カトリック・アクション同志会ミサ説教

カトリック・アクション同志会ミサ説教
2015年11月7日 東京カテドラルにて
[聖書朗読箇所]
説教
今日の聖書朗読から何を学びましょうか。
第一朗読は創世記2
18-25、性と結婚の由来を語っています。性は神
に由来し、結婚も神の定めに基づいています。男と女は互いにかけ
がえのないパートナーとして、補い合い、助け合うべきものとして
造られました。
第二朗読は使徒パウロのローマ書13章の隣人愛についての教えです。
13章9節で、「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほ
かどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という
言葉に要約されます。
最も近い隣人の中に家族がいます。現代世界の家族は危機に瀕して
いるといわれます。家族は互いに支えあい助け合うものです。人は
家庭で生まれ、愛を知り、信仰を伝えられて成長します。しかしこ
の家庭の働きがうまく機能していないという現実があります。
家庭の模範は、ヨセフ、マリア、イエスの聖家族です。聖家族は神
を中心とした家族です。
イエスは12歳の時に両親に言っています。
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいる
のは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
2章50・51節で、 ルカ福音書は、
「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それか
ら、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮
らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた」
と述べています。
マリアはわが子の子の言葉の意味を思いめぐらし、神のみ心を求め、
神のみ旨に従って生涯を歩みました。
イエスの養父ヨセフはまことに信仰の人でした。彼は夢の中で天使
から受けた言葉を信じて、マリアを受け入れ、エジプトへ避難し、
またエジプトからナザレという町に移住して静かな生活を送られた
のでした。
家族と家庭は神の賜物ですから、神のみ旨に従って家庭が造られ、
家族は神の愛によって結ばれなければならないのです。
さて、10月25日、ヴァチカンで開催された「教会と現代世界におけ
る家庭の使命と召命」を主題とする世界代表司教会議(シノドス)
が終了しました。10月24日に「最終提言書」が採択されました。
最終文書の提言は94項目からなり、参加司教たちはこれらの提言の
一つひとつに対し投票しました。この投票では265の票のうち三分の
二の177を得ることが可決のラインとなります。投票の結果、全項目
が可決され、最終提言書はそのままの形で採択されました。
提言書では、秘跡的な婚姻の不解消性の教義を改めて確認し、それ
は束縛ではなく神の恵みであり、キリストと教会をつなぐ絆に基づ
く真理であることを思い起こさせています。
離婚して再婚した人たちの聖体拝領について直接の言及はないよう
ですが、個々の複雑な家庭状況の分析を通した判断を司牧者に委ね
ています。
結婚しないまま同居しているカップルに対しては、建設的な方法で
その状況と向き合い、福音の光のもとに、それが結婚・家庭という
より完全な形に向かうための、回心の歩みとなるよう導く必要に触
れています。
また、提言書の中で重要な点として、同性愛者については、同性愛
の傾向を持つ人々は尊重をもって受け入れられるべきであり、不当
な差別があってはならないとし、家族に同性愛者がいる家庭に対す
る特別な配慮を説いています。
しかしながら、同性婚については、これを結婚と家庭についての神
の計画と同様と見なすことはできないとも述べています。
全体として変わらぬ真理への忠実を説きながら、牧者としての温か
い配慮をにじませた内容となっていると、日本から参加した髙見三
明長崎大司教の報告がありました。
すべての家庭に神の恵みが豊かに注がれますよう祈りましょう。
聖書朗読箇所
第一朗読 創世記2
18-25 最初の女
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助
ける者を造ろう。」主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥
を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼
ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となっ
た。
人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分
に合う助ける者は見つけることができなかった。主なる神はそこで、
人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜
き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる
神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「ついに、
これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イ
シャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから。
」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。
第二朗読 ローマの信徒への手紙13
8-10 隣人愛
互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなり
ません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟
があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約
されます。
愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
福音朗読 ルカによる福音2
41-51 エルサレム巡礼
さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二
歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの
期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っ
ておられたが、両親はそれに気づかなかった。
イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってし
まい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかっ
たので、捜しながらエルサレムに引き返した。
三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞
いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、
イエスの賢い受け答えに驚いていた。
両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてく
れたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していた
のです。」
すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らな
かったのですか。」
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕え
てお暮らしになった。
母はこれらのことをすべて心に納めていた。
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