美術史の役割は人間に対するオマージュ(献辞)です

【研究者インタビュー No.069】
美術史の役割は人間に対するオマージュ(献辞)です
大分大学 教育福祉科学部 芸術・保健体育教育 准教授 田中 修二 (たなか・しゅうじ)
専門: 近代日本美術史。美学・美術史。
ています。ただ,成城学園の創設者が掲げた教育の理
想には魅力を感じます。例えば,「試験はする。しかし
あくまで自分の学力を試すのが目的だ。だから試験監
督は置かない」という考え方があります。これなどは学
生への信頼が前提になっています。
美術史は,医学や工学と違って,人が実際の生活を
営む上で不可欠というものではありません。どの絵が
ダ・ビンチかなど知らなくても立派に生きていける(笑
い)。ですから,学生には知識を問うよりも,私が受け
た教育で良かったことを学生への教育に反映させつつ、
いろいろなものの見方を見つけてもらうことを大切にし
ています。(写真と文/安部博文)
▲美術館巡りでは移動の乗り物も楽しむ「鉄ちゃん」である。
●近代日本美術史とはどういう内容でしょう?
近代日本美術史は,近代の日本美術の作品を通して,
作り手や時代の個性を示す表現を見出したり,時代背
景との関連などを見ていくものです。「近代」の歴史的
な幅ですが,広く捉えると江戸時代あたりから現代まで。
狭く捉えれば,明治時代から第 2 次大戦までという区
切りでしょう。私は江戸時代や現代美術にも関心があ
るので広い捉え方をしています。
近代のなかで明治は革命的な時期で,旧い価値観と
新しい価値観が相克するダイナミックな時代でした。江
戸と明治の端的な違いの一つが,江戸時代に彫刻家
はいなかった,いたのは職人だった,ということ(笑い)。
開国して外国から様ざまな文化や技術が入ってきます。
「彫刻家」が生まれるのはその後です。
例えば新海竹太郎(しんかい・たけたろう) という人物は,
江戸時代の仏師の子、つまり職人の出身です。それが
西洋の造形表現を知り、彫刻家になります。このような
新海の生き方は江戸と明治のつながりを体現するもの
と言えます。
大正時代になると,より作家の個性が強調される傾向
が出てきます。ところが昭和に入ると戦争で作家の個
性が著しく抑えられてしまいます。それでも作家はそれ
ぞれの方法で表現を工夫していました。入江波行(いり
え・はこう)という京都の日本画家は,戦時中はひたすら
古い時代の絵を模写していました。これも時代に対す
る作家の姿勢でしょう。
歴史的な背景を知ると,新しい見方ができるようになり
ます。色んなものの見方ができるのが美術史の良いと
ころです。美術史を学ぶということは,人間に対するオ
マージュ(献辞)の役割を担うことだとも考えています。
●教育のポリシーは?
私は成城学園という教育環境の中で育ちましたので,
プラス面もあれば他を知らないというマイナス面も持っ
【田中 修二(TANAKA Shuji)プロフィール】
▼1968 年,京都府生まれ。父親が成城
大学文芸学部の教員(美術史)になった
のを機に京都から東京へ転居。3 歳から
は東京都町田市で育つ。▼小学校から
大学院修了まで成城学園で過ごす。▼
成城学園は 1917 年,元文部官僚の澤柳
政太郎(さわやなぎ・まさたろう) がリベラル
な理想的教育を目指し,初等科(小学
校)を設立した後,中学,高校,大学と発
展した学校である。▼初等科 1 年から混
み合う鉄道での通学が始まる。しかし電車が大好きだったことか
らラッシュの苦痛も乗り切った。学校は 1 クラス 38 名,1 学年 3
クラスのアットホームな環境。不得意科目はなかった。▼中学校
は、こじんまりした初等科時代とは異なり 1 クラス 50 人の 1 学年
6 クラス。若干のカルチャーショックはあったものの自学自習を旨
とする成城学園の校風が肌に合った。▼たまたま出かけた美術
展のフランス画家の絵が面白いと感じたのがきっかけで展覧会
巡りが始まる。▼高校時代,画廊巡りを続けながら,大学で本格
的に美術史を学ぼうと考える。1987 年,成城大学文芸学部芸術
学科に入学。▼大学では時間的なゆとりが増えたのでより広い
範囲で美術館・美術展巡りを続ける。近代日本美術史の研究を
進める父親の研究室に所属し,明治時代に作られた銅像を対
象にした論文を仕上げる。第 2 次大戦までに全国で 1 千体以上
の銅像が作られたが,戦時中の供出のため半分以上が失われ
た。それらののこされた作品から作者の表現方法や時代の個性
を探るというアプローチ方法をとった。▼1991 年 3 月,学部卒業。
同年 4 月,成城大学大学院文学研究科美学・美術史専攻博士
課程前期に進学。卒論のテーマを拡大し,北は岩手県,南は福
岡県まで彫刻作品などの調査を実施。修士論文は『近代日本最
初の彫刻家』(1994 年,吉川弘文館)として出版。▼1993 年,博
士前期課程を修了。同年 4 月,博士課程後期に進学。研究の幅
を広げるため,父の専門である日本画も視野に入れる。京都に
ある母親の実家を拠点に歴史的な日本美術を見て歩くなどフィ
ールドワークを重ねた。博士論文は明治から大正時代に活躍し
た彫刻家の新海竹太郎に焦点を当てた。博士論文は『彫刻家・
新海竹太郎』(2002 年,東北出版企画)として出版。▼1999 年 3
月,成城大学から学位を取得し、博士課程後期修了。博士(文
学)。▼2001 年 4 月,大分大学教育福祉科学部に着任。学生と
共に大分市に多数存在する屋外彫刻の維持・保存に尽力して
いる。
平成 22 年度大学等産学官連携自立化促進プログラム / 地域連携研究コンソーシアム大分 / 取材時期 平成 22 年 6 月