⽣命の存在は多元宇宙論の根拠となるか ⼭⽥雅⼤ Claremont Graduate University, [email protected] 1 多元宇宙論の根拠としての⽣命の存在 多元宇宙仮説 我々の住む宇宙は多数ある宇宙の⼀つであり、それぞれの泡はビッグバンの時に⽣成され、異 なる物理定数を持つとする仮説。ビッグバンを記述するインフレーション理論の⼀つ。 ⼀元宇宙仮説 我々の住む宇宙は存在する唯⼀の宇宙だとする仮説。 物理定数の微調整 可能な物理定数の組み合わせの中で、⽣命の存在を許すのは極僅かである。⼤概の組み 合わせは、⽣命どころか原⼦の存在すら許さない。 論証(Penrose, Hawking 他) 1. 現在の物理学の標準理論及びその延⻑線上にある理論において、物理定数は理論によって決定され ない。 2. ⼀元宇宙仮説が正しければ、⽣命を可能にする宇宙が存在する確率は極めて低い。 3. だが⽣命は存在する。つまり、⼀元宇宙仮説が正しければ、⽣命の存在は驚くべきことである。 4. 多元宇宙説が正しければ、⼀つぐらい⽣命を可能にする宇宙が存在していても不思議ではない。 故に、 5. どちらかと⾔えば、多元宇宙仮説をより有⼒とみなすべきである。 2 運が良かった、ではダメ?確率理論の応⽤ 様々な可能性のうち、⼀つを除いて全て否定された場合、残された可能性を真とみなすべき。では、可能性 をいくつか否定できても複数残っている場合は? 応⽤例 1.トランプ トランプのデッキをよく切り、⼀枚を抜く。その抜いた⼀枚がキングである確率は?抜い たカードにはヒトの絵が描いてあったと知らされたら? 応⽤例 2.無作為抽出による品質管理 ⼀⽇ 10000 個の製品を造る⽣産ラインがあるとする。⽣産ラインに ⽀障のない場合、できた製品のうち 10000 個に⼀つ⽋陥品があり、⽣産ラインに⽀障があれば、全て の製品が⽋陥品となるとする。⽣産ラインに⽀障が⽣じるのは 100 ⽇運転してそのうちの⼀⽇。 10000 個作った時点、つまり⼀⽇の終わりで、その 10000 個の中から⼀つを無作為に選び調べた結 果、⽋陥品だと判明したとする。今⽇は⽣産ラインに⽀障があったとみなすべきか? 応⽤例 3.多元宇宙論 どのような宇宙が存在するのかわからない状態では、多元宇宙仮説が正しい確率は 100 分の1とする。もし⼀元宇宙仮説が正しければ、存在する唯⼀の宇宙が⽣命の存在を可能にする確 率は 1 万分の1とする。ここで我々の宇宙は⽣命の存在を可能にするという情報が⼊ってきた場合、多 元宇宙論の確率はどうなる? 3 疑問点 応⽤例 4.太郎冠者 太郎冠者がある収容所に⼊れられているとする。⼀万⼈の囚⼈がいるが、各囚⼈は個 室に⼊れられお互いのことは⼀切わからない。ある⽇、以下のような宝くじが開催されることになる。こ れから全員眠らされ、その間にまず1から101まで通し番号を振った101枚のカードから⼀枚を抜き、 もしそれが50番のカードだったら、全員当たりということで、全員を起こし、全員の部屋のドアを解錠 する。それ以外の場合は、⼀⼈だけ起こしてその囚⼈の部屋のドアを解錠し残りはそのまま眠らされ続 ける。この場合、誰が当たるかはを通し番号を振った1万枚のカードから⼀枚を抜くことで決める。 この話を聞いたあと、太郎冠者は眠りにつかされる。そして起こされるとする。太郎冠者は、全員当たっ たと考えるべきか? 1 上の応⽤例 3 の考え⽅が妥当ならば、全員が起こされ全員のドアが解錠されている確率のほうが、⾃分⼀⼈ が起こされた確率よりも、100 倍⾼いと太郎冠者は考えるべきである。 しかし、これはおかしい: • もし太郎冠者の考え⽅が妥当ならば、他の誰でも同じように考えることができるはずである。上の例の 場合、誰か⼀⼈は必ず当たる。そして、当たった囚⼈は、全員当たった確率は 99% 以上とみることが 妥当だということになる。しかし、全員が当たった確率は 1% 未満ではないのか。特に第三者から⾒た 場合、太郎冠者の考え⽅は間違っているように⾒える。 • ドアが解錠されているため独房の外に出ることができるが、もしただ⼀⼈出れば看守たちに⾒つかり銃 殺されてしまうとしよう。だが、もし⼀万⼈全員が外に出れば、看守たちを圧倒できるとする。もし、全 員当たった(つまり起こされた)確率は 99% 以上と考えるのが妥当ならば、太郎冠者は看守たちをほぼ 間違い無く圧倒できると⾃信満々で独房の外に出ることができる。 4 情報の偏向 応⽤例 5.所⻑ 上の太郎冠者の監獄の所⻑が、当たった奴を⼀⼈連れてこい、もし全員当たったのなら⼀⼈ 適当に選んで⼀⼈だけ連れてこい、と命令したとする。この命令を受けて太郎冠者が連れてこられる。 所⻑は、全員当たった確率はどれほどと考えるべきか? これは簡単。 所⻑の例と、以下の例を⽐べてみよう: 応⽤例 6.所⻑ 2 誰でもいいからひとり連れてこいと所⻑が命令し、それを受け太郎冠者が連れられてくる。 調べた結果、太郎冠者は当たっていたと判明する。 この場合は、全員当たった確率は 99% 以上と考えてよし。応⽤例 5 では、当たった者しか連れてこられない 点に違いがある。つまり、応⽤例 5 では、連れてこられた囚⼈はハズレだったということはない以上、所⻑の ⼿にしうる情報には偏りがある。 以下のような考えはどうか: 太郎冠者の観点からもこれは同じ。もし当たらなければ、当たらなかったという情報は、眠っているた め太郎冠者の⼿には⼊らない。よって、太郎冠者の例も、無作為抽出の例と同列には扱えない。 さらには、多元宇宙論もおなじ。もし⽣命を可能にする宇宙が存在していなければ、そのような宇宙は 存在しないという情報も⼿に⼊らない。よって、情報に偏向があるため、⽣命の存在は多元宇宙論の根 拠とはならない。 残念ながら、これでは⾜りない: • 眠りに付く前、太郎冠者にとって可能性は以下の三つある: 1. ⾃分のみ当たる 2. ⼀⼈だけ当たり、それは⾃分ではない 3. ⾃分を含め、全員当たる 当たれば、⼆つ⽬の可能性が否定される以上、他の可能性の確率は変わるのではないか。たとえ、⼆ つ⽬の可能性が肯定されるような情報は太郎冠者の⼿に⼊り得ないとしても、起こされたことによって ⼆つ⽬の可能性が否定されるということにはかわりない。情報に偏向があるというだけでは、なぜ三つ ⽬の可能性の確率が跳ね上がらないのか、説明できない。 • 太郎冠者が眠りにつかされるということは本質的ではない。誰も眠りにつかされないとしても、太郎冠 者は当たったことは、全員当たった確率は 99% 以上と考える根拠とはならない。しかしこの場合は、⾃ 分のドアは解錠されなかったという情報も⼿にしうるため、情報の偏向はない。 2 5 ⾃⼰を同定する情報 記憶喪失でもない限り、⾃分は当たったと太郎冠者が知っている場合、彼の⼿にしている情報は⼆つある: 1. ⾃分は当たった 2. ⾃分は太郎冠者である 太郎冠者がいずれの情報も⼿にしていないが、上の例の宝くじが⾏われどのように⾏われるかなどは知ってい る状態を考えてみよう。例を簡素化するため囚⼈は太郎冠者、次郎冠者、三郎冠者の三⼈とする。 宝くじの結果を知らされる前では、宝くじの結果の可能性は以下の通り: i. 太郎冠者のみ当たる ii. 次郎冠者のみ当たる iii. 三郎冠者のみ当たる iv. 全員当たる ⾃分は当たったという情報を⼿にした場合、どうなるか?上記の可能性のいずれも否定されない。 だが以下のように考えられないか。 宝くじの結果と⾃分が誰であるかを知る前の可能性: 1. 太郎冠者のみ当たり、⾃分は太郎冠者である 2. 太郎冠者のみ当たり、⾃分は次郎冠者である 3. 太郎冠者のみ当たり、⾃分は三郎冠者である 4. 次郎冠者のみ当たり、⾃分は太郎冠者である .. . 10. 全員当たり、⾃分は太郎冠者である 11. 全員当たり、⾃分は次郎冠者である 12. 全員当たり、⾃分は三郎冠者である ⾃分は当たったという情報を⼿にすれば、可能性の 2,3,5,6,8,9 を否定できるため、全員当たったという可能 性の確率は上がるべきではないか。 ここに潜む誤謬: • 太郎冠者の視点ではなく、客観的に⾒た場合、上の i 〜 iv は実がとりうる四つの異なる姿である。だが、 1,2,3 は現実のとりうる異なる姿ではない:いずれも太郎冠者のみ当たるという唯⼀の可能性である。 • ということは、i 〜 iv のいずれが現実の実際の姿かということが問題となっている場⾯では 2,3,5,6,7,8 の否定は役に⽴たない。 • 敢えていうならば、⾃分は当たったという情報は、可能性の仕切り直しを要請する。 6 最後に ビッグバンを存在を賞とする宝くじのようなものと捉え、参加者の全員が当たるインチキな宝くじか、⼀⼈し か当たらない宝くじか、どちらだと思うかと聞かれ、⾃分、つまり⽣命の存在を可能にする宇宙が当たったと いう理由で、全員当たったのだろうとするのが、上で紹介した論法である。これは、太郎冠者の例が⽰すとお り誤謬。よって、⽣命の存在は多元宇宙論の根拠ではない。 (無論多元宇宙論の他の根拠があるかどうかとは 無関係) 3
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