『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 ―エドモン・ジャルー、ポール・スーデー、フェルナン・ヴァンデレム― 禹 朋子 マルセル・プルースト作『失われた時を求めて』が二十世紀を代表する小説であることを疑 う者は今やない、というほどにその評価は定着している。プルーストについて書かれた論文、 図書の数は年々その数を増し、文字通り枚挙に暇がないという表現がそのまま当てはまる。そ してそこにはもはやプルーストを批判する言説は見ることができないように思われる。 このような事態がいかにして発生したかを問うてみるとき、我々にまずできることは作品に ついて書かれ、残されたものを読むことである。第一巻『スワン家のほうへ』が刊行された 1913年から、刊本中最も信頼できるとされるガリマール社のプレイヤッド叢書に作品が収めら れた1954年に至る時期にフランス本土で発表された新聞・雑誌記事、図書を調査したところ1、 その結果のいくつかは意外なものであった。その一つは、8回に分けて各巻が出版されたこの 小説をその度読み、評し続けた批評家の数がきわめて限られていることである。本論はそうし た批評家三名が残した記事を取り上げ分析する。誰もがほめている作品を高く買うことは容易 な技であるが、未完成の長編を評し続けるには作品への関心を保ち、実際にこれを読み、他と は異なっているかもしれない自らの考察の結果を読者に披露する勇気が必要である。また実際 に作品を読んだかどうかが疑われる記事が多い中、彼らの批評は実際の読書に裏打ちされたも のであることは間違いない。第一巻の刊行から一次大戦を挟んで1927年にようやく完結する作 品に対し、最も熱心な読者としての批評家はどのように反応し、何を読み取ったのか、その様 相を分析することとしたい。 誰がプルーストを批評したか ここで取り上げるのは、エドモン・ジャルー(Edmond Jaloux, 1878-1949) 、ポール・スーデー (Paul Souday, 1869-1929)、フェルナン・ヴァンデレム(Fernand Vandérem, 1864-1939)の三 名である。プルーストについて書いた評論の数の多さということであれば、アクション・フラン セーズ紙のレオン・ドーデ(Léon Daudet)、小説の完結を待たずしてプルーストの生涯と作品 を論じた著作2 を出版したレオン・ピエール=カン(Léon Pierre-Quint)などもその筆頭に挙 げられる。しかしレオン・ドーデはその父アルフォンス、弟リュシアン同様、プルーストとは その青年期から親交が深く、プルーストの名を文学の愛好家だけでなく一般公衆に広く知らしめ ることになった1919年のゴンクール賞選考に関してプルーストに便宜を図り、また受賞のニュー −1− 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 スを本人に知らせた人物である。そのプルースト評に中立的な立場からの文学のプロフェッショ ナルとしての個人的な判断を求めることはやや難しい。レオン・ピエール=カンの場合、プルー ストに関する評論を開始したのが遅いという問題がある。筆者の調査の結果、最初の雑誌評は 1922年12月3 、すなわちプルーストの死後に発表されている。これに続く多くの著作には早くも プルーストを神聖視する傾向が見て取れ、プルーストに対する評価の変容を観察するという本 論の目的にそぐわない。 選択の結果残った三名についても全く問題がないわけではない。詳細についてはこのあと触 れるが、いずれも多少はプルーストと親交があり、すべての巻に対してその都度批評を書いた のは実際にはスーデーだけである。以上の理由から以下の論においてはスーデーの評論をまず 点検し、他の二名が展開した論の独自点を分析することにしたい。 いつ批評が行われたか 彼らが発表した批評、著作のうち、プルーストに関する言及が見られるものを本論末尾に一 覧にした。これを見ると、三名のいずれも特定の新聞・雑誌のコラム担当者であり、批評が一 定の量に達するとこれを本として出版していたことがわかる。E. ジャルーはヌーヴェル・リテ レール紙の書評欄「エスプリ・デ・リーヴル」、P. スーデーはル・タン紙の書評(コラム名はず ばり「本」)を担当し、それぞれ同名のタイトルを付けた本をシリーズで刊行していた4。毎週木 曜、第3面に掲載されるスーデーの書評は、当時最も権威あるものと見なされていた5。F . ヴァ ンデレムは「ルヴュ・ド・パリ」誌、次いで「ルヴュ・ド・フランス」誌に新刊批評欄を持っ ていた。原稿は『文芸の鏡(Le Miroir des lettres)』シリーズとして出版されている。 次の表は、『失われた時を求めて』各巻の刊行および文芸賞受賞とプルーストの死去に対する 彼らの最初の反応を示したものである。記事タイトルからは明確でない場合もあるが、その内 容に照らし合わせて一覧を作成した。第二巻『花咲く乙女たちの陰に』発刊と同時に第一巻 『スワン家のほうへ』の再版、ならびに文体模写と過去に発表された論考を収録した『模倣と雑 録』が発売されている。『ゲルマントの方 I』発刊に先立ってスーデーの書評が発表されている のは誤りではなく、一般への発売に先立って献本が行われたためと考えられる6。 出版物、出来事 スワン家のほうへ 花咲く乙女たちの陰に スワン家の方へ(再販), 模倣と雑録 ( ゴンクール賞受賞 ) ゲルマントの方 I ゲルマントの方 II、ソドムとゴモラ I ソドムとゴモラ II ( プルースト死去 ) 囚われの女 消え去ったアルベルチーヌ 見出された時 −2− E. Jaloux 1913.11.14 1919.06.21 同上 1919.12.10 1920.11.22 1921.05.02 1922.04.29 1922.11.18 1923.11.14 1925.11.30 1927.09.22 P. Souday 1913.12.10 1919.12.18 1920.01.01 1920.01.00 1921.05.21 1922.09.07 1922.11.25 1924.02.29 1926.01.16 1927.12.03 1927.12.10 1920.11.04 1921.05.12 1922.05.12 1922.11.20 1924.02.21 1926.01.28 1927.11.17 F. Vendérem 1919.07.15 1921.04.15 1920.01.15 1921.06.15 1922.06.15 1922.12.15 1924.04.01 1926.02.01 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 いずれの批評家も代表的なコラムだけでなく他の新聞、雑誌へも寄稿しており、それらが発表 の場になっていることもあるが、スーデーのみはすべて上記の批評欄に掲載の原稿で最初のリ アクションを行っている。ジャルーとヴァンデレムはいくつかの巻を飛ばしているが、ただスー デーのみが全巻を即座に評している。まずはこの評論家がプルーストに下した判断を点検して みることにしよう。 ポール・スーデーの批評 スーデーのプルースト評の中で現在でもしばしば引き合いに出されるのは第一巻発売時のもの である7。というのは、プルースト自身がその批評の厳しさに反論する書簡をすぐさまスーデー へ書き送っているからである8。不注意から数多く残ってしまった綴りの間違いや、読むことを 困難にする文体を指摘し、作家の才能を認めつつも作品に構成が欠けていることを述べ、第一 巻の半分以上を本編の主人公の体験ではない挿話『スワンの恋』が占めていることをバランス の欠如であると言っている。しかしその一方、作品の魅力を次のように述べている。 Cependant M. Marcel Proust a, sans aucun doute, beaucoup de talent. C’est précisément pourquoi l’on déplorera qu’il gâte de si beaux dons par tant d’erreurs esthétiques et grammaticales. Il a une imagination luxuriante, une sensibilité très fine, l’amour des paysages et des arts, un sens aiguisé de l’observation réaliste et volontiers caricaturale. […] Cette surabondance de menus faits, cette insistance à en proposer des explications se rencontre fréquemment dans les romans anglais, où la sensation de la vie est produite par une sorte de cohabitation assidue avec les personnages. Il nous semble que le gros volume de M. Marcel Proust n’est pas composé, et qu’il est aussi démesuré que chaotique, mais qu’il renferme des éléments précieux dont l’auteur aurait pu former un petit livre exquis. この部分についてはプルーストも好意的な箇所として上記書簡の中で礼を述べている。またプ ルーストは言及していないが、予告されている第二巻以降への期待も表明されている。 « C’est, je pense, l’amorce du tome qui va suivre et qu’on attend avec sympathie, avec l’espoir aussi d’y découvrir un peu plus d’ordre, de brièveté, et un style plus châtié. » スーデーの評が全 体として賛辞なのか批判なのかがしばしば議論されてきたが、真に重要なのはこの段階でスー デーがプルースト作品における文体の問題点、繊細な感受性、伝統的なフランス小説に見られ る構成の欠如、イギリスの作家との近似性を既に指摘していることであろう。 小説の第二巻とともに次の作品評が発表されるのは第一次大戦後のことである。スーデーは 1919年12月18日付の書評でもこの巻を対象としているのであるが、スペースの都合上、その大 半は次の1920年1月1日付の欄にまわされている9。その冒頭スーデーは、自分が1913年の時点 で早くもプルーストの作品に賛辞を述べてきたことを指摘し、自分の意見が今日アカデミーの 判断と一致したことを喜ばしいこととしている。 −3− 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 Je vous ai longuement entretenus de ce premier volume, paru en 1913, et dès ce temps, j’ai fait du talent de M. Marcel Proust un assez vif éloge, bien que tempéré de certaines réserves, pour n’avoir aujourd’hui qu’à me féliciter de ce jugement académique venait à l’appui du mien. 現在、我々はゴンクール賞の受賞はプルーストのキャリアにとって非常に重要な意味を持っ ていることを知っている。しかしそれは決して一方的に肯定的なものではなく、その年のゴン クールアカデミーの判断は、プルーストに対する様々な否定的な意見を巻き起こしたことをスー デーは証言する。というのもその年の本命は、復員してきたロラン・ドルジュレスの戦争をテー マにした作品『木の十字架』であったのに、様々な意味でそれとは正反対の作品が受賞したか らである。つまりこの賞は新人賞であるのにプルーストは年を取っており、受賞の賞金など必 要としないお金持ちであり、アカデミーメンバーの何人かの支持を受けているというわけであ る。我々はその点についても無知ではないが、スーデーの書評は反発の強さを物語っている。 作品そのものの評については、プルーストの長々しい文体についての判断はまだまだ否定的 である。« Ce n’est pas seulement l’œuvre elle-même qui est longue, c’est aussi trop souvent chaque phrase prise à part, qui s’amplifie, se complique, d’enchevêtre, se replie en volutes et en queue de serpent. » しかしそれがここでわずかに変化を見せることに注目しよう。« Ce n’est pas seulement la construction un peu démesurée et embarrassée qui arrête le lecteur dans les phrases de M. Marcel Proust, c’est aussi l’originalité presque continuelle de la pensée ou de la sensation, et de l’expression verbale. » プルーストの文章を読んでいて立ち止 まってしまうのは、そのやや度を超した構成のせいばかりではなく、その思考、感覚、文章表 現がほとんど常に独自のものであるからだ、とするこの意見は文体と思考方法の一致というプ ルーストの考えとも合致するものである。 またこの段階でスーデー以外に指摘した批評家が見当たらない重要なポイントは、プルース トが当時、まだ批評の世界で重きをなしていたサント=ブーヴの方法を批判していることに気 づいていることである。スーデーは登場人物の一人であるヴィルパルジ夫人が持っている意見 について次のように述べている。 C’est ici une critique des critiques à la Sainte-Beuve. Nous avons déjà vu, dans sa préface aux Propos d’un peintre (De David à Degas) de M. Jacques-Émile Blanche, que M. Proust regarde l’étude biographique et les relations personnelles avec les grands hommes non comme une aide, mais comme un empêchement à sentir leur grandeur véritable. この貴族の夫人は若い頃に有名な作家たちが自邸に招かれてやってきたことを自慢し、世間で は大作家と考えられている人々も、実際にはつまらない人物であったと言ってしばしば見下す。 スーデーは、サント=ブーヴの方法はそれでもうまく機能していたし、文芸批評家と作中の軽 薄な人物とを簡単に比較することはできないという留保をつけた上で、人物の伝記的事実を知っ −4− 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 ていることはその人の偉大さを真に感ずる上で障害になりうるという意見をプルーストが表明 していることを指摘する。今や我々は作家その人の生涯や人物特性によって作品を評価するサ ント=ブーヴの方法に対する反論こそが『失われた時を求めて』の出発点となっていることを よく知っているが、ベルナール・ド・ファロワが小説体バージョンの原稿を発見し(それはそ の後再度散逸)、これをContre Sainte-Beuve(『サント=ブーヴに反論す』)と題してガリマー ル社から刊行する1954年まで、その存在すら知られていなかった。にもかかわらずスーデーがこ のような指摘を行うことができたのは、上記引用文にある通り、その少し前に刊行されたジャッ ク=エミール・ブランシュの著作を評した際10、プルーストが書いた序文11 に注目していたから である。スーデーの批評は、緻密な読書に裏付けられたものであると言えよう。 1920年5月12日の記事12 は、これを扱った論評が比較的少なかった『ゲルマントの方Ⅱ, ソド ムとゴモラⅠ』の書評である。その理由の一つは、この巻が出版された時点で既に『ソドムと ゴモラⅡ』の刊行がアナウンスされていたためこれを待つ批評家がいたことにあると考えられ る。今ひとつの理由はそのタイトル、そしてその内容そのものにある。スーデーもこの巻の末 尾数十ページを占めるソドムのテーマについては意図的にかどうかはわからないがこれを回避 し、代わって文体の問題を詳しく論じている。プルーストの文体は実はそれほど込み入ったも のではなく、注意深く読めばプルースト作品に繰り返し現れるテーマが読み取れる、とスーデー は述べている。 On y distingue aisément, en relisant deux ou trois fois avec beaucoup d’attention, une des théories favorites de M. Marcel Proust, et qui est comme une des leitmotives de ses récits, à savoir celle de la contingence et de la relativité de nos états de conscience, où entrent comme composantes beaucoup d’éléments divers, également essentiels, mais que la fuite du temps, l’instabilité des choses, les déformations de notre mémoire, la double évolution nullement concordante du moi et du non-moi, nous interdisent de retrouver jamais deux fois dans un ensemble identique. スーデーがプルーストの「ライトモチーフ」として挙げているものは、意識の偶然性と相対性、 つまり時間の経過、物事の不安定性、記憶の歪曲、自我と非我が別個に遂げる変遷の為に二度 と同じ状態では見出すことのできない意識のありようである。 またプルーストの複雑な文体はそのような物の見方、考えの筋道を反映しており、プルース トが好むテーマの表現のためには不可欠なものであるという意見に完全に転換していることに も注目しよう。スーデーはそのことを、プルーストについて自分が書いている解説そのものが 晦渋であるかもしれないと懸念する気持ちを表明することで説明する。 Et voilà que je commence à craindre moi-même de n’être pas sensiblement plus clair que M. Marcel Proust, qui est ici un Bergson ou un Einstein de la psychologie romanesque, et à qui certaines idées un peu subtiles imposent presque inévitablement parfois un langage un peu abstrus. −5− 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 この時点でスーデーにおいてはプルーストの文体の難解さという問題は解決されたように思わ れるが、むろん彼自身のような文学のプロフェッショナルと一般読者の感覚にはまだまだ隔た りがある。この点については後ほど他の批評家の意見を点検してみることにしたい。 続く巻に対する評は、あらすじとハイライトの紹介に多くの行が費やされることになる。『ソ ドムとゴモラⅡ』の書評13 では、もはや同性愛のテーマについての言及を避ける訳にはいかな いが、これも読者は必要以上にこれを恐れることはない、と述べるにとどまり、中心人物であ るシャルリュス男爵が活躍する場面を紹介するにあたっても直接的な単語や描写を用いること はない。 1927年、最終巻が出版されるにあたり、スーデー自身も『失われた時を求めて』全体の総合 評価を行う14。まずは出版当初の経緯に触れ、第一巻のみは当初グラッセ社から出版されたため、 この版がコレクターズアイテムになっていることを指摘する。また作品の一部が死後出版になっ たため、『囚われの女』以後の巻では加筆、修正が十分に行われておらず、特に最終巻は下書き 状態であるため作品を正確に評価することはできないと述べる。死後出版の巻に対する書評が 他の新刊図書と同じ欄で行われたり、やや粗筋解説に終始したりする傾向が見られたりするの も、そのような理由によるものと考えられる。尚この時点でスーデーが下書きに加筆、修正を 加えていくというプルーストの創作方法に通じていることに注意しよう。 次いで最終巻の大筋が紹介されるが、前半は後半に比べて劣っているとの判断を下している。 シャルリュス男爵の戦時下の発言がプルースト自身のそれと似通っていること、作中にゴンクー ルの日記のパスティッシュがあり、この部分が文学的虚栄に対する批判になっていることを指 摘した上で、巻末の無意思的記憶の蘇り体験を作品冒頭のマドレーヌ体験と関連させて解説し ている。更にこのような物事のエッセンスに触れることは理知派であるプラトン主義的な体験 であるのに対し、プルースト自身は反知性主義を主張しているのであるからその双方に折り合 いをつけた点をプルーストの独自点と捉えている。また最終巻の末尾を飾るゲルマント大公邸 でのパーティについては、他の批評家たちがベルグソンを援用していることに疑問を呈しつつ、 時と記憶の作用についてのプルーストの考えを解説する。 以上の通り、スーデーが展開する論点は現代のプルースト入門書にそのまま利用できそうな ものであり、今日の我々が『失われた時を求めて』に関して持っている基本的な理解に非常に 近い。これはしかし、他の二名の批評家に完全に共有されていた訳ではない。以下、それぞれ に特徴的な論について検討してみよう。 エドモン・ジャルーの批評 ジャルーの論評の特徴は、まず何よりもプルーストの心理描写を高く評価している点にある ( « On dirait qu’il renouvelle complètement la psychologie […]15 » )。しかしジャルーにとっ −6− 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 て心理描写とはテクニックであり、進化、発展し後継者に乗り越えられるものであるという考 えが見て取れる。実際、1921年に発表された論評の中で、かつてポール・ブールジェが成し得 た心理描写の革新を現代においてはプルーストが体現しているが、これもいつかは古びるだろ うと彼は述べている。 Je ne serai pas étonné que Proust à son tour créât en ce moment un admirable poncif psychologique et que dans trente ans, on le trouvât banal, parce que trois générations de romanciers auront utilisé ses découvertes et ressenti l’amour à leur tour comme le ressentent Swann ou tel personnage du Côté de Guermantes.16 無意思的記憶の蘇りを軸とした作品全体の構成、作品が含む様々なテーマについての見解は スーデーのそれにほぼ一致する。しかしスーデーと異なり、ジャルーは同性愛のテーマを論じ ることをいとわない。問題の巻『ゲルマントの方Ⅱ, ソドムとゴモラⅠ』について、まずはこれ を「文学上の事件」(« un événement littéraire »)だとした上で、このようなテーマを扱うこと を非難する傾向を逆に批判している。 On a reproché à l’auteur ses portraits de personnages vicieux, mais il faut dire qu’il se place, ici, pour nous les décrire, à un point de vue totalement scientifique. Plusieurs de ses observations prendront évidemment place dans les travaux des savants, au même titre que des expériences de laboratoire.17 プルーストが純粋に科学的な見地からソドムとゴモラを書いたかどうかについては異論の余地 もあろうが、このような ジャルーの態度は、『囚われの女』の批評において大胆な仮説を生み出 す。物語の主人公がアルベルチーヌに対して抱く嫉妬は、相手が同性愛者ではないかという疑 いに由来する特殊なケースだとした上で、アルベルチーヌの両性具有性について言及するので ある。 De même augmente l’ambiguïté d’Albertine. Elle finit par ressembler à ces êtres androgynes des comédies shakespeariennes, qui participent à la fois de tant de natures et qui semblent nés avant tout de l’imagination des poètes ; ou comme les centaures et les satyres du Paganisme, de la Nature et de l’Humanité réunies. Et la brusque disparition de la jeune fille, à la fin du second volume, ajoute encore à cette étrange impression. 現在ではプルーストの運転主兼秘書であったアルフレッド・アゴスティネリという青年がアル ベルチーヌの重要なモデルであること、プルースト家にいわば囚われていた彼が出奔し飛行機 事故によって突然死亡したこと、あるいは彼とプルーストの間に交わされた手紙が作品内で利 用されていることはよく知られている。ここでジャルーが述べていることは、これらを裏付け る資料の発見とは無関係に、また実際に起きた事件とは無関係な文学的想像によって書かれて いる。しかしそもそも同性愛と両性具有の問題は切り離せないものであり、このテーマを正面 から取り上げた批評家のみがこのような直感を働かせることができるのである。 −7− 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 フェルナン・ヴァンデレムの批評 ヴァンデレムの評論は、スーデー、ジャルーに比べて気軽な調子で書かれていることが大き な特徴であり、作品の長所、欠点についてもはっきり述べている。また他の評論家に対しても 氏名を明示しての反論を辞さないといった歯切れの良さがある。プルーストの小説に対して基 本的には肯定的な評価を下しつつもその不足な点を指摘し、また自らはそのような態度をとり ながらもプルーストに対する批判には熱心に反論するというヴァンデレムの姿勢は、結果的に 当時のプルースト批判がいかなるものであったかを知る重要な手がかりとなっている。 彼がプルースト評を発表するのは戦後のことで、第二巻『花咲く乙女たちのかげに』、ならび に再販された第一巻を同時に論じている18。この時点でプルーストはまだゴンクール賞を受賞し ていないことに注意しよう。曰く、この作品は極めて特異で不可解な作品である。二冊で並み の小説7、8冊に相当する分量がある。心理描写が微細すぎて、まるで映画のコマ撮りをして いるようだ。文体と言えばどんな人も二度は読み直さないといけないし、文法上の誤りもひど いものである。物語の筋は無に等しい、とさんざん非難した挙げ句、この作品はすばらしい、 と断言する。 Et bien, après cet éreintement carabiné, je vous étonnerai fort en vous déclarant qu’avec le Jean Barois de M. Martin du Gard paru en 1913, les deux volumes de M. Proust forment, à mon avis, une des œuvres les plus intéressantes, les plus captivantes, pour ne pas dire les plus importantes qui aient vu le jour en ces dernières années.19 ではどこがすばらしいのかというと、作品のテクニックとしては全くなっておらず、小説でも 回想録でも箴言集でもなく、本というよりは思い出と印象の寄せ集めだが、そこには独自の感 受性といきいきとした知性がある(« Mais qu’importent les fautes de métier, si en arrière on trouve quelqu’un, une âme, une sensibilité personnelle, une intelligence vive et libre ? »)、 とようやく積極的な評価の理由を述べるのである。ゴンクール賞受賞後に書かれた評20 にも同 様の論の進め方が見て取れる。ここでは様々なプルースト批判を逆に批判するのであるが、今 度は他者に対してプルーストを擁護するという形をとるだけの違いである。批判の内容はスー デーのケースで見た通り、プルーストの年齢、生活環境(賞金など必要としていない)、作品の テーマ(ドルジュレスは戦争文学である)といったものである。 世間のプルースト批判は許さないが、自らはプルーストを賞賛しながら欠点を容赦なくあげ つらう、という少々不思議なヴァンデレムの姿勢は『消え去ったアルベルチーヌ』の評価にお いても遺憾なく発揮される21。1926年はこの巻をもってして傑作が出版された年となると宣言し た後、いずれの部分も等しくすばらしい訳ではないとして批判が開始される。まずヴェネツィ ア旅行については繊細な印象にあふれているが、物語の展開に関しては無益であると断言する。 サン=ルーが同性愛者であることが発覚する章については、「普通の好みをお持ちの方は読み飛 −8− 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 ばした方が良い22」とまで書いている。それでもなお、だからといって反プルースト派の言うよ うに、この作品を「これは小説ではない」と言って非難するのは間違っている、と述べるヴァ ンデレムの論拠は、実は彼自身がプルーストの作品を小説だとはみなしていないことにある。 プルースト作品にはバルザック的な小説と思える箇所もあれば、その次には回想や告白が現れ る、と指摘したあと、これは芸術作品なのだろうかと問いかける。« Des pareilles disparates ne sont-elles pas le contraire de l’art ? Assurément, si on les apprécie du point de vue de notre tradition romanesque et des règles littéraires en usage. » 回答は明快で、プルースト作品 は伝統的な小説の枠組みには収まらない。小説でないとすれば、では何なのだろうか。ヴァン デレムの用意した回答は、問題は文学の範疇にではなく、心理のそれにある。プルーストの関 心は一冊の本を書くことではなく、自分のうちに抱えている印象、感情、観察を吐き出すこと にあったのだ。そうでなくては読者を疲れさせ、最悪の場合読まれないという危険を冒してま で細部に満ちた、長くもつれた物を執拗に書き続けることの説明がつかない、というものであ る。少々長いが引用する。 Pour ma part, j’y verrais moins un phénomène d’ordre littéraire qu’un phénomène d’ordre psychologique ; le cas sans précédent d’un individu particulièrement sensible, exceptionnellement clairvoyant, et poussé moins par le désir de faire un livre que de s’extérioriser totalement, de se soulager des myriades d’impressions, d’émotions, de douleurs, de joies, d’observations […] Autrement, comment s’expliquer ce qui a toujours fait pour moi le grand mystère de l’œuvre de Proust et ce que nulle exégèse ne me paraît avoir tenté d’élucider : cette audace surhumaine, cette intrépidité unique dans l’histoire des lettres à entasser pages sur pages, détails sur détails, sans souci des longueurs, des lenteurs, des enchevêtrements, sans autre terme que l’exhaustion complète de ce qu’il veut dire, et en dépit de tous les risques qu’il y courait : ennuyer, rebuter, dérouter, lasser — ou bien pis, n’être pas lu.23 一見豪快に見えるヴァンデレムのプルースト評は、実は彼自身が抱えた「『失われた時を求めて』 とは何か」という問いに答えようとする意思の現れなのである。 おわりに 作品発表当時の批評は現代の批評、研究とどのように異なるのであろうか。むろん当時の批 評家達はその後発表された資料や発見された事実を知らない。また文化的背景は現在のそれと 同じではない。しかしだからといって彼らの読みそのものがそれだけ劣っているということで は決してない。もしプルースト批評が時代と共に進化し、時間の経過と共に深さと洗練の度合 いを深めていくと考えるならそれは誤り以外の何物でもない。批評は進歩するのではなく変化 するに過ぎず、しかもその根幹については『失われた時を求めて』発表当時、既に大筋が形成 されていたことをここで検討した批評家達は教えているように思われるのである。 −9− 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 関連記事一覧 ・以下に本論で分析対象としている批評家三名の関連記事を挙げる。配列は筆者アルファベット順、その内 部においては発表年月日順。 ・いずれも1913年から1954年の間にフランス本土で発表された記事、図書のうち、プルーストに関する言及 を含むものである。筆者が2009年5月に作成した科研報告書(注1参照)に記載の情報を元に加筆修正を 加え、対象レフェランスを抽出した。図書については該当年の冒頭に配することとし、月日を「00. 00」 とした。 ・新聞、雑誌記事タイトル記載にあたってはコラム名がある場合、極力これを記した。また書評記事の場合、 記事の特定に支障のない範囲で対象となっている図書の記述を簡略化した。 −複数の図書が対象となっている場合、プルーストに関連するもののみを記載した −出版社、巻数は省略した −プルーストの作品の場合は著者名を略した ・新聞、雑誌記事が図書に収録された場合、その双方を記載した。 Edmond Jaloux 1. 1920.01.00-02.00, « L'œuvre de Marcel Proust », Écrits nouveaux (Les), a 3, n° 1-2, p. 101-107. 2. 1920.11.20, « Les grandes compétitions littéraires. Le prix Goncourt. Quel est l'érivain que les “dix” vont couronner? », Éclair (L'), p. 1. 3. 1921.05.21, « La vie littéraire. Les derniers romans de Paul Bourget : L'Ecurière et Un Drame dans le monde », Revue hebdomadaire (La), a 30, t 5, p. 317-327 [voir p. 327]. 4. 5. 1921.12.14, « Le prix Goncourt sera donné aujourd'hui à … », Éclair (L'), p. 1. 1922.04.15, « Revue littéraire. Les romans (1921) suite », Bulletin de la maison du livre français, a 2, n° 22, p. 137-139 [voir p. 137-138]. 6. 1922.09.07, « La vie littéraire : Sodome et Gomorrhe (II), par Marcel Proust (Nouvelle Revue française) », Éclair (L'), p. 3. [Repris dans L'Esprit des livres, première série, 1923, p. 187-193] 7. 1922.11.25, « L'œuvre de Marcel Proust », Nouvelles littéraires (Les), p. 1. 8. 1923.00.00, L'Esprit des livres, première série, Plon-Nourrit et Cie. 9. 1924.02.09, « L'esprit des livres. 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Proust et Souday », Figaro (Le), p. 5. 註 1) 作成した書誌については次の報告書を参照のこと。『マルセル・プルースト受容研究:初期批評から 文学史形成まで』平成18-20年度科学研究費補助金による研究成果報告書, 基盤研究(C), 研究課題番号 18520252,研究代表者 禹朋子,平成21年5月.報告書にはフランス本土で発表された記事、図書に 外国で発表されたもののうち重要と思われるもの少数を加え、合計1783件のレフェランスを収録し た。 2) Pierre-Quint, Léon, Marcel Proust, sa vie, son œuvre, Sagitaire ; Simon Kra, 1925. 3) Pierre-Quint, Léon, « Marcel Proust », Monde nouveau (Le), 1922.12.01, a 4, t 6, p. 149-160. 4) ヌーヴェル・リテレール紙はガリマール社寄りの週刊文芸新聞で1922年発刊。ル・タン紙は現在の ル・モンド紙の前身。ル・モンド紙では現在でも書評欄は木曜版に掲載されている。 5) スーデーは1912年当初よりこの欄を担当している。 6) 奥付によると問題の巻の印刷完了は同年8月17日である。 7) 記事一覧の32. 8) Correspondance, éd. par Ph. Kolb, t. XII, Paris, Plon, 1984, p. 380-381 9) 記事一覧の35, 36. 10) 同34. −13− 『失われた時を求めて』受容と同時代の評論家達 11) 現在は次のものに収録されている。 Proust, Marcel, « Préface », dans Contre Sainte-Beuve, Gallimard (Pléiade), 1971, p. 570-586. 12) 記事一覧の40. 13) 同43. 14) 同57. 15) 同1, p. 102. 16) 同3, p. 327. 17) 同5, p. 137-138. 18) 同67. 19) 同 p. 430. 20) 記事一覧の68. 21) 同82. 22) « Puis un chapitre final : Nouvel aspect de Robert de Saint-Loup, où, si vous avez tant soit peu le goût des mœurs naturelles, je ne vous engage pas à vous attarder. », 同 p. 599 23) 同 p. 602. −14−
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