日本海と鯨類

シ ン ポ ジ ゥ ム 「 日 オ 吋 毎 と 帰 京 葉 頁J
知られざる日本海の一面を探るシンポジゥム「日本海と鯨類」は,夢半島のと推進委員会
主催,日本海セトロジー研究グループ主管,水産庁,石川県など後援,北国新聞社特別協力
という態勢のもとで,昭和6
3
年1
2
月 2日から 3日間の日程で七尾市,能登島町,能都町を会
場として開催された.
第 1日は,七尾市民会館で午後 6時から特別記念講演会「愛すべき鯨とイルカを語る」と
c
.
w
.ニコル氏が「鯨取りたちよ,話を聞かせてくれJ,鴨川シーワールド水族
して,作家の
館の鳥羽山照夫館長が「i
毎の友イルカ:その可能性を探る Jと題して講演.
第 2日はシンポジゥム「日本海と鯨類」に当て,のとじま臨海公園県漁業研修センターで
開催,プログラムはつぎの通り.
①特別講演:中国長江産淡水イルカについて(南京師花大学・周開亜教授),
②基調講演:能登を中心とした現生鯨〈金沢大学名誉教授・日本海セトロジー研究グルー
プ代表・山田致知〉,
③報告 I:日本海のおいたちと海生晴乳類(金沢大学・拍野義夫教授〉,
④報告 E:日本海の漂着生物と環境〈金沢大学・矢島孝昭教授〉
⑤討論.
第 3日は,能都町の真脇遺跡見学の後,能都町社会福祉会館に会場を移して
「クジラと人間』と題して大関清治水産庁遠洋水産研究所長,
「縄文時代のイルカ漁」と題
して平口哲夫金沢医科大助教授がそれぞれ講演した.
次ページ以下に,第 2日のシンポジゥム「日本海と鯨類」を抄録して記録にとどめる.
-30-
シンポジゥム「日本海と鯨類」
特別講演:中園長江産淡水イルカについて
周開亜〈中国南京)
長江イルカ L
i
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sは揚子江の淡水に住み,アマゾン l
n
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a,ラプラタ P
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a,ガンジ
l
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a
n
i
s
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aに住むイルカとともに淡水イルカのグループを構成するが,長江イルカは最も
スP
緊急に保護を要する状態にある.長江イルカは細長い吻と三角形の低い背びれが特徴で,体
・2
.
5
m,雌が大きい.ほぼ同大の雌雄の頭骨を比較すると,雄では体長2
mで頭骨長が停止
長2
する.分布は長江中流から下流に限られるが,中国では B
.
C
.
2
0
0
出版の書物にも紹介されて
おり,かつては上流にも見られた.
淡水イルカ各種の解剖所見を比較すると,耳骨(耳周骨+鼓室骨〉と頭骨との結合が長江
イルカとガンジスイルカでは縫合形式,他は靭帯結合という違いがあり,手羽とくに手根骨
の配列では,長江イルカの豆状骨がV指の手根骨に結合するなど,また長江イルカは前胃が
欠,主胃が三分し結合管が欠如するというような,各種の特徴を比較して相互の類縁を考察
した結果,分類的には,淡水イルカ上科を独立 4科に再編するよう提案したが,この周提案
1
1e
ri(
1
9
8
1
)
,B
a
r
n
e
s(
1
9
8
5)らの国際同意を得ている.
はすでに Pi
また海南島の近く,長江より遠く離れたところで,中新世層から下顎骨先端の化石が発見
された.下顎骨の吻合部が長く,長江イルカと比較すると特徴が類似している.新属新種と
r
o
l
i
p
o
t
i
d
a
e).現生の長江イルカによく似た化石種が中新世( 2
5
,
0
0
0
,
0
0
0)に住んだ
判断( P
という事実から,長江イルカは『生きた化石」といえよう.
0)の
生態について:長く反った吻と低い三角形の背びれが特徴. 1頭ないし数頭(最大 1
小群で雌泳し,潜水時間は 1
5
3
0
s
e
c
. 生息数は上涜から減少し,いまや中下流だけにその数
わずか 3
0
0
頭が残る絶滅寸前の状態に転落している.昔は付近の水域(例:富春江〉にもい
たのがいまは姿を消した.減少の原因には,①漁業ハエ縄の針による外傷,②最近は船のプ
ロベラによる損傷が増加,③餌になる魚の激減(例えば7
0
年台に年間 4
0
0
万九獲れた長江ア
5
年にはわずか 1
1
5トンしか獲れない),④水質汚染などが考えられる.他種の淡
ンチョピが8
水イルカの現生頭数(ガンジスイルカ 5
0
0
0)と比較しても,長江イルカの 3
0
0は最高に深刻
であることが分かる.
中国政府は長江イルカを重点保護動物に指定し,切手を発行して国民の認識を高め,また
民間画家にも絵画によって保護運動の P
Rに協力する者がある.国際的には 1
9
8
6
年に国際動物
-3
1ー
保護連盟が,長江イルカを世界の瀕死動物に加え, 8
7
年の淡水イルカ国際シンポジゥムがそ
の保護を決議している.私は8
2
年に保護を訴えたが,その後長江からイルカを安全水域に移
すために銅陵市に保護区を設け,その水路の中央に研究設備を作る計画を推進中である.中
国には武漢にも洞庭湖に保護区を作る計画があるが,長江イルカはいまや世界的関心の的で
ある.日本の同学諸氏の協力を切望する.
基調講演:能登を中心とした現生鯨
山田致知(金沢〉
1
9
8
8
年 3月 3日の夕刊は,能畳半島の長手崎沖で漁船に衝突した鯨が能都町漁協で処分さ
れたと報じた.その写真をト1
e
s
o
p
l
o
d
o
nと見当づけた私は,事の重大さを訴え,新聞社の協力
で頭部を入手することができた.この鯨がとくに珍しいという再報道が出るに及んで富来錦
地でも似た鯨が 2月6日に揚がっていた事実が明らかになった.さらに 5月 5日にも穴水で
それらしい鯨が揚がった〈新聞写真〉.これらが組定通りのM
e
s
o
p
l
o
d
o
nであるとすれば,日
本海の鯨類を改めて明らかにする必要があると感じたので,新しく日本海セトロジー研究グ
ループの結成を呼びかけた.
データを持ち寄ったところ, 1
9
6
0
年から本シンポジゥム開催まで,日本海岸に鯨類1
8
属2
1
種の漂着がある中に,門e
s
o
p
l
o
d
o
nが1
2件あってカマイルカの漂着記録と同数の 1
2
件に達する
ことが明らかになった(一覧表配布) .W
a
t
s
o
n
(
l
9
8
1)によれば,北太平洋のアメリカ制に1
2
個体の記録があるという.その後例数は増えているだろうが,門e
s
o
p
l
o
d
o
nは日本海のトレー
ドマークであり,太平洋全域の記録の約半数が日本海にいることになる.その結果, M
e
s
o
p
l
o
d
o
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】は少しも珍しくはないではないかともいわれるに至った.
世界に産する門e
s
o
p
l
o
d
o
nは1
2
種ほどあり,外部体形はいずれもよく似ているが,体色など
よくは分かっていない種類が多い.富来と長手標本について現在までの主な所見を紹介する
と,富来の鯨は背部灰色で,腹側の正中線と平行に縦にのびる白い色柄がある〈仲間どうし
で付けあった傷痕ではないし外部寄生虫は無関係),両者ともに中央にくびれのない尾羽の
下面に左右対象の V字状の独特なマークがあること,長手の鯨には口蓋に漁網によると思わ
れる白色の傷痕がある(両津標本にも〉,両例とも雌であるから歯は繭出していないので,
オオギハクジラという名では同定に難渋することが今回の経験で明らかになった.すなわち
-32-
オオギハクジラは,適当な名とはいえないので,英名B
e
a
k
e
dw
h
a
l
eに因んで「ハシボソクジ
ラJ という新和名を提唱したい.
,
富来標本は頭骨を供覧しであるが,背骨はまだ浜に埋めてあるので,いずれ骨格を取りあ
げた後,詳細を報告することにしたい.
【追記】その後も例数は増えており,種名もト1
e
s
o
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o
ns
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jn
e
g
e
ri
と確認されたので適
当な数をまとめて記載報告する.
報告 I:日本海のおいたちと海生晴乳類
柏野義夫〈金沢〉
鯨類を含むi
毎生晴乳類の化石には,鯨類のほかに錨脚類,少数の海牛類があり,多くのデ
スモスチルスが出る.地質時代,日本海に塩水が入ったのは新しい (
1
6
5
0
万年前)ことで,
最初はトロピカルであった.その時代が 1
0
0
2
0
0
万年続き,その後暖流の影響を受けて 1
3
0
0
万年前までは温かいが,そのころを境として海況に変化が始まり,多少冷たい時代がかなり
長く 6
0
0
万年前まで続く.その後日本海はさらに冷たくなり( 4
0
0
1
0
0
万年〉,現在までに固
まぐるしく変遷する .
1
6
0
0
万年前(中新世〉は,世界的に今日的各種鯨の分化が出揃う時期に当たる.はじめて
陸から海に入った最も原始的な鯨は, 5
0
0
0
万年前〈始新世)のころに出現したと思われる .
ついで,
3
8
0
0・2
5
0
0
万年前〈漸新世〉に歯鯨とヒゲ鯨が出現している.ただ確実な化石証拠
が不十分なため,鯨類の系統樹はほとんど未編成であったが,近年横浜国立大長谷川教授を
中心に情報が急増し ,Eつ整理されてきた .それでも化石種の産出は現生種よりは限られ,
ごく一部分しか出ないので,種属の同定は困難を極める .
化石はかなり多く産出するけれども,鯨類については分類上の位置が確かめられた例は少
ない.石川県の産出例にはスクアロドン,イルカ,アカボウ,マツコウ,セミ,ナガスがあ
る.漸新世の鯨には,北九州( 2
例〉,北海道産出の重要例がある.鯨以外では,トドが金沢
付近,能登からも出る.デスモスチルスは,ある時期に北太平洋に住んだ海生晴乳類で,能
登の七尾や関野鼻その他から出るが,その年代は 1
5
0
0
万年前ごろで,当時はまだ温かい時代
であった.ほかのものは今後多数の資料を確保して整理する必要がある.専門家の出現や一
般からの通報のすすめ,さらに資料の保管態勢を確立することが望まれる.
u
内ぺ
ぺυ
n
報告 I-1
:
松浦信臣(金沢)
昨年暮れ,長谷川教授を中心に石川県の海生哨乳類のデータをまとめる機会があった.最
初のトロピカル時代には海生哨乳類の化石は出ないが,つき合に,いわゆるいわや動物群〈デ
スモステイルスの出る〉の層で初めて鯨その他が多数出る.その後寒流系の時代にも海生哨
乳類が出る.石川県は,富山福井両県に比べて晴乳化石の産出が多い〈スライド供覧).
報告 I-2:
長谷川善和(横浜)
2
0
年ほど前から日本海の海底からときどき揚がる鯨の化石は,ほとんどがアカボウクジラ
1i
g
o
c
北九州から,原始鯨から分かれ
科に属する.主要な標本をスライドで解説する.①上0
たつぎの時代の古い鯨〈門a
u
i
c
e
t
u
s)のほとんど‘
全身が出ている.これはヒゲ鯨に位置づけら
れているが,多少は歯鯨の可能性もあるかもしれない.②A
g
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u
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P
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t
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i
o
c
e
t
u
s)は,頭
骨下面の耳の形態がイルカの祖先型を思わせ,とくに口蓋部が現生種とまったく異なる.③
ト
1
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n はサメに似た歯をもっ.④また日本海からいくつか出たアカボウ
には,吻の上部に隆起があるもの,やはり鼻骨の前に聞く孔の両側が膨隆するものなどがあ
り,これらが門 i
o
c
北海道のマンガン鉱山から出るものと明らかに同じである.信州からは吻
が瞥曲したホッキョククジラの類の頭も出ており,すなわち門 i
o
cには,北海道と繋がるもの
と,信州に繋がるものとがある.いずれも新種と思われる.
c
からシナノトドの系統の化石が出る.佐渡から信州松本あたりまで
鰭脚類では,佐渡川 o
が海であったことが分かる.
矢島孝昭(金沢〉
報告 E:日本海の漂着生物と環境
冬になると海が荒れてハリセンボンが大量に打ち揚げられるので,石川県には「ハリセン
ボン荒れ」という言葉があり,ハリセンボンとセグロウミヘビ〈龍蛇神)は信仰の対象にな
る.漂着生物とは漂着物に含まれる生物部分をいい,浮遊性と滋泳性のものが含まれるが,
海流に乗って長距離を移動中に死滅するものを無効散布(死滅回融〉という.
漂着生物と日本海の関係を考えるに当たって注意したいことは,太平洋の黒潮が房総から
東へ向きを変えるのに対し,日本海では本州沿いに対馬暖流が北上し,黒端に対する親潮相
-34-
当の海流は存在しないのが特徴である(寒流は沿海州側を南下する).
海流と植物の種子の漂着関係を見ると,日本海では対馬暖流の北上ルート(海の道〉に一
致する.例えばココヤシの実は,北海道の海岸でもみつかる.しかし,北まで運ばれて夏発
芽しでも,冬を越すことはできない.
北陸でのヤシノミ,カイダコ,ハリセンボンの漂着を見ると,ヤシの実は通年散発的に揚
がるが,カイダコ,ハリセンポンは冬に集中する.冬にカイ夕、
コやハリセンボンが多く打ち
上げられるのは,水温低下で弱った個体が北西の季節風で吹き寄せられるからで,場所的に
は能登半島の外浦側に集中する.同様のことはオサガメの漂着でもいえる.太平洋では台風
シーズンの夏に多いが,日本海では冬の荒天に多く発見される.このように,熱帯・亜熱帯
生まれの動物たちは,種によって多少の違いはあるが,日本海で冬に多く漂着するのは,気
象と水温低下および地理的な関係から説明できる.
夏の日本海は安定しているので,アカウミガメの産卵上陸といった報告はあるが,櫛泳力
の強いクジラや対馬暖涜を逆行して南下してきた舗脚類も,冬から春にかけての荒天時に衰
弱ないし死んだ個体が能登半島の外浦側に漂着する例が多い.
進行山田致知,米田満
討議:日本海・鯨類研究と課題
進行:最近の新潟例に係わった新潟大の山田氏に状況が聞きたい.
0
月1
0日に新聞で知り,最終的には頭を入手した鯨について,その途中経過を述べ
山田格: 1
る.記事は,朝消波プロックに乗り上げてやがて死亡した鯨〈ビデオ供覧〉について.こ
の鯨を入手した水産会社はまず現場で開腹して氷を詰めた.その段階で胎児がいたらしい
が確認不能,翌日セりの現場にい合わせた高校の先生の話からメソプロドンを疑い,頭だ
けでも手に入れたいと仲買人に交渉したところ,これは売れると勘違いするのを助けるこ
とになったのか拒絶された.値( 35万〉がつく段階では,鯨の名が不明なので議論百出し
た由.結局運搬先の石巻で安値がつき,頭は売物にならないというので譲り受けることが
できた.印象として漁業者の所有するものを資料として残すためには,相当の意志疎通が
必要であろう
進行:ビデオの記録は異色で貴重だ.
守d
進行:日本海の魚類回櫛が専門の坂本氏〈京大)に,
4
年からメソプロドンが多発するのは,そのころから海水の温度が下がって
坂本氏の意見: 8
おり,魚類にも消えたものがあるので検討したらよい,
進行:中国における漂着鯨の処理の実態が知りたい.
周:中国海岸にも鯨類が漂着する.中国では鯨肉は食べないが,家畜の餌にするので住民が
切り刻む.私の知る限りナガス,セミ,コク,ニタリ,歯鯨ではカワイルカ,マツコウ,
),オキゴンドウ,スーサなどの記録がある.マツコウの記録は比較
イチョウハ,スナメ 1
9
2
4
年,南シナ海で 1
9
5
6
年に 2頭
, 1
9
7
3
年に台湾で 1件,黄海では
的多く,古いところで 1
1
9
7
7
年と 7
8
年に雄各 1頭,なお 1
9
8
5
年福建省で 1
2
頭の集団漂着があったが研究材料や標本
は確保されなかった.ナガスが黄海の岸に漂着したとき,専門家が駆けつけたときには何
も残っていなかった.新聞は標本を指すべきだと論説した.カワイルカの場合は条件が比
較的よいが,通報すると殺したのではないかと疑われるという解釈もあって近年事情は悪
化している.
進行:悩みは日中共通のようだ.ここで現場からも発言がほしい.
今村〈富山県栽培漁業センター): 1
9
8
6
.
1
2
.
1
2氷見でザトウの乗網があった.相当数が揚が
つでも,獲れたという話題にもならない,売られて何も残らない.
進行:捕館禁止という条件下,日蔭でひそかに処理するという鯨に関する考えを変えて,堂
々と日向に出す必要がある.遠洋水産研の大隅所長に禁止との関連で今後の方向を.
大隅:今春商業捕鯨が禁止されて以来,事実種々のひずみが生じており,漂着鯨の報告をも
ゆがめている.自然な形に近づけることが正しいデータを得る道になる.北国新聞社によ
るシンポジゥムの貢献は大いに今後を益するであろう.強力なマスコミのネットワークに
より貴重な資料やデータを確保することが必要.鯨学が日本海で発達しなかったのは戦後
の空白が原因ではないか.
進行:情報交換を助けるために企画された山田試案による「シオリ」についてご意見をどう
ぞ.印刷して広く配布することを考えている.
藤本(江の島水族館〉:駿河湾でも漂着があると連絡は水族館にくることが多い.第一発見
- 36-
者に調査や骨をもらう交渉の許可をとる.連絡センターを作る.
鳥羽山(鴨川水族館〉:漂着例の報告には,生きたものだけでなく死んだものも含まれる.
生きていると保護する必要があり,死んだ場合には拾得物として嘗察が係わる.水族館の
協力は絶対に必要で,ネットワーク作りには部外者も入れる方がよい.山田試案はよくで
きているが第一発見者を尊重するとともに,歯の形,数,水温,関連した新聞記事も記録
するようににするとよい.
池原(新潟〉新潟県の記録をとりまとめ中だが,各県で発行される農林水産統計年報 (
1
9
5
0
年以降魚類中心の滋獲統計, 1
9
5
7
年以降海産哨乳類も含む〉が参考になる.新潟県では8
5
例 1
2
0
頭くらいの記録がまとまりつつある.各県ごとに記録を整備することが望まれる.
山田:シオリはできるだけ簡単なものにして,だれでも気軽に調査に協力してもらえる形を
念願とした.漂着鯨の種類の見当をつけて重要な種類を逃がさないようにするのが第ーだ
から,ご助言を取り入れたものにして,しばらく使用した上で改訂を考えたい.
結び=米国:開催側としては,愛すべき鯨類のことをもっと PRしなければならないだろう
と考えている.今回のシンポジゥムの実りとして,鯨類に対する物差しといえるものとし
てこのシオリを広く漁協関係や学校関係などに配布したい.今後の活動について,各位の
ご協力を得,連絡を密にして共に進むことについてご決意をいただきたい.また,今後の
シンポジウム継続についても夢をもって進みたい.
- 37 -