20 世紀西欧における「新しい天使」の創作原理と宗教性 - EUIJ

2014 (平 成 26)年 度
パウル・クレーにおける天使と十字架
――20 世 紀 西 欧 に お け る 「 新 し い 天 使 」 の 創 作 原 理 と 宗
教 性 を め ぐ っ て ――
指導教授 後藤 新治
国際文化研究科国際文化専攻
15MK009
下園 知弥
目次
はじめに
第1章
…………………………………………………………………………………
クレーの造形芸術論と作品の生成 ――イェーナ講演を中心として―― ……
3-6 頁
7-23 頁
1-1. イェーナ講演の概観
……………………………………………………………
1-2. 造形作品の形成過程
…………………………………………………………… 10-15 頁
1-2-1. 第一の次元
線・明暗・色
8-9 頁
………………………………………………… 10-11 頁
1-2-2. 第二の次元 造形の主題
……………………………………………………
11-12 頁
1-2-3. 第三の次元 造形の内容
……………………………………………………
12-15 頁
1-3. 《生成に於ける天使》の形成とその内容
1-3-1. 《生成に於ける天使》の形成過程
…………………………………… 15-18頁
………………………………………… 15-17 頁
1-3-2. 《生成に於ける天使》における現実性
…………………………………… 17-18 頁
1-4. 結論 ――《生成に於ける天使》に存する内的緊張とその調和―― …………… 18-20 頁
第 1 章註
第 1 章図版
第2章
…………………………………………………………………………… … 20-22 頁
………………………………………………………………………… …… 23 頁
《山の花》から《生成に於ける天使》への変奏 …………………………… 24-57 頁
2-1. フォルムの問題
………………………………………………………………… 24-27頁
2-2. 造形と主題の結合の問題
2-3. クレーにおける自然
2-3-1. 自然探求の道
…………………………………………………………… 28-33頁
………………………………………………………………… 28-30 頁
2-3-2. 目に見えない自然
2-3-3. 中間の世界
……………………………………………………… 27-28頁
…………………………………………………………… 30-31 頁
…………………………………………………………………… 31-33 頁
2-4. クレーにおける記号
2-4-1. クレーの記号論
…………………………………………………………… 33-41頁
……………………………………………………………… 34-36 頁
2-4-2. クレー作品における円・三角・十字のアレゴリー
……………………… 36-39 頁
2-4-3. 1933-34 年のクレーと《生成に於ける天使》の予型的作品
2-4-4. 《生成に於ける天使》における三つの記号の役割
……………
39-40 頁
………………………… 41 頁
2-5. 結論 ――クレーにおける自然と天使―― …………………………………… 41-44 頁
第 2 章註
…………………………………………………………………………… … 44-45 頁
第 2 章図版/写真
……………………………………………………………………
1
46-57 頁
第3章
クレーの日記におけるマルク評
3-1. 背景
…………………………………………… 58-79 頁
…………………………………………………………………………… … 60-64頁
3-1-1. 第一次世界大戦期のクレー
3-1-2. クレーとマルク
3-2. 本文批評
………………………………………………… 60-62 頁
……………………………………………………………… 62-64 頁
……………………………………………………………………… … 64-70頁
3-3. 「世界の思想」におけるキリスト教的なもの
3-3-1. 「世界の思想」と「地上の思想」
……………………………… 70-74頁
………………………………………… 71-72 頁
3-3-2. 「飛翔」モチーフにおけるロゴスと愛
…………………………………… 72-74 頁
3-4. 結論 ――「飛翔」モチーフと「愛」の分裂―― …………………………… 75-76 頁
第 3 章註
…………………………………………………………………………… … 76-77 頁
第 3 章図版
第4章
………………………………………………………………………… … 78-79 頁
〈天使連作〉における《生成に於ける天使》の位置付け
4-1. 〈天使連作〉の時期的区分
………………………………………… 86-87頁
……………………………………………………… 88-92頁
4-3-1. バウハウス時代以前のクレー
……………………………………………… 88-89 頁
4-3-2. バウハウス‐デュッセルドルフ美術学校時代のクレー
4-3-3. ナチス弾圧期のクレー
4-3-4. 晩年のクレー
80-101 頁
…………………………………………………… 85-86頁
4-2. 〈天使連作〉の技法的・表象的区分
4-3. クレーの個人史との対応
……………
………………… 89-90 頁
……………………………………………………… 90-91 頁
………………………………………………………………… 91-92 頁
4-4. 「十字架」と〈天使連作〉
…………………………………………………… 92-93頁
4-5. クレーの宗教的実存とキリスト教
…………………………………………… 93-96頁
4-6. 結論 ――宗教的実存としての天使、あるいは創造論の一例としての天使―― ……… 96-97 頁
第 4 章註
……………………………………………………………………………… 97-98 頁
第 4 章図版
おわりに
………………………………………………………………………… 99-101 頁
……………………………………………………………………………… 102-104 頁
謝辞 …………………………………………………………………………………… …… 105 頁
参考文献 ……………………………………………………………………………… 106-108 頁
付録資料 1
〈天使連作〉図版リスト
付録資料 2
〈準天使連作〉図版リスト
……………………………………………… 109-121 頁
……………………………………………
2
121-134 頁
はじめに
パウル・クレー(Paul Klee 1879-1940)は、20 世紀前半にドイツで活躍したスイス人画家で
ある。クレーは 20 世紀を代表する画家であり、美術史における重要性は周知の事実である 。
1 万点を超える数の作品を創作し、日記や論文、講義資料が多く残されていることから、
クレーはこれまで様々な視点から研究されてきた。クレーの作品には数多くの連作主題が
見出され、主題毎の研究も数多く存在する 1 。近年では、天使を描いた一連の作品(以下、
〈天
使連作〉 2 とする)からクレーの心理・精神性ないし 20 世紀ヨーロッパの精神的状況を探ろ
うという研究が盛んであり、90 年代以後多くの研究書が出版されている 3 。このような諸研
究の集大成として、2012 年にはパウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)で「天使展」
が開催された 4 。従って、クレーの天使研究は現在一つの区切りを迎えた状態であり、従来
の研究と同じ観点から新しい解釈を提示することは難しくなっていると言えよう。
そのため、本研究は、従来の研究では重視されていなかった作品に注目し、その解釈を
通じて新たなクレー像を提示することを課題としている。クレーの天使研究において、解
釈の中心軸は主に二つ存在する。一つは哲学者ヴァルター・ベンヤミンが所持し思想の題
材にもしたことで有名な《新しい天使》であり、もう一つは晩年に描かれた天使群である。
前者は所有者である哲学者との関連から主に現代思想の分野で解釈が切り開かれ、後者は
日記等が残されていない晩年のクレーの精神状態や芸術的性格を知るための、いわゆる個
人研究の素材として主として用いられてきた。そしてこの二つの中心軸に沿った研究は、
国内外共に、かなり充実した状況に在ると言える。本研究で筆者が中心軸に据えるのは、
この二つではない。筆者が中心軸に据えるのは、1934 年にクレーが描いた《生成に於ける
天使》(図 1)である。
《生成に於ける天使》は、これまでのクレー研究において何らかの形で扱われ続けてきた、
クレーを代表する作品の一つではある。しかし、この作品はおおむね「単なる解釈の通過
点」として取り扱われてきたきらいがあり、
〈天使連作〉研究においても、解釈の決定的な
一因を担うほどの重要性を付与された例は、管見の限り存在しない 5 。その理由としては二
つ考えられる。一つは、作品の制作年代が他の〈天使連作〉から孤立していること。すな
わち、クレーが最も多くの天使を描いた晩年ではなく、しかも天使が主要な関心事ではな
かった時期 6 に、ただ一点だけこの作品が描かれているため、解釈の中心軸に据えづらいと
いう理由である。いま一つは、この作品が天使連作の中では異例かつ解釈の困難な描き方
をされており、数の上では多勢を占める晩年の天使とは芸術的傾向およびクレーの精神状
3
態が明らかに異なっているという理由である 7 。
このような困難が見出されるにもかかわらず、
《生成に於ける天使》を研究の中心軸に据
えることの利点は、次の通りである。第一に、1934 年という時期はクレーがバウハウスや
美術学校で芸術理論・世界観を展開していた時期と直接繋がっているため、クレー自身の
言葉による作品解釈が晩年の作品にも増して有効であるという点。第二に、他の天使連作
と孤立した時期に描かれている故に、この時期に特有のクレーの天使観が明らかにされ得
るという点。最後に、第二の利点からの帰結であるが、クレーの天使観の新たな側面が見
出されることにより、クレーの宗教的性格――とりわけキリスト教との関係――の更新が期
待されるという点。これらの利点が、筆者が《生成に於ける天使》を解釈の中心に据えよ
うとする理由である。
これらの利点をふまえた上で、 筆者が本研究で特に明らかにしたいと考えているのは、
《生成に於ける天使》に描かれた十字架の意味内容である。十字架は周知の通りキリスト
教の象徴であるが、その解釈ないし意味内容は古代から現代に至るまで多様を極めている。
それだけに、十字架にどのような意味内容を込めているかによって、それを描いた者の宗
教的立場が少なからず浮き彫りにされる。クレーの宗教的立場は、先行研究においては「無
宗教」とされており 8 、特定の宗教に傾倒していないという点は研究者の共通見解だと言え
る。従って、クレー作品とキリスト教の関係についても、ほとんど踏み込んだ考察がされ
ないままに「ほとんど無関係なもの」とされているのが現状である。しかしながら、筆者
の考えでは、クレーが生まれ育ち宗教観・世界観を形成した世界はまさにキリスト教世界
であった故に、クレーには表象的な要素だけではなく精神的にもキリスト教の伝統を受け
継ぐ何かがあったはずである。そして、もしキリスト教的な精神性がクレーにもあったな
らば、一般にキリスト教とは距離を置いていると考えられるクレーの作品からは、キリス
ト教的精神とは異なる要素もさることながら、キリスト教的精神の流れを継ぐような要素
をも見出し得るはずである。言い換えれば、パウル・クレーという新しい時代の画家が描
いた「新しい天使」にも、キリスト教との繋がりが何らか保たれているはずなのである。
上述した仮説の下に、
《生成に於ける天使》における十字架表象を解釈し意味内容を明ら
かにすることを通じて、クレーにおけるキリスト教的なものとは何であるのか、それはク
レーの作品にどのように反映されているのか、という問いに一つの回答を与えるのが本研
究の最終的な狙いである。
上述の目標を果たすために、本修士論文では以下の手順を辿る。まず、クレーの造形芸
4
術論、とりわけイェーナ講演を手掛かりとして、
《生成に於ける天使》がそもそもどのよう
な創作システムによって造られた作品であるのかを考察する(第 1 章)。次に、《生成に於け
る天使》と類似した作品である《山の花》との比較を通じて、
「自然」と「天使」がほとん
ど同じ技法で描かれている理由を明らかにし、
《生成に於ける天使》のフォルムや記号が何
故「天使」を指示し得るのかを考察する(第 2 章)。次に、クレーの宗教的性格を明らかに
する手掛かりとして、クレーが自身の宗教性を規定している日記の記述を考察する(第 3 章)。
最後に、《生成に於ける天使》とクレーの描いた他の〈天使連作〉との関連を考察しつつ、
《生成に於ける天使》とその十字架が担っている意味内容、とりわけキリスト教との関係
について、筆者の見解を提示する(第 4 章)。
註
1
連作のおおまかな分類については Felix Klee(Hg.), Paul Klee: Leben und Werke in Dokumenten
ausgewählt aus den nachlassen Aufzeichnungen und den unveröffentlichen Briefen , Zürich, 1960,
S.259-275 を参照。
2
本論文での〈天使連作 〉の厳密な範囲・定義と具体的な作品については、第 4 章で詳述する。
3
代表的なものは以下。 Mark Luprecht, Of Angels, Things, and Death, New York 1999; Ingrid Riedel,
Engel der Wandlung: Die Engelbilder Paul Klees, Bonn, 2001; Alessandro Fonti, Paul Klee: “Angeli”
1913-1940, Milano, 2005; Perdita Rösch, Die Hermeneutik des Boten: Der Engel als Denkfigur bei Paul
Klee und Rainer Maria Rilke, München, 2009; Boris Friedewald, Die Engel von Paul Klee, Köln, 2011; 宮
下誠『越境する天使
4
パウル・クレー』春秋社、 2009 年
ベルンのパウル・クレー・センターにて 2012.10.26-2013.1.20 にかけて開催され、次いでエッセン
とハンブルクを巡回し 2013 年 7 月まで催された展覧会のことを指す。この展覧会のカタログとし
て Zentrum Paul Klee(hg.), Paul Klee: Die Engel, Bern, 2012 が出版されている。
5
ただし、リーデルの研究 (Ingrid Riedel, op.cit.)において、《生成に於ける天使》は全体の導入のよ
うな位置を与えられているとも見做せる。もっとも、リーデルにしても、《生成に於ける天使》を
解釈の中心軸に据えてクレーの天使全体を規定しようとする試みには至っていない。
6
1934 年に描かれた天使は《生成に於ける作品》 1 点のみである。また、この作品と時期的に最も
近い〈天使連作 〉は、前には 1931 年、後には 1938 年に描かれている。この空白の理由については
第 4 章での考察課題とする。
7
天使に限らずクレーの晩年の作品は、病による死の意識が色濃く反映されていると解釈されてお
り、この事実は様々な先行研究によって裏付けられている ――たとえば、このテーマに絞って展覧
会が催されたこともあった (Bern, Kunst Museum Bern, Paul Klee:das Schaffen im Todesjahr, 1990 等)。
8
前田富士男・宮下誠(対談)「パウル・クレーの静かな闘い 第六章 天使のゆくえ」『芸術新潮』、
新潮社、第 56 巻第 12 号、2005 年; 松友知香子「パウル・クレーの〈天使〉について ――〈都市画〉
との関連から――」『美學』第 59 巻第 2 号、2008 年、89-90 頁を参照。
5
図版9
図1
《生成に於ける天使》
〈Engel im Werden〉
1934 年(204, U4)、51×51cm
合板の上の麻布に下地、油彩
スイス、個人蔵
9
本論文の図版では、クレー作品はすべて作者名を省略している。また、作品年には慣例通りクレー自身に
よる作品番号を付記している。なお、所蔵館については参照した図録のものをそのまま採用しているが、当
然ながら館が移動しているケースもあると考えられる。特に、2005 年のパウル・クレー・センター開館に
伴って、多くのクレー作品が――とりわけベルン美術館のコレクションが――同施設へと移されている。そ
のため、作品によっては現在の所蔵館と本論文のデータが一致しないケースがあると思われるが、すべての
作品の現時点での所在を追跡することは困難であるため、この点については容赦頂きたい。
6
第 1 章 クレーの造形芸術論と作品の生成 ――イェーナ講演を中心として――
パウル・クレーの画業には多くの連作主題を見出すことができる。天使もそのうちの一
つであるが、この〈天使連作〉という名で指示されている作品群は、制作年が 1913 年から
1940 年までと幅広い。そのため、同一の主題であっても、必ずしも一致した価値観・思想
を基にして描かれたとは言えない。従来のクレーの天使研究では、とりわけ多くの天使が
描かれた時期である晩年(1939-1940)を解釈の中心に据え、これらの天使群から晩年のクレ
ーの精神状態や芸術思想を分析する――あるいは逆に、クレーの精神状態や芸術思想から晩
年の天使に込められた意味内容を読み解く――という観点が主であった 10 。晩年の天使以外
でとりわけ注目を集めているのは哲学者ヴァルター・ベンヤミンとの因縁 11 において論じら
れることの多い《新しい天使》(図 2)であるが、この作品は 1920 年のものであるため、こ
の作品を中心に据えた研究は必然的に 1910 年代後半から 1920 年代のクレー論が主となる 12 。
そのため、これらの作品から隔たった期間に描かれた天使画は、
〈天使連作〉リストに含め
られ、クレーの天使全体の傾向を知る手がかりとして簡潔に触れられることはあっても、
クレーの天使観を知るための資料として中心的な位置を与えられることはなかったのであ
る。1934 年に描かれた《生成に於ける天使》も、このような先行研究において重点的に解
釈が試みられることのなかった作品の一つである 13 。
時期的な孤立や解釈の難しい抽象画であることから、
《生成に於ける天使》は〈天使連作〉
研究において主要な位置を与えられてこなかった。にも かかわらず、この作品はクレーの
天使観を知る重要な手掛かりとなり得る。何故ならば、この作品には「十字架」という典
型的なキリスト教の象徴が描かれており、クレーとキリスト教の関係を知るうえで重要な
資料となるからである。彼自身が言明しているとおり、クレーは特定の宗教には所属しな
い立場を取っている 14 。つまり無宗教の画家である。しかしその宗教性の内実には不明 な点
が多く、キリスト教と距離を置きながらも彼の作品に少なからずキリスト教 的主題が現れ
ている事実は無視できない 15 。クレーとキリスト教には何らかの繋がりがあり、その繋がり
は彼の作品から見出されなくてはならない。よって、本章では、
《生成に於ける天使》に刻
まれた十字架へ込められた宗教的内実の探求を論文全体の最終的な目標としつつ、 そのた
めの予備考察として、「《生成に於ける天使》という作品は、そもそも どのような創作シス
テムによって描かれた画であるのか」という問いに答えることを独自の課題としたい。
考察のための手掛かりとして本章で中心的に用いるのは、クレーの造形芸術論である。
クレーが残した造形芸術論のテクストは決して少なくない。その全てを取り上げて考察す
7
るのは困難であるため、本章では「イェーナ講演」の造形芸術論を中心テクストとしたい。
イェーナ講演を中心的として考察する理由は 次の二つである。第一に、断片的な小論が多
いクレーの芸術論にあって、イェーナ講演は比較的整理され、体系化されており、クレー
の創作システム全体を概観し得ること。第二に、イェーナ講演を行った時期が バウハウス
時代であり、《生成に於ける天使》の制作年と連続していること 16 。以上の理由により、イ
ェーナ講演を中心として《生成に於ける天使》の 考察をこれより試みる。
考察の端緒となる第 1 節および第 2 節では、まずイェーナ講演における造形芸術論がど
のような論であるのかを確認していきたい。
1-1. イェーナ講演の概観
イェーナ講演は、演題「現代芸術について」Über die moderne Kunst として、1924 年に行
われた 17 。全体としては芸術の「創作過程」を追っていくことを基本線としており、その内
容は大別して三つのテーマに区切られている 18 。第一に、創造行為における芸術家の立場に
ついて。第二に、造形芸術を形成していく諸次元について。第三に、芸術の現実性ないし
自然と芸術の関係について。これら三つのテーマのうち、論述の中核であり最も多くの議
論が割かれているのは第二のものである。この部分は次節で集中的に取り上げることにし
て、本節では第一から第三までの流れと、論述全体を通してクレーが何を提示しようとし
ているのかを簡潔に確認していきたい。
イェーナ講演の基本線は、芸術家の創作行為であり、そのプロセスである。第一のテー
マ 19 はいわば前置きである。ここで語られる「樹木の比喩」das Gleichnis vom baum は、芸
術家の立ち位置を示すための導入とされており、具体的には「根 ‐自然」
「幹‐芸術家」
「樹
冠‐芸術作品」の対応関係を語るものである。この対応関係からは、芸術家が芸術作品の
唯一の原因ではないこと、そうではあるが芸術作品は確かに芸術家という要素を経て形成
されるものであることが窺われる。クレーが芸術家を庭師に喩えず樹木の一部に喩えたの
は、「芸術の対象‐芸術家‐芸術作品」の関連の連続性を示すためであったと考えられる 。
この関連を提示した上で、クレーは第二のテーマ 20 へと移る。ここでクレーが提示してい
るのは、芸術作品の形成過程である。つまり、樹木の比喩で言うところの幹についての詳
述である。それを聴衆へわかり易く伝えるために、クレーは造形作品の形成過程を三つの
8
次元に分割して、単なる造形から内実を含んだ芸術作品への変容過程を説明している。こ
の三つの次元については後の節で見ていく。
第三のテーマ 21 は、芸術の現実性についてである。これは芸術作品が単なる観念的・空想
的なもの――子供のらくがきのような もの――に過ぎないという当 時クレー作品に対して
なされていた非難への反駁であるとも考えられる 22 。ここでの論述に特徴的なのは、クレー
が観念的・空想的なものの価値を積極的に認めており、
「そうであるような」現実ではなく、
「そうでもありうるような」現実を志向することの意義を語っている点である 23 。ただし、
ここですぐさま予想されるようなシュルレアリスム的言説 のことをクレーが語っているの
ではない、という点には留意が必要である。クレーがこの講演で問題としているのは、一
貫して芸術家の創作行為ないし芸術作品の形成過程である。つまり、この講演におけるク
レーの芸術論の焦点は、多種多様な現実の「造形化」であって、現実の可能性やその探求
ではないのである 24 。
以上見てきたように、イェーナ講演は一貫して芸術家の創作をめぐって展開されている。
従って、
「いかにして芸術家は創作行為をするのか」あるいは「どのようにして芸術作品は
形成されるのか」という芸術の根本問題へ一つの道筋を投げかけることが、クレーがこの
講演で目指していたものだと考えられる。造形化の具体的な過程は第二のテーマにおいて
詳述されており、第一および第三のテーマは第二のテ ーマで言われている形成過程を理念
的に支えるための前置きであり補足であるとも捉えられる。この前置きおよび補足が常に
クレーの念頭にあることをふまえた上で、次節では第二のテーマ、すなわち造形作品の形
成過程について細かく見ていきたい。
イェーナ講演の論述構成
大テーマ
芸術家の創作行為について(芸術作品の形成について)
小テーマ 1
樹木の比喩 ――創造行為における芸術家の立場――
小テーマ 2
芸術家の措定 ――造形作品の形成過程――
第一の次元
造形要素(線・明暗・色)
第二の次元
主題および主題に即した形態(自我と秩序の緊張)
第三の次元
内容(造形作品における時間性・運動性の発露)
小テーマ 3
芸術の現実性 ――自然と芸術の関係――
9
1-2. 造形作品の形成過程
まず、第 1 節で確認したところの三つのテーマ、その第二のテーマで言及されている造形
作品の「三つの形成過程」について、最初に確認しておきたい。
第一の形成過程は、造形の基本的な手段である線・明暗・色である。第二の形成過程は、
造形の主題である。第三の形成過程は、造形作品の内容である。クレーが約言するところ
によれば、第二のテーマ全体はこのような道筋を辿っていく 25 。
では、それぞれの形成過程について、これより実際のテクストを参照しながらクレーの
造形芸術論を追っていきたい。
1-2-1. 第一の次元
線・明暗・色
樹冠に比せられた芸術作品においては、造形的なものの特殊な諸次元へはいりこむこ
とによって、変形の必然性が問題になってきます。なぜなら自然を再生するとなると
どうしてもそこまでゆきつくからです。それでは造形の特殊な諸次元とはどのような
ものか。そこには先ず多少とも限定された形式的なもの、線とか明暗の調子とか色と
かといったものがあります。 26
このような言葉によって、第一のテーマから 第二のテーマへと、すなわち前置きから造
形化の具体的な措定の話へとクレーは論述を進めていく。本節で扱う部分ではまず、芸術
家が用いるところの造形それ自体の考察から始められる。引用文で言われている造形的な
ものの特殊な諸次元とは、換言すれば造形物に固有の範疇 Kategorie であり、クレーはこの
範疇として「線」Linien・「明暗」Helldunkeltöne・「色」Farben を挙げている。そして、こ
の範疇の組み合わせによって造形が形成されていることを指摘する。
三つが非常に独自な仕方で相互に組み合わされていることは確かなことです。そして、
この意味で、この三つの形式上の手段と関わりあうのにいつも同じ潔癖さを保ってい
ることは、あまりにも論理的です。コンビネーションの可能性は十分豊富にあります。
ですから、組み合わせる場合には特殊な内的欲求に従ってのみ操作されるべきでしょ
う。 27
10
続く論述は三つの範疇の組み合わせであるが、ここでクレーは「内的欲求」 inner Bedarf
という言葉を用いている。この言葉は後の文脈で「秩序」Ordnung と言い換えられており 28 、
この秩序によって造形を構成していくことへと話題は移っていく。
さて、私は、このような基本形式の領域を離れて、今まで順に述べてきた三つの基本
的な範疇に関する構成の問題に初めてたどりついたわけです。
〔……〕
このような[基本形式の領域という]非積極的な意味での造形の段階には当然次のよう
な同じ危険な意味が含まれます。すなわち、そこに留まっていては、最も偉大で最も
重要な内容にまで達しえず、その方面に向かうすぐれた精神的素質があっても挫折し
てしまうのです。なぜなら形式の領域における方向付けが欠けているからです。いま
私が自分自身の経験に従って申しあげ得る限りでは、沢山ある要素を互いにひとつの
新しい秩序へ高めていくために、諸要素の普遍的秩序、その良き配置の中から、どの
要素を浮かび上がらせるべきかという問題提起をするのは、当然創造者のそのときど
きの措定に任せられます。
これはつまり、普通絵の形態とか、絵の主題とか呼び習わされているところの造形物
を構成するための措定です。 29
ここでクレーの論述は大きな転換を見せる。ここでクレーは端的な造形 ――何の主題も内
容も持たない線や色――を否定的に捉えており、このような段階に留まる造形を「方向付け
の欠如」と言っている 30 。そして、この方向付けを行うのが「創造者」であると繋げている
のである。つまり、これまでは狭義の造形論、すなわち単なる物質的な要素や秩序につい
てであったのが、芸術家による創作行為という造形芸術論へと転換し ているのである。次
なる考察の対象は、造形形成における第二の次元、すなわち主題である。
1-2-2.
第二の次元 造形の主題
主題の次元において、クレーは造形作品の構成について論述している。まだ方向付けが
されていない造形へ、創造者は主題や形態の形成のための措定を施す。その措定のことを、
クレーは「連想作用」Assoziation と呼んでいる。
11
そのような[まだ方向付けがされていない]造形作品が、われわれの眼前で次第に広がっ
ていくと、一種の連想作用がその作品に付け加わりやすく、その連想作用が誘惑者の
役割を演じて、絵の主題が解釈されることになるのです。何故かといいますと、高次
の構造をもった造形作品は、わずかの空想力で、誰でも知っている自然の被造物と比
喩的な関係にもたらされるのに適しているからです。
〔……〕
そしてかの連想作用が非常にぴったりした名称のもとに現れる場合には、それを受け
入れる邪魔だてをするものはもはや何もありません。絵の主題に対するこのような明
快な同意に刺激され、画家は、はっきりした形をとってきた造形対象と必然的な関係
にあるものをなおもあれこれ付け加えるでしょう。 31
[下線は筆者]
ここで造形の基本的な要素――線・明暗・色――を芸術家がどのように使用していくかが
述べられている。連想作用はクレー独自の芸術概念と考えられ、その詳細はイェーナ講演
においても他の芸術論でも語られていないが、さしあたりこれまで見てきた造形芸術論か
らその役割は明らかである。連想作用は、芸術家の内にある自我と造形作品の内にある秩
序を結びつける役割を担っている。この結びつきがあってこそ、主題という観念的側面と
フォルムの形成という具象的側面が接続し得るのである。
このような連想作用による造形の構成を、クレーは「芸術家の努力」ないし「形式の諸
要素がそれぞれ必然的にそのところを得て互いに他のものを妨害しないほど純粋かつ論理
的に諸要素を組み合わせること」と述べている 32 。「必然的」や「論理的」といった言葉か
らは、この連想作用が単なる空想とは一線を画する措定であることを読み取らなければな
らない。クレーにおいて芸術作品の主題の決定は、芸術家の 自分勝手な思いつきや気まぐ
れなどではなく、彼の自我の、造形からの連想を契機とする「秩序への応答」なのである。
このような段階に達し、単なる事物的な造形ではなく、主題やそれに即した形態が定ま
ってきた造形は、最後に内容の次元へと移行していく。
1-2-3.
第三の次元 造形の内容
造形作品の形成という問題から言えば、第二の次元までで 全ての経緯は完遂したように
12
思われるが、クレーは更に論述を進めていく。クレー自身の言葉を使えば、
「心理的観相的
次元」psychish-physiognomischen Dimension の解説が、ここでの論述の主眼である。
つまり、それぞれの絵の形態に、それぞれの顔、それぞれの観相学があります。作品
に表されたいろいろな像が私たちを見つめています。明るくあるいは厳しく、多少と
も緊張して、慰めにみちてあるいは恐ろしく、悩ましげにあるいはほほえましげに、
私たちを見つめています。
心理的観相的次元におけるあらゆる対立のなかで、画像はわれわれをみつめるのです
が、その対立は悲劇と喜劇の対立にまで広がってゆきます。しかしそれでおしまいと
いうわけではありません! 33
ここでの議論は、分かりやすく言えば、造形が有する心理的・感情的な動きの説明であ
り、造形要素の擬人化(生物化)である。講演の中心的テーマが「芸術家の創造行為」にある
ことを思えば、一見して蛇足のような印象を受けるが、実際にはそうではない。
クレーは 1900 年代より一貫して時間芸術と空間芸術の区別を批判し、「運動」を基軸と
した造形芸術論を提言してきた 34 。その代表的なテクストは次のものである。
運動はあらゆる生成の根底に存している。我々が一度は若年時代の思索的探究に供し
たであろうレッシングの『ラオコーン』、それは時間的芸術と空間的芸術の区別につい
て多大な労が費やされている。だが厳密な観察によれば、その区別は単なる学問的錯
覚なのである。つまり、空間もまた時間的な概念なのである 35
上掲のテクストは、イェーナ講演の 4 年前に発表された『創造的信条告白』のものであ
る。更に遡れば、クレーは 1905 年の日記において既に造形芸術が時間的なものとして主張
し得ることを記している 36 。このように、クレーは芸術論を展開する際は、常に、造形作品
における「時間」と「運動」を意識している。このような例を示す重要なテクストをもう
一つ挙げたい。
ところで、形態関連の仕方(われわれの課題によりさらに特殊化された)、すなわち運動
(先に示した特殊な事例において、励起された運動、さらに先へ回された運動、それに
13
強要された運動)を造形化するには、また、分析的抽象に基づく運動関連をもう一度新
たに自然化させる、つまり作品固有の自然たらしめるためには、明らかに案出された
図式をもっと超えることが必要となるのである。
そもそも作品にあって運動とは何を意味するのか?
分の動くことなぞないと思うのだが?
われわれの作品は、一般には自
われわれはけっしてオートメーション工場な
ぞではないのだ。
確かにそうだ。われわれの作品は、大抵は自然とそれぞれの場所で静止したままの状
態だ。しかも、それにもかかわらず、作品というものは、実は運動そのものなのであ
る。
生成する一切のものには、運動は特有のものであって、作品は存在するより前に、作
品となるのであり、このことは世界が存在する以前に、
「はじめに神が創造したまえり」
という言葉にしたがって生成し、そして未来に存 在する(存在するであろう)以前に、さ
らに引き続き生成し続ける世界と寸分変わるところがないのである。 37
[下線は筆者]
このようなクレーの特殊な芸術観(作品=運動)をふまえると、イェーナ講演においてクレ
ーが何故「内容の次元」と称して造形要素の擬人化を語ったのか は明白である。すなわち、
第二の次元ではまだ静止した空間の内にある造形芸術に 、更なる時間的変化の説明を与え
ることによって、それが実際に運動し続けるもの、更に言えば「運動そのもの」であるこ
とを主張するのがクレーの意図であったと考えられる。
造形作品が時間的なものであること、そこに造形作品の本来の充実した内容があること
をさまざま強調してゆき、議論が充分に達したことを確認して、クレーはこのテーマを次
のように締めくくる。
わたしたちの造形作品は、これまで述べてきたようにして、逐次、多くの重要な次元を
通過してきました。ですからいまなおその造形作品にたいして構成という名称を与えるの
は不当なことだと思います。わたしたちはいまからそれを音楽的な名称にちなんでコンポ
ジションと呼ぶようにしたいと思います。次元の問題に関する限り、われわれはこの豊か
な見通しで満足することにしましょう。 38
14
以上がイェーナ講演の概観と、そこで論じられている作品形成プロセスの略図である。
この講演で語られた造形芸術論は、言い換えればクレー自身の創作システムであり、思考
過程である。よって、このプロセスをたどるようにしてクレーの作品は制作されているの
だと推測できる。クレーの創作システムは、今まで確認してきたように、単なる方法論に
留まらず、主題や内容が形成される経緯までも含んだものである。 従って、この創作シス
テムとクレーの作品を重ね合わせることで、作品の主題や内容を もある程度推測できると
考えられる。
では次に、《生成に於ける天使》とイェーナ講演の造形芸術論の照応を試みたい。
1-3. 《生成に於ける天使》の形成とその内容
《生成に於ける天使》は、天使連作の一枚に数えられ、1934 年に描かれた油彩画である。
クレーの芸術論のキーワードの一つである「生成」Werden が題に付せられているために、
展覧会に出品される機会も多い代表作だと言えるが、それにもかかわらず、作品それ自体
に焦点を当てた研究はほとんど進められていない 39 。その理由は本章の冒頭で記した通りで
ある。よって、作品の形成過程や制作の意図はほとんど提示されていない のが現状である。
本節では、まずはこの作品の形成過程をイェーナ講演に即して見ていきたい。
1-3-1. 《生成に於ける天使》の形成過程
造形作品の形成には「線・明暗・色」「主題」「内容」という三つの過程があることは、
これまで確認してきた通りである。ここではクレーと同じ道筋を通って《生成に於ける天
使》の形成過程を考えることにしたい。
まず第一の次元であるが、クレーは造形作品の造形を形成する要素として、線・明暗・
色の三つを挙げていた。
《生成に於ける天使》においては、明暗の調子が異なった八つの色
面とそれを区切る線描が、クレーが言うところの線・明暗・色と対応する要素であると思
われる。ところで、この対応関係には「記号」が含まれていない。何故ならば、クレーが
提示している造形要素の中に記号という概念 は含まれていないからである。記号は線・明
暗・色から成る造形であるため、この第一の次元で形成される要素とも考え得るが、線で
区切られただけの色面と記号を同一の要素として扱うには違和感が残る。記号は明らかに
15
何の意味も持たないフォルムではなく、意味を持った形態だからである。この違和感に対
する解決は、第二の次元において示されているように思われる。
クレーは作品の主題とそれに即した形態の付加を促す作用として、連想作用を挙げてい
る。その働きは前節で見てきた通りであるが、ここで改めて引用をしたい。
そしてかの連想作用が非常にぴったりした名称のもとに現れる場合には、それを受け
入れる邪魔だてをするものはもはや何もありません。絵の主題に対するこのような明
快な同意に刺激され、画家は、はっきりした形をとってきた造形対象と必然的な関係
にあるものをなおもあれこれ付け加えるでしょう。 40
[下線は筆者]
ここで言われる「造形対象と必然的な関係」にあるものの一つとして、
「記号」という概
念が挙げられるように思われる 41 。クレーはイェーナ講演において記号論を展開しておらず
42
、ここでの言及が具体的に何を指しているのかも定かではないが、このような推測は可能
であるように思われる。何故ならば、記号は単なる造形ではなく既にそれ自体意味内容を
有している形態であり、それが作品に描かれるのは 何の意味内容も持たない第一の次元で
あるはずがないからである。つまり、第一の次元ではない以上、それが造形作品に現れる
のは第二か第三の次元しかないわけであるが、第三の次元は構成された造形要素が自身の
性格を発露し始める次元であり、何らかの造形を描き加える段階ではない。よって記号と
いう造形要素が登場する余地は第二の次元しかなくなる。また、第二の次元が主題と造形
の連関についての論述であることからしても、意味を持った造形としての記号に相応しい
次元だと考えられる。
記号と並んで、作品の主題とその形態も第二の次元で形成される。主題は、作品題から
鑑みるに「生成に於ける天使」であろう。クレーは「連想作用が誘惑者となって主題が解
釈される」と述べている。つまり、線描によって区切られた色面からの連想として――記号
がどの時点で付加されたのかは定かではないが――「生成に於ける天使」という主題が浮か
び、そのような作品題が付せられた、と推測することができるだろう。何故 線描によって
区切られた色面から「天使」や「生成」といった概念が発生してくるのかは次章の考察内
容であるため割愛するが、そのような経緯で形成されていることはクレーの造形芸術論か
ら推測し得る。
16
さて、これらの段階をふまえて、最後の次元、すなわち内容の次元との照応に入りたい。
内容の次元においてクレーが論究しているのは、造形作品の時間性ないし運動である。
このことから、
《生成に於ける天使》も、時間的であり、内的に運動を有している作品であ
ると言わなければならない。よって、その内容としては「運動を意味する画である」と言
うことができる。
ところで、
「運動を意味する画」というのは、ある時期以降のクレー作品全般に妥当する
内容であって、
《生成に於ける天使》に固有の内容とは言えない。クレーの造形芸術論に即
しては、この固有の内容はどのようなものとして語り得るのだろうか 。
1-3-2. 《生成に於ける天使》における現実性
イェーナ講演において、クレーは内容の次元を語り終えたのちに、芸術の対象について
の考察を展開している(第三のテーマ)。この論述においてクレーは「芸術の現実性」という
ものについて論じている。そのテクストは次の通りである。
しかし我々の鼓動している心臓は、我々を下方へと、深い根源の方へと促します。こ
の促しによって生起するところのもの、夢、理念、幻想――言いたいように言って良い
ですが――それらが適切な造形手段で余すところなく造形と結合している場合には、何
よりも真剣に受けとめるべきものとなります。かの類稀なる出来事は、現実を、 芸術
の現実を生成するのであり、それは平凡に思われていた生をいくらか押し広げてくれ
ます。何故ならば、かの類稀なる出来事は、見られたものを再び幾らか活性化するの
みならず、目に見えない直観的に感得したものを見えるようにするからです。 43
[下線は筆者]
とりわけ重要な点は、
「夢、理念、幻想」と造形の結合を「芸術の現実」としてクレーが
論じている点だと思われる。つまり、クレーにとって「夢、理念、幻想」を芸術の主題と
して描くということは、画家の頭の中だけにある空想を描くことではなくて、
「何らかの意
味で現実であるところのもの」を描くということなのである。そして、おそらくはクレー
にとって「天使」という主題は、この類の存在であったと考えられる。クレーにとって「天
使」とは、空想でも非現実でもなく、何らかの現実であった。そうであるとすれば、それ
はどのような現実なのだろうか。
17
クレーは「夢、理念、幻想」と造形の結合(類稀なる出来事)によって、「芸術の現実」が
生成すると述べている。つまり、芸術作品が担っているのは、我々が通常認識しているよ
うな知覚したままの現実ではない、それとは異なった領域としての現実である。そして芸
術とは、そのような決して可視的ではない現実を可視化する機能を有しているものと 見做
されるのである 44 。
ここから、クレーが天使画によって何を描こうとしたのかも明らかとなる。すなわち、
クレーがこの作品において描いているのは、その題の通り「天使の生成」であ る。しかも、
架空の出来事、物語や伝説の一場面についての想像的再現などではなく、まさに現実とし
て、そうでもありうる現実の一つとして「天使の生成」を描いているのである。
よって、
《生成に於ける天使》が有する固有の内容については、次のように言うことがで
きる。すなわち、「《生成に於ける天使》は、 芸術が捉えた「現実としての天使」を意味す
る画である」と。
1-4. 結論 ――《生成に於ける天使》に存する内的緊張とその調和――
本章の課題は、クレーの創作システムと《生成に於ける天使》の対応を確認することで
あった。両者の対応は、これまでに考察でおおよそ明らかになったと言える。まずはその
対応を簡潔に纏めておきたい。
第一の次元、すなわち端的なフォルムの段階においては、線描で区切られた色面が形成
される。この時点ではまだ「天使」や「生成」といった観念は付与されていない。第二の
次元、すなわち主題の段階においては、先に形成されたフォルムからの連想として「生成
に於ける天使」という主題が付与される。そして、この付与に即して様々な造形的補足が
加えられる。三つの記号も、おそらくはこの段階で加えられたものである。第三の次元、
すなわち内容の段階では、
《生成に於ける天使》という造形作品に内在する時間性ないし運
動性が発露する。この発露に伴って、《生成に於ける天使》は、
「運動」という内容、
「芸術
の現実」という内容が満たされることになる。
これがイェーナ講演で語られた創作システムに即した《生成に於ける天使》の形成プロ
セスである(参考図 1)。ところで、このようにして形成された造形作品には内的な緊張が必
然的に付き纏うものと考えられる。何故ならば、この創作システムにおいては、
「造形 」の
持つ固有の要素と「芸術家」の持つ固有の要素が混在しており、相異なる二つの要素が協
18
同することによって一つの芸術作品が形成されて いるからである。より細かく見ていけば、
その二つの要素とは、「造形の秩序」と「芸術家の応答」のことであると考えられる。
参考図 1 45
クレーの芸術理論においては、造形作品には何らか原的な要素がある 46 。しかしこの要素
はまだ芸術家の手が加えられていないものであり、作品として個別化されていない普遍的
ないし素材的な要素に留まる。ここに芸術家の手が加わることにより ――無論ここで芸術家
は原的なものが有する秩序に最大限応じなければならない――自我が関与し、創作行為によ
って個別化され、芸術作品として結実する。その結実のかたちは、もし芸術家が秩序に最
大限応じているならば、まぎれもなく現実のものであり、これまで見ることのできなかっ
た現実のもう一つの諸相を示してくれるものとなる。これがクレーの創作システム の要点
である。
このようなシステムは、芸術家の「自我」と造形の「秩序」との緊張が常に維持されて
いる。更に言えば、クレーはこの緊張の解消を望んでおらず、緊張した状態のまま調和さ
19
せることを目論んでいた。何故ならば、内的緊張の継続は作品の時間性と連動しており 、
クレーの造形芸術論の要でもある「運動」の契機となっているからである 47 。内的な緊張関
係を消失させないままに、一つの作品として、一つの現実として結実させる。それがクレ
ーの造形芸術論の課題であった。
故に、
《生成に於ける天使》という作品も、このような緊張と調和を目指した創造原理の
産物であり、その個別的な実りの一つであったと考えられる。
註
10
本論文 3 頁を参照。
11
ベンヤミンはただクレーの天使の所持者であっただけでなく、作品に啓発されていくつかの論考
を残している。特に有名なものは「歴史哲学テーゼ」(Über den Begriff der Geschichte)の一節である(ヴ
ァルター・ベンヤミン 「歴史の概 念について」『ベンヤミン・コレクション Ⅰ 近代の意味』、浅井
健次郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1995 年、652-653 頁)。ベンヤミンとクレーの天使の関
連は本論文の主題ではないため、本論では取り扱わない。
12
特に有名な研究は O. K. Werkmeister, Versuche über Paul Klee, Syndikat, 1981, S.98-123. このヴェル
クマイスターの研究では、《新しい天使》とベンヤミンの関係が語られている他、《新しい天使》の
前後におけるクレーの作品モチーフについ ての詳しい考察がある。
13
先行研究がまったくないわけではない。《生成に於ける天使》の解釈を試みたものとしては以下
のものが挙げられる。Will Grohmann, Paul Klee, Dumont Buchverlag, Köln, 1989, S.34; Ingrid Riedel,
op.cit., S.15-16; Boris Friedewald, op.cit., S.67. グローマンからフリーデヴァルトまでの研究の動向
は、「生成」の強調から「天使」という主題への緩やかな移行を辿っているように思われる。とは
いえ、解釈の基本線がいずれもこの作品を「天使が生成する場」と見做す点で変わらない。この先
行研究の解釈の妥当性については第 2 章で吟味したい。
14
パウル・クレー『クレーの手紙』南原実訳、 新潮社、1989 年、506-507 頁。
15
たとえば、《仔羊》(1920)、《ゴルゴタへの序幕》(1926)、《受胎して》(1939)などは疑いようもな
くキリスト教的主題である。また、クレーは旧 約聖書の天地創造を自身の芸術論の中で頻繁に引用
しることから 、クレーがキリスト教に対して関心を寄せていなかったということはまずあり得ない
ことである。にもかかわらず、クレーとキリスト教の関係について扱った論文は現代に至るまで極
めて少なく、今後研究が切り開かれるべき主題である。
16
イェーナ講演は 1924 年であり、《生成に於ける天使》は 1934 年である。10 年を近しいと考える
かどうかは意見の分かれるところであるが、少なくとも 1920 年以前の『創造的信条告白』や日記
のテクストよりは近しいと言えるだろう。また、 1930 年代のテクスト(『原像的なもの』等)を中心
的に取り挙げようとした場合、体系的なものが皆無であるがゆえに、作品解釈に大きな困難が生じ
る。
17
イェーナ講演のテクストは以下を参照した。 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.222-241.
18
この区分(それと以下に挙げる簡略図 )は筆者によるもの。クレー自身はこのような区分を設けて
20
おらず、イェーナ講演の本来の主眼は「芸術家の創作行為」というテーマを様々な角度と段階から
分析していくこ とであ っ たからし て、個 々のテ ー マや区分 といっ たもの は 本来不要 な措置 である。
どころか、クレ ーが分 割 的に思考 してい たとい う 誤解を招 く恐れ すらあ る 。それに もかか わらず、
以後節ごとに区分けして論述を進めているのは、全体像の把握しづらいイェーナ講演を、部分部分
を把握していくことで全体像を提示するためである。論述の分割による不具合は、考察の折々で全
体像の再構成を筆者な りに試みることで解消に努めているため、その意図を汲んでもらえれば幸い
である。
19
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.223-225.
20
Ibid., S.223-237.
21
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.237-241.
22
このような批判をイェーナ講演においてもクレーが明確に意識していたことは次の部分のテク
ストから分かる。
「私のデッサンが幼稚症 Infantilismus だという伝説の起こりは、あの線のイメージ
からきたに違いありません」 (Felix Klee(Hg.), op.cit., S.240.); 「あの《小児的》infantile といわれて
いる実例が皆さんに物語っているように、私は、美術全体ではなく、その部分を操作する仕事に携
わっています」 (Ibid., S.240.)
23
Ibid., S.240. なお、この引用箇所でクレーは現実という言葉を用いておらず、人間 Menschen とい
う例を用いている。
24
このような「もう一つの現実」の提示を強く意識していたのが、いわゆるシュルレアリストた ち
である。クレーとシュルレアリストたちの 関係については宮下誠の示唆に富む先行研究がある。本
発表の主旨とは異なるためシュルレアリストとクレーの差異をここで論じることはできないが、宮
下誠の示唆に富む先行研究 (宮下誠『パウル・クレーとシュルレアリスム』水声社、 2008 年)をふま
えたうえで、クレーの芸術家的生存戦略という要因を無視してシュルレアリストとクレーを強引に
結びつけることは両者の誤解を招くおそれがある、とだけ付言しておきたい。
25
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.234-235.
26
Ibid., S.225-226.
27
Ibid., S.231.
28
内的欲求について述べた後に、クレーは「純粋な明暗の本質を秩序付けるシンボル 」や「純粋な
色の本質に相応しい秩序付け」について 論述している。(Ibid., S.231.)
29
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.232-233.
30
„Weil es eben an der Orientierung auf der formalin Ebene fehlt.“( Ibid., S.232.)
31
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.232-234.
32
Ibid., S.233.
33
Ibid., S.236.
34
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.212-213; Paul Klee, Schöpferische Konfession, in: Christian Geelhaar(Hg.),
Paul Klee: Schriften Rezensionen und Aufsätze, Köln, 1976, S.119-120; Paul Klee, Tagebücher 1898-1918:
Textkritische Neuedition, Paul-Klee-Stiftung, Kunstmuseum Bern(Hg.), Wolfgang Kersten(Bearb.), Stuttgart
und Teufen, 1988, Tagebücher Nr.640.
35
Paul Klee, Schöpferische Konfession, op.cit., S.119.
36
本論文註 34 参照。
37
パウル・クレー『パウル・クレー手稿 造形理論ノート』西田秀穂、松崎俊之共訳、美術公論社、
1988 年、256-257 頁。
38
ここでクレーが主張しているのは、空間的な構成概念 Konstruktion はもはや(クレーの考える)造
形作品には相応しくなく、時間的な構成概念である Komposition の方がより造形作品の本質に適っ
21
ている、ということであろう。
39
近年、この作品を出品した大規模な展覧会が催された (London, Tate Modern, The EY Exhibition –
Paul Klee: Making Visible, 2013.10.16-2014.3.9)。しかしこの展覧会図録においても 、《生成に於ける
天使》の個別解釈はほとんど記されておらず、クレーの芸術論を示す一作品という位置 付けであっ
た。
40
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.232-234. なお、この箇所はクレーがイェーナ講演で論じた造形化の三つ
の問題のうちの第二のものにあたる。
41
むろん、ここでクレーが念頭に置いているのは主題に即しての造形の補完であり、記号に限った
話ではないのは明白である。しかし、明確な言及がないからといって記号の可能性が排除されてい
るわけでもない、というのが筆者の見解である。
42
クレーはその芸術論全体においてもほとんど記号論を展開しておらず、『創造的信条告白』の草
稿といったわずかなテクストしか残していない。その理由は彼の記号の有用性に対する反省による
ものだと考えられる。クレーの記号論の展開とその反省については前田富士男『パウル・クレー
造
形の宇宙』慶應義塾大学出版、 2012 年、291-293 頁を参照。
43
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.239.
44
ここで思い出されるのは、クレーのかの有名な芸術の定義である。「芸術は、目に見えるものを
再現するのではなく、見 えるようにする」 „Kunst gibt nicht das Sichtbare wieder, sondern Kunst macht
sichtbar.“(Paul Klee, Schöpferische Konfession, op.cit., S.118.) イェーナ講演での芸術論も併せて鑑み
れば、クレーの芸術論の焦点は、芸術の概念やその対象の規定ではなく ――無論それらも要点とし
て語られるが――芸術の「機能」、すなわち「造形化」にあったと推測される。
45
筆者作成。
46
イェーナ講演の文脈では「自然」Natur であったが、他にもクレーは「原像的なもの 」das Urbildiche
といった概念で言い表している。原像的なものについては、デュッセルドルフ美術学校時代におけ
るクレーの講義からその概要が知られている。 Cf. Felix Klee(Hg.), op.cit., S.258.
47
このことは前註の原像論からも明白に読み取れる。クレーはこの二要素の対立が造形作品に存し
ていることについて、「それもまた積極的な態度である」と言っている。
22
図版
図2
《新しい天使》
〈Angelus novus〉
1920 年(32)
31.8×24.2cm
厚紙の上の紙に油彩転写、水彩
イスラエル博物館
23
第2章
《山の花》から《生成に於ける天使》への変奏
第 1 章では、クレーの創作システムと《生成に於ける天使》の対応について考察を行っ
た。クレーの創作システムによれば、造形作品の形成(芸術家の措定)には三つの層がある。
それは「造形要素」「造形作品の主題」「造形作品の内容」の三つである。この三つは、造
形作品を構成する普遍的な層から個別的な層へと順に展開しているが、第 1 章で明らかに
されたのは、この三つの層と《生成に於ける天使》における個別的要素との対応関係だけ
であった。
本章の課題は、
《生成に於ける天使》において「何故そのような対応関係にあるのか」と
いう問いに答えることである。すなわち、
「何故このようなフォルムが天使のフォルムとし
て選ばれたのか」
「何故このようなフォルムによる造形作品が天使という題を持つのか」
「こ
のようなフォルムの造形作品は、如何なる内容を持つべきものであるのか」という三つの
本質に纏わる問いに答えることによって、
《生成に於ける天使》のフォルムに秘められた内
実を明らかにすることが本章の目的である。
これら三つの問いに答えるために、本章では《生成に於ける天 使》と、この作品と造形
上類似した作品である《山の花》(図 3)との比較考察を試みたい。《山の花》を比較の対象
に選んだ理由は次の三つである。第一に、制作年が 1 年しか違わないことから、作品形成
の根底にある芸術論にはほとんど差異が無いと思われること。第二に、造形上は類似して
いながらもそれぞれの主題――「植物」と「天使」――が概念的にあまりに隔たっているた
めに、比較を通じてクレーにおけるフォルムと主題の関係がより明瞭化できると思われる
こと。第三に、画中に「記号」が描かれていないために、
《生成に於ける天使》に描かれた
三つの記号――特に十字架――に固有の意味を読み解く手掛かりとなり得ること。以上の理
由から、本章ではこれより《山の花》と《生成に於ける天使》の比較考察を試みる。
2-1. フォルムの問題
《山の花》と《生成に於ける天使》は、記号を除けば、
「線描によって分断された多色の面」
というほとんど同様のフォルムによって形成された作品である。もっとも、この「 多色の
配置によって何かの主題を描く」という創作技法は、クレーを代表する創作技法でもあり、
植物や天使に限って用いられているわけではない。この技法による作品には《ハーモニー》
(図 4)や《測量された区画》(図 5)、
《街の絵》(図 6)、
《火と満月》(図 7)、
《両方》(図 8)など
24
多種多様な主題がある 48 。よって、この技法によってクレーが「植物」と「天使」という全
く異なる主題を描いたという事実自体に何ら不思議はない。問題となるのは、この技法を
支える芸術論の方であり、すなわち「何故この技法が幅広い主題に適用され得るのか」と
いう点である。クレーにとって「多色の配置」とは何を表現するための技法であったのだ
ろうか。
クレーがバウハウスの授業で造形理論を講義するために記したとされる『教育スケッチ
ブック』には、
「多色」についての一連の理論が記されている。その理論を整理すると、次
の通りである。
色彩はその色合いの移行に従って「加熱」や「冷却」をする。たとえば、青から赤への
移行は「色彩加熱」であり、赤から青への移行を「色彩冷却」である (参考図 2)。この運動
は、矢印のように一方向へと向かうに留まれば、まだコンポジションを構成するための要
素にすぎない。コンポジションそのもの、すなわ ち運動有機体は、運動に対する反対運動
や終わりのない運動が生じるに際してはじめて完成する。その時、色彩の運動は矢印では
なく円環となる 49 。この円環への移行のためには、相異なる色彩をそれぞれ対角線上に配置
することによって、加熱と冷却を一つにまとめる必要がある(参考図 3)。この円環に到達し
たならば、「至るところで」あるいは「そこに」無限の運動が展開されることとなる (参考
図 4) 50 。
参考図 2 51
25
参考図 3 52
参考図 4 53
この理論の中心軸は、
「多色の配置が無限の運動を生起する」という点であろう。クレー
は芸術論においては多色の配置理論の焦点を灰色に据えていたが、実作品において灰色を
使用した例はむしろ少なく、円環の対比を部分的に用いるのがほとんどであった。簡略化
して言えば、暖色と寒色の相互配置によって「無限の運動」を示唆するのがこの理論の実
際の活用法であったと考えられる。そして、《生成に於ける天使》や《山の花》もまた、こ
のような多色の配置理論によって創り出された作品の一つだと言える。 つまり、両作品は
「無限の運動」を表現するためのフォルムによって描かれた作品なのである。第 1 章で確
認してきたとおり、クレーはすべての造形作品は運動であると考えていた。よって、
「無限
の運動」のための表現技法が彼の個別的主題――それが一見して運動を意味するものではな
26
かったとしても――の表現に適応されていたとしても、主題と理論の錯誤を示すことにはな
らない。
従って、
「花」と「天使」という二つの主題に多色の配置理論が適用されたのは、その根
底に「運動の表現」が在るからだと考えられる。
2-2. 造形と主題の結合の問題
イェーナ講演においてクレーは、先に述べた多色の配置による「無限の運動」 の表現と
いう造形理論について、造形作品の形成という観点から、ある不足を指摘する。それは「方
向付け」の欠如である。つまり、
「無限の運動」は作品 形成の指標ではあるが、それが十分
に達成されるためには、内容や主題についての方向付けがされなければならない 、という
のがクレーの考えなのである。次に挙げるのはその部分の引用である。
このような否定的な意味での造形の段階には当然次のような同じ危険な意味が含まれ
ます。すなわち、そこに留まっていては、最も偉大で最も重要な内容にまで達しえず、
その方向に向かうすぐれた精神的素質があっても挫折してしまうのです。なぜなら、
形式の領域における方向付けが欠けているからです。 54
この発想の下に、イェーナ講演における議論は、造形要素の問題から主題・内容の問題
へと展開していく。クレーは作品の主題と造形要素の結びつきを「連想作用」から論じて
いる 55 。連想作用――つまり、造形からのイメージの働きかけ――が造形と主題を結びつけ
る理由について、クレーは次のように述べる。
何故かといいますと、高次の構造を持った造形作品は、わずかの空想力で、誰でも知
っている自然の被造物と比喩的な関係にもたらされるのに適しているからです。 56
高次の構造とは、つまりは完成されたコンポジションのことであり、その一つの例は先
に述べた多色の配置によるフォルムである。従って、クレーはこの引用箇所で、多色の配
置による作品はそのフォルムからの連想によって自然的な事物と結びつき得る、と言明し
ていることになる。単なる色彩の配置から自然的な事物を連想す ることが一般的に可能で
27
あるのか、という疑問は提示されるべきであるにしても、少なくともクレーはそのような
連想作用の下に造形作品の主題を決定していた。彼の作品にはこのことを示唆する多くの
作品がある。《開花》(図 9)はその最たる例である。造形としては単なる多色の配置に過ぎ
ないが、クレーは連想作用によって「花が開く」イメージを そこに看取して、
《開花》と題
したのだと推測される。そして、まさしくこの関連から、
《山の花》における造形と主題の
結合の理由も説明できる。すなわち、クレーは画布上あるいは自身の思考の中に描き出さ
れた多色の配置フォルム――「原」《山の花》フォルムのようなもの――から、「山の花」な
るものを連想し、そのフォルムに「山の花」という題を与えたのだと推測されるのである。
では、
《生成に於ける天使》の場合はどうであろうか。同様の理由によって造形と主題の
結びつきを説明するには、二つの困難があるように思われる。一つは 、一般的に言って、
天使は「誰でも知っている自然の被造物」ではないこと である。いま一つは、記号と主題
の結びつきが不明瞭であることである。この二つの困難は、前者はクレーにおける自然の
観念から、後者はクレーの記号論から、解決・説明されると考えられる。次節では、まず
クレーにおける自然の観念について見ていきたい。
2-3. クレーにおける自然
2-3-1.
自然探求の道
クレーの自然に関する論考で最も有名なものは、1923 年に発表した論文『自然探求の道』
Wege des Naturstudium 57 であろう。題の通り、この論文は芸術のための「自然の研究」を目
的としている。その概要は次の通りである 58 。
自然との対話は芸術家にとって不可欠の条件である。何故ならば、芸術家もまた自然の
属するもののひとつだからである。芸術家と自然の対話についての分析は、視覚からだけ
では不十分であるため、形姿から拡大して観察する必要がある。観察の方法は三つあり、
一つ目は「可視的内在化」、二つ目は「機能的内在化」、三つ目は前二つ とは異なる非可視
的な道、
「みる私を対象との共鳴関係に導く」ところの、対象を人間化する道である。この
第三の道には更に二つの道がある。ひとつは大地の重力にとらえられている静的な道であ
り、ひとつは宇宙の動性にあふれた自由な道である。これら四つの道は眼あるいは自我で
出会い、そこでフォルムにかえられ、外的な視覚と内的な観照の総合へと進む。自然 の研
28
究者は、こうしてさまざまな道から得たものをフォルムにおきかえ、その体験を通じて、
自然との対話の深さを明らかにする 59 。
クレーはこの論文において、視覚的な道と非視覚的な道によって自然探求が為されるこ
とを論じている。視覚的な道は、通常我々が「自然観察」や「自然研究」と呼ぶところの
ものであり、草花の形姿もその対象となる。実際、クレーは作品の一見した印象とは異な
って、単なる抽象芸術家ではない。クレーの画家としての出発点は「風景画家」であり、
抽象画の道へ進んだ後も自然物の収集や観察は継続していた 60 。そうであるからして、クレ
ーが「目に見える自然」を重視していたことは疑いようがない。この論文に付せられた図
は、自然の探求が第一義的には「目」Auge による可視的な「客体」Du の観察の分析であ
ることを示している(参考図 4)。
参考図 4 61
一方で、クレーはこの論文で非視覚的な道も論じている。これは視覚的自然の延長上で
あり、視覚によって捉えられるものが如何なる圧力を被って観察者である芸術家の内面へ
29
と至るかについての説明であるため、目に見える自然が起点となっている点では同じであ
る。ただし、起点は同じであっても、観察者へと至る過程で「地球の重力」と「宇宙の動
性」を被っている点には留意が必要である。このことは、クレーのとっての自然観察が、
単なる視覚認識論に留まらず、宇宙論的な、観念論的な傾向も含むことを意味している。
そもそもクレーの芸術論の中心は「見えるものを再現することではなく、見えるようにす
る」 62 ことであるからして、目に見えないものと目に見えるもののあわいにこそ、その本
質がある。故に、クレーにおける自然観察ないし自然の造形化については、形姿的な受容
のみならず、観察者の内的な観念をも考慮に入れる必要がある。クレーの描く花は単なる
「この花」や「その花」といった視覚認識された花ではない。確かに視覚認識された花を
起点としているが、花の形姿の写実的ないし抽象的な再現などではなく、 花の形姿と芸術
家の観念との対応によって生み出された「そうでもあり得る」花なのである 63 。
『自然探求の道』は自然物の観察についての論文であるが、クレーの芸術論のすべてがそ
うであるように、その内容は可視的な次元に留まらない。クレーの「自然」は単なる目に
見える自然を超え出て、「目に見えない自然」も 包含する。もっとも、『自然探求の道』は
その起点として「目に見える自然」を取り上げているため、
「目に見えない自然」にまでは
議論が展開されていない。クレーにおける「目に見えない自然」とは、具体的にはどのよ
うなものが挙げられるだろうか。
2-3-2. 目に見えない自然
パウル・クレーという画家において、造形芸術と目に見えない主題という関係を考える
場合、まずもって想起されるのは「音楽」という主題であろう。クレーは音楽の造形化に
ついて 1905 年には既に理論の構想を始めており 64 、作品としても 1910 年代後半より継続的
に描かれている。クレーは音楽を造形化するにあたって「リズム」を強く意識しているが 65 、
この意識は「運動」を根源とする造形芸術論によって理論的な裏付けがなされている。つ
まり、運動的な(時間的な)要素を媒介として、音楽のような目に見えない主題と花のような
目に見える主題を、クレーは同じ芸術理論の枠内で考えているの である。
《山の花》と同様
に多色の配置理論が《静‐動的階調》(図 10)や「ポリフォニー」シリーズ(図 11-13)といっ
た音楽的主題にも適用されているのは、このことの証左である。
クレーが造形化したのは、自然物や音楽だけに留まらない。幾何学や色彩といった純粋
な観念も、クレーが好んで造形化した主題の一つである。音楽の場合と同様に、これらの
30
観念の造形化を可能とする媒介は「運動」である。クレーは目に見える自然の観察にして
も、目に見えない自然の観察にしても、その根底に 「運動」を見出し、そこを造形化の起
点として作品を創造していったのである。言い換えれば、クレーが芸術論において言及し
ている自然とは、
「自然法則」や「自然の原理」のことであり、そもそも目に見えない次元
でクレーはあらゆる自然を捉えようとしていたの である。
では、通常の意味での「自然」を超えているもの、たとえば「天使」のような主題 につ
いてはどうだろうか。
2-3-3. 中間の世界
バウハウス時代、クレーは教師仲間であるロタール・シュライヤーとの 対話の中で自身
の自然観について重要な発言を残している。この発言は、クレーが自然という言葉の下に
いかなる領域を認識していたのかを明らかにしてくれる。その一部を引用したい。
私は絵画概念の限界も絵画構成の限界ものりこえてゆきはしない。しかし 私は、絵に
新しい、新しいといっても本来からいえば新しいのではなくて、これまでほとんど見
たことがないというだけの話だが、そういう内容を絵に与えることによって、絵の内
容を拡げてゆくのだ。いうまでもなくこうした内容も自然の内部にあることは明らか
だ。もちろん、自然と言っても自然主義の意味での自然現象ではなく、自然の可能性
の領域のことだ。従って、潜勢的な自然のイメージを与えるのだ。
〔……〕
私はそのことを度々言っているのだが、しかし、私たちのために色々な世界がすでに
開かれた、そして現に開かれつつあるという事実 が十分真面目にうけとられないこと
がある。それは自然に所属している世界なのだが、必ずしもすべての人間がそこへ眼
を向けない、むしろ実際には子供や狂人や原始人たちだけが見ている世界だ。 私が言
わんとしているのは、たとえば未生のものたちと死者たちの国、来ることができ、来
たいと思っているが、しかし来る必要のないものの国、一種の中間の世界だ。 66
この発言においてクレーは、特殊な自然観を提示している。第一に、クレーにとっての
自然とは、目の前にあり、物質として現前し体感することができるという意味での自然の
みならず、可能的な自然をも含んだ自然概念である、という点。ここで想起されるのは、
31
アリストテレス的な現実態‐可能態の生成概念であり、よりクレーの時代に近づけて語る
ならば、ゲーテの言う「植物のメタモルフォーゼ」であろう 67 。つまり、自然的事物の中に
は、「現にこうである」自然のかたちだけではなく、「こうでもありうる」自然のかたちが
秘められているのであり、そのような潜勢的要素を含めての一つの自然概念である。ゲー
テは植物の分析を通して自然をそのように捉えていたし、クレーも同様に捉えていた。ク
レーはむしろ潜勢的要素の方を自身の芸術におい ては重視しており、そのことはイェーナ
講演での発言から明らかに見て取れる。
私が表したいと思っている人間は、現にあるがままの姿では全 くなくて、ありうるで
もあろう姿だけです。 68
このように、クレーにとって自然とは、目に見える事物だけではなく、また音楽のよう
に目に見えないが感知することができる事物だけでもなく、その内部に秘められた純粋な
可能性にまで開かれている。しかし、ゲーテやアリストテレスといった伝統的文脈をも超
えて、クレーは更に独自に自然の観念を拡張させている。その結実は、
「中間の世界」であ
る。
クレーの言う「中間の世界」とは、未生のものや死者たちの国である。クレーはこの国
について、バウハウス以前から思想展開をしている。代表的なテクストを引用する。
此岸でわたしを捕まえることはできない。
わたしは好んで死者たちと、
未だ生まれざるものとの領域に住みついているから。創造の革新に近づいているよう
な気もするが、まだまだだ。
わたしからは暖かさが放出されているのか?
クールなのか??
彼岸ではいかなるものも問題にはならない。遥か彼方でこそ
わたしは最も敬虔になれる。此岸ではわたしはお うおう
底意地の悪いものとなる。ことは微妙なのだ。
宗教家たちの敬虔さだけではまったくもって不十分。
律法学者の説教にはいらだつばかりだ。 69
32
このテクストは、1920 年にクレーが自身のモットーとして記したものであり、自身の宗
教性について規定しているテクストの一つである。このテクストの詳細は第 3 章に譲るが、
本章との関連で言えば、クレー自身が「死者と未生のもの」の領域に属していることがこ
のモットーから明らかとなる。クレーはシュライヤーとの対話の中で「子供や狂人や原始
人たち」だけがこの領域を見ていると述べていたが、例外として、クレー自身もこの領域
の観察者であることがここで言明されているのである。従って、クレーが見ている「自然」
には、この種の自然も含まれていることになる。
更に、クレーは天使について次のような詩を残している。
Einst werd ich liegen im Nirgend
いつか、どこでもない場所で
Bei einem Engel irgend. 70
誰でもない天使の側に私は横たわるのだろう
この詩はクレーが天使について直接言及している数少ないテクストであるが、ここでク
レーは天使という存在者が属する領域を「死者の領域」と重ね合わせている。これはごく
一般的なキリスト教的天使観であり、クレーもまた一般的な天使観に則って天使を規定し
ていることがわかる。このテクストと、これまで見てきた「中間の世界」あるいは「彼岸」
に関するテクストを併せて分析すると、次のことが明らかとなる。
すなわち、クレーにおける「自然」とは、目に見える事物、目に見えない事物、この世
界における可能的な領域、この世界とは異なる領域を全て併せ持った概念であり、自然物
である「花」はもちろんのこと、「天使」もこの概念の中に含まれているのである。
以上の考察により、多色の配置理論が《山の花》にも《生成に於 ける天使》にも共通し
て適応される理由が示された。クレーにとって「花」と「天使」は、「自然」という共通概
念によって結び付けられている。故に、同様の技法によってその表現が可能となる。言い
換えれば、クレーの特殊な「自然」概念の故に、《山の花》から《生成 に於ける天使》への
変奏は成り立っているのである。
2-4. クレーにおける記号
前節までの考察により《山の花》から《生成に於ける天使》への変奏が成り立っている
33
一つの理由が明らかにされた。それは共通点による分析であり、その共通点とは「自然」
であった。本節では、前節とは逆に相違点の分析を行う。すなわち、《生成に於ける天使》
に固有の「記号」は、造形と主題との結びつきにおいて如何なる役割を果たしているのか、
という点についての考察である。
本節の考察では、まずクレーの記号論を確認した後、
《生成に於ける天 使》に描かれた三
つの記号、すなわち「円」
「三角」
「十字架」についての個別分析を行う。次いで、《生成に
於ける天使》とその予型的作品との関係考察から当該作品における記号の役割を確認し、
最後に《生成に於ける天使》の記号の意味についての結論へと導きたい。
2-4-1. クレーの記号論
クレーが記号について論じたテクストはほとんど無く、この点がクレーの記号論を読み
解く上での大きな障害となる。まずはその数少ないテクストを引用する。
最高至上圏〔の芸術〕においては、秘密に満ちたものが始まり、知性の光は哀れにも
消滅する。そこでは象徴が精神を慰める。精神は地上的なものの一面的な可能性に束
縛される必要のないことを洞察しているからである。 71
[括弧内は筆者]
このテクストは『創造的信条告白』の草稿である。1918 年頃に書かれたものと推測され
る。先行研究においては、ここでの「象徴」Symbol は文脈から考えてほぼ「記号」Zeichen
とイコールであり、芸術における記号の役割についてクレーが論じている箇所とされてい
る 72 。ここでの「象徴」は、最高至上圏の芸術に属する一要素であり、極めて高く評価され
ていることが分かる。クレーは画家として大成する以前から、たとえば《フェルマータの
ある素描》(図 14)といった 1910 年代の作品において既に記号を中心的な造形要素として用
いていた。このことを鑑みれば、クレーの記号に対するこのような高評価も不思議ではな
い。とはいえ、この草稿での評価を以後のクレーの芸術と直接重ね合わせるのは危険であ
る。何故ならば、クレーは『創造的信条告白』の 最終稿において、象徴を最高至上圏の芸
術という文脈から外し、この評価を早くも撤回しているからである。
「象徴が精神を慰める」
というテクストは維持され、以降のクレー作品にお いても頻繁に記号が用いられているこ
とから、クレーが造形作品における記号の使用を軽視していたわけではないのは 事実であ
34
る。しかし、以後のクレーがそこに何らかの反省を持ち込んだのも また事実である。前田
富士男はそのことを窺わせるクレーのテクストとして、次のものを挙げている。
ここで〔運動のなかで〕矢印は象徴的(symoblisch)に作用している。しかしこの象徴
(Symbol)は広く一般的に認められ通用しているひとつの約束事でしかないし、この象
徴を用いて創作活動を行う芸術の範囲内では有効だろう。が、象徴それの みでは、ま
だ芸術的創造に達してはいない。したがって共通の約束事によるこうした記号
(Zeichen)は克服されなければならないし、矢印なしでやってゆくべきである。 73
[括弧内は引用著者による補足]
このテクストが記されたのは 1924 年である。従って、少なくとも 1924 年の時点では、
「記号は克服されなければならない」とクレーは考えていたことになる。この年以前のク
レーが過剰なまでに矢印等の記号を用いていたことを考えれば、このテクストは自身の芸
術の方針への反省と見て間違いない (図 15)。ただし、注意しなければならないのは、前田
富士男が指摘するように、ここでの記号論が記号の 端的な否定を意味しているのではない、
という点である。実際、以後のクレー作品に於いても記号は描き続けられており、作品の
重要な意味付けを担っている。ここでクレーが言っている「克服」とは、記号が意味内容
を支配する造形芸術の克服のことであり、言い換えれば、記号のアレゴリーの端的な制約
を超えて更なる意味内容を創造する造形芸術への志向である。この記号論において、造形
作品の主題や内容を決定するのは記号ではない。この記号論と同年に発表されたイェーナ
講演の内容から鑑みるに、それを決定するのは、造形作品のフォルムである。すなわち、
フォルムからの連想作用により主題が決定され、フォルムに内在する運動性・時間性に由
来して現実的な内容が満たされる。これが第 1 章で確認したところのクレーの造形芸術論
であった。この造形芸術論にあって、記号は あくまでもフォルムの一部である。従って、
「記号とは、他のフォルムと協同して作品の主題や内容を創造する造形芸術の一要素であ
る」というのが反省をふまえたクレーの記号論であると考えられる 。
以上が 1924 年時点でのクレーの記号論である。これから 10 年後、クレーは《生成に於
ける天使》を創作している。この 10 年の間に記号論に何らかの変化があったのかを見て取
35
ることは、クレーのテクストに依拠して推測することは難しい。先に述べたように、クレ
ーは記号についてほとんど言及をしていないからである。
とはいえ、この空白期間におけるクレーの記号観がまったくの不明であるというわけで
もない。それは主として作品が証言している。
2-4-2. クレー作品における円・三角・十字のアレゴリー
クレーが作品に「記号」を使い始めたのは 1910 年代以降である。それ以前のクレーは、
エッチングによる滑稽画や寓意画、ないしは素朴な風景画を志していたが、記号の時期と
ほぼ同じくしてクレーの中心的な関心は色彩画や線描画に移行している。これはクレーの
関心が具象的なものから抽象的なものへ移行していったことと関係している。また、クレ
ーの芸術は「見えないものを見えるようにする」ことが主眼であること、とはいえその出
発点は我々に現前している自然の観察であるということは、これまで確認してきた通りで
ある。従って、クレーの描く抽象には、
「不可視のものの可視化」と「可視的なもの の抽象
化」という二つの方向性が同居していると考えられる。
このように考えた場合、クレーの描く記号にはさしあたり二つの役割があると推測され
る。一つは「不可視の概念の指示」であり、いま一つは「可視的事物の代替表現」である。
では、それぞれの記号は、実際には、どのような概念を指示し、どのような事物の表現
として用いられているのだろうか。これより、三つの記号についてそれぞれ見ていきたい。
【クレー作品における「円」の表現】
「円」という記号は、クレー作品において最も頻繁に見受けられる記号の一つである。
「可視的事物の代替表現」としては、先ずもって「太陽」や「満月」といった天体 の表現
が見出される。それはたとえば、《月は昇り、陽は沈む》(図 16)や《城と太陽》(図 17)など
において明白である。また、
《バラの園》(図 18)や《豊作》(図 19)のように植物の部分とし
て描かれていることも多い。これらの傾向より、クレーは主として自然界に存在する 「丸
いかたち」の寓意として、主として「円」を用いていたことが分かる。
とはいえ、全体として見れば、クレーが事物を表現として分かりやすいかたちで「円」
を用いていたケースは少なく、最も多く見出されるのは、
「不可視の概念の指示」の方であ
る。このような表現は特に 1920 年代以降顕著であり、《再構成 I》(図 20)や《理性の限界》
(図 21)、
《まきひげ》(図 22)のように、正確な意味を確定させるのは客観的にはほとんど不
36
可能な場合が多い。あるいは、これらの記号が純粋に「不可視の概念」を想定してはおら
ず、「可視的事物」としてもクレーが考えていた可能性は残る――たとえば、《再構成 I》に
は町らしきものが描かれていることから、
「円」は町の上に輝く太陽を意味しているとも考
えられる――。唯一確実なのは、これらの作品における「円」が、端的に可視的事物の表現
ではないという点である。描かれた年代から考えて、
《生成に於ける天使》もこの種の「円」
表現にあたると思われる。
【クレー作品における「三角」の表現】
クレー作品における三角形としてまず思い浮かぶのは、かの有名な《ニーゼン山》(図
23)であろう。この作品は、諸天体が記号で描かれていることもさることながら、山自体
が一つの記号になっている点に特徴がある。 つまり、山を三角という概念に見立てて記号
的に描いているのである。とはいえ、ここにクレーの独創性は 見受けられない。何故なら
ば、ニーゼン山はそもそも「三角の概念・形象を具現化した山」ないし「ピラミッド型」
として有名な山であり、この山を幾何学概念に重ね合わせることはむしろ一般的だったか
らである(写真 1-3)。もっとも、ニーゼン山に注目して、その幾何学的性格を強調して描い
たという点で、クレーの記号的表現に対する関心の高さには独自のものが見出される。
その他、クレーが作品に三角を描く場合には、自然物よりは幾何学概念に 注目している
場合が多い。具体的事物を描いたとしても、
《ニーゼン山》のように、抽象概念の側面がよ
り強調されている場合がほとんどである。
《 直角になろうとする茶色の三角形》(図 24)や《二
重テント》(図 25)、
《パルナッソス山へ》(図 26)などは、形態の発端は具体的事物の観察に
あるかもしれないが、明らかに幾何学的な抽象概念 の表現を志向している。従って、クレ
ーの「三角」は、「円」に比して、「不可視の概念の指示」という性格が強いと言える。こ
れは「三角」という形がそもそも幾何学を強く意識させるという一般的な特徴に由来す る
と考えられる。
もっとも、幾何学を意識して「三角」を描いていたとして、何故作品にそのような幾何
学的記号を描きこんだのかは判然としない場合が多い。この点は「円」と同様である。
【クレー作品における「十字」の表現】
「十字」という記号は、前二つの記号に比して、
「不可視の概念」を指示する意味合いが大
きい。クレーが「可視的事物」に即して十字的な形象を描いたと考えられるケースが無い
37
わけではないが――《窓越しに》(図 27)などはおそらくそうである――、記号として「十字」
を描いている場合は、何らかの概念を指示しようと している場合がほとんどである。傾向
としては主に三つ見受けられる。第一には、十字型に「否定」 の概念を託すケース、すな
わち「バツ印」としての十字型である。この解釈は《リストからの抹消》(図 28)が特に有
名である。第二には、
「十字架」概念としての十字型である。もっとも、確定的に十字架と
見做せるケースは少なく――晩年の《もうひとつの十字架の天使》(図 29)のように、題には
っきりと記されているのはむしろ少数である――、大体の場合は構図や主題からの推測とな
る。たとえば《救済の図表》(図 30)などがそうである。第三には、第二のケースと類似し
て、「宗教的・魔術的」概念を含意していると思われる十字型である。《星と結ばれて》(図
31)や《魔法劇》(図 32)、
《魚の周りに》(図 33)は、このケースに該当すると推測される。も
っとも、このような意味合いの十字型は十字架の一種とも見做し得る。何故ならば、宗教
的概念の指示という点で両者は同様だからである。
クレーの「十字」の特徴としてもう一点指摘できるのは、キリスト教圏においては一般
的に「十字架」のイメージが付き纏う十字型に対して、クレーはキ リスト教の十字架と確
定させないような記号の用い方をする傾向にあったという点である。これは題に「十字架」
と記されている作品が少ないことからも明らかである。とはいえ、 十字架の表現やキリス
ト教的主題が徹底的に避けられていたわけでもない。それは《仔羊》(図 34)や《キリスト
教的墓標》(図 35)、《ゴルゴタへの序幕》(図 36)が描かれていることからも明らかである。
従って、クレーはキリスト教的主題や十字架表現を避けていたのではなく、そのような主
題や表現にばかり拘泥せずに「十字」を描いていた、というのが実際のところであろう。
ただし、クレーがキリスト教圏で生涯を過ごした画家であることを思えば、キリスト教を
避けていたわけではないにしても、意識的にキリスト教と距離を置いていたのは事実であ
ろう。故に、この点はやはり、クレーという西欧画家の一つの特殊性として考えなければ
ならない。
以上が、クレーの作品における「円」「三角」「十字」のおおよその用いられ方とその特
徴の概要である。全体を総括して言えるのは、クレーの描く記号には確かに「不可視のも
のの可視化」と「可視的なものの抽象化」という二つの向きがあるが、 実際の作品におい
て、描かれた記号がどちらの向きに与しているのか、記号が具体的にどのような意味を担
っているのかという点を確定させることはできないということである。
38
クレーの記号は多義的である。ここでの多義的とは、
「ある作品においてはこのような意
味になり、ある作品においてはあのような意味になる」という意味での多義的 のみならず、
「或る一つの作品において、このような意味であるかもしれないし、あのような意味であ
るかもしれない」という意味も含んでいる多義的である。つまり、クレーは意識的に記号
の意味を曖昧に留めているのである。
クレーの芸術が「あるがままではなく、そ うでもありうる」を目指していることは先に
触れたが 74 、記号の担っている意味に関しても、クレーは「そうでもありうる」という可能
性の領域を最大限保持しようとしていたと考えられる。よって、記号の意味を何か一つ に
確定させる努力は、無益であるどころか、クレーの意図に反する 結果にすらなりかねない。
従って、《生成に於ける天使》も、このような多義性の下に解釈しなければならない。
2-4-3. 1933-34 年のクレーと《生成に於ける天使》の予型的作品
《生成に於ける天使》に描かれた記号の意味が多義的であることは、別の側面からも言い
得る。それは、予型的作品との比較においてである。
《生成に於ける天使》が描かれた 1934 年、クレーはドイツを逃れて故郷のベルンに滞在し
ていた。発端は 1933 年より激化したナチスによる弾圧であった。後に頽廃芸術展(1937 年)
に作品が出品されていることからも分かる通り、クレーは頽廃芸術家の一人としてナチス
に警戒されていた。結果としてスイスに逃れることはできたが、家宅捜索を受け財産没収
の危機に遭う等、決して無事平穏な避難というわけではなかった。クレーはスイス亡命前
の約半年間、一時期デュッセルドルフに避難していた。息子フェリックスはこの時期のク
レーを、「もぐらのように」家に引きこもり、「異常な創作欲に憑つかれた」状態であった
と記している 75 。そして、この異常な創作欲の期間に、クレーは《生成に於ける天使》の予
型となる作品《熱い場所》(図 37)を描いている。
《熱い場所》は、先行研究でも度々指摘されている通り、
《生成に於ける天使》と ほぼ同構
図の予型的作品である。もっとも、作品が纏う印象は大きく異なっており、油彩でかっち
りと固められた静的印象の強い《生成に於ける天使》とは対照的に、
《熱い場所》はチョー
クで感情的に染め上げられた動的印象の強い作品である。この印象の差異は、 1934 年と
1933 年、すなわち両作品の制作年におけるクレーの環境の違いの反映だと考えられる。1933
年はクレーにとって受苦の年であり、作品も全体として鬱屈した感情が漂っている。その
最たる例は《リストからの抹消》や 100 点以上にも及ぶ荒々しい素描群 (図 38-40) である。
39
一方で、1934 年はスイスに亡命した後であり、同年 1 月よりイギリスで初の展覧会が催さ
れる、翌年 2 月にはベルン美術館でスイス初となる大規模な展覧会が催される等、躍進の
兆しが窺える年であった。晩年のクレー作品の性格を決定づける「病」はまだ発症してお
らず、画家としての安定期であったと推測される。この二つの環境の違いが、《熱い場所》
と《生成に於ける天使》の印象の違いの要因だと考えられる。
とはいえ、
《生成に於ける天使》を《熱い場所》の単なる焼き直し的作品、あるいは作品
の再構成と捉えるには、或る大きな困難が存する。それは、主題の関連性の薄さである。
類似した技法、フォルムを有していながら主題が全く異なっているという問題 について
は、本章がこれまで《山の花》と《生成に於ける天使》との比較によって見てきた 通り、
クレー独自の自然観によって解決される。よって、「場所」が「天使」に変換されること自
体は既に解決された問題である。そうではなく、ここで問題とすべきは、主題に関係を持
っている記号のアレゴリーの方である。
クレーの記号は単なる約束事としての機能に終始せず、他のフォル ムとの一体化によっ
て主題や内容を創造する象徴を目指していること 、クレーの記号は多義的に用いられ、同
じかたちであってもそのアレゴリーを一つに絞ることはできないこと 、これらの点につい
ては前項および前々項で確認してきた通りである。従って、
《生成に於ける天使》と《熱い
場所》に共に描かれた円・三角・十字の記号については、次のように言わなければならな
い。すなわち、これら三つの記号は、他のフォルムとの協同によって、
《熱い場所》におい
ては「熱い」ないし「場所」を指示するアレゴリーとして機能し、《生成に於ける天使》に
おいては「生成」ないし「天使」を指示するアレゴリーとして機能していた、と。
従って、《生成に於ける天使》は《熱い場所》の単なる焼き直しではなく、《熱い場所》
のフォルムと記号が有している可能性、
「こうでもありうる」主題の一つの現れであったと
考えられる。
クレーの造形作品の主題が連想作用によって定められることは既に述べた。とすれば、
両作品の主題の違いは、連想作用の違いである、と言うことができる。つまり、
《熱い場所》
から《生成に於ける天使》への変奏は、一つは制作年とそれぞれの時期における環境の違
いに拠って、いま一つは同フォルムからの連想作用の違いに拠って、成り立っているので
ある。
40
2-4-4. 《生成に於ける天使》における三つの記号の役割
クレーの記号は多義的である。円にしても、三角にしても、十字にしても、そのアレゴ
リーは複数の可能性に開かれている。この点は《生成に於ける天使》という作品において
も同様である。というのも、
《生成に於ける天使》自体が多義性の故に《熱い場所》という
作品から変転した作品だからである。逆に言えば、同構図である故に、
《生成に於ける天使》
から《熱い場所》へと変転する可能性も留められているし、更には《生成に於ける天使》
から別の同構図別主題の作品へと変転していく可能性も十分に考えられる。このような余
地を残しておくこと、場合によっては実際にこの余地を活用して新たな作品を創造するこ
とは、クレーの芸術の特徴の一つである。
故に、クレー作品の記号を解釈するにあたって、その多義性を解消すること、それぞれ
の記号に対して何か一つのアレゴリーに意味を絞る努力はほとんど無益である。確かに、
十字架はキリスト教の象徴であり、天使との関連を強く窺わせるものである。しかし、ク
レー作品における十字は「十字架」という一つの約束事に縛られてはいない。少なくとも、
クレーの記号論においてそのような方向は目指されていない。目指しているのは、一つの
約束事という縛りの克服であり、記号による狭いアレゴリー性からの脱却である。このこ
とは円と三角についても同様である。
もっとも、多義性が解消されないとはいえ、記号を如何様にも解釈して良いというわけ
ではない点には留意したい。記号はやはり記号であり、一定の範囲内で何らかのアレゴリ
ーを有している。十字はあくまでも十字であり、それを太陽や 山の象徴と捉えるのは誤り
である。クレーが記号を一つの約束事と認めている以上――その一つを確定させる必要はな
いが――、一つの約束事を有するフォルムとして見做さなければならない。つまり、《生成
に於ける天使》は描き込まれた三つの記号は、何らかのアレゴリーとしてやはり機能して
いるのであり、フォルムとの協同によって「生成」や「天使」という主題に相応しい造形
作品を形成しているのである。これが《生成に於ける天使》における三つの記号の役割に
他ならない。
2-5. 結論 ――クレーにおける自然と天使――
本章は、
《生成に於ける天使》という造形作品おけるフォルム・主題・内容の対応関係を
明らかにすることを課題としていた。すなわち、
「何故このようなフォルムが天使のフォル
41
ムとして選ばれたのか」、「何故このようなフォルム による造形作品が天使という題を持つ
のか」、「このようなフォルムの造形作品は、如何なる内容を持つ べきものであるのか」と
いう三つの問いに答えることが目的であった。これまでの考察により、さしあたり前者二
つに対する回答は既に明らかにされている。
何故このようなフォルムが天使のフォルムとして選ばれたのか。その理由は、
「多色の配
置」という技法が「無限の運動」を表現するための技法であり、かつクレーにとってあら
ゆる造形作品は運動という性格を有するものだからである。
何故このようなフォルムによる造形作品が天使という題を持 つのか。その理由は、クレ
ーの多義的な自然観が、花のような目に見える存在も、音楽の ような不可視ではあるが知
覚できる存在も、天使のような我々の世界とは異なる領域に住まう存在も、すべて「自然」
の内に包み込んでいるからである。クレーにとって花と天使は、単に同じ技法で描き得る
だけでなく、存在論的に観ても共通する要素を持った主題なのである。
以上の二つの回答は、
《山の花》から《生成に於ける天使》への変奏を成り立たせている
理由でもある。
では、クレーにとって《生成に於ける天使》は、如何なる内容を持つ べきものなのだろ
うか。「内容」とは、個々の作品が持つ意味であり、それぞれの現実であり、《山の花》と
《生成に於ける天使》とで異なっていなくてはならない。そうでなくては個々の 作品の主
題やフォルムの差異には何の意味も無くなってしまうからである。回答の鍵を握るのは、
筆者が考えるに、先に見てきた「記号」の解釈である。
クレーの記号は多義的であり、何らかの確たる意味に絞り込めるほどの狭隘さを持って
いない。その一方で、記号は一つの約束事である故に、何かのアレゴリーとしては最低限
成立しているはずであり、その点を了解しつつクレーは作品に記号を描きこんでいた。こ
の複雑な記号観の中核は、おそらくは「記号は克服されなければならない」という部分に
ある。すなわち、クレーの記号は「特定の意味を指示しつつ、同時にその意味を超えてい
くこと」にその本来的意義があったと考えられる。そして、その超えていった先にある「何
か」こそが、クレーが記号ないしは造形作品を通じて描き出そうとした「内容」なのでは
ないだろうか。
この「何か」を特定することは可能だろうか。第 1 章の分析に即しては「運動」や「芸
術の現実」とも言うことができるが、より個別的な、個々の作品に即し た内容を言語化す
ることは、おそらくは不可能である。何故ならば 、クレーは記号の多義性を敢えて留めて
42
いるように、造形作品それ自体の多義性もまた留めようと欲しているからである。クレー
自身の言にあるように、造形作品は創生である 76 。造形作品は、その本質から言って時間的
であり、鑑賞者によって、時には作者自身の手によって、その意味内容は絶えず作り変え
られる。クレーが切断と再構成、同構図による描き直しといった手法を好んで用いていた
のはそのためである 77 。故に、《生成に於ける天使》の円と三角と十字が実はこれこれのア
レゴリーであり、主題のこのような側面を表している、といった解釈は、クレーの意図を
大幅に越え出た解釈だと言わなければならない。クレー自身の芸術理論に即して言い得る
のは、円と三角と十字は「天使の生成」という主題の内容を生み出すのに相応しく、しか
しまた他の主題の内容をも――たとえば「熱い場所」などを――生み出しうる記号である、
といった程度である。別の表現をすれば、この三つの記号は天使を召喚するための魔法陣
である。そしてこの魔法陣によっては、天使に限らずその他さまざまな自然を、一つの「運
動」ないし「描き出された現実」として呼び出し得るのである。
従って、クレーの描く記号については、作品の内容との意味連関において過剰な期待は
許されない。
《山の花》と《生成に於ける天使》の差異を作り出しているのは、見かけ上は
記号が大きな要因となっているが、実際には 連想の違いという程度にしか解釈の手がかり
にはならないのである。極言すれば、
《山の花》にもこれら三つの記号が描かれる可能性は
あった。描かれなかったのは、そのような連想作用が働かなかったからに過ぎない。 ほん
の少し、
《山の花》における連想作用がずれていたならば、そこに記号が描かれる可能性も
あった――《十字架のある花の静物》(図 41)や《夜の花》(図 42)、《石板の花》(図 43)はそ
の例である――。あるいは、色彩配置や線の区切り方も異なっている可能性もあった――
《山
の花》の色面の区切りが三角形になっているのは、それが「山」の連想と繋がっていたか
らかもしれない――。このような微妙なすれ違いの下に、
《山の花》と《生成に於ける天使》
の変奏は成り立っているのである。
ひとは《生成に於ける天使》に描かれた十字を見て、それを十字架だと確信し、
「天使の
生成」との必然的関係をあれこれ想像したがる。しかしその想像から語り出されたものは、
クレーが記号に託した多義性の一つに過ぎない。十字架という可能性も、もちろんある。
しかしそうではない可能性も、そこにはある。《生成に於ける天使 》に描かれた十字型は、
端的な意味でのキリスト教の証ではない。芸術家クレーの創作システムにとって、この記
号は、結局は芸術の現実を生み出すための一要素であり、 魔法陣の部分の一つに過ぎない
のである。
43
《山の花》から《生成に於ける天使》は、類縁的作品であり、変奏という関係にある。 こ
の変奏を成り立たせているものは、両主題を同一の地平で捉えようとする クレーの自然観
と芸術理論である。この視座においては、記号ですらも、一つのアレゴリーに縛られず、
自然の多彩な現れによって分岐する多義的なシンボルとして位置付けられているのである。
註
48
色面の中にほとんど図形化された具象物 ――月や木や山など――も含めた場合には、カイルアン 旅
行(1914 年)以降のほぼすべてのクレー作品がこの技法に該当する。しかしここまで同一技法の解釈
範囲を広めてしまった場合、個別の作品の意味を考察するのが難しくなってしまうため、本章では
この技法の中でもとりわけ抽象度の高いものを《山の花》や《生成に於ける天使》に類するものと
して以下の論を進めることに した。
49
無限運動に到達するための造形的措定として「まず第一に矢をカットする」ともクレーは述べて
いる。
50
同様の議論は『パウル・クレー手稿 造形理論ノート』、 283 頁にもある。
51
パウル・クレー『教育スケッチブック』利光功訳、バウハウス叢書 2、1991 年、49 頁、Fig.80-81。
52
同書、同頁、 Fig.82。
53
同書、51 頁、Fig.87。
54
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.232.
55
連想作用が造形作品の形成において果たす役割については、本論文 1-3.を参照。
56
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.233.
57
Paul Klee, Wege des Naturstudium in: Christian Geelhaar(Hg.), op.cit., S. 124-126.
58
概要を纏めるに際して、前田富士男、前掲書、 42-44 頁を参照した。
59
ところで、クレーは「自然研究者は、こうしてさまざまな道から得たものをフォルムにおきかえ、
その体験を通じ て、自 然 との対話 の深さ を明ら か にする」 と述べ ている 。 ここから の推測 として、
クレーにおける自然物の造形化は、自然物の観察から作品の造形形成へと向かうという造形プロセ
スを辿るものである、ということが予想される。一方で、本論文 2-2.で見てきた通り、クレーは連
想作用による「造形から主題へ」も論じている。これら二つは造形化のプロセスにおいて真逆の方
向を示している。これは一見して矛盾を呈するように思われるが、クレーの「連想作用」を考慮す
ると、一つの理論として合致する。すなわち、自然観察によって獲得されたフォルムは、それ自体
はまだ作品のフォルムで はなく、いわば「連想のためにストックされたフォルム」なのであり、或
る造形作品の形 成にフ ォ ルムが供 されて 初めて 「 自然物の 造形化 」は成 立 するので ある。 よって、
造形作品において本質的なのはやはり「造形から主題へ 」の道だと思われる。
60
クレーの収集してきた草花はパウル・クレー・センターに一部保管されている。2014 年の企画展
「自然と建築」 Natur und Architektur においては、この草花も展示されていた。
61
Paul Klee, Wege des Naturstudium, op.cit., fig.60.
62
本論文註 44 参照。
63
Cf. Felix Klee(Hg.), op.cit., S.239-240.
44
64
W.ケルステン編『新版 クレーの日記』高橋文子訳、みすず書房、 2009 年、日記 640。本文は以
下。「音楽と造形芸術の相似がいくつも心に浮びあがって来る。だがその分析はうまくいかない。
確かにどちらの芸術も時間的なものだ。それはすぐに証明できそうだ。クニールのところで、絵を
奏でるという言葉を使っていたのは本当に正しい。この言葉で何かまさに時間的なものを表したの
だ。筆の動きの表現力、絵画的効果の創世の記。」 (一部抜粋)
65
造形理論ノート 224-233 頁等。
66
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.249.
67
前田富士男、前掲書、 255-262 頁。
68
Ibid., S.240.
69
宮下誠『パウル・クレーとシュルレアリスム』水声社、 76 頁。
70
Paul Klee; Felix Klee(Hg.), Gedichte, Zürich, 1960(reprinted in 2010), S.9.
71
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.215.
72
前田富士男、前掲書、 292 頁参照。
73
同書、293 頁参照。
74
本論文 2-3-3.参照。
75
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.107-108.
76
„Auch das Kunstwerk ist in erster Linie Genesis, niemals wird es als Produkt erlebt.“(Felix Klee(Hg.),
op.cit., S.212.)
77
この点についての研究は、河本真理「〈切断〉と〈再構成〉 パウル・クレーのコラージュ」『ユ
リイカ』、第 43 巻第 4 号、2011 年に纏められている。
45
図版/写真
図3
《山の花》
〈Bergblume〉
1933 年(311, A11)、15×10cm
合板の上の麻布に酸化亜鉛の下地、水彩
スイス、個人蔵
図4
図5
《ハーモニー》
〈Harmonie〉
1924 年(210)、30.8×24.4cm
厚紙に油彩
ベルクグルーエン美術館
《測量された区画》
〈vermessene Felder〉
1929 年(47、N7)、30.4×45.8cm
厚紙の上の紙に水彩、鉛筆
ノルトライン=ヴェストファーレン美術館
46
図6
図7
《街の絵(諧調的な赤‐緑)》
〈Städtebild(rot/grün gestuft)〉
1923 年(90)、46×35cm
厚紙の上の紙に水彩、鉛筆
リヴィア・クレー寄贈
パウル・クレー・センター
《満月の傍にある火》
〈Feuer bei Vollmond〉
1933 年(353, C13)、50×65cm
麻布に水彩・油彩等の複合技法
フォルクヴァンク美術館
図8
図9
《両方》
〈Die Beiden〉
1933 年(445, H5)、27×44.6cm
厚紙の上の紙にパステル、油彩
マイランド、トセリ・ギャラリー
《開花》
〈Blühendes〉
1934 年(199, T19)、81.5×80cm
麻布に油彩
ヴィンタートゥール美術館
47
図 10
《静的‐動的諧調》
〈Städtebild(rot/grün gestuft)〉
1923 年(90)、46×35cm
厚紙の上の紙に水彩、鉛筆
ベルクグルーエン美術館
図 11
《ポリフォニックな建築》
〈Polyphne Architektur〉
1930 年(130, W9)、42.3×46.4cm
麻布に水彩、ニスの上塗り
セントルイス美術館
図 12
図 13
《ポリフォニックにはめ込まれた白》
〈Polyohon gefasstes Weiss〉
1930 年(140, X10)、33.3×24.5cm
透かし目の入ったファブリアーノ紙
墨汁とペン、水彩で上塗り
ベルン美術館
《ポリフォニー》
〈Polyphonie〉
1932 年(273, X13)、66.5×106cm
麻布に油彩
バーゼル美術館
48
図 14
図 15
《フェルマータのある素描》
〈Zeichnung mit der Fermate〉
1918 年(209)、15.9×24.4cm
厚紙の上の紙に墨
ベルン美術館
《バラの風》
〈Rosenwind〉
1922 年(39)、42×48.5cm
厚紙の上の紙に油彩
スイス、個人蔵
図 16
図 17
《月は昇り、陽は沈む》
〈Mondauf-Sonnenuntergang〉
1919 年(174)、40.5×34.5cm
板に油彩
スイス、個人蔵
《城と太陽》
〈Burg und Sonne〉
1928 年(201, U1)、50×59cm
固定具の上の麻布に油彩
スイス、個人蔵
49
図 18
図 19
《バラの園》
〈Rosengarten〉
1920 年(44)、49×42.5cm
厚紙の上の紙に油彩、ペン
レンバッハハウス美術館
《豊作》
〈reife Ernte〉
1924 年(172)、22.7×12.8cm
厚紙の上の紙にペン、水彩、鉛筆
シュプレンゲル美術館
図 20
図 21
《再構成 I》
〈gespalten I〉
1926 年(190, T0)、46×35cm
平織り布に油性パテ下地、油彩
厚紙に貼付しさらに合板に貼付
ノルトライン=ヴェストファーレン美術館
《理性の限界》
〈Grenzen des Verstandes〉
1927 年(298, Ω8)、56.2×41.5cm
合板に油彩、水彩
ミュンヘン、ピナコテーク・デア・モデルネ
50
図 22
図 23
《まきひげ》
〈Rosengarten〉
1932 年(29, K9)、39.5×34.5cm
板に油彩
スイス、個人蔵
《ニーゼン山》
〈der Niesen〉
1915 年(250)、17.7×26cm
厚紙の上の紙に水彩、鉛筆
ベルン美術館
図 24
図 25
《直角になろうとする茶色の三角形》
〈Braunes △ rechtw. Strebendes Dreieck〉
1915 年(71)、21.3×13.2cm
厚紙の上の紙に白亜下地、水彩
ノルトライン=ヴェストファーレン美術館
《二重テント》
〈Doppelzelt〉
1923 年(114)、50.6×31.8cm
厚紙の上の紙に水彩
ローゼンガルト・コレクション
51
図 26
図 27
《パルナッソス山へ》
〈ad Parnassum〉
1932 年(274, X14)、100×126cm
自作の額縁、麻布に油彩
ベルン美術館
《窓越しに》
〈durch ein Fenster〉
1932 年(184, T4)、30.5×51.5cm
厚紙の上のガーゼに油彩
スイス、個人蔵
図 28
図 29
《リストからの抹消》
〈von der Liste gestrichen〉
1933 年(424, G4)、31.5×24cm
パラフィン紙に油彩
スイス、個人蔵
《もうひとつの十字架の天使》
〈anderer Engel vom Kreuz〉
1939 年(1026, DE6)、45.6×30.3cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
52
図 30
図 31
《救済の図表》
〈Diagramm der Erlösung〉
1934 年(116, P16)、48.5×31.5cm
厚紙の上の紙に鉛筆
スイス、個人蔵
《星と結ばれて》
〈Sternverbundene〉
1923 年(159)、32.5×48.5cm
厚紙の上の紙に水彩、鉛筆
スイス、個人蔵
図 32
図 33
《魔法劇》
〈Zaubertheater〉
1923 年(25)、33.6×22.8cm
厚紙の上の紙に水彩、墨
ベルン美術館
《魚の周りに》
〈um den Fisch〉
1926 年(124, C4)、46.7×63.8cm
自作の額縁、厚紙の上の紙に油彩、テンペラ
ニューヨーク現代美術館
53
図 34
図 35
《仔羊》
〈das Ramm〉
1920 年(39)、31.5×40.7cm
厚紙の上に油彩、ペン
フランクフルト州立美術館
※画像引用元(カタログ・レゾネ)が白黒
であったため白黒だが、実際は多色
《キリスト教的墓標》
〈christliches Grabmal〉
1923 年(111)、23×23.2cm
紙に水彩と墨
個人蔵
図 36
図 37
《ゴルゴタへの序幕》
〈ein Vorspiel zu Golgatha〉
1926 年(31, M1)、46.5×30.8cm
厚紙の上の紙にペン、水彩
宮崎県立美術館
《熱い場所》
〈heisser Ort〉
1933 年(440, G20)、24×31.5cm
厚紙の上の紙にチョーク
所在不明
54
図 38
図 39
《カタストローフェン》
〈Katastrophen〉
1933 年(274, X14)、100×126cm
厚紙の上の紙に鉛筆
ベルン美術館
《見回している》
〈Sich umblickend〉
1933 年(207, V7)、32.9×20.9cm
厚紙の上の紙にチョーク
ベルン美術館
図 40
《老婦人》
〈Alte Frau〉
1933 年(209, V9)、32.9×29.9cm
厚紙の上の紙にチョーク
スイス、個人蔵
図 41
《十字架のある花の静物》
〈Kreuzblumenstilleben〉
1925 年(11, K1)、26×27cm
自作の額縁、厚紙の上の麻布に油彩
スイス、個人蔵
55
図 42
図 43
《夜の花》
〈Nacht-Blüte〉
1938 年(118, H18)、32.0×29.0cm
厚紙の上の麻布に下地、糊絵具
シュプレンゲル美術館
《石版の花》
〈Blumen in Stein〉
1939 年(638, GG18)、50.0×39.8cm
自作の額縁、厚紙に油彩
シュプレンゲル美術館
写真 1
「ニーゼン山遠景」 筆者撮影(2014/9/13)
56
写真 2
「ニーゼン山レールウェイのロゴ」
筆者撮影(2014/9/11)
※ニーゼン山はスイスの観光名所の一つであり、
「スイスピラミッド」とも呼ばれている。
(ロゴの上部に swiss pyramid とある)
写真 3
「ニーゼン山の山頂パネル」
筆者撮影(2014/9/11)
※ニーゼン山の山頂には山の歴史を紹介するパネルが複数設置されており、そのうちの一つは画家によるニ
ーゼン山の絵である。クレー以外にも、ホドラーやマッケらが掲載されている。
57
第3章
クレーの日記におけるマルク評
クレーの日記
1008 番 78
何度かフレットマニングの弾薬庫での歩哨を務めていた折、マルクと彼の芸術につい
ていろいろと考えが浮かんできた。いくつかある弾薬庫の周りをぐるぐるとまわるの
は、徒然に思いを巡らせるのに合っていた。日中には絢爛たる真夏の緑が思いを鮮や
かに彩り、夜と夜明け前には私の上にも前にも蒼穹が広がり、魂が大きな空間へと飛
び立つのだった。
フランツ・マルクとは何者であったのか、言い表そうとすると、同時に私自身が何者
であるか告白することになる。私が与っているものの多くは、彼のものでもあったの
だから。
彼にはもっと人間味があって、その愛はより暖かく、明快だ。動物たちに、彼は人間
らしく身をかがめる。彼は動物たちを自分のほうへと高める。彼は、まず自分を全一
なるものに溶け込ませてから、動物だけでなく植物や石と同じ段階に立つなどという
ことはしなかった。私はこの融合に、より遠く離れた創造の源泉を求めている。そこ
に私は動物、植物、人間、大地、火、水、空気その他全ての循環する力に当てはまる、
方程式のようなものを予感している。マルクのなかでは、地上の思想が世界の思想よ
り前面にある(彼がこちらの方向に発展する可能性がなかったと言うつもりはないの
だが、では、なぜ彼は死んでしまったのだろう?)
彼のなかのファウスト的な、救われないもの。永遠に問い続ける。それは真実か、と。
その言葉遣いは異端であった。だが、そこには信仰の確信はなかった。最後のころ、
マルクはいつか全く違う人間になってしまうのではないかと、私は折々不安になって
いた。
彼は時代の移り変わりに心を痛め、人々が彼と共に歩むことを望んだ。彼自身、まだ
人間であって、苦闘の名残が彼を縛りつけていたから。善がまだ社会の共有財産であ
った最後の段階、市民的なアンピール時代が彼には羨ましくてならなかったのだ。私
は神のもとに自分の棲家を求める。そして神と近しいからと言って、兄弟たちは私に
似ていないなどと思い込んだりはすまい。だがやはり、これは彼らの事柄なのだ。
誰にでも自分の心の豊かさを伝えようとする女のような衝動が彼にはあった。全員が
彼について来ようとはしなかったことで、彼は自分の道に不安を抱いた。発酵の時期
58
が過ぎると、彼は地上の素朴さに立ち返ってしまうのではないか、と私はしばしば不
安を覚えた。全一なるもののためにこの世界に触れるのではなく、人間的な愛のため
にすっかり現世に立ち戻ってしまうのではないか、と。
私の灼熱は死者や未生のものにより近い。彼のほうが愛されていたのはだから当然だ。
高貴な感覚性はその暖かさで多くのひとをひきつけた。マルクはまだ種的であって、
中性的な被造物ではなかった。地上的な瞬間が私の目から滑り落ちていくとき、私は
マルクの微笑みを思い出す。
芸術は天地創造のごときものであり、その第一日目にも、最後の日にも、揺らぐこと
はない。
パウル・クレーとフランツ・マルク、二人の現代画家の交流は、クレー研究においてよ
く知られている。それは単に二人が有名な画家で あったという理由のみならず、バウハウ
ス以前のクレーを特徴づける印象的な覚書として、クレーのマルク評が日記に記されてい
るからである。そのマルク評が、先に記したテクストである。
このテクストの重要性は、次の二点に由来する。第一に、フランツ・マルクという画家
についての、彼の作品を間近で見てきた友人の画家からの批評であるという点。マルクが
実際に彼の言う通りの画家であったかどうかは別問題として、
「青騎士」あるいは「表現主
義」という時代の画家へ向けられた同時代の眼差しという意味でこの批評は貴重である。
つまり、20 世紀前半の美術史を研究する上で重要な資料となるのである。第二に、マルク
の評価を通してクレーが自己規定を試みているという点。つまり、マルクではなく、クレ
ーという画家の性格を知るための資料としてこの批評は有用なので ある。本論文はクレー
研究であるため、マルク評を取りあげる理由は無論、後者の重要性に由来する。
本章の目的は、クレーの宗教的性格を考察することである。1920 年の論文『創造的信条
告白』の題に象徴される通り、クレーの宗教性は芸術ないし創造と切り離せない関係にあ
る。とはいえ、公の立場から言っても、彼の記したものから言っても、その宗教的性格は
判然としておらず、「キリスト教徒ではない」、「無宗教である」、といった曖昧な評価、非
積極的な言明に留まる 79 。これが現在の研究状況である。ところで、筆者の考えでは、クレ
ーの宗教的性格については、より積極的な言明が可能である。というのは、クレーのマル
ク評は二人の世界観の差異を言い表したものであり、世界観を支えるところの思想、すな
59
わち信仰に通じる言葉が散見されるからである。また、それらの言葉から、少なからずキ
リスト教が教義の中核としていたいくつかの概念を も見出し得るのである。もっとも、直
接的に分かりやすいかたちで宗教的立場を言明しているテクストではないこと は確かであ
り、考察に際しては他の日記の記述やクレー史も考慮する必要がある。よって本章では、
何よりもマルク評のテクストを拠り所としつつ、その解読のための他のテクストも参照し
ながら、クレーの宗教的性格を明らかにしていきたい。
考察の手順は以下の通りである。まず、日記の記述の背景を確認し (第 1 節)、次に日記の
テクストを段落ごとに分析する(第 2 節)。分析の後は、クレーの宗教的性格について、補足
となるテクストを取り上げつつ、その規定を試みる(第 3 節)。最後に、クレーの宗教的性格
についての筆者の見解を提示する(第 4 節)。
3-1. 背景
本節では、マルク評の背景を確認することを目的とする。すなわち、日記の記される前
後がクレーにとっていかなる時期であったのか、クレーとマルクという人物の関係はどの
ようなものであったのか、という二点を明らかにすることが考察の課題となる。では、そ
れぞれ簡潔に確認していきたい。
3-1-1. 第一次世界大戦期のクレー
マルク評が記されたのは 1916 年の夏頃である。世界史では第一次世界大戦の只中であり、
ミュンヘンに住んでいたクレーもこの年よりドイツ軍新兵として召集され、飛行機輸送任
務に就いている。画家としては、スイスで個展が開かれる(1910 年)、
「第二回青騎士展」に
出品する(1912 年)等々、徐々に知名度を獲得しつつあった時期である。同年 11 月には、か
のトリスタン・ツァラから展覧会への出品依頼が来るなど、ダダイスト・シュルレアリス
トたちの脚光を浴び始める前夜であり、成功の兆しが表れだした時期とも言える 80 。クレー
自身、その兆しは自覚していたようであり、家族への手紙で絵の売却価格や出版社とのや
り取りを誇らしげに報告している 81 。
では、順調な画家業の一方で、戦争という出来事、それに自身が巻き込まれている状況
についてクレーはどのように感じていたのだろうか。クレーが大戦について残したテクス
トの中から有名なものを二つ、最初に挙げたい。
60
今日とは、昨日から今日への過渡期だ。偉大なフォルムの採掘坑には、まだ未練の残
る瓦礫が積みあがっている。瓦礫が抽象化の材料となる。
偽物の元素が散らばる廃墟、不純な結晶のもと。
これが今日だ。
ところが、あるとき原石が血を流した。私は死ぬかと思った、戦争と死だ。私が死ぬ
ことがあるのだろうか、私、結晶が? 82
私、結晶。
私は、この戦争をとっくに内面で経験しつくした。だから、戦争は私の心を傷つける
ことがない。
瓦礫となった私から立ち上がらせるためには、飛ばなければならなかった。 私は飛ん
だ。あの瓦礫の世界に留まるとすれば、それはときおり振り返ってみる思い出の中で
にすぎない。
こうして私は「記憶を持った抽象」となる。 83
[下線は筆者]
この連続する二つの日記は、いずれも 1915 年のものである。マルクが殉死し、クレー自
身も従軍することになる「運命の年」の前年のテクストである。クレー研究において、こ
れらのテクストは主に二つの文脈で引用される。第一に、ヴォリンガー『抽象と感情移入』
に代表される美術全体の抽象芸術への移行という文脈 84 。第二に、「瓦礫」や「飛翔」をキ
ーワードとしての、ヴァルター・ベンヤミンが語る「歴史の天使」との類似性という文脈
である 85 。美術史の文脈にせよ、思想史の文脈にせよ、引用においてこのテクストから見出
されるのは、クレーの――あるいは時代全体の――危機意識であろう。クレーは戦争に対し
て超然と生きていたわけではなく 86 、確かな危機意識をもって、「死ぬかと思った」と感じ
ながら大戦の期間を過ごしていた 87 。何故ならば、クレーが従軍するまさにその直前、フラ
ンツ・マルクが戦死していたからである。その衝撃的な出来事について、クレーは次のよ
うに綴っている。
61
運命の年。一月末、ルイ・モワイエの奥さんが男の子を産んでなくなった。初産だっ
た。三月四日、我が友フランツ・マルクがヴェルダンで戦死した。三月十一日、私は
三十五歳にして新兵となり、軍務に就いた。
マルクと私とは、この前の休暇以来、手紙を交わしていなかった。私が理屈を嫌って
いるのが、彼にもわかったからだ。まずはこの非常時が過ぎ去ることを私はひたすら
願った。私自身、絵具と筆とを置く日がいつ来るかわからなかったから、なおさらだ 。
思想をとり交わすことは私にも望ましかったのだが、ただし折々の具体的な事柄につ
いて思い浮かぶ健全な思想だけだ。マルクといっしょに物事の根底を探りたくはあっ
たのだが、仮定的な法則を立てる気にはなれなかった。
こうして待ち、希望にすがっていた私を、彼の死を報せる電報が雷のように打った。
マルク夫人がボンから報せてきたのだ。
〔……〕
同じ日に、私は三月十一日付けで召集するという赤紙を受け取った。 88
[下線は筆者]
友人マルクの死と共に、クレーの従軍期間は始まることになる。故に、クレーが自身の
従軍期間において「画家の死」を意識していなかったとは到底考えられない。その意識は、
日記に表立った記述が少なくとも、影の部分として常に付き纏っていたはずである。その
ような影が、不意に表出したのが、あのマルク評であり、死んだマルクの思い出だったと
考えられる。
3-1-2. クレーとマルク
次に、クレーとマルクの関係について確認したい。クレーとマルク、両画家の接点は 1912
年の「第 2 回青騎士展」がよく知られている。クレーの日記にマルクの名前が登場するよ
うになるのもこの年からである。ところで、彼らが個人的に知り合ったのはその前年の 1911
年だとされている。まずは 1911 年のクレーとマルクの動向について見てみたい 89 。
1911 年のクレーは、31 歳で、妻リリーと共にミュンヘンに在住し、4 歳になる息子フェ
リックスの育児に追われながら絵を描いている時期であった。画廊から個展を渋られるな
ど、苦難の時期であったことが日記に綴られている 90 。そのような苦境の中、クレーは 10
月に友人の画家ルイ・モワイエ 91 を通じてワシリー・カンディンスキーとガブリエ・ミュン
62
ターに紹介され 92 、彼らとの交流していくうちに「青騎士」 Der Braue Reiter に入る意向を
固めるようになる。明確な経緯は示されていないが、この経緯のうちのどこかで、クレー
はマルクと知り合ったと推測される。
一方、1911 年のマルクは、同じく 31 歳で、カンディンスキーらと共に「青騎士」メンバ
ーとして活躍している最中であった。元々は 1909 年以来カンディンスキーと共に「ミュン
ヘン新芸術家協会」Neuen Künstlervereinigenung München のメンバーであったが、不和によ
り脱会し、カンディンスキーと共に新しい芸術家グループ「青騎士」を結成した。 1911 年
にはタンホイザー画廊で「青騎士」の第一回展覧会も開催しており、クレーもこの展覧会
に訪れている。よって、少なくともクレーは、この展覧会の時点でマルクの作品・画風を
知っていたと考えられる 93 (マルクの主たる画風は図 44-47 を参照)。
以上のように、クレーはマルクと 1911 年には既に出会っており、その作品も目にしてい
る。しかし、クレーの日記を見ると、1911 年にはまだマルクに関する記述が全く出てきて
いない。実際、クレーとマルクが文通を始めるようになったのも 1912 年 7 月からであり、
それ以前は他のテクストにおいてもマルクに関する記述をクレーは残していない 。よって、
二人は当初から親密な交友によって結ばれていたわけではないことが察せられる。とはい
え、1912 年以降二人は急速に親密になってゆき、芸術に関する意見まで交わすような仲に
なっている 94 。しかし、二人の交友は、戦争とマルクの徴兵によって、ある時期から不協和
音が生じることとなる。
そのすぐ後でマルクは休暇をもらい、ミュンヘンに帰ってきた。疲労し、目に見えて
痩せていたのに、息もつかせずしゃべりまくる。絶え間ない緊張と自由の剥奪とが重
圧となっていたのだ。あまりぴったりとは体にあっていない下士官の制服に、飾り紐
つきのサーベルというひどい衣装を私は心から憎み始めた。
〔……〕
彼はまた絵を描くべきなのだ、そうすればあの物静かな微笑みがまた帰ってくるだろ
う。あの微笑みは彼には単につきものなのだ。単純に、そしてなにもかも単純にしな
がら。ぴりぴりとした興奮なんて、彼はとっくに卒業しているはずなのだ。はけ口を
塞がれてしまっているかあらそうなるだけなのだ。
兵隊ごっこなんて、彼はもっと嫌いになったらいいのに。もっといいのは、無関心に
なることだ。 95
63
十一月に、マルクが少尉に昇進して休暇に帰ってきた。今度は具合が良さそうだ。将
校ともなれば身なりに気を遣う余裕もあるらしく、将校らしい姿勢 も身につけている。
新しい制服が、「残念ながら」と言いたいのだが、似合っていた。昔と同じマルクか、
私にははっきりしない。うちにヤウレンスキーのヴァリエーションが何枚かあったの
だが、それをマルクに見せるのがためらわれるくらいだった。 96
以上の日記から分かる通り、クレーは従軍時代のマルクを、露骨に、好ましく思ってい
ない。この後、何らかの和解の兆しはなく、マルクの訃報がクレーに届くことになる。ク
レーとマルクが親友であり、価値観を共有する画家であったことは間違いないが、その最
後の期間に不和があったのも事実である。
クレーのマルク評が書かれたのは、1916 年の夏、前後の日記から推測して、7 月から 8
月の間である。マルクの訃報が届いたのは同年の 1 月であった。その間には半年という期
間が横たわっている。この半年間は、感情的なすれ違いを消化するための半 年間だったの
ではないかと推測される。ともあれ、マルクが亡くなった「直後に」ではなく、
「半年」と
いう期間を置いて、クレーのマルク評が記されたことには注意しなければならない。
以上、確認してきたように、クレーのマルク評の背景には「大戦」をめぐる諸々の感情
が潜んでいる。それは、死の意識であり、マルクとの交友との軋轢であり、その他様々な
動揺をもたらすものであったと推測される。しかし重要なのは、感情に振り回されるまま
にクレーがマルク評を綴ったのではなく、半年という消化期間を置いてから、これまでの
出来事、すなわちマルクの思い出を振り返りつつマルク評を綴っている、という点であろ
う。この点に留意しつつ、マルク評の分析へと進みたい。
3-2. 本文批評
本節では、マルク評を分析し、そこからクレーの思想の抽出を試みる。まず本文をそれ
ぞれの段落に分けて批評をし、次に批評から見えてくるマルクとクレーの性格規定を提示
し、最後にその比較対象を通じてクレーの思想を明らかにしたい。
64
【第 1 段落】
何度かフレットマニングの弾薬庫での歩哨を務めていた折、マルクと彼の芸術につい
ていろいろと考えが浮かんできた。いくつかある弾薬庫の周りをぐるぐるとまわるの
は、徒然に思いを巡らせるのに合っていた。日中には絢爛たる真夏の緑が思いを鮮や
かに彩り、夜と夜明け前には私の上にも前にも蒼穹が広がり、魂が大きな空間へと飛
び立つのだった。
この段落は、従軍中にクレーがマルクのことを想起した場面を記している。まず重要な
のは、この回想が弾薬庫の中でなされているという点である。これから語られるのは芸術
論には違いないが、思想の中には避けがたく「戦争」が存しているのである 。また、
「昼の
緑」と「夜の飛翔」の印象が対照的に描かれており、これはクレーとマルクの対照ではな
いかと推測される。というのも、マルクは「真夏の緑」に象徴されるような鮮やかな色彩
を好んでおり、一方でクレーは画家修業時代以来、成功と失敗の両義的なモチーフとして
「飛翔」に拘っていたことが明らかとなっている 97 。その意識は修業時代のクレーの作品に
も度々描き出されている(図 48-49)。従って、この段落より既に、日記のテーマがマルクの
思い出に終始せずクレーとマルク両者の対照でもあることが予告されていると推測される。
【第 2 段落】
フランツ・マルクとは何者であったのか、言い表そうとすると、同時に私自身が何者
であるか告白することになる。私が与っているものの多くは、彼のものでもあったの
だから。
この段落は、マルク評が何のために記されたものであるのかを知る上で最も重要である。
ここでクレーは、
「マルクとは何者であったのか」と「私自身が何者であるか」を同時に告
白することになる、と宣言している。つまり、マルク評であるのと同時に自己規定である
ことが言われているのである。また、自分とマルクが多くの共通点を有しているとクレー
が言明している点にも留意したい。以降の記述はクレーとマルクを鮮やかに対比 するもの
であるが、その対比が可能となるのは、多くの共通するものが在るからだとここでクレー
は言っているのである。
65
【第 3 段落】
彼にはもっと人間味があって、その愛はより暖かく、明快だ。動物たちに、彼は人間
らしく身をかがめる。彼は動物たちを自分のほうへと高める。彼は、まず自分を全一
なるものに溶け込ませてから、動物だけでなく植物や石と同じ段階に立つなどという
ことはしなかった。私はこの融合に、より遠く離れた創造の源泉を求めている。そこ
に私は動物、植物、人間、大地、火、水、空気その他全ての循環する力に当てはまる 、
方程式のようなものを予感している。マルクのなかでは、地上の思想が世界の思想よ
り前面にある(彼がこちらの方向に発展する可能性がなかったと言うつもりはないの
だが、では、なぜ彼は死んでしまったのだろう?)
この段落よりマルクおよびクレーの性格規定が始まる。ここでマルクは、
「暖かい愛」を
持ち、「動物たちへ」心を寄せ、「地上の思想」 Erdgedanke が強い人物であったと言われて
いる。これがマルクの性格規定である。一方、この 段落では「マルク的ではないもの」に
も言及がある。それは「まず自分を全一なるものに溶け込ませ ること」であり、この融合
についてクレーは、自分はそこに創造の源泉を求めている、と語る。さらに、続く文でク
レーは様々な世界を循環する力への予感についても語っており、この予感を地上の 思想と
対比的な「世界の思想」Weltgedanke に結び付けている。よって、この段落は二つの異なる
思想の提示が主眼であり、クレーとマルクがそれぞれの思想の象徴的人物として配せられ
ていることが分かる。
最後の括弧内の文は一見して謎めいているが、次の段落と合わせて考えれば 、言わんと
するところはおおよそ明らかとなる。クレーは「地上に拘ること」を「救われないもの」
と見做している。つまり、この文はマルクの具体的な死因を問うているものではなくて、
マルクは思想的に言ってもやがて死ぬ定めにあった、それは必然だった、として「地上の
思想」の劣位を強調している部分だと考えられる。
【第 4 段落】
彼のなかのファウスト的な、救われないもの。永遠に問い続ける。それは真実か、と。
その言葉遣いは異端であった。だが、そこには信仰の確信はなかった。最後のころ、
マルクはいつか全く違う人間になってしまうのではないかと、私は折々不安になって
いた。
66
この段落は「信仰」Glaube という言葉が唯一登場する箇所である。マルクについて語っ
ている部分ではあるが、否定辞が多く、マルク批判であるのと同時にマルクとは相異なる
立場に配せられたクレー自身の規定を示している箇所だと考えられる。すなわち、マルク
が「ファウスト的な」「救われない」「永遠に問い続ける」ものであるとすれば、クレーは
その逆だと暗に主張しているのである。つまり、マルクに「信仰の確信はなかった」と言
っている裏で、クレーにはそれがあった、と言っているのである。
「ファウスト的なもの」というフレーズも重要である。マルクが地上 愛の人物として設定
されていたことを思えば、このフレーズはゲーテのファウストを特に含意していると考え
られる。地上愛とファウストを結び付け、それを「救われないもの」と切って捨てるこの
箇所からは、クレーの徹底的な「地上の思想」批判が読み取れる。
最後の一文、
「マルクはいつか全く違う人間になってしまうのではないか」という不安は、
軍服を着たマルクに対する感想(日記番号 964)のリフレインだと思われる。先の段落でマル
クと地上を結び付けて語っていたことを思えば、マルクという人間がいかに移ろいやすい
危ういもの人物であるかを語っている裏で、地上的なものは移ろいやすく、そこから確信
は得られず救いへは至れないというクレーの 考えが強調されている箇所としても読める。
【第 5 段落】
彼は時代の移り変わりに心を痛め、人々が彼と共に歩むことを望んだ。彼自身、まだ
人間であって、苦闘の名残が彼を縛りつけていたから。善がまだ社会の共有財産であ
った最後の段階、市民的なアンピール時代が彼には羨ましくてならなかったのだ。私
は神のもとに自分の棲家を求める。そして神と近しいからと言って、兄弟たちは私に
似ていないなどと思い込んだりはすまい。だがやはり、これは彼らの事柄なのだ。
この段落では「人間社会」と「神のもと」が対比的に描かれている。マルクは「人間社
会」の側に、クレーは「神のもと」にそれぞれ近いとされ、前々段落より語られている「マ
ルク‐地上」と「クレー‐世界」の差異が更に強調されている。興味深いのは、マルクが
人間社会の移ろいの中で「心を痛め」ている点、そしてクレーが自分の兄弟たち ――人間社
会を志向して生きる人々、たとえばマルクのような人物――とは似ていないなどと「思い込
んだりはすまい」と自戒している点であろう。この二点によって、これまで差異ばかり 強
67
調されたクレーとマルクの関係に若干の寄り戻しが図られている。冒頭で告げている通り、
クレーとマルクはそもそも多くを共有している画家である。その共通 点が何なのかは明ら
かにされていないが、批評の中でマルクとの接点 も維持しようとクレーが努めていること
は少なからず読み取れる。
【第 6 段落】
誰にでも自分の心の豊かさを伝えようとする女のような衝動が彼にはあった。全員が
彼について来ようとはしなかったことで、彼は自分の道に不安を抱いた。発酵の時期
が過ぎると、彼は地上の素朴さに立ち返ってしまうのではないか、と私はしば しば不
安を覚えた。全一なるもののためにこの世界に触れるのではなく、人間的な愛のため
にすっかり現世に立ち戻ってしまうのではないか、と。
この段落は、今まで述べてきた二人の相違を別の言葉で言い表している箇所である。こ
こに「マルク‐女性的・素朴・人間的な愛・現世」という新たな規定の表現が盛り込まれ、
その裏返しとして「クレー‐非女性的(非性別的)・複雑・全一なるものへの志向・彼岸」と
いった対立項が暗示される。ここで間接的に示されているクレーの自己規定は、一部は後
に別のテクスト 98 で直接的に語り直されている。中でもとりわけ注目に値するのは、
「 彼岸」
であろう。バウハウス以前のクレーが「彼岸の画家」イメージを以て芸術界に自らを売り
込もうとしていたことは先行研究により明らかにされている 99 。マルクを地上的とすること
で浮かび上がってきた「彼岸」イメージは、後のクレーのキャッチフレーズとされる にま
でに至っているのである。あるいは、この批評はマルクの規定をしながら自己規定をして
いるものというよりも、クレーの自己規定という 目的がまずあって、その対立項にマルク
を当て嵌めている批評であったとも考えられる。ともあれ、この批評を読み解く 上でクレ
ーの規定とマルクの規定という両者の前後関係はさほど重要ではない。重要なのは、マル
クを強固に――あまりに型通りに、窮屈とさえ言えるほど に――規定しようと試みているの
と同じくらい、自身の性格もこの批評を通じて規定しようと試みているという、クレーの
強烈な自己意識がここに反映されているという点である。
【第 7 段落】
私の灼熱は死者や未生のものにより近い。彼のほうが愛されていたのはだから当然だ。
68
高貴な感覚性はその暖かさで多くのひとをひきつけた。マルクはまだ種的であって、
中性的な被造物ではなかった。地上的な瞬間が私の目から滑り落ちていくとき、私は
マルクの微笑みを思い出す。
この段落の最初の文、「私の灼熱」や「死者や未生のものに近い」という表現は、後に
出版されるレオポルト・ツァーン『パウル・クレー、生涯、作品と精神』 (1920)に収録さ
れたクレー自筆の「モットー」に酷似している 100 。また、日記にも時期を隔てつつ同種の
表現が見出せる 101 。それぞれの比較対象は割愛するが、この自己規定に自身の芸術的性格
を託していた点には留意しておきたい。
「マルク‐高貴な感性・種的・非中性的」という新たな規定がここでまた盛り込まれてい
るが、これらの規定も「地上」性の強調という点では同様のものと見なして良いだろう。
同様に、この裏返しがクレー自身の規定となる。最後の「マルクの微笑みが思い出される」
は、マルクが従軍した後の日記(962 番)と並行した記述であり、これもやはり「地上」との
関連で強く結び付けられていると言える。クレーの意識が地上から飛翔していくとき、最
後に観る地上の象徴が、マルクの微笑みなのである。
【第 8 段落】
芸術は天地創造のごときものであり、その第一日目にも、最後の日にも、揺らぐこと
はない。
最後のテクストは、これまでと雰囲気が一変し、非常に宗教的で、謎めいている文章で
ある。このテクストを読み解くにはクレーの他のテクストの参照が必須となる。天地創造
についてクレーが語っているテクストをいくつか引用する。
芸術とはイデーIdee による天地創造だ。 102
芸術は神の創造との比喩的な関係にある。芸術は創造の一例であり、それは地上的な
ものが宇宙の一例であるのと似ている。 103
69
生成する一切のものには、運動は特有のものであって、作品は存在するより前に、作
品となるのであり、このことは世界が存在する以前に、
「はじめに神が創造したまえり」
という言葉にしたがって生成し、そして未来に存在する(存在するであろう)以前に、さ
らに引き続き生成しつづける世界と寸分変わるところがないのである。 104
これらの引用よりわかるのは、次の二点である。第一に、クレーにとって天地創造とは
ユダヤ・キリスト教的な教義よりも、まずもって芸術理念を説明する言葉であるという点。
第二に、天地創造に託して語られる芸術の性格とは、イデア、宇宙的なもの、寸分変わる
ところがないもの、偶然的でないもの、といった「不変の秩序」であるという点。これら
の点を考慮し、改めてマルク評のテクストに戻ると、次のことが言える。すなわち、この
最後の結びの文は、芸術を通じてユダヤ・キリスト教的な教義の意味を何らか語ろうとし
ている箇所ではなく、逆にユダヤ・キリスト教的な教義を「利用して」芸術一般の性格規
定を行っている箇所なのである。つまり、このテクストを通じてクレーのユダヤ・ キリス
ト教への信仰心を見出すのは曲解であり、むしろクレーが一宗教の教義を比喩的に 利用し
て自身の信仰を傾けているのは、芸術の側なのである。
では、何故ここで芸術一般の規定を行っているのだろうか。この点に関しては、これま
でのマルク評のテクストとの関係から明らかとなる。つまり、これまでのテクストでマル
クは一貫して地上的なもの、移ろいゆくもの、信仰の確信を得られないものと結び付けら
れてきたが、この特性はクレーが最後に語っている芸術一般の規定とは相対するものであ
る。ともすれば、最後の一文はマルク批判の究極的な部分であ り、
「マルク的なもの、地上
の思想は、つまるところ、真なる芸術の理念にはなり得ない」というクレーの結論に他な
らない。その結論を「天地創造」という宗教的な文脈に繋げて、自身の信仰告白として 提
示することが、このマルク評の最終的な狙いであったと考えられる 105 。
3-3. 「世界の思想」におけるキリスト教的なもの
前節ではマルク評の分析を行い、そこから見て取れるクレーとマルクの対比を明らかに
した。ここで改めて、クレー的なものとマルク的なものの分類を図示すると、次の通りと
なる(参考図 5)。
70
参考図 5 106
マルク的
地上の思想
暖かい(人間的な)愛・女性的
動物たちとの近さ
人間社会への志向
ファウスト的・救われないもの
クレー的
世界の思想
宗教的な愛・灼熱・中性的
死者や未生のものたちとの近さ
全一なるものへの志向
信仰の確信・揺らがないもの
この図からも分かる通り、クレーは自身を「信仰あるもの」と自己規定し、その信仰の
内容を二項対立的に語っている。クレーの側の特徴は、概して言えば、
「不変のもの」への
傾倒であろう。また、対立項として挙げられているマルク的なものが「移ろいゆくもの」
への「暖かい愛」として規定されている点も 重要である。逆に言えば、クレーの愛は「不
変のもの」への「冷たい愛」であるということになるからである。
では、このような宗教観――彼が言うところの「世界の思想」――について、クレーは他
のテクストではどのような規定を行っているのだろうか。
3-3-1. 「世界の思想」と「地上の思想」
まず、クレーが「世界」の思想について別の箇所で語ったテクストを引用したい。この
テクストは、1919 年に兵役が解除された際にクレーが記したとされる日記のための覚書、
その一部である。
地上の思想は世界の思想に道を譲る。かの愛は、遥か遠く、宗教的。ファウスト的な
ものはすべて、私とはかけ離れたものだ。私は、遠く離れた根源的な創造の拠点をま
ず捉え、その場所で、人間、動物、植物、岩石などの公式、自然の諸要素の公式、循
環するすべての力の公式、それら地上の諸形式を予め同時に想像する。たくさんの問
いが、解決されたかのように、沈黙する。そこには正統も異端もない。可能性は無限
であり、信仰のみが、私の心の中で、創造的に生きる。
私は暖かいのか。冷たいのか。そんなことは人間的情熱の彼岸では問題にならない。
必ずしも大勢がそこへ辿り着けるわけではないのだから、心が動かされるのは僅かの
者だ。
71
たとえどんなに高貴な感性であっても、大勢の橋渡しとはならない。私の作品におけ
る人間は、種的ではなく、宇宙的な点だ。私の現世的な目は遠くに向かう、そして、
最も美しいものですら透り抜けてしまう。そういうとき私は、「彼には見えていない」
としばしば言われる。
芸術とは創造の比喩である。神は、偶然に現存している段階には、とりたてて、関わ
りあわなかった。 107
一見して明らかなように、このテクストはマルク評を非常に強く意識している。ほとん
ど焼き直しと言っても良い。ただし、マルクという視点を省いているためか、強調点は多
少異なっている。端的に言えば、より宗教的な言明へと改められている のである。このテ
クストの強調点は「世界の思想」と「地上の思想」の対比であり、「世界の思想」の解明と
いう点にある。ここで語られている「世界の思想」は、おおむねマルク評で確認してきた
ものと一致するが、芸術との宗教の結びつきに関する論述は詳細が付け加えられている。
つまり、クレーはマルク評を後に語り直すにあたって、
「世界の思想」における芸術と宗教
の結びつきを語ることに焦点を置き換えているのである。
クレー自身が規定するところに依れば、「世界の思想」は宗教的であり、「創造」 や「芸
術」を中心とした一つの信仰である。その意味で、一つの宗教であると言ってよい。その
教義の内容はこれまで見てきた通りである。では、このような宗教は、キリスト教との関
係においてどのように捉えれば良いだろうか。
3-3-2. 「飛翔」モチーフにおけるロゴスと愛
「世界の思想」の特徴の一つは「愛」Liebe の規定の仕方にある。地上的なもの、人間や動
物へ向けられた暖かい愛は、「地上の思想」における愛である。これとは逆に、「 世界の思
想」における愛は、ファウスト的な人類愛の遥か彼方、創造の拠点、あるいは人間的情熱
の彼岸へと向けられている。つまり、クレーによる愛の規定は二元的なのである。地上と
世界(宇宙)に愛の対象をそれぞれ分かち、どちらか一方の取捨選択を迫る。このような対立
的・二元論的愛概念は、確かに――今日における正統的な――キリスト教の愛概念とは異な
っている。少なくとも、アガペー(神視点の愛)の概念とは異なるものである。
では、従来の言い方と同様に、クレーの宗教思想はキリスト教的ではない、と結論付け
るしかないのだろうか。そのような言い方は、それ自体確かに妥当であるが、一方で別の
72
言い方もあり得るように思われる。というのは、クレーの宗教思想は 「創造」と「不変の
ものへの志向」という特徴も有しているからである。クレーが重視していたところの「不
変の創造原理」とは、すなわちキリスト教における「ロゴス」に相当するものである 108 。
ロゴスという概念は、本来的には古代ギリシア思想の由来であるが、ヨハネ福音書の冒頭
に「はじめにロゴスがあった」 109 とあるように、キリスト教においてはその最初期から切
り離しがたく結びついている概念である。
愛概念の違い故に、
「世界の思想」はキリスト教的であるとは言えない。その一方で、ロ
ゴスという共通点の故に、「世界の思想」はキリスト教的であるとも言える。
とはいえ、ただ「ロゴス」という共通点があるだけで、果たしてクレーの宗教観を 無闇
にキリスト教に近づけて良いものか、という疑問があるように思われる。 また、キリスト
教教義の中核は愛概念であるからして、この愛概念が異なっている時点でクレーは断じて
キリスト教的ではない、という反対意見もあるように思われる。これらの意見に対しては、
チュニジア旅行という例外を除いてクレーの生涯がキリスト教圏に終始していた事実をま
ずは指摘しておきたい。
クレー自身が信徒でなかったにしても、クレーが生まれ育ったスイスという国は人口の
9 割以上がキリスト教徒であったし、青年期を過ごしたミュンヘンも、 その他クレーが過
ごしてきたヨーロッパの町々も、教派の比率の違いこそあれ、全てがキリスト教圏であっ
た。そのような世界で生きてきたクレーは、洗礼を受けたり教会に通ったりすることこそ
なかったが、逆にキリスト教を否定するような立場も選ばなかった。むしろ文化的には、
キリスト教的風土の中に浸かりきって生涯を過ごし ていたのである。クレーが端的な意味
でのキリスト教徒であったとは決して言えないが、クレーがキリスト教的文化・キリスト
教的価値観の中で生きていた点は見過ごされてはならない。クレーがキリスト教的な価値
観・世界観を「一般常識として」持っていたことは 、最低限言い得る事実なのである。
また、マルク評において何故マルクが批判されたのか、という点 にも注目したい。クレ
ーは「私が与っているものの多くは、彼のものでもあった」と言明しており、更にマルク
と自身の差異を強調する一方で「私に似ていないなどと思い込んだりはすまい」と 自戒し
ている。このことは、彼がマルク評の中で徹底的に遠ざけている 「地上的なもの」につい
て、元来自分も近しい場所にいる(いた)という自意識の表明である。クレーは、このマルク
評においても、その 1 年前に綴った日記(日記 952)においても、「飛翔」のイメージを自身
に重ね合わせている。何処から飛翔するのか と言えば、瓦礫の世界、マルク的なもの、す
73
なわち「地上」からに他ならない。第 2 章で確認してきたように、クレーの芸術は「自然」
の観察をその出発点にしている。つまり、クレーもまた、地上というマルク的なものから
自身の芸術を出発させているのである。
そこを出発点としているが故に、そこから出発して飛翔しなければならない故に、クレ
ーはマルク的なものを、自分も共有しているにもかかわらず、徹底的に批判する。批判し
つつも、自分もかつてその場所に立っていたが故に、撞着が残る。だから、飛翔していく
その瞬間、「マルクの微笑みを思い出す」のである。
クレー的なものとマルク的なものは、徹底的に対立するものとは捉えられない。 クレー
は存分にマルク的なものを共有している。そして、芸術のために、芸術の宗教のために、
マルク的なものを自身から切り離そうとしている。これがマルク評に込められたクレーの
意図である。つまり、クレーが頑なにマルク的なもの、地上的な愛を遠ざけようとするの
は、それが自身にとって異質なものだからではなく、捨てがたいけれども捨てなければな
らない自身の一部だからなのである。クレー的なものもマルク的なものも、共にクレーの
内面的な所有物である。ただ、その二つは同時には所有できないもので、一方を選び取る
ならばもう一方を捨てなければならない、とクレーは考えていた。 故に、クレーはマルク
評において、その切り分けを――自身が断念しなければならないものをマルクに託して――
試みたのだと考えられる。
クレーとキリスト教の関係に戻ると、これまでの考察によって、次のように言うことが
できる。「愛」という視点においても、「ロゴス」という視点においても、クレーはキリス
ト教的な価値観・概念を「文化的に」確かに有していた。その意味で、クレーの宗教思想
はキリスト教を基盤としている。クレーの宗教思想 がキリスト教と明確に異なっているの
は、愛の対象が二者択一であり、ロゴス的なものを目指すためには 地上的なものを断念し
なければならない、と考えていた点にある。或いは、愛概念を総合的に捉え、地上的なも
のからロゴス的なものまで全てを包み込むような愛概念――神の視点の愛――には至らな
かった点にある。
従って、クレーの宗教的性格は、ある意味ではキリスト教的ではないと言うことができ
るし、ある意味ではキリスト教的であると言うことができる。そしてその二つの言い方は、
互いを排除するものではなく、視点の違いによる二通りの答えなのである。
74
3-4. 結論 ――「飛翔」モチーフと愛の分裂――
本章の目的は、マルク評を通してクレーの宗教思想、すなわち「世界の思想」が どのよ
うな宗教的性格として規定されているのかを確認することであった。
考察の結果明らかとなったのは、地上的なもの、移ろいゆくものの領域から「ロゴス」
的な領域へと芸術のために「飛翔」してゆく、そのような宗教的性格であった。飛翔に際
して、愛は二元論的に捉えられ、地上的なものへの愛とロゴス的なものへの愛が 鋭く対立
する。このような愛概念が「世界の思想」の特徴の一つだと言える。
ところで、愛概念が単一的でないという意味では、クレーの愛概念はキリスト教と異な
るものではない。キリスト教には――翻訳の問題もあるが――アガペー、エロス、カリタス
といった複数の愛概念が存在する。そうであるからして、愛概念が複数あること自体、ク
レーがキリスト教的でないことの根拠とはならず、むしろクレー の思想の出自がキリスト
教であることを示唆しているとすら言える。クレーとキリスト教の愛概念を分かつのは、
クレーが二元論的な愛を想定し、取捨選択しなければならないという方向へ進んでいった
のに対して、キリスト教の伝統は複数の愛概念を包摂して、ただ一つのものではないが単
純に分かたれているものでもない愛概念に留まろうとする点にあると言えよう。
クレーは何故二元論的な愛を想定しなければならなかったのだろうか。マルク評の強調
点から推測するに、それはマルク評を記した時点でのクレーの主眼が「飛翔」にあったか
らだと思われる。つまり、
「 飛翔」モチーフによって思想ないし世界観を形作る にあたって、
飛び立つ以前と以後の二つの領域は分かたれていなければならず、 故に地上的なものへの
愛とロゴス的なものへの愛が分裂してしまったのである。もっとも、クレーは自身の規定
する「愛」について、直接的には何も語っていない。よって、以上のことはあくまで推測
となる。しかし、
「飛翔」モチーフによってクレーの中に何らか の二元論的な傾向が生まれ
たということは、最低限これまでの分析から言い得るであろう。
ところで、先行研究において「飛翔」モチーフはクレーの〈天使連作〉とも深く結びつ
いていたモチーフである。これは初期の天使画と晩年の天使画、すなわち翼を持った諸天
使たちには確かに該当すると考えられる。故に、
「キリスト教的であるし、キリスト教的で
もない」という本章の結論はそれらの天使たちにも当てはめられるように思われる。 しか
し、翼を有しておらず、またクレーが「飛翔」モチーフに拘っていた時期区分とは異なる
時期に描かれた《生成に於ける天使》については、そのまま当てはめられるようには思え
75
ない。とはいえ、それもまた一つの「天使」である以上、他の天使連作と何らかの連関が
あるはずであり、モチーフないし概念を何らか共有しているはずである。
《生成に於ける天使》を他の天使連作との関係においてどのように位置づけるべきか、 あ
るいは、その宗教性はどのように規定すべきか、という問題は次章の考察課題としたい。
註
78
本論文におけるクレーの日記は W.ケルステン 編『新版
クレーの日記』高橋文子訳、みすず書
房、2009 年を参照した。なお、ドイツ語原文は Paul Klee, Tagebücher 1898-1918: Textkritische
Neuedition, Paul-Klee-Stiftung, Kunstmuseum Bern(Hg.), Wolfgang Kersten(Bearb.), Stuttgart und Teufen,
1988 を参照し、必要に応じて訳語を変えている。以降、クレーの日記からの引用は日記番号のみを
記すものとする。
79
クレーがキリスト教徒ではないという言明は先行研究 でなされている。松友知香子「パウル・ク
レーの〈天使〉について ――〈都市画〉との関連から――」『美學』第 59 巻第 2 号、2008 年、89-90
頁を参照(なお、松友は George Wedekind, “Kosmische Konfession; Kunst und Religion bei Paul Klee ”,
Internationales Symposium zur Kunst und Karriere Paul Klees, 2000, S.226-238 をその根拠として参照し
註に記載している)。
80
宮下誠『パウル・クレーとシュルレアリスム』、36-37 頁。
81
『クレーの手紙』、343-344 頁、346-347 頁。
82
日記 951 一部抜粋。
83
日記 952。
84
河本真理、前掲書、160 頁(なお、本書の註 10 にヴォリンガーとクレーの関連についてのゲール
ハールやヴェルクマイスターらの先行研究が記載 ); 前田富士男、前掲書、 75-83 頁等を参照。
85
岡田温司「天使が何かするときのように行動せよ」
『ユリイカ』第 43 巻第 4 号、2011 年、147-148
頁; 松友知香子、前掲書、91-92 頁等を参照。
86
そのように振る舞っている箇所が日記にないわけでもない。たとえば日記 963 には次のように書
かれている。「私には戦争なんか内心どうでもいい。しかし、ベルンの社交界のやんわりとした虚
偽にも飽き飽きしている。私は本当に才能ある人たちといっしょに、血をすすったのだ。ドイブラ
ーがまたはちきれそうな姿で戸口に現れないものか。鬼火のようなヴォルフスケールが、ささやか
な私の家の中をめらめらと漂わないものか。カンディンスキーには、せめて壁から挨拶を送っても
らいたい。上品なリルケがチュニスの話でもしてくれないものか。研究熱心なゲオルク ・ハウスマ
ンもいてくれたらいい」
87
このことは日記 956 でも強調されている。そ こ には「戦 争が初 め私に と って意味 してい たのは、
どちらかといえば肉体的な問題だった。身近で血が流れたということ。自分の体が危険にさらされ
たということ。体なしには魂もありえないのに!」という肉体的な死への切迫した感情が綴られて
いる。
88
日記 965 一部抜粋。
89
本節のクレーとマルクの個人史は、註をつけているもの以外は Michael Baumgartner, Cathrin
76
Klingsöhr-Leroy, Katja Schneider(Hg.), Franz Marc-Paul Klee: Ein Dialog in Bildern, Nimbus, 2010,
S.198-227 の年表を参照した。
90
日記 896。
91
クレーの少年時代からの友人とされ、チュニジア旅行にも同行している。モワイエもまた「青騎
士」メンバーの一人であった。
92
実際には、クレーとカンディンスキーはフランツ・フォン・シュトゥックに師事してい た時代
(1900 年頃)に面識がある。ただし、交友は無かったようであり、
「ぼんやり思い出すことができる」
程度の記憶しかなかったとクレーは日記の覚書に記している。 Felix Klee(Hg.), op.cit., S.10.
93
具体的な出品作は不明であるが、この時期のマルクの作品は既に現在よく知られている「動物」
「多角」「色彩」といった特徴を備えた画風になっていたため、クレーが目にしたのもそのような
作品だったのではないかと推測される。
94
日記 914、961 参照。
95
日記 962 一部抜粋。
96
日記 964 一部抜粋。
97
O. K. Werkmeister, op.cit., S.100-102.; Cf. Tagebücher Nr.425, 952.
98
日記 1007 参照。
99
宮下誠『パウル・クレーとシュルレアリスム』、 73-79 頁参照。
100
宮下誠『パウル・クレーとシュルレアリスム』、 77 頁。
101
日記 690。
102
日記 1007 一部抜粋。
103
104
105
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.214.
『パウル・クレー手稿 造形理論ノート』、257 頁。
自身の信仰告白と芸術理念を繋げるという発想は、後の論文『創造的信条告白』によって先鋭
化されており、クレー的な発想だと言える。
106
筆者作成。
107
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.28.
108
クレー自身も「ロゴス」という概念について、自身の芸術思想でいくらか触れている。クレー
においてロゴスはエロスと並ぶ芸術作品の基本的な形成原理であり、ロゴスは「確定形式」として、
エロスは「欲動形式」として規定されている。芸術における原理的なものこそクレーの語る「世界
の思想」であるため、ロゴスは「世界の 思想」の性格を象徴する一つの概念と見て問題無い。ただ
し、クレーはロゴスとエロスを対比的に考えており、その点でキリスト教のロゴス概念とは異なる。
むしろギリシア思想的だと言える。また、エロスは「愛」概念の一つであるため、本論文の内容と
も若干関わってくるが、クレーはエロスを愛概念の一つとして捉えていないと考えられるため、本
論文ではクレーに於けるロゴスとエロスの考察は割愛することにした。なお、クレーにおけるロゴ
スとエロスは前田富士男、前掲書、 293-299 頁に詳しい。
109
ヨハネ福音書 1:1
77
図版
図 44
図 45
フランツ・マルク《青い馬 I》
Franz Marc〈Braues Pferd I〉
1911 年、112×84.5cm
カンバスに油彩
レンバッハハウス美術館
図 46
フランツ・マルク《眠れる鹿》
Franz Marc〈Schlafendes Reh〉
1912/13 年、37.8×44.8cm
テンペラ
スイス、個人蔵
フランツ・マルク《二頭の馬》
Franz Marc〈Zwei Pferder〉
1911/12 年、14.1×20.8cm
木版にグワッシュ
フランツ・マルク美術館
図 47
フランツ・マルク《小コンポジション II》(木のある家)
Franz Marc〈Kleine KompositionII〉(Haus mit Bäumen)
1913/14 年、60.5×46cm
カンバスに油彩
シュプレンゲル美術館
78
図 48
図 49
《年老いた不死鳥》
〈Greiser Phoenix〉
1905 年(36)、27×20cm
紙にエッチング
パウル・クレー・センター
《翼のある英雄》
〈Held mit Flügel〉
1905 年(38)、26×16cm
紙にエッチング
パウル・クレー・センター
79
第4章
〈天使連作〉における《生成に於ける天使》の位置付け
パウル・クレーは、生涯で 1 万点を超える作品を創作した画家である。クレーの多様な自
然観に由来して、その主題は非常に豊富である 110。しかし同時に、特定の時期に特定の主題
が集中して描かれるという特徴も見出され、このような〈連作〉主題もクレー研究では欠か
せない観点となっている。〈天使連作〉はそのような連作主題のうちの一つである。
〈天使連作〉という主題がクレー研究において初めて登場したのは息子フェリックスによる
1960 年刊行のパウル・クレー資料集 111においてである。この資料集で一つの連作主題として
紹介されることによって、
〈天使連作〉はクレーの主要な画業の一つと見做されるようになっ
た。とはいえ、1990 年代以前は、この主題に注目した個別研究も、展覧会も、世界的にほと
んど見受けられなかった。1990 年代以降は、クレーの晩年に関する研究や展覧会が盛んにな
るのと同時に、晩年に描かれた〈天使連作〉に次第に注目が集まるようになった。その集大
成が 2012 年にパウル・クレー・センターで催された「天使展」だと言える。これが〈天使連
作〉研究にまつわる大まかな研究の変遷である。
〈天使連作〉――通称「クレーの天使」――は、1960 年の「資料集」から「天使展」に至るま
で、その分類は確定していない。「資料集」においては 49 点の作品が〈天使連作〉に分類さ
れているが、主題の選定には明らかな不備が見受けられるために、後の研究ではそのまま採
用されていない 112。2000 年以後の研究、とりわけイングリッド・リーデル、ボーリス・フリ
ーデヴァルト、
「天使展」においては〈天使連作〉の範囲を拡張しようという傾向が見出され、
有翼の主題、「無題」作品、「悪魔」の中からいくつかの作品が類縁作品として取り上げられ
ている。しかしこの類縁作品の見解は研究者によって様々であり――そもそも研究者間で目
立った論議がされておらず――、類縁作品についても定説といったものが存在しない。以上
のような研究状況をふまえ、本研究では独自の分類を用いることにした。それは、
「 天使」Engel
ないしそれに類する語――「天使のような」engelsam など――を題に有するものを〈天使連作〉
とし、題にこれらの語を持たないが類縁作品として見做し得るもの、あるいは過去の研究で
見做されてきたものを〈準天使連作〉とする分類である(内訳は次ページ以降のリスト参照)。
以後はこの分類に従って考察を進めていく 113。
本章の課題は、
〈天使連作〉との関係考察を通じて《生成に於ける天使》が担っている意味
を明らかにすることである。先に述べたように、クレーの天使の研究が盛んになったのは「晩
年の天使」に対する注目がきっかけであり、この傾向は現在に至るまで継続している。すな
わち、晩年の天使から当時のクレーの精神的状況や芸術理念を探ろうとするのがこれまでの
80
研究の主たるテーマであった。しかしながら、《生成に於ける天使》は晩年の作品ではなく、
それらの作品とは描かれ方も大きく異なっている。そのため、晩年の天使とは異なったクレ
ーの精神状況や芸術理念がそこには含まれていると考えなければならない。一方で、同じ「天
使」の名を冠する作品であるために、晩年の天使や、初期の天使、あるいは類縁作品との関
係において、何か共通するものも見出されなくてはならない。この二点を明らかにすること
が本章のさしあたっての目的である。
考察は以下のようにして進める。まず、時期的区分から〈天使連作〉と《生成に於ける天
使》の関係を考察し(第 1 節)、次いで技法的・表象的区分から両者の関係を考察する(第 2 節)。
さらに〈天使連作〉とクレーの個人史の対応を確認し(第 3 節)、
〈天使連作〉に度々現れる「十
字架」と「天使」の関係考察を行う(第 4 節)。加えて、クレーの宗教的実存とキリスト教徒
の関係も考察する(第 5 節)。最後に、両者の共通点と相違点をまとめた上で、
《生成に於ける
天使》という作品が〈天使連作〉においていかなる位置を占めており、この作品に描かれた
十字架がいかなる意味を担っているのかを明らかにする(第 6 節)。
〈天使連作〉リスト
EK1 《天使が望みのモノを進呈する》〈ein Engel überreicht das Gewünschte〉(1913)
EK2 《下降する天使》〈Angelus descendens〉(1918)
EK3 《火の天使》〈Feuer=Engel〉(1919)
EK4-1 《新しい天使》(彩色)〈Angelus novus〉(1920)
EK4-2 《新しい天使》(線描)〈Angelus novus〉(1920)
EK5 《灯火の天使》〈ein Engel als Leuchter〉(1921)
EK6 《酒飲み天使》〈trinkender Engel〉(1931)
EK7 《天使の守護》〈Engelshut〉(1931)
EK8 《天使に守護されて》〈in Engelshut〉(1931)
EK9 《険しい道のりを天使に守護されて》〈in Engelshut auf steilem Weg〉(1931)
EK10 《遠い道のりを天使に守護されて》〈in Engelshut auf weiter Bahn〉(1931)
EK11 《辺り一面天使に守護されて》〈in Engelshut, breit〉(1931)
EK12 《一組の天使》〈Engelpaar〉(1931)
EK13 《生成に於ける天使》〈Engel im Werden〉(1934)
81
EK14 《大天使》〈Erzengel〉(1938)
EK15 《一人の天使のデビュー》〈Debut eins Engels〉(1938)
EK16 《ひざまずく天使》〈knieender Engel〉(1939)
EK17 《天使と贈り物》〈der Engel und die Bescherung〉(1939)
EK18 《天使のような》〈engelsam〉(1939)
EK19 《できそこないの天使》〈Miss-engel〉(1939)
EK20 《未熟な天使》〈unfertiger Engel〉(1939)
EK21 《天使の群れの控え室にて》〈im Vorzimmer der Engelschaft〉(1939)
EK22 《天使たちの岩》〈der Fels der Engel〉(1939)
EK23 《哀れな天使》〈armer Engel〉(1939)
EK24 《天使候補》〈Engel-Anwärter〉(1939)
EK25 《目覚めたる天使》〈wachsamer Engel〉(1939)
EK26 《おませな天使》〈altkluger Engel〉(1939)
EK27 《旧約聖書の天使》〈Engel des alten Testamentes〉(1939)
EK28 《忘れっぽい天使》〈vergesslicher Engel〉(1939)
EK29 《小舟の中の天使》〈Engel im Boot〉(1939)
EK30 《老音楽家が天使のふりをする》
〈ein alter Musiker tut engelhaft〉(1939)
EK31 《希望に満ちた天使》〈Engel voller Hoffnung〉(1939)
EK32 《天使、満ちすぎて》〈Engel übervoll〉(1939)
EK33 《十字架の天使》〈Engel vom Kreuz〉(1939)
EK34 《傾聴する天使》〈hörender Engel〉(1939)
EK35 《懐疑的天使》〈Angelus dubiosus〉(1939)
EK36 《鈴の天使》〈Schellen-Engel〉(1939)
EK37 《幼稚園の天使》〈Engel im Kindergarten〉(1939)
EK38-1 《天使、まだ女性的》(彩色)〈Engel, noch weiblich〉(1939)
EK38-2 《天使、まだ女性的》(線描)〈Engel, noch weiblich〉(1939)
EK39-1 《ある天使の危機 I》〈Krise eines Engels I〉(1939)
EK39-2 《ある天使の危機 II》〈Krise eines Engels II〉(1939)
EK40 《もうひとつの十字架の天使》〈anderer Engel vom Kreuz〉(1939)
EK41-1 《戦いの天使》(線描)〈Angelus militans〉(1939)
82
EK41-2 《戦いの天使》(彩色)〈Angelus militans〉(1940)
EK42 《星の天使》〈Engel vom Stern〉(1939)
EK43 《醜い天使》〈hässlicher Engel〉(1939)
EK44 《三人連れの天使》〈Engel zu drei〉(1939)
EK45 《天使、まだ手探りしている》〈Engel, noch tastend〉(1939)
EK46 《天使、まだ醜い》〈Engel, noch hässlich〉(1940)
EK47 《疑っている天使》〈zweifelnder Engel〉(1940)
〈準天使連作〉リスト
sEK1 《翼のないクリストキント》〈Christkind ohne Flügel〉(1883)
sEK2 《クリストキントと鉄道、クリスマスツリーと共に》
〈Weinachtsbaum mit Christkind u. Eisenbahn〉(1884)
sEK3 《クリスマスツリー、クリストキント、時計》
〈Weihnachtsbaum, Christkind und Uhr〉(1884)
sEK4 《黄色い翼の生えたクリストキント》〈Christkind mit gelben Flügeln〉(1885)
sEK5-1 《翼のある英雄》(線描)〈der Held mit dem Flügel〉(1905)
sEK5-2 《翼のある英雄》(エッチング)〈der Held mit dem Flügel〉(1905)
sEK6-1 《ゲーニウスが朝食を提供する》〈ein Genius serviert E.KL. Frühstück〉(1915)
sEK6-2 《1915/29 の後に》〈nach 1915/29〉(1920)
sEK7 《天上のメッセンジャー》〈himmlischer Eilbote〉(1918)
sEK8 《断片六十七番》〈Fragment Nr. 67〉(1930)
sEK9 《無題》(天使の守護)〈ohne Titel〉(1931)
sEK10 《通り過ぎた冒険》〈bestandenes Abenteuer〉(1931)
sEK11 《恥辱》〈Schande〉(1933)
sEK12 《転落》〈Struz〉(1933)
sEK13 《来るべきもの》〈der Künftige〉(1933)
sEK14 《熱い場所》〈heisser Ort〉(1933)
sEK15 《ルシファーの接近》〈Näherung Lucider〉(1939)
sEK16 《光よ、君は何をもらたすのか?》〈was brigst du, Licht?〉(1939)
sEK17 《悪魔が岸壁から出航する》〈ein Teufel segelt durch die Klippen〉(1939)
83
sEK18 《KK5 の悪魔》〈der Teufel von KK5〉(1939)
sEK19 《パラスとしてのメフィストフェレス》《Mephisto als Pallas》(1939)
sEK20 《価値表記小包》〈das Wert-Paket〉(1939)
sEK21 《ホザンナ》〈Osanna〉(1939)
sEK22 《脚の代わりに翼》〈statt Beinen Flügel〉(1939)
sEK23 《地上の最期の一歩》〈letzter Erdenschritt〉(1939)
sEK24 《魔的》〈Daemonie〉(1939)
sEK25 《上方に》〈noch oben〉(1939)
sEK26 《むしろ鳥》〈mehr Vorgel〉(1939)
sEK27 《高所への発射》〈Schüsse in der Höhe〉(1939)
sEK28 《強襲》〈Anfall〉(1939)
sEK29 《重荷のテスト》〈Belastung-Probe〉(1939)
sEK30 《泣いている》〈es weint〉(1939)
sEK31 《小動物》〈Getier〉(1939)
sEK32 《役職への誇り》〈Würde des Amtes〉(1939)
sEK33 《もうすぐ飛べる》〈bald flügge〉(1939)
sEK34 《もう一度希望している》〈nochmals hoffend〉(1939)
sEK35 《座って熟考する》〈sitzt und sinnt〉(1939)
sEK36 《子供喰い》〈Chindlifrässer〉(1939)
sEK37 《レヴィアタン》〈Leviathan〉(1939)
sEK38 《受胎して》〈befruchtet〉(1939)
sEK39 《大きな庇護の下で》〈unter grossem Schutz〉(1939)
sEK40 《任務中》〈in Mission〉(1939)
sEK41 《キリスト教的亡霊》〈christliches Gespenst〉(1939)
sEK42 《無題》(コケットな巻き毛の天使)〈ohne Titel〉(1939)
sEK43 《無題》(天使があたまを両手でかかえている)〈ohne Titel〉(1939)
sEK44 《どこから?
どこに?
どこへ?》〈woher? wo? wohin?〉(1940)
sEK45 《歩き方、まだ躾がなっていない》〈im Schreiten noch unerzogen〉(1940)
sEK46 《ワルキューレ》〈Warküre〉(1940)
sEK47 《気高き番人》〈hoher Wächter〉(1940)
84
sEK48 《二人の渇いた者》〈zwei Dürstende〉(1940)
sEK49 《無題》(死の天使)〈ohne Titel〉(1940)
sEK50 《無題》(最期の静物)〈ohne Titel〉(1940)
4-1. 〈天使連作〉の時期的区分
〈天使連作〉は、1913 年に始まり、晩年の 1940 年に終わる。その期間は 27 年間であり、芸
術家としてのクレーのキャリア――1900 年代後半より本格的な作品創作が開始され、1940 年
まで続けられた――を考えれば、クレーの画家人生のほとんど全てを覆う長さである。とは
いえ、クレーがどの時期にも常に天使という存在に関心を抱いていたかといえば、それは否
定されるべきであり、そのことは〈天使連作〉の制作年の偏りから明らかである。そのこと
を示すのが次のリストである。
〈天使連作〉制作年数リスト
※作品数の分子は天使画数、分母は全作品数114
天使画数の括弧内は同主題を別作品とした場合の数
1913 年
1/207
EK1 《天使が望みのモノを進呈する》
1918 年
1/217
EK2 《下降する天使》
1919 年
1/281
EK3 《火の天使》
1920 年
1(2)/243
1921 年
1/233
EK5 《灯火の天使》
1930 年
1/282
EK6 《酒飲み天使》
1931 年
6/291
EK7-12 《天使の守護》、《酒飲み天使》等
1934 年
1/225
EK13 《生成に於ける天使》
1938 年
2/502
EK14-15 《大天使》、《一人の天使のデビュー》
EK4 《新しい天使》(彩色・線描)
1939 年 30(32)/1312
EK16-40, 41-1, 42-45 《忘れっぽい天使》《十字架の天使》等
1940 年
EK41-2, 46-47 《天使、まだ醜い》《疑っている天使》等
2(3)/386
一見して明らかな通り、
〈天使連作〉は 1939 年に一極集中している。その前後の 1938 年と
1940 年も複数の天使を描いていることから、クレーの天使についての関心は 1938-40 年とい
う晩年において「比較的」高まっていた、と言うことができる。もっとも、各年毎の作品総
85
数を見てみると、1938-40 年においてすら、クレーの天使についての関心は決して高くないこ
とが分かる。いずれの年においても、「天使」という主題は全作品の 4%に満たない頻度でし
か登場していない。この点には注意が必要である。
とはいえ、平均としては決して関心が高くないながらも、
〈天使連作〉内で比較的関心の高
かった時期と高くなかった時期に分けられるのも確かである。すなわち、少数ずつではある
が毎年天使が描かれてきた 1918-1921 年と 1930-31 年、最も数の多い 1938-40 年は比較的関心
の高かった時期であり、時期的に他の作品と孤立している 1913 年と 1934 年は比較的関心の
低かった時期であったと言うことができる。
クレーの天使に対する関心は生涯を通じて決して高くはなかったが、その中でも特に関心
が低かった時期に、半ば偶発的とも受け取られるかたちで《生成に於ける天使》は描かれて
いる。従って、同じ〈天使連作〉ではあるが、他の時期の天使画とは異なった態度・関心の
下に《生成に於ける天使》は描かれているという可能性が推測される。
このような推測は、表象的な差異を確認することによって更に明確なものとなる。
4-2. 〈天使連作〉の技法的・表象的区分
クレーが自身の造形芸術に用いた技法は非常に多彩である。何故ならば、クレーは絶えず
新しい画材と技法に取り組み続けたからである。油彩転写や多色の配置理論はその有名な成
果の一部だと言える。しかしここでは、クレーの技法を細かく区分けし確認していくことが
目的ではなく、天使表象の大まかな区分が目的である。従って分類も大きく切り分けたもの
とする。まずは「彩色画」「線描画」に大別して見ていきたい。
彩色画
EK3, 4-1, 6, 13-14, 23-25, 33-36, 38-1, 41-2, 42, 45
計 15/51 点
線描画
EK1-2, 4-2, 5, 7-12, 15-22, 26-32, 37, 38-2, 39-40, 41-1, 43-44, 46-47
計 36/51 点
彩色画と線描画という区分で見た場合、線描画の方が倍以上作品数が多い。そのため、天
使という主題は線描とより強い結びつきにあると言える。とはいえ、彩色画の数も決して少
ないわけではなく、全体の約三分の一を占めている。加えて、制作年の別を考慮に入れても、
86
そこに目立った統一性ないし傾向性といったものは見出せない。一般的に線描のイメージが
強い晩年においてすらも、10 点以上の天使が彩色画で描かれているのである。そのため、ク
レーは技法的には厳格な拘りを持たずに天使画を描いていたと推測される。
従って、彩色画よりも線描画の天使の方がより比重が大きいとはいえ、
〈天使連作〉の主要
な特徴と言い得るほどの大きな要因とは考えられない。技法的区分という観点は、それ自体
としては〈天使連作〉にとってさほど本質的な意味を持たないと考えるべきであろう。
では、表象的区分についてはどうだろうか。その形態に着目した場合、
〈天使連作〉には大
きな二つの区別が見受けられる。それは「翼の有無」である。ほとんどの天使は有翼の表象
として描かれているが、
《火の天使》(EK3)、
《生成に於ける天使》(EK13)、
《大天使》(EK14)、
《老音楽家が天使のふりをする》(EK30)だけは翼が描かれていない少数の表象となっている。
さらに、この区分へ「人型であるか否か」という観点を持ち込むと、
「人型ですらない抽象画」
としては《生成に於ける天使》と《大天使》のみが残される。言うまでもなく、このような
分岐をする表象チャート(下記参照)は、否定の選択をするごとに一般的な天使表象――すなわ
ち、ルネサンス以来典型となっている「翼の生えた人型」の表象――から遠ざかっていく。
よって、表象的に考えた場合、一般的な観念においても、
〈天使連作〉内部の傾向においても、
《生成に於ける天使》と《大天使》は少数派に属していると言える。
天使表象チャート
翼の有無
有:EK1-2, 4-12, 15-29, 31-47
無
人型:《火の天使》《老音楽家が天使のふりをする》
非人型(抽象):《生成に於ける天使》《大天使》
技法的区分と表象的区分とを併せて鑑みた場合、
《生成に於ける天使》の特徴がはっきりと
浮かび上がってくる。すなわち、時期的区分においても、技法的ないし表象的区分において
も、共に少数派に属しているのは《生成に於ける天使》のみであることがわかる。従って、
《生成に於ける天使》は〈天使連作〉において孤立した位置を占めている表象なのである。
87
4-3. クレーの個人史との対応
《生成に於ける天使》が他の〈天使連作〉から孤立した位置にあることは、前節までの考察
により明らかとなった。次に問題となるのは、その孤立の理由である。つまり、クレーはど
のような意図によって《生成に於ける天使》を創作したのか、そしてその意図は他の〈天使
連作〉とはどのような点で異なっているのか、という疑問に対する答えである。
クレーの芸術理念が究極的に目指すところは、宇宙的なもの、不変のもの、ロゴス的なも
のであった。こその一方で、クレーの芸術作品は「自然の観察」を発端としており、その意
味で個人的な体験に起因するものである。従って、クレー作品は「普遍的な概念の表現を志
向しつつも、その時々の個別的な体験の表現でもある」と言うことができる。そのため、作
品の個別性にはその時々の個別的な体験が反映されていると見るべきである。これはクレー
に限らずあらゆる芸術作品に該当するが、クレーは特にこの「芸術における個別的なもの」
に自覚的であった。そうであればこそ、それぞれの芸術作品は何かの模造ではなく一つの「現
実」であるという主張が可能だったのである 115。
本節では、クレーの個人史と各天使表象の対応を確認していくことで、各表現の機縁とな
った「個別的な体験」が何であったのかを推測していきたい。
4-3-1. バウハウス時代以前のクレー
クレーは長い画家修業時代、無名の画家時代を経て大成した遅咲きの画家である。クレー
がその知名度を不動のものにしたのはバウハウス時代以降であり、それ以前のクレーは成功
と失敗の狭間でたえず苦悶していた。そのことは 1910 年代以前の諸々のテクストに散見され
る。無名芸術家としての苦悶は、作品にも色濃く反映されている。とりわけクレーが 1905
年に描いた《翼の生えた英雄》(sEK5)はほとんどクレーの自画像であり、クレーにおける「飛
翔」モチーフの一つと見做されている。
クレーにおける「飛翔」モチーフとは、ヴェルクマイスターの初期クレー研究によって発
見されたクレーの精神的状況と作品の連関を示す一つの観点である 116。無名時代のクレーは
日記に「飛翔する」Fliegens という言葉を何度か記しているが、その飛翔は芸術家としての
成功と失敗を暗示している。初期クレー作品においてしばしば描かれる「本来飛ぶ力が備わ
っているのに、飛ぶことができない存在」は、芸術家として成功を夢見つつもそれが叶わな
いでいるクレーの自画像なのである。《翼の生えた英雄》や《新しい天使》(EK4)といったバ
ウハウス以前の〈天使連作〉ないし〈準天使連作〉は、これまでそのように解釈されてきた。
88
ヴェルクマイスターの「飛翔」解釈は、クレーの日記の記述を丁寧に解釈した実証的なも
のであり、無名時代のクレーにおける天使的表象をこのメタファーに沿って解釈するのは妥
当だと思われる。とはいえ、本論文との関係で問題となるのは、この「飛翔モチーフ」の適
応範囲は果たしてどの時代までか、という点である。
「無名画家の苦悩」という意味では、間違いなくバウハウス時代以降のクレーにこの観点は
失われてしまっている。だが、成功と失敗という両義的な感情は、以後のクレーにおいても
時折見受けられた感情である。特に、ナチス弾圧期、クレーが大きな挫折感・失望感と共に
ベルンへ逃れたことは多くの資料が示しているところである 117。よって、無名時代のクレー
が日記に記したそのままの意味合いではないにしても、「飛翔‐成功」‐翼‐「墜落‐失敗」
という三者の関係は、後の時代のクレー作品にも見出される可能性はあると考えられる。
4-3-2. バウハウス‐デュッセルドルフ美術学校時代のクレー
1921 年のバウハウスの教授就任以後、天使画は長らく作品目録から姿を消している。図版
が失われてしまっている 1921 年の《灯火の天使》(EK5)を例外とすれば、次に天使画が描か
れたのは 1930 年である。この《酒飲み天使》(EK6)は解釈の難しい作品であり、何故 1930
年に突如「天使」の名を冠する作品が、9 年ぶりに 1 点だけ描かれ、それも「酒飲み」drinkender
という形容詞が付せられているのかはっきりとしない。あるいは、偶然的に、
「連想作用」の
賜物として不意に迷い出た例外なのかもしれない 118。
対して、1931 年に連続して登場する「天使の守護」連作(EK7-11, sEK9)は、ある程度クレ
ーの個人史から主題の機縁を推測することができる。この年クレーはバウハウスを退職しデ
ュッセルドルフ美術学校に勤めていた。そして、この期間(1930 年から 1933 年の 5 月まで)
だけの特殊な状況として、クレーはデッサウとデュッセルドルフの二ヶ所にアトリエを構え、
それぞれを二週間毎に往復していた、という状況が挙げられる 119。すなわち、クレーは二週
間毎に生活空間を変える長距離移動を繰り返していたのである。そして、
「天使の守護」連作
はこの特殊な状況の表出であると考えられる。何故ならば、
「天使の守護」連作はいずれも「道
程を天使に守られて進むイメージ」を題材としており、
「道程」という概念がクレーの個人的
状況にも符合するからである。
このように考えた場合、1930-31 年の天使画は、「飛翔」モチーフとは異なった視点から描
かれた天使表象であるように思われる。この時期のクレーには大きな挫折も不安もなく、大
きな躍進も見られない。天使表象の描かれ方を見ても、この時期の天使表象は「上へ」昇っ
89
ていく表象ではなく、
「そこに」佇む、あるいは「横へ」移動するように描かれている。そこ
に大きな動性は見受けられない。故に「天使の守護」連作は、安定期にあるクレーの平穏な
人生の象徴とも解釈し得る。いずれにせよ、そこに無名時代や晩年の不安と同種のものを読
み取ることはできない。
4-3-3. ナチス弾圧期のクレー
ナチスによる弾圧は、それまで順調であったクレーの人生を一変させた。この点は疑いよ
うのない事実である。しかしこの点が「天使」とどのように関わってくるのか、というのは
一つの大きな問題である。
時期的区分において見てきたように、
《生成に於ける天使》は制作年が他の〈天使連作〉か
ら孤立した作品である。裏を返せば、このナチス弾圧期にあって「天使を描く」ということ
は、クレーの主たる関心事ではなかったということである。では、この時期のクレーの主た
る関心はどのようなものに向けられていたのだろうか。
《生成に於ける天使》の予型である《熱い場所》(sEK14)が描かれた年、1933 年。ナチスの
弾圧がいよいよ身に迫ってきたために引っ越しを余儀なくされた年であるが、息子フェリッ
クスの記述によれば、クレーは引っ越し後に部屋に籠って制作に没頭していたとされている。
この期間の主題は、統一的なものを求めようにもそれが不可能なほどに散逸している。むし
ろこの期間の特徴は、主題ではなくその表現方法にあると言える。すなわち、感情の迸りと
しか考えられないような荒々しい線描、否定的な記号や主題、攻撃的な色彩(図 50-53)、これ
が 1933 年の表象全般の特徴であり、この種の作品の一つとして《熱い場所》は描かれたので
ある。次なる年、《生成に於ける天使》が描かれた 1934 年は、ナチス弾圧以後のクレーにと
ってほぼ唯一の安定期である。翌年、クレーは麻疹に罹り、それをきっかけとして不治の病
に侵され、死を迎えることになる。1934 年にはまだその兆候はない。画家としても、スイス
で初の個展が開かれるなど、大いに順調であった。主題は変わらず非統一的であるが、感情
の強さは幾分収まり、静的な印象の作品が大半を占めている(図 54-57)。記号の多用も見受け
られ、謎めいた抽象によって個人的な次元を超えた宇宙的なものを目指そうとする意志が他
の時代にも増して感じ取ることができる。元来クレーの芸術はその方向性に規定されたもの
であったが、個人的な感情の気配が薄まることによって、本来の方向性が明確化したのが
1934 年のクレー作品だと言える。
90
本来的な理念がとりわけ体現された期間、多くの散逸的な主題の中に、1 点だけ天使が描
かれている。それも抽象画として。これが《生成に於ける天使》を理解する上で最も重要な
事実だと思われる。この事実がいかなる意味を有するのかについては、本章の結論で改めて
論じたい。ともあれここでは、
《生成に於ける天使》もまた、この期間に固有の事情の下に描
かれた作品である、という点を強調するに留めておきたい。
4-3-4. 晩年のクレー
晩年の天使画は、これまでの充実した先行研究が証明しているように、晩年のクレーの自
画像に他ならない。死を想起させる不気味な作品群の中に度々姿を現す天使表象は、彼岸へ
といよいよ旅立つことになるクレーの鏡であり、あるいは連れ合いである。
《老音楽家が天使
のふりをする》(EK30)は、老音楽家としてのクレーが自画像としての天使を量産している様
を敷衍的に表している。時には人間であるクレーと同化し、時には人間とは決定的に異なる
存在としてクレーの前に立つ、そのような越境的存在者として描かれているのが晩年の天使
画なのである 120。
ここには「飛翔」モチーフの転化されたかたちを見て取ることも可能である。晩年の天使
はそのほとんどが有翼の天使として描かれているが、彼らが翼と共に描かれているのは、越
境者の証であるのと同時に、その鏡であるクレー自身が二つの領域を飛翔し降下している証
でもある。クレーはかつて「死者たちや未生のものたちの国」として「中間の世界」を構想
し、自分はそこに行くことができると語っていた。また、此岸と彼岸という二元論的世界観
を展開し、自身をその中間に住まう存在と見做していた。このような「中間の住人」という
自己規定が最後に流れ着いたのが、晩年に描かれた「越境する天使」の存在論であり、その
鏡でもある自身の存在論であったと考えられる。
以上、見てきた通り、
〈天使連作〉のほとんどはそれぞれの時期に応じた事情によって異な
る視点の下に描かれている。
「天使」という名辞、大枠の概念は同一であるが、その名の下に
集積される〈連作〉の表象は、同じ意図によって同じ概念として描かれているわけでは、決
してない。
「飛翔」モチーフも、
「道程の守護者」モチーフも、
「自画像」モチーフも、いずれ
も個々の時期の事情に即してのものである。そのため《生成に於ける天使》はこれらのモチ
ーフを直接的に共有することはできない。
91
では、
《生成に於ける天使》は、その名辞を除いて、他の天使表象から全く隔絶されている
のだろうか。これもまた、否定されるべき見解である。《生成に於ける天使》と〈天使連作〉
の一部には、一つの重要な共通点が見受けられる。それは「十字架」の表象である。
4-4. 「十字架」と〈天使連作〉
クレーの描く天使表象には何点か十字架と関連のある作品が存在する。
〈天使連作〉と〈準
天使連作〉におけるそれらの作品は、以下の通りである。
EK13 《生成に於ける天使》(1934)
EK33 《十字架の天使》 (1939)
EK38 《天使、まだ女性的》(彩色・線描) (1939)
EK42 《もうひとつの十字架の天使》 (1939)
sEK20 《価値表記小包》 (1939)
sEK41 《キリスト教的亡霊》(1939)
〈天使連作〉と〈準天使連作〉が併せて 100 点を超えることを考えれば、以上に挙げた作品
数は決して多いものではない。また、このうち《天使、まだ女性的》と《価値表記小包》は
描かれた十字が「十字架」なのかは定かでなく、これらの作品を除外した場合には、クレー
の天使における「十字架」は、わずか 4 点にしか見出されないことになる。それにもかかわ
らず、この 4 点の証言は大きな意味を持っている。特に、
《キリスト教的亡霊》の存在は重要
である。この作品と他の十字架と繋がりあった天使表象によって、
「天使‐十字架‐キリスト
教」という連関が明確に見て取れるからである。
クレーの描く「十字」という記号は多義的である。そしてその多義性の内に「十字架」と
いう概念が含まれている。このことは第 2 章で確認してきた通りである。同様に、クレーの
描く記号は単に一つの意味内容を指示するためのアレゴリーではなく、あれかこれかの先に
ある宇宙的な概念を目指す記号であったことも、これまで確認してきた。従って、
「天使‐十
字架‐キリスト教」の結びつきは、クレーの芸術において本質的ではないと言わなければな
らない。
「十字」の記号によってキリスト教を指示すること、天使に「十字」を描き込むこと
92
は、クレーにとって必然的な行為ではないのである。それにもかかわらず、この連関は僅か
な例証によって確かに見出される。この僅かな例証は一体何を意味しているのだろうか。
クレーにおける「天使‐十字架‐キリスト教」の結びつきの意味を知るためには、クレー
とキリスト教の関係を知らなければならない。クレーが狭義のキリスト教徒でないことは既
に明らかにされているが、非キリスト教徒といってもその内実は様々である。クレーはどの
ような宗教的実存の下にキリスト教的主題を創造していったのか。これが一つの問題となる。
4-5. クレーの宗教的実存とキリスト教
クレーは狭義の意味でのキリスト教徒ではない。つまり、洗礼を受けておらず、教会にも
通っていない生涯をクレーは過ごした。21 世紀の現在では西欧においてはさして珍しくない
宗教的立場であるが、クレーが生きた 19 世紀後半から 20 世紀前半にかけての西欧では明ら
かに少数派であった。息子フェリックスはクレーの生家を「全く非因襲的、非市民的だった」
と評している 121。これが具体的にクレーの家庭のどのような面を表現してのことなのかは判
然としないが、少なくともクレーが「宗教的に」非市民的であったことは間違いない。クレ
ーは 5 歳の時分を振り返って、日記に次のように記している。
神のことは信じていなかった。ほかの男の子たちは、神さまは僕らをいつも見ていらっ
しゃる、とひとの言うとおり繰り返していたが、私はそんな信仰は低俗だと確信してい
た。あるとき、うちのアパートでひどく年をとったおばあさんが亡くなった。男の子た
ちは、おばあさんは天使になったんだ、と言っていたが、それこそ私には納得がいかな
かった(5 歳)。 122
この記述が事実に即したものだとすれば、そしてこの宗教的態度が青年期以後も続いてい
たとすれば、クレーの宗教的態度は故郷ベルンにおいて極めて少数派であったと考えられる。
以下の統計(参考図 5)に従えば、クレーが幼少期にあたる 1880 年代においては 99%のベルン
市民がキリスト教徒である。従って、クレーの立場は 1%の側であるということになる。この
状況は晩年(1940 年)においてもほとんど変わっていない。統計の数値をそのまま実情と重ね
合わせることはできないにしても、クレーが極めて少数の宗教的立場を選んでいたことは間
違いない。
93
参考図 5 123
また、クレーは自身の宗教的立場について、1933 年に――まさにナチスによる弾圧の最中
に――家族に対して次のように記している。
種族の血の問題に関しては、いままではぼくは何もしていません。フェリックスは――
もうミュンヘンへの手紙を書いて――キリスト教徒であることを証明したそうです。もし
もぼくも求められることがあったら、そうしなければならないと思っています。でもそ
のような馬鹿げた中傷に対してこちらから何か策をこうずるのは、ぼくの誇りが許しま
せん。たとえぼくがユダヤ人かガリチア人であっても、ぼくの人格、またぼくの仕事が
ほんの少しでもそれによって変更を蒙るはずがありません。ユダヤ人であれ外国人であ
れ、ドイツ内地人より劣ることはないというぼくの考え、立場を変えることはぼくには
できません。さもなければおかしな記念碑を自分に対して永遠に残すことになるでしょ
うから。権力者にこびる悲喜劇的人物を演ずるよりは、むしろ災難を甘受する方をぼく
は選びます。 124
クレーはここで、
「求められればキリスト教徒であることを証明する」が、しかしそのよう
な証明を敢えてするのは馬鹿らしく、そうするよりは「むしろ災難を甘受する方を選ぶ」と
94
表明している。この表明の核心は、何らかの宗教的立場を表明することはクレー自身にとっ
て何の意味もないことである、という点にある。クレーの芸術が地上的な変わりゆくものを
志向していないように、クレーはその宗教的実存においても、何か一つの立場を選ぶことを
良しとしていなかった。彼自身の言葉からはこのような意図が読み取れる。
では、クレーのこのような宗教的表明は、そのままクレーの実際の宗教的実存と重なり合
っているだろうか。
クレーが生涯特定の宗教の信徒にならなかったという点においては、確かに表明と実存は
一致している。しかし生涯を西欧のごく限られた地域で過ごしたクレーにとって、宗教の観
念は西欧の伝統に限られたものであり、とりわけキリスト教と深く結びついたものであった。
クレーは晩年に《受胎して》(図 sEK38)、
《旧約聖書の天使》(EK27)、
《兄弟団》(図 58)といっ
たユダヤ・キリスト教的主題を多く描いたが、イスラーム教的主題や仏教的主題は全く描か
なかった。クレーが僅かに知っていた神話的・民話的主題は少しだけ描いた(sEK36, 46)。こ
のように、クレーの宗教観および宗教的主題は、キリスト教が他の宗教に比して非常に大き
な位置を占めている。この偏りは、そのままクレーの宗教的実存の偏りでもある。クレーは
確かに、キリスト教に大きく傾いた宗教的実存の持ち主であった。
クレーの宗教的実存については、このように言うことができるだろう。その宗教思想の理
想としては、クレーは一つの宗教に囚われない宇宙的な立場を目指していた。しかし一個人
の人生としては、クレーの生涯はキリスト教社会と絶えず結びつきを持っていたために、そ
の宗教的実存はキリスト教によって根本的に性格付けられていた、と。
従って、クレーの描く「十字架」も次のように解釈されねばならない。クレーの本来的な
意図としては、「十字架」はクレー自身の宗教的実存を代弁するものではなく、「十字」の記
号が持つ多義性の一つの現れに過ぎない。クレーの本来的な宗教的実存はその彼方にある。
しかしながら、
「十字架」はクレーの個人的な宗教的体験の一部でもあり、クレーの宗教的実
存を一部分担っている。十字架が描かれているからといってクレーをキリスト教徒と見做す
のは曲解であるが、同様に、十字架の存在を無視してクレーとキリスト教を実際以上に遠ざ
けるのもまた曲解なのである。故に、
「天使‐十字架‐キリスト教」の連関も、単なる形式的
結合以上のものが込められていると見做さなければならない。その連関は、クレーの実存と
何らか結びついている連関なのである。
《生成に於ける天使》も、他の〈天使連作〉も、この
実存からの発出してきた一つの「徴」のようなものであり、その意味で内的に繋がりあった
表象群なのである。
95
4-6. 結論 ――宗教的実存としての天使、あるいは創造論の一例としての天使――
クレーの天使は、従来「キリスト教とはほとんど関係のないもの」として見做されてきた 125。
これは、クレーが狭義のキリスト教徒ではないこと、クレーの芸術が宇宙的なものを志向し、
個別的な主題に拘泥しないことから推測された見解だと思われる。しかしながら、これまで
見てきたように、クレーの天使はキリスト教と深い結びつきを持っている。本論では特に触
れなかったが、その表象が大部分「有翼であること」や「人型であること」はキリスト教的
天使表象の伝統を受け継いでのことであろう。しかし、表象的伝統の継承以上に重要な繋が
りが、クレーの描く天使とキリスト教との間には存している。それは、十字架に代表される
「キリスト教的観念」の共有である。
表象においては、
《生成に於ける天使》は他の〈天使連作〉とは一致しない。しかしより重
要な部分、すなわちクレー自身のキリスト教的観念の反映という点においては、
《生成に於け
る天使》は他の〈天使連作〉と一致している。その意味で、
《生成に於ける天使》は確かに〈天
使連作〉の中に位置を有していると言える。
《生成に於ける天使》も、他の〈天使連作〉も、それぞれの仕方によってではあるが、確か
にキリスト教との繋がりが保たれている。それは、一つには有翼の人型という表象的一致で
あり、一つには異なる世界を行き来する越境者という存在論的一致であり、そしてもう一つ
は十字架という媒介の一致である。観念の共有はクレーがキリスト教世界で生きてきたこと
の証であり、故に、クレーの宗教的実存の反映でもある。従って、
《生成に於ける天使》を含
む〈天使連作〉は、クレーの宗教的実存の一部として、その実存から発出してきたものの一
つとしても考えられるのである。
とはいえ、
《生成に於ける天使》という作品においては、それがどのような意図によって制
作されたかを鑑みれば、その核心がキリスト教的天使との連関にあるのではないことは明ら
かである。
《生成に於ける天使》は、ナチスの弾圧を逃れて故郷に戻ってきたクレーが、静か
な環境の中で淡々と創り上げていった表象のうちの一つである。主題は多岐に渡り、それら
が目指していたのは個々の事物の表現ではなく、個々の事物の次元を超えた宇宙的な観念の
表現であった。
《生成に於ける天使》は、そのような作品群のなかの、たった一つの天使なの
である。つまり、この天使は、宇宙的な観念を表現するために創造された多くの現実の一つ
に過ぎないのである。
96
キリスト教の文脈とは別に、
〈天使連作〉には、それぞれの時期に応じた主要な関心事が反
映されている。
「飛翔」モチーフや「守護」の表現、
「自画像」化などがそうである。同様に、
《生成に於ける天使》にもその時期に固有の関心事があった。それはまさに「宇宙的な概念
の表現」であったと考えられる。このような表現を可能とする芸術のことを、クレーは「天
地創造」あるいは「神の創造」になぞらえられていた。故に、クレーの芸術論は創造論でも
ある。この創造論において目指されていたのは、何かの主題を可視的次元において創造する
ことではなく、その創造の結果を通じて創造の原理を目指すことであった。クレーの創造論
にとって重要なのは、創造の結果生み出された個々の芸術作品ではなく、その原型であり根
源である創造原理の側である。故にクレーは「芸術とはイデーIdee による天地創造だ」と述
べたのである 126。従って、
《生成に於ける天使》も、この創造論の結果生み出された芸術作品
の一例、すなわち創造論の一例として捉えなければならない。クレーの芸術論に即しては、
この解釈の方がより本来的だと言える。
《生成に於ける天使》は、クレーの宗教的実存を担っている作品であり、同時に普遍的なも
のを志向するクレーの芸術理念の結実でもある。個別的なものと普遍的なものの混在はクレ
ー作品全般の特徴であるが、この作品もまさに、クレーが個人的に関わってきた「天使」と
いう特殊的な対象を、普遍的なものを示唆するための一例として用いたという意味で、個と
普遍が混ざり合った作品である。強調点は、芸術論としては当然ながら普遍の側にあり、従
って「天使」に大きな意味はなく、むしろ創造と関わりの深い概念である「生成」の方がク
レーにとってのキーワードであったと考えられる。とはいえ、その一例として「天使」が選
ばれた以上、そこには「天使」に託されたクレーの個性が刻印されている。その刻印とは、
クレーの宗教的実存であり、キリスト教世界の中で生涯を過ごしたパウル・クレーという人
物に深く刻まれたキリスト教的観念であったと考えられる。
註
110
本論文 2-2.参照。
111
Felix Klee(Hg.), Paul Klee: Leben und Werke in Dokumenten ausgewählt aus den nachlassen
Aufzeichnungen und den unveröffentlichen Briefen, Zürich, 1960 のことを指す。なお、天使連作の記述には
クレー研究者でありクレーの友人でもあったヴィル・グローマンのクレーの天使に関する見解も記さ
れており、
「 天使」という主題にいち早く注目していたのはグローマンであったことが示唆されている。
97
112
Felix Klee(Hg.), op.cit., S.264-265.
113
各〈連作〉リストの図版およびデータは本論文の付録資料参照。
114
全作品数は、カタログ・レゾネ(Paul Klee catalogue raisonné(vol.1-9), Zentrum Paul Klee(ed.), Museum
of fine Arts, Bern, 1998-2004.)を参照してカウントした。
115
本論文第 1 章(特に 1-3-2.)参照。
116
本論文註 97 参照。
117
Cf. Felix Klee(Hg.), op.cit., S.100-109;『クレーの手紙 1893-1940』、501-514 頁参照。
118
その年に 1 枚しか天使が登場しないような時期は、あるいはそれら全てが明確な理由なく、偶然的
に表出した 1 点だと言える。とはいえ、ここで言う偶然は「何の理由もない」という意味ではなく、
理由を推し量るにはあまりに小さい機縁である故に、後世の研究者の眼には偶然としか捉えようがな
い、という意味での偶然である。従って、資料の分析を基に解釈の精度を挙げていくことで、この偶
然の内実を何らか言語化していくことは可能である。
《生成に於ける天使》も、従来このような「偶然」
の 1 点と考えられてきた節がある。本研究は、その「偶然」に切り込んで言語化する試みだとも言え
る。
119
120
『クレーの手紙 1893-1940』、483 頁参照。
このような特性から、宮下誠は晩年のクレーの天使を「越境する天使」と呼んでいる。宮下誠の理
解は、クレーの天使を人間に寄り添うアイドル的な存在から、人間とは決定的に異なった領域に住ま
い、その領域と人間的な領域を越境してくる存在として描かれている。宮下誠『越境する天使 パウル・
クレー』、111-122 頁参照。
121
Felix Klee, op. cit., S.29.
122
日記 11。
123
Robert Barth, Emil Erne, Christian Lüthi(Hg.), Bern –die Geschichte der Stadt im 19. Und 20. Jahrhundert:
Stadtentwicklung, Gesellschaft, Wirtschaft, Politik, Kultur, Bern, 2003, S.331.
124
125
『クレーの手紙 1893-1940』、506-507 頁。
このような見解を特に強く主張したのは宮下誠である。従来の大半の研究は、キリスト教との関係
を積極的に考察しないことにより、暗にその関係を否定してきたに留まる。
126
本論文註 102 参照。
98
図版
図 50
図 51
《アーメン!》
〈die Armen!〉
1933 年(208, V8)、32.8×20.9cm
厚紙の上の紙にチョーク
スイス、個人蔵
《ボロ布の亡霊》
〈Lumpen gespenst〉
1933 年(465, J5)、33×21cm
厚紙の上の紙に糊絵具、水彩
ベルン美術館
図 52
図 53
《汝の祖なりや?》
〈dein Ahn?〉
1933 年(276, Y16)、48.5×35cm
厚紙の上の紙に糊絵具
ベルリン、個人蔵
《二重の顔》
〈Doppel gesicht〉
1933 年(383, E3)、33×21cm
厚紙の上の紙に糊絵具、鉛筆
ベルン美術館
99
図 54
図 55
《喪に服している》
〈Trauend〉
1934 年(8, 8)、48.7×32.1cm
厚紙の上の紙に水彩、グワッシュ
ベルン美術館
《秋の太陽》
〈herbst-Sonne〉
1934 年(39, K19)、32.6×48cm
厚紙の上の紙に水彩、鉛筆
イタリア、個人蔵
図 56
図 57
《発明》
〈die Erfindung〉
1934 年(200, T20)、50.5×50.5cm
綿布に水彩
スイス、個人蔵
《植物の劇場》
〈botanisches Theatre〉
1934 年(219, U19)、50.2×67.5cm
厚紙の上の紙に油彩、水彩、筆、ペン
レンバッハハウス美術館
100
図 58
《兄弟団》
〈Bruderschaft〉
1939 年(952, ZZ12)、21×29.5cm
厚紙の上の紙に鉛筆
ベルン美術館
101
おわりに
本論文では、
《生成に於ける天使》に描きこまれた十字架の意味内容をめぐって、複数の視
座から考察を試みてきた。本論文の結論を纏めるにあたって、まずはそれぞれの視座におけ
る結論を簡潔に纏めておきたい。
第 1 章と第 2 章では、主としてクレーの芸術理論という視座から考察を進めていった。こ
こで明らかとなったのは、クレーの創作システム全体の目的であり、
「芸術の現実」を「見え
るようにする」ためのクレーの方法論であった。この視座から《生成に於ける天使》を捉え
た場合、この天使画はクレーの宗教的実存とはほとんど関係のない、創作システムに忠実に
則った「創造の一例」のようなものであると考えられる。この作品が「天使」である必要は
ほとんどなく、
「自然」の変奏として特殊的に生み出された主題の一つと見做される。このこ
とは彼の芸術論と作品全体が証言している。従って、クレーの芸術理論に即しては、十字架
は彼の創作システム――すなわち、創造原理――における一要素と見做すのが妥当であるとい
う結論になる。これは、十字架は創造の道具に過ぎないという否積極的な見解である。
第 3 章では、理論ではなく、クレーの宗教的実存が「日記」においていかに語られている
かを考察の端緒とした。クレーは親友の画家フランツ・マルクの規定を通して自己規定を試
みており、その核心は「世界の思想」に収斂する。すなわち、地上的なものから世界的なも
の――普遍的なもの、宇宙的なもの、あるいはロゴス的なもの――へと「飛翔」していく決意
の表明こそが、この日記の主たる目的であったと考えられる。クレーは「世界の思想」こそ
真の宗教であり、故にこの思想の側に立つ自分の芸術は宗教的なものだと規定している。彼
がここで言っている宗教とは、キリスト教では決してない。何故ならば、
「愛」という要素が
クレーの芸術には決定的に欠けているからである。とはいえ、その一方で、クレーの芸術は
ロゴス的な統一原理を目指す点でキリスト教と一致している。従って、クレーの宗教的実存
は、キリスト教的な面と非キリスト教的な面が混在していると言うことができる。十字架も
また、愛無きロゴス的なものとして、そのような内実を含む象徴として考え得る。
第 4 章では、クレーの描いた他の天使画、すなわち〈天使連作〉と《生成に於ける天使》
を比較することにより、クレーの天使一般に見出される特徴と《生成に於ける天使》に込め
られた独自の意味を考察した。概して、クレーの天使は翼の生えた人型であり、表象的には
キリスト教的天使の伝統に負っていると言える。そのような中、制作年も創作技法も他の天
使とは明らかに異なっている《生成に於ける天使》は、やはり特殊的な表象と考えなければ
ならない。その特殊性とは、端的に言って、クレーの個人的な感情や体験からの隔たりであ
102
る。他の〈天使連作〉、特に晩年の天使はいずれもクレーの内面を反映した様相を取っている
が、
《生成に於ける天使》はそうではなく、彼の創作システムの忠実な反映と考えられる表象
になっているからである。とはいえ、そこにクレーの個人的な要素が完全に欠落しているわ
けでもなく、十字架を天使とキリスト教に関連づけて描きこむという点は、キリスト教世界
で生きてきたクレーに特有の要素である。従って、そこに端的な意味でのキリスト教信仰が
込められているというのは言い過ぎであるにしても、
《生成に於ける天使》に描かれた十字架
には、あるいは《生成に於ける天使》それ自体には、クレーとキリスト教との一定の精神的
繋がりが見出されて然るべきなのである。
以上の諸結論すべてに共通しているのは、クレーの描く十字架は端的なキリスト教信仰の
証ではない、という点である。この点は先行研究で既に言われてきたことであり、本論文に
おいても変わることのない解釈である。しかし、これまでの考察で確認してきたところによ
れば、クレーの描く十字架からは、何かしらの意味でキリスト教との繋がりを見出すことが
できる。それは、クレーが文化的にはキリスト教世界に帰属していたという事実であるかも
しれないし、あるいはキリスト教のロゴス的な側面であるかもしれない。少なくとも、クレ
ーの描く十字架に宗教的内実は全く込められていないという見解だけは否定されなければな
らない。クレーの芸術論に即しては背後に隠れてしまう事実であるが、クレーの生涯を鑑み
れば、この推測は決して的外れだとは言えないだろう。本論文のすべての考察は、この一点
の主張に収束する。
本論文では踏み込むことができなかった一つの大きな問題が残っている。それは、クレー
が実際的にはどの程度までキリスト教信仰に参与していたのかという問題である。クレーが
キリスト教徒でないことは疑う余地の無い点である。しかし、現代においてはそのような人
物が益々増えているように思われるが、キリスト教に自身の宗教的実存を重ね合わせつつも
教会に通わず洗礼も受けないというキリスト者が存在する。彼らは独自の信念と理解の下に
キリスト教に身を寄せる。クレーがこの種の人物にあたるか否かは、これからの研究で問わ
なければならない一点であろう。先行研究が主張するほどにこの問題の結論は明白でない。
この問題を考えるにあたって、一つの大きな手掛かりとなるのはやはり、「十字架」である。
1933 年、クレーは感情的な素描群の中で、紛れ込ませるようにして「十字架のキリスト」
を描いている(図 59)。この作品はどのように解釈すべきだろうか。創作システムの一部であ
って彼個人のキリスト教信仰とは縁のないものと見做すのが妥当だろうか。それとも、題が
103
示唆するように、彼の悪ふざけか気まぐれの 1 枚と見做すのが適当だろうか。あるいは、こ
れをクレーの宗教的告白の一つとして、さらには「現代における聖なるキリスト教的表象」
の一つとして捉えることはできないだろうか。
アンドレ・シャステルは、
「信仰に対する単純な補充がなされるだけで」現代芸術家のうち
優れたものたちは宗教美術の刷新を果たすことができる、と主張する 127。この意見には、部
分的に賛成であり、部分的に反対である。現代芸術家は宗教美術を刷新することができる。
しかしそれは、
「信仰に対する単純な補充」のためではない。そうではなく、彼らの内に予め
潜勢している宗教性が、不意に、何らかの形で芸術として表出してきた時にこそ、彼らの芸
術は宗教芸術を刷新するのである。
クレーの描く「十字架を伴った表象」も、そのような新しい時代の宗教芸術の一つとして
見做すことができるのではないだろうか。この問題は、今後の研究によって深めていきたい。
本論文では、「《生成に於ける天使》の十字架は、クレーの宗教的実存の現れでもあり、キリ
スト教的精神の表出と見做し得る」という論証を以て、筆者のひとまずの結論とする。
図 59
《キリスト教的‐道化的なるもの》
〈christlich-ergötzliches〉
1933 年(206, V6)、32.9×20.9cm
厚紙の上の紙にチョーク
ベルン美術館
127
アンドレ・シャステル「現代芸術における遊びと聖なるもの」永澤峻訳、『グロテスクの系譜』所
収、ちくま学芸文庫、2004 年、229 頁。
104
謝辞
本論文は、西南学院大学国際文化研究科国際文化専攻の修士論文 「パウル・クレーにお
ける天使の創造 ――《生成に於ける天使》の十字架解釈をめぐって ――」を改題し、若干
の記述を加え、EUIJ 九州のリサーチペーパーとして提出したものです。本論文の作成にあ
たり、指導教授の後藤新治先生より丁寧かつ熱心な指導を賜りました。ここに深く感謝の
意を表します。また、天使という存在を考える上で重要な示唆を与えてくださった西南学
院大学神学部の片山寛教授、ならびに九州大学名誉教授の稲垣良典先生に、心より感謝致
します。最後に、筆者の見解にこれまで多くの指摘と感想をくださりました後藤新治ゼミ
ナールの皆様、ならびに西南学院大学博物館の内島美奈子学芸研究員へ、 感謝を述べさせ
ていただきます。
105
参考文献
一次資料
Paul Klee, Tagebücher 1898-1918, Felix Klee(Hg.), Köln, 1957. (『クレーの日記』南原実訳、
新潮社、1961 年); Paul Klee, Tagebücher 1898-1918: Textkritische Neuedition, Paul-Klee-Stiftung,
Kunstmuseum Bern(Hg.), Wolfgang Kersten(Bearb.), Stuttgart und Teufen, 1988.(W. ケルステン
編『新版 クレーの日記』高橋文子訳、みすず書房、2009 年)
Felix Klee(Hg.), Paul Klee: Leben und Werke in Dokumenten ausgewählt aus den nachlassen
Aufzeichnungen und den unveröffentlichen Briefen, Zürich, 1960.(フェリックス・クレー『パウ
ル・クレー 遺稿・未発表書簡・写真の資料による画家の生涯と作品』矢内原伊作・土肥未
夫訳、みすず書房、1978 年)
Paul Klee, Gedichte, Felix Klee(Hg.), Zürich, 1960.(reprinted in 2010.)
Christian Geelhaar(Hg.), Paul Klee: Schriften Rezensionen und Aufsätze, Köln, 1976.
パウル・クレー『造形思考』(上・下)土方定一ほか訳、新潮社、1973 年
パウル・クレー『無限の造形』(上・下)南原実訳、新潮社、1981 年
パウル・クレー『パウル・クレー手稿 造形理論ノート』西田秀穂・松崎俊之訳、美術公
論社、1988 年
パウル・クレー『クレーの手紙』南原実訳、新潮社、1989 年
パウル・クレー『教育スケッチブック』利光功訳、バウハウス叢書 2、1991 年
二次資料
Christian Geelhaar, Paul Klee: Leben und Werk, DuMont Buchverlag, Köln, 1974.
O. K. Werkmeister, Versuche über Paul Klee, Syndikat, 1981.
Richard Verdi, Klee and Nature, New York, 1985.
Donat de Chapeaurouge, Paul Klee und der christliche Himmel, Stuttgart, 1990.
Mark Luprecht, Of Angels, Things, and Death, New York, 1999.
Ingrid Riedel, Engel der Wandlung: Die Engelbilder Paul Klees, Bonn, 2001.
Alessandro Fonti, Paul Klee: “Angeli” 1913-1940, Milano, 2005.
Perdita Rösch, Die Hermeneutik des Boten: Der Engel als Denkfigur bei Paul Klee und Rainer
Maria Rilke, München 2009.
106
Michael Baumgartner, Cathrin Klingsöhr-Leroy, Katja Schneider(Hg.), Franz Marc-Paul Klee:
Ein Dialog in Bildern, Nimbus, 2010.
Boris Friedewald, Die Engel von Paul Klee, Köln, 2011.
Ruth Langenberg, Angels from Dante Rossetti to Paul Klee, Prestel Verlag, Munich, 2012.
坂崎乙郎『クレー』美術出版社、1963 年
アンドリュー・ケーガン『パウル・クレー 絵画と音楽』西田秀穂・有川幾夫訳、音楽之
友社、1990 年
ピエール・ブーレーズ『クレーの絵と音楽』笠羽映子訳、筑摩書房、 1994 年
前田富士男・宮下誠(対談)「パウル・クレーの静かな闘い
第六章
天使のゆくえ」
『芸術
新潮』、新潮社、第 56 巻第 12 号、2005 年
松友知香子「パウル・クレーの〈天使〉について――〈都市画〉との関連から――」
『美學』
第 59 巻第 2 号、2008 年
宮下誠『パウル・クレーとシュルレアリスム』水声社、 2008 年
宮下誠『越境する天使
パウル・クレー』春秋社、2009 年
岡田温司「天使が何かするときのように行動せよ」『ユリイカ』第 43 巻第 4 号、2011 年
河本真理「〈切断〉と〈再構成〉 パウル・クレーのコラージュ」『ユリイカ』、第 43 巻第
4 号、2011 年
前田富士男『パウル・クレー
造形の宇宙』慶應義塾大学出版、2012 年
主要参照図録
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Paul Klee, Will Grohmann(Hg.), Dumont Buchverlag, Köln, 1989.
Paul Klee catalogue raisonné(vol.1-9), Zentrum Paul Klee(ed.), Museum of fine Arts, Bern,
1998-2004.
Paul Klee 1933, Städtischen Galerie im Lenbachhaus(Hg.), Köln, 2003.
Paul Klee: Die Engel, Zentrum Paul Klee(Hg.), Bern, 2012.
The EY Exhibition ‐ Paul Klee: Making Visible, Tate Publishing, 2013.
『パウル・クレーの芸術』愛知県美術館・山口県立美術館編、印象社、1993 年
『パウル・クレー 創造の物語』川村記念美術館・北海道立近代美術館・宮城県美術館・東
京新聞編、東京新聞、2006 年
107
『パウルクレー おわらないアトリエ』W.ケルステン監修、池田裕子・三輪健二編、日本経
済新聞社、2011 年
その他参考文献
Robert Barth, Emil Erne, Christian Lüthi(Hg.), Bern –die Geschichte der Stadt im 19. Und 20.
Jahrhundert: Stadtentwicklung, Gesellschaft, Wirtschaft, Politik, Kultur , Bern, 2003
ヴィルヘルム・ヴォリンガー『抽象と感情移入―東洋芸術と西洋芸術―』草薙正夫訳、岩
波書店、1953 年
ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」
『ベンヤミン・コレクション Ⅰ 近代の意
味』、浅井健次郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、 1995 年
フィリップ・フォール『天使とはなにか』片木智年訳、せりか書房 1995 年
マッシモ・カッチャーリ『必要なる天使』柱本元彦訳、人文書院 2002 年
アンドレ・シャステル「現代芸術における遊びと聖なるもの」永澤峻訳、『グロテスクの
系譜』所収、ちくま学芸文庫、2004 年
フリートマル・アーペル『天への憧れ
ロマン主義、クレー、リルケ、ベンヤミンにおけ
る天使』林捷訳、平文社、2005 年
ヘルベルト・フォアグリムラー、ウルズラ・ベルナウアー、トーマス・シュテルンベルク
共著『天使の文化図鑑』上田浩二、渡辺真理共訳、東洋書林、 2006 年
108
付録資料 1 〈天使連作〉図版リスト1
図 EK1
図 EK2
《天使が望みのモノを進呈する》
〈ein Engel überreicht das Gewünschte〉
1913 年(138)、12.8×19.8cm
厚紙の上の紙にペン
ドイツ、個人蔵
《下降する天使》
〈Angelus descendens〉
1918 年(96)、15.3×10.2cm
厚紙の上の紙にペン、水彩
イギリス、個人蔵
図 EK3
図 EK4-1
図 EK4-2
《火の天使》
〈Feuer=Engel〉
1919 年(223)
厚紙の上の紙に油彩転写と水彩
所在不明
《新しい天使》(彩色)
〈Angelus novus〉
1920 年(32)、31.8×24.2cm
厚紙の上の紙に油彩転写、水彩
イスラエル博物館
《新しい天使》(線描)
〈Angelus novus〉
1920 年(69)、30×22cm
厚紙の上の紙にペン
スイス、個人蔵
1
本分類は、
「天使」Engel ないしそれに類する語を題に有するものを〈天使連作〉として機械的に採用している。その
ため、従来の研究で明らかに「天使」と見做されてきたものについても、このリストには含まれていない場合がある。
それらの作品はすべて、付録資料 2 の〈準天使連作〉に分類している。
図 EK5
図 EK6
図版は失われているため
画像は不明
《灯火の天使》
〈ein Engel als Leuchter〉
1921 年(167)
所在不明
《酒飲み天使》
〈trinkender Engel〉
1930 年(239, G9)、48.5×30.4cm
紙に水彩、糊絵具、縁は厚紙の上にペン、水彩
スイス、個人蔵
図 EK7
図 EK8
図 EK9
《天使の守護》
〈Engelshut〉
1931 年(54, L14)、19.6×22.7cm
厚紙の上の紙にチョーク
ルートヴィヒ美術館
《天使に守護されて》
〈in Engelshut〉
1931 年(55, L15)、42.1×49.1cm
厚紙の上の紙にペン
グッゲンハイム美術館
《険しい道のりを天使に守護されて》
〈in Engelshut auf steilem Weg〉
1931 年(57, L17)、40.4×58cm
厚紙の上の紙にペン
パウル・クレー・センター
110
図 EK10
図 EK11
《遠い道のりを天使に守護されて》
〈in Engelshut auf weiter Bahn〉
1931 年(58, L18)、40.4×58cm
厚紙の上の紙にペン
パウル・クレー・センター
《辺り一面天使に守護されて》
〈in Engelshut, breit〉
1931 年(59, L19)、45×62cm
紙に筆、鉛筆
イギリス、個人蔵
図 EK12
図 EK13
《一組の天使》
〈Engelpaar〉
1931 年(270, X10)、32.9×20.9cm
厚紙の上の紙に鉛筆
スイス、個人蔵
《生成に於ける天使》
〈Engel im Werden〉
1934 年(204, U4)、51×51cm
合板の上の麻布に下地、油彩
スイス、個人蔵
111
図 EK14
図 EK15
《大天使》
〈Erzengel〉
1938 年(82, G2)、100×65.5cm
ジュート布の上の綿布に油彩、糊絵具
レンバッハハウス美術館
《一人の天使のデビュー》
〈Debut eins Engels〉
1938 年(153, K13)、21×14.8cm
厚紙の上の紙に糊絵具
スイス、個人蔵
図 EK16
図 EK17
《ひざまずく天使》
〈knieender Engel〉
1939 年(314, W14)、29.7×20.9cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《天使と贈り物》
〈der Engel und die Bescherung〉
1939 年(487, F7)、20.9×29.7cm
厚紙の上の紙にペン
パウル・クレー・センター
112
図 EK18
図 EK19
《天使のような》
〈engelsam〉
1939 年(593, EE13)、29.7×20.9cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《できそこないの天使》
〈Miss-engel〉
1939 年(828, TT8)、29.4×21cm
紙に鉛筆、裏側は厚紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
図 EK20
図 EK21
《未熟な天使》
〈unfertiger Engel〉
1939 年(841, UU1)、29.5×29.1cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《天使の群れの控え室にて》
〈im Vorzimmer der Engelschaft〉
1939 年(845, UU5)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
113
図 EK22
図 EK23
《天使たちの岩》
〈der Fels der Engel〉
1939 年(847, UU7)、29.5×21.1cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《哀れな天使》
〈armer Engel〉
1939 年(854, UU14)、48.6×32.5cm
厚紙の上の紙に下地、水彩、テンペラ
スイス、個人蔵
図 EK24
図 EK25
《天使候補》
〈Engel-Anwärter〉
1939 年(856, UU16)、48.9×34cm
厚紙の上の新聞紙に下地
水彩、テンペラ、チョーク
メトロポリタン美術館
《目覚めたる天使》
〈wachsamer Engel〉
1939 年(859, UU19)、48.5×33cm
紙の上に下地、ペンとテンペラ
スイス、個人蔵
114
図 EK26
図 EK27
《おませな天使》
〈altkluger Engel〉
1939 年(873, VV13)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《旧約聖書の天使》
〈Engel des alten Testamentes〉
1939 年(875, VV15)、29.5×21cm
厚紙の上の、紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
図 EK28
図 EK29
《忘れっぽい天使》
〈vergesslicher Engel〉
1939 年(880, VV20)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《小舟の中の天使》
〈Engel im Boot〉
1939 年(881, WW1)、29.5×21cm
厚紙の上の、紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
115
図 EK30
図 EK31
《老音楽家が天使のふりをする》
〈ein alter Musiker tut engelhaft〉
1939 年(888, WW8)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《希望に満ちた天使》
〈Engel voller Hoffnung〉
1939 年(892, WW12)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
図 EK32
図 EK33
《天使、満ちすぎて》
〈Engel übervoll〉
1939 年(896, WW16)、52.5×36.5cm
厚紙の上の紙に水彩、鉛筆
スイス、個人蔵
《十字架の天使》
〈Engel vom Kreuz〉
1939 年(906, XX6)、29.5×20.8cm
厚紙の上の紙に下地、テンペラ
ドイツ、個人蔵
116
図 EK34
図 EK35
《傾聴する天使》
〈hörender Engel〉
1939 年(907, XX7)、27×21.4cm
厚紙の上の紙に下地、テンペラ、水彩
アメリカ、個人蔵
《懐疑的天使》
〈Angelus dubiosus〉
1939 年(930, YY10)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に水彩
スイス、個人蔵
図 EK36
図 EK37
《鈴の天使》
〈Schellen-Engel〉
1939 年(966, AB6)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《幼稚園の天使》
〈Engel im Kindergarten〉
1939 年(968, AB8)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
117
図 EK38-1
図 EK38-2
《天使、まだ女性的》(彩色)
〈Engel, noch weiblich〉
1939 年(1016, CD16)、41.7×29.4cm
厚紙の上の紙に糊絵具、チョーク
パウル・クレー・センター
《天使、まだ女性的》(素描)
〈Engel, noch weiblich〉
1939 年(1017, CD17)、35.5×25.4cm
厚紙の上の紙にチョーク
アメリカ、個人蔵
図 EK39-1
図 EK39-2
《ある天使の危機 I》
〈Krise eines Engels I〉
1939 年(1021, DE1)、42×29.6cm
厚紙の上の紙にチョーク
スイス、個人蔵
《ある天使の危機 II》
〈Krise eines Engels II〉
1939 年(1022, DE2)、42×29.6cm
厚紙の上の紙にチョーク
スイス、個人蔵
118
図 EK40
《もうひとつの十字架の天使》
〈anderer Engel vom Kreuz〉
1939 年(1026, DE6)、45.6×30.3cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
図 EK41-1
図 EK41-2
《戦いの天使》(線描)
〈Angelus militans〉
1939 年(1028, DE8)、44.3×22.9cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
《戦いの天使》(彩色)
〈Angelus militans〉
1940 年(333, G13)、70/72×50/52cm
ジュート布に下地、油彩と糊絵具
シュトゥットガルト州立美術館
119
図 EK42
図 EK43
《星の天使》
〈Engel vom Stern〉
1939 年(1050, EF10)、61.8×46.2cm
厚紙の上の紙に糊絵具、鉛筆
パウル・クレー・センター
《醜い天使》
〈hässlicher Engel〉
1939 年(1102, HI2)、29.5×20.8cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
図 EK44
図 EK45
《三人連れの天使》
〈Engel zu drei〉
1939 年(1138, JK18)、29.7×20.8cm
厚紙の上の紙にチョーク
スイス、個人蔵
《天使、まだ手探りしている》
〈Engel, noch tastend〉
1939 年(1193, MN13)、29.4×20.8cm
紙にチョーク、糊絵具、水彩
スイス、個人蔵
120
図 EK46
図 EK47
《天使、まだ醜い》
〈Engel, noch hässlich〉
1940 年(26, Y6)、29.6×20.9cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《疑っている天使》
〈zweifelnder Engel〉
1940 年(341, F1)、29.7×20.9cm
皺のある厚紙の上の紙にパステル
パウル・クレー・センター
121
付録資料 2 〈準天使連作〉図版リスト2
図 sEK1
図 sEK2
《翼のないクリストキント》
〈Christkind ohne Flügel〉
1883 年(1)、1.5/8.5×6/12.4cm
厚紙の上の紙に鉛筆、チョーク
パウル・クレー・センター
《クリストキリストと鉄道、クリスマスツリーと共に》
〈Weinachtsbaum mit Christkind u. Eisenbahn〉
1884 年(3)、12.7×8cm
厚紙の上の紙に鉛筆、チョーク
パウル・クレー・センター
図 sEK3
図 sEK4
《クリスマスツリー、クリストキント、時計》
〈Weihnachtsbaum, Christkind und Uhr〉
1884 年(4)、12.2×11.9cm
厚紙の上の紙に鉛筆、チョーク
パウル・クレー・センター
《黄色い翼の生えたクリストキント》
〈Christkind mit gelben Flügeln〉
1885 年(2)、9×6.3cm
厚紙の上の紙に鉛筆、チョーク
パウル・クレー・センター
2
〈準天使連作〉は、従来の研究でクレーの天使の類縁と見做されてきたものを分類している。作品の選出は、筆者個
人の見解を交えずに、過去の研究の分類をそのまま採用した。特に参照したのは以下の文献である。Ingrid Riedel, Engel
der Wandlung: Die Engelbilder Paul Klees, Bonn, 2001; Alessandro Fonti, Paul Klee: “Angeli” 1913-1940, Milano, 2005; Boris
Friedewald, Die Engel von Paul Klee, Köln, 2011; Paul Klee: Die Engel, Zentrum Paul Klee(Hg.), Bern, 2012.
122
図 sEK5-1
図 sEK5-2
《翼のある英雄》
〈der Held mit dem Flügel〉
1905 年(7)、22×11.5cm
厚紙の上の紙に鉛筆
ベルン、E.W.K.コレクション
《翼のある英雄》
〈der Held mit dem Flügel〉
1905 年(38)、26×16cm
紙にエッチング
パウル・クレー・センター
図 sEK6-1
図 sEK6-2
《ゲーニウスが朝食を提供する》
〈ein Genius serviert E.KL. Frühstück〉
1915 年(29)、19/18.5×12.9cm
厚紙の上の紙にペン
ベルン、E.W.K.コレクション
《1915/29 の後に》
〈nach 1915/29〉
1920 年(91)、20.3×14.5cm
厚紙の上の紙にペン、水彩で彩色
パウル・クレー・センター
※複数のバリエーション
123
図 sEK7
図 sEK8
《天上のメッセンジャー》
〈himmlischer Eilbote〉
1918 年(196)、15.5×16.5cm
厚紙の上の紙にペン
パウル・クレー・センター
《断片六十七番》
〈Fragment Nr. 67〉
1930 年(240, G10)、41/41.7×26.7/26.1cm
厚紙の上の麻布に下地、水彩
スイス、個人蔵
図 sEK9
図 sEK10
《無題》(天使の守護)
〈ohne Titel〉(Engelshutz)
1931 年、34.1/34.6×46.7cm
厚紙の上の紙にペンによる素描の印象
パウル・クレー・センター
《通り過ぎた冒険》
〈bestandenes Abenteuer〉
1931 年(136, Qu16)、42/42.2×51.5cm
厚紙の上の紙に筆、ペン
スイス、個人蔵
124
図 sEK11
図 sEK12
《恥辱》
〈Schande〉
1933 年(15, )、47.2×62.6cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
図 sEK13
《来るべきもの》
〈der Künftige〉
1933 年(265 )、61.8×46cm
厚紙の上の紙に糊絵具、炭
パウル・クレー・センター
《転落》
〈Struz〉
1933 年(46, M6)、31.3/31.6×47.5cm
厚紙の上の紙に筆
パウル・クレー・センター
図 sEK14
《熱い場所》
〈heisser Ort〉
1933 年(440, G20)、24×31.5cm
厚紙の上の紙に下地、チョーク
所在不明
125
図 sEK15
図 sEK16
《ルシファーの接近》
〈Näherung Lucider〉
1939 年(443, D3)、29.7×20.9cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《光よ、君は何をもらたすのか?》
〈was brigst du, Licht?〉
1939 年(589, EE9)、29.7×20.9cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
図 sEK17
図 sEK18
《悪魔が岸壁から出航する》
〈ein Teufel segelt durch die Klippen〉
1939 年(685, KK5)、27×21.5cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《KK5 の悪魔》
〈der Teufel von KK5〉
1939 年(686, KK6)、27×21.5cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
126
図 sEK19
図 sEK20
《パラスとしてのメフィストフェレス》
〈Mephisto als Pallas〉
1939 年(855, UU15)、48.5×30.9cm
厚紙の上の紙にチョーク、水彩、テンペラ
ウルム美術館
《価値表記小包》
〈das Wert-Paket〉
1939 年(858, UU18)、45.5×32.7/33.3cm
厚紙の上の紙に下地、糊絵具、ペン、鉛筆
ノルドライン=ヴェストファーレン美術館
図 sEK21
図 sEK22
《ホザンナ》
〈Osanna〉
1939 年(883, WW3)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《脚の代わりに翼》
〈statt Beinen Flügel〉
1939 年(887, WW7)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
127
図 sEK23
《地上の最期の一歩》
〈letzter Erdenschritt〉
1939 年(893, WW13)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
図 sEK24
《魔的》
〈Daemonie〉
1939 年(897, WW17)、20.9×30.8cm
厚紙の上の紙に下地、水彩、テンペラ、鉛筆
パウル・クレー・センター
図 sEK25
図 sEK26
《上方に》
〈noch oben〉
1939 年(908, XX8)、26.8×21.5cm
厚紙の上の紙に下地、テンペラ、鉛筆
ドイツ、個人蔵
《むしろ鳥》
〈mehr Vorgel〉
1939 年(939, YY19)、21×29.5cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
128
図 sEK27
図 sEK28
《高所への発射》
〈Schüsse in der Höhe〉
1939 年(956, ZZ16)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《強襲》
〈Anfall〉
1939 年(957, ZZ17)、29.5×22cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
図 sEK29
図 sEK30
《重荷のテスト》
〈Belastung-Probe〉
1939 年(958, ZZ18)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《泣いている》
〈es weint〉
1939 年(959, ZZ19)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
129
図 sEK31
図 sEK32
《小動物》
〈Getier〉
1939 年(960, ZZ20)、27×17.8cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《役職への誇り》
〈Würde des Amtes〉
1939 年(961, AB1)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
図 sEK33
図 sEK34
《もうすぐ飛べる》
〈bald flügge〉
1939 年(965, AB5)、29.5×21cm
厚紙の上の紙に鉛筆
パウル・クレー・センター
《もう一度希望している》
〈nochmals hoffend〉
1939 年(1003, CD3)、40.9×23.9cm
厚紙の上の麻布に水彩
ローゼンガルト・コレクション博物館
130
図 sEK35
図 sEK36
《座って熟考する》
〈sitzt und sinnt〉
1939 年(1018, CD18)、42×29.6cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
《子供喰い》
〈Chindlifrässer〉
1939 年(1027, DE7)、44.5×30cm
厚紙の上の紙にチョークと鉱石
図 sEK37
図 sEK38
《レヴィアタン》
〈Leviathan〉
1939 年(1048, EF8)、30×44.5cm
厚紙の上の紙に糊絵具、鉛筆
スイス、個人蔵
《受胎して》
〈befruchtet〉
1939 年(1060, EF20)、41.9×29.6cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
リヴィア・クレー寄贈
131
図 sEK39
図 sEK40
《大きな庇護の下で》
〈unter grossem Schutz〉
1939 年(1137, JK17)、29.5×20.8cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
《任務中》
〈in Mission〉
1939 年(1139, JK19)、29.5×20.8cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
図 sEK41
図 sEK42
《キリスト教的亡霊》
〈Christliches Gespenst〉
1939 年(1144, KL4)、35.3×21/21.4cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
リヴィア・クレー寄贈
《無題》(コケットな巻き毛の天使)
〈ohne Titel〉(Koketter Engel mit Locken)
1939 年、29.5×21cm
下書き用紙にチョーク
パウル・クレー・センター
リヴィア・クレー寄贈
132
図 sEK43
図 sEK44
《無題》(天使があたまを両手でかかえている)
〈ohne Titel〉(Engel hält mit baiden Händen den Kopf)
1939 年、29.6×21cm
下書き用紙にチョーク
スイス、個人蔵
図 sEK45
《どこから? どこに? どこへ?》
〈woher? wo? wohin?〉
1940 年(60, X20)、29.7×20.8cm
厚紙の上の紙にチョーク、水彩
スイス、個人蔵
図 sEK46
《歩き方、まだ躾がなっていない》
〈im Schreiten noch unerzogen〉
1940 年(80, W20)、29.7×20.9cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
《ワルキューレ》
〈Warküre〉
1940(134, T14)、29.7×21cm
厚紙の上の紙にチョーク
パウル・クレー・センター
133
図 sEK47
図 sEK48
《気高き番人》
〈hoher Wächter〉
1940 年(257, M17)、70×50cm
自作の額縁、楔形枠、麻布に蝋絵具
パウル・クレー・センター
《二人の渇いた者》
〈zwei Dürstende〉
1940 年(268, L8)、44×44cm
厚紙の上の紙に糊絵具、ペン
スイス、個人蔵
図 sEK49
図 sEK50
《無題》(死の天使)
〈ohne Titel〉(Todesengel)
1940 年、51×66.4cm
楔形枠、裏面に下地、麻布に油彩
ノルドライン=ヴェストファーレン美術館
《無題》(最期の静物)
〈ohne Titel〉(letztes Stilleben)
1940 年、100×80.5cm
麻布に油彩
パウル・クレー・センター
リヴィア・クレー寄贈
134