姜氏は肝不
を対象にアンケートを実施し、意見集約を図った。
全を発症し筑波大学病院で帰らぬ人となってしまう。
アンケートでは総合科目の授業内容に満足しているか、専門
全代会としても筑波大学としても後味の悪い事件だった。
的すぎて難しい科目があるかなどの11項目についてyes・noで
*7
回答を求めた。その結果をもとに教育委は意見書を作成。①内
容や単位の取りやすさの格差をなくすこと②対象制限をなくす
こと③学生が興味を持てる科目を増やすこと④専門的になりす
*8 全学学群教育課程委員会……教育審議会の下に置かれていた組織。外国語センター、体育センター、総合科目編成室などの全学的な教育に係る組織との連絡・調
整などが主な役割。
*9 教育審議会……当時筑波大学にあった3つの審議会の一つ。主に教育に係る事項について扱う。
*10 『Campus』……全代会の活動の広報を目的に、広報委員会が発行する小冊子。1985年より、名称を『代表者会議広報』から『Camnpus』に変更。
*11 ティーチング・アシスタント……大学院の学生が、学部学生等に対する助言や実験、実習、演習等の教育補助業務を行い、これに対して手当を支給する制度。総
合科目では成績表の回収や映像機器の扱いなどを行う場合が多い。通称TA。
全代会30周年記念誌
37
ぎないことを求めた。意見書は6月10日の全代会で可決され、
が、履修申請期間になると学生が事務に殺到した。学生からの
検討委員会の渋谷達明委員長に提出された。
主な質問は、指定科目についてのもの。「この時間帯の授業は
その後検討委員会は予定通り8月に答申を出したが、全代会
どれも取りにくい」「他の科目は取れないのか」という声が多
はこれに対して特にアクションを起こしていない。それをよそ
かった。中には学生から質問を受けた教官や、出席票を突然渡
に大学は着々と新総合科目の検討を進めていく。検討委員会が
され困惑した教官が事務を訪ねる姿も見られたという。
出した答申に全学群長からなる「新総合科目実施のためのワー
開始時の混乱が収まってくると新総合科目に対する学生の不
キンググループ」がさらなる検討を加え、それまで全学学群教
満が募ってきた特に不満が大きかったのは、意見書と正反対に
*8
育課程委員会 内の専門委員会だった総合科目編成委員会を、
変更されていた指定科目制度についてのものだった。次いで出
総合科目編成室として副学長(教育)の下部機関とした新たに
席票に不満が募った。「学期に1回授業に出ればAが取れるよ
設けることなどを提言した。これを受けて88年4月、千原光雄
うな科目がある」といった単位の取りやすさの格差を解消する
第二学群長を室長に総合科目編成室が発足する。編成室は答申
ための出席表だったが、実際に使うかどうかは担当教員に任さ
の内容を可能な限り実現する方向で、翌89年から開始されるこ
れており、逆に出席を取る授業と取らない授業で不公平になっ
とが決まっていた新総合科目の編成を進めた。編成案は12月中
ていると批判された。
*9
旬に教育審議会 で承認され、正式に89年から新総合科目へと
これらの意見を受けた編成室は翌90年度からの総合科目にい
移行することが決まる。
くつかの改善を加えた。まず批判が集中した指定科目制が緩和
新総合科目の眼目は、指定科目制の導入と最大受講者数の
される。各学類・専門学群でひとつに限定されていた科目を5
140人制限で科目ごとの学生数の差を解消すること、出席用紙
から6科目にした。これに伴い受講上限が140人から200人に引
を新たに作り毎回配布して出欠確認を厳格化すること、従来の
き上げられ、担当教官の負担を減らすためにティーチング・ア
学群・学類の開設単位で分けられていた総合科目ABの区別を
シスタント
改め授業内容に応じてA(学際的科目・市民教養的科目)とB
科目ガイドブックの内容をより詳しくするなどの改善が加えら
(コア的科目)で分けること、の三つだった。意見書で求めた
れることになった。
内容と新総合科目の編成を比較すると、単位の取りやすさの格
この間教育委は度重なる全代会の流会などでモチベーション
差も出欠を厳密に取ることである程度解消されるなど、学生の
低下の一途を辿り、ほとんど活動していなかった。90年度に入
意見が受け入れられた点もあった。一方、それまでの総合科目
ると教育委は改めて総合科目に取り組み始める。1学期は議長
Bで自分の所属する学類の開設科目が取れないというだけだっ
団・委員長団の選出が遅れたことや前年度の教育委委員長と連
た制限が、各学類・専門学群で指定した科目を取らなければな
絡がつかず引継ぎが受けられなかったことなどからほとんど活
らない指定科目制として強化されるなどの全く逆の結果が出た
動できなかったが、総合科目に取り組むというテーマは設定
部分もあった。
し、2学期から本格的に動き出した。3学期に全学の2年生2036
編成案が教育審議会に承認された後、意見書提出以来ひさび
人を対象に総合科目アンケートを配布し736人から回答を得
さに総合科目の再検討と教育委が接点を持つ。88年度教育委が
た。内容は指定科目制への賛否や選択科目の選択基準など6項
総合科目編成室員から新総合科目についての説明を受けた。
目についてYes・Noの二択で尋ねるものだった。結果を見ると
その内容は小柴正樹教育委委員長(情報学類90年卒)により
回答者の8割が指定科目制に反対で、9割を超える人がもっと選
『CAMPUS』
*10
*11
も導入されることになった。このほかにも総合
第61号に掲載されている。その中で小柴委員
択の幅を持たせてほしいと回答している。また選択科目のなか
長は「極端な履修学生の偏りによる教育効果の減弱化」「受講
で単位の取りやすさに大きな差があると感じている人が9割を
生の偏りによる一般教育としての基礎的内容の不足」等の問題
超えていた。
に対応している、と新総合科目に一定の評価を与える一方で、
この結果をもとに鈴木英雄教育委委員長(93年医学専門学群
「講義内容や評価の不統一による履修面のアンバランスや講義
卒)は91年2月の副学懇で、①指定科目制の見直しや選択幅の
の内容が充実していない」といった講義内容そのものに関わる
拡張を考えているか②科目間の単位の取りやすさの差について
部分ではまだまだ課題が多いと指摘している。
対策はあるかを問うた。これに対して大学は①大人数を扱うに
89年4月、新総合科目がスタートした。編成室では事前に、
は適当な制度②難易度の格差があるのはどうしようもない、と
教員と学生に総合科目ガイドブックを配るなど混乱を防止した
受け流し実りのある議論へとは発展しなかった。しかしこの原
*12 大学設置基準……新たに大学を設立する場合に、満たさなければならない基準。教育内容面と最低限備えているべき施設・設備面の基準からなる。1991年の「大
綱化」によって自由化が大幅に進んだ。
*13 固定時間割……体育・共通語学・総合科目などの、いわゆる共通科目のこと。大学全体で時間割が定められている固定されているため、学群や学類のカリキュラ
ム編成の際に動かすことができない科目なので「固定時間割」と呼ばれる。
*14 TWINS運用委員会……TWINSの運用について責任を持つ委員会。宇都宮公訓特任教授らによって組織される。
*15 『STUDENTS』……学生担当教員室平成15年度以前は学生担当教官室が編集し、学生部が発行している小冊子。月刊。
38
全代会30周年記念誌
因は、鈴木委員長自身がアンケート作成時の練りこみと結果へ
教養的科目)がAへと実質的に統合された。さらに指定科目制
の詳細な検討が足りないと総括で振り返っているように教育委
が廃止され各学類・専門学群が所属する学生に履修希望を伝え
の準備不足にあったようだ。
る推薦科目制になった。単位数も従来のABあわせて12単位か
結局、成果のないままこの年の教育委は活動を終える。
らA6単位に減った。受講者数の200人制限も担当教員が認める
場合に限りはずされることになった。
大綱化に伴う総合科目改革
これらの変更は全代会にとって大変喜ばしいことだった。11
月に提出した「カリキュラムに関する要請」だけでなく、87年
91年、日本の大学のあり方に一石が投じられた。文部省(現
文部科学省)による大学設置基準
*12
度の意見書や90年度の副学懇で要望してきたことがようやく実
の大綱化である。大綱化
現したのだ。直接これらの要望が汲み取られ総合科目の改善に
前の設置基準では、取得する最低単位数のほか一般科目、専門
至ったと断定することはできないが、教育委にとって83年度の
教育科目、外国語科目といった科目区分まで詳細に決められて
筑波ジャージ以来の成果だった。しかし、年度途中に夛田委員
いた。これにより全国どの大学でも一定の基準の教育は保障さ
長から交代した鈴木教育委委員長は「受講制限は完全廃止すべ
れていた反面、カリキュラムを組む際の自由度が低かったため
き」と辛口のコメントを残しただけだった。
大学教育の硬直化が問題になっていた。そこで文部省はより柔
軟な高等教育が行えるよう設置基準を緩和し、総単位数のみを
大綱化の影響――昼休みなど
定めてすべての科目区分を撤廃した。これを受けた全国の大学
はカリキュラムを再検討し、教養学部を廃止するなどさまざま
87年度から91年度まで総合科目ばかり扱ってきた教育委だっ
な変更を加えることになる。
たが、92年度には他の事柄にも目を向けるようになった。92年
筑波大学は開学当初から設置基準の特例として一般科目、教
度教育委は91年度教育委がほとんど触れなかった週休2日制導
育専門科目といった区分ではなく共通、基礎などの独自の区分
入による6時限目の設置や昼休みの短縮など、総合科目の改変
を採用していたが、もちろん大綱化の影響はあった。翌92年度
以外の大綱化の影響に手を伸ばす。
から週休2日制と1日6時限制が取り入れらることになるなどの
92年度の教育委も経験者の不足や引き継ぎの不備から出足で
大きな変更が加えられることになる。
つまずき、1学期の終わりごろからようやく動き始める。6時限
この大学教育に学生の意見を反映させる一大好機に91年度教
目の新設、昼休みの短縮のほか授業の間の休み時間の長さや教
育委は動いた。夛田裕史委員長(93年度体育専門学群卒)のも
職について尋ねるアンケートを作成し、9月9日には全学の1、
と、前年度にも取り組んでいた総合科目にテーマをしぼり、10
2年生を対象に配布した。9月30日にアンケートを回収。回収
月初旬から中旬にかけて全学の1,2年生にアンケート調査を行
率は39.9パーセントだった。結果は11月11日の全代会で発表さ
った。アンケートでは指定科目が必要だと思うか、授業の内容
れ、12月発行の『Campus』82号にも掲載された。
や難易度は適切だったか、次年度から6時限目に開設される総
結果を見ると新たに設置された6限については「サークルや
合科目についてどう思うかなど7項目について尋ね、全学の1,2
バイトに支障が出る」といった理由から負担になっていると感
年生の44.1パーセントから回答を得た。集計した結果をもとに
じる学生が多かった。15分短くなって50分となった昼休みにつ
教育委は総合科目における指定科目の廃止、総合科目の内容の
いても、もっと長くしてほしいという意見が7割強を占めてお
多様化・教養化、総合科目の単位の半減、6限の一切の授業の
り、週休2日制導入による変化に戸惑う学生が大勢いたことが
開設の廃止を小沢俊夫副学長(教育)に求める議案「カリキュ
伺える。ただし土曜日が休みになったことについて意見を尋ね
ラムに関する要請」を作成した。議案は11月6日の全代会で可
ていなかったことと、始業や終業の時間は変更してほしくない
決され副学長に提出される。
という意見も多かったことから、教育委は大学に対して6限の
その後92年1月22日に開かれた副学懇で、92年度の総合科目
廃止や昼休みの延長を強く求めることはなく、93年1月26日に
の編成が全代会に伝えられた。要約すると次のようになる。
開かれた副学懇で話題に上るにとどまった。
大綱化に伴い92年度から総合科目に加えられることになった
最大の変更は、それまでのABCの3区分からABの2区分になっ
たことだった。従来のA(コア的科目)B(学際的科目、市民
*16 筑波大学英語検定試験……毎年2月に外国語センターにより実施される、筑波大学独自の英語試験。共通英語の単位認定にはこの試験に合格することが必要とな
る。
*17 TOEIC……国際コミュニケーション英語能力テストTest of English for International Communicationの通称。英語を母国語としない人の英語によるコミュニケーシ
ョン能力を評価することが主な目的。日本ではビジネスに必要な英語能力の基準として扱われることが多い。
*18 TOEFL……Test Of English as a Foreign Language第二言語としての英語のテストの通称。日本など英語圏以外の国から、アメリカ合衆国やカナダなど北米への
留学・研究を希望する人を対象に英語能力を測定することが主な目的。TOEICに比べアカデミックな英語力の基準として扱われる。
全代会30周年記念誌
39
授業評価Ⅰ――大綱化の影響
これを受けて90年2月には筑波大学で初めて学生による授業
評価アンケートが実験的に行われた。このとき対象になったの
全学的なアンケートをとったものの結局その結果を活かしき
は共通科目(国語、英語、体育、情報処理など)から選ばれた
れなかった92年度教育委。だが岩瀬顕一郎委員長(95年度日本
19科目を受講していた学生だった。アンケートを終えた大学は
語・日本文化学類卒)が総括で触れた「学生による講義の評
「今後全学的規模で実施した方がよいことを確認した」(堀原
価」というキーワードは、93年度教育委の方向性を決定付け
一医学専門学群長、筑波大学新聞1991.2.25より引用)として全
た。
学的に授業評価を取り入れることを決めた。
学生による授業評価について触れる前に93年度教育委の活動
本格的に学生による授業評価が導入されるかと思われた矢
を簡単に見渡しておく。この年の教育委は年度初めから週一回
先、朝日新聞が当時としては先進的だったこの取り組みを取り
のペースで定例会を開き前年度より早く精力的に活動を始め
上げる。「授業評価の結果で給料が上下する」という旨の記事
た。1学期はカリキュラムの問題点の把握やアンケート作成に
は学内外に反響を呼んだ。この記事で初めて授業評価が行われ
費やされたが、定例会に原副学長(教育)を招くなど例年には
たことを知った教員も多く、「学生に評価されてたまるか」
ない珍しい催しも行われている。9月初めには前年度と同じよ
「学生に評価能力はあるのか」といった反対の声があがるな
うに全学の1、2年生を対象に学生による授業評価と6時限目に
ど、学内にも世間にも授業評価への否定的な見方が広がった。
ついて意見を聞くアンケートを配布し1290人から回答を得た。
このような世論と学内の声を受けて91年の初頭には、全学的な
回収率は前年度の約40パーセントから10パーセント下がって約
授業評価の導入は決まっているもののいつ導入するかは未定と
30パーセントだった。アンケート回収率の低下について井手義
いう状況になった。
郎委員長(95年度工学システム学類卒)は総括の中で「学生が
慎重な意見が多かった一方で、好意的な立場を取る学類や教
持つ全代会への関心をそのまま反映していたかも知れない」と
官もいた。一部の学類では独自に、学生による授業評価が実施
振り返っている。全代会への関心が薄れてきたのは教育委の委
されている。さらに翌92年4月、江崎玲於奈学長が就任したこ
員も同じだったようで副学長を招いた回をピークに定例会の参
とで状況は授業評価導入へと再び傾く。江崎学長は就任当初か
加人数も減少を続け、アンケートを集計した後はこれといって
ら大学新聞や学生新聞のインタビューで授業評価導入に積極的
何もせず活動を終えている。
な姿勢を示し続ける。93年4月には年度中にすべての学類・専
この年の教育委も他の多くの年と同様に具体的な成果を上げ
門学群で授業評価が実施されることを決めた。しかし93年12月
たわけではないが、現在も筑波大学における一大トピックであ
の大学新聞によれば、人文学類と人間学類は実施を予定してお
る授業評価に初めて取り組んだ年として評価できる。
らず、4学類・専門学群でも検討中、実際に実施や実施を予定
当時、授業評価が学内で話題になっていたのは、すでに触れ
しているのは12学類・専門学群だった。
た91年の大学設置基準の大綱化と大きく関係している。大綱化
当時、筑波大学全体が授業評価で揺れるなか、学生もこの問
により設置基準は大幅に緩和されたが、そのかわりそれぞれの
題に関心を寄せていた。教育委が93年9月から11月にかけて行
大学には教育や研究の業績を自己点検・自己評価することが求
った全学の1、2年生対象のアンケートによると、学生による授
められるようになった。これを受けて筑波大学は教員の教育業
業評価に関心があると答えた学生は回答者全体の80パーセント
績を評価するひとつの指標として学生による授業評価に注目し
で、学生が授業評価を興味深く捉えていたことがわかる。ま
た。
た、実際に授業評価を行うべきという回答は92パーセントにも
実は授業評価の構想は大学創設準備期からあったが、開学に
上っていた。
は間に合わずなかなか実現できずにいた。87年4月に文部省の
この結果は93年12月8日に開かれた副学懇で参加した教官た
諮問機関であった臨時教育審議会が教官の業績評価に前向きな
ちに伝えられる。教官からは「教官も適正な方法なら過半数が
姿勢を見せたため、同年7月阿南学長の提案で「教員の業績評
賛成しているが規模や方法の検討が必要」と前向きながらも慎
価に関する検討委員会」が設置され、88年には教官の業績評価
重な姿勢な意見が上がっている。井手委員長(も「関心が高い
導入が決まる。これは教官の業績を研究・教育・厚生補導の3
からといって安易に実施すべきではないかもしれない」とこれ
分野で評価するものだ。教育の業績評価は教官自身による自己
に同調した。
評価と学生による授業評価が取り入れられることになった。
井出委員長はこの年の総括のなかで「学生の関心は高いが協
*19 TOEFLなどと同様の形式で問題の使い回しを行っているため……プールされている問題群の中からランダムに抽出した問題を組み合わせて出題する形式。この
形式だと過去に使われた問題が再び使われる可能性があるため、過去問の公開は不可能となる。
*20 STEP英検……日本英語検定協会(STEP)が主催する英語の技能検定。いわゆる「英検」だが、筑波英検と区別するためにこう呼ばれることもある。
*21 業務改善提案……06年から始まった業務改善提案制度の中で、教職員や組織が自由な発意により行う改善の提案。06年には24の改善提案が集まった。
*22 FD……ファカルティ・ディベロップメントFaculty Developmentの略。教員の授業内容や教育方法などの改善・向上を目的とした組織的な取組みの総称。
40
全代会30周年記念誌
力が得られるか不安」と心情を吐露している。教育委は年明け
分かりました」
以降に学生の協力が得られるような授業評価の方法を探る予定
それまで学生の意見をまとめて要望を出すことに精一杯だっ
だったが、委員の集まりが悪く中途半端に活動を終えてしま
た教育委が、予算や教員数、制度上の制限のため解決できない
う。
課題がたくさんあることに気づかされた懇親会だった。その後
教育委は教官らとすり合わせを行いより具体的な問題解決を図
教育審議会との話し合い
るため、第二回懇談会の開催を構想していた。それが実現した
という記録は残っていないが、教育審議会は「共通科目等(授
94年度教育委は93年度教育委の課題を全面的に引き継いでス
業)改善のためのワーキンググループ」を立ち上げ活動を始め
タートを切る。取り組んだのは授業評価と共通科目などの固定
ている。このWGとの協議は翌95年度の教育委へと引き継がれ
時間割
*13
に関する問題解決だ。
ることになった。
教育委は手始めに6月14日、93年度教育委が取ったアンケー
トの結果や当時の学生の意見を参考に「固定時間割に関する要
授業評価Ⅱ――レオナプロジェクト'94
請」を全代会に提出した。議案は外国語・情報処理・総合科
目・教職科目と多岐に渡る分野について改善を求めたもので、
「固定時間割に関する要請」から始まった一連の動きは年度
この議案をたたき台に教育委は教官と折衝を重ねていくことを
内に決着がつかなかったが、94年度教育委の活動はこれだけで
予定していた。承認された議案は原康夫副学長(教育)に提出
はない。93年度教育委が取り組んだ学生による授業評価の実現
されることになったが1週間後、提出先がなぜか工藤典雄副学
を変則的な形式で実現させる。学生が筑波大学の理想の教官を
長(医療・厚生)に変わり、工藤副学長を通じて教育審議会に
選んだ「LEONAPROJECT」。その発端は93年の学園祭にま
この議案がかけられる。その後2学期には原副学長(教育)か
でさかのぼる。
ら教育審議会と全代会で話し合いの場を持ちたいという回答が
93年学園祭最終日、後夜祭の盛り上がりに感銘を受けた江崎
ある。日程も決まっていたのだが、なぜか当日、会場に教官が
学長は「来年は全学から良い教官とフレンドリーな教官を選
誰も現れなかった。佐々木太郎副委員長(99年度情報学類卒)
んでこの場で表彰したらどうか」と提案した。翌94年度の1学
は後に「明らかに向こうのミス」と振り返っているが本当の理
期、学実委はこの江崎学長提案の実現を全代会に依頼する。全
由は不明だ。
代会はこれを引き受け、教育委が中心となり企画内容を練り始
教育審議会と話し合いを持たないまま「固定時間割について
めた。
の要請」は11月8日の副学懇でも取り上げられるが、10分しか
LeonaProjectと名づけられることになるこの企画、最初に学
時間が取られなかったので進展はなかった。その後改めて教育
実委が提案したのは単なる教員の人気投票だった。しかし教育
審議会から申し出があり、初めての会合が「教育審議会・全代
委は「人気投票ならやらなくていい」と、LeonaProjectを好き
会代表との懇談会」として翌95年1月11日に開かれた。懇談会
嫌いのレベルで教官を選ぶ人気投票から、アンケートを通して
には原田副学長、工藤副学長をはじめ約10人の教官と議長団、
理想の教官像を探る企画へとシフトしていく。この転換には、
教育委のメンバーらが参加し、外国語、国語、情報処理、体
理想の教官像をあぶりだすことで将来学生の授業評価を行う際
育、教職科目について話し合った。学生からは情報処理の応用
の参考にする、という狙いがあったようだ。
コースの開設や総合科目の人数制限の解除といった10項目を超
このように授業評価的側面を組み込みながら進み始めた
える要望が伝えられ、概ね教官たちからは色よい返事が返って
LeonaProjectだったが、教育委は問題にぶつかる。「理想の教
きた。しかし、実際に叶えられた要望はそれほど多くない。
官を学生の手で選ぶ」。確かにこれは面白いがいったい理想
大沢枝里子教育委委員長(97年度国際関係学類卒)は
の教官の基準とはなんなのか。担当者たちは頭を悩ませた。最
Campus104号のなかで次のように懇談会を振り返っている。
終的には江崎学長の発言に立ち返り「よい授業をしてくれる教
「教官側に『柔軟に学生の声を受け入れよう」という態度が見
官」と「フレンドリーな教官」を選ぶことになり、アンケート
られて、よかったです。また感じている問題点は双方で共通す
作成が始まる。このときすでに9月初頭、学園祭まであと一月
るところが多く、逆に言えば、教官側が問題だとは考えていて
と迫っていた。
も様々な制度によって改正は難しいというケースが多いことも
9月中旬から下旬にかけて全学の2、3年生を対象に「理想の
*23 学群教育室……04年度から副学長教育の下に設置された、教員らによる組織。学校教育の基本、学生による授業評価、教員のFDなどを扱う。06年度より教育企
画室に改組された。
*24 全学教職課程委員会……人間総合科学研究科の教員を中心に、各学類・専門学群、副学長教育、附属学校長らがそれぞれ推薦した教員からなる委員会。全学の教
職課程について扱う。
*25 新歓ネット……各学類・専門学群の新入生歓迎委員を集め、情報交換や全代会・学園祭実行委員会からの情報伝達を行う場。詳細はp29 全代会と各委員会の歴史
「学内行事専門委員会」参照。
全代会30周年記念誌
41
教官」アンケートが実施される。アンケートは主専攻に所属す
る教官たちに伝えられ、一部から学生の評価能力や実施形式な
る教官、学類に所属する教官、全学の教官から、それぞれ一人
どを疑問視する声があがったものの概ね教官たちの賛同を得
ずつ良い授業をしてくれる教官とフレンドリーな教官を選ぶも
た。その後95年度教育委は副学懇で指摘された問題点を検討し
のだった。結局3項目すべてを集計すると煩雑になりすぎるこ
ながら活動を終え、この課題を96年度教育委に引き継いだ。
とから、主専攻と学類に関する回答がまとめられ学類ごとに
ところが96年度教育委は授業評価に対する態度を大きく変え
「よい授業をしてくれる教官」と「フレンドリーな教官」が選
る。年度内の実現を最優先するため対象を総合科目と英語に限
ばれた。
定し、2・3学期のみの実施という方針を打ち出した。名称も授
集計結果は学園祭期間中、大学会館地区と第一学群地区の2
業評価から授業アンケートへと改められる。その後9月の副学
個所で公開された。結果や選ばれた教官の声・プロフィールを
懇での赤羽武副学長(教育)の話をうけ、さらに対象を英語だ
まとめたパンフレットも1000部作られ、見本まで持っていかれ
けに絞り3学期のみの実施とした。授業アンケートは7人の教官
るほどの盛況ぶりだったという。後夜祭では「理想の教官」に
の協力により97年2月に行われ、集計作業は97年度教育委に任
選ばれた教官を代表して3人が、江崎学長から表彰を受けた。
されることになった。
表彰状が手渡された瞬間、会場には「盛大な拍手と歓声が響い
また96年度教育委は2年ぶり2回目のLeonaProjectを主催して
た」という。
いるが、今回は授業評価の足がかりとしてではなく、単なる人
気投票として行われている。
授業評価Ⅲ――授業評価の断絶
さて授業アンケートを引き継いだ97年度教育委だったが、順
調に集計作業を進めることはできなかった。アンケートを巡り
LeonaProjectの翌年、95年度教育委は再び本格的に「学生に
委員会内で対立があり、夏休み中になんとか集計は終えたもの
よる授業評価」に取り組む。93年度教育委が辿り着く前に挫折
のそれ以上の活動はできなかった。以降、全代会自身が授業自
した具体的な実施方法・対象にまで踏み込んでいった。
体へのアンケートや授業評価を行ったことはない。
95年度教育委は「運営(委員会内部の運営)」「共通科目お
よび教職科目」「評価(学生による授業評価)」の3プロジェ
クトに分かれ5月から動き出したが、授業評価に関する活動は
共通科目等(授業)改善ワーキンググループ
10月になってから本格化した。
評価プロジェクトは根本に立ち返り、学生による授業評価の
LeonaProjectから授業アンケートまで、一連の授業評価に関
必要性から考え始めた。理由も無く授業評価を行えば教官だけ
する流れを追ってきたが、ここからは再び94年6月に教育委が
でなく学生からも批判が出る。これが前年度副委員長を務めて
提出した「固定時間割に関する要請」に注目する。要請を受け
いた佐々木太郎委員長の持論だった。佐々木委員長は1学期か
ら「理念を作れ」と評価プロジェクトに檄を飛ばしてきた。そ
れが形になったのは11月、教官と学生の相互関係を深める、受
講生の意見集約、学生の意識集約、授業の質の向上、学生から
教官への評価の場を作る、という5つの目標を掲げた。
授業評価へ一歩前進した教育委は自らが授業評価を行う方向
で調整を始める。95年度当時、自然学類や比較文化学類などの
6学類・専門学群では教官が、工学システム学類や基礎工学類
など5学類・専門学群では学類全体で、社会学類では学生(そ
おしあーる)がそれぞれの科目について授業評価を行ってい
た。そこで教育委は学類・専門学類レベルではカバーしにくい
共通科目の授業評価を行うことにした。実施回数は一部科目を
除き学期ごとの年3回とした。
そえだ
この案は12月4日の副学懇で副田副学長(教育)を始めとす
42
全代会30周年記念誌
96 年度 LEONAPROJECT の表彰式
た教育審議会は翌95年1月に「共通科目等(授業)改善ワーキ
すれば学生の助けになっていたのは間違いない。しかし、残念
ンググループ」を立ち上げ、2月には「共通科目アンケート」
ながらこの計画は頓挫する。
を実施した。アンケートは共通科目の授業方法や内容を改善す
専門的な知識を持った人材や機材の不足からなかなか計画が
るため取られたもので、WGはこの結果をもとに「固定時間割
進まずにいたところ、12月に名取副学長(教育)から「教育用
に関する要請」に対する答申を作成する。答申は95年度2学期
計算機の端末とIsis制作に用いていたコンピュータの間に言語
に全代会へと報告された。
コードの違いがある」と指摘を受ける。当時の教育委には技術
答申では総合科目や体育、国語などの共通科目についての取
に精通した委員がいなかったため、ここで計画は完全にストッ
り組みや今後の方向性が示されていた。しかし教育委はこの内
プすることになった。
容に対し、改善案は示されたが具体策がない、改善されたかチ
現在では各学類・専門学群が独自にweb上にシラバスを公開
ェックする手段がないなどの問題点を挙げている。教育委は答
するようになってきている。
申に対する意見をまとめたのちWGとの懇談会開催を目指して
いたが、結局年度内に懇談会は開かれず翌96年度に持ち越され
授業評価Ⅳ――外国語教官の人気アンケート
た。
96年度教育委とWGの懇談会が開かれたかどうかは記録が残
98年度には外国語教官の人気アンケートについても取り組ん
っていないため定かではない。しかし96年度教育委は独自に共
だ。この年の教育委は年度当初、Isis計画とともに教官と学生
通科目についてのアンケートを実施する。アンケートは5月29
になんらかのアンケートを取ることを構想していた。アンケー
日の全代会で各座長団に配布依頼が行われた。しかし、配布・
トへの取り組みは夏休みに本格化し、「教官と学生の関係が希
回収方法は座長団に一任されていたため、実施されなかった学
薄になる中、少しでも相互の理解、親しみが深まるようにした
類や回収されなかった学類もあり、回収状況はまちまちだっ
い」というコンセプトのもとプランが立てられる。アンケート
た。教育委は集められた意見をもとに副学長や教官らと話し合
を通して教官と学生のコミュニケーションを図るにはどうすれ
いを持ったが、ほとんどの内容が95年にWGが実施したアンケ
ばいいか。そこで教育委が思いついたのは、学生に対して教官
ートの結果と重複していたため成果は得られなかった。96年度
の人気アンケートを実施した後、その結果を教官へとフィード
教育委はLeonaProjectや授業アンケートに重点を置いていたた
バックし、教官から学生に対する返答をもらうという二段構え
め、この問題をあまり扱っておらず、97年度教育委にも引き継
の作戦だった。
がれない。
8月、教育委はこのプランの是非について名取副学長(教
この一連の流れは、全代会の議案をもとに教官たちも取り組
育)らと話し合い、特にコミュニケーションの効果が期待でき
みを始めたにも関わらず、教育委の引き継ぎの不備などからう
る外国語についてアンケートを実施する方向で合意を得る。9
まく学生と教官が協力できなった残念なケースだったと言え
月中には学生担当教官室と細部の調整を行い、外国語センター
る。
長らから「学生主体で行い、教官からの積極的な協力を望まな
いこと」を条件にゴーサインが出る。アンケートは早速学生に
アイシス
配布され、平行して教育委は外国語教官一人ひとりに協力を仰
いで回った。学生対象のアンケートの集計は10月中に終了し、
97年度の内部対立で一度断絶してしまったとも言える教育委
人気を集めた上位3人が学園祭で発表された。教育委は結果を
だったが、98年度にはシラバスや科目一覧の電子化を目指した
教官ごとにまとめ、それぞれの教官にフィードバックする。12
Isis計画と外国語教官の人気アンケートに取り組んだ。
月には協力を得た教官からアンケート結果に対するコメント
98年4月、筑波大学に入学したばかりの小幡英文・教育委委
を集め終わり、60人を超える教官からのコメントを掲載した
員長(01年度比較文化学類卒)は、履修申請で膨大な紙の資料
『Campus』129号「外国語教官アンケート特別号」が全学に
と格闘しなければならないことにうんざりしていた。そこで小
配布された。
幡委員長はパソコンを使って曜日別、時間別などで授業を検索
この活動によって当初教育委が想定していたような効果が得
するシステムを思いつき、制作に向けて動き出す。シラバスの
られたかどうかは定かではないが、教官・学生間の双方向コミ
電子化がほとんど進んでいなかった当時、このシステムが実現
ュニケーションを目指すという視点が全面的に打ち出されたの
全代会30周年記念誌
43
は教育委史上初めてのことだった。
をもとにTWINS運用委員会がTWINSにアンケートを組み込ん
翌99年度の教育委は外国語教官人気アンケートを参考に総合
だ。
科目の人気アンケートを行う。しかし、98年度教育委の眼目で
6月20日にはTWINSで授業評価アンケートへの回答が始まっ
あった教官・学生の双方向コミュニケーションというコンセプ
た。TWINSにアクセスし受講している科目の科目番号を打ち
トは引き継がれなかった。アンケート結果は総合科目の担当
込むとアンケートに答えられる仕組みで、全学のすべての講
教官に伝えられたほか、人気の総合科目上位3つが学園祭で発
義・演習形式の授業およそ2400科目が対象だった。質問項目は
表された。2000年にも同様のアンケートが行われ、学園祭と
学習意欲、授業実施、授業内容、自主学習、授業満足度の5つ
『Campus』の誌面で結果が発表されている。
で、5段階の選択式で評価を求めた。
授業評価アンケートへの回答数は伸び悩む。実施前から学生
01・02年度
に周知しにくいと懸念されており、『STUDENTS』
*15
や掲示
板などを通じて広報が行われたがあまり効果はなかった。当初
01年度の教育委はなぜか社会学類の授業情報のオンライン化
7月20日とされていた回答期限も9月末まで延長されたが、結局
に取り組む。ところが委員の集まりが悪かったため頓挫してい
回答率は8.2パーセントに止まった。
る。
この年の教育委は昨年度の課題、学類・専門学群レベルのカ
02年度教育委はがらりと方向を変え①各学類・専門学群で教
リキュラム問題の共有、を引き継ぎ活動する予定を立ててい
育に関する問題の情報を共有する②大学の教育課程に関する組
た。実際に、1学期には各学類・専門学群が抱える問題をアン
織との連携強化③全学的な教育・教育システムに関する勉強会
ケートで調査、結果をフィードバックして問題の共有を図り、
の実施を目指して活動する。各クラ代会を対象に何度か教育課
3学期には定期的に全学の副座長を集めた会議を開くことを提
程に関するアンケートを実施し、授業評価やこの年から導入さ
案している。他にも、2学期には掲示板やTWINSといった教育
れたWEB上で成績や履修を管理する新学務システム TWINS
関連の情報伝達手段が有効に使われているかを調べ副学長に報
についての意見を集めた。結果をもとに委員長団と菊池副学長
告している。一年を通しこれらの課題だけに取り組む予定だっ
(教育)が話し合い行ったが、詳細は不明だ。
た教育委だが、大学が急ピッチに授業評価アンケート導入を進
また03年1月には「学生と教官との教育についての全学的な
めたため、対応する必要に迫られた。
交流の場の実施についての要望書」を提出し、教育について教
5月31日、授業評価特別委員会が立ち上がる。これは授業評
官と学生が自由に意見を交わす場をつくることを目指したが実
価に対する学生の関心の高さを鑑み、教育委や全代会の外部か
現していない。
らもメンバーを募る試みだった。結果、特別委には委員長を務
める松井獏教育委委員長(05年度社会工学類卒)をはじめとす
授業評価Ⅴ――TWINSを使った全学授業評価アンケート始まる
る教育委委員のほか、人間学類の有志が参加した。
全代会全体としても授業評価アンケートへの関心は高く、6
03年、再び授業評価というキーワードに注目が集まる。6
月に発行されたCampus150号でも2ページに渡ってTWINSで
月20日、筑波大学における教育の活性化・改善を目指して
の授業評価が取り上げられた。そのなかで松井獏委員長はこの
TWINS上で学生による全学授業評価アンケート(授業評価ア
授業評価に対し「大学全体で行われるという点で意味がある。
ンケート)が始まった。学生による授業評価は90年代前半から
ウェブを用いることも新鮮」と評価した一方、「項目があいま
学類・専門学群単位で独自に実施されてきたが、全学一斉に行
いで授業に反映されにくい」「結果が学生に公表されない」
われたのは初めてのことだった。
「操作が煩雑で学生への負担が大きい」などと批判している。
授業評価アンケートの計画が始まったのは02年秋、菊地副学
その後、授業評価特別委は10月25日から約2週間、2年生を中
長が教育計画室に「TWINSを使って全学的な授業評価アンケ
心にアンケートを行い、534人から有効回答を得た。このアン
ートを行うことは可能か」と尋ねたことがきっかけだった。
ケートでは対象を「受講したすべての科目に回答した人」「受
これに対しTWINS運用委員会
*14
は「制約はあるが、ほとんど
講した一部の科目に回答した人」「授業評価アンケートに参加
人手をかけずに実施できる」と回答し、03年3月には実施が決
しなかった人」の3つに分け、それぞれの場合について、回答
まった。その後副学長と教育計画室が質問項目を作成し、それ
の打ち込みに要した時間、質問項目の内容・数の妥当性、情報
44
全代会30周年記念誌
公開に対する意見、次の授業評価にも参加するかという4項目
ないことが問題になった。中川祥一教育委委員長(06年度社会
について尋ねた。
学類卒)は、議案を修正した状態で提出することを求めたが認
このアンケートの集計結果をもとに特別委は授業評価アンケ
められなかった。
ートへの考察を重ね、12月12日の副学懇で①自由記述がない②
否決された議案は修正を加えられ次回の本会議で再び審議さ
結果が公開されない③回答しにくい、と3つの問題点を指摘し
れる予定だったが、急を要する問題だったため全代会の承認を
それぞれ改善を求めた。これに対して菊地副学長は、「個別の
えないまま5月中に林史典副学長(教育・学生生活)へと提出
結果は教官に渡し、統計的なデータは公表する。回答しやすい
された。結果、学期ごとの申請にはならなかったものの、履修
システムは現在作成中」と答えた。また他の教官からは「どの
申請できなかった学生への救済措置として申請期間が6月30日
科目の良い悪いが問題ではなく、教官が改善点を見つけるため
まで延長された。
のデータなのだから公表する意味はない」という意見も挙がっ
なお翌05年度からは学期完結型総合科目Aは学期ごとの履修
ている。
申請になっている。
結局この副学懇では、自由記述や回答のしやすさといったア
ンケート手法の改善については一致を見たものの、アンケート
筑波英検の結果公表求める
結果の公表については合意が得られずに終わった。圧倒的な回
収率の低さという根本的な問題についても解決方法を見出せな
総合科目Aの履修申請に関する問題がひと段落した後、教育
かった。
委は筑波英検の改善に取り組みだす。
学生に一定の英語力を備えさせるため80年度から始まった筑
学期完結型総合科目の履修申請漏れ
波英検。結果公表が不十分なことに学生は不満を持っていた。
合否の通知以外には、不合格者に対しても問題の分野別得点を
04年度教育委は、03年度教育委が取り組んだ授業評価のほか
筑波大学英語検定試験
*16
3段階に評価したフィードバックシートが渡されるだけ。どこ
(筑波英検)の改善に力を入れる方
を間違えたのかがわからないのでは効果的に勉強できない、と
針を立てていた。ところが4月、総合科目Aの履修申請を巡っ
いう状況だった。また、勉強のため過去問の公開を望む声もあ
て問題が起きる。総合科目Aの履修申請をし忘れるというケー
った。
スが多発したのだ。
教育委は結果公表が不十分な点に問題を絞り1学期中にアン
この原因は学期完結の総合科目Aが設置されたことにある。
ケートを実施した。英検のより詳しい結果公表を求めるか否
通常の学期完結の科目は学期ごとに履修申請期間があるが、新
か、公表されるとしたら対象と方法はどのようなものがいい
たに設けられた学期完結の総合科目Aはすべて4月23日までに
か、などについて尋ねた。このアンケート結果や委員の意見
申請期間が終わっていた。それを知らずにいた学生が2学期や3
をもとに教育委は筑波英検の問題点を洗い出し、9月24日、安
学期完結の総合科目Aを履修できなかったのだ。
井泉外国語センター長に対し質問状を送る。質問項目はなぜ
この問題を解決するため教育委は、4月28日の本会議に学期
TOEIC
完結型総合科目Aについて学期ごとに申請期間を設けることが
のか、結果をより詳しく公開できないか、問題の公開はできな
求めた「総合科目の履修申請期間変更の要請」を提出する。そ
いのか、などの5つ。10月5日には中川委員長と荒川万利恵・教
もそも学期完結型総合科目は、菊池元副学長が柔軟に学期ごと
育委委員(日本語・日本文化学類4年)が外国語センターを訪
に履修申請できるようにつくったものなので、4月に一括申請
ね、安井センター長らから質問状に対する回答を得た。荒川委
するのはおかしい、というのが議案書に記された表向きの要請
員がまとめた外国語センター訪問の報告書によると「TOEIC
理由だった。
はビジネス、TOEFL
結果から言えばこの議案は否決される。その原因は引き継ぎ
ぞれある。筑波大学の英語教育はアカデミックな場面での英語
の不備から会議中に議案を修正できないという勘違いが議事進
使用を目的として行われているため独自の検定を用意してい
行を担う議長団に起きていたためだった。議論のなかでこの議
る」「個別の点数公開は職員の人数の限界から難しい」「問題
案は、すでに2・3学期の総合科目A の履修申請を終えた学生
の公開は、TOEFLなどと同様の形式で問題の使いまわしを行
が人数制限のため履修できなくなるという事態に備えられてい
っているため難しい」といった回答を受けている。
*17
など既存の検定試験ではなく独自の検定試験を行う
*18
は海外留学といったように目的がそれ
全代会30周年記念誌
45
この回答を受けた教育委は検討を重ね、①筑波英検の分野別
望書を石塚茂清・学生担当教員室室長に提出する。この要望が
得点の開示②サンプル問題の公表③目的と意義に関する広報の
呑まれることはなかったが、授業評価アンケートを担当してい
充実の3点を求める議案を10月27日の本会議にかける。要望の
た清水一彦・学群教育室室員から「授業評価について話がした
理由はそれぞれ①詳細なフィードバックを行うことで学習の助
い」との連絡を受け、10月20日には話し合いが開かれた。
けとする②実際の問題を公表できなくともサンプル問題なら可
教育委は授業評価アンケートの改善案をまとめた「授業評価
能である③筑波英検の意義・目的が十分伝わっていないため学
の意見書」を携えて話し合いに臨んだが、清水室員からすでに
生が筑波英検をないがしろにしている、ことが挙げられてい
確定していた授業評価アンケートについての告知があっただけ
る。議案は可決され10月28日、林副学長に提出された。教育委
だった。
は同じ内容の提言を12月10日の副学懇の場でも行っている。
その後授業評価が開始されるが、STUDENTSや掲示板でし
約1年後の06年2月、教育委は外国語センターに対しこの要望
か告知がされていない状況を不審に感じた教育委が問い合わせ
への対応状況を確認している。それによると外国語センターは
たところ、それ以上広報活動が行われないことが判明する。再
①分野別得点開示は不可能だが、英検の成績をP(合格)、F
び回答率が低いままに終わることを危惧した教育委は、11月10
(不合格)の2種類からABCD4段階評価に07年度以降変えるよ
日に各クラス代表者会議に対して授業評価アンケートの広報と
う検討中②サンプル問題の開示を検討中③英検Q&Aを作成し
参加呼びかけへの協力を求めた。回答率上昇の一因には教育委
WEBおよび新入生配布資料に掲載する、と回答している。し
のこの活動があったのかもしれない。
*20
かし、②については英検Q&Aのなかで「TOEFLやSTEP英検
せっかく作成した「授業評価の意見書」をうまく活用できず
の問題を参考にしてください」という本末転倒な記載があるだ
にいた教育委は、授業評価アンケートの実施期間中の12月10日
けで問題は非公開のままで、③についても英検の意義や目的が
に開かれた副学懇で意見書をもとに要望をぶつける。自由解答
十分に広報されているとは言えない。
欄の設置のほか3学期以降も継続して授業評価を行うこと、教
学生のみならず、業務改善提案
*21
の中で教職員からも筑波
員が行うFD
*22
の公開を求めた。継続してこそ回答率が上がる
英検のかわりにTOEICやTOEFLを実施しては、という声もあ
し、効果が目に見えてないと回答率は上がらないというのが要
がっており、今後も筑波英検については引き続き扱う必要があ
望の理由だった。しかしこれに対して林副学長は「授業評価シ
るだろう。
ステムの改善のため3学期は授業評価アンケートを行わない」
と従来の姿勢を崩さなかった。
授業評価Ⅵ――再びTWINSによる授業評価アンケート
だが教員のFDの公開は翌2005年2月7日に開かれた第1回全学
FD研修会で果たされることになる。同研修会には林副学長の
ここで話題は授業評価アンケートに戻る。04年11月1日から
もと学生35人教職員92人が参加した。芸術専門学群やシステ
12月31日にかけて全学授業評価アンケートが再び行われた。こ
ム情報工学研究科などにおけるFDの取り組みが紹介されたほ
の授業評価は2学期のみの実験的な実施だった。計画を行った
か、年度途中で交替した荒川万利恵・教育委委員長から「学生
のは大学の法人化にともない新設された学群教育室で、技術的
からみた授業評価の実践」と題した報告が行われている。もち
な面の対応はTWINS運用委員会が担当した。授業評価アンケ
ろんこれで教員のFDへの取り組みが十分に学生に知らされた
ートの対象となったのは総合科目、体育、外国語、情報処理、
わけではないが、その一歩が踏み出されたことは間違いない。
国語、一部の教職科目で、授業内容や授業方法などについて回
答を求めた(専門科目などについては独自に行った学類もあっ
授業評価Ⅶ――学生による初のFDイベント 開催
た)。質問項目が前回より具体的なものになり、回答の際に科
目番号を打ち込む必要がなくなるなど改善が加えられていたた
前年度に引き続き荒川委員長のもと、05年度の教育委は授業
めか、回答率は03年度から約10パーセント伸びて18.0パーセン
評価をはじめ、小学校教員免許、英検、履修サポートなどのト
トになったが、低いものであることに変わりはなかった。
ピックごとに班に分かれ活動する。英検については、すでに触
9月、大学新聞に掲載された記事を通じて、教育委は初めて
れたように外国語センターに04年度の要望書の内容がどの程度
授業評価の実施を知る。9月13日には授業評価アンケートにつ
考慮されているのかを尋ねるに止まったが、授業評価、小学校
いて話し合われている会議に教育委が出席できるよう求めた要
教員免許、履修サポートについては活発に動いた。ここではは
46
全代会30周年記念誌
じめに授業評価に関する活動について取り上げる。
義などの説明があった。第1部と第3部では学生と教員を交えた
この年の授業評価アンケートは03年の開始以降初めて学期
ディスカッションがあり、「FDなど不要では」「TWINSを使
ごとに3回行われた。対象は04年度のものと同様で総合科目や
う必要性はあるのか」といった過激な議論も交わされた。この
体育などで、質問項目には良かった点、改善してほしい点の2
ほか会場では学内のFDへの取り組みを紹介するパネルが展示
項目についての自由記述が初めて設けられた。このほかにも
されていた。
STUDENTSだけでなく大学新聞や『Campus』にも協力を依
学生の集まりが悪かったため「学生にFDや授業評価を知っ
頼し、教員にも授業で積極的に授業評価アンケートの告知を行
てもらう」という目的が十分に果たせたとは言いがたい。事
うよう求めるなど広報にも力を入れた。また、学生への結果の
実、この後に行われた2学期の授業評価アンケートでは回答率
フィードバックも授業評価懇談会を開催することで果たされる
が低下している。だが、教育委が人気投票的な側面を一切持た
など、一挙に改善が進んだ。ところが回答率は1学期約17パー
ないFDのためのイベントを開くというのは初めてのことであ
セント、2学期約11パーセント3学期約5パーセントと落下の一
り、それ以降の教育委の活動に新たな指針を示すものだった。
途をたどった。
充実してきた授業評価アンケートの広報を手伝うという指針
授業評価アンケートの改善が進むなかで教育委はいつものア
は06年度教育委にも受け継がれ、広報委と協力して授業評価ア
ンケートで意見集約、要望書提出という流れとは違った動きを
ンケートへの回答を呼びかけるポスターを制作したほか、ビラ
見せる。授業評価やFDの意義や目的を学生に広報するための
の配布などを行った。しかしまだまだ成果が上がっているとは
イベント・FDフォーラムを学園祭で開催したのだ。
言いがたく、FDの重要性を周知していくのは今後の教育委の
「FDに関するフォーラムをやってみませんか」――きっか
課題である。
けは6月に林純一・学群教育室
*23
室長(生命環境科学研究科)
から送られてきた1通のメールだった。これを受けた教育委は
小学校教員免許
学生参加型FDを促進するためFDフォーラムの開催を決める。
その後、夏休み中も林室長をはじめ、教員サイドとも頻繁にコ
「小学校教員免許を筑波でも取れるようにしたい」。このテ
ンタクトを取りながら準備を進めた。
ーマは04年度に荒川委員長が高橋弘樹副議長(06年度自然学類
学園祭2日目の10月8日、午後2時から1D204教室でFDフォー
卒)から提案されたものだった。同年度中に取り組むことはな
ラムが開催された。
かったが、05年度は本格的に扱った。
フォーラムは3部構成で行われ学生教職員73人が参加した。
小学校教員免許取得課程の導入のニーズがどの程度あるかか
第1部は学群教育室のFDに関する取り組みの紹介、第2部は学
ら調査を始めた。当初、教職関連の科目を取っている学生と大
内で先進的なFDを行っている組織の紹介、第3部では宇都宮公
学説明会に訪れた高校生にアンケートを実施する予定だった
訓・TWINS運営委員会委員長からTWINSで授業評価を行う意
が、後者については都合上断念した。前者については05年6月
にアンケートを実施し1333人から回答を得た。質問項目はどの
種類の教員免許を取りたいか、小学校教員免許を取りたいかな
ど5つ。集計の結果721人の学生が小学校教員免許の取得を希望
していることがわかった。この結果をもとに教員と折衝を始め
一部の教員からは好感触を得たが、教育委は3つの大きな壁に
ぶつかった。
ひとつは筑波大学の設立目的に小学校教員の育成が含まれて
いないこと、ひとつは文部科学省の省令にある「教員養成を主
目的とした学部等」がないこと、ひとつは音楽や家庭科のカリ
キュラムがないことだった。
結局教育委は小学校教員免許取得課程の導入をあきらめるこ
05 年に開催された FD フォーラムの様子
とになった。しかし教職に関する活動は引き続き行われ、06年
2月には教職の取得を望む学生へのサポートの強化などを求め
全代会30周年記念誌
47
る「全学学群教職課程委員会
*24
に関する要望」としてまとめ
員会。07年度からはその活動内容に合わせて教育環境委員会と
られた。この活動は06年度にも引き継がれ9月に履修要覧の教
名を改める。近年では教育をキャリアデザインの一環として就
職に関わる部分の改善を求める要望が提出されている。
職と絡めて論じる向きもあり、教育環境委員会はますます広い
分野での活動を求められる。これからは先人たちが培ってきた
新入生への履修サポート強化を図る
知識や経験を引き継ぎながらも、新たなフィールドを模索しな
ければならない。
新入生は入学してすぐ履修計画を組むため煩雑なカリキュラ
ムに頭を悩ませる。ほとんどの学類では上級生が新入生のサポ
ートをする体制があるが、どの程度サポートが行われるかは学
類によってまちまちだ。新入生の手助けをしたいと思ってもノ
ウハウなく困っている上級生もいる。この問題を解決し、どこ
の学類でも新入生が満足できるような履修サポートを受けられ
るようにするための活動が履修サポートネットワークだ。
05年度教育委はまず当時各学類・専門学群でどのような履修
サポートが行われているかを調べた。ここで集めたデータをも
とに、年末から始まった新歓ネット
*25
では各新歓委員会への
情報提供や新たに行われる履修サポート活動の調査を行った。
06年度も前年度に引き続き新歓ネットの場で各学類・専門学群
に履修サポートに関する情報提供を行っている。07年度の学
群・学類改組に伴いカリキュラムに大幅な変更が加えられるこ
とから、今年はそれぞれの学類・専門学群の新歓委員長や履修
サポート担当者のもとへ直接教育委が出向き情報交換する試み
も行われた。
一朝一夕では成果の見えにくい活動だが、今後も継続してい
くことで全学的な履修サポートの強化が見込まれる。
終わりに
30年近くにわたる教育委の活動を振り返ってきたが、引き継
ぎの不備に泣かされることが多かった。98年度教育委が行った
外国語教官の人気アンケートではFDの核心である学生と教官
との双方向コミュニケーションの重要性を理解し力を注いでい
たにも関わらず、人気投票という表面的な部分だけが次年度に
引き継がれてしまっている。現在、授業評価の質問項目や結果
公表といった部分での改善が進んできたにも関わらず、学生の
回答率が下がっているのはこの核心を教育委が忘れてしまって
いるからなのかもしれない。断続的に活動に取り組み、年度が
替わるたびに取り組むべき事項を探すことから始めているのも
引き継ぎの不備による問題だ。
カリキュラムから始まり、ベストティーチャー選びや授業評
価へと幅広く筑波大学の教育について扱うようになった教育委
48
全代会30周年記念誌
広報委員会
広報委員会は発足時、他の専門委員会の情報収集を公聴会やアンケートなどでサポートする目的で作られた。しかし実
際には全代会の議事録作成とそれをもとにした広報誌制作など、名前の通り全代会の広報活動を主に担ってきた。近年
ではムービーや他の委員会のポスターなどの広報物も制作している。ここでは広報誌の歴史とともに広報委員会の歴史
を追っていく。
PUBLICITY COMMITTEE
1975
1976
1977
1982
1983
1984
1985
1989
1993
1994
2000
2001
2004
2005
2006
広報プロジェクトチーム発足
代表者会議広報創刊
代表者会議広報が活字で発行される
広報委員会発足
代表者会議広報がオレンジ色に
広報委員会についての細則改正
全代会が開始されない場合に関する議案を提出
代表者会議広報が黄色い紙で出される
広報誌のタイトルが Campus になる
Campus のロゴが変わる
Campus が A4 版で発行される
学園祭で CampusEX(リーフレット)を配る
学園祭で CampusEX(ポスター)を掲示
Campus100 号が発行される
Campus がカラーで発行される
Campus が Web で公開される
新しい編集体制が整う
株式会社ポケモンの記事をめぐる騒動
Campus の Web ページと全代会の Web ページが統合さ
れる
全代会 PR ムービー作成
広報制作部発足
運営、学内行事、教育、厚生、課外活動の5つの専門委員会が出
そろうのにあわせ、それまでの広報プロジェクトチームと書記が
統合された「広報委員会」が活動を開始した。当初は「書記局」
という名称の庶務・議事録作成と情報収集・広報などを担当する
組織を作る予定だったが、「書記」という言葉が特定の政治思想
を連想させるという意見から、「広報」の名を冠することになっ
たという。
広報委員会は学園祭実行委員会と同じく全代会の下部機関で、
発足当初から各学類・専門学群の座長団以外の学生が参加してい
た。75~76年の広報プロジェクトチーム、書記は座長団から構成
されていたが、議事録を作るマンパワーの確保と、議事を客観的
に見ることのできる人材の必要性から広報委員会は座長団以外の
学生によって構成したほうがよいと思われたためだ。
77年からしばらくの間は委員長のみ座長団の中から選び、委員
プロジェクトチームから広報委員会へ
は各学類・専門学群から選出された学生1名ずつが参加する形式
をとっていた。その後、82年に各学類1名では人手が足りないな
全代会の前身である全学学類等代表者会議には会議の議事録を
どの理由から各学類1~3名の学生を広報委員として選出できるよ
作成する書記と広報誌『代表者会議広報』を編集・発行する広報
うに制度が改正された。また、当初規則では座長団は委員長以外
*1
プロジェクトチーム が設置されていた。会議の記録を残すこと
の広報委員になれないことが規定されていたが、次第にこの規定
と、その結果を広く学生に広報することは「民主主義の原則から
は忘れられ、座長団の多くが広報委員会の活動に参加するように
*2
いっても当然のこと」 であるとの考えに基づくもので、発足当
なった。この規則は05年に改訂され、現在では規則上も座長団は
初の全代会が学園祭実施に向けた検討・学生組織に関する要項の
自由に広報委員会に参加できることになっている。
修正と同時に広報の発刊に取り組んでいたことからも、広報が重
要視されていたことが伺える。
76年には全学学類・専門学群代表者会議が発足し、77年4月に
*1 広報プロジェクトチーム……75年度に学園祭、要項細則プロジェクトチームとともに全学学類等代表者会議に発足したプロジェクトチーム。『代表者会議広
報』の編集を担当した。
*2 「民主主義の原則から言っても当然のこと」……76年度議長を務めた谷垣康氏(旧姓芝原)の言。谷垣氏についてはp103 歴代議長による座談会を参照。
全代会30周年記念誌
49
代表者会議広報が発行される
よりは雑誌に近い発行形態をとるようになり、名目も「機関誌」
(団体等が発行する雑誌)にいつの間にか変わっていた。これも
*3
『Campus』 の前身である『代表者会議広報』が最初に発行
大学から予算を受け取ることで起こった変化のひとつだった。
されたのはプロジェクトチームの発足と同じ75年のこと。75年9
月の会議で発行が決まった。最初の『代表者会議広報』には全
波瀾万丈の全代会と広報
代会の活動報告、紹介のほか、当時旬の話題だった学園祭に関
する大学の動きなどが掲載されている。それまで全代会の活動
*4
第3号でようやく発行体制の整った『代表者会議広報』の主な
は『STUDENTS』 に掲載されていたが、「自主的な学生の組
トピックは、全代会が発足する76年度までは細則、学園祭をめぐ
織」の立場から独自の広報誌を発行するに至ったという。75年9
って大学と対立していた85年度までは学園祭だった。
月下旬から10月上旬にかけて発行された最初の2号は手書きのガ
初期は全代会の組織が整備途中だったこともあり、全代会の組
リ版印刷で、ビラのような形式だった。
織編成案や細則関係の記事が掲載されていた。細則が制定される
76年発行の代表者会議広報3号からは活字の冊子となり、大学
前年度の76年度には細則について代表者会議広報の号外が3度発
の予算で発行されるようになった。当初は必要経費を全学生から
行されており、77年1月に発行された3度目の号外には「細則第7
*5
一律に徴収して運営していく予定だったが、学生担当教官室 か
次草案」が掲載されている。
ら大学の予算を用いて『STUDENTS』と同じ装丁の広報誌を出
細則が制定され、一段落すると、今度は学園祭の話題で持ちき
してはどうかとの提案があり、これら2つの案についてクラス審
りになる。80年代前半までの学園祭について詳しくは『事件簿~
*6
議 、全代会での審議にかけた結果、当面の間は大学の予算を用
学園祭闘争~』(p83)を参照いただきたいが、『代表者会議広
いて発行し、問題や批判などがあれば次年度以降考え直していく
報』では学園祭に関する大学と全代会のやりとりが事細かに掲
ことになった。その後、大学の予算から発行するという形式に変
載された。年間発行回数も増え、78年度までは3回から5回だった
更はなく、現在まで続いている。
が、全代会と大学との対立がピークを迎える79年には1回発行さ
なお、『代表者会議広報』は発行当時全代会の「機関紙」(団
れた号外を除いても年間8回、最初に学園祭が中止となった80年
体等が発行する新聞)という名目で出されており、内容もその名
には通常の代表者会議広報(この年は3回)以外に号外が3回発行
の通り全代会で審議したことを伝える新聞的な位置づけだった。
されている。
しかし、『STUDENTS』と同じ装丁になった頃から新聞という
学園祭関連で代表者会議広報の記事が掲載許可されなかったこ
ともある。2度目の学園祭中止の年である84
*7
年度の37号では11・2告示 について学内行
事専門委員会からの投稿「11・2告示を許す
な!―学園祭討論活発化のために―」が学
生担当教官室から許可されなかった。この
理由は①全代会の性質として不適当(広報
委員会は会議の報告をすればよい)、②分
量(原稿用紙14枚分)が不適当、③表現が
適当でなく品位がない(アジビラ的、表現
が稚拙)の3点。代表者会議広報では掲載で
きるよう交渉していくとしていたが、結局
紙面に載ることはなかった。30年間の広報
委員会の活動の中で、内容への掲載不許可
が出たのはこのときが初めてである。
もっとも、学園祭以外の話が全くなかっ
ガリ版印刷の代表者会議広報 1 号
たわけではない。82年からは全代会の報告
だけでなく、全代会のあり方についての論
*3 Campus…… 全代会の広報誌。広報委員会が編集・発行する。86年からはB5版の黄色い紙にモノクロ印刷だったが、93年にはA4版になり、00年からは表紙の
みカラー印刷となる。
*4 STUDENTS……学生担当教員室(03年度以前は学生担当教官室)が編集し、学生部が発行している小冊子。月刊。
*5 学生担当教官室……現在の学生担当教員室(04年度以降、国立大学法人化に伴い「学生担当教員室」と改称)。全代会など学生組織に関して扱う教職員の組織
であり、議案等も全てここを経由して大学に提出されている。
*6 クラス審議……各学類・専門学群のクラスごとに行われる会議。
*7 11・2告示……83年11月2日に大学から出された「84年度以降の学園祭を中止状態にする」という告示。
50
全代会30周年記念誌
説や学生生活に関連した記事も掲載された。年度後半には風邪や
学とのやりとりを伝えるのではなく、実行委員や企画の募集や本
バイク盗難への注意を呼び掛ける記事が載り、代表者会議広報・
部企画の紹介がメインとなるなど、親しみやすい記事構成を目指
『Campus』両紙の歴史で唯一4コママンガが連載された時期であ
す変化が見られた。
る。85年にはごみ問題や献血についても取り上げられ、献血につ
96年から98年にかけては巻末にパズルを掲載したり、表紙にゲ
いては歴史や献血の方法、献血した血液の行方などが2ページに
ームや漫画のキャラクターを使ったりと、親しみやすい紙面づく
わたって掲載されている。
りに一層力を入れた。しかし表紙のデザインに統一性がなかった
り、著作権上問題のある表現(当時話題だったテレビゲーム、フ
タイトルが『Campus』に
ァイナルファンタジーのキャラクターをそのまま表紙に使うな
ど)や意味不明な表現(「ピギャー」と叫んでいる子供の落書き
『代表者会議広報』については読みづらい・堅苦しいという声
のような絵を表紙に使う)が見られたりと、親しみやすさを求め
が読者から上がっていた。そこで、学園祭闘争が終了した85年頃
て迷走していた頃でもあった。
から、学生に親しみやすい広報誌を目指した紙面改革が始められ
る。タイトルが『Campus』に変わり、紙面が一新されたのであ
『Campus』カラー化
る。
タイトルロゴが設けられたほか、裏表紙を作り、ページに飾り
黄色い紙にモノクロ印刷というのが『Campus』に名前が変わ
を施すなどして、従来の堅苦しさをなくそうとした。内容もただ
ってからの特徴の一つだった広報誌だが、00年には当時委員長だ
全代会の活動報告を載せるのでなく、座長団や学園祭実行委員会
った大倉桂(02年日本語・日本文化学類卒)の提案により表紙が
からの寄稿記事や写真、イラストを多く載せるようになった。
カラー印刷になる。新たな予算がつくわけではなく、カラー化
しかし、依然として「細かい活字がぎっしりで読みづらい」
するためにはそれまで2000部程度発行されていた部数を1200部程
「文章が固くてわかりづらい」と指摘されており、表紙やページ
度にまで減らす必要があったが、当時は「残部数で焼き芋大会が
のデザインでは何度も試行錯誤が重ねられた。
できるほど」(02年度広報委員長・福田悠介(03年度社会工学類
92年には内容面も改革され、全代会以外のことを多く特集す
卒)の発言より)残部が多く、無駄に多く発行するよりは部数を
るようになった。あまり知られていない体育の授業を紹介する
減らしても学生に読まれるものをつくりたい、との理由からカラ
「こんな体育あったの? 変な体育紹介」(81号)やエイズの特
ー化が決定した。
集(80号)、サークルや学類のクリスマスイベントを紹介する
「X’mas in Tsukuba」(82号)などだ。しかし、「X’mas in
Tsukuba」では掲載にあたって学生担当教官室から注意を受けて
いる。全代会の広報誌であるため「全代会の話題とそうでないも
ののバランスに気を配ったが、それでも学担室からは全代会以外
の記事を載せることについていい顔をされなかった」と92年度総
括には記されている。
この年には初の連載特集も掲載される。最初に連載された特集
は学内の施設を紹介する「筑波大学に遊びにいこう」。第一・第
二・第三学群にある施設や食堂、学生宿舎、ペデストリアンのあ
まり知られていないスポットを紹介している。この特集は94年ま
での間で6回連載された。また、全代会の抱える問題について取
り上げた「シリーズ 全代会を考える」では、92年度に開かれた
*8
全代会についての自由討論会 の結果から全代会の知名度や構成
員の出席率などについて改善の必要性を述べている。
93年度からは再び全代会や学園祭の記事が大部分を占めるよう
になったが、学園祭の記事といっても80年代前半までのように大
「ピギャー」が表紙を飾った『Campus』
*8 全代会についての自由討論会……p24 全代会と各委員会の歴史「運営委員会」参照。
全代会30周年記念誌
51
カラー化後の『Campus』は表紙に学内の風景や特集に関連し
ている。
た人の写真が載るようになり、紙面の雰囲気が様変わりしてい
「編集の日に全代会室に向かうと、誰も仕切る人はいない。入稿
る。それまで毎号ページを割いてきた学園祭に関する情報も特に
を前に素材としてあるのは、ウラの取れていない原稿、奇天烈な
大きくは扱わなくなった。編集もそれまで紙の切り張りによる割
日本語、内容を踏まえていない見出し、要約にもなっていないリ
*9
り付けで行っていたものを、PageMakerなどのDTP ソフトを用
ード文……それを一つひとつ丁寧に改善してゆくことが、僕の仕
いて行うようになった。
事だった」
松尾が指揮を取り始めたことで『Campus』の内容は一変す
学生広報組織総会への参加
る。カラー化以来『Campus』には、学生に読んでもらえるよう
就職やつくば市の観光ガイドなどの記事が掲載されてきたが、そ
01年、筑波大学でこれまでにない新しい試みが行われた。学内
こにメディアとして「読める」ものをつくるという方向付けがさ
での広報活動を行う学生団体が集まり、情報交換と学内メディア
れる。ただ面白さを求めるだけでなく、宗教や障害といったデリ
全体の質の向上を目指す学生広報組織総会が開かれた。文サが主
ケートな問題にも切り込んだ。この裏には松尾の「ジャーナリズ
*10
幹となり、三系
*11
の広報局、スポーツ・デー学生委員会
*12
園祭実行委員会
、学
*13
、筑波大学新聞編集委員会
、筑波スポーツ
*14
編集部
から担当者が招集された。
ムの力で、この大学の学生生活をより豊かなものに」という想い
があった。
150号以降、誌面の体裁や編集体制も急速に整っていった。表
この総会では主に学内各所にある配布スタンドのリニューアル
紙裏表紙あわせて16ページから20ページで、最初に「障害者とキ
について話し合われ、配布スタンドの利用状況などの調査や座長
ャンパス」「学長インタビュー」といった学内ニュースや関心に
団を対象にしたアンケートなどを実施した。調査やアンケートの
応える記事、次に全代会活動報告、最後に編集後記である「全代
結果などをまとめ、配布スタンドの設置場所や配布スタンドその
会室より」(157号から「編集後記」)という構成は151号(03年
ものの改善案が作られた。これらの案について学生担当教官室と
9月)から最新の166号(07年1月)まで変わっていない。編集委
の交渉を何度か持ったようだが、要望が出されたかどうかは不明
員が記事ごとの班に振り分けられ、編集長が統括するという体制
である。第一学群では配布スタンド増設され、第三学群では位置
もできた。
が変わっている。
02年度以降、この総会は開かれていない。
ポケモンショック
読める『Campus』へ
04年度になると昨年度の中心人物であった松尾、井上、小林ら
がいなくなり、鎌田武志(図書館情報専門学群4年)を委員長に
03年度、広報委員会に転機が訪れる。
山崎健一(06年度社会学類卒)を編集長に据えた新体制がスター
この年委員長になった小林一人(00年度自然学類入学)は文章
トする。新2年生を中心に154号を制作した後、慌しく新入生を迎
を書くのが苦手だった。「こんな自分が細かい指示を出せるわけ
え、やどかり祭スポーツ・デー特別号と155号をなんとか制作し
ない」。そこで小林は冊子編集経験者のヘッドハンティングを思
た。主力が抜けた穴を埋めながらも一見順調に活動を行っている
いつく。集められたのは3年間大学新聞の編集に携わり編集長も
ように見えたが、156号で事件がおきる。84年以来20年振りに学
務めた松尾洋平(03年度人間学類卒)と学実委で広報局長として
担室から掲載内容に物言いがついたのだ。
パンフレットを制作していた井上東(00年度工学システム学類入
問題になったのは「つくば味探訪」と「土浦花火特集」。つく
学)の二人。それぞれが持ち味を活かし記事と誌面デザインの底
ば市のお店紹介と花火職人へのインタビュー記事だった。完成し
上げを図ることになる。肩書き上は小林が編集長だったが、実質
た紙面を見た学担室は、公的な予算で発行するため個人の利益が
的に松尾が編集を取り仕切り、レイアウトは井上が担当するとい
絡む記事は掲載できない、全代会広報誌の主旨から逸脱している
うのが当時のスタイルだった。
という2つの理由から掲載を認めなかった。広報委は店主の想い
松尾、井上が初めて『Campus』編集に参加したのは03年6月発
*15
行のやどかり祭スポーツ・デー特別号
。当時の様子を松尾は
『Campus』153号の「全代会室より」の中で次のように振り返っ
や歴史を紹介しているのであって営利目的ではないと主張した
が、結局その4ページを削った状態で156号は発行された。
前号の反省から157号の編集は、掲載予定を学担室に見せて許
*9 DTP……Desk Top Publishingの略称、パソコン上で編集や制作をすること。現在、広報委員会ではAdobeの製品を使って編集・制作を行っている。
*10 三系……文化系サークル連合会、体育会、芸術系サークル連合会の通称。
*11 スポーツ・デー学生委員会……大学行事であるスポーツ・デーを企画、運営する組織。現在、スポーツ・デーは年に2回行われている。
*12 学園祭実行委員会……学園祭の企画・運営を行う委員会。
*13 筑波大学新聞編集委員会……筑波大学新聞を編集・発行する組織。筑波大学新聞は年8回発行される。
*14 筑波スポーツ編集部……体育会の下部組織。同編集部では体育会に所属する部や同好会を紹介する新聞『筑波スポーツ』を編集・発行している。
*15 やどかり祭スポーツ・デー特別号……03年度から発行されている『Campus』の号外。例年5月に開催される宿舎祭と春期スポーツ・デーを取り上げている。
52
全代会30周年記念誌
可を得てからはじめられた。にもかかわらず再びトラブルが起き
清学生担当教員室長とで対応を協議。年末に株式会社ポケモンへ
る。全代会内で俗にポケモンショックと呼ばれる事件の始まり
謝罪文を送り、ひとまず騒ぎは終着した。
だ。
なお、157号は他に夜の筑波大学像にせまる「午前3時の筑波
発端は「資格から入る 就職へのアプローチ」。内容は企業の
大」、当時は案の段階だった学群再編について4人の学類長に見
人事や幹部の方に取材し、資格を取ることが就職にどのような影
識を伺う「学類再編案特集」などが掲載予定だったが、どれも全
響を及ぼすのかを探るというもの。取材先の企業には社長が筑波
代会の広報誌として内容が不適切として、資格特集とともに掲載
大学卒業生といった理由から、株式会社シャルレ、株式会社ポケ
見合せとなった。結果、157号の紙面はお蔵入りとなった。
モンなどが選ばれた。
この事態を重く受け止めた広報委は、1月発行予定だった
取材や紙面制作は問題なく進んだが、またも学担室から待った
『Campus』の発行を取りやめる。この間、山崎を中心に「面白
がかかる。特定の企業に関する記事は営利目的につながる、全代
さだけを追い求めていなかったか」「全代会の広報誌としての役
会の活動に根ざした記事ではない、全代会の広報誌に掲載する内
割を忘れていなかったか」と議論が重ねられ、「全代会の広報と
容としてふさわしくない、というのが言い分だった。事前に提出
学生への有益な情報の提供」を行うという今後の方針が固められ
した企画書については「このような記事が出来上がってくるとは
た。この方針のもと157号(新歓号)が編集され、無事発行され
予想していなかった」とコメントしている。
る。
広報委は取材先の会社に掲載中止の旨を連絡して回ったが、株
その後、05年度広報委は04年度の発行中止問題がうそであった
式会社ポケモンからは「大学から説明してもらいたい」と求めら
かのように順調に『Campus』を世に送り出す。この年から全代
れた。しかし、学担室は正式な手続きが踏まれなければ大学側と
会担当になった加賀信弘・学担室副室長と頻繁に話し合いを持ち
して謝罪の検討はできないと突っぱね、広報委の代表者が直接本
互いに理解を深めた結果、予定通り年間7回『Campus』を発行し
社へ出向き謝罪してくるよう指示した。これを受けた広報委はい
た。静脈認証やごみ問題といった全代会と関連の深い記事を多く
たずらにことを荒立てるといけないとの判断から、とりあえず
掲載したのも要因のひとつだった。
「検討中」とだけポケモン側へは伝える。翌日再び学担室と全代
会の間で話し合いが持たれ、議案として提出されれば謝罪を検討
「全代会の広報委員会」として
する旨が伝えられる。翌週、全代会では緊急持ち回りで議案を通
*16
し
、04年度全代会議長の村上圭(05年度人間学類卒)と石塚茂
05年度広報委委員長の大山新之助(人文学類4年)は6月8日の
学長との茶話会で、『Campus』全号発行と学担室とのコミュニ
ケーション強化を目標に掲げている。すでに述べたようにこれら
はほぼ達成されたが、実は委員会内でもうひとつ問題となってい
たのは全代会の広報を充実させることだった。
前年度、発行中止の反省をするなかで広報委が『Campus』に
力を注ぎすぎており、全代会の広報ができていないのではないか
という意見が出てきた。全代会が学生に知られていない、という
ことは設立以来の問題であり当然広報委が解決すべきものだっ
た。しかし、この頃の広報委は「『Campus』制作委員会」と化
しており本来の役割が果たせていなかった。
これを解消するため04年度の検討委員会ではフルカラー6面の
全代会リーフレットを制作し、05年度入学生に配布している。05
年度広報委もこの流れを引き継ぎ『Campus』以外の広報物をつ
くることに力を入れる。
手始めに全代会WEBへの手直しが行われた。担当の原田匠
(自然学類4年)が中心となり従来の全代会WEBを全面的な改訂
お蔵入りとなった幻の 157 号の表紙
した。ところが原田が学園祭実行委員会の副委員長でもあったこ
*16 緊急持ち回りで議案を通し……本会議などの会議を行わなずに議案の審議を行うこと。緊急に大学に要望をしなければならない場合など、全代会の構成員の過
半数の承認(捺印)があれば会議にかけずに大学に提出することができる。この件以外では静脈認証システムに関する要望の例(全代会と各委員会の歴史「厚生委員
会」(p55~)参照)などがある。
全代会30周年記念誌
53
とから、学園祭が近づくにつれあまり更新されなくなってしまっ
これまでは04年度を除いては広報委員会が行ってきた議事録作
た。
成だが、06年度からは運営専門委員会が担当している。
ポスターの制作も行われた。水島和洋(芸術専門学群4年)、
安達夕実(芸術専門学群3年)、榎本明日香(芸術専門学群3年)
「学生に知ってもらう」ということ
ら『Campus』のレイアウトや表紙を専門に担当していたメンバ
ーが、全代会30周年記念イベントや06年度の全代会と広報委員会
ガリ版刷りのビラの制作から始まった広報委は現在、広報誌
の新歓用ポスターを制作している。全代会30周年記念イベントや
『Campus』からポスター、WEBまで幅広く広報物をつくってい
新歓では、水島と飯星貴裕(情報学類4年)が制作した3分弱の
る。用いる道具もほとんどがPCでDTPでの作業が中心だ。しか
全代会ムービーが放映されている。
し広報委は広報制作委員会ではなく「全代会の広報委員会であ
「全代会の広報委員会」としての役割を果たすため、これら
る。いかに全代会やその活動を学生に知ってもらうか。常にこの
『Campus』以外の広報物に注力する方針は06年度にも受け継が
視点を忘れてはいけない。
れた。06年度広報委は内部で『Campus』編集部と広報制作部に
分かれて活動を始めた。広報制作部はさらにそのなかでDTP班と
*17
DMW
班に別れ、それぞれポスターなど印刷物の制作とWEB
代表者会議速報とCampusEX
など非印刷物の制作を担当した。DTP班は『Campus』表紙と本
議事録作成と広報誌発行を主な活動としてきた広報委員会
会議ポスターのほか、厚生委から依頼された省エネキャンペーン
だが、それ以外にも全代会の広報のためにいくつかの活動を
のポスターや教育委から依頼された授業評価アンケート告知ポス
試みてきた。発足当初から行われていた活動としては、会
ターなどをつくった。DMW班は全代会と広報委員会のWEBペー
議の翌日に掲示板に張り出す「代表者会議速報」の作成を広
ジを新たに制作している。
報委員会が行っていた。これは会議の結果をいち早く学生に
伝えるために作られたもので、模造紙などの大きな紙に前
日の会議の結果を書いて張り出す壁新聞のようなものだっ
た。「代表者会議速報」という名前は『代表者会議広報』
が『Campus』に改名した頃にはなくなっていたと思われる
が、その後も名前を変えて90年代まで同様の活動は続けられ
ていたらしい(なぜ行われなくなったのかは不明)。06年度
には再び会議の議案と審議した結果を掲示している。。
また、93年には学園祭のタイムリーな話題をリーフレット
にまとめた『CampusEX』を制作し、来場者に配布してい
た。94年にも『CampusEX』を制作しているが、このときは
「代表者会議速報」同様に壁新聞の形式となっている。
しかしこれらの壁新聞やリーフレットについては媒体の問
題からか現物が一切現存しておらず、当時の様子を伺い知る
ことは難しい。また、『○○については代表者会議速報で
お知らせしましたが』などとして、「代表者会議速報」に掲
載された内容が『代表者会議広報』に掲載されなかったため
に、後になって当時のことが知りたくなっても記録が残って
省エネキャンペーンのポスター(06 年度)
いない、ということも多く、制作物をどのように保存してい
くかも今後の広報委員会の課題のひとつとなっている。
*17 DMW……水島の造語でDigital Media Worksの略。DMW班ではWEBページやムービーの制作を行う。
*18 CampusEX……学園祭の情報を93年度にはビラで、94年度には壁新聞で学園祭の来場者に伝えた。
54
全代会30周年記念誌
厚生委員会
厚生委員会(厚生委)は、
学内の福利厚生の問題を一手に扱う委員会である。
”福利厚生”の範囲は広く、
学内における売店、
宿舎、道路、交通、学内施設などの問題全般を扱うことになっている。07 年度からは「生活環境委員会」と名前を改めて活
動にあたる予定だ。
GENERAL WELFARE COMMITTEE
76 年、厚生委は「厚生専門委員会(厚専委)」として
発足した。委員は座長団
*1
から選ばれ、生活面の問題
に発展した。結局、1 期生の希望者全員を継続して入居
させることで決着し、2 期生の入居者数は制限されるこ
に対処した。98 年には厚生委員会と改称、座長団以外
とになった。
からもメンバーを募る全代会の下部組織となった(経緯
その後、75 年度には追越地区の 800 戸と追越共用棟
詳細は厚生会のトピックを参照)。
が完成し、入居可能人数は約 2500 名となった。しかし、
76 年度生(3 期生)が 1570 名の予定なのに対し、75 年
30 年以上活動を続けている厚生委だが、取り組むテー
10 月 28 日時点で 1 年女 267 名、1 年男 826 名、2 年女
マは今も昔も変わらない。ここでは厚生委の活動を宿舎、
240 名、2 年男 731 名が継続入居を希望していたため、
厚生会、交通、その他に分けて紹介する。
800 名近くが宿舎を追い出される事が予測された。結局、
宿舎
学外に約 600 人分の下宿、貸間を用意して厚生課
*2
へ
連絡すれば斡旋をうけられるようにした。
77 年 4 月には一の矢地区に世帯用を含む 994 名分の
筑波大学の学生自治の歴史で、学生宿舎に関する活動
宿舎が完成し、77 年度生(4 期生)から入居が開始され
は最も古いものの 1 つだ。中でも、開学して間もない
た。875 名が新入居者だったが、入居時にいきなり 2 人
74 年度末に起こった入居制限は全学を巻き込んでの大
部屋をあてがわれて問題になった。6 月 2 日に「一の矢
論争となった。
宿舎入居者との懇談会」が開かれ、翌年から希望者は個
室へ移れる事と、新入生を 2 人部屋に入れないことが決
入居問題
まった。
大学宿舎の建設とその入居問題は開学より 5 年の間混
*3
74 年当時、学生宿舎は平砂地区の 1、3 ~ 7 号棟と平
沌としたままであった。学都資金財団
への放任とも
砂共用棟しか完成しておらず(2 号棟は今に至るまで存
言える業務委託と、学生の関心が学園祭問題
在しない)、入居可能な部屋は全部で 1708 戸。75 年度
した(P29 全代会と各委員会の歴史「学内行事専門委員
には新入生含め 1950 名が在学する予定であったので、
会」参照)ことが原因であろう。
そのままでは差し引き 242 名の学生が入居できなくな
なお、74 年度の段階では厚生委はおろか全代会もで
る。大学は 1 期生の入居者を減らして対応しようとした
きていないため、厚生委は直接宿舎問題に関わってはい
が、
「入学時の説明は 4 年間使えるような書かれ方だっ
ない。しかし、それを機に学生の意見集約の場を作ろう
た」と 1 期生が反発。入居申請の拒否、署名などの活動
という気運が高まり、全代会発足のきっかけになった。
*4
に移行
*1 座長団……クラス代表で構成されるクラス代表者会議から、さらに学群・学類の代表として選出された座長1名、副座長2名のこと。全代会は各
学群・学類の座長団で構成されている。
*2 厚生課……授業料の免除等に関すること、奨学生の採用、学生アルバイトの紹介、学生教育研究災害傷害保険加入手続き、学生宿舎の入居、食
堂、売店等福利厚生施設に関すること、厚生会加入手続きなどの業務を行っていた。現在の学生生活課にあたる。
*3 学都資金財団……筑波大学建学時に設立された財団法人。東京教育大時代からのOB会である茗渓会とつながる。開学当初から宿舎の管理運営
を大学より委託されている。
*4 学園祭問題……学園祭をめぐって大学と学生の間に起こった論争。詳細はP83事件簿参照。
全代会30周年記念誌
55
その後、75 ~ 77 年と全代会は組織体制づくりや学園祭
うなものであった。
問題に追われ、宿舎問題について特に動いてはいない。
厚生委が宿舎問題に取り組みはじめるのは 80 年代以降
のことである。
経理公開と共益費・寄宿料
名目
金額
備考
人件費
7851 万円
30 人分
寝具リース代
6182 万円
-
光熱水料
8379 万円
暖 房 費 3006 万、
水 道 費 1999 万、
学園祭問題が小休止となった 81 年度、学生組織はよ
電 気 代 1354 万、
うやく宿舎問題に取り組み始める。
ガス代 312 万、下
水道代 1708 万円
82 年 1 月 22 日、手始めに厚専委は「宿舎料の値上げ
等について」を大学へ提出。当時予定されていた宿舎料
運営費
1027 万円
パー、机やいす等
金の値上げについて説明を求めると同時に、今後は料金
の補修、宿舎祭補
の変更前に全代会へ理由等を報告する事と、
現在の宿舎・
学内売店等の経理を公開する事を求めた。3 月 2 日には
厚生課長から口頭で「宿舎の経理は 80 年度の決算が出
トイレットペー
助など
事務費
1225 万円
印刷・製本費など
れば明らかになる。共益費については公開できる」と回
答がなされた(学内業者の経理については厚生会のト
ピックを参照)。
また、大学が宿舎運営の補助のために支払った経費
年度が変わって 82 年 6 月 17 日、「前年度の学生宿舎
負担金も概略が口頭で回答された。79 年度は約 1 億 1
の管理・運営に関する経理の学生への公開、学内の全て
千万円、80 年度は約 1 億 2 千万円(光熱水費 4373 万、
の販売事業体の経理の学生への公開要求」を議決、大学
清掃費 2970 万、警備費 1068 万、保守点検費 1332 万、
へ提出する。
備品更新費 850 万、小修繕費 370 万、雑役務費 1082 万)
この要求では「6 月 30 日までに」「文書での」回答を要
とのことだった。
望したにも関わらず、5 ヶ月も後の 11 月 11 日にまたも
多くの不満を残したこの問題はしかしながら、その後
口頭で回答された。しかも、宿舎の経理は公開されず、
の発展を見なかった。82 年度、再び学園祭の実施をめ
公開を約束されていた共益費の使途も概略が伝えられた
ぐる大学との対立が深刻化し、またも学生の関心はそれ
にすぎなかった。全代会は 81 年 3 月 2 日の回答を「決
てしまう。83 年度から共益費が値上げされると決まっ
算が出れば経理も公開できる」と誤解(回答が口頭で行
た時にも、別段大きく取り扱われなかった。値上げの理
われたために生じた)していた事もあり、大きな失望を
由は水道を契約していた筑南水道事業団が 33.4%もの値
味わった。大学が経理公開を拒否する理由として、(1)
上げを実施した事や、暖房費の値上がり・人件費改定な
国立大学として学生にすべてを公開する義務はない、(2)
どだった。全代会の活動は広報委がアンケートを実施
学生が研究教育以外に労力を煩わす事は本義でない、(3)
し、83 年 3 月 31 日発行の代表者会議広報誌上で発表し
学都資金財団は法人として独自に活動しており、大学が
た程度である。結果は 85 名の回答中、共益費値上げや
その経理公開を行う事は問題がある、といった事柄があ
むを得ずの回答が 51.8%。断固反対 35.3%、どうでもよ
げられた。しかし、「国民の税金と共益費で運営されて
い 11.8%というものだった。84 年度 4 月から、予定通
いる宿舎の経理が公開できない道理は無い」
「当然認め
り 6200 円から 6800 円に値上げとなった。その後の消費
られるべき経理公開も認めず学習と研究のみを求めると
税導入に応じて値上げが行われており、現在は 7140 円
は一体何のつもりなのか」など、不満と疑問の多い回答
である。
であった事が代表者会議広報
*5
第 28 号で述べられてい
その後 20 年強が経過した 06 年 3 月、文部科学省省
*6
る。
令
の改定によりそれまで国によって基準が定められ
なお、口頭で回答された共益費の概略は、次の表のよ
ていた宿舎料金が自由化された。これに伴い筑波大学で
*5 代表者会議広報……現在の『Campus』。全代会の活動の広報を目的に、広報委員会が発行する小冊子。1975年創刊。1985年から名称が
『Campus』となる。
*6 文部科学省省令……寄宿料を各部屋の広さに応じて全国一律に定めていた。06年3月から各大学で自由に設定できるよう改正。
56
全代会30周年記念誌
も宿舎の改修計画とあわせて料金の改定が検討され始め
世の感がある。
た。大学は学生宿舎改善ワーキンググループ(WG)を
設置、厚生委からもこれに参加。共益費の値下げと学都
資金財団のサービスの見直しを含めて検討を続けてい
宿舎と電話
る。
入居制限問題が落ち着くと全代会は一連の学園祭問題
プライバシー問題(ドアステッカー・チェーン・マス
に没頭し、宿舎の改善どころではなくなったのは前述し
ターキー紛失)
た通りである。
再び宿舎が注目されたのは 86 年。開学以来、宿舎個
1982 年夏、宿舎事務
*7
が個人の居室内に宗教勧誘へ
室には電話設備が無く、携帯電話も普及していなかっ
の注意などを呼びかけるステッカーを貼ったことが問
たために公衆電話を使うしかなかった。そこで厚生委
題になった。入居者が不在の際には鍵を開けて室内に入
は 86 年「学生生活改善要請」を提出して、全個室への
りステッカーを貼付けたため、「無断で部屋に入られた」
電話の設置か公衆電話の増設を求めた。しかし、一の矢
と学生から不満の声があがったのである。ステッカー貼
地区以外は配線工事が完了しておらず、工事に約 1 億 3
付けにあたり、居住者不在の場合鍵を開け居室内へ入る
千万円の費用がかかることや、一部個室にのみ電話を設
という事は共用棟掲示板への掲示と宿舎放送で事前に
置すれば家賃に対する不平等が発生することなどから、
告知されていたが、多くの入居者は把握していなかっ
宿舎全個室への電話設置は叶わなかった。
た。これについて全代会は 10 月の会議で抗議文を可決
し、厚生宿舎委員会
*8
へ提出して大学へ謝罪を求めた
翌 87 年、個室への電話設置の代わりに、電話ボック
が、
「掲示の依頼は大学からの物だが実際の掲示方法は
スが宿舎全体で 31 台から 35 台に増設された。電話ボッ
学都資金財団事務が決定したもので、大学に文句を言う
クスの増設には、NTT 側に 1 営業所で設置できる公衆
のは筋違いである」「今後はこのようなトラブルの起き
電話数の上限があったが、周辺の利用率の低い公衆電話
ないように配慮はする」といった程度の回答しか得られ
を移設することで対応された。
なかった。
一方、この年にできた留学生棟 1 ~ 2 号棟(一の矢地
また、87 年度の一の矢 20 号棟への防犯チェーン取り
区)と 77 年に建設された世帯用宿舎(一の矢地区)で
付けや、04 年のマスターキー紛失(詳細は「一の矢マ
は、建設時より電話配管工事がなされていた。入居者が
スターキー紛失」のトピック参照)に伴う鍵交換工事の
NTT に直接契約し配線工事を行えば電話が使用できた。
際も、掲示や放送のみのアナウンスで無人の個室へ入り
またこの年、一の矢 2 人部屋で工事が行われ、電話の
作業したことに不快感を示す声が聞かれた。今後は宿舎
設置が可能になった。しかし、入居者 2 人が個別に 1 台
事務との対話を通じて、居室に立ち入る際のガイドライ
ずつ設置する場合のみ電話設置を許可されていた(親類
ンを定めていくことなどが求められる。
同士で 2 人部屋に入る場合は認められていた。同室者間
での利用料金の分担率を計る方法がなく、トラブルを避
学都資金財団との会議
けるための措置であったようだ)ため、厚生委は 88 年
12 月に「一の矢 2 人部屋の電話設置に対する要請」を
*9
81 年 12 月、宿舎連絡委員
と全代会との意見交換会
提出し、1 台のみでも設置できるように要望した。これ
が行われる予定であった。ところが、これに財団からス
を受けて 89 年 3 月までの間に、1 台での設置が可能と
トップがかかる。学都資金財団が宿舎運営を行う際の条
なった。これは NTT で利用詳細を記録できる装置が導
件に、「学生の集団的な運営への関与は禁止」という項
入されたためといわれる。
目があったためで、美化運動の類いでも関与は拒否され
たらしい。(代表者会議広報 28 号、82 年 2 月 25 日)現
電話機の全部屋設置が始まったのは、90 年 10 月のこ
在では特に話し合いを拒否されるということはなく、隔
とだった。予算などの問題から試験的に平砂 6、7、10
*7 宿舎事務……学都資金財団が各地区の学生宿舎内においた宿舎管理事務所のこと。
*8 厚生宿舎委員会……大学の組織宿舎に関する組織。ステッカー貼付けを学都資金財団へ要請。
*9 宿舎連絡員……学都資金財団から宿舎のモニタとして選ばれた学生。現在この制度はなくなっているようだ。
全代会30周年記念誌
57
号棟で工事が開始された。この工事は 91 年 5 月頃を目
い等不満が多かった。春日宿舎では学内に接続できる高
処に完了の予定であったが、NTT 側の都合で 92 年 1 月
速なネットワークが各個室に整備されていた事もあり、
まで延期されてしまった。安価に外線電話を導入する
不公平との意見もあった。当時既に各共用棟食堂に学術
ため、大学は中央通信システム社
* 10
と契約した。これ
情報メディアセンターが無線 LAN のアクセスポイント
により外線の使用には固定番号の「ダイヤルイン機能」
を設置していたが、自分の居室でインターネットに接続
か、中央通信システム社設置の交換機による取り次ぎを
したいという要望は強かった。
行う「追加ダイヤルイン」、あるいは電話加入権を購入
これについて厚生委は 04、05 年とネット担当を置き、
し NTT との直接契約する、という 3 つの選択肢が作ら
学生生活課や学術情報メディアセンターとの対話などを
れた。また、内線は自由に使用できる事となった。92
行った。
しかし全代会から具体的な要望を出すより早く、
年 1 月 16 日に平砂共用棟にて電話開通式が行われ、477
06 年 4 月には学術情報メディアセンターが春日をのぞ
室 437 名のうち 207 名が中央通信社のシステムを使用、
く各地区にてワイヤレスメッシュネットワーク(WMN)
10 人が NTT と直接契約した。92 年 4 月には平砂全棟
という無線 LAN システムを導入し、誰でも無料でイン
と追越 13 ~ 18 号棟で開通。6 月中に追越全棟への設置
ターネットへ接続できるようになった。このため現在特
が完了、一の矢への設置は夏休み中に終了し、すべての
に全代会としては活動していないが、WMN の電波が弱
個室に電話機が設置された。開通時の加入率は一の矢で
く接続速度の低い居室が多いとの苦情もあり、今後の対
41%、平砂で 90%、追越で 85%であった。
応が検討されている。
このとき、工事費などは中央通信社が負担し、その結
果として外線契約を独占することとなった。だが、その
有線テレビ導入
後の携帯電話普及により外線契約は激減してしまった。
電話の次に学生が求めたのはテレビだった。宿舎各棟
宿舎とインターネット
に共同アンテナはあったものの、筑波は電波受難地域
だったためほとんど見られなかったからである。88 年
外線契約数減少の中で 00 年 11 月、学術情報メディア
度 2 学期から厚生専門委員会はこの問題を検討してき
センターへの内線によるダイアルアップ接続が停止、イ
た。
ンターネットへ接続できなくなる。内線を使ったダイア
白羽の矢がたったのは ACCS(Academic Newtown
ルアップ接続の使用率が非常に高く回線がパンクし、大
Community Cable Service)という国が研究学園都市に
学から宿舎への内線がつながらなくなったためだ。この
おける受信障害対策として立ち上げた財団法人だ。厚生
ため学生は外線契約を行ってダイアルアップ接続せざる
委では 89 年 1 月に「ACCS の学生宿舎への導入につい
を得なくなった。しかし、当時既に DSL などの高速接
ての要請」をまとめ、全代会で承認された後に厚生補
続サービスが普及し始めていたことや、前述した携帯電
導担当副学長へ提出した。その結果、89 年中に大学と
話の普及、さらに大学へ行けばインターネットは使える、
ACCS の間でケーブルの導入が決定、
工事が開始された。
という状況下では外線契約の増加にはつながらなかっ
た。
このような状況があったためか、中央通信システム社
は 02 年度から宿舎での ADSL 接続サービスを提供しは
じめた。
しかし中央通信社が提供する宿舎でのインターネット
接続サービス「宿舎ネット」は回線速度は最高 2MBps
と高速とは言えずしかも不安定(回線状況によってはモ
デム接続並みの速度になったり、ネットから切断される
こともあった)で、学内専用のウェブサイトも見られな
*10 中央通信システム社……東京に本社を置き、通信設備等を扱う企業
58
全代会30周年記念誌
現在では使用されていない共用棟のポスト
ACCS では国策として 91 年まで国がケーブル施設費用
の交換を決定し、30 日から 11 月 4 日までかけて工事が
をもつことになっていたため、安価かつスムーズに工事
行われた。交換にかかる費用は、警備を任されていたラ
はすすんだ。90 年 4 月から宿舎でテレビを見る事がで
イジングサン・セキュリティーサービスが負担した。
きるようになり、契約しホームターミナル
* 11
を設置す
れば衛星放送も楽しめるようになった。
大学の対応は一見迅速に見えるが、実は学生にマス
ターキー紛失が伝えられたのは事件発生から丸一日経っ
た後だった。事件発覚から鍵の交換が終了するまでは警
共用棟へのメールボックス設置
備員が一の矢各所に置かれたが、死角が多かったことも
学生の不信感を誘った。
現在は各棟に 1 人 1 つ用意されているメールボックス
事態を重く見た厚生委では、事件に関する詳細な情報
だが、以前は宿舎各階に 1 箱しか用意されていなかった。
開示や宿舎の安全管理体制の見直しを求める議案「宿
1 箱で約 50 人分を集める所もあった。
舎の管理体制に関する要望」を緊急に作成、事件発生
89 年 9 月 13 日、プライバシー保護と紛失対策を理由
から 3 日後の本会議で可決され、異例の早さで大学に
に厚生委から「学生宿舎における郵便箱の改善に関する
提出された。要望の結果、11 月中に学内各掲示板や
要請」が提出された。11 月 11 日にはこの議案を補足す
STUDENTS
* 12
を通じて事件の経緯が掲示された。
る形で「「学生宿舎における郵便箱の改善に関する要請」
の具体的方策案の申し入れについて」を検討、大学へ提
宿舎静脈認証システム
出された。これを受け 91 年 12 月、共用棟に個人別のメー
導入に至る経緯(`04.12 ~ `05.3)
ルボックスが設置された。しかしこれも、南京錠の取り
付けは可能なものの、投函口が大きく誰でも簡単に取り
一の矢宿舎マスターキー紛失事件を受けて、宿舎の安
出せてしまうなどの問題が残されていた。
全性向上の議論が学生・教職員間で活発になった。以前
05 年度には静脈認証システム導入(後述)にあわせて、
から宿舎では下着の盗難や不審者の進入が相次いでお
各棟にメールボックスが設置された。このメールボック
り、2004 年 2 月には平砂学生宿舎女子棟で強盗事件も
スは投函口に蓋が付いていたり、取出し側がナンバー錠
起こっている。治安悪化の一因として、宿舎には入棟を
になっているなど安全面に配慮した作りになっている。
制限する設備が何もなく、出入りが完全に自由である事
また、各棟に設置されたことで利便性は飛躍的に向上し
があげられる。そこでセーフティプロジェクト
た。しかし、棟によっては取り出し口が宿舎内側に無い
舎に入棟管理システムを設置する事が検討され始めた。
(投函口と同じ)ものがあり、しかも自分で鍵をつけら
ID カードや暗証番号方式が検討されたが、
「紛失が心配」
れないため、ナンバーを覚えてしまえば誰でも取り出せ
「他人に覚えられると不安」などの反対意見が出され、
* 13
で宿
* 14
るという問題が残された。自前で鍵を取り付けられる様
身一つで本人確認が可能で盗聴の心配が無い生体認証
にするか、ナンバーを自由に変更できる様にする事が望
が候補にあがった。大学施設部
まれる。
入の検討は急ピッチで進められ、導入業務と保守は AT
* 15
を中心に生体認証導
セキュリティというセキュリティ会社、メーカーはデジ
一の矢マスターキー紛失
コムという手の甲の静脈認証システムの特許を持つ韓国
企業に決定した。
年度末には設備の導入工事が始まった。
これまで見てきた様に入居者の不満の声をじっくり集
めて施設改善を求めるというのが厚生委と宿舎の関わり
試験運用(`05.4 ~ `05.9)
方だった。ところが 04 年、厚生委は早急な対応を迫ら
れることになる。
しかし工事中の 05 年度 5 月、学生から個人情報漏洩
04 年 10 月 24 日、一の矢宿舎の警備員が巡回中に一
の問題は無いのかとの疑問が上がった。これを契機とし
の矢宿舎の 31 棟 1460 戸すべてを開ける事ができるマス
て災害時の対応や非常口からの出入りについてなど、多
ターキーを紛失するという事件がおきる。大学は翌日鍵
くの問題が全代会と大学側で検討された。結果、個人情
*11 ホームターミナル……衛星放送用の受信機のこと
*12 STUDENTS……学生担当教員室(平成15年度以前は学生担当教官室)が編集し、学生部が発行している小冊子。月刊。
*13 セーフティプロジェクト……学内における犯罪を未然に防止し、学生等の安全を確保するための施策を企画・実施するために、平成16年に学
内に設置されたプロジェクトチーム。04年度に工藤典雄副学長(総務・企画、広報)が提唱、発足した。04年度は全代会からは議長の村上圭(05年
度人間学類卒)が参加。
*14 生体認証……指紋や眼球の虹彩、声紋などの身体的特徴によって本人確認を行なう認証方式のこと。暗証番号やIDカードなどに比べて原理的
になりすまされにくい。
*15 施設部……筑波大学キャンパス内の建築物の施工管理、保守管理を行っている事務。
*16 個人情報漏洩に関しては問題は無い……静脈のデータは居室番号および暗証番号以外のデータ(氏名、住所など)と関連づけて保存されてい
ない等の理由から。
全代会30周年記念誌
59
報漏洩に関しては問題は無い
* 16
という結論になったが、
の発生から、認証装置の電源を内側から抜いて出入りを
システム全体の管理・運用<誰がどこで管理するのか、
自由にするという実力行使をする入居者も増えてきた。
非常ドアはどうするのか、郵便はどう受け取るのか、な
そのため 11 月 21 日に暗証番号による入棟を可能とする
どの面では疑問が残った。
変更が行われた。1 週間で登録者約 2300 人のうち、522
大学は全代会の意見を受け本運用の開始を遅らせ、05
人が暗証番号方式に変更。この後 06 年 1 月 20 日には約
年 6 月 20 日から 29 日までの間、平砂 1、4、5、7 号棟
3500 人中 952 人に達した。
で試験運用が行われた。この際厚生委は静脈認証システ
ム導入に関する公聴会の開催を大学側へ提案、7 月 4 日
システム停止(`05.12 ~ `06.6)
から 4 日間の公聴会開催が決定した。しかし、試験運用
の結果は芳しくなく、認証ミスやシステムの異常で宿舎
このような事態を受けて、12 月 26 日にはデジコム、
に入れない学生が続出した。この結果を受けて、学生生
AT セキュリティ、学生生活課、施設部、学生担当教員
活課
* 17
は公聴会の実施すら不可能であると判断、公聴
室教員を交えた会議が開かれ、06 年 1 月 18 日に春日宿
会は中止された。
舎から順次改良版の装置を導入することが報告された。
夏期休暇中の 8 月 5 日~ 11 日に第 2 回の試験運用が
しかしこの改良版装置の導入は遅れ、1 月 24 日になっ
一の矢で行われた。登録者数は 115 名であった。この試
てようやく教職員による試験が行われたものの、ここで
験運用では認証に成功したうち 3 回目までで成功した割
も他人受け入れが発生。新装置導入は見送られた。
合が 99%であったと報告される。これを受け 9 月に各
06 年 1 月 22 日には全代会で全棟の認証装置のチェッ
宿舎で公聴会が実施された。その中で視覚障害者や子供、
クを実施、99 台中 54 台が宿舎内で電源を切られるなど、
その他の理由で静脈認証システムを利用できない居住者
正常に動作していなかった。2 月には全学にアンケー
への対応として複製困難な鍵を渡すことや、深夜に問題
トを配布して 1253 票を回収。装置の運営に対して賛成
が生じた際の対応として電話連絡で宿舎へ対応に来ても
200、反対 716、条件付賛成 224 との結果を得た。さら
らえること、登録から 1 週間程度は 24 時間共用棟事務
に翌年から、宿舎を含めた全学にアスベスト除去のため
所に対応要員が詰めることなどを確認した。
に工事を実施することが決定し、職員の業務増は避けら
れぬ事態となった。この様な状況から厚生委は、2 月 22
全棟での運用開始と暗証番号制の導入(`05.9 ~ `05.12)
日に行われた 05 年度最後の本会議にて「静脈認証シス
テムの運用停止の要望」を提案。議案は可決され、大学
9 月 22 日に学生生活課、副学長(学生生活)
、全代会
へ提出された。
で意見交換が行われ、学生生活課から本運用を行いたい
06 年 3 月 9 日に副学長、学生生活課、施設部、学生
と提案がなされた。全代会は検討の後 9 月 29 日に「静
担当教員室(学担室)と全代会で会議が行われる。06
脈認証システム全棟試験運用に関する要望」を提出した
年度初頭は暗証番号での入棟管理を行うことで方針が一
が、10 月 20 日に春日宿舎から平砂、追越、一の矢と順
次運用が開始された。しかし皮切りとなった春日宿舎で
は 1 週間と経過せずに他人の ID で認証に成功する「他
人受け入れ」、逆に自分の静脈で認証できない
「本人拒否」
などの問題が続発した。このため 10 月 26 日に図書館情
報専門学群クラス代表者会議から、現状の確認と改善を
求め「春日宿舎における静脈認証システムの運用状態改
善の要望」が提出された。春日宿舎に住む学生と大学側
で幾度かの交渉が行われたが、さしたる改善は見られな
かった。
全棟での試験運用が進むにつれ、認証率の低さや誤認
元は静脈認証だったが暗証番号制となった認証システム
*17 学生生活課……学生部学生生活課。学生生活に係る指導、助言及び援助に関すること、学生の表彰及び懲戒に関すること、課外活動施設等の
管理に関すること、学生の奨学金に関すること、授業料等の免除、徴収猶予等に関すること、留学生センターの支援及び保健管理センターに関する
ことをその業務として扱う。
60
全代会30周年記念誌
致したが、大学側から 4 月~ 8 月の間に、もう一度試
験運用を行いたいとの申し入れがなされた。これについ
筑波大学では書籍部、売店、食堂から宿舎浴場まで、
て 3 月 16 日に再び会議が行われ、その場で全代会から
様々な厚生サービスが展開している。これらのサービス
は、 (1) 試験運用の目的が導入の可否判断から装置改良
の業者選定や改善を行うのは厚生会。厚生委からも学生
になってしまっていること、(2) 装置の性能面の問題が
理事が選出され学生の意見を伝えている。
解決されたとは判断できないこと、(3) 現在の試験運用
厚生会は 75 年に教職員 41 人が発起人となって発足の
案では試験運用中も暗証番号を併用するため実効性が薄
申請が行われ、9 月には細則を決定していた。厚生会は
いこと、以上 3 点を理由として試験運用実施に反対の態
他大学によくあるような生協と違い自身での営業活動は
度を示し大学側もこれを了承した。結果、06 年度は暗
行わない。大学から無償で場所を借り、それを営利業者
証番号制での運用を行う方針とし、静脈認証装置の改良
に貸すことで学内の福利厚生の充実を計る。業者の営業
が十分なレベルに達した場合には試験運用の実施を改め
自体は同年 4 月から行われており、厚生課が厚生会の事
て検討する事になった。
務を行うという形で管理されていた。
暗証番号での運用を始めて約 3 ヶ月、入棟できないな
大学が直接委託せず、
厚生会を介すのには理由がある。
どの問題が発生することはなかった。そのため厚生委は
文部省(当時)の申し合わせ「国立大学における学生の
06 年 5 月 12 日に大学側との会議で、入棟管理はしばら
ための厚生事業団体に対して国の庁舎等を使用または収
くの間、少なくとも 06 年度内は暗証番号制で運用する
益させる場合の取扱いについて」
(昭和 36 年 4 月 1 日よ
ことを提案し、教職員の了解を得た。
り発効)だ。このなかでは学生の過半数を会員としてお
しかし、暗証番号制でも問題が完全に絶えた訳ではな
り、かつ会費を徴収している団体は、施設の使用料を無
かった。06 年夏には、一の矢女子棟で夜半に認証装置
料にしてよいと定められている。厚生会のように他の業
が故障・停止し女子学生が屋外に閉め出される事件が発
者へ委託を行う団体にも適用される。施設の利用料を委
生した。さらに学生が宿舎事務へ助けを求めたところ、
託業者から徴収しなければ、販売価格を市価よりも安く
「対応できないので棟内にいる者に開けてもらえ」等と
できるという点でこの申し合わせは非常に重要である。
指示される始末であった。宿舎事務へは生活課より「こ
一般的な生協ではなく、厚生会という形をとった主な
のような問題が発生した場合には棟の出入り口を開けて
理由は、構成員自身で運営を行う生協は教職員・学生へ
あげるように」との指示があったにもかかわらずである。
の負担が大きいことと、当時学生闘争の資金源と目され
しかも厚生委との話し合いが行われるまで学生生活課が
ていた生協を排除したかったことの 2 つであったよう
この事態を把握していなかった事がわかり、改めて管理
だ。また、宿舎の運営・管理を委託していた学都資金財
体制が問われる事になったのであった。加えて 06 年 11
団と別組織とすることで、学内の人間の意見を反映しや
月 26 日に全棟に対して行った認証装置の動作率チェッ
すくする、という目論見もあったらしい。
クでは、電子ロックが 3 割の棟で電源を切るなどして解
75 年 10 月には教職員の加入手続きと会費徴収が行わ
除されており、利用者の不満は完全に解消されたとは言
れた。しかし、
厚生会の設立時点では全代会は存在せず、
い難い状態である。
学生からの厚生会運営への参加はなかった。それどころ
宿舎の安全管理についてはある程度の改善は見られた
か、発足時には学生の加入手続きすら行われなかった。
ものの、検討すべき事項はいまだ多い。厚生委はよりよ
さらに、翌 76 年 3 月 18 日には会則が改正され、学生か
い宿舎環境の実現をこれからも模索していかなければな
ら会費を徴収しないことになる。もちろんこれは上述し
らない。
た文部省(当時)の申し合わせに反していた。また、厚
厚生会
生会を運営する運営委員(現在の厚生会理事)の選出も
行われず、利用者の意見を反映する機構は全く存在しな
いまま、業者の営業だけが続いてしまった。
厚生会への学生の参加
このような中で、同年、全代会と厚専委が設置される。
厚生会の発足と全代会(`75 ~ `85)
厚専委は翌 77 年 9 月 13 日に「学生生活を考える会」を
全代会30周年記念誌
61
主催、学生間での意見交換を行った。この会では、福利
のか」
、
「施設利用料を徴収しているとすれば、委託業者
厚生事業についての決定が学生の意見の届かぬところで
の販売価格へ跳ね返り得るが、どのように対処している
実施されている事が問題視された。しかし、厚生会につ
のか」を質問した。これらは共に大学へ提出された。
いてはまだ詳細を把握できていなかったようで、会の中
この要求への回答は 5 ヶ月も後の 11 月 11 日に、また
で話題にはあがったものの具体的な対応策の検討には至
も口頭で行われた。しかも回答の内容は結局、企業の経
らなかった。
理公開は不可、というだけだった。また、厚生会につい
その後調査が進み、大学が 78 年度から会則を改正し
ては、これまでの大学の回答と様々な矛盾があった(78
学生参加を検討している事がわかった。しかし当時の学
年に「4 月から発足したい」
、との発言があったにもか
園祭問題によるものか 78 年 4 月になっても会則の改正
かわらず、回答中で「75 年に発足した」と発言するな
には至らず、78 年度も厚生会の運営委員会は立ち上が
ど)
。さらに、学生の参加手続きが無かった事や学生か
らなかった。また、全代会も学園祭問題で手一杯となっ
らの会費徴収を行っていないことなど、前述した文部省
ており、この問題に触れる事はなかった。
(当時)の申し合わせに反する内容をさしたる問題とも
学園祭問題の小休止となった 81 年。全代会は 1 月 22
せず、業者からの施設使用料徴収をさけるためだけに書
日に「宿舎料の値上げ等について」を提出(宿舎のトピッ
類上存在する団体である事を認めるかのような発言も飛
クも参照)、宿舎と学内業者の経理公開を求めた。3 月 2
び出す等、大学側でも未だ十分な検討が行われていない
日に厚生課長から口頭での回答があったが、その内容は
状態であったようだ。
「宿舎の経理は 80 年度の決算が出れば、共益費について
全代会は上記の回答を不服とし、是正を求める方針で
は公開できる」「業者の経理は企業秘密であり、それぞ
あったようだが、
82 年度から学内全体が学園祭問題(P29
れの経理を公開するのが良いかはわからないが、値上げ
全代会と各委員会の歴史「学内行事前門委員会」、P83
があるときには、その理由は明らかにできる」とのもの
事件簿参照)に再びかかりきりとなったこともあり、厚
であった。この回答は口頭で行われたため、全代会と大
生会問題への取り組みは下火になっていった。
学側での認識の行き違いを生んだ(全代会は宿舎の経理
全てが公開されると思っていた。そのため後に経理公開
厚生会問題の再検討、厚生会学生運営委員会の設立と
を求める議案を提出している)。
厚生会運営への仮参加(`86 ~ `90)
年度が変わり 5 月 27 日に行われた「厚生補導担当副
学長
* 18
等と全学学類・専門学群代表者会議構成員との
学園祭問題の解決や、86 年度初頭の大学評議会(大
懇談会」でも、この経理公開の話題が厚生委よりあげら
学の最高意思決定機関)における福利厚生改善の方針決
れた。大学は 3 月 2 日に前年度議長に回答しており全代
定により、
大学が厚生会の状態改善に向けて動き始める。
会内での引き継ぎができているか確認すべし、とした上
これを受けて全代会も、厚生会について再び取り上げる
で、なお必要があれば再度話し合いを行うと回答した。
事となった。
そこで全代会は 6 月 17 日に改めて「前年度の学生宿
舎の管理・運営に関する経理の学生への公開、学内の全
ての販売事業体
* 19
の経理の学生への公開要求」を議決、
86 年度前半は学園祭に関する話し合いが主だったも
のの、学園祭終了後には全代会でも学生の参加に向けて
再び回答を求めた。3 月 2 日の回答通り宿舎の経理を公
検討がはじめられた。12 月 12 日に大学へ質問状を提出、
開してもらえるよう要求し、業者の経理公開については
厚生会の現状と大学側の今後のビジョンの確認が行われ
前回(3 月 2 日)の回答を不服として、改めて公開を求
た。回答は同月 16 日に学担室を通じて口頭でなされ、
める内容であった。また同時に「厚生会の設立等に関す
同時に厚生会運営委員会への運営委員
(現在の学生理事)
る公開質問状」を議決、「厚生会が設立されるものとし
の選出を、厚生補導担当副学長より依頼された。
て業者に委託していたようだが、現在もこのままか」
「施
第 1 回の厚生会運営委員会は 2 月 17 日に実施される
設利用料を徴収していない場合、厚生会を発足していな
事になっていたが、全代会では 87 年 2 月 11 日に「(厚
ければならないはずだが今は存在しない。今後設立する
生会に)学生参加するという方針をもつこと」を審議す
*18 厚生補導担当副学長……副学長の担当・職務は年々変わっているので一概には言えないが、おおむね現在の副学長(学生生活)にあたる。
*19 販売事業体……ここでは宿舎及び学内の売店などのこと。
62
全代会30周年記念誌
るも保留否決となるなど、意見集約が間に合わなかった。
で全代会は厚生会理事を各クラ代から選出する事と、学
そのため学生参加を決定する事ができず、急遽「厚生会
生の理事を全体の半数とする事を提案、この案はほぼそ
の討議中止要請の承認」を仮承認し、第 1 回の厚生会運
のまま採用された。理事の総数については、職員 6 名、
営委員会で何も定めないよう要請した。しかし、予定通
教員 7 名、学生 13 名とする案と職員 6 名、教員 4 名、
り 87 年 2 月 17 日に教職員のみで第一回の厚生会運営委
学生 10 名とする案が議論されたが結論が出ず、最終的
員会が開催(議長団がオブザーバとして出席した)され、
な決定は厚生会理事会へ任せることとして 3 月 31 日に
会費 200 円の返還をしない事や、学生の運営委員選出は
結果を大学へ提出へ提出した。結局、87 年度中には厚
全代会に任せる事などが決定された。全代会はこれに対
生会運営への学生参加はなされなかったのである。
し 87 年 3 月 4 日、「厚生会運営委員会開催の抗議」を仮
4 月 19 日に行われた第 4 会厚生会理事会で理事の総
承認し抗議したものの、年度が変わって 87 年度前半は、
数が話し合われた。しかしここでもまとまりがつかず、
またも学園祭に関する検討に押され、厚生会については
なんと協議結果をすべて白紙に戻し再協議することに
目立った進展を得られなかった。
なってしまう。再協議は前回の協議メンバーに理事長と
なお、この年 (87 年 )9 月 18 日には、厚生会の広報誌
理事一名を加えて行うことになった。
「うい~る」の発行がはじまった。「うい~る」では厚生
再協議では教職員から、学生、教員、職員それぞれが
会運営への学生参加や厚生会への加入についての記事も
同数の理事を選出することが提案され、全代会の学生理
掲載されていた。
事半数案と衝突した。第 1 回協議で大学側から内部での
学園祭が終了した後、全代会は 88 年 1 月 20 日に「厚
意見調整のため時間が欲しいとの提案があり、協議は休
生会に関する要請」を議決し、再び厚生会学生参加に取
止状態となる。しかし、教職員内での意見調整は行き詰
り組み始める。議案では理事の少なくとも半数を学生と
まり、半年以上にわたり厚生会学生参加は遅滞した。こ
すること等を求め、同時に 88 年度の新入生に向けて厚
れは教職員の検討が進まなかったことに加え、いわゆる
生会のこれまでの経緯を正確に知らせること等も求め
天皇問題(P29 内行史参照)のため学園祭実施について
た。この 2 つの要請に対する回答は 1 月 27 日になされ
の議論が紛糾し、学生の関心がそれてしまった事も理由
たが、内容に具体性が無く不満の大きいものだった。そ
の一つであったろう。
こで 2 月 4 日に「『厚生会に関する再要請』及び『要請』」
学生参加形式が確定するまでの間に、委託業者の更改
を議決し、大学へ再度の回答を求めると同時に、厚生会
のため 88 年 9 月 27 日に第 5 回の厚生会理事会が開催さ
へ学生が参加する形態について提案した。ここで提案さ
れる。学生参加の形式が決定していなかったため、暫定
れた形態とは、厚生会会員の学生からなる「厚生会学生
的に議長団がオブザーバとして出席することになった。
委員会」を設立し、その中から理事を選出し運営会議に
89 年 2 月 9 日、これ以上厚生会運営への学生参加が
出席するというものである。この案は全代会構成員が必
遅れることを危惧し、
「厚生会学生参加に関する回答」
ずしも厚生会会員ではないため、全代会から学生理事を
として、厚生会運営に学生が「仮参加」することを議決
選出する事が不適当ではないか、という問題を解決する
する。これは学生・教職員から同数の理事が参加する案
ための案であった。
で妥協し、この理事数比でも学生の意見が運営に反映さ
88 年 2 月 12 日、全代会はこの厚生会学生委員会を設
れるかを試験するものであった。総理事数は各 6 名で計
立し、厚生会の理事の半数を学生として厚生会へ参加す
18 名となった。正式参加については 90 年度の全代会に
るという「厚生会学生参加に関する議案」を議決、厚生
て審議することとした。
補導担当副学長へ提出する。これは 3 月 1 日の厚生会理
理事の選出方法は 88 年に提案したものが採用された。
事会にて審議され、全代会議長団と厚生会理事会から指
すなわち、全代会とは別組織として厚生会学生運営委員
名された 3 名(教員理事 1 名、学担室員 1 名、厚生課長)
会を組織するというものである。この委員会の構成員は
とで協議する事になった。
各学類・専門学群から選出された。将来的には筑波大学
3 月 6 日から始まった協議は 3 月 10 日、3 月 16 日、3
大学院、筑波大学医療技術短期大学部、宿舎からの代表
月 23 日、3 月 24 日、3 月 30 日の 6 回におよび、この中
選出も予定されていた(医短は合併されたため解決した
全代会30周年記念誌
63
が、現在まで院生と宿舎からの代表選出は実施されてい
以上厚生会への参加が遅れる事は学生に不利益となると
ない)。
の判断からであった。正式参加は代案として情報学類か
仮参加最初の年、89 年 12 月 20 日の第 10 回厚生会理
ら提出された「厚生会学生参加に関する議案」によるも
事会において、4 名がオブザーバ参加を希望したが全員
のだ。経理報告の実施、厚生会会員の理事解任権、理事
不許可とされてしまう事件がおこる。オブザーバ参加を
会解散請求権、理事会傍聴権については「早急に解決す
希望したのは全代会副議長、同厚生専門委員長、大学新
ることを要請」するにとどめた点が前述の厚専委の案と
聞記者、そして筑波学生教職員生協
* 21
波大学厚生会学生参加 25 年史
* 20
会員の 4 名。筑
では、
「教職員側でネッ
の違いだ。これが承認されたため、晴れて学生が正式参
加する事となった。
クになったのは、生協が来ると困るということ」であっ
たと回顧されている。これ対し全代会側は、厚生会会員
厚生会への正式参加、厚生委員会の設立('91 ~)
であればオブザーバ参加を認められるべきと反発した。
この 1 件から、厚生会会員の権利を明確化することが必
91 年度より厚生会への正式参加が始まったが、この
要とされ始めた。
とき学生理事は全員 1 年生になってしまう。そのためか
仮参加の間、厚生会理事会内では「会則改正小委員会」
92 年 2 月 12 日の第 18 回厚生会運営委員会で細則が改
を内部に設置、会則の改正に取り組んでいた。91 年 1
正されたものの、理事会の解散権、理事の解任権、会員
月 29 日に、厚生会学生運営委員会は「厚生会の学生参
の傍聴権など、前年度に学生が要望していたことは全て
加に関する報告書」を全代会へ提出する。この中で会則
認めらないものとなってしまう。ただ、オブザーバとし
の改正準備が進み、定足数が 3 分の 2 となり学生理事抜
て全代会議長と大学新聞のみ参加ができる事になった。
きでの議決が不可能になる予定であることなどが報告さ
また経理報告も大雑把な赤字・黒字しか知らされず、価
れる。
格の適正化の材料にはならなかった。
厚専委は厚生会学生運営委員会の報告とは別に、同日
の会議(懇談会
* 22
)にて「『厚生会学生参加について』
厚生会学生運営委員会は厚生会の細則に記載されず、
「学生の組織」という表現となった。これは厚生会学生
の議案を全学討論に付すこと」を議案として提出、仮承
運営委員会の立場が曖昧であった事から今後の運営に不
認を受ける。「厚生会学生参加について」は学生が正式
安があった事などが理由だ。厚生会学生運営委員会は、
参加する条件として理事会の傍聴権や経理報告の制度化
全代会の承認は得ているもののその下部組織ではなく、
などを求めた、個々の会員の権利尊重と理事会の密会化
厚生会の認めた組織でもない、曖昧な状態のままとなっ
防止を主眼としたものであった。議案はこの「厚生会学
てしまった。またこの年(91 年)9 月 26 日、厚生会学
生参加について」自体の承認を求めたものではなく、こ
生運営委員会は、内規を制定するとともに厚生会学生委
れについて全学の意見を各クラス代表者会議
(クラ代会)
員会(厚学委)に名称を変更した。
を通じて集約したい、というものだっ
た。
2 月 27 日、学生の厚生会運営正式
参加が全代会で認められる。しかしこ
れは厚生専門委員会から出された案で
はなかった。厚専委はこの会議で「厚
生会学生参加に関して」を議案として
提出している。これは厚生会員の権利
等の明文化がなされぬ限り正式参加は
できない、というものであった。しか
しこれは保留否決される。前述の厚生
会学生運営委員会からの報告や、これ
厚生会学生協議委員会と厚生委員会との関係図(
『Campus』120 号より)
*20 筑波学生教職員生協……発足時は筑波大学の職域生協となることを目指していたが、厚生会への学生参加仮決定などの活動活性化をうけてか
89年には地域生協としての認可を受け、現在も活動している
*21 筑波大学厚生会学生参加25年史……元厚生会理事である傍島聡(95年度人文学類卒)が98年11月7日に編集・発行した冊子。全代会室、中央図
書館にて閲覧可能。
*22 懇談会……全代会の定例会議で定足数に満たなかったために議決が行えず、審議のみを行ったことを指す。正式な決議とはならないものの、
出席者のみで「仮承認」を行うこともあった。
64
全代会30周年記念誌
学生の参加によって、92 年度からは広報誌「うい~る」
くなっている。
の編集を主に学生が担当する様になったが、しばらくの
04 年度には厚生委は一学食堂の業者変更(後述)に
間は組織体制に関しては動きがなかった。
参加したものの、引き継ぎがほとんど行われず理事をつ
95 年からは厚学委と全代会の関係など、厚生会の組
とめていた学生も全員残留しなかったために 05 年度に
織に関する議論が再び活発化した。契機となったのは 9
は一学食堂業者変更のノウハウや検討課題が残らなかっ
月 12 日の第 30 回厚生会理事会で、厚学委の提案した
た。
ファーストフード店導入(後述)が決定され厚学委に注
05 年度、06 年度には吉池撤退(後述)などがあり厚
目が集まったことだ。しかし 96 年当時の厚学委は業務
生会への参加が活性化した。その中で厚生会費
の忙しさ等を理由に学生理事 5 名が辞任、傍島聡(95
途が問題視される様になった。特に疑問が持たれている
年度人文学類卒)が一人で学生理事の業務を行う有様で
のは、新入会員からの会費(≒繰越金以外の収入。近年
あった。そこで 96 年 1 月 17 日に厚学委は「全学学類・
は繰越金の額が 150 万円近い)約 100 万円の 9 割近くが
専門学群代表者会議と厚生会学生委員会との位置づけ」
厚生会の広報誌「うい~る」に使用されている事だ。現
(議案提出は議長)として、厚生会学生委員会と全代会
* 23
の用
在「うい~る」にどれほどの読者がいるのか、情報公開
の位置づけについて明文化と協力体制の確立を求めた。
はインターネットを通じてできないかなど、検討すべき
だがこの議案は保留否決されてしまう。
事項が多いため 04 年度より新歓号以外の発行を停止し
組織体制に関する議論に決着がついたのは 96 年 12 月
ている。ちなみにこれは理事会で発行停止を議決したわ
4 日の事だ。厚生専門委員会から提出された「厚生専門
けではなく、単に厚生会広報委が編集作業を一切行って
委員会の廃止および厚生委員会の設立」が仮承認され、
おらず、誰もその事に触れないので発行されないだけで
現在につながる厚生委の体制が生まれた。当時の委員長
ある。
の名を取って「岡田案」「岡田方式」と呼ばれるこの案
06 年度からは厚生委内に「厚生会班」として厚生会
では、厚生専門委員会を廃し、広報委員会のように全代
に関する活動を行うチームを設置した。07 年度以降も
会の下部組織として厚生委を設置することと、厚学委
同様の体制で活動する予定だ。
に代わり厚生会学生協議会(厚学協)を設立することが
提案されていた。厚学協は、厚生委のうち厚生会に加入
ファーストフード店の導入と撤退
している者の他、院生、医学短期大学部学生の厚生会会
員から構成され、厚生会学生理事の選出母体となる。97
このような経緯があったため、厚生会の運営に学生の
年度は厚生専門委員会と厚生会が 1 年かけて厚学協の検
意見が反映される様になったのは厚生委の参加が始まっ
討を行った。98 年 2 月 26 日の厚生会理事会での承認を
た 90 年以降のことだ。それまでの業者選定やサービス
受けて、厚学協からの理事選出が決定した。
改善は教職員によって行われていた(業者変遷等の詳細
98 年度より厚生委と厚学協が発足した。厚学協は全
は年表も参照)
。
代会とも厚生会とも独立した組織だが、大学の定める規
初めて学生が学内厚生サービス改善のため積極的に
則等は持たない、全代会と厚生会理事会で設立が認めら
携わったのは 94 年。厚学委はファーストフードの学内
れたのみの存在であった。そのためか、活動を続ける中
導入を計画する。まず 1、2 年生にアンケートを実施、
で厚生委と厚学協の境界は曖昧になっていった。01 年
1513 の有効回答(一学年約 2000 人なので、約 3 分の 2
度の全代会総括で厚学協は「ほとんど有名無実化してい
にあたる)を得る事に成功した。結果、ファーストフー
る」とあり、その活動実態は厚生委と一体なっていった。
ドの導入は 1286 人(約 85%)から賛成の回答を得た。
03 年度からは全代会内で厚学協という単語をみるこ
この結果は 9 月 16 日に「来年度委託契約に関する要望」
とはなくなり、学生理事は厚生委から選出されるように
として厚生会理事会へ提出された。要望の内容は現在営
なっていった。前述の「全代会構成員は全学生の代表で
業している業者にファーストフードを提供できるか確認
あり、厚生会会員の代表ではない」という問題も、学生
し、可能ならば翌年度からファーストフードを提供す
の加入率が 9 割近くなった現在ではほとんど気にされな
るよう求める物だった。9 月 26 日の第 27 回厚生会理事
*23 厚生会費……厚生会加入時に支払う。発足時は200円であったが、94年9月26日の第27回厚生会理事会にて値上げされ現在は400円。
全代会30周年記念誌
65
会では正式に学内へのファーストフード店導入が提案さ
していない 2 社まで候補を絞った。1月 30 日には「試
れ、学内業者へのファーストフード導入に関する意見聴
食会」
として、
それぞれの業者が営業する東京大学柏キャ
取と、学外業者への募集などについて検討され。
ンパス(千葉県柏市)と日立製作所の土浦神立工場(土
その後大学が各業者へ調査を実施し、第 28 回厚生会
浦市神立)の食堂へ教職員の理事と同行した。
理事会(95 年 1 月 31 日)で「ファーストフード店舗導
結局、04 年 2 月 5 日の第 54 回厚生会理事会にて新業
入要望に伴う学内業者へのアンケートの結果報告」とし
者は「日京クリエイト」に決定、同年 4 月 5 日から営業
て、その報告がなされた。95 年度初頭には企画書が出
を開始した。しかし業者変更後も味・価格などの問題は
そろい、6 月 2 日の第 29 回厚生会理事会では企画書検
さして改善されず(前業者と同じ調理者を雇っている事
討のため WG(教職員学生各理事 2 名ずつ参加)が設置
も問題視されている)
、課題の残る業者変更となった。
された。このワーキンググループでの検討を経て、9 月
12 日の第 30 回厚生会理事会で 96 年度から KWE ター
吉池撤退
ミナルサービス(現在、近鉄アルマックス)を三学食堂
に出店することが決定された。
05 年 5 月 24 日、開学より 30 年にわたり学内で営業
こうして導入された近鉄アルマックスだったが、5 年
していた吉池サービスが、赤字を理由に撤退を申し入れ
後の 01 年には撤退を希望、11 月 27 日の第 47 回理事会
た。04 年度末に学生・教職員で行った体芸食堂改善の
で撤退希望が認められ、学内からファーストフード店は
活動(教職員も交えての試食会、メニュー改善と栄養グ
なくなった。
ラフの掲示要求など)がかなり活発であった事なども理
撤退が決定した三学食堂の後任業者選定は、連絡委員
由であったと推測されるが定かではない。
会にて話し合われる。4 社からの出店希望があった内、
この時点で吉池は学内 10 箇所(平砂・追越の共用棟
00 年度から一の矢食堂で営業していた「全食」を、学
食堂、一の矢・平砂・追越共用棟売店、同浴場、体芸食
内複数箇所で営業をすれば仕入れのコスト削減が期待で
堂、合宿所)で営業していた事もあり、開学以来の大改
きる等の理由から推薦する。連絡委員会は一の矢食堂が
革となった。特に食堂、共用棟売店、浴場の営業は非常
赤字で撤退などという事になれば学生の不利益になると
に評判が悪かったため、これを機に改善すべく学生・教
判断、後任に決定する。
職員が一丸となって活動に取り組んだ。
02 年 3 月 8 日の第 48 回厚生会理事会で連絡委員会が
この年の厚生委は当初、浴場改善を主眼に活動する予
「全食」を推薦、これを承認した。全食は 02 年 8 月にソ
定であり、6 月には 1 年生を対象に浴場への回数券導入
デッソジャパン株式会社と業務提携、以後ソデッソジャ
や利用時間延長に関するアンケートを実施、対象総数
パンの子会社である公誠綜合サービスが三学食堂・一の
2157 人中 1072 の回答を集めた。また、6 月 13 日には浴
矢食堂の業務を行う事となった。(ちなみに全食は 03 年
場の前で出入りする人数を時間帯別にカウント、利用状
8 月にソデッソジャパンの子会社になった)
況の調査を行っていた。そのような中で吉池撤退の連絡
があったため、こちらに本腰を入れ活動することになっ
一学食堂交代
たのだった。
03 年度には一学食堂リニューアルプロジェクトが始
まる。これは一学食堂のイメージアップのために内装な
どを向上しよう、というものであった。しかしこの活動
のさなか、一学食堂で営業していたレストラン二幸株式
会社が、赤字を理由に 04 年度で撤退する事となった。
厚生委は 03 年 12 月に第一学群の学生を対象にアン
ケートを実施し 301 名分を回収、理事会に提出している。
1 月 20 日の厚生会連絡委員会で、現在学内にて営業
66
全代会30周年記念誌
吉池撤退後、売店はホットスパーが運営している
6 月 15 日には「新規宿舎サービスに関する特別委員
閉鎖、ホットスパーの店舗となった。
会設立の要望について」を議決、新規宿舎サービスに関
公誠綜合サービスは価格や営業時間、メニュー内容等
する特別委員会(新宿委)を設立した。新宿委の構成員
を総合的に評価して決定された。
は多くが厚生委員であり、設立した事で活動の円滑化な
ホットスパーは、同じコンビニエンスストアという事
どにはさほど寄与しなかった。が、設立することで構成
で am/pm とどちらを導入するかの選択になったが、営
員の注目を集める効果があった。
業時間などを理由に選択された。平砂共用棟売店はすぐ
6 月 17 日には学生生活課、副学長(学生生活)とのミー
近くにホットスパー学園天久保店が存在する事から、規
ティングを開催、吉池撤退をはじめ厚生委の活動につい
模を縮小して営業することになった。
て話し合いを行った。後任業者に関する検討はほぼ白紙
Ex サービスは平砂食堂を委託する事が先に決まり、
であったため、協力して進める事とし、手始めにアンケー
それに付随する形で浴場の営業も委託した。平砂食堂を
トを実施する事が計画された。
廃止する事はデメリットが大きいだろう、との判断から
7 月 1 日に新宿委にて公聴会の実施を検討、7 月 6 日
浴場との抱き合わせが容認された。
の第 58 回厚生会理事会で「学生は主に宿舎」「体芸の教
この変更で売店の営業時間は 1 時間延び 23 時まで、
員を中心として体芸食堂」と大まかな担当を分け、検討
浴場は 23 時半までとなった。また、平砂・追越浴場は
を進めた。
経費削減のため土日交互に営業していたが、これも改め
7 月 7、8 日には各共用棟食堂にて意見交換会を実施
られた。
した。関係者以外の参加者はのべ 10 名程度と少なかっ
10 月 26 日には委託が決定した 3 業者と再びヒアリン
たものの、実際の利用場所を見ての話し合いは有意義な
グを実施した。また、業者変更後には(小規模ながら)
ものだった。また、意見交換後に教職員とともに浴場等
チェックシートを使った調査を行った。
を視察する機会もあり、教職員に実態が伝わる機会とも
06 年 9 月にはアスベスト除去・改装工事のため営業
なった。
開始が遅れていたホットスパー追越店の営業も始まり、
8 月 19 日には業者への説明会が開催され、46 社もの
吉池撤退に伴う業者交代が完全に終わった。
しかし同月、
参加があった。オフレコとして職員から伝えられた中に
ホットスパーより営業不振を理由に平砂共用棟の営業時
はかなりの有名企業もあり、学生の期待は高まった。
間短縮と、酒・たばこの販売許可の依頼が厚生会へ提出
企画書の募集は 9 月 5 日で締め切られ、21 の業者か
され、
現在も検討中である。営業時間短縮については
「臨
ら企画書が提出された。厚生委は同月中に全学の 1 年生
時措置」として理事会での承認を待たず 10 月頃から 22
を対象として営業時間や価格帯に関するアンケートを実
時に営業を終了していた事もあり、問題視されている。
施、578 の回答を集めた。
酒・たばこの販売は学生宿舎の入居者に未成年が多いこ
9 月 16 日に連絡委員会と価格検討委員会にて企画書
と等が検討の中心となっている。
の検討が行われ、8 業者を選考、21 日には再び検討を実
施するなど、慎重な検討を行った。しかし、このとき静
浴場の改修と料金改定
脈認証システムも夏の試験運用結果を受けて意見交換会
を実施するなど佳境を迎えており、当時の委員長であっ
浴場の営業も厚生会からの委託業務である。営業開始
た小林敬介(工学システム学類 4 年)は大きな負担を強
は平砂が 74 年 6 月、追越が 77 年 1 月、一の矢が 77 年
いられながら活動に取り組んだ。
4 月。当時は 17 時~ 21 時の営業で、料金は 90 円であっ
10 月 3 日にはある程度まで検討が進んだため、候補
た。平砂追越では井戸水を使っていた。一の矢は詳細不
となった数社を呼んでのヒアリングを行った。そして
明だが、同様の環境であったと思われる。
10 月 12 日に第 59 回厚生会理事会で新業者が決定され
81 年には 9 月 13 日~ 11 月 25 日の間、宿舎風呂の時
た。体芸地区食堂には公誠綜合サービス、売店にはホッ
間延長と日曜営業の試験営業が行われた。結果は 82 年
トスパー、全浴場および平砂食堂には Ex サービスがそ
6 月 9 日の副学懇で報告された。この結果は財団が判断
れぞれ参入した。追越食堂は利用率の低さなどを理由に
し今後の営業を判断する事になっていた。財団から結果
全代会30周年記念誌
67
を報告された大学からの「日曜は平日の 1.5 倍近い利用
がったものの、費用の問題などから抜本的な改善は現在
者がいた。しかし、年間 1360 万円の赤字(当時)は解
に至るまで実施されていない。
消できそうになく、営業成績上芳しくない結果だった」
「これ以上の結果公表は考えていないが、日曜営業は月
その後もアンケートの実施や Campus への記事掲載
2 回程度はやらざるを得ないだろう」というコメントが
など、厚生委として宿舎浴場について細かく動くことは
82 年 9 月 1 日発行の代表者会議広報第 30 号に掲載され
幾度かあり、営業時間も徐々に延長されていったが、議
ている。この結果を受け、82 年 7 月に 170 円に値上げ
題等を提出して大々的な活動になることはなかった。再
した上で、翌月 82 年 8 月から営業時間が平砂で 18 ~
び全代会が浴場問題について大きく動くのは 05 年の吉
22 時、追越で 17 ~ 21 時、一の矢で 17 ~ 22 時に延長
池撤退の際だった(
「吉池撤退」のトピック参照)。
された。
交通
83 年 4 月には浴場料金が 200 円に値上げされた。水
道を契約している筑南水道事業団
* 24
による 33.4%の値
自転車問題
上げ(宿舎のトピックも参照)が原因の一つだが、もう
1 つの大きな理由は利用者の激減だ。82 年夏の 170 円へ
学生の通学について筑波大学開学当初の構想は、宿舎
の値上げが響いたのか、82 年度の年間利用者が 1 万人
などからバスで大学へ来て、学内は徒歩で移動するとい
近く減っていたのである。経営センスの無さと宿舎者住
うものだったという。そのためペデストリアン・デッキ
民を侮った態度が呼んだ結果と言えるだろう。しかし、
は数カ所に大きな階段があり、自転車の往来(それどこ
学園祭問題(内行史参照)の噴出で全代会はあまり活動
ろか、車椅子や松葉杖での移動さえ)を考慮した作りに
できなかった。
はなっていなかった。また、駐輪場も学内各棟との便利
を考えた配置とは言えないものであった。
86 年 6 月には再び料金が 170 円に値下げされる。そ
しかしながらこの構想は的外れであったというより無
れまで水道は大学がまとめて契約していたため、生活水
い。大学の規模が大きく、ほとんどの学生が(徒歩で来
として認められていなかった。生活水として契約できる
るには微妙な距離である)宿舎に住んでおり、バスは都
と安価であり、料金を値下げできる。そこで大学は私
合の良い時間にあるとは限らない…となれば、主要な移
設の水道メータを設置、これによって宿舎で利用する水
動手段は自転車になろうというものである。2 期生、3
を生活水として区別する事が可能となり、浴場料金の値
期生と人口が増加していくに従い、もとより大規模な自
下げにつながった。これは学生にとってプラスの改定で
転車の利用を考慮していなかった学内では、駐輪場の不
あったが、特に全代会として動いた結果ではない。同年
足と自転車による交通渋滞が深刻になっていった。
12 月には厚生委が「学生生活改善の要請」の中で、風
厚生委では駐輪場の増設要求、駐輪マナーアップキャ
呂の 22 時までの時間延長を要望している。しかし 87 年
ンペーンの実施などを通じて本問題に対応してきたが、
2 月 4 日の副学懇で、人員確保と予算の問題から不可と
いまだ抜本的な解決には至っていない。近年では大学と
された。この時は学生バイトは好ましくない、との回答
の協力の元で「自転車交通環境ワーキンググループ」を
だったが現在では学生のバイトも導入されており、20
設置、大規模かつ抜本的な解決案を模索している。
年間の大学の態度の変化が伺える。
厚生専門委員会が始動した 77 年、活動の第一歩とし
て 9 月 13 日に学生自由参加で「学生生活を考える会」
89 年 12 月 20 日の全代会(定足数割れのため懇談会)
を開催した。この中で自転車については自転車置き場の
では、86 年 7 月に営業が始まった一の矢コインシャワー
不備が指摘されたり、外国語センター脇の自転車用ス
について、「一の矢宿舎共用棟におけるシャワー室の修
ロープ(現在は外国語センター前のペデストリアンが斜
理・改善の要請について」が仮可決され、大学へ提出さ
面となり自転車で往来できるが、以前は階段だった)の
れた。これ以降も何度かコインシャワー改善は話題に上
改良が求められたり、学内交通計画の再検討の必要性が
*24 筑南水道事業団(筑南水道企業団)……筑波研究都市への水道供給のため昭和47年に設立。旧茎崎市との合併により平成14年に現在のつくば
市水道部となった。
68
全代会30周年記念誌
問われる等していた。開学当時から現在と同じ事が問題
一学地区のものであったため、大学からの意見で一学事
視されており、大学や全代会の現在までの取り組みはほ
務へ資料提出と改善の要望を行うこととなった。この要
とんど効果がなかった事を伺わせる。
望により第一学群、図書館前などに駐輪場のラインが引
かれ、混雑はある程度緩和された。しかしこれら対策を
駐輪問題
行っても未だ第一学群前の混雑は収拾がつかず、ペデの
第二・第三学群棟前、体芸中央棟下など、他の混雑地域
駐輪問題への初の取り組みは 82 年 9 月 22 日~ 23 日
の改善にもつながらなかった。特に体芸中央棟や第二学
(夜を徹して行われた)の会議での、「学内の自転車整
群前では点字ブロック上への駐輪も大きな問題となって
理について」の連絡である。ここで厚生委から各座長団
いる。
へ、自転車整理を積極的に行うことを要請した(議題で
はなく、座長団各人に対する厚生委からの要請という形
04 年度には駐輪マナーアップキャンペーンと称して、
式だった)。この要請を受け、学群ごとに担当箇所を決
厚生委員自ら駐輪場の整理を行った。しかし規模が小
めて昼休みに整理をすることになった。後のマナーアッ
さく継続して実施できなかったため効果は薄かった。05
プキャンペーンに通じる活動だが、83 年以降に引き継
年度にも数回行ったが、04 年度と同様の結果であった。
がれている形跡はなく、このときは散発的な活動にとど
05 年度 1 学期には啓蒙のためビラ配布なども行った。
まったものと思われる。
内容は新設された二学 H 棟裏(総合研究棟 B 棟前)の
91 年 6 月 12 日(全代会不成立につき懇談会)には「違
駐輪場の案内と、点字ブロック上への駐輪に対する注意
法駐輪及び野良犬に関する対策についての検討結果報告
であったが、これも効果のほどはいまひとつだった。
の審議」が行われる。これは「事務区学生担当」(大学
の事務職員と思われる)においておこなわれた「違法駐
自転車専用道路
輪および野良犬実態調査」の概況結果をふまえて、駐輪
禁止区域の明示や駐輪場増設を求めた物であった。しか
大学は 00 年より「キャンパスリニューアルプロジェ
し、これらが実現されたかは現在では不明である(野良
クト」として学内の改善計画を立案・実施してきた。02
犬については捨て犬の横行で盲導犬の障害となっている
年には報告書も作成しており、その中でもやはり自転車
事が問題視された。野良犬にえさを与えない、という程
問題が扱われている。02 年 3 月に制作された「キャン
度しか有効な案が出なかったとの事だが、一応議案内で
パスリニューアルプロジェクト報告書」中では、自転車
報告されている)。
交通量の増加対策としてループ道へ幅 4m ほどの自転車
専用道を増設する、という提案がなされている。
00 年 1 月 19 日の懇談会では、「駐輪問題について」
05 年度末のセーフティプロジェクトで自転車問題が
として、消えかけの白線の塗り直し、利用頻度の低い駐
扱われた際、このループ道路への幅員増設案が再び検討
輪場への誘導などで駐輪状況を改善しようという提案が
された。ここで環境科学研究科の石田東生教授(交通計
なされた。この議案は 1 月 24 日に再審議され、可決さ
画等を専門とする)より、実施するなら筑波大学交通安
れている(学内の白線やペデストリアンの補修は随時行
全会(後述)から寄付を受けてはどうか、という提案も
われているため、この提案の結果は定かではない)。
なされるなど、かなり具体的な話し合いが行われたが、
結論を出すには至らなかった。
03 年度には、自転車 1 台に必要な面積と、実際に停
年度がかわり 06 年 10 月 13 日、厚生委と施設部、学
められている自転車の台数から、必要面積を計算して具
生生活課との話しあいが行われた。このとき澤本清史施
体的な駐輪場増設案を作成した。これをもとに大学側と
設部長の提案により自転車問題に取り組むワーキンググ
話し合いをおこなうため、10 月 22 日「自転車駐輪場改
ループを作る事となる。施設計画室
善に関する話し合いの要望書」を提出した。この要望は
環境ワーキンググループ」が設置され、11 月 29 日に第
大学と話し合いたいというものであったが、調査内容は
1 回の会議が行われた。石田教授を座長に迎え、施設部、
* 25
に「自転車交通
*25 施設計画室……施設の整備、維持管理に関わる基本方針の策定、計画の作成・評価、課題の分析・調査など施設整備に関する業務を行ってい
る、教職員による組織。
全代会30周年記念誌
69
学生生活課、教員、厚生委それぞれから参加、活動を開
から提案し、学担室と話し合いを行った。
始した。05 年度セーフティプロジェクトでの検討はこ
こに持ち越され、長期的な計画として現在も検討が続け
学内道路、特にペデストリアンについては細かい破損
られている。あわせてループ沿いに新たな駐輪場を設け
(タイル・点字ブロックが割れる、
など)が頻繁に起こり、
る案なども検討されており、駐輪問題も含めた学内の自
その都度全代会から大学側に破損箇所の報告や修繕の要
転車問題を抜本的に解決することが期待されている。
望などがなされている。多くは長期休暇中などに修繕さ
れているが、抜本的な改善(タイルをやめてアスファル
道路の整備
トで舗装するなど)を行わない限り今後も同様の破損が
起こり続けると思われる。04、05 年度には厚生委は学
もとが原野であったことや広大な面積を持つことか
生生活課や施設部と意見交換を頻繁に行い、ペデストリ
ら、筑波大学にとって交通設備の充実は困難な課題で
アンやループの改善を要望してきた。予算の問題などか
あった。また、開学当初の交通計画の失敗により、ペデ
ら難しいとの回答を示されてきたが、今後も継続して改
ストリアン上には自転車の往来が予想されておらず、そ
善に取り組んでいく必要がある。
のため道の微改修(階段をスロープ化するなど)が頻繁
外灯の増設
におこなわれた。
84 年 12 月 12 日の全代会では厚生委が「ペデストリ
開学当初、筑波大学では「夜は夜らしく」との構想に
アンの修理について」を提出、ペデストリアンの破損箇
基づき、
学内にあまり多くの外灯を設置していなかった。
所について、保全に努める要請を、破損箇所の地図とと
しかしその後、学生のライフスタイルが夜型に変化して
もに副学長へ提出する。
いくことにあわせ、
「夜は暗くて怖い」
、
「足元が見えず
89 年 2 月 9 日には「学内(特に学生宿舎)における
危険」という意見が学生の中からあがってきた。これを
道路不整備の改善要請」を提出した(90.5 の Campus71
受け、近年は全代会でも外灯の増設について取り組んで
号に調査記事あり)。この議案は大変な効果を発揮し、
いる。
学内各所に鉄板やコンクリでの段差解消の措置が行われ
03 年 5 月 21 日には第 2 回本会議にて、副議長の篠田
た。
康弘(国際総合学類 4 年)より外灯特別委の設置が報告
90 年 2 月 14 日(懇談会)にも、再び同名の議案を提出。
された。この特別委員会は各学類等の協力を経て学内の
これは一の矢地区についての調査をもとに提出されたも
街灯を網羅的に調査した。調査結果は 7 月 29 日に学担
ので、春休み中に対策として鉄板が置かれるなどされた。
室へ提出され、冨江伸治副学長(学生生活担当)は「今
しかし対策後に一の矢で実施した調査によれば、対策自
年度中に数本の外灯を設置したい」
などとコメントした。
体の甘さ(鉄板が狭い、上を通ると大きな音を立てて不
しかし外灯設置にはかなりの費用が必要な事もあり、即
快、など)や、未対策箇所もあり、満足のいく結果では
時的には解決されなかった。
なかったようだ。
調査の結果、東大通りなど学外でも外灯不足で危険と
95 年 5 月 17 日には、「ループ道路水はけ改善の要請」
される箇所が指摘された事をうけ、9 月 24 日には「つ
として、学内の特に水はけの悪い 9 カ所を具体的事例と
くば市内における歩道の街灯に関する要望書」を議決、
して取り上げ、学内全域での改善を求めた。同時に、
「大
26 日につくば市へ要望書を提出した。全代会の歴史上、
学会館前のペデストリアンの修復の要請」も提出した。
学外へ要望書を提出したのはこれが初めてである。要望
また、96 年には「クラブハウス
* 26
前ループの排水溝清
* 27
書では 10 月 14 日までの回答を求めたが 10 月 21 日まで
* 28
掃要請に関して」として排水溝の清掃を求めた。
回答は遅れた上に、県道および国道は土浦土木事務所
99 年 10 月には平砂地区に設けられている柵が視覚障
へ要望し、それ以外の歩道については各地区毎の区会を
害者の通行の邪魔となっているとして、柵を取り除き
通じて解決してほしい、とのものであった。
ループにガードレールを設置することなどを厚生委員会
全代会はこれを不服とし、10 月開催の本会議にて「つ
*26 クラブハウス……野球場北のループ道路沿いの建物。音楽系サークル等の練習に使われる事が多い。
*27 特別委の設置が報告……当時は特別委員会の設立に議決等は行っていなかった。
*28 土浦土木事務所……土浦市、石岡市、つくば市、かすみがうら市、つくばみらい市の5市を管轄として、道路などの交通網を整備する事務所。
70
全代会30周年記念誌
くば市内における歩道の街灯に関する要望書の回答につ
いて」を議決した。これを持って 28 日につくば市オン
ブズマンを通じて市に苦情申し立てを行った。これをう
けたオンブズマンは調査を開始し、結果、市は回答が遅
れた事を認めた上で 11 月 5 日に市長の要望書と全代会
からの要望書を土浦土木事務所へ提出して要望の趣旨を
伝えた、とのことであった。その後の経緯は不明だが、
07 年現在、東大通りには外灯の設置が進んでいる。
また、04 年度のセーフティプロジェクトでも 03 年度
の全代会からの報告が再検討され、04 年度末より順次
学内の駐車場に設置されたゲート
学内のペデストリアン・ループ上に外灯が設置、あるい
大学の交通安全委員会
は改修されていった。
* 30
より近隣住民の自動車通学を
制限する規則案が送られてくる。全代会は 2 月 8 日に
「駐
自動車と交通安全
車場問題について」としてこの規則案を承認した。この
際、
「詳細は今後、
大学の関係各部署で相談して決定する」
開学当時から車の利用者は多く、交通事故などの問題
という事になった。
は現在においても続いている。しかし大学による駐車場
9 月 27 日には、
大学側の駐車場利用規制案を認める
「駐
有料化や道路へのバンプ
* 29
設置が多大な効果をあげ、
車場問題に関する規制について」という議案が本会議に
死亡事故や重大な事故は激減した。そのため現在は 00
提出されるが、議案に不備が多いとの理由で保留否決さ
年あたりまでと比較して、さほど重大なトピックとして
れる。
は扱われていない。厚生委は駐車場規制や交通安全会へ
96 年 5 月 15 日、厚専委から「駐車場規制の改善につ
の参加で協力してきた。
いて」として、長期休暇中の駐車場利用自由化と規制事
77 年 12 月 5 日には学長より、この年の交通事故一覧
項の再掲示を求めた。
が厚生委に示される。厚生委はこれにあわせ「『学内交
97 年 5 月 14 日、厚専委から「平成 7 年度 11 月 1 日
通を考える会』の主催を全代会にする」議案を可決、12
付けで施行された駐車場の規制見直しについて」
として、
月 8 日に「学内交通を考える会」を開催した。しかし、
駐車規制を、学生所属の事務区
広報の問題もあってか学生の参加は少なく、流会となっ
ことを要望、その通り修正された。
てしまう。
97 年 11 月 5 日、
「駐車場規制について」で、学担室
その後 89 年 9 月 13 日に「交通安全プロジェクトにつ
からの駐車場規制の案に対して回答。医学・医短の規制
いて」を提出、大学の交通安全対策委員会と共同で、学
範囲の修正、入構証の偽造防止の検討、交通安全委員会
園祭企画として「交通安全プロジェクト」を主催した。
の傍聴などを要請した。
自動車利用の規制
駐車場有料化
94 年 6 月 1 日、交通事故などの問題への対策として、
00 年初頭、石田教授を座長として、駐車場のゲート
* 31
から 2km 圏内とする
「駐車場の利用法に関する案」として近隣住民の自動車
化・有料化を検討する駐車場ゲート化の調査・検討 WG
通学を規制しようとする案が提出される。案中では自動
が発足する。この WG は学内の駐車場にゲートを設け
車通学に関わる規則の決定をするのであれば、その 1 ヶ
有料化し、集めた資金で違反駐車の取り締まりを行うと
月前までに全代会へ提出して承認を得て欲しい、とも要
いう構想を持っていた。発足当初は教職員のみの参加
請した。
だったが、11 月 15 日の第 3 回 WG からは厚生委も検討
95 年 1 月 31 日には、94 年 6 月 1 日に提出した議案通り、
に参加、駐車場ゲート化について審議を行った。WG で
*29 バンプ……道路を横断する形で作られたかまぼこ型の障害物のこと。十分に速度を落として通過しないと激しい衝撃を受ける。
*30 交通安全委員会……当時の大学の組織と思われるが、詳細は不明。
*31 事務区……学生が所属する学群事務区のこと。
全代会30周年記念誌
71
は 00 年 12 月 7 日には一の矢地区、12 月 13 日に平砂・
内バス特別委員会」を設立、活動に協力した。
追越地区、12 月 14 日に第三学群地区で駐車場に関する
プロジェクトチームとの協力のもと、学生の意見を集
公聴会を実施、全代会や各クラ代会での意見なども集め
約していった。1 学期には全学学生・教職員 2360 人を
た上で、年度末に意見をまとめた報告書を作成した。
対象にアンケートを実施、1318 人分を回収した。11 月
この報告書を受け大学では駐車場のゲート化実現に向
から 12 月にかけては 4 回の公聴会を開催するなど、精
けて動き始めた。全代会でも 01 年 2 月 7 日、
「駐車場ゲー
力的な意見聴取がおこなわれた。
ト化に関する入構規制について」が仮承認される。
結局、関鉄バスが学内循環コース
そして 02 年度より学内の駐車場の有料化およびゲー
からつくばセンターまで乗り放題の定期券(年額 4200
ト化を開始した。同時に駐車場の管理・運営を行う「筑
円)を学内で販売することになった。定期券の売り上げ
波大学交通安全会」も設立された。
は好調だが、ダイヤ改善、バスの増発などを希望する声
交通安全会には当初から厚生委より学生の委員が参加
もあがっている。
している。駐車場ゲート化、違法駐車への対策は開始当
初こそ混乱もあったものの相当の効果をあげた。当初の
* 32
を新設し、学内
その他
目的を果たした交通安全会は今後の活動の検討を進めて
いる。また、04 年度から始まったセーフティプロジェ
リサイクル、ゴミ分別
クトにおいても交通安全に関しては積極的に議論され、
主に自転車問題と併せて検討が進められている。全代会
学内や宿舎におけるゴミ問題についても、厚生委で幾
もこのプロジェクトへ協力し、教職員とともに検討を
度か扱っている。特に分別の徹底については環境問題の
行っている。
高まりなどとも関わり積極的に活動してきた。
バス
83 年 11 月 9 日「ゴミの分類に関する声明」で、「ゴ
ミは可燃物と不燃物に分別し、所定のゴミ箱に捨てるこ
現在、筑波大のキャンパス内は関東鉄道株式会社の路
と」を学生が実行すると決議された。しかしこれはあく
線バス(関鉄バス)が走っており、定期券で安価に利用
まで声明であり、これを受けて具体的になにかが解決さ
できる様になっている。しかし 04 年度までは 1 時間に
れることはなかった。
2 本だけ、土日休日には運行が止まる学内バス(大学が
92 年 2 月 5 日の懇談会では熱帯林研究会
自ら運行する無料バス)がある一方で、関鉄バスについ
請で「ゴミの分別、収集に関する要請について」を厚生
ては通常料金を支払わねばならないなど、決して恵まれ
委より提出した。これはサークルとの協力と言う意味で
た環境ではなかった。
も意義深い出来事であった。92 年の Campus81 号でも、
現在のような交通システムは、前述の自動車問題と同
ゴミ問題に関する記事がある。
この年はつくば市から「ご
じく石田教授を中心とした活動によるものだ。全代会か
み非常事態宣言」が出されるなど、関心の高い年であっ
ら細かな要望を提出した事はあるが、抜本的な解決には
たようだ。興味深い取り組みとしては、学生部厚生課の
至らなかった。大規模な環境改善には教職員との協力が
宿舎ゴミ当番制がある。これは補食室にゴミを集め、そ
不可欠である、という事がここでも明らかになっている
の日の当番の学生がまとめて捨てにいくというもの。9
と言えるだろう。
月 14 日より始まったこの活動はしかし、長期休暇への
04 年度、職員の定年退職とバス自体の老朽化による
対応が難しい事などもあり定着しなかった。
学内バスの廃止を翌年に控えていた。今後の学内交通を
05 年度夏には学内のゴミ分別をペットボトルを含む 5
検討するため石田教授を中心として「新学内交通システ
種類(ペットボトルのほかに可燃、不燃、瓶、缶)にす
ム検討プロジェクトチーム」が大学に設置される。この
ることが決定し、それまでの 4 種から切り替わっていっ
中で、つくば市内でバスを運行する関東鉄道株式会社と
た。しかし、宿舎ではゴミ捨て場にペットボトルの区画
の連携が注目された。全代会も本問題に対応するため
「学
がなく、キャンパス内との一致が課題となった。06 年
* 33
からの要
*32 学内循環コース……つくばセンターから大学を囲むループ道路を回って、再びつくばセンターへと戻るバスの運行経路。
*33 熱帯雨林研究会……当時の文化系サークル連合所属サークル。現在は存在しない。
*34 副学長等との懇談会……全代会の定例行事の一つ。全代会構成員をはじめとする学生と、副学長を含む教職員が直接意見交換を行う場。
72
全代会30周年記念誌
度には宿舎でペットボトルの回収曜日が決まるなどの変
類のサテライトの利用時間を、各学群学類で交渉し延長
更があったが、告示が十分でなく回収形態の変更を知ら
してほしいとの回答を得たに留まった。しかし図書館に
ない入居者も多かった。こうした問題を受け、厚生委は
ついては、すでに図書館運営側も利用時間延長を考え予
06 年 12 月 18 日の副学長との懇談会
* 34
でゴミ問題につ
算を切り詰めていたこともあり、04 年度半ばから利用
いて教職員に提案し、その後も学生生活課宿舎担当など
時間が延長された。当時は「これは、図書館運営費をや
との話し合いを続けている。
りくりした結果であり、恒久的にこの状態が続くかはわ
また、06 年度末には、05 年度に人手不足などを理由
に中断されていた環境サークルエコレンジャー
* 35
主催
からない」とのことだったが、その後 2007 年まで利用
時間は延長された状態を保っている。
の「リサイクル市」の復活にも協力し、07 年度初頭の
トイレ、アスベスト
実施を目指して活動している。
ゴミ、リサイクルの問題については今後もサークルや
大学、クラ代会などと連携して取り組んでいくべき課題
その他の小トピックとしては学内のトイレ問題とアス
だろう。
ベスト問題(アスベスト問題自体は大きいが、厚生委で
大きくとりあげられていない)などがあげられる。
図書館、学術情報メディアセンター
* 36
トイレについては 89 年 6 月 14 日、
「学群棟トイレに
おける鏡の設置・整備についての要請」を提出、学内ト
図書館などの学内施設に関するトピックは教育課程専
イレ各所に鏡が設置された。また、94 年 11 月にも「ト
門委員会と厚生委の活動が重なりうる数少ないトピック
イレの鏡の取り付けについて」が提出される予定であっ
だが、現在までのところは基本的に厚生委で扱ってきて
たが、会議流会のため要望は直接教職員へ伝えられ、2
いる。
月には設置された。
88 年 12 月 14 日に「中央図書館の研究個室の学群生
05 年に社会的にアスベスト問題が注目を集めたこと
への開放に関する要請」を提出、これを受け(詳細な経
を受け、筑波大で再調査
緯は不明だが)現在は学生も研究個室を利用する事がで
要な部分が学内各所にあることが発覚した。特に宿舎に
きるようになっている。
ついては 06 年 4 月、06 年度生の入居にはアスベスト工
また、厚生委の活動ではないが、90 年 2 月 28 日に人
事のために夏休みまでしか入居できない、あるいは宿舎
文学類より「図書館に対する要請」が全代会(懇談会)
内で転居の必要があることが条件として事前に提示され
に提案され、仮承認を得た。日曜日の開館、土曜日の開
た。しかし、夏までしか入居できないかどうかは入居日
館時間延長、蔵書数など 10 項目についての要請が行わ
当日まで知らされないという問題があった。全代会は大
れ、平日の時間延長、貸出時間の1時間延長が大学側で
学との意見交換の場で回避できないかと提案したが、か
実現に向け検討され、机の修理などが実際に行われた。
なわなかった。
同年 6 月 13 日には「テープライブラリー
* 37
開館時間
延長要請について」が提出されている。これについては
* 39
を行った際に除去工事が必
厚生委員会のこれまでと今後
唯一教育委から提出されているが、議案提出までには至
らないまでもそれまでに厚生委でもテープライブラリー
77 年 9 月 13 日に厚生専門委員会が主催した「学生生
について扱ったことは幾度かあり、当時はまだ教育委と
活を考える会」では、交通や宿舎、売店などの問題が検
厚生委の役割分担が明確ではなかったことが伺える。
討されているが、その内容は 30 年たった現在と大差な
04 年度の副学長との懇談会では厚生委より「図書館・
い。
原因としては、
道路や交通の問題は予算の限界やキャ
学情サテライト
* 38
解放時間延長の要望」を提出、図書
ンパスの広さから大規模な改修が難しいこと、売店・宿
館および学術情報メディアセンターの利用時間延長を求
舎については時勢にあわせた再検討が求められる事など
めた。学術情報メディアセンターについては、各学群学
があげられる。また、厚生委の扱う問題の範囲が広すぎ
*35 環境サークルエコレンジャー……文化系サークル連合会所属。略称、エコレン。環境問題に対して何らかのアクションを起こしたいと考えて
いる学生が集まり、メンバーが発案したアイデアを元に活動している団体。学内外の他団体や地域の人々とも広く関わり合いながら、現在は主に筑
波大学内の環境問題について取り組んでいる。
*36 学術情報メディアセンター……旧学術情報処理センター。教育と研究のための学内の情報基盤の整備と運用が業務。レンタル経費をはじめと
する各種経費の活用により計算機システムやネットワークなどを整備している。
*37 テープライブラリー……外国語センターにある施設。外国語に関する教材のテープなどを視聴できる。
*38 サテライト……大学内に散在する計算機端末室の総称。
*39 再調査……1975年9月に吹き付けアスベストの使用が禁止されたことを受け、当時全国的に調査・対策が行われた。筑波大もその際に調査・対
策を実施している。
全代会30周年記念誌
73
ることや、1 年で構成員の多数が交代するために長期的
な検討が困難だったことも影響しているだろう。
この様な現状に対して、大学事務・教員との一層の関
係強化やサークル等との連携のほか、06 年度から厚生
委を宿舎班、厚生会班、施設・交通班の三班に完全に分
業するなどして解決を目指している。
大学の大規模な問題(施設老朽化やセントラルヒー
ティング
厚生委員会の年表
1974 ?
4月
6月
1975 ?
4月
* 40
、キャンパスリニューアルプロジェクトな
ど)への関与もこれまでは薄かったが、今後は強化され
ていく方向だ。大学や学都資金財団の資金の使い方も、
情報公開制度
* 41
9月
10月
1976 ?
の整備によって容易に情報を得られる
ようになったので、今後は取り組んでいくことになるだ
ろう。
2007 年度から名称も「生活環境委員会」と改める厚
生委員会。全代会で最も直接的に学生生活にかかわる委
員会として、今後も大いなる活躍が期待される。
3月18日
10月26
日
1977 ?
1月
2月
3月
4月
4月
9月13日
12月5日
1978 3月
4月
5月
1979
1980 ?
1981 1月22日
3月2日
5月27日
6月17日
夏休み中
~9月
9月13日
*40 セントラルヒーティング……1箇所に熱源装置を設置して、熱
を暖房が必要な各部へ送り届ける暖房の方式。中央暖房とも。筑波大
学では中央機械室と医学中央機械室の2つの大型ボイラーで作られた
高温水や蒸気が、地下共同溝を通って各地区へ運ばれている。
*41 情報公開制度……法律(情報公開法)により、何人も、行政機
関の長に対し、当該行政機関の保有する行政文書の開示を請求するこ
とができる制度。
10月20
日
11月11
日
12月
1982 6月9日
7月
74
全代会30周年記念誌
平砂学生宿舎1~7号棟(740戸)と学生
宿舎共用棟完成
1期生入学
平砂共用棟浴場営業開始
平砂9~11号棟・追越12~17号棟(964
戸)完成
売店等営業開始
厚生会発足申請
厚生会細則決定
厚生会への教職員加入手続き
追越学生宿舎18~27号棟(800戸)と学
生宿舎共用棟完成。学生宿舎約2500室
に。
厚生会細則改正。学生会員から会費を徴
収しないことに
「厚生委員会の新設」全代会で承認され
る
一の矢学生宿舎1~19号棟、31~33号棟
(1000戸)と学生宿舎共用棟完成
追越共用棟浴場営業開始
「宿舎内生活を考える会」が計画された
(どうなったかは不明)
北居住区(一の矢宿舎)994名分完成
(含む世帯用)
厚生専門委員会、活動開始
一の矢共用棟浴場営業開始
厚生専門委員会、「学生生活を考える
会」を主催
学長から、この年の交通事故一覧が厚生
委に示される
一の矢学生宿舎20~24号棟(558戸)完
成
細則を再度改正し厚生会発足の予定であ
ったが、発足せずに終わる
各浴場料金が120円に値上げ。水源が井
戸水から水道水になる。
宿舎共益費が5500円から6200円に値上
げ。
宿舎と学内業者の経理公開を求める質問
状を提出
1/22質問状へ厚生課長より口頭での回
答。「宿舎の経理は80年度の決算が出れ
ば共益費については公開できる」「業者
の経理は企業秘密であり明らかにできな
い」
「厚生補導担当副学長等と全学学類・専
門学群代表者会議構成員との懇談会」。
1/22質問状について厚生委より話題に
「前年度の学生宿舎の管理・運営に関す
る経理の学生への公開、学内の全ての販
売事業体の経理の学生への公開要求」お
よび「厚生会の設立等に関する公開質問
状」を議決
宿舎事務が居室のドアの内側に宗教勧誘
への注意を呼びかけるステッカーを貼
る。入居者不在時に鍵を開けて作業を行
ったことが問題に
宿舎浴場の時間延長と日曜営業の試験営
業開始(11月25日まで)
「宿舎のドアステッカー問題」について
大学に抗議文を提出
6/17の要求と質問への回答。口頭。企業
の経理公開は不可、共益費については概
略の回答
宿舎連絡委員と全代会との意見交換会、
学都資金財団の要請で開催中止
副学長との懇談会で宿舎浴場の試験営業
について報告される
試験営業の結果を受け、宿舎浴場の料金
が120円から170円に値上げされる
8月
試験営業の結果を受け、宿舎浴場の営業
時間が延長される
9月22日 「学内の自転車整理について」の連絡
1983 4月
筑南水道事業団が33.4%の値上げを実施
した影響で共益費6200円から6800円に
値上げ
4月
宿舎浴場料金が170円から200円に値上
げ
11月9日 「ゴミの分別に関する声明」
1984 1 2 月 1 2 「ペデストリアンの修理について」
日
1985
1986 ?
大学評議会で、福利厚生改善の方針決定
6月
宿舎浴場料金、170円に値下げ
7月
一の矢宿舎にコインシャワー設置。7.5
分で100円。
1 2 月 1 2 厚生会について大学へ質問状提出
日
1 2 月 1 6 12日の質問状へ大学より回答、厚生会運
日
営委員の選出依頼
1 2 月 1 7 「学生生活改善の要請」(宿舎全個室へ
日
の電話設置または電話ボックス増設、宿
舎浴場の営業時間延長などの要請)、全
代会で仮承認。
1987 ?
電話ボックス増設
?
一の矢2人部屋への電話設置工事
?
留学生宿舎1~2号棟(144戸)完成
2月4日 副学長との懇談会。浴場の営業時間延長
については人員確保と予算の問題から不
可能と報告される
2月11日 「厚生会の討議中止要請の承認」を仮承
認
2月17日 第1回厚生会運営委員会(教職員のみで
の開催)
3月1日 一の矢浴場工事のため営業停止
3月4日 「厚生会運営委員会開催の抗議」を仮承
認
4月29日 一の矢浴場営業再開
9月18日 厚生会の広報誌「うい~る」第1号発行
9月18日 一の矢新宿舎(34、35号棟)の開所式
9月29日 第2回厚生会理事会
9月
一の矢20号棟A階段の部屋に防犯チェー
ン設置
1 0 月 2 2 三学ATM設置
日
1988 ?
平砂浴場の営業時間が18時から20時
に。また、追越浴場に個室設置。
1月20日 「厚生会に関する要請」「福利厚生につ
いての要請」を議決
2月4日 「厚生会に関する再要請」及び「要請」
2月12日 「厚生会学生委員会」を設立し、その中
から理事を選出し運営会議に出席すると
いう案を厚生補導担当副学長へ提出
3月1日 第3回厚生会理事会。2/12案を全代会議
長団と厚生会理事で協議する事が決まる
3月6日 厚生会参加協議第1回
3月10日 厚生会参加協議第2回
3月16日 厚生会参加協議第3回
3月23日 厚生会参加協議第4回
3月24日 厚生会参加協議第5回
3月30日 厚生会参加協議第6回
3月31日 厚生会参加協議の結果を五十嵐厚生会理
事長へ提出
4月
省令改正により宿舎料金300円の値上げ
4月19日 第4回厚生会理事会
9月27日 第5回厚生会理事会
1 2 月 1 4 「一の矢二人部屋の電話設置に対する要
日
請」
1 2 月 1 4 「中央図書館の研究個室の学群性への開
日
放に関する要請」
1989 1月19日 「ACCSの学生宿舎への導入についての
要請」
2月9日
2月9日
3月
6月14日
7月3日
9月13日
9月13日
9月27日
10月
12月20
日
12月20
日
1990 ?
2月14日
2月28日
3月1日
4月
9月27日
10月
1991 ?
?
1月29日
2月8日
2月27日
2月28日
3月18日
6月1日
6月12日
6月12日
9月26日
11月7日
12月
1992 2月5日
2月12日
7月19日
夏休み中
9月14日
9月24日
12月21
日
1993 3月8日
7月5日
9月24日
12月10
日
1994 3月4日
4月
6月1日
7月11日
9月16日
「厚生会学生参加に関する回答」
「学内(特に学生宿舎)における道路不
整備の改善要請」
一の矢2人部屋に1台からの電話機設置が
可能に
「学群棟トイレにおける鏡の設置・整備
についての要請」
第8回厚生会理事会
「学生宿舎における郵便箱の改善に関す
る要請」
「交通安全プロジェクトについて」
第9回厚生会理事会
学園祭企画として「交通安全プロジェク
ト」を主催
第10回厚生会理事会
「一の矢宿舎共用棟におけるシャワー室
の修理・改善の要請について」仮承認
大学新聞による宿舎アンケート
「学内(特に学生宿舎)における道路不
整備の改善要請」
人文学類から「図書館に対する要請」が
提案され、仮承認
第11回厚生会理事会
ACCS導入により、宿舎でテレビを見る
ことが可能に
第12回厚生会理事会
電話機の宿舎全部屋設置開始
平砂6、7、10号棟で電話配線工事
留学生宿舎3号棟(28戸)完成
厚生会学生運営委員会、「厚生会の学生
参加に関する報告書」を全代会へ提出
第13回厚生会理事会
「厚生会学生参加に関する議案」を可決
第14回厚生会理事会
第15回厚生会理事会
一の矢に4棟目の世帯用宿舎である36号
棟が完成、入居開始
第16回厚生会理事会
「違法駐輪及び野良犬に関する対策につ
いての検討結果報告の審議」
厚生会学生運営委員会、内規を制定。名
称を「厚生会学生委員会」に変更。
第17回厚生会理事会
宿舎共用棟に個人別のメールボックス設
置
「ゴミの分別、収集に関する要請につい
て」
第18回厚生会理事会
第19回厚生会理事会
電話機の宿舎全部屋設置完了
宿舎ごみ当番制開始
第20回厚生会理事会
大学新聞(146号)に「再考、ぼくらの
宿舎生活」と題した記事が掲載される
第21回厚生会理事会
第22回厚生会理事会
第23回厚生会理事会
第24回厚生会理事会
第25回厚生会理事会
留学生宿舎4号棟(28戸)完成
「駐車場の利用法に関する案」
第26回厚生会理事会
厚生会学生委員会、「来年度委託契約に
関する要望」を厚生会理事会に提出。学
内へのファーストフード店導入を提案
9月26日 第27回厚生会理事会。厚生会会費値上げ
の承認(200円→400円)
全代会30周年記念誌
75
11月
1995 ?
1月31日
1月31日
2月
2月8日
5月17日
6月2日
9月12日
9月27日
1996 1月17日
1月30日
5月15日
5月15日
6月13日
12月4日
1997 ?
2月19日
5月14日
7月2日
9月30日
11月5日
1998 2月26日
4月
7月1日
11月6日
1999 2月23日
7月2日
10月
11月11
日
2000 1月19日
1月24日
2月18日
4月
トイレの鏡の取り付けについて、要望を
教職員に提出する
この年、宿舎の備品が現在の3点(ベッ
ド、机、椅子)に。「当初は衣装ケー
ス、電気スタンド、本棚、ロッカーもあ
った。衣装ケースと電気スタンドがな
くなり、今年度から3点になりました」
(当時の平砂事務のコメント)
第28回厚生会理事会
大学の交通安全委員会より、近隣住民の
自動車通学を制限する規則案(94年6月
1日に提出した案通りの内容)が送られ
てくる
トイレに鏡が設置される
「駐車場問題について」として、交通安
全委員会から送られてきた規則案を承認
「ループ道路水はけ改善の要請」
第29回厚生会理事会
第30回厚生会理事会。厚学委の提案した
ファーストフード店導入が決定
大学側の駐車場利用規則案を認める「駐
車場問題に関する規制について」が保留
否決される
「全学学類・専門学群代表者会議と厚生
会学生委員会との位置づけ」
第31回厚生会理事会
「クラブハウス前ループの排水溝清掃要
請に関して」
「駐車場規制の改善について」
第32回厚生会理事会
「厚生専門委員会の廃止および厚生委員
会の設立」仮承認
留学生宿舎5号棟(73戸)完成
第33回厚生会理事会
「平成7年度11月1日付けで施行された
駐車場の規制見直しについて」
第34回厚生会理事会
第35回厚生会理事会
「駐車場規制について」
第36回厚生会理事会。厚生会学生理事の
選出母体として厚生会学生委員会にかわ
り厚生会学生協議会を発足することが決
定
厚生委員会、厚生会学生協議会発足
第37回厚生会理事会
第38回厚生会理事会
第39回厚生会理事会
第40回厚生会理事会
平砂地区に設けられている柵が視覚障害
者の通行の邪魔となっていることについ
て、厚生委員会と学坦室で話し合い
第41回厚生会理事会
「駐輪問題について」提案
「駐輪問題について」再審議、可決
第42回厚生会理事会
大学新聞新歓号(204号)に「外線電話
は携帯があるから使わない人も多い」と
の紹介文が掲載される
7月6日 第43回厚生会理事会
1 0 月 1 8 第2回駐車場ゲート化の調査・検討WG
日
11月
学情への内線接続からのネット接続が不
可になった。大学から宿舎への内線が使
えなくなり、緊急時にこまるだろうとの
理由から。反対意見も多かった
1 1 月 1 5 第3回駐車場ゲート化の調査・検討WG
日
12月6日 第4回駐車場ゲート化の調査・検討WG
12月7日 一の矢地区駐車場に関する公聴会
1 2 月 1 3 平砂・追越地区駐車場に関する公聴会
日
76
全代会30周年記念誌
12月14
日
12月18
日
2001 ?
?
1月17日
2月7日
2月16日
3月12日
11月27
日
2002 ?
3月8日
7月8日
2003 5月21日
7月7日
7月29日
9月24日
9月26日
10月22
日
10月22
日
10月28
日
11月5日
2004 2月5日
4月
7月12日
2、3学期
10月24
日
10月27
日
11月
12月1日
12月10
日
2005 ?
1学期
5月13日
5月24日
6月7日
6月13日
6月15日
6月17日
6月20日
6月23日
7月1日
7月6日
第三学群地区駐車場に関する公聴会
大学新聞(210号)に「学内業者撤退相
次ぐ」との記事掲載
環境サークルエコレンジャーが試験的に
牛乳パック回収実施
一の矢コインシャワーの改修
第5回駐車場ゲート化の調査・検討WG
全代会「駐車場ゲート化に関する入構規
制について」を仮承認
第6回駐車場ゲート化の調査・検討WG
第7回駐車場ゲート化の調査・検討WG
第47回厚生会理事会。三学食堂からの近
鉄アルマックス撤退を認める
中央通信システム社、宿舎のADSL接続
サービス「宿舎ネット」提供開始
第48回厚生会理事会
第49回厚生会理事会
外灯特別委員会設置
第51回厚生会理事会
外灯特別委、学内の外灯不足箇所につい
て学生担当教官室長へ提出
「つくば市内における歩道の街灯に関す
る要望書」を議決
「つくば市内における歩道の街灯に関す
る要望書」をつくば市へ提出
「自転車駐輪場改善に関する話し合いの
要望書」
「つくば市内における歩道の街灯に関す
る要望書の回答について」
外灯問題について、つくば市オンブズマ
ンを通じて市に苦情申し立て
市、外灯問題について市長からの要望書
と全代会からの要望書を土浦土木事務所
へ提出
第54回厚生会理事会
一学食道、業者変更
第55回厚生会理事会
駐輪マナーアップキャンペーン
一の矢宿舎の警備員が巡回中に宿舎のマ
スターキーを紛失(一の矢マスターキー
紛失事件)
「宿舎の管理体制に関する要望」(一の
矢マスターキー紛失事件を受けて)
学内バスに関する公聴会開催
第56回厚生会理事会
副学長との懇談会で「図書館・学情サテ
ライト開放時間延長の要望」を厚生委か
ら提案
静脈認証システム導入工事、宿舎各棟に
メールボックス設置
駐輪マナーアップキャンペーン、ビラ配
布
「学生宿舎の静脈認証システム導入に伴
う個人データの扱いに関する説明の要
望」
吉池サービス、赤字を理由に大学内での
営業から11月24日での完全撤退を申し
入れ
厚生委、嵯峨先生(人間総合科学研究
科)にヒアリングを実施
厚生委、平砂浴場利用者数実地調査実施
全代会、「新規宿舎サービスに関する特
別委員会設立の要望について」を可決
副学長(学生生活)・学生生活課と厚生
委とのミーティング実施
平砂宿舎1、4、5、7号棟で静脈認証シ
ステム試験運用開始(6月29日まで)
新規宿舎サービスに関する特別委員会ミ
ーティング
新規宿舎サービスに関する特別委員会ミ
ーティング。意見交換会について
第58回厚生会理事会
7月7日
7月8日
8月5日
8月10日
9月
9月16日
9月21日
9月22日
9月29日
10月3日
10月4日
10月12
日
10月20
日
10月25
日
10月26
日
10月26
日
新規宿舎共用サービスに関する意見交換
会(追越・平砂食堂)
新規宿舎共用サービスに関する意見交換
会(一の矢食堂)、その後第2回学生生
活担当副学長、学生生活課とのミーティ
ング
一の矢宿舎で第2回静脈認証システム試
験運用開始(8月11日まで)
厚生委委員長、渋谷・生協本部でヒアリ
ングを実施
各宿舎で静脈認証システムに関する公聴
会実施
厚生会連絡委員および価格検討委員によ
る企画書検討1
厚生会連絡委員および価格検討委員によ
る企画書検討2
静脈認証システムについて学生生活課、
副学長(学生生活)、全代会で意見交換
実施。学生生活課から本運用実施の提案
「静脈認証システム全棟試験運用に関す
る要望」
委託候補業者を呼んでの意見聴取会
厚生会連絡委員および価格検討委員によ
る企画書検討3
第59回厚生会理事会.。新業者決定。
春日宿舎で静脈認証システムの運用開始
新業者との話し合いに向けて、連絡委員
会による打ち合わせ
新業者との話し合い
図書館情報専門学群クラス代表者会議が
「春日宿舎における静脈認証システムの
運用状態改善の要望」を提出
1 1 月 1 5 平砂共用棟がアスベスト対策工事の為使
日
用できない可能性を伝えられる
1 1 月 2 1 静脈認証システム、暗証番号による入棟
日
も可能に
1 1 月 2 4 吉池サービス学内撤退
日
1 1 月 2 5 Exサービス、各宿舎共用棟浴場営業開始
日
1 2 月 2 2 厚生会連絡委員会。新規業者の確認・契
日
約書締結および営業開始の日程の報告。
アスベスト問題によって売店の営業開始
時期が未定であることなども連絡され
た。EXサービスの平砂食堂も同工事によ
り一時営業ができなくなる懸念がある
1 2 月 2 6 静脈認証システムについてデジコム、AT
日
セキュリティ、学生生活課、施設部、学
生担当教員室、全代会による会議開催。
改良版の装置導入が報告される(その
後、新装置の導入は見送られる)
2006 1月22日 全代会、静脈認証システムの装置のチェ
ックを宿舎全棟で実施。99台中54台が
正常に動作していないことを確認
2月
静脈認証システムに関するアンケートを
配布。全1253票中、システム運営に賛
成200、反対716、条件付き賛成224と
の回答を得る
2月22日 「静脈認証システムの運用停止の要望」
2月23日 第60回厚生会理事会
3月9日 静脈認証システムについて副学長(学生
生活)、学生生活課、施設部、学坦室と
全代会で会議を開催。06年度初頭は暗証
番号での入棟管理を行うことで方針が一
致。大学から再度の試験運用実施の申し
入れ
3月16日 静脈認証システムについて副学長(学生
生活)、学生生活課、施設部、学坦室と
会議。全代会、試験運用実施に反対。大
学もこれを了承。
4月
学術情報メディアセンター、春日をのぞ
く宿舎各地区でワイヤレスメッシュネッ
トワーク(無線LAN)システム導入
4月
ホットスパー平砂、一の矢店営業開始
4月4日 Exサービス平砂食堂営業開始
5月12日 入棟管理システムについて全代会と大学
側での会議を開催。少なくとも06年度内
は暗証番号制で運用することで学生・教
職員合意。
9月4日 ホットスパー追越店営業開始
9月29日 第61回厚生会理事会
1 0 月 1 3 厚生委と施設部、学生生活課との話し合
日
い開催。自転車問題に取り組むWG設置
が決定。
1 1 月 2 6 全代会、入棟管理システムの装置のチェ
日
ックを宿舎全棟で実施。約3割の棟でロ
ックが解除されていることを確認
1 1 月 2 9 第1回自転車交通WG開催
日
12月1日 第1回学生宿舎改善WG
1 2 月 1 3 第2回学生宿舎改善WG
日
1 2 月 1 4 第2回自転車交通環境WG
日
1 2 月 1 8 副学長との懇談会でごみ問題について教
日
職員に提案
1 2 月 2 1 厚生会連絡委員会
日
1 2 月 2 1 第3回自転車交通環境WG
日
1 2 月 2 6 第3回学生宿舎改善WG
日
2月5日 第1回自転車交通環境ワークショップ
3月8日 静脈認証システムについて副学長(学生
生活)、学生生活課、施設部、学坦室と
会議。08年度も暗証番号方式で運用する
事を確認
3月9日 第2回自転車交通環境ワークショップ
全代会30周年記念誌
77
全代会と情報技術
全代会のウェブサイトが初めてできたのは 98 年。しかし、このときは大学公式のものではなく、個人のアカウント
で公開していた。00 年度に三系と協力し Web ページ学生委員会が発足し、大学の公式ウェブサイトとして公開するた
めの土台を作った。01 年度から全代会のウェブサイト大学の公式ウェブサイトとして公開している。
現在、全代会では情報特別委員会を発足し、TWINS など学内での情報技術関係の問題に取り組んでいる。
INFORMATION TECHNOLOGY
全代会公式ウェブサイトの公開
ウェブサイトの公開は叶わなかったものの、年度末には議長団
のウェブサイトとして、議長の教育用計算機アカウントにウェ
昨今ではコンピュータの普及と一般家庭での通信環境の高速
ブサイトを作っていたようだ。
化により、インターネットでの情報発信は当然になってきてい
ところが、翌 99 年度にはほとんど全代会のウェブサイト
る。
全代会でもウェブサイトを公開し情報発信を行っているが、
についての話題はなくなってしまう。唯一、99 年度発行の
その実現には様々な経緯がある。
『Campus』132 号で広報委員会のウェブサイトとして http://
筑波大学では、学生のアカウントで個人のウェブサイトを公
www.ipe.tsukuba.ac.jp/~s981972/zendaikai/ と い う URL が 紹
開できるシステムが存在する。全代会も当初はこのシステムを
介されているのみである。
詳しい理由はよくわからないが、ウェ
利用して個人のウェブサイトとして情報発信を行っていた。例
ブサイトについて熱心に活動していた人物が議長に選出され、
えば 98 年当時の『Campus』128 号(98 年 11 月 18 日発行)では、
激務の中でウェブサイトのことを忘れてしまったのかも知れな
厚 生 委 員 会 の ウ ェ ブ サ イ ト と し て http://www.ipe.tsukuba.
い。
ac.jp/~s970605/kousei/kousei.html と い う URL が 紹 介 さ れ て
00 年度になると再び公式アカウントに関する話題が復活す
いる。しかし、この公開方法にはアドレスが分かりにくい事
る。学担室を中心に検討が進み、1 学期のうちに三系と全代会
や大学のウェブサイトからリンクされていない等の不満があっ
によるウェブページワーキンググループが設立、運用規則の検
た。
討が行われる。この段階では、00 年度内には筑波大学の公式
そこで、98 年 10 月 14 日の懇談会にて「全代会の公式アカ
ウェブサイトとして新体制での公開がなされる予定であった。
ウントの設置について」が議長から議案として出された。これ
10 月には検討結果として「学生ウェブページ運用に関する申
は全代会の公式アカウントを学術情報処理センター(学情)の
し合わせ」と「学生団体におけるインターネット利用規則の申
サーバに置くこと、筑波大学・学情のウェブサイトから全代会
し合わせ」の案を作成、大学との最終決定に向けた話し合いが
のウェブサイトにリンクを貼ることを要請するもので、この時
行われる事となった。申し合わせには、大学公式の学生ウェブ
は全代会のみならず三系と合同で申請してはどうか、などの意
サイトの監督等を行うため、三系と全代会によって組織される
見が出され否決された(折しもその年の課外活動連絡会にて、
団体として Web ページ学生委員会を設立する事が盛り込まれ
サークル用のアカウントが欲しいという議論がなされていた)
。
た。ウェブサイトを更新する度に大学の許可を求めるかどうか
同年 11 月 11 日には「全学学類・専門学群代表者会議の公式
が懸案事項となったが、結局「大幅な更新の場合は Web ペー
アカウント設置に関して」が承認された。これは全代会及び学
ジ学生委員会の許可を必要とする」事とし、簡単な更新の場合
実委の公式アカウントとして9メガ用意すること、筑波大・教
は同委員会へ報告する事となった。掲示板の設置が認められる
育用計算機センターのウェブサイトから全代会・学実委のウェ
のかも検討されたが、これも最終的に認められた。
ブサイトにリンクを貼ることを要請するもので、三系について
全代会ではこの申し合わせ案を「筑波大学学生団体ウェブサ
は特に触れていない。結局、年度内にはアカウントの取得や
イトについて」
(運営専門委員会)として 11 月 1 日の本会議に
77
全代会30周年記念誌
て承認した。三系でも同申し合わせを認め、申し合わせの最終
た。全代会はすでに STB サーバのウェブサイトは更新してい
案が決定した。こうして作成された申し合わせは「学生組織等
なかったので被害はなかったが、6 月 6 日に STB サーバは停
におけるウェブページに関する申し合わせ案」として 12 月 1
止された。この事件により、すでにすっかり忘れ去られていた
日の学生生活審議会に提出、承認されたのであった。
Web ページ学生委員会が、当時文化系サークル連合監事であっ
この結果、「キャンパスライフ Web ページ委員会に関する
た古畑俊一郎(06 年度工学システム学類卒業)をリーダーと
申し合わせ」「学生組織等における Web ページに関する申し
して招集された。各サークルへの連絡や対応策の検討が一段落
合わせ」「学生組織等における Web ページに関する申し合わ
すると、
「学生組織等における Web ページに関する申し合わせ」
せ要領」が制定され、Web ページ学生委員会の設置も定めら
の改定も行われた。申し合わせ中の、筑波大学公式ページにリ
れた(キャンパスライフ Web ページ委員会は、学生部職員と
ンクする事を制限するかのような表現などが修正された。
学担教官室員にて構成され、学生のウェブサイトに関する監督
STB サーバの再構築がおこなわれた 05 年度後半、
全代会ウェ
を行う委員会である)。01 年 2 月には全代会と三系が「Web ペー
ブサイトを再び sakura から STB サーバへ移行した。sakura
ジ学生委員会」を発足させた。三系と全代会が共同で組織を作っ
サーバの使用には年数万円の使用料がかかっていたのだが、年
たのはこれが初めてであった。
度末に全代会の予算に関する検討を行うまで当時の構成員はこ
01 年 4 月 9 日から、三系と全代会のウェブサイトが大学公
れを把握していなかった。ウェブサイトの公開に利用しなく
式ウェブサイトとしてスタートした。セキュリティ面などの理
なった事もあり、sakura サーバのアカウント自体を削除して
由から筑波大学のウェブサイトからのリンクは遅れたが、6 月
経費削減を図った。
4 日にはリンクされた。全代会公式ページのアドレスは http://
STB サーバ移行後はウェブサイトを wiki にし、構成員各自
www.tsukuba.ac.jp/campuslife/sZendaikai/ で、2 学期からの
が更新できるようにした。06 年度もこれをそのまま使用して
『Campus』編集電子化に伴って「Online Campus」のコンテン
いる。現在、広報委広報制作部で新ページの作成が進んでい
ツをページ内に設置、『Campus』の記事を閲覧できるように
る。また、
06 年度に立ちあがった情報特別委員会(詳細は後述)
なった。また、この年には学情からレンタルしている sakura
もシステム面からのサポートを行っている。
サーバを使用して、http://sakura.cc.tsukuba.ac.jp/~zdk/ とい
開設後、ほぼ年度ごとに公開方法やサーバが移り変わって
うアドレスにて「全代会の裏のページ」というタイトルで内部
きた全代会ウェブサイト。紆余曲折を経てきたが、最近では
向けに議事録等をアップロードしたウェブサイトも開設してい
web ページを見た学生からメールフォームを利用して全代会
た。
に意見が寄せられることも多く、全代会にとって重要なツール
しかし 02 年度には全代会の大学公式ウェブサイトは更新を
の一つとなっている。今後は利用者が使いやすいウェブサイト
停止してしまう。代わりにこの年サークル等の学生団体向け
を模索するとともに、安定した運用体制を築いていくことが求
に学生担当教官室が設置した STB サーバへ移動する。URL は
められる。
http://www.stb.tsukuba.ac.jp/~zdk となり、こちらに「Online
Campus」が設置された。しかし、大学からのリンクは変更さ
TWINS
れなかったため、更新されていないウェブサイトが見えている
状態になってしまっていた。
98 年 1 月より筑波大学では電子図書館システム「Tulips」
03 年度には 10 月に sakura サーバのページを再び更新し
がスタートした。これに影響を受けてか、98 年度に教育委が
はじめ、デザインも大幅に変更された。大学からのリンク
「Isis 計画」としてシラバスのウェブ化を目指した活動を行っ
も sakura サ ー バ へ 変 更 さ れ た。STB サ ー バ 上 の「Online
ていたが、
コンピュータに関する能力の無さから失敗している。
Campus」も継続された。
00 年度から、ネットワーク上での履修申請などを可能にす
04 年度もそのまま sakura のアカウントを使用し続ける。し
るシステムとして、約 1 億 5000 万円の費用を費やし新学務シ
かし、この年は広報委と運営委で「web 局」を組織し、共同
ステム(愛称 TWINS)が導入された。導入当初は学生教職員
でウェブサイトを管理するという変則的な体制をとったこと
ともに不慣れな事もあり多少の混乱があったようだが、紙ベー
もあってか、STB サーバで公開されていた「Online Campus」
スでの事務処理に比べれば処理のスピードや手軽さなどの点で
は更新が停止された。
概ね良くなったと言える。
05 年度に入ると再び広報委のみでの管理に戻り年度当初は
しかし、セキュリティ面では課題も多い。02 年 10 月には、
更新されていたものの、担当者が学園祭実行委員会副委員長を
学内であれば他人の顔写真を自由に閲覧できてしまうというセ
兼務しており多忙となったためにウェブサイトの更新が停止
キュリティホールが発見され、新聞記事にもなった。これ以外
されてしまう。この年、STB サーバがクラッキング被害に遭
にも様々な脆弱性が発覚しているが、いまだに解決されていな
い、一部サークルのウェブサイトが書き換えられる事件があっ
い。また、学外から利用出来ない事やインターフェースが悪く
全代会30周年記念誌
78
使いづらい事、休講情報等を登録する掲示板が存在する物の全
く使われていない事など、社会的にウェブでのサービスが一般
化し、洗練されている現在では時代遅れのシステムとなってい
る。
筑波大学には全代会を含めこういったセキュリティホール
のような技術的な問題に取り組む全学的な学生組織がなく、
TWINS 自体の使用感等についても大きく取り扱っては来な
かった。そこで全代会は 06 年度に新たに情報特別委員会(情
報委)を立ち上げ、専門的な知識を持った学生を集め、学内の
情報環境改善に取り組むこととした。
情報委は活動の手始めに TWINS の問題点について副学長等
との懇談会にて指摘、システムの抜本的な改善を求めた。この
活動は今後も継続される予定である。
その他
その他にも 06 年度の情報委は学内諸施設の営業時間を掲載
したウェブサイトの開設や、全代会記念冊子制作のためのソフ
トウェア開発、情報化推進室と協力しての筑波大学ウェブサイ
トニューアルなど、幅広い範囲について活動し、いくつかの成
果をあげた。06 年度は委員 3 人という少数精鋭体制で活動に
臨んだが、07 年以降はより多くの IT 技術を持った学生に声を
掛け、さらに活動の幅を広げていく予定だ。具体的には 06 年
に宿舎への試験導入が開始されたワイヤレスメッシュネット
ワークの更なる改善や、06 年に問題になった Winny による大
学からの個人情報流出などのセキュリティ問題などについて、
教職員と協力しながら活動していく。
また、全代会室(1C204 教室)の IT 環境整備も情報委の課
題のひとつだ。PC のメンテナンスなどの技術的な作業に加え、
現在 00 年分までしか電子データ化されていない過去の資料の
遡及入力についても必要性が指摘されており、今後情報委主導
のもとなんらかの対応をとることが求められている。
今後、大学・社会の IT 化はいっそう進行していくことが予
想され、それに伴い情報委に対する期待も全代会内で高まって
いる。活動の成果次第では特別委から常任委員会に昇格するこ
とも見込まれており、これからの情報委の活動が注目される。
79
全代会30周年記念誌
事件簿
学園祭闘争
大学新聞事件
事件簿~学園祭闘争~
76 年の設立から 80 年代半ばまで、 全代会は学園祭を巡って様々な問題を抱えていた。 全代会分裂、 学担室との対立、 怪文
書流布、 学生処分――これらの事件の陰には何があったのか。 全代会史上最大の事件、 「学園祭闘争」 の実態に迫る。
1974
1975
9月
10 月
12 月
4月
10 月
1976
11 月
4月
1977
3月
1978
1979
9月
5月
10 月
1980
11 月
6月
7月
10 月
10 月
1981
4月
1982
10 月
2月
1983
3月
9月
1984
3月
6月
10 月
1985
6月
学園祭をつくろう会 発足
クラス・サークル代表者会議 発足
学園祭実行委員会 発足
全学学類等代表者会議 発足
大学 「学園祭に関する基本方針」(三方
針)を発表
第1回学園祭(紫桐祭)開催
全学学類等代表者会議、全学学類・専門
学群代表者会議と改称(全代会発足)
「学園祭実行委員会についての細則」施
行
方はそちらを参照していただきたい。ここでは学園祭闘
運営専門委員 全員罷免
議長団選挙を巡る混乱
学園祭開催を求める学生らが本部棟内で
座り込み強行
基礎工学類長軟禁事件(三浦事件)発生
「学園祭に関する学園祭委員長コメント」
(浅田コメント)発表
厚生補導審議会で学園祭の中止決定
厚生補導審議会、学園祭の中止を再確認
学園祭実行委員会、学園祭の中止を受け
入れ(第1回学園祭中止)
全代会、大学への企画リスト提出を認め
る(4.22 決議)
厚生補導審議会、学園祭の開催を決定
時間制限を無視した企画実施について、
全代会議長・学園祭実行委員長に厳重注
意
「三里塚闘争勝利集会」実施学生に訓告・
停学処分
全代会、4.22 決議を撤回、大学への企
画リスト提出を拒否
が、複数資料間での記述に差がある場合は担当者がより
大学、「学内規則の遵守・必要手続きの
履行」(二条件)を学園祭の開催条件と
して提示
厚生補導審議会、学園祭中止を決定
学園祭開催を求める学生が本部棟前で座
り込みを行うも、機動隊により排除(第
2回学園祭中止)
75年4月、筑波大学は「全学学類等代表者会議」(全
全代会、二条件を受け入れた学園祭基調
を採択(6.20 回答)
争それ自体ではなく、学園祭闘争に全代会が与えた影響
と、学園祭闘争が全代会に与えた影響について見てい
く。ただし、先の資料と重複する場合も、必要と思われ
る事柄については記載した。
本文中での記述は基本的には全代会の資料に基づく
信用できると考えた資料の記述を採用している。
1975年度
「学園祭をやろう」という声は74年、筑波大学1期生
入学直後の夏にすでにあがっている。同年秋には学生有
志が中心となって学園祭に関するクラス・サークル代表
者会議が発足し、12月には学園祭実行委員会(実行委員
会)が立ち上がった。当時まだ実行委員会は非公式組織
だった。
代会の前身、以下「代表者会議」)を発足させると同時
に、学園祭を代表者会議の管理化におくことで学則に組
み込み、公式行事とした。こうして第1回学園祭「紫桐
祭」は実施に向け動き出した。
順調に見えた学園祭の準備だが、最初の問題はその直
はじめに
後に起こった。「文教政策についての五党討論会」など
10以上の企画について大学から「建学の理念*3に合わな
「学園祭闘争」については紫峰会*1[筑波大学学生後
い」とクレームがついた。
援会]発行の『とりあえず 筑波大学 課外活動十年史』
「学則に違反しないし、学問的活動の一環である」と
*2
いう実行委員会の主張は受け入れられず、10月2日には
で詳しく述べられている。闘争全体について知りたい
*1 紫峰会……筑波大学学生後援会。課外活動・学生生活の支援や筑波大学グッズ(UTグッズ)の販売などを行うほか、課外活動資料室を
置き、サークルや学生組織に関する資料を編集・発行してもいる。
*2 『とりあえず 筑波大学 課外活動十年史』……紫峰会課外活動資料室が、開学後十年間の筑波大学の課外活動についてまとめた冊子。
1993年発行。
全代会30周年記念誌
83
「学園祭に関する基本方針」(いわゆる「三方針」)が
内容についても大学側からクレームがつくことはなく、
大学から発表された。これは「①筑波大学の建学の理念
学園祭の準備は平和的に進んでいった。
に沿い、建設的な内容のものとすること ②単なる遊び
10月、予定通り第2回学園祭が開催された。この年か
や祭りさわぎに終わるものであってはならない ③最終
ら名称が雙峰祭となっている。プレ企画から本祭まで11
的な企画を決定する前に、大学側と十分な協議を行うこ
日間に渡った学園祭は、期間・規模などの点で前年を上
と」を学生に求めるもので、先にあげた企画は①に反す
回るものであったが、「企画に深みがない」といった批
ることから「望ましくない企画である」ということにな
判の声もあった。学生が初めから問題視されるような企
った。
画を出さなかったことを「自主規制」と蔑む意見もあっ
実行委員会はこれらの企画に関する問題を代表者会議
た。しかし、なにはともあれ76年の実行委員会と全代会
にかけ、代表者会議はこの問題の広報活動を行うととも
は、大きな問題を起こさずに学園祭を実施してみせた。
に、各クラスでの討論に答えを委ねることとした。
75年から84年の10年間において、実施不許可企画も出さ
しかしクラス討論での結論が出る前に大学は「学園祭
ず、学園祭後に大学から処分または厳重注意される学生
は課外活動の一環であるから、大学の方針に従わない場
も出さなかったのは、76年の一度きりであった。
合は援助することはできない」として、学園祭に関する
学生課*4の事務を停止させた。これを受けて実行委員会
1977年度
は問題となった企画を取り下げることを決め、代表者会
議もこれを了承し、問題となった企画は実施されないこ
77年3月1日、「学園祭実行委員会についての細則」が
ととなった。
施行された。これにより実行委員会は正式に全代会の下
11月1日から3日にかけ、筑波大学ではじめての学園祭
部組織*6として認められるようになった。全代会でも学
が開催された。「学園祭実施」という学生の要望は実行
内行事専門委員会が立ち上げられ、学園祭の監督と大学
委員会と代表者会議によって果たされたが、これは不許
側との協議を担った。
可企画という犠牲を払った結果のものであり、そのこと
順風のうちに進んでいたかに見えた学園祭だったが、
に一部の学生からは批判の声も出た。
この年再び不許可企画の問題が持ち上がった。「筑波大
大学の管理下で穏便に学園祭を実施するか、あくまで
学を考える会」が企画した羽生五郎氏講演会と討論資料
自由な学園祭を目指すか。その後10年間、全代会はこの
用パンフ「新構想筑波大学の本質」の配布に大学から規
2つの選択の間で揺れ動くことになる。
制が入った。前者については条件付で実施が許可された
が、パンフの当日配布は結局許可されなかった。
1976年度
上記のような問題は起こったが、全代会は特に関わっ
てなかったらしく、学園祭当日も全代会主催企画の運営
76年4月、「全学学類等代表者会議」は「全学学類・
に努めるなど、比較的暢気に過ごしていたようである。
専門学群代表者会議」と改称され、全代会が成立した。
しかし、それもこの年までだった。翌年以降、全代会は
6月2日に行われた第1回全代会(当時はまだ本会議・
学園祭闘争の舞台の一つとなっていく。
意見聴取会の区別はない)では学園祭準備担当が選ば
れ、学園祭の準備が始まった。
1978年度
実行委員長が全代会構成員から選ばれたほか*5、学園
祭担当ら全代会構成員3人がオブザーバーとして学園祭
75年に「三方針」が発表されて以来、大学は毎年これ
の準備に参加するなど、76年実行委員会は全代会との結
を学生に確認していた。78年も5月に「三方針」が改め
びつきが特に強かった。この年、実行委員会は学園祭の
て発表されたが、学生の反応はそれまでと異なるものと
準備・運営のための事務作業に徹し、前年のように問題
なった。
となる本部企画を立案することはなかった。学生企画の
全学生の意向を反映した学園祭を目指そうとした78年
*3 建学の理念……「本学は,基礎及び応用諸科学について,国内外の教育・研究機関及び社会との自由,かつ,緊密なる交流連係を深め,
学際的な協力の実をあげながら,教育・研究を行い,もって創造的な知性と豊かな人間性を備えた人材を育成するとともに,学術文化の進展に
寄与することを目的とする。
従来の大学は,ややもすれば狭い専門領域に閉じこもり,教育・研修の両面にわたって停滞し,固定化を招き,現実の社会からも遊離しがち
であった。本学は,この点を反省し,あらゆる意味において,国内的にも国際的にも開かれた大学であることをその基本的性格とする。
そのために本学は,変動する現代社会に不断に対応しつつ,国際性豊かにして,かつ,多様性と柔軟性とを持った新しい教育・研究の機能及
び運営の組織を開発する。更に,これらの諸活動を実施する責任ある管理体制を確立する。」(筑波大学ウェブサイトより抜粋)
不許可企画がこの理念のどこに反するのかは不明。
84
全代会30周年記念誌
実行委員会は、「三方針」に関する質問書・意見書を全
作成)の管理を任された運営専門委員会がクラス討議開
代会に提出した。質問書の内容は「学園祭の三方針が決
催に反対し、配布資料の確認・承認を行う予定だった9
定する前に、その意思形成の過程で、学生の意向が何ら
月20日の全代会に資料を提出しなかったため、クラス討
かの形で反映されたのかどうか」「もし、反映されたと
議は開催されなかった。この運営専門委員会の反抗に
するならば、どのような意向がどこから出され、どのよ
対し、議長は運営専門委員を全員罷免することで応酬し
うに反映されたか」の2点で、意見書は三方針について
た。こうした混乱は年度内に解消されることはなく、4
異議を述べるものだった。
月早々新たな事件を起こすことになる。
全代会は意見書・質問書を承認、7月21日の厚生補導
審議会*7に提出した。これに対する回答は9月13日に学
1979年度
*8
生担当教官室 (学担室)を通じて成された。回答内容
は「三方針は学園祭に対する指導方針であり、学生の意
不許可企画問題をめぐる全代会の内紛は79年度初頭に
見を聴取したものではない」というもの。意見書の内容
ピークを迎えた。大学との対話による解決を目指すグル
が反映されることはなく、大学と学生の間の溝は深まっ
ープと実力での企画実施を目指すグループ、それぞれの
ていった。
有力者が議長選挙に立候補した。 さらにその直後、「'78 筑波大学を考える会」が主催
両者は票を二分し、ともに細則上の当選要件である構
する「家永三郎氏講演会」、「三里塚と水俣を上映する
成員の絶対過半数*9を得ることができなかった。審議の
会」主催の「三里塚辺田部落映画上映会」などの企画に
末、上位得票者であった押元和美(78年比較文化学類入
ついて、大学側からクレームがつけられた。
学)が議長となったが、正式な手続きを経ていなかった
前年度は大学のクレームに対し特に動かなかった全代
ため学担室から再選挙を行うよう要請があった。
会だが、この年はクレームを撤回することを要請し、大
学側と協議した。結果、上映会は内容変更により実施を
許可されることとなったが、講演会については参加を取
り消されることになった。 不許可企画問題への対応を巡って全代会は2派に分
裂・内紛を始めた。話し合いによる解決を目指す学生と
企画の強行実施を望む学生の分裂はそれ以前からあった
が、不許可企画への対策のために開かれた討議(クラス
討議)を機に一気に表面化した。
このクラス討議は、7月21日の決定の撤回を求める要求
を厚生補導審議会に提出するために開かれるはずのもの
だったが、クラス討議開催決定後に「クラス討議でなに
をすればいいのかわからない」という声が全代会構成員
内からあがった。再審議要求も出されたが当時の議長は
これを拒否。そもそもクラス討議の開催の決議が挙手で
なく拍手によってなされたことから、決議自体の正当性
も問われ、ついには議長解任請求が出されるに至った。
解任要求が審議の末に否決されると、今度は副議長が議
長との不和を理由に辞意を表明した。副議長の辞任も否
決されたが、これ以降全代会は内紛状態に陥った。
結局、クラス討議の配布資料(広報委員会と議長団で
学生担当教官室に抗議する怪文書
*4 学生課……学生部学生課。課外教育、学生生活などを担当する事務組織。学生部には他に宿舎などについて扱う厚生課があったが、現在
は学生生活課に一本化されている。 *5 実行委員長が全代会構成員から選ばれたほか……現在は規則により、全代会構成員が学園祭実行委員になることは出来ない。
*6 下部組織……正式には下部機関。「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等について」の中で全代会が下部機関を置くことがで
きることが定められており、現在、学園祭実行委員会、スポーツ・デー学生委員会が存在する。広報委員会、厚生委員会(現・生活環境委員
会)も2006年までは下部機関だったが、07年度から規則の改正により下部機関ではなくなった。
全代会30周年記念誌
85
しかし全代会は要請を拒否。押元が実力行使グループ
園祭開催要請についての回答」が厚生補導審議会より出
であったこともあり、大学による実力行使グループ排除
された。これにより「全代会で学園祭方針を7月11日ま
ではないか、との批判の声が構成員から上がった。「学
でに決定し、その中で企画概要の一覧(企画リスト)の
担の不当な干渉に抗議する」と称する怪文書が出回り、
提出を確認すれば学園祭は開催する。今までのような企
学担室のみならず穏健派路線を目指すグループへの誹
画つぶし・内容干渉はしない」という姿勢が大学側から
謗・中傷が広まった。
示された。
学園祭自体を巡る闘争もまた激化した。顧問教官制
しかし全代会はこれを受け入れなかったため、7月11
(当時参加企画は顧問を立てることが定められてい
日の厚生補導審議会で学園祭の中止が決まった。準備が
た)・企画内容審査の廃止などを求めて学園祭実行委員
進んでいたこともあり2学期も継続して協議することに
会が大学と対立、全代会はそれについて学生の意見を集
はなったものの、企画団体責任者総会(学園祭参加企画
約しようとしたものの、クラスでの討論が進まないまま
の責任者の集まり。現在の企画団体責任者連絡集会にあ
時間だけが過ぎた。
たるが、当時は実行委員会からの連絡のみでなく、学園
10月17日、大学は学園祭を学則に沿って行うことを決
祭に関わる事柄について責任者間での話し合いも行って
めた。これに反発する学生は抗議集会を繰り返し、10
いた)で「当局による学園祭改変反対決議」や「対当局
月30日には大学本部棟前に150人の学生が集結した。当
要求項目」が決議されるなど、ここでも話し合いによる
時、本部棟内は立ち入り禁止だったが、一部の学生が地
学園祭開催を模索する学生と対決姿勢を崩さない学生の
下道を通って内部に潜入、職員と乱闘を起こしはじめる
足並みがそろわず、結局10月17日、厚生補導審議会はこ
と、周辺の学生もガラスを破るなどして一斉に棟内に入
の年の学園祭を中止すること再確認した。
って、座り込みを始めた。事態の収拾をはかった大学は
全代会はこの決定を覆すことも、実力で学園祭を開催
11月1日、「今回の学園祭は定められた手続きに則って
することもできなかった。企画団体責任者総会が行った
いないが、本年度に限り許可する」とする異例の開催許
全学ストライキ・授業ボイコット投票も支持率20%と失
可を学長決裁により決めた。
敗に終わり、ついに10月31日、学園祭実行委員会は学園
翌11月2日から学園祭は無事実施された。しかしその
祭の中止を受け入れた。1度目の学園祭中止である。 後、一連の闘争についての調査を行っていた職員と学生
が口論を起こし、基礎工学類(現・工学基礎学類)長が
1981年度
6時間にわたって軟禁される事件が起こった。全代会は
事件に加わった学生への処分反対決議を大学側に提出し
前年度1月以降、副学長との懇談会などを通じ全代会
たが受け入れられず、軟禁に加わった学生ら18人が処分
は81年度学園祭の実現に向けて動き始めていた。実際
を受け、うち7人は無期停学となった。また、処分の告
に学園祭が中止されたことが、学生側の態度軟化を招い
示を剥がそうとした学生が私服警官に公文書遺棄の現行
た。4月22日には浅田コメントを認め、大学に企画リス
犯で逮捕されるという事件まで起こった。学園祭終了後
トを提出することを認める決議(4.22決議)を前年度全
も学園祭を巡る大学と学生の衝突は激化の一途を辿って
代会が下し、学園祭は実現に向け動き始めた。5月28日
いたのである。
に大学側から「学生規則で定めた政治活動の禁止は、既
存の政党に限らず政治団体も含む」というコメントが出
1980年度
され全代会が撤回要求をするなど多少の混乱はあったも
のの、10月2日の厚生補導審議会で学園祭の開催が決定
前年度の闘争の影響が注目されるなか、6月13日に
した。
「学園祭に関する学園祭委員長コメント」(通称「浅田
開催が決まった後、問題となったのは時間制限だ。国
コメント」)が浅田学園祭委員長(「実行委員長」では
有財産管理規定に基づき企画実施時間を9時(特別企画
ない。教職員側の学園祭担当)より、6月21日には「学
のみ10時)とする大学と、「時間変更は企画に対しての
*7 厚生補導審議会……当時筑波大学にあった3つの審議会の一つ。主に学生生活に係る事項について扱う。
*8 学担室……学生担当教官室(04年度以降、国立大学法人化に伴い「学生担当教員室」と改称)。全代会など学生組織に関して扱う教職員
の組織であり、議案等も全てここを経由して大学に提出されている。07年度以降、学生生活支援室と統合予定。
*9 絶対過半数……全代会構成員全員の過半数。副学長など、全代会外に向けた議案を議決する際は絶対過半数の承認を必要とする。これに
対して構成員各位向けなど、全代会内に留まる議案を議決する際は出席者の過半数(相対過半数と呼ぶ)の承認があれば良い。
86
全代会30周年記念誌
内容干渉」とする学生の主張が平行線をたどった。結局
の決定に抗議文を提出するとともに、2企画を強行する
一部の企画が時間制限を無視して強行実施され、学園祭
ことについての賛否を問う全学討論を行った。しかし討
終了後、企画責任者に加えて学園祭実行委員長と全代会
論の結果をまとめられないまま学園祭当日を迎え、全学
議長にも厳重注意が言い渡された。
での同意を得ずに2企画は強行実施された。
このようにいくつか問題はあったものの、81年度はそ
大学は「三里塚~」を実施した学生らに後日訓告・停
れまでの3年間に比べれば平和な1年だった。しかし、こ
学などの処分を下した。学園祭闘争を巡り処分者が出た
の平和はつかの間のものに過ぎなかった。
のは79年度以来のことだった。
1982年度
1983年度
時間制限の問題は82年度の全代会にも引き継がれた。
数年ぶりに政治活動に対する大学側からの介入が行わ
基本的には時間制限を守り、制限を超える場合は全学で
れたことは学生の間で大きな反響を呼んだ。全代会でも
協議の上同意を得られた時は実現するよう努力する、と
9月以降、全学での討論を開き内容干渉への対応の協議
いう方針が立てられた。全代会には学園祭を対立抗争の
を始めた。
場とするつもりがないことも決議され、平和路線が続く
9月14日、全学討論の結果が出ないうちに、全代会
かに思われた。
は学園祭参加企画リストの提出を認めた81年度の決議
しかし問題は起こった。2学期に入り学園祭参加企画
(4.22決議)を撤回した。同日中に学園祭実行計画書も
リストを大学側に提出した結果、「セミナイト上映会」
審議され、その結果企画責任者や企画内容を明確にしな
「ストリートファイトコンサート」「三里塚闘争勝利
い企画リストが大学に提出された。
集会」の3企画について許可を出すことが保留されたの
全代会の決定に対する大学側の反応は冷静だった。9
である。前2企画については時間制限に抵触していたた
月16日に行われた厚生補導審議会は「4.22決議撤回の結
め、「三里塚~」に関しては「特定の政治的目的を実現
果、学園祭は80年度と同じ中止状態に戻るものである
する活動である」ことが問題とされたためだった。
が、企画準備が進んでいることもあり今回はテストケー
当初は大学・全代会ともに話し合いでの解決を望ん
スとして開催を許可する。全代会は10月1日までに正式
だ。3企画とも交渉が持たれることになり、その結果
な企画リストを提出するように」として83年度の学園祭
「セミナイト~」については時間変更の上許可が出され
開催を許可した。しかし全代会は企画リストを提出せ
た。しかし「ストリート~」は最低で
も深夜までかかると主張し譲らず、
「三里塚~」は話し合いの場に参加し
なかった。
大学側と全代会の議論は平行線を辿
った。全代会は大学側の要求が前年度
の合意以後に出された制限と大学を批
判、一方の大学は開学以来の方針と主
張した。特に「三里塚~」については
話し合いに応じなかったこともあり、
「破壊活動が明確である」として大学
側は強い不信感を示した。結局「スト
リート~」、「三里塚~」の2企画の
参加許可は下りなかった。全代会はこ
大学本部棟に押し寄せる学生たち
*10 学園祭基調……学園祭の位置づけや学園祭全体の方針などを定めたもの。82年から学園祭実行計画書と分けて審議されるようになり、
86年にそれまで曖昧だった基調を「学園祭の理想像を描いたもの」と定めた。しかし88年以降、基調に相当するものは審議に上っていない。
*11 副学長との懇談会……「筑波大学の学生組織等について」(05年度以前は「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等に関する
要項」)という規則の中で、全代会と学生生活担当の副学長が意見交換の機会を持つことが定められており、年によって差はあるがだいたい
年1回程度、懇談会という形で意見交換を行っている。通常は全代会側が事前から準備してきた議題について意見交換を行うに留まることが多
く、差し迫った問題についての交渉の場として開かれることは少ない(84年は異例)。
全代会30周年記念誌
87
ず、その結果この年の学園祭は開催されたものの、次年
1985年度
度以降の学園祭は中止状態とすることが告示された。
全代会は「今回の方針は学生の総意」とする声明を11
85年度に入り、全代会は「'85学園祭基調(案)」、
月9日に可決。しかしそれ以降具体的な行動をとらなか
「学園祭に関する見解・要請(案)」を全学討論にかけ
った。年度末には「学内諸規則の遵守・必要手続きの履
た。これらは前年度、二条件を拒否した方針を踏襲し
行」を学園祭開催の条件とする「二条件」が大学から提
たものであった。しかし学生の間では「まずは学園祭の
示され、翌年度以降の全代会ではこれを認めるか否かが
場を確保せよ」という意見が多く、これらの案は否決
論議されることとなった。
又は保留否決 *12された。対案として出された多くの案
の中から比較文化学類が提出したものが6月19日の全代
1984年度
会で採択され、6月20日、大学側に提出された(6.20回
答)。
前年度に出された学園祭中止の告示は全学生の関心
6.20回答は企画干渉には反対しながらも、二条件を受
を呼んだ。全代会は5月16日から学園祭実行委員会提出
け入れるものであった。これを受け厚生補導審議会は6
の「学園祭基調」
*10
を全学での討論下に置いた。この
「基調」は83年度路線(大学による企画内容干渉の拒
月21日、学園祭中止状態の解除を決定。学園祭は再開に
向け動きはじめた。
否、4.22決議撤回、企画リストの提出拒否)の継承を謳
うものだったが、全学討論の末に全代会はこの基調を可
それから――
決した。続いて前年度大学から提示された「二条件」を
拒否することも決まり、この段階で大学承認下での学園
それ以後も学園祭を巡る混乱は完全に消えたわけでは
祭開催は不可能となった。
ない。86年度には企画団体責任者総会と全代会の間に対
以後、議論は実力行使による学園祭開催の方向へ進
立が生じるなど、幾つかの問題も生じている。しかし、
み、学園祭をめぐる混乱は拡大した。これらの方針には
6.20回答以降に問題となるのは学園祭の実施時期や休講
不信感を募らせる学生も数多く、学生の学園祭離れが進
措置 *13についてであり、政治的企画を巡って教職員と
む。
学生が対立することはめったに起こらなくなった。事実
6月22日、厚生補導審議会で学園祭中止状態の継続が
上、学園祭闘争は6.20回答の提出をもって終結したと言
決まった。2学期以降、全代会は開催の承認を得るため
える。
に大学と公開交渉を持つことを求め、10月9日、18日の
長い闘争の果てに、全代会は政治性を犠牲にしてでも
2度に渡って副学長との懇談会
*11
が開かれた。しかし二
教職員と協調し学園祭を開催する道を選んだ。それから
条件を認めるよう求める大学と撤廃を求める学生との話
20年。現在、筑波大学学園祭「雙峰祭」は来場者のべ約
し合いは平行線を辿った。全代会側は学長と公の場で直
3万人を誇る、関東最大規模の学園祭となっている(東
接交渉することを求めたが実現せず、事態はなんら進展
京除く)。「思想性のないお祭り騒ぎ」との批判の声も
を見せなかった。10月25日には本部棟前で学生らによる
あるが、多くの学生は現在の学園祭のあり方を受け入
座りこみが決行され、最盛時には200人以上もの人々が
れ、企画やステージ発表などを通じ学園祭に参加してい
集まったが、機動隊に排除され、79年の実力行使による
る。
学園祭実現の再現はならなかった。
「まずは学園祭の場を確保せよ」。この一言が学園祭
ついにこの年、学園祭が実施されることはなかった。
闘争を終結に導いた。「政治について語るにせよ、実施
2度目の、そして史上最後の学園祭中止である。
時間を超える企画をやるにせよ、まずは学園祭を開かな
いことにははじまらない」。それが10年に渡る学園祭闘
争の末に辿り着いた答えだった。
*12 保留否決……議案が過半数の承認票を得ることが出来ず、かつ、過半数の否認票も入らなかった状態。これに対し否認票が過半数とな
った場合、議案は単に「否決された」と呼ばれる。否決された場合、同じ内容・同じ名称の議案を再び会議にかけることは出来ないが、保留
否決された場合は同じ内容・名称の議案でも再び会議にかけることができる。
*13 休講措置……現在は学園祭前日に半日、学園祭翌日に半日(合わせて1日間)の休講措置がとられているが、休講措置の日数については
学園祭前日・翌日合わせて2日間の全日休講を求める意見が根強く、幾度か議案として提出されている。一方で、週休2日制の全面導入に伴っ
て学園祭前日の休講措置をやめることも大学側から提案され、全代会が反対する議案を提出したことがあった。詳細はp126議案一覧参照。
88
全代会30周年記念誌
学生処分と全代会
79年度に学園祭闘争(本文参照)に関する学生へ
年6月1日)。この討論を巡っては人文学類クラス代
の処分反対を決議した全代会だが、この年以降、学
表者会議で「教員によって討論の妨害が行われた」
園祭に絡む学生処分について全代会で話し合われる
として人文学類・全代会から抗議文が大学に提出さ
機会が増加した。
れる(83年6月20日)などのいざこざも起こってい
80年には前年度に無期停学処分を受けた学生が社
る。
会学類の座長団として選出され波紋を呼んだ。停学
その他にも学園祭に係る処分についての議案は数
中の者が座長団になれるのか、副学長との懇談会に
多い(詳細な経緯・内容はp126議案一覧参照)。
出席できるのかなどの問題が全代会で扱われ、学類
私服警官が学内で活動している、(あらゆる意味
の意向を汲んで座長団としては認められたが、副学
で)活動的な学生の身辺調査などを職員が行ってい
長との懇談会への出席は否決された。81年には基礎
る、職員と学生の間での暴力事件が数回起こる、大
工学類長軟禁事件に関わった学生らが監禁容疑につ
学が学長名義で闘争に係る学生を起訴する一方で学
いて不起訴処分になったことを受けて、「無期停学
生も教職員を起訴するなど、概して当時の筑波大学
の処分は重すぎたのではないか」などといった公開
はぎすぎすした雰囲気の中にいた。数々の処分問題
質問状が全代会から大学に提出された(81年6月17
もそうした事態を反映したものだったと思われる。
決議。6月20提出)。また、無期停学処分を受けた
ちなみに学園祭闘争以外で全代会が扱った学生処
学生らは停学の解除を求めて裁判を起こし、水戸地
分問題は2件のみである。78年には茨城県議選で筑
方裁判所で停学執行停止の決定が下されることにな
波大生が組織的な買収に関わり、130人以上もの学
るが、その際には全代会として大学に「決定を認
生が書類送検される事件が起こった。このときには
め、抗告を断念する」よう要請が出された(81年9
全代会として学生に選挙違反の防止を呼びかけると
月24日)。
ともに、大学に「安易に学生を処分するのではな
79年の処分者問題が解決しない一方で、学園祭闘
く、政治教育など大学も反省すべきことを反省し、
争に係る新たな処分者も生まれていた。81年3月に
処分についても事件と真剣に向き合ってから考え
は「三里塚ジェット闘争連帯集会」などのイベン
る」ことを要請している(なお、このときは事件が
トを強行・参加した学生らが処分を受けたが、こ
学外で起こったことを理由に学生への処分は下され
れについて全代会から質問状を提出した(81年6月
なかった)。
3日)。三里塚闘争については翌年「三里塚闘争勝
86年には窃盗事件で退学処分を受けた学生につい
利集会」を巡って学園祭闘争が再燃するなど、後期
て、大学に「(事件は)現在捜査中であり、事実誤認
学園祭闘争の中核的な問題となった。82年に企画
の可能性もあるのではないか。また、退学処分は重
を強行した責任者らは83年3月19日に処分を受けた
過ぎないか」と質問することが社会学類から提案さ
が、このとき処分理由が学園祭問題に係るものであ
れ、承認している。これについては後日、口頭で返答
ることが明示されなかったために、後に全代会から
があった(返答内容の詳細はp126議案一覧参照)。
処分理由についての質問状が提出された(83年6月
87年以降は特に学生処分に関して全代会で扱うこ
1日)。また、三里塚闘争に関わる学生への処分で
とはなかった。教職員と学生の関係が落ち着いてき
あったことから、学園祭に係る処分であることは間
たためとも思われるが、一方でいわゆる「活動的
違いないと判断した学内行事専門委員会によって、
な」学生が減少していった結果であるとも思われ
反処分全学討論の実施が提案され、承認された(83
る。
全代会30周年記念誌
89
事件簿~大学新聞事件~
学園祭闘争が終結して数年がたった 1989 年度、 全代会の活動は行き詰まりを見せていた。 集まらない構成員、 例年以
上に続く流会。 議長すらも活動意義を見失って姿を消した中、 ひとり副議長だけが奮闘を続けていた。 しかし、 彼が良かれ
と思って提出した議案の一つが、 後に全代会の活動をさらなる混乱に陥れることになる――全代会の裏の歴史の象徴、 大
学新聞事件の真相を追った。
1989
10 月
10 月
11 月
11 月
11 月
11 月
1990
11 月
5月
6月
第 10 回全代会に、副議長・久保田が大
学新聞に全代会に関する記事を載せるよ
う要請する議案を提出
久保田、大学新聞への要請議案を撤回
11 月 13 日発行の大学新聞に「全代会
流会つづく」と題する記事が掲載される
『Campus』67 号 発 行 議 事 録 抜 粋 部
分に第 10 回本会議でのやりとりを掲載
(11/14)
『Campus』67 号の記事に対し久保田が
抗議 (11/18)
『Campus』67 号 の 記 事 に つ い て、 執
筆 者・ 田 原 が 久 保 田 に 謝 罪 文 を 提 出
(11/21)
『Campus』68 号発行 田原は記事執筆
を自粛 (12/13)
田原、議長に選出される
大学新聞に田原の写真・インタビューが
掲載される (6/15)
全代会とメディア
成立が続くという異常事態の中、大学新聞事件は起こっ
た。
第10回全代会
事件の直接的な発端は議長職を代行していた副議長、
久保田が10月開催の第10回全代会に提出した(人文学類
座長として、広報委員長・木下朗(91年度日本語・日本
文化学類卒)と連名で提出)1枚の議案だ。会議自体は
*2
定足数を満たせず流会 したものの、懇談という形で話
し合いが始まった。
久保田が提出した議案は「筑波大学新聞において全学
「いかにして全代会の活動を学生に知らせるか」。過
学類・専門学群代表者会議(全代会)の活動を取り上げ
去一貫して、全代会はこの問題に向き合ってきた。学生
る記事作りがほとんど見受けられないことに関する不満
への情報伝達は設立以来、広報誌を通して行っている
の表明、およびその改善に関する要請」。
が、それだけでは学生に多くを伝えられない。より強力
内容を要約すれば「大学新聞は筑波大で唯一正式に教
なメディアを活用したいと考える者が出てくるのは当然
員と学生が協力して編集・発行しているメディアであ
の流れだ。そうして起こったのが大学新聞に対して全代
り、その中に全代会について触れた記事がないことが、
会についての記事掲載を求めた「大学新聞事件」だ。
学生への広報不足、ひいては全代会に対する無関心につ
ながっている、今後は全代会についての記事も編集・発
1989年度という年
行してほしい」ということになる。
*3
『Campus』 に比べて大学新聞の方が学生に浸透し
事件が起こったのは89年。その年の全代会は危機的状
ていることは当時の広報委員長の木下も認めている。久
況にあった。議長の鳥越規央(91年度自然学類卒業)は
保田主導の提案に木下が乗った動機もそこにある。「全
秋頃から本会議を欠席するようになり、会議の進行は副
代会の活動をもっとみんなに知ってもらいたい」。それ
議長の久保田将之(91年度人文学類卒業)が代行してい
は長年の全代会の願いでもあった。
た。鳥越は一度ならず辞意を示したものの、本会議自体
しかしそのために久保田らがとった手法は多くの構成
*1
が定足数 に達さず成立しないことが続き、辞任を正式
員の反発を招いた。「記事の掲載を求めるということ
に認められることはなかった。議長の不在と本会議の不
は、大学新聞に対して圧力をかけることではないのか」
*1 定足数……会議が成立するのに必要な出席者の数。1989年度当時、全代会の定足数は3分の2と規則で定められていた(2007年度から
過半数に改正)。定足数に満たない場合、会議が成立せず、正式な議決を下すことが出来なくなる。
*2 流会……出席者が定足数に満たず、会議が成立しない状態が会議の開催予定時刻から30分以上続いた場合、議長の判断で全代会を流会
させることができる。流会した場合も審議を続けることは出来る(懇談会と呼ぶ)が、正式な議決を下すことは出来なくなる。
*3 Campus……全代会の活動の広報を目的に、広報委員会が発行する小冊子。1975年創刊(当時の名称は「代表者会議広報」)。1985年
から現在の名称に。詳細は広報委員会史(p.40~)参照。
*4 辞任が承認されることもなかった……全代会の議長の辞任には構成員の過半数の承認が必要であり、全代会が成立しない場合辞任を承
認することができない。
*5 インタビュー記事までが掲載されるほどだった……筑波大学新聞第126号の「ずーむあっぷひと」欄にインタビュー記事が掲載され、
「全代会は我慢するところではなく、楽しめるところ」と語っている。
90
全代会30周年記念誌
「要望するにしても投書などの形式をとるべきではない
の久保田の説明が掲載された。
か」といった批判の声が上がった。結局そうした反発の
声に押される形で決議を行うことは見合わせられ、後日
その後
久保田は文書でこの議案を撤回した。
その後も89年度の全代会は流会が続いた。議長の鳥越
11月13日発行筑波大学新聞・『Campus』67号
が再び出席することはなかったが、定足数に満たないた
*4
め辞任が承認されることもなかった 。それでも会議に
しかし事態は議案撤回後も思わぬ広がりを見せる。久
出席する少数の学生たちは全代会としての活動を続け
保田らの活動に対し大学新聞側も全代会に興味を持った
た。そしてその頃から、少しずつ大学新聞に全代会に関
らしく、11月13日発行の大学新聞に全代会の記事が掲載
する記事が掲載されるようになっていった。
された。「全代会 流会つづく」と題された記事は、タ
翌90年度、事態は思わぬ展開を見せる。
イトル通り出席者が少なく流会続きである全代会の現状
新たに議長として選ばれたのは、前年度『Campus』
を伝えるものだった。全代会の広報を意図した久保田ら
の記事を巡って久保田と衝突した田原だった。選挙の結
の働きかけは、皮肉にもマイナスイメージを学生に広め
果は大学新聞に大きくとりあげられたうえに、田原個人
た。 へのインタビュー記事までもが掲載されるほどだった 。
波紋はそれだけに留まらない。第10回全代会の議事録
「どうして、どうして振り向いてくれないの、大学新
抜粋を掲載した『Campus』67号の記事に対し「議案の
聞さん」
要約や提出の意図を欠く不適切な内容で、提案者である
事件当時、久保田が議案書に添えたコメントだ。
自分が滑稽に見えるような内容になっている」と久保田
半年以上の年を経て、大学新聞は「振り向いた」。
*5
が抗議を加えた。
記事を担当した田原在美(92年度農林学類卒)は正式
しかしそのとき議長団の職にあったのは、議案を提出
な謝罪文を久保田に出した上、次号への記事執筆を自粛
した久保田ではなく、久保田に批判的な記事を執筆した
することとなった。田原不在のまま『Campus』68号は
田原だった。
発行され、トップ記事には流会続きであることについて
久保田が第 10 回全代会に提出した議案書
全代会30周年記念誌
91
特集1
大森哲郎氏インタビュー
インタビュー
大森哲郎氏~どうして全代会ができたのか
全代会草創期の 1975 ・ 1976 年、 規則づくりを通してその後 30 年続く全代会の組織を形づくり、 紫峰会の
常務理事として今もなお全代会の活動を陰から見守る男。 それが大森哲郎氏だ。 全代会立ち上げの現場に居合
わせた人物自ら、 全代会設立の経緯、 各委員会発足の意図、 そしてこれからの全代会構成員に求めるものにつ
いて語った。
Ⅰ.設立から要項修正・細則制定の時期について
だけの部屋数を用意できなかったようです。1 期生の『募
― 学生組織に関心を持ったのはどうしてですか。
集要項』には学生宿舎に 4 年間住めるかのように書いてあ
私は「学園紛争は何を生み出したのだろうか。戦いの結
ったのですが、新入生の部屋が足りないから 2 年目からは
果とは何だったのか。戦った人たちが最初に意図したこと
宿舎を出なくてはならないということが分かりました。こ
は実現したのだろうか。戦うことよりも学生同士、学生と
のことに怒った 1 期生が「約束どおり 4 年間住ませろ」と
大学、学生と政府が共に何かを作っていくことはできない
いう運動を起こしました。結果、1 月末には 1 期生の希望
のだろうか」と長いこと考えていました。その疑問は「自
者全員が宿舎に残ることを許されました。
治組織を作るより、まず大学の自治・学生の自治を研究す
このように学生が学園祭をやるために組織をつくって
る研究会を作りたい」
「今までの自治会とは違った、学生
まとまろうとしたり、宿舎問題に対して組織的に動いたり
の意思をもっと別の形で集約・反映していくような形を探
したのを見て、高橋先生はやはり学生組織が必要だと改め
りたい」という思いになっていったのです。
て思ったそうです。ただその一方で、当時の学園闘争の反
省から、学生が勝手に作る前に大学からこういう組織をつ
― その思いをどのように実現していったのですか。
筑波大が設立される前から新しい大学における学生組織
について研究していた高橋先生
*1
という人がいました。
くりたいと提案した方が良いのではないかと考えたようで
す。3 学期の試験前には大学から学生に対して学生組織を
作ることが「要項案」の形で発表されました。この文書に
昭和 49 年、先生を顧問に迎えて「学生自治研究会」とい
対する学生からの意見や提案は春休み中に行なうことにな
うサークルを作ったのが始まりです。先生は開学当初から
っていましたが、そのためのクラス会議が開かれることも
学生組織をつくるつもりでいたのですが、学内には反対の
なく、クラス代表者会議臨時執行部は、自主的に作ったク
声もあって当時はまだ実現していませんでした。
ラス代表者会議を中心に考えてほしいことと、学生の賛同
丁度そのころ、学生の中からも学生組織の設立や学園祭
を得るまで見切り発車をしないでほしいことの 2 点を主張
の実施を求める声が上がり始めていて、人文のあるクラス
しただけでした。そこで大学は 3 月の評議会で「クラス連
の呼びかけから「学園祭をつくろう会」ができました。
「学
絡会等に関する要項」を採択し、昭和 50 年度 4 月からの
園祭をつくろう会」が「学園祭について考える討論会」を
3 ヶ月間を試行期間として実際に学生組織を作ることにし
開いたとき、クラス代表者会議を作ろうという話になった
ました。
のです。
しかしながら、期末テストや春休みで自分たちの意見
昭和 49 年度末、学生宿舎の問題が生じました。宿舎を
をまとめにくい時期に、大学が勝手にとにかくその仕組み
建てた当時はオイルショックで、大学は最初予定していた
を作ると決めたことに対して、学生の間で不満が広がって
*1(高橋先生)
高橋進。名誉教授。元哲学・思想学系。1979.4.5~1982.3.31厚生補導担当副学長。東京教育大学時代から筑波大学の構想の検討に関わり、筑
波大における学生組織の設立に前向きだった。自治研究会顧問。
*2(全代会不信任)
学生の署名、クラス代表者会議での決議、学生生活担当の副学長から指示のいずれかによって全代会不信任案が選挙管理委員長連絡会の世話
人に提出された場合、選挙管理委員会を通じて全学での信任投票を行うこととした。
*3(選挙管理委員長連絡会)
選挙管理委員会の上部組織。
全代会30周年記念誌
95
いました。そこで、私たち自治研は、学生の全学組織に対
はじめは自治研の一員として、学生自治の現場を観察
する期待やクラス代表の選出手続きなどについて調査を行
するつもりで要項修正プロジェクトチームに参加したんで
い、8 割程度の学生が全学的な学生組織が必要だと考えて
す。当初は社学の 2 期生が中心の 6 人前後のチームだっ
いることや、クラス代表が正式にクラス会議での選挙を経
たのですが、気付いたらメンバーが 2、3 人になっていて、
ていない例があることを確認しました。そして、組織作り
年度末に要項の修正案を出すころには私1人だけになって
の期限の延長を大学に提言しました。全代会も、仮代表を
いました。横から少し見ているつもりがいつの間にか渦の
認める一方で正副議長は選出せず、5 人の世話人を出して
ど真ん中にいたわけです。
運営に当たり、組織作りの期限延長を大学に求めました。
結果、試行期間は 1 年間に延長されましたが、その間に要
― 「要項修正プロジェクトチーム」ではどんなことに
項の修正案を示すよう大学から言われました。そこで、座
取り組んだのですか。
長団の中から「要項修正プロジェクトチーム」を立ち上げ
て、活動にあたることになりました。
筑波大は何らかの組織に乗っ取られることなく、かつ、
消えない学生組織の設立を目指していました。全代会はあ
くまでも、組織を自主的に運営しつつ、学生の考えを大学
― 要項の修正に大森さんはどのように関わっていたの
の意思決定に反映させることが目的です。いわゆる「参加」
ですか。
の実現です。ところが、修正前の要項では全代会議長を副
2 年の 2 学期にクラス再編があったんです。そのときク
学長が更迭できる規定があったのです。自主的な運営を確
ラ代になって、自治研とかをやっていたことから、気づい
保するため、これを削除して、これに代わる仕組み(全代
たら自然学類の副座長にされていました。こうして学生組
会不信任 、選挙管理委員長連絡会
織をつくる活動に参加することになりました。
めることにしました。さらに、参加を進めるため、当時の
*2
*3
など)を細則で定
気づいたら私一人になってました
大森哲郎氏
1974年度自然学類入学
1976年度細則専門委員長
在学中は自治研究会に所属
全代会では要項修正・細則制定に取り組んだ
現在、紫峰会[学生後援会]常務理事・事務主幹
*4(厚生補導審議会)
当時筑波大学にあった3つの審議会の一つ。主に学生生活に係る事項について扱う。
*5(クラス連絡会)
学類・専門学群クラス連絡会。学類・専門学群ごとに、大学教職員と学生の意見交換、討議、連絡等を行う組織。
*6(副学長との懇談会)
「筑波大学の学生組織等について」(2005年度以前は「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等に関する要項」)という規則の中
で、全代会と学生生活担当の副学長が意見交換の機会を持つことが定められており、年によって差はあるがだいたい年1回程度、懇談会という
形で意見交換を行っている。
96
全代会30周年記念誌
*4
厚生補導審議会
に学生が出席して、学生の総意を伝え
ることができる仕組みをつくりました。大学運営サイドと
学生の代表者が正式な意見交換の場を持つことがとても重
集団論、組織論、科学哲学や市民参加などの本を読んで勉
強しましたね。
それからパソコンもワープロもなかったから苦労しまし
*5
たよ。細則を何度も何度も書き直すときに、コピーアンド
学長との懇談会 」が大切だということですね。
ペーストなんてないですからね。第 7 案ができるまで、書
要だと思ったからです。つまり「クラス連絡会 」と「副
*6
いて切って張り合わせて書き直して、その繰り返しでした。
― 要項修正の次に取り組んだことは何ですか。
昭和 51 年度の立ち上げ当初は、学園祭・広報・細則の
3 つのプロジェクトチームで全代会が構成されていまし
た。当時、委員会という名前はまだ使っていません。
私は細則プロジェクトチームで、前年度に要項修正プロ
最後活字にするときも和文タイプってやつでガチャンガチ
ャンってやって。今は楽ですよ。
何はともあれ細則が昭和 51 年度のうちに仕上がって、
昭和 52 年度からは細則に基づく学生組織が動き出しまし
た。
ジェクトチームとしてやっていた作業を引き継いで、細則
案の作成をしました。細則は最終的に第 7 案まで改訂を繰
Ⅱ.組織体制について
り返して、更新するたびに、全代会での審議と同時に教員
― 設立当時の全代会の体制について教えて下さい。
側と意見交換をしました。学園祭が終わってからは、全て
昭和 51 年度の 3 プロジェクトチーム体制(学園祭・広報・
の学生を対象に公聴会を開いたりもしました。前年度と同
細則)は、その年の学園祭まで続きましたが、細則を審議
じように、実質的な活動を始めたのは学園祭が終わってか
するプロセスの中で、教育課程・厚生・細則の 3 専門委員
らでしたから、10 月後半から 2 月上旬にかけて、全代会
会と広報委員会の構想が持ち上がりました。
全体での会議を 8 回と公聴会を 3 回行ないました。学生担
*7
当教官室
との連絡会も度々開き、1 月下旬に全代会原案
を採択しました。これを全代会案として『代表者広報(号
*8
外)
』
― その構想が持ち上がった背景は。
「全員参加のコミュニティ型のシステムはもう無理なの
に載せて全学の学生に配布しました。その後、細
ではないか。一人ひとり生き様や価値体系がバラバラにな
則は、クラス会議、クラス代表者会議、全代会本会議の順
って多様化している中で『ひとつの共同体です』っていう
に採決されていきました。この流れの中で一部が修正され
のは無理だろう」という意見がありました。これを前提に
ましたが、2 月 9 日、晴れて学生の総意としての細則案が
すると、クラス会議をやってクラ代会をやって全代会をや
完成し、厚生補導審議会に提出されました。これが現在の
って…というシステムそのものが崩れることになります
*9
細則
に至っています。
ね。そもそもクラス会議が成立しない。意向集約システム
が崩れてしまう。
― 細則を作る中で、苦労したことはありましたか。
それでも全代会には参加意欲のある人が半分くらいは来
規則を作るということは、組織をデザインするというこ
るだろう、と私は考えました。参加意欲のある人たちが中
とです。全代会を頂点とするこの学生組織は、学生の意向
心となって意向集約をして行くにはどうしたらいいか。そ
集約システムです。学生の意向集約システムのデザインと
れで生まれた構想が「専門委員会+広報委員会」というも
いわれて、参考資料って思いつきますか。専門的な参考資
のでした。
料なんて特にないんですよ。
一方ではどんどん広報を流し、一方では意見をくみ上げ
学生の意向集約システムを大学の意思決定プロセスの一
て議案を作り出す。専門委員会というのは、学生から意見
部に組み込むという筑波大の試みは、大学における学生参
をくみ上げるポンプのようなものですね。全代会の構成員
加のひとつの形で、当時とても新しい形態でした。あの頃、
は全員がクラス代表であり、クラ代会のメンバーですから、
行政参加といったことが色々な所で言われるようになって
クラス会議にもクラ代会にも参加している。その流れの中
いましたが、現代の地方自治の仕組みとか、地方自治法の
で出てきた意見を、クラ代会の決議なしに全代会で議案に
中で何をどう解釈するか、とかがわからないと市民参加の
することができるようにしたわけです。
「クラス会議が成
意味すらわからなかった。で、関係する法律やら大学論、
立してないから何も言えません」ではなくて、クラス会議
*7(学生担当教官室)
現在の学生担当教員室(2004年度以降、国立大学法人化に伴い「学生担当教員室」と改称)。全代会など学生組織に関して扱う教職員の組織で
あり、議案等も全てここを経由して大学に提出されている。
*8(代表者会議広報)
現在の『Campus』の前身。全代会の活動の広報を目的に、広報委員会が発行する小冊子。1975年創刊。1985年から名称が『Campus』とな
る。
*9(細則)
「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等に関する要項細則」。昭和52年2月18日決定。学生組織の公正かつ円滑な運営を目的に制
定。06年に名称を「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等について」に変更。07年4月、内容を大幅に改正。
全代会30周年記念誌
97
の中ではまとまらなくても、その中で出た意見をクラ代が
って動かすか、後輩にやってみせなきゃわからないんです
クラ代会に持っていく。クラ代会でまとまらないから全代
よ。初めてこのことに気がついたのが昭和 53 年度でした。
会に上げられないか、というとそうではなくて、全代会の
いま言ったように、運営は要項再検討のために置いた委
委員になっている学生に言えば、その委員が全代会の中で
員会だったんですが、それが全てか、というとそうではあ
議案にまとめる、ということが可能なわけです。
りません。組織や自治というものは、常日頃から修正して
広報は、公聴会を開いたりアンケートをしたりして、専
いくことが前提です。全代会という組織を修正していくの
門委員会が議案をつくるプロセスで情報収集の手伝いをす
が運営専門委員会なのです。自分自身を見つめ、そこで新
る委員会です。広報がお知らせして、アンケートをやって
たなアイディアを出していく。要項の再検討が終わっても
公聴会を開いて、皆さんの意見を吸い上げて、専門委員会
運営の仕事はずっと続く構想でした。
が議案にしていくってことが可能なシステムにしたんで
後から運営の後輩に言われたのは「作るよりも直す方が
す。こうすることで全員参加が上手くいかなくても、何と
難しい」ということでした。
「大森さんが勉強して全代会
かなる。
を作ったのはわかります。でもそれを批判的に検討しなお
すというのは、大森さん以上に勉強しなきゃならないんで
― 委員会体制はどのようになったのですか。
最終的に専門委員会は 5 つになりました。運営・教育課
程・厚生・学内行事・課外活動の 5 つです。
広報委員会は全代会内の委員会ではなく、学園祭実行委
* 10
員会と同じ付属機関
すよ。これってむちゃくちゃ大変じゃないですか。4 年間
でできるわけないですよ」って。それはそうかもしれませ
んね。だから運営ってのは、勉強の鬼でなきゃできません
よ。
の扱いで、委員長以外は全代会構
成員ではありませんでした。代表者として選ばれた人たち
― 教育課程専門委員会と厚生専門委員会は、どうやっ
の中にノウハウや技術を持っている人がいなければ、広報
てできたのですか。
物を作れませんからね。ノウハウや技術がある人が委員に
大学の起源は 2 通りあるといわれています。ひとつは、
なれるようにするために、広報委員会を付属組織にしたん
学問を商売にするところからできた職人組合。もうひとつ
です。
が、教えを請うために集まってきた学生が自分たちの生活
を保障するために作った組合、いってみれば生活共同体で
― 運営専門委員会についてお聞かせ下さい。
す。
実は要項を修正したとき、修正された要項の実施日から
これらは両方とも必要で、この両方が整わないと大学が
2 年後の昭和 53 年度に内容を再検討して必要な措置を講
運営できません。学問が大切なのはいうまでもないのです
じることとしました。運営専門委員会はその要項再検討の
が、大学生にも生活っていうものがありますから、学生が
ために置いたんです。
集団となって生活を保障する必要がある。だから、自分た
ところが昭和 52 年度の運営委が、他の専門委員会が提
ちがやりたい学問の為に先生を引っ張ってくるような委員
出する議案の中で要項の内容を再検討するときに参考にな
会と、自分たちの生活を整える為の委員会をつくったわけ
りそうな部分があれば活用したいから、議案を一度全て運
です。大学の起源から言っても妥当といえるでしょう。
営委に出すように言ったんですよ。おかげで「議案は全部
いま思い出してみると、教育課程専門委員会をつくるき
運営を通さなきゃいけない」という誤解が生まれてしまっ
っかけは、ある教官に「大学ってのは学問をするところだ
て、要項再検討をやるべきはずの彼らの後輩たちが、運営
ろう。お前はなんでそんなことばかりやっているんだ」と
のやるべきことを見失っちゃたんですね。結局、施行から
言われたことでした。このとき私は「大学の意思決定シス
2 年後の要項再検討はされませんでした。
テムは、その学問をするところをより学生が学びやすい環
再検討がなくなってしまって反省しましたね。あんまり
境にするためにあるんじゃないですか。私たちが目的とす
勉強もしてないのに 4 年生になったりしないで、もう一度
るのはより良い学問の場、その環境をつくることです。自
3 年生をやって、私が議長やればよかったなぁ、と。規則
分たちのやりたい学問をするためにこの活動をしてるんで
を作って組織のデザインはしたけれど、実際それをどうや
す」って答えたんです。それでそのあと 「 あ、言っちゃっ
*10(付属機関)
正式には下部機関。「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡会等について」の中で全代会が下部機関を置くことができることが定め
られており、現在、学園祭実行委員会、スポーツ・デー学生委員会の2つの下部機関が存在する(広報委員会は07年に下部機関ではなくなっ
た)。
*11(体育会)
筑波大学公認の体育系課外活動団体から構成される学生組織。
*12(文サ)
文化系サークル連合会。筑波大学公認の文化系課外活動団体から構成される学生組織。
98
全代会30周年記念誌
あ、言っちゃったよ。
教育作らなきゃって
たよ、教育課程専門委員会つくらなきゃ 」 って。
ました。この申し合わせは、全代会から三系に声をかける
ことができるようにしたものです。設立当初、課外活動専
― 学内行事専門委員会と課外活動専門委員会は、どの
門委員会は、一方では三系との連携をとり、他方では、課
ような経緯で設立されたのですか。
外活動の機会を三系に独占されることのないよう、三系所
昭和 50・51 年度は、
「学園祭プロジェクトチーム」が実
属外の学生団体や学類の行事などを支援していく構想でし
委を募ったり、学園祭の日程や名称・テーマを決めたり、
た。ところが、いざ蓋を開けてみると、課外活動専門委員
実委の監督に当たっていました。しかし、細則を制定した
会はスポーツ・デー学生委員会
とき、これらの役割を学内行事専門委員会が担うこととし
祭実行委員会に対する学内行事専門委員会のような存在に
ました。
なってしまったのです。このため、課外活動専門委員会
* 11
課外活動団体の中でも体育会
* 12
足していました。文サ
は昭和 51 年度末に仮発
* 13
・芸サ
* 14
が発足して三系
が
* 15
の設置とともに、学園
は、学内行事専門委員会に吸収されることになったのでし
ょう。
そろうのは昭和 52 年のことです。こうなると学生組織と
してはクラスの組織とサークルの組織の 2 本立てとなるわ
Ⅲ.現在の全代会について
けですが、それぞれが大学の厚補審と繋がるのはおかしい
― いまの全代会構成員にアドバイスをお願いします。
という考え方がありました。学生の総意を問われたときに
とにかく勉強して下さい。組織として動くときには市民
全代会の言っていることと三系の言っていることに相違が
参加のこととか、集団論、組織論とかをやっておいて損は
あるとまずいことになる、というわけですね。そこで、学
ありません。大学論や科学哲学は教養としてあってもいい
生の総意は全代会でしっかり取りまとめなくてはならない
と思います。
「思いて学ばざれば」の世界に陥らないよう
という考えから、三系が出来つつあった昭和 51 年に、全
に気をつけてください。一番怖いのは「学ばず、思わず、
代会は三系との協議・連携のために「課外活動に関する
行動あるのみ」になることです。学問の府にふさわしい生
申し合わせ」を制定して、課外活動専門委員会をたちあげ
き方として、まずは勉強してください。勉強しなきゃもの
*13(芸サ)
芸術系サークル連合会。筑波大学公認の芸術系課外活動団体から構成される学生組織。
*14(三系)
文化系サークル連合会、体育会、芸術系サークル連合会の総称。
*15(スポーツ・デー学生委員会)
毎年春と秋に開催されるスポーツ・デーの企画・運営を担う学生組織。全代会の下部機関のひとつ。
全代会30周年記念誌
99
言っちゃいけないわけじゃないけど、言いたいことを人に
学生の中の一人に過ぎません。自分がいま発言しているこ
説明していく、人にわかってもらうというプロセスの中で、
とはどれだけの支持が得られているだろうか、と常に考え
必ず勉強することが必要になってくると思いますよ。勉強
てください。一人の学生が話をするのと、全代会が発言す
する必要性を感じていないなら、それは表現しようとして
るのとでは、ぜんぜん影響力が違いますから。自分自身の
いないからです。きちんと伝えようとしていないからです。
立場に加えて相手の立場まで考えることのできる人が社会
伝えることが基本ですからね、この組織は。全ての場面に
人なんです。これができる人は即戦力になれますよ。自分
おいて「伝える」がキーワードですから。
の立場を自覚し、相手の立場を認める。その上で話をする。
そして、各委員会の活動がずれてるかな、って思ったと
自分の思い描いていることを実現するためには誰とどうい
きは、視野をもう少し広げてほしいですね。自分が学担室
うコミュニケーションをとればいいのか考えてほしい、と
* 16
や学生生活課
に話に行って、目の前にいる人と意見が
いうことです。自分の立場を知り、相手の立場を知ること
食い違ったときに、正に目の前にいる人本人と意見が食い
さえできれば、皆さんが学生の代表として仕事をしている
違ったのか、その人が何らかの代弁者として発言したこと
ことの価値は非常に大きくなります。大学にとっても学生
と食い違ったのか、よく考えてみて下さい。組織を構成す
全体にとっても自分自身にとっても価値が大きくなるでし
る人間はその組織を背負っています。全代会のメンバーも
ょう。
然り。一人ひとりの背後にある組織というものに思いを馳
最後に、組織は自分たちの描くような姿にどんどん変え
せなければなりません。学生はこうしたい、という要求を
ていっていいんだけど、ちゃんと記録を残していってくだ
大学にしていこうとしたときに、いま国立大学法人が置か
さいね。表面的に「こうでした」という記録も必要ですが、
れている立場や位置を認識しようとする姿勢が大切です。
それだけが実質だと思われては困ります。実質的には書け
実際にはできなくても、その姿勢だけはほしいですね。
ないような話の中で決まっていくこともあるじゃないです
自分の後ろ側に対しても同じです。学生は何を求めてい
るのか。自分の意見が 100%ではありませんから。自分は
か。表面的なものも内部事情も両方ちゃんと記録として残
していくことが必要です。
相手の立場まで考えることの
できる人が社会人なんです。
*16(学生生活課)
学生部学生生活課。学生生活に係る指導、助言及び援助に関すること、学生の表彰及び懲戒に関すること、課外活動施設等の管理に関するこ
と、学生の奨学金に関すること、授業料等の免除、徴収猶予等に関すること、留学生センターの支援及び保健管理センターに関することをその
業務として扱う。
100
全代会30周年記念誌
特集2
歴代議長による座談会
歴代議長による座談会
全代会の 30 年間は平坦な道のりではなかった。教員と学生の衝突、学園祭の中止、構成
員の対立など時代ごとに異なる課題を抱え、立ち向かってきた。
解決の立役者となり、転換点に立った議長は何を見てきたのか。渦中に議長を務めた 5
人が当時を語った。年表や資料に載っていない生の歴史がそこから浮かんでくる。
司会:山崎健一(05 年度社会学類座長・Campus 編集長)
―――そんな状態はなかったですよね。僕らの時代は。
なぜ全代会に
入ったのか
村上:俺んとき? 僕が議長の時は同期がほとんどいなかったん
で、学年1つ下と僕がいつも一緒にいるから、端から見てるとみ
んな同じ学年の友達みたいな。まぁ、1つ下の連中も調子に乗っ
て僕に対して敬語を使わない飲みを開いたり。和気藹々という意
味で、非常に一致団結して物事ができたなっていうのが僕の代で
―――では、最初のテーマですけど、なんで全代会に入ったか、
は特徴的だったんじゃないかなって思います。
もしくは入ってしまったのかをお聞きしていきたいと思い
―――そのへんは変遷を感じるところかもしれませんね。笹井さ
ます。
んは?
*1
橋本:クラ代 までは目立ちたがり屋なのですぐなって、全代会
笹井:私、高校のとき文化祭の運営委員長やっていて、大学入っ
っていうのがあるから代表を決めなくちゃいけないと、3年生の
たら学園祭で燃えて、お祭りやって女子大生と一緒にハッピーに
先輩が説明してくれたんです。まぁ普通だったら2年生がなるも
なろうと思って入学試験受けて、そのあと学内を回ったら、『今
んだって思うんですけど、2年生が次々と俺書記やるから会計や
年の学園祭は中止 』って告示が出てたのね。えっ!? なにこ
るからって誰もやらなくて。で、説明してくれた3年生の先輩が
れと思って。それで、ちょうど隣の高校に筑波大を1年前に卒業
怒っちゃって、「毎年のことだけど、全代会の代表を選ぼうとす
したばっかりの新任の先生がおって、その先生が『代表者会議広
ると腰抜けになってしまう、誰かやる気のある奴いないのか」っ
報』 とか『STUDENTS』 とかみんな持っとったんで、読み
て言って、「あ、じゃあ僕やります」って。そしたら全代会も全
漁ってね、4年間分。筑波の歴史でなんで学園祭中止になったか
然まとまってなくって、もう罵詈雑言の山場みたいな。会議が成
っていうのを頭に入れて入学してきた。だから性格が悪い学生だ
立してなかったんですよ、そもそも。それでもうムカついて、じ
けどね。それで全代会に入ってきた。学園祭中止状態をなんとか
ゃあ俺があの椅子に座ってやるって闘志を持っていたら、副議長
しようと思って最初から入った。
が1個空いてて、目立ちたがりの1年生が手を上げたらすぽって入
―――谷垣さんは入ったというより、学類等代表者会議 のあた
った。そういう感じです。
りからシフトした感じですか、全代会には。
―――罵詈雑言の嵐というのは、学類間で罵りあいとかしている
谷垣:そうですね、入ったと言うよりは…、入ったとも言えない
ってことですか。
ぐらいの。時代背景から言うと、70年代頃っていうといわゆる学
橋本:主に議長に対してなんだけど。
生運動 がまだ華やかなりし頃ですよね。東大の入試が中止にな
笹井:いっこ前の議長さん誰だったの?
ったとかですね。それから、いわゆる浅間山荘事件 とかね、団
*2
*3
*4
*5
*6
*7
*8
橋本:今度さん です。
塊の世代とか言われる人たちがそういう頃であって。そのことで
笹井:まぁ、ちょっとアクはある。
学生の自治会っていうものが非常に問題になった。
橋本:それでまぁ、今度さんも追い詰められて嫌んなっちゃっ
この筑波大学ってのはその頃にできてるんですよね。新構想大
て、言い返したりして、そんなところ言い返すから余計に罵詈雑
学って言葉で呼ばれてましたね。それは教育とか研究の面でも新
言の嵐になっちゃって。
構想だったけども、学生自治に関しても新構想っていうのがあっ
全代会30周年記念誌 103
谷垣康
(たにがき やすし)
人文学類卒。1976年度(初代)議長。全
代会OB・OG組織「有朋会」前会長。
初期の学生組織である全学学類等代表者会
議で力を尽くす。宿舎問題に関わる中でクラ
代会・全代会を創設。要項などの基礎を作っ
た。議長当時の苗字は芝原。宿舎問題を「起
こるべくして起こった問題」(筑波大学新聞
昭和49年11月22日発行)と断じるなど強い
姿勢を見せていたが、対談では「まぁまぁそ
んな時代ですよ」と苦笑する姿も。現在、奈
良県教育委員会教職員課勤務。
たわけです。いわゆる学生の自治会ってものは認めない。ただ学
笹井:今はどうなってる?
生の組織は作ろう。それと教官と事務とかが一緒になった組織を
―――今も、許可を取ることになってます。
作ろうというのが、この大学がもともと持ってた構想なんです。
谷垣:本来それは、配るその人に出さなければならないってこと
我々は当時は知らなかったわけです。だからこの大学ができたと
は一切ないはず。そんな検閲なんてしたら学生は大変な時代です
きはずいぶん反対運動があったけれども、みなさんは知っておら
よ。でまぁ、今はどうなのか僕も分からないけれど、そういう中
れるのかな。当時は革新的な方からかなり反対された。家永三郎
で運動しながら僕もこの中に入っていったけど、入っていくのが
*9
いいのか、大学には乗らないで自分達の自治を持っていくのが良
さんやらなんてのはね、こちらにも反対ということで。特に文
*10
化系が強く反対した。理科系の先生は割りと。福田信之
先生と
いことなのか悩みましたね。最終的に私が議長になったのは、大
か、名前くらいは知ってるかな。その流れで我々も、当時はかな
学の言うような先生方とも、事務局とも、学生が同じ立場の構成
り管理の強い大学っていうイメージがあった。正直言って、私も
として1つの組織を作っていくのが良いって考え。そっちの方で
含めた学生は皆、多少勇気があって入ってきた。何か反対された
私は最初の議長になった。反対する人もいた。でも学生自身が昔
大学というイメージがあった。
のような学生運動をしたいとは思ってなかった。やっぱりいい大
*11
そんな中で、宿舎問題
っていうのが1年目に最初に起こりま
学にしたい。学生の声を入れて良い大学にしたいわけです。そう
して。宿舎に継続して入れないというのが法で決めてあって、そ
いうふうでスタートしたんですね。
れはもう我々の生活の問題だからってことで、1年生の冬ぐらい
2年生の頃にその動きがあったけれども、なかなかまとまらな
からね、随分。当時は宿舎に全員入ってましたから。みんなでな
い。2年生のときは世話人しかできなかった。世話人会っていう
んとか反対をしようって宿舎で集会を開いたりして、そのへんが
のは5人の世話人がいて、その世話人を僕が世話して、議長とし
きっかけになってクラス代表者会議ってのを作った。それは学生
て。それが2年生。3年生になって初めて、この学類学群代表者会
独自の動きで、それを見て大学も早く組織をやらないとって思っ
議になって、議長になって。1年目は宿舎問題があって、2年目に
た。大学もさっき言った大学紛争ってのが、自治会ってのが突出
はそういった世話人の立場があって、3年目に立ち上がる、そう
して動いたら大学が大混乱したっていう苦い経験を持ってるんで
いった流れですね。
すよ。先生方が。だから自治会は作らせちゃダメだっていう非常
―――初代のときは前例がない構想じゃないですか、全代会自体
に強い意識があったわけです。
が。当時の心持と、会議がどんな様子だったのかを知りた
―――時代的に抑圧は結構あったんですか。
いんですが、どうですか。
谷垣:実際そんなに感じたことはない。ただ例えば、文書を出せ
谷垣:やっぱり、今言ったような意味である種、理想はありまし
ば検閲がある。勝手には出せない。我々、その規則もだいぶ抗
たね。それまでにない、それまでの自治会とは違う、本当に全て
議しました。なんで自分達がだす文書を検閲しなきゃいけないの
の学生の声を反映できる、その声を大学の運営なり教育なりに活
か。でもそれはどうにもならないと。
かしていけるような組織を作りたいっていう。ただ、集まって
笹井:文書を出すってのは掲示じゃなくって配るっていうこと?
いる人すべてがそうではない。自治会的なものを考える人もい
谷垣:配る。
たし、夜遅くまで大学があったりして集まらなかったりね。そ
―――ビラなどをですか。
ういう意味ではみんなが一致したかっていうと…、やっぱり人
104
全代会30周年記念誌
数が少なかった。当時はまだね。学類自体も人文と社会と自然だ
ケーブルテレビの問題とかも、2、3年経って片付いたと。そした
けです。あとは体育専門学群、医学専門学群。これだけだった。
らもう、学生が自治活動に興味がなくなるんじゃないかと、問題
まぁ、高校の生徒会に毛が生えたようなもんですよね、初めは。
が解決されたから困ることが無くなるんじゃないかなと私は思っ
だからある意味では良かったんだよね、みんなで話し合いしなが
てた。で、案の定1989年かな、議長が途中で失踪して、脱退した
ら。そういう雰囲気はありました。それに対して大学は弾圧はし
と言うよく分からん年が出てきた。
なかった、当時はね。一緒になんとか良くしていこうっていう。
―――ありましたね、1989年のえらい騒ぎになった年が。
*12
今もあるのかな、学生担当教官室
ってのがあってね。
*13
笹井:あれ鳥越
やったの。それで、わしはもうこれで全代会は
―――ありますね。
終わったんだなと思った。私は色々な問題を解決したけど、全代
谷垣:そこの先生が担当で色々と間に入って、なんとかしようっ
会を壊してしもうたなと思いながら卒業した。けど、しっかりそ
て協力してくれたけど。そんな時代ですね。
の年に田原在美
―――なるほど。分かりました。
ら先も院までいて、橋本とか尾畑
当時の状況という意味では、笹井さんはちょうど学園祭闘
その流れが今も繋がっている。学生生活に重大な問題が無くとも
争からの転換点にあたるかと思うんですけど。
組織がこれだけ活動して、皆がこれだけ集まってなんか活動して
笹井:まぁ、谷垣さんからわしらの代までで相当変遷がある。筑
いる。そこについては自分の時は無責任だったけども、嬉しく思
波大というのは建学の方針として1つは新しい学際的な、国際的
う。
*14
が1年の広報委員から2年で議長になってそれか
*15
とかも指導してやってきて、
な大学を作るっていういい目標があったんだけど、もう1つには
大学との関係
あれこれ
学生紛争のときに全国の大学で入試ができなかった大学は東大と
東京教育大学だけ。で、教育大を分解して筑波の山ん中へ押し込
めてしまえという、そういう面での新しい大学を作ろうってのも
あった。だからやっぱり最初は学生運動に関して相当厳しくやっ
ていたし、今の谷垣さんの話でも伝わってくる。
谷垣:大学に対してはどんな…、例えば僕らの頃はさっき言った
ただ、そうは言っても学生も生活しなければならないし、大学
ように大学ってのは管理する。我々の生活を。だからどうしても
の事務当局としては学生と仲良くやりたいっていうのはあったん
抵抗するような意識があったんです。今はそんな感じでもない?
だけど、管理はびしびしやろうというところが随所随所にでてき
小林:そうですね…。一時、大学の学生生活課とか、学生担当教
てですね、これはいい、これはいかんと。これはやめろ、という
員室とかと多少仲が悪かったっていうのはあったんですが。最近
ような指導もあって、やめないのったら学園祭自体は中止だとい
は協力してというか、一緒にやっていこうってのが共通の認識で
うような、そういう厳しさが結構1970年代はあった。それが議論
して。特に学生生活課と施設部の方ですね、よくどこどこ直した
したり戦ったりして少しずつ問題点が整理されていった。
いんだけどとか、駐輪の問題をどうしようかっていう話を一緒に
私が全代会やって、あと2、3年下の連中見て思ったのが、学園
させてはもらってます。
祭闘争が今まで大きな関心事としてあったけど、一応解消されて
谷垣:そうするとちゃんと聞き届けられるような形にはなって
しまった。学生の福利厚生の問題では、学食の問題とか電話とか
る。
笹井琢
(ささい たく)
社会工学類卒。1986年度議長。有朋会会
長。
学園祭中止状態の1985年に入学。学生と
大学の関係改善に取り組み、10年近く続いた
学園祭闘争を終結させる。学生宿舎への電話
設置やACCS導入など生活環境についても積
極的に動く。
地元山口県光市では市議会議員にも立候補
し、パワフルな活動ぶりは自ら「学生時代と
同じようなテンション」と言うほど。
全代会30周年記念誌 105
橋本泰敏
(はしもと やすとし)
自然学類卒。1994年度議長。
議場で構成員同士がののしりあう状況に愕
然とし、怒りにも似た感情を持って1年目から
副議長に立候補する。議長任期には長期プラ
ンの提案などで全代会内部の制度化・整備化
を進めた。90年度議長の田原在美とともに、
1989年の議長失踪騒ぎから全代会を立て直
した代表者。初期の駐車場問題にも関わる。
現役時代は後輩に徹夜を強制するなど「割
と無茶なことが好きだった」と本人の談。
小林:そうですね。
て。その後もその先生方にはかなりお世話になったということが
―――多少、仲の悪かった時期は2004年の村上さんの…。
ありました。まぁ、仲が悪かったってこと…。
村上:やっぱり俺ですよね。俺はすごく穏便にすませたかった。
―――要するにそういうことですね(笑)
谷垣:どんなことがあったの。
橋本さんはちょうど内部の建て直しの時期にあたると思う
村上:学生担当教員室に1人やっかいな先生がいまして、その方
んですけど、そのときも学担の方々とは協力してやってい
が皮肉にも全代会とのパイプ役の担当になってしまわれたんです
たんですか。
ね。それで僕の時は学担との関わりが我慢の1年になってしまっ
橋本:僕の頃(1994年)は自分達の間でも結論が出ないほどぐだ
たんですけど。とにかく、何を頼んでも、数週間後連絡をとる
ぐだだったから、先生方もどうにもならなかったところがありま
と、やってない。極めつけは一時期、広報誌が一切差し止めにな
す。休戦状態みたいな感じでしたね。学担の先生も協力できるこ
りまして。
とがあればするよっていうのが基本的なスタンスですけど、なん
谷垣:出しちゃいけないってこと?
せ学生組織の方が根腐れしてるから意見を出せない状態で、そ
村上:それも完全にその先生の一声で。
もそも成立しないから、来てる人たちの中でのオーケーはあって
谷垣:内容は?
も、組織としてオーケーじゃないとかそんなのがずっと繰り返さ
村上:内容はですね、最近カラフルにもなって内容もバラエティ
れてて。今から見ると、学担の先生方、学担の組織もそれに合わ
に富んでるんですけど、全代会のやってること以外一切書くなっ
せてとろかったなって。まぁ、決まんないから、先進まない。
てある日突然言い出しまして。何がさらに全代会側と学担のその
で、僕が抜けて、どんどん学生組織も活発化するに従って、学担
先生の溝を深めたかっていうと、事前に企画チェックしてたにも
の対応も速くなった気がします。
関わらず、いざできましたって持ってって全部ダメっていう、こ
―――よく組織の建て直しという言葉が使われてるんですけど、
れはどうよっていう。もう後半からは抵抗もなくなって、もうあ
具体的にどのような活動をされたんですか。
きらめですよね。どうやらこの先生の任期をみる限り、今年度限
橋本:最低レベルの話なんだけど、会議を成立させなきゃしょう
りは学担となんとかっていうのはあきらめようっていうことで、
がない。で、一軒一軒回って歩くっていうのを。当時はメールも
議長団3人で同一見解になったっていう小さな事件があったんで
携帯もないから、歩くしかないんですよ。せいぜい留守電くら
すけど。
い。でも、留守電なんて聞いたって心変わりしないから、会いに
―――それは谷垣さんの言う管理する大学と学生との対立という
行くしかないんですよ。で、もう会いに行っても出てきてくれな
より、私怨ですよね。
い時には、そいつの時間割調べて教室でつかまえるとか、とにか
村上:いや、もう途中から面白くなって。なんだろなこの人はっ
*16
ていう。で、翌年、彼が(市橋を指して)30代議長の市橋君
で
くそういうふうにやって。僕が車持ったのは3年生の時だけど、2
年生の時は自転車しかなかったから、副議長2人と一軒一軒回っ
すけど、その代にさてどうなるかと思って。その先生が抜けて、
て行ったんですけど。議長団はそういう活動をして。
結構、学生担当教員室のメンバーが入れ替わったんですね。大々
各委員会ごとでは、さっきの長期プラン
的に。それで、引き継いで残った先生方が急に全代会に協力的な
員会から来てた案なんですけど、具体的な業務については各委員
姿勢を見せてくれまして、あ、こっちが本音なんだなって思っ
長に作ってもらいました。とにかく目標を出してみんなでやって
106
全代会30周年記念誌
*17
ってのが運営専門委
こうってことで。その中でうまくいったやつ、いかなかったやつ
笹井:橋本のときまでは週一開催?
あったんだけど、タスクを出していくってことが、建て直しにな
橋本:そうです、基本週一でした。
ったんじゃないかなって思います。
笹井:俺ん時も週一だった。
―――会議を成立させるのは笹井さんの代でも課題でしたか。
谷垣:週一だったの?
笹井:いや、苦労したね。来ないやつも無理やり宿舎まわって連
橋本:きついですよ。
れ出したりとか。
村上:それは成立しないことあってもしょうがないですよね。
―――やっぱり昔はそうなんですね。
橋本:だいたい、全員が内容を把握できないんですよね。来てく
笹井:で、成立しないことも多かったけども、重要な議案あると
れ来てくれって言ったって。
きだけなんとか来てくれってね。やってたね。
―――ひさびさの全会成立は村上さんのときですよね。
橋本:一回、学担の先生に報告に行って、すいません成立しませ
村上:まぁ、久々というか…。
んでしたって言うと、たまにはもう人数揃ったことにしとけばっ
笹井:全会? 1年間全部ってことですか。
て。今思うとそうしとけば良かったなって。そのぐらい駄目が続
―――2004年は全会成立です。
く会議でした。さらに成立しないとじゃあ来週やりましょうって
笹井:月一で。それはすごい。
話になっちゃうんですけど、今週集まらなかったのに、今日が駄
村上:11回ですか。11分の11成立しましたけど、僕はマイベスト
目だったから次回、ってそんな調子だと永遠に駄目じゃないです
だったんじゃないかと。唯一の。とりあえず、超基本的なところ
か。やっぱり一ヶ月くらい前に集まってくださいってしとかない
をマイペースに掲げてたからできたんですけど。僕は夏場の時点
といけないから、駄目の連鎖でしたね。
で出席率0か限りなく0に近いメンバーを次々辞めさせていったっ
*18
笹井:今、成立は3分の2なの? 2分の1?
ていう珍しい手法だと思うんですけど。それだけ聞くと暴君のよ
小林:3分の2です。
うな感じですが、僕の中に一応理念があって、やめるってことの
―――携帯電話の普及に伴ってどんどん成立数は上がっていった
恥ずかしさより、籍を置いて何もしないことのほうが恥ずかしい
ようで。
んじゃないかっていう。自分ならそっちの方が恥ずかしいと思っ
笹井:昔は宿舎へ連絡するには集合ポストしかなかったから。
てたんで、じゃあもう辞めていただこうかなと思って。ただ、お
谷垣:昔はみんな宿舎にいたから、宿舎でやったりできた。集ま
前クビって言うんじゃなくって、一応、その学類・専門学群の出
るときに。
席してる他の座長団に一応、こうこうこういう手順を踏んだら替
小林:携帯電話があっても駄目なときはやっぱりあった。携帯電
えれるって制度があるんで、替えてください。もしくはその人が
話みんな持ち始めたのって2000年越えてからくらいですよね。だ
辞めたくないんなら、僕の所に来させてくださいっていう風に言
いたいみんな持ってるっていうのは。それからでも流会したこと
ったんですけど、誰一人僕のところに来る前に替わってくれて、
はままあるので、うまく使えてたかどうかっていうのでまた違っ
そんなに怖かったかなと思いつつ。
たのかなって。
あと助かったのは、ことごとく替わった代打のメンバーが出席
笹井:今、本会議は月一開催?
率100%だったっていう。代わりにいくらでもいるんじゃんって
小林:月一です。
いうのがあったんで。
村上圭
(むらかみ けい)
人間学類卒。2004年度議長。
コミュニケーションの活性化を公約に掲
げ、全代会室を「居やすい空間」にしようと
心がけた。結果、全代会室が構成員の溜まり
場になり、良い意味でサークル化したと言わ
れる。
3年生がほぼ自分のみという状況のなか史上
2人目の本会議全会成立を成し遂げる。全代会
室が散らかると「汚ねぇっ」と言って片付け
だし、大掃除の慣習まで作ってしまった掃除
魔。現在、筑波大学教育科学研究科在籍。
全代会30周年記念誌 107
小林敬介
(こばやし けいすけ)
工学システム学類4年。2006年度議長。
学群改組を控えた2006年に就任し、改組
後の新しい組織作りを進める。2年次には厚
生委員長として静脈認証システム導入、吉池
撤退などにも関わり、大学施設部との話し合
い・認証システムテスト・吉池に代わる業者
の選定参加など精力的な動きを見せた。
スーツを持たず、学長の前でも着ない。気
が向いた時の行動力が凄まじく、副学長に見
せたいがために後輩と徹夜でロボットを作
り、学長との茶話会に持参した逸話もある。
―――今年は構成員は交代させてた。
佐藤*22:今はたぶん、明文規定は何もなく3人選出すると書いて
小林:今年はあるんですよ。次の代(2005年度)の市橋さんが。
あって、あとは選挙管理委員
村上:市橋君は僕と非常に仲が悪かったんで、僕のやり方は一切
てることが書いてあるくらい。
何も引き継いでくれなかった。
谷垣:最初はね、大学の意向で立候補を認めない。さっきも言っ
市橋:そんなことないです(笑)
たようにそれをすると、例えば特定の政治思想をもったそういう
小林:まあ、やっぱり夏休み明けると来なくなっちゃう人が何名
*19
かいまして、そうなっちゃうと学園祭実行計画書
の承認が夏休
*23
がどうこうっていう実効性を失っ
人が立候補して、そういうふうに染まっていってしまうから。そ
れも一つの論点だった。やりたい人にもやらせたい。今はそうい
み明けなので、あれ通んないとにっちもさっちもいかなくなるの
う人いない?
で、そこはなんとかっていうのが。
佐藤:どうしても立候補が出ないときに、押し付け合いになって
村上:全代会の問題っていうか、春に大学に入ったとき勢いだけ
推薦とかじゃんけんする人はいます。
で全代会に入る人がいるんですよ。全代会が発足したときから今
村上:学類によるんじゃないですかね。血気盛んな学類と本当に
まで。で、結局出席率が限りなく0に近くなっちゃう。だけど、
消極的な学類の差っていうのはものすごい。
スロースターターの方がこういうことに興味を持って真面目に取
り組んでくれる人が多かったりして、だからことごとく替えたと
きに代打がみんな一気に来てくれたっていう。だから任期の問題
*20
ですよね。それも今相談している
みたいですけど。そういうこ
構成員同士の
コミュニケーション
と関係あるんじゃないかって思いますね。結果論なんですけど。
―――任期の問題は橋本さんの代でだいぶ議論が。
―――特に村上さんの代(2004年)に関係してくるんですが、
橋本:そうそう。今の村上さんの話は長期プランで準備構成員を
構成員同士のコミュニケーションという部分の変遷を見て
作ろうって話があって。1年生の春に入ってもなんだかわかんな
いきたいなと。さっき全会成立が村上さんの代でしたと話
いじゃん、だから秋までは見学ってわけじゃないけど1年生には
しましたが、その時やっぱり構成員同士が遊びに来るよう
準備してもらって、秋にもう1回続けるかを確認して、意志がな
な感覚で全代会室に来て、全代会の会議自体も友達に会え
かったら交代すればいいじゃないかっていう案もあったんです
る感覚で楽しんでいたから全会成立したという実感があり
よ。でもそこまで実現にいかなかった。
まして。谷垣さんの代(1976年)は、人は来ていたんで
議長の選び方って今どうなってるんですか。
すか。
谷垣:クラス代表が決まるでしょ。
谷垣:成立しないとかいうことはなかった。ただ、今聞いたとき
*21
―――はい。クラ代会が開かれて、その中から3人が座長団
に思ったのは、既にできているものをどう続けていくのかってい
う難しさがあるんじゃないかと。自分らの頃はないものを自分達
谷垣:それはどうやって決めるの。
で作ったわけだから、作った以上は責任持たなきゃいけないなと
―――クラ代の中での会議ですね。
思うし、やりたいと思う人たちが来てるから成立しないっていう
谷垣:立候補を認めるかどうかっていうのは?
ことはなかった。あとまだ規模が小さかったから、みんなわりと
に。
108
全代会30周年記念誌
大学だけじゃなくて生活もいっしょにしてたっていう仲間ですか
ちょっと話がそれちゃうんですけど。1990年度議長の田原在美
ら。だから、ある意味でサークル的なところがあった。そういう
さんって図太い人で、13人とかだと普通やる気なくなっちゃうと
感じでやってたから、そういう苦労をしたということはない。
思うんですけど、田原さんは平然としてやってて。周りの人があ
―――やっぱり中の構成員同士は仲が良かった?
きれるくらい平然としてたらしいんですよ。
谷垣:仲が良かった。僕は2年生とか1年生の間は頑張って、3年
笹井:今日の会議にも田原にもいてほしかった。連絡はしてみた
になったらもう辞めて勉強しようと思ってたんだけど、辞めさせ
らしいけど。
てもらえなくって。1年生と2年生がやりたい、頑張ろうって言っ
―――やはり、ターニングポイントになられた?
て。仲良くて、縦のつながりも含めて、コミュニケーション取れ
笹井:田原が、議長がおらんくなって崩壊しそうになった全代会
てたように思う。ただその連中とそれ以外の学生がどんだけ繋が
を建て直して、何年も面倒見た。
ってるのかっていうのが。
―――じゃあ、そのあたりからだんだん、内部の友達的なコミュ
―――大学に対する反抗心で繋がってたって部分も多少はありま
ニケーションがはじまったかなあ、という?
したか。
橋本:ことだったと思いますよ。その頃は学園祭実行委員会と仲
谷垣:1期生はあったでしょうね。反抗心もあったけども、新し
悪かったし、学類ごとの新入生歓迎プログラムを組むための集
い形を作っていこうという意味で、反抗心だけじゃない。
まりってのが全学的にあったんだけど、そことも仲が悪かった
―――そういう情熱もあったってことですね。
(笑)。全代会って嫌なやつ、みたいな。そうは言うけども、こ
谷垣:新しいものを作っていくのはある意味楽しいんです。続け
れじゃいけないし。遊びにも行くけど会議も全部やろう、ってい
ていくほうが大変なんです。
う雰囲気ができつつあった。
―――笹井さんの代はいかがでしたか?
―――10年間飛んでしまうんですけども、圭さんの代(2004
笹井:私の代(1986年)の座長団は基本的にクラスの代表で、学
年)は? 内部のコミュニケーションを公約としていまし
類の代表だから来てるという感じだった。その前の代は学園祭実
たが、具体的にどのようなことをしましたか?
行委員会を中心として、みんなお友達同士で、学園祭実行委員
村上:具体的に…結論、何もしてないです(笑)。自然な人付き
長とどこそこの副座長がラブラブやったり(笑)。そこはすごい
合いをしてたらでき上がったものだから、なんか特殊な気遣いを
仲が良かった。仲が良かった全代会と実委のトップが割と闘争的
…自分のやり方とか理念に反して特殊なことを試みたっていうん
な人やったから、仲いいもの同士で全代会と学園祭を大学闘争の
じゃなくて、自然な人付き合いを重ねていたらでき上がったもの
ほうに持っていって、結局失敗した。その次の年に私が入ってき
なので。まあ極力、新入生と話したりだとか。あと、全代会室に
た。私の考えは、全代会はクラ代であり座長団であるから出席す
…まあぼく、パソコン苦手なんで、ネットの掲示板じゃなくいろ
ると。私と同じ代以降に入ってきたのは皆そんな人間。全代会は
いろ書き込めるノートを置いてみたり。あとはオフィスに人が来
議論の場ではあるけど、お友達感覚ではない。
やすいように春休みに一人で掃除したりとか。1週間で荒れたけ
―――なるほど。
どね(笑)。あとは、1学年下と僕は運良く仲が良かったんで。
笹井:私は全代会終わってから、全代会の人間と飲みに行ったり
それは幸いしたかな、と。3年生と1年生が基本的に関わるより
ってのはないし、卒業しても年賀状のやりとりもしてない。全代
は、2年生と1年生が基本的に関わる方が、円滑に、新歓からの流
会を馴れ合いの場にはしたくなくて、きちんと議論して学生の意
れをそのままにできるんで。それに救われたかな。
見を代表してやろうという、そこのコンセンサスは取れてた。
―――小さいことのようですけど、部屋が汚かったので掃除した
―――割とビジネスライクというか?
ってことが結構効果あったなあっていうのを覚えていま
笹井:前年度の学園祭中止問題が大きかったし、それの解決のあ
す。自分が1年から2年の間に村上さんが議長になったの
とは宿舎とか風呂とか電話とか私なりに重たい課題を目指してた
で。その前まで全代会室が喫煙室と化していて。議長団3
から、それについては皆議論してくれたけど、あくまで議論。酒
人が集まって煙草ふかしている書類の山、みたいになって
を飲んだり一緒にドライブ行ったりって関係はなかった。
いて。重苦しい雰囲気が漂っていました。
―――橋本さんの代(1993年)はどうでしたか?
小林:あれは写真があったら良かったですね。
橋本:コミュニケーションという点で?
笹井:俺が入った頃(1985年)の全代会室にはやっぱり前年度か
―――はい。
らの流れで壁に「実現するぞ学園祭」ってゲバ文字
*25
橋本:仲良く仕事をやるし遊びも行くグループができ始めた頃、
っていうイメージがある。48人
*24
の中で夜一緒に遊ぶ10人くら
で書いてあ
ったり。「死ぬまで飲むな大学の要求」とかね(笑)
一同:(笑)
い、会議だけじゃなく課題の仕事とかをやる人が集まってきたっ
笹井:けっこうみんなビビってそれで俺が議長になって・・・1987
ていう頃で。さっきちょっとお話にあったけど田原さんていう女
年に広報委員長になったときかな? みんなはがして捨てて。た
性が自分の3年位前に、崩壊した全代会で集まろうっていうとき
だ、そのとき黒いヘルメットがいくつかあってね。1984年のデモ
に…集まって出席数が13人とか。そんな状態だったらしくって。
の時
それからちょこっとずつ仲良くなっていった。
って、1番下の引き出しに入れとってね。これ見てみんなビビる
*26
の。これはまあ、1個は取って置いてもいいかなあ、と思
全代会30周年記念誌 109
たり新歓行事を利用されるとやっぱり困る。
の楽しみにして。5年くらいはあったはずなんだけど。
橋本:(1994年には)ありましたよ。
今だから言える
裏話
村上:俺の時はなかった。捨てたのは俺じゃない(笑)
谷垣:そのときのヘルメットってのは本当に使われたヘルメッ
*27
ト? セクト
とかの?
笹井:自称で、セクトに入っている人間は全代会の中にはいなか
*28
った。学園祭実行委員会の中には中核系
が2、3人?
―――ちょっと話題を変えまして。ただでさえさっきから裏話的
なところに行ってるんですが、当時は言えなかったけど今
一同:(笑)
谷垣:大学が嫌うのはそういうところだけなんですよね。そうい
*
うのがなければおそらく誰も・・・。今言われた中核とか、革マル
29
とか、みんなはそういうの知らないと思うんだけど。
だから言える活動中の裏話があれば教えていただきたいん
ですが。
橋本:いっぱいあったと思うんだけど忘れちゃったな(笑) 橋本:笑い声が出るくらいですからね。
笹井:まあとりあえず、裏話というほどでもないと思ったんだけ
谷垣:歴史の教科書に出てくるような話だと思う。その頃の話っ
どね。厚生会問題、これは俺の代から5、6年かけてすったもんだ
てのはね。
したもんやけど。筑波大学内の出店業者をきちんと選考、管理す
―――やっぱり年表の中でのでき事なんで。僕等にとっては。学
る団体を作ろうと。当時の五十嵐副学長
*30
生闘争
とか知らないもんね、みんな。ねえ? 70年安
*32
保
は学生宿舎にコンビニ
を設置すると。だから協力してくれ、と。それで私はその話にの
とか。
*31
谷垣:安保闘争
*39
った。
*40
とか、わかんないよねえ?
で、厚生会をわしの代で立ち上げて
、業者選考してサービス
―――あー、わからないですね。
のまずい業者はご退出願って。そうやろうとしたけど、当時「筑
橋本:たぶん、僕の頃が絶滅期だったんですよ。そういう政治的
波大学に生協を作る会
な活動っていうのは。僕が入学手続きを終わって建物から出てき
は認められない、まあこれはちょっとセクトがかっていたから。
たら、ヘルメットかぶってマスク付けたお姉さんが「署名してく
それで筑波地域の地域生協として会社を登録して、それを学内に
ださい」って言ってきて(笑)。警備員が慌てて「ちょっと君、
入れようっていう団体があって。そこから俺は嫌われておったと
君!」って。そういうのがいました。勧誘活動もやってたんです
いうか、10人くらいに取り囲まれて立ち往生したことがあった。
けど、結局いなくなりましたね。学生が自然に興味持たなくなっ
ただやっぱり、一の矢共用棟とか夜閉まってしまうからね? 学
たら消えちゃったんですよ。
内にコンビニできればこれは良いことだと思い、それで当時の副
*41
」ってのがあって。学生生協は大学に
*33
とか、宗教。僕、入学
学長と示して立ち上げようとしたんだけど、結局まあ・・・。一部
*34
に移動してくださいっ
の学生は反対、反対、反対ってやるから。最初に厚生会設立の議
てみんなでぞろぞろ行ったら、松美池のところでなんか封筒配っ
案が半分も手があがらないで流れて、それから厚生会に学生が参
てる人がいるんですよ。今日入学したばかりだからなんか授業に
加するまで4、5年かかった。で、最近学内にコンビニができたっ
それよりも怖くなり始めたのがオウム
式終わったあと、大学会館から一学H棟
*35
関係ある書類かなって思ってもらたら、麻原彰晃
のパンフレッ
て?
トだった(笑)
―――できましたね。
一同:(笑)
笹井:それ聞いて、まあ時間かかったけど、ようやくできたんか
橋本:池でもらって、みんなH棟の入り口で捨ててるの。たぶん
と。今日はすごい感動してね、ここに来た。
一人も読まなかったんじゃないかな(笑)
―――吉池
*42
*36
は筑波大生だったんでしょ?
笹井:土屋さん
小林:吉池さんは、僕の前の前ですね。2003年ですか。体芸地区
*37
橋本:サリン
はどういう過程でいなくなったんだっけ?
作った人。
の食堂もやってたんですけど、そこが評判悪くて。主に体育の先
谷垣:知らないの?
生が中心だったんですけど、あそこダメだねって話が盛り上が
佐藤:知らなかったです。
りまして。それを受けて厚生会理事会の方に来て、折良くだった
笹井:オウム事件で地下鉄でサリンをまいてからしばらくして、
のか、それともあんまり突っついたからかはわからないんですけ
犯人が割れた頃、サリンを作った土屋容疑者は・・・ってテレビに
ど、撤退すると。っていうのが、2004年の末にだいたい決まった
筑波大が映るわけよ(笑)。ここで作っちゃったわけじゃないん
と。吉池さんとしては赤字があまり多いから、という理由を出し
やけど。
てきて。
橋本:あの頃はTBSとかけっこう取材に来てたね。撮って帰るだ
笹井:コンビニになってからはどう? どこがコンビニになった
けで迷惑だった。
の?
*38
―――宗教の話はここ最近も問題になってますね。摂理
と 小林:各共用棟の売店です。
か。筑波大学が関東では本拠地的な所とかで。
笹井:全部スパー?
笹井:学外でやるぶんには別に自由じゃけど。学内の設備を使っ
小林:そうです。ただ、24時間じゃないんですけど。
110
全代会30周年記念誌
けどね。厚生とか生活とか、そういうことだけで言ってるからだ
谷垣:吉池もよく30年続いたね。
*43
の職員と
ろう、と思うのよ。今はね。結局、昔はとにかく政治とかそうい
かは開学時に地元で集めた。で、結局だからそのときの地元の人
うのがどうしても噛んでたから。それに対する拒否反応ってのが
で、面倒見はいいけど、お前出えや、お前出えやで出た人間が、
強かったんだろうね。
笹井:出店業者とか、宿舎を管理する学都資金財団
ずーっと固まってやってきた。その中心にいたのがどうも、学都
学群改組と
組織再編
*44
資金財団の阿部二郎
さん。これがまあ、筑波の宿舎とかを立ち
上げた人なんじゃけど、阿部さんの息のかかった業者しかずっと
入れなかった。
で、国の財産管理規定かなんかが変わって、テナントが国有施
設を使うときはきちんと国に場所代を払え、と。そういう規定が
笹井:最近の学類名の変更を見てると、長い目で見た理念が全然
厳しくなって、それを免除するためにはきちんと学生・教職員か
ないな、というか。こっちを変えてこっちとこっちをくっつけ
らなる団体が管理するような形をとらなければいけなくなって、
て、と。新しい学類の名前を作ったかと思えば3、4年してすぐな
厚生会が必要になった、と。一方で学生生協を作る会とかの活動
くなってしまう。農林が生物なんとかになってそこからどうなる
が活発化してきたので、それに対抗する手段として作ったんかも
のかな?
しれん。こっちの方の裏事情はわからんけど。まあそれで、結果
―――生物資源から学類名は変わらないですね。ただ、学群名が
今、宿舎にスパーができたりしたから良かったんじゃないかな、
第二学群の農林学類だったのが、来年度から生命環境学群
と。
の生物資源学類に。
小林:ホットスパー以外にam/pmからも入りたい、って要望が
村上:来年度から完全に変わるんですよ。
ありまして。どっちとるか、っていう風になったんですけども。
佐藤:一番名前の変遷激しいのは工基礎じゃないですか? 基礎
谷垣:そういうのにも学生が関わったの?
工学から工学基礎になって今度は応用理工かよ、みたいな。
小林:関わりました。
小林:まあだんだん実態に近づいてるんじゃない?
谷垣:いいね、そういうの。
竹原
小林:まあ入札というか、いくつか業者を募集して、そこから総
で歴代の学類長が集まったときもやっぱり、昔の先生達からナン
合的に評価して決めよう、ってことになりまして。
バー学群がなくなることについてどうなんだろうねえって声が上
笹井:その選考は厚生会でやった?
がって。今の第一・第二・第三ってのはある程度の理念があって
小林:そうです。
できたものだからって。
笹井:それで厚生会に学生も入っているから、ってことやねえ。
小林:まあ理念も第二の途中くらいから怪しくなって来ますけど
それでまあ、審査の上ホットスパーになった、と。学生も選ぶの
ね(笑)。だんだん変なことになってきて、第三学群の国際に関
に入っちょったなら。ええことや。
しては本当によくわからない。
村上:大学の会議に学生が招集されてますよ、ここ数年は。
笹井:第三に国関
谷垣:全代会もはじめそういうイメージで作った、ってのがある
ら、第一、二、三のナンバーは単なる数合わせなんかな? って
*45
:社工の話になってしまうんですが、30周年記念ってこと
*46
*47
ができたり第二に日・日
ができたあたりか
全代会30周年記念誌 111
気はしてきた。
ね。過去からの続きではなくて10月からのほうがいいんじゃない
―――そういうイメージはありますね。変わる学群の一覧は一 かと。こちらに関しては保留というか、保留、保留、なんですけ
応、こちらの資料の最後の方にありますが。
ど。とりあえず今年度から、もうこの時期から引継ぎを始めてい
村上:俺まだ覚えてないもん。現役なのに。
まして。それ如何で、という。あとはクラス代表者会議との連携
―――23個になるということですが。プラス体育と芸術。
をもうちょっと強くして、これまた任期を変えるか変えないか考
谷垣:自然が4つになるんだっけ。数えてみよう。
えよう、というところで落ち着けたのが今年度の話だったんです
小林:なぜ情報学群が分離したのかという(笑)。工学系として
が。なんかだらだら説明しちゃったんですけど。
は。
橋本:これだけやるの大変だったろうなあ、って思いながら聞い
笹井:まあ図情も抱えてるし。それは今の時流には乗ってるから
てましたけど。
やっぱり。おかしいとは思わないな。
小林:任期の話とかがやっぱり。色々もめたというか、どうしよ
佐藤:ただ、元図情系の改組後の名称はどうなのか、と。
うかというところで。座長団の人数に関しては学類数増えたらど
―――情報メディア創成。なにを言っているのかわからない(笑)
うしようもないことなんで、なるようになれという感じなんです
村上:後世がどこまで理解できるか。
が。任期に関してはそれと無関係にどういうのがいいか、ってい
――― 一応、受験生から見てわかりやすい名前に変える、ってこ
うのを考えたところではあったんで。結局保留になっちゃったん
とが目的だったらしいんですけど(笑)
ですが、意見を聞きたいなあ、というか。当時から任期に関して
佐藤:完全にわかりにくくなってますね。
は問題があったか、とかですね。
小林:まあそれ以外は・・・まあ、まあ。地球はちょっと。
橋本:問題というのは、さっき村上さんが言ったとおり。よく
*48
の話が出てるのでそのまま話をつ
わからないまま入ってきた1年生のモチベーションをどう高める
なげたいんですが。学群が変わると座長団の数も大規模に
か。だから秋に交換するのも一案ではないか、という話が出てき
変わってしまうというか、全学類から3人ずつ選んでいく
た。あと、みんな2年生でやめちゃってたんで、僕の頃は。僕自
とえらい人数になってしまうということで。何人になるん
身も2年生でやめちゃったんですけど。全員が3年生までやれとは
だっけ? 70人くらい?
言わないけど、誰も彼もいなくなっちゃうと…。実際、サークル
小林:えっと、75人になります。
回ってみると3年生が代表やってるところも多いわけだし、大学
―――成立に40数人必要ということで、ちょうど全代会内でも改
生にとって1学年の差は大きいから、3年生も残るような…制度じ
組に合わせた組織作りが進んでいるんですが。現役からち
ゃなくても、雰囲気は欲しいねって話はしてました。
ょっと説明を。
小林:3年生残った率はだんだん上がっているというか、僕が入
小林:そうですね。ことの発端はやっぱり学類数が増えちゃうから
ったときから見ていくと今年は8人。かなり残ってるんです。村
どうしようかっていうことだったんですが、それを考えていくうち
上さんの代は圭さん(2004年)と、佐野さん
に色々出てきたのが、委員会の構成を見直そうかっていう話と、人
って意味だと。僕の前の市橋さんの代(2005年)は3名だったの
数が増えちゃうから定足数どうしようか、っていう話。先に委員会
で、だんだん増えてはいます。
の方からいくと、長期プランの中でも触れられていたかと思うんで
―――ほかにも意見はいろいろ出た?
―――今、ちょうど学群改組
*49
*50
? 3年生以上
すが、委員会の再編の話ですね。すでに課外活動の方 が吸収され
小林:出ました。
て消滅ってのが起こってましたんで、まあまた整理しようか、って
―――例えばどんな?
いう。
小林:一番大きいのは4月から入っていきなり会議に参加しろな
委員会については、一番大きく変わったのは全部の委員会に座
んていわれても、筑波大のこともわからないし、全代会のことも
長団でない学生も入れるようにしないか、というところです。
わからないし、その段階で賛成・反対を出せって言われても、っ
あとは名前が変わっただの、運営専門委員会が事務仕事をする組
てことですね。一番懸念されていたのが学園祭実行委員会の実行
織とクラス代表者会議とかと連携をとる組織の2つに分かれたこ
計画書を、学園祭を1回も経験したことのない1年生が承認すると
と、学内の問題点とかを調べる調査委員会を新しく作った、って
いう…なんだろうこれはという(笑)ことであるとか、その他も
いうところで、委員会に関してなんですが。もともとの問題だっ
ろもろ。大きな議案になればなるほど、1年生にちゃんと判断が
た人数が変わるからどうしようっていうところはほとんど先送り
できているのか、学類・専門学群から出している意見っていうの
で、座長団の人数は3人のまま。ただ、3人のままだと定足数が危
が1年生の意見でいいのか、っていうあたりで…
ういってことで、定足数は半分にして、実際に会議をやってみて
―――やっぱり、任期の問題だとか、組織自体が学生に知られて
いいか悪いか見た後で、座長団の人数を2人にするか3人のままで
いないとかの問題は、20年以上続いてきた問題だと思うん
いくか決めよう、っていうことになりました。
ですけども。笹井さんの頃はそういう問題はありましたか?
もう一つ、先ほども話があった任期の件で、10月にしようかと
人に知られていないとか。
いう案が上がっていまして。やっぱりその、長期プランで話され
笹井:僕が入った頃(1985年)は学園祭が中止になっていて、そ
ていたことで。長期プランを知らない段階から出ていたんです
れがいつ解除されるのかどこのサークルも、どこの学類もすごい
112
全代会30周年記念誌
興味があってね。誰が座長団として全代会に入っていて、学園祭
て、載せなくていいや、ってなって。ぜんぜん思い出せなかった
問題にどういうスタンスをとるのか、っていうのは興味を持って
けど、ありましたね、裏話(笑)
いた。それは前年に学園祭中止っていう非常事態だったから興味
佐藤:代表者会議広報の頃に何回か出席率載せた号ありましたよ
を皆持っていて…ということなんで。問題が大きいぶん今の世代
ね?
とはちょっと違いがあるな、って感じはしますね。
谷垣:そうだね、やったね。
―――広報のことで橋本さんは何か対策をとられたりとかは?
橋本:あと、Campusの表紙がいつも議長団の写真になってたと
橋本:知られてほしい、認知度を高めるために、ってところです
きがあって。なんか『men's non-no』みたいな(笑)。ファッシ
よね。芸専の人が広報委員会に入ってきて、すっごい簡単なこ
ョン雑誌みたいな雰囲気になってるの。
となんだけど、会議終わったときに毎週掲示板を立てて、その色
村上:僕の前(2003年)までmen's non-noみたいでしたね。僕は
を何色にしようかっていう。彼はいろいろ勉強してきて意見を言
絶対嫌だったんで本当断りましたけど。載るんだったら議長やら
ってくれるんですよ。僕は芸術を専攻してなかったんで色くらい
ないっていうつもりでしたから。広報サイドでこういうコンセプ
しか覚えてないんですけど、彼なりにいろいろ意見を言ってくれ
トが新しくできててくれたんで助かりました。
て。その人たちにとってみれば、それまで字しか書いてないも
小林:僕、あれ好きですよ(笑)
のを模造紙にして掲示板に貼ってて、そんなものを人が通りか
一同:(笑)
かったときに読むかっていうのを疑問に思ったらしくて。いろ
小林:人の写真アップだと、掲示してあるとき目立つんで。
いろ手出してくれました。あとは僕の1個前の代から、それまで
村上:残るんだよ?
『Campus』を年に2回くらいしか出してなくて、ほとんど手書き
小林:なんか、青春の思い出、みたいな。
だったのを、きちんと組織作って、グループ2つに分けて、Aグ
―――広報っていう意味でいうと昨年が色々やった年で。新入生
ループBグループ交代交代で。時間取れない人でもローテーショ
にリーフレットを配ったり、PRムービーを作ったり。
ンできる体制ってのをやってまして。でも、根本は問題が切羽詰
橋本:それは入学式とかで流したの?
*51
ってないとみんな興味持たないから(笑)。駐車場の問題
も、
―――入学式では流せなくて。
厄介だったけど、みんながもう1回全代会に興味持ってくれる上
市橋:各学類の、各クラスのオリエンテーションで、流せるとこ
では役に立ったのかな、っていう。気もします。
ろは流してもらって。
笹井:今は? 年何回発行で誰が作ってるの?
―――やっぱり、問題提起みたいになってしまうんですが、例え
―――Campusは、広報委員会Campus編集部というものがあり
ば全代会が学生に知られる必要があるのか、みたいな議論
まして、年7回出してます。号外が2回で通常が5回。
も市橋くんのときに出てまして。彼は知られなくてもいい
谷垣:Campusになる前はずっと代表者会議広報だったの?
って言って1年間やってきて。その辺に関してはみなさん
笹井:名前がCampusになったのが俺が入った年(1985年)。
どんなスタンスでいましたか?
谷垣:Campusになってからが165号ですか?
谷垣:知られなくてもいいってのはどういうこと?
―――いや、通算ですね。代表者会議広報から引き継いで。
市橋:知られなくてもいいっていうのは、別に自らそういうこと
笹井:あと、最初のCampusはただ単に名前が変わっただけで、
をしなくてもいいっていうんじゃなくて、広報そのものに力を
文字だらけの紙面がずっと続いてて。いつ頃からこんな感じにな
入れるよりは活動そのもので振り向いてもらわないといけないん
ったの?
じゃないか、っていう。広報に力を入れるのは違うんじゃないか
―――つい最近ですね。カラー化したのが大倉圭
*52
さんの頃
な、という。
(2000年)で。
谷垣:私たちの頃の最初の広報委員会っていうのはね。座長団と
笹井:橋本の代かな? 一時Campus見てなんかおかしいな、
その他の一般学生との声を受けて組織をどうするのかっていう、
と。Campusが全代会議長団の揚げ足をとる、みたいな(笑)
その部分が絶対大事だっていう。決まったことをとにかく一般の
橋本:あったかもしれない。でもそれは、書いてからなんでこん
学生に流すっていうのは、民主主義とかそういうのから言えば絶
な内容で刷っちゃったんだっていうのが問題になって。皆に集ま
対的な条件だったから。
ってもらってミーティングしました、私が。書いた人の責任だけ
―――もともと代表者会議広報っていうのはそういう意図で作ら
追及するとだって書いてあることは本当じゃないかって話になっ
れたという。今のカラー化されたものはだいぶバラエティ
ちゃうから、いろいろ話して。
に富んでますが。
ちょっとこれ横道になっちゃうかな? 大問題になったのが、
谷垣:これはこれでいいんだろうとは思うけどね。
座長団の出席率をCampusに載せろ、って話。でも、じゃんけん
笹井:すごいなんか世代の差を感じますね。
に負けて無理やり来させられてる1年生も多い中で、そんなこと
谷垣:学生だけで作ってるの、これ(Campusを手に取って)?
になったら余計来たくなくなっちゃうから。わー、って話して、
―――学生だけで。
最終的に誰かが必要ないだろうって言ってくれて。来ないやつに
橋本:これはレイアウトまで? Adobe
むかついていた人たちにも客観的な判断っていうのを促してくれ
て?
*53
のソフトかなんか使っ
全代会30周年記念誌 113
―――そうですね。
で資料を撮影するのにカメラ使うよね。当時はフィルムカメラ、
橋本:道具がそろってきたっていうのもすごいな、っていう。こ
で、フィルムカメラは現像しないと使えないから学担室に現像コ
れは全代会の、というか時代の流れだけど。僕の頃にワープロが
ーナーがあって、学担室の職員が一晩かけて現像してくれてた。
入り始めたんですよ。あれも文書を整理するって意味では超便利
一同:ええー(笑)
な。綺麗なだけじゃない便利とかってありますよね。
笹井:だから学担室の一番若い職員の仕事の最初の仕事は現像だ
小林:ただ、ワープロで保存されてるフロッピーがあるんですけ
った。これはお金を渡すと悪さするし、どこかに流れてはいけな
ど、あれが今読めなくて。いくつか発掘されるんですけど。パソ
いっていうのと、写真の内容の事前の検閲でもあった。そういう
コンに入れると、あ、ワープロのだって。
のは昔の紛争があったから厳しかった。
谷垣:お金のことは忘れた。でも学生から500円ずつ集めたこと
現役からの
質問タイム
はある。
―――寄付金ですか?
谷垣:いわゆる自分たちでやっていくためのお金。この大学の組
織になる前の話かもしれない。
*54
の費用を大学がどこまで出
―――さて、現役から聞きたいことがあるということなので、話
橋本:あと話題に上ったのは研修会
題を現役生から出してもらおうかと。
してくれるかということでしたね。研修会は今年立派になったら
小林:いくつか聞きたいことがあるんですけど、いいですかね。
しいですけど、僕の上の代でずっと止まってまして、僕の1つ前
今、全代会の経費というのは学生担当教員室の予算内というか、
の有地さん
学生生活課から予算をいくらかもらっているんですけど、毎年
大学に言ったらそんな長くやってないの復活させて意味あるの?
120万円くらい、備品を揃えたり、紙とかを買ったりするためも
って言われて、で、紫峰会*56に頼りだしてみたりして。やろうと
らっています。みなさんのとき、そういったお金は金額としてど
言い出した年は結局ほとんど出してくれなくてみんなからお金集
れくらいだったのでしょうか。
めて普通のホテルでやったから1人8000円だったんですよ。それ
橋本:金額はわからないですけど、そういう枠が学担室にあるの
を1回目の全代会の場所で言ったら高いよーって。
は確かで、使用目的は紙とかインクとか、印刷関係の消耗品ばか
一同:(笑)
りでした。もしかしたらCampusの印刷代と込みだったのかもし
橋本:次の年は、出してはくれるけど質問状というのが事務か
れませんね。それは学類の学生活動の予算とは別枠で、学類の学
ら来た。17項目あったかな。その年の学担の先生から言われたの
生活動のお金って申請してもなかなか来なかったんですけど、全
は、この質問に答えたら出してはもらえるだろうけど、いろいろ
代会がインクのトナー切れたというとすぐ手配してくれたりと別
と行動が制約されるから大変になるだろうって。だからもう1年
扱いだった。
やったら大学の見方も変わるだろうから、今年はもう1回自分た
笹井:私のとき(1986年)も現金は一切、全代会には触らせな
ちでやったほうがいいって、そのとき先生が言って。今はだいぶ
い。必要なものがあれば紙とかインクとかがあれば学担室に行っ
協力的になったって聞いてますけど。
てくれと。物品は渡すと。ちょっとおもしろかったのが、全代会
小林:今はバス代ですね
114
全代会30周年記念誌
*55
って議長が復活させようって言い出して、ところが
*57
。
橋本:バス代は紫峰会が出してくれたんですよ。紫峰会もだいぶ
と。その裏には冬の間に闘争の準備をさせないというのがあっ
出費だったと思うけど。
て、その度に追い出されていた。それが1986年から今のずっと使
…さっき思い出せなくて言わなかったんですけど、広報で映
ってる部屋になった。
画を作ったんですよ。入学式に流すのに。5、6分だったんですけ
佐藤:今も形では毎年、学園祭実行委員会が発足したら申請し
ど。すごいくだらない映画で。超大ウケだったので、誰も全代会
て、学園祭が終わったら今度は準備委員会を発足するからまた申
って名前覚えてないと思うんだけど。それとか、あとCampusを
請し直してっていうのをやっています。それを出さなかったら出
増大号にして分厚くしたりとかいろいろやって。そのときのお金
てけって話に…、さすがにならないとは思いますけど。
は確か泣きついたんじゃないかな、学担室に。こういうことやり
小林:宿舎の話も聞きたいんですが、宿舎ができた当時から学都
たいから出してくれって。で、どう工面したのかわからないけど
資金財団が宿舎の運営とかを継続してやっているということで間
後から出してくれた気がします。
違いないんですよね。
―――映画はどういう内容だったんですか?
谷垣:阿部二郎っていう人がね、宿舎の管理してる人だった。い
橋本:えーとね、入学式で。2回やったんですけど、1回目は淡々
い人だったんですよ。だから僕ら好きだった。けど宿舎問題のと
と文字ばっかりでやったんですけど、2回目は生物資源学類の実
きは矢面に立って。
験が失敗して巨大な猫ができちゃって、それをどうしようかって
小林:当時は平砂宿舎? 追越ですか?
全代会で会議して。
谷垣:平砂が最初。そこに2年以上は入居できないということが
一同:(爆笑)
書いてあって、もちろん生活の問題だったから反対運動が起こっ
橋本:基礎工学類がその猫をキュアする特別な銃を作って、その
て。入居願を代表者が預かるんです。ぎりぎりまで出さない。で
銃は土浦のトイザらス行って買ってきたんですけど。それで、
も出さないと入れなくなるから代表者が全部の分預かる。結局、
巨大な猫を退治するっていう映画を作って、すごいウケたんだけ
5分か10分前に出してた。それでもあの頃は若かったから、これ
ど、誰も全代会の名前覚えてなかったですね。
で大学いられなくなるんじゃないかって思いましたもん。親には
笹井:それはビデオにして全代会室に置いとかないと。持ってな
退学するかもって。
いの?
一同:(笑)
橋本:発掘すればあるかも。
笹井:谷垣さんの書いた記事
村上:それは俺は捨ててないと思うよ。
変なこと書いちゃってますね。
*64
見ると、今と全然口調が違う。大
谷垣:まあまあ、そんな時代ですよ(笑)
◆
橋本:笹井さんは宿舎に電話入れようとして事務局にダメって言
われたから、自分でNTTまで行ったって。
*58
が全代会室だったと思
佐藤:たぶん笹井さんの頃は今の1C204
*65
まで行った。大
笹井:うん、そうそう。自分でNTTとACCS
うんですけど、谷垣さんの時代(1976年)は全代会の固定の部屋
学事務局に言ったらダメダメダメって言われるから。で、自分
ってあったんですか?
で行ったらACCSもNTTも大学の申し出があればいいよって言う
谷垣:部屋はなかったですね。学担の部屋の横のスペースを借り
の。そりゃそうですよね。電話を引けばあっちにお金落ちるし、
てやってました。会議は会議室を使ってやってましたけど、特別
ACCSも視聴者増えるんだから。ただ大学はあれこれケチつけて
活動する部屋はなかった。
ね。学生が宿舎の中に勝手に電話とか引いて事務所みたいな場に
*59
にあるんですけど、もしかして今
小林:学担室って今一学C棟
*60
の体育のテニスコート脇にある旧本部棟
?
なるってことと、特にケーブルテレビには別の事情があって、筑
*66
波大学できたときに大学テレビ作ろうってUTV
っていう部署
谷垣:ああ、本部棟だった。
があって、担当の教官もいた。それは大学の研究室では見れるけ
笹井:本部棟は筑波大学中央のバス停の前の。ああ、谷垣さんの
ど宿舎では見れない。共用棟でビデオが毎回繰り返し流れてた。
ときはないか。
でもつくばには難視聴対策のために全部国がケーブルが引いてい
*61
るACCSがあって、そこで学生サークルが番組作ったりもしてた
小林:そこの脇にツタが絡まってカーテン張りっぱなしのところ
から、それが宿舎で見れるとすごいつくばのこともわかるし幅も
があるんですけど。
広がるというので、大学を相手にしててもしょうがないから直接
谷垣:廃墟になってますか。
行ってた。電話に関しては当時の阿南学長
小林:廃墟になってます。
人で学生の自殺に心を痛めてて、電話がなくて話ができない、そ
笹井:今、学園祭実行委員会室はどこにあるの?
れも学生の自殺の原因だと阿南さんは思い込んでて、学長命令で
しかなかったから、最初は。
谷垣:そんなのないね。体芸棟
*67
*62
小林:全代会室の横
です。
が、あの人は医学の
電話を入れるようにと。
*63
)の掲示ルームにあった。何で
小林:86年でしたか、副学長との懇談会で厚生問題に関しての話
かっていうと、学園祭実行委員会が発足したらそこを貸してあげ
があったと思うんですが、そこで今おっしゃったような電話であ
ましょう、学園祭が終わって決算報告終わったら更地にして返せ
るとか、ケーブルテレビの色々な資料をみて、今もある問題だな
笹井:1985年まではそこ(A棟
全代会30周年記念誌 115
と興味深く見させていただいたのですが、その当時も大学に頼ん
類内の活動っていうのは同じ学問を志向する仲間が集まっている
でどうこうするには動きが遅かったりっていうのは。
わけだから。新歓に始まり、私らの時は卒業生の就職体験記、学
笹井:それまでは学園祭問題が中心で学生が全代会でまとめて決
類誌の発行、研究室紹介の発行、そういうのは同じ学類の中で読
議あげて大学とケンカするというやり方。対立する軸があった
まれるし、発行にはクラ代会の承認がいるから、そこと絡めて学
からね。しかし、福利厚生問題というのは必ずしも対立問題でな
類活動としてやってた。まあ、社工の場合はいいときと悪いとき
い。ただし、どうしても大学とかお役所というのは、自分たちで
の差が激しいんだけど、やっぱり社学はすごいし、比文とか人間
UTVという部局を持っていたりとか、あと学生運動の反省で学
はきちんとやってた。そういうアプローチは今でも有効じゃない
生に自由にやらせたくないってのがどうしてもあるから、そこを
かね。
どうやって変えていくか。私は動くのが好きだから、で、事務局
谷垣:今、全代会って3年生が中心なの、2年生?
と話しててもらちがあかないから、自分1人であっちこっち走り
小林:僕の代は3年生が引っ張って、活動するのは2年生と3年生
回って、あっちはこう言ってる、結局ストップしてるのはここじ
です。
ゃないかって、副学長の前で問題にするぞ、って大声で言うと動
谷垣:4年生になったらさすがに?
くわけね。
―――4年でやった人はいないですね。
谷垣:4年生とかもいることはいるの?
◆
―――座長団はいないです。ときたま緊急で入ってもらうこと はありましたけど(笑)。実質、引退は3年という慣習は
*68
石崎
:最近、全代会の活動自体は安定してきたと思うんですけ
あります。
ど、クラ代会との関係が問題になっているんですが、全代会が続
小林:当時と今のものごとの進め方の違いが気になってまして、
いてきた30年間、クラ代会とか学生との関わり合いに問題はあっ
今って委員会が中心で活動してるんですよ。全代会のみんなが集
たんですか?
まる会議でこれどうしましょ、あれどうしましょっていうのを聞
橋本:それはクラ代会が活発に行われてないという意味ですか?
くんじゃなくて、各委員会が独自に大学なりよそなりに行ってあ
石崎:それもあるんですけど。
れこれと調整して、その場で決まってしまうのであればそのまま
*69
:全代会とクラ代会と学生との距離ですね。さっき知られ
進めてしまうし、全学的な意見を集めなきゃならない、後ろ盾が
てないって言ってたのと関係ありますけど、クラ代会から代表と
必要だなって時には会議で諮ったりとか、アンケート取ったりと
して来てるのに、代表として来てる人が全代会に寄るかクラ代会
かそういう形式でやってるんですけど。これまでは委員会が、と
に寄るかしちゃっているので、架け橋的な役割が果たせてないの
いうより全代会の会議が中心で進んでたのかなって聞きたいんで
で、うまくいってないということです。
すけど。
橋本:自分がいた自然学類は、クラ代会はまあ活発でした。全代
橋本:今の活動内容っていうのは長期プランで目指そうとしてた
会との結びつきはそんな濃くもなかったですけど。
形そのままだなって思ったんですけど。水曜日に集まって30何人
とは言っても、自然学類内の問題で全代会で解決しないといけ
かで議論できるかって、無理なわけで。僕らの頃は全代会を毎週
ない問題がなかったと記憶してるんですよ。カリキュラムに関す
やって委員会をちょこっとやるって形だったんですけど、それ逆
る話し合いも自然学類内部でやってたんです。だから、切羽詰ま
だろって話になって。で、全代会は集めること自体大変だから、
った問題がなかったから必要に応じてそういう形式になったとい
少なくする。小回りの効く実質的な活動の場所にしようって話だ
うことで、一応全代会のことは大体みんな知ってたんです。
ったんですよ。ただ、当時はすべてに関して全代会の決がないと
僕がいた頃は人間学類がすごい組織立ってて、普通のサークル
まずいという固定観念がとれなくて、やっぱり会議しなきゃって
と同じなんですよ。みんな3年生までやるし、引き継ぎとかもき
話だったんですけど。私個人としては委員会で決めることはやっ
ちんとするし。ああいうの見てると、組織も方法論だなと思うん
ちゃった方が小回りが効いていいんじゃないかなって思ったんで
ですよ。自然発生的にうまくいくときっていうのは、エネルギー
すけど。
のある人がたまたま出てきたときだけ。そうでなく毎年継続して
―――10年越しの実現ですか。
いくためには、次の人を決めるときもきちんとした方法で決める
小林:長期プランというのが僕の代、そもそも村上さんの代あた
っていうのがあると結びつきも良くなると思うんですよ。
りでは完全に消え去っていて、長期プランの「ちょ」の字もなか
―――制度的な面の整備で変わるものもあるということですね。
ったんですけど。
谷垣:学類の性格にもよるよね。人間とかそういうの好きだよ
一同:(笑)
ね。
―――笹井さんのとき(1986年)は?
大山
*70
笹井:社学は代々ちゃんとしてる。それから『そおしあ~る』 、
笹井:やっぱ毎週集まるもんだとみんな思いこんでおって、逆に
学類誌は代々相当の内容のものが出てるよね。あと、クラ代でい
普通の学生だったら毎週毎週水曜の夜をつぶせるかいって会議中
うと私らのときもクラ代やりながら全代会出るのは座長団に負担
にレポートやってたり、寝てるから採決のときは起こしてくれっ
とかそういう話はあったし、クラ代会も低迷はしていたけど、学
て。(うつぶせになって)ずーっとこうやって。
116
全代会30周年記念誌
一同:(笑)
としてどこにあるかわからんで一番上まで行ってしまったら8階
笹井:それはやっぱり、今から考えれば毎週つぶすのは不安だか
まで行ってしまって、そこでどこ行っていいかわからないから捕
ら、それは橋本らの代の長期プランで色々議論されたものが今実
まったと。
現してるんだなと思いますね。
一同:(爆笑)
谷垣:僕らの頃は毎週って記憶はないですね。
笹井:その結果、地下道閉鎖されて本部棟には出れなくなった。
―――定期的に開いていらっしゃったのですか?
翌年の1980年にはやろうということになってやった。大学も模擬
谷垣:うーん、ちょっとそこも忘れちゃった。でも毎週ではなか
店とか企画に顧問教官つける
ったと思う。委員会なんかもまだ作ってる段階だから、全代会で
った。企画のリストを出して、建学の理念に合う合わないじゃな
決めて、それを本格的にやってもらう、そんな感じでした。
くて、問題がないかどうか精査させてくれってことになった。だ
佐藤:もとの構想としては委員会っていうのはどういう意図で作
いぶ緩くなったんだけど、そこで問題になったのが三里塚闘争勝
っていこうと思ったんですか?
利集会
谷垣:やっぱりそれは、大きくなればなるほどすべて全代会で決
執行部っていうのは全部の企画が認められないと嫌だった。企画
められないだろうから、それぞれの、当時の最大の課題は要項作
リストを出さなかったから結局中止。また本部棟まで行って、今
りだったんですけど、要項なら要項の作成委員会とか、広報の委
度は地下道歩けないからね(笑)、取り囲んだだけで結局中止に
員会とかそういう形でパートに分かれて動いてもらう。ただ、基
なったんだけど。
本的な方針は委員会、大元になる基本方針が全代会、それを各委
1985年以降は、学園祭の中止状態を解除して基本的はやる。問
員会で展開していくという、そんな考えでした。
題がある企画は議論しようと。大学も闘争勝利集会や時間制限に
村上:最近は会議の場でも何かを審議するというよりは、すでに
関しては譲らないけど、基本的にはやるということになった。橋
決まったことを情報交換するところに比重が重くなってるんで
本さんのほうが詳しいかもしれないけど、おれが驚いたのは日本
すよ。なので回数も自然に減って、委員会も強くなってるんです
新党の細川護煕講演会(1993年)。当初の基準では絶対にできな
よ。
かったようなのが堂々とできるようになって、筑波大学もすごい
谷垣:大学が窓口を一本化したからっていうのがあると思うんで
自由になって、これで学園祭が問題になることもないなと思いま
すよ。その代わり全代会がしっかりまとめなさいって。だから逆
した。
に全代会を一般学生が見ると、大学の意図のもとにやってるんじ
―――歴史の変遷はすごいですね。
ゃないかって批判的に受け取られることもある。
笹井:確かに、機動隊とケンカして学園祭中止って馬鹿なことし
全代会で何かやるの? 学園祭で企画したりとか今でもやって
てるけど、そこで戦ってきたから大学も良くなって、普通の学生
るの?
は不自由がないくらいのレベルになった。
*74
のは一括でいいよということにな
*75
―――ここ2年くらいはやってない。
*76
とオールナイト映画上映会
。結局83年・84年の学生
谷垣:大学自体は学生に対して不信感を持ってるの。不信感まで
*71
大山:大きいのとしては数年前にやったレオナプロジェクト
で
はちょっときついけど、何するかわからんていう。それがずっと
すか。
積み重ねて筑波の学生は信用しても大丈夫だろうっていうのがで
谷垣:1年目には大学祭で全代会企画があって今、ふたたび問
きてきて、自由になったんじゃないかな。
う、筑波大学の建学の理念。リレー討論会で学長とか副学長が順
番に出てきて、初め講演してもらってあと大学生が質問をして答
えるようなのやりましたね。
笹井:学園祭についてはやっぱり大学の管理の仕方が如実に出て
くるところ。谷垣さんの話を聞いて、また橋本さんの話を聞くと
歴史を感じるな。俺はそういう事実があったというのは忘れてほ
しくない。開学のときは大学の建学の理念に反する企画はダメだ
った。家永三郎先生講演会、ゲルニカ模写とか、あと筑波大学を
*72
考える会の企画が不許可だった。学生もノンポリ
だから大学に
反抗はせんけど、筑波大学ができてから1979年まで相当の干渉が
あった。模擬店ごとに顧問教官つけろとかね。それがやっぱり爆
発したのが1979年。だからこの年は学園祭中止って大学が言って
きて、学生がやらせいって本部棟取り囲んで、機動隊が本部棟を
ガードしたわけよ。何人かの行き過ぎた学生が学長に直訴状出す
*73
って言って地下道
通って。
一同:(笑)
笹井:地下から本部棟1階にバンって開けて出て、学長室行こう
全代会30周年記念誌 117
*1 クラ代
クラス代表の略。各クラスから1~2名選ばれ、クラスの学生を代表して学類・専門学群ごとに構成されるクラス代表者会議で意見を述べる役割。
*2 今度さん
今度祥一。1992年度議長。1994年度日本語・日本文化学類卒。
*3 学園祭は中止
1984年度学園祭は中止された。詳細はp83 事件簿参照。
*4 代表者会議広報
現在の『Campus』の前身。全代会の活動の広報を目的に、広報委員会が発行するB5版の小冊子。1975年創刊。時期によって紙面の色が変わり、最初は白色、1976
年から1982年までは藤色、82年にオレンジ色、84年からは黄色の紙に印刷されている。1985年から名称が『Campus』となる。
*5 STUDENTS
学生担当教員室(平成15年度以前は学生担当教官室)が編集し、学生部が発行している小冊子。月刊。
*6 学類等代表者会議
全学学類等代表者会議。1975年に発足した、全学的な学生組織。全学学類・専門学群代表者会議の前身。
*7 学生運動
1950年代半ば頃から始まり、1960年安保闘争を皮切りに激化した大学生らによる左翼的政治運動。東大紛争など1960年代に興隆したが、1970年代から学生間での対
立が目立ち始め、浅間山荘事件などの暴力事件も起こった。1970年代後半には下火となった。
*8 浅間山荘事件
1972年2月19日に長野県軽井沢町の「浅間山荘」において、連合赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質に10日間に渡って立てこもり、28日に警察が浅間山荘に強行
突入し警察官2人が殉職することとなった事件。
*9 家永三郎
東京教育大学名誉教授。元東京教育大学文学部教授(1978年定年退職)。教科書検定の合憲性を巡る裁判(いわゆる「家永教科書裁判」)を起こしたことで知ら
れる。左派色が強く、筑波への移転については反対派であったと言われる。
*10 福田信之
筑波大学第3代学長(1980年 - 1986年)。物理学博士。東京教育大学移転の最大の功労者と言われる一方、当時から統一教会とのつながりが指摘されるなど世評が
分かれる。
*11 宿舎問題
p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
*12 学生担当教官室
現在の学生担当教員室(2004年度以降、国立大学法人化に伴い改称)。全代会など学生組織に関して扱う教職員の組織であり、議案等も全てここを経由して大学
に提出されている。
*13 鳥越
鳥越規央。1989年度議長。1991年度自然学類卒。任期半ばで会議を欠席するようになり、数度に渡り辞意を表明。その年の全代会を混乱に陥れた。詳細はp83 事
件簿参照。
*14 田原在美
1990年度議長。全代会初の女性美人議長と呼ばれる。1993年度農林学類卒。
*15 尾畑
尾畑裕一。1995年度議長。
*16 30代議長の市橋
2005年度議長。2006年度人間学類卒。現在、株式会社スペースシャワーネットワーク勤務。
*17 長期プラン
学生組織再編長期プランの略。p24 全代会と各委員会の歴史「運営委員会」参照。
*18 成立は3分の2なの? 2分の1?
発足当時から2006年度(座談会当時)までの定足数(会議の成立に必要な数)は構成員の3分の2だったが、2007年度より規則改正により定足数は構成員の過半数と
なった。なお、定足数が3分の2だった頃は会議の成立が危ぶまれることが多かった。
*19 学園祭実行計画書
学園祭実行委員会がその年の学園祭の計画について記したもので、規則により毎年全代会で審議した上で副学長(学生生活)に提出されることになっている。夏
休み前(5~6月)に大まかな計画書を可決した上で、夏休み明けに詳細部分についての審議が行われることが多い。
*20 今相談している
学群・学類改組に伴う全代会の組織再編について話し合われる中で、「座長団の任期を他の学生組織の幹部などと同じく、秋頃に交代するようにしよう」という
提案が出され、これについて審議した。結局、クラス代表との任期の兼ね合いの問題などから2007年度の制度改正は成らなかったが、今後も継続して検討していく
予定。
*21 座長団
全代会の構成員。各学類・専門学群のクラス代表者会議から座長1名、副座長2名の計3名が選出され、学類・専門学群の学生を代表して全代会で意見を述べる。ま
た、各委員会に所属してそれぞれの役割を行う者でもある。
*22 佐藤
佐藤翔。2005・2006年度副議長。現図書館情報専門学群4年。
*23 選挙管理委員
2006年度までの規則の中に存在した、クラス代表や座長団選挙を監督する役割。1980年代半ばから有名無実化しており、現在の規則では選挙管理委員については削
除されている(選挙管理委員会が担う役割の大半は座長団またはクラス代表者会議の議長が担うことになった)。
*24 48人
当時はまだ看護・医療科学類と図書館情報専門学群がなかったため、座長団数は16×3=48人だった。
*25 ゲバ文字
学生運動家などが好んで使っていた字体。党派ごとに微妙に書体が違う。現在ではPC用のフォントも開発されるなど、一部に熱狂的支持者がいる。
*26 84年の時
2度目の学園祭中止があった年。学生による本部棟座り込みなどが行われた。そのときヘルメットを被った者がいたと思われる。
*27 セクト
元来は宗教用語だが、この場合は学生運動の中での派閥のこと。革マル派、中核派などが代表的だが、他にも当時から現在まで無数のセクトが存在する。ちなみ
にヘルメットの色や形状などはセクトによって違う。
*28 中核系
革命的共産主義者同盟全国委員会(通称:中核)系列の学生組織(全学連中核派など)に属する人。過激派学生組織の2トップのうちの1つ。
*29 革マル
日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派の略称。中核派と並び、過激派学生組織2トップの1つ。
*30 学生闘争
学生運動とほぼ同義。
*31 安保闘争
118
全代会30周年記念誌
1959年から1960年、1970年の2度にわたり、日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)に反対する大衆運動。
*32 70年安保
1970年安保闘争のこと。
*33 オウム
オウム真理教(現アーレフ)。日本の新興宗教。1995年に地下鉄サリン事件を起こした。
*34 一学H棟
現1H棟。
*35 麻原彰晃
オウム真理教(現アーレフ)元代表(教祖)。本名、松本智津夫。地下鉄サリン事件などオウム真理教が関わったとされる事件の首謀者として逮捕され、2006年9
月15日死刑判決確定。
*36 土屋さん
土屋正実。筑波大学自然学類卒。オウム真理教に入信し、地下鉄サリン事件などで使われたサリンを製造したとされる。一審、二審で死刑判決が出され、現在上
告中。
*37 サリン
1938年、ナチス・ドイツ下で開発された有機リン化合物で神経ガスの一種。オウム真理教が地下鉄サリン事件などを起こしたことを受け、現在法律でサリンの製
造・所持は禁止されている。
*38 摂理
韓国発祥のキリスト教系新興宗教団体。教祖による女性への性的被害の問題が取り沙汰され、2006年に日本でもメディアで大々的に取り上げられた。その際、大
学などを拠点に信者を広げていると報道され、筑波大も特に大きな拠点の1つであると指摘された(これを受けて全代会でも新歓・安全対策特別委員会が設立される
など、対策が進んでいる)。
*39 五十嵐副学長
元厚生補導担当副学長。現・筑波大学名誉教授(元芸術学系教授)。
*40 厚生会をわしの代で立ち上げて
p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。 *41 筑波大学に生協を作る会
p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。 *42 吉池
p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。 *43 学都資金財団
p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
*44 阿部二郎
初代筑波大学学生宿舎管理事務所長。1940年に東京文理科大学を卒業し、1964年に武蔵野市教育委員長、1973年に筑波学都資金財団の常務理事などを務める。
*45 竹原
竹原令依子。06年度学内行事専門委員長。現社会工学類3年。
*46 国関
国際関係学類。95年度から国際総合学類と改称された。
*47 日・日
日本語・日本文化学類の略。
*48 学群改組
2007年度より、それまでの7学群15学類制に代わり、9学群23学類制が導入される。2004年に学群改組の実施が発表されてから全代会では一貫してこの問題に取り組
んできた。2005・2006年には特別委員会を設置し、改組後のカリキュラムと学生組織について活動した(改組自体の説明については筑波大学ホームページなどを参
照)。
*49 課外活動の方
課外活動特別委員会のこと。学内行事専門委員会に吸収された。
*50 佐野さん
佐野晶子。2004年度体育専門学群卒。2001年度、2002年度体育専門学群副座長。2004年度、途中より体育専門学群副座長。
*51 駐車場の問題
いわゆる駐車場問題のこと。p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
*52 大倉圭
2000・2001年度広報委員長。2002年度日本語・日本文化学類卒。モノクロ印刷だったCampusをカラー化した。
*53 Adobe
アドビシステムズ。Adobe Acrobat、Photoshop、Illustratorなどのソフトを販売している。
*54 研修会
全代会研修会。毎年4~5月頃に開催される、新座長団に対する全代会の説明や懇親などを行う場。1泊2日であることが多い。
*55 有地さん
有地剛士。1993年度議長。1995年度人間学類卒。
*56 紫峰会
筑波大学学生後援会。父母向けの広報誌「紫峰会報」の発行、学生・学生団体への資金貸与などを行っている。
*57 バス代ですね
会場までの往復のバスを大学側で予算をつけて手配してくれている。
*58 1C204
07年度以降、1C棟204教室。
*59 一学C棟
07年度以降は1C棟。
*60 本部棟
学長室、副学長室、総務、広報など、大学運営に関わる部署が集まる。06年度時点では第二学群の東にある。
*61 体芸棟
07年度以降は5C棟。
*62 全代会室の横
06年度までの1C205教室。
*63 A棟
06年度までの一学A棟。現1A棟。
*64 谷垣さんの書いた記事
大学新聞第4号(昭和50年2月27日発行)に載った、宿舎問題についての投稿記事を指す。
*65 ACCS
全代会30周年記念誌 119
p55 全代会と各委員会の歴史「厚生委員会」参照。
*66 UTV
学内テレビ。筑波大学UTV-creativeというオフィシャルサークルがあったとされるが、ホームページも削除されており、詳細は不明。
*67 阿南学長
阿南功一。筑波大学第4代学長(86年~92年)。
*68 石崎
石崎友規。06年度副議長・学群改組特別委員長。現自然学類3年。
*69 大山
大山新之助。06年度人文学類座長・Campus編集長。現人文学類4年。
*70 そおしあ~る
社会学類誌。1982年に創刊され、07年1月現在で116号まで発行されている。
*71 レオナプロジェクト
94年、96年に教育課程専門委員会主催で開かれた学園祭企画。全学から「良い教官」と「フレンドリーな教官」を選び、表彰するというもの。93年の後夜祭で江崎
玲於奈学長(92年~98年)が「来年はよい教官とフレンドリーな教官を選んで表彰したらどうか」と話したのが発端なため、このように呼ばれる。
*72 ノンポリ
ノンポリシーの略。特定の思想に偏っていない人のことを指す。
*73 地下道
地下共同溝のこと。電気などのライフラインが通っている。無断での進入は禁止だが、授業やオリエンテーションなどで学生が見学する機会も割りとある。
*74 顧問教官つける
当時の学園祭では企画ごとの顧問教官を決めないと参加できなかった。今は学生の申請のみで参加できる。
*75 三里塚闘争勝利集会
p83 事件簿参照。
*76 オールナイト映画上映会
正しくはセミナイト上映会。p83 事件簿参照。
※本座談会は2006年12月9日午後2時から、第一学群喫茶室で開かれたものです。
120
全代会30周年記念誌
資料
年度別議長団・委員長団一覧
特別委員会一覧
議案一覧
副学長等と全代会構成員との懇談会 議案一覧
Campus記事総覧
全代会30周年記念誌 123
福田好紀(社会 3 年)
官林祐治(社会 4 年)
吉田真人(芸術 3 年)
内村泰秀(生物 2 年)
百瀬弘(人間 3 年)
熊谷秀武(社会 3 年)
押元和美(比文 3 年)
小林寛(情報 3 年)
鈴木享(自然 3 年)
倉科浩彰(人文 2 年)
指宿昭一(比文 2 年)
麓尚仁(農林 2 年)
相沢克明(人間 2 年)
萩尾徹(比文 2 年)
重久基志(社会 2 年)
笹井琢(社工 2 年)
寿茂(日日 2 年)
渡辺淳也(人文 2 年)
鳥越規央(自然 2 年)
田原在美(農林 2 年)
中川文憲(社会 2 年)
今度祥一(日日 2 年)
有地剛志(人間 2 年)
橋本泰敏(自然 2 年)
尾畑祐一(社工 3 年)
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
来野元(人間 1 年)
白岩浩志(医学 3 年)
風間武(国際 2 年)
小林常伸(自然 2 年)
白田裕司(国際 2 年)
古在由春(国際 1 年)
橋本泰敏(自然 1 年)
堀口雅則(社会 3 年)
諏訪庸和(社会 3 年)
板橋雅則(日日 3 年)
重住賢一(人文 3 年)
村上圭(人間 3 年)
市橋創(人間 3 年)
小林敬介(工シス 3 年) 佐藤翔(図情 3 年)
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
坂本博(社会 4 年)
堀友和(情報 1 年)
山代知(社会 1 年)
柴田智美(情報 1 年)
池上陽子(生物 2 年)
石﨑友規(自然 2 年)
竹林綾子(情報 2 年)
清水隆志(社工 2 年)
※1 年度途中で議長職に就いたため委員長職を辞したが後任は不明。
敬称略、所属は当時のもの
同じ年度に役職にふたり以上の名前がある場合は年度途中に変更があった
佐藤翔(図情 2 年)
高橋弘樹(自然 2 年)
千葉正明(工シス 3 年) 篠田康弘(国際 2 年)
柴田智美(情報 2 年)
新見綾子(人間 3 年)
後藤信介(比文 1 年)
阿部昇(工シス 2 年)
有地剛志(人間 3 年)
権田恭子(人間 2 年)
関千代(国際 1 年)
和田善行(自然 2 年)
中川祥一(社会 2 年)
荒川万利恵(日日 1 年)
黒澤佳恵(自然 2 年)
佐野友子(人間 1 年)
竹原令依子(社工 2 年) 菊地徹(国際 2 年)
川添智由(工基礎 2 年) 佐野友子(人間 2 年)
荒川万利恵(日日 2 年)
松井漠(社工 2 年)
千葉正明(工シス 2 年)
武山景一(社会 3 年)
佐々木博(比文 2 年)
小倉哲昭(情報 2 年)
小幡英文(比文 1 年)
氏家清和(資源 2 年)
村上圭(人間 2 年)
高柳慧(自然 3 年)
三次義弘(人間 2 年)
木下省三(人文 2 年)
木下朗(日日 2 年)
境田二也(社会 2 年)
近藤浩幸(人間 3 年)
増田一郎(芸術 3 年)
岡田亮(生物 2 年)
岡田亮(生物 1 年)
手塚浩二(人文 1 年)
高橋雅聡(情報 2 年)
峯岸和彦(比文 2 年)
今井幸弘(人文 2 年)
浜島俊輔(自然 1 年)
正木準也(人間 2 年)
渡辺学(人間 2 年)
今村雅宏工(農林 1 年)
宮地宏征(農林 1 年)
三原俊一(生物 3 年)
毛利健(医学 1 年)
桐畑善次(自然 2 年)
原孝彦(生物 2 年)
小林祐二(社会 3 年)
河本宏美(自然 2 年)
原田一峰(比文 2 年)
大倉浩(人文 2 年)
千葉精康(人間 2 年)
厚生
金子修治(日日 2 年)
相田理沙(社会 3 年)
市橋創(人間 2 年)
清水隆志(社工 1 年)
山﨑智(工基礎 2 年)
山崎智(工基礎 1 年)
倉垣内将賢(人文 2 年) 遠山健(生物 2 年)
大山新之助(人文 2 年) 小林敬介(工シス 2 年)
鎌田武志(図情 2 年)
小林一人(自然 3 年)
山崎健一(社会 1 年)
福田悠介(社工 3 年)
大倉桂(日日 3 年)
大倉桂(日日 2 年)
中田りつ子(社会 2 年) 寺田純平(自然 2 年)
絹村安理(日日 2 年)
川井敏明(工シス 3 年) 岡田亮(自然 3 年)
川井敏明(工シス 2 年) 上村匡稔(情報 2 年)
佐々木太朗(情報 2 年) 桑原務(国際 2 年)
大沢枝里子(国際 2 年) 桑原務(国際 1 年)
永田佳敬(国際 2 年)
杉舩竜也(比文 2 年)
平見知久(情報 2 年)
平見知久(情報 1 年)
澤達大(比文 2 年)
越智慎司(比文 2 年)
石井健(情報 2 年)
加藤康次(日日 2 年)
山本尚史(国際 2 年)
井手義郎(工シス 2 年) 武田道哉(基礎工 2 年) 関千代(国際 2 年)
重住賢一(人文 2 年)
八木秀徳(国際 2 年)
前川徹彰(国際 2 年)
前川徹彰(国際 1 年)
小倉哲明(情報 1 年)
早川健二(自然 2 年)
宮本新吾(生物 2 年)
清水敏樹(自然 2 年)
岩瀬顕一郎(日日 1 年) 武田道哉(基礎工 1 年) 磯部聡(人間 2 年)
鈴木秀育(情報 2 年)* 2
夛田裕史(体育 3 年)
鈴木英雄 ( 医学 3 年)
神谷正光(人間 2 年)
小柴正樹(情報 2 年)
岡村朗(人文 2 年)
安藤淳(自然 2 年)
稲葉克彦(生物 2 年)
鈴木寿一(農林 4 年)
小林靖彦(人文 3 年)
石原恒和(芸術 3 年)
大部匡(資源 3 年)
長谷川裕(体育 2 年)
広報
田中優美子(医学 3 年) 齋藤愛(人間 2 年)
岩城和宏(社工 2 年)
指宿昭一(比文 3 年)
冨田健太郎(社会 2 年) 野呂昌弘(医学 2 年)
原田健一(社会 2 年)
高橋隆治(社会 2 年)
橋本暁輝(社会 2 年)
外池智(社会 2 年)
米田冬門(人間 2 年)
佐藤敦則(基礎工 2 年) 井筒浩(比文 4 年)
倉科浩彰(人文 2 年)* 1 木下佳明(情報 3 年)
川井敏明(工シス 2 年) 長谷部司(自然 1 年)
仲村真哉(自然 2 年)
遠山治(農林 2 年)
田島孝幸(情報 1 年)
傍島聡(人文 2 年)
原田隆康(体育 2 年)
清水宣雄(体育 3 年)
課外
黒沢公雄(基礎工 2 年) 山下和久(社工 2 年)
細田敬二(人間 2 年)
藤田敏明(比文 2 年)
教育
山代知(社会 2 年)
高橋弘樹(自然 1 年)
菊池俊一(自然 2 年)
高橋武蔵(情報 2 年)
堀口雅則(社会 2 年)
矢野武明(生物 3 年)
井上大輔(社工 2 年)
花牟礼友樹(資源 2 年) 仲谷知世(資源 3 年)
坂本博(社会 3 年)
川添菜津子(人文 2 年) 堀友和(情報 2 年)
早川健二(自然 3 年)
金子修治(日日 3 年)
1998
1999
食堂基樹(社会 2 年)
佐々木太郎(情報 3 年) 早川健二(自然 1 年)
長谷部司(自然 2 年)
1997
世良郁夫(基礎工 2 年) 上村匡稔(情報 1 年)
岡田昌史(医学 2 年)
傍島聡(人文 3 年)
鈴木秀育(情報 1 年)
熱田裕彦(芸術 2 年)
荒井重富工(基礎工 2 年) 水上祐貴子(比文 1 年) 鈴木睦仁(自然 2 年)
中山裕之(社工 2 年)
五十嵐浩之(人間 2 年) 伊藤暁(国際 2 年)
鈴木秀育(情報 2 年)
井原浩雄(比文 2 年)
横田邦彦(国際 2 年)
岩間知行(生物 2 年)
萩尾徹(比文 3 年)
杉原生剛(比文 4 年)
嘉山陽一(人文 4 年)
鈴木伸洋社会 3 年)
堀尾紀昭(人間 2 年)
嘉山陽一(人文 2 年)
花本明(自然 3 年)
浦門均(社工 2 年)
宮本久也(人文 2 年)
内行
安部光洋工(基礎工 2 年) 蕪木孝典(芸術 2 年)
木澤義之(医学 3 年)
増田剛正(自然 2 年)
渡辺真起(基礎工 2 年) 中村健二(社工 2 年)
久保田将之(人文 2 年) 安部光洋工(基礎工 3 年) 大橋真人(自然 1 年)
杉藤健志(社工 2 年)
犬塚博嗣(社会 2 年)
高野泰(人文 2 年)
白川英樹(生物 2 年)
中村靖司(医学 1 年)
荒木久哉(生物 3 年)
荒木久哉(生物 2 年)
金山智一(人間 3 年)
近藤宏(体育 2 年)
森保文(農林 2 年)
今井良夫(自然 2 年)
田惣男(人間 3 年)
細田敬二(人間 3 年)
山本烈(情報 2 年)
金山智一(人間 2 年)
小林寛(情報 3 年)
片亀光(農林 2 年)
腰本宣彦(農林 2 年)
坂谷忠夫(基礎工 2 年) 小野田覚(社会 2 年)
東茂樹(社会 2 年)
野口昌利(社会 2 年)
木山昌彦(医学 3 年)
1996
※2 副議長と兼任
運営
大喜多良美(人文 3 年) 川上誠工(基礎工 1 年) 高椋清(医学 3 年)
平野靖史(体育 2 年)
芝原康(人文 3 年)
1976
副議長
議長
年
年度別議長団・委員長団一覧
特別委員会一覧
委員会名
学園祭監査機関
要項修正プロジェクトチーム
設立年度
1975
1975
細則担当プロジェクトチーム(後、細則 1976
専門委員会)
アルバム委員会
1978~
スポーツ・デイ小委員会
1978~
夜間ハイク実行委員会
1979~
80学園祭特別委員会
1980
制度改正プロジェクトチーム
1984
諸規則検討小委員会
1985
新歓パンフ作製特別委員会
1985
交通安全委員会
1989
新歓行事委員会(全学学類・専門学群平 1992
成5年度新入生歓迎行事連絡協議会)
学園祭学生分担金及び学園祭実行委員会 2001
選出方法に関する特別委員会
駐車場ゲート化問題WG
2001
駐車場に関するWG
2002
全代会の任期に関するWG
2002
図書館情報大学、医療技術短期大学との 2002
統合に関するWG
外灯調査特別委員会
2003
大学説明会に関する特別委員会
2003
大学統合特別委員会
2003
全学的授業評価制度に関する特別委員会 2003
駐車場特別委員会
細則改正特別委員会
2003
2004
学内バス特別委員会
2004~
留学生特別委員会
2004
2005年度全代会検討委員会
2004
全代会30周年記念行事に関する特別委 2005
員会
124
全代会30周年記念誌
活動内容
詳細不明
大学から提出された「筑波大学における学生の組織及びクラス連絡
会等に関する要項」の修正原案作成
組織・議案の流れ等の草案作りと実現のための細則制定のため設
立。現在の組織の基礎を作った。
卒業アルバムの編集。その後しばらく下部組織として存在したが、
やがて消滅(消滅にいたる詳細は不明)
課外活動専門委員会の下部組織として発足。その後スポーツ・デイ
の運営の主体は体育会へ移行→現在のSDへ。
前年度から開学記念行事としてはじまった筑波山夜間ハイク(名前
の通りのイベント)。1979年度には実行委員会も発足しているが、
暴走族対策がたたず中止された。夜間ハイク実行委員会はその後も
しばらく存続。実行できることもあったが中止されることも多かっ
た。その後、いつの間にか消滅。
1980年学園祭(中止された)の事実経過などについて調査するため
に設立。
運営専門委員会と、他の専門委員会(当時は厚生も専門)から選出
された1名ずつにより構成。学園祭などにかかわり大学等の制度改
正(各種申請など?)の実現のために活動。
学園祭等とのからみから、諸規則を検討し、問題点を指摘、改善の
ための具体案を出す為に設立。しかし対策は進まなかった。
広報委員会委員長団+議長団、各専門委1名ずつから構成。学生組
織を紹介する為のパンフレットの作製と、その他の新歓行事を行う
可能性を模索。新歓委員会はその後も幾度となく発足し、全代会の
新歓活動を行った。現在その役割は検討委員会・イベント班が行っ
ている。
全代会主催の学園祭企画(交通安全プロジェクト)を動かすために
設立された委員会。プロジェクト自体は阿南功一学長からの提案を
全代会(副議長・久保田)が受ける形で始動。学生による交通事故
の減少を目的に、パネルディスカッション「交通事故はなぜ起きる
のか」を実施した。
物品貸し出しのスムーズ化などをはかり、各学類・専門学群の新歓
委員長を集めた協議の場を、内行が中心となり設立した。現在の新
歓ネットの原型。
内行の希望者を中心に設立。学生分担金、実委の選出方法などにつ
いて討議し、改革案を策定することを目的に活動。学分金の4年間一
括集金・実委選出を新入生オリエンテーション時に行うなど、多く
の功績を残す。
学内の駐車場のゲート化問題について、それまでの経緯や資料につ
いての勉強会等を開く目的で設立。
2002年度5月に実現された駐車場のゲート化について、学生からの
苦情に対処し、大学側に要望・意見を提出するために設立。広聴会
を開催するなど積極的に活動。
4月に代替わりとなる全代会の任期について、引継ぎの困難さなどか
ら見直しをはかるために設立。その後目立った活動の記録はない。
10月に行われる図書館情報大学(現図書館情報専門学群)、医療
技術短期大学(現看護・医療科学類)との統合に際し、大学との情
報共有と発生が予想される諸問題の解決のために設立。情報共有の
他、図情新歓委員会の準備や看護新歓の援助などを行った。
夜間の大学構内の明るさを調査し、外灯が不十分な場所の改善を大
学側に要請するために設立。調査報告書を大学に提出した。
各学類等が大学説明会についてどのような活動をしているかを調
査。
統合に伴い発足したばかりの図情・看医のクラ代会をサポートし、
事務・教員との交渉を行うために設立。新歓活動をはじめサークル
問題など多くの問題を扱った。翌年度以降はそれぞれの学類のクラ
代会に活動を引きついだ。
6/20より行われたTWINSでの授業評価について意見を述べるために
設立。現在教育課程専門委員会がその活動を引き継いでいる。
筑波大学交通安全会に学生の立場から意見を述べるために設立。
選挙管理委員会など、実情に適合しない細則の改正のために設立。
年度内に目立った成果をあげることはなかった。
学内バスの廃止に伴い、対策を考えるために設立。関東鉄道バスの
パス制導入などに貢献。
実家に帰省することのできない留学生の冬季休業対策(宿舎の暖房
が切れる、風呂の営業時間が短くなるなど問題が生じる)のために
設立。責任者が途中から活動を放棄し、立ち消えになる。
次年度の全代会について、組織、新歓、広報、クラ代会との関係な
どの面から検討するために設立。
全代会の30周年を記念して、記念行事の実施と記念冊子の作成のた
めに設立。学園祭への出店、講演・パネルディスカッションなどの
記念行事を行った。冊子は年度内に完成しなかった。
委員会名
学群再編に関する特別委員会
設立年度
2005
新規宿舎共用サービス特別委員会
2005
検討委員会
学群・学類改組に関する特別委員会
2005
2006
全代会記念誌制作特別委員会
2006
調査特別委員会
2006
情報特別委員会
2006
新歓・安全対策特別委員会
2006
検討特別委員会
2006
活動内容
"2007年度から行われる学群・学類再編(改組)に伴う諸問題を解
決するために設立。カリキュラムに関する新学群での意見交換など
を行った。
宿舎共用棟の食堂・売店・浴場などを営業していた吉池サービスの
撤退に伴い、新たな業者の選定などを行うために設立。2学期以降
活動の主体は厚生委員会に移った。
次年度の全代会について検討するために設立。
2007年度から行われる学群・学類改組(再編から呼称を変更)に伴
い、主に改組後の全代会の組織について検討するために設立。
前年度、全代会30周年記念行事に関する特別委員会の活動の中で完
成に至らなかった全代会記念誌を刊行するために設立。
全代会の問題発見能力の強化と筑波大学が抱える問題の調査を行う
ために設立。
学内の情報処理・コンピュータネットワーク関連の問題解決をはか
るために設立。
三系と全代会から構成される安全対策推進委員会の活動の企画や、
宿舎入居時、新入生歓迎祭及びその他新歓時期全般における悪質な
勧誘対策の企画と関係団体との調整、および新歓ネットワークでの
学類等間の活動の調整を行うために設立。
次年度の全代会について検討するために設立。
全代会30周年記念誌 125
議案一覧
年月日
議案名
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
1975.9.11
学園祭実行委員会の承認
承認
1975.9.11
1975.9.11
学園祭実行委員会監査機関の設立
学園祭学生分担金の金額を300~500円
承認
承認
とする
後に学園祭実行委員会から提出
された予算案に基づき、500円
とすることが決定
1975.9.26
代表者会議発行の広報を出す
決定
1975.11.7
1976.2.9
『要項修正プロジェクトチーム』の結成
要項修正案
決定
承認
1976.2.16
1976.6.23
学園祭決算報告
1976学園祭実施日程
1976.6.23
学園祭実行委員会について
監査委員長
実施期間10/1~11、メイン期間9~11
承認
承認
1.組織図
承認
2.実行委員長を代表者会議より送る(1976は人間2年田中為雄)
3.実行委員会組織として3局(総務・企画・組織)を置く
4.各局に代表者会議からオブザーバーを送り、代表者会議と実行委
員会との連携を保つ(オブザーバー3名選出)
5.実行委員会は各学類・専門学群の各学年から最低1名送出された
学生により構成される。役員は全実行委員により互選され、代表者会
議がこれを承認する
6.首脳部構成
の、6点を決定
1976.7.7
「学園祭実行委員会と教官・事務官との
承認
間に連絡協議会を設け、首脳部が、交渉
にあたる」
1976.7.19
「学園祭分担金の徴収の必要性」
確認
1976.9.6
「学生分担金一律500円をクラス代表者
承認
承認
を通じて徴収する」
1976.10.29 厚生委、教育委、書記局(後の広報)の
新設
1976.11
書記局設置細目案(後の広報委員会につ
承認
1976.12
いての細目原案)
学園祭実行委員会設置案
承認
1977.1
1977.6.21
細則草案
学園祭に関して
1.分担金額について
クラス会議へ発議
1.分担金額…500円と決定
2.分担金額を集める方法
2.集金方法…座長団に一任
3.第一次予算案について
3.承認
承認
4.学園祭の名称
1977.9.5
(スポーツ・デーについて)各学類・専門
クラス会議への発議決定
4.「雙峰祭」に決定
承認
学群から一名ずつの連絡員を出してもら
う
細則修正案
筑波大学における学生の組織およびクラ
全代会やクラ代会の活動方法などについて詳細に定めた細則を全代会
ス連絡会等に関する要綱細則
として正式決定する。
1977.2.18
広報委員会についての細則
広報委員会について定めた細則を全代会として正式決定する。
承認
3月11日厚生補導審議会で可
1977.2.18
学園祭実行委員会についての細則
学園祭実行委員会について定めた細則を全代会として正式決定する。
承認
決、正式に制定される
3月11日厚生補導審議会で可
1977.2.18
学園祭に関する申し合わせ
学園祭の日程などを定めた申合せを全代会として正式決定する。
承認
決、正式に制定される
3月11日厚生補導審議会で可
1977.2.18
課外活動に関する申し合わせ
全代会は課外活動団体の運営に関し、課外活動団体会議に協議を求め
承認
決、正式に制定される
3月11日厚生補導審議会で可
1977.12.5
『学内交通を考える会』の主催を全代会
1977.12.5
にする
学園祭決算報告(概算)
1977.11
1977.2.18
?
承認
3月11日厚生補導審議会で可
決、正式に制定される
ることができることを定める。
決、正式に制定される
承認
欠損(使途不明金)の扱いが問題に
欠損の扱いを内行委に任せるこ
とが決定。1月に詳細を正式承
認
1977.12.5
「スポーツ・デー実行委員会の改革案」
会議途中で定足数を割り懇談会
について
に。議長団、運営委、内行委で
まとめて改革案を提出すること
に
1978.1
1978.2.3
カリキュラムに関する提案
78学園祭実行委員の任命・委員長、副委 学内行事専門委員会
廃案
承認
員長選出
1978.2.3
1978.2.3
77年度決算、総括報告書の承認
議案作成手順の承認
学内行事専門委員会
運営専門委員会
?
?
1978.2.3
1978.5.31
1978.5.31
厚生専門委員会拡充案の承認
学園祭実行委員会副委員長の任命
学実委のための部屋割り当てに関する要
厚生専門委員会
?
承認
承認
望
1978.6.7
1978.7.5
1978.7.5
3部屋が割り当てられる
'78学園祭実行委員会運営要領案
53年度学園祭予算
三方針について
学内行事専門委員会
学内行事専門委員会 厚生補導審議会
「学園祭の3方針」について「筑波大学における学生組織及びクラス
承認
承認
承認
連絡会等に関する要項」の基本的考え方1.1.3に基づき、質問及び意見
53年度雙峰祭統一テーマ
126
全代会30周年記念誌
学内行事専門委員会 構成員各位
演出効果・宣伝効果を期待し、学園祭に統一したテーマを設ける
全代会名義で厚生補導審議会に
提出する。全代会で説明事項等
書を学生の意向として厚補審に提出する
1978.7.5
全代会室(当時一学A棟)前の
を添付
承認
年月日
1978.7.5
議案名
「夜間ハイクを開学記念行事として行
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
学内行事専門委員会 構成員各位
承認
う。」
1978.7.5
1978.7.5
1978.7.5
学園祭に代表者会議企画を出展する
卒業アルバム編集委員をつくる
卒業アルバム編集委員を各学類・専門学
学内行事専門委員会 構成員各位
学内行事専門委員会 構成員各位
学内行事専門委員会 構成員各位
学園祭に全代会の企画として、リレー討論会を出展する
保留
承認
承認
群ごとに1名ずつ選出
1978.7.5
広報委員長補佐として人文学類三藤を選
1978.7.12
出
代表者会議企画について(リレー討論
承認
学内行事専門委員会 構成員各位
学園祭の全代会企画として、リレー討論会を開催する
承認
学園祭の全代会企画として、大声を競う弁論大会を行なう
保留
会)
1978.7.12
代表者会議企画について(クラス対抗大
学内行事専門委員会 構成員各位
1978.7.12
声大会)
アルバム委員の承認について
学内行事専門委員会 構成員各位
承認
1978.7.12
1978.7.12
学園祭実行計画書
学園祭実行委員の追加、削除分
学内行事専門委員会
学内行事専門委員会
承認
承認
1978.7.12
学園祭に対する全学学類・専門学群代表
構成員(島田)
1978.7.12
1978.9.6
者会議の姿勢を確認する緊急動議
夜間ハイク企画について
学園祭実行委員の追加、削除分
学内行事専門委員会
学内行事専門委員会
1978.9.6
(動議)「学生担当教官を参考人として
副議長(腰本)
1978.9.6
事実確認の時間に限り招請する」
「7月21日の厚生補導審議会の決定」に
学内行事専門委員会
構成員各位
企画団体に対して大学から干渉が行われた場合の全代会の対応・態度
審議未 審議を打ち切る動議により審議
などを提案
了
未了のまま打ち切り
承認
構成員各位
承認
学園祭の企画干渉の決定の撤回要求
相対過半数で承認
「全代 クラス討議をあわせて行うこと
ついての撤回要求
会名
に
義で出
す」否
認
「実委
名義で
出す」
1978.9.6
「学園祭の二企画に関する7月21日の厚
承認
承認
抗議文を全代会名義で提出する
生補導審議会の決定」について抗議
(全代会名義で抗議文を出す)
1978.9.6
学園祭実行計画書の追加企画について
学内行事専門委員会
承認
大学から問題視されている企画
については連絡協議会で協議が
整えば実行計画書に載せること
に
1978.9.6
スポーツ・デー小委員会設置について
課外活動専門委員会
スポーツ・デー小委員会を課外活動専門委員会の下部組織として設置
承認
する
(拍
手)
1978.9.6
宿舎連絡員説明会の開催案
構成員(押元)
構成員各位
承認
(拍
1978.9.6
1978.9.14
「夜間ハイク実行委員の選出」
議長解任請求
発起人(山本)以
構成員各位
下、構成員10名
手)
承認
否認
委員長(腰本)以下、12名(11名?)を選出
・前回の会議で議長が議事運営を混乱に陥れたこと
承認11、否認14、保留4で否認
・混乱状況の中、クラス討議の決定を拍手で行なったこと
・上記2点を失策と認めながら、再審議要求を断ったこと
の3点を理由に、議長の解任を請求
1978.9.14
副議長辞意表明
1978.9.14
9/6決議のクラス討議に関して、9/20の
副議長(腰本)
構成員各位
保留否 承認14、否認7、保留8で保留否
決
否認
決
全代会で再審議を行う
1978.9.20
1978.9.20
スポーツ・デー小委員会委員の承認
夜間ハイク実行計画書
課外活動専門委員会 構成員各位
夜間ハイク実行委員 構成員各位
承認
承認
1978.9.20
リレー討論会が実行不可能になったこと
会
副議長(腰本)
構成員各位
承認
修正「クラス討議要請の一時撤回を要求する」
否認
詳細は事件簿
「STUDENTS No.57には全代会や学実委について学生の誤解を招くお 否認
について
1978.9.20 クラス討議無期限延期の提案
1978.9.20 運営専門委5人罷免
1978.10.18 STUDENTS No.57について
運営専門委員会
構成員(島田)
構成員各位
1978.10.18 運営専門委員選出にあたっての提案
議長(熊谷)
構成員各位
それのある記事がある」とし、訂正の要求や反論の発表を提案
運営専門委員罷免にいたる経緯を反省し、意思決定機関とは別に下部
否認
組織として執行委員会を設置することなどを提案
1978.12.6
学園祭特別委員会設置の提案について
1978.12.6
県議選買収問題について
ただし継続して検討することを
確認
学内行事専門委員会
保留否
決
・事件が遺憾であること
承認
・信用回復が大切
・この問題について多方面から検討する
1978.12.6
「処分に関する要請」
以上の3点を全学生に呼びかける
県議選買収問題について、安易に学生を処分するだけでなく、政治教
承認
育の面など大学も反省すべきことを反省し、処分についても真剣に考
えた上で行うよう要請
1979.2.7
78年度学園祭収支決算
承認
1979.2.7
1979.2.7
78年度学園祭総括報告書
「79年度学園祭を開催する」
承認
承認
1979.2.7
1979.2.7
「79年度学園祭分担金を500円とする」
「新入生歓迎会を開催する」
承認
承認
全代会30周年記念誌 127
議案一覧
年月日
議案名
1979.5.9
議長選に関する緊急動議
1979.6.6
統一見解に関する提案
議案提出者
議案提出先
議案内容
細則上の必要数(構成員の過半数)を集めていない押元を廃し再選挙
決議 結果・その後の展開
否認
を求める
構成員(吉田真人、 構成員各位
細則にのっとらない押元選出についての全代会としての見解を示す
承認
花本明)
審議の上、「全代会は5月2日
の全代会において押元和美を議
長に選出した。ただし要項の決
選投票の項に関して問題点があ
ったと思われる。それは今後の
検討事項としたい。上記5月2
日の決定はその検討した結果に
左右されない」という文言を採
1979.6.6
学園祭に関するクラス討議要請について
学内行事専門委員会 構成員各位
学園祭に関するクラス討議を行なう
1979.6.13
夜間ハイク開催について
課外活動専門委員会 構成員各位
筑波山夜間ハイクを実行する
用
取り下 「専門委員会内での検討が不十
げ
分」として議題取り下げ
承認
各専門委員会から夜間ハイク実
行委員を一名ずつ選出すること
を確認
1979.6.14
学園祭実行委員の任命について
人間学類から委員の推薦がない状態で委員全体の任命ができるかが争
承認
点に
人間学類からの推薦なしでの委
員任命、可決
「細則の解釈が一致していない
が、一致を待つと時間切れにな
る」
1979.6.14
動議「人間学類から推薦者が出なかった
構成員(渥美俊英)
承認
のにもかかわらず、学園祭実行委員を任
1979.6.14
命した根拠について討議する」
「学園祭実行委員任命に関する統一見
承認
解」
1979.6.20
54年度学園祭開催期日案
多数
学園祭実行委員会&内行、三系、芸術専門学群クラ代会、運営専門委
承認
員会、その他の構成員など、様々な提案者からの提案について、そ
れぞれを比較検討・場合によっては修正を加えながら審議が行なわれ
た。
学内行事専門委員会 構成員各位
最終的に、12/7、8、9とする案を審議
9月に入ってから、期限なしで実行委員の追加募集を行なう。学実委が 承認
1979.6.20
学園祭実行委員の追加募集について
1979.6.20
人間学類学園祭実行委員の任命
承認
1979.6.20
学園祭実行委員会委員長・副委員長の任
承認
1979.9.5
命
学園祭期日案再検討
人数が足りたと判断した時点で募集を打ち切る。
6.20提出の日程(12/7、8、9)では実施が難しいことを担当副学長より 承認
告げられ、日程を再検討。最終的に、11/3、4、5に決定、再度要請す
ること、休講措置もあわせて要請。また、付帯事項として抗議文もあ
わせて担当副学長に提出することを採決。
1979.9.5
1979.9.5
1979.9.12
学園祭学生分担金
議長辞任
(議長選における)傍聴人規定を設ける
1979.9.12
までの暫定的処置について
議長選挙
議長
構成員各位
選挙管理委員長連絡 構成員各位
会
学園祭学生分担金を500円とする
押元議長が留学を理由に辞意を表明
傍聴人規定を設けるまでの間、議長選の投・開票時には傍聴人の退席
承認
承認
承認
を求める
立候補者は小林寛(情報3年)のみ。信任投票にはせず、記名投票を
9.12新議長選出
相対過半数で承認
小林寛、過半数の票を得て当選
行なった(立候補してない構成員にも投票できる)
1979.9.12
(副議長選に関して)傍聴人規定の承認
詳細不明
1979.9.12
確認
副議長選挙
片亀、吉田の決選投票に
1979.9.12
1979.9.26
夜間ハイク実行計画書
(動議)永井学園祭委員長からの質問書
議長
開学記念行事という位置づけについて多少審議
後述する永井学園祭委員長からの質問書について、全代会は1978年
1979.9.26
について
(動議)条件付審議継続動議
学内行事専門委員長 構成員各位
構成員各位
承認
片亀、過半数の票を得て当選
承認
承認
9/28午前10時までになんらかの回答を行う
明日の全代会までに、
1.課外活動とはどういう概念か
2.誰に対して質問したのか
3.どのような形での回答か(期限についても)
の3点について、学内行事専門委員会が学園祭委員長に確認する
1979.9.26
(動議)全代会と学実委の関係について
運営専門委員長
構成員各位
承認
討論を行う
1979.9.27
採決の後、1時間にわたって全
代会と学実委の関係について討
永井学園祭委員会委員長からの質問書に
教員側の学園祭委員会委員長から、
論
審議の上「意見がまとまらなか
ついて
・学園祭は課外教育活動の一環として実施されるものであることを確
った」と回答
認できるか ・顧問教官が必要ないというなら、どのような方法で企画を実施し、
その責任を負うのか、具体的に提示して欲しい
と言われる
1979.9.27
学園祭実行委員会内規について
1979.10.3
1979.10.3
副議長選挙
「学園祭実行委員会からのクラス討議要
学内行事専門委員会 構成員各位
承認
前任者離任のため。吉田、福士の決選投票に。
吉田、過半数の票を得て当選
否認
請案について」
1979.10.3
動議「学園祭に関するクラス討議につい
ての全学代表者会議の意向を審議する」
128
全代会30周年記念誌
構成員
構成員各位
承認
年月日
1979.10.3
議案名
「クラス討議の必要性について確認した
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
議長団
承認
議長団
承認
い」
1979.10.3
「全代会が現段階で問題点としてとりあ
げるべき事項について意見をまとめた」
1.「指針」と、それに対する
学園祭実行委員会の見解
2.学園祭の内容
の二点を全代会でとりあげる
ことに
1979.10.3
クラス討議要請について
上記二点に関して全学にクラス討議を要請するか否かについて採決
賛成
「クラス討議の実施は各学類・
17 反
専門学群の判断に一任する」こ
対6 棄 とに決定
権10
承認
1979.10.11 「第5回筑波大学学園祭実行計画書」を
承認することについて
学園祭実行委員の辞任(7名)
1979.12.5
承認
新入生歓迎祭について、「全代会も主催
新入生歓迎祭推進委
「全代会として、新歓祭を積極
に参加してほしい」との要望
員会
的に支持するとともに、各専門
委で具体的な参加の方法を検討
する」ことを決定
1979.12.5
スポーツ・デー学類内委員会設置につい
課外活動専門委員会
承認
て
1979.12.5
今年度学園祭に関する総括クラス討議の
議長
1980.1.23
要請について
学園祭に係る学生処分反対決議
「今年度の学園祭に関する総括クラス討議を行う」
否認
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長 1979年の学園祭闘争の一連の活動について、大学は学園祭終了後に調 修正の 処分反対の要請は無視され、学
査を行っていた。1979.11.20、この調査行為を巡って職員と学生が口 上、承 園祭闘争で大学本部棟座りこみ
論になった。これを止めに入った基礎工学類長が6時間に渡って軟禁さ 認
を実施した学生と共に関係者は
れ、救急車で運ばれた(三浦事件)。この事件についての学生に懲戒
処分された。
処分をすることに反対するとともに、詳細の説明を行うよう大学へ要
請した。
1980.1.23
全学説明会及び全学代表者会議構成員の
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長 ・学園祭に係る学生処分等(本部棟での座り込み・突入などを行った
厚生補導審議会出席に関する要請
承認
前掲のとおり、全学説明会は特
学生や、三浦事件関係者への処分)について全学説明会を開催するこ
になく、1980.3.14に学生のべ
とと、学生の処分を審議する 18名が処分された(うち7名は
・厚生補導審議会に全代会構成員を出席させることを要請する
無期停学)。しかもこの告示プ
リントを剥がそうとした学生
が、私服警官に公文書遺棄の現
行犯で逮捕された。
1980.1.23
1980.1.23
1980.5.20
全学交歓会について
全学交歓会自体の詳細は不明。「全代会としては協賛しない」ことに
承認
全学会(全代会)公開討論会について
動議「構成員の中に停学中の者が含まれ
ついて採決。
討論会を運営専門委員会で行う
学園祭闘争に関わって無期停学処分を受けた学生(当時 社会学類4
承認
構成員
構成員
審議の末「細則を文面通り解釈
るため、要項細則に抵触する恐れがあ
年)が社会学類の座長団として選出されたことについて、構成員とし
すれば、問題はない」として提
り、構成員としては、認められない」
て認めるかどうかが審議された。結局結論が出ず、選出した社会学類
出者が動議取り下げ
の意思を尊重して後の審議に入ることに。
1980.5.26
「学園祭開催要請を行う」
1980.6.4
学園祭実行委員の任命
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長 修正動議「期日を10月10、11、12日とし、そのための休講措置を10 承認
月9、11、13日として要請する」も合わせて提出
8学類・35名しか推薦されていない状況で学実委を発足させるかが争
承認
点に
「本年度に限り8学類の実行委
員推薦に対する任命をもって学
実委を発足させ得る」(議長団
より提案)という条件をつける
1980.6.4
「1980年度学園祭に関する全学討論要
1980.6.11
1980.6.11
1980.6.18
請」
学園祭実行委員追加承認
学園祭実行委員長、副委員長の任命
学園祭の期日要請変更
1980.6.18
学園祭実行委員追加承認
1980.6.18
1980.7.4
第5回雙峰祭会計報告書
学園祭実行委員追加承認
学内行事専門委員会
承認
承認
承認
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長 三系の意見を受け、学園祭の期日を11月に変更するか否かを審議
11月開催が適切との合意に達す
る
承認
被推薦者の中に被処分者(停学中)が含まれていた事が問題になる。
承認
否認
最終的には被処分者の推薦を見合わせることになった。
処分を受けていない学生につい
ても承認されず
1980.7.4
「“回答”に対する抗議及び学園祭開催
学内行事専門委員会
否認
1980.7.4
承認要求」
(動議)(上の議案の)「再審議要求」
承認
1980.7.4
「“回答”に対する抗議及び学園祭開催
承認
承認要求」(再審議)
文面の最後に「次回に代案を審
議し、それがいずれにせよ可決
されない場合に本案は効力を発
する」旨の文章を追加すること
を条件としてつける
1980.7.4
1980.9.3
「11・20三浦事件に関し、任意出頭が5 構成員
1979年度の基礎工学類長軟禁事件(三浦事件)に関わった学生のうち 否認
人の学生にかけられている。これに対し
5人が監禁容疑で学園署から任意出頭を呼びかけられたことについて
抗議する」
の抗議を行う。
「7・11厚補審学園祭中止決定に対す
学内行事専門委員会
否認
る抗議-その撤回と学園祭開催承認要求
(案)」
全代会30周年記念誌 129
議案一覧
年月日
1980.9.3
議案名
「学園祭実施に関する協議会」を作って
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
議長
まず総括を行うべきとして却下
はどうか
1980.9.3
(上の議案に関する動議)「抗議と反省
否認
と開催の意志をまとめる」
1980.9.3
(動議)「全代会は本年度学園祭を断念
否認
1980.9.3
する」
(緊急動議)「1E204-2室を全代
承認
会で借用する」
1980.9.3
(緊急動議)学園祭実行委員追加承認
承認
1980.9.3
(動議)「(一般学生に全代会の態度を
承認
示すために)具体的な方法は今回まとま
っていなくとも『全代会としては学園祭
実施の方向で検討している』ことを決定
する」
1980.9.17
「7・11厚補審学園祭中止決定に対する
学内行事専門委員会
承認
1980.9.17
抗議」案
「学園祭開催再審議要請」
原案提出は倉科構成
承認
員。その後修正多
数。
1980.9.17
「基調(案)」をもとにした全学討論要
学園祭実行委員会
請
「10/8をめどに、学実委の印刷する「基調(案)」と、各クラ代に 承認
出席する学実委委員との質疑応答をもって討論を進め、各学類でまと
めて学実委まで持ってきて欲しい」
1980.9.24
1980.9.24
学園祭実行委員会内規(案)
「学園祭実行委員の任命についての要請
学園祭実行委員会
学園祭実行委員会
(ならびに報告及び抗議)」
7/4の全代会で任命されなかった者の任命と、その件についての全代会 ①否認
への反省を求める。
②承認
①「7月4日にさかのぼり、森川・渡辺両氏を、実行委員に任命す
1980.9.24
処分問題について(要請)
学園祭実行委員会、
る。」②「森川・渡辺両氏を実行委員に任命する。(9月24日)」
学園祭関係で処分を受けた学生への抗議文を大学に提出する。あえて
学内行事専門委員会
この時期に抗議文を提出することで、学園祭実行委員の活動に対する
承認
全代会の保証の意味も兼ねる。
1980.9.30
1980.9.30
議長辞任
「学園祭開催再審議要請」第1項に関す
1980.9.30
る統一見解
学園祭委員会委員長からの「通知」の2
1980.10.8
に関する緊急決議
「最終的な統一見解」
体調不良のため
承認
10.8新議長選出
まとまる
?
「学園祭にかかわる一切の処分
をしない。」など8項目をまと
め、学園祭委員会に提出するこ
とに決定
1980.10.8
学園祭予算案
1980.10.8 学園祭学生分担金
1980.10.13 (学園祭問題に関する)「公開懇談会」
学園祭実行委員会
承認
学園祭実行委員会
承認
構成員(中込)
承認
500円
10/15に実施することを決議
(について)
1980.10.13 「全学学園祭開催に向けての確認事項
案」
1980.10.13 「『学園祭開催再審議要請』をうけての
承認
具体的確認についての(通知)第2項に
対する回答」
1980.10.27 学園祭実行計画書
学園祭実行委員会
否認
「承認後の混乱を学実委がどう
(内容 解決するのかまとめれば、再審
による 議の余地はある」見解を示す
もので
はな
く、承
認する
ことに
よる混
乱を危
惧した
ため)
1980.10.27 学園祭実行計画書(再審議)
学実委「実行計画書の可決を理由に実力行使を敢行するわけではな
承認
い」と回答
1980.10.27 「10・25告示に対する抗議」
1980.10.27 「抗議案」
農林学類
学内行事専門委員会
否認
1)浅田回答及び大学当局の10月15日全代会主催の公開懇談会出席拒 否認
否に抗議する
1980.10.27 「ストライキ投票に対する全代会の態
農林学類
2)10月17日厚生補導審議会による「学園祭中止再確認」に抗議する
「全代会はストライキ投票を支持する」といった内容のもの
否認
度」案
1980.10.27 「本年度学園祭についての全学代表者会
構成員(吉田)
「全代会は今年度学園祭を断念し、実行委を解散させるとともに、残
議声明の提案」
130
全代会30周年記念誌
務処理は全代会がこれにあたるべきである」
否認
年月日
議案名
1980.10.27 「全代会主催の『学生集会』で今こそ力
の結集と真の力=広範な学生の団結と学
内外の世論の支持」
1980.10.27 「厚生補導審議会への要請」案
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
金山(人間学類有志
否認
による案)
学内行事専門委員会 厚生補導審議会
ストライキ投票を憂慮するのであれば、学生との話し合いを続け、学
否認
園祭開催に向け努力すること、などを要請
1980.11.5
1980.11.5
昭和56年度学園祭開催要請
80学園祭特別委員会(案)
1980.11.5
特別委員会細則(案)
厚生補導担当副学長
承認
1980年度学園祭(中止された)について調査するための特別委員会を 承認
設置する。
特別委員会の細則を定める(全代会構成員5名からなること、委員長
承認
と副委員長を置くこと、調査の範囲を定めないことを規定。また、付
則として新旧議長、学内行事専門委員は特別委員から除くことが望ま
しいことなどを規定)
1981.1.14
学園祭の会計監査について
学生課からアドバイザーを招き、副議長・学内行事専門委員らを担当
承認
において、79年度・80年度学園祭の会計監査を行う。
1981.1.14
81学園祭実行委員1次募集について
1981.1.14
81学園祭実行委員1次募集にあたっての
1981.1.21
全代会確認事項
学類・専門学群スポーツ・デー小委員会
学内行事専門委員会
承認
課外活動専門委員会
についての細則(案)、スポーツ・デー
宿舎料の値上げ等について
否認
スポーツ・デー学生委員会と、各学類・専門学群でのスポーツ・デー
承認
予選大会の運営などを行う学類・専門学群スポーツ・デー小委員会に
学生委員会についての細則(案)
1981.1.21
詳細不明。3項目からなるらしい。
ついての細則を定める。
厚生専門委員会
この年に行われた宿舎料の値上げの根拠を全代会に伝えるとともに、
承認
今後宿舎料や共益費、学内売店の商品の値上げを行うときは理由と営
業成績を全代会へ提出すること、今後は宿舎の収支決算、学内業者の
1981.1.21
全学討論要請
営業成績を全代会へ提出することなどを大学に要請
詳細不明(学園祭関係か?)
1981.1.21
「実行委募集凍結」に関する質問状
詳細不明
承認
詳細不明
承認
保留否
決
(案)
1981.1.21
実行委募集について 1月21日確認
(案)
1981.1.26
1981.1.26
全学討論要請について
懇談会について
詳細不明。2項目について審議。
副学長との懇談会に、無期停学処分中の構成員の出席を認めるか否か
承認
否認
1981.4.22
'81学園祭開催に向けての確認
を再確認する。
大学側に企画名、団体名、責任社名、企画内容、場所を届け出ること
承認
を確認する
1981.5.25
「学園祭期日と学園祭にかかわる休講措
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
承認
1981.6.3
置について」
「三里塚集会不許可について」公開質問
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
承認
1981.6.3
状
「3.31処分について」公開質問状
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長 1980.2.9の「筑波大処分粉砕全国学生共同闘争」、1980.10.1の「開
承認
学7周年記念式典粉砕労学決起集会」、1981.2.9の「三里塚ジェット闘
争連帯集会」を強行した、あるいは参加したという理由で1981.3.31に
訓告処分を受けた4名の学生について、他にも参加した者が多数いたに
も関わらず処分者が4名であったことなどから、「1.処分の対象となっ
た事由の明確化 2.被処分者のいかなる行為が処分対象になったのか、
またそれらの行為の事実確認方法の明確化 3.処分審議の経過と4名が特
定された判断基準の明確化」などを求めて公開質問状を提出。
1981.6.3
「農林学類一学生の事件に係る公開質問
不明
状及び要請」
第二学群長、農林学 1981.4.14に学生の身辺調査を行っていた事務官と別の学生が口論を
承認
6.12に第二学群長から口頭で
類長/厚生補導担当 起こし、暴力沙汰になった。学生の側は「先に暴力を振るったのは事
全代会の代表に説明があった。
副学長
務官であり、また無理やり自分を引き立てようとする事務官を振り払
回答内容は「事実関係は1ヵ月
うために仕方なく腕を払っただけで、むしろ事務官の方こそが小突い
半かけて検討し、教員会議を経
たり壁に押し付けるなど暴力を振るった」と主張。一方の事務官は学
て厚生補導審議会にかけた。ま
生の暴力で腕に全治10日間の痣を負ったと主張した。結局5.20付けで
た、暴力事件であるということ
「暴力事件」として学生への処分が発議されたが、この件について全
は難しいが、少なくとも怪我を
代会から「1.事務官の強制連行が事件の原因とする学生の申し立てを
したのは事務官のみであり、傷
どう処分したのか 2.当事者間で意見が食い違っているのになぜ学生の
害事件であることはいえる」と
暴力事件と認定できるのか 3.再審議の余地はないのか」の3点に関する
いった主旨だった。
質問状を第二学群長と農林学類長に、「当事者間で意見が食い違って
いる場合に一方的に学生に処分を発議することをしないように」とい
う要請を厚生補導担当副学長に提出する。
1981.6.12
1981.6.17
学園祭実行委員追加任命
公開質問状「文書回答」再要請
1981.6.17
公開質問状
承認
承認
厚生補導担当副学長
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長 1980.3.14の学生処分(三浦事件関係等)について、「1.無期停学者が 承認
在籍年数制限の問題で除籍になるのを知っていて停学を解除しないこ
とが真に教育的見地に立ったものといえるのか 2.三浦事件について
はすでに『拘束事件にあたらない』として不起訴処分が下されている
が、拘束にあたらないとすれば無期停学処分は重すぎるのではないか
3.現在無期停学中の3名はこのままでは除籍となってしまうが、大学
にこの3名を早期に復学させる意思はないのか」などの質問を公開質問
1981.6.17
前年度の学生宿舎の管理・運営に関する
経理の学生への公開、学内の全ての販売
厚生専門委員会
厚生補導担当副学
状として大学に提出する。
1981.1.21に可決された議案についての再要請。
承認
長、厚生課長
事業体の経理の学生への公開要求
全代会30周年記念誌 131
議案一覧
年月日
議案名
議案提出者
議案提出先
議案内容
1981.6.17
厚生会の設立等に関する公開質問状
厚生補導担当副学
1981.6.17
1981.6.17
1981.6.17
夜間ハイク計画案
学園祭実行委員追加任命
全代会年次報告書の作成について(1)
課外活動専門委員会
運営専門委員会
全代会の年次報告を作成する。そのために、各委員会及び議長団、各
1981.9.24
「5.28評議会確認に対する抗議および即
運営専門委員会
厚生補導担当副学長 5.28の学長副学長会議で「学生規則第17条等に基づいて、特定の政
決議 結果・その後の展開
承認
長、厚生課長
承認
承認
承認
学類・専門学群クラス代表者会議は1学期の活動記録を作成する。
時撤回要求」
承認
治的活動のための集会は許可しないことを確認した」ことに対し、学
生規則第17条は「学内において特定の政党又は宗教団体に係る活動
を目的とする集会を開催することはできない」とするものであること
1981.9.24
1981.9.24
筑波山夜間ハイクについて
79学園祭無期停学処分についての緊急決 不明
を根拠に抗議。
夜間ハイクの実行計画。
学園祭闘争で無期停学処分を受けていた学生の無期停学執行停止を求
議要求
める裁判で、水戸地方裁判所が執行停止の決定を下した。これにつ
承認
承認
いて、大学に執行停止決定を認め、抗告を断念することなどを要求す
る。
1981.9.24
9.29集会(学園祭要求集会)を後援す
1981.9.30
1981.9.30
る・協賛する
('81学園祭)基調(案)
「4・22, 81学園祭に向けての確認」及
学内行事専門委員会
びその「解説」の再確認
1981.9.30
1981.9.30
(学園祭)実行計画書の承認
詳細不明。
承認
80全代会が行った4.22決議について、81全代会では話し合っていな
承認
承認
い。大学と話し合う上で、最低限の確認が必要として提出。
学園祭実行委員会
「実行計画書提出にあたっての全代会の
4.22決議を受けて、企画名・団体名・責任者名・場所・企画内容を明
承認
記
大学が企画内容に干渉した場合の対応などについて
承認
10.1に開かれる学園祭委員会との懇談の場において、勝手に約束など
承認
見解及び全学生に向けたアピール」
1981.9.30
「学園祭実行委員会に対する意見書」
学園祭実行委員会
をしないように要望
1981.10.7
要項改正提案
厚生補導担当副学長 クラス代表者会議、全代会の定足数を過半数とし、出席者の過半数に
承認
より意見をまとめられるようにすることを要請。
副学長に提出したものの、以降
25年間特に変更措置は講じられ
ていない。
1981.10.14 10.2芳賀発言についての確認
1981.10.14 「5.28評議会確認撤回再要求」
承認
承認
厚生補導担当副学長
1981.10.14 「時間制限撤廃要求」
1981.10.14 全企画実現のための署名運動
1981.11.11 82年度学園祭開催要請
厚生補導担当副学長
'81学園祭全企画実現署名の提起
承認
承認
承認
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
1981.12.2
""STUDENTS113に対する抗議""につい
1981.12.2
て
82学実委募集
議長
詳細不明。
否認
学内行事専門委員会
「内行委が募集を決めて、各クラスに要請すればよい」という意見に
承認
対し、「確かに規則上議決する必要はないが、来年の学園祭開催に向
け意思一致をはかるために全代会での議決を要する」旨が説明される
1982.1.20
「筑波大学学生新聞会の活動に関する不
厚生補導担当副学長 筑波大学学生新聞会の課外活動団体申請の結論がなかなか出ないこと
承認
1982.1.20
当な規制に対する講義と認可要請」
「1月18日付け『告』に関する抗議
や、準備号の配布許可が保留されたなどの問題への抗議等
厚生補導担当副学長 「筑波大学学生新聞」が宿舎で「無断配布」されたと発表する告知文
承認
1982.1.20
文」
「新入生歓迎祭について」
に対する抗議
全代会も自らの新歓活動に力を入れていく
承認
1982.1.27
「処分反対決議」
不明
学長、厚生補導担当 学園祭でのオールナイト企画の実施などを巡り、第二学群教員会議で
承認
副学長、第二学群長 全代会議長、学実委委員長及び企画局長に処分発議されたことへの反
3名への厳重注意処分が言い渡
1982.1.27
副議長解任
対。
欠席多数により
1982.1.27
1982.5.26
学園祭実行委員任命
副学長等との懇談会について
「議長を全代会からも1名出す」「学園祭実行委員会の正式参加を認
承認
承認
1982.6.2
「学園祭期日変更要請」
文化系サークル連合
めてもらう」ことを確認
実務的理由で学園祭の期日を変更して欲しい、という文サ連からの依
承認
会
頼を受けたもの
1982.6.9
「昭和57年学園祭準備について」(以下 議長団、学実委
1982.6.9
6・3通達)に関して
6・3通達に対する公開質問状
1982.6.16
81学園祭決算承認
1982.6.16
1982.6.16
'82学園祭実行委員会内規
6.18学園祭準備集会協賛について
学内行事専門委員会
1982.6.16
大教室使用について
議長団
6・3通達に対する全代会としての回答原案を全学討論に付すこと
議長団
反対決議にも関わらず、2.18に
された。
承認
承認
否認
文章が感情的に過ぎる、などの
理由により否決された
前年度学園祭の決算に一部訂正があったため、再提出
承認
「全代会は、学実委主催『6月18日学園祭準備集会』に協賛し、学類
承認
承認
からの動員、その他について協力することを決議する」
厚生補導担当副学長 「器物の破損については反省するので、学生に大教室を使わせてほし
承認
い」という内容
1982.6.16
「昭和57年度学園祭の準備について」
1982.9.1
1982.9.1
「被爆・戦争記録映画上映会」について
「広報委員会についての細則」改正に関
課外活動専門委員会
運営専門委員会
映画上映会の共催の依頼
承認
「各学類1名」だった広報委員を「1名以上」とすることで委員の負担 承認
1982.9.1
する要望
学園祭分担金の徴収について
学内行事専門委員会 構成員各位
減と人員不足の解消を図る
1人あたり500円とする
1982.9.1
1982.9.13
学園祭基調運動方針(案)
被爆・戦争記録映画上映会実行計画書
学内行事専門委員会 構成員各位
課外活動専門委員会
~14
1982.9.13
82学園祭要求書について
~14
132
全代会30周年記念誌
学園祭委員会委員長
承認
承認
学園祭基調案をクラス討議におろす
承認
承認
社会学類案をもとに審議
承認
年月日
1982.9.13
議案名
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
'82学園祭実行計画書
承認
~14
1982.9.22
「学内の自転車整理について」
厚生専門委員会
~23 1982.9.22
座長団
自転車整理を積極的にやるよう呼びかけた。
学群ごとに担当箇所を整理して
「厚生補導審議会において許可保留とさ
社会学類
~23 れた夜間二企画が当初の計画通り実現さ
1982.9.22
れるべきだとする決議案」
「現在『保留』となっている『セミナイ
学園祭委員会委員長 以前に提出した要求書の再確認と、企画つぶしを行わないとした前学
~23 ト上映会』『ストリートファイトコンサ
園祭委員会委員長コメント(通称浅田コメント)の確実な履行を求め
昼休みに整理をすることに。
許可保留となった企画について
保留否
決
ート』について」
承認
る
1982.9.22
「現在保留となっている『三里塚闘争勝
学園祭委員会委員長 保留の扱いを受けた企画について、浅田コメントに反する、という意
~23 利集会』について」
見書を示す
1982.9.29
「4・22確認、6・18回答見直しへ」
セミナイト上映会、ストリートライブの2企画が正式に不許可とされ
~30
承認
承認
たことに伴い、企画つぶしを行わないことを条件に大学に企画リスト
不許可とされた2企画の強行実
施の是非もあわせて問う
を提出することを認めた4・22決議などを見直すことにする。これに
ついては「(4・22決議などを)撤回する」とする決議案を全学討論
'82学園祭実行計画書一部変更
にかけ、その後に全代会としての態度を示す
2企画に関する部分を一部変更する。
承認
1982.10.6
4・22確認、6・18回答について
確認、回答の撤回案
否認
~7
1982.10.6
不許可となった2企画について
「ある企画の支持・不支持を全代会で決定すること自体に疑問があ
動議可決、この件について全代
る」などの理由により、閉会動議を出される
会は審議放棄
1982.9.29
~30
~7
1982.10.20 「宿舎のドアステッカー問題」
1982.11.10 1983年度学園祭開催要請について
1982.11.10 「広報委員会についての細則」(9月に
厚生専門委員会
学内行事専門委員会
抗議文を厚生宿舎委員会へ提出
承認
承認
議決した改正案に大学からの修正を加え
たもの)
1982.11.XX 「新歓特別委員会」について
1983.1.19 「1982年度 第8回筑波大学学園祭雙峰祭 学園祭実行委員会
1983.5.18
総括報告書」
議長団解任請求
学内行事専門委員長 構成員各位
「新歓特別委員会」の設置を提案
承認
承認
学園祭処分問題への態度などを理由に議長団の解任を請求
否認
ほか
1983.5.25
1983.5.25
「厚生補導担当副学長との懇談会につい
懇談会の性格があいまいなこと、出席者の個人的見解が学生の意見と
保留否
て」
構成員各位
して恣意的に扱われる恐れがあること、非公開であることを理由に副
決
国際関係学類の取扱いについて
学懇を開かない、という案を提出
新設された国際関係学類の座長団の人数について
修正
運営専門委員会
構成員各位
(1人
→2人
とす
る)の
上、承
認
1983.5.25
82年度処分について
1983.6.1 厚生推進委員会の設立について
学内行事専門委員会
処分問題についての全学討論の提案など
継続審
厚生専門委員会
厚生専門委員会の補助的役割をする組織を全学類・専門学群に設置す
議
採決せ 全代会で承認するよりクラ代会
る。
ず
へ個別要請すべきという意見を
受け、クラ代会に要請すること
に
1983.6.1 広報委員会のUTV利用について
1983.6.1 処分理由についての質問状提出について
広報委員会
学内行事専門委員会
大学のテレビ放送を利用した広報についての確認
3.19に出された学生3名への処分について、理由が明らかにされてい
承認
承認
ないため、理由の開示を大学に求める。学内行事委は学園祭に係る処
分であるとの見方に基づいて議案を提出したが、判断が早計ではない
かなどの意見から、修正・原案への立ち返りを繰り返し、最終的に修
正案を話し合うことに。
1983.6.1 反処分討論について
学内行事専門委員会
3.19の処分を撤回する方向で全学討論を行って欲しい、との要望。処
承認
分が学園祭に係るものであるか明らかではない、などとの質問があっ
1983.6.1 学園祭に関する全学討論要請
人間学類座長団
構成員各位
1983.6.1 学園祭に関する全学討論要請
1983.6.8
反処分全学討論の動向について
医学専門学群座長団 構成員各位
不明
たが、とりあえず全学討論に下すことに。
人間学類から全学討論の要請
保留否
医学専門学群からの全学討論の要請
3.19処分の当該者が三里塚空港反対の企画者であったため、全代会で
決
否認
議案として採択されず
も三里塚闘争について話し合うべきだとの提案が出された。全代会が
この時点で一定の方向性を出すのはおかしいとの理由から、議案とし
て採択されなかった。
1983.6.8
学園祭準備集会後援について
議長団
83年度学園祭にむけて準備等をよびかける集会に全代会の後援を要請
1983.6.20
'83学園祭基本方針について
議長団
反処分討論を阻害する、全学集約の必要性があるのか、など議論が紛
学内行事専門委員会
糾
反処分運動の興隆の一翼として、クラ代中心に反処分討論映画集会を
保留否 学内行事委は当日独自に集会を
開きたい、と学内行事専門委員会が提案。6.30開催を要望していた
決
1983.6.20
処分反対討論映画集会について
承認
全会一致
提出者が議案を取り下げ
開く意向を表明。
が、その日にクラス連絡会のある学類があることや、全代会で内容確
認を行っていないパンフレットの配布への反対意見などから、保留否
1983.6.20
Student No.143に対する抗議について
学内行事専門委員会
決に。
Student No.143は学園祭の歴史を大学側が強制的に歪曲し学生に対し 承認
て良からぬ影響を与えるものだとして、学担室、学生部に抗議及び撤
回を求めていくべきだ
全代会30周年記念誌 133
議案一覧
年月日
1983.6.20
議案名
人文学類クラス討論破壊について
議案提出者
議案提出先
人文学類座長団
議案内容
クラスセミナーで反処分討論を行おうとしたが教官に妨害された。学
決議 結果・その後の展開
承認
類として学類長に抗議するが、全代会としても同様に抗議して欲し
い。
1983.6.30(
懇談会)
1983.9.5
広報委員会要請状について
広報委員会
構成員各位
83学園祭予算案承認
全代会の集まりが悪すぎるとして広報委から提出。開始時間を1時間
仮承認
30分超えても成立しない場合、広報委は退出できる
学生分担金を600円に値上げする。
保留否 学園祭実行委員会は再考するこ
決
83学園祭基調(案)全学討論要請
4.22決議の撤回及び実行計画書提出拒否
決議
学園祭実行計画書
1983.9.6
1983.9.6
1983.9.6
学園祭予算案
学園祭基調討論全学要請
と。
学園祭実行委員会
学内行事専門委員会
学園祭実行委員会
企画潰し・管理運営や学園祭の実力実施などの問題について議論紛
保留否
糾。修正動議が繰り返されるが、最終的に原案に立ち返って採決。
決
①みんなでひとつのことを考える機会として
承認
承認
全学討論に下ろすことに
②全学の意向を集約し、確認する
といった目的で、全学討論の実施を要請
1983.9.14
基調集約について
議長
全学での意見集約が進んでいないことから、基調集約を後日に遅らせ
賛成多数で実行計画書と行動方
ることを議長が提案。ただし実行計画書は時間がなく審議する必要が
針のみ審議することに。
ある。基調全体について審議するか、実行計画書と行動方針の一部に
1983.9.14
1983.9.14
4.22決議の撤回について
特別決議について
議長団
議長団
1983.9.14
8項目要求
学内行事専門委員会
ついてのみ審議するかを採決。
大学への企画リストの提出を認める1980.4.22の決議を撤回する
承認
1983年度に限り、実行計画書は大学に提出するが、企画名・団体名・ 承認
責任者名・詳しい企画内容は提出しない
企画団体責任者総会から要請のあった8つの事項について、実行計画
8項目の一つ一つについて審
書に添えて大学に要求する。
議・採決し、第4項を除いた7
項目について承認。第4項のみ
保留否決。
1983.9.15
1983.9.15
1983.9.21
学園祭実行計画書
実行委声明についての謝罪
学園祭基調
詳細不明。なにかの謝罪らしい。
①9.14に決議した項目に1項目を加えた8項目を大学に要求
承認
承認
承認
②開学10周年記念行事内容公開要求
③学園祭開催決定及び8項目表九の扱いについての大学への遺憾表明分
1983.9.21
学園祭基調集約
1983.9.21
7項目要求について
1983.9.21
8項目要求について、団交を要求
1983.9.21
1983.9.21
保留否
9.14に保留否決された第4項を要求に加える
決
承認
学内行事専門委員会
企画団体責任者総会で団交要請があがっている。全代会としてそれを
保留否
開学10周年記念行事内容公開要求
議長団
バックアップする。
決
STUDENTSなどに掲載された開学10周年記念企画の内容の公開を要求 承認
83学園祭開催承認弾劾決議
学内行事専門委員会
する
9.16の学園祭開催承認は全代会の7項目要求を無視したものであり、
承認
大学に遺憾の意を表明する。合わせて8項目要求提出する。
1983.10.3
4項目公開交渉要求
8項目要求について、全代会と学担教官が公開の場で話し合うことなど 承認
(公開全代
会)
1983.11.9
を要求
11.2副学長告示に対する声明
議長団
厚生補導担当副学長 大学当局の「学園祭検討委員会」設置に対する抗議声明
承認
(?)
1983.11.9
学園祭問題特別委員会設置について
議長団
1983.11.9
「ゴミの分類に関する声明」
厚生専門委員会
保留否
「ゴミは可燃物と不燃物に分別し、所定のゴミ箱に捨てること」を
決
承認
我々学生は実行する。
1983.12.14 桜村村長選挙違反についての声明
構成員
仮承認
(懇談会)
1983.12.21 「11.2告示に対する声明」
1983.12.21 「桜村村長選挙違反についての声明」
1983.12.21 学園祭開催に向けての呼びかけ文
1984.1.25
「筑波ジャージ」購入の自由化要請
(懇談会)
1984.1.25
学園祭に関して
(懇談会)
1984.1.25
'84学園祭実行委員任命
担当副学長の学園祭中止宣言に対する声明
桜村村長選挙での筑波大生の選挙違反事件に関する声明
承認
承認
承認
承認
構成員
詳細不明。自主学園祭についてなどを提案?
保留否
決
承認
(懇談会)
1984.1.25
夜間ハイクについて
(懇談会)
1984.2.1
課外活動専門委員会
村長選挙違反討論
(懇談会)
1984.4.25
新歓行事として夜間ハイクを実施する。実施にあたって実行委員会を
仮承認
おく。
村長選挙違反への全代会の対応について、今後の方針を討論。もっと
仮承認
も賛同者の多かったクラス討議レベルで呼びかけを行なう、という案
コメント回答期限の延期について
学園祭実行委員会
学生担当教員室
について採決。
学園祭開催に際して大学側から出されたコメントに対する回答期限を
承認
6.2とされていたが、それでは学生内で十分な議論を行うことができな
いので、期限延期を大学側に要請してほしい
1984.5.9
「全代会開会時刻から閉会宣言まで、会
承認
議室は禁煙とする」
「コピー代として構成員から月150円徴
収する」
134
全代会30周年記念誌
承認
8項目要求に
年月日
議案名
議案提出者
1984.5.16
'84学実委暫定予算
学内行事専門委員会
学園祭実行委員会
1984.5.22
学園祭基調案について
6.22に開かれる厚生補導審議会(学園祭
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
学園祭中止状態を宣言された状況に対応するために、暫定予算で会計
承認
を運用する
基調案を各学類等で討論し、6.6の全代会に於いて集約を行う
承認
承認
医短全代会と本学全代会の懇談会を毎月1回開催することを医短に要
承認
厚生補導審議会
開催の成否を決める)に、学生代表数名
を出席させる
1984.5.30
「医短との懇談会について」
医短
請
1984.6.6
5.28評議会確認撤回要求
1984.6.13
学園祭開催の最低条件の確認についての
現行の学内規則の問題が改善されたなら、これを遵守する(問題が改
承認
議長団で再検討し提出する
厚生補導審議会出頭要請、学園
1984.7.4
答申
制度改正プロジェクトチーム
善されるまでは必ずしも遵守しない)等
学内規則の問題を検討し、改正するためのプロジェクトチームを設立
承認
祭開催要請をあわせて提出する
設立
1984.9.5
6.22厚生補導審議会決定に対する抗議声
1984.9.12
明をあげる
「副学長との懇談会について、"公開を原
する
承認
則とし、傍聴人を出来る限り多くする様
努力する"ということで進めていく」
1984.9.19
1984.9.26
学園祭実行委員会予算
「全学討論を経て決定された'84学園祭基
承認
承認
調に基づく、全学統一の学園祭を、11月
2日、3日、4日に行うよう努力する」
「'84学園祭の開催承認を得ることを目的
承認
とした公開交渉を設定する」
1984.10.3
「10.9副学長との懇談会後に大学会館前
で集会を開く」
学園祭実行計画書
1984.10.17 (副学長との懇談会で提案する)公開交
承認
学園祭実行委員会
結果的には不許可
承認
承認
渉の具体的日時・場所等
1984.10.21 「10.25企団総・学園祭実行委員会の
承認
『公開交渉要求集会』その後の抗議行動
に対して、全代会として支持する」
1984.10.30 「声明」
1984.10.31 「11.2に集会を開き、今迄の経過、大学
1984.12.5
「'84年学園祭の開催を断念する」主旨のもの
に対する抗議、企画のアピールを行う」
夜間ハイクについて
承認
承認
「新入生歓迎筑波山夜間ハイク」を5.11、12の2日にわたり開催。全 承認
代会の下部機関として筑波山夜間ハイク実行委員会を設置
学長
学長あてに質問状を提出する
厚生補導担当副学長 ペデストリアンの破損箇所について、保全に努める要請を、破損箇所
学生の教室使用について
1984.12.12 ペデストリアンの修理について
承認
承認
の地図とともに副学長へ提出する
1985.2.6
教室使用について
1985.2.6
1985.2.6
全代会発行新歓パンフについて
学園祭実行委員会総括
1985.2.6
1985.5.15
制度改正プロジェクトチームについて
学園祭会計と物件の繰越に関する申し合
1985.5.15
せについて
学園祭ポスター支出について
1985.5.15
1985.5.15
学園祭資料展の開催
広報委員長の改選
1985.5.22
諸規則検討ワーキンググループについて
1985.5.29
1985.5.29
1985.5.29
1985.6.5
1985.6.12
各学群長との話し合いを設ける
ことに
作ることが決定
承認
活動期限の延期が決定
学園祭会計のうち、次年度への繰越金と物件の残りは学内行事専門委
承認
員会に所有権があるものとする、等
承認
承認
承認
広報委員長・副委員長が辞任を表明し、後任を選出する
厚生補導担当副学長 教官らで検討している「学生に係る諸規則検討ワーキンググループ」
承認
学園祭問題公開質疑応答会について
の答申の公開、解説を要請
大学側の学園祭に関する見解を明らかにするために、6月5日(水)に、
承認
学園祭基調、および二条件に対する回答
学内行事専門委員
学園祭問題公開質疑応答会(仮称)を主催する
学内行事専門委員会提出の基調案、議長団提出の二条件に対する回答
承認
会、議長団
案に検討、修正を加えたものを、全学討論に下ろす。
見解要請案の審議
コピー費に関する議案
「厚生補導審議会の決定に関する報告集
詳細不明
承認
承認
承認
会を主催する」
1985.6.12
「厚生補導審議会への出頭を要請する」
1985.6.12
外国人教師処遇に関する要請
厚生補導担当副学長 9/20開催の厚生補導審議会に、学園祭実行計画書の説明のために、議 承認
長団・内委員長の出頭を認めることを要請する
(比較文化学類?) 教育担当副学長、人 当時起こっていた外国人教師の解雇問題について、比較文化学類クラ
作成者は不明、要請 事委員会委員長
ス代表者会議からの要請を受けて全代会で議案化。外国人教師を4年
自体の提出元は比文
で解雇することの法制度、カリキュラム上の必然性などの質問事項に
承認?
ついて、6/18までに文書で回答するよう要請。
1985.6.19
基調集約及び二条件に対する回答
5.25の全代会で全学討論に下ろされたもの
否認
・基調については各学類で継続
的に学園祭の意義について討論
・二条件に対する回答について
は社工、比文、農林等から出さ
れた対案を審議
・比文のものを基にした回答・
要請案「'85学園祭に関する回
答・要請」を可決(翌日大学に
提出することに)
1985.6.19
1985.9.4
学園祭実施に関しての要請
学園祭実行委員長団の承認
承認
承認
1985.9.4
学園祭予算
承認
全代会30周年記念誌 135
議案一覧
年月日
1985.9.4
1985.9.4
1985.9.??
1985.10.30
議案名
議案提出者
議案提出先
議案内容
「学園祭連絡協議会の位置づけ」
諸規則検討小委員会の設置
学園祭実行計画書
副学長との懇談会について(折衝の方向
決議 結果・その後の展開
承認
承認
承認
承認
の確認)
1985.10.30 W.G.全学討論開始
1985.11.13 学園祭開催要請
1985.12.4 新歓特別委員会の設置
承認
議長団
学生組織や学園祭・学生生活の紹介を行う新歓パンフを作成し、その
(懇談会)
承認
仮承認
他の新歓行事の可能性を検討する委員会を設置する
1985.12.18 外国人教師解雇に関する質問状
承認
1985.12.18 W.G.全学討論集約
議案を4つに分解し、それぞれ審議・議決することに。
部分的 議案の(2)~(4)に該当す
1986.1.22
1986.1.22
学内行事の学園祭総括
学実委の学園祭総括
に承認 る部分のみ否決。他は承認。
承認
承認
1986.1.22
1986.1.22
1986.4.30
学園祭決算
W.G.全学討論集約
学園祭実行委員の承認
承認
否決
承認
1986.5.14
学園祭実行委員の離任
学園祭実行委員
全代会構成員各位
4年生の学園祭実行委員が離任を表明(通常なら当たり前のことだ
承認
が、この年は2、3年生で留任するものがほとんどいなかったため問
題になった)
1986.5.21
全学学類・専門学群代表者会議室への電
議長団
学生部長、学担室長 1C204教室に電話を設置して欲しい。
1986.5.21
話の設置依頼
学園祭実行委員会の仮発足
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
1986.5.21
1986年度 全学学類・専門学群代表者会
運営専門委員会
全代会構成員各位
承認
承認
レジュメのコピー金として1人1,200円を運営委が徴収する。
承認
後に提出先など一部修正。
議に於けるレジュメコピー金に関する取
り決め
学園祭実行委員会室の使用について
学園祭実行委員会代
学園祭実行委員会室を例年と同じ場所に設置する。すでに大学側に書
承認
1986.5.28
厚生アンケートについて
表世話人
厚生専門委員会
類は提出してしまっているので、事後承認ということになる。
アンケートを制作する方針についての確認
承認
1986.5.28
副学長との懇談会について
議長団
1986.5.28
全代会構成員各位
1学期中に懇談会を行いたいとの打診があったが、どうするか
反対多数により、1学期中には
実施しない。(理由:やるだけ
の議案がない。内容がなく、
顔見せ程度のものになるなら不
要。)
1986.6.4
1986.6.4
1986.6.4
厚生アンケートについて
学園祭基調について
厚生専門委員会
全代会構成員各位
学内行事専門委員会
学園祭基調の位置づけについて
5/28の会議で決定した方針に基づき制作したアンケートの現物の確認 承認
学園祭問題全般について説明・質疑応答を行った上で、基調を作成す 承認
基調を作成する方針が固まった
るか否かを審議
学園祭基調の位置づけを明確化する。いくつかあがった案の中で、最
賛成多数により、学園祭基調は
承認
も賛成者の多かった「基調は学園祭の理想像を描いたもの」とする案
1986.6.11
(学園祭)基調案原案
学園祭実行委員会
「学園祭の理想像である」とい
について採決を行う。
学園祭基調を全学討論にかけるか否かが焦点に。全学討論にかけるこ
保留否
うことに
とを求める学実委に対し、全代会では全学討論にかけるとすれば時期
決
が9月中にずれ込み、基調の意義自体が薄れることなどを理由に反対
意見が多数出た。結果、全学討論にかけることを内容に織り込んだ学
1986.6.13
「1986年度筑波大学学園祭基調につい
1986.6.18
て」
全学学類・専門学群代表者会議室への書
1986.7.2
棚の設置依頼
学園祭実行委員会委員長団任命
1986.7.2
(動議)会議時の座り方について
実委提出の基調原案は保留否決された。
6.11に否決された基調原案の対案。基調を全学討論にかけることはせ
学内行事専門委員会
議長団
ず、9月に学園祭全体の「行動方針」について全学討論を行う案。
学生部長、学担室長 1C204教室に鍵付きの書棚を設置して欲しい。
承認
承認
承認
構成員(比較文化学
会議時の席が、(当時)委員会別に座ることとなっていたが、学類の
類)
意見を反映するために学類等別に座るように変更して欲しい。
否決
今回は委員会別のまま。次回以
降については議長団と運営専門
委員会で考えていく。
1986.9.3
学園祭実行委員会予算
1986.9.3
1986.9.13
学内バスの運行について
企画団体責任者総会からの抗議文に対す
承認
学園祭実行委員会
議長団
構成員各位
る回答について 学園祭当日に学内バスを運行して欲しい。
承認
9/10開催の企画団体責任者総会の中で、学園祭の行動方針についての 保留否 臨時全代会を開催して審議を継
全学討論を巡り、全代会に抗議声明を出すことが決定した。この声明
決
続する案も保留否決。
に対する議長団作成の回答案を審議。
1986.9.17
学園祭実行計画書の承認
1986.9.17
全学討論集約に関する議案
承認
社会学類
構成員各位
全学討論にかけた行動方針(自然・増田が提出したもの)について、
「全学討論集約を凍結する」動
社会学類クラス代表者会議から、
議が提出され、これが承認され
・この行動方針については社会学類での意見集約を行わず、全代会に
るにいたり、全学討論の集約は
差し戻す
凍結されることに。
・この行動方針に基づく意見集約は行わないで欲しい
1986.9.24
全学討論の取り扱いについて
1986.11.5
筑波山夜間ハイクの承認
副学長との懇談会世話人団選出
1986.11.12 次年度学園祭開催要請の承認
136
全代会30周年記念誌
議長団
構成員各位
という議案が提出された。
凍結された全学討論の取り扱いについて審議
意見交換の後、採決行われず。
承認
承認
年月日
議案名
1986.12.10 学生処分に関しての質問状の承認
議案提出者
社会学類
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
学長、厚生補導担当 10.18に学生に下された退学処分について、社会学類から「10.18付の 承認
「(大学の処分は)刑法上の処
副学長
学生処分について、退学処分は重過ぎるのではないか。また、学外で
罰とは異なる教育的な措置であ
起きた刑事事件に関する調査段階での処分ということで、事実誤認の
る。学類・厚生補導審議会レベ
可能性もある」との意見があり、学長・副学長に質問状を提出するこ
ルで調査を行い、慎重に調査し
とに。
た結果下した処分であり、(刑
法上の調査が終わってないにし
ても)手続き上問題はない。ま
た、処分の基準についてはケー
スバイケースであるが、本件の
場合はこの処分が適当と考え判
断した。その他、処分理由の詳
細などについては本人のプライ
バシーにも関することであり、
大学としては公開できないしや
ってはいけないことである。ど
うしても知りたければ裁判を傍
聴に行くように」といった主旨
の回答が後日、口頭でなされ
1986.12.17 学生生活改善要請の承認
た。
仮承認 1987.2.4の副学長との懇談会で
厚生補導担当副学長 1.各図書館の日曜日の会館 (懇談会)
2.郵便局のキャッシュサービスコーナーの増設
返答を得る
3.宿舎の部屋毎の電話設置。不可能な場合は、宿舎付近の公衆電話
の増設。
4.テープライブラリー使用時間の延長
5.宿舎の洗濯機、乾燥機の台数増加 6.宿舎の風呂の営業時間の延長 以上の項目を要求
1987.1.21
次年度学園祭開催再要請の承認
1987.2.11
厚生会の討議中止要請の承認
承認
厚生委員会
厚生補導担当副学長 今年度の厚生会運営委員会では何も定めないことを要求する。
仮承認
(懇談会)
1987.3.4
「(厚生会に)学生参加するという方針
保留否
をもつこと」
厚生会運営委員会開催の抗議
決
仮承認
1986年度全学学類・専門学群代表者会議
仮承認
(懇談会)
1987.5.27
総括報告書
'87学園祭実行委員会の仮発足
各学類・専門学群1名以上の委員選出が行われる見通しが立たないた
承認
め、暫定処置として仮発足する
1987.5.27
1986年度学園祭決算
承認
1987.6.10
「'87学園祭へ向けての基本方針(案)」 学園祭実行委員会
保留否 審議時間が短い、読み方によっ
決
ては二条件確認の撤回とも受け
取れる、などの理由による
1987.6.10
「'87学園祭の企画募集要項の基準」
学園祭実行委員会
「物理的破壊や混乱をもたらさない」など、企画受付の基準を示す
1987.6.10
「総合科目に関する学生の意向につい
教育課程専門委員会 総合科目検討委員会 アンケート結果をもとに、対象制限をなくす、科目によって内容や単
て」 委員長
承認
承認
位審査に格差があって不平等なので調整する、など、いくつかのこと
を要請。「学生はなるべく多くの分野の興味あるテーマについて、あ
まり専門的になることなく解説される授業を望んでいる」
1987.9.2
1987.9.11
1987年度学園祭予算書
「87学園祭方針の全学討論について
承認
学園祭実行委員会
議案取り下げ(会議が定足に達
(案)」
していない、話し合いの状況を
見る限り全代会構成員が各学類
で十分な説明を行えるとは思え
ない、などの理由による)
1987.9.16
'87学園祭方針
1987.9.16
(学園祭)実行計画書
1987.9.30
「学園祭開催に関する公文書に関する議
(懇談会)
案」
学園祭実行委員会
9.11に提出したものと同じ内容だが、全学での討論は求めず全代会で
承認
の議決をもって全学の方針とするものとする
承認
学園祭実行委員会
この年出された大学側の文書「学園祭開催について」が従来の開催許
仮承認
可ではなく開催宣言と読める(それまで「許可する」とされていた部
分が「開催する」となっていた)ので、実行計画書の承認であること
を明確にしてほしい。
1987.10.7
1987.12.9
実行計画書変更
次年度学園祭開催要請
厚生補導担当副学長
承認
承認
1988.1.20
1988.1.20
次年度学園祭開催要請の修正議案
「厚生会に関する要請」
「休講措置を2.0日から1.5日要請することに修正」
厚生補導担当副学長 厚生会理事会への学生参加に際し、理事会構成員の少なくとも半数を
承認
承認
時間外企画については態度保留
学生とすること、新入生に対して厚生会についての事実経過を正確に
伝えること、学生の福利厚生の活動に対して制限を加えるような広報
1988.1.20
「福利厚生についての要請」
を行わないことなどを要請
厚生補導担当副学長 新入生に対して厚生会についての事実経過を正確に伝えること、学生
承認
の福利厚生の活動に対して制限を加えるような広報を行わないことな
どを要請
1988.2.4 「厚生会に関する再要請」及び「要請」
1988.2.10 「厚生会学生参加に関する議案」
厚生補導担当副学長 誠意ある回答をするよう再要請
厚生補導担当副学長 学生理事の選出法について、厚生会学生運営委員会(仮称)について
承認
承認
などを要請
1988.3.2
'87学園祭決算報告書
承認
1988.6.8
学生控室整備についての要請
学園祭実行委員会仮発足
承認
承認
全代会30周年記念誌 137
議案一覧
年月日
1988.6.8
議案名
議案提出者
議案提出先
学園祭実行委員会仮発足に伴う要請
議案内容
要請内容
決議 結果・その後の展開
承認
・学園祭実行委室の設置
・学園祭当日のバス運行
・2学H棟の使用
1988.9.7
1988.9.7
1988.9.7
学園祭実行委員任命
学園祭実行委員会委員長団任命
1988年度学園祭予算
1988.9.12
1988.9.27
第14回筑波大学雙峰祭実行計画書
いわゆる天皇問題について
承認
承認
承認
承認
(懇談会)
昭和天皇の健康状態が芳しくなく、都内・県下で諸行事自粛の動きが
「万一のばあいは予測不能であ
広がっていたことから、「万一の場合」(天皇崩御)の学園祭の是非
り、現段階で検討することはで
について話し合う
きないが、現状のつづく限り予
定通り実施する」ことで意見一
致
1988.10.5
「『学実委は今後いかなる場合も学園祭
(懇談会)
実施に向け努力する』など4項目を掲げ
仮承認
た学園祭実行委員会の方針を支持する」
1988.10.5
学園祭連絡協議会について
情勢の急変(天皇崩御)があった場合、学園祭連絡協議会を設ける
仮承認
(懇談会)
1988.12.14 1988年度学園祭決算
1988.12.14 次年度学園祭開催要請
1988.12.14 「一ノ矢二人部屋の電話設置に対する要
厚生補導担当副学長
厚生補導担当副学長 それまで二人部屋に電話を設置するには二台電話を設置することが条
請」
承認
承認
承認
件になっていたが、一部屋一台を可にして欲しい
1988.12.14 中央図書館の研究個室の学群生への開放
厚生補導担当副学長
承認
厚生補導担当副学長 宿舎のTVの映りの悪さを解消するために、有線TVを導入してほし
承認
い。
厚生補導担当副学長 仮参加という形で学生理事を厚生会理事会に参加させる
承認
厚生補導担当副学長 道路の段差をなくして欲しい
承認
1989.1.19
に関する要請
「ACCSの学生宿舎への導入についての
1989.2.9
要請」
「厚生会学生参加に関する回答」
1989.2.9
「学内(特に学生宿舎)における道路不
1989.5.31
整備の改善要請」
「学園祭実行委員募集の責任を、学内行
1989.6.7
1989.6.7
事専門委員長にゆだねる」
広報委員の任命
学園祭実行委員の選出の要請
1989.6.14
「学群棟トイレにおける鏡の設置・整備
1989.6.14
についての要請」
広報委員の任命
承認
1989.6.14
学園祭実行委員の任命
承認
1989.6.14
学園祭実行委員会の仮発足
厚生専門委員会
厚生専門委員会
承認
承認
承認
学内行事専門委員会
厚生補導担当副学長
承認
学内行事専門委員会
承認
1989.9.6
1989.9.6
学園祭実行委員の任命
学園祭実行委員会の正式発足
1989.9.6
1989.9.13
'89学園祭予算
交通安全プロジェクトについて
学内行事専門委員会
副議長(久保田)
全代会構成員各位
1989.9.13
「学生宿舎における郵便箱の改善に関す
厚生委員会、副議長 厚生補導担当副学長 各棟1階ごとにまとめられていた郵便物を、各個人に配達されるよう
(久保田)
1989.9.13
る要請」
学園祭実行委員の任命
1989.9.13
1989.9.13
1989.9.20
学園祭実行委員会委員長団の任命
学園祭実行計画書の承認
学園祭実行委員の任命
承認
承認
仮承認
1989.9.20
交通安全プロジェクトの詳細について
仮承認
(懇談会)
1989.9.20
交通安全委員会の発足について
すべての学類・専門学群から実行委員が選ばれたわけではないが、こ
承認
承認
れ以上時期を遅らせると運営に支障が出るので、正式発足を承認する
学園祭企画として「交通安全プロジェクト」を主催する
承認
承認
承認
要請
承認
(懇談会)
交通安全プロジェクトを担当する委員会を発足する
仮承認
(懇談会)
1989.9.20
副議長の辞意表明について
(懇談会)
1989.9.27
副議長(久保田)
副議長(人文2年久保田)が要項・細則変更のための委員会を設立し
委員長を務めたいことなどを理由に辞意を表明
厚生補導担当副学長 学園祭開催要請に対する回答の文面が例年と異なることに関する質問
「学園祭について」の文書について
(懇談会)
審議中に休憩動議が出され、な
し崩しに
仮承認
を副学長に提出する
1989.10.18 後夜祭の時間破りについて
構成員(時岡)
事実経過を関係者に署名・捺印の上提出させる
(懇談会)
1989.10.26 筑波大学新聞への要請
広報委員長、人文学
筑波大学新聞に対し、全代会に関する記事を掲載するよう要請
決議保留(11.1議案取り下げ)
(懇談会)
類(久保田)
新歓活動を行えるように配慮した時期に改正しようという案
決議保留(不成立のため)
来年に向けて学実委の応募についての案
保留
1989.11.1
学園祭実行委員第一次募集の要請につい
学内行事専門委員会
(懇談会)
1989.11.1
て
学園祭実行委員会についての細則の改正
副議長(久保田)
議決保留。各学類クラス代表者
(懇談会)
1989.11.1
について
「学生宿舎における郵便箱の改善に関す
副議長および厚生専
会議で議論することに。
特に議決せず
(懇談会)
る要請」の具体的方策案の申し入れにつ
門委員長
いて
1989.11.16 要項改正に関して
(懇談会)
138
副議長(久保田)
「要項細則改正案準備委員会」の設置などを提案
保留否
決
全代会30周年記念誌
年月日
議案名
1989.11.16 90年度学園祭開催要請について
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
学内行事専門委員会
議案取り下げ(日程案が医学専
(懇談会)
門学群の試験日程と重なったた
め)
1989.12.13 来年度(1990年度)学園祭の開催とこれ 学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
(懇談会)
仮承認
に伴う休講措置の要請について
1989.12.13 平成2年度学園祭開催に関する12月11日 副議長(久保田、安 構成員各位
(懇談会)
の学生担当教官との話し合いの結果につ
いての議長団アピール
1989.12.20 一の矢宿舎共用棟におけるシャワー室の
有馬秀樹(厚生専門 厚生補導担当副学長
(懇談会)
委員)
修理・改善の要請について
1989.12.20 「学園祭実行委員会についての細則」の
(懇談会)
仮承認
部)
仮承認
副議長(安部)
懇談会のため議決などはまたの
改正について
機会に。参考にとった採決では
賛成多数。
1989.12.20 議長の辞任の件について
議長(鳥越)
(懇談会)
1990.1.17
懇談会のため議決できず。
平成2年度学園祭の日程に関する決定に
文化系サークル連合 議長団、学内行事専 1990年の学園祭の日程を早めて決定したことに対する抗議
(懇談会)
ついて
会運営委員長
1990.1.17
議長の辞任について
議長(鳥越)
(懇談会)
1990.2.14
1989年度 筑波大学学園祭 決算報告書 学園祭実行委員会
特に議決せず
門委員会
懇談会のため議決できず。
仮承認
(懇談会)
1990.2.14
学内(特に学生宿舎)における道路不整
(懇談会)
備の改善要請
1990.2.14
学園祭実行委員の承認
厚生専門委員会
厚生補導担当副学長
仮承認
仮承認
(懇談会)
1990.2.14
議長の辞任の件について
議長(鳥越)
保留否
(懇談会)
1990.2.28
学園祭実行委員会仮発足に関する要請
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
決
仮承認
1990.2.28
教育実習における学生への宿泊施設斡旋
人文学類座長(久保
仮承認 大学側で対応を検討し、東京地
の要請について
田){草案:人文学
区については代々木の国立オリ
類3年学生}
ンピックセンターの宿泊施設を
1990.2.28
図書館に対する要請
人文学類座長団
日曜日の開館、土曜日の開館時間延長、蔵書数など10項目について要
承認
請
斡旋することに
平日の時間延長、貸出時間の1
時間延長が大学側で実現に向け
検討され、机の修理などが実際
1990.6.13
テープライブラリーに関する要請
農林学類クラス代表 厚生補導担当副学長 テープライブラリーの利用時間の延長、図書館同様のPRを実施する
に行われた
大学に提出後、火曜日の開放時
者会議、教育課程専
間がそれまでより2時間延長さ
ことなどを要請
門委員会
れた。
1990.6.13
1990.9.5
学園祭全代会企画について
1990学園祭予算
1990.9.5
1990.9.26
1990学園祭実行計画書
(学園祭)55時間企画に関する審議
1990.11.7
来年度(1991年度)学園祭の開催とこれ 学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
1991.1.23
に伴う休講措置の要請について
「副学長等との懇談会」議題案審議
(懇談会)
1991.1.30
「厚生会学生参加について」の議案を全
(懇談会)
学討論に付すこと
1991.2.6
1990学園祭決算
学園祭実行委員会
構成員各位
仮承認
(懇談会)
1991.2.6
1990学園祭総括
学園祭実行委員会
構成員各位
仮承認
承認
当日まで、全代会が間に入って、大学と企画の双方が納得できるよう
承認
仮承認 審議途中で定足数割れ、懇談会
に交渉するか否かを採決。
厚生専門委員会
構成員各位
に。
承認
「厚生会学生参加について」の議案について、各クラ代を通じ全学の
仮承認
意見を集約する
(懇談会)
1991.2.13
1991学園祭学生分担金に関する議案(金
1991.2.13
額について)
スポーツ・デー委員会細則改正案
スポーツ・デー委員
厚生会学生参加に関して
会
厚生専門委員会
厚生会学生参加に関する議案
学生正式参加は認めない。
情報学類クラス代表 厚生会理事会理事長 厚生専門委員会提出の案への代案。1991年度からの学生正式参加を確 承認
1991.2.27
1991.2.27
承認
者会議
承認
厚生会会員の権利の明文化などの条件を満たさない限り、厚生会への
否決
情報学類クラス代表者会議から
の代案を審議。
認し、
・理事会が委託業者からの経理の報告を受け、それにより販売価格の
適正化を図ること
・会員の理事に対する解任権と理事会の解散請求権を認め、それを成
文化すること
を要望
1991.2.27
1991.5.22
1991.6.5
全代会総括について
学園祭実行委員会仮発足
移動式掲示板設置の要請について
承認
承認
1991.6.5
学園祭実行委員会の正式発足等について
仮承認
(懇談会)
1991.6.12
学園祭実行委員会の正式発足等について
仮承認
(懇談会)
(懇談会)
全代会30周年記念誌 139
議案一覧
年月日
議案名
1991.6.12
違法駐輪及び野良犬に関する対策につい
(懇談会)
ての検討結果報告の審議
1991.6.12
'92学園祭及び'92スポーツ・デーの日程
(懇談会)
について
1991.6.19
1991.6.19
1991.6.19
1991.10.2
学園祭実行委員会正式発足
学園祭実行委員会委員長団の任命
92学園祭日程
(学園祭)追加企画の承認について
議案提出者
学園祭実行委員会
議案提出先
構成員各位
(懇談会)
1991.10.2
(懇談会)
1991.10.9(
議案内容
決議 結果・その後の展開
承認
承認
承認
9/21に参加希望を表明した企画(企画団体:「都市計画」。「CSK企 却下
画コンクール」というもの入選した企画らしい)の追加承認の要望。
(議案
「CSK企画コンクールとはなにか?」という質問に対し、学園祭実行
不備に
委員会が調査していなかったことが問題に。
つき)
前夜祭の雨天中止について
中止連絡はPM12:00に判断し、伝える。外部には伝わらない恐れがあ
仮承認
前夜祭の雨天中止について
る。
前回提出されたものと同様。本来、成立していないので承認すること
(仮)
はできないはずであるが、この回に限り緊急であるということで承認
承認
懇談会)
をとることに。
1991.10.16 92学園祭日程
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長 教官側の要望を受け、6月の議案と日程を変更したものを再審議。懇
(懇談会)
談会であり、仮承認しかとれない議案を大学に出すことが問題に。
保留否 絶対過半数に足りず保留否決。
決
学内行事専門委員会は6.20提出
の議案の日程で推していくこと
に。
1991.11.6
'92年度学園祭日程について再審議
学内行事専門委員会
10/16に保留否決された、学園祭日程を10/9~10/11とする案。この 承認
日も一旦は保留否決されたが、「この回で日程を決定しないと学園祭
1991.11.6
カリキュラムについて
教育課程専門委員会 教育担当副学長
中止も考えられる」という意見を受け、再審議されることに。
・総合科目の指定科目廃止(総合科目の単位の半減)
・6時限目の総合科目と共通科目の授業の開設の禁止
承認
・総合科目の内容の多様化、教養化
1992.2.5
ゴミの分別、収集に関する要請について
の3点を要望。
「熱帯林研究会ゴミ分科会」の要請に基づいて提出。
厚生専門委員会
仮承認
(懇談会)
1992.2.5
'91学園祭実行委員会総括について
(懇談会)
1992.2.5
'92年度学生分担金の金額決定
仮承認
(懇談会)
1992.5.27
1992.5.27
学園祭実行委員会の仮発足
企画募集に関する議案
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
学内行事専門委員会
書面が現存せず、詳細不明。企画内容についてはたらきかけを行う類
1992.6.3
学園祭実行委員会正式発足について
学内行事専門委員会
1992.6.10
次年度学園祭開催要請案
学内行事専門委員会 厚生補導審議会、教
承認
承認
のものだったらしい。
承認
承認
育審議会
1992.6.17
ゴミの分別・収集に関する要請文書につ
厚生専門委員会
ゴミ箱を複数個設置して分別・収集を行うことなどを要請する。
承認
1992.6.17
いて
92学園祭参加企画への対応について
学内行事専門委員会 構成員各位
夏休み中の企画への対応は議長団に一任し、次の全代会で経過報告を
承認
1992.6.17
学園祭における学長講演会の学園祭実行
運営専門委員会
1992.6.17
委員会との共催について
学園祭仮実行計画書について
学内行事専門委員会
いわゆる第一次実行計画書。
承認
1992.9.2
第1次実行計画書に関する再要請につい
学内行事専門委員会
第一次実行計画書について、大学側から文書での回答が寄せられなか
承認
1992.9.2
1992.9.2
て
1991年度学園祭実行委員会決算報告
学園祭における全代会企画について
学内行事専門委員会
厚生専門委員会
ったので、もう一度提出する。
92.2.19以降に決算に修正が入ったため、再提出。
書面が現存せず詳細不明。厚生専門委員会が何かしらの企画を行った
承認
承認
1992.9.2
第18回筑波大学雙峰祭実行計画書につ
学内行事専門委員会
1992.9.2
いて
本年度学園祭第1次実行計画書における
学内行事専門委員会
第1次実行計画書の文面について大学側から注文が入る。字句を修正
承認
1992.10.7
「慣例化」の表現について
今年度学園祭における政治的な企画の扱
学内行事専門委員会
し、大学に再提出することが議案に。
政治的企画についてのガイドラインの制定について。
承認
1992.10.21 文書等の掲示に関する要請
運営専門委員会
掲示物の張り出し期間を延長して欲しい。
仮承認
(懇談会)
1992.11.11 「文書等の掲示期間延長について」
運営専門委員会
掲示物の張り出し期間を1週間から2週間に変えて欲しい
承認
1992.11.11 新入生歓迎委員会設置に関する議案
学内行事専門委員会
文面が現存しないため詳細は不明。正式団体としての新歓委員会を設
承認
いくつか修正が入った上で、承
認・大学に提出された。
行うこととする。
構成員各位
承認
大学に提出されることに。
模様。
承認
修正の上大学に提出された。
いに関する決議
1992.11.11 93年度学園祭日程に関する抗議及び再要
請
1992.11.11 副学長等との懇談会を開くべきかについ
て
次の全代会までに委員長を決め
立する?
学園祭前日に全学的な休講を行わない、という大学側の回答に対しも
ることに
32名出席で成立。抗議文14名、
う一度審議するよう要請書を出すことになり、それに添える文書の内
意見書18名で、賛成多数により
容を意見書にするか抗議書にするか議論。
文面が現存せず詳細は不明。おそらく、上記議案に伴い副学長との懇
大学に意見書を提出することに
付帯決議として、上記議案に副
談会を開くべきか否かについて審議していたと思われる。
学長との懇談会の開催について
掲載する。また、大学に文書を
提出する。
1992.12.9
学内バスに関する要請
人文学類クラス代表 構成員各位
学内バスのダイヤ改正・車内放送の実施・時刻表と案内板を見やすい
(懇談会)
1992.12.16 全代会研修合宿について
者会議
議長団
場所へ移動することを要望
昭和56年度に実施された全代会研修合宿を次年度から復活する。
(懇談会)
1993.1.20(
学内行事専門委員会
学園祭総括・決算
懇談会)
140
全代会30周年記念誌
構成員各位
動議を受け、厚生委で審議して
いくことに
仮承認
仮承認
年月日
1993.1.20(
議案名
学内バスに関する要請
議案提出者
議案提出先
厚生専門委員会
議案内容
決議 結果・その後の展開
学群棟の掲示板にダイヤを載せる、など
仮承認
ダイヤ改正、車内放送の実施、バス停の掲示の整備などを大学に要請
総括の中で政治的な企画・宗教的な企画の扱いを言及
承認
承認
学生分担金を600円とする。
承認
複数名の候補者がいるときの当選要件を「過半数の票を獲得したも
保留否
の」から「上位得票者」に変えるべきか審議
決
承認
懇談会)
1993.2.3
1993.2.3
学内バスについて
厚生専門委員会
92年度学園祭実行委員会総括および決算 学内行事専門委員会
1993.2.3
審議
93年度学園祭学生分担金について
学内行事専門委員会
1993.2.3
クラス代表の選出方法について
運営専門委員会
1993.2.3
93年度学園祭実行委員会の仮発足につい 学内行事専門委員会
1993.2.3
て(緊急動議)
学園祭における政治・宗教企画のガイド
構成員各位
学内行事専門委員会
この年度の学園祭で政治企画の扱いが問題になったことを受け、ガイ
ライン
1993.2.10
動議が出され、次年度に決議を
ドラインの制定を試みた
総括審議
構成員各位
持ち越すことに。
92年度全代会総括審議
仮承認
(懇談会)
1993.5.6
学園祭実行委員会正式発足
議長団
1993.5.19
1993.5.19
学園祭実行委員会委員長団任命
補講要請について
人文学類座長団
構成員各位
承認
皇太子の結婚の儀が行われる6/9が休講となることに伴い、補講を行
承認
保留否
うよう要請。「学園祭の休講措置がとれないのに皇太子の結婚だと休
決
講になるのか。学園祭も休講措置を」といった意図も含まれていた。
「学園祭の問題と6/9休講の問題はわけて考えるべき」「学生のニーズ
1993.6.2
学園祭における政治的、宗教的企画の扱
学内行事専門委員会
いに関する決議
1993.6.2
学園祭第一次実行計画書についての要請
学園祭実行委員会
1993.6.10
学園祭における政治的、宗教的企画の扱
学内行事専門委員会
(休みたい)に反する」といった意見が多数上げられた。
翌週に出された議案と主旨は同一。議案提出者の受け答えの曖昧さな
保留否 保留否決が二度続いたため、否
どを理由に一度保留否決され、審議を続けた上で再度採決に。
決
厚生補導担当副学長
決扱いに。翌週再審議。
保留否
決
前年度、社会学類企画による「細川護煕氏講演会」が問題となって話
いに関する決議
承認
し合いが行われた。「企画の承認に当たっては一定の基準を設け、
これに違反した場合、学園祭実行委員会(以下、学実委)は、企画差
止め等の制裁を加えることが出来るようにし、どのようなものが政治
的・宗教的企画であるかの最終判断は全代会が行い、その責任を負
う」
1993.6.10
第一次実行計画書承認についての要請
学園祭実行委員会
厚生補導担当副学長
1993.9.1
1993.9.22
学園祭実行計画書の提出について
「学園祭実行委員会についての細則の改
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
自然学類座長
厚生補導担当副学長 全代会の下部機関である学園祭実行委員会について、議長の直属機関
(懇談会)
1993.11.4
正」に関する要請
「構成員改選時期の変更について」
運営専門委員会
とすることで事務手続きの煩雑さを緩和しようとする提案
厚生補導担当副学長 いわゆる「長期プラン」の走り。全代会構成員の改選を2学期に行う
「意向反映経路の改善について」
運営専門委員会
厚生補導担当副学長 教員会議を通さず、直接厚生補導審議会と全代会が対話できる場を要
(懇談会)
1993.11.4
(懇談会)
1993.11.4
(懇談会)
1993.12.1
承認
学内行事専門委員会と話し合っ
て扱いを決めることに。
意見聴取のみの実施に。
案。
「企画団体援助金について」
(懇談会)
1993.11.25 「学園祭の開催とそれに伴う休講措置の
1993.12.1
承認
要請」
「副学長との懇談会について」
学園祭実行委員会
議長
請する案。
企画団体援助金の額等について承認をとった。
仮承認
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
副議長
意見聴取のみの実施に。
承認
構成員各位
シナリオを立てた上で副学長との懇談会に臨むことに。どういった内
授業評価・昼休みの長さなどに
ついて扱っていくことに。
構成員各位
容について扱うか話し合い。
クラ代会の活性化についてアンケートを実施。
「クラ代会の活性化について」
議長
1994.1.26
1994.2.9
1994.2.9
学園祭実行委員会仮発足について
'93年度学園祭決算について
94年度学生分担金について
学内行事専門委員会 構成員各位
学内行事専門委員会 構成員各位
学内行事専門委員会 構成員各位
承認
承認
承認
1994.2.9
1994.4.27
総括について
93年度の学園祭総括
学園祭実行委員会
承認
1994.4.27
1994.4.27
1994.5.11
94年度学園祭実行委員会正式発足
企画団体分担金について
企画団体分担金について
学内行事専門委員会
学内行事専門委員会 構成員各位
学内行事専門委員会
承認
(懇談会)
1.一律千円 クラ代会におろすことに。
この日は1が多数。学園祭実行
2.学術企画と模擬店で金額に差をつける
委員会の意向で審議持ち越し。
3.全く反対
の3案で採決
1994.5.11
1994.5.25
94年度学園祭予算案について
企画団体分担金について
学園祭実行委員会
学園祭実行委員会
1994.5.25
副座長・副議長の選出方法の改正につい
運営専門委員会
て
この日は説明を行うにとどまる
学園祭参加企画から一律千円の分担金を徴収する
承認
保留否 再提出なし→議案取り下げ。
医療・厚生担当副学 1名ずつ選ぶことになっていたため、この年の副議長選挙の際に2名
長
決
承認
同時に出てきたために困ったことになった。その対応を協議→立候
補者が2人いたときにはそれぞれについて信任投票を行う現在の形式
に。
1994.6.1
1994.6.1
駐車場の利用法に関する案
第1次実行計画書に関する要請
厚生専門委員会
学生担当教員室長
近隣住民の自動車利用を規制しようとする案
学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学
1994.6.8
1994.6.8
仮設本部棟南駐車場の修復の要請
1995年度学園祭開催日程に関する要請
厚生専門委員会
学生担当教官室長
仮設南駐車場(本部棟南の駐車場)の修理要請
学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学 10/8、9、10とする案
承認
承認
長
承認
承認
長
全代会30周年記念誌 141
議案一覧
年月日
1994.6.8
議案名
固定時間割に関する要請
議案提出者
議案提出先
議案内容
教育課程専門委員会 教育担当副学長
外国語・情報処理・総合科目・教職科目などに関する学生の要望をま
とめて大学に提出する。
決議 結果・その後の展開
承認
1週間後、提出先を医療・厚生
担当副学長に変更して(理由は
よくわからないが、全代会の担
当が厚生担当だから?)大学に
議案提出。医療・厚生担当副学
長から教育審議会に文書が回さ
れ、教育審議会から全代会と直
接対話の場を持ちたいとの返答
があった。結果、翌年1/18に教
育審議会と全代会の代表による
懇談会が持たれた。
1994.9.5
学園祭実行計画書の提出について
学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学 いわゆる第2次実行計画書
1994.9.28
卒業式に関する提案
運営専門委員会
(懇談会)
長
医療・厚生担当副学 全代会議長団の卒業式への出席、議長による送辞、旧議長等による答
長
承認
仮承認
辞などの実現を求める
1994.11.2
長期プランについて
運営専門委員会
審議の後、参考に採決。意見が
(懇談会)
1994.11.2
トイレの鏡の取り付けについて
厚生専門委員会
大きく割れる。
議案提出予定だったが、不成立
(懇談会)
のため取り下げられた。要望は
直接教職員に伝えられた。
1994.12.14 学園祭実行委員会細則改正案について
学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学 医学の5、6年生の学生分担金徴収などを巡って議論紛糾。
(懇談会)
長
1994.12.14 卒業式に関する提案
(懇談会)
1995.2.1
長期プランについて(①)
運営専門委員会
医療・厚生担当副学 9.28提出のものを正式な要請書としてまとめたもの
仮承認
運営専門委員会
長
医療・厚生担当副学 筑波大学における学生の組織およびクラス連絡会等に関する要項細則
承認
副学長に提出
副学長に提出
長
1995.2.1
仮承認
長期プランについて(②)
(の改正案?)
運営専門委員会
医療・厚生担当副学 クラス代表者選出母体についての改正案
承認
運営専門委員会
長
医療・厚生担当副学 座長団の選挙・任期の改正、準構成員についての案
保留否
1995.2.1
長期プランについて(③)
1995.2.1
1995.2.1
長
95年度学園祭実行委員会仮発足
学内行事専門委員会 構成員各位
95年度学園祭実行委員会仮発足に伴う要 学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学 学園祭専用掲示板の設置やコピー機の貸与といった措置
決
承認
承認
1995.2.1
1995.2.1
請
94年度学園祭決算について
95年度学園祭分担金の金額について
長
学内行事専門委員会
学内行事専門委員会 構成員各位
承認
承認
1995.2.1
「学園祭実行委員会に関する細則」の改
学内行事専門委員会
承認
1995.2.8
正について
駐車場の利用法についての基本方針の承
厚生専門委員会
学生担当教官室長
認
6月に出された議案に関する大学側の対応について承認する旨を学生
承認
担当教官室長に伝える。
1995.2.8
1995.4.26
94年度学園祭実行委員会総括について
学園祭実行委員会
95年度学園祭実行委員会正式発足につい 学内行事専門委員会 構成員各位
1995.5.17
て
大学会館前のペデストリアンの修復の要
厚生専門委員会
学生担当教官室
タイル割れの修復
1995.5.17
請
ループ道路水はけ改善の要請
厚生専門委員会
学生担当教官室
南駐車場バス停付近からグラウンド出口方面三叉路など、9ヶ所の修復 承認
1995.5.17
第1次実行計画書に関する要請
学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学
承認
1995.9.4
長
1996年度学園祭開催日程に関する要請に 学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学
承認
ついて
1995.9.4
承認
長
学園祭実行計画書の提出について
1995.9.27
承認
承認
駐車場問題に関する規制について
学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学 いわゆる2次実行計画書。
厚生専門委員会
長
学生担当教官室
承認
大学から提出された「駐車場に関する規制」(駐車場の利用規制)に
保留否 議案に穴が多いとして、保留・
ついて承認する議案
決
1996.1.17
1995年度学園祭総括報告書の提出
学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学
承認
1996.1.17
学園祭実行委員会に関する細則改正につ
長
学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学
承認
1996.1.17
いて
長
1996年度学園祭実行委員会仮発足に関す 学内行事専門委員会 医療・厚生担当副学
承認
る要請
否認するものが多数出たため。
長
1996.1.17
全学学類・専門学群代表者会議と厚生会
議長
1996.2.7
学生委員会との位置づけ
1996年度学生分担金について
厚生会理事長
学内行事専門委員会 構成員各位
(懇談会)
1996.4.24
1996年学園祭実行委員会の正式発足につ 学内行事専門委員会 構成員各位
厚生会学生委員会と全代会の位置づけについて明文化する議案。
保留否 過半数に満たなかったので持ち
決
帰って再考することに。
仮承認
承認
いて
1996.5.15
1996.5.15
学園祭第一次実行計画書
クラブハウス前ループの排水溝清掃要請
学内行事専門委員会
厚生専門委員会
学生担当教官室長
クラブハウスの前のループの排水溝の清掃を行うよう要請
承認
承認
1996.5.15
に関して
駐車場規制の改善について
厚生専門委員会
・長期休暇の間は入構証の有無を問わず駐車場の利用を許可すること
承認
学生担当教官室長
・規制事項を再度、はっきりとわかるように掲示すること
1996.5.15
学生分担金の徴収に関して
学園祭実行委員会財 構成員各位
政局
142
全代会30周年記念誌
の2点を要請
学生分担金の徴収への全代会の協力の是非を問う
協力に賛成する意見多数
年月日
1996.5.29
議案名
「筑波大学における学生の組織及びクラ
議案提出者
運営専門委員会
議案提出先
担当副学長
ス連絡会等に関する要項」及び「同要項
議案内容
決議 結果・その後の展開
要項改編、クラ代会議長団、課外活動専門委員会と学内行事専門委員
承認
学担に提出
会との合併
細則」の改正についての要請
1996.9.4
学園祭実行計画書の提出について
学内行事専門委員会 担当副学長
いわゆる2次実行計画書
承認
1996.9.17
1996.9.17
1996.12.4(
トイレの修理について
97年度学園祭開催日程に関する議案
厚生会学生理事の選出に関して
厚生専門委員会
学生担当教官室長
学内行事専門委員会 担当副学長
厚生専門委員会
厚生会理事長
トイレの破損箇所などの修理の要請
10/10、11、12の3日間を要請
平成8年度厚生会学生理事の欠員に、暫定処置として、全代会が承認
承認
承認
仮承認
懇談会)
1996.12.4(
厚生委員会(仮称)の設立に関して
厚生専門委員会
した者をあてる
厚生専門委員会に代わり、厚生委員会(仮称)を設置する準備を行な
仮承認
構成員各位
懇談会)
1996.12.4(
う要請
PHS基地局の増設要請に関して
厚生専門委員会
学生担当教官室長
懇談会)
PHSが学内全域で使用できるよう、関連企業に基地局の設置を依頼す
仮承認
るよう要請
1996.12.4(
1997年度学園祭実行委員会仮発足に関す 学内行事専門委員会 担当副学長
懇談会)
る要請
1997.1.29
体芸棟に関する要望について
厚生専門委員会
学生担当教官室長
(懇談会)
仮承認
・体芸棟の階段の上(中央の吹き抜け)に屋根をつけること
仮承認
・体芸棟の水はけの改善
・体芸棟の階段の滑り止めの設置
の3点を要請
1997.1.29
1996年度学園祭総括報告書の提出
学内行事専門委員会 担当副学長
仮承認
学園祭実行委員会の市外への外線接続
学内行事専門委員会 構成員各位
実行委員会室の電話から市外への外線接続が出来るように要請
仮承認
1997.1.29
1997年度学生分担金の金額について
学内行事専門委員会 構成員各位
一人600円
仮承認
(懇談会)
1997.1.29
「学園祭実行委員会についての細則」の
学内行事専門委員会 担当副学長
実行委員の任命権を前代から実委へ。準備委員設置の明文化
仮承認
(懇談会)
1997.1.29
改正について
1997年度学園祭実行委員会仮発足に関す 学内行事専門委員会 担当副学長
(懇談会)
る要請
1997.2.5
1997.2.5
1997.2.5
体芸棟に関する要望について
1996年度学園祭総括報告書の提出
1997年度学生分担金の金額について
厚生専門委員会
学生担当教官室長
学内行事専門委員会 担当副学長
学内行事専門委員会 構成員各位
仮承認された議案の再審議
仮承認された議案の再審議
仮承認された議案の再審議
承認
承認
承認
1997.2.5
「学園祭実行委員会についての細則」の
学内行事専門委員会 担当副学長
仮承認された議案の再審議
承認
1997.2.5
改正について
1997年度学園祭実行委員会仮発足に関す 学内行事専門委員会 担当副学長
仮承認された議案の再審議
承認
1997.2.5
る要請
厚生会学生理事の選出に関して
厚生専門委員会
構成員各位
平成8年度厚生会学生理事の欠員補充
承認
1997.2.5
来年度の厚生専門委員会の構成員以外の
厚生専門委員会
学生担当教官室長
厚生専門委員会の人員不足解消のため、翌年度に限り厚生専門委員会
承認
1997.2.5
学群生からの募集について
厚生委員会(仮称)の設立に関して
構成員各位
の学生を全代会構成員以外の学群生の中からも選出する
仮承認された議案の再審議
承認
1997.4.23
1997年度学園祭実行委員会の正式発足に 学内行事専門委員会 構成員各位
承認
1997.5.14
1997.5.14
ついて
第1次実行計画書に関する要請
一ノ矢学生宿舎1号棟の洗濯機の修理要
承認
承認
(懇談会)
1997.1.29
(懇談会)
厚生専門委員会
仮承認
正された。
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
厚生専門委員会
学生担当教官室長
一ノ矢学生宿舎1号棟の洗濯機を修理・新規購入等により利用可能に
請について
3.7に厚生補導審議会で可決、改
する
1997.5.14
平成7年度11月1日付けで施行された駐車 厚生専門委員会
学生担当教官室長
1997.9.3
場の規制見直しについて
第二次学園祭実行計画書
駐車規制対象者を、学生宿舎、天久保、春日地区の学生→学生が所属
承認
学内行事専門委員会
承認
1997.9.17
学園祭実行計画書の訂正
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長 企画リストの一部に訂正
仮承認
(懇談会)
1997.11.5
「厚生委員会についての細則」制定に関
運営専門委員会 及 学生担当教官室長
承認
1997.11.5
して
1998年度学園祭の日程について
び 厚生専門委員会
員会の項を削除する
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
承認
1997.11.5
駐車場規制について
厚生専門委員会
承認
する事務区から半径2km圏内に住む学生とすること
学生担当教官室長
「厚生委員会についての細則」を制定し、要項細則の中の厚生専門委
学生担当教官室からの駐車場規制の案に対する回答。医学・医短の規
制範囲の修正、入構証の偽造防止の検討、交通安全会の傍聴などを要
請
1997.12.17 1998年学園祭準備委員会発足に伴う措置 学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長 活動場所、機材の供与の要請
(懇談会)
について
1998.1.21
厚生委員会室の設置について
厚生専門委員会
学生担当教官室長
仮承認
厚生委員会発足に伴い、全代会室だけでは活動スペースが足りなくな
承認
ることから、新たな部屋を貸与してもらえるよう要請
1998.1.21
1998.1.21
学園祭総括報告書の提出について
学園祭準備委員会の発足
1998.1.21
1998.4.22
1998年度学生分担金の金額について
学内行事専門委員会 構成員各位
1998年度学園祭実行委員会正式発足につ 学内行事専門委員会 担当副学長
あわせて委員長も任命。
承認
承認
1998.5.20
いて
副委員長の辞任について
学内行事専門委員会 構成員各位
学園祭実行委員会副委員長の辞任について。
承認
1998.5.20
学園祭実行委員会第一次実行計画書につ
学内行事専門委員会
承認
学内行事専門委員会
議長
医療・学生生活担当 全代会の公式アカウントを学情サーバに置くこと、筑波大・学情のホ
承認
仮承認
いて
1998.6.30 第二次学園祭実行計画書について
1998.10.14 全代会の公式アカウントの設置について
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
学内行事専門委員会 厚生補導担当副学長
(懇談会)
副学長
1998.11.11 全学学類・専門学群代表者会議の公式ア
議長
カウント設置に関して
承認
承認
ームページから全代会のページにリンクを貼ることを要請
医療・学生生活担当 全代会及び学実委の公式アカウントとして9メガ用意すること、筑波
副学長
1998.11.11 平成11年度学園祭開催日程に関する要請 学内行事専門委員会
承認
大・教育用計算機センターのホームページから全代会・学実委のペー
ジにリンクを貼ることを要請(仮承認されたものよりも詳細な要請)
開催日程と準備・後片付けのための休講措置の要請
承認
1999.1.27
1998年度学園祭総括報告書の提出につい 学内行事専門委員会 医療・学生生活担当
仮承認
(懇談会)
1999.1.27
て
1999年度学生分担金の額について
仮承認
副学長
学内行事専門委員会 構成員各位
(懇談会)
全代会30周年記念誌 143
議案一覧
年月日
議案名
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
1999.1.27
1999年度学園祭準備委員会発足に関する 学内行事専門委員会 医療・学生生活担当 教室・印刷機の貸与などの要請
仮承認
(懇談会)
1999.1.27
要請
平成10年度全代会総括審議
仮承認
副学長
議長団・委員長団
各委員会の総括の審議
(懇談会)
1999.4.28
1999年学園祭実行委員会の正式発足につ 学内行事専門委員会 構成員各位
承認
いて
1999.5.19
第一次実行計画書に関する要請
学内行事専門委員会 医療・学生生活担当
承認
副学長
1999.5.19
学園祭学生分担金集金についてのお願い
学内行事専門委員会 構成員各位
学生分担金の集金の協力依頼
1999.5.19
他大学との交流会について
副議長
筑波大学は、首都圏から離れた立地のために他大学との交流が少な
議決はとらず、賛成・反対など
い。そこで、全代会が主催者となって他大学との交流会を開催した
の意見のみ聴取。賛成多数だが
構成員各位
承認
い。
1999.6.16
全代会宣言
議長
構成員各位
「筑波大学生は、防犯意識向上のため、宿舎における居室施錠を徹底
反対意見も。
承認
する努力をする」
「筑波大学生は、学内の交通安全のため、大学構内において交通ルー
ルを遵守する」
の2点を宣言として採択し、学生にアピールすることで意識向上やマ
ナー改善を目指す。
1999.6.16
全代会宣言
社会学類座長
構成員各位
4月に起きた工学基礎学類生の殺人事件を受け、
承認
「自身の安全を脅かす危険のある行動は、大学生たる常識を持って判
断し、避けるよう心がけること。」
「学生同士のつながりを保ち、互いの安全に注意しあうこと。」
の2点を宣言として採択する。
1999.6.16
1999.9.1
1999.9.1
全学対象の卒業アルバムの製作に関して
当日スタッフ協力のお願い
学園祭実行計画書の提出について
1999.10.27 平成12年度学園祭日程に関する要請
(懇談会)
1999.10.27 平砂柵問題における問題点とその改善案
情報学類座長
構成員各位
全代会が主体となって卒業アルバムを作る。
学内行事専門委員会 構成員各位
全代会員への当日スタッフ協力のお願い
学内行事専門委員会 医療・学生生活担当 いわゆる第2次実行計画書の提出。
承認
承認
承認
副学長
学内行事専門委員会 医療・学生生活担当 開催日程と準備・後片付けのための休講措置の要請
仮承認
副学長
厚生委員会
平砂地区にある柵が視覚障害者などの通行の邪魔となっていることを
(懇談会)
仮承認 全代会の仕事として認めること
受け、柵を取り除きループにガードレールを設置することなどを提案
に。
する案を学生担当教官室と厚生委員会で話し合ってきた。その経過を
1999.10.27 学生組織に関する調査及びアンケートに
(懇談会)
構成員各位
ついて
全代会の仕事として認めるか否かを審議。
クラ代会を中心とした、学生組織に関する調査・アンケートの実施
仮承認
と、座長団への協力要請。
1999.10.27 災害時の措置に関するアンケートについ
(懇談会)
運営専門委員会
運営専門委員会
構成員各位
て
筑波大学に、災害時にとられるべき休講などに関する措置の規定を設
仮承認
けるために、クラス代表者会議で審議を行なうなどして学生の意見を
1999.11.10 平成12年度学園祭日程に関する要請
まとめる。
学内行事専門委員会 医療・学生生活担当 10.27に仮承認された議案の再審議
承認
副学長
1999.12.15 学園祭総括について
学内行事専門委員会
議案書紛失のため提出先不明
仮承認
(懇談会)
1999.12.15 2000年学園祭準備委員会の設置について 学内行事専門委員会
仮承認
(懇談会)
1999.12.15 学生分担金について
仮承認
学内行事専門委員会
(懇談会)
2000.1.19(
厚生委員会
消えかけた白線の塗りなおし、利用頻度の悪い駐輪場への誘導などに
仮承認
学園祭総括、学園祭準備委員会の発足に
学内行事専門委員会
よる駐輪状況の改善案
時間の都合から学園祭関係の事務手続きをまとめて議決
承認
2000.1.24
ついて ほか
駐輪問題について
厚生委員会
仮承認された議案の再審議
承認
2000.5.14
2000.5.14
共用棟娯楽室のオープン化について
筑波大学の電子化に関する問題点と改善
厚生委員会
教育課程専門委員会
パソコン(インターネット)、卓球台の設置
web上での休講情報、事務情報、シラバス、履修申請及び宿舎への
否認
懇談会)
2000.1.24
駐輪問題について
点
LAN導入
2000.5.24
2000.5.24
2000.6.14
2000.9.4
第26回学園祭実行計画書審議
総合科目アンケートについて
平成13年度学園祭日程に関する要請
意見聴取会の定例化について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長 学園祭に関するアンケート?
教育課程専門委員会
運営専門委員会
2000.9.4
第26回筑波大学学園祭実行計画書(第二 学内行事専門委員会
承認
承認
承認
承認
承認
次)審議
2000.10.11 筑波大学学生団体ウェブページについて
2000.12.20 学園祭報告(決算)
2001.2.7
駐車場ゲート化に関する入構規制につい
運営専門委員会
学内行事専門委員会
構成員
仮承認
仮承認
仮承認
学内行事専門委員会
仮承認
2001.2.7
て
学園祭実行委員会関係議案追加審議
2001.2.21
2001.4.25
広報委員会の改組について
議長
広報委員会の総務委員会化?
平成13年度学園祭実行委員会の設置につ 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
承認
2001.5.23
いて
学分金の集金許可
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
2001.5.23
2001.6.20
第一次学園祭実行計画書
H14年度の学園祭開催日程について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
承認
2001.9.3
学園祭実行計画書改訂版
2001.11.14 実行委員会総括報告書
2001.11.14 学園祭実行委員会会計監査規定
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長 学実委の会計監査を内行が行うこと
承認
承認
承認
2001.11.14 「学園祭に関する申し合わせ」改正案
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長 日程の固定化
承認
144
全代会30周年記念誌
年月日
議案名
2001.11.14 「学園祭実行委員会についての細則」改
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長 委員長、副委員長を四月末日までに決めること、実行委員学分金の額
正案
承認
の決定手続き
2001.11.14 平成14年度学園祭学生分担金の金額につ 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長 一人600円
承認
いて
2001.12.19 2002年学園祭準備委員会発足について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
2001.12.19 2002年学園祭準備委員会発足に伴う措置 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
仮承認
仮承認
について
2002.1.30
2002.1.30
2002年学園祭準備委員会発足について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
2002年学園祭準備委員会発足に伴う措置 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
承認
2002.2.20
について
2002年学園祭実行委員会発足について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
仮承認
2002.2.20
2002.2.20
学園祭学生分担金の集金許可要請
学園祭学生分担金集金協力依頼について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
仮承認
仮承認
2002.4.24
2002.4.24
学園祭学生分担金の集金許可要請
2002年学園祭実行委員会発足について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
承認
2002.5.29
2002.6.19
2002.9.4
第一次実行計画書に関する要請
平成15年度学園祭に関する要請
学園祭実行計画書に関する要請
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長 第二次実行計画書
承認
承認
承認
2002.11.13 2001年度学園祭実行委員会総括
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
2002.12.18 2002年学園祭実行委員会決算報告の提出 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
承認
について
2002.12.18 2003年学園祭学生分担金の金額について 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
2002.12.18 2003年学園祭準備委員会発足について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
承認
2002.12.18 2003年学園祭準備委員会発足に伴う措置 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
について
2003.1.29
「学生と教官との教育についての全学的
教育課程委員会
教育担当副学長
な交流の場の実施についての要望書」の
学生が教育に関わる議論に関われず、決定事項だけが伝えられている
承認
現状について。(45単位制やTWINS導入)
提出について
2003.2.19
「全代会活動場所についての要望書」の
運営専門委員会
2003.2.19
提出について
「ゼミ及び研究室の学園祭参加に際する
学生生活担当副学長 全代会以外の施設の貸与、教室申請手続きの簡略化、三日前までの教
室申請、一括申請
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長 学術企画の増加を目的とする
承認
2003.2.19
要望書」の提出について
2003年学園祭実行委員会発足について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
2003.2.19
2003.4.30
学園祭学生分担金の集金許可要請
学園祭直前・直後の作業場所についての
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
承認
2003.5.21
要望
第一次学園祭実行計画書に関する要請
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
2003.5.21
「全学学類・専門学群代表者会議の活動
副議長
学生生活担当副学長 一学C棟など、全代会室と別にミーティングができる教室を要望
承認
2003.5.21
場所に関する要望書」の提出について
「春日キャンパスにおける活動場所につ
副議長
学生生活担当副学長 春日キャンパスに全代会、実委、図情クラ代会が活動できる場所を要
承認
いての要望書」の提出について
2003.6.18
?
2003.9.24
平成16年度学園祭に関する要請
学園祭実行計画書に関する要請
つくば市内における歩道の街灯に関する
承認
望
クラ代のスペースのみ確保され
た
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
議長
学生生活担当副学長
承認
承認
承認
2003.10.22 つくば市内における歩道の街灯に関する
議長
学生生活担当副学長
承認
要望書の回答について
2003.10.22 自転車駐輪場改善に関する話し合いの要
厚生委員会
学生生活担当副学長
承認
望書
第29回学園祭・雙峰祭総括報告書につい 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
要望書
?
て
?
副学長との懇談会の議題の確定
議長
学生生活担当副学長
2003.12.17 2003年学園祭実行委員会決算報告書の提 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
承認
出について
2003.12.17 「2004年度学園祭準備委員会発足につい 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
て」の提出について
2003.12.17 「2004年学園祭準備委員会発足に伴う措 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
承認
2004.1.28
2004.2.18
置について」の提出について
2004年度学園祭学生分担金について
カード型学生証について
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長 図情の一年生も含める
構成員
学生生活担当副学長 住所の記載がない点について
2004.2.18
全代会における議長団の組織の改定の承
構成員
承認
仮承認
議長を代表、副議長を副代表という役割に位置付ける
事前のチェックを通していない
認についての要望
2004.2.18
細則における選挙管理委員会の項の削除
ため持ち帰り
構成員
事前のチェックを通していない
についての要望
ため持ち帰り
2004.2.18
2004.2.18
学園祭学生分担金の集金許可要請
学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
2004年度学園祭実行委員会発足について 学内行事専門委員会 学生生活担当副学長
仮承認
仮承認
2004.2.18
「学術情報メディアセンターの開室時間
比文副座長
2004.2.18
延長」の要望
広報委員長・副委員長の選出方法につい
構成員
2004.2.18
ての要望
図情2-4年生の学分金集金について
学園祭実行委員会
仮承認
2004.4.28
学園祭直前直後の作業場所についての要
学内行事専門委員会
承認
2004.4.28
2004.4.28
望
学園祭学生分担金の集金許可申請
2003年度学園祭実行委員会発足につ
学内行事専門委員会
学内行事専門委員会
学生生活担当副学長 学術情報メディアセンターの利用時間を8時から24時までの延長を要
望
全代会構成員以外からの選出と細則の改正
審議に収拾がつかないため持ち
帰り
前年度第10回本会議が流会になったため再び審議
承認
承認
いて
2004.5.26
「第一次実行計画書に関する要請」の提
学内行事専門委員会
承認
出について
全代会30周年記念誌 145
議案一覧
年月日
2004.6.16
議案名
議案提出者
議案提出先
議案内容
「平成17年度学園祭に関する要請」の提 学内行事専門委員会
意見聴取会にて準備期間は全日休みにするべきという意見があった
出について
が、学園祭実行委員会が昨年度のアンケートを参照したところ、全日
決議 結果・その後の展開
承認
休みにする必要性がないと判断したため、例年どおり前日の午後、翌
2004.6.16
「細則における課外活動専門委員会の部
日の午前を休講とすることを要望するに留まった。
細則改正特別委員会 副学長(教育、学生 学内行事専門委員会に吸収された課外活動専門委員会の項の削除
分の要請」の削除について
否決
生活)
スポーツ・デー学生委員会に記
載されている課外活動専門委員
会の項の削除も併せて行うべき
2004.9.1
「学園祭実行計画書に関する要請」の提
学内行事専門委員会 副学長(教育、学生 本部企画が25もあるため、実行計画書とは別に詳細を作成中。
出について
2004.9.29
「学内交通システムのあり方についての
承認
生活)
学内バス特別委員会 副学長(総務、企
要望」の提出について
画、広報)
急きょ議案提出となった経緯は、10月~11月に行われると言われてい 承認
る公聴会までに費用負担方法の概要が決定されるという情報が事務よ
りもたらされ、10月の本会議では手遅れとなる可能性があるためであ
2004.10.27 「英語検定試験に関する要望」
2004.10.27 「宿舎の管理体制に関する要望」
る。
教育課程専門委員会 副学長(教育、学生 英語検定試験の得点開示、サンプル問題の作成、目的と意義に関する
承認
生活)
広報の充実を要望する。
副学長(教育、学生 一の矢学生宿舎のマスターキーが盗まれた件に関して、説明責任や管
承認
厚生委員会
生活)
理体制の見直しを求める。学都資金財団に直接提出するのでは受け入
れられないため、大学から学都資金財団にアプローチをしてもらいた
い。
2004.11.17 「2004年度学園祭総括報告書」の提出に 学内行事専門委員会 副学長(教育、学生
ついて
2004.11.17 「全学学類・専門学群代表者会議 運営
保留否
副議長
生活)
学生担当教員室長
全代会内規の改定と同規則の学担室への提出
決
承認
広報委員会
副学長 (教育、学
Campus157号が学生担当教員室の要請を受けて発行できなくなった
承認
生生活)
ことに伴い、取材先のひとつであった株式会社ポケモンが大学からの
内規」の制定及び提出について
2004.12.9
「株式会社ポケモンからのメールに対す
る対応の要望」の提出について
直接の説明を求めるメールを送ってきた。これを受け、大学側で文書
で返答するよう要望した。緊急で対応すべき事柄であったため、本会
議を経ず持ち回り(構成員がそれぞれ議案書を閲覧し、賛成・否認・
2004.12.22 「2005年学園祭準備委員会発足につい
保留のいずれかに判を押す採決方法)にて採決を行った。
学内行事専門委員会 副学長(教育、学生 例年通り、4月の実行委員会発足に向けて土台堅めとなるよう、代表
て」の提出について
生活)
世話人を設け発足する方針である。
2004.12.22 「2005年学園祭準備委員会発足に伴う措 学内行事専門委員会 副学長(教育、学生
置について」の提出について
承認
承認
生活)
2005.1.26
「2005年学園祭学生分担金の金額につい 学内行事専門委員会 副学長(教育、学生 例年通り、「1年につき600円」を4年分一括で新入生オリエンテー
承認
2005.1.26
て」の提出について
「検討委員会設立についての要望書」の
承認
生活)
生物資源学類副座長
承認について
ションの際に集金するとのことである。
来年度の全代会をスムーズに開始できるよう、検討委員会を設置す
る。クラ代会と全代会の関係を見直し、全代会内の組織を建て直す、
細則を改正する、広報を活性化する、イベントで全代会を盛り上げる
2005.2.16
「『筑波大学スポーツ・デー要項』の改
など、部門は多岐にわたる。
学内行事専門委員会 副学長(教育、学生 「筑波大学スポーツ・デー要項」によると、最高議決機関である運営
正に関する要望」の提出について
生活)
承認
委員会には、現在スポーツ・デー学生委員会の者は構成員として出席
できないことが問題となっている。そこを是正する。
2005.2.16
「2004年度学園祭総括報告書」の提出に 学内行事専門委員会 副学長(教育、学生
2005.2.16
ついて
「2005年学園祭実行委員会発足につい
承認
生活)
学内行事専門委員会 副学長(教育、学生 総括承認に伴い、次年度の幹部三名の承認が求められた。委員長は津
て」の提出について
生活)
承認
本(社会1年)、副委員長は熊谷(自然1年)、原田(自然1年)である。い
ずれも、準備委員会では代表世話人になっており、リーダーシップを
発揮している。
2005.2.16
「学園祭学生分担金の集金許可要請」の
学内行事専門委員会 副学長(教育、学生 前回の本会議で承認された学園祭学生分担金の徴収額及びその徴収方
承認
2005.5.13
提出について
学生宿舎の静脈認証システム導入に伴う
生活)
法を踏まえ、実際に集金する許可の承認が求められた。
副学長(学生生活) 学生宿舎への静脈認証システム導入にあたり個人情報の漏洩を懸念す
承認
厚生委員会
個人データの扱いに関する説明の要望
る学生の声を受けて出された提案。データの管理方法の説明を求める
とともに、管理方法によっては宿舎からの退去を考えている学生がい
るためシステム施行を延期することなどを要望。期日が限られていた
ため、意見聴取会での審議の後、本会議を通さず持ち回り(構成員が
それぞれ議案書を閲覧し、賛成・否認・保留のいずれかに判を押す採
決方法)にて採決を行った。
2005.5.18
第一次学園祭実行計画書
学内行事専門委員会 副学長(学生生活)
承認
2005.5.18
全代会30周年記念行事に関する特別委員 議長
構成員各位
承認
2005.6.15
会設立の要望
新規宿舎サービスに関する特別委員会設
厚生委員会
構成員各位
承認
承認
立の要望
2005.6.15
学群・学類再編に伴う諸問題を検討する
構成員
構成員各位
2005.6.15
特別委員会の設立の要望
学則の改正に関する要望
副議長
副学長(学生生活) 厚生、広報委員会の細則。両委員会とも座長団は委員長・副委員長以
承認
外の委員になることはできない点を改正。
2005.6.15
2005.9.7
全代会ロゴの制定
第二次学園祭実行計画書
広報委員会
構成員各位
学内行事専門委員会 副学長(学生生活)
承認
承認
2005.9.28
スポーツ・デー学生委員会細則改正
学内行事専門委員会 副学長(学生生活)
承認
2005.9.28
静脈認証システム全棟試験運用
厚生委員会
承認
146
全代会30周年記念誌
副学長(学生生活)
年月日
議案名
2005.10.26 春日宿舎における静脈認証システムの運
用状態改善の要望
議案提出者
議案提出先
議案内容
決議 結果・その後の展開
図書館情報専門学群 副学長(学生生活) 静脈認証システムIDで複数人が入れずに真夜中に立ち往生などの問題
承認
副座長
2005.10.26 学生生活課との意見聴取会開催の要望
2005.11.16 「スポーツ・デー学生委員会細則改正の
厚生委員会
副学長(学生生活) 全代会内規の改定と同規則の学担室への提出
学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 第五回本会議に出した要望の一部を訂正する
承認
承認
要望」の訂正
2005.11.16 アスベスト問題に関する要望
厚生委員会
承認
筑波大学アスベスト アスベスト使用状況の調査結果の説明会の関係を求める
対策連絡会座長
2005.12.21 2004年度学園祭実行委員会総括報告書の 学内行事専門委員会 副学長(学生生活)
承認
提出
2005.12.21 2006年度学園祭実行委員会発足に伴う措 学内行事専門委員会 副学長(学生生活)
承認
置に関する要請
2006.1.25
2006.2.22
2006.2.22
検討委員会設立の要望について
静脈認証システムに関する要望
全学学群教職課程委員会に関する要望
副議長
構成員各位
厚生委員会
副学長(学生生活) システムの運用停止、導入の経緯、費用の公開を求める
教育課程専門委員会 副学長(教育)
全学学生教職課程を履修している学生への支援活動、委員会の活動の
2006.2.22
2006年度学園祭実行委員会発足とそれに 学内行事専門委員会 副学長(学生生活)
2006.4.26
伴う二つの措置の要望
学群・学類改組に関する特別委員会設立
承認
承認
承認
広報を求める
副議長
構成員各位
についての要望
承認
学群・学類改組に伴い、新たな全代会の組織体制を考えるための特別
承認
委員会設立の要望
2006.4.26
全代会記念冊子制作特別委員会設立につ
副議長
全代会の30年間の活動をまとめた冊子(前年度に作ろうとして完成し
承認
2006.5.17
いての要望
学園祭直前・直後の作業場所の使用の要
構成員各位
なかったもの)を制作するための特別委員会設立の要望
学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 学園祭直前・直後に学園祭実行委員会が作業するためのスペースの使
承認
望
用許可を大学に求める。
2006.6.14
実行計画書に関する要請
学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 平成18年度の学園祭の実行計画書を副学長提出する。
承認
2006.6.14
平成19年度学園祭に関する要請
学内行事専門委員会 学長
平成19年度の学園祭の開催を学長に要請する。
承認
2006.6.14
「学園祭に関する申合せ」、「学園祭実
副議長
2006年3月に失効した学園祭関係の学則を、新たに制定し直すことを 承認
学長
行委員会について」の制定に関する要望
2006.9.6
学長に求める。
学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 平成18年度(今年度)の学園祭の実行計画書追加提出分を副学長に提
承認
教育課程専門委員会 副学長(教育)
出する。
『履修要覧』に、教職に関する単位取得状況をチェックできる資料を
承認
副議長
構成員各位
追録するよう要望する。
学群・学類改組に合わせて全代会の組織を2007年度から再編する(再 仮承認
2006.10.18 情報特別委員会設立の要望
議長
構成員各位
(懇談会)
2006.10.18 新歓・安全対策特別委員会設立について
学内行事専門委員長 構成員各位
2006.9.27
実行計画書追加提出分に関する要請
「履修要覧」改善等の要望
2006.10.18 全学学類・専門学群代表者会議の再編成
(懇談会)
(懇談会)
について
編の詳細は全代会の説明○p参照)
の要望
学内の情報環境について扱う特別委員会を設立する。
仮承認
新入生歓迎行事(新歓ネットワークなど)について扱うとともに、宿
仮承認
舎入居時や新入生歓迎祭時の宗教勧誘対策などを行うために、学内行
事専門委員会、運営専門委員会、厚生委員会が協力して特別委員会を
設立する。
2006.10.18 調査特別委員会設立についての要望
副議長
構成員各位
(懇談会)
2007年度に調査委員会が設立される(詳細は全代会の説明○p参照)
仮承認
にあたり、その準備と活動サイクル確立のための特別委員会を設立す
2006.11.8
「筑波大学の学生組織等について」の改
2006.11.8
正の要望
「筑波大学における学生の組織及びクラ
副議長
学長
る。
次年度実施の全代会再編にあわせて、全代会に関する規則の一部を改
承認
副議長
正することを要望する。
副学長(学生生活) 次年度実施の全代会再編にあわせて、全代会に関する規則の一部を改
承認
ス連絡会等について」の改正及び「全学
正することを要望する。
学類・専門学群代表者会議広報委員会に
ついて」、「全学学類・専門学群代表者
会議厚生委員会」についての廃止の要望
2006.12.20 2007年学園祭準備委員会発足について
学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 2007年学園祭の実施に向け、学園祭準備委員会を設立する。
2006.12.20 2007年学園祭準備委員会発足に伴う措置 学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 2007年学園祭準備委員会の発足に伴い、第一学群C棟205教室の貸
承認
承認
に関する要請
2006.12.20 「学群・学類改組に伴い移行期間中の筑
承認
副議長
学長
波大学の学生組織等に関する申し合わ
与などの措置をとることを副学長に要請する。
学群・学類改組後、新旧学群が並立する期間の、クラス代表者会議や
座長団の選出方法に関する規則を制定するよう、学長に要望する。
せ」制定の要望
2006.12.20 検討特別委員会設立についての要望
構成員
構成員各位
次年度の全代会について考える特別委員会を設立する。
承認
2007.1.24 第32回筑波大学学園祭「雙峰祭」総括報 学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 2006年度の学園祭総括報告書を承認し、副学長(学生生活)に提出す 承認
告書の提出について
る。
2007.2.14
2007年学園祭実行委員会の発足について 学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 4月1日付けで2007年度学園祭実行委員会を設立する。
承認
2007.2.14
2007.2.14
2007年学園祭学生分担金の金額について 学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 2007年度の学分金を一人600円とする。
学園祭学生分担金の集金許可要請
学内行事専門委員会 副学長(学生生活) 学分金の集金の許可を要請する。
承認
承認
2007.2.14
「安全対策推進委員会に関する申し合わ
2007.2.14
せ」に関する要望
2007年度監察役選出について
学内行事専門委員会 構成員各位
安全対策推進委員会に関する申し合わせについて、わかりにくい記述
承認
副議長
や現状にそぐわない部分を改正した。
規則から選挙管理委員会についての記述がなくなり、全代会に不信任
承認
構成員各位
案を取り扱う機関が必要となったため、今年度の座長団から来年度の
監察役として2名を選出した。
全代会30周年記念誌 147
副学長等と全代会構成員との懇談会
議案一覧
年度
1976年度
年月日
1976.6.2
1977年度
1978.1.25
議案
学生組織について
学園祭について
その他の議題
クラスセミナーのあり方
新入生オリエンテーション
学園祭の三者一体論
代表者会議と課外活動団体の関係
代表者会議の予算
1978年度
1978.5.31
1979.2.7
1979年度
1979.5.2
1979.10.4
不明
学園祭
クラス制度
選挙違反
不明
学園祭について
1980年度
1981.1.28
学園祭について
学内交通について
1981年度
1981.5.27
宿舎について
学園祭期日と休講措置
宿舎経理公開等の厚生問題
処分問題について
研修会と全学交歓会
三里塚に関する集会の不許可について
1981.11.11
148
全代会30周年記念誌
内容
結果
細則を早急に制定すること。 年度末に制定
建設的な内容とする。
後に三方針として定められ
お祭り騒ぎに止まらない。
た
教官と学生で十分に協議する。
クラスセミナー等のあり方をと
りあげる。
オリエンテーションについて見
直しを図る。
学生、教職員の三者一体論のあ 学園祭のあり方を考えるワ
り方について論議する。
ーキンググループが学生担
当教官室長下に置かれた
学生組織と課外活動団体の間の
連絡手段について考察する。
学生組織の運営費の確保の方法
について確認するとともに、現
状を教職員に訴える。
副学長から学園祭についてコメ 企画の実施については実行
ントが寄せられた。
委員会・代表者会議の責任
において取りまとめること
などを求められた。
学園祭中止の経緯と次年度の準 学園祭実現の方向に向けて
備について話し合った
動き出した
1980年度は筑波大関係者によ
る交通事故が多発していた。そ
れについて大学でも交通問題ワ
ーキンググループを結成してお
り、懇談会で厚生専門委員会と
意見交換を行った。
2.5日~3.5日の休講を求める全
代会に対し、教育審議会は1.5
日が限界という態度を崩さず。
学生宿舎・学内業者の経理公開
を全代会が要求。
基礎工学類長軟禁事件の処分者
について、無期停学者の扱いに
ついて、無期停学者と学生担当
教員の間でおこった事件につい
てなど、処分問題について全代
会がそれぞれ意見を述べた。
学担室から、全代会構成員との
研修会や、全学交歓会を持ちた
いとの意見が出される。構成員
からは「意思疎通をはかるなら
ば、これまでのように酒の入っ
たものでないものにしたい」
「全学交歓会よりも学園祭をや
りましょう」などの意見が出
た。
引き続き話し合うことで合
意
各件について大学側から見
解が述べられるにとどま
る。
予定されていたが時間切れ
のため話し合いは行われな
かった。
宿舎の管理運営に関する学生への経理 宿舎の経理公開、共益費の使途 共益費の使途はその場で口
公開
公開を求めた全代会に対し、 頭で公開され、代表者会議
「宿舎の経理は公開できない」 広報に掲載された。
「共益費の使途は文書では公開
できない。口頭で公開する」
といった回答が大学からなされ
た。
学内の業者の経理公開
「企業は各々違う条件で頑張っ
ているので経理公開はできな
い」と大学側から回答
「厚生会」の現状
厚生会の現状について大学側か 厚生会の会則・大学と財団
ら説明
間の協約書及びその細則を
学生側に手渡すこと、
年度
1982年度
年月日
1982.6.9
議案
交通安全の問題
学園祭の期日に関する件
処分に関する件
全代会広報のあり方
学生宿舎における風呂の営業
全代会と関係教職員の研修会
1983年度
1984年度
1985年度
内容
結果
『STUDENTS』に厚生会の
会則と現状を掲載すること
を懇談会の末尾に全代会か
ら要望。
厚生補導審議会委員から問題提
起。事故が多発する中で、学生
は十分注意するよう要請があっ
た。全代会側からは、学生のみ
ではなく教職員にも気をつけて
ほしい、学内バスも制限速度を
守っていない、などの意見が上
がった。
学園祭の開催期日を11月に変 期日変更はかなわず、学園
更するよう全代会(学内行事専 祭は10月9日より開催され
門委員会)から要請。大学側か た。
ら10月開催の理由が説明され
たが、学園祭実行委員会委員長
団から反論がなされた。
①前年度学園祭で時間制限が
守られなかったことに対して
学園祭実行委員長、企画責任
者、全代会議長が厳重注意処
分を受けたことについて:
学生側から説明が求められ
た。大学側から学生が意見聴
取に応じなかったことなど
が問題として挙げられた。
②原理研が関わる(と言われて
いた)講演会を阻止しようとし
た学生への処分について:学生
から学内で原理研が活動してい
ることへの見解も含めて説明を
求めたが、大学からは学生への
処分についてしか言及されなか
った。
前年度、「筑波大学学生管理
史」「無視され続けた全代会決
議」の2つの記事が代表者会議
広報への掲載を認められなかっ
たことについて、広報委員長か
ら「広報には議題の背景や解説
も掲載すべき。今後は各方面の
意見も載せたい」として、大学
側の見解を求めた。学担副室長
から、代表者会議広報は公費で
出版しているものなのだから議
事内容のみ紹介するべきだと意
見が述べられ、今後も公的機関
紙の性格を逸脱すると思われる
場合は内容に干渉するとの見解
が述べられた。
前年度に行われた宿舎浴場の試
験的営業時間延長について、厚
生専門委員長が大学側に質問。
厚生課長から営業成績上芳しく
ない結果だったが、日曜日の営
業については月2回程度はやら
ざるを得ないだろうとの説明が
あった。
時間の関係で一括して取り上げ
られた。大学側がこれら3点を
行いたいと考えていくことが説
明され、全代会から今後検討し
てゆくとの返答がなされた。
全学交歓会の件
全代会構成員と学長、副学長の懇談の
件
副学長との懇談会が非公開であることなどを理由に、懇談会を行わないこと、公開の場での意見交換を求めていくこ
となどを会議で決定したため、副学長との懇談会は開かれなかった。
1984.10.9
学園祭について①
学園祭の中止状態解除を巡って、大学側と全代会での交渉が
行われた。議論はほぼ平行線をたどり、結論が出ないまま2
1984.10.18
学園祭について②
回とも時間切れとなった。
学園祭は中止された。
開催したか否か不明(日程・議案を巡って全代会と教職員が交渉していたことは確認できるが、結局開催に至ったか
がわかる資料がない)。
全代会30周年記念誌 149
副学長等と全代会構成員との懇談会
議案一覧
年度
1986年度
年月日
1987.2.4
議案
学生組織の現在の問題点
学園祭について
教育課程について
福利厚生について
交通事故防止等について
学生の懲戒処分について
自殺について
1987年度
1988年度
1989年度
150
内容
運営専門委員会から学生の意識
の薄さと全代会構成員の負担の
大きさが述べられ、これについ
て学担室長から学類レベルでの
クラス制度の活性化と現行の規
制の緩和が提案された。また、
議長からクラ代会が機能してい
る学類はクラスセミナーが設け
られているところである、との
意見が述べられ、教員と意見交
換が行われた。
学園祭の評価や学園祭に関する
二条件などについて学生・教員
から意見が述べられた。学内行
事専門委員長から二条件につい
ては今後当然受け入れられるだ
ろう、という旨の発表がなされ
ている。
大学側で行われている総合科目
の見直しについて、教育課程専
門委員会から質問を行った。学
類ごとのクラス連絡会を通じて
学生の意向を反映してはどう
か、といった意見が教員から述
べられた。
1986.12.17に決議された「学
生生活改善の要請」(図書館の
日曜開館、郵便局キャッシュコ
ーナー増設、宿舎の各部屋への
電話設置または公衆電話増設、
テープライブラリ使用時間延
長、宿舎の洗濯機・乾燥機の台
数増強、宿舎浴場の営業時間延
長を要請)について意見交換を
行った。また、厚生会のビジョ
ンについて厚生専門委員会から
副学長に質問した。
学生部長(職員)から学生のマ
ナーの問題であるとの発言がな
されたが、学生側からはハード
の整備を行って欲しい旨が伝え
られた。
副学長から処分は各ケースで状
況が異なり一概に基準を述べら
れないこと、人権上の配慮はし
ていることが伝えられた。質問
者(社会学類座長)からは慎重
かつオープンな手続きを行うよ
う意見が出された。
交通事故防止に関する話の中
で、あわせて話題に上った。
結果
公衆電話増設、宿舎の洗
濯機・乾燥機増強、郵
便局のキャッシュコー
ナー増設が決まった。
厚生会については次年度か
ら学生の参加を待つ旨が伝
えられた。
「心の健康委員会」を大学
が発足、検討することが表
明された。
開催したか否か不明(学担室発行の冊子に懇談会らしきものを開催したことは書いてあるが、副学懇ではなく茶話会
である可能性あり。全代会側の資料には一切記述なし)。
1989.2.8
交通安全について
筑波大生による交通事故が多発
していることを受けて、副学長
を中心に意見交換を行った。
学園祭について
学分金の回収率の悪さなど、学
生の主体性の薄れについて話し
合われた。
教育課程について
15単位制、時間割の組み方、
履修要覧の見づらさ、総合科目
改革について意見交換。
クラス制度に基づく学生組織について 学生組織の活性化の方法などに
ついて意見交換。
1990.2.28
宿舎の老朽化
トイレの水漏れや雨漏りなどに 根本的な解決(全面改修)
ついて。
などは行わず、随時修理し
て対応することに。
宿舎の浴場
営業時間の延長について。
職員の負担などを理由にす
ぐには延長実現せず。
一の矢周辺の道路
危険箇所の改善要求。
宿舎の電話
各居室の電話機設置の要求。 学長自ら電話増設の指示を
出したものの、NTTが難
色を示したとのこと。
全代会30周年記念誌
年度
1990年度
1991年度
1992年度
1993年度
年月日
議案
内容
結果
スチームの時間延長、郵便物管理など 募集要項における宿舎の解説と
現実のずれについて学生が問題
視した。
全代会の運営問題
構成員への連絡のための予算 『Campus』については年度
や、『Campus』の予算充実に 当初に発行計画を示せば予
ついて全代会から提案。
算をつけることができると
の回答があり、その後実際
に『Campus』の発行回数が
増えた。
平成2年度学園祭について
学実委の細則改正などについて
学内行事専門委員会から提案。
交通安全について
副学長から10分程度話があっ
た。
1991.2.6
総合科目について
現状報告と、現状の問題点と解
決策について学生から意見を述
べた。
学生組織の活性化について
カリキュラム内に学生組織の活
動時間を設けること、学類室・
全代会室の整備、学園祭につい
て意見交換。
施設について(1)教育施設について 第一学群学生控え室、ペデスト
リアン上のタイル、体芸棟の書
籍部と大教室、冷房施設につい
て。
施設について(2)宿舎施設について 年末・年始の風呂の営業、一の
矢宿舎シャワーの修理、平砂・
追越へのシャワーの設置、宿舎
の電話設置状況と今後の予定に
ついて。
施設について(3)交通施設について 路上駐車(駐車場の拡張)、平
砂・追越地区の駐車場の入り口
のわかりにくさ、野球場付近の
横断歩道の欠如、メディカルセ
ンターと追越宿舎の間への横断
歩道設置、体芸棟下の道路の狭
さ、「平砂トンネル」への夜間
照明設置について。
1992.1.22
大綱化について
カリキュラムの大幅な変更が行
われること(6時限目の導入な
ど)について意見交換。
学園祭について
1993.1.26
学園祭の日程、あり方について
次年度学園祭の休講措置を行わ
ないという大学側の見解を受
け、学生と教職員間で活発な意
見交換を実施。また、前夜祭の
あり方についても議論に。
カリキュラムについて
6時限目について、休み時間の
長さ、教職科目や事務について
議論。
学内バスについて
ダイヤ改正、車内放送の実施、
時刻表や案内板の改善について
学生から問題提起。教員もおお
むね前向きに受け止めた。
学生と教官との対話の機会について 懇談会のような場をもっと増や
すことを学生から提案。
政治・宗教への規制について
政治や宗教の問題は社会に出れ
ば避けて通れないものであり、
規制しすぎることで抵抗力を失
う、という学生の意見に対し、
教員からは「教育のための平穏
な環境」を作る見地から規制の
必要性を説く意見があがった。
1993.6.10(小 学園祭と学年暦について
学内行事専門委員会が行った学
懇談会)
園祭に関するアンケートを元に
議論。週休2日制導入により、
できるだけ休講措置を減らした
い大学が準備を含め3日間で学
園祭を実施することを求めたの
に対し、それでは厳しいと学生
と意見対立。その中でそもそも
学園祭に3日間使う必要があ
るのか、という意見も出た。ま
た、学術企画の少なさについて
も意見が交わされた。
全代会30周年記念誌 151
副学長等と全代会構成員との懇談会
議案一覧
年度
年月日
議案
学生組織のあり方について
1993.12.8
学生組織の運営方法について
来年度学園祭の日程について
昼休みの時間帯について
教官の授業評価について
1994年度
1994.11.8
クラス制度の改正について
意向反映経路の改正について
固定時間割に関する要望について
学園祭に関する細則改正について
1995年度
1995.12.4
学都資金財団からの奨学金について
学生による授業評価について
学内交通問題について
学生組織の改編について
1996年度
1996.12.11
授業評価について
駐車場問題について
1997年度
152
1997.12.10
全代会30周年記念誌
学生組織の活性化について
内容
結果
運営専門委員会が各学類・専門
学群の座長団及び学類長、学群
長らを対象に行った「クラス代
表者会議に関する実態調査」を
元に議論。アンケート結果から
全代会が学生組織の中で浮いて
いることが運営専門委員長より
述べられた。全代会の定例化
(毎週開催をやめる)、構成員
の交替制導入などが議論の中で
提案された。
学生組織実態調査の結果を元に
議論。特にクラス代表者会議を
中心に扱った。
準備0.5日、本祭3日、後片付
け0.5日という日程案を発表。
時間が短く審議はほとんど行わ
れず。
昼休みが短すぎるというアンケ
ート結果を受け議論したが、最
終的に現状維持が一番という結
論に。
授業評価についてのアンケート
結果を元に議論。
学年を重ねるにつれクラスに対
する意識が薄くなる傾向を踏ま
え、クラスだけでなくゼミや主
専攻などクラスに準ずる団体か
らも代表を出してはどうか、と
いう案について議論。クラス制
度自体の意義も含めて議論が紛
糾した。
「全代会構成員は教官側の委員
会に必要に応じて(要請や許可
がなくても)出席できる」とい
う案について議論。
前年度に実施したカリキュラム
に関するアンケートで要望の多
かった事項について提案。教育
審議会から、できるだけ要望は
受け入れるが、変更に時間がか
かるだろう旨が伝えられた。ま
た、「意見を言うからには『勉
強したい』という立場で責任を
持って言って欲しい」と厳しい
コメントが教官からなされた。
学園祭学生分担金の一括徴収、
全代会の承認を必要とする事項
の縮小などが提案された。
定例化は後に実現(本会議意見聴取会制度)。
二、三学の教員を中心に賛成意
見が多数あがった。実施につい
ては課題も多く、全学的な議論
を行っていくことを確認。
駐車場の規制、学内の危険箇所
の改修、駐輪場の増設などにつ
いて話し合いが行われた。
学生組織の規則の改正について
の報告が行われた。
学生による授業評価のためのア
ンケート実施について、教育課
程専門委員長から説明。
厚生専門委員長から、夜間・休
日の指定駐車場の開放について
提案された。賛成意見もあった
反面、学生の駐車・駐輪マナー
の悪さが学生に対する教官の不
信感につながるとの意見も出
た。
運営専門委員会から、各学類等
に直接出向き新入生に全代会を
紹介したい、という要望があっ
た。
後にこの日程が定着。
後に議案として可決、実現
とりあえず英語についての
み実施することに。
現在は夜間・休日の開放は
行われている。
オリエンテーションで全代
会説明の予定を組むよう働
きかけなどが行われた。現
在はおおむね実現されてい
る。
年度
年月日
1998年度
1998.12.8
1999年度
1999.12.8
2000年度
2000.12.6
2001年度
2001.12.5
2002年度
2002.12.11
2003年度
2003.12.12
2004年度
2004.12.10
議案
内容
筑波大学における学生の組織及びクラ
ス連絡会等に関する要項の改正につい
て
宿舎住民会について(危機管理につい 宿舎への住民会設立について学
て)
生から提案された。設立するに
あたり、政治・宗教団体による
占有が行われた場合(「危機」
と呼んでいた)の対応について
教職員の意見を聞いた。
災害時の休講規定と2学期制導入につ 台風・大雪などの災害時の休講
いて
措置について規定すること、災
害時の休講措置によって時間的
余裕が失われることを考慮し、
2学期制を導入することなどを
学生から提案。
平成10年度学生生活実態調査結果か 学生生活実態調査の結果を元に
ら
議論。
総合科目の在り方について
教育課程専門委員会が総合科目
について実施したアンケートを
元に議論。シラバスと講義内容
の不一致、学類指定科目の是
非、講義内容の非一貫性などに
ついて話し合われた。
学生組織としてのクラス制度の在り方 クラス制度の活性化のために、
クラス代表者会議が成立するよ
う図ること、学類・専門学群学
生委員会がクラス代表者会議の
運営について機能するようにす
ることなどを学生から提案。
災害時の休講措置について
運営専門委員会が実施したアン
ケートを元に、災害時の休講措
置に関する規定を定めるよう学
生から要請。
新歓におけるクラ代等の選出について
全代会の現状、移転問題
1C206教室が一般の教室から端
末室となることについて、全代
会の活動スペースとして確保で
きないか提案。
駐車場ゲート化について
駐車場問題について意見交換。
学生組織の円滑な活動に向けて
学園祭学生分担金・学園祭実行
委員会の選出方法・実行委員の
任期、スポーツ・デーと集中授
業の日程調整、全代会及び学園
祭実行委員会の活動場所などに
ついて扱った。
結果
1C204のまま変わらず。
学園祭関係の議題はその後
全て議案化され、実施され
た。学園祭実行委員会の
活動場所については2学期
にプレハブを建設するなど
して対応されるようになっ
た。
キャンパス・リニューアルについて 一学食堂・体芸食堂、駐車場問 ゲート化は実施。一学食堂
題について議論。
は業者が替わった。
学生と教官との教育についての交流の 学生と教官が情報交換を行う場
場について
を設けることを学生から提案。
TWINSについて
宿舎に対しての要望
全学的授業評価について
1学期のアンケート回答率が低 2005年度以降、自由回答欄
かったことを受け、①回答欄に が設置され、結果も公開さ
自由記述欄を設置 ②全科目の れるようになっている。
回答結果公開 ③学生が回答し
やすい環境の構築 を教育委が
提案。回答システムについては
改善していくことが教職員から
述べられたが、結果の公開は見
合わせると回答された。
学内の自転車駐輪環境改善について 厚生委から、駐輪場の増設と自 どちらもその後すぐに実現
転車の輪止めの撤去を要求し した。
た。
クラス制度の充実について
議長から意見が述べられた。
筑波大学英語検定試験について
教育委が英語検定試験の分野別
得点開示・サンプル問題公開な
どを要求。
授業評価への提案
回答欄に自由記述を設けるこ 2005年度以降、自由回答欄
と、授業評価の結果を元に行わ が設置された。
れるFDについてTWINS上で公
開することなどを教育委から要
求。
学術情報メディアセンターと中央図書 厚生委が行ったアンケート結果 中央図書館の開館時間延長
館の利用時間延長について
を元に議論。
が実現。
全代会30周年記念誌 153
副学長等と全代会構成員との懇談会
議案一覧
年度
年月日
2005年度
2005.12.8
2006年度
2006.12.13
154
全代会30周年記念誌
議案
学生宿舎の安全管理について
内容
結果
外灯の設置・樹木の伐採、宿舎 外灯はある程度増設され、
の鍵の付け替え、宿舎周辺の警 樹木も一部伐採された。鍵
備強化の3つを学生から要求。 については入棟管理システ
ムが導入された。
全代会活動報告
各委員会・議長団の活動報告が
行われた。
学群再編後の新しい学生組織について 学群・学類再編特別委員会よ 新組織についてはその後再
り、新しい学生組織の案が発表 度検討を行い、発表した案
され、教職員から多数の意見が とはかなり変わった案が採
寄せられた。
用された。2007年度から新
組織へ移行。
全代会活動報告
各委員会・議長団の活動報告が
行われた。
学生宿舎に関する問題
事務員の対応と受付時間、設備
の破損、ゴミの捨て方、宿舎コ
ミュニティの設立などについて
厚生委から提案を行い、意見交
換を行った。
TWINSの改善について
従来のTWINSにはないシラバス
の閲覧や必要単位数がわかる機
能を追加することを学生から要
望した。
Campus記事総覧
No. 発行年月日
特集タイトル
1
1975.9~10
広報発刊にあたって
代表者会議の組織について
学園祭の名称決定
学生分担金は五百円
学園祭の模擬店等に関して
報告
アピール
2
3
1975.10~
1976.2.25
学園祭に関する大学の見解
「要項」修正案まとまる 改正条項入る なお残される問題
広報紙 再スタート! 代表者会議 広報発刊にあたって
全学学類等代表者会議 一年の動きを追って
教職員との懇親会
学園祭決算出る 代表者会議で承認
学生組織の反省と展望
諸問題を抱えて新年度へ
(投稿)独断専行の代表者会議(?)
(投稿)代表者に一層の積極性を!
4
号外 1976.11.11
新たな出発にあたって 学生組織は何のためにあるか?
第一回 副学長との懇談会
全学学類・専門学群代表者会議 議事内容報告
代表者会議内の各担当構成員
今年度学生組織と代表者会議の目標―議長団から―
広報により、さらに密接な学生組織を―広報担当係から―
お知らせ
投稿募集
広報誌名募集―広報誌の名前を考えて!―
(投稿)みんなで生かそうクラス会議
(投稿)学生組織を活発化させる為の提案
(投稿)入学して1ヶ月たって
6月11日、23日、29日の代表者会議における決定事項
「雙峰祭」迫る―学園祭実行委員会経過報告―
学園祭学生分担金について―"筑波大学の祭"の象徴として
予算概算と説明
リレー討論会 今、再び問う!"筑波大学建学の理念"
広報委員会設置の方針について
学生生活改善をめざして厚生委員会・教育課程委員会設置!
号外 1976.12.14
号外 1977.1.28
細則委員会よりのお知らせ
細則原案 クラス会議に発議へ
号外 1977.4.19
新入生歓迎「学園祭PR」号
はしがき
51年度筑波大学学園祭の企画説明
学園祭とその資金
学園祭実行委員会
今年の議題
君たちの真にフレッシュな感覚で学園祭を作り上げよう
あとがき
5
6
1976.6.14
1976.7.1
1976.9.14
7
1977.7.12
8
1977.10.3
9
10
11
12
1977.10.28
1977.12.20
1978.2.24
1978.7.17
全学代表者会議の今年度のあり方は
各専門委員会より
全学学類・専門学群代表者会議 各専門委員会構成員
第4回代表者会議報告について
広報委員会発足にあたり
広報の意味
雙峰祭全学企画は今 美人コンテスト・意見の広場
広報委員会へも意見を!!
各専門委員会より 対立する二つの要望は提出できない 教育課程専門委員会
各専門委員会より 研修会の成果を生かすために 運営専門委員会
各専門委員会より スポーツデーを考える 課外活動専門委員会
「学生生活を考える会」(一般参加の懇談会)から 厚生専門委員会
スポーツデー連絡員設置について 学内行事専門委員会
雙峰祭分担金および予算案について
筑波大学開学記念夜間ハイク 大切なわすれもの
投稿募集!!
閉鎖社会の中で思う
独断と偏見による"美人コンテスト"って………入賞者発表!!
いこいの広場 担当者メモより
それでも本部企画は訴える
全学代表者会議 現在と年度内予定
学内交通規制について―クラス会議への提案―
学生の交通事故防止について
代表者会議リポート
学内交通を考える 厚生専門委員会
「学類レベルで解決されるべき 教育課程諸問題」 教育課程専門委員会
サークル連合と専門委員会 課外活動専門委員会
懇談会に思う
代表者会議の歩みは………
え、もう学園祭?―'78年学園祭実行委員会委員長 重原達也―
学園祭実行委員を任命 学内行事専門委員会
来年度のスポーツデーについて 課外活動専門委員会
全学交歓会を終わって 学内行事専門委員会
代表者会議の必要性 一考 広報委員会委員長
厚生会について 厚生専門委員会
各学類・専門学群 座長・副座長 卒業式に出席!!
代表者会議議事録概要
53年度全学代表者会議組織名簿
あまびきでの研修会報告
「代表者会議の任務」
新しい学生組織のあり方を求めて
学生のための学生組織へ
運営専門委員会より
厚生専門委員会より
課外活動専門委員会より
学内行事専門委員会より
広報と学生の組織
No. 発行年月日
特集タイトル
13
1978.10.8
経過
厚生補導審議会掲示「学園祭の三方針」についての質問及び意見書(再録)
「質問及び意見書」への回答
第5回全学学類専門学群代表者会議議事
第6回全学学類専門学群代表者会議議事
「7月21日の厚生補導審議会の決定」の撤回を要求する。
「撤回要求」の付帯事項
「抗議文」
「抗議文」が98厚補審に提出されなかった理由
第7回全学学類専門学群代表者会議議事
解任請求書
解任請求主旨
議長の釈明主旨
腰本副議長の辞意主旨
14
1978.11.27
第8、9、10、11回全学代表者会議 議事
資料Ⅰ STUDENTS No.57について
資料Ⅱ 執行委員会設置案
資料Ⅲ 重原学園祭実行委員長辞任理由
資料Ⅳ 実行委員承認取り消しに関する要請
資料Ⅴ 第4回学園祭実行委員会副委員長:松本忍
及び委員長補佐:竹内正道の譴責処分要請
学類レポート
号外 1979.4.23
15 1979.6.23
学生諸君へ 全学学類・専門学群代表者会議学内行事専門委員会
54年度全学代表者会議構成員名簿
54年度学園祭実行委員会名簿
議長選に関する統一見解
学園祭実行委員任命等の経過
広報委員長から一言
54年度広報委員名簿
16
1979.6.28
54年度学園祭の経過報告
54年度学園祭実行委員追加任命
54年度学園祭実行委員長並びに副委員長の任命
54年度学園祭期日案の決定
17
1979.9.5
18
1979.9.19
19
1979.10.11
学園祭期日に関する経過報告
第1回学園祭連絡協議会開かれる
カリキュラムに関するアンケート実施について
全学学類・専門学群代表者会議 第1学期出席状況
広報委員の追加任命
新議長に小林寛君選出
今年度学園祭期日案決定経過
学園祭の学生分担金について
開学記念夜間ハイクについて 夜間ハイク実行委員会
学園祭に関する経過報告(10月3日現在)
20
1979.10.25
21
1980.1.30
22
23
欠号
1980.6.25
24
1981.1.27
25
1981.6.19
26
1981.7.1
厚生補導担当副学長との懇談会
第4回全学代表者会議(6月3日)
「農林学類1学生の事件に係る公開質問状及び要請」
疑問だらけの学生処分になるかな?
学園祭開催予定期日決定
全代会名鑑3
第6回全代会
今年はやるぞ~! 夜間ハイク
課外活動専門委提出議案 圧倒的可決 具体的動きへ
学園祭実行委員追加任命
全代会広報委員任命 さっそく活動
全代会名鑑4
27
1981.10.29
はじめに
事実経過
本年の学園祭
クラス討議について
学園祭実行計画書承認
「指針」に関する担当副学長コメント
「指針」に対する実行委の見解
「昭和54年度学園祭の実施について」
学園祭実行委員の辞任承認
広報委員長補佐から一言
全学代表者会議新構成員
全学学類・専門学群代表者会議 出席状況(第13回まで)
「処分」問題について
55年度新入生歓迎祭について
学生組織協議会開かれる
副議長選出経過(10月3日)
全学代表者会議新構成員
学園祭開催要請は、期日付きで行われました(第2回全学代表者会議)
要請期日変更が決定しました
第1回 全学代表者会議
第2回 全学代表者会議
1980年度 全学学類・専門学群代表者会議 構成員名簿
本年度学園祭実行委員が、任命されました
広報委員会より クラス代表者会議へ
昭和55年度全学学類・専門学群代表者会議(以下「全代会」)の動き
広報委員会より
昭和56年度学園祭開催要請をうけての全代会への回答が出されました。
1980年度全代会構成員名簿
広報委員名簿
1981年度全学代表者会議成立
全代会議長、副議長選、行われる!
各専門委員会成立
(議長団、委員長団所信表明)
全代会名鑑1
全代会、学園祭に向けて動き出す!
学園祭実行委員会編成
全代会名鑑2
全代会30周年記念誌 155
Campus記事総覧
No. 発行年月日
28
1982.2.25
29
欠号
30
1982.9.1
31
1982.10.21
32
33
34
1983.1.25
1983.2.19
1983.3.31
特集タイトル
1985.3.19
厚生専門委員会から
全代会の流れ
85学園祭実行委員会
筑波山夜間ハイクのお知らせ
自転車の問題について
座長団紹介
座長団の交代
43
1985.4.16
初めまして。こちら全代会です
新歓祭情報
新年度号特別企画 使って下さい僕らの血液!!
チョットお得なインフォメーション
"バイクの税金"お忘れなく
本年度全代会構成員一覧
学園祭実行委員紹介
広報委員紹介
副学長との懇談会について
全代会の動きについて
論説
全代会の動き
学園祭までの大学との話し合いから
論説ー学園祭をめぐってー
お詫びと訂正
44
1985.6.20
45
1985.10.31
全代会NEWS
全代会議長団紹介
座長団のよ・こ・が・お
1985年度学園祭実行委員会紹介
全代会広報委員紹介
FROM EDITORS
編集者からの手紙
WHO ARE THE 座長団s?
46
1985.12.17
全代会の動き
―解説―'85学園祭 様々なる意図の群像
学園祭連絡協議会の流れ
1985年度筑波山夜間ハイク中止
FROM EDITOR
47
1986.3.31
48
1986.6.18
全代会です よろしく
いきいきつくばのインフォメーション
議長就任にあたって
CAMPUSあれこれ やどかり祭
副議長就任にあたって
全代会活動内容
CAMPUSあれこれ 体育会
各学類・専門学群座長団紹介
CAMPUSあれこれ 春のSD
双峰祭(原文まま)10月10・11・12日
CAMPUSあれこれ 芸術祭、新歓祭
49
1986.9.10
50
1987.3.20
51
1987.3.31
52
1987.5.18
53
1987.6.8
54
1987.9.21
55
1987.10.7
56
1988.1.27
1988年度学園祭開催期日について
学生宿舎の電話設備環境について
厚生会について
57
1988.3.31
全学代表者会議長あいさつ
筑波大学の学生組織
クラス組織と全学代表者会議
学類・専門学群組織一覧
クラス代表者の選出について
厚生会学生参加について
厚生会現在に至る経過
協議について
厚生会関係資料集
87年度全学代表者会議のあゆみ
88年度学園祭へのおさそい
全学対象新入生歓迎行事のお知らせ
加藤諦三講演会
新入生歓迎パーティーMEET-BOUL'88
学生宿舎のステッカー問題
1983年度学園祭開催要請について
「広報委員会についての細則」その後
広報委員会のUTV利用を要請中
盗難に注意
論説ーステッカー問題を考えるー
全代会構成員の出席状況紹介
訂正
(4コマ漫画) 学生哀歌
82雙峰祭総括書、大学に提出
(4コマ漫画) 学生哀歌
議長団・委員会委員長から
風邪を予防しよう
盗難情報
論説ー'82全代会を振り返ってー
速報
訂正
はじめに・・・「全代会」とは?
(投稿)私の言い分 ー執行能力欠く全代会ー
(投稿)私の言い分 ー全代会へ積極参加をー
筑波大学、筑波大生に関するアンケート
訂正
(4コマ漫画) 学生哀歌
1983.11.8
全代会の動き
お知らせ 課外活動専門委員会より
論説
36
1984.2.23
特集・'83学園祭
全代会の動き
解説ー4.22決議についてー
解説ー4項目要求と公開交渉ー
質問ー11.2告示に対する説明ー
解説ー11.2告示への対応ー
資料ーゴミの分類に関する説明ー
「83学園祭」を振り返って
(投稿)学園祭について
論説 全代会の存在を問う
緊急提起 桜村村長選挙違反についての声明
論説
広報委員の眼
告知板
全代会の動き
84学園祭実行委員会発足
夜間ハイク実行委員会発足!
トピック
特集 '83年度を振り返る
'83年主要決議・確認事項一覧
議長団・委員長団総括
83年度をどう捉えるか?
急告
論説
訂正
はじめに
出会い
全代会(ぜんだいかい)って何?
全代会、その基本的な考え方
学生組織、その現状
そこで何をなすべきか?! ー筑波大学における学園祭の機能ー
新歓夜間ハイク紹介!
知っていると便利! つくばインフォメーション
38
1984.3.21
1984.3.31
39
1984.5.31
全代会の動き
全代会議長団・委員会の紹介
84年度学園祭実行委員名簿
40
1984.9.26
41
1984.12.17
全代会の動き
6.15回答解説
解説① 5.28評議会確認について
解説② '84学園祭基調集約
座長団の紹介
(投稿のページ) 広報委員レポート
(投稿のページ) 学園祭実行委員会
(投稿のページ) 学生の祭を考える集会
お知らせ
(無題)
座長団の紹介
お知らせ
156
特集タイトル
42
35
37
No. 発行年月日
第14回全代会
実行委募集について 82学園祭実行委募集開始さる!
学実委募集に、待った! でも全代会は動きます
第17回全代会
第18回全代会
学生規則問題について(運営専門委員会より)
学内の販売事業体・学生宿舎の経理公開要求、
及び厚生会問題の質問状に当局が回答(厚生専門委員会より)
宿舎連絡委員会不許可!
農林学類・比較文化学類の副座長がかわりました
全代会時評
全代会30周年記念誌
(無題)
議決内容 '86筑波大学学園祭基調
6月13日学内行事専門委より出された議案の説明文より
そして、9月3日全学討論の議案が出ない
特集―君の学類は何をする。
CAMPUSあれこれ 秋季スポーツ・デーについて
筑波大学学類誌協議会発足す!
副学長との懇談会
(特集)厚生会
学内厚生施設の充実について
厚生会の検討について
厚生会の歴史
1986年度全代会総括
新入生の諸君へ
筑波山夜間ハイキングのお知らせとお誘い
編集後記
87年度学園祭に向けて
What's 学実委 for? for you?
全代会とは?
クラス代表及び座長団の選出方法について
全代会の特徴
新年度全代会の顔ぶれ
87学園祭実行委員募集のお知らせ
87学園祭実行委員募集の方法
87筑波山夜間ハイキング
全代会議事録より
筑波山夜間ハイク 雨天の為中止
学長と顔合せ
学園祭実行委員会を仮発足
1987年度学園祭に向けて
1986年度学園祭決算
総合科目改編の検討について
これがあなたの学類の座長団だ!
総合科目の改編について
学園祭方針案審議の経過と結果(1)
1987年度学園祭予算
学園祭方針案審議の経過と結果(2)
学園祭に関する論議の流れ
前号(No54)の訂正
No. 発行年月日
特集タイトル
58
1988.6.16
新年度全代会発足
全代会議長就任をめぐる断章
88年度全学代表者会議の議事録より
全学代表者会議構成員名簿と出席状況
学園祭実行委員会より
これがみんなの座長団!
59
1988.9.24
学園祭ばっかり
学園祭実行委員会名簿
学園祭学生分担金について
1988年度学園祭予算
学類・専門学群企画&本部企画紹介
学園祭当日の交通規制について
88年度全学代表者会議の議事録より
60
61
1988.11.8
1989.1.17
62
1989.3.30
63
1989.3.31
64
1989.6.22
学園祭を終えて
学園祭をふり返って
いわゆる天皇問題に関する経過報告
学生宿舎における有線TV放送導入についての問題
~ACCSもしくはUTVを宿舎に導入することについて~
ーACCSについてー
ーUTVについてー
ー今後の全代会の対応ー
厚生会学生参加について その1
厚生会の現在に至る経過
2.12の決議以後の流れ
つくば市議選をひかえて一言
1988年度学園祭決算
次年度学園祭開催要請
89年総合科目履修制度について
一の矢二人部屋の電話設置に対する要請
中央図書館の研究個室の学群生への開放に関する要請
厚生会学生参加について
学生のためのカリキュラムを作る方法
副学長等と全代会構成員の懇談会について
交通安全について
総括にかえて
ACCSの導入について
一の矢宿舎二人部屋の電話設置要請のその後
中央図書館の研究個室の学群生への開放に関する要請その後
学内歩道の整備に関する要請
すぐ慣れるよ ー肩のこらないあいさつ
筑波大学の学生組織~クラス組織と全学学類・専門学群代表者会議~
~学類・専門学群一覧~
クラス代表者等の選出について
今年度の日程
全学対象新入生歓迎行事のお知らせ ~轡田隆史講演会~
新年度議長団紹介
拝啓、皆様…
あいさつのために…
ねむれない夜に
各学類座長団紹介
退任に当たって 麦秋
議事録より
第2~4回全代会出席状況
学園祭にむけて
新歓講演会アンケート結果について
ちょっとひとこと
落穂ひろい
号外 1989.10.3
交通安全プロジェクト
なぜ今、このプロジェクトか
交通安全プロジェクト企画一覧
講演会
パネルディスカッション
展示企画 事故車&パネル展示
運転適性テストの体験
ビデオ上映会
65
厚生会Q&A
厚生会とは…
インタビュー
筑波大学厚生会会則
トイレの鏡について
学生分担金について
9-4学園祭に関する申合せ
学園祭予算
議事録より
ポスト議案について
議案について
全代会における議案の審議状況
ちょっとひとこと おふろについて
落穂ひろい
1989.10.4
66
1989.10.5
学実委委員長団紹介
学園祭分担金の徴収にあたって
そうなんです中央図書館が野外ディスコになっちゃうんです
じゃあ何ですか?図書館前広場を野外ディスコにするという事が
決定したというわけですか!?
企画コンテスト開催!
各学類・専門学群企画一覧
学園祭当日のTraffic Information~交通規制編
学園祭当日のTraffic Information~無料バス編
89学実委名簿
67
1989.11.14
学園祭を終えて
学生分担金徴収結果について
議事録より
後夜祭の約束破り
筑波大学新聞への要請始末記
細則改正の動きについて
背中で泣いている学実委!?
No. 発行年月日
特集タイトル
もっとがんばって、全代会さん?
みんなで学園祭をつくろう!
学内交通安全に関する標語提言について
標語にて
ちょっとひとこと
89学園祭は終わった。そして今、'90学園祭が始まる…… '90学園祭実行委員第1次募集開始へ!
NEWS 全代会にニューフェイス登場
68
1989.12.13
全代会流会つづきについて
現在の全代会について
座長団の荷の重さ
一般学生の興味のなさ
クラ代会の“流会つづき”
全代会の停滞への打開
お気づきでしたか?
お気づきですか?鏡のこと
もう一つ、お気づきですか?ACCSのこと
ちょっとひとこと
69
1990.1.27
学園祭 90年度の日程決定!!
90年度学園祭の日程に関する文サ連の要請について
一の矢シャワー改善要請について 北の最果てのシャワー室
ちょっとひとこと
議長不在続く
鳥越議長、辞表提出。
議長不在の影響
二月十四日の審議
なくなる?! 一の矢 ペデ、段差解消へ
議長代行のあいさつ 僕のみかた'89をふりかえって
筑波大学の学生組織
クラスとは
学類・専門学群の学生組織
全学的な学生組織
各委員会のやりくり
学生組織の構成
春ですねー これから広報委員会のPRです
クラス代表等の選出について
筑波大学学園祭 雙峰祭第16回
“なんだって、この学食はこんなに高くてまずいんだ!なんとかならんの
か!!”-厚生会について-
厚生会組織図
「副学長等との懇談会」開かれる学生宿舎に関する発言が活発に
議事録より -議長未選出、そして六人合議制へ-
ちょっとひとこと -全代会へ
水曜日の夜
2年間を振り返って
この顔を知っていますか Do you know them?
学園祭実行委員会室の使用許可がおりたこと
学園祭実行委員会の使用について(回答)
学園祭実行委員会の活動状況
一の矢ダンサの調査
教育実習における宿舎の斡旋について
出席状況について
「図書館に対する要請」について
ほしいんです! 厚生会学生運営委員会募集
きたれ若人 今度は広報委員募集なんです
新議長あいさつ 一の矢雑考
新委員長団の顔ぶれ
厚生会学生運営委員会について
89厚生会学生運営委員会の活動経過
急接近!学園祭ー'90学実委正式発足 -学実委員長団決定委員長あいさつ
副委員長あいさつ
学園祭はたった3日間です
ちょっと、ちょっとひとこと
私の家
カブの2人乗りはあぶないのでやめましょう
全代会出席状況一覧
号外 1990.2.19
70
1990.3.26
71
1990.5.28
72
1990.6.27
学園 1990.9
祭
はじめに あいさつにかえて
学園祭日程について
学園祭分担金について
1990年度学園祭予算
学類・学群の学園祭 -企画 -コメント
Traffic Information ~交通規制編
Traffic Information ~学内無料バス編
90学園祭実行委員の顔ぶれ -学実委名簿 -学実委企画
73
1990.11.21
74
1991.2.8
90学園祭の企画問題について
「平和の屋台骨」'90学園祭のオールナイト企画問題
雙峰祭をふり返って
テープライブラリーについて
ライブラリー審議に関して -議事録より-
厚生会のページ
-動き出した厚生会 -'89厚生学生運営委員会総括より各論
厚生学生運営委員会について
委員会の運営について
運営専門委員会とは?
ちょっと、ちょっと、ひとこと
ある日の出来事
私の近況報告
全代会出席状況一覧
91年度学園祭実行委員第1次募集について
ー特集ー交通安全について一考
学生担当教官室の紹介
ちょっと、ちょっとひと言
(無題)
このごろの全代会
委員会紹介のページ -教育課程専門委員会 -学内行事専門委員会
全代会出席状況一覧
全代会30周年記念誌 157
Campus記事総覧
No. 発行年月日
特集タイトル
74
1991.3.27
議長あいさつ 筑波大学の『全代会』というところ
クラス組織って?
学生組織の構成
筑波大用語の基礎知識
CAMPUSについて
91学園祭日程発表
76
1991.6.19
77
1992.2.5
議長団あいさつにかえて
各学類紹介
ちょっとひとこと こうつうるーる
全学学類・専門学群代表者会議議長 社会2 中川文憲
厚生専門委員会委員長 今井幸弘
総合科目に関して 鈴木秀育
課外活動専門委員会 平見知久
ちょっと一言、土地の名まえ
78
1992.6.10
79
1992.9.16
80
1992.10.1
81
1992.11.10
82
1992.12.9
158
新議長インタビュー
二人二色・副議長随想(エッセイ)
今月の特集 あなたの学類・専門学群の座長さん達
『座長ってなんや?』って人へ
ちょっとひとこと
情報あ・ら・か・る・と
学園祭企画募集のお知らせ
学実委追加募集のお知らせ
学園祭・学生分担金について
CAMPUS原稿大募集!
9月の話題はもらった! 学類誌紹介
全代会をもっと知ろう!短期集中講義 専門委員会を訪ねて
1限 学内行事専門委員会
2限 厚生専門委員会
3限 教育課程専門委員会
4限 課外専門委員会(原文ママ)
5限 運営専門委員会
学園祭実行委員会紹介
余白でコラム となりのジツイ-From全代会-
全代会の問題
余白でコラム
情報あ・ら・か・る・と
学生分担金を払ってね!
企団連に出てね!
学実委にご協力を!
情報掲載・読者投稿のご案内
新装開店。記者・カメラマン・美術・編集 募集
委員長インタビュー
雙峰祭日程
1992 学園祭実行委員会財政局より
1992年度雙峰祭予算
Traffic Information バス チャリンコ
おっと、ゴミ箱が…全代会厚生専門委員会
エイズ BUT WHO'S MAKING A KILLING
Do you know AIDS QUIZ
AIDS QUIZ ANSWER
ちょっとひとこと
大学のシステム
ひとりごと
SUMMER DAYS 18th
「つくば周辺秋の見どころ?」
情報あ・ら・か・る・と
自転車撤去のお知らせ
全代会のアンケートにご協力を
標語の募集×2
92雙峰祭第3回企画コンテスト受賞者発表!
審査員から一言
全代会、学実委共催企画
ごみ問題を思ふ
江崎学長講演会
シリーズ全代会を考える まず君に事実を伝えよう。
そして一緒に考えてほしい―
筑波大学クラス組織図
そして…
きかせてほしい。
こんな体育あったの?変な体育紹介
厚生のはなし(全代会厚生専門委員会)
余白でコラム
終わっちゃいないよ、学園祭!!
全代会の動き
速報:来年度学園祭準備休講なし!?
情報あ・ら・か・る・と
学園祭御礼
もしかして、学分金は…?
掲示物はちゃんとはがそう!
シリーズ『全代会を考える』PartⅡ
―今、私達が考えなければならないこと、
見つめなおさなくてはいけないこと―
A:全代会の知名度について
B:審議の内容について
C:構成員の全代会不出欠問題について
わかったかな?
ちょっと一言…
みんなの声を 聞かせてほしい
筑波大学に遊びに行こう!~第一学群編~
カリキュラムに関するアンケート結果報告
はじめに アンケート作成までの経緯
(1)6限について
(2)休み時間について
(3)教職に関する科目について
終わりに
Merry X'mas in Tukuba
余白でコラム
こんな人こそ彼氏にしたいよね!~夢のペデ・バイパス計画~
全代会30周年記念誌
No. 発行年月日
特集タイトル
来年度学園祭準備休講なし!!
全代会の動き
1.文書等の掲示期間延長について
2.学園祭日程の再要請について
情報あ・ら・か・る・と
93学園祭実行委員1次募集中!
新歓委員長の方、ご連絡を!
うわさの全代会、見にきたら?
83
1993.1.14
―お正月スペシャル― 委員会の新年の抱負
余白でコラム ネコとゴミと筑波大
全代会の問題2=学内バス議案のゆくえ=
提案者→人文クラ代会
全代会審議
課外専門委員会のひとりごと
平成5年度学実委説明会 やる気マンマンの学生募集中!
全代会の動き
情報あ・ら・か・る・と
考えてみよう!第2回全代会自由討論会
知ってますか?全学新歓連絡会
創るよろこび!学実委
副学長等との懇談会
本当の筑波大学 全代会運営専門委員会
建学の理念とは?
紛争解決から正常化へ
新たなる学生組織
全代会運営専門委員会の役割
運営専門委員会の現実
新たなる出発
筑波大学に遊びに行こう!~第二・三学群編~
全代会の動き
1 学内バスについて
2 クラス代表の選出方法について
3 学園祭に関して
CAMPUSができるまで
余白でコラム
情報あ・ら・か・る・と
クラ代アンケートにご協力を!
来年度の話ですが……第1回全代会!
構成員変更のお知らせ
84
1993.2
85
1993.3.31
86
1993.5.26
87
1993.6.16
88
1993.9.16
副学長等との小懇談会報告
93学園祭実行委員名簿
学園祭に関するアンケート集計結果全代会・学内行事専門委員会
全代会の動き
情報あ・ら・か・る・と
89
1993.10.20
90
1993.10.27
91
1993.11.19
好評(?)シリーズついに最終回!筑波大学に遊びに行こう!
-ペデストリアン編-
厚生専門員会って何?
全代会の動き
どうする・どうなる・どうしたい 全代会 '93 全代会自由討論会
余白でコラム
情報あ・ら・か・る・と
93雙峰祭 第4回 企画コンテスト結果発表
Jリーグ講演会「私のサッカー人生」
ー学実委本部企画ー開学20周年記念「公開講座」報告
シミュレーション 来年の学園祭はこうなる!
筑波大学20年の歩み
筑波大学開学20周年記念式典
余白でコラム
全代会 課外活動専門委員会動く!
全代会の動き
新企画 第1回 クラ代会ネットワーク
情報あらかると
全代会ってなあに?
はじめに
まずクラスの一員となる
学類・専門学群の学生組織
全学の学生組織
はじめまして、私がCAMPUSです。~CAMPUS紹介~
1. CAMPUSとは…
2. 内容について…
a 全代会関係
b 委員会関係
c シリーズもの
d その他
筑波大学へ遊びに行こう!~宿舎編~
クラ代のは・な・し
学生の各委員会委員募集のページ
学園祭実行委員会
厚生会学生委員会
広報委員大募集中~!
情報あ・ら・か・る・と
93年度第1回全代会へどうぞ!
全代会・新議長団決定!!
筑波大学に遊びに行こう!医学地区編
特集!’
93全学学類・専門学群代表者会議 あなたの学類・専門学群の座長さん達
情報あ・ら・か・る・と
おしえてっ ガクchan!今月のテーマは専門委員会
余白でコラム 自転車物語
筑波大学へ遊びに行こう 体芸編
ぼーっとしているとあっという間に学園祭がやってきます。 学園祭実行委員より
全代会の動き
全代会研修会報告
学長主催 茶話会報告
情報あ・ら・か・る・と
No. 発行年月日
特集タイトル
92
1993.12.17
93 スポーツ・デー 秋の読書・秋の食欲・・・
ちょっと気になる! “目安箱”
カリキュラムに関するアンケート報告 教育課程専門委員会
Halloween Report
全代会の動き
情報あ・ら・か・る・と
93
1994.1.21
副学長等との懇談会報告
運営専門委員会の奇跡をたどる
図書館に関するアンケート集計結果
全代会の動き
雙峰祭BIG伝言板
情報あ・ら・か・る・と
94
1994.2.18
95
1994.3.31
どうする? どうなる? 駐輪場問題
全代会は長期プランでこう変わる!
目安箱の中身とその行方
全代会の動き
雙峰祭BIG伝言板
情報あ・ら・か・る・と
困ったことは、そのままにしないで"ダメでもと2”
クラ代会・学内の目安箱に物申してみよう!
広報委員から見た広報委員会の紹介
つくばの生活知恵袋
全学学類・専門学群代表者会議専用掲示板
厚生会学生委員会委員募集のお知らせ
雙峰祭BIG伝言板
情報あ・ら・か・る・と
96
97
98
99
1994.5.24
1994.6.16
1994.9.16
1994.10.4
100 1994.10.27
101 1994.11.18
102 1994.12.15
103 1995.1.18
94年度議長団からの御挨拶
94全学学類専門学群代表者会議
これがあなたの学類専門学群のざちょうさんたちだ!
94年全代会研修会報告
雙峰祭BIG伝言板
全代会の動き(4月)
情報あ・ら・か・る・と
Campus新歓号 No.95訂正のお知らせ
94年度全代会 専門委員会うごく!!
雙峰祭BIG伝言板
全代会の動き
『学担室』ってどんなところ-学生担当教官室紹介-
What's いかづちBOX? 運営専門委員会より
学長主催 茶話会報告
Campusに関する学生アンケート報告
Campusバックナンバー&関連写真フェア!!!
次号予告
特集 宿舎問題
宿舎問題討論会報告
未来の宿舎 どーなる・こーなる from <厚生専門委員会>
学生宿舎~ハイツからスラムまで~
筑波大学へ遊びにいこう!! 番外編 大塚校の巻
委員会最前線 どうなる!? カリキュラムへの要望
from 教育課程専門委員会
委員会最前線
サークル関係は? from 課外活動専門委員会
学園祭はいま from 学内行事専門委員会
全代会はいま from 運営専門委員会
全代会の動き
雙峰祭BIG2伝言板
information アラカルト A to Z
学園祭はすぐそこだっ! 雙峰祭BIG2伝言板
全代会関連 学園祭企画紹介
教育課程はこうして決まる!!
委員会 全代会 最前線
クラ代会ネットワーク~復活の日~
こちらCAMPUS編集局 CAMPUSができるまで
全代会の動き
いかづちBOXの気になる中身。
information アラカルト A to Z
雙峰祭BIG2伝言板
94雙峰祭 第5回企画コンテスト結果発表
LEONA PROJECT ~教官の人気投票~
全代会ゲート及びバックボード製作
学園祭実行委員会本部企画(8・9日in 1D204) 公開講座報告
夜祭 in 図書館前ステージ
今年もやったぞ"CAMPUS EX"
コラム 夢は模造紙をかけめぐる!?
Campus101号までの歩み
全代会の動き
委員会最前線
クラ代会ネットワーク
緊急特集「長期プランは本当に必要か?」
雙峰祭BIG伝言板
副学長等との懇談会
全代会の動き
長期プランの詳しい内容
委員会最前線
THE DOMITORY
クラ代会ネットワーク
学内行の消える日
こちら厚生会学生委員会
雙峰祭BIG2伝言板
全代会の動き
いかづちBOXの回答
委員会最前線
クラ代会ネットワーク
No. 発行年月日
特集タイトル
104 1995.2.20
教育審議会&全代会代表との懇談会報告
94全代会の1年をふり返る
全代会の動き
from厚学委
雙峰祭BIG伝言板
105 1995.3.31
全代会紹介
広報委員募集
from厚学委
雙峰祭BIG伝言板
その他
information
106 1995.5.24
議長団あいさつ
座長団紹介
from厚学委
雙峰祭BIG伝言板
全代会の動き
委員会紹介
from厚学委
BIG伝言板
小特集 ループの池とペデの穴
宿舎の知られざる(?)過去総特集
雙峰祭BIG4伝言板
全代会・各委員会の一学期報告
from厚学委
投書箱の質問&回答
雙峰祭BIG伝言板
学園祭特集
全代会報告
その他
107 1995.6.21
108 1995.9.29
109 1995.10.4
110 1995.10.26
111 1995.11.24
112 1996.1.19
113 1996..2.23
114 1996.3.29
115 1996.5.30
116 1996.6.27
117 1996.9.30
118 1996.10.31
119 1996.11.29
駐車場問題
全代会報告
専門委員会'95最前線
雙峰祭BIG3伝言板
その他
駐車場アンケート
専門委員会'95最前線
全代会の動き
雙峰祭BIG伝言板
from厚生会学生委員会
学生組織の歴史 ~創世記~
全代会報告
専門委員会報告
雙峰祭BIG伝言板
from厚学委
その他
全代会の動き
専門委員会'95年度 締めくくり
副学長等との懇談会を終えて
雙峰祭BIG伝言板
挨拶
What'sクラ代会&全代会?
各学類&専門学群クラ代会紹介
~選出のお知らせ~
全代会研修会のお知らせ
偏執好奇
議長団あいさつ
座長団紹介
全代会報告
雙峰祭BIG伝言板
専門委員会'96最前線
第三回全代会報告
What's new?
全代会近況報告
学園祭BIG伝言板
特集 LEONA PROJECT
委員会最前線
第4回全代会報告
全代会室に遊びに行こう!
学園祭BIG2伝言板
LEONA PROJECT
秋の委員会最前線
第5回全代会報告
学園祭BIG伝言板
特集 クラス連絡会
第6回 全代会報告
委員会最前線
120 1997.2.18
特集1 渦中の厚生会学生委員会
特集2 全代会Digest 96年度をふりかえる①②
特集3 全代会は本当に必要あるのか
副学長等との懇談会
第7回、8回全代会報告
96年度委員会報告
121 1997.3.28
議長あいさつ
「全代会」って何?
全代会の目指すもの
図解意向反映システム
学生組織(学生)と教官とのつながりについて
その他 97年度版 新議長団から御挨拶
97'全学学類・専門学群代表者会議 座長さん紹介
97年度 委員会紹介
全代会報告 vol.1
特命リサーチ 全代会X
BIG伝言板
122 1997.6.16
全代会30周年記念誌 159
Campus記事総覧
No. 発行年月日
123 1997.11.7
124 1998.2.27
特集タイトル
学園祭BIG伝言板
委員会最前線'97秋
全代会報告
副学長との懇談会
駐車場規制'98
委員会最前線
全代会報告
学園祭BIG伝言板
125 1998.4.8
議長あいさつ
学生組織の説明図
学園祭BIG伝言板
イミダス(筑波大学版)
宿舎あれこれ
その他
126 1998.6.19
議長・副議長挨拶
座長団紹介
委員会紹介
厚生委員会からの連絡
学園祭BIG伝言板
全代会報告
127 1998.9.20
第24回 筑波大学 雙峰祭
学園祭BIG伝言板
委員会報告
1学前のスロープ改修
意見箱について
学担室との懇談会
第4回全学学類・専門学群代表者会議報告
128 1998.11.18
雙峰祭BIG伝言板
委員会報告
学生支持の高い外国語教官三名、学園祭で発表!!
第5回 全学学類・専門学群代表者会議報告
129 不明
外国語教官アンケート特別号
130 1999.3.20
これが全代会だ!!
議長挨拶
委員会紹介
全代会組織図
宿舎地図
イミダス99年度版
厚生会学生協議委員会
飲み会についての注意事項
三系紹介
今、学園祭実行委員会は・・・?!
議長・副議長挨拶
99年度座長団紹介
委員会紹介
学園祭伝言板
全代会報告
学園祭がやってくる!
委員会報告
全代会報告
全代会組織図
議長挨拶
委員会紹介2000
学園祭カリスマ伝言板
宿舎地図
三系便り
イミダス2000
4月のスケジュール
学類誌紹介
131 1999.6.30
132 不明
133 2000.4.1
134 2000.6.16
135 2000.10.4
136 2001.4.9
137 2001.6.26
138 2001.9.25
139 2001.10.19
160
議長団紹介
2000年度座長団紹介
委員会紹介
研修会報告
学園祭カリスマ伝言板
学生組織に駆け込め!
全代会報告
委員会報告
全代会報告
学長との茶話会
学園祭カリスマ伝言板~最終~
議長挨拶
全学学類・専門学群代表者会議(全代会)とは?
委員会紹介
全代会の実績
各学類・専門学群紹介
2000年度9月実施「総合科目についての理解度と
満足度に関するアンケート」最終集計結果
イミダス2001
議長団紹介
2001年度 委員会紹介
2001年度 全代会座長団紹介
学園祭実行委員会より・スポーツ・デー学生委員会より
全代会にもホームページができました…
全代会本会議報告
ホリグチのグチ
学園祭分担金ワーキンググループの進捗状況について
学園祭本部企画の紹介
全代会本会議報告
学生組織総会回顧録
学園祭分担金ワーキンググループの進捗状況について その弐
「授業支援システム」の実施に向けて
クラス連絡会特集
ホリグチのグチ
全代会30周年記念誌
No. 発行年月日
140 2001.11.14
141 2002.1.11
142 2002.2.18
143 2002.4.8
号外 2002.4.23
144 2002.5.27
145 2002.6.24
146 2002.10.4
147 2002.12.10
148 2003.2.24
149 2003.4.7
号外 2003.5.17
150 2003.6.24
特集タイトル
委員長団インタビュー
OnlineCampus 始まりました
宿舎ワーキンググループメンバー 募集のお知らせ
しゃぶしゃぶパーティー
1学、2学の動き
新春ごあいさつ
副学長等と全代会との懇談会
進捗状況
学園祭WG報告
「新学務システムについて」
クラス連絡会とは?
クラス連絡会報告
スポーツ・デー学生委員会の仕事
全代会本会議報告
ホリグチのグチ
2001年度 全代会総括
全代会本会議報告
卒業アルバム製作プロジェクト
全代会って何?
2001年度議長挨拶
委員会紹介
全代会の実績
OnlineCampusってなに?
学類紹介
つくばイミダス2002
学内バスのすべて
スポデーVSつくば芸術祭 委員長対談
つくば芸術祭に行こう!
第26回春季スポーツ・デー
議長団挨拶
委員長挨拶
座長団のオシゴト
座長団紹介
体感する”村”祭
雙峰祭 学園祭ってどんな感じ?
スポーツ・デーの委員長ってどんなひと?
全代会本会議報告
新連載―突撃!! 統合の真実
キャンパスリニューアル 学群別実態調査
さあ行こう!体芸食堂!!
全代会本会議報告
全代会研修会報告
学園祭まであと一週間!!
潜入!図書館情報大学
図書館情報大学・筑波大学 統合されてどう変わる?何が変わる?
全代会本会議報告
学長と全代会の茶話会報告
連載「統合の真実」 第3回
就職、あなたは大丈夫?
全代会本会議報告
駐車場ゲート化広聴会報告
防犯キャンペーン報告
学園祭UNITEステージバックボードデザイン案公募
大特集! 筑波大学の明日はどっち?
新しく建ったあの建物はなんだ?
どうなってるの?法人化
施設部直撃取材
学内自然調査 エコ・キャンパスプロジェクト 野生動物研究会
連載 統合の真実 最終回
全代会本会議報告
ぶつけよう!あなたの声を大学へ
つくばイミダス2003
必見! つくば完全観光ガイド
Campusをつくる人々
やどかり祭・スポーツ・デー特別号
開催!スポーツ・デー
第29回やどかり祭 一祭合祭!
その他
2003年度議長団インタビュー
インタビュー 2003年度委員長
座長団紹介 2003年度
南北疾走 図情生 15分の壁
特集 筑波大学の謎 色の謎 全科目で授業評価を実施中
全代会本会議報告
全代会研修会報告
151 2003.9.24
障害者とキャンパス
筑波大学 カレー特集
筑波大学の謎 学内で出会う銅像たち
5つの特別委員会
全代会活動報告
号外 2003.10.6
学園祭特別号
教養企画
県人会ツアー
映画ツアー
子供ツアー
個性派イベント
クーポン
筑波大生と宗教
これが医学の授業だ
筑波大学の謎 散歩道でみつけたきのこ
全代会活動報告
本会議報告
152 2003.12.24
No. 発行年月日
153 2004.2.27
154 2004.4.1
号外 2004.5.17
特集タイトル
留学生の気持ち
岩崎次期学長インタビュー
筑波大学の謎 箱根駅伝の壁
駐車場広聴会開催
全代会活動報告
筑波大学の行事
学類新歓イベント特集
全代会広報誌『Campus』開かれた編集委員会開催報告
全代会ってどんなとこ?
2003年度全代会総括
街灯問題総括
全代会活動報告
やどかり祭・スポーツ・デー特別号
ゆかコン嬢特集
今年の注目みこし
ステージ新企画
気になる企画紹介
SDトリビアの種
つくばBOWL
スポーツフィールド
常連チームの戦い
155 2004.6.15
酒とメディセンと私たち
オリンピックへかける思い
議長団・委員長団紹介
学内バスは明日も走るのか
全代会活動報告
156 2004.9.30
起業という選択肢
学生のつくる大学説明会
学内バスの明日をえらべ
道なるペデストリアン
全代会報告
号外 2004.10.6
学園祭企画特集
少し知的な企画
ステージ企画
リズム系企画
個性派企画
学園祭「この人」
学園祭クーポン
157 2005.4.5
全代会紹介
2004年度全代会総括
学内バスは、新しい姿へ
よりよい授業のために FDの取り組み
セーフティ・プロジェクト
副学長等と全代会構成員との懇談会
全代会活動報告
新入生に贈る言葉
号外 2005.5.18
やどかり祭・スポーツ・デー特別号
ゆかコン嬢特集
みこしコンテスト
寺門麻美ステージ
本祭パレード
スポーツフィールド新企画
障害者スポーツ
スポーツ体感企画
158 2005.6.29
議長団・委員長団インタビュー
揺れる静脈認証 安心な宿舎への道
外国語教育のこれから
「まずい」は事実か、偏見か
全代会活動報告
見えてきた学群再編
キャンパス交通システム始動
静脈認証の今
大学施設の耐震性
全代会活動報告
159 2005.9.21
号外 2005.10.2
学園祭企画特集
得 学園祭クーポン
学 アカデミックに満喫
遊 楽しさ未体験ゾーンへ
憩 ゆったり過ごすひととき
奇 裏道的まわり方
160 2005.11.22
筑波大学ごみ事情
実体解明に向かう アスベスト問題
生まれ変わる宿舎サービス
全代会活動報告
その他
161 2006.1.31
学内たばこ問題 解消への一歩
静脈認証 改善に向けて
全代会活動報告
162 2006.3.31
全代会のお仕事
2005年度全代会総括
静脈認証 迷走した一年
筑波大生の食生活
全代会活動報告
号外 2006.5.18
ゆかコン嬢特集
みこしコンテスト
THE国技2006 春場所
やどかりパレード
スポーツ・デー30周年特集
スポーツフィールド注目企画
議長団・委員長団インタビュー
大学施設とエネルギー
一掃される大学のアスベスト
学生宿舎の無線LAN
全代会活動報告
163 2006.6.26
No. 発行年月日
164 2006.9.15
号外 2006.10.3
165 2006.11.20
166 2007.1.24
特集タイトル
つくばの治安
就職活動のお手伝い
ゆりのき保育所 開業へ
全代会活動報告
そうなんだ! 学術企画
ほっとひと息 カフェ&バー
うたっておどる ステージ企画
さあ召し上がれこだわりグルメ
いいこといっぱいクーポン券
「障害」を超える
どう変わった? 宿舎サービス
筑波大学出版会設立へ
オープンコースウェアで教材公開
全代会活動報告
その他
ハラスメントのない大学へ
分割される学類への影響
新施設の利用始まる
全代会と大学の対話の場「副学懇」
全代会活動報告
全代会30周年記念誌 161
Staff
2005年度全代会30周年誌特別委員会 委員長
市橋創(2006年度人間学類卒)
2006年度全代会30周年記念誌特別委員会 委員長
佐藤翔(図書館情報専門学群4年)
編集委員
安蒜孝政(図書館情報専門学群2年)
大山新之助(人文学類4年)
織田早紀(芸術専門学群2年)
倉垣内将賢(人文学類3年)
菊地徹(国際総合学類3年)
小林敬介(工学システム学類4年)
高柳慧(自然学類4年)
竹林綾子(情報学類4年)
中俊久(工学基礎学類2年)
藤本謹也(社会学類2年)
堀米辰弥(情報学類3年)
増田和生(社会学類2年)
山崎健一(2006年度社会学類卒)
全学学類・専門学群代表者会議
30周年記念誌
発行日 2007年4月1日 初版
発行 全学学類・専門学群代表者会議
〒305-8577 茨城県つくば市天王台1-1-1 1C204
電話 029-853-2319
E-mail [email protected]
URL http://www.stb.tsukuba.ac.jp/~zdk
発行人 小林敬介 (2006年度全学学類・専門学群代表者会議 議長)
編集人 佐藤翔
印刷 株式会社 オーエム