時代小説のいろは

特集1 今すぐ書き出す基礎知識
時代小説のいろは
感性で勝負するような世界では、なんと言っても若いほうが有利。
一方、ある程度、経験や年齢を経たほうが有利な世界もあります。その顕著な例が時代小説です。
裏長屋の人間模様にしろ、下級武士の悲喜こもごもにしろ、
茶屋の娘の恋模様にしろ、遊郭に通う豪商のぼんぼんにしろ、十代が書くのは難しい。
いや二十代でもいささか経験不足。
今回は、そんな人生経験が生かされる時代小説を書くためのガイド。
これを糸口に、歴史の世界、知識を深めていってください。
イラスト 大野ゆう子/監修 永井義男
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永井義男先生に聞く
中高年からでもプロが目指せる!
時代物でいこう、題材もあまり知られて
ですが、現代物の応募は多いだろうから
を見て、これなら書けそうだと思ったの
けは非常に難しく、結局のところは書き
入れられることもあります。明確な区分
ありますし、時代小説の中に史実が取り
説にも架空の人物が登場することはまま
トーリーが展開します。しかし、歴史小
は実在の人物が登場し、史実に沿ってス
よりも備わっていると思います。
だろうなどと見当をつける力は、若い人
ったらだいたいこのあたりの資料にある
史学者ほどの知識はなくても、あの話だ
識は若い人よりも相対的に多いはず。歴
一方で、年齢を重ねて培った経験や知
永井義男著﹃江戸の下半身事情﹄︵祥伝社新書︶
い な い﹁ 算 学 ﹂を 取 り あ げ よ う と 考 え て
時代小説を書くにはさまざまな制約がありそうで、ためらう人も多いか
もしれません。そこで江戸風俗の豊富な知識と独自の切り口に定評のあ
る永井義男先生に、時代小説を書く楽しさやメリットについておうかが
いしま し た 。
︱︱昔から時代小説を書こうと思ってい
デビュ ー は ﹁ 算 学 ﹂ を 巡 る 小 説
たのですか。
手がどちらを志向するかで決まってくる
また、子育てやサラリーマン経験など、
書いたのが﹁算学奇人伝﹂です。
僕らの世代だと、高校生くらいの頃は
は小説を書いてみたいと思っていました
たものです。ご多分にもれず私もいつか
ど甘い世界ではありません。比較的すぐ
受賞しただけで必ず売れっ子になれるほ
ートすることができました。本来なら、
その後は割とスムーズに作家としてスタ
ともあると思います。
あまり構えずに書き始められるというこ
大きく変化するものではありませんから、
でしょうね。人間の本質は時代によって
要がない分、書きやすいというのはある
時代小説のほうが史実に忠実である必
るのですか。
︱︱ご自身ではどうやって作品を書かれ
役に立つんですね。
り、これまで経験してきたことが意外と
そういう意味では、特別な勉強というよ
の武士を描くときは大いに役立ちます。
とでも、市井のおかみさんや藩邸暮らし
一見、時代小説とは関係がないようなこ
が、当時小説といえば純文学が主流。な
に仕事の依頼がくるようになったのは、
︱︱特別な知識がないと書けないような
ものだと思います。
かなか踏み出せずにいました。
時代小説の中でも珍しいテーマを扱った
気がしますが⋮⋮。
それで、たまたま賞に選んでいただき、
ただ、読書だけはしていました。特に
こ と で﹁な ん だ か 面 白 そ う な や つ だ ﹂と
ほとんどが作家か映画監督を目指してい
江戸時代の風俗を描いた史料本や、江戸
思ってもらえたのかもしれません。
小説より書きやすいと思いますよ。私自
ある程度の年齢の方なら、むしろ現代
した。途中下車して歩いてるうち、ほぼ
そこはかつて千住宿と呼ばれた宿場町で
たま通勤で通過していたのが北千住で、
も書けませんからね。
綿矢りささんのような作品はどうやって
年齢では史上最年少で芥川賞を受賞した
てて、算学のストーリーをつくったらど
街道を見て、ふと﹁この道を図形に見立
1キロにわたってまっすぐに伸びる日光
身、デビューは
歳を超えており、この
デビュー作についていえば、当時たま
かはかなり読んでいましたね。古地図を
時代に移した小説です。一方、歴史小説
簡単にいえば、舞台設定を明治以前の
︱︱時代小説とはなんですか。
経験や知識がすべて生かせる
学の祖といわれた三田村鳶魚の随筆なん
見ながら、当時の名所旧跡をたずねて歩
きまわるのも好きでした。
︱︱第六回開高健賞を受賞された﹁算学
奇人伝﹂では、日本古来の数学﹁算学﹂
開高健賞が公募ガイドに載っているの
をテーマにされていますね。
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り、複数の分野にまたがった資料が集め
う面では大きな図書館よりも充実してお
館を活用しました。その地域の情報とい
情報収集については、地域の郷土資料
白いと感じて引き込まれていけば、何を
ければなりません。そうして、読者が面
は、周りはきちんと事実で固めておかな
だ、 そ れ だ け 広 大 な﹁ 嘘 ﹂を つ く か ら に
いで暗殺されていたという設定です。た
信長は女だったとか、家康は関ヶ原の戦
ても書き出してかまいませんか。
︱︱歴史について人並みの知識しかなく
思います。
限り、説明は最小限にとどめるべきだと
あって、ストーリー上の伏線などでない
学べるところは大いにあるでしょう。読
す。文章の書き方、季節感の出し方など
︱︱参考となる時代小説は?
ることが多いですね。
うか﹂という着想がわきました。
られるので非常に便利です。こうして集
書いても許されるわけです。
のほうでだいたいのことは理解してくれ
﹁武家の妻女﹂﹁茶屋娘﹂と書けば読み手
小説の場合、細部まで描写しなくても
と思います。
方、会話の呼吸がより明確に実感できる
してみると、句読点の打ち方や改行の仕
むだけでなく、1ページを丸ごと書き写
藤沢周平の文章は素晴らしいと思いま
めた資料を一通り読んで、あとは自分の
あとは、調べたことを全部書こうとし
ます。実際、藤沢周平さんの小説でも、
もう少し大胆に削ってストーリーにメリ
すとまだまだ知識の羅列が多い。今なら
︱︱とはいえ、史実に反することを書い
していません。
必要以上に細部を書き込むということは
とが大切なのですね。
︱︱難しく考えず、まずは書き始めるこ
学ぶ楽しさも時代小説の醍醐味
ないこと。私が昔書いた作品も、読み返
ハリを持たせられるのでしょうが、当時
てしまうのも怖い。
習作時代はミスをするものですし、ミ
ね︵ 笑 ︶。 初 め て 書 か れ る 方 で あ れ ば、
時代考証の試験があって、合格しない
するのではなく、ストーリー展開や全体
これまでの経験がどこかで生かせるよう
と書けないという訳ではありませんから
の雰囲気をどうやってつくりあげるかに
な題材を選び、それに見合った時代設定
スを恐れていたら書き出せません。それ
力を注いだほうがよいと思います。
を選べばよいでしょう。書いているうち
に知りたいことが出てきますから、そこ
ばおのずと決まってくるものだと思いま
そうやって知識を吸収できる喜びこそが
味のあるテーマなら勉強も面白いですし、
で初めて勉強を始めればいいのです。興
す。たとえば、剣豪を題材にしたいと思
時代小説は、中高年の方がこれまでの
時代小説を書く醍醐味です。
人生経験を生かし、さらに勉強を積み重
ねることで大成する可能性が十分にあり
してみてはいかがでしょうか。
ちの方、ぜひ時代小説でデビューを目指
ます。小説家になりたいという夢をお持
吉原をはじめとする遊里が盛んであった
私自身は、江戸文化がもっとも成熟し、
しいでしょう。
豊かになり始めた江戸時代後期がふさわ
ょうし、市井の人情話であったら江戸が
えば戦国時代や幕末期が舞台となるでし
描きたいストーリーや人物像が決まれ
ょうか。
︱︱時代設定はいつにすればよいのでし
より、時代考証的な正しさばかりを追求
ちが強かったんですね。
は調べたことを読者に知ってほしい気持
E
足で舞台となる土地を歩きまわりながら
構想を練りあげていきました。
時代考 証 よ り 作 品 の 面 白 さ
︱︱書くときに注意すべき点は?
C
読者は歴史の勉強をしたいわけではあ
D
文化・文政期から天保の時代を舞台にす
19
基 本 的 に は 何 を や っ て も い い︵ 笑 ︶
。
長崎浩斎』『春画と書き入れから見る吉原と江戸風俗』など著書多数。
りません。時代設定はあくまでも背景で
た多数の作品を発表する。『二人の兵法 孫子』『死人は語る 蘭法医
た と え ば、 佐 藤 賢 一 の﹁ 女 信 長 ﹂や 隆 慶
学奇人伝』で第六回開高健賞を受賞し、以降、豊富な知識に裏打ちされ
一 郎 の﹁ 影 武 者 徳 川 家 康 ﹂は、 そ れ ぞ れ
永井義男(ながい・よしお) 1949年、福岡県生まれ。1997年、『算
インタビュー・IDATEN吉田麻樹子/撮影・元田敬三 ※永井義男先生が講師を務める「時代小説講座」を受講しよう。詳しくは32ページを参照ください。
時代小説に挑戦しよう
す。それが、ある部分では読者と作者の
共同作業でもある小説という分野の特性
でもあるわけです。
思い込んでいる人のために敢えて﹁ある
前項では、時代小説なんて書けないと
必要があって調べるのは楽しい
の背景も用意しなければなりませんが、
程度の知識があれば﹂と書きましたが、
これがドラマや漫画であれば江戸時代
小説の場合はごまかしがきくわけです。
逆を返せば、歴史に関する知識がゼロで
意外と 書 け る 、 時 代 小 説
時 代 小 説 を 書 こ う と 言 う と、
﹁い や い
いや、本当はそんなことではいけない
は時代小説は書けません。
のですが、しかし、ある歴史小説家はこ
う言っていました。
や、そんな知識はありませんから﹂と尻
込みする人もいると思います。
確かに、ある程度の知識は必要ですが、
て﹁ 呉 服 屋 の 立 看 板 ﹂と 書 く の と、 具 体
すが、江戸時代の町中の風景が頭にあっ
像力に預けてしまうということは可能で
ぶって寝てしまうことが多かったとか︶。
使わず、夜着でもある掻い巻きをひっか
も敷布団は使いますが、敷布や掛布団は
前述したように、詳述せず、読者の想
たとえば、立看板があるとします。当
﹁当時の様子がよく分からなければ、書
然、そこには文字が書かれているでしょ
﹁ 歴 史 を 勉 強 し て か ら ﹂な ん て 言 っ て い
せん。歴史学者になろうというわけでは
的なイメージはなくてそう書くのとでは、
かないでごまかしちゃえばいいのよ﹂
ありませんから、今ある知識で書いてし
うし、手書きでしょう。映像の場合、こ
文章から受ける印象は違ってきます。
ると、いつまで経っても書き始められま
まってもかまわないのです。小説という
うした小道具もきちんと作らないといけ
のは、そのふっくらとした頬と、秋の木
彦次の心にある少女の面影を残している
お美津は父親の葬儀の場でも美しかっ
た。白い頬にろうそくが照り返している。
影を見つけた。
服屋の立看板に隠れるようにしている人
くびすを返して戻ろうとしたとき、一
間と離れていないところで、向かいの呉
必要がなければしなくていいのです。
ません。しかし、小説の場合、詳述する
いたとします。このとき、布団について
郎は布団をかぶって寝てしまった﹂と書
公 が 寝 て い る シ ー ン が 出 て き て、
﹁辰五
そうして書く中で、裏長屋に住む主人
や﹃ 必 殺 仕 事 人 ﹄を 見 た 記 憶 で イ メ ー ジ
代劇でもおなじみですから、
﹃水戸黄門﹄
しかし、江戸時代はテレビや映画の時
説には現代小説にはない自由があること
そうして実際に書いてみると、時代小
なる枕屏風の陰に畳んでおいた﹂という
﹁ 裏 長 屋 に は 押 し 入 れ は な く、 L 字 型 に
る知識も得られたりします。たとえば、
布団について調べた結果、布団に関連す
必要があって調べるのは楽しいですし、
特性を考えると、それも可能なのです。
の実のような黒い瞳だけだ。人の妻にな
︵宮部みゆき﹃本所深川ふしぎ草子﹄︶
戸時代に布団ってあったのかな﹂という
詳 し く 書 く 必 要 が 出 て き て、
﹁は て?
江戸時代の布団って? 裏長屋の住人で
は華美な布団ではないよな。そもそも江
は仇討は違法ですが、時代小説なら可能
てもおかしくはありません。現代社会で
われますが、時代小説なら抜刀したとし
官 が 威 嚇 射 撃 し て き た ら﹁ ウ ソ!﹂と 思
ながら蓄積していく。一挙両得です。
けを積み重ねていくだけではなく、書き
豆知識が得られるとか。こうした知識だ
ったことで身に付いた落ち着きが、顎を
ようなくだりや、ディティールを書いて
疑問がわいたら、そのとき初めて調べれ
することは不可能ではないですね。
引き、背を伸ばして座っているお美津の
リアルな雰囲気を醸す必要のある箇所で
ばいいのです︵ちなみに、裏長屋の住人
たとえば、現代小説で些細なことで警
に気づくと思います。
は別ですが、そうでない場合、小説では
細い身体に、淡い色香を添えていた。
近江屋を一代で築いた藤兵衛の娘お美
読者の想像力に任せてしまっていいので
もちろん、物語の展開に大きく関わる
津の姿が描写されています。ここだけ読
︵宮部みゆき﹃本所深川ふしぎ草子﹄︶
むと、現代小説と同じですね。
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自由はあります。
ですし、違和感もありません。そういう
すから、万六は自分で自分のことを岡っ
人公の知覚ということになってしまいま
ら引用します。
小 説 講 座 ﹂の テ キ ス ト︵ 永 井 義 男 著 ︶か
この点について、作品添削講座﹁時代
というのは蔑称ですから、自分に向かっ
て言うのはおかしいですね。
時代小説の場合、現代人による説明が
よいのです。
では、
﹁おれ、おめえ﹂でなければなん
と書けばいいでしょうか。再び﹁時代小
説講座﹂のテキストから引用します。
A﹁コウコウ、おめえ、ゆうべは大酒屋
ましたが、これも忠実な再現はとても無
現在以上に呼称の使い分けがなされてい
つぎの江戸の会話を読んで、話し手の
性別や職業がわかりますか。
引きと言ったことになります。岡っ引き
時代小 説 は 三 人 称 で
時代小説は、三人称で書きます。一人
では書ききれません。そのため、時代小
B﹁アア、おめえは﹂
か﹂
必然的に必要になり、江戸人の知覚だけ
説は三人称で書くのが一般的です。
理です。また、真剣に考えていたら書け
江戸時代は身分制があり、長幼の序は
厳格で、男女差もはっきりしていました。
万六は岡っ引きである。
C﹁おれが口っぱたきなら、そっちは尻
称はやめたほうがよいでしょう。
江戸時代らしい雰囲気を
化六年︶からで、当時の話し言葉そのま
江戸の風俗を活写した﹃浮世風呂﹄
︵文
そこで、一般に、
女の場合
あたし、おまえさん
庶民の男の場合 俺、おめえ
武士の場合
拙者、貴殿
なくなってしまいかねません。
が、 し か し、 時 代 小 説 で﹁ 午 前 六 時 ﹂と
まです。
っぱたきだ﹂
か﹁ 十 円 ﹂と い う 言 葉 を 使 っ た ら お か し
い方も同じです。江戸時代であれば﹁読
み売り﹂
﹁大川﹂でしょう。
くらいを基本にすればよいのではない
でしょうか。
読者は読んでいて、話し手が男か女かわ
当時の言葉を忠実に再現して、小説の
なかで女が﹁おれ、おめえ﹂を使えば、
的に読みましょう。
の一人として、どう書いているか、意識
読者として読んではいけません。書き手
時代小説をどう書けばいいかは時代小
んだ、
その身なりは。おともらいかい?﹂
からなくなり、混乱してしまいます。
たのです。
﹁お れ ﹂、 二 人 称 に﹁お め え ﹂を 用 い て い
な ん と、 江 戸 の 庶 民 の 女 は 一 人 称 に
です。
Aは三十歳くらい、Bは十八歳のそれ
ぞれ芸者です。Cは十三、四歳の子守女
いですね。
﹁瓦版﹂や﹁隅田川﹂という言
地の文は客観的に書くことができます
三人称で書いた場合、これは作者によ
る説明とも言えます。作者が﹁岡っ引き﹂
おれは岡っ引きだ。
と説明しても問題ありません。
しかし、一人称で書いてしまうと、小
説の原理として地の文に書いたことも主
間違いではないけれど、その言葉はど
たとえば、落語に出てくる長屋の熊さ
うかというものもあります。
ん や 八 さ ん の よ う な 人 物 な ら、
﹁な ん だ、
のように和語で書いたほうがそれらしい
一冊熟読したほうが役に立つのです。
つまり、ただ単に時代小説を読んだ経
説を読めば分かりますが、読むときは一
雰囲気を醸すと思います。特にセリフの
験があるというだけでは、書く修業とし
その衣服は。葬式かい?﹂ではなく、
﹁な
場合は、時代劇の雰囲気を壊さないよう
つまり、時代小説の会話は当時の再現
である必要はないのです。なまじ忠実に
ては不十分ということです。娯楽として
にしたいところです。
再現していたら、かえって読者にはちん
ただ、一方で、当時の言葉遣いを再現
当時の雰囲気が伝わるような現代語で
十冊読むより、書くためのお手本として
ぷんかんぷんです。
しては読みにくく、かえって雰囲気が壊
れるという場合もあります。
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時代小説を書くうえで欠かせないもの、それ
は武士のこと。ここでは武士の衣職住につい
てさわりを記します。
髪形のいろいろ
武士は外出時に伴を連れるのが決まり。武家には女
手は少なく、秘書的な役目をする用人、警護をする
侍、その下に若党、中間、小者、下男がいる。
銀杏つぶし
辰松風
惣髪撫付
撥鬢
巻立茶筅
若衆髷
武家の生活
武士の正装
大名屋敷
大名の上屋敷は江戸での役所でもあり、勤番の武士が主命を待つ用部屋、武士の詰所、接
客をする書院、勤番長屋、足軽長屋など武士の住居も。
4
武士の住まい
武士には将軍家直属の家臣団と、地方
に領地を持ち、江戸に藩邸を持つ諸大名
の家臣団の二種類があります。前者の知
行一万石以上が譜代大名、一万石未満が
直参で、直参のうち将軍に御目見できる
駕籠から直接家に入るためにあります。
商家や農家は戸口の先に土間があり、そ
こから直接家に上がります。
武士の収入・服装
武士の収入には知行取りと蔵米取りが
に近い上屋敷のほか、大藩になると抱屋
大名は大名屋敷に住んでおり、江戸城
る年貢は五公五民とすると約百俵で、つ
地があるということ。そこから収穫され
ば、日本のどこかに百石収穫できる知行
あります。知行取りは石高が百石であれ
敷︵ 別 宅 ︶、 蔵 屋 敷︵ 倉 庫 兼 屋 敷 ︶
、災害
まり百俵の収入があるわけです。
のが旗本、できないのが御家人です。
があったときの避難所でもある中屋敷や
は水戸藩のように十七万坪という広大な
四千坪、十万石は七千坪ぐらい。なかに
広 さ は、 一 万 石 は 二 千 坪、 五 万 石 は
日に食べる米は五合で計算します。これ
というのは一年間に食べる米の量で、一
扶持﹂のように米の量で表します。扶持
物 支 給 さ れ る 蔵 米 取 り は、
﹁三十俵二人
一方、知行地はなく、幕府から米が現
土地を持っている藩もありましたが、こ
らは家禄と言い、代々受け継ぐものです。
下屋敷も持っていました。
れらは幕府から借りている拝領地で、場
の屋敷になります。都心に百坪なら豪邸
二坪で、百石の旗本の場合は百∼二百坪
た拝領屋敷です。広さは一石につき一、
旗本屋敷も幕府から無償で貸し出され
一部を又貸ししたりしました。
したり、本来はいけないのですが屋敷の
たり、それがだめなら家庭菜園や副業を
そのため、学問所で才能を磨いて求職し
上は無役で、つまり職禄はありません。
ると職禄が得られますが、旗本の半分以
このほか、なんらかの役職についてい
のようですが、敷地の半分が庭、半分が
所も幕府から指定されました。
屋敷で、そこに家族や使用人も住みます
玄関は名主以外の町人には許されません。
を設けた書院造りの独立した建物。門と
武家屋敷は道に面して門があり、玄関
大紋という礼装があります。
級の武士には、束帯と衣冠、直垂、狩衣、
り ま す︵ 百 俵 以 下 は 羽 織 姿 ︶
。さらに上
ときは小袖の上に肩衣と袴の 裃 姿にな
着物姿で、これに帯刀します。出仕する
武士の服装は、普段着は小袖、つまり
玄関には床から一段下がったところに式
からさほど広くはありません。
台という板張りの踏み台があり、これは
22
側用人
大老
側近の最高職
幕府の最高職
寺社を統括
旗本・御家人を
統括
幕政を統括
火附盗賊改
目付
世が荒れたら
組織
旗本・御家人を
監察
勘定奉行
町奉行
大目付
御側衆
直轄領を統括
江戸市政を統括
大名の監視
将軍の側近
無役の旗本を書くにしても捕り物を書くにし
ても、行政の仕組みは大雑把にでも分かって
おきたいものです。
老中
町奉行所の職制
若年寄
現在の内閣に当たるのが老中と若年寄。その下の三奉行(寺社・勘定・
町)と大目付、目付で構成される評定所は現在の最高裁判所に当たる。
■与力 禄高二百石の武士。ほぼ世襲。
与力の下の役職。与力一人に
■同心
がつく。三十俵二人扶持。
数人
■小者 同心宅に住む奉公人。同心一
数人。十手を持つ補佐役。
人に
■手先 同心から手札︵証明書︶をも
た民間の協力者で、俗に言う岡
らっ
っ引き。給金は少なく本業があり、
賄賂による役得も多い。チンピラな
どに捜査の手伝いをさせたため評判
が悪く、たびたび禁止令が出された。
■手下 手先の子分で、潜入捜査など
る行商人等。
をす
将軍
江戸社会の特徴は将軍がすべてを直接
五十万人もの町人を掌握できたのは、す
ほ ど し か い ま せ ん が、 こ ん な 少 人 数 で
町奉行所には南北合わせて三百五十人
警察も行政もすべて自治
支配しているのではなく、主従関係がた
江戸社会の基本は主従関係
くさんあること。大名は大目付が、旗本・
頂点にいるのは町年寄で、その下に町
べてに自治制をとっていたから。
が、関八州︵武蔵、相模、上野、下野、
名 主︵ 数 町 か ら 十 数 町 に 一 人 ︶、 さ ら に
御家人は目付が、僧侶・神官は寺社奉行
上総、下総、常陸、安房︶など江戸近郊
その下に家主からなる五人組。
は家主が管理しました。
町人は町年寄が、奉公人は主人が、店子
ちなみに、主従関係は庶民も同じで、
は勘定奉行が監視し、江戸市中の行政全
般は町奉行の管轄となります。
町奉行は大岡忠相のいた南町奉行所と
遠山金四郎のいた北町奉行所があり、月
住んでいます。同心には密偵をする隠密
同心百二十人。いずれも八丁堀の役宅に
両奉行所とも与力二十五人、その下に
具のほか、火の見櫓もありました。半鐘
た。火の番もし、纏や鳶口などの消火道
不審者を捕らえたり、拘留したりしまし
があり、常時三∼五名が交替で詰めて、
各町内には自警のための番所、自身番
廻、巡回・捕縛をする定廻、その応援を
は ゆ っ く り 鳴 ら す と﹁ 火 の 手 は 遠 い ﹂、
交替で月番と非番を繰り返しました。
する臨時廻の三種類がいます。
伝い役。手先は私的に雇われた民間の協
は同心宅に住む奉公人で十手を持った手
いました。給金が少ないのでろうそく、
の境︶には木戸番という番屋が置かれて
町内警護のため、町の入り口︵隣町と
速く鳴らすと﹁火の手は近い﹂でした。
力者で、岡っ引き、目明かし、御用聞き
駄菓子、焼き芋、金魚などを売る副業を
同心の下には小者、手先がおり、小者
と言われます。手先の下にはさらに手下
しており、そのため商番屋とも呼ばれま
した。時代劇に出てくる岡っ引きが親分
徒やテキ屋などに警察の役目を負わせま
もって毒を制す方式で、犯罪に明るい博
調書に基づいて判決を申し渡しました。
場合は拷問。町奉行は吟味与力が作った
道。刑事裁判は自白第一主義で、しない
与力で、民事訴訟は和解を勧めるのが常
される。調べるのは町奉行ではなく吟味
被 疑 者 は 奉 行 所 の 庭︵お 白 州 ︶に 座 ら
した。木戸番は番屋に住み込んでいます。
がおり、これは手先の子分です。
幕府は財政難で江戸市中を治めるだけ
と呼ばれているのはヤクザ等の親分だか
の数の役人を雇えません。そのため毒を
らで本業は別にありました。
23
寺社奉行
自身番は私設交番兼消防署。竜吐水(放水ポンプ)もあったが、江戸の消火は家
屋の倒壊が主。そのため火消しは鳶職や大工が多かった。
江戸の行政
木戸番(左)と自身番(右)
腰高障子
へっつい
枕屏風
江戸の庶民を主人公にするなら、熊さん八さ
んがいるような裏長屋の暮らしを知っておき
ましょう。
行灯
行李
火鉢
箱膳
土間
米びつ
流し
裕福な町人の家族と行商の夫婦
九尺二間(三坪)と九尺三間(五坪)の
部屋が並ぶ裏長屋。棟の両側が入り口に
なった棟割長屋もある。裏長屋の住人は
厳密には町人ではなく、間口税などの税
金は払わないかわりに、町政や公事に参
加する公的権利もなかった。
いので夏と冬では同じ明け六つでも一時
夜が明けると明け六つ。定時法ではな
貧しいながら気楽な暮らし
町人の持ち家が町家。町人居住区は狭
間以上ズレます︵次ページ参照︶
。
大家と言えば親も同然
く、通りに面して商店が並び、店の奥が
朝起きると、木の先端を房状にした房
住まい。これを表店と言います。
表店の間の路地には木戸があり、その
朝食は白米、味噌汁、納豆や海藻類の
楊枝に歯磨き粉︵細かい房州砂に香料を
おかずの一汁一菜。魚は週に一回ぐらい。
奥には長屋があります。これが裏長屋、
九 尺 二 間、 つ ま り、 間 口 が 九 尺︵ 二・七
混ぜたもの︶をつけて歯を磨きます。
メートル︶、奥行きが二間︵三・六メート
食器は水に灰を混ぜて洗います。
裏店と呼ばれる借家。標準的な間取りは
ル ︶。 も っ と 広 い 長 屋 や 二 階 建 て も あ り
ましたが、七割は九尺二間の平屋でした。
湯屋︵銭湯︶は江戸初期は蒸し風呂で
したが、中期以降は湯船があります。構
出るときは関所手形を書いてもらう。嫁
すが、湯船の前に石榴口があり、それを
造は今と同じで脱衣所、洗い場、湯船で
借りるときは大家が身元を調べ、旅に
を も ら う に も 同 意 が 必 要 で、 そ の た め
ページ参照︶。
石鹸はなく、米ぬかで洗います。一応、
くぐって中に入ります︵
子も同然﹂と言われます。この大家は長
混浴禁止になっていました。江戸っ子は
﹁ 大 家 と い え ば 親 も 同 然、 店 子 と い え ば
屋の所有者ではなく管理人です。家賃は
日に何度も湯屋に行きましたが、この湯
どの家財道具があります。押し入れはな
置いてあります。残り四畳半には長持な
の 土 間 に へ っ つ い︵ 竈 ︶が あ り、 水 甕 も
すぐに消して寝たとか。寝具は敷布団に
く、庶民は魚油を使いますが、臭いので
かりは行灯の火。菜種油やろうそくは高
おやつ。夕食は朝の残りを茶漬けで。明
日中、子供は寺子屋へ行き、帰宅して
屋と髪結床は社交場でもありました。
く、布団は枕屏風で隠しておきます。食
寝ござを敷き、枕は箱枕。掛布団はなく
現金収入に。なお、江戸の便所の戸は、
ります。大便は農家が買い取り、大家の
と言います︶、掃き溜め︵ゴミ溜め︶があ
わりに夏しか使わないものを預けます。
なると冬物、炬燵、火鉢などを出し、代
使わないものは質屋に預けてあり、冬に
夏は蚊遣りを焚き、蚊帳を吊ります。
夜着の掻い巻きをかぶって寝ます。
半戸という下半分しかないものでした。
裏長屋には共同の井戸、便所︵惣後架
一人用の膳を使います。
卓はなく、箱膳という食器を収納できる
長 屋 の 腰 高 障 子 を 開 け る と 一・五 畳 分
日払いでした。
27
どぶ
水桶
おひつ
町人の生活
九尺二間の裏長屋
長屋の見取り図
24
時代小説に限らず、小説を書くうえでは
職業は重要です。江戸時代ならではの職
業を押さえておきましょう。
銀貨
江戸時代は、一刻が二時間に固定された定時法と、日の出を
明け六つ、日没を暮れ六つとし、その間を六等分した不定時
法の二種類の時間がある。時の鐘は最初に三つ叩き、そのあ
と「六つ」なら六回叩くので計九回鐘が鳴る。
銭貨
金一両は銀五十匁(元禄以降は六十匁)、銀五十匁は銭四千文と
相場はあったが、金銀銭が別々に流通しているような状態で、関
東では金、上方では銀が、また上級武士は金、下級武士と商人は
銀、庶民・農民は銭を使った。そのため両替屋が繁盛。
■長さ
1分=3mm 1寸=3.03cm 1尺=30.3cm
1丈=3.03m 1間=6尺=1.82m
1町=60間=109m 1里=36町=3.93km
■重さ
1匁=3.75kg 1斤=160匁=600g 1貫=1000匁=3.75kg
■容積
1勺=18mℓ 1合=10勺=180mℓ 1升=10合=1.8ℓ 1斗=10升=18ℓ 1石=10斗=180ℓ 江戸の度量衡
4000文(4貫文)
江戸のビジネス
金貨
レンタルショップも人気。また、使い捨
理する焼き継ぎ屋も繁盛しました。こう
江戸は超リサイクル社会
江 戸 に は 仕 事 が 溢 れ て お り、
﹁薪割ろ
居職があり、築城と火災が多い関係で、
した職人には現場に出る出職と家でする
てはせず、鍋釜を直す鋳掛屋、陶器を修
うか、風呂焚こうか﹂と言えばすぐに声
江戸の庶民は大半が地方出身者で、そ
活するためには換金する必要があります。
武士の給料は米で払われましたが、生
江戸時代特有の商売
江戸でもっとも多い職人は大工でした。
がかかり、町をぶらぶらしていれば口入
れ屋︵斡旋業︶が声をかけてきました。
医者にも簡単になれました。当時は無
免許で開業できたので、月代を剃るのが
のうえ冷蔵庫もないため、いろいろな食
それをしたのが札差です。札差は依頼主
面倒だからと医者になった人もいたとか。
品その他を物売りから買いました。棒手
飛脚も今はない商売。一般人が使うの
の武士から蔵米手形を受け取り、その日
は 町 飛 脚 で、 江 戸・ 京 都 間 が だ い た い
振りは天秤棒を担いた行商人で、魚、野
また、江戸はリサイクルが盛んで、あ
三 十 日。 急 ぎ の 場 合 は﹁ 十 日 限 り ﹂
﹁六
の相場で換金して依頼主に渡しました。
りとあらゆるものが再利用されました。
日限り﹂という速達もあり、
﹁四日限り仕
菜、味噌、醤油、朝顔、金魚、鈴虫、冷
下駄の鼻緒を売る鼻緒屋、古着屋のほか、
立﹂となると金四両二分と高額でした。
また、札差は来年獲れる米を担保に、武
壊れた傘の骨、溶けて流れたロウソク、
士を相手に高利貸しもしました。
要らない扇、女性の髪の毛︵かつらを作
旅館は今もありますが、武士が止まる
や水など多種多様なものを販売。なかに
る ︶、 灰︵ 洗 剤 に す る ︶、 紙 屑︵ 再 生 紙 を
のは本陣。庶民は旅籠で、これは江戸中
は季節ごとに売るものを変える人も。
作る︶も引き取られ、これらをなんでも
期には飯盛旅籠と平旅籠に分かれます。
素泊まりの宿は木賃宿と言います。
のちには売春がメインに。食事の出ない
飯盛旅籠の飯盛女は給仕が仕事ですが、
買い取る見倒屋もありました。
献残屋は武家や商人に贈られた贈答用
品を買い取る商売。肥取りは肥料用に糞
尿を汲む商売で、代金は長屋の大家の臨
江戸中期、就学率は %で、大半の子
が寺子屋通い。読書熱が高まり、草双紙、
時収入になりました。また、馬糞拾いも
いて、こうした〝なんでも再利用〟のお
本屋が繁盛しました。
洒落本、人情本、滑稽本などが読める貸
庶民は貧しく、損料屋という今でいう
かげで江戸の町はとてもきれいでした。
25
80
一朱銀16枚
一分銀4枚
丁銀・豆板銀50匁
一朱金16枚
一分金4枚
一両小判1枚
江戸の時間
江戸の三貨制度
小説の中で人間を描くなら料理はつきもの。
当時の食料事情や食習慣を知っておけば描写
もリアルに!
夜鷹と呼ばれる遊女がよく利用したので夜鷹蕎麦と言う。小
麦粉2、蕎麦粉8で二八蕎麦とも。屋台は中央の担ぎ棒を担
いで移動する。
居酒屋は「酒屋で居たまま飲む」が由来で、発祥は宝暦年間(1751
∼64年)の豊島屋。しかし、寛政年間(1789∼1801年)に続々誕生
した居酒屋は煮売り屋の兼業。
江戸の食
江戸の鰹売り。大田南畝によると初鰹は文化9年(1812年)
に中村歌右衛門が3両で買ったそうだが、これは一時のこ
と。天保年間(1830∼44年)には250文に下がっている。
屋台は持ち歩ける設備で 、 車 輪 付 き は 明 治 以 降 。
ほぼ毎日決まった場所に 出 る の は 床 見 世 と 言 い 、
解体すれば移動可能。
棒手振り
(鰹売り)
天ぷら屋
居酒屋
そば屋
江戸の外食産業
前項に出てきた棒手振りは流しの宅配
業で、冷蔵庫がないため庶民は朝から豆
腐、シジミ、納豆などを買いました。
揚げ、揚げ物と呼ばれていました。
江戸時代にはない食材も
庶民の食事は一汁一菜で、おかずの一
番人気はメザシ。野菜類では、きんぴら
ごぼう、煮豆、焼豆腐煮、ひじき白和え、
この棒手振りの中から、食材を調理し
て売る煮売り屋が生まれ、独身男性が多
切り干し煮付け、小松菜のおひたしなど
味噌汁の具は握りつぶした豆腐や細か
気で、鯨も食べられていました。
が人気。もちろん、江戸前の魚介類も人
かった江戸で大いにウケました。
煮売り屋は店だったり屋台だったりし
ましたが、やがて食事と一緒に酒も出す
ようになり、これが居酒屋になります。
く切った納豆など。納豆ご飯は醤油が普
ました。酒は造った量に税金がかかった
したが、江戸中期に醸造が始まり、後期
醤油は江戸初期は関西からの下り物で
及する江戸後期から。
ため、濃く作って水で薄めて売っていま
に な る と 関 東︵ 銚 子 や 野 田 ︶で 造 ら れ る
ただし、椅子やテーブルはなく、座敷
に座ったり、上がり端に腰かけて飲食し
した。
文 政 年 間︵ 一 八 一 八 年 ∼︶に 花 屋 与 兵 衛
ったことと、ほとんどの庶民が肉体労働
関東は東北や甲信越からの流入者が多か
物になりました。関西より味が濃いのは、
ものの品質が向上し、ほとんどが地廻り
が握り寿司を作り、たちまち江戸のファ
寿司は江戸初期は押し寿司でしたが、
ーストフードとして人気に。ネタは卵焼
代劇に出てくる貧乏旗本は傘の修理をし
者で、汗で失われた塩分を補うためと言
ていますが、ほか家庭菜園をしたり、支
き、エビ、こはだ、小鯛、まぐろなど。
蕎麦は蕎麦がきの状態で食べていまし
たが、寛延年間︵一七四八年∼︶に小麦
われています。
粉をつなぎとした二八蕎麦が生まれ、も
給された大豆で味噌、醤油を手作りした
大きさは現在のおにぎりほどでした。
り・かけとも十六文。夜鷹蕎麦は屋台に
りと質素だったようです。ちなみに武士
江戸時代にはまだありませんでした。
なお、白菜が日本に来たのは明治期で、
いるとして食べなかったそうです。
はキュウリ︵の輪切り︶が葵の紋に似て
一方、江戸中後期の武士は貧しく、時
風鈴をつけて客を呼びました。
天ぷらが登場したのは安永年間︵一七
七二年∼︶で、立ち食いが基本。ネタは
エビ、アナゴ、白魚、イカ、貝柱など。
野菜の天ぷらは天ぷらとは言わず、精進
26
江戸の性愛
人間を描くうえで、避けて通れないのが性描
写。娯楽の少ない時代の庶民は、思った以上
に好色です。
花魁は前で帯を締め、新造︵ 下 級 遊 女 ︶ 、
禿︵見習いの少女︶などを引 き 連 れ 、 八 文
字を踏みながらゆっくり進む 。 な お 、 遊 女
の最高位である大夫は宝暦年 間 ︵ 1 7 5 1
∼64年︶に消滅している。
遊女の品定めをする張見世。吉原では女の扱いを知らない
野暮は浅黄裏と言われ、これは田舎侍が浅黄色の裏地の着
物を着ていたから。
湯屋(一応混浴禁止)
江戸の湯屋(銭湯)。奥の浴槽とはざくろ口で仕切られて
いる。江戸後期の天保の改革で禁止されるまで混浴は珍し
くなかった。
が陰から見る陰見が行われました。中後
期は花見などに連れ出された女性を男性
会ってから断るのは支障があり、江戸初
江戸の結婚は多くは見合いでしたが、
って新吉原になりますが、これが現在の
吉原は明暦の大火で全焼し、浅草に移
府公認の遊女街、吉原遊郭になりました。
にあった遊女屋が日本橋に集められ、幕
元 和 三 年︵ 一 六 一 七 年 ︶
、江戸の各地
江戸の性風俗
期も事情は変わらず、それとなく会って
吉原です。今は男性向けの歓楽街ですが、
江戸の恋事情
男性が品定めする形式が続きます。女性
江戸時代は男女とも行く観光地で、花魁
わらず親が決めた相手と結婚しました。
が武士にあるまじき行為とし、容姿に関
場合は女性を美醜で品定めすること自体
目でようやく馴染みに。疑似恋愛が前提
ても、一回目が初会、二回目が裏、三回
張見世で気に入った遊女を選んで登楼し
級店︶
、小見世︵大衆店︶とランクがあり、
店には大見世︵高級店︶、中見世︵準高
はファッションリーダーでした。
江戸時代にも仲人がいました。娘を嫁
で、馴染みになったら浮気は禁止です。
ただし、これは町人の場合で、武家の
に断る権利はありませんでした。
がせる場合、仲人は家柄に合った持参金
江戸には吉原遊郭のほかにも私娼街が
︵ 結 納 金 ︶を 用 意 さ せ ま し た が、 娘 の 器
量が悪いときは持参金を上積みしました。
女性の適齢期は十六∼十八歳。結婚す
公認の岡場所が百か所以上ありました。
宿はなかば公認。また、これ以外にも非
あり、品川、内藤新宿、板橋、千住の四
ると眉を剃り、お歯黒にしました。男性
成功報酬は一割でした。
は社会人として自立してから結婚し、適
さらに市中には夜鷹、船饅頭と呼ばれ
る私娼や、旦那取りという妾もいました。
姦通罪があった江戸時代でも不義密通
せんが、妾奉公も職業であり、当時は希
妾は今は公然と斡旋することはできま
齢期は二十代半ば過ぎでした。
はありました。行為の場は神社や茶屋の
望すれば口入れ屋が連れてきました。
倫カップルのみ。なお、密通の多くは死
まりラブホテルで、利用客はもっぱら不
が、奥に部屋を取ることもできます。つ
裏で売春をさせる店もあったそうです。
絵のモデルなるほどのアイドル。中には
鍵屋のおせん、難波屋のおきたなどは錦
人気の茶汲み女がいて、湊屋のおろく、
し、さらに水茶屋という今のカフェには
旅籠の飯盛女も客寄せのために売春を
裏や物陰。または出合茶屋で、ここは表
罪ですが、江戸中期には大半が示談にな
向きは食事処になっている店もあります
り、示談金の相場は七両二分でした。
27
吉原の張見世
花魁道中
江戸のカルチャー
寺子屋
男女の旅姿
町人は経済的に潤い、歌舞伎、寄
席、出版、旅行がブームに。近代へ
と繋がる江戸後期の娯楽を総覧。
寺子屋は幕末には8000軒も。授業は朝五つ∼昼八つぐらい
で、八つに帰宅して食べた間食がおやつ。読み書き算盤が基
本で、専門的な勉強をしたければ学者の私塾に通う。
読み売り
瓦版屋は明治以降の
言い方。内容をかい
つまんで読んで売っ
たことから読み売り
と言う。時事報道は
出版が禁止されてい
たから、岡っ引きな
どと鉢合わせになっ
てしまったらすぐに
逃げた。
幕府も信仰の旅は大目に見
たため、お伊勢参りなどを
名目に旅に出た。ガイド
ブック「名所図会」を見て
旅先を決め、掛け金を積ん
で団体で行くあたりは現代
と同じ。
歌舞伎は幕府からは悪所と呼ばれ、た
川御殿山などで花見をしました。初夏に
奥 山、 墨 堤︵ 隅 田 川 東 岸 ︶
、 飛 鳥 山、 品
江戸っ子は春には上野寛永寺、浅草寺
江戸のハレの日
び た び 規 制 さ れ ま し た。 天 保 の 改 革
江戸のエンターテインメント
︵ 一 八 四 一 年 ︶で は 中 村 座、 市 村 座、 守
幕府公認の祭りは神田明神の神田祭、
は潮干狩り、夏には花火に納涼船遊び、
日枝神社の山王祭。この二つには将軍の
田座の三座が一ヶ所に集められ、猿若町
当時は照明にろうそくを使っており、
上覧があり、江戸っ子は豪華絢爛に飾り
秋には虫聞き、紅葉狩りをしました。
火災予防から昼の部しかなく、年に十回
と名づけられました︵今の浅草︶
。
ほどしか興行しませんでしたから、前日
つけられた山車行列を堪能しました。
﹃好色一代男﹄や山東京伝﹃江戸生艶気蒲
印刷技術の進んだ江戸では、井原西鶴
の真夜中から出掛ける人も。ただ、富裕
層は茶屋を通して桟敷を予約しておいた
ので、当日悠々と観にきました。
永 春 水﹃ 春 色 梅 児 誉 美 ﹄な ど が 人 気。 ま
、式亭三馬の滑稽本﹃浮世風呂﹄、為
焼﹄
講 談︵ 講 釈 ︶の 席 で は 軍 談、 仇 討 物、 侠
た、 十 返 舎 一 九 の﹃ 東 海 道 中 膝 栗 毛 ﹄は
寄席は幕末には数百軒あり、出し物は、
客物など武ばった話がウケました。色物
旅行ブームを生みました。
当時の江戸っ子の旅行は、弥次喜多コ
の席では手品や写し絵もあり、噺家は人
情噺、怪談噺、芝居噺などを演じました。
山新勝寺、秩父など。ただし、こうした
大山、伊勢神宮、御岳山、江ノ島、成田
ンビが伊勢参りに出掛けたように、信仰
相撲は寺社の修復費用を捻出するため
観光地には遊び場があり、そこで買い物
の 旅︵が 名 目 ︶で し た。 行 き 先 は 富 士 山、
に境内で行われました。はじめは各所の
をし、料理を堪能し、男性は歓楽街に行
なお、落語は戦後になって生まれた言葉
寺社をまわりましたが、寛政年間からは
って日頃の憂さを晴らしました。
だそうです。
民にも人気が広がり、谷風、小野川、雷
江戸後期は歌舞伎人気から三味線を習
両国の回向院境内にて。江戸中期には庶
電が人気。ただし、女性の見物は許され
場で見世物小屋がかかり、曲芸、珍獣、
ほか、両国、浅草、上野といった盛り
富くじとともに人気を博しました。
料金一枚二分で三百両当たることもある
柳は一句十六文で応募できる懸賞文芸。
川柳などの習い事も人気になります。川
う人が増えますが、踊り、茶華道、小唄、
奇 人 変 人、 細 工 物︵か ら く り 人 形 な ど ︶
ませんでした。
が人気を博しました。
28
すでにやりつくされた感があり、かとい
ですが、秀吉・信長・家康など武将物は
史実に沿って書かれた歴史小説もいい
もあり、ミステリーでもあるという合わ
代物であり、職業物であり、恋愛の要素
るようなタイプのものはウケません。時
時代小説においても、単純に分類でき
さて、時代小説を読んでも時代劇を観
せ技は必要条件と言っていいでしょう。
それならばいっそ市井の人物を主人公
ても、江戸の町、江戸の人々の姿がなか
って無名の実在の人物を掘り起こすのは
に、まったくのフィクションにしたほう
いなかったりします。
絵や写真で見た場合も細部までは覚えて
の中で映像化していないこともあります。
文字の場合は意味だけを汲み取り、頭
を自分でも描いてみるのです。
絵や写真がたくさん載っています。それ
やウェブサイトには当時のことが分かる
スケッチ。江戸ものしり図鑑といった本
なか頭に浮かばない人に向いた究極のト
時代劇を挙げてみましょう。
今、レンタルビデオで観られる映画の
それは映画、ドラマ、漫画ですね。
るためには、映像を見るのが一番です。
書く際に、情景が頭に浮かぶようにな
おすすめ映画、漫画
が書きやすく、設定もストーリーも自由
初心者には面倒です。
では、無数にある時代小説の中から、
レーニング法があります。名づけて江戸
の時代の景色と雰囲気が頭の中に立ちの
おすすめ時代小説
小説の勉強のためにはやはり時代小説
もちろん、私たちが書きたいのは小説
江戸時代を舞台にしたものを中心に、比
を読むのが一番です。
であって歴史研究ではありませんから、
較的読みやすいものをピックアップして
﹃たそがれ清兵衛﹄藤沢周平
に広げられます。
ぼってくるようにしたいものです。
時代のイメージを頭に描く
映像が 頭 に 浮 か ぶ か
昭和を舞台に書かれた小説の中にケー
タイが出てきたら、そんなものはまだな
いよと思って作品自体を嘘くさく感じて
しまうはずです。時代小説も同じで、あ
歴史家並みの知識を持っていたり、どの
みます。
る程度は歴史を押さえておきましょう。
時代にも詳しい必要はありません。
後期なら江戸後期のことについては人並
﹃あかね空﹄山本一力
しかし、自分が書く時代、それが江戸
み以上に興味を持ち、それなりの知識を
そこで模写です。絵にするためには、
ちょんまげの太さ、曲がり具合、衣装な
﹃本所深川ふしぎ草子﹄宮部みゆき
﹃一命﹄出演・市川海老蔵
得ておくようにしましょう。
﹃御宿かわせみ﹄平岩弓枝
時代小説を書くには知識も必要ですが、
江 戸 風 俗 研 究 家 の 杉 浦 日 向 子 は、
﹁イ
など、じっくり見ないと描けません。
ら袖の長さ、花魁のかんざし、武士の裃
(角川文庫)
姿、町人の襦袢、裏長屋の戸や壁の具合
『雷桜』
(講談社文庫)
﹃十三人の刺客﹄出演・役所広司
『天女湯おれん』
﹃小川の辺﹄出演・東山紀之
子』(新潮文庫)
﹃雷桜﹄宇江佐真理
『本所深川ふしぎ草
(文春文庫)
﹃天女湯おれん﹄諸田玲子
『御宿かわせみ』
それより当時の情景が頭に浮かぶことが
(新潮文庫)
求められます。場面を書くにあたり、そ
『たそがれ清兵衛』
(文春文庫)
﹃雷桜﹄出演・岡田将生
﹃桜田門外ノ変﹄出演・大沢たかお
メージというには、あまりに明確に、細
テレビの時代劇は従来型は消滅しまし
地を思い出すような感覚に似ていて、教
とえば、ずっと住んでいたことのある土
﹃必死剣鳥刺し﹄出演・豊川悦司
たが、原作ものは一部残っています︵放
科書とかの歴史とは別物です﹂
︵杉浦日
そう思えるのは同氏が漫画家であること
イラスト(P.20∼28)三浦宏一郎
部までを感じることができるのです。た
送は終了済み︶。
と無関係ではないでしょう。
向 子﹃ 大 江 戸 観 光 ﹄︶と 書 い て い ま す が、
﹃陽だまりの樹﹄原作・手塚治虫
﹃JIN ︱ 仁 ︱﹄原作・村上もとか
29
『あかね空』