フランスにおける海事関連博物館等に関する情報

本事業は日本財団の支援を得て実施されています。
造船関連海外情報収集及び海外業務協力事業
- Special Edition -
Euro Maritime Info at a glance
2003 年 8 月 15 日
フランスにおける海事関連博物館等に関する情報収集結果
(JETRO パリ船舶部 / Japan Ship Centre (JETRO) 現地共同取材)
○ はじめに
JETRO パリ事務所船舶部及びジャパン・シップ・センター(JETRO)では、伝統的海事関連技術
の伝承等に関する情報収集を行った。2003 年 7 月1日から 5 日間にかけてフランスにおけ
る海事関連博物館を現地調査した。本紙は情報収集の結果概要をまとめたものである。
○ 主な訪問先等
主な訪問先等は次のとおり。
・船の博物館(港博物館)訪問(Le musée du bateau(Le Port-Musée))
・船大工トレーニングセンター訪問(Les Ateliers de l’Enfer)
・海洋博物館訪問(Musée national de la Marine)
・コンカルノ漁港博物館訪問(Musée de la Pêche, Concarneau)
・塩田博物館訪問(Musée des Marais Salants)
○ 船の博物館 - 港博物館 (Le musee du bateau(Le Port-Musee)
フランス国内あるいは欧州域内で使用されなくなった実船を有志により、ブルターニュ地
方西部に位置する漁港町 Douarnenez(人口約 1.5 万人)に集め始められたのを契機として
博物館が誕生した。実物の船舶を修復保存、管理、展示している博物館としてはフランス
国内随一の保有隻数を誇る。国内で実際の船を展示している博物館としてはパリ市内の海
洋博物館はじめ当地以外には 2∼3 箇所しかなく、この Douarnenez の船の博物館が 12 年
前に開設された時にはフランス中の注目を集め
年間入館者数も 6 万人を数えた。同館開設以来、
経営破綻を招く中、博物館運営の民営化を試みた
りしたが、結果的には、現在の Douarnenez 市に
よる職員派遣、船舶及び施設の保有並びに管理運
営を含む公営事業となっている。この博物館は単
に船を展示するだけでなく、集められた船舶を修
復あるいは復元し、それを保存管理及び一般に公
開する事業を行っている。現在、保存保管してい
(写真:日本ではほとんど見られなくなった古い木造帆
船が係留されている。手前の帆船は非見学用。)
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る船舶は約 250 隻あり、このうち 33 隻を館内展示、5 隻を隣接する川(昔は港として利用
されていた場所に実物の船を展示していることから、港博物館という名称もある。)に係留
展示されている。
開館当時、市の財政事情も良く入館者数が多かったことから、職員数も 75 名を数えるなど
運営状況も良かったが、その後、市の財政状況の悪化、入館者数の減少、さらには事業の
拡大化路線に対する民間支援が思うように伴わず、1995 年秋に 3,900 万フランの負債を抱
え経営破綻をきたした。その間、市長交代等により民営化の動きもあったが、民間企業か
らもそっぽを向かれ、2002 年の現市長から再生を期し、職員数を 16 人にするなどの組織
改編を行い、また、各種イベントの実施等による集客に専念し、現在に至る。なお、民営
化の話だけでなく、8 年前には保存船舶の所有・管理を国側に要請するなど、当時としては
国営事業の民営化対策が進行する中、事業の国営化も試みたが政府に断られた経緯がある。
現在の博物館の運営は、4 月∼10 月の 6 ヶ月間とクリスマスシーズンの2週間の開館とな
っており、年間入場者数は約 3.7 万人となっている。このうちの 60%がバカンス客で占め
ており、館側としてはもっとブルターニュ域内のローカルからの集客増を目指している。
このため、学校事業の一環として利用してもらったり、実船(鰯船を改造した船舶)によ
る体験航海実習を企画したり、さらには海事に関するコンサートや演劇の上演も実施して
いる。また、船の模型を作る等、手作業を伴うようなイベントも企画実施している。博物
館(Douarnenez 市)の所有施設は本館、船舶及び(係留用)ドックである。子供たちを体
験航海させた後には、船乗りへの道を志す生徒も少なくない模様で、博物館側では体験実
習の効果を高く評価している。
船の博物館の年間予算は約 6 百万フラン(約 1.2 億円)で、このうち人件費等の管理費が2
百万フラン、投資事業費等に 4 百万フラン充てている。これに対する収入は、入館料が約
百万フランで、残りを国や地方郡県( Finistère、Côte d’Armor、Ille-et-Vilaine、Morbihan)
からの補助金及び市からの財源で賄っている。博物館の責任者であるオーマッソン氏によ
れば、現在はなんとか経営が成り立っている
状況との談であった。
【係留船の見学】
河川ドックには 5 隻の船舶が一般公開され
ていた。古い船舶は 19 世紀後半期の木帆船
が浮上展示されており、1920 年代や第2次
大戦中に使用された鋲打ちの鋼船蒸気船も
修復展示されていた。航海用機器類は撤去さ
れているものの、外板や船底構造の詳細が容
易に視認できるよう、また、修復部分と建造
(写真:一般見学用に係留された木船を保存しつつ
当時からの部材とが区別できるよう、専門知
も船体内部の構造の詳細が理解できるような工夫
識を持たない一般見学者にも理解しやすい
がなされている。)
展示工夫がなされていた。係留桟橋上にもビ
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デオや模型展示物が音響効果とともに設置されていた。週日にも関わらず、本館及び野外
の係留船へも多くの一般訪問客が見学していた。
なお、日本と同様、フランス国内では小型プレジャー船を除き木製の船舶を新造すること
はなくなったが、現役就航中の木船も少なからず稼働していることから、木船に関する技
術はまだまだ必要である模様。特に漁船は木船が多いとのことであった。
「旅客」、「魚」、「荷物」及び「喜び」を運ぶ 4 つのタイプに分けられるのが船であるとの
博物館職員による説明は判りやすく印象的であった。
○ 船大工トレーニングセンター (Les Ateliers de l’Enfer)
「海の文化に係る地方連盟(直訳)(1979 年に
発足した地方4郡県による海事関係の助成機
関)」によって 1984 年に設立されたフランス国
内唯一の船大工技術の実践を教えるセンターで
ある。1985 年には初代卒業生を輩出している。
また、1990 年からは帆に関する部門も開設され、
現在 2 つの部門で訓練生を育成している。同ト
レーニングセンターは 4 人(船大工部門 3 名、
帆の部門 1 名)の技術指導教官及び 4 人の秘
書・会計担当職員の計 8 名で運営されている。
生徒数は船大工部門が 18∼20 人、帆の部門で
(写真:船大工の作業風景。)
は 8∼10 人となっている。履修期間はそれぞれ
10 ヶ月及び 15∼18 ヶ月となっている。
船大工部門では現在 18∼55 歳の生徒が在籍しており、10 ヶ月の期間中、3 週間の民間企業
等での実習、15 日間のバカンスとクリスマス休暇以外の日は、当センターで訓練を受ける
こととなる。生徒はブルターニュ等の地方都市や企業からの派遣で助成金を受けており、
訓練費用に係る自己負担はごく僅かとなっている。
生徒が造った船舶は、一般企業への影響がないような条件(5 年間の転売禁止等)で売却す
ることができ、これが同センターの大きな収入源の一部となっている。年間当たり平均し
て 3 隻のヨット及び 2 隻のカヌータイプの船舶が建造されている。過去 20 年間に 120 隻の
船舶を建造している。今後の造船は鋼船や FRP 船が増加し続けるが、木船技術はすべての
材質の船舶にも対応可能(逆はダメ)なため、ここで学んだ技術が無駄になることはない。
これまでに 300∼350 人の卒業生を送り出している。毎年、70 人前後の応募者があり、実
技と口頭による試験により入学する生徒を選別している。開校は9月から。運営に当たっ
て、今最も必要とするものは何かとの問いに対し、実技用スペースで、その設備拡充に係
るお金であるとの回答があった。
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○ 海洋博物館 (Musee national de la Marine)
この博物館は、パリ市内西部のトロカデロ広場(エッフェル塔を望むシャイヨー宮に隣接
する広場)に面した場所に位置する海洋系の国立博物館である。博物館訪問時には元海軍
将校のジョルジュ・プリンドン館長の出迎えを受け、館内説明も同館長によって行われた。
同博物館は以下の特徴を有する。
1)海洋博物館としては世界最古で、
ドアメール・モンソ氏によって 1748 年
に開館されている。なお、現在の本館
建物自体は 1878 年に建造されている
2)軍艦、商船、漁船、スポーツ・レ
ジャーボート、潜水船の模型及び現物
を 16∼18 世紀時代の物を中心に 10 万
点以上を収集、展示しており、現物も
(写真:プリンドン パリ国立海洋博物館長から直接に詳
細な説明を受ける。)
復元したものではなく当時使用されて
いたものをそのまま展示している。
3)同博物館は、パリ市内の本館の他、大西洋沿岸や地中海沿岸部に位置する計8つの海
洋博物館において同館で管理しているオブジェを分散展示し、これら8つの海洋博物館の
運営を統括管理している。
博物館訪問時には①19 世紀時代の船に搭載されていたフィギュア−ヘッド等のオブジェの
彫刻展、②フランス中世の船舶に関係する絵画展、③現在フランス国内のアトランティッ
ク造船所で建造中の QMⅡ展、④19 世紀の造船関係物品展が特別展として催されていた。
展示物の内容はその時々で交換されるが、17 世紀から 19 世紀にかけてフランス海軍が日本
から持ち帰った日本船の設計図等日本関係資料も 300 展以上保管している。今回の訪問時
には、本館の一部修復作業中につき、日本関係の資料は展示されていなかったが、当方か
ら照会した資料の提供協力要請には応諾する旨館長から返答があった。
模型船は 2,500 点を有し、国王の建造許可を得るための事前の帆船模型やフランス海軍が
航海士の訓練用に使用された精密な帆船模型等も当時の現物が保存展示されている。日本
の海事博物館にも見られる一般商船等の模型も展示されているが、1930 年代に開設された
軍艦コーナーでは、1794 年の初の蒸気船、1860 年の鉄製汽帆軍艦、1864 年建造の世界初
のモーター付き潜水艦等のモデルシップが一般訪問者に解りやすく、また、当時の姿を正
しく後世に伝えようとするための精密な細工がなされて展示されていた。その他、18 世紀
後半期以降の六分儀等の航海用備品も展示されている。
現在の本館入場者数は年間約 35 万人で管理下にある8ヶ所の海洋博物館総計では 55 万人
ということであった。なお、美術館を含めパリ市内の全博物館のうちこの海洋博物館の入
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場者数は第6番目に多いとのことである。
今後は外国との交流、特に日本との交流を深めていきたいとの挨拶が館長からあった。
○ コンカルノ漁船博物館 (Musee de la Peche, Concarneau)
フランス国内で 4 番目の漁獲量を誇る人口 2 万人弱のコンカルノの漁港を訪れた。この漁
港を拠点にインド洋等の遠洋マグロ漁にも出かけており、年間約 1.3 万トンの水揚げがある
という。ブルターニュ語でコンカルノは避難所を意味し、その名のとおり港は深い入り江
状の中にあり、15∼16 世紀にかけて建てられた城壁の島が現存し、観光名勝として利用さ
れている。また、湾内には多数の漁船の他、修造船所やマリーナも併存している。国内有
数の漁船拠点でもあるこの町のほぼ中心部に位置する城壁島の中には漁船博物館(Musee
de la Pêche)があり、古代から近代の漁具、漁労方法や漁船が、実物、模型等を利用して
分かりやすく詳細に展示、解説されていた。いずれの展示物も丁寧に保存管理されており、
また、精密な細工で仕上げられていることから、清潔な館内の中、ゆっくりと落ち着いた
雰囲気の中で飽きることなく展示物や解説に見入ることができた。
○ 塩田博物館訪問 (Musee des Marais Salants)
訪問した塩田博物館は塩田としてフランス国内有数の塩田都市ゲランド地方(人口約 1.2 万
人)のバッスィールメール(人口約 2.7 千人)にある。フランス第7の都市ナント(ブルタ
ーニュ地方のキャピタルで人口約 24.5 万人)から北西 88 ㎞に位置する。ゲランドの他、
ヌアムチンやイルドン等の塩田都市がフランス国内にも存在するが、その製塩規模はゲラ
ンドの 1/3 以下と小さい。ブルターニュはケルト文化圏と言われているが、6 世紀頃、英国
に住んでいたケルト人がアングロ・サクソン民族に追われてこの地域に海を渡って移り住
み着いたブルトン人から成り、19 世紀までブルトン語が使われるなど、フランス国内でも
特異な性格を有する地域である。英国のグレートブリテンに対する小ブリテンがブルター
ニュの地名の由来。ゲランドはその昔、国内貴族の避暑地として栄えたが、現在は観光及
び塩田資源で繁栄を築いている。バッスィールメールはフランス語で海に面しているとい
う意味で、その名のとおり大半が塩田として使用されている。塩田面積は 1,800ha あり、
国内数カ所ある塩田の中では最大規模かつ良質な塩作りを行っており、生産量の約 5%を欧
州、日本、米国、アフリカにも輸出している。
ゲランドはフランス語で白い所を意味し、花崗岩からなる半島の中で城郭都市を形成して
いたが、長年の土砂の堆積により現在の地勢となっている。農耕には適せず 2 千年前から
塩作りが行われている。塩田に必要な太陽エネルギーを享受する観点からは、このゲラン
ド地域が塩作りの北限と言われている。
塩田博物館はゲランド地方の 15 の市町村(コミューン)によって管理運営されており、5
人の職員が同館に常駐管理している。この博物館は 1887 年の民族博物館を前身とし、1984
年から塩田博物館として運営されている。経営基盤は 15 の市町村(コミューン)からの拠
出金及び年間 2.5 万∼3.5 万人訪れる入館料(大人4ユーロ、学生割引等3ユーロ、12 歳未
満は無料)によって賄われており、政府からの援助はこれまでのところ受けていない。
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塩田博物館到着時には地元新聞記者が我々視察訪問団とベルトー スポーツ文化施設管理
委員会会長、女性のダニエル・ビダル町長(兼同副会長)等との会談の模様を撮影、記録
していた。
[2003.07.04 付で現地調査を報じるゲランド地方紙 (L’Echo de la presqu’ile guerandaise et de Saint-Naire)]
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塩田博物館では、一般人を対象に塩の作り方
を学んでもらうため、塩田の模型、実際に使
用されている道具、50 人収容のビデオ席等の
他、同館の前身当時から収集された民族的遺
産も多く展示されている。塩田模型では、古
代に行われていた海水をグリル式に焼く方
法や中世以降から現在の製塩方法に至る模
様が克明に判るように整備されている。現在
の製塩は、「泥沈殿槽」と呼ばれる池(ポン
ド)に日変化6時間毎及び半月( 15 日)毎に
(写真:塩(粗塩)の採取作業。)
訪れる塩の干満(この地域の干満差は約 6m)
を利用して海水を引き込み(貯水、海水温度の上昇、泥の沈殿を目的とする)、そこから長
い水路、水門を通して徐々に海水中の塩分濃度を高め、最終段階では一辺の平均長さ 7m×
10m の「オイエ」と呼ばれる塩田中央部で結晶化した塩が採塩される。塩は粗塩「GROS
SEL」と塩の華「FLEUR DE SEL」とに分別して採取される。なお、結晶化した塩の採取
には、柄の長さ約 5m の掻き集め棒が使用される。
海水、太陽及び風の恵みによって得られるこれら塩の一日当たり採取量は、粗塩「GROS
SEL」は 50∼70 ㎏、塩の華「FLEUR DE SEL」3 ㎏。バッスィールメールの塩は 1992
年にフランス政府から良質な塩を表す「赤ラベル」の指定を受けたことから、それ以降、
塩の製造が拡大している。なお、当地における年間当たりの生産量は、粗塩 8,000∼12,000
トン、塩の華 200∼300 トン。ただし、現在の 240 世帯の製塩農家(業者)数や製塩面積
1,800ha 自体はそれほど拡大せず、効率的な生産量の増加に努めているとのことである。塩
の収穫時期は6∼9月にかけての夏場で、
それ以外の季節は塩田の修復、維持のた
めの作業が行われており、1年を通じて
塩田耕作に係る作業が行われている。ま
た、良質な塩は良質な粘土質から誕生す
るとのことであった。この地域の粘土層
は、18,000∼8,000 年前に海から運ばれ
てきた粘土層が堆積したもの。塩作りに
粘土層が適しているのは、無尽蔵にしか
も無料で粘土が手に入る、塩の貯蔵に適
している、防水性に優れている、熱を蓄
積する、粘土の成分が塩の味等に好影響
を与える点である。
(写真:塩の保管に使用された廃倉庫。計画中の塩田
博物館拡張予定場所でもある。)
製塩業を目的とする専門の教育訓練学校
は特に存在せず、製塩に係る技術の伝承は、もっぱら OJT によっており、技術だけを身に
つける専門的な指導センターは先の 15 のコミューンによってなされている。なお、製塩は
人の目や感に依るところが多く、また、狭い水路幅やデリケートな「オイエ」との物理・
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地勢的な事情もあり、ごく一部分の作業を除いてはその機械化は進んでいない。ちなみに、
塩田経営で1世帯の生計が成り立つには 60 オイエ規模の塩田が必要。
また、同塩田博物館では将来的には隣接する元塩の販売用貯蔵倉庫の廃屋(1965 年から使
用せず)を活用して、博物館の増改築を行う計画を立てており、これには 15 のコミューン、
村、塩田所有者等からの財源を充てる予定であるが、政府からの援助は現時点では想定し
ていない。なお、この旧塩貯蔵倉庫には 1914 年製の浄塩機が当時のまま捨て置かれてあっ
た。
バッスィールメール塩田の特記事項としては 2000 年に発生したタンカー「エリカ号」から
の油流出事故による海水汚染がある。この
時には約2年に亘って沿岸部に漂着した
油除去作業が行われ、塩田にも相当の被害
が出た。この事故以降、海水汚染から塩田
を守ることに対する認識、意識が高まった。
海水汚染の他、鳥類等の糞も良質な製塩に
は外敵となり、そのための清掃を行ってい
る。
ナポレオン時代に創設された塩田に対す
る課税は 1945 年まで続いたが、現在は非
課税となっている。また、この地域では食
(写真:地元の人の紹介による珍しい“焼き塩ス
文化にも塩の影響が現れており、いわしや
ズキ”)の料理。風光明媚な海岸線も、2∼3年前
豚の貯蔵のための塩漬けやレストランで
には「エリカ号」からの漂着油で真っ黒だったと
の塩をふんだんに使った料理も考案され
いう(窓の背面)。
ており、今回の訪問団の昼食には、博物館
側の諮らいで、焼き塩スズキ(bar en croûte de sel)を食することができた。
○ その他、感想
船の博物館や船大工トレーニングセンターでは、これからは新しく建造されることのない
木造船にスポットが当てられているが、今後は漸減してゆくであろう現役稼動中の木造船
の補修維持の需要に応えるため、あるいは、逆は不可能だが鋼船やプラスチック船等への
応用が効く木造船技術の伝承をという職人気質の尊さとその重要さを、訓練生徒が実際に
造った船を目の当たりにして痛感した。それと同時に、時流に必ずしも沿っていない部門
の財源確保の厳しい現実もこれら責任者のインタビューを通して痛切に感じることができ
た。
漁港町コンカルノの漁船博物館では、数多くの漁船の種類、漁労方法が立体的に展示され
ており、この博物館だけで漁業の構図がほとんど理解できるほどの内容の展示がなされて
いるように思えた。今回訪問した何れの博物館も展示物の管理状態が良く、破損したり汚
れたままで展示されていることがなく、適宜補修維持されている様子から博物館全体が清
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潔で明るい印象を与えているように感じた。
訪問した各博物館とも規模の大小はあるものの、模型や実物の道具等を使って関心や興味
をそそるような容易で解りやすい展示方法に工夫がなされているようであった。展示され
ている模型も決して最新のものばかりではないが、丁寧な造作が一般見学者に親しみと理
解の促進をもたらしているように感じた。
模型だけでなく、実物展示も見学者の理解度を高める上で役に立つが、さらに今回、塩田
博物館における実際の塩田での塩の収集作業等の体験や塩田所有者との面談もイメージの
範囲を超えた理解に効果があるように思えた。
○ おわりに
今回の情報収集は、(財)日本海事広報協会が主催する博物館運営等に関する海外研修ツア
ーにジャパン・シップ・センター(JETRO)から職員が同行して行われたものである。このツ
アーは日本財団の支援の下、日本財団職員及び三重県鳥羽市の石原義剛「海の博物館」館
長はじめ日本国内の博物館関係者等 13 名が参加した。また、このミッションのフランス訪
問等に関する現地との調整並びに事前調査は、JETRO パリ事務所の船舶部がこれにあたった
ものである。
今回の現地調査を通じて、同時代の人々だけでなく後世の人々にも正しく物事を伝えてい
くことの難しさと、その使命の重大さを学ぶことができる貴重な情報収集活動ができたと
思われる。また各訪問先では博物館責任者(館長)の他、行政関係者の出迎えを受けるな
ど、逆に訪問先の日本の海事事情に対する関心と好意の高さを窺える場面もあった。
このような訪問の企画及び実施に全面的な協力、支援を与えて下さった日本財団をはじめ
とする日仏関係者各位に対して改めて感謝の辞を述べることとしたい。また、日本から参
加された博物館関係者の知見は、現地での情報収集、本レポートをまとめる上で大いに参
考になったことを付記する。
以
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上