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P.88~P.151 - 富山大学 芸術文化学部

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卒業研究・作品
現代の大井川下流域における住宅のあり方
ー舟型散居の地域性と集合的記憶を巡ってー
Study on modern architecture about locality in lower area of Ooi river.
正守 由依
Masamori, Yui
造形建築科学コース
研究背景と目的
舟型屋敷・三角屋敷
静岡県のほぼ中央を流れる大井川の下流域では、大井川の氾濫・
舟型屋敷・三角屋敷とは、屋敷のまわりを舟型や三角の土手で囲
洪水流から屋敷を守るため、屋敷のまわりを舟型や三角形の土手で
い、その頂点を大井川の氾濫流に向けて屋敷造成したものである。
囲い、その頂点を大井川の氾濫流に向けて屋敷どりをする舟型屋
一般的には3辺や2辺の土手で囲ったコの字型やL字型の屋敷どりが
敷・三角屋敷が発展した。かつて富山県砺波平野に並ぶ散居で知ら
多く、洪水の危険性の高い所ほど舳先が鋭角となる。
れていたこの地も、戦後の圃場整備によりその姿は年々消えつつあ
土手の上には普通、竹が植えられており、竹の地下茎によって洪
る。しかし、大井神社をはじめ、流域全体で40社を超える「大井」
水時に土手の崩壊を防ぐ役割を果たしている。土手に挟まれた先端
の名の付く神社や、川除地蔵など、大井川下流域に住む人々と大井
の部分は、ボタと呼ばれる小森になっており、小高い土盛りに山桃
川との深い関係は現在も色濃く残っている。
や松などの常緑樹が植えられている。これらの竹木は土手の補強だ
本研究では、大井川の舟型散居の痕跡を探ることで、その地域性を
現代の住宅に取り入れる手法とその意味を考察する。
けではなく、台風や季節風などの強い風を防ぐのにも役立った。
また、ボタの中の山桃や松の古木の根元に地の神を祀ったり、土
盛りの1番高い所に屋敷墓を構える例もある。これは、祖霊や屋敷神
大井川概要
に洪水から家を護ってもらうという素朴な信仰によるものだと考え
る。先祖の霊が50年を過ぎると地の神になるという伝承もあり、屋
大井川は、日本第4の高峰である間ノ岳に源を発す1級河川であ
敷墓と地の神の関係は密接である。舟型集落・三角集落の場合、頂
り、その流域は静岡市、島田市、藤枝市、焼津市、榛原郡吉田町、
点の部分には神社が置かれる。(図1)
川根本町の4市2町にまたがる。また、幹線流路延長168㎞に対し、
流域面積は1280㎢と、幹線流路延長に対する集水面積がきわめて狭
く支流が少ないという特色を持つ。さらに、年間降水量は流域面積
の半分以上が3000㎜を超える多雨地域であり、静岡県中部の利水需
要を担う一方で、
れ出た水流は多くの洪水被害をもたらしてき
た。大井川の水害の特徴は、河床勾配が急なことに起因する洪水流
の速さと、土砂や流木の混じる濁流被害の大きさにあり、江戸時代
図 1. 囲い土手の形状(「大井川町史」三角屋敷様式図をもとに作成)
以降記録に残るだけでも濁流による破堤は98カ所にのぼる。
集合的記憶
水防対策
フランスの社会学者、アルヴァックスは記憶を個人の現象ではな
大井川扇状地が本格的に開かれはじめたのは近世に入ってからで
とで学生時代の記憶が鮮明に思い起こされるように、我々の記憶は
あり、家屋敷はかつての州や島、洪水時にもたらされた土砂などの
他者によって想起されると述べている。このように、他者と共に出
微高地を巧みに選んで構えられている。つまり、大井川散居は、家
来事を記銘し、その手掛かりとなる事物によって記憶を保持し、他
屋敷がただ無秩序に散在しているのではなく、列状に並ぶ自然堤防
者と共に想起する記憶のあり方を、集合的記憶と呼ぶ。
上に散在しているという特徴をもつ。
アルヴァックスの集合的記憶は、記銘・保持・想起という記憶の
大井川下流域では支配者によって築かれた堤防を「御囲堤」、私
過程のうち、専ら想起に焦点を当てたものであり、我々は家族や学
的な堤防を「囲い土手」と呼ぶ。囲い土手の中には、個人で水防対
校などの集団の一員として、その集団の枠組みの中で過去を想起す
策を施した舟型屋敷・三角屋敷のほかに、村や集落単位で築かれた
る。そのため、想起される記憶は現在の集団の枠組みの中で再構築
三角集落・舟型集落、不連続堤防などがある。
された記憶となる。また、アルヴァックスによれば、記憶とは外部
く、集合的な現象としてとらえ、例えば同窓会で旧友と再会するこ
から呼び起されるものであり、過去は物質や空間の中に保存されて
いる。つまり、物質や空間の痕跡によって過去を想起する限り、主
体はその出来事の当事者に限らないということである。
088
卒業研究・作品
島田市初倉地区井口における痕跡
大井川右岸の島田市井口を歩いていると、屋敷続きの墓地や、水田
の中に墓地がある姿を見かける。このような屋敷墓は、その屋敷と先
祖が一体であることを示している。この地に屋敷を構え、水田を開発
してくれた先祖に、家の永続を見守ってもらっているのである。
井口村は承応2年の大洪水により全村流失、それまで住んでいた村
民は離散し河川敷となった。その57年後、宝永5年に官より許可を
得た14家が井口村の開発を行った。これが現在の井口村の起源であ
り、開発を行った14家を「井口村14家衆」という。井口村は当初、
街村形式をとっていたが、新田開発を進める過程で散村となった例
である。
井口村にも数件、三角屋敷・舟型屋敷が存在するが、この地域で
は簡易的な囲い土手と共に不連続堤防をつくっている例が多い。14
家衆は現在も年に1度会合を開いており、共に開発を行った家同士の
深い繋がりは300年経った今でも続いている。井口村の不連続堤防
は土地改良の際、堤防上に植えられた松が影をつくり、作物が育ち
にくくなるという理由でその姿を消した。しかし、井口村の開発の
図 2. 大井神社の分布図(
「静岡県史 資料編 24 民族二」より引用)
記憶は散居形式の住宅や屋敷墓、各家々の囲い土手や地の神の中に
残っている。(写真1)
結論
大井川下流域の人々にとって、大井川とは恵みであり脅威であっ
た。そのため人々は、水の神や地の神を祀るとともに、村や住宅に
堤防を築くことで大井川とうまく付き合ってきた。大井川の神性や
洪水の恐怖というものは、その地で生きていくうえでの知恵であ
り、脈々と受け継がれてきた、いわば共同体意識であり、集合的記
憶である。明治29年以降大井川堤防改修工事が進められたことによ
り、甚大な洪水被害は減少したが、その記憶は親から子へ、地域の
祭りや信仰として、形を変えながら継承され、その記憶は村に残っ
写真 1. 井口村に祀られた地の神
た堤防や数多くの水神を祀った神社によって想起される。
このような経験からつくり出された地域のコンテクスト、すなわ
ち方言は共同体や家族の存在を支え、固有な類型として現象させ
る。戦後の土地改良で数多くの堤防が破壊され、舟型屋敷・三角屋
敷が姿を消したことは、集合的記憶として共同体意識を想起させる
対象を失うことであり、その伝承性・伝統性を失うということはそ
れまで共同体や家族を支えていた共同体意識を失うことを意味す
る。地域性を現代の住宅に取り入れることは、成層化された土地の
記憶を受け継ぐことであり、そこに住まう家族だけではなく、共同
体として地域の人々の存在を支える役割を果たす。
[主要参考文献]
○
『静岡県史 資料編
24 民族二』
○
『大井川町史 上巻』
○磯部博平『大井川下流域の集落』
(1973) 地方史静岡第
3 号 p21‐47
○小寺廉吉 岩本英夫『大井川下流域の散居性村落』
(1939) 地理学評論 15 の 9・10
○長谷川公一 浜日出夫 藤村正之 町村敬志『社会学』
(2007)
発行者 : 江草貞治 発行所 : 有斐閣
アルヴァックス『集合的記憶』(1989)訳 : 小関藤一郎 編集 : 沢田都仁
発行者 : 行路社
○M.
089
卒業研究・作品
高齢化社会における新しい住まいの考え方
∼高岡市型CCRCの提案∼
The view of the new home in an aging society
The proposal of Takaoka type CCRC
吉田 亜里紗
Yoshida, Arisa
造形建築科学コース
1.研究背景と目的
2-2.日本のCCRCの事例
現在、日本では高齢化社会が深刻な問題となってきている。2060
日本では九州地域においてCCRCの理念をとりいれられた施設が多
年には、国民の約2.5人に1人が65歳以上の高齢者になると見込ま
く存在する。ある社会福祉法人のグループが目指すものは「患者や利
れるなど、これまで世界のどの国も経験したことのない社会を迎え
用者、家族が生き甲斐をもてる暮らしの支援と、地域に開かれた高齢
ようとしている。そのなかで、高齢者の新しい暮らしのモデルであ
者コミュニティの整備」である。地域の医療機関・福祉施設と連携
るアメリカ発のCCRCについて考査し、高岡市型CCRCを提案する。
し、転院・検査入院などの患者が積極的に受け入れられている。自立
2-1.CCRCの概要
ションを併設、さらには介護型の高齢者住宅である有料老人ホームを
CCRCは、高齢者が年齢を重ねるにつれて変わってくるニーズに合
併設するなど、施設の拡充を進め、介護型である有料老人ホーム、リ
型の高齢者賃貸住宅も建設し、在宅療養支援診療所、訪問看護ステー
開設し、重度な要介護者へのリハビリ機能を強化した通所介護施設を
わせ、住宅サービスやケアの対応を行う考え方である。すなわち、
ハビリ施設、ヘルパーステーション及び自立型高齢者住宅、在宅療養
住民は自立して生活できる段階、寝たきりで特別な看護が必要な段
支援診療所、訪問看護ステーションからなる複合施設を核とする同グ
階を経て、人生の終局まで同じコミュニティ内で生活でき、トラン
ループのCCRCモデルを社会的に発信している。
スファーショック等の負担が低減される。
CCRCでは入居者の健康レベルに応じ、3つのレベルの住まいが用
意されている。高齢者が自由と尊厳を保ち、できる限り自立した暮ら
しを送るための「自立型住まい」から始まり、障害などによって生活
3-1.高岡市型CCRCに向けて
表1に示す通り、65歳以上の高齢者は年々増加し、高齢者人口の比
する上で何らかの一時的支援が必要になると、「支援型住まい」に移
率は県平均より1.5%高く、全国平均を大きく上回って27.8%となっ
り、そして、常時介護が必要となった高齢者のためには、「介護型住
ている。こうした状況の中、表2に示す通り、ひとり暮らし高齢者も
まい」が用意されている。日本の高齢者施設とCCRCの領域比較を図1
徐々に増えており、さまざまな問題を解決するためには、CCRCでい
に示す。
う自立型住まいである高齢者賃貸住宅が必要ではないかと考える。
またCCRCには、医療機関の充足も目的とされているが、医療の目的
高岡市の高齢者施設は、支援型、介護型住まいに分類される施設
は、「自立するための支援」である。すなわち、「病気を避け、意義のあ
は多く存在するものの、自立型住まいである高齢者賃貸住宅は、2
る生活をし、人生で何かを果たすための支援である。患者の支援には、
つしか存在しない。高岡市には、今後更に多くの高齢者賃貸住宅が
感情、社会性、知性、健康、魂、仕事を考慮に入れるべきである。」と考
造られるべきであり、高岡市型CCRCの核として必要不可欠である。
えられている。
CCRCはつまるところひとり暮らしには変わりはない。しかしなが
ら、異なるのはサービスが受けやすくなるだけではなく、高齢者施
設との連携もとりやすくなる。またバリアフリー構造が前提であ
り、暮らしやすくなるというメリットなど、その将来性に多くの期
待が集まっている。
高岡型CCRCを計画するにあたっては、CCRCの医療の理念にあ
る、"意義のある生活空間"の充実を図ることを常に考えなければな
らない。
「医療機関」「高齢者施設」「高齢者専用賃貸住宅」「地域」
「意義のある生活空間」の5つのキーワードをどのようなネットワー
クでつなげるか。このことを高岡型CCRCの最重要事項と考えた。
3-2.5つのキーワードの繋げ方
図 1.CCRC と日本の高齢者施設の領域比較
090
高齢者は、自動車の運転が出来ない人も多く、バスなどの公共機関も
卒業研究・作品
徒歩圏内にてアクセスできなければ利用が困難である。自転車について
置も望ましいと考える。これは、入居者だけが使える和室の休憩室や
も乗れない高齢者も多く、雪が多い富山県では、危険性もともなう。
音楽室を設けるなどの他に、地域の人も利用できるコミュニティ空間
そこで「高齢者は日常生活の上で、どの位の距離までなら徒歩で移
を設置するなど、外部とのコミュニケーションもはかれるようにする
動できるのか」が問題になる。平成21年に内閣府が発表した「歩い
ためであり、冬季に外出が少なくなりがちな高岡において、CCRCに
て暮らせるまちづくりに関する世論調査」の結果を表3に示す。高齢
有効な施設だと考える。
者の場合、徒歩で移動できる距離は、800mから1000mと見なすこ
とができる。したがって、高齢者の住まいの中心となる「高齢者賃貸
住宅」を核に、1キロ範囲内に「医療機関」「高齢者施設」「地域」
4.高齢化社会における新しい住まいの考え方
「意義のある生活空間」を配置することが高岡型CCRCにおいて、必
表2に示す通り、社会的に核家族は増加傾向にあり、高齢者核家族
要不可欠の条件と考え、その範囲を【semi CCRC】と定義した。
世帯も増えていくと考える。
したがって、高齢者核家族に対応した施設を多く整備することが地
3-3.高齢者賃貸住宅 モデル案
域の発展に必要不可欠である。高岡市型CCRCを計画することで、
高齢者専用賃貸住宅の配置場所は、高齢者でも歩いていける1キロ
ニティ内で過ごすことができ、これからの高齢者のニーズに即してい
以内に「医療機関」、
「高齢者施設」、
「地域」、
「意義のある生活空
ると考える。
CCRCのメリットである、元気な時期から最後まで、ひとつのコミュ
間」がある場所がよい。
住居の型としては、多摩ニュータウン「αルーム」の2層型と突出
型を参考にし、次のような型にする。2層型の例として、2階に
Privateな住居空間、1階にα roomを設置。料理教室、美容室を開くな
ど、定年前のスペックを活かし、活動する場。突出型の例としては、
戸建住宅のときにはあった大きな玄関が賃貸住宅ではなくなってしま
うため、高齢者の趣味である、裁縫やさまざまな工作物を飾る場所が
なくなることになる。その展示室のような空間をα roomとして設置。
人に見られることで、話が弾み、コミュニケーションが生まれる。
また、高岡型CCRCでは、図1に示す通り、独立型のα roomの設
表 3. 歩いて行ける距離
総人口
60歳以上
65歳以上
70歳以上
男
84,379
28,433
20,402
14,268
75歳以上
9,121
女
91,205
37,107
28,490
21,888
14,893
計
175,944
65,540
48,892
36,156
25,014
高齢化率
27.80%
比率
51.20%
表 1. 高岡市の年齢別高齢者数〈H24.4.1
図 2. 独立型の例
現在〉
65~70歳
71~75歳
76~80歳
81~85歳
86~90歳
91~99歳
100歳~
計
男
35
77
106
107
62
24
0
411
女
100
314
604
626
345
105
1
2,095
計
135
391
710
733
407
129
1
2,506
表 2. 高岡市ひとり暮らし高齢者数〈H24.4.1
現在〉
091
卒業研究・作品
非住宅建築物の環境性能に係わる基準及び助成制度に関する研究
−高岡キャンパスの省エネ改修提案−
Research on Standard and Aid Systems of Non-Residential Buildings Environmental Performance
-Energy-Saving Improvements at TAKAOKA Campus田邉 澄
Tanabe, Sayaka
造形建築科学コース
1 はじめに
2 研究概要
日本経済の発展のため、エネルギー使用効率を大幅に改善していく
調査対象とした環境性能に係わる基準・制度等は、「改正省エネ
ことが必要と考えられ、昭和54年に省エネ法が施行された。特に近
法・基準」「都市の低炭素化の促進に関する法律」「トップランナー
年、二酸化炭素発生量やエネルギー消費量等をはじめとする環境問題
制度・基準」「ZEB」「CASBEE」「BEMS」「省エネルギー施設等導
を背景に、建築物の設備機器の高効率化や高い建物性能が求められる
入における金融上の助成措置」である。以上の基準・制度等は、建築
ようになった。また、平成25年4月に省エネルギー法が改正され(以
物の環境性能に非常に係わりがあり遵守すべき内容が盛り込まれてい
下、改正省エネ法)、より環境に配慮した建築物を建てることが望ま
る。建築物の規模・用途等により基準事項に違いがあり、それぞれ細
れその義務化も進められている。またその他にも、環境性能に係わる
かく規定されている。特に調査した改正省エネ法について明らかに
基準・制度も多く、それら条件を満たすことが必要とされている。
なったことは、建築する延床面積によって評価方法や基準が異なる、
今日、建築物を建てるためには様々な基準や制度を把握し、かつ
新しく区分された地域区分によっても評価数値が異なる、設置する設
それらを遵守しなければならない。しかしながらそれら条件を一つ
備の評価基準が以前と変わった、等である。それらを踏まえ[表1]を
一つ確認し満たしていくことは容易ではない。そこで、本研究では
作成した。また、省エネルギー法は今回で3回目の改正であり、それ
改正省エネ法をはじめとした、主に非住宅建築物の環境性能に係わ
まで改正された省エネルギー法を含め4つの指標がある。
る基準及び制度等について調査しまとめるとともに、富山大学高岡
図書館の改修提案については、現在の図書館の図面を入手し、外周
キャンパスの図書館(以下、芸文図書館)について断熱性能と経済
面積の割り出し及び現断熱性能を調査・把握。その後各年代の省エネ
性を検討した上で、改修提案を行った。
法の基準に照らし合わせ、断熱材の厚さ・値段・施工費等、また改修し
た場合どれくらい省エネになるかを算出・積算し、改修提案を行った。
[表 1 ]省エネ法・基準概要
092
卒業研究・作品
3 結果
4 考察・まとめ
―改修提案について―
今回、理解し把握することが難しいと思われていた基準・制度の問
芸文図書館の図面より、計算に使用する各面積を算出。同じく各厚さ
題と芸文図書館の断熱性能に関する改修提案について研究した。
と材料を調べた。調べた結果をもとに各部の熱抵抗値、熱貫流率(以
基準・制度については、表に簡潔にまとめたことで以前より容易
下、U値)を算出。その後、U値と面積をもとに各貫流熱損失を算出。
に理解・判断することが可能になった。ただし、法律や基準はこれ
それらすべてを合計したのち延べ床面積で除した値、熱損失係数(以
からも改正していくと考えられ、新たな基準や指標も現れる可能性
下、Q値)を算出。このQ値と前述で示した表を照らし合わせ、芸文図
がある。そのようなときに再びわかりやすい表を提示するなど、今
書館の断熱性能が省エネ基準に即した値であるかを調べた。その結
まである法律との兼ね合いを示すことが望まれ、今後の課題として
果、現在の芸文図書館の断熱性能は初期の省エネ基準(以下、旧省エ
も挙げられる。
ネ基準)は満たしているものの、その後改正された省エネ基準(改正さ
芸文図書館の断熱性能に関する改修提案については、省エネ改修に
れた順に新省エネ基準、次世代省エネ基準、改正省エネ基準とする。)
おいてその費用と効果を算出することで最適な改修案を示すことがで
のどれにも即していないということが明らかとなった。([表2])
きた。今回の調査結果から、[表1]のような簡潔にまとめた表を用い
よって、一定の断熱性能をもつ断熱材を入れることが必要だと判断し
ると、より早く容易に必要な基準・制度を照合することが可能にな
た。そこで、熱伝導率0.02W/(m・K)の断熱材を使用することで断熱
り、多くの施設で有効的な改修提案を行うことができると考える。
性能を満たすことにする。以下、[表3]で断熱材の種類別参考改修設計
価格の表を、[図1]で年間冷暖房負荷値・削減金額のグラフを示す。
また、改修費用(参考設計価格のみ)と冷暖房費削減金額から、改
修後何年で原価回収することができるかを算出した。その結果を[表
4]に示す。新省エネ基準や改正省エネ基準を満たした改修を行うより
も次世代省エネ基準を満たすそれの方が早く原価回収できることが見
て取れる。よって、次世代省エネ基準を満たした改修をすることが望
[主要参考文献]
○エネルギーの使用の合理化に関する法律
○国土交通省 http://www.mlit.go.jp/
○経済産業省資源 エネルギー庁 http://www.enecho.meti.go.jp/
[表 4 ]原価回収年数
ましいという結果になった。
[表 2 ]芸文図書館と基準値の熱損失係数(Q値)
[表 3 ]断熱材の種類別参考改修設計価格
[図 1 ]冷暖房負荷値・削減金額
093
卒業研究・作品
プレカット工場から廃棄される
合板端材の再利用に関する研究
A Study on the reuse of plywood residue at precut factory
荒井 彩絵
Arai, Sae
造形建築科学コース
研究の背景と目的
構造用合板とは、木から薄く剥いた単板を積み重ね、耐水性のある
椅子の座面に使用可能な端材」、「(B)棚板などに使用可能な端材」、
「(C)机や椅子の脚に使用可能な端材」に分類した。その結果、(A)、
(B)の幅の広い端材が全体の 50% 以上であった。
接着剤で張り合わせて構成された木質材料である。木材の持ついくつ
かの欠点を、製造技術で補正して、木材より安定した強度が得られ、
1.2 日曜大工、木工教室での製作製品事例の調査
幅広く、伸び縮みが少ない、切断・釘打ちが容易であるという特徴が
文献 4) と木工教室主催者への調査により、全国の木工教室で、どの
ある 。そうしたことから構造用合板は、家具の材料として、特に屋
ようなものがつくられているかを調査した。また、日曜大工や合板工
外家具や、素人向けの日曜大工などに適しているのではないかと考え
作を紹介した文献 5,6,7) とホームセンターで売られている家具を調査
た。
した。その結果、ニーズの高い製品は、椅子、机、棚の 3 種類であっ
また、近年、国内では、厚さ 24 ㎜以上の構造用合板(厚物合板)
た。この結果から、設計する家具を椅子、机、棚に選定した。
1)
を床下地材として用いる工法(ネダレス工法)が急速に普及している。
この工法は、構造用合板を直接床梁に接合することで床根太を省略す
ることができ、プレカット工場でプレカットした厚物合板を、現場で
2 材料の性能試験
施工する例が多い。プレカット材を利用した在来工法住宅が増えてき
調達できた表単板ヒノキの厚物合板には、芯層単板がヒノキのもの
ており平成 22 年の時点でプレカット率は 8 割を超えていることもあ
とスギのものがある。どちらがより屋内家具の、特に椅子の材料とし
り、プレカット工場では、多くの厚物合板が使用され、その端材が多
て強度的に適しているかを確認するため、吸水厚さ膨張率試験、木ネ
く廃棄され、焼却処分や、パーティクルボードの原料とされているこ
ジ引抜き抵抗試験、曲げ試験を、JIS の試験方法に準じて行った。
とが分かっている 2,3)。
その結果、椅子の材料には、芯層単板ヒノキの厚物合板を選定した。
木質材料として優れた特徴を持つ厚物合板の端材が、形ないものと
して処分されているのであれば、それらを再利用し、家具の材料とし
て生かすことで、形あるものとして最後まで有効利用できないかと考
3 接合部に関する試験
えた。
芯層単板ヒノキの厚物合板で、木ダボを用いた仕口接合を行う際、
そこで本研究では、プレカット工場から廃棄された厚物合板端材を
どれほどの強度が得られるかを確かめるため、直径 10 ㎜長さ 60mm
材料とし、日曜大工で誰でも製作可能な家具の設計と提案を行う。設
の木ダボ 2 本による仕口接合部について図 2 のような試験を行った。
計する家具は、先行研究 3)より用途を広げるため、屋外に転用可能で、
この試験結果から、厚さ 24 ㎜の芯層単板ヒノキの厚物合板を材料
分解・折り畳みが可能な屋内家具とする。
として、通常の家具に用いられる木ダボでの仕口接合を行う家具設計
1 各種調査による厚物合板端材の再利用製品の検討
が可能であると確認した。
また、折り畳み椅子の回転軸の部材となる木ダボ(直径 12mm・
長さ 90mm)
、リベットピン(直径 12mm・長さ 85mm)、六角コー
1.1 プレカット工場からの端材調達
チスクリュー(直径 10mm・長さ 125mm)の 3 種類の強度を比較す
先行研究 3) により端材調達に適した工場として選定された、富山県
るため、図 3 のような試験を行った。
内のプレカット工場 3 社から端材調達を行い、端材の種類と形状を調
査した。また、一般市民が厚物合板端材を調達するには、厳しい条件
があり、個人利用が認められない。しかし木工教室などの団体で、公
共福祉などに用いる目的を明確に伝えることで調達可能なことを確認
した。
端材調達の結果、3 社中 2 社から表単板ヒノキの厚さ 24 ㎜の厚物
合板が多く得られた。そこで本研究では屋内製品の設計を主目的とす
るため、見た目にも比較的滑らかな、表単板ヒノキの厚さ 24 ㎜の厚
物合板を調査対象とすることにした。
表単板ヒノキの厚さ 24 ㎜の厚物合板の形状を、「(A)机の天板や
094
図 1 木ネジ引抜き試験と曲げ試験
卒業研究・作品
図 2 木ダボ仕口接合部の強度試験
図 3 回転軸接合部せん断試験
図 4 試作した折り畳み椅子
この結果、最も強度を得られた部材は六角コーチスクリューであっ
た。従って、回転軸部分には、六角コーチスクリューを使用すること
が適していることが分かった。
4 木工教室の指導者向け
厚物合板の再利用製品製作マニュアルの作成
4.1 家具の設計・試作
木育と高齢者の生きがいづくりを促進するための木工教室を想定
し、家具設計の条件を、なるべく加工数が少なく単純作業で行え、切
り欠きなどの細かい作業を必要としないものと定める。日曜大工で使
用する簡易な電動工具で加工できる範囲として、前述の各試験結果か
ら選定された端材や金物仕様に基づいて製作できる既成品・市販品を
参考に設計、試作した。試作品を実際に使用して、その強度を確認し
図 5 試作したその他の家具(机、分解シェルフ、折り畳みシェルフ)
た。
後に、家庭での日曜大工として、家族との交流に繋げたり、こどもや、
4.2 マニュアルの作成
地域の人々への指導者となれば、木育の促進にも繋がることが期待さ
本研究で設計した厚物合板端材による家具の普及を図るため、プレ
れる。
カット工場からの材料の調達方法、作業に必要な道具、受講対象者、
作業工程、加工端材の処理方法、製品のメンテナンス方法をまとめ、
木工教室の指導者向け厚物合板再利用製品製作マニュアルを作成し
た。
5 おわりに
[主要参考文献]
1)日本合板工業組合連合会 「合板の話」
2)林野庁 「平成 23 年度 森林・林業白書 全文」
3)奥野さつき(2013 年)「プレカット工場から廃棄される厚物合板端材の再
利用に関する研究」
4)婦人生活社(2002 年)「手づくり木工辞典特別編集全国木工教室・材料店
プレカット工場から廃棄される厚物合板端材を用いて、分解・折り
畳みが可能な家具を設計したことにより、厚物合板端材の再利用方法
を発展することができた。また、高齢者を木工教室の受講対象者とす
ることで、この木工教室が交流の場となり、生きがいづくりにもなる。
ガイド」
5)学習研究社 「一枚の板から作る楽しい!合板工作」
6)荒井章 「発想を生かす合板工作」
7)主婦と生活社 「すのことカラーボックスで楽しく作る! 収納便利家具
&雑貨−部屋がすっきり大変身」
095
卒業研究・作品
孟宗竹の有効利用に関する研究
- 竹材の接合方法について -
A Study on Utilization of BambooPhyllostachys
(
pubescens
)
-Comparative Examinations of Bamboo Connecting Method齋田 夏希
Saida, Natsuki
造形建築科学コース
1 研究の背景と目的
ダボ、登山用ユニバン使用
竹は靭性があり加工しやすいことから様々な生活用品などに利用さ
⑤ガセット板を用いた接合:1 種類
④配管金具を用いた接合:1 種類
れてきた。しかし、輸入製品や代替製品の増大により、国産の竹材生
産量は激減していった。需要がなくなった竹林は放置され、周辺の森
2 − 1 供試材料
林に侵入し、他種植物の枯死や生態系の単純化などの被害を及ぼして
孟宗竹:石川県産の青竹 外径 5 0 から 7 0 ㎜
いる 1)。竹を利用することで放置竹林の整備につなげるために、竹の
(伐採時期)平成 25 年 8 月末
新たな需要を創出する必要がある。また、国内の竹の利用技術が廃れ、
ボルト:直径 1 2 ㎜、長さ 1 7 0 ㎜ ばね座金使用
竹材の明確な接合方法が存在していないという問題がある。このこと
ダボ:欧州産ブナ
は竹材の新たな需要創出への妨げになっていると考えられる。
(ダボを用いた接合)直径 2 4 ㎜ダボ、(差し込み式接合)直
こうした放置竹林問題の解決に向け、孟宗竹の新たな利用方法を考
径 15 ㎜ダボ、(ガセット板接合)直径 16 ㎜ダボ
える必要があり、その利用方法の一つとして、竹の耐久性の低さを考
ガセット板:厚さ 2 8 ㎜の構造用厚物合板 寸法 4 2 0 × 4 2 0 ㎜
慮して短期間の使用を想定した「仮設構造物」が挙げられる。だが仮
締具:# 1 8(直径 2 .6 ㎜)のなまし線、登山用ベルトのユニバン、
設とはいえ安全な構造物をつくるためには、接合方法の問題を解決し
なければならない。孟宗竹の需要創出には、「竹材の接合方法」の問
荷締ベルト
配管金具:直径 5 0 ㎜
題を解決することが重要であると考えた。そこで本研究では、接合方
法確立の第一歩として、丸竹材の各種接合方法の強度性能試験を行
2 − 2 試験方法
い、その実態を把握することを目的とした。
図 2 に示すように、柱と梁が異なる平面上にくる「段差平面型」と、
2 強度性能試験
梁と柱が同じ平面上にくる「同一平面型」に分けて、柱(縦材)と梁
(横材)の接合を想定した試験を行った。段差平面型ではせん断試験
を行った。同一平面型の差し込み式接合、配管金具を用いた接合では
既存の丸竹材の接合方法を調べ、その中から、丸竹材への順応性(孟
引張試験、ガセット板を用いた接合ではせん断試験を行った。
宗竹の円錐形状および円形断面に対応できるかということ)と有用性
段差平面型のせん断試験:横材支持スパン 500 ㎜
(施工の簡便性と仮設構造物の接合部としての強度があると考えられ
るかということ)の 2 点を条件として接合方法を選定した結果、以下
の 5 つの接合方法について、柱−梁接合を想定し、強度性能試験・比
同一平面型の引張試験:
(差し込み式接合)横材支持スパン 500 ㎜、
(配管金具を用いた接合)横材支持スパン 200 ㎜で金具の蝶ネジ部分
を引っ張った。
較を行うこととした。
①ボルトを用いた接合:1 種類(図 1 参照)
2 − 3 結果と考察
②ダボを用いた接合:5 種類
締具のみ、内ダボ(図 1 参照)、貫通ダボ(図 1 参照)、
柱 2 本と梁 1 本を内ダボ、柱 1 本と梁 2 本を内ダボ
③差し込み式接合:2 種類
図 1 ボルト、内ダボ、貫通ダボの接合形態
096
図 2 柱−梁接合部の試験方法
卒業研究・作品
図 4 接合方法別の総合的な性能比較表
図 3 接合方法別の最大荷重の比較
図 3 は接合方法別の最大荷重の比較である。ボルトを用いた接合を
基準とすると、なまし線のみ、ユニバンのみの接合の強度は非常に低
ベルト使用が適している。
4 まとめ
い。ダボを用いた接合では、内ダボにユニバン使用の接合以外は全て
本研究では、いくつかの丸竹材の既存接合方法について、基礎的な
ボルト以上の強度があるという結果となった。特に柱や梁が 2 本の接
性能を明らかにした。その結果、丸竹材に適している接合方法は、ダ
合は強度が高かったが、実際の現場では施工が困難になると考えられ
ボを用いた接合またはガセット板を用いた接合だった。このことか
る。ガセット板を用いた接合は、ボルトよりも若干強度は低い結果と
ら、孟宗竹丸竹材を利用した仮設構造物の接合部の設計を行うことが
なったが差は小さく、同程度と言える。差し込み式接合もある程度の
できる。
強度はあったが、縦材を挿入する穴の調整加工が難しく施工性がかな
今回は仮設構造物への利用を想定し、耐久性については考慮しな
り低い。配管金具を用いた接合方法では高い強度を得ることができ
かった。しかし、孟宗竹の利用を促す上でこれは重要な問題であり、
た。
この点については今後の課題とする。
3 その他の性能評価
強度性能の他に価格性能、施工性能、一般的な構造物に使用する場
合と安全性をより重視した遊具に使用する場合の評価を行った結果を
図 4 に示す。明らかに強度の低い締具のみの接合と、施工性に問題が
ある差し込み式接合は除いている。ボルトを用いた接合は、貫通穴の
加工が必要であり、実際の施工現場では施工が難しいと考えられる。
ダボを用いた接合のなまし線使用は、安全性は低いが価格性能が非常
に高い。ユニバン使用は、安全性は高いがユニバンの剛性が低いため
に強度が落ち、なまし線よりも低い評価となった。よってダボを用い
た接合ではなまし線使用が最も適しており、推奨できる。配管金具を
用いた接合は、強度はあるが竹の外径によって強度が著しく低下する
ことがあり、ばらつきが非常に大きく危険である。ガセット板を用い
た接合の荷締ベルト使用はガセット板接合において施工性が高く、ま
たユニバンより強度も高いことからガセット板を用いた接合では荷締
[主要参考文献]
1)とやまの竹資源利用 ・ 整備促進検討会「とやまの竹資源利用 ・ 整備促進検
討会報告書」、2009
097
卒業研究・作品
孟宗竹の有効利用に関する研究
- 竹製遊具の提案 -
A Study on Utilization of BambooPhyllostachys
(
pubescens
)
Proposals for Bamboo Playground Equipment
山本 御聖
Yamamoto, Misato
造形建築科学コース
研究の背景と目的
い竹製遊具も定期点検で安全確保できるとわかった。
近年、安値で輸入される中国産のタケノコや竹材により、価格が
種類と数の調査を行い、「子どものための遊び環境」2) に準じた遊具 9
低迷し農家が生産意欲を失ったことや、竹製品の需要減少の影響に
種類と、複合遊具を加えた計 10 種類に分類した。その結果、過去に
より、管理されずに放置されている竹林が増加している。竹は生育
事故や怪我が多く報告された「バランス遊具」、「回転遊具」、「弾む遊
が早く繁殖力も高いため、植樹林や天然林に侵入し枯らす現象が起
具」の数が少なく、設置していない幼稚園も見られた。これら 3 種の
こり「放置竹林問題」と言われている。富山県においても、昭和 50
遊具は体幹を育てるための重要な遊具と思われる。起こった事故や怪
年時点で富山県内の竹林面積は 572ha だったが、平成 20 年には
我は、遊具そのものが可動し、その動きを予測できなかったことが多
1124ha まで拡大し、32 年間でおよそ 2 倍となった
。竹を使い続
くの原因であるため、遊具そのものが可動しない「バランス遊具」で
けることで竹林整備になるため、現代に適した竹の用途を開発し需要
あれば問題ない。「バランス遊具」のうち静止している「平均台」が
を創出することが課題としてあげられている。
竹製遊具に適していると判断した。
一方、高岡市の幼稚園 6 件、富山市の幼稚園 1 件を対象に、遊具の
1)
竹が過去に生活必需品だった文化を知ることが用途開発の糸口であ
る。また現代で竹を使用するのは幼稚園等の七夕飾り程度である。そ
こで竹を知ったばかりの幼児期に、よく触れる遊具等の形式で竹材利
遊具の予備的検討
用の文化に触れる機会を作りだすことが重要である。
孟宗竹で遊具を製作する際、遊具として効果的な形状、素人でも製
孟宗竹の青竹は虫害や腐敗しやすいことから、長期間の使用に不向
作できる簡単な作業工程について予備的検討を行った。
きである。よって短期間で竹材の交換が可能な用途であり、毎年行わ
竹細工のようなもの、竹垣のようなもの、竹の主な性質のしなりを
れる行事のような用途で簡単に製作できるものであり、かつ園児が使
利用したもの、曲がりを利用したもの、円筒形を利用したものの 5 点
用するものが理想的である。そこで本研究の目的は 1 年ごとに作り変
について検討した。この結果円筒形を利用する、竹の形状を残した簡
える幼児向け竹製遊具の可能性の検討・提案である。
素なものが、向くことが分かった。
幼稚園遊具の実態調査
孟宗竹の性能試験
幼稚園での遊具の管理方法を把握するため、管理、点検、修繕がど
性能試験は、孟宗竹の劣化具合を知るための屋外曝露試験と塗料比
のような方法・程度で行われているのか聞き取り調査を行った。対象
較試験、接合部と背割の程度を知るための乾湿繰返試験と乾燥試験の
は富山県高岡市内の幼稚園 6 件、富山県富山市内の幼稚園 1 件、愛知
4 試験を行い、遊具に使用する孟宗竹の性能を検討した。
県名古屋市内の保育園 1 件の計 8 件である。その結果、遊具使用の際
孟宗竹の青竹を屋外曝露試験した結果、設置 2 週間で竹材の劣化を
視認すること、長期休暇に業者を介した点検と修繕をすること、月に
一度職員が点検項目を実行することがわかった。よって、劣化しやす
図 1 幼稚園屋外固定遊具数の調査結果
098
写真 1 4 種類の乾湿繰返試験体
卒業研究・作品
確認し、屋外設置の場合塗料が必要なことが分かった。
塗料比較試験では、3 種の木材用保護着色料を青竹に塗布し屋外曝
露で比較した。結果、切断面のみ塗料の定着を確認し、キシラデコー
ルとタヤエクステリアの 2 種に塗料としての効果を確認した。
青竹を用いた遊具が乾燥収縮して接合部に緩みが生じることを想定
し、写真 1 に示したボルト使用の 4 種の接合で乾湿繰返試験をした結
果、バネ付き角座使用の接合が最も緩みにくかった。
この後、乾燥試験を 2 種行った。ボルトにバネ付き角座の接合がど
の程度で緩みづらくなるのか、また竹材の割れを防ぐための背割加工
に効果があるか試験を行った。接合部試験は竹材の含水率が気乾状態
でほとんど緩まなくなることを確認したため、遊具製作後の初期は接
合部の点検と締めつけを特に入念にする必要があることが分かった。
一方背割試験では、背割以外の割れを確認できず、指の通り抜けが簡
単にできる程開口することを確認した。よって紙やすりを使用して背
写真 2 試作 1 回目の 4 種類の竹製平均台
割部分を滑らかにする工程が必要だとわかった。
竹製平均台の設計及び試作
これまでの調査、予備的検討、性能試験の結果に基づき平均台を目
標に、より実現可能な遊具の形状を設計試作し評価を行った。写真
2 に示した 1 回目の試作において、土台の形状 3 種に加え接合部を変
えた計 4 種を保育士 5 名が評価した。結果、半割の土台がより導入し
やすいという評価を得た。これを受けた 2 回目の設計において足場の
形状を変えた 3 種を試作し、富山大学附属幼稚園の園児が実際に使用
し、7 名の保育士が評価を行った。この結果土台と足場を、設置する
場所と使用する年齢によって組み合わせが可能な平均台に改良するこ
とで、遊具として有効なことが分かった。
結論
写真 3 試作 2 回目の竹製平均台で遊ぶ園児
幼児向け竹製遊具として平均台の可能性を見出すことができた。父
兄が毎年遊具を作り変えられるよう製作マニュアルを提案した。
[主要参考文献]
1)とやまの竹資源利用・整備促進検討会「とやまの竹資源利用・整備促進
検討会報告書」、2009 年
2)ロビン・ムーア他編著、吉田鐡也・中瀬勲共訳『子どものための遊び
環境 計画・デザイン・運営管理のための全ガイドライン』鹿島出版会、
1995 年
099
卒業研究・作品
地域性を考慮した太陽光発電の発電量予測に関する研究
−気候および発電量低減要素の検討−
Energy Prediction Method of Solar Power Generation in Consideration of Locality
川合 夏美
Kawai, Natsumi
造形建築科学コース
1.研究背景
発電量低下の要因は、外気温度、モジュール面の汚れ、配電ロス、影、
環境問題を背景に、現在太陽光発電の住宅への普及が進められてい
ロスがあげられる。またモジュール温度については、屋根への設置方
る。住宅への太陽光発電設置に対する助成制度をはじめ、2012 年 7
法、モジュール種別による温度変化係数などが影響要因としてあげら
月からスタートした再生可能エネルギー固定買い取り制度は、太陽光
れる。
発電の住宅への普及、すなわち住宅のエネルギー消費における自然エ
これに対し、現在太陽光発電メーカーなどから Web やプログラム
ネルギー利用を飛躍的に進めている。
によって供給されている一般的な発電量予測では、影の効果や発電の
しかしながら、太陽光発電の導入に対しては、導入設置価格が高価
最適化によるロスは算入されていない。また現在の省エネルギー基準
であることや、導入結果の発電量、引いては売電価格の動向など、不
における算出手法においても、影、系統電圧差などの影響は個別条件
明確な部分も多く、経済性の観点から普及の妨げとなっている。また、
として取り扱われていない。
太陽光発電は、日射量およびシステム構成によって発電量が予測され
しかしながら、実際の設置では、設置角度、方位などを理想条件に
るが、北陸地域の発電量を考えた場合、北陸地域の日照時間が太平洋
することは難しく、一般的な発電量予測を下回ることがほとんどと考
側より低いことから、発電量が少ない。すなわち太陽光発電に不利な
えられる。そこで、本研究では、発電における電力低下の諸条件を考
地域としてのイメージがある。また、実際に太陽光発電を設置する場
慮し、一般的な発電予測に対する発電量低下の危険性を考慮し、理想
合、どのような方位、傾斜で設置することが、最も発電量が多くなり、
条件からの乖離を把握。設置条件による発電量低下の予測を行うこと
経済性が高くなるか等を考える必要があるが、発電量の正しい算出は
で、より現実に即した予測手法の発信、経済性検討の資料作成を行っ
地域、設置条件によって異なるため、設置箇所個々での算出が必要に
た。
配電系統の電圧差によるロス、変換ロス、電圧変化による系統連系の
なる。しかしながら現在発電量を正確に予測する方法は普及しておら
ず、地域での代表的な値をもって、経済性の予測が立てられている。
このような背景のもと、本研究では、現在の太陽光発電発電量の予
測手法について検討を行うとともに、高岡市での太陽光発電設置時の
設置条件と発電量の予測を行い、より正確な経済性予測手法の確立を
行うことを目的としている。
2.太陽光発発電量の算出方法
太陽光発電の仕組みを図 1 に示す。太陽光発電は光起電力効果に
よって太陽エネルギーを電気エネルギーに変換し負荷に適した電力を
供給するために構成した装置であるが、その発電量は発電モジュール
に対して JIS で定められており、発電容量に対する日射強度によって
特定される。発電された電力は、住宅内での消費、もしくは系統連系
を通じて売電を行うため、パワーコンディショナーによって交流に変
換される。
図 2 各種基準における発電量算出条件
3.地域の諸条件を考慮した発電量予測
発電量予測の事例として、高岡市二上地区での設置事例の検討を
行った。設置の条件を表 1 に示す。ここで、一般的な予測手法に対し、
本研究では、系統の電圧差による発電量の差異、最低発電量の設定、
図 1 住宅における太陽光発電の繋がり
系統電圧差による売電の不明分を考慮している。
発電量は標準気象データを用い、一時間ごとのモジュール温度、日
ここで、発電から消費(売電)までの過程における発電量の低下要
射量、風量変化を用いたシミュレーションによって 8760 時間の算出
因について整理を行う。
を行った。
100
卒業研究・作品
表 1 発電シミュレーション条件
表 3 システム出力への影響要素
表 2 シミュレーションのための日射量算出条件
シミュレーションの結果得られた、二上地区における太陽光発電の
発電量を、その他の計算条件と比較して表 4 に示す。シミュレーショ
シミュレーションに想定した設置条件に従い、パネル面への日射
ンの結果得られた設置容量 1kW あたりの年間発電量は、846kWh 程
強度の算出を行った。日射強度の算出は、表 2 に示すとおりで、拡
度であり、最も大きな発電量が算出された一般条件(太陽光発電シス
張 AMEDAS データの標準気象から、一時間ごとの水平面日射量を得、
テムメーカーのプログラム)によって算出された発電量 978kWh と
直散分離によって太陽光パネル傾斜面への日射強度を算出している。
くらべ、15% 程度も少なく、また、現在の省エネルギー基準によっ
計算の結果得られたパネルへの日射量と日平均気温を図 3 に示す。グ
て設定されている算出方法と比較しても、10 %程度少なく計算され
ラフ上では明確な比較が行えないが、パネル温度を時間ごとに算出
た。一般プログラム、および各種基準における発電量算出では、影の
し、発電量への温度補正を行うことで、より実態に即した発電量の算
要因やパネル間の電圧差による発電量の低下については、理想的な条
出が可能となっている。
件が与えられていることと、温度補正を時間ごとに算出することが困
難なことが、この出力差を生じた原因と考えられる。
表 4 シミュレーション結果
4.まとめ
本研究では、太陽光発電の発電量予測を詳細に行った場合、現在普
図 3 シミュレーションに用いた外気温度と日射量の変動
及している発電量算出方法と比較して、どの程度の差異が生じるかの
検討を行い、条件によっては 15% 程度の発電ロスが生じることが明
らかとなった。
次に、計算された日射強度に対し、システム部分の発電量への影響
現在、環境問題を背景に太陽光発電への期待は大きく、普及が望ま
項目を算入した。システム部分における発電量への影響要素を表 3 に
れているが、正確な発電量予測、ひいてはより効率的な発電を行うた
示す。出力に大きく影響するパネル温度は外界条件から 1 時間毎に求
めの設計、設置技術の普及は進んでいない。今後、傾斜と汚れ方、雪
められるが、その他の温度を除く総合設計係数は、0.68 となり、太
の落ち方など、設置条件による発電量の差を明らかにし、正確な発電
陽光発電発電量の 3 割以上が、パワーコンディショナーおよび回路、
量予測技術の普及、情報の発信が望まれる。
設置の設計によって損なわれている。
101
卒業研究・作品
孟宗竹の有効利用に関する研究
- 創己祭用出店テントの提案 -
A Study on Utilization of BambooPhyllostachys
(
pubescens
)
-A temporary hut of campus festival made from bamboo有貞 美保
Arisada, Miho
造形建築科学コース
1. はじめに
近年、日本各地で放置竹林が問題視されており 1)、ここ高岡キャン
パスの裏山でも孟宗竹が杉林へ侵食するほど拡大している(写真 1)。
キャンパス裏山という身近な場所の問題に対して、まず、芸術文化学
部生が竹について学び・関心を持つきっかけを作る必要がある。
また、本研究では孟宗竹を早生樹という観点から仮設用の建材とし
て注目した。これは、高岡キャンパスに竹を加工する道具や機械が
っていることと、孟宗竹に木材ほどの耐久性がないものの仮設用に
適していると言えるからである。
一方、富山大学芸術文化学部の大学祭(創己祭)用の出店テントは、
既製のテントを使用しており無機質でオリジナル性に欠けている(写
真 2)
。この出店テントに代わる芸文らしい出店テントを芸術文化学
部生は製作するべきと考える。
写真 1 高岡キャンパスの裏山に広がる孟宗竹林
これらの背景から本研究の目的は、芸術文化学部生がキャンパス裏
山の竹を利用した芸文らしい創己祭用出店テントを製作することとす
る。
2. 創己祭に使用されている出店テントの実態調査
現在、創己祭に使用されている出店テントは、サイズが 2 間× 3 間
(3.6m × 5.4m)の総重量およそ 100kg の一般的な鉄製テントであ
る。この出店テントにどのような問題点があるか把握することを目的
として、平成 24 年度の創己祭出店経験者らに聞き取り調査を行った。
その結果、柱の折り曲げによりテントの組立・解体を行うが、女子学
生の多い芸術文化学部生にとってこの力作業は負担が大きく、さらに
指を挟む危険性があること、出店テントのデザインに関しては各自で
装飾・デコレーションがしやすいシンプルな形状が求められているこ
と、現在のテントよりコンパクトなものが求められていること、がわ
かった。
この結果から、現在使用されている出店テントが必ずしも使用者に
とって最適だとは言えないことが判明し、竹製出店テントの設計に対
してもこれらを考慮する必要があることが分かった。
写真 2 平成 25 年度の創己祭の様子(前庭)
4. 接合部の強度試験
竹材の接合部は施工性能と接合部の納まりを重視し、合板ガセット
と安全荷締めベルトを用いた接合方法 2) を検討した。この接合方法の
3. 裏山の竹材の調査
強度性能を明らかにし、竹製出店テントに利用可能か調べるために門
キャンパス裏山がどの程度の外径の竹資源を有しているか把握す
ことを確認した。
るため、デジタルノギスを用いて竹の胸高直径を計 100 本計測した。
その結果、平均的な外径は約 11.5cm と判明し、これは十分に竹材
として利用可能な外径であることが分かった。
型フレームの肩部の強度試験を行った。その結果、十分な耐力がある
5. 竹製出店テントの設計・試作
これまでの調査結果及び試験結果に基づき、裏山の竹を用いた出店
102
卒業研究・作品
他大学にはない竹の青さが際立つ竹製出店テントのオリジナル性、創
己祭にみんなで製作した経験が思い出作りになる事等が評価されたと
判断できる。一方で、創己祭前は忙しくテントを製作することが面倒
だとの意見や、デザインの洗練さを望む声も挙げられた。
また、竹製出店テントが芸文らしさを表しているかどうかの問いに
は、6 割以上の人数が肯定的にとらえた。
なお、改良型の竹製出店テントの強度性能については、梁の部材に
人間 4 人がぶら下がっても大丈夫なほど堅牢であった。
7. 竹製出店テントの製作マニュアルの作成
改良型の竹製出店テントを芸術文化学部生が毎年の創己祭で製作で
写真 3 改良型の竹製出店テント
テントの設計方針を、次の通り決定した。
○テントのサイズは 1 . 5 間× 2 間(2 . 4 m × 3 . 6 m)、組立・解体を行
う際の人数は 4 人で行えること
きるよう、材料の調達方法から、必要な道具、作業工程、竹製出店テ
ント使用後の材料保管方法等を明記したマニュアルを作成した。
8. おわりに
本研究では、キャンパス裏山の孟宗竹を利用した仮設構造物を設計
○柱の折り曲げは怪我の危険を考慮して取り入れない分、風の強い日
した。具体的には、芸術文化学生が創己祭に芸文らしい竹製出店テン
や創己祭の中夜には容易に幕材を取り外し可能な工夫を施すこと
トを製作・利用することが可能となり、この竹製出店テントが毎年製
○構造はアレンジのしやすいシンプルな形状で、屋根に竹特有のしな
作されることにより、定期的に竹を伐採し裏山の環境整備へとつなが
りと割竹を使用することで軽量化を狙うこと
る。
○接合部には合板ガセットと荷締めベルトを採用すること
○竹材は無料で入手可能で廃棄方法も容易なため一度きりの使用で廃
棄、その他の有料な材料は来年も使用できるよう保管すること
これらの設計方針のもと、アーチ型屋根の竹製出店テントを設計・
試作し、実際に平成 25 年度の創己祭で使用し施工性能等を検討した。
その結果、テントのサイズや組立・解体人数等に問題はなかったが、
雨天時に雨水が前面、つまり客側へと流れてしまう問題が浮上した。
そこで屋根の形状が複雑になり施工性に影響するが、片流れ屋根に変
更し新たに庇を設けるよう改良した結果、雨水の問題は解決された
(写真3)。
6. 芸術文化学部生による改良型の竹製出店テントの評価
製作した改良型の竹製出店テントを芸術文化学部生(全 53 名、内
出店経験者 13 名)に実際に見てもらい、竹製出店テントを利用した
いかどうかについてアンケート調査を行った。結果は、自身も創己祭
で竹製出店テントを製作・利用したいかという問いに、出店経験者・
未経験者どちらも半数以上が「はい」と答え、全体では 6 割に上った。
これは、裏山の竹を利用するという発想や、庇を新たに取り入れた点、
[主要参考文献]
1)とやまの竹資源利用・整備促進検討会「とやまの竹資源利用・整備促進
検討会報告書」2009
2)斎田夏希「孟宗竹の有効利用に関する研究 ‒ 竹材の接合方法について ‒」
富山大学芸術文化学部卒業論文、2014
103
卒業研究・作品
三角縁神獣鏡の組織観察と成分分析
Microstructure observation and chemical analysis on the triangular rimmed deity and beast mirrors
栗田 佳之以
Kurita, Kanoi
造形建築科学コース
1. はじめに
奈良県天理市の黒塚古墳は、古墳時代前期(3世紀後半から4世紀
代)に築かれた大和古墳群のひとつである。平成9・10年にかけて
奈良県立橿原考古学研究所によって行われた発掘調査により三角縁
神獣鏡が33面も出土したことで脚光を浴び、貴重な文化遺産として
今後の研究が期待されている。三角縁神獣鏡は、縁の断面が三角形
であり、神仙と霊獣がモチーフとなっている鏡の総称である。全国
では400面以上の出土例があるが、中国から日本へ伝わったという
説がある一方、中国での出土例は見られないなど、
の多い鏡であ
り、多くの研究者の注目を集めている。本研究では、この三角縁神
獣鏡の成分を非破壊で明らかにし、今後、黒塚鏡に纏わる数々の
を明らかにするための基礎的データを提供することを目的とする。
図 1. 黒塚 6 号鏡(部分)
古代青銅鏡の分析例としては、まず近重眞澄氏による「東洋古銅器
の化学的研究」が初期の代表的な研究としてあげられる1) 。小松茂氏
と山内淑人氏らは、秦∼明の中国鏡50面、日本の古鏡3面を含む56
面を分析し、成分の種類と量によって6種類に分類した 2) 。また、田
辺義一氏による青銅器計84点の分析報告があり、そのうち41面が青
銅鏡である3) 。いずれも湿式法や発光分光分析などによる分析例であ
り、個々の分析位置においては精度の高いデータであると考えられ
る。三角縁神獣鏡の分析についていえば、村上隆氏による椿井大塚山
古墳出土の出土鏡25面についてのEPMAおよびSEM-EDXによる分析
報告例がある4) 。また、資料の破壊を伴わない分析としては、沢田正
昭氏が蛍光X線分析法による出土青銅鏡157面の分析を行った
5)
。文
化財保護の観点から、今日ではこうした蛍光X線分析法による非破壊
定量分析法が主流である。資料を全く傷つけることがないので、対象
が貴重な文化財であっても、安心して分析を行うことができるが、X
線の脱出の深さは数十ミクロンまでであるため、表面の情報しか得る
ことはできない。つまり、表面が腐食していたり、鍍金や偏析などに
よる成分の偏りがあったりする場合には、地金の正確なデータを反映
していない。状態のよい伝世品などでは、かなり資料の素材データを
正確に分析できると考えられるが、出土した考古遺物の場合は、表面
が厚い腐食層に覆われていることが多く、蛍光X線分析で地金の正確
な成分を知ることは、この腐食層を除去しない限り難しい。
黒塚古墳出土三角縁神獣鏡の鏡背面の銀白色部分のマイクロスコー
プ観察を実施した際、腐食が軽度で金属組織をそのまま観察できる領
域があることを発見した。図1は黒塚6号鏡の一部分であるが、鏡背
面の神像の付近で金属組織を検出できた。その後の調査で、鏡面側で
は組織観察できる領域が拡大することがわかった。本研究では、組織
観察から得られた組織写真を画像解析し、それぞれの金属相の割合を
算出することで、組成を明らかにすることに挑戦した。
104
図2.蛍光 X 線分析装置 ( 上 ) とデジタルマイクロスコープ ( 下 )
卒業研究・作品
2. 資料および調査方法
今回、調査の対象としたのは、黒塚古墳から出土した33面の三角
縁神獣鏡である。
図2に使用した蛍光X線分析装置並びにデジタルマイクロスコープ
の装置外観を示す。組織観察は図に示すように、鏡面側を直接観察
した。この際、3Dタイリング機能を用い、凹凸面でも広範囲でピン
トのあった画像を取得することができた。得られた金属組織画像を
Adobe Photoshop および三谷商事製画像処理ソフトWin ROOF を
用いて解析し、各相の面積率を求めた。
3. 結果および考察
まず、蛍光X線分析により、出土青銅鏡はいずれも、主要構成元素
50 μm
がCu、Sn、Pbの三元系青銅合金であることを確認した。図3(a)は
黒塚6号鏡から検出した金属組織である。α相およびα+δ共析相お
よびPb相で構成されている。α相は銅のFCC固溶体であり、δ相は
Cu 41 Sn 11 構造の金属間化合物相、共析組織はこのαとδが均一微細
に混在する組織をいう。高錫青銅では、α相はSnを最大16%固溶
し、δ相はSnを32%含む。PbはCuにほとんど固溶しないため、単
独で相を形成する。α相はδ相に比べて腐食しやすく、金属組織の
α相の部分が優先的に腐食している様子が観察できた。このため、
蛍光X線で定量分析を行うと、Cuが腐食流出した結果、相対的にSn
50 μm
が高い組成を示してしまう。
ただし、α相、δ相、Pb相はそれぞれ、本来の組成がわかってい
るため、これらの面積率を求めることによって、おおよその成分値
図 3 .黒塚鏡および試作試験片の鋳造組織の比較
(a) 黒塚 6 号鏡の金属組織
(b) 鋳造試験片(Cu-23Sn-3Pb )の金属組織
を計算することが可能である。図3(b)は、試作したCu-23Sn-3Pb
鋳造試験片の金属組織である。EPMAの点分析によりα相は固溶限
度のCu-16Sn組成、δ相はCu-32Sn組成であることを確認した。そ
表 1. 鋳造試験片の組織写真からの分析値および EPMA による分析値の比較
こで、この画像からα相、δ相、Pb相の面積率を画像解析によって
求め、全体の組成を計算したところ、表1の結果を得た。Pbの量は
本来の1/2と少なかったが、CuとSnの割合はほぼ、原材料の配合通
りとなり、本法によって、高精度に定量分析できることが明らかと
なった。Pbが少なくなったのは、偏析によるものと考えられるが、
蛍光X線のデータなどもふまえて補正すればよい。
本法で分析した結果、黒塚6号鏡の主要3元素の割合は、およそ
Cu78 %、Sn 19 %、Pb3 %となった。33面の分析データは、近日
中、公刊される黒塚古墳の調査報告書で公開する予定である。
[参考文献]
1)近重眞澄 1918「東洋古銅器の化学的研究」
『史林』第 3 巻 第 2 号 pp.1-35.
2)小松 茂・山内淑人 1937「古鏡の化学的研究」
『東方学報』8 巻 pp.11-31.
3)
Part 3. pp.261-319.
4)村上 隆 2011「三角縁神獣鏡の組成と金属組織…椿井大塚山古墳出土の
三角縁神獣鏡を中心に…」『学叢』第 33 号 pp.41-47
5)沢田正昭 1981「古鏡の化学」『日本の美術 古鏡』第 178号 pp.88-94.
105
卒業研究・作品
鍮器の製作技術の発生と伝承
Origination and technical tradition of Korean high tin onze
br ware
朴 廷模
Park, Jungmo
文化マネジメントコース
はじめに
れ、国家が必要に応じて鍮器を購入した。民間にも鍮器匠が多くなり、
韓国には、鍮器という伝統的金属工芸品がある。これは、錫 22%
韓国の鍮器を地域別に見ると、以北の山間地方では主に大きい鍮器
程度含有の高錫青銅である。図1は韓国で販売されている鍮器である。
匙、皿、鋺のほか、仏具や銅鑼など様々な製品が作られている。
この鍮器の製作方法には、
鋳造、
方字(鍛造)
、
バンバンチャ(半鍛造)
1)
の3種類がある。
図2に鋳造された鍮器鋺の鋳造直後の製品と鋳型
の様子を示す。生型鋳造で作られていることがわかる。鍛造、半鍛造
はいずれも熱間鍛造により成形される。これらの技法はいずれも、無
形文化財に指定された匠人(鍮器匠)が、その技術を後世に伝承して
いる。本研究では、鍮器の歴史を整理するとともに、その金属学的な
数多くの鍮器が製作されたが、地方ごとに差が現れ始めた。
が作られ、安城地方では小さい食器類や祭器などが作られた。
特に、鋳造は安城で作られたもの、方字は納淸で作られたものが有名
であった。安城の鍮器はソウルの兩班家で使う器が特別注文を受けて製
作された。韓国では特別に注文を受けて製作したことを
「マチュム」
と言っ
たので、ここから「安城マチュム」という言葉ができた。納淸で作られた
鍮器を「納淸良大鍮器」と言うが、ここでは比較的大きなものを鍛造し
たので
「良大」
という言葉が使われるようになった。北朝鮮では鍮器を
「良
大」と呼び、韓国では「方字」と呼ぶ。この他にも順天では鋳物鍮器と方
特徴を明らかにすることを目的としている。
字鍮器の製作方法を折衷した技法であるバンバンチャ鍮器がある。2∼6)
図1.韓国で販売されている鍮器の例
図2.鋳造直後の製品と鋳型
鍮器の歴史
鍮器の金属学的特徴
1)
鍮器とは銅に錫 22% 程度を含む高錫青銅をいう 。
鍮器の原形は
三国時代からみられるが、熱処理を施した現在の高錫青銅器は、統一
新羅時代(7C)のもので確認されている。その一部は日本にも伝えら
れて佐波理と呼ばれ、今も正倉院や法隆寺に保管されている。
文献上に鍮が初めて出たのは『三国史記』の新羅職官志の鐡鍮典で
ある。ここは景徳王(742 ∼ 7 65)時に設置された鉄器と鍮器類を製
造する機構で、当時新羅では鉄器と鍮器の生産に国家が関与した。高麗
時代に至ると銅器製作の技術が発達して、この頃上流層の家庭ではバ
ンチャ技法で製作した鍮器を食器に使い始め、その後、民間でも鍮器を
使うようになった。朝鮮時代に入ると、李圭景氏の『五州書種博物考辨』
(1832 年)には銅 80% に錫 20% の比率で配合すれば良いと記録され
ている。そして、銅と錫を溶解するとき銅の損失はあまりないが、錫の
図3.Cu-Sn 二元系平衡状態図(出典:Binary Alloy Phase Diagrams, ASM,1990)
損失は 5% 以内なのでこれを考慮して製作された。また、鍮器はより一
図3に Cu-Sn 二元系平衡状態図を示す。鍮器は常温では加工が難
般的になり、鍮器製造の専門人が集まって鍮器匠の町が各所で形成さ
しい。錫を 20%程度含む高錫青銅は軟らかいα相と硬くて脆いδ相
106
卒業研究・作品
からできているからである。
δ相は錫を 32% 含む金属間化合物であり
非常に複雑な結晶構造をしている。これを 586℃以上に加熱すると、
このδ相がβ相に変態する。
β相は BCC 構造であり、加工が容易にな
る。従って、塑性加工するときには 586℃以上に加熱して熱間加工が
施される。また、これが冷えると再びδ相が析出し、脆くなってしまう。
そこで、586℃以上に加熱した状態から水中に投入する焼入れという
熱処理が行われる。この熱処理は原子が拡散する時間を与えず、
δ相
の再析出を妨げる。焼入れは鋼を硬くする熱処理方法として有名であ
るが、高錫青銅においても実は行われている。但し、高錫青銅は硬く
て脆いδ相を消失し軟らかいβ相がでるように焼き入れをするので、
7)
硬さは逆に軟らかくなる。
図5.加工による金属組織変化 上:鋳造材、中:熱間鍛造、下:熱間鍛造で鋺にしたのち焼き入れをしたもの
図4.熱間加工に適した温度 ( 出典:非鉄金属および合金濱住松二郎、内田老鶴圃)
図4は加熱した青銅の Izod 衝撃試験のデータをまとめたもので、
加工の難しい脆性域が斜線で示されている。錫が 15%以下では、鍛
造可能温度域が低温側で広く、室温で加工しても割れにくい。15 ∼
18%では全ての温度域で鍛造が難しい。18%以上で熱間鍛造が可能
となる。錫が 22%になると熱間鍛造可能な温度域が広がって、作業
がしやすくなることがわかる。
図5はバンバンチャ鍮器の各工程における形態と金属組織である。
図6.高麗時代に製作された鍮器鋺(上)と皿(下)の外観と金属組織
鋳造品の組織はデンドライト状のα相と共析組織である。熱間鍛造
したものはデンドライトが破壊され、α相に双晶がみられる。また共
析組織もみられる。さらに鍛造加工を進め、これを焼き入れすると
α相とマルテンサイト組織となる。
韓国出土の鍮器の組織について
図6は高麗時代に製作された鍮器鋺と皿の外観と金属組織を示す。
いずれも、硫黄化合物の Cu₂S を含む。これは、現代の鍮器には見
られない不純物である。鋺は鋳造後、皿は熱間鍛造後、焼き入れして
作られたことがわかった。
[参考文献]
1)長柄毅一(2010)金属組織観察による高錫青銅の熱処理技術と製作技術
の解明、東亜文化第 8 号、(財)東亜細亜文化財研究院、273∼290
2)洪正實(1989)鍮器、大圓社
3)安貴淑(2002)鍮器匠、華山文化
4)李圭景、訳:崔炷(2008)五州書種博物考辨、學研文化社、91 ∼ 92
5)金夏廷(2006)作品「WAVE 」シリーズについて、68 ∼ 110
6)崔炷(1999)鋳造鍮器、大韓金属学会会報第 12 巻第 1 号、1∼ 9
7)長柄毅一(2010)現在のインド、韓国における高錫青銅器の加工と熱処理、
アジアの高錫青銅器、富山大学、23 ∼ 30
107
卒業研究・作品
難燃性マグネシウム合金の摩擦攪拌接合性
Study on weldability for friction stir welding of noncombustible magnesium alloy
中山 航太郎
Nakayama, Kotaro
造形建築科学コース
緒言
実験結果
マグネシウム合金は軽量で比強度が金属中最大であり、減衰能に
図2に一例として、AZX311について回転数2000rpm、移動速度
も優れているため、パソコンや家電・電子機器の筐体や音響製品部
100mm/minでの接合継手の外観を示す。接合部表面は平滑であり、
材など家電生活用品分野で利用されている。マグネシウム合金は
欠陥も発生せず良好な接合継手が得られた。図3は図2で示した接
670Kを越える温度から発火し易くなるため、耐火性が要求される建
合継手の断面マクロ組織および接合部の各部位でのミクロ組織を示
築、車輌、自動車などの分野での利用は限られていた。しかし、最
したものである。中央の撹拌部は再結晶組織であり、微細な結晶粒
近、カルシウム(Ca)の添加により、発火温度を200∼300K上昇
が形成された。ツール回転方向と移動方向が一致するAS側および各
させた難燃性マグネシウム合金が開発された 。今後は耐火基準の厳
方向が一致していないRS側でのTMAZ(熱機械的影響部)は、再結
しい建築・鉄道車輌分野などにおいて構造材としての応用が期待さ
晶温度以下ではあるが、塑性流動の影響を受けて組織は変形してい
れる。難燃性マグネシウム合金を構造材として利用するには、種々
た。図4に各材料の最適接合条件範囲を示す。AZX311はAZ31に比
の加工法の適用性を検討する必要がある。特に溶接性は重要な加工
べて無欠陥の条件範囲は狭いが、接合可能範囲は広くなった。
性能と言える。一般的にアーク溶接などの溶融溶接ではブローホー
図5に接合継手の硬さ分布を示す。図中のSZは撹拌部の領域を示
ルやマグネシウム酸化物であるスマットの巻き込みなどの欠陥や溶
し、点線は各母材の硬さを示す。AZ31の場合、撹拌部の硬さは母材
接変形の発生などの課題がある。
とほぼ同等であった。AZX311の場合、撹拌部の硬さは最大でHV80
1)
いっぽう、近年、母材を溶融せず固相状態で強固な接合が可能な
摩擦攪拌接合(Friction Stir Welding, FSW)法が開発された
2-4)
。こ
となり、母材に比べて高くなった。
図6にツールの移動速度を変化させた場合の接合継手の引張試験
の接合法は拘束冶具で固定した材料に、回転ツールと呼ばれる円柱
強度を示す。図中の点線は各母材の引張強さを示す。AZ31および
状工具を回転させながら押し付けることにより発生する摩擦熱によ
AZX311の接合継手の引張強度は移動速度に関係なく母材に比べて
り材料が融点以下の温度まで加熱され、内部で撹拌・塑性流動して
低下し、AZ31の場合で141∼161MPa、AZX311の場合で165∼
接合する方法である。FSWの主な特長として接合部である撹拌部で
185MPaであった。破断位置は全て撹拌部であった。母材強度に対
は再結晶により結晶粒が微細化すること、入熱量が少ないため溶接
する接合部強度の比率である継手効率はAZ31の場合で66∼75%、
変形が小さいことなどが挙げられる。そこで、本研究では難燃性マ
AZX311の場合で58∼65%とやや低い値であった。これは引張試験
グネシウム合金のFSW接合性に及ぼす接合条件の影響を明らかに
を接合したままの状態で行ったため、試験片表面の性状の影響を受
し、接合継手の組織および機械的性質について検討した。
けた可能性があるためと考えられる。
実験方法
結言
使用材料はAZ31およびAZ31にCaを1mass%添加した難燃性マグ
(1)難燃性マグネシウム合金の最適接合条件範囲を明らかにした。
ネシウム合金AZX311押出材を板幅70mm、長さ200mmに機械加工
(2)難 燃 性 マ グ ネ シ ウ ム 合 金 の 接 合 継 手 の 引 張 強 度 は 165∼
したものである。板厚はいずれも3mmである。これらの化学組成を
185MPa であり、継手効率は 58∼65% であった。
表1に示す。
図1に本研究で用いたFSW装置(日立製作所製)および接合ツー
ルの外観を示す。接合は2枚の試験片を突合せて、接合線を対称に
4ヶ所で固定し、試験片の端から25mmの位置でツールを挿入し、3
秒間保持した後、接合を開始し、接合長は150mmとした。
接合条件はツール回転数を1000∼3000rpm、移動速度を100∼
1000mm/minの範囲内で変化させた。ツールの前進角は3 °、ツール
の試験片への押込量を0.2mmとした。そして接合可能な最適条件範
囲を求めた。また、接合継手についてミクロ組織観察、硬さ試験お
よび引張試験により評価を行った。
108
[主要参考文献]
1)坂本満、上野英俊:部材の軽量化による輸送機器の省エネ化‐難燃性マ
グネシウムの研究開発‐;Synthesiology Vol.2 No.2 pp.127-136(Jun.2009)
2)中田一博 大阪大学 接合研究所:マグネシウム材料の最近の固相接合
技術(FSW )について;溶接学会全国大会講演概要 第 82 集(2008-4)
3)坂井裕司 関西大学 他:難燃性マグネシウム合金の接合特性;溶接学
会全国大会講演概要 第 78 集(2006-4)
4)山本尚嗣、廖金孫、中田一博:難燃性 Mg 合金の摩擦撹拌点接合および
抵抗スポット溶接;J.Japan Inst.Metals,Vol.74,No.5(2010),pp.307-313
卒業研究・作品
表 1.AZ31 および AZX311 の化学組成
図 4. 各材料の最適接合条件範囲
(◎:無欠陥、
⃝:未接合部有り、△:再現性なし、×:接合できない)
図 1. 摩擦撹拌装置と接合ツール
図 2.AZX311
の接合外観(2000rpm 、100mm/min )
図 5. 接合継手の断面硬さ分布(2000rpm 、500mm/min )
図 3.AZX311
の接合部のマクロ組織およびミクロ組織(2000rpm 、100mm/min )
図 6. 接合継手の引張強度
109
卒業研究・作品
難燃性マグネシウム合金のレーザ溶接
Laser Welding of Noncombustible Magnesium Alloy
牧 聡美
Maki, Satomi
造形建築科学コース
1.緒言
AZ31の場合、溶接速度1m/min、出力1.1kW以下で部分溶け込みと
マグネシウム合金は比重が小さく比強度が高く、電磁シールド性
は、2m/min以下の低速度で出力が2kW以上の条件範囲で割れが発生
なった以外はすべて裏波ビードを形成できた。しかしAZX311で
に優れているなどの長所がある反面、活性な金属で発火点が低いた
し、溶接ができなかった。このことからAZ31の方がAZX311よりも
め、鋳造や切削加工での発火など取扱いに注意を要する短所もあ
溶接可能な条件範囲が広いことがわかった。
る。最近ではCaなどの添加により難燃性を付与するなどの改善 1) が
図4に出力1.5kWの条件で溶接速度と溶接ビード幅の関係を示
なされ、構造材としての利用を可能にしてきた。マグネシウム合金
す。なお、表面のビード幅をWsおよび裏面のビード幅をWbとして
を構造材として利用するには溶接加工が必要となるが、従来のアー
示した。速度の増加と共に表、裏いずれもビード幅は狭くなる傾向
ク溶接 では、酸化反応で発生したスマットによる作業環境への影響
にあったが、裏面の方がその傾向が顕著であった。AZ31は蒸気圧の
や溶接変形などの問題がある。最近では、レーザ溶接や摩擦撹拌接
高い亜鉛の含有量が多いため、ビード幅が広がったと考えられる。
2)
合の適用について検討されている。特にビーム品質に優れたファイ
図5および6には、AZ31およびAZX311の硬さ分布を示す。硬さ
バーレーザを用いた溶接の研究が行われている3) 。
は突合せ溶接した3条件の溶接部での板厚中心部で測定した。AZ31
本研究では、ファイバーレーザによる難燃性マグネシウム合金の
は母材と溶融部の硬さに変化は見られなかったが、溶融部の硬さの
溶接性を明らかにするため、最適溶接条件や接合継手の組織、機械
ばらつきは母材部に比べて小さくなった。これは母材の結晶粒が溶
的性質について検討した。
融部では微細で均一になったことに起因すると考えられる。一方、
2.
供試材料および実験方法
AZX311は母材部に比べ、溶融部はやや低下した。これは結晶粒サ
イズが粗大化し、軟化したためと考えられる。
図7にAZ31およびAZX311の溶接継手の引張破断強度を示す。い
供試材料は、カルシウム(Ca)を約1wt%添加した難燃性マグネシウム
ずれの材料も継手強度は母材の強度を下回った。また、条件を変化
合金AZX311およびAZX611の押出材(厚さ3mm)である。比較のために
させても強度の差はほとんどなかった。図の下にはそれぞれの条件
マグネシウム合金AZ31およびAZ61も使用した。実験にはファイバー
での継手効率と破断位置を示す。AZ31ではいずれも母材部で破断
レーザ加工機(IPG製、最大出力7kW、波長1,070nm)を使用し、ビード
し、継手効率は87∼90%程度となった。AZX311ではいずれも溶接
オンプレート溶接および突合せ溶接を行った。図1に本実験で使用した
部で破断し、継手効率は67∼80%と低い値を示した。これは溶融部
ファイバーレーザ加工機の発振器(a)および溶接状況(b)を示す。
が軟化したことが一因であると考えられる。
ビードオンプレート溶接では、レーザ出力を1∼3kW、溶接速度を
0.5∼4.5m/minと変化させた。突合せ溶接では、レーザ出力1.5、2.0
および3.0kW、溶接速度1.5、2.0および3.5m/minの3条件行った。な
4.結言
お、すべての条件で焦点位置は試料表面とし、酸化防止のためシールド
難燃性マグネシウム合金についてファイバーレーザ溶接の適正溶
ガスにアルゴンガスを用いた。ガス流量は20L/minとした。
接条件範囲を見出し、溶接継手の組織の特徴、硬さおよび引張強度
溶接後、溶接ビード外観観察、断面組織観察、硬さ試験および引
など機械的性質を明らかにした。
張試験により評価検討した。
3.
実験結果および考察
図2はAZX311について出力1.5kW、溶接速度1.5m/minの溶接条
件における溶接ビード外観および溶接部のミクロ組織である。溶接
ビードは裏側まで貫通しており、ビード幅は約2mmであった。溶接
部の組織は、溶融境界から内部に向かって粗大なデンドライト状の
組織が成長し、中央付近では等軸晶的な組織が観察された。本条件
では、内部割れやブローホールは一部を除き観察されなかった。
図3にAZ31およびAZX311の裏波溶接可能な条件範囲を示す。
110
[主要参考文献]
1)坂 本 満、上 野 英 俊:部 材 の 軽 量 化 に よ る 輸 送 機 器 の 省 エ ネ 化;
Synthesiology、Vol.2 No.2(2009)、pp.127-136
2)上山智之、中田一博:難燃性マグネシウム合金の溶接性;軽金属溶接、
Vol.50No.4(2012)、pp.140-144
3)Y u j i S a k a i , K a z u h i r o N a k a t a , T a k u y a T s u m u r a , M i t s u j i
Ueda , Tomoyuki Ueyama , Katsuya Akamatsu : Fiber Laser
Welding of Noncombustible Magnesium Alloy ;Materials Science
Forum,Vols.580-582(2008),pp.479-482
卒業研究・作品
図 1. ファイバーレーザ加工機外観(a)および溶接実験状況(b)
図 5.AZ31 溶接部の硬さ分布
図 2. 溶接ビード外観(a)および溶接部断面ミクロ組織(b,c )
図 6.AZX311
溶接部の硬さ分布
図 3. 適正溶接条件範囲
図 4. 溶接速度がビード幅に及ぼす影響
図 7. 溶接継手の引張強度
111
卒業研究・作品
ミシン縫製作業環境の人間工学的研究
Ergonomic study of sewing machine workstations
吉田 知世
Yoshida, Tomoyo
デザイン情報コース
要旨
座面の差尺が被験者の身長の 3/17 となるように調節した(小原、
1971)
。椅子は全条件同じ高さとした。被験者は模擬ミシンに設置さ
ミシン縫製作業には、長時間椅座位姿勢を維持しなければならない
れたボールペンで 2mの紙テープ上に線を引く作業(以下模擬縫製作
点と手元が見えにくい点という2つの問題がある。これらは腰痛の原
業)を行った。線の引き方は、右手で紙テープを前方に引き、左手で
因であり、改善する必要がある。本研究では、一般的な作業台条件と
紙テープを押さえることとした。作業台条件は通常条件・腋下高条件・
手元が見えるよう配慮した2種類の作業台条件(腋下高条件・傾斜条
傾斜条件の 3 条件とした(図1)
。3 条件の実験順序は被験者毎にラ
件)で実験を行った。測定項目は、主観評価(見えやすさ感・作業し
ンダムとした。はじめに全条件で 2 回ずつ練習を行った。その後、各
やすさ感)
、作業時間、筋電図(僧帽筋・脊柱起立筋)
、前傾角(頭頸部・
条件 3 回ずつ測定を行った。ただし、模擬ペダルを踏み忘れる、紙テー
体幹部)であった。腋下高条件、傾斜条件で手元の見えにくさを改善
プから線がはみ出す等のエラー時は再試行を行った。
できた。全条件で作業時間はほぼ同等であり、
作業性は保たれていた。
測定項目は、主観評価(見えやすさ感・作業しやすさ感)
、作業時間、
腋下高条件は、他条件と比較して肩の筋負担が大きかったが、良い姿
筋電図(僧帽筋・脊柱起立筋)
、前傾角(頭頸部・体幹部)であった。
勢で作業することができた。傾斜条件は、作業姿勢に課題が残るが、
主観評価は VAS 法を用いた。測定時は被験者の左側面から動画の撮
肩の筋負担を軽減する傾向が見られた。
影を行った。作業時間は撮影した動画から測定した。僧帽筋
(左側上部)
の 筋 電 図 に は 肩 関 節 挙 上 時 の 最 大 筋 収 縮 を 用 い、%MVC(MVC:
はじめに
Maximum Voluntary Contraction)に換算した。脊柱起立筋(第三腰
ミシン縫製作業は長時間椅座位姿勢で作業しなければならない。椅
1990)最高到達時の筋収縮を用い、%FRT(FRT:Functional Reach
座位姿勢では、
腰椎の前彎が消失し椎間板への負荷が大きくなるため、
Test)に換算した。頭頸部前傾角は、頭頂点と頸椎点を結んだ線と頸
椎左付近)の筋電図にはファンクショナルリーチテスト(Duncan ら、
腰痛となりやすい。橋本ら(2005)は、良い座位姿勢について「脊
椎点を通る鉛直線のなす角とした。体幹部前傾角は、頸椎点と転子点
柱の生理的彎曲をいかに保持できるかが座位における正しい姿勢の焦
を結んだ線と転子点を通る鉛直線のなす角とした。被験者には前傾角
点となる」と述べている。この彎曲は立位時に保持しやすい。縫製工
を測定するため、頭頂点、頸椎点、左転子点にマーカを貼付した。前
場の中には、立位姿勢でミシン縫製作業を行うところもある。だが、
傾角は、撮影した動画の作業開始 10 秒後の静止画像から測定した。
ミシン縫製作業時は片足でペダルを操作する必要がある。立位姿勢を
腋下高条件
通常条件
長時間続けることは体への負担が大きい。ミシン縫製作業では、良い
座位姿勢での作業が理想である。
作業台は手作業に適した高さに設計されている。しかし、この高さは
縫い目の注視に適していない。それゆえに、作業者は手元を見るため背
750mm
身長の
3/17
傾斜条件
腋下前点
座位
腋下高
10°
750mm
中を丸めて作業している。手元がよく見えれば、良い姿勢で作業できる
であろう。本研究では、一般的な職業用ミシンの作業台条件(以下通常
条件)と手元が見えるよう配慮した2種類の作業台条件を比較した。
方法
実験には模擬職業用ミシン(以下模擬ミシン)を用いた。模擬ミシ
ンには、ミシンの針にあたる位置にボールペンを設置した。作業台は
作業面の高さや角度を変えることができる。床面には踏むと音が鳴る
模擬ペダルを固定した。椅子は、幅 200× 奥行き 310× 座面高
465mm の背もたれのないものを使用した。椅子は高さ調節できるよ
う、リフター上に設置した。
被験者として健康な女子大学生 10 名が実験に参加した。作業は椅
座位姿勢で行った。椅子の高さは、通常条件時に作業台上面と椅子の
112
図1.各作業条件(上段)における作業姿勢(中段)と手元の見え方(下段)
通常条件(左)
:作業台高を一般的な職業用ミシンと同じ、750mm とした。
腋下高条件(中央)
:作業台高を各被験者の座位時の腋下前点に合わせた。
傾斜条件(右:
)作業台を 10 °
前傾させ、作業台の最高到達位の高さを750mm とした。
卒業研究・作品
結果と考察
手元の見えやすさ感の結果を図 2 に示す。通常条件、腋下高条件、
傾斜条件ともに有意に高かった。また、腋下高条件、傾斜条件の結果
はほぼ同等であった。よって作業台の高さを上げる、または傾けるこ
とで手元の見えにくさが改善できたといえる。また、作業しやすさ感
見えやすさ感(点)
傾斜条件のときそれぞれ、25.5±19.2、81.8±9.6、71.3±18.7
点(平均値 ± 標準偏差)であった。通常条件と比較して、腋下高条件、
100
と作業時間に有意な効果は見られなかった。よって、どの作業台条件
きくなると考えられる。一方、有意な効果はみられないが、傾斜条件
は最も筋活動量が小さい。他条件と比べ、肩に負担をかけず作業でき
る傾向がみられた。
脊柱起立筋活動量の結果を図 4 に示す。脊柱起立筋活動量は、通常
腋下高条件時の脊柱起立筋の筋活動量が大きいことがわかる。姿勢を
は、脊柱起立筋の筋活動量が増え、頭頸部・体幹部の前傾角が小さく
なっていた。このことから、良い姿勢で作業できていたといえる。傾
斜条件では、
頭頸部・体幹部が前傾している被験者もいた。実験終了後、
「作業台に合わせて体を前傾させた」と話しており、原因の一つだと考
えられる。だが、作業時の姿勢をみると腰椎の前彎は保たれているよ
うであった。骨盤傾斜角から腰椎の前彎について考察する必要がある。
傾斜条件
)
僧帽筋
25
20
15
10
5
通常条件
腋下高条件
図3.僧帽筋の筋活動量(平均値+標準偏差、
傾斜条件
)
60
筋活動量(%FRT)
見えにくさの改善に有効であることが明らかとなった。腋下高条件で
、**: < .
0
保持するために脊柱起立筋がはたらいたのだと考えられる。
結果のまとめを表1に示す。本実験より、腋下高条件、傾斜条件は
腋下高条件
30
条 件、腋 下 高 条 件、傾 斜 条 件 の と き そ れ ぞ れ、30.7±15.8、
36.0±15.6、28.3±16.1%FRT(平均値 ± 標準偏差)であった。
20
通常条件
筋活動量(%MVC)
僧帽筋の筋活動量が大きかった。長時間作業を続ければ肩の負担は大
40
図2.見えやすさ感の結果(平均値+標準偏差、
下 高 条 件、傾 斜 条 件 の と き そ れ ぞ れ、13.2±5.8、16.5±9.3、
10.8±7.3 %MVC(平均値 ± 標準偏差)であった。腋下高条件では
60
0
も作業性は保たれていたと考えられる。
僧帽筋活動量の結果を図 3 に示す。僧帽筋活動量は、通常条件、腋
80
脊柱起立筋
50
40
30
20
10
0
通常条件
腋下高条件
図4.脊柱起立筋の筋活動量(平均値+標準偏差、
傾斜条件
)
ペダルの位置を含めた座位姿勢の検討と作業時の骨盤傾斜角による
作業姿勢の評価については卒業論文本編で検討している。
通常条件
腋下高条件
傾斜条件
見えやすさ
[主要参考文献]
○橋本昌栄・藤原禎子・藤塚千秋・藤原有子・米谷正造・木村一彦
(2005).
高さが一定の机と椅子を使用する学生の使用感と姿勢について. 川崎医療
福祉学会誌 , 15 (1), 309-315.
○Duncan, P. W., Weiner, D. K., Chandler, J., & Studenski, S. (1990). Func
tional reach : a new clinical measure of balance. Journal of gerontology,
45 (6), M192-M197.
○小原二郎 (1971). 暮らしの中の人間工学 . 実教出版 pp. 62-69.
作業しやすさ
作業時間
僧帽筋
脊柱起立筋
表1.結果のまとめ
113
卒業研究・作品
スーパーマーケット陳列作業姿勢の研究
Study of working posture in supplying merchandise to supermarket shelves
白幡 龍之介
Shirahata, Ryunosuke
デザイン情報コース
要旨
件、腰条件、膝条件、踝条件の5条件とした。それぞれ被験者の肩峰
高、肘頭高、転子高、膝蓋骨中央高、外果端高に棚板の高さを合わ
スーパーマーケットで行われる陳列作業は職業性腰痛の一因であ
せた。評価にOWAS法を用いるため、被験者の頭頂点、第7頸椎
る。しかし、陳列作業姿勢の問題点は明らかにされていない。本研
点、肩峰点、上腕外側上顆点、橈骨茎突点、転子点、大
究では模擬陳列作業を行い、陳列作業の問題点を明らかにした。実
顆、外果端点、踵点、爪先にマーカを貼付した。被験者左側方、後
験条件は肩条件、肘条件、腰条件、膝条件、踝条件の5条件とした。
方にビデオカメラを設置し動画を撮影した。実験終了後、記録した
OWAS法を用いてACの出現割合から各条件の姿勢負担・改善要求度
ビデオ映像から姿勢評価用の画像を作成した。画像データは1秒に1
を比較した。実験の結果、踝条件で姿勢負担・改善要求度の高いAC
枚作成した。作成した画像から被験者の体に貼付したマーカを元に
4の姿勢が最も多く出現した。また膝条件では全作業面高のなかで
スティックピクチャを作成した。スティックピクチャから姿勢コー
AC3の姿勢が最も多く出現した。以上のことからより低い条件での
ドを求めた。AC判定表を用いて、記録した姿勢コードからACを求め
作業姿勢を改善する必要があると言える。
た。なお、姿勢コード表、AC判定表ならびにOWAS法の評価手順の
はじめに
られるが、それを元にAC出現割合を求めた。
骨外側上
詳細については卒業論文本編に記載した。1条件に300のACが求め
スーパーマーケットでの陳列はごく一般的な作業である。陳列作
業は商品補充のみならず店内の印象に大きく関わるため頻繁に行わ
鉛直線
鉛直線
体幹前屈角
れる。陳列作業はしゃがみ姿勢や前屈姿勢を多用するため、スー
頭頂点
第7頸椎点
パーマーケット業務における職業性腰痛の一因であるという(岸田,
1991)。職業性腰痛に関する先行研究は数多くなされている。しか
転子点
し、スーパーマーケットにおける陳列作業に着目した研究は行われ
体幹側屈角
上後腸骨稜点
上後腸骨稜点
ておらず、陳列作業姿勢の問題点が明らかにされていない。
作業姿勢の研究には、作業負担を測り問題改善のための指標とす
下肢屈曲角
る目的から、姿勢評価法が多く用いられる。姿勢評価法は大きく分
けて自覚症状調査、作業姿勢分類法、専門の機器を使用し姿勢を評
外果端点
価する方法の3つに分けられる。作業姿勢分類法の中にはOWAS法
(karhuら,1977)がある。OWAS法は最も簡便で広く用いられてい
る。ある時点の作業姿勢を背部・上肢・下肢・重さごとに評価し、姿
図 1. 側面角度算出位置(左)と背面角度算出位置(右)
勢コードで記録する。その際に使用する各関節角度を図1に示す。そ
の後記録した4つの姿勢コードと判定表を用いて評価基準AC (Action
強い
Categoly,図2)を求める。 それを元に作業工程内のAC出現割合を求め
姿勢評価を行う。陳列作業では、陳列棚の高さの違いから姿勢変化も
多い。本研究ではOWAS法を用いてACの出現割合から各条件を比較
した。陳列作業における腰痛の原因となる棚の高さや姿勢を明らかに
することを目的とした。
方法
健康な大学生8名(男性2名,女性6名)が実験に参加した。実験は
模擬作業棚を用い、同一棚板上での重りの前後方向積み替え作業を
姿
勢
負
担
・
改
善
要
求
度
AC4 :
AC3 :
AC2 :
弱い
AC1 :
この姿勢は筋骨格系に有害である。
ただちに改善すべきである。
この姿勢は筋骨格系に有害である。
できるだけ早期に改善すべきである。
この姿勢は筋骨格系に有害である。
近いうちに改善すべきである。
この姿勢による筋骨格系負担はない。
改善は不要である。
行った。作業は一定のテンポ(60)で5分間行った。重りは500gの
精米を密閉袋に袋詰めしたもの3袋用いた。作業条件は肩条件、肘条
114
図 2.AC (アクションカテゴリー)の姿勢負担・改善要求度
卒業研究・作品
結果と考察
問題となる作業面条件ついて考える。各条件でのAC出現割合か
ら、作業面が低くなるほど改善要求度の高い姿勢を取らざるを得な
各条件での典型的な作業姿勢のスティックピクチャとACの判定結
いと考えられる(図5)。このことから作業面が低いときの作業姿
果を図3に示す。肩条件では「体幹まっすぐ・上肢は肩より上・下肢
勢を優先的に改善する必要があるといえる。その中でもAC4の姿勢
まっすぐ」という姿勢であった。この姿勢はAC1に分類される。肘
が最も出現したのは踝条件であった。さらに踝条件の作業姿勢は
条件では「体幹前屈・上肢は肩より下・下肢まっすぐ」という姿勢で
AC4、AC3のみであった。そのため踝条件が最も改善すべき条件と
あった。この姿勢はAC2に分類された。腰条件では「体幹まっす
いえる。
ぐ・上肢は肩より上・下肢屈曲」という姿勢であった。この姿勢は
次に問題となる作業姿勢について考える。前屈、側屈、下肢屈曲
AC2に分類される。膝条件では「体幹前屈・上肢は肩より下・下肢
の場合、AC4に分類される。前屈と下肢屈曲の場合、AC3に分類さ
屈曲」という姿勢であった。この姿勢はAC3に分類される。踝条件
れる。このことから作業姿勢の問題は、体幹と下肢屈曲が同時起こ
では「体幹前屈かつ側屈・上肢は肩より下・下肢屈曲」という姿勢
る場合といえる。
であった。この姿勢はAC4に分類される。
以上のことを踏まえ、陳列作業姿勢の改善策の提案も行ったが詳
各条件でのAC出現割合を図4に示す。肩条件での作業ではAC1の
細は論文本編に記載した。
作業姿勢が100%であった。肘条件ではAC2の作業姿勢が最も多
く、全体の85.8%出現した。続いてAC1が9.5%、AC3が4.2%、
AC4が0.5%出現した。腰条件ではAC2の作業姿勢が最も多く、全
体の82.8%出現した。続いてAC3が14.8%、AC4が2.0%、AC1が
0.4%出現した。膝条件ではAC3の作業姿勢が最も多く、全体の
[主要引用文献]
79.3%出現した。続いてAC4が13.6%、AC2が7.1%出現した。膝
条件においてAC1は出現しなかった。踝条件ではAC4の作業姿勢が
最も多く全体の60.1%出現した。続いてAC2が39.9%出現した。
踝の棚においてAC1、AC2ともに出現しなかった。
○岸田孝弥
(1991). スーパーマーケット従業員の労働負担.
産業医学, 33 (4),
268-269.
○Karhu, O.
, Kansi, P., & Kourinka, I. (1977). Correcting working postures in
industry : A practical method or analysis. Applied Ergonomics,
8, 199-201.
作業面
肩
条件
肘
条件
腰
条件
膝
条件
踝
条件
作業姿勢
AC
1
肩
条
件
2
肘
条
件
2
肩
条
件
作
業 腰
面 条
条 件
件
3
4
膝
条
件
踝
条
件
踝
条
件
0.0%
20.0%
AC1
図 3. 典型的な作業姿勢と AC
40.0%
60.0%
AC 出現割合(%)
AC2
AC3
80.0%
100.0%
AC4
図 4. 各作業面条件の AC 出現割合
図 5. 作業面条件による各部位屈曲の比較
115
卒業研究・作品
地場産業における産業体制の変化と
その中での職人の役割
Change of industrial organization in the local industry and the role of the craftsman in it
古川 優月
Furukawa, Yuzuki
デザイン工芸コース
1 第二の産業分水嶺
ディネーターとしての地位であり、この仕組みが生産の効率化、近代
本論文は、『第二の産業分水嶺』という概念を理論的背景としてい
この問屋制工業体制が成り立つためには、問屋の強い経済力・経営
る。これはマイケル・J・ピオリとチャールズ・F・セーブルが、世
力と共に、製造業者が分業化されており、大量生産が可能な技術力を
界各地の産業集積の実証研究を元に提唱した概念である。そこでは、
持っている必要がある。同時に、製造業者の分業化は技術の近代化に
大量生産システムを可能とした産業革命を最初の分水嶺(つまり転換
伴い進んでいった。鋳造業、彫金業、着色業、研磨業それぞれの分野
期)と考えており、情報化・知識化が進む今日では、再び、分水嶺(第
で機械化や新しい技術の登場によって生産性は上がり、各分野の産業
二の産業分水嶺)を迎え、専門的知識を元に柔軟な生産体制を有する
的独立とその中でも細分化が進んでいった。
小規模ネットワーク型の生産が可能となったとの主張である。
製造業者は商品の行程の一部分のみを担当するようになり、完成品
今日では、柔軟な生産システムを兼ね備えたクラフト的生産システ
を手にするのは問屋だけになった。銅器問屋は各工場に対して商品完
ムへと移行しており、井波と高岡は、現在の状況から脱して、体制を
成に至るまでの指示と管理を行った。それは部品や完成製品の品質管
変えていくことが求められる。しかし、高岡と井波では、最初の分水
理、保管、包装など全てにおいてであり、また完成製品の売り込みも
嶺における対応に差があり、柔軟な生産体制へと移行するプロセスが
問屋によって行われた。
異なる。本論文では、その違いを明らかにした上で、第二の産業分水
嶺に移行する道筋を示したい。
化を促進したと言える。
(3)工場の集約化と量産モデルの行き詰まり
工業団地の建設及び銅鉄器企業立地の移動は、高度成長期であっ
た昭和 30 年から 40 年代にかけての大きな変化のひとつである。昭
量産型モデルの分析(高岡銅器)
和 42 年に整備された長慶寺のアルミ鋳物団地をはじめ、昭和 53 年
最初に、生産と流通の近代化、工場の集約化に照準を当て、量産型
器企業が移転した。その結果、発祥の地でありそれまで金属関係の企
モデルとしての高岡銅器のこれまでを整理しておきたい。
業がひしめき合っていた金屋町とその周辺地域から多くの企業が郊外
(1)生産
には、戸出栄町に高岡銅器団地が整備され、それと共に数多くの銅鉄
に移転し、昭和 60 年には金屋町で営業をしている銅器卸売業は総数
高岡銅器の近代化は、明治 20 年代に始まった。明治 27 年には、富
142 社中 10 社、製造業は 182 社中 14 社にまで減少した。
山県工芸学校が高岡に創設され、産地を担う人材の育成だけでなく、
郊外移転の主な要因は高度成長期に伴う様々な変化であると考えら
彫金や鋳物の技術的研究、新製品の開発、現職技術者による実地指導
れる。昭和 30 年代から始まった技術設備の改善と、新素材の活用に
など、産学協同の事業も行われた。また、明治 30 年代の後半から機械
よる量産体制へ対応するためにはより広い土地が求められたこともそ
の導入も進み、明治 36 年には高岡市が市内の鋳物業者に対して、新
の理由のひとつである。また市街地における変化も見逃せない。国、
式の機械を設備するよう奨励も行われ、その結果、近代設備が急速に
県、市の行政指導による一連の近代化推進政策の影響も大きく、工業
普及することとなった。大正 2 年には高岡市中川に富山県工業試験場
団地の開設などはその結果であると言える。
が創設され技術の近代化に大きな役割を果たした。
これらのことから、国や県の「指導」によって、郊外の拠点で機能
試験場では様々な研究・開発が進められ、銅器生産の近代化を後押
集約を進め、効率化を進めたことも、結果、生産額を大幅に拡大した
しし、大正 7 年には高岡銅器の量産化を可能にし、画期的な発展を促
ことに繋がった。反面、中心市街地の中でクラフト的に行われてきた
した生型鋳造の開発・事業化に成功する。これ以降は、電気モータや
生産機能は、生産額で評価する限りでは、拠点ではなくなっていった。
グラインダー、機械ロクロの導入が進むと共に生型鋳造による一貫作
次に販売額の推移について見てみよう。昭和 50 年には 233 億だっ
業が主流になっていった。また、五具足仏具の量産や大衆向け仏具の
た販売額は上昇していき平成 3 年に 374 億円とピークを迎えた。し
大量製造が始まるなど、生型鋳造は量的には大正から昭和にかけて高
かし平成 10 年には、昭和 50 年当時と同程度(250 億円程度)にま
岡の製造業の主流を占めるようになった。技術は格段に進歩して、仏
で生産額が減少し、さらにその後も減少傾向に拍車がかかり、平成
壇仏具の量産化が進んだ。
22 年には実に 120 億円にまで落ち込んでいる。これは、平成 3 年の
(2)流通
374 億円と比較すると、3 割程度にまで減少したことになり、需要面
近代化の要素として、問屋制工業体制の成立は欠かせない。高岡銅
からみれば、「バブル崩壊」後の国内需要が減少したことが大きな要
器において、それが確立したのは明治の終わり頃である。高岡におけ
因であろう。さらに、供給面からすれば、明らかに「過剰生産」であっ
る問屋の役割は、原料の仕入れから加工、着色などを指示するコー
たと思われる。そのため、「需給ギャップ」が拡大し、大量生産体制
116
卒業研究・作品
が明らかに限界を迎えたと言える。
水嶺を経て、大量生産体制から新たな産業体制へ変わってきている。
大量生産体制が駆動するのは、より経費の安い場所で作り、安く大量
高岡は、第一の産業分水嶺後政策的に量産型の産業システムへと舵
に販売する原理であるため、それが、中心市街地から郊外へ、そして海
を切った産地である。第二の産業分水嶺を超えた今、高岡の場合は新
外へとシフトしていくのは、まさに合理的な選択であり、その結果、国
たな産業体制、すなわち柔軟な生産体制へと移行しており、それは以
内の生産量が減少したことは「理に適っている」と言える。それは、国
前のクラフト型への回帰に近い動きになると考えられる。従って、高
内でみる限り、大量生産体制を支えた「規模の経済」原理が働かないこ
岡の課題はどのように第二の産業分水嶺を乗り越えるかという所にあ
とを意味しており、ここに「第二の分水嶺」があると考えられるのだ。
る。そのためにはまず、量産型の生産体制への移行の際に消えてし
2 クラフト型生産モデルの分析(井波彫刻)
まったクラフトコミュニティをどう町中に再構築していかなくてはな
らないのかを考える必要がある。
それに対し井波は、第一の産業分水嶺後量産型の産業体制へは移行
富山県には、高岡とはまた違った方式で生産を続けている産地があ
せず、クラフト型の生産システムを継続した産地である。井波の課題
る。南砺市井波町の伝統工芸、井波彫刻である。江戸時代の社寺彫刻
はかつてのクラフト型の生産システムをいかに現代に合ったものに
に起源を持つ井波彫刻は、その後発展を遂げ、住宅用欄間、獅子頭、
バージョンアップさせるかという所にある。従って、井波において、
天神様、衝立をはじめ様々な木彫彫刻を開発・生産している。現在も
クラフトコミュニティはずっと町中あるものの、やや停滞しており、
井波町を中心として二百名程の彫刻師が仕事をしており、全国から注
それをどう時代に即応した新たなクラフトコミュニティに再構築すべ
文を受けている。
きなのかを考える必要がある。
井波彫刻は寺社建築の中のひとつとして始まったため、明治以降も
第二の産業分水嶺後の新たな産業体制型はかつてのクラフト型と多
需要の大部分は寺社をはじめとする建築彫刻であった。しかし、建築
くの共通項を持つが全く同じものではない。以前のクラフト型の生産
彫刻だけでは需要が安定せず、販路の拡大は望めなかった。そのため、
システムに戻るのではなく、情報革命によってアップデートされた今
彫刻師達はそれまで寺社装飾に使われてきた欄間を転用し、1920 年
の時代に合ったクラフト型の生産システムである。そこには今の時代
代に住宅用の欄間を開発した。個人向け製品として、獅子頭、衝立、
の環境、特に情報環境なども多いに盛り込み考えていくべきである。
天神様、木彫パネルなども開発され、建築彫刻から民間用彫刻への転
それぞれが現代型のクラフトシステムに移行するためにはどうした
換が図られた。井波彫刻の生産の大きな特徴としては原材料の入手か
らいいのだろうか。ひとつは人材の育成である。まさに現代の職人と
ら制作、仕上げ、販売を彫刻師個人が全て行う工房制であることがあ
も呼べるような情報技術を生かしプロデュースやマネジメント等の
げられる。また、それらの工房は町の中に点在しており、現在も生産
様々なスキルを持つ人材である。そのような人材をどう各産地に取り
機能は生活のなかにあると言える。流通においては問屋制を持たず、
込んでいくのかという点においては高岡と井波では差があるだろう。
商品の受注、制作、販売が彫刻師によって各工房で行われる。
高岡は人材の育成に関しては空洞化が進んでいるため、政策等による
後継者の育成に関しては徒弟制度を採用しており、井波で彫刻師を
強いサポートが必要であると考えられる。それに対し、井波は続いて
目指す者は皆親方に弟子入りすると共に井波彫刻協同組合が運営する
きた従来の人材育成システムの中で新たな要素を取り込んでいく必要
職業訓練校に入り、5 年間の職業訓練を受けることになっている。
がある。各産地の課題の質や課題へのアプローチは違うが両産地が第
こうしてみると、井波は、クラフト的な生産を維持しており、その
二の産業分水嶺を乗り越え、それぞれが現代型のクラフトシステムに
成り立ちからしても、大量生産体制には移行していない。そのため、
移行するという点においてはそれぞれに違いはあるものの、今の時代
小規模事業所のネットワークという意味では、第二の産業分水嶺後の
に応じたクラフト型の生産システムを再構築していくという意味では
生産体制と共通性を持つ。しかしながら、個々の事業所については、
方向性は同じであると言えるだろう。
従来のような生産技術の高度化に留まらず、より多方面での専門性
(例えばデザインや販売など)を有する現代の職人が連携する形にな
れば、柔軟な生産体制への移行が可能になると言えるだろう。
3 第二の産業分水嶺後のあるべき姿 - 高岡と井波
社会全体の流れとしては高岡と井波のいずれにしても第二の産業分
[主要参考文献]
○マイケル・J・ピオリ / チャールズ・F・セーブル著、山之内靖 / 長易浩一 /
石田あつみ訳『第二の産業分水嶺』筑摩書房、1993
○養田実 / 定塚武敏『高岡銅器史』桂書房、1988
○須山聡『在来工業地域論̶輪島と井波の存続戦略̶』古今書院、2004
○本保辰雄『高岡銅器史抄』株式会社本保、1992
117
卒業研究・作品
高岡市山町筋重要伝統的建造物群保存地区
における評価と課題
The evaluation and Problems of Yamacho
西海 千尋
Nishiumi, Chihiro
文化マネジメントコース
はじめに
くに価値が高いものとして国による選定が行われたものを「重伝建地
かつて伝統工芸によって栄え商工業都市として発展してきた高岡
取り壊しを制限されるが、一方で文化庁からの経費補助や税の優遇措
市の中心市街地は、暮らしや生業の場としての活気があったと思われ
置、防災設備の整備などの支援を受けることができる。この重伝建地
る。だが、高度経済成長期において、職住分離が進み、町の中から「もの
区制度は、文部省告示第15 7号の定める文化財保護法の一種であるが、
づくり」の産業と文化が消えていった。そこに残されたのは、栄えてい
その対象として、地域一体を「面」で保存することを主旨とする点にお
た当時を偲ばせる建造物群としての建築資源であり、それ自体の価値
いて、個々の「点」として扱うほかの文化財とは大きく異なる。市町村
が評価され、
「重要伝統的建造物群保存地区(以下、
「重伝建地区」)」に
は伝統的な建造物だけでなく、これと景観上密接な関係にある自然環
選定されている。だが、選定されさえすれば、それだけで町を活気づけ
境をも「環境物件」として特定した上で、これらを含む歴史的なまとま
られる訳ではない。そこで、どのような暮らしや、生業としての機能が
りをもつ地区を「
、伝建地区」として決定し、保存を図る。
区」いう。重建地区内では、自治体ごとの条例によって建造物の改修や
生まれてくるのかを問う必要がある。そのためには、改めて、その場に
相応しい「文化の埋め込み」が必要となると思われる。
2)制度の評価
このような歴史的空間を交流空間とするためには、地域への「創造
伝建地区は、文化財保護法上の制度であり、コミュニティ振興まで
機能の埋め込み」が必要となるが、その際に文化政策が一定の役割を
担保するものではない。それは、別途、都市計画や中心市街地活性
果たしてきたことは評価できる。だが、その広がりは十分ではなく、新
化に関連する政策で対応すべきものである。また、地区住民にとっ
しく誘致された場や作り手と、地域コミュニティとの関係を構築して
ても、主体的な役割を発揮していかなければ、まちづくりを継続的
いくことも未だ十分ではないように思われる。
に行っていくことは困難である。
一方、高岡においては、北陸新幹線の開業などを契機に、新幹線の
伝建地区は、中心市街地にあることが多いため、中心市街地の抱
「新高岡駅」から現 JR 高岡駅を経由して、山町筋から金屋町などを
える今日的な課題と対峙することを余儀なくされる。例えば、人口
ネットワーク化した観光ルート化(「たかおかストリート構想」)が話
減少、高齢化、空き家の増加、商業機能の低下などである。従っ
題に上るなど、歴史的な資源などを活かした観光政策が叫ばれてい
て、伝建制度によって、ハードな外観部分は、保護されていくもの
る。確かに、中心市街地に二つの「伝統的建造物群保存地区(以下、
「伝
の、コミュニティの抱える問題が解決しないままであれば、その間
建地区」
)」を有するなど、歴史的な資源は豊富であり、より一層の観光
のギャップが却って顕在化し、映画のセットのような空間が出来上
化を図ることは、政策の方向として誤っている訳ではない。しかし、観
がってしまう。そのため、住民の主体的な活動を伴って、伝建地区
光政策を重点化する以前に、コミュニティ政策を重視し、地域の自治
の自治を継続していくことが必要となるが、その際、注意が必要な
の力を引き出すことが先になければ、空回りしてしまう危険性がある
ことは、地区の内外のバランスである。伝建地区の「ウチ/ソト」
だろう。
の区分が顕在化すると、それもまた、一体性を欠くこととなる。
本研究では「山町筋重要伝統的建造物群保存地区」に重点をおき、制
従って、中心市街地の全体を考える中で、伝建地区の保存・活用を
度によって区切られた「地区内」と「地区外」、保護される「外側(建物・
考え、地区と地区外が一体的に融合した町の活性化を考えていくこ
景観)」と保護されない「内側(住民・生活・文化)」といった保護制度
とが必要であり、そのためには、地元の行政と住民が主体的な役割
の範囲内と範囲外の乖離に着目し、
「伝建地区」における行政、民間の
を発揮することが求められる。
動きの考察を行う。
重要伝統的建造物群保存地区制度
山町筋重要伝統的建造物群保存地区
1)土蔵造りの町並みのおこりと重伝建選定まで
1)制度の概要
開町以降、越中の商業の中心地となった高岡の発展と同じくし
「重伝建地区」には、平成 25 年 12 月現在、日本全国で 41 道府県
て、その商人町である山町は繁栄してきたのだが、明治33年、高岡
86 市町村の 106 の地区が選定されており、そのうちのひとつが高岡
の大火災によって市街地の約6割が消失した。前年に施行された「建
市山町筋の土蔵造りの街並みである。伝統的な建造物群とその周辺の
物制限規則(富山県令第51号 )」の下で、山町の復興にあたっては
歴史的風致を形成している環境を保存するという目的のもと、市町村
明治中期当時の高級防火建築物である土蔵造りが用いられ、山町筋
が保存活用の条例を定めて指定した町並み「伝建地区」のなかから、と
土蔵造りの町並みが誕生することとなる。やがて昭和に入ると、高
118
卒業研究・作品
岡の中心地が御旅屋通りへと移り、次いで商業地として郊外に問屋
しながら、重伝建地区と接続する界隈における整備や、主要道路と
センターが設けられたことで山町筋が賑わいを失うと同時に、土蔵
しての機能と歩行空間の整調など課題はまだ残っている。さらに、
造りの建築物も減少することとなった。その後、昭和末期から平成
コミュニティの自治をめぐる諸政策もいまだ十分ではない。今日行
初期にかけて、土蔵造りの町並みの価値が見直され、行政や住民に
われている技術の伝承・後継者育成事業などに加え、今後、施設の
よる保存・継承活動が活発化し、延いては平成12年伝建地区の指定
運営などを通して山町筋をいかに質の高い交流空間へと変化させる
および重伝建地区への選定が叶ったのだった。
ことができるのかに期待が寄せられる。
一方、ソフト面を担う市民の動きとしては、かつての山町筋の風
2)山町筋の空間特性
情を思わせるような商業機能の回復や、NP O「町屋散歩プロジェク
本研究では「平成25年度版山町筋利用状況 図(図)」と、「平成
ト」の発足と活動の展開など様々な動きが見られる。土蔵造りの空
12年度版山町筋利用状況図」を制作した。これは、山町筋とその近
き家の改修による「あんしんごはん」やギャラリーショップ「はん
隣に立ち並ぶ建造物の利用状況を調べ、9種の使用形態に分類し、住
ぶんこ」のオープン、あるいは、毎年開催される高岡クラフト市場
宅地図に落とし込んだものである。調査対象地には重伝建地区に加
街などといった諸例におけるまちなか交流人口の増加からみても、
えて、重伝建地区外から比較対象サンプル地区を設定した。なお、
山町筋は交流空間としての機能を取り戻しつつあると言える。この
過去の状況については直接確認することができないため、平成12年
ような、山町筋固有の価値を認識し、それを守るべくして長らく活
度当時の住宅地図を用いてその記載情報に従った。これらの考察を
動を続けてきた住民の姿勢は、高岡御車山保存会の功績への奨励の
通して平成12年と平成25年の比較と、現状の空間特性の把握を行っ
ように一定の評価を受けつつある。
た結果、中心市街地における諸課題が浮き彫りになるとともに、伝
今後は行政と連携し整備されたインフラを活かしながら、市民が
建地区の指定による「効果」も一定程度、奏功していることが分
主体的に新たな文化を創出していく姿勢が必要となってくる。
かった。
山町筋は、JR高岡駅からも近く、価値ある建造物群が立ち並ぶ空
間であり、観光空間化しやすいと考えられるが、指定後、13年を経
過する割には、観光空間化が進んでいないため、地区外とのコント
ラストが特段、際立っている訳ではない。伝建地区が急速に消費空
間化しなかったために、「ウチ/ソト」の区分けは顕在化されず、極
端な消費空間化に伴う「指定地区内外の空間的な異質性」という問
題が表面化してこなかった。だがそれは、地域が適切に制御した結
果というよりは、大量の観光客を呼び込むためのポテンシャルが低
かったことによるものと思われる。何故なら、商業集積を初めとす
る諸機能の低下によって、伝建地区を含めた中心市街地そのものの
空洞化が進んでいるからである。先に考察したように、その空洞化
の進
速度が伝建地区では、地区外よりもゆっくりと進んでいるに
過ぎない。それを公共施設などで補い、少なくても伝建地区におい
ては、交流を促進できるような空間として整備していこうとしてい
■図1 平成 25 年度版 高岡市山町筋重伝建地区内外利用状況図
るのが現状ではなかろうか。
3)関係団体における動向
行政による山町筋への活動は昭和60年の調査 (高岡市教育委員会
『高岡市山町筋伝統的建造物群調査報告書』より)を契機に活発化し
ており、昨今、中心市街地の活性化など諸政策の中でも山町筋には
重点が置かれているが、平成27年度完了予定の「御車山会館建設」
をもって、ハード整備における保全事業は概ね整いつつある。しか
[主要参考文献]
○古池嘉和『観光地の賞味期限「暮らしと観光」の文化論』春風社,
○藤木庸介『生きている文化遺産と観光
2007.
― 住民によるリビングヘリテージの
継承―』学芸出版社, 2010.
文化財』第一法規株式会社, 2013.
○文化庁文化財部『月刊
119
卒業研究・作品
富山県の舞台照明技術者養成に関わる
課題とこれから
A subject to train the staff of stage lighting in Toyama prefecture
野尻 将樹
Nojiri, Masaki
文化マネジメントコース
舞台照明と舞台照明技術者
タ調光になった。それにともない、サイリスタ調光器を制御する照明
舞台照明とは、演劇や舞踊の公演、そしてコンサートやイベントに
た。今日ではデジタル信号によって舞台照明用機器を制御しており、
おいて、舞台照明機材を使用し、照明演出をすることである。しかし、
より高度で複雑な舞台照明演出を行うことが容易となった。ライトの
それぞれの公演ジャンルごとに明かりをつくる上で重視すべき点が違
新規開発も進み、広範囲しか照らせなかったものが、レンズを使用す
うが、共通していることが複数存在する。例えば、光を人や物に照射
ることによって局所的に光を集光させることでさらなる写実的な空間
する位置によって鑑賞者に与える照明演出効果や、舞台照明演出に関
表現が可能となった。現在でも舞台照明用機器の技術革新は続いてお
わる準備といった基本的な舞台照明に関わる作業など、両者に共通し
り、公演の鑑賞者に対し、魅力的でより効果的な舞台空間演出の幅が
ている部分が多く、公演をより魅力的なものにするという本質は変わ
広がった。
らない。したがって舞台照明とは、公演ごとに求められる鑑賞者への
視覚的効果を舞台照明演出によって最大限に引き出し、その公演をよ
り魅力的なものにすることである。
調光操作卓が開発され舞台照明操作に関わる作業がより効率的になっ
舞台照明技術者養成の現状
舞台照明技術者とは、舞台照明演出を行う上で、その舞台照明演出
現在の日本において舞台照明技術者を養成する上で最も一般的な方
の計画をおこない、実際に本番にて使用する舞台照明機材を設置し、
法は、OJT(On the Job Training)によるものである。舞台照明は様々
操作する技術者のことである。舞台照明技術者にも様々な役職があ
な場所で必要とされる。また、舞台照明機構は、各劇場などのニーズ
り、仕事を分担している。本論文では、舞台照明デザインを行う「プ
に合ったものが導入されており、すべて同じシステムということは無
ランナー」、現場の舞台照明技術者のリーダーである「チーフ」、現場
い。したがって、舞台照明技術を学ぶためには様々な現場で舞台照明
で舞台照明演出に関わる作業に従事する「スタッフ」の三区分に分類
に関わる諸作業に従事し、技術者自身の舞台照明経験値を高めること
する。
が舞台照明技術を習得するための教育の場であるという考え方が一般
舞台照明の歴史
的である。舞台照明技術は数日で習得できるものではなく、数年間の
舞台照明作業に従事することで身につくものであると言われている。
機材の種類や特徴、公演準備をする上で必要な安全作業、それらを熟
明治期に白熱電球が開発される以前の舞台照明における光源はろう
知した上で作業を行うことが望ましい。しかし、OJT による舞台照明
そくやガス灯であったが、次第に電球へ変わっていった。
技術者養成については、同じ作業内容でも人によって行程が違うとい
1911 年(明治四十四年)、帝国劇場が建設され、当時の最新鋭舞
うことが起きてしまいがちであり、舞台照明技術者の保有する技術水
台照明設備が導入されたが、それらは舞台空間を写実的に表現するに
準の均一化では弱い側面がある。これは、舞台照明技術の行程などに
は乏しいものであった。また、それを問題視する演劇関係者は少な
関する明確なマニュアルがなく、また、その場に応じた応用が必要と
かった。また舞台照明に関する研究もこの時代にはあまりされなかっ
なる分野でもあるために以上のような舞台照明技術者の技術のバラつ
た。しかし、1912 年に発生した関東大震災が、日本の劇場に新たな
きの是正や舞台照明技能向上のため、全国の舞台照明技術者でつくる
風を吹き込み、劇場のさらなる近代化を推し進める声が上がり、劇場
公益社団法人日本照明家協会(以下、日本照明家協会という)はセミ
の舞台機構が新たな設備を持つようになっていった。新たな舞台機構
ナーや技能認定制度などを行い舞台照明技術者の技術向上と育成を
の一つがホリゾントである。ホリゾントとは、舞台奥にある幕や壁の
行っている。
ことで、そこへ適当な光(青空なら青色光)を照射することにより写
セミナーは大都市で行われることが多く、地方の技術者がセミナー
実的な表現を可能にした。日本では 1913 年(大正 13 年)に築地小
を受講する機会は少ないのが現状であったが、平成 24 年度から動画
劇場に登場した。この頃には舞台照明機材の製作所が創業され、輸入
共有サービスの一つである Ustream(ユーストリーム)によって中継
品や模倣品が主流であった舞台照明機材に純国産のものが加わった。
配信する試みを行った。これによって遠方の技術者でも日本照明家協
舞台照明機構が進化していくにつれ、舞台照明デザインに対する要求
会による技術セミナーを受講することが容易になった。しかし、実際
も高いものになっていき、その要求に対応する様々な舞台照明機材が
の光は映像で技術を習得するのは難しい。したがって、Ustream での
開発されてきた。光量の調節をする調光器は効率の悪い水抵抗式や金
配信に頼るだけではなく、地方での技術セミナー開催も合わせて進め、
属抵抗式から電圧を変化させて調光するオートトランス調光に変化
偏ることのない舞台照明技術者の技術向上を進めていくべきである。
し、大型であったオートトランス方式から小型軽量化されたサイリス
1981 年から行っている技能認定制度は、一級と二級の二種類に分
120
卒業研究・作品
かれている。しかし、国家資格ではなく、日本照明家協会が独自に行
創造性と基礎的な知識の両方をバランスよく、継続的に学べる機会
なっているものである。技能認定制度が舞台照明に関わる諸作業をす
を創りあげ、一定の技術水準を維持しつつ、より高度な舞台照明演出
る上で必要とされることはなく、舞台照明業界内でもこの技能認定に
を生み出すことのできる人材をどのように育成するかが今後の課題の
よって技術者の選定を行うといったことはほとんど行われていない。
一つである。
安全かつ効率的な舞台照明に関わる諸作業を行う上で必要な舞台照明
における基礎技術の共通化を図る上でも技能認定の資格化ということ
は非常に重要な意味を持つ。したがって国家資格としての舞台照明技
富山県における舞台照明技術者養成の諸問題と課題
能認定を目指していくべきであり、その資格が舞台照明技術者個人の
富山県の舞台照明技術者へ富山県における舞台照明技術者養成の諸
有している舞台照明技術の証明になり、舞台照明技術者の技能向上と
問題と課題についてヒアリング調査を行った。ヒアリング調査の対象
地位の確立、そして舞台照明という分野の普及に大きく貢献すると考
者は、富山県内在住の舞台照明技術者である。ヒアリング方法は現場
えられる。
などで直接対話を行った。
劇場法と舞台照明技術者
OJT による人材育成が主な方法である舞台照明業界にとって現場の
数は非常に重要である。しかし、富山県では「技術を学ぶ機会」であ
る現場の数が少ないという。その原因となっていることは、舞台照明
劇場法とは平成 24 年 6 月 24 日に公布された「劇場、音楽堂等の
技術者を養成する上で必要な舞台照明技術を提供する場の不足であ
活性化に関する法律」の略称である。平成 13 年 12 月 7 日に公布さ
る。場所によって応用しなければならない舞台照明技術では実際に作
れた文化芸術振興基本法の基本理念をもとに、劇場、音楽堂などの事
業をしながら学ぶ OJT が舞台照明技術者に養成に非常に大きな関わ
業や、地方公共団体などの役割、基本的施策を定めたものであり、劇
りを持つ。その学んだ技術を発揮するのも舞台公演などの現場であ
場や音楽堂など単なる箱物(建造物)ではなく、文化芸術を企画、制
る。富山県では劇場の指定管理者である行政の外郭団体の職員が無償
作し発信していく機関であると制定している。また、劇場法では専門
で技術提供をしているケースが多く、民間企業に舞台照明を依頼する
的な知識をもった人材の育成や確保が以下の通り条文に明記された。
ということが根付いていない。これが結果的に富山県の現場の少なさ
の原因となっており、舞台照明技術者養成の弊害になっていると考え
国及び地方公共団体は、製作者、技術者、経営者、実演家その他
の劇場、音楽堂等の事業を行うために必要な専門的能力を有する
者を養成し、及び確保するとともに、劇場、音楽堂等の職員の資
質の向上を図るため、劇場、音楽堂等と大学等との連携及び協力
の促進、研修の実施その他の必要な施策を講ずるものとする(第
十三条)
られる。以上のことから、富山県で高い技術力を持った舞台照明技術
者を育成するためには行政と民間との連携が重要である。
[主要参考文献]
○日本照明家協会編 『新編・舞台テレビジョン照明(知識編)1997 年
東京、社団法人日本照明家協会
日本照明家協会編 『新編・舞台テレビジョン照明(技能編)』1997 年
○日本照明家協会雑誌 2011 年 3 月号、pp.7-13、公益社団法人日本照明家協会、
これに対し日本照明家協会が劇場法公布後に文化庁が日本照明家協
会に対して行った「劇場法に基づく指針の作成に関わるヒアリング調
査」にて人材育成について以下のような見解を述べている。人材育成
については、前述のセミナーと技能認定制度を軸に置き、国が舞台照
明を含めた舞台技術の認定制度を設け、舞台照明技術者などの舞台技
術者の技術水準の高さを維持することが人材育成につながるとみてい
る。人材確保については、大学等との連携に重点を置くことも念頭に
おいている。大学との協力については、前述した提携校との技術認定
制度での連携のほか、劇場や音楽堂などの自主事業において、それら
の制作過程にて実習(インターンシップ)を行い、舞台芸術の制作現
場を知る機会を設けるなど、舞台芸術を支える人材を見つけ出すこと
に対する期待する声がある。
2011 年
○大庭三郎 『舞台照明』、オーム社 1976 年
○伊藤裕夫・小林真理 『劇場と制度̶21 世紀の劇場と劇場法・劇場条例̶』
2000 年
演劇人 2000 年 1 月号、pp.52-65、財団法人舞台芸術財団
演劇人会議
○公益社団法人日本照明家協会ホームページ 『各支部委員会情報』
http://www.jaled.or.jp/html/branch/index.php
○公益社団法人日本照明家協会ホームページ 『協会の事業』
http://www.jaled.or.jp/html/work/index.php
○文化庁ホームページ
『劇劇場,音楽堂等の活性化に関する法律に基づく指針の作成に係るヒア
リング(8 月 21 日)議事録』
http://www.bunka.go.jp/geijutsu_bunka/houritsu/pdf/h24_
gijiroku_0821_ver2.pdf
121
卒業研究・作品
定常型社会と芸術文化
Routine type society and Art culture
藤本 健弘
Fujimoto, Takehiro
文化マネジメントコース
要旨
方で、人々は徐々に精神的な窮乏感を抱くようになっていったのだ。
本論では、より精神的な充実が求められるようになった今日の日本
見てみると、昭和 50 年(1975 年)までは「物の豊かさ」を望む人々
社会において、従来の拡大再生産による市場経済社会はやがて行き詰
の方が、「心の豊かさ」を望む人々の数を上まわっていたのだが、翌
りを見せること、また、一方では経済成長に依存しない社会には、そ
昭和 51 年以降は次第に「物より心」というように人々の意識の傾向
の展望が存在することを、経済学史の識者の考え方を中心に検証した
が強まっていったことが分かる。
そのことが裏付けられるデータとして、内閣府による調査(図 1)を
い。そして中でも、J.S. ミルの提唱した「定常型社会」に身を置くこ
とが、この為のもっとも有効な解決の手段となることを明らかにする
人口の減少が見込まれ、物質的需要が減退してゆくことが予測され
とともに、そうした場合に、人々の自由な精神的活動(=芸術文化的
る今後の日本には、セイの理論を支える条件が益々
活動)が満足に達成される可能性が従来よりも広がることを考察した
ための条件が整わないにも関わらず、無理にこれを求めるのであら
い。また、その実践的な事例として GNH の指標が用いられた取り組
ば、いずれ歪が生じることは言うまでもない。よって近い将来には拡
みにも触れるとする。
大再生産によって繁栄をもたらす従来の「成長神話」の型から脱却す
モノからココロの時代へ
「18 世紀前後以降から現在まで、市場経済の領域は飛躍的な拡大を
わない。成長の
ることが必要に迫られることとなろう。
成長に依存しない社会
続けてきたが、それが最近ある種の成熟ないし飽和ともいうべき状況
実際、経済学においても成長路線からの脱却を唱える考察は幾度と
を見せ始めている」(
もたれている。その中でもとりわけ成長神話を強く否定した説を唱え
1)
日本は戦後以降、焦土と化した敗戦からの復興に、国を挙げて尽力
た代表的な学者のひとりには、環境経済学者の E.J. ミシャンが挙げら
し、1960 年代には高度経済成長を遂げ、世界第二位の GDP を成し
について「あたかもわれわれの存続そのものが、あと一ないし二パー
セントの成長率にかかっているかのように語りかつ行動し続けること
セイによる「需要は供給が創造する」ことを定式化した、
「セイの法則」
は、明白にばかげたことと言わねばならぬ / 産業の成長ばかりに関
を、まさに体現していた時代でもあった。
心を寄せるなどということは、創造力にも欠け / 指数の一高一低に
しかし、その後の第四次中東戦争等を契機に実質マイナス成長を経
目をうばわれ、われわれが直面しているもっと大きな問題に目を向け
験し、高度経済成長が終焉を迎えた 1970 年代前半頃より、時代の意
ることができない状態」(
識は変容を見せ始める。こうした物質的な豊かさを享受していった一
ると述べているのである。そこには、単なる成長への嫌悪だけでなく、
2)であると、それが、愚かな発想であ
人間の生活が利便性や効率性に支配されることへの違和感と、そのた
めに地球本来の自然が失われ、自然に育まれてきた人間の知性や感性
が摩り減っていくことを危惧があったことに注意しておきたい。
また、成長に対する違和感を抱いた他の主張を概観すると、著書『経
済成長神話からの脱却』の中で、アリストテレスにならって「幸福
主義」(エウデモニウス)を追求すべきであるとしたオ−ストラリア
の経済・政治学者のクライブ・ハミルトンや、著書「The Poverty of
Life, 1983」の中で、「われわれの幸福の心理的基盤のほうが経済目
標よりいっそう重要であることを示すことにある」と心理学のやや独
自の観点から「豊かさ」の貧困を説いたニューヨーク市立大学教授の
ポール・ワクテル等が挙げられる。
図 1 内閣府「国民生活に関する生活調査」
122
卒業研究・作品
J.S. ミルと定常型社会
能であった、貨幣に換算されないものであって、しかし人間社会に
ここで、こうした成長路線ではない社会の考察の最たる例として取
GNH の実践に向け、数値化を図るため 4 つの柱と、そこから展開さ
り上げたいのが、イギリスの哲学者であり、古典派経済学者でもある
れる 9 つの指標が定められ、広く政策に反映されている。
とって重要なものにも価値を示すことが可能となる。ブータンでは、
ジョン・ステュアート・ミル(John Stuart Mill /1806 ∼ 1871)に
よる「定常型社会」である。ミルは、ミシャンより 1 世紀も以前―す
こうした世界的な幸福度への注目を受けて、日本においても独自の
なわち、まだ経済が飽和状態に至る前―から成長路線の限界を予期
幸福研究および、行政への導入が検討された例が、東京都荒川区を中
し、警鐘を鳴らしていたのである。ミルはその代表的な著書である『経
心に、52 の自治体からなる、
「住民の幸福実感向上を目指す基礎自治
済学原理』において、拡大する経済成長のシステムの限界と、人間に
体連合」、通称「幸せリーグ」といったものの設立である。参加基礎
とって真の目標を追求する必要の立場から、経済成長と人口といった
自治体の住民が真に幸福を実感できるような地域社会を目指すことを
ものはむしろ一定に留め、「停止状態」においてしまったほうが、社
目的としたこの取り組みは、設立より 1 年後の平成 25 年 6 月 5 日か
会は精神的・文化的に豊かになることを説いていた。
ら施行される。
停止状態と言うと、その言葉の響きからは、何かが止まっている否
定的な印象を持つであろう。しかし、産業の技術に関して言えば、労
働を節約させるという、その本来の効果を生むために従来通り成功的
に研究がなされるだろう。そしてミルの思想の中で最も重要なのは、
おわりに
経済活動は本来、流通の手段であり、社会は繁栄の過程においてこ
のシステムを採用しただけであったのに過ぎず、これが人生や一国の
目標そのものとして成り変わるようなことがあってはならない。その
の拡大、立身栄達に囚われている間は「自らの地位を改善しようと
一方、社会の中で、芸術文化と言った精神的活動への価値観は曖昧で、
苦闘し / 互いにひとを踏みつけ、押し倒し、押し退け、追いせまる」
その評価はまだまだ著しく低いように思える。幸福を齎すものが何か
これこそを「最も望ましい人類の運命」としてしまう危険がある。し
を検討し直し、ミルやミシャンの目指した経済成長を目的としなくと
かし停止状態に身を置けば、人々の精神はそういったものから解放さ
も持続可能な定常型へと日本社会を転換することによって、人々は正
れ、「あらゆる種類の精神的文化や道徳的社会的進歩のための余地」
しく価値を評価される芸術文化と伴に、真に内面からの充足を得られ
また『人間的技術』(
る可能性が拓かれるのである。
3)の改善の余地のために「人生の美点美質
を自由に研究」することに目を向けることが一層可能となるのだ。
脚注
よってこれまでの議論を通じ、日本がこの「定常型社会」にはいる
1 広井良典『グローバル定常社会・序説』
ことは、経済成長に
2 『経済成長の代価』(第 1 章 第 1 部 p.6)
する不安状態から脱するばかりか、いま求めら
れている「心の豊かさ」を真に追求しようとするのに、もっとも相伴
3 『経済学原理』(第四
第六章 p108 ∼ 109)
うと言えるのである。
幸福度による社会の形成へ向けて
このような考え方は、現在、国際的にみても、少なからず共有化
されていると思われるが、それを最もよく政策理念として表してい
るブータンでは、1972 年より第四代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュ
クが「GNH」(Gross National Happiness)を提唱している。GDP
(Gross Domestic Product)が新たに生み出される貨幣価値のマク
ロ集計量なのに対し、GNH は国民の幸福感の集計量であり、そこで
目指されたのは、伝統的な社会・文化や民意、環境にも配慮された
「国民の幸福」であった。つまりこれまで GDP でははかることが不可
[主要参考文献]
○広井良典『グローバル定常社会・序説』
○ J.S. ミル(末永茂喜訳)
『経済学原理』岩波書店
○ E.J. ミシャン(都留重人監訳)
『経済成長の代価』1970 年岩波書店
123
卒業研究・作品
尾形光琳における雪村周継の影響の
重要性について
About importance of the influence
of Shukei Sesson in Kourin Ogata
松浦 佳奈子
Matuura, Kanako
文化マネジメントコース
要旨
風 宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造』展図録に、光琳が宗
達本をトレースしたという説が発表され、「時間と手間を惜しまず実
際に宗達の作品を正確に写し取った」と論じられた。しかし、奥井素
子氏は、この説に反論を唱え、「宗達本と光琳本の比較と考察から、
輪郭線の捉え方の相違や、宗達本に描かれているが、光琳本にはない、
あるいは宗達本にはなくて光琳本には描かれている個所があるという
ことから、光琳が宗達本をトレースしたのではなく、それ以外の粉本、
あるいは下絵から制作したと考えられる」と指摘している。光琳が宗
達に深く影響を受けていたことは事実だが、この例のように琳派の系
譜を重視するあまり、事実を見誤ることも多かったように考える。
写真 1 《紅白梅図屏風》尾形光琳筆 4 曲 1 双 各 156.0 × 172.2㎝
静岡 MOA 美術館 江戸時代
光琳を宗達の後継者とし、抱一を光琳の後継者として、一口に琳派
とくくられるが、彼らは生きてきた時代も顧客層も階級も、そして作
従来、尾形光琳(万治元年(1658)∼正徳六年(1716))は、琳
風すら違う。今では琳派の画家たち一人一人の知名度が上がり、個人
派を代表する画家であり、琳派の始祖である俵屋宗達(生没年未詳)
での展覧会も増えてきている。最早琳派という枠組みを通してではな
を乗り越えるべき壁とし画業大成にまい進したとされてきた。しか
く、一人一人の独自性に注目する時代に来ているのではないだろう
し、光琳を琳派の継承者として見ることによって、彼の作品の印象は
か。
制限されていたのではないだろうか。光琳はより広い視野と社会的な
関係性の中で作品制作を行っていたと考える。本論では雪村周継(生
没年未詳)からの構図とモティーフの影響を検証し、光琳の大名との
第二章 雪村画の特質
交友によって、自らの商品価値を高める現実的な姿を導き出し、より
雪村画の特徴をまとめると以下のようになる。
本質的な光琳像の提示を行った。
①精緻な描き込みをする
第一章 伝記的事実と先行研究検討
②画面に物語が展開されている
③屏風の場合は対角線や三角形など、厳格さのある構図を好む
④人物画の場合は人物を大きく動かし勢いのある構図をつくる
光琳と宗達の関係には、当時の時代背景が影響しているとする説が
⑤モティーフを太さが一定に保たれた太い輪郭線でくくる
多い。光悦や宗達は、江戸草創期、新興商人たちが領主から与えられ
⑥人物の表情を力強く、豊かに描く
た権限を利用し都市づくりに参加した時期に、彼らの庇護を受けて活
⑦同じ髪型や表情の使い回しはほとんどない
躍した。光琳は、そのような商人たちの一員であった高級呉服商に生
⑧好みのモティーフは繰り返し描く
まれた。後に家業は衰退し、光琳は四十四歳で絵師となることを選ん
⑨好みのモティーフをふんだんに画面に詰め込む
だ。つまりは、宗達画は商人たちが自由に権力をふるった時代の象徴
特徴②∼⑥は、雪村の生きた戦国時代の特有の、力に特化した表現
であり、幼少期への憧憬が光琳を宗達画に向かわせ、光琳芸術を成立
と見ていいだろう。大名に施行していた経験からか、武家に生まれた
させたというのである。
にもかかわらず武士になれなかった経歴からか、雪村は特にこの傾向
しかし光琳にとって、その憧憬が晩年まで作品を生み出す原動力に
が強い。
なっていたとは必ずしも言い切れない。光琳は借金を返済するために
特徴⑦∼⑨は、画面に自身の感覚を素直に投影できる、雪村の個性
大名貸しに手を出して失敗している。第二の手段として絵師として仕
だと考える。この特徴をさらに一言で言ってしまえば、それは「強調」
事をすることを選んだ以上、現実的に作品を商品として売っていかな
ということになる。《呂洞賓図》は、呂洞賓の武力や胆力を強調した
くてはならない。元禄八年(1694)
、光琳は借金の返済のために宗
作品であるし、
《花鳥図屏風》の柳の幹をびっしりと覆う小枝の描き
達作の勝手屏風を売り払ってすらいる。また、大名が好む室町水墨画
込みも、
《呂洞賓図》の拡大された粘着性の水もモティーフを強調す
を模写したり、江戸の町人が好む七福神などの作品を制作したりして
るための表現である自身の感情や見たものを鑑賞者に伝えたいという
いる。
思いが、「強調」の表現につながったのだと考える。この「強調」の
平成十八年(2006)出光美術館で行われた『国宝、風神雷神図屏
特徴が戦国時代の様式と強く組み合わされていることが雪村の最大の
124
卒業研究・作品
特質であるといえる。
にくい。幼少期から洗練された社交界で生きてきた光琳は、自身の作
第三章 光琳像の本質
二百点以上の作品が残る雪村画は比較的身近な手本であったに違いな
光琳は、雪村の対角線や三角形の構図をほとんど受け継いではいな
彼は他者の作品を意匠化することに対して、高い技術と洗練された
い。雪村は細かいモティーフを大量に描いて絵画世界を構築していく
才覚を持ち合わせていた。作品に自己のこだわりを語らせるのではな
が、光琳はモティーフを数点に絞って画面全体の情報量を減らし、見
く、宗達や雪村など、日本人に親しまれてきた作品の魅力を抽出し、
る者の視線を引き付けることが多い。遠くからでも人の心を捉える力
要素を組み合わせて提供するのが光琳の絵師としての在り方だった。
を持っているともいえる。
また、光琳には、作品を模写する際に実際の作品より人物を幼く描
く傾向がある。それは自身の作品であっても同じで、頭身の低い人物
品がどう映るかという視点を常に持っていたはずである。現在でも
い。
おわりに
を描くことが多い。単純な構図や幼い人物は、より多くの層に受け入
光琳が絵師として成功しなければならない
れられるための戦略だったと思われる。しかし雪村の屏風以外の作品
とももっと指摘されてよいと考える。彼は自分の描きたいものに拘る
からは、構図に関しても影響を受けていると考えられる。
のではなく、多くの人に受け入れられる作品を求められていたに違い
例えば、光琳筆《蹴鞠布袋図》は、雪村筆《布袋図》と《呂洞賓図》
ない。しかも、当時は一生をかけて画業を大成させていた者が多かっ
の構図を参考にしていると判断される。《蹴鞠布袋図》は落款、大袋、
たにもかかわらず、光琳の絵師としてのキャリアは四十四歳から死去
布袋の腹、顔、布袋の頭上の毬と、球体が積み重なる構造をしている。
する五十九歳までの十五年足らずであった。在世時から高い評価を得
大袋に乗った布袋の無邪気な風貌は《布袋図》と共通する。そして、
ていたとはいえ、仕事の成果を実感するには相当短い年数である。し
この下から上へ遷
かし、その追い詰められた状況が、《燕子花図屏風》のように、いか
していくような構図は《呂洞賓図》と共通する。
迫した状況にあったこ
また、《紅白梅図》も、雪村がよく描いていた三幅対の構図に刺激を
に最短距離で観る者に視覚的快楽を与えられるかという独自の視点を
受けたに違いない。
もたらしたとも言える。
光琳はモティーフにおいても雪村様式を取り入れている。《呂洞賓
光琳はパトロンである大名との関係性を重要視し、大名の好みに応
図》や《住之江蒔絵硯箱》にみられる粘着力のある水の表現や、《琴
えるため、雪村画を作品の中に取り入れた。光琳の雪村からの影響と
高仙人図》の波の一部を拡大したような表現は、雪村の描く水を想起
は、光琳が社会の関わりの中でその芸術を積み上げていったことを意
させる。しかし、光琳は雪村の様式をそのまま取り入れるのではなく、
味するのである。
《住之江蒔絵硯箱》で、波に空く穴からさらにその背景の波を見せた
ように、意匠の面白さに生まれ変わらせている。
また、光琳は多くの作品で、まったく異なる墨の表現を一つの画面
に併用させることを行っている。雪村の独特な描線を学んだことで、
光琳は自身の墨の表現の幅を広げることができたのではないだろう
か。
光琳の顧客であった大名との関係性について今一度考察してみた
い。当時雪村画は高価格で取引されていた。光琳の伺候先である酒井
家が所蔵品を運び込み江戸城にて座敷飾りを行った際も、御守殿の床
には雪村筆《猿猴》が飾られたとする記録が残っている。光琳のパト
ロンであった江戸大名にも、雪村は高く評価されていたと考えられ
る。雪村画に強く残る戦国時代の様相が大名の人気を集めたのかもし
れない。これらのことから光琳は大名の好みを取り入れるべく、雪村
の摸写を行い、構図やモティーフを取り入れたのだと考える。社会的
な関わりの中で作品を製作していた光琳が、京都で公家衆をパトロン
としていた時と全く同じ宗達風の作品を江戸でも制作していたと考え
[主要参考文献]
○林進 『日本近世絵画の図像学―趣向と深意―』 (八木書店 平成十二年)
○ 江村知子 「根生いの分限、絵描きへの道―尾形光琳を取り巻く環境と作
品制作について―」 (美術研究三九二号 平成十九年七月)
○内田篤呉 『光琳蒔絵の研究』 (中央公論美術出版 平成二十三年)
125
卒業研究・作品
細見美術館蔵《春日神鹿御正体》について
ー平面作品の立体化に関する諸問題ー
True figure of the sacred deer of Kasuga at Hosomi Museum
谷口 菜苗
Taniguchi, Nanae
文化マネジメントコース
要旨
《春日神鹿御正体(かすがしんろくみしょうたい)》(以下、本作品と
はじめに
春日大社や春日大社に祀られる神を信仰する春日信仰の流れの中
記す)は、金工の立体作品である。本作品は、神が鹿に騎乗して春日の
で、本作品と春日鹿曼荼羅は制作された。
地に影向したとする春日大社の縁起を元に制作された平面作品の春日
春日鹿曼荼羅と呼ばれる平面作品は鹿の背に神を乗せて、春日の
鹿曼荼羅を立体化したとされている。本作品がいかなる春日鹿曼荼羅
地へ影向したとする春日大社の縁起を元に制作され、本作品はその
をどのような段階まで参考として立体にしたのかを明らかにするため
春日鹿曼荼羅を立体化したものだとされている。
に、春日鹿曼荼羅と本作品の間で、図像と形状の分析と比較を行った。
本作品の制作年代は、最近の研究では鎌倉時代後期から南北朝時
その結果、表されたモチーフは両者で全て一致せず、どのような春日鹿
代にかけてであり、春日講や遥拝目的で作られたと考えられてい
曼荼羅を参照したのかは明らかに出来なかったものの、春日鹿曼荼羅
る。ただし、これは本作品に関わる史料が少ないため、本作品の形
に描かれるモチーフをある程度までは取り入れたことが明らかとなっ
状の特徴や春日鹿曼荼羅との関係を結びつけての推測にとどまる。
た。モチーフの特徴が全て一致しなかったのは、立体作品を制作するう
その他、制作者や制作依頼者などは明らかにされていない。
えで重要となる作品の安定性や重さといった制作上の理由に加え、立
本作品が春日鹿曼荼羅を立体化したとされる問題について、日本
体作品と平面作品のモチーフの形は各々の歴史で出来上がったこと、
美術史を振り返ると、本作品と春日鹿曼荼羅以外にも平面作品を元
また立体作家の伝統と独自性が反映されたからだと考えられる。
に立体化したのではないかと考えられる作品があることから、その
一例ととらえられる。
しかし、本作品に関係する先行研究では、いずれの春日鹿曼荼羅を
参考にしたのかは明らかにされておらず、両者の作品全体を含めた記
述と比較はされていない。そこで本論では、本作品の形状の詳細な記
述と分析、そして本作品と集められる限り集めた春日鹿曼荼羅の図像
の比較を通して、本作品の関係性や制作背景を検討することとした。
《春日神鹿御正体》と春日鹿曼荼羅の分析と比較
本作品は鹿、
、鏡板、雲形台座からなり、框の上に設置され
る。作品の総高は108.0㎝、鏡板の直径は23.7㎝である。鹿は角と
睾丸を持つオスの姿で表され、頭部や胸部、尻には三懸を、背に鞍
橋を、胴部側面に人が足を乗せるための鐙を垂らしている。鞍橋の
上には蓮華座が乗り、そこから
が伸びるが、
上部には、春日大
社の一宮から四宮、若宮の五体の本地仏を線刻する鏡板が懸けられ
る。鹿の四肢は雲形台座上に左前脚と左後脚を半歩踏み出すように
して立つ。そして、本作品と集めることの出来た三十例の春日鹿曼
荼羅の作品の特徴をまとめた結果は以下の通りであった。
《春日神鹿御正体》の特徴
(1)作品全体が立体感や実在感のある作りをしている。
(2)鹿の姿や馬具などは実在する要素を取り入れて組み合わ
せて表現している。
(3)一つの立体作品として重さや安定性を意識して意匠化され
ており、それによって均整を保つことを重視している。
(4)制作上の理由などで実在する要素とは異なっている。
図1.《春日神鹿御正体》
『神仏習合:特別展:かみとほとけが織りなす信仰と美』図録(2007 年、p.120 )
126
卒業研究・作品
(1)春日鹿曼荼羅三十例を年代順に見ると、初期の作品を除き、
「背景も含めて円相と 、本地仏を鞍上に乗せた鹿」の姿で
描かれており、春日鹿曼荼羅は初期の作品を除いて定型化が
起きているといえる。また本作品も定型に沿っている。
(2)春日大社の縁起には現れない、もしくは縁起とは異なる
モチーフがある。
このことから、本作品が春日大社の縁起ではなく、春日鹿曼荼羅
のモチーフの要素のみを参照したのだと考えられる。そして最終的
に本作品の形を決定づけるのは、立体作品の歴史の中で生み出され
たモチーフの形と立体作品としての重さや安定性、さらには制作者
の独自性であるといえる。
図 2. 春日鹿曼荼羅図二点 左図:
『春日大社名宝展』図録(陽明文庫所蔵、1995 年 ,p.36 )右図:
『神
仏習合:特別展:かみとほとけが織りなす信仰と美』図録(奈良国立博物館所蔵、2007 年 ,p.121 )
春日鹿曼荼羅三十例の特徴
《春日神鹿御正体》の制作背景
以上の結果と本作品や春日鹿曼荼羅に関する先行研究を元に、先
(1)平面作品ならではの鹿の毛や斑点、画面に収まり切れな
行研究では明らかにされていなかった本作品の制作者や制作依頼
いほどに大きく描かれたモチーフ、背景の表現がされて
者、制作目的などを考察した。
いる。
その結果、制作者は実在感だけでなく均整を保つ意識が強い人物
(2)鹿の脚の置き方などで実在感を無視した描写がある。
であると想定し、制作依頼者は一宮の本地仏を阿弥陀如来とする信
(3)実在する馬具の形状を表したり、他の平面作品にみられ
仰があったと推定した。また制作目的は、先行研究で示されたのと
る鹿や雲に酷似した描写がなされるなど、現実の事象や
平面作品から取り入れた要素がある。
(4)厳密に均整を意識していない描写があるが、本作品と同
様に左右対称のモチーフは多いことから、本作品には劣
るが、ある程度均整を意識して描かれている。
同じく、春日講や遥拝目的の可能性があると考えられる。
おわりに
以上から、本作品は、春日大社の縁起で記述された鹿の姿から様々
(5)実在の馬具とは異なる装着方法がなされ、実在の馬具に
な要素が加わって定型化した春日鹿曼荼羅の図像に、立体作品でみら
あるモチーフが描かれない例があるなど、実在の要素か
れる形状の特徴を取り入れて立体に起こしたと考えられる。それに加
ら簡略、改変が行われている。
えて、制作上の理由や制作者の工夫により春日鹿曼荼羅とは異なる造
(6)初期の作例を除く作品で、背景も含めて円相と
、本地
仏を鞍上に乗せた鹿という姿で定型化している。
形が出来たのであろう。そのため、本作品がどの春日鹿曼荼羅を参考
にしたのか明らかに出来なかった。しかし、春日鹿曼荼羅に描かれる
上記の記述から本作品と春日鹿曼荼羅とでは、実在感の表現の差や
モチーフの形状はある程度参照したと考えられる。
均整の意識の違い、背景や鹿に装着するモチーフの有無がみられた。
しかし、同じ春日信仰の元で制作され、また上記の鹿の姿のモ
結果として本作品は完全に春日鹿曼荼羅三十例の特徴を満たしていな
チーフが描かれる、鹿島立神影図という平面作品や他の立体作品と
かったため、どの春日鹿曼荼羅を取り入れたのかは明らかに出来ず、
は比較しなかった。さらに制作者や制作依頼者、制作目的などの考
春日鹿曼荼羅の図像を完璧に参考にしたとは、言えない。
察は状況証拠による推測のみであり、断定するには不充分である。
《春日神鹿御正体》と春日鹿曼荼羅との関係性
とはいえ、《春日神鹿御正体》に関しては、立体化するために参
考にしたとされる春日鹿曼荼羅の図像分析と図像と形状の比較を通
して、両者の関係性をより明確に出来たのではないだろうか。
本作品がどの段階まで春日鹿曼荼羅を参考にしたのかという問題
について、さらに以下の点から指摘したい。
[主要参考文献]
○久保智康「春日神鹿御正體」
(『國華』112巻
3 号、2006年、p.35∼ 39)
127
卒業研究・作品
美人画における眉の表現について
About the expression of th eyebrows inBijingain modern Japan.
林 朝海
Hayashi, Asami
文化マネジメントコース
はじめに
からの文化が本格的に輸入されたことにより、冒頭で述べた通り、現
女性を見る際に、一番注目する部分はどこであろうか。目や口に
にはおよそ明治時代までは、それ以上の役割があった。眉化粧が行わ
在では女性の印象づくりを支える間接的な役割でしかない。しかし眉
目がいくということは至極当然であるが、眉に注目したことはある
れていたことは日本最古の書物古事記にも記載されていることであ
だろうか。ところで、平成25年の流行語候補に「困り顔メイク」
り、それが身分によって決められていたのは、平安時代ごろからであ
というものが挙がった。これは眉を八の字に、目をたれ目にメイク
る。国風文化の隆盛によって、もともとの眉をすべて抜き、生え際を
することで、か弱さをアピールする化粧法のようである。このこと
剃って額中央に楕円形の眉を描く化粧法が行われていた。また、眉化
からもわかるように、眉は顔全体の印象を決める部分である。で
粧は限られた一部の身分の者しか行わなかった。そのため、この頃か
は、美人画において眉とはどのような役割を果たすのだろうか。女
ら眉は身分、年齢、既婚を表すものであった。そして眉化粧の文化が
性を見る際と同じく眉に注目することは稀であるが、美人画にとっ
庶民にまで広く浸透し、栄えたのが江戸時代であり、眉の形が礼法で
て眉は欠かすことのできない重要な部分であると言えるだろう。本
決められるまでに至った。そのため江戸時代では眉を取り上げた礼法
論は膨大な美人画の定義について述べた後、眉化粧の変遷から美人
の書物や化粧法の書物が無数にまとめられた。
画における眉の重要性を論じることを目的としている。
美人と美人画
このように現在では印象を変えるためだけの眉は身分、年齢、既
婚を示す礼法で決められたものなのである。従って眉は女性の見た
目に影響を与えるだけでなく、その女性がどのような人物なのかを
伝える役割を持つと言えるだろう。そして実際の化粧だけでなく美
美人画の定義は非常に曖昧である。しかし我々は「美人画」と聞
人画においても重要であったことは、上村松園の『眉の記』より、
くだけで、具体的かつ鮮明にその作品の数々を思い浮かべることが
「美人画を描く上でも、いちばんむつかしいのはこの眉」であろう
できるのである。そこで、いくつかの定義を挙げながら美人画の定
という言葉からも窺える。
義について述べていきたい。まず美人画は時代によって変化する
「風俗」を捉えたものであるという内容は多くの定義に共通するも
のである。また美人画という名称からも、女性を「理想化」してい
美人画での眉
ることが絶対的条件であり、これら2点を定義の中核としたい。更
以上をふまえて、近世の美人画家として上村松園、鏑木清方、池
に美人画は展覧会場などの公の場で展示されることを前提として描
田輝方と蕉園の4人3組の画家を取り上げ、その作品と眉について見
かれているため、卓上芸術の浮世絵や小説の挿絵などとはその普及
ていきたい。
範囲や技法は異なり、西洋美術の裸婦とも表現目的が異なるもので
松園は、その存在なしで近世美人画を語ることができない程、美人
ある。また女性たちは戦後の近代化社会によって洋服に身を包むこ
画にとっては大きな存在である。それは松園が生涯を通して「女性の
ととなるが、このことから着物が美人画の定義において必要であっ
美」または「母の美」を探し求めたからであろう。松園の晩期の作品
たのではないかと考える。以上のことから美人画とは理想化された
には母性あふれる母の姿がよく描かれており、眉に注目するとそれは
美人の「顔」そして「着物」を纏った女性の描かれている絵画とい
母になった証として眉を剃り落す「青眉」が描かれている。ここで具
う、非常に限定された範囲のものであると定義付ける。
体的な作品として昭和11年に描かれた《秋の粧》(図1)について
更に美人画に描かれている美人も、画家の理想の込められた「理
見ていきたい。母と娘が仲むつまじく紅葉狩りを楽しんでいるところ
想」の美人であるだろう。それら美人は現実の世界に存在することは
だろうか、母のつつましさと娘の華やかさが対比的に描かれている。
ない、あくまでも幻想である。また美人の条件として「色白」や「瓜
この母も青眉に描かれているが、青眉について松園は自身の描いた青
実顔」、「柳腰」という要素がよく挙げられる。これらは男性主体の
眉はすべて自身の母をモデルにしていると述べている。松園にとって
社会によって生まれた典型化された条件であることからも、美人そし
青眉は母親の面影であったのかもしれない。またこの作品から眉は既
て美人画は男性たちに作られた定義であることが言えるだろう。
婚を示し、母と娘という女性の年齢も表している。
眉の歴史
次に眉の歴史について述べていくこととする。眉は明治時代に西洋
128
次に清方について見るが、清方も美人画を語る上で欠かすことの
できない存在である。清方は浮世絵師出身の日本画家、水野年方に
支持し、自身も泉鏡花の小説に挿絵を付けるなどその活躍の幅が非
常に広い。しかし美人画自体にまだ社会的な悪評が多かったため、
卒業研究・作品
清方はその名誉を
回すべく松園と気品あふれる美人画を生み出し
ていったのである。その活躍と西洋からの浮世絵の再評価により美
人画に対する評価も見直され、現代では決して低いものではなく
なっている。清方の作品について見ていくと、清方の描く女性の眉
は細くおだやかな弧の眉が濃く描かれていることがわかる。この眉
は三日月眉と言い、美人の形容の典型的な一例である。ここで大正
6年に描かれた《薄雪》(図2)を見てみたい。描かれた女性の眉
は、清方の描く眉のもうひとつの特徴的な眉である。顰めた眉で、
顰に倣うという故事にもあるように、男性はこの眉から女性のか弱
さや艶めかしさを感じるのである。また描かれた女性の感情の
れ
をも描き出しているだろう。
最後に池田輝方、蕉園夫妻であるが、前述の二人に比べて未だ知
名度は低いが、二人に勝るとも劣らない非常に優れた作品を残して
いる。清方に同じく水野年方に支持した夫妻は合作をよく描き、お
しどり夫婦として当時有名だった。輝方の描く女性は艶めかしさと
内に秘める狂気さを持ち合わせ、歌舞伎など芝居に取材する作品が
代表的である。一方、蕉園はあどけない可憐な女性を描くことを得
図1
図2
意としていた。二人の描く女性の眉はある程度の太さを保った柔ら
かな眉がほとんどではあるが、どれも描かれた女性に合わせて多様
な眉を描いているだろう。具体的な作品として大正初期に描かれた
とされる《さくら》(図3)を見てみよう。右を輝方、左を蕉園が
描いている。輝方の描く女性の眉は茫眉という幼い女性に施す眉
で、眉の幼さと大人びた表情により艶めかしさが強調されている。
蕉園の描いた女性の眉は三日月眉でおっとりと上品に見えるだろ
図 1.「秋の粧」
(部分)
上村松園
昭和 11 年 絹本着色 一幅
『アート・ギャラリー・ジャパン 20 世紀日本の美術 上村松園/伊東
深水』
1986 年
う。更に眉と目の間が非常に広く描かれているが、江戸時代にまと
められた『都風俗化粧伝』によれば眉と目の間をわざとゆったりと
空間を作ることが、当時上品とされていたようである。
以上のことから見ても、美人画の眉は、女性の基本的な情報を伝
図 2.「薄雪」(部分)
鏑木清方
大正 7 年 絹本着色 一幅
『美人画の系譜ー鏑木清方と東西の
名作百選福富コレクション』
2009 年
えていると言えるのである。
おわりに
以上のことから、多様な美人画が誕生することによって美人画の
定義は既に曖昧さを超えて、破綻しているように考えられる。そし
図3
図 3.「さくら」
(部分)
池田輝方・蕉園
右幅・輝方、左幅・蕉園
大正時代 絹本着彩 双幅
『美人画の系譜ー鏑木清方と東西の
名作百選福富コレクション』
2009 年
て、美人画において眉は描かれている女性の基本的な情報を提示す
るために大きな役割を果たしていると言うことができるだろう。
現代の私たちに眉を身分や年齢によって変えるという習慣はない
が、明治時代までは眉の存在がこれほどまでに重要視されてきたの
である。このように顔の中で、描いたり剃ったりすることで一番変
化を与えることのできる眉を、身分や年齢を伝える印として選んだ
ことは必然的であったように考えられはしないだろうか。
[主要参考文献]
○
『日本美人画一千年史』 (2002年、株式会社人類文化社)
○
『現代日本美人画全集 上村松園、鏑木清方、日本画編名作選Ⅰ』
(1979年、株式会社集英社)
○
『特別展 美人画の誕生』展図録 (1997年、山種美術館)
○
『眉の文化史(眉化粧研究報告書)』 (昭和
60 年、ポーラ文化研究所)
129
卒業研究・作品
西洋絵画における女性の死の表現
- ヴィクトリア朝の女性像の変遷を中心に -
Representation of Death of Women in the Western Art
-Focus on the Transition of Female Images in Victorian Era永田 玲
Eida, Rei
文化マネジメントコース
土手から斜めに柳が生え、
ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96)の『オフィーリア』は、
小川の水面に白い葉が映るあたり。
それらの中で代表的な作品であり、ミレイ自身の代表作でもある。
あの子はその枝で豪華な花飾りを作っていました。
画面から識別できるほど細密に描かれた植生は自然主義的な側面が
金鳳花、刺草、雛菊、それから、
あると同時に、その一つひとつがオフィーリアの人格や運命を暗示す
口さがない羊飼いたちが卑しい名前で呼ぶけれど、
る複雑な象徴体系を示している。これはミレイが所属していたラファ
純潔な乙女たちは死人の小指と呼んでいる紫蘭――
エル前派の特徴でもある。生と死の間を彷徨っているかのようなオ
そのすてきな花輪を、垂れた枝にかけようと、
フィーリアの表情は恍惚としているようにも見え、悲劇的な場面であ
柳によじ登ったとたん、意地の悪い枝が折れ、
るにも関わらずその姿は神々しいほどの美しさに満ちている。
花輪もろとも、まっさかさまに、
ミレイの『オフィーリア』だけでなく、本来怖かったり痛ましかっ
涙の川に落ちました。裾が大きく広がって、
たりするはずの死を美しく描いた作品は多く、その中でも、とりわけ
人魚のように、しばらく体を浮かせて――
女性の死を扱った作品は特別な魅力があるように思われる。
そのあいだ、あの子は古い唄を口ずさみ、
自分の不幸がわからぬ様子――
まるで水の中で暮らす妖精のように。
ヴィクトリア朝の理想の女性像
でも、それも長くは続かず、
ミレイの『オフィーリア』が描かれた 19 世紀イギリスのヴィクト
服が水を吸って重くなり、哀れ、あの子を
リア朝は、産業革命によって国民の生活が変わり、上中流階級と労働
美しい歌から、泥まみれの死の底へ
者階級の間に横たわっていた深い溝が徐々に埋められていき、女性自
引きずりおろしたのです。
身にも女性を取り巻く状況にも大きな動きが見られるなど、急激な大
( シ ェ イ ク ス ピ ア『 新 訳 ハ ム レ ッ ト 』 河 合 祥 一 郎 訳 角 川 文 庫、
変革の時代であった。
2003 年)
ヴィクトリア朝には、理想の女性を示す「家庭の天使」という言葉
がある。これはもともと、コヴェントリー・パトモア(1854-63)
これは、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』に登場する少女、オ
の同名の詩『家庭の天使』(1854-63)に由来するものである。こ
フィーリアの死の場面である。舞台ではこのオフィーリアの死の場面
の詩は家庭の幸福を謳い上げ、「天使なるかな、わが妻は。そのはぐ
はなく王妃ガートルードによって語られるのみだが、19 世紀には美
くむは清き愛」と妻を称えたもので、陳腐な内容であったが、一般に
術作品の題材として人気があり、多くの画家によって描かれている。
広く親しまれていた。
「家庭の天使」という響きは、謙虚や従順、清
ジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』
らかさなどを喚起するため、中産階級の理想の女性を示すキャッチフ
レーズとして広く用いられるようになった。
「家庭の天使」には、家
庭という場で、両親に仕える従順な娘であり、夫を支える良き妻であ
り、子供を慈しみ正しい方向へと導く良き母であり、かつ召使を統べ
る賢い女主人としての役割が求められた。
「家庭の天使」渇望に拍車をかけた要因は、職場と家庭の完全なる
分離、対立を背景とした家庭神聖化の風潮である。利益追求の激化や
商業精神の蔓延により、職場は金銭授受の人間関係しか結びえない場
であるのに対し、家庭は愛を絆とする人間関係の維持が唯一可能な場
であるとされた。当時の人々は家庭こそが精神的オアシスであると
し、そこで魂の浄化をもたらす天使の役割を女性に与えたのだ。
画像 1 ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』
1851 ∼ 1852 年 ロンド
ン、テート・ギャラリー 油彩・カンヴァス 76.2 × 111.8 /高階秀爾『大系世界の
美術 第 19 巻 近代美術』学習研究社、1973 年、図版 72
130
卒業研究・作品
「新しい女」の登場
19 世紀半ば以降のイギリスでは、適齢期の女の数に見合うだけの
適齢期の男の数が大幅に不足し、夫を見つけられない「余った女」が
大量に出現した。
『ヴィクトリア時代の女性たち――フェミニズムと
家族計画』(1980)の著者バンクス夫妻によると、この男女の数の
す存在であった。彼女たちの中には、結婚以外のキャリアに自分の道
を見出す者や、合法的な結婚を斥け男女の自由な結び付きを主張する
者、あるいは自らの女性性に目覚め、その自己実現を希求する者もい
た。彼女たちの「新しさ」はまさに多種多様であるが、いずれにせよ、
「家庭の天使」という理想像を否定し「女なるもの」の捉え直しを迫っ
ていた。
アンバランスは、男女の死亡率の相違、海外移住に関する両性間の相
違、上流および中流階級男性の晩婚の傾向など、主として 3 つの原因
本論文ではミレイの『オフィーリア』を手掛かりに、理想の女性像
に由来する。もちろん夫を見つけられなかった女はいつの時代にも存
とされた「家庭の天使」や、「家庭の天使」になることができなかっ
在したがヴィクトリア朝ほど大量の未婚女性を構造的に生み出した時
た「余った女」、そしてそこから誕生した「新しい女」と、大きく変
代はなく、1851 年のセンサス報告書が男性に対する女性の数の過剰
化していったヴィクトリア朝の女性像と関連付けながら、女性の死を
を明らかにして以来、統計的に結婚不可能な「余った女」の存在は無
描いた作品の魅力について考察する。
視できない社会問題となった。
「家庭の天使」になることができなかった彼女たちは経済的自立を
図る必要に迫られたが、ヴィクトリア朝の社会通念からすると、中流
以上の女性たちにとって、働いて賃金を得ることは恥ずべきことであ
り、いわゆる淑女と呼ばれる女性たちが理想的な家庭を作る教育をう
けていながら金銭稼ぎにたずさわることは、身を落としたことと同じ
であった。その中で、淑女が身分を失うことなく就ける唯一の職業
は、ガヴァネス(女性家庭教師)であった。また一方で、当時は女子
のよい教育機関がなかったことや、教育方法として安上がりであった
こと、そしてなにより、中産階級の妻たちの「上流気取りの道具立て」
となっていたことから、ガヴァネスに対する需要も高まっていた。し
かし、かつてないほど大量の未婚女性がガヴァネスの職を求めるとな
れば、雇用条件の悪化は避けられない成り行きであった。
失業、病気、教育、高齢化によるガヴァネスの経済的困窮を背景に、
その救済策を模索する動きは、教育の機会および職業の選択における
男女不平等の現実を揺さぶる大きなエネルギーを生み出した。こうし
て、ガヴァネスを中心とする「余った女」の経済的問題を契機に起
こったイギリス・フェミニズム運動は、やがて高等教育の拡大、選挙
権の獲得、道徳におけるダブル・スタンダードの見直しへと発展して
いく。「家庭の天使」を理想の女性像としたヴィクトリア朝の社会で
あったが、「余った女」が自立のためにガヴァネスとして働くことを
選択し、また社会もガヴァネスを必要としたことから、女性の生きる
道が「家庭の天使」だけではないことを、女性の新しい生き方がある
ということを、認めざるをえない時代を迎えたのであった。こうして
ヴィクトリア朝後期には、「余った女」を背景に新しい女性の生き方
が生まれた。良妻賢母の「家庭の天使」に代わって登場する「新しい
女」たちである。
「家庭の天使」たちが、精神的オアシスである家庭
を護り、夫や子供を支える存在であったのに対し、
「新しい女」たちは、
そのような伝統的な女の役割および本性だとされていたものを問い直
[主要参考文献]
○川本静子 『〈新しい女たち〉の世紀末』みすず書房、1999 年
○ V.T.J
アークル 『イギリスの社会と文化 200 年の歩み』松村昌家訳、英宝
社 2002 年
○佐久間康夫
2002 年
中野葉子 太田雅孝 『概説 イギリス文化史』ミネルヴァ書房、
131
卒業研究・作品
G.F. ワッツの身体表現の考察
A study on the Representation of Figures in G.F.Watts s Painting
岡田 実沙子
Okada, Misako
文化マネジメントコース
要旨
2.芸術に対する野心
ジ ョ ー ジ・ フ レ デ リ ッ ク・ ワ ッ ツ(George Frederic Watts,
ワッツ自身の芸術に対する考えについて、
「芸術というのは、自宅
1817-1904)は、19 世紀イギリス・ヴィクトリア朝の画家である。
に飾る家具の一つというよりも、人をより良く高める財産として見ら
近年の研究ではワッツの作品の特質について、暗示的な画面や思想的
れるべきものである」
という言葉を残している。ワッツは自身の作品
な画題が注目され、象徴主義や唯美主義といった美術動向の中で評価
について、個人のための商業的なものではなく、人をより高めるもの
する傾向にある。そのため、日本でも世紀末の象徴主義に関する文献
であるべきであると主張し、美術館や公共の場で作品を展示する計画
の中でしばしば紹介されている。
を立てていた。
だが、その見解では、ワッツの作品の持つ重要な特質を見落とすこ
またワッツは、自身の作品は「nation」ないし「public」に向けた
とになる。それは、当時のヴィクトリア朝で好まれた様々な美術様式
が画中にとり入れられている点である。ヴィクトリア朝では、国内外
のあらゆる美術に関心が向けられ、画壇は多様な様相を見せている。
の遺産」と称す記述が記録に残っている。本論文では「nation」ない
ワッツの作品にも、当時のヴィクトリア朝画壇と同様に、多種多様な
し「public」は、
「芸術に関心を寄せた教養あるヴィクトリア朝の人々」
美術様式がとり入れられている。
と広義に定義しておくが、このようなワッツの野心は、画中の多様な
このような観点から、ワッツの作品は、より多角的な視点から評価
様式をとり入れた表現に表れていると考える。
することが出来ると考えられる。そこで、明らかにされ得るワッツの
長年の間、大陸の伝統的な美術理論が確立していなかったイギリス
特質として、画中人物の身体表現に着目する。これまでは、象徴主義
では、19 世紀になっても保守的なものも前衛的なものも明確に区別
や唯美主義との関係性から、専ら画題や色彩表現が注目され、身体表
されることなく、人々は様々な芸術を享受していた。このような社会
現の考察はあまり重視されていない。しかし、多様な美術様式をとり
背景を持つ「芸術に関心を寄せた教養あるヴィクトリア朝の人々」へ
入れたワッツの作品には、身体表現を重視する新古典主義的性質も見
自身の作品を遺贈するという目的のため、ヴィクトリア朝の様相を反
ることができ、そこには評価すべき特質が表れている。
映するように、ワッツの作品には多様な美術様式がとり入れられてい
本論文は、ワッツが多様な様式を画中にとり入れていることを証明
ると推察される。
し、特に画中の身体表現にみられるワッツの作品の特質を明らかにし
た上で、ヴィクトリア朝の画家としてのワッツの位置づけについて再
考察することを目的とする。
1.先行研究の検討
近年の研究では、ワッツは当時から《愛と死》
(1885-87 年)な
3.様式の試行錯誤
まず、ワッツが画中にとり入れた要素として、古代ギリシア・ロー
マの芸術が挙げられる。ヴィクトリア朝は、古代ギリシア・ローマの
芸術への関心が顕著に表れた時代であった。特に、19 世紀初頭にイ
ギリスにエルギン・マーブルスが持ち込まれると、古代ギリシア彫刻
に注目が集まり、さらに 19 世紀中葉には古代ギリシア・ローマの遺
の画家に影響を与えていたことが明らかにされている。また、古代ギ
跡の発掘事業が最盛期を迎えた。このような関心事を反映するよう
リシア彫刻やヴェネツィア派の色彩表現などを模範としていた唯美主
に、ワッツはエルギン・マーブルスの素描を重ね、19 世紀中葉には
義運動が活発になる頃、ワッツも古代ギリシア彫刻とヴェネツィア派
古代遺跡の発掘調査にも立ち合い、これらの経験からワッツの作品に
の色彩を学び、画中にとり入れようと試みていた。
は古代ギリシア彫刻を霊感源とする表現が隨所で見られる。
しかしワッツ作品には、象徴主義や唯美主義以外にも、当時のヴィ
さらに、ワッツは唯美主義以外にも、同時代の国内外の画壇に目を
クトリア朝の画壇で注目されていた美術様式が同じ画面の中で様々に
向け、その様式を研究していたことが作品から判断できる。イギリス
試されていると判断できる。この特徴は決して見落としてはならな
のラファエル前派や、アングルなど同時代のフランス画壇に見られる
い。何故ならば、当時注目されていた多様な美術様式を画中にとり入
様式が画中で実験的にとり入れられている。
れるという特徴は、ワッツ自身の芸術に対する考えを踏まえても、重
このようにワッツは、「芸術に関心を寄せた教養あるヴィクトリア
要な特質であると考えられるためである。
朝の人々」が享受した国内外の様々な芸術の要素を画中にとり入れる
ことで、ワッツが抱く理想的な芸術作品を完成させていたと考えられ
132
卒業研究・作品
る。つまり、ワッツの作品の特質は、これまでの研究のように象徴主
質や感情などを伝える役割を担っていると推測できる。
義や唯美主義といった美術動向の中でのみ評価する必要はないわけで
さらに、画中の人物の手と手を重ねるという所作には繊細な量感表
ある。
現が完成されおり、ここから鑑賞者は人物同士の関係性や心情を読み
そこで、多様な美術様式がとり入れられたワッツの作品の特質に
解ける。伝統的な大陸の美術様式の中でも、手が接触するポーズは人
ついて、イギリスの新古典主義的性質としての身体表現に着目する。
物の関係性などを表すことが指摘されている。背景や装飾物を最小限
ワッツは理想的な人体表現の完成のため、様々な構図の素描を重ねた
まで省いているワッツの作品の中でも、手と手の交わりは人物の関係
身体表現を心掛けていた。このような洗練された身体表現は、ワッツ
性や心情などを示す重要な役割を担っている。
の作品において重要な特質の一つであると考えられる。
4.身体表現にみるワッツの特質と新古典主義
例えば《愛と生命》
(1882-93 年)は、画中のやせ細った女性を生
命、羽を背に抱えた者を愛のアレゴリーとし、愛が生命の手を引き断
崖を登る姿から、愛が生命を支え、より高尚なものへ引き上げるとい
う思想を表した寓意画である。生命は不安と安
の色が混ざったまな
古典彫刻に学び、背景を極力省き、身体そのものの表現に重きを置
ざしで愛を見つめ、愛も生命に顔を向けて、優しく微笑みかけている。
く新古典主義的様式は、ワッツの生涯の作品の中で見ることが出来
しかしながら、愛と生命の性質や関係性などは、顔の表情だけでは
る。さらに、新古典主義的要素とワッツの身体表現を結びつけること
なく、手の表現からも十分に読み解くことが出来ると考える。生命の
が出来るならば、ワッツの作品における素描の重要性も認められるだ
細くか弱い印象を与える指先は、心身共に弱っている姿を鑑賞者に想
ろう。新古典主義では、色彩よりも素描が重視され、理性的な形態把
像させ、一方で、愛の太く大きな手からはその力強さや包容力の大き
握が必要とされていた。ワッツも同様に素描を重視し、1 つの絵画作
さを伝えている。また、重ねられた手の所作について、恐る恐る愛の
品を制作する上で、様々な構図の人体素描を何枚も重ねていたことが
手に添えた生命の手の表現からは生命の不安な心情が伺え、さらに、
明らかになっている。
強引ではなく優しく生命の手を包み込む愛の手の表現には、生命が愛
また、ワッツが残した多くの素描から、ワッツは理想的な身体表現
の支えを必要とするまで待つ愛の寛大な姿勢が表れていると考えられ
の完成のために体のあらゆる部位に細心の注意を払っていたと判断で
る。
きる。実際に、老若男女の顔から手足の指先までのあらゆるポーズの
このように、手と手が触れ合うといった単純な手の所作にも、絶妙
石膏や素描が、現在もワッツ・ギャラリーで保管されている。ここで、
な量感表現が完成されている。以上のことから、「芸術に関心を寄せ
身体の部位の中でも特に注目したいのは、画中人物の手である。何故
た教養あるヴィクトリア朝の人々」に向けたワッツの作品の特質とし
ならば、ワッツの作品の中で、特に手の部分には素描を重ねた堅固な
て、指先まで細心の注意を払った丁寧な身体表現に着目することが可
量感表現が達成されていると理解できるためである。
能なのである。
5.手の表現
まとめ
大陸の伝統的な美術様式では、手のポーズや量感表現から画中の人
ワッツは当時のヴィクトリア朝の人々が関心を寄せていたあらゆ
物の心情や関係性を鑑賞者に読み解かせていたとされている。前述し
る美的要素を画中に実験的にとり入れていると判断できる。さらに、
たように、ワッツの身体表現に新古典主義的性質が認められるなら
ワッツの作品は象徴主義や唯美主義だけではなく、新古典主義的性質
ば、画中の手の表現が持つ意義を無視することは出来ないだろう。さ
も持ち合わせており、ことに画中の身体表現には評価すべきワッツの
らにワッツは、手首から指先にかけての部分で多様なポーズをとった
特質が表れている。特に手の表現にワッツの技巧が顕著に表れてお
彫塑や素描を数多く残していることからも、ワッツが手の表現に細心
り、古典的な量感表現が達成されている。
の注意を払っていたことが伺える。さらに、完成された絵画作品から
以上で述べたように、多種多様な様式をとり入れたワッツの作品
も、画中の手の表現の重要性を明らかにすることが可能となる。
は、「芸術に関心を寄せた教養あるヴィクトリア朝の人々」が求めた
ワッツの作品の中には、人物の身体や顔の表情を自然物や構図に
芸術の理想が反映されていると判断できる。つまり、当時のヴィクト
よってあえて隠すような表現が随所で見られる。これとは対照的に、
リア朝の流行に敏感に反応し、それらの要素を画中に調和させたワッ
画中の手ははっきりと描かれる傾向にある。隠した部分では鑑賞者の
ツは、まさにヴィクトリア朝の芸術に対する理想を体現した画家とし
想像力を刺激し、一方で、はっきりと描かれた手は、画中の人物の性
て位置づけられるのである。
133
卒業研究・作品
アンディ・ウォーホルの反復表現による没個性
Andy Warhol s Repetitive Expression- its lack of individuality
前田 千里
Maeda, Chisato
文化マネジメントコース
現代芸術の身近さと難しさ
犯などの、アメリカ社会の暗い側面についても描かれている。当時の
21 世紀を迎えた今日では、芸術と社会とがお互いに影響し合い、
まざまなゆがみが発生していた。公害や犯罪の増加、人種や性別間で
入り混じっている。高度消費社会、複製技術が発展した時代での、資
の格差の広がりなどがその例である。しかし、ウォーホルは、それら
本主義システムとの関わりの中で、芸術がビジネス化されたのであ
のゆがみを称賛するわけでも批判をするわけでもなく、ありのままの
る。
現代芸術の作品は、ただ見るという視覚的行為だけでは理解するこ
とがきわめて難しいものが多くある。私たちが、ある現代芸術作品に
対面した時に、これは芸術だと言うことができるのだろうか、そもそ
アメリカは、世界大国へと躍進する一方で、急激な経済成長によるさ
「事実」として作品の表面に押し出したのである。
複製技術の発展
も芸術とは何なのか、などという疑問を持つことも多いだろう。現代
ウォーホルの作品は、複製可能な写真と、シルクスクリーンを用い
芸術は、常に本質を理解するための知識を要求する。また、その定義
ている場合が多い。したがって、そのような複製技術とウォーホルと
が曖昧であり、そのうえ、表現技法や表現領域が多岐にわたるため、
の関わりを論じていく。
現代芸術作品の本質の理解は難しい。その一方で、私たちの生活の中
複製技術の発展によって、芸術経験は変化した。写真技術が登場す
に芸術作品は入り込んでおり、大衆や社会全体の現代芸術への関心は
るまでは、文学や民謡、民族音楽のような限られたものだけが反復
高まっている。このように、現代芸術は、難解さと身近さを持つ、と
可能だったが、これらの繰り返しにはある程度の時間が必要だった。
いうところが魅力ではないだろうか。現代において、現代芸術が発生
しかし写真技術は、言葉や文字、身ぶりを超越し、誰もが文字を読
した歴史的背景や、その意義について考えることは、現代社会を生き
む必要すらなく、瞬時に情報を伝達でき、かつその情報を大量に複
る私たちにとって、その生き方を考えることにも繋がると私は考え
製できるようになった。20 世紀に入ると、シルクスクリーンという
る。現在もなお私たちに生きる意味を問い続ける、現代芸術に革新的
複製技術が登場し、写真とならんで、広告や芸術の分野に用いられ
な影響を与えたアンディ・ウォーホル(1928 年∼ 1987 年)につい
るようになる。とりわけシルクスクリーンは、ウォーホルが多用し
て論じていく。
た技法であり、ウォーホルの芸術を理解するためには欠かせない複
ポップ・アートの象徴であるアンディ・ウォーホル
製技術である。
だが、ウォーホルが複製技術であるシルクスクリーンを使用してい
るからといって、ウォーホルの作品自体が複製作品だ、オリジナルで
第二次世界大戦前は、芸術の中心地はヨーロッパであり、とりわけ
はなく複製だ、と主張することができるだろうか。確かにシルクスク
パリだった。しかし、第二次世界大戦が起こり芸術家を含む多くの
リーンは、大量の複製を可能にした複製技法の代表の一つであるが、
人々がヨーロッパからアメリカ合衆国へと亡命した。それによって、
一方で、全く同じものがプリントされるということはあり得ない。な
芸術の中心地もアメリカ合衆国へ移行した。
ぜなら、その時々のインクの量によって濃淡に差ができることがあ
第二次世界大戦後は、抽象表現主義が芸術の主流だったが、1950
る。また、かすれが生じることもあれば、ずれが生じることもある。
年代後半に入ると、ネオ・ダダが発生し、その影響でポップ・アート
つまり、シルクスクリーンの技法を用いても、完全に同一の複製作品
が出現する。初期のウォーホルはとくに、グラフィック・デザイナー
は生まれないのである。
として、デッサンやイラストを中心に活動した。1960 年頃からは、
広告掲示版やパッケージのような広告において使用される没個性的
グラフィック・デザイナーから芸術家へ転身し、シルクスクリーンを
な技術の借用はあるにしても、作品自体は完全な複製ではないのであ
使った絵画の大量生産を始める。シルクスクリーンとは、孔(あな)
る。また、ウォーホルの作品は完全な複製作品ではないと同時に、オ
をインクが通過することで印刷される、孔版という版画技法の一種で
リジナルが存在しない。ウォーホルの作品はオリジナルを持たない複
ある。キャンベル・スープ缶のシリーズや、マリリンのシリーズなど
製、つまり、シミュラークルとしての芸術作品に非常に近い状態にあ
の作品が注目されるようになり、一躍人気のポップ・アーティストと
る。シミュラークルな芸術は、オリジナルを持たないという性質を持
なった。
つ商品と非常に似ている。つまり、ウォーホルの芸術は、消費社会と、
ウォーホルが描いたのは、コカ・コーラの瓶やブリロの箱、ドル札
その背景にある複製技術の発展と強く結びついているのである。
のような大衆文化で親しまれている、アメリカ社会の発展的な明るい
側面だけではない。絞首刑の処刑台や電気椅子、事故現場、指名手配
134
卒業研究・作品
ウォーホルの反復表現
結論
ウォーホルは、シルクスクリーンの技法を用いた作品の制作を始め
ウォーホルは、自分は無だ、機械だ、と主張し続け、表面的である
る前は、グラフィック・デザイナーとして、大衆になじみのあるイメー
ことを追求し、個性的であろうとはしなかった。写真も複製可能であ
ジの素描を行っていた。この頃からすでに、大衆イメージを作品化す
り、シルクスクリーンという技術自体も没個性的なものである。しか
るだけではなく、これらのイメージの連続性の意味を追求し始めてい
し、技術は没個性的であってもウォーホルの作品には個性がある。表
た。最初に、ウォーホルの素描や作品にみられる反復の要素は、同一
面的で無の状態を目指す一方で、そこにウォーホルの考えがかえって
のイメージを個々の異なった方法で示すことにより示された。例え
あらわになっているという矛盾こそがウォーホルの個性であり、魅力
ば、さまざまな靴を繰り返して描いたものや、多種多様な昆虫を反復
なのではないだろうか。だからこそ彼の作品は私たちを魅了し続けて
して描いたものがある。
いるのではないかと私は考える。
シルクスクリーンの技法を用いるようになってからは、ウォーホル
ウォーホルが主題として扱った社会や、死、時間などの概念は普遍
の反復に対する追求は深くなり、表現が変化していく。それまでは
的であるためにその作品は、私たちに生きる意味を常に問い続けてく
ジャンルが同一でも一つひとつ違う作品だったが、ある全く同一のイ
る。ウォーホルは特徴的な反復表現によって、人間の本質に接近した
メージに基づいたコピーが作られるようになった。制作過程をシルク
のではないだろうか。
スクリーンという機械に従属させることで、自分自身も機械つまりメ
ディアの一部になろうとしたのである。全く同一のイメージと言って
も、シルクスクリーンの技法を用いた作品には、技術的なハプニング
が必ずついてくる。ウォーホルはこのハプニングによる誤差の不可避
性を重視した。
ウォーホルは反復表現によって、とくに何らの意味を持たない無の
状態を目指したのだということがしばしばいわれる。ウォーホルが作
品で取り上げる主題自体は、大衆イメージでも特になじみがあった
り、時代を彩るスターであったり、世界全体での政治的支配者であっ
たり、衝撃的な事故現場であったりと、大衆のほとんどが理解できる
「生」の出来事である。さらに、写真を用いることによってそれをあ
りのままの「事実」として表面に押し出している。それはあくまでも
中立的で称賛も批判もない態度のように見える。
しかし一方で、反復表現を通してウォーホル自身が意図的に観照者
に、社会的発展に対する称賛的態度か批判的態度、もしくはそれ以外
の何かを伝えようとしていたことが分かる。反復表現を用いた作品制
作の背景には、大量生産される商品に代表される消費社会と資本主義
システムの特徴や、時間の経過によって薄れていく記憶、死に対する
トラウマの克服への執着など、社会や、死、時間などに対するウォー
ホルの考えが表れている。反復表現を用いることによって、表面的で
無の状態を装う一方で、結果的にウォーホルの強い主張が表されてい
る。この矛盾こそがウォーホル特有の個性であり、それは反復表現に
よってさらに際立たせられている。
『マリリン』アンディ・ウォーホル 1967 年 10 枚のポートフォリオから
9 枚の紙にシルクスクリーン 各 91.5 × 91.5cm 個人蔵
Kynaston Mcshine, Robert Rosenblum et al., Andy Warhol A
Retrospective(Museum of Modern Art, 1989)p.220
[主要参考文献]
○アンディ・ウォーホル、
『ぼくの哲学』、落石八月月訳、新潮社、1998 年
○ ヴァルター・ベンヤミン、
『複製技術時代の芸術 ヴァルター・ベンヤミ
ン特集 2』、佐々木基一編、晶文社、1970 年
○ジャン・ボードリヤール、
『芸術の陰謀 消費社会と現代アート』
、塚原史
訳、NTT 出版、2011 年
○アンディ・ウォーホルほか、
『ポッピズム ウォーホルの 60 年代』、高島平
吾訳、文遊社、2011 年
○小西信之、
「反復としてのオリジナリティ」、『西洋美術研究 No.11 オリ
ジナリティと複製』、西洋美術研究編集委員会編、三元社、2004 年
135
卒業研究・作品
フランク・ロイド・ライトにおける「精神」と「自然」
Study on Spirit and Nature of Frank Lloyd Wright
大道 映典
Ohmichi, Akinori
造形建築科学コース
はじめに
超えた大きなものとして、自身の建築理論において重要なものとなる。
「第二黄金期」にあたる1939年に行われたロンドン講演にて「建築とは
フランク・ロイド・ライト(1867-1959)はアメリカの建築家で
何か。」という問いに対して、「建築とは、世代から世代へと、また時代
あり、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近
から時代へと、人間の自然に従って、またかれの環境の変化に従って進
代建築の三大巨匠」とされている。ライトの生涯はその活動から3つ
行し、持続し、創造する、偉大な創造力豊かな生きた精神なのである。」
に分けられ、サリヴァンの事務所でも活躍し、住宅を中心に多くの作
(エドガー・カウフマン編 谷川正己・睦子共訳「ライトの建築論」内の
品を残した「第一黄金期」。不倫スキャンダルや数々の不幸に見まわ
章「建築とは何か」p21より)とライトは答えた。ライトにおいて精神は
れ仕事が激減し、そして、帝国ホテルなど日本で作品を残した「不
建築を建築たらしめているものであり、ライトの建築において核になる
毛、失われた時代」。その後カウフマン邸(落水荘)を手掛け再び表
ものである。つまりそれは、建物(building)を建築(architecture)にす
舞台に立った「第二黄金期」とされている。これはライトの研究家で
る唯一のものとして、常に建築に横たわっているものである。建築に内
あるグランド・カーペンター・マンソンによるものだが、ライトの研
在する精神性を見出すことにより、ライトは精神を単なる信仰でなく、
究家の共通の認識として使われている。また、住宅を多く手掛けたラ
また無視することなく、自らのものとした。「精神とは頭脳(知性)のこ
イトの住宅はその各期のスタイルから、プレイリー・ハウス、テキス
とだけでは決してなく、心のことや想像力や手(われわれのいう技術)
タイル・ブロック・ハウス、ユーソニアン・ハウスと呼ばれている。
のことである。しかしその3つ(知性、心、手)が、インスピレーション
ライトは生涯にわたって「有機的建築」という言葉を使ってい
(inspiration)の導きで一つになり一緒になって働くまでは、あなた方が
る。この「有機的建築」という言葉はライトの建築における表現的
精神の真の作品を手に入れることはないだろう。」(
なものとして多くの考察が行われているが、より本質的な建築思想
だと捉えることでライトの建築の根本的な理解に関わるものであ
University of Chicago
Press,Chicago,1945より)ライト
は精神を表現や創造といった活動として語る。それは精神が彼らの表
る。ライトは様々な概念や例えを述べ建築を語ってきたが、生涯一
現、つまり彼ら自身の精神だからである。そして、その時代と場所にお
貫して「有機的建築」というものを使い続けた。
ける人間の建築は同時にその時代と場所をも映し出したものでなければ
ライトが建築を語る上で度々出てくる「精神」、そして「自然」
ならないと考えていた。ライトは自身の建築を自らの精神として、時代
という概念が、ライトの建築思想である「有機的建築」における象
や場所を背負ったのである。そして、活動の結果として建築に精神の表
徴的な言葉として理解し、それらの関係性を読み解くことにより、
現があらわれる。ライトはこれを建築における実体として述べている。
自らの作品を「有機的」と見なしていたライトの建築の本質を明ら
実体は精神であり、背後に要素が隠れているとしている。ライトは実体
かにすることを本研究の目的とする。研究は文献をもとに行う。
ライトにおける「精神」
のパターンを超幾何学的なものとし、自身の建築で多様している。それ
は室内により多くみられ、建築の本質は内部空間にあると考えていたラ
イトの精神の象徴として存在している。(図1)
精神という言葉は非常に抽象的であり、広義的意味でつかわれる
ことが多い。哲学の分野など学問的な面を得意とする一方で、宗教
の信仰などにも使われる全世界共通の概念ともいえる。また、英語
でのspirit、フランス語でのesprit、ドイツ語でのGeistなど各国ごと
で言葉の意味に
かながら違いがみられるが、主だって全体として
アメリカで育ったライトは牧師の多い家系であり、ウェールズ系の宗
教の影響が強いため、精神と宗教の関係はより強い。ライトは自身を
ウェールズ人として、東洋の精神性に対する強い感覚に対して、ウェー
ルズ人も同様に精神的であるとも述べている。ライトがこだわり続けた
東洋とマヤの文化の共通項であると同時に、宗教はライトの思想を支
える自然や神、霊感などの精神的なものの最も身近な存在だった。
しかし、精神という概念は建築に適用する上でライトにとって宗教を
136
図 1 プレイリー・ハウスの代表作ロビー邸の内装における幾何学装飾(1906 )
(「建築と都市 a +u」 2000 年 3 月 臨時増刊号 P45 )
卒業研究・作品
ライトのおける自然
ライトの研究において非常に重要であり、建築のみならずライト自
身の根底にあるとされているのが自然という概念である。自ら有機的
建築を掲げているライトにおいて、自然という概念は不可欠なもので
ある。しかし、ライトによって自然は多く語られているが、その概念
は難解である。ライトは、環境や緑を表すものとして自然を表面的に
捉えることを嫌い、常に自然という言葉に物事の本質を見出してい
た。「あなたが自然を探求するように命ぜられるとき、それは戸外に
出て丘や動物のふるまいかたや表面上見えるものを一 すべきだとい
う意味ではない。自然の探究とは自然、大文字の自然、内的自然、手
の本性、この器具の本性、ガラスの本性を意味するのである。」(遠
藤楽訳『ライトの住宅』より)ライトにおける自然という言葉はここ
での「大文字の自然」、
キャラクターをあらわにしているという。それをライトは自然研究と
し、本性を読み取ることで表現の材料や要素としている。
本性としての自然は、すべての原因と結果の内にある本質として
使っており、建物がそれぞれにとっているフォームと原因である、
材料、工法、目的の自然的な発生でなければならない。そのために
は、原因となる要素を理解し、本質を見極めることが自然の探究に
繋がるといえる。それは代表作であるカウフマン邸(落水荘)にお
いて顕著にみられる。材料である層状の岩盤と斜面の岩肌の表現、
工法としての水平の層を強調するキャンティレバー、滝を見降ろし
周囲との調和を目的として、すべてが本質を生かした自然なものと
して機能している。(図2)
またライト自身、自然という言葉をわれわれにおける神そのもの
の実体として使っているとし、一般的な考えとの違いを述べてい
る。「私がNATURE(自然・本性)という言葉を使う時はほとんど
の人が普通思うのと別の意味で言っています。私にとって自然と
図2 カウフマン邸(落水荘)における材料・工法・目的の自然的発生(1938 )
〈テレンス・ライリー+ピーター・リード編 『建築家:フランク・ロイド・ライト』P242 )
有機的建築
ライトが「愛する師匠」としていたルイス・ヘンリー・サリヴァ
ンは建築界に「形態は機能に従う」といったテーゼを取り入れた。
サリヴァンもライトと同じく有機的建築という言葉を使っていた
が、ライトは決してサリヴァンの継承者ではなかった。ライトに
とって有機的建築は「形態と機能は一つのもの」とサリヴァンの考
えをより発展させた、本質的なものであった。その考えは、生涯ラ
イトにとって変わることのないもので、ライトの建築スタイルとし
て一貫されていた。機能を本質としていたライトにおいて、本性と
しての自然に向き合うことで建築を自らの精神的な活動の場とし
た。「私は今でも有機的建築の理想こそが、起源と源、そして建築
の名に相応しいあらゆるものの強さそして根源的にはその意義を形
づくっていると信じている。」有機的建築はライトの理想であり、
時代から時代、場所から場所へと、そして人から人へと発展し、変
容していく生きた建築思想である。
は、われわれが神と呼ぶもののフォルムそのものです。われわれの
目に見える唯一の神のかたちと言ってもいい。詩的な事実です。自
然はわれわれが決して見ることのできない神の唯一の実体なので
す。」(「CASABELLA japan」 806 建築とは何かーフランク・ロ
イド・ライト)神としての自然に触れることで、生命や原理といっ
た霊的かつ宇宙的なものとの調和を目指した。これは、ライトが影
響を受けたとされている超越主義の思想である。この人間と自然の
関係性は、ライトにおいて精神と自然の関係性として有機的建築を
支えるものとして考えられる。
[引用および参考文献]
○エドガー・カウフマン編 谷川正己・睦子共訳 『ライトの建築論』 彰国社 (1970)
○水上優 『フランク・ロイド・ライトの建築思想』中央工論美術出版(2013)
○テレンス・ライリー+ピーター・リード編 京都大学工学部建築学教室内井
研究室監訳 『建築家フランク・ロイド・ライト』
デルファイ研究所(1995)
○遠藤楽訳 『ライトの住宅』 彰国社(1967)
○
「CASABELLA
○
「建築と都市
japan 」805・806
a +u」 2000年 3 月 臨時増刊号
137
卒業研究・作品
お笑い芸人の歴史と現状
History and Present State of the Comedian
常木 彩
Tsuneki, Hikaru
文化マネジメントコース
はじめに
れは 1953 年にテレビ放送を NHK が開始したことにより、重要なメ
ディアがラジオからテレビへと変化したことに由来する。このブーム
今テレビをつけると、ほとんどの番組にはお笑い芸人が出演してい
の中で人気となったのは落語家のような寄席に出ていた芸人たちであ
る。彼らが出ていない番組を見つけることの方が難しいほど、その存
り、漫才師から奇術師まで様々な芸を行う芸人たちがブームを作り上
在は確固たるものとなっている。芸能界という厳しく思われる業界の
げていた。
中で、その存在感を持っているお笑い芸人に私は興味を持った。彼ら
の歴史と現状を考える。
お笑い芸人の定義
次にブームとなったのが漫才である。特に 1980 年に始まった
「THE MANZAI(フジテレビ)」という番組をきっかけとして爆発的
ブームになった。この世代の芸人をお笑い第二世代と呼ぶ。このブー
ムで中心となったのは漫才であった。この番組は当初予想されなかっ
たほどの高視聴率を獲得し、ブームの予兆を感じさせた。
芸人とは芸道に巧みで、多芸な人を指す。また俳優や落語家などの
第三世代は 1980 年代後期に入ったころの、深夜バラエティを発端
芸能や演芸を職業とする人を指している。
としたブームである。視聴者は若年層が多く、またテレビ局の狙いも
現在では「お笑い」を職業にしている人を芸人と呼ぶことが一般的
若者に向けられていた。この時期は漫才などの演芸ではない、バラエ
である。お笑いとは演芸場で演じられる落語、浪曲、講談といった話
ティとしてのお笑いブームだったと言える。お笑い芸を見せる番組よ
芸から発生した伝統芸能と話芸に体技を加えた漫才、漫談、コントと
りも、フリートークやリアクションなどが求められるようになってい
いったものの総称である。 一般に言われる「笑い」と「お笑い」の
た。
差はどこにあるのかというと、「笑い」は広義の者で行動や様子を表
第四世代はお笑い芸を行う番組の再来による、若手芸人を中心とし
し、「お笑い」は狭義であり一つの芸能を指すということになる。こ
たブームである。その始まりは 1999 年に「爆笑オンエアバトル」が
の芸能が行う芸を「お笑い芸」と呼び、それを行う芸人を「お笑い芸
スタートしたことによる。これによって再びお笑い芸を行う番組が作
人」と呼ぶ。
られるようになっていった。
そのためお笑い芸人とは人を笑わせることを目的とした芸、「お笑
そして現在に至ると芸人、お笑い芸の種類も増え、スタイルも変
い」を職業としている人々、漫才あるいはコントを中心に行っている
わってきている。特徴としてこれまでの芸人の正統派と考えられる漫
人々の総称であると本論では考える。
才やコントではない、独自のスタイルを作り上げる芸人が出現してい
お笑い芸人の歴史
る。
こうしたブームにも吉本興業は関わっている。ブームに合わせて芸
人を売り込んでいったのである。テレビ局と共同で番組制作を行うこ
歴史の中で吉本興業は大きな影響を与えたプロダクションである。
ともあった。また後述の養成所を開校し芸人を育成することを手掛け
その創設の歴史はほとんど芸人の歴史といっても過言ではない。
るといった活動もあり、吉本興業は規模を大きくしていったのであ
吉本興業株式会社は 1912 年に吉本吉兵衛・せい夫婦が始めた日本
る。
で最も古い芸能プロダクションである。大阪で寄席経営を始めた夫妻
は、1932 年には落語・漫才・漫談・奇術などあらゆる芸を扱う芸能
プロダクションへとその規模を拡大していった。その後戦争により事
お笑い芸人になる過程の変化
業を縮小したが、戦後はテレビ隆盛に乗る形で再び興業を開始した。
お笑い芸人の現状においてまず一つの大きな変化と言えば、お笑い
2000 年には東京に本社を移し、芸人養成所を開設するといった活動
芸人になる過程をシステム化したことがある。芸人という職に就くた
をしている。現在はライブを行うための劇場を 7 つ、1000 人を超え
めには、以前までは特定の師匠と呼ばれるお笑い芸人に弟子入りし、
る芸人を抱える巨大なプロダクションへ成長している。
修業する必要があった。しかし 1982 年に吉本興業が開設した NSC
さてお笑いの歴史で、お笑い芸人がメディアに多数登場し人気を獲
という養成学校の登場によって大きく変化した。弟子入りではなく、
得するブームが何度か起こっている。こうしたブームの中で求められ
養成学校や直接プロダクションに入るやり方が現在の主流である。
るお笑い芸があり、それぞれのブームの芸人を「お笑い第○世代」と
これによってお笑い芸人志望者が得られた恩恵は、デビューにかか
区分けすることもある。
る時間の短縮である。師弟制度においてのデビューにかかる期間は長
お笑い第一世代と呼ばれる最初のブームが演芸ブームである。こ
く、4 年ほど必要であったが養成所は 1 年でのデビューが可能であり、
138
卒業研究・作品
更にはその養成所に通っている期間でもメディアへの出演が可能で
あったりする。
結論
この養成所というシステムが台頭することによって、お笑い芸人を
養成所というシステムによって増加したお笑い芸人たちは、これか
多数生み出すことができる状態になった。
らより厳しい生き残りをかけた戦いをしていかなければならない。そ
「売れる」方法の変化
の中で何を自分たちの武器として磨いていくかがポイントになってい
くのではないだろうか。
お笑い芸人たちは今、何が求められているのかを察知していく必
お笑い芸人が高い知名度と収入を得られるようになることを「売れ
要があるだろう。漫才やコントのようなお笑い芸を売りにするのか、
る」と表現することがある。この「売れる」ための基本的な順序はお
トークスキルなのか、トークの内容も自分の経験した出来事、経歴、
笑いライブに出演しながら、オーディションを受けテレビ出演を果た
詳しいもの、種類は様々である。お笑い芸以外の引き出しを出来る限
し、全国的な人気を得ていくというものである。この出演するテレビ
り増やしていくことで、メディアへの出演の可能性は広がっていく。
番組も様々である。お笑い芸を披露する番組、漫才やコントのコンテ
考え方を変えればこれは、売れる手段が増えてきたということであ
スト番組などがある。特にコンテスト番組においては優勝によって一
る。お笑い芸以外にも様々なことがメディアに求められるようになっ
夜にして知名度と名声を得ることができ、売れることに関して強い力
てきており、どんなものでも思いがけない形で売りにできることがあ
を持っている番組であった。これらのテレビ出演においてはお笑い芸
るかもしれない。
の出来によって決まることが多い。
このような現状を考えると、未だ日の目を見ないお笑い芸人たちも
テレビ出演が売れるため必須である理由として、収入の違いがあ
売れるチャンスを掴む術はあるのではないだろうか。
る。テレビ番組にレギュラーを持ち様々な番組に出演している芸人
と、お笑いライブを主に活動の場としている芸人では収入が倍以上
違っているのである。
しかし最近では、お笑い芸以外でのテレビ出演をするお笑い芸人た
ちがいる。高学歴であることを生かしてのクイズ番組や、容姿の良さ、
あるいはハーフであるという生い立ちと見た目を取り上げられること
や、お笑い芸以外の一芸、歌が上手いことやスポーツといったことを
取り上げられることもある。トークスキルもその一つで、話が上手け
ればバラエティ番組への出演が可能となる。
また最近ではライブやテレビ以外のメディアも発達している。イン
ターネットによる動画配信、ブログ等がある。特に動画配信において
はプロダクションが公式で手掛けるものとお笑い芸人が独自に行うも
のがあり、盛んになっている。こうした方法で人気を獲得していくこ
とができる環境が整ったといえるだろう。
テレビ出演が売れることへのカギとなること自体に変わりはない
が、そこへ至る方法が増えてきたと言える。しかしコンテスト番組の
力も衰えてきているというのが現状である。優勝によって一躍スター
になることができていた以前と比べ、現在では知名度は得られるもの
の長期的なレギュラーを持つことができないことが多い。またネタ番
組の終了といった陰りも見られ、売れることは難しいと言える。
[主要参考文献]
○三田純一『昭和上方笑芸史』東京:学芸書林、1994 年。
○吉本興業株式会社編
『吉本八十年の歩み』大阪:吉本興業株式会社、1992 年。
○山中伊知郎『テレビお笑いタレント史』東京:ソフトバンククリエイティ
ブ株式会社、2005 年。
139
卒業研究・作品
安室奈美恵論
- その「美(魅力)」に関する美学的分析 -
On Namie Amuro
Aesthetic Analysis about Her Attractiveness
宮
理恵
Miyazaki, Rie
文化マネジメントコース
序文
「コギャル」という集団の中に入ってしまうと、途端に自己アイデン
ティティーの喪失といった事態を招かざるをえない。なぜなら、化粧
わたしは、安室奈美恵のライヴに行くときに、彼女に近づきたい一
もファッションもみんな同じで、それぞれの特徴が表出していないよ
心で彼女の模倣をし、一「体」化 1 をはかる。そのために何ヶ月も前
うに感じられるからである。
から準備を始め、着実に自分の心を高めていく。ライヴに行くときに、
それとは対照的に、若者のファッション・リーダーである安室奈美
本人の模倣をして一「体」化をはかる人は少なからずいる。むしろ、
恵は周りを先導するような強いアイデンティティーの持ち主だった。
その光景が当たり前のように行われている。ライヴの空間で自分の心
だからこそ「コギャル」は、その姿に憧れを抱き、真似をしたいと思っ
と身体で感じ取る安室奈美恵の「崇高さ」は言葉では説明し難い。事
たに違いない。
実わたしが彼女の虜になってしまったように、他にも多くの人が彼女
「コギャル」は自分たちの無個性さを、無意識にどこかで気づき、
の「美(魅力)」に惹きつけられている。他の「アーティスト」もそ
同年代の安室奈美恵という対極的な「遠い」存在への憧れを抱いた。
れぞれに「美(魅力)
」はあるが、わたしにとって安室奈美恵は特別
安室奈美恵の存在が「コギャル」たちのブランドとなるような時代の
な存在である。自分自身が体験したこの訳の分からない感情はどこか
アイコンとなったこともあり、安室奈美恵の真似をすることによって
らくるのか、そしてどうしてそれほどまでに彼女の「美(魅力)」に
自分たちの価値も上がると考えたのではないだろうか。遠いとはいえ
惹かれるのか。わたしは安室奈美恵「美(魅力)」の内実を本論文で
真似ができるくらいの手の届く身近さが、当時の安室奈美恵の魅力を
分析し、明らかにしたい。
成していたと言えるだろう。
第一章 安室奈美恵という社会現象
第二章 「アーティスト」安室奈美恵
この章では、安室奈美恵の簡単な歩みを振り返る。安室奈美恵の活
この章では、安室奈美恵のライヴを分析し、そこに人々を惹きつけ
動史、楽曲を分析しながら社会現象となった安室奈美恵について時代
る魅力を見出し、さらにライヴ自体が「一つの芸術作品」であること
背景から論じ、その過程が安室奈美恵の多様な魅力の重要な一部をな
を示す。それ(ライヴ)が、安室奈美恵の「アーティスト」化を高め
していることを明らかにする。
るものとして機能していることを明示する。
■「アムラー現象」と「コギャル」
■ライヴでの一「体」感 2
「アムラー現象」とは、茶髪のロング・ヘアー、細眉、日焼けした肌、
安室奈美恵のライヴでは MC が一切無い。歌とダンスが途切れるこ
ミニ・スカート、厚底ブーツのようないわゆる安室ファッションを真
となく、圧巻のライヴ・パフォーマンスを繰り広げる。観客との精神
似た「アムラー」と呼ばれる若者が街に
的なつながりを持つための手段として、直接語りかけるのではなく、
れたことをさす。若者に
とって安室奈美恵がどのような存在であったかについて、この頃「ア
ただひたすら磨き抜かれた歌とダンスによって、観客との一「体」感
ムラー現象」と同時に社会現象となっていた女子高生「コギャル」と
をつくりだそうとする。
の関連に焦点を絞って考察する。たとえば、というのも安室奈美恵は
かつて時代のアイコンとなった安室奈美恵は、その歌や踊り以前
当時「コギャル」の教祖と見なされるほどに崇拝されていたからであ
に、存在自体が「作品」になりうる。そのとき、作品は、ある種完成
る。一見すると対照的な安室奈美恵と「コギャル」の結びつきを読み
され、神聖さをまとうものでなければならない。そう考えると、安室
解いていく。
奈美恵においては、喋らないことが作品(安室奈美恵)の希少価値を
「コギャル」を一言で言うならば、自己アイデンティティーの喪失
上げるのだ。アイコンとしての遠さや近寄りがたさは日常との通路を
あるいは無個性の集団である。とにかく仲間内での評価が何よりも重
たやすく見出せる場合には目立って減少してしまう。いうなれば日常
要であり、お互いがお互いの良さを模倣することによって競い合う。
の言葉で喋ってしまうと作品の神聖さが失われると同時に、作品が完
その目指すところは「メディア先導型の「憧れ」を追求するファッショ
璧であるという印象が著しく損なわれる事態に陥りかねない。加え
ン」ではなく、「コギャル」たちは頑として「自分たちの外側にある」
て、プロデュースされた安室奈美恵を見せる場が「ライヴ」であると
周りの流行に染まることはない。その点においては、確固とした自己
するなら、一切の妥協を許さず完全に構築され作り上げられたステー
を持っている、あるいは個性があるかのように思えるが、周囲(世間
ジ(ライヴ)は一個の「作品」である。そして、ライヴを「作品」と
一般)と境界線で区切られ、画一的でむしろ無個性である。ひとたび
して観客の観照に委ねているところに、安室奈美恵が「アイドル」で
140
卒業研究・作品
はなく「アーティスト」として自らを定義づけようとしていることが
を生み出し注目を浴びる。その変わり続けるスタイルの中に、歌や
見て取れる。
ダンスの技術の高さは変わらず存在する。高い歌唱力やダンス技術、
ライヴは一回限りの「いま」「ここ」にしかない体験として、圧倒
ファンに対する愛のような「変わらない」ものとファッションやライ
的な輝きを持つ。
「いま」「ここ」にある「完璧なパフォーマンス」(作
ヴ・パフォーマンス、音楽の方向性など「変わり続ける」要素との複
品)の真実を通じて、「ここではない・どこか」としての超越的次元
雑な関わりが彼女を「永遠」に輝かせる。
を希求することなく「近接性」や「内在性」のみで「超越的なもの」
を現す。観客は、安室奈美恵の輝きを身にまとうために、そのファッ
ションを模倣し、自分の身体へとその存在を投影し、身近なものとし
結論
て感じようとしながら、ライヴへ「参加」する。
安室奈美恵の「美(魅力)」の内実とは、彼女と受け手側の距離感
しかし、近づこうという野望は、彼女の身体パフォーマンスの完璧
の矛盾の中に存在している。つまり、彼女が「遠い存在」と「近い存
さと、一切の親近感を排除する「語りの不在」によってもろくも崩さ
在」という両極端な存在であることが受け手側を夢中にさせる。
れることになる。そして、安室奈美恵という作品はどうにも手の届か
たとえば「アムラー現象」にみられるように、彼女のファッション
ない存在(憧れの存在)にとどまり続ける。まさにこの距離感がより
の「奇抜さ」が注目を浴び、メディアがそれを取り上げ世間に浸透し、
いっそう彼女への憧れを増幅させるのである。
大衆が「模倣」という行動に移す。受け手側が真似をして彼女に少し
第三章 「新奇性」と「永遠性」
でも近づきたいと思う「何か」を彼女は持っていて、だからこそ安室
奈美恵は模倣対象となり「身近な存在」となった。ある対象が模倣対
象ではなく、話題性でメディアに取り上げられ、世間に浸透するだけ
この章では、「新奇性」と「永遠性」という一見すると対立してい
では「身近な存在」にはなりえない。
る性質を考察するなかで、この 2 つが本来示しうるものがどういうも
つまり他とは異なる、本来遠いはずの「新奇性」が世間を賑わせ、
のなのかということを明らかにした上で、「新奇性」「永遠性」「安室
浸透し、模倣対象としてとらえられた結果、「近さ」を演出すると同
奈美恵」この 3 つの関わりを示す。
時に、彼女が生み出す「新奇性」や、変わらない事実としての高い歌
1960 年代後半、テレビが普及して間もなく音楽番組が放送され始
唱力やダンス技術が混在しているからこそ、彼女の魅力は「永遠」に
めた。歌のランキングが発表されるやいなや新しい歌手や曲に「新奇
輝き続け、それが彼女の「永遠性」を生じさせる。それこそが彼女を
性」を見出しはじめた。人々は今まで見たことの無い外見の目新しさ
手の届かない「遠い存在」だと思わせる。
「近い存在」である一方で「遠
や、聴いたことの無い曲調に興奮を覚える。
た と え ば、 最 近 の 音 楽 シ ー ン で は き ゃ り ー ぱ み ゅ ぱ み ゅ や レ
い存在」であるという矛盾を受け手側が感じ取ることが、彼女の「美
(魅力)」であり、崇高さを生み出すのである。
ディー・ガガが世間を賑わせている。きゃりーぱみゅぱみゅもレ
ディー・ガガもファッションへの注目が大きい。きゃりーぱみゅぱ
1 『ももクロの美学』での「一「体」化」とは、ライヴという「い
みゅのファッションは「グロかわ(グロテスクかわいい)」と言われ
ま」「ここ」にある近接的な空間で、ももクロと観客との掛け声や
るもので、色使いは原色が基本で、黒や中間色などはほとんど使わず
振り、両者が同じ動きをすることで生じる会場の一体感など文字通
カラフルな色合いが多い。スカートはフレアでレースが入っていて、
り身体で動き、感じ取るような一「体」を示し、ここでわたしが示
髪飾りとして大きなリボンをつけ、可愛らしい印象を与えるが、ネッ
す「一「体」化」とは、単純に安室奈美恵の外見の模倣という「ア
クレスや指輪は骸骨や目玉、血痕がデザインとなっていてグロテスク
ムラー現象」のようなファッションにおける身体の同化をいう。
である。レディー・ガガのファッションは奇抜で、豚の鼻や義歯、く
2 ここで示す「一「体」感」とは、安室奈美恵の外見の模倣に加
ちばし、空飛ぶ衣装やアニマル風メイクなど周囲には飛躍しすぎてい
えて、ライヴで彼女を直接見て動きを真似て感動したり、会場全体
て予測不可能だ。
で掛け声を合わせたことによって、会場中に響き渡る彼女と観客の
このような外見の目新しさ、外見の「新奇性」が大衆の目を引きそ
声を聞いて震え上がるような、両者のつながりを身体で感じ取って
の人自身への注目を集める。いうなれば、変わり続ける時代の風潮に
感情が
合わせた流行をうまくとらえながら自分のスタイルを貫くことが突出
した「奇抜さ」を生み出す。
安室奈美恵の場合「変わり続ける」スタイルが「新奇性(奇抜さ)」
れ出るような心身の同化をいう。
[主要参考文献]
○小川博司 『音楽する社会』勁草書房、1988
○安西信一 『ももクロの美学』廣済堂新書、2013
141
卒業研究・作品
ベストセラー書籍の帯における
キャッチコピーの変遷
Study on the Change of Copies
on Belly-bands of Best-seller Books
森内 歩
Moriuchi, Ayumi
文化マネジメントコース
要旨
激に訴えているような印象を受けた。これより、ベストセラー書籍の
帯の掲載文は現在に至るまでどのような変化を遂げているのか ―
本論の目的はベストセラー書籍の帯のキャッチコピー・掲載文が現
「ベストセラー書籍のキャッチコピー・掲載文の帯は年別に体系化で
在に至るまでにどのような変化を遂げているか――「ベストセラー書
きる」「ベストセラー書籍の帯のキャッチコピー・掲載文は、現在に
籍の帯のキャッチコピー・掲載文は年別に体系化できる」「ベストセ
近づくにつれ過激になっている」という仮説を基に検証し、これを明
ラー書籍の帯のキャッチコピー・掲載文は、現在に近づくにつれ過激
らかにすることが本論の目的である。検証対象は株式会社トーハンが
になっている」という仮説を基に検証し、これを明らかにすること
発表している、全国で読書推奨キャンペーンや講演会が実施された
である。検証対象は株式会社トーハンが発表している 2000 年から
2000 年から 2012 年までのベストセラー書籍上位 20 位から本論に
2012 年までの各年のベストセラー書籍上位 20 位から本論の検証に
適切とみなした 122 冊の帯の、平台に積まれたときに見える 表 表 紙
適切とみなした 122 冊の帯の 表 表 紙面の掲載文である。
面の掲載文である。
書籍の帯は書籍の表紙や外箱に衣類の帯のように巻かれている印刷
物で、書籍の購読を促すものである。書籍の帯には著者名、内容紹介、
宣伝文句、有名人の讃辞や推薦の言葉、評判などが記されるほか、部
第 1 章 ベストセラー書籍の帯とは
数突破、他メディア化、著者のメディア出演などが掲載される。書籍
書籍の帯は書籍の表紙や外箱に帯のように巻かれている印刷物で、
の帯は、改刷・更新される性質を持つ。書籍の帯のキャッチコピー・
そこには著者名や内容、宣伝文句、推薦の言葉が記されており、書籍
掲載文は改刷・更新される中で書籍の内容・イメージが文学賞受賞・
の購読を促すものである。書籍の帯は装丁の一とされるが、書籍の構
他メディア化などの「実績」へと移行する。内容・イメージから実績
成要素ではなく、付属品である。書籍の帯は書籍のタテ幅より小さく
に移行すると、キャッチコピー・掲載文は簡略化され、文字数は減少
作られる。書籍の帯は破れやすく、大概は縦に裂ける。書籍の帯がな
傾向にある。また体言止めが多くなり、感嘆符が増加して、総じて即
くとも書籍そのものが不良品とされるわけではないので、書店では書
物的になる。これより 1 冊のベストセラー書籍においては、「ベスト
籍の品質を悪く見せないために破損した帯はすぐ取り払われる。現在
セラー書籍の帯のキャッチコピー・掲載文は、現在に近づくにつれ過
では帯付きの書籍が定着し、書籍の帯はブックデザインを踏まえて考
激になっている」と言える。
えられる。
2000 年から 2012 年までのベストセラー書籍の初刷帯のキャッチ
ベストセラー書籍の帯は書籍の購読を促すため、文学賞受賞、部数
コピー・掲載文は年毎に特徴がある。2000 年は対照的で、2001 年
突破、映画・ドラマ・アニメ・漫画化などの他メディア化告知、著者
は最も目立つキャッチコピーは言い切り型で感嘆符がつく。2002 年
のメディア出演などを掲載する場合が多い。ベストセラー書籍の帯は
の実用書は提案・提供するような、文学は回想的である。2003 年は
改刷・更新される性質を持つ。ベストセラー書籍の帯のキャッチコ
非敬語、2004 年のノンフィクション・実用書は直訴型・脅迫型、文
ピー・掲載文は改刷・更新される中で書籍の内容・イメージが文学賞
学は未完結性という特徴を持つ。2005 年は 3 拍子系、2006 年は実
受賞・他メディア化などの「実績」へと移行する。内容・イメージか
績重視、2007 年は体言止め・言い切り型が多かった。2008 年は書
ら実績に移行すると、キャッチコピー・掲載文は簡略化され、文字数
籍のイメージに忠実で口語的、2009 年は字数が少なく断定的、2010
は減少傾向にある。また体言止めが多くなり、感嘆符が増加し、総じ
年は推薦文や感想が多い。2011 年は書籍に関する人間とそのイメー
て即物的になる。これより 1 冊のベストセラー書籍においては、「ベ
ジを掲載しており、2012 年は言い切り型で強調表現を用いている。
ストセラー書籍の帯のキャッチコピー・掲載文は、現在に近づくにつ
これより「ベストセラー書籍のキャッチコピー・掲載文の帯は年別に
れ過激になっている」と言える。
体系化できる」ということがわかった。しかしそれぞれの特徴を考察
近づくにつれ過激になっている」と言えないこともわかった。
第 2 章 2000 年から 2012 年までのベストセラー
書籍の初刷帯のキャッチコピーの変遷
はじめに
本章では子ども読書年として全国で読書推奨キャンペーンや講演会
書店の店頭に積まれているベストセラー書籍の帯は、現在にかけて
帯のキャッチコピー・掲載文はどのように変化しているのかを「ベス
配色が派手になり、体言止めや感嘆符を多用し、即物的で、読者に過
トセラー書籍のキャッチコピー・掲載文の帯は年別に体系化できる」
すると、
「ベストセラー書籍の帯のキャッチコピー・掲載文は、現在に
142
が実施された 2000 年から 2012 年までのベストセラー書籍の初刷
卒業研究・作品
「ベストセラー書籍の初刷帯のキャッチコピー・掲載文は 2000 年か
ら 2012 年にかけて右肩上がりで過激になっている」と仮説を立て、
第 3 章 第 2 章の考察及び書籍の帯の発信側の見解
検証していく。検証対象は株式会社トーハンが発表している 2000
ベストセラー書籍の初刷帯のキャッチコピー・掲載文は年毎に特徴
年から 2012 年までの各年間ベストセラー総合部門 20 位 260 冊か
がある。また、2001 年の翻訳本は「全米で」「ベストセラー」とい
ら本論の検証に適切とみなした 122 冊の初刷帯の、平台に積まれた
う実績が付く。2002 年の実用書には提案・提供するようなキャッチ
ときに見える表 表 紙面の掲載文である(ゲーム攻略本、アイテムや
コピーが多い。また 2002 年のフィクション・エッセイ・ドキュメン
DVD・CD が付録されている書籍、また販売形態の異なる一部の宗教
トノベルは回想的なキャッチコピーが用いられている。2004 年のノ
団体関連書は本論の検証に不適切とみなし除外する。また上下巻、ナ
ンフィクション・実用書には直訴型・脅迫型、フィクション・小説は
ンバリングされているものは上巻・第 1 巻のみを検証する。
未完結性という特徴を持つ。2007 年の書籍化ケータイ小説には「運
2000 年から 2012 年までのベストセラー書籍の初刷帯のキャッチ
命」の単語が入る。このようにベストセラー書籍の初刷帯は実用書・
コピー・掲載文は年毎に特徴がある。
文学・エッセイ・書籍化ケータイ小説・翻訳本などジャンルによって
2000 年は対照法を用いているという特徴を持つ。
更に特徴が細かく分かれることがわかった。ベストセラー書籍は各年
2001 年は最も目立つキャッチコピーは言い切り型で感嘆符が付
でその時勢に沿う、あるいは時勢をつくる流行のジャンルがあり、そ
き、また上位 20 位に入った翻訳本は全て「全米で」「ベストセラー」
の書籍の帯のキャッチコピー・掲載文も時勢に沿っていると考えられ
という実績が付く。
る。
2002 年の実用書には提案・提供するようなキャッチコピーが、
2013 年 9 月 4 日に東京都港区で広告・雑誌などのブックデザイン
フィクション・エッセイ・ドキュメントノベルには回想的なキャッチ
を制作されている株式会社スタジオ・ギブの代表取締役でいらっしゃ
コピーが多かった。
る山岡茂氏に話を聞く機会を頂いた。山岡氏は「帯の文句は広告なの
2003 年は検証対象の 7 冊のうち 1 冊の帯の 1 文を除き非敬語であ
で目立たせてこそ。昔より今のほうが過激とは思わないが、書籍のイ
る。
メージより部数突破、他メディア化、文学賞受賞など客観的事実を主
2004 年のノンフィクション・実用書は表現が直接的で、直訴型・
体とした、流行を意識させる即物的なものになった印象は受ける。」
脅迫型キャッチコピーが目立つ。一方、フィクション・小説は三点リー
と述べた。
ダとダッシュが多く用いられ、未完結性という特徴を持つ。
2005 年は検証対象の 9 冊のうち 8 冊が 3 拍子系のキャッチコピー
を採用している。
まとめ
2006 年は体言止めで感嘆符を多用し、著者や書籍の実績を強く打
1 冊のベストセラー書籍においては、そのベストセラー書籍の帯の
ち出している。また指南書が多いため、書籍の帯のキャッチコピー・
キャッチコピー・掲載文は、現在に近づくにつれ過激になっていると
掲載文にも指南性が目立つ。
考えられる。また 2000 年から 2012 年までのベストセラー書籍の初
2007 年は体言止め・言い切り型が多い。
刷帯のキャッチコピー・掲載文は年毎に体系化できる。しかしその特
2008 年は書籍のイメージに忠実で口語的であるという特徴を持
徴は各年の時勢に沿ったもので連続性は見られず、ベストセラー書籍
つ。
の初刷帯のキャッチコピー・掲載文は 2000 年から 2012 年にかけて
2009 年は字数が少なく断定的である。
右肩上がりで過激になっていると言えない。
2010 年は権威・有名人・専門家・読者の推薦文や感想が多い。
2011 年は帯の多くに書籍に関する人間とそのイメージを掲載して
いる。
2012 年は言い切り型で強調表現を用いている。
これより「ベストセラー書籍のキャッチコピー・掲載文の帯は年別
に体系化できる」ということがわかった。しかしこれらの特徴に連続
性は見られず、「ベストセラー書籍の初刷帯のキャッチコピー・掲載
文は 2000 年から 2012 年にかけて右肩上がりで過激になっている」
と言えないこともわかった。
[主要参考文献・資料]
○株式会社トーハン 年間ベストセラーアーカイブ
http://www.tohan.jp/cat2/y-archive/
○紀伊國屋書店ウェブストア:
http://www.kinokuniya.co.jp/
○ピエ・ブックス編集部『帯のデザイン』ピエ・ブックス、2006
143
卒業研究・作品
日本のストリートファッションの現状
Japanese Street Fashion Trends
裏田 恭子
Urata, Kyoko
文化マネジメントコース
はじめに
渋カジは消費者である若者が生み出した点では「消費者である若者
が流行を作り出している」と言え、それが雑誌等で取り上げられた
本稿では、日本のストリートファッションの変遷をテーマとする。
ことで広まり、新しいスタイルに変化した点では、「マスメディア
ストリートファッションとは、実際に街で見かける若者のファッ
の関与によって流行が作り出されている」と言え、2つの見方に当て
ションのことであり、時代によって変化するため、定義が曖昧なも
はまるファッションである。
のである。先行研究やファッション情報サイトなどでストリート
ファッションがどのような見方をされているかということを分析
し、それを踏まえた上で日本のストリートファッションの歴史をさ
らい、最終的に2010年代のファッションスタイルの特徴や、現在の
2-2 1990年代
90年代には渋カジの系譜を引くカジュアルファッションが登場し
若者のファッションに対する価値観など、日本のストリートファッ
た。フレンチカジュアルは、女子高生によって作り出されたスタイ
ションの現状について明らかにする。
ルであるが、渋谷系という音楽で人気を博したフリッパーズギター
1.ストリートファッションとは
本稿におけるストリートファッションは、渋谷と原宿といった多く
の小山田圭吾のファッションが支持されたことも流行した要因の1つ
である。また、コギャルが登場し、安室奈美恵のファッションを模
倣した、アムラーと呼ばれるスタイルが流行した。また、90年代後
半にはギャルサーやイベサーと呼ばれるギャルやギャル男たちの
の若者が行き交う街の通りで見られる10代後半から20代前半の若者
サークルが話題になる。彼らによって誕生したヤマンバファッショ
が身に着けている服装とする。いくつかの先行研究を見ていくと、大
ンは、メディアに取り上げられることで話題となった。そして、
きく分けてストリートファッションは「マスメディアの関与によって
ミュージシャン藤原ヒロシをカリスマとする、裏原系と呼ばれる裏
流行が作り出されている」、「消費者である若者が流行を作り出して
原宿のブランドやショップが流行した。
いる」という2つの見方がされている。本稿では、この2つの見方に
90年代のファッションスタイルの最も大きな特徴として、ミュー
基づいて、「ストリートファッションはマスメディアと消費者によっ
ジシャンを中心とした著名人のファッションやブランドやショップ
て流行が作り出されている」という仮説を検証する。
が提案する奇抜なスタイルがメディアを通し広く伝搬した点などが
2.日本のストリートファッションの歴史
挙げられる。アムラーや裏原系は著名人のファッションがメディア
を通して広まった点で「マスメディアの関与によって流行が作り出
されている」と言える。フレンチカジュアルは女子高生から作り出
80年代終盤の渋カジ登場までは、マスメディアやデザイナーが
されていたという点では「消費者である若者が流行を作り出してい
ファッションのお手本を提示し、消費者はそれを真似ていたに過ぎな
る」といえるが、著名人によってさらなる流行となった点では「マ
い。渋カジはそれ以前のファッションの転換点となっており、それ以
スメディアの関与によって流行が作り出されている」と言え、2つの
降のファッションに与えた影響は大きいとされている。よって本稿に
見方が当てはまる。イベサー・ギャルサーから生まれたファッショ
おいては、この渋カジ以降のカジュアルなファッションを中心とした
ンは、「消費者である若者が流行を作り出している」という見方が
ストリートファッションの流行の歴史として見ることにする。
当てはまる。
2-1 渋カジ
2-3 2000年代
渋カジとは、「渋谷カジュアル」の略で、渋谷センター街を拠点に
2000 年にはコンサバ系ファッションの女性が街にあらわれた。こ
遊ぶ高校生・大学生たちから生み出されたファッションスタイルで
のようなフェミニンで保守的なファッションのスタイルでは、
ある。メディアや企業が主体ではなく、学生といった若い消費者が
CanCamのモデルの模倣や、名古屋や神戸に住んでいる令嬢たちの
流行を作り出した点、強いユニフォーミティはなく個々にアレンジ
ファッションが話題になった。また、海外や日本のセレブたちの
の余地があり、スタイルの変化がある点、ファッションスタイルが
ファッションの模倣も流行した。男性ファッションでは、恵比寿系
男女で大きく違いがないユニセックスなものであった点などで、従
と呼ばれる恵比寿のショップやブランドの提案するファッションが
来のファッションとは一線を画していた。
流行した。2000年代後半に登場した森ガールは、SNSから火がつ
144
卒業研究・作品
き、雑誌などのメディアが取り上げたことで話題になり、流行した
されている」という要素が強い。
スタイルである。
ストリートファッションの研究者である渡辺明日香氏は、今の若者
コンサバ系ファッションやセレブ志向は、90年代と同じように著
のファッションは流行のアイテムを着用してはいるが、それがあまり
名人のファッションがメディアを通じ流行したケースであるが、
に同質化しており、従来のように自己表現の手段ではなくなってきて
ミュージシャンではなく、モデルやセレブという点で違いがある。
いると指摘している。また、お金や時間、気持ちなどのファッション
セレブ志向、コンサバ系ファッションはのほとんどは「マスメディ
にかけるエネルギーが低下しているとも指摘している。
アの関与によって流行が作り出されている」と言えるが、名古屋嬢
1990年以降に生まれた世代は、物品の購入よりもインターネット
や神戸エレガンス系ファッションに関しては令嬢によるスタイルで
でSNSをチェックしたり、情報収集などに時間やお金をかけたりす
あるため「消費者である若者が流行を作り出している」という要素
ることに重点を置くようになった。そして、現在ではインターネッ
もある。また、恵比寿系はショップやブランドの提案するファッ
ト、とくに SNSや動画サイトなどの普及により、自分で情報を発信
ションの流行であり、「マスメディアの関与によって流行が作り出
することが容易となっており、それが自己表現の手段の1つとなって
されている」と言え、森ガールは SNS のコミュニティから生まれた
いる。若者のファッションが同質化し、ファッションにかけるエネ
ため、「消費者である若者が流行を作り出している」と言える。
ルギーが低下したのは、このように若者の消費に対する価値観が変
3.日本のストリートファッション現状
昨今では女性がメンズライクのファッションをすることや、男性
が細身のアイテムや、可愛らしいアイテムを身に付けることが浸透
してきている。また、バブル期のリバイバルのスタイルやアイテム
を身に付けた若者が多く見られる。このようなスタイルの流行は、
化したことや、ファッション以外の自己表現の手段が増えたからで
あると考えられる。自己表現の手段が多様化した現在では、ファッ
ションで周囲との差異化を図る必要はなくなったのである。
おわりに
「マスメディアの関与によって流行が作り出されている」スト
リートファッションが多いが、「消費者である若者が流行を作り出
している」ものも少なくない。また、消費者である若者が流行を作
り出したものが、メディアに取り上げられることによって流行し、
新たなファッションスタイルを生み出すというケースもある。
2010年代では、「マスメディアの関与によって流行が作り出されて
いる」という要素が強い。若者の消費に対する価値観が変化したこ
とと、ファッション以外の自己表現の手段が増えたことにより、新
しいファッションの流行を若者が作り出す必要がなくなってきたの
かもしれない。現在では、ファッションで周囲との差異化を図るこ
とがおしゃれであるという価値観は薄れてきている。
写真 1 2013 年にみられるファッションスタイル 「定点観測」『ストリートファッションマーケティング
ウェブマガジンアクロス』http://www.web-across.com/observe/d6eo3n000004mh1v.html
世界的なトレンドであり、デザイナーによるところが大きいと考え
られる。また、2010年代は、タレントやモデルよりも、等身大の存
在でマネのしやすい読者モデルのファッションに影響をうけている
若者が多く、全体的に「マスメディアの関与によって流行が作り出
[主要参考文献]
○アクロス編集室編『ストリートファッション
1945-1995』東京:株式会社
パルコ、1995年。
○川島蓉子『TOKYO ファッションビル』東京:日本経済新聞出版社、
2007年。
○渡辺明日香『ストリートファッション論―日本のファッションの可能性を
考える―』東京:産業能率大学出版部、2011年。
○
「若者ファッション論 口コミファッション化する若者たち ∼対談・渡辺明日香【前編】
」
『日経トレンディネット』 http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20130206/1047278/
145
卒業研究・作品
スターバックスとドトールの経営戦略比較
Strategic Management Comparison of Doutor Coffee Co and Starbucks
石田 りさ
Ishida, Risa
文化マネジメントコース
はじめに
1.Price(価格)
近年、カフェ業界が大きく動いている。コンビニエンスストアや
存分に顧客満足を追求し、高めの価格設定も自社のコーヒーのブラン
ファーストフードなどの異業種のコーヒービジネスへの参入や大手カ
ドを高めていることがPrice戦略の特徴である。一方、ドトールは顧客
フェチェーンの店舗数の増加によって業界内の競争が激化している。
に低価格で商品を提供するため、コスト削減が課題であり、スターバッ
この競争の中心となっているセルフスタイルカフェチェーンが、ス
クスのように顧客満足を十分に追求することができない。したがって、
ターバックスとドトールである。両社の店舗数は、スターバックスが
顧客満足が高いスターバックスは、リピーターを獲得することができ、
965店舗(13年3月期末)、ドトールが1102店舗(13年2月期末)
ドトールよりも売上が高くなることがPrice戦略の比較よりわかる。
スターバックスは高価格設定によってコストに縛られないことで、
と、ドトールの方が充実している。一方、両社の売上高は、スター
バックスが1165億円、ドトールが711億円と、売上高では立場が逆
2.Product(製品)
転し454億円の差が出ている。
スターバックスは商品数が多いことに加え、顧客が自由にドリンク
スターバックスがなぜドトールよりも高い売上を出せるのか。それ
をカスタマイズすることができる。したがって、ドトールよりも商品
は両社の経営上の戦略・戦術や、マーケティング手法に違いがあると
満足度を高め、リピーターを増やすことで売上を高めている。
時に提供している。そのため、顧客から選ばれ、高い売上を出すこと
3.Process(過程)
ができる。」のではないだろうか。そこで本研究では両社を比較研究
スターバックスは顧客参画型の商品提供スタイルにより、生活必需
し、スターバックスがなぜドトールよりも高い売上高を出せるのかを
明らかにすることを目的とした。
研究方法
味わうことが可能であり、またドリンクを提供するまでの演出も楽し
ませている。一方ドトールは、提供スピードを重視し、徹底的な機械
化・効率化によって手軽に利用できるものの、スターバックスのよう
な+αを提供することはない。
先ずは文献調査によって両社の概況を把握し、次にサービス業の
ドトールが「手軽さ」で支持される店であるが、スターバックスは
マーケティング分析手法である7P分析やST分析によって両社を比較
「楽しさ」といった、商品購入のプロセスの価値で支持される店舗だ
研究した。7P分析では各項目の+αを見つけ出し、ST分析では、実
と考えられる。スターバックスはその顧客参加型の商品提供スタイル
地調査によってセグメンテーションやターゲッティングの視点からオ
によって、徹底的な機械化・効率化をはかるドトールと差別化をはか
ブザベーションにより両社の実情を解明した。本稿においては、7P
分析とST分析の重要な内容を抜粋して記載する。
と推察できる。
7P分析
4.People(人)
ジェローム・マッカーシーは1960年代にマーケティング・ミック
トップダウン経営方式を採用しつつ、全員経営を掲げる横軸ることが
スの手法を提唱した。マーケティング・ミックスとはProduct、
できる。スターバックスは従業員エクスペリエンスや価値観の共有を
Price、Place、Promotionの4視点により、サービスを評価すること
重視し、社員からアルバイトまで平等に扱う一方で、ドトールはフラ
である。現在は4PにさらにPhysical Evidence、Process、Personnel
ンチャイズ教育には力は入れているものの、末端教育は重視していな
の3つのPを加え構築されている。(コトラー、1960)本研究では、
い。以上を統括すると、従業員から顧客を満足させる接客を引き出す
7P分析を行い、スターバックスとドトールのマーケティング戦略の
ことができるスターバックスは、顧客満足を高めリピーターを獲得
違いを明らかにした。
し、売上も高めていると推察できる。
以下に、7Pのうちの3つのPの比較結果を記載する。
146
ドトールのトップダウン式の縦軸経営に対して、スターバックスは
卒業研究・作品
ST分析
2.ターゲッティング
セグメンテーションした観察結果によりターゲッティングを行っ
ST分析は、効果的な市場開拓を目指し、自社のサービスを誰に対し
た。スターバックスの集客はドトールの約1.4倍あり、価格設定がド
て、どのような価値で提供するのかを明らかにするために必要な分析
トールよりも高く、店舗も広い。このため、利用客の滞在時間が長く
であり、セグメンテーション、ターゲッティングの頭文字をとったも
ても売上高を確保することが可能である。また、利用客は若い女性が
のである。そこで、本研究ではスターバックス、ドトールをセグメン
約7割であるため、商品も女性が魅力を感じるような展開になってお
テーション、ターゲッティングの2視点より比較を行った。
り、広い店内や柔らかいソファも休憩や歓談を楽しむ空間として適し
ており、ターゲットとなる若い女性の集客力が強い。
1 .セグメンテーション 一方ドトールは、商品は低価格設定であり、店舗が狭いため回転率
両社にどのようなセグメントが来店しているかを把握するために、
が下がると売上が確保しづらい。回転率が高いと推測できる一人客、
スターバックス(総曲輪フェリオ店、ファボーレ店)とドトール(富
ビジネスマンをターゲットとしていると考えられるが、今回調査した
山エスタ店、富山総曲輪店)の店舗で2013年6/27∼9/12の期間に
2店舗ではターゲットとは離れた利用客が多いようにみられた。その
実地調査をそれぞれ6回行った。調査は平日の15:00∼17:00の間の
ため勉強行為などで長時間席を独占することを注意する札がテーブル
1時間行った。スターバックスは合計271名、ドトールは合計191名
に設置してあり、繁忙時間には長居している利用客を追い出すことも
のデータを収集した。
あった。
まとめ
スターバックスは、どの項目においてもドトールにはない+αが
あった。たとえば、Processでは、ドトールが提供時間の早さにこだ
わり、徹底的な機械化・効率化をはかっているのに対し、スターバッ
クスは、商品提供までの演出性を重視し、また顧客参加型のスタイル
がトップダウン式の経営体制をとり、アルバイトスタッフは細かく設
定されたマニュアルで人材教育している。一方、スターバックスは従
業員満足に力を入れており、価値観の共有を重視している。また接客
図1.利用客の男女比/ copyright: 実地調査結果より筆者作成
マニュアルは存在しないが、グリーンエプロンブックにより、顧客満
足を高める接客サービスを従業員から引き出すことに成功している。
以上のように、利便性や効率化をはかるドトールに対して、スター
め、売上の向上が実現し、ドトールと差をつけていることが明らかに
なった。
[主要参考文献]
○高井尚之『日本カフェ興亡記』日本経済新聞出版社、2009
○ジョン・ムーア『スターバックスに学べ』ディスカヴァー
図2.利用客の年代別構成比/ copyright: 実地調査結果より筆者作成
21、2007
○鳥羽博道『想うことが思うようになる努力 ドトールコーヒー成功の原理・
原則』プレジデント社、1999
147
卒業研究・作品
シャッター商店街の活性化案
- 石川県「新野町商店街」の例 -
Retail Revitalization of Declining Shopping Areas
-A Case Study of Shin-Nomachi Shopping Area, Ishikawa Prefecture
角 明枝
Kado, Akie
文化マネジメントコース
はじめに
れていた。ところが、近年になると、全国の商店街でアーケードの
全国各地に形成されている商店街は、顧客減少、売上減少、店舗閉
なった新野町商店街では、老朽化したアーケードの修繕、維持管理の
鎖などで厳しい経営状況にある。中小企業庁の全国商店街実態調査
費用負担は相当重い負担である。金沢市は、2014(平成 26)年度
によると、商店街の景況感について繁栄していると答えた商店街が、
完了をめどに、無電柱化整備が進められていることが契機となり、老
老朽化や維持費問題が発生した。現在営業しているのが 5 店舗のみと
1970 年度の約 40 %から、2012 年度は 1 %に激減している。また
朽化したアーケードは撤去されることとなった。
商店街の空き店舗数の状況は、1995 年度の約 7 %から、2012 年度
この新野町商店街の活性化策を考えるにあたって、まずはその衰退
は約 15 %に増加している。これらには、モータリゼーションの発達
の要因を把握することが必要である。そこで、新野町商店街に現存し
や、大型店の郊外進出など、人々のライフスタイルの変化が影響を及
ている 5 店舗(ファンシーサロンたちばな、おかあさん、安田楽器店、
ぼしていると指摘されている。
Clock Man 工房 ADA、美容室ミチコ)に対し、新野町商店街の衰退
調査研究の対象地である石川県金沢市の「新野町商店街」において
の要因や現状として、残存する商店主はどのように考えているか聴き
も、1970 年代は 46 もの店舗で構成されていたが、近隣の大型店の
取り調査をおこなった(図表 1 参照)。聴き取り調査の結果、現存す
出店や経営者の高齢化、後継者不足などで店舗が廃業し、2013 年現
る店舗の経営者も今の新野町商店街の現状について、あまり良い印象
在ではわずか 5 店舗が営業するのみとなっている。空き店舗は現在老
に思っていないことがわかる。また、「観光客のための商店街づくり」
朽化が進み、修復されることなく放置され、活気は感じられなくなっ
をおこなえば活性化の可能性があるのではないかと推測できるため、
ている。
新野町商店街を活性化させる意義はあると考える。
しかし全国の商店街は厳しい状況下にあるとはいえど、大分県豊後
高田市の「昭和の町」は古い空き店舗を活用することで、長野県佐久
市の「岩村田本町商店街」は大型店と提携することで、活性化に成功
元気な商店街の事例研究
している。これらの商店街は、それぞれが抱えた課題をプラスの方向
衰退した商店街の活性化を検討するにあたって、まず現在も活気で
に発想転換している特徴が見られる。すなわち新野町商店街の活性化
あふれている商店街から学ぶために、何か課題を抱えていたり、経営
のヒントは、全国の商店街活性化事例の中に隠されているのではない
不振など一度危機的状況におかれたりした商店街において、活性化を
かと考える。本論文では新野町商店街における特徴をとらえるととも
成功させた事例の分析をおこなった。
に、全国各地の商店街活性化の成功事例研究をおこなうことで、新野
分析対象は、中小企業庁が発表している『がんばる商店街 77 選』と、
町商店街活性化のためのヒントを集め、活性化の方法を提案する。
新野町商店街の現状と課題
『新・がんばる商店街 77 選』とした。これらは、商店街の活性化や
にぎわいあふれるまちづくり、あるいは地域コミュニティの担い手を
めざして日々努力している人々の取り組みとして、全国の商店街や地
域の人々のアイデア事例を集めたものである。商店街や地域に特色の
石川県金沢市野町 2 丁目にある新野町商店街は、野町広小路交差点
ある取り組みで、実際に商店街やまちのにぎわいにつながっているも
から白菊町交差点の間にあり、距離は約 180 メートル、通りは坂道
の、特に独自性のある取り組みなどを、他の商店街や地域の人々の参
になっている。野町広小路交差点は、金沢市の繁華街とされる片町、
考になる取り組みを選定するという観点からアイデア性に着目して、
香林坊へと続く交通の要所となっており、徒歩でも片町からわずか 5
中小企業政策審議会商業部会に設置した事例検討小委員会の検討を経
分程度でたどり着くことができる。また、金沢市の観光スポットでも
て選定されている。そこで本分析では、計 154 事例を読み取り、さ
ある、にし茶屋街にも至近である。
らには各商店街のホームページも参照しながら、衰退の経緯や活性化
1973(昭和 48)年に、石川県道 25 号金沢美川小松線(通称、
までの取り組み内容を、まずは 154 事例を横並びに比較検討するた
野田専光寺線)が開通し、それを契機に新野町商店街は誕生した。
めに、背景、概要、効果の 3 点について整理し、各商店街の特徴を「商
1975(昭和 50)年になると、近隣に大型店「サンテラスユニー金
店街が抱えた課題」、「商店街が取り組んだ事業」、「商店街の型(タイ
沢店」(2013 年現在はアピタ金沢店となっている)が進出したこと
プ)」によりカテゴリ分けした。カテゴリ分けの結果は以下の通りで
に対抗し、通りの両側にアーケードを設置した。当時商店街にアー
ある。
ケードを設置することは、雨や雪を防ぎ、買い物客の利便性を高める
「商店街が抱えた課題」…モータリゼーション、大型店、空き店舗、
ほか、大型店の向こうを張る商店街の心意気、そして活気の象徴とさ
売上減少、経営者高齢化、後継者不足、オフシーズン、災害
148
卒業研究・作品
図表 1 聴き取り調査のまとめ
図表 2 新野町商店街の特徴
「商店街が取り組んだ事業」…祭り、音楽系イベント、アート系イ
想を取り入れていくことにより、面白みのある商店街をつくり上げて
ベント、市、屋台、チャレンジショップ、歴史・伝統、高齢者向け、
いけるだろう。さらに若者を立派な経営者として活躍させていくため
子育て支援、大学・学生、一店逸品、地産地消、特産品、エコ、ポイ
に、「商人育成」もおこなっていく必要があるのではないかと考える。
ント・スタンプ、駐車場、シンボルマーク、商人育成、市民参加、外
このように、新野町商店街には、再生の可能性が検討できるととも
国人向け
に課題がある。本論文で述べたように、新野町商店街の活性化策には
「商店街の型(タイプ)」…近隣型、地域型、広域型、超広域型、そ
課題も存在するが、商店街の人々が自ら試行錯誤をしながらも活性化
の他(駅前型、観光型など)
事業をおこなうことで、新野町商店街のほか、金沢市の魅力を向上さ
新野町商店街の活性化の方向性
せることができるだろう。
新野町商店街にとっての活性化策を考えるに当たって、前章で特徴
をカテゴリ分けした 154 事例を参考に、新野町商店街の課題、取り
組み事業、特性の 3 点から、カテゴリをマッチングすると、次のよう
になる(図表 2 参照)。
これを踏まえ、新野町商店街の活性化の方向性を検討すると、次の
ようになる。
新野町商店街の大きな特徴の一つが、近隣の「にし茶屋街」の存在
である。にし茶屋街を訪れた観光客が、商店街へ足を運んで買い物を
したり、食事をとって経営者と話をしたりすることも多い。そこで今
後は、にし茶屋街に関する「歴史・伝統」を活かした商店街づくりを
おこなっていくことが、活性化には最適ではないだろうか。例えば、
商店街の街並みを、歴史的な雰囲気を重視して改装したり、商店街の
経営者が観光案内の役割を果たしたりするなど、さまざまな方法で、
歴史・伝統を活かした活性化策の展開が考えられる。
また、特にこの新野町商店街を悩ませているのが、経営者高齢化や
後継者不足といった、商店街の担い手に関する問題であろう。そこで、
活躍が期待される「大学生」などといった若者の力を借りた活性化策
の展開が考えられる。高齢の経営者ばかりに頼らず、若者の新しい発
[主要参考文献]
○三橋重昭 『よみがえる商店街
5 つの賑わい再生力』学芸出版社、2009 年
○中小企業庁(http://www.chusho.meti.go.jp/index.html)
149
卒業研究・作品
ゲストハウスウェディング事業参入の戦略
- ブライダル業界の市場動向 -
The Expansion Strategy of the Guest House -type Wedding Ceremony Business:
Market Trends in the Toyama Bridal Market
田 千亜妃
Mochida, Chiaki
文化マネジメントコース
要旨
化などの理由により、市場規模は年々縮小していると指摘されてい
結婚式を挙げる場所にはホテル、専門式場、ゲストハウス、レスト
できる。厚生労働省「人口動態統計(確定数)」によれば、団塊世代
ラン等の会場がある。ここで、結婚式のスタイルの特徴を整理すると
が結婚した 1968 年∼ 1972 年にかけては最高約 110 万件あった婚
次のようになる。ホテルウェディングとは、バンケットルーム(宴会
姻数も、その後減少している。団塊世代の子供にあたる第二次ベビー
る。現在の日本は人口減少に伴い、婚姻数も減少の傾向にあると推察
場)を持ち、法人の一般宴会とともにウェディングも行っている。宿
ブーム世代で総姻数は上昇するものの、2010 年では約 70 万件にま
泊機能を備えているので、遠来のゲストが多い結婚式では、ホテル
で減少しており、現在もこの婚姻数は減少の一途をたどっている。こ
ウェディングが好まれる。専門式場ウェディングとは、冠婚葬祭互助
れらは少子化や未婚化・晩婚化等の社会的影響によるものだと考えら
会企業が運営する会場や、地域に古くから存在する会館やホール等の
れる。しかし、ブライダルビジネスの中でも、『ブライダルサービス
会場のタイプがある。ウェディング専門の式場のことをさす。レスト
会社の業績は好調を維持している。』し、近年、消費者ニーズの多様
ランウェディングとは、おいしい料理と洗練されたサービスを提供す
化により挙式や披露宴スタイルも多様化が進み、比較的高価なハウス
ることができる会場である。新郎新婦とゲストとの距離が近いことか
ウェディングで挙式を行うスタイルがブームになった点が指摘されて
ら、アットホームな雰囲気で披露宴ができる。ゲストハウスウェディ
いる。また、結婚年齢の上昇などを背景に、1 組あたりの結婚式単価
ングとは、専門式場のウェディング専門色とレストランウェディング
も上昇し、大手を中心に業績を伸ばしている。2010 年 結婚情報誌
の自由な雰囲気が合わさった会場であり、一軒家の邸宅を貸し切って
「ゼクシィ」(リクルート発行)によれば、2000 年の挙式・披露宴平
行う、プライベート感
れる結婚式のことをさす。会場スタイルには、
均組単価では 280 万円であったのが、2010 年には 325.7 万円まで
郊外の一軒家タイプと繁華街のビルインタイプがある。1990 年代
伸びている。また、厚生労働省「人口動態統計(確定数)」によれば、
前半に首都圏を中心に続々と誕生し、その動きはベストブライダル、
2000 年の平均初婚年齢は、男性は 28.8 歳、女性は 27.0 歳であっ
TAKE and GIVE NEEDS、ワタベウェディングを始め、地方にも広
たのが、2010 年には男性 30.5 歳、女性 28.8 歳と、男女共に初婚
まった。多様な結婚式スタイルの中でも、最近人気を博しているのが、
年齢は上昇している。以上より、貯蓄がある 30 代が高価な結婚式を
ゲストハウスで行うウェディングである。
挙式していることがわかる。
しかし、ブライダル業界を取り巻く社会の環境は、女性の社会進出
したことによってキャリア志向が強まったことから見られる晩婚化
や、そもそも「結婚」というものに意味を見出さず、結婚しない人が
2.ゲストハウスウェディングの概況
増加しているなどから婚姻件数は年々減少しており、ウェディング事
結婚式の挙式にはホテルや神社など、様々なスタイルが存在する
業を行う会社間では、シェア獲得のために競争が激化しているのでは
が、新たな結婚式スタイルとしてゲストハウスウェディングが誕生し
ないかと推測できる。このような業況の中で、2000 年代からベスト
た。ゲストハウスウェディングとは、ガーデン付きの一軒の西洋風邸
ブライダル、TAKE and GIVE NEEDS など、ゲストハウスウェディ
宅を貸し切る形で、従来の専門式場やホテルなどでの花嫁同士がバッ
ングを行う会社が相次いで市場参入し、今では人気の結婚式スタイル
ティングするということが一切無いことが特徴に挙げられる。会場に
となっている。そこで、なぜゲストハウスウェディングが多くの新郎
よってはバンケットと呼ばれる披露宴会場が複数設置しており、それ
新婦から支持され、シェアが上昇しているのか、これは都心部だけで
ぞれのバンケットでテーマが異なることが多い。例えば、ゲストハウ
はなく地方でも見られることなのか、また、ホテルウェディングに劣
スウェディングの総合プロデュースを行うベストブライダルでは、四
る点があるゆえにゲストハウスウェディングの人気が上昇しているの
季折々の自然を楽しむことができる、開放的な「ガーデンウェディン
か等、ゲストハウスウェディングが新しいウェディングビジネスとし
グ」、海を前に、リゾート感が漂う「シーサイドウェディング」、幻想
て進出してきた要因を解明することを、本研究の目的とする。
的にライトアップされ、大人の雰囲気が魅力的な「ナイトウェディン
1.ブライダル業界の概況
グ」等の様々なスタイルがあり、会場はセレブの豪邸を彷彿させるよ
うな「プール付会場」
、海外のラグジュアリーホテルに滞在している
ような、心地よいフォーマル感が漂う「モダンな会場」、白を基調に
ブライダル業界の現状を、TAKE and GIVE NEEDS の見解によれ
ピンクを効かせた、夢に見たプリンセス気分を満喫できる「キュート
ば結婚周辺市場規模は 2011 年の時点で約 4 兆円と、巨大なビジネス
な会場」など、新郎新婦のニーズに合った様々なスタイルの結婚式が
とされている。現在結婚ビジネスは、結婚適齢期世代の減少・晩婚
用意されている。オリジナリティ
150
れる演出やおもてなしで新郎新婦
卒業研究・作品
の希望を叶える、特別感のあるゲストハウスウェディングは、今や結
婚式には欠かせない一つのスタイルとして定着している。
3.富山県内のウェディング事業の分析
テルウェディング下火の可能性を否定できない。
4.まとめ
ウェディング業界全体としては、結婚適齢期世代の減少や晩婚化な
富山県のウェディング市場の概況を把握するため、県内でウェディ
どの社会的背景や、結婚式のスタイルが多様化した分「結婚しない」
ング事業を営んでいる 18 の会場の事業戦略を読み取ることができる
層の増加により婚姻数が減少していることから、マーケットは縮小傾
各会場の営業パンフレットの資料請求を行った。また、『「ゲストハウ
向にあった。しかしウェディング業界に「ゲストハウスウェディング」
スウェディング」と「ホテルウェディング」は互いに競い合っており、
という新しい結婚式のスタイルが生まれたことにより、利用者のオリ
最近のゲストハウスウェディングの普及によりホテルウェディングは
ジナリティを尊重するという、従来の結婚式にはなかったスタイルの
下火になっている。』との仮説を立てた上で、富山県内の各ホテル・
出現が、停滞していたマーケットに活力を与え、ウェディング業界に
専門式場・ゲストハウスへのインタビュー調査を実施した。依頼した
追い風が吹いている。ゲストハウスウェディングは、近年マーケット
のは以下の企業である。
に浸透し、シェアも確実に伸ばしてきている。とはいえ、現在もホテ
専門式場:
ルウェディングのシェアがトップを誇っている。近い将来はホテル
インペリアルウィング富山
ウェディングとゲストハウスウェディングが激しいシェア争いを繰り
ホテル:
広げることになるであろう。ゲストハウスウェディングの強みは何と
ホテルニューオータニ高岡
いっても「個性
ゲストハウス:
ある。インタビュー調査の結果として、どのゲストハウスウェディン
アール・ベル・アンジェ
グ会場からも把握できたことは、近年の利用者は「おもてなしをした
キャナルサイド・ララシャンス
い」というニーズが増えている点である。このため、ゲストハウスウェ
ヴィラ・グランディス・ウェディングリゾート
ディングは「テーマウェディング」として、一人ひとりにテーマを設
ラ・ブランシュ
けた結婚式を挙げていくスタイルに進化している。利用者一人ひとり
インタビュー調査の結果から、専門式場やホテルはゲストハウスの
の目線に立ち、自信を持って利用者の願いを叶えていくゲストハウス
要素を少なからず取り入れており、現代の利用者には、ゲストハウス
ウェディングだからこそ、人気を博している理由がここにあると考
れるオリジナルウェディング」というコンセプトで
会場の雰囲気が求められていることが把握できた。しかし、『ゲスト
える。「おもてなしをしたい」「誰かに喜んでもらいたい」「誰かを感
ハウスとホテルはライバル同士』と推測していた関係は、様相が少し
動させたい」との新郎新婦のニーズが、これからもゲストハウスウェ
複雑であった。同じウェディング事業を経営する同業者としての意識
ディングの需要を創出し続けると考える。
は、各会場どこに対しても必ず保有しておりライバル関係は存在して
いた。しかしゲストハウスの会場では、ホテルの方が利用者にとって
条件が良いと判断すればホテルを勧め、またその逆のケースも存在し
ている。さらに、ゲストハウス会場が披露宴後のゲストの宿泊先とし
てホテルと提携しているケースも存在し、対立関係を超える関係が存
在していた。つまり、ホテルとゲストハウス(専門式場含む)は、ウェ
ディング業界の中で共存していたということが把握できた。一方で、
インタビュー調査結果として、インペリアルウィング富山とヴィラグ
ランディスウェディングリゾート富山が「ホテルは堅苦しいイメージ
がありそうだ」と指摘していることから、利用者は、「ホテル=堅苦
しい」とのイメージが定着しているのではないかと考える。アット
ホームな雰囲気が求められている現代の結婚式スタイルにおいて、ホ
テルに対する「堅苦しさ」とのイメージは痛手である。利用者のイメー
ジを払拭させるような工夫が今後必要であり、この工夫次第では、ホ
[主要参考文献]
○『図解入門業界研究
本』
最新ブライダル業界の動向とカラクリがよーくわかる
美奈子(2008)
○『よくわかるブライダル業界(業界の最新常識)
』堂上
○業界動向サーチ
昌幸(2006)
http://gyokai-search.com/3-bridal.html(2012 年 11 月 05 日閲覧)
○ TAKE
and GIVE NEEDS「T&G のビジョン」
http://www.tgn.co.jp/company/vision/trend/index.html
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