ベラルーシ視察 チェルノブイリ事故から27年経った今 2013.9.8~9.13 常総生活協同組合 藤田 健 視察スケジュール 9/8(日)12:00成田発 17:10 モスクワ着(10時間) (時差5時間) 翌10:30 ベラルーシ着(12時間) (時差1時間) 9/9(月)ベラルーシ ゴメリ州 ゴメリ市 放射線学研究所・ゴメリ州保険局・衛生局 9/10(火)ゴメリ州 ベトカ地区 ベトカ地区病院・地区局・保険局・地域探索 9/11(水)ゴメリ州 自由食品市場 16:00 モスクワ移動 9/12(木)20:40 モスクワ発 9/13(金)10:40 成田着 第98次訪問団・スタディツアー参加者 神谷 さだ子 JCF (日本チェルノブイリ連帯基金) 事務局長 チェルノブイリ原発事故後、す ぐにボランティアとしてJCFの活 動に参加。以後100回を超えるベラ ルーシ共和国への訪問回数を数え、 チェルノブイリ支援を行う。今回 訪問したベトカ地区病院のナター シャ院長とは親友の間柄でもあり ます。 医療支援チーム 松本市立病院 臨床工学技士 藤牧 久芳 アルゴキュアシステム㈱ 代表取締役 樹神 哲郎 ㈱エム・イー 左から 藤牧さん、樹神さん、小池さん 臨床工学技士 小池 保寛 3人はチェルノブイリ支援を通じた15年来の親友。今回の訪問ではベト カ地区の病院に4台の心電計の設置をすることが目的。 樹神さんはベラルーシの若手医師の日本への医療派遣研修を10年続け ています。 3a[スリーエー] 代表 in郡山 野口 時子 福島第一原発事故後、放射 能の不安から「子どもを守 りたい」という思いから 「安全・安心を求めて行動 する会(安全・安心・アク ション)」を郡山市に住む 主婦達と結成。野口さん自 身は2児の母。 室蘭工業大学 助教授 河内 邦夫 専門は地質・資源探査 等。福島第一原発事故 後の福島県の汚染状況 を調査。3月には3aの野 口さんらと一緒に郡山 市内1,200kmの空間線量 を自転車で測定。 フリー映像作家 湯本 雅典 東京出身の元教員。現 在は学校での勉強に悩 み、苦しんでいる子ど もたちを受け入れる私 塾を開設しています。 それと同時に福島第一 原発事故後の福島県の 現状を取材、映像化す る活動を行っている。 保健師 菅野 クニ 福島県飯舘村出身。2012年4 月よりご主人と農園を開設 する予定も原発事故により 中断。現在は福島市松川村 に避難中。将来の帰村に向 けて、飯舘村の特産品「ナ ツハゼ」の原料確保やじゃ がいもの品種改良等に取り 組んでいます。 同行通訳ガイド イリーニャ (通称:猫ちゃん) 今回のJCFスタディツアー の同行通訳ガイド。JCFの 活動に賛同し、20年以上 ベラルーシ視察の通訳を 引き受けてくれています。 猫のようなカワイイ顔立 ちから「猫ちゃん」の愛 称で皆から慕われていま す。 ベラルーシ共和国 ロシア ポーランド ウクライナ チェルノ ブイリ原発 約150km ゴメリ州 ゴメリ市 ベラルーシ南 東部に位置す るベラルーシ 第二の都市。 チェルノブイ リ原発より約 150km。 モスクワ経由でベラルーシ入り モスクワ空港から は特急列車で市内 のベラルーシ駅へ。 モスクワ空港を含め、交通機関は夏 に世界陸上が開催されたこともあり、 大きく整備されていました。 寝台特急に乗り換え、 12時間かけてゴメリ州 へ向かいます。 ベラルーシ(列車からの風景) 日本の寝台列車と大きく変わらないが仕切り のカーテンなどがない状態。また車内に掲載 されている時刻表ではゴメリ到着は9:06と なっているが実際は10:30前後に到着。 列車から見える景色 は大半が森林地帯、 もしくは地平線が見 えるくらいの広大な 農地。駅に近づくと ポツポツと住宅が見 える程度。 ゴメリ州・ゴメリ市 (ホテル周辺) ホテルの周りは緑も多く、非常に住みやす そうな雰囲気が感じられた。 ホテル前の空間線量0.05μSv/h 気温は朝 晩は肌寒く、息が白くなるが日中は20度 前後。 ゴメリ州はベラルーシ 第2の都市 街には15階建てのマンション(上)や 立派な校舎の学校(下)もありました。 それに対して古い官舎のような建物や路地裏 に入ると築50年は経っているような住宅もあ りました。登校する子ども達がいましたがマ スクをしている子どもはいませんでした。 国立放射線学 研究所 1986年6月に完成。ソ連時代に支部と してベラルーシとウクライナに2ヶ所 作られました。 現在では87名の職員が働いている(現 在もベラルーシ共和国・国立施設とし て国が運営しているがソ連時代の方が 手厚い支援で今では維持するのが大変 でもある)。 日本からも多くの関係者が訪問し、ベ ラルーシの汚染状況や対策方法などを 学んでいます。 左のポダリャク副所長が 出迎えてくれました。 87名の職員が現在も働いています。 27年経った今もなお、食品の放射性濃度だけでなく、土壌検査、熱反応、化学反応、 サンプル開発などさまざまな研究がされていました。 東京でオリンピックをやって 大丈夫なのか? 東京と福島は離れているがオリンピック をやって大丈夫なのかと思う。27年経っ たベラルーシの産物には今も汚染されて いる。福島には時間が必要。 チェルノブイリに比べ、今の福島はそこ まで悪くはないが、他の人は同じだと 思っている。そこでオリンピックなんて とんでもない。 ヴィクター・アヴェロン所長 ベラルーシは比較的広いので移動(移 民)できるが、しかし日本はそれができ ないのが問題(私有地や生活習慣、文化 の面からも難しい)。本来なら地域住民 丸ごと避難するのがベストである。 日本は政治家が ダメ! 私も日本(福島)に何度も足を運び、現状を見ました。たくさんの家や 人が津波に流され、多くの人々の命が失われました。本当に悲しい事。 でも皆さんにこれだけは伝えておきたい。「放射能から生き残ることは 出来ます。大丈夫です。」 日本の専門家はしっかりしているが問題は政治家。政治家に話が通らな い(理解されない)と動かないからとても難しい。ベラルーシでは「研 究所-国-市民が繋がっている」。政府(大統領)は研究所の報告書を 聞いて、何を行うか決める。 また日本の政治家はベラルーシのデータを使わず、自らイチからやろう としている。 あと、学校での子ども達に向けて正しい教育が必要。 先生が簡単な言葉で子どもに伝えることで、子どもから大人に伝わる。 子どもから教育していくことが大切である。 レインボーシステム ベラルーシ(「放射線学研究所」)では農地の除 染には否定的で、チェルノブイリ事故後の経験と 研究結果を基に、汚染分布マップ・移行係数デー タを入力したソフトを作り上げ、その土地ごとで 栽培に適した農作物を選定し管理・利用する政策 を行っている。このレインボーシステム(放射能 汚染予想プログラム)は汚染された土地に住み、 農業を続けていこうとしている農家の方々を精神 面においてもバックアップするものと自負してい る。 (こくぼくど) 日本の土壌は有機質の黒墨土 上のグラフでは土壌のセシウム濃度と玄米濃度とは相 対関係が無いことを表している(福島農業総合センター 資料より) チェルノブイリと日本での農作物での セシウム移行率について、福島農業総 合センターは、お米の田んぼにおいて 土壌中の交換性カリに注目し、セシウ ムと拮抗するカリウムを田んぼに施肥 することをすすめているが左のグラフ のように、単にカリウムというだけで なく、土壌自身がセシウム固着に大き な役割を果たし、セシウム移行を抑制 していると考えられる。日本の火山灰 土を基礎にした「粘土-腐植-微生物」 という土壌の総合力がセシウムを吸 着・固定し、作物に移行されにくい状 態になっている。日本の作物はセシウ ム移行が少なく、豊かな母なる大地に 守られる結果となった。 ★アヴィロン所長はチェルノブイリと日本(福島)は気候風土や土壌質が違うことについてはあまり考 えていないように感じられた。全く同じではないので、それぞれに合った対策が必要と考える。ただベ ラルーシの研究結果は充分参考にしてよいものであった。(藤田) ゴメリ州 保険局 保険局ではベラルーシで特に汚染被害の状況が大きかったといわれ るゴメリ州の20の地区の当時の様子や今の体制について改めて説明 していただきました。 ★あくまで個人的な意見だが、かなり言 葉を選び、慎重な発言(真実を隠してい る)に徹しているように感じられた。 ベラルーシ全体では甲状腺ガンの 他に、ガン(肺、乳、胃)、血液 の病気について事故の影響であっ たと考えている(心臓疾患等の影 響は否定)。ベラルーシでは当時 は依然としてヨード不足でした。 そのため多くの人が甲状腺ガンに なった。しかし、ゴメリ州では事 故後すぐにヨードを飲んだので被 害は少なく済んだ(事故後1週間 後)。政府レベルで事故があった ときのマニュアルが存在し、病院 や女性はヨードをどのように飲む か知っていた。今では幼稚園や学 校には看護婦が常勤して子ども達 の健康チェックを行っている。 日本へ向けての提言 定期健診の充実を ベラルーシでも甲状腺ガンの症状の発生が見つかったのは事故 から3年後でそれから10年ピークが続いた。日本で同じことが起 こるかは正直分からない。年齢や環境によっても違うし。その ためにはスクリーニングを含めた定期健診が必要。 福島県以外までスクリーニングは広げるべき ベラルーシでは国がある程度管理しています。汚染地帯に住んで いる人たちはいくつかのグループに分けられます(例えば除染作 業を行った人達、その子ども達、30kmゾーンから避難した人、 そのこども達、汚染地帯に住んでいる人達など)。毎年必ず健康 診断を行い、グループ毎を比較し、違いを検討している。 ゴメリ州 衛生局 上の写真の機材はストロンチウムを 検出する機材。見た目からもかなり 古い型に見える。 町の商店街 宿泊していたホテルから歩いて5分 足らずのところの商店街。食料品 から雑貨まで30軒くらいの店が並 ぶ。夕飯前の夕方ということもあ り、お客さんもたくさんいた。 お菓子屋さんでは 大きな袋いっぱいの クッキーが日本円で 300円くらいで売られ ていた。 ベラルーシの通貨は? 紙幣はベラルーシ ルーブル(通貨はな い) 左上より100,000ベラ ルーシルーブル(日 本円で約1,000円) つまり、1ベラルーシ ルーブル:0.01円。 ベトカ地区 地区局 アンドレ 今回のベラルーシ訪問の最大の 目的であるベトカ地区の病院へ の心電図(4台)を届けに来たこ とを報告する神谷さん(上)。 ベトカ地区長 ベラルーシの中でも放射能汚染のひ どいといわれるゴメリ州。その中で もベトカ地区は一番被害が大きかっ たところです。「農地の半分は使え なくなり、住民の半分は移住しまし た。」とアンドレ地区長。 ベトカ地区の全体図 赤い部分が居住禁止区域 ベトカ地区病院 ナターシャ院長 JCFがチェルノブイリ事故を受 けてベラルーシを支援するに あたり、子どもたちの健康被 害に真摯に取り組んでいる医 師がいると紹介されたのがナ ターシャ院長だそうで、JCFの 神谷さんとは親友の間柄。 ベトカ地区 保険局 ベトカ地区では品目毎の基準が細かく定 められていてその品目数は200品目以上で あった。食文化によって摂取する食材は 大きく違うはずであることからも日本も 細かく設定するべきである。 食品と水を中心に検査。地区の住 民が自らの畑で収穫したものも検 査を促し、現在で1日20件前後の持 ち込みがあり、セシウムが検出さ れた食品は地区の住民全体に広報 し、注意喚起しているそうです。 ここ2年間は検出はない(注意が必 要なものは森のもの:きのこ、野 生動物)。ストロンチウムの検査 はゴメリ州の保険局に出している。 地区病院 外来病棟 まず最初に受付で個人カルテをもらう 外来専用の病棟で一日の外来人数 は500人。外来病棟には外科、内科、 小児科だけでなく、耳鼻科、歯科 など数多くの専門科があります。 またベトカ地区には外来病院の他 に、入院専門病棟、リハビリ専門 病棟、乳児専門病棟など別々のと ころにあります。 ホールボディ カウンター測定 藤田もホールボディカウンターを使って内部被ばく測定。 結果は0.006mSv 一緒に測定した郡山市の野口さんも0.005mSvと問題 ない数値。 しかし、ベトカの住民の中には・・・ 住民は年1回の検査が義務づけられていて、今年は今のところ5000人が検査 を受けて4名の方に高い数値が検出されました。男女比率では男女共に2人 づつで年齢は39才、58才、59才、38才。原因は食べ物からの内部被曝が考 えられ、森で採れたきのこなどを普通に食べていることが多い。高い数値 を検出された住民は病院の監視化に置かれ入院しての再検査が義務づけら れる。だいたい半年間、きのこなどの摂取を控えれば正常な数値に戻るそ うです。 現在、17400人+2000人(移住から戻ってきた 人)を管理化している。データベース上では 全ベラルーシのデータに入れるようになって いる。これにより各地区との比較も出来るよ うになり、とても参考になっている。「低線 量地域ならば移住よりも安全な食料や水を確 保した方が良い」とナターシャ院長。 ベトカ地区の子どもたちは1年のうち3週間は必ず保 養に行くことになっている(健康な子も)。費用はす べて国が負担。2005年までは年2回実施されてい た。振り分けは同じ地区の子ども達ではなく症状の近 い子どもたち同士で行くシステムになっています。 充実な医療体制 日本からの支援もあり、ベトカ地区外来病棟 には32名の医師の他、多くの医療機器が揃っ ています。医療機器だけでなく、心療ケアも 充実しています。 小児病棟 左は一緒に地域を案内してくれ たセルゲイ・ベトカ地区副区長 病棟の室内の壁面は子どもが喜ぶように 全面イラストが描かれていました。 ベトカ地区の居住禁止地域のひ とつバルトロメフカ村に住み続 けるエレーナさん(78才)。 ご主人は亡くなっており、築60 年の家に今は数匹の犬と猫と一 緒に暮らしています(国はある 意味黙認状態)。 こちらの地区は1989年に庭、屋根、アスファルト等を除染したと のことですが、現在の空間線量は庭で1.2μSv/h 室内で0.9μSv/h 台所には近くで採れたりんごやキノコがたく さんありました。お母さん自身も汚染されて いるのは分かっていながら食べているようで した。 ベトカ地区のはずれにあるジュレーズン という村は事故直後は15~40キューリ( 1キューリ:3700ベクレル)の汚染地域で 移住を余儀なくなれたが数年前に戻って くることが出来、村のシンボルである教 会を建て、イコンを飾ることが出来た。 現在26人の住民がこの地区に住んでいる。 この教会からすぐ先にいくと居住禁止区 域になる。教会前のアスファルトで 0.1μSv/h 脇の草むらで0.3μSv/h 地区病院に 心電計を贈与 セットアップ ベラルーシでは心筋梗塞を含 めた心臓疾患での死亡者の割 合が多いことから医療関係者 からの心電計の要望が多かっ たそうです。 地域に住むお母さん ナージャさん(41才) 2人の息子さん(21才/1992と5才 /2008)のお母さん。14才の時に チェルノブイリ事故が発生し、そ の後3年間は別の地域に移住してい た。戻ってきて19才で地元の人と 結婚。家族共々、健康診断を受け ているが特に問題は出ていない。 家庭菜園をしてそこで出来た野菜 も食べている。親戚では10年前に おじさんが甲状腺ガンで亡くなっ たくらい。 地域に住むお母さん② アラヤさん(37才) 結婚して2人の子どもがいる。旦 那さんは地元の人。10才の時に チェルノブイリ事故が発生したが 移住もせず、ずっとこの地に住ん でいるが、健康被害はない。特に 放射能汚染の教育を受けずに過ご してきた。 二人に事故当時のことを聞いてみ たところ、みんなパニックになっ ていたのは覚えているが詳しくは 覚えていない・・・とのこと。 気持ちのこもった おもてなし その日の夕食は病院のみなさんが朝 から私たちのためにテーブルいっぱ いの料理でもてなしてくれました。 ゴメリ州はベラルーシの 中でも特に汚染度が高く、 1990年代に移住政策がとら れ、地図から姿を消した いわゆる「埋葬の村」が 存在します。祈念碑には 地図から消された59の村 の名前が記されています。 旧室内体育館のような施設の跡 地に出来たような巨大な市場。 売っているものは食料品から雑 貨まで300近くお店が軒を連ねて いました。 自由市場の中にある 食品測定室 この市場で販売されるものについ てはこちらでセシウム137の検査 が行われる。時期によって異なる が一日だいたい100品目の検査が 行われる(市場で販売されない一 般住民からの持込みも無料で検査 してあげている。 測定室には3台の 検査器が設置さ れていた。 キノコの汚染具合は心配で聞いてみたが売られているものでは検出されていないとのこと。 これは汚染マップが出来て、採っている場所が汚染が少ないことを知っているため。 検査済の食材については 検査証明書が発行され、店舗に貼って販 売を行なうことになっています。それぞ れの店舗の過去の検査結果も分かるよう にまとめてありました。 室内の市場の店舗は2/3くらい がお肉屋さんで、とにかくみ んながみんな買っていく様子 にビックリ。 今回の視察を終えて ・思ったより居住区の汚染状況はひどくないと思った反面、未だに居住禁止 区域があるという事実と共に埋葬された村が存在していることは忘れてはな らない。 ・今でも放射能物質を含んだ食品があることも事実で、27年経った今でも全 く終わっていないということ。 ・ベラルーシは国の管理のもと、子ども達が守られている(事故後、毎年の 健康検査や保養の義務化)に対して日本の国策はかなり遅れていると痛感。 ・ゴメリ州の市場なども見ても住民が食べ物に不安を持っている様子はない。 これは自治体(国)の検査・管理体制を信頼している証拠かもしれない。 ・まずは食べ物による内部被曝をケアしていき、ゴメリ州でも事故後3~10年 の間の甲状腺ガンの発生率が上がったということからも子ども達の健康調査 に力を入れていくべき。 ・今回は事故当時、子どもだったお母さんと当時のことを振り返ってもらっ たが、あまり具体的に覚えていないことが多かったので当時のお母さん(現 在の60~70歳前後)に話を聞けると当時の生々しい話(今の状況と当時の状 況とのギャップを感じた)が聞けたのかもしれない。また機会があれば行っ てみたい。 藤田
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