冬雷1月号 - 冬雷短歌会

2017 年・ 1 月号
二〇一七年一月一日発行(毎月一回一日発行) 第五十六巻第一号 (通巻六五九号)
短歌雑誌 TOURAI
表紙絵「 桜 」について
ゆふべには少し間のある日のひかりうけて桜の
白々と満つ 川又 幸子
この歌は川又幸子先生の第三歌集『 運河夕映 』
の中に収められている歌だ。川又先生は二〇一六年
五月十八日の夜に九十五歳で歌人生の幕を閉じられ
た。
永い間、冬雷の選者として、歌を志す多くの初心
者に丁寧な添削をされ指導された功績は言葉に尽く
せないものがある。その大きなご尽力に感謝を込め
て、先生がこよなく愛され歌にも多く詠まれた桜の
歌の中からこの歌を選び絵に描かせて頂いた。
先生は常々、自然と一体になるような歌を詠みた
いと話されていた。自然と一体になると言う事の究
極は自分の生を完ることなのだ。と木島茂夫先生の
言葉を胸に深く刻まれておられたのだろう。
我々もこの言葉を胸に置き、事物をしっかり見つ
め歌を詠み続けてゆきたいものだ。
川又先生に幾重にも敬意と感謝を込めて。合掌
嶋田正之
1月号 目次
表紙絵「桜」について……………………………………嶋田正之…表紙二
冬雷集…………………………………………………水谷慶一朗他…1
一月集………………………………………………黒田江美子他…18
作品一………………………………………………橋本佳代子他…28
作品二………………………………………………吉田佐好子他…50
作品三……………………………………………小久保美津子他…64
今月の 30 首(鎌倉行)………………………………………関口正道…12
冬雷集評・十一月集評…………………………中村哲也・小林芳枝…14
11 月号作品一評………………………………冨田眞紀恵・嶋田正之…16
コラム「身体感覚を歌う」十………………………………橘美千代…27
誌 上 年 賀 状 …………………………………………………………………44
11 月号作品二評…………………………………赤羽佳年・中村晴美…48
11 月号作品十首選…………………………………ふみ・修司・克彦…61
11 月号作品三評………………………………水谷慶一朗・関口正道…62
歌誌「抜錨」を読む⑻ ………………………………………中村哲也…73
今月の画像……………………………………………………関口正道…77
詩歌の紹介 33…………………………………………………立谷正男…78
11 月集十首選…………………………………………………山﨑英子…79
寄贈誌御礼…………………………………………………桜井美保子…79
表紙絵《桜》嶋田正之 / 作品欄写真 関口正道 /
題字 田口白汀 冬 雷 集
冬雷集
大阪 水 谷 慶一朗
高校生ラガーの孫は敏捷にからだ動かしフィールド駆ける
判断力行動力をつね鍛へ快活にラガーはフィールド走る
タックルをいくども躱し駆けぬける孫はボールを横抱へして
パスボールを捕へすぐさま横抱きにイン・ゴールめざし孫は疾走す
バウンドの方向予測つけ難く選手てんでに楕円ボール追ふ 枝ごとに紅の実が照る花水木駅の広場に紅葉をなして
日の射せば紅の実さらにあかく冴え紅葉さかりの花水木たつ
神々しき樹と村人は崇めつつ樹齢六百年の橡の実を拾ふ
明月院 山門 鎌倉市山ノ内
穂に出でて間なき芒はしつとりと艶やかにして耀ふ夕べ 愛知 澤 木 洋 子 防災の訓練と集ふ校庭にメタセコイアは高く彩る
町民の総出通学路のごみ拾ふお久しぶりと声交はしつつ
秋の草さわ立ち木木の風に鳴る刑場跡にささめきを聞く
たまさかに出逢ひ一局交はせりと男ふたりは長く付き合ふ
田の畦を行けば跳び交ふ蝗はも見あたらずただ草を分くのみ
ワイパーを最速作動させ走る三週つづく木曜の雨
1
思ひ出の一片何処と立ちつくす浦島太郎梅田界隈
有効期限生涯の筈免許状法の変はれば反古となり果つ
欠詠はせぬ冬雷に長く居場所を保つわがあかあかと
桜の旅 神奈川 桜 井 美保子
横浜から東京を経て那須に向ふバスのなか四方話し声満つ
幾たびか泊まりにきたる那須の宿こころ休まる処となりつ
ロビーにて夜の小さきコンサート「浜辺の歌」のソプラノを聴く
満開の花に間に合ひけふ仰ぐ薄くれなゐの三春の桜
近づきて桜のこゑを聞かむとす千年を越えて生くる大樹の
あすはもう散つてしまふか滝桜えだの先まで花の輝く
畦道を来ればボランティアガイド待つ千歳桜といふ木の前に
伝説の老いたる桜は薄紅と白ふた色の花を付けをり
砲弾にぼろぼろとなりたる城の姿こころにありて天守に登る
東京 白 川 道 子
淵のある大皿にも似てオホオニバスの葉の幾枚か池に広がる
オホオニバスの葉の真ん中に胡坐かきすまし顔してモリアヲガヘル
真夜中にオホオニバスは咲くといふ幻のやうな花に会ひたし
早朝に家出でてゆく池の端にほのぼの白しオニバスの花
賭けをして競へば楽しボリュームをあげて子と観る日本シリーズ
逆転で大声あげる長男の少年の日に戻りたる貌
2
冬 雷 集
ミニホカロン一つ入れたる夜具のなか五分十分朝をまどろむ
覚えある紬着こなし茶を点つる母若かりき薄明の夢に
福島 松 原 節 子
貰ひたる里芋の茎の皮を剥き芋柄作らん母に習ひて
芋幹の味噌汁好みし父なりき井戸の屋根の下揺れる芋柄
会館の掃除当番回り来て班のメンバー集ふ日曜
越しきたるシングルマザーが小一の子を連れ加はる会館清掃
仕事もつ人の日曜貴重なる時間をさきて仲間となりたり
四十年来の友なりいつよりか俳句と短歌に分かれきたりぬ
(折々のうた)
近況を知らせるメールに難解な俳句いくつか添へくる友は
「沈黙の量」と川又先生の歌に学びぬ俳句の鑑賞
松の木の無き庭となり庭師三人一日のうちに仕事終へたり
東京 赤 間 洋 子
大会にて配られる『川又幸子歌集』惹き込まれつつ読み進みたり
背筋一本まつすぐ通る川又先生の短歌に対ふ心を読みぬ
遊歩道に百人一首刻めるを読みつつ行きぬ世田谷美術館へ
志村ふくみの染織作品あれもこれも植物の持つ色頂くといふ
藍を建て神棚拝して糸を染め布織る姿映像に見る
我が建てる藍は湯殿の片隅のポリタンクの中それでも染まる
教へ子の還暦記念の同期会我が三度目の卒業生なり
3
散会の前に貰ひし花束が卓上にあり笑みかけてくる
老いるともネガテイブな言動避けるべく火曜はシルバー体操に行く
雨の日もみんな来てゐる体育館汗をかきかき笑ひ転げて
東京 森 藤 ふ み
伐られたる椎の木惜しめどベランダに影作るなく秋の日は差す
誰も来ぬ休日にしてスーパーに映画観にくる「後妻業の女」
晴天にあれど空気の冷たさに戸外に坐らず美術館に入る
並べある椅子に腰かけ話しこむ一年ぶりに会ひたる友と
話しゐるそばを忙しく過ぎる人ゴッホ・ゴーギャン展に出で入る
ランチ終へ歩きはじめる青空と温き日差しに日本橋まで
御徒町から秋葉原までガード下の手作りショップを覗きつつゆく
神田駅近くに福島のアンテナショップありトルコ桔梗の一束を買ふ
福島のトルコ桔梗は茎も葉もしつかりとして八重の大輪
洋裁を習ひし頃に利用せし生地の「考富」商ひてをり
ラッキー 東京 櫻 井 一 江
今まさに集荷されむとする前に手紙三通ポストに入れつ
「ラッキー」思はず声にし投函の吾を待ちつつ集荷人の笑む
ポストより我が家へ距離は大股に歩みて見れば五十歩ほどに
うつすらと明けゆく空をバックにしアイビーの葉叢に雫の光る
ボランティアに貰ひて来たる獅子唐の苗は伸び伸び我が腰程に
4
冬 雷 集
昨日五個けふは三個と獅子唐の食べごろ採りの悦に浸りぬ
後方にバスの来たればバス停に走り走りて乗車の叶ふ
このバスに乗れて余裕の到着ぞ満ち足りながら息を整ふ
バス停に東京新橋四ツ谷への案内テロップ流れ続きぬ
折に触れ と 東京 天 野 克 彦 こをと め
目を瞑れば君の笑顔がよみがへる常少女なる君のほほ笑み (悼・荒木米子さん)
(金子兜太生日)
生と死のあはひに遊ぶわれなれやあかい風船空にたゆたふ
健やかに生きむと兜太見習ひて乾布摩擦に精出すわれは
我が町に熊出没の知らせあり朝より騒がし防災無線は
在家勤行おこなふ人のありやなし人まね猿まね真言となふ
ゆ
ししむら
わが部屋に棲みつきてゐる蝿ひとつ追へば逃げゆく追はねば寄りくる
む
ね
登山者の立ち寄る山の温泉に浸かり羨しと見てゐつ若きらの肉体
逆三角形誇りしわが胸筋衰へてやうやく思ふ若さよりの訣別
岡山 三 木 一 徳 大鳥居くぐれば参道人の波年越し詣に高松稲荷へ
本堂の広場は着飾る人の群れ賽銭箱に近寄れもせず
年毎に暖冬となり暖かく拍手打つ手も寒さを知らず
泥土田に蓮の花は盛りゐていかに伸びゐる大好物の根は
早朝のジョギング中の路地裏に木犀の香りあちこちと漂ふ
晴天にコンバインの音高く百舌鳴く声もかき消されゐる
5
足早に暮れゆく秋の用水路鴨は群れなし長雨に浮かぶ
夕闇の迫りくるまま川面には鴨巣帰りの気配すらなし
今年また豊作なるか軒先に干柿の簾農家を色どる
山梨 有 泉 泰 子 松本を過ぎれば山々紅葉し白く輝くアルプスの覗く
会ひたいと叔母の願ひに従妹弟等に声かけ集ふ晩秋の金沢
各地より集ふ従妹弟の面口調亡き叔父叔母を彷彿させる
今のうち祖父母の生ひたち伝へたきと母から聞かぬことなども語る
祖父母の血あなた方にも流れをり心の隅に抱き生きよと
久しぶり妹達と雑魚寝する衣服のままに布団をかぶつて
みやげにと叔父はマス寿司買ひに行く往復二時間ハンドル握り
杖にすがり手を振り続ける叔母の見ゆ今度はいつや桜葉の落つ
東京 穂 積 千 代
ペタペタとサンダルの音響かせてパジャマズボンがコンビニに入る
自転車の前籠に乗るは老犬か大欠伸しつつわが横行きぬ
うたひとつ書きとめる間にバス停をふたつ過ぎたり降りねばならぬ
名を知らず住まひも知らぬ杖の人リハビリの歩み速度落ちたり
わが声にああと応へて眉あげし瞳の力など思ひみる
シルバーパスに乗り継ぎて至る東陽町うららに晴れて冬雷大会
知る顔の少なくなれど旧き友の面若々しわが喜びとなす
6
冬 雷 集
東京 荒 木 隆 一 満潮に艀曳く船押す船と煌めく朝陽を蹴立てて登る
釣人が荷船の波に舌打ちすあるべき富士は模糊と雲間に
酉の市に夜仕事終へて連れ出され吉原抜けしも青春の夢
赤信号を陽溜りに待つ街路樹で陽射し避けしはつひこの前のこと
ニコニコとニヤニヤの評価は紙一重善意と悪意の持ち方次第
割安の大袋買ひ独り居の毎食同じの愚を繰り返す
単調な藁打ち仕事をよく堪へしと今顧みて己れを誉めをり
富山 冨 田 眞紀恵 許さるる事多くして許すべき事なきわれの一世なりしよ
高岡にてただ一度会ひたるよ「木島茂夫」に「川又幸子」
何処にも行かぬと言へどそれぞれが過す日々は旅にも似たり
そつとわが幼き日々を乗せて見る子等が去りたるブランコの揺れに
独りの夜耳に入りくる虫の音をわれのみのものと思ふしづけさ
ある時は夫ゐるごとく錯覚するそんな真夜のしづけさが怖い
こんなにも長く夜空を見上ぐるは何年振りか父母なきあと
東京 池 亀 節 子 カート引く音を聞きつつうつすらと影を映して並木路をゆく
街路樹にざわざわ鳴きつつ椋鳥の大群飛び交ふ夕暮方に
出掛くれば雨の予報はどこ吹く風真青な空に白雲ひかる
7
絶え間なく車の走るこの五叉路開かずの踏切に長き列なす
病院の帰途スーパーに寄るカート無く必要不可欠なもののみ購ふ
木戸開けて階上るとき木叢より鳴きつつ飛びゆく数羽の小雀
階を覆ふ椎の大樹に小雀鳴く通るたびごと糞が気になる
眠くともどんなに夜更けであらうとも日記を付けて一日は終る
茨城 佐 野 智恵子 見るかぎり灰色の空もういやだ部屋にこもりて喋る人なく
ひさびさに満月に近き月にあひ声出し一歩ベランダに立つ
朝焼けがこれ程までに吾が心捉へるなどと思ふだにせず
五時半に起きる習慣身につきてたまには良しと思ふよろこび
フロントに見た事のない花ありて初雪草と教へて貰ふ
透き通る程にましろき花弁を静かに揺らし静かに咲ける
御免ねとあやまり乍ら聞いてゐる名も知らずして小鳥の囀り
長々と西から北に茜色に夕べの空に足を止めたり
家々の庭に実りて柿の色鮮やかになる日差しのなかに
ハナミヅキ 埼玉 嶋 田 正 之
ハナミヅキの葉のいくつかに色やどりこの辺りから秋がはじまる
曙杉の黄ばめる朝の上空に誰かに告げたき鰯雲浮く
鰯雲が綺麗ですよと知らせたるそんな些細なことが嬉しい
楠の木の梢にひときは高く鳴く百舌鳥は今年も元気なやうだ
8
冬 雷 集
ヒヨドリが突き刺す声もて友を呼ぶハナミヅキの実紅に熟るると
ヨルガホは下葉を落とし黄葉の増し今宵一輪咲きて終りぬ
文化遺産登録記念に作りたる「ちぎり絵」飾る都美術館に
ちぎり貼る六千六百九十一人合作に成す里の春景
秋冷の言葉の似あふ朝となり雲高くして薄く乱るる
栃木 兼 目 久 巣のやうに大小あまた彫られたる岩壁一面の竜門石窟
作品を寝ても覚めても考へよ師に言はれたる五十年前
人生の三分の二を過ぎたるか七十九歳の誕生日を迎ふ
EU離脱 トランプ当選 選挙とは予期せぬことを現実にしたり
クリントンでは何も変らぬと受けとめたるアメリカ国民トランプを選ぶ
細長くごばうのやうな大根をいとしく思ひ折れぬやう抜く
塩漬の塩が黄色に変色す戦後に食せし塩つぱいホッケ
登り道をペダルを踏みて老人がらくらくと行く電動自転車
天井に張りめぐらせる電線が盗まれしといふ閉店スーパー
千葉 堀 口 寛 子 幸子様あなたの歌に亡き姉が重なり幾度も涙ぐみたり
背と腰にカイロを貼りて風邪気味の今日の一日はゆつくりと居る
朝六時電話予約の内科医にやつとつながり十時に決まる
今日も又疲れたと書く日のありてどこかで体力なくなりてゐる
9
冬のバラコップに赤く咲く傍に賜りし歌集一気に読みぬ
くり返し書いても書いてもまだ暗記出来ずに一つの詩に向かひ居り
暗記する事がこんなに出来ないと気付きたる日は不安抱きぬ
近く住む同級生と食事会老いたる事もかくさず笑ふ
生きのひととき 東京 赤 羽 佳 年
遊びではないと思ひつつ歌を詠む逡巡少し気負ひも少し
ふるさとといふあたたかき響きにも甘えしこともなくて年ふる
年年のめぐりに変化は見えねども身の衰へは如実にありぬ
駅の階中途の手摺に休むとき通学生は駈けくだりくる
成長を止めたるのちも生きてをり身のおとろへは日に日に長ける
感情のうねりなどいま少なくて反応鈍きよはひとなりぬ
人の訃をおどろくこともいまは無くなに変はるなき思ひにゐたり
硬質な形状記憶のワイシャツの襟が締めつくる葬りの席に
東京 近 藤 未希子 蔵人がこんなたまごと見せに来るまん丸にして一円玉よりちさきもの
あのたまご誰が食べたか聞いてみる未だ食べないと一週間すぐ
隣家の十月桜下枝より咲き初めたり九月半ばに
わが桜十月半ばちらちらと咲き初めたり数へるばかり
わが谷戸に三階建の家が建ち喘息の子供のゐる人が来るとか
夕づきて西空低く月を見る美しきかな赤き三日月
10
冬 雷 集
四日目も赤き月なり佇みて見ながら思ふ川又さんの月
神奈川 浦 山 きみ子
十月の半ばをすでに越えにけり庭木の葉群に秋陽ざし澄む
必ずやよき歌などは作れまい夜半に目覚めて又思ひをり
自が命いつまでと知るすべもなし夫も娘も健やかなるを良しとす
幾度も聞き返すこと多くなりあきるる夫に面伏せにけり
八歳にて逝きし姉なり賢さは姉にまかせてのほほんと生く
晩酌の夫を囲みて娘と三人日々の夕食過し来にけり
きみちやんと呼びにし遠き日の従弟今はいづこに住むかも知らず
手のひらにかくるる程のメモ帖をふと置き忘れ慌ててさがす
東京 山 﨑 英 子 道沿ひの高処にさがる烏瓜花の季気付かざりしをいまに悔しむ
大方の家事は娘に任せきり未だある私の仕事は梅漬
この年も梅干し終へて我流なる熱湯消毒減塩仕上げ
樟に絡みつきたる蔦のもみぢしばらく見ぬ間に鮮やかとなる
校舎の壁伝ひ伸び伸ぶ朝顔の紫は未だ衰へず咲く
ベランダに蜘蛛ひとつゐて巣を作る何か癒さる心地してをり
巣の主米粒よりも小さきが真中にポツンと身構へてをり
折々の光に糸のきらきらと輝く様を見つめてゐたり
細やかに張りたる蜘蛛の巣霧吹きて滴る如きレース状美し
11
鎌倉行
関口 正道
横須賀線地上にホームのありし頃鎌倉行は南口に集ふ
い
い
く
に
日本史のサークルの幹事任されて季節毎に行きし鎌倉の社寺
真つ先に覚えて忘れぬ年号は「1192作らう頼朝幕府」
覚園寺の脇道登りて天園にて三島由紀夫を語る司書たる君は
持ち呉れたるシソの葉入りのむすび食ふ史学部中退を君は語りき
建長寺へ下りて共に汗拭ひこころすなほに再会約す
いつしかに往き来は絶えて淋しかり交通事故を後に聞きたり
国道百三十四号は江の島まで片側二車線となり渋滞は無し
稲村ヶ崎より狭き道上り踏切越え市街地に入る坂多き処
迷ふなく通り来ること哀しけれ極楽寺駅過ぎ長谷に至りぬ
「岐れ路」別れて程なく鎌倉宮そこから先はそろそろと進む
晩秋に己の薄き影法師瑞泉寺参道まで付いて来るかな
秋の日をわづかに浴びて瑞泉寺谷戸の奥なり禅の庭しづか
過去と今分断せるごと通過する横須賀線が行く円覚寺境内
つややかに繁れる林は楓の樹か歩きつつ見上ぐ源氏山公園
晶子詠みし美男のかんばせ拭はれて春の日浴びる露座の大仏
今もなほ吾がよく知れる安国論寺の玄海つつじの淡きくれなゐ
12
今月の 30 首
にほひばんまつり
からたねをがたま
忘れゐしこと蘇る心地して匂番茉莉の白妙を見る
山門を潜ればわづかににほひ来る唐種招霊バナナのかをり
海に背を向けて上半身のモニュメント赤木圭一郎は材木座を見つ
誇り得ることにあらねど原節子同じ生日浄明寺に住む
鎌倉に真つ直ぐなるはここだけぞ海辺より八幡宮への段葛の道
いにしへの歴史を秘むる八幡宮腕を捥がるがに大公孫樹倒る
京を恋ひまつり事忘れし実朝は哀れなりけり身内に討たる
戦ひに征きて還らぬ人ありていにしへの源平の興亡もある
遠き世も現の世とて変らざり黙々と銭を洗ふ衆生の営み
木は声を出さねど音は出してゐる曼陀羅堂ある暗緑のなか
散る消ゆる違ふを思ひて辿り着くもののふ祀る五輪塔あまた
吾のこころの襞に沁みつつ聞えくる山の音蝉の音耳鳴りの音
岩肌を抉られしやぐらの闇を見る若木垂れをり此の世と彼の世
13
十一月号冬雷集評 中村 哲也
恒例の敬老会にての米寿祝ひ夫婦で花
生命に、作者が感じたけなげさを思う。
ば」に、季節外れでも生じたたんぽぽの
やら人生の哲学があるように思う。
作者。何気無いように綴られる中にも何
として義姉の為に時間を割いて献身する
の家族の事もあるであろうが身近な親族
して短い期間で無い模様だ。自らや自ら
わが休むその傍らに老婆きて腰を下ろ
束受けてありがたし 三木 一徳
を す る 手 が 止 ま っ た。「 魂 が あ る と 思 へ
すやタバコ吸ひ出す 池亀節子
毎年恒例の地域の敬老会の米寿の祝い
作者は夫婦で花束の祝いを受けた。結句
出す」に一連の流れるような動作を感じ
み込まれているような気がする。
て共に受けられた妻への感謝も併せて詠
かに立つ」から、波も穏やかであったの
かのようであった模様だ。結句「あざや
生じる白波が、まるで海を二つに分ける
鎌倉の海を眺める作者。沖に向かって
いた一艘のモーターボート。その背後に
こす白波あざやかに立つ 浦山きみ子
鎌倉の海二分けてモーターボートの起
歩き疲れてベンチにでも腰を下ろした
作 者。 暫 ら く し て そ の 傍 ら に 老 婦 人 が
は 煙 草 を 吸 う ま で の 事 と 感 じ た よ う だ。 手伝ひも遊びも汗を拭ひつつ動き回り
た作者。この老婦人にとって一息つくと
しどの家の子らも 櫻井一江
毎朝、作者の視界に入るに筑波山。こ
の日は雲間に隠れず全容がはっきりを眺
そんな作者の眼から見た現代の、動き回
を拭ひつつ」にその真剣さが窺えよう。
に飾る娘の作品 山﨑英子
たんぽぽの冠毛くづさず二十本グラス
び上がってくる内容歌だ。
められた。結句「晴晴とする」に、いか
る事のさほど無くなった遊び方に、時代
坐った。下句「腰を下ろすやタバコ吸ひ 「 受 け て あ り が た し 」 に 周 囲 へ の、 そ し
早朝に窓開け行けば筑波山はつきり見
家の手伝い、そして遊びも精一杯体を
動かし回ったという作者の子供時代。「汗
だろう。作者の見た風景がそのまま浮か
えて晴晴とする 佐野智恵子
に筑波山の全容風景が、作者の日々の生
たんぽぽの上端に生じる冠毛。その冠
毛を崩さずに「二十本グラスに飾る」と
ると思へば抜く手が止まる
季節はづれのたんぽぽの黄にも魂があ
一人住まいの作者の夫の姉の通院に付
き添う作者。たぶん近隣に暮らしている
つき添ひて行く 堀口寬子
一人居の夫の姉の通院にいつもの様に
う。
芸術品か、技術的な作品かは悩ましい
が確かに早々真似出来ないものであろ
る。それを「娘の作品」と言い切る作者。
いう作者の娘。それだけでも驚嘆に値す
活の中で目に付く存在であるかが窺える。 の変化を感じているのであろう。
冨田眞紀恵
の で あ ろ う。「 い つ も の 様 に 」 と は、 決
季節外れに咲くたんぽぽ。そのひっそ
りと咲かせる黄色い花に、作者の草取り
14
父母の大空襲を生き抜きたるふるさと
十一月集評 小林 芳枝
ぢいちやんちの海水浴場に今年また行
調に回復されることを願いたい。
ように下句は穏やかである。このまま順
者もほっとする。張り詰めた心が解ける
高 速 道 路 か ら 稲 田 を 見 下 ろ し て い る。
コンバインがゆっくりと動き稲を刈る様
飯嶋久子
バインゆっくりと黄金色けずる
じまり院内しずか 松中賀代☆
☆
東京誇らしくあれ 黒田江美子
くと孫らが騒いでゐると 大久保修司 を「黄金色けずる」として幾何学模様を
遊びにきた孫を海水浴に連れて行った 見るような近代的な感じを出している。
のであろう。「ぢいちやんちの海水浴場」
消灯になればそろそろ眠られぬ夜のは
と記憶している子供の心が楽しい。結句
東京都議会の不祥事が次々と現れて唖
然 と す る ば か り だ が、 都 民 の 願 い が
ぎゅっと詰まった一首といえる。
消灯は眠る為のものであるが、作者は
「 眠 ら れ ぬ 夜 の は じ ま り 」 と い う。 入 院
こでは頷ける。
の止め方も普通は納まりが悪いのだがこ
☆
える。静かすぎても騒がしくても。
戴きものの風鈴、素材も形も違うであ
ろうから音色も違って当然だが、作者の
☆
貰いたる風鈴三つそれぞれの音色の響
患者にとって病院の夜はつらい時間と言
採血後の診察待ちの三時間思う存分「冬雷」
を読む 吉田綾子
採血結果が出るまでの診察待ち。本来
なら不安な時間でもあるが集中できるの
心には三人の贈り主が浮かんでいるよう
蝉の声うわんうわんと響くなか棚はみ
忙しいか、どちらかだろうが物事に動じ
く夜風に触れて 和田昌三
ない精神の強さも感じられる。
な感じもする。結句が活きている。
している藤の蔓。生命力に溢れている。
は大分回復されているか、普段相当にお
なかなかに先の見えない感染症ここら
サンダルの先より覗くペディキュアは
見上げれば空は真っ青綿雲が風に吹か
空をイメージする。そこから風の動き季
夏から秋に移る空を爽やかに捉えてい
る。読者はまず初めにすっきりとした青
☆
まる。最近は光沢や色だけでなくネイル
節の動きを感じさせて見事である。
れて帯となる朝 横田晴美
夏の日差しの中に響き渡る蝉の声、棚
からはみ出して勢いよくまだ伸びようと
出して藤蔓の伸ぶ 鈴木やよい
が峠か越えねばならむ 増澤幸子
指の数だけ柄と色あり 倉浪ゆみ
長い病は辛いが冷静にご自身の体調と
向き合い分析ができている。決して負け
生かされて盛夏の庭に戻りたる夫は桔
アートされた爪が多く、下句が面白い。
夏の電車内での属目だろうか、サンダ
ル履きの若い女性の足先の装いに目がと
梗の花殻を摘む 髙橋説子
高速路より見下ろす稲田色づきてコン
ていない気持が見える。
大変難しい手術が成功されたようで読
15
十一月号作品一評 冨田眞紀恵
この峡に幾百年を続き来し農のわが代
に終るを寂しむ 橋本佳代子
家ごとにブレーキ軋ませ郵便夫首のタ
オルに汗を滲ませ 荒木隆一
良い所に目を向けた一首でしたが、結
句の「汗を滲ませ」は「汗を滲ます」と
した方がきちんと一首がおさまる様な気
祈っています。
性格のおつちよこちよいが見抜かれて
「もつと推敲」の赤文字恋し
高島みい子
この赤文字は「川又先生」の赤文字で
しょうか。歌が出来ない時、私も先生の
面影を思い出してがんばります。
がします。如何でしょうか。
一日黙して手仕事しをれば傍らの人形
元気な高齢者が高齢者を支えいるわが
幾世代守り続けてきた山峡の農を自分
の代にて終える事の寂しさは言葉では表
が「元気?」と声発しきぬ 野村灑子
中している作者が見える、そしてこの人
良い考えですね。若い者にばかり頼らな
高齢者といっても様々ですから比較的
元気な高齢者は見守り役になる。これも
☆
現しきれないものがあると思うが、作者
形と作者の深い繋がりも良く見える一首
いで、この様な考え方もおおいに活用し
町の福祉見守りネット 高橋燿子
の年齢を思うと今では良くぞ頑張ってこ
下句が面白い。声を出す事の無い人形
に「元気?」と聞かれる程、手仕事に熱
である。
られた事に感心します。
が動くことも減りたり 高松美智子
☆
子を育て子に育てらるる日々過ぎて心
子を育てると言う事は、子にも育てら
れていた事であったと言う事を今しみじ 一面の稲田の上に風吹けば葉先の揺れ てゆきましょう。
みと作者は感じられている様である。感 て稲穂が光る 吉田睦子 何処にか蟋蟀が鳴く克昇の十三回忌の
動する事が少なくなったと言う事かも知 豊作を予言する様に稲穂を光らせて風 法要終えて 同
れません。下句の解釈はそれぞれと思う。 が 吹 き 抜 け て ゆ く、 豊 か な 情 景 で す ね。
曽孫の素早き動きに皆の目は笑みつつ
足元も見ず庭歩く曽孫ゐて念入りに為
一年で一番稲田の美しい時ですね。
はないでしょうか。生者は死者を思い死
その鳴く声を聞いていらっしゃったので
作者は克昇さんの魂が蟋蟀になって
帰って来たのではないかと、しみじみと
追ひゆく夜食のときも 小島みよ子
す事前の掃除 飯塚澄子
なもの。私もこの曽孫の健やかな成長を
曽孫の事を考えて庭の掃除も丁寧にす
る祖母、この曽孫が家族全員の宝物の様
されてゆくものなのではないでしょうか。
す。 こ の 様 に し て 生 と 死 は 永 劫 に 繰 り 返
者は生者を思うものではないかと思いま
はまるで天使がひとり舞い降りて来た様
曽孫の可愛い動きに家中の目が集まっ
ている微笑ましい様子が想像され、それ
な感じでしょうね。
16
十一月号作品一評 嶋田 正之
大神輿の先触れなして木遣歌ゆるゆる
まっすぐに芯太く生きたる人多しわが
揺らす風渡りゆく 吉田睦子
山々がぼんやり遠く見ゆる日に後れ毛
広報車行方不明の人知らせゆく外観年
めぐりの大正生まれに 高松美智子☆
り生き様に違いが有るのかも知れないが
齢われに似るらし 橋本文子
の捉え方で穏やかな季節の移ろいを想う。
最近、気骨のある奴だ、などと云う言葉
五句の「後れ毛ゆらす」に仄かな色気
が漂っている。男にはとても詠えない風
を耳にしなくなった気がする。
嘗て、明治は遠くなりにけりと嘆く言
葉を聞いたが、今は大正も遠くと云うこ
昔ながらの日本の祭の美しい情景だ。
法被姿のとび職の一行が木遣り歌を唄い
筆者の巡りでも行方不明者を探す広報
車の声を多く聞くようになった感じがす
とだろう。人間は生まれ育った時代によ
ながら先触れに進む、神輿の宮入を待つ
床に入り妹と吾に読みくれしファーブ
行けり宮入なすと 穂積千代
観衆の興奮が伝わってくる。
ル昆虫記母若かりき 永田夫佐
ものが有るのだろう。ご自分と同じ境遇
先祖から受け継いで来た田畑を自分の
代でお終りにせねばならぬ状況は複雑な
ると、我々の想像もつかない時代が進行
ながらスマホに指を滑らせているのを見
り一歳位の子供が電車の中で親に抱かれ
返ってくるのだろうか。スマホ時代にな
友達と楽しいお喋りの時間を持ち、そ
の別れ際ふと見る友の背中の丸みにはっ
中に齢を見たる 高島みい子
浅草で又逢ひませう別れぎはの友の背
入った東北の果物農家はどうだったのだ
河川敷の芝生に露の光りをり潰さぬや 田の稲は色付き倒れず実り良し台風九
うにそつと歩きぬ 有泉泰子 号東北へ去る 小川照子
芝生に宿る露は昔から着物の柄として 農家にとって台風の進路ほど気を揉む
も親しまれ「つゆ芝」と云う小紋がある。 も の は な い の だ ろ う。 と こ ろ で 進 路 に
れ大きな感動を貰ったのだろう。
る様に素晴らしい光景が目の前に展開さ
登山途中の歌だろうか、風があれば山
霧の流れは速いもので、舞台の幕が上が
不明者の情報が流される様になった。
にある人と語り合うことで、心が癒され
として己を振り返ることがある。
近はパソコンのメールに役所の広報から
る。高齢化が進んでいる証拠だろう。最
吾と同じ農継ぐ子の無き君と沁沁語れ
今の子供達に「ファーブル昆虫記」を
知っていますかと訊ねたらどんな答えが
てゆくのだろうが日本中に同じ悩みを抱
しているのだとつくづく感じる。
☆
ば癒やさるけふの心か 橋本佳代子
えた方々が沢山おられると思う。
作者は朝の河川敷で美しい光景を目にさ
ろうか、と気に掛かってくる。
つ太き川なす 関口正子
濃霧はれ姿見えたる白馬嶺の雪渓ふた
れ愛おしむ姿が心優しく響いてくる。
17
一月集
千葉 黒 田 江美子
秋草の群生鮮やか膝元に触るるも愉し通院の道
鮮やかな秋草小道に溢るるを車生活止めたれば見ゆ
鈴鴨が渡つてきたと掲示ある野鳥観察舎は休館のまま
ユリカモメ マガモ コガモも到着し水辺アシ原に賑はひもどる
セグロカモメ白 番戻りたり北海道に寄り行徳へ
草いきれ深く吸い込み空仰ぐ大樹の茂みに羽ばたく鴉
友たずね子等遊ばせし芝の庭史跡指定に移りゆきたり
芝覆うなだりは友の家の跡そんな思いに立ち止まり見る
草を踏み大地の柔き感触に膝の痛みも忘れて歩く
園児達は円陣つくり日向ぼこ芝生は緑空澄み渡る
二人合せて八千歩 東京 永 田 夫 佐
春なれば花に賑わう並木道桜紅葉を背にうけてゆく
ブログに見る若き理事長の微笑みに中学時代の面浮かびくる
身を持つて死の看取りを教へたる看護師たりし入居者ありと
サービス付き高齢者向け住宅に「看取り方針」確と掲げあり
高齢者施設のブログに理事長となりたる君の信条を読む
20
☆
明月院 枯山水庭園
18
一 月 集
案内人について歩く団体は薬師堂に手を合せゆく
濁りなき水の流れに板渡し野菜並べて商う農家
四千歩と決めて歩けば道狭く工事にしばしば出会いて曲る
秋深むお鷹の道に沿う流れカワニナ取るなの立札目にす
茨城 中 村 晴 美
持ち帰り寿司は便利と引き替へにプラスチック容器のゴミ発生す
姑の畑の菜を昼食に世間はまだまだ野菜高騰
白菜にチンゲン菜大根と姑の畑を緑色に染む
すだちの実ふたつ初めて付くを見る苗木植ゑしは何年前か
種取りの失敗に遠のくチューリップ気紛れに買ふ球根数種
昨日行きし焼肉店に電話して忘れたる帽子あるを確かむ
わが庭は寒暖の差の足らなきか紅葉またも縮れて茶色
十年は鉢に育てし吉祥草はじめて見たる紫の花
東京 大 塚 亮 子
瓶に挿す青き綿の実十日ほど経ちて弾ける綿花となりて
弾けたる綿花は白と茶のありて中に小さき種を抱きぬ
瑞々しき葉は枯れ初め白と茶の綿花はそのまま変らずにあり
風の吹く度に散り継ぐ花水木の吹き溜まる葉を朝あさに掃く
素足に雪駄はきゐる僧が音をたて電車のホーム駆け出して行く
難聴になりたる友はホワイトボード傍らに置きベッドに坐る
19
小さめのホワイトボードに書く消すを繰り返しつつ思ひを伝ふ
わが手元見つむる友の反応早し単語ひとつにわが意を酌みぬ
転ばぬこと風邪ひかぬこと大きめに書き終へ友の頷くを見る
神奈川 青 木 初 子
タクシーのワンメーターに見合ふ額のシュークリームを下げて駅より
いつ何処へぶつけたりしか覚えなし膝にまあるく青痣滲む
打ち直ししたる蒲団はふかふかにしばし味はふ深き眠りを
吾の夢を見しが元気かと同級の友の声聞く何年ぶりに
足の萎え旅せし友も居らざれば九十四歳の父何思ひゐむ
山登りの五区走りしが「昭和十八年の箱根駅伝」幻と父は
認められし「昭和十八年の箱根駅伝」父は取材を受けて張りきる
幻と父の言ひにき「昭和十八年の箱根駅伝」出版されて詳細を知る
長生きも悪くはあらず九十四歳「昭和十八年箱根駅伝」生きゐて伝ふ
境港 茨城 大久保 修 司
伯備線の古き SL
映像に学生時代を思ひ出しをり
境港に高校出でて大阪に安き学生の下宿さがしき
分水嶺のトンネル抜くれば日野川が列車を誘ひ流れ始むる
日野川に列車は沿ひ行き大山の見ゆればわが街はもうすぐの感
水揚げの日本一位を誇りしが今はゲゲゲの鬼太郎の街
還暦の祝に四十年経る街は変りゐたれど友は変らず
20
一 月 集
観光の街に変りて水木しげるの妖怪ロードは賑はふと聞く
豊漁の紅ズワイガニの水揚げに沸く境港を今朝のニュースに
福島 山 口 嵩
幹線道の往来激しダンプカー整備遅遅なる貯蔵地へ向ふ
人住めぬ町の赤色点滅は日に幾台の車輌止めしや
人去りし町も自然は挫折なく猪・鼠・白鼻心群れり
インフラの一つか再開コンビニの利用の多くは廃炉従事者
復興のシンボルなりし「絆」をも綻びさせる五年余の時
汚染量道一本で異なるか賠償めぐりて亀裂深まる
「東電の指示事項です」と幾たびも機構職員撮影を制す
廃炉への道も定かでなきままに炉売りを黙す政治の理不尽
神奈川 関 口 正 道 胸の内映し出さるるとは思はねどレントゲン画像の呼吸器淡し
「創展」の左時枝氏と話する蘇るドラマの昭和四十一年
電子辞書充電しても文字出でず蔵ひおきたる大辞林運ぶ
」では聞え辛くなる少しの恐怖
一粒が九十五円のニコレット日に四個と決め二時間づつ噛む
この日頃テレビのボリウム「
字面まで三〇センチ限定の眼鏡買ふ読み易くなる黄ばめる文庫
川又幸子先生の遺品の『五七五辞典』愛用し言葉を探す花、雲、心
肥料さへ撒くことの無き庭の蜜柑五個が実りて柚子は枯れ落つ
21
24
埼玉 江波⼾ 愛 ⼦
⽯楠花の枝に⽌まりて⾸傾げ飯のかたえに雀おり来る
背伸びして肘掛窓に前⾜を置きてさ庭を⽝の⾒ている
泣き⽌まぬ⼦がいたならばと持ち歩く鞄の中に玩具をひとつ
☆
ご⾃分にかけるお⾦はどのくらい問われて⼾惑うモニター のわれ
王さんと⻑嶋さんが庭にいる上がってもらえと臥すちち⾔いし
ひまわりは太陽神のシンボルと識りて諾う﹁稲⽥⾒守る﹂
⼀周忌終えて三⽇⽬朝早く墓参に向かうちちの命⽇
四⼗分ほどの速歩にジョギングを組みこむ夫と並びて⾛る
☆
岩手 及 川 智香子 子ら三人の百年超えたる学び舎の歴史終はりて統合校となる
海原の青さ詠みたる夫作詞の校歌が変る二十九年経て
山を切り台地拡げたる高台に新校舎建つ希望新たに
鉄骨の間に組まるる木の香り触るれば温もり身体に満つ
校舎背に高速道の高き橋桁絵となる眺めの白きコンクリート
非常時の地域住民避難所と自然エネルギー活用の広き体育館
震災後海を望む高台に家建ち並び景観新た
四十年前大パノラマと求めたる土地にポツンと我が家ありたり
東京 佐 藤 初 雄
三十余年庭に咲き継ぐ大輪のピンクの薔薇の確かな根元
22
一 月 集
頂きし竜胆の花幾たびも茎切り詰めて卓に眺める
明けやらぬ庭の隅より鮮やかに鈴虫が鳴く今年の音色
庭柿は初夏の熱気に粒実落ち実り少なし葉は繁れども
父祖はみな認知症なりと物忘れ気にせず苦にせず笑われて居る
少量の血痰続くと診察を受ければ歳故施薬は有らぬ
喀痰に混じる血液確かめて息太く吸う朝の静けさ
商いの苦難の時期に育てたる思い出深き子の十三回忌
東京 山 本 貞 子 冬の雨降りゐる朝の静かなり喉のいがいが治る気のする
陰りなく未来を話す若きらの後ろを清しき思ひに歩く
長き髪梳きゐし母のつげの櫛思ひ出させる月が出てをり
低血圧に浮遊感の続く日を痛みなければ良しと思はむ
物忘れを咎むる人なき一人居に時々自分に呆れてわらふ
新しき詐欺の手口をテレビにて見たと電話に子は繰返す
こだはりを捨てて気分を変へむとし好みの大き鮭のかま焼く
茨城 立 谷 正 男
秋水の仄かな音に濁りして睡蓮のもと蛙消えゆく
残照の淡き光りに浮びくる繊月ひとつ明星ひとつ
あした
こころ良き命の重み伝へ来る老猫とともに朝を眼覚める
長雨の過ぎたる朝黄金の光放ちて菊いもの花
23
露霜に濡れて咲き次ぐ朝顔の心おごりに紅輝かす
長ながと午後の光に眠る猫外の面に出でて菊と遊べや
空蝉を葉裏に宿し北向きの山茶花のはな真白きが咲く
被爆者の長き運動実れるに核兵器禁止条約政府背を向く
栃木 本 郷 歌 子
夢現に浮かびし歌の搔き消えて目覚めて惑う秋晴れの午後
血管の浮き出て染みはあちこちに老いは確かに吾の手に在り
夜の更けて川岸静まり聞こゆるは水の音風に揺れる葉の音
飛魚の飛ぶ姿見し西伊豆の海は遙けき昔となりぬ
緑濃き茶の木に白き花開く黄の蕊見えてふわりとまろし
小春日和光遍く差し込みて朝露残る菊の輝く
オレンジ色のミニばら秋に咲き継ぎて紅葉のなき庭の華やぐ
秋の日に転た寝すればいつしかに陰となりたり足先冷えて
白き色と思いていたるそばの花今日鮮やかな紅き花見る
東京 伊 澤 直 子
五年ぶりの高校時代の同期会覚えている顔忘れている顔
旧姓で呼ばれ気持の若返る身体の衰え言い合いながら
次回また元気で出席しましょうと言い合う言葉に実感こもる
美保関より下りくる道の対岸に境港の灯きらめいている
暮れ方の黒き雲間に二日月鋭く細い姿を見せる
☆
☆
24
一 月 集
日暮れ前広き牧場に牛はなく牛舎に並び干し草食みおり
伯備線中国山地の山里は「山と川のある町」を思い出させる
曼殊沙華の群を外れて酔芙蓉うす紅色を大きく開く
ひ
と
新潟 橘 美千代
復活せる祭りの花火あがり始めひと等いつせいに見上げたたずむ
歌会にて初めて会ふに懐かしさなぜかおぼゆる長岡の女性
高齢の司会者たすけ進行を共につとめぬ息もぴつたり 切り株にこしかけてゐる森のなか葉ずれの音と鳥の声のみ
オレンジの番号札を樹皮につけ杉はみな同じ向きにかたむく
宮地先生川又先生亡くなりぬ文語を駆使せるまことの歌人
川又先生いまさば何と思はるや豊洲市場のこの迷走を
ま
も
猫が触れてオルゴール鳴り寝室の闇に響かふ「虹のかなたに」
空低く照る今世紀最大の月に見守られハイウェイ駆くる
群馬 山 本 三 男
細々と商い続ける酒屋あり雨跡残る壁は汚れて
秋日差す小学校の校庭にヘチマ下がるを見て心和ぐ
新聞のクロスワードが解けなくてインターネットで調べいるわれ
年若き乙女ごころは群馬から東京に来て髪カットする
片方の端をポールに結び付け少女二人の縄跳び遊び
買物に少し遠めのスーパーを妻は利用す思惑のあり
☆
25
泥棒のような目をしてわれを見るごみの置き場にうろつく猫は
大型のパチンコ店の駐車場自動車埋まり人影を見ず
☆
東京 廣 野 恵 子 ☆
参る度に遠くなりたる感じするバス降りてから墓地までの距離 (冨士霊園)
六十にならずに逝った妹の終の栖に爆音とどろく
妹の一生想う夕まぐれ荒木米子さんの訃報受け取る
起きぬけの血圧高きに驚きて深呼吸して何度も計る
考えて詮無き事は放念す明るく生きるが我の信念
人の出入り多き一日ありがたき活気に満ちて家内明るし
目覚しに起こされ今日も雨戸ひく日毎に朝日は南へ動く
ふんわりと空に浮べる朝の月十三夜なれど昨日は見えず
埼玉 横 田 晴 美
シスターの手作り料理が本となる遠きイタリアの思い出載せて
イタリアのマンマを偲び手作りの料理書き留む老いたシスター
(☆印は新仮名遣い希望者です)
わが嫁に一冊贈ろうシスターの思いを載せたるイタリアの味
喜寿祝い集う者らの声高く気づけば皆の耳遠くなる
同窓会に気遣いのなき日に返る女子は旧姓男子は君づけ
校庭でフォークダンスを踊りたる顔に戻りて乾杯重ぬ
淡泊な日本鰻の素晴らしさ改めて知る喜寿の集いに
小花咲く野菊の群れに愛しさの一入にいる陽だまりの中
26
身体感覚を歌う ㈩
脳機能の回復と短歌
橘 美千代
カレル橋むかしむかしに渡りしを胸疼
かせて又渡りゐる
会し共に食事した時、味覚障害が残ってい
脳 底 部 を や ら れ た と 思 っ た。」 そ う だ。 再
か ら 髄 液 ら し き が 流 れ 出 て き た。 ま ず い、
から端まで飛ばされた。」意識があって「耳
霞一重へだて見る世は掴めども掴めど
あとがきより)
その夜から歌がほとばしり出た。」(『回生』
枯 れ て し ま っ た。 こ の 度、 脳 出 血 で 倒 れ、
の後、哲学・社会学の道に分け入り歌心は
深山幽谷にデパートの天井に足萎えの
もそこに物なし
たが、一見何ともないほどに回復していた。
また、クモ膜下出血を発症した他の同級
生は、リハビリによって仕事に復帰できる
手術後の坊主頭を撫で呉るる主治医と
ひたすら感性にのみ意識が集中するゆえか。
なものを感じさせる。雑念から解き放たれ、
歌。と同時に何か深い感情のうねりのよう
られた小久保さん。清々しい詩情が溢れる
一年前、不慮の事故により脳に重い外傷
を負い、久し振りに「冬雷」に復帰を遂げ
たが。努力の賜物である。脳の回復力はめ
のだっ
驚いた
が来て
メール
らない
く分か
味のよ
さと意
凄まじ
ころ梅雨に入りぬ
蛍ぶくろの白きは凋み紫が咲きそむる
ているのか。
図り、樹状突起を伸ばしシナプスを形成し
つの世界。脳の細胞が必死に損傷の修復を
た記憶が表層に浮かびきて交錯する夢うつ
ば萎えし手は胸にあり
にて生死
脳 出 血 を 発 症 し て す ぐ、 ICU
を彷徨っていた頃の歌。脳の奥に眠ってい
酸素なき穴に落ちゆく夢を見て覚むれ
す
我を連れゆきて怪夢は我を錯乱す錯乱
ナース夫と孫と
ざましいものがあると思う。
所見の
ほ ど に 回 復 し た。 始 め の 頃、 MRI
病葉の前頭葉と側頭葉わが身にありて
半年ほどしてリハビリテーション病院に
転院してからの歌。落ち着いた歌境である。
花の街十日ばかりのエトランゼ鐘を聴
一年あまり
同様に脳出血を発症し、それを契機に歌
心が甦った例として鶴見和子が挙げられ
きつつゆつくり歩く 小久保美津子
過 酷 な 手 術 に 耐 え た 小 久 保 さ ん。 労 る
人々の優しさに心うたれた。その後の一年
「 わ た し は 歌 の お か げ で 気 を 確 か に 持 ち、
一して表現するすぐれた思索の方法である。」
と が で き た。 歌 は 情 動 と 理 性 的 認 識 と を 統
高揚した心で生死のさかいをのりこえるこ
る。
らす歌の火の山 鶴見和子『回生』
「 十 六 歳 の 時、 佐 佐 木 信 綱 に 師 事 し、 そ
半世紀死火山となりしを轟きて煙くゆ
余りをどれ程苦しみ努力されたのだろうか。
筆者の大学の友人も以前、交通事故で脳
挫 傷 を 負 っ た。「 自 転 車 で 横 断 中 に 侵 入 し
てきた車にはねられ、5メートル道路の端
27
作品一
福井 橋 本 佳代子 雨の日のけふは外仕事思ふなくじつくりと先生の遺歌集学ぶ
くらし
ただ一度東京の大会に列なりて親しくみ言下されし先生
山峡の雪の生活を気づかはれお電話給ひし先生のみ心
大根の下葉ととのへてすつきりせる庭畑に夕べの和らかき光
刈田の上群がりとび交ふ赤とんぼ秋ふかむ日に羽ひからせて
けふは恒例の楽しみ会にてバス ・JR乗り継ぎ芦原の出湯指して行く
米寿超えて気取り捨てたる老い同士愚痴言放ちて楽しこの夜
栃木 髙 橋 説 子 すぢ雲のあひだに淡き青ありて濃くなりゆくを見てゐる時の間
灯籠のへりをツツツと蟻はゆくヒトなら東京タワーの上か
刈り入れに間のありさうな稲の上すれすれに飛ぶ蜻蛉いま無く
掃き寄せたる落葉の中に混じりゐて化石の如しもう鳴かぬ蝉
緋毛氈の野点の席に常よりも熱く感ずる茶を含みをり
特別な日にはあらねど籠一杯とれたる柚子の浮く湯に浸る
御主人の具合はいかがと問ひくるる幾人のあり冬雷大会
四人寄れば四つの捉へ方ありて面白さ増す支部勉強会
明月院 方丈円窓
28
作 品 一
やまひ
と は
病 歌ばかり詠みきて四箇月夫の歩みに反省したり
病癒え晴れ晴れと明日を言ふ夫永久の命を得たる如くに
東京 酒 向 陸 江
大会の余韻は未だ胸にあり若き受賞者の喜びの声
大会に若き会員の数多増え姿見るだに心湧き立つ
笑い声いつも響かせ内藤さん若きに負けぬ八十六歳
☆
派手な服上手に着こなしにこにことバイクに乗ってやって来るなり
市民祭と一橋祭の重なりて大学通りは歩行者天国
役員の最後の務め民生委員の横断幕持ち先頭を歩く
学生の笑顔がうれしくナポリタン風焼蕎麦一皿買ってしまえり
いずこから湧いて来たる人達か人波泳いでわずかに進む
若者と交わることの楽しさに遠回りして家路に着きたり
岩手 田 端 五百子 コンビニの開店祝ふチンドン屋昭和に戻し観衆めぐる
衣替へしたる生徒らの自転車の列背に涼風を孕みつつゆく
二つ三つの病ひ持ち寄る女子の会遺るボトルの封を切りたり
被災して進む限界集落にふくいくと育つ高価栗の実
落ち葉ふむ音も匂ひも懐かしよ我を一気にあの日に戻す
塀越しに金木犀のこぼれ散る掃くにも迷ふ芳香放てる
街おこしのイベント終り見上げたる被災地抱く大いなる虹
29
棟梁のかけ声ありて秋天に吊し上げらる太き床柱
愛知 山 田 和 子
通るたび欅の街路樹色を増しところどころの紅あざやか
聟の話孫の話も良いけれどさあ始めようピアノの稽古
ピアノに向かい同じ所を何十遍進歩している様な気になる
☆
スリッパを買おうと売場に来てみれば目当てのピンクだけが売切れ
近頃はとかく目につくピンク系風呂のマットは足に馴染めり
磨かれたる少し傾斜する階段をスリッパ脱ぎて登る禅寺 愛知 小 島 みよ子 すつきりと剪定したる庭見つつ心も澄みて暫し見てをり
剪定のすみたる庭に雨降りて洗はれた木木夕べ静まる
誕生日祝ひてくるる娘の電話うれしく聞きて一日明るし
すつきりと形ととのふ庭の木に今夜の雨は静かに降りつぐ
久久に散歩の友と出合ひたり心晴れゆき笑顔に別れ来
小半日聟と娘が来て庭の芝刈りくれ帰る夕方近く
窓くれば金木犀の匂ひくる秋を感じてしばし見てをり
半日を庭の草取り見まはしてさつぱりとした庭足らひて見つむ
千葉 野 村 灑 子 すゑられし鼻緒は足になじみつつ下駄の歯減りてゆるりとなりぬ
長年を和服に過ごしし亡母の足指曲がらずに直に居りしよ
30
作 品 一
小さき靴に足押し込めてゐたる故外反母趾のみにくき足姿
大き鯛水槽に二匹泳ぎゐてまぶたなき黒目時折り動かす
魚たちの目はみんなまん丸く光にも閉ぢることなく泳ぎてゐたり
水銀灯に銀の鱗が光りゐて時々胸びれしつぽも動かす
水槽は細かな泡のわき上がり三十匹近き魚静かに泳ぐ
我が脳をきたへるといひ加減乗除の簡単な式をやりてみたり
茨城 沼 尻 操 青柿がポトリと落ちて風涼しおばばが一人落柿見つむ
庭先に吾が姿見れば雀達餌撒きたるかと集ふいとしさ
塀際に立つ彼岸花何時の間に運ばれ来たるかつぼみ伸びつつ
百日紅花も終りておのが身をけづり皮はがし強く生きゆく
十五夜の月雲におほはれてほんのりと活けたる薄もほのぼのとして
敬老の日家族揃つて昼食会プレゼント受け心ぬくもる
しらじらと夜明けの窓あけ樹々の香を心地よく吸ひ又床に入る
栗の実が落ちてもこの身ままならず優しき人達拾ひくれをり
埼玉 小 川 照 子 冬雷の大会出席は本山さんと感謝をしつつ会場目差す
開会は川又先生に黙祷大山編集長の挨拶を心にしかと
会場にて戴きたりし川又先生の歌集のカバー温き色なり
歌集の中につね子さんを読みしものがあり先生ありがたうございます
31
初対面でも楽しく会話交せるは冬雷会員なればこそ
流鏑馬は三頭の馬変らぬ姿重殿に来て口すすぎ行く
(十一月二日)
みどり葉に菊のつぼみは少しづつ開き始めて太陽浴びる
葉を落す梅の小枝を良く見れば小さく赤き芽じつと並びゐる
埼玉 本 山 恵 子
熱の出る原因つきとめて抗生剤を飲む二週間食欲の無し
わが為に子の計画せし箱根の金時山は泣いてあきらめる
金時山登頂写真がメールにくる夫と子の家族揃ってVサイン
山頂の金時娘さんと夫の写真も届く同じ歳なると
もう一度熱を出したら入院と注意のありて治療は終えたり
体力はあるとの自信崩れさる以後の生活見直しゆかむ
秋晴れの爽やかな一日庭に出て枯れ草引けば菊の咲き初む
栃木 高 松 ヒ サ
思い出の尽きる事なく浮び来る秋の陽の差す廊下の椅子に
陽当りの良い縁側にうとうとと眠け催す昼のひと時
日光の連山今朝の初雪に急に寒さが肌に沁みくる
雑草に埋もれた菜園手付かずに朝夕見ては出来る日を待つ
来年の事は約束出来ないと近しき友と笑顔で別れる
赤い羽根回覧板で巡り来る時代の変化目の前に見る
新聞のお悔み欄から目を通す朝の行動始める前に
☆
☆
32
作 品 一
八人の孫も全員結婚し六人目の曽孫今年生れる
千葉 涌 井 つや子 今年は秋が短かくて紅葉ゆつくり楽しむひまなし
それでも桜は紅葉して黄の葉散らして歩道を彩る
歩かう会降らずに良かつた寒いけど早めに切りあげ弁当にする
顔ぶれはいつも集まる三十人どういふわけか男が多い
わが歌の相手はいつも夫だつた逝きて八年わびしい八年
長男と暮らして三年店と家事卒業できた店を愁ひぬ
千葉 石 田 里 美 お歳暮は何にしようかと決めるのも老のたのしみ義理果たすべく
秋雨はテラスを濡らして楚々と降る怖くはなけれどさみしき留守番
週に一度吾が家に来るおばあちやん戦中戦後を生き生きと語る
耕して土を入れ肥料を入れて娘の播きし大根の若葉雨に濡れ居る
富山 吉 田 睦 子 朝露の残る春菊間引きして朝の食卓の一品となす
吾が畑の華麗なコスモス盛り過ぎ秋冷となり炬燵ほしきも
剪定の終へた木下の明るさにツハブキ開花し見事に広がる
減反の豆の刈り取り終る跡数羽の鳥の遊び場となる
朝夕の寒さ気になる頃となりコートを羽織る夕べの散歩に
若き日は見事に花を咲かせた庭、宿根草のみ残るを眺む
33
東京 大 川 澄 枝
大会は一年ぶりに懐かしき人びとに会う楽しみのあり
老木のサザンカの木に季が来てうす紅の花つぎつぎ咲きぬ
ヨチヨチと夫のベルトにつかまりてスーパーに行く腕は組まずに
青天の銀座四丁目ひとびとの群れにまじりて渡りきれたり
独立に一歩ふみ出せぬ三十の孫その両親に責められる吾
☆
東京 田 中 しげ子 古き絹地の使ひ残しも捨てられずしなやかなればマフラー代りに
寺の行事霜月三日の報恩講息子夫婦に連れられ詣る
車窓より眺むる街は変りなく懐しみ抱くこもり居の我は
参詣の皆に交じりて経をあげ法話聴聞の清しき一日
娘の言ふ人参三本一袋二本にしたる野菜の値上げ
野菜類少しの値上げもためらへず大事な日日の糧にてあれば
戦後直ぐ僅かな空地につくりたる蕪菠薐草の味を忘れず
食卓の上の果物は秋の色柿にりんごに小さなみかん
変化なる言葉の実感湧きて来るアメリカ大統領の選挙終りて
東京 飯 塚 澄 子 例会に出席こそは歌詠みの何より大事と言ひし川又先生
二年ぶり墨田の素踊り大会に出場できる幸せの時
坂東のさくらを踊り元の師によく覚えたとひと言受くる
34
作 品 一
転倒にて膝の靭帯剥離せし名取の踊り反省多し
新聞で新書発刊を知る夫に購入頼まれ約束果たす
「ベランダのまゆはけ万年青撮つてくれ」夫のメモ受け庭に降り立つ
正師範の吟詠昇格祝ふとて腕時計受く息子夫婦に
鳥取 橋 本 文 子 中学の合唱発表美しく「まとめの心」力とならむ
女学校廊下に草間先輩の絵は次々に飾られてゐき
細やかな画に見入りたる少女期と戦争つながる思ひ出きびし
美術館内草間展示場と絵ハガキのありしよ松本しきりに思ふ
先生も友も既に少なからん文化勲章八十七歳
夏すぎて青葉元気なミニトマト育てれば立冬に赤実の採れる
☆
(倉吉に住みて)
米子市の名はないけれどと地震の折見舞ひの声かけ有難かりき
縦書きの原稿用紙店になく川又先生のお世話になりき
茨城 姫 野 郁 子
区の旅行科学博物館へ大半は六十五歳以上無料に並ぶ
ネモフィラをA一〇五サイズの油絵はみはらしの丘に立つた錯覚
陶磁器に絵付けの出展は繊細に幾種の花が調和し鮮やか
油絵と陶器絵付けの出展に友の才能趣味を越えたり
入れる歯の三千二百円の消費税もう一度桁を電卓で確認
左ドアを取り替える傷に左折時の前進足らずを思い出したり
35
兵庫 三 村 芙美代
雲一つ浮かぶ青空静かなりホームに独り乗り遅れいて
躓きてよろけ手を付く我が影を顕に映す昼の太陽
視野検査結果の証傍の湯呑み茶碗見えずに倒す
血の薄く点滴出来ぬと言われたる猫と戻り来木枯しの中
口開き動かぬ猫の口元へ息吹きかけて命を戻す
死に近き猫に添い寝て二週間そろそろ我にも限界が来る
老猫マルとの別れは不意に気の緩みいて注意怠り
両の耳押さえても鳴る妹の死後発症したる激しい耳鳴り
☆
長崎 福 士 香芽子 夕食後ベランダに出でながむれば東の空にかかる虹の橋
虹の橋に少し離れてもう一つうつすらと虹が見えるではないか
虹の橋をもう一度見むと出でみればもはや形も影もなくなりぬ
一日として同じ雲はなく日々に異なる空に見とれる
文化祭に出す梟とバラの花の絵よく画けたとてほくそ笑みをり
育くまれ来し兄妹六人今は弟と二人
父は太陽母は大地
東京 高 島 みい子 吹く風のかそけき夕べ風船かづら鳴る音さびし師の声かとも
年一度の大会に会ひすぐ馴染む目差すは同じ冬雷の友
冬雷を後のページより読み始む皆すばらしき歌作りをり
36
作 品 一
生きて行く階段登るはあと幾つへたな短歌に救はれながら
日曜日のテレビの「笑点」待ち遠し笑へば元気心も弾む
寒中に悩ます足の霜焼けは長期商ひの記章と思ふ
行く秋を惜しみて辿る川岸におそ咲きの萩こぼれて彩なし
☆
栃木 斉 藤 トミ子 ☆
「松っちゃん」と呼ばれかの日に戻りたり同じ釜の飯食みたる仲間
たくあんが二切れという朝ごはん半世紀前の寮生活は
千円を家に送りし初給料お守りなりと母持ちくれし
怖いもの何も無かりし寮生活働けば幸あるを信じて
電線が太く見える程並びいし燕が秋の朝二羽とまる
重曹の威力まざまざ眼を見張る換気扇の汚れ見る見る落ちて
歩く事我れから取ったら何がある膝痛宥め朝の散歩す
埼玉 野 崎 礼 子
雪予報気にしつつ帰る古里の北アルプスはうっすらと雪
野沢菜は霜が降り甘くなるという漬け込み始まる十一月
茎太く葉は青々と野沢菜の出来栄え良しと母は満足げ
野沢菜漬柿の皮味噌もプラスして寒さが増せば美味しくなりぬ
お菜漬の手伝い終えてほっとする漬かる頃には又帰らんと
鳥たちに少し残して柿を捥ぐこれが終われば冬の到来
深々と身体温める温泉に極楽極楽母との時間
37
岐阜 和 田 昌 三
「真田丸」と書かれた袋ぶら下げる人にて埋まる上田城址は
予想外に汗ばむほどの日となりて上田城址にビール飲む人
幸村と漸く馴染みの名に変えて「真田丸」は終盤に入る
☆
☆
☆
それ程のことなくバスは通り過ぐ「渋滞九十分」との予告はあれど
道の駅のキャベツ安いと妻の言うスーパーで買えば倍もするよと
新聞に大売出しの折り込みのあればスーパー朝より賑わう
川底に珪藻を食む鮎見ゆると橋より声上ぐ旅の一団
足早に歩道渡りて振り返り頭を下げる幼の二人
TPP反対叫び勝ち得しも青票入れる与党議員居ず
茨城 糸 賀 浩 子
冬雷大会終えて戻れば門灯をパープルに染め秋明菊咲く
中国へ出征の体験生かされて批判なされし宮さま薨去
雨寒きひつじ田に育ちの遅れいる白鷺の子が未だ啄めり
朝寒に藤袴の色深まりて私好みに庭を飾りぬ
豊洲市場盛り土のニュースに明け暮れる新鮮魚介・野菜どうなる
ステープラーに綴じたる額の傷疼きガーゼを開けて鏡に写す
月例会四百五十余回続け来し我が街の短歌に今更ひかる
埼玉 田 中 祐 子
赤とんぼの十二が柵に並びたる等間隔にわれ等を見てる
38
作 品 一
階段を遅れがちなる夫の歩に合わせ緩りと鎌倉参詣
長谷寺の道を訪ねる交差点に昔もここに迷いし記憶
ご当地の大振り白子どんぶりにまごつき結局きれいに食べる
褒められて亦も意気込むメロンパン少し歪むがふんわり焼ける
手作りのパンを孫達喜びてパン教室へ行ってるのかと言う
埼玉 高 橋 燿 子
那須の地を泥んこになり駆け回る犬三頭と樟多は仲良し
義兄義姉が表にたちて迎えくるる生家の律儀が心にしみて
黄色は王林赤は富士義兄が指す六十年の努力の証を
飯坂の湯で義姉が言う災害も過ぎて今も生かされていると
兄弟で梨をとるらし良く似る声が風に運ばれ庭にも届く
朝の日を浴びてユリノキ黄葉の深みを見せる四階の窓
触れる度種のこぼるるおおたでの花穂細くモズがたかなく
☆
茨城 正 田 フミヱ ☆
介護うつと言いたるわれらがラジオから流れる落語に声立てて笑う
ボランティアの友らが訪れ休会のわれを案ずる言葉の温し
きれい事並べて帰る夜の道月は照らしぬわが心まで
逝きし子の年も数えて「しょうがない」と笑みて言いたる叔母を偲びぬ
病弱な夫を支えてきびきびと叔母は働きき定年までも
紅葉の花桃散れる日曜日息子と嫁は乳児抱き来る
39
綱を張り真っ直ぐ畝は立てるべし夫の言葉が夜まで耳にあり
焼きそばの材料持ち来て子の妻が焼いて下さいと屈託なく言う
茨城 関 口 正 子 色とりどり並ぶ中より五歳児は赤きランドセル迷はず選ぶ
来春のランドセル背に五歳児の声はづむなりわくわくすると
幼稚園の運動会に参加して五歳ともらふ金のメダルを
伝書鳩まよひ来たるを追ひはらふわが家めざして帰りゆけよと
老いたりとゆめ嘆くまじ中継のパラリンピックを見つつし思ふ
一息に秋運びきぬ彼岸入りに襲ふ台風十六号は
渓流の音を聞きつつ白濁の乳頭の湯に旅の身伸ばす
田沢湖と山並み望むその涯に鳥海山がちよこんと浮かぶ
山頂は色づき初むる秋田駒を仰ぎて帰路のバスに戻りぬ
紅葉のコキアの油彩に見入るなり公園の丘たどる心地に
東京 増 澤 幸 子 湯の町に見つけたる帽子躊躇はず春待つ喜び託し買ひおく
遠出する勇気の出れば土佐路へと秘かに思ふ兄病み居れば
人体の模型の如き身を晒す医師なれど異性にこだはる少し
庭先に飛び交ふ蝶てふいつよりか小粒に変り花にまぎれぬ
暑き日々咲き続けたる白粉花刈り取る後につはぶきの咲く
南国に日の光あび育ちたる文旦ずつしり黄に輝く
40
作 品 一
両の手に余る文旦頬に当つ果肉のぬくみ里を恋しむ
ハロウィンに活躍したる黄のかぼちや今日買ひおくは冬至待ちをり
栃木 高 松 美智子 ☆
産声に呼吸のスイッチ切り替わり胎児より新生児となりたるいのち
(産院より)
男の子が生まれたと息子の弾む声西空にくっきり三日月浮かぶ
宇都宮に木枯し一号吹ける朝妻と子伴い子は戻り来る
福耳だ手指は長しと口々言いて新しきいのちそれぞれ言祝ぐ
☆
握りては開きて握る掌に生命線をくっきり刻む
身をよじり伸びするたびに大きくなるとの言葉励みに子を育てし頃
黒目がちの瞳ぎろりと動かして何見つめいるか五日を生きて
むつき替え抱かれ乳に満たされて欠伸ひとつして眠りに入りぬ
第五十五回冬雷大会 茨城 吉 田 綾 子
大会へ乗合わす電車の時刻など大久保さんよりメールが届く
大会にいますはずなき川又先生のいつもの席に視線を移す
開会の辞を述べられる山𥔎さんの九十四歳と思えぬゆとり
冬雷の編集委員会賞を壇上に受けて誇らし我が家の嫁御
何ごとにも努力惜しまず佐好ちゃんは医師にて医療に尽す明け暮れ
常日頃「佐好ちゃん先生」と近隣の人らがよびぬ医師なる嫁御
大山先生の編まれし『川又幸子遺歌集』を座右に置きて作家教本とす
ゆっくりと話す暇のなきままに友と再会を誓い握手す
41
さくら (嶋田正之画伯へ)
埼玉 大 山 敏 夫
桜の花にこひする川又さんの歌新しき冬雷表紙画となる
届きたる冬雷表紙画どきどきの気持おさへて包み取り出す
包み紙に絵の具の油はり付きてばりりと匂ふ桜あらはる
たうしよく
桜の花は白かピンクかあふぎみる時の心理にひとはしたがへ
桃 色のもりあがり立ち上がるいきほひは轟くごとき男のさくら
ごつごつとしてゐるやうでたをやかでさくらのはなにうねる波あり
かをりつつ盛り上がり咲くはなのうへ緑に暮れてゆく空がある
暮空にひろがる赤き雲の層さくらの花と照り返しあふ
深更に眠らずにゐて満開のさくらばなおもひ短歌をおもふ
■「短歌」9月号より転載………
当確 大山 敏夫 選挙速報始まると直ぐ当確の出続けてほぼ大勢決る
一度だに出口調査に出会さぬことなど思ふ速報見つつ
おほかたの当落決りたる後の速報も惰力で見続けてゐる
安保法制に反対は少数派と思はぬに今日の選挙の結果ぼろ負け
しにへう
当確のまたひとつ出て改憲に与する数がふえにふえ行く
わが票がやうやく当確に繫がれど限りなく死票のごとしと思ふ
竜巻注意報出てゐる今朝は晴れわたり青葉の森にすこし風あり
42
〈会員の皆様へ〉………お願い
先の冬雷大会でお話申し上げました通り、本年は「会員五十名増
加運動」の年と致したいと思います。
方でも、すでに幾人かいらっしゃいます。最近はインターネットを
うぞ皆様。目標は「たったの五十」です。十月の大会後直接入会の
介する入会も多いようです。本会が進めて来たホームページの積極
くす方向へと切り替えます。
数減は断じて行いたくありませんので、会員増加をはかり残部を無
んか。その具体的な提案も含めて会員の皆様の、
「五十名増加運動」
ある魅力たっぷりの「冬雷」を、力強く育てて行こうではありませ
つ、どのような姿にするかは会員のお一人お一人の意志が決定しま
「冬雷」は創設者木島茂夫の、現発行人大山の「個人の雑誌」で
はありません。会員の皆様の雑誌です。歴史は歴史として継続しつ
的な運営が漸く結果に結びつくようになったのだと思います。
かつて「アララギ」の地位を不動のものとさせた島木赤彦は、部
数六百部からどんどん増やし二千部の大雑誌に成長させました。小
創刊の時より頑張り通して来た発行部数の確保が難しくなり、三
年前に百部減の決定を下しましたが、その後も状況は好転せず、今
誌創設者の木島茂夫も、会員少数の事実を認識しながらもほぼ十倍
に対するアドバイスやご協力を頂ければ幸いです。
現在も約五十部の残部が毎月発生しております。これ以上の発行部
の部数を印刷し、広く宣伝の配布、寄贈、そして会員にも、余りを
身近な方々への「見本用」としてなら何部でもご提供致します。
お申し出下さい。本年末の十二月号にて「出詠者二百名」達成成就
す。縁あって仲間となったのですから、まだまだ未完でノビシロの
活用しバラマクというような指示をしておりました。結果会員数は
うなぎ上り、最盛期には五百名に迫りました。あの高度成長期と今
〒 350-1142
なら画期的に素晴しいことで、
「冬雷」の未来は明るいです。 創刊 昭和 37 年
は単純に比較出来ませんが「増やそう」という姿勢を保たなければ
編集発行人 大山敏夫(選者)
事務局 小林芳枝(選者)
〈大山敏夫〉
下手でも良い
自分の歌を作れ
現状に歯止めもかかりません。
今冬雷は出詠者数「百五十」を下回っております。この数で運営
が成り立つのは、会員の皆様が如何に一致協力、相応負担をして下
川越市藤間 540-2-207 大山方
電話 049-247-1789
振替 00140-8-92027 会費 半年 6,000 円 添削無料
ホームページ http://www.tourai.jp
冬雷短歌会
さっているかを物語ります。心より感謝申し上げます。
員五十名増でさしあたっての残部ゼロとなるのですが、それは「護
維持会員になって下さる方も徐々に増加しております。維持会員
「一名増=残一部減」となりこれも非常に有難いことです。維持会
43
り」の対応です。護りには長い眼で観て限度も無理も生じます。あ
くまで「攻め」の「会員五十名増加」を目指したいと思います。ど
広報制作のメディア向け
本誌「広告」です。
冬雷短歌会
(神田明神)
赤羽 佳年
賀 春 本 年 も よ ろ し く お 願 い 致 し ま
す。
第三次冬雷に微力ながら力になりた
い。
謹賀新年 あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申しあげます。
鮎沢 喜代
飯嶋 久子
あけましておめでとうございます。
新しい年が平和な年でありますよう
に。
謹賀新年 いつも乍ら、今年も今年こそはと思っ
ております。本年もどうぞ宜しく。 謹賀新年 今年もよろしくお願いしま
す。
新会員を誘い冬雷発展の年と致しま
糸賀 浩子
しょう。 今年も楽しく短歌を詠んでまいりたい
と存じます。皆様どうぞよろしく。
岩上榮美子
新春 おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
大川 澄枝
大久保修司
池亀 節子
謹賀新年 今年は楽しく作歌出来る様
にと願っています。どうぞ宜しくお願
いします。
石田 里美
川又先生が亡くなられてさびしいお正
月ですが皆様今年もお元気で頑張って
下さい。
44
謹賀新年 本年もよろしくお願い申し
上げます。
櫻井 一江
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
大塚 亮子
謹賀新年 毎月 作品批評欄を楽しく
読ませて頂いています。
明けましておめでとうございます。
皆様にとってよい一年でありますよう
に。
桜井美保子
黒田江美子
冬雷の若いお仲間、新しいお仲間が沢
山増えてうれしい! 今年は私も若返
ろう!。
新年おめでとうございます。本年もよ
ろしくお願いいたします。
新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願い申しあげます。
白川 道子
明けましておめでとうございます。
今年も健康維持を第一に頑張ります。
関口 正道
高田 光
本年も宜しくお願い致します。「丁酉」
なそうで酒は丁度にと心得ます。
酒向 陸江
新年あけましておめでとうございま
す。
御健康と御多幸を心よりお祈り致しま
す。
兼目 久
世界中が大きくゆれてる様な感じをう
ける。平和であってほしいとねがって
いる。
昨年は私には悲しい年でした。今年は
皆様と共に明るい年で有ります様祈っ
ています。
高松美智子
佐野智恵子
近藤未希子
45
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しく御願い申しあげま
す。
新年あけましておめでとうございま
す。
本年も宜しくお願い申し上げます。
明けましておめでとうございます。今
年もよい年であります様お祈りしてお
ります。
西谷 純子
新春のお慶びを申しあげます。いつま
でも健康で歌に親しみたいと願ってお
ります。
松原 節子
明けましておめでとうございます。
皆様の御健康をお祈り申し上げます。
福士香芽子
中村 哲也
田中しげ子
新年おめでとうございます。
大会で新しい方との出会い楽しみで
す。
明けまして、おめでとうございます。
冬雷の皆さまの御健康をお祈り致しま
す。
田中 祐子
盛大な短歌大会感激しました。明るく
平和な年になりますようお祈りしてお
ります。
希望と愛にあふれる優しい一年となり
ますように。
中島千加子
野口千寿子
三木 一徳
新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
水谷慶一朗
謹賀新年。
おめでたうと心底言ひかね東北の友へ
賀状は謹しむいまも 慶一朗
林 美智子
明けましておめでとうございます。皆
様の御健康と御活躍をお祈り申し上げ
ます。
夫佐
永田
46
明けましておめでとうございます。
本年も欠詠しないように頑張ります。
本山 恵子
明けましておめでとうございます。平
穏な日日であります様に願っておりま
す。
山﨑 英子
新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
吉田 綾子
充実の一年に致しましょう。
小林 芳枝
締切 三月十五日 必着。
▽五月号に桜井美保子歌集『駅』の批評特集を予
定します。右にならって、ふるってご投稿願いま
す。
締切 二月十五日 必着。
ないようにご注意下さい。
にてお願いします。取り上げた作品は転記間違いの
文量は特に定めません。手書きの場合は崩さず楷書
最初にタイトルと筆者名を記入願います。
▽四月号に野村灑子歌集『美しいもの捜し』の批
評特集を予定します。歌集をお読みになられた方
は、自由にご参加下さい。
締切 一月二十日 必着。
文量は特に定めませんが簡潔に願います。
行から書き始めて、末尾に筆者名を入れて下さい。
最初に「この一首」をあげて(掲載頁数記入)次の
▽三月号の特集として『川又幸子歌集』から選ん
だ、皆様の「この一首」を募集します。
〈お知らせ〉
〈編集室〉
47
大山 敏夫
冬雷短歌会
〈掲載作品欄異動のお知らせ〉
作品三欄から「作品二欄へ」異動 乾 義江氏、植松千恵子氏、卯嶋貴子氏、
川俣美治子氏、木村宏氏、斎藤陽子氏、佐々木せい子氏、鈴木やよい氏、永光徳
子氏、村上美江氏、山本述子氏、山本三男氏の十二名。
作品二欄から「作品一欄へ」異動 糸賀浩子氏、田中祐子氏、野崎礼子氏、
浜田はるみ氏、和田昌三氏の五名。
作品一欄から「冬雷集へ」異動 荒木隆一氏、有泉泰子氏、穂積千代氏の三名。
十一月号作品二評
ける愛情が結句に表れた。二四結句それ
でに五百個を越ゆ 岩渕綾子
朝顔は八月一日に咲き初めてその数す
がはっきり出よう。外来種ではあるが四
週に二度行き来の路に外来の鉢花四季
に咲かす家在り 佐藤初雄 ☆
二句は「通院の路に」とされたら行動
三四句間に省略を見るが丁寧な詠い振り。
後出の歌によればザリガニ釣りの様
子 ら し い が こ の 一 首 で は 感 じ と れ な い。
東京入谷の朝顔市は七月の頭である
が、南北に長い列島ではこのように開花
ぞれが活きた。
日の差があり、桜前線などの言葉も生ま
季折々に鉢花を咲かせる家があり、通院
赤羽 佳年
二、三 句 の 表 現 は 時 間 の 開 き を 思 わ せ
てをり、口語歌としての妙味。現在では
れる。それにしても五百個を数える努力
縄旅行は微妙 吉田佐好子
☆
天候は予約の時点でわからない夏の沖
短期の予報は精度が高くなり信用できる
ライフジャケット付けてボードに縋り
が適切であろう。
高田 光
どインデイ・ジョーンズ気取る
工事用エレベーターの乗り心地恐けれ
はのもの。観察歌の一。
ル履くを見て見ぬふりす 山本貞子
このストレートな物言いは作者ならで
転びたる人が素早く起き上がりハイヒー
が、長期では不安定。気持のよく出た歌。 には圧倒される。結句「越ゆ」は「超ゆ」 の足も軽くなる。楽しんでいる様子。
スーパーの野菜売り場に妻の指示スマ
ホに受けつつ買ふ男あり 橘美千代
妻の指示と限定したところは、電話機
林 美智子
にごり水に糸を垂らしてらんらんと水
の維持」という皮肉っぽさが面白い。
幼児向けプラネタリウムの解説は星座
図描きて吾も楽しむ 伊澤直子 ☆
素直な歌。解説は→解説を。
映画の主人公を引き合いに出し気取る
傘寿の会の話題は薬と通院のこと挨拶 作者だがなり切れない。四五句の句割れ
の締めは健康の維持 及川智香子
も気になるが、四句頭の「恐」は語幹だ
声 調 は 今 一 つ だ が、 尤 も と 納 得 す る。
話題が話題だけに、締めの挨拶が「健康 けの表現だが活用語尾は付けたい。
海を楽しまれた様子が一連に感じられる。
☆
能を使用しており、男の言動をそれらし
てもそら恐ろしき足着かぬ海
く感じとったのであろう。一寸した嘱目
結句の形容がユニークで、ボードにし
がみつく姿勢が浮ぶ。それでも沖ノ島の
の歌。 ☆
風鎮の房を揺らして入り来たる風は刈
田の香を乗せている 糸賀浩子
部屋内を吹き抜ける風は、実りの香で
ある。下句の、カ行音の響きがリズミカ
つゆ草は荒草なれど花の色清清しくて
中覗う童ひととき 関口みよ子
ルであり、寛いでいる様子。
無下には抜けず 東 ミチ
☆
単に雑草と片付けず、自然の草花に向
48
十一月号作品二評
よく表現されている。早起きは一日を充
化したザリガニ。子供には需要があるみ
エサは何でしょうか。私の子供時はカ
エルの足でした。食用に輸入されて野生
釣ると子等は糸垂る 長尾弘子
☆
枯れ葦の水面に残る池の辺にざりがに
か。歴史は繰り返すとも言われる。
てる。核武装は抑止力になるのであろう
その被爆者が消えそうな今、北朝鮮の
件もあり核武装に肯定的な意見も出て来
にされたかと被爆者が言ふ 立谷正男
広島はウラン長崎はプルトニウム実験
孫と重なる。頭の中が孫で一杯も良し。
香川は讃岐うどんで有名な所。年中同
じ食べ方で土地の名物を食べてる作者に
中同じわが注文は 矢野 操
うどん屋の玉は冷やしに付け汁熱く年
実させる。
たいです。
独特の訛りに温む兄と義姉に来て良かっ
孫に翻弄されながらも作者は今、とっ
ても幸せと歌に滲み出てる。天気さえも
スーパーの野菜売り場に妻の指示スマ
中村 晴美
ホに受けつつ買ふ男あり 橘 美千代
外に出た者は訛りを封印して生活をし
てたりする。生家に戻り兄夫婦が普通に
ぎ被害に高値の続く 高田 光
しき飛翔の形
富良野から北見に抜けたる台風の玉ね
素直に表現されて良い作品です。
絵や写真などで多く目にして来ただろ
う飛翔の形。まさに今、直に見た感動が
水面蹴り飛び立ちざまに白鷺のあな美
関口みよ子 ☆
☆
通話の相手は妻とは限らないので、ぼ
かしても良いかと。スマホ全盛期ですが
訛る声に作者の力が緩むのが伝わる。
北海道産の玉ねぎは安く対抗する気も
失せ栽培しなくなったツケなのか。一極
集中の悪い所が露呈した感じだ。北海道
以外もタマネギ栽培は出来るが、だから
☆
本当の贅沢を見た気がする。
少し経つと懐かしいツールになるかも知
ポケモンを追いかけている人達で錦糸
☆
れません。
公園にぎわいており 樗木紀子
いつもは人気のない公園なのか。ネッ
トでキャラクター出没すると書き込みさ
とて市場に出す農家が増えるかは疑問。
たと頷く生家 田中祐子
冷房を節約しないでつけ放題これが私
れると拡散されて、人が集まり凄い事に
見上げれば強き日差しに透きとおる夏
☆
冷房は今では、ぜいたくでなく必需品
です。家の中でも熱中症で亡くなる方が
なるらしい。上手に楽しんで欲しい。
の緑は若葉色なり 伊澤直子
の夏のぜいたく 浜田はるみ
今年もニュースになりました。昔の感覚
早起きは掃除洗濯早く済み階段下の雑
夏の暑さが懐かしくなる歌である。冬
は寒い。皆さん、ご自愛ください。
☆
で生活すると命を落とす近年です。
気持ち良い程に物事が進む様がテンポ
☆
貨を片す 石本啓子
☆
気まぐれな九月の空は孫のよう曇りの
ち雨晴天もあり 野崎礼子
49
作品二
茨城 吉 田 佐好子 ☆ ノーベル賞毎年気になる文学賞ボブ・ディランとは粋かつ意外
今年こそ村上春樹の支持者たちボブ・ディランならと認め称える
ボブ・ディラン批判を恐れず作品を発表してきたる姿勢に学ぶ
ベストセラー「嫌われる勇気」アドラーは折れない心の大切さ説く
他者の批判気にしていたら自分をもだますことになる「嫌われる勇気」
批判には役立つ部分もあるのだと心を折らずにそこだけ掴む
熊本や山陰に起きた大地震改めて思う明日は此処かも
震災の現地に行くことできないがわずかな額の義援金寄す
天災はどうしてこうも起こるのか我らの力を試すがごとく
貧困やいじめの事は聞きたくないでも受け止める勇気をもって
明月院 開山堂
東京 林 美智子 ☆ 使用済み切手川又先生に今は届かずNPOへ
ふた昔前の娘のジャケットを羽織りて孫が土手を駈けゆく
網と虫籠持ちて歩けばそのバッタどこにいたのと聞くのは男児
物忘れ精査に付き添い代筆の問診票に漢字浮かばず
ながながと拝む背後でお願いはひとつにせよと夫呟く
晴れ渡り木枯し一号吹く空に皇帝ダリアが高々と揺る
50
作 品 二
里芋が実りて作る味噌汁に柚子皮ひとひら湯気に香れり
日毎色付き太りゆく実のぎっしりと庭の真中に柚子の木は立つ
☆
老人性難聴 東京 高 田 光 風邪気味か怠いばかりに熱のなく洟水しきり鼻下赤し
この季節アレルギーかと医者のいふ何の花粉か洟水とまれ
鼻づまり自分の声の籠もりゐて他人の声を聞く如くをり
自転車のベルの妻には聞こえゐて異常と知りぬ聞こえぬ吾を
聞こえない高音域の音さがし愛車のホーンは未だ調べず
鼻づまり治れば音の戻るかと耳鼻科に行けど希望の絶たる
検査後に老人性の難聴と診断さるる治療の無しと
補聴器の検査診断予約してしみじみ思ふ吾は老人
栃木 早乙女 イ チ
長寿会初夏の旅行はひたちなか二泊三日の潮騒の宿
旅館の外は海原遠方にゆっくり回る観覧車見ゆ
宿のバスでひたち海浜大草原風通り来る芝広場に着く
広大な涼風通る芝広場ボール追いかけホールを目差す
ウグイスの声聞えくる爽やかな昼のひと時友等と歩く
青森 東 ミ チ 三内丸山遺跡にガイド受け四千五百年前のマホラを想像す
野球場造らむ調査中に出現す三内丸山縄文遺跡
51
三内丸山遺跡を訪れし川又先生御一行と記念の写真
庭ぬちの蜘蛛の巣に踠く紋白蝶を救ひ放せば高く飛びゆく
蜘蛛の巣に近づきじつと見つめれば払ふに惜しき巧みな織り込み
植ゑてより四年過ぎたる無花果に告ぐ「伐られたくなかつたら実を付けよ」
岩手 岩 渕 綾 子 国道に近きわが住ひ音荒き車の往き来しかたなきやも
バス降りて横断せむと国道に二、三十台見送る車輛
震災に無となりたるに支援受けあまたの人に感謝し生きむ
四半世紀前に逝きにし夫の遺影「長生きをせよ俺の分まで」
弱音はく我にはらから宜へり「一体あなたは誰の子なるぞ」
逆縁の悲しみ語りし友は逝き残る子の意気丘に家建つ
東京 樗 木 紀 子 ☆
咳出でてプールを休みテレビ見てみんなの体操と筋トレ少しする
境内に落葉少なく山茶花の赤桃白の花びらの散る
境内の公孫樹の大木黄葉し落葉掻きして一休みする
木枯し一号吹きたる後に境内に落ちたる銀杏拾いに行きぬ
埼玉 倉 浪 ゆ み 亡き父の使ひ馴らしし中日辞典赤鉛筆のくせ字なつかし
孫達と川越祭りの客となる山車みるよりも屋台の食べ物
ランドセル売り場は春の花のやう何色選ぶか四人目の孫
52
作 品 二
お向ひの門に日の丸揺らぎゐて十一月三日けふ文化の日
河川敷に秋の陽かたむき引き分けの少年サッカーの試合は終はる
あら草の刈られたる堤の散歩みちゑのころ草は風と遊べり
風のなき河原の穂すすき時をりに揺るるを見れば小犬の遊ぶ
沈みゆく秋陽にはえて銀色のベールの如し野辺のすすきは
午後の陽の明るき光土手いつぱいまき散らしつつアキアカネとぶ
東京 西 谷 純 子 好天に恵まれ紅葉見に行かうと袋田の滝へ車走らす
勢ひよく流れ落つる滝思ひつつ来たれば水量以外に少なし
出店にて柚子にぜんまい、ジュズサンゴ求むる吾に夫はブツブツ
湖面より百メートル高き龍神大吊橋長さ三百五メートルと言ふ
☆
初めて見るバンジージャンプに足の震へとまらず吾も拍手してをり
バス二台四万温泉へ一泊の旅山道の紅葉に歓声上がる
四人部屋に術後の傷を見せ合ひて今ではすべて笑ひ話に
東京 石 本 啓 子
『川又幸子歌集』読みたり旺盛な恩師の作歌に学びたしわれ
ツアーにて来たる迎賓館氏名確認の後一列に入場したり
迎賓館の各部屋は和と洋を合わせて優美な雰囲気ありぬ
冬雷の届く頃合予測してテレビの音下げ配達を待つ
体重は増えず腹囲のみ増えてスラックス全てウエスト直す
53
外出と就寝前に仏壇の花瓶は下げて地震に備う
東京 長 尾 弘 子
午後の陽に薄紅させる酔芙蓉静けき路地に吾をいざなう
山なみの向こうにわずかのぞく富士支えられ来たる媼笑顔す
木の枝の張り出す池に緋鯉居て鯉幟のさまに並び動かず
初霜のひと夜のあけて紅葉冴え指さき凍え木下をあゆむ
下北沢の女性ばかりの劇団に熱気もらいてざわめく街ゆく
東京 関 口 みよ子
花の絵の前に目玉を見開きて花がすべてとなりぬしばらく (創展)
大いなる花の思いの束縛にしどろもどろとなりて真向かう
遠い空見据える目よりまざまざと西郷隆盛の緑の涙痕
☆
☆
青葉濃き並木の先にいつになく眩しかりけり西洋美術館 「世界遺産」の緑の文字がすずかけのふくらむうれに見え隠れする
新顔のおまわりさんにも「こんにちわー」わが習慣を押し付ける
麦わらの制帽投げてユーホーと叫ぶ園児をなるほどと見る
蓮の葉の上の露玉二つ三つ風にふるうも寄り合うことなし
古池の水面しずかに睡蓮は水の花なり思いをひらく
岩手 金 野 孝 子 震災の復興さなかの大船渡国体会場となりて燃えたり
台風一過の青空の下開会す岩手国体グラウンドゴルフ
54
作 品 二
歓迎のわれらに答ふる選手たちの笑顔は復興の力とならむ
夫婦にてゴルフ励みし妹は優勝を夫の遺影に告ぐる
震災後初のまつりの雨なれば翁手あはせ「神の涙ぞ」
参加者の少なき祭りにふたりの孫獅子舞ひ手踊りに花巻よりくる
茨城 飯 嶋 久 子
豆蒔くは 月3日と教えられ豌豆の種4粒ずつ蒔く
ときわ路を巡りて帰る車窓より明日スーパームーンという月仰ぐ
さりげなく席譲りくれたる青年は終点までの長きを立てり
県北の廃校生かす「おやき学校」訪う人多し我も訪ぬる
☆
(那須 平成の森)
焼きたてのおやきの熱きを胸に抱き木造校舎懐かしみ巡る
落ち葉踏み行き着く先に見霽かす駒止の滝長く落つるを
紅葉の山肌を分け流れ落ち滝つぼの水瑠璃色に染まる
左大腿骨転子部骨折 東京 富 川 愛 子 ベッドより五歩ほど歩みて滑るやうに左に転倒再び倒る
救急車呼べどもドアは離れゐて連絡頼み弟を呼ぶ
受け入れの病院探しに強く叫ぶ墨東病院に連絡せよと
複雑な骨折なれば付くか否や筋肉が少なく難しと言はる
手術までの二日の間痛み止め四時間毎に飲み続けをり
手術後の痛み尋常ならずして体位変へる時叫び声あぐ
看護師の助けなければ動けないありがたさしむトイレまでの移動
55
11
病院にラジオ電波の入らずに深夜便の声恋ふるわれ
高知 松 中 賀 代
わが病幸にして後遺症なきに等しく退院近し
入院の前後の吾をふり返る負けるものかと痺れに耐えき
同年にて同病の友の退院は不可能と聞き淋しさ募る
退院を喜ぶことも控えめに言葉を選び再会を約す
土の付く掌を洗いつつ指先の薄くて柔きをしみじみと見る
土に坐りしばし眺める菜園の管理を頼む若者のなく
香川 矢 野 操
「幸齢者」の文字機関紙に載りて市より祝わるる敬老の日に
☆
☆
〝水の上にパンを投げよ〟の旧約にわたしの出来ることが見つかる
損をせぬ範囲のつきあい取引きか神の前にて浅ましきわれ
行きつけの大駐車場同じ位置に車を止める梅根性は
言ったこと七割為せばよしにする無名の人に赦し教わる
東京 卯 嶋 貴 子 ☆
身のまわり山ほどやらねばならぬこと腰痛激痛にうごかぬからだ
腰痛の度に訪れるクリニック患者数多で十日後の予約
休日の救急患者の待合所に人形のごとくねむれる赤子
再びの母の入院に覚悟すれどつゆ草みても悲しみこみあぐ
一ヶ月飲まず食わずの母の命腕に刺されたる点滴に継ぐ
56
作 品 二
東京 鈴 木 やよい 冬雷の仲間と会ひて締切りの苦しさ語る心置きなく
拾ひ読みするには惜しく持ち帰り歌集を開く先生憶ひて
じやかう
「あずさ号」にゆつたり坐る人を見て旅に出たしとホームで思ふ
幼虫の餌となる草は残し置けど麝香揚羽は今年も見えぬ
居酒屋は朝の光に静まりて駅に向かふ人ら足早に過ぐ
薄暗き美術館出でゆつくりと広き公園見渡し帰る
☆
岩手 村 上 美 江 良きにつけ悪しきにつけて居てくれし父母よ祖父母よ今日法事なり
五十年身近にずつと寄り添ひし母は今日より神のたましひ
一瞬で高校生に戻りたり冬休みの朝母の危篤に
亡くなりて自宅に戻れば片付けの始まりてゐて泣くもかなはず
葬式の進むにつれて寺の庭にひたすら降りて積もるボタン雪
ふーちやんとみよちやんが代表で恩師と並ぶ制服を着て
皆様に礼をするとき泣き崩れ取り乱さずと父の一言
茨城 乾 義 江
秋の野路の日差しの中に咲き残る数本のカンナの緋色あざやか
木の枝に雀の群れの騒がしく一羽動けば一気に飛び立つ
草枯れの畑の土手を彩るはうすべにいろの昼顔の花
バックミラーにしがみ付きいる蟷螂を少し草ある道まで運ぶ
57
空高く飛沫散らして噴き上がる噴水の妙みていて飽きず
友三人寄りて評判の蕎麦店に来て店頭の列に並びぬ
我が家へと会話の続き持ち帰りつきぬ話に時を忘れる
静岡 植 松 千恵子
付き添ひたる遍路最後の高野山目的遂げて友は安堵す
高野山の宿坊に泊まり引き締まる簡素な食事に朝の勤行
陽を受けて太陽光のパネル並ぶ今年の猛暑に電力貯まるらむ
九年前逝く前に父の欲しがりし金平糖が仏壇に溢る
我が歌を認めてもらふ場がありて学ぶ支へとなる冬雷は
少しづつ知り合ひ増えて楽しみつつ批評に学ぶ冬雷大会
日光観光 神奈川 山 本 述 子 輪王寺参道脇の林には日の差し込みて紅葉の映える
匠らの技の確かさ美のセンス四百年経るも驚くばかり
眠り猫塗りかへられて活き活きと今にも跳んで降り来るやうな
ざる菊の苗差し上げし友の庭十二株並ぶ黄色く丸く
庭持たぬ我ベランダの鉢仕立て黄菊赤菊それなりに咲く
文化祭 茨城 木 村 宏 「長恨歌」君のうるはしき書に向かひ唐の悲劇を語る秋の日
絵手紙の秋の彩りにぎやかに展覧会場に人をひきよす
物干の先につながる蜘蛛の糸驟雨のすぎてきらり輝く
58
作 品 二
柿の葉は皆散り敷きて秋風に実の二つ三つゆれてをりたり
眠られぬ夜の長さや秋の風ざわざわざわと木の枝鳴らす
霜月にカンナの大きな花少し咲き残りゐて道端に揺る
岩手 佐々木 せい子
御詠歌は夫の影にかさなりて今年も参加し大会に向かう
妙心寺派東北教区臨済宗一同に集い成果をきそう
うら若き僧侶等は黒の衣をまとい低音の響きに拍手は止まず
凛とする若き僧侶等の抑揚と所作のながれに酔い痴れており
菩提寺は臨済宗派四世代安泰なれば檀家もうれし
栃木 川 俣 美治子
神社まで孫と手繋ぎ歩きおり七五三の晴れの祝いに
青い空見上げてため息つきており暖かな日は気持が緩む
目を閉じて明日の休みに何しよう思案しながら眠りに入りぬ
変化する形と色の万華鏡覗く未来が見えたら良いと
弓の手入れしている夫の傍らで我が作りたる歌読み返す
今年初のぐつぐつ煮えるおでんなべ二人分には多過ぎる量
からだ丸くなりて縮んでいくような冷たい空気に背すじを伸ばす
☆
☆
岩手 斎 藤 陽 子 若きより白髪多き父思ひ髪染めてゐる日向の縁に
四月目に宇宙飛行士帰り来て地球の空気うましと一声
59
今日もまた同じ話をする友と茶をのみながら三時間過ぐ
妹の入院日より茶を断ちて快癒祈りて白湯飲みつづく
菩提寺の水子地蔵の肩に乗るうすももいろのさるすべりの花
娘の夫となりて我家に来てくれたるやさしき聟どの大事な家族
手鏡をそつと取り出し髪なほすはじめての医師に向き合ふために
☆
知床の従弟の電話今朝は雪二十センチと言ふ十一月はじめに 東京 永 光 徳 子
境内に幟りはためく秋祭り人の賑わい露店の匂い
獅子舞の簓する子の髪飾り豊作願う稲穂がゆれる
仏前に供える小菊摘みとれば朝露こぼれて指さき濡らす
夕焼けに奥多摩の山並浮かび出て五時のチャイムの届くがに見ゆ
東京 小 林 芳 枝
五日ほど前に蒔きたる春菊に双葉の出でて犇めきてをり
重なりてひらく双葉の勢ひにひとかたまりの土もりあがる
生まれたての緑の双葉一様に茎立ち上がり日を受けてをり
一つづつ根を出し本葉いづる頃どうなるこんなにびつしり生えて
争ひはまだ知らざらん秋の日のなかのちひさな双葉のきみ等
一本が一株となるところまで見まもりゆかむその争ひも
過密なるところ疎らなところありてわが種蒔きの未熟さをみる
日当たりは抜群だねと言ひし人思ひだしてる秋の盛りに
60
出をせず 橋本 文子
「暑い暑い」と」エレベーターより降りてな
所のおばさんとなる 大川 澄枝 ☆
広報の行方不明者わかるまで似てゐる我は外
マは全部倒さる 小川 照子
老いたる夫が配達に出て留守なれば吾は事務
増え続けゆく 沼尻 操
台風の前に三分の二程取り入れしが残りのゴ
とりに戻る 高松美智子 ☆
戴きし一鉢の鷺草植ゑ替へを忘れず二十数年
歌教室 有泉 泰子
補聴器が拾う雑音煩わしき言葉より解かれひ
れの中 穂積 千代
雨の中滑らぬやうにと急ぎ行く一回だけの短
予定より半とき程の遅れにて夕暮れ迫る人群
作 品 一 森藤 ふみ
も未だ用いず 佐藤 初雄 ☆
後よりリズム良く来る靴音に追ひ越されまい
風の葦原 関口みよ子 ☆
鍛錬は無理よ歩行はステッキと医師は言えど
と並びて笑顔 金野 孝子
人の背をこえて高高と銀の穂は身を捩るなり
ラスに映る 田中 祐子 ☆
仏間にてひとり居ながき父の遺影よりそふ母
を聞く 立谷 正男
十歳の少年に越さるるわが背丈車のサイドガ
菜 野崎 礼子 ☆
逝く夏の珈琲店の昼下り木の葉の揺れに風鈴
理由言つてほしいか
橘 美千代
不揃いで姿形は悪いけど味はピカイチ母の野
金色に立つ 長尾 弘子 ☆
妻が絵を描けなくなつた何故と問ふ君よその
リオ五輪選手の活躍称えんとスカイツリーは
作 品 二 大久保修司
回る碓氷の急坂 松本 英夫
じんはりと日傘の面にこもる熱こんなところ
き出す 片本はじめ
エンジンの警告ゾーンを気にしつつぐいぐい
しさの満つ 川俣美治子 ☆
月末に銀行に行き記帳して残高千円あれば引
嬉しきがごと 廣野 恵子 ☆
仏像を彫ってる夫の背中には何を思うかやさ
難かり 木村 宏
声高にメディアは伝う台風被害事件あたかも
にも慣れて 豊田 伸一 ☆
紫陽花の大輪の花によく似たる妻の丸顔忘れ
動くらし 乾 義江 ☆
腹空けば何でも旨いと食べられる病院食の味
き消されさう 植松千恵子
一向に暑さ去らねど蟋蟀の声聞こえきて季は
なき日々続くなか 山本 三男 ☆
七十一回終戦記念日の黙禱はリオの応援にか
歯ブラシを買わねばならぬとまた思う変化少
作 品 三 天野 克彦
十一月号 十首選
お大きな声の中年男性
三村芙美代 ☆
窓際に置くだけでよし新しき目覚まし時計は
と息をはづます 山本 貞子
六月に節水注意の関東を台風豪雨は避けて通
にまだ残る夏 中島千加子
け
時刻を捉ふ 関口 正道
日に五分入浴前のストレッチ継ぎゐて三月効
れり 高田 光
わ
果まづまづ 青木 初子 十一月号 十首選
61
十一月号作品三評
水谷慶一朗
☆
大差つく高校野球の解説はまだ分らぬ
と理不尽を言う 山本三男
広 げ た 形。「 暮 空 に 開 く 」 は 日 暮 れ に 咲
で充足の一首になる。
揃えて一斉に丈を伸ばせる向日葵の花」
言 葉 は 綿 密 に す る こ と。「 太 陽 に 向 き を
きだす花の特徴と、蔓の高所に位置する
風に舞う枯れ葉と共に歩くとき気分高
にもあった蔓草。花は白くレース飾りを
処を上手く捉えた表白である。
まり歩幅の弾む 大沢幸子
「風に舞う」は不可。「吹かれくる路上
の枯れ葉と歩みつつ歩幅弾めば気分高ま
☆
声高にメディアは伝う台風被害事件あ
☆
仕事とは言えどマスメディアの取材攻
勢は行過ぎの感がある。下句は嘲弄の意
たつた今苦しめられたバーベルを抱き
たかも嬉しきがごと 廣野恵子
アウトからの不文律が往々にしてある。
を投掛けてる。五句は「嬉しきさまに」
て頬寄す三宅宏実は きすぎりくお
大差で勝敗はありと思えても解説者は
「 未 だ 判 ら ぬ 」 と 言 う。 然 し 野 球 は ツ ー
理不尽の捉え方が面白い。
で収まりよくなる。
リオ五輪で活躍した日本選手へ称賛の
連作。この放映シーンはつぶさに見たが
る」に置き換えると良い。
穂のたれて収穫近き田守りたし台風逸
半袖のあとがくっきり残る腕秋の入り
に怖れはあらず 片本はじめ
病弱で貧しけれども主に祈り委ぬる我
る。下句の調子も弾んでいて良い。
自らの腕に残る夏の日焼けのあとを見
つめながら、季節の移り目を体感してい
じ さ せ る の も 事 実。「 紫 が 濃 く な り 」 等
こ の 歌 の 一、二 句 は 作 者 特 有 の 視 線 で
捉えて見事である。然し隙間の甘さを感
はすとんと降りる 中島千加子
高層ビルの肩越しの空紫が濃くなり夜
が妥当か。作品どれも詠嘆巧みだ。
ベルに触れ」又は「バーベルに抱きつき」
☆
れよ進路気に病む 植松千恵子
クリスチャンの作者は日々の祈りと加
護により怖れるものはないと言う。五句
「バーベルを抱きて」は表現過剰。「バー
「臆すものなし」と強めてはどうか。
口夏のほとぼり 川俣美治子
した。五句の「季は動くらし」は鋭敏な
は 言 わ ず も が な で あ る。「 高 層 ビ ル の 肩
心情は解かるが、客観視に重きを置く
こ と。「 穂 を 垂 る る 収 穫 ち か き 稔 り 田 に
捉えかたである。
一斉に顔をそろえて背を伸ばす太陽の
☆
下の向日葵の花 加藤富子
を降す」くらいの表白でどうだろうか。
越しの空むらさきにすとんと夜のとばり
今年は夏の暑さを残したままの秋であ
つたが、蟋蟀の声に秋季の到来をで察知
て季は動くらし 乾 義江
一向に暑さ去らねど蟋蟀の声聞こえき
台風逸れよと進路気遣ふ」で確実に。
広げたる白きレースの如く見ゆ暮空に
向日葵の花を顔などとする表現は雑。
☆
開く烏瓜の花 川上美智子
☆
久しく見ないが少年の頃、どこの野山
62
十一月号作品三評
東慶寺なのか。カメラ好きの私もいつか
は撮影したいと思う。
☆
軽トラックを見れば幼は「爺ちゃん」とひ
ときわ高く声をあげたり 藤田夏見
はない。筆者には違和感は無い。風呂上
関西方面なら簡単に「部落」という言
葉は使えない。だがいつまでも拘ること
なりの部落の妹の家 村上美江
近ければ風呂上がりでも行けることと
ない。二十代に戻るのが二時間でも。
映画の題名までは言っていないが、筆
者も同様。好きな映画は何度見ても飽き
気に二十歳のトキメキ 川俣美治子
好きだった昔の映画見なおせば心は一
ならない。肺機能が低下するのは事実。
題ではない。筆者など禁煙はまだ一年に
大会に参加された時のことなのだろ
う。飲酒・喫煙は他人がとやかく言う問
安堵に暑さ思はず 中村哲也
私も最初の銅メダルの三宅、最後の銅
メダルの荒井選手に感動した。前者は一
きて頬寄す三宅宏実は きすぎりくお
たつた今苦しめられたるバーベルを抱
七首全部が写実で、期待できる作者。
この場合、紅葉・緑葉いずれか解らな
い が 自 然 の 小 さ な 動 き を 観 察 し て い る。
ように動きて止まる 大沢幸子
折れて垂るる楓の枝が音もなく振子の
人に車は必要。原付バイクは必需品。
地方ならば交通手段は頻繁ではない。老
ア ル の 軽 ト ラ を 運 転 し て い る の を 見 た。
関口 正道
がりと言った所にその近さが判る。
半世紀走り来たりて車止むあはれ最後
瞬の勝負、後者は三時間半の競技だ。
幼の言う爺ちゃんは、多分、幼の祖父
だ と 思 う。 車 の 歌 を 三 首 取 り 上 げ た が、
手付かずの藺草の香る上敷きをもった
の旅となりにけり 松本英夫
曼殊沙華の白が見たくてスケジユール
冷房の効き目を感じぬ喫煙所も吸へる
処分にしない作者。こうありたい。
運転の旅は最後だが「あはれ」ではな
い。旅の方法はまだある。前の歌に「ぐ
確かめてゐる地下鉄の中 中島千加子
☆
買って間がないものだったのか、保存
状態が良かったのか、何れにしても廃棄
号の直撃を受く 佐々木せい子
東北に台風の直撃とは、最近の自然現
象は少し異常だ。青森のりんごが落ちる
☆
ニュース番組だが、北陸で老婆がマニュ
牡蠣ホタテ旬を迎える時にして台風十
信号が続けて五つ青になるいいことあ
いぐい回る」との表現もある。
☆
☆
ニュースを時々耳にする。牡蠣、ホタテ
りそな月曜日の朝 加藤富子
歌歴のある作者。曼殊沙華の想起が地
下 鉄 と は、 短 歌 の 表 現 の 確 か さ だ ろ う。
☆
は無事だったのだろうか。
これは小さな発見だ。五つときちんと
勘定して記憶にあるのだからその運転感
都会の喧騒を逃れたい気分もある。
いないと資源に持ちゆく 乾 義江
「 岩 煙 草 」 の 梅 雨 に 濡 る る 切 通 し 共 に
覚は称賛される。
仰ぎし一昔前 山本述子
岩煙草は紫を帯びた可憐な花、鎌倉の
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作品三
平均寿命 埼玉 小久保 美津子
桜みて紅葉狩りして年終ふる母の車椅子姉と押したり
宿の朝素手に事足る母の世話襁褓を替へて義歯を渡しぬ
平均になりたるものと足らぬもの三十キロの目方は如何に
八十七歳厚労省の告げてゐる平均寿命に母辿りつく
リウマチに日頃の母に出来ること食べて笑へり時に泣きゐる
口癖に宝物だと言ひて居るひ孫呉れたる写真と手紙
写真見て母の縫ひたる振袖の娘二人の見分けは難し
一度だけ母にたたかれし記憶あり娘の反抗母の癇癪
雪花菜煮は母より伝授の味の骨日々の惣菜日々好評
埼玉 町 田 勝 男 はらからの五人が三人ふるさとを離れて生きゐん入間のさとに
特養の十歳下の弟は帰るとき必ず涙くしやくしや
妻の実家セシウム浴びて失へば嫁の実家宇土は地震に瓦壊す
被曝地に去年の許可証の墓参りバリケードにはばまれ花持ち帰る
今度こそ傷つけまいと新車購へどスーパーの駐車場に三ヶ所やられる
前方より目を放すなよ絶対に百三十キロ超せば一瞬が死だ
明月院 参道木橋
64
作 品 三
峡の秋尾花はふもと早池峰のいただきあたり冬ははや来ぬ
秋色の弥彦のいただきに見放くれば海ぎり深く佐渡は隠らふ
宮城 中 村 哲 也
チェックイン時間までには着けば良く地の利確かな仙台にをり
雪舟と宮本武蔵の水墨画展順路違へて雪舟を観ず
仙台市博物館にてうつかりと図録を買ひて東京へ向かふ
仙台市国際センター駅トイレ国際基準か随分広し
何らかのシンポジュームが終りをり出で来る人等と並びて歩む
勢ひて雑誌さまざま持ちこめど眠りてたつた五頁読むのみ
見も知らぬ店に入れぬ小心に東京駅にて飲食せざり
目の前に知りゐる牛丼チェーン店ここまで来てもと入ること無し
カナダ ブレイク あずさ
日の光とぼしくなりていにしえのケルトのごとくわれ冬至待つ
タンカーを憎む人々集いおり巨大トラック爆走させて
けものらが庭のりんごを食む音の絶えれば冬の雨降りだしぬ
墓持たぬひとの遺灰は日を浴びて海へと向かう風を待ちおり
諍いに疲れたる日を国籍の違いのせいにしてしまいたり
中国の老女のほっと微笑みぬアジア人なき市バスの中で
親しみのあふるる目元の北京語にわれも微笑む意味は知らねど
通じない言葉かわして中国の老女とわれは来ぬバスを待つ
☆
65
赤く赤く塗りつぶされるアメリカの夜の長きをただただ見つむ
福島 中 山 綾 華 ☆
キナバル山のジャングルを登り吊橋渡り下りは登りより辛しと思う
☆
☆
町の中にスックと伸びたる木を見上げ南国の香の豊かなコタ・キナバルの町
水疱瘡の子等預かりて満月をながめて母の迎え待ちおり
茨城 豊 田 伸 一
めまぐるしき今年の陽気猛暑後に涼しさの来て萩の花咲く
孫連れて買い物に来たる娘等は次の店へ行く荷物を置きて
猛暑後に涼しさ続き陽が足りず北海道産の野菜が不作
自治会の仕事が増えて休日もままならずまた知人に不義理す
青じその白い花咲き地に散りてやがて気付かず実を残すなり
湿度三十六夜空の月がくっきりと思わず見とれ幼児と仰ぐ
東京 大 塚 雅 子
海外より有名選手のやって来る自転車レースが開催される
大ファンの選手も出場すると知りにわかに始める英語の学習
英会話の例文いくつか暗記してレース会場に朝早く行く
背後より英語の聞こえて振り向けばツールドフランスの王者がいたり
☆
英語での「写真を撮りたい」思い出せず身ぶり手振りで相手に伝える
歩きながら慌てて撮りたる記念写真選手の顔が半分写らず
東京 永 野 雅 子
66
作 品 三
右足の小指が痛みしげしげと見れば傷から出血のあり
風呂上がりに軟膏ぬりて手当てするも傷口腫れて小指が痛む
指の腫れた原因は黴菌による化膿だと医師は言いたり傷口指して
指先を切ると言われて驚きて返事せぬ間に麻酔打たれる
大きめの運動靴を履きたれば指が当たらず痛みの軽し
☆
☆
埼玉 星 敬 子 和服着て今日は護国寺茶会の日伝統文化に人等たのしむ
秋ふかき水元公園に百合鴎かるがもら集ふ会議の如く
水辺には百合鴎の群かるがもの群の来りて列を作りぬ
昼下りの体操教室の帰り道三郷公園はけむりむくむく
秋晴れの河津バカテル公園に色とりどりのバラ咲き乱る
高知 川 上 美智子
朝顔は夏咲く花と思えども藍色次々十月の朝
見上ぐれば群なすトンボ飛び交いて青空高し台風一過
土砂降りの雨上がりたる山肌に俄に現る小さき滝は
目を閉じてしぶき浴びつつ佇めば脳裏に浮かぶ白糸の滝
東京 山 口 満 子
久々に川越市場に今日は来て野菜高過ぎほとんど買えず
ハロウィンの前日のイケアのディスプレイは南瓜ではなくもみの木ばかり
国立の大学通りをドライブし紅葉並木を夫と楽しむ
67
愛知 鵜 𥔎 芳 子
ようやくに涼風の吹く散歩道すすきがなびき虫の声聞く
ゆきずりの目にとまれるは時季外れ赤い朝顔一つ咲きおり
待ちわびた秋の青空山路行く多くの人と挨拶かわす
☆
ピィピィピィピィと澄みたる声にさがし見る木の葉ゆらして小鳥とび交う
わが嫌う歯科の予約日保険ありて幸せなことと思い直しぬ
奈良 片 本 はじめ 車中にて女子高生らスカートの股を広げてパン食ひスマホす
隣室の女はろくに挨拶も出来ず夜毎に物音立てる
隣室の女は変則勤務らし出勤帰宅のハイヒールの音
礼拝の前夜は必ず風呂に入りより丁寧に全身洗ふ
眼の前に湧き起こる事すべて主の計画ならん素直に受けぬ
両親と妹年金暮らしなりせめて年玉ぐらゐやりたし
真夜中にギックリ腰にて目覚めたり背と腰疼き息も絶え絶え
坐らむとせどもかなはず寝返りも打てずギックリ腰に耐へたり
神奈川 大 野 茜 肌を射る太陽の熱に負けられぬ日影を伝ひ駅へ急ぎぬ
手作りの十五の団子と薄の穂机に並べ妻と月待つ
十年を通ふ床屋の老店主は会話少なく鋏の音のみ
未整理の旅の栞の捨て難く年々に分け輪ゴムに括る
68
作 品 三
大震災いつ襲ひても不思議なき列島に住めど備へ忘れる
レストランに子供は声上げ駆け回るスマホの母は一言もなし
高音の低音へ移るその一瞬ソプラノの声は弥増し美し
東京 松 本 英 夫
次々と四角に焼かれ客求む門口狭き食パンの店
ベートーベン真梨子にディランと聞きたれば「リンゴの唄」の生きよくはづむ
頼朝も姿かたちを気にかけし富士の湧水光る「お鬢水」
金生まぬ基礎研究は要らぬといふ杭なき楼閣立てむとするや
事務局長にこりともせず「ボブ・ディラン」とノーベル賞の権威守るがに
秋深し蕾の残る朝顔は昼はベランダ夜は軒先へ
赤々と畦に群れたる曼殊沙華弥生の世より田を守り来し
おもいで
☆
長崎 野 口 千寿子 ☆ 「冬雷」の短歌大会前夜にて名月仰ぐ東京の街
うま
晴天の冬雷大会に初参加のふるる優しさ替え歌も聴く
風清く石蕗の咲く坂道を二人歩みし美し追憶
栃木 加 藤 富 子
幼子をいだく女性に席ゆずり車内の空気を暖める人
ベランダに光溢れる休日は布団を干して静かな喜び
お陽様の匂いが僕は好きという孫のひとこと魔法の言葉
親子共空の具合を気にしつつ楽しみに待つ今日は運動会
69
出来たてのワインに煮たる無花果を嫌いと話す友に届ける
各々の価値観は千差万別認めあうには心が狭い
愚か者イコール未熟者だから学びが必要と猿之助言う
愛知 児 玉 孝 子
交通事故に失う命よ今日もまた若きを惜しむ夕刊ニュースに
十七年を人工透析に頼り生き命大事と言いし友逝く
十月の冷え込むひと日に老い夫は我慢のならず湯たんぽを入れる
家元の巡回ありて池坊展に齢を言えば握手されたり
こぼれ種より百日草の茎伸びて遅き夏日に花を咲かせぬ
筋トレに通いて三年十歳は若く見えると人に言わるる
秋深し銀杏並木の黄葉して直なる車道は明るくなりぬ
車椅子に乗せたる妻を押す老いの片手に確と杖持ちており
広島 藤 田 夏 見
筆まめな友の便りのなくなりて噴火のニュース耳塞ぎたし
どこまでも小高き山の連なりて備後平野は黄金の秋ぞ
コンバイン進めば穂波に虫の出て鳶幾度翻えり行く
一番のお薦めの本と望まれて二十歳のわれは『大地』を貸せり
☆
☆
「四十年読めずにごめん」と戻されしパールバックを読み返しおり
一夜で読みし『小沢昭一的こころ』にリボンをつけてプレゼントせし
古本を誕生祝いに貰いしと折々語る男友達
70
作 品 三
量販の三十七度のブランディー葡萄を漬けて来る年を待つ
東京 大 沢 幸 子
雨粒が一滴一滴と落ちて行き庭に小さな水溜りあり
残り香を消すかのようにバラ一輪小窓に置いた有明の空
青葉から枯れ葉に移る季の来て渦なして散る色様々に
朝の鳥が飛び去る後の庭に出て静寂の中一人佇む
降り続く雨に洗濯物溜めて晴れ待ち遠し空を見上げる
涼しさが寒さに変わり肌を刺すポインセチアを一鉢買いぬ
埼玉 須 藤 紀 子
母亡きのち衰えいたる月下美人の鉢に小さき新芽のびくる
見えないから花見は今年かぎりにと言葉通りに母は逝きたり
思い出の一つ一つをごみとして集積所に置き立ち去り難し
なき人に伝えそこねて行き場なきことばを今日の秋空に放つ
☆
☆
三重 松 居 光 子 朝と昼の温度差ありて着る服にあれこれ迷ふ秋深み来て
商ひの競ひ逞しデパートの食品売場はハロウィン一色
根付きたる異国の祭りハロウィンの派手な騒ぎにわれは馴染めず
右腕に痛み俄に襲ひ来て寝返りうてず夜通し眠れず
五十肩に似たる症状訴へて整形外科の診察を受く
レントゲンに白き影の写りゐて石灰沈着性腱板症とぞ
71
三日間の服薬ののち痛みとれ溜りたる家事をぼちぼちなせり
埼玉 きすぎ りくお
小遣ひをやつてゲームを買ひ与へ孫には妻の評価が高い
ばあちやんがあげた小遣ひ本当はぢいちやん稼いだお金なんだよ
頑なに黙して孫はその母の責めに耐へをり目をうるませて
小四でも男のプライド守るがに母には黙して決して語らず
好物の菓子を野良犬にやる孫よかつては我にも在りし心根
なんといふ不思議なことをしたのだらう妻と子を生し孫を産ませて
迷ひつつ躊躇ひながら選択し時を重ねて今日のわれ在り
東京 中島 千加子
まだ色が変はらぬ公孫樹の下に聴くかさかさ乾く葉擦れの音
ぬけきらぬ風邪の微熱にぼんやりと歩けば眩し赤きシクラメン
来週は黄金色になる並木かと思へば散歩してみたくなる
いつの間にこんなに気弱になつたのか他人を伺ひ無駄におどける
ハロウィンのかぼちやのやうな笑顔だと思へば鏡を裏返したり
ハロウィンの翌日はもうクリスマスグッズが充実百円ショップは
教室に入れぬといふ不登校の女児を託され折り紙で遊ぶ
ゆつくりと折り紙の色を選びゐる女児の口角やんはりあがる
クッキーの缶に折り鶴をいれてゆくたくさんたまる鮮やかになる
折り鶴を青き画用紙に並べ置くきつといつかは飛べる気のする
72
歌誌「抜錨」を読む⑻
さ ら に、 能 勢 壽 郎、 三 上 恒 治、 三 上 恒 治、
村 井 康、 鈴 木 幹 枝、 益 子 政 太、 泉 義 徳、
生田一男、棒原たか子、高山秀子、飯塚初枝
らの作品掲載の七月集 其二。最後に裏表紙
の屋代温の編輯後記で終了する。特に散文に
る。
多くの頁数を割いての編集が今号の特徴であ
そして、手塚正夫の「アララギズムの発展」
続いて木島茂夫の「作歌覺書三及四」、また
今号の木島茂夫の七月集 其一の掲載歌は
十六首。
七月号(二巻七号)概略 1 中 村 哲 也
短歌雑誌 抜錨 七月号 昭和二十二年六月二十五日 印刷 横尾登米雄の「茂吉的なものと文明的なもの」
と、三題の散文が続く。
集」所載の歌題「夏至」の十首掲載。木島茂
の選後評がある。続いて土屋文明歌集「少安
うつせみの迫るいのちを救はめと公定に
持ち居てあげつらふらむ
大
昭和二十二年七月一日 発行
群 犬
アメリカの兵の通はぬ寒き夜に道路に犬
が四五匹もをり
次には鎌形 武、武田千舟史、和泉よし子、
山口登之、佐藤美枝子、吉田みつ、説田乃良、
鈴木 静、不破新市、山田 勲、新井伊三郎、
高橋臥牛、河内昭二、得津礼子、田島緋佐子、
は百姓にして言分あり晝と言へども
百し姓
らいひ
小岩井喜和雄、鈴木鈴雄、助川佐千子、篠原
白飯を食す
復員してすぐに離婚をおもひたちし兄の
夫の歌集「敗戰の歌」自序。高橋俊雄の作歌
言
ろものどにはあらじ
こおこ
と ど
まけ
臣らが任のまにまに新圓をどのくらゐ
高橋臥牛の齋藤茂吉訪問記。屋代 温の偶感。
アララギ四月号「萬葉集研究」より柴生田稔
勲
要、森 美代子、杉山友治、鶴岡秀雄らの
抜錨集。それらの掲載歌の頁の下段には屋代
裏表紙までを使用して頁数は三十八頁と倍
増充実する。裏表紙は屋代の編集後記。
の散文の引用掲載と、また散文が続き、木島
ふトルーマン手づから
のうつぶして泣く
委い員
さをし
さん
功は燦たる兵に七つあまりの勲章を賜
價格吊りあぐ
しこて
とあげ
み
挙はかなしくもあるか身みづから爭議
表紙裏からすぐ、榛原駿吉、古屋數智、三
茂夫の小品三題 四
( 月残稿 。)
歴程 副
( 題「手塚正夫君への私信ふうに」 。)
横尾登米雄、浅野宗三郎、手塚正夫、屋代 枝 茂、 小 林 秀 雄、 鈴 木 よ り 子、 木 島 茂 夫、
温高橋俊雄らの作品掲載の七月集 其一。
73
仕事ありて共に巡業にゆくときにいたく
歩きつつ薯食むらむか
家族多く狭きバラツクは晝はいでてたち
身の縮むおもひを兄はしてゐる
ヒステリーの妻と親切すぎる妻の身内に
家に妻といを寢
家なくて離婚あきらめしわが兄は妻の實
肉 親
ツク負ひしちひさ
下駄履きてリユツみクサ
につぽんじん
し日本人か
き人と彼らより観
病みをりて言多き母は死ぬるにやまた愚
るさき母はかつて知らずき
愚痴を言ひまたうめきつつかくばかりう
しらじらしくわれの坐りぬ
老いし肉体をいだきしめたき衝動にただ
母は猜疑心強し
臥しをりて毎々にうから罵
歸り來しより
わが母が病み臥しはその弟の葬
なき夜をしぞ言ふ 店の二階に病み臥す母がこの頃の人通り
をひたすらねがふ
苦しみよ疾く去りたまへ老い母の大往生
れはただ疲れつつ
母病めばうから集り看りせり何もせぬわ
へに母はいねます
夜ひと夜母を看りて朝をぬるいもうとの
ちかき母を看りしてをり
父死にしのちに生まれしいもうとが死に
氣づかざりにき
病室に末の妹が生けて呉れし花買ふ事は
育ちてひとよなげかむ
て倒れけるはや
あ こ
子は
癒ゆるなく母死にゆかば命生きし吾
死ぬるまで働かむとぞ言ひし母孫を看り
亊を想ひ出せとぞ
年老いし兄の妹に言へるらく楽しかつた
いし兄最も知れり
る
リマヤマの豫感おそひくるとふ
養は足らざる兄はたくらみゐむ堕胎は
おほ
れる年老いし
をわが母は恋ふ
戰ひは終りしのちに身まかりし老いし弟
んと
こほろぎを捕へ大根を拾ひ食ひきその故
をりにし母しおもほゆ
扶助料証書背に結へつけ防空壕にこもり
れ老びとの如く瘠せたる
夜具の中によこたはりゐる老い母があは
わが母の苦勞多く経し來しかたは母の老
気のあふ兄とその妻
痴多く氣強く生くるや
故郷にて親類に交はり生くるとき母の生
と
リユツク負ひ巡業にゆく汽車にゐてマラ
溫湿布に店に賣らむ酒を用ふるはひとた
死は多く関係あり
老びと
或はおそしともおもふ
びは惜しくおもひて用ふ
ね
なにもかも妻を愛しすぎるゆゑといふ凡
しばらくを聞きながしゐし病む母の聲と
わが母が癒ゆるとすれば少くともひと月
にゆきて
には讀まずわれはおとうと
以上は病みこやるべし
はうり
瘠せ瘠せて巡業をつづけゐる兄よいまし
ぎれたり寢言にてありし
ののし
ばらくは生かしたくおもふ
病み臥る老いたる母が寢言かも「お猿さ
営
なお七月集 其一以外にも二頁余りに亘っ
二部に挿入さるべきものとす。尚未発表作品
手こずりし病める母には母の兄來ぬ老い
遊ぶ」あとは聞こえず
・・・・・
「肉親」「續肉親」は本篇に先行して一連をな
し二人ぞしばし語りぬ
て、小品三題 四
( 月残稿 の
) 掲載がある。副
題 と し て『 六 月 發 表「 母 危 篤 」 は 本 篇 の 第
すものなり。』と記されている。
74
子われのさまざまの憶測も既にさとりゐ
老を誰も願へり
苦しみし半生ありてしづかなる平凡なる
死ぬるや
敗戰を経し老
子われをもあきたらずして死にゆけば最
しわれを恋ひゐむ病み臥す母は
妻を持ちしいまのわれよりも尻を病みゐ
りをする小説読みし如し
重態にかけつけし子供に病む親が死ぬふ
思ひ及ぶ老の感傷と残忍性にも
東京よりよびよせて看護させたきらしき
む亊のみに老いて死にちかくい
子を育く
かた
にやまむ慾かな
づべの方
たきを食はしめ死なしたし母は
落ちぶれしわれにはあらねいま少し食ひ
生きのこりける犠牲といふや
このままに母の死すとも生くるにしても
り国破れ生き残り病める老躯は
月給に生き来しわれの半生よりあはれな
里に疎開して來て
兄も兄の妻も來りぬ
夜具の中にいますゆゑ汽車に乗りてわが
肉親及老びと補遺
のちよ明日さへもがも
日のすゑに昨日もけふも山ありぬ母のい
のともりたる障子の如し
市路の果にゆふべ雪やまが浮きあがり灯
さしくきびしくし見ゆ
わがこころ如何なるときか足引の山はや
明るさの極りにけれ
日のをはり雪のこる山が大きく見え空の
くするどし
黄色に雪明るとき群山の襞
しめ給へ
山の色刻々移る夕焼けに母のいのち生か
輝るにはあらず
黄
し空の山の雪
市なかにのこりゐし雪なくなりて心こほ
さきに雪のこりたり
雪やま
あか
き空に山はむら
街暗く日暮れむとする明
不明なる母とぞおもふ
言減りてしづかになりしこゑ聞けば意識
年間痔を病みしのみ
妻持ちて放
いもうとはマ離マ婚してをり
湯やみしわれもへば苦勞は八
母のきめし結婚を経てわれありきすゑの
言はむいくばくやある
ふがひなき長男とこそ自ら言ふ兄にわが
末期を生き來し
疑ひき
き時にわれ
つと
に許してわが母は家族制度の
子の自由夙
奇蹟的にたすかりまししわが母の死にち
なほにし癒えゆくものを
兄と兄の妻がははそはを看りつつかくす
りをればいふ言もなし
夜具の中に癒えゆく母は心やさしくなり
まふこゑおのづからやさし
わが母が癒えむとしつつ子われを叱りた
とろへたすかりましき
死ぬことは必ずなしと思ひしをいたくお
りの安くなりたまふ
口中より回蟲いでしあくる日に母のねむ
妻と共に母の看護にいそしめる兄はわれ
挨拶かはす
色あやしきまでに山の雪ゆふべ明るし
こつ
は骨に似て黒
ひだ
わが母の癒えゆく頃を看りつつ背をさす
ゐるわれに気づきいまさむ
より年をとりたり
てあきらむる母か
肉親は相語るときわが妻とわが兄の妻と
おほしよく
何もかもむなしきときに尊かりけりただ
言ふべし
も不幸なる母らと
うじん
人の感傷を心に持ちて母は
に子の為に衰ふる老
75
るものを紹介したい。
持し兄の妻をも愛す
に至っては
相見れば心きまるかな共産党をわれは支
また十六首目の
しよこたふ病みあとの身を
まず、「群犬」の一首目、「四五匹もをり」
が「四五匹ゐたり」。「老い人」の七首目、「病
相見れば心決まるなり共産党員という青
の移動も見受けられるが、推敲の跡が見られ
相見れば心きまるかな共産党をわれは支
み を り て 」 が「 病 み 臥 し て 」。 二 十 二 首 目、
年をも兄の妻をも愛す
と大幅な改作がなされている。
母の危篤にかけつけて來し兄の妻がしば
あしたよりわが母そはの臥しますは癒え
結句「病みこやるべし」が「病み臥るべし」。
いと思われるようなものであっても、受け入
「兄が離婚しようとしている義姉であって
も実際に会ってみると、かつては受け入れ難
持し兄の妻をも愛す
むとしつつ臥したまふなり
り現代的な表現に改めたと言ってよいであろ
「臥やる」は「臥る」の古語であるから、よ
う。「雪やま」では、七首目、「きびしくし見ゆ」
れられたように、義姉も愛すべき身内の一人
ふせ
十日ほど看とりゐし兄夫婦は巡業の電報
が「きびしく立てり」。「肉親及老びと補遺」
こ
來り歸りゆくなり
夜具の中に熱おとろふる母そはが眠りた
改題後の「老びと及肉親補遺」では、九首目
として受け入れる事が出来た。」というよう
まふよ夜の明けぬ間に
な作者自身が体験した心情変化への感慨の歌
え方も当然異なってこよう。当時の様相と異
「兄と兄の妻がははそはを」が「兄と兄の妻
なった部分をそのまま掲載して、あたかもそ
この抜錨誌掲載歌が、昭和三十八年六月発
行の木島茂夫歌集『みちのく』掲載歌の初出
以前、万葉集の「ははそばの母」を齋藤茂
吉は「ははそはの母」と用いたと述べたが、
れがそのまま今日に至っているかのように受
であると受け止めている。
木島茂夫はさらに抜錨誌においては、「はは
が老い母を」と変わっている。同じく十八首
皆様と共に鑑賞したいとの考えからであった
そは」とのみ用いて「母」を表していた。
たのかも知れない。
目、十九首目の「母そは」が「老い母」に置
また、歌集『みちのく』を所持している会員
ところで「兄の妻」という表現は一般的で
あろうか。この「兄の妻」という人物表現に
の歌である。
の方々にも、初出の「抜錨」掲載歌と『みち
歌集『みちのく』にあってそれらは「老い
母」に、すべて改められたという事になる。
作者自身の内面に存在する当該女性に対する
き換えられていた。
のく』にまとまられた歌稿と若干の違い、推
抜錨にあっては、冒険的、挑戦的に使って
みたのであろうが、いざ歌集編集に当っては
「よそよそしさ」を表す工夫が施されている
今回、誌面を割いて誌面の作品をすべて列
挙したのは私も含めて「木島茂夫の短歌」に
敲の痕跡をご覧いただければと考えた。
慎重に為らざるを得なかったという事かも知
作歌された当時と出版時期に二十六年の開
きがあり、それは当時と支持するものも、考
まず大きなものでは、「肉親及老びと補遺」
とされている題が、歌集」
「みちのく」では「老
れない。
触れる機会の比較的少ないと思われる会員の
びと及肉親補遺」と改題されている。
け止められる誤解を避けた結果の改作であっ
掲載順も「抜錨」と『みちのく』では若干
76
ように感じられる。 そして、その改作歌の
後の掲載歌では「十日ほど看とりゐし兄夫婦」
と し て「 兄 と 兄 の 妻 」 か ら「 兄 夫 婦 」 へ と、
表現に変化が見られる。 そこに義姉に関し
て、作者の内面の心情変化を表すための表現
変化と感じるのは考え過ぎであろうか。
なれ
なお歌集『みちのく』では抜錨誌「肉親及
老びと補遺」には未掲載の三首が追補されて
いる。
金儲けのうまき汝ゆゑ必ずやチャンス与
へたしとわれに兄言ふ
東京と山形と連絡して金を儲くる術はな
きかも
十四才より痔を病みをりしわれなれば母
を離れて住みしことなし
この作品群が詠まれたのが四月、木島の上
京が六月である事を考えれば、この母の病気
見舞いに訪れた際の兄の言葉が、母の危篤を
招いた一因でもあろう現状の困窮の打開策と
しての上京へ、大きく舵を切ったきっかけで
あったのかも知れない。「母を離れて住みし
ことなし」と詠った木島にとって、病み上が
りの母を残してと云う点においても、相当大
)
きな決断であった事は容易に想像が付くと思
われる。 続
(く
◇今月の画像 明月院は、臨済宗建長寺派の
寺院。鎌倉幕府が成立する前の
開山、中興の祖が8代執権・北
条時宗、禅興寺の塔頭として明
月院のみ残った。現在は〝あじ
さい寺〟として有名、だがじじ
つは、戦後、参道を整備できな
い住職が杭の代りに手入れしや
すい紫陽花を植えたのが始ま
り。季節には行列ができるらし
いが、方丈の向うにある庭園の
菖蒲と紅葉が抜群でお勧め。五
月、十一月には開放される。開
山堂の横にある「明月院やぐら」
に風情がある。参道左側に北条
時頼の宝篋印塔がある。明月院
には駐車場が無くJR北鎌倉か
ら歩くしかない。筆者はJRの
踏切の向う側にある浄智寺に車
を停め、浄智寺を拝観、必ず季
節の花を撮影した後、明月院か
東慶寺に足を延ばす、これは内
緒だ。 (関口)
77
詩歌の紹介 たちやまさお詩歌集
『 故 郷 の 道 』 よ り ㉝ 立谷 正男
坂村真民詩集「念ずれば花ひらく」から
・
二度とない人生だから
・
「こおろぎさんがなく」
お月さまにもこおろぎさんがいるように
こおろぎさんがないている
父さん母さんが呼ぶように
はるばると空にむかって
わたしが死んだら あとをついでくれる
若い人たちのために
戦争のない世の 実現に努力し
そういう詩を一篇でも多く 作ってゆこう
この大願を書き続けてゆこう
宗教詩人、祈りの詩人と言われる坂村氏の
詩、すべてが尊い。つくば市の浄土真宗のお
お帰りなさいとないている
青い外灯の草のもと
こおろぎさんがないている
寺に月に一度法話を聞きに行く。人の在りよ
一羽の鳥の声にも 無心の耳を
ゆる行為の前提に仏様の慈悲心を置くという
深い理性と実践に繋がるように思える。あら
え、むしろ大いなるものに身を委ねることが
心は理性を曇らせるのではという不安は消
生きているよとないている
栗の毬散る朝道に
嵐の夜を乗り越えて
こおろぎさんがないている
金木犀の香りが流れて
二度とない人生だから
うのしめくくりには念仏を唱えよという。信
「二度とない人生だから」
一輪の花にも 無限の愛を
そそいでゆこう
かたむけてゆこう
教えが身に沁みる。
わたしの心でないている
悲しみがやさしさにかわるまで
やがてひとつの声となり
こおろぎさんがないている
二度とない人生だから
のようで寂しい限りである。
蟋蟀達と何の挨拶もなく別れることが片思い
こおろぎの詩をいくつか作ったので、一入
蟋蟀に愛着が深い。朝夕の声が消え果てた。
一匹のこおろぎでも ふみころさないように こころしてゆこう
どんなにかよろこぶだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く 便りをしよう
返事は必ず 書くことにしよう
78
十一号十首選
十一月集 山﨑 英子 父母の大空襲を生き抜きたるふるさと東
京誇らしくあれ 黒田江美子
盂蘭盆に仏の往来する道筋を夫と清めの
掃除施す 吉田 綾子 ☆
惣菜を持ち行く楽しみなくなりて新盆の
過ぎ百箇日過ぐ 大塚 亮子
取りおきし八潮への地図捨てかねて文箱
に仕舞ふ畳み直して 増澤 幸子
門近くふたたびジンジャー咲き始む歳経
る速さを知らす如くに 大久保修司
歌会の案内状の添へ書きの二行に偲ぶ在
りし日の師を 山口 嵩
浅黒き顔ほころばせ球場の土まんぱいの
小瓶を呉るる 江波戸愛子 ☆
台風でパート来られず任せたる娘の接客
桜井美保子
寄贈誌御礼 (紹介)
歌集『那珂川』の反響
■サキクサ 平成二十八年銷夏号 月刊
◇巻頭には、主宰で編集発行人を務める大塚
布見子氏の「花の歌歳時記」がある。一六六
回と長く執筆されていることに驚く。この号
には「あさざ」という水草について書かれて
いて内容も興味深い。また大塚布見子氏の「赤
簡潔でわかりやすので作歌の参考となりそう
彦 その求めたるもの」の連載もあり、赤彦
の短歌批評の紹介がある。一首一行評だが、
だ。このほか一頁の連載読み物として一ノ瀬
編集発行人 大塚布見子
昭和五十二年 大塚布見子創刊
淡雪のごとく積れる桜花踏みつつあゆむ
なむ病む身にあれど
桜花なぜ散り急ぐあせらずにわれは生き
菠薐草の緑は深し
霜に凍る土へしつかり根を張りて伸びる
那珂川 大久保修司歌集 冬雷短歌会
「受贈書紹介」より
の歌にひかれぬ 岩佐 香
万葉集古今集をと読み来りおのづと主宰
ならぬと思ひつつ眠る 嶺金弥士郎
馬鈴薯も花つき初むれば二番土掛けねば
(江東区文化センター)の丁寧な記録がある。
れる。巻末の「会報」の頁に四月の定例歌会
がありそれぞれ書き手の個性の豊かさが思わ
新羅使人の歌」、中村典子氏の「万葉びとの食」
理香氏の「神話の世界から」、齋藤律子氏の「遣
発行所 千葉県千葉市
行くあての無く
退院の朝のベッドに肩ほぐす巣立ちの近
ら刊行されたものが殆どという中、冬雷短歌
■砂金 二〇一六年七月号 月刊
き小鳥のやうに 木村百合子
された三首は比較的初期の作品だが、心情の
代表 田中 良 発行人 鈴木宏治 「受贈書紹介」欄は一頁あり歌集八冊歌書
二冊を取り上げている。歌集は大手出版社か
意外に巧み 永野 雅子 ☆
やわらかにワルツ奏でる師の指も戦場に
滲み出たもので作者にとっても思い入れの深
編集人 宮崎ひろ子
会の文庫を取り上げていただき有難い。抄出
いて銃持たされき ブレイクあずさ ☆
花の街十日ばかりのエトランゼ鐘を聴き
いものだと思う。
つつゆつくり歩く 小久保美津子
79
昭和三十三年 渡辺於兎男創刊
発行所 埼玉県さいたま市
人 の 日 常 を さ ら り と 詠 み あ げ て い る。 かな評を述べている。読みやすく編集されて
おり勉強になる頁だと思う。またこれとは別
ラスは妻よお前の作りし合唱団
今夜見る「BS日本の歌」のバックコー
われ存へる
父も母も妻も癌にて亡くしゐて同じ病に
立てて来る
春近き日差し輝く那珂川を入り舟一つ波
なむ病む身にあれど
桜花なぜ散り急ぐあせらずにわれは生き
冬雷短歌会文庫 刊
那珂川 大久保 修司
けが持っているものかもしれない。そして六
古代人の暮しを思ふという感性はこの作者だ
災のときライフラインが途絶えた中で遥かに
人間性が滲み出ている。五首目の東日本大震
られない作品であるし、あとの五首も作者の
ころとなった二首目の叙景歌は読者にも忘れ
川』の印象的な作品である。歌集名の拠りど
れる思いである。抄出の六首はどれも『那珂
さったことに、作者のみならず読者も励まさ
実に生きる作者を「人生の達人」と書いて下
である。病を持ちながらも明るさを失わず誠
文庫を丁寧に取り上げていただき嬉しい限り
鈴木宏治氏は「砂金」の発行人を務めてお
られる。ご多忙の中、わが「冬雷」の小さな
発行人 鈴木得能
編集人 綾部光芳
■響 二〇一六年七月号 隔月刊
桜は咲いてゐますか 中川左和子
亡夫と見し岸の桜は咲き満てりそちらも
り 三年日記 風張芳也
昨年の元旦は雪 この年は晴れと記した
かるそのさびしさは 原田紀子
一人身の自由をうらやむ友の声迎えてわ
になる頁である。
一首をどう読むかという読みについても参考
品評があり、いずれも行き届いた深い批評で、
に大塚雅之氏、宮崎ひろ子氏、内田仁氏の作
地震の夜電気も水道も断たれゐて冷たき
首目のユーモアを含んで明るさのある作品に
平成九年 綾部光芳創刊
(鈴木宏治)
闇に古代人思ふ
も作者の生き方が感じられる。様々な面から
「受贈歌集紹介」より
炊飯器皿洗ひ機に洗濯機を働かせつつ朝
引き出していただいたことが嬉しい。
大久保修司第一歌集『那珂川』
◇本号巻頭は吉田久子氏の十五首詠「時間」 「近刊歌集紹介」(編集部)より
発行所 埼玉県入間市
「那珂川」は栃木県から茨城県を流れる
関東の川である。五首目に有るように、東
がある。「ぎっしりとことしの木蓮咲くさま
月刊
の作品抄出によって大久保修司作品の魅力を
日本大震災は関東にも多大な被害をもた
冬雷 湯に浸る
らした。その那珂川下流の茨城県ひたちな
の白い小兎おしあうような」は比喩が印象的
で詩情がある。「砂金合評」は前々月号より
男の料理聞きあふ
・妻の亡き友と遇ひたるスーパーに今夜の
年
か市に住む著者の冬雷短歌会文庫から出
さ れ た 第 一 歌 集。 一 人 暮 ら し の 病 を も つ
抽出した作品一首について三名の評者が細や
5
高齢者の決して暗くはならない人生の達
16
80
(綾)
生き方に著者の真骨頂をみる思いがする。
う 作 品 に 深 い 共 感 を 覚 え る が、 前 向 き な
三 首 目 の 思 わ ぬ 発 見 も あ る。 特 に 妻 を 思
いことに気づく。一首目は微笑ましいし、
る さ が 伝 わ っ て き て、 共 感 す る 作 品 が 多
一人暮らしの著者は、癌で胃の全摘を受
け た と い う が、 通 読 す る と、 家 族 愛 と 明
に子を育てゐる
・亡き妻が愛でたる幼が母となり妻の如く
冬の日思ひ出しをり
・毛糸にて妻編みくれしセーターを着たる
自づと違ひを示す
・歩みをれば気付かぬ程の高低差自転車は
せつせと厨をみがく
・帰省せる長女は妻似のきれい好きせつせ
さな風となるとき 浅見 信
喜びは老人ホームに待つ人と囲碁打つ小
にパソコンを打つ 森 水晶
浮腫む脚さすりながらに一日を原稿整理
う心も湧ききておどろく 増田三知世
つらいなと思うことあれど負けまいと思
ていると感じた。
うした批評の中で会員への歌の指導がなされ
は作者の心を尊重した温かい批評である。こ
ている。鈴木得能氏と有田節子氏の作品批評
の連載も古典文学に親しめる貴重な頁となっ
集と仏教」、山本伸一氏の「源氏物語と和歌」
感じられて素晴らしい。綾部光芳氏の「古今
方が多かった。それぞれの作者の歌の世界が
を感じた。「作品集」後半も十首載っている
品集」があり二十首詠がかなり多く並び迫力
田春子歌集『翠嶺』の作品。次の頁から「作
歌集より二十首が掲げられている。本号は吉
・途中にて引き返さうか今日の散歩気にな
む桜ふたたび
・葉桜のわが街出でて福島へ入れば散り初
胸中を述べている。
げ さ で あ る が 生 き た 証 で あ り …」 と そ の
歌 集 の 出 版 は 私 の 日 記 代 わ り の、 少 し 大
かれている。「あとがき」の中で「今回の
二十七年まで十五年間の歌が年代順に置
著者は冬雷短歌会に入り十五年近くに
な る。 こ の 歌 集 も 平 成 十 三 年 か ら 平 成
大久保修司=『那珂川』(冬雷短歌会)
立てて来る
・春近き日差し輝く那珂川を入り舟一つ波
「新集一首」より
庫を取り上げていただき本当に嬉しい。
ことなく』の紹介もあった。冬雷の二冊の文
「新集一首」の頁に『那珂川』の書評がある。
驚くことに同じ頁に冬雷短歌会文庫の『怯む
る足と相談をする
妻を亡くした男の日常は寂しさもあるだろ
うが暗くはなく、作者には前向きに生きる明
るさがあるのだということをこの書評を読ん
廻 り あ っ た。 気 候 の 違 い が 手 に 取 る よ う
桜となるが福島へ入ると桜ふぶきにまた
一首目の歌は平成十五年に作られてい
る か ら 震 災 前 の 歌 で あ る。 わ が 街 で は 葉
年忌近し
・庭隅に母植ゑたりし金柑に白き花付く一
■鼓笛 二〇一六年九月号 月刊
で改めて思った。妻への深い愛情にあふれた
歌、また身近なところでの発見の歌も取り上
代表・発行者 松田愼也
発行所 新潟県上越市
平成二十五年創刊
げていただきほのぼのとした思いを持った。
作者の生き方にも注目した書評に私も力を
頂いた。
◇「響」七月号巻頭は連載の九回目で会員の
81
に分かる。
一の短歌」は青春期の石本隆一の短歌に触れ
・出すべきか出さざるべきか決め兼ねし賀
状一枚引き出しにあり
・日本へ進路を曲げて向かひ来る台風を制
た論考。小池正利氏、田中真一氏の「石本隆
御する日来るべし
・午前四時夜更けといふか早朝か分からぬ
伝わってくる。
・久々に娘と孫が来ると言ふ網戸洗へば小
一・この一首」の鑑賞にも魅力を感じた。石
新しき家ではポチを飼えぬこと子よ守ら
き虹立つ
・亡き妻が愛でたる幼が母となり妻の如く
ねばならぬ許せよ 小池正利
しじまを起きて居たりぬ
妻 が し た よ う に 今、 娘 が 子 を 育 て て
い る。 そ れ を 見 て い る 著 者 は 自 然 と 笑 顔
あの雲の向かふにおはす妙高山雨の名残
「 受 贈 歌 集・ 歌 書 紹 介 」 は 見 開 き 二 頁 で
十二歌集の紹介。各歌集六首の抄出で山田悦
本隆一を敬愛する熱い心が歌誌「鼓笛」から
になる。 (山本雪子)
の風を送り来 湊 明子
に子を育てゐる
の歌集出版への思いに触れている。またこの
熟したる梅の香満つる厨辺で母の思い出
執筆された山本雪子氏は「鼓笛」選者。『那
珂川』の風景を詠んだ一首をまず挙げて著者
ほか四首を抄出。母や妻への思いに溢れた作
■醍醐 二〇一六年七月号 隔月刊
ることが出来た。人からは想像できない作者
んでいただき、改めてその歌集の良さを感じ
歌集だが、その中から様々な傾向の作品を選
人間性や人柄が出ているのでなかなか面白い
子氏が担当されている。『那珂川』は作者の
品、ユーモア感の温かい散歩の歌や、気候の
に浸る夜なり 横尾貞子
違いで再び出会えた桜の歌など情感の豊かな
ろで明るく前向きに進む作者の幸せなひとと
作品を選んでいただいた。紹介の最後のとこ
きを伝えていただいたことも印象深い。
編集兼発行人 醍醐社編集委員会
を取り上げた助川幸逸郎氏の論考。さらに本
ての鑑賞。続いて同じ歌集のなかの相撲の歌
で、石本隆一の歌集『鼓笛』より二首につい
・桜花なぜ散り急ぐあせらずにわれは生き
冬雷短歌会文庫
大久保修司歌集『那珂川』 「受贈歌集・歌書紹介」より
で岡本育与歌集『秋なのに秋なので』の批評
禅寺」五首が掲げられている。本号後半の頁
◇巻頭歌として松岡貞総の昭和九年の作「王
目していただいたことも嬉しかった。
来の社会や暮らしを見つめた五首目などに注
を含んで伝わる三首目や台風の制御という未
させる一、二句によって読み手にはユーモア
の繊細な内面がハムレットの名セリフを連想
◇ 初 め て 拝 見 す る 歌 誌 で 表 紙 の 結 社 名「 鼓
昭和十四年 松岡貞総創刊
発行所 神奈川県厚木市
笛」の下に「前田夕暮 石本隆一の系譜を継ぐ」
号には松田愼也氏の解説で石本隆一の二十代
なむ病む身にあれど
とある。巻頭は湊明子氏の「石本隆一のうた」
後半の作品「カニ星雲」二十六首がある。全
て日本歌人クラブ東海ブロック優良歌集賞を
特集を組んでいる。岡田氏はこの歌集におい
歌集には入っていないとのことで貴重な掲載
・ 種子島行きフエリー乗り場の駐車場にキャ
ンピング・カーを止めて夜を越す
だといえる。またこれとは別に友理氏の「隆
82
受賞された。「共同研究 短歌と私」が面白い。
今月号は「詠うたのしみ 読むたのしみ」の
タイトルで役野昭子氏が執筆。初期の作歌で
苦労した体験や表現に戸惑ったときに受けた
講師の言葉などが記されていたり、大切にし
ている歌集や雑誌で見かけた感銘歌などの短
い鑑賞もあって生き生きとした研究欄と思っ
た。そのほか一頁で二社を紹介する「他誌展
しても記憶にとどめたい作品である。ユーモ
ア感のある四首目、孫ある幸せを率直に詠ん
だ十首目などの抄出にも読者として元気づけ
られた。
◇岡部文夫歌集『石の上の霜』合評は連載の
五十回目。二首中の一首「藁の節ひとふしづ
つの日の延びと言ひてともしむ冬至の後を」
について野崎志津代、古瀬生枝、越田悦子の
花の蜜吸ひたる目白飛びたちぬ花粉まぎ
ぬ追ひ抜かるるも 清水園江
若きらと目指すは同じ山頂ぞ歩調は変へ
自づと違ひを示す
歩みをれば気づかぬ程の高低差自転車は
ぽ一つを抱へて眠る
停電に冷えの増し来る夜となりてゆたん
かされるとあり、共感を覚えた。田中譲氏の
歳近くで既に「初老」だったということに驚
なり切れないのに対して、岡部の時代は四十
では、七十歳近くになってもまだ「老人」に
は歌集「魚紋」の「巻末小記」に触れ、現在
と感じた。三井修氏の「岡部文夫研究ノート」
三氏が述べる。読者に解りやすく深い歌評だ
れの羽をひろげて 平澤まさえ
こんなにも多くの人をすすり泣かせ君は
ゆれをりわが行く道に
「来てよかつた」妻の命日に花供へ娘は
墓石に対きて呟く
庭に花や野菜を作る喜びを神に感謝すと
言ひたりし母
犬語では時間ですよと言ふ声か散歩の刻
となれば吠えをり
「お母さん不幸者でしたお許し下さい」特
攻隊員の乱れ無き文字
自らの号令にするリハビリの足の動きの
祭壇に微笑んでゐる
望」(吉田員子氏)にも注目した
なめらかならず 小林文子
剣道と短歌は相通じるものがあるという。「竹
にわたって剣道に関わってこられた田中氏は
刀の先端と作歌感動の先端は同一である」と
「吾が剣道人生」も面白く拝読。六十二年間
独り居の愚痴や寂しさ忘れさせ笑顔もた
午前四時夜更けといふか早朝か分からぬ
■海潮 平成二十八年九月号
らす孫といふもの
しじまを起きて居たりぬ
編集発行人 田中 譲 月刊
貴重な誌面に『那珂川』の作品を十首もあ
げていただき光栄である。どれも大久保作品
「受贈歌集作品抄」より
イフラインの途絶えた時の歌なども、読者と
した歌や、六首目の東日本大震災に遭遇しラ
ただいている。五首目の特攻隊員の遺書に接
の特徴や独特の味が出ているものを選んでい
委託農となりても稲の生長を朝に夕にと
さきら従きて 松田敦子
朝光に登校の子らの列の過ぐ高学年に小
よりふくろふのひな 越田悦子
鎮守の森黒く動かぬ木のありてうろの中
いう言葉が印象に残る。
昭和二十三年 岡部文夫創刊
〇「那珂川」大久保 修司著
発行所 富山県氷見市
おいでともさやうならとも見えながら芒
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眺めたのしむ 須摩美智子
足腰の痛みに廊下這ひをれば鰐の気分に
正月も盆にも帰らず頼りなき子より新宅
見学の案内届く 菅原 優
五首目まで、生き生きとした作品を挙げてい
子氏。作者像というものが明確な二首目から
るる残暑日の食 吉野幸江
秋立ちて雑草めくも青紫蘇の香にそそら
神の催促 北口博志
耳掻きを削り終へたり二万本更に削れと
ただき、あらためてこの歌集の魅力に気づか
なりて可笑しも
「歌壇の歌集・歌書を読む」の執筆は佐野昭
編集発行者 鈴木幸彦 月刊
された。本集を丁寧にご紹介いただき作者も
■長風 二〇一六年十一月号
昭和三十二年 鈴木幸輔創刊
今後新しい歌の世界を開いてゆく力を得たと
発行所 埼玉県志木市
年間の作品。現在は一人暮らし。娘や孫、友
第一歌集。冬雷短歌会所属。跋文は大山敏
夫氏。六十歳近くに短歌を始めてから、十五
む」は昭和三十八年に出版された鈴木幸輔歌
ら れ る。 本 木 巧 氏 の「 鈴 木 幸 輔 の 年 譜 を 読
り「長風」の熱気のようなものが誌上に感じ
(三名)、二十首詠(十二名)が掲載されてお
「受贈歌集の一首」より
発行所 東京都文京区
平成十八年三月一日 創刊 同人誌
北村 功
■韻 第三十九号 二〇一六年九月一日発行
人たちとの交流や、健康に留意する日常が気
集『禽獣』の短歌総合誌の書評を紹介し、共
太陽の熱になる湯に浸りゐてうららの春
思う。表紙カバーの水彩画の紹介と歌集名に
負いなく、ていねいに詠われる。表紙カバー
通することはその「厳しい精神性」であると
の日和楽しむ 『那珂川』大久保修司
「歌壇の歌集・歌書を読む」より
は著者による那珂川の水彩画。すでに短歌が
述 べ る。 ま た 本 木 氏 は「 歌 誌 渉 猟 」 も 執 筆。
この頁は見開き二頁で四十五冊の歌集から
一首ずつあげている。取り上げていただいた
発行人 村岡嘉子 季刊
生活の一部となっている趣がある。
この号では「鮒」「地表」「ゆきごろも」各結
歌は暮し方を工夫しつつ明るくゆったりとし
繋がった作品(一首目)の抄出も有難い。
春近き日差し輝く那珂川を入り舟一つ波
社の歌誌を紹介。平成二十八年五月号のこの
た心を持って生きる様子が出ている作。こう
編集 丹治久惠 鈴木宏子 小藤和子
立てて来る
欄で「冬雷」のことを書いていただいたこと
◇本号にはいくつかの作品欄の間に三十首詠
庭に逃げわが家よ倒れないでくれとギシ
にあらためて感謝申し上げる。
〇大久保修司『那珂川』(冬雷短歌会)
ギシ揺るる様を見守る
い。
した一首に注目していただいたことが嬉し
朝夕の雨戸の開閉は向ひ家と隣にわれの
金子正男氏の鈴木幸輔歌集『幻影』につい
ての論考も読者が自ずから学べる内容で引き
付けられる。
無事を知らせる
青魚鶏の胸肉麦納豆わが身の為の食材安
し
84
▽一月号を手にするのは格別に嬉
後 記
編 集
十二名となった。三欄は新しい会
は去年の十名に引き続き、今年は
認を。特に三欄より二欄への異動
欄異動」のお知らせもある。ご確
▽同じ頁に本号よりの「掲載作品
本文
年を迎える明るい力が歌に籠った
感動を今月は歌ったが、何だか新
▽今年の表紙絵「桜」を手にした
状況である。何ぶん一人の持ち時
が、実際は「見る」のがやっとの
らは出来るだけ読みたいと願う
誌、寄贈歌集・歌書が届く。それ
大変貴重だと思います(小林芳枝)
です。全詠草から選ばれた一首は
申上げると同時にお詫びしたい。 「 私 の 選 ん だ 一 首 」 を 入 れ る 予 定
間には限度があり、寄贈の御礼を
▽寄附御礼
がその儘お納め下さい。次号には
た。写真代の問合せがありました
口正道氏に撮影その他ご協力戴い
ット写真を作って下さっている関
屋を用意して下さり、冬雷誌のカ
は冒頭の動画に表紙絵を少し追加
ことなく』を掲載した。また今回
又幸子歌集』と大滝詔子著『怯む
を更新し、最新号と同じ頁に『川
の「 冬 雷 規 定 」「 投 稿 規 定 」 な ど
▽新年度を迎え冬雷ホームページ
番だと思っている。
道な努力を積み重ねていくのが一
▽本号より「寄贈誌御礼」を断続
ことにした。次号には出詠乞う。
れ、当方より確認の連絡は控える
よほどの事情があったものと思わ
頁参照)皆様のご協力を乞う。
名増加運動」を行うので(本文
んでゆきたいと願っている。
かって元気に楽しみながら取り組
まったが、今年も自分の仕事に向
な っ た の に 欠 詠 の 方 も 見 ら れ た。 ます。慌しくサルの年は過ぎてし
▽せっかく新掲載欄への異動に
▽日頃、維持会員として冬雷を支
賀状」を今年も戴いた。新しい年
行目山菜黄→山茱萸
*会場は、ゆりかもめ「 豊洲 」駅前
頁
「 豊洲シビックセンター8階 」です。
月号
10
15
頁をどうぞ。
しい気がする。心新たに前進した
員の増加が見込まれるのでゆとり
池亀節子 横山多喜子 福士香
し新しい手法のものに変えた。今
的 に 掲 載 し て 他 誌 を ご 紹 介 す る。 えて下さっている皆様の「誌上年
を迎える言葉には体の中から力が
月号に入れて大会参加の方
▽大会の集合写真及びスナップ写
真を
々にお配りした。ホテルの方が部
1月8日( 第2日曜日 )。
第6研修室 午後1時~5時迄
*出席者の誌上掲載作品をすべて
批評致します。
*例会後に新年会を行います。
会費 1500 円
定。広く原稿を募集する。詳細は
い。作歌も様々な冬雷の仕事も地
をもたせたい。今年は「会員五十
ようで目頭が潤んだ。すっかり涙
年も皆様に楽しく冬雷ホームペー
物に対しての反響を考察すると同
しくお願いします。(桜井美保子) 意図としては「冬雷」からの出版
もろくなった。 (大山敏夫) 芽子 松中賀代 匿名一
▽謹んで新年のお慶びを申し上げ ▽誤植訂正
ジを利用していただきたい。よろ
▽新しい表紙絵の新年号をお届け
にもなり易いが、それは本誌との
んでいるだけで嬉しくなってくる。
時 に、 他 誌 の 動 向 の 展 望 で あ る。 湧いてくるような期待感があり読
交流の深さの度合を意味する。
編集後記
出来る喜び一杯である。今年は川
一年間この絵と共に頑張ろう。
▽発行所には毎日のように寄贈雑
12
又幸子の作品から「桜」だという。 という意図だと、或は片寄る紹介
▽その『川又幸子歌集』から選ん
11
43
だ「この一首」特集を三月号で予
冬雷本部例会のご案内
47
頒 価 500 円
ホームページ http://www.tourai.jp 一、この会則は、平成二十七年十二月一日よ
〉
[email protected][email protected]
データ制作 冬 雷 編 集 室 印刷・製本 ㈱ ローヤル企画 発 行 所 冬 雷 短 歌 会
350-1142 川越市藤間 540-2-207
電話 049-247-1789 事 務 局 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 振替 00140-8-92027
≲冬雷規定・掲載用≳
小林芳枝〈
大山敏夫〈
≲Eメールでの投稿案内≳
一、Eメールによる投稿は左記で対応する。
方は実際の締切日より早めに投函する。
て必ず同じ歌稿を二通、及び返信先を表
記した封筒に切手を貼り同封する。一週
間以内に戻すことに努めている。添削は
入会後五年程度を目処とする。
一、事情があって担当選者以外に歌稿を送る
名の下に☆印を記入する。 一、無料で添削に応じる。一通を返信用とし
原稿用紙はB5判二百字詰めタテ型を使
用し、何月号、所属作品欄を明記して各
作品欄担当選者宛に直送する。原稿用紙
が二枚以上になる時は右肩を綴じる。締
切りは十五日、発表は翌々月号。新会員、
再入会の方は「作品三欄」の所属とする。
担当選者は原則として左記。
作品一欄&作品三欄 担当 大山敏夫
作品二欄 担当 小林芳枝
一、表記は自由とするが、新仮名希望者は氏
り執行する。
一、本会は冬雷短歌会と称し昭和三十七年四
≲投稿規定≳
月一日創立した。(代表は大山敏夫)
一、事務局は「東京都葛飾区白鳥四の十五の
一、歌稿は月一回未発表十首まで投稿できる。
九の四〇九 小林方」に置き、責任者小
林芳枝とする。(事務局は副代表を兼務)
一、短歌を通して会員相互の親睦を深め、短
歌の道の向上をはかると共に地域社会の
文化の発展に寄与する事を目的とする。
一、会費を納入すれば誰でも会員になれる。
一、長年選者等を務め著しい功績のある会員
を名誉会員とする事がある。
一、会員は本会主催の諸会合に参加出来る。
一、月刊誌「冬雷」を発行する。会員は「冬雷」
に作品および文章を投稿できる。ただし
取捨は編集部一任とする「冬雷」の発行
所を「川越市藤間五四〇の二の二〇七」
とし、編集責任者を大山敏夫とする。
一、編集委員若干名を選出して、合議によっ
て「冬雷」の制作や会の運営に当る。
一、会費は月額(購読料を含む)次の通りと
し、六か月以上前納とする。ただし途中
退会された場合の会費は返金しない。
*会費は原則として振替にて納入する事。
A 普通会員(作品三欄所属) 千円
B 作品二欄所属会員 千二百円
C 作品一欄所属会員 千五百円
D 維持会員(二部購入分含む)二千円
E 購読会員 五百円
《選者住所》 大山敏夫 350-1142 川越市藤間 540-2-207 TEL 090-2565-2263
小林芳枝 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 TEL 03-3604-3655
2017 年 1 月1日発行
編集発行人 大 山 敏 夫