なぜイラクで国際テロが頻繁に起きるのか ~2003 年イラク戦争における

平成 16年度卒業研究論文
なぜイラクで国際テロが頻繁に起きるのか
~2003 年イラク戦争における状況から見る~
富山大学
人文学部
国際文化学科
比較社会論コース4年
学籍番号 0110020645
張
玲
[目
次]
序論
本論
第一章
イラクで何が起きているのか
第1節
イラクで起きた主な攻撃やテロ
1-1
<表>イラクで起きた主な攻撃やテロ
1-2
<表>イラクでの各種統計
第2節
イラクでのテロ事件について
2-1
イラク国連現地本部爆破テロ事件
2-2
イタリア軍警察本部テロ事件
2-3
日本民間人拉致事件
第二章
テロとは何か
第1節
テロと国際テロ
1-1
テロリズムとテロリスト
1-2
国際テロリズムと国際テロリスト
1-3
テロ組織の類型・テロリスト
第2節
イラクでの事件は何なのか
2-1
イラク国連現地本部爆破テロ事件
2-2
イタリア軍警察本部テロ事件
2-3
日本民間人拉致事件
第3節
イラクでのテロとそのテロリスト
3-1
クルド人とシーア派
3-2
イラクとテロ組織
第三章
イラクが今日の状況になった背景と原因
第1節
イラク情勢の経緯と国際社会の対応
1-1
イラクを巡る主な動き
1-2
イラクの何が問題なのか
第2節
経済(石油利権)
2-1
アメリカのイラク攻撃と石油利権の関係について
2-2
5大国の石油戦争
第3節
中東紛争とタリバン政権の誕生と崩壊
3-1
イスラム原理主義の台頭
3-2
ソ連のアフガン侵攻
3-3
タリバン政権の誕生と崩壊
3-4
クルド人の独立運動
第4節
パレスチナ・イスラエル紛争
4-1
中東和平をめぐる最近の動き
4-2
パレスチナ和平
4-3
イスラエル分離フェンス
第四章
結論
第1節
イラクでのテロ攻撃に対する政策
イラク戦争に対する国際社会の見解
1-1
イラク戦争に対して
1-2
イラクの大量破壊兵器開発疑惑について
第2節
イラクの戦後と戦後復興の現状
2-1
イラク戦争終結とクルド人自治の今後
2-2
戦後イラクの現実
第3節
国際社会の復興支援と多国籍軍
3-1
戦後統治の行方
3-2
戦後イラクにおける国連の役割
3-3
戦後イラクに関する国連安保決議
3-4
多国籍軍
第4節
イラクでのテロ防止と再建に向けた政策
4-1
テロ防止とイラク再建
4-2
イラクでのテロが激化している理由と対策
4-3
イラク復興とテロ対策についての提言
おわりに
用語集
参考文献、資料一覧
参考 URL 一覧
序 論
アメリカ同時多発テロ事件は 2001 年 9 月 11 日アメリカで起きたテロ事件である。このテ
ロ事件はアメリカ政治と国際社会の大きな転換点になった。米ブッシュ政権は、このテロ事
件後のアメリカ合衆国世論の変化に合わせて、2002 年に国際テロ組織とテロ支援国と断じ
た悪の枢軸(イラク、イラン、朝鮮民主主義人民共和国)との戦いを国家戦略とし、「アメ
リカの防衛のためには、予防的な措置と時には先制攻撃が必要」として推進する方針を決め
た。 1これをもとに、アメリカ合衆国はイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているという
疑惑を理由に、2003 年 3 月 19 日、アメリカは国連の主導を拒み一部の国との多国籍軍を編
成しイラクに侵攻した。所謂イラク戦争である。開戦から三週間後の 4 月 9 日にフセイン政
権は崩壊し、5 月 1 日にはイラク戦争の戦闘終結宣言が出されるほど短期間の戦争であった。
この行動に対しては、アフガニスタン攻撃と異なり、国際的な態度は分かれ、イギリス、
スペイン、日本などのアメリカ同調国と、フランス、ドイツ、ロシア、中国などのアメリカ
非同調の立場に分かれた。
このアメリカのイラク攻撃を理由として、イラクの国内外でテロ事件はより活発化してい
る。国内で国連機関、赤十字委員会、イタリア軍警察本部、国外では、サウジアラビアのリ
ヤド自爆テロ、トルコのイスタンブールではユダヤ教礼拝所、更に同地の英総領事館前での
連続爆発事件が発生した。アメリカを中心としたテロ撲滅活動にもかかわらず、国際テロが
頻繁に発生し、人々に不安感と憎悪をもたらし、根本の国民生活の安定と安全も脅かしてい
る。
戦争終結後一年以上を経過した現在もなおテロは沈静化しておらず、犠牲者は戦争中を上
回っている。開戦一年後の 3 月 18 日時点ではテロや戦闘による米兵の死者数は 390 人を超
えていたが、9 月 7 日に発表された 2003 年 3 月の対イラク開戦以来の米軍の死者は、1,000
人に達したことが明らかになった。1,000 人には米兵 997 人の他、国防総省の民間人契約者
3 人が含まれている。米国防総省によると、イラクでの米兵の死者は 7 月が 54 人、8 月も
66 人で、イラク人への主権移譲後も治安が回復に向かっていないことを裏付けているとして
いる。イラク人犠牲者の正式な統計は発表されておらず、正確な数字は不明だが 7,000 人と
も 10,000 人という数字も伝えられている。2
このようなイラク治安の悪化とテロ事件の慢性化はイラク復興という道筋に深い影を落
とし、国際社会の関わり方に大きな問題と対イラク政策の転換を投げかけている。テロによ
1 米国国務省『国際テロ年次報告書
2002 年』
、「テロ支援国家概観」
、2003 年 4 月発表。
2 2003 年 3 月のイラク戦争開戦以来の戦闘で負傷したイラク駐留米軍米兵が 4 日までに、10,000 人を突破したことが米
国防総省の集計で明らかになった。米軍の死者数は 1,335 人に達している。
集計によると、負傷者は計 10,252 人で、うち 72 時間以内に原隊復帰できなかった重傷者が 5,396 人いた。
ブッシュ大統領が大規模戦闘終結を宣言した 2003 年 5 月以前の負傷者は 542 人にとどまり、9,710 人が宣言後の戦闘
で負傷したことになる。
共同通信 HP:イラク情勢 http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/iraq4/(2005/1/5)2005/01/16 確認。
1
る国際社会の復興協力姿勢への影響も心配だが、日常的に発生する状態に社会の関心が薄れ、
テロ発生の根源に眼が向かなくなることを危惧する。
本卒業研究では 2003 年のイラクにおける国際テロ状況を中心に考察し、イラクで発生し
た一連の事件を国際テロだと検証した上で、イラクで国際テロが起きる背景と原因を主に調
べたいと思う。イラクにおける国際テロの源泉を明らかにしテロが起こる原因を調べていく
ことで、卑劣なテロ行為が少しでも減少し、世界の人々がテロの脅威から解放されることに
繋がる提言が出来ればと思う。また、国際社会はイラクでの国際テロの撲滅にどんな対策が
考えられるのかを検証していきたいと考える。
2
第一章 イラクで何がおきているのか
はじめにイラクで何がおきているのか現状認識を整理してみたい。米国国務省の国際テロ
年次報告によると 2003 年の国際テロ件数は 208 件で、最新の発表による 2002 年の件数 198
件(205 件に訂正)に比べわずかに増加、また 2001 年の 355 件に比べると 42%の減少とな
った。2003 年の国際テロによる死亡者総数は 625 人で、2002 年の 725 人に比べ減少した。
2003 年のテロによる負傷者総数は 3,646 人で、前年の 2013 人に比べ急増した。この増加は、
2003 年には、礼拝所、ホテル、商業地区などソフト・ターゲット(民間の標的)を対象に、
大量の死傷者を出すことを意図した無差別テロが多かったことを反映しているといえる。
この章では 2003 年 3 月イラク戦争開始後から 2004 年前半にかけてイラクを中心に発生
した主要なテロ事件を取り上げ、そのテロ事件について検証を行なった。
第1節 イラクで起きた主な攻撃やテロ
1-1
<表>イラクで起きた主な攻撃やテロは次のとおり(日付は現地時間)
2003 年 8 月 19 日
8 月 29 日
10 月 27 日
11 月2日
首都バグダッドの国連事務所で爆弾テロ、デメロ国連事務総長特別代表
ら 24 人死亡
中部ナジャフのアリ廟(びょう)で爆弾テロ、82 人死亡
首都の赤十字国際委員会事務所などで連続爆弾テロ、34 人死亡
中部ファルージャ付近で米軍輸送ヘリ撃墜、16 人死亡
11 月 12 日
南部ナシリヤのイタリア警察軍司令部で爆発、27 人死亡
11 月 22 日
バグダット北部バクバとハンバニサド警察署で同時爆破、18 人死亡
11 月 29 日
北部ティクリート近郊で日本人外交官2人が襲撃され死亡
11 月 30 日
サマラでイラク駐留米軍に最大級攻撃、武装勢力 46 人死亡
12 月 14 日
中部ハルディヤの警察署で車爆発、16 人が死亡
12 月 17 日
バグダットでトラック爆発、10 人以上が死亡
12 月 26 日
イラク駐留米軍が攻撃され、5 日間で 11 人死亡
2004 年 1 月 18 日
2月1日
バグダッドの連合国暫定当局(CPA)本部のゲート前で自爆テロ、24
人死亡
北部のクルド人自治区で、クルド人の2大政党事務所に同時自爆テロ、
109 人死亡
2 月 11 日
首都の新イラク軍兵士採用事務所前で自爆テロ、47 人死亡
2 月 14 日
武装勢力が警察署などを襲撃、23 人死亡
3 月 16 日
カルバラで襲撃事件、ドイツ人ら 5 人死亡
4月8日
イラクで邦人 3 人が拉致、自衛隊の撤退を要求
4 月 16 日
ファルージャで米軍と武装勢力が衝突 15 人死亡、デンマーク人が誘拐
5 月 17 日
バグダットで自爆テロ、イラク統治評議会議長死亡
出所:日本経済新聞掲載記事 2004 年 3 月 18 日イラク情勢より筆者作成
3
1-2
<図>イラクでの各種統計
<図-1>
第2節
3
<図-2>
<図-3>
イラクでのテロ事件について
最近のイラクにおける連合軍への攻撃は以前と比べてどのように変化したのかみてみた
い。
17 人の死者が出た 8 月 7 日のヨルダン大使館への爆弾を積んだトラックによるテロ以前
は、攻撃は比較的小規模のものだった。連合軍の輸送車や軍事施設に対する迫撃砲や手榴弾
による攻撃、道路に埋めた地雷などの爆発、米兵や連合軍に同行する人々を狙った銃撃など
が以前の典型的な攻撃だった。ヨルダン大使館と国連現地本部への爆弾テロは、テロリスト
の戦術がより入念なものになったこと、そして軍事的なものではなく、非戦闘員が使ってい
るいわゆる「ソフト」な施設までもが攻撃対象になったことを示している。
最近のイラクのインフラの破壊活動も新たな傾向を示すものといえるだろう。インフラの
破壊活動は、以前よりもより多くの対象を狙うようになった。8 月 17 日の攻撃では、バグ
ダッドの主要な水道管に穴があいた。その前には、イラク北部の油田地帯とトルコの石油輸
出港ジェイハンを結ぶ主要な石油パイプラインに対する攻撃もあった。
イラクでのテロ事件は多数発生しているが、その中から数件のテロ事件について検証を行
ってみることにする。ここでは、代表的な事例として、2003 年 8 月 19 日に起こった「イラ
3 朝日新聞 2004 年 9 月 29 日朝刊 2 面
<図-1>イラクでの外国人拉致事件:2004 年 5 月減少したが、6 月以降増加に転じている。
(朝日新聞の集計による)
<図-2>多国籍軍の死者数&民間人の月別死者数:死者数は多国籍軍で 2003 年 11 月と 2004 年 4 月が多い。民間人
は 2004 年 2 月、3 月と 6 月が多い。(NGO の集計による)
<図-3>イラク駐留部隊(多国籍軍)とイラク治安組織の勢力:イラク駐留部隊(多国籍軍)とイラク治安組織の勢
力は 2003 年 11 月を境に逆転。
(米ブルッキンズ研究所などによる)
4
ク国連現地本部爆破テロ事件」4、同年 11 月 12 日に起こった「イラク南部ナシリアのイタ
リア軍警察本部テロ事件」5、2004 年 4 月 8 日に起こった「日本民間人拉致事件」6を研究事
例に取り上げ、次の章でテロ事件の研究を進めたいと思う。
2-1
イラク国連現地本部爆破テロ事件
イラクの首都バグダッドにある国連事務所で 19 日午後に起きた爆弾テロで、デメロ国連
事務総長特別代表(55)が死亡した。AP通信によれば爆破で少なくとも 20 人が死亡、100
人が負傷した。5 月のブッシュ米大統領による戦闘終結宣言後で最大の犠牲者を出し、国連
を狙ったテロ攻撃としても過去最悪の事件である。米軍はイラクでの治安態勢の抜本的な練
り直しを迫られ、復興に大きな打撃を与えそうだ。
デメロ特別代表は爆発で重傷を負い、がれきの下じきとなり数時間後に死亡した。国連児
童基金(UNICEF)のカナダ人プログラム・コーディネーター、クライン・ビークマン
氏(32)の死亡も確認された。爆発はデメロ特別代表の執務室の真下で起きており、特別代
表を狙ったのは明らかだと英BBC放送は伝えた。
バグダッドでは最近、米軍を狙った襲撃だけでなく、米英軍以外の駐留軍隊や外交団など
への襲撃が急激に増えていた。米軍は現在、イラク全土で 15 万人が駐留しているが、フセ
イン元大統領の残党だけでなく、それ以外の反米勢力もテロ・襲撃活動を行っている可能性
に備え、厳しい警戒を続けていた。
デメロ特別代表はブラジル出身。今年 5 月に特別代表に指名され、国連人権高等弁務官と
の兼務の形でバグダッドに赴任し、国連など多方面の人道支援活動の調整を行っていた。
バグダッド駐在の国連スポークスマンは「イラク人を助けるために来た人々を狙った信じ
られない犯罪行為だ」と批判した。イラク復興の責任者であるブレマー米文民行政官は声明
で「デメロ氏の死はイラク人にとっても国連にとっても大きな損失だ」と述べた。
2-2
イタリア軍警察本部テロ事件
イラク南部ナシリヤにあるイタリア軍警察の現地本部前で 12 日午前 10 時 40 分(日本時
間午後 4 時 40 分)ごろ、爆発物を積んだ車による自爆テロがあり、伊ANSA通信による
と少なくとも 15 人のイタリア軍警察官と同国兵士が死亡、イタリア人民間人 1 人とイラク
人 8 人も死亡した。また、イラク市民を含む多数が負傷した。イラクでイタリア軍から死者
が出るのはこれが初めてで、5 月に主要な戦闘の終結宣言が出た後、米国以外の多国籍軍を
対象にしたテロで、一度にこれほどの犠牲者が出るのは例がない。
ナシリヤは、自衛隊が派遣される予定のサマワから東に約 100 キロの地点にあり、治安は
比較的良かった。
イタリアは、軍警察官と兵士計約 3,000 人をイラクへ派遣し、ナシリヤを拠点に、治安維
持や、給水システムの復旧など社会基盤整備を担当していた。
4『日本経済新聞』2003 年 8 月 20 日朝刊 6 面
5『読売新聞』2003 年 11 月 13 日朝刊 1 面
6『日本経済新聞』2004 年 4 月 16 日朝刊 1.2.3 面(関連記事 34.35 面)
5
イラクでは最近、米英軍以外の部隊に対するテロ攻撃も目立ち始めており、デンマークと
ポーランドの兵各 1 人が死亡したほか、スペイン大使館の武官が銃殺される事件も起きてい
る。
2-3
日本民間人拉致事件
3邦人がイラクで人質となり、武装勢力が自衛隊の撤退を要求した。
「期限3日で殺害」
カタールの衛星テレビ「アル・ジャジーラ」は 8 日午後(日本時間同日夜)
、
「サラヤ・ムジ
ャヒディン(戦士隊)」と名乗る組織が日本人 3 人を拘束したと報じ、3 人の様子が映ったビ
デオ映像を流した。この組織は自衛隊が 3 日以内にイラクから撤退しなければ 3 人を殺害す
ると脅迫している。これに対し、日本政府は 3 人の即時解放を求めるとともに、自衛隊につ
いては撤退しない方針を明らかにした。イラクでは 8 日、このほかにも外国人が人質に取ら
れる事件が次々と明らかになった。
6
第二章 テロとは何か
テロリズム(terrorism)
7
政治的目的を実現するためとられる殺人などの恐怖手段、また
はそれを基礎とする立場。単なる暗殺とは違い、無差別な殺人や傷害も辞さない。ロシアの
社会革命党や日本の血盟団などのように左翼・右翼ともにこの手段を用い、それぞれ赤色テ
ロ、白色テロなどという。
広辞苑でテロリズムとは「①政治的目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。
また、その行動。暴力主義。テロ。②恐怖政治」とある。つまり、テロ行為の主体は、狂信
的な個人や同一の主義を信奉するテロリスト集団だけではないのである。軍隊や警察という
常設的暴力装置を有する国家権力は、その権力の行使に際して、暴力的手段を使うことがま
まあるし、また、CIA や KGB 、モサド(注:世界最強といわれるイスラエルの諜報機関)
といった諜報機関に至っては、「国益(実際には、権力者の利益や組織そのものの利益であ
る場合が多い)」という目的を達するためには、平気で暗殺や謀略などを行っている。
テロリズムの語源になった「Terror」という英語は、単に「恐怖」という意味であるが、
政治的なコンテキストで用いられるテロリズム(あるいは単にテロ)は、「暴力的行為を通
して、恐怖や不安を生み出すことにより、人間の行動に影響を及ぼすよう意図された心理的
な非常手段の一つ」と定義づけることができる。テロは戦争と異なり、敵方を殲滅すること
が目的ではない。一般にテロというのは、数人から数十人を巻き添えにすれば、それで十分
効果があがる(なぜなら、その行為は、実害よりは、心理的効果もしくは政治的アピールを
狙ったものだからである。)
その意味で、犠牲者が 3,000 人も出た 9.11 の世界貿易センター(WTC)ビルへの航空機
激突自爆テロなど、むしろ例外的なテロである。一般的には、現在イラクで連日発生してい
るような、バス一台や商店一軒を爆破するといったようなテロ事件で十分なのである。そも
そもテロの目的は、戦争のように相手のインフラを破壊し、経済活動を不可能し、多数の人
命を奪うということが目的ではないからである。あくまで、テロ実行犯が目的としているの
は、そのことによって、そのテロ事件を見聞きした人に対して、どのような心理的影響、圧
力を与えるかということなのである。
第1節
1-1
テロと国際テロ
テロリズムとテロリスト
公安調査庁 8の資料によると「テロリズムとは、国家の秘密工作員または国家以外の結社、
グループがその政治目的の遂行上、当事者はもとより当事者以外の周囲の人間に対してもそ
の影響力を及ぼすべく非戦闘員またはこれに準ずる目標に対して計画的に行った不法な暴
力の行使をいう。」それは、
(1) あくまで政治的目的を持ったものであり、単なる暴力行為とは異なる。ここでいう
7 三宅善信、
「テロとは何か」、2002 年 04 月 17 日。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-119.hmt-13k
2005 年 1 月 13日確認。
8 公安調査庁『国際テロリズム要覧』1993
http://hanran.tripod.com/terro/terro1.html 管理人川路
2005 年 1 月 13日確認。
7
政治目的とは、
〈1〉王権の獲得、
〈2〉政権の奪取、
〈3〉政治的・外交的優位の確
立、
〈4〉政権のかく乱・破壊、
〈5〉報復、
〈6〉通常戦争の補完・代替・補助、
〈7〉
逮捕、収監された構成員の釈放及び救出、〈8〉活動資金の獲得、〈9〉自己宣伝等
を指し、一般犯非者と異なり、テロリストは、その政治的要求を当局に対して行う。
(2) 組織的、集団的、計画的に行われるものである。
(3) 戦術(戦略を補充する戦略の中の特殊、限定的なルールで当面の月標を達成するた
めに採られる方策)としての闘争方法であり、暗殺、殺害、自由束縛等人身に対す
る危害などの過酷な手段で敵対者を威嚇し、恐怖心を呼び起こして相手方を譲歩さ
せるとか、反対を抑圧、弾圧することを目的とする「心理的効果」をねらったもの
である。
(4) 個人が行う場合でも、一定の政治的・社会的背景(組織または思想)を持っていれ
ば「個人的テロリズム」と呼ぶこともある。
(5) 「個人的テロリズム」に対して政府または革命団体によって行われるテロリズムを
「集団的テロリズム」という。
(6) 「集団的テロリズム」のうち支配体制側が反対側を抑圧、弾圧する場合に行使する
暴力を「白色テロリズム」
(反動的テロリズム)という。この代表例としては、テル
ミドール反動、パリ・コミューン敗北後のヴェルサイユ派による粛清が挙げられる。
(7) 「白色テロリズム」に対して反対体制がとる暴力行為を「赤色テロリズム」
(革命的
テロリズム)という。「赤色テロリズム」は大衆的武装闘争、武装パルチザン闘争、
武装蜂起、反革命勢力に対する弾圧といった形態をとり、主体は、革命期における
人民大衆(革命的人民)である。この代表例としては、フランス革命におけるジャ
コバン恐怖政治が挙げられる。
テロリズムと類似する諸現象
(1) 内乱
日本国刑法第 77 条によると「内乱」とは、朝憲紊乱を目的として暴動をなすことを
いう。朝憲紊乱とは日本国憲法に定められている政治的基本組織を不法に破壊するこ
とをいう。したがって、内乱状態とは同上内容の社会状態を指す。
(2) 内戦
国内の対立した勢力が相互に闘う、国内での武力による闘争で、内乱が戦闘の形態
となった状態をいう。内乱と内戦は同義語に使用する場合が多く、純然とした区別
は難しいが、一般にいう暴動の範囲のものを内乱とし、これが武力闘争に発展した
状態を内戦として区別している例もある。
(3) ゲリラ戦
敵が保持・支配する地域で、住民等が主勢力を占める集団が、通常劣悪な装備をもっ
て、奇襲、待ち伏せ等を行う戦闘形態、または戦争形態をいう。
ゲリラ部隊は、あくまで貧弱で不十分な装備しか持たない反政府武装勢力を意味し、
同様な奇襲攻撃を専らとする政府軍のコマンド部隊とは性格を異にする。
8
1-2
国際テロリズムと国際テロリスト
国際テロリズムの定義については、その態様が多様化、複雑化していることもあって国際
法上の統一した定義づけがないのが現状であるが、ここでは、国際テロリズム研究で先進的
な米国国務省のほか、イスラエルのジャッフィ戦略研究所等国際研究所諸機関の定義を参考
にその共通項的部分であるテロリズムを定義したのち、その派生部分を定義する方法をとっ
た。
「国際テロリズムとは、2 カ国以上の市民または地域の絡んだテロリズムをいう。」
(1) 本質的には、ある一因に本拠を置きながら、他の国で作戦行動を行うグループの活
動をいい、外国に対して国家の指示の下に行われるテロリズムから種々のテロ組織
相互間の協力関係に至るまで、現代の世界で起こるいろいろな事柄を意味する。
(2) テロリズムは次の場合に「国際的」となる。
〈1〉 外国人または外国の目標に向かう場合
〈2〉 一国以外の政府または党派と提携する場合
〈3〉 外国政府の政策への影響をねらう場合
1-3
テロ組織の類型・テロリスト
1-1でみたように、テロリズムを遂行する組織には、各々拠って立つ主義、主張、目指
す目的があり、これが組織の行動を基本づけているが、これらの組織の性格を類型したもの
が以下の分類である。
(1)反体制テロリズム
反体制グループが国家転覆等、既存の秩序を破壊し、権力を獲得しようとして国家を攻撃
するために用いるテロリズムを反体制テロリズムという。また、反体制グループとは、現代
社会を支配している権力、価値体系から逸脱し、現体制を攻撃するグループをいう。
(2)体制側テロリズム
国家の支配者が自己の権力と権威に対する挑戦を抑制し、その統治、支配を強制するため
に用いる執行的なテロリズムを体制側テロリズムという。
アメリカ国務省(外事担当)対テロ調整事務所が毎年発表している「海外テロ組織」資料
により、最新情報を訳し直した。
アブ・ニダル組織(ANO)/ アブ・サヤフ・グループ(ASG)/ 武装イスラム・グループ(GIA)/
オウム真理教/ バスク祖国と自由(ETA)/ ハマス(イスラム抵抗運動)/ ハラカト・ムジャ
ヒディン(HUM)/ ヘズボラ(神の党)/ ガマア・アル・イスラミーヤ(イスラム・グループ)
/ 日本赤軍(JRA)/ アル・ジハード/ カハ/ カハネ・カイ/ クルディスタン労働者党(PKK)/ タ
ミル・イーラム解放の虎(LTTE)/ ムジャヒディン・ハルク組織(MEK, MKO, NCR)/ 民族解
放軍(ELN)/ パレスチナ・イスラム・ジハード:シャカキ派(PIJ)/ パレスチナ解放戦線:ア
ブ・アッバース派(PLF)/ パレスチナ解放人民戦線(PFLP)/ パレスチナ解放人民戦線総司令
部(PFLP-GC)/ アルカーイダ/ コロンビア革命軍(FARC)/ 革命組織 11 月 17 日/ 革命人民解
放軍/戦線(DHKP/C)/ 革命人民闘争(ELA)/ 輝ける道(センデロ・ルミノソ, SL)/ トゥパ
9
ク・アマルー革命運動(MRTA)
第2節
9
イラクでの事件は何なのか
この節では第一章で取り上げた代表的な三つのテロ事件について詳しく分析を進め国際
テロの定義に当てはめてみたい。
2-1
イラク国連現地本部爆破テロ事件
(1)イラク国連現地本部爆破テロの背景
なぜイラクで国連現地本部が爆弾テロの攻撃対象となったのだろうか。少なくとも 23 人
の死者が出た 8 月 19 日のバグダッド国連現地本部を標的としたテロの首謀者が誰であるの
か、現時点ではまだはっきりとしていない。サダム・フセインの信奉者、イスラム教過激派
組織であり、アルカーイダとも関係を持っている「アンサール・イスラム(イスラムの支援
者)」のメンバー、それほど有名ではないイラクのテロ集団のメンバー、アメリカと戦うこ
とを望んでいる諸外国のイスラム教テロリストなどに容疑がかかっている。10
(2)犯行声明を出したテロ集団
「第二ムハンマド軍・武装の前衛」と名乗るイスラム組織が 8 月 21 日、アラブ首長国連
邦のテレビ局、アル・アラビーヤとAP通信に声明を送り、「(イラクにいる)すべての外国
人に対する攻撃を続け、今回と同様の作戦を実行する」と警告した。11
(3)国連現地本部爆弾テロの実行とバース党の党員との関係
フセイン政権の支配政党だったバース党の党員が国連現地本部爆弾テロを実行したとい
う証拠はないのか。米連邦捜査局(FBI)の捜査官は、爆破の際に使用された爆発物はイ
ラク軍の兵器庫から持ち出されたものである可能性があると述べている。テロに関する専門
家もワシントンも、この証拠だけでは爆弾テロがバース党党員やイラク軍部の残党によるも
のだと断定することはできないと述べている。12
(4)アンサール・イスラムが関与した疑い
クルド人やワシントンは、アルカーイダともつながりがあると考えられているこのイスラ
ム教組織のメンバー約 300 人は、3 月後半に行われたイラク北部の彼らの居住地域に対する
連合軍の爆撃から生き延び、イランに亡命したと述べている。その後7月に、約 150 人の武
装したメンバーがイラクに戻ってきたと考えられている。クルド人の治安維持部隊ディレク
ターのダナ・アフメド・マジドはボストン・グローブ紙で、アンサール・イスラムはバグダ
ッドやイラク北部の都市キルクークやスライマニヤで支部を組織しつつあると指摘してい
る。テロの専門家の中には、アンサール・イスラムはイラクに集結しつつあるジハード(聖
戦)の闘士の集団の中心となりつつあるようだと指摘するものもいる。しかし、イラクにい
ると考えられているテロリストのすべてがアンサール・イスラムと直接的なつながりを持っ
9
マドレーヌ・k・オルブライト国務長官、
『国務長官指定海外テロ組織 1999 年報告インデックス』
、1999 年 10 月 8
日対テロ調整事務所発表、
「海外テロ組織に関する背景情報」2 ページ。
10 FOREIGN
AFFAIRS JAPAN『CFRイラク問題アップデート』
、
「イラク国連現地本部爆破事件の背景」
、2003 年 8
月 21 日。http://www.foreignaffairsj.co.jp/sourcel/Iraq/UNterro.htm 2005 年 1 月 13日確認。
11 同上
12 同上
10
ているわけではないと指摘する専門家もいる。13
(5)アンサール・イスラムの指導者について
ノールウェーに政治亡命しているムッラー・ムスタファ・クレイカーだ。彼は亡命先から、
イスラム教の敵対者に対するジハードの実行を呼びかけ続けている。ニューヨーク・タイム
ズ紙によれば、彼は「今回のアメリカによるイラク占領と、ソビエトによる 1979 年のアフ
ガニスタン支配には何の変わりもない」と述べている。14
(6)アンサール・イスラムとアルカーイダとのつながり
ワシントン研究所のシャンツァーによれば、アンサール・イスラムはアルカーイダと提携
しており、アルカーイダから資金やその他の資源の支援を受け、代わりにテロ・グループの
中心人物が認めた、あるいは計画したテロ活動を実行している。ホワイトハウスが発表し
た”Results in Iraq: 100 Days Toward Security and Freedom”という文書によれば、
「アルカ
ーイダのシニア・アソシエート」であるアブ・ムサブ・アブ・ザルカイとアンサール・イス
ラムが共同でイラク北部に施設を作り、それが「イラク戦争前にはアルカーイダの毒物製造
工場」として使用された。
以上のことによりこのテロ事件はアルカーイダとつながりが深い組織が関与した疑いが
強く、国際テロ事件と分類される。
2-2
イタリア軍警察本部テロ事件
(1)イタリア軍警察本部テロ事件の背景
アル・ジャジーラは 10 月、国際テロ組織「アルカーイダ」の指導者オサマ・ビン・ラー
ディンの肉声として「我々はこの不正な戦争に参加するすべての国、特に英国、スペイン、
オーストラリア、ポーランド、日本、イタリアに対抗する権利を持つ」と警告するテープを
放送していた。
(2)犯行声明とテロ集団
直接的な犯行声明は確認されなかったが、米国の主要同盟国を標的にした反米武装勢力の
テロと思われる。この反米武装勢力と国際テロ組織「アルカーイダ」とのつながりも確認さ
れていない。
2-3
日本民間人拉致事件
(1)日本民間人拉致事件の背景
イラク人の対日感情は総じてなお良好と云われている。1991 年の湾岸戦争で日本が多国
籍軍の戦費 130 億ドルを負担した事実は忘れられていない。経済大国日本が、中東を支配す
る米国の資金面での強力なパートナーであることは十分認識している。旧フセイン政権が日
本を米英に次ぐ「第 3 の敵」と名指ししたのもそのためだ。国際テロ組織「アルカーイダ」
関連組織も昨年 11 月、イラク駐留部隊派遣国中、米英のほか、日本、イタリア、オースト
13 FOREIGN
AFFAIRS JAPAN『CFRイラク問題アップデート』
、
「イラク国連現地本部爆破事件の背景」
、2003 年 8
月 21 日。http://www.foreignaffairsj.co.jp/sourcel/Iraq/UNterro.htm 2005 年 1 月 13日確認。
14 同上
11
ラリアを名指しで車爆弾テロの標的に指名した経緯がある。今回、「戦士隊」が米同盟国の
中での、こうした日本の存在感を意識して、撤退要求を突きつけた可能性も考えられる。
(2)犯行声明とテロ集団
武装グループが出した声明の要旨
1.イラク・ムスリム・ウラマー協会の要請に直ちに応え、3 人の日本人を、今後 24 時間
以内に釈放する。
2.いまだ米国の暴虐に苦しんでいる友人たる日本の人々にイラクにいる自衛隊を撤退す
るよう日本政府に圧力をかけるよう求める。なぜなら自衛隊の存在は不法なものであ
り、米国の占領に貢献するものであるからである。
ヒジュラ暦(イスラム暦)1425 年サファル月 19 日
西暦 2004 年 4 月 10 日
サラヤ・アル・ムジャヒディン(戦士隊)
「自衛隊の撤退」という政治的要求を掲げている以上、犯人グループが、占領統治の枠組み
に日本が米国の同盟国として参加していることへの強い反感を持っているのはほぼ間違い
ない。問題は、旧フセイン政権の残党組織なのか、あるいはイラクのイスラム過激派なのか、
それとも両者を含む複数の組織の混合部隊なのかということだ。国際テロ組織「アルカーイ
ダ」につながっている可能性もある。
ビデオに映った黒い服装は、イスラム教のシーア派民兵に特徴的なものだという指摘もあ
るが、反占領武装闘争を開始した同派のムクタダ・サドル師側は一切の関与を否定、クート
の消息筋も本紙に対し、同市のサドル師事務所が「戦士隊なる組織は関知していない」と述
べていると語った。犯行現場とみられるバグダッド西方ファルージャ一帯は「スンニ派三角
地帯」の一角であり、仮にフセイン政権残党だとすれば、スンニ派過激派ではないかとの見
方の方が妥当だろう。
第3節
イラクでのテロとそのテロリスト
そもそも第一、二章で挙げられた3つのテロ事件から、イラクでのテロ事件は、イラクで
米軍が直面している最大の敵が、旧体制復活を目指す残存勢力による抵抗運動ではなく、グ
ローバルな反米国際テロ組織の活動であることを示している。国連現地本部の爆破テロ事件
の数日後、カタールのアラビア語衛星放送「アルジャズィーラ」に出演したリチャード・ア
ーミテージ米国務副長官の発言では「いわゆるイラクへの侵入ルートがあり、これまで拘束
した外国人戦闘員の情報からみて、彼らはイラン、シリア、サウジアラビアから流入してい
るようだ」。イラクで「聖戦」を戦うため流入している外国人はイラン、シリア、サウジの
ほか、スーダン、イエメン、ヨルダン人などとみられている。15 事件後、欧米メディアは、
イラクが世界中のテロリストを引きつける「磁石」と化していると報じた。この節では、イ
15 1992 年米国国務省発表のテロリズムに関する報告書「PATTERNS OF GLOBAL TERRORISM 1991」による現在テ
ロ支援国家とされているのは、イラン、イラク、リビア、シリア、キューバ、北朝鮮の 6 カ国である(イエメンについ
ては 1989 年まではリストに入っていたが 1990 年から削除されている。
)
12
ラクで活動している「テロリストの源泉」について分析してみたいと思う。
3-1
クルド人とシーア派
イラクという国家は、多様な民族および宗教宗派から構成されており、これが国民統合や
政治的安定性の大きな阻害要因となっていることは、すでに指摘されている。それは間違い
ではないが、マルチ・エスニックな政治環境が国家の不安定性に結びつく状況自体は、多く
の途上国に見受けられ、必ずしもイラクのみが有する特殊性とは言えない。その特殊性は、
あくまで政治環境の史的背景や内容にある。
イラクの人口センサスは諸外国と同様、国籍のみを以って行われるので、各エスニック集
団の人口は推定に頼らざるを得ない。その推定の幅は大きいが、おおよそ以下の数字が目安
となる。総人口 2,050 万人(95 年)の内訳は、民族的にはアラブ人が 80%、北部に居住す
るクルド人が 15%(約 300 万人)、他に少数のアルメニア人やトルクメン人、ユダヤ人など
がいる。宗教宗派では南部に居住するシーア派(大半が 12 イマーム派)が 60%(約 1,100
万人)、スンニ派が 35%(クルド人の大半を含む)、キリスト教諸派が 5%。ちなみに、アラ
ブ諸国の中でシーア派住民が過半数を占めるのは、イラクとバハレーンのみである。
イラクの領域は、第一次大戦後の 1920 年サンレモ会議でオスマン領分割が協議され、イ
ギリスの委任統治領として設定されたものである。それまで、イラクという地名は南部の一
部のみを指しており、現在のイラクの領域は歴史上、国や州、地方といった地理的一体性を
持ったことがなかった。イギリスが委任統治領にペルシャ湾沿岸を欲したため、バグダッド
を中心とするスン二派住民の地域に、南部のシーア派住民の地域が加えられ、さらにクルド
民族国家構想がトルコのケマル・アタチュルクに拒絶されて、北部のクルド人地域が加えら
れた。イラクという国家領域も、その民族・宗教宗派構成も、人工的に形成されたものであ
った。
1921 年にイラクが建国されて以降、南クルディスタンのクルド人勢力とイラク政府のせ
めぎ合いは今日まで続いている。1930 年代から、ムスタファ・バルザーニを中心としたク
ルド人勢力の抵抗運動が活発化し、その過程で「イラク・クルディスタン民主党(KDP)」
が 1946 年に結成される。1976 年には、KDP を離脱したジャラール・タラバーニによって
「クルディスタン愛国同盟(PUK)」が設立され、以後この2大勢力を中心にクルド人の抵
抗運動が展開されていく。
イラン・イラク戦争の際、KDP と PUK はイラン政府から支援を受けてイラク政府に対抗
するが、イラク軍は彼らに化学兵器を使った攻撃を行う。中でも、1988 年 3 月にハラブジ
ャという町に対して行われた化学兵器攻撃では、約 5,000 人の死者を出すという悲劇を生ん
でいる(ハラブジャ事件)。それ以後も、イラク軍による攻撃や、クルド人の強制移住は繰
り返し行われた。
1991 年の湾岸戦争の際に蜂起したクルド人に対するイラク軍の攻勢により、大量の難民
が発生するという事態も起きた。以後、多国籍軍のイラクに対する飛行禁止区域の設置によ
り、北イラクに事実上のクルド人自治区が生まれた後は KDP と PUK の間の抗争が一時激
13
化するが、現在は一応の安定を保っている。
また、2003 年 3 月に始まったイラク戦争終結が終結し、イラクがどういった国家に生ま
れ変わるのか、そしてクルド人の自治がどうなるのかという点が現在注目されている。
3-2
イラクとテロ組織
アメリカとクルドの役人は、シリア、サウジアラビア、イエメンから来たといわれている
武装したイスラム教徒をシリアとの国境から密入国したという理由で逮捕した。米中央情報
局(CIA)で対テロ部門のリーダーを務めたこともあるヴィンセント・カンニストラーロ
は、ロサンゼルス・タイムズ紙で「現在われわれが目にしているのは、ジハードの闘士たち
がアルバニアからアルジェリアにいたる世界中の国々からイラクに集結しつつある光景だ。
彼らはオサマ・ビン・ラーディンからの呼びかけに応じており、サダムを守るためではなく
イスラムを守るためにイラクに集結している」と述べている。彼はまた、アメリカとその同
盟国の諜報機関は、すでに 5~600 人の武装したイスラム教徒がイラクに入ったと考えてい
ると述べている。
海外から入国してきた武装したイスラム教徒に加え、イラク出身の同様の集団も存在する
ようだ。アラブの衛星放送、アル・アラビーヤは 8 月中旬、明らかにイラク人だと思われる
5 人の男が母国をアメリカによる支配から解放するため、アメリカ人に対する攻撃を求めて
いる内容のビデオテープを放送した。この男たちは、
「白い旗」、
「イスラム教徒の若者」、
「ム
ハンマドの軍隊」という三つの組織の代表だと主張していた。ただし、これらの組織がどの
ようなものか、実在するのかは知られていない。
(1) イラクとテロ集団との関係について
サダム・フセインは、ハマス、イスラム聖戦などパレスチナのテロ集団、さらにはパレス
チナの自爆テロの遺族に慰労金を出しているだけでなく、トルコ、イランなどの反体制テロ
集団に、拠点、訓練基地などを与えていた。またアメリカの情報当局者は、イラクとアルカ
ーイダのつながりを示す証拠をもっていると発言しているし、ブッシュ大統領は、アルカー
イダとの関係を、イラクに対決路線をとる根拠のひとつにあげている。
(2)イラクと国際テロ組織アルカーイダとの関係
ブッシュ大統領は、ビン・ラーディンの過激派ネットワークとサダム・フセインの関係を
示す情報が存在すると語り、パウエル国務長官も、イラクは、アルカーイダ関係者が国内で
活動するのを認めていると発言している。パウエルは、アルカーイダ分子で化学兵器の専門
家であるアブムサブ。ザルガウィが 2002 年に治療をうけるためにバグダッドに滞在し、活
動分子のネットワークを築き、このネットワークがいまも存在すると語り、イラク北部のク
ルド人過激派で、アルカーイダと関係を持っているアンサール・アルイスラムと、イラク政
府が接触していると指摘している。
(3)イラク戦争とトルコへの影響
アンマンは、戦後のイラク、特にクルド人が数多く暮らす北部地域が、トルコのクルド労
働者党(PKK)の聖域とされ、クルドの民族主義が大きな高まりをみせ、国内にも悪影響
14
が及ぶのではなないかと懸念している。軍事的弾圧策や 99 年のアブドラ・オジャランPK
K党首の逮捕によって、トルコ政府はなんとかPKKを押さえつけてきたが、国内クルド人
の分離独立主義やテロ路線がなにかのきっかけで再燃することをひどく恐れている。政府は、
戦後のイラクでクルド人がより大きな影響力を手にするようになれば、イラク北部で暮らす
トルコ系の少数派トルクメン族が困難な状況に直面しはしないかと懸念している。
(4)イラクと近隣諸国との関係
1990 年のクウェート侵攻後、近隣諸国との関係は緊張した。アラブの指導者たちは、そ
れまでに、アラブの大国が近隣の小国に侵攻するなど、考えられないこととみなしていただ
けに、彼らの衝撃は大きかった。
クウェートからイラク軍を追い出すための砂漠の嵐作戦に参加したエジプト、シリア、サ
ウジアラビアとイラクの関係はよくなかったが、最近になって少しは改善している。湾岸戦
争に参加しなかったヨルダンとの関係は今も良好のようだ。ヨルダン、シリア、トルコはと
もに、国連の経済制裁にもかかわらず、イラクから石油を輸入しているし、これら一連の密
輸によって、イラクは 2000 年には 20 億ドルの資金を手にしている。
しかし、湾岸の最大のライバル国であるイランとの関係は、1988 年にイラン・イラク戦
争が終わったあとも、あまり改善していない。90 年にイラクからの侵攻を受けたクウェート
は、いまも 600 名の捕虜の引き渡しを求めている状態にある。91 年の湾岸戦争でイラクの
スカッド・ミサイルによる攻撃を受けたイスラエルは、イラクがイスラエルを標的するパレ
スチナ人の自爆テロ実行犯の遺族に資金援助をしていることもあって、いまも、イラクのこ
とをもっとも危険な敵とみなしている。16
16 FOREIGN
AFFAIRS
JAPAN「イラクとテロ組織、近隣諸国の関係」
、朝日新聞社、2003 年 6 月 18 日。
15
第三章 イラクが今日の状況になった背景と原因
このようにイラクでの国際テロがなぜ頻繁に起きるのか。イラク問題で、国際社会の一員
であるアメリカはすぐに武力攻撃という手段をとるべきではなかった。国連を中心にもっと
時間をかけて進めていくべきではなかったかとの疑問が残る。
イラクが今日のようなテロの表舞台になった背景と原因はどんなことが考えられるのだ
ろうか。この章ではなぜイラク戦争が発生したのか、なぜテロが頻発に起こるのか、その関
連性と歴史的背景、テロ発生のルーツを検証してみたい。
(1) なぜイラク戦争が発生したのか
イラク戦争は従来型にはない特異な戦争といえよう。開戦の理由として、ひとつめは国連
査察に非協力的なイラクの大量破壊兵器開発による脅威の排除と疑惑を立証することがあ
げられた。2003 年 3 月 19 日アメリカはイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているとい
う疑惑を理由に、国連の主導を拒み一部の国との多国籍軍を編成しイラクに侵攻した。二つ
目はアメリカ同時多発テロ事件を発端とした国際社会の国際テロ撲滅活動である。イラクと
国際テロ組織との支援関係、特にアメリカ同時多発テロ事件の主犯と目されている国際テロ
組織アルカーイダを支援している理由とされた。第 1 節ではイラク戦争に至るまでのイラク
情勢の経緯とそれに対する国際社会の対応を振り返ってみる。
(2) 石油利権
アメリカがイラク戦争に踏み切ったもうひとつの理由としてイラクの石油利権が目的だ
といわれている。イラクは世界第二位の石油埋蔵国であり17、かつてイラクがフセイン政権
のもと石油消費国との間で石油利権を取引材料に反米政策を進めていた。今回のイラク戦争
開戦に対する国際社会の対応と戦後復興に対する国際社会の対応の違いは、イラクの石油利
権とのつながりが深いといわれている。第 2 節ではアメリカを始めイギリス、ロシア、フラ
ンス、中国を中心にイラク石油利権との関係を調べてみる。
(3) 中東紛争とタリバン政権の誕生、崩壊
テロのルーツとして中東紛争と民族問題がテロ発生の大きな要因と考えられる。第 3 節で
はイスラム原理主義の台頭、ソ連(ロシア)のアフガン侵攻がもたらしたイスラム社会への
影響、タリバン政権の誕生、崩壊、クルド人独立運動と国際社会の対応を取り上げ、テロ活
動の活発化とイラクテロとの関係について検証してみる。
(4) パレスチナ・イスラエル紛争
パレスチナ・イスラエル紛争問題の解決のために国際社会が主導し提示された「ロード・
マップ」はイスラエルに有利な内容との批判もあるが、二国間紛争の恒久的な解決とともに
テロの停止を目的にしている。このテロ停止が有効に機能することが国際テロ防止に役立つ
と考えられる。しかし、イスラエル分離フェンスがパレスチナ人に圧迫を与え、その怒りが
「反米テロの実験場」であるイラクへ波及し、イラクでのテロ活動の活発化につながること
が憂慮される。
17 JAPAN
POWER NEWS「世界エネルギー事情」
、電気事業連合会。
http://www.fepc.or.jp/jijyou/ 2005 年 1 月 13 日確認。
16
第1節
イラク情勢の経緯と国際社会の対応
1-1
イラクを巡る主な動き
1990 年
8月2日
イラク軍がクウェート侵攻
11 月
国連安保理が対イラク武力行使容認決議(678 号)を採択
1991 年
1 月 17 日 米などの多国籍軍がバグダッド空爆開始、湾岸戦争始まる
4月
イラクが国連安保理決議を受諾、査察受け入れを表明
6月
国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)が査察開始
1998 年
8月
イラク、UNSCOMと国際原子力機関(IAEA)への協力を中止
1999 年
12 月
UNSCOMが国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)に移行
2001 年
9 月 11 日 米同時テロが発生
2002 年
1 月 29 日 ブッシュ米大統領、一般教書演説でイラクなど 3 カ国を「悪の枢軸」と非難
8 月 16 日 イラク、国連査察の無条件受け入れを表明
10 月 2 日 米英がイラクへの武力行使を容認する決議案を安保理に提示
11 月 8 日 国連安保理、決議を全会一致で採択
13 日
イラクが国連決議の無条件受諾を決定
27 日
国連査察を 4 年ぶりに再開
12 月7日
19 日
イラク政府、国連査察団に大量破壊兵器開発に関する申告書を提出
パウエル米国務長官、イラク申告書は国連決議の要求を満たしておらず「重大な違反」
と表明
2003 年
1月6日
フセイン・イラク大統領がテレビ演説で「国連査察は諜報活動」と非難
27 日
国連査察団、安保理にイラクの協力は不十分と報告
28 日
ブッシュ大統領が一般教書演説で大量破壊兵器を保有する「無法者政権は最大の脅
威」と指摘
2月6日
ブッシュ大統領が「ゲームは終わり」と武力行使の可能性を強く示唆
10 日
仏ロ独首脳が共同宣言でイラク査察の継続、強化を確認
14 日
ブリクスUNMOVIC委員長とエルバラダイIAEA事務局長、安保理でイラク査
察活動の追加報告。査察継続求める
安保理、国連査察委の追加報告受け協議。仏独ロ中など多くが査察継続支持
17
21 日
UNMOVIC、イラクの大量破壊兵器に関する定期報告を 3 月 7 日に安保理の公式
協議で実施することを暫定決定
24 日
米英スペインが安保理にイラクへの武力行使容認する新決議案を共同提出
仏独ロ、新決議案に対抗し査察の 4 カ月延長などを求める査察強化策を安保理に提出
25 日
ブッシュ米大統領、新決議が必ずしも必要でないとの認識示し、採択されなくても攻
撃開始する可能性に言及
28 日
ブリクスUNMOVIC委員長が国連安保理に定例報告書を提出。「イラクの武装解
除の成果は非常に限定的」と指摘
仏ロ外相、イラクの武力行使を容認する新たな決議案が出れば拒否権行使を示唆
3月1日
イラクが弾道ミサイル「アッサムード2」の廃棄開始
トルコ国会が国内への米軍駐留を否決
5日
独仏ロ、パリで緊急外相会談。新決議案に反対の共同宣言発表
7日
ブリクスUNMOVIC委員長とエルバラダイIAEA事務局長、国連安保理外相級
の会合での報告でイラク側の弾道ミサイル廃棄などを評価する一方、すべての作業終
了までに数カ月必要との見方示す
米英スペインが安保理外相級会合に、17 日をイラクの武装解除最終期限とする修正決
議案提出
9日
ショート英国際開発相、決議無しのイラク攻撃なら辞任する意思を表明
13 日
安保理、英提案で合意できず、週内の修正決議案採決を断念
14 日
シラク仏大統領がブレア英首相との電話会談で、査察 4 カ月延長提案の期間を短縮す
る用意があると表明
16 日
シラク仏大統領、査察延長期間をそれまでの「120 日」から「30 日」に短縮する妥協
案提示
米英スペイン首脳が大西洋上のポルトガル領アゾレス諸島で会談。ブッシュ米大統
領、「明日(17 日)が世界の決断の時。国連に行動を望む」
17 日
米英スペイン、国連安保理で修正決議案の採択を求めないと発表
英国のクック下院院内総務がイラク政策に反対して辞任
米大統領、フセイン大統領と息子の 48 時間以内の亡命を求める最後通告の演説
米国土安全保障省、大統領演説直後にテロ警戒水準を 5 段階表示で上から 2 番目のオ
レンジに引き上げ
小泉首相、米国の方針を支持
ドビルパン仏外相、決議無しで武力行使に踏み切る構えの米英などについて国際社会
の意思に反するとし、「残念に思う」との声明発表
20 日
米英軍がイラクに対する攻撃開始
18
出所:日本経済新聞社 HP:nikkeinet 特集「イラク情勢」、2003 年 3 月 18 日記事より筆者作成
18 日本経済新聞社HP:nikkeinet特集「イラク情勢」
、2003 年 3 月 18 日記事より。
http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt57/20030320SP63K003_20032003.html
2005 年 1 月 13日確認。
18
1-2
イラクの何が問題なのか
湾岸戦争を発端として 2003 年イラク戦争に至った経緯についてイラクの何が問題だった
のかを整理してみたい。
1.湾岸戦争の停戦条件(1991 年 4 月)
米他の連合軍に惨敗したイラクは、クウェートの不可侵などとともに停戦条件として大量
破壊兵器の完全廃棄を受け入れた。(→安保理決議 687)
・核、化学、生物兵器及び弾道ミサイル(射程 150 キロ超)の廃棄
・このための研究・開発・生産設備の廃棄
・将来にわたってもこれらを開発しない約束
国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM:United Nations Spcial Commission)の
任務・権限(これらの過程を監視。イラクは UNSCOM が必要と認める場所を即時に無条件で
査察させる義務。)
2.UNSCOM の実績と残された疑惑
●核兵器(IAEA 担当)
廃棄実績
残る疑惑
申告されたものは全部廃棄
5 年で核兵器生産能力
38,531 発
107,500 発
480,000 リットル/6,990 トン
130 トン
3,000 トン
4,000 トン
●化学兵器
砲弾等
化学剤(VX、サリン、タブン、マ
スタード)
前駆物質
(内 VX の前駆物質)
600 トン
191 トン
(約 10 トンの VX 生産可能)
生産器具
516
459
●生物兵器
ボツリヌス毒素
20,000 リットル
炭疸菌
8,500 リットル
アフラトキシン
2,200 リットル
生産工場
アル・ハカム工場(炭ソ菌、ボ
ツリヌス毒素)
生産用媒体
17 トン
砲弾
●弾道ミサイル
157 発
817 基
2基
◎スカッド、アルフセインの部
品多数
1 年以内に生産可能
◎アルフセイン数 10 基、
アルアバス数基配備(DIA)
19
同
発射台
生物・化学兵器用特殊弾頭
75 基
0基
30 発
45 発
出所:外務省 HP「イラク問題参考:イラクの何が問題なのか」平成 14 年 10 月による
3.イラクの一貫した査察回避行動
・数百の化学器具(平和目的)→
化学兵器生産用
1995 年(フセイン・カメルの亡命で)発覚
・生物剤の存在否定→
・アル・ハカム工場(飼料工場)→
生物兵器工場
・NPT 加盟国 → (フセイン・カーメルの亡命で)核兵器開発計画が発覚
・弾道ミサイル
→
→
1995 年ヨルダンでイラク向けのミサイル制御部品の密輸発覚
1996 年初めて資料提出
・査察団のヘリ奪取を策し、墜落の危機。
・査察団の立ち入りを拒む間にトラックを持ち出したり、証拠隠滅工作。
・1997 年、「機微な」場所、特に「大統領サイト」への立ち入り拒否・・・・「大統領サ
イト」は全国に 68 カ所、ゴルフ場サイズのものも。
4.イラクの「実績」
・イラン・イラク戦争でマスタード・ガスを 5 回、神経ガスを 2 回イランに使用。
・イラン・イラク戦争中に自国内のクルド族に対して化学兵器を使用。
・湾岸戦争中、化学剤・生物剤をミサイルに装填。(米国の報復警告で使用を断念。)
・ミラージュ F1 戦闘機から生物剤の散布実験。
5.なぜ中途半端な「調停案」ではダメなのか。
・「即時、無条件、継続的」な査察が不可欠。場所を選定交渉している間に隠匿工作されて
しまう心配があった。19
第2節
2-1
経済(石油利権)
アメリカのイラク攻撃と石油利権の関係について
世界最大の石油消費国であるアメリカは 2003 年 3 月、イラク攻撃を始めた。
「イラクの石
油利権を獲得するため」という理由があげられたが、サウジアラビアに次ぐ原油埋蔵量を持
つイラクの事情を考えれば当然だと思われた。
しかし、先制攻撃の大前提であった「大量破壊兵器の脅威」という理由はあやふやになっ
た。いまだに見つかっていないからだ。20 フセイン政権を打倒した本当の理由は「やはり石
油利権だった」ということではないのだろうか。
(1)イラクの石油埋蔵量について
19 外務省HP「イラク問題参考:イラクの何が問題なのか」平成 14 年 10 月
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/area/iraq/mondai.html
2005 年 1 月 13日確認。
20 米調査団(団長、チャールズ・ドルファー中央情報局=CIA=特別顧問)は 6 日イラクで大量破壊兵器は存在しな
かったとの最終報告書を発表した。また核兵器計画の事実もなかったと。
(2004/10/7:日本経済新聞夕刊要約)
ブッシュ米大統領は 7 日、
「イラクには大量破壊兵器(WMD)がなかったことが確認された」とイラク戦争の大義名
分となったWMDが存在しなかったことを認めた。WMDもドルファー調査団の最終報告書を踏まえ「われわれや同
盟国が(湾岸戦争後)12 年間蓄積した情報が間違っていた」と述べた。
(2004/10/8:日本経済新聞夕刊要約)
20
イラクはサウジアラビアに次いで世界第二位の石油埋蔵量をほこり、その量は 1,100~
1,150 億バレルに達するといわれている。しかし長年の戦争と制裁によりイラクの国土の大
部分はまだ調査されておらず、実際にはもっと多くの石油が埋蔵されている可能性もある。
米エネルギー省によればすでに発見されているイラクの 73 の油田地帯のうち、開発が進ん
でいるのは 15 の油田地帯だけで、近隣諸国と比べても、深い油田はまだほとんど採掘され
ていない。21
(2)戦争開始までのイラク石油産出量について
2003 年の 1 月、2 月にイラクは一日約 250 万バレルの石油を産出していた。1991 年の湾
岸戦争前には、産出量は一日約 280 万バレルだった。湾岸戦争により油田地帯に大きな損害
を被り、また国連の制裁によって油田を修復・現代化する能力が制限されたため、90 年代の
石油産出の成長は妨げられた。22
(3)現在のイラクの石油産出量について
一日に 120~150 万バレルで、これは世界の石油総産出量の 1.5%に相当する。しかし、
労働者による破壊行為や略奪、技術的な問題などにより、生産量はすぐに変化する。8 月 15
日には爆発が起こり、北部の都市キルクークと地中海に面するトルコのジェイハンを結ぶ
600 マイルのパイプラインが使用できなくなった。修復作業は現在も継続中だ。これに加え、
イラクで連合軍の司令官を務めるリカルド・サンチェス中将は 8 月中旬、密輸業者がパイプ
ラインに穴を開け、一日 2,500 トンもの石油を盗んでいると指摘している。23
(4)米国国家エネルギー政策について
米エネルギー省が策定した「国家エネルギー政策」には、大統領は「エネルギー安全保障
を通商と外交政策の最優先課題とするべきである」と明記されている。現在世界全体で生産
される石油の 4 分の1強はアメリカ合衆国一国によって消費されている。アメリカは国内の
原油需要の 52%を輸入に依存している。そのうちの 55%は主にカナダ(15%)、サウジアラ
ビア(14%)、ベネズエラ(14%)、メキシコ(12%)の 4 カ国からの輸入であり、イラク
からの輸入量はわずか 5 から 6%にしか過ぎない。ところが、米エネルギー省の将来予測に
よると、今後アメリカやその同盟国は中東の原油に大きく依存せざるを得なくなる。現在中
東の産油国は世界の 30%の原油を供給しているが、その比率は 2020 年には 54%から 67%にま
で膨らむことが推定されている。つまり OPEC 諸国、特に中東の産油国への依存が今後も
続く見込だ。また、アメリカ経済は石油の価格変動に意外と脆いという現実がある。こうし
てみると、世界第 2 位の原油埋蔵量を誇るイラクの油田が解放されれば、将来の国際需要を
充たす絶好の供給源になるということだろう。
現在イラクの産油量は 1 日約 240 万バレルに抑えられている。国連の経済制裁措置のもと、
この石油は食糧と引き換えられている。この他に 1 日推定 40 万バレルの石油がイラク国外
に密輸されていると考えられている。重要なことは、イラクには短期間に現在の産油量を倍
21 FOREIGN
AFFAIRS JAPAN「イラクの石油」
、朝日新聞社 、2003 年 9 月 2 日。
http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/Iraq/oil2.htm 2005 年 1 月 13日確認。
22 同上
23 同上
21
増させて 5 万バレルにまで引き上げる潜在力があることだ。これが国際石油市場、特にアメ
リカに利益をもたらすであろうことは容易に想像できる。24 イラクに対して戦争を仕掛けた
ブッシュ政権の姿にこのエネルギー政策の文言を重ねてみれば、必然的にブッシュ政権の真
意は浮かび上がってくる。
2-2
5大国の石油戦争
イラク戦争は5大国(アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、中国)の石油利権争いの
構図が背景にあるといわれる。各国の利権関係がイラク復興協力姿勢にも表れてきている。
(1)石油開発利権と対米協力に対する見返り
・ ロシア:イラクにとって最大の貿易相手国
① 対イラク債権(70~100 億ドル)
② 400 億ドル相当の経済協力協定
③ West Qurna 油田開発(1997 年ルクオイルが契約、40 億ドル)
但し、12 月 9 日信でイラク石油省から「契約廃棄」の通告がルクオイルにあった。
④ Tuba 油田開発(01/10 スラブネフチェが契約,52 百万ドル)
* 対米協力の見返りとして、米国より、①上記利権の保証、に加え②チェチェン武
装勢力のグルジア・パンキシ渓谷キャンプ攻撃の容認、②WTO 加盟支援等
・ 中国:対米協力の見返りとして、①対米関係強化、②台湾問題、③少数民族紛争批判
回避(新疆ウイグル自治区の分離独立グループをテロリストと認定させ情報提供を要
求)等
・ フランス:①対イラク債権(約 45 億ドル)、②Majnoon 油田開発等、③欧州の大国
としての役割
・ トルコ:対米協力の見返りとして、①対米債務約 40 億ドルの免除を提案、②02 年度
予算化 228 億ドルの新規経済援助前倒し、③EU加盟支援(12 月 12 日のEU首脳会議で、
トルコ加盟交渉を 2004 年 12 月以降に開始することを決定)、④米国政府による約 2
億ドルの融資検討、等
25
【外国企業によるイラクでの主な石油開発】
石油鉱区
投資企業
予定産出量
状況
西クルナ
ルクオイル(露)他
60~80 万 b/d
契約済み
スッパ
スラブネフチェ(露)
10 万 b/d
交渉中
ルイス
スラブネフチェ(露)
-
産出中
アリ・アフダブ
CNPC(中)
9 万 b/d
契約済み
マジュヌーソ
トタルフィナ・エルフ(仏)
60 万 b/d
交渉中
ハフル・ウマル
トタルフィナ・エルフ(仏)
45 万 b/d
交渉中
24 財務省・財務総合政策研究所編、
『ファイナンシャル・レヴュー』
、
「アメリカのイラク攻撃と石油利権の関係について」
、
2003 年 1 月 31 日付。
25 丸紅経済研究所、「イラク攻撃について」、2003 年 1 月 14 日。
22
ハシリヤ
アジップ(伊)
30 万 b/d
交渉中
ハリファヤ
BHP(豪)、CNPC
22.5 万 b/d
交渉中
ラッタウイ
シェル(英蘭)他
20 万 b/d
交渉中
出所: 『選択』2002 年 10 月号
(2)イラク戦争で米英・仏露中の賛否を決めたのは石油利権
イラク戦争に対する強国の賛否の構図は戦争に参加している米国、英国と、反戦の立場を
示したロシア、フランス、中国が対決する様相を見せている。専門家らはこれについて、「フ
セイン政権の下で原油の共同開発権を持っている国(仏・露・中)と、フセイン政権に敵対
的な国(米・英)の間で賛否が明確に分かれている」と指摘している。イラクは約 1,125 億
バレル(世界石油埋蔵量の 11%)の石油埋蔵量(世界 2 位)を持っているが、1972 年、石
油産業を国有化して以降、91 年からフランス、ロシア、中国の企業と原油の共同開発協定を
結んだが、米国、英国の企業には開発権を与えていない。対外経済政策研究院の朴ボクヨン
博士は「フセイン大統領は米国、英国を除く国連安保理常任理事国の企業に対してのみ原油
開発権を与える方法を通じて、米国、英国を牽制してきた」とし、「戦争が終わると、これ
ら 5 大強国が戦争の賛否に対する立場によって相反する利害損得を受ける見通し」と診断し
ている。米英は戦争を勝利に導いた場合、今後、イラクでの原油開発で相当な利益を得られ
る見通しだが、強硬な反戦の立場を示しているロシア、フランス、中国はすでに持っている
イラクの原油開発権など既得権を失う。また、戦争が短期戦で終わり、国際原油価格が下落
すれば、世界最大の石油消費国である米国は最大の恩恵を受けるが、2002 年以降、世界最
大の産油国として登場したロシアは経済的な打撃を被る可能性が大きい。26
(3)石油利権を反米闘争に使ったフセイン政権
フランス、ロシアがイラクの石油利権を得たのは湾岸戦争後である。フセイン政権が米英
と対決する手段の一つとして、フランス、ロシア、中国、マレーシアなどに石油開発権を与
え、味方につけようとしたのだ。その一方で、敵対国米英の石油企業を徹底的に締め出した。
開発契約を結んでも、国連が経済制裁を課しているため事業化は無理だが、世界第二位の埋
蔵量が各国を惹きつけた。
その中でも、大口の契約を取ったのが、フランスのトタル・フィナ・エルフ社やロシアの
ルクオイル社である。トタル・フィナ・エルフ社はイラク南部で推定埋蔵量 200 億バレルと
言われるマジヌーン油田の独占開発権を獲得、さらに埋蔵量 60 億バレルのビン・ウマール
油田の開発権も手中にしている。また、ロシアのルクオイルはロシア石油企業を代表してイ
ラク南部にある埋蔵量 150 億バレルの西クルナ油田の採掘権を獲得したほか、他のロシア企
業も大小の油田 6 箇所以上の掘削権を獲得した。
フランス、ロシアにとって石油利権は国益につながるものであり、外交政策にもそれが反
映している。トタル・フィナ・エルフ社が契約を取ったあと、仏シラク大統領がイラクに対
する石油輸出禁止の解除を主張するようになったのは、その例だ。また、今回のイラク攻撃
26 朝鮮日報記者朴用根(パク・ヨングン)
、「米英・仏露中の賛否を決めたのは石油」、
『朝鮮日報』日本語サイド 2003
年 3 月 23 日。2004 年 12 月 24 日確認
23
前の 2002 年 12 月、フセイン政権がロシアとの石油開発契約を破棄したのも、そのもう1つ
の例である。同政権がロシア政府のブッシュ政権寄りの姿勢に反発して露骨な圧力をかけた
といわれる。27
(4)利権破棄でロシアを牽制したフセイン政権
11 月 8 日、ロシアは安保理でイラクに大量破壊兵器の放棄を要求する決議に賛成した。
そして、ブッシュ政権が武力行使に踏みきれば、それに反対しない柔軟な姿勢を取ると見ら
れていた。また、プーチン大統領は 11 月 22 日、ロシアを訪問したブッシュ大統領とエネル
ギー協力推進の共同声明を出した。この時、ブッシュ大統領はテレビのインタビューに答え
「イラクにあるロシアの利権を尊重する」と述べた。これら一連の動きがイラクの神経を逆
なでしたことは明らかだった。
ブッシュ政権がイラク攻撃の準備に入った 12 月中旬、イラクはロシアのルクオイル社に
手紙を送り、西クルナ油田の契約を解消すると通告した。理由は同社が開発計画を約束通り
に進めていないという内容だが、これは言いがかりで、真の理由は、ロシア政府がブッシュ
政権寄りの姿勢を強めたこと対する牽制であった。
イラクの契約破棄は、ロシア政府が強く抗議した結果、1 月になってイラク政府が取り消
した。その際、イラク側は西部の砂漠地帯にある別の油田の開発契約にも応じてロシア側の
歓心を買った。その後ロシア政府はフランス、ドイツなどとともに安保理で米英主導のイラ
ク攻撃に最後まで反対するなど、ブッシュ政権に一歩距離を置く姿勢を取ることになる。28
(5)米主導の戦後復興に対する各国の態度
石油利権とともに、各国が注目するのが戦後復興への参加である。破壊された石油施設や
道路の復旧、港湾、学校、病院建設など、事業費は 1,000 億ドルを超える。このうち油田の
火災鎮火作業、港湾の浚渫など、軍事作戦と関連する分野はすでに米企業が受注している。
フセイン政権が崩壊し、暫定統治機構が活動を始めれば、こうした米企業の受注はさらに増
えると予想さている。米連邦法が、国際開発局の資金が入るプロジェクトは米企業しか受注
できないと規定しているからだ。外国企業は下請けにまわる以外に参加の方法がないのであ
る。
フランスが米主導の戦後復興に反対し、国連主導を主張する、もう一つの理由がここにあ
る。フランスは第二次大戦後、イラクとの経済関係を深め、電話設備、空港、港湾など多く
の建設に参加したほか、自動車輸出などでも圧倒的なシェアーを維持している。経済会には
イラクのビジネスから締め出されるとの危機感があり、業界側が政府に強い要求を出すこと
になるだろう。
一方、戦後復興で苦しい立場にある点では、イギリスのブレア首相も同じだ。同首相は、
与党労働党内の反対を押し切って、イラク攻撃に 4 万の英軍を派遣し、米軍と共同作戦を実
施しているが、戦後復興は共同ではない。米国同時多発テロ事件では、現場の復旧作業に参
加したが、今回は参加の見通しは立たない。ブレア首相が戦後復興について、国連安保理の
27 NHK特派員、解説委員持田直武、
『国際ニュース分析』
、「イラク攻撃、同時進行の石油戦争」
http://www.mochida.net/29k-2003 年 4 月 2日。2004 年 12 月 24 日確認
28 同上
24
決議のもとで進めるべきだと主張し、戦後復興では、ブッシュ政権に距離を置くのはこのよ
うな事情を反映している。29
第3節
中東紛争とタリバン政権の誕生と崩壊
ここまではイラク戦争に至った経緯と石油利権の思惑による各国のイラク戦争、復興スタ
ンスの違いを述べてきたが、この節ではイスラム原理主義とソ連(ロシア)のアフガン侵攻
がもたらしたイスラム社会への影響とタリバン政権の誕生、崩壊、クルド人独立運動と国際
社会の対応を取り上げイラクテロ活動との関係について検証してみることにする。
3-1
イスラム原理主義の台頭
西欧的な近代化を堕落ととらえ、ムハンマド(=マホメット)の原点に立ち返ろうとする
イスラムの運動を、イスラム原理主義運動と言う。1979 年のイラン・イスラム革命を契機
に、イスラム諸国で勃興した。アルジェリアの「イスラム救国戦線」、レバノンの「ヒズボ
ラ」、パレスチナの「ハマス」、アフガニスタンの「タリバン」などは、その代表例である。
現在では,アメリカ同時多発テロのように、イスラム原理主義の過激派組織がテロ活動を
活発化させており,世界各地で被害者が生まれている。
近年では,イスラム原理主義が旧ソ連の中央アジア地域へ急速に浸透している。日本も、
タジキスタンにおける秋野豊氏射殺事件(1997 年)やキルギスの日本人技師人質事件(1999
年)などで、これに深く関わっている。30
3-2
ソ連のアフガン侵攻
1979 年 12 月、ソ連軍のアフガニスタン侵攻が敢行され、現地に傀儡(かいらい)の共産
主義政権が誕生した。これに対して、アフガニスタン国内ではムジャヒディン(=聖戦を行
う人々)と呼ばれるゲリラ勢力が立ち上がり、また西側諸国は経済制裁やモスクワ五輪ボイ
コット(イギリス等は参加したが入場行進をボイコット)でソ連に抗議した。ソ連軍はその
後も約 10 年にわたってアフガニスタンに駐留したが,山岳地帯での戦闘にてこずり、多く
の犠牲者を出した。そこで,1988 年 4 月,ソ連はアフガニスタン和平協定に調印して軍隊
の撤退を開始し、まもなく現地の共産主義政権は崩壊した。31
3-3
タリバン政権の誕生と崩壊
ソ連の撤退後、今度は勝利を勝ち取ったムジャヒディン諸派の間で仲間割れが起こり、ア
フガニスタンは再び内戦状態に陥いった。そうしたなか、隣国パキスタンの支持も得て台頭
してきたのが、イスラム原理主義を主張する神学生組織のタリバンであった。タリバンはム
ジャヒディン勢力を各地で打ち破り、最終的には国土の大半を実効的に支配するまでに成長
29 NHK特派員、解説委員持田直武、
『国際ニュース分析』
、「イラク攻撃、同時進行の石油戦争」
http://www.mochida.net/29k-2003 年 4 月 2日。 2004 年 12 月 24 日確認
30 公務員試験に出る行政系ニュース、
『地域紛争のまとめ』
、「イスラム原理主義」
。
http://homepage1.nifty.com/yk/conflict/islam.htm
2005 年 1 月 13日確認。
31 公務員試験に出る行政系ニュース、
『地域紛争のまとめ』
、「アフガニスタン情勢」
。
http://homepage1.nifty.com/yk/conflict/afgan.htm
2005 年 1 月 13日確認。
25
した。しかし、2001 年 9 月にアメリカ合衆国で同時多発テロが発生すると、アメリカ政府
はテロ組織アルカーイダの指導者であるオサマ・ビン・ラーディンをその首謀者と断定し、
ビン・ラーディンをかくまっているタリバン政権を批判した。そして、2001 年 10 月、アメ
リカ、イギリス両軍によるタリバン政権への攻撃が開始され、翌 11 月には北部同盟(=反
タリバンで再結束したムジャヒディン勢力)がカブールを制圧した。これによってタリバン
政権は崩壊した。
2001 年 12 月、各派の代表者間で成立したボン合意を受けて、カルザイ議長を代表者とす
る暫定行政統治機構が発足した。カルザイ議長は多数民族のパシュトゥーン人であり、少数
民族のタジク人を中心とする北部同盟をうまく抑えながら、内外の強い支持を得ることに成
功した。また、2002 年 6 月には緊急ロヤ・ジルガが開かれ、カルザイ議長を大統領とする
移行政権が発足した。
アフガニスタンは多民族国家であり、その構成はパシュトゥーン人(約 43%)、タジク人
(約 24%)、ハザラ人(約 6%)、ウズベク人(約 5%)等となっている。各民族は互いに
対立を続けているため、今後、同国に安定政権が継続するかどうかは不安視されている。32
3-4
クルド人の独立運動
クルド人は、イラン、イラク、シリア、トルコ、アルメニア、アゼルバイジャンの6か国
にまたがって生活している半遊牧民族で、その大半はスンニ派イスラム教徒である。第1次
世界大戦後、オスマン・トルコを解体していく過程で、イギリスなどの列強はクルディスタ
ン(=クルド人国家)の独立を一度は約束したが、まもなくその約束は反故(ほご)にされ、
結局、クルド人国家が誕生することはなかった。現在では、クルド人の生活圏を分断する形
で各国の国境線が引かれており、クルド人はそれぞれの国内で少数派民族として虐げられて
いる(「世界最大の少数民族」)。そうした事情から、クルド人は各国で分離・独立運動を
盛んに展開している。なかでもトルコにおける分離・独立運動は盛んで、クルディスタン労
働者党(PKK)を中心に、これまで激しい武力闘争が繰り広げられてきた。ただし,1999
年 2 月にはオジャラン党首が逮捕され、その後、国内で死刑判決が下されたことから、運動
は大きな打撃を被った(その後、人権問題を懸念するEUに配慮して、オジャラン氏は終身
刑に減刑)。
クルド人勢力は、かならずしも一枚岩の団結を誇っているわけではない。たとえば,1996
年 8 月にはクルディスタン民主党(KDP)がイラク政府に支援を要請し、クルド愛国同盟
(PUK)の拠点を攻撃させるという事件が勃発した。その後、アメリカの仲介でKDPと
PUKの代表者が和解に合意し、2002 年 10 月には停戦合意が公式に成立したが、主導権争
いを契機に紛争が再発する可能性もある。33
32 公務員試験に出る行政系ニュース、
『地域紛争のまとめ』
、「アフガニスタン情勢」
。
http://homepage1.nifty.com/yk/conflict/afgan.htm
2005 年 1 月 13日確認。
33 松本弘、
「クルド人とシーア派」
、日本国際問題研究所『特集イラク戦争』
、2003 年 3 月 22 日。
26
以上のように西欧社会とイスラム社会との主義主張の違いから生れたイスラム原理主義
運動を背景にテロ活動が活発化してきており、近年では中央アジア地域に急速に浸透してい
る。民族間の主導権争いや独立運動も見逃してはいけないポイントである。
第4節
パレスチナ・イスラエル紛争
4-1
中東和平をめぐる最近の動き(2003.4~)34
2003.04.30
06.04
06.09
06.29
中東和平ロード・マップ発表
ブッシュ大統領とシャロン、アッバース両首相がヨルダン・アカバで会談。イスラエ
ルへの武装闘争放棄、パレスチナ国家容認などを宣言
イスラエル軍が違法入植地の撤去作業を開始
ハマスとイスラム聖戦が武力攻撃停止を発表。イスラエル軍がガザ自治区の一部から
撤退開始
08.21
イスラエル軍がガザ自治区を攻撃、ハマスの最高幹部アブシャナブ氏ら 3 人を殺害
09.06
イスラエル軍がガザ爆撃、ヤシン師負傷
09.11
イスラエル政府、連続テロを受け、アラファート議長の追放決定
2004.03.07
03.14
イスラエル軍、ガザ中部の難民キャンプに侵攻、14 人死亡
イスラエル南部アシュドッドでハマスなどによる連続自爆テロ、イスラエル人 11 人
死亡
03.22
ハマスの精神的指導者ヤシン師、イスラエル軍に殺害される
04.14
シャロン首相、ヨルダン川西岸入植地の維持表明。ブッシュ大統領が容認
04.17
ヤシン師後継のハマス最高指導者ランティシ氏、イスラエル軍に殺害される
出所:朝日新聞 asahi.com:ニュース特集より筆者作成
4-2
パレスチナ和平
(1)ロード・マップ
4 月 30 日、アメリカ合州国、ロシア、EU、国連の「四者」による「イスラエル・パレ
スチナ紛争を二つの国家という枠組みで恒久的に解決するための、具体的な達成目標に基づ
いた行程表」(以下、ロード・マップ)が、イスラエル国家とパレスチナ暫定自治政府の両
者に対して正式に提示された。それは米帝国主義がパレスチナ人民に強いる、圧倒的にイス
ラエル優位の「共存」策であった。
安保理決議 1397 号では、「〔国連安保理は〕テロや挑発、煽動そして破壊という暴力行
為のすべてを直ちに停止するよう、要求する」という一節が入っているし、そのためにイス
ラエルとパレスチナの指導者たちは協力すべき、とされている。また、ロード・マップの前
文は、「イスラエル・パレスチナ紛争に対する二つの国家という解決策は、パレスチナ人た
ちが、寛容さと自由を基礎とした実際的な民主主義を打ち立てようとする意志を持ち、断固
としてテロに立ち向かってゆく、そうした指導部を手にした時点での暴力とテロリズムの終
34 朝日新聞asahi.com:ニュース特集より抜粋http://www.asahi.com/special/MiddleEast/
2005 年 1 月 13 日確認。
27
結を通じて、また民主的なパレスチナ国家の建設に向けて必要とされる事柄をイスラエルが
実行する準備を整えることを通じて、さらには交渉の上での解決という目標を両者が明確に、
かつ疑いの余地なく受け入れることを通じて、初めて達成されるだろう」とより明快な内容
だ。
ここでの重要なポイントは、実は「テロ」の停止なのだ。つまり、昨年以降のイスラエル
による徹底的な国家テロの強化と継続、そして米国の対イラク戦争準備の過程における、イ
スラエルと米国からのパレスチナ側に対する二つの要求――テロの抑止と指導部の「民主的
改革」という要求――にパレスチナ側が全面的に従うことこそが、この「二つの国家という
解決策」の前提とされているのだ。だから、このロード・マップは、今回の対イラク開戦に
先立って米ブッシュがぶち上げた「中東地域全体の民主化」構想の一環として明確に位置付
けられていると、そのように見ておく必要があると考える。
(2)「達成目標」のアンバランス
ロード・マップの「第一段階」(今年 5 月まで)は「第一段階においてパレスチナ人たち
は・・・・無条件の暴力停止を直ちに実行する」とされている一方で、「イスラエルは、安全保
障の実現と協力関係の前進に伴って、2000 年 9 月 28 日以降に占領したパレスチナの諸地域
から撤退し、また両者は、その時点までの状況に復帰する」という内容だ。
パレスチナ側は無条件・直ちに暴力を停止することが求められており、一方のイスラエル
側は、その状況を見ながら撤退してゆけばよいとされている。「両者」に提示された「達成
目標」のアンバランスは覆い隠しようもない。
(3)「第二段階」でのポイント
「第二段階」(今年 6 月から 12 月まで)でのポイントは、パレスチナの経済復興を支援
するために「四者」が主催する国際会議だろう。この会議で、「アラブ諸国は、インティフ
ァーダ以前のイスラエルとの関係(通商事務所などの)を再構築する」、また「この地域の
水資源、環境問題、経済開発、難民問題、そして軍縮などを含む諸テーマについての国際的
な関与を復活させる」という内容だ。
これは、パレスチナ側に対しては「テロを止めたら、経済支援をくれてやる」という「サ
インの再確認」であり、一方では中東地域における軍事的・経済的な強国でありながら、し
かし現在は深刻な不況に陥っているイスラエルを、再び中東地域で「グローバル化」させて
ゆこうとするプロセス35に復帰させようとする救済策でもあるのではないだろうか。
(4)恒久的地位の交渉について
「第三段階」(2004 年から 2005 年)でのポイントは、もちろん国境線の確定、エルサレ
ム問題、難民問題、入植地問題などを含む、いわゆる「恒久的な地位の交渉」だ。これらは、
オスロ和平プロセスでの抜き差しならない中心的な諸問題であり、2000 年夏の「キャンプ・
デーヴィッド2」長期交渉においても最終的に合意できなかった諸問題であった。
35「中東和平プロセス∕イスラエルのグローバル化と『九・一一』
」、
『ピープルズ・プラン』第十七号⁄2002 年 1 月 31 日
発行。
28
4-3
イスラエル分離フェンス
イスラエルは、テロリストがパレスチナ自治区から流入するのを防ぐ為に、ヨルダン川西
岸に全長およそ 350 ㎞にも及ぶ分離フェンスを一方的に建設している。分離フェンスはパレ
スチナ自治区内に大きく食い込む形で建設されており、分離フェンスにより人や物資の流通
は遮断され、パレスチナ人が不用意に近づき射殺される事件も起こっている。まさに、”第
2 のベルリンの壁”となりかけている。
この分離フェンスはパレスチナ人にとって多大な被害を与えている。分離フェンスの最初
の 180 キロの区間だけで、7 万人が農場、市場、学校、役所に行けない状態となっており、
また、パレスチナの主要農産物でもあるオリーブの木 6 万 5,000 本余りが除去されたほか、
農場の多くが整地され、元来少ない水源も枯渇の危機に瀕している。
このような事態に、パレスチナ紛争を討議する国連緊急特別総会が 12 月 8 日開かれ、イ
スラエルがパレスチナ過激派阻止のためヨルダン川西岸に建設を続けている分離フェンス
について、国際司法裁判所に勧告的意見を求める決議を賛成多数で採択した。90 カ国が賛成
したものの、イスラエル、米国など 8 カ国が反対し、日本はじめ 74 カ国が棄権に回った。
国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)も同月 19 日、ヨルダン川西岸にイスラエル
が建設中の「分離フェンス」の合法性について「勧告的意見」を出すため、来年 2 月 23 日
から審理を開始すると発表した。しかし、肝心なイスラエル・アメリカが決議に反対してい
るので、分離フェンス建設を止めることはできないと思われる。
分離フェンスの国連決議反対でも分かるように、アメリカは明らかにイスラエルよりの立
場をとっている。それはイスラエル建国当初からで、1947 年 11 月 29 日のパレスチナの分
割を規定する国連決議第 181 号もアメリカの意向が含まれたものであったし、第4次中東戦
争で窮地に追い込まれたイスラエルに、武器や弾薬を支援したのもアメリカであった。アメ
リカが、そのようにイスラエルより立場をとり続けるのは、国内に多数のユダヤ人を抱えて
いるからに他ならない。36
このまま分離フェンスが完成してしまえば、イスラエルは『暫定的な安全保障ライン』と
主張しつづけ、事実上、分離フェンスを国境線扱いすると思われる。そうすれば、パレスチ
ナは遮断され、パレスチナの人々の生活は今以上に困窮するであろう。分離フェンスは確か
にテロを抑える効果はあるかもしれないが、その代わりに、パレスチナ人の暮らしを圧迫す
ることになる。人々の不平・不満は増大し、「聖戦」を唱える外国アラブ人らは国境を越え
て続々と「反米テロの実験場」であるイラクへ流入していく。彼らを突き動かしているのは、
パレスチナ問題などをめぐる「シオニスト」の不正と、米国のダブル・スタンダードに対す
る怒りだ。彼らは死を恐れないばかりか、自爆テロで天国へ行くことはむしろ本望なのだ。
中東の地が一触即発の火薬庫であることは今も変わらない。
36 興津剛、
「イスラエル・パレスチナ問題」
、2003 年 1 月 11 日、
中東時事研究。
http://www3.ocn.ne.jp/~d063yxbe/ ,http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/ME/map.htm
2005 年 1 月 13 日確認。
29
第四章 結論 イラクでのテロ攻撃に対する政策
第一章、第二章の事実認識に基づいて、第三章ではイラクが今日の状況になった背景と原
因を掘り下げてきた。この章ではイラク戦争に対する国際社会の見解とイラクの戦後復興の
現状、国連の果す役割、テロ攻撃に対する政策について述べたい。
第1節
イラク戦争に対する国際社会の見解
国際社会はイラク戦争開戦については批判的である。イラク戦争がテロの活発化とイスラ
ム社会の反感を招いたと考えている。
1-1
イラク戦争に対して
(1)仏大統領「イラク戦争でテロ活発化、世界は危険に」
フランスのシラク大統領は 18 日からの英国公式訪問を前に英BBC放送とのインタビュ
ーに応じ、イラク戦争はテロの活発化や多くの国でイスラム教徒らの反発を招き「世界をよ
り危険にした。安全になったという確信はまったくない」と述べた。BBCが 17 日、一部
を放映した。
シラク大統領は、イラクのフセイン政権の打倒は評価したが、戦争がテロ増加の原因のひ
とつになっていることは間違いないと指摘した。37
(2)イラク開戦は判断ミス・パキスタン大統領が米大統領批判
パキスタンのムシャラフ大統領は 5 日に放映された米CNNテレビとのインタビューで、
イラク戦争の開戦決定はブッシュ米大統領の判断ミスだとの認識を示した。同戦争はブッシ
ュ氏の誤りだったかとの問いに「結果的には、そうだ」と答えている。
ムシャラフ氏は、フセイン政権が打倒されたにもかかわらず「世界は(以前に比べ)安全
でなくなった」と指摘。一方で、治安が泥沼化している現状では、イラクから米軍など多国
籍軍は撤退すべきでないとの考えを示した。
ムシャラフ氏は 9 月にもイラク戦争について「結果的に、より多くの混乱を世界にもたら
した」などと批判している。38
1-2 イラクの大量破壊兵器開発疑惑について
(1)イラク、核計画の証拠なし・米調査団が最終結論を出した。
イラクで大量破壊兵器の捜索に当たっていた米調査団(団長、チャールズ・ドルファー中
央情報局=CIA=特別顧問)は 6 日、昨年春の対イラク開戦時に、同国に大量破壊兵器は
存在しなかったとの最終結論を明記した報告書を発表した。核兵器計画が進行していた事実
もなかったと結論づけた。
ブッシュ政権はフセイン旧イラク政権による「大量破壊兵器の存在」を大義名分にイラク
攻撃に踏み切った。米政権が誤った分析に基づいて開戦を決断した事実が公式に裏付けられ
37 日本経済新聞社HP:nikkeinet特集「イラク情勢」
、2004 年 11 月 17 日記事より。
http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt57/20041207SSXKC001107122004.html
2005 年 1 月 13日確認.
38 日本経済新聞社HP:nikkeinet特集「イラク情勢」
、2004 年 12 月 6 日記事より。
http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt57/20041117AS3K1701T17112004.html
2005 年 1 月 13日確認.
30
たことになり、11 月 2 日の大統領選に向けた論戦にも一定の影響を及ぼしそうだ。報告書は
フセイン旧政権について(1)国連制裁が解除された場合、大量破壊兵器を再び製造できる能
力を保持したいと望んでいた(2)化学兵器の製造を再開する条件は整っていた(3)射程距離
400~1000 ㎞の長距離弾道ミサイルなどの製造計画があった――とも指摘。フセイン旧政権
の「脅威」を主張するブッシュ政権にも一定の理解を示した。39
(2)米大統領「イラクに大量破壊兵器なかった」と認めた
ブッシュ米大統領は 7 日、「イラクには大量破壊兵器(WMD)がなかったことが確認さ
れた」と語り、イラク戦争の大義名分となったWMDが存在しなかったことを明確に認めた。
WMDもその製造能力もなかったと結論づけたドルファー調査団の最終報告書を踏まえ「わ
れわれや同盟国が(湾岸戦争後)12 年間蓄積した情報が間違っていたことが明らかになった」
と述べた。
大統領はその一方で、報告書がサダム・フセイン元大統領による国連の石油食料交換計画
の悪用に触れていることをとらえ「サダムは組織的に不正行為をしていた。制裁を無効にす
るため石油食料交換計画を利用し各国や企業を動かそうとしていた」と批判した。イラク戦
争については「正しかったと信じている。米国は安全になった」と改めて主張した。チェイ
ニー副大統領はフセイン元大統領の狙いは制裁の撤廃にあったとし「制裁が撤廃された瞬間、
兵器製造計画に戻る意思があった」と決めつけた。40
以上のことから、イラク戦争開戦はアメリカを中心とした同盟国の情報認識の誤りであり、
石油利権が戦争のもうひとつの理由であることが明らかになったといえる。加えて、イラク
戦争が原因となってテロの活発化と多くの国でイスラム教徒らの反発を招き世界がより危
険になってしまった。
第2節
2-1
イラクの戦後と戦後復興の現状
イラク戦争終結とクルド人自治の今後
イラク戦争が終結し、アメリカの対イラク戦略の重点課題は、表向き戦後復興と新政権樹
立へと移行した。懸念されていたトルコ軍の北イラクへの介入も、本格的な軍事侵攻の段階
には至らず、またイラク軍による大規模な攻撃も行われず、南クルディスタンはほぼ平静を
保つことができている。
クルド人勢力は、開戦前から独立国家樹立を目指していないと繰り返し主張してきた。そ
して、この姿勢を崩さないことで、トルコ軍の侵攻を防いできた。これに関して、KDPの
バルザーニ議長は、先月末トルコのギュル外相宛に、トルコ軍が北イラクへ介入しなかった
事に関する謝意の書簡を送っている。
またバルザーニ議長は、石油利権の絡む焦点とされているキルクークについて、「キルク
ークはクルディスタンに属す地域である。しかし、同時にイラクという国家に属す地域でも
ある」と述べ、キルクークがクルディスタンの一部であるとしながらも、今後もクルド人が
39『日本経済新聞』2004 年 10 月 7 日夕刊 2 面
40『日本経済新聞』2004 年 10 月8日夕刊 2 面
31
支配する意図はないことを強調している。さらに、クルド人部隊を、新制イラク軍に合流さ
せることも表明している。41
今後クルド人は、連邦制イラクの新政権下で自治の維持、拡大を目指すことになるが、新
しいイラクの国家像がまだ明確に見えてこない以上、クルド人に安定した自治が保障される
かどうかは定かではない。
もしこれが実現されない方向へ向かうことになれば、クルド人側の政策変更、そしてそれ
に対する周辺国の介入という展開も、可能性としては十分考えられる。
2-2
戦後イラクの現実
(1)反体制組織と近隣諸国
戦後のイラクは国家的統合を保てるだろうか。近隣諸国はどう考えているのだろうか。
イラクの近隣諸国の多くは、アメリカが侵攻すれば、イラクは分裂して統一国家の体裁を
なさなくなると考えている。トルコは、イラクのクルド人の自治権がこれ以上高まれば、国
内少数派であるクルド人がクルド国家樹立の野心をもつようになるかもしれないと懸念し
ている。
またアラブ諸国の多くは、イランが、イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)を
通じて、イラクの多数派であるシーア派への影響力を強化していくのではないかと心配して
いる。さらに、イラク反体派間のライバル意識や反目もあるため、反体制派がサダム後のイ
ラクでうまく権力を分有できるかどうかも心配されている。
(2)イラクの反体制組織
主要な反体制組織は 6 つあり、各集団の民族、宗教、政治的立場にばらつきがみられる。
次に指摘する六つはすべて、アメリカ政府が公式に反体制組織として認めており、1998 年
のイラク解放法に基づき、アメリカの支援を受けられる立場にある。この他にも、数十の反
体制組織が存在する。
•
イラク国民会議(INC)
アハマド・チャラビ議長率いるINCは、1992 年に設立され、現在はロンドンに拠
点を置いている。さまざまな宗教・民族からなる反体制組織を内に抱えている。こ
の組織はイラク国内ではほとんど支持基盤をもっていないが、ブッシュ政権の一部
は、この組織をイラクの民主主義を促進するための格好の集団とみなし、INCを
支持している。
•
イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)
イラクのシーア派の反体制組織の一派であるSCIRIは、現在イランで暮らすシ
ーア派亡命勢力で構成されている(イラクの社会集団の多数派はシーア派)。数千名
の武装反政府勢力を擁していると言われる。
•
クルド民主党(KDP)
41『クルド人問題研究』
、
「クルド人問題とは」、管理人大倉 幸宏。
http://www1.odn.ne.jp/~cbq97680/news.htm
2005 年 1 月 13日確認。
32
主要なクルド人反政府勢力の二つのうちの一つであるKDPを率いるのはマスー
ド・バルザイ。イラク北西部にあり、トルコと国境を接するクルド自治区に本拠地
を置く。KDPは二万五千名の兵士をもっていると言われる(イラクの軍事力は 38
万)。KDPはトルコ国境から流れ込んでくる密輸品関税から一日ほぼ 50 万ドルを
手にしていると言われる。
•
クルド愛国同盟(PUK)
もう一つのクルド人反体制組織・クルド愛国同盟は政治的リーダーシップ、闇取引
からの取り分をめぐってKDPと長く対立してきたが、最近この二つの組織は和解
した。ジャラール・タラバーニ率いるPUKは、イランと国境を接するクルド自治
区南部に拠点を置き、一万五千人の武装勢力をもっている。
•
イラク国民合意(INA)
INAはおもに、バース党のイラク軍、安全保障部隊の元兵士たちによって構成さ
れている。専門家の一部は、ヨルダンのアンマンに拠点をもつこの組織はCIAと
関係しているとみている。
•
立憲君主運動
ロンドンに拠点を置き、イラクの王政復古運動を展開している。指導者はシャリフ・
アリビン・アルフセイン。彼は、1921 年以降、1958 年に軍事革命が起きるまで、
イギリスの後ろ盾を得てイラクを統治してきたハシム家の子孫。
(4)反体制組織の目的について
反体制組織は同じ目的を共有していたのだろうか。彼らはすべてサダム・フセインを打倒
したいと考えていた。しかし、サダム後のイラク政府の民族的構成、あるいは戦後イラクを
世俗的な国家とするか、イスラム的国家とするかなどをめぐって、これまで長く対立してお
り、専門家の多くは、こうした集団間の対立は解消されないとみている。
ブッシュ政権は、これら反体制組織に対して共闘路線をとるように働きかけた。2002 年 8
月にイラク反体制派会議(グループ・オブ・シックス)がワシントンで開催され、サダム後
のイラクで民主的な政府をつくることが宣言された。これを基盤に、2002 年 12 月にロンド
ンで再び会議が催され、300 人を超えるイラク人の反体制指導者が議会制、連邦制に基づく
民主的なイラクの政府樹立を目的とすることに合意した。4 日間の会議の締めくくりとして、
彼らは主要な反体制組織と小規模の集団の 65 名の代表からなる委員会を組織した。42
第3節
国際社会の復興支援と多国籍軍
3-1
戦後統治の行方
イラクの戦後統治に関して、やがて米国と国際社会の間に大きな議論が生じることになる。
戦後のイラク復興については、今年 1 月に CSIS が国連安保理により任命される暫定統治
官による統治を、外交評議会が米国政府により任命される文民のイラク調整官による統治と
42 FOREIGN
AFFAIRS JAPAN「戦後イラクの現実 反体制組織と近隣諸国」
、朝日新聞社、2004 年 6 月。
http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/Iraq/aftermath.htm2005 年 1 月 13日確認。
33
国連により監督されるイラク暫定政府を、それぞれ提言した。
ところが、開戦直後から英仏などが、戦後のイラク復興は国連を中心とする国際協調で行
なうべきとする発言を行い、3 月 21 日にブリュッセルで開催されたEU首脳会議でも、国連
を中心として危機に対処することが合意された。同日の日米首脳電話会談でも、小泉首相が
国際協調による復興を申し入れている。無論、人道支援や復興支援を国際協調で行ない、暫
定統治は米軍が行なうという展開は、多分にありうる。しかし、米軍による占領統治が、仏
独ロ中の政府により反対されたり、国際社会の反発を買ったりする事態が生じる可能性は大
きい。そうなれば、米政府が見送った国連の関与する暫定統治という案が、安保理その他の
場面で再び議論されることになろう。そして、そのような状況には、現在の米英と仏独ロ中
との対立をより深めてしまう危険性と、両者の関係修復の大きな契機となる可能性の双方が
存在する。43
3-2
戦後イラクにおける国連の役割
(1)イラクにおける国連の役割
すでに人道支援面では大きな役割を果たしている。国連機関は、4 月以降、すでに百万ト
ンの食料と数百万リットルの水をイラク市民に供給している。国連はアメリカ主導型の暫定
統治機構内での政治的権限を持っていないが、専門家によれば、イラク担当の国連代表セル
ジオ・ヴィエイラ・デ・メロは、イラク統治面での国連関与の幅を広げることで、国連の政
治的役割を慎重に拡大させている。
(2)国連のイラクでの役割規定
国連安保理決議 1483 号で国連のイラクでの役割が規定されている。5 月 22 日に全会一致
で採択されたこの決議(シリアは採決を棄権した)は、米国主導型のイラク占領を正統化し、
アメリカと、イラク戦争に反対したフランス、ドイツ、ロシアとの対立を緩和させる役目を
果たした。ただし、ブッシュ政権が、戦後イラクにおいて国連が大きな役割を果たすことに
反対したため、決議文では国連の役割は曖昧にしか規定されていない。
(3)安保理決議 1483 号
安保理決議 1483 号は国連にどのような任務を与えているだろうか。国連特別代表(デ・
メロ)の任務は、アメリカ当局によるイラクに民主的政府を樹立させる試みをめぐって「密
接に連携し」、人道支援を「調整し」、イラクのインフラ再建や人権の擁護を「促進し」、イ
ラク支援に向けた国際協調を「働きかける」とされている。
また、2003 年 10 月までは「食糧と石油の交換プログラム」も国連が管理する。このプロ
グラムの下で、イラクは食料、医薬品、その他の人道物資の購入費用にあてるための石油輸
出を認められている。2003 年のイラク戦争前は、イラク市民の 60%がこのプログラムによ
って調達される食料に依存していた。44
43 松本弘、
「戦後統治の行方」、 日本国際問題研究所(JIIA)、『特集:イラク戦争』
、2004 年 3 月 22 日。
http://www.jiia.or.jp/report/us_iraq/governance.html
2005 年 1 月 13日確認。
44 FOREIGN
AFFAIRS JAPAN「戦後イラクにおける国連の役割」
、朝日新聞社、2003 年 7 月 3 日。
http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/Iraq/unrole_postwar.htm 2005 年 1 月 13日確認。
34
3-3
戦後イラクに関する国連安保理決議
(1)新しい国連安保理決議
アメリカはなぜイラクに関する新しい国連安保理決議を取り付けようとしているのか。
イラク占領に伴う米兵の犠牲者と占領コストが、当初ワシントンが想定したものよりもはる
かに大きくなってきているからだ。米議会予算局が 9 月 3 日に公表したリポートは、現在の
占領レベルを維持すれば、2004 年 3 月までには、米陸軍はイラクでの活動にあたる現役部
隊を提供できなくなると指摘している。パウエル国務長官が安保理に提出した決議案には、
イラクにおける国連の権限を強化することが盛り込まれている。これまでアメリカ主導型の
占領統治に参加することに乗り気でなかった諸国も、これによって部隊と資金を提供するよ
うになる可能性もでてくる。
(2)イラク占領に必要なコスト
ウォール・ストリート・ジャーナル紙によれば、アメリカの軍事プレゼンスを維持してい
くには、一週間で 10 億ドル、この先一年間で 500 億ドルの資金が必要になる。政府は 2003
年 3 月に議会に対して、イラクでの戦争の費用として 700 億ドル、戦後における国家再建活
動の初期コストとして 25 億ドルを拠出するように要請し、議会もこれを認めた。報道によ
れば、現在ブッシュ政権は、しだいに脹れあがりつつある占領と再建のコストを賄うために、
さらに 600 億~700 億ドルの追加予算を求めているようだ。
ペンタゴンは、油井の修復だけに、すでに 7 億 5 千万ドルの資金を投入している。イラク
の文民行政官ポール・ブレマーは、電力システムの修復に年間 20 億ドル、安全な飲料水を
供給するのに年間 40 億ドルが必要になると語っている。イラク戦前に発表されたCFRの
戦後イラクに関するタスクフォース・リポートは、イラクの再建コストは数年間にわたって
毎年 200 億ドルが必要になると試算していたが、戦後イラクでの後方攪乱、略奪行為が起き
ていることを踏まえて、この数字は、いまとなっては控え目の数字になったとみている。
(3)再建コスト、占領コストの負担
現在のところ、アメリカの納税者がほとんどのコストを負担している。安保理の他のメン
バー国が、イラク占領及びイラクでの国連の役割の拡大を承認する決議案に合意すれば、他
の諸国の戦後イラクでの活動への参加も進むだろう。10 月にスペインで拠出国会議が開かれ
る予定だが、アメリカの高官は、これに先駆けて各国に支援を求めてきた。イラクの豊かな
石油資源の売却によって、最終的には、イラクの再建、近代化のコストの一部が調達される
ことになるだろう。
(4)新たな決議案の内容
新たな決議案はどのような内容になるだろうか。報道によれば、すでに配布されている草
案では、イラクで国連が政治・経済領域での再建をめぐってかなりの役割を引き受けること、
アメリカの指揮統制の下での多国籍部隊の導入などが想定されているようだ。さらに決議は、
イラクの統治評議会が、憲法制定、選挙、そして外国駐留軍の撤退とイラクの主権回復まで
の日程表をつくるように求めることになるだろう。
(5)安保理と新決議の採択
35
条文の詳細はまだ議論されている段階だが、かなりの確度で採択されると予想される。国
際平和アカデミーのエインシーダルは次のように指摘する「アメリカが新たな安保理決議を
求めていること自体、安保理がいかに重要な存在であるかを示している。アメリカは、イラ
クとの戦争を単独で始められたかもしれないが、現在の泥沼から抜け出すには、国連の助け
を必要としている」。
(6)決議の採択における他の諸国の条件
他の諸国は、決議の採択にどのような条件をつけるだろうか。イラク戦争に反対したフラ
ンス、ドイツ、ロシアはイラクの主権回復と、政治権限をイラク民衆に戻すことを口にして
いる。フランスのシラク大統領は、9 月 4 日のシュレーダー独首相との共同記者会見で、新
決議の主要な目的は、「今後誕生するイラク政府に、可能な限り早く、政治的な責任を委譲
することでなければならない」と語っている。多くの諸国は、アメリカ主導の暫定占領当局
(CPA)が正統性を持っているかどうか、疑問に感じている。こうした諸国はイラクの暫
定統治権をCPAから、国連の監視下にある国際的に承認された政府に移すことを求めてい
る。そうした新政府が、イラクの安定化、再建任務の多くをCPAから引き継ぎ、選挙実施
に向けた日程や、再建プロジェクトの契約の管理を担うようになることを期待している。
(7)国連の多国籍部隊の活動承認と参加国
国連がイラクでの多国籍部隊の活動を承認するとして、どのような国が部隊を送り込むこ
とになるだろうか。インド、パキスタン、日本、トルコを含むさまざまな国が部隊を派遣す
ることになるだろう。インドはすでに 17,000 人規模の部隊を送り込むことを提案している。
あるドイツの外交官はプライベートな場で「これから一年後にドイツの部隊がイラクで活動
しているとしても、私は驚かない」と語っている。バーレーンなどの一部のアラブ諸国も、
部隊の派遣に前向きになってきている。アラブの部隊なら、アメリカの部隊に比べて、イラ
ク人がより温かく迎える可能性もあるのではないだろうか。45
3-4
多国籍軍
現在イラクに駐留している 36 カ国の連合軍は、暫定政府の発足と同時に国連決議に基づ
く多国籍軍に移行。治安維持の直接の責任はイラク側に移る。すでに駐留米軍は、バグダッ
ドにある連合軍司令部を、5 月 15 日に「イラク多国籍軍」などの組織に移行ずみ。駐留期
限は新憲法下で正式政府が樹立される 2005 年いっぱいだが、正式政府の要請によって駐留
延長は可能とされる。来年末までに行われる選挙に向けての国連要員の警備も、多国籍軍の
重要な任務になる。46米NBCテレビは 6 日、米陸軍幹部が 30 日のイラク国民議会選挙に
備え、15 万人態勢に増強されている駐留米軍の規模が、向こう 4、5 年程度は維持されると
の見通しを語ったと伝えている。47
45 FOREIGN
AFFAIRS JAPAN「戦後イラクに関する国連安保理決議」
、朝日新聞社、2003 年 9 月 5 日。
http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/Iraq/SCR.htm 2005 年 1 月 13日確認。
46『産経新聞』2004 年6月 29 日朝刊 1.2.3.4.5 面
47 共同通信HP:イラク情勢 http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/iraq4/(2005/1/6)2005/01/16 確認。
36
第4節
4-1
イラクでのテロ防止と再建に向けた政策
テロ防止とイラク再建
(1)連合暫定施政当局(CPA:Coalition Provisional Authority)による施政
48
(i)2003 年 5 月 22 日に採択された安保理決議 1438 は、安保占領軍としての米英の特別
の権限を認識し、「当局」(米英の統合された司令部)は国際的に承認された代表政府がイ
ラク国民により樹立され、
「当局」の責務を引き継ぐまでの間、権限を行使するとした。同
決議は「当局」に対し、安全で安定した状態の回復及びイラク国民が自らの政治的将来を
自由に決定できる状態の創出に向けて努力することを含め、領土の実効的な施政を通じて
イラク国民の福祉を増進することを要請している。
(ii)現在、CPA が同決議に言及されている「当局」を構成する機関として活動している。
CPA のブレマー行政官は、イラク統治評議会の設立後すぐに、イラクの新憲法を起草する
プロセスを開始する、新憲法が承認された時点でイラクの新政府がイラクの初めての民主
的、自由且つ公正な選挙により選ばれることとなると発言している。
(2)政治プロセスの進展
(i)2003 年 7 月 13 日、イラクの主要各派指導者とその他の有力部族指導者、女性の計
25 人から構成されるイラク統治評議会が発足。同評議会は、安保理決議 1483 に言及され
るイラク暫定行政機構の主要な一部であり、各省庁の閣僚の指名・罷免、予算承認、憲法
準備委員会の設立等の権限を有している。8 月 11 日には憲法準備委員会が設置され新憲法
制定に向けた取り組みが開始されたほか、9 月 1 日には統治評議会が暫定閣僚 25 名の選
定を発表した。
(ii)国連安保理決議 1511(2003 年 10 月採択)は、統治評議会及び暫定閣僚がイラクの
国家の主権を体現するイラク暫定行政機構の主要な機関である旨決定。憲法制定及び民主
的選挙実施のための日程表を同年 12 月 15 日までに安保理に提出するよう要請。
(iii)2003 年 11 月 15 日、イラク統治評議会と CPA は、イラク人への統治権限の委譲を
早期に行うことを目的として、以下の日程の政治プロセスに合意した。24 日、統治評議会
はこれに関する書簡を安保理議長に提出した。
2004 年 2 月末まで移行期間のための「基本法」の制定
3 月末まで統治評議会と CPA による治安に関する協定の承認
5 月末まで暫定議会の選出(基本法が選出手続きを既定)
6 月末まで移行行政機構選出・承認(CPA 解体、統治評議会任務終了。
)
2005 年 3 月 15 日まで憲法会議選挙
(基本法で日程設定)恒久憲法の制定
2005 年末まで新政府の選出、「基本法」の失効
(3) 国際社会における動向
(i)国連の動向
48 外務省HP「イラク問題参考:イラク再建に向けた動き」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/saiken.html
2005 年 1 月 13日確認。
37
(イ)2003 年 5 月 22 日、安保理決議 1483 が大多数の賛成を得て採択され、加盟国にイ
ラクにおける人道、復旧・復興支援、並びに安定及び安全の回復への貢献を要請。
8 月 14 日、国連イラク支援ミッション(UNAMI)が安保理決議により設立されたが、
同 19 日、国連本部へのテロによりデ・メロ国連事務総長特別代表他が死亡。9 月には
国連の職員が縮小され、その後、10 月 30 日に国連は、バグダッドに残留している国際
職員を一時的に国外(キプロス)に出国させる旨発表。
(ロ)10 月 16 日、イラクにおける政治プロセス及び国連の役割の明確化、多国籍軍の設
置を内容とする安保理決議 1511 を全会一致で採択。
(ハ)12 月 1 日、アナン事務総長はイラクの近隣 7 カ国(イラク隣接 6 カ国及びエジプ
ト)と P5 を含む安保リメンバー10 カ国からなる諮問グループと協議。
(ニ)12 月 1 日、安保理の下にある対タリバン・アルカーイダ制裁委員会監視グループ
は、アルカーイダとイラクのテロとの関係等について言及した報告書を発表。
(ホ)12 月 8 日、安保理は、イラクにおいて、日本、スペイン等各国の人々に繰り返さ
れている攻撃を非難し、こうした犠牲者、家族等への哀悼の意を表し、犯人処罰への協
力を関係国に要請し、安保理決議 1511 の完全な履行の必要性をすべての国にあらため
て訴える内容の安保理議長の声明を発出。
(へ)12 月 10 日、アナン国連事務総長は、イラクに対する今後の国連の役割やイラク国
内の治安状況などに関する報告書を安保理に提出。
(ii)支援国会合
2003 年 10 月 23 日~24 日、イラク復興国際会議がマドリッドで開催。73 カ国、20
国際機関、13 の NGO が出席。2007 年末までの期間を対象に有償及び無償で総額 330
億ドル以上のプレッジが、また、多くのドナーから資金供与に加え輸出信用、研修、技
術協力、物資協力等の携帯による支援も表明された。更に、ドナーからの資金のチャネ
ルの一つとなる国連・世銀が管理する信託基金が可能な限り早期に設立される方向とな
った。
<会議で表明されたプレッジ>
•
米国:203 億ドルを議会に要求中(注:11 月 6 日、イラク復興のため 186 億ドルを
認める歳出法が成立)
•
EU 全体:2004 年末までに共同体予算からの 2 億ユーロを含め 7 億ユーロ。2007
年末まででは 13 億ユーロ。
•
湾岸諸国:約 28 億ドル(輸出信用等を含む)。
•
日本:当面の支援として 15 億ドルの無償資金協力。中期的支援に対応して円借款を
基本として 35 億ドルまでの支援。総額 50 億ドル。49
49 356 億ドル(世銀・国連による。2004 年~2007 年。ただし、2004 年は 92.7 億ドル)
。このほかCPAは上記に含まれ
ないニーズとして別途 194 億ドルが必要と見積もっている(ただし、2004 年は 82.4 億ドル)
。外務省-イラク問題より
抜粋
38
4-2
イラクでのテロが激化している理由と対策
(1)イラクのどこで武装勢力が蜂起し、連合軍との衝突が起きているのか。
暴力が激化している地域は二つに分けられる。一つはバグダッド北部のいわゆるスンニ・
トライアングル(スンニ派三角地帯)。ここで、スンニ派を中心とする勢力が連合軍との衝
突を繰り返している。住民の多くがスンニ派であるファルージャの町では、すでに数百人の
イラク人が犠牲になっている。休戦合意が成立しても、武装蜂起で合意が何度も踏みにじら
れるという事態が繰り返されている。リチャード・マイヤーズ米統合参謀本部議長も 4 月 15
日に「ファルージャでさらに武装蜂起が起きることにわれわれは備えておかなければならな
い」50との発言もある。
一方、バグダッドおよびバグダッド以南の複数の都市では、シーア派の武装勢力が連合軍
との衝突を繰り返している。過激派のムクタダ・サドルに共鳴する武装勢力によって占拠さ
れた町もいくつかある。そのような混乱のなかで、予定通り 6 月 30 日にイラク人への主権
移譲
51ができるのか。
4 月上旬からイラク入りしていたブラヒミ国連事務総長特別顧問は、4 月 14 日に国連主導
型のイラク民主化案をバグダッドで発表し、ブッシュ政権もこの国連の主権移譲案を歓迎す
ると表明した。提案では、国連が、アメリカ、イギリス、イラク統治評議会、その他のイラ
ク人と協議した上で 6 月 30 日に暫定政権の指導者(首相、大統領、二人の副大統領)を任
命するとされている。
アメリカは主権移譲プロセスへの影響力を今後も維持できると専門家の多くは考えてい
る。アメリカは 184 億ドル規模のイラク再建のコストを提供し、今後もイラクでの連合軍の
指揮統制権を維持していくだろう。米軍関係者は、選挙を経てイラクに本当の政府が樹立さ
れる 2005 年末までは、イラクに部隊を展開し続けるつもりだと語っている。専門家の一部
は、その後も、小規模な米軍部隊が駐留することになるだろうと語っている。52
(2)未解決の重要案件
(イ)暫定政府のイラク治安部隊に対する権限
イラク統治評議会が 3 月 8 日に署名したイラク基本法では、再編されたイラク治安部隊
は、選挙で選ばれたイラク政府が誕生するまでは、連合軍の指揮統制下、つまり、米軍の
指揮統制下に置くとされている。しかし、専門家の多くは、指揮統制上の決定が主権を持
つイラク政府の承認なしに下されれば、イラク市民は政府の権限が損なわれると考えるだ
ろうと指摘している。
(ロ)イラク政府と連合軍の関係
現状では、イラクの治安部隊ではなく、外国の部隊がイラクの治安を確保する上で大き
な役割を果たしているため、イラク暫定政府が連合軍部隊の撤退を求めるとは考えにくい
が、イラク政府と連合軍部隊は、両者の関係を定める「地位協定」を交わす必要があるだ
50 11 月 8 日ファルージャで国際テロリストザルカウィ容疑者を中心とした武装勢力集団に対し米軍とイラク治安部隊共
同で大規模な攻撃が実施された。
51 6 月 28 日に主権移譲がなされた。
52『論座』
、朝日新聞社、2004 年 6 月号。
39
ろう。
(ハ)イラクの石油歳入の管理権
現在のところ、イラクの石油から得られる収益は「イラク開発基金」に保管されている。
このアレンジメントは、安保理決議 1483 号によれば、
「イラク市民によって国際的に認知
された代議政府が誕生した後に失効する」とされている。新たな安保理決議では、暫定政
府がこうした定義を満たしているかどうかの判断も示されるだろう。
4-3
イラク復興とテロ対策についての提言
本卒業研究テーマとして国際テロ事件についてイラクでの状況を中心に分析を進めてき
たが、イラク戦争終結し一年以上経過した現在も国内での混乱は沈静化していない。戦争に
よって旧フセイン政権下で抑えられていた反政府集団が反米感情の高まりと戦後の混乱に
乗じて国際テロ組織アルカーイダなどとのつながりを深め、組織の強化を図っている。最近
のイラク国内で頻発しているテロ事件の首謀者ザルカウィ容疑者を始め国際テロ組織アル
カーイダの幹部ナンバー2のアイマン・ザワヒリ容疑者は米国へのテロ攻撃を続けることを
宣言している。国際社会はテロの脅威に脅えることなく必要なテロ対策を講じることが急務
である。国際テロ組織が世界中に散らばっていることから各国が自国の問題として取り上げ
国際社会の一員としてその責務を果たしていかなければテロは根絶しない。アメリカ同時テ
ロ事件を契機に国際社会がテロ対策の重要性に気づき、国連を始めとした協調体制を進めて
きているが、有効な効果は得られていない。本卒業研究として取り上げたイラクで発生して
いるテロ事件に対して考えられる対策として
(1)戦後復興は国連の枠組みで取り組むべきである。
アメリカの意向を反映した暫定政権ではなく、イラク人が正統性を認めるような暫定政権
をつくるためには国連が関与するしかないという見方が、イラクが騒乱に陥るなかでますま
す強くなったからだ。また、CPAが暫定政権の受け皿として考えていたイラク統治評議会
が政治的に支持されていなかったこと、また、イラク統治評議会のメンバーの辞任や自発的
職務停止が相次いだこともCPAの計画にとっての大きな障害となった。
(2)民生安定が緊急の課題
米英軍のイラク攻撃開始から 21 日目の 9 日、首都バグダッドが陥落、フセイン政権は事
実上崩壊した。イラク政府の主要機関はほぼ制圧されたとみられている。政府の高官や職員
の姿が政府庁舎などから完全に消え、市民の略奪行為が広がるなど、無政府状態になってい
るという。 治安の回復と水や食料などの供給態勢の確立など、民生の安定が急務である。 ブ
ッシュ米政権は、暫定政権樹立など戦後復興の動きを加速させるとしている。
テレビには、米英軍のバグダッド入りを喜ぶ市民の姿が繰り返し映し出されていた。しか
し、それは 24 年間圧政を敷いたフセイン体制崩壊を喜ぶものではあっても、米英軍を歓迎
しているとみるのは早計であろう。 市街戦に持ち込まれ、戦闘が泥沼化する最悪の事態は
避けられたが、心配された通り市民の死亡が相次いだ。
米英両国の学者らで運営するウェブサイト「イラク・ボディー・カウント」によると、9
40
日現在で最大 1,139 人、最少でも 961 人の市民が死亡したという。
イラク側の犠牲者は市民、戦闘員を合わせると、数千人規模に上るのは確実とみられてい
る。これに対し、米英側の死者数は計約 120 人と湾岸戦争より少ないとされる。
イスラムという共通の歴史や文化を持つ周辺のアラブ諸国を含め、反米感情は根強いとさ
れる。エジプトなど、アラブ同胞の犠牲に怒った若者らが義勇軍に参加する動きも続いてい
る。 米政権は亡命イラク人など反体制組織の暫定政権への参加を想定しているようだが、
イラク反体制組織に詳しい亡命イラク人ジャーナリストは、既成の反体制組織は必ずしも国
民的な支持を集めていないと指摘している。 米国主導の戦後体制に反発する声は強い。フ
セイン政権が実質的に崩壊した今、イラクにとって最も必要なのは国際社会の支援である。
(3)単独行動主義の放棄を
危惧されるのは、国連主導の支援態勢が時間を置かずに構築できるかどうかである。 米
英は、国際社会の反対にもかかわらず、イラク攻撃に踏み切った。ブッシュ政権は、戦後復
興も米英主導で進めたい考えで、国連主導を主張する欧州主要国とも対立している。血を流
したのは米英軍であり、当然だと言わんばかりだが、武力行使に踏み切ったことでフセイン
政権を崩壊させたにしても、武力攻撃が、新たな民主主義政権樹立を困難にする側面はない
のか、問われなければならない。米英軍がイラク攻撃の大義名分とした大量破壊兵器が見つ
かっていないことも、武力攻撃に対する国際社会の批判を増幅させることになるだろう。単
独行動主義の延長線で暫定政権を樹立したとしても、実質的な占領下では反米テロも懸念さ
れる。復興作業の開始が遅れれば、イラクの政治空白が長期化する恐れもある。治安の回復
は、米国主導で進めるしかないにしても、可能な限り、国連を軸にした戦後復興の枠組みの
構築を急がなければならない。
(4)国づくりの主体は国民である
米英によるイラク攻撃は、パレスチナへの影響も懸念されている。パレスチナ情勢が悪化
すれば、中東和平への道のりをますます険しくするとの指摘である。米政権は、イラク攻撃
の目的にテロ組織の排除も掲げていた。しかし、テロ組織の存在は確認されていない。国際
社会が国際的なテロに対する対処策を持ち合わせていないのは確かである。だからといって、
先制攻撃戦略に基づく武力攻撃が正当化されるはずはない。米英軍は三週間という短期間で
大勢を決した。このことがブッシュ米大統領のいう「イラク国民の解放」につながるのだろ
うか。イラクの再建は、イラク国民が主体でなければならない。イラクのイラク人によるイ
ラク人のための民主化、それを支援しなければならないのが国際社会であり、国連主導でな
ければならない。
(5)国際テロ対策協調体制の確立
一国でテロを防止根絶することは不可能である。例えアメリカであってもテロの脅威を排
除することは無理である。国際社会の各国が協力してテロ根絶のためのあらゆる施策を着実
に実施していくことが最も有効な手段であると考える。
(6)テロリストによる脅威の排除
テロ対策の有効な手段として
41
・テロ組織の動きを監視し、追跡する国際的なネットワークを確立強化する。
・国際船舶・港湾施設の安全性を向上させる。
・テロリストの出入国管理を強化する。
・資金面での制約を強化する。
(7)多国籍軍のイラクからの早期撤退へ
現在イラクには 36 カ国から約 16 万人の多国籍軍(イラク多国籍軍)が駐留している。彼
らの駐留期限は新政府が樹立される 2005 年いっぱいの予定である。イラクの国情が安定す
るまでは他国籍軍の役割は大きく、直ぐにイラクから撤退することは難しいだろう。派兵問
題は国際社会に対する責任と寄与、そして国益というレベルで決定することであり、テロ組
織の脅迫に左右されてはならない。しかし、現在イラク国内で起こっている多くのテロ事件
は多国籍軍に対して特にアメリカへの反米感情がテロ事件を起こしているように受け取れ
る。テロの沈静化のためには多国籍軍が早く役割を終えて可能な限り早期にイラクから撤退
することが望ましいと考える。
(8) 中東和平の取り組み
11 月 11 日ヤーセル・アラファートPLO議長が死亡した。本卒業研究の中でも取り上げ
たが、パレスチナ問題がアラブ社会に与える影響は大きくアラファートPLO議長の死亡後
の動向に注視する必要がある。イスラエル・パレスチナ問題の解決がテロの根源を絶ち反米
感情を沈静化させる最も有効な手段の一つである。
最後に各国の指導者は国益優先の考えを改め自国民の安全と生活を守り抜く責任を自覚
し、テロの脅威に屈しない強い意志と信念を以ってテロの撲滅に対処していかなければ世界
に未来は訪れない。
おわりに
最近では 2005 年 1 月 30 日に予定されているイラク国民議会選挙が予定通りに実施でき
るかどうか難しい状況になっている。選挙が近づくにつれてイラクでのイスラム過激派組織
の選挙阻止活動が活発化し、また、国際テロ組織アルカーイダの指導者、オサマ・ビン・ラ
ーディン氏の国民議会選挙への不参加呼びかけ、スンニ派の主な政党の不参加表明など選挙
実施に向けて混乱の度合いを増してきている。国際社会からも選挙の延期を求める声や暫定
政府内部からも選挙実施延期の検討意見が出される状況下これからのイラクの将来を占う
重要な選挙となるだけに今後の動向から目が離せない。
張
玲
42
用語集
①ソフトターゲット
攻撃しやすい標的のこと。軍事施設などと比べて部外者の出入りのチェックが甘い建物や、
武装していない民間人を指す。イラクでは、外国人の泊まるホテルや民間外国人の乗った車
両などが、政治的効果の高い標的として武装勢力の攻撃を受ける例が目立つ。
駐留米軍のキミット准将は「正々堂々と戦う占領軍よりもソフトターゲットを狙うテロリ
ストがいる。象徴的なものを狙い、多くの市民を巻き込んで派手な事件にするためだ」と説
明している。
(朝日新聞 2004 年 4 月 8 日朝刊紙面より)
②バース党
アラブの統一と社会主義を唱えるアラブ民族主義政党。1960 年代にシリアとイラクで支
配政党となった。
イラクでは 1968 年のクーデターで政権をとり、1979 年に副大統領だったサダム・フセイ
ン氏が党書記長と大統領に就任した。
全国にピラミッド型のネットワークをはった。イラク戦後、米軍はバース党を解体し、革
命指導評議会メンバーら上位の党員を公職から追放した。
(朝日新聞 2004 年 4 月 9 日朝刊紙
面より)
③シーア派
アラビア語のシーアト・アリー(アリー派)から生まれた呼び名で、イスラム教の預言者
ムハンマドのいとこアリーとその子孫を指導者として信奉する。
イスラム教はシーア派とスンニ派に大きく分かれ、世界の同教徒の 9 割はスンニ派。イラ
クでは中南部を中心にシーア派が 6 割以上を占める。フセイン元大統領をはじめ旧政権の中
枢を握ったスンニ派に抑圧を受けた。
アリーの墓がある中部ナジャフは聖地で、大アヤトラを頂点とするシーア派法学界の中心
地にもなっている。(朝日新聞 2004 年 4 月 10 日朝刊紙面より)
43
参考文献、資料一覧
□トマス・ピカリング、ジェームズ・シュレジンジャー、エリック・シュワルツ、「戦争か
ら一年を経たイラクの現在と未来」、フォーリン・アフェアーズ日本語版および日本語イ
ンターネット版、2004 年 4 月号。
□フォアド・アジャミー、
「新生イラクと中東」
、フォーリン・アフェアーズ・ジャパン
テ
ーマ別アンソロジーvol.11、「アメリカは本当にイラクを統治できるのか――国連とアメリ
カ、中東と民主主義の行方」。
□サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳『文明の衝突』、集英社、1998年。
□宮田律著、
『イスラム世界と欧米の衝突』、日本放送出版協会、1998年。
□広河隆一著、『パレスチナ難民キャンプの瓦礫の中で』、草思社。
□土井敏邦、
『「和平合意」とパレスチナ』、朝日新聞社。
□高橋和夫著、『アメリカとパレスチナ問題』、角川書店。
□浜田和幸著、『ブッシュの終わりなき世界戦争』、講談社。
□広瀬隆、『アメリカの巨大軍需産業』、集英社。
□島敏夫、中津孝司著、
『21 世紀の新グレート・ゲーム―エネルギー資源獲得の新潮流』、晃
洋書房。
□清水学編、
『カスピ海石油開発と地域再編成』
、アジア経済研究所、1998 年。
□アハメド・ラシッド著 坂井定雄・伊藤力司訳、『タリバン:イスラム原理主義の戦士た
ち』、講談社、2000 年。
□ダニエル・ヤーギン著 日高義樹・持田直武訳、
『石油の世紀―支配者たちの興亡〈上・下〉』、
日本放送出版協会、1991 年。
□瀬木耿太郎著、『石油を支配する者』、岩波書店、1988 年。
□マイケル・T・クレア著
斉藤裕一訳、『世界資源戦争』、廣済堂出版、2002 年。
□宮田律著、
『中央アジア資源戦略―石油・天然ガスをめぐる「地経学」』、時事通信社、1999
年。
□浦野起央著、『パレスチナをめぐる国際政治』
、南窓社、1985 年。
44
参考 URL 一覧
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/chuto/genjo_01.html
□外務省ホームページ
2005 年
1 月 13 日確認
□在日本イスラエル大使館ホームページ http://www.israelembassy-tokyo.com/ 2005 年
1 月 13 日確認
□『PEACEBOAT』
http://www.peaceboat.org/info/palestine.report/index.html
2005
年 1 月 13 日確認
□『CNN.CO.JP』
http://www.cnn.co.jp/
□日本経済新聞社ホームページ
□朝日新聞社ホームページ
2005 年 1 月 13 日確認
http://www.nikkei.co.jp/ 2005 年 1 月 13 日確認
http://www.asahi.com/paper/front.html 2005 年 1 月 13 日確
認
□読売新聞社ホームページ http://www.yomiuri.co.jp/ 2005 年 1 月 13 日確認
□産経新聞社ホームページ
http://www.sankei.co.jp/
2005 年 1 月 13 日確認
□共同通信ホームページ
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/iraq4/
2005 年 1 月
15 日確認
□『田中宇の国際ニュース』
http://tanakanews.com/
□『FOREIGN AFFAIARS JAPAN』
2005 年 1 月 13 日確認
http://www.foreignaffairsj.co.jp/
2005 年 1 月 13
日確認
45