近現代史(59)「アメリカの繁栄と西欧・日本の復興」 〇今回のポイント アメリカの援助によりヨーロッパは 50~70 年に経済成長を遂げたが、60 年代末期に戦後の社会体制と経済成長 後の社会体制にずれが生じ、世界各地で学生運動・労働運動が起こった。 (1)反共政策 ①国際社会の指導者…軍事・経済力を背景にソ連に対抗して世界を指導するべきとの主張が高まる。 ②労働者抑圧…[1. ]:1947 年に制定された労働組合運動を制約する法律。ニュ タフト・ハートレー法 ーディール時代にワグナー法などで保障された労働者の諸権利が大幅に制限された。 ③[2. ] 赤狩り ・背景:ソ連の原爆保有や朝鮮戦争の長期化による苛立ち → 左翼運動や共産主義思想を弾圧 ・内容:[3. ]の官吏、外交官、軍人、文化人などをすべて共産主義者として決めつけて追放 リベラル派 する煽動的な運動。自殺者が出たり、人々の間に相互不信感が深まるなど、アメリカ社会に傷を残した。 共和党上院議員[4. (2)アメリカ;[5. ]が弾圧の先頭に立ったのでマッカーシズムと呼ばれる。 マッカーシー ]政権(共和党;任 1953~61) アイゼンハウアー ①ノルマンディ上陸作戦の元連合国軍総司令官。[6. 北緯 38 度線 ②ソ連の斡旋により[7. 朝鮮戦争 ]上の板門店で朝鮮戦争の休戦協定が成立。 ③1954 年ジュネーブ協定の調印を拒否。南ベトナムの[8. ④1955 年[9. ]の終結を公約して当選。 ジュネーブ 4 巨頭会談 ]を援助。 ゴ=ディン=ディエム ]で米ソ冷戦の雪どけ始まる。同年開催のバンドン会議での第三勢 力の結集に対抗する意図もある。ソ連代表はブルガーニン首相だが、フルシチョフ書記長も出席。 U2 型機事件 ⑤1959 年 フルシチョフ訪米により平和共存合意 → 翌年の[10. ]で流産 (3)ヨーロッパ統合の始まり 1948 ヨーロッパ経済協力機構(11. OEEC ):西欧 18 カ国によるマーシャル=プラン受け入れ機関 ※両大戦の反省に立って経済を復興させるために、エネルギー資源や工業資源を共同で管理し、相互の対 立を防止しようとする構想があらわれた。 1950 [12. ] シューマン=プラン 1957 [14. ローマ条約 ] 1952 1958 1958 ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体 ヨーロッパ経済共同体 ヨーロッパ原子力共同体 (13. ECSC ) (15. EEC 1967 ヨーロッパ共同体(17. ●原加盟国 ・[18. (16. ) EC EURATOM ) ■政策 インナー・シックス ] ①[19. 関税同盟 ‣フランス、西ドイツ、イタリア ②[20. ‣ベネルクス三国 ③共通の[21. (ベルギー・オランダ・ルクスセンブルク) ]の形成 商品・資本・労働力 農業政策 ] ]の自由移動 ) (4)60 年代フランス ■1958 年;[22. ]問題の解決を期待されて[23. アルジェリア 統領の権限を強化した憲法改正に成功して[24. ■1959 年;ド=ゴール大統領就任(1959-1969) 「25. ①[26. ド=ゴール 第五共和政 フランスの栄光 ]が復帰。議会に対する大 ]を発足させる。 」を求めて米ソに挑戦 ]の所有(1960) 核兵器 ②独自外交の展開;西ヨーロッパでの主導権を確立し、第三世界の支持を獲得して国際政治上の地位向上を目指す NATO 脱退 ・アルジェリア独立承認(1962)、中国承認(1964)、[27. ](1966)、イギリスの EEC 加盟拒否 ■反ド=ゴール派の動き ①[28. ](1968 年 5 月~6 月) 五月危機 ・権威主義的な大統領制のもとで強められた中央集権的官僚制への批判、高度成長下での国内の南北経済格 差への不満、経済危機が加わり学生・労働者を中心に諸制度の改革を求める運動が起きた。大学紛争から ゼネストに発展し、政治危機が深まるが、68 年 6 月の選挙でド=ゴール派が大勝し、一応収拾された。し かしド=ゴールの威信は深く傷ついた。 ②ド=ゴール退陣(1969 年 4 月) ・地方自治の推進と[29. 上院の改革 ]を問う国民投票に敗北。後任はポンピドゥー(任 1969-74)。 (5)60 年代西ドイツ ①[30. アデナウアー ]政権(1949-63)…西ドイツ建国期の内外政を指導し「奇跡」と呼ばれる経済復興を 成し遂げるが、西ヨーロッパ諸国との結合を強化したため東西ドイツ統一を困難にするとの批判を招き引退した。 ②[31. ]政権(1963-66)…アデナウアー政権の下で経財相として「奇跡的復興」を実現したエアハルトが エアハルト アデナウアーの後継者として 63 年~69 年まで政権を維持した。 ③[32. キージンガー ]政権(1966-69)…キリスト教民主・社会同盟と社会民主党から構成される[33. 大連 ]を樹立。与党が議席の 9 割以上を占め、政治的安定をもたらした。しかし、野党不在は学生や知 合政府 識人に空虚感を与え、先進各国で学生運動が展開された 68 年にドイツでも戦後体制の変革を求める運動が最高 潮に達し、69 年に大連合政府は崩壊した。 (6)60 年代イギリス ①イギリスの停滞 ・国内の[34. 完全雇用 ]と高水準の福祉を達成するが、大国の威信を保つための軍事支出が財政を逼迫。 ・物価と賃金の上昇の悪循環から[35. インフレ ]が進み、経済成長率で EEC 諸国や日本に大きく遅れる。 ]労働党政権(1964-70)の改革 ②[36. ウィルソン ・[37. ポンド切り下げ ・[38. スエズ以東 ](1967)…ポンドの対ドル平価を 14.3%切り下げ。輸出増による国際収支増が目的。 ]より撤兵(1968)…経済状態悪化から軍事支出を抑えるため。大英帝国は終焉した。 (7)日本の高度経済成長 ①[39. 朝鮮特需 ②[40. 55 年体制 ]…朝鮮戦争勃発後、国連軍への物資供給を引き受け鉱工業生産が飛躍的に発展。 ]…保守系の自由党と日本民主党が合同して自民党が成立し政権を握り続ける。 ③国際社会への復帰…1956 年[41. ④[42. 60 年安保 ⑤[43. 高度経済成長 ⑥[44. 日ソ共同宣言 ]で国交を樹立、国際連合にも加盟。 ]…自民党が条約批准を強行採決し闘争が激化、全学連が連日デモ、女子学生も死亡。 日韓基本条約 ]…3 次にわたる池田勇人内閣(1960-64)の下で「所得倍増」をスローガンにする。 ]…1965 年佐藤栄作内閣が[45. ]政権と結んで外交関係を樹立、 朴正煕 (8)60 年代末の学生運動・労働運動 ★戦後の政治・社会制度と経済成長によって変容した社会とのずれにより学生運動・労働運動が起こる →フランス;1969 ド=ゴールの退陣 →[46. →西ドイツ;1969 大連合政府崩壊 →[47. ] ポンピドゥー ブラント ]
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