企業はなぜ農地を取得できないのか?

2016 年 3 月 28 日 金融財政ビジネス掲載
企業はなぜ農地を取得できないのか?
食料安保のための第 3 次農地改革を
研究主幹
山下 一仁
特区による企業の農地所有の要件緩和は、自民党農林族と農林水産省によっ
て逆に厳しい要件が課され、骨抜きにされた。企業の農地所有を認めないとい
う農業界の主張には、自らが農地を転用したいという本音が見え隠れする。し
かし、企業による耕作放棄や転用を認めないという理由から、農業界が新たに
課した要件を利用して、逆の提案をすることも考えられる。
企業の農地所有めぐる混乱
一般紙には大きくは報道されなかったが、企業の農地所有をめぐって農業界
は大きく揺れ、政府・与党間で激しい攻防が行われた。発端は、現在特区の対
象となっている兵庫県養父市が、企業の農地所有の要件緩和を求めたことだっ
た。具体的には、農業生産法人(農地所有できる株式会社)について、現在 50%
までしか認めていない企業の株式保有制限を撤廃してほしいというものだった。
過疎地である養父市では、農業後継者がいないため耕作放棄が後を絶たず、企
業に参入してもらうしか農地の保全ができないと主張した。
これに対し、自民党農林族や農水省は、25%しか認めてこなかったものを昨
年度、50%に引き上げたばかりであり、さらなる規制緩和は 2019 年に行うこと
としているとして、猛反対した。過去にも、特区に限定して始まった一般企業
に対する農地のリース(貸し付け)が 09 年、リース形態での企業参入の全面展
開につながったという苦い経験がある。農業界は、特区での企業の農地所有が、
再びアリの一穴となることを恐れたのだ。
しかし、国家戦略特区諮問会議の事務局を担当する内閣府は、自民党や農水
省などと事前の擦り合わせもなく、これを諮問会議の検討課題としてしまった。
これを知った自民党農林族幹部は、1 時間にわたり内閣府幹部を怒鳴りまくった
という。しかし、このとき既にゼロ回答では済まなくなっていた。安倍晋三首
相が、同諮問会議で企業の農地所有を求める養父市を評価し「規制緩和措置と
セットで、懸念を払拭するための工夫をすれば、また一歩、改革は進む。まず
は特区内で効果を検証していく」と発言したからである。
これで養父市の提案を認めざるを得なくなった農水省や自民党農林族は、
「懸
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念を払拭するための工夫」という首相発言を足掛かりとして、骨抜きにかかっ
た。まず、対象を養父市だけに限定し、拡大しないようにした。具体的には、
特区のうち、農業の担い手が著しく不足し、従来の措置だけでは耕作放棄地が
著しく増加するおそれがある自治体を、政令で指定することにしたのだ。また、
5 年間の時限措置とした。
それに加えて、養父市での企業の農地所有にも厳しい要件を付けた。企業が
農地を取得するときには、まず自治体が農地を買い取った上で、企業に売り渡
す。50 アール以上の農地を自治体が買い入れる際には、議会の議決が必要とな
る。都府県の零細な農家規模でさえ 50 アールを超える規模なので、市長が推進
派でも議会が反対すれば、企業の農地所有は不可能となる。また、企業にはな
ぜリースではなくて農地所有が必要なのかを公表することを義務付ける。
さらに、企業が農地を荒廃させたと農業委員会が認めれば、企業は自治体に
農地の所有権を移転しなければならない。
つまり、養父市に封じ込めた上で、企業参入の入り口と出口で厳しい要件を
課したのである。自民党農林族幹部は「岩盤にドリルで穴を開けたら、また岩
盤にぶち当たったようなもの」だと自画自賛したという。安倍首相の顔を立て
た上で、骨抜きに成功したのだというのだろう。
アベノミクスの農協改革
実は、似たやりとりが 2 年前の農協改革をめぐっても行われていた。14 年規
制改革会議が提案した農協改革は、三つの目的を持っていた。
第一に、農協の政治活動の中心だった全中(全国農業協同組合中央会)や都
道府県の中央会に関する規定を農協法から削除して、政治力を弱める。第二に、
農産物販売などを行う全農やホクレンなどを株式会社化し、つまり、協同組合
ではなくして、独禁法を適用し、農産物価格を下げる。第三に、准組合員(地
域の住民であれば農家でなくても農協を利用できるという農協だけにある制度)
の組合利用を正組合員の 2 分の 1 未満に制限して、農業の職能組合として純化
させる―というものだった。
この提案について、自民党と政府は、いったんは、このような方向で改革す
るかどうかはすべて、農協の判断に任せるという結論を出し、完璧に骨抜きに
した。しかし、安倍首相は「中央会は再出発し、農協法に基づく現行の中央会
制度は存続しない。改革が単なる看板の掛け替えに終わることは決してない」
と発言し、巻き返しを図った。
この中央会についての発言を無視できなくなった自民党は農協と再調整し①
全中に関する規定を農協法から削除し、一般社団法人とする②都道府県の中央
会は引き続き農協法で規定する③全農等が株式会社になるかどうかは、その判
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断に任せ強制しない④准組合員の事業規制は見送る―という内容で決着した。
しかし、全中の政治力は排除されない。全中は農協法の附則で、JA グループ
の代表、総合調整機能を担うと位置付けられた。手付かずのままの都道府県の
中央会は、依然として地域農協から強制的に賦課金を徴収できる。その賦課金
は従来通り、全中に流れ、政治活動等に使われる。また、協同組合であること
で、独禁法の適用除外のほか、安い法人税、固定資産税の免除などさまざまな
メリットを受けている全農等が、株式会社化を選ぶはずがない。准組合員の事
業規制は、見せ球だった。地域農協や都道府県の組合からすれば、准組合員が
いなくなれば、融資先に困ってしまう。准組合員の事業規制を提案した途端、
彼らは、准組合員が維持できるのであれば、全中の一般社団法人化などどうで
もよいと判断した。
つまり、安倍首相が改革の旗振りを行い、やむを得ず、抵抗勢力がこれに譲
歩するという構図である。小泉改革と似ているようだが、小泉純一郎元首相は
「本当に切るぞ」という気構えで刀を振り下ろし、抵抗勢力と妥協しようとは
しなかった。安倍首相は刀を振りかざした後は、政府・与党内の調整に任せて
いる。改革の一歩前進として評価できるが、具体的な成果には乏しい。アベノ
ミクスがいまひとつ国内外で評価されないところなのだろう。他方で、政権浮
揚策としては見事である。安倍首相は改革推進のポーズを国民に見せつけるこ
とができるし、農林族幹部は改革を押しとどめることができたと農業団体にア
ピールできる。
自作農主義の呪縛
企業の農業参入を考える際には、制度面と実体面での検討が必要である。
農地改革によって小作農に農地の所有権が与えられ、農村の構成員のほとん
どが1ヘクタール程度の自作農となった。所有権を与えられた元小作農は保守
化し、保守政党を支える基盤となった。終戦直後、小作農の地位向上を求めて、
農村に社会主義運動が湧き起こった。しかし、これは、農地改革の進展ととも
に、急速に勢いを失っていった。連合国最高司令官総司令部(GHQ)は当初、
農林省が提案した農地改革に関心を持たなかった。しかし、小作人に農地の所
有権を与えることで農村を保守化し、共産主義からの防波堤にできると気付い
てからは、マッカーサーは農地改革の積極的な推進者となった。
GHQ は、さらに農地改革の成果を確固たるものとすべく、農林省に農地法の
制定を要求した。しかし、戦前から“零細な農業構造の改革”を使命としてい
た農政官僚たちは、零細規模の自作農を生み出した農地改革の成果の固定を目
的とした農地法の制定に抵抗した。地主階級の代弁者だった与党自由党も、逆
の立場から農地法には反対した。
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しかし、後に首相となる池田勇人は GHQ と同様、農村を保守党の支持基盤に
できるという農地改革・農地法の政治的効果にいち早く気付いていた。農家戸
数を減少させて農業の規模拡大を進めるよりも、小規模のままの多数の農家を
維持する方が票田になる。池田は、自由党の内部を取りまとめ、農地法の制定
を推進した。農地法は単なる農業関係の法律ではない。戦後という時期におい
て、それは強力な防共政策であり、農協制度と相まって、保守党の政治基盤を
築いたものだったのである。
1952 年農地法の基本理念は「自作農主義」だといわれる。それは、農地法旧
第 1 条の目的規定の中の「農地はその耕作者みずからが所有することを最も適
当であると認めて」という文言に根拠があると信じられてきた。これは、農地
法制定当時、農林事務次官が思い付きで書き入れただけのものだったが、この
文言が農地法の基本理念を示したものと受け止められてきた。
耕作者が所有者であるべきだとする「自作農主義」は、農業生産向上のため
に戦後有効だった手段であって目的ではない。しかし、これが一人歩きしてし
まった。戦後農地制度を担当した者は「自作農主義は『目的ではなく手段であ
る』ということを何度となくみずから言い聞かせているつもりなのだが、…一
たび自作農主義と称されたとたん、自作農なるものが農民の理想像であり、自
作農たることが政策の最終目標であるような錯覚が生まれてくるのである」と
述べている(中江淳一<1976>「日本の農業」100 号、農政調査委員会)。欧
州は用途地域を指定するゾーニング規制だけで農地を維持している。農地法に
相当する規制はない。
農場の「所有者」とその「経営者」
「耕作者」は同じである必要はない。素人
よりもプロが経営すべきであり、所有者(出資者)は農場に投下した資本で配
当を得ればよい。これは、ブラジルなどで普及している農業経営である。
今では、借地なら一般の株式会社も農業を営める。しかし、いつ返還を要求
されるか分からない借地には、誰も投資しようとはしない。大きな機械投資を
して参入しても、数年後に農地の返還を求められると、投資は無駄になってし
まう。しかし、農地法は、「所有者=耕作者」である自作農が望ましいとする。
このため、農地の耕作や経営は従業員が行い、農地の所有は株主という株式会
社による農地の所有は認められない。
当初、農地法は法人が農地を所有したり耕作したりすることを想像すらして
いなかった。しかし、節税目的で農家が法人化した例が出たため、これを認め
るかどうかで農政は混乱した。ようやく、1962 年に「農業生産法人制度」が農
地法に導入されたが、これは農家が法人化するものを念頭に置いたものであり、
株式会社形態のものは認められなかった。株式会社を認めたのは 2000 年になっ
てからであり、これについても、企業の株式保有は 25%未満(昨年度 50%に緩
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和)であること、役員の過半は農業に常時従事する構成員であることなどの要
件があり、また、株式譲渡を制限した会社に限定された。
農業に新しく参入しようとすると、農産物販売が軌道に乗るまでに機械の借
り入れなどで最低 500 万円は必要といわれている。しかし、友人や親戚から出
資してもらい、農地所有も可能な農業生産法人である株式会社を作って農業に
参入することは、これらの出資者の過半が農業関係者で、かつその会社の農作
業に従事しない限り、農地法上認められない。
新規参入者は銀行などから借り入れるしかないので、失敗すれば借金が残る。
農業は参入リスクが高い産業となのである。株式会社なら、失敗しても友人や
親戚等からの出資金がなくなるだけである。
「所有と経営の分離」により、事業
リスクを株式の発行によって分散できるのが株式会社のメリットだが、現在の
農業政策はこの方法によって意欲のある農業者、企業的農業者の参入を可能と
する道を自ら絶っているのである。
農家の子供だと、たとえ郷里を離れて東京や大阪に住んでいようと、農業に
関心を持たない人であろうと、相続で農地は自動的に取得できる。耕作放棄し
ても、おとがめなしである。それなのに、農業に魅力を感じて就農しようとす
る人たちには、農地取得を困難にして、農業という「職業選択の自由」を奪っ
ているのだ。
逆に言うと、農政は農家の後継者しか農業の後継者としてこなかった。農家
の子供が農業は嫌だと言ってしまえば、農業の後継者はいなくなる。これが高
齢化の一因でもある。これでは、本当に農業をやりたいという意欲のある若者
が、参入できない。日本では農家以外の新規就農者は全体の 15%にすぎない。
これに対し、デンマークでは、新規就農者の 6 割が非農家出身である。
農政は新規就農者のために多額の予算を投下している(農水省は、青年就農
者 1 人に年間 150 万円、最長 7 年間、計 1050 万円を交付する事業を推進して
いる)が、自らの制度が新規就農を阻んでいることに気が付かない。出資によ
るベンチャービジネスを認めれば、新規就農者は自由に資金を調達できるので、
多額の補助金を新規就農者に与える必要はない。
農業界の反対理由を逆手に取る
株式会社に所有権を認めないのは①その利益追求的な性格から、農地を農業
用として継続的に利用することの保証が得られないから②農業的利用をしなく
なっても、物を直接支配するという物権的性格から、所有者に対して農業的利
用を回復させることができなくなってしまうため―と主張されている。
しかし、農家には利益追求的な性格がないのか?「転用してほしい」という
人が出てきても、貸しているとすぐには返してもらえないので、農家が転用期
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待で農地を貸そうとしないで耕作放棄するのは農業的利用なのか?大都市に居
住している農家の子供に農地の所有権をなぜ認めるのか?
耕作放棄の半分は、農業をやめた土地持ち非農家が行っている。土地持ち非
農家は農地を所有できて、農業を真剣に行おうとする企業はなぜ所有できない
のだろうか。物権的性格うんぬんという理由は、今回の自治体買取りによって
否定された。
農地価格はおおむね、全国平均でリース契約料の 100 年分に匹敵し、採算が
見込みづらいのに、農地の所有を求める理由は見当たらないと、農水省は主張
する。しかし、これが本当なら、個人経営にしろ農業生産法人経営にしろ、農
地の所有権を取得して農業に参入したり、規模拡大をしたりする企業以外の農
業経営体はないことになる。もちろん、そんなことはない。
さらに、本来なら農地の価格はリース契約料も考慮された収益還元価格で決
定されるはずなので、農家や企業はリースか所有か自分に都合の良い方を選択
するはずである。農地価格がリース契約料の 100 年分に匹敵することが過大か
どうかは、よく分からない。しかし、もし農水省が、農地価格が収益還元価格
を大きく上回っているので、なぜ企業が農地を所有したいのか分からないと言
っているのであれば、これは天に唾するようなものである。つまり、農水省に
よる農地のゾーニング制度がいいかげんに運用されているので、農地の価格が
収益還元価格ではなく、宅地価格を考慮した農地転用価格で決定されているこ
とを白状していることに他ならないからである。
農水省がこの程度の反論しかできないことは残念である。しかし、今回の骨
抜き案を逆手に取る逆提案をしてみるのも、面白い。今回、企業が農地を荒廃
させた場合、自治体が買い戻すことにした。耕作放棄が食料安全保障を損なう
ことは、企業によって行われようが農家によって行われようが変るものではな
い。それなら、耕作放棄地は農水省が収益還元価格で強制的に買い取ることと
してはどうだろうか?こうすれば転用期待で農地を耕作放棄することはなくな
る。耕作放棄にわずかばかりの固定資産税をかけるより、はるかに効果的であ
る。もちろん、政府が買い入れた農地は担い手農業者に買い入れた価格と同額
で売り渡す。こうすれば、財政負担なしで農業の規模拡大を実現できる。農地
を農業以外に使用すれば買収されるので、欧州のような厳格なゾーニングを実
施するのと同じ効果がある。農業をしなければ、誰でも買収されるというので
あれば、農業をする者を個人に限定する必要はない。企業参入を否定する農地
法は廃止できる。
そもそも、農地改革の買収価格は収益還元価格(田でリース契約<小作>料
の 40 倍、畑で 48 倍を限度とした)で決定された。しかも、小作人に売り渡し
た農地が活用されないときは、国への売り渡し義務もあった。富山県全域に匹
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敵する耕作放棄が生じている危機的な状況の下で、農水省が真剣に食料安全保
障を心配するのであれば、第 3 次農地改革を果敢に実行してはどうだろうか?
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