YMN004503

長谷完治
の略称を以て適宜引用・注記するにとどめた い。
さて、本稿の翻刻要領は次の通りである。
Ⅲ漢字については、﹁常用漢字表﹂にある文字は
書の書名も字母のまま残して翻刻した。
但 し、当時の使
固有名詞の表記や俗字の一部は底本のままにした個所 もある。 本
別として使用した。略字・俗字・異体字は通行の字体に直したが、
、 その字体を原
本稿においては、版本翻刻に際して参考となる部分の みを、﹁稿本﹂
もあるので、その実態に関する報告は別の機会に行な うこととし、
文字通りの﹁稿本﹂であることが確認される。しかし 、紙幅に制約
﹁比奈佐遍豆理 ﹂ 下 ︵翻刻と 解題︶
ナ/
みとか
本誌前号の拙稿を承けて、某 圓の歌文集﹁比奈佐退且理﹂千冊
一家蔵本
-を、ここに翻刻・紹介する。
本書の書誌的な事柄については前号で略述したので繰り返さない
が、柱刻は ついてⅡ記しておく。本書上冊の版心に は ﹁
序﹂ T石
川佐平 と清水 先 房の序の部分一﹁自序﹂﹁比奈
佐遍豆理 上﹂と各丁
付、下冊の版心には﹁比奈佐遍豆 理工﹂﹁趺﹂と各丁付を刻するが、
魚尾の類はない。
次に、本書工 冊に関連のある貴重な資料として、﹁京風
長歌稿本日
一冊が天理図書館に蔵されている 分類番号@ゅ︶い
︶ひ・与 S ︶。回書
㈲異体仮名は原則として現行の平仮名に改めた。
用例・通行の度合いなどを考慮して、片仮名のまま底本通りに 翻
には泉固め ﹁長歌﹂﹁文詞﹂と﹁大滝
趺﹂を収め、 巻 末の余白には
万葉集中の語﹁水足﹂﹁天仁﹂に関する抜書が八行に わたり記され
りとした。
刻した個所もある。合字類は一字ずつ切り離して翻字 した。
㈹漢字・仮名の別、仮名遣い、清濁の表記は底本通
みがあって、
ている。右の稿本の本文および欄外には相当量の書き込
その添削の跡を辿り、版本の内容と対校することによ って、それが
二五
踊り字・繰り返しの符号については、漢﹂
字、
一仮
字名
は﹁々
比奈佐遍豆理工
一字は、
﹁
﹂、仮名二字以ノ
上ト
は
﹂﹁
に統一して化
活し
字た。
雑歌 下
文字の大小の使い分け、字配りは底本通っ
りに
再め
現するよ,一とせ柏崎わたりにものす へきことありて出立ける 道
努
たが、歌題・詞書は歌頭より二字下げ、
部左
分注
はに
同類
じする て伊夜 彦山をみ さけて
く三字下げとし、改行は必ずしも底本通短
り歌
では
は一
な行
い。%高嶺には 雲 たな ひけり今もかも 採零 らむ 伊夜彦の №
に翻刻することを原則とし、長歌は句空
毎白
にを
一設
字け
分て
の
寺泊にいたりて 海 つらなる家にやとりねこのやとれる 家
続けた。
のむか ひなるは五十嵐なにかしか家なり承久のころ
順徳 院 のみかと佐渡口にうつろはせ給ひし御時此寺泊
り わたらせ給ひしをやとらせ給ひける御 坊 はこの五十 山風
氏 のかきつに 今猶残れりとなむ ふるき 家なりや道なか
し世にはみかとの御う へにてもさる﹂御なけきは有け
とかしこくもかなしくもがも ひ奉られてまつ涙のこ は れ
へるなら ひありとこそ きけ とよみて御心をなくさめけ
を めされけるにものおもひこしちの浦のしら波も立
か
分の口を用いて示し、字数不明の個所奉
は小
﹁
し口
たで
。
出るもまたかしこ きわさなりかし
誤植と解されかれない個所に
一は
と︵
しマ
、マ
底本
まの
まであ 棚今も猶おもへは袖に 波そよるおきつし ほ風 あらかり し 世を
ることを示した。
さてこの五十嵐の家は文治のころ源義経の朝臣鎌倉に
白紙・空白部分は、適宜、一一行空白一などと注記した
れられすかたにさまよ ひて みちのくへ下りし とき
その他、説明を要する個所について丸
は
数、
字を
本付
文し
中、
に
夜 やとりし家なりとそまた永仁のさわきに藤原為兼 卿 佐
本稿末尾に
任﹁
﹂として略記した。
渡の国に流され給ひける時この寺泊の遊女 祝 着とい へ
部位
遍豆
理工
り
栃尾 俣 といふ所に湯あみにものしけるに山深き処にて よ
ほしめして六年の後部にかへり給ひて玉葉集 を
なめてお
ゆく に庵
、るわ ひしき 旅疾 は いまたならはねは山川の﹂昔にを
の外に立出てみれは朝風いと寒し
昧覚しつるを やうやり戸のひましらみ
撰給ひけるとき﹂比高をは載られたるなり
処海士の子の波にかっきし言の葉の玉はこしちの浦に 残れり
かくいへるは卯月の十六日なりかくて柏崎に三四日 あ
利秋深き谷のうき 霧 たちま よひ 木の下露は雨とふり つ
朝夕の風身にしみてものかなしき山のおくなれは十日 廿
て什一日に千曲川を舩より下る水上の雪消にて永 いと -
し比肩のはしめにや長日といへるところにて堤 百 聞あ ま
日とはいかて過す へきとおもひしを三四日ふるま 、に さ
棚わすれては 雨 かと そおもふさ よ更て 岩間にむ せふ澗 水の土日
されとなほ妹覚 かちなり
湿タ されは柴のあみ戸を引 ょ せて う ちぬるまての山の おくかな
てもあり ぬへきこ、ち せられて
な
りくつれて水 おし 入 てこ 、らのさとみな水の中に
こ
りぬ 此わたりは新発田のかうの殿のしり給へる所なれ
とみにそこはくのこ かねを下し給ひをちこちの里人
につとひて 杭押上はこひて更に堤を作らむとすれと水 の
いき ほひ なほ強かりけれは事ならす日数すきぬれと見
六月の末つか た江戸にゆくとて会津の吹浦といふ所に
水 みちた、へてた、木立のみそ 青か
たす﹂ところ
たりけるにいとす、しかりけれは
那須野の原にて
棚氷 虹月 のてる日をいたみ衣手に秋風しのふしら川の 関
白川にて
狩夜た 、ふる両の昔のみ枕にて明けくまてのともしひ もなし
かりけれは
勢至 堂 といふ所にやとりける夜雨うちしきりてものす
盈秋 とのみ袖におほえて夕風のふくらの里は夏なかり
けるか、れは 千 W八千町の田畑かへしもやらす苗代 た
作らすとそいとあはれにおほえて
和あかすかし高根のみ雪とけてなと千万人の袖ぬら す らむ
、
高き尾に小簾 か、 けて遠の高嶺の雪みたらむは 興 あら
めともわか国なとは神無月のころよりいたくふるま
にとなりの行かひも小にまかせすはてはか 、るこ
とさへ あなれはやさかつもりし去年の雪うとましうな
む
二セ
二八
この水 よむかし近江大津宮の大御代にわか越後の国 ょ
糊書堂なに、あつめかわきいつる山下水もあふらなり
喜連川ちかくなりけるにとしは十にひとつふたつ 過ぬ ら
り燃土と 勝木とを献りしこと みふ みにみえ て 千年あま
村 いつ こ にかけ ふはやとらむ草 深きなすの 、原に日く らしのなく
む と おほ しきをみち子ともの菅の小笠にわらくつはき
りを経て今も柄目木といふ 所なるをはしめ てこ 、かし
m 里に住捨たる家ありあたりに大清く むかれけれは
ゆるかな
卸岩間ゆくmした水の昔きけはすま、ほしくもお
ほも
mふめしける時しる人のもとにて
こに出るなりこの天か沢もそのひとっなり燃
こ
水の
を
ゆく
三人つれたちてゆくあとにをのことも、つきて﹂
かくをさなくてなと旅はするならむと馬引たるをの こ
とへ はかれは 皆越後の国のものなるか身をうられて 是
いひ さま 吾越後の国のも の
りさきの 循 々にゆきていま二年かほとにはゆき、の人
袖ひ くなりといふけにもの、
なりけりさては人か ひなといふもの、手にやわたり っ ら
糀拮ちかき岩間の清水なにことのあかす て人のすみは 捨けむ
やまひして新発田のくすしのもとにものしけるときおと
と
むか、 るなさなきものを遠き境にあくからすらむ親の ,
、ろのむくつけさもおも ひ やられていとあはれにお ほ、
ちの松原にやすら ひて
矢澤の 早なるやはたのみやしろに きうて、おま へなる 栓
栓
牡千世経てふ松もくち木の見ゆる世に何かは人のおい をかけかむ
けれは
﹂ (Ⅱ
14
邪末 しらぬ 旅 よりた ひ にきつれⅢいかにもかれてうき しっ か らむ
一
@@1@月 ころ江戸にありて八月十日あまり麻生の龍穏寺 にて
棚露 深き麻生の寺に暮まちて影 さしのほ る月をみるか な
加茂にゆきけるかへるさに天か沢をすく北里の 出 きは
す へて越後口には椎の木は見えすこの
柵国中にはおひぬ椎の樹梢かきに
喘 かきの中なる一樹のみなりとそその木人
て末遠くかかれゆく水の上にうかへるものは油なり 里 人
くた、 へなとしてかのうきたる油をとるをみて
さ 二四あまり枝葉ひろこ りて たてるを神木とは いふなり
伊複比古神社の椎の木をよめる
㍼瑞笘にかけしけりゆく
ひさかきは久しき
せよりさか、
え来ぬらむ
を
これをともし ひ の料にすとて渠をほりわかちて末をひ
泉 ありその 臭 わき出る所はめくり六尺はかり底 清くみ、
見
長歌
-
しみさ ひ ゆくも 神随 ならし
八行空白
-
小 m 田の花見にゆきて よめる長歌
吾 見に来れ
田の名におふ山のさくら花間
m
ち手 たつさはりて高麗剣
雅章引の山のは峡の小
のさかりに思ふと
つらなる木立
陣か
なりのいとま書 みることをよろこ はひ てよめる
舌口挙せぬ国にはあれと相律日の神のあらひと
継々にしろしめす皇御国はうらやすの国と名
のん叩の
中 っ代の①
にお ひて
㍾懸巻も綾にたふとき神祖の天 つ日嗣を膠の 本のいや
みたれたる世に言 巻もあやにかしこき 東照神
し つG
ー
ゃ
たる真土
屯をよ
(
7
|
かえし の
タ やみの
花をりか
みはた
みつ きして
春されは
ねて
象 のなりつとむろいとま
王あ へる 友 とかたら ひ
ひ酒
めけゆくあした人皆の手にとりも
肝むか ふ
千万の
てに
書 の巻々見明らめときもさとして浅茅原つは
せて育った ふセ十 あまり七年を文机さらす
鏡﹂明の大人は舌口さへく 唐のまなひに
獅 いなのめの
北浜先生の身まかり給ひけるをかなしみてよめる
雄大御国やすらにすめる民にして空しくのみや世を過 すへき
反歌
ふときろかも
た ねしけくやすけくありふる大御代の大御めく
さし秋されはもみち葉かさし歌おも
た
とるも
石上ふけにし御世の古ことのあとをたつ
賎男 かとも、
望月のみちたらはせる大御代とさ
現身と﹂いまし、時に大王のしらす国中を安国 と
めまし、 ゆ
ゆ
こち 1
真山のふもとの里の垣もと
は
けは
0
やま
きの上
山
此材
出 こそはこ
いやしけき
つま 木
白雲の立かわたれる大雪
おひ 上さかえ
にたてるさくらの千万と多くしあれは杣人の
、り
にきれと年のはに孫枝もいつ、大木小木
mもせに花咲を
拷の穂にに
つもると・おもふまて見のよろしく花の香の空 にもみ ち
て
の ほり てみれは白雲と見さくるをちに菅君
はへる中をたきち竹山川清みた
ほ
みともあかめや
さひたてりしら雪と見下すかたに﹂早出川町 遠白し
るつたひ
み まく
ちら ぬ 限は
旅やとりして真十鏡
里こそはい ふせかりとも桜花
山の花の盛はよ
、しかりとも
小山田の山田の庵に草枕
のほしくおも ほ ゆらくも
反歌
朋小山田の花の盛をわけくれは雲ょ り 雲に入かと そお もふ
二九
めひ 給ひ
諸人にしめせるのみかた ふときや皇御国の千早振袖
化のことも楢の葉の 名におふ宮の古こともし
ひの御名は雲か、るす もりか嶽に
一二
O
いにしへ
水 鳥の加茂
九月 廿九日加茂の里の葵亭 かもとにて鈴屋先生の追慕 ムフ
,ス雙
天さかる夷にはあれと
しけるときよめる
椛神坂吉越の国はし
ちふ里は天皇のいます都の神山の其大神を
きしかれこそまな
鳴神の音にきこえて 天雲のはるけき 国ゆ 葦垣のまち
里 はしも
みちたる中に宮人のか つらにか
比さとの名にさ へお ひて
ゆい
家なみ しきて人さはに
はひきりりて
かき里ゆ哺 児なす したひきにけれしったまき数にもあ
、は、ほつかへまつろ
老翁は
らぬ 身なからも 人とある身はち
くる二葉草あふ
の
ひとふ 名を家の名におはせる
王かつら心にかけてあら
舌口さへくからの学に加茂川の小ふかめて川波
ふりを
しものと
ふ 道をたにきかま
まなふとすれとうつ
とはすれと皇祖の遠 つ大御代の石上ふるきて
の
大人
味凝のあやにむかしめその うしのみ たま、
加茂山の高くたふとみ神風の伊勢の国の鈴屋
のをし へを
行水
さかえ
、にさ
な
ひ辞
ひをつとへ歌おも
ひの道は木綿花の
すゑ とほくかも山に生ふる草木のいやし
円居せることのよろしも加茂川の清き河瀬
つるとをち﹂こちのみや
て
の付
かゆくもころいにしへのまな
そ のかむいやとしのはに
ぬる
穏かしこきや大人のみたまも 天かけりみそなはすらむ けふ のまと
反歌
よる
玉の年の十年をゆ きか よひ
ふはかくてもあすの 日
との|
っかふる
たへ 給ひて
ほ やけに
ほ
せみ の
世のことしけ
み﹂よしゑやしけ
めっ子の君にお
おほにおもひて年月 を 過しゃり しをいかさまにおも
しめせかはしきやし
ることをことにつ
ひぬと玉章の
や さかのむけきな
営ましく家にゆ けと
杖たらす
おもひまと ひて
露霜のきえゆくか こともみち葉の過たま
使のいへは秋霧の
さねは
らかみまつるその
けくともせ かすへをなみ草しけき野辺にいゆきてうつ
らなすいはひもとほりかしこみとを
おくつきを
反歌
の二十三回忌のわさしける時よめる
はれてかへらぬ道に君は
(
材いにけむ母﹂
Ⅲ何すとか秋野の風にそ
さ
翠は、そ はの母の命
お もの
在
玉くしけ三年へ
うつ し世を過たまひし のおよひ をり
かきか そふれは高機のは たと せあまり
ぬれと春花のさかたいま して望月のたれるみ
ぬは玉のよるのがめにも
8
ある人の賀に鶴千年 友とぃ ふことを
山のをのへの 松 こそは千世経とい
へ
久方の天
板にすこもり
よする渚にあ
い ゆき か へらひいさ
路 かけろふ鶴 こそは千世経とい へ 山松の
有さとも千里のをちもやすらけく
た
いまも見えっ、
し
おもかけは
浪王
渡 しき
」
なとり広き海辺の漠 つ
渡辺
つ
昔にや 立 らむ
と
ひ ちけいや
心 には山のみ おほくていとひなひたる国とこそおもふ へけれ し
かいひそめしむかしはしらす今は此 固い やひらけに
てたき 国
さかえにさかえて草 深きあら野の原も家さと、なりい さなとり
海なす沼も田ところになりぬれは人多く初足ていとめ
に なむ 有 けるしかはあれと越の中の境より出羽目にい たるまて
八十 里 とい へは く ぬちの 人 たほかしこは信濃のさか ひ @ 、はか
みつけぬまたは陸奥につ 、けるはいつれの m 川何の里 そといふ
一一一一
)
オ
10
さるあしたつも君を千年の友と見るらむ
-
てう
しなさかるこしのみちのしりといへは遠き境にてまた みぬ 人の
越の道しるへの字
れ
かはれるは我見なりけり老の浪
)
財
(
そ
し世にかはらすなから﹂
心にかけて
数
聞 つることも行水のはやくわ
王 かっ ら
友と
一九行空白
千
午
五十にこえて見しことも
大かたのわさもも のうく
ひも
末と
文詞
き
反
歌
ほ
すれて
いたつらにうすき光をか
めかね っも
こ、 をしもあやにかなしみうちな け
天 かけりみそなはすらむそこをし
窓のともし 火
ちなき身とや
ふみ も よ れ
なくを
もあやにかしこみ
きしなえ う ら ふれにはた つみなか ろ、涙と、
反歌
邪如在のしけ みとひく 、ほと 、きすなれも昔をこ ひつ、 やなく
述懐 歌
つきて
獅うつせみの世の人われはかにかくにものをそ
おもふ お
こそはものもはさらめおきっ 鳥 かもめをみれは
あそ へり
反歌
糀波の上にうかへるかもめおきへより世にたつ我をい かに見るらむ
279
とりてこれにあはせ 郡 々はいろをもてわかてり 一たひ開きみれ
もて越後日にあは す とある 古 ことによりてかの国をしもうつし
にかきとりしかのみならす続日本紀に天平十五年二月佐渡 回る
あるは浦のさま滝のけしきなとのおもしろきはその 処 々にて 絵
嶺 をきはめ 里といへは野の未谷 のおくまてもたとらぬくまなく
と七年国の境をはしめ m とぃへ はをみね 太 みね雲をし のきて一号
ことは﹂誰かよくしる へきこ、に我友 小泉英明国内をめくるこ け
ひと 夜 ことのつい てにあるし我家を月の屋といへるよししりき
ことにかならすとひて書見 歌よみかたみに心をなむやれ りける
し おのれこの め しとはうるはしくて こ、も のとし戸こ 、に来る
植て 秋の野らお ほ ゆるに 蔦 かつら軒にはひか 、りてあはれふか
す、きをみなへしきちかう ふちはかまなと目なれたるかきり を
て木高きを よる こ ひ柳はしけりて陰のひろきをたのしむ草は萩
いの本草も枝をため葉をすかすことをこのます松はおひの ほり
歌よ むことをこの みてことに心高くいさ、めに植 おけるせんさ
一一一一一
は家を出すして国中をめくりともし火のもとなから境 をしるは
ありけり
いとめてたき宝にそありけるされと吠鹿ひとつの里の名をもも
の端を出る影には直 むかひいるかたをしむ窓も﹂
やといふおのれこ たへ けらく
m
いてや春の夜の理 夜 には霞をもれて花の梢をわたら ふも居 なか
紙七 ひらはか り にて せ Ⅲ
はき窓のうちまたは旅行人の料にやすからぬをあかぬ @﹂と、て
も さす 書っ のたれは広く長くつきたる﹂
これを ち、 めて 一
ひらの紙に写しさて道のつきお もしろ き
らしていとす、しきにほともなくあ け ゆく影をやを し む らむ 秋
は m 端 出るさや け さより せむさいの草葉の露に在 萌め あはれ な
らに見るへし夏の夜は北の海原はるとおきへの波 に光をち
ろなと す へてふる き書によりて考へつはらに着とりて @﹂しの道
るさなかめ冬はさえ竹川 つらのあらしに水底のこ ほれ る影 まて
所 かしこきところ山川宮寺湊駅村里古き城のあと歌枕 0名とこ
しるへと 名 つけたるはくはしくもあるかなつとのたりとこそい
三
うく ひすの言葉
してよとこは る、き 、にかきつくときは文政六年九月
ことわりきこえ ももむつかしきにいかてこのことつは らにしる
ゑみてさりけりいまよりのち名のゆ ゑ よしと ふ人 あらむに
も 見過さねは宿の名にしも おほ せたりけむとい へはあ るし うち
勝良 かもとにてかける 円 堂の 詞
きつくる
二玉木
いりつと ふ舩 江の津の川つらの町に年経たる 家ありそ の家の名
l
を 月の屋とそ いふあるしはいにしへまな ひ に﹂ こ、ろさし深く 拐
利
けるもの
、しとや ほ こ ろ らむ
春来ぬと人はいへともうく ひすのなかぬかきりはあら しと そ ね
もふとあれはめっからも佐保姫のしたにた
ほ これかし声高からは人まいてめて つへ しいきとしい
、歌よむためしにまつひかれたるはこと鳥のおよ ふへき ことか
しきは 誰
いそきはしるかりけるよへのなこりのむら雲に山の木 エは猶は
のかなれと麓の小田にうたひつる 、声とものにきは、
月といふことを題にて
もみな秋のたのみはかくらむとき、なさる 、そをかし
五名所
こその春は よ し野の
の月をとおもひたてるは文月甘口あまり﹂八日なりけり いそく 勃
てきてやみぬるも世中のなら ひ なりや さらはこの秋は さらしな
さ はりい
m ふみして世にたくひなき花を見 しよりわ
は人来鳥とは梅のたちえや見えつらむと よ める よ り み や ひたる
すれかたくて 猶 この春もとおも ひ つるを心にもあらぬ
て 、は君 ほつか へ
人の ょ ひそめたるにやあらむ谷の戸にこもれるほとは かしこ き
人の世をのかれたるにもたとへてむさる 人い
世をまつりこち中々に心のいとまなからむをなれはた 、かすめ
ともなき旅にてこ、かしこにあ そひつ 、八月十四日の 昼 っか た
かの山の麓につきれこそのよしのとはやつかはりて 山 も高から
ま
かせて 声 おもしろく鳴 わたるこそかしこき人の世に出 たらむに
すたとりやすき山路なるにころしも秋のなかはなれは 千種の花
る野山より梅 さく 園竹 のはやし 人 けちかきあたり﹂
はまさり ぬへ けれは桜をわきてねくらと せす 竹にや と かるとい
らす
咲 みたれたる中にをみなへし 一もとをかしうてたて り
一夜辣 てゆかましものををみなへし月見に来つる m 路な
ひおけるもあたなる花のいろかをにくみとこ し へに み さをのま
たきをたのめるにやとまためてたし
おとろきてみれは 此あたり近しとおもはる 、人のかた ちなりさ
はとひとりこてるをあなさかな花のこ 、ろもしら すて といふに
よ へほと、きす 二戸激声おとつれたるになこり めかし・ っ板戸 お
てい へらくいつもあすの夜は此出 にあかしつるをことしは三夜
早苗
うちし
0月をとて けふ より出たてるなり同し心の人ならは道 しるへせ
し ゃりしかはやかてはらと 降来るむら両のやう
きるにいまはとおも ひなりていりてふしぬるかいきた なうて 辰
いかならむ旅寝の秋かかはかりの月をたもとに君はやとせる
のみれよりさし出る月のおもしろきにあからめも せす 見をり
m にの ほ れはほと もなく東 №
むといは る、か うれし﹂ さ にともに
雫 こそす、しけれ 見わたしの他のあなたなる小川を蓑№
はかりにおき出て見いたせは前栽の青葉しけれる梢ょ りうち、
りたる﹂
着たるをのこともの小舟にわか苗 つみて 引 ゆくにそを りからの
一一一一一一
とこの人のい ひ けれは
、ふけぬ
あすの夜はいさまたしらすこ よ ひまつ 世 にたくひなき影 とこ
そ みれやっれたる袖 こそくちをしけれなと かたらひっ
ともおほえ ぬに月はかたふきて西の m にい りぬ あかなくにとわ
ひなから柴のいほのあるにいりてふしに けりこのほとのっかれ
い ひた うへ なとしつれ は 暮 ちか う なりに﹂
)
巧
にやいきたなくて午はかりにおきいて、谷 のなかれに水をむす
ひ 心のとやかにかれ
けり空ははれわたりて塵はかりのくまもなくさしのほ ろ月の光
こ、 らの 年 なかめこし影は物にもあらすな むお ほえ ける
世にはた 、影をうつしてをは捨の山にや秋の月はすめらむ 又
ひとり
三四
さいはむかたなく袖の上の影こほ ろ 、はかりになりにけり化人
もうちわ ひなからことしはかりかはまた来む秋もあれはさのみ
はなとなくさめかはる 、をりから 初鴈 の鳴わたりけれは
m
の円 みむと
鴈 かねきかはおも ひ ﹂たち
か、 りきとおもひい てなは月見よとまた 来む 秋は鴈にっ けこ
せとぃ へは化人
もろともにまたこの
てよとい ひ かは すは とに明はてぬれは山をくたり てわ かれにけ
大老人
、へ つれは いふ も か
武内宿禰の六つきの御代に仕へまつりてあめの下にい みしきい
さを、たて給ひけむは末の世に神としもた
し こし尾張 浜主の連のも、ちまりとをの翁にして長寿楽の舞 っ
まえとい
秋 ことになれこし月もおいそ ひ てなかめ わひ ぬるをはすての
りさるをかくのけは人にいとはえかくのけは人に
かうまつりて御衣給は り しは世にたくひなくめてたきためしな
露に朝日のきらと
山こ ょひ はことに名におふ 夜 なれは人もあ また 来あひて をかし
さもうちそ ひつ 、あくともしらす水草の
にしへ人のい
かしきことを﹂き、しられはかたはしいひて人々の わ
へさらぬま とゐ にも 今 やうのを
ひけむやうにふりまさる身はとりところ むきなけ
うつれる さへ そまた見ぬところのさまなりける二夜をこ、にあ
きのみせられて花のもと月のま
|
た暮にけり こよひ は 蝸
かしつれは 別 たるこ 、ちして木陰によりて木の実をひろひ岩根
なったひて奈を﹂とりとかくするほとにま
耳 かたふけてとひき、なとしっれはむ っかしかりて み なことか
たに居よりてひとりのこされたらむは何かはう れしか るへきい
(
かりありていて来る月の影ものかなしく 秋 の最中も過にけりと
きとしいけるもの、中に人はかり久しきはなしとかけ にみとり
人もなけれはいとしつけくて草葉をわたる秋風 た 、ならすとは
おもふにまた化人のめすのわかれをさ へとりそへられてあはれ
臼
ふりわ
のからち 、かひとつもむく い奉ら て,﹂、らの年月迫来しを セと
子のまた舌たみて物かたりするほとうつくしうやう
せさきの秋めきかり給ひに きさるはとみのやまひにもあらす さ
きの年の夏のころより 側 な らぬ 仰けはひなれはを
りとひ奉
け髪のをさなきとちの 物ま うてなとにきぬともよそ ひ てうち つ
っ へし さて
れともとよりもて し つめた る御本性にてた、いさ、かとの給は
れゆくを老人なとはみおくりてほと涙もこほ し
もの、あはれしりそめてはひとりくらふの山をこえ 浅 茅か 上の
するものからおとろへ給へ るやう なれはかにかくに薬のことな
﹂ や 、すくよかになり給ひ
にけりとしかへりては春めつらしとめ
とす、め奉るに神血月 はか りよりおこたりてしはすのほとには
あかつき露をわけそほち草まくら旅にと思ひおこして はよし 野
の奥もとほからすつくしのはてをたとりても 足 た のか らす﹂ お M
へし ね みて屋の ,っちをた
ゑみ さかえ給へるに 方 おち ゐぬかくて二月やよひも過て卯月の
ほえしも終には 若 くちて 髪 しろくはた
に心にはまかせぬを誰かはなけ か さる へきた、 歌ょむ に 老か 身
へておのれかくて侍れはさるかたのことはおほし捨給ひてよ と
なかはよりふ た、ひ こその けになやみ給ひなから 猶なりはひの
きこ のれはいとうれしけに うち ゑませ給ひつ、さらは小のとか
弱 さ ひ かしらの 霜 なとい へはひとつの言葉のたすけ と なるのみ
にをとてそれよりはふつに 世 のことかへり み給はす五月の末 よ
なれこしかたにか、つら ひ 給ふか 心くるしけれはとかくこしら
たらち ね のは、のめくみのたふとさは呉竹の ょ の人み なひとし
り 終にうちふし給へり ける にいと、 胸 ふたかりて 薬 あた 、ぬ か
そとりところなりけ る
きものからうち日さす宮の中やむことなき殿のおくに 住 給へる
ゆなと調しまくらへあと へにさふら ひて心のかき りみ あつか ひ
は 、その 蔭
なさなき
ことしはる 財
、も はしめ 仕うまつる八 % ほ かれは
御 ほとにもいたかれさせ給ふことなとはありやしらす おとなに
奉りつ 、人しれ す夜深く出ては神のやしろに れ
一日 二日は
う へにはめのとま
なり給へるにつけてはおなし殿にもすみ給はぬとかさ らはたら
けき国の御 仏 のみかけをたのみき つれるしるしにや
た ひらか なりしをまたおもくなり給へれはいかにともせ か すへ
しらすた 、大空をあふきてそいきつきけるさてもまたおもひか
い やしき き
はなむことには、のがたつきは おほ かりけるおのれら か 上にし
へしてこ のころのあっさに屋のうちむす はかりなれはことな き
ては、のいつくしみの深さはち ひろの海も猶あさし と
一二五
は しるも
まきかすならぬこのはかなき伏屋の中にか、みさる
き﹂
ち ねの 仰 いたつきものとやかにこそ﹂わたらせ給ふらめ しった 朋
セ
へかたし秋風 す、
しくなりゆかはかくの みやお
は
稲 Ⅲ惟 清かもとへ
三一ノ
山、
たい め 給は り しは 三とせはかりにもや 成 ぬらむつねに めかし う
人の身たにた
せむとまちわたりしを文月のなかは よ りた、 ょ わりに ょわり給
お らひ わたりぬれとかへりにたにもといふはかり ちか きさか ひ
)
しのひて 肺
ひて八月十六日引いるやうにてうせ給ひぬその夜より し そくの
らすは となりき、給ひつやこ、には
そ ふる木立も陰このましうや 放 つらむ ほと、きす は し のひ土日Ⅰ
り
若 かすむやとのかき ね のうの花のゆきみまほしと﹂
にも侍らぬは
ひ出れは世にいまし、ほとは 御こ、ろ
かへ すなら ひも あ るな なと
ほと、きすまたしのひ昔はまちも せしきかまほしきは 若 か一
こゑ
楠山 之 におくる 文
小山田の山ふみのういてにとはせ給ひしを り 契りっ
る こと、も
にあまれる ち 、九十にちかき おはのかませれはか ひな く 見え も
はわすれ給はしとこその春もことしも待 わたりつる ほ とにあし
ぬ とか お
た のふへ とさえまさる霜月になりにたりまことや此夏 はかり 良
ら
ま
せ
す
お
ら
か
ら
お
た
な
二月十六日に法のむさいとかまむとすいま我世をやす くあり経
寛禅師うせ給ひ 司っ、 きてまな子の君も身まかり給ひ
ふ
くれて 聞侍りてうち おとろかれなからは ひ わたる へき ほとにも
りぬ
ら
るももはらたらちねの御蔭なれはいかさまのまうけす ともあき
ひき
ね
の上おしはかられ侍るになむあなかしこ
らむ 何 かなしみさこそなといはむも世のつ ぬ なりやい まも 御袖
一重たにたへぬなみたをふたしへにかさねていかに袖ぬ らす
侍
たらねと身のほとをすくす へきならぬはた 、例のさま にいと﹂
な みてしのひ奉るになむ有 ける
たのみつるは、その蔭のかれしよりぬれしたもとはほ す
もなし
春くれはわきてそしのふ千代まてとたくへし松のいろ まさる
にもありしみかけはな ほわ する、 世あるまし う なむ
侍
もはたふけうなりとねむしっ、八月のころは さ はりあ れはこの
しはセと せの忌にさ へなりぬれは 常 よりことにかなし きを セ千
とにかけては筆をたにとらさりしを悔 てかへらぬと し 月 もこと
とりあつめて涙のみた、落におちて 三とせはかりか ほ とは御こ
藤を 、るゐや をしり島にしては ゑ を
にたかひつるをりも有﹂けるこそおろかなれけたもの
りゆく日数にそへておも
もの 来 つとひて立さわくにおのれはうつし心もがかりし をうつ
酎
九
十手はか
、まほしきこと
世の中のわさ何にまれ 拙 きは 品おくれて見所なきもの から大か
たはさてもあり ぬへ した、誰もよくなさまほしき は手かく
わさなりもとよりよき人のよきことを よ くかきたるは・ っちあひ
きあしきはとまれかくまれ よく守りてみたりならすこ そか、ま
ほ しけれ 此 ころ見付の里なる渋谷北洋かもとより尾張 の国の人
に 見せ もとておのれに文辞かきて﹂えさせよと く
き 、 に着てやりつるは何の言葉なりけむわすれにた れともと
して日を過しけむといふか ひ なくおほ のる わさなりけ りまた さ
はいま
けむかの
より手のわろきかいそきて さへ書たれはいとみくるし く やあり
しもあらぬ人のう ろはしくもな ほさりにもつたなからす書 たる
いまいかにすとも よ くは 善うましけれと心もいれすし てかきた
旭
はことに 目おとろきてかたはらつめくは る、 をそのよ くかける
るかわろきなる
てそのきは﹂ことにおほ げろをさる人の手のわろ き は伺 わさを
0 品ありてもしにうとくて事といふものより見まか へ てたしか
にも心を用ひらるれはこそかくはおとろかし給へる な
美人のかたに
へな う くへ きこと、 かへす
おこせくれたりわろ きもの、
うれしくて こたひ ﹂は ,
るへ けれ
へしこのめし手よくかきていさ、 めの 筆すさみ
一ひら書なほして よといひ
めしのもとより人の国にものせむにはおもて ふせ なれ
ならぬさまにかきたるあるは古き歌なと書たるにもも しのたか
こは筆の道のみにもあらす万のめさその道々の人につ きてをし
工
ひたるまたはおの かよ める 歌 ふみこと葉なとのむけに つたなき
はかはかりのことに心もえさりけりとおもふに 心 おと りそ せら
ておほ ゆされ とまなひ のち 穏
ねね へき 学深くかとある人のはかりそめの手なら ひ に もまこと
のす ち をぅ しなはすみところあり﹂
しや手はわろくとも 一くたりのものをもつとめてかき たるは ぅ
といとかたけれは手かくことたにもよくなさまほしか
にはたきもの、かをり衣にみちてものおも ひむ けに ぅ ち ふるま
に時を得たるとなりけりあしたには柳の黛細くかきた れゆふへ
と秋の日のあつきとをみなのかたちう ろはしきか君の かたはら
世にひさしからさるもの 三ッありとかさるは老のすく よ かなる
ち見るにははえなき やうなれと守れる所のめかしくそ 有ぬへき
へるもや、 さた 過ておほえ おとろへぬれは 人 けと はき 宮の中に
こ
さるをもとよりわろきか あはつかにはしり書にまきら はしたる
むなしき月日を過して尽せぬう らみをと、 めあり し にもあらす
からたけたると手かくことをよくするとこのふたつを か ぬる
は心のほとおしはかられてあさましくそみなさる へきす へてよ
三セ
かたちのおとろふるかおほかるへしさるをこのかたは そのさか
りの姿の髪 すちお もめよりきぬの色あひす へてあらま﹂ ほ しき
や
かきりを尽して 百とせの後も ゑまひ め てたくかたちきょ ら なれ
はあかすた、むかはまほしとみ ゆ るは
たかく鼻 ひき、女のかたかきた るに
刺
よみ 歌 よ な 人のまた うひ
みも -
三八
しきなとの家にみ ・やひたる 名
しく﹂ ことえりをしつけ
(
)
ク
まうけてわ 桝
・
なっ くるは 此 ころのならはしにやあらむ ふるき 世に ・はさること
あり ともおほえすこと 1
たく しならすさるましきものにも書つけてかたはら いたき 心ち
る、 もあるそかしおのかとも赤らのた、雨風を し
せ ら- のくまて
なるふ せいほのまけい
工頗
おもひかけぬを す のすきかけに人しれ ぬなさけをかはしあかす
とも楢 いはてやありなむ よ しなき とと、おもひて 年 ・ころ退 ける
とい ふもしはおきてま 、の屋 と書給 へとこ た へたる
のま:の 屋とや聞けむ長 かむなり といふにおも ひつ きていな筆
もひ めくらされねはた 、筆のま 、にかき給へといもへけ るを 筆
とと ふ なしとこ たへか もさすかに て かた ふきぬれと とみにもお
かい ひ 給ふ
は は何とか は名 つくへき草の 庵 かやか 屋
わかる、暁の鳥の音をうらみてもあたなる心のすさみならは後
へ
なあ -8
人とひ来て物かきけるつい てに屋の名は何と
はるの花人まとはすもひとさかりな にいつまての色香なる
いかにうからまし
き
十三メご ろ ひき レⅠいふ りもの、ふゲた
書たる
春の日かけうらとのとやかなるに 翁かかたにのりゆくはも
さり やをかしくもあるかなと は打おのれもうち ぇまれてやかて
めはしのは 朋
のおも ひなけなるものからや
き 、0尾とそ よひそめける時は十政の十年あまり 一と せといふ
、青みゆく山の木の﹂
てやはある へきあらしはけしき秋の夜はふ せや のうちに木の葉
年の みな月見のまとかみっからしるす
書見るに心ゆくを り ふし
ころよひ のほとはものにまきれ れ へし 夜 ふけてとも し火の影 し
るそよき紅葉かつちりむしの昔も心 は そう夜寒 一になりゆく
居た -
へるほ世をのかれたる人のこ 、ろは へなる へし ふみ・
2 むはた 独
うと静なるをうれはあるし 静なるをうしな ふ に・似たりとい
きら -
十五
をたきたるあたりに寒さはおほえすとも 山 ふところにあまたこ
そりたらむには 猶 おとり ぬへ しもしこれかものかは、
山なから世にましらは ぬ身 なり せはこのみのかすにものはお
随亭 のこしⅠ叫は
もはしとやい ふへ からむ
十四
ことさ へく唐 まなひする 人はもとよりありもやしけむ み 国のふ
さしむか ひ おもふ こと残りなくかたりあ ひたる尋のう へなとあ
川瀬を舟にてくたりゆく酒のむ人は酒のみなからきし ねの花 と
にこそ
とひうく
つみ
と咲 っ
にさせるふしなき ふみも見もてゆけはつれのなく さ むもの
ひかはしけるまた江戸の事
けれは 此大江 翁 にしたしみ
に そおもむける しか遠くへ
ありけるを後に は都にすみ
といふ入首けり 化人音よ も
まれらなりけり こ、に
き身は師により てまな ふこ
、かしこの行か ひ にも寄を
れは昼は文机に より ゐ よる
ち 鳥のか、 も はしき中にし
しけくなりぬれと春秋の花
へきおほ せこと をかう ふ り
たりにや四十あまりのころ
にのみ心をつくしからりし
はその 翁 たちのも と よりこ 、に
との 弱 さ 、なみの やの 翁なとに
一のたよりにつけて
りてももとおなし
をもを しへ さとし いにしへふり
をこのみてわかきほとは江戸に
はより 遊 ひかたき 屋る 大江廣海
ふくかたら ふへ き友はたいと
よかけるしかはあれとい とまな
ともし火のもとに
さ、むら付 いさ、 かのいとまあ
ちをあはれと 忌 ふ心深くしても
て のちはお ほや け・わたくしの事
・の
殿 より里長のつ らにくは、 る
たつき給へるその まこ 、 ろ のい
めやかなるに両のふるを りそ 心ゆくかきりなるへき 春 夏は野山
けつら ひ てもたか ふふしもなくわれはか ほ にあやしきときこと
も 二たひ 三 たひ 文 かよはし
とねもころにそ 、 め かされっ れ
1
用ふるにたりなむとい ひけむも冬はまな ひ のす 、める
こ、ら ゆ ノⅠもの
む旅の宿また思ひょらぬところに日をかさねたる さう
十六
春の日かけうらとさして大川のへの菜の花はる
ろ、 中になにその物 かましるらむ 点 ともの
、きたる中に処々桃の花のみゆるころは水 かさまさり て木
水沫のなか
%
しまた心あひたる﹂友 とち
へ
猜
︶
」
も 見たらむはことにをかしかりぬ
(26 ウ )
のけしきに心をうは、れて夜さへしつかならす﹂三冬
、もをし人のう へなともい ふ に す へて同し りなるさてはしめや
は友もお ほしえ いてた、し
わさにか、つら ひ ておもひた 、
白
(
にやあら
かに雨の降たるに ふつ くゑ によりて書みたるまた ふ みてとりて
とれいのしけい とのしけ き
すかひて 身 まから れにけりかく
クし
ー
おもふこと、もて なら ひにするも雨の日はましてこ 、みのり く
さるほとにかのうしたちも
月 のころより﹂ こ 、ち何 ならぬ 堀
ノイ
ぞなりと
そ かし
て天保の八とせといふとし
に神無月の十日 あま
- り三日の日
三九
さまにてあっしくなりゆき
-T
放 ち、の 翁 わか 、りしほとは家まつしくてひた ふる に なりはひ
四
に 六十余五 つにして世をさり給ひぬそのいまはの時に
ノ
あらし吹夜 な Ⅰ霜の寒けれは冬の、くさと身も枯 ぬ へしと
かきと、めてはかなくなり給ひにけりさて年ころよ み おける 歌
を書とめてめっから比奈左遍 豆鹿と名つけたる巻 とも ありいて
やち、の 小はしらる へきにあらぬと世のかきり心をか けしうた
ともを﹂ た 、におしこ のおかむもさすかなるにをり に
ち、の 吾兄まほしといふ人もあるによりて一巻となし おきて 見
せむ とそ思ひなりにけるこ 、に吾友 加茂の里の小日向 中清みや
こほ の ほり てなには伊勢尾張を経て遠江国石川鍋のも とをと ふ
らひ てやとり ける をりしも 放 ち、の 尋 いさ、かみせ け れは家の
四O
﹂ (%4
﹂4
倣
万葉集
零 -
衆会蔵板
良人 澄
三とせといふとしの文 月越の道
心のこめかたくてなりけり見 0 人そのひなさへつりの つたなか
らむをはなとかめ給ひそ嘉承の
四行空白︶
-
一一行空白︶
一四行空白 一
のしり五泉の里人
Ⅰ
注Ⅰ
、左の万葉歌を意識しての詠出であろう
伊夜彦於能 乱神化 備 青雲万田毛引日頃臭味督促
①この歌は
たること、 いはれ﹂けるよしかへり来てかたらる 、に田
巻 第十六一
なりに深く心をいれたる人の月花のあはれ過さすよくも よ まれ
てまたのとしかの葉ともを遠江の国におくりてこれか さ ためを
②本誌三山辺
国 、雨 か 崎に 草 水の
道ヒ 第三十三号所収拙稿六四頁上段 の注⑭参 照朋
とこひけるにおほくの中ょりこれかれと え らみ出てか く もやと
③菅江真澄の﹁粉本稿﹂にも﹁こしのうしろ
あふ らの 泉 あり、是をくみて、わらにひたして火と もしとした
てかへされ ける をやかておのかつたなき筆に着とりて 一一巻にな
してさくら木に ゑりつ さるは何の集くれの 集とその道 にいたり
っ代の | かり菰の
たらちねの親につか ふる
一
稿本︶。
干
ち、は、 ほつかへまつろ
④中
⑤
一
稿本一。
八六年七月刊一八二五 ¥八二六頁﹁天ケ沢 新田﹂の 頃 参照。
り﹂とある。日本歴史地名大系 巧 ﹁新潟県の地名目 平八社一九
ハり葉
ともを 一とち㈱
深き人のものするになすら ふへきにあらす枚文のなり はひい そ
しむいとまにはよみいてかきつらねたる﹂舌口
にしてありし世にしたしくかたらひし人々またさり ぬ へき あた
り なとにま ぬちせ むとの 心なりこれはたち、のみかけ をしたふ
オ
⑥九月 廿九日| 天保四年九月廿九日
追慕会| みたま、つり 一
稿本 。
⑧かしこき 下す すの屋の︵稿杢 。
稿本一。
り、長歌及び文詞を収む九一一・二六 |イ右こ
この﹁泉圓 長歌稿本日の内容を、歌題・詞書など 仁 し・稿本に
書き入れ・添削後の訂正された字句︶によって示すと 、左のごとく
なる。︵︶内の算用数字・漢数字は、本稿において 翻刻した版本
また、本文の欄外に﹁除く﹂と記したり、本文中の草 稿 歌詞の上に
歌|述懐歌 一百井短歌︵稿本一。
勝良|新潟の玉木勝良 稿本 。
斜線などを入れて削除する旨の表示がなされている 歌詞そのもの
⑨述懐
⑪玉木
| 早苗といふことを 一
稿本-。
0通し番号である。なお、本文の小異については特に 任記しない。
⑫早苗
は、ここには翻刻しないこととする。
⑩波のうへに 。 波のむた 稿本 -。
⑬﹁稿本﹂には、この後に次の歌一百 が記されている
長歌
小m 田の花見にゆきてよめる長歌︵ 柵 ︶
えゆく
雨雲のはる、端山のふもと田にさなへとる子か生そみ・
⑭ 嘗 ておくりぬ|書 ておくり侍りぬ 一
稿本 。
百五反歌︵
反歌︵Ⅲ︶
盟︶
前半 ノ歌何 %異同アリ、泰志 ハある 人ノ注ヵ ︶
泰志ある人の賀に 鶴千年友といふことをよめる︵ 糀 、但シ、
同右@反歌︵版本ナシ︶
煙火のもとに書見ける 夜 よめる︵版本ナシ︶
芭
ハ回
述懐 歌 一百井短歌︵ 邪 ︶
朋︶
︵補注一︶
稿本﹂一冊
本稿の冒頭で言及・紹介した天理図書館蔵 ﹁宗国長歌
ほ ついては、夙に先達により、左のごとき明快な解題がなされてい
漢書文部 第
る 実理図書館叢書第十五 輯 ﹁天理図書館稀書目録日和
同抜 礼装綴改装 付表紙
ハ頁
券チ
昭一︶。
二 昭和二十六年十月十八日天理図書館編集・発行一四 上
泉固着石川 依平選 京人桂編自筆
月色十一
面色反歌︵
北浜先生の身まかり給ひけるをかなしみて よめる︵㎝
大
セ才
寸九
二
分分
五四
寸三
才分
四四
題
分
周
奈の
左
双肩
辺
薄沢御
辺付
書名
罫同紙
内三
題な
十し一丁
一見圓は越後日蒲原郡 五泉之 里の人、天保八年十月十 三日残 、
筒芭
反歌︵Ⅲ︶
勇人澄その詠をあっめ石川依平の意見を得て 編せし集 の稿本な
四一
天保四年九月廿九日加茂の里の葵亭かもとにて鈴屋先 生 のみ
糀︶
き 、つりしけるときよめる︵糀 ︶
面色反歌︵
糀︶
母の二十三回忌のめさしける時よめる︵別 ︶
同色反歌︵
口ロロロ か耳しひたるに︵版本ナシ、上記ロロロロ ハ人名、
線二テ抹消セリ︶
浦島子のかたに ょみてかける長歌︵版本ナシ︶
棚︶
なりのいとま書見ることをよろこはひてよめる︵批 ︶
同色反歌︵
文詞
越の道しるへの 序 ︵一︶
新潟の玉木勝見かもとにてかける月立の詞 ︵二︶
随亭 のことは 令 9
うくひ すのことは︵三︶
早苗のことは︵四︶
名所用といふことを題にて︵五︶
時雨の名残︵版本ナシ︶
亡母セ年の忌にかけること葉 ︵セ ︶
書見るに心ゆくを り ふし︵主 ︶
た
縦
手はか 、まほしきこと︵十︶
稲川惟 清かもとへ︵八︶
美人の図に︵十一︶
老人︵六︶
心ゆくもの︵十六︶
楠山立におくる文 ︵九︶
さくらの 辞 ︵版本ナシ︶
大滝 抜 ︵祓 ︶
︵補注一%
四二
士人叫
口
﹂Ⅲ
本稿において翻刻した﹁比奈 佐遍豆理ヒ 一家蔵本一下 冊 ﹁Ⅴ
W
橋東精舎蔵版・架蔵 一では左のご
部 冒頭所収の﹁越の道しるへの 字﹂は、小泉真明 著 ﹁越道 しるべ ヒ
初編 文政元年六月北越下合
とくなっている。
越道 しるへの 字
しなさかるこしといへは遠きさか ひ にてまた みぬ 人の 心には山の
み多くていとひなひたる国とこそ思ふ へけれしか いひそめしむか
しはいかにありけむしらすいまは比国いやひらけに ひ ちけいやさ
かえにさかえてや ち草のくさしけかりしあらの、原も 衆星となり
勇魚取海なす めきも田となりぬれは大多くものたりて いとめてた
き 国になんありけるしかはあれと越中のさかひより 出 羽 にいたる
まて八十余 里とき け は く ぬちの 人たほかしこはしなの 、境こ
かみつけまたはみちのくにとなれるはいつこの山川な にの 里 そと
いふことは誰かよくしる へきこ 、にわか 友 小泉英明く ぬちをめく
ること 七とせ国の境をはしめ山とい へはをみね太 みね かしこ き も
雲をしのきてたか れ を き はめ 里といへは野、すゑ谷の おくまても
たとらぬくまなくあるは浦のさま滝のけしきのおもし ろきはその
処 にてみなうつしつしかのみならす続日本紀天平十五年佐渡口 を
もて越後日に井すとある 古 ことによりてかの国をしも・ つ つしとり
てこれにあはせ 郁 々は色をもてわかて り 一たひひらき みれは家を
出すしてくぬちをめくりともし火のもとなからさ かひ をしるは よ
にめ つらしき宝にそありけるされとふ せい ほ ひとつの 里の名をも
、もさすかきつのたれは広くなかくつきたるかみ セひ らはかりに
お
てせ はき窓のうちまたは旅行ひとの料にやすからぬをあかぬこと
とてまたこれを ち、 めて 一ひらの紙にうつしさて道の つき 1
もしろ き処かしこきところ山川宮寺みなとうまや村里古き城のあ
と寄枕の名所なと す へてふる きふ みによりて考へつはらに着とり
てこしの道しるへと 名 つけたるはくはしくもあるかな つとのたり
圓
とこそいふ へけれかれそのはしめにいさ、 か ことのゆ ゑ よし土日
圭ハノ
くるなりけり文政はしめのとしみな 刀
泉
四一