<「イスラム国」> 1.「イスラム国」 「イスラム国」(アラビア語: ﺔ ﻟود ﻟا ﺔﯾﻣﻼ

<「イスラム国」>
1.
「イスラム国」
「イスラム国」
(アラビア語: ‫ة ال دول ة‬
‫、ا‬翻字:ad-Dawlah al-ʾIslāmiyyah、略称:IS)
は、イラクとシリアで活動するサラフィー・ジハード主義組織。2014 年 6 月 29 日、カリ
フ制イスラーム国家の樹立を宣言し、イラクとシャームのイスラム国(アラビア語: ‫ال دول ة‬
‫ة‬
‫ال عراق ف ي اال‬
‫、وال‬略称: ‫(داعش‬ダーイシュ)
、翻字: Dawlat al-ʾIslāmiyya fi al-'Iraq
wa-l-Sham)から改称した。ただし、周辺のスンニ派イスラム教諸国も含めて、他国から
国家としての承認は得られていない。
イラク、シリアなどの中東諸国を、サイクス・ピコ協定に代表されるヨーロッパの植民
っち主義国の線引きにより作られた「サイクス・ピコ体制」だとしてこれを否定し、武力
によるイスラム世界の統一を目指している。従って、「イスラム国」は近代の植民地主義支
配の下で決定された国家システムの枠組みを否定する存在として注目される。
旧称の「イラクとシャームのイスラム国」という組織名にある「シャーム(アッシャー
ム)
」はシリア地方またはレバントを指す地理的概念であり、欧米や日本では「イラクとシ
リアのイスラム国」
(英語: Islamic State of Iraq and Syria、略称: ISIS)
、
「イラクとレバン
トのイスラム国」
(英語: Islamic State in Iraq and the Levant、略称: ISIL)等の意訳した
名称で知られている。イラク、シリアなどアラビア語圏では (‫ة ال دول ة‬
‫ال عراق ف ي ا‬
‫ )وال‬の頭字語の (‫「)داعش‬ダーイシュ」と略され新聞などでも一般的に使用されてきた。
2014 年 6 月 29 日、イスラム国家の樹立を宣言し組織名「ダーイシュ」(ISIS/ISIL) の名を
廃止し、
「イスラム国 (Islamic State)」 の名を採用すると宣言した。各国はこの宣言の有
効性を認めていない。
2.歴史
2000 年頃にアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーがヨルダンなどで築いた「タウヒ
ードとジハード集団」
(As Jama'at al-Tawhid wal-Jihad, 略称: JTJ)を前身とする。この
集団はアフガン戦争後はイラクに接近し、2003 年のイラク戦争後はイラク国内でさまざま
なテロ活動を行った。2004 年にアルカーイダと合流して名称を「イラクの聖戦アル=カー
イダ組織」と改めたが、外国人義勇兵中心の彼らはイラク人民兵とはしばしば衝突した。
2006 年 1 月にはイラク人民兵の主流派との対立をきっかけに名称を「ムジャヒディーン諮
問評議会」と改め他のスンニ派武装組織と合流し、さらに 2006 年 10 月には解散して他組
織と統合し、
「イラク・イスラム国」と改称した。
2009 年 10 月 25 日と 12 月 8 日、イラク・イスラム国は首都バグダードで自爆テロを実
行し、両日合わせて 282 人が死亡、1169 人が負傷した。アメリカ軍はイラク・イスラム国
はインターネット上の組織に留まり、組織内に実際にバグダーディ師と呼ばれる人物は存
在しないと主張していたが、2010 年 4 月 18 日、イラクのヌーリー・マーリキー首相はイ
スラム国の首長(アミール)アブー・ウマル・アル=バグダーディと同戦争相アブー・ア
イユーブ・アル=マスリーがティクリート近郊で行われた米軍とイラク軍の合同作戦によ
り死亡したと発表した。しかし、その後もバグダーディの声明が度々報じられており、真
相は不明。
2012 年 3 月 20 日には、バグダードを含む数十都市で連続爆弾テロを実行し、52 人が死
亡、約 250 人が負傷した。2013 年 4 月、アル=ヌスラ戦線と合併し組織を「イラクのイス
ラム国」から「イラクとシャームのイスラム国」
(略称: ISIS)
(別称「イラクとレバントの
イスラム国」
(略称: ISIL)
)に改称し、シリアへの関与強化を鮮明にした。同年 7 月、検問
所での通行許可を巡り口論となった自由シリア軍の司令官を殺害した。
2013 年 7 月 21 日、アブグレイブ刑務所とバグダード近郊のタージにある刑務所を襲撃
し、500 人あまりの受刑者が脱獄、治安部隊 21 人と受刑者 20 人が死亡した。脱獄者の中
には、武装勢力の戦闘員や幹部も多数含まれているとされる。イスラム国側によると、今
回の襲撃をもってイスラム教徒を牢獄から解放する一連の作戦は終了したとしている。
2013 年 8 月、アレッポ近郊のシリア空軍基地を制圧。同年 9 月、自由シリア軍がシリア
軍から奪還し 1 年近く支配下に置いていたトルコ国境沿いのアッザーズを戦闘の末に奪取、
制圧した。アッザーズ制圧の際、現地で活動していたドイツ人医師を拘束した。
「イラクとシャームのイスラム国」は、アルカーイダと関連のある武装集団だが、2013
年 5 月に出されたアイマン・ザワーヒリーの解散命令を無視してシリアでの活動を続けて
いるなど、アルカーイダやアル=ヌスラ戦線との不和が表面化している。この不和の原因
は「イスラム国」の残虐行為が挙げられており、実際にアルカーイダを上回る残虐な組織
であるとの指摘するメディアもある。2014 年 2 月には、アルカーイダ側が「イラクとシャ
ームのイスラム国」とは無関係であるとの声明を出している。シリア騒乱の反政府派とも
衝突しており、一部のシリアの反政府派は連合を組んで、「イスラム国」を攻撃している。
シリア反体制活動家は、ISIL について「アサド大統領よりも酷い悪事を働いている」と語
っている。
2014 年 2 月には支配地域のラッカでキリスト教徒に対して、課税(ジズヤ)及び屋外での
宗教活動の禁止を発表した。また、シリアの油田地帯を掌握し、原油販売も行っていると
の説もある。
3.イラクへの侵攻
2014 年に入り、シリアの反アサド政権組織から武器の提供や、戦闘員の増員を受けたた
め、急速に軍事力を強化した。その軍事力を使い政権奪還を目指して、イラクの各都市を
攻撃し始めた。2013 年 12 月 30 日のイラク西部アンバール県ラマーディーの座り込み運動
の解散をきっかけとして侵攻を開始し、1 月にラマーディーと同県の都市であるファルージ
ャを掌握、3 月にサマラを襲撃した。サマラからは 6 月 5 日のイラク軍の空爆により追放さ
れたが、6 月 6 日、モスルに複数の攻撃を実施した。6 月 10 日、モスルを陥落させた。武
装集団は、数百人規模で 9 日夜からモスル市街地を攻撃し、10 日までに政府庁舎や警察署、
軍基地、空港などを制圧した。過激派系のウェブサイトは、武装集団が刑務所から約 3 千
人の囚人を脱走させたとしている。6 月 11 日にモスルのトルコ領事館を制圧し、同国の在
モスル総領事を含む領事館員ら 48 人を誘拐した。6 月 15 日政府軍との戦闘の末、タルア
ファルを制圧、6 月 17 日にはバグダッド北東約 60 キロのバアクーバまで進撃し、6 月 20
日までにバイジの油田施設を包囲した。6 月 25 日、イラク戦争で「キャンプ・アナコンダ」
として知られているバラッド統合基地を攻撃しアジール油田地帯を制圧した。また、ニー
ナワー県を断水させた。
「イスラム国」は占領したモスルでシャリーアの強制による統治を
行い、イラク政府への協力者に対する殺害ならびに盗みや強盗をした者の手足を切る刑罰
を課しており、モスルの住民は退去を迫られている。
6 月 17 日にイラク首相府は「イスラム国」をスンナ派のサウジアラビアが財政的に支援
し、大量虐殺を引き起こした責任があると非難する声明を発表した。これに対してはサウ
ジアラビアと米国から反発が出ている。米国共和党のランド・ポール上院議員は「イスラ
ム国」が強化された理由の一つとして、米国政府がシリア政権打倒のため「イスラム国」
に武器を移送したことを挙げている。また、オーストラリアのジュリー・ビショップ外務
大臣は 150 人のオーストラリア人が「イスラム国」に加入していると明らかにし、彼らの
帰国の懸念を表明した。6 月 20 日、国連人権理事会は「イスラム国」の侵攻によって 100
万人の住民が避難を余儀なくされていると声明を出した。
4.イスラーム国の樹立宣言
2014 年 6 月 29 日、ISIS は同組織のアブー・バクル・アル=バグダーディが「カリフ」で
あり、あらゆる場所のイスラム教徒の指導者であるとし、イスラム国家であるカリフ統治
領をシリア・イラク両国の「イスラム国」制圧地域に樹立すると宣言した。また同声明に
おいて組織名からイラクとレバントを削除し、「イスラム国(Islamic State)」と改変するこ
とを発表した。
2014 年 8 月 8 日、米軍がイスラム国の武装勢力に対して、限定的な空爆及びヤズィーデ
ィーなどに対して支援物資の供給を開始。初日は、クルディスタン地域のアルビル近郊に
展開していた野砲や車列が攻撃対象となった。米国は、空爆の期限を設けず、今後も空爆
を実施することを示唆している。
ただし、米軍の空爆は、イスラム国のイラク支配地域に限定されており、「イスラム国」
の本拠地であるシリアでは実施されていないため、空爆の効果を疑問視する向きもある。
シリア国内の「イスラム国」拠点を攻撃しないのは、「イスラム国」と対立するアサド政権
を支援する形になるためと指摘されている。2014 年 8 月 22 日、米国はシリア国内の拠点
に対する空爆の検討を開始したと発表した。
4.外国人戦闘員
2014 年 8 月 19 日、
「イスラム国」が拘束していた米国人ジャーナリスト、ジェームズ・
フォーリーを斬首し、処刑動画が投稿された。
「イスラム国」は米軍による空爆への報復と
主張している。8 月 20 日、ホワイトハウスはこの動画が本物であると発表した。なお、フ
ォーリー記者の処刑を担当した兵士は、動画の中で英語を話していたが、その発音にイギ
リスの特徴のあることから、イギリス人の可能性が指摘されている。イギリスの警察など
は、身元の調査を開始し、23 歳の父親がアルカイダ系であるヒップホップ系歌手であると
の情報が流れた。
9 月 2 日、
「イスラム国」は米国人ジャーナリストのスティーヴン・ソトロフを殺害、9
月 10 日英国人人権活動家デービッド・ヘインズを殺害。9 月 24 日にアルジェリアで「イ
スラム国」を支持する「カリフの兵士」がフランス人ガイドのエルベ・グルデルを殺害。
10 月 3 日に「イスラム国」がイギリス人援助活動のアラン・ヘニングを殺害。
「イスラム国」の構成員は、1 万数千人と言われているが、そのうち、約 6300 人はイス
ラム国の建国を宣言してからの加入者だと言われており、建国宣言から急速に勢力を拡大
している。新規参加者のうち大半はシリア人とされる。アメリカ合衆国の CIA は、戦闘員
の数は 2 万人から 3 万 1500 人に上るとする見方を示している。
「イスラム国」には 1 万 2000 人以上の外国人が参加しており、彼らはアラブ諸国や欧州、
中国などから参加している。ヨーロッパ諸国では、
「イスラム国」をはじめとするイスラム
過激派に加わった自国民が、帰国した後にテロを起こす可能性を危惧している。イギリス
のキャメロン首相は、8 月 29 日、イギリス国籍の「イスラム国」の戦闘員は少なくとも 500
人にのぼると語り、国外でテロ行為に関わった疑いのある英国民の出入国を抑制する方針
を発表した。ただし、移動の自由を侵害しかねない懸念もあり、イギリスの自民党は国際
法違反と指摘している。ドイツのメルケル首相によれば、
「イスラム国」戦闘員は約 2 万人
で、うち欧州出身者が約 2000 人を占めると語っている。ドイツからは、400 人を超える若
者が「イスラム国」の戦闘員となり、このうち 100 人はドイツに帰国しているとされる。
ドイツのデメジエール内相は、
「イスラム国」を支援するあらゆる活動を禁止する方針を発
表。米国国防総省は、10 人ほどの米人が「イスラム国」に参加しているらしいと発表。
10 月 6 日、日本の警視庁は同 7 日に出国してシリアに渡航して「イスラム国」への合流
を目指した北海道大学の学生(26 歳)を拘束して事情を聴取。元同志社大学教授の中田考
氏から「イスラム国」への合流方法を聞いたと報じられている。
(シリア・イラクで活動するイスラム過激派戦闘員の主な出身国)
*チュニジア 3000 人、サウジアラビア 2500 人、モロッコ 1500 人、ロシア 800 人、フランス
700 人、イギリス 500 人、トルコ 400 人、ドイツ 300 人、オーストラリア 250 人、ベルギ
ー250 人、アルジェリア 200 人、米国 100 人(
『朝日新聞』2014 年 9 月 11 日参照)