映画に見るスペイン社会の変遷 - Despacho de Elena Gallego

映画に見るスペイン社会の変遷
エレナ・ガジェゴ
現 代 ス ペ イ ン 映 画 と そ の 変 遷 を 理 解 で き る た め に、 ス ペ イ ン 映 画 の 誕 生
まで遡って、もっとも際立っている特徴を分析しなければならない。
ウ トゥ レラ 1 に よる と エ スパ ニ ョ ラ ーダ( españolada ) の発 生 は、 ス ペ
イ ン 映 画 そ の も の の 始 ま り と 一 致 す る。 エ ス パ ニ ョ ラ ー ダ と は、 ス ペ イ ン
語 の 辞 典 に よ る と「 人 々 の ふ る ま い、 見 せ 物 あ る い は 文 学 作 品 で、 ス ペ イ
ン 人 の 性 格 を 誇 張 し た り 歪 曲 し て い る も の 」 と 定 義 し て い る。 そ の 一 方、
一 般 的 な テ ー マ 別 百 科 辞 典 で は、 そ の 使 い 方 に 軽 蔑 的 含 意 が あ る こ と を 指
摘 し、 か な り 重 要 な 語 義 と 説 明 を 付 け 加 え て い る。 つ ま り「 け ば け ば し い
という意味でスペイン的なものに限って使用される」、「誇張、虚勢を張る、
ま た は タ ン バ リ ン( お 祭 騒 ぎ ) の シ ー ン 」 そ し て「 フ ラ ン ス で は 特 に 軽 蔑
的 な 意 味 で よ く 用 い ら れ る 」 と し て い る。 し か し こ れ は、 あ る 一 つ の 文 化
的 側 面 と 関 係 が あ る。 旅 行 の ポ ス タ ー に よ く あ る よ う な絵 に な る ス ペ イ ン
は、 海 を 渡 っ て ス ペ イ ン 南 部 の 海 岸 に た ど り 着 い た イ ギ リ ス の 貴 族 階 級 に
よ っ て 生 み 出 さ れ た も の で あ る。 こ の 概 念 か ら 生 ま れ た イ メ ー ジ は、 や が
て「 ス ペ イ ン 的 」 と い う 語 の 意 味 に 慣 例 主 義 を 付 け 加 え、 も っ と も 典 型 的
な ス テ レ オ タ イ プ を 生 み 出 す こ と に な る。 ま た 同 様 に、 今 日、 ア ン ダ ル シ
ア が ス ペ イ ン に と っ て か わ っ た こ と は 一 つ の 換 喩 的 な 出 来 事 で あ り、 文 学
か ら 映 画 に い た る 芸 術 は、 そ の 影 響 で こ の ス テ レ オ タ イ プ を 受 け 入 れ た の
である。
1 ラファエル・ウトゥレラ・マシアス (Rafael Utrera Macías) 『スペイン映画・その
歴史とながれ』“ Cuatro pasos por la historia y la estética del cine español ” ス
ぺイン文化シリーズ7号、上智大学 イスパニア研究センター、 2000.
“ Españoladas y españolados: dignidad e indignidad en la filmografía de un
género ”, Un siglo de cine español, Cuadernos de la Academia núm. 1, Academia
de las Artes y las Ciencias Cinematográficas de España, Madrid, 1997.
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エレナ・ガジェゴ
し か し、 現 在 と な っ て、 ス ペ イ ン 人 自 身 も 外 国 研 究 者 と 同 様 に、 以 前 の
見 方 と は 異 な る 方 法 で こ の ジ ャ ン ル と 用 語 を と ら え 始 め、 そ れ ま で 伝 統 的
で あ っ た 軽 蔑 的 な 意 味 合 い を 取 り 去 り、 ま た そ の 中 に、 郷 愁 の 思 い を 超 え
るなにかを見いだし始めたのである。
フランコ独裁政権下における検閲制度 2 により映画表現における社会批判
は 当 時 許 さ れ な か っ た た め、 当 時 の 映 画 監 督 は、 社 会 的 な 批 判 に ユ ー モ ア
を被せて隠した。そのため、フランコ時代にも、エスパニョラーダというジャ
ンルが盛んに続いてきたのである。
2 スペイン市民戦争( 1936 - 39 )後、勝利者側(フランコ軍)によって成立した新
体制は、映画を体制の重要な味方とし国家カトリックシステムを根付かせようと決
心した。フランコは映画を国民運動の原則のプロパガンダの道具にすることを目指
し、それをコントロールすることに執着した。 1940 年代のスペイン映画は当時の政
治的要求に答えるべくして作られたものであり、その時代の作品の平均的な質はス
ペイン映画の歴史の中でも非常に低いものであった。
戦後の映画産業の状況は当時の国家と同様に混沌としていた。多くのスタジオは
閉鎖または空襲により壊滅的な状況におかれ、撮影用のフィルムやセット用の機材
も不足していた。また大勢の技術者、俳優、映画監督らはすでに亡命していたか、
もしくは服役中であり空腹や病気にさいなまれていた。
だがフランコ政権は映画作品の品質や完成度にあまり注意を払わなかった。新執
行部の映画政策は、特に検閲と保護主義という二つの重点に基づいたものであった。
フランコ時代の検閲「宗教の教義やモラルの原則をけなし、批判するような表現を
含む映画の禁止」「司祭が映画に登場する際には、崇められ、最大の尊敬をもって扱
われなければならない」「共産主義やマルクス主義に関係する映画は全て禁止。階級
闘争や労働階級に関するものも同様」「マルセィュの歌を流してはいけない」「会話
に革命者という言葉を使ってはいけない」「軍隊映画の禁止。軍の精神や名誉に反す
るものも同様」「愛情描写に時間をかけてはいけない。キスも含む」「いかなる裸体
描写の禁止」「特にオリエンタルダンスの禁止。踊り子のくねくねした動きの為」
この時代のスペイン映画の脚本化や映画監督はこのような際限のない禁止事項の
数々によりどのように気難しくて文句の多い検閲官を刺激せず自らの計画を進めら
れるかという力量を試された。
高等検閲院は台本に始まり各映画の製作過程の全てをコントロールしたが、それは
世界の他の検閲システムに見られないものであった。一つの例を挙げると、1953 年の
「モガンボ」( Mogambo )というアメリカ映画でさえ、スペインで上映された時に、不
倫関係はタブーであった為、検閲が入り、グレース・ケリー( Grace Kelly )とクラー
ク・ゲ―ブル( Carl Gable )の不倫関係をごまかす為に、ケリーとその夫は兄妹とし
て登場させられた。彼女は恋愛関係の出来る独身女性として登場したのだが、どうして、
その兄妹がベッドを共にするのか、どうしてそんなにベタベタしているのか、スペイ
ン人は非常に不思議がって、かえっておかしなものとなってしまった。
スペインの教会も独自の手法を提供しつつ検閲院に参加した。彼らにとって一番
不快であったものはどんなに些細なものであっても女優の身体の露出であった。検
閲院は 1964 年まで検閲の手法を公開せず、それまでは検閲官の気まぐれやコネが物
を言わせ、彼らの愚かさを表す具体例には事欠かない。例えば、アルゼンチン映画
で Alberto Zabalía 監督の Dama de compañía( 1940 )の中のワンシーンは牛の乳
搾りが出てくることを理由に削除されたのである。
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映画に見るスペイン社会の変遷
『ようこそ、マーシャルさん』(ルイス・ガルシア・ベルランガ監督)
1952年, Bienvenido, Mister Marshall, Luis García Berlanga, 1952
エ ス パ ニ ョ ラ ー ダ の 全 般 的 な 特 徴 が あ り な が ら、 庶 民 を 苦 し め る さ ま ざ
ま な 困 窮、 階 級 性 の 社 会 構 造、 闇 市 と 闇 取 引、 権 力 周 辺 部 の 腐 敗 や、 生 活
の あ ら ゆ る 点 で の 自 由 の 欠 如 は、 ひ と り の「 総 統 」 と い う 存 在 に す べ て の
決 断 を 任 せ き り に し て い た 当 時 の ス ペ イ ン と 政 府、 つ ま り ス ペ イ ン 人 が 市
民ではなく家臣と見なされていた全体主義体制の特徴をも良く表すもので
あったため、『ようこそ、マーシャルさん』とは最初の批判的なスペイン映
画といわれたのも無理のないことである。
ス ペ イ ン 映 画 史 に は、 非 常 に 大 切 な 映 画 な の で、 簡 潔 に 紹 介 す る。 カ ス
ティーリャ地方の人口 1.642 人の小さな村、ビリャール・デル・リオ( Villar
del Río )の単調な暮らしは「アンダルシア歌謡のトップスター」カルメン・
バ ル ガ ス と、 そ の マ ネ ー ジ ャ ー の マ ノ ロ の 訪 れ に よ っ て 一 変 し た。 彼 女 が
や っ て き た の と 時 を 同 じ く し て、 政 府 の 使 節 が 村 長 の ド ン・ パ ブ ロ に 会 い
にやってきた。マーシャルプラン委員会の一行がまもなくやって来るので、
このカスティーリャの村を特に飾って歓迎するよう要請しに来たのだった。
誰 も 彼 も ア メ リ カ 人 た ち の 到 着 を 心 待 ち に し て い る が、 歓 待 の 方 法 に つ
い て は 意 見 が 一 致 し な い。 村 の 有 力 者 た ち を 納 得 さ せ る だ け の 案 が 出 な い
ま ま 議 論 は 続 き、 つ い に マ ノ ロ が ビ リ ャ ー ル・ デ ル・ リ オ を ア ン ダ ル シ ア
の 典 型 的 な 町 に す る と い う 素 晴 ら し い ア イ デ ア を 思 い つ い た。 貸 衣 装 に、
花 で 飾 っ た 漆 喰 塗 の 小 道、 闘 牛 の 飾 り や た く さ ん の は り ぼ て で、 町 は 様 変
わ り す る。 今 で は み ん な が、 み ん な の 夢 を 叶 え る た め に ア メ リ カ 人 大 量 の
ド ル を 置 い て 行 き、 こ の 貧 し く 退 屈 な 生 活 か ら 逃 れ る こ と が で き る と 確 信
し て い た。 た だ 旧 家 の 郷 士 ド ン・ ル イ ス だ け は、 こ の ご ま か し に 反 対 し て
いた。
マーシャルプラン委員会の一行がビリャール・デル・リオにやってきた。
し か し、 稲 妻 の よ う な 勢 い で や っ て き た 車 の 行 例 は、 横 断 幕 に も 歌 に も、
ロシオへの巡礼の衣装とつば広の帽子で着飾った村人が振るたくさんの旗
に も 見 向 き も せ ず、 通 り 過 ぎ て い っ て し ま っ た。 期 待 は す さ ま じ い 幻 滅 に
変 わ っ た。 し か し、 村 人 は、 手 に 入 れ た が っ た も の の せ い で 高 く つ い た 仕
掛けの費用を払うために、ドン・ルイスやマノロ本人も含め一群となって、
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持てるわずかばかりのものを差し出すのだった。静けさが村に戻り、うっと
りするような夢は終わった。残ったのは太陽と希望だけだった。ベツレヘム
の幼子キリストに贈り物を持ってきた東方の三博士(レイエス・マゴス Los
Reyes Magos )も、ビリャール・デル・リオの村には来てくれなかった。
『ようこそ、マーシャルさん』の意味と解釈
1940 年 代 終 わ り、 ス ペ イ ン は 枢 軸 国 支 持
の 結 果、 ア メ リ カ が 布 告 し た マ ー シ ャ ル プ ラ
ン ―第 2 世界大戦で被告を受けた国々への無
償 援 助 ― の 対 象 か ら は ず れ て い た。 し か し、
その後の資本主義と共産主義の急激な分裂と
い う 新 し い 世 界 秩 序 に よ り、 フ ラ ン コ 体 制 は
前者の強力な味方、つまり後者の徹底した敵方
に位置付けられていった。共産主義に対して「十
字軍」の性格をもつフランコの血にまみれた勝
利は、必ずしも無駄ではなかったのである。
1952 年 に 製 作、 封 切 り さ れ た『 よ う こ そ、
マ ー シ ャ ル さ ん 』 を、 人 々 は 上 述 の よ う な 政
治・ 社 会 文 化 的 状 況 の 中 で 受 け 止 め た の で あ
る。 す な わ ち、 ス ペ イ ン は 経 済 的 自 給 自 足 か
ら 脱 し て、 徐 々 に 国 際 社 会 へ と 復 帰 し て い く 状 態 に あ っ た の で あ る。 各 国
大 使 は 漸 次 帰 任 し、 ス ペ イ ン は 共 産 主 義 諸 国 へ の 冷 戦 態 勢 維 持 を 共 通 の 特
徴とする西側陣営の一員となった。 50 年代の間に、国連関係の主要機関は
スペインの加盟を承認するようになっていた。 1955 年には待ち望んだ国連
加 盟 も な さ れ、 又、 ス ペ イ ン 国 内 の 戦 略 地 に「 共 同 利 用 」 と い う 虚 偽 の 名
目 で 軍 事 基 地 用 地 を 提 供 す る と い う、 ス ペ イ ン、 ア メ リ カ 両 政 府 間 の 協 力
協 定 が 締 結 さ れ る の に 時 間 は か か ら な か っ た。 ア メ リ カ 大 統 領 ア イ ゼ ン ハ
ワ ー 将 軍 の マ ド リ ー ド 市 内 凱 旋 パ レ ー ド と、 フ ラ ン コ へ の 抱 擁 を も っ て ス
ペインの国際社会復帰が完了したと言えるだろう。
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映画に見るスペイン社会の変遷
新世代の監督たち
新 世 代 の 映 画 人 た ち は か な り の 数 の「 処 女 作 」 を 作 成 し た が 上 映 さ れ る
に は な か な か 至 ら ず、 結 果 と し て 後 年、 作 品 リ ス ト を 作 成 維 持 す る こ と が
難 し く な っ て し ま っ た。 映 画 産 業 は、 芸 術 家・ プ ロ と し て の ク ォ リ テ ィ ー
の高い個人よりも、具体的な企画に多くの信を置いているように見える。
短 編 映 画 で 腕 を み が い て き た 九 十 年 代 の 若 手 映 画 監 督 た ち は、 一 般 に 文
学 的 素 養 は 乏 し く、 幼 児 期 か ら 知 悉 し て い る ビ デ オ、 テ レ ビ、 コ ン ピ ュ ー
タ な ど の オ ー デ ィ オ ビ ジ ュ ア ル そ の も の か ら 知 識 を 得、 そ の な か で 成 長 し
て き た。 前 の 世 代 と 比 較 す る と き、 か れ ら は「 ユ ー ト ピ ア 不 在 」 そ し て 希
望 の 喪 失 の 世 代 と い う こ と が で き る。 そ れ は 人 生 の ど の 局 面 に つ い て も 共
通 す る こ と で、 同 時 に 職 業 人 と し て の 未 来 の 不 確 定 さ も 露 呈 し て い る。 民
主 主 義 下 に 生 ま れ た か れ ら は、 新 し い 社 会 様 式 を プ レ ゼ ン ト の よ う に う け
と っ た。 フ ラ ン コ 主 義 を 知 ら な い か れ ら は 過 去 の 再 考 を 強 い ら れ る こ と も
なく、ものごとを過去のせいにする必要もない。そのため前の世代とは違っ
て、 過 去 を 映 画 の テ ー マ と す る こ と は、 少 な く と も 主 流 と は な り え な い。
そ し て 現 在 の 物 語 と 現 代 の 生 活 様 式 が、 か れ ら が つ く り だ す フ ィ ク シ ョ ン
の 枠 組 み と な っ て い る。 そ の 物 語 に は 性 が ふ だ ん に も り こ ま れ て い る が、
そ れ は つ ね に 愛 と は 違 う も の と さ れ る。 ま た、 個 人 生 活 か ら 仕 事 の 場 に ま
で い た る 人 格 の 混 乱 と 強 く 結 び つ い て い る が、 そ れ は 登 場 人 物 と 家 族 の 意
志疎通が不可能であることとけっして無関係ではない。
し か し な が ら、 80 年 代 や 90 年 代 以 降、 ス ペ イ ン 映 画 界 は 新 し い 時 代 を
迎 え る こ と に な る。 そ の 特 徴 と し て、 ス ペ イ ン 社 会 の 現 実 的 で 深 刻 な 問 題
点 を 出 し 惜 し む こ と な く 映 し 出 す も の で、 そ れ が 映 画 製 作 目 的 と も な っ て
い っ た。 次 に、 一 体 ど の よ う な 社 会 的 な 問 題 が 映 画 に 反 映 さ れ て い る の か
を見てみよう。
1-“Los lunes al Sol”, Fernando León de Aranoa, 2002.
『月曜日に日向ぼっこ』フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督、2002
本 作 品 で は 深 刻 な 社 会 問 題 で あ る 失 業 を テ ー マ に、 現 在 ス ペ イ ン 社 会 が
直 面 す る 経 済 危 機 や 失 業 の 悲 惨 さ を 描 い て い る。 主 人 公 達 は、 グ ロ ー バ ル
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エレナ・ガジェゴ
化した“進歩的な”経済による犠牲者として描かれ、必死に仕事を探そうと
し な が ら も 日 雇 い 仕 事 を も 探 し き れ な い 状 況 に あ る の で あ る。 全 く 仕 事 が
無 い と い う 空 し さ と 絶 望 と い う 生 々 し い 現 実 が 描 か れ て い る。 雇 用 環 境 や
就 労 状 況、 女 性 の 労 働 市 場 へ の 加 入、 性 差 に よ る 雇 用 差 別、 伝 統 的 性 役 割
の変化や男女関係がどのように変化していったのかを過去の作品と比較し
ながら観察するには完璧な作品である。
2-“Mar adentro”, Alejandro Amenábar, 2004.
『海を飛ぶ夢』アレハンドロ・アメナーバル監督、2004)
この映画では安楽死という問題が取り上げられ、実在のラモン・サンペー
ドロ( Ramón Sampedro )の人生に基づいている。この作品はもっとも多
くの賞を受賞した映画のひとつであり、ゴヤ賞 3 を 14 部門で受賞した。
3-“Familia”Fernando León de Aranoa, 1996.
『家族』フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督、1996.
家 族 形 態 の 変 容 : 核 家 族 か ら 片 親 家 族 へ、 人 間 の 孤 独 と い う テ ー マ を 取
り 上 げ、 現 代 に お け る「 家 族 」 の 概 念 を 描 く。 近 年、 大 き く 変 化 し た の は
家族の規模である。 1960 年代、スペインとヨーロッパは大家族で社会が構
成 さ れ て い た。 ス ペ イ ン の 場 合、 フ ラ ン コ 政 権 は 政 策 の 一 環 と し て 特 別 の
賞を設けてまでも国民に多産を奨励した。 60 年代のフェルナンド・パラシ
オ ス( Fernando Palacios ) 監 督 の“ La gran familia ”『 大 家 族 』( 1963
年)と“ La familia y uno más ”『家族と後もう一人』の 2 作品では、主人
公の夫婦には 16 人の子供がおり、映画では当時の日常生活が如実に描かれ
る。 当 時 は 一 つ の 家 に 三 世 代 同 居 が 珍 し く な く 家 族 は 人 々 に と っ て も 重 要
であった。映画はコメディー要素を含んでいた為に大きな成功を収めたが、
当時の家父長主義や政府の都合による出産率向上のためのスローガンを映
画上で披露しているとも考えられている。
家 族 の 概 念 が ど の よ う に 変 化 し て い っ た の か、 ま た 少 子 化 問 題 と 一 人 っ
3 スペイン映画アカデミーの賞。
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映画に見るスペイン社会の変遷
子 や 片 親 家 族 の 相 関 性、 独 身 者 率 の 急 激 な 増 加 や そ の 問 題 が 社 会 に 与 え る
影響を考察する。
フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督の映画“ Familia ”『家族』( 1996
年 ) の 中 に こ の 状 況 と 大 き な コ ン ト ラ ス ト を 見 つ け る こ と が で き る。 一 人
暮 ら し の サ ン テ ィ ア ゴ は 深 い 孤 独 を 感 じ て い る が、 自 分 の 誕 生 日 を 祝 う 為
に 自 分 の 家 族 の 役 を 演 じ る 俳 優 や 女 優 の 劇 団 を 雇 う こ と に す る。 こ の 偽 り
の 家 族 に も、 感 情 の 篭 っ た 様 々 な 問 題 が 生 じ、 次 第 に 主 人 公 サ ン テ ィ ア ゴ
に と っ て も 思 い よ ら ぬ 感 情 や 問 題 が 生 ま れ、 そ の 描 写 は 素 晴 ら し く、 傑 作
で あ る。 レ オ ン は、 映 画 が 複 雑 か つ 矛 盾 に み ち た 人 間 臭 い 社 会 の 現 実 を 発
見したことをはっきりと表している。この作品は 1997 年にゴヤ賞( Premio
GOYA )受賞した。
現代スペイン映画における移民問題
も う 一 つ の ス ペ イ ン 社 会 に お い て 白 熱 し 続 け る 問 題 は、 ス ペ イ ン に 大 量
に 流 入 し 続 け る 不 法 移 民 問 題 で あ る。 不 法 移 民 は、 安 価 な 労 働 力 と し て 社
会か ら 利 用 し 且 つ 疎 外 さ れ、 そ の 労 働 者 を 搾 取 す る 側 か ら 人 並 み 以 下 の 不
当 な 扱 い を 受 け て い る。 そ し て、 女 性 の 不 法 移 民 に 関 し て は、 正 規 雇 用 の
夢を抱きながらも最終的には売春婦という選択にたどり着くケースが多い。
現在のスペイン映画は人種的差別問題などに関連したテーマが頻繁に取
り 上 げ ら れ て い る。 と い う の も、 移 民 法 の 強 化 に よ っ て 不 法 移 民 達 に 降 り
か か る 障 害 は 余 り あ る ほ ど 増 加 し て お り、 実 際 2002 年 に は 7 万 人 も の 不
法移民が本国に送還された。
このスペイン国内の社会問題は 90 年代以前には存在しない。それは、そ
れより以前はスペイン人が他国への移民となっていた時代であったからで
あ り、 反 対 に 60 、 70 年 代 に は ス ペ イ ン 国 民 が ド イ ツ や ア ル ゼ ン チ ン へ と
移 民 し て い っ た 様 を 伝 え る 映 画 が 存 在 す る。 た と え ば 最 も 有 名 な の が ペ ド
ロ・ラサガ( Pedro Lazaga )監督の“ Vente a Alemania, Pepe ”『ペペ、ド
イツにやってこい』
( 1971 )などである。モンチョ・アルメンダリス( Moncho
Armendáriz )監督は、南サハラからの移民について描いた作品“ Las cartas
de Alou ”『 ア ロ ウ の 手 紙 』( 1990 ) を 手 始 め に、 ス ペ イ ン 内 の 不 法 移 民
問 題 に 取 り 掛 か っ た。 ま た、 イ マ ノ ル・ ウ リ べ( Imanol Uribe ) 監 督 は
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エレナ・ガジェゴ
Bwana ( 1996 )でこのテーマに再び取り組み、サンセバスチャン映画祭最
優秀賞を獲得したが、観客の反応は極めて冷静であった。女流監督イシアル・
ボリャリン( Icíar Bollaín )も 1999 年に“ Flores de otro mundo ”『他界
の 花 』 を 発 表 し、 カ リ ブ 海 系 女 性 移 民 に 見 ら れ る 問 題 に 焦 点 を 当 て 素 晴 ら
しい作品を完成させた。
ま た、 女 性 移 民 と 売 春 の 関 係 を 取 り 上 げ た 優 れ た 映 画 と し て、 フ ェ ル ナ
ンド・レオン・デ・アラノア監督の“ Princesas ”
( 2005 )があり、 1990 年
代以前では外国人女性の売春問題は映画上で社会問題として扱われること
は な か っ た。 現 在、 ス ペ イ ン は 移 民 を 送 り 出 す 側 か ら 受 け 入 れ る 側 へ と 立
場 が 変 化 し た が、 多 く の 外 国 人 女 性 が マ フ ィ ア に 騙 さ れ 正 当 な 仕 事 を 与 え
る と い う 偽 り の 約 束 の も と で 売 春 を 強 い ら れ て い る 実 態 を デ・ ア ラ ノ ア 監
督は映像に映し出し、第二次世界大戦中に 20 万人の慰安婦 4 を生み出した
日本の過去と同様のスペインの現実を描きだした。
こ の テ ー マ で キ ュ ー バ 移 民 に 焦 点 を 当 て た 映 画 も 存 在 す る。 そ れ は ダ ビ
ド・トゥルエバ( David Trueba )監督の“ Balseros ”( 2002 )である。 94
年 夏 に、 と あ る テ レ ビ 局 の 取 材 チ ー ム が、 経 済 的 窮 地 打 開 を 理 由 に ア メ リ
カへ新天地を求めてアメリカ海岸沖を泳いで渡ろうとした 7 人のキューバ
人 の 出 発 数 日 前 を 取 材 し た。 こ の 7 人 は の ち に 海 上 で グ ア テ マ ラ の 避 難 民
キ ャ ン プ に 助 け ら れ ア メ リ カ へ の 移 住 を 達 成 し た の で あ る。 そ れ か ら 7 年
の 月 日 が 経 ち、 こ の 作 品 で は 彼 ら の ア メ リ カ で の 生 活 や キ ュ ー バ に 残 っ た
人達などの詳しいエピソードを加えて、「 7 人のその後」を繊細に描き出し
た。 こ れ は 現 代 に お け る 二 つ の 異 な っ た 世 界 の 間 で さ ま よ っ た 人 間 ド ラ マ
である。
バルセロナでのアフリカのマグレブ人に対する差別を自戒的に描いた映
画 も あ る。 こ れ は ロ レ ン・ ソ レ ー ル 監 督 に よ る“ Said ”( 1999 ) で あ る。
21 世 紀 の ス ペ イ ン 社 会 の 日 常 で 確 実 に 増 え て き た こ の 問 題 に 取 り 組 ん だ
映 画 は 他 に も、 女 流 監 督 チ ュ ス・ グ テ ィ エ ー レ ス( Chús Gutiérrez ) の
4 吉見義明『従軍慰安婦』岩波書店、東京、 1995 .
Yoshiaki, Yoshimi, Esclavas sexuales. La esclavitud sexual durante el Imperio
japonés , Ediciones B., S.A., Barcelona, 2010.
Lydia Cacho, Esclavas del poder , Debate, 2010.
“ El precio de la prostitución ”, El País Semanal, 2 de mayo de 2010.
“ Esclavas. Las cloacas del comercio sexual ”, El País Semanal, junio 2010.
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映画に見るスペイン社会の変遷
“ Poniente ”
( 2002 )や、ベテラン監督であるマニュエル・グティエーレス・
アラゴン( Manuel Gutiérrez Aragón )の Una Rosa de Francia( 2005 ),
そ し て フ ェ ル ナ ン ド・ ギ レ ン - ク エ ル ボ( Fernando Guillén Cuervo ) の
“ Los mánagers ”
( 2006 )などがある。
ま た こ の 場 で 言 及 し て お き た い 映 画 と し て、 欧 州 で の ア フ リ カ 系 移 民
に つ い て 描 い た ヘ ラ ル ド・ オ リ バ レ ス( Gerardo Olivares ) に よ る“ 14
kilómetros ”『 14 キロ』 3 という作品がある。この映画は、三人のアフリカ
人 青 年、 ビ オ レ タ、 ブ バ、 ム ケ ラ が、 サ ハ ラ 砂 漠 か ら ス ペ イ ン 領 で あ る カ
ナ リ ア 諸 島 ま で の 長 く 危 険 な 旅 を 描 い た も の で、 こ の 中 で 本 来 マ ス メ デ ィ
ア 上 で は 表 現 さ れ る こ と の な か っ た 点 に 触 れ て い る。 オ リ バ レ ス 監 督 は、
「この映画を通してサハラから欧州にやってくるアフリカ移民に対する欧州
人 の 偏 見 を 変 え た か っ た 」 と コ メ ン ト し、 ア フ リ カ ま で 自 ら 旅 行 を 実 行 し
てこのシナリオを完成させた。オリバレスは「テレビで我々が観るような、
スペインの海岸にボートで辿り着くアフリカ移民のイメージは彼らの旅の
終 着 の 単 な る 一 片 で あ り、 本 当 に は 表 現 さ れ て は い な い。 私 は 彼 ら が 数 年
も か け て 渡 っ て く る も う ひ と つ の 海「 サ ハ ラ 砂 漠 」 を 横 断 す る 際 の 過 酷 さ
と 危 険 性 を 何 よ り も ま ず 映 像 化 し て み た か っ た。 ま た 一 方 で、 テ レ ビ で 見
る移民達の疲れ切った顔や表情の裏にそれぞれのドラマがあることを示し
たかった」と語った。
次に、スペインの移民問題にさらに踏み込むために、女流監督イシアル・
ボ リ ャ イ ン( Icíar Bollain ) の 作 品 に つ い て 見 て み る こ と に す る。 女 優 で
あ り 映 画 監 督 で も あ る イ シ ア ル・ ボ リ ャ イ ン は“ Hola, ¿estás sola? ” で
成 功 を 治 め た が、 次 作 品 を 監 督 す る ま で 十 分 に 思 考 構 想 を 重 ね 十 分 に 時 間
を 取 っ た う え で 二 作 目 に 臨 ん だ。 そ の 第 二 作 目“ Flores de otro mundo ”
は“ Hola, ¿estás sola? ” の続編とも考えられる構成でいくつかの“ Hola,
¿estás sola? ”のいくつかのシーンもこの第二作で使用されている。このボ
リャリンの 2 作品を二つの要点にわけて見ていくことにする。
まず最初に、“ Hola, ¿estás sola? ” に三人の女性主人公が登場する。ド
ミ ニ カ 女 性、 キ ュ ー バ 女 性、 ビ ル バ オ 出 身 の ス ペ イ ン 女 性 で、 未 婚 男 性
の多いスペインの片田舎で行なわれる独身者用の出会いパーティーに参
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エレナ・ガジェゴ
加 す る 為 の バ ス に こ の 三 人 が 乗 り 合 わ せ る。 こ こ に は ボ リ ャ イ ン 監 督 の 現
代 社 会 を 考 察 す る と い う 意 図 が 存 在 す る の だ が、 映 画 の 中 に ド キ ュ メ ン タ
リ ー 性 持 た せ る と い う ボ リ ャ リ ン の 意 志 と 執 念 が 垣 間 見 ら れ る。 大 半 が 男
性 で 占 め ら れ る ス ペ イ ン の 片 田 舎 に 向 か っ て ゆ く 女 性 達、 Caravanas de
mujeres 4 「 女 性 の キ ャ ラ バ ン 」 と 名 付 け ら れ た 存 在 す る 現 実 を 基 に こ の 映
画が作られたのである。
次 に、 第 二 の 要 点 と し て、 こ の 映 画 は 自 分 の 人 生 を 切 り 拓 く 為 に は ど ん
な苦労をも辞さないエネルギーに満ちた女性達のストーリーであるという
点をあげたい。“ Flores de otro mundo ”では二人の女性主人公が登場し、
一 人 は ビ ル バ オ の 病 院 で 働 く シ ン グ ル マ ザ ー、 も う 一 人 は キ ュ ー バ 出 身 の
売 春 婦 と い う 設 定 で あ る。 こ の 二 人 が パ ー ト ナ ー と 安 定 を 求 め ス ペ イ ン の
片 田 舎 で 繰 り 広 げ て い く 出 会 い と 人 間 関 係。 こ の 二 人 の 女 性 が そ れ ぞ れ に
「他界の花」であることを観ている側は次第に理解していく。
4 ス ペ イ ン で は 農 村 お 見 合 い ツ ア ー が 数 多 く 企 画 さ れ て お り、 ASOCAMU
( ASOciación de CAravanas de MUjeres :農村お見合いツアー協会)という団体
も存在する。同団体のホームページ http://www.caravanasdemujeres.com を参照。
ツアーの企画や参加方法についてあらゆる詳細情報が網羅されている。
なかでも、ピレネー山中のプラン( Plan )という村で催されたお見合いツアーが
社会的に大きな反響を呼んだ。
スペインは内戦後非常に貧しくマーシャルプランも存在せず、職を求め地方から
仕事を求め多くの人間が都会に流れた。この現象はスペインの過疎化を引き起こし、
多くの村が無人村となった。エリアス・ルビオが書いた本に Burgos, los pueblos
del silencio『ブルゴス、沈黙の村』があるがこの状況が描写されている。著者の故
郷ブルゴス県だけで、 20 や 30 年前から 60 の無人村が存在する。スペインの中心部
(カスティヤやラ・マンチャ地方)の人口密度は一平方キロ当り 50 人程であるから、
スペイン中には数え切れない無人村があるといえる。ヨーロッパの中でも非常に人
口密度の低いスペインは、人口密度の高い日本から見れば考えられない状況ではあ
るが、日本より面積が大きいスペインの人口は 4600 万以上で、日本の人口の三分の
1に過ぎない。そのうちの 600 万くらいは外国人移民である。現在の映画にもこの
状況が描かれており、“ Flores de otro mundo ”
『他界の花』には、独身女性との出
会いの場に恵まれない農村の男性たちが「女性のキャラバン」つまり、「お見合いツ
アー旅行」を主催する。その中にはスペインの女性もいるが、移民ラテンアメリカ
の女性もいる。スペインの奥地の寒村から出たことのない男性組は比較的視野が狭
く閉鎖的であるのに対し、女性組は外国人もおり当然世界観も異なり、経済的自立
している女性も存在し、未来に対し希望に溢れる女性も多い。この映画は人間同士
の連帯感、愛情問題、そして男女関係についての傑作といえる。
多くの独身男性が居住しているアラゴン地方のピレネーで、 1985 年のある日、村
の映画館に米国の『 Westward the women 』“ Caravana de mujeres ”
( 1951 年)と
いう映画が上映され、その影響で、映画さながらの「お見合いキャラバン」が実現する。
世界中の女性が花嫁として募集され、スペインだけでなく世界的に有名な出来事と
なったのである。
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映画に見るスペイン社会の変遷
現代社会における女性の精神的な孤独の描写に長けているボリャリンは、
人 種 と 文 化 を 織 り 交 ぜ な が ら、 伝 統、 文 化、 い の ち、 そ の 土 地 独 自 の 気 候
的要素や風景にいたるまでありとあらゆる要素をもって女性主人公が抱え
る 異 文 化 へ の 順 応 を 強 い ら れ る 女 性 の 苦 難 を 描 き だ す。 そ れ は 社 会 的 個 人
的な不信感、そして人々の奥深くに根差す差別観など、ありとあらゆるケー
スで異文化への順応に際しては障害となりえるものである。
ボリャイン監督は特定の概念を掲げこれらの問題点を描いているわけで
は な い。 強 調 す る こ と な く モ ラ ル を 振 り か ざ す わ け で も な い。 つ ま り、 さ
まざまな種類の主人公を設定し、それら主人公を幅広い観点から描き出す。
彼 女 は 複 数 の 異 な る 主 人 公 達 の 個 性 的 要 素 を う ま く 一 つ に ま と め、 メ ロ ド
ラ マ に 陥 り、 ド ラ マ テ ィ ッ ク 性 に 欠 け る 点 を カ バ ー し な が ら 映 画 を 構 成 し
ていくことのできる監督である。
ボリャイン監督のスタイルは第一作目の“ Hola, ¿estás sola? ”にも同様
に み る こ と が で き、 ボ リ ャ イ ン 独 自 の 要 素 が う ま く 調 和 し て 表 れ て い る と
言えるであろう。
ボ リ ャ イ ン の 現 代 的 で 透 明 感 の あ る 視 点 は、 ド キ ュ メ ン タ リ ー 映 像 と う
ま く 合 致 す る。 そ の ス タ イ ル は、 フ ラ ン ス の 田 舎 の 姿 を ラ デ ィ カ ル に 且 つ
あからさまに描き出したエリック・ロメール( Eric Rohmer )監督の 1993
年 の 作 品「 木 と 市 長 と 文 化 会 館 」 と 共 通 す る も の が あ る。 主 人 公 の 個 々 の
ストーリーとその個性は文化人類学的観点からも分析することができる
し、 実 際 の 人 々 の 生 活 の ド キ ュ メ ン タ リ ー 的 な 視 点 は フ ィ ク シ ョ ン を よ り
豊 か に し、 そ れ に よ り、 真 実 に た ど り 着 く こ と が で き る。 こ の ボ リ ャ イ ン
と 共 に 共 同 シ ナ リ オ 作 家 と し て こ の 映 画 に 取 り 組 ん だ フ リ オ・ リ ャ マ サ レ
ス( Julio LLamazares )5 は、 マ ス コ ミ 受 け の 良 さ よ り も、 ス ペ ク タ ク ル
の あ と に や っ て 来 る ご く 普 通 の 日 常 的 に 神 経 を 注 い だ。 そ れ ゆ え に、 映 画
のストーリーは、女性主人公のそれぞれの人生での大きな出来事の「その後」
の 日 常、 つ ま り 祖 国 や 家 族 か ら 遠 く 離 れ、 誰 も が も う 彼 女 達 を 思 い だ さ な
くなった頃に彼女達はまだその同じ場所で自分たちの人生を切り拓く為に
5 “ Flores de otro mundo ”の脚本はイシアル・ボリャインとフリオ・ヤマザレスが小
説 La lluvia amarilla『黄色い雨』を元に共著。La lluvia amarilla はスペインの
地方の過疎化についての代表的な小説である。
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エレナ・ガジェゴ
奮闘する、この映画はそのような姿に焦点を当てている。
“ Flores de otro mundo ”も、ストーリーが進むうちに、いくつかのシー
ン で、 そ れ ほ ど ド ラ マ テ ィ ッ ク で も な い 映 像 が、 実 は 感 情 表 現 に お い て、
極めて感動的なものとなっている。終了から 30 分ほどでは静寂のなかにも
そ れ ぞ れ の 主 人 公 の 表 情 に 深 み が 生 ま れ、 カ メ ラ が そ れ を 追 っ て い る。 そ
ん な 中、 希 望 の 兆 し も 映 像 と し て 映 し 出 さ れ る、 た と え ば 村 の 片 隅 で 遊 ぶ
子 供 た ち の 姿 で あ る。 そ れ は 未 来 へ の 希 望 を 象 徴 し つ つ、 過 疎 化 し つ つ あ
る 田 舎 の 問 題 を 決 し て ご ま か す こ と な く 描 写 し つ づ け る。 そ ん な 未 来 へ の
希望を暗示するシーンで再び都会から女性達を乗せてやってきたバスが登
場 す る の で あ る。 こ れ こ そ ボ リ ャ イ ン の 人 生 へ の 賛 歌 で あ り、 こ の 作 品 が
称 賛 に 値 す る 作 品 で あ る こ と を 示 し、“Flores de otro mundo ” で ボ リ ャ
インはカンヌ映画祭で国際映画賞を獲得した。
ボ リ ャ イ ン に と っ て の も う 一 つ の 普 遍 的 テ ー マ が あ る。 そ れ は 家 庭 内 暴
力( Domestic Violence 以 後 DV ) で あ る。 こ の テ ー マ に 取 り 組 ん だ 映 画
が 2003 年に発表した“ Te doy mis ojos ”『 Take my eyes 』である。この
作品を通して 50 年前のスペインでは扱われることのなかった DV という現
代の問題を掲示したのである。 50 年前には DV は犯罪であるという認識が
存 在 せ ず、 も ち ろ ん の こ と 社 会 問 題 と し て も 取 り 上 げ ら れ る こ と は な か っ
た。 ま た、 ボ リ ャ イ ン に 先 ん じ て 1999 年 に 父 親 の 暴 力 に よ り 壊 さ れ た 娘
と妻の人生を描いた“ Solas ”『ローサのぬくもり』と言う映画がベニート・
サンブラノ( Benito Zambrano )監督によって製作された。
家 庭 内 暴 力 は 現 代 社 会 に お い て も っ と も 深 刻 な 問 題 の 一 つ で あ り、 歴 史
的 に も 中 世 か ら 途 切 れ る こ と の な く 続 い て き た ど の 社 会 に も 起 こ り つ づけ
て い る 問 題 で あ り、 そ れ は 国 を 選 ば ず、 先 進 国 に も 後 進 国 に も 平 等 に 存 在
す る。 ボ リ ャ イ ン の 映 画 に は 善 悪 の ど ち ら か と い う 単 純 な 二 元 性 で 物 事 を
批 判 す る よ う な 単 純 さ か ら は 程 遠 く、 た だ 冷 静 に 社 会 の 問 題 を 描 く と い う
美徳がある。
ボリャインが“ Te doy mis ojos ”で示すように、家庭内暴力はもっとも
複 雑 な 問 題 で あ り、 過 去 150 年 に お け る 社 会 構 造 が 変 化 し て き た に も か か
わ ら ず、 こ の 問 題 の 根 源 は 根 付 き 存 在 し つ づ け、 結 果 と し て こ の 問 題 が 解
決されていくことがなかったのである。
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映画に見るスペイン社会の変遷
この“ Te doy mis ojos ”は家庭内暴力における複雑な疑問に応えようと
した大作である。なぜ自分を痛めつけるパートナーとの生活を 10 年以上も
の 長 い 間 我 慢 す る の か? な ぜ 離 婚 し な い の か? そ れ ど こ ろ か 離 婚 す る ど こ
ろ か 愛 情 は 変 わ ら な い と 言 い 張 る の か? 先 進 国 で は 4 人 に 一 人 の 割 合 で 女
性 が パ ー ト ナ ー に よ る 暴 力 を 経 験 し て い る と い う。 経 済 的 な 依 存 ゆ え に 別
れられないという理由だけでは説明はつかず、根底に複雑な理由が絡み合っ
て い る と 考 え ら れ る。 こ れ ら の 疑 問 が こ の 作 品 で は 提 示 さ れ、 さ ら に、 た
だ被害者の立場からだけではなく、加害者からの観点からも描かれている。
統計によると、スペインは毎年約 70 人の女性がパートナーによって殺害さ
れ て い る。 こ の 数 字 を 減 ら す に は ど う し た ら よ い の か、 そ の た め の 対 策 は
時間をかけてでも不可欠である。
こ の 作 品 は、 ゴ ヤ 賞 を 7 部 門 で 受 賞 し、 ボ リ ャ イ ン は ゴ ヤ 賞 最 優 秀 映 画
賞と監督賞を受賞した。
現 在、 ス ペ イ ン 映 画 界 は 多 く の 優 れ た 若 手 映 画 監 督 を 輩 出 し て い る、 彼
らの今後の作品に期待は大きい。
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エレナ・ガジェゴ
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