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SUBARUモータースポーツ戦略
Part 1
「すべての道は量産車に通ず」
量産車&WRカー直結の自動車メーカーだからできる全方位的強化戦略
を支え、
SUBARUならではの走りの世界を構
SUBARUは常に自問する。SUBARUらし
SUBARU車に一貫したポリシー、それは
さとは何か、と。自動車メーカーとしての規
「走りの良さ」である。走りの良さを磨き上げ
模は決して大きくない。世界的に見れば小さ
るために、
SUBARUはあらゆる手段を講じて
それは世界一楽しい車でもある。この考えの
いほうとも言える。しかし、だからこそでき
きた。
例えば既にSUBARUの代名詞ともなっ
もとにSUBARUは妥協することなく技術を鍛
ることも多い。メーカーとして目指す方向性
ている水平対向エンジンと、SYMMETRI
え上げてきた。そして、そのポリシーはWRC
もブレにくい。
SUBARUはその規模の小ささ
CAL AWD。このふたつは基本骨格としてレ
をはじめとするモータースポーツの世界でも
をメリットとして捉えている。
ガシィ、インプレッサ、フォレスターの走り
貫かれている。
ただ勝つだけでなくSUBARU
築している。世界一速い車は世界一安全な車、
SUBARUモータースポーツ戦略の中心的組織とワークフロー
SWRT
量産車開発チーム
■チーム運営
■WRカー開発・製作
■量産車開発
(モータースポーツ車両の
要求性能を考慮)
1
MSi
プロジェクト
チーム
2
4
3
WRC
エンジン開発
チーム
モーター
スポーツ
5
6
■WRCエンジン
開発・製作
(STI)
7
STI
グループNチーム
9
■双方のパフォーマン
ス向上を目指したモ
ータースポーツ車両
開発と量産車開発の
促進・各セクション
間の業務調整
■モータースポーツ車
両の先行的基礎試験
■FIAとの折衝(ホモ
ロゲーション関係)
10
量産車開発
(富士重工業
スバル商品企画本部)
11
13
14
8
デザイン
チーム
■グループN用
パーツ開発・製作・販売
■車両&パーツ販売
ネットワーク整備
■ユーザーサポート
1 MSiプロジェクトチーム→SWRT
■WRカー開発内容の提案・決定
■WRカー開発に有効な基礎試験デー
タ・情報の提供
■WRカーの要求性能を考慮したベー
ス車両(量産車)の供給
2 SWRT→MSiプロジェクトチーム
■WRカー実戦データ・情報の提供
■WRカー開発内容の提案
■ベース車両開発に有効なWRカーの
要求性能・データ・情報の提供
3 WRCエンジン開発チーム→SWRT
■量産車デザイン&
WRカーデザイン
の制作
4 SWRT→WRCエンジン開発チーム
7 MSiプロジェクトチーム→
■WRCエンジンの要求性能・データ・
情報の提供
■共同試験・開発
5 MSiプロジェクトチーム→
WRCエンジン開発チーム
■WRCエンジン開発に有効なデータ・
情報提供
8 STIグループNチーム→
6 WRCエンジン開発チーム→
MSiプロジェクトチーム
■量産車エンジン開発に有効なデー
タ・情報提供
Toshiya Azuma
9 量産車開発チーム→
STIグループNチーム
■グループN用パーツ開発内容の提案
■グループN用パーツ開発に有効な基
礎試験データ・情報の提供
■グループN車両の要求性能を考慮し
たベース車両(量産車)の供給
■WRCエンジンの開発・供給
■共同試験・開発
東 稔也
スバルテクニカインターナショナル株式会社
SWRTマニュファクチャラー代表
8 BOXER SOUND
12
MSiプロジェクトチーム
■グループN用パーツ開発内容の提
案・決定
■グループN実戦データ・情報の提供
■ベース車両開発に対するグループN
車両の要求性能・データ・情報の提
供
MSiプロジェクトチーム
■モータースポーツ車両の要求性能を
考慮したベース車両
(量産車)の開発
12 デザインチーム→量産車開発チーム
■モータースポーツ車両の要求性能・
データ・情報の提供
■モータースポーツ車両の要求性能を
考慮した量産車デザインの提案
10 MSiプロジェクトチーム→
量産車開発チーム
■モータースポーツ車両の要求性能・
データ・情報の提供
■モータースポーツ車両の要求性能を
考慮したベース車両の開発内容の提
案
11 量産車開発チーム→デザインチーム
13 デザインチーム→
MSiプロジェクトチーム
■WRカーデザインの制作
14 MSiプロジェクトチーム→
デザインチーム
■WRカーデザインに有効なWRカーの
要求性能・データ・情報の提供
■モータースポーツ車両の要求性能を
考慮した量産車デザインの提案・制
作
2000年からWRC全戦に赴く。
当初はマーケティング関係の業務が主だった
が、戦いの高度化を目の当たりにし、自動車メーカーとして行える強化策
を模索してきた。2004年からSWRTにおけるSUBARU側の代表者としての
職務を任ぜられ、日本と海外を毎週のように行き来する日々を送る
総合
戦略
WRCデザイン
戦略
らしく戦う、という信念はいかなる状況でも
ったのかもしれない。優れた基本コンポーネ
決して揺らぐことはない。
ントさえあれば勝負に勝てる、と。それまで
SUBARUがWRCに本格的に参戦してから
SUBARUはラリー実働部隊である英国プロド
15年が経過した。その間獲得した勝利の数は
ライブ社との提携で設立されたSUBARUワー
44。メーカータイトルを3回獲得し、3人の
ルドラリーチーム(SWRT)に、エンジン以
MSi
戦略
ドライバーを世界チャンピオンに導いてきた。 外のマシン開発のほとんどの部分を任せる形
実に内容の濃い15年だったと言える。そして
でWRCに参加。
当時はその体制がベストと考
いま、
SUBARUは新たなる目標に向かって進
えられ、実際そのとおりだった。
み始めた。それは、モータースポーツ活動と
しかし、
1990年代の末にプジョーがWRCに
量産車開発のさらなる関係強化。これまで以
参入し、やがてシトロエンも加わると状況は
上に両者のコラボレーションを強めようとい
変わる。彼らは量産車開発チームと密接に連
う動きが既に始まっている。
携を取り、その設備や人的財産をフルに使っ
東はドライバーやエンジニアによる実戦面の戦略立案にも参画。その情報は日本側にフィードバックされる
2002年からはエンジンエンジニアを全戦に派遣。日本 2004年アクロポリス優勝に沸くSWRT首脳陣。専用ブ
ースではルイス・モヤと東が常に隣り合わせで座る
側が現場状況の正確に把握する一助ともなっている
危機感がSUBARUを動かした
かつてWRCマシンの開発は知識と経験の世
てマシンを作り上げてきたのである。しかも、
投下される活動予算は莫大だった。
界だった。ベースとなる車の性能がそれほど
そんな状況に危機感を持ったひとりの男が
高くなくとも、特定の改造により戦闘力は比
いた。現SWRTマニュファクチャラー代表の
較的簡単に上がった。
そんな時代にSUBARU
東稔也である。時代が確実に変わりつつある
は水平対向エンジン+SYMMETRICAL
ことを悟った東は、
SUBARUがこれからも勝
AWDという優れたレイアウトのマシンで乗り
ち続けるためには何が必要なのかを考えた。
込み、基本性能の重要性をライバルたちに見
限られた資源で豊富な資金力を誇るチームに
せつけた。
SUBARUは一躍トップチームとな
立ち向かうためにはどうしたら良いのか?
り、優れたパッケージングは他チームのエン
東が出した結論は明快だった。それは世界一
ジニアたちにとって垂涎の存在となった。
のスポーツセダン、インプレッサを生み出し
反省するとすれば、
SUBARUは一時期この
たSUBARUの技術力をこれまで以上に多くマ
素性の良さという部分にあぐらをかいてしま
シン開発に投入すること。プジョーやシトロ
「SUBARUはSUBARUらしく戦う」
、この信念は揺るがない
WRCエンジン開発
戦略
量産車強化
戦略
SUBARUグループN
戦略
SWRT若手育成
戦略
SWRT&STI-FHIをめぐる主な動き
1988年 4月 富士重工業の子会社としてスバルテクニカ
インターナショナル(STI)が創立(初代社
長:久世隆一郎)
1989年
英国プロドライブ社とWRC(世界ラリー選
手権)参戦において提携
1990年
■SUBARUワールドラリーチーム設立
6月 アクロポリス・ラリーよりWRC参戦開始
1993年 8月 ラリー・オブ・ニュージーランド(当時)
でグループA仕様レガシィ(コリン・マク
レー)がSUBARU初のWRC総合優勝
8月 1000湖ラリー(当時)よりグループA仕様
インプレッサを投入
1995年
コリン・マクレーがSUBARUにとって初の
WRCドライバーズチャンピオンを獲得
■SUBARUが初のWRCマニュファクチャラ
ーズチャンピオンを獲得
1996年
■SUBARUが2年連続WRCマニュファクチ
ャラーズチャンピオンを獲得
1997年 1月 ラリー・モンテカルロよりワールドラリー
カー(WRカー)、インプレッサWRC'97を投
入
9月 元富士重工業スバル技術開発部長の山田剛
正がSTI社長に就任
■SUBARUが3年連続WRCマニュファク
チャラーズチャンピオンを獲得
2000年 3月 ラリー・カタルニアよりSUBARU第2世代
WRカー、インプレッサWRC2000を投入
4月 元米国富士重工業マネージャーの東稔也が
STI渉外部に異動、同時にSTIマーケティン
グマネージャーとしてWRC全戦への参加を
開始
9月 ペター・ソルベルグがSUBARUワールドラ
リーチームに加入
2001年 1月 ラリー・モンテカルロより新型GD系インプ
レッサをベースに用いたWRカー、
インプレ
ッサWRC2001を投入
同時に富士重工業スバル商品企画本部主査
( 当 時 ) の 菅 谷 重 雄 が WRC車 両 技 術 の
SUBARU側責任者としてWRC全戦の現場
視察を開始
6月 元富士重工業スバル技術本部電子技術部主
査の栗原優がSWRT R&Dマネージャーとし
てプロドライブ社に出向・赴任
10月 富士重工業常務取締役兼スバル技術研究所
所長の桂田勝がSTI社長に就任
■リチャード・バーンズがSUBARUにとり
2度目のWRCドライバーズチャンピオンを
獲得
2002年 1月 SUBARU内部各所にあったWRカー技術研究
開発の動きを統合調整し、富士重工業初の
モータースポーツ専任プロジェクトチーム
としてMSi
(モータースポーツ・イノベーシ
ョン)プロジェクトチームが発足。菅谷重
雄がプロジェクトリーダーに就任
2月 ツール・ド・コルスで前年モデルの正常進
化型WRカー、インプレッサWRC2002を投
入
8月 スティーブ・ファレルがF1チームのB・A・R
からSWRTに移籍しチーフエンジニアに就任
9月 ラリー・サンレモよりSTIパワーユニット技
術部がイベントエンジンエンジニアとして
川上裕司をWRC全戦に派遣開始
2003年 1月 マイナーチェンジを受けたGD系インプレッ
サをベースに用いつつ、前年モデルから正
常 進 化 さ せ た WR カ ー 、 イ ン プ レ ッ サ
WRC2003を投入
6月 元フェラーリF1チームR&Dエンジニアのエ
ド・ウッドがSWRTに加入しチーフデザイナ
ー(設計者)に就任
7月 MSiプロジェクトチームがSUBARU初の試験
専用WRカーを日本に導入
■ペター・ソルベルグがSUBARUにとり3
度目のWRCドライバーズチャンピオンを獲
得
■マーチン・ロウがSUBARUにとり初の
PCWRC(グループN)ドライバーズチャン
ピオンを獲得
2004年 1月 東稔也がSWRTにおけるSUBARUのマニュ
ファクチャラー代表に就任
3月 ラリー・メキシコで前年モデルの正常進化
版WRカー、インプレッサWRC2004を投入
6月 MSiプロジェクトチームがインプレッサ
WRC2004試験専用車を日本に導入
7月 SUBARU初となる社内デザイナーによる次
期WRカーのデザイン制作がスタート
10月 SUBARU初のグループN専任プロジェクト
チームとしてSTIグループNチームが発足
10月 ラリー・サルジニアでペター・ソルベルグ
がSUBARUのWRC通算44勝目をマーク、
SUBARUがWRC優勝回数最多の日本車メー
カーとなる
■ナイオール・マクシェアがSUBARUにと
り2年連続となるPCWRCドライバーズチ
ャンピオンを獲得
BOXER SOUND
9
インプレッサWRC2004で採用したV字ラジエター。
冷却効率と重
心低下を狙ったもので、こうした新技術の投入は今後も続く
グループNは量産車開発と密につながる領域。2004年からトミ・
マキネンとジョージ・ドナルドソンが加わり、一層の強化を図る
2004年は意欲的設計のフロントセクションがウォータースプラッシュで破損する事態が発生。確認テストの重要性が再認識された
通常のWRCドライバーの枠を超え、ソルベルグは量産車の開発にも積極的に参加している。テストコース用のヘルメットが実に新鮮
2004年WRC SSベストタイム獲得回数トップ4比較
モ
ン
テ
カ
ル
ロ
ス
ウ
ェ
ー
デ
ン
メ
キ
シ
コ
ニ
ュ
ー
ジ
ー
ラ
ン
ド
キ
プ
ロ
ス
ア ト ア フ ド 日 グ サ
ク ル ル ィ イ 本 レ ル
ロ コ ゼ ン ツ
ー ジ
ポ
ン ラ
ト ニ
リ
チ ン
ブ ア
ス
ン ド
リ
テ
ン
コ
ル
シ
カ
カ
タ
ル
ニ
ア
P.ソルベルグ
(SUBARU)
合計96回
M.グロンホルム
(プジョー)
合計69回
S.ローブ
(シトロエン)
M.マルティン
(フォード)
オ
ー
ス
ト
ラ
リ
ア
合計67回
合計33回
若手ドライバーを積極的に登用し育成する戦略もSUBARUならで
は。2005年は写真のステファン・サラザンをSWRTで走らせる
2004年ペター・ソルベルグ主要戦績
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
ラリー名
最終結果
モンテカルロ
スウェーデン
メキシコ
ニュージーランド
キプロス
アクロポリス
トルコ
アルゼンチン
フィンランド
ドイツ
日本
グレートブリテン
サルジニア
コルシカ
カタルニア
オーストラリア
7位
3位
4位
優勝
4位
優勝
3位
リタイア
リタイア
リタイア
優勝
優勝
優勝
5位
5位
リタイア
ラリー全SS数
(※注1)
15
19
15
23
18
22
17
26 (10)
24 (4)
24 (12)
27
19
19
12
20
25 (4)
SSベストタイム
獲得回数(※注2)
1
1
9
7
6
9
6
3 (1)
0 (8)
1
11
8
13
1
0
0 (11)
※注1:「ラリー全SS
数」のカッコ内の数字
は、ソルベルグが実際
に走行できたSS数を示
す
※注2:「SSベストタ
イム獲得回数」のカッ
コ内の数字は、リタイ
ア後にスーパーラリー
規定によって再出走し
た後にマークしたSSベ
ストタイム数を示す
エンと異なるのは、日英、つまりSUBARUと
その長には、
実際にWRCの現場でSWRTの一
と様々。試験を続けデータの収集と解析を続
SWRTの優れた点をうまく引き出すことで相
員として戦ってきた菅谷重雄が就任。2003年
けるうちに、
インプレッサWRC2003の長所と
乗効果を発揮できる点にある。異なる技術的
には当時最新鋭のインプレッサWRC2003を
短所が浮き彫りになっていった。こうして自
バックボーンや文化がぶつかり合うことで、
試験目的で日本に導入し、各部の性能試験お
動車メーカーにしかできない理論的な開発が
たし算ではなくかけ算の効果を得ようという
よびデータ化が行われた。
始まったのである。
のが東の考えかただった。そう決めてからの
動きは、実に迅速だった。
従来のインプレッサWRCも確かに超一線級
最初はMSiの動きをやや疑問視していた英
の性能を備えてきた。しかし、それでも自動
国側も、それが勝つために必要なことだと分
2001年の半ばにはそれまで各部署が別個で
車メーカーの視点からすれば、さらに改良で
かると納得。お互いにエンジニアを派遣し合
行ってきたWRカーの技術研究をひとつに統
きるポイントは多々あった。それは品質面で
うなど、より緊密な関係に発展していった。
合する流れとなり、2002年の初旬にはMSiプ
あったり、軽量化の技術であったり、機械的
じっくりと腰を据えた基礎的な開発や品質の
ロジェクトチームという組織が設立された。
な摩擦抵抗による出力損失の考え方だったり
確保といった作業はMSiが担当し、
走行テスト
10 BOXER SOUND
総合
戦略
やパーツの改良などスピードが求められる作
WRCデザイン
戦略
空力的パーツを追加するにしても、インプレ
MSi
戦略
WRCエンジン開発
戦略
量産車強化
戦略
SUBARUグループN
戦略
SWRT若手育成
戦略
バーとしても非常に優れた才能を持つ。実際、
業はSWRTが実践する。役割分担を明確にし、 ッサの場合はそれが走行性能を向上させるデ
ソルベルグは日常的に様々なSUBARU車に
それぞれが足らない部分を補完することで開
バイスとして効果を果たす。つまりユーザー
乗り、全方位的に車の性能をチェックしてい
発は一気に効率化することになった。これこ
にとってもメリットとなるわけだ。しかし、
る。そして、来日した際はSUBARUのテスト
そが東の望んでいたことであり、その最初の
単なるファミリーカーではそうはいかない。
コースに出向き、量産車開発チームと有意義
成果は2004年3月にデビューしたインプレッ
効果を生み出すことのないパーツとなってし
なコミュニケーションを図っているのである。
サWRC2004という形となって結実した。
まうからだ。量産車を鍛えればグループNマ
森は、ソルベルグの指摘と自分の目指す方
シンやWRカーの戦闘力が上がり、
ひいてはそ
向がまったく同じであることに驚いたという。
れが量産車の基本性能を上げることになる。
意気投合したふたりは、食事をしながらイン
量産車開発チームとのさらなる連携
インプレッサWRC2004はデビュー直後か
量産車開発とモータースポーツ活動が一体化
プレッサの方向性について語り合ったが、食
ら速さを発揮。ぺター・ソルベルグの手によ
したSUBARUだからこそ可能となる、
プラス
べることを忘れるほど会話は白熱した。
り勝利を重ねていったが、その頃には既に次
の循環と言えよう。
「僕の将来のパフォーマンスは森さんやザパ
なるプロジェクトが始動していた。それはも
ザパティナスには、
次期インプレッサWRC
ティナスさんにかかっている。良いクルマを
ちろん次期マシンの開発であるが、そこには
のエクステリアデザインが一任された。これ
作ってください」と、ソルベルグは頭を下げ
これまで以上に深くSUBARU量産車開発チ
まではSWRTで行われていたデザイン作業を
た。もはや単なる契約ドライバーではない。
ームの面々が関わることになった。インプレ
メーカー側にシフトすることで、より量産車
ソルベルグはSUBARUファミリーの一員とし
ッサの開発指揮を執るスバル商品企画本部
との関連性が深まることになる。そして、何
て、WRカーのみならず、量産車の開発にも深
PGMの森宏志と、アドバンス・チーフデザイ
よりも空力的性能が重視されるWRカーの機
く関わっていくことを志願したのである。
ナーであるアンドレアス・ザパティナス。こ
能を量産車のデザイナーが理解することによ
東は言う。
「大きな会社だったらこれほど量
の両名がWRカー開発プロジェクトに参画す
って、
今後世に出るSUBARUの量産車がより
産車開発とモータースポーツが密接に関わる
ることになったのである。
機能性の高いデザインとなることが重要なポ
ことは不可能だったでしょう。組織の垣根に
WRカーは量産車をベースに製作されるが、 イント。
基本デザインの段階からWRカーへの
邪魔され、意見交換さえできなかったかもし
その性能向上にしろ、多くの部分を量産車そ
進化も考慮され、両者に流れる血はさらに濃
れない。しかし、SUBARUには情熱を理解し、
のものに依存する。もちろん、他メーカーの
くなることになる。
新たな挑戦を後押ししようという度量があり
ようにファミリーカーを元にWRカーに仕上
ソルベルグの存在も忘れるわけにはいかな
げることも可能だが、孤高のスポーツセダン
い。言うまでもなくSWRTのエースドライバ
今や量産車開発とWRC活動は切っても切れ
であるインプレッサを有するSUBARUはこの
ーであるが、彼もまた量産車の開発に深く関
ぬほど深い関係となった。その最終目的はた
点において大きなアドバンテージを持つこと
わっている。ソルベルグのドライビングはこ
だひとつ、ロードカーにモータースポーツの
になる。それは量産車の性能向上がそのまま
れまでのWRCドライバーとは違い、
極めてス
魂を込めること。
SUBARUらしさの追及は今
WRカーに直結するという部分である。
例えば
ムーズで基本に忠実。量産車のテストドライ
後より一層深化していくこととなる。
ます。これがSUBARUの強みだと思います」
「SUBARUには情熱を理解し、新たな挑戦を後押ししようという度量があります。
これがSUBARUの強みだと思います」
左からデザイナーの戸叶大輔、チーフデザイナーのアンドレアス・ザパティナス、東、桂田勝STI社長、ソルベルグ、森、そして菅谷。今後のSUBARUのモータースポーツ戦略を担う顔役たちである
BOXER SOUND
11